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『蒼い髪』 作者:土塔 美和 / SF ファンタジー
全角74806文字
容量149612 bytes
原稿用紙約243.15枚
ある民族の神は、他の民族の悪魔である。 これはさる惑星の話である。彼らは、文明という言葉を口にしながら、その精神は原始時代となんら変わりはなかった。ただ違うのは、洞窟の代わりに堅固な壁に守られた建物に住み、ナノテクを駆使した錠前を掛け、枕元には弓矢の代わりにブラスターを置いて眠りにつく。
「まだ、笛はもどらぬか」
「レーゼ様がみまかわれて、はや二年。そろそろ笛が戻られてもよいものだが」
 ここは、アパラ星系第四惑星ネルガルにある村落のひとつ。一般にネルガル人は、国教である太陽神アパラを信仰しているが、この村だけは、古来より水の神である竜神を祀っていた。竜の化身といわたレーゼが没して二年、彼とともに葬った笛は、二年を経つと村の片隅にあるこの社に戻って来る。これがこの村の古来からの慣わしだった。
「まだ、神の子はお生まれにはならないのだろうか」
笛が入るように袋状にぬった袱紗には、まだ何の変化もない。
「まあ、気長に待つしかないの、笛は、必ずここへ戻って来るのだから」

それから数日後、秋も深まりつつある日、長老たちの所に村の子供たちが駆け込んできた。
「笛の音を、聞いたよ」
「俺も」
「俺たち、社の裏の池で釣りをしていたんだ。そしたら」
「笛の音?」
「うん、あれは絶対竜神様の笛の音だよ」
長老たちは、あわてて社へ向かう。
「袱紗を、確かめよ」
袱紗はこんもりと盛り上がっている。
「確かに、笛が、お戻りになられました」
「庄屋様」
庄屋は、深々と頷くと、
「村中に触れを出せ、竜神様がお戻りになられたと。今より、嫁入りの支度をする。未婚の女子は社の前に集まるように」
触れを聞いた村人たちが、社の前に集まって来る。
レーゼが亡くなってから沈みがちだった村が、にわかに活気付き始めた。次は、誰が神の子を宿すのかと。
「ほら、お前ら男どもは、退いた退いた」
社の世話役たちが整理を始める。
「女子は、こっちだ。来た順に並べ」
社の前に、若い娘の列ができる。これは村の娘の品評会にもなるので、若者たちもほってはおけない。娘たちの周りをうろうろしながら、どの娘が一番きれいか、どの娘がタイプかなどと言い合っている。
「お前らには、関係ない。お選びになるのは神なのだから。あっちへ、行け」
世話役に幾度追い返されようとも、若者たちは執拗に集まって来る。

「なぁ、カムイ。俺たちもこの仕事、そろそろ終わらせて行ってみないか」
「どこへ?」
「社に決まっているだろう。今日は、村中の娘が集まっているんだぜ」
「神の花嫁になるためにか」
「そうだよ」
「ばかばかしい。どうせ、どこかのエロじじイに、いいようにされるだけだ。神の子を身ごもったなどと言われて」
「カムイ!」と、テールは鋭い口調でカムイの言葉を制した。
カムイはテールから顔をそらすと、
「俺は、神など信じない」
神は何もしてくれなかった。俺たちの町が戦争によって破壊されるのを、家族や仲間を失うのを。
「俺は神を信じない。あの老人のどこが。神なのに、なぜ死ぬ」

カムイがレーゼに初め会ったのは、庄屋たちに連れられてであった。
森の中で行き倒れになっていたカムイを、村人が庄屋の家まで運び、そこで面倒をみてくれたのだ。体力が戻ったのなら、合わせたい御仁がいると言われ、連れて行かれたのが、村人が神と称えているレーゼの所だった。
彼はちょうど子供たちに学問を教えているところだった。
庄屋の、少しよろしいですか。と言う声に、子供たちに自習をさせて姿を現した。
(なるほど、この村の人々が、見かけによらず教養が高いのはこのせいか)
カムイはまず、この村の人々の教養の高さに驚いていた。田畑を耕すだけなら、このような教養は不要だ。これでは下手な貴族以上の教養を身につけている。
「何でしょうか」
老人の声は、落ち着いていて穏やかだ。
「この者を、どうしたらよいかと思いまして」
レーゼと、初めて目が合う。思慮深そうな黒い瞳。淡い紫の髪が、この老人の高貴さをかもし出している。老いて尚、この品のよさ。ここに若さが加わっていた頃は、さぞ美しい人だったのだろう。
「この村に居たいと言うのでしたら、それもよろしいのでは」
「しかし、よそ者は」と、庄屋と一緒に来た青年。
災いを招くと言って、村ではあまり好まない。
レーゼはしばし考え込むと、
「では、この者を一度森の外へ連れて行き、もう一度この村まで来てもらえばよいのでは」
「試そうと?」
「はい。またこの者が村へ戻って来られるようならば、それは森がこの者を受け入れたと言うことです。森が受け入れたのなら、あなた方も受け入れるべきでしょう」
「そっ、そうだな」と、あまり気乗りしない青年に、
「そうですな」と庄屋。「森が受け入れた者に、悪い者はおらん」
過去にもそうやって、この村に住み着いた者は何人かいる。
カムイは試されることになった。村でできた友人のテールに付き添われ、森の外まで連れて行かれた。
「森がお前を認めなければ、二度とお前は村に入ることはできないんだ」と言いながら、テールはカムイと村に向かって歩き始めた。
「お前が、そうやって道案内してくれたら、俺は簡単に村にたどりつけるぜ」
「そこが、違うんだな」と、テールは面白そうにカムイの顔を見、
「それが、そうは簡単にいかないんだ。こうやって一緒に歩いていても、森がお前を認めなければ、お前は次第に俺から離れて森の外へ出て行く。腕を組んで歩いていても同じなんだ。いつの間にか、握っていた腕が小枝に変わっていたり、不思議な森なんだ、この森は。おかげで俺たちの村は、侵略されなくってすんでいる。この森が守ってくれているから」
結局カムイは、難なく村にたどりつき、正式に村の住人と認められた。
そして次に合ったのは、庄屋の家で下働きをしているナオミと言う娘の、荷物もちとして、
「レーゼ様、おりますか。竜玉、今年も沢山なりましたので、持って来ましたよ」
この実はレーゼの好物だと言う。だが、食べやすく侍女が切ってくれた実を、あらまし食べたのはナオミだった。
「おいしいわね、これ」
レーゼはその様子を楽しそうに見つめている。まるで孫娘でも見るかのように。
「ナオミは、この青年が好きかね」
レーゼの唐突な問いに、ナオミは竜玉を喉に詰まらせてむせる。胸をたたいて呼吸をととのえると、
「何言い出すのよ、急に。死ぬかと思った。神様だって、言っていい冗談と、悪い冗談はあると思うわ。とんでもないわ、こんな奴。力があるから、荷物持ちに丁度いいと思っただけよ。だいたいこいつ、口は悪いし性格は悪いし、いいとこなんかないのよ」
カムイも、レーゼの問いには、思わず口の中の竜玉を吹き出しそうになった。
「そんなによいところが無いのかね、この青年には」
「そうね」と、ナオミは宙に視線を泳がせてから、
「まあ、強いて言えば、よく働くところかしら、文句も言わずに」
「それは、文句を言わないのではなく、言えないの間違いではないのかね」
「それ、どういう意味ですか」
カムイは、とうとう吹き出してしまった。
「言葉どおりにとってくださってよいのだが」
この時、この老人、わりと話せるのではないかとカムイは思った。
そして三度目は、自ら会いに行った。
レーゼは随分と体力が落ちていると見え、その日は床に伏せていたようだが、自分の来訪を聞くと、わざわざ起きてきた。
「年には、かないませんな」
「神でも、老いるのですか?」
「私は神ではない。ただの人間ですよ」
「しかし、村の人々は」
レーゼは微かに笑うと、
「神を演じるのも大変です。悪いことはできませんし」
それは実に人間らしい言い草だった。
(やはりこの人は、ただの人間なのだ。ただ少しばかり教養のある、否、かなり教養のある)
「ナオミを、どう思いますか」
「俺は苦手だな、ああいう気の強い娘は。ただ借りがあるから、仕方なく」
行き倒れになっていたカムイを、一番熱心に看病してくれたのが、ナオミだった。
「そうですか、でも、優しい娘です」
「嫁になどしたら、一生尻に敷かれる」
「それも悪くありませんよ。面倒みてもらえますから」と、レーゼは笑う。
「ところで、何か御用でしたか」
「書物がいっぱいあるもので」
「何か興味がおありでしたら、お貸ししますよ。この屋敷は、村の図書館も兼ねています」
カムイは図書室の中へと通された。見た目以上に奥があり想像以上の本の量である。
「これ、全部読んだのですか」
「いいえ、全部ではありませんがあらまし」
「何のために?」
「と、言われますと」
「これだけの教養、この村では必要ないだろう」
「確かに。しかし教養は、いくらあっても邪魔にはなりません。もっとも中には、教養が邪魔して友達を作れないという人もおりますが」
レーゼは、さり気なくカムイのことを言う。カムイは知ってかしらずか、そっぽを向く。
「今、外はどのような様子なのですか」
「食料が足らないのです。長く続いた内乱のため大地は荒れ果て、その少ない耕地をめぐって、また戦争が起こるということを繰り返しています。父の領地は」と言いかけて、カムイはっとした顔をしてレーゼを見た。
レーゼはまるで気づかなかったかの様に、
「よろしかったら、先を続けてくれませんか。この村は平和で、争いごとがあるという事自体、私には信じられないのです」
「確かにこの村は平和だ、それにこの緑。ネルガル星ではないみたいだ。まるで別の惑星にでもワープしたような気さえ起こさせる。もうこの星で、これだけの緑があるのは、王都とここぐらいなものでしょう」
「それほど、他の土地は」
衛星の報道では見ている。だがレーゼは、この森から出たことが無いため、それらがどこまで真実なのか知る由が無かった。村人はちょくちょく用足しだとは言って、森の外へでていくが、神であるレーゼには、それは許されなかった。だから森の外から来た者には関心がある。あの報道が、どこまで真実を語っているのか知るためにも。
「もう、人が住めるような所はありません。私の町も、こんなに豊かではなかった。いや、それどころか土地は痩せていて、惨めなぐらいだ。そのため他からの侵略もなかったのです、今まで。どうせ奪うなら、豊かな土地の方がいいですからね、ここのような。侵略するにしろ、かなりの犠牲はつきます。だが、そんな私たちの土地ですら、豊かに見えるようになってしまったのです。それ程に、周りの土地が荒れ果ててしまった」
カムイは一呼吸すると、
「私たちの土地は豊かではなかった。そのため父は、食糧生産の工業化を進めた。それなりの効果あったが、やはり土地の生育力には到底およばない。それでも領民は、贅沢こそしなければ飢えることもなかった。それなりに平和だったのです」
カムイはその時のことを思い出したのか、ぐっと唇を噛みしめる。
「カムイとは、本当の名ではありませんね」
「ああ、私の使用人の名前だ。私を庇って」
その後の言葉は、喉が詰まって出せなかった。
「領民に慕われていたのですね」
カムイは何も言わない。レーゼは気分をかえるように、
「あなたの本名は、この村では必要ありません、私の教養ぐらいに。でも、私に一国を与えてくれれば、あなたのお父さんぐらいには、治める自信はあるのですが」
カムイは一瞬その言葉に驚いてレーゼを見つめたが、次第に怒りが込みあがり、
「国を治めるなど、口で言うほど簡単なものではない」と、いつの間にか怒鳴っていた。
この者に、何ができるというのだ。確かに庄屋には助言をしているようだが、実際にこの村を治めているのは庄屋だ。庄屋の気苦労に比べれば。
「冗談です」とレーゼは笑うと、
「この村にいつまで居てもかまいません。ただ志を持ってこの村を去る時は、一言、村の人たちに声をかけてから去ってください。さもないと村の人たちが心配しますので。もうあなたは、この村の住人なのですから。でも出来ることなら、私が亡き後、この村を支えてくださればと思っております」
 それからひと月も経たないうちにレーゼは息を引き取った。葬儀は村の人々のものと、何ら変わりはなかった。火葬をした後に池に沈める。神と言えども特別なことをする様子はなかった。ただ村人は池の端に沈めるのに対し、彼の遺灰だけは池の中央まで船で運び、例の笛とともに池に沈められた、竜宮へお戻りになられるのですと言って。

「おい、カムイ。どうしたんだ、急にボォーとして」
気づくとテールがしきりと自分の目の前で手を振っている。
「おい、この手が見えるか。大丈夫か、暑さで、やられたか、今日は秋だと言うのに、やたら陽射しが強いからな」
カムイはうるさげにテールの手を払う。
「よっ、とにかく行ってみようぜ。気分転換にもなるし、目の保養にもなる。それに今日は、どんなに仕事さぼったって、誰も文句はいわないぜ」
「仕方ないな、そんなに言うなら、付き合ってやるか」
カムイは服の埃を払いながら立ち上がる。
「卑怯な言い方だな。お前だって行きたいくせに」
「俺は」と、否定しようとしたが、既にテールに腕をとられ走り出していた。
気にならないと問えば嘘だ。村娘に、否、笛だ。あの時、遺灰とともに沈められるのを確かに自分は見ている。

「邪魔だと言っているのが、わからんのか」と、世話役は怒鳴りながら若者たちを下がらせると、
「お前たちは、この線より入るべからず」と言いつつ、若者たちの足元に枝で線を引いた。
若者たちは仕方なく、そこから遠巻きに娘たちを眺める。そしてその最前列に、テールに腕を引かれたカムイの姿もあった。
「あれ、あの女、確か亭主持ちじゃなかったか」と、テール。
すると案の定、
「こら、お前には、亭主がおるではないか」と、世話役の咎める声。
「あら、ばれた。でもいいじゃない。選ぶのは神様なんだから。あなたたちに、とやかく言われる筋はないわ」
「それはそうだが」
世話役たちが戸惑っているのを尻目に、娘たちの列にならんだ。
列には既に娘たちがかなり並び、台帳に名前を記しては、札をもらっている。
「なっ、より取り見取りだろ」
「そうだな」と返事はしたものの、カムイはあまり興味がない。
「それより、何なんだ、あの札」
「あれか、あれは、床入りの順番が書いてあるんだよ」
「あっ?」
「まあっ、時期にわかるよ」
そうこう話をしている間に、若者たちがざわめき出した。何かと思ってみんなが見ている方へ視線をやると、
「あれ、ヤヨイお嬢様ではないか」
自分たちを養ってくれている庄屋の一人娘。村で一番美しいと言われている。
「やっぱり、美しいな」とテールはうっとりしながら、
「これで、決まりだな」と断言した。
そしてよく見ると、ヤヨイお嬢様の隣に、
「あの馬鹿、何、考えてんだ」
テールの妹のナオミがいた。
これにはカムイも驚いた。
他の娘がどうなろうと、カムイは知ったことではなかった。しかしナオミだけは、借りもあることだし、知らない男達のおもちゃにされることがわかっていて、黙っているわけにもいかない。
二人が列にならぶ。
「あいつ、自分が女だと思っているのか」
「ナオミさんは、れっきとした女性でしょう」
「いや、あいつは間違って生まれてきたんだ。おそらく産道が狭くって、大事なものを落としてきたんだ。だから」
「いくら兄とはいえ、その言い方は、あんまりだ」と、カムイはナオミを庇う。
「いや、兄の俺が言うんだ、間違いない。あの性格といい、あいつが女であるはずがない」

「これはこれは、ヤヨイ様」
名のらなくとも、世話役の方ですらすらと台帳に名前を書き込む。
「こんにちは」と、ヤヨイの涼やかな声。
「お幾つになられましたか」
「十七です」
「それは、ちょうどよいお年で。神もお喜びになられるでしょう」
ヤヨイはうつむき、微かに頬を赤くした。
ヤヨイが札をもらうと、一緒に去ろうとしたナオミに、世話役の声がかかる。
「これ、お前も名前を書いていけ」
「しかし私は、ヤヨイお嬢様のお供で、付いてきただけですので」
ナオミとテールの兄妹は、両親を早く亡くし庄屋の家でやっかいになっていた。ナオミは年がヤヨイと同じため、ヤヨイの遊び相手でもあった。それは何時しか友情となり、今では仲のよい姉妹のように見える。
「そうね、せっかく来たのですから、ナオミも記していくといいわ」
「そうね」と答えたものの、内心はもう決まっている、私まで回ってくることはない。と思いながらも、ヤヨイの進めもあり、台帳に名前を記してもらった。
「十二番目よ、待ち遠しいわ」とヤヨイは札を胸に抱く。
ナオミもそれが嬉しくないわけがない。この村の女性として生まれたからには、神の子を身ごもってみたいと思うのは当然である。こんなチャンスめったにない。しかし、今回は、もう決まっているわよね。

 社の中が清められ臥所が用意される。控えの間には、娘の世話をするために数人の巫女と、長老が二、三人待機することになっている。神が渡ったことを確認するためである。夕餉をとり、体を清めてから床に入る。そして朝餉が用意されるまで、床を出ないのが慣わしである。一番年長の巫女から、いくつかの注意事項が言い渡され、最後に、
「もし、神がお渡りになられましたら、神がなされるままに」
娘たちは頷く。
「では、今宵より」
娘たちは家へ帰りはじめた。
若者たちがざわめく。気に入った娘に声をかけるために、我先にと飛び出していく。
カムイも飛び出した。
「おい、何処へ行くんだ」
「ナオミさんのところ」
「俺の妹? 何だお前、俺の妹に気が合ったのか?」
「違う。止めさせるためにだ」
「やめさせる。 何を?」
「こんな、馬鹿げたことをだ」
カムイは走り出していた。息を切らせてヤヨイとナオミの前に立つ。
「あら、カムイじゃないの、お兄ちゃんも一緒ね。まったく女あさり、仕事さぼって。あんたは違うと思っていたのに。やらしい」と言いつつ、ナオミは嫌そうにカムイを見る。
「そんなんじゃない」
カムイは半ばおこって言う。
「じゃ、何よ」
「こんな馬鹿なこと、止めさせるために来たんだ。どうせあの社の中には、ろくでもない奴が居るだけだ。いいように遊ばれるのが関の山だ」
カムイの言葉の途中でナオミの平手が飛んだ。辺り一面にバッシという音が響き渡る。
ヤヨイは唖然としてナオミとカムイを見つめた。
ナオミはえらい剣幕で、
「カムイ、あんたの神に対する態度、今まで我慢してきたけど、これ以上神を冒瀆したら、こんなものじゃすまないわよ。いくら森が許そうと、私がこの村から追い出してやる」
「目を覚ませ」
「まだ言うの。本当に、この村から追い出されたいの」と、ナオミはまた手を振り上げた。
テールは妹のその手を掴み、
「止めろ、ナオミ。カムイはこの村の者じゃないから、水神様を信じろといっても無理なんだ」
「それは、そうかもしれないけど、でもお兄ちゃん。早く神を生まなければ、あの池が枯れてしまうのよ。あの池が枯れたら、この森はまた砂漠になってしまう」
「ナオミ、それは少し違うわ」とヤヨイ。
「確かに過去に神の転生が遅れて、池が枯れそうになりましたけれど、あれは村人が争っていたからです。神は争いがお嫌いなのです」
「争った? でも、私のお婆ちゃんは、池の水が枯れたのは神の転生が遅れたからって」
ヤヨイは軽く首を振ると、
「争うと池が枯れると言われているでしょう。あれは本当のことなのです。今から500年ぐらい前になるかしら。この村で、誰が頭首になるか争ったことがあるのです。神が生きておられたときは、仲裁して下されたので、どうにかその争いが表立つことはなかったようです。しかし神がみまかわれると同時に、その争いは激しくなり、ついに池の水が枯れ始めたということです。このような状態では、神も転生してはこられなかったのでしょう。このままでは村が滅びてしまうということで、争っている者同士が話し合い、お互いの息子と娘を神に差し出すことにしたのです。この二人の間に生まれた子を、以後この村の頭首にすると言うことで。それが私の祖先です」
「そうだったの、知らなかったわ」
「神は争いごとがお嫌いなのです。先ほどのような暴力もね」
「あんなの、暴力のうちには入らないわ。それに、あれはカムイが悪いんだもの」
「カムイさんは、この村のことをよく知らないのですから、しかたありません」
「知らなければ、黙っていればいいのよ。余計な口、出すから」
「ナオミ、あなたを守ろうとしてのことですよ」
「私を?」
「そんなんじゃない」と、カムイはあわてて否定したものの、それは事実だった。
その気持ちを隠すかのように、カムイは話の向きをかえた。
「それより、砂漠になるとはどういうことだ」
「ここは、もともとは砂漠だったのです。それを神の力で、緑豊かな森に」
「ここは、オアシスだったのだろう、別に神の力という訳では」
しかし、オアシスにしては緑が深すぎる。
「違います。神がどこからか水を引いて下されたのです」
「そうなんだよ、カムイ」と、今まで妹怖さに傍観者の立場を取っていたテールが、納得しろと言うがごとくに頷き、
「ヤヨイお嬢様のおっしゃることは、真実だ。だから神の機嫌を損ねるようなことはしないでくれ。特に争いごとは駄目だ。この村の奴等は子供の頃から、喧嘩すると、池の水が枯れると言って、親から怒られたものだ」
「そうね、私もよく叱られたわ。池の水が枯れたらどうするのって。皆が困るでしょって」
それでもカムイは、納得しがたい顔をした。
「まあ、そのうちわかるよ。とにかく今は、神を早く転生させることだ。それがこの
村の娘達に課せられた最重要任務というところかな。まあ、頑張ってくれよ、この村のために」と、テールは妹の肩をたたく。
「どうせ、私じゃ無理だと思っているくせに、白々しいたらありゃしない。もう、決まっているのよ」と、ナオミはヤヨイを見る。
テールも納得したように頷く。

神と交わったからといって、肉体的に何がしかの変化がある訳ではない。ただ次に、好きな殿方を選んだときに、最初に産まれる子が、決まって紫の髪をした黒い瞳の子であるというだけのことだ。しかし村の人たちは、その子を神の子と呼び、大切に育てていく。
夕方、最初の娘がきれいに身なりを整え、札を持ってあらわれた。
「こちらです」と、巫女はその娘の手をとり、社の中へと案内する。
まだ居残っていた若い男たちは、仕切りと社の中を覗き込む。
「こら、お前たち、いい加減にしろ。いくら覗き込んでも中は見えんぞ」
普段は開け放たれたままの社の扉や窓が、すべて閉められている。
しぶしぶながら、最後まで居残っていた男たちも去り、社の周りはいつものような静けさを取り戻した。
社の中では、夕餉の支度が整えられていた。神を気遣ってのあっさりした膳である。
「あまり、匂うような物は」と、巫女。
それから湯浴みをして、臥所に伏す。
「ではごゆっくり、お休みなさいませ」
翌朝、朝餉の香りの中、
「お変わりありませんでしたか」と、襖が開けられた。
結局、昨夜は何も起こらなかった。
次の日も、次の日も、次の日も、結果は同じだった。
「やはり、ヤヨイ様までは、駄目ですかな」
寝ずの番は交替制とはいえ、老体の身には堪える。
「お休みになられて待てばよろしいのに。神がお渡りになるときは、寝ていてもわかるそうですよ」と巫女のひとり。
以前、彼女の母がこの役をやったことがある。彼女は母からそのときの様子をいろいろと聞いていたため、ゆったりと構えている。
「どうだろう、いっその事、ヤヨイ様を明日にでも」
「いいえ、それはなりません。順番はくずしてはいけない決まりですから」
長老たちは、大きな溜め息をした。
そしていよいよヤヨイの番。孫娘ということで、庄屋みずからが付き人となった。
「今宵のヤヨイお嬢様は、一段と美しい」
純白の夜とぎ姿の彼女をみて、冗談ではなく、その場に居合わせた者はそう思った。
庄屋も鼻が高かった。
が、しかし、昨夜も何も起こらなかった。
「そんな馬鹿な。私はてっきりヤヨイ様が」
この村で彼女ほど、教養も高く美しい娘はいないと、誰もが確信していた。
「では、いったい誰が?」
迎えに来たナオミも驚く。気落ちしている彼女に、掛ける言葉もみつからない。
誰もが彼女だと確信していただけに、彼女の心の傷はより深い。
「きっと、神は、お目が、おわるいんだわ」
やっと出た言葉が、これだけだった。
ヤヨイは微かに笑うと、気を取り直したかのように、
「馬鹿ね、わたしったら。みんなが言うもので、真に受けてしまって」
ナオミの気遣いが痛いほどわかる。
「今宵は、あなたよ」
「わたしは」
自信がなかった。
「名前を書いてしまったのですもの、行かなくては駄目よ。もしかしたら、あなたかも知れなくてよ」
「私だなんて、とんでもない」
ナオミは慌てて顔の前で手を振った。
「そんなことないわ。あなただって、いつもそんな格好しているけど、綺麗に着飾れば」
そう言ってヤヨイはナオミの手を引いて歩き出す。
「私の服を着ていくといいわ」
ナオミを自分の部屋へ連れて行くと、服をいろいろとあてがいはじめた。
「どれがいいかしら」
「そうね」と、ナオミは気乗りしない。
いくら着飾ったところで、ヤヨイお嬢様にかなうはずがない。
ヤヨイお嬢様でないのなら、いったい誰が。この村にお嬢様より上品な方がいるのだろうか。
「どうしたの、ナオミ」
「うん、どうもしてないよ」
「これ、どうかしら」
「こんな上品な服、私に似合わないわ」
「そんなことないわよ、着てみたら」
「でも」
「いいから、遠慮しないで。こうなったら、絶対あなたを射止めてもらわなくては。他の人が神の子を産むなんて、許せない」
「お嬢様ったら」
「さあ、早く早く」と、着替えを進める。
「でも、中に入ったら、浴衣が用意されているのでしょ。あまり意味ないと思うんだけど」
「でも、夕餉を食べるまでは、普段着なのよ。その時、すでに見られているのかもしれなくてよ」
「そんな、それじゃ、ご飯、食べた気しないじゃない。神は、夜中に来るって聞いていたわ」
そんなこんな言いながら、服が決まる。髪を高めに縛り、髪飾りをつける。
「ほら、見て御覧なさいよ、とても綺麗だわ」と、ヤヨイはナオミを姿見の前に連れて行く。
そこに映った自分は、まるで別人のようだ。
「ナオミもいつも、こうしていればいいのに」
「こんな格好してたら、仕事できないわ」
「ねっ、せっかくだから、テールさんに見せてこない」
「やだ、恥ずかしいわ。どうせ、馬鹿にされるのが関の山だわ。兄さんたち、口が悪いから」
「いいから、いいから」と、ヤヨイは嫌がるナオミの手を引いて、皆が働いているところへと連れて行く。
「彼らの反応を見てみたいのよ、これでいけるかどうか」
作業場では、突然現れた天女? 否、ナオミに唖然とする。
「ナッ、ナオミかよ。嘘だろ」と、テール。
「馬子にも衣装とは、このことかよ」
「ヘェー、お前、女だったんだ」
案の定、予期したとおりの反応が返ってきた。だがカムイだけは、ただ呆然と見つめている。
「よっ、カムイ、何か言ってやれよ」
カムイは、ああと言っただけで目を逸らして仕事を始めた。
「変な奴」
いつもなら、ナオミに対しては、一番最初に何か言うはずなのに。
「どうかしら、これでしたら神様も」
「うん、騙せる。騙せる」
「それ、どういうことよ」
「神様も男だからよ、騙されて後で後悔するってことさ」
「もう、兄さんたら」
ナオミは手近にあった竹箒を振り上げ、テールを追いかけだした。
テールはカムイを盾に、
「その服、借り物なんだろ、破くなよ。俺、弁償するほどの金、持ってないぜ」
「誰が、兄さんのお金なんか、あてにする。それよりカムイ、どきなさいよ。あなたも叩かれたいの」
ヤヨイは呆れ果て、
「ねっ、ナオミ。今日だけは、お淑やかにしません」
「だって、こいつら」
「ですから、言葉遣いも」
ナオミは竹箒を片隅に投げやると、服のちりを払い、どさどさと大股で奥へと引き上げて行った。
「やっぱり、あいつは男だぜ。神も、血迷わなければいいがな」
「まあっ、テールさん、それではあまりひどいわ。一言、綺麗だって、言ってあげればいいのに。今日のナオミさん、とてもきれいでしょ」と、ヤヨイはカムイに問う。
カムイは何も答えない。カムイはナオミが社へ行くことには反対なのだ。
「お嬢様、どんなことしても、無理だから。あいつはあいつ、どんなに着飾っても、神の目にかなうような上品な女にはなれなれよ。もっとも神が、そうとうなゲテモノ好きなら話は別だが」
「テールさん」と、ヤヨイは呆れたように。
「でも、綺麗でしたよ、今日のナオミさん。あれなら、もしかして」
「ああ、俺も思った」
「そうでしょ」と、ヤヨイは嬉しそうに。
「まあ、やるだけやれって言っといてくれ」と、テール。

「もー、いや。何よあいつら」
ナオミは脹れて座布団の上に座っていた。
「皆、綺麗だって言っていたわよ」
「嘘でしょ」
「せっかくのお化粧が」
ヤヨイがなおしてやろうとすると、
「いいわよ、どうせ中に入れば湯浴みして、髪もおろしてしまうのだから」
「でも、皆、おめかしして行くのよ。少しでも神に気に入ってもらおうとして」
今度はヤヨイが社まで付き添ってくれた。
道すがら、見慣れない娘がいると、若者たちの間で噂になる。
「皆が見ているわよ」
「それは、そうでしょ。誰に神のお手が付くか、気にならない人はいないもの」
「がんばってね」
社の上がり段からは巫女に手を引かれた。
がんばってて言うけど、何をどうがんばればよいのやら。
部屋は二間。奥の間には祭壇があり、件の笛が祀られている。祭壇の前には座布団が一つ用意されていた。ナオミはその上に正座すると、祭壇に向かって両手を合わせた。
「ナオミです。今宵はよろしくお願いいたします」と、少しはしおらしく。
しばらくすると、夕餉が運ばれてきた。膳は質素なもの。
「これでは、朝までお腹がもたないわ」
「神の国へ行かれれば、おいしいものを沢山召し上がれますよ」
「行ければね」と、ナオミは笑う。
膳をいただくと、巫女に手伝ってもらい、体を清めた。どんなに磨いても、畑仕事で日焼けした腕はかくせない。
ヤヨイお嬢様とは、うんでの違いねと、しみじみ手を眺める。
「さあ、こちらへ」
巫女に促され祭壇の前へ戻ると、既に膳は下げられ、臥所が用意されていた。
ナオミはもう一度祭壇に手を合わせ、臥所に入る。
「では、お休みなさいませ」と、巫女は下がって行った。
お休みなさいませと言われても、眠れるはずないわよね。と思いつつ、天井を眺めた。いつまでこうしていればいいんだろう。

一方、控えの間では、
「今宵も、無理ですか」
「いくらなんでも、あの跳ねっ返りでは」
長老たちは大きな溜め息をついた。
「ヤヨイ様が駄目では、いったい誰が」
長老たちがうとうとし始めた頃、部屋がうっすらと明るくなる。
見ると奥の部屋から光が漏れ出している。
「神が、神がお渡りになられました」と、巫女。
襖をすこし開けても、眩しくて中は何も見えない。
「いけません、長老様。覗いては」
巫女は静かに襖をしめる。
しばらくすると、少女の微かな吐息。

ナオミは、うとうとしていたのだろうか、目を開けるとそこに紫色の髪の青年。
ナオミは薄ぼんやりとした頭で考える。
紫色の髪? ということは、神。神じゃないの、今、私の目の前にいる人は。
ナオミは布団を跳ね飛ばすように起きると、慌てて居住まいをただそうとしたが、浴衣はいつの間にかヤヨイお嬢様から貸していただいた服になっていた。そして先ほど跳ね飛ばした布団もなければ、祭壇もない。いったいここは? 辺りは一面美しい花で覆われている。
「こ、こ、は? 」
「社の裏の池のほとりです」
社の裏。池のほとりにこんな所、あっただろうか。
「はじめまして、エルシアと申します」
青年は丁寧に頭を下げた。
ナオミも慌てて、
「はっ、はじめまして」
「ナオミさんですね」
「どうして、私の名前を」
「先ほど、祭壇に手を合わせて、おっしゃられていたではありませんか」
あっ、そうか。じゃ、やっぱりこの人、神なんだ。
「あっ、あの」と、しどろもどろしているナオミに、
「少し、歩きませんか」
「ええ」
ナオミは青年に促されるまま、歩き出す。
若葉は茂り、花は咲き乱れ、蝶は舞い、美しいところである。
「あの、池のほとりに、こんな所、ありましたっけ」
手を引いてくれる青年に問う。
「ありましたよ、ずっと以前から。あなたの目には、お見えになりませんでしたか。目が、おわるいんですね」
その台詞、どこかで。
「私は、目はわるくありませんよ」と、青年はつけたす。
「やだ、あの話、聞いていたの」
青年はにっこりする。
「どうして、ヤヨイお嬢様をお選びにはならなかったのですか」
「私は、ゲテモノが好きなのです」
「えっ! 」と、ナオミは驚いて。
「と、おっしゃられていた方がおります。後ほど、お兄様にでも尋ねてみてください」
「兄に? 」
「と言うのは、冗談です。ヤヨイさんを選ばなかったのは、すでにあの方は、神に選ばれていたからです。あの方は、神の子をお産みになります」
「えっ! 」
では、私はいったい、なぜここに。
「あなたには、私を産んでいただきたいのです」
「あなたを? 」
「はい、おいやですか」
「いや、というよりも」
青年の言っていることが、ナオミには理解できない。
「私が、嫌いですか」
覗き込んでくる青年の顔。間近で見ても、とても美しい。でも、どことなく誰かに似ている。
「嫌いですかと言われても」
今、会ったばかりである。でも私は、そのつもりであそこに寝たのではないのか。それがどうして、こんな所を歩いているのだろう。もしかして、夢遊病。
「ここ、池のほとりですよね、社の裏の」
「はい」
「今、何時ですか」
「さあ、人間の時間はわかりません」
しばらくすると、湖上に広大な敷地の美しい平屋の建物が見えてきた。
「あれが、私の屋形です」
「えっ、でもここ、池ですよね」
ずっと右手には、子供の頃から見ている馴染みのある池の輪郭。
あの池って、こんなに大きかったかしら。これではまるで湖みたい。
桟橋には、巨大な竜頭の船がつけられていた。
「奥方様、どうぞこちらへ」
船頭に助けられ、船に乗り込む。
今、私のこと、奥方って言わなかった。気のせい。
「屋形までは、この船で参ります」
屋形の桟橋には、天女のような人たちが出迎えていた。
「ようこそ、お越しくださいました。さあっ、こちらです」
天女のような人々に、屋敷の奥へと案内される。
「すっ、すごいわね。ここ、あの池の上なのでしょ。噂には聞いていたわ。あの池の上には、別世界があるって。本当だったのね」
「気に入って、いただけましたか」
「気に入るも、気に入らないも、まるで夢のよう。まるで竜宮のお姫様になったみたい」
「姫ではなく、妃ですよ。私の妻になるのですから」
「ちょっ、ちょっとまって。いつ、私があなたの妻に? 」
「そのつもりで、あそこに寝ていたのではないのですか」
「それは、そうだけど。でもあれは、冗談」
「冗談なのですか」
ナオミは申し訳なさそうに下を向くと、
「皆が、そうしろと言うから。それに、私なんか、選ばれるはずないし」
そうこうしている間に、部屋いっぱいに料理が運ばれてきた。
ナオミのお腹が、急に空腹を訴える。
寝る前に、いつもの半分も食べていないんだものね。
「これ、全部食べていいの」
「私の妻になって下さるのなら」
「えっ、それって、卑怯じゃないの」
「卑怯ですか」
「卑怯よ、食べ物で釣るなんて。私、食べ物が一番弱いのよ」
「古より、鳥でも魚でも獣でも、求愛するときは餌を持ってくるものです。人間にも、そのルールを適応したのに、卑怯者呼ばわりされるのは、すこし心外です」
「人間だからね、他の動物とは違うのよ。人間は、この宇宙で自分が一番偉いと思っているから。無論、神よりね」
ナオミは空腹に耐えられず、テーブルの上の食べ物に手をだす。
そもそもそのつもりで、あそこに寝たのだから、いまさら拒否はできない。まあ、タイプでないと言う訳でもないし、しかし食べ物を使って人を釣るというこの性格、誰かに似ているような。
ナオミはちらりと青年を横目で見る。
「何か」
「いいえ、ただ、誰かに似ていると思って」
「誰にですか」
「それが、思い出せないのよ。でも、これおいしいですね」
「これも、おいしいですよ」と、青年は別の料理を差し出す。
ナオミはそれもつまみ、
「ああ、ほんと。これもおいしいわ」と、ナオミは片っ端からたいらげていく。
「よく食べますね」と、青年は感心する。
「まあね、肉体労働は、体が基本だから。食べないことにはね。あなたは、食べないの」
「あなたのその旺盛な食欲を見ているだけで、お腹いっぱいです」
「そうね、毎日こういうものを食べていれば、一日ぐらい食べなくとも、お腹すかないかもね」
ナオミは食べるだけ食べると、丸く膨れ上がったお腹をさすりながら、
「ご馳走様でした。おいしかった」
「それはよかった」
「ここのお屋敷の料理人て、とっても腕がいいのね」
「ありがとうございます」と、青年は頭を下げ、
「料理人たちにも伝えておきましょう。妻が褒めていたと」
妻という言葉に抵抗を感じながらも、
「本当にいいの、私なんかで」
「何がです」
「だから、あなたの奥さんになる人。もっと、あなたにふさわしい人がいると思うけど。あなた、神でしょ。だったら、もっと身分のある人の方がいいんじゃない」
「身分と言いますと、人間の世界でのことですか。私たちの世界では、通用しませんよ。それに、今仰ったではありませんか、人間は、神より偉いと。でしたら、人間であるだけで十分ではありませんか」
「あれは、冗談。まあ、中には本気でそう思っている人もいないこともないけど(特にカムイなど) 私はそうは思っていないわよ」
ナオミは困ったような顔をして、
「後で、後悔しても知らないわよ」
「あなたを選んだことをですか」
「そうよ」
「後悔しませんよ、絶対に」
「じゃ、好きにすれば」と、ナオミは開き直った」
「では、好きにさせていただきます」
「やだ、ここで」

いきなり倒されたような気がしたが、目が覚めると床の中だった。ナオミは慌てて周りを見まわす。隣に彼が寝ている。夜着に着替えさせられていたが、服の乱れはない。
「おはよう。早いですね」と、彼は目をこすりながら起き出す。
その仕種はどう見ても神には見えないと思いつつ、ナオミは慌てて襟元をただした。
「心配いりませんよ、私は何もしていません。その着替えも、侍女たちがしましたので」
「それって、信じられると思って」
「信じられませんか」
「信じられる訳、ないでしょ。だいいち、こうやって隣に寝ているし」
「本当は、お言葉にあまえさせてもらおうと思ったのです。でも、先に休まれてしまいましたから、ただ寝顔を見ていただけでした。信じてもらえませんか」
「しらない」と、ナオミは横を向いて脹れた。
寝顔を見られただけでも恥ずかしい。
「お目覚めですか」と、廊下から声がかかる。
「朝餉の用意ができておりますが」
「はい、今行きます。着替えを手伝ってもらえますか」
「畏まりました」

朝食は、果物を中心としたものだった。どれもとてもおいしい。
「よく食べますね。そんなに食べて、よく太りませんね」
「よけいな、おせわよ」
まったく、こういうところがいまいちなのよね。これさえなければ、美男子で申し分ないのに。
彼は微かに笑うと、
「庭でも散歩しませんか。すこし動かないと、健康に悪いですよ。お腹も空かないでしょうから、次の料理がはいりません」
「もう、それがよけいだというの、まったく」
そう言いながら、ナオミは庭に出る。
裏庭になるのかしら、確か屋形は湖の上のような気がしたけど。この庭も広い。この屋敷、へたすると村より広いのでは。そんなはず無いか。
「村のことなど、いろいろと教えてくれませんか」
でも結局、話はカムイのことになってしまった。
「まったく奴、性格わるいのよ。誰かさんに似て」
「誰に似ているのですか」
そう言われて、誰にだろうと思う。
「ナオミさんは、その人のこと、好きなのですか」
「とんでもない」
「私と、どちらが?」
そう言われて、ナオミは一瞬黙り込んだが、
「あのね、あなた、神でしょ。神っていうから、私、もっと、」
そう、もっと威厳のある人を想像していた。
「イメージと違いましたか」
「そうね、すこし」
「がっかりしました?」
ナオミはあわてて首を横に振ると、
「そうでもないわ、かえってほっとしている」
「午後から、舟遊びをしますか」

毎日、こんな日が続いた。あれから、どのぐらい経つのだろう。一日中遊ぶと、夜は彼と床をともにした。でも彼は、なにもしてこない。
「ねっ、どうして、何もしないの?」と、隣で寝ている彼に。
「あなたが、拒否しているからですよ」
「私が?」
そんなつもりは無いが、でも心のどこかでは、そうなのかもしれない。謝るべきなのだろうか。
「それとも、怖いのでしょうか」
「そんなこと、ないわ」
彼は、微かに笑うと、
「待ちますよ、あなたが私を受け入れてくれるまで」
「毎日、こんな生活して」
「飽きましたか」
「やっぱり、仕事していたほうが。私って、貧乏性よね」
彼は、また微かに笑う。
「でも私は、そういうナオミさんが好きですけど」
「もう」と、ナオミは恥ずかしそうにうつむくと、
「あなたって、毎日、こうやって遊んでいるの」
「死んでいる時はね」
「えっ!」
ナオミは驚いて彼の顔をしげしげと見た。
「死んでいる時って、じゃ、やっぱり、ここ天国なんだ」
どうりでお花畑が美しいと思った。と安心する一方で、
「じゃ、私は?」
わたし、死んじゃっているの。
「心配いりませんよ。あなたは死んでいません。それにここは天国ではありません。残念ながら、私はまだ天国には行ったことがありませんから」
ナオミは驚いて彼の方に振り向くと、
「神のくせに」
ナオミは少し考え込むと、
「もしかしてあなたって悪魔だったりして、そして、ここは地獄。もう少し経つと、がらっと景色がかわる。悪魔は美しいって言うからね、最初、油断させておいて」
今度は彼は声をたてて笑った。
「ナオミさんって、想像力豊かですね。でも残念ながら、私は地獄にも行ったことがないのです。あれって、人間の想像の産物ではないのですか」
「想像の産物?」
「はい。空想の世界です。実在しませんよ」
「じゃ、ここはどこなの」
「私の世界です。正確に言えば、私の精神世界ですか」
「精神世界?」
「誰もが持っているものですよ。あなたも持っています」
「ちょっと待って」
理解不能。ナオミは難しい顔をした。
「ナオミさんって、頭が弱かったのでしたっけ」
うっ、その台詞、あいつがよく言う。
「あのね」と、ナオミが抗議の声をあげた時、
「平たく言えば夢です」
「なんだ、夢か。なら、はじめからそう言ってよ」
ナオミはすごく納得して、
「夢ね、夢の世界。私の」
そう、あそこで神様に会えればいいと願って眠りに付いた。そう、そうなのよ、そして今こうやって夢をみているんだわ。こうなればいいなって。
「いいえ、私の夢の世界ですよ。あなたを招待したのです」
「えっ、私を招待。つまり、これはあなたの夢の世界で、その中に私がいるって言う事」
「そう言う事です」
「と言う事は、つまり今、私とあなたは同じ夢をみているということ?」
「夢の中で、会っているというべきでしょうか」
「そうなの」
なんかわからない。ナオミは頭を掻くと、そんなことどうでもいい。夢でもなんでもとにかく、神に会えたのだから、本来の目的を。
顔をあげると彼と目が合った。
「やはり、怖いですか」
「そんなことないわ」と、ナオミは首を横に振る。
「私が、嫌いですか」
ナオミは彼の腕に自分の腕をからませた。しだいに鼓動が高鳴る。覚悟はできているのに。
彼の手が軽く髪を撫でた。
「目をつぶっていて下さい」
水の音。その音がしだいに激しさを増す。何これ! 目を開けると巨大な滝。まるで天が破れて落ちてきているような。辺り一面の水飛沫。そしてその滝壺は、遥か下。下界へと流れ落ちているようだ。その姿は荒々しく、しかしうっとりするほど美しい。これが水神様。これがあの人の本当の姿なんだわ。そしてこの水が、私の村を潤してくれているのね。思わずナオミは滝に吸い込まれそうになり、誰かの腕に強く抱かれた。

「お早うございます。お変わりありませんか」
巫女に体を揺すられてナオミは目を覚ました。
一瞬、現状が把握できない。
ここは何処。あなたは誰。あの水は? 
「だいじょうぶですか」
巫女が心配そうに、ボーとしているナオミの顔を覗き込む。
ナオミははっとわれに返った。
「だっ、だいじょうぶです」
慌てて床から起き上がると、服の乱れをなおした。だが、これといって何の痕跡も無い。
やはりあれは、夢だったのかしら。そうよね、夢だって言っていたもの。私のところになどに、神が現れるはずがないと、考え込む。
「どうなさいました」と巫女。
「いいえ、何でもありません」
しかし体がだるい。それに生々しいほどの余韻。なんなのこの感覚。
「朝食、どうなさいますか」
お腹は、空いていない。
「神のところで、いっぱいよばれてきましたか」
「えっ、ええ」
「神のご馳走は、おいしかったですか」
「それは、もう」
そう、しっかり食べた記憶はある。ついでに、よく食べると笑われた記憶も。
「それは、よかったですね」と言いつつ、巫女は床を上げ始めた。
「長老様たちが、お会いしたいそうですよ。湯浴みをしてからにいたしますか」
「では、あれは、夢ではなく」
「神が、いらしてましたよ」
ナオミはしばし考え込み、
「あれから、何日ぐらい経っているのでしょうか」
あれから少なくても十日以上は経っているはずだ。随分、ゆっくりしてしまった。
「昨日の、今日ですよ」
「昨日の今日って、たったの一晩しか経っていないの」
おかしい。私は神の国で、何日遊んで来たのだろう。
「頭がすっきりするように、お風呂に入りましょう」
巫女に手を引かれ、湯殿へとむかう。
湯殿から池がよく見える。朝霧が立ち込めているようだ。そして池の畔近く、神の腰掛といわれている岩。あの岩に、よく神が現れると言う。
ナオミはさり気なく岩を見て、目をむいた。
居る。
彼はさり気なくこちらに手を振る。
ナオミは思わず悲鳴を上げてしまった。
「どうなさいました」
巫女たちが慌てて跳んでくる。
「神が、女湯を覗いている」
巫女たちは目を丸くして笑い出した。
「やだー。神が、覗き見などするはずがないわ。何かの見間違いよ」
「それとも、男たちがいるのかしら」と、巫女たちは辺りを警戒し始める。
しかしそのような気配はない。
「ナオミ、寝ぼけているんじゃないの」
「今朝のナオミ、少しおかしいわよ。ぼーとしたりして」
ナオミは赤くなってしまった。
年配の巫女が、彼女たちのからかいを制して、静かな声で尋ねてきた.
「いらしたのですか、あの岩の上に」
ナオミは救われたという思いでその巫女の顔を見て頷く。
「神渡りがあった次の日、このような霧がかかり、よくあの岩の上に、神がお姿を現すと聞いております」
「では夕べのことは、夢ではなかったのですね」
巫女は頷いた。

ヤヨイお嬢様に貸していただいた服に着替え部屋に戻ると、既に長老たちが座っていた。上座に座布団が一つ用意されている。
「どうぞ、こちらへ」と、巫女はナオミを上座の座布団へと案内した。
ナオミは居心地悪そうに、長老たちの前に座った。
「お早うございます」と、丁寧に一礼したナオミを見て、長老たちは呆然とした。
美しい。昨夜、寝間に入るまえに見た娘とは別人のよう。
「神と契りを交わした娘は美しくなると聞いていたが、これほどまでとは」
聞かれることはわかっていた。だからナオミは、恥ずかしそうに長老たちの前でじっとしていた。
巫女は長老たちの方に座り、改まって問いただしてきた。
「確認のために、お聞きいたします。神のお名は」
これはこの社に係わる者しか知らない村の秘事である。後は神と係わったものしか知らない。
「エルシアと仰せられました」
長老たちは頷く。
巫女は立ち上がり、祭壇から笛を掲げ持つと、長老の一人に渡した。
その長老がナオミにそれを差し出す。
「この笛は、御子がお生まれになるまで、そなたが大切に保管するように」
「畏まりました」
笛をナオミに渡して立ちだそうとする長老たちに、
「お話が」と、ナオミは切り出す。
「何かな」
「今度お生まれになる御子様のことなのですが、いつもと容姿が違いまして、髪は太陽を思わせるような紅、瞳はエメラルドのような深緑でございます」
「なに!」
これには長老たちが驚いた。
それはネルガル人が理想とする姿。しかし御子は、紫の髪に黒い瞳ときまっている。これは男女どちらの姿で生まれてきても、過去に一度も変わることはなかった。
「どういうことかね」
「私にもわかりません。ただ、いつもと違うので間違えないようにとは、おっしゃられました。それと、ヤヨイお嬢様のことなのですが」
ヤヨイの名前を聞いて、庄屋が体を乗り出す。
庄屋は、神に選ばれたのが自分の孫ではないことに、少し苛立ちを覚えていた。
「ヤヨイが、どうかしたのかね」
「ヤヨイ様は、既に神と契りを結ばれていたのです。それでエルシア様は選ぶことができなかったと」
「既に契りを結んでいる?」
「ヤヨイ様のあの美しさは、既に神を宿しておられるからです。私は神の国で、大きな滝を見ました。まるでこの村を全部飲み込んでしまっても余りあるほどの。その滝に仕えているのがエルシア様だそうです。そして私は神に仕えているエルシア様をこの世に生みます。ヤヨイ様は、その滝(神)そのものを生むのです」
長老たちは顔を見合わせた。
「ただその御子は、神通力がお強いため、五感が働かないとのことです」
「どういうことかね」
「つまり、目も見えなければ耳も聞こえず、感覚もないそうです。正確にはあるのですが、働かないとのことです。そのため私たちには育てることができないと」
「では、どうすればよいのだ」
「この御子が生まれて一年以内に、マーシャという名前の方が迎えに見えるそうです。この方もエルシア様と同じで神に仕える者で、その方の声でしたら、その御子は聞くことができるそうです。ですから、迎えがみえたら、お渡しするようにと。必ずその御子が大きくなられたら、またこの村に戻られるからと。そしてこの村を守ってくださると」
長老たちはいぶかしがる。
「マーシャだな、しかし」
庄屋は考え込んだ。かわいい孫娘が腹を痛めて産む子。その子を、見ず知らずのものに渡せるものだろうか。
「その御子のお姿ですが、女の子で、髪は蒼だそうです」
「髪が蒼!」
庄屋たちはどよめいた。
それでは神ではなく、悪魔だ。ネルガル星では、髪の蒼い子は、悪魔の申し子として忌み嫌われている。生まれて直ぐに処置しないと、国に災いをもたらすと。その風習は、宇宙を支配化に置くほど科学が発達した今でも続き、蒼い髪を持って生まれてきた子は、産声をあげる前に殺された。ネルガル星の歴史の中で、よほど蒼い髪とネルガルの滅亡とは深い関係があったものらしい。今ではその史実関係は誰の記憶にもないが、その恐怖だけはネルガル人の心の奥に潜み、彼らに蒼髪狩りという異常な行為をとらせるようになっていた。それはこの村も例外ではない。ただこの村には神の生まれ変わりと言われている人物がいたため、彼の指示でその子の髪を染めることによって、他の村人に気づかれないように育てられてきた。
「神の御子です。エルシア様がそう仰せられたのですから」
「しかし」
庄屋たちは納得しがたいというように腕を組み考え込む。
「だから、さきほども言ったではありませんか、私たちには育てられないと。おそらく私たちが育てるから悪魔になってしまうのではありませんか。五感が利かない御子には、何も教えてやることはかないませんもの」
「確かに、目も耳もだめでは」
はっきりしない庄屋たちに、ナオミは念を押した。
「神の御子です。この村を守ってくださるのです。大切にしてやってください」
「エルシア様がそう仰せなら」
その言葉を信じるしかなかった。過去に、彼の助言で幾度この村は救われたかわからない。
「わかった。ヤヨイの御子は髪を染め替えて、迎えが来るまで大切に育てよう」
「ありがとうございます」と、ナオミはほっとして頭を深く下げた。
「それよりナオミ、お前のことだが、明日から婿選びをしないとな。早く神を産んでもらわんと」
「そうだな、この森の力が弱まる」
「明日からですか、ちっと待ってよ。明日一日ぐらいゆっくりしたい」
体が無性にだるい。今は眠りたい感じだ。
「今日はいまから、休めばよかろう。家のものに床を用意させよう」
「そんな、昼まっから寝られませんよ」
眠い目をこすりながら。

やっと長老たちから解放され、社の外に出ると、ヤヨイが待っていた。
「おめでとう、神がお渡りになられたそうね」
既に村中は、その話で持ちきりだ。次々とお祝いの言葉が掛けられる。その中に、カムイと一緒にテールの姿もあった。
テールは不思議そうにナオミを見ると、カムイに、
「俺の妹とって、あんなに綺麗だったっけっか」
今朝のナオミは、いつものナオミと違って見える。急に、色っぽくなったような。
カムイもそれは感じていた。急に大人になったような。
やはりあの中で何かあったんだ。何も知らないナオミをあの老人たちが。カムイはこぶしを握り締め震えた。
ナオミはナオミで兄の姿を見て、ふと神の言葉を思い出す。ゲテモノ。
いきなりテールの方に向きを変え、大股で歩き出すナオミに、
「どうしたの」と、ヤヨイ。
「ちょっと兄に、聞きたいことがあるのよ」
テールの前に仁王立ちになると、
「兄さん!」
その剣幕に、思わず後ずさりしながら、
「なっ、なんだ」
「兄さんは、私のこと、ゲテモノって言ったそうね」
テールはたじたじしながらも、
「そんなこと、言った覚えはないが」
「嘘をおっしゃい。私、神から聞いたのよ」
テールは身に覚えがないと、首を傾げる。
「もー、誤魔化そうったって、許さないから」
「俺、一度もそんなこと言った覚えないぜ」
「嘘、神が私を選ぶようなら、神はそうとうなゲテモノ好きだとかなんとか言ったんじゃないの」
その言葉で、テールはやっと身にあたった。
はっと、カムイの方を見る。
その視線をナオミは追い。
「言ったのは、カムイ?」
いきなり自分に振られたことを悟ったカムイは、慌てて首を大きく横に振った。
「まーいいわ、どうせ二人で言っていたのでしょうから。二人ともそこへ倣いなさい」と言うと、ナオミは近くの小枝をへし折り、振り上げた。
こうなると、倣えと言われておとなしく倣っているわけにもいかない。二人は合図でもしたかのように同時に逃げ出す。
「こら、待ちなさい」
追いかけようとするナオミをヤヨイは止めた。
「女の子でしょ、神に見初められたのですから、もう少しお淑やかにしたほうがいいわよ」
「どうせ、私はお嬢様とは違うのです。あんな奴等相手に、お淑やかになんかしてられますか。まったく、逃げ足が速いんだから。どこに行ったのかしら」
ヤヨイは呆れたようにナオミを見た。
あっと、ナオミは思い出したよいに、
「そうだ、お嬢様に話があるんだ」
「私に?」
ええと言いつつ、ナオミは長老たちに話したことを、ナオミにも話した。
「私が、神の子を?」
ヤヨイは信じられないという顔をする。
「そうなのよ、きっとあの時だと思うわ、お嬢様が神と会ったのは。以前、神隠しにあったでしょ。私、小さかったけど、覚えているわ。村中が大騒ぎしたもの。社の納戸の中で見つかったて。きっとその時ね、その時しか考えられないもの」

一方、テールたちは、
「どうやら、助かったな。まったく神も、余計なこと言うぜ」
「神なんか、信じているのか」と、カムイ。
「信じるも信じねぇーも、お渡りがあったんだぜ。それも俺の妹のところに。まったく、神の国へ行ったというから、もうすこし上品になってくるかと思えば、以前となんにも変わっちゃいねぇー」
ある意味で、テールはほっとしていた。
「なっ、テール」
「何だ?」
カムイは言いよどみながらも、
「ナオミさん、綺麗になりましたよね。その、なんていうか」
「ああ、神と契りをかわした者は、美しくなると昔からいわれているんだ。あれなら、ヤヨイお嬢様と並んで歩いても、引けを取らなくなった」
まさしく、二人が並んで歩いている姿は、眩しいぐらいだった。
「兄としても、鼻が高いよ」
「長老たちに、悪戯されたとは考えないのか」
テールは、けげんな顔でカムイを見た。
「俺は、神を信じないから」
人が人を支配する時、よく人は神の名を口にする。これだけ科学の進歩したネルガルでも、その手段は有効だった。何時の世も、科学で説明できないものは存在する。それを人は恐れる。それ故にだろう。ネルガル星でも、神の名のもと戦争が繰り返されている。これではまるで、神なのか悪魔なのか知れたものではない。カムイの町も、神の名の下、空爆で消滅した。あれは、神などではない、悪魔だ。
「まあいいさ。そのうち解かる。お前が神を信じなくとも、神はお前を認めたんだ。だからお前はこの村にいられるんだぜ。しかしあいつ、神と契りをかわしたのなら、もう少し女らしくなってもいいと思わないか。もしかしてあいつ、神のことも、竹箒で追いかけ回していたんじゃないか」
そう思うとテールは急に不安になった。もしかして、神に振られたのでは。その腹いせに俺たちを。
テールは走り出した。
「おい、どこへ行くんだ」
「ナオミのところだよ、ちょっと聞きたいことがある」
カムイも慌てて後を追った。

ナオミとヤヨイが屋敷に戻って来るころには、屋敷は既に引き出物で溢れかえっていた。
「なに、これ」
どの引き出物にも、名前がしっかり書いてある。中には上申書までついているものもある。
「まったく、気の早いことよ。明日、告知しようと思っておれば」と、庄屋は呆れ返っている。
だが、自分にも息子がおれば、こうしたであろうことは、わかりきっていた。
「ナオミ、お前の部屋は今日からヤヨイの隣だ。神の子を宿している娘を、侍女たちと一緒というわけにもいくまい」
「あの、私、今までどおりで結構です」
ナオミは遠慮した。親のいない兄妹を、ここまで面倒みてくれたのだから、それだけで十分だった。
「遠慮はいらん。ここを使いなさい。隣なら、互いに相談もしやすいだろう」
ヤヨイも神の子を宿しているというのだから。
「そうしなさいよ。本当は私、以前からこうしてもらうように、何度もお爺様に頼んでいたのよ。それなのにお爺様ったら、けじめがどうのこうのと仰って」
そこへテールたちがやって来た。
「侍女たちに聞いたら、ここだと言うから」
「丁度よいところに来た、引っ越しを手伝ってやれ」
「引っ越し? 誰の?」
「お前の妹に決まっているだろう。今日から、ここがナオミの部屋だ。変な虫が付かないためにもだ」と、庄屋は言うことだけ言うと、さっさと奥へと引き上げていった。
「まっ、お爺様ったら」と、ヤヨイはくすくすと笑う。
「なっ、ナオミ。少し話があるんだ」
「なに、兄さん。あらたまって」
テールはヤヨイを気にする。
ナオミは兄の視線を感じ取り、
「お嬢様に聞かれたら、まずい話?」
「いや、別にそういう話ではないんだが、あの、その、なんだな、神と」
「何よ、はっきり言いなさいよ」
「だからつまり、その、あのだな」
「そのあのじゃ、わかんないじゃないの」
テールは苛立ち任せに、
「男の俺に言わせる気か」
ナオミは兄が何に苛立っているのかわからない。
「だからつまり、神の子は、きちんと授かってきたのかと言うことだよ」
「やだ、兄さん。女の私にそれを言わせる気だったの。それこそ恥ずかしいじゃないの」
ナオミはほのかに頬を赤くしながら、
「授かってきたわよ」
「そうか」と、テールは安心した。
「たぶん」
「たぶん? たぶんって、頼りねぇーな」
「だって、よく覚えていないんだもの。でも、生まれてくるのは男の子よ。髪は紅、瞳は緑」
「ちょっと待て、何だ、そりゃ」
御子は髪が紫で瞳は黒と決まっている。
ヤヨイも怪訝な顔をした。
「お前、本当に相手は神だったのか。間違って別の奴と。お前、そそっかしいから」
「間違うはずないわよ。一目でこの人が神だとわかったもの。皆、彼に侍っていたし、それにあんな気品のある人、今までに会ったことないもの」
「そっ、そうか。じゃ、何で」
「それは、私の方が聞きたいわ。仕方ないでしょ、神がそう言ったのだから。来世の姿は」
「このこと、長老たちにも言ったのか」
「言ったわよ」
「奴ら、何って言っていた」
「納得したわよ」
テールは黙り込んでしまった。本当に、神の子を生めるのか、こいつに。村の前途がかかっているんだぞ。何で神も、よりによってこんなじゃじゃ馬を。
「兄さん、何か言った」
「いや、何でもない」
「じゃ、荷物運んでよ。せっかく庄屋さんがこの部屋用意してくれたのだから」
四人でナオミの部屋に荷物を取りに行く。
何人か手伝わせるかと、テールは仲間を呼びに行く。
「とりあえず、運べるものから運びましょうか。家具類は、男の人達が来てから」
「そうね」と、ナオミは手近にあった文机を持ち上げようとした時、後ろからさっと手が出たのにドキッとした。
まるで神が手を添えてくれたような。
思わず振り向くと、そこにカムイがいた。
「俺が運ぶよ。あまり重い物は持たないほうがいいだろ」
「やっ、やだカムイったら、何、勘違いしているの」
ナオミは赤くなりながら。
「勘違い?」
「そうよ、まだ妊ったわけじゃないわよ」と、脹れる。
「だって今、男の子がどうのこうのって」
ヤヨイはくすくす笑う。
二人の視線を感じて戸惑っているカムイに、
「あっ、ごめんなさい。笑うつもりはなかったのよ。カムイさんはこの村の人ではないから、知らないのですものね。本当にごめんなさい。ナオミさん、殿方を見つけないと、子供を持つことはできないんですよ」
「あら、それはお嬢様も同じよ」
「そうね。では、どちらが早く殿方を見つけるか、競争しません」
「それ、いいわね。でも私の方が有利よ、今の状況では」
二人は楽しそうに笑う。
そこへテールが数人の仲間を連れて戻って来た。
碌な家具もないのに、こんなに男手があっては、引っ越しもすぐに終わった。
男たちは帰り際、
「ナオミさん、早く丈夫な御子、生んでくださいよ」
「わかっているわ」
「期待してまーす」
「だったら申し込んでいったらどうだ、婿候補」
「テール、馬鹿なこと言うなよ。俺たちが、神の父親になれるはずないだろう。恐れ多すぎるぜ」
わいわいと騒ぎながら、彼らは去った。今度は誰が婿になるかの賭けのようだ。

「不思議だな」
「何が?」
「誰も、あの社の中で何があったのかと、疑わないんだな」
「お前、まだ長老たちがナオミを手篭めにしたと疑っているのか」
「他に、考えられないだろう」
現にナオミは色っぽくなった。
テールは呆れたという顔をしながらも、声を潜めて、
「今の話、ここだけにしておけよ。他の連中に聞かれるとやばいからな。まあ、御子が生まれればわかることだよ。もっとも、今度の御子はいつもの御子とは違うようだが」
まあ、母親が母親だからなと、テールは自分に納得させた。
「違う?」
「ああ、容姿がな」

次の日、庄屋の屋敷の前は、村中の男が押しかけて来たのではないかと思われるほどの賑やかさだ。
だがどの若者も、集落を代表するような者ばかりだ。
この村には、約一万近い人がいる。その者たちが、大なり小なりの集落をつくり、その集落がナオミの祖父を中心として、一つの村にまとまっている。長老とは、その集落の代表者たちのことであり、別に老人ということではない。集落で世代交代があれば、若い者が長老となることもある。だが一般に年寄りが多いことで、いつしか長老たちと呼ばれるようになった。村の行事は、彼らの話し合いによって全て執り行われる。
そして今、庄屋の屋敷前に集まっているのは、それぞれの集落を代表する者の倅が多い。

ナオミとヤヨイは、その様子を二階の窓から伺い見、
「どの殿方も、りっぱね。あれでしたら、誰をえらんでも」
「そうね」と、ナオミは気の無い返事をした。
「気に入らなくて」
「そうではないけど、なんか、私とでは、つり合わないような」
「神の父親になる方ですよ、あのぐらいの方々でなければ」
確かに、レーゼ様の父親も母親も、それなりの地位のある人たちだった。でも私は違う。ただの小間使い。ではせめて父親だけでもと思うのだが、私にそんな人の妻が務まるのだろうか。
「どうしました、ナオミ」
「私、お嬢様とは違うから」
この期に及んで怖気付く。どうしょうかしら。
そこへ侍女がやって来た。年齢はナオミと同じぐらい。
「庄屋様がお呼びですよ。早く降りてきて、皆さんに挨拶しなさいって」
何をどうしたものかと思いつつ、庄屋のところへ行くと、
竜玉の枝は、とりあえず預かりなさい。その場で返すのは失礼だから。後々よく熟考した上で、ご返事申し上げますと言うように言われた。
それから一人ひとり、数十分の時間をとり挨拶が始まった。

「すげーな、あんな男おんなにも、神の子を生むとなると、あれだけの連中が集まってくるものなのだな」
テールは感心する。
「しかし、嫁にもらってからが苦労するぜ、絶対」
「そうですよね、ナオミさんのことですから、気に入らない事があるば、夫でもなんでも竹箒で叩きのめしてしまうでしょうから、すぐに追い出されますよ」
「それじゃなんかい、俺の妹は、ああいう立派な家じゃ、勤まらないとでも言うのか」
自分で妹の悪口を言うのはかまわないが、他人に言われるのは気に入らない。
「別に、そういう意味でいったわけでは」
「じゃ、どういう意味だ」
テールはやたら絡んだ。
「カムイ、助けてくれよ」
カムイはこの不思議な光景を、庭越しにじっと見ていた。
「カムイってば」
テールに首を絞められそうになって男が叫ぶ。
カムイはその声でやっと振り返り、
「今日は、テールには近づかない方がいいぜ。今朝から機嫌が悪いから」
今朝からと言うよりも、あの行列を見てからと言うべきか。おそらく妹が、自分の手の届かないところへ行ってしまう気がするのだろう。
「カムイ、行くぞ。あいつの花婿選びを見ていても、仕方ない。俺が結婚するわけでもあるまいし。まあ、誰になろうと俺には関係ないし。仕事した方がよっぽど村のためだ」
「でも、お兄さんって呼ばれるんだから、少しは関係するんじゃないの」
「てめーは、うるさいんだよ」
もう一度首を絞められては大変だと、男は逃げ出す。

午前中の見合いが終わると、また午後からはじまった。こんなことが三日ぐらいつづいた。よくこの村に、これだけの男性がいたものだと思われるほど。だがさすがに三日も経てば、申し込みに来る者も減り、やっとナオミはいつもの生活に戻った。
「いいの、こんなところで仕事なんかしていて、早くお婿さん選ばないと」
「一度にあれだけの男と会っては、最後にはどれも同じに見えちゃって」
「やーだ、ナオミったら」
「それで、少し間をおいて、じっくり考えなさいって、庄屋さんが言うものだから」
それで皆と、倉で冬支度。つけものなどをはじめた。その隣では、男たちが農機具の手入れをしていた。冬の間に修理をしておかないと、春になってすぐに使えない
男たちが黙々とやっているのに対し、女たちは賑やかだ。話はしだいに神のことになっていった。
「ねっ、神様って、どんな感じの方」
「どんな感じと言われてもね、容姿端麗、眉目秀麗というところかな」
「なに、それ」
「姿形はとてもいいのだけど、ちょっと性格が、ひねくれているのよ」
「えっ」と、ナオミの意外な言葉に、誰もがナオミを見た。
「だって、ちょっと聞いて。私の食べている姿を見て、食いっぷりがいいだの、それだけ食べてよく太らないだのと言うのよ。女性の私に対してよ」
「それって、私も思うけど」
「私も」と、何人かの侍女たちが相槌をうつ。
「ひどい、皆、今までそう思っていたの」
うんうんと頷く仲間たち。
「まあいいわ、じゃ、これは。彼、生まれてきたら、私のこと母上って呼ぶって言うのよ」
「いいわね、神様から母上って呼んでもらえるんだ」
侍女たちは夢のようだと連想する。
「だから私、言ってやったの。生まれてきたら、もっと素直な性格になるように、しっかり教育してあげるからって」
皆は驚いたようにナオミを見て、
「そんなこと、神様に言ったの」
「そうよ、そしたら彼、何て言ったと思う。来世はそうとう性格が歪みそうだって」
それを聞いたとたん、侍女たちは爆笑した。ヤヨイなどは、目からこぼれてくる涙を指先で押さえている。
「もう、何がおかしいのよ」
「それって、神の言うことの方が正しい」と、テールが口だす。
いつのまにか男たちも話を聞いて笑っている。
「やっぱ、見間違ったんじゃないか、ヤヨイ様と。お前、お嬢様の服、借りて行ったから」
「神様も、かわいそう」
神は、いつしか男たちから同情を寄せられていた。
「もっ、何よ、それじゃまるで、私が悪魔みたいじゃない」
「みたいじゃなくて、そうだろ」
「兄さん、もう許さない」

それから月日が流れ、冬も終わり春が始まろうとしていた。だが、ナオミの婿はいっこうに決まらない。長老たちからは早くしろとせがまれ、ナオミはしだいに焦りを感じていた。
「ナオミ、考えすぎるのでは」
ここの所、毎日のように婿候補の身上書を見ているナオミに、ヤヨイは声をかけた。
「神様の父親になる人よ、それを考えると」
最終的には、十人までに候補をしぼったものの結論がでない。
私、誰にしていいのかわからない。どうしよう、このまま婿が選べなかったら。
「お嬢様はどうするの。お嬢様も神の子を生むわけだから」
「お爺様、あなたのことで頭が一杯なのよ。私の方まで気が回らないみたい」
「ごめんね」
「謝ることないわ。まずこの村に必要なのは、あなたの生む御子よ。私の方は、それからでもいいのですから」
そう言われて、よけいに罪悪感が深まる。
「ごめんね、早く決めるから」
「慌てることないわよ。自分で納得できる人を選んだ方がいいわ、一生のことですもの」
そこへ、
「おい、ナオミ。何、さぼってんだ」と、兄。
ここのところ皆は春の準備で忙しい。野山は芽吹き始め、田畑にも農耕用の機械が動き始めた。
兄の手入れがいいせいか、機械は順調のようだ。
「別に、さぼっているわけじゃないわよ。仕事が手に付かないだけよ」
「それを、さぼっていると言うんだ」
「うるさいわね」
ナオミはきれかかっていた。
「いい加減にしたらどうだ。どいつが婿になったってそんなに違いはないぜ」
「じゃ、兄さん選んでよ」
ナオミはそう言うと、身上書を叩きつけるように兄に渡し、その場を去った。
「俺に選べって、俺が結婚するわけじゃねぇーのにな」と、困り果てた顔をしてカムイを見る。
カムイはあたりに散った身上書を丁寧に拾い集め、
「どの方も、すばらしい人たちですね」と、感想を述べる。
自分の居た都市ならば、貴族という階級にあたる人たちだろう。不思議なことにこの村に貴族階級はない。長老と呼ばれている人たちも、自分たちが他の者より優れていると思っていないせいか、野良仕事も他の者たちと同じようにこなす。ただ違うのは、いつも指導的な立場にいるというだけのことだ。戦場で言えば前線で指揮をとるような、決して後方で見物などしていない。そういう人たちの倅だ。まず、誰を選んだところで間違いはないだろう。
「いくらすばらしくても、好きでもない方と、結婚はできないものなのですよ、女は」
「と言いますと」と、テールはヤヨイを見る。
「ナオミさん、好きな方がいらっしゃるのではないかしら」
「ナオミに」
これは初耳だ。恋だの愛だのには縁の無い奴だと思っていた。
「好きでもない男とは結婚できなくとも、寝られるのか」
「カムイ!」
テールは慌ててカムイを庭の隅の方へ引っ張ると、
「おい、お嬢様の前で、何ってこと言うんだ」
それからもう一度カムイをヤヨイの前へ連れ出すと、
「すみません、こいつ、ナオミのことになると何故か」
「いいのですよ」と、ヤヨイは何も気にしていない様子だ。
それどころか微かに笑うと、
「どうしてカムイさんは申し込まないのですか。この村の独身の男性でしたら、誰にでもその資格があるのですよ」
「私は、この村の者ではありませんから」
「ですが、森はあなたを認めましたよ。森に認められたということは、あなたはれっきとしたこの村の住人ですよ」
そこら辺の解釈が、カムイには理解できない。
「丁度よいところにいた。テール、ちょっと付き合ってくれないか」と、庄屋が忙しなくやって来た。
「これは庄屋様、どちらへ」
「巫女のところだ。巫女のところへ行って、早く婿を決める方法をおそわってこようと思ってな。このままでは何時になっても埒が明かない」
「すみません、妹のことで、いろいろご迷惑かけまして」
「妹のことより、この村の存亡がかかっているからな」

巫女の所にはすでに知らせがあったのか、お茶が用意されていた。
「どうぞ、こちらへ」
居間へ通される。
庄屋は挨拶もほどほどに、「実は」と、切り出した。
「ナオミさんのことですか。まだお婿さんが決まらないようですね」
「そうなんですよ、そのことで」
巫女は大きな溜め息をつくと、
「それは、肝心な方が、申し込まれていないからですよ」
「肝心な方と申しますと」
「おそらくその方は、何がしかの理由があって、申し込むのを控られたのでしょう。例えば村での地位とかによって」
「では、今度の婿は、指導的な立場の者ではないと、巫女殿はお考えなのですか」
「まあ、俺の妹だからな、そう大層な婿にこられても」
「いえ、そういうわけではありません。ただ今は、その方の実力を、誰もが気づいていないというだけのことです。神以外は」
「そんな人物が、この村におるのか」と、庄屋はテールを見る。
テールは首を横に振った。
大概の若者は知っている。そんなに大きな村でもない。もしそのような人物がいれば、噂になるはずだ。だが、そんな噂も聞いたことが無い。
「心当たり、ないな」
果てさてと困り果てている庄屋に、
「神は、元来、お姿がないのです。そのため人前に現れる時は、誰かの姿を借りることになります。この村の男性の姿を。ナオミさんには、既に好きな方がおられるのではありませんか。女は、いくら相手が神だとはいえ、見ず知らずの男性に心を許したりはしません。ましてナオミさんは気のお強い方ですから」
えっ、ヤヨイお嬢様と同じことを言う。
「それが、許してもいいと思ったということは、神がその方に似ておられたから。つまり、もう既にナオミさんの心の中では決まっているのです。それなのに決まらないということは、その方が今だに申し込んで来ないからです。テールさん、兄として心当たりありませんか」
そう言われてもな。テールは視線を空中に泳がせた。
「おい、本当に知らんのか」
「そうだ、いっそのこと、ナオミに直接聞いてみよう」
「聞いたところで、無駄だと思いますよ。ナオミさんもまだ、自分の気持ちに気づいておられないのでは」
「そうかも知れんな」と、庄屋は腕を組みしばし考え込むと、不意に顔を上げ、
「私によい考えがある」
「どんな考えですか」
「五日後、私の屋敷に、候補者十名を集めよう。そして誰が神に一番似ているかナオミに聞くのだ」
「しかし、あの中にはいないんじゃないのか。居ればとっくに」
「その通りだ。おそらく居まい。だからそれ以外に心当たりの者を数名呼びつけておく。婿は、以外に身近なところに居るのかもしれない。そうではないかな、巫女殿」
「私も、そう思います」
「巫女殿、悪いが立ち会ってくれないか。それに長老たちにも、数名立ち会ってもらおう。ナオミがどんな人物を選んでも、その場で納得してもらうために」
「わかりました。五日後ですね」

その前日、
「明日、いよいよ婿が決まるらしい。庄屋さんもいよいよ我慢の限界に達したらしく、強行採決するそうだ」
まるで他人事のようにテールは言う。
「あの十人の中からか」
「いや、あの十人の中にはいないらしい」
「では、いったい」
「俺に聞くな、わかるはずなかろう」と、テールはコンピューターの配線をいじりだす。
テールはテールなりに、妹が結婚することが、嬉しくもあり寂しくもあった。今までのように、妹をからかう訳にはいかない。
「おい、そのチップとってくれ」
カムイは今ではすっかりテールの助手になっていた。だがここに至るまでは、酷い言われようだった。
「貴族でもあるまいし、よく何もできないで、その歳のまで生きてこられたものだ」
カムイは苦笑するしかなかった。そう、今までは、何もしないですんだ。全て周りの者がやってくれたから。だが、この村は違った。自分に何が出来るかが、この村での居場所をつくる。
「テールは、機械には詳しいんだな」
「ああ、俺の両親はコンピューター技師だったんだ。町に部品を調達しに行って、そこで内戦に巻き込まれ、死んだ」
まだテールが十歳の頃だった。ナオミは八歳。
「悪いことを聞いた」
「いや、俺がかってに喋ったんだ」
しかしこの村は不思議だ、知れば知るほど。
一見、どこにでもあるような農村風景に見えるのだが、全ての田畑は幾何学的に配置され、水はどの田畑にも均等に行き渡るようになっている。住む家はというと、森林に囲まれているだけあって、木造の家が多い。それも大家族のため、家自体が大きい。かなりしっかりした設計をしなければ、柱が持たないのではと思うほど。そして家の中を見れば、近代的な空調設備と電化製品。これだけの生活ができるのは、他の町へ行っては、かなり上流の者に限られる。それなのにこの村では、この生活が当たり前のようになっている。生活レベルにおいて上下の差別は無い。皆で午前中は仕事、無論、子供は勉強。午後からはそれぞれの趣味に勤しむ。なんと言っても勉強から開放された子供たちの元気な声と笑顔が午後を印象付ける。これだけ明るい子供たちを他の町では見られまい。
「おいカムイ、それ取ってくれって言ってんのに」
「あっ、悪い」
「なに、ボーとしてんだよ」
「いや、この村はおもしろいと思ってな。これだけの衛星通信の機器を持ちながら、神を信じているんだからな。たまには神が通信してくることもあるのか」
「馬鹿なこと言ってねぇーで、さっさと手伝ってくれ。これ直したら、コピー機も直さなければならないんだ。壊れるときはいつでも、二、三台同時なんだから、やんなっちゃうぜ。もしかすると、スクリーンもだめか。これじゃ、午後になっても終わらないぜ、まったく」
だが本当のところ、テールは機械いじりが好きだ。文句を言いながらも、始まると三度の飯も忘れるほど夢中になる。結局、夢中になっている奴だけが、午後も仕事をしているのがこの村の特徴だ。仕事と趣味が兼任しているとでも言うべきなのだろうか。
「なっ、テール。明日、ナオミさんの婿が決まるんだろう」
「ああ、あの庄屋の勢いじゃ、矢でも負うでも決めるだろうな。気になるのか」
「気にならないのか」
「俺は、別に。それどころか、婿になった奴は、気の毒で顔も見られないぜ」
「だって、あの十人の中にはいないんだろう」と、カムイはテールの言葉を無視して話を続けた。
テールも少しまじめに、
「あの十人の中どころか、今まで申し込んだ奴らの中にはいないらしい」
「では、誰が」
「いっそ、お前、申し込んだらどうだ。お前が弟なら、俺、やりやすいし。なにより、ナオミの手の早さをよく理解しているから、竹箒からも逃げられるしな。婿がナオミにぼこぼこにされるたびに、俺がいちいち謝るのも、大変だろう。どうだ、いっそのこと」と、テールは言いつつも、視線を宙に浮かし、
「まあ、無理か。あんな男おんな、嫁になどしたら一生悔やむからな。俺だってご免なのに、お前に押し付けるわけにもいくまい。しかし、神も物好きだよ。あんなの母親に持っちゃ、生まれてから苦労するだろうに」

翌日、ナオミの見合い大会とも題すべき会合が、午後から始まった。その前に、前日から通信機相手に格闘しているテールのところに、侍女が来た。
「直りましたか」
「あと少し」
「では、切のいいところで、庄屋様がお呼びですので。会合に、あなたも参加して欲しいそうです」
「俺も。俺は兄だぜ、婿にはなれないぜ」
侍女は吹き出す。
「いやだ、立会人としてですよ。それにカムイさんも」
「俺もか」と、カムイは自分のことを指差す。
「では、確かに伝えましたよ」と、侍女は去った。
テールは通信機の下から這い出すと、
「まあ、行くだけ行くか。どんな奴が婿になるか、いや、どんな奴に不幸が降り注ぐのか、見ない手もない」
「神の子をもうける夫婦は、幸せになると聞いたが」
「それは、今までの話だ。それよりお前、信じていないんだろう、そんなこと」

「おっ、来たか」
庄屋は、まるでテールたちが来るのをまっていたかのように、執事たちのところを指差し、そこに座るように促す。
広間には、候補者十人とナオミ、それに数人の長老といつも一緒に働いている執事や若者たちが数人、車座に座っていた。外には、やじ馬の山。
「では、始めますか、巫女殿」
「畏まりました」と、巫女は姿勢を正すと、
「今から、神様のことに付きまして、一、二お話いたします」
そこで一呼吸すると、
「元来神様は、お姿をお持ちではありません。よって皆さんの前に現れる時は、誰かの姿を借りることになります。そこでナオミさん、あなたにお伺いしたいのですが、神は、どのようなお姿で在らせられましたか」
「どのようなと、言われても」
ナオミは考え込む。
「では、目を閉じてください。思い当たることから、口にしてみて下さい」
「ええと、まず、髪は紫だった。瞳は黒」
これは、この村の者なら誰でもが知っていることだった。逆に、紅い髪だと言われては驚く。
「色白で、背はすらっとしていたわ。中肉中背というところかしら。立ち振る舞いがとても優雅で、それなのに、何故か性格が、素直じゃないのよ。レーゼ様とは雲泥の違いだわ」
「わかりました。それではその神のお姿を、目に浮かべながら、今から私の言うようにしてみてください。まず、髪を焦げ茶か赤茶に」
これはこの村で一番多い髪の色だ。
「次に、瞳を茶あるいは緑かかった茶。どうですか、誰かに似てきませんか」
ナオミは首を傾げながら、
「でも、こんなに上品な人、この村の人たちには悪いけど、いないわ」
「では、肌の色も、もう少し日に焼けた感じにしてみたらどうですか」
ナオミは神のイメージを、畑仕事をしている感じにしてみた。すると、確かにこの姿、誰かに。そういえば、最初に神に会った時も、初めて会ったような気がしなかった。
「神の性格ですが、おそらくそれは、神本来の性格ではなく、あなたがその男性に抱いている性格ではないのでしょうか」
「わたしが?」
「さっ、ゆっくり目を開けて、神と同じ姿の男性が、この中に居るはずです。よく見てください」
「この中に?」
ナオミは半信半疑で男たちを見まわす。
「どうですか」
ゆっくりひとりずつ。
すると、はっと思い、ある男性の前で視線が止まった。居た、誰?
「まさか、そんなはずが無い」
名前より、驚きのほうが先に出た。
「どうしました」
「違うわ、なにかの間違いよ。もう一度、よく思い出してみる」
ナオミは目を強くつぶりなおした。だが、比べれば比べるほど、似ている。
「そう、似ているのよ。神を下品にすれば」
「どなたにですか」
ナオミは目を開けると、その男を指差した。
「どうして、彼はよそ者よ。それに神など信じていないし、それどころか、馬鹿にするのよ」
ナオミは訴えるように巫女に言う。
巫女は指先の人物を確認して、
「カムイさんですか」
指された方のカムイも驚いていた。
巫女はやれやれという顔をすると、
「やっと、決まりましたね」
「少し、お待ちください」
意義を唱える者がでた。それも数人。会場がざわめく。
「ナオミさんが言われたとおり、彼はよそ者です」
「森が認めたのですから、彼はこの村の住人です」
「しかし、ここへ来て、日も浅い」
「それは関係ありません。現にあなたも、よそ者ではありませんか。この村にずっと住んでいる者からすれば」
「しかし、私は祖父の代からです。母は、れっきとしたこの村の者ですし」
巫女は軽く首を横に振ると、
「静かに。全ては、最初から決まっているのです」と言って、会場を黙らせると、
「神は、ご自身の母親になる人を決めた段階で、既に父親になる方も決めておられるのです。その人がよそ者であろうと地位が低かろうと、人間界のしがらみは神の世界では通用しません。神はその人の本質だけを見て、お決めになります。あなたが言われるように、カムイさんはまだこの村に来て日が浅い。そのため皆さんの手伝いのようなことしか出来ませんが、そのうち、あなた方が必要とするような人物になることでしょう。神がお選びになられた方ですから」
「そう言う事だ」と庄屋は言うと、テールに視線をむけ、
「テール、そいつにこの村の求婚の仕方を教えてやれ。今日中に申し込むように。もういつまでも待てんからな、春になってしまう」
春になると農作業が忙しい。神もそれをお考えになってわざわざ時期を選んで下っているというのに。
「わかりました」と、テールはカムイの腕を掴んで立ちだす。
「来い」
「どこへ?」
場所も告げずに、テールはカムイをその場から引き出した。
「こっちだ」
「どこへ行くんだよ」
「竜木の枝を取ってくるんだよ」
「竜木の枝?」
「本来は、実がいいんだが、この季節じゃまだ花も咲いていないからな、実などなっているはずもない。だから、枝で我慢してもらうんだ」
竜木なら、この村のどこにでもある。庄屋さんの家の庭先にもあったはずなのに、どこへ取りに行くのだろうと思いつつ、カムイはテールの後につづく。
「この村の求愛の仕方だけど、好きな女が出来たら、竜木の枝や花や実を送るのが慣わしなんだ。それを女が受け取ってくれれば、結婚成立、拒否されれば、だめということさ。でもよ、よく熟れた竜玉はとっても美味いから、少しぐらい男が不細工でも、その竜玉の誘惑にまけて、受け取ってしまう女が多いんだ。だから皆、竜玉が実るのをまって求愛するのさ。現にその時期に求愛すると、振られる確率が低いんだぜ。ナオミなんか、てき面だったのにな、あいつ食い意地がはっているから」と言いつつ、テールはさっさと歩いて行く。
後から黙々とついて来るカムイを見て、
「どこまで行くのかと、思っているんだろ」
現に、先ほども竜木を通り過ぎている。
「どうせなら、池の畔のやつがいいと思ってな。竜玉も、あそこに実るのが一番おいしいんだ」
池の畔まで来ると、いきなりかムイが飛びのいた。
「どうした?」
「蛇だ」
「蛇?」
カムイの足元を見ると、白い蛇がとぐろを巻いている。
「これは、白蛇様。お久しぶりです」
テールは丁寧に頭をさげると、
「お休み中だ。起こさないように、そっーと」と、道を迂回しようとする。
「蹴飛ばして通れば、それまでなのに」
「あのな、白蛇様は、神の使いなんだ。あんまり罰当たりなことは言うな。ここのところ、暖かいので、お目覚めになられたのだろう」
カムイは蛇に、庄屋にも使ったことの無い敬語を使うテールを見て、呆れた顔をする。
「まあ、そういう顔をするな。白蛇様には借りがあるんだよ。ナオミが池で溺れかけた時、助けてもらっているんだ」
「蛇が?」
人間をどうやって助けたというんだ。そういえば以前、初めて白い蛇を見た時、あまりの気味悪さに撲殺しようとして、ナオミに酷く怒られたことがある。
蛇の前を去ろうとした時、蛇が急に鎌首をもたげた。じっとテールとカムイを睨む。
カムイはとっさに、あの時のことを恨んでいるのかと思ったが、テールは違うことを思ったらしい。
「何か、私にご用ですか」と、蛇に問いただしはじめた。
マジでこいつ、蛇と話すきか。
白蛇は、付いて来いと言うがごとくに、頭を振った。
「カムイ、白蛇様がご用があるらしい」
テールは白蛇について行く。
それどころではないだろうと思いつつも、カムイも仕方なしにその後につづいた。
「よっ、なんで白蛇がお前に用があるとわかるんだよ」
「なんとなく」
白蛇に導かれるまま、社の裏を通りしばらく行くと、水が湧き出ている場所に出た。雪解けが始まっているのだろう、水の量もしだいに多くなってきている。この水面の盛り上がり方によって、村人は田植えの時期を決める。カムイは最初、ここがこの池の源泉かと思っていたら、池の底にもっと大量に水の湧いているところがあるらしい。
そこまで来ると、白蛇はぴたりと止まり上を見上げる。
そこには樹齢数千年とも言われている村でも一番古い竜木の大木が、今でも青々と生い茂っている。
「凄い木だな。この池が出来たときからここにあるみたいだ」
「そうかも知れないな」と、テール。
もう年のせいか、あまり実を付けることはない。それでも村人はこの木を大切にし、この木の枝だけは折らないようにしている。
「よっ、見ろよ、あそこ」と、いきなりテールは叫び、竜木の枝の一つをさす。
「どうしたんだ」
「竜玉が、成ってるぜ」
「嘘だろ、この時期に」
「とりあえず、行ってみよう」
二人は竜木の真下に来た。上を見上げる。
「確かに、竜玉だ。取るか?」
「しかし、この木は」と、テールは迷った。
だが、ここへ案内したのは白蛇だ。そういえば、白蛇は?
辺りを見回したがどこにも居ない。
まぁいいか、枝ならともかく実は食べられるために生るんだ、なら取って食べてやり、その種をこの近くに埋めてやればいい。
「よし、取ろう。熟していて、食べごろだ。これならナオミもすぐ釣れる。そう言えば、神も食べ物で釣ったとか言ってたよな」

一方、庄屋の屋敷では、先ほどの件でまだもめている。
「確かに、カムイさんは頭はいいかも知れませんが、神を一つも信じていないのですよ。それどころか、愚弄する」
それが一番の問題だった。神の父親になる者が、神を愚弄するようでは。
ナオミもそれが心配だった。カムイは嫌いではない。だが、カムイの神に対する態度は、気に入らなかった。しかし何故、よりによって神を一番信じていないカムイに、白羽の矢が立つわけ?
「何の心配もいりませんよ、カムイさんは、神を信じます」と、巫女。
「どうして、そのようなことが言えるのですか」
「人は、信じないもの、気にならないものに対しては、関心を示さないものです。愚弄すること自体、既にカムイさんは神を信じているのです。もし神がいないのなら、愚弄することもないのですから」
「そう、仰られましても」
そこへテールとカムイが戻って来た。走ってきたせいか、二人とも息が切れている。
「あれ、皆さん、まだ居たのか。丁度いい、カムイ、皆の前で堂々と申し込め。俺の弟になりたいと」
「なに、その言い方」と、ナオミは非難の声を発したが、カムイの手の中にあるものを見て、驚く。
「どうしたの、それ。竜玉じゃない。もしや、冷凍もの」
「馬鹿なこと言うなよ。俺も付き合って、わざわざ取って来てやったんだぞ、可愛い妹のために」
「竜玉って、今頃?」と、他の者が口を出す。
「生っていたんだよ」
「どこに」
「水の湧いているところの」
「あっ、あそこの竜木は、老齢だからいたわってやろうって、言ったのはお前だろう」
「でも、白蛇が案内したんだ。それに実は、取ってやったほうが、木は傷まないんだぜ」
「白蛇様が?」と、ナオミ。
「ああ。まるで付いて来いと言うように首をもたげて。だから付いて行ったら、これが生っていたんだ」
周りがざわめいていた。今の時期に、竜玉が生っているなんて、不思議なこともあるものだと。
「ほら、カムイ」と、テールはカムイの腕をとり、ナオミの前に引き出す。
カムイは皆が見ている手前もあり、恥ずかしさで言う言葉も無く、竜玉を差し出した。
ナオミはナオミで暫し考え込んでいたようだが、竜玉の熟した甘酸っぱい香りにはかなわない。思わず手が出てしまった。しまったと思ったが、既に遅い。その行動は、誰の目にも結婚を承諾したように見て取れた。
周りから拍手が沸く。もうこの期に及んで異を唱えるものはいなかった。白蛇様までが味方ではかなわない。
「おめでとう」と、侍女たち。
「しかし、美味しそうな竜玉だな」
「いいわよ、庄屋様にも分けてあげる。皆にも分けてやりたいんだけど」
一つではあまりにも少なすぎる。侍女が丁寧に小さく切ってはくれたが、これ以上小さくするのは無理だ。
「仕方ないわね、老い先短い長老様優先で」
「その老い先短いは余計ではないか」と言いつつも、時期はずれの竜玉を一欠けらづつもらって美味しそうに食べている。
「ナオミもよばれなさいよ。本当はこれ、ナオミのなんだから」
「そうよ」と、皆にうながされ、ナオミはひとかけら摘んだ。
「おいしい、こんなおいしい竜玉、今までに食べたことない」
それはそうでしょうと、皆に冷やかされ。
「違うのよ、本当においしいんだから」と、思わず後一つに手が伸びたとき、ナオミはぐっと我慢した。
そうよね、独り占めはいけない。
「それは、カムイさんのぶんよ」
「俺の? では皆さんの分は?」
実は両手の中に丸く収まるぐらいだ。そんなにあるはずがない。
「私たちは後でいただきますから。御子様がお生まれになられた年の竜玉は、いつもの年のより、とても美味しいそうですよ」
「今年は無理でも、来年は美味しい竜玉がいただけます」
そうなのかと思いつつ、
「じゃ、お前にやるよ」と、カムイはそれをナオミに差し出す。
「あら、優しいのね、カムイさん」
「そんなんじゃない」
カムイは思い出していた。レーゼの所で、ひとりぱくぱくと竜玉をたべているナオミの姿を。
「どうして、いらないの、美味しいわよ」
「お前が食べているのを見ている方が楽しいから」
なにっと思いつつも、その台詞に似たような台詞を、どこかで聞いたような。
だがナオミは竜玉の誘惑にはかなわず、
「いらないのなら、もらっておいてあげるわ」と、カムイの分も食べてしまった。
その様子を見つめているカムイ。この視線、彼と同じだ。そう思った瞬間、ナオミは頬が赤くなるのを感じた。
「やだ、今頃になって恥らったりしてるの、ナオミったら」
「そんなんじゃないわよ」
カムイの中に、彼を意識してしまった。
「どうやら、これで丸く収まったな」と、庄屋は一息つく。
神の使いである白蛇がカムイの味方では、この婚儀に意義を唱えるものは誰もいなくなった。

次の日、婚約をしたからと、何ら変わることは無かった。朝起きて、朝食の用意をてつだうのだが、もっぱら男は配膳の準備だ。中には調理場に入って腕を振るうものも居る。料理は一度に百人か二百人分作れるような大鍋で作る。それが一つや二つではない。まるでどこかの軍隊の食事のようだ。集落の食事は、その集落でまかなうというルールがあるらしい。ちなみに他の集落に遊びにいった時は、そこの集落の食事を飛び入りで、ただでよばれることが出来る。もっとも一度に千人以上の食事を作るのだ、一人や二人増えても減っても、その全体量にかわりはない。
食事が終わると、それぞれの持ち場に行く。テールはまた通信機の修理を始めた。機械の好きな者たちにその仕組みを教えながら。それがテールの仕事のようだ。
「おい、カムイ。未来の神の父。わるいがそこの半田、取ってくれ。まだ今は俺の助手なんだから」
テールのその言い方にカムイはむっとすると、
「半田鏝、押し付けてやるぞ」
「へぇー、お前って、そういう趣味があったのか」と、テールは笑う。
「なっカムイ、さっきからボーとして、何考えているのか知らないが、ナオミとの甘い新婚生活を想像しているなら、止めたほうがいいぞ。想像するだけ無駄だから。それより、竹箒から逃げる訓練でもしたほうが、よっぽど利益になる」
二人の会話を修理をしながら周りで聞いていた者たちが遠慮しがちに笑う。その中のひとりが、
「おめでとうと言うべきか、ご愁傷様と言うべきか、言葉に迷いますね」
誰もがナオミの気性の激しさを知っている者ばかりだ。
「しかし、どうして神もナオミさんを。お淑やかな女性なら、この村にいくらでもいるでしょうに」
「じゃ、なんかい、俺の妹は」と、テールが喧嘩腰になる。
意外にテールも気が荒い。特に妹のことになると。
「まあまあ」と、喧嘩の仲裁に入って来た者が、
「神の子を儲けた夫婦は、幸せになるそうですから」
だがテールの気分を変えるのなら、こっちの会話の方がいいことは、ここにいる仲間たちは誰もがしっている。
「テール、直ったみたいだぜ」
案の定、テールは明るい笑顔で答える。
「そうか。そっちはどうだ」
「スクリーンの方も、OKです」
「じゃ、試運転と行くか」
だがそこに飛び込んできたニュースは、都市ザグートの内戦だった。
ネルガルの皇帝は、幕僚たちに褒美としてネルガルの都市を与えることがある。しかし既にその都市には、領主がいてうまく治めているからこそ、都市として成り立っている。そのためそこを与えられた幕僚は、その都市を今いる領主から力ずくで奪い取ることになる。領主がうまく治めていれば治めている都市ほど、
その抵抗も激しく、暴動や内乱が起きる。しかし所詮は、一地方都市と国家との戦いだ。結果はおのずと知れたものだ。カムイもそんな形で故郷を追われた。
「ザグートも、終わりか」
ザグートとこの村は、地理的に近いこともあり、いろいろと取引があった。日常生活で金を必要としないこの村だが、この森から外に出たときはネルガルの通貨を使う。その通貨を稼ぐのがこの村の農産物だ。水と空気のおいしいこの村で採れた農産物は、高額で取引された。だが、支配者が変わっては今まで通りにはいかない。それどころか、彼らの口からこの村の存在もわかってしまう。皇帝の軍隊と戦っても勝てる見込みは無い。それより何よりも、今森の力が弱まっている。森の力が完璧なら、皇帝軍など煙に巻くのはたやすいのだが。早く御子様を。
「早く、このことを庄屋様に」
一人の男が駆け出していった。
「どのぐらい持ちますかね、ザグートは」
「御子様がお生まれになられるまで、持ってくれればよいのだがな」
「さあな、それよりこっちに飛び火が来ないことを祈るしかないな」
誰もが他人のことより自分のことの方がかわいい。

暫くして、庄屋が老体に鞭打って走り込んで来た。
「なに、ザグートが落ちたと」
「まだ落ちてはいませんよ庄屋様、落ち着いてください」
「やっと、婿が決まったかと思えば、今度は」
庄屋は息を切らせているうえに、大きな溜め息をついた。
「とにかく、万が一に備えて、準備しておいたほうがいいんじゃないか」と、テール。
「そうだな。長老たちを集めよう」
庄屋は、走って去っていった。
「庄屋様も、忙しいな」
「準備って、何をするんだ」と、カムイ。
「戦闘の準備に決まっているだろう。とにかく、女、子供だけでも守らなければ」
「戦闘の準備?」
カムイは怪訝に思った。この村のどこに、兵器があるというのだ。平和ボケした者たちの集団かとばかり思っていた。
「この森は、過去に数度、外から攻め込まれたことがあるんだ。それも、決まって御子が女性の体内に宿った時だ。だから誰もが早く生んでもらいたがっていたのに、お前がぐずぐずしているから」
「御子が誕生しないのは、俺のせいか」
「当然だろう。女ひとりで、単細胞生物でもあるまいに、子供が生めるか」
そうだそうだと、周りの者たちは頷く.
「とにかく、御子様が生まれるまで持ちこたえれば、後は御子様がどうにかしてくださる」
それが今までの慣わしだった。御子が生まれれば、森の力が戻る。敵は森の中で道に迷い、自ら森の外へと出て行く。そして決して戻って来ることはない。
カムイは納得いかないという顔をして、
「生まれたばかりの御子に、何が出来るんだ」
「何かが出来るんだから、神の子なんだよ。生まれればわかることだから、さっさと生めよ」
「俺は男だ。男が子供を生めるはずがなかろう」
「悪りぃー、言い間違えた。さっさと作れ」

長老会議が開かれ、村の武器庫の扉が開かれることになった。これ以後、午後の数時間は武器の点検と軍隊訓練に充てられるようになった。
「意外だったな。戦いなんか、知らない者たちの集団かと思っていた」
「そうでもないぜ、この村は。俺が来る前から、備えはしっかりしていた」
「俺が来る前?」
「実を言うと、俺もよそ者なんだ」
「お前も?」
カムイは驚いてテールを見た。
「来いよ、見せたいものがある」と、テールはカムイを自分の部屋に招くと、
「ドアを閉めてくれ、あまり他人にはみられたくないからな」
「いいのか、俺に見せても」
「お前は、俺の弟になったんだからな」
テールはコンピューターを立ち上げた。
暫くすると、一枚の設計図が映し出された。
「何だか、わかるか」
「船の設計図みたいですね、それも宇宙船の」
「ただの宇宙船じゃない、宇宙戦艦だ」
「宇宙戦艦!」
こんな村に。それこそ必要ない。
テールはくるりと椅子を回すと、カムイの方を向き、
「俺の両親は、ある都市で宇宙戦艦の設計をしていたらしい」
「らしい。とは?」
「両親から直接聞いたことはなかったからな。俺が物心ついたころには、この村にいたから、村の人たちも親切だったし、俺はこの村の住人だとずっと思っていた。この遺書を見つけるまでは」
テールの話は回想になった。
テールの両親はネルガルの都市というよりも、ある惑星に住んでいて、ネルガル帝国との艦隊戦に破れ、同僚はちりぢりになったようだ。テールの両親は、一才にもならないテールを抱え、この村へ逃げて来た。そしてここへ住み着き、暫くしてナオミを出産した。
「だから、ナオミはここで生まれたんだ。この村の血は引いていないが。俺が十才の時、両親は同僚が生きていることを知り、会いにいった。だがそこで内戦に巻き込まれ、亡くなったというわけだ」
それから庄屋が面倒をみてくれた。
「ナオミさんはこのことを」
「知らない。ナオミは、自分はこの村の住人だと思っている。村人と同じように神も信じている。まあ、この村に長く居ると、確かに不思議なことには出くわす。このあいだの竜玉のようにな。だが偶然と言えばいえなくもない。狂い咲きと言うこともあるからな。特に老木には多い」
「白蛇は?」
「白い蛇は珍しいが、探す気になればどこにでもいる」
「それもそうだな」と、カムイは頷く。
テールはチップをかざしながら話をもとに戻す。
「両親の荷物を片付けていた時に、このメモリーチップが出てきたというわけさ。最初、どうやってもパスワードが見つからず、諦めていたのだが、ナオミの歌を思い出してな。その歌は最初、俺が寝る前に必ず言わされた、意味不明の字の序列なんだが、毎晩俺が言っているのを聞いて、ナオミも覚えてしまったのだろうな。俺は最初、眠くなるまじないかなんかと、ずっと思っていた。それがパスワードだったんだ。入力すれば起動しはじめたのだが、画面に表示されたものは、十才の俺には、何のことだかさっぱりわからなかった。それで仕方なくレーゼ様のところに持っていったんだ。そしたら三日かして欲しいと言われて、四日目に行った時には、全てを解明していた。俺も神は信じない方だが、彼が頭がずば抜けいいということだけは、事実だったな。彼は俺に言った。十才の俺にだ。『これはあなたの両親が、あなたに残したものです。今から良いことも悪いことも、ここに記されている全てあなたに教えます。あなたの判断で運用してください』と。最初は基礎科学だったから、レーゼ様の言葉の意味がわからなかった。だが、次第に理解していくうちに」
これがとんでもない物だということが解った。ルーゼは言った。ナイフは果物の皮を剥いたり、物を削ったりと、とても便利です。でも人の胸に深く突き刺さることもある。
そう、このチップに入っている物は、日常的に使えばとても便利だが、一歩間違えば、この村など消滅してしまう。小惑星なら、破壊することができるのだ。
全てを学び尽くした後、両親からのメッセージがあった。人類の平和のために使って欲しいと。
「俺は、あると便利だと思うものをここからいろいろと小出しして、村の奴らに教えているんだ。兵器も随分と改造した。だがあくまでも、この村を守るためさ。それ以外のなにものでもない」
テールもわりと現実派だ。神が助けてくれるとは思っていないようだ。
「では何故、ナオミが神に選ばれたことを、喜ぶのか」
「レーゼ様のような方が生まれてくるならと、思っただけさ。話し相手が出来る。しかし、ナオミの子だからな、そこまでは期待していないよ」
「俺の子でもあるんだがな」
「脳みそは、お前に似てくれると少しはましになるかな」
「少しかよ」
テールは軽く笑う。
知的会話か。この村にも利口な者はいくらでもいるが、これだけの科学力となると。
「兄さん、ここに居るの」
返事をするより早く、ドアが開いた。
テールは慌てて画面を切り替える。
「何だよ、いきなり」
「日取りが決まったのよ、二十三日後だって」
「そうか」
「日取りって?」
「やだ、カムイも居たの。決まっているじゃない、婚礼のことよ」
「俺に何の相談もなくか」
ナオミはむっとすると、
「なんで、あんたに相談しなければならないの」
「俺は、お前の夫になるんだぜ」
「そんなこと、わかっているわよ。結婚すれば、当然でしょ」
二人の雲行きが怪しくなるのを感じて、「おいおい」と、テールが二人の間に割って入った。
「兄さん、この馬鹿によく説明してやって」と言うと、ナオミは脹れて部屋から出て行ってしまった。
カムイはあっけに取られたようにテールを見る。
「俺は、婿だよな。大概そういうことって、二人で相談して決めるんじゃないのか」
「普通はな。だが神の子に係わる場合は違うらしい。きちんと計算した上でのことらしいから」
「計算?」
「ああ、一番子供が出来やすい日ということだ。そこらへんは、科学的なんだ。まあ、月経が終わって十日までというところかな」
あっさりと言うテールに対して、カムイは信じられないという顔をした。
「神の子を生んでもらうのが目的だから、そういうことになる。ちなみに初夜は、例の社の中でだ」
「俺、そういう話、聞いていない」
「この村の住人なら、誰でも知っていることだからな。もっとも普通は新居で初夜を迎えるが」
カムイたちの新居は、庄屋さんの離れと決まった。家具類が運び込まれてはいるものの、寝具だけはなかった。
「つまり寝具は?」
「新しいものが、社の中に用意されているはずだ」
「まさか、監視つきか」
「かも知れん。俺は、そこまでは知らんが」
カムイは黙り込んでしまった。
「さてと、森の中の防護壁でも点検してくるか」

それからまもなく、ザグートは落ちた。
そして村では、ナオミとカムイの婚礼の準備でいよいよ賑やかになった。そして花嫁はと言えば、竹箒を振り回し、相変わらず花婿たちを牛馬のごとくこき使っている。
「おいカムイ、本当にいいのか。今ならまだ、やめられるぞ」
「俺、近頃つくづく思うんだが、もしかしたら、俺、庄屋に一杯食わされたんじゃないかと。あのじゃじゃ馬を片付けるために、神が俺に似ていると言わせたんじゃないかと」
「かもしれねぇーな」と、テール。
兄も妹のこの竹箒にはかなわない。
「カムイさん、今ならまだ間に合うから、竜木の枝、返してもらったらどうですか」
「それは無理だ、枝じゃなくて、実だったんだよ」
「実って、この時期にですか」
「生っていたんだ」
「腹の中じゃ、返してもらえないしな」

異変は、祝言の前日に起きた。
「なるほど、ザグートどもの言うとおりだ。こんなに手付かずの自然があるとは、よく今まで放置しておいたものだ」
青年は、腕を組んでしげしげと森を眺める。
ネルガル星は、指導的な国が政治的に内部から腐り、その権威を失って三百年という間、内乱状態が続いた。今までその国に支配されていた小国家(民族)が、一斉に発起したのだ。まだ民族の独立のための戦いならいざ知れず、いつしかそれが宗教と結びついた頃には、目も当てられないほどの悲惨を生み出した。なにしろ敵を殺せば殺すほど、自分が死んであの世に行った時、神に祝福されるとなれば、赤子でも容赦しない。既にその行動には、相手が自分と同じ感情を持つ人間であるという意識が皆無だ。ありとあらゆる兵器を駆使した戦いは、いつしか母なるネルガル星を、どんな動植物も生きられないような荒涼とした廃墟の星へと変えていった。財力のある者は他の惑星へと逃げ出す。だが圧倒多数の人々は、まだ住めそうな土地を見つけては、そこにしがみ付き、そしてそれを奪い合い、その土地すらも廃墟に変えていった。
そんな中、じわじわと力を蓄えてきた部族がある。ギルバ一族だ。彼らは既に滅亡した王国の末裔。一時他の惑星に身を潜めていたが、ネルガル星に過去の栄光を再現するために、舞い戻って来た。
そして今、その部族の中心に立つ男がここに居る。
彼は地上カーから降り立ち、おもむろに森を眺める。
「まだネルガルにも、このような所があったのか」
「しかし、ザグートどもの申すことには、あの村には行けないと」
「それは、試してみないことには」
村を多い隠さんばかりの緑。
今のネルガルには、長年の紛争のため耕せる農地が少ない。やっと星を統一し始めたものの、人口を支えるだけの食料が無い。そのため彼らが取った行動は、他の星の植民地化だった。自星がだめなら他星にそれを求める。それが思わぬ功を奏した。外に敵ができて自ずと内が治まってきた。
今もザグートの紛争の仲裁をしてきたてころだ。もっともその紛争の原因を作っているのは彼自身なのだが。今や彼に逆らうものはこのネルガルにはいない。どんな強引なことでも、彼の思いのままだった。それほどまでに彼の軍事力は、他者を抜きんじている。
「陛下、お寄りになるおつもりですか」
仲裁は思ったより早く終わった。彼の圧倒的な軍事力の前では、誰も否と言うものはいない。
「あの村へ行って、茶でも一服もらうか」
「畏まりました」
先触れがはしった。

村では先触れを向かえ、騒ぎになった。
「なぜ、先触れが入ってこれたのか」
「やはり、森の力が弱まっているんだ」
「皇帝が来るそうだ、それもギルバ族の」
「何事も無く、お休みいただき、速やかに出て行ってもらおう」
これが村人の考えだった。
明日の婚礼の席は、急遽、ギルバ皇帝を迎える宴席へと変わった。婚礼は、また日を改めて。
「とにかく、粗相がないように」
庄屋たちはおろおろする。
とにかく、目に付けられることだけは避けよう。
そうこうする内に、皇帝を乗せた地上カーが到着した。
庄屋たちは第一礼装で恭しく皇帝陛下を迎えに出た。
車から庄屋の屋敷へと案内する
「むさくるしいところでは御座いますが」
皇帝は、村の様子を探らせるため、平民の服を着せた従者を数名、既に村の中に散らしていた。
「まあ、そう硬くならずとも」と、側近の者が言う。
「陛下は、長旅で疲れておられる。茶でも一服と思いまして」
「畏まりました、ただ今すぐに、用意いたします」
皇帝は黙って屋敷の中へと入って行く。
村ではかなり豪勢な料理のつもりだったのだが、彼らにしてみれば、お粗末な膳が用意された。
文句を言おうとする側近に対し、
「まあ、よい」と、皇帝。
村に潜らせておいた従者からおもしろい話を聞いていた。
「明日は、婚礼があるとか」
あまりそのことについて話したがらない庄屋に、
「めでたい事だ。これも何かの縁、それを見てから帰るとするか」
ははっと頭を下げたものの、庄屋は困った顔をしてその場を辞退した。
明日の婚礼はただの婚礼ではない。普通の婚礼は、その部落では祝っても、村を挙げてまではしない。だが明日の婚礼は、神の子を宿すための儀式だから、村総出で祝うのだ。儀式に手違いでもあったら大変だ。

料理は出てきたものの、いっこうに女の気配はない。
「芸者はいないのか、この村には。まったく気が利かぬ蛮族どもめらが」と、怒り立つ側近。
「まあ、よい。今宵のところは我慢しろ」
はっと、側近は頭を下げる。
料理は質素だが、素材がよいのかなかなの味だ。
神の手の付いた娘か。どんな娘か見てみたいものだ。だが神とはいえ、手の付いた娘をもらう男も、哀れだ。

「ギルバの皇帝だと」
カムイは殺気づいた。いきなりホルスターを握りこむと立ちだす。
「どこへ行くきだ」
「決まってるだろう、奴のところだ」
「殺すきか」
「当たり前だ。奴は、俺の一族の仇だ」
「止せ。少なくともこの村では。皆に迷惑をかけるからな」と、テールはカムイを押さえる。
「離せ。お前に俺のこの気持ちがわかるか。一族を、あいつに皆殺しにされたんだ」
「それを言うなら、俺も同じさ。おそらく俺の両親は、奴か、奴の手下に殺された。止めやしないぜ。ただ、やるなら森の外でやれ。それもかなり離れてからな。ここでは止せと言っているだけだ」
そこへナオミが飛び込んで来た。
「どうしよう、明日の婚礼に、皇帝陛下も列席するんだって、どうしよう」と、そわそわするナオミに、
「じゃ、なんかい。皇帝の前で口付けしろってか」
ナオミは赤くなって、「なに言い出すのよ、カムイは」と、怒る。
「ところで、キスぐらいはしたのか」と、テール。
話題はしだいにそれていく。
「もう、兄さんまでが、知らない」と、ナオミは脹れてその場を出て行った。
「どうやら庄屋は、事なかれ主義で通すつもりだな」
何事にも逆らわず、穏便に、そして速やかにこの森を出て行ってもらう。
「うまくいくといいがな」

翌日、村は朝からお祭り騒ぎだ。まだ式も始まっていないうちから、会場となる村の中央広場には人が集まり、料理や酒がだされ、子供には菓子が配られ、既に出来上がっている者すらいた。そして肝心な二人は、別々の屋敷で着飾られていた。神の花嫁の衣装は、村の一流の職人の手で作られる。無論、身にまとう装飾品全ても、一流の職人の手による。職人たちはこの日のために、日々腕を磨いていた。
白いドレスを身にまとったナオミは、見違えるようだ。
「すてき、うっとりするほど」
「ほんと、今日のナオミはとても綺麗」と、ヤヨイ。
「これならカムイさんも満足するわ」
着替えを手伝ってくれた者たちが、次々に言う。
ナオミは鏡に映った自分を見て、まるで別人だと思っていた。
一方、カムイはカムイで、普段来たことも無い服を着込んでいた。
「着たことがないわりには、板に付いているな」と、テール。
無理もない。カムイはこの村へ来る以前は、こういう格好をしていたのだから。
逆に作業着の方がカムイには合わなかった。やっと最近、馴染んできたところだった。

庄屋が迎えに来た。
「そろそろ時間だが、できたかね」
侍女たちがナオミの周りから離れる。
仲人という立場上、花婿より先に花嫁を見られる特権があるが、庄屋はナオミを見て言葉を失った。
美しい。神を宿した娘は美しいとは聞いていたが、これがあのじゃじゃ馬とは。
「どうなさいました、お爺様」
「いや、あまりの美しさに、カムイになど、やりたくなくなったな」
「まっ、お爺様ったら」
ナオミは庄屋に手を引かれ、ドレスの裾を踏まないように、しずしずと歩き出した。
既に会場では、一段高くあつらえたところで花婿が待っていた。
花嫁が姿を現すと、野外だというのに、まるでドームの中かと思われるような歓声が沸き上がった。
庄屋はその中を、ナオミの手を引いて、ゆっくりと花婿の待つ壇上へと連れて行く。
途中、いろいろな人に祝福の声をかけられたが、既にナオミの目には、壇上で待つカムイの姿しか映っていなかった。
皇帝も祭壇の近くの賓客席にいたのだが、ナオミの目には入らなかった。
おもむろに祝詞があげられ、神の前での契約がかわされる。
「最後に、誓いの抱擁というのがあるのだが」と、カムイはテールの言葉を思い出す。
「おい、シイ、お前結婚しているんだから、教えてやれよ」
「俺が?」
「お前ぐらいだろ、この中で結婚しているのは」
なぜか、テールのところに集まっている者は、男も女も結婚している者が少ない。独身者の巣窟のようだ。もっとも指導者からして、女より機械の方が好きなのだからしかたない。
いきなり抱きついてきたシイをカムイは投げ飛ばす。
「何すんだ」とカムイ。
「それはこっちの台詞だよ」とシイ。
「大丈夫かよ、せっかく組み立てた装置なんだぜ」
「おい、俺のことより装置の方が心配かよ」
「とにかく、こうやって花嫁を抱きしめればいいんだ。そしてゆっくり三つ数える。本当は相手の鼓動が伝わるまでというんだから、いつまでもそうしててもいいんだがな」
「ほんとかよ」
「嘘ついてどうする」
「俺がこの村のこと知らないから」
「だからお前が恥じかかないように教えているんだろうが」
そして式の最後に、証をと言われ、恥ずかしさもあったがカムイはナオミを抱き寄せた。
ふんわりしていて真綿のようだ。暖かい。
いつまでもこうしていたい。
ナオミはカムイの胸に頭を預ける。
この感覚。カムイには悪いと思ったが、ナオミはカムイの中に神を感じていた。
式は滞りなく終わった。それから場は宴会へと移る。
皇帝を始め、他の部落の代表者から祝辞が述べられる。
この間二人は、壇上に用意された席に座っていた。カムイはともかく、じっとしているのが嫌いなナオミには、さぞ辛かったことだろう。
どのぐらいそうしていたのか、そろそろナオミの緊張が限界に達したころ、
「そろそろお疲れでしょうから」という声が、侍女からかけられる。
それを合図にか、司会の、これからお二人には大切な任務が待っておりますので。という言葉を最後に、二人は席を立つことになった。
本来これで、花嫁と花婿は解放されることになるのだが、神の子を宿した者は違った。
会場の脇に、子供たちによって綺麗に飾りつけられた車が待っている。二人は皆に見送られその車に乗り込む。そして社へと向かう。
元来この村は、部落の中の移動は徒歩なのだが、この日だけは特別だった。運転は自動運転、社に向かうように設定されている。
カムイとナオミは、ここで初めて二人だけの時間が持てた。社に行けば、今度は巫女たちが待っている。
「疲れた、このまま眠っちゃいそう」
カムイもそれは感じていたが、車の窓から外を見ると、辺りは薄暗くなっていた。
「日が落ちたな」
会場のあった方は明るい。
「夜通しさわぐのよ。巫女のひとりが証を持って行くまで。でも、私が処女でなかったらどうするのかしら」
カムイは怪訝な顔をしてナオミを見る。
「あら、私を疑っているの」
「いや、別に、そんなことはどうでもいいんだ」
「私が処女でなくとも?」
「既に神の手がついているんだろ」
「まだ疑っているの、長老たちのこと。もう、本当にこれで、神の子を宿せるのかしら」
「それより、証とはなんだ」
「じきに解るわ」

社の前で車は静かに止まり、ドアが開く。
カムイは先に降り、ナオミの手を取る。
木が鬱蒼としているせいか、辺りは暗かったが、気味悪いという感じはしない。それどころか、証明の加減のせいだろう、社全体が淡く浮き立ち、幽玄の世界に入って行くようだ。
「ここは、静かね」
ナオミはやっとほっとした。しかしまだ、今までのざわめきが耳鳴りのように残っている。
時折、会場の騒ぎが遠雷のように聞こえる。
「お待ちしておりました」
いつの間にか社の前に、巫女たちが整列していた。
今宵から朝まで、彼女たちが面倒をみてくれる。
二人が完全に解放されるのは、夜が明けてからだ。
「お世話になります」と、ナオミは巫女たちに頭を下げた。
ナオミとカムイは別々に案内され、体を清めた。次に合うのは、

カムイが先に案内された。だが、そこで待っていた者は。
「あなた方は、何者です」
巫女の誰何よりはやく、ブラスターが光る。だがそのビームは致死量には達していない。気絶させただけだ。
「縛り上げろ。女は納戸に押し込んでおけ」
「男は、どういたします?」
「使い道があるからな、そのままにして見張っていろ」
カムイは、手足を縛られたまま、畳の上に投げおかれた。
数名の武装兵士が、その男を見張る。
暫くして、ナオミが巫女に案内されてやって来た。
ナオミはその場に棒立ちになる。
あっという間に巫女たちはブラスターの餌食になり、どこかへ連れ去られた。
ナオミは我を取り戻し、カムイのところへ駆け寄ろうとしたが、
「動くな」と、指揮官らしき男が、ナオミにブラスターの照準をあわせた。
ナオミは仕方なく、その場で尋ねる。
「死んでいるの」
「否」と、男は首を振ると、部下のひとりにカムイを立ち上がらせるように指示した。
男はカムイの鼻の下に、刺激剤を近づける。
すると咳き込むように、カムイが意識を取り戻した。
「ナオミ」
カムイは自分の置かれている状況が理解できなかったが、自分が縛られていることを確認するや、
「貴様ら」と、目を剥き暴れようとした.だが其れより早く肩に激痛を感じた。
男が短刀を、カムイの肩に突き刺していた。
白い寝間に血が滲む。
ナオミが悲鳴を上げた。
だが既に、社は皇帝の部下によって占拠されていた。その悲鳴を聞いても、誰も駆けつけて来る者はいない。
「やめて」
ナオミはカムイに駆け寄ろうとしたが、カムイのこめかみには銃口が当てられている。
「この男を助けたいか。なら、中に陛下がおられる。命乞いをしてくるがよい」
ナオミは閉ざされている襖を見た。
この奥には祭壇があり、そして今宵は、二人の初夜を迎えるための床が用意されているはずだ。
ナオミは襖の方に体を向けた。
「やめろナオミ。どうせ殺される」
男はカムイの顔面を銃でおもいっきり殴った。
「やめて」と、ナオミはカムイの方に振り返った。
「お前が陛下に気に入られれば、この男は助かる」
「嘘だ!」
カムイは怒鳴る。
男はもう一度カムイを殴った。
「やめて、わかったわ、だから、暴力は振るわないで」
「殺されるだけだ、やめろ」
カムイは必死だった。奴らの手の内は知っている。過去に似たような経験をしている。さんざんもてあそばれた挙句、殺されるのだ。
男がもう一度殴ろうとした時、
ナオミは意を決したように襖の方へ歩みだした。
「命乞いをしてくるわ、だから、そこでおとなしくしていて」
「やめろナオミ、そんなことをしても」
「利口な娘だ」
男が合図をすると、襖がひとり通れるぐらい開いた。
ナオミは鴨居をくぐり中に入った。
「やめろ」
カムイは追いかけようとしたが、手足が縛られているうえに、兵士に押さえつけられている。どうあがいても、動きがとれなかった。
カムイは叫ぶしかなかった。
襖が閉じられる。
「あの娘が行ったように、おとなしくここで待っていろ、直に戻ってくる」
カムイは悔しそうに唇をかんだ。
「そういう顔で、俺を睨むな。なにしろ陛下が、神の手の付いた娘をご所望でな。しかしお前も果報者よ。神と陛下の手の付いた娘を妻にできるとは」と、男は笑う。
暴れだしたカムイに対し、ブラスターが放たれた。

一方、池の底では、
「ヨウカ、ここらへんで勘弁してくれないか。これ以上吸われたら、転生もできなくなる」
女は男の胸元から頭を持ち上げた。妖艶な笑みを浮かべ、男を見つめる。
「お前から吸ってもよいと言い出すことはめったにないからのー。それにお前が転生してしまえば、暫くの間は吸えんしのー」
女は乱れた髪をかきあげ上半身を起こすと、そのまま男の体の上に座る。女の艶やかな褐色の肌は、竜の気を吸い、一段と艶かしさを増している。きりりとしまった肉体に、ふくよかな胸、どんな人ごみの中でも、決して見失うことの無いほどのプロポーションだ。
竜の気がさぞおいしかったとみえ、女は猫のように舌なめずりしながら、
「それで、わらわに頼みとは、なんじゃ」
仕事より、報酬を先にいただく事をモットーとしている。
「あの男を落としてくれないか」
「そんなことしたら、一生あの男は、ナオミに付きまとうぞ」
「頼む」
「お前の気を吸ってからじゃ、あの男の気など、吸いたくはないがな。この後味をもうしばらく」
ヨウカは楽しんでいたかったのだが。
「ヨウカ、それでは約束が違うだろ」
「うるさいのー。そもそもお前の父親は、カムイじゃろうが。どうしてあの男を落とさなければならないのじゃ」
「この村を出るためです」
ヨウカは驚いてエルシアを見た。
「やっと、その気になったがや」
「このままでは、いつになっても埒が明きませんから、会いに行ってみようと思います」
「そうじゃそうじゃ、その方がよい」
ヨウカは嬉しそうにエルシアの体から飛び降りると、
「じゃ、ちょっと行ってあの皇帝とやらを、わらわの虜にしてくるか」
ヨウカは白蛇に姿を変えると、下界へと去った。
入れ替わり、女官が入ってくる。
「大丈夫ですか」
「かなり吸われたようだ、暫く休みます。ヨウカが二人の魂をここへ連れてくるでしょうから、そしたら丁寧にもてなしてやってください。あの二人には、随分と迷惑をかけましたので、いや、これからもかけなければなりませんので、頼みます」
「畏まりました」

襖が閉められた。おそらくもう開くことはないのだろう。
中では皇帝が寝所の上で胡坐をかき、手杓子で酒をあおっていた。
「よく来たな、まあ、そこへ座れ」
ナオミは指示されたところに正座をした。
その時である。人が倒れる音。先ほどまでわめいていたカムイの声がしない。
まさか、思わず立ちひざになるナオミを皇帝は制し、
「心配には及ばぬ。殺すなと命じておいたからな。もっともこれからのお前しだいだか」
ナオミは座りなおすと両手を畳に付き、頭を深々とさげて、
「お願いでございます。外の男を助けてください」
皇帝は静かにナオミを見下ろし、
「その見返りに、お前は私に何をくれるのかな」
「なんなりと、陛下のお好きなものを、差し上げます」
「そうか」
皇帝は胚をあおると、ナオミに差し出した。
「そこでは届かぬ。こっちへ来て酌でもしろ」
ナオミは、言われたとおりに皇帝の脇に座り、銚子を持ち上げる。その手が小刻みに震えた。
「まあ、そう硬くなるな」
皇帝の手が、銚子を握っているナオミの手を握る。ナオミは思わず身を引こうとしたが、既に皇帝の左腕がナオミの肩を抱いていた。
「あの男を助けたいのだろ」
ナオミは頷くしかない。
皇帝はナオミの手から銚子を取り上げて盆に戻すと、その手をナオミの首筋から胸元へと入れた。
ほんのりと盛り上がっている感触。掌の中へすっぽりと収まってしまう。
「熟す前の果実だ。これも悪くない」
そのまま体重をかけられナオミは倒れた。
「いや」と小さく叫びながら顔を背けるナオミに、
「どうだ、私と神とでは、どちらが優しい」
だがその声を最後に、ナオミは自分が皇帝に伸し掛かられている姿を、上空から見ていた。
えっ、と思った瞬間、隣に人の気配。
「あなたは、誰?」
「ヨウカと申す。あの男はわらわが相手をする。その間、お前はカムイの所へ行くがよい」
ナオミの意識が消えた。
ヨウカはしばしナオミの肉体にむしゃぶりついている皇帝の姿を眺めていたが、そのうちすーとナオミの体内に入って行った。
ヨウカが入るやいなや、今まで拒否していたナオミの体が開く。
今度はわらわが相手じゃ、どのぐらい持つかのー。せめてエルシアの千分の一も持ってくれれば上出来じゃがの。
「なに!」
皇帝も自分の体の下の娘の様子が変わったのに気づいた。
素人娘とばかり思っていたが、とんだ食わせ物かも。

一方ナオミは、見覚えのある屋敷の前に立っていた。欄干に男が一人もたれている。
「あっ! 神様」
ナオミは走り出していた。
男に近づき、はっとした。
「なんだ、カムイじゃないの」
それにしてもシルエットは神にそっくりだった。
「ここで、何しているの」
「それは、こっちの台詞だ。だいたいここは何処だ」
カムイの教養の中に、このような建造物は存在しない。
「ここは竜宮よ、あの社の裏の池の上」
「竜宮?」
「そうよ、ここに、あの方がいらっしゃるのよ」
ナオミは急いで神を探し始めた。
カムイもナオミを見失わないように後を追いながらも、
「どうして、俺たち、ここにいるんだ」
カムイには理解できなかった。自分は社の中で縛られているはず。そしてブラスターで撃たれ。もしや死んだのか。ではナオミも。
皇帝に遊ばれて、生き残った町娘はいない。奴等は、不要な王位継承者が出来ることを嫌う。
カムイの町の娘も、皇帝の相手をした者はことごとく殺された。
ナオミは勝手知ったように歩き回っていたが、そのうち、
「どこにもいないわ」
広すぎて見つからない。諦めかけていた時、
「お久しぶりです」と、声をかけられた。
「何か、お探しですか」
「あの、神様、どこにおられるのです?」
女官はほほえむと、
「わが主でしたら、先日、あなた様とご一緒に下界へ降りられましたが」
はっとナオミは思った。
そう。正確に言うなら、あれは神を降臨させる儀式なのだ。
「そっ、そうよね。では、もうここには」
ナオミはがっかりして肩を落とす。
会いたかった。どうしても会って、彼の胸に飛び込みたかった。
「おりません。ですから以前ほどのもてなしは出来かねますが、ナオミさんの喜ぶようなお料理なら、ご用意できますので、せっかくお見えになられたのですから、ごゆっくりして下さい」
「ゆっくりと言われても」
考え込んでいるナオミにかまわず、女官は広間へと案内した。
既にそこには、海の幸、山の幸といわんばかりの料理が用意されていた。
今まで、下手するとすぐに沈み込みそうになるナオミの顔がほころんだ。
「私の好きなものばかりだわ」
ナオミは膳に駆け寄り座り込んだ。
「カムイも早くここへ来て、いただきなさいよ」
まるで今までのことは、どうでもいいかのようだ。
「相変わらず、旺盛な食欲ですこと」と、女官は笑う。
カムイはナオミの食欲に圧倒されて箸がでない。
「カムイは食べないの、ここの料理、材料が新鮮なせいか、すごく美味しいのよ」
「お前の、その食欲見ているとな」
「何、神様みたいなこと言っているのよ」
ナオミには、カムイがしだいに神に見えてきた。
ナオミは慌てて首を横に振ると、
「違う、こいつはただの蛮族よ」
「何か、言ったか?」
カムイはやっと料理に箸をつけながら。
しかしここが何処だかはっきりしないことには、居心地が悪い。
しかしこの料理、「うまいな」
「そうでしょ」
カムイもいつのまにか料理の美味さにつられ、現世の出来事をすっかりわすれていた。
夢中になって食べて、お腹が膨らむ頃、華やかなショーが始まる。
「まるで夢の世界だな」
「そうよ、だってここは、夢の世界だもの。神様がそう言ってた」
「夢の世界?」
「何か難しいこと言ってたけど、早い話が、夢の世界なんですって」
カムイはその難しい話の方が聞きたかったが、ナオミは夢の世界で納得したらしく、話はそれでたち切れになった。
「ねっ、庭に出てみない。すごく綺麗なのよ」
二人はしばらく庭を散策し、戻って来ると、別の部屋に酒の席が用意されていた。
「お風呂がさきの方が、よろしいですか」
至れり尽くせりだ。まるでこの屋敷の主にでもなったような。
「そんなに気を使って下さらなくとも」
「そういう訳にはまいりません。あなた様は、我が主の母上になられる方なのですから」
「そっ、そうなのよね」
今まででも自信がなかったのに、これだけの人にそう言われると、余計に自信をなくす。
「私のような者が」
「主が選ばれた方です。もっと自信を持って、至らないところは指示してください。遠慮はいりません」
ナオミは黙り込む。
「君は、神様に仕えている者か」
「さようです」
「神が後輪したら、ここはどうなるんだ」
「主が戻られるまで、しばし閉鎖いたします」
「君たちは?」
「この屋敷と一緒に、眠りにつきます」
「ここは、どこなんだ」
「主の精神世界です」
カムイもここまでくると、理解できなくなった。
「夢ということか?」
「少し違いますが、あなた方にとっては、その方がわかりやすいのかもしれません。正確には、夢もこの世界の一部です」
カムイも黙り込んでしまった。
「そんなことより、せっかく起こしになったのですから、充分にくつろいでください」
酒がまわり、ほろ酔い加減になった頃には、床が用意され、二人は寝室へと案内された。
襖が開くや、布団が近すぎと騒ぐナオミを押さえようとして、カムイは足をもつれさせ二人でそのまま倒れ込んでしまった。後は自然の成り行きで朝を迎えた。
「もう、カムイは卑怯よ、酒に酔ったふりして」
「すまなかった」と、素直に謝る。
でもナオミは初めてではなかった。以前、神と。だから自然に受け入れられた。
「お早うございます。朝食の用意ができておりますが、お風呂をさきにいたしますか」
二人が案内された風呂は、景色の中に溶け込むような露天風呂だった。
「風呂だけでも、ここはいくつあるんだ」
昨夜は昨夜で、湖でも思わせるような広々とした風呂だった。
「竜神様は、水の神様ですからね、水にはことかかないのよ。でもこの水が枯れれば、村も枯れてしまう。だから早く、御子様を生まなくては」
ナオミはしらずしらずお腹をさすっていた。

また別の部屋へ案内された。風呂もそうだが、部屋の数も多い。今まで一度と、同じ部屋を使ってはいない。
襖が開くなり、
「遅いのー、先にはじまった」
その声に、誰よりも驚いたのは女官のようだった。
「お早いお戻りで」
「そうか」
「私はてっきり朝まではお戻りになられないとばかり」
「朝ではないか」
「下界のです」
「仕方ないだろう。わらわももう少し遊びたかったのじゃが、直ぐに落ちよった。口ほどにも無い奴じゃ」
それでヨウカは大杯をあおっている。大胆な服に大胆なポーズで座り。
女官は大きな溜め息をついた。
カムイはカムイで目のやり場に困り、視線を宙に浮かす。
ヨウカはそんなカムイを下から上へと眺め、視線をナオミに返すと、
「昨夜はどうじゃった。この男は役に立ったか。役に立たぬようなら、わらわが仕込んでやってもよいぞ」
「役に立ちました」と、ナオミははっきり答えた。
ヨウカは酒を吹き出して笑う。
「そんな男でも、役にたったのか。お主は、男を知らんの」
「ヨウカさん」と、叱責する女官をねめつけると、
「お前は黙っちょれ。わらわはこの男に恨みがあるのじゃ」
「恨みですか」
どんなと言いたげな女官に、
「こともあろうに、この男は、三回もじゃ、三回もわらわを殺そうとしたのじゃ」
これにはナオミも驚いた。
「カムイがですか」
何かの間違いだろうと言いたげに聞き返す。
ヨウカはそれにただ頷いただけだ。
「それは確かにカムイは乱暴者ですが、人を殺すようなことは」
例え未遂でもするはずがない。
カムイも心当たりはなかった。俺が人を殺そうとしたのは、故郷が侵略された時だ。あの時確かに俺は手を血で染めた。村の者には誰にも(テールにすら)話していないが、おそらくテールはさっしているだろう。あの敵の中に、彼女も居たというのか。だがもし居たとすれば、これだけ妖艶な女だ、一度会っていれば記憶に残らないはずがない。
カムイは考え込んでいるうちに、視線がヨウカと合ってしまった。
ヨウカはカムイをじっと睨むと、
「ナオミ」
「何でしょうか」
「この男、浮気症の毛があるな。お前の結婚、あまり長くもたんかもしれんのー」
「ヨウカさん」と、女官は前より増して、声を張り上げた。
「うるさいのー。奴を見てみん。わらわを見る目つきが、ちごうちょる」
「ヨウカさん」
今度は女官はたたみ返すように、
「そもそも主にナオミさんを推挙したのは、あなたではありませんか」
「この女子は、三つのときから、しっちょったからのー」
「私をですか」
「そうじゃ。まあ、立ち話もなんじゃから、座れ」
ナオミたちは言われるまま、ヨウカの前に座った。
「お前が三つの時じゃ。川で溺れたことがあろう。確かお前の兄はテールとか言ったな。泳げもしないのに、お前を助けようとして川に飛び込み、二人とも溺れかけたのじゃ。おかげでわらわは、二人も運ばねばならなんだ。重いのに」
それでナオミははっと思った。
「それに、よくレーゼのところにも来ておったからのー。あやつはもう永い事なかったし」
「もしかして、あなたは、白蛇様」
「もしかしなくとも、わらわは白蛇じゃ」
これで話のつじつまが合った。
カムイは恐る恐るヨウカを見た。
まさか、あの蛇が。
ヨウカは、じっとカムイを睨む。
「ナオミ。村にはたくさん男がおたじゃろ。よりによって、何でこんな奴を選んだのじゃ」
「ヨウカさん、もうその辺で許してやってください」
許すも許さぬも、ヨウカは最初からそんなことはどうでもよかった。二人の困る顔が見たかっただけだ。
「ヨウカさんは、カムイさんのことも気に入っていらしたのでしょ」
「気に入っておらぬわ」
女官はくすくす笑う。
「では何故、同じ人の前に、三度も姿をお見せになられたのですか」
ヨウカはぷいっと横を向くと、黙り込んでしまった。
からかうつもりで言い出したものの、後には引けなくなってしまった。ここら辺で助け舟が欲しいところなのだが。
女官の奴、うまく取り計らえばよいものを。
女官もそれを知ってか、
「では」と、立ちだす。
「どこへ、行くのじゃ」
「三人で、ごゆっくりどうぞ。積もる話もあることでしょうから。食事が済みましたら、島巡りでもできますように、船など用意しておきますので」
「おい、こら、ちょっと」と、呼びかけるヨウカに、女官は一礼するとその場を去った。
残された三人。いや正確には二人と一匹なのだろうか、気まずい思いをしながらお互いを眺める。
あやつ、わらわの気持ちを知ってて、いけ好かぬやつじゃ。
ナオミが座布団をはずすと、いきなり両手をついた。
「ヨウカ様、たいへん」と、頭を下げかけたとき、
「よいのじゃ。所詮、人間如きに、わらわを殺すことなどできぬのじゃ。そやつが、がきのように棒切れを振り回すので、ちょっとおもしろーて、からかってみただけのことじゃ。悪気はなかったのじゃがのー」
ナオミはきょとんとしてしまった。
「おもしろい男じゃのー、こやつと居ると、飽きまい」
「ええ」と、ナオミは嬉しそうに答えた。
「まあ、飲め」
ヨウカは大杯をあおると、ナオミに差し出す。
そこになみなみと酒が注がれた。
「こんなに、無理です」
「じゃ、残りはおまえが手伝ってやれ」
ナオミはちょっと口を付けただけで、カムイに渡す。
カムイはそれをいっきにあおった。
「ほー、なかなかやるのー」
その返杯をヨウカは受ける。
ぺろっと飲み干すと、蛇のような舌をぺろりと出した。
それから三人は食事に取り掛かったが、ヨウカは相変わらず酒ばかりで料理に箸を付けようとはしない。
「お酒、好きなのですね」
ヨウカはにやりと笑うと、
「酒だと思ってか」
「お酒ではないのですか」
ヨウカはまたにやりと笑うと、
「エルシアの命じゃ」
えっ、と驚く二人に、
「心配いらぬ。死ぬほど取ってはおらぬからのー。だが今度生まれてくる子は、暫くの間はおとなしいぞ。泣く力もなく、ただ寝ているばかりじゃ。手がかからんでよかろう」
「どうして命を」
「元々わらわは、人の生気を吸って生きておるのじゃ。あやつはわらわに頼みごとをしたからの。その見返りに命の一部を吸わせてもらっただけのことじゃ。あんなまずいものをすわされたのじゃからのー、口直しが必要じゃった」
「このこと、エルシア様は」
「承知のうえじゃ。じゃなければ、奴から生気は吸えぬわ」
「そうなのですか」と、ナオミは唖然としたようにうなずく。
「カムイ、お前も肩の傷、今頃は治っているじゃろー」
二人は黙り込んでしまった。
「気にするな」
「そう言われましても」
ヨルシア様の命を飲んでしまった。
「お前が奴を生めば、また元に戻る」
「そうなのですか」
「生まれると、ものを食べるからのー。乳をふんだんに飲ませてやれば、直ぐに体力など元に戻るわ」
そういうものなのか、と、納得するしかなかった。食べてしまったものは、戻せない。
「さて、腹ごしらえをしたところで、島巡りでもするかのー」

竜頭の船は大海原を滑走した。ここがあの池の上だとは到底思えない。まるで湖、いや大海のようだ。
船の穂先に立って、「あの島は」と、ヨウかは説明する。
だがヨウカの説明より、風になびくヨウカの赤茶色の髪と、肝心なところだけをかろうじて隠している服の方に、カムイは気を取られた。
本当にこいつ、あの白い蛇なのか。
「そなた、さっきっから、何処見ておるのじゃ」
カムイは慌てて視線を変えた。
「ナオミ、やっぱりこいつ、気をつけた方がよいのー」
だがナオミも仕方ないと思っていた。女性の私ですら魅了される曲線美。美と愛の女神がいるとすれば、このような姿をしているのではないか。ナオミは負けを感じてしぼんでいた。
「ナオミ」
「なんでしょうか」
「お前も、こういう格好をするとよい。こやつが喜ぶぞ」
「そんな」
ナオミにはとても恥ずかしくってできない。第一、ヨウカさんのような体の線を持っているからこそ、できる格好だ。
「どうじゃ、今宵は三人で遊ばないか。いろいろ教えてやってもよいぞ」
「結構です」と、ナオミはきっぱりと断った。
カムイを取られそうな気がしたから。
「カムイ」と、ナオミは彼の手を引き、船の中へと連れて行く。
やれやれとヨウカは思いながらも、
「では、よいところに案内してやろう。エルシアと行ったかもしれぬが」
岩の洞窟をくぐると、そこは岩場に挟まれた内海のようだった。水は青みかかったグリーン。
船は岩場の一画に着いた。
船頭の手を借りて岩場に降りる。
少し歩くと砂浜が広がっていた。
「なんか、私たちだけの海みたい」
「ここ、あの池の上なのだろう」
カムイは疑わしげに辺りを見回す。だが、誰もいない。
「どれだけ、広いんだ、あの池は」
さあ。とナオミは首を傾げたが、以前来たときも、ナオミにすればかなり考えたのだが、結局答えはでなかった。
そんなことよりも、
「カムイ」
「何だ」
カムイが振り向いた瞬間、ナオミは足元の水をすくい、カムイの顔をめがけてかけた。
ワッ、だかギャ、だかわからないような声をカムイは発した。
ナオミは慌てて逃げようとしたが、
「この水、塩水ではないんだな」
「あたりまえよ、ここは池よ、海ではないんだから」
「そうか」と、カムイはしゃがみ込み、水を口に含むふりをして、ナオミにかけた。
今度はナオミがわけのわからない声を出す。
「卑怯よ、不意打ちなんて」
「そっちが、先だったろー」
いつしか二人は、ヨウカのことも忘れて、遊びだしていた。
仲がよいのー。幸せも今だけじゃ、充分楽しむがよい。これでよいか、エルシア。
二人は砂の上を転げ回った。だが気が付くと、柔らかな布団の上にいる。
「カムイ」
「ナオミ」

「大丈夫ですか」
女官はぐったりしているエルシアの背にクッションをあて、もたせ掛けるようにして座らせた。
「ヨウカさんも、もう少し手加減してくださればよろしいものを」
エルシアは苦笑するしかなかった。
「これでよろしかったのですか。ナオミさん、あなたに会いたがっておられました」
「今私が出て行くと、かえって彼女を困惑させることになります。でも、不思議ですね。ここは、私の精神世界なのですよ。私が居なければ、存在もしない世界なのに、私の存在を尋ねるのですから」
「はっきりお教えしないからですよ。ネルガル人は、見えるものしか信じない人種ですから。感じるものを信じようとはしない。ですが、感じるものは、信じない限り、見えるようにはならないのですよね」
大いなる矛盾だ。
「それを理解してもらうには、時間がかかりそうです。今はとにかく、私を神ということにしておけば、これらの現象を信じるのですから、そうするしかありません。おりおりナオミさんには、理解してもらえるように話すつもりです。私の母になっていただくのですから」
「かなりご気性の強い方ですね、どことなく主に似ております」
「そうですか」と、エルシアは何かを思い出したように微笑む。
「疲れました。少し休ませてください。後はヨウカがうまくやってくれるでしょうから」
女官がクッションをはずすと、エルシアはそのまま滑るように布団に横になり、眠りに付いた。
おそらく今度目が覚めるときは、肉体を持った一人の人間として。

ナオミは目を覚ましたが、まだ夢うつつの状態だ。体は気だるく、竜宮での余韻が残っている。
「カムイ」
ナオミは隣で寝ている男性に手を伸ばす。
だがその瞬間、カムイではない。
余韻がいっきに消えた。
ここは、何処。隣で寝ている男性は?
全てを思い出した瞬間、ナオミは悲鳴を上げていた。
あれは、あれは夢だったの。
その悲鳴を聞きつけたのか、外から声がかかる。
「陛下、陛下」
だが陛下と呼ばれている男は、起きる気配がない。
「陛下、失礼」
いきなり襖が開けられた。
ナオミは慌ててシーツを体に巻きつける。
ドカドカと二、三人の男が入って来た。
一人はナオミに銃口を向け、もう一人の男は寝ている男を揺り起こす。
「陛下」
やっとそれで男は目を覚ました。
しばし辺りを見回すと、何事かと言わんばかりに部下を見る。
「悲鳴が聞こえましたもので、失礼かとは思いながらも」
男は、部屋の隅で震えている女を見た。
「寝てしまったようだ」
「お疲れだったのでしょう」
戦争は、戦っている時よりも、事後処理の方が上のものにとっては大変だ。
だが男は知っていた。寝たのではないことを、あの女に落とされたのだ。
男は、部屋の片隅で震えてる女を見る。
今の女に昨夜のような大胆さは微塵も無い。あれはいったい何だったのだ。まるで男を知り尽くしたような。
シーツの染み。
「処女か」
「そのようでございます」
男は寝間着を羽織ると立ちだした。
ことが済んだ女は始末する。これが恒例だった。王位継承権を複雑にしないための処置だ。男がこの部屋を出ると同時に、ナオミの命はないはずだったのだが、
「王都へ連れて行く」
「この娘をですか」
「どんな子供が生まれるのか、見てみたいものだ。始末は、それからでも遅くあるまい」
男はそう言い残すと、湯殿へと去って行った。
数名の者が護衛につく。
皇帝が去った後、入れ違いに、
「閣下、巫女が閣下に話があるそうで、連れてまいりました」
兵士の後ろに、巫女が控えて居る。
「何だ」
「シーツを広場に持って行きませんと、村人たちがここへ押しかけてきます」
「何?」
「彼らは、証を待っているのです」
二人が結ばれた証を。
「用意したいと存じますが、よろしいでしょうか。ここでのことは村人には黙っているように、他の者たちには申し付けておきました」
巫女は囚われの中でみんなに諭した。ここでのことは、彼らがこの森を去るまで、決して他言してはいけないと。それが自分の身を守る唯一の方法だからと。相手が誰だろうと、ナオミさんが生身の男性と交われば、御子はお生まれになる。
巫女は螺鈿の箱を取り出すと、その中に染みのついたシーツを上手に折りたたんで入れた。そしてナオミの方に近寄ると、
「心配いりませんよ、御子はお生まれになります。心をしっかりお持ちください。今、これを届けましたら、直ぐに戻りますので、暫くお待ちください」
巫女は箱を持つと、今度は将軍のところへ行き、
「お願いいたします。女性を二人ばかり自由にして、彼女の世話をするように命じてください。
彼女は、夕べが始めてだったのですから。私はこの箱をと届けましたら、直ぐに戻りますので、その間だけでも」
「わかった」
「ありがとうございます」
巫女は箱を持って、村へと急いだ。

広場では、今か今かと巫女が現れるのを首を長くして庄屋たちが待っていた。
「もう、とっくに夜が明けたというのに」
「そう、せかせるものではない。年寄りは、こうだから困る」
「自分も、年寄りではないか。わしより一、二若いからと、若者の方にまわるな」
「まあまあ」
待つのも限界にきていた。
そこへ巫女が現れる。
「お持ちいたしました」
「首尾は」
「ご覧下さいませ」
長老たちは螺鈿の箱を開けた。そこには確かな証。
長老の一人が、そのシーツを高々と掲げる。
「御子様が、お生まれになる」
村人たちの歓声。
何も知らない兵士たちは、慌てて銃を構えなおす。
その前で、村人たちは踊りだした。
「これで、この村は安泰だ」

その歓声は、社まで届いた。
「何だ」
閣下と呼ばれた男が警戒する。
「心配にはおよびません。御子の誕生を村人たちが祝福しているだけです」
「何も知らずにか」
「おそらく」と、女はうなずく。
おそらく巫女は、ここでのことは何も話していないだろう。
「まあ、その方がよいな。こちらとしても無駄な争いはしたくない」
将軍は寝室から出ると、足元に転がっている男を軽くける。
「しかし、幸せな男だな、こいつは。自分の妻が犯されているというのに、安らかな顔をして寝ている」
だが、カムイは寝ていたわけではない。カムイもナオミの悲鳴で目が覚めていた。寝ているふりをして、彼らの動向をさぐっていた。少しでも縄が緩むようなことがあれば、すぐさま飛び掛ろうとして。
痛々しそうなナオミの姿が目に入る。声を掛けてやりたくとも。しかし、昨夜のあれはなんだったんだ。夢だったのか。それにしてはあまりにも生々しい。今でもこの腕の中に、ナオミの温もりを感じる。
そこへ巫女が戻って来た。
寝室のようすを見れば、先ほどから何らかわっていない。
「声をかけましても、まるで聞こえていないご様子で」
放心状態だった。
「ナオミさん、聞こえまいか」
巫女はナオミの前に座ると、両肩に手を置き軽く揺すりながら、
「ナオミさん、お気を確かに。神子の母になられるのですから。庄屋様がおっしゃられました、丈夫なお子をと」
ナオミの視線が動いた。巫女の視線と会うなり、大きく首を横に振る。
「もう、もう駄目よ。私には、神に選ばれる資格がない」
ナオミは巫女にもたれ掛かるようにして泣き出す。
「ナオミさん、そんなことはありませんよ。とにかく、体を清めましょう」
「もうだめよ、何をやっても。この穢れは落ちない」
「そんなことないわ」
巫女はナオミに寝間着を着せると、湯殿へと連れて行く。そこで二人の巫女代理に頼んで、自分は戻ってきた。今度は、カムイの助命だ。
「将軍」
「何だ」
「その男を、どうするおつもりですか」
足元に芋虫のように縛られているカムイ。
「どうして欲しい」
「おとなしくしているように、よく言い聞かせますので、縄を解いではいただけませんか」
将軍はカムイを見下ろす。
カムイと目が合う。
危険な目だ。この者、この村の者ではないのかもしれん。
全体的にこの村の住人は、温厚な感じだ。しかし、この男だけが違っていた。まるで我々に怨みでもあるような。このまま生かしておいては危険だ。
今すぐにでも処分したいのだが、最後の切り札だ、生かして置け。というのが陛下の命令があった。
「自由にしろと。それはできんな」
「ですが、これではトイレにも行けません」
将軍はしばし考え込んでいたが、
「例のものを持って来い」と、部下に指示した。
暫くして、先ほどの部下があきらかに兵士ではなさそうな男を一人連れてくる。
「お呼びでしょうか」
「その男の処置を頼む。両腕だ」
「畏まりました」
男はカムイの前にしゃがみ込むと、首に鉄製のベルトを巻きつけた。
「電光枷です。将軍クラスの方に、五メートルまで接近しますと、自動的に電流が流れます。ご注意下さい」
まるで悪気の無い言い方だ。
それからカムイの背後に回ると、後ろ手に縛られている手首に装置を取り付ける。
プツリという小さな音とともに、痛みが走った。
カムイは思わず叫びそうになったが堪えた。
そしてもう片方の手首。
腱を切られたのは確かだ。
「自由にしてやれ」
その命令で、カムイの縄が解かれる。
だがカムイの両腕は、肘から下は動かなかった。
「この村の医者にでも診てもらうんだな。お前のその両腕が動く頃には、我々はもうこの村には居まい。しかし」と、将軍はカムイに近づくと、寝間着を剥ぎ、肩を露出させた。
「随分、治りが早いな。この村には、よい薬でもあるのか」
肩の傷はかなりの深手だったはずだ。その証拠に白い寝間着が大量の血で赤く染まっていた。
「特異体質ででもあるのか」
カムイもはっと思い、動ける範囲の腕で、傷を確認した。
確かに出欠は止まり、傷口も十日は経ったかと思われるほどに塞がっていた。
ではやはり、あの夢は本当だったのか。
「閣下、セットいたしますが」
「かまわん」
「しかし」
将軍がそこに居ては、カムイが苦しむのは目に見えていた。
「教えてやった方が、この男のためだろう」
作業員のような男は、装置のスイッチを入れた。
それと同時に、カムイの首元に痛みが走る。
思わずその場に崩れた。
痛みで意識が飛びそうだ。
「楽になりたければ、私から離れることだ」
カムイは転がるようにして、将軍から離れた。
五メートルを過ぎたところで、痛みは嘘のようになくなった。
カムイは両肘で体を支えながらその場に座った。
「これでわかっただろう。ネルガルの階級には気をつけるんだな。もし将軍クラスの者が近づいて来たら、お前から離れることだ」
これで相手を殴ることも、飛び道具を使うことも、カムイにはできなくなった。
将軍は、部下を従えてこの場を去った。もうここには用がないというように。
巫女は唖然としてしまった。これならまだ、縛られていた方がよかったかも知れない。
「カムイさん、大丈夫ですか。今、お医者様を」
カムイはただ首を横に振るだけだった。
そこへ、先ほどナオミに付けてやった侍女が走りこんで来た。
その慌てように、
「どうしたのですか」と、巫女。
「ナオミさんが、ナオミさんが、少し目を離した隙に」
居なくなってしまったようだ。
「どこにもお姿が」
「社の中は、くまなく探したのですか」
侍女たちは頷く。
「では外ですね」
巫女が動くより早く、カムイかが飛び出す。
巫女と同じことを考えたようだ。
池のほとり。
既にナオミは、腰まで水に使っていた。
「入水する気か」
カムイは慌てて後を追った。両手が利かない。水を掻きたくとも。
「ナオミ!」
叫んだところで、ナオミにはカムイの声は聞こえないようだ。
放心したように、池の奥へ奥へと歩いて行く。
「待ってくれ、ナオミ」
巫女たちは、二人の様子を畔で見ていた。
この池で、自殺は出来ないはず。それは誰の心にもあった、この村の住人なら。
そこへテールが、兄として妹夫婦の様子を見にやって来た。
二人が池の中にいるのを見て、
「どうしたんだ?」
巫女が昨夜のことをテールにだけは話しておこうとした時、いきなり池の水がナオミの目の前で盛り上がり始めた。
その水は、見る間に数メートルも伸びると、白い大蛇と化した。
驚くナオミ。
カムイは慌ててナオミと大蛇の間に割って入った。そして大蛇を睨みつける。
「なんじゃ、その目は。おぬしの敵は、わらわではないわ」
その声、心当たりがある。
その声で、ナオミは我を取り戻した。
「ヨウカさん」
「ヨウカさんじゃと。お前のような意気地なしに、気安く名前を呼ばれとーはないの」
ナオミは黙って俯く。
「何、やっとるのじゃ、こんなところで」
ナオミは黙ったままだ。
「まさか、死のーと思っちょるのではないじゃろーな」
ヨウカはぐっとナオミを睨みつけると、
「どこの馬の骨だか、野良犬だかわからぬものに、ちょっとくらい噛み付かれたからと言うて、この騒ぎはなんじゃ。意気地ないのにも程がある。お主は、我が主が選んだ女子じゃ。お主の腹には、我が主が宿っておるのじゃ。死にたけりゃ、我が主を産み落としてからにせい。その草の上でよい。後はわらわが育てるきに。その後なら、わらわが死ぬのを手伝ってやってもよいぞ。この池の底まで、わらわが引き込んでやるがや」
ナオミは水に浸かった自分のお腹を見る。そして片手で撫でた。
まだ膨らんでいるわけでもない。だが確かに、ここにはあの方がおられる。だって竜宮にはおられなかったんですもの。
ナオミは自分の腹からヨウカへと視線を移す。
「でも、もう私には、この子を生む資格がないわ」
ナオミは弱弱しく言う。
「資格がない?」
「そうよ、もう私には、神の母になる資格がないわ。穢れてしまったもの」
「どこが、穢れたのじゃ」
えっ? と思うナオミに、
「わらわは下界のことは知らん。じゃが、お前の腹の子は、お前が生まずして、誰が生むのじゃ。下界では、お前の代わりに別の女子がその子を生むという器用なことができるのか」
「そっ、それは」
答えに戸惑うナオミに。
「それなら、お前が死んでもわらわは一向にかまわん。わらわが用があるのは、お前の腹の子じゃきに」
ナオミはまたお腹をさすった。
私が死ぬということは、この子も死ぬということ。
「わかったか」と、ヨウカ。
「お前の命は、もうお前だけのものじゃないのじゃ」
ナオミはじっとヨウカを見つめる。
「我が主は、お前を好いてお前の腹に宿ったのじゃ。あんな野良犬ごときに噛み付かれたからと言うて、お前を嫌いになるような小さな男ではないわ。その男と一緒にするでない」
カムイはむっとしてヨウカを睨むと、
「俺がいつ、ナオミのことを嫌いになったと言った。神の使いだかなんだか知らないが、勝手なことを言うな」
むきになるカムイを面白そうにヨウカは眺めると、
「しかし、お主は脳みそのない男じゃの。ゴキブリだってもう少し頭を使うわ。もしわらわが本物の大蛇だったら、どうするつもりじゃたのだ、その腕で」
「その時は、その時だ」
やれやれとヨウカは嘆息すると、
「本当によいのか、こやつが夫で。生まれてくるわが主の脳みそを疑いたくなるわ。まあ、レーゼのようにはいくまいな。いくら魂が同じでも器に左右されるからのー。水がそうじゃ。同じ水でも、丸い器に入れれば丸くなるが、四角い器に入れれば四角くなる。それと同時に環境も左右するのじゃ。水を器に入れて、暖かい所に置けば暖かくなるが、寒い所に置けば冷たくなる。
母親とは、子供にとっては重要な存在なのじゃ。それなのにこのぐらいのことで、がたがた騒ぐではない。わかったか、ナオミ。いつでもドシッと構えておればよいのじゃ。子供は、それだけで安心するのじゃ」
ナオミは、ヨウカの言いくさがおもしろくて、涙を手で拭きながら笑った。
だが心の中では、自分の置かれている立場がはっきりわかった。
そう、私は御子の母になるのよ。こんなことで挫けていてはいけないんだわ。だってあの方は、私を選んで下さったんだもの。
「もう、死ぬなんて言わない。この子は私がしっかり育てます。レーゼ様のように」
ナオミは凛と宣言した。
ほーと、ヨウカは感心したようにナオミを見る。
「まかせて、よいのじゃの」
ナオミは胸を張って頷く。
ヨウカも軽く頷くと、池の底へと消えていった。
カムイがナオミの肩を肘で軽くたたく。
「体、冷やさない方がいいんだろ。おぶってやりたいが」
カムイは自分の両腕を見る。
「どうしたの、その腕」
カムイはそれには答えず、
「早く、上がろう」
春とはいえ、やっと花が咲き始めた頃だ。このままでは芯まで冷え切ってしまう。

畔では、侍女たちが騒いでいた。
「早く助けなければ、風邪をひいてしまわれます」
「白蛇が」と言ったところで、彼女たちには見えていないようだ。それどころか、彼女たちの動きが遅い。まるでコマ送りのフイルムでも見ているような。だが白蛇が消えると同時に、彼女たちの騒がしい声が聞こえてきた。
「巫女様、どうしましょう」
「早く、連れ戻さなければ」
いっきに時間が流れ出したような感覚。やはりあの白蛇が現れている間、現世の時間はゆっくり流れているのだ。それは竜宮へ行った時も同じ。だから竜宮へ行った娘が、現世ではたった一晩なのに、十日も二十日も遊んだように感じる。
テールにも白蛇は見えていたようだ。
「心配いらない。白蛇が助けてくれた。ナオミは一人でこっちへ歩いてくるよ」
現にナオミは向きを返ると、カムイに付き添われ、畔の方へと歩き出した。
「白蛇様が、現れたのですか」
「そうだ」
「よかった」と、侍女たちはめいめい胸を撫で下ろす。
「やっぱり、この池では自殺はできないのですよね」
テールは池の中に入り、二人を迎えに出た。
ナオミを硬く抱きしめ、
「まったく、何しているんだ。風邪でもひいたらどうする。まだ水遊びには早かろー」
テールは事情を巫女から聞いていた。だが其れは億尾にも出さずに。
自分の体温で温まっている上着を脱ぎ、ナオミに掛ける。
そのまま妹を抱き上げると、岸へと向かう。
「ご免ね、流産しちゃうところだった」
「何、馬鹿なことを言っているんだ。まだ妊娠しているわけではないだろう。それに俺は、腹の子より、お前の方が大事なんだ」
「兄さん」
「そうさ、神は何度でも生まれ変われる。だがお前は、俺の妹は、お前はしかいないのだからな」
ナオミはぐっと兄の胸におでこを押し付けた。
テールはナオミを抱えた体制でカムイを見る。
「どうしたんだ、その腕」
「後で話す。今は、ナオミさんの方が先だ」
まず体を温めなければ。
だが不思議と水の中は冷たい気がしなかった。
テールはナオミを湯殿まで連れて行くと、
「体を温めるんだ。今度は、馬鹿なこと、考えるなよ」
「もう、大丈夫よ兄さん。ヨウカさんとも、約束したから」
その態度は毅然としていた。
「そうか」
テールは妹を巫女たちにたのむと、カムイのところへ来た。
「お前も、一緒に入ってくればいいんだ」
「いいよ」
「夫婦だろうが」
だがカムイは何も答えない。
結局テールと一緒に別の湯殿へ行き、体を温めることにした。
「どうしたんだ、その腕」
「筋を切られた」
テールがカムイの首に開きつけてあるベルトに触れた瞬間、バシッと電流が走った。
「痛っー」
指先に痛みが走る。だがそれはカムイも同じで、首の周りに痛みが走ったようだ。
顔を歪めている。
「悪りぃ」
「いいよ、別に」
「何だ、それ」
「ある階級以上の者には近づけない装置らしい」
詳しく説明を聞いてから、
「その装置なら、時間をくれればはずせるかもしれないが、腕は、奴に頼むしかないか」
人体と機械、同じようで微妙に違うのだろう、いつも意見が食い違っている相手。
「奴に頭を下げるのは本望ではないが」
「何も、お前が下げることないさ、俺の腕なんだから」
「だがお前は、俺の弟でもあり、一番弟子でもあるからな」

社でやっと事が片付いた頃、庄屋の屋敷では事が発生していた。
「なっ、何だと。ナオミを王都へ連れて行くだと」
あまりの驚きに、敬語すら失っていた。
相手がむっとするのを見て、
「これは、失礼いたしました。ですが、ナオミの腹の子は」
「わかっておる。皇帝陛下の御子だ」
「なっ、なんですと!」
「昨夜、陛下があの娘を所望したものでな」
長老たちは、それで全てを悟った。
「それでは、あの御印は」
ナオミとカムイの間のものではない。
「お察しの通りだ」
庄屋は頭を抱え込んだ。
「しかし、一度の交わりで」
子が出来るとは限らない。いくら計算したからとはいえ。
「だから、王都へ連れて行って確かめるのだ。もし妊娠していれば、それは陛下の御子。男子であれば、王位継承者ともなりうる」
「しかし、確認でしたら、この村でもできます。医者はおりますから」
「次の王になるかもしれない御子を、こんな僻地で生ませるわけにはいかん。母親にも、王の母としての教育が必要だ」
いちいち筋が通っている。
長老たちは考え込んでしまった。
「陛下には、既に王子が十人以上居ると伺っております。なにもこんな田舎娘の子を。しかも男か女か、妊娠しているかもわからないのに」
「御子は、男だそうだな。しかも髪が紅で瞳は緑」
「それは、カムイが父親の場合です」
「おかしいとは思わないか。カムイという男、髪は焦げ茶で瞳は茶。だが皇帝陛下は、髪は朱で瞳はくすんだ緑だ。陛下が父親になった方が、はるかに言われているような御子が生まれる確立が高い」
確かにそう言われればそうだが。ナオミも、髪は茶で瞳は黒。これではどう考えても、緑の瞳の子など生まれてくるはずがない。まあ、隔世遺伝というものはあるが。
「しかし、今度生まれてくる子は、この村にとっては、それは大切な御子様なのです。他の娘というわけにはいかないものなのでしょうか」
長老たちは、身代わりを出すことにした。
「他の娘か。わかった。陛下に伺って参りましょう」
その場は一時胸を撫で下ろせたものの、陛下が所望したものは、村の娘百人、それも処女に限る。功労のあった兵士に褒美としてあてがうとのこと。
「つまりは、奴隷か」
長老たちは黙り込んでしまった。
返事は今日中、明日には出立するとのこと。
自分の娘を奴隷として差し出す親はいない。だが、御子が居なければ、この村を支えている池の水が枯れてしまう。
「どうすれば、よいのだ」
結局、長老たちの会議だけでは話がまとまらず、村全体を巻き込むことになってしまった。
無論、年頃の娘を持つ親は猛反対。だが池の水はどうするということになると。
この話は、カムイの看病をしているナオミの耳にも届いた。
筋をつないだものの、両手は使えない。
「あーんして」と、ナオミが食事をやしなってやろうとすると、
「ひとりで食べられるから、そこに置いてくれ」と、カムイ。
「遠慮することない。やしなってもらえ」と、テールはニヤニヤしながら。
カムイはテールをねめつけた。
「そんな怖い顔、すんなよ」
「兄さんがそこに居ると、食べずらいのよ。食事がすむまであっちへいてて」
「それより、どうするんだ」と、テールは話題をかえる。
「何が」
「だから、ナオミの身代わりに、百人の生娘ていうことだよ」
「後で、恨まれるわよね」
ナオミは黙り込む。
「池の水って、争い事をすると枯れるのよね、別に神がいなくとも。それに陛下は、どういう子が生まれるのか、見たいって言ってたのよ。見れば気が済んで返してくれるわ」
「無理だな」とカムイ。
事が済んだのに殺されなかった今回こそが例外だ。
「奴等は、王位継承者が増えることを喜ばない。ましてどこの馬の骨だかわからないような母親の」
「まっ、失礼ね」
「生めば、その場で殺される」
「そんな」
ナオミは唖然としてしまった。
ではどうすればいいの。百人もの娘を身代わりに出して、そのままで済むはずがない。悲しみは、いつしか恨みにかわる。そしたら争いになる。神がいても、池の水は枯れてしまう。娘百人を犠牲にした意味がなくなってしまう。
「殺さないように頼めばいいのよ、村に返してもらうように。王位になど興味はないのだから。私に必要なのは、この村の生活なんだから」
「それで周りが納得するかな。人は、自分の尺度でしか、相手を測ることが出来ないんだぜ。王子の母親は、誰もが自分の子を王位につけたがっていると思っているぜ」
「だから、それを最初からはっきり言っておけばいいのよ」
カムイは無理だと言わんがごとくに首を重たげに横に振る。
「例え殺されても、御子はまた生まれ変われるのよ」
「でも、お前は無理だ」
「私は無理かもしれないけど、この村に争い事がおきるよりもは」
「行く気なのか、王都へ」
「だって、私が行かなければ」
百人もの娘とその両親が悲しい思いをする。
「ナオミ」
テールは止めようとしたのだが、ナオミはもう決めてしまったようだ。
こうなった妹は強い、昔から。
「私、庄屋さんの所へ行ってくる」
「ナオミ」
テールは追おうとしたが、カムイの方を振り向き、
「いいのか」
「言っても聞かないだろう、ああなっては」
「そうだよな」
「俺も、連れて行ってもらえるように、頼んでみる」
「止めろ、それこそ、殺される」
「しかし」
「大丈夫だ。ナオミにはヨウカというあの大蛇が付いている。いざとなれば、あの大蛇が守ってくれるさ」
昔からナオミはおてんばでよく危険なことをしていたが、不思議とこれといった怪我はしなかった。そんな時、いつも白蛇が傍に居る。今回のような、あんな巨大なのは初めて見たが。
「あいつは昔から、白蛇に守られていたんだ。おそらくこれからも」

「庄屋様、庄屋様」
ナオミは長老会議の真っ只中に飛び込んだ。
「何だ、騒々しい」
ナオミは長老たちの前で正座すると、
「私、王都へ行きます」
「なっ、何だと!」
「王都で出産して、御子様とご一緒に戻って来ます」
長老たちは驚いて互いの顔を見合わせる。
「何処で出産しても同じではありませんか。元気な赤ちゃんを産んで、戻って来ます。どうしても駄目なようなら、御子様だけでも帰してもらえるように計らいます。だから、待っていて下さい」
「しかし」
長老たちはナオミを村から出したくはない。
どうにか交渉しようとしていたところだが、良い案が浮かばない。
「もし、御子様の身になにかありましたら、また笛が戻ります。おそらく村の外へ出ても、笛はここへ戻って来ると思います。その時はまた、新しい母親を」
「ナオミ」
ナオミは覚悟を決めているようだった。
「長老様、私はこの村に禍根を残したくないのです」
長老たちはしばし黙り込んでいたが、ナオミの提案を受け入れるしか、他によい方法がないと悟り、力なげに承諾する。

庄屋と数名の長老は、ナオミを連れて皇帝陛下の所へ出向いた。
「話がついたようだな、陛下がお待ちかねだ」
そのまま陛下の前へと通される。
庄屋は深々と頭を下げ、挨拶をしたうえで、ナオミの王都への出向を公認した。
「其れに付きまして、娘から陛下にお願いがあるそうなので」
「何だ」
ナオミは深々と一礼すると、堂々とした態度で皇帝陛下と対峙した。
「王都には、私ひとりで参ります。ですから今より、村の者にはいっさい手を出さないで下さい。暴力はもとより、猥褻なことも」
凛とした態度。今朝の娘と同じ娘だとは思えないほどだ。
「ほー」と、皇帝は感心しながらも、
「それでは、今宵の酒はつまらなかろう」
「お酌ぐらいなら、いたします。それと、カムイの首に付いている枷ですが、はずしてはいただけませんか」
「カムイ?」
側近が耳打ちする。
「あっ、あの男か。あの男も、王都へ行きたがっていたがな、お前の下僕として」
既にカムイは、皇帝に申し込んでいたようだ。
「えっ!」と、ナオミは驚く。
「聞いていなかったのか」
「下僕は必要ありません。身の回りのことぐらい、自分で出来ますので、その男の申し出は断ってください」
皇帝はしばし考えていたが、
「よかろう、その条件、全て認めよう。ただし、今宵、私に付き合うならばだ」
もう一度、試してみたかった。この娘がどんな女か。
ナオミは少し俯いたが、「わかりました」と、返事をする。
一度寝たのだ、二度も三度も同じこと。
庄屋は唖然とナオミを見た。
「これで、誰も危害を加えられることはありません」
「しかし」
皇帝が約束を守るとも思えない。まして小娘との約束など。
将軍たちもそう思っていたようだが、
「囲っている女たちを開放してやれ」
「陛下」
「一人残らずだ」
将軍は唖然とする。
「命令が聞こえなかったのか」
「はっ」と将軍は、脇に控えていた部下に命令を下す。
「庄屋、今宵は俺とこの娘との祝言だ。床入りの準備をしておけ」
皇帝は酒をあおると、
「何人目の妃になるのかな、お前は」

娘たちを開放した分、皇帝は兵士たちに大盤振る舞いをした。全部費用は村もちだが。
その間、庄屋の屋敷では、一番上等な客間に床が用意されていた。
「ナオミ、本当にいいの、これで」
ヤヨイはナオミの床入りの支度を手伝いながら。
「みんなは、戻ってきた?」
「ええ、親御さんたちは喜んでいるわ」
「そう、約束は守ってくれたのね」
「ナオミ」と、ヤヨイは何か言いたそうに。
ヤヨイの言いたいことはわかっていた。
「カムイには、傷物でよければ待っててって。飽きられたらすぐ戻って来るからって。でも二、三年経っても戻って来なかったら、いい人をみつけてって」
「ナオミ、それでいいの」
ナオミは頷く。
もう、決めたの。これで村が平和なら。神の子はどこでても生める。生まれたら、村に送り返せばいい。
支度が整うと、ナオミは立つ。
ヤヨイはナオミの所に駆け寄り、その手を握る。
「ご免ね、村のために」
人身御供にするようだ。
「違うわ、そんなに自分を責めないで。それよりあなたこそ、丈夫な赤ちゃんを生んでね、その子がこの村を守ってくれるそうだから」
ナオミはヤヨイの手をしっかり握り返した。
姉のように慕っていた。お嬢様のようになりたいと、いろいろ真似た。でもやっぱり私は私だった。上品にはなれなかった。こんな私が、王宮に入ってどうなるのだろう。

寝室には、既に皇帝がいた。
「来たか」
ナオミは畳みに両手をつくと、
「お約束、守っていただきまして、ありがとうございます」と、低調に頭を下げた。
「あの男の枷は、私がこの村を立つ時、庄屋にでも鍵をわたそう」
ナオミはもう一度、感謝の意味で頭をさげた。
この娘、昨夜とは随分と変わった。芯が強くなったような気がする。
「飲むか」
「いえ、結構です」
皇帝は膳を除ける、来るように指示する。
ナオミは言われたとおりに皇帝の前に正座した。
いきなり胸をはだけさせられた。
やはり未熟な肉体だ。
そのまま胸を鷲掴みにすると、後ろへ倒される。
その時、ヨウカの声が聞こえた。
見回すと、皇帝の姿はなく、ヨウカが目の前に立っていた。
「ここからは、わらわが相手しょうぞ。お前はカムイのところへ行くがいい。じゃが、あの腕では無理か」
ヨウカは背後から徳利を取り出すと、
「これを飲ませればよい。エッチには事欠かない程度には動くじゃろう」
「まさか、また、エルシア様の命などということはないでしょうね」
「心配するな、ただの池の水じゃ。だから、エッチぐらいしかできん。奴の命なら、肩の傷のように、完璧に治るのじゃが」
「そっ、そうなの」と、ナオミは安心してその水を受け取ってカムイの所に行った。
食事ぐらい、一人で出来るようになれば、それでよいと思って。
「カムイ」
「何だ、こんな夜中に」
ナオミは、今頃は皇帝の所に居るはずなのに。
「食事、どうした?」
「テールにやしなってもらった」
「兄さんに」
ナオミは少し可笑しかった。あの兄さんが、そんなに面倒みがよかっただろうか。
「いろいろ面倒みてもらっている」
「そうなんだ」
ナオミは感心したように頷くと、「これ」と、徳利を取り出す。
「何だ」
「手が動くようになるって、ヨウカさんが」
「もしかして」
「私もそう思って聞いたんだけど、違うみたい、ただの池の水だって」
「池の水が、効くはずないだろ」
「あの池の水、傷や病気に結構効くのよ。現にみんな、怪我するとあの池の水で傷口あらうでしょ」
「それは、水道の水で洗うのと同じ原理だ」
「違うわ。あの池の水で洗った方が、傷の治りが早いのよ。まあ、騙されたと思って飲んでみて」
ナオミは徳利にストローをさし、カムイの口元に持って行く。
カムイは喉が渇いていることもあって飲んでみた。
おいしい水だと思った。いっきに全部飲み干す。
「どう、指先ぐらいは動く?」
だんだん両腕が温かくなるのを感じる。
神経がよみがえってきているような。

皇帝はナオミの体の異変に気づく。
小さな胸が、まるで風船を膨らますように盛り上がり、ウエストはくびれ、みるまに少女から熟した女へと変貌していく。
少女が、否、女がうっすらと笑う。
「また、あえたのー」
「貴様、何者だ」
女は上半身を起こすと、するりと皇帝と体位を入れ替えた。
「種をもろうたからには、もうお前には用はないのじゃが、あれではお前があまり可愛そうなもので、また来てやった。今宵は、もう少しもちや」
「何!」
「あれでは、わらわもつまらぬ」
「貴様、何者だ」
皇帝は手を伸ばし、枕元にある短刀を取ろうとしたが、その腕を、女とは思えぬ力で押さえつけられた。
「ヨウカと申す。神の娼婦じゃ。せめて、あやつの半分ぐらいはもってくれぬかのー」
ヨウカは皇帝の胸元を開けると、頬ずりし舌でなめる。
「分厚い胸じゃの、わらわはこういう胸がすきじゃ」
ヨウカは下から、艶かしい目つきで皇帝を見上げると、
「どうした、夕べのようにこぬのか。では、わらわからいくぞ」
次の瞬間、体が、まるで蛇に絡まれたように締め付けられる。

「どう?」
カムイはゆっくりと指を動かしてみる。
「動く」
指どころか、手首も。まだ握力は充分ではないが、それでも徳利を持つぐらいは。
「よかった」
ナオミはゆっくりとカムイに寄りかかる。

気づくと朝になっていた。
また、落とされたか。
部屋の隅、ナオミが背を向けて座っている。しきりと身だしなみを整えていた。
皇帝は立ち上がると大股でナオミの前へ歩み寄る。
いきなりナオミを立たせると、寝間着を剥ぎ取る。
ナオミは唖然として棒立ちになった。
やはり、未熟な体だ。それが、何故。
ナオミはあわてて寝間着を来た。
何をすると、抗議の目を向けて。
「昼前には、ここを発つ」
「わかりました」
それだけ言うと、皇帝は部屋を出て行った。

広場いっぱい野営地として広げられていた道具やテントは綺麗にたたまれ、トラックへと乗せられていく。
ナオミはその様子を、庄屋の屋敷から見ていた。
「準備といっても、何もしてやれないが」と、庄屋は心配して、
「ヤヨイの服だ。よかったらもって行くがいい」
ヤヨイと侍女たちがケースをいくつか持ってきた。
「とりあえず、身の回りの品と思って」
服や化粧道具などを用意してくれた。
だがナオミは首を軽く横に振ると、
「おそらく、どんな品を持って行っても、よくは言われないわ、田舎者ですもの。なら最初から何も持たずに行こうと思いまして。お嬢様の気持ちはとてもありがたいのですが、そのお気持ちだけで」
お嬢様からいただいたものを、馬鹿にされるのは耐え難い。それならいっそう、無いほうがまし。
「そうか」と庄屋。
だがナオミの手には、しっかりと袱紗に包まれた笛が握られていた。
「この笛だけあれば。御子様に必要な物は、全てむこうで揃えてくださるでしょうから。もしそうでなければ、さっさと戻ってくればいいだけのことですから」
ナオミは身一つで、王都に行く決意をしていた。気がかりなのはカムイ。
「庄屋様、カムイのことを。私が戻れないようでしたら、誰かいい人を」
「わかった」
どたどたと廊下を走る音。
襖がおもいっきり開けられ、そこにカムイが立っていた。
「ナオミ、本当に行くきか」
「皇帝との約束ですから」
皇帝はきちんと約束を守ってくれた。あれ以来、村の娘が悪戯されることはない。
次は自分の番だ。
「俺も、行く」
「馬鹿なこと言わないで。殺されるだけよ」
カムイはナオミをしっかり抱きしめる。
腕はすっかり動くようだ。やはりあの水は。
ナオミも一時、カムイの背に手を回し目を閉じる。
だが目を開けると、意を決したように、
「カムイ、離して」
「いやだ」
その時、廊下に数名の力強い足音。
足音が近づくにつれ、カムイは首のベルトを握り締める。
襖が大きく開かれる。
「ここに居たのか、陛下がお呼びだ」
将軍が近づくにつれ、カムイの体には電流が走ったような痛みが連続で起こる。
それでもカムイは、背後に隠しておいた短刀を抜く、将軍めがけて駆け寄った。
本来なら、皇帝と相打ちになりたかったのだが、皇帝には近づけない。
もう少しと言うところで、ナオミがカムイの体を押さえつける。
将軍が目の前に立った頃には、カムイは全身の痛みで気を失っていた。
「馬鹿な男だ。おとなしくしていれば命だけは助けてやるものを」
将軍は腰の剣を抜き払う。
「止めて、約束が違うわ」
「約束?」
「村の者には手を出さないと」
「こいつは、私にかかってきたのだ」
「しかし、あなたを殺められないことは、あなたが一番ご存知のはず」
ナオミは将軍がかざした剣の前に身を置く。
「この者は、皇帝がこの森を出るまで、幽閉させておきますので」
将軍は、ナオミの迫力に押されるようなかたちで、剣を収めた。
「兄さん、カムイのことを」
既にナオミは、以前のような男勝りだけの妹ではなくなっていた。池で大蛇とあってから。何かが変わり始めている。
テールは頷く。
ナオミは兄にカムイを頼むと、すっと立ち、先に歩き出した。
将軍たちがその後に続く。
傍から見ていると、まるで彼らを従えているようにすら見える。
あいつは、もとはこういう生まれだったのだろうか。と思いつつ、テールは部屋を出て行く妹を見送る。将軍たちを引き連れる姿が、板についている。

広場では、数人の将軍の下、兵士が整列していた。
その間を皇帝が歩き、車に乗り込む。ナオミはその後続車に押し込まれた。
合図で兵士たちもトラックへ乗り込む。
出立の合図の音とともに、車はいっせいに動き出した。
村人たちが遠巻きに、心配そうに見送っているのがわかる。おそらくこの中に、カムイの姿はないだろうと諦めていたのだが、人だかりが少なくなった所に、テールに支えられて立っているカムイの姿があった。
「カムイ」
思わずナオミは振り返る。
カムイがこちらに駆け出そうとしている。
カムイ、そこでじっとしているのよ。兄さん、カムイを離さないで。
祈るような思いで、ナオミはカムイの姿を見送った。

森の出口で部隊は止まった。
ナオミは何事かと思い前方を見ると、村に入った部隊の数十倍の軍隊が、森の外で待機していた。まるで砂漠を埋め尽くすほどの数。
えっ、この軍隊って、こんなにいたの。
改めて、ナオミは軍隊の大きさに驚く。
陛下と数名の将軍が車から降り、何か打ち合わせをしている。
ナオミはその隙に、同乗している将軍に、鍵を返してくれるように頼む。
「約束ですから」
村を立つ前に、庄屋に鍵を手渡している様子はなかった。今ここで返してもらわないと、カムイの首から永久にあの枷が取れない。
将軍は鍵を取り出す。
ナオミはそれを受け取ると、車から降りようとした。
「どうするつもりだ」
「森の方へ投げ込むのよ」
「そんなことしても、誰にも見つけてもらえなければ、終わりだ」
「大丈夫よ、誰か見つけてくれるわ」
ナオミは車から降り、森の方へ走っていく。
将軍も仕方なしにその後をつける。
陛下から見張るように言い付かっているからだ。
ナオミは森の縁までくると、鍵をハンカチに包み、どうしようかと迷う。
枝に括り付けようか、それとも道の真ん中に置いておこうか。
ふと藪の中を見ると、そこに白い蛇がいた。
「ヨウカ様」
「わらわがその鍵、預かろう」
ナオミは迷うことなくその藪の中に鍵を投げた。
白蛇がそれを受け取るのを確かに見る。
「そんな所に、鍵を投げ入れたら、よけい見つからなかろう」と、将軍が言う。
「ヨウカ様に、渡したのです」
「ヨウカ?」
「神の使いの白い蛇です、さっきそこにおりました」
なんぼ将軍が目を凝らしても、藪は鬱蒼として何も見えない。

暫くすると上空にいくつもの黒い影。見る間に大きくなり春の陽光を遮る。
貨物船。
それらは次々と静かに砂漠の中に着地する。
格納庫が開くと同時に、今まで待機していたトラックや装甲車などが動き出す。
皇帝を乗せた車とナオミを乗せた車は、護衛の車に囲まれたまま、美しい船の中へと収められた。
「この船は?」
「皇帝専用機だ」
2008/09/07(Sun)23:51:54 公開 / 土塔 美和
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