『水の記憶』 ... ジャンル:ショート*2 リアル・現代
作者:ルカ                

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 この水の冷たさを感じたのは何年ぶりだろう。
 曇天の下、俺はその冷たさに浸っていた。
 足を包む冷水は心地よいものであった。
 セミの声が絶えた夏の午後である。
 俺はここに釘付けになっている。
 久しぶりの感触に嬉しくなったのである。
 最近、海もプールも行っていない。
 一緒に行く彼女がいないからである。
 友人に合コンの設定を頼んでいるが連絡がないのだ。
 俺は軽く目を閉じて、大きな溜息を一つついた。
 穏やかな南風がさらりと頬を撫でた。
 足首にかかる砂の感触がくすぐったい。
 サンダル越しに砂の柔らかさが伝わってくる。
 僅かな雲間から差す光の下、俺は神足の裏に神経を集中させた。
 海辺にいる気分に浸っていたかったのだ。

「お兄ちゃん、そこ避けてくれない?」
 子供の声で俺は我に返った。
 周りには砂の城を作る子供たちが不審な目で俺を見ている。
 俺は砂場に立っていたのだ。足首は砂場の湖に浸かっている。
 砂遊びを邪魔する男以外の何者でもなかった。
「ごめんよ」
 俺はそれだけ言うと、足早に砂場を後にした。
 恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じていた。

 この写真を酒の肴にしているのが俺の数年来の友人である。
 俺は彼の左隣で当時の感覚を思い出していた。
 ここは合コンのバーベキュー会場である。
「ほんと恥ずかしいよな、この写真」
 友人は噴き出すのをこらえるように言った。
「まったく人生最大の恥だよ、本当に」
 俺は顔を伏せて忌々しげにつぶやいた
「犬の散歩中にこんな面白い写真が取れるとは思わなかったよ」
 友人が嬉しそうに言った。
「隠し撮りなんていい趣味してるよ」
 俺は眉間にしわを寄せ抗議した。

「何その写真?」
 俺は正面の声に驚き、肉を金網に落してしまった。
 俺が目をつけていた女性である。
 小顔でまっすぐの黒髪を肩で切り揃えている。白いブラウスに黒いスカート。
 お嬢様風の女性が宝物を見つけたような顔でこっちを見ていた。
「いや大した物じゃないよ」
 俺は何事もなかったかのように肉を拾い直した。
「隠すことはないだろう」
 友人はそう言って写真を前方へ差し出した。
「やめろって」俺はあわてて、左手で写真を掴もうとした。
 一瞬早く女性の手が写真を掴み取っていた。
 俺の頬を冷たい汗が流れて行った。
 人生最大の恥はこれから始まると気づかされた。
 気がつけば俺は右手にコップ一杯の注がれたビールを握り締めていた。
 この水の冷たさを感じたのは何年ぶりだろう。
 曇天の下、俺はその冷たさに浸っていた。

2008/07/20(Sun)10:27:45 公開 / ルカ
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