タイトル | : Re: 面白いですね! |
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投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 06:40 |
投稿者 | : 中村ケイタロウ |
URL | : http://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html |
>肉眼で見たときに観察者を騙せるくらいうまく「人の型」を作りたい、というのが僕の願いなのであります。それは果たして可能だと思いますか
それは原理的に不可能だというのが僕の立場です。キャラクターと物語とを分離して考えること自体がそもそも無理だと考えるからです。キャラクターというものを実体論的に捉えることがおかしい。小説全体の中で関係論的にとらえるべきだと思うのです。「型」なんてものは、書き手の頭(とノート)の中にしか存在しません。読者の前に実際に存在するのは小説のテクストのみです。そのテクストにおいていかなる表現がなされているか。それだけが問題なのだと僕は考えます。
そのへん、キャラクタ単体でもビジュアライズ可能な漫画やアニメとは違うんじゃないでしょうか。漫画やアニメなら、少なくともキャラクターの視覚的特性は、「設定資料」みたいなもので記述することができます。しかし小説のキャラクターは小説の記述の中にしか存在し得ない。
ちなみに、人物を人物らしく見せるために僕が用いている方法は、「型」を用いるのではなくて、言葉や行動の細部にリアリティを持たせることです。「こういう言動は人間として自然だろうか」「こういうときに人はこういうことを言うものだろうか」という観点から。
内面? 内面や性格については、とりあえず括弧の中に入れておきます。だって、現実世界においても、他人の内面を直接知る方法は無いわけですから。
人間の人間たるゆえんを、その言葉や行動の中に見出す習性を、我々の脳は有しています。キャラクターの振る舞いや言動にリアリティがあれば、そこに「人間がいる」と、我々の脳は錯覚してしまうのではないでしょうか。
錯覚するのは読者だけではありません。作者もまたそこに「人間がいる」と錯覚してしまいます。その錯覚が記述にフィードバックされた結果、キャラクターは「勝手に動き」始める。「こいつはこんなことしないよな」とか「この子はこんな子じゃない」とか、そんなふうに作者は考え始めるのです。「型」なんてのは、最初の出発点でしかないんじゃないかなあ。
……などと言っておりますが、これは僕がそれに成功していることを意味しているのではありませんので、「お前の小説にリアリティなんて無いやんけ」というつっこみは、くれぐれもご容赦願います。あくまでも理想であり目標です。ごめんなさい。はい。