『熱帯夜に浮かぶ月』 ... ジャンル:未分類 未分類
作者:KR                

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暑い、暑い夏を少しだけでいい、ひと休みしたい。そんな夜だった。
俺の願いもむなしく、雲一つない夜空に真夏の大三角形は輝いていて、
鈴虫の声でも、風鈴の音色でも、感じる風は涼しくならなかった。

熱帯夜。
こんな夜のことをそう呼んでもいいと思う。
実際は何十度を越えたらとか、そんな規定はあるらしいが、
大学受験にも出ない常識まで詰め込んでいられるほど、
今の俺の頭には余裕がない。

今年の春、俺は第一志望の大学に落ちた。
第二、第三の志望校もやっぱり落ちて、すべり止めは受けていなかった。
そんな訳で今は、毎日学校の代わりに予備校に通う、浪人生暮らしだ。
同じ家に住んでいる親は、今度落ちたら金は出さないと言っている。
就職しろとは言わないが、大学に行くなら学費は自分で払えだそうだ。
当然のことではあるが、勉強と労働の両立は、どう考えても俺にはキツイ。
何としてでも今年で受かっておきたいところだ。

そのためにはこんな熱帯夜でも、虫と風鈴の声の他は静かな環境で、
必死に問題集と格闘する。
あぁ、何で去年もっと頑張らなかったんだろう。
そんな後悔をしても始まらない。
去年は、同じ高校に通っていた彼女と一緒に勉強していた。
彼女は俺を置いて自分の志望校に合格し、それを俺が嫉妬したのが元で
喧嘩して別れてしまった。

気分転換に夜の自販機へ向かう。
辺りは本当にしんとしていて、俺以外には誰もいない。
夜空には星。澄んだ空気。虫の声。
百五十円を入れてボタンを押せば出てくる、よく冷やされたペットボトル。

「あれ?」

キャップをひねり、中のポカリを立ったまま飲んで、俺はふと気が付いた。
目の前の道路はこの時間は車も通らないけれど、広い二車線になっていて、
いつもこうやって夜の散歩なんてしてるわけじゃないけれど、
たまに外に出た時なんかは、いつも、目の前に月が浮かんでいた。

俺は少し歩いて、空に月を捜す。
雲はない。この時間はもう沈んでしまっているのだろうか。
それとも、今日は新月なのか。
いや、違った。

月は二つあった。

ペットボトルを買った自販機の上、細い三日月。
それが黒猫の両目だと気が付くまで、俺はしばらくかかった。

「にゃあー」

長い鳴き声をあげて、猫は逃げた。
俺に向かって言ったようだった。

『月も夏も同じ。何てことないこと』

夢を見たっていいけれど、そればかり見ていても仕方ない。
冷たいポカリをもう一口飲んで、俺は家に向かって歩き出した。
相変わらず空に月はなかったし、熱帯夜は続いていたけれど、
二つの月に励まされたような気がして、俺は頑張ろうと思った。



fin.

2004/08/27(Fri)22:30:24 公開 / KR
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■作者からのメッセージ
お久しぶりの投稿です。
前の拙作に鋭いコメントをいただいて、自分でもリベンジしたい!と思っていたのですが、
こんなに時間が経ってしまいました。
何てことないことで頑張れる、そんな主人公を書きたいと思いました。

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