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『ニューエデン(三話まで)』 作者:江保場狂壱 / 異世界 アクション
全角53712.5文字
容量107425 bytes
原稿用紙約156.6枚
ニューエデンと呼ばれる世界。そこで一人の少年と少女が出会い、惹かれあう。金持ちと貧乏人に分かれた貧富の格差社会を舞台に、二人はお互いを支えあい、楽園とは名ばかりの生き地獄を歩む。痛快SFアクション小説!第1話と第3話まで。
ニューエデン

『第一話 スイートドリーム』

「クケケケケッ!殺すぅ、殺してやるぞぉ!」
 爬虫類のような男が奇声を上げながら大降りの刃物を両手に振りかざしていた。赤毛のモヒカンで鋭い鼻。蛇のような舌をチロチロ出していた。全身を黒い革のスーツに身を包んでいた。
それに対峙していたのは一人の少年であった。十代後半で一般的な男子の体格であった。黄色いジャケットを着て、ジーンズを履いていた。金髪で端正な顔つきだが、どこか幼い感じがした。その目はサングラスで隠されていた。
「クケケッ!血ぃ、血だぁ!真っ赤な血の華を咲かせてやるぞぉ!」
男は手にした刃物を長い舌でベロリと舐めた。男の後ろには白骨がごろごろ転がっていた。
周りは崖に囲まれており、生き物の影が見えない。命の光が一切差さない場所で、この男が女鹿のような犠牲者を狩っていたのだろう。そして次の獲物は目の前の少年に定めたのだろう。
「クケケケケッ!イェイイェイイェーーーイ!」
 爬虫類の男は刃物を振り回しながら突進してきた。少年は怯えもせず、棒立ちであった。恐怖で足がすくんだのだろうか。しかし少年の表情は恐怖の色に染まっていなかった。
「クケケケケケッ!」
 命の灯を奪う冷たい刃物が少年の身体を切り刻まれようとしていた。しかし少年はおもむろにサングラスを外した。
 グサッ!
「クケケケケッ!血だ、血だっ、血だぁぁぁ!イェイイェイイェーーーイ!」
 男は何もない空間に刃物を一心不乱に振り続けた。刃物は少年に向けられていない。男はまるでそこに無抵抗の犠牲者が立っており、命乞いなど耳に貸さず、犠牲者が流す血飛沫と肉片をばら撒いて楽しんでいるようであった。
 少年は右手を握り締めた。そして男の肝臓めがけて突きを放った。
 ゴワシャッ!
 男の身体はくの字に曲がり、吹き飛んだ。そして崖の岩に叩きつけられた。
「グボォ!ゲボォ!」
 男はどす黒い血を吐き出した。肝臓をやられたのだ。この男の寿命は後数分だろう。男は泣き叫びながら激痛のため地面にのた打ち回った。
「ヒギィィィ!死ぃ、死にたくっ、死にたくなぃぃぃぃぃ!もっと人を殺して楽しむんだぁぁぁ!」
 最低なことを口にしながら男は血を吐き出しては、殴られた部分を手で押さえ、ごろごろと芋虫のように転がりまわり、やがて全身を痙攣したあと動かなくなった。
「死にたくない、か」
 少年はサングラスをかけた。
「君に殺された人たちも同じことを言っていたと思うな」
 命の源がすべて抜け落ちた男はすでに石のように冷たくなっていた。少年は男の赤毛を切り取り糸で縛った。そしてスコップを手にして穴を掘り始めた。自分が命を奪ったこの男と、野ざらしにされた犠牲者を手厚く葬るために。

『ナインティナイン』
 それがこの町の名前であった。町の周りはクレーターのようなくぼみにすっぽりはまっていた。町の中心は城のような塀に囲まれており、そこには金持ちたちが住んでいた。そしてその塀の周りは貧乏人が暮らす掘っ立て小屋のような家が広がっており、遠くで見れば城の周りに小汚いまるい絨毯と緑色の畑の絨毯が二重にひかれているように見えた。さらに町の中心には鉄塔が建っており、それはずば抜けて大きかった。
『ニューエデン』
 それがこの星の名前であった。明確な国家はない。町ごとに独立した勢力が形成されており、よそ者は滅多に町に寄らない。そもそも町との距離は大抵半径五十キロも離れているのだ。その間に町はない。だからこそよそ者には排他的で、よそ者と交わることを極度に恐れていた。一種の国家といってもよく、それぞれ独立した文化があった。
 もっともそれは昔の話で、今はそれほどでもない。よその町同士で結婚する人もいるし、町を繋ぐ道には宿場や茶屋が建っている。ただし自分から進んで町を出るものは少ない。精々商人か、はぐれ者くらいである。そしてこの町にはぐれ者が一人やってきた。
 冒頭で殺人鬼と戦った少年であった。彼は手ぶらだった。彼は町の繁華街にやってきた。そこでは露店が立ち並んでおり、賑わっていた。もっとも買う客は全員貧乏人であり、並んでいる商品は粗末なものであった。鴉やネズミの肉の燻製や、油虫やイナゴの佃煮。規格外の形が悪くしなびた野菜や、廃棄されるはずだった牛乳で作ったチーズやバターなどが置いてあった。
 ここで金持ちと貧乏人について説明しなければならない。
 この星では金持ちが貧乏人を支配しているのである。金持ちは高度な技術を保有しており、町の、特に自分たちの生活を豊かにしていた。そして貧乏人たちを徹底的に搾取していた。
 よく反乱が起きないと思うが、金持ちはぎりぎりで彼らを摂取している。例えば酒などの趣向品は楽しめる程度にしてあるし、安物でも腹いっぱいパンは食べられる環境であった。農場で働く者は粗末ながら昼食は出るし、帰りに精製した麦や豆をポケット一杯分持ち帰っていた。見張りの兵士もそれくらいは見逃していたし、露骨に盗んだものだけ処罰していた。
 どんなに貧乏でも冬を越せる薪や炭は用意できるし、収穫祭には町長がただ酒を振舞い、子供にはお菓子をあげていた。
 完全な格差社会ではあるが、彼らはすでに諦めている。貧乏人は一生貧乏人のままで、金持ちは一生金持ちのままである。成りあがれるチャンスは精々貧乏人に美人が生まれ、金持ちの男が彼女に惚れて妾にするか、それぐらいである。大半は生きるだけで精一杯だが、一杯の酒だけで満足していた。彼らは金持ちの奴隷であるが、奴隷という意識はなかった。
 さて少年は露店街を歩いて回っていた。そして一際大きなテントがあった。食料品を扱っており、店は複数の人間が動いていた。おそらくこの露店街を仕切るボスの店だろう。
「ここの店の偉い人は誰?」
 少年は店員に尋ねた。店員は十代くらいの若い娘だが、少年の顔を見ると露骨に嫌悪感を表した。彼がよそ者だとわかったからだ。他の店員たちも少年をちらりと一瞥しただけで自分たちの作業に没頭した。
 少年は頬をぽりぽりと掻くと、ジャケットのポケットから何かを取り出した。カウンターに置いたそれは金であった。大金貨と呼ばれる代物である。この世界では通貨は銅貨、銀貨、金貨と分かれている。貧乏人の月収は金貨一枚くらいである。大金貨の価値は貧乏人の月収十年分の価値があった。それをこの少年はこともなく置いたのである。もうひとつ置いたものがある。赤毛の束であった。
「これでこの店にある品物を売ってほしい。そうだな、この町にも孤児院はあるだろう。そこに運んでもらいたいな」
 店員は真っ青になり、あわてて店の奥へ駆け出した。そしてものの数分も経たないうちに一人の老人が奥からやってきた。
 全身を灰色のローブで身を包み、杖をついていた。顔中はしわだらけで口髭と顎鬚は真っ白に伸びていた。しかしフードから覗く眼光は見るものを切り裂く鋼鉄の剣のように光っていた。ローブからは見えないが首には鉄製の首輪がはめていた。
「アンタかね。大金貨をぽんと景気よくくれたのは」
「はい。ボクです」
「わしはこの店というか、この辺りを仕切っているグランパじゃ。もっとももう引退して息子に後を譲りたいのじゃが、息子は隣町で仕入れに行っておる。アンタの名は?」
「ボクはジョン・ドゥです」
 少年がその名前を出すと、店内はおろか、近くを歩いていた通行人も一斉に少年のほうを振り向いた。
「ジョン・ドゥか…。いまどきその名前を堂々と口にするものがおるとはな。度胸があるのか、それともただの愚か者か……」
「ボクは後者ですよ」
 少年は言った。自傷気味には見えず、かといって頭が抜けているとは思えない、理知的な物をグランパは少年から感じ取っていた。
「おぬし、わしに何の用じゃ?」
「人を訪ねてきました。サーティンの町に住んでいた女の子、フローラ・スミスを」
「フローラ・スミスか。彼女ならこの店から東へ十件目のテントで花屋を開いているよ。彼女に何の用かね?」
「私的です。人に話すことではありません」
「そうか。まあ金はもらったことだし、深くは聞かないよ。それにこの毛ももらったからな。しかしおぬしは無礼だな。人と話すときにサングラスを外さないとはな」
「申し訳ありません。こいつは外せないんです。では」
 少年、ジョンはグランパに頭を下げると、店を出て行った。その後姿をグランパは見つめていた。
「ジョン・ドゥが町に来たとき、嵐は訪れる……。彼はどんな業を背負い、その名を飾っているのか」

 グランパのいう店はすぐ近くにあった。店内には色取り取りの花が飾られてあった。。季節はすでに秋である。マリーゴールドやブルーデージー、バーベナが飾られてあった。
しかし通行人のほとんどは素通りしている。誰も花など買わないのかもしれない。回りの露店では準備中なのか、早々に店じまいをしたのか、品物はほとんど置かれていなかった。店主たちは椅子に座ってタバコを吹かしたり、露店仲間と一緒にカードゲームを楽しんでいた。
テントには一人の少女が退屈そうにうつらうつらと舟をこいでいた。
 少女はそこらへんにいる町娘と同じであった。精々平均より器量よしといったところだ。髪は後ろにまとめてあり、化粧気はない。着ている服は継ぎの入った青いワンピースで、色あせていた。
ジョンは彼女に声をかけると、少女は目を覚まし、どてっと転がり落ちた。
「ごっ、ごめんなさい!お客様ですか?」
 少女はほこりのついた服を払うと、慌てて対応した。
「いえ、客ではありません」
 ジョンが断ると少女はがっかりした表情を浮かべた。それに心が痛んだのか、ジョンは次の言葉を紡いだ。
「客ではありませんが、ボクはある人に会いに来たのです。あなたはサーティン生まれのフローラ・スミスさんですか?母親の名はジェーン・スミス」
「え?フローラは私ですよ。それに生まれた町に、母親の名前も同じです。あなたは誰ですか?」
「ボクの名前はジョン・ドゥです。あなたのお母さんにお世話になったものですよ」
「そうなんですか。ああ、そういえばお母さんがあなたの名前を口にしていたような……。立ち話もなんですから、ここに入ってください」
 フローラはジョンを店内に招くと、木の椅子を差し出した。そして水筒からコップに水を注ぎ、ジョンに差し出した。
「冷えたほうじ茶ですが、どうぞ」
「あっ、これは失礼」
ジョンはほうじ茶を飲んだ。
「ジョンさんの名前ってやっぱり孤児だからでしょうか?」
「わかりますか?ボクは捨て子なんです。育ててくれた孤児院のシスターがボクにジョン・ドゥと名づけたんです」
ジョンがさらりと言ってのけた。フローラは目を丸くした。自分としてはそれほど突っ込んだ話ではなかったからだ。
「そうですか。でもお母さんに聞いたけど、ジョン・ドゥとか、ジェーン・ドゥは昔は多かったみたいですけど、今はスミスになってるそうですよ。まあ、うちのお母さんも孤児院出身でジェーン・スミスだけど。どちらも名無しって意味ですけどね。あなたみたいに若い人でジョン・ドゥは珍しいですね」
「ええ、よく言われています。ただ名前はどうでもいいですね。あなたもそうではないですか」
「そうですね。毎日糧を得るために働いてすごしてますからね。一年前にお母さんが死んだからなおさらですが」
 するとフローラの顔が曇った。余計なことを口にしたと手で押さえた。ジョンもそれ以上突っ込んだ質問はしなかった。
「今はどこに住んでいますか?」
「町外れの長屋に住んでます。そこで花畑を作っているんですよ。もっとも売れないから近所の人にあげていますね」
 フローラはため息をついた。みんな食べるために必死なのだ。花など買う余裕などありはしないだろう。
「それなのになぜ花を売っているのですか?もっと売れるものを出すべきではありませんか?」
 ジョンの質問に、フローラは花を眺めた。
「私のお母さんは花が大好きでした。お父さんは私が生まれる前に死んだそうです。だからお母さんが私を子供の頃から育ててくれたんです。毎日くたくたになって働きに出るお母さんを少しでも慰めたくて花を育てることにしたんです。金持ちばかりがいい思いをして、貧乏人は努力しても報われることがない。みんなの心は殺伐とするばかりです。だからこそ私は花でみんなを慰めたいんです」
「でも花が売れないと生活できないよね。食事とかはどうしているの?」
「実は花をただで配った近所の人にご馳走してもらっているんです。それだと気まずいので、洗濯とか料理の手伝いをしてます」
なるほどね、とジョンは納得した。

「おい、ちょっといいかね?」
店頭で声がした。客だろうとフローラは立ち上がった。客の顔を見たフローラの顔が曇る。店の前には男が二人立っていた。
一人は年齢は十代前半で、坊ちゃん刈りで分厚い黒縁の丸眼鏡をかけていた。さらに白いシャツに青いつりズボンを履いていた。いかにも典型的な金持ちのボンボンであった。見るからに頭が悪そうな顔つきで、しまりのない笑みを浮かべていた。
もう一人は少年とは対照的に二十代にようで、スマートな男性であった。全身を黒いスーツで身に包み、黒いソフト帽を被っていた。顔つきは美形だがどことなくニヒルな感じがした。髪の毛はもじゃもじゃでどことなく退廃的な雰囲気を浮かべていた。声の主はこの男だろう。
「ようフローラ君、やっと探し当てたよ。元気そうでなによりだ」
ニヒルな男はにやりと笑った。しかしフローラの表情は険しいままだ。突然の訪問者を歓迎していない様子だった。
「にょほほほほ〜、フローラ!ぼくちゃんから逃げるなんて無理なんだじょ〜。お前はぼくちゃんが一生イジメて楽しむんだじょ〜。にょほほのほ〜」
 坊ちゃん狩りの少年は見た目どおりに幼稚で不愉快そうな口を開いた。サーカスのピエロだってここまで不快なしゃべり方はしないだろう。金を取れそうもないピエロであった。
「あなたたちしつこいわよ。あなたのお父さんが死んだのはお母さんのせいじゃないわ。そもそもお母さんと関係あるかもわからないじゃない!」
 フローラは抗議の声を上げたが、少年はそれを聞いて地団太を踏み出した。
「じょ〜、じょ〜!ぼくちゃんのお父様はお前のかーちゃんに殺されたんだじょ〜。証拠はないけどぼくちゃんの勘はよく当たるんだじょ〜。お前のかーちゃんは死んじゃったから、娘のお前をイジメて憂さを晴らすんだじょ〜、じょ〜。トリガー、やるんだじょ〜!」
 少年は右手を上げると黒スーツの男、トリガーは右手を伸ばした。そして人差し指と中指を突き刺し、親指を銃の引き金を引くように曲げた。
 びゅるん!
トリガーの右手から空気の渦が生まれた。それは放出され、近くにある露店に当たった。露天のテントは吹き飛んだ。商品は用意してないから、テントだけが吹き飛んだ結果になった。
びゅるん、びゅるん!
トリガーは次々とテントを襲った。彼は右手から謎の真空波を生み出し、拳銃のように放出する力を持っているのだろう。結局フローラの左右、正面の露店が吹き飛ばされた。それを見た少年はゲラゲラ笑い出した。
「にょほほほほ〜。突然の天災にお前らはおカンムリだじょ〜。でも悪いのはぼくちゃんじゃないじょ〜。この女フローラ・スミスがぼくちゃんのお父様を殺したのが悪いんだじょ〜。これからはこの女に少しでも好意的な人間は同罪として処断してやるじょ〜。じょ〜。じょ〜、じょ〜♪」
 少年は高笑いしながら去っていった。黒スーツの男はジョンを見つめていた。
「お前さん、誰だい?フローラの知り合いかい?」
「人のことを聞く前に、自己紹介をしたらどうかな?」
 ジョンは目の前の惨事に眉ひとつ動かさず、じっとトリガーを見据えた。トリガーはプッと噴出すと笑い出した。
「あっはっは、それは失礼したな。俺の名前はトリガー。トリガー・ハッピーだ。今はさっきのバカの護衛だね」
 トリガーは自分の雇い主をバカ呼ばわりした。本人はすでに離れているが、なかなか肝の据わった男だ。
「ボクの名前はジョン・ドゥです」
 するとトリガーは軽薄な笑みが消えうせた。ジョンを鋭い目で見据える。
「……お前さん、その名前を口にしている以上、覚悟はしているんだろうな?」
 トリガーの口調が変わった。まるで親の敵に出会ったみたいであった。
「ジョン・ドゥの名前はボクにとって大切な名前です。この名前があったからこそ、今のボクがいる。あなたはどうなんですか?」
 ジョンは真剣な目でトリガーに質問した。しかしトリガーは答えなかった。
「ジョン。俺はあのガキの護衛で雇われているんだ。仕事はそこにいる女をいじめることだ。殺しはしない。いつの日か自殺してくれるまで続けるそうだ。この女と係わるとろくなことにならない、さっさと、こいつと別れることをお勧めするぜ。じゃあな」
 トリガーはニヒルな笑みを浮かべると、後ろを振り向き、去っていった。
 あとに残されたのはフローラとジョン、店をめちゃくちゃにされた露天商だけであった。彼らの冷たい、針のような視線は容赦なくフローラを突き刺していた。

「狭いですがどうぞ」
 ジョンはフローラの家に招かれた。フローラの家は木造の長屋であった。トイレと井戸は共同であり、四畳半の狭い部屋であった。家具はちゃぶ台くらいであった。フローラは玄関に置いてある甕に井戸で汲んだ水を入れた。玄関の隅には冬用の火鉢が置かれてあった。台所にある竈に火をくべるとやかんでお湯を沸かし、お茶を入れた。
 部屋は隙間があるのか、時々冷たい風が吹いてきた。窓はガラス窓がはまっているが、所々ひび割れており、ガムテープで補修してあった。埃っぽさと気の腐敗臭が混じりあっており、吐き気を覚えた。少女が一人で暮らすにはこういった腐った長屋しかないのだろう。実際長屋には独身者がほとんどで、家族で住んでいる長屋はなんぼかマシな具合であった。
「お茶をどうぞ。もう出涸らしで味は薄いですが」
 フローラはちゃぶ台の上に熱々の茶碗を差し出した。ジョンはそれを飲んだ。確かに味が薄い。ほとんどお湯といっても過言ではなかった。
「女一人で生活するにはこういう長屋が一番なんですよ」
ぐごぉ、ごごぉ!
壁の向こうから獣のうめき声が聞こえてきた。ジョンはあわてて振り向くと、フローラは笑った。
「あれは隣の人のいびきよ。ここは壁が薄いから声がモロに聞こえるのよ」
 フローラは笑っているが、どこか乾いた笑い声であった。大方毎日いびきのせいで万年寝不足なのかもしれない。どことなくうんざりした表情を浮かべていた。
 ジョンはあの後トリガーのせいでめちゃくちゃにされた店の片づけを手伝った。被害にあった店はほとんど商品を用意しなかったおかげか、片付けは早く終わった。しかし店主の表情は強張ったままであった。今日はたまたまだが、品物を並べていたら大惨事になっていただろう。本来フローラに向けられる悪意が自分たちに襲い掛かったのだ。彼らにとっては突然の事故であり、災難であった。帰り際にフローラには挨拶せず、つばを吐く始末であった。フローラは悲しげに彼らの後姿を見つめていた。
「そういえばジョンさんはお母さんに世話になったとか。私の知らないお母さんの話をしていただけませんか」
「大層な話じゃありませんよ。ボクがなぜこの世に生まれてきたのか、疑問を抱いたときに、あなたのお母さんの助言で目が覚めたくらいです。ボクにとっては世界がひっくり返ったような衝撃を受けましたが、向こうは軽い気持ちだったかもしれません。それでもボクはあの人に恩返しをしたかった。もっともジェーンさんはすでに天に召されたと知り、愕然としました。代わりといってはなんですが、一粒種のあなたを守ることがあの人に対する恩返しだと思っています」
「まあ、若いのに古風な考え方をしてますね。でもご遠慮させてもらいますわ」
「なぜですか?」
「私はお母さんに口を酸っぱくするほど言われましたの。自分のことは自分でしろと。私だけでなくほかのみんなもそうですよ。あなたみたいに他人のために何かをするのは変だと思います。みんな自分が生きるのに必死なんです。貧乏人同士が結婚するのは食べるためですし、子供を作るのは他に娯楽がないからです。でもジョンさんの気持ちはありがたく受け取ります」
 ジョンの目は悲しげであった。同時にジョンは彼女に亡き母の面影を見た。
「やっぱりあなたはあの人の娘だ。気丈なところはあの人にそっくりだよ」
「えへへ、ありがとう」
「ところで今日店に来たあの二人は何なのですか?あなたのお母さんに父親を殺されたとか言ってましたが」
 ジョンの問いにフローラの顔は曇った。
「あの人は私が前にいた町、フォーティナインの町長の息子なんです。名前はチャールズ・モンロー」
 フローラの話によれば、フローラは生まれはサーティンの町だが、父親がおらず、母親のジェーンと一緒に町から町へ流れる旅をしていたという。フォーティナインでは町長モンローの屋敷のメイドとして二人は働いていた。町長夫婦には子供が一人いるが、遠くの町に修行させているという。寝る場所は埃っぽい屋根裏で、食べ物はモンロー夫妻の残飯だが、それでも普通の貧乏人としては破格の待遇であった。今まで旅をしていて一番最高の職場であった。そして最悪の職場になったのである。
 ある日、モンロー町長が階段から転げ落ちて、そのまま天に召された。転げ落ちた原因はジェーンが階段の拭き掃除を怠ったのではと疑われたが、すでにジェーンは掃除を行っており、滑り落ちるような掃除はしていなかった。結局町長は不注意による事故死で終わった。町長代理としてモンロー氏の弟が代理を務めることになった。
 その後日、ジェーンが何者かに撃たれて殺害されたとフローラの耳に届いた。ジェーンは腹部を撃たれていた。弾丸は摘出されなかった。犯人はわからなかった。貧乏人が殺されても自警団が犯人を捜す気などないので、事件はお蔵入りになった。ジェーンの遺体はモンロー家の使用人仲間が処理してくれた。
 フローラはジェーンの給料をもらって町を出た。今の職場は最高だけどここにいると悲しみで心が押しつぶされそうになるからだ。町を出て、食堂などのウェイトレスで仕事をしていたが、ある日、モンロー氏の息子を名乗る少年と、護衛のトリガー・ハッピーがやってきたのである。チャールズは父親が死んだのはジェーンのせいだ。本人は死んでいるから代わりに娘のお前をいじめてたのしむことにすると宣言された。
 あとは今日起きたことと同じことをやられたのである。フローラに親しげなものはトリガーの不思議な力で痛めつけられ、職場も住む場所も奪われた。町にいられなくなると次の町へ移った。そこで新しい住処と職場を得るが、一月経つとまた同じことを繰り返した。彼らは町へ先回りしてもすぐには行動を起こさず、彼女が周りの人間と親しくなってから行動を起こすのである。知らない人に嫌われるより、知ってる人に嫌われたほうがダメージは大きいからだ。今回で三度目であった。
「許せないな。ボクがあいつらをやっつけてやろうか」
「それはやめて!」
 ジョンの言葉にフローラは反発した。
「金持ちを相手に暴力を振るえば、例え私が正しくても、金持ちのほうが正しいことにされるわ。貧乏人に発言力はないの。金持ちの理不尽な言葉は神の如く正しいの。黒いものでも、白といわれたら白と答えないといけないの。あなたは無関係だからいいけど、私はどうなるの?私は一人で生きていくしかないのよ」
 フローラは一気に不満をぶちまけた。そして肩で息をすると、落ち着かせた。
「今日は遅いので泊まっていってください。食事は粗末なものしか出せないし、布団は一人分しかないけど、ジョンさんが使ってください」
「いえいえ。女性に雑魚寝なんてさせられません。ボクは身体が丈夫ですから、平気です」
 こうして二人はパンに漬物を挟んで食べた。狭い部屋でフローラは布団を敷いて寝た。ジョンは横になりながら寝転んだ。フローラは小声で言った。
「ありがとう」

 次の朝、フローラは朝から花畑から花を摘んだ。ジョンもそれを手伝った。フローラは遠慮したが、ジョンが強引に手伝った形になった。
 貧乏人の露店街だが、朝になればそれなりの賑わいがあった。みんな品物を店頭に並べる作業で急がしかった。道はたちまち通行人であふれかえっていた。
 フローラは店頭に花を飾り終えた。しかし客は一人も来ない。
「花は一日で何本売れたことがあるの?」
 ジョンが尋ねるとフローラはため息をつき、指を三本出した。つまり三本しか売れてないということだ。秋の花はきれいなのだが、きれいだけでは腹は膨れない。服や靴など日常品ならともかく花は観賞用なので売れないのだろう。
「すいません。花を一本くださいな」
 店頭で声がした。でっぷり太った中年女性であった。フローラの顔は明るくなり、愛想よく挨拶しようとした。
 ぼぉん!
「ひぎゃあ!」
 女性の巨体が吹き飛んだ。まるで暴れ馬に衝突したみたいであった。女性は左の脇腹を痛そうに手で押さえていた。
「ふふん。この女を儲けさせようとした罰だ」
 黒いスーツの男が現れた。
「トリガー・ハッピー……」
「俺の名前を覚えていてくれたんだな。ジョン・ドゥ。まだその女のところにいたのかい?」
「余計なお世話だよ。それより、なんでこんなことをしたの?」
 ジョンの目は怒りの炎で燃えていた。しかしトリガーのほうは真冬の季節のように冷ややかな態度で、薄ら笑みを浮かべるだけであった。
「俺の依頼はそこの女フローラ・スミスをいじめることだ。そこのおばちゃんはフローラの店から花を買おうとした。俺の雇い主にとっては不愉快極まりないことだ。だから、痛い目にあってもらった。自業自得だな」
「そんなくだらないことで……」
 ジョンは怒りに震えていた。そこにフローラが倒れた女性に近寄り、抱き起こそうとした。
「大丈夫ですか?」
 ばちん!
フローラの手は弾かれた。女性の顔は真っ赤に染まっていた。額に血管が浮き出ていた。
「花を買おうとして、こんな目に遭うなんて信じられないね!二度とアンタの物なんか買うものか!一生目も合わしてやるものか!」
 女性は激昂し、埃を払うと怒りを露にして立ち去った。それを見たトリガーはケタケタ笑い出した。
「そうだ、よく見ろ!フローラ・スミスと係わったものはみーんな俺がいたぶってやる!フローラに少しでも親切にしてみろ、この俺が地獄よりも恐ろしい激痛を与えてやるぞ。わかったかな?」
 トリガーが叫び終わると、周りの通行人や露天商たちは一声にフローラの顔を背けた。
 そしてトリガーは花に指を突き刺すと、手から真空波が発生し、店頭の花が嵐が通過したように散っていったのだった。
「この町からさっさと出て行くんだ。俺に痛い目に遭う前に、町の連中に痛い目に遭わされるぜ。これは親切心で言っているんだ。どうせ売るものもないからさっさと荷造りするんだな。あはは……」
 ジョンは怒りで震えていた。ジョンは拳を握るとトリガーに掴みかかろうとした。
 がしっ。
 ジョンの拳はフローラの手で止められた。なぜ?ジョンは眼で訴えた。
「暴力はやめて……。ここでこいつを殴っても解決しないわ。殴ったら仕返しに何をされるかわからない。周りの人にも迷惑がかかるわ。だからジョンさん抑えて……」
 こんな目に遭ってもまだ暴力を否定すると言うのか。確かにジョンはよそ者だし、これは当事者にしかわからないことだ。
「ところで君はなんなんだ?手から真空波を生み出す力、まさか、君は殺し屋なのか?」
「ご名答だ。俺のキラースキル、“ゲット・ユア・ガン”は真空波を生み出す力だ。しかしそれは愚問じゃないか?仮にもジョン・ドゥを名乗る君が俺の力を見て殺し屋を連想しないわけがないだろう?」
「……」
「だんまりか。そういえば知っているかい?この町からナインティエイトの通り道に大きな谷があるんだ。そこではミック・ザ・リッパーという殺人鬼が一人旅の無抵抗の女性を、手製の刃物二本で一方的に嬲り殺して楽しんでいたそうだ。別名ミックバレーと呼ばれる谷は犠牲者の骸骨でいっぱいだ。商人たちもナインティナインに行く道は通らない。それでもミックバレーを通らないといけない。犠牲者は死神に魅入られ、殺されるために吸い寄せられるんだ。ところがここ数日、ミック・ザ・リッパーが殺されたという朗報が入った。谷にはミックの死骸と犠牲者の白骨が埋められてあった。ミックの髪の毛は切り取られていたんだ。ミックを殺したのは誰か?俺さ」
 そういってトリガーは親指で自分を指した。すると周りの通行人も口々にひそひそ話を始めた。
(あの殺人鬼ミック・ザ・リッパー殺したって?)
(これでナインティエイトに自由に行けるわけだ)
(つーか、あいつを退治しようとして返り討ちに遭った賞金稼ぎは指では数えられないとか。すごいな、あいつ)
 通行人たちはトリガーに対して畏怖と、殺人鬼を殺してくれた感謝の眼を向けていた。
 ここでいう殺し屋は一般的に闇の職業ではなかった。ニューエデンにおける殺し屋は金持ちの手先として有名であった。彼らは常人の常識を超えた特殊能力を持っていた。これをキラースキル、殺し屋の特技と呼ばれ、人々から恐れられていた。昔は町ごとに一人いて、裏の顔であった。露天商の縄張りや、よそ者とのトラブルを解決していたのである。今では風来坊の殺し屋も増えており、昔ほどではなかった。
「わかったかい?俺は強いんだ。強い俺に目をつけられたのが運の尽きさ。さっさとこの町を出て行くんだな。あばよ」
 そういってトリガーは立ち去った。後に残るはフローラとジョンだけであった。

 フローラは長屋に帰ってきた。そこで花畑を見に行ったが、花畑が荒らされていた。花は全て踏み潰されていた。小さい足跡もあったので、子供たちも混ざっていたのだろう。もしかしたらチャールズが長屋の人間に命令して花畑を荒らしたのかもしれない。
 現に長屋の人間はフローラから目を逸らしているし、足元は土で汚れていた。
「……。ここのみんなは、お金はないけど気さくで優しい人だったわ」
 フローラがぽつりと呟いた。
「でも結局はお金をもらって金持ちの手先になるの。貧乏するより、お金をもらったほうがマシなのね。どこもそうだった。誰もがお金で親しい人をいじめるようになるの……」
 フローラの目から涙が零れ落ちた。
「どうしてこんな眼に遭うのかな?私が何か悪いことをしたのかな?神様って私をいじめて楽しんでいるのかな?」
 フローラから嗚咽が漏れ出した。今まで耐えてきたものが吐き出しそうになっているのだ。
「大丈夫」
 ジョンはフローラの背中を優しく抱いた。とても暖かい。年齢は自分と同じくらいだけど、まるで出会ったことのない父親に抱かれる、優しくて暖かな気分になれた。
「世界中のみんなが君を嫌っても、ボクだけは君の味方です。あなたをあらゆる災厄から、あらゆる悪意から護ります。護ってみせます。だからあなたもボクを護ってください。相手に一方的に与えることが支えあうことではないのですから……」
 フローラはジョンの手を握った。そしてありがとうと呟いた。
「明日、孤児院に行きましょう」
 簡単な食事を取るとジョンが言い出した。
「そこでフローラさんには働いてもらいます」
「働くって、私は自分のことは自分でするって……」
「自分ひとりだけでは限界がありますよ。頼れるときは頼る。それでいいのでは?問題なのは人に依存することです。フローラさんは自立心が高い。ボクはあなたのお手伝いするだけです」
 そういって次の日、ジョンはフローラに孤児院に案内してもらった。孤児院といっても通常より大きめな木造でぼろぼろに腐りかけた家であった。そして金持ちの捨てた古いタイヤで作られた遊具に、イチジクの木が周りを囲むように植えられていた。そこにはボロ布を着た十歳くらいの子供たちが三十人ほど鮨詰めで、寝泊りしていた。
子供を捨てるのは大抵親が口減らしのために捨てるのである。名前をつけた後に捨てられるのはまだしも、中には名無しで捨てられるのがほとんどだった。そしてその子はジョン・スミスか、ジェーン・スミスと名づけられていた。もしくは拾った日にちなんだ名前がつけられた。
 例えばワン・ジェヌアリという名前がある。これは一月一日に拾ったという意味だ。適当に名前を付けられた子供はぐれることが多い。そして犯罪者になって賞金稼ぎに追われる日々を送る子も少なくない。
 ジョンは問屋から小麦の袋を買い込んだ。そして荷車とロバを買い、孤児院にやってきた。広場には子供たちが三十人ほど固まっていた。寒いのでお互い身体をくっつけて暖めているのだ。孤児院の院長は一応金持ちから補助金をもらっているそうだが、雀の涙でとても子供たちのお腹を満たすほどの食べ物は買えなかった。さらに服も靴も買えるわけがなく、金持ちのゴミ捨て場から拾ってくるのであった。冬の寒さはぼろぼろで薄くなった毛布一枚を複数で包まっており、寒さをしのぐ薪すらも買えなかった。薪はタンクに雨水を溜め、それを沸騰させて飲むためだ。広場にはドラム缶が二つのブロック塀の上に置かれていた。フロ代わりなのだろうが、使う機会は少ないのだろう。どの子供も垢塗れで異臭を放っていた。
 子供たちはジョンたちを見て、ひそひそ話を始めた。ジョンたちに見覚えがあるのだろうか。
 ジョンは木箱の上に立った。そして子供たちに命じた。
「今から君たちはある物を集めてもらいたい。それは空き缶だ。缶詰に使われた缶を拾って集め、ここに持ってくるんだ。多く持ってきた人にはボクが新しい服と靴をプレゼントするよ。さらに新しいふわふわの毛布もあげよう。そして参加した子には全員に焼きたてのパンを食べさせてあげるよ。お腹一杯食べたければ空き缶を多く集めるんだ。期限は太陽が東に完全に沈む前までだ。では。スタート!」
 ジョンが合図をすると子供たちは一声に走り出した。フローラは呆気に取られていた。
「さあ、フローラさん。子供たちが帰ってくる前にパンを焼いてください。それがあなたの仕事ですよ」
「あなたの仕事って、ジョンさん、パンとか、服とか、そんなお金どこから……」
「ボクが出します。こう見えてもボクはお金を持ってるんですよ。金持ちとは違いますけどね」
「それならどうして子供たちを働かせるんですか?かわいそうじゃないですか」
「働かせないとダメなんです」
 ジョンは厳しく言った。
「無料で奉仕することはできます。しかし貧乏人に贅沢を教えるのは危険です。贅沢に慣れるとそれ以下の生活に満足できなくなるからです。ボクは働かせることで糧を得ることの大切さを教えたいんです。あなたは子供たちをかわいそうといいましたが、働くことの大切さを知らないほうがかわいそうですよ」
 ジョンの言葉にフローラは反論できなかった。確かに孤児院の子供たちは親に捨てられたかわいそうな子供だ。しかしジョンは彼らに同情せず、仕事を与え、報酬を与えている。自分は少なくとも母親と一緒に働いていたし、母親から生きる術を教えてもらった。孤児院の子供たちは食べることと、住む家を与えられているが、基本的には放置教育だ。何が正しくて、何が悪いのかを教えてもらえない。とにかく貧乏を憎み、金持ちを憎み、自分以外を憎むようになるのだ。
 フローラは急いでパンを焼く準備を始めた。子供たちの中でも缶拾いに参加しない、いや、できない子供はフローラの手伝いをしていた。手をきれいに洗い、小麦を練ったりするのである。失敗しそうになるとフローラはそれを取り上げようとしたが、ジョンは止めた。一生懸命がんばっている子の努力を無駄にしないためである。形のいびつなパンが多いが、子供たちは満足そうだ。次があったらがんばるぞと気合を入れていた。
 夕方近くになると空き缶を集めた子供たちがやってきた。広場には子供の名前が入った袋が積まれた。子供たちは一日中歩きとおしでヘトヘトになっていた。そしてジョンは子供たちにパンを腹いっぱい食べさせたのである。
 一番缶を集めたのはワン・ジェヌアリという十一歳の少年であった。赤ん坊の頃に捨てられて、一月一日に拾われたという。ジョンはさっそく露店で新品の服と靴を与えた。ワンはもらった服と靴を自慢げに見せびらかしていた。
「見ての通りワン君が新しい服と靴をもらいました。これは彼が一番空き缶を集めたからです。一番だからこそもらえるんです。それ以外はパンしか与えません。パンは食べればやがて身体から出ます。しかし服と靴は大切にしていれば長持ちします。自分のものがほしければ明日またがんばってください」
 こうしてジョンの挨拶が終わった。子供たちはワンを妬ましげに見つめていたが、明日こそは必ずと闘志を燃やしていた。
 さて集めた空き缶は町のブリキ屋に売った。そして金を孤児院に寄付したのである。
 次の日は紙を集めさせた。集めた紙は屑屋に売り飛ばした。この日もワンが一番で新品の毛布をもらい、ぬくぬくと暖かい夜をすごした。
 その次の日は木片を集めさせた。集めた木片を炭焼き小屋で木炭に換えた。これで冬を越せる木炭が手に入った。この日はトゥエルブ・ディセンバーという十二歳の少年が服と靴を手に入れた。木炭を燃やして久しぶりの風呂を堪能することができた。
 次の日は荒らされたフローラの花畑を耕させた。めちゃくちゃになった花を抜き、改めて耕した後、種を植えた。この日は花が大好きで、花に詳しいシックス・ジェーンという少女が新しい服を手に入れたのである。
 次の日は川のごみ掃除。その次の日は何がしといろいろな仕事を与えた。子供たちの競争心を刺激させ、町中のゴミを一声に片付けてしまったのである。そして集めたゴミはすべて屑屋に売り、孤児院の運営費に回したのである。
 フローラも毎日パンを作る仕事で勤しんでいた。花を育てるのはしばし休んでいた。ある日露店で買い物をしていると、トリガーに撃たれた中年女性を見かけた。
「あの、先日は大丈夫でしたか?」
フローラは声をかけた。すると女性は首を傾げた。
「先日って何のことだい?あたしゃあんたなんか知らないよ」
 女性はきっぱりといった。トリガーに痛い目に遭わされたのだ。係わり合いになるのを恐れているのだろう。フローラは謝った。
「ごめんなさい。私のせいでおばさんはひどい目にあったんですよね」
 すると女性ははっとした表情になった。
「えっと、あたしゃあんたにひどい目に遭わされたんだ。もう二度とあたしに話しかけないでもらいたいね。あいつに撃たれた右の脇腹が痛むんだ、ものすごく痛むんだ。ああ、痛い痛い」
 女性はわめき散らすとその場を立ち去った。フローラは悲しげな目で彼女の後姿を見送っていたが、ふとある違和感を覚えた。もっともそれが何かはわからなかった。

 瞬く間に一週間が過ぎた。町のゴミを集め、わずかながらもお金が入った。子供たちはたくさん働き、パンをたくさん食べることができた。新しい服に新しい靴、新しい毛布。そして孤児院自体を修復させ、掃除したのでかび臭く埃っぽい臭いを追い出すことができた。服と毛布をもらった子供で、一番になった子には小麦の袋を与えた。しばらくは食べ物に困ることはない。
「いやあ、ありがとうございます。おかげで子供たちに笑顔が溢れました」
 礼を言ったのは孤児院を経営する神父であった。彼は五十代のがりがりに痩せており、来ている服も継ぎの入った色あせたものであった。
「いえいえ、ボクの趣味です。ボクも子供の頃はお腹が空いて仕方なかったんです。子供たちに食べ物を与えるのは簡単ですが、働くことと、勝利して物を得ることの大切さを教えたかったんです」
 ジョンは謙遜した。神父はますます感心した。
「あなたみたいな人が多ければよいのですが、現実はなかなか厳しいものです。しかしあなたの名前はジョン・ドゥでしたか。お若いのにその名前を付けられるとは珍しいですね」
「珍しい?どういう意味ですか?」
 フローラがパンを作っている途中であった。そういえばトリガーもジョン・ドゥという名前に反応していた。どういうことだろうか?
「これは私の前任者の話ですが、昔はジョン・ドゥやジェーン・ドゥという名前は殺し屋によくつけられた名前だったそうです」
 殺し屋。トリガー・ハッピーみたいな特殊な力を持つ者たちの名称だ。
「もともとジョン・ドゥとジェーン・ドゥは身元不明の死体という意味でした。つまり生者でありながら、死者でもあるんです」
 なんともひどい話だ。殺し屋には人権というものはないのか。特殊な力を持つことが幸せかどうかわからない。フローラはジョンを見つめた。ジョンは明るく振舞っているが、どことなく憂いを感じた。
「殺し屋は金持ちの手先ですが、不思議に金持ちには逆らいませんでした。殺し屋は大抵生涯を自分の生まれ育った町で過ごすそうです。よその町に行くことは絶対ありえない話だそうです。もう五十年前の話で、今は殺し屋たちは自由に町を行き来しているそうですよ。もちろん、貧乏人や金持ちもね」
「へえ、そうなんですか。食べることに必死だから今まで気づきもしませんでした」
 フローラは感心していた。
「そうそう、町の露天商の元締め、グランパさんは街から出たことはないそうですよ。町から出たら死んでしまうとか言ってましたが。そういえばグランパさんの世代は首に奇妙な首輪をつけていましたね。なんでも一生取れないとか言っていましたが。なんでも炎の剣という代物で、町に見える鉄の塔、ケルビムタワーとか言ってました」
「私が住んでいた町にはグランパさんみたいな首輪を付けている人はいませんでした。あれって何なのでしょうね」
 フローラは何気なく聞き流した。フローラがパンをこねていると、子供が歩いてきた。いや、よろよろと這ってきたというのが正しかった。女の子で、名前はシックス・ジェーンといった。彼女はぼろぼろにされており、きれいな服は泥だらけになっていた。
「シックス!どうしたのですか!今日はゴミを集めに行ったのでは?」
神父が慌てて駆け寄ると、シックスを抱きかかえた。シックスは家に帰ってきた安堵感から涙がぽろぽろ流れ出した。
「しっかりして!シックスちゃんどうしたの?他のみんなはどこへいるの!」
「黒い服、のおじちゃんが、みんなを、ワンちゃんやトゥーちゃんはみんな必死に戦ったけど、大人が三人も来てみんなを捕まえたの。そしてフローラお姉ちゃんに、町の北にあるゴミ捨て場に来いって……」
 それだけいうとシックスは気を失った。フローラの顔は真っ青になった。ここ最近チャールズたちがおとなしいと思ったら、こんなことをたくらんでいたのか。
「お姉ちゃん……」
 パン作りを手伝っていた子供たちがフローラの服の裾を握り締めた。自分たちの仲間、家族に降りかかった災厄、彼らがどうなっているのか、どんな気持ちでいるのか、彼らは不安になっていた。フローラは子供たちを抱きしめると力強く励ました。
「大丈夫よ。お姉ちゃんがなんとかする。なんとかしてみせるわ」

 フローラとジョンは町のゴミ捨て場にやってきた。太陽はすでに東のほうへ下がっていた。今夜は満月なので月明かりで周りを見渡せた。
 ゴミ山のゴミは金持ちのゴミがほとんどであった。少しでも古くなったもの、汚れたものなど簡単に捨てるのだ。家具や電化製品、食いかけの食料や、飲み残した酒ビンなどがあり、毎日ゴミ漁りに勤しむ貧乏人で賑わっていた。もっともゴミといっても金持ちが使うものだ。使っている素材も一流で、ゴミ山の住民が豪華な家具と贅沢な食い残しを楽しむことができた。
夜もなるとゴミ山の外で、バラック小屋に引っ込み、手に入れた食べ物と酒で夢見心地になっている頃である。
「よく来たな。ジョン。そしてフローラ」
 家具のゴミの上に一人の男が立っていた。黒いスーツを着たトリガー・ハッピーである。その笑みはふてぶてしく、息を切らせて走ってきたフローラをあざ笑っているかのようであった。
「トリガー・ハッピー……。一週間ぶりだね。どうして一週間おとなしくしていたのかな?」
 ジョンが質問した。しかしトリガーはにやにや笑っているだけである。
「依頼人が怪我をしてな。不本意だが傷がいえるまで休息していたわけだ」
そして後ろからトリガーの雇い主、チャールズ・モンローが姿を現した。
「にょほほのほ〜。よく来たじょ〜。今日はお前を懲らしめるために呼んだんだじょ〜」
「懲らしめるだって!」
ジョンが怒りの声を上げた。しかしチャールズは聞いていなかった。
「フローラ、お前は苦しまなくてはならないんだじょ〜。そしていじめていじめて、苛め抜いた挙句自殺するのを今か今かと楽しみにしていたんだじょ〜。それなのに捨てられた貧乏人のガキに取り入って居場所を作るなんて許せないじょ〜。お前の居場所はみんなぼくちゃんが壊してやるんだじょ〜。じょ〜じょ〜。げほっ、げほっ」
 チャールズは狂ったように笑っていた。途中左の脇腹を抑えながら咳き込んでいた。しかしフローラの顔は険しかった。
「私を苦しめるならそれでもいい!だけど子供たちは関係ないわ。あの子達をどこへやったの!私はここに来たからあの子達を帰してよ!」
「むむっ、このぼくちゃんに命令するなんていい度胸だじょ〜。いいだろう、愛しいガキ共に会わせてやるじょ〜」
 チャールズは右手を上げると、右のほうにいきなりスポットライトが当てられた。一瞬まぶしくて眼が見えなくなったが、眼が慣れるとライトの先にはゴミ山の天辺に子供たちが縄で吊るされていたのだ。ワンとトゥエルブ、その他の子供たちは全身埃まみれの土まみれ、怪我をしているのか鉄の臭いに似た血の香りが漂っていた。
 それを見たフローラは血相を変えた。
「なんてひどいことを!早くあの子達を解放して!」
「ふふ〜ん、ぼくちゃんに命令していいのかじょ〜」
 チャールズは口笛を吹いた。そして指を鳴らすとどこからともなく、屈強な男が三人ほど現れた。手には角材を握られていた。全員与太者で、来ている服も汗臭くて垢まみれのぼろぼろの服であり、長年風呂に入っていないのか、髪の毛はぼさぼさで体中垢まみれであった。
「ぼくちゃんの機嫌を損ねるとガキがどうなるか思い知らせてやるじょ〜」
 チャールズは指をパチンと鳴らした。
 ボカァ!
「あぎゃあ!」
 男の一人が角材で吊るされたワンを思い切り叩いたのである。ぶらんぶらんと振り子のように揺れるワン。口から血を吐き出していた。
「なんで!あの子たちは関係ないでしょう!いじめるなら私だけをいじめてよ!」
 フローラは泣き叫んだ。フローラは孤児院での一週間の出来事を思い出す。パンを焼くだけでなく、子供たちの世話をしていた。子供と歌を歌い、花壇に花の種を植えたり、一緒に水浴びしたりと、楽しい思い出がよぎった。ワンは腕白な少年だが悪い子ではない。むしろ子供たちの中でリーダーシップをとり、みんなに頼りにされていた少年であった。
「にょほほほほ〜。いい声だじょ〜、すてきな泣き声だじょ〜。お前を苦しめるのにお前をいたぶってもつまらないじょ〜。やっぱり親しい人間をいじめて楽しんだほうが、お前の心をゆさぶれるじょ〜。それもう一発やるじょ〜」
 パチン、パチンッ!
 ボカッ、ボカッ!
「いぎゃあ!」
「ががぁ!」
 男たちは相手が子供といえど容赦なく角材で殴りつけた。子供たちの口から血の泡と苦悶の声が漏れるたびに、フローラは耳を押さえ、眼からは血が流れんばかりの熱い涙がこぼれていた。
「おっ、お姉ちゃん……」
 小さな、か細い声であった。それはワンの口から出たものであった。
「お姉ちゃん、こいつらに負けるな……。俺たちは露店から物を盗んで半殺しに遭ったことなんか、二度や三度じゃない。これくらいの痛みなんか、神父様のお仕置きに比べたらましだ……。それに……」
ワンは一瞬口をつぐんだが、やがて咽を搾り出すように叫んだ。
「お姉ちゃんの花畑を荒らしたのは俺たちなんだ……」
 ワンの言葉にフローラは思い当たることがあった。花畑には子供の足跡があったことを思い出したのだ。
「そこのバカにお金をもらったんだ……。俺たちがこんな目に遭ったのは俺たちの責任なんだ。だからお前らおねえちゃんに助けを求めるなよ。自分の尻は自分で拭くんだ」
 おう!
子供たちは掛け声を上げた。それを聞いたフローラは自分が決して一人ではないことを思い知らされた。彼らはひどい目に遭っていても、フローラの身を案じているのだ。そして痛みに耐えていた。彼らの心が温かくて、とてもまぶしかった。
「くそ〜生意気なガキだじょ〜。おまえら〜、こいつらを徹底的に苛め抜くんだじょ〜!」
「待って!」
フローラが叫んだ。
「お願い。その子たちをいじめないで。私はあなたの望むことならなんでもします。どんな命令にも従います。だからお願い。その子達を解放して……」
「なんでも?本当になんでもするのかじょ〜」
 フローラは首を縦に振り肯定する。するとチャールズの顔は醜く歪んだ。吐き気を催すような笑みであった。
「なら今すぐ服を脱ぐじょ〜」
 フローラは一瞬躊躇したが、すぐに立ち上がると、青いワンピースを脱いだ。下着はブラジャーと白いパンティだけであった。どちらも着古しているのか色あせていた。体型は一般的な女性より、見栄えのするものだが、やせているのか、アバラが浮き出ていた。
「下着も脱ぐじょ〜」
 チャールズの容赦ない命令が下る。フローラは涙を流さなかった。じっとワンたちの顔を見据えていた。彼女の胸の内にあるのは自身の羞恥心ではなく、彼らを救いたい一心であった。フローラはブラとパンツを脱ぎ捨てた。男たちはひゅーひゅーと口笛を吹き、下品な笑い声をあげた。
「前も後ろも隠さず、丸見えにするんだじょ〜」
 チャールズの命令にフローラは躊躇なく手をどけようとした。
「やっぱりつまらないじょ〜」
「え?」
「今のお前は羞恥心がないじょ〜。このクソガキを救うためなら裸になるどころか、裸踊りする勢いだじょ〜。ぼくちゃんが見たいのはお前がもだえ苦しむ様だじょ〜。もうつまんない、お前ら約束なんか護らないから、そのクソガキを即効で殺すんだじょ〜」
「そんな!約束が違うわ!」
「お前の約束なんか誰が護るんだじょ〜。お前の苦しむ姿を楽しむためなら、口約束はいくらでもしてやるじょ〜。にょほほほほ〜」
 男は待ってましたと鉈を取り出した。そしてワンに向けて振り下ろそうとした。
「やめてぇぇぇぇ!」
 フローラは恥も外聞もなく叫んだ。そして走り出した。
 誰か。
 誰かあの子達を助けて!
 フローラは石に躓き倒れた。そして右手をワンのほうに伸ばした。
「助けて、誰か私の代わりに助けてよ!」
 フローラの泣き叫ぶ声がこだまする。
「ひゃはははは!誰がお前のために助けるかよ!」
 男はフローラをあざ笑い、目の前の無力な獲物を無抵抗のままなぶり殺しにする快楽に浸っていた。そして鉈がワンの身体を真っ二つにしようとしていた。
「その言葉を待っていた」
 かきぃぃん!
 鉈が天高く飛んだ。ジョンがいつの間にか男の元にやってきた。そしてワンたちより高く飛ぶと、回し蹴りを放った。吊るされた縄は両断され、ワンたちは落下した。
ワンたちはしりもちをついたが、自分たちが解放されたことを知ると、仲間を連れて一目散にフローラの下へ走っていった。
「ジョンさん!どうして!」
「君が自分のことを自分ですると決めていたから、手出しはしなかった。だけど君は心の底から他人に助けを求めた。ボクはお節介はしない。人が助けを求めたら喜んでその手を差し伸べる。君にできないことをボクが代理する」
「てめぇ!せっかくガキを殺して楽しもうとしていたのに邪魔しやがって!ぶっ殺してやる!」
 男たちは目の前の遊戯を邪魔され、苛立っていた。さらにポケットから酒瓶をとりだし、一気に呷った。大きなげっぷをしたあと、うろんな目つきでジョンをにらみつける。鉈を拾い、ポケットからナイフを取り出した。
「ひゃっはっは!俺たちの後ろには金持ちがついているんだ!金持ちの命令なら人を殺しても罪に問われないんだよ!」
「くふぅ〜、ひさしぶりに人を殺して楽しめるぜ〜。てめぇみたいな優男をいたぶっていたぶっていたぶったあげく、ゴミ屑みたいに殺してやるぜ〜」
 男たちはげらげら笑っていた。思想もなく、ただ金持ちの命令で動き、自分たちのしたことに責任を持たない。最低な人種であった。
「しゃららららっ!俺様の鉈でてめぇの首をちょんぱしてやるぜ!」
「ひゃっはっは!俺はてめぇの腹をナイフで突き刺して楽しむぜ!」
「くふふふふっ!お前ら、まずこいつを半殺しにしようぜぇ、殺すのはその後、こいつが殺してくれと頼むまでいじめて楽しもうじゃねぇか!」
 男たちは下劣な笑い声を上げながら突進してきた。眼は正気を保っていない。
「気をつけて!こいつらはごろつきでも札付きの奴らなんだ!」
 ワンが叫んだが、ジョンは立ったままだ。
 ジョンはおもむろにサングラスを外した。眼は瞑ったままであった。男たちはジョンがびびったと勘違いし、彼の命を奪う、死神の鎌を振るおうとした。その瞬間。

彼らは見た。ジョンが眼を見開いた瞬間、彼の瞳は緋色に輝いていた。
鉈を持った男が、ジョンの首に振り下ろそうとしたとき、男は方向を変えた。そこにはナイフを持つ男がおり、ナイフを持つ男は鉈を持つ男に方向を変えた。
 ずばっ!
 ぶすぅ!
 男の鉈は、ナイフを持つ男の首を刎ねた。その男はナイフを持つ男に腹を刺された。
相打ちであった。
「あっ、あれぇ?なんでぇ、殺す相手が違う、ちがふよほほほっ!」
 男は口から血を吹いて膝から倒れた。もう一人の男は目の前の惨劇が理解できなかった。
「くふぅ!てめぇどんな手品を使いやがった!」
 最後の男はナイフを手に、ジョンに襲い掛かった。ジョンは再び男の眼を見た。
「甘い夢に抱かれるがいい」
 男の動きは止まった。そしてジョンはナイフを持つ男の手を持ち、心臓を突き刺した。
「あっ、ありぃ?なんで俺の胸にナイフがぁ?お前に突き刺したはずにゃんとも!」
 男はうつぶせになって倒れた。男たちはあっさり全滅したのであった。
「なんで?ジョンさんは何もしてないのに……」
 フローラが呆けていると後ろから声がした。
「やはりな。あいつは殺し屋だ。殺し屋の特技、キラースキルを使ったわけだ」
 トリガーであった。トリガーはどこかしら楽しそうな笑みを浮かべていた。 
「やはりお前は俺と同じジョン・ドゥだったというわけだ」
「ジョン・ドゥ?あなたの名前はトリガー・ハッピーでは?」
 フローラの問いに、トリガーは首を横に振った。
「そいつは通り名だ。殺し屋=ジョン・ドゥというわけさ。そうだろう?」
 トリガーは叫んだ。ジョンはすでにサングラスをかけていた。
「その通り。ボクのキラースキルは“スイート・ドリーム”詳しい能力は教えないよ。名前だけで判断してね」
「ははは、ジョン・ドゥは大抵そんなもんさ。自分の力を詳しくべらべらしゃべる奴は長生きしないんだ。しかし今時殺し屋の看板を堂々とぶら下げる奴も珍しいな。お前は今まで何を見てきたんだ」
「金持ちと貧乏人だよ」
「それだけか?」
「それだけさ。君だって大して変わらないと思うけどね」
「その通りだ。あのバカと付き合ってそこの女をいじめていたが、俺はちっとも楽しくなかったね。血沸き肉踊る殺し合いをしたかったのさ。特別な力をもらった以上、使いこなさなきゃ生まれた意味がないだろう?」
 力をもらった?彼は何を言っているのだろうか。
「君みたいなジョン・ドゥは見たことがない。ボクがジョン・ドゥなのはある人がボクに生きる目標をくれたからだ。ボクはその人に報いるために生きているんだ。人が生きる理由は人それぞれだ。君の生き方をボクは否定しない。否定はしないが迎合はしないよ。それでもいいの?」
「話がわかる奴で助かるぜ。さぁ殺し合いをしようぜ。観客は女と子供だけだが問題はないだろう?」
 トリガーは戦う気満々だ。しかしチャールズはそれに満足せず、トリガーに掴みかかる。
「何言ってるんだじょ〜。お前の仕事はフローラをいじめることだじょ〜。あんな奴と戦う必要はないんだじょ〜」
 ぼかっ!
 トリガーが裏拳でチャールズの顔を吹き飛ばした。顔には丸いあざができた。眼鏡は割れ、鼻血はたれ、前歯が欠け落ち、大口を開いてだらしなく気絶していた。
「さっきからうるさいんだよ。てめぇはしばらくそこで眠っていろ」
「雇い主なのに、いいの?」
「ふん。あとでお前の仕業だとごまかすさ。こいつはバカだからな。だがバカに俺の楽しみを邪魔されちゃ迷惑だ。さぁジョン・ドゥ。かかってこいよ。ここで俺を倒さなきゃ、また俺はフローラをいじめなくてはならなくなる」
 トリガーは両手を構えると、一声に真空波を撃ち出した。
 その威力はまるで拳銃と同様だ。拳銃の弾は銃身の内部に彫られたライフリングという溝がある。銃身を通過する弾丸がこの溝に食い込み、回転し、ジャイロ効果を生み出し飛距離と直進性をアップさせているのだ。
 トリガーの能力“ゲット・ユア・ガン”は簡易で小さな真空の渦を生み出している。おそらく指を弾く際に真空波が生まれるのだろう。
 トリガーの真空波は容赦なくゴミ山に命中した。古い洋服タンスは粉々に砕け、中に住んでいた人間は突然家がなくなったことに気づき逃げ出した。
 ソファーに当たれば中の綿が飛び散り、酒ビンに当たればアルコールの臭いが大気とゴミの臭いと混合し、なんともいえない臭いを生み出した。
 トリガーのスタイルはまるでガンマンであった。
 ジョンの動きを予想し、彼の進行を止めていた。
 ジョンが右に動けば、右手で真空波を撃ち出し、左に避けようとしたところを左手で真空波を生み出す。ジョンは交互に繰り出される真空波に近づくことすらできず、身体はかすり傷が増えていった。ジャケットとジーパンからは血が垂れていた。傷自体はたいしたことはないが、傷の数が多すぎる。このままでは出血多量で死んでしまうかもしれない。
トリガー・ハッピーという名前とは裏腹に彼は理路整然とした戦い方をしていた。
ジョンはゴミ山をカンガルーの如く飛び回った。その度にゴミは破裂し、埃が霧のように辺りに漂った。
「ゲット・ユア・ガン、ダブルアクション!」
トリガーは両手を合わせると、人差し指を二本突き出した。
すると指から片手のときより遥かに強烈な真空波が発生した。
「ファイア!」
 トリガーはジョン目掛けて撃った。その衝撃はすさまじく、撃ったトリガーすら身体が後方へ吹き飛ぶほどの威力であった。
 ドガシャア!
トリガーの真空波はジョンの後ろにあったゴミ山を吹き飛ばした。ばらばらになった家具に、酒瓶の破片、ベッドの綿とスプリングが雨のように降り注いだ。ゴミ山に住んでいた住民も天高く落下して腰を痛めたりしたが、目の前の惨事を見て、あわてて逃げ出した。
「隙あり!」
 ジョンはその隙にトリガーの懐へ飛び込んだ。しかし、トリガーのふてぶてしい笑みは消えていない。むしろ、してやったりといった顔であった。
「あまいな!」
 トリガーは右の拳を握った。そして迫り来るジョンの腹部に真空波を纏った拳をたたきつけた。
 がはぁ!
 ジョンは腹部にハンマーを叩きつけられた感覚を味わった。そして胃の中がめちゃくちゃにシャッフルされた気分になった。口の中には鉄の味が広まり、内臓を口から吐き出したい気分になった。
 ジョンは血を吐きながら、地面に転がった。腹を押さえ、ごろごろと芋虫のように転がった。
 トリガーはよろよろと立ち上がると、ソフト帽を被りなおした。
「俺の力がただ真空波を出すだけだと思ったら大間違いだぜ。相手の力を見誤ったな」
 トリガーの言うとおりであった。彼は遠くから真空波を飛ばし、相手を一方的に痛めつけて楽しむ。そう決め付けていた。実際は真空波を拳に纏うことも可能だったのだ。完全なジョンのミスである。
「なあ、ジョン。諦めちまえよ。こんな女のために命を張ることはないんだぜ」
トリガーが言った。
「もともとフローラ・スミスをいじめるのが俺の仕事なんだ。お前がフローラに係わらなければ俺たちはやりあう必要はないんだ。なんなら俺が口利きして、あのバカに雇ってもらうこともできるんだぜ?ちなみに日当は金貨一枚だ。悪い話じゃないだろう?」
 ジョンは答えなかった。死んだ馬のように動かなかった。フローラはジョンを見つめていた。確かに彼が今地べたに這い蹲るのは自分に係わったからだ。彼女にしてみればジョンがこのまま自分の味方でいるはずがない。金さえもらえば金持ちの命令を犬のように従うのは貧乏人としては常識だ。自分だって金持ちに金貨を餌に命令されればチンチンやお手はする。このニューエデンでは金が全てであり、貧乏人は金持ちの法律という鎖に縛られ、金という策に囲まれた家畜なのである。
 ジョンは殺し屋で、金持ちの命令を聞く牧羊犬だ。犬は餌をもらう主人に逆らわない。ジョンが金に転んでも責める理由はないのだ。
「……れ」
「なんだって?」
ジョンが小声でつぶやいたので、トリガーが聴きなおした。
「た、れ……」
「もう一度なんだって?」
「く・そ・つ・た・れ!」
 ジョンははっきりと悪態をついた。そしてがばっと起き上がり、口に垂れていた血を拭った。
「ボクは損得抜きで彼女を護ると誓ったんだ。金なんかで心は売らない。餌さえ与えれば尻尾を振る野良犬じゃないんだ!」
 それを聴いたトリガーはやれやれと首を振った。意外にも冷静であった。どこかしら優しげな笑みを浮かべている気がした。
「くっくっく、やはりお前はあの方が言ったとおりの男だな。だが口先だけで自分の意思を語るのは無意味だ。正義なき力は暴力に過ぎず、力なき正義もまた無力に過ぎない。自分の想いを貫くには俺を倒すしかないぞ」
 トリガーは挑発した。ジョンはサングラスを外した。そこには緋色の瞳が輝いていた。
「今度はボクが甘い夢を見る番だ。ここで勝負が決まる」
ジョンの瞳が紅くなった。トリガーは再び構えを取った。
ヒュン!
ジョンの動きが鋭くなった。一瞬のうちのトリガーの懐に入った。トリガーは右拳を放った。
ジョンはそれをよけると、トリガーの腹部に突きを入れる。
しかし、トリガーは右に半身をずらし、回避した。そして右足で蹴りを放った。
ジョンはそれを左腕で防御した。まるで木材で思いっきり振り下ろされた痛みが走った。
ジョンは蹴りを振り払い、右足でトリガーの左膝を蹴った。
メキッ!
大木を蹴ったような痛みであった。トリガーの顔が歪む。骨がいかれたのだろう。
そしてトリガーの胸部に突きを入れる。アバラに腹部を突きと肘打ち、そして最後に蹴りをトリガーの頭に決めた。
トリガーは吹き飛び、地面へ転がった。そしてそのまま動かなくなったのである。
ジョンの勝利であった。そしてぼそりと呟いた。
「君はミック・ザ・リッパーを殺したといっていたけど、殺したのはボクなんだよね」

「ジョンさん、大丈夫?」
 フローラがジョンを介抱していた。トリガーを倒した後ジョンはその場へ倒れた。フローラは慌ててジョンを抱き起こすとジョンの瞳は白く濁っていた。
 とりあえず応急手当を済ませたが、ジョンの瞳は徐々に緋色を取り戻していたのだ。
「ええ、大丈夫です。フローラさん、子供たちは大丈夫ですか?」
「ええ、みんな大した怪我はしていないわ。でも……」
 フローラの顔が曇る。ワンたちはフローラの花畑をチャールズに命じられて荒らしたのだ。確かに彼らは天罰が下ったといえるが、彼女としては自分のせいで巻き込んでしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「それにしてもジョンさんは強いですね。最後のほうは圧倒的だったですよ」
フローラが褒めるがジョンは首を横に振った。
「そうでもなかった。ボクの力を最大限に引き出させた人はあの人が初めてです。力を抑えて勝とうと思ったのが間違いでした。あの人は強い。そしてまだ隠し玉を持っているような気がします」
 隠し玉。つまり相手はほんきではなく、まだまだ奥の手を持っているということか。フローラはあのトリガーという男に得体の知れない何かを感じ取っていた。
 真空波を飛ばすだけではなく、拳に纏うことで接近戦も得意とする男。かなりの戦闘経験を積んでいると見て間違いないだろう。そんな彼がチャールズのような男に従うのはどういうわけか。やはり金の力という鎖に繋がれているのだろうか。
「とりあえず家に帰りましょう。きちんとした治療をしないと……」
 フローラがそう言おうとした時、後ろから声がかかった。
「悪いがあんたらは今すぐこの町から出て行ってもらいたいな」
 それは町の住民であった。真ん中には露天商の元締めであるグランパがいた。先ほどの声は彼のものであった。
「グランパさん、どうしてここに?」
「どうしてもくそもない。あんたらがモンロー様とひと悶着起こしていることは町の人間、三歳の子供だって知っていることだ。あんたらはとんでもないことをしてくれたな」
「とんでもないこと?」
「金持ちであるモンロー様に暴行を加えたことさ。さらにその部下にもな。これであんたらは金持ちたちに付けねらわれることになったんだ。これがどういうことかあんたにもわかるよな?」
 フローラの顔が青くなった。ジョンは話を聴いているだろうが表情は変わらなかった。
「金持ちに手を出したものは八分者になるんだ。この町の住民であって、住民じゃなくなるのだ。そいつを相手にしたら、その家族も芋づる式に阻害されるんだ。金持ちは神なんだ。神に逆らって普通の生活を送れるとは思っていないだろう。あんたらはもう八分者なんだよ」
 八分者とは村八分のようなものである。火事と葬式以外は係わってはならないことになっているが、金持ちに逆らったものはそれすらも係われなかった。八分者は町を出て宿場を作り、商人相手に商売している場合がある。もっとも八分にされた町の人間は利用しないから、さらに遠くの町で宿場を開くことになるのだ。
「早くこの町から出て行け。荷物はどうせ大したものなど持っていないだろう。家具とかはわしらが処分してやる。その金で日常品を集めておいたよ。モンロー様が目覚める前に出て行ってくれ」
 グランパはそういって鞄をぽんとフローラの前に投げた。
町の住民はジョンとフローラを異形のものを見る目つきであった。フローラはまたかとつぶやいたが、ジョンは起き上がると、フローラの手を握った。
「大丈夫、ボクがいるよ。ボクが君を護ります」
 ジョンは昔の記憶を呼び起こした。
(フローラのことを、あの子にもしものことがあったら、あなたが護ってほしいの)
 幼い頃に自分を救ってくれたあの人の言葉。命令ではない、彼女のためにできること、それは自分が生まれてきたのは、そのためではないかと感じていた。フローラを護ることこそが自分の人生における生き甲斐だと思っていた。約束だからではなく、自分の意思で望んだことだ。
「みなさん、お騒がせしました。フローラさん。行きましょう。この町にいては町のみんなに迷惑がかかりますからね」
こくんとフローラはうなずいた。
ワンたちはどうしてジョンたちを追い出すんだと騒ぎ立てたが、所詮は子供の遠吠えで、大人たちの頭の固さにはどうにもできなかった。孤児院の子供たちはジョンたちが町を出るまで、さようならと大声を上げ、手を振って見送りをしてくれた。それだけが二人にとって心安らかな気分になれたのであった。
フローラは鞄を開けると新品の洋服と日常用品が詰まっていた。その中に花が一輪入っていた。
それは淡紅のバーベナであった。淡紅のバーベナの花言葉は家族の団欒である。

 ジョンたちが町を出て次の朝。露店を開く前に露天商たちが寄り合いに集まり会議をしていた。テントで作られた簡易会議室であり、長い机と椅子が置かれてあった。テント内には二十人近い露天商たちが座っており、彼らの前には金貨が一枚置かれていた。
「グランパさん、どうしてあの二人を追い出しだ?」
露天商の一人がグランパに質問した。
「そりゃあ金持ちに手を出せば八分者になるさ。だけどそれは同じ町の金持ちに限るはずだ。あんな他所から来た金持ちの言うことは聴く必要がないはずだぞ」
「そうだよな。金持ちといっても他所は他所、うちはうちだ。そもそもあいつらが傍若無人に振舞っていたが、金持ちでもこの町の法律で裁かれるはずなんだ。なのにどうして」
「フローラちゃんはいい子だよ。あの子の花を買うことはできなかったけど、あの子の花を見て心が癒された人間は数知れない。あんなバカな金持ちのために追い出す必要はなかったんだ。なんでグランパがあの子を嫌うように命じたのか理解できないよ。その謝礼に金貨一枚もらえるなんて」
 露天商たちは愚痴をこぼしていた。彼らは思っていたほどフローラを嫌っているわけではなかった。むしろ好意を抱いていたようだ。それなのにグランパに命じられていたとはどういうことか?
 それに金持ちでもあくまで同じ町であることが重要であり、別の町の金持ちが犯罪を犯せばその町の法律で裁かれるシステムらしい。なのになぜチャールズの蛮行を黙視していたのかは謎だ。
 ちなみにチャールズとトリガーはすでにいない。あの晩いつの間にか消えていたのだ。雇われたゴロツキたちの死体はグランパたちが片付けた。
「フローラはいい子だ。だがあの子は恐ろしい、とんでもない運命が待ち受けているのだ。だからこそあの子を一刻も早く町から追い出さねばならなかったのだ」
 グランパは悲痛な声を絞り出した。彼にとってもフローラはかわいい孫みたいな娘であった。彼女の育てる花が、露天商たちの心を癒していたのだ。
「金貨のほうはある方からの報酬だ。わしはその人に命じられたのだ。あと露店では金貨一枚分無料奉仕をしろ。天から降り立った幸運をおすそ分けするのだ。あぶく銭は溜め込んではならない。強盗に奪われる可能性が高いからだ。町の連中に奉仕すればその分幸運が返ってくる。孤児院にパンを与えるのも忘れてはならん。パン屋のジョン・スミスよ。頼んだぞ」
「そりゃ孤児院にパンを届けてますが、フローラちゃんは大丈夫でしょうか?」
 パン屋のジョン・スミスが心配そうに答えた。彼も孤児院出身であった。孤児院には世話になったが生きるのに精一杯で恩返しができなかったのである。
「今、あの子にはジョン・ドゥが寄り添っている。どんな悪夢や災害も彼ならフローラを護ってくれるだろう。わしらにできるのは祈ることだけじゃ。あとある男の情報を集めることもな」
「ある男の情報?」
 グランパの言葉に露天商たちが反応すると、グランパは口をつぐんだ。言いたくないということだ。彼らはグランパの口は堅く、軽々しくしゃべる性質でないことを知っている。
「そういえば一週間前、グランパが事前に店に品物を置くなと言われたから置かなかったけどな。結局あのトリガーって奴にテントをめちゃくちゃにされたけどな」
「ああ、俺もそうだった。あんたもやられたんだよな?」
「そうだよ。グランパに品を用意するなって言われたんだ」
 当時、トリガーがテントを吹っ飛ばした露天商の主人たちが口々に言った。
「それとあのおばちゃん、左の脇腹を撃たれたけど、夕方会ったらピンピンしてたよ。大丈夫かと声をかけたら右の脇腹を抑えて痛がっていたな。俺が左じゃないかと言ったら慌てて修正してたっけ。あれってどういうことだろうな?」
 露天商たちはが口々に話し合っていると、テントの外から声がした。
「親父ただいま帰ったよ」
 四十代くらいの中年男性であった。がっしりとした体格でグランパを親父と呼んでいた。どことなくグランパに似ていた。グランパのヒゲを剃り、髪を黒くして身体に空気を吹き込んだようであった。
「おお、やっと帰ってきたか」
「ナインティエイトの通り道でミック・ザ・リッパーが死んだって電報をもらったんだ。品物をそろえてやっと帰ってこれたよ。ほい、伝票だ。塩に干し魚に海草を仕入れたよ」
 男はテントの外に置いてある荷馬車を見せた。塩の詰まった俵に、干し魚や干した海草が馬車から溢れんばかりに積まれていた。グランパは伝票を見ると満足そうにうなずいた。
「さすがだな。やはりわしの跡継ぎはお前しかおらん」
「俺はまだまだだよ。正直親父にはまだまだ教えてもらいたいね。どうして町を出ないんだい?」
「前からおるだろう。わしが町を出ればケルビムが炎の剣でわしの首を焼き切るのじゃ。それが楽園を追い出されたものの末路じゃよ。もっともここが楽園とは言えないがね」
 息子は父親の言葉に首をかしげた。そして思い出したように父親に尋ねた。
「ところで親父、フローラちゃんはいるかい?」
「フローラ?あの子に何の用事だ?」
「ナインティエイトの町で言付けを頼まれたんだ。もうじきあなたに会いにいくので待っていてくれと。お礼に金貨一枚もらっちまったんだ」
「言付けで金貨一枚だと?一体誰に言われたんだ?」
 グランパの息子は何気なく名前を口にした。そしてその名前は露天商たちを驚愕させたのである。
「確かチャールズ・モンローの代理人とかいっていたな。すげー美人だったぜ。あれ、親父にみんな、どうしたんだい?鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているぜ?」
 グランパだけが険しい顔をしていた。果たしてジョン・ドゥとフローラ・スミス。この二人に待ち受ける運命は何か、それは神のぞみが知ることだろう。

『第2話ディスポーザブル・ティーンズ』

「お前たちはゴミだ!」
 五十代くらいの屈強な男が吼えた。ごつごととした筋肉質の男であった。手には樫の木の棒を持っていた。
「まず俺の名前を教えてやる!ガーハイム・リー・アーメイだ!ガニー教官と呼べ!」
部屋は三十人ほどが納まる広さで、暖房はないのか、ひんやりしていた。窓もなく、灯りは蛍光灯のみであった。部屋に集まっていたのは五歳くらいの子供たちであった。どれも着ているものはぼろい布切れという代物で、髪もぼさぼさ。風呂など何日も入っていないのか、顔は垢まみれで異臭を放っていた。
 ガニーは子供たちを一瞥すると吐き捨てるように子供たちの名前を尋ねた。
「そこのお前。名前はなんと言う!」
「ボク……。ボクの名前は……」
 恫喝されたためか子供の声はか細くなっていた。
「ぜんぜん聞こえない。もっと大きな声でしゃべれ!」
 ガニーは耳元で怒鳴るように叫んだ。子供は声を枯らすように大声で叫んだ。
「リー・ハーヴェイ・ケネディです!」
「なんだ、そのご大層な名前は?声の聞こえないお前には生意気だ。ジョン・ドゥbPと呼んでやる。次、そこのお前の名前は!」
「ジョン・ウィルクス・リンカーンです!」
 今度の子供は大きな声で叫んだ。
「よくもまあ、そんな長い名前など覚えていられたな。長すぎて俺には覚えられない。ジョン・ドゥbQと呼んでやる。次、そこの小汚いお前の名前は!」
「ナイン、ナイン・エイプリル……」
「ナイン・エイプリルだと?四月九日に拾われたというわけか。名前も付けてもらえずゴミ屑のように捨てられたお前にはぴったりだが、俺がいい名前を付けてやる。ジェーンドゥbPだ!」
 ガニーは子供たちの名前を聞き出すとすべてを否定し、罵倒した後全員のジョン・ドゥとジェーン・ドゥという名前を付けた。
「いいか、お前らはゴミだ。今まで孤児院に育てられて、この世には愛で溢れているとか、人は生まれたからには使命を持っているとか言われたと思うが、それは慰めだ。同情なんだよ。お前らみたいに親に捨てられたガキどもを拾って育てて、自分は神の使いになった気分に浸りたいだけなんだよ。みんな世間体を気にしただけ。お前らなんか本当はどうでもいいんだ、本当は目に入れるのも汚らわしいんだよ。そんなお前らを俺が鍛えて育ててやるって言うんだ。俺に感謝しろ、そして強くなれ。強くならなければお前らは家畜より、野良犬より劣る役立たずなんだよ。わかったか?わかったらさっさとその汚い格好をなんとかしろ!」
 ガニーは持っていた棒を床にたたきつける。大きな音が部屋中に響き、子供たちはどよめいた。しかし男は恫喝すると、子供たちは恐る恐る部屋を出ていった。
 子供たちはホースの水を大量に浴びせられた。まるで火事のように水を叩きつけられた。そして用意された真っ白な下着と白衣に着替え、部屋は六人部屋で、ベッドが六つだけという部屋であった。
 子供たちのやることは午前は知識を詰め込まれ、午後は運動と決まっていた。筋肉トレーニングにランニングに水泳。そして仲間意識を作るためのバレーボールやドッヂボールなどをやった。もちろん遊戯ではない。負けたチームは罰ゲームとして倍のメニューを組まされる羽目になる。チームの連帯責任だ。そのおかげで足を引っ張る子供はいつもいじめられていた。
 食事は味気ない栄養食にサプリメント、そして顎を鍛えるための大豆を食べていた。毎週一度は腕に注射をする毎日であった。
 彼らは孤児であった。親に捨てられた哀れな子羊であった。拾ったからにはでっぷりと太らせて食べようとする魂胆である。
 孤児院の神父が、お腹一杯食べたいかい?と聞かれ、はいと答えた子供が集められたのだ。子供たちはある特殊な訓練を受け、特別な存在になれば腹いっぱい食べられるし、綺麗な服も着られる。雨風を防げる家に住めると甘言で誘われたのだ。
 彼らはよく個別にデータを取っていた。そしてデータを元に個人個人にトレーニングの方法を変更したりしていた。
 そうこうするうちに五年の月日が経った。
 最初にいた子供は三十人ほどだったが、今では八人まで減っていた。あまりの厳しさに自殺する子供が後を耐えなかった。自殺した子供がいれば、こいつらはゴミだ。負け犬の亡骸だ。未来のお前たちだと脅した。
 生き残った子供は当初男に名前を聞かれたジョン・ドゥbPとbQ.そしてジェーン・ドゥbPが生き残っていた。もう当時の名前は覚えていない。地獄の訓練で彼らは本来の名前を忘れてしまったのだ。
 子供たちは部屋に集められた。かつてガニーに名前を否定された部屋であった。
「おめでとう!君たちはよく地獄の訓練を耐え抜いた。あの日、ジョン・ドゥ、身元不明の死体となったお前らは見事生き返ったのだ!このおぞましい世の中に苦々しい終焉をもたらす使者となったのだ!」
 ガニーは手放しに絶賛した。5年間の訓練の中でこの男がこんな笑顔を浮かべたのは初めてであった。
「実は俺もジョン・ドゥだったのだ。もっともできの悪いジョン・ドゥでキラースキルは会得できなかったがな。お前らのうち一人だけ、ジェーン・ドゥbPだけがキラースキルを会得したが、残りのお前らは決して彼女と遜色はない。同年代でお前らに敵う人間などいないだろう。俺もお前たちにしたように自分を否定されたよ。自分はゴミだ、生きる価値のない屑だとな。だからこそ俺は死んだのだ。死んで生き返ったのだ。生き返ったお前らに名前をやろう。ジョン・ドゥbP!お前はムーン・マンディと名乗れ!」
「はい!」
「bQ!お前はマーズ・チューズディだ!」
「はい!」
「bS!お前はマーキュリー・ウェンズディだ!」
「はい!」
「ジェーン・ドゥbW!お前はジュピター・サースディだ!」
「はい!」
「bP2!お前はビーナス・フライディだ!」
「はい!」
「ジョン・ドゥbP0!お前はサターン・サタディだ!」
「はい!」
「bP5!お前はアポロ・サンディだ!」
 七人の子供たちに名前を付け終わると、今度はジェーン・ドゥbPの前に立った。
「そしてbP.お前は唯一キラースキルを身につけたジェーン・ドゥだ。お前にふさわしい名前をやろう。ユナ・ボマーだ!」
「はい!」
 bPこと、ユナ・ボマーは赤毛の少女であった。小柄で愛らしい顔をしているが、地獄の訓練を生き残った猛者である。見た目で判断はできない。
「ユナ・ボマー。お前のキラースキルの名前は“ディスポーザブル・ティーンズ”だ。以後はある方と共に行動し、キラースキルを自由に使いこなすように」
 そしてガニーは八人の子供たちを改めて観なおした。
「お前ら殺し屋は金持ちの手先となるのだ。もっとも人を殺さなくてはいけないわけではない。金持ちの護衛として生涯を送るのだ。金持ちの中には自分の子供と殺し屋を結婚させたがる人もいる。そうすれば明るい未来が待っているぞ。では……」
 ガニーが何かを言おうとすると、子供たちが騒ぎ出した。彼らはこの部屋に何か異質なものがやってくる気配を感じ取ったのだ。そしてそれは天井がひび割れて、突き破ってきたのだ。
 ガラガラガラ!
 天井から降りてきたのはアサルトスーツに身を纏った兵士であった。全員で五名。顔はガスマスクで覆われており表情は伺えない。手にはアサルトライフルを構えていた。
 子供たちは一声に部屋から逃げ出した。恐怖ではない。最初から非常事態に備えて緊急避難の行動を起こしたのだ。しかし兵士たちは先回りし、子供たちを取り囲んだ。
「なんだ、お前らは何者だ!」
 ガニーが腰のガンホルスターから拳銃を抜き取ったが、兵士はガニーをあっさりと撃ち殺した。
「お前ら……、にげ、ろ!」
 それがガニーの遺言であった。子供たちは普通ならパニックになっても当然の事態なのに、冷静になっている。ガニーの訓練の賜物だろう。子供たちは目で合図をして一声に兵士たちに飛び掛った。
 子供たちは兵士のアサルトライフルを奪うと、逆にそれをかれらに突きつけた。そしてムーンがユナに声をかける。
「ユナ。お前の力でこいつらを殺してやれ。ガニー教官の敵討ちだ」
 ユナはこくんとうなづいた。初めての人殺しだが、相手は鬼教官であったが、長年付き添ったガニーを殺したのだ。ユナに怒りが湧いたが、同時に初めての人殺しに躊躇していた。
 ユナがぼんやり、もっともたった数秒だったが、その数秒を見逃すほど相手は甘くなかった。
 ビュルルルル!
 天井から何かが落ちてきた。そしてそいつは何か白い糸を噴出したのである。
 たちまちムーンたち七人は囚われの身になった。まるで蜘蛛の糸であった。ムーンたちは蜘蛛の巣に囚われた哀れな蝶であった。
「クモモモモッ!」
「みんな!」
 ユナが叫んだ。しかし、他のみんなは眉のように包まれ声が出ない。
「こいつらは能力なしか。では能力持ちは誰かな?」
 そいつは男であった。頭と身体は一般男性と違い、異常に丸く太っていた。そのくせ手は立っているだけで地面につきそうなくらい細長い。逆に足は子供みたいに短かく、その上樫の木のようにごつごつであった。腕が足代わりであった。。目は爛々と紅く光っており、顔中ヒゲだらけであった。おちょぼ口で、口から蛭のような長い舌をひょろひょろ出していた。蜘蛛のような男であった。
 ユナは瞬時にこの男が殺し屋、ジョン・ドゥだと理解した。ユナは床にしゃがむと、両手を床にかざした。
 どかぁん!
ユナがかざした部分がいきなり爆発を起こした。部屋中はほこりだらけになり、視界が悪くなった。ユナはその隙に逃げ出した。
 視界が晴れるとユナは消えていた。逃げられたと男は舌打ちした。
「まあいい。このガキどもが七人手に入っただけでも儲けものだ。あとはあの方に差し出すまで、クモモモモッ!」

「ジュ〜サッサッサッ!お前らの自由は銃で蹂躙してやるぞ!」
「俺たちはガンの力で、ガンばるんだ!」
 セブンティセブンに行く途中、少年と少女は二人の賞金首に襲われていた。
 少年の名前はジョン・ドゥである。金髪で端正な顔つきの少年である。黄色いジャケットにジーパンを穿いており、靴は青いスニーカーを履いていた。
 少女の名前はフローラ・スミスである。器量はそこらへんの町娘並みだが、化粧して身奇麗にしているのでそこそこの美少女といえた。髪の毛は後ろにまとめてあり、同年代と同じ体格であった。来ている服は青色のワンピースで、ぴかぴかの新品であった。手にはこれまたぴかぴかの新品である鞄を握っていた。
 ふたりはナインティナインの町で知り合った。そこでひと悶着を起こし、町を追い出されていく当てのない旅をしていた。そこでとりあえずセブンティセブンという町にいくことになったが、途中で賞金首の兄弟と出会ってしまったのだ。
 黒いソフト帽を被り、ミラーグラスをかけ、黒いトレンチコートを着た、エリック・ムーア、ディラン・ムーアのムーア兄弟である。年齢は二十代で、兄のエリックは散弾銃を持ち、弟のディランは拳銃を両手に二丁持っていた。
 彼らはトゥエンティの町で生まれた、子供を狙う凶悪な殺人鬼だ。彼らの両親は殺人鬼に銃で殺されてしまい、孤児となった。その後彼らはいじめられ、全ての世の中を憎む復讐鬼と化していた。彼らは親を持つ子供を憎み、子供たちが遊んでいる広場で銃弾をぶちまけ、今まで百人近い子供を殺している。逆に彼らは孤児院にいる子供は殺さない。親が子供を失い、嘆き悲しむ慟哭が彼らにとって最高のオーケストラなのだ。彼らは子供を殺した後はすぐさま逃げた。逃げ足だけは速いのである。彼らは馬が上手でいつも町で馬を盗んではその場に置き去りにしていた。車を使うのは金持ちだけだが、彼らは殺人鬼の追跡に貸すことはない。さすがに金持ちの子供は狙うことができず、貧乏人の子供を撃ち殺してはげらげら笑うのがムーア兄弟であった。
 そのムーア兄弟がなぜジョンたちと対峙しているか。二人は偶然出会ってしまったのである。ムーア兄弟は子供を殺すが、路銀が尽きると無抵抗の女や老人を殺害して金品はおよび、来ている服も剥ぎ取るので恐れられていた。
 ジョンは見た目はか弱そうな少年だし、フローラは普通の娘であった。
 ムーア兄弟にとっては格好の獲物である。
「ジュ〜サッサッサッ!さあ、十分、人生を充実しただろう。おとなしく銃殺されろ!」
「兄ちゃん、ガンばろガんばろ、バンガロー!」
 彼らは身勝手なことを口にしている。ジョンはフローラを後ろへ下がらせた。フローラは岩の陰に隠れた。
「君たちに甘い夢を見ることができるかな?」
 ジョンは一瞬のうちにエリックの懐に飛び込んだ。そして散弾銃を蹴り上げると、今度はサングラスを蹴り飛ばした。
 慌てたディランはジョンに銃口を向けたが、右手をへし折り、銃を落とした。ディランのサングラスを飛ばした。
「こいつ〜、お前らの自由は僕らの銃で蹂躙するっていっただろう!」
「ガンでガンばる俺たちをコケにした!ガンガン、頭を撃ってやる!」
 エリックは散弾銃を拾い、ディランは無事な左手で拳銃を構えた。
 ジョンはサングラスを外した。緋色の瞳がムーア兄弟を見据えた。
「ジュ〜サッサッサッ!ゴー、ゴー、ゴーーーー!」
 ムーア兄弟は掛け声を上げると一声にジョンに銃を撃った。二人はジョンの瞳を見た。ジョンが自分たちの銃で血まみれになって倒れる姿が目に焼きついた。しかし突如力が抜けてきた。まるで今まで自分を支えていた糸がぷつんと途切れたような感覚である。そして今度は目の前の風景が変貌したのだ。
 ジョンは撃たれておらず、代わりに自分の銃が自分に向けられていたのである。
 なぜ?
 映画のフィルムが突如真っ赤に染まり、からんからんとフィルムが途切れる音が聴こえた気がした。鉄と硝煙の入り混じった臭いを嗅ぎ取り、サイレント映画のように一切の音が聴こえなくなった。あとは静寂の世界が広がっているだけである。
 ジョンがパクパクと口を動かしていたかつ弁がいたならば、こう言っていただろう。
『甘い夢は見られたか?』と。

 ジョンはムーア兄弟の髪の毛を切り取り、紙に包んだ。そして彼らの遺体を埋めて、墓を作った。墓標には彼らの銃を突き刺した。
「ねえ、あいつら、ジョンに銃を向けたけど、すぐ撃たなかったね。その後ジョンが銃口をあいつらのほうに向けたけど、あれってなんなのかな?」
 フローラが質問した。長い旅のせいか、気安くなったのか、ジョンを呼び捨てにしていた。
「あれはボクのキラースキルさ。あいつらの頭の中はボクを銃殺した風景が焼きついているはずだよ。あとはあいつらが自分に銃を向けるよう仕向けるだけさ」
「すごいね。トリガーみたいな派手さはないけど。でもなんでそんなすごい力があるなら、最初からしないの?わざわざあいつらと一戦交えるなんて」
「力といってもなんでもありってわけじゃない。いろいろ条件があるのさ。殺し屋は大抵そうさ。人外を越えた能力の代償は大きいんだ」
 ジョンはぶっきらぼうに答えた。殺し屋のキラースキルは安易にしゃべっていいものではない。下手をすれば命取りになるからだ。フローラを信頼してないわけではないが、本人の意思に関係なくしゃべらされる場合もあるし、ちょっとした情報で糸口をたどられる場合もある。フローラも突っ込んだ話はしない。それがジョンだと理解しているからだ。
 そうこうするうちにセブンティセブンの町に着いた。町の造りはナインティナインと同じであり、町全体が大きなくぼみの中に作られた構造である。実を言えばニューエデンにある町は大抵似たような作りであり、他の町と大差はない。もっとも鉱山のある町や、港のある町は多少その地域に合った作りだが、基本的な形はどこも一緒だ。
 町の中心には金持ちの住む塀に囲まれた居住区があり、遠目でもわかるほど天高くそびえる鉄の塔、ケルビムタワーが建っているのもまた同じである。
 そして貧乏人の住む家もまたバラック小屋で作られた粗末な家であり、商品用のねずみを飼うものや、虫を育てているもの、食用の雑草を育てているものもいた。
 ジョンはまず露天商の元締めであるグランパに会いに来た。彼らは町の治安や経済を担うものであり、金持ちから穀物や家畜を買い取る仲介をすることもあった。
 ジョンは一際大きなテントに入った。そして店番をしている人間にグランパを呼ぶよう頼んだ。
「わしがこの町のグランパだよ」
 真っ黒なローブを身に纏った老人であった。ナインティナインに住んでいたグランパよりさらに歳を取った老人で、首には炎の剣と呼ばれた鉄の首輪をしていた。
「まずはこれをどうぞ。エリック、ディランのムーア兄弟の髪の毛です」
 ジョンが紙に包んだ髪の毛を差し出すと、周りにいた人間はざわめいた。
「あのムーア兄弟を殺したって?あんなガキが?」
「信じられないぜ。偶然じゃないか?」
「いずれにしろ髪を調べればわかることだ」
 グランパは受け取った髪の毛を手に、しばし店を出た。そして三十分も経つと戻ってきた。手には大金貨が二枚握られていた。
「髪の毛はまさしくムーア兄弟のものだった。これは賞金だよ」
 そういってグランパはジョンに大金貨を差し出したのである。それを見た周りの人たちは驚愕の声を上げた。
「ありがとう。ところでお願いがあるのですが、この町の孤児院はどこですか?」
「ここから西にまっすぐいくと教会があったよ」
「あった?」
  過去形であった。いったいどういう意味か?グランパに問いただした。
「もう二、三日前の話だ。教会がいきなり大爆発を起こしたんだ。いや、大陥没といったほうが正しいか。もう建物から広場までごっそり大きな穴ができたんだ。子供たちの死体はひとりも見つからなかったそうだよ」
「そんな……。一体何が起きたのかしら?」
 フローラは首をかしげた。しかしジョンの顔はそれ以上に険しくなっていた。彼は教会の下に何があるのか理解していたからだ。
「それはそうとこの町のお医者さんが行方不明じゃないですか?」
 するとグランパの目が丸くなった。なんで知っているんだと?
「ああ、そうだよ。町医者のアーメイ先生と助手の医者が消えちまったんだ。金持ちの医者が貧乏人相手に練習代にしているとわかっているが、医者は医者だ。ありがたく通っているよ。もっともアーメイ先生は婿養子だよ。頭が良くて娘しかいない金持ちの医者の養子になったんだ」
 金持ちは自分の息子に技術を教え、受け継いでいくのが普通だ。その際に貧乏人を相手に医療の練習をすることが多い。もちろん金は取る。医療ミスで死んでも患者の遺族は訴えることができない。金持ちにとって貧乏人の患者など実験体、モルモットと同様なのだ。
「そうそう、あんた、ジョン・ドゥなんだろう?最近この辺りじゃ破砕の魔女が出没する話を聞いたことあるかね?」
 グランパが訪ねるが二人とも首を横に振った。町には着いたばかりだからだ。
「なんでも十歳位の赤毛の赤いワンピースを着た女の子で、物に触るとなんでも爆発させるから破砕の魔女と呼ばれているそうだ。町の自警団でも探索しているが、いまだに捕まらず困っている。見つけたら即効で殺してくれ」
 グランパの余りの物言いにフローラはかちんときた。
「殺してくれって、十歳の女の子をいじめて楽しいんですか?」
「いじめじゃないよ。その子供は破砕の手を持っているんだ。犠牲者はまだいないが、犠牲者が出る前にそいつを始末しないと町の連中は不安で夜も眠れないし、金持ちの連中は俺たちが慌てふためく姿を見て、娯楽として楽しんでいるんだ。あんたらはよそ者だからいいが、こちとらこの町にずっと住んでいるんだ。へんな横槍はやめてもらいたいね」
 グランパはそっけなく答えた。

「破砕の魔女、か。その子は本当に人に迷惑をかけたいと思っているのかな?」
 ジョンは首をかしげた。ジョンたちは露店街のひとつである食堂で食事を取っていた。この辺りは水源が豊富らしく、水田が町を囲んでいた。二人はバターで炒めたバターライスと雑草サラダを頼んだ。
「どうしてそう思うの?」
「ボクの勘だよ。その子はきっとジェーン・ドゥ、殺し屋だ。それもできたてほやほやの生まれたての卵だ。おそらく殻を突き破った瞬間、何か惨事に巻き込まれたんだ。早く見つけて保護してあげないと」
「私のときもそうだけど、ジョンは困ってる人がほっとけない性質だよね。やっぱり人と違う力を持っているから余裕があるのかしら?」
フローラが聞くと、ジョンは首を横に振った。
「力があるからじゃない。確かにボクは力を持っているけど、世の中には力に振り回される人もいる。金持ちだって与えられた環境に馴染めず自滅した人をボクは見てきた。人間は与えられた環境と、自分の持つ力を見極めなきゃならない。ボクはそう教わったんだ、君のお母さんにね」
 フローラはバターライスを食べながら、ぼんやりと考え事をしていた。
「うちのお母さんはそんな立派な人じゃないと思うけどな。でも自分のことは自分でしなさいと躾けられたっけ。何気ない一言がその人の人生をきめることってあるからね」
 ジョンもそれに同意した。
「よお、お食事中失礼するよ」
 フローラの後ろから声がかかった。黒いソフト帽に、黒いスーツの男である。もじゃもじゃ髪のニヒルな男だが、ふてぶてしい笑みを浮かべていた。
「トリガー・ハッピー……。いつこの町に?」
「名前を覚えてもらって光栄だ。町に来たのはついさっきだ。だがお前らは幸運だぜ?」
「幸運だって?」
「そうさ。いつもなら数ヶ月そこの女が住んで、町の連中と親しくなったら嫌がらせをするのが定番だった。だが今回はあのバカ、チャールズ様が文句を言い出してな。今日中にお前らをこの町から追い出したいんだとさ。あいつの頭の中はきっと早めの春が訪れているんだろうぜ」
 トリガーは近くのテーブルに座ると、テーブルの上に足を置いた。そして懐からビンを取り出すと一気に呷った。
「チャールズはどこにいる?」
「宿屋で寝ているよ。まあ、俺にとっても静かでいいがね。あのバカがわめくと頭痛がひどくていけないな」
 トリガーはこの場にいない雇い主を小馬鹿にしていた。
「そうそう、あのバカがグランパに金を出して命じたよ。宿屋にお前らを泊めるなって命じたんだ。お前らの泊まる宿は一軒もないんだ。精々ゴミ山で眠るがいいぜ。あそこならグランパの力も及ばないしな。もっとも無法地帯だから本物のジョン・ドゥ、ジェーン・ドゥのカップルが出来上がると思うがね。あっはっは!」
 そういってトリガーは立ち去った。
 宿を取ろうとしてもどの店でも断られた。グランパの影響力は絶大であった。仕方ないのでトリガーの言っていたゴミ山へ行くことにした。ゴミ山には金持ちが捨てたゴミが積まれていた。貧乏人には一生縁のない家具や衣服が捨てられていたが、そのゴミを再利用するのが貧乏人だ。貧乏人は食べるために働き、酒一杯分の贅沢で満足している。家具と衣服はゴミ山で拾えるからいいのだ。貧乏人はそういうものだと、生まれたときから諦めていた。町を出ることもなく、一生を終えるものは珍しくなかった。
 今日もゴミ山の集落では拾った酒ビンと食べ物で宴会を開くものがいた。焚き火を囲み、陽気な歌を歌っていた。
 ジョンたちはゴミ山にある宿を取った。ゴミ山にある唯一の宿であった。素材はゴミ山で拾った物だが、金持ちの使ったものだけあってかなりの高品質であった。部屋は洋服ダンスひとつにベッドが二つあり、風通しの悪い、光の届かぬ、湿った部屋であった。食事はゴミ山で拾ったもので、燻製と飲みかけのミルクにパンが出された。高級品なのでおいしかったが複雑な気分であった。
「ふぅ、ジョン、ごめんね。私のせいでゴミ山に泊まる羽目になって」
 フローラは申し訳なさそうな顔であった。
「かまわないよ。ボクは君と一緒にいられるならどこにだっていいんだ」
「ありがとう。でもチャールズが即効で町を追い出すなんて今までなかったのに。不思議だわ」
「そうなの?」
「ええ。大抵は数ヶ月は静かなの。なぜかしら?」
 もっとも考えたところで答えが出るわけでもなかった。そこで話題を破砕の魔女に変えた。
「そういえば破砕の魔女って何者かしら?十歳くらいの子供がどうしてそんな凶行を行うのかしら?」
「そいつはどうかな」
 ジョンが言った。何か含んだものが感じられた。
「そもそも破砕の魔女は自分の意思でやっているのかな?本当は能力を自分の意思で操ることができないだけなのかも」
 ジョン曰く、破砕の魔女はおそらくジェーン・ドゥ、殺し屋だという。普通は十歳になると能力を安定させるために調整されるはずだという。それなのにその子が一人でいるということは何かあったのだろう。
 ムーア兄弟も本来は家族と一緒に畑を耕し、毎年収穫祭でお菓子を買ってもらうのが楽しみだった。それが心無い凶弾が両親の命を奪い、幼い兄弟も周りの人間たちのストレス解消のおもちゃにされたのだ。いじめられ、咽び返す濃い悪意を当てられた彼らは、今度は自分たちが悪意をばら撒く側に立ってしまったのだ。
 彼らは安易に命を奪う銃に魅了された。死神の鎌のように命の蝋燭の灯を吹き消す力を持つ銃を手に取り、麦の代わりに命を刈り取るようになってしまった。自分たちは両親を殺された。だから自分たちは子供を殺し、親に子供を失う気分を味合わせ、楽しむようになっていった。
「彼らは普通の人だったんだ。それが周りの人にいじめられたから、人格が歪んでしまったんだ」
 ジョンは悲しそうな表情を浮かべた。もしかしたらジョン自身もそういう目に遭っていたかもしれなかった。フローラは口に出さなかった。
「破砕の魔女もそうだ。周りの人に魔女呼ばわりされ続けたら、本物の魔女になってしまう。幸い人を殺していないようだから、早く保護しないといけないんだ」
 ごそ。
 洋服ダンスから音がした。何かと思って開けてみるとそこには女の子が一人隠れていた。
 赤毛の髪に、赤い瞳。紅いワンピースを着た十歳くらいの少女であった。
「もしかして破砕の、魔女?」
 フローラがそう尋ねると、少女は怯えた表情で、ばたんとタンスを閉めた。
 二人は顔を見合わせると、やれやれといった顔になった。
「あなたのお名前は何ですか?ボクの名前はジョン・ドゥです」
 ジョンはタンス越しで優しい声で少女に話しかけた。
「じょん・どぅ?みんなとおなじ名前?」
 ジョンの顔が険しくなった。やはりこの少女はジェーン・ドゥであり、殺し屋なのだ。
「君はジェーン・ドゥだね。他の人はどうしたのかな?確かこの町ではガーハイム・リー・アーメイという医師が君たちを育てていたはずだけど……」
「……ころされた。黒い人たちが銃を持って、真っ赤になって死んじゃった」
 少女はか細い声で言った。
「黒い人たち……。つまり孤児院が誰かに襲撃されたってことだよね。そしてアーメイ医師は殺された、と」
「ねえ、そこにどうして医師とか孤児院が関係あるの?」
 フローラが質問してきた。それをジョンは口を濁そうとするが、代わりにタンスの中の少女が答えた。
「ユナ、ひとりぼっちだったの。おなかがすいてしかたがなかったの。だから神父様がおなかいっぱい食べられるようになりたいかと聞かれたから、ユナ、食べたいって答えたの」
「……、殺し屋候補は大抵孤児院の子供から選ばれるんだ。そして金持ちの医者が担当し、殺し屋に育てるんだ」
 衝撃の事実にフローラは真っ青になった。ジョンが孤児院に肩入れをするのは彼自身が殺し屋で、資金を与えているのだろうか?ジョンはそれを否定した。
「ボクはなるべく孤児院に寄付して、子供たちに腹いっぱいごはんを食べさせてあげたいんだ。今は昔と違って殺し屋の需要は低いんだ。ボクは賞金稼ぎをして稼いでいるんだよ」
 ジョンは吐き捨てるように言った。タンスの中の少女、ユナが言葉を紡いだ。
「ユナ、先生から名前をもらったの。ユナ・ボマーって。他のみんなは力を手に入れられなかったけど、ユナだけ身につけたの。先生はユナの力に“ディスポーザブル・ティーンズ”って名前を付けてくれたの」
「ディスポーザブル・ティーンズ……、使い捨ての十代という意味か。もしかして君の力はなんでも爆破できる力じゃないかな?」
「うん、両手をかざすとね、電磁波が発生して、物を爆破できるんだって。先生が言ってた。卵や水を入れたコップがバーンと破裂するの」
 ユナはジョンと話を聞いて落ち着いたのか、淡々と話し始めた。
 おそらくユナの力は電子レンジと同じ力なのだろう。マイクロ波を発生し、極性を持つ水分子を繋ぐ振動子がマイクロ派を吸収して振動、回転し、中の温度を上げるのである。膜や殻が付いているものは熱を溜めやすく、爆発しやすくなるのだ。電子レンジで容器を温めても容器自体は加熱されないが、中にあるものから熱が伝達され、容器自体が熱くなるのである。
「ところで君、いやユナちゃんはボクの名前がみんなと同じと言ったよね?他のみんなはどうしたのかな?」
 するとタンスの中から嗚咽の声がした。
「みんな、さらわれた……。先生に名前を付けてもらったのに、蜘蛛みたいな人にみんな連れて行かれちゃった」
 そして泣き声が聴こえてきた。
「ユナ、助けてって頼んだの。でもみんなユナのことなんか聞いてくれないの。それで野菜とか卵に触れたらつい力が暴走して爆発しちゃったの。それでみんながユナのことを魔女だって追いまわしたの……」
 ぎぃとさびた音を立てて、タンスの戸が開いた。改めて少女の身体を見てみると全体が埃で汚くなっていた。手足は傷だらけで額には石を投げられたのか、傷がうっすらと浮かんでいた。
 フローラは涙を流した。そしてユナの身体を強く抱きしめた。ユナはフローラの抱擁に戸惑ったが、彼女の腕の温かさは母親の腕のようであったためか、抱き返した。

 どぉん!
突然天井から衝撃が走った。まるで屋根の上に岩石が落ちてきたような感じであった。部屋中は埃にまみれ、視界が悪くなった。そして埃が落ち着くと部屋に落ちてきたのは一匹の異形であった。
 そいつは男であった。頭と身体は一般男性と違い、異常に丸く太っていた。そのくせ手は立っているだけで地面につきそうなくらい細長い。逆に足は子供みたいに短かく、その上樫の木のようにごつごつであった。腕が足代わりであった。。目は爛々と紅く光っており、顔中ヒゲだらけであった。おちょぼ口で、口から蛭のような長い舌をひょろひょろ出していた。蜘蛛のような男であった。
「あいつ!あいつがみんなをさらったの!」
 ユナは怪物に指差しすると叫んだ。ユナの声に反応して怪物は彼女を睨んだ。
「クモモモモッ、ここにいたのか。おとなしく俺と一緒に来てもらおうか。依頼人がお前を所望しているのでな」
「依頼人?もしかしてチャールズ・モンローの命令で動いているの?」
 フローラが叫んだ。
「クモッ?なぜそれを知っている。正確には代理人からだがな。とにかく赤毛の少女を渡せ。さっさと渡せばお前らには手を出さないぞ」
 ユナはフローラの後ろに隠れ、怯えていた。ジェーン・ドゥとして訓練は重ねていたが、まだ十歳だ。戦闘経験は圧倒的に少ない。
「渡さない」
 ジョンはフローラたちを護るように前に立ちふさがった。
「ほしければボクを倒してからにして!」
「いい度胸だ」
 そういって男はおちょぼ口から舌を出した。まるで水道管のように長い舌であった。そして丸い腹部が一瞬ぽこっと引っ込んだ。
 ピュウッ!
 舌から白い糸が吐き出された。それはジョンの身体に巻きついた。男は長い腕でバッタのように床を蹴る。その刹那男は天高く飛んでいった。ジョンも一緒に連れて行かれ、部屋に残るのは埃で咳き込むフローラとユナだけであった。

 ジョンは空を飛んでいた。正確には蜘蛛のような男の口から紡がれた白い糸に引っ張られる形であった。空は雲ひとつなく、満月が映えていた。町の光が遠く見える。まるで町が上空から撮った写真のようである。
ジョンはピーンと糸に引っ張られ、風圧で息ができない状態になっていた。
「俺の名前はコーマ・ホワイトだ。お前は完全な世界から来た、それは俺を今日追い払った世界だ。逃げ込むための今日だ!」
 コーマが叫んだ。この男もまたジョン・ドゥだ。おそらく身体障害者で、身体を改造されたのだろう。一見丸い身体は強化された肺と胃があるのだ。白い糸は唾液だ。まるでニカワのように粘りつく糸だ。あの口と舌は唾液を糸のように噴出すために整形されたのだ。
彼を追い出した完全な世界は、正常な人間の世界だ。コーマは闇の世界の住人だ。日陰でしか生きられない哀れな住人は、ジョン・ドゥになるしかないのだ。
 コーマは分胴のようにジョンを振り回し、地面へたたきつけようとした。衝突したらトマトのように潰れ、人間オートミールのできあがりだ。
 しかしジョンは体勢を整えると足をまっすぐに伸ばした。そして衝突寸前に両足をばねの様に曲げた。足がびりびりする。直前まで足を伸ばし、その衝撃をばねのように曲げることで衝撃を逃したのだ。両腕と一緒に着地すればその分衝撃を逃がすことができたのだが、今は仕方がない。
 ジョンは身体をひねり、糸を無理やりちぎり脱出した。
 コーマはにやりと笑うと再び舌を出し、糸を吐き出した。ジョンはそれを交わした。しかしコーマは笑みを絶やさなかった。
 糸はジョンではなく、ゴミ山の洋服ダンスにくっついていた。コーマは首を振るうと、洋服ダンスは糸に引っ張られ、ジョンめがけて飛んできた。
 びゅん、びゅるん!
 コーマは自分より大きな洋服ダンスを分胴のように振り回した。洋服ダンスはゴミ山を叩きつける。そのたびにゴミは散らばり、家を潰された住人は逃げ惑っていた。
 コーマは原形を留めない洋服ダンスを捨てると、ダチョウのように長い腕で大地を蹴った。そしてジョンにめがけて頭突きを食らわせた。
 ジョンの後ろには大型の冷蔵庫が捨てられていた。成人男性より高い、頑丈そうな作りだ。コーマの頭がそれにぶつかった。
 ぐしゃり。
 冷蔵庫がへこんだ。コーマはへこんだ頭を引っ張り出す。平然としていた。おそらくこういうことを予測し、額は石のように硬く鍛えているのだろう。もしくは改造しているのかもしれない。
「クモモモモッ!俺は毒だ。お前らの感覚をなくす毒。お前らの口をきけないようにする毒。お前らを誰か他の人物にする毒。だがこの世にあるどんなドラッグも、お前らをお前ら自身から救えやしないのだっ!」
 コーマは身を搾り出すような毒舌を吐いた。ジョンは悲しげにうつむくが、やがて意を決したようにコーマに問うた。
「ひとつ教えて。ボクらを狙うのはチャールズの命令なの?」
「何を言っている。俺の狙いはあの少女だけだ。俺と同じ殺し屋の力を持つジェーン・ドゥだけだ。お前が邪魔しなければこんな目に遭わずに済んだ」
 話は終わりだとコーマは再び両腕で大地を蹴った。左右にあるゴミ山に飛び回り、ジョンを錯乱させていた。その動きは人間の目では追えなかった。まるで疾風でいつの間にか飛んでくるのであった。
 ジョンはサングラスを外した。そしてジョンは見た。
 すべての視界がビデオのスローモーションのようにゆっくりと流れていく。
 これがジョンのキラースキル“スイート・ドリーム”のもうひとつの力だ。自分自身に甘い夢を見せる、つまり視力が数秒間強化され、すべての世界がゆっくりと動くようになる。そしてその世界を自由に動けるのがジョンで、そのために身体は鍛えられ、強化されているのだ。
 ジョンはコーマの首にめがけて蹴りを放った。進路を妨害され、コーマは地面へ転がった。自分の動きを止められた衝撃は強く、コーマは目を回していた。 

 ジョンはコーマを見下ろしていた。彼は怪物のような容姿だが、人間は誰でもコーマのような身体で生まれる可能性もある。目が見えない者、耳が聞こえない者、目と耳と口の三つがだめな者もいる。障害を持つ者は親に捨てられることが多い。それは金持ちのほうがさらにひどく、奇形児が生まれればすぐに殺され、その臓器を自分たちのために使われ、化粧品などに精製されるという。
「お兄ちゃん大丈夫?」
 ユナが駆け寄ってきた。なぜか右肩には鞄をぶら下げていた。
「お兄ちゃん?」
「うん。ユナをまもってくれたから。だからお兄ちゃんて呼んじゃだめ?」
「ううん、いいよ。ボクはユナちゃんのお兄ちゃんになるよ」
「私はユナのお姉ちゃんね。よろしくね」
ジョンとフローラは手を差し出した。ユナはそれをぎゅっと握った。
「ところでユナが肩にかけてる鞄は……」
「いたぞ!魔女だ!」
ジョンが尋ねると、突如大声が響いた。それは散弾銃と松明を持った男たちであった。町を護る私設軍隊ミリシャである。大抵金持ちを護るために存在しているが、今回は特別なので、出張ってきたのだろう。
「破砕の魔女を殺せ!」
「赤毛の少女を殺せ!」
「殺さなければ町に平和は訪れない!」
ミリシャはユナを見つけると雄たけびを上げながら長剣を振り回し、銃口をユナに向けていた。ユナは涙を浮かべ、ジョンたちの後ろに隠れた。
「まずい。彼らは気が立っている。話なんか聞いてくれない。逃げるしかない!」
 ジョンはユナを抱えると一目散に逃げ出した。ゴミ山いくつか山が分かれており、山の影から別のミリシャが迫ってくるのだ。さらにゴミ捨て場にはゴミで作った住宅街があるので、その構成は迷路であった。
 ジョンたちは一度ミリシャに囲まれた。ミリシャの目はギラギラ光っており、平和を護る使者というより、小動物を追い立てて狩りを楽しむように見えた。
「ジョン。あなたの力でなんとかできないの?」
 フローラが言った。
「だめだ。ボクの力は相手がボクに殺意を抱かないとだめなんだ。彼らはユナちゃんに殺意が向いている。それに辺りは暗くて視界が悪い。力を発揮するには厳しいんだ」
 ジョンは苛立たしく言った。そういえば町に入る前にムーア兄弟とやりあったとき、ジョンは彼らのかけていたサングラスを外させた。ジョンの力は直接目で見ないといけないのかもしれない。殺し屋といえど万能ではないのだ。
するとユナがミリシャの前に出た。鞄から水筒を取り出し、それを投げた。
 ドォン!
 水筒は爆発し視界は霧に包まれた。おそらくユナがキラースキルで水筒の水を熱したのだ。そして熱が溜まった水筒は一種の爆弾となり、爆発したのだ。ジョンたちはその隙に逃げ切ったのであった。

 ジョンたちは無事町から逃げ出した。フローラは荷物を置き忘れてしまったが、ユナは鞄を持っていた。その中には先ほどの水筒のほかに、紅いワンピースと紅い靴、そして金貨とカンパンに缶詰、別な水筒が入っていたのだ。
「この鞄はどうしたの?」
「知らない女の人がくれたの」
 フローラの質問に、ユナが答えた。
「知らない女の人?そんな人がいたの?」
 ジョンはフローラを見た。フローラはユナと一緒にいたはずだ。しかしフローラは首を横に振る。彼女はその女性を見ていないようだ。いったい鞄をくれた女性は何者だろうか。
(今回都合よく話が進んでいた気がする)
 ジョンは町の出来事を整理してみた。
 ユナとの出会いは、チャールズが自分たちを待ちの宿屋に泊まれないように細工したから、ゴミ山のただひとつの宿屋に泊まることになった。そこでユナと出会えたのだ。
「それにコーマ・ホワイト。彼はチャールズ・モンロー、正確には代理人らしいけど、彼の目的はあくまでユナちゃんだった。チャールズの狙いがフローラを苦しめることだとしても、ボクらがユナちゃんと出会ったのはついさっきだしね」
 見ず知らずの少女をいじめてフローラが心を痛めるとは思えない。コーマは執拗にユナを狙っていた。どこかずれているのだ。洋服のボタンのように掛け違えている。ジョンはそう思えてならなかった。

 トリガー・ハッピーは町にある宿屋の二階で、その様子を遠くから望遠鏡で眺めていた。テーブルの上には弁当箱があり、中にはサンドイッチが詰まっていた。
「どうやらうまく逃げてくれたようね」
 トリガーの後ろから声がした。艶のある女性の声である。トリガーは後ろを振り返らない。どうやら知人のようだ。
「ああ、なんとか誘導するのに苦労したぜ。それにしてもやつの代理がこの町に来るなんて寝耳に水だった」
「こちらもうかつだったわ。あの子らを早く町から追い出すのに必死だった。なんとかあいつらがあの子らを追わないよう工作しておくわ。あなたもあの子達の後を追ってちょうだい。そしてあいつらの影が見えたらあの子達を町から逃がしてほしいの」
「そんなの言われなくてもわかりますよ。それが俺の仕事ですからね。ところであの子、ユナと出会わせたのはあなたの仕事ですか」
「ええ。本当なら私がユナの保護者になるはずだった。今はあいつらの前に顔と名前を出すわけにはいかない。でも彼がついているなら安心だわ」
「よほどあいつを信頼しているんですね」
「ええ」
 言葉はそれっきりであった。トリガーは弁当箱からサンドイッチを取り出して食べた。そして扉が開かれた。
「ニョホホホホッ!あいつらは別の町へ逃げたじょ〜。早く追ってやつらの先回りするんだじょ〜。じょ〜」
 頭の悪そうなしゃべり方をする少年であった。ぼっちゃん刈りに黒縁めがね。青い吊りズボンに紅い蝶々ネクタイをした典型的な金持ちのボンボンであった。トリガーの雇い主であるチャールズ・モンローである。
 トリガーはやれやれと頭を振りながら、旅の準備を始めた。
 コーマはすでに逃げ出した。
「ミリシャをけしかけたのはあんたか?」
 トリガーは宿屋の二階から通りを見下ろした。銃を持つミリシャが魔女を殺せといきり立っていた。
「ニョホホホホッ!魔女はよく知らないけど、あいつらがゴミ山にいるから嘘を教えてけしかけてやったんだじょ〜」
 チャールズはにやにや薄気味悪い笑みを浮かべていた。トリガーは話を聞いておらず、ただ空を眺めていた。全てを知るのは夜空の満月だけだが、言葉を語ってはくれなかった。

『第三話 ニューモデルo\五』

 三人の男女が何もない荒野を歩いていた。実際は一本のアスファルトで作られた道路を歩いていた。三人とも十代後半やそれ以下であった。
 男のほうは十代後半で端正な顔立ちだがどこか幼い印象があった。金髪でサングラスをかけており、黄色いジャケットを着てジーパンを履いていた。
 女性のほうも十代後半で器量はそこらへんにいそうな町娘といったところで、ポニーテールで青いワンピースを着ていた。背中には鞄を背負っていた。
 最後は十歳くらいの少女であった。赤毛に赤い瞳、赤いワンピースに赤い靴を履いた赤尽くしであった。
 三人は新しい町に向かっていた。道路をまっすぐ歩けば必ずどこかの町にたどり着く。しかし見渡す限り何もない。障害物が何もない荒野であった。太陽は容赦なく三人をあぶっており、女性のほうは帽子を被っていたが、男のほうは何もかぶっていなかった。そのくせ汗ひとつかかず平然としているのである。
 ゆらゆらと陽炎が揺れ、この世の世界とはかけ離れていた。さらに歩くと集落が見えてきた。アバラ小屋が数軒建っており、周りは畑で広がっていた。さらに防風林で囲まれていた。牛を飼っているのか、泣き声が聞こえてくる。
集落の中心には井戸があり、そこには数人の男たちが馬車を止め、水を汲み、馬たちにも水を飲ませていた。そして干草を食べさせていた。
 三人は小屋のひとつに入った。店は狭く、テーブルが四つに椅子が四つずつ置いてあった。店内には馬車の持ち主であろう商人たちが食事を取っていた。
「水をください」
 男が店主に声をかけた。ローブを羽織った五十代の中年女性であった。化粧っ気はなく、女を捨てた印象があった。
「水は一杯銅貨一枚だよ。水筒は銅貨十枚だ」
 店主はぶっきらぼうにそう答えた。男はポケットから金を取り出し、店主に渡した。銀貨一枚であった。
「ボクらに水をください。それと食事もお願いします。あと今夜泊まりますので」
あいよ、と言って店主は店の奥に消えていった。そして男は連れの女性に声をかけ、テーブルに座らせた。
「疲れたね。でもここで休めば町まであと半日で着くよ。でも今日はここで泊まるよ」
「そうね。でもユナは大丈夫?途中でおんぶしてもよかったのに」
 ユナと呼ばれた少女は首を横に振るった。
「がんばるもん。ユナがんばれるもん」
「そうだよね。ユナはジェーン・ドゥ候補だったんだ。体力には自信があるもんね」
 少年が言った。
「そういうものなの?」
「そういうものさ。ボクのようなジョン・ドゥは五歳から特殊な訓練を受けているんだ。そして十歳になって能力に目覚めなければ育成方針が変えられる。ジョン・ドゥになれなくても金持ちの護衛として一生過ごすことになるね」
 男、ジョンが言った。ジョン・ドゥ、ジェーン・ドゥとは殺し屋の名称である。闇の世界の商売というより、認知された職業であった。もちろん誰でもなれるわけではない。
 一緒に旅をしている女性はフローラ・スミスといい、ある町に住んでいた少女だ。わけありで今はジョンと旅をしている。そしてユナと呼ばれた少女は、正式にはユナ・ボマーという名前であり、ジェーン・ドゥであった。
「普通は十歳になったら保護司のもとで能力を調整されるんだけど、ユナちゃんは保護司に出会えなかったからね。ボクが代わりになるよ」
「保護司ってジョンにもいたの?」
 フローラが尋ねた。
「うん。そうだよ」
 ジョンは答えたがそれ以上のことは言わなかった。余り言いたくない話なのだろう。
 ジョンたちは今新しい町に向かっている。前の町は追い出されたのだ。フローラに逆恨みをする金持ちの少年、名前はチャールズ・モンロー。彼はフローラをいじめることで悦楽を得る偏執狂であった。お供にジョンと同じ殺し屋、トリガー・ハッピーを連れてフローラに嫌がらせを繰り返し、町にいられないようにするのだ。今はジョンたちがいるが、フローラ一人だったらとっくの昔に自殺していたかもしれない。
 今向かう町はシックスティシックスという町であった。養蜂が盛んな町で、町の周りは菜の花で囲まれていた。さらに菜種油の生産地でもあった。店の前にある馬車には菜種油の樽が詰まれてあった。別の町に売りに行くのである。
「それにしても前の町長が死んでくれて助かったぜ」
 別の席で男たちが話をしていた。彼らは自家製の果実酒を飲みながら、チーズを挟んだサンドイッチで食事を取っていた。
「ああ。暴君と呼ばれていたんだろう。貧乏人を徹底的に搾り取り、俺ら商人にも異常なまでに高い税金を搾り取っていたらしいな」
「町長の家は豪華で贅沢な作りになっていたそうだ。定年になっても町長の座を明け渡さず、自分の子供たちや、弟を殺して永久に町長として君臨するつもりだったらしい」
「人間はいつかは必ず死ぬのに、金を溜めて何になるやら」
「その金を争って今度は弟の息子たちが争っているらしいぜ」
「くっくっく。金持ちの骨肉の争いは面白くてたまらないな」
 男たちはげらげら笑っていた。ジョンはそれを聞くと不快感を露にしていた。
「人の不幸は蜜の味、涙の色は珠の色……か」
「でも町長が暴君になるなんて珍しくないんじゃない?チャールズみたいな人もいるわけだし」
 フローラが言った。彼女にしてみれば金持ちは貧乏人をいじめて楽しむイメージが強いようである。
「でも金持ちにもルールがあるんだ。貧乏人をこき使うのは構わないけど虐待などは許されていない。昔は暴君と化した金持ちはケルビムが炎の剣で首を焼き落としたことがあったよ。今はもう廃れたけど」
「そうなんだ。でも炎の剣って確かグランパさんがつけていた首輪でしょう?あれをどうして炎の剣と呼ぶの?」
「説明してもわからないと思うよ。もう今は炎の剣を嵌めている人は精々ナインティナイン以前からエイティエイトくらいじゃないかな。ゼロだともう一人もいないだろうし」
「ゼロ?」
「ニューエデンで最初にできた町だよ。町の金持ちは大抵その町の子孫なんだ。そして技術や科学を受け継いだ唯一の存在なんだ」
「へえ、よく知ってるね」
「教えてもらったのさ。ジョン・ドゥやジェーン・ドゥなら誰でも知ってる」
 ジョンが言うと、ユナはぷるぷると首を振った。知らないという。
「ユナちゃんは教えてもらう前だったからね。仕方ないさ。でも真実を知るととてもせつなくなるよ。このニューエデンでは金持ちも貧乏人も同じなんだ。檻から一歩も出られない囚人で何の娯楽もなく、ただ食べるだけの生を享受しなくてはならない。人の不幸な話をして憂さを晴らさなければやっていけないのさ」
 ジョンが話をしていると店主はトレイに水と食事を持ってきた。話を中断し、ジョンたちは食事を取った。

 ジョンたちは宿屋に泊まった。煎餅布団に煎餅枕という質素な部屋であった。四畳半でジョンとフローラ、ユナが三人で寝ていた。
 朝起きるとジョンたちは食事を取り、水と食料を購入すると町に向かって歩き出した。シックスティシックスに向かう馬車があれば金を払って乗せてもらえるが、あいにくそちらへ向かうものは徒歩の人間がほとんどであった。
 途中、ジョンたちは渓谷に入った。狭い谷底に馬車がぎりぎり通れる道をジョンたちは歩いた。日は滅多に差さないようで谷には露出した岩肌に、枯れ木がぽつらぽつらとにきびのように生えていた。谷はまるで獣の口のようにぱっくりと開けており、まるで獲物が口の中に入り、そのまま噛み砕いてしまいそうな、そんな錯覚がした。
 谷間からは風がびゅるんびゅるんと強く吹き、まるで旅人を風で引き返そうといわんばかりであった。
 しばらく歩いているとなにやら地面が揺れる。
 ずしんずしんとまるで象が歩いているようであった。ゆれはますますひどくなり、ジョンは辺りを見回した。
 誰もいない。ジョンとフローラ、ユナの三人だけである。
 誰だ?
 どこにいる?
 ジョンは冷静に辺りを見回すが、フローラのほうは心臓が太鼓をたたくかのようにバクバクいっていた。音の出所はどこだろう。
 ずぅん!
 突如ジョンの横にある岩の壁に衝撃が走った。そしてひびが割れた。振動の主はここから這い出るつもりらしい。ジョンは急いでフローラに走るよう命じた。自分はユナを抱きかかえ、走り出す。
 ずばぁん!
 岩の壁は粉々に砕け散った。そして粉塵とともに中からぬらりと巨大な影が現れた。ジョンはフローラにわき目も振らずに逃げろと叫んだ。
「嫌な予感がする!とにかく安全な場所まで逃げるんだ!」
 安全な場所などあるのかというフローラの心のつっこみが聞こえたわけではないだろうが、ジョンはユナを抱きかかえ、すばやく走り出した。
 そして岩の中から現れたものがあった。
 それは三メートルもある大きな男であった。禿頭で頭の大きさが半分以上も占めていた。まるで成人男性の頭が幼児の体にちょこんと乗せられた感じであった。額には十五と黒い文字が書かれていた。
そいつの目はうつろで視線が定まっていなかった。着ているものは白いパンツ一枚のみで、あとは裸であった。
巨人は逃げるジョンたちを見ると、にやりと笑い、一気に走り出した。
まるで暴れ牛が突進するかのごとく、巨人は走った。
「あれは何?」
「わからない。とにかくやばいことだけはわかる!」
 ジョンはわき目も振らず走った。巨人はもうすぐやってくる。そして巨人はジャンプした。ジョンとフローラは二手に分かれた。そして二人の間を巨人が狼のように飛びかかってきた。
 どがぁ!
 巨人は岩にぶつかった。岩にひびが入り、巨人は倒れた。そして頭をガラガラのように振ると、むくりと起き上がった。ジョンたちはまっすぐまっすぐ逃げた。
 巨人はさらに追いかけてきた。そして再びジャンプしてきた。
 どがぁ!
 再び巨人は岩にぶつかった。
「こいつ、もしかしたら知能がないのかもしれない」
「巨人なのに?」
「巨人症という病気がある。成長ホルモンが過剰産生されるために巨大化するんだ。でもあんな化け物はボクでも見たことがない!」
 どうやらジョンですらあの巨人は知らないようだ。しかし知能は低いが獲物に対する執着心は厄介だ。しかもあれだけの巨体にぶつかれば人間はひとたまりもない。岩をも砕く頑丈な身体だ。まさに生きる災害である。
「ねえ、銃とか持ってないの?あいつを倒さないとこのままじゃ息切れして死んでしまうわ!」
 フローラが提言したが、ジョンは首を振った。
「あのね。ユナたちは武器で人を殺せないんだって」
 ユナが答えた。
「どういうこと?」
「ユナたち殺し屋はね。精神手術でナイフとか拳銃で人を殺せないんだって。殺し屋は自分の特殊能力だけで殺すから、人に恐れられるから、武器を使うことはできないんだって先生が言ってた」
「その通りだよ。だからこそジョン・ドゥは特別な力を開花してあるんだ」
 ジョンはユナをフローラに渡した。そして自身はサングラスを外し、巨人を見た。
 巨人は飛んだ。まるでクジラがジャンプするかのように。ジョンは巨人の目を見た。しかし巨人はジョンを見ていなかった。
 どがぁん!
 ジョンは巨人をよける際に衝撃で岩に吹き飛ばされた。
「だめだ。こいつは目で物を見ていない。本能で行動しているんだ。だからボクの力は通用しないんだ!」
 ジョンはよろよろと立ち上がると、再びサングラスをかけた。そして構えを取った。
「こい巨人!ボクが相手だ!」
 ジョンは逃げるのをやめて、巨人を挑発した。
「ジョン、何をやっているの!」
 フローラが叫んだ。ジョンは右拳を突き出し、腰を深くした。
「あのね、あれはキラーアーツの構えなの」
「キラーアーツ?」
 フローラはユナが聞きなれない固有名詞を口にした。
「殺し屋が習う殺人格闘術なんだって。ユナも習ってた。全身の血液を拳に一点に集めて一気に放つんだって」
 ユナはさらっと言った。フローラは構えを取るジョンを見た。巨人と対峙するジョンは大人に立ち向かう赤ん坊であった。それも立って歩くことを覚えた赤ん坊だ。
 巨人はにやりと笑うとジョンに向かって突進してきた。ジョンは右拳を強く握り、左手を前に突き出した。そして巨人が大きな口を開けて飛んできた巨人に向けて右の拳を螺旋を描くように突き出した。
 ぐにゃり。
 フローラは巨人の額が歪んだように見えた。そして巨人は吹き飛んだ。
 巨人は大地に叩きつけられた。そして目と鼻、耳に口と穴という穴から血が吹き出た。そして口から泡を吹き出し、ぴくんぴくんと痙攣したあと動かなくなった。
 ジョンは力が抜けて、へなへなと大地へ座り込んだ。フローラとユナはジョンへ駆け寄った。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。キラーアーツは血液を一点に集めるからね。少し頭がくらくらするだけだよ」
「そうなんだ。でもあの巨人はいったい……」
 どがぁん!!
 再び大きな音がした。崖の上には土煙と共に大きな影がゆらりと動いた。左右対称に新たな巨人が現れた。右の巨人は腕が異様に大きく額に十四と書かれていた。左の巨人は足が異様に太かった。こちらの額には十三と書かれていた。
 グルルルルッ!!
 巨人は空ろな目でジョンたちを見ると、にやりと笑った。そしてごろんごろんと崖の上を転がり落ちてきた。
 ジョンは焦った。
 巨人一匹でもてこずったのに、さらに二匹に増えるとは思わなかった。せめてフローラとユナだけでも逃がしたかったが、身体が言うことを聞かないのだ。
「ジョン、逃げるわよ!」
 フローラはジョンを肩を担ぐとひょこひょこと歩き出した。ユナは巨人の前に立つと、両手を地面に突きつけた。
 どぉん!!
 地面は爆発を起こした。ユナのキラースキル“ディスポーザブル・ティーンズ”で地面を爆弾に変えたのだ。粉塵で前が見えなくなり、ジョンたちは逃げた。
 巨人は粉塵など物ともせず、突進してきたが、いきなり苦しみだした。二匹とも口から泡を吹くとそのまま地面へ倒れてしまった。

 ジョンたちは無事逃げ切った後、倒れた巨人たちに近づく人影があった。
 すらっとした長身で腰まで伸びた長髪に、切れ長の目に太い眉、筋の通った鼻に小さく引き締まった唇。黄色いジャケットを着ており、下は紫色のレオタードで全身を覆っていた。胸はメロンのように大きく、腰はきゅっとくびれており、尻は蜜蜂のように引き締まっていた。足の長さは全身の半分以上を占めており、スレンダービューティと呼ぶにふさわしい女性であった。
 その女性の周りには虫がまとわり付いていた。
 ぶぅん、ぶぶぅうん。
 それは四匹の蜂であった。二匹ずつ蜂は巨人にまとわり付いていた。周りには蜂が好む花畑がないのに不思議である。女性は右手を差し出すと蜂はジャケットの袖に入っていった。そして今は息絶えた巨人を見下ろしていた。
「ニューモデルo\五……。この辺りで研究が行われていたのね」
 女性は辺りを見回し、巨人が出てきた穴を見た。そしてその穴に行くと、中には医療施設のような機材がぎっしり詰まった研究室らしいものがあった。中には巨大なカプセルがあり、容器が割れていた。たぶん巨人はここから逃げ出したのだろう。
「やつらの毒牙は少しずつ、少しずつ近づいてきている。そのとき彼らは自分たちの力で抵抗できるだろうか」
 女性はつぶやいた。しかし答えるものはなく、ただ谷から吹きすさぶ風が泣き声をあげているだけであった。

 続く
2010/12/17(Fri)13:40:46 公開 / 江保場狂壱
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■作者からのメッセージ
ニューエデンというのはある世界を舞台にした作品です。超人が活躍する世界は、超人が日常的な世界に活躍させるべきだと思いました。
金持ちは永遠に金持ちで、貧乏人は一生貧乏地獄で苦しむ世界で、人がどれだけ優しくなれるか、両極端な世界だからこそ、それが際立つというか。
これからもよろしく。
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