タイトル | : 面白いですね! |
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投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 01:49 |
投稿者 | : 上野文 |
面白い議題ですね。
参加しよう。…と思ったら書きたいことを全部中村ケイタロウ様が書かれていた!
と、撤収するのもなんなので、かぶりますが私なりに書いてみたいと思います。
1 自分が思う魅力的なキャラクターについて
色々挙げれますが、ぶっちゃけ全員個性がバラバラです。私は復讐者も調停者も凡人も天才肌も、魅力的な人物なら大好きです。
って、それじゃ参考にならないでしょうから、方向性をば。
私の場合、ノベルゲーで言えばEVER17の倉成武(致死性ウィルスが蔓延する海底の閉鎖空間という極限状態で、嫁と生徒とガキ二人守るために死力を尽くし、最後まで生存を諦めなかった)や、シュタインズゲートのオカリン(どう足掻いても絶望、乙! な運命で、なにもかも背負って最後まで足掻き続けた)のようなタイプを好意的に評価します。
一方でクラナドの岡崎朋也のような、一番必要とされている時に責任を放棄したタイプは、一段評価が落ちます。
ただ、忘れてはならないのは、キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです。
仮に朋也が「俺は妻の忘れ形見と一緒に生きる」と腹すえるタイプなら、そもそも物語が成り立たない、でしょう。
FATEで衛宮士郎について「あんなおかしな信念(妄執)に取り付かれた主人公がいるか!」と批判する人はいても、そもそもその”狂った”と弾劾される信念といかに向き合うかが主題のひとつだろうから、仮に彼の個性を抜いたら物語が根本から変わるでしょう。
彼や彼女という登場人物が「その物語という世界で生きているからこそ」物語は輝くのではないでしょうか?
また上記は、キャラクターの魅力について書いたもので、物語としての魅力をどうこういうものではないので悪しからずご了承ください。
2 キャラクター論について
たとえば、小説のキャラ作りをクッキー作りに例えるなら、大事なのは「卵とバターと小麦粉(キャラクター自身の魅力)」と、「焼き加減(書き手の文章)」であり、既存のテンプレート…
ツンデレやのヤンデレやのクールやのセクシーやのロリやの鬼畜めがねやのワイルドやの小動物やの男の娘やの漢女やの
を、私は型に過ぎないと考えています。
記号、と言い換えてもいいですね。
キャラクターを作るとき、分かりやすいほうがいいよね。(読み手が展開予想しやすく、感情移入の敷居低いよね)といった目安にはなるけど、それ自体が魅力の根幹を成すわけではないと思います。
だって、世のライトノベルにせよ、ノベルゲーにせよ、そんな記号化したキャラは山ほどありますよね?
じゃあ、その全部が面白いかというと、面白いのは一握りで、後は「orz」だったりする。
もし記号がキャラクターの魅力を保障するなら、そんなことが起こりえるでしょうか?
3 魅力的なキャラクターを数値化することで量産可能か?
以上のように、私は数値化、というか、個性という枠だけで魅力を表現することも、また量産することも不可能だと考えます。
では、中身、私が例えた「卵とバターと小麦粉」、おそらくは、ピンク色伯爵様が求めるものはなんなのか。
それは、キャラクター自身です。
……ふざけんな、なにその詭弁?
と思われるかもしれません。
これは私が以前経験したことですが。
私は――
『ある所に悲惨な待遇の20人の姉弟がいました。姉は恋と植えつけられた使命感の板ばさみになって歪み、黒幕にそそのかされて妹を殺そうとしました。一方、情けを知らない妹は、養父への依存から生きるために姉に抗い、互いに傷を負った二人は、多くの兄弟の屍の上で別れました』
という悲劇を書いていました。
が、実際に出来上がったのは。
『ある所に悲惨な待遇の20人の姉弟がいました。姉は恋を知ったことで、植えつけられた使命感を返上し、妹を守ろうとしました。一方、養父の愛情を得た妹は、大切な姉と兄弟を守ろうと抗い始めました。二人、いえ、20人の姉弟は黒幕を打ち倒して生き延びたのです』
という、正反対の代物でした。
――どうしてこうなった!?
後から分析すれば、一人馬鹿を放り込んだのがきっかけでした。でも、決定的だったのは、姉も、妹も、”成長してしまった”からです。
劇中の分裂闘争の時点で、二人にとっては「お互いを大事に思い、そのために決断する」の方が、当初の予定通り殺しあうよりずっと自然だった。
現実にいる人間をモデルにすれば、良い登場人物ができるわけではないでしょう。ルパン三世のような規格外キャラはそうそう現実には見あたらない。
ですが、行動の自然性という意味で、『現実の人間をモデルにする』ことは大きな意味をもちます。
こういった状況に置かれた時、こういった性格の『現実の人間ならどう決断する?』
そこにフィクションを加味しても、もはやそれは虚構だけではない。設定だけではなく、育って”存在する”キャラクターがいるからです。
無論、どんな登場人物もそこまで育つとは限りません。このときは姉妹とも、いい感じに筆が乗ってくれた。
この時の娘たちは、私が設定した存在ではなく、読み手や物語の流れによって成長した存在に変化していたのですから。
実際に読み手が評価するかはわかりません。誰もが異なる感性をもつ以上、ひとつのものさしは、ひとつのものさしにすぎません。それでも、キャラクターの魅力とは、物語との兼ね合いで、時に読み手との意見交換で、自然と育ってゆくもの。そういう風に、私は考えています。
それはそれとして、『カスタム小説2011』はやってみてもいいんじゃないですか? 面白そうですよ♪