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『Saint of AYA  ―完―』 作者:神夜 / アクション ファンタジー
全角105169文字
容量210338 bytes
原稿用紙約297.4枚
――《妹》を守ると、《彼女》を守ると、誓った。《ふたり》を守るのだと誓ったのだ。だからおれは、強くなろうと、決めたんだ。


     「プロローグ」



 ――その日は、雨が降っていた。

 連日に続く大雨は耳を潰すように激しくアスファルトを叩き、傘を破るような勢いで落下して来て、外に出てまず最初にその水量に驚いたのを憶えている。大雨は川の水嵩を増させ、増水した水は道路へと流れ込み、車のタイヤが水を弾くたびにその波紋が足元まで鮮明に伝達されていた。足が濡れることを気にしていたのは最初の一分だけで、それからは靴下までぐしょぐしょに濡らしながら道路を歩いた。その隣では妹が満面の笑顔を浮かべて道路を長靴でばしゃばしゃと歩き、黄色いレインコートの裾を翻して時折振り返ってはこっちに向って笑いかけていた。
 それが、最後に見た妹の笑顔だった。
 ライトの明かりは見えなかった。暗い雨雲のせいで見えなかったのか、それとも本当はライトなど最初から点けていなかったのかは今でもわからない。
 クラクションの音は聞こえなかった。雨のせいで聞き取れなかったのか、それとも本当はクラクション自体が鳴らされていなかったのは今でもわからない。
 ただ、――ただ、妹が車と衝突したあの音だけは、激しい雨の中でもはっきりと耳に届いた。
 風に飛ばされた桜のように空間を舞い散った血が、この世のものとは思えないくらいに美しかった。
 血は道路の水と混ざり合ってどこまでも流れ、そのときにはすでに、目を閉じた妹の鼓動は止まっていたのだろう。しばらくは何もできずに佇み、傘を落としてから数秒後に、ようやく足が動いた。最初はゆっくりと、しかし二歩目からは信じられないくらいに速い足取りになった。アスファルトに横たわる妹の身体を抱き締め、何度も何度もその名を呼んだ。しかし、妹の声を再び聞くことは未来永劫、叶わなかった。
 妹は、あの雨の日にいなくなった。
 どうしてあのとき、車の存在に気づけなかったのだろうと思う。もし気づいていれば、妹は死なずに済んだのだと思う。自らを強く恨んだ。酷く情けなく、酷く不甲斐無く、酷く無力であった自らを罵倒し、蔑み、一度は自分も妹の後を追って死のうかとすら思った。だけど死ななかった。――いや、死ねなかったんだ。死ぬのが恐かったからじゃない。自分の命を自ら絶つことは、妹に対する裏切りであるような気がしたからだ。
 あの日、施設を出るあの日のあのとき、自分は妹を守ると誓った。
 どんなことがあっても、どんなことをしても、妹を守るのだと誓ったのだ。
 でも誓いは果たせず、守れなかった誓いは行き場を失くして停滞する。

 ――その日も、雨が降っていた。

 《彼女》が現れたのは、妹を失った日と同じような、激しい雨の日だった。
 《彼女》はこちらに向かって微笑んだ。あの日、黄色いレインコートの向こうからこっちに向けられた妹の笑顔と、よく似た微笑みだった。妹の生まれ変わりなのだと思った。抵抗はなかった。違和感もなかった。運命、なんて大それた言葉ではなく、偶然、なんて安っぽい言葉ではなく、――必然、と呼ぶに相応しい出来事だったのかもしれない。そして、思った。行き場を失くしたはずの誓いが、ようやく行き場を見つけたのだと思った。一度は守れなかったはずの誓い。今はもう、どんなことしても取り戻せない、失ってしまった大切なもの。だけど、それでも。
 今度こそ、果たそうと決めた。
 何があっても、どんなことをしても、《彼女》を守ろうと誓った。
 もう二度と失いはしない。例えこの身を犠牲にしても、今度こそ守ると誓ったのだ。
 だから、

 ――だから、おれは強くなろうと、決めたんだ。





     「舞い降りるは灼熱の天使」



 芝原邦紀(しばはらほうき)のアパートの郵便受けに突っ込まれる手紙は、三通りしか存在しない。
 一つ目はもう何年も前に入会した理髪店の安売り広告手紙である。あの理髪店へと最初に足を踏み入れたのはもういつだったのか思い出せないほど昔のことで、そのときに会員登録なんてものをしてしまったのが原因で、別に必要ないのにしつこく手紙を送り続けてくる。何度か店に赴いて会員退会を申し出たことのある邦紀だが、店員は「はいはいわかりました退会ですね」と微笑んだ翌日、凝りもせずにまた手紙を送り込んで来るので、いつしか邦紀自身も諦め始めていた。
 二つ目は身に憶えのない架空請求の手紙である。一体どこから住所が流失して目をつけられてしまったのか、週一のペースで悪徳業者から似たような架空請求書が届く。アダルトサイトの観覧料金なんてそもそもパソコンを持っていないのだから見れないし、何千万もするような壷を買えるだけ邦紀に金の蓄えはないし、果てには結婚すらしていないのに息子が借金の保証人にされてしまい、なんてものまであった。
 前者と後者の手紙は、封を開けずにそのままゴミ箱に直行される。
 そして唯一「ゴミ箱処分」ではなく、「焼却処分」にされる手紙は、三つ目の手紙だ。
 それは多いときには週に三回、少ないときには二ヶ月に一回の割合で送られて来る神出鬼没の手紙。普段はバイトで何とか生活を続けている邦紀にとって、バイトよりも遥かに割の良い仕事依頼の手紙である。が、割が良いということはそれ相応のリスクが伴う。金が良い仕事の裏には必ず、「何か」が存在するのだ。それがワイロを大量にばら撒く大手企業だろうが死体洗いを任されている臓器ブローカーだろうが何だろうが、必ず。しかし「何か」があるとわかっていても、それに縋りつかないことには生活ができないのである。それはどうしようもない現実の形だ。
 それに、邦紀はこの仕事に誇りと信念を持っている。故に、「ゴミ箱処分」ではなく「焼却処分」に処される。
 別に燃やす必要もないのだが、それは邦紀が決めた数少ない決まり事の一つだった。
 そしてこの日も、邦紀のアパートの郵便受けに一通の手紙が突っ込まれた。
 黒い封筒に切手が貼られていないことはいつものことで、これは郵便局を通さずに配達役を仰せつかっている下っ端が直接郵便受けに入れていくのだ。散らかり放題の部屋の中で寝転がってテレビを見ていた邦紀は、その微かな物音に顔を上げた。人の気配が遠ざかっていく玄関を見つめながら、郵便受けからはみ出して端が見えている黒い封筒を見つめる。
 ぼんやりと腰を上げて、床に散らばっている洗濯ものやら小物やらを無造作に踏み潰して玄関に向う。黒い封筒をその手にして封を切り、中から一通の手紙を取り出す。そこには「拝啓」や「お元気ですか」などという定番の文字は一切なく、無機質に無機質を重ねたような雰囲気でただ一言、場所が記されていた。が、それが場所だということはいつものことなのでわかるのだが、それがどこなのかがイマイチよくわからない。
 牧野のジジイの字は解読不能だっつってんだろ、と邦紀は思う。
 牧野曰く、「落書きではない、達筆である」らしいが、書道の心得がない邦紀から言わせればそれは幼稚園児の落書きと大した違いはないのである。
 手紙に書かれた一言とじっくり五分間睨めっこを繰り返した後、唐突に理解できた。邦紀が思うに、牧野の字はちょっとした暗号みたいなものなのだ。解読キーの一つを憶えておけば、「達筆」と呼ばれるそれが何と書いてあるのかはそれとなくわかるようになる。しかし邦紀が未熟なのか牧野が阿呆なのか、解読キーを持っていたとしても解読にはまだしばらくの時間を要するのだった。
 場所を確認した邦紀は台所に赴き、流し台の前で手紙をライターで燃やし始める。炎のオレンジがぼんやりと顔を照らし出す中で、邦紀は独り言のようにつぶやく。
「――アヤ」
 そのつぶやきに反応して、声が聞こえる。
「なに? お仕事?」
 それは果たして、どのような現象なのだろうか。
 室内には邦紀の気配しかなかったはずなのに、空間から滲み出すようにその者は姿を現す。まるで自然に、まるで最初からそこにいたかのように、その少女は信じ難いことに空間から現れて、信じ難いことに宙に浮いている。歳は十代前半、肩ほどまでの髪と人懐っこい笑顔。天使だ、と言われれば何となく納得できてしまいそうな雰囲気が印象的である。しかしこの状況を見ている者に訊けば、百人が百人、それは天使ではなく幽霊だと答えるに決まっていた。
 いきなり出現して、宙にふわふわと浮いている少女。
 ミュータントに憑依するセイント。その名を、アヤという。
 燃やし終わった紙を水で洗い流し、邦紀は振り返る。
「仕事だ。そろそろバイト代だけじゃ食えなくなってきてたし、ナイスなタイミングだな」
「それは邦紀が男の浪漫は一攫千金だとか何とかほざいて競馬の大穴に今月の給料を全部突っ込んだからだと思います」
「いいだろうが。宝くじを買うよりはよっぽど可能性がある」
「宝くじの方がいいに決まってるもん。わたしが買えって言ったあの連番、今日の新聞で前後賞合わせて三億だったよ?」
「マジでっ!?」
「マジで」
 邦紀は慌てて台所から飛び出してテレビが垂れ流しにされているリビングに戻り、テーブルの上に置かれていた新聞をものすごい勢いで捲り始める。そして唐突に手を止めて、新聞に掲載されている宝くじの当選番号を凝視した。確かに、一等と前後賞の番号、これには確かに見覚えがあるような気がする。あの日、競馬場と宝くじ売り場の前でアヤと口喧嘩した後、アヤの言葉を無視して競馬の大穴にすべてを突っ込んだあの日、アヤが見ていた宝くじの番号は確かにこの新聞に掲載されているこの番号である。
 精魂が尽きた気がした。漫画なら口からウルトラソウルがあふれていたはずだ。
 白目を剥きそうな勢いでガタガタと震える邦紀を後ろから覗き込み、アヤがトドメの一言を入れる。
「負け犬」
 キレた。
「黙れ自縛霊がッ! 成仏させるぞコラァッ!」
「違うもんっ! 自縛霊じゃなくてセイントだもんっ!」
「うるせー! 似たようなもんだろうが! 何が神の使徒だ、神の使徒ならあの大穴の万馬券を大金にしろっつーんだ!!」
「宝くじ買えばよかったじゃん!!」
「ぐっ……!!」
 繰り返しの一言、
「負け犬!」
 もはや何を叫ぼうが負け犬の遠吠えにしかならないことは、邦紀自身が一番よく理解していた。
 実に惨めな気持ちだった。こんな少女にボコボコに言い負かされる己が酷く情けない。それに一応、邦紀はアヤに触れるが少女を殴るということは何か人生でとんでもない過ちを犯したことになりそうで恐い。だから手は出せない、かと言って口では勝てない。アヤに勝てる日は未来永劫、本当に訪れないのかもしれない。これから一生、邦紀がミュータントでアヤがセイントである限り、この主従関係は反転したまま固定され続けるのであろう。甲斐性無しの負け犬である。言葉もなかった。
 大きな大きなため息を吐き出して、邦紀は歩き出す。
「……もういいよ、行くぞアヤ。時間に遅れる」
 アヤが満足そうに負け犬の首に手を回して背中に凭れかかり、小さく笑って、
「今日はドコ行くの?」
 邦紀は苦笑した。
「いつもと似たような所だ」
 アヤは不満の声を上げる。
「ヤダ。あの森、何か恐いもん」
「自縛霊が何を言うか」
「負け犬が何を吼えるか」
 盗られるものは何もないから戸締りは別にしてもしなくてもいいのだが、食料を食い荒らされると餓死するかもしれないので一応鍵を掛けておく。その前にガスの元栓を切り忘れていることに気づいて一度だけ引き返し、きちんと締まっているかどうかを三回も確認する。盗られるものなど何もないが、ガス爆発なんかで家を失うと非常にマズイ。野宿は避けたいし、それに野宿だとアヤがうるさくて敵わないだろう。だから何よりも重要なのは寝ることができる場所なのである。野宿だろうがベットだろうが宙に浮いて寝るアヤには関係ないはずだが、「プライバシーのシンガイ」らしい。プライバシーもクソも、アヤは他の人間には見えないのだからそんな権利などハナクソほどの役には立ちはしないだろう――、そんなことを言うと引っ掻かれるのでもちろん言わない。
 車なんて高価なものは当たり前のように買えないので、邦紀の交通手段はもっぱらマウンテンバイクである。マウンテンバイトと言うと響きは良いが、真相は自転車に邦紀が「マウンテンバイク」と名づけたただのママチャリである。おまけにそのママチャリは、警察署の裏に停めてある持ち主不明の盗難自転車をさらに盗難してきた実に危ない代物であるのだが、足はつかないようにしてあるから大丈夫だろう。証拠に今日までこうして警察がアパートのドアをノックする事態は訪れていない。
 ベルを無意味に鳴らしてサドルに跨り、一度は何者かに破壊されたせいでほとんど意味のなくなった鍵を力任せに外し、ペダルを漕いで邦紀は道路を行く。
 後から設置した荷台の上にはアヤが座っているのだが、それは「座っているように見えている」だけである。そもそも他の人からアヤは見えないのである。アヤはミュータントにしか見えずに触れないし、アヤ自身はミュータント以外には一切触れない。だから荷台に乗ろうにも本来ならそのまますり抜けるのだが、気分だけでも、ということからこうして「座っているようにしている」のである。
 夏が終わり秋に移ろい始めた青空は驚くくらいに透き通っていて、ゆっくりと動いているあの雲には乗れるような気さえする。太陽が昇る昼間にも関わらず、カラスが元気いっぱいにフォーメーションを組み替えながら自由に空を飛んでいた。自転車に乗ってこうして空を仰ぐと、なぜか「今日も一日頑張ろう」という気になるから不思議である。雨模様ならば「今日はもうダメだ」なんて思えてしまうが、幸いにして今日は青空だから問題はない。
 邦紀が乗る自転車が、住宅街から少し離れた所にある森に近づいて行く。
 結界、なんて大層な代物ではないが、それに似たものが張り巡らせてある場所。
 この世界にはこのような場所が幾つか存在する。牧野が所属する組織が用意した戦闘場、と言うのが一番適切なのかもしれない。組織のことを知らないミュータントは、大概この場所に導かれるように集まって来る。あそこに張り巡らせてあるものには、セイントと同じ気配が発せられる仕組みになっており、その気配を追ってミュータントが現れる。そこを叩くのが、邦紀のようなミュータントの役目であるのだ。世界政府の配下に位置する組織だからこそ報酬もとんでもない額に跳ね上がっているため、普通のバイトよりも遥かに割が良いのだ。
 が、やはりそこには「何か」がある。それ相応のリスクだ。
 戦闘ということはつまり、命を懸けての仕事になる。死ぬことは滅多にないが、相手が悪ければ本当に殺される仕事だ。そして死んだミュータントの後始末をするのも組織なのだが、その辺りの仕組みは邦紀もあまりよく知らない。ただ牧野によれは、死んだミュータントは「最初からいなかった」ことにされ、死体は研究所で解剖されるらしい。まったくもって物騒な世の中になったものである。
 自転車が森に到着する。力を加えれば誰でも突破できる鍵を掛けて、しかし発見され難いように木陰に隠していく。だが端から見ればそれは普通に停めておくよりも乗り捨てられた自転車のような雰囲気があるため、余計に盗難され易いことに邦紀はまったく気づかない。見えなくしておけば大丈夫だ、なんていう馬鹿丸出しの思考を愚かにも信じ通し、邦紀は獣道を歩く。
 途中、背中に捕まっていたアヤがぽつりと、
「……ねえ、邦紀」
「却下」
 邦紀は先を聞かずにそう答えると、アヤは至極当然な反応を返す。
「まだ何も言ってない!」
「どうせ帰ろう、なんて言う気だろ。だから却下なんだ。こちとらこの仕事を達成しないことには生活がヤバイんだよ。下手すら家賃も払えなくなる。そうなったらお前、野宿だぞ。お前の言うプライバシーのシンガイになる。おれは別にいいがお前がうるさいからこうして仕事してんだ。だから帰るのは却下」
「……だったらわたしだけ帰る」
「馬鹿か。お前がいなかったらおれが死ぬだろ。何でいつもそんなに帰りたがるんだよ?」
 だって、とアヤは恐る恐る辺りを見回し、顔を邦紀の背中に埋める。
「……いるんだもん」
「何が?」
「幽霊」
「幽霊はお前だろ」
「違うもんっ! もっとエグイちゃんとした幽霊だもんっ!」
 エグイ幽霊って何だ、と邦紀は頭を掻く。
 するとアヤが、前方を指差して小さくこんなことを言う。
「そこにいる。たぶんわたしと一緒くらいの男の子。頭から血が出てる。内臓がはみ出てる。誘拐されてここで殺された男の子みたい。恐い恐い。エグイもんあれ。邦紀は見えないからいいけど、わたしは見えるもん。見たら絶対、邦紀は泡吹いて倒れるに決まってるもん。だから帰ろう、わたしだけ見えるなんてズルイ」
 それが事実かどうかはともかくとして、邦紀には見えないので知ったことではない。
「恐いなら目つぶってろ。そしたら大丈夫だ」
「つぶったらもっと恐い。ほ、ほら、なんかあの子わたしに向って手振ってるもんっ!」
「遊んで来い。話してみたら案外いい奴かもしれないぞ」
「内臓見えてる子と遊びたくない!」
「外見で人を判断するのがお前の悪い癖だ。いいか、実際この世界は見た目で人間を判断する世界だ。しかしそういう奴に限って腸に良からぬことを考えている決まっている。外見が悪い奴ほどいい奴に決まってるんだ。それは絶対だ、おれが保障する」
「……じゃあ邦紀は良からぬこと考えてる」
「ほっとけ。おれは外見に囚われない人間だ」
「言ってること無茶苦茶」
 まだ何かを言いたそうだったアヤを無視して、邦紀は木々の隙間から空を仰ぐ。
「――来るぞ、アヤ」
 そのつぶやきにアヤの表情が変わる。
 風に乗って、確かに気配がものすごい勢いで近づいて来ている。普通の人間では有り得ない気配だ。深く深く、淀んだ空気を身に纏った存在。ミュータントの中でも最下層に位置する匂いがする。そのミュータントに憑依しているセイントが悪いのか、それともミュータント自身が原因なのか。その辺りは本人たちに聞いてみるしかないが、この気配、話し合いで解決できることはまずないだろう。
 まったくもって厄介な仕事だ、と邦紀は思う。
 標的の情報くらいちゃんと書いてくれればいいものを、面倒だからという理由で疎かにする牧野にはつくづく嫌気が刺す。これで死んだら化けて出てやる。ていうかこの仕事が終わったらあの野郎の顔面を一発くらいぶん殴ってもバチは当たらないであろう。それに加えて報酬も弾んでもらおう。そうしないと割に合わない仕事ではないか。なぜなら――……このミュータント、強い。
 森を覆い尽くすかのようなこの気配。雑魚のミュータントが発するような陳腐な代物ではない。怨念にも似た強い意志が混ざり合い、セイントによって具現化する形だ。なぜこの仕事が邦紀に回って来たのかがよくわかる依頼である。牧野の下にいるミュータントの中で、この標的に勝てるミュータントが果たして何人いるだろうか。邦紀の知っているところで、たったの一人しか思いつかない。それほどまでに激しい気配である。よくこんなミュータントが野放しにされていたものだ、なぜもっと早く対処を、――待て。もしかして、対処はされていたが、このミュータントが他のミュータントを凌いでたと、
 木々の隙間から見えていた青空が、突如として炎で埋め尽くされた。
 それに続いて熱風が木々を掻き分けて邦紀の周りを包み込み、何本もの炎の柱が上空に吹き抜けていく。
 広範囲の炎熱系が相手とは分が悪い、と邦紀は動き続ける気配を追いながら不敵に笑う。この炎熱系のミュータントにはまだ少々の荒さは残っているが、十分に通用する力だ。そんじょそこらのミュータントでは到底に勝ち目はないだろう。やはり邦紀の推測は当たっているはずだ。組織がこんなミュータントを野放しにするはずがない。おそらくは、邦紀のように送り込まれたミュータントをすべて倒してきたのだろう。本当に、まったくもって厄介な仕事である。いつもの三倍の報酬を貰わないことには割が合わない。
「邦紀!」
 アヤの声に視線を上空に向けると、まるで生き物のように炎の柱が束になって降り注いで来ていた。
 体勢を右にズラして手を地面に押し当て、その反動で離脱した。耳を貫くような轟音が辺りに響き渡り、狙いを失った炎が出鱈目な方向に霧散する。それを正確にトレースして軌道を読み、紙一重でかわしていく。我ながらなかなかの体捌きではないかと邦紀は思う。思っている間にも炎の残り火を避け続ける。足を地面にしっかりと固定し、最後の柱を真上から振り下ろした拳で打ち砕く。微かに熱かったが大丈夫、威力を失った炎なら素手でも掻き消せる。
 辺りを覆っていた炎が一箇所に集まり始めた。それは動き続けていた気配の所に収縮され、やがて上空に一つの影を作り出す。
 羽が生えているかのようだった。太陽を背に浮かび上がるそのシルエットは、アヤのような幽霊風ではなく、紛れもなく天使に近い形をしていた。炎の翼が左右いっぱいに広げられ、その周りを円を描きながら回る炎の柱。二度三度の羽ばたきによってゆっくりと高度を落とし、そのミュータントは邦紀の目前に姿を現した。炎の熱気に混じって感じられる、確かなる意志。この意志の強さが力の源。よっぽどの決意がなければここまで強くはなれないだろう。セイントもそうであるが、このミュータントの本体だけでも十分に強い。
 そのミュータントは女だった。いや、女の子と表現するのが適切だろうか。歳は大体十代半ばから十代後半、それでも十九歳の邦紀よりは年下に思える。腰まであろうかという長い髪に紅く変色した瞳。冷徹なほど感情を表に出さない雰囲気が漂う無表情。翼はまるで本当に背中から生えているかのように自然体で、それは同時に、セイントの力を完璧に使いこなしている証でもある。
 こちらからコンタクを取る前に、向こうから会話を求めてきた。
 正確にはミュータントからではなく、そのセイントだ。
「貴様もミュータントであろう。その餓鬼が、セイントか」
 そのセイントは、仮面を被っていた。死んだときもそのような仮面を被っていたのか、それとも後から具現化させた仮面なのかはわからないが、ピエロのような仮面を顔につけ、二つの穴から目が蠢いている。嫌な目だった。一つの仮定が邦紀の頭の中で展開する。まさかこのセイント、「記憶」を持っているのではないか。記憶を持たないセイントがこのような目をするとは思えないのである。そしてもし本当に記憶を持っているのであれば、厄介だ。能力を持っている可能性だってある。
 餓鬼と言われたアヤが邦紀の背中から顔を出して、
「餓鬼じゃないもん、アヤだもん!」
 仮面のセイントは小馬鹿にしたように笑う。
「フハハハ、それは失礼した。ならばこちらも自己紹介といこうか。我が名はカルディア。そして彼女が真代美希(ましろみき)。以後よろしく、などと言うつもりは毛頭にない。どうせ憶えた所でここで死ぬのだ、なら元から小さい脳みそを無駄に使う必要もあるまい」
「小さくないもん! 脳みそ大きいもん! あんたなんてむぐっ、むー!」
 顔を赤くして抗議の声を上げるアヤの口を塞ぎ、邦紀は真っ直ぐにカルディアを見据えた。
「おれだけ名前を言わないのはアンフェアだ。おれは芝原邦紀。……カルディア、だったな。お前に一つ、訊きたいことがある」
「……なんだ?」
「お前には、記憶があるのか?」
 カルディアの気配が明らかに変わった。それは意外なことに直面したときに発する気配であったように思う。
 やがてカルディアは沸々と笑い、
「――……どうやら貴様は、今までの雑魚とは格が違うらしい。良かろう、全力で潰してくれる」
 その声を引き金に、美希というミュータントの背中から生えていた炎の翼が規模を変えた。
 数メートルにも及ぶ羽が一直線に研ぎ澄まされ、それは炎の刃へと変貌する。ギロチンのように左右から迫り来る炎の刃は木々をすり抜け、邦紀の首を正確に取りに来ていた。上体を屈めて刃の軌道から逃れた瞬間、先ほどまで邦紀の首があった位置に二本の刃が激突して鋼の音を発する。二つに合わさった炎の刃はそのまま真下に降下し、切断するのではなく、邦紀自らを押し潰そうとしていた。力いっぱいに足で地面を弾いてまたしても回避、落ち葉の上を三度ほど転がった後に立ち上がる。
 再度狙いを定めようとしている美希とカルディアを見つめ、邦紀は思う。
 このミュータント、明らかに邦紀の命を狙ってきている。ミュータント同士の戦闘で、相手の命を奪ってはならないなどというルールはない。が、組織に属するミュータントの間では、暗黙の掟で一応はミュータント同士の戦闘の場合は、セイントだけを消滅させることが決まっている。しかし無法者のミュータントに、それを求めるのは筋違いというものなのかもしれない。命のやり取りをして、このミュータントとセイントはここまで上り詰めたのだろう。ならば、こちらも全力で相手をしなければなるまい。命を狙う相手に、キレイごとを持ち出しても意味はないのだ。
 邦紀は右手を横に伸ばし、背中にいるアヤに呼びかける。
「アヤ。……やるぞ」
「うん」
 アヤが肯いた瞬間、邦紀の右掌に力の具現化が始まる。
 まるで空間を漂う物質がその形を形成するかのように、そこに何かの形が生み出されていく。光の塊を邦紀が握り締めると同時に、それを覆っていた無駄なものがすべて霧散し、確かなる形を具現化させた。邦紀の身長よりも大きい漆黒の大刀。組織の中でも群を抜いての攻撃力を誇るセイント・アヤが具現化させる、コードネーム《鉄(くろがね)》のミュータント・芝原邦紀の力の形である。
 振り抜かれた大刀は重さなどまるで感じさせないほど軽快で、木の葉のように空間を切り裂いて舞う。
 セイントが具現化させるものは、ミュータント以外には見れず触れない。つまりはこの世界の物質の中で、セイントが具現化させたもので触れられるものはミュータントしか存在しないのである。故に先ほどの炎の刃は木々をすり抜け、すり抜けられた木々には傷跡一つ残っていないのだ。実に便利なものだと思う。仕組みなどはわからないが、一般人に危害を及ぼせないようになっている点は、本当にセイントは神の使徒なのかもしれない。
 そしてミュータント以外には触れないということは、どんなものが間にあろうとも意味を成さないことに繋がる。地形の利、などというものがほとんど皆無になるのだ。だからこそ、一見すれば出鱈目に振り抜かれた大刀は木々をすり抜け、真っ直ぐに獲物だけを狙う。驚くべきスピードで迫った大刀に初めて美希の表情が揺らぐが、羽ばたいた翼によって上空へと逃れる。その姿は、中身はともかくとして本当に天使のようだった。
 もしこのミュータントにコードネームを授けるのだとすれば、それは《灼熱の天使》になるだろう。
 戦闘が開始される。
 上空に距離を取れば安全、だとでも思っているのかもしれない。だがしかし、そんな距離が邦紀に通用するとは思わないことだ。この漆黒の大刀に、限られた間合いというものは存在しない。そんなものは無意味であるのだ。獲物がどこにいようとも姿が見える限り、気配が感じ取れる限り、そこが邦紀にとっての「間合い」なのである。
 振り上げられた大刀が漆黒の度合いをさらに深く刻むとき、アヤの意志が交錯して変化を及ぼす。
 突如として刀身だけが巨大化し、一閃の刃は距離を無効化する。その状況変化について来れる者などいないはずだ。瞬間的に振り抜かれた大刀は上空にあった炎の右翼を切断した。片翼を失った美希のバランスは一気に崩れ、そのままおかしな体勢で急降下を開始する。そこを見逃すほど邦紀は優しくなどない。三歩だけ前に踏み出し、未だに巨大化していた大刀を横に薙ぎ払う。
 太陽の光さえも飲み込む刀身を、落下途中だった美希はそれでも正確に見つめていた。
 切り取られた片翼が瞬時に復活し、急造の炎の楯が生み出された。楯と大刀がぶつかり合って甲高い音が発せられる中、大刀は弾かれて背後によろめき、美希は反動に作用されて地面に激突する。土煙が濛々と舞い上がる中、しかしそれを掻き分けて炎の槍が幾本も邦紀に向って放たれていた。が、大刀一閃、炎の槍は一撃で粉砕されて無に帰し、風圧が土煙を吹き払う。
 炎の翼を背中に生やして、そのミュータントはまだそこにいた。
 邦紀は無傷で大刀を肩に置き、美希は擦り傷だらけで地面に座り込む。
 明確な力の差、というものがあるのだとすれば、それはこのことを言うのだろう。
 勝てない壁が存在する。それにぶつかったとき、人間は必ずしも恐怖を思い描く。その大きさは人によって異なるだろうが、僅かにでも恐怖を描いた時点で勝敗は決まるのだ。心が臆したときにセイントの力は低下し、心が折れたときにセイントは消滅する。まだ心を折るには足りない。もっと圧倒的な力を見せつけなければ、このミュータントの心が折れることはないだろう。それこそ殺すことを絶対の意志として首を刎ねなければ不可能かもしれない。殺すことは流儀に反するが、それしかないと判断したときは、迷わず首を刎ねる。
 しかしアヤの大刀を弾き返す密度の楯を造り出すミュータントがいるとは驚きに値する。やはり邦紀が知る中で、このミュータントに勝てる者もアヤの大刀を弾き返す者も、ただの一人しか思いつかない。この依頼が邦紀に回って来なければ、さらにやられるミュータントが増えていただろう。だがこの依頼が邦紀に回った時点でそのようなことはない。牧野が胸を張ってこの依頼を邦紀に回した姿が容易に想像できる。何だかんだ言いながら、牧野は邦紀のこの力を誰よりも評価しているのだ。
 漆黒の大刀がゆっくりと弧を描く。
 それを見計らっていたかのように、カルディアが小さく笑った。
「……貴様は、もしや力を得た者か?」
 今度は邦紀が意外なことに直面する番だった。
 カルディアは邦紀の反応を正確に読み取り、仮面の奥底で口を歪ませる。
「見つけた、遂に見つけたぞ。貴様のセイントを食らえば、我がその力を得ることができる」
 邦紀の後ろでアヤがあかんべーをするが、カルディアはそれを無視して目を細めた。
 そして美希の耳元にそっと顔を近づけ、美希にしか聞こえない声で何事かをつぶやく。
 瞬間、気配は明らかに膨れ上がった。
 臆したはずの心が蘇る。否、それは蘇るなどという代物ではない。最初の位置を飛び越えて、進化とでも呼ぶべき力の鼓動が湧き上がる。炎の柱が邦紀を取り囲むかのように円状に吹き上がり、上空で繋ぎ合わさって巨大な籠を作った。死角はない、美希の気配さえもがこの炎によって掻き消されてしまっている。出鱈目に大刀を振り回したところで、それはこちらの位置を逆に向こうに知らすことになる。
 どういうことだ、と邦紀は思う。
 なぜ急激にここまでの力をつけたというのだろうか。先ほどまでの比でない。力の振り幅が尋常ではないのである。これが美希の本来の力だというのか、それとも何かカラクリがあるのか。カルディアは一体何を美希に吹き込んだ、どうしたらここまでの力が出る。まさかこれが記憶を持つカルディアの能力か。ミュータントの力を増大させる能力があっても何ら不思議ではない。なぜならセイントとは、それこそ未知数の存在なのだ。神の使徒を人間の物差しで計ろうとすること自体が不可能なのである。
 しかし今はそんなことを議論している場合ではない。この状況を何とか打破しなければ非常に危険である。どうにしかして美希の位置を知る方法はないものか――、
 邦紀がそう思った刹那、まるで思考を先読みされているかのように攻撃が来た。
 炎の籠の側面から炎の柱が飛び出し、邦紀を狙う。大刀で切り裂いて凌ぐのも束の間、炎の柱は休むことなく徐々に数を増やして突っ込んで来る。やがてそれは大刀を振り回して掻き消すだけで手一杯の作業となっていく。炎の壁に突っ込んで突破することも考えたが、もしこの壁が大刀を弾き返した楯と同じほどの密度を持っているとすれば返り討ちに遭う。どうにかして打開策を見つけないことには、やられるのは時間の問題になる。
「邦紀、早くやっつけないと丸焦げになるよ?」
 後ろでのんきに忠告するアヤは事態の危険性について何も気づいていない。
 邦紀が負けるはずなんかない、とでも思っているのだろう。それはそれで正しい正論かもしれない。今までの戦闘から言えば、邦紀はどんな悪条件だろうが切り抜け、この大刀で相手を薙ぎ倒してきたのだ。が、今はそのように簡単に物事は動かない。非常に危険である。いつも冗談混じりにそんなことを言っているからイマイチ信憑性に欠けるかが、今はマジなのである。本当に危機的状況なのである。
 十三もの炎の柱が一気に撃ち出された。
 遠心力にものを言わせて大刀を振り回すが、十二の柱を消し去った際に最後の一本には間に合わないことを悟った。炎の柱が背中に直撃し、天地が一瞬だけわからなくなった次の瞬間には地面に激突していた。ここにきてようやくアヤも真面目にヤバイ状況なのだということを理解して、地面に倒れ込む邦紀をポカポカと殴りつけて「何してるの馬鹿! 早くやっつけてよ!」となどとしたいけどできないことを当たり前のように言い放つ。
 背中が熱い。服は一切燃やされていないが、内部がダメージを受けている。火傷ではなく、炎の柱は衝撃として邦紀を襲っていた。ミシミシと軋みを上げているのはまだ背骨が折れていない証拠だろうか。立ち上がれるところを見るとまだ戦えるが、もう一度背中に攻撃を食らうと今度こそ立ち上がれないかもしれない。これはマズイ、牧野の下についてから二度目の大ピンチだ。どうにかしなければ、次の攻撃で終わる。
 思考が冷たくなる。一つの打開策が頭の中に降って湧く。
 ――ここで死ぬのなら、出し惜しみする意味もない。
 邦紀は大刀を握り締め、一度だけ大きな深呼吸をする。壁から浮かび上がる炎の柱の数は十五。あれがくればもはや防ぐことは不可能だろう。ならばその前に勝負を決めなければならない。体にかかる負担が大きいために使うことは躊躇われるが、死ぬよりかはマシである。大刀を握り締めた手からアヤに邦紀の意志が伝わり、それを感じ取ったアヤが驚いた顔をする。
「ほ、本当にするのっ?」
「それしかねえだろうが。お前の攻撃を弾く密度だぞ、普通の攻撃じゃ突破できねえ。この一撃で壁をぶっ壊して、あのミュータントの動きを止める。やれるかどうかじゃねえよ、やるんだアヤ。力の七割を開放しろ。反作用なんて考えるな、おれはそれくらいじゃ死なないから」
「……どうなっても知らないからね」
「ああ」
 十五の柱が撃ち出された。
 それを見ることもせず、邦紀とアヤが交わり合う。
 漆黒の大刀が再び、深い闇を刻み込む。それは規模を一瞬で拡大し、大刀から空間そのものを飲み込んで支配する。ブラックホールのような光景である。漆黒に触れた炎の柱はたちまちに威力を吸収されて停止、瞬間に分解して無力化される。ブラックホールは範囲を広げていく。それはほんの一秒足らずで炎の壁に到達し、刹那に炎は漆黒に色を変えた。ガラスが割れるかのような音に続き、太陽の光が邦紀に降り注ぐ。
 そして、ブラックホールがすべてを飲み込む。
 遥か上空からその光景を眺めていたカルディアが事態の異変に気づいて何事かを叫ぶがもう遅い。青空をも飲み込んだブラックホールは美希の動きを固定し、炎の翼を分解する。宙に張りつけられたように静止する美希を地上から見上げ、邦紀は大刀を構えた。が、その動作があまりに重い。アヤが普段開放する力の割合は五割までだ。それならば何の代償もなしに扱えるがしかし、五割を超えると邦紀の身体がついていけなくなるのである。
 アヤ本来の力は、肉体を持つミュータントでは到底抑え切れるものではなかった。通常開放の五割の力を使いこなす者も稀である。仮に邦紀でなければ、五割の力を解放させた時点で肉体が分解される恐れすらあるのだ。それにも関わらず七割の力を解放することは自殺行為にすら等しいのだが、今はそんなことを言っている場合はない。この機会を逃すわけにはいかない。身体が保っている内に美希を戦闘不能にしなければならないのだ。ここを逃せば、反作用で動けなくなる可能性がある。
 重い動作で振り上げられた大刀は、真っ直ぐに振り下ろされた。
 その刃は美希を狙い、そして――狙いが、大きく外れた。
 身体の自由が利かない。先ほどの炎の柱の攻撃が背中に直撃したのが原因か。身体の疲労が邦紀の予想以上に溜まっていた。たったそれだけのことである。しかしたったそれだけのことで、狙いを大きくズラしてしまう。足から力が抜ける。膝を着いて邦紀は体中から噴き出す嫌な汗を必死に抑え込む。これ以上は不可能だ、体が保てない。そう判断したのはアヤも同じであったらしい。力の解放が強制的に遮断され、空間を覆い尽くしていたブラックホールが消えた。
 束縛から解放された美希は体勢を立て直し、再び炎の翼を広げる。
 ここで攻撃を加えられれば邦紀に抗う術はない。しかし、攻撃はいつまで経っても来なかった。
「こ、これが、力を得たセイントの威力か……ッ」
 カルディアの声が鮮明に聞き取れる中で、炎の翼が翻る。
「引くぞ美希。力のすべてが奪われたのは互いに同じだ。ここで時間を食うのは得策ではない」
 太陽の中へと消えゆく《灼熱の天使》を見上げ、邦紀は大刀を精一杯に握り締める。
 しばらくは一歩も動けそうになかった。
 割に合わない仕事の果てにあるものは、報酬ではなく動けなくなった自分の身体だけだった。
「……まだまだ弱えなぁおれも」
 そのつぶやきは、森の静寂に飲まれて消える。

     ◎

 結局、アパートに帰り着いたのは翌日の早朝だった。
 野宿は嫌だ野宿は嫌だとうるさいアヤの声に鞭を打たれても邦紀の身体は思うように動いてはくれず、一晩は寒空の下で一夜を過ごしたのである。風邪を引かなかったのが唯一の救いであるのか、それとも馬鹿は風邪を引かないということなのかは邦紀にはよくわからない。ボロ雑巾同然の身体を必死に動かして森を抜け、幸いにして盗難されていなかった自転車を死に物狂いで漕いでアパートに戻り、もう一ヶ月近く干していない汗臭い布団に倒れ込んだところまでは憶えているのだが、そこより先の記憶はなかった。
 目が覚めたら太陽が昇っているところで、それがアパートに帰り着いた日より一日過ぎた早朝だということにはしばらく気づけなかった。
 身体の体調はようやく本調子に戻りつつあるが、まだ節々が油の切れたブリキ人形のように軋む。やはりアヤの力を七割も開放するのはかなり危険である。一日で動けるようになる方が珍しい。まったくもって恐ろしい底力である。まだ一度も開放したことはないが、もし十割の力を開放した場合に生じる反作用の度合いなど、邦紀には予想もつかない。もしかしたら死を通り越して石化する可能性だってないとも言えないのが笑えない。
 台所で水を飲みながら、邦紀はぼんやりする頭でこれからのことを考える。
 邦紀が牧野の依頼を失敗することなどこれが初めてである。今頃、牧野の方は怒り狂っているだろう。直に呼び出しの命が下るか、または直接ここに乗り込んで来るかのどちらかだ。どうするべきなのだろう。本当のことを話したとしても牧野が納得してくれるはずもないし、かと言って行方を眩ましても三日と持たずして捕まるに決まっていた。
 一体どうすればいいというのだ。それに現実問題として、生活費が底を尽きる寸前である。あの万馬券が当たっていれば、宝くじを買っていれば生活は変わっていたのだろうが、実際は火の車を通り越している。仕事を遂行できなかったのはかなりの痛手である。おまけに昨日はバイトがあった。それを無断で休んでいるのだ、給料からその分を引かれたとしても文句は言えないであろう。
 水は生温くて不味い、頭はまだぼんやりする。
 リビングではアヤが「ゴキブリが出た! 邦紀ゴキブリ! ゴキブリ邦紀!」と叫んでいる。邦紀がゴキブリなのかゴキブリが邦紀なのか、今の邦紀の頭ではどちらなのかあまりよく理解できていない。
 敗北感、というものは微塵も感じないが、それでも意外である。
 まさかこの《鉄》の自分が仕事を遂行できず、果てには標的を見す見す逃がして倒れていたなど知れたら、牧野にぶっ飛ばされる。しかしそれも仕方がないと言えばそうなのである。元はと言えば牧野が標的の情報を疎かにしたのが原因だし、もしあのミュータントが他のミュータントを倒していたとの情報を持っていれば交渉の余地なく最初から全力で叩いていたのだ。
 そうだ、悪いのは自分ではなく牧野なのだ。自分は何も悪くない、そうに決まっている。
 そう思うと少しだが心が晴れた。生温く不味い水をもう一杯だけ飲んで、邦紀はふやけた笑みを浮かべる。
 踵を返して踏み出そうとしたとき、足元を黒い何かが横切るのが目に入った。どうということはない、ただのゴキブリである。ゴキブリであるのはわかるが、邦紀はゴキブリが大嫌いである。踏み潰すなどという選択肢は論外で、殺す手段さえも取ることはできない。もし新聞紙でぶっ叩いた瞬間にこっちに飛んで来たらショック死すると思う。つまり、一昨日に引き続き大ピンチであった。
 絶叫した。
「うおおおおっ!? アヤッ! ゴキブリがいるじゃねえかよっ!?」
 アヤはふよふよと宙に浮きながら呆れ返り、
「さっき言ったでしょ」
「殺せ! 今すぐに根絶やしにしろッ!」
「無理だよ。わたしは邦紀以外に触れないもん」
「使えない奴め! オイ殺虫剤ドコだ!?」
「邦紀が買って来た日に実験が必要だって言って殺虫剤を全部蟻に噴いたからもう残ってないよ」
「つくづく使えない奴め! ゴキブリホイホイは!?」
「そんなの最初からないもん」
「じゃあどうすんだって、おお!? オイ、ゴキブリどこ行った!?」
「冷蔵庫の下」
「はぁ!? どうすんだ、見失っただろ!!」
「わたしのせいじゃないもん」
 今さらに冷蔵庫の下を覗き込む気にもなれず、覗いた瞬間に出て来たらショック死すると思うから何もできなかった。
 こういうときにアヤのセイントとしての力が発揮できないのはまったくもって腹立だしい。大刀を使えばゴキブリなど一閃で塵に帰すことも可能なのに、こういうときに限って使えないとは何と理不尽な力だろうか。本当の脅威に対して攻撃力がない武器など必要性がないではないか。どうにかしろどうにかしてくれ、神の使徒なら神に頼んでこの世からゴキブリを抹殺してくれ頼むよアヤ。
 ゴキブリの消えた冷蔵庫と床の隙間を見つめていること数分、しかしゴキブリが出て来る気配は微塵もない。このままこの部屋で生活しなければならないということか。ゴキブリが徘徊する部屋で寝起きしなければならないのか。たださえこの部屋には幽霊がいるのに、それに加えてゴキブリまで部屋のルームメイトにせねばならないこの理不尽さは何なんだ。もしかしてアヤは疫病神ではないかと半ば本気で思う。
 どうしたものかと考え込んでいると、アヤが突然に心配したような顔になって、
「……大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ。ゴキブリと一緒に暮らすなんて死んでも嫌だぞ」
「違うもん、そうじゃなくて身体の方」
 ああそっちか、と邦紀は思う。
「大丈夫。まだちょっと痛むが平気だ」
 腕を回して体調を確かめる邦紀に向かい、アヤはこんなことを言った。
「――ごめんなさい」
「あ?」
「わたしが上手く力を使えないから、邦紀が倒れて、だからごめんなさい……」
 珍しく落ち込んだ表情をすると思ったらそんなこと考えてたのかコイツ。
 邦紀は少しだけため息を吐き出して笑う。
「別にお前が気にすることじゃない。元はと言えばおれがお前の力を使いこなせないのが原因だ。それに昨日の場合は仕方ねえじゃねえか。ああしなかったらやられてた。死ぬよりかは一日ぶっ倒れる方がいいに決まってる。それにウジウジすんのはお前らしくねえ。いつもみたいに能天気に笑ってろアヤ」
「わたしはノーテンキじゃないもん! 脳みそだって小さくないもん!」
「だな。お前の脳みそは鳥くらいはあるよ、よかったな」
「鳥ってちっちゃいよ!」
「おお、変なこと知ってんだな、偉い偉い」
 アヤの小さな鉄拳が邦紀に向って繰り出されるかどうかの刹那、人の気配と共に玄関の郵便受けに一通の手紙が突っ込まれた。
 二人が揃って動きを止め、玄関を振り返る。郵便受けからはみ出して見えるものは黒い封筒。牧野から送られて来る伝令用の手紙である。それを手にして開けることは、即ち牧野にぶっ飛ばされることを意味すると邦紀は思う。内容は大方理解できているつもりだ。いつものように場所が書いてあるのではなく、そこにはおそらく、無機質に無機質に無機質を重ねたような落書きで、呼び出しが書かれているに決まっていた。今のあの黒い封筒は、戦争時代の赤紙と同じ意味を持っている。
 恐る恐る玄関に近づき、手紙を手にし、ゆっくりと封を切る。
 中から手紙を取り出して、内容を確認する。普段ならまた五分間くらいは暗号解読に時間を要するはずなのに、なぜか今日に限ってはそれを素直に解読できる自分がものすごく恨めしい。手紙にはやはり、無機質に無機質に無機質を重ねたような落書きで、こう書かれていた。
『明日正午、来たれし』
 呼び出しである。直訳すれば『死にに来い』と言っているのと同じであると思う。
 後ろからそれを覗き込んでいたアヤを振り返り、問う。
「……やっぱり、行かないとヤバイよな?」
 アヤは妙に神妙な表情で重々しく同意する。
「……うん。行かないと、抹消されるよ」
「だよなぁ……なんて言い訳しようか」
「だ、大丈夫だよっ。わたしがフォローするから!」
「その言葉ほど頼りにならないものはない」
 きっぱりと言い放つ邦紀に鉄拳を見舞うアヤ。
 そして明日の正午には、死刑執行が言い渡される罪人のような気分で牧野の下に行かねばならない現実が、確かな形としてそこに転がっている。
 今日は良い天気である。
 無理だとは思うが、明日も良い天気でありますように。邦紀は、そう願う。





     「逃亡者は世界最速の遊戯」



 午前中は真夏のように空は晴れ渡っていたのに、十一時頃を境に突如として雨雲はその勢力を増し、三十分もしない内に本降りになってしまった。
 アパートの玄関の鍵を閉め、雨音に身体を束縛されるような気分で暗い空を仰ぐ。天気が良ければここで深呼吸、「今日も一日頑張ろう」と清々しい気分になっていたに違いない。が、雨はどうしても好きになれない邦紀である。テンションは総崩れで、背中にいるアヤまでもがふやけ過ぎたラーメンのようにぐったりとしている。気分は最悪、「今日はもうダメだ、大人しく家で寝ていろ」と本能の根本が抗議の声を上げているのがはっきりとわかった。
 この雨が降り出したのも気分が悪いのもすべて、牧野のせいだと半ば本気で思う。
 ため息を吐き出し、傘を差してぼんやりと歩き出す。さっきからアヤが小さな声で「帰ろう帰ろう」とつぶやいているが、ここで帰ったら次の日には帰らぬ人となっていることは明らかなので却下だ。傘を叩く雨の音は不愉快以外の何ものでもなく、こんな日では自転車にも乗れない。そうなると交通手段は徒歩に限られてしまい、ここから牧野の本拠地までは一時間近くかかってしまう。憂鬱を通り越して絶望が身を包み込む。一体いつになったら雨を完全にシャットアウトできるものが作られるのだろうか。江戸時代から今現在まで傘は傘のまま、何の変化も起こらない。二十一世紀が聞いて呆れるというものだ。
 アパートの敷地から出て道路を歩き出そうとしたとき、いつからそこで待機していたのか、黒いリムジンが突然にクラクションを鳴らした。邦紀が振り返ると、運転席に座ってハンドルを握っていた男が軽く会釈をした。見覚えがある。見覚えがあるのだが名前がどうしても思い出せない。誰だっけ、ええっと、確か牧野の下で運転手として働いている、珍しい名字の奴だ。何だっけ、誰だっけ、どうして思い出せない、ああ苛々する。
 複雑な気分のままでリムジンに歩み寄り、ドアを開けて後部座席へと無造作に座り込む。
 バックミラーで邦紀のことを見つめた運転手は謙遜気味に笑い、言う。
「牧野様から『迎えに行け』との命を授かりました、運転手の幸郷辺(こうごうべ)です。芝原様に会うのは二回目になります」
 邦紀は「ああ」とも「おお」ともつかない声で返事を返し、体重を吸収するかのような座席に身を預けて目を閉じた。
「――ところで、アヤ様もそこに?」
 アヤが「いるよー」とナメクジのように返事をするが、ミュータントではない人間にはアヤの姿どころか声すらも聞こえないので、代わりに邦紀が「いる」と答える。
 幸郷辺は安心しかのような顔で肯き、アクセルを踏んだ。車が振動音などまるで感じさせない滑らかさで道路を走り出す。如何にも高級車です、と言わんばかりの走行環境である。牧野の成金趣味は実に悪趣味だと邦紀は思う。人様の税金を何だと思っているのだ、こんな車を買う余裕があるのなら世界の恵まれない子供たちや施設に募金しろ。それが嫌ならせめて、中古でもいいからおれに車を買ってくれ。
 フロントガラスまでもがスモーク張りのこのリムジンは、端から見ればそっちの世界の住人の車に見える。しかし実際、この車に乗っている邦紀はまあいいとして、幸郷辺のような下っ端ですらそっちの世界の住人よりかは遥かにヤバイ存在である。歯向かえば「消される」程度では済まない。存在自体がこの世界が「抹消」され、最初からいなかったことにされてしまうのだから本当に恐ろしい。世界の治安のためにどうとか言うが、こんな組織が世界を裏で牛耳っているのは逆におかしいであろう。
 雨は降り続けている。これもすべて、牧野の魔力の仕業なのだと邦紀は本気で思う。
 牧野がその気になれば、この世界に生きる白猫をすべて黒猫に変色させることだって可能なはずだ。牧野とはそれくらいに物凄い人間である。そもそも邦紀は、随分と昔から牧野のことを人間であるとは思っていない。もしかしたら宇宙人かもしれないし幽霊かもしれない、牧野はセイントだという考えも捨てていないし、下手をすれば牧野が実は神なのではないかと思うこともしばし。とにかく牧野は、有り得ないくらいに凄い男なのである。
 そして邦紀はこれから、その男の下へと行かねばならない。
 それも、仕事の失敗を報告するために。
 死にに行けと言っているのと同じことである。高級車であるこの車は、邦紀にしてみれば罪人を運ぶ護送車以外の何ものでもない。待っているのは「牧野」という名の処刑台。首を刎ねられるかコンクリート詰めにされるか、ゴキブリ五万匹の入った水槽に放り込まれるかのどれかである。ただもし罰があるのだとすれば、前者の二つの方が圧倒的にいい。後者の罰に処されるのなら、五万回死んだ方がまだマシである。しかしそのような抗議でさえ、牧野には通用しないのがものすごく悲しい。
 考えれば考えるほどに気分はどん底に沈み、憂鬱を形にしたようなため息が口からあふれた。
 やがてリムジンは、一件のマンションに辿り着く。この辺りでは最も大きい、二十五階建ての高級マンションである。しかし二十五階建てであるにも関わらず、牧野は何を血迷ったのか、その地下三回に巣を持っているのだった。高い所は地震が来たときに危ない、と牧野は言うが、実は単に高所恐怖症なのではないかと邦紀は思う。が、それを突き止めようとすれば牧野の鉄拳が飛ぶので深入りできないのが悔しいところだ。
 駐車場に入ればもう雨は届かず、無機質なコンクリートを踏み締めて初めて、僅かだが気分が良くなったような気がする。
 静かな駐車場を歩き、エレベーターの前でボタンを押して待っている最中、一度だけ背後を振り返ってリムジンの運転席に座る男を見つめ、手を振ってみる。男は恐縮そうに顔を下げ、そのまま実に綺麗なバックで雨の中へと消えて行く。なぜ運転手のことをこの期に及んでまだ「男」と表記するのかと言えば、それは邦紀がすでに「男」の名を忘れてしまったからである。無責任だとは思わない、悪いのは憶え易いのか憶え難いのかわからない名字をしているあいつが悪いのだ。
 エレベータが到着した。開いたドアから中に入り、「B3」のボタンを押し込む。扉が閉まってゆっくりと下がっていくエレベーターの壁に身を預けると、背中にいたはずのアヤが起用に前に回り込んでぶら下がり始める。邪魔だ、と振り払う気にもなれない。アヤもアヤで雨が嫌いなのである。その気持ちは邦紀も嫌というほどにわかるので邪険には扱えない。雨とはどうしてこうも面倒なものなのだろうか。この季節はたまにしか降らないからいいが、梅雨の時期になると本当に冬眠をしたくなるほどやる気が出なくなってしまう。いつか金を得たら砂漠にでも引っ越そうか。
 地下三階に到着した。
 人は皆、自然に地上の部屋を借りるため、牧野以外に好んで地下などに住んでいる者はいない。そもそもこの地下、というよりはこのマンション自体が牧野のために建てられたと言っても過言ではないのである。実際、ここのマンションの権利を持っているのも牧野だ。このマンション一つを取っても、一生遊んで暮らせるだけの収入を得れるだろう。なのに牧野にはまだまだマンションやアパートの権利があり、噂によれば会社も幾つか経営しているらしいのだからもう声も出ない。
 地下三階にある部屋はただ一つだけ。エレベーターから出ればそこはコンクリートで舗装された一本の通路が通っているだけで、街灯のようなライトが一日中休む暇もなく照らし続けている。通路を突き当りまで行くと壁に青色と赤色のボタンが一つずつあって、青が「開く」で赤が「閉まる」の意味を持っている。邦紀は慣れた動作で青色のボタンを押し込む。すると機械の作動音が足の下から伝わり、目前の壁が真っ二つに割れて左右に開く仕組みになっている。もう何度も来た、牧野に会うために通過する日常である。
 そして、いつもの日常はそこまでだった。
 通路に街灯とは種類の違う、はっきりとした明るい灯りが射し込んだ刹那、それに紛れ込むかのように一発の拳が邦紀の鼻っ柱を直撃した。
 たまったものではなかった。突然のことにガードも受身もクソもなく背後に引っ繰り返り、アヤの身体が小さな悲鳴と共に空中に投げ出される。アヤは空中に浮けるからいいが、邦紀はそうもいかない。コンクリートに背中から転げた際に後頭部を思いっきりぶつけ、痛みは頭蓋を抜けて鼻の穴から吹き出す。鼻血が出ていないことが唯一の救いだが、それでも骨が折れたのではないかと思った。手で鼻の向きを確かめ、理不尽な暴力を振るった相手を無様な格好から見上げること一秒、今度は右前足が突っ込んで来た。
 第二撃目は何とか反射神経だけで避けることができたが、「甘い!」という声と共に蹴りは空中で静止、全体重を込めて一挙に振り下ろされたそれは踵落としのコンビネーションへと姿を変える。今度は脳天に衝撃が走って腰が抜け、顎からコンクリートに平伏す。まるで蹴ってくれと言わんばかりにケツを上げた体勢で、邦紀は身動き一つしなくなった。
 空中に浮かんでいたアヤが一連の出来事にようやく追いつき、慌てて無様な邦紀に駆け寄って揺するが意識は天国に旅立ってしまっているらしく返答はなく、どうしようどうしようと悩んでいると、すべての引き金を起こした人物はカッカッカと笑う。
「突然の攻撃に対処できない様ではまだ鍛錬が足りん証拠。強くなりたいとおれの所へ来た鼻垂れ小僧のときと何も変わっておらんぞ邦紀」
 不敵に笑うこの男こそが、組織の幹部の一人である牧野幻造(げんぞう)その人だ。年齢不詳、見た目は三十代後半くらいに見えるのだが、戦争時代の話をあたかも体験してきたかのように鮮明に話すところを見ると、実は八十歳を超えているのではないかとたまに思う。幾らなんでも八十歳はないだろうが、もしかしたら五十歳くらいは行っているのではないかというのが牧野を知る皆の考えだ。ちなみにこの男、身体は普通の人間と何も変わらない構造をしているくせに、明らかにプロレスラーより力を持ち、明らかにボクシング選手よりも威力のある拳を放ち、明らかに空手家よりも素早い蹴りを魅せる脅威の男なのである。
 そして邦紀はそんな男の攻撃を二回、モロに食らったのだ。
「牧野! やり過ぎだよっ!」
 アヤがそう叫ぶと、牧野は孫を見るかのような顔でアヤの頭に大きく厚い手を添えてわしゃわしゃと無造作に掻き回して豪快に笑い、
「久しぶりだなアヤ。まだ背は伸びておらんようだ、このままではいつまでも小さいままだぞ」
「だって牛乳飲めないもん!」
「牛乳もプロテインも必要ない。肝心なのは気合だ。それはミュータントだろうがセイントだろうが何も変わらん。やろうと思う気合いさえあれば、お前も電柱くらいには大きくなれるはずだ」
「……そんなに大きいのはヤだ」
 二人がそんな会話をしていると、突然に意識を失っていた邦紀が目を覚ます。
 元凶はわかっている。拳と踵を食らったのもわかっている。そしてそれを放った人物が誰であるのかもわかっているのだ。確かに仕事を遂行できなかったのは自分である、自分であるがそんなことは百も承知。反省している相手に向ってこの理不尽な暴力は一体何だと言うのか。いつまでも子供扱いさせておいてたまるか。あの日からこの小僧がどれだけ強くなったか見せてやる。その鼻っ柱を圧し折ってやる、覚悟しろクソジジイ。
 邦紀がアヤと話す牧野の一瞬の隙を突き、足にすべての力を込めて瞬発力を最大限に生かして立ち上が、
「甘いと言っている」
 目にも止まらぬ回し蹴りが来た。
 首に直撃したそれは、邦紀の意識を丸ごと刈り取った。通常の、邦紀のように訓練を重ねていない者が今の攻撃を受ければ最後、首の骨が圧し折れるか首が一回転するか、最悪は首から上が吹き飛んでいた可能性だってある。そんなものを容赦なく、力の加減など一切なく躊躇いもせずに放つ牧野には、油断も隙もなければ常識というものすら通用しない。この男は、本当に神なのかもしれない。
 意識を刈り取られた邦紀の身体がゆっくりと傾き、コンクリートに再び落ちる刹那、トドメの一撃が入る。あるいは本当に、この一撃で牧野は邦紀の命そのものを死滅させるつもりだったのかもしれない。邦紀はトドメが放たれたことにすら気づけず、アヤにはその攻撃そのものが見えず、そのまま邦紀の命がここで終わってしまうのかと思われた瞬間、邦紀と牧野の蹴りの間に何かが割り込む。激しく澄んだ音が響き、牧野の蹴りが止まり、邦紀の身体がコンクリートに落ちた。
 牧野の蹴りを止めた掌からは、信じられないことに僅かな煙が上がっている。
「――戯れが過ぎます、幻造様」
 男である。歳は二十代前半、男とは思えないほどに整った顔立ちに微かに赤味を帯びた長髪。その男は、アヤと同じ世界の住人だ。
 コードネーム《幻影》のミュータント・牧野幻造に憑依するセイント・オウマ。それが、この者の名。
 自慢の蹴りがオウマに止められたことに、ようやく牧野も我に返ったらしい。またもや豪快に笑い、
「ああ、すまんすまん。久しぶりに出来の悪い弟子が仕事を失敗しやがったから柄にもなくつい本気んなっちまった」
 まったく、とオウマは小さくつぶやいて横たわる邦紀を起こし、首へと正確な手刀を一閃。そこに何か秘密でもあるのか、それとも手刀の入れ方の問題なのか、その両方なのかはわからないが、その衝撃は刈り取られたはずの邦紀の意識をたったの一発で呼び覚ました。意識を取り戻した邦紀が辺りを見回し、自分を支えているのがオウマだと理解した瞬間、目の前の牧野に向って再び飛びかかろうとした。したのが身体が言うことを聞かず、足が縺れて膝を着く。身体中が麻痺しているかのように動かなかった。
 苦し紛れの一言。
「絶対いつか殺してやるぞクソジジイ……ッ!」
 しかし牧野は邦紀に向って中指を突き立て、
「便所入ってるとき以外に隙あらばいつでも来い。受けて立ってやる。が、便所で糞気張ってるときに来てみやがれ、そんときゃお前、手加減できねえから覚悟しろよ」
 高らかに笑って部屋の中へと引っ込んで行く牧野の背中にもはや何も言えず、オウマの肩を借りて何とか立ち上がることが今の邦紀には精一杯だった。
 状況について行けずにおろおろとしていたアヤの横をオウマが通り過ぎる際、優しい笑みを浮かべて「久しぶりだねアヤ。君も中に入るといい」と笑いかけるが、アヤはどこか余所余所しく「う、うん」と答える。誰にでも能天気に話しかけることができるはずのアヤが、唯一そうすることができないのがこのオウマであることに、邦紀も何となく気づいていた。完璧過ぎるからこそ、アヤも素直に甘えることができないのだと思う。
 無機質な通路の先にある部屋は、場違いのような和室である。日本人は和の心が大切なのだ、と意味不明なことを主張して作った牧野自慢の部屋である。しかし日本人であってもその心がわからない邦紀にはまるで興味がなく、この部屋の素晴らしさがわかるのはおそらくオウマくらいであろう。アヤには最初からそんな心などは微塵もなく、来るたびに新しく増える古い壷を見つめては「変な壷」とつぶやいて牧野に笑われている。
 囲炉裏の奥に座り込んだ牧野の向かい側に邦紀が、その隣にアヤが座り、オウマは牧野の横に陣取る。
 邦紀が来る少し前に淹れたのか、湯気の立つお茶をズズズと啜り込み、牧野が仕切り直す。
「本題に入る。単刀直入に訊く。邦紀、お前はなぜ、今回の仕事を失敗した?」
 真代美希とカルディアのことを聞いてきているのだ。
 故に邦紀は、感じたこと思ったことを、何も修正せずにそのまま話した。
「あの標的は強い。それは認める。が、あんたがもっとちゃんと情報をおれに提供していれば同じ結果にはならなかった。今回の失敗の原因はすべてあんたにある。訊きたいことは一つだけだが、まずは報告からする。標的のミュータントの名を真代美希、セイントの名をカルディア。コードネームを与えるとすれば《灼熱の天使》、名前の通りに炎熱系だ。……そして厄介なことにこのセイント、記憶を持っている可能性がある。いや、持っている。能力はおそらく、ミュータントの力を増大させるものだ。取り逃がした原因はそれだ。標的のミュータントとセイントの力の頂上は、アヤの力を七割解放してようやく五分だな」
 それまでの雰囲気とは一転、牧野は実に真剣な表情で言う。
「興味深い報告だ。まさか例のセイントが記憶を持っているとはな。しかも能力が力の増大。アヤの力の七割で五分と言や相当なもんだ。道理でおれの部下がやられるわけだ、普通のミュータントなら到底歯は立たないだろう。……確かに今回の仕事、情報を疎かにしたこのおれにも負があるかもしれん。が、お前もお前だ。最初から全力でやればいいものを、手を抜いて攻撃するから噛みつかれる。教えたはずだ、何があってもまず、最初に相手を叩け、と」
「反論はしねえさ。確かに最初から全力で叩かなかったのはおれだからな。しかし、一つだけ訊かせろ。標的にやられたミュータントの数は、何人だ?」
 牧野は躊躇いもせずに真実を告げた。
「三人。組織に属さないミュータントを入れれば四人だ」
 道理で強いわけだ、と邦紀は思う。
「それを書けよクソジジイ。……だが、これで踏ん切りがつく。仲間が三人もやられてんだ、次は全力で叩く。標的のセイントはアヤの力に興味を持っているらしくてな、放って置いても向こうから必ずコンタクトを取ってくる。この仕事、他の奴に回すんじゃねえぞ。無駄な被害を広めるだけだ。わかってんだろうなジジイ」
「最初からそのつもりだ。お前に言われるまでもない。――オウマ、『真代美希』という名で素性洗うのにはどれだけ時間がかかると思う?」
 横で待機していたオウマは瞬時に、
「二日が適切かと」
 牧野は満足そうに笑い、
「妥当だ。邦紀、明後日までには標的の個人情報を洗う。それまでは軽率な行動は控えろよ」
「ああ、わかってる。……と言いたいところなんだが、そいつは無理だな」
 怪訝な顔をする牧野に向かい、邦紀はきっぱりと言い放つ。
「生活費が底を突いてる。報酬貰わないことにはどうしようもねえ」
「それならば心配無用だ。そんなことだろうと思ってな、先に新しい仕事を用意した」
「何だよ、生活費くれるとかじゃねえのかよ……」
 明らかに肩を落とした邦紀に、牧野は当然の如く、「お前に金をやるくらいならドブに捨てた方がマシだ」と言い放ち、
「標的のコードネームは《逃亡者》。加持(かじ)という名前の男なんだが、こいつのセイントの能力がまた面倒なものでな。今までこいつと接触したおれの部下は十七人いるんだが、そいつらは全員、例外なく取り逃がしちまってる。中には姿を確認する前に逃げられた者もいる。逃亡に長けているミュータント、情報収集には持って来いの人材だ。間違ってもセイントを消滅させるなよ。説得して連れてこれば報酬はやる。十七人分の報酬を足して、そこから諸々の事情を引いた額だ、悪くないだろう」
 邦紀は僅かに考えるフリを見せた後、最初から二言返事で決めるつもりだったくせにもっともらしく肯く。
「それで手を打とう」
「成立だ。遂行場所は明日にでも伝令させる。他に言うことはない、これ以上お前の顔を見ているとまた殴りたくなっちまう。お前も用がないならさっさと帰れ」
「こっちの台詞だクソジジイ。帰るぞアヤ」
 邦紀は立ち上がり、しかしそこでふと思い出したように立ち止まって牧野を振り返る。
「なあ、ジジイ」
「なんだ?」
「あいつは、いないのか?」
 邦紀の言わんとすることを、牧野も理解したらしい。
「《白銀(しろがね)》なら昨日に新しい仕事が入ったからな、今頃北海道辺りにいるはずだ。お前がちゃんと報告していれば日時をズラして対面させてやったものを、馬鹿な弟子だよお前は」
「うるせーよ。いないならいい、また近い内に会いに来るって伝えてくれ」
 牧野は僅かに肯き、それから邦紀をじっと見つめて、静かにこうつぶやく。
「邪魔だからここには来るなよ」
「誰が好き好んでこんなと所に来るかジジイッ!」

     ◎

 コードネーム《逃亡者》。
 ミュータントの名を加持、セイントの名は不明。
 部下の目撃情報を重ね合わせると、セイントは足にのみ装着される一体型。その力を備えたミュータントの移動速度は常軌を逸しており、一度姿を失えば最後、気づいたときには意識の圏外まで逃亡している。ただ、戦闘能力に関しては皆無。足の装甲で攻撃された部下もいるが、常人のそれと大差はない。攻撃される可能性は極めて低いことが予想されるため、最初から逃げられないことだけに重点を置け。以上。
 牧野が邦紀宛に送った伝令には、そのようなことが書かれていた。
 しかし今までとは違い、場所の他に標的のミュータントとセイントの情報が書かれていたせいで解読には一時間も費やしてしまった。別に誰かに見られて困るわけでもないのだから、もっと読み易い字にしろよと抗議の声を上げようが、やはりそこは「日本人の心」などという訳のわからないことを主張する牧野の前では無意味なのだろう。
 だが、回避能力だけに特化されたセイントとは初めて見るタイプだ。
 攻撃力にバラつきはあるものの、通常、セイントとは攻撃面が主体であるはずなのだ。にも関わらず回避能力に特化されている相手というのは、ある意味で一番厄介なのかもしれない。真っ向からのぶつかり合いならスピードを力で捻じ伏せることも可能だが、攻撃に特化された者が最初から逃げ腰の相手を追うのはなかなかに至難の業。牧野の部下は邦紀も含めて全員が根っからの戦闘屋である。故に加持を捕まえることがより難しいのだろう。が、この仕事を達成しないことには生活が本当に危ない。まさに命懸けで加持を追うしかあるまい。
 伝令には情報の他に場所と時間が記されていた。一体どのような情報網によって知ったのかはわからないが、そこに行けば標的と遭遇できる可能性が高いという意味ではこれ以上ないくらいに信用できる。証拠に、邦紀が伝令に書いてある場所に行って標的に遭遇できなかったことは今までにただの一度もないのである。おそらくは、牧野は冗談ではなく本当に神なのかもしれない。神の掌の上で、すべてのミュータントたちは踊っているのであろう。しかしもしそれが事実であれば、牧野の掌で踊るよりかは死んだ方がマシであると思う。
 今回に記されていた場所は人が多く訪れる商店街であった。
 時刻は午後の三時を五分回った辺りで、正確には今から三分後に標的はここを通るとされている。
 雨が降っていないことが救いだった。青く透き通る空を見つめ、邦紀は思う。やはり昨日のあの雨は牧野のせいだったのだろう。証拠に、マンションから出て帰ろうとしたときにはすでに雨は止んでいた。あれが偶然であると誰が信じようか。気まぐれに降る雨はすべて牧野のせいなのである。そうに決まっているのだ。あの男さえこの地球上から消してしまえば、もう二度と雨は降らないはずである。どうにかしてあの男を始末する方法はないだろうか。たぶんないのだろう。
 邦紀の肩に手を乗せて辺りをきょろきょろと見つめていたアヤが唐突に動きを止め、目をキラキラと輝かせながら「ねえ邦紀、アイスクリーム食べよう」なんてことを言い出す。
 邦紀は呆れ、
「食べようって、お前は食えないだろ」
 当たり前の事実を主張すると、アヤは笑って、
「邦紀が食べてる横から食べたようにするの。そうすれば本当に味がするもん」
「ていうかセイントって味覚あんのかよ?」
「わかんない。だけど甘くなる。この前にテーブルの上に置いてあった砂糖舐めたら甘かったもん」
「嘘つけ。触れないのに何で甘いんだ。それよりテーブルに置いてあった砂糖を舐めようと思うな」
「だって美味しそうだったもん。でねでね、本当に甘くなるの。だから邦紀、アイスクリーム買って」
「断る。アイスクリームを買う金が今のおれにあると思うなよ。財布ん中の金で缶ジュース一つでも買ったらそれで破綻だ」
「貧乏」
「うるさい」
「貧乏貧乏ビンボー!」
「連呼するな鬱陶しい!」
 邦紀がアヤを振り払うかのように腕をブンブンと振り回して初めて、周りを行き来していた通行人が足を止めて邦紀を可哀想なものを見る目つきで見つめていることに気づいた。一般人にはアヤの姿が見えなければ声も聞こえない。こんな公共の場でいきなり独り言をつぶやき始めた果てには怒りながら腕を振り回せばそりゃあ危ない人に思われて当然だろう。が、邦紀はもうこんなことには慣れっこである。最初の方こそ「あはは何でもないです今度の芝居の練習ですよだから気にしないでください」なんて苦笑しながら言い訳していたが、いつからか面倒だからそれすらしなくなった。言わせたい奴には言わせておけ、が定着しているのだ。
 邦紀が周りの視線に気づいたことにより歩みを止めていた通行人は早足に通り過ぎて行き、しかしその中で鼻水を垂らした小学一年せいか二年生くらいの男の子がこっちを見つめてボーっとしている。ガキは嫌いである。故に邦紀は最初は無視していたのだが、いつまで経ってもそこにいるものだから次第に腹が立ってきて、追い払う仕草をしてみるが身動き一つしない小学生についに堪忍袋の緒が切れ、終いには胸倉掴んで引っ張り上げ、「何見てんだコラ、殺すぞオイ?」と睨みつけたら、近寄って来たおばさんが泣きそうな顔で「すいませんすいません」と頭を下げ始めたせいでまた人だかりが出来出す。
 ウンザリだと思った邦紀は小学生を解放して踵を返して歩き出そうとしたとき、人だかりの向こう側に確かなる気配を感じた。「人攫いよ、この人は人攫いだわー、ビンボーの腹癒せに身代金を要求するつもりよー」と実に楽しそうに事態の悪化を謀っていたアヤの口を無理矢理封じ込み、意識を集中させて気配の根源を探る。間違いない、セイントに憑依されしミュータントが発する気配だ。もうあれから三分は経っただろう、時間的には問題ない。標的だ。
 《逃亡者》が、そこにいる。
 行き交う人の中、色で表現すれば赤色の中に混じる孤立した青色と言ったところか。反発するように、普通の人間とは明らかに気配が違う。標的が発する独特のこの気配、胸の奥底がざわめくように暴れ出すこの感覚。心地良い高揚感が身を支配し、そして邦紀は孤立した青色を目で確認した。歳は邦紀と同じくらいで、髪の毛を金髪に染め上げた男だ。奴が《逃亡者》だ、幸いにしてまだこちらの存在には勘づいていない、ここは一つ、気づかれる前に動きを封じておこうではないか。
 言葉なくして状況を理解したアヤが肯くのを確認した後、邦紀の掌に一瞬で漆黒の大刀が姿を現す。もちろん他の人間にはこの漆黒の大刀は見えず、触ることすらできない。力の気配も極限にまで抑え込んでいる、下段で構えれば人混みが楯になって大刀を見られる可能性も低い。今は人が多い所で良かったと言えよう。障害物をすべてすり抜け、加持だけを狙い打てる。
 大刀を掴む手に力が篭り、真横に振り抜かれた刀身がその大きさを増して加持がいる距離まで到達する。瞬間的に振られた太刀だ、普通ならば気づいてから避けるなんてことは不可能。邦紀の振りはそれほどまでに速く凄まじい。が、加持とそのセイントはスピードに関してはやはり紛れもなく超一流で、邦紀のスピードを完全に上回っていた。
 信じ難いことに、加持は刀身を肉眼で確認してから邦紀に一度だけ余裕の笑みを浮かべて、その場所から離脱してみせた。消えた、と思える。否、移動したと思うよりかは消えたと思った方が遥かに納得できる現象だ。空を切った大刀は一回転の後に定位置に戻され、邦紀は辺りを見回しながら肉眼ではなく気配で加持の行方を追う。そこで邦紀は、驚くべきものを感じた。赤色の気配の中に、孤立した青色が複数存在する。いや、複数なんてものじゃない。孤立していたはずの青色はコンマ何秒かの速度で数を増やし、邦紀の感覚を支配していく。
 超高速移動という呼び名がこれほどまでに当てはまる者もいないだろう。
 肉眼ではもう捕らえることすらできず、気配を追うことももはや不可能。姿の残像、ではなく、気配の残像を残す者がこの世界にいるとは思わなかった。牧野の伝令に書いてあった意味をようやく理解する。一度見失えば最後、意識の圏外まで逃亡される。この位置で移動し続けるのはおそらく、加持が遊んでいるからなのだろう。その気になれば今の加持は、本当にあっと言う間に数十キロ先にだって移動できるはずだ。それほどまでに、速い。これでは十七人のミュータントが取り逃がすわけだ。邦紀の感覚はすでに使いものにならなくなってしまっている。邦紀でこれだ、他の者なら何が何だかわからないのも当然か。
 刹那、一際濃い青色の気配を背後で感じた。邦紀は敢えて振り返ることをしなかった。
「――あんたも、今までの連中と同じ組織の奴か?」
 それが加持の声であるのはわかった。しかし邦紀はやはり振り返らない。
 今ここで振り返っても、加持の姿をこの目に捕らえることは無理だろう。ならば意味のないことはしない。せっかく向こうからコンタクトを取ってくれたのだ、だったら少しくらいは会話しておこうではないか。もしかしたら無駄なことをせず、この会話で案外簡単に加持がこっちに従ってくれる可能性も零ではないし、やりたいこともある。
 邦紀は身動き一つせずに、
「ああ、そうだ」
「同じ組織の奴でも、あんたは今までの誰よりも強いっぽいな。今までの連中は駄目だね、おれが後ろにいるとわかった途端に攻撃して来る。無理だっつーの、おれのスピードについてこれるはずねえんだから。その点あんたは、おれと自分のスピードのレベルの違いを見極めて、ここで攻撃しても無駄だとわかっている。そうだろ?」
「まあな。無駄なことはしない主義だ。ところで、今度はこっちが一つ訊きたい。お前、おれたちの仲間になる気はないか?」
 乾いた笑い声、
「嫌だね。おれは誰の命令にも従う気はないんだ。自分の思うがままに逃げ続ける。これがおれの欲する欲望だ」
「いや、何も命令に従えって言ってるんじゃない。お前の力を借りたいだけだ。受けたくない仕事はしなくていい、そういう条件でもいいさ。それに成功すれば報酬は冗談だと思えるくらいに高額だぞ。たぶん、お前が欲する欲望ってのもそこには山ほどある」
 加持が意外そうにつぶやく。
「……おれの欲望が何か、あんたにはわかるのか?」
 当然、と邦紀は笑う。
「スリルだ。ヤバイ相手から逃げるそのスリルが、お前の欲する欲望」
「へえ、あんたはやっぱり今までの奴とは全然違う」
「おれも似たようなもんを感じることがあるからな、わかって当然だ。――さて、ここからはビジネスの話をしようか。まず、お前の欲するのはヤバイ相手から逃げ続けるっていう欲望。お前がもしおれたちの仲間になれば、お前は情報収集役としてそらもうヤバイなんてレベルじゃない所に潜り込んで、ヤバイなんてレベルじゃない相手から追われることになる。今まで感じたことのないスリルが味わえるぞ。それに引き換え、おれは無駄なことはしたくなく、そして生活費がヤバイ。おれの仕事はお前を仲間に引き込むこと。お前と無駄な追いかけっこなんてしたくないし、仲間にすれば報酬を貰える。もしお前が仲間になってみて、そこに求めるスリルがないならすぐに逃げ出してもいい。おれは報酬を貰った後だから知ったことじゃないし、お前なら簡単に逃げ出せるだろう。……どうだ、悪い話じゃないだろ?」
 僅かに考え込むような間があった。
「……確かに、悪い話じゃない。なかなかに面白そうだ。そういうことなら別に仲間になってもいい、が、一つだけ条件がある」
「条件?」
 昂ぶる気配を、背後から確かに感じた。
「おれの言いたいことはあんたにはわかるはずだ。おれはヤバイ相手から逃げ続けるスリルを欲する。おれはあんたのことをヤバイ相手だと思ってる。だからあんたから逃げてみたいんだよ。あんたがおれを捕まえることができれば仲間になる、しかし捕まえることができなければそれまで、オサラバだ。おれを仲間にしたけりゃおれを捕まえることだ」
「オイちょっと待て、おれは無駄なことはしたくないって、」
「――世界最速の鬼ごっこの、始まりだ」
 瞬間、背後から加持の気配が完全に消えた。
 遥か彼方まで遠のいた微かな気配を何とか感知するのがやっとだった。
 その場に立ち尽くし、まったくもって面倒なことになった、と邦紀は思う。あの超高速移動の加持と鬼ごっことは厄介である。が、こちらにはすでに勝算があることを加持は知らないだろう。一体何のためにあれだけの会話をしたのか。会話に乗って来た時点で、加持はすでにこちらの手の中にある。どれだけ遠くに逃げようとも、すでに遅いのだ。
 邦紀はようやく背後を振り返り、アヤを見つめる。
「加持の気配は、完璧に憶えたな?」
 アヤは自信満々に肯く。
「任せて。もうどこにいてもあの人を追えるよ」
「偉い偉い。この仕事が成功したらジャーキー買ってやる」
「そんなのいらないもん! ジャーキーよりソフトクリーム買って!」
「わかってる、冗談だ。三段アイスで手を打とう」
「乗った!」
「よし。おれに奴の気配を教えろ」
「うん」
 アヤの微笑みの刹那、漆黒の大刀を通して邦紀の中に何かが流れ込んで来る。
 それは、アヤが感じている加持の気配の行方だ。セイントにしかわからない力の鼓動、とでも言うべきものか。邦紀とアヤのように、完璧に意識の交錯を果たせるミュータントとセイントならば、互いに感じていることが共有できるようになる。絆、と呼ぶと少しだけ違いがあるが、見えない力を表現するとするならば「絆」が最も適切であろう。邦紀とアヤは絆で繋がっている、故に感覚を共有することが可能なのだ。おまけにアヤの感覚は攻撃能力と同じくずば抜けている。相手の気配を憶えれば、どこまでも追うことができる優れものだ。
 青色の気配に支配されていた邦紀の容量が膨大な量に膨れ上がり、赤色一色に広がった遥か彼方に、とんでもないスピードで移動し続ける青色を見つけ出す。しかし見つけ出すと同時に、邦紀は唯一の失敗に気づいた。それは、この鬼ごっこは移動範囲を決めていなかったということだ。今現在の距離を簡単に表すと、車でぶっ飛ばしても三十分以上はかかるだろう。一体どこまで逃げ続けるつもりだ馬鹿野郎、こちとらタクシーに乗る金すらねえっつーんだ。
 さてどうするか、と邦紀が考え始めたとき、商店街の向こう側にある道からクラクションが聞こえた。
 場違いもここまで来ると笑えてくるリムジンが一台、停まっている。すべてのガラスがスモーク張りにされたあの悪趣味な車は、牧野の車以外に有り得ないだろう。まったくもって、牧野とは本当に厄介な男である。牧野は初めからこうなることを予想していたのだろう。故に車を足代わりにするためにこの場所で待機させていた、とそういうことか。が、フェンスを乗り越えて電車に乗ったりタクシーの運ちゃんを脅迫して発進させるよりかは遥かにマシな交通手段だ。
 邦紀は笑いながら走り出し、リムジンの後部座席に座り込む。
 バックミラーでその姿を確認した男が、いつかのように謙遜気味に笑い、
「牧野様から『足になれ』との命を授かりました、運転手の幸郷辺です。芝原様に会うのは三回目になります」
 ああそうだ、そんな名前だったなお前は、と邦紀は思う。
「――ところで、アヤ様もそこに?」
 アヤは車の天井から頭を出して加持の気配を真っ直ぐに追いながら「いるよー」と答えるが、やはりその声は幸郷辺には聞こえないので邦紀が「いる」と答える。
「おい幸郷辺、こっから真っ直ぐに飛ばせ。おれがいいって言うまでアクセルは微塵も緩めるな」
「了解しました」
 それで了解するのもどうかと思うが、そうでもしないことには加持には到底追いつけない。
 そして、幸郷辺もまた、そういう無茶は嫌いではないらしかった。普通なら怖気づいて僅かに余力を残すところを、幸郷辺はまるで遠慮することなくアクセルを全開に踏み込む。道路を走行中の車の隙間に割り込んで信号無視を当たり前で突っ切るその様に、他の車はクラクションを鳴らすことさえできない。そりゃあそうだろう、スモーク張りのリムジンにクラクションを鳴らすことが何を意味するのか、皆がそれとなく理解しているのだ。それにもし鳴らして、そこから出て来た奴が「何じゃいコラ?」とか言うのならまだいいが、この車から出て来るのはもっとヤバイ人間なのだから、クラクションを鳴らさないことが正解である。
 リムジンが一直線に道路を突っ切って行く。もしここで何か事故が起きたとしても、その辺りは牧野がすべて握り潰してくれるだろうから遠慮は要らないだろう。そもそもこのリムジンを用意したのは牧野だ、どうなろうが今の邦紀には知ったことではない。しかしこの運転手、馬鹿みたいに飛ばす。一見静かそうに見えるが実はスピード狂なのではなかろうか。そう思うと何だか本当にそうなのではないかと思えてくる。この異様な飛ばしっぷりも、バックミラーに映った歪んだ口も、牧野の部下なのだったら納得できる。普通の人間には、牧野の部下などそうそう務まるはずもないのだから。
 狂ったように走るリムジンが、超高速移動のミュータントを追う。
 僅かに距離が縮まったとき、青色の気配が突如として方向転換をした。どうやら追って来る邦紀に気づいたらしい。が、これもまた計算の内である。ここからが本当の勝負だ。逃げるのは一向に構わない、否、真っ直ぐに逃げられるよりは向きを変えてくれないことには永遠に追いつけないのである。この鬼ごっこは、単なる速さ比べではない。頭の使い方次第である。邦紀がそう考えると馬鹿みたいな作戦しか思いつかないように思えるが、違うのである。この仕事に関してだけは、頭が自分でも驚くくらいに冴え渡る瞬間があるのだ。そして今がそれだった。
 遥か前方を突き抜けていた加持が、一瞬で百八十度に向きを変え、こちらに向かって直進して来る。それは僅か数秒で距離を零にして、リムジンに乗ってスモーク張りの中から見つめる邦紀と空間を駆け抜ける加持の目が瞬間的に合い、気づいたときには擦れ違って後方にかなりの距離を取られてしまった後だ。その尋常ではない速さはやはり相当なものであるが、戻って来てくれたことは好都合、こうなってくれないと意味がない。
 リムジンの天井から首だけ外に出していたアヤの首根っこを掴んで引っ張り戻す。突然のことにアヤが悲鳴を上げて「痛い苦しい痛い苦しい!」と当然の抗議を上げるが、邦紀は端から無視して背後を振り返り、商店街からずっと握りっぱなしだった大刀を座席に座ったまま振り回す。漆黒が深くその色を刻んだ刹那に大刀は大きさを増大させ、気配の届く範囲にいる加持の背後からその背を狙い打つ。が、それを簡単に食らう加持ではないし、邦紀も最初から当たるなどとは微塵も思っていない。
 これは誘導だ。
「停めろ運転手!」
 早速名前を忘れた運転手にそう言い放つと、男はブレーキを力一杯に踏み込んで車を急停止させる。
 道路にはタイヤの後がはっきりと残り、僅かな煙が上がっていた。その道路を踏み締めて走り出し、首に捕まって「待って待って邦紀! 落ちる落ちる!」と叫び続けるアヤを無視しながら邦紀は大刀をもう一度振るう。それに反応した加持は瞬時に大刀を避ける。赤色の中を孤立した青色が面白いくらい高速に移動を続けている。一見すれば邦紀は出鱈目に大刀を振り回し、加持は出鱈目に逃げ続けているように思えるが、それはまったく違う。いや、加持はおそらくそう思っているはずだ。自分の速さに絶対の自信を持っているからこそ、「捕まるわけはない」と高をくくって余裕を出して出鱈目に逃げていると思っているに決まっていた。そうでなければ、ここまで予定通りに加持が動いてくれるはずもない。
 ここまでくれば成功も同然。残るは最後の仕上げだけだ。
 走り続けていた邦紀は突如として立ち止まり、その背中にアヤが鼻からぶつかって悲鳴を上げる。
「やるぞアヤ!」
 しかし鼻を摩りながらアヤは叫ぶ、
「ヤダ!」
 意味がわからず、
「なんで!?」
「さっきから邦紀、わたしに酷いことしてばっかりだもん!」
「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合か!」
「言ってる場合だもんっ! 鼻痛いもんっ!」
「三段アイスはやめて五段アイスに変更だっ! これで文句ねえだろ!?」
「それとソフトクリーム!!」
「乗った!!」
 右腕が目一杯に伸ばされ、そこに握られた大刀が漆黒の中で蠢く。
 セイントが生み出すものには、決まった形などは存在しない。ただ、一定の形に保つと安定感が生まれるために通常は一つの形に留めておくことが一般的なのである。つまり、アヤの力を具現化させる際に最も安定感が出て最も攻撃力に優れた形が、この漆黒の大刀というわけだ。しかし時と場合によって、その形は大きく変貌される。大雑把に言えば、《灼熱の天使》が炎を柱にしたり楯にしたり槍にしたりするのと同じことなのである。
 邦紀とアヤの意識が混ざり合った瞬間、蠢いていた漆黒は突如として破裂した。
 まるで液体が弾けるかのような現象。漆黒の刃の部分だけを失った大刀は柄だけとなり、邦紀の手の中に残っている。その他はすべて空間中に霧散し、邦紀とアヤの意識に従いながら空間を駆け巡る。一般人の気配が赤色、ミュータントの気配が青色と考えるのなら、それらのものは漆黒の色をしている。赤色の背景の中で、孤立した青色を囲むかのように展開する黒色の気配。邦紀からかなりの距離まで離れた漆黒のそれに攻撃力はほとんど皆無である。何者かに触れられればすぐに消滅するだろう。だが、それの目的は攻撃には在らず。忘れてもらっては困るのだ、これはあくまで誘導なのだ。
 それまで絶え間なく動き続けていた加持の動きが、ここに来てついに止まった。
 加持にしてみれば驚くべき感覚だったのだろう。先ほどまでたった一つだけだった反応が、一瞬で増殖しだのだ。しかもそれは、距離を隔てて加持を完全に包囲している。それが何であるのかは近づいてみないことにはわからないが、近づいた瞬間に攻撃を受ければ危険だと思っているに違いない。故に加持は容易には動けず、次第にその行動範囲は限られて来る仕組みだ。ようやく、鬼ごっこの範囲が決まった。これでもう、加持は逃げられない。残りはタッチするだけ、それでこの勝負はチェックメイトだ。
 後から追いついて来たリムジンがクラクションを鳴らす。
 再び後部座席に邦紀を乗せると同時にリムジンは猛スピードで走り出し、加持の下へと距離を縮めていく。反応の中で、邦紀だけが向っていることに加持も気づいたらしい。背後へと移動を開始しようとする気配が見られた。しかしそう簡単に逃がす道理はもはやない。辺りを包囲していた漆黒のそれを動かして加持を牽制する。決して目に触れない程度に、だがそれでもギリギリまで動かして、攻撃力は皆無の漆黒を脅威に見せかける。
 駆け引きが大事なのだ。加持にそれがまるで威力のないものだと知られればすぐさま逃げられるだろう。だからそれに気づかれてはならない。自然に振舞わなければならない。気づかれたら同じ手は二度と通用しないはずだ。ここで逃がせば、今度はいつに加持を捕まえられるかわかったものではない。勝負はここで決めるのだ。大丈夫だ、加持は突然の事態にまだついて来れていない。この鬼ごっこはやはり、加持が会話に乗って来た時点で邦紀に勝算はあった。
 加持の側まで接近したらリムジンを降り、また走り出す。
 ここから先はより一層慎重にならなければならない。最後の最後で手を抜くのは、二流だけであるのだ。空間に漂う漆黒の半分以上を消滅させ、柄だけ残っていた大刀に集わせる。形を成した大刀に神経を集中、足りない部分を牧野お得意の「キアイ」でカバーする。振り上げられた大刀は漆黒を帯び、振り抜かれた瞬間に大きさを増大させて停滞していた加持を捕らえた。威力は通常に比べればかなり劣っていただろう。だが回避能力だけに特化されたセイントには、これでも十分のはずだ。
 地面に落ちた加持の反応を確かに意識して、邦紀は走り抜ける。
 結局、世界最速の鬼ごっこの果ては、開始された場所とほとんど同じ所で幕を閉じることになる。
 商店街から僅かに離れた工業地帯の廃棄跡。扉をぶち破って中に入ると、天井に開いた穴の真下には土煙が充満していた。大刀を振り抜いてそれを吹き払い、邦紀は最後の一手を差し出す。立ち上がろうとしていた加持の首筋に漆黒の刃は添えられて、冷たいその感覚に加持の動きが止まる。空中に霧散していたすべての漆黒が戻った大刀の一太刀は、この状況ではもはや手加減しようとも加持が防げるものではなかった。
「――捕まえたぜ」
 邦紀のその一言に、加持は諦めたかのように地面に座り込んだ。
「おれの負けか。ここで逃げ出してもたぶん、あんたからはもう逃げられないだろうな。一度捕まったんだ、そんなセコイ真似するつもりもねえや。……ユカナ、もういい。出て来い」
 その声に反応して加持の足に装着されていた装甲が消え失せ、そして空間からユカナと呼ばれた一人の少女が姿を現す。
 歳はアヤと同じくらいだろうが、どうやらタイプは丸っきり正反対みたいだった。怯えたように加持の後ろに隠れて邦紀とアヤを見つめ、しかし自らのミュータントを守るかのように強い瞳をしている少女。これが加持の速さの根源か、と邦紀は思った。加持が強く欲するスリルを求める欲望と、このセイントの主を守るのだという思いが重なって初めて実現されるあの超高速移動。もしこの二人が牧野の下で鍛え上げられれば、今度はおそらく、邦紀でも捕まえることは不可能になるかもしれない。
 アヤが邦紀の背中からひょっこりと顔を出して、ユカナを見つめて嬉しそうに笑う。
「何だかあなたとは友達になれそうな気がする」
 会っていきなり友達になれそう、とはアヤが言い出しそうな言葉だが、アヤと同じ歳くらいのセイントを見るのは邦紀もこれが初めてだった。アヤからしてみれば、本当の意味で判り合える友達になれるかもしれない。そこから考ると、アヤが友達になれそうと言った意味も何となく納得できる。先ほどまで壮絶な鬼ごっこをしていたことを忘れさせるようなところもまた、アヤの長所であり短所なのだろう。
 邦紀が漆黒の大刀を引くと、加持がゆっくりと立ち上がる。
「悔しいが約束は約束だ。おれはこれからどこへ行けばいい?」
 訊ねる加持へと、邦紀はポケットから一枚の紙切れを取り出してみせた。
「そこに書いてある所へ行けば、牧野ってジジイがいる。根は腐ってるが、ミュータントとセイントを鍛え上げるのに関しては腕は確かだ、おれが保障する。あのジジイの下で鍛錬すりゃあおそらく、お前は本当の意味での《逃亡者》になれるだろうよ」
 加持が紙切れを受け取りながら首を傾げ、
「《逃亡者》?」
「お前のコードネームだよ。ちなみにおれは《鉄》だ」
「《逃亡者》、ねえ……なんか微妙だけど、それでもいいか」
 行くぞユカナ、という加持の声に反応して消えたはずの装甲が再び足に装着される。
 アヤがユカナに向って「バイバイ!」と手を振ると、ユカナは恐る恐るといった風に少しだけはにかんで手を振り返した。それがよほど嬉しかったのだろう。アヤは満面の笑みで笑い、「また鬼ごっこしようね!」と声を張り上げ、それに乗って来たのはユカナではなく加持の方で、「そりゃあいい。そのジジイの下で本当に速くなったらもう一回頼むぜ、《鉄》」と笑うので、邦紀は邦紀で「そんときは晩飯でも賭けろよ」と答える。
 そして、晴れて仲間になった《逃亡者》と円満に別れるはずだった。
 気配はおそらく、ギリギリまで消していたのだろう。しかし邦紀とアヤの姿を確認した瞬間にそれは一気に膨れ上がり、問答無用に攻撃を仕掛けて来た。廃工場の天井をすり抜けて炎の柱が何十本も落下し、邦紀だろうが加持だろうが関係なくにその場にいたミュータントを殺す目的の攻撃が降り注ぐ。気づくのがあまりに遅かった。加持の足を持ってしてもすべてを避けるのは不可能だったはずだ。出鱈目に振り回した大刀が邦紀と加持の頭上にあった炎の柱を掻き消したのは本当に偶然に過ぎなかった。
 邦紀は加持の背中を突き飛ばすかのような勢いで押して叫ぶ、
「行け!! おれたちの気配が感じ取れなくなるまで走れっ!!」
 状況は理解できていなくとも、危険だということだけは理解できていたのだと思う。
 加持は邦紀を振り返る間もなくに視界から姿を消し、気配は瞬間的に遠ざかって行く。
 廃工場の天井に数多く開いた穴から太陽の光が射し込み、舞い上がっている埃がキラキラと輝いている。が、それも束の間に光は炎に遮られて消え、断片的にその姿が邦紀の目に飛び込んで来る。太陽を背に空中に浮かび上がる、人型の影の背中から生えた左右に広がる炎の翼。羽ばたくたびに熱気が邦紀とアヤの周りを包み込む、この嫌な感じ。ミュータントの中でも最下層に位置する気配。
 上空から、《灼熱の天使》は飛来する。





     「幻影が示す道標」



 まったくもって、厄介なことになった。
 なぜ接近に気づけなかった、などと今さらに考えても仕方のないことであるために考えることはしない。無駄なことはしない主義なのである。それに今は、他に考えなければならないことがあるのだ。この状況を、どうやって打破するかということである。真正面から戦うのはなるべく今は避けたい。アヤの力の七割を解放して五分の戦闘能力を持つ相手に、一週間も間を置かずして戦えばどうなるか。ようやく本調子に戻りつつあるのだ、今度また身体に負荷がかかればどうなるか容易に想像できる。
 かと言って、このミュータントとセイントに背を向けて逃げ出すことはそんなに簡単ではない。
 障害物が幾ら存在しようがこの戦いには無意味である。気配の届く範囲にいる限り、絶対に逃げることはできない。加えて相手のセイントの攻撃手段は広範囲の炎熱系。固定の武器ならば何とかなるかもしれないが、広範囲の攻撃を避け続けるのには限界がある。それに、どうやら向こうの安定する形は翼であるらしい。空を飛べる相手から走って逃げるなど愚の骨頂、上空から狙い撃ちに遭うのがオチである。
 故に、まったくもって厄介なことであった。
 漆黒の大刀を握り締め、上空から飛来する《灼熱の天使》を見上げ、邦紀は何とも言えない笑みを浮かべる。
 真代美希が目前に着地した際に、その背後から仮面を被ったセイントが歪んだ目をこちらに向けた。何かを言いたそうな目である。いや、言いたいことはわかっている。食わせろ、とカルディアは言っているのだ。それが勘違いだろうが何だろうが、カルディアに対して言い訳は無意味であろう。無法者のセイントは、己が信じているものだけを見つめ、突き進む。敵からの忠告を素直に聞き入れるセイントならば、とっくの昔に組織の下についているはずなのだ。このセイントが素直であるなどと、この世界の誰が思おうか。
 カルディアは笑う。
「どうした? あの日と同じ威勢を、今日は持ち合わせていないのか?」
 邦紀は笑い返す。
「生憎として、今日に限ってはな。上からお前にはまだ手を出すなって言われてるんでね」
「……ならば貴様、今ここで、――死ぬか?」
 美希の背に生えた炎の翼が二度三度の羽ばたきを魅せる。
 熱風がトグロを巻く蛇のように邦紀とアヤの周りを練り回り、確かなる殺意を持って形を成していく。以前のような炎の檻ではない。そのような巨大な規模ではない。ないのだが、それでもまた、別の危険性を兼ね揃えた動きである。殺意を持った炎は次第にその姿を現し、やがてそこに一匹の炎の龍を作り出す。もしかしたら巨大な蛇かもしれないが、たぶんモチーフは龍で間違いないだろう。そしてそれを見て、邦紀は自分でも理解できない笑みを浮かべるしかなかった。武者震いとは似て非なるものが身体を包み込み、気づいてしまった自分の洞察力を恨めしく思う。
 ――……この野郎、また強くなってんじゃねえかよ。
 それがカルディアの能力によるものなのか、それとも邦紀とは違うミュータントに憑依していたセイントを吸収したからなのかはわからないが、四日前に戦ったときよりも確実に強くなっている。これほどまでに膨れ上がった気配ならすでに、牧野は《鉄》が《灼熱の天使》と接触したことには勘づているだろう。が、だからと言って牧野が何か手回しをしてくれるとは思えない。《白銀》がいれば援護には来てくれるかもしれないが、今頃は北海道でのんびり温泉に浸かって蟹でも食っている頃だろう。大事なときに使えないのはどいつもこいつも一緒である。ここはやはり、邦紀が何とかするしかないのだ。
 大刀を右手で構え、邦紀は背後のアヤにつぶやきかける。
「アヤ」
「わかってる」
 即答するところを見るとどうやらアヤもやるべきことは一つだと理解していたらしい。
 だったら話は早い。無駄な手間が省けた。ここから先は、一分一秒の勝負だ。
 合図は声となる。
「逃げるが、」
「勝ち」
 組織の中でも群を抜いた攻撃力を誇る《鉄》が、踵を返して思いっきり逃げ出した。
 それはおそらく、カルディアにとっても予想外の一手であったに違いない。証拠に、倉庫を飛び出すまでトグロを巻いていた龍の攻撃は来なかった。しかしこのまま逃げ切れるとはもちろん思っていない。とりあえず逃げながらこれからどうするかを考えなければならない。ならないのだが、全力で逃げている最中まで頭が回るかと言えばそれは無理である。邦紀はそんなに器用ではないのだ。
 後ろから悪態が聞こえたような気がした刹那、倉庫の壁をぶち抜いて龍が空間を駆けた。視覚は前方だけを見つめ、気配のみで龍の接近とそれに合わせるタイミングを計る。3、2、――1、振り向き様に右下から左上へと漆黒の大刀を振り抜いて、龍の顎を切断しようとした。しかし漆黒の刃は空を切り、気づいたときには龍の牙が背後にあった。体重を大刀の遠心力に任せて前方に倒れ込ませるのがやっとのことで、もしそのまま直立していたら首から上を持って行かれていただろう。
 地面に倒れたすぐ上を通り過ぎる龍の熱を背中で感じ、尻尾までもが通過した際に立ち上がってまた走り出す。
 倉庫の天井を抜けて青空に飛翔した美希が手を振るうと同時に、龍が方向を変えて再び邦紀に向って牙を剥く。走り続ける中でその気配を感じ、今度は大刀を振るうのではなく龍の猛進を紙一重でかわすことだけに意識を集中させる。本当にすぐ横を通り抜けた龍の胴体の一部に一瞬で狙いを固定、右腕だけの力で大刀を叩き込む。今度は直撃したが、やはりこの龍もまた、大刀を弾き返すだけの密度を持っていた。両手でやっていれば話は別だったろうが、片手での攻撃が完全に裏目に出てしまう。
 弾き返された大刀に身体を引っ張られ、バランスの崩れたところを背後から尻尾で攻撃された。
 すべてがスローモーションに思えたが、実際に空中に浮いていたのは二秒もないはずである。地面に激突した瞬間にスローモーションはいとも簡単に崩れ去って通常の流れを取り戻し、身体中に纏わりつく土の感触のせいであっと言う間にどっちが天でどっちが地なのかわからなくなった。ようやく衝撃が収まった頃には、邦紀はうつ伏せになって倒れていた。右掌に握っていたはずの大刀が見当たらない。どこに行った、と思うのも束の間、邦紀の顔から煙草一本分もない距離に漆黒の刃は突き刺さる。
 驚いている暇もなければ助かったと安堵する暇もない。
 起き上がり様に柄を握り直して引っこ抜き、龍の気配を追う。
 気配は、頭上にあった。見上げた瞬間に体が自然に反応する。楯のように差し出した大刀に龍の顔面が激突し、刃に左手を添えて全力の力を込める。踏ん張っている足が地面にめり込み、腕がミシミシと歪んだ悲鳴を上げた。うねりを続ける龍の圧力は次第にその勢力を増しているのは明確で、このままでは大刀が圧し折れる前に邦紀の骨が粉々に砕け散る。時間の問題、というのがこれほどまでしっくり来る状況もそうそうお目にかかれはしないだろう。
しかしその時間さえも、カルディアは奪い取る。
 上空に向けられていた龍の尻尾が分裂し、触手のように変化して大刀の外側から直接邦紀を狙う。迫り来る炎の触手の数は合計で六本、防ぎ切れるはずはない。感覚のスイッチが今一度、スローモーションに切り替えられた。どうする、と悩んだ時間は瞬間的だったはずだ。どうするもクソもないのである。この期に及んでまだ背を向けて逃げ出すなどという戯言を抜かすつもりはない。もはや知ったことではなかった。牧野の下にいる部下は、根っからの戦闘屋だと相場は決まっている。逃げるなんてもうウンザリだ。上等である。真正面から、叩き潰してやる。
 炎の龍を受け止めていた漆黒の大刀が、その深さをさらに刻む。
 それまで完全に押されていた形勢が一気に逆転する。炎の龍が上空に吹き飛ばされたと同時に空間を一閃した大刀によって胴体から両断され、空中に霧散した炎は一瞬で掻き消える。邦紀に到達すか否かだった炎の触手が振り抜かれた大刀の風圧で消滅し、勝負は本当の振り出しに戻る。アヤの力が、五割強まで発揮され出す。五割の境界線を超えれば反作用が出るが、今の大刀はその境界線ギリギリで留まっている微妙な力加減である。反作用がなく威力は上がるが、その反面、通常よりも不安定なのが欠点だ。
 上空に停滞していた美希の後ろから顔を覗かせたカルディアが笑った。
「今日は威勢を持ち合わせていないのではなかったのか?」
 大刀を構え、邦紀は先の転倒で出たと思わしき血を唾と一緒に吐き捨て、
「うるせえよ。気が変わった。そもそもなんでおれが逃げなきゃなんねえんだ。あのクソジジイの言うことなんておれには聞く必要もなければ義理もねえんだよ」
 視線をカルディアに向けたまま、しかし邦紀はアヤに問う。
「やれるな、アヤ?」
 アヤは変わらずに「うん」と肯く。
「今の力の境界線を超えないことだけを意識しろ。あとはこっちが引き受ける」
「わかった」
 邦紀が地面を蹴り上げる。
 下から上へと振り上げる斬撃で上空の美希に狙いを定める。五分と五分の戦闘の開始を、美希もカルディアも理解していた。背中の翼は突如として楯に変貌し、振り抜かれた大刀を受け止めた。鈍く深い音が響く中、炎はまたもや形を変えて受け止めた大刀を包み込み、その場に縛りつける。が、そんな精密な作業などものともせず、邦紀は力任せに炎の拘束をぶち破って再び大刀を振るった。二撃目には耐えれなかった楯が弾き飛び、美希に刃が届くか否かの時間差で、その身体が背後に流れて大刀が空を切る。
 しかしまだ攻撃は終わらない。
 空を切った大刀は遠心力にものを言わせて威力を増しながら一回転、先ほどの攻撃よりも遥かに威力のある斬撃が《灼熱の天使》を狙い打つ。炎の楯がまたしても出現して大刀と激突する。が、今度は受け止めさすこともしない。柄を握る手にさらなる力を込めて大刀を振り抜き、激突した楯ごど美希へと斬撃を見舞う。瞬間に炎は空間で炸裂して濛々とした煙を吐き出し、その中から煙の糸を引いて邦紀の大刀が吐き出される。手応えはない、おそらく翼すら切断していないだろう。
 大刀を定位置に戻した刹那、煙の中から無数の炎の柱が無作為な方向へ撃ち出された。
 無作為だと思ったのは一秒だけで、一定の距離に到達したところで炎の柱は向きを変えて直角に邦紀を狙う。背を向けて逃げるなんてクソ食らえ、食らうものは死なない程度に食らえばいい、致命傷を狙う攻撃だけを掻き消して、次の一撃で再び五分に持って行く。アヤが必死に制御する境界線の一歩を踏み出すかのような勢いで漆黒は深みを増し、空を切った大刀が目前の炎の柱だけを粉砕する。粉砕できなかった残りのすべてが降り注ぎ、その内の何本かが邦紀の身体を直撃した。身体中が痛んだが知ったことはなかった。こちらだけ攻撃を受ければ馬鹿みたいだが、これと引き換えに向こうにも同じ分だけ攻撃を与えれば同じことである。食らえ。
 上空の煙の中からようやく姿を現した美希が邦紀の姿を確認したときはもう遅い。
 切る、のではなく叩く、のを目的で横向きに振り回された大刀が美希を捕らえ、炎の翼が歪んだ瞬間が決定的な隙となる。大刀は速度を増しながら美希の身体を道連れに地面に叩きつけられた。今度は地上で濛々と上がる土煙の中で、灼熱の翼が息を吹き返す。振り払われた煙の中から、場所は違えどダメージの量はほぼ同じである美希が現れる。
 違うところと言えば、美希は血を流していないところだろうか。炎の柱の直撃を食らったせいで、邦紀は額と左肩から血を流している。そんなに深い傷ではないので放って置いても大丈夫だろうが、美希は違うのだ。地面に叩きつけられる際に炎でカバーしたのだろう。が、大刀の直撃を食らった反動は確かな衝撃となって美希の身体を蝕んでいる。証拠に、今の美希は片膝を着いたまま立ち上がることができない。ダメージの量は同じでも、「キアイ」の量は邦紀の方が圧倒的に多いらしい。
 邦紀が大刀を肩に回して歩き出す。
 美希が身体の自由を無理矢理蘇らせて立ち上がった。
 《鉄》と《灼熱の天使》が対峙する。
 二度目の五分と五分の勝負の均衡を先に破ったのは、美希の方だった。四日前と同じく、カルディアは美希の耳元に顔を寄せ、美希にしか聞こえない声で何事かをつぶやく。その瞬間に、気配は明らかに膨れ上がる。記憶を持つカルディアの能力が発動された証だ。燃え盛る炎の翼が空間を包み込み、紅く変色していた美希の瞳がさらなる輝きを示す。こうなってしまっては、もはや五割の境界線で戦えるレベルではない。七割の力を解放して、ようやく五分の世界だ。
 四日前に開放したばかりである。今ここで再び使えばどうなるか、想像は簡単だ。今度は一日で動けるようにはならないだろう。最悪、身体の一部が麻痺して一生使いものにならなくなる可能性だってある。しかし、死ぬのと比べればその方が遥かにマシである。こんなところで死んでたまるか。守ると誓った。例えこの身が犠牲になろうとも、守ると誓ったのだ。そのために自分は強くなろうと決めた。まだまだ青臭さが抜けていないのは知っている。だが、それでも。
 誓いを、二度も破ってたまるか。
 心の中でつぶやく。
 開放しろ、アヤ、と。
 驚くアヤの表情に気づかないフリをして、握り締める大刀を通してアヤに断固たる意志を伝える。アヤもわかっている。邦紀がどのような人間であるのか、どのような性格をしているのか。こうなった邦紀には何を言っても無駄である。いや、何も言うことはできない。それは、アヤに対する誓いでもある。それを自ら止めることなど、アヤにはできないのだ。嬉しく、悲しく、儚く、優しく、そして限りなく強い絆。アヤは、笑った。その絆は、アヤにとっては何よりも心地良いものであるのだ。
 抑え込まれていた力が鼓動を再開する。
 漆黒が蠢き始め、凝縮されていたブラックホールが動き出――、
 対峙する二人の間に、セイントに憑依されしミュータントの気配が突如として乱入した。
 邦紀の視界の中に現れたそれは、金髪の髪を持ち、足に装甲が装着されたミュータントであり、その背中にいるのは一人の小さな少女、アヤと同じくらいの歳である、セイント。その二人を知っているもクソもない、つい数分前まで共にいた仲間である。コードネーム《逃亡者》、ミュータントの名を加持、セイントの名をユカナ。超高速移動を行う、おそらくはミュータントの中でも最速の男だ。
 が、なぜこの男がここにいるのか。気づいたら叫んでいた。
「ばっ、馬鹿野郎!! お前がなんでここにいる!? 逃げろっつっただろ!!」
 加持は邦紀を振り返り、実に情けない顔で、
「うるせえ!! 逃げるつもりだったんだがユカナが引き返せって言うこと聞きゃしねえんだよ!!」
 その背から身を乗り出したユカナが叫ぶ。
「早く!!」
 ユカナの声を初めて聞いた、などと思っている暇はなかった。
 地面を蹴った加持の手が、邦紀の肩口を掴んでその場から一瞬で連れ去る。景色の認識などまるでできず、見えるのはただ青い空のものだと思われる青色だけである。が、その中で状況を理解したカルディアが放ったと思わしき炎の柱が見えた。しかし幾ら広範囲の攻撃だと言っても、この加持をそうそう捕まえることはできはしない。炎の柱はたちまちに背後に取り残され、景色は再び青色だけに支配される。気づいたときには、《灼熱の天使》の気配はすでに感じられない距離にまで離脱していた。
 その一連の出来事はおそらく、時間にすれば五秒もなかったはずである。

 そして、取り残された《灼熱の天使》は邦紀たちとは正反対の方向へゆっくりと飛翔する。

     ◎

「……で? お前らは何で戻って来たって?」
「おい待てよ、助けてやったのにそんな恐い声出すなって」
「誰が助けて欲しいなんて言った。あれからおれがあいつを倒すとこだった」
「いや嘘だね。おれでもわかる。あの女の子、ヤバイだろ。おれが見たところ、あんたより強いんじゃねえのかよ。おれならまず、あんな奴と戦うなんてことはしない。むしろおれじゃ相手にならん。言わなかったけどな、おれはかなり脚震えてたぞ」
「腰抜け。お前と一緒にすんじゃねえ」
「ほら邦紀、そんなこと言わないでありがとう言わないと駄目だよ?」
「そうだそうだ、この子の言う通りだ。ときに君、ユカナと一緒くらいの歳だと思ってたけど、随分小さいなぁ」
「邦紀、この人殺していいよ」
「そのつもりだ」
「冗談だって冗談! しかし礼言うならユカナにな。友達が危ない、って喚いてたのはこいつだから」
「喚いてない!!」
「そうなんだ!? ありがとうユカナー!!」
「アヤ、ユカナ嫌がってるだろ。離してやれ」
「友達同士のスキンシップだもん!」
 恥ずかしがっているのか嫌がっているのかわからないユカナの胸に抱きついて頬ずりを続けるアヤを見つめ、邦紀と加持は並んで通路を歩いている。街灯のような明かりは毎度のことながら休む間もなく通路を照らし続け、来訪者を待ち受けていた。いつもなら一人分の足音だけが反響するはずなのに、今日に限っては二人分だ。ここをミュータントの二人で並んで歩くなど、《白銀》以来初めてではないだろうか。いつかのことを思い出しながら、邦紀はそんなことを考える。
 通路の突き当りまで辿り着いたところで一度だけ立ち止まり、壁に備えつけてあった青色のボタンを押し込む。機械の作動音が足の下から伝わり、目前の壁が真っ二つに割れてその向こうにある部屋が姿を現す。生活感のある灯りが邦紀たちの視界にあふれた刹那、昨日とまったく同じくして、一発の拳が流れ込んで来る。が、昨日とは違い、邦紀はそれに対して正確に反応できた。
 繰り出された拳を真っ向から受け止めた瞬間、その拳を起点として体重移動、半回転を行った牧野の蹴りが邦紀の横にいた加持へと向けられた。偶然なのか、それとも本当に見切れたのかはわからないが、高速の蹴りを紙一重でかわす加持。空を切る蹴りが尋常ではない音を発するのが本当に恐ろしい。受け止められた拳と空中で止まった蹴りをそのままに、牧野は意外そうな顔をする。
「……どうやら《灼熱の天使》との戦闘のせいで感覚が過敏になっているようだな邦紀。それと加持、お前はなかなかに骨がある。よくぞおれの蹴りを避けた、どっかの出来の悪い弟子とは違い、お前はいい弟子になるだろう」
 呆気に取られていた加持は牧野を見つめ、邦紀に向ってあろうことか「誰だ、このおっさん」とつぶやく。
 刹那に空中で停滞していた蹴りは動きを再開させ、今度こそ本当に加持の脳天を捉えた。しかし大分手加減したのであろう、その一撃で加持の意識が刈り取られることはなかった。だがこの世界には気絶した方がいいということが多少かれ存在する。気絶すれば少なくとも、脳天を捉えた蹴りの痛みに蝕まれなくて済んでいたのだろう。通路に膝を着いてよくわからない呻き声を発する加持を見下ろし、急激な事態に追いつけないユカナの頭に手を添えてわしゃわしゃと掻き回し、牧野はいつものように豪快に笑う。
「おおアヤ、大きくなったじゃないか。だから言ったろ、気合が大切なのだと」
「ボケたかクソジジイ」
 邦紀の突っ込みに乗ってアヤも当然の抗議を上げる。
「それはアヤじゃないもん! ユカナだもん!」
 にも関わらず、牧野はまったく同じ表情で、
「冗談だ。アヤが一日でこんなに大きくなるはずもなかろう」
 膨れっ面になるアヤを無視して、牧野は未だに蹲る加持を見つめた。
「イレギュラーはあったが、お前がこちらの仲間になってくれたことにまずは礼を言おうか。これから三ヶ月間はおれの下で基礎鍛錬に励んでもらう。嘔吐しようが何をしようが関係ない、毛穴から血が滲み出るまで鍛え上げてやる。仲間になったからには使い物になってくれなきゃならん」
 牧野の言葉に、蹲っていた加持はようやく顔を上げ、
「……じょ、冗談じゃねえよ、訳もわからず蹴り入れられるトコなんて願い下げだ。《鉄》、悪いが約束通り、おれはここからオサラバさせてもらうぜ」
 ユカナと意志を交錯させ、加持の足に装甲が装着される。
 しかしもうすでに、時が遅いことは邦紀が最もよく理解していた。ここまで来たのだ、もはや加持も牧野からは逃れられないだろう。あるいは、もしこの通路から逃げ出すことができたのならば、加持ならば一生逃亡生活を強いられるが逃げれるかもしれない。でもやはり遅い。「もし」なんてことは、起こるはずがないのである。ここにはそう、牧野だけではなく、そのセイントもいるのだから。
 加持が地面を蹴り上げて移動を開始しようとしたその刹那、それを上回るスピードを持ってしてオウマが空間に割り込む。加持の背後から手を回して肩を掴み、オウマはまったくの無表情でつぶやく。
「動かない方が懸命です」
 力の差というものがある。それを見極められることもまた、「強さ」であるのだろう、と邦紀は思った。
「連れて行けオウマ」
 引き摺られるように通路の奥へと消えて行く《逃亡者》を見つめる邦紀に向かい、加持は叫ぶ。
「テメえコラァッ!! 話が違うじゃねえかっ!! なんだこの化け物は!? こんな奴がいるなんて聞いてねえぞ!! ビジネスの話はどうなったビジネスは!? おれを騙しやがったのかオイ《鉄》ッ!!」
「悪く思うな加持。おれも生活が懸かってるんだ」
 通路の奥にあるエレベーターに消えて行く加持にそう言いつつ、十字を切る。
「バイバイ、ユカナー」
 何が何だかわからないという風にオロオロとしてたユカナに向い、アヤは能天気に手を振ってみせる。
 そして《逃亡者》とそのセイントは、地下三階から姿を消した。
 静寂が戻って来た通路の中、牧野は踵を返して歩き出す。
「入れ。話が二つある」
 その声に従って邦紀は通路から牧野の部屋へと足を踏み入れる。
 囲炉裏の奥にある定位置に腰を下ろした牧野の向い側に邦紀も座り込み、また新たに増えている壷と睨めっこをするアヤを無視して本題に入った。牧野は懐から一枚の紙切れを取り出して邦紀に向って投げつける。それを受け取った邦紀の顔は、自然と緩んでしまう。その紙切れは、明細票である。何の明細かと言えば、《逃亡者》を仲間に引き込んだ報酬明細だ。十七人分の報酬だ、そらもうとんでもない額に膨れ上がっていること間違いない。もしかしたらこれから一生遊んでいけるほどの金が入って来ていたとしても何ら不思議はないのである。
 邦紀は昂ぶる気持ちを抑えながら明細票を見つめ、そこに記載されている「0」の数を数え始める。何度体験してもこの作業は心が踊る。金が入るということは何と心地良いことなのだろう。しかも今回はちょっとやそっとでは終わらない数だ。どれだけの額になっているのか見ものだ。なんて思っていた邦紀の思考とは裏腹に、「0」の数は案外簡単に数え終わってしまった。
 しまったしまった、興奮してちょっと間違えたな、そんなわけないもんなあはは、と邦紀はもう一度最初から「0」の数を数え始める。一度目は単なる間違いだと思った。が、二度目で表情は引き攣った笑いへと変化して、三度目で冷汗を掻き、四度目で泣きそうな顔になって、五度目でようやく、それは間違いではなく、確かにそう書いてあるのだということに気づいた。ちょっと待て、ちょっと待てよ、おかしいだろオイ、ちょっと待てよコラクソジジイッ!
「何だこの額は!?」
 牧野は至極当然に、
「今回の報酬に決まっている」
「んなわけあるかっ!! 三桁は少ないだろうが!? これじゃあバイトの給料とまったく違わねえぞ!!」
 立ち上がって当たり前の抗議をする邦紀をウンザリした顔で見上げ、牧野は吐き捨てるように、
「言ったはずだ、十七人分の報酬から諸々を引いた額だってな」
「諸々で何で三桁も無くなるんだクソジジイ!!」
「十七人分の情報に費やした人経費に情報料。しかも今回はそれだけじゃねえ。幸郷辺から連絡が入ったんだがな、お前の無理な注文のせいでおれの自慢の愛車のブレーキがイカれちまったらしい。この際だから新車を買うことにした。それらをすべて合わせた額を報酬から差し引いて残ったのが、それだ。少しでも残してやったんだ、有り難く思え」
「ふざけんなよ!? 納得できるわけねえだろ!! 新車ってテメえ、一体何台車持ってると思ってやがる!?」
「これだからお前は青いというのだ。何台持っていようが関係ない。車とはそれほどに魅力がある。欲しいものがある、故におれは買う」
「自分の金で買えよっ!!」
「黙れ。そもそもおれの愛車をぶっ壊したのはお前だろうが」
「じゃああの運転手におれの足になれなんて命令すんじゃねえよっ!!」
 いい加減、牧野も腹が立ってきたのだろう。突如とて態度が豹変し、研ぎ澄まされた眼孔が邦紀の脳みそを貫く。
「うるせえな。買っちまったもんはしゃあねえだろ。イチイチ突っ込みやがってよ、ケツの穴の小せえ男だ。理解しているか邦紀。お前は一体どれだけこのおれに貸しがあると思う。それを黙認して報酬を残してやってるのはこのおれだぞ。そのおれに向ってその態度は何だ。その報酬もすべて貸し返済に充ててもおれは一向に構わない。その方が助かるってもんだ。次に何か言いやがったらお前の脳みそ砕くぞ」
 わかっているのだ、と邦紀は思う。
 この牧野幻造という男が、一体どのような人間であるのか。組織に入って、牧野の下に就いてからもう三年になる。その間に嫌というほど理解しているのだ。所詮は上司と部下の考えである。しかもこの牧野に限っては、それ以上の上下関係が存在する。牧野に歯向かうことは何人たりとも許されはしない。牧野のモットーは有限実行である。脳みそを砕くと牧野が言ったのなら、本当に脳みそを砕く。牧野幻造とはそういう男なのである。もはやどんな抵抗も無駄であろう。ならば無駄なことはしない。それが、邦紀のモットーだ。
 アヤに言われたことを思い出す。なるほど、自分は確かに負け犬である。飼い主様に向って尻尾を振りながらきゃんきゃん鳴いているのがお似合いなのだ。牙を剥けば仕打ちを受ける。犬でさえ理解していることだ。人間である邦紀もそれを理解して当然だというものだろう。ましてや負け犬の牙など何の力も持ってはいない。三年前、牧野の下に就いた時点で既に、運命は決まっていたのだろう。自分は一生扱き使われて生きて行くに違いない。一度入ってしまえば最後、もう二度と逃げ出すことはできない檻の中に自分はいるのだろう。
改めてそう思うと、もう何だか死にたかった。
 明細票を実に情けない動作でポケットの中に入れて、邦紀は糸の切れた人形のように座り込む。邦紀たちから少し離れた所では、アヤがおかしな形をする壷を見つめてどっかのテレビ番組で憶えた「いい仕事してますね〜」などという台詞をつぶやいては腕組みをしている。次いでは場所を移動して招き猫を発見するや否や、隣で同じポーズをして「にゃ〜」と鳴いて一人で笑い転げている。もはや突っ込む気力すら湧き上がって来ない。能天気のアヤが死ぬほど羨ましい。
 目前で茶を啜った牧野はそんなアヤを見つめながら「相変わらずだな」と笑う。
「アヤは置いておいてだ。邦紀」
 邦紀は死相のオーラが出ているような顔を上げて、
「……なんだよ?」
 牧野は言った。
「真代美希の素性がわかった」
 場の空気が一変した。
 先ほどまでのやり取りが嘘のように消え失せ、ミュータントとしての気配が発せられる。
「真代美希。歳は十七。お前のアパートの近くに河川敷があるだろ、その向こう側にある団地に住んでいる。家族構成は今現在、一軒家に弟の真代祐希と二人暮らし。両親は二年前に交通事故に遭い他界。それからしばらくは親戚宅をたらい回しにされた後、真代美希が中学を卒業して高校に上がるのを切っ掛けに本来の家で弟と二人暮らしを始める。今は両親が残した遺産と保険金を主体に、真代美希がバイトしながら生活を続け、弟を中学に通わせている。まぁ、それだけを見りゃあ苦労してる苦学生で、弟のことを一人で面倒看てるいいお姉さんになるんだろうな」
 牧野の言い方には、確かな裏があった。
「……何かあるのか?」
「真代祐希が、二ヶ月前から原因不明の病に侵されている」
「原因不明?」
「そうだ。カルテを見せてもらったが、あれはかなり異様だぞ。身体のどこにも異常は見当たらないのに、今の真代祐希はもはや立ち上がることも儘ならない。どこの医者に診せても原因不明、完全なお手上げ状態だ。だがな、それは表の医者に診せての話だ。その情報を医療課の奴らに任せて分析させてみたらビンゴだ。この世界のものではない何者かの干渉が認められた」
「待てよ、まさか、」
「ここで一つ、加えておくことがある。真代美希がミュータント《灼熱の天使》として活動し始めたのは、今から約二ヶ月前のことだ」
 牧野の話が一本の線になる。
 真代祐希が原因不明の病に侵された前後に、真代美希はミュータントとして動き始めたことになる。それが偶然であるのか必然であるのかは本人たちに聞いてみないことには確証は得れないが、確信はある。記憶を持つセイント・カルディア。あのセイントならばやりかねないだろう。持って生まれた能力が力の増大以外にないと決めつけるのは浅はかだ。現に、能力を二つ以上持って生まれたセイントの事例は存在する。記憶を持つセイントとは、通常のセイントよりも遥かに複雑なのだ。
 つまり、真代祐希の病の原因は、カルディアが起こした可能性がある。
 ここまでくれば想像は容易だ。カルディアは何かしらの能力で真代祐希を呪縛し、原因不明の病を仕立て上げたのだろう。カルディアがその前から美希に憑依していたのか、それともそれから美希に憑依したのかはわからないが、原因不明の病がカルディアの仕業であることは疑えない。組織の医療課が裏づけしていることが何よりも強い。そしてカルディアはおそらく、もっともらしいことを美希に吹き込んで、「弟を助ける」という美希の強い思いを利用している。その思いがどれだけ強いものであるのかは、邦紀自身が一番よく理解しているのだ。ミュータントである美希個人でも強いと思った理由は、そこにあったのだろう。
 まったくもって、胸糞悪い。
 よりにもよってその思いを利用するという手段が何よりもムカつく。あの野郎のしそうなことである。美希の力がカルディアの能力で膨れ上がる際に、カルディアが美希につぶやく言葉。正確なそれはわからないが、予想はできる。その言葉を聞いて美希がさらに「弟を助けたい」と思えば思うほど、カルディアの能力によって力は増大する、そういう寸法なのだろう。裏ですべての糸を引いているのは、もはやカルディアしか有り得ない。
 無意識の内に拳を握っていた。肌の色が変わって、爪が食い込むほどに、強く、強く。
 ――ぶっ潰してやる。命乞いもクソもなく、必ず、ぶっ潰してやる。
 邦紀の怒気が空間に広がる。それに気づいたアヤがふと立ち上がり、邦紀に向かって何事かを言おうとした刹那、それより先に邦紀の頭に空っぽの湯呑が直撃した。軽い音が鳴ったのは邦紀の頭に脳みそが詰まっていないからなのか、それとも投げ方にコツでもあるのか、その真意はわからないが湯呑の一撃は邦紀の怒気を一発で霧散させた。
「落ち着け。怒りは力を増させるが判断力を鈍らせる。頭を冷せ」
 牧野の言葉に呆気もなく我に返った邦紀は、微かに痛む自分の額を摩りながら、「……そうだな」とつぶやき、床に転がっていた湯呑を掴んで突如として思いっきり牧野に向って投げ捨てた。が、それを簡単に空中で受け取った牧野はカッカッカと笑い、囲炉裏の側に置いてあった急須で再び茶を入れて啜り始める。そしてそれとは反対の手でまたもや懐を探り、懐中電灯のようなものを取り出した。
「なんだそれ?」
 そう問う邦紀に向ってそれを投げ、受け取ったことを確認した牧野は湯呑を床に置いた。
「開発課が作った玩具だ。名前は何だか忘れた。確か偉く大層な名前だったはずだがどうでもいい。それはまだ試作品だが、ある程度の効果は発揮するだろう。モニターになったつもりで、今回はそれを使ってお前のやりたいようにやれ。今回のこの仕事にだけは、おれはお前に対してあれこれ言うつもりはない。胸に溜まってるもんがあるんだろ。それを拭って来い。中途半端なままこの仕事を終わらせちまったら、今後出来損ないの弟子がさらに出来損ないになっちまう気がするんでな」
 懐中電灯のようなものを握り締めながら、邦紀は小さく笑った。
「……礼は言わねえぞジジイ」
 牧野は茶を啜り、こう言う。
「要らねえよ」

     ◎

 とりあえず、開発課が作ったとされる懐中電灯のような玩具の名は、アヤの提案で『カイデントウ』と命名されたのだが、邦紀は面倒なので極々普通に『懐中電灯』と呼ぶことに決めた。この玩具に詳しい説明書などはついていなかったが、スイッチが一つしかない所を見ると操作は簡単であろう。しかし見れば見るほど懐中電灯に似ている。大きさもそれに似ているし、手触りもそうだ。違う所があるとすれば、それが懐中電灯とは決定的に違う所である。
 カイデントウには、豆電球がついていないのである。代わりに本来豆電球があるべき場所には何か、よくわからない宝石のようなものが埋め込まれていた。しかもこの宝石がまた不思議なもので、見た目はダイヤのような形をしているくせに、その透明の内部にはさらに小さな虹色の光を放つ宝石が入っている。気になって振り回してみたり逆さにしてみたりするのだが変化は見られない。かなりの時間粘ってみたのだが、結局結果は同じだった。
 ついに我慢できなくなって、カイデントウのスイッチを入れてみたのが五分前の話なのだが、何も起こらなかった。まじまじとカイデントウを見つめていると、隣で同じように身を乗り出していたアヤが突然に、「ここに何かある」と指を差し出した。カイデントウの一番下の部分を探ってみると、リモコンの電池を入れるカバーみたいに外れることが判明した。そこから出て来たのは一本のコードで、その先についているのはアダプタだった。つまりあれか、充電しろとかそういう意味なのだろうか。そう思ってコンセントに突っ込んでみたらブレーカーが落ちた。
 そして今現在、真っ暗な部屋の中でこれからどうするべきかを悩んでいる邦紀なのである。
 蛍光塗料が塗ってある時計の短針と長針を相手に睨めっこをしながら、窓から射す月明かりで時刻を確認する。夜の十時を十五分過ぎた辺りだ。牧野の部屋を出たのが確か五時くらいで、それから地下二階に移動してバシバシとシバかれるように鍛錬に励んでいた加持に野次を飛ばして帰ったのが六時くらいではなかったか。それからは久しぶりの報酬でハンバーグを貪り、アヤの要望でソフトクリームと五段アイスを食ったときにはすでに、八時を回っていたような気がする。ようやく家に帰ってカイデントウと格闘を繰り広げた後、放たれたブレーカーを落とす攻撃によって勝敗は引き分けとなったのである。
 これからどうするか、ともう一度だけ悩む。
 やるべきことは一つに決まっているのだが、それをどうやって実行に移すべきであるのか。難しい状況である。話をしようにも、美希と出遭った瞬間に戦闘が開始されるだろう。もし仮に会話ができたとしても、カルディアがいるのでは意味がない。美希と二人だけで話がしたい。美希がカルディアにどのようなことを吹き込まれ、そしてその中にどれだけ「偽り」が混ざっているのかをはっきりさせねばならない。
 牧野の話を聞いて考えが百八十度変わったのである。
 今はもう、真代美希を倒すのではなく、真代美希を救いたいと思っている。
 確かに邦紀の仲間であるミュータントを三人も倒したのは美希だ。しかしそれは不可抗力でしかない。美希はおそらく、「そうするしかなかった」というほど追い詰められたに違いない。何をしようがどうしようが、カルディアが吹き込んだ「偽り」に縋りつくしか道は残されていなかったのだろう。美希は、戦っている最中、ただの一度も表情を表さなかった。ただの一度も、会話をしようとはしなかった。心を閉じ込めているのだと思う。戦うことを恐れているのだと思う。故にすべて閉じ込め、己を殺して戦っていたのだと思う。弟を守りたい、それ一心を貫き通して、戦っていたのだろう。
 救ってやらねばならない。絶対に、救わねばならないのだ。
 邦紀は、この仕事に誇りと信念を持っている。すべてのことは自分が解決し、他の者にまで罪を背負わせないために、邦紀は牧野からの伝令を焼却処分にする。誰にも見られないように、他の者に被害が及ばないように、この胸にだけ留めておく手段。今までいろいろなミュータントとセイントを見てきた。力に溺れた者、無作為に殺戮を繰り返す者、戦うことを拒むために追われる者、悲しみを糧として生きる者、ただひたすらに欲望を追い続ける者、己が大切なものを守るために戦う者、己が信念を貫き通す者。今まで、いろいろなミュータントとセイントを見てきたのだ。
 が、その中でも今回のミュータントとセイントは異例である。
 ただ純粋に己が大切なものを救おうと足掻くミュータントと、その思いを利用して己が強さを求めるセイント。目指す場所は対極にあるのに、歪に結びついている関係。カルディアが真代祐希に呪縛をかけなければ、もっと別の道を辿っていたのだろう。あるいは、美希がそれでも戦うことを拒めばすべては変わっていたのであろう。しかしわかっている。人間とは実に弱い生き物である。窮地に立たされたとき、縋りつけるものがあるのならそれが悪魔だろうが何だろうが縋りつく。そうしないことには、精神が崩壊してしまう。仕方のない、ことなのである。
 だから、救ってやるのだ。美希は縋るものを間違えている。
 そのことに気づかせて、救ってやる。救ってやらねばならない。
 カイデントウを再び握り締めたとき、邦紀の背後からアヤが抱きついてきた。
「邦紀」
「却下」
 アヤは膨れっ面になり、
「まだ何も言ってないもん」
「ソフトクリームと五段アイスならもう食っただろ」
「そんなんじゃないもん。……邦紀は、これからどうするの?」
 珍しく暗い言い方をするアヤに気づかないフリをする。
「とりあえずゴキブリを撲滅するさ。この部屋のどこかにまだいるはずだ」
「そうじゃなくて、」
「まずはゴキブリホイホイだな。それと殺虫剤。すんげえ強力なヤツがいい。今なら金はあるから最強の装備が買えるぞ」
「邦紀、」
「それと他はどうするか。何だっけ、何チャラジェット。蚤とかもいるかもしれねえから、この際虫どもを一掃する作戦でも考えるか」
「邦紀!」
 背中から前に回り込んで来たアヤを見つめ、邦紀はようやく観念したかのように言った。
「……わかってるよ。心配すんなアヤ。無茶はしねえから」
「本当に?」
「本当に。おれには守るべきものがある。だから無茶はしねえし、何があっても死なない」
 アヤの頭を撫でながら、邦紀は笑う。
「おれはそのために強くなろうと決めて、強くなった。でもな、アヤ。……おれと同じことで、悩み苦しんでる奴がいる。それを見捨てるつもりはない。無茶はしない、だけど限界ギリギリまで歩み寄る必要があるのなら、おれは迷わずそうする。見たくないんだよ。誰かを守るっていうのは何よりも難しい。でもだからこそ、その思いは何よりも強い。けど、その思いを悲しみで背負うことはダメなんだ。それにな、おれはあの野郎を許せない。おれの強さのすべてを賭けて、あの野郎をぶっ倒して、救ってやらなきゃならないんだ」
 考えて喋ったことではなかった。
 自分の言った台詞に対して自分自身で臭いと思って少し苦笑する。だけど、それが本音である。誰かを守ることがどれだけ難しいことであるかは、邦紀が最もよく理解している。守ると誓ったはずなのに、この手で守れなかったあの絶望感。そんなものを背負うのは自分だけで十分である。どうにかして助けになるのであれば、それをする。強くなりたいと牧野の下に就いたあの日から、その思いは微塵も変わっていないのだ。
 何もせずに指を咥えていることなど、もう二度としたくない。
 雨が降っていたあの日、自分は大切なものを守れなかった。
 雨が降っていたあの日、故に自分は今一度、守ると誓った。
 失いたくないものがこの手にある。失ってはならないものがこの胸にある。
 その思いを知っているからこそ、救ってやりたい奴がいる。
 邦紀はアヤの頭をもう一度だけ、撫でてやる。
「子供はもう寝る時間だ。余計な心配なんてしてないで寝ろ」
 アヤにしては珍しく気を張っていたのだと思う。
 邦紀の笑顔に安心したのか、それとも撫でたことが緊張の糸を切ったのか、アヤは小さな欠伸をした。子供じゃないもん、という小声の抗議の後に、アヤは遊び疲れた子供のように目を閉じる。いつもなら空中でふわふわ浮いて寝るくせに、なぜか今日に限っては胡坐を掻いた邦紀の足を枕にして寝始める。それを退けるのではなく、ゆっくりと頭を撫でてやる。こいつもこいつで、思いを背負っているのであろう。記憶を失っていたとしても、それは同じである。
 アヤの寝息が聞こえる部屋の中、月明かりの射すそこで、邦紀の瞳が確かなる光を宿す。
 迷いはない。気負いもない。やるべきことが一つに決められた。
 もはや、歩みが止まることはない。明日ですべてを決めてやる。
 虚空に向かい、邦紀はこうつぶやく。

 ――次が最終ラウンドだ、カルディア……ッ!!





     「絆。願い。戦い。」



 記憶の中にある最古の光景は、色褪せたジャングルジムだった。
 最初は綺麗な青色だったのだろうが、それは何年も繰り返し繰り返し少年少女たちよって遊ばれることにより塗装が剥がれ、それに加えて雨に打たれたせいですっかりと色褪せて錆びついてしまったのだろう。握れば手につくのは鈍い鉄の臭いと錆である。それでも少年少女たちは飽きずに毎日毎日、ジャングルジムに登っては戯れていた。
 しかしその日だけは、いつもと様子が違っていた。
 ジャングルジムの周りに人だかりはあるものの、誰一人として登ろうとする子供はいない。しかし皆が皆、同じ方向を見つめている。その視線を追ってみよう。色褪せて錆びついたジャングルジムの天辺に、場違いな女の子が一人、座っている。真っ白なワンピースを着た、髪の長い、歳は三歳くらいの女の子である。場違いではあるが違和感はない。それでも誰一人として、ジャングルジムに登ってその女の子に声をかけるようなことはしなかった。
 それはその少女が、新顔だったからだ。
 児童施設「ひまわり」に今日入ったばかりの、女の子。
 新しく入った子供は皆、最初は尖ったり泣き喚いたりするのが当たり前であるのにも関わらず、その少女はただ、ジャングルジムの天辺から真っ直ぐに空を仰いでいた。新顔が見せる新しい行動に、誰一人としてどう反応していいのかわからなかったのである。故にジャングルジムに登ることもできず、少女に話かけることもできず、子供たちは見上げることしかできなかった。
 そのまま、どれくらいの時間が流れたのだろう。教員たちは会議中でその様子には気づいていないらしく、仲介に入る気配はない。子供たちは少女を見上げ、少女は子供たちに気づいているのかいないのかはわからないが、空を仰ぎ続けている。ジャングルジムを取り巻く子供たちがようやくヒソヒソ話を始める中で、それでも少女だけは、この世界にたった一人だけ取り残されてしまった、空に帰れなくなった天使のようにただ広がる青を見つめていた。
 一番最初にこの現状に耐え切れなくなったのは、「ひまわり」の幼少組でも中心的な六歳の少年だった。泥だらけのTシャツに同じく泥だらけの半ズボン、剥き出しにされた手足には数え切れないくらいの擦り傷を負っていた。それだけで、この少年がどうしようもないヤンチャ坊主であることは誰でもわかるような出で立ちである。頬には一体何を血迷ったのか、つい数分前に「カッコイイから」という理由で葉っぱで切った十字傷はまだ血も乾いていない。
 少年は不敵な笑みを浮かべていた。新しく入った新顔に、この施設で最も強いのは誰であるのかを思い知らせてやらねばならないと思ったのだろう。少年は軽快にジャングルジムを攀じ登り、空を仰いでいた少女の前へと立つ。恐怖心などは一切見せずに足を細い鉄のパイプに乗せて仁王立ちするところは見上げたものだが、実際は二日前に落下して背中に大きな傷を負っている。少年はそれを、「オトコのクンショウ」と呼んで皆に見せびらかしているのだが、誰一人として「おれもクンショウがほしい」とは言い出さないのが現状だ。
 少年は言う。
 お前は誰だ、と。
 少女が初めて、視線を空から地上へと戻した。真っ直ぐに見つめてくる少女の瞳に、少年は一瞬だけ虚を突かれた。施設に入れられた子供は皆、最初は尖ったり泣き喚いたり、この少年と大乱闘を繰り広げたりする。目だって死んだ魚のような目をしている子供が多いのだ。そういう子供は大概、最初に少年とトラブルを起こしたのを切っ掛けに生気を取り戻し、「ひまわり」の幼少組の仲間に加わっていく。だが、それにも関わらず、この少女の瞳は驚くほど透き通っていた。まるで空をそのまま切り取ったかのような、本当に透き通った瞳だった。
 少年はもう一度、同じことを問う。
 少女は一瞬だけ口を動かすような素振りを見せたが、結局は何も言わずに少年を見つめ続ける。
 何も言わない少女に対して、少年は我慢できなくなる。引っ叩いて泣かせてやろうか、と半ば本気で思った。いや、実際に手は半分以上振り上げられていたし、なんとなくこの少女の透き通った瞳が気に入らなかった。どうしてそんなに幸せそうな瞳をしているのか、親に捨てれたと思う気持ちはないのか、この世界のすべては幸せできているとでも思っているようなその瞳が、ただ単純に気に入らなかったのだ。振り上げた手を、少女に向って振り下ろすかどうかの時間差で、少女が少年の方を指差して小さくつぶやいた。
 そのつぶやきが「はち」だと気づいたとき、少年の頭の中には数字の「8」が浮かび上がった。しかし実際に少女が指差したのは、少年の肩に導かれるように止まった「蜂」であった。それはアシナガバチでもなければクマバチでもなく、スズメバチでもないただのミツバチであったのだが、子供にしてみればミツバチでも蜂は蜂である。刺されたら死ぬのだと本気で思っていたとしても無理はないだろう。
 だから少年は、先ほどまでの威勢を根本から砕いて実に情けない悲鳴を上げた。急いで逃げ出そうとしたのだが、そこがジャングルジムの天辺だということをすっかり忘れていた。細い鉄パイプから足を滑らせてバランスが木っ端微塵に崩れ、悲鳴を上げる間もなく地面に落下した。背中のクンショウが二つに増えたと喜べるだけの余裕は当たり前のようになく、地面を転げ回って痛みに必死に耐えた。こんな大勢の前で泣いてはならない、と子供ながらに強がっていたのだろう。
 やがて少年が目に涙を溜めて立ち上がったときにはすでに、小さな笑い声が響いていた。
 ジャングルジムの天辺に座り、少女は少年を見つめて笑っている。それは馬鹿にしたような笑いではなく、ただ純粋に笑っていた。
 少年に不快感はなかった。しかし羞恥心はあった。よくも落としてくれたな、と八つ当たりもいいところの感情が少女に矛先を向ける。もう一度ジャングルジムを攀じ登り、再び天辺に仁王立ちする少年。少女は相変わらずの瞳で少年を見つめている。今度こそ引っ叩いてやろうと思った。みんなの前で泣かせてやろうと考えた。そうしたらその笑顔も消えるだろう。泣き喚くだろう。今度は向こうからこっちを叩きに来るだろう。そこからが本番だ、もうめちゃくちゃに殴ってボコボコにして、それを乗り越えて仲直りしたら「ひまわり」の仲間に迎え入れてやろう。
 少年は手を振り上げる。少女はその手を見つめている。
 少年は、少女を叩くことがついにできなかった。
 それは、会議が終わった教員がその光景を目の当たりにして大声で怒鳴ったからではなく、二つ目のクンショウがものすごく痛くて腕が触れなかったからでもなく、未だに笑うこの少女の顔を、どうしても叩けなかったのだ。心のどこかが反対していたのだと思う。この少女を引っ叩くことを、身体の一部が全力で否定していた。理由はわからない。理由がわからないことがなおのことに腹立だしい。
 引っ込めるに引っ込めれない手を中途半端に振り上げたまま、少年は少女を睨みつけていた。
 少女は少年を、ずっと見つめていた。

 記憶の中にある最古の光景は、ジャングルジムの上に座るその少女である。
 本当はもっと昔のことも憶えているのかもしれないが、はっきりと思い出せるのはそれから先のことだけだった。

 少女が「ひまわり」に来てから、三日が経とうとしていたとき、突如として少女が行方不明になるという事件があった。
 少年が二つ目のクンショウを刻み、少年が少女を殴れなかったあの日、つまりは二日前から少女は何も変わらずにジャングルジムにいた。日の出と共に誰よりも早くに起きてジャングルジムの天辺に登っては空を仰ぎ、日が暮れればジャングルジムを降りて誰よりも先に眠る。その間に、少女は誰とも会話をしようとはしなかった。少年がジャングルジムから落ちたことに笑った以外、少女の「表情」を見た子供は誰一人としていないのである。教員でさえ少女の笑った顔は知らず、そもそも本当の名前すら知らないのである。
 心を閉ざしているのではない。もっと別次元のものを、少女は胸に秘めている。
 施設に入れられたばかりの子供なら珍しくはないのだが、それでもその少女はどこか特殊だった。透き通った瞳をしているくせに、心を自ら開いて皆と打ち解けようとする様子は微塵もない。尖がって突っかかって来ることもないし、泣き喚いて皆の注目を引き寄せることもなかった。「ひまわり」の子供たちも二日経てば大体のことは理解できたはずだし、だからこそジャングルジムはその少女に渡して他の遊具で遊んでいたのだ。向こうから歩み寄る気がないのならこちらから歩み寄ることはできない。その術を、まだ十歳にも満たない子供が持っているはずもないのである。
 少女は特殊だったのだ。だからこそ、行方不明になるという事件が発生した。
 今まで、「ひまわり」から逃げ出そうとした子供は何人かいた。中心的な人物であるあの少年も例外ではない。しかし大抵は施設の中で隠れているか、外に出たとしても半径百メートルもない所で泣いているかのどちらかである。だから、教員が朝の見回りを行った際にいつもならジャングルジムの天辺に座っているはずの少女がいないと気づいたとき、そう慌てもしなかった。他の子供の協力を要請し、施設から半径百メートル以内の範囲を中心に捜索を開始した。子供が隠れる場所は、子供の方がよく知っているという考えは間違いではなかったはずだ。
 が、夕方になっても少女の行方は一向に知れず、この辺りになってようやく教員たちも慌て始める。最悪の事態を考え、明日の朝になっても戻って来ない場合は警察に届けることを決めた。誘拐事件ともなればもはや施設の教員と子供だけで対処できる問題ではないし、何か事故に巻き込まれていたとするなら同じことである。空に月が昇ったのを切っ掛けに子供たちによる捜索は打ち切られ、それからは教員だけで少女の行方を捜し続けた。
 時計の短針が十時を過ぎても、少女は戻って来なかった。
 他の子供たちが眠りに就く中で、一人の少年が活動を開始する。もちろん、少女の座るジャングルジムに一番最初に登ったあの少年だ。形は不確かだが、少女は一応この「ひまわり」の仲間である。その仲間が行方不明になっているのだ。それを放って寝れるはずはなかった。ヤンチャ坊主でお調子者で、施設内で起きる問題行動のすべてに何らかの形で関与しているこの少年だが、責任感だけは誰よりも強かった。
 闇夜を照らす教員の懐中電灯の光を、物陰からスパイよろしくの体勢で見つめ、一瞬の隙をついてフェンスを乗り越えて施設の外に転がり出た。心当たりはなかったが、それでも捜さないことにはどうしようもなかった。何もせずに寝るよりは、目的地もわからないまま走り回る方が何倍もマシなのである。少年は走る。街灯が寂しく照らす夜の道をただ一人で、走り続ける。
 子供が興味を引きそうな場所を一つ一つ確実に捜し、それでも見つからないことに業を煮やした少年は、夜にも関わらず大声で叫び始めた。しかし名前を知らない少女のことを何と呼んでいいのかがわからなかったので、ただ叫ぶことしかできなかった。道路を車が横切るたびに物陰に隠れ、ときにはパトカーとさえすれ違った。そういうときは本当に恐かったが、それでも少年は何とかやり過ごして捜索を続ける。
 公園で見た時計はすでに、真夜中の一時を過ぎていた。
 いつもなら自分の布団の中で爆睡している頃である。六歳の少年が起きていられる時間はすでに限界を超えている。頭がフラフラするし、手足は鉄のように重い。一体いつに傷つけたのかはわからないが、右足からは結構な量の血が出ていた。だけどそれに気づかないフリをする。頭でそれを認識してしまえば最後、もう二度と立って走れなくなるような気がした。
 僅かな諦めが少年の脳裏を過ぎる。これだけ捜しても見つからないとなると、もう絶対に見つからないような気がしてくる。何もここまで頑張る必要なんてないんじゃないかと思い始めていた。あとは大人に任せてもう眠ってしまってもいいのではないか。あんな名前も知らない奴のために自分がここまでする必要はあるのだろうか。あんな透き通った瞳をする奴なんてただムカつくだけではないか。放っておけばいいのだ。そうに決まっているのだ。自分はもう十分に頑張った、だからもう帰って休もう。
 少年がそう決意したそのとき、少年の小さな視界の中に一つの階段が見えた。
 果て無く長い階段だ。それは森の天辺にある神社へと続く階段で、以前施設の子供たちと見学のために登ったところ、頂上に辿り着くことができたのはたった三人しかいなかった。その中にはもちろん少年も入っているのだが、登り切った頃には当たり前のように虫の息である。しかも昼間なら木漏れ日の射す綺麗な階段だが、真夜中ともなればそこは地獄への入り口に思える。灯りなどは一切なく、闇に慣れた目を持ってしても階段を一つ一つ正確に捉えることは難しい。
 こんな所にいるはずはない。いるはずはないと思う。
 そもそもあんな少女が登り切れるような温い階段ではないのだ。もういい、さっき帰ろうと決めたばかりではないか、さっさと帰ってしまおう。少年は踵を返して三歩だけ歩き、しかしそこで唐突に立ち止まり、自らを奮い立たせるような大声を上げた。今の自分に恐いものなんて何一つとしてないのだと思った。蜂も犬も熊もお化けも幽霊も妖怪でさえ、今の少年には敵ではなかった。そうであるはずなのだった。無敵なのだと、自分に必死に言い聞かす。
 そうして、少年は階段を駆け上がった。
 が、二十段も行かない内に足が走ることを拒絶して立ち止まり、振り返って見える「地上」を見つめる。ここから先に上れば、自分は「地獄」へ行くのだと思う。この階段は昼間は神社へと続く道だが、夜は地獄へ通じる扉が口を開けるのだ。そうに決まっている。今ならまだ引き返せる。無敵の自分にも恐いものは幾らでもある。本当は蜂も犬も熊もお化けも幽霊も妖怪も、漏らしそうなほど恐い。だけど、それでも、この先にもしかしたらいるかもしれない。もしいるのであれば、見捨てることはできない。
 背を向けて逃げ出すなど、背中に刻まれし「オトコのクンショウ」が許すはずもない。
 少年は腹を決める。走ることを拒絶する意志をボコボコに殴り倒して再び走り出す。一気に駆け上がる少年を待ち受けるものはこの世の何者でもない声だ。それは下から吹いた風が木々の葉を揺らす音だったが、少年には地獄にいる閻魔大王の叫び声に聞こえていた。でも大丈夫だ、嘘をついたことはないと思うから舌を引っこ抜かれる心配はない、だから、大丈夫だ。
 何度も立ち止まっては休み、そのたびにまた全力で走り出すという作業が続いた。すでに前も後ろも漆黒に包まれて見えはしない。ならば前に進むしか道はなかった。身体中から噴き出す汗は服を濡らし、今の少年は頭からバケツの水を被ったような有様だった。それでも走る。一歩歩くたびに階段に少年の汗が道標のように落ちてく。止まらない。止まれない。狂ったように少年は走り続ける。
 階段を上り始めてから、一体どれくらいの時間が流れたのだろう。時間の感覚はすでに失われていたが、それでも漠然と進んでいた。体力はとうの昔に限界を超えている。これ以上身体を酷使すれば死んでしまうのではないかと本気で思う。視界がぐるぐると回転し続ける中で、それでも少年は確実に一歩を踏み出し続ける。
 最後の一歩を刻んだ記憶は曖昧だった。それからどこをどう歩いたのかということもあまりよく憶えていない。ただ、導かれるように歩み出して、導かれるようにそこへ辿り着いた。神社の裏手にある、高台。昼間にそこから身を乗り出せば町のすべてが見渡せる素晴らしい場所であるのだが、もはや星さえも見えない暗闇ではどこに何があるのかさえわからない光景だった。
 そして、少年は見た。
 高台に設置されたベンチの上で膝を抱え、少女はそこにいた。
 荒い息を整えることもせずに近づいていく少年の気配に、少女が気づいた。ゆっくりと顔を上げ、少女は変わらずの瞳で少年を見つめる。やはりそこでも、少女の表情を見ることはできなかった。見つけてもらって安心したとか、恐くて恐くて堪らなかったとか、そういう表情は一切存在しない。ただ単に、少なくともそこに誰かがいるから顔を上げた程度にしか見えなかった。
 正直、どうしようもない怒りが胸の奥から湧き上がった。
 人がこれだけ苦労して捜してやったのにその態度は何だ。もうちょっと嬉しそうな顔の一つや二つ見せてもいいだろう。迷惑だとで言うつもりか。このままここで死んでしまっても、お前はそれでいいと言うのか。冗談じゃない。人がせっかく、お前のことを「仲間」だと思って捜してやったのに。それなのにお前はどうしてありがとうの一言さえも言えないのか。死にたいのならそのままここで死ねばいいんだ。もはや知ったことではなかった。どうしようもない怒りは、小さな少年が抑え切れる範囲を完全に超越していた。
 それでも一縷の望みを賭けて、少年はこう言った。
 何してんだよ。こんなところでお前は何してんだよ。
 少女は言った。
 パパとママをまってるの。
 意味がわからず、さらに少年が追求しようとすると、少女は暗い空を指差した。
 パパとママはおそらにいるの。むかえにきてくれるまで、ここでまってるの。
 その言葉を、少女が本気で言っているのだと少年が理解することはそう難しいことではなかった。この少女の瞳を見ればわかる。気が違っているわけはないし、そもそもこの歳の子供が両親の死をそう簡単に受け入れることができるはずもないのである。大方どこかの大人に「お父さんとお母さんは空の上に行ったんだよ」とでも吹き込まれたのだろう。それはその大人が少女に向けた優しさだったのだろうが、実際はそうではない。この少女はその言葉を真に受け、いつか両親が自分を迎えに来てくれると、本気で思っているのだろう。
 少年は知っている。少女の考えていることが痛いくらいにわかる。自分もかつて、そうだったのだから。もはやこの世のどこにもいない両親が、いつか必ず迎えに来てくれるのだと愚かしくも本気で信じていた。最初は誰の言葉も信じなかった。迎えに来てくれないはずなんてないのだと信じて止まなかった。だけど歳月が流れるに連れてその思いは消え、同時に理解をする。子供だけど、歳を重ねればそれくらいはわかるようになる。しかしそこに至るまでが大切なのだ。
 例えばだ。
 今この少女に、お前の両親はもうこの世のどこにもいなくてお前を迎えに来てくれることは絶対にないのだと言っても信じないだろう。その透き通った瞳で空を見つめて続け、頑としてここを動こうとはしないだろう。仮に無理矢理連れ帰っても、また同じことの繰り返しになるだろう。それは、自分で理解しなくてはならないことなのである。人から教えられたのでは意味がないのである。だけどこのままこの少女をここに残して行くわけにはいかない。理由を知ってしまったから。この少女がなぜ毎日ジャングルジムに登り、そしてここまで来たのか。
 それは、高い所にいれば両親が早く迎えに来てくれると思ったからだ。
 かつて少年もそうであった。無茶を沢山した。ジャングルジムや木や施設の屋根にだって登ったし、そして少年もまた、この少女と同じことをした経験がある。少年は無意識の内にここへと足を向けていた。最初から、意識とは別の所でここに来るようになっていた。少年が気づいていないだけで、それは確かな確証として胸の中にあったのである。少女は、絶対にここにいる、と。自分と同じことを考え、同じ所へ来ている、と。
 少年を支えてくれたのは施設の教員だった。
 ならば、今度は自分が少女の支えになろう。
 気持ちを知っているから。少女は、少年と同じだから。
 だから、今度は自分が少女の支えになろう。
 少年は、少女へと手を差し出す。
 帰ろう。
 だけど少女は首を振る。
 パパとママをまってる。
 わかってる。だけど、お前のパパとママが来るのはもうちょっと先になるって言ってた。
 うそ。パパとママはすぐくるもん。
 うそじゃない。そう言ってた。だから、それまではおれがいっしょにいてやる。
 ?
 パパとママが迎えに来るまで、おれがいっしょにいてやる。パパとママが迎えに来るまで、おれがお前の家族だ。
 ……かぞく?
 そうだ。おれがお前のお兄ちゃんになる。パパとママが迎えに来るまで、おれがお前を守ってやる。
 ……ほんとう?
 約束だ。おれは芝原邦紀。パパとママが来るまで、お前に芝原って名前を貸してやる。
 しばはら。
 ああ。お前の名前は?
 ……――。
 そうか、じゃあお前は今日から芝原――だ。
 瞬間、
 ノイズが走る、
 記憶が砕ける、
 見ていた映像が掻き乱される。
 手を伸ばしても掴むことができないもの。頭の中にしか存在しないもの。求め続ける。この先をもう少しだけ見たいと思う。だけどそれは叶わない。ノイズが走り、砕けた記憶は失われ、映像が途切れた。僅かな間は真っ暗な世界にただ置き去りにされたような気がしたが、違った。真っ暗な世界にやがて一つの光が射し込み、それは一瞬で大きさを拡大させては視界を埋め尽くす。
 芝原邦紀は目覚める。
 見慣れた木目が続く天井を見上げ、汗臭さにも慣れた布団に身を包ませ、そしてすぐそこにはアヤの寝顔があった。
 そう驚きはしなかった。漠然と、そういえば昨日は結局アヤが寝たまま離れなかったから一緒に寝たのだということを思い出す。アヤは幸せそうな顔で眠りに就いており、邦紀の服を小さな手できゅっと握り締めている。少しだけ試みてみたが、どうやら無意識の内に相当な力で握っているらしくなかなかに離れない。しばらくは邦紀もベットから出るつもりはないのでこのままにしておいても問題はないだろうと考えて、アヤの好きなようにさせようと決めた。
 掌を額に当て、邦紀は小さな息を吐く。
 久しぶりにあの夢を見た。あの夢を見るのは果たして何年振りだろう。記憶に残っているあのときがいつだったのかを、邦紀はすぐに思い出すことができない。しかしおそらくは考えてもわからないだろうから、考えることを放棄した。無駄なことはしない主義なのである。だけどどうして、今さらになってあの夢を再び見たのだろうか。いや、頭の中ではすでに理解している。なぜあの夢を見たのかを考えることは野暮であろう。
 思い出したからだ。改めてこの胸に刻んだからだ。
 守るべき者を、命を賭けて守る。その誓いを昨夜、思い出して改めて刻んだからだ。
 準備は整っている。やるべきことは一つしか存在しない。あとは行動に移すだけである。上手く行くかどうかなんて保障はない。だけどやらねばならない。失敗は許されない。負けることなど端から考えてなどいない。勝つしかないのである。勝たねばならないのである。あの野郎をぶっ潰すことだけを考え、行動するのだ。何を賭けても、この身体を犠牲にしても、《灼熱の天使》に縋るものを間違っていると、教えてやらねばならない。
 眠気は消えた。時計はすでに正午を回っていた。起きて行動を開始する頃合だろう。
 それにはまず、アヤを起こすことから始めなければならない。
 故に邦紀は、幸せそうに眠るアヤの鼻を摘んだ。

     ◎

 この二ヶ月間で、普段から見慣れていたはずの窓の向こうに見える景色が、真代祐希にとっては世界そのものになりつつあった。
 身体が思うように動かない不自由さは、それに陥って初めて痛感する。最初は足が動かなくなって歩くことができなくなり、次第に下半身が麻痺したかのように機能を完全に停止させた。それから先の経過は目に見えていた。最近ではもはや上半身の自由さえも奪われ始め、今では全神経を集中させないことには指の一つを動かすこも儘ならない。身体の自由が奪われるということが、これほど苦しく恐ろしいことだとは思ってもみなかった。
 原因不明の病。治療法は愚か、病状の進行を抑える薬すら存在しない。
 どうして自分がこんな病に罹ってしまったのかが理解できなかった。今まで大きな病気に罹ったことなどはせいぜい小学生の頃の肺炎くらいで、それも三日間入院したら完治して退院できた。親族にも大きな病に罹った者はいないし、家系に癌を患っている者もいない。それなのにどうして、自分がこのような病に罹っているのかがわからない。癌なら納得できたかもしれない。もっと医学的説明ができるものなら諦めていたかもしれない。しかしこれは違う。病状も、病名さえもがわからない病。故に納得できない、故に諦めがつかない。
 死んだ方がどれだけ楽かと考えたのは一度や二度ではなかった。
 一度は手近にあったカッターナイフで首を切ろうかとさえ思った。だけどそれはできなかった。恐かったからじゃない。カッターナイフで首を切るよりも、このまま意識だけ残したまま植物人間になる方がよっぽど恐かった。ならばなぜカッターナイフで首を切ることができなかったと言えば、その理由はたった一つしか存在しない。死んでしまえば最後、残されていく者に対して償う術がなかったからだ。ここまで迷惑を懸けた挙げ句の果てに、最期が自殺では死んでも死に切れない。
 今まで迷惑を懸けた、そしてこれからも迷惑を懸けていくであろう姉に対して、何か一つでいいから償いをしたかった。
「――祐希?」
 ドアが開いて、姉である真代美希が部屋に入って来たのはそのときだった。
 顔を覗かせた美希は、起きている祐希を見つめて少しだけ微笑んだ後、ゆっくりと歩き出す。手には林檎と果物ナイフを持っていた。誰かの見舞い品か、それとも美希が祐希の好物である林檎をわざわざ買って来てくれたのかはわからない。ただ、喉が渇いていたことは確かで、心のどこかで林檎を食べたいと思っていたような気がする。
 美希が祐希の姉であるからなのか、それとも美希がもともと人一倍気が利くからなのかはわからないが、こうして寝込んでからは特にそうである。祐希が何かをしたい、何かを食べたいと思うと、美希は決まってそれを叶えてくれた。少し前にそれが気になって、どうしてして欲しいことがわかるのかと訊ねたことがある。それに対して美希は笑い、「お姉ちゃんだから当然です」とそれなりにある胸を張った。
 真代祐希にとって、真代美希は自慢の姉だった。
 しかし今は、その自慢の姉の存在がとても嬉しいと同時に、とても辛かった。
 祐希が横たわるベットの側の椅子に腰掛け、美希は笑う。
「林檎剥いてあげる。食べるでしょ?」
「……食べる」
 美希はまた笑い、手にした林檎の皮を果物ナイフで綺麗に剥いていく。
 それはおそらく、真代美希を知っている人間から言わせれば何も変わらない、普通の光景に見えたはずである。実際、もし祐希が美希の弟という存在でなかったら、それに気づかなかっただろう。だけど弟だから気づけた。気づかない方が幸せだったのかもしれないとは思う。それは本当に微かなことだ。普通なら誰でも見落としてしまうような、そんな小さな小さな変化。弟だから気づけたという理由だけで片づけるのは少し違うかもしれない。祐希だからこそ気づけたこと、と言い表すのが適切なのだろう。
 二年前から、姉が母親代わりだった。
 ずっと姉を見てきた。姉だけを見てきた。だからこそ、気づいた。
 両親が交通事故で死んで、祐希はいろいろな方面で苦労した。しかしそれ以上に苦労したのは美希である。親戚宅をたらい回しにされれば誰でも苦労はするだろう。不備を不幸に思い快く接してくれる親戚もいれば、当然二人を邪険に扱う親戚もいた。時には小さな暴力を振るわれることもあったのだ。だけどそれを庇ってくれたのは美希だった。自分も辛いはずなのに、それでも祐希の分までその辛さをその身に背負ってくれていた。
 嬉しい反面、どうしようもない衝動がある。それは今でも変わらない。
 この家に再び戻って来てから少しは姉の負担も減ったかと思ったが、方向が違うだけで苦労は何も変わらなかった。両親の残してくれたお金だけで生活を続けてもいつか底を突くのは目に見えている。姉はバイトを始めた。祐希もバイトをして姉の手助けをしようと思ったが、中学生ができるバイトなど新聞配達くらいしかないのが現状で、それでもそれしかないのであればやろうと主張する祐希に向かい、姉は止めたのである。もしするのなら高校生になってからね、というのが姉の口癖だった。
 一応は、それに従っていた。姉は両親が強く望んでいたために高校を中退することはなかったが、それが裏目に出ているのは明白である。学校とバイトの両立、それに加えて家事のほとんどを姉一人でこなしていた。そんな姉の背を見るたび、何もできない自分を酷く不甲斐無く思った。中学を卒業したら高校には行かず、バイトを幾つも掛け持ちして今までの分を挽回しようとずっと考えていた。なのに。
 自分はもう、バイトをすることすら叶わない身体になってしまい、それどころか、姉に更なる迷惑を被せていた。
 自分が死ねば姉の負担は減るだろう。だけど、ここで死んではそれこそ迷惑だけを残した最低の弟になってしまう。だから死ねない。いつか治るのだと信じて、治ったら今までの迷惑をすべて償うつもりで働こうと思い続けて、生きている。姉の存在はとても嬉しくて、とても辛かった。何か一つでも、今できる恩返しをしたかった。が、指一本動かすのがやっとのこの身体で、何ができようか。考えて考えて、それでも何も浮かばない自分は、どうしようもない弟だと何度も絶望に沈んだ。
「また何か暗いこと考えてるでしょ」
 美希の細い指が、祐希の額を小突く。
 祐希は美希を見つめ、思う。
 気づいてしまったことは、そこにある。もともと自分の分だけではなく祐希の分まで苦労を背負ってくれていた美希だが、今はもっと違う何かを背負っている。もっとこう、言葉では言い表せない何かを、その背に宿している。その気配を美希は祐希の前では決して表そうとはしないが、それでも隙間から漏れた微かな気配は感じ取れる。祐希だからこそ感じ取れる、本当に僅かな気配である。何を背負っているのかはわからない、だけど、このままこの状態が続けばやがて、必ずや姉はダメになってしまうという漠然とした不安があった。
 それを取り除きたかった。何もできないのなら、せめて聞くくらいはしてあげたかった。
 今まで言わなかったことが、思いに左右されて無意識の内に口からあふれた。
「……お姉ちゃん」
「なに?」
「――ぼくじゃ、何もできない?」
 美希は一瞬だけ、言葉では言い表せない揺らいだ表情を見せたような気がした。
 しかしそれが勘違いだと思えるような素直な笑顔を浮かべ、美希は笑う。
「何もできなくなんかないよ。祐希が早く治ってくれれば、お姉ちゃんはそれだけでいいの。だから早く治しなさい」
 そうやって、姉はやはり何も話してはくれないのだろう。
 本当に何もできないのか。このまま背負った何かに押し潰される姉を、黙って見ていることしかできないのか。
 そんなことは、絶対に嫌だった。
 祐希がさらに言葉を紡ごうとしたとき、まるでその追求から逃れるかのように美希が椅子から腰を上げた。
「お皿忘れちゃった。ちょっと待ってて」
 半分ほど剥いた林檎を手に持ったまま、美希は祐希の言葉を聞くより早くに部屋から出て行ってしまう。
 どうして話してくれないのだろう。どうして逃げ出すような真似をするのだろう。自分に話しても何もできないかもしれない。いや、そちらの確率の方が遥かに高いであろう。だけどそれでも、聞いてみなくちゃ何も始まらないじゃないか。もしかしたら話すことだけで、姉の背負っていたものが少しでも軽くなるかもしれないのに。なのにどうして、姉はその試みさえもしてくれないのか。それだけ自分は頼りない存在だということなのだろうか。本当に無力でどうしようもない、ただのガキなのだろうか。
 何か一つでも恩返しがしたい。
 どうしても、姉に対して償いがしたい。
 指を必死に握り締める。力はまるで入らないが、それでも強く強く、全力で握り締める。泣いてはダメだと自分に言い聞かす。ここで泣いては本当の重荷でしかなくなってしまう。泣くな、絶対に泣くな。姉が泣いているところなんて一度も見たことがないじゃないか。それなのに男の自分が泣いてどうする。絶対に泣くな、泣くくらいなら最初から何かをしようなどとは思うな。強くならなくちゃダメなのだ。こんな病気に負けているようじゃダメなのだ。
 これから先、自分は何も要らないとさえ思う。姉のためだけに生きていくことができるのなら、それだけ満足だった。
 自分には、本当に姉に対して何かしてやれるだけの力さえないのだろうか。
 部屋の窓がノックされたのは、その瞬間だった。
 驚いて視線を窓に移すと、そこに誰かがいた。見たことがない男である。歳はどうだろうか、美希より少し上のような気がする。少し恐そうな印象を受けるが、だけど悪い人には見えなかった。どちらかと言えば、何だかいい加減だがそれでも頼り甲斐のあるお兄さんといった感じである。が、こんな人が親戚にいたという記憶はないし、こんな人に会ったことすらない。つまりは姉を通じてここに来た人、ということだろうか。学校の友達か、それとももっと別の所の知り合いか。
 男は鍵の掛かってない窓を開け、小さく手を上げた。
「よう。君が真代祐希くんか?」
 祐希は返事をせずにただ肯く。
「そうか。ちょっと上がっていいか?」
 もう一度肯くと、男は窓を軽々と飛び越えて部屋の中へと入って来た。靴はすでに脱いであったのだろう。床に着いた足はすでに靴下だった。しかしどうしてこの人は玄関から入らずに窓から入って来たのだろう。姉の知り合いなら普通、玄関から入って来て姉に案内されてここまで来るはずだ。少しだけ不穏な考えが脳裏を過ぎったが、まさかこんな起き上がることもできない子供を誘拐しても仕方がないだろうし、この家にはたぶん、盗るものも大してないはずである。
 ならば、この人は一体誰だ?
 男は祐希の視線に気づいて「あ、」と声を漏らし、
「悪い悪い、紹介が遅れた。おれはお前の姉ちゃんの知り合いでな、お前の見舞いに来たんだが……あれ、果物どこ置いたっけ?」
 辺りを見回しながら入って来たばかりの窓の外を見つめ、「ああ、あったあった」とつぶやきながら身を乗り出して手を伸ばし、地面に置きっぱなしになっていたであろう果物の詰め合わせを掲げてみせた。
「これが見舞い品な。お前の姉ちゃんがちょっと忙しそうだったから、ここからお邪魔してみた」
 胡散臭い、と言ってしまえばそれまでだが、最初に思った印象通り、悪い人には見えなかった。
 男は先ほどまで美希が座っていた椅子に腰掛け、
「身体の調子は?」
 祐希は苦笑し、
「ちょっと……ヤバイですね」
 男は一瞬だけ難しそうな顔をした後、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
 錠剤である。どこにでもありそうな市販の瓶に入った、オレンジ色をした錠剤。数は十数個だろうか。男は蓋を開けて中から三粒だけ掌の上に零し、祐希に向って差す出す。
「これ飲んだらたぶん、ちょっとはマシになると思う。おれの知り合いにこういう病状に詳しい連中がいてな、そいつらから結構前に貰った薬だ。ああそれと、先に断っておくが別に怪しい薬じゃねえから。何ならおれが先に食ってみせるよ」
 ほれ、と男は錠剤を一粒口の中に放り込み、噛み砕いて飲み込んだ。
 別にそれが怪しい薬であるとは思っていなかった。ただ、思うことがあるとすればそれは、何人もの医者に診せても治療法さえもがわからないこの病に対して、効く薬があるかどうかである。だけど気休めくらいにはなると思う。もしこれで少しでも楽になるのであれば儲けもの、みたいな気持ちで飲んでしまえばいいのかもしれない。案外それは単なるビタミン剤で、この人は「病は気から治せ」とかそういうことを言いたいのかもしれない。ビタミン剤でも何でも、それが万能薬だと信じれば効果があるかもしれない。この人は、そういうことを真面目にやっていそうな気がする。
 祐希は笑う。
「ありがとう、ございます」
 元気づけようとしてくれているのだと思う。
 姉が付き合う友達は皆、いい人だと相場は決まっていた。
 手渡された薬を、祐希は口に含む。そこで水がないことに気づいたが、どうやら用意してくれていたらしい。が、薬は運べても水の入ったペットボトルは運べなかった。受け取った際に床に取り落としてしまう。それで男も気づいたのだろう。祐希の病状がどこまで酷いものであるかということに。だから男はペットボトルを拾ってキャップを開け、祐希の口に近づけてくれた。
 口の中を水で満たし、錠剤と一緒に飲み込む。
 それから少しして一息ついた瞬間、なぜだか唐突に睡魔が訪れた。
 先ほどまで睡魔を意識していなかったせいか、それとも飲んだばかりの薬が効いたのかはわからない。
「……あれっ?」
 間抜けが声が漏れたが、男は優しく笑い、
「大丈夫だ。次にお前が目覚ますときには、全部元通りになってるよ」
 その前に、眠りに就く前にこの男に訊かねばならないことがあった。
 本当なら、最初に聞いておかねばならなかったことである。
 意識が霞んでいく。呂律が上手く回らない。
「――お前も、お前の姉ちゃんも、おれが必ず助けてやる」
 男はそう言った。
 意識が消える一瞬、祐希は心の中でつぶやく。
 ――貴方は、誰ですか……?
 睡魔の中にすべてが飲み込まれる。部屋にはただ、祐希の寝息だけが広がる。
 見計らっていたかのようなタイミングで、部屋のドアが開いた。
 そこから顔を出したのはもちろん美希であり、その手には綺麗に切られた林檎が乗っていた。が、美希は部屋の中にいた男を見つけた刹那に皿を取り落とし、床に落下した皿は林檎を弾いて派手に割れた。どうしてこの男がここにいるのかがわからない、とでも言いたげな表情を美希はしていた。数秒間はただ無言の時間が過ぎ去り、そして糸が切れるかのような唐突さで、美希は叫ぶ。
「か、カルディ、」
「呼んでもカルディアはいない」
 その叫びを遮り、男は言う。
「ちょっとした細工をさせてもらった。君と二人で話がしたかったからな、おれを中心に数十メートルの空間にはセイントは入って来れないようになってる。もちろんカルディアもいなけりゃあ、おれのセイントもいない。ミュータント同士、一対一で話がしたい。勘違いしないように言っておくが、おれは素手の女の子を相手に拳を振るうことはしない。それは誓う」
 美希の視線がベットに向けられた。
「祐希に、何をしたの……!?」
「眠ってもらっただけだ。こっちの世界に巻き込んでしまわないようにな」
 男は立ち上がって踵を返す。
「場所を変えよう。君に、真実を教えてやる」
 美希は怪訝な顔をする。
「真実……?」
 振り向き様に、男はこう言った。
「君は、縋るものを間違えてるんだよ。今のままじゃ何があっても君は弟を救えない」

     ◎

 今日が何日で何曜日であるのかはよく憶えていないが、河川敷にまったく人がいない所を見ると平日のような気がするのだが、もしかしたら本当は休日であり、牧野が手回しをしてこの辺り一帯を封鎖しているのかもしれない。どちらなのかはわからないが、人がいないことに越したことはなかった。戦いに巻き込んでしまうことはないだろうが、おかしな光景を見られずに済むのは素直に助かる。
 空は快晴である。太陽の光が降り注ぐ河川敷は澄んだ空気で満たされているようで、川を流れる水が驚くほど綺麗に見えた。
 河川敷にある芝生を歩いていた足を止め、邦紀はここでようやく振り返る。そこにいるのは険しい表情で沈黙を押し通している美希だ。真代家からここまで来るまでに、二人は一言も会話をしていない。いや、するような雰囲気ではなかった。美希は邦紀のことなど最初からまるで信用していないようだったし、隙あらばいつでも逃げ出そうとしている気配すらあった。それでも美希がここまで大人しくついて来たのは、おそらく邦紀の言葉に原因がある。弟を救えない、という言葉の真意を、美希は知りたいのであろう。
 邦紀は美希を見つめ、ポケットに手を突っ込んだ。
「……まずは説明からしとこうか」
 ポケットから抜かれた邦紀の手にはカイデントウが握られている。
「この懐中電灯みたい奴がセイントには干渉できない空間を作り上げる装置だ。まだ試作品らしいからどれだけ保つかわからねえけど、とりあえずおれと君の話が終わるくらいまでは大丈夫だろう。ああそれと、君の弟には何もしちゃいない。あそこで不安を与えるのも何だったから、即効性の睡眠薬で少しの間だけ眠ってもらってるだけだ」
 祐希に渡したあの錠剤は組織の連中が作ったもので、通常一度に三粒も飲めば即効で睡魔に襲われる薬だ。経緯は確か、アヤがなぜか突然に夜更かしに目覚めた時期があり、その頃のアヤは毎夜毎夜深夜まで遊ぼう遊ぼうとうるさく言うものだからまるで眠れず、それを牧野に相談したときに邦紀がもらったものだったはずだ。ちなみに祐希に飲ます前に邦紀が口に入れたあの錠剤はダミーで、実際はただのビタミン剤である。
 邦紀は美希を見つめ、こう切り出す。
「少し、君に訊きたいことがある」
 しかしそれには答えず、美希は敵意を剥き出しにして聞き返す。
「祐希を救えないっていうのは、どういうこと」
「順を追って説明する。その原因を話すにしても何にしても、まずは君から聞かなくちゃならないことがある」
 美希は変わらずの表情で一言、
「……何?」
「――君は、セイントがどういうものだが知っているのか?」
「それが祐希と何か関係して、」
「いいから答えろ。返答次第では、かなり大きな問題になってくる」
 様子を探るように邦紀を見つめた後、美希は吐き捨てるかのような口調で、
「カルディアから聞いたわ。セイントは死んだ人間の魂。そのセイントが憑依した人間がミュータントとなって、具現化させた力を駆使して他のセイントとミュータントを相手に戦う。この世界には合計で五十のセイントが来ていて、最後まで勝ち残ったセイントとミュータントにはどんなことでも叶えることができる力が手に入る。カルディアの願いが何かは知らないけど、わたしは祐希を助けることが願い。だからわたしは、カルディアと戦ってる」
 素っ気無い美希の言葉を聞きながら、邦紀は思う。
 やはり、あの野郎が一枚噛んでやがった。
 真実の中に含まれた偽りは、確かに存在した。
「その話の中には、嘘がある」
 邦紀の言葉に、美希が意外そうな顔をする。
「嘘?」
「ああ。この世界にセイントが五十なんてのは真っ赤な嘘だ。おれが知っているたけで三百五十七、世界中の組織に属するセイントを合わせれば千を超えるだろうし、未確認のセイントを加えれば下手すりゃ万はいる。セイントが人間の魂っていうのは本当だ。死した者の魂が神の使徒となりて人間に憑依し、その者に特殊な能力を授ける。故にセイント《使徒》、故にミュータント《突然変異体》。どういう原理なのかはまだ科学的には解明されていない不確かなものだけどな」
 美希の表情に、確かな困惑が宿る、
「ちょっと待って、一体どういうこと……?」
「そのままさ。カルディアが君に教えた五十のセイントの中で最後まで勝ち残った者に力が与えられるっていう話は、偽り。ただ、セイントは戦って打ち負かしたセイントの力を取り入れることが可能だが、それがどんなことも叶えることができる力になんてなるはずはない。カルディアはおそらく、力を得ようとしているんだろう。自分が最も強いセイントになるために」
 美希は何も言おうとしない。否、何も言えないのだと思う。
 それでも邦紀は畳みかけるような口調で、
「死した者の魂は通常、セイントになることで人間であった頃の記憶を失う。だが極稀に記憶を持ったままこの世界に降り立ち、人間に憑依するミュータントがいる。そうした奴らは大概、存在自体に歪みが生じて普通なら持ち得ない能力を持つ。カルディアがいい例だ。奴は人間であった頃の記憶を持っている。推測するに、思想がかなり狂った奴だったんだろうな。力ですべての者を抑えつけることにすべてを注ぎ込むような奴だ。証拠に、発現した能力の一つが『ミュータントの潜在能力を向上させる』ことができる。違うか?」
 返答がないことが、それを肯定しているのだと邦紀は取る。
「そして、カルディアの能力はそれだけじゃない。これは君も知らないだろう。……真代祐希、君の弟の病の原因は、カルディアのもう一つの能力にある可能性が極めて高い」
「なん、ですって……?」
「君はたぶん、カルディアにこう言われているんじゃないか? 弟を助けたければ戦え、五十のセイント倒せば弟は救われる。付属するならそうだな、セイントに憑依されたミュータントは何かを犠牲にする、最後まで勝ち残った者だけがそれを取り返せる、だから全力で戦え、敵に容赦するな、殺すことを前提に叩き潰せ、ってな。……思い至る所はないか。カルディアが弟の病状に対して、何かうやむやなこを言った記憶はないか。もしあるのなら、今ならそれがどういうことかわかるはずだ」
 それはおそらく、図星だったのだろう。
 美希の表情が、本当の驚愕に塗り潰される。
 しかしそれでも、最後の最後にまた、間違ったものに縋ろうとする。
「で、でも、も、もしそうだとしても、ならカルディアに言えば祐希は、」
「カルディアが素直に、弟を解放すると思っているのか。奴のことは、君の方がよく知っているはずだ。仮にそう言えば最後、カルディアはさらにこう言うだろうな。――弟を殺されたくなければ、これまで以上に戦え、と。逆に奴にとってはそっちの方が好都合だろう。もはや五十のセイントの嘘を通さなくて済むし、そして君は絶対に弟を見捨てられないからこれまで以上に戦う。はっきり言う、……君がカルディアに縋っている限り、絶対に弟を救うことはできない」
 美希が芝生の上に膝を着く。
 これまで信じて戦ってきたものが崩れることは、想像以上に恐ろしいことなのだと思う。だけどそれでも、それを乗り越えなければならない。美希はそれができるはずなのだ。祐希をただ救うために、これまで戦い抜いてきたミュータントなのだから。美希個人でも遥かに強い一人の人間であるのだから。必ずできる。自分の縋るものが間違っていたのだと気づき、認めてくれればあとは手を差し出すことができる。そこから先は支えてやれる。すべての力を賭けて、美希と祐希を本当の意味で救ってやれるのだ。
 美希は言う。
「……どうすれば、いいの……?」
 邦紀ははっきりと、
「おれを信じてくれればいい。カルディアを、消滅させる」
「……貴方に、それができる……?」
 当のカルディアが憑依するミュータントだからこそ、美希にはわかるのだろう。
 最初からかなり上位の戦闘能力を持っていたであろうカルディアが、強い思いを持つ美希と同調したことにより力はさらに増大し、加えてこれまでに四人のセイントの力を取り入れた潜在能力は相当なものだ。アヤの力の七割を開放してようやく五分。もしかすれば、カルディアがすべての力を解放すればさらに強くなるかもしれない。美希にはその力がどれだけ凄まじいものであるのかがわかるはずだ。だからこそ、先の言葉を邦紀に向けた。しかしそれでも、信じてもらうしかないのである。
 邦紀は言い切った。
「できる。おれのすべてを犠牲にしても、カルディアを消滅させる。だから、おれを信じてくれ」
 膝を着く美希の前へと同じように膝を着き、邦紀は手を差し出す。
 縋るものを間違えていたミュータント。ならば今度は、正しいものに縋れるようにこの手を差し出そう。
 美希の手がゆっくりと動く。それはそっと持ち上げられ、差し出された邦紀の手を掴
 刹那、――空間が、砕けた。
 邦紀の左に握り締められていたカイデントウが煙を吐き出したのを切っ掛けに装置は機能を完全停止、セイントが干渉できないようになっていたはずの空間が解き放たれる。それはまるでガラスが割れるかのような現象。空気で創造された見えないガラスが木っ端微塵に砕け散り、それまでそこで待機していたはずのセイントが己のミュータントの姿を確認する。
「邦紀!」
 瞬時に近寄って来たアヤの叫びに邦紀が立ち上がったとき、
 力の波動が巻き起こった。美希の背から突如として本人の意思とは関係なくに炎の翼が突き出し、美希が苦しそうな呻き声を上げると同時にそれの規模は瞬間的に爆発する。河川敷のすべてを飲み込むような範囲にまで到達した炎はうねりを巻き、殺意を纏う生き物のように動き続ける。渦巻く炎の中心部で己の身を抱きながら蹲る《灼熱の天使》の中で、通常とは違う何かが起こっている。ミュータント本人の意思を無効化し、セイントが勝手に暴走にも似た何かを開始させていた。
 炎の背から、仮面を被ったセイントが浮かび上がる。暗く淀み蠢く目をそこに、カルディアは絶叫する。
「貴様ァアッ!! 我がミュータントに、一体何を吹き込んだァアッ!?」
 しかしそれには答えず、邦紀は意識の中でアヤを見つめ、右手を目一杯に伸ばす。
 そこに具現化されるのは漆黒の大刀。大刀の柄を握り締め、邦紀は力を解放していく。
 もはややるべきことは、本当の意味で一つに決まった。この糞野郎を、ぶっ潰す。
 蹲った美希が僅かに顔を上げ、苦痛の表情で邦紀を見つめた。邦紀は無言でそれに答える。
 助けてやるさ。美希も、祐希も、絶対にこのおれが、助けてやる。
 ――ああそうさ、この野郎をぶっ潰して、必ず助けてやるッ!!
 邦紀とアヤの意志が交錯する。力は開放され続ける。

 大刀が、漆黒をさらに刻み込み鼓動を打った。





     「鉄たる所以」



 心臓が鼓動を打つ。
 アヤの開放された力に身体中の血液が沸騰しているかのようだ。いつもと違う仮定。邦紀の中にあるすべての感情が一つに繋がり、アヤの失われたはずの記憶と重なり合って光を宿す。二度目に《灼熱の天使》と戦ったときと同じ五割の境界線を保つ力のはずなのに、それはあのとき以上の力を維持している。違和感はなく、身体の不備も見当たらない。後から後から湧いてくる力の鼓動が、漆黒の大刀に注ぎ込まれて闇を刻む。
 セイントとは、思いを糧に力を具現化させる。
 真っ直ぐに磨ぎ澄まされた邦紀の意志が、アヤと交わって確かなる力を顕現させる。
 逆に言えば、個々がどれだけ強かろうともセイントとミュータントが交わらないことには最大限の力が発揮できないということである。当たり前である、セイントとミュータントはある種の一心共同体。二人が全く違うことを思えば歪みが生じるのは道理。二人が噛み合ってこそ始めて、安定した力が顕現されるのだ。今まで《灼熱の天使》の中では、方向は違えど二つの意志が全く別々の箇所で交わっていたのだろう。だがその均衡が崩れた今、《灼熱の天使》は出鱈目に力を振るう暴走状態に陥っていた。
 振り幅が尋常ではない。美希本来の意志が浮き上がったり、カルディアの欲望が浮き上がったりと、安定した力を保つことができないでいる。これを狙っていたわけではないが、結果的には傾いていることが救いだ。これならば美希に一切の危害を加えずにカルディアを消滅させることも可能であろう。そのためにはもっと、もっとだ。さらに大刀の密度を研ぎ澄まし、一撃で終わらせる攻撃力を引き出さねばならない。カルディアの脳髄を、一撃で破壊するための攻撃を行うために。
 炎の中心で身を抱き、体内で蠢く苦痛と必死に戦っている美希が、背後のカルディアへとつぶやきかける声がはっきりと聞こえた。
「……カル、ディア……」
 カルディアは仮面の奥から淀んだ目で美希を見下ろし、
「なぜ我の力を受け入れようとしない?」
 美希は言う。
「答えて、カルディア……」
「何の話だ」
「……祐希の病気は、貴方のせいなの……?」
 仮面から覗く目が、確かな闇を描いた。
 ふつふつと湧き上がる笑い声を堪え、カルディアは漆黒の大刀を握り締める邦紀へと視線を向ける。
「……そうか、貴様か。我がミュータントに要らぬ考えを吹き込み、我らの力を発揮させないことが目的であろう。しかしそうは行かぬ。貴様のような限界限られし人間風情と我らセイントを同じだと思うなよ。我らは神に認められた特別な存在なのだ。生きとし生ける人間共は我らのために存在し、使われることが定め。すべての人間は、やがて神をも超える力を得るこの我に平伏す。その邪魔は、誰にもさせはせぬ」
 仮面が笑った。
「立ち上がれ美希。弟の病の原因は、確かに我にある。……だが、それが一体どうした?」
 美希が顔を上げ、すべてを受け入れた絶望の表情を浮かべる。
「感謝されることはあってもそれを非難される憶えはない。お前が弟を守りたいと強く願ったからこそ、我がその強い思いに導かれてお前に憑依した。しかしお前は戦うことを望まなかった。故に我が『戦う理由』を与えてやったのであろう。弟を守るために戦うのであれば、お前は全力以上のものを発揮できる。忘れるなよ、美希。お前はもう、理由はどうであれ四体のセイントを抹消しているのだ。もはや我とお前は同じなのだ。言わば共犯、逃れることはもう二度と叶わぬ」
「……本当なの、カルディア。全部、貴方のせいなの……?」
 俯きつぶやく美希の声に、カルディアはさらに言葉を被せる。
「もはや嘘偽りを重ねる必要はない。今一度言う。立ち上がれ、美希。目前の敵を打ちのめせ。そして忘れるな。お前の弟の命は我が握っているのだということを。我が思えば奴の息の根を止めることなど造作もないことだ。弟を殺されたくなければ立ち上がり、我を受け入れ、目前の敵を抹消しろ。奴らを飲み込めば、我はさらなる力を得ることが可能になるのだ。……立ち上がれ美希。弟を殺されたくなければ、我と共に歩み出せッ!!」
 狂ったように笑う仮面のセイントをようやく見上げ、美希はふっと表情を緩めた。
 紡ぎ出される言葉は、カルディアの予想していたものとは遠く掛け離れていた。
「断るわ、カルディア」
 暗く淀む目がぐるりと回る、
「何だと……?」
「祐希を助けるために戦うのなら、それしかないのならわたしは迷わなかった……だけど、そうじゃなかった。こんなことをして祐希が生き続けても、あの子は絶対に喜ばない。祐希を殺すなら殺しなさい。もし殺したらわたしも死ぬわ。そこで貴方の望みは永遠に潰えることになる。……それでも、貴方は祐希を殺せる?」
不敵に微笑みかける美希と、憎悪の感情を剥き出しにするカルディア。
 意志の食い違った《灼熱の天使》を見据え、邦紀は笑った。
「よく言った、美希。……ここから先は、おれの役目だ」
 右手に握られていた大刀が、すべてを飲み込むかのような漆黒を宿す。
 まるでそこに異次元へと繋がる扉があるかのように、地面に散らばっていた砂や枯葉が渦を巻きながら大刀の周りに小さな旋風を発生させる。鼓動が大きくなっていく。密度が限界を超えて固定される。アヤがいつものようにお気楽に「やっちゃえ邦紀!」と歓喜の声を上げる。しかし邦紀もそのつもりである。セイントを受け入れないミュータント。《灼熱の天使》の力はもはや、信じられないほどに小さくなっている。この一撃でカルディアを消滅させることなど赤子の手を捻るよりも簡単であろう。
 幕引きと行こうではないか。
 自分がやってきたことを後悔し、もう一度あの世へと旅立てカルディア。
 地面が破壊された。アヤの力に作用された邦紀の身体から蒸気にも似た力の鼓動が湧き上がっている。かつてこれほどまでに力が安定し、発現したことはあっただろうか。やることが一つに決められ、突き進むことしか頭にない今は、すべてが統一されていた。地面を常軌を逸した速度で駆け抜け、大刀を振り上げて全力の力を込める。
 旋風を巻いた風が弾き飛び、振り下ろされた大刀が仮面のセイントを狙う。
 瞬間、
 炎の波動が、鼓動を再開した。
 それは何もかも吹き飛ばす衝撃波となって邦紀の身体を襲った。振り下ろされた大刀が風圧に圧し戻されて吹き飛ばされ、邦紀の身体が木の葉のように宙を舞う。地面に激突するまでの数瞬は意識を失っていたような気がする。地面に激突した瞬間にすべてははっきりと蘇り、転がっている感覚が身体を包み込む。景色がとんでもない速度で回転する中、突然に止まったと思うのも束の間、頭の中が真っ赤になった。
 邦紀から見えるすべての光景が、炎で包み込まれている。
 信じられない光景。在り得ない現象。これまでの比ではないカルディアの力が、波打つ。
 大刀を支えに立ち上がり、邦紀は辺りを見回して美希の姿を捜す。
 美希はまだ、炎の中心に蹲っていた。しかし先ほどまでの光景とは明らかに違う。邦紀の心臓がまったく別の意味で鼓動を速めていく。そんなはずはないと思う反面、まだカルディアが奥の手を残しておいたということを誰よりも先に理解していた。半端ではない。ミュータントの潜在能力を向上させる云々の話ではないのだ。邦紀が全力で振り下ろした大刀をいとも簡単に弾き返したあの衝撃波は、ちょっとやそっとでは止まらない代物であることはこの身が体感している。
 心臓の鼓動が速い。とんでもない力の波動に身体が束縛されていく。
 《灼熱の天使》が立ち上がる。
 ゆらりと邦紀を見つめる美希の瞳は、灼熱に染まっていた。意識がないことは誰の目から見ても明白であるのにも関わらず、ミュータントとしての力はこれ以上ないくらいに発揮されている。交わる、なんて言葉は超越している波動。それはもはや、美希はカルディアと完全に「融合」していると言うのが適切だろう。在り得ない現象とはこのことを言うのだと思う。どれだけ深い所で結ばれていたとしても、セイントとミュータントは心通わすのが限度であり、魂と肉体の融合など在ってはならない現象なのである。しかし今の光景を表すのだとするのなら、融合以外の何ものでもなかった。
 先ほどまで大きいと実感していた漆黒の大刀の力が、今の《灼熱の天使》の前では簡単に霞む。
 美希であって美希でないものは言う。
『この能力まで使うことになるとは予定外だ。だがその胸に刻め漆黒の大刀を顕現させしセイント、そしてそのミュータント。貴様らがどれだけ足掻こうとも決して辿り着くことの許されない境地。我だけが辿り着くことが可能であるこの力の領域の前では、すべての者が無力以外の何ものでも在りはしない』
 美希の口から紡ぎ出されたそれは、カルディアの声だった。
 最悪の事態が脳内を過ぎった。
「……カルディア、テメえまさか……!?」
 カルディアは言った。
『我がミュータントの意識は我が乗っ取った。もはやこの身体は、我のものだ。――本当の意味で交わったセイントの力、その目に焼きつけ死に逝け』
 突如として背中の炎が上空へと噴き上がった。
 それに意識を向けた一瞬が命取りとなる。脳内で響き渡るアヤの警告に視線を戻した刹那にはもう遅い、真正面から突っ込んで来た炎の塊が胸を貫くような打撃を与え、僅かな間だけ空間で停止した後に冗談のような衝撃が邦紀を背後へと連れ去った。微かな血液を吐き出して痛みを確認したときにはすでに足は地面に着いてはおらず、空中を驚くべきスピードで吹き飛んでいた。突然に胸を押す衝撃が消えたと思った次の瞬間には身体は河川敷の川の中へと突っ込んでおり、予想外の水の出現に一発ですべてがわからなくなった。
 本当なら足を伸ばせばすぐに届く所であるはずなのに、本当なら腰ほどもない水量であるはずなのに、今の邦紀にはそこが底無し沼同然に思えて仕方がなかった。手に握り続けていた大刀を何とか地面に突き刺したのを切っ掛けに体勢を立て直し、肺にまで到達した少量の水をぶちまけるかのように咽返す。しかしそんな隙を長く見逃してくれるはずはなかった。またもや警告が脳内に響き、それでもすぐには対処できなかった邦紀に代わってアヤがすべての集中を邦紀の腕に集めて防御体勢に入ったが、やはりアヤが邦紀の身体をコントロールするには限界があり、カルディアが放った二撃目はその限界など容易くぶち抜いた。
 最初に上空へと噴き上がった炎が速度を増しながら鋼以上の密度を携え、掲げられた漆黒の大刀の横っ面に直撃した。
 一点に集中された力は強度を増していたはずの大刀を直接砕き、その下にあった邦紀本体を狙う。刀身が砕けた大刀の柄だけを握り締め、ようやく意識がまともに回転し始めた邦紀が死に物狂いで地面を蹴り上げる。直後に水へと直撃した炎の塊が盛大な水飛沫を上げ、邦紀の頭から大雨の如く水が降り注ぐ。天気なのに雨が降っているようなそのおかしな感覚を捻じ伏せ、刀身の砕けた大刀を見つめ、邦紀は大きな深呼吸を繰り返す。
 正直、危なかったと思う。もしアヤが大刀で防御に入ってくれなければ直撃を食らっていた。この大刀を木っ端微塵に砕く密度の攻撃だ、その衝撃は生半可なものではあるまい。まともに食らえば最後、全身の骨が一瞬で砕けても何の不思議もないのである。しかし、しかしだ。この大刀をあれだけ簡単に砕く攻撃をそうそう繰り出せるはずはないのである。邦紀が知っているセイントの中で、これだけの攻撃力を持っているのは《幻影》と《白銀》しか思い浮かばないし、それでも全力を出してようやくこの域に至るはずだ。
 もし仮に、今のが《灼熱の天使》を牛耳ったカルディアの通常攻撃だとするのなら、とんでもない話になる。
 不可能だ、と思う反面、完全にミュータントと交わり合ったセイントの力とはこれほどまでに強いものなのだろうかと思う。カルディアに二つの能力があるのはわかっていた。だがよもや三つ目の能力が存在するなどとは到底考えてもいなかった。二つの能力を持っているのなら三つ目を持っていたとしても不思議はないが、理解と納得はまったくの別物である。しかも最後の能力が「ミュータントとの融合」などとは反則ではないか。こんな能力、過去の事例を調べても在り得ないだろうし、組織の研究課からもそれに似た実験が成功したとの試しも聞いたことがない。
 未知の世界に足を踏み入れたセイント。圧倒的な力の差が存在する。
 そして最も厄介なことが、カルディアが美希の身体と完全に融合しているという点である。これではカルディアだけを攻撃することは大凡不可能だろう。もしカルディアにダメージを与えようとするのなら、美希本人の身体を攻撃しなければならない。これではどうやったところで無傷でカルディアだけを消滅させることは無理だ。それに加えて下手に攻撃を加えれば美希を殺すことになってしまう。圧倒的な力の差が存在するのに、それに増して迂闊に攻撃できないとは本当の絶体絶命ではないか。
 美希の意識がまだカルディアの中に残っていれば可能性はあるかもしれないが、カルディアの口ぶりからすればそれは望み薄だ。ミュータントの意識を奪ってまで戦いを続けるその思想は、根本から腐り死んでいる。そしておそらく、邦紀がこのままの状態の美希を攻撃し難いのだということはカルディアも気づいているに決まっていた。故に先、美希の意識を乗っ取ったと言ったのであろう。邦紀に確認させるために、簡単には手出しさせないように、何もできない邦紀を嬲り殺すために。
 どうにもできないのだろうか。救うことはもはや、叶わないのだろうか。
 ――いや、どうにもできないと、救えないなどと諦めるのはまだ早い。
「……邦紀?」
 意志の底から滲み出した邦紀の思考を、アヤが驚いた表情で止める。
「待って、それはダメッ! 邦紀が、邦紀が死んじゃうよッ!?」
 しかし邦紀の中で、決意はすでに固まってしまっている。
「どうせこのまま戦っても殺されるだけだ。なら、全力で行くしかねえだろうが」
「でも、でも……ッ!」
 それでも肯かないアヤに対し、邦紀は砕けた大刀を掲げ、
「いいかアヤ、よく聞け。おれがここで死んだら、美希も祐希も救えない。そして何より、お前を守ることができない。あの日、あの雨の日におれはお前に誓った。おれがお前を守るのだと、何を犠牲にしても守るのだと、誓った。だからおれは強くなろうと決めたんだ。こんな所で死ぬわけにはいかない。お前を守るために、おれはお前と共に戦う。……今度こそ、おれに誓いを果たさせてくれ、アヤ」
 もうアヤには何も言えない。
 しかしそれでも、搾り出すようにこうつぶやく。
「死なないって、約束できる……?」
「……ああ」
 そうして、邦紀は言った。
「――開放しろ、アヤ」
 瞬間、
 空間が歪んだ。
 アヤの力の五割開放までは身体には何の反作用もなく戦うことができる。が、五割を超えると身体が力の容量についていくことができなくなり、異常を来す。しばらくは身体が動かなかったり、反動に耐え切れずに骨が折れたり、そのときになってみないとわからないことであるが、必ずや無傷で戦いを終えることはできないだろう。邦紀の肉体が強ければ、などと言っても始まらない。そもそも、アヤの力は人間の器に収まる程度の力ではないのだ。組織の中でも攻撃力だけを取れば群を抜いている。特出した力は、必ずや均衡を崩すものなのである。
 しかし、特出しているが故に、それは誠の強さに変貌する。
 攻撃力だけに特化された戦闘形体。漆黒から発現する独特の空間。
 闇の世界へと通じる扉が、その口を開く。
 砕かれたはずの大刀が一瞬にして形を取り戻し、漆黒をさらに深く刻み込む。五割の境界線は一発で突破し、六割を超えて七割まで到達する。辺りを支配していた炎の渦がぐにゃりと歪んだ刹那、ブラックホールが顕現された。空間そのものを飲み込んで空を覆い尽くし、炎を根こそぎ掻き消して規模を広げる。やがてそれは《灼熱の天使》にまで到達し、動きを完全に停止させるべくに活動を開始する。が、今のカルディアをそうそう簡単に封じ込めれるはずはなかった。
 支配権を奪った邦紀の空間の中でも、カルディアは炎を再び具現化させて漆黒の空へと飛翔する。
 もはや七割で五分などと言っている対比ではなかった。本当に全力を出さなければやられてしまう、そんな相手が目前に存在する。出し惜しみしている場合ではないのである。アヤが止めようと思っていることは知っている、だけど止めることは許さない。ここで開放しないで一体いつ開放するというのか。死んだ後に開放して何の意味がある。この野郎をぶっ潰すことに、全身全霊を注ぎ込むのだ。まだだ、まだ行けるはずだアヤ、反作用なんて考えずに開放しろ、――開放しろアヤァアッ!!
 刹那、
 爆発的な波動が巻き起こる。
 七割を超えた力が八割の境界線を一歩踏み出す。
 闇は重ねて刻んでも色は変わりはしないが、確実に密度は増していく。漆黒は何度も何度も刻み込まれることにより誠の《鉄》へと変貌を遂げ、この世界のすべての闇を飲み込んだかのような深き色へと変わる。不思議なことに、七割を超えたのにも関わらず身体の格箇所に異常は見当たらなかった。まさかこの肉体がアヤの力について行っているのではないか――、そんなことを思ったのも束の間、邦紀はようやくその事実に気づいた。
 異常は存在した。もっと根本的なものである。外傷ではなく、内傷と呼ぶのが相応しいのかもしれない。
 例えるのならそう、魂のエネルギーが削り取られているような、そんな感じがする。もはや身体が動かなくなるとか骨が圧し折れるとかそういう次元の話ではない。邦紀の存在そのものを糧として、アヤの力が開放されていくのだ。八割の領域に初めて足を踏み入れた。恐怖や痛みはなかったが、ただ、自分がこの世界から塵のように消えてしまうのだという奇妙な感覚だけに包まれている。しかし、身体が動かなくなるよりは遥かに有り難い。なぜなら、これで何のハンディもなく、カルディアをぶっ潰せるからだ。
 上空へと視線を向ける。炎の翼で羽ばたきを繰り返す《灼熱の天使》を見つめ、邦紀は大刀を握り締める。大丈夫だ、存在が消えるまではまだまだ時間があるはずだ。その間にカルディアをぶっ潰して力の開放を停止させれば何とかなる。絶対だ、こんな所で死ぬ気は毛頭にないのである、だから、大丈夫に決まっているのだ。心配そうな気配が明確に伝わってくるアヤを安心させるために、邦紀は笑った。
 その笑いが合図となる。
 上空に停滞していた《灼熱の天使》の翼から、一瞬にして数十本の炎の柱が撃ち出された。
 それを真っ向から見据え、邦紀は大刀を握る手にさらなる力を込めて構えを取る。神速と呼べるようなスピードで振り抜かれた大刀の風圧が炎の柱を一本残らず消滅させ、そして邦紀はいつものようにそのまま遠心力にものを言わせて一回転、スピードと威力を兼ね揃えた一撃が上空の《灼熱の天使》を狙い打つ。が、カルディアが笑うと同時に背中の翼は楯となって漆黒の大刀の軌道に割り込み、耳を裂くような激しい轟音を奏でた一秒後には楯は粉砕され、大刀が背後に圧し戻される。
 カルディアが翼を羽ばたかすのを切っ掛けに急降下を開始し、邦紀はそれを見据えながら弾かれた大刀を引き戻して真下から一気に振り上げた。その軌道を正確に読み取って紙一重でかわし、カルディアは邦紀の懐に飛び込む。瞬間に美希の手に炎の爪が具現化され、一挙に振り抜かれた五本の刃が邦紀の頬を掠めた。感じるのは熱による熱さではなく、痛みによる熱さだった。少量の血が辺りに飛び散り、その一滴が美希の頬に附着する。五本の線に血が流れ出す頬を拭うこともせず、邦紀は弧を描いた大刀を背後に突き刺し、その反動で身体を宙に浮かす。
 振り上げられた蹴りが美希の顔を捉えるかどうかの刹那にカルディアが離脱させ、羽ばたきと共に再び上空へと逃れていく。
 それを邦紀は逃さない。地面に突き刺した漆黒の大刀に力を注ぎ込み、刀身を巨大化させる。《灼熱の天使》を追うかのように上空へと距離を取る《鉄》。同じ高度に達したことを見計らった際に邦紀は左手を大刀の柄から離し、全体重を下へ向けて重力に任せる。大刀が地面から引き抜かれ、間合いなどまるで関係なしの大きさのまま縦に半回転してカルディアに迫らせた。
 今度は防ぐのではなく、先の炎の爪でカルディアは漆黒の大刀を真っ向から受け止める。
 刀身に炎が纏わりつく。それは一瞬で鍔まで浸透し、邦紀の手ごと柄を飲み込んだ。激しい痛みに苛まれて手が柄から離れ、十数メートルの上空から邦紀が地面に落下する。アヤの力が作用しているからなのか、地面に一直線に激突して着地した足には何の痛みも伝わってこない。折れても不思議ではないのに痛みがないところを見ると、どうやら力の八割解放では邦紀自身の身体能力が大幅に向上しているらしい。魂を代償に力を得ているのだ、それくらいのことが起きていてももはや何の疑問も存在しなかった。
 上空で炎に包まれ消えゆく漆黒の大刀を意識の外へと飛ばし、差し出した右手に新たな大刀を具現化させる。
 カルディアが漆黒の空を背後に笑う。炎の翼が大きく形を変え、龍のような口を抉じ開けてこちらに向かって突っ込んで来る。しかし笑うのはこちらだ。甘く見るな、この空間の支配権を持っているのはこちらだということを忘れたかカルディア。邦紀は刀を通してアヤの意識にリンクさせ、空間を覆い尽くすブラックホールを始動させた。漆黒の一部が切り離されて龍の目前に小さなブラックホールが作り出され、それに突っ込んだ龍の頭が根こそぎ圧縮されて消滅する。
 ブラックホールをこのように使ったことなどなかったが、たった一回ですでにコツを掴んだ。感覚が恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。今なら何だってできるような気がした。いや、事実何だってできるはずだった。漆黒の一部をさらに切り離して動かし、空間に広がっていた炎の翼を圧縮して切り落とす。突然の事態に反応が遅れたカルディアの隙が好機。落下する美希の身体を一瞬で見極め、人体急所を一撃で貫いて戦闘不能にすることを決める。
 地面を全力で弾いて跳び上がった邦紀に気づいたカルディアが炎の翼を復元させて巨大な一本の柱を放つ。横一線に振り抜いた大刀でそれを払い退けたのだが、引き替えに大刀がまたしても粉砕された。とんでもなく濃い密度同士の激突である、互いが壊れるのは当たり前ということか。しかしカルディアの能力がこれほどまでに凄まじいとは思っていなかった。攻撃力だけを見れば最強と言えるであろう今のアヤの力と互角だ。まったくもって恐ろしい能力を持っている。故にこのセイントは、ここで潰しておかねばならない。
 反動をものともせず、邦紀は美希の懐へ侵入する。悪い、と一瞬の謝罪を入れた後に、邦紀の拳が美希の鳩尾を捕らえた。美希自身にも相当な負担がかかるだろうが、これくらいでなければカルディアは止まらない。そして実際問題として、その攻撃はかなり有効であった。セイントでは決して味わえない痛みがカルディアを襲う。呼吸困難になるなんてことはセイントにはない現象、故に効果覿面だ。バランスを崩して地面に落下した美希の身体に馬乗りになり、邦紀は右手を掲げる。
 そこに具現化された漆黒の大刀に全神経を集中させ、美希と融合しているカルディアを如何に切り離すかと考えた一秒、
 けほっ、と《灼熱の天使》の口が確かに美希の声で咽た。その状況に一瞬だけついていけなかった刹那、うっすらと開いた美希の瞳は、通常の黒色をしていた。まさかカルディアの能力が解けたのか――、邦紀がそう思った僅かな瞬間が決定的な隙となる。開いていた瞳は突如として灼熱を宿し、美希の身体を直接包み込むような劫火が迸った。防御をする時間はなく、真っ向から放たれた衝撃にどうすることもできずに邦紀の身体が上空へと吹き飛ばされた。
 空中でふわりと浮いた一瞬、地上から数本の炎の柱が撃ち放たれる。軋みを上げる身体を動かして大刀を振るい、三本の柱を粉砕することには成功したものの、残りの六本ばかりにはまったくの無意味だった。すべてが邦紀の身体を直撃する。空中で踊るかのように弾き飛ばされる邦紀の姿に立ち上がったカルディアは高らかに笑い、二撃目の攻撃を引き絞る。空中に霧散していた火の粉を一箇所に凝縮させ、怒号と共に炸裂させる。散弾銃のように炸裂した炎の小さな飛礫が無防備もいいところの邦紀の背中に何発も突き刺さる。
 花火のように散る鮮血の中、出鱈目に弾けた炎の飛礫はカルディアの意志に導かれて軌道を変え、そのまま邦紀へ向って直進する。避けることなど不可能な速度、防ぐにはあまりにも多過ぎる数。それ以前に、その時点で邦紀には意識がなかった。僅かな思考は存在していたのかもしれないが、何かを成すことは到底できる思考状態では当然になかった。
 何十という数の炎の飛礫がすべて邦紀に直撃し、爆発した。
 身も凍るかのような速度で邦紀は地面に落下し、三度のバウンドの後に停止する。その手に握られていた大刀が無意識の内に離れて地面に転がり、本人の意志など関係なくに消滅する。同時に空間の支配権を握っていたブラックホールが掻き消え、そこには河川敷の芝生と風と太陽の光が戻って来る。芝生の上に立って笑うカルディアと、芝生の上に倒れて身動き一つしない血塗れの邦紀。
 勝敗は明らかだった。覆ることのない、圧倒的な力の差。
 邦紀の拳が入った鳩尾を押さえ、カルディアは蔑む表情でつぶやく。
『人間の身体とはなぜこうも脆い。我も元が人間であったなど信じたくもないほどに弱く小さき存在だ。素体がこの身体であったことが唯一の汚点か。さすがにあの一撃はなかなかのものだ、意識が途切れそうになったぞ。しかし、そのお蔭とでも言うべきか。偶然にしろ美希の意識が出て来てくれたことがこの結果に繋がった。やはり人間とは脆く弱く小さく、そして何よりも愚かな存在だ』
 動かない邦紀を見つめて笑うカルディア。その視界の中で、セイントが動く。
 倒れている邦紀の背を揺すり、アヤは叫ぶ。
「邦紀! やだよ邦紀、起きて! ねえっ!? 死なないって約束したでしょ!? それなのに、それなのになんで邦紀ッ!?」
 それを実に愉快そうに見つめ、カルディアが背に翼を生やす。
『無駄だ。相当な無茶を重ねての戦闘、そしてあれだけの攻撃を食らった人間には、もはや目覚めるだけの力も残ってはいない』
 アヤが視線を鋭くカルディアを睨みつけ、
「そんなことないもんっ! 邦紀は絶対に起きるもんっ!!」
『貴様とてわかっているはずだ。それに、貴様は我よりもよく理解している。貴様の力が徐々に小さくなっていっているということはつまり、そのミュータントの死期が近づいていることを意味する。もうすでに手遅れだ。人間など、所詮そんなものなのだ』
 アヤの瞳に涙が流れる。
 カルディアの言う通り、本当はアヤが一番よく理解している。身体の根本、邦紀と結びついている箇所が途切れ始めている。それは絆と呼ぶに相応しいもの。見えないけど何よりも強い鎖で繋がれたもの。その絆が、鎖が、砕け散ろうとしている。ミュータントが死したセイントは消滅する。その後にどこへ行くのかなんてのは知らない。でもどこへ行くかわからないからこそ恐い。失ってしまうことが恐い。居場所を失ってしまうことが何よりも恐いのだ。ここにずっといることが、邦紀の側で寄り添っていくことが、アヤにとってのすべてなのである。
 約束した。それなのに、どうして起きないの邦紀。そう、アヤは声にならない声で叫ぶ。
 アヤの姿が霞む。セイントが消滅する前兆。セイントが完全に消滅したとき、ミュータントの命も尽きる。
 しかしカルディアは、最後になるかもしれない別れさえも奪い去る。
『貴様には消えてもらうわけにはいかない。力を得たセイントよ、我が中に取り込まれ未来永劫、消えることなく我が糧と成れ』
 炎の翼がアヤの周りを包み込み、そっと近づいた手がアヤの腹部に迫る。
 アヤにはもう、抵抗するだけの力は残っていなかった。
 もう二度と、この居場所には戻って来れないのだと、そう思った刹那。
 カルディアが伸ばす炎に包まれし美希の手を、邦紀の手が鷲掴む。
 全員が虚を突かれた。死人同然であるミュータントが動き、信じられないほどの力で手を掴んでいる。が、誰の目から見ても明らかだった。邦紀の瞳は死人のそれであり、意識があるとは到底思えない。無意識の内に手を伸ばして掴んだのだろう。執念、と呼べば聞こえはいいかもしれないが、実際は最後の悪足掻きと大差はなかった。証拠に、カルディアは無造作に邦紀の手を振り払って踏み押さえ、吐き捨てるかのような口調で言う。
『死に損ないが。貴様にはもう、何の力も残っていないではないか』
 しかしそれでも、邦紀は手を必死に動かしてカルディアの足から逃れる。
 それをさらにアヤの方へと差し伸べ、
『目障りだというのがわからぬか、人間』
 カルディアの炎の爪が、その手の甲を完全に串刺しにした。
 真っ赤な鮮血が噴き上がり、地面に貼りつけにされた右手が無言の悲鳴を上げる。痛々しいと呼ぶにはあまりにも残酷な光景であった。意識などはないくせに、それでも串刺しにされた苦痛に右手を苦しそうにもがかせる仕草には、まるで怨霊染みたものを感じる。これが生きている人間の動きであるとは思えない。もしかしたら本当は、すでに邦紀の心臓は止まっていて何かこの世のものではない者が乗り移って動かしているのかもしれなかった。
 串刺しにした爪が鈍い音を立てて引き抜かれると同時に、邦紀の手が動く。それは、アヤの方へと、
 カルディアの怒りが限界を超える、
『死に損ないが足掻くなッ!!』
 凝縮された炎の柱が、至近距離で邦紀の頭蓋を狙った。
 アヤは差し出された邦紀の手を握り締め、すべてが瞬間的に過ぎ去るその中で、
 無意識の内に、こう言った。

「――……お兄ちゃん」

 すべてが漆黒に包まれる。
 衝撃波にも似た漆黒がこの世のすべてのものを一時だけ停止させて通過する。
 失われた過去が繋がり合う。失われた絆と鎖が修復され、より強いものが生み出される。

 世界が、漆黒の闇に閉ざされる。

 漆黒の波動が鼓動を再開する。
 繋ぎ合った絆を通してアヤの力が開放される。それは一瞬で八割開放を超え、すべての力を引き出した。アヤの力が完全開放を行う。世界の時間を一時停止させた漆黒が巻き戻され、失くしたはずの空間の支配権が舞い戻る。世界は漆黒に閉ざされ、巻き起こった旋風が凝縮された炎の柱を掻き消してカルディアを背後へと吹き飛ばし、ブラックホールが瞬時にその動きを拘束する。
 邦紀が立ち上がる。差し出した右掌に具現化した漆黒の大刀が握り締められ、意識を取り戻した眼孔がカルディアを射貫く。
 邦紀は言う。
「……おれの《妹》に、手ぇ出してんじゃねぇぞカルディア」
 大刀の刀身が漆黒の密度を限界まで引っ張り上げ、さらに臨界点を突破してブラックホールと一体化する。
 漆黒の炎が邦紀を包み込み、それはカルディアの炎のように蠢きながら漂う。
 それは本当に、《鉄》と呼ぶに相応しい光景だった。
「邦、紀……?」
 アヤのつぶやきに邦紀は視線を向け、笑う。
 何も言わず、それ以上は何の表情も表さず、邦紀はただ笑っている。
 それだけで十分過ぎた。アヤにはその笑みが何を意味のかわかっている。霞んでいたはずのアヤの姿はいつの間にか本来の輝きを取り戻し、それどころかさらに強い光を宿していた。アヤが邦紀の背後に回り込み、首から手を回して抱きつき、瞳に涙をいっぱいに溜めてこれでもかというくらいの微笑みを浮かべる。
 アヤは小さく言った。
「……やっちゃえ、邦紀」
「当たり前だ」
 漆黒の世界に灼熱の劫火が吹き上がる、
『ふざけるな……ふざけるなよ人間風情がァアッ!!』
 ブラックホールの束縛を力任せに打ち砕き、背に翼を生やしたカルディアが飛翔する。
 が、先に飛翔したのはカルディアであるのにも関わらず、それより遥か上空へと邦紀は瞬時に移動する。それに気づいたカルディアが悪態と共に翼を広げ、そこから数十本の炎の柱を撃ち出す。しかしそれを一掃するかの如くに振り抜かれた大刀の風圧がすべてを粉砕し、さらに吹き抜けた衝撃波はカルディアを煽ぎ立てる。バランスを崩したカルディアへと狙いを定め、邦紀は漆黒の大刀を握り締めて真上から振り抜く。迫った刀身の軌道を見極め、カルディアが回避しようと、
 遅い。大刀は炎の翼を両断してそのまま縦の一回転、遠心力と重力にものを言わせた一撃がバランスを木っ端微塵に失ったカルディアへと降り注ぐ。
 身体全体を覆うかのような炎の膜が瞬時に形成されてその身を守る楯と化すが、そんなものなど端から無視して邦紀の大刀が叩き込まれた。衝撃音もクソも存在しない。すべては攻撃力だけに頼った一撃が楯諸とも叩き潰して地面に突き刺さる。背中を打ちつけた美希の身体に走った衝撃を和らげたのは炎の翼だったが、それはカルディアが操作したからではなく単なる偶然に過ぎないことだ。人間が感じる激痛に二たび蝕まれるカルディアが、それでもすべての力を凝縮させて炎の龍を五匹放った。
 漆黒の空間を真上に疾った五匹の龍は口を抉じ開けて邦紀を襲うが、その内の三匹が横一線に振り抜かれた大刀によって一刀両断されて消滅し、残りの二匹が邦紀の左右を通り抜けて上空へと翔けたと思ったときには突如として方向転換を行って背後から邦紀を狙う。しかし邦紀は瞬時に対応する。左掌にブラックホールの一部を集結させて形を固め、突っ込んで来た龍の一匹にぶち込む。瞬間に龍は圧縮されて消滅し、残りの一匹がその脇を抜けて邦紀の懐に飛び込んだ。
 衝撃の塊が邦紀を捕らえる。上空で轟音と共に爆発した光景を見つめ、痛みを堪えて立ち上がったカルディアが盛大に笑う。
 が、その笑いは一瞬で掻き消えて怒号に変わる。爆風の中から邦紀は飛び出して大刀を振り上げ、真っ直ぐにカルディアを狙った。それをまたもや間一髪で回避するカルディアの進行方向へと先回りし、地面に着地するや否やでその身体を押さえ込んで叩きつける。全身から血を流す血塗れの《鉄》が、今度はほとんど外傷の見当たらない《灼熱の天使》を見下げる。
 圧倒的な力の差が、完全に逆転していた。それでも、カルディアには負けないという確かなる確信があった。
 故に、漆黒の大刀を突きつけられてもカルディアは笑ったのだ。
『……その刃で、我を斬るつもりか? 斬りたければ斬るがいい。しかし忘れたわけではあるまい? 貴様がこの身体ごと我を斬れば、ミュータントの命は同じくして失われる。貴様に、それができるのか?』
 灼熱の瞳はいつしか歪んだそれに変わっていた。
 カルディアの目だ。胸糞が悪い、最低の目。
「……このまま美希の身体と一緒にお前を斬ることは容易い。けどそれじゃあおれの負けだ」
 歪んだ目がぐるりと動く、
『フハハ、ハァーッハッハッハッハァッ!! ならばどうする!? 我とミュータントは完全に融合しているのだ!! もはや我の意志を持ってしても解除はできはしない!! 諦めろ人間ッ!! 貴様に、我は殺せぬわァアッ!!』
「――少し、黙れよ」
 邦紀の手がカルディアの口を鷲掴んで黙らせる。
 小さな深呼吸の後、つぶやく。
「……いけるな、アヤ?」
 背後のアヤは自信満々に笑う。
「いけるに決まってるもん。大丈夫だよ、《お兄ちゃん》」
「……そうか。なら、やるぞ」
「うん!」
 邦紀とアヤの意識が交わり合う。
 失われた絆が蘇ったとき、確かに感じた新たな力の鼓動。完全とは言えないが、アヤは記憶を取り戻しつつある。そこから歪みが生じたのだろう。記憶を持ってミュータントに憑依するセイントと同様のことが今、ここで起こっていた。生まれた歪みを修復するために新たな能力が生まれる。一度も使ったことがないが、それがどのような力なのかはわかっている。このためだけに生まれた力と言っても過言ではない。それはもはや、奇跡と呼ぶに相応するものだった。
 能力を、顕現する。
 美希の口に添えられていた邦紀の手が光ったと同時に、それは体内へと潜り込んで行く。
 文字通り、邦紀の手が美希の体内へと潜り込んだのだ。セイントが壁を通り抜けるかのような、そんな自然な感じで、邦紀の手が美希の身体をすり抜けて体内へと入っていく。そこで触れたものは、『核』である。すべての元凶であり、この戦いの始まりの核。それが何であるのかは邦紀とアヤにもわかっているが、最もよく理解しているのはカルディアだったはずだ。
 淀んだ目に困惑の色が射し込み、それは次第に絶望へと塗り変わる。
『……き、貴様、まさか……、まさかッ!?』
「そのまさかだ、糞野郎ッ!!」
 邦紀の手が核を掴み、一気に美希の体内から引っ張り出す。
 何かが砕ける音と共に、美希の身体と融合していたはずのカルディアが離脱する。邦紀が掴んでいるものは今、美希の口でもなければ核でもなく、カルディアの仮面だった。いけ好かないその仮面を砕くかの如くに鷲掴み、邦紀は漆黒の大刀を構える。さらに深く強く、力を刻み、漆黒を刻み、邦紀とアヤの最後の攻撃が牙を剥く。
「そんな馬鹿な……!? 我の能力を、我の能力を打ち消しただとォオッ!?」
 世界を支配していたブラックホールがすべて、漆黒の大刀に収縮される。
 そこから放たれる力の波動はもはや、この世界の何を持ってしても止めることは不可能。
「憶えとけ。おれたちの能力は、『他のセイントの能力の無効化』だ」
 ――そしてこれが、最後の言葉だ。
「終わりだカルディアァアッ!!!!」
 漆黒を弾き出し、すべての力を解放させ、

 セイント・アヤが具現化させた大刀が、
 ミュータント・《鉄》によって振り抜かれた。

 空間に上がったそれは、仮面を被りしセイントの断末魔だった。
 世界が通常の時間を取り戻す。荒い息を整え、邦紀とアヤは消え逝くセイントの光を見送る。
 それが天に還り見えなくなった瞬間、言葉を交わすこともなく、ミュータントとセイントは倒れ込む。
 が、それを支える者が二人。河川敷の芝生の上、風が吹き太陽の光が射し込むそこで、牧野は笑う。
「鼻垂れ小僧が格好つけんじゃねえよ。――オウマ、この馬鹿共の治療頼むぞ」
「畏まりました、幻造様」
 そう言ったオウマの手から、黄緑色の光があふれ出す。
 温かな光に包まれた中で、邦紀は意識が途切れる一瞬、こう言った。

 ……美味しいトコだけ持ってきやがって、このクソジジイ。

     ◎

 一週間はまともに動くことすらできなかった。
 アヤの力の完全開放は身体に反作用を及ぼすのではなく、邦紀の存在そのものを削り取っていた。これほどまでに諸刃の剣という表現が似合う攻撃も他にはあるまい。そして完全開放を行って存在が削り取られたのにも関わらず、邦紀がこの世界から消滅しなかった大きな理由は、ミュータント・《幻影》である牧野幻造のセイント・オウマにある。
 これは一部の人間にしか知られていないことであるが、オウマもまた、記憶を持ったセイントだった。邦紀はそのことを知っていたのだが、この状況になってその能力が顕現するまですっかり忘れていた事実である。その能力がどんなものなのかまでは牧野もオウマも言おうとはしないが、削り取られていた邦紀の存在がほとんど元通りになっているところを見ると、どうやら「そういう」能力であるらしいということは何となくわかった。が、オウマにできるのはそこまでで、邦紀の外傷までは治療できなかた。
 実際問題として、かなりヤバイ状況だったのである。あのときに牧野が自ら回収班に回って邦紀を確保していなければ、遅かれ早かれ出血多量で死んでいただろう。身体中にめり込んでいた炎の飛礫の威力はとんでもなかったし、手の甲を串刺しにされたことはより深刻だった。運び込まれた組織の本部にあるミュータント専用の医療課で治療を施さなければ到底助かりはしなかっただろう。医療課には治癒能力を持つセイントが所属しており、外傷はそのセイントのおかげで治療されて邦紀は何とか命を繋ぎ止めた。
 だけどそれらの治療をしても、一週間は立ち上がることすらできなかったのである。本来なら死んでもおかしくない傷が一週間で歩けるようになる、というのはなかなかに驚きであるのだが、この組織にかかればそんなもんで、公の医療技術の常識など当たり前のように通用しない。しかし一週間で立ち上がれても、リハビリにまた一週間を費やした。邦紀の身体がようやく本調子に戻ったのはカルディア消滅後から十六日後であり、それまでは何とも不自由な生活を余儀なくされていた。
 その間、アヤときたらお気楽なもので、たまに見舞いに来ていた《逃亡者》こと加持のセイントのユカナと遊び回ったり、外で日向ぼっこをしながら昼寝をしたり、院内にある敷地を横切る猫を追跡していたりしていた。結局の話、アヤには大した傷はなかったのである。邦紀からの力を糧に活動するセイントは、ミュータントが一応生きてさえいればどうとでもなるのだ。まったくもって不平等なことである。こっちが死に物狂いでリハビリをしていても、アヤはふわふわ浮いて「頑張れ頑張れほ・う・きー!」とテレビで見たチアガールの真似をしていたりするのだが、邪魔なだけの有り難迷惑でちっとも嬉しくなかった。
 そして一番納得できないことが、医療課で過ごした十六日間の医療費である。
 そらもう、法外もいいところの額を捥ぎ取られた。実際に死にかけて仕事を遂行した《灼熱の天使》のセイントの消滅の報酬は、十分の九はそれで飛んだ。確かに命を救ってもらったことには感謝しているのだが、それはそれでかなりおかしいであろう。保険くらい降りてもいいものであるのだが、よくよく考えると金のない自分が保険に入っているはずもなかった。しかし最も疑問なのが、十分の九の内、十分の四を懐に収めたのは牧野だと言うではないか。もちろん抗議しに行った。すると牧野はこう言うのだ。
「お前がぶっ壊したあの機械、絶対領域空間顕現装置だがな、あれの修理代として開発課から請求書が来た。それとオウマの能力代だな。その二つとおれがあの河川敷に行くまでに使ったタクシー代、まぁ幸郷辺の小遣いとガソリン代だ。そしてその他諸々の経費を含めた分をおれが預かっただけだ。――うるせえガキだな、黙ってろ。それ以上何か言いやがったら脳みそカチ割ってお前の一府一滴全部臓器ブローカーに売り払うぞ」
 牧野はやると言ったらやる男である。故にそれ以上、邦紀がうるさくするわけにはいかなかった。
 何とも言えない気分のままで医療課を退院し、邦紀は二週間振りの我が家に辿り着いたわけだが、家に帰ってドアを開けた瞬間に大量のゴキブリが徘徊している場面を見てしまったからさあ大変で、残りの報酬のほとんどを注ぎ込んでゴキブリ撃退作戦を執行し、「やれやれ邦紀ー! 一匹残らず根絶やしにするのだー!」と扇ぎ立てるアヤのせいで馬鹿みたいに乱射したことが原因で殺虫剤が充満する部屋は二日ほど使用不能なってしまい、結局は橋の下で先客であったホームレスのおっちゃんとよろしくやる羽目になってしまったのである。
 ようやく落ち着いた頃に家に戻り、そこで一日死んだように眠りこけた翌日、つまりはカルディア消滅から約二十日後にしてやっと、邦紀は真代家へ足を向けたのだった。久しぶりに見る真代家を見上げ、邦紀はいつかのように玄関から入るのではなく、直接祐希の部屋を目指した。が、ベットには誰の姿もなく、家のチャイムを鳴らしても誰も出て来なかった。あの戦いでは美希は僅かな怪我の治療だけで済んだようだし、祐希の身体はカルディアが消滅したことにより回復し、一週間足らずで二ヶ月前の生活に戻れたとの報告が入っているため、おそらくは今頃どこか二人で買い物にでも行っているのだと思った。
 また後日訊ねようと邦紀が真代家を後にしようとしたとき、偶然にも二人が道の向こうからこちらに歩いて来るのが見えた。気づいて邦紀が手を振ると、向こうもすぐに気づいて頭を下げ、こちらへ走り寄って来た。その二人が着ているのは普通の普段着で、祐希もパジャマみたいな服ではなくちゃんとした服を着ていた。手にはスーパーの買い物袋を持っている。やはり買い物に行っていたのだろう。
 邦紀は笑い、
「久しぶりだな、お二人さん」
 すると後ろのアヤも続いて「久しぶりー」と手を振るが、ミュータントではなくなってしまった美希にはもう、アヤの姿を見ることは叶わない。しかし邦紀に挨拶した後に美希は、まるでアヤの姿が見えているかのように邦紀の背後に向って微笑み、小さく手を振った。見えなくても、そこにいるのだということは何となくわかるらしい。
「お久しぶりです、芝原さん」
 祐希がそう言うと「その節は大変お世話になりました」と深く頭を下げた。
 邦紀はもう一度だけ笑い、
「気にすんな。それより芝原じゃなくて邦紀でいい。堅苦しいのは苦手なんだよ。それに今日はちょっと挨拶がてらに寄っただけだからな。でもまぁ、元気になってよかったな祐希」
「はい。ありがとうございました、邦紀さん」
 二人を見つめていた美希がふと気づいたかのように手に持っていた買い物袋を掲げ、
「あの、よかったらお昼ご飯、ご一緒にどうです?」
 それに合わせるかのように邦紀の腹が鳴いた。
「是非に頼む。いろいろあって金がなくてな、一食でも浮いてくれるととてつもなく助かる」
「だったらどうぞ遠慮なく。今日はわたし特製のパスタですから」
 そう言って美希が笑う。
 その自然な笑いを見つめ、邦紀は思う。人にはやはり、自然な表情で笑って欲しいものである。牧野から邦紀に回って来る仕事は皆、種類は問わずしてそれなりに危険なものが多い。牧野が信頼しているからこそ、そういう仕事が主に回されるのだ。しかしそれは同時に、邦紀が望んでいることでもある。危険に身を置いて自分を強くすることはもちろん、何かに苦しめられている者を助けることができるからだ。仕事の終了後にこのような笑顔を見れないこともあるが、それでもそんな笑顔が見れたとき、邦紀は一時だけ金も何も関係なく、この仕事を遂行できてよかったと心から思う。本当なら金もあればなおさらに嬉しいのだが、牧野のせいでそちらの幸福は望み薄である。
 美希と祐希に案内されて、家の中にあるリビングまで連れて来られた。邦紀がソファに腰掛けると祐希がその向かいに腰を下ろし、美希がリビングの隣にある台所へ向ってエプロンを付けた。それがしっくりくるほどに似合う。微笑んで料理の仕度を進める表情だとか、一つ一つが物凄く慣れた動作だとか、そういうことを全部ひっくるめて、美希はまるで母親のような感じだった。邦紀は母親がどのようなものかはあまり知らないが、おそらくは美希に抱くものと似たような感じを受けるのだろう。
 邦紀は目の前の祐希を見つめ、
「いい姉ちゃん持ってんな」
 祐希は照れ臭そうに笑った。
「はい」
 その返事一つで、祐希がどれだけ美希を慕っているのかが簡単に読み取れた。
 やっぱりこういうのはいいものだ、と邦紀は思う。そう思ったとき、ふとリビングに置いてあったテレビの方からアヤの声が聞こえた。
「邦紀、これ見て」
 視線を移したそこには、一枚の写真が飾られていた。
 今より少し幼い美希と祐希が写っており、その後ろには夫婦と思わしき男と女がいる。つまりは二人の両親なのだろう。美希たちの両親は二年前に事故で他界したと聞く。そこにある写真がたぶん、家族全員で撮った最後の写真なのだろう。暖かそうな家庭である。優しそうな両親である。写真に写っている美希と祐希は本当に楽しそうに笑っている。微笑ましい気持ちになると同時に、少しだけ羨ましくなった。
 邦紀の視線の先にある写真に気づいた祐希が言葉を紡いだ。
「……両親を失くしてからは、姉が親代わりだったんです」
 視線を祐希に戻す。
「自慢の姉でした。でも、ぼくの分まで苦労を背負ってくれる姉を見るたびに、言い様のない衝動に駆られてました。中学を卒業したら絶対に働いて姉に楽をさせてやるんだって、絶対に罪滅ぼしをするんだって思ってました。けどあの病のせいでそれは望めなくなって、何度も何度も死にたいって考えてて、これから先、自分はずっと姉に迷惑をかけ続けて最低の弟になるんだって思ってたんです。だけどそんなある日、正体不明の人が運命を変えてくれた。姉の悩みを取り除くだけじゃなくて、ぼくまで助けてくれた。嬉しかったです。感謝しています、本当に」
 祐希は邦紀をはっきりと見据えた。
「姉から全部聞きました。ミュータントのこと、セイントのこと、姉と邦紀さんのこと、全部。この目で見てないから完全に信じたわけじゃないですけど、それでも理解はしているつもりです。本当はもっともっと、姉よりも事情を知っている邦紀さんにいろいろ聞きたいことはあるけど、ぼくが聞いても意味のないことだから聞きません。姉の話だけで、ぼくには十分過ぎます。……だけど、一つだけわからないことがあるんです」
 邦紀は理解する。故に、こう言った。
「答えてやるよ。お前が知りたいこと、ちゃんと答えてやる」
 話が、核心に触れた。
「――貴方はどうして、そこまでしてくれたんですか?」
 祐希は身を乗り出し、
「仕事だから、っていうことはわかってます、だけどそれだけじゃ納得できないんです。貴方は本当に死にそうになってまでぼくと姉を助けてくれた。後から聞いた話なんですけど、すごい病院で手当してなかったら死んでたかもしれないんですよね? ……どうしてそこまで、してくれたんですか?」
 邦紀の後ろからアヤが抱きついて来る。答えはもう、邦紀とアヤの中にはある。
 邦紀はアヤの頭を撫でながら、
「お前には見えないだろうけどな、ここには今、おれのセイントがいる。こいつがまたどうしようもないわがまま娘でおれも苦労してんだよ」
 アヤが「わがままじゃないもん!」と抗議を上げて邦紀の頬を思いっきり抓る。
「何すんだコラァッ!」
「邦紀が変なこと言うからだもん!」
「馬鹿野郎、本当のことしか言ってねえだろうが!」
「わがままじゃないもんっ! いい子だもんっ!」
「いい子が金のないおれからソフトクリーム巻き上げるかっ!」
「それとこれとは話が違うもん!」
「どう違うってんだ!!」
「あの、邦紀さん……?」とこれは祐希である。
「ああ、すまんすまん、この馬鹿セイントがちょっとうるさくてな」
 膨れっ面になるアヤを無視して、邦紀は一度だけ台所の美希を見つめてから話を戻した。
「セイントが死した者の魂、ってのは知ってるんだよな?」
「はい」
 一瞬だけ考えた後、邦紀はこう切り出す。
「――昔昔、ある施設に少年と少女がいました」
 突拍子もない切り出し方だったが、祐希は困惑の表情を浮かべたまま黙って聞いてた。
「少年は小学生になったばかりで、少女はようやく幼稚園に入ったくらいです。その少年と少女は、血は繋がっていませんでしたが、まるで兄妹のように……いや、本当の兄妹以上に強く深い絆で結ばれていました。それには理由があります。少年は誓っていたのです、その少女を守ると、何があっても守るのだと、誓っていたのです。少年と少女はいつも一緒でした。何をするでも、どこへ行くでも。幸せな時間でした。時はあっと言う間に流れ、世界というものはその二人のためだけにあるようにさえ思えたのです」
 邦紀はふっと表情を緩める。
「施設にいる間は義務教育として中学生までの勉強をします。だけど十五歳以上になると施設の援助を元に高校に通うか、施設を出て働いて一人暮らしをするかになります。時は流れて、少年は十五歳、少女は十二歳になりました。少年は中学を卒業して、高校には進まずに一人暮らしをすることを決めたのです。しかし少女を一人で施設に残して行くことはしませんでした。守ると誓った。だから少年は施設の職員を説得し、『絶対に妹を幸せにしてみせる』ということを約束に少年は少女と共に施設を出たのです。最初は何もかもが大変だったのですが、慣れればすべてが楽しく、新鮮でした。少年と少女は、ボロアパートの小さな部屋で笑顔を絶やすことなく暮らしていたのです」
 だけどそんな日々も長くは続かなかったのです、と邦紀は言った。
「幸せな時間は過ぎ去り、その日はやってきました。本当に楽しかったのです。少年にとって少女は何よりも大切で、少女にとって少年は何よりも大切だったのです。少年は、こっちを向いて笑う少女の笑顔が好きでした。いつも幸せそうに笑う少女の周りだけは、空気さえもが澄んでいるように思えました。何よりも愛しく大切な存在。人生のすべてを賭けても守ると誓った。それに答えるかのように、少女もまた、少年が大好きでした。少年が小さな頃に買ってあげたガキ丸出しの黄色いレインコートを、中学に入っても大切に着ているくらい、その少女は少年が大好きだったのです。……しかしその日、連日に続く大雨だったあの日、少年は少女を失ったのです。交通事故でした。運転手の不注意で歩道に入った車は、少女の命を一瞬で奪い去り、少年から『未来を紡ぐ光』とも言えるものを砕いたのです」
 祐希は、邦紀が拳を強く握り締めていることに気づいた。
「少年は絶望の淵に沈みました。命を賭けて守ると誓ったのに、それを果たせなかった自分自身が、どうしても許せなかったのです。少年は来る日も来る日も思い続けます。どうしてあのとき、車の存在に気づけなかったのだろうかと。もし気づいていれば、妹は死なずに済んだのだと。自らを強く恨みました。酷く情けなく、酷く不甲斐無く、酷く無力であった自らを罵倒し、蔑み、一度は自分も少女の後を追って死のうかとすら思ったのです。だけど少年は死ななかった。――いや、死ねなかったのです。それは死ぬのが恐かったからじゃない。自分の命を自ら絶つことは、少女に対する裏切りであるような気がしたからなのです。少年は施設を出る日に、少女を守ると、少女を幸せにするのだと誓いました。だけど守れなかった約束は、その事故を期に停滞してしまいます」
 ――その日も、雨が降っていました。邦紀はつぶやく。
「彼女が現れたのは、少年が少女を失った日と同じような、激しい雨の日でした。少年が途方に暮れて雨の道を傘を差さずに歩いていると、彼女は少年の前に現れたのです。そうして、少女は少年に向かって微笑んだのです。あの日、黄色いレインコートの向こうからこっちに向けられた少女の笑顔と、よく似た微笑みでした。少年は、彼女は少女の生まれ変わりなのだと思ったのです。少年には抵抗も違和感もありませんでした。運命、なんて大それた言葉ではなく、偶然、なんて安っぽい言葉ではなく、――必然、と呼ぶに相応しい出来事だったのでしょう。そして、思ったのです。行き場を失くしたはずの誓いが、ようやく行き場を見つけたのだと。一度は守れなかったはずの誓い。今はもう、どんなことしても取り戻せない、失ってしまった大切なもの。だけど、それでも、少年は、今度こそ、果たそうと決めたのです。何があっても、どんなことをしても、彼女を守ろうと、少年は今一度、誓いました」
 ――だから少年は、強くなろうと、決めたのです。邦紀は言葉を紡ぎ続ける。
「少年は知っているのです。誰かを守るということの言葉の重さを、兄妹の絆がどれだけ強く深いものであるのかを、少年はちゃんと知っているのです。だから今度こそ、自分自身が強くなって、彼女を守ろうと誓いました。どんなものを犠牲にしても、必ず。少年はそして、彼女と共にいろいろな仕事をこなしてきました。その中で、絶対に許せない者に出会ったのです。姉弟の絆を利用し、戦わせていたセイント。少年は激怒しました。そんな奴を野放しにしておくことができるはずもないのです。彼女を守るために少年は強くなりました。けれど、それはそれだけのための力ではない。少年と同じような絶望を背負うのは一人で十分。少年は全力を尽くして、その者を打ち倒し、その姉弟を守ると決めたのでした」
 邦紀は笑った。口調を元に戻し、祐希を見つめる。
「――この理由じゃ、お前は納得できないか?」
 長い話を何も言わずに聞いていた祐希はしばらく何も言わなかった。
 しかしやがて、邦紀の言葉には答えず、ただこう問い返して来た。
「……姉を守ることが、ぼくにもできるでしょうか……? その言葉を背負うことが、ぼくにはできると思いますか……?」
 邦紀は、今までいろいろなものを失っては掴んで来た拳を強く握り、祐希へと差し出す。
「やれるかどうかじゃねえよ。やると決めたのならやるしかねえんだ。それを背負えるかどうかなんて人が言えるものじゃない。……だけどな、お前ならできる。罪滅ぼしのためとかじゃなくて、ただ純粋に、大好きな姉ちゃんを守るためだけに、これから生きて行け。お前の姉ちゃんも絶対に、そっちを望んでるはずだ」
 差し出した邦紀の拳に、ゆっくりと、これからいろいろなものを掴んで行くであろう祐希の拳がぶつけられる。
「約束だ。これから先、お前の姉ちゃんはお前自身のこの拳で守れ」
「約束します。ぼくも、邦紀さんが話してくれた少年のように絶対に、強くなります」
 祐希はそう言った。祐希はもう、ベットで寝たきりの弟ではないのだ。自らの拳で姉を守れる、一人の男だ。
 二人揃って笑った。本当にこれから先、こいつは物凄く強くなるかもしれない。
「何話してるの、二人とも?」
 完成したパスタの皿を器用に三つ持ち、美希がリビングに歩いて来る。
 しかし邦紀は笑い、
「男同士の熱い会話だ」
 祐希も笑い、
「男同士の熱い会話だよ」
 美希は苦笑し、
「何それ。まったく、変な話じゃないでしょうね」
「大丈夫だよ、邦紀はむっつりスケベだから」とアヤが横槍を入れるが、幸いにして美希と祐希には聞こえない。こいつ家に帰ったら憶えてろよ、と邦紀は心の中でつぶやく。するとそれを読み取ったアヤが邦紀に向かってあかんべーをして笑う。そのまま邦紀の背中から離れてテーブルのパスタに近づき、匂いを嗅いで「美味しそう」と幸せそうに微笑んだ。まったくもって、こいつはいつでもお気楽に生きているものだ、と邦紀は思う。
 美希もソファに座ったとき、ふと祐希が小さな声で、
「あの、邦紀さん。最後に一つだけ聞かせてください」
「ん?」
 祐希は言った。
「《彼女》っていうのはもしかして、《少女》の、」
 瞬間、邦紀とアヤがまったくの同時に祐希の口に人差し指を当てて笑った。
「いいじゃねえか。そんなこと気にせずに飯食うぞ飯」
 アヤもそれに便乗し、
「そうだそうだー! この美味しそうなスパゲッティ食べるぞー!」
 その言葉こそが答えだと祐希も気づいたらしい。ふっと表情を緩めて、笑う。
「姉のパスタは美味しいですよ」
 美希もまた笑い、
「料理にはちょっとした自信がありますから。期待してくれていいですよ」
「おお、そりゃあ楽しみだ」
「わたしも食べたい! 邦紀、あーん!」
「食えないだろお前。口広げると不細工になるからやめとけ」
「うるさいっ!!」
 邦紀が食おうとしていた瞬間にアヤの鉄拳が入り、パスタを巻いたフォークが邦紀の喉に突き刺さる。
 笑い声が絶えない。ここ二ヶ月、この家でこのような騒ぎは一度もされなかったはずである。なのにどうだ、今は馬鹿なミュータントとセイントのせいで大きな笑い声が上がっている。この二ヶ月が嘘だったように美希と祐希は笑っているのだ。これから先、この二人の笑顔が絶えることはないのだろう。辛いことはあるかもしれない。苦しいこともあるかもしれない。だけどしかし、大丈夫だ。この二人なら必ず乗り越えられる。美希は優しく、そして祐希は強い。どちらか一方が重荷になるということは、もう絶対に在り得ない。間違ったものに縋ることももうないだろう。
 空には太陽が輝いている。新たな門出だ。すべては上手く噛み合い、回り始めた。
 今日は快晴である。明日もまた、快晴でありますように。





     「エピローグ」



 見慣れた施設、遊び慣れた遊具、部屋の中の匂いや布団に包まった心地良さ、悪さをして教員に大目玉を食らったときの恐いような胸の高鳴るあの感じ、よく隠れんぼで使った茂みと施設の屋根よりも高く上ることができる登り棒、滑ると必ず砂場に突っ込んでしまう滑り台と漕ぎ過ぎて一回転してしまったブランコ、触れば錆のつく色褪せたジャングルジムにそこから見上げるあの広大な青空、二人で過ごしたすべての時間が詰まっている空間に二人をいつも快く受け入れてくれていたこの場所。
 見納め、というほど大層なことでもないと思うけど、もうここで寝起きを共にして皆と同じご飯を食べることはないのだと考えると少しだけ寂しくて、ずっとずっと過ごしてきたこの場所をもっと見ていたい気分になる。ここからすべては始まったのだ。ここがなければ今の自分たちはどこにも存在しないであろう。そう言い切ってもまるで過言ではない大切な場所だ。ここにいるすべての人が仲間であり、何にも代え難い家族そのものだったのだ。しかし今日のこの日、ここから、施設「ひまわり」から芝原邦紀は旅立つ。
 施設の皆がお別れ会を開いてくれたのが嬉しかった。そこで仲間であり家族である皆とはちゃんとした別れを言い渡し、だけど当日になって見送りがあると泣いてしまうかもしれないので、わざわざ太陽がようやく昇り始めた早朝に旅立つことを決めたのだ。見送りに来てくれたのは教員の大橋登美子三十九歳だけなのは、邦紀がそう望んだからである。この人はヤンチャ坊主だった邦紀をいつも見放さずにしっかりと叱ってくれたり、大切なものが何なのかを誰よりも強く教えてくれた恩人なのである。
 ――妹を絶対に幸せにするっ!! そう叫んで教員を黙らせたとき、登美子だけは真っ先に拍手をしてくれた。最後の最後まではっきりと口に出しては言わなかったが、反対していた何名かの教員を説得してくれたのが登美子であることを邦紀は知っていた。だから見送りは登美子ただ一人だけにしてくれと申し出たのである。
 しかしそれにはもう一つ理由があった。今までのすべてのことに対して、登美子に礼が言いたかったのだ。迷惑ばかりかけたこの糞ガキがようやく一人で生きていけるようになったのだ、ここまで育ててくれたことに対して、邦紀はたった一言だけ、言いたかったのである。だけど言いたいことは結局、改めて言葉にする恥ずかしさの前にはどうしても言えなくなってしまい、本当は「ありがとう」と言いたかったはずなのに、邦紀は気づいたらいつもながらの憎まれ口のような「白髪はちゃんと染めねえと馬鹿にされるぞ」という言葉を言っていた。
 とんでもなく後悔したが、それでも登美子はちゃんとわかっていたのだと思う。伊達に邦紀の母親代わりになって今まで育てて来たわけではないのである。出来の悪い子供の言いたいことなど、最初から百も承知だったのだろう。故にいつものように派手に邦紀の頭をぶん殴り、記憶の中にある若き頃の登美子より皺の増えた顔を緩やかに曲げて笑ったのだ。
「ちゃんと食べるものは賞味期限の切れていないものにしなさいよ」
 そんな登美子の冗談のような言葉に背中を押されて、邦紀は施設に背を向けた。
 このままずっと登美子の顔を見ていると、今までのことが走馬灯のように頭を駆け抜けて泣いてしまうかもしれないと思ったからだ。ここで泣いては何と言われるかわからない。大人になったのだと思わせるためには絶対に泣いてはならず、いつものヤンチャ坊主でなければならないのだ。邦紀が泣けば登美子もおそらくは泣くだろう。それではダメなのだ。せめて最後くらいは、親孝行をしなければならないのである。
 邦紀の背後では妹が登美子と別れの言葉を言い合っているのが聞こえる。妹はどうやら我慢できずに泣いてしまっているらしい。その頭を撫でて宥めている登美子の声も震えていることがはっきりとわかる。本当ならここで振り返って、妹を宥めてやらねばらないのだが、今振り返ってしまえば最後、絶対に泣いてしまうに決まっていた。だからその衝動を必死に抑え込み、邦紀はただただ、拳を握って朝霧に包まれた世界を見つめていた。
 妹が泣き止んだのを切っ掛けに、ようやく二人は歩き出す。
「いつでも遊びに来なさいね!」
 そんな叫びに妹は歩きながら振り返って登美子に大きく手を振った。
 ここまで来るともう意地だった。邦紀は絶対に背後は振り返らず、しかしどうしても母親に対して何かお礼がしたくして仕方が無くて、迷いに迷った挙げ句の果て、前を向いたまま手を上げて一度だけ振るという、実に解り難い表現をした。そこに秘められている、「ありがとう」という意志を登美子が感じ取ったかどうかは定かではないが、それでも邦紀は満足だった。最後の最後まで、出来の悪い子供は出来の悪い表現しかできなったのだ。
 振り返ってももう施設も登美子も見えなくなった頃、ようやく妹はちゃんと前を向いて邦紀の横をとことこと歩く。
 妹は唐突に邦紀の顔を覗き込み、
「お兄ちゃん、さっき泣いてたでしょう?」
「ばっ!、バカヤロウッ、泣いてるわけねえだろっ」
「うそ。だって目、赤いもん」
「さっき目にゴミが入っただけだ。それに目が赤いのはお前だろ」
 妹は赤い目を少しだけ隠すような仕草の後に、はにかんで笑う。
 先ほどは大声を上げていたからさぞかし涙も流したのであろう。しかし妹があれだけ泣いたのはいつ以来だろうか。確か施設の遠足で動物園に行ったとき、檻に近づき過ぎて猿に服を掴れて大泣きしたのが最後ではなかったか。泣き虫ではあるが、妹がそこまで大泣きするのは珍しいことなのである。それほどまでに登美子や皆と別れるのが寂しいということだろう。それは邦紀も同じだからこそわかるのだ。だけど邦紀は泣けない。これからこの妹を守って幸せにする自分は、絶対に泣いてはならないのだと思う。
 記憶の中に眠るあの日、あの高台で誓ったのである。
 妹を守ると。絶対に守ると、誓ったのだ。
 妹は三歩だけ前に歩み出して振り返り、これからの生活に胸を高鳴らせ笑った。
「これからわたしたちが住むアパートってどんな所なのかな。お兄ちゃんはもう見て来たって言ってたけど、わたしはまだ見てないから楽しみ」
「楽しみにするのは勝手だけどな、家賃安いんだから本当、ボロいぞ」
「いいもん、お兄ちゃんと一緒なら。でも幽霊とか出たらどうしようかな、友達になれるかな」
「お前なら在り得るから恐いよ。ていうかおれはゴキブリが出たら嫌だな」
「あ、ゴキブリは知らないけど昨日わたしが分担決めたの。ご飯作るのと洗濯と掃除はわたしの仕事」
「おれは?」
「お兄ちゃんはバイトとお風呂掃除とトイレ掃除とゴミ出しね」
「ちょっと待て、今何かさらっと言ったがおかしくなかったか?」
「なに?」
「なにってお前、ゴミはともかく掃除がお前の仕事なのになんで風呂と便所だけがおれなんだよ?」
「いいじゃん。お兄ちゃんはよく罰当番でお風呂とトイレ掃除してたんだから、プロでしょ」
「プロって何だプロって。風呂と便所のプロなんているわけねえだろ」
「ツベコベ言わないでこのわたしの言うことに従いなさい。登美子さんに言いつけるよ」
「……お前さ、段々性格歪んできてねえ?」
「うるさい!」
 妹は三歩前を歩き、踵を返して前を向く。
 太陽が高く昇り始めていた。日の光を浴びてくるくると回る妹は、まるで背中に羽が生えているかのように軽やかだった。気づけばこのまま妹は空に飛び立ってしまうのではないかとさえ思う。そんな不安を掻き消すかのように妹はふと立ち止まり、邦紀に向って何も言わずに微笑んだ。その笑顔が、何よりも好きだった。その笑顔を見ているとすべてのものが光に照らされているかのようだった。まるで世界はこの笑顔のためだけにあるかのような錯覚に陥る。もしかしたら本当にそうなのかもしれない。世界とはつまり、妹のために存在しているのだろう。
 この笑顔を絶やしたくはなかった。これから先、自分はずっとこの笑顔を守っていくのだ。
 妹の手が邦紀の手を握る。
「行こ、お兄ちゃん」
「おい馬鹿、引っ張るなって!」
 妹は歩み出していく。太陽の中へ進むような、朝靄が消えゆく光の道へと、歩み出していく。
 何だかすべてが眩し過ぎて、思わず邦紀は笑った。
 そうして、その名を呼んだ。
「待てって、綾!」
「ダーメ! 早くしないと間に合わなくなっちゃうよ!」
 何に間に合わなくなるのかはさっぱりわからないが、妹の綾は満面の笑みを浮かべて笑っている。
 まあいいか、と邦紀は思った。太陽は光いっぱいに輝いていて、綾が笑っている。それだけで、満足だ。
 二人の門出を祝うかのように、今日は快晴である。明日もまた、快晴でありますように。
 世界はもう、光だけに満ちている。見える未来は、楽しいものしか思い浮かばなかった。
 不可能はどこにもなく、止めるものさえも存在しない。
 前だけしか、光の道だけしか、二人の瞳には映っていなかった。
 だからこそ、

 ――おれたちは、どこまでも行けると、そう、思ったんだ。












2005/11/13(Sun)20:21:32 公開 / 神夜
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■作者からのメッセージ
そんなこんなで、これを持って【Saint of AYA】は完結となります。ふと思うに、長編を完結させたのは【NEKOMI】以来ではなかっただろうか。【幻想クロニクル】は最後の最後で止めてしまったし、【姫神】は一年前の作品だし、【フィーア】は途中だし。うぅむ、それでいいのか自分、とか何か己を罵倒しつつも、それでもこの作品を終えることができてよかったよかった。しばらくは長編を書くだけの時間なんてないだろうから、皆様の感想を下に冬休みまでは修正に力を注ごうかと考え中。いろいろ直すところが多いんだよなぁ、この作品も(オイ)
それでは今まで読んでくれた皆様、誠にありがとうございましたっ!後日に最後のレス返しをしますので、感謝の気持ちは今はこれだけに抑えておきます。また次回作でお逢いできれば光栄です。次回作はそうさな、【ぼくはここで、きみはそこで】っていう感じの作品か、または「止まれ海列車ァアーッ!!」風の作品かのどちらかになる予定。しかし前者はともかく、後者はいろいろヤバイだろうと突っ込みを入れる阿呆なのです。
さてさて、誰か一人でも楽しんでくれることを願い、神夜でした。
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