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タイトルここに来て思ったのは
記事No: 183 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 02:05
投稿者仁科

 仁科と申します。私はこのサイトを訪れてまだ間もないですが、非常に魅力的な形式を敷いているので今後、足繁く通わせていただこうと思います。
 感想が少ないと言えば、このサイトの方々は皆さん随分と立派な感想を書かれる方が多いですね。一言、二言の感想を殆ど見ない。逆にそれが数を減らしているのでは、と私は思います。勿論、互いに助言や指摘を行ないあうのは非常に為になると思います。しかし、それだけを受け続けては創作意欲もやがて枯渇してしまうのではないでしょうか? 私は時には「面白かったです」の一言だけも必要だと思います。折角のポイント制度や簡易感想があるので、それが生かされないのも寂しい。
 私が思うに、感想を書かずに作品だけを投稿してくる人達が多いのは、感想を書くのに億劫になっている点があると思うのです。それを払拭する意味でも、重厚で論理的な感想・指摘ばかりではその数は増えないと思います。
 面白かったです。1pt。だけでも作者は凄く嬉しいものです。ポイントをあげようと思う基準を下げ、素晴らしい作品にポイントを集中させる事でも書き込みは活性化されると思います。私もそうですが、何か感想でその人の為になる事を書き込んであげよう、と思う人は逆に純粋にその物語を楽しめなかったり指摘したのにptはあげられないな……と妙な理屈を持ってしまったりします。
 指摘する前にその時の自身等は読者なのですから、感想を持つよりも楽しめたかどうかが大事なのだと思います。それであまり楽しめないようなら、そこから指摘する点を探した方がいいと私は考えます。
 新顔で色々と言ってしまって申し訳ありません。当分は読者として通わせて頂きますので、どうか今後お見知りおきを。


タイトルRe: 感想が少ない
記事No: 182 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 01:30
投稿者チェリー

 私は自分の力不足から、批評をするのがとても怖くて、書き手の努力を馬鹿にしてしまうのではないか、私の批評は間違っているのではないか、それに私が批評を出すほどのものなのか、と常に考えてしまいいつもその作品のいいところをなるべく探すようにし、書き手の人を「褒めて伸ばす」というような感想にしてしまいます。
 感想を出すときやはり一番に思うのは私が力不足ということ、ですね。私が批評を出すについてはまず「私自身批評をできる人間ではない」ということですね。ですので私ができることといえば、最小限のこと、三点リーダや連載物の文字数の問題、それにスラッシュなど正規表現などそういったものでしかできないです(泣

 <観想が少ない
 最近思うことはやはり執筆者の増え方が尋常じゃないということですよね。私も最近は時間もなく、さらに増殖するように増える作品に追いつけず……。私自身執筆する側に回りたいため読者としては最近はあまりなく、回りも執筆ばかりで新しく投稿した作品はほとんど感想が0という寂しい現状を目の当たりにし、執筆よりも読者に回って作品を読むべきかな、とも思いはじめました。
 やはり読者がいる、ということは執筆者の執筆意欲に影響するとおもいますので考えると読者は執筆者よりも重要な存在であること、だと思いました。
 う〜ぁ〜、でも私がそれほど偉い事を言える立場ではないので無視してもらっても結構でございます。
 では、失礼しました。


タイトル誰の為に何の為に
記事No: 181 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 00:21
投稿者君夜

 仰っていることは概ね的を射てると思います。他人の作品を読むことによって構成力や表現力が上がるのは実感としてありますね。やはり、感想や批評にはその書き手の実力や癖が透けて見えるものです。
 ただ、それを理解できる書き手はどれくらい、いるのだろう、と。ここの掲示板では書き急いでいる人が多い。十代の書き手が多いせいですね。私も思春期の頃には何が何でも書きたくて書くことだけに執着していた時期もありました。遠回りでもそれが必要な時期があると思います。枯れない創作意欲がなければ、結局書き続けられないのだから、無闇にかける間は書いたら良い、と思う。ただ、作品を向上させようと思ったら、ただ書いているだけではいられないが。
 読み手が増えてこない、どころか減ってしまうのは、もっと根源的な問題だと思います。自分の為に読み感想を書くことも大切だし技術の向上になりますが、いったい誰の為に何の為に小説を書くのか、を見つめねばならない。私的な意見ですが、誰かにそれを読ませようとした瞬間から、小説は全て読者の為にあるのだと思います。読者を楽しませ、元気を分け与え、その心を動揺させる。良し悪しは関係ない。細かい部分の表現なんて些細なもの。大切なのは、読者に幸せになって欲しい、読者を励ましたい、等々。書き手の強い気持ちだと思う。それがないと「ただの小説」なのですね、「読みたくなる小説」ではない。私に言わせれば「自分だけの小説」というの魅力がない。読者を意識しないのなら、自分の手元にずっと置いておけばいい。
 批評については深くつっこむのもどうか、と悩んでしまいますね。加減自体わからないし……つっこもうと思ったらつっこめるけど、どこまで作者に確固たる形があるのかわからない状況で、やりすぎると作品が歪んでしまう恐れもあって。あと、言ってもこの人は無視するだろう、というのはありますね。もしくは癖になっていて、それを個性と勘違いしている場合。できるだけ思ったことは率直に書くようにしていますが、どうしても隠してしまう事柄もありますね。不快にさせないように、尚且つ、感想をわかりやすく。元来、私は口が悪くて伝えるのに四苦八苦しています(汗)
 何だか、この意見は将来的に墓穴を掘りそうで怖いですな……


タイトル思い出す
記事No: 179 [関連記事]
投稿日: 2006/07/29(Sat) 22:44
投稿者タカハシジュン

 ああ、その気持ちよくわかります。僕もね、もう全くダメでしたね。怖くて誰かと比べられるというのがね。やっぱり長い間、ひとりでウロウロしてましたよ。
 確かにそういう段階って誰にしもあるし、そういうところから順を追って進まないとならないというのはありますね。うん、そしてそういう地道な努力ってしんどい。わかっているんだけれどやれない、気軽にやるべきなんだけどなかなかそういう風にやれないというのはよくわかることです。
 自分が受ける側でもそう。まして自分がつける側だと、的外れということの恐怖や、もっと別の恐怖というのは、付きまとわないとは言い切れない。むしろそういうリスクだらけの危ない綱渡りになりうるものですね。
 正直な話、僕は昔ぜんぜん違う場所で批評で大喧嘩してしまったこともあるし、ものすごい後味悪くなった失敗も何度もあったんです。たったひとことで相手が潰れる、相手の筆を折ってしまうということも、それほどの暴力的な言葉、批評というものも、ありえると思う。だから他人に対して感想批評を行うということへの躊躇というのは、僕自身もよくわかるんですね。このことについては長らく葛藤があったんです。
 でも結局自分が作品を書くというのは、何かについてこのように感じた、このように思ったという感想の要素や、何かについてこれはどうだと思うとか、こうすべきなんだと思うという批評の要素の結晶なんだと、思うようになったんですね。僕らは日常のいろんなことや、先行する小説や漫画、ゲームと接する中で、100パーセントそれに満足するんじゃなくて、自分らしい何かを別個に組み立ててみたいという欲求に駆られるわけで、結局それは有象無象の何かに対して感想や批評を経た上で自分の作品を作っているということなんだろうなと、そう考えるようになったんですね。つまりは無意識にせよ何かに対する感想批評をした上ではじめて創作をやっているんだと。感想批評というのは、他人がどう考え、どう解釈し、どう判定しようと、自分のためのものであり、自分の創作における基礎中の基礎なんだと。
 だからもう、誤読してもいい(笑) 作者の意図なんて外れてもかまわない。そして作品を判定するのでもない。自分の原理や原則についてボヤけたものをハッキリさせる。他人様のテクストなんて、申し訳ないけどダシにしちゃって、感想批評という自分自身の作品を作る、というのが、何かのためらいを突き抜けてしまうと待っていたひとつの結論かなあと、そう考え始めるようになったんですね。
 まあもちろんこれは理論であって、臨床のほうはね、理論どおりには実践するのが困難で、全く得手勝手に、配慮も経緯もなく毒舌を吐くことが批評だとは僕は思わない。建設的に、書き手が無意識的に築きながら意識として気づいていない領域を顕在化させることが批評の腕前だと思うんですね。だから批評の本道って、麒麟と同じで、駆け抜けれど草木を侵さず虫を殺さずというものだと思うんですね。そんな理想があり、ジレンマがあり、事実としての失敗多々あり、でもそれでも自分が前進しようと思ったら不可避なんだよなと、錯綜しつつも思ってしまうのですね。
 


タイトル書けない理由
記事No: 178 [関連記事]
投稿日: 2006/07/29(Sat) 17:00
投稿者
URLhttp://kounotuk.hp.infoseek.co.jp/tot/top.html

 自分自身、こちらのサイトに参加するまでは、批評を受けるのがとても辛く、怖いことでした。理性では、言われた方が勉強になる、というのは明らかなんですが、実際に「へこむ」ことは避けられない。ですが、打たれて這い上がる、指摘されて改善する(努力をする)、その経験が、次へ確実につながっていく手応えを感じます。自分一人では決して抜け出せず、うろうろ行ったり来たりしていた洞窟が、読者さまの批評によってどんどん、天井が突き崩されて光が差し込んでくる感じです。批評がその作者にとって、とても勉強になることだ、ということを経験しました。
 受け取る場合はよいのですが、こちらから批評を書く、というのは、まだ、びくびくしてしまいます。「面白かった」「楽しかった」「続きが楽しみ」というプラスの感想であれば抵抗もないのですが、「ここはわかりにくい」「ここは、こうした方がいいのではないか」などと言った批評になると、果たして自分の見方が的を得ているのかどうか、不安になります。タカハシさまがおっしゃっている通り、最初から上手に批評を書く、ということは難しいことでしょう。しかし、批評された側は、経験のある上手な「批評」でも、個人的な趣味から発せられた的外れな「批評」でも、多かれ少なかれ、気にするのではないでしょうか。
 自分の的外れ(かもしれない)な批評で、作者さまが混乱されたりしたらどうしよう、という不安から、厳しい批評を避けている自分がいます。「ここは、こうした方がいいのではないかなぁ」とディスプレイに向かって呟いても、「そんなことを気にするのは自分だけかも…… これはこれで、いいのかも……」という思いから、書けずにいることも多いです。その批評が本当に的を得ているかいないかは、受け取った作者さまが判断されればよいことかもしれませんが。
 ただ、批評を書くことが勉強になる、という考え方には全面的に賛成なので、作者さまのためにも、自分のためにも、お世話になっているこちらのサイトさまのためにも、書く努力、書ける力を重ねていきたいです。


タイトル触媒
記事No: 177 [関連記事]
投稿日: 2006/07/29(Sat) 15:23
投稿者タカハシジュン

 いい感想、いい批評というのは、お互いにとっていい触媒となるものですね。理想的ではあるけれど、理想を前に努力尽力することがなければ百年たっても成長はしないかな。
 小説って、絵を描いたり音楽をやったりするのと違って、本格的にやろうと思っても師匠がいないでしょう。また創作教室のようなもので勉強したとしても、絵や音楽のように学べるわけではなくて、どうしても本人がどうするかということにかかってくる。自分一人ぼっちでどうにかすることにかかってくる。
 一番いいのは、自分の書いた作品に対して、自分で感想を持ち、自分で批評を行うことなんですね。それでそこまでやってそれでも自分で抜け出せない部分を他人様に補填してもらうのが一番いいんですね。そうやって、自分自身の作品からたくさんのものを採掘して、自分自身を骨までしゃぶってね(笑) 
 だから、他人様の作品に対して感想や批評をつけるというのは、自分にとってもそういう採掘能力を育むことになる極めて重要なことなんですね。
 感想の貸し借りなんて、強いて必要悪と見なしても二の次なんですね。そういう嗅覚を育て上げて自分自身の領域を少しでも拡大していくために、多くの感想、多くの批評を、もらうんじゃなくてつけるというのはどうしても必要なんだと思うんですよ。
 まあ最初はうまくやれないのは、作品書くのと一緒だから、コツコツやっていくしかないと思うんですね。それが減っているというのは、やっぱり基礎的な部分をやらない、スポーツならばランニングをやってない、そういう風に見えるんですねえ。


タイトル確かに
記事No: 176 [関連記事]
投稿日: 2006/07/29(Sat) 00:39
投稿者聖藤斗

 確かに最近は、昔と比べて読者が減りましたよね・・。そして問題なのが、タカハシジュンさんも言うとおり、自分の作品の感想の量の増加の為に感想を描きまくっている事。感想を書く分にはいいけれども、それによって感想を受けた側はその感想で自分の反省点を見つけていくものだと思います。確かに「面白かった」等と言ってもらえればそれは嬉しいけど、やっぱり上手くなっていくには、具体的な感想を貰う事だと思いますよ。
 確かに読んでもらえるのは嬉しいかもしれないけど、その作品にはその書いた人なりの「伝えたい事」があるだろうし、ここが面白いと自信を持って描いている所もあると思う。そんな作品を、ざっと読んだ感想だけ。それはきっと自分もどこが参考になったか分からないし、相手も具体的な物が無ければ上達し得ないと思います。
 確かにアドバイスなんて、上達できていない自分には無理だとか思ってしまうし、僕だってアドバイスなんてできる立場でもない。けど、それでも書いた側にとって「読み手から見た自分の作品」について思ったことは、結構勉強になると思います。それに、意見した読み手側に対する返答によって、今度は感想を書いた側にとっても勉強になったり、疑問だった場所が分かる喜びがある気がします。
 感想は作者と自分の成長に繋がるものだと思うので、小さな事でも感想をつければ良いと思います。短い感想が駄目だと言っているわけではなく、ちょっとでも具体的に描いてみるべきじゃ無いかと思います。
 なんだか文章滅茶苦茶ですが、自分なりの意見を書いてみました。さて、自分も色んな人の作品を見なくちゃなぁ・・・・。
失礼しました。


タイトル感想が少ない
記事No: 175 [関連記事]
投稿日: 2006/07/28(Fri) 20:17
投稿者タカハシジュン

 僕は、恐縮だけれども、義理読み義理書きが好きじゃないし、自作のアクセスアップのために感想をやたら書いて回るのはどうかと思うんです。要は心にもないことを書いたり、意に染まない状況で書いても仕方がないし、意味もないし、往々にしてそういう場合にトラブルなんかはおきやすい。
 だけれどもその一方で、全体的に感想が少ないと思いますね。書くこと、作品をアップすることを重視して、読むこと、感想批評を行うことを軽視するのも、ちょっと度が過ぎるように見受けられます。
 というのは、サイトの維持云々というよりも、自分が作品を書いていく上でね、読みが弱い、感想批評が弱い人というのはやはりどうしても作品も弱い、実力はすぐに打ち止めになると、僕は思うんです。
 しっかりと読解すること、読解したことから生じた自分の感覚、情感を把握すること、それを感想や批評として表現すること……、これらは小説を一本書くのと全く同等の「作品」であると僕は思います。そしてこの「作品」は、必ず自分が小説を書く上で肥やしになる。何故ならば自分の趣味嗜好や価値判断をはっきりと明示することが(そして明示したことによって生じる責任を引き受けることが)、自分自身を鮮明化、先鋭化させることにつながっていくからですね。
 相手のためにではない。自分の実力向上のため、大いに感想をつけるべきだと僕は思います。闇雲に作品を書くより、ずっとそちらのほうが実力向上に役立つはずです。


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