初めまして、レンと申します。 まず、かわいい……と言うのが冒頭読み初めの感想。その後、成人式まで時間を空けてしまわず、15歳の感覚のままいって欲しかったな、と。桜に関して、私は愛して止まない花なので、桜の描写、これでもかって程、しつこいくらいに美しい描写が入っていたら感激してたのですが――――残念です。 他の方にも桜で書いて頂きたいものです。 では失礼致しました。
う〜ん、桜の儚く美しいというイメージは、本当に、本当に書き手のものなのかなあと思いましたねえ。どうもそれは一般的に流布している桜の概念そのままで、そこに書き手自身の感受性はちっとも投入されていないように傍目には思えるのです。 実際、桜をじっと見つめて、様々なよしなしごとを思い浮かべては、あれこれに思い悩む、そんな桜への自分なりの思い入れを前にして、それでは桜を題材にして何かを描こうかという流れになってくる。そんな振幅が引き出しの中に、あったかなあ。 というのは、これは人物の造詣についても全く同じであって、自分が描く、描きたい、描かずにはいられない、そういう人物の観察、造詣というものが、やっぱり不足している。結果として、自分の中の実を描いたものではなくて、それらしき作品やらゲームやらの情景を、上滑りに撫でただけの段階にとどまっているかなという印象を受けるのですね。 作品として、書き手ががっちりと何らかの実感、心象風景をつかまえているといった印象がない。表現技法もそうだけれども、それ以前に、自分の感受性によって世界を見つめた蓄積が、やっぱりどうも不足しているように思えます。 女心は、女性に語っていただく他には理解する術のないものでしょう。だから例えばこういった掲示板を利用して女心トークをしていただくとか、そのために女性陣にお願いするとか、或いは積極的に女性の作品に感想をつけて、作中の女心についての感想レスを引き出そうと画策するとか、まあリアルライフでガールフレンドをいっぱいつくるという手もある。また、そんな作品のためという目的主義でということでなく、一人の女性と真剣に向き合ったことを自分なりに整理して、わからないながら手探りで考え込むということもできると思う。 いずれにしても、自分なりに、自分として、どのように感じるのか。そういったものを自分の内部の未だ光を当てていない領域に光を当て、其処から引きずり出すということが大切だと僕は思います。
簡潔にレスポンスタイム。>拍、文章におけるリズム進行の「端正さ」に対する欠落 リズムのない音楽はただのノイズ。書き物も同じと考えます。>百日紅と灯篭の象徴性については、これはいま少し書き込むべきだったかなとも思った。 情報の取捨選択こそが短編最大の課題と思う。字当たりの情報量というのは長編とは格段に違う。それが短編好きの快楽と苦悩。>人間臭さは、これはホントに申し訳ないが、そういう書き物なんだね(汗) それを言っちゃあお仕舞いよ。>小説を書くというとネタ、ネタ、オチ、オチと、ネタ・オチにばかり悩むのが疑問 オチはなくともネタは必須でなかろうか。書きたいネタなしに書くことはない。>適度に仲悪いほうがこういうことが随意にできて結構なことでござんす 実に同意。本来ならもう少し敵愾心をもってタカハシさんに当たりたいけれど、パワーとエナジィが不足。タフネスとスタミナはまだ残っているのだけれど。 冗長にレスポンスタイム。>仇敵、対立なんていうのは先ず以って瀟洒にやるべきでね 瀟洒にできる対立というものは、ルールがきちんと制定されている試合だけに思う。闘争心を剥き出しにしながら美徳を語るは無理とは言わずとも、当事者が「美しい」と語るものを端から第三者が見て「美しい」とは言えないだろう。 『金持ち喧嘩せず』という言葉は真実と思う。問題は立場。同じ立場でなくば愛しみも憎しみも真と見なされない。成金爺さんの伴侶が先立ち、たちまち若い女性が妻の座を獲得したなら、「爺さんは耄碌した。あんな財産目当ての女と婚姻して」と流布される。実際、事実だ。似た境遇ならではの愛しみと憎しみ。そうでなくば、愛しみは憧憬に憎しみは嫉妬あるいは忌避にしかならない。貧乏人同士しか喧嘩しないのは、貧乏であれば必然的に生活が画一的になり必然的に境遇が似るからだ。金持ち同士は喧嘩をしない。金持ちは金で境遇を自在に変幻できるためめったに他人とかち合わない。立場が異なるということは、次元が異なる。アンパンマンはヒトラーを退治しないし、バルタン星人が十字軍を襲来することもない(どんな喩えだ?)。 書き手と読み手は対立しない。立場が違うからだ。ここ登竜門のような場所ならともかく、商品ベースのエンタメで対立することはない。タカハシさんの言う【ヤフー辺りの映画レビュー】というのは、非難というより不満に近いのではないだろうか。不満を吐き出すことで満足する、発言者はその発言を製作者側が確認するかということがらには無関心ではないか。読み手の選択は『利用する』か『利用しない』かだ。主人公サトシの使用できるコマンドは『どうぐ→モンスターボール』か『逃げる』だけであって、『たたかう』はない。そして、相手のモンスターもせいぜい飛び跳ねて人目を惹こうとするだけのコイキングである。コイキングの『はねるこうげき』は決して主人公にダメージを与えない(どんな喩えなんだ!)。 リアルタイムでコミュニケーションがとれない。没交渉ではないが、時間で区切って見ればその関係は常に一方的。書き手からすれば読み手はお客様、読み手からすれば書き手は物書き先生。商業ベースならなおさら書き手は読み手を集合としてしか見られない。立場が一対一ですらないのであれば、それが対立項ではあっても対立はできない。 相手を見ずして戦う。それは戦闘や競合ではない。戦争だ。
すみません。 言いがかりに受け取られるかもしれませんけれど、純度七十パーセントの疑問なので他意はそこそこにしかありません。質問させてください。「雪世さんの苦手分野とは、どの分野のことでしょうか?」 私の足りない脳味噌を活用してあとがきの文脈を探ると『女心を書いた小説』が苦手と書いてあるような気もしますけれど、この解釈で合っているのでしょうか。そして「その苦手を克服するために今回この短編に挑戦した」と受け取ってよろしいでしょうか。その前提で感想を書きます。 私の率直な感想を申し上げれば、女心は書けていません。それどころか、積極的に女心を書くことから回避しようとしている文章であると感じました。スレッドに参加していただいた雪世さんにこう書くのは心苦しかったりするのですけれども。女心であれ男心であれ心情と呼べるようなものはからっきし書かれていない、というのが感想です。 桜からイメージする四月、出会いと別れを表現したかったのだろうと思いました。日本人が桜をこよなく愛するのは、パッと散るその潔さと儚さに因るのではないかと勝手に推測しています。 『彼女』は一見、その潔さと儚さを兼ね備えているようにも見えます。しかし、本当にそうかと疑念を挟んでみますと、そうは安直にいえないと思うのです。彼女が見せる不条理な離別を受け入れる潔さは、それが彼女自身を際立たせるより、書き手のストーリィ展開における我田引水を感じさせます。それがもうひとつの性質、儚さと同居する『健気さ』からお父さんの命令に従わざるを得なかったとしても、それを直前までトシに告げず、あろうことか騙すような手口まで使用することは『健気さ』からは信じられない芸当であり、書き手のキャラ造形における自家撞着をも感じてしまいます。 潔く儚げな彼女がクサい台詞を吐くまでしたのだから、そこに萌えるのは仕方ないとしても、数年来付き合いがなくほぼ忘れていた彼女に気障な台詞を返すというのはあまりにこの男子、軟派ではないでしょうか(私が男心をわかっていないのだろうか。そもそもここまでの感想が私の桜のイメージから発展し、それを自己否定するという牽強付会であるけれど)。 萌え小説は当然として、えろゲやえろ同人を消費したことのある身としては、男の子にとって都合のいい女性像をヒロインに据えることにも理解ができますけれど、書き手にとって都合のいい我田引水・自家撞着・牽強付会でストーリィ展開やキャラ造形を軋ませるのはどうしても納得できないのです。 ああ、桜を先に書かれたなあ。
桜 温かすぎる冬のお陰で早く咲いた桜たち。「いくらなんでも早すぎだよな」 そんなことを口にする俺十五歳。「……」 なんなボーっとしてる彼女同じく十五歳。 まもなく卒業シーズンを迎える今日この頃、毎年のように桜咲き誇り街が一望できるこの丘に二人はいる。 ここは、代々伝わる俺の家の土地、つまり私有地。 年々の桜が満開になる頃、家族やら親戚やら友人やらを呼び集めて花見パーティなんかを開いたりする。 彼女と出会ったのもここ。あの時はまだ5歳くらいだった。 一緒にいると、面白くて話が絶えない、それは今もそうだ。 だけど最近様子がおかしい。 どうしたの?って訊ねたい、だけどそうしたら全部壊れそうで話しかけられない。「え……?何でもないよ……何でも」 やばい、心の声が漏れたらしい。聞くなら今しかないと直感した。「だって、お前最近何話しても上の空じゃんかよ。ホントどうしたん?」 うまく言えた。……と思う。 でも、彼女は暗い顔を見せる。「高校の話なんだけど」 高校? あー、来年度から俺ら高校生だっけか、前期入試で受かっちまってからずっと忘れてた。「それがどうしたんだ? 俺とお前同じ高校だろ?」 当たり前に頷くと思ってた。 合格発表日、俺に合格って書かれた紙見せてくれたじゃないか。 何で首振るんだよ。何で横に振っちゃうんだよ。「違うの私、お父さんに言われて東京の高校いくの」 東京? どっかで聞いたことあると思ったら、日本の首都じゃん。 ここは九州だぞ。何でそんな遠くに?「お前の頭ならもっといいところいけるって言われて……」 また心の声が出た……。どんだけ動揺してるんだ俺。 何でそんな泣きそうな顔してんだお前。「トシったら、大事なところだけ隠して合格の紙見せたら、全然疑わないんだもん。 バカだよ。あんた……」 そんな裏話があったのね。俺なんて、あんな天才高校に受かったことでほぼ頭がいっぱいでしたよ。 週6日で夏休み冬休み返上の学校ですよ? お前がいたからいけたのに、これから俺どうすりゃいいのよ。「ごめんね、ほんとに、ごめんね」 いやいやいや。別に謝って欲しいわけじゃ。 今までのように話して笑いたいだけであって。「でも、桜が早く咲いてくれてよかった。私、明後日出るの」 メールしてくれよ……って、あいつ携帯持たせてもらえないんだっけか。 あいつの家厳しいって他の女子から聞いた覚えがある。 せめてもうちょっとここで話そう。 風が強くなってきた、桜散っちゃうだろバカヤロウ!「寒くなってきちゃったね。もう、帰ろっか」 ああ、歩き出さないでくれー。 せめてもう少し待ってくれー。 振り向かないで帰っちゃったか。 そしてあっという間に、彼女が旅立つ日。 何か話したいけど、今会っても何も話できなそうだからやめよう。 部屋の中で何か待ってる。 彼女が旅立つのを? そんなんじゃない。 別れたくない。ただそう思っただけ。 俺はゴミ袋持って飛び出した。 あの丘に、そして彼女のところに。 彼女は車に乗り込む直前、何とか間に合った。 何も言わずにゴミ袋渡す。桜でいっぱいのゴミ袋渡す。 砂とかいっぱい混じっているけど、まあいいか。「ありがとう。でも、ゴミ袋って……」 彼女は泣いて笑ってくれた。 俺も泣いて別れを告げた。 それから、年賀状と暑中見舞いなどの手紙は来たが 彼女から俺への手紙は来なかった。 俺も彼女に出さなかった。いや出せなかった。 なんせ勉強大変でしたから。 それから3年経って、俺も大学生。 東京で生活してるけど、彼女に出会うこともなく。 彼女を忘れかけていた。 さらに2年経って、とうとう俺も成人。 成人式でかったるい話を聞きながら、このあとどうしようなんて考えていた。 終わっ後、白い着物の人に出会った。 正確には、うっすらと桜色混じっているその着物。 俺は、懐かしさを感じた。その桜の色と彼女の顔に。「全然、染まらなかったけど。あなたへの思いは色褪せなかった」 恥ずかしい事言う彼女に俺も言ってやった。 桜の花言葉は優れた美人だってさ。 心の声を漏らしてやった。雪世です。というか女心分からない自分に花がタイトルの小説は厳しいです。苦手分野ですが、何とか書き上げてみました。
あ、この夏の太陽は、の「夏」が抜けていやがるよ。しかし確かに夏をつけてもコントラストとしてはおかしいわ。それは減点。凡ミス。 拍、文章におけるリズム進行の「端正さ」に対する欠落だよね。これは感覚の差異だけれど、でもこれって、逆に端正にリズムを整えて書くことをシミュレイトしたら、逆にキレイすぎて地に足つかなくなるように見えてくるのね。フィールドが蒸留水のようになるんじゃない? それは、客観的に確定された世界を描く上では有効だけれども、主観世界の展開に於いては、さて、どうだろう。 百日紅と灯篭の象徴性については、これはいま少し書き込むべきだったかなとも思った。短編だったし、直接的な言及よりも作品の全体でトーンを示してオシマイにしたわけだけれど、ここは判断ミスかもしれないね。うん、文章を歪ませていると、補強、拡張の余地が乏しくなるというのは、そのマイナスポイントとして間違いのないところですな。 人間臭さは、これはホントに申し訳ないが、そういう書き物なんだね(汗) まあ、それを清明が語るのだけれども、読み手が彼に対して「それはお前さんの主観だろうさ」とツッコミを入れる余地を含んで描いたというものなんだ。その辺りは伝達されていたようで、まあ意図どおりだったかなと。 さて、上記は先に片付けたかったのでこれにて、というわけで、本旨に(笑) 仇敵、対立なんていうのは先ず以って瀟洒にやるべきでね(笑) それが自分に向かう時には泥臭くても実に結構だしむしろそうあるべきかもしれないが、こういったやりとりは泥臭いのはかなわん(笑) (特にがっぷり四つで)戦う、競うというのはそういう心構えがあることが前提だと思うのですよ。というよりも、それ自体が目的というわけでもない。要は、良質の感想、良質の批評というのは、テクストの潜在性をより多く引き出す、示唆する、化学反応を触媒する、そういったものだと僕は思うし、それを汲み上げるための方法論だよね。アイドルの追っかけ的なポジショニングからテクストにアプローチして、それでより多くの物が引き出せたら、それはそれでいいんだ(笑) ただ、適度な距離感と瀟洒さを保ちながら競うというアプローチの方がやりやすいだろうし、労力に対するコストパフォーマンスもよろしいと思う。ただしそれは机上に於いて、だね。現実には泥仕合が乱発だ。 そういう意味合いに於いてあなたの切磋琢磨の考え方は根本的には正しいと僕は思う。ただしアナタは局地的な部分で時折距離感のつかみ方を間違える(笑) 感想・批評の難しいところは、ひとつのそれでテクストの他の可能性を全く切り捨ててしまうことだよね。もちろん、やり方次第で、テクストごと書き手の可能性を全く摘み取ってしまうことも僕自身も一再ではない(汗) しかしま、判断する、評価するより、少なくとも僕らのような段階においてはテクストの潜在的だと自分には思われる領域を顕在化するのが有効ではないかと僕は思う。 エンタメと芸術性ということについては、まあ対立項でもないわけだけれど、それの軽重に関することは人それぞれだからね。ただ主客は戦闘状態に突入しない、というのはそりゃあ違ってるな(笑) ヤフー辺りの映画レビューでものぞいて御覧なさい。モノによっちゃあ、まあ作る側の苦労も知らんと非難ごうごうのオンパレードだ(笑) もちろんゼニ払ってのことだから、しゃあないといえばそうなんだけれど(笑) むしろ一番厳しいのが商品ベースのエンタメでしょう。それの発生しないアマチュアのエンタメは、やっぱりその分だけスポイルされているから、円満な主客関係が成立するのだと思うし、もしかしたらそちらの方こそ特殊例かもしれないぜ。面白い、面白くないということに全く容赦のないのがエンタメの本質だからね。 さて、最後になったけれど、SSでなく短編という所以ね。僕ねえ、常日頃から、小説を書くというとネタ、ネタ、オチ、オチと、ネタ・オチにばかり悩むのが疑問なんです(笑) 落語じゃねえんだからさ(笑) いや、そういうのもたまにはいいんだけれど、悩みどころは他にも山ほどあるわけだからね。そういう意味で短編の植物というのは中々ナイスチョイスだと思う。緩やかにオチるのはふさわしいし、別にオチなんてなくてもいいのね(笑) リアルライフで実際にオチがあるっていうのは、そいつは天然の芸人の生活というやつだろう(笑) そうでないものを活写しようとすると、時には起承転結、序破急ということさえジャマになる。そういうことを考えると、SSっていうジャンルのネタ・オチの必須というのは、表現媒体としては実に窮屈に見えますね。 というわけで、実に雑談掲示板の呼称にふさわしい、テクストを副食物にした雑談を展開できてまずまず結構なことであったと思います(笑) やっぱりアレね、適度に仲悪いほうがこういうことが随意にできて結構なことでござんす(笑)
書き物があがってたのは知ってたんだけれどさ、読んだのは今。精神的にはいくらか楽になったからスレッドを立ててみたのだけれど、物理的な時間のなさというのはどうしようもないね。睡眠時間を削るのみさ。と、近況報告をしても始まらないな。 あ、でも。感想の前に。 『戦う』とか、『競う』について思うこと。そりゃあさ、いくら聖人君子のように徳のある私でも登竜門の利用者を脳内でランキングしてたりすることもあるけれど。それは公にはしないし、するつもりもなくて。ただの読みたいか読みたくないかの目安だったりする。つまるところ、勝手に利用者同士を仮想対戦させてどっちが面白いか決めてく。その作業には(戦いではなく作業である)勝利の喜びとか敗北の悲しみとかはない(そもそもそのリーグ戦に私は参加していない)。 私が書いてること、見当ハズレになってる? 「そうじゃなくて」と言うのなら、こういうことかな。例えば「自分じゃ絶対に書けないな」と思えるような素晴らしい書き物に出会ったことを敗北と見なす、とか。そーゆー意味ならば、私は率先して敗北したいものです。 二通りの『戦い』を書いてみたけれど、これでもまだ私は勘違いをしているかな。私が挙げた二つは書き手同士の戦いだからなあ。書き手と読み手の戦いを、タカハシさんは言っているのだろうか。でも、それだとどーも私はピンと来ないですよ。そもそも私は『小説』というものを『学問』だとか『芸術』だとかいうふうには見てないなあ。見ていたとしても『エンタメ』として以上には見ることはできないよ。エンタメであれば、書き手と読み手は主と客。利害が一致しているので、特に争うこともない。書き物で『戦う』ということがいまひとつよくわからないのです。 以前、タカハシさんを『敵』と書き示したのは人間性に対してであって、その関係は単に『切磋琢磨しよう』に過ぎないのだけれどな。 『仇敵』と書かれたので過剰反応してみた。 さすがはタカハシさん。私が『短編』と書いた理由まで察してくれましたね。ふたりだけの偏見かもしれないけれど、やっぱり私もショートショートだとネタありきの一発勝負といった印象を受けるのですよ。ね。それだと今回のお題『植物』に合わないような気がして。一発でオとすより、緩やかにオちてゆくほうが『植物』らしいと思わない? おばあちゃん子に関しては、どこまでも駄文であるけれどちょっとだけ書いておくよ。祖母にとって私は初孫だった。だから、可愛がられた。ちょくちょく世話を焼いてくれる祖母を(悪い言い方だけれど)私は利用してる。けれど、私の方から積極的な言動は働かせていないよ。私の人間関係は極めて受動的だからね。 ということで、三重苦は解体された。私にとっての『苦』はただひとつ、感覚的だということだけ。そろそろ感想を書き始めましょう。 ワケワカラン。終わり。 終わるな。さすがに苦手なものに真っ向から立ち向かうのは分が悪いね。というより『タカハシさんの感覚』に合わせようとすれば、私がやりにくいのは当たり前の話で、だったら『私の感覚』で感覚を書けばいい。それなら得意。 私が書き物を評価するときには『完成度』というものをまず第一に考えます。ハイ、ここで私の完成度の捉え方を書こうと思いましたけれど、そんなもんは私の感覚ひとつの問題なので書きません。書けません。ただ、その完成度ってのは減点方式で、減点の由来なら探し出すことができます。ま、いつもそれを起点に感想を書いているわけなのですけれど。 『音』が悪かった。読んでいて流れが散漫になりがちで拍を取るところ、それがわからなかった。「わからなかった」というのは、おそらくタカハシさんにもわかってなかったんではなかろうか、ということです。句読点の打つ位置とか基本的な部分はさすがにおかしなところはないと思いますので、韻が悪かったんでしょうね。あと音といえば、速度も書いておきます。ラルゴからアダージョでした。後半はわりと会話文が多かったので、もっと加速していても不思議はなかったのですけれどアダージョ止まりでしたね。少なくてもモデラートは欲しいなあ。あ、いや、私の趣味です。 それと、まあアレだね。『絵』的にもよくなかった気がするよ。初っ端、『黒い影を刻み付ける』ということは、単純なコントラストとして『陽射しが強い』わけでしょう? なのに、『薄曇の空模様で』と書いてあると首を捻ってしまうよ。曇り、というのが本当だったのだろうけれどさ。たった一箇所の違和感なんだけれど、それが全体にかかってくる雰囲気の最初の部分だったから気になるんだよね。ラストの『薄い影』に係ろうとしたのだとしても、うまくいってないと思う。 あとは、『臭い』か。人間臭さはよく出ていたと思う。人間臭さの澱のような書き物なわけだし、出てなかったら成立しない。さて、人間臭さについてこれ以上立ち入るとせっかくの『私の感覚』を飛び出して『タカハシさんの感覚』領域に侵入してしまうな。ま、でも、書こっか。私が(他人の)感覚的なものを苦手とするのは、私が鈍感だという自覚があるから。だから、それほど真に受ける必要はないよ。うん。「人間臭さはあったけれど、臭いをがしているだけで、それが混じりあったりとか絡んだりとか反発したりとか、干渉をしてない」ってこと。清明の一方的な人物評価がせいぜいだよね。「そーゆー書き物なんだ」と言われちゃったらそれまでなんだけれど。臭いを周囲に放つだけで効果を及ぼしてない、というのかな。そんな感じ。 私は別に、物語内の季節とナマの季節が違っていてもマイナスポイントにはしませんよ。季節もわからないような描写の書き物は即刻マイナスですけれど。ごくごく狭い了解のことがらをさも当然のように書くのでなければ、(寒い時期に夏の書き物を読むぐらいなら)大丈夫ですよ。 こんな感じでいかがでしょうか。同意っぽい感想は好まれていないようだったから、否定的な感想ばかり書いてしまったけれど。 あ、お題についてなんも書いてなかった。でも、百日紅のことを別段よく知ってるわけでもないし。灯篭との絡ませ方を書けばいいかな。う〜んと、百日紅が『地の陰り』を吸うなら。灯篭も、それが建っている地の陰りを吸うカタチにしたほうがよかったんじゃないかなあ、と思ったのよ。高架橋の地じゃなくて。……いや、現状でもうまくこじついている、と見るべきなのかな(ハッキリしない感想だな)。
百日紅 清明は喘ぎながら歩き、川原の堤防の上にあるバス停にしばらく前に降り立った時の、川からのほんのわずか訪れた涼風を思い返し、それを切実に求めた。風はなかった。じりじりと肌を焦がし、地面に墨を塗ったような黒い影を刻み付けるこの炎夏の太陽は、今日は定かではない薄曇の空模様で何処から睥睨しているか知れなかったが、その陰りのせいか、はたまた暑気に燻されたのか、田舎道の左右に点在する街路樹のようには垢抜けしない枝振りの野放図な木々の葉も、鮮やかな緑色を喪失してしおれたように見えた。 そこここにありながら姿を見せぬ蝉が、陰鬱な響きを奏で、それに合わせてたぎった空気が揺らめくように見えた。清明は立ち止まってハンカチで額の、次には首もとの汗を押さえた。既にハンカチの折り目は乱れ、色濃い藍の布地には汗が黒い染みを作っていた。それを使って、清明は丹念に汗をぬぐった。ぬぐっても汗は止まらなかった。それを理由に引き返そうかと何度か思ったが、鈍い義務感でそれを断念した。 バス停からの田舎道は、緩慢に上り下り、祖母の家へと続いている。舗装こそされてはいるが、整然と、色合いまで揃えて塗りこんだかのような鮮やかに黒いアスファルトではなく、見るからに砂利を多く含む安普請の、曲がりくねった道である。その左右には、さして丹念に耕されてはいない様子の城っぽい土の畑と、機能性だけを洋風に求めながら一方でエゴイズムとして和のたたずまいに固執する、ちぐはぐで何の美意識もないスノッブの館を思わせる和洋折衷の家々が反復運動のように並んでいた。 清明は夏の昼下がりにその道を歩き、ようやく祖母の家の前にたどり着いた。祖母の家は周囲の邸宅に比べ二まわりほどは大きく、真新しい塀垣を巡らし、大仰な門構え、その造作に全く不釣合いに表札はアルファベットで横書きに清明の叔父の名が記されている。門も垣も壁面は真新しく、築後間もないことを物語っている。アルファベットの表札は読みにくいことこの上ない御影石の研磨と彫塑によるものだった。そのくせこの家は、今日のこの日の空模様のせいもあっただろうが、妙にくすんで見えた。それはそれをそう見てしまう清明の心の持ち方のせいかもしれなかった。ひとつため息をつき、清明は門をくぐろうとしたが、その最中に、門の傍らの塀の向こうの、おそらく庭に当たる部分、そこに、すっと直立し、塀垣の高さを超えて紅い花を物憂げに咲かせる百日紅の姿を見つけた。紅い百日紅。それは、暑気に悩み、そして田舎を歩けば嫌でも香華の存在を感じずにはいられない八月の半ばに開く花木として、あでやかさや華やかさより、朦朧とした熱気の最中に、地にある陰りを根より吸って花開く禍々しい紅であるように清明には思えた。 その紅さに、進みかけていた足は止まった。その色彩の禍々しさにためらいを覚えはした。だが、今日のこのためらいはこの門前で最後にしようと思うことにし、ひとつ息を吸い込んで清明は門をくぐった。 母屋までの道には石畳があり、その傍らには石の真新しい燈篭が並んでいた。くだらんことだ、父親の舌打ちを清明は思い出した。父の実家に新しく灯篭が並んだということを、父は手紙か電話か、或いは他の手段で知って、舌打ちしてその有様を罵り、それが自分でも突発的であったことに清明の前でそれをやった。父はその後で我に返って多少ともばつが悪い顔をしたが、ややあってからつぶやいた。俺は子供の頃、裕福ではなかったが、貧しくもなかった。もっと貧しい家の子、生活に苦しんでいる親の子供はたくさんいた。裕福ではなかったが、うらやましがられて申し訳なく思ったことも何度もあった。だから、灯篭なんてものはどこかの公園かお寺にでも置いておけばいいものだとあたりまえに思うし、そういうものを家にこさえる神経はどうにも理解できん……。 ばあさんのところに行ってくる、そう父親に告げると、すまないなと父親は清明に頭を下げた。昔かたぎの人間だから他人に頭を下げることを好まないが、このことに関しては父親は清明に頭を下げた。 母屋の玄関には、日陰でいくらかは温度の低い、だが窓を開け放っても外気と容易に交わらぬために熱がこもり澱んだ、そんな中途半端な肌触りの暑さが暗がりと共にあった。下駄箱の上には塗りの上品な花器が置いてあったが花は生けられていなかった。蝉の声は屋内だけに多少なりともくぐもって聞こえたが、そちらの方がより蝉のうめきに近しく耳に届くような心地もした。清明はそれを振り払うように首を左右に何度か振ると、清明ですと自分の名を誰もいない奥に向かって告げた。返答がなければ帰ってしまおうか、そう思いかけた時、奥から入りたければ勝手にお入りという不機嫌そうな祖母の声が聞こえた。靴を脱いで家に上がり、廊下を進んで先ず仏間に進み、仏壇の前で清明は手を合わせた。後光を四方に放つ弥陀の姿が金襴に彩られて薄闇の中輝き、須弥を模した台座に収まっていた。清明はその闇を宿す金襴の箔面が、蝋燭の炎の揺らめきにあわせて綺羅の具合を蠢かす危うさを冷ややかに見やり、衆生を救済するというその姿が絢爛に飾り立てられているということに、一片の同情も憐れさも持たない自分を確認した。 祖母の部屋は、その仏間に面し、香華のくゆる薫りが欄間を行き来してつながっていた。清明は襖を開けてそこに入った。途端に蝉の音が直裁に飛び込んできたが、そこに祖母はいなかった。冷房はついていない。開け放たれた障子戸の向こうの縁側にある雨戸は開け放たれている。蝉の騒ぎが強まるはずだった。その縁側にはひとつ、籐の安楽椅子が置かれていた。清明はその傍らに寄った。祖母は老いた姿をそこに深々と腰掛けて、物憂げに雨戸の向こうの塀の内壁に囲まれた庭を見やっていた。 清明は祖母に頭を下げた。祖母は視線を傲慢さを思わせるほど敢えて緩慢に、庭から清明の顔に移した。その動作の途上で、祖母は目元に隈取のような険を走らせた。清明を見た。その視線は清明の顔をにらみすえているも同然だった。しばし沈黙していたが、やがて毛の擦り切れた老猫のようにしわがれた音で鼻を鳴らし、それを契機に祖母は口を開いた。「お前は、年々あの女に面立ちが似てくる」 親に似てくるのは仕方がないことでしょうと清明は告げ、挨拶もろくにしない前にそんな口を聞いたことを次には多少悔い、改めて頭を下げた。祖母は不機嫌なままだった。「何しに来たんだ」 たまには顔を出そうかと思っていた幾許かの義務感、それに清明の父親と母親の分の振幅が加わって、必ずしも気が進まぬながら向けた足だった。躊躇は、清明のこれまでの祖母との邂逅のなかで培われた経験、過程、出来事によるものだった。「親父が、ここの家の仏壇にお参りできないことを残念がっているんですよ」 清明はそう答えた。それは清明があらかじめ準備してきた返答の中では、最も冷ややかなものだった。冬の寒気が、気ぜわしい梅花の開くにつられて不意にほころぶように、祖母もまた良く老いて胸襟を開いてくれたならば、もっと別の姿もあるだろうと淡く思い描きながら、それでも躊躇し、バスに揺られながら考えた最も情のこもらぬ返答だった。「お前に代わりに行ってこいと言ったのか」 祖母は尋ねた。語気は執拗だった。だから、「勝手に来たんですよ」 幾分軽薄に答えた。そして、「お前の父親は、自分でここに来ればいいだけの話じゃないか」「来たくないんでしょう」 突き放した時、幾らかの心地よさを清明は感じもした。 多少の田畑を持つだけの気位ばかりが高い旧家の惣領息子が、二十年以上も前に親の意に沿わない女と勝手に結婚して、親と子の間柄はこじれ、孫にまで及んだ。 馬鹿馬鹿しいと思いはするし、何も知らない自分にすれば迷惑もはなはだしいと感じつつも、清明は、理不尽さに反発し憤る時期は卒業していた。だが、清明にしてもそれら一切の愚かしさ、弱さ、至らなさという、人にとって、理知では存分にその愚が把握できながらも、抗い様なく陥る陥穽にやはり陥った姿に対して、存分の同情なり理解なり、弱さへの共感を抱く地点にまでは達していないのだった。ために、怨念に鬱々としているとしか清明の目には見えない籐椅子の中の老人を、彼はその老いをひそやかに弾劾するが如く立ち尽くしながら冷ややかに見つめた。「お前は何故来た。うちの財産のおこぼれでも欲しいから媚でも売りに来たのか。あの女がそうしろと言ったのか」 財産? 清明は薄っすら笑った。「灯篭なんて分けてもらってもちっともうれしくない」 多少の田畑があるばかりだった旧家は、何年か前、新幹線の高架橋がその土地にかかるとかかからないとかで、買収で突然多額の金銭を得た。旧家とその周辺の家々は、途端に屋敷を新たにし、余った金で様々なものを得た。清明の祖母は石灯籠を年々増やしている。滑稽で醜悪だと、毎日好きでもない仕事に携わって給金を得ている清明の父親はそれを罵った。「お前の父親は馬鹿だ。ここでおとなしくしていれば、土地は売れて、金が手に入ったというのに」 清明には、祖母のその言葉が呪詛に思えたが、それを代わって聞かされる自分の立ち居地をくだらなくも思った。 くだらない。旧家の田畑はそこに根を下ろす人間を縛り付けようとし、また飛び出していった人間をいつまでも呪い続ける。そして地にあった腐敗物を吸い尽くした根は、黒い影を宿した紅い花を咲かせる。灯篭、それはそんな有様の後ろめたさなのか。それとも別の鎮魂なのか。全き闇の訪れる深夜、そこに燈される灯火の色合いは、百日紅の花と等しく紅いのか。「おばあちゃん」 気だるそうな声が聞こえた。清明のものではなかった。立ち尽くすその側を、白い、放埓なシャツとショートパンツに身を包んだ、華奢な物体がすり抜けて祖母に手を出した。清明は、おそらくこのしばらく前まで寝入っていたのだろう、数年ぶりに会う従妹の由佳の脂膜につつまれたようなぼんやりとした横顔を見やった。「由佳ちゃんか、久しぶりだな」「……ああ、どうも」 由佳という少女は清明という隔ての置かれた血縁に対して、ほとんど何の感慨も示さず、無愛想に、祖母に向かって白く細長い手を差し出すだけだった。祖母は、清明に対する険しさを消し、といって孫への殊更な媚態を示すわけでもなく、何の表情も浮かべず、懐の中から財布を取り出して無表情に由佳に幾らかの金をやった。 声だけは多少丸みを帯びていた。「由佳、出かけるのかい」「……もうちょっとしたら」 由佳は億劫そうにそれだけを答えると、その場、清明の立つすぐ傍らの縁側の敷板の上にぺたりと座り込み、未だ穏やかな曲線を示さぬ少女の脚を投げやって、ポケットからペディキュアを取り出し、自分の足の爪を彩り始めた。床の手の指は既にそれと同じ色で染まっていた。塗り終え、また今塗られてゆくその色合いは、庭先の直立する百日紅の花と等しい、暗がりを傍らにひきつけた沈んだ紅だった。 清明は、無関心さと投げやりな億劫さのようなものが同居した風の従妹に、幾許かためらった後、声をかけた。「由佳ちゃんは、もう高校だっけか」「中二」 清明の顔を見上げもせず、ただ爪に色を塗る。それは、少女が自分の成長の緩慢さに多少の苛立ちを握り締めながらも、損なわぬ愛らしさという地に足をつけ、ただ爪先立ちで、精一杯背伸びをして見せるという愛嬌のようなものは感じられなかった。初々しい熱中の様子でもなかった。ただ、自分とはアンバランスに際立つ色を塗る。素のままの自分を否定するように彩る。 帰りますと清明は言って、きびすを返し背を向けた。 大した時間をそこで費やしたわけではなかったが、清明が外に出ると、雲居をうねっていた太陽がその切れ端から不意に顔を出し、その光彩が既に黄昏時の淡さであったことに、清明はいささか驚いた。 石畳を進み、門を出た。 何歩か歩いた。 一度、振り返った。 百日紅は咲いていた。だが淡い日の光彩を受けて、闇に至る前の金糸に包まれ、紅も陰りも共に同じ色に染め上げ、弱々しくたたずんでいた。 蝉の音の、うねりの中に、清明の足音がかすかに響き重なった。長く薄い影が、清明のすぐ後をついて歩いた。<了> トンチで解決、トンチで勝負のSSではなく(これは僕のSSに対する偏見かもしれないが)、短編ということだったので、その辺りのニュアンスを意識して執筆。 さて、殊更にそれを企図したわけではないが(企図して心象風景まで模造して執筆できるほど器用ではないが)、これは模造の冠を被ったお犬さまにとって、感覚的で意味通りにくく、おばあちゃん子の貴殿にすれば承服も共感もしがたいだろう内容で、おまけに仇敵からの作品であるからまさしく三重苦の悪コンディションにおける感想構築になるであらうと密やかに期待する。 それをものともせず、情理相い備えた見事な感想という反撃を為して才気を示すか、はたまた語るに落ちるで白旗揚げて退却するか。個人的にはひじょーに楽しみである。 ひとつだけ先回りしておこう。 この作品の最大の失策、というより構造欠陥は、これから春を迎えようとしているのにわざわざ夏のど真ん中を持ってきている季節感覚の欠落である(笑)
こんにちは。「礼儀なんてクソ喰らえ」と思っていると思われている模造の冠を被ったお犬さまです。そんなことはありません。私は聖人君子のように徳があり、聖母のように慈悲深い人間です。ただ、どんなに素晴らしい人間かということに自覚があるだけです。 どーでもいいのでさっそく本題に入ります。 私が短編好きなことは以前にも書きました。でも、最近面白い短編が見つかりません。だから、私のために短編を書いてください。簡潔です。「おいおい、お前だけのために書かなきゃならんのかよ」 聞こえてきそうです。でしたら、言い方を変えましょう。私は、私と同じ短編好きの同士を探しています。短編が好きで書くのも読むのも好きという人「この指止まれ」です。 いませんか? ま、いいや。 短編を書くならやはりお題は必要ですよね。お題も考えずに短編を集めたら、そんなのは串のない団子です。……串がなくても問題なく成立しますけれどね。私は三色団子が好きなのです(どーでもいいよ)。 だんだんと春の訪れを感じてきます。もう三月です。新暦ではもう春ですよ。だから花見団子なのです(どーでもいい話題を引きずるんだな)。 というわけでお題は、草萌ゆる春に相応しく『植物』です。 タイトルを植物名にして短編を書いてください。もちろん、花はおっけです。なぜか植物図鑑に載っていますけれど、キノコ類はアウトです。ミドリムシはぎりぎりセーフです。 植物をタイトルにしたからといって、その植物を登場させる必要もありません。その植物の名前や特性を生かした短編なんていいですね。と、あんまり書くと書き手の想像力を削ぐことになりかねないのでここで止めておきましょう。 ちなみに、私も書こうとは思っていますけれど構想はなーんも練ってません。スタートラインは同じです(ただの自己申告じゃないか)。 感想はきっと書きます。どうしても書けないときがあるかもしれませんが、それは私が敗北したときです。私は、「感想もろくに書けないやつが書き物なんてできるはずがない」という信念の持ち主ですので。 では、ひとりでも多くの方がひとつでも多くの短編を書いてくださるように願って。 萌え萌え〜。
こんにちは。確かに自分のオリジナリティがそこにはある訳ですから。それを磨く事はより深く追求出来る場面も出てくると思っています。ですから、自分の場合もテコ入れするつもりです。ただ、その場合は原稿を側に置いて、白紙の状態で最初から書く事にしました。地図帳の様に使う訳です。もしくは自分参考書といった感じでしょうか。というのは正直なところ、もう何回目を通したか分からない。その全体を読み返していると飽き飽きしてしまい、モチベーションがとても低い状態に陥ってしまうのです。それが疲れる・・・修行です。 こういう考えがあって、ちょっと時間を置くのがより客観的な判断が出来るのでは と思ったりもしています。だから今は違うストーリーに没頭する事にしています。 落選しても、次につながる様な頭の中の環境整理を心がけたいものです。バニラダヌキさん ご意見ありがとうございました!