写真や絵画でなく小説公募の場合、一般に『二重投稿』とは、応募時期の重なる複数の賞に同一作品や酷似作を送ることであって、ある賞で落選確定した作品を、書き改めてから別の賞に送るのは、問題ないはずです。落選作は、出版権とは無関係ですし。ごく一部、過去の他社応募作をまったく認めない賞もあるようですが、その場合は応募要項に明記されているはずです。ただコーヒーCUP 様もおっしゃったように、とことんテコ入れをしないと、好結果は出ないと思われます。私的には、結果にかかわらず『とことんテコ入れする』のも、修行のひとつと心得ております。
> ありがとうございます。その話を伺い曇っていた空も晴れました。前回の物語は忘れる事にします。でも、最初の作品は自分のバイブルです。自分にしか感じなかった事が幾つも出てきていているし、書き直さず 駄目 だったら密かにしまって心に留めておく事に決めました。 とういうか、自分でもその方が気分的に良い事に気付いたのです。 その後、二作品が出来てそれぞれ違う内容だけど、何処か似ている所もあったりしますが、真っ白なキャンバスに最初から書くという事の重要性を感じつつあります。 今後の考え方として、そうして残った作品は自分の参考文献にすればよいとしました。 ご忠告、感謝します!
ちょっとだけ書き直した、という程度の修正なら別の出版社に送った時点で二重投稿です。もし、入賞しても二重投稿であったことが露見すると受賞が取り消される可能性があります。のみならず、ブラックリストに載って出版社から敬遠されます。デビューの可能性は極端に減ります。未発表であろうと発表済みであろうと関係ありません。出版社同士、出版権問題で揉めることにもなるので(大抵は全ての出版社が二重投稿者から手を引く)、書き直して送る場合、元の作品と同じものだと分からないくらい直す必要があります。気をつけてください、作家を目指す人にとって大変危険な行為です。
はじめまして:コーヒーCUPさんご意見ありがとうございます。そうですね、悪い部分があるわけですから。でも、ここが少し考え過ぎてしまったところなのですが。未発表かいなかという事だったのです。駄目でもいいから直してみて、違う出版社に果たして出していいものなのだろうか?と一見矛盾する感覚なのですが、ここは自分への納得する文章に直してみたい気持ちだけです。 参考になりました。それでは、又何かありましたら宜しくお願いします。
皆様、自分の質問に答えていただきありがとうございました。やはり、ストーリー性を重視しておられるようですね。ストーリーにあった人称、もしくは人称よりストーリー優先ですね。なるほど。まずは人称よりもストーリ。そしてそのストーリーにあった人称……こんな感じですかね。水芭蕉猫様 SAKAKI様 甘木様 聖藤斗様 模造の冠を被ったお犬さま様 タカハシジュン様 座席様 猫舌ソーセージ様。質問に答えていただき、ありがとうございました。皆さんに教えていただいたことが作品にいかせるように努力したいと思います。本当に、ありがとうございました。
構わないはずです。ただし、残念な結果になったということは作品の中に悪い部分があったわけで、悪い部分を直さないまま、また応募するのは無駄だと思います。何故、残念な結果になったのかを考え、そして悪い部分を直し、よりいい作品にしてから投稿すればいいんです。お役にたてるコメントかどうか分かりませんが、自分がいえるのはこれだけですので。多分、未発表扱いになるでしょうね。新人賞に応募したって、読んでくれるのは下読みの人一人と、運がよければ選考委員みなさまだけですから。
一度新人賞に送った小説が残念な結果を得ます。それではリライトして、違う新人賞に送る事は許されるのでしょうか? 未発表のものに限る。事に違いはないと思うのですが。
作品によって書き分けます。三人称を使う場合テーマがとても重い作品シリアスが作品のほとんどを占める場合主人公の心をあまり書きたくない場合(例えば、推理モノなら実は主人公が犯人だったなど)一人称を使う場合お笑い小説主人公の思考を重要視する作品自分的には、どっちが難しいとかないですね
私は基本的に一人称が好きですが、必要だなと感じたら三人称という風にしています。でも結局両方とも使うので私が使うのは混在人称視点ですね(一人称と三人称の二刀流っぽいですが)。 それでもとりあえず使おうとするのは一人称です。伝えるべき部分を伝えたい時はこれが一番いいと思っているので一人称をメインとしつつ、描写でうったえたかったり、その人物の一人称をあてるのは得策だと思えなかった場合は三人称に。最近はシーンも無視して混在人称な書き方をしてますが、もっとうまく書けるようになりたいものです。 なんだか乱文になりましたが、結局のところ「一人称ときどき三人称」といったところかもしれません。あえて片方だけを使用する場合があるとすれば、人物に共感してほしい場合は一人称、読者でいてほしい場合は三人称です。
一人称形式の表現は、 1、話者(一人称語り主人公と、僕は造語で示しています)の造詣 2、話者の見える部分、見えない部分の切り分け このふたつに注意すべきであると思います。 1の場合、話者の感慨=書き手の感慨というパターンが多く、殊更にその点注意を払った作品が乏しいのが現状ですが、一人称語り主人公というものは紛れもなく登場人物の一人ですから、それがどういう人間かということをしっかり把握しておくことが重要ですし、三人称形式に比べてその把握が一段難易度が高いのは、その人物がどのように語るかという口調の問題、そしてその人物がどのようなものを見て、どのようなことを感じるのかという内的な個性の造詣の問題、更にはそれら話者の造詣と作品的説明や展開といった進行役の役割とのコンビネーションという問題が生じてきます。 2の場合、これは恋愛ものをイメージするのが一番手っ取り早いのですが、主人公にすれば相手の心境というのは類推はできても、実際はわからない。見えない部分というのは必ず生じてくるわけです。これと全く同じで、一人称における作品の展開は、必ず見えない部分というものが付きまとってきます。それは主人公には見えないだろうとか、それとは逆にそれは見えているはずなのにどうして主人公はそれを理解していないのかとか、十分な神経質のケアをかけていないと、そういう矛盾が山のように出てきます。 よく、三人称に比べて一人称は書きやすいという意見を目にしますが、上記の問題をクリアしているかどうかについて疑問が残る場合があります。比較すれば、三人称はその場その場で緻密な計算と先読みの能力が求められる感触がありますが、一人称の場合はより書き手に戦略的な判断力、大まかな部分の是非を求めてくる印象があります。いずれにしてもどちらかが簡単だということはありえないと思いますね。