『四日目の終わりに』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:甘木                

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「こちら軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)陣地第四中隊の瞬観……周りは敵だらけだ至急援軍を求む……」
『残念だが援軍は送れない』
「了解……部下たちはよく戦った……これから総攻撃をかける涅槃で会おう……」


「毘沙門天(びしゃもんてん)陣地が落ちた……敵がこちらに向かってきている。樹訓大僧都様も戦死された……司令部の指示を求める」
『八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)陣地は現地で抗戦を続けよ』
「わかった。これより無線機を破壊する……貴君らの奮戦を期待する……」


「多門天(たもんてん)陣地、永平寺部隊の空達だ……敵が陣地に入ってきた。まともに戦える兵はもう何人もいない……兵をまとめて後退したい。退却の許可を……」
『毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)陣地までの道は敵にふさがれた。退却は不可能と思われる』
「了解した……曹洞宗バンザイ! 永平寺バンザイ!……あばよ」




 二十日払暁から始まった栄松谷の戦闘は物量の戦いだった。
 比叡山延暦寺の二個大隊を主力に仏敵を殲滅せんがため全国の寺院から集まった僧侶は十七個大隊およそ一万三千人。毘盧舎那如来陣地をはじめ一〇の拠点陣地といくつもの前哨陣地を構え、仏敵をこの狭い峡谷におびき寄せて暫時壊滅させるつもりであった。しかし、敵は機動兵器を有効に使えない地形にもかかわらず四個師団九万人もの大群を投入してきた。大群の前に各陣地は孤立化し、小さな陣地ひとつずつが主戦場になる消耗戦が繰り広げられること四日目。補給も増援もない陣地から悲痛な通信が入ってくる。それと同時に最南端に位置する毘盧舎那如来陣地の周囲でも銃声が鳴り響き始めた。
 最終防衛ラインである毘盧舎那如来陣地を構成する前哨陣地群の最左翼に、高龍寺の応懐(おうかい)僧正が率いる愛染明王(あいぜんみょうおう)陣地があった。陣地と言っても司令所は廃棄された飼料工場の倉庫に大型無線機を置いただけものもだし、兵は縦横に掘られた塹壕の中で銃を構える八十人足らずの若い僧侶しかいない。
 ──山蓮寺部隊全滅!
 ──正山白寺の洛永律師殿戦死!
 ──安菱寺小隊を左翼に回せ!
 ──麓源法眼様の部隊を下げさせろ! 敵に囲まれてしまうぞ!
 無線機から次々と伝えられる戦況を聞きながら、応懐は一升ビンに直接口をつけて般若湯を一口あおる。
 さすがに疲れたぜ……。
 応懐は通信兵に聞こえない程度の声でひとりごちる。
 応懐はまだ三十前なのだが、昼夜にわたる戦闘の連続が深い疲れを刻み四十過ぎにも見えるほど憔悴しきった顔にさせていた。今日も陥落した多聞天陣地から撤退する部隊の援護のため自ら銃を取って出撃し、司令所に戻ってきたのはほんの二時間前。応懐の部隊は友軍の危機を救う火消し役としてこの四日間最前線で戦い続けていた。
 しかし、出撃する応懐が目にする光景はいつも敗走する味方の姿と燃え上がる友軍陣地の煙。
 火なんて消えねぇよ……炎はでかくなる一方だ。
 自虐的な想いに歪んだ笑みが浮かぶ。
 くそっ……敵の侵攻が早すぎる。本隊は後退してくる部隊を収容するだけで手いっぱいで、とても戦線の立て直しなんかできねぇ状況だろう。いま午後九時か……このままじゃ夜明けまでに全軍全滅だ。まずいな……。
「応懐様。多聞天陣地の兵の収容終わりました」
 八九式小銃を肩にかけた副官の正隆(しょうりゅう)僧都がくわえタバコのまま司令所に入ってくる。
 正隆僧都は高龍寺の末寺の僧侶で、この戦いが始まるまでは応懐とは面識はなかった。しかし自衛隊出身と言うことと、どんな状況下でも冷静に物事を判断できる頭脳をかって副官に命じ二十人の兵を預けていた。正隆は応懐の期待を裏切らない働きを見せていたが、ひとつだけ悪癖があった。それは正隆はタバコを片時も手放せないヘビースモーカーであること。タバコを吸わぬ応懐からすれば正隆が司令所に入ってくるたびに悪臭としか思えないニコチンの匂いに辟易とさせられるのだが、それを差し引いても手放しがたい部下だった。
 さすがは元自衛官だ。銃を持つ姿が様になっていやがるな。応懐は袈裟姿にもかかわらず兵士然としている正隆を感心して眺めていた。
「応懐様?」
「あ、ああ、ごくろう。引き上げてきたヤツらにはメシを食わせて休ませてやれ。と言っても休める時間はあまりないだろうがな。正隆、オマエもメシを食っておけ。これが最後になるかもしれないからな」
 だが正隆はタバコの煙をくゆらすだけで動こうとはしない。
「応懐様、なにを企んでいるんです?」
「なにも企んでねぇよ」
 応懐は顔を背けてテーブルの一升ビンに手を伸ばす。
「そうですか……」
 応懐の手が届くよりも先に正隆は一升ビンを奪い取ると、応懐の顔を見つめたままゆっくりと傾ける。ビンの口から透明の液体が零れ床を濡らす。
「馬鹿野郎、もったいないことするんじゃねぇ! それが最後の一本なんだぞ」
「だったら腹の中に隠していることをお話下さい」
「だからなにも企んでねぇよ」
「まだおとぼけをなされますか」
 口調は丁寧だが正隆は冷たい目を向けたまま、さらに一升ビンを傾ける。さっきとは違い勢いよく零れ出る。
「わ、かったよ。俺の負けだ。話すよ……やっぱり正隆には隠し事はできねぇな」
 応懐は半分にまで減った一升ビンを愛おしげに抱きしめ大きな溜息をつく。
「ヤツらは拠点陣地をすべて落として、残っているのは総司令部があるこの毘盧舎那如来陣地だけだ。しかしヤツらにも弱点がある。侵攻を急ぎすぎてヤツらの補給線は伸びきっている。他の陣地は落とされたが、この毘盧舎那如来陣地は他よりも堅牢だ。ヤツらとて戦線を整理しなければ総攻撃はできない。それに勝ち続きで気も緩んでくる頃だ。俺は称名寺の頼高(らいこう)僧正の部隊と共に夜襲をかけて多聞天陣地を奪還するつもりだ」
「奪還? それは総司令部の許可を受けた作戦なのですか?」
 正隆は右眉毛を上げ怪訝そうな表情を浮かべる。
「いいや。だがな、多聞天陣地はこっちより高い場所にある。あそこに大砲を据えられたら毘盧舎那如来陣地は狙い撃ちされる。いまは悠平(ゆうへい)律師の部隊が多聞天の前にへばりついて牽制しているから大砲は運びこめないが、悠平の部隊が蹴散らされるのは時間の問題だ。だから敵の態勢が整う前に叩く。許可なんて待っていられねぇよ」
「それならば私の部隊も参加させて下さい」
「だめだ。おまえの部隊まで出したらこの陣地が空っぽになる。それに、おまえには退却してくる部隊の支援や俺たちの後詰めをしてもらう役目がある」
「しかし、応懐様の部隊と頼高様の部隊を合わせたって二個小隊ぐらいでしょう。無謀ですよ。いや無駄死にするだけです。私は認められません」
 正隆は声を裏返してテーブルを叩く。
「だからおまえには言いたくなかったのに……」
「失礼ですが応懐様は勇猛と蛮勇をはき違えてはいませんか? 無駄死にすることがどれだけ迷惑かわかっていらっしゃいますか!」
「安心しろよ自衛官。この俺様が手伝ってやるから応懐は死なせねぇよ」
 突然かけられた背後からの声に正隆が振り返る。そこには長髪を後ろで束ねた一九〇センチを超える大男がミニミ軽機関銃を肩に担いだままのそりと司令所に入ってきた。
「さ、佐藤禰宜様……? 死んだ……のでは?」
 いままで顔を赤くして怒っていた正隆の顔から怒りが消え、声が途中で消える。
「おい、応懐。なにか大博打を打つそうじゃねぇか。俺もまぜろよ」
「佐藤……おまえ生きていたのか?」
 応懐は幽霊を見るような表情で佐藤禰宜を見つめている。
 本来男性神官の衣装は白衣に水色の袴のはずなのだが、今では血のりと硝煙と泥と草木の汁で迷彩服のように複雑な模様を描いている。
「おまえ毘沙門天陣地にいたんだろう。あそこは全滅したんじゃ……」
「おい、おい、勝手に殺すなよ。神社庁本庁に逆らって参加しているんだ簡単には死んでいられねぇよ。と言っても俺の神官隊も三分の一以下に減っちまったがな」
 佐藤はミニミ軽機関銃を下ろすと、額の傷をぬぐいぶるっと身を震わせる。
 日和見を決めた神社庁の方針に反旗を翻して義勇軍として参加したのが、佐藤禰宜率いる神官隊二五〇人だった。
 応懐はこの佐藤と気があった。仏教と神道の違いはあったが、歳が近いことと十月の戦いで同じ陣地で戦ったこともあり気心が知れていた。なにより佐藤はどんなに苦しい局面でも決して弱音を吐かず、それどころか苦しくなればなるほど場を明るくする性格だった。応懐はそれに羨望と頼もしさを感じていた。
「毘沙門天はどうだったんだ?」
「ひでえもんだった。十月の戦いがガキの遊びに思えるほどだぜ……ヤツらは女にも容赦ねぇ。うちの巫女さんも五人殺られた」
 佐藤は吐き捨てるように言うと、応懐の差しだす一升ビンを受け取り喉を鳴らす。
「よく生きて帰ってきてくれた……本当によかった」
「おまえにそんなふうに言われる日が来るとはな。長生きはしておくもんだ」
 応懐は佐藤から返された一升ビンを一気に空け、
「神官隊も参加してくれるなら作戦の幅が広がるな」
 そう言うとテーブルの上に広げた地図を見つめる。
「で、何をするつもりなんだ?」
「多聞天陣地に逆襲をかける」
 応懐はゆっくりと顔を上げると佐藤を真っ直ぐ見つめる。
「そりゃぁ面白ぇ。で、どうやるつもりなんだ?」
 佐藤は応懐を見つめたままニヤリと笑う。
「作戦はこうだ。まず佐藤のところの巫女さんたちに街道に結界を張ってもらって目くらましをする。街道には頼高僧正の部隊五〇人を配置して敵に頼高隊が本隊だと思わせる。佐藤の部隊は右手の川沿いから登って攻撃を仕掛けてくれ。だが、地形が悪いから無理はしなくていい。陽動程度でかまわない。俺の隊は悠平隊と合流して一気に多聞天を叩く。敵もまさか散発的な攻撃しかしていない悠平隊が本隊だとは思わないだろうさ」
 応懐は悪戯を思いついた子供のように楽しそうな表情を浮かべる。
「おい、応懐。俺は貧乏くじで、おまえが美味しいところ一人占めかよ」
 佐藤は不満げに鼻を鳴らす。だが、佐藤にはこの作戦が毘沙門天陣地から損害を受けながら撤退してきた神官隊が、これ以上損耗を出さないための応懐の気遣いであることを理解していた。佐藤の神官隊は数こそまだ七〇人近くいるが、その半分以上は巫女だ。巫女は直接戦闘には投入できない。だから応懐隊と悠平隊を合わせても三〇人にもならない兵力だろうに圧倒的多数の敵に突っこもうと言うのだ。唯一の救いは小一時間前から雪を降らせている厚い雲が空を覆っているおかげで敵の航空兵力が使えないことぐらいだ。だとしても絶対的に不利なことには変わりない。なのに楽しそうにしている応懐の胆力に半ば呆れていた。
「ま、この作戦はおまえのものだから華を持たせてやるよ。だが神官隊は精鋭揃いだぜ。ちんけな戦いはしねぇ。おまえがもたもたしていたら俺たちだけで多聞天をとっちまうからな」
 応懐もまたこの無謀な作戦に付き合ってくれる佐藤の友誼に感謝しつつ「とれるものならな」とからかうような口調でこたえる。
「作戦決行は二二三〇時だ(ふたふたさんまる=午後十時三〇分)。それまで神官隊は少しでも身体を休めておいてくれ」
「オーケー。多聞天で会おうぜ」
 佐藤はミニミ軽機関銃をまた肩に載せると、片手で挨拶して司令所を出ていく。
 その佐藤の背中に向かって応懐は深々と頭を下げる。


「応懐様、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか」
「ん? なんだ?」
「この作戦、勝算はいかほどなのですか?」
 心配そうな正隆の顔を睨むように見つめていた応懐はふいに表情を弛める。
「勝算はねぇよ。と言うかどうやっても勝ちはねぇ」
「だったら……」
「勝てねぇが、味方が負けるのを遅くすることはできる。だからやるのさ。正隆には後衛の面倒ごとを頼んで済まないと思っているぜ」
 と、応懐は大袈裟に拝むまねをする。
 この状況下でひょうげた仕草をするのは佐藤禰宜の影響だろうか? 正隆はそんなことを考えながら応懐の姿を眺め大きな息を吐きだす。
「わかりました。もう何も言いません。言わない代わりに私の隊から註徹(ちゅうてつ)分隊を出しますから、どうぞ思う存分使ってやって下さい」
 そう言うとタバコに火をつけ、会釈もなしに司令所を出て行った。




 *               *               *




 稜線に据えられた機銃座から間断なく銃弾が撃ちこまれていた。緑色の曳光弾の流れが前方にいる註徹隊と応懐の間を遮っていた。
「良仁(りょうじん)、五人率いてあの機銃座を叩け。このままじゃ註徹隊が危ない」
「わかりました!」
 良仁が若い僧侶を引き連れて急斜面を駆け上っていく。その姿を確認した応懐は機銃座の注意を引きつけるべく援護射撃をはじめる。
 作戦開始から一時間。応懐の部隊は多聞天陣地に取りついた。が、予想を超える敵の数に陣地を奪還するどころか囲まれつつあった。
 ちくしょう。完全に手を読まれた。頼高の部隊は敵主力に押さえこまれて身動きがとれなくなっているし、佐藤とは連絡がとれない。撤退すべきか……だが、いま俺の隊が動いたら註徹隊が孤立する。くそっ! 手詰まりだ。
「応懐様、右翼に新しい敵! 数、およそ一〇〇!」
 通信兵が叫ぶ。
 手薄な右翼に回られたか。舜哲(しゅんてつ)たちの兵力じゃ持ちこたえられない。くっそ、ここで終わりか……いや、まだだ。
 応懐は小隊長の博邦(はくほう)に良仁の支援を命じると、自身は四人の兵を率いて右翼に走る。
 針葉樹が密集した森の中で緑色と味方の証である赤色の光が乱舞している。
 近いな。
 応懐は兵たちに姿勢を低くするようにハンドサインをだす。
「お……応懐様」
 岩陰から弱々しい声が聞こえた。
 応懐が急ぐと、そこには胸部から腹部にかけて被弾し口には血の泡を浮かべた舜哲の姿があった。
「舜哲、いま救護所に運んでやるからしっかりするんだ」
「じ、自分はもうだめです……ここはもう持ちこたえられません……ぶ……部下を連れて退いて……ください」
 舜哲は真っ青になった唇をぎこちなく動かし、応懐の右手を握りしめる。
「すまん。おまえの忠告は聞けない。いまここを敵に抜かれたら完全に囲まれることになるんだ。しばらくおまえの部下を借りるぞ」
 だが応懐の言葉に舜哲は返事をすることはなかった。
 応懐は光を失い中空を見上げる舜哲の目を閉じてやり、手を合わせる。
「応懐だ。これ以降の指揮は俺が執る。動ける者は集まれ!」
 舜哲の部下は六人残っていた。が、無傷の者は一人もいない。最低でも一カ所は銃創がある。戦ったとしても一時間が限界だろう。それ以上戦えば敵弾で死ぬ前に失血死するのがオチだ。とにかく註徹隊が退却できる時間だけ稼げればいい。
 少しでも敵の兵力を分散させるべく、応懐は兵を二人一組で広いポイントに配置することにした。
「いいか、三十分、三十分でいいから持ちこたえろ。三十分経ったら各自の判断で後退しろ。いいな」
 全員がうなずくのを見て散開させる。
 グレネードランチャーの爆炎と照明弾の青白い光が満ちる中で応懐たちは必至に防御戦に努める。しかし数の差はいかんともしがたく、いまや生き残っているのは応懐と舜哲隊の磐胤(ばんいん)というまだ二十歳にもなっていない若い僧だけだった。
「磐胤、俺が援護してやるから、おまえは本隊まで後退しろ。そして残っている兵に愛染明王陣地に撤退しろと伝えろ」
「嫌です! 自分も応懐様と一緒に戦います」
「だめだ。これは命令だ」
「いいえ、命令を拒否します……それにこの足じゃ本隊まで戻れません」
 磐胤の右足はグレネードを喰らったのかくるぶしから先がグチャグチャに潰れていた。
「わかった。だったら俺の命令があるまでは勝手に死ぬなよ」
 応懐は磐胤にショットガンを持たせ窪地に身を入れるように命じる。自身は八九式小銃を持って少し離れた倒木に身を寄せる。
 ここが俺の墓場か……ま、高台だから景色はいいから良しとするか。
 応懐はこんな時に墓場のことを考える自分の感情に妙なおかしみを覚えていた。
 新しい照明弾が打ち上げられるのと同時に曳光弾が応懐の周りの空気を裂いていく。
 まるで四方から撃たれているみたいだ。ここじゃ狙い撃ちされるだけだ。磐胤のカバーが難しくなるが、あの岩陰まで移動するしかないな。
 倒木から飛び出した瞬間、左足の力が抜ける。
 くそ、被弾した。
 体勢を立て直そうとしたら、こんどは右半身にいままで経験をしたことがない衝撃を受ける。倒れながら八九式小銃を握ったままの手首が千切れ飛んでいくのが見えた。
 地面に倒れた応懐は身体を起こそうとするのだがどうやっても動かない。
 ショットガンの銃声がまだ聞こえる。磐胤はまだ生きているようだ。磐胤だけでも後退させたかったが、これでは無理だな。
 規則正しく放たれる銃声が子守唄のように聞こえる……ここで寝たら俺はそのまま死ぬな。足も腕も痛みは感じない。ただ鈍い痺れがあるだけだ。だったらこのまま銃声を子守唄に永久の眠りにつくのも悪くないか……と、思った次の瞬間、銃声が乱れ出す。まるで後ろに向かって撃っているようだ。
「よう応懐。こんなところで寝ていると風邪をひくぜ」
 自分の意識に関係なく下がってくる瞼を無理矢理上げると、目の前には硝煙と血で汚れた佐藤禰宜の顔。
「さ……とう? 来るのが……遅ぇぞ」
「ヒーローはいつも最後に助けに来るって相場が決まっているんだよ。おまえは随分とボロボロになったな。いま衛生兵に手当てさせるから待っていろ」
 佐藤の「衛生兵!」という声を聞きながら、応懐は自分の意識が暗い闇の中に落ちていくことを感じていた。




 *               *                *




 応懐が意識を取り戻したのは愛染明王陣地の司令所のソファーの上だった。
 締めつけられるような右手の痺れをこらえて身を起こすと、頭に包帯を巻いた正隆が無線機に向かって「了解。これより無線機を破壊して現地点での抗戦に努めます」と話している姿が目に入る。
「正隆……」
「あ、応懐様。お気づきになられましたか」
「ああ……」
 応懐は立ち上がろうとしたのだが、腰を少し浮かせたところで足の力が抜けソファーに崩れ落ちる。
「無理をなさらないで下さい。死んでいてもおかしくない重傷なんですよ」
 駆け寄ってきた正隆が応懐に手を貸しソファーに座り直させる。
「いま何時だ? 戦況は?」
「いまは午前五時二十一分になります。戦況は最悪ですね。各陣地との連絡も寸断されて、負傷者を後方に移動することもままならない。弾薬も尽きかけていますし、敵の攻勢は強まる一方です。頼高様も悠平様も戦死されました。この陣地で戦えるものは十人もいません。もう八方塞がりです」
 正隆はくしゃくしゃになったタバコを取りだし火をつけ、不味そうな顔をして煙を吸いこむ。
「なら、おまえが指揮を執って動けるヤツを連れて後退しろ。怪我人は俺が引き受ける。ヤツらも負傷兵までは殺さないだろうからな」
 応懐の言葉に正隆は首を振る。
「そうもいきません。いま本隊から連絡がありました。鴻順(こうじゅん)天台座主様は撤退を決定され、延暦寺部隊が護衛について移動を開始しました。残存部隊は本隊の撤退の安全を確保するため現在地にとどまって戦えとのことです」
「捨て駒か……」
「そうかもしれません」
 滅多に笑顔を見せない正隆は寂しそうな笑みを浮かべタバコを踏み消した。
「佐藤たちはどうした?」
「佐藤禰宜様はまだこの陣地に残っておられます……」
 ぐしゃん!
「いま俺の噂をしていたか? 人気者は辛いな」
 大きなくしゃみとともに佐藤が司令所に入ってくる。
「具合はどうだ応懐? まだ痛むか?」
 佐藤は無遠慮に包帯だらけの応懐を眺める。
「おまえに救われたという心の傷の方が痛くて身体の痛みは感じない」
「そりゃあ重畳、重畳。おまえにトラウマに与えられたんなら、助けた甲斐があったってもんだぜ。わははは」
 大袈裟に笑う佐藤だったが、その目は笑っていなかった。
「佐藤、用はなんだ? まさか俺を笑いに来たわけではあるまい」
「ん?」
 笑いをやめた佐藤は応懐の目をじっと見つめる。
 二人とも黙ったまま見つめ合っている。
 正隆には妙に静かな時が訪れたように感じられた。四方から響いていた銃撃や砲撃の音が凄く遠くに退いたような錯覚に襲われる。
「応懐、この戦は俺たちの負けだ。どう足掻いたって転機はこねぇ」
 口を開いた佐藤の声にいつもの軽さはない。
「だから俺は逃げるぜ。逃げて生きて次の戦いに備える。それに俺には巫女さんたちを生きて故郷に帰さなきゃならねぇ使命があるからな」
「そうか……」
 応懐は目を閉じて一言呟く。
「おまえも俺と一緒に逃げないか?」
「魅力的な提案だな……」応懐はうなずき「だが、俺にはできない。立つこともできない俺は足手まといになるだけだし、この傷じゃ長くは保たない。それに俺にはこの傷の借りがある。だからヤツらに一矢報いてやりたいんだ」不敵な笑みを浮かべる。
「やっぱりな……おまえならそう言うと思ったぜ。だったら俺からプレゼントがある。ちょっと待っていろ」
 佐藤は司令所を出ると、すぐに三人の神官隊の兵士と共に戻ってくる。神官隊兵士たちは皆大きな荷物を抱えていて、それを司令所の各所にセッティングはじめる。
「なんだそれは?」
「プラスチック爆薬、いわゆるC−4ってやつだ。これだけあればヤツらとのサプライズパーティーができるだろう。少なくてもこの建物ごとぶっ飛ばせるぜ」
 佐藤は応懐に爆薬に装着した信管の起爆スイッチを渡す。
「どうしたんだこれ?」
「撤退してきた工兵隊から貰ったのさ。プレゼントはそれだけじゃねぇ」
「ん?」
 訝しむ応懐の前に二升徳利をさしだす。
「こいつは黒龍の純米大吟醸の中取りだ。俺の秘蔵の一本だぜ。これさえ飲めば痛みなんて三千世界の彼方に飛んでいくことは保証してやる」
「これは何よりの贈り物だ。最高の痛み止めだな」
 右手を伸ばしかけた応懐は自分の腕に気づき改めて左手で徳利を持ち上げる。
「喜んでもらえて嬉しいぜ」
「ああ、どちらもありがたい」
 黒龍で口を湿らした応懐は目を細めて会釈する。
「だったら感謝を形にしてくれ」
「形? どういうことだ? 俺にはおまえにやるような物はないぞ」
「いいや。とっておきの物がある。俺はおまえの部隊が欲しい。もちろん負傷兵も含めてだ」
「佐藤……」
「俺の部隊で戦えるヤツはもうほとんどいない。いるのは非戦闘員の巫女さんばっかだ。だからその護衛に正隆やその仲間たちが必要なんだ」
「佐藤禰宜様、その願いは無理です。私たち残存部隊には総司令部の命により撤退は認められていません。それに私としても応懐様を残して退却したくはありません。でも負傷兵だけでもお連れしてはいただけませんか、彼等はもう戦えない非戦闘員ですから総司令部の命には反しないはずです」
 正隆は懇願するような目つきで佐藤を見据える。
「それこそだめだ。俺の兵だけじゃ負傷兵を運びきれない。やっぱりおまえたちが必要だ。それによぉ、俺たちは総司令部の支配下にある仏教徒じゃなくって神道の義勇軍なんだぜ。この戦いじゃ、いわば客将の立場だ。その客将が困っているんだぜ。困っている者を救うのは仏教の教えじゃねぇのか」
「ですが……」
「正隆僧都!」
 応懐の厳しい口調に正隆は背筋を伸ばす。
「正隆副官に命令を伝える。この命令は愛染明王陣地司令高龍寺の応懐僧正としての命令だ。ただいまより正隆僧都以下全生存者は佐藤禰宜率いる神官隊の護衛任務につけ。反論は認めない。以上だ!」
「応懐様……」
「だとよ。おまえはいまから俺たちの護衛だ。決して撤退ではない、真っ当な戦闘行為の任務だぜ。ま、俺たちは後方に向かって移動するけどな」
 佐藤が笑いながら正隆の背中を平手で叩く。
「正隆、おまえが俺のことを気遣ってくれる気持ちは嬉しいぜ。だけどもっと大局的に物事を見るんだ。おまえは指揮官としての才能がある。その才能を生きて使うんだ。戦いは今回で終わりじゃねぇ。これからも何度もあるはずだ。生きて次に備えろ。これからはおまえのような若いヤツが日本を護らなきゃいけないんだ」
 正隆は応懐の言葉を黙って聞いていた。
「もし延暦寺のヤツらが命令違反だとか言ってきたら、俺様の神社にかくまってやるから安心しろ。時間もあんまりないようだ。負傷者たちを移動する準備に取りかかれ自衛官」
 佐藤の言葉に正隆はうなずき、応懐に向かって敬礼する。
「正隆僧都以下応懐隊全生存者は応懐僧正の命令により、これより神官隊護衛につきます! ……応懐様、私は来世でも応懐様と一緒に戦いたいです」
 そう言うと正隆は足早に司令所を出て行く。
「さて、俺もそろそろ準備しなきゃな。おまえの部下たちのことは心配するな。この俺がなんとしてでも故郷に帰らせてやる」
「すまん」
「応懐、おまえと戦えて楽しかったぜ」
「俺もだよ」
 二人の顔には満足としか表現のしようがない表情が浮かんでいる。
「じゃあな……」
「ああ……いつかまたな」
 大股で司令所を出て行く佐藤を見ながら応懐は不慣れな左手で徳利を傾ける。
 …………ありがとうよ。




 *               *               *




 そろそろ夜が明ける……今日は月曜日か、新しい週の始まりだな。新しい週の始まりとしちゃ悪くねぇ。
 応懐は妙に清々しい気持ちで満たされていた。
 佐藤たちが撤退して三十分。銃撃音が大きくなり、いくつもの足音が司令所の周りに響きはじめる。
 仏敵どもめ。ついに来やがったか。
 応懐は左手の起爆スイッチの感触を確かめるように握りなおす。
 さあパーティーを楽しもうぜ。


「メリークリスマス!」胴間声と共に司令所のドアが乱暴に開けられヤツらが乱入してきた。ふざけた真っ赤な衣装に白い髭、恵比寿様のように円満な顔つきにせり出した腹。手にはM16が握られている。
「よく来たな、くそサンタクロースども」
 この状況にもかかわらず満面の笑みを浮かべてる応懐に面食らったのか、サンタクロースたちは銃も撃たず互いに顔を見合わせている。
「今日はクリスマス・イブだぜ。慈悲深いお釈迦様は仏敵であるおまえらにもプレゼントがあるそうだぜ。ありがたく受け取りやがれ!」
 応懐は起爆スイッチを押した。
 目を開けていられない白い光と全身を押さえつけるような衝撃波が襲ってくる。
 応懐はその中で、
 くそサンタに、くそクリスマスめ……今年も負けかよ……また日本中が伴天連の祭に蹂躙される…………だけど……いつの日にか……いつの日にかこの仏敵どもを叩き潰せる日が来るはずだ………正隆……佐藤…………おまえたちならきっとやれる……後は任せたぞ……………
 言葉にできない安堵感を覚えていた。


 二〇××年十二月二十四日。日本は異教徒の祭「クリスマス」に染め上げられていた。

2009/12/17(Thu)22:47:37 公開 / 甘木
http://sky.geocities.jp/kurtz0221/
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
クリスマスに浮かれている人を見ると呪いたくなる甘木です。
クリスマス・イブにもクリスマスにも予定はありません。いや、予定はありました。仕事です。それも大残業付きで……クリスマスが憎い。
 クリスマスの日に幸せな家々に「呪 聖降誕祭」と書いた卒塔婆を玄関先に突き刺したい。

ちなみに10月の戦いとはハロウィンのことです。

作品の感想については、登竜門:通常版(横書き)をご利用ください。
等幅フォント『ヒラギノ明朝体4等幅』かMS Office系『HGS明朝E』、Winデフォ『MS 明朝』で42文字折り返しの『文庫本的読書モード』。
CSS3により、MSIEとWebKit/Blink(Google Chrome系)ブラウザに対応(2013/11/25)。
MSIEではフォントサイズによってアンチエイリアス掛かるので、「拡大」して見ると読みやすいかも。
2020/03/28:Androidスマホにも対応。Noto Serif JPで表示します。