タイトル | : 新説爆誕!!! |
記事No | : 898 [関連記事] |
投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 19:52 |
投稿者 | : ピンク色伯爵 |
改めまして、挨拶します。こんばんは、中村様。
いや、朝早くの投稿驚きました。自分、あの時間はまだ寝ているんですよ。ぐうたらな人間で7時半にならないと体が起きないのです。こんなんで社会に出られるのだろうか……。
さて、まずは今までの議論の内容を反芻したいと思います。
・魅力的なキャラの作成法。彼らはどうして魅力的なのか。
→キャラクターを作成する上で情景(世界)というものは必要不可欠で、情景を思い浮かべたときにキャラクターは大方決まっている。そうして生まれたキャラクターは何故か魅力的になる。
→キャラクターは世界とセットで考えるべきであり、そうすることで魅力が高まるのではないか。世界とセットにすることで、キャラクターが人間のように動き出す、これを『営み』とした。
←しかし、キャラクターは独立して魅力的になれるとは考えられないのか。キャラの個別の魅力、これを『カリスマ性』とする。カリスマ性を備えたキャラクターは魅力的ではないのか。
具体例が出てきて、一見答えが見えてきたかに思えたが、魅力的なキャラクターは単なるキャラクターにすぎず、それをどうすれば物語の中で「生かせる」のかがわからず、この考え方では方法論的に手詰まりになる。
→『カリスマ性』はキャラクターの特質にすぎず、紙面に表現するには、物語とリンクさせることが絶対不可欠だということが分かった。キャラクターと世界とは一体なのだという説に戻り、魅力的なキャラクターとはなんなのかをもっと本質的に考えていくことにした。
→猫説によると、キャラクターに世界を語らせるのだという。まずキャラクターが存在している。彼らにに独自の価値観を持たせたのち、彼らの目を通して世界を「創る」。
こうすることにより、世界はよりリアリティを増し、同時にキャラクターの個性が光るようになる。キャラクターの独自の価値観、考え方が大きなカギとなるのである。
→上野説によると、キャラクターに「信念」「個性」を持たせるのだという。こののちに物語と符合させるようにすれば、それは一本の芯が通った物語になり、厚みが増す。ただしこの場合、物語が魅力的になるかどうかは分からない。一方で、主体はキャラクターなのだから、自然、キャラクターは魅力的になりうるのである。
また留意点として、現実の人間を指標にすることで、キャラクターが崩壊するのを防ぐための『抑止力』とすることができる。
→猫説の逆、世界があって、キャラクターを作るのだという説はありえないのか。
疑問点
・猫説、上野説をかんがみれば、そこには一定の方法論があるように見える。これを掘り下げることで、小説家の創作における無意識的思考プロセスをトレースすることは可能ではないか。
・「人型」を作る際、キャラの世界とのリンクの様をその構築過程に入れられないか。入れられるとすればそれはどのような構築法か(つまり関係論をそのまま反映させることは不可能なのか。関係のさせ方をコピー・一般化することはできないのか)。
・生きたキャラクターの中でも特に『カリスマ性』のある者を作ることはできないか。またできるならその具体的な要素は何か。
→物事の「知っている」こと。
→肉体的魅力。
→ノーブルさ。ブルーブラッド的要素。
・小説を書く段になって、美しい文章で引き込むにはどうすればよいか。うまい人の無意識的思考プロセスは分析可能か。可能なら、それを真似ることはある程度までなら可能と言えるか(理論を理解したのち「あ、(文章が)かわった」と気づけるか)。
その思考プロセスとして、『音読すること』は重要なファクターになりえるか。また他に重要な要素はないのか。
(個別具体説)→カリスマ性→→BAD END個別具体説は行き止まり。
(一体説)→情景→『営み』→世界とのリンク→猫説→???
→上野説→???
→逆猫説?
→???
さて、本題に入ります。
なるほど、中村様はキャラクターと物語とは個別に考えることはできないから、「人の型」を作ることは原理的にできないとおっしゃるのですね。パラメータはある。しかし世界とのリンクがそれを複雑化させている。むしろ重要なのはキャラより世界である。したがってキャラクターだけ取り上げて型を作るのは不可能であると言わざるをえない。このような理解でよろしいでしょうか。
そしてそして、さら素晴らしい意見が飛び出してきました。
『キャラクターというものを(中略)関係論的にとらえるべきだ(中略)。そのテクストにおいていかなる表現がなされているか。それだけが問題なのだと僕は考えます。』
素晴らしいです。思わず僕も「なるほどお」と頷いてしまいました。
キャラクター? そんなものは頭の中とノートの切れ端に原液としてのものがあるだけで、紙面に表現したとき初めてあらわれるものなのだ。
型は出発点に過ぎず、キャラクターは、自然な思考の中で「勝手に動き出す」これを錯覚することで僕たちはそこに人間がいるのだと思い込んでいるわけですね。
方法論なんかない。書いてゆけばよいのだ。それもまたありな意見であります。ですが……、
僕は認めないけどねッ!☆
ではその紙面に表現する方法何なのか。中村様はそれを言葉の細部にリアリティを持たせるとおっしゃっています。でもそれって、『現実の人間をサンプルにする』というネットに転がっているありふれた意見とどう違うのでしょうか。同じだというのでしょうか。もし同じならば、結局、どうすれば魅力的なキャラクターを書くことができるのでしょうか。
この議論の表面的な目的は、確かにキャラクターを簡易に量産できるかであります。しかしその根底にある真の狙いは、どうすれば魅力的なキャラクターが書けるか、その方法を抽象的に模索していこうというものです。何が言いたいのか。つまりですね、中村様、もっと突っ込んでいきましょうよ! ってことです。
紙面にてリアリティを持たせる段にこいつならこうすると考えるとありますが、それは前提として、作者がそのキャラクターを理解していなければできないのではありませんか。キャラクターの確かな『実体』『関係論上のそのキャラクターの立ち位置関係(つまり世界とのかかわり様)』を理解していなければ不可能ではないのかと僕は思うわけです。
じゃあそいつらがなんなのか分かれば、キャラクターの魅力が分かるのではないでしょうか。
この記事を読んでいる皆様、中村様は僕たちに新たな指標を与えてくださいました!
命名、中村説です!
現在位置分かりますか?
一体説→世界とのリンク→猫説→キャラクターとの対話独自性を持たせる→独自性って何?
→上野説→???
→逆猫?
→中村説→???
中村説は紙面にてキャラが発現するとのこと。しかしその前段階として、作者である 中村様は何らかのイメージを持っていらっしゃるはずです。これが分かれば中村ルートはエンディングに近づくのではないでしょうか。
さて、作家ごとに色々な考え方がありますよね。でもどこか共通する部分があるのはなぜだろう。それこそがキャラの魅力の根幹なのではないでしょうか。
以上であります。中村様、返信が大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
中村様はもちろん皆様の議論の参加をお待ちしています。
追伸、結局、音読はどうなったんだ! 誰か教えてくれー!!!
ピンク色伯爵でした。