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タイトル小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 882 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 01:54
投稿者ピンク色伯爵

 初めまして。あるいはお久しぶりです。ピンク色伯爵です。
 実は自分、模造の冠を被ったお犬さまが今の企画を立ち上げていなければ、別の企画を立ち上げようとしていた人間です。今となっては僕のようないい加減な人間が言いだしっぺにならなくてよかったとホッとしております。
 その企画は『カスタム小説2011』というものでした。企画者の方からいくつか小説のパーツを提示し、そのうちのいくつかを組み合わせて書いてもらうという内容であります。その企画を通じて企画者である僕が皆様から吸い取りたかったことは、ズバリ、作中の登場人物に命を与えるやり方であります。
 小説の書き方サイトをネットサーフィンしていますと、キャラクターの作り方について『現実の人間をモデルにする』という文言がよく見られます。しかしこの言葉はあまりにも抽象的ではないかと思うのです。つまり現実で見た人間を核にしてキャラを作ればいいよとこの一文は言っているわけですが、その具体的なやり方や、気をつける点等を明言しておりません。一体どのようにすれば、読者に一個の人間としてそのキャラクターを楽しんでもらえるのか、その本質的なことが僕にはわからないわけです。
 
 話が抽象的になりました。具体的に言います。俗に言うテンプレなツンデレキャラでも愛されるものは愛されております。逆をいえば、現実いる人間をそのまま模写したにもかかわらず「つまらない」という烙印を押されるキャラクターもいるでしょう。その明確な線引きを僕は知りたいのです。その境界線が分かれば、今後の創作において非常に参考になるのではないかと思うわけであります。

 論点を言いますと、キャラクターを『(魅力的な)人間』たらしめるその要素とは何か。僕のような変態はいかなるキャラクターに萌え悶えるのか。文学作品におきましては、どこまでキャラクターを際立たせるべきなのか。文学にキャラクターが要らないのなら、それでも読者をひきつける新たな要素はなんなのか。
 これらが明確に分かれば、少なくとも登場人物での悩みは減り、うまくいけば自分の強みになるのではないでしょうか。

1、自分が思う魅力的なキャラクター。(リアルでも非リアでも可)
2、上記の論点についてどう思うか。(手の内を暴露しろと強制はしません)
3、魅力的なキャラクターを数値化することで(顔の良さ+性格=魅力の合計値等)そのようなキャラクターを簡易に量産することは可能か(三分クッキングのレシピみたいなノリでつくれたらよいと個人的に思う)。

 是非皆様の意見を聞きたいと思っております。無理に参加してくれとはいいません。気が向いたら相手にしてやってください。


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 883 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 03:05
投稿者ピンク色伯爵

 物語も面白くなければキャラクターはさらに面白くないと定評があるピンク色伯爵です。どもども。定評じゃなくて悪評ですね。
 実はこの記事を投稿するきっかけは色々ありました。しかし大きなものを挙げますと、以前から僕の小説のキャラクターに面白みを感じられないとの感想がたくさんあったこと、そして先日僕の描くキャラクターがワンパターン化(つまりネタ切れ)しているのではないかという控えめな指摘を受けたからであります。指摘して下さった皆様にはこの場を借りてお礼を言いたいです。

 物語におけるキャラクターについて。
 この記事群を作ろうとした発起人でありますので、多分に喋ります。皆様は二言三言でのレスでもOK。まずレスがあっただけでピンク色は無視されていなかったんだと泣いて喜びます。
 
 本題。
1、ハーマイオニー・グレンジャー(ハリー・ポッターシリーズ)が魅力的だと思います。なんだか活き活きしていますよね。しかも人間臭い。ロンが結婚していなかった僕が嫁にしてました(殴)。

主人公(メインキャラクター)に作成するときに必要な要素

1 名前 2 性別と年齢 3 容姿 4 服装(デフォルメ)

5 性格(←これが難しいよね!) 6 一人称 7 表情や仕草(毎回パターン化する) 

8 趣味 9 長所と短所

10 特技 11 目標・目標を達成したい理由 

12 現在の役職 13 過去 14 備考(喜怒哀楽の対象)

↑とあるサイトをあくまで参考程度にかんがみた結果できたフォーム。毎回これを埋めているのだがうまくいかない……。

 さて、ハーマイオニーはなぜ魅力的なのか。僕は考えるわけです。勉強ができるから? 顔がいいから? エマ・ワトソンだから? いえいえ、そのようなひとつの側面だけでは結論は到底出せるものではありません。
 その魅力は一概には語れません(できたならこんなスレは立てません)。しかし、問題解決に向けての努力や、ひたむきさ。またヴォルデモートのような本物の天才とはやや違う「ひたむきさ」がその魅力の秘訣なのではないかと思います。要はそこに人間臭さを感じるわけですね。ああ、こいつ頭いいけど人間なんだなと感じるわけです。そうしたら親近感が湧く。これぞ魅力的なキャラクターですね。

2、ではその要素を一般化することはできるのでしょうか。僕にはできないからこのスレを立てたんですけどね(しつこい)。
 しかし丸投げにするわけにはいきませんから、キャラクターを物語製作のどの過程で考えるのか、僕のいつものやり口を書いておこうかと思います。要はピンク色のプロットですね。酒の肴にでもしてやってくださいw

魔甲少女レイナ キラ☆ プロット

→暗闇の中、座り込んで泣いている少女。
→黒い雨が降っている。周りには誰もいない。
→少女はやがて、涙をふき、立ち上がる。前へと進む決意を秘めて。
テーマ: もう一度立ち上がる勇気、AIが持つ感情
                  →『さびしい』
                  →誰かのために必死になれる優しい友達欲しい

登場人物(だいたい省略)
1、千堂レイナ   14才     痩せてる、貧乳、ニンフェット!
  
  制服(デフォ)  優しい性格優柔不断    一人称「わたし」

  八の字眉毛(←あくまで頼りなげなイメージ)  好き:友達と話すこと

  嫌い:数学・社会・ひとりぼっち    長所:思いやりがある

  短所:しゃべりがくどい。人について回る。 

  武器:魔法の杖・必中魔法。覚醒(アウェイクン)、解放(リリース)、破壊(ルビ未定)、再生(リバイブ)のうち、覚醒まで。覚醒では必中の炎で周囲を焼き尽くす。「呪文未定」

  目標:魔法少女になっちゃった→ウィルスは私が倒す!!

  現在の役職:仮想工学科中学二年生・魔法少女

  過去:姉を亡くしている。


世界観

→未来の日本2040年
→2028年全人類の能力を超える知能を持つスーパーコンピュータが生まれる。この年は特異点と呼ばれる。
→WWスカイプ→ケータイ使われなくなる
→仮想都市の創設。ゲームの仮想化から始まり、リアルと異なる仮想の世界に都市を築く。
→ロボットの存在。→個の進む日本社会。
 →日本のGDPは4位に(3位インド)。
→電子化の時代を描く。

ストーリー(省略)


 書き終わりました。結局キャラクターは物語の部品として見ているいるということなのか。どうやら、僕は物語の構想(最初に抱くイメージ)段階で主人公の像を半ば決めてしまっていますね。こうして書き出してみて初めて知りました。
 しかし、これが分かったところで魅力的なキャラクターを描く力にはなりません。どうすればよいのか。うーん、現実に出会った魅力的な人物をネタにするとか? それじゃいつかネタが尽きますし、現実でモデルにする魅力的な人物をどうやって選定するかが次の課題になってしまいます。もしそれで魅力的な人物が何たるかが語れるのならば現実にいる人間をモデルにする意味がなくなりますし、話は堂々巡りになってしまいますよね。
 こんなキャラクターが好き! という統計を取って、それぞれのキャラクターのパラメーターから人気の高い部分を採るとか? 項目3の話になってきますね。しかしこれでは自分の好きなキャラを作るのではなく、読者に合わせたキャラになってしまう。具体的な方針としてはこれがもっとも答えに近いと思いますが、我々が描くにあたって、楽しめるか否かという点で、決定的な欠落があります。うーん。難しいなあ……。

3、数値化はできると思います。じゃなきゃこんなスレ立てません。数値化できなくとも、キャラを作るにおいての具体策と注意点まで抽出できれば上々かと。この項目は皆様の意見を基に考えていきたいですね。

 以上、長々と語ってまいりました。つまんない意見しかないから投稿できない、なんてことはありません。二言三言、何かお言葉がいただければと思っております。
 てか、書ける人は、キャラ云々もそうだけど、面白い話の書き方についても意見をぶちまけてほしいです。
 以上であります。この議論が、皆様の新たな指標となることを祈っております。


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 884 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 21:07
投稿者天野橋立

こんばんは、伯爵。
 僕の書き方というのはここに書かれているのとはほど遠いので、全然参考にならないと思いますが、面白そうなのでちょっと参加してみます。

 僕の場合は、最初に思いつくのはある「情景」であることが多いですね。最近作の「轢断の常磐線」だと、まずは「労働文学」という言葉と「古びた集会室でメーデー歌を歌う組合員たち」という場面が思い浮かんで、そこから全ての話を進行させて行きました。しかし、なぜあの課題でまずそんな場面が思い浮かんだのか、ここは自分でも良く分からないのです。多分、ネット小説とは対極の世界として思いついたんじゃないかと思います。登場人物たちについても、最初の絵が浮かんだ時点で何人かの風貌は見えてますので、後は話の展開に合わせるように各人物がそれぞれ役割を果たしてくれるのを、文章にして行くという感じです。さすがに長編の場合は一応登場人物は考えますが、あんまり細かい設定はしないし、設定しても全然その通りにはならないことがほとんどです。場面に応じて、かなり勝手にキャラクターが話し、行動します。

 ちなみにあの作品書き出した時点では、「最初は好評をもらう」→「先輩に否定される」→「他のサイトで酷評」という話の流れは一切頭になく、書きながら考えて行きました。元々、ストーリーを考えるのは苦手です。そもそも小説を書き出した動機が「架空の都市なんかの情景描写を書きたい」というところからスタートしていて、それだけじゃさすがに小説にならないので、後からストーリーを載せるというやり方をしていたので、今もそのやり方が抜けないようです。

 一応、大塚英志氏の本なんかも何冊か読んでますし、キャラクターやプロットを設定して書いていく、というやり方は知識にはあるんですが、うまく行かないですね。一度はそういうやり方で書く、という経験もしておいたほうがいいかなと思わないではないんですが。

 ちなみに、小説を書くに当たっての僕のメモというのは以下のようなものです。(これはまだ書くかどうか分からない小説です)

・オートスナック ・ネオンの下 ・県境越え ・歌手の女 ・ロードムービー的な ・千田マリ


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 887 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 22:10
投稿者ピンク色伯爵

 風呂入ってました。ピンク色伯爵です。
 いや、お久しぶりです。天野様、初投稿で点数もらえたんですね……。それって最初から作家としての練度が高かったということなのか。うーむ、羨ましいです。しかし、羨んでばかりはいられない。精進精進。
 本題。書き方が参考にならないとありますが、そんなことはないと思います。ひとつの情景が先行するのは僕も同じであります。魔甲少女もそうですが、僕も最初イメージから入るんですよね。ロンドの方もまた然り。アレを書くにあたって浮かんだ最初の情景は暗い森の中を手を取り合って走る男女であります。もうひとつ追加で浮かんできたのが、冒頭のシーン、夕暮れの屋上です。やはりこんなシーンを書きたいというのはあるはずです。このシーンが書きたいから小説を書く。このシーンのために書き手として辛い場面をなんとか書ききる。やはりそれが小説を書くにあたっての原動力になるのでしょう。
 天野様のロンドの初期イメージについて。
『ネット小説とは対極の世界として思いついたんじゃないかと思います。』
 対極は言いかえると、前時代的な、という意味でしょうか。ネット小説どころかネットが発達していない時代に、直に顔を合わせて文学を語るという点で『対極』の意味を使われたんだと受け取ったのですが。
 つまりお題を与えられ、何か現環境とは違うものをと考え、文学集会の図を思い浮かべたと、そうおっしゃりたいわけですね。思考プロセスは明確ですが、そこで何故、労働文学が出てきたのか、なぜ文芸雑誌ではなく、直接の寄り合いが思い浮かんだのか、そのあたりが謎のままですね。
 私見を言いますと、天野様の心の『原風景』と言いましょうか、流れる血の時代性と言いましょうか、そうした心に強く根付いたものがイメージとして現実化したのではないかと思います。なぜ浮かんだのか分からないのなら、それは自然に浮かんだということ。やはり過去のイメージがそのまま出てきたと考えるのが妥当なのでしょうか。
 それで、やはりそのイメージの中でいくつかのキャラクター像が浮かび上がっているようですね。僕も同じように思い浮かべているはずだというのに、天野様の描く人物は僕のものと比べ物にならないくらいに現実味があります。キャラクターが個性的であるというわけではない。しかし確かにそこにいる人間は『生きて』いて『息をして』いる。この違いは一体何なのか。
 イメージの明確、不明確の違いでしょうか。しかしそれならば小説を書くにあたってある種の先天的な優劣がついてしまうことになります。最初のイメージの時点で、登場人物を現実化できない時点で、能力が足りていないことになります。
 しかし、能力云々でこの議論を収束するのは無粋でしょう。
 天野様の発言から分かったことですが、

【大切なのは最初に思い描く『強い』イメージ】

 ということであります。こんな理解でよろしいでしょうか。
 能力云々は置いておいて、これが明確にできればとりあえず天野様と同じスタート地点に立てるということです(ただし、用意ドンで小説を書き始めると、そこにはまた別の注意事項があると思われます)。
 皆様、これは重要な新事実ですよ!
 天野様は、イメージを先行させている。それも人が勝手に動き出すほどの強いイメージを抱いてから、執筆に臨んでいるのです!
 なるほど自分の中に根付くイメージならば、自然に今までの人生で出会った人間の態様が反映される。結果人間が理屈抜きで非常に活き活きと動き出す。テレビの中はどうなってんのかわかんないけど、スイッチ押せば番組が見られるんです!
 
 小説の執筆中はノリで話を進めて言っているとのこと。いや、書きながら考えるってそういうことなんじゃないかと思うわけですよ。
 でもそれって意識せずに面白い物語が書けるってことでしょうか。
 納得いきませんぞ!
 それともストーリーではなく、文章の美しさで魅せているのでしょうか。謎です。文学では美しい文章がものをいうのか……。文学を書く人はもちろん、僕のようなラノベ書きにも新たな方向性が見えましたね。
 では、どうすれば美しい文章になるのか。読んでいて心にしみわたるのか(感覚とか才能とか安易な答えはダメ)。
 先日とある方の感想を読んでいて、興味深いものを見つけたんです。そこで見つけたキーワード、それは……。

 音読です!!!!!!!!

 どうなんだ。音読すればいいのか!? それとも他に秘訣あるのか。
 謎です。
 天野様、ご意見ありがとうございました。天野様はもちろん、皆様の議論参加をお待ちしております。


 追伸、次回作も面白そうだなあ。なんだか最近天野様中毒になってきた気がする(気持ち悪いこと言ってますね……)。つか、音読の話したら、急に今上げた新作を前面改稿したくなってきた。あとで修正にかこつけてちょこちょこ直しておこう……(殴)


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 885 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 21:46
投稿者水芭蕉猫

うぅむ、魅力的なキャラクターですか。難しいですね。私も中々テンプレに頼っているところがあるのでなんともはや……ただ、自分の場合テンプレはテンプレでもジャンル違いから引っ張るようにしております。
例えば、ラノベ書くときにエロ小説のテンプレから引っ張ってくるとか。BL描く時ラノベのテンプレから引っ張ってくるとか。そんな具合です。

1 沢山いて書ききれない……。じゃダメか。ラノベでは秋山瑞人作品全般キャラと、伏見つかさの「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」とか凄いと思います。とくに桐乃なんて我が妹に一部そっくりでスゲーと思いますね。秋山作品はどのキャラも魅力的過ぎてどうしようかと。あとは「バカとテストと召喚獣」とかも凄いと思いましたね。
 BLモノだと剛しいらの「禁縛」の勅使河原教授かな。サド紳士なんです。BLジャンルで「帝王」を感じたのは今の所このキャラだけですしね。

2 うーんと、私はまず情景が浮かんで、次にどういう話にしたいかというのから考えます。「好きな人を心からの善意で殴ったり生ゴミ食わす話」とか「大事な人が死んで『よかったね、よかったね』と本心から言っちゃう話」とか。「愛ある触手プレイの話」とか。大抵その時ハマってるゲームや小説や音楽が元ネタになってます。
 で、一緒に頭の中でキャラクターが思い浮かべて、浮かんだキャラと対話するんです。君は誰? とか、何が好き? とか、どういうことがしたい? とか。そのうちキャラが固まってきます。ここでキャラの人格形成もついでに行われますね。最初は私と話が合わなくても、少しずつメタモルフォーゼすることもあります。
 ただ、これは長編に限った話で短編になると何も考えません。まず固有名詞を考えるのが苦手なので、キャラも最初はほぼ作りません。「聖夜」は私の好きなタイプの男二人がイチャついてるだけですし、輪舞曲の「脳みそに雨が降る」に至っては追いつめられ過ぎた私の見た幻からのスタートです。

3 数値化することは可能かもしれません。量産することもできると思います。ただ、そのキャラが魅力的に動くように書けるかというと、そうでもなかったり……。それより作者が動かしやすいキャラクターで滑らかな物語にしたいのですよね。

 むー、何か色々書きましたが、その時の気分によって書き方はまちまちなんですよね; ただ、無理してキャラを作るのではなく、頭に好みのキャラを召喚する方が動きが滑らかかもしれません。


タイトル追記、私は貴方? 貴方は私??
記事No: 890 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 23:41
投稿者ピンク色伯爵

 水芭蕉猫様の2について
 キャラクターとの対話を通じてキャラクターに陰影をつけていくという方法ですね。キャラクターになりきることで、人格形成を行う。なるほど。
 この過程において、前工程の情景を思い浮かべることが大切になってきますね。キャラクターになりきるということは、同時にその世界に浸っているということになるのですから。となりますと、やはり天野様同様、強いイメージに裏打ちされたキャラクター造形をしているということになりますね。世界があって、キャラが必要で、あとは対話というなし崩し的なプロセスを経由して陰影をつけているわけなのですから。
 違っていたら申し訳ない;

 さて、依然として明確な方法が分かんないのですが、これを読んでいる皆様はもう答えが分かっているのだろうか。それともそんなことしなくても小説が書けるのか。
 もし書けるのならヒントくれーい!(切実)


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 886 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 22:05
投稿者中村ケイタロウ
URLhttp://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html

こんにちは。

1.ルパンIII世

2.上手く言えなくて恐縮なんですが、シチュエーションやストーリーといった背景とキャラクターとを分離して、キャラクターだけを作り上げるということは、原理的にできないのではないかと僕は思っています。
 つまり、現実世界の人間もまた、周囲の他人や世界とのかかわりにおいてのみ人格を形成することできるのと同じように、ということです。
 ピンク色伯爵さんが例に挙げていらっしゃるような属性を設定するだけでは、キャラクターはまだキャラクターにならないのではないかと思います。DNAだけでは人格ができないのと同じく。
『その人物は、ちゃんとその世界の中で生きているか?』という問い。「境界線」はその辺にあるのではないでしょうか。

3.数値化はちょっと難しいと思います。あまりにも複雑でパラメータが多すぎて。3分間クッキングって、あれ3分じゃ作れませんよ。野菜から育てようと思うのならばなおさら。


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 888 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 23:13
投稿者ピンク色伯爵

 水芭蕉猫様、中村ケイタロウ様、ご意見ありがとうございます。中村様、初めまして、ピンク色伯爵という者です。古参……の方なのでしょうか、初めて名前を見る方で、若干緊張しております。よろしくお願いします。

 さて本題。
 1、2、3、のそれぞれの質問項目の意味なのですが、
 1→個別具体的な例
 2→その一般化
 3→その簡略化(数式等に代表される『公式化』)
 であります。項目1で個別的にキャラを出してもらい、どうしてそのキャラクターを好きになったのか理由を考える。その理由を一般化する。さらにそれを簡易に作り上げるために公式化できないかという僕の意図があるわけであります。
 ここまでの皆様の意見で共通していることをまとめますと、
【情景(もしくは世界)とキャラクターは連動していて、キャラクターは当然のように人として動き出す】
 ということです。ここには三方とも意見は違えど、共通の見解を持っているご様子です。しかし、項目3について見解の相違が出てきました。
 緩やかなものですが、
 ≪数式化可能≫水芭蕉猫様
 ≪言及なし≫天野様
 ≪数式化(理論上はできるが)不可能≫中村様

 しかし見解の相違の中に共通していること部分がありました。やはりキャラクターにパラメーターはある、ということです。つまり理論上は可能だということに異論は出ていないということです。

 水芭蕉猫様が特に好きであるキャラクターに関して。
 秋山先生は電撃文庫の作家様ですね。今は活動されていないのかな……? 僕も『イリアの空UFOの夏』と『ミナミノミナミノ』しか読んだことないので、どのようなキャラクターを書かれるかは詳しく説明できないのですが、ずばり、神夜様の作品に出てくるような人物です。神夜って誰だよって人……、どうしよう、言ってしまうと一昔前のテンプレです。豪快に笑う眼鏡をかけたスーパーマンだったり、感情表現に乏しい女の子だったり、はたまた特長のない男の子(たいていが主人公)だったりします。
 桐乃はツンな妹でオタク、でも実は兄貴(主人公)のことが大好きというお人です。あと有言実行。強い意志でなんでもやっちゃう努力の天才。
 勅使河原教授はググったんですが、満足な回答は得られませんでした。天才緊縛師、相手を視線だけでイかせるまでに調教することができるなどカリスマ的な能力がある。おじいさんは伯爵かな。できれば彼の魅力についての説明が欲しいです。
 中村様の好きなキャラクターはルパン三世とのことですが、自分には彼が情景・世界・環境依存のキャラクターに見えません。この部分は中村様の意見に矛盾があるように思えるのですが……。たとえばルパンを描く人間は話によって異なります。宮崎駿先生も参加していた作品があったんじゃないかな。それはつまり、世界によってルパンの性格が変わっているというのでしょうか? 確かにキャラがその世界の中で生きていることが大切だというのは抽象的ではありますが、非常に納得のいく答えであります。しかし、ルパンはもう一人歩きしていて、個別でキャラクターとして愛されている。そこにもう世界なんてものは煩雑化し、存在しないのと同義なくらいにカオス化しているのではないでしょうか。それは世界という重要なファクターなしに愛される要素があるということにはならないでしょうか。
 また水芭蕉猫様の上げられた、桐乃と勅使河原教授も同様ではないかと思うのですよ。環境に依存しないカリスマ性がある。そのように思います。作者は偶然生み出すことに成功したのか、それとも計算して作り上げたのか、どちらにせよ、これは魅力的なキャラクターを分析可能ならしめることを示しているのではないかと思うわけです。
 一方で、秋山先生の描く人間は、カリスマ性も見られる一方で、環境に依存している。主人公なんかがそうです。その点は僕もお三方と同じ意見です。
 僕はそのカリスマ性を探っていくべきだと思いました。

 世界で生きているようにするのは、確かに境界線かもしれません。しかし果たしてそれだけなのか、僕は疑問を投げかけたい(すみません、中村様)。
 また世界で生きていることが境界線なら、具体的にはどのようにすれば世界で生きるのか。天野様のように明確なイメージがある派だから、その過程がブラックボックスでいいのか。いいえ、ここはさらに突っ込んでいくところでしょう!

 議論をまとめます。
 【キャラクターは情景と連動している】
 【魅力的なキャラクターの境界線はその世界で生きているのかどうか】(←僕はこの答えには反例があると考えますので、疑問符です)
 【また方法論として別のジャンルの人間を『原液』として盗んできて、自作品において還元する】


 疑問点
・果たして境界線は『世界で生きている』ことだけなのか。
・カリスマ性とは何か。
・数値化できるという見解に個人間で相違がある。
・『世界で生きている』ことが境界線なら、そうすればキャラクターは世界で生きるのか。
(・音読は美しい文章を書くことの重要な要素になりうるか。また他に秘訣はないか)
  →僕は小説は歌だ! と考えました。

 世界で生きていることについて、僕が思いついた方法論は、一人のキャラクターを他のキャラクターと関係させることです。誰誰が好きで、誰誰が嫌い。三角関係云々とかでよりキャラクター間の隙間が埋まり、現実味が増す(←ここに若干の論理の飛躍があるか)。
 しかしこれでは世界観、背景、情景とのリンクの問題が解決されていません。依然、強いイメージが必要だ、の一言に尽きてしまいます。
 
 こんなところでしょうか。なんか議論を難しくしちゃいました、すみません。
 簡単なものでも全然かまいません。皆様の意見をお待ちしております。
 天野様、水芭蕉猫様、中村様、ご意見ありがとうございました。お三方はもちろん、これを見ている皆様もどんどん議論に参加してみませんか。
 ずばりどんな思考回路で物語作ってんだ! と熟練の作家様を問い殺す良い機会ですよ!w
 
 以上であります。ピンク色伯爵でした。


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 889 [関連記事]
投稿日: 2011/05/09(Mon) 23:35
投稿者中村ケイタロウ
URLhttp://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html

 こちらこそはじめまして。

 別に古参と言うほどではありませんが、地味に投稿はしてますので、よろしければ以後お見知りおきのほどを。古いのは消しちゃいましたけど。

>  しかし見解の相違の中に共通していること部分がありました。やはりキャラクターにパラメーターはある、ということです。つまり理論上は可能だということに異論は出ていないということです。

 それは、現実の人間にだってパラメータはあるでしょう、という含意です。しかしそれを分析しつくすのは、たぶん不可能。それが可能な世の中になったら、もう小説も芸術もいらんのじゃないかな。

>  中村様の好きなキャラクターはルパン三世とのことですが、自分には彼が情景・世界・環境依存のキャラクターに見えません。この部分は中村様の意見に矛盾があるように思えるのですが……。

 そりゃまったくその通りですね。矛盾してます。僕は1と2の質問をまったく切り離して考えていました。何ででしょうね。たぶん、自分が書いている小説の登場人物を「キャラクター」だとは思っていないからでしょう。

 ただ、ルパンの例は我々の手本にはならないと思いますよ。
 ルパンは最初から今のルパンだったわけではありません。今となっては、原作のルパンや、アニメ第1シリーズ初期のルパンを見て違和感を感じられる若い方も多いんじゃないでしょうか。
 ルパンが今のルパンになるまで、原作者モンキーパンチ氏、その読者、宮崎さんはじめアニメ化に関わった人たち、アニメの第2、第3シリーズにかかわってきた人たち、最近のテレビスペシャルを製作している人たち、それらの視聴者……と、無数の人々が、何十年もかけて集合的に関わってきたのです。
 ですから、モンキー・パンチ氏が最初に設定した属性だけで生きているキャラクターではない、と言う意味では、ルパンもまた、世界や環境に依拠していると言えるのではないでしょうか。この場合は、作品内の世界にというより、我々が生きている現代日本という現実の世界に依拠しているのかもしれない。だからこそ国民的キャラクターなのでしょうね。

 しかしいずれにしても、僕には方法論といえるような方法論はありませんので、あまりお役には立てなさそうです。申し訳ないです。


タイトル夜遅くまですみません
記事No: 891 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 00:35
投稿者ピンク色伯爵

 おっと、もう次の意見が!
 中村様、こんばんは。今夜お会いするのは二度目ですね。
 貴方の作品、今度読んでみます。
 現実の人間にパラメーターがあり、それを分析しつくすのは不可能だと。なるほど。確かにそうかもしれません。ここでネットに転がる一般的意見『キャラクターではなく、現実にいる人間を参考にするなど、リアルな人を描こう』という謳い文句は否定されたわけです。そりゃそうですよね。あの一言で事足りるなら今頃みんな小説家です。
 話を戻します。その『分析しつくす』を『一般化』にこぎつけたいわけです。
 小説家は『人』を描いています。これは絶対です(一部ラノベ作家にはこれが当てはまらないか)。では、方法は知ってか知らずかは分かりませんが、現に人間を紙面に表現できているわけであります。それが完成体でないから芸術は存在するのです。それは小説という芸術に答えはありません。だからこそ面白いのだと思います。
 しかしここで当該的問題なのは、人間をまがいなりにも紙面に表現する方法です。そのやり方は、実際に出来ている人(作家)がいる以上、可能なはずです。
 確かに現実にいる人間一人の持つ情報量は半端ではありません。身長体重、好き嫌い、得意不得意etc. しかし、紙面に表現する時点である程度それは簡略化されているはずです。全部の情報を書き切れる訳ないですからそれは当然でしょう。
 物語が長くなればキャラクターを表現しやすくなる。だから物語は長ければそれだけ面白くする伸びシロがあると僕は考えています。しかし、どれだけ長い物語でも登場人物のすべてのデータを書きだしているわけではありません。
 ここで視点を変えてみます。
 天才(他に呼び方がありませんので便宜上そう呼びます)は、人間を観察し、その情報を見極め、紙面に表現している。
 では天才以外が同じように紙面に表現するにはどうすればよいのか。少なくとも同じプロセス(それが天才以外に可能かどうかは別にして)で行えば、同じように紙面に表現できるはず。つまり情報の抽出は可能なはずだということです。
 ではどうやって情報を抽出するのか。
 これなんです!
 つまりどうしたら、そのキャラクターは人間として見えるのか。天才が人間として見せているキャラクターにあるものとないもの。その中でそのキャラを人間たらしめる何かがあるのではないか。それさえ押さえてしまえば、僕のような書きたいけど書けない人間が書けるようになるのではないか――そう思うわけです。

 その『何か』が境界線であり、最初に抱く情景なり、世界なり、イメージなりであるかもしれず、あるいはそれとは全く別の『カリスマ性』なのかもしれないのです。

 ルパンに関しましては、全くその通りだと思います。中村様のご説明の通り、やはり、参考にはならないのかもしれません……。

『僕は1と2の質問をまったく切り離して考えていました。何ででしょうね。たぶん、自分が書いている小説の登場人物を「キャラクター」だとは思っていないからでしょう。』
 この一文ですが、それは個別具体的に「キャラクター」を描いているのではなくて、小説の中に生きている人を描いているからだとおっしゃりたいのでしょうか(こんな理解でいいのだろうか……)。
 キャラクターは『DNA』で解析できるのではなくて、自然にできるものだと。
 小説と一体化したひとつの『営み』的なものとして捉えているということですかね。

 なるほど、ここでまた重要な新事実が明らかになりましたね。
 僕の意見ですが、キャラクターを個別に考えている節があったと。しかし、そういうものではなくて、小説包括的に小説と捉えるべきだと。
 これは新たな指標であります。
 僕はこう考えます。

 じゃあ、その『営み』がなんなのか分かれば、小説が書けるんじゃね?

 これだ! 営み! 今現在位置分かります?

魅力的キャラクター→カリスマ性?→???(個別具体説ルート)
         
         →環境? イメージ?→『営み』?→???(一体説ルート)

                     ↑ここ!

 つまり、中村様、天野様は一体説ルートを『心』で理解し、小説を書いている。水芭蕉猫様もそれに類似しているが、他のカリスマ的キャラの原液を採ってきて自分の小説に還元している節がある。つまり『個別具体説ルート』に片足突っ込んでいる。つまり、ここで命名します『折衷説ルート』なわけですね。

 ではカリスマ性の先にあるものはなんなのか?
 『営み』の先にあるのはなんなのか?
 
 +音読は文章を書く上で重要なのか。他に秘訣はあるのか。
  これ以外に新たなる『境界線』は存在するのか?

 いよいよ議論が難しくなってきました(誰のせいだ)。
 皆様はどうかこのような変態に構わず、思ったことを二言三言でも意見して下されば、それでピンク色は感涙にむせびます。
 また、突き詰めていけば、『天才』の思考が明らかになり、公式化することも可能なのではないでしょうか。いや、可能ですって! だって夢があるじゃないか!(謎)

 以上であります。中村様、夜遅くまで申し訳ありませんでした。お騒がせしたことをお詫び申し上げます。
 中村様はもちろん皆様の意見をお待ちしております。
 ピンク色伯爵でした。


タイトルえぇっとね
記事No: 892 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 00:52
投稿者水芭蕉猫

勅使河原教授については『教授の密かな愉しみ』『教授の華やかな悦び』あたりで検索すると吉かも。
その通り、教授の魅力はカリスマ性です。他人の内面を見抜く能力が凄いんですよ。


うーんと、世界があってキャラがいるのではなく、キャラから世界を聞くのです。なぜなら、キャラじゃなければ世界の見かたが解らないからです。人によって世界の見方が違うのと同じ理論です。

私の場合だと、書くときは数式のように理論的に書くのではなく、自分がそのキャラならどういう動きをするかを考えて書きます。自分の中にキャラの人格を憑依させちゃうのですね。
魅力的かどうかは、後からついてくるんじゃないかなと私は思います。
いっそ自分を主役に周囲は実在する人物でストーリーを考えてみたらやりやすいかもしれないなとここにきて思ってみたり……。


携帯だと書きづらい……。


タイトルRe: えぇっとね
記事No: 894 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 02:18
投稿者ピンク色伯爵

torrentファイルがあれば落とそうと思ったんですが、すぐには見つかりませんでした。どうも、ピンク色伯爵です。
 『教授の魅力はカリスマ性です。他人の内面を見抜く能力が凄いんですよ。』
 つまり、個別具体説ルートの先のハテナがとりあえず消えましたね。

 魅力的キャラ→カリスマ性?→(具体例)本質を『知っている』こと?
            ※一般化はまだできていない。

 なるほど教授に関して言えば、次のように付け足すことができますね。

 魅力的キャラ→カリスマ性?→(具体例)本質を『知っている』こと?
              →(具体例)華族の血を引き、肉体的魅力に溢れている。

 しかし肉体的魅力にあふれているというのが曖昧ですね。蓼食う虫も好き好きですし。またこれを毎回キャラに入れるとなるとワンパターン化しますし、難しいところですね(肉体的魅力をいれないという手もある。あくまで選択肢)。

 だんだん明らかになってくる実体。具体例を一般化すればこのルートはコンプリートしたと言えるでしょう。ということは、ここらで隠しシナリオを発現させるべきですね。


 カリスマ性→(具体例)→???(その魅力をどう臭わせるか?)

 日本の古典のように「うつくしゅうていたり」とか言っちゃうのはNGでしょう。曖昧では伝わらない。しかし全面的に押し出すのではその人物の器が知れるでしょう。
 つまりそいつを『人間らしくする』にはどうすればよいのでしょうか。
 今の現在位置は、なんとなく魅力的だなあ、という『言葉』を並べているにすぎません。どうすればその男は動き出すんでしょうか?


 ……………………あれ??

 この説って魅力的なキャラクターを作っただけで、物語に活かす方法を全く考えていなくねえか?w 誰だ、個別具体説おっ立てた奴、出てこい。――僕ですね、すみませんw
 いけない。個別具体説だけじゃいけない。
 皆様はどう思います? 良いキャラを作った。でもそれを紙面に表現するにはどうすればよいのか分からない。陳腐な言葉で伝える? それとも「私はこうする!」のまとまりのない方法列挙で議論を終えてしまう?

 このルート、限界じゃないでしょうか? 僕は限界があると思います。
 ただし、カリスマ性のある人物を生み出すのが全くの無駄だったわけではありません。やはり一体説に戻って、「世界の中で生かしてやる」ことが道ではないかと僕はパラダイムシフトします。どうだろう、このルートで小説化にまでこぎつけられる人いますか?

 水芭蕉猫様もやはり世界は必要だとおっしゃっていますね。
 ここで僕の考えを整理します。
 
・キャラクターの魅力は何か?
→カリスマ性だ!
→個別的な要件を挙げた。しかし、これをどう紙面に表現するのか。やはり言葉だけでは陳腐になってしまう。
→こちらのルートは行き止まりだ。仕方がないから一体説に逃げよう。
→一体説は『営み』だと言っている。ここにカリスマ性→(具体例)を備えた人物を登場させればよいのではないか。

 急に議論が簡単になってしまいましたね。つまりキャラを魅力的にしているのは世界でもあり、カリスマ性であるが、カリスマ性だけを考えていけば、方法論的に行き止まりになる。だからより明確に公式化するためには世界・環境・イメージを一緒に考えていく必要がある。

 どうでしょうか。何か意見がある方はいらっしゃらないでしょうか。急に議論がありふれたものになってきましたね。しかし、ありふれた意見の踏み込めていない部分に踏み込むことが大切でしょう。議論を続けます。

・水芭蕉猫様はどう考えているのか。
 キャラから世界を見せてもらうというのは彼女の方法論でしょう。すなわち、彼女なりの方法であります。そのやり方を分析すれば何か見えてくるのでしょうか。
『キャラじゃなければ世界の見かたが解らないからです。』
 なるほど、キャラクターを世界の一部と捉えています。ただ、ここで従来の僕の意見とは異なる点が出てきました。それは、
『世界があってキャラがいるのではなく、キャラから世界を聞くのです。』
 つまり世界があり、キャラがあるのではなく、キャラがあって世界はあるのだと彼女は主張しています。

 視点を変えてみましょう。
 『(魅力的な)キャラクターは、世界を独自の価値観を持って見ている』
 どうでしょうか。
 今現在位置分かります?



キャラの魅力→カリスマ性→具体例→行き止り(←それをどう表現するのかが「?」)
                ※個別具体ルートは行き止まり。



      →情景・世界→『営み』→キャラがあって、世界がある(猫ルート)
                 →世界があってキャラがある?(逆猫)
                 →もっと別の何かがあるのではないか?(?ルート)
                 ↑ルート分岐したわけですね。



 注意してほしいのは、今論じていたのは物語の作り方だということです。魅力的なキャラクターというのは、カリスマ性があり、『営み』があり、その中で猫説を採るなら『世界に対して独自の価値観を持って生きている』ということです。
 猫説に従うのなら、このような人物を表現できれば、それは小説の中における『人です』。猫ルートはエンディングが見えそうですね!

 キャラに自分を憑依させるとありますが、これを具体的に分解していきます。
 つまり、
 1、キャラクターに独自の価値観を与える
 2、そのキャラクターなら世界をどう見るのかを考える。
 3、世界を『創る』

 ここで難しいのは、世界を『創る』前に何で見ることができるんだということです。
 皆さん、僕はですね、ここは額面通り受け取ってはいけないように思うのです。
 多分世界はある程度はあるんです。異世界なり、現実であり、中世世界でありです。しかしそれを見て、紙面に書くには、キャラの目を通すべきだと水芭蕉猫様はおっしゃっているのです。すなわち、各人世界の捉え方は千差万別、当たり前ですね。そのようにすれば、キャラクターに確固たる考えを持たせることができ、それがキャラクターの魅力となり、そのキャラクターならどう動くか? を考えるときの一例となるとおっしゃっているのです!(……です、よね……?)

 猫ルート、見えてきましたね、エンディングが。

 【キャラと世界は連動している】
 【キャラクターは世界に対する独自の価値観があり、それが人間たらしめている】
 【また価値観により、そのキャラの思考プロセスを紙面に表現しやすくなる】

 僕が提示した三角関係、誰誰が好き嫌いは世界の一部なのです。そこにキャラクターの独自の思考プログラムを介在させることで、物語は深みを増し、一石二鳥なことにキャラクターも映えるのだそうです。

 これは大きく動きましたね。つまり、その結果として僕のような変態が萌えるか萌えないかが決まってくると。

 では、「人」を「そばで見ていて萌える人にするためには」どうすればよいのでしょうか。これは新たな論題ですね。
 また猫ルート以外にエンディングはないのか? 水芭蕉猫様は好きだけど、猫ルートは好きになれないという人いませんか? あるいは猫ルートよりももっとエキサイティングなルートがあるぜ! って人いませんか??

 さああ、面白くなってきましたね! 僕が勝手に盛り上がっているだけですがね!

 あと、音読は必要なのか。これは実際に小説を書く段になってのお話ですね。どうすればすらすらとした日本語が書けるのか。教えてうまい人! この点も議論していきたいところであります。

 以上であります。水芭蕉猫様、ケイタイからわざわざありがとうございました。
 水芭蕉猫様はもちろん、皆様の意見をお待ちしております。
 内容はどんなものでもオーケー! どうすればエッチなお姉さんが書けるのかとかでもいいです。というかそれなら大歓迎です(殴)。

 ではでは。ピンク色伯爵でした。 


タイトル面白いですね!
記事No: 893 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 01:49
投稿者上野文

 面白い議題ですね。
 参加しよう。…と思ったら書きたいことを全部中村ケイタロウ様が書かれていた!
 と、撤収するのもなんなので、かぶりますが私なりに書いてみたいと思います。

1 自分が思う魅力的なキャラクターについて 

 色々挙げれますが、ぶっちゃけ全員個性がバラバラです。私は復讐者も調停者も凡人も天才肌も、魅力的な人物なら大好きです。
 って、それじゃ参考にならないでしょうから、方向性をば。

 私の場合、ノベルゲーで言えばEVER17の倉成武(致死性ウィルスが蔓延する海底の閉鎖空間という極限状態で、嫁と生徒とガキ二人守るために死力を尽くし、最後まで生存を諦めなかった)や、シュタインズゲートのオカリン(どう足掻いても絶望、乙! な運命で、なにもかも背負って最後まで足掻き続けた)のようなタイプを好意的に評価します。
 一方でクラナドの岡崎朋也のような、一番必要とされている時に責任を放棄したタイプは、一段評価が落ちます。

 ただ、忘れてはならないのは、キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです。
 仮に朋也が「俺は妻の忘れ形見と一緒に生きる」と腹すえるタイプなら、そもそも物語が成り立たない、でしょう。
 FATEで衛宮士郎について「あんなおかしな信念(妄執)に取り付かれた主人公がいるか!」と批判する人はいても、そもそもその”狂った”と弾劾される信念といかに向き合うかが主題のひとつだろうから、仮に彼の個性を抜いたら物語が根本から変わるでしょう。
 彼や彼女という登場人物が「その物語という世界で生きているからこそ」物語は輝くのではないでしょうか?
 また上記は、キャラクターの魅力について書いたもので、物語としての魅力をどうこういうものではないので悪しからずご了承ください。

2 キャラクター論について

 たとえば、小説のキャラ作りをクッキー作りに例えるなら、大事なのは「卵とバターと小麦粉(キャラクター自身の魅力)」と、「焼き加減(書き手の文章)」であり、既存のテンプレート…

 ツンデレやのヤンデレやのクールやのセクシーやのロリやの鬼畜めがねやのワイルドやの小動物やの男の娘やの漢女やの

 を、私は型に過ぎないと考えています。
 記号、と言い換えてもいいですね。
 キャラクターを作るとき、分かりやすいほうがいいよね。(読み手が展開予想しやすく、感情移入の敷居低いよね)といった目安にはなるけど、それ自体が魅力の根幹を成すわけではないと思います。

 だって、世のライトノベルにせよ、ノベルゲーにせよ、そんな記号化したキャラは山ほどありますよね?
 じゃあ、その全部が面白いかというと、面白いのは一握りで、後は「orz」だったりする。
 もし記号がキャラクターの魅力を保障するなら、そんなことが起こりえるでしょうか?

3 魅力的なキャラクターを数値化することで量産可能か?

 以上のように、私は数値化、というか、個性という枠だけで魅力を表現することも、また量産することも不可能だと考えます。
 では、中身、私が例えた「卵とバターと小麦粉」、おそらくは、ピンク色伯爵様が求めるものはなんなのか。

 それは、キャラクター自身です。

 ……ふざけんな、なにその詭弁?
 と思われるかもしれません。
 これは私が以前経験したことですが。
 私は――
 
『ある所に悲惨な待遇の20人の姉弟がいました。姉は恋と植えつけられた使命感の板ばさみになって歪み、黒幕にそそのかされて妹を殺そうとしました。一方、情けを知らない妹は、養父への依存から生きるために姉に抗い、互いに傷を負った二人は、多くの兄弟の屍の上で別れました』

 という悲劇を書いていました。
 が、実際に出来上がったのは。

『ある所に悲惨な待遇の20人の姉弟がいました。姉は恋を知ったことで、植えつけられた使命感を返上し、妹を守ろうとしました。一方、養父の愛情を得た妹は、大切な姉と兄弟を守ろうと抗い始めました。二人、いえ、20人の姉弟は黒幕を打ち倒して生き延びたのです』

 という、正反対の代物でした。
 ――どうしてこうなった!?

 後から分析すれば、一人馬鹿を放り込んだのがきっかけでした。でも、決定的だったのは、姉も、妹も、”成長してしまった”からです。
 劇中の分裂闘争の時点で、二人にとっては「お互いを大事に思い、そのために決断する」の方が、当初の予定通り殺しあうよりずっと自然だった。

 現実にいる人間をモデルにすれば、良い登場人物ができるわけではないでしょう。ルパン三世のような規格外キャラはそうそう現実には見あたらない。
 ですが、行動の自然性という意味で、『現実の人間をモデルにする』ことは大きな意味をもちます。
 こういった状況に置かれた時、こういった性格の『現実の人間ならどう決断する?』
 そこにフィクションを加味しても、もはやそれは虚構だけではない。設定だけではなく、育って”存在する”キャラクターがいるからです。
 無論、どんな登場人物もそこまで育つとは限りません。このときは姉妹とも、いい感じに筆が乗ってくれた。
 この時の娘たちは、私が設定した存在ではなく、読み手や物語の流れによって成長した存在に変化していたのですから。

 実際に読み手が評価するかはわかりません。誰もが異なる感性をもつ以上、ひとつのものさしは、ひとつのものさしにすぎません。それでも、キャラクターの魅力とは、物語との兼ね合いで、時に読み手との意見交換で、自然と育ってゆくもの。そういう風に、私は考えています。



 それはそれとして、『カスタム小説2011』はやってみてもいいんじゃないですか? 面白そうですよ♪


タイトルRe: 面白いですね!
記事No: 895 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 03:54
投稿者ピンク色伯爵

 以前からあった疑問だったんですよ。貴女方はキャラクターが勝手に動き出すと言っている。僕にはそれが理解できなかったわけであります。

 さて、真打登場と言うか、なんとなくそんな方法論ないのよ。若いわね、青いわねーと僕が説き伏せられる構造になってきました。ちょ、ちょっと待ってよ皆! だってこの人たちはキャラクターは勝手に動き出すって言ってんだぜ! そうしたら面白い物語が出来上がりました☆って言ってんだぜ! これで納得しちゃっていいんですか? いやダメでしょう。

 そんな方法論ない。小説というのは色々な要素をかんがみて初めて書けるものなのよ。
 
 うん、正論です。
 確かに小説書くにははそれくらい年季のいるのでしょう。しかし、僕から見た小説家の文章はプロアマ問わず簡単だ。それを簡略化することで表象を真似るようにして本質まで丸のみするのは絶対に可能だ!

 さて、僕の考えを再確認した上で、上野様の意見を見ていきましょう! さあ皆様、行きますよぉ〜。

1 上野様は博愛主義だそうです。しかし彼女はピンク色に方向性を示してくれました! 上野様の列挙した登場人物については、申し訳ありませんがググってください。特に知らなくてもこの議論には差し支えないと判断したので、省略させてもらいます。
 
『ただ、忘れてはならないのは、キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです。』

 これは大切だ。書いた本人が言っているんだから線引いとかなきゃ! どうです、皆様。やはり彼女も物語(世界)とキャラクターとは密接に関連していると言っていますね。

・上野様は猫ルートなのか。
 注意深く彼女の意見を読んでください。似ているようで全然違います。そもそも焦点を当てているところが違います。対比してみましょう。

水芭蕉猫様「キャラから世界を語らせる」
上野様  「キャラクターの行動の是非はともかく、そういう登場人物だからこそ魅力的な物語であるということです」

 上野様は物語のあり方自体を論じているのであります。水芭蕉猫様の論じて下さったことは物語を作る方法論の一つですね。
 しかしこれでは彼女がどの立場なのか分かりません。全く新しい見地の可能性もあります。
 注意して読んでください。彼女は「信念」「個性」というものを書いています。どうでしょうか。これは方法論猫説の第一段階、『キャラクターに独自の価値観を持たせる』ことと同じではないでしょうか。
 しかし、ここで早合点してはいけません。彼女は、『キャラクターに独自の価値観』を持たせ、そうすることによって物語は輝くと言っています。
 つまり、猫説の工程2と3を書いていないわけであります。そこは分からない、だけど、とりあえず工程1をすることによって物語は綴られるとしているのです。
 これは新たな見地でしょう。彼女の場合は世界(物語)が先にあって、そこに個別部品として主人公を寄り添わせるといっているのです。もちろん、世界と主人公はパズルの正しいピースのようにぴったりと符合するわけであります。
 彼女自身も言っていますが、物語の魅力を彼女は語っているわけではありません。キャラクターの魅力について語っているのです。ですから、右のように僕が解釈したのは彼女に対して失礼なことかもしれません。って何冷静に分析してんだ! すみませんすみません。生意気言いました;
 まとめてみましょう。
 つまり彼女は中村様と同じ立場に立っていて、世界とキャラは密接に関連していると言っているのです。
 うん、そのとおりですね!

 ……………………。見事に納得させられました。つかさっきその結論にたどり着いたところだったんだよぅ! これは司会進行失格なんじゃないでしょうか;
 ピンク色いらねってなったら誰か代理お願いw

2、半ば解説キャラになり下がっているピンク色ですが、あとでちゃんと私見を述べます。悪しからず。
 
 さて猫説で少し明らかになった魅力的なキャラ。上野様の意見を分析していきます。
 確かにキャラクターには分かりやすい型がある。しかしその型を真似るだけならそれは陳腐なものになってしまう。

 さて、この辺で解説キャラの仮面は脱ぎ捨てましょう。議論の再開です。

 上野様、貴女は、僕のいう『魅力的なキャラクターを作る方法論』はクッキーの型だとおっしゃりたいわけですね。つまり分かりやすく記号化するのと、『方法論』は同義だと。うん、確かに僕の書き方ではそうとられても仕方ないですかね。ですけど、それは違います。僕は断じてキャラクターを安易な型を作ることによって量産しようとしているわけではありません。言い換えます。ツンデレやヤンデレなどの安易な型ではなく、『人間としての型』を作るためにこうして議論しているのです。その方は顕微鏡で見れば細部に至るまで複雑でしょう。しかし肉眼で見れば、それは紙面に書きうつせるほど簡単なのではないでしょうか。
 三角四角のように簡易な型ではない。きちんと人の形はしている。しかし人が細部に至るまで複雑であることを理解した上で、「人の型」に見えるよう体裁を整える方法を模索しているのです。作家が紙面に表現するまがいものの人。その方法を盗みとろうとしているのです。
 その「人の型」の作り方で一例として挙げられましたのが、水芭蕉猫様の猫説であります。人物に独自の考え方を持たせる。こうすることでキャラクターに厚みが増す。
 肉眼で見たときに観察者を騙せるくらいうまく「人の型」を作りたい、というのが僕の願いなのであります。それは果たして可能だと思いますか?
 ある程度型を複雑にすることで限りなく人間に魅せる(誤字ではありません)。これは可能なのではないでしょうか。

 非常に抽象的な話になりました。具体的な話をしましょう。つまり、世界があって、確固たる意志を持つ登場人物がいたらよいと。その二つがうまい具合に符合すると魅力的なキャラクターができると。
 そうしたキャラクターを描くにあたって注意すべき点が、キャラがあまりにも人間の常識を外れた範疇の行動をしないために『抑止力』としての現実の人間の模倣があるのだと。上野様の意見は以上のような内容ですね。
 「こういった性格の『現実の人間ならどう決断する?』」
 これは上野様の議論の中に無意識に出てきた文言でしょう。つまり貴女は、キャラクターになりきって物語を書いている。このような理解でよろしいでしょうか。

 では、そうすれば書けんじゃね? というのが僕の考えです。

 皆様、現在位置は分かりますでしょうか?




→カリスマ性→→BAD END

→情景・世界→『営み』→キャラを通して世界を見る(猫説)
           →世界があって、キャラがある(逆猫)
           →上記二つは不明確。しかしキャラには独自性アリ(上野説。つまり猫説よりの一体説)



 重要なのは上野様も水芭蕉猫様もキャラクターに個別の価値観を持たせることを強調していることです。そしてその方法論も彼女たちはぽろぽろとおっしゃっていました。つまり、上記のようにキャラと世界とをリンクさせたとき、キャラは魅力的になると彼女たちは言っているのです。もう一歩踏み込んだところで、水芭蕉猫様はキャラクターに世界を語らせると言い、上野様は現実の人間はキャラクターの行動の指標でしかないのだと言っているのです。(上野様、このような理解でよろしいのでしょうか?)

 しかし依然、彼女たちの言うことを守れば小説を書けるような気がしますね。上野様をはじめ熟練の作家様方がどのように考えてキャラクターをひいては物語を生み出しているのか。型はあるように僕は思えます。
 実際まがいなりにも型として作家が紙面に表現している以上、我々がそれを方法論的観点から模倣すれば、それは不可能ではないでしょう。
 その型はそんなに複雑である必要はあるのか? ――僕は問いかけます。
 小説に見る人間はそれほど複雑か? ――複雑そうに『見える』だけではないか。
 もしそうなら、型を真似る方法論があるのではないか?
 つまりそれが『魅力的なキャラクターの作り方』なのです。


 議論をまとめましょう。



→カリスマ性→→BAD END

→情景・世界→『営み』→キャラを通して世界を見る(猫説)
           →世界があって、キャラがある(逆猫)
           →上記二つは不明確。しかしキャラには独自性アリ(上野説。つまり猫説よりの一体説)


※注意点として、現実の人間の範疇をキャラの行動の『抑止力』として使う。


疑問点
→小説家が紙面に表現するように、魅力的な人間を魅せるのは可能ではないか。
→その方法とは。
→その一般化。あるいは魅せるにあたって絶対に必要なものの選別。

+音読。その他の秘訣。(←繰り返しますが、これは小説を書く段になってからのお話ですね)


 以上であります。上野様、どうもありがとうございました。失礼なことを言って申し訳ありませんでした。議論が若干ややこしくなってきましたが、簡単なこと、思ったことで良いので、皆様の意見をお待ちしております。

 ではでは。ピンク色伯爵でした。


タイトルRe: 面白いですね!
記事No: 896 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 06:40
投稿者中村ケイタロウ
URLhttp://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html

>肉眼で見たときに観察者を騙せるくらいうまく「人の型」を作りたい、というのが僕の願いなのであります。それは果たして可能だと思いますか

 それは原理的に不可能だというのが僕の立場です。キャラクターと物語とを分離して考えること自体がそもそも無理だと考えるからです。キャラクターというものを実体論的に捉えることがおかしい。小説全体の中で関係論的にとらえるべきだと思うのです。「型」なんてものは、書き手の頭(とノート)の中にしか存在しません。読者の前に実際に存在するのは小説のテクストのみです。そのテクストにおいていかなる表現がなされているか。それだけが問題なのだと僕は考えます。
 そのへん、キャラクタ単体でもビジュアライズ可能な漫画やアニメとは違うんじゃないでしょうか。漫画やアニメなら、少なくともキャラクターの視覚的特性は、「設定資料」みたいなもので記述することができます。しかし小説のキャラクターは小説の記述の中にしか存在し得ない。

 ちなみに、人物を人物らしく見せるために僕が用いている方法は、「型」を用いるのではなくて、言葉や行動の細部にリアリティを持たせることです。「こういう言動は人間として自然だろうか」「こういうときに人はこういうことを言うものだろうか」という観点から。
 内面? 内面や性格については、とりあえず括弧の中に入れておきます。だって、現実世界においても、他人の内面を直接知る方法は無いわけですから。
 人間の人間たるゆえんを、その言葉や行動の中に見出す習性を、我々の脳は有しています。キャラクターの振る舞いや言動にリアリティがあれば、そこに「人間がいる」と、我々の脳は錯覚してしまうのではないでしょうか。
 錯覚するのは読者だけではありません。作者もまたそこに「人間がいる」と錯覚してしまいます。その錯覚が記述にフィードバックされた結果、キャラクターは「勝手に動き」始める。「こいつはこんなことしないよな」とか「この子はこんな子じゃない」とか、そんなふうに作者は考え始めるのです。「型」なんてのは、最初の出発点でしかないんじゃないかなあ。
 ……などと言っておりますが、これは僕がそれに成功していることを意味しているのではありませんので、「お前の小説にリアリティなんて無いやんけ」というつっこみは、くれぐれもご容赦願います。あくまでも理想であり目標です。ごめんなさい。はい。


タイトルRe: 面白いですね!
記事No: 897 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 08:25
投稿者ピンク色伯爵

中村様、おはようございます。
ですが、すみません、今から講義が入っております。内容は確認しましたが、返事が遅くなってしまう可能性があります。お許しください。

この期に及んで言います。皆様の議論の参加をお待ちしています。


タイトル新説爆誕!!!
記事No: 898 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 19:52
投稿者ピンク色伯爵

 改めまして、挨拶します。こんばんは、中村様。
 いや、朝早くの投稿驚きました。自分、あの時間はまだ寝ているんですよ。ぐうたらな人間で7時半にならないと体が起きないのです。こんなんで社会に出られるのだろうか……。

 さて、まずは今までの議論の内容を反芻したいと思います。

・魅力的なキャラの作成法。彼らはどうして魅力的なのか。

→キャラクターを作成する上で情景(世界)というものは必要不可欠で、情景を思い浮かべたときにキャラクターは大方決まっている。そうして生まれたキャラクターは何故か魅力的になる。

→キャラクターは世界とセットで考えるべきであり、そうすることで魅力が高まるのではないか。世界とセットにすることで、キャラクターが人間のように動き出す、これを『営み』とした。

←しかし、キャラクターは独立して魅力的になれるとは考えられないのか。キャラの個別の魅力、これを『カリスマ性』とする。カリスマ性を備えたキャラクターは魅力的ではないのか。
 具体例が出てきて、一見答えが見えてきたかに思えたが、魅力的なキャラクターは単なるキャラクターにすぎず、それをどうすれば物語の中で「生かせる」のかがわからず、この考え方では方法論的に手詰まりになる。

→『カリスマ性』はキャラクターの特質にすぎず、紙面に表現するには、物語とリンクさせることが絶対不可欠だということが分かった。キャラクターと世界とは一体なのだという説に戻り、魅力的なキャラクターとはなんなのかをもっと本質的に考えていくことにした。

→猫説によると、キャラクターに世界を語らせるのだという。まずキャラクターが存在している。彼らにに独自の価値観を持たせたのち、彼らの目を通して世界を「創る」。
 こうすることにより、世界はよりリアリティを増し、同時にキャラクターの個性が光るようになる。キャラクターの独自の価値観、考え方が大きなカギとなるのである。

→上野説によると、キャラクターに「信念」「個性」を持たせるのだという。こののちに物語と符合させるようにすれば、それは一本の芯が通った物語になり、厚みが増す。ただしこの場合、物語が魅力的になるかどうかは分からない。一方で、主体はキャラクターなのだから、自然、キャラクターは魅力的になりうるのである。
 また留意点として、現実の人間を指標にすることで、キャラクターが崩壊するのを防ぐための『抑止力』とすることができる。

→猫説の逆、世界があって、キャラクターを作るのだという説はありえないのか。

疑問点
・猫説、上野説をかんがみれば、そこには一定の方法論があるように見える。これを掘り下げることで、小説家の創作における無意識的思考プロセスをトレースすることは可能ではないか。

・「人型」を作る際、キャラの世界とのリンクの様をその構築過程に入れられないか。入れられるとすればそれはどのような構築法か(つまり関係論をそのまま反映させることは不可能なのか。関係のさせ方をコピー・一般化することはできないのか)。

・生きたキャラクターの中でも特に『カリスマ性』のある者を作ることはできないか。またできるならその具体的な要素は何か。
 →物事の「知っている」こと。
 →肉体的魅力。
 →ノーブルさ。ブルーブラッド的要素。

・小説を書く段になって、美しい文章で引き込むにはどうすればよいか。うまい人の無意識的思考プロセスは分析可能か。可能なら、それを真似ることはある程度までなら可能と言えるか(理論を理解したのち「あ、(文章が)かわった」と気づけるか)。
 その思考プロセスとして、『音読すること』は重要なファクターになりえるか。また他に重要な要素はないのか。





(個別具体説)→カリスマ性→→BAD END個別具体説は行き止まり。



(一体説)→情景→『営み』→世界とのリンク→猫説→???
                      →上野説→???
                      →逆猫説?
                      →???


 さて、本題に入ります。
 なるほど、中村様はキャラクターと物語とは個別に考えることはできないから、「人の型」を作ることは原理的にできないとおっしゃるのですね。パラメータはある。しかし世界とのリンクがそれを複雑化させている。むしろ重要なのはキャラより世界である。したがってキャラクターだけ取り上げて型を作るのは不可能であると言わざるをえない。このような理解でよろしいでしょうか。
 そしてそして、さら素晴らしい意見が飛び出してきました。
 『キャラクターというものを(中略)関係論的にとらえるべきだ(中略)。そのテクストにおいていかなる表現がなされているか。それだけが問題なのだと僕は考えます。』
 素晴らしいです。思わず僕も「なるほどお」と頷いてしまいました。
 キャラクター? そんなものは頭の中とノートの切れ端に原液としてのものがあるだけで、紙面に表現したとき初めてあらわれるものなのだ。
 型は出発点に過ぎず、キャラクターは、自然な思考の中で「勝手に動き出す」これを錯覚することで僕たちはそこに人間がいるのだと思い込んでいるわけですね。

 方法論なんかない。書いてゆけばよいのだ。それもまたありな意見であります。ですが……、

 
 僕は認めないけどねッ!☆

 
 ではその紙面に表現する方法何なのか。中村様はそれを言葉の細部にリアリティを持たせるとおっしゃっています。でもそれって、『現実の人間をサンプルにする』というネットに転がっているありふれた意見とどう違うのでしょうか。同じだというのでしょうか。もし同じならば、結局、どうすれば魅力的なキャラクターを書くことができるのでしょうか。
 この議論の表面的な目的は、確かにキャラクターを簡易に量産できるかであります。しかしその根底にある真の狙いは、どうすれば魅力的なキャラクターが書けるか、その方法を抽象的に模索していこうというものです。何が言いたいのか。つまりですね、中村様、もっと突っ込んでいきましょうよ! ってことです。

 紙面にてリアリティを持たせる段にこいつならこうすると考えるとありますが、それは前提として、作者がそのキャラクターを理解していなければできないのではありませんか。キャラクターの確かな『実体』『関係論上のそのキャラクターの立ち位置関係(つまり世界とのかかわり様)』を理解していなければ不可能ではないのかと僕は思うわけです。
 じゃあそいつらがなんなのか分かれば、キャラクターの魅力が分かるのではないでしょうか。
 この記事を読んでいる皆様、中村様は僕たちに新たな指標を与えてくださいました!
 命名、中村説です!
 現在位置分かりますか?



一体説→世界とのリンク→猫説→キャラクターとの対話独自性を持たせる→独自性って何?
            →上野説→???
            →逆猫?
            →中村説→???


 中村説は紙面にてキャラが発現するとのこと。しかしその前段階として、作者である 中村様は何らかのイメージを持っていらっしゃるはずです。これが分かれば中村ルートはエンディングに近づくのではないでしょうか。


 さて、作家ごとに色々な考え方がありますよね。でもどこか共通する部分があるのはなぜだろう。それこそがキャラの魅力の根幹なのではないでしょうか。

 以上であります。中村様、返信が大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
 中村様はもちろん皆様の議論の参加をお待ちしています。

 追伸、結局、音読はどうなったんだ! 誰か教えてくれー!!!
 ピンク色伯爵でした。


タイトルRe: 新説爆誕!!!
記事No: 899 [関連記事]
投稿日: 2011/05/10(Tue) 22:22
投稿者中村ケイタロウ
URLhttp://home.att.ne.jp/blue/nakamu1973/index.html

 朝起きたらPCを開いてメールをチェックする習慣があるんです。
 今日はたまたま家に食べるものが無くて、朝飯を抜いた代わりに浮いた時間でちょこちょことコメント書いたのでした。あとで職場の机でカロリーメイト食べましたよ。あれって意外と腹持ちいいんですよね。なんか口の中がぽそぽそしますけど。

>パラメータはある。しかし世界とのリンクがそれを複雑化させている。

 ていうか、パラメータ自体が世界とのかかわりにおいて生成する、という意味です。さんざん言い古されたことだけど、そもそも「個としての人間」「主体としての人間」という概念自体がちょっと嘘くさいじゃありませんか。特にこの国の自然と社会の中においては。

>『現実の人間をサンプルにする』というネットに転がっているありふれた意見とどう違うのでしょうか。同じだというのでしょうか。

 つまるところ、同じなんじゃないですか。たぶん。ネットに転がってる意見を見たことが無いのでわからないですけど。
 現実に接した人間、(とりわけ自分自身)、過去に読んだ小説や、映画や、漫画で触れたキャラクターなどなどが、自分なりの人間観を作り上げている諸要素なのでは?

>中村様、もっと突っ込んでいきましょうよ!
 
 いやあ、ちょっと僕の頭ではそろそろ限界です。あんまり理屈で考えるとこんどは小説が書きにくくなるし。
 とりあえず僕が心にとめているのは「神は細部に宿る」という金言です。エレメントの抽出とか、グランドセオリーの言語化とか、そういうことはどうも僕には向いていないみたいです。それに僕は、理性の力より無意識に宿る力のほうが優れていると信じたいんですよね。


タイトルRe: 小説の描き方――魅力的なキャラクターとは何か――
記事No: 902 [関連記事]
投稿日: 2011/05/11(Wed) 00:33
投稿者浅田明守

こんばんは、浅田です。
なんかしばらく見ていないうちにおもしろそうなことを……というわけで今さらながら私も少々参加させていただきますww
個人的にはキャラクターではないのですが、石田衣良さんが書く短編恋愛ものに出てくる登場人物はかなり人間くさくて魅力的だと思います。あとは個人的趣味が入りますが狼と香辛料のホロとかですかね。
これらに共通するのは先ほども言った通り「人間くさい」というもの。物語の中の登場人物としてではなく、物語とは別にそのキャラとして個性が確立していると言えばいいのでしょうか。
キャラクターを人間たらしめるものは何か。あえて言えば行動の一貫性でしょうか。物語の流れで行動するのでなく、主人公に都合がいいように行動するのではなく、あくまでもそのキャラとしての行動理念を貫く。それこそキャラが生きているというものではないかと私は考えています。
故に私は魅力的なキャラを数値化出来るとは思っていません。どれほど魅力的な設定を考えても、物語に流されて行動の一貫性を失くしてしまえばそれは絶対唯一の「キャラ」ではなく物語を構成する「ピース」になってしまうからです。逆に地味で目立ちようがない設定でも、行動に一貫性があり、「キャラ」を確立していればそれは魅力的なキャラクターとなり得るのではないでしょうか?
そもそも、私は小説の醍醐味はいかにその世界にのめり込むかにあるか、というところにあると考えている人間です。つまり、読者に「俺が主人公だったらここでこうするなぁ」と思わせることが出来たら作者の勝ち(?)と言う訳です。キャラ萌えはその延長線上でしかありません。なぜか。キャラに萌えるのはそのキャラに物語があるからです。(もっとも、猫耳ブルマという単語だけでお祭りを始めるような人種の場合は別ですが)
故に魅力的なキャラクター、読者をひきつける物語と言うのは、頭にすんなりと文章が入り、キャラにリアリティーがあり(リアリティー=ノンファンタジーではないので悪しからず)、世界に調和があるのならば、必然的に魅力的なキャラが出来るのではないか、というのが持論です。
マネしようとしてマネできる類ではないので、あえて手の内を暴露(しても喜ぶ人がいるとは思えませんが)しますが、私の場合は物語の「種」、つまり中心核となる単語を一つ書きだし、そこから物語を作っていきます。例えば、以前にピンク色伯爵さんに感想を頂いたLive of dollsでは「人間」を種として物語を作っていました。
それでは長々と失礼しましたノシ


タイトルもう
記事No: 903 [関連記事]
投稿日: 2011/05/11(Wed) 14:30
投稿者ピンク色伯爵

 今日は昼まででした。ひゃっほーい。自由だぁー!
 中村様、浅田様、ご意見ありがとうございます。浅田様、お久しぶりですね。
 さて、なんだか当該議題についての議論が収束しつつありますね。ここまで同じような意見が出ますと、言いだしっぺでありながらも、進行役として現実を直視しなければならないのかもしれませんね。認めたくないなー……。
 これを見ているPCの前のお前ら、残念だったな。どうやら簡単に萌えキャラ作るのは無理みたいだぜ。ただし理論をこねくり回している間はな、という文言が付け足されるがな!
 ところでカロリーメイトのプレーンは食えたものじゃないと思うんだ。チョコレートならまだ我慢できるかな。カロリーメイトはあんななりして結構質量ありますよね。初めて買った時はあの重さにビックリしました。

 本題。中村様の意見から考えていきます。『パラメータ自体が世界とのかかわりにおいて生成する』。なるほど。
 『現実に接した人間、(とりわけ自分自身)、過去に読んだ小説や、映画や、漫画で触れたキャラクターなどなどが、自分なりの人間観を作り上げている諸要素なのでは?』なるほどなるほど。

 つまり、ここでこの議論の根底を覆す意見をぶちまけられたわけですね。
 要約しますと、引き籠るなお前ら! 本読めお前ら! ってことですね。楽してドラえもんの道具に頼っちゃいかんのですね。

 しかしですね。ここで終わってしまっては、「結局ピンク色は何しに出しゃばってきたん?(嘲笑)」ってことになってしまいます。今までの議論の結果出てきたものは、確かに色々と足りていな断片的なものですが、参考にはできるものだったはず。……すごい言い訳じみたセリフだな。どうしよう、マジでピンク色イラナイコになっちゃう。
 まとめましょう。皆様の意見を聞いてよくわかりました。画面の前の皆様も気づいていたはずです。ピンク色がノリでがんばっているだけで、意見として出てくるのは『そんな簡単な方法あるわけない。もっと難しいもんだ』という冷たい意見だと。ここの掲示板の作家様方はみな優秀です。その彼らが言うのですから、それは少なくとも経験則的に間違いではないのでしょう。
 うん、つまりですね。

 『理論こねても無理! 才能と努力がすべて!』

 いた、いたたたたた! い、石投げないで! だ、だって議論の方向的にそうなっちゃったんだもん! この期に及んでまだ「僕は認めない」とか言っていたら、それってただのわがままじゃん、ひがみじゃんってなるんだもん。

 さて、浅田様の意見の分析に入っていきましょう!(完全に逃げた)
 石田先生の小説に出会ったのは、高校時代の模試でした。確か進研ゼミの模試だったかな。田舎に僕(リア充)と千珠(ちじゅ♀)が帰ってきて、お父さんに僕の嫁ですって紹介する話でした。むかついたので適当に解答書きました。
 ……ピンク色の投稿した短編(めっちゃ最初のやつ)と内容が酷似しています。結構ぱくって書きました。石田先生すみませんでした。
 あの小説ですねー、リア充ってすばらしいって思いました、読んだ後。千珠がマジでイイ女なんですよ。そして話が心にしみる。じんわりとくるんです。まるで土に水がしみこむようにジンワリと。ああ、いいなあと感動したあと、リア充な僕に激しい殺意が湧きました。テスト終わった後に後ろの席の奴にそのこと話したら幸せな奴と笑われました。良い思い出です。
 話がそれましたね。えっと、個人的な趣味でホロ……。
 アニメのホロは美人でしたね。しかしですね。僕は獣が嫌いです。正直猫耳ひゃっほーいとか言われても何言ってんだこいつと冷めた目で見てしまいます。何が良いのか分かりません、獣耳とか。誰か僕を納得させられる人いますか? 獣耳の小説で僕を萌えさせてみろよ。そうしたら考えてやってもいいぜ。
 やっぱり話がそれた。ホロはしゃべり方がかわいいと一般的には言われていますね。あとあの耳が良いと言われていますね、一般的には。あと昔から生きているという心地よい古さというものが全身からあふれていてそこが良いと言われていますね、あくまで一般的には。あとビックリするくらいかわいらしいしぐさをすることがあって、それが萌えポイントだと言われていますね、一般てk(ry。
 
 さて、キャラクターを人間たらしめるものは何か、それは一貫性だと。つまり上野様と同じなわけですね。ふむふむ。
 ……こうしてみると、やはりうまい作家様方は皆同じ意見ですね……。うーん、行動に一貫性か。なるほど。
 つまりそれは今までの議論で出てきた、「独自の価値観」であり、「信念」「個性」であり、「こいつならこうするだろうと作者が行う錯覚マジック」なわけですね。これを表現できるかどうかがカギであると。僕はそれを簡単に表現できるのかと考えてきましたが、やはりこれはそうたやすいものではないのだということですね。
 『「俺が主人公だったらここでこうするなぁ」と思わせることが出来たら作者の勝ち(?)と言う訳です。』
 読者とのシンクロを大事にする。これは上野様が言っていた、現実の人間をキャラの『抑止力』とすることに似ていますね。つまり、「お前、その行動はないわぁ」と意味もなく読者をあきれさせるようでは(伏線とかではなく、本筋やオチなどでそうしてしまうってことですね)いけないわけですね。その行動の範疇の中で、山あり谷ありを乗り越えていく登場人物たちに僕のような変態は「萌える」わけですね(このような理解でよろしいでしょうか)。
 『故に魅力的なキャラクター、読者をひきつける物語と言うのは、頭にすんなりと文章が入り、キャラにリアリティーがあり(リアリティー=ノンファンタジーではないので悪しからず)、世界に調和があるのならば、必然的に魅力的なキャラが出来るのではないか、というのが持論です。』
 そしてそれは真似できるものではないと。マジ残念だったな、ショートカット大好きなワナビ達よ。僕はその数十倍はへこんでるけどな!
 

 うん、結論。魅力的なキャラクターを理論をこねこねして作るのは無理。

 ……………………………………。
 ………………………。
 …………。

 無理、なのか……。ぼ、僕の努力は無駄だったのか……。そんな、バカな……。結局魅力的なキャラを作るためのヒントすら出すことができなかった、だと……。

 どうしよう。この記事見ながら、これ読んだら少しは参考になるかな、とか思ってくれた人がいたら(いたらの話だけど)、どうおとしまえつけよう。

 ここはやはり最期まで道化を演じ続けるしかないでしょう。
 作ります!
 何をって? この雑談掲示板で話を作ります! 言うなればニコニコ動画の「やってみた」的なノリで、小説作ります。果たして僕のような底辺作家がこれまでの議論でまがいなりにも得てきたことを実践することで、本当に面白い小説が書けるのか!

 「別にやるのは構わんけど(笑)」「もう止めろよ」「ピンク色は頑張った」等優しいお言葉があれば受け付けます。またこれまで通りキャラの魅力についての意見も承ります。それらを継続させつつ、新たなる論題。

 天野様、水芭蕉猫様、中村様、上野様、浅田様のおっしゃっていたことは、果たして本当だったのか!? ピンク色みたいなヘタれでも小説は書けるのか!?
 あと美しい文章って、やっぱり音読すれば作れるのか(しつこい)!?

 誰かがとめてくれるまで止まれない。助けてドラえもん! 昨日徹夜で溜まってた課題やってたんですが、そのせいで若干テンションがおかしくなっているのか! 

 完 全 に そ の 場 の ノ リ で す 。

 中村様、浅田様、ありがとうございました。皆様の議論の参加をお待ちしております。ピンク色伯爵でしたー。