『灰皿』 ... ジャンル:恋愛小説 ショート*2
作者:水芭蕉猫                

     あらすじ・作品紹介
恋人なんて願い下げだ。そんな苦いだけのドメスティックラブ。BL(?)注意。

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 私が初めて瀬田を買ったのは、確か高校二年生のころで、瀬田の値段は三千円だったのを随分はっきり覚えている。
 瀬田、というのは高校の後輩で、やたらと整った女顔を持ち、誰彼構わず懐く犬コロみたいな男だった。
 それから、瀬田がゲイの発展場として有名な公園で売春をしているという噂は、私を含んだ誰もが知っていたことだし、金さえやればなんでもやるらしい瀬田の、その女顔というのも災いしていたのか、瀬田は性欲真っ盛りな当時の学生から随分と酷い目に合わされていたような気がする。
 私が瀬田を買ったのも、その時だ。
 当時の瀬田は体育館の裏手や校舎の陰、公園のトイレ等の、人目につかない場所に呼び出されてはいつも見知らぬ誰かに犯されていたように思う。
 私はあの日、悪友に誘われて三、四人と瀬田を囲んでいた。瀬田ははじめに、「三千円くれたら何でもやる」と言い、そして瀬田は、実際になんでもやった。かなり無茶な要求をしたこともあったが、瀬田は金さえ貰えればそれで良いのか、一度として拒むことはなく、それどころか嬉々として言いなりになっていた部分があった。
 最初はほんの少しの興味のはずで、しかし男の体など女と違って凹凸も柔らかさも無い。特に瀬田などは女顔のくせに体は骨と筋ばかりで、私にとっては触ってもなんの面白みも無く、二度ほど抱いてすぐに飽きてしまったが、仲間に誘われる以外でも、時たま渡される小遣いやバイトで稼いだ金で、私はちょくちょく瀬田を買っていた。
 それはある日、瀬田を手酷く抱いた悪友の先輩が、タバコを吸いながら地べたにぐったり倒れ伏した瀬田に一言「灰皿くれ」と言った時だ。
 瀬田は直ぐに察したのか、のろのろと起き上がり、先輩に手のひらを差し出すと、先輩は当たり前のようにその手のひらに、真っ赤に燃える炎を押し付けたのだ。
 じゅっという肉の焼ける音と共に、瀬田の整った顔が熱と苦痛にぎゅっと歪んだのを見て、私は息を飲んだ。その表情は行為中よりもずっと扇情的で、そして奇妙にもどんな女の可憐な顔より美しいと思ったのだ。
 だから私は瀬田のその表情を見たいがためにタバコを始め、金があればいつも瀬田を呼び出しては灰皿代わりに扱った。そして瀬田はいつも文句の一つも言わず、火傷にまみれた手のひらに、更に炎を押し付けられ、その端正な顔を私の為に歪めて苦しんでいるのを見て、その時だけ私は瀬田を愛しいと思っていた。




 高校を卒業して以来一度も会わず、しっかり思い出そうともしなかった瀬田の存在を鮮明に思い出したのは、つい先刻のことだ。
 私は一人で喫茶店でコーヒーを飲んでいた。というのも、一昨日妻の実家から義父が倒れたとの電話が入り、様子を見に今日の朝一番で遠い田舎の実家まで帰ってしまったからだ。
 あまり義父とは仲の良い方ではない私が姿を現せば、義父の具合はますます悪化するのではあるまいかと危惧した妻との話し合いの末、私は留守番するということになり、折角一人で居るのだからと、こうして久しぶりに休日の町を一人でぶらついていた。
 午後はどこへ出かけようか、駅前には大きな本屋があったはずだからそこへ行ってみようかと思案していたとき、後ろから「先輩先輩」と軽薄な声がかけられた。
 振り返るとそこに居たのは女顔で、薄い茶髪に蒼いピアス、黒いジャケットとジーンズという井出達の、どこかで見たことのある男が立っていた。
「瀬田……」
 思わず口から名前が零れると、瀬田は昔のように人懐こい声で「すんごい! 先輩ひっさしぶりー!」と驚いたような声を上げてから、最後にあったのはいついつで、今まで何をしていたとか結婚の噂を聞いただとか、どうして自分は式に呼んでくれなかったのかだの矢継ぎ早に聞いてきた。
 こんな往来の真ん中で、親しげに話しかけるその女顔のチャラチャラした男と友達であると思われたくなくて、私はその質問を全てを低い「黙れ」の一言で片付けて、さっさと出て行ってやろうと口を開きかけた時。それより先に瀬田が「ストップ」と俺の口を人差し指でふさいだ。
「ここじゃ何だから別ンとこ行こうよ。折角でしょう?」
「ふざけんな」
 私が言うと、瀬田は「大丈夫ですよ。俺は昔と変わってませんから」なんて満面の笑顔で言ってきた。
 確かにここでは人目があるし、誰かにこいつと居るのを見て友達なんだとは思われたくなかったし、例え風の噂ででも瀬田と居たと言われるのは嫌だった。
 そしてそれに、瀬田は昔から己のことを買った人物について口外することは、決して無かったのだ。



 
 瀬田がいつも使っているらしい裏路地のラブホテルの一室で、男相手のあまり気持ちの良くない行為を自分本位で適当に終らせて、ベッドに座ってタバコに火をつけた。瀬田ごときのせいで高校時代からやってきたタバコはすっかり癖になっている。
 すっと煙を吸い上げると、先ほどまで寝転がっていた裸の瀬田が背中にぎゅうと抱きついてきた。
「放せ。気持ち悪い」
 と煙を吐きながら冷たく言うと、瀬田は子供っぽく笑った。
「久しぶりなんだから良いじゃないですか」
 そう言ってまだ顔を近づけてくる瀬田を振りほどき、私は瀬田を睨みつけた。
「おい、今日は特別許してやるが、二度と俺に話しかけるんじゃねぇ。お前みたいなホモに間違えられたら困るからな」
 そう言い放ってやると、瀬田は「酷いなぁ先輩は」と言いながら寂しげに笑った。
 私は舌打ちをすると、瀬田にわざと聞こえるように「お前みたいな人間と関わったことが俺の人生の唯一の汚点だな。俺の居ない間に死んでくれれば良かったのに」と言ってやると、瀬田はようやっと少し困ったような顔になって、「すみません」と謝った。
 それが無性に腹立たしくなったので、「何謝ってんの? 馬鹿じゃねぇ?」と笑いながら言ってやったら、瀬田はまた小さく謝った。
 瀬田に酷い言葉を投げつけたり残酷な行為を強いるのは、あの頃から俺の中ではごくごく当たり前になっていた。それは、瀬田は昔から誰かに好かれるのを酷く嫌っていたからだ。
 瀬田は顔だけは良いもんだから、ホモ相手から割に告白されたりなんだりしてたらしいが、その度に瀬田は全てを断って、告白相手には二度と自分から目を合わせたり話したり、そして相手がいくら金を積んでも売春に応じなかったらしい。
 そしてそれは全て本当のことだったようで、瀬田を虐めるついでに何故かと問い詰めたことがある。その時、瀬田は随分悩んだ挙句に、他にも色々あるのだろうが『もし自分も好きになった時、裏切られたら正気で居る自信がない』とぽつりと答えた。
 弱い奴だと罵ると、瀬田は素直に『先輩は絶対好きになれそうにないから好きですよ』なんて矛盾したことを返してきたのをよく覚えている。
 それなら瀬田を虐める奴は、皆好きなんじゃないかと思った時、私の心が掻き毟られるように痛み、それ以来、私は瀬田を買うのをやめた。どんなに私が瀬田を傷つけても、瀬田の中ではその傷は、他の大勢がつけた傷の一つに掻き消えてしまうから。私はそれが無性に腹立たしかった。
 そんな昔のことを思い出していると、急にタバコがまずくなったように感じて、だから吸いかけのソレを、少しでも早く消してしまおうと消してしまおうと考えた。だからあの時と同じように瀬田に一言「灰皿」と声をかけた。
 私の体にへばりついてまどろんでいた瀬田が、慌てて部屋に備え付けてあるアルミの灰皿を取って渡したので、私はそれを奪って瀬田の体に投げつけた。
 瀬田の体に当たったそれが、カランと音を立てて床に落ちた。
「違うよ馬鹿。頭悪いな」
 そう言うと瀬田は何か納得したような顔をして、右手を私の前に差し出した。手のひらの真ん中には、古い火傷の痕があった。
「だいぶ治りかけてるな」
 私が言うと、瀬田ははにかむように笑って「しばらく灰皿はやってませんでしたから」と言った。
 そうか、と一言答えると同時に、瀬田の手のひらにタバコを押し付けると、肉の焦げる匂いがして、瀬田の表情があの時と全く同じ苦痛と熱にきゅっと歪んだ。それを見て私は、やはり瀬田はこの表情が一番よく似合うなと思った。





 終

2009/05/17(Sun)21:01:57 公開 / 水芭蕉猫
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■作者からのメッセージ
さて、こんなの投稿して良いのか迷いましたが、まぁBLなんて読む人もあんまり居ないだろうし規約も多分大丈夫でしょうし、まぁ良いかとやってしまいました。本当に久しぶりのBL。

実は二年くらい前に書いたお話の手直し版です。苦々しいドメスティックラブ。しかし実は主人公は奥さんにはメチャクチャ優しいです。

五月十七日・指摘箇所を微修正。

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