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『線香 1』 作者:ふぐの里桜 / リアル・現代 未分類
全角7744.5文字
容量15489 bytes
原稿用紙約21.8枚
この作品では精神疾患の人物が登場してきますが、同じ疾患の人が必ずしも同じ行動や考え方をするわけではありません。フィクションのひとつとして、客観的に捉えてくださると幸いです。
 貴方の亡骸に線香を。
 シンクロする過去と今。わだかまりの先は未だ絡まり続け、掴みかけていたものはするりと掌から堕ちていく。
 ただ残るは、温もりと過去の猜疑心。
 行幸への手がかりは、物言わぬ貴方が持っている。
 新たに生まれいづる感情は我知らず歪み、腐敗臭と共に喉の奥から迫り上がる。
 甦る。
 封じ込めたはずの、あの記憶。 

***


息を吸いこむと鼻と脳の間であの匂いがした。
それは塊になって僕の頭と腹に重く圧し掛かる。すぐに視神経にまで鈍い衝撃が伝わった。体に力が入らなくて倦怠い(だるい)。教科書の数字がぼやけてきて、何も書いていない真っ白なノートがさらに白く濁った。
「高島、おい高島祐樹。おまえ寝てるのか? それとも気分が悪いのか?」
数学の教師の後者の言葉に、僕は首を縦に振った。
“あの匂い”は温かいベッドの上へ導いてくれる匂いでもあった。塾で聞いたことを繰り返す退屈な授業を抜け出して空想の世界に入ることも、安眠を貪ることだってできる。少しくらいお腹が痛くても熱の重さが鉛のように頭の中に居座っても、次の保健体育の時間に白い息を吐きながらむやみに校庭を走っているよりはずっと良かった。窓から走るクラスメートを見ると少しだけ優越感に浸れた。それは体調とは裏腹に僕を少し高揚させた。
 フラフラとする体を持て余しながら、保健室の薬のにおいの漂う中で座った。しばらくすると、脇に挟んだ体温計が鳴った。
「まぁ、37,8分。熱があるじゃないの。……きっと風邪ね、休んでなさい。」
 そういって、非常勤の女の教師は僕をベッドまで連れていって寝かせてくれた。
しかし、いつもなら洗濯洗剤の清潔な香りのする布団が今日は何の匂いもしなかった。アイロンのかかっているはずのシーツは皺だらけで、前に寝ていた人の気配すら感じられる。それは僕をがっかりさせた。しかしそれは部屋を管理する人がいないのだから、仕方の無いことだった。
 保健室の女の養護教諭は失踪した。一週間経った今でも未だに見つからなかった。彼女が学校に来なくなった2日目に、学校に警察がきていろいろ調査をしたことで、失踪したことはその日のうちに学校中に知れ渡った。そして、勝手に噂はあちこちに飛び交った。その中身は土砂崩れのあった裏山の崖で足を滑らせて落ちたというものから、駆け落ちをしてどこかで暮らしているんじゃないかというものまで、多種多様だった。
 駆け落ちの話は、彼女が恋愛で苦労しているらしいということと、女子の間でと恋愛運の高いと評判の香水をつけていたことからどんどん発展していったものだった。それに彼女は派手な美人で外交的な性格だったから“駆け落ち”というどこかドラマチックな言葉は連想しやすかったのかもしれなかった。

 しかし一週間経つと誰も、もう彼女のことを話題に出さなくなっていた。ニュースにも流れなかったし、皆騒ぎ立てることにも飽きてしまったらしかった。どこかで生きているということで、落ち着いている。今では保健室の前にかかった、養護教諭が不在であることを示すカードを見るときに思い出す程度で、それを見ない日はいつもと変わりがなかった。彼女がいなくても何もなかったかのように一日は過ぎてゆくだけだ。校長もかわりをすでに探し始めているようだった。
 
 仰向けに寝て、ところどころシミのあるくすんだ白い天井を眺めた。つまらなかったので、今度は横を向いて床の模様に目を落した。不可思議な幾何学模様が床を走っている。四角の中にまた四角。それが四つくっついて並んでいる。単純な形の集まりなのに、ちょっと視点を変えると菱形が見える。四角が交わっていて、こっちをとればただの小さな四角なのに向こうを見れば菱形。四角が見えるとき菱形はみえない。いつもは気にも留めなかった床の模様が今日はなぜか面白かった。
 そういえば昔国語の教科書の挿絵で見たことがある。若い女性の横顔の絵で、視点を変えたら醜い鷲鼻の老婆に見える絵だ。ええと、あれはなんていう技法だったっけ……。
 どこまでも並ぶ幾何学模様と、リンクする若い女性と老婆。2つはだんだんと重なっていく。やがて思考は、お湯の中で全身を溶かしているような感覚に阻まれた。眠りに引き込まれていく。
 
 夢のなかで僕は森のなかにいた。これは夢だとわかってしまう夢をときどきみる。それもそのひとつらしかった。
大きな樫の木を見ていると、ふいに鼻先に蝶が舞った。下を見ると僕の足の先から皮膚が剥がれていた。ペラペラとした紙のような皮膚は何百もの黄色い蝶に変わっていく。そしてかわりに僕の人間の体は消えてしまった。
 蝶は甘い匂いに誘われて優雅に森の奥へ飛んでいった。蝶の体は軽かった。そよ風に乗って、甘い蜜に誘われる方へと流れていく。
 花畑が見えてきた。明るい日差し、より近くなる甘い匂い。僕らは速度を速めた。そして、目の前に現れた色とりどりの花の中で待っていたとばかりに、甘い匂いを思い切り吸う。うっとりするような匂いだ。だけど、何かが変だ。気持ちが悪い。その中に何かが腐敗したような匂いが混ざっている。何か忘れているものを起こさせそうだった。
胃の奥から胃液がせり上がった。ひどく吐き気がする。
 花畑が消えていく。茶色くひび割れた剥き出しの土に変わってく。みるみる変わっていく景色を蝶になった僕は何もできずにただ見ているだけだった。目を凝らすと、花の消えていった跡に一本の棒のようなものが立っているのが見えた。なんだろうと不思議に思ってヒラヒラと舞いながら僕は近づいた。
 それは、手だった。人間の手。土の中から、一本だけ出ている。透き通るような青白い手には血が一筋流れていた。さっき嗅いだ匂いはそこからする。それは花畑で嗅いだ匂いをより強くした匂いだった。
――花びらが隠していたんだ。
これが匂いの元だったのだと気づいた。まるで親しい人に騙されて、暗く深い穴に突き落とされたみたいな気分だった。匂いは手から離れ、棘を持って僕の中に侵入してくる。だめだ、追い出せと体が拒否していた。それでも僕はそこから動けなかった。それは麻薬みたいに、肌寒い朝の睡魔のように僕を放そうとなかった。脳の中をぐるりぐるりと廻って、やがて犯していく。
 目の前に映る白い手は、滑らかで儚げな細い指を持っていて綺麗だった。
しばらく僕はその手を見ていた。引き寄せられるように誘われるように、僕はその掌の中にそっと留まった。僕は羽のエメラルドグリーンの鱗粉を青白い手に落した。光に反射して一粒一粒がちりばめられた宝石のカケラのように輝く。
けれど、それだけでは飽き足らなかった。その手に流れる赤い血を蜜のように吸いたいと感じた。突如現れた誘惑は、僕が従うまで放さない。
 杓子状の触角を赤に浸して吸ってみた。匂いはより強くなり、毒のように僕を支配していく。
 その瞬間、動かないはずの指が僕にせまってきた。視界が闇色に変わっていく。細い指は僕にメリメリと強い力で喰い込んできた。
羽が千切れた。
僕は音にならない悲鳴をあげた――

 
 1時間ほど保健室で寝た後、僕は起こされて早退することになった。
頭はさっき見た変な夢のせいでハッキリしなかった。担任が送ろうかと言ってくれたが、断った。
 家に帰ると母が電話をしていた。その相手は誰だかすぐに予想が付いた。 
「うちは駄目よ。だいたい裕明は本当にあの状態で大丈夫なの? まだ不安定なんでしょう? きっと、また暴れるわ。」
 裕明(ひろあき)叔父さんのことだ。相手はきっともう一人の母の兄弟の憲輔伯父さんだ。裕明叔父さんは精神分裂病という病気にかかっていた。
「うちには、可奈がいるのよ。可奈はまだ小学生だし、また祐樹のような目に遭ったらと思うといやなのよ。次は兄さんの番でしょ。」
 母は最近ずっと2つ年上の憲輔伯父さんと同じ内容の会話を繰り返している。祖母がいない今、兄弟のどちらが末っ子の裕明叔父さんを引き取るか、互いに一歩も引きもせず電話を通して言い争いを続けている。学校からも電話があったはずだというのに、僕が帰ったことなど気づいていないようだった。
「そうだ、寮は? 寮にはまだいられないの?」
 叔父さんの入院している病院には社会復帰のための寮があった。
 ――そこは2年以上いられないから、もうダメだって母さん、自分からいっていたじゃないか
 そう言葉にして言いたかった。でも、言ったとしてもどうにもならないことはわかっていた。
 うんざりして、僕は一人で二階へ上がって布団に潜り込んだ。体温計で熱を測るとさっき保健室で測ったときよりずっと高くなっていた。横になると鼓動が早くなっているのに気づいた。
 
裕明叔父さんのことを思い出した。
叔父さんは、ヒゲが生えたずんぐりした人だった。普段彼は優しく気の弱い人に見えた。そういえば、もう小学5年生の秋以来会っていない。祖母がまだ生きていた頃、裕明叔父さんは祖母の家に住んでいた。
しかし、祖母が逝ってしまってからはしばらく一人暮らしをしていた。叔父さんは初め順調にやっているかのように見えた。だが、実際は同じ職場に3日と続かなかったらしい。学歴がない裕明叔父さんを雇ってくれるところは少なかった。借金が重なって挙句の果てに自己破産をしたらしかった。
 小4の夏休み、アパートを追われた裕明叔父さんは僕の家へ転がり込んだ。それから僕の悪夢が始まった。あのとき、叔父さんが病院へいっていたらあんなことは起こらなかったのに、と思う。
「祐ちゃん、おじちゃんは今日から君の家族だよ。これからよろしくね。」
 初めて家に来たとき裕明叔父さんはそういって、僕の手を握った。その手は生ぬるくて汗ばんでいて、心なしか気持ち悪かった。
 叔父さんは名目上、僕の遊び相手と家事手伝いとして来たようだった。だが、あまり役には立っていなかった。良く絞れていない雑巾で床を拭いてべちゃべちゃにしてしまったり、皿洗いをしても汚れが残っていたりしてかえって家族の手を煩わせた。それでも、母はなんとか叔父さんに自信をつけさせようと根気良く家事を教えた。父のほうは迷惑がっているようだった。わざと、頻繁に外出をして義弟と顔を会わないようにしていた。
そんなある日、お盆に入ったということで祖母の墓参りのために熊本にいくことになった。祖母の遺品を整理することも目的だった。裕明叔父さんも共に車に乗り3時間かけて熊本に着いた。叔父さんはその間ずっと眠っていた。車に乗っている間中、僕は叔父さんと遊びたくて仕方が無かった。幼い可奈はまだ遊び相手にならなかったからだ。なぜ叔父さんがうちに転がり込んできたのかも、仕事を次々とやめさせられ、ときに破損した物の損害賠償を求めに、祖母の家に男が押しかけた理由も幼かった僕は知らなかった。ただ、純粋に叔父さんを慕っていた。
彼は祖母の家でかつての自分の部屋のほとんどガラクタといえるようなものを、家に持ってかえりたいと箱に詰めた。そしてそれを乗せようと父の新車のトランクを錆びた鉄で汚し、車体に傷をつけてしまった。そのときはさすがに父が裕明叔父さんに怒った。叔父さんは黙りこくってしまった。太った体を前後に揺らし、拗ねているようだった。
母はそんな叔父さんを見かねて、僕に墓参りのために線香とライターを買ってくるように伝言を頼んだ。母は小さい妹の可奈を抱きながら、父をなだめていた。
祖母の家の前でしゃがみこむ裕明叔父さんに話しかけようとした僕は驚いた。今まで見たこともないほど叔父さんは怒っていた。普段柔和に見える下がった目じりを吊り上げ、全身をブルブルと震わせていた。
「叔父さん?」
 おそるおそる線香とライターを買ってきてほしいことを伝えて、お金をその手に握らせることしか僕にはできなかった。
 商店街はすぐ近くのはずなのに、裕明叔父さんは1時間経っても2時間経っても帰ってこなかった。
「祐ちゃん、お母さん今手が離せないから、おつかいのついでにおじちゃんの様子見に行ってくれないかな。見つかったらおじちゃんと一緒に帰っておいで。」
 僕はお菓子代を握り締め商店街へと向かった。亡くなった祖母と何度か行ったことのある駄菓子屋で無事に買い物を済ませると、近くでパトカーの音がした。なんだろう、と好奇心で音がする方向へ走った。
 行ってみると商店街の入り口で人だかりができていた。パトカーはその中で止まっているようだった。何が起きたのかを見たいと思い、背の低さを利用して人を掻き分けてどうにかパトカーのタイヤが見れるところまできた。ちょうど警官が騒ぎを起こした張本人を車に乗せるところだった。拗ね毛の目立つ素足で半ば押し込められるようにして、その人はパトカーに乗らされていた。線香の匂いが周りに漂っていた。
 “線香を持って裸で歩き回るなんてどうかしてるわねぇ”
 “火なんて持って危ないったら。でも、火事が起きなくて良かったわ。あの人、ここがちょっとおかしいのよ。”
 そういった人は人差し指で頭を指していた。そして、老人の声が隣から聞こえたとき、頭の中に悪い予感が走った。
 “あれ、あの子知ってるよ。あれはたしか高島さんとこの末っ子じゃなかったかねぇ。昔からアレはちょっとおかしかったろ?”
僕は一目散に家に逃げるようにして帰った。
母が可奈の遊び相手になっていた。祖母の家を出る前の状態とほとんど変わっていなかった。
「祐ちゃん、おじちゃんいた?」
 母が僕の買ってきたお菓子とお釣りを受け取りながら言った。まさか、パトカーに連れられていた、とは言えなかった。それに高島なんて苗字の人なんて他にたくさんいる、叔父さんじゃないと思い込みたかった。だから、母の問いかけに首を横に振って答えた。
 夜の9時をまわって布団に入ってうとうとしかけたとき、すいませーんという野太い声がして戸がガラリと開けられた。眠たい眼を擦りながら、玄関に行くと毛布を被った叔父さんの姿と2人組みの警官の姿があった。警官は父と母に経緯を話すと目を離さないことを約束させて出て行った。
 母が叔父さんを詰った。父は眉根にしわを寄せ、明日の朝にでも家に帰るぞ、とだけ言うと奥へ行ってしまった。叔父さんは弁解するでもなく、まるで感情を持たないかのようにうつろな目で、黙って下を向くだけだった。何を言っても効き目がないと思った母は叔父さんに服を着せると、傍にあったダンボール箱にガムテープで封をしていった。
 叔父さんは僕には目もくれず、あいかわらず黙ったままガラクタばかりの入った箱を持って自分の部屋に消えていった。
 そのときは叔父さんの居場所を変えようとする話は出なかった。熊本から出てしまえば叔父さんの事件のことは近所には知られないだろう。それが父と母が叔父さんを乗せて帰路についた車の中での、無言の了解だった。しかし、そのことから僕達家族と叔父さんのあいだに亀裂が生じたのは確かだった。たびたび母と父の間で叔父さんのことで、口論が起こった。
 それから、僕はその事件について叔父さんに何も言わなかった。何を話しても決して叔父さんに理由を聞くことはなかった。叔父さん自身もその話題を避けているようだった。
 家によそよそしい空気が流れた。
 
 夏休みの終わりに叔父さんは天ぷらをしようとして油をこぼし、手に軽い火傷を負った。それから叔父さんは台所に近寄ろうともしなかった。
 部屋の隅で何もせずただ座ってテレビを一日中見て過ごす叔父さんは、まるで大きな熊のヌイグルミのようだった。もっともヌイグルミのように愛らしくはなく、しばしば忙しい家族をイライラとさせる原因となった。
 新学期に入って、小学校から帰ってから家にいる叔父さんの相手をするのは僕の役目になっていた。初めは機嫌よく誘ってくるのに、叔父さんの感情はとても不安定で途中でコロコロとよく変わった。さっきまで、仲良く一緒にゲームをしていたのに、母が叔父さんに小言をいおうとするものなら途端に激昂して僕の髪を乱暴に掴んで母を脅した。きっかけはいつも叔父さんの就職のことだった。時には刃物を持ち出して母を脅す。やめて、と泣きながら僕が訴えても彼はたびたび発作のように激昂した。そしてその後は決まって泣きながら弁解するのだった。
「祐ちゃん、ごめんなぁ。おじちゃん、もうしないから一緒に遊ぼう?」
「ほんとう? もうしない? 大声で怒鳴ったりなんかしない?」
もちろんしないよ、と顔をくしゃくしゃにして頷く。
しかし何度も、何度も繰り返されるやり取りに、僕はしだいに叔父さんを信用しなくなった。真っ直ぐ叔父さんの待つ家に帰ることをしなくなった。

「今日はなんで帰ってこなかったんだ!」
陽が暮れてからドアを開けると真っ赤な顔をして玄関に立っていたのは、母でも父でもなく裕明叔父さんだった。手には僕の野球のバットを握っていた。いつもは大好きな野球の道具だったそれが、凶器に見えた。それを持っているのが、あの激昂したときの危険な叔父さんだと認識した。僕の体は動かなくなった。
「なんでだ! なんで早く帰ってこなかったんだよ!」
――叔父さんが、怖い。
本能的に危険を察知した僕は、叔父さんの横をすり抜けて隠れ場所を探すために廊下を走った。叔父さんがそれに反応したかどうかはわからない。怯えて動かない体を無理やり動かした。
叔父さんから離れることに成功した。そのことが僕を安堵させた。
しかし、さらに居間には信じられない光景が僕を待っていた。引きちぎられたカーテン、割れた食器。至るところに物が散乱している。窓ガラスにはひびが入っていた。部屋の隅には縄で縛られた母の姿があった。保育園に迎えに行っていないのだろうか。可奈の姿はなかった。
「祐樹……? 祐樹! お願い、逃げて! お隣に逃げて警察を呼んで! 早く! 急いで!」
 警察という聞きなれない単語。泣き叫びながら懇願する母の声。普段近所の目を気にして叔父さんのことをひた隠しにしようとする母ではなかった。聞きなれない言葉と状況に、何が起こっているのか飲み込むことができなかった。動けずに僕は立ち止まったままだった。ただ、異常だと思った。少し前まで平和だった家庭が、崩れていく音が聞こえる。 
バットで壁を叩きながら、僕の世界を揺さぶりながら叔父さんがこちらに向かってくる。

――嫌だ

気づけば僕は、叫んでいた。手に近くに転がっていた包丁を持って叔父さんに突進していった。後ろで僕の名を呼ぶ悲鳴のような母の声が聞こえたような気がした。僕が刃を持って真っ直ぐ向かっていってもおじさんの太った、愚鈍な体は避けようともしなかった。
 
鈍い音がした。叔父さんの生ぬるいゴムボールのような腹が僕の頭に当たった。一瞬見上げた叔父さんの目に驚きの色が走った。喉の奥から引き絞ったような吐息を吐き出しながら、叔父さんの体がくの字に曲がっていく。

僕の手から離れた包丁が、叔父さんの左の脇腹に刺さっている。
 
2008/11/15(Sat)23:40:04 公開 / ふぐの里桜
■この作品の著作権はふぐの里桜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして!ふぐの里桜と申します。
初投稿です。この作品はどちらかといえば偏った見方で書いたものなので、誤解を生む可能性を危惧して、ずっと封印してきたものですが思い入れもあるので今回思い切って投稿させていただきました。
批判でもかまいません。ご意見、ご感想、ご指摘等よろしくお願いいたします。
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この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
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