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タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 289 [関連記事]
投稿日: 2006/12/22(Fri) 20:14
投稿者ミノタウロス

さて、どうも私は伝えるのが下手ですね。考えが右往左往して、しかも考えている事を全て伝えようとすれば何だか押し付けがましいようであまり旨くない。よく言われるのです、考えが難しすぎて俺が頭が悪いのか、お前が馬鹿なのか理解できないと。つまり後者なのでしょう。
まず、貴方様が【書き物を作品と呼ばない】のは何故かと言う所で立ち止まってしまいました。感想は作文であると言うのが基本と考えますが、書き物全般をそう考えているのは何故なのか? 例えば己の書き物を作品と呼ぶのはおこがましいとの考え、素人の書き物を作品とは呼ばないのか、そもそも…とはどんなに優れていようが作品とは呼べないのか、呼びたくないのか、作品と言う言葉自体の捕らえ方も書き物にはそぐわないのか。では何と書けばよいのだろう。貴方様にとっては書き物は【書き物】としか言えないのかな。それ以上でもそれ以下でもないと。
次に、さてから始まり既にやたら長くなってますがここからが本題。私が感想を読むのは己に与えられたものだけではありません。ある方の小説を読み、感銘を受けると、作者が他にどんな言葉を発しているのかを知りたくなる。色々読みあさる。多角的に一人の人物を想像できる、実に面白い、私が求める作品とは、こころ−−なのです。小説にしろ、作文にしろ、作者がどんな思いを込めた詞達なのかが私の最大の関心事。文字の羅列の中で、一瞬垣間見せる、そこにはあらわにされていない感情の動き、私はぞっとする。勿論、いい意味でも悪い意味でも。死にたいと書いてあっても、死にたくない、助けてくれとの叫びかもしれない。こんな単純な事では無いが、私は以前自らの発した言葉と一見無関連な想いを見抜かれ涙した。確かに自然体が好ましい、が、人の自然とはなんであろうか。私は加工するなと言っているのではない。加工も修飾も、嘘も誠も全ては貴方が発したる詞なのです。心を解放するのも閉ざすのも自由なのです。それをどう捉えるかも自由なのです。ただそこには責任が生じ、無責任な言葉の羅列は不要となります。
まだ言葉が足りず、益々混乱したのであれば申し訳ありません。これ以上の拙い台詞はメグサイのでこの辺で失礼します。



上記書き込んでから知ったので、追加します。
何故そんなに書き手としての意見にこだわるのか?
書き手としての意見が何故対抗したものだけと思うのか?
書き手として相手のこの表現が素晴らしい、そう思った事はないですか?
反対意見を排除したいようですが、私の意見もどちらかと言えば排除した意見と見えます。私には私の意見があり、貴方には貴方の意見がある。どちらが間違ってるわけでもない。私は己の意見を曲げるつもりはないが、理解してみたいとは思う。故に、こうして書き込んでいます。
では。


タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 288 [関連記事]
投稿日: 2006/12/22(Fri) 20:10
投稿者模造の冠を被ったお犬さま

 オーーカエチゼン神なる祟られた者さん(ふたりだけの暗号)、こんちゃッス。

 そーだよねー。書き手としての感想の方がいーだろーねーハハハ。あのさー、登竜門に投稿してくる人に聞けば、『絶対に「書き手としての感想」がほしい』って書くだろうと思って質問してみたのさ。そうでなかったら、この掲示板読んだ人に「本気じゃねーのか」と思われてハブられるだろーし。そもそも私がスレッドで書いた分類の仕方が『読み手としての感想=ミーハー丸出し』で『書き手としての感想=巧くなりたい人用』なんて、偏ったこと書いてるからねー。誘導尋問みたいなもんだよね。
 質問とか尋問とか言う前に、コレは単なる操作だよなー。まるで質問スレッドのように広く意見を集めているように見えて、登竜門の感想を全部『書き手としての感想』にもってこようとしてるー、アハハハハ。
 しかも、レスポンスで対抗意見が出たらソッコー潰すつもりだったー。この環境、この主張、この話題、相手に言い負かされることなんてぜんっぜん考えてないし、叩きのめしてコテンパンにして再起不能にするつもりだったーウフフー。ストレス溜まってるのかしら、私。

 さて、そのことを踏まえて(ハハハハハ)。『書き手として作品の良い面と悪い面を両方書く、それは書き手の次作につなげるためだ』ということですね。そして次作につながるのは『技術向上、創造力向上、創作意欲向上の3点』とも書かれている。次作につながるようにってことは、その次作を期待してるってことですかぁ? それは、読み手として? 感想で良い面も悪い面も書くってのは大賛成ですけれど、【次作に挑戦する気になるよう】感想を書くってのは、私にはわからないな。
 最初に書いた分類の仕方が悪かったので、新しくしましょう。
 『書き手としての感想=お前が気に食わない』
 『読み手としての感想=あなたが大好きです』
 『利用者としての感想=義理で書いてやるよ』
 アハハハハー。ひとつ増えてるー。義理感想ってのは、「あ、このひと私の書き物に感想書いてくれた人だ。お礼に書こっと」って感想。
 書き手としての感想ってさ、相手のためを思っての感想じゃない。書き手として相手が(あるいは相手の書き物が)許せないから書く感想。【次回作に挑戦する気になるように】って、『自分好みに矯正すること』? だとしたら、これはなかなか複合技な感想ですね。面白くないから感想を書く、ってとこまでは書き手としての感想だけれど、その効果を【次回作に挑戦する気になるように】ってとこに求めるんなら、読んで満足したい読み手としての感想になる。


タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 287 [関連記事]
投稿日: 2006/12/21(Thu) 17:40
投稿者

 こんにちは、晃です。

 率直に書かせていただきますと、私は書き手の方からの感想の方が好きですね。
 理由は……そうですね、言葉にすると難しいのですが、やはり人それぞれに表現の仕方が違うからです。
 例えば「歩く」の表現でもそれをそのまま「歩く」と使う人もいれば「足を運ぶ」と表現する人もいるでしょう。十人十色、表現技法は似たものこそあれど、その人独特のものであると思います。
 それに触れることによって、自分の表現技法や構成力、起承転結のスムーズさなどがアップすると思います。
 相手から言われた事をまるっと変えるのではなく、あくまで『自分らしさ』という土台を残したまま、悪いところだけを改善すれば、自然と技術は向上すると思います。自身の技術向上=読み手からみた時の読みやすさが上がる、という事には、少なからず通じるものがあるのではないでしょうか?
 
 わかりにくい点もあったと存じますが、ここで終らせていただきます。
 それでは、また。


タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 286 [関連記事]
投稿日: 2006/12/21(Thu) 00:49
投稿者模造の冠を被ったお犬さま

 「対応できるます」って。キャラクタライズされたライトノベルの登場人物ですか、私は。こんな口調で質問したのに答えてくれる人がいる。きっと、聖人君子みたいな人に違いない。
 こんにちは、半人半獣の聖人君子さま。ご機嫌麗しゅう? 感想が作品とは面白い考え方ですね。感想を高評価して『作品』と呼ぶのでしょう。それって、書き手に読んでもらう『作品』なんでしょうか? それとも、その感想を読んだ人全員にとっての『作品』? 書き物に付属する、書き物と一体化した『作品』かな? そもそもが、書き物を『作品』と呼ばない私には理解しにくい考え方で、ちょっと戸惑っています。
 ミノタウロスさんの回答を私なりに考えてみますと、つまり、「読み手の自然体で感想を書いてほしい」ということのように感じられました。“感想にもその人独自の個性があって、私はその個性を感じたい。だから読み手には、他のひとに合わせるのではなく自分のやり方で感想を書いてほしい”でしょうか。あんまりよい喩えではないですけれど、“私はお腹が空いている。何かを食べたい。だが、食べられれば何でもいい。そうだ、ではひとつだけ条件を出そう。素材のままがいい。野菜なら野菜。肉なら肉。生のまま齧りたい。それが素材をおいしく食べる秘訣だ”と言われているような気になります。それはそれで構わないのですけれど。それだと、『作品』にならないような気がするのです。
 加工をしないで出来上がる『作品』なのでしょうか。私がバカタレなのか、ミノタウロスさんが頭が良すぎるのか、どうにも理解がついていけません。答えてもらったのに、余計こんがらがりました。


タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 285 [関連記事]
投稿日: 2006/12/20(Wed) 18:06
投稿者祟られる者

単刀直入に言ってみるつもりで書きます(何
どちらか一方で答えるなら、自分は同じ書き手としての感想がもらえた方が良いです。私が作品を作ることは殆ど無いんですけども。

私が感想を書くときは書き手として作品の良い面悪い面両方を出して、筆者が次回作に挑戦する気になるような感じに締めてます。
『感想』の持つ効果は筆者の技術向上、創造力向上、創作意欲向上の3点にあると思います故。  


タイトルRe: 感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 284 [関連記事]
投稿日: 2006/12/20(Wed) 17:06
投稿者ミノタウロス

 模造の冠を被ったお犬さま、今日は。久しく感想も、作品発表も控え
させて頂いているミノタウロスです。
 さて、質問に答えま
す。私はどちらも好みます。言い換えればどちらでもかまいません。も
っと言い換えるなら、どちらか一方ではつまらない。
 私の
経験上、私に感想を下さった方々はほぼ、書き手としてのモノでしたが
、時折読者としての感想も頂き、そのどちらも大切な言葉でした。厳し
い言葉が欲しいと時もあればやさしい言葉が欲しい時もあります。<
br> 例えばね、模造の冠を被ったお犬さまに感想を頂くのだとした
ら書き手としてのモノですね。その理由は憶測して下さい。

 つまりね、感想ってその人を集約した作品なんですよ。だから私は、
その方を感じられる感想が一番好ましいです。
 答えになっ
てなかったかな。   ではまた。


タイトル感想のありかたについて思うことよもやま
記事No: 283 [関連記事]
投稿日: 2006/12/19(Tue) 02:24
投稿者模造の冠を被ったお犬さま

 登竜門の皆様方、ご機嫌麗しゅう。模造の冠を被ったお犬さま、略して模造の冠を被ったお犬さまです。
 私には大変思い悩んでいることがあります。それは、書き手としての皆様がどのような感想を求めているのかわからないことです。いったい、どのような感想をお求めになっていらっしゃるのでしょうか。ここにいる方々の多くは、書き手としても読み手としても立派な方たちばかりです。書くばかりで読まない方もいらっしゃることでしょうけれど、それは“登竜門において”であって、市販の小説は多く読んでいることでしょう。そう願いたいものです。
 このように登竜門の利用者は書き手としても読み手としても活動できる以上、感想の書き方も二つの立場で対応できるわけです。つまり、読み手として感想を書くか、書き手として感想を書くか。読み手として、というのはわかりやすいですね。ファンです。面白くないものは読みませんし、感想なんて書くはずがない。面白いものに「面白かった」と書いて、続きを強請るわけです(強請る=ねだる。当て字じゃありません。本当に変換されます)。このような感想ばかりだと、感想の数=人気という構図ができそうですね。もうひとつは、書き手としての感想。これのいちばんわかりやすい例は「私だったらここをこう書きます」といった感想でしょうか。トラブルが起きやすい感想ですね。書き手VS書き手なので無理からぬことです。主張の違いは大いにあるでしょう。その切磋琢磨があればこそ上達できる、といった考えの方もいることでしょう(かくいう私がそうです)。
 私も、感想はどちらでも対応できるます(書き手としての感想のほうが書きがいを感じますけれど)。そこで皆様に質問をさせていただきます。『読み手としての感想』と『書き手としての感想』と、どちらの感想が欲しいですか(「欲しいですか」であって「勉強になりますか」とか「友達になれそうですか」ではありません。理由として挙げるのは構いませんが、「読み手としての感想のほうが嬉しいけれど、書き手としての感想のほうが上達できる」といった折衷案を聞いているのではありません。『あなたが』『どちらを』『好ましいと思っているか』です)。
 ご回答お願いします。


タイトル小さくたって必死に生きているのですの感想
記事No: 282 [関連記事]
投稿日: 2006/12/16(Sat) 21:24
投稿者模造の冠を被ったお犬さま

 息が長いな。このスレッドも……。

 晃さん、こんにちは。私が模造の冠を被ったお犬さまです。
 なるほど。正体はわかってはいるのだけれど、最後の「やだ、気付かなかった」と(奴らが)意識的にやったのではないところが笑いを誘いますね(隊長さんから見れば笑い事じゃありませんけれど)。この台詞を組み込んだのはよかった。面白いです(ズルいぐらいに)。
 もっと軍隊っぽさを出して(軍隊の厳しさ)、その中での隊長の呟きといった趣になっていると、さらに楽しめるんじゃないかなあ、と思ったりします。
 で、もっといろいろ考えてみたんですけれど、晃さんはファンタジ書ける人でしたよね? 【怪物】という台詞回しとか、やたら長い【ジークフリート】の名前とか、それっぽいですよ。だったら、もっと怪物という言葉に現実味をもたせて【奴ら】がどれだけ恐ろしいか逼迫したものかというのを書き出すと、もっと生き生きとしてくるのではないかと思いました。と、言ってもショートショートだから厚くしたらショートショートの魅力そのものが半減してしまうし……。台詞だけでも、硬くしてみてはいかがでしょう。“硬く”というか、軍人口調にする。そうすると全体の印象が締まってくるハズです。
 ちなみに、攻撃的なのは蜂だと思いました。白○は直接攻撃タイプではないので、○と近親の蜂ではないかなー、って。外してしまいましたね。


タイトル小さくたって必死に生きているのです
記事No: 281 [関連記事]
投稿日: 2006/12/16(Sat) 18:14
投稿者


 私達の仕事は、私達の国に於いてとても重要なものである。
 同時にとても危険な者であるがために、多くの仲間の命が危険に晒される。殉職してしまう奴も多くいる。
 それでも、我らはやらねばならぬ。生まれた時からの使命ゆえに。


『小さくたって必死に生きているのです』



 今日も我らは行く。使命を果たすべく。多くの仲間に食物を与え、我等が王を立派なお方にして差し上げるべく。
「隊長!目標発見しました! 大物です!」
 うむ。よくやった。
 全員で持ち運べ! 他の隊に遅れをとるな!
『了解!』
「隊長、準備OKです!」
 よし、目標確保。これで当分食うものには困らぬだろう。全員帰還の準備を!
『了解!』
「今日は珍しく『奴ら』に会いませんでしたね…」
 ああ…このまま会わずに帰れる事を祈ろう。
 『奴ら』とは、いつも我々の重要な任務を邪魔し、ときには仲間の大量虐殺までしてくれる憎き敵。我らと国交を結んでいた隣国など、『奴ら』の手によって一夜にして破壊された。
 我らと種は違えど多くいる仲間の一種は、積極的に『奴ら』の住処に攻撃を仕掛けているが、我々にそこまで攻撃力はない。とはいえ、ほんの抵抗とばかりに私達の種も『奴ら』に攻撃を加えるが…『奴ら』からしてみれば本当に何でも無いことなのだ。虐殺が止む事はない。
 そう言えば、『奴ら』の住処に攻撃を加えていたその一族は、毒薬を以ってして皆殺しされてしまったという…無念だったろう。心からお悔やみ申し上げる。
 教えて進ぜよう、憎き我等が敵、巨体に物を言わせて多くの仲間の命を奪い去る、血も涙もない怪物の名前を! 彼らは…
「隊長! 大変です! 『奴ら』が現れました!」
 なに!? 油断した!
 全員に告ぐ! 一旦引き上げだ! 獲物を持っている仲間を優先して直ちに避難しろ!
「隊長大変です! ジークフリート達がっ……!」
 なんだってっ!? 待ってろ、今助けにいくぞ!
「駄目です、隊長! お戻りください!」
 ジークフリートアーサージュウベエタケシビリールートヴィッヒっ!!
 くそっ、なんて事だ……許してくれ、ふがいない私を許してくれ!
「隊長……彼らは立派でした。やるべき事をやりました。素晴らしい殉職です」
 そうだな……彼らの死は無駄にしない……皆、帰ろう。



 私達の仕事は、私達の国に於いてとても重要なものである。
 危険も伴う。しかし、我らはやらねばならぬ。行かねばならぬ。使命を全うする事、それ即ち生きる事。
 ああ、われらが同胞を殺してくれた憎き敵の話し声が、今日も頭上から聞こえる。

「岬、アリ踏んでるぞ」
「あ、本当だ。やだ、気付かなかった」

 我等が任務に於い最大で最高の敵。その名は……人間。


 ――――――――――――

 こんにちは、晃です。
 僭越ながら参加させていただきます。
 この話の主人公、わかった方も多いでしょう、蟻です。一応解説させていただきますと、彼らは働き蟻です。積極的に攻撃する、と言うのは白蟻。毒薬は、CMでも出ている、蟻の巣こ○りとか、そんな系のものです。
 春先、蟻の列を踏んでしまうたびにこんな馬鹿な事を考えつつ、こっそり心中で謝ります。
 それでは。


タイトル反復とその差異
記事No: 280 [関連記事]
投稿日: 2006/12/06(Wed) 03:02
投稿者タカハシジュン

 参考になりますかねえ。
 本当はこういうものは、妄想に妄想を重ねて暴走するというのが一番だと思うのですが(笑) そういうのは基本的に参考にはならないものですからね。


 さて、
 >一度は再開したパズーとシータが、ラピュタに行った後に再び別れ
 の意味合いですが、これは同様の展開の反復ですね。シータは二度奪われ、二度奪回されるのですが、着目すべき点です。先回も触れましたが、パズーは一度目の奪回に至るまで、自己の子供としての矮小さを思い知らされ、精神的な死を経、鼓舞を受けて再生し、シータの奪還に挑みます。ここではドーラはじめ様々な人間の助力を得ていますね。
 それと対比して二度目の奪回を考えるべきだと思うのですが、二度目に死はないですね。落ち込んでいるヒマなどなく、パズーは疾走し始めます。今度も彼は助けられますが、それは重なる幸運ですね(笑) 人に対しては、むしろ捕われたドーラ一家を救出さえしている。「急に男になったね」というドーラのセリフは、その成長の追認でもありますね。
 二段階の成長、というと、急にシステマチックになって自分でも興ざめするのですが(笑) パズーは一度目の奪還で生じた宿題を二度目の奪還で終えているところは明白だと思います。
 リアリズムからすれば、成長というのはこういう図式的なものではないですね(笑)一歩進んだと思えば、二歩くらい後退してしまうというのもままあるものです。そういうものを無視しすぎてしまうと作品は実にウソっぽく見えてしまうものですが、演出が巧みで展開がスムーズであるため、そういう図式的な安直さというのは見えてこないですね。
 またそればかりの目的ではないですね。ムスカの傍らにこのタイミングで配し、ラピュタの内奥を展開させるには、アタマより先に手が出そうな短絡的なパズーより、よりスタティックなシータでなければ、ムスカがやりたい方だいやる前に壮絶な殴り合いが始まっていますね(笑) ラピュタの力の誇示や科学力の状況説明といったパートに於いては、パズーがいるのは都合が悪く、構成上排除したという意味合いはあるでしょう。
 当然、シータの生い立ちを表明して家系の秘密を開放する意味合いもあり、クライマックスで二人がムスカの銃口に狙われながら邂逅する盛り上がりの布石でもあります。またラストのシータの演説ですね。ちょっとアレは飛躍を感じさせる部分がなくもないのですが、あそこに至るテンションの引き上げやシータ自体の成長からすれば、防壁としてのパズーは展開上やはり同伴してもらうと困るというのもあるでしょう。
 理由を探せば無数にあって、つまりはひとつふたつでは留まらない様々な意味性が、不協和音を生み出さず、優れたハーモニーとして展開されているところに演出、表現上の妙味があると思いますね。


 さてさて、最初に考えたシーンですが、これはもうちょっとお時間ください(笑) ちょっと考え込んでみます。


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