[掲示板へもどる]
過去ログ [ 0000 ]

過去ログ:
ワード検索:
条件: 表示:  

タイトル批評=採点でなく、批評はもっとドラマティック
記事No: 193 [関連記事]
投稿日: 2006/08/16(Wed) 19:16
投稿者タカハシジュン

 三島由紀夫が、保田與十郎か蓮田善明のどっちか(笑)が絶賛した書評を読んで、その本をワクワクしながら手にとってみたそうです。そして読んでガッカリして「クソつまんね」と(笑)
 感想批評というのはそういうものだし、またそうあってしかるべきだと思うんですね。自由に読んでいいし自由に感じていい。むしろ書き手の世界観を受容した上で書き手以上にムチャやれれば、それは批評家の勝ちなんです(笑)
 書き手が何をいいたいかとか、書き手の意図との合致というのは、
『ここの部分において作者は何を言いたいのでしょうか。40文字以内で答えなさい』
 という、国語のテストの延長です(笑) これ、自分の作品が試験問題になって、答えられなかった書き手もいたそうだから(笑)
 むしろ読み手が自由であればこそ、読み手にも才気才能が求められるわけだし、だからこそそれが創造であるし、また読み手が自由気侭に自分のフィールドで感想批評をやるからこそ、書き手も自分のフィールドというものを持ち出してきて、対等に相撲が取れるんですね。
 登竜門も、書き手が批判されたからといって、「ハイ、スミマセン。以後気をつけます」って書き手がうなだれてばかりじゃダメなんですよ。そりゃあ自分にとっての明確なミステイクであれば正々堂々、それは結構なことだと思う。だけれども自分の意図と違うものに対して卑屈になる必要は全くなくて、読み手と書き手の間に唯一無二の答えなんて絶対に存在しないのだから、自信をもって判断したところは自信をもって反論すべきだし、またそもそも書く上において自信をもって判断を下してないとならない(笑) 
 感想批評の質量共に増やすのって、結局僕としての結論は、お互いにとって義務でない関係、感想批評が採点ではなくて、もっとドラマチックで楽しいものになっていくこと、なんだということですね。もちろんそのためにはものすごい修行が必要になるけれど。
 

 さて、走る耳さんのレパートリーというのね。これはね、パースペクティブというものがあって、自然と自分がそういうところに着目しているということになりますね。何ていうんだろう、感想や批評って、テクストというものに対して断面、断片的なアプローチであり、またそうならざるを得ないところがあると思う。指摘した部分が正当かどうかという問題とは別に、どうしても指摘しなかった、言及しなかった部分というものがテクストには存在するものですね。
(だから採点的批評のどこが不適切であるといって、その採点がテクストの全域に及んでいない不公正さがあるのがそうだと僕は思うのです。或る部分においてそうであり、他の部分においては採点外とするなんて、やり方を間違えれば傲慢この上ないと僕は思う)
 これは感想批評の技術論的な位置づけになると思うのですが、特に意識して、作品の様々な要素を見つめていくのが読解においては重要だと思うんですね。この部分についてはこうである。そちらはどうか、という風に。フィギュアスケートの採点と一緒です。技術点とか表現性とかね。もしジャッジ的な物をやろうとすれば、です。
 もちろんフィギュアスケートに比べればあまりに不定形なのが文章表現ですから、或る一点に着目してそこを中心に組み立てていくというやり方も、まったく正当だと思いますね。

>感想には、書いた人の事が小説よりも現れているような気がする時さえあります。

 これは僕も全く同意見です。
 そう、むしろそのため、自分で自分のことを明らかにするために、他人様のテクストで己を語るというところが批評にはありますね。だから批評というのは煎じ詰めれば非常にドラマティック(笑) 自分を語るためにそれはあるのですね。僕は二十代のはじめごろ、小説が全く面白くなくて批評ばっかり読んでた時期があったけど、それが面白くてならなかったですね。小説に比べると無駄なものがないんですよ。でも、そういう無駄な部分が心地よくなってきて、再び小説に回帰したんだけど(笑)

 ゼロレス問題については、僕も考えるところ多々です。最近感想書きオサボリしてましたが、またそろそろがんばろうと思います。


タイトルRe: 感想が少ない
記事No: 192 [関連記事]
投稿日: 2006/08/16(Wed) 01:33
投稿者走る耳

>  というのは、サイトの維持云々というよりも、自分が作品を書いていく上でね、読みが弱い、感想批評が弱い人というのはやはりどうしても作品も弱い、実力はすぐに打ち止めになると、僕は思うんです。

つくづく実感しました。
このスレッドがきっかけで、以前も幾らか書いていた感想の数を増やしてみました。

ニュースで流れる犯罪を犯した青少年の動機よりも数の少ない僕の感想レパートリー。いや、レパートリーという言葉もなんだか響きが悪いですね。ただ、何かとつけてテンポがいいテンポがいい、と言っている僕なのですが、どうしてテンポがいいのかがわからない。ほかの人が「このキャラクターのおかげで」とか「言葉のおき方で」と書いているのを見て、逆に「あー、なるほどねー」と納得している自分がいます。そうして、そういった感想を書ける人の小説はやはり魅力的だし、読んでみたくなたくなります。感想には、書いた人の事が小説よりも現れているような気がする時さえあります。

感想の質を求めるのも大事だけど、数も大事ですよね。ここにこなくなった人の多くは、やはり感想をもらえなくて、誰も読んでいないという不安とか不満が原因だと僕は思っているので、例え下手な感想しかかけなかったとしても、なるべく限り書いていくようにしています。


タイトルコミュニケーション
記事No: 191 [関連記事]
投稿日: 2006/08/07(Mon) 22:41
投稿者タカハシジュン

 うん、まあ僕は波長が合うものにだけ感想つけても仕方がないやと思うんですよ。結局プロの作品を読むのにだって、あらゆるジャンルを読んでいる人っていないわけでしょう。また、例えばジョイスとかプルーストとか、まあピンチョンでも三島でもいいんだけど、読書に年季入ってないと結構厳しい作家もいるしね。むしろ、作品の巧拙でなく肌合いの違いで理解できていない作品を批判するほうがどうかと思うときもあるんですね。コミュニケーションというのは、何も書き手がサーバントになって、イエスマンになれっていうことじゃないですからね。
 ただ、そのことと、全く感想をつけないというのとは根本的に違いますね。まあ譲歩して仮に感想をつけなくてもいい、とする。だけれども、読んだけれど感想をつけないというのと、読みもしないというのとは更に決定的に違う。読んだけど感想をつけられないというのは理解できるけれど、そもそも感想を書かない人というのは、他人の作品を読んでいないのじゃないでしょうか。僕は、自分の良心で感想を書かないというのは大いにあると思うんですが、読まないというのに良心は感じないんですね。もちろん、全部の掲載作品読めってことじゃないですね。読んだからには最後まで読めとか、そういうことも言わない。だけれども、そもそも最初から読みもしない。さりとて自分の作品は読んでもらっている。これはマズイでしょうね。
 制度化はね、これは僕は同意しかねるんですね。僕はお義理で感想書くのも書かれるのもイヤ(笑) 感想批評は創作であるというのが僕の持論だし、そんな強いられる創作は、少なくともアマチュアに於いては存在しないと僕は思うんですよ。コミュニケーションを拒むというのなら、僕はお義理とか政治的判断とか人付き合いとかね、そういう意味でのコミュニケーションはご遠慮させていただきます(笑) リアルライフでそういうのにウンザリしてるのに、ものかき空間でも同じようなことはしたくないです(笑) だからあちらの掲示板で討論しないで、こっちで不遜ながら啓蒙しようとしてるんですね(笑) 


タイトル感想を増やすには
記事No: 190 [関連記事]
投稿日: 2006/08/07(Mon) 21:55
投稿者上野文

雑談版に書き込むのは初めてになります。
上野文と申します。
さて、以前から登竜門にはお世話になっていますが、感想が減っちゃうのは仕方がないかなあ、と思いました。
だって、読者はここに小説を読みに来てて、感想を書きにきてるんじゃないんだから。
初心者の方に、「投稿された小説を読め、お前の為になる」と仰っても、きっと全然実感なんて湧かないんじゃないでしょうか?
他者の小説を読むということは、ある意味、自分の小説と向き合うということです。
自分ならこうする。ここの構成がぬるい。この描写が素晴らしい。この文章、私では書けない輝きがある。
でも、最初はとてもそんな余裕なんて無い、読んで欲しい、そのキモチだけでいっぱいいっぱい。
タカハシジュンさんの仰るように、読むこと、感想を考えることで見えてくるものも多いのに。

そして、現在の登竜門は、一見さんや、普通の読者さんの感想を拒んでいませんか?
たとえば、感想なんていらない、波長のあうひとだけ読んでくれ、とコミュニケーションを拒む書き手さん。
たとえば、折角読者の方が勇気と時間を振り絞って書いた感想を、見事にスルー決め込む書き手さん。
人間誰しも臆病です。他の方がそういう経験をされているのを見て、自分も感想を書き込もうと思うでしょうか?
本当に登竜門に、書き手と読み手の意思が繋がるコミュニティとしての場を作ろうとするならば、
議論の上で、たとえば「自作品一更新につき、他者の作品に一感想を寄せる」「読み手の感想に対し書き手は必ず返信すること」
等といったルールを紅堂さんに加えていただくよう相談してはいかがでしょうか?
新参者が無礼な提案、申し訳ありませんでした。


タイトル新規参加の皆さん、読もう!
記事No: 189 [関連記事]
投稿日: 2006/08/05(Sat) 20:37
投稿者タカハシジュン

 新規参加の皆さん、感想をつけるつけないはそれぞれの判断で一向に構わないことだとは思うけれど、とりあえず他の人の作品を読もう! 
 自作をアップすること、他人の作品を読んで、できれば感想をつけること、ついた感想にレスすること、ものをつくる人間同士でコミュニケーションして、一人きりで作業する自分の限界を超えていくこと。そういうものの全部をひっくるめて登竜門へのチャレンジだと思いますよ。


タイトルお題目か、そうじゃないか
記事No: 188 [関連記事]
投稿日: 2006/08/02(Wed) 20:14
投稿者タカハシジュン

 ミノタウロスさんお久しぶりです。お忙しい中の熱のこもったレス、ありがとうございます。触発されます。
 さて、まあ売名というか、そこまで行かずともお付き合いの範疇としての感想のつけ合いとかですね、これに束縛されてしまうと自分としては面白くないなというのはあるんですが、商売として作品の判定をやっているわけじゃないですから、見知った方の作品を重点的に読んで感想をつけ、またつけられたからつけた方の作品に足跡を残すというのは、ある種自然だとは思うんですね。
 ただ現状、結果として、感想が減少しているのはそういう自然な状態の帰結かなというのも感じるんですよ。
 今回皆さんのご意見を伺って、ためらいや怖さがあるというのを改めて発見して、それはもちろん僕自身の中にもあるものなんですが、ああもしかしたらと。
 未知に対する恐怖や緊張感と正反対の既知の交わりというのは、やっぱり長続きしないマンネリズムじゃないのかなと、今改めて思ったりするんです。初心、そうだな、ここにやってきた一番最初の緊張感を、新しい人にも、常連さんにも、常に感じ、新しく挑み、新しく理解しようとすることが、大切なんじゃないかなあと。
 もちろんね、売名とか馴れ合いとか、一概にそういう色でくくってしまえるものではないと思う。だけれども全体として作品だけがあって感想がないというのはいい契機じゃないかとも思いますね。登竜門は、本気を待っている場所。それはお題目なのか、お題目じゃないのか、言葉じゃなくて行動で示さなきゃならないんでしょうね。
 語弊があるかもしれない。だけれども、作品をアップするよりも、感想批評でギリギリに踏み込んでみるほうがずっと実りをもたらすんじゃないかと思うんですね。それが本気なんじゃないかな。もちろんそれは、辛辣で徒に貶めるような厳しい評価を下しなさいというのとは根本的に違うものですね。感想批評は、おつきあいの手段であったり、創作活動のオマケなのではない。自分が作品が書いていくのと同じくらいのエネルギーを本当は費やしたいし、それが当たり前であるような場がほしいですね。そしてそれに近い場所が、ここにあると思いますよ。あと一歩、でも一歩踏み出せれば劇的に状況が変わるんじゃないか。そう思いますね。
 


タイトルRe: 感想が少ない
記事No: 187 [関連記事]
投稿日: 2006/08/02(Wed) 03:04
投稿者ミノタウロス

お久しぶりです。<br>数ヶ月前から感想の少なさが、かなり気になるところでしたが、自分は今、時間が無い為、読後の感想も書けません。面白かった程度の感想しか書け無い事もあります。以前、ここで作品を発表させて頂いていた時、多くの方々にアドバイスを頂いた経験上、自分もアドバイスを兼ねた感想をつけるようにしてきました。自分の向上と出来れば相手の向上に繋がればという思いから。<br>ただ、私は感想と言うのは、人それぞれ色々な基準を自分の中で設けて書いているのだと思うし、そうあるべきだと思うので、例えそれが作者の為になっていなくとも、仕方の無い事だし、売名行為のように取れる感想の書き方だとしても、今の私にはそれ程嫌な感じはしない。<br>私は作品だけでなく、感想を読むのが好きなんです。感想は『作品』との意見、同感です。私はここに来て、ある一定の方々の感想を読み漁ったこともあります。実にためになります。一人の作者を深く知ることは、色々勉強になります。ただただ、売名行為で感想を書きまくる事なんて出来ないし、そんな事をしても身にならないし、多くの感想を書いている方に、つまらない方は今までいなかったと私は思います。それに、自分の作品を読んで貰いたくて他の人の作品を読んで感想を書いてみると言う行為は、素人の投稿サイトである以上、そう言う『お互いに』的な読み合いっこはあってもいいと思います。<br>感想に味がある人には惹かれます。味のある感想が書ける方の作品は私にはとても魅力的です。<br>しかしまあ、少なくとも私の感想なんて身勝手な物で、その時の気分や趣向が強く反映されてしまいます。作者は感想に一喜一憂してしまうモノですが、真摯に受け止める事と、一定の信念と立ち直る強さを持って【感想】を受け取って貰いたいです。私の感想で気分を害された方もいるでしょう。申し訳無いです。以前は感想を書くことに躊躇いや悩みを抱えて、思った事を書けない時もありました。安定した感想が書けない事を悩んだ事も。今はある程度、感じた事を思ったまま書いています。一応自分なりに書いた言葉に責任を持っていますから。<br>うーん、何だか支離滅裂ですね。<br>また、時間ができたら(数ヶ月先ですが)感想書きに来れる回数が増えると思います。<br>    では。


タイトルステップアップ
記事No: 186 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 18:58
投稿者タカハシジュン

 仁科さんはじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 さてさてご意見伺いましたが、確かにおっしゃるとおりの一面が存在しますね。特に新規の方はなかなか入りづらいだろうというのはあると思います。書き手にしても人によってつけてほしい感想のタイプが違うというのもあって当然ですね。またポイントや簡易感想がもっと活発に活用されるべきというご意見にも大いにうなずきます。
 ただ、その考え方が全く正当であるというのとまた別個に、やはり読み手も書き手も才気を示す不断の緊張を強いられるべきであるかな、とも思うんですね。
 まあ才気といっても、自分の実力見せ付けろとか、そういうことじゃないんですね。ありきたりの風景や凡庸な何かからキラリと光るものを見つけようとする瞳、何か表現したくてどうしようもなくなる原石、そういう自分の中の感じ方、考え方に対して忠実になってそれを感想や批評で表現すべきなのでは、ということですね。そしてそれは全く作品を書くということと同じだと思うんですね。また作品を書く上で発揮しているもの、機能しているものを、出し惜しみしないで感想批評でも出しなさいよということでもある(笑) 
 各々が持てる全力を出し切る、各々の才気を蕩尽する。であるから楽しいというのがあると思うんですね。作品書くにしろ、読んで感想批評つけるにしろね、不完全燃焼でくすぶるのなんて一番つまらないじゃないですか。
 もちろんそのために、特にこれまでそういう封にやってない人が入って気安い雰囲気を作っていくこと、最初のステップとして簡易感想を利用するということは大いに歓迎すべきことだと思います。そこから自分の全力を出すためのステップアップをしていくとすればそれは理想的ですよね。


タイトル誰がための正しさ
記事No: 185 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 07:41
投稿者タカハシジュン

 まず、批評=評価ではないんですね。そして、批評=作者の意図を正確に洞察するあてものゲームでもないんですね。国語の試験で僕らはそれを強いられるのですが(笑) でも理想を言えば、どんな風に好きに読んでもいいし、解釈してもいいんだと思うんですよ。
 いつもいつもそれをやれるわけではない。だけれども、批評とは本当は、作曲家が書いた楽譜を前にして指揮者や演奏家がどのようにスコアを解釈し、どのように表現して楽曲を組み立てていくか、という行為なんだと思うんです。二次的な創造ですね。
 演奏に対する評価とは、その演奏が素晴らしかったか、楽しかったかということであって、作曲家の意図を正確に表現しているかどうかというのは、もちろんそういうことを気にかけるマニアもいるだろうけど(笑) どちらかといえば本筋じゃなくなってきますね。本当は、感想批評の一番素晴らしいのは、その感想や批評を読んで面白かったり楽しかったりするものなんですね(笑) つまりは感想批評というのは作品なんですね。
 もちろん、批評には評価の要素もあります。そこから一歩進んで指摘の要素もある。指摘をする上で、方法論として、書き手の気持ちを損なうことなく前にいざなう巧拙というものはありますよね。でもそればっかりじゃないなと。感想批評をつけるときに、自分は今回はどの路線でやるべきかな、そんなことをちょっと考えるといいのかもしれないですね。

 うん、そうなんですね。夏休みに入ってアップされる新作が増えて、なかなか読みが追いつかない(笑) 社会人は夏も仕事が切れませんからホント厳しいです(笑) 時間に余裕のある人は、ぜひともたくさん読んでもらいたいんですけれどね。それと、僕自身自分のいいたい本旨から外れるのは承知のうえなんですけど、せっかくアップした作品のゼロレスは本当に気の毒ですよ。なるべく優先的にそういう作品を読んで考えようとしつつ、それはそれとして、それこそ、僕は邪道だ、それはイヤだと思うんだけれども、感想をもらいたい人は他人の作品に感想をたくさんつけるべきという政治的な(笑) 貸し借りのような関係も、まあ現実としては必要かもしれないなと。特に新規の方は自己紹介方々感想をつけるというのも、やり方としてはまあ否定はできないですね。


タイトル何を目指して
記事No: 184 [関連記事]
投稿日: 2006/07/31(Mon) 07:27
投稿者タカハシジュン

 確かに書き急ぎ、それ以外目に入らないという時期はあるものですね。それに、進歩とか向上といわれても、当座行き詰っていないのだからそういうものに興味はない、ひたすら書いていてそれが楽しければ十分だという発想もあると思う。
 それについての是非は、もちろん各々が決めるべき事柄ですね。
 
 感想の量が減少しているのはもっと根源的な問題、何のために書き何を目指すかということ、これは本当に切実な、進めば進むほど苦しくなる問題なんだと思うんです。そしてこの答えをね、本当に追いかけようと思ったら、その答えがどんなものであるにせよある程度の労力を必ず感想批評に傾けようとすると思うんですよ。自分がこうあるべきと思うのは、当然こうあってはならないと感じるものと、こうあるべきだと思うモデルとが先行して存在し、意識的に無意識的にそれらを感想批評的に包括した上で新しいものを作っているわけですからね。誰のために作品があるかはともかくとしても、自分が作品を書くというのは、これまでの、別に小説に限定されない様々なフィクションや現実での実体験の一切合財に対する、有形無形の感想批評の結晶だと思うんですね。全くゼロから何もかも作っているはずはないのだから。僕らは例え無意識であっても、好ましいとか好ましくないとかであってもね、自然と感想批評的な目を絶えず周囲に配っているんですね。何でもかんでもどうでもいいのならばわざわざものをつくるなんて面倒なことをしないわけですからね。書き手自身のエゴという作品に疑問を感じるのであれば、それを批判的に批評した上で自分自身の立ち居地を決定するというのは、態度として、行動として、そもそも批評的ですからね。

 問題は、個々人が自ずから持っているであろう感想批評の目というものが、この登竜門の場において他の人の作品に対して存在していないのではなくて、表現される頻度が少ないということなんでしょうね。
 感想批評を実際にやっていく上でやはり怖いのが、ためらうのが、相手のことを慮ることですね。どこまで突っ込めばいいのか、指摘すればいいのか、その加減も自分の中の尺度としてもわからないし、相手のそれもわからない。そしてコミュニケーションとして成立せずに逃げられてしまうというのもたくさんある。そういうジレンマがつい億劫さになって、感想批評をつけないということはやっぱりありますね。僕自身もそうですし。
 ただ、感想はともかくとして、批評をする場合に、時々自分でも気をつけなければならないと思うのですが、批評というのは全部が全部評価じゃないんですよね。もちろん評価とぜんぜん違うことをやれというのとも色合いは違っているのだけれども、少なくとも完全に評価と一緒のことをやるべきではないと思うんですよ。書き手にとって心証を害する「批評」というのは(低)評価だと思うし、それも批評する側の基準が明確じゃない恣意的でファジーな評価だとやっぱり面白くはないですよね。
 もちろん、真っ当な評価が、書き手にとって不本意であることも往々にしてあるし、書き手にとって何の益ももたらさないこともある。難しいですね、そこは本当に。
 理想を言えば、批評はテクストに対する二次的な創作であるべきなんでしょうが、それは我々アマチュアの寄り合い水準で、それに値するテクストや批評を持つのは極めて困難ですから、実現をあきらめているわけじゃないけど(笑) でも難しい。

 まあでも、難しいから楽しいのである、やりがいがあると、うそぶきたいところです(笑) テクストを前にして、ものつくりの人間同士がああでもないこうでもないと語り合うというのは、様々なコミュニケーションの中でも、特異で深くて充実する奇妙な特性を持ったものだと言えるんですね。うまくいくと、これほど楽しいものってなかなかないものですね。


| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 |