『もう二度と会えない織姫様に』 ... ジャンル:ショート*2 未分類
作者:湖悠                

     あらすじ・作品紹介
長い年月閉じ込められていた男の最期の物語。

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 俺――九頭海 渡(くずかい わたる)は、牢から見える小さな窓から見える空を見上げた。
 空は澄み渡った茜色をしている。黄昏に染まりゆく空を見ながら、俺は世界を憎んだ。
 
 7月7日。

 今日、俺は死刑を執行される。

 

 
 :もう二度と会えない織姫様に:




 何かが壊れるのは簡単だ。例えどんなに時間を掛けて作り上げたとしても、どんなに心をこめていたとしても、どんな痛みを負って作ったとしても……作るよりも容易く物は壊れる。3年前のある日、俺は簡単に全てを壊してしまった。
 ひんやりとした、鉛色の薄暗い廊下を歩いていると、周りから冷たい声が聞こえた。
「遂に九頭海が死ぬのかぁ」
「長かったよなぁ。でも4人も殺してたらそりゃ死刑にもなるわな」
 掴みかかりたかった。お前なら、お前ならどうしていたんだ、と吠えてやりたかった。だが、俺の身はそれを許してくれない。ボロボロに傷ついた体と心が、罪の象徴である錆びた手錠が、俺を引っ張って行く"死神"達が、自由という名の解放を許してくれない。
 全てを諦めた。抗うことも、そして許されることも……。俺は死ぬ。もうすぐ、小さな縄の輪に首を入れられて……殺される。死ぬのか、俺は。死ぬ……そうか、死ぬんだな、俺は。
 
 目の前に近づいた"死"を感じた時、あの光景が浮かび上がった。
 そこは、紅に染まっていた。確か、夜だっただろう。月は満月で……ああ、鮮明に覚えている。殺した直後、母が鬼のような形相をしていたことも。殺した直後、父が深海魚のように目を見開いていたことも。全て……覚えている。祖母も、祖父も……全て俺の敵だったんだ。だから殺すしかなかった、のかもしれない。
 些細な事が始まりだった。俺が、結婚まで考えた女性、佐棟 良美(さとう よしみ)。彼女は、部落民だった。ただ、それだけだった。だが俺にとってはそんな事関係ない。その他の人にとっても、そんなことは些細な事であると、俺は考えていた。
 俺は彼女を愛していた。
 彼女も俺を愛していた。
 同居して数年が経ち、俺は良美にプロポーズをしたんだ。彼女は泣きながら頷いてくれた。
 幸せだった。
 すべてが、輝いて見えた。
 彼女の両親は既に病気で他界していたため、俺は彼女と共に自分の実家へ行くことにした。――思えばそれが間違いだった。全てが壊れる始まりだった。

 しばらく歩いた時、死神が俺に「何か持ってきてもらいたいものはあるか」と聞いた。
 そんな事を死刑囚に言うなんて聞いたことはなかったので、少し戸惑った。
 死ぬ前に拝んでおきたい物、ということか。俺が見たい物、それは……ああ、あれしか、ないのだろうな。
 かすれた声で俺は死神に頼んだ。最期の頼みだった。
 死神はその内容を聞き、少し驚いた様子で俺を見つめた。その目がだんだんと哀へと染まっていくのを感じ、俺自身、自分に同情した。
 同情――か。この世の中で俺に同情する人間はどれくらいいるのだろうか。愛する者を、ただ"部落民"という理由で否定され、結ばれる事を許されなかった俺に同情する人間は、この世でどれだけ居るのだろうか。愛する者を侮辱され、結婚を認められず、ただただ嘲笑されたが故に肉親を恨み、一家全員を怒りの許すままに刺殺した俺に同情する人間はどれほど居るのだろうか。
 それはほんの一握りなのだろうか。
 それとも、埋もれた場所に、多く存在しているのだろうか。
「約束の物だ」
 数分後、死神が持ってきた物。土にまみれた手で持ってきた、俺の頼んだ物――四つ葉のクローバー。良美とよく集めた、幸せの象徴……。
 それは、ほんの一握りに見えて、実は多く存在しているイレギュラーな存在。少数に思えて、実は多数ある存在。……この世もそうなんじゃないだろうか。周りに隠され、同じ境遇の者に出会えず、自分はただ一人だ、ただ一人の存在なんだ、と勘違いして死んでいく人間は、多く居るんじゃないだろうか。
 人種なんて関係ない、とそう思っているのに、周りの意見に押し流されて自分の意見を言えない人間は多いのではないだろうか。
 世の中の矛盾を見つけて憤りを覚えているのに、特異な存在として見られたくなくて、自分の感情を押し殺している人間は多く居るのではないだろうか。
 もし、俺の死が正しいものなのならば。
 もし、俺の罰が正しいものなのならば。
 良美が差別されたことは、果たして正しいものなのだろうか?
 昔に、そう本当に昔にあった差別なのだ。それを、祖父と祖母が拒絶し、愚かな父と母が便乗した。身分差別をわざわざ蒸し返し、彼女を否定した俺の家族は、果たして罪人ではないのだろうか?
 死刑の執行を増やした人間は、果たして人殺しではないのだろうか? 死刑執行は、許される殺人なのだろうか? もし許される殺人なのであれば、俺の起こした殺人は……いったい何だったのだろうか?
 
 クローバーを握りしめ、自分の罪を噛みしめ、世の中の矛盾に憤りを覚えながらも、ついに俺は縄の前までたどり着いてしまった。
 死んでしまう。俺の人生が、もう……終わりを告げる。
 皮肉な事に、今日は七夕の日だ。彦星と織姫が唯一会える日。長い長い時間の中で、ようやく会える日。俺は彦星ではなかったのか。彼女が織姫だったとしても……俺は会いに行けなかった。深い河を、渡る事はできなかった……。
「何か言い残すことは?」
 死神の言葉に、俺は俯いた。
 言いたい事。
 生きている今、死ぬ直前である今、言葉にして残しておきたい想い。
 そんなもの、たった一つだ。

「良美を愛しています。永遠に……愛しています。例え幾つも間違っていたとしても、それでも、良美に対する愛だけは……正しかった」
 
 心に現れては消えて行く後悔に涙を流しながら、

 その後悔の中に浮かぶ最愛の人を想いながら、





 静かに、縄に体を預けた。




 

 
 -手紙-


 渡の死刑が執行された後、収容所にある一通の手紙が届いた。それは、佐棟 良美から、九頭海 渡への手紙だった。日付は、彼が死亡した後であったので、恐らく彼の死亡を知り、書いたのであろうと推測できた。
 手紙は、まるで雨にうたれたかのようにふやけてくしゃくしゃになり、文字は酷く滲んでいてよくわからなかった。

 
 収容所の人間が手紙を裏返した時、ひらりひらりと、ゆっくり緑色のものが落ちていった。
 
 
 ――四つ葉のクローバーだった。

2009/12/06(Sun)11:45:20 公開 / 湖悠
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■作者からのメッセージ
 かなり前に書き上げた物です。それを所々修正し、もう季節は過ぎ去ってしまいましたが、夏を待っていたらもう投稿する機会はないだろう、と思い、投稿しちゃいました。
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