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タイトル良作
記事No: 279 [関連記事]
投稿日: 2006/12/05(Tue) 04:55
投稿者一読者

わたしのおすすめは,ゅぇ様の「ビバ★グルメ」 第三弾です.

ちょっと不安定なとき,困難な状況から逃げ出したいとき,漠然とした不安におそわれたとき,他人(ひと)の経験・体験を共感できることは,とても励みになります.

よーするに,元気が出るということです.

行間や後書き,感想へのレスに,作者様の人となり・人生が垣間見える作品は,読む人に共感を与えます.また,元気づけられる.
そういった作品は,こころに残る.
自分が,困難な状況になったとき,ふと参照したくなる.

そういうのは,こういった場でしかできないと思います.
行間の向こうがわに,人がいることを読み取れるのは.


タイトル今までの分
記事No: 278 [関連記事]
投稿日: 2006/12/03(Sun) 18:21
投稿者目黒小夜子

今までのタカハシさんの講義(?)、全て今後の参考にさせていただきます。
私、実はHPを持っていまして。そちらでもちまちま小説を書いているのです。
それがまさに“少年の成長物語”なので、まさにどんぴしゃりの講義を聞かせて(読ませて)いただいていたわけです。深く感謝いたします。

さて、今回返信が遅れてしまったのは、「作中のパートで何かリクエストがあれば」というお言葉に甘えたくて、どのシーンが良いかな〜と考えていたら時間が経ってしまったというマヌケな理由です(苦笑)


そうですね……一度は再開したパズーとシータが、ラピュタに行った後に再び別れてしまいますよね? あれはどうしてでしょうか? あそこで二人を別れさせたことも、パズーの成長に影響しているんでしょうか?


また、唐突な問いかけですが、タカハシさんは、
ラピュタの作者がラピュタをつくるうえで一番最初に考えたシーンはどこだと思いますか? 言い換えれば、どのシーンから物語を発展していったのだと思いますか?
書くうえで一番大切なのは筋書きじゃないかなと思ってしまう私なので、良作品を書く人はいつもどのシーンから考えはじめるのかと思ってしまうのです。

ちなみに私は、パズーがシータを助けるシーン(前半部終了、北の塔からの救出)からかなと思っていました。


無理な質問や問いかけばかりすみません。そして、講義してくださってありがとうございます^^


タイトル模造の冠を被ったお犬さまへ、お返事。
記事No: 277 [関連記事]
投稿日: 2006/12/01(Fri) 01:51
投稿者

始めに、ご閲読ありがとうございました。

肝が据わっている、というのが精神的に打たれ強いを意味するのなら、断じて据わっている方ではございません。
ですが、他の方の意見を聞き入れ、謙虚な姿勢で精進を求める心構えに必要な嗜みと教養は持ち合わせているつもりです。
批判に関してはお気遣いなく、率直にお伝えいただければ嬉しく存じます。

『ピリッとしている』というのは、分かりやすく刺激的なオチを含む、という意味かと理解いたしました。
この時点で誤りでしたら、申し訳ございません。
確かに本作は、刺激的といえる展開ではございません。
アイディアに有頂天になって、テーマへの追求が些か薄くなってしまったようです。
皆様の作品及びご感想は熟読したつもりでしたが、根本的な思い違いをしていました。
反省いたしております。スレッド違いな作品でした。

次に、人以外の視点というテーマが足枷になっている、とのご指摘ですが、少しばかりショックでした。
今回の作品を執筆するのにさいして、自分なりに一生懸命このテーマを追求したつもりでした。
いかすれば一人称の正体を隠しおおせるのかと、色々趣向を凝らしてみたのですが、やはり鋭い方にはすぐに知れてしまうようです。
自分の未熟さを思い知る結果となりました。

色々と参考になるご意見をありがとうございました。
熟読し、精進に努めます。
時間があれば、加筆、再構成するかもしれません。

最後に今一度、貴重なお時間をいただけたことに、心よりお礼申し上げます。


タイトル海へ。の感想
記事No: 276 [関連記事]
投稿日: 2006/11/29(Wed) 23:55
投稿者模造の冠を被ったお犬さま

 悩むなあ。なに書こうかなー。どっしよっかな。うーん。いや、感じることがなかったわけじゃない。ちゃんとある。でも、……正面突破してみようか。

 夜さん、あなた、肝が据わってる人?

 イミフならテケトーに流しといて。環境汚染にはならないはずだから。精神的健康は害するかもしれないけれど。
 よし。
 まず、『ピリッとしたショートショート』ということに関してはまったく当てはまりません(ハッ略)。余韻が長い。夜さんの意図したとおり、と言ったところでしょうか。でも、ステージは読み間違えているように受け止められました。余韻に浸らせることを意図するのなら、圧倒的にショートショートは不利ですし、お題(人間以外視点)は足枷になっています(正体を隠す気はあまりなかったようですけれど、それでも)。
 よかった点はカギカッコがなかったことです。ショートショートの中で、できるだけ読み手を引き込もうとする意気を感じました。効果的だと思います。ただ、その中で気になったのは人物表現が多かったことです。『ボク』、『その人』。登場人物はこれだけなのですが、カッコなし会話文で『貴方』、『私』、『(ボクの三人称)主人』と全部で五つ使われています。ふたりだけの静かな旅を演出するには、もう少し控えたほうがよいのではないかと思いました(私の感覚ならまず、『貴方』を削ります)。
 肝を煎ることにならないように願いつつ、感想終わり。


タイトルRe: 訊きたいことがあって……
記事No: 275 [関連記事]
投稿日: 2006/11/28(Tue) 18:37
投稿者目黒小夜子

水芭蕉猫さん、聖藤斗さん、教えてくださってありがとうです☆☆
神夜さんの作品は過去ログにも多く掲載されていましたね。
「NEKOMI paradise」、「春に咲く菜の花のように」を
読み始めようと思います♪

他の方も、「これもオススメ!」という作品があったら是非教えてください。
お待ちしています。


タイトルRe: 訊きたいことがあって……
記事No: 274 [関連記事]
投稿日: 2006/11/27(Mon) 18:28
投稿者聖藤斗

ええと、事情を知っている方から「何やってんだこのやろう」とか言われそうな状況の中、書き込みます(汗
心に残った作品と言うと、水芭蕉猫さんと同じ作者さんではありますが、神夜さんの「春に咲く菜の花のように」です。

ずっと前から掲示板にいる人は結構知っている作品じゃないかと…。
ゆったりとした明るい物語の中なのに、どこか不思議な雰囲気を感じさせる作品で、「こんな風になりたい」と、自分の目標にもなっている作品の一つです。


タイトル海へ。
記事No: 273 [関連記事]
投稿日: 2006/11/27(Mon) 14:45
投稿者

こんにちわ。はじめまして、夜と申します。
すっかり乗り遅れた新参者ですが、拙いながら一筆。
ご感想ご指摘はどうぞお気軽に。

海に行こう、とその人は言った。
貴方が好きな海に、二人で行こう、と。
ボクはそれに拒絶の意思を示さなかった、そうしてボクらは駅へ向かった。
その人は上機嫌で、見送ってくれた駅員さんには、主人と二人で小旅行ですの、と笑いかけた。
十一月のよく晴れた日、車窓から飛び行く景色は冬の色。
その人は上機嫌に、ボクに話しかけ続けた。
こうして貴方と二人で電車に乗るなんて、どれくらいぶりかしら。
あら、今のは寒椿の花よ。貴方好きでしょう?見えた?
みかんむいて差し上げましょうか。貴方は中の薄皮まで取らないと食べてくれませんから、おかげで私の指にはいつまでもみかんの匂いがついてしまうのよ。

電車を降りた途端、潮風が香った。
どことなく灰色かかった情景の中、ボクとその人はゆっくりと波打ち際を歩いた。
ほら、海ですよ。貴方が好きだった海ですよ。
打ち寄せるさざなみの音色に、その人の声が混じりこむ。
色々考えましたけど、やはり此処が、貴方が一番喜ぶと思いますの。
その人は優しい手つきで、ボクを包んでいた息苦しい布を取り除いた。
そしてボクを灰色の海へと向けて傾けた。
ボクの中から、白い骨の欠片がこぼれ落ちて、すぐに波の泡沫に紛れて見えなくなった。


タイトルRe: 訊きたいことがあって……
記事No: 272 [関連記事]
投稿日: 2006/11/26(Sun) 20:51
投稿者水芭蕉猫

好きというか心に残ったといいますか、私が始めてこの掲示板へやってきて初めて一気に読んだ長編は神夜さんの「NEKOMI Paradise」でした。
大食いを題材にした話というのが珍しい上にキャラもバトルも熱くてガンガン引き込まれてとても印象深い話でした。


タイトルサボってました(汗)
記事No: 271 [関連記事]
投稿日: 2006/11/24(Fri) 21:06
投稿者タカハシジュン

 スミマセン、おもいっきりサボっておりました(汗)
 いやもう、ご要望があればいくらでも書かせていただきます(笑) むしろ、いつ引っ込めと言われるかが怖いくらいでして。


 さて、キャラクター造詣の機能性について、遠い未来に語っておりましたが、機能性とは言い換えればある種功利性のことでもあります。作品を構成する上では夢見がちばかりではいられないわけですから、しっかりとした構造計算もやっておかなければ、某建築士のようになってしまいます(笑) 非常にしたたかな部分を要求されるわけでもありますね。
 その一方で、小手先の計算ではどうにもならないという部分も生じてくるもので、やはり小才子の器用な作品、というだけでは作品というのは面白みが出てこない。もっと骨太の、短絡的な計算では追いつかないものも貪婪に求めていくことによって、はじめて書き手と密着した堅牢な作品世界が形成されるというところがあると思います。
 これはかなり印象から入り込んでいるアプローチだと思うのですが、僕にとってパズーの成長物語というのは正しくそれに該当するのですね。
 ですので今回は、技術演習というよりは、僕の得手勝手な印象批評になるような気がしてなりません。そのあたり加味してご笑読いただければ幸いです。


 パズーについての造詣を、また冒頭からおさらいしてもらいたいのですが、ナレーション的な説明を全廃し、パズーが自分のことを語るくだりも可能な限り取っ払って、パズーの生い立ち、パズーの生活、パズーの性格が序盤語られていますね。
 その中に、非常に慎重に、パズーの夢というものが挿入されています。飛行機ですね。ラピュタですね。ここに違和感というか、作品展開上何の突飛な跳躍もないように感じられるところがまず見事です。この部分を差し込んだ意図を考えれば、それはパズーとラピュタの父親を挟んだ因縁の説明であると共に、そのラピュタに手作りの飛行機で到達しようとするパズーの少年らしさ、もっと残酷な言い方をすれば「夢見がちな子供っぽさ」を描こうとするところにあるのだと思われます。
 作り手にその意図があるとする。ところがなまじな腕前では、その意図ばかりが勝ちすぎて、いかにもそれが露骨になって強引に展開の中にはめ込んだという印象が目立ってしまう失敗をやらかしてしまうものですね。ちょうど、下世話な例えですが、目をギラギラさせ下心丸出しで合コンに参加している男児のようなものです(笑) 達人は、そんな素振りなど決して顔に表さず、実に自然にアプローチしてくる(笑) ちょっとそれに似ています。だから後でよくよく考えてみないとそれが技巧であり、手管であり、戦術であることがわからないのですね。
 冒頭、シータとの出会いから、コミカルで躍動的な活劇が展開されます。ドーラ一家の襲撃、ムスカら軍隊の追尾、ここにおけるパズーはシータのナイト役であり、ヒーローです。ところがもうひとつ意思的ではないところがある。彼は状況に流されていますね。迫ってくる敵が何者で、何を目的にしているか、勿論話が展開されていないせいものあるのですが、何もわからず、ただ闇雲に襲撃に対して逃亡と護衛のレスポンスを取っている。それでいて、彼は自力では何も解決していないのですね。親方に助けられ、機関士に助けられ、飛行石に助けられ、鉱山に逃げ込んだ後外に出て、シータと二人きりになった途端、たちまちその無能力性を露にしてムスカの軍隊に捕らえられてしまう。
 ここまでのパズーは、まるっきり夢見がちの少年、おとぎ話の中の騎士のものまねをしているお子様なんですね。トム・ソーヤが、達成のための目的を持つことなく、ただ目の前の冒険に乗り出したように、パズーもまた、野山を駆け回る要領で冒険に乗り出したんです。
 そしてそれは敗北する。無力に、無様にですね。

 要塞のシーン、パズーはムスカという「大人」から、現実を突きつけられます。懇々と諭される。それは子供の冒険を現実によって否定する行為であり、パズーの子供という要素それ自体を否定する行為でもあります。そしてパズーは、子供の世界の子供の理屈で、現実という大人の世界の掟であり大人の力と対抗するのではなく、屈服する方を選んでしまうんですね。金貨というのは非常に象徴的です。それは礼金であり、パズーの冒険を断念させる対価であり、口止め料でもあるのだけれど、無限大の価値を有していた彼の冒険が、置換可能の大人の現実に組み込まれた、屈服した姿でもあるわけです。
 更に、自分の守るべき女性が大人の男によって略奪されるというのは、男にとって救いようのない全面的な敗北ですね(笑) これは実感溢れてしまうことですが(笑) 少年からの脱皮を強いてくるものって女ではないだろうか(笑) 女奪われて、はじめて男は男にならねばならないという悲壮な決意を固めるのではないだろうか(笑) まだパズーもシータもほんの子供だから、またすぐに救済のストーリーが用意されているから、これはさほどに悲劇のように見えないんですけれど、少し構図が変質して、二人とももう少し大人で、そしてこの略奪が性を伴ったものであれば、これはもう悲劇ですね。
 これは駄弁ですけれど、しかしこの構図、失ったパズー、奪われたシータ、奪ったムスカのトリオというのは、僕はこの時点に於いてはエディプス、エピカステー、ライオスのいわゆるエディプスコンプレックス的な関係性を形成するのではないかと思ってしまうんですね。シータってこの時点でパズーにとって、無力なる庇護対象としての母親のようなポジションにある気がしてならないんです。パズーのムスカに対する屈服って、禁止を振りかざす父親を前にする子の屈服に非常に近いと思うんですよ。シータに諭される姿って、母親が子供に諦めを説く光景とそっくりだと思う。
 パズーは、ここで一度死ぬんですね。彼らの言い分を受諾するというのは、自分が子供であることを是認し、それが無力であることも同時に認めることですね。
 ひとり家に帰る夜道の暗さ。それはパズーの心象風景そのものです。パズーにとっては、大切な女の子を失い(僕のヘンケンからすれば母親を失い)、自分の夢想していた夢を失い、それでいてそれに代わる新しい道も提示されず、自分という存在も無力化されて解体され、つまりは殺されてしまうんです。悪いことに殺されて当然だという自分の無力性を認めてもいる。
 街に差し掛かって、おかみさんに「どうしたんだい」なんて声をかけられますね。非常に残虐なシーンです。そして優しいシーンでもある。もしおかみさんが事情を根掘り葉掘り聞きだそうとしたら、それはパズーにとっては自分の敗北を一字一句追認させられる作業となったでしょう。そこは描いてない。そこまで執拗に追い詰めない。武士の情けですね。
 そしてお金を投げ捨てようとして、躊躇するくだり。これは守銭奴じゃないですよね(笑) そういう人間は損得を度外視して見ず知らずの人間を助けようなんて思わないものですから。そうじゃない。パズーにはやはり、夢と冒険への残滓があるんですね。それは金銭に化けてしまったけれど、でもゼロではない。この金貨、もしこの後で彼に何も起きなかったとしても、それを彼は使えなかったと思うんです。そして、この金貨の存在を否定するということは、シータの背を向けた姿を裏切りであるとなじることにもなっていくわけですね。怒り、ぶつけられなかった衝動、それをぶつける先に、シータの裏切りという解釈を持ってくれば、それを叩きつけられたんですね。でもパズーはそれをしなかった。シータを信じているんです。これはこの後の小屋で囚われたシーンですぐにおさらいされますね。パズーはどうしようもなく子供で、でもその子供の中で、やはりどうしようもなかった、現実に直面したらあっという間に白旗揚げざるをえなかったその中で、でもシータは信じていたんですね。踏みつけられてもそれは失わなかった。踏みつけられてもそれは手放さなかったのですね。
 ここは本当にいいシーンだと思います。長く引っ張らず、あっという間に小屋でつかまってドンチャン騒ぎに持っていくというのも陰惨でなくて、痛快で好きなんです。ここは長くしすぎると、パズーは一度死んだだけでなく、死後硬直して腐乱しちゃうんですね。落ち込んでそう簡単に浮上できなくなる。でもメソメソしてられなくなるんですね。ドーラなんです(笑)
「それでもお前、男かい!」
 この肝っ玉おっ母は、パズーに子供でなく、男を強いてくるんですね。

 ちょっといきなり飛びます。
 フラップターに乗ったパズーとドーラが一度墜落しかけて、ドーラは気絶(不在) 海上に突っ込みそうになるのを必死にパズーが立て直しますね。それで崖にぶつかりそうになる。そこを我に返ったドーラと二人で力を合わせてレバーを引く。これね、名シーンのひとつでもあるんですが、パズーはまだひとり立ちできない象徴であると共に、今一歩でひとりの男になれるというその寸前の描写でもあるんですよね。あと一歩、その未熟、だけれどもお前はそこまで成長したんだ、前進したんだっていう。最後の一歩だけ、ドーラが力を貸すんです。勿論それはそこまで見越してドーラが手を出さなかったわけじゃないですね。結果オーライではあるのだけれど、しかしパズーが単なる子供、つまり不可能なんて知らず、自分のやれないことなんて皆目わからず、無鉄砲で、現実を理解していない、だから怖さなんて存在していない、そういう子供の領域から、自分には決して為せないこともあると承知の上で、しかしいま自分がやれることに必死に食いついていくという大人の領域に踏み込んだ、そういう姿を描いていると思うのですよ。
 子供は自分の無能力性を棚に上げて、自分が万能だと根拠なく思い込むものですが、大人はやれないことも、弱い自分も、わかった上で、やらねばならないことに食いついていくものであると、僕は思い、それが「現実の力」というものだと思うのですが、この空中戦闘のシーンは、パズーがそれを悟り、それを獲得していくイニシエーションのようにも思うんですね。
 塔の上、絶叫しパズーを呼ぶシータ。励ますように、捜し求めた相手を見つけ出した喜びを叫びに代えるようにシータを呼ぶパズー。
「最後のチャンスだ。すり抜けながらかっさらえ!」
 大人への試練を乗り越えたパズーに、ドーラは躊躇することなく重大な任務を命じます。シータを宙で抱きとめ、そのまま脱出するパズー。言うまでもなく、ラピュタ前半のクライマックスであり、シータの狂おしいばかりの絶叫に心乱されながらも、もたらされたこの救出劇のカタルシスに、観る側も大喝采の心境へとリンクしてしまう素晴らしいシーンですね。痛快なのだけれども、でもここに至るまでのパズーの葛藤、死と再生のプロセスというものがあることが、この感動に更に拍車をかけると思うのです。
 煙幕によって欺瞞されるゴリアテ。この色の彩な煙幕と奏でられる音楽が、シータ奪還の勝利を謳い上げるばかりでなく、パズーの成長に対する祝祭の儀式のようにさえ思えてしまうのですね。



 さて、ここまでで一旦区切りますが、今回の内容を振り返ってみて、こういうのは小手先じゃやれないとやはり思うのですよ。よく作品のテーマ、という観点をごく気軽に用いているわけですが、この成長物語というのはもしかしたらラピュタのテーマのひとつであるかもしれない。だけれども、それを計算して埋設していこうとするのは、勿論表層上は徹頭徹尾その繰り返しなのですが、その深奥においては、小手先のとってつけたような表現というのは到底及ばないと痛感するのですね。パズーの、ほんの短いスパンにおける心情の移り変わりと、的確な演出というのは、方程式オンリーでは決して解法できないと思うのです。
 今回技術解説ではなくインチキ印象批評的にシフトしてアプローチしたのは、この、理念的というより肉感的、身体的な振動がもたらすテーマというものについて抽出してみたかったからなのでした。こういうものって、表現しようと思ってもダテじゃやれないんですね。ダテであれば、下心合コンになって見透かされてしまう。ダテじゃない姿、そういったテーマ性がものをつくる上で、意図としてむきだしになるのではなく、絶えず振動し続ける心拍音のような、呼吸のリズムのような、そういう作り手の肉体性の中に、十分に顕在化できる状態で充溢していればこそ、それが局地に於いて適切なかたちで埋設できるのではないかと思うのです。
 そういう観点であるせいでもあり、一部難解な箇所があったかと思いますが、ちょっとでも面白い部分があればいいなあと思いつつ、今回の突貫工事はここまでで(汗)

 次回ですが、そうですねえ、技術的に言及できるものって、前半部がほとんどなんですよね(笑) むしろ作中のパートで、何かリクエストなどあれば、喜んでお受けします(笑) 


タイトルRe: 機能としてのキャラクター
記事No: 270 [関連記事]
投稿日: 2006/11/23(Thu) 23:48
投稿者目黒小夜子

何だか……私のコメントが、タカハシさんのペースを乱していたらごめんなさい。
タカハシさんが順調に書き出していてくれたので、てっきり“これからも書いてくれるんだろうな。楽しみ楽しみ……”なんて安心してしまって。。。
待っていたんですが、2ヶ月以上経っても続きが無くって。。。

えっと、続きを本当に楽しみにしていますんで、良ければまた教えてください。
パズーの一回挫折した部分、そこから再び立ち上がりヒーローとなる過程などなど、今後も期待しています^^


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