タイトル | : Re: 面白いですね! |
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投稿日 | : 2011/05/10(Tue) 03:54 |
投稿者 | : ピンク色伯爵 |
以前からあった疑問だったんですよ。貴女方はキャラクターが勝手に動き出すと言っている。僕にはそれが理解できなかったわけであります。
さて、真打登場と言うか、なんとなくそんな方法論ないのよ。若いわね、青いわねーと僕が説き伏せられる構造になってきました。ちょ、ちょっと待ってよ皆! だってこの人たちはキャラクターは勝手に動き出すって言ってんだぜ! そうしたら面白い物語が出来上がりました☆って言ってんだぜ! これで納得しちゃっていいんですか? いやダメでしょう。
そんな方法論ない。小説というのは色々な要素をかんがみて初めて書けるものなのよ。
うん、正論です。
確かに小説書くにははそれくらい年季のいるのでしょう。しかし、僕から見た小説家の文章はプロアマ問わず簡単だ。それを簡略化することで表象を真似るようにして本質まで丸のみするのは絶対に可能だ!
さて、僕の考えを再確認した上で、上野様の意見を見ていきましょう! さあ皆様、行きますよぉ〜。
1 上野様は博愛主義だそうです。しかし彼女はピンク色に方向性を示してくれました! 上野様の列挙した登場人物については、申し訳ありませんがググってください。特に知らなくてもこの議論には差し支えないと判断したので、省略させてもらいます。
『ただ、忘れてはならないのは、キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです。』
これは大切だ。書いた本人が言っているんだから線引いとかなきゃ! どうです、皆様。やはり彼女も物語(世界)とキャラクターとは密接に関連していると言っていますね。
・上野様は猫ルートなのか。
注意深く彼女の意見を読んでください。似ているようで全然違います。そもそも焦点を当てているところが違います。対比してみましょう。
水芭蕉猫様「キャラから世界を語らせる」
上野様 「キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです」
上野様は物語のあり方自体を論じているのであります。水芭蕉猫様の論じて下さったことは物語を作る方法論の一つですね。
しかしこれでは彼女がどの立場なのか分かりません。全く新しい見地の可能性もあります。
注意して読んでください。彼女は「信念」「個性」というものを書いています。どうでしょうか。これは方法論猫説の第一段階、『キャラクターに独自の価値観を持たせる』ことと同じではないでしょうか。
しかし、ここで早合点してはいけません。彼女は、『キャラクターに独自の価値観』を持たせ、そうすることによって物語は輝くと言っています。
つまり、猫説の工程2と3を書いていないわけであります。そこは分からない、だけど、とりあえず工程1をすることによって物語は綴られるとしているのです。
これは新たな見地でしょう。彼女の場合は世界(物語)が先にあって、そこに個別部品として主人公を寄り添わせるといっているのです。もちろん、世界と主人公はパズルの正しいピースのようにぴったりと符合するわけであります。
彼女自身も言っていますが、物語の魅力を彼女は語っているわけではありません。キャラクターの魅力について語っているのです。ですから、右のように僕が解釈したのは彼女に対して失礼なことかもしれません。って何冷静に分析してんだ! すみませんすみません。生意気言いました;
まとめてみましょう。
つまり彼女は中村様と同じ立場に立っていて、世界とキャラは密接に関連していると言っているのです。
うん、そのとおりですね!
……………………。見事に納得させられました。つかさっきその結論にたどり着いたところだったんだよぅ! これは司会進行失格なんじゃないでしょうか;
ピンク色いらねってなったら誰か代理お願いw
2、半ば解説キャラになり下がっているピンク色ですが、あとでちゃんと私見を述べます。悪しからず。
さて猫説で少し明らかになった魅力的なキャラ。上野様の意見を分析していきます。
確かにキャラクターには分かりやすい型がある。しかしその型を真似るだけならそれは陳腐なものになってしまう。
さて、この辺で解説キャラの仮面は脱ぎ捨てましょう。議論の再開です。
上野様、貴女は、僕のいう『魅力的なキャラクターを作る方法論』はクッキーの型だとおっしゃりたいわけですね。つまり分かりやすく記号化するのと、『方法論』は同義だと。うん、確かに僕の書き方ではそうとられても仕方ないですかね。ですけど、それは違います。僕は断じてキャラクターを安易な型を作ることによって量産しようとしているわけではありません。言い換えます。ツンデレやヤンデレなどの安易な型ではなく、『人間としての型』を作るためにこうして議論しているのです。その方は顕微鏡で見れば細部に至るまで複雑でしょう。しかし肉眼で見れば、それは紙面に書きうつせるほど簡単なのではないでしょうか。
三角四角のように簡易な型ではない。きちんと人の形はしている。しかし人が細部に至るまで複雑であることを理解した上で、「人の型」に見えるよう体裁を整える方法を模索しているのです。作家が紙面に表現するまがいものの人。その方法を盗みとろうとしているのです。
その「人の型」の作り方で一例として挙げられましたのが、水芭蕉猫様の猫説であります。人物に独自の考え方を持たせる。こうすることでキャラクターに厚みが増す。
肉眼で見たときに観察者を騙せるくらいうまく「人の型」を作りたい、というのが僕の願いなのであります。それは果たして可能だと思いますか?
ある程度型を複雑にすることで限りなく人間に魅せる(誤字ではありません)。これは可能なのではないでしょうか。
非常に抽象的な話になりました。具体的な話をしましょう。つまり、世界があって、確固たる意志を持つ登場人物がいたらよいと。その二つがうまい具合に符合すると魅力的なキャラクターができると。
そうしたキャラクターを描くにあたって注意すべき点が、キャラがあまりにも人間の常識を外れた範疇の行動をしないために『抑止力』としての現実の人間の模倣があるのだと。上野様の意見は以上のような内容ですね。
「こういった性格の『現実の人間ならどう決断する?』」
これは上野様の議論の中に無意識に出てきた文言でしょう。つまり貴女は、キャラクターになりきって物語を書いている。このような理解でよろしいでしょうか。
では、そうすれば書けんじゃね? というのが僕の考えです。
皆様、現在位置は分かりますでしょうか?
→カリスマ性→→BAD END
→情景・世界→『営み』→キャラを通して世界を見る(猫説)
→世界があって、キャラがある(逆猫)
→上記二つは不明確。しかしキャラには独自性アリ(上野説。つまり猫説よりの一体説)
重要なのは上野様も水芭蕉猫様もキャラクターに個別の価値観を持たせることを強調していることです。そしてその方法論も彼女たちはぽろぽろとおっしゃっていました。つまり、上記のようにキャラと世界とをリンクさせたとき、キャラは魅力的になると彼女たちは言っているのです。もう一歩踏み込んだところで、水芭蕉猫様はキャラクターに世界を語らせると言い、上野様は現実の人間はキャラクターの行動の指標でしかないのだと言っているのです。(上野様、このような理解でよろしいのでしょうか?)
しかし依然、彼女たちの言うことを守れば小説を書けるような気がしますね。上野様をはじめ熟練の作家様方がどのように考えてキャラクターをひいては物語を生み出しているのか。型はあるように僕は思えます。
実際まがいなりにも型として作家が紙面に表現している以上、我々がそれを方法論的観点から模倣すれば、それは不可能ではないでしょう。
その型はそんなに複雑である必要はあるのか? ――僕は問いかけます。
小説に見る人間はそれほど複雑か? ――複雑そうに『見える』だけではないか。
もしそうなら、型を真似る方法論があるのではないか?
つまりそれが『魅力的なキャラクターの作り方』なのです。
議論をまとめましょう。
→カリスマ性→→BAD END
→情景・世界→『営み』→キャラを通して世界を見る(猫説)
→世界があって、キャラがある(逆猫)
→上記二つは不明確。しかしキャラには独自性アリ(上野説。つまり猫説よりの一体説)
※注意点として、現実の人間の範疇をキャラの行動の『抑止力』として使う。
疑問点
→小説家が紙面に表現するように、魅力的な人間を魅せるのは可能ではないか。
→その方法とは。
→その一般化。あるいは魅せるにあたって絶対に必要なものの選別。
+音読。その他の秘訣。(←繰り返しますが、これは小説を書く段になってからのお話ですね)
以上であります。上野様、どうもありがとうございました。失礼なことを言って申し訳ありませんでした。議論が若干ややこしくなってきましたが、簡単なこと、思ったことで良いので、皆様の意見をお待ちしております。
ではでは。ピンク色伯爵でした。