『LAST CALL』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:弥生灯火                

     あらすじ・作品紹介
数分で読み終える作品になります。

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 随分と年季の入った電話機だった。
 色あせた薄いピンクのダイヤル式公衆電話。
 昨今見ることが無くなったレトロ感溢れる電話機の前に、ぽつんと男は立っていた。

 懐かしい、男は目を細めた。子供の頃、町内でよく見かけた電話機だったからだ。
 最近の電話機と違い通話する以外の機能はなく、十円玉と百円玉の硬貨しか投入も出来ない。親に知られたくない相手に声を届けようと、お小遣い片手に近所の商店まで走った頃の代物。ドキドキしながら重い受話器を握って想い人へと繋げた記憶。
 しかし、いまどうしてこんなに古い電話機が目の前にあるんだろうか。そんなことを頭の片隅に置きながら、男は受話器を手に取った。
 リング状のダイヤルに穿たれた穴に指を突っ込み、ジィーコ、ジィーコと通話先の番号を回していく。何度目かのコール音の後、電話は男の意図した先に繋がった。

「はい、もしもし」
『やあ、悪いね急に』
「はい? え、ええとすみません、どちら様、でしょうか?」
『ごめんごめん。でも、どちら様はひどいなあ』
 男は受話器から聞こえてきた女の声に、苦みばしった笑いを上げながら大げさに声を出した。
「あの、間違いじゃありませんか?」
『おいおい、僕だって。旦那の声も分からなくなるほど、忙しいっていうのかい?』
 誰何をくり返してきた妻に、男は先ほどより少しだけ真剣さを声にこめた。不安な気持ちが募る。年老いた自分の両親の介護を嫌な顔ひとつせずこなしてくれる責任感の強い妻だ。冗談っぽく言ったつもりではあったが、半分以上の心配さが上回った。

「……どこの誰だか知りませんけど、タチの悪いイタズラはやめて下さい」
 聞いたことのない口調の妻の声が男の鼓膜に突き刺さる。男は、返す言葉を失った。イタズラなんかではない。確かに突然過ぎる電話だということは理解している。しかし、それでも長年連れ添った妻なのだ。その他人に向けたような冷たい声に、男は受話器を耳に傾けたまま呆然と立ち尽くした。
 一体どうしたというのだろう。なにか知らないうちに傷つけてしまったのだろうか。男は最近のことを思い出そうとして、記憶が薄らぼんやりとしていることに気づいた。沈黙の時が空気を支配する。このままだとせっかくつないだ電話は切れてしまう。
『す、すまない。いいや、ごめん。イタズラなんて気持ちはないんだ。ただ……』
 やっと絞り出した声で男は謝罪を口に出した。それをまず伝えるべきだと思った。
 次いで日頃の感謝、普段していた他愛のない会話などを思い出しながら男は言葉を紡いでいく。
「……本当に、あなたなの? でもどうして」
『うん、どうしてだか僕にも分からないんだ。ただ残された君が心配で。君が、いいや違うな。ただ、伝えたかったんだ』
 気がついた時、男の前には古びた電話機があった。通話以外の機能のない、でもそれだけで充分の、話すためだけの道具が。

「伝えたかった、そう、なのね。また声が聞こえて嬉しい。でもあたし、分かってると思うけど、まだあなたのところには逝けないの」
『ああ、分かってる。君には面倒ばかりかける。本当にごめん。謝ってばかりだけど本当にごめん。それとありがとう。今までずっと、ありがとう』
 そう言い終えて下げていた頭を上げた時、男は自分の意識が急に薄れていくことを実感した。目の前の電話機がぼんやりとして映る。男は自分が消え去る前に電話機に向けて、感謝の念を込めてもう一度頭を下げ、受話器を置いた。

2016/06/10(Fri)23:53:14 公開 / 弥生灯火
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■作者からのメッセージ
前投稿作の『急ぐ理由』と同じくテーマは【心残り】
そこに【感謝】を加えてみた作品になります。
読んで下さった方に感謝を。

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