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『向日葵』 作者:あき / リアル・現代 未分類
全角15122文字
容量30244 bytes
原稿用紙約49.5枚
母子家庭の姉妹、未散と鈴は親の愛を知らずに育った。鈴は心の病を持っている。純粋な姉妹愛。命の尊さを、向日葵という花でまとめました。


 夏休みに一度だけ父の実家へ行った事がある。未散七歳、鈴四歳の頃だ。
「おねえちゃん、おっきいおはな!」
広い庭には自分達よりも背の高い黄色の大きな花がたくさん咲いていた。
「鈴、このお花、ヒマワリっていうんだよ。お姉ちゃんずかんで見たことあるよ」
「ヒマワリおっきーい!」
未散と鈴は黄色の大輪を眩しそうに見上げた。
「その花がなんでヒマワリちゅうか知っとるか?」
祖母が縁側に座りにこやかに尋ねた。二人は首を横に振った。
「いっつもお日様の方を向いとるからよ。ヒマワリはお日様が大好きなんよ」
「へーえ!」
そう言われてもう一度見上げた花は、本当にお日様のことがとても好きなような気がした。

それから十年の歳月が流れた。
 小さな県営アパートの一室で、鈴は布団に横たわっている。
「鈴。今夜はクリームシチューだよ」
炊事場から未散が食事を載せたトレイを運んできた。
「起きれる?」
「ん……」
鈴はもそもそと座り、無表情のままスプーンを持った。
 両親は未散が九歳の時に離婚した。物心ついた頃から喧嘩の絶えない親だった。親権は母親になり母子家庭となったのだが、母は勤勉に働く人間ではなかった。取り得は三十代半ばとは思えぬ美貌だけだ。一度だけホステスとして働いたことがきっかけで、今は複数の金持ちの男の元を転々としている。このアパートには滅多に帰ってこない。
 鈴は三年前から心の体調を崩し、学校にも行けずに精神科の通院日以外はずっと布団の中だ。未散は高校生だが、学校と勉強時間以外は極力鈴の傍にいるようにしている。鈴の体調が少し良い時には時折中学校の勉強を教えてやったりもする。
 六月の晴れ間。学校の屋上。未散は中学の頃の友達で同じ高校に入学してから付き合い始めた今村将悟と弁当を食べている。
「鈴ちゃんの調子どう?」
「んー。変化なし。かな」
「そっか……」
将悟にだけは家庭のことも鈴のことも隠さず話している。
「大変だよな。お前の方がしんどくならねえのか?」
「大丈夫だよ。鈴は私の大事な妹だもん」
未散は笑ってミートボールを口にした。
弁当は毎朝二人分作る。将悟の分ではない。
自分と鈴の分だ。寝ている鈴の枕元に毎朝置いてゆくのだ。
「看病が辛いなんて思ったことないよ」
 未散は鈴に対して責任の念を持っている。まだ一人っ子だった頃『いもうとがほしい!いもうとがほしい!』と毎日のように母にせがんだのだ。それから間もなくして母は妊娠し、鈴が誕生した。
未散は鈴がこの世に生まれてきたのも、今辛い状態にあるのも、全て自分のせいだと考えているのだ。
(私が家庭のことも人間がなんたるかも知らずにお人形感覚で妹をほしがったからだ)
「ところでお前、ほんとに大学受けずに就職すんの?」
「うん」
「頭いいのにもったいねえ」
「先生からもそう言われた。けど、早く親の扶養から外れたいの。あんな親に養ってもらってるなんてもう耐えられないから」
「鈴ちゃんは?」
「まとまった貯金ができたら他所に部屋を借りて鈴と二人で暮らす」
「あんま無理すんなよ」
「無理じゃないよ。大丈夫」
未散のきりっとした微笑みに将悟は軽く息をついた。
「お前はいつも大丈夫大丈夫ってさ。大丈夫って言ってる奴に限って大丈夫じゃねえんだよ。自分で自分にそう言い聞かせてるだけ。何か困ったことがあったら俺に言えよ?俺、お前のためだったら何でもするから」
未散は微笑んだ。
「将悟は将悟でいてくれるだけでいい。それだけでいいの」
「何だよそれ。頼りにはならないってことか?」
拗ねた口調の将悟に未散はふふっと笑った。
「違う違う。逆だよ」
 七月上旬の夜。未散は一週間ぶりに入浴した鈴の髪の毛を梳いてやっている。
「そろそろ前髪切ろうか」
鈴は対人恐怖も患っているので美容室には連れて行けない。後ろ髪は腰まで伸びているが結べば何とかなる。だが前髪が鼻先まで伸びるとどうしようもない。ピンで止めても寝てる間に取れてしまうし、鈴にはそれを自分で止め直す気力もないのだ。
「よーし。今切っちゃおう」
未散は鈴を再び浴室へ連れて行った。椅子を持ってきて座らせ、ポリ袋を前に羽織らせる。
 ジャキッ、ジャキッ。小慣れたハサミの音が狭い浴室に響く。
 ジャキッ。
「あっ」
「どうしたの?」
「う、ううん。何でもないよ」
慣れが油断を招き、思い切り斜めに切ってしまった。真っ直ぐにしようと調整する度にずれてゆく。
「お姉ちゃん。なんだかいつもより切る時間が長い気がする。ハサミもおでこの上の方みたいだよ?」
「さ、最近は短い前髪が流行ってるんだよ」
 もう施しようがなくなったところで未散は散髪を終了した。
 鈴はすぐに部屋へ戻る。散らばった切った髪の片付けをしていると、急に笑い声が聞こえてきた。
「鈴!」
未散は慌てて鈴の元に飛んだ。鈴は精神疾患の一環で突然意味もなく笑い出し、呼吸困難になることが稀にあるのだ。
「大丈夫!?」
しかし駆けつけた未散はほっとした。鈴は鏡を見ながら可笑しそうに笑っていたのだ。目つきも正常だ。
「お姉ちゃん切り過ぎ!」
鈴は振り返って未散に笑顔を見せた。何日ぶりの笑顔だろう。未散は鈴の笑顔が大好きだ。滅多に笑わないからこそ、その笑顔は貴重な物だ。
「パッツンだよパッツン。今流行ってんだよパッツン切り」
しかし未散も笑いを堪え切れなかった。パッツンされすぎた和風な顔立ちの鈴は、まるで動く日本人形のようだ。
「なんか先の方ガタガタだよ?」
「ごめんごめん。夏はすぐにまた伸びるから」
古くて狭い部屋の中で姉妹は笑い合う。未散も鈴も幸せを感じていた。
 鈴が寝た後、未散は隣の布団の中で、病気になってから鈴が笑った回数を思い出していた。
 最初の数週間は全く笑わずに口も聞かなかった。それから少しずつ話をするようになり、初めて笑ったのは、中一の数学を教えてやっている時だった。未散が九九をど忘れして一の段から言い直している時だ。くすっと鈴が笑ったのだ。
『九九ぐらい私だってできるよ』
久し振りに見る笑顔。あの時の嬉しさは何物にも変え難い。
(えーっと、その次は……。そうそう、肉じゃがに肉を入れるのを忘れた時『それただのジャガだよね』って)
未散は布団の中で小さく笑った。数日無表情の時もあるが、笑顔になるとぱっと花が咲いたように可愛らしい。
未散はその後も鈴の笑顔を思い出しながら、いつの間にか眠りに落ちた。
鈴は真夜中に目が覚めた。部屋中に気持ちの悪い虫が繁殖する夢を見ていた。辺りに注意深く目を遣り、それが夢だったのだということを確認すると安堵する。
しかしすぐに重たい鬱の感情が込み上げてきた。
(私はこれからどうなるんだろう……)
精神疾患は治る気がしない。中学を卒業できるかどうかも分からない。小卒で雇ってくれる会社などない。もしあったとしても人が怖い。働ける自信などない。
(このままお姉ちゃんに頼りっぱなしなのかな……)
自分はまるで寄生虫だと鈴は思う。さっきの夢の中の虫は自分だったのではないか。自分が生きることに何の意味がある?何の価値がある?何もない。ただの生ごみだ。
 ふと隣の姉の寝顔をみつめた。泣きたい気持ちになる。しかし涙を流す気力もない。切り過ぎた前髪を触ってみる。
 鈴は未散が大好きだ。強くて優しい存在。唯一心を開ける相手。
(だけどこのままだとお姉ちゃんの幸せを奪ってしまう)
前に『将悟』という彼氏ができたと話してくれた。だが学校が休みの日も姉は自分の傍にいる。自分のせいでデートもできないのだ。申し訳ない。しかしそれとは裏腹に、その見たこともない『将悟』という存在に激しく嫉妬している自分もいる。携帯電話で『将悟』と話したりメールを交わしたりしているのを見るのも嫌な気分になる。姉は自分だけの存在であってほしい。
(私はなんて醜い人間なんだろう)
こんな醜い感情を持っていると姉は一生幸せになれない。
(私はお姉ちゃんの重たい足かせだ)
激しい自己嫌悪が責め立てる。するといつもの幻聴が囁き出した。
『だからいつも言ってるだろ。お前なんか早く死ねよ。早く死ねよ。早く死ねよ。早く―』
(分かってるよ!)
鈴は枕元のペットボトルの水で常備している精神安定剤を数錠呑み込み、シーツに丸まって固く目を瞑った。
数日後の朝。未散がいつものように弁当を作っていると、急に玄関の扉が開かれた。驚いて振り返ると、そこには母が立っていた。高そうなワンピースに指輪、ピアス、ネックレス。髪は金髪になっている。
「入ってくる時はチャイムくらい鳴らしてって言ってるでしょ」
未散は母を睨んだ。
「なんで自分の家に入るのにチャイムなんか鳴らすのよ」
母は笑いながらラメ入りのミュールを脱ぎ部屋の中へ入った。きつい香水の匂いが漂う。
 母、咲子は炊事場を覗き込んだ。
「何作ってんの?」
「見れば分かるでしょ。お弁当よ」
「二人分?あんた男できたんだ」
にやけた母の表情に未散は苛ついた。
「違う。鈴の分」
「ああ、あの子」
咲子は寝室のふすまを開けた。そして眠っている鈴を一瞥するとすぐに閉めた。
「相変わらず辛気臭いわね。死体みたい」
眉をひそめる咲子を未散は無視して弁当作りを続ける。
「全くあんな死人みたいな子の分まで生活費渡すのはもったいないわ。顔はいいんだから風俗にでも入れればいいのよ。マグロでも金は貰えるわ。まして未成年。おいしいわよ」
未散は母の暴言には慣れていたつもりだったが、この発言にはさすがにかっとなった。
「それが母親が娘に対して言う言葉!?」
咲子は高い声で笑った。
「冗談よ。怖い顔しちゃってまだまだ純情ね」
それから煙草を取り出し火をつけた。
「でもこんなことになるんならやっぱり子供は一人で良かったわ。あんな出来損ない産まなきゃよかった」
「料理してる場所で煙草吸わないでよ」
「あんたも鈴がいたらろくに遊べもしないでしょ。さっさと入院させちゃえば?費用ぐらい出せるわよ。高校生の夏なんて初体験の絶交のチャンスじゃない」
「私はママみたいに無計画に十八で子供産んだりしないから」
「まあ生意気になっちゃって」
咲子はせせら笑う。
「ま、あんたもママに似て綺麗な顔してるんだから、ちゃんとボディケアしときなさい。美人ってのは何かと得なもんよ。ママに似て良かったわね」
「急いでるんだから無駄話はやめてくれる?」
すると咲子は流し場の水道で煙草の火を消し、ブランド物のバッグから封筒を取り出した。
「じゃあこれ三十万。もうすぐ夏休みだから奮発しといたわ。ママは明日からイタリアに旅行だから。じゃあね」
咲子はテーブルに札束の入った封筒を放るように置くと、アパートから出て行った。
 玄関のドアが閉まると、未散は唇を噛みしめて拳を震えさせた。滲み出ようとする涙を必死に堪える。
 自分の事はどう言われても気にしない。だが鈴を故意に傷つける言葉は許せない。鈴の精神疾患の原因は両親の離婚、そして母親の極度な愛情不足だと医者から言われている。『死体みたい』『風俗に』『産まなきゃよかった』鈴を病気に追い込んだ張本人が何をほざいているのだ。だが今は母が男から貢がせた金に頼るほかない。未散の心は怒りと悔しさで崩れてしまいそうだった。
 一学期が終わるまであと約一週間。
いつもこの時期は心が浮ついて授業に集中できない将悟だが、今年は最近の未散の元気のなさが気になり授業に集中できずにいた。
何度悩みを聞きだそうとしても『何でもない』『大丈夫』と笑顔で返されてしまう。そんな健気なところがとても好きなのだが、少しは自分を頼ってほしい。
(長所イコール欠点。欠点イコール長所……だよなあ)
将悟は学校の成績はあまり良いとは言えないが、人の心の機微はよく分かる性格だ。故に未散が今何か大きな悩みに突き当たっていることをありありと感じるのだ。
逆に未散は成績は良いが、人の優しさには臆病だ。将悟の陽気さと大らかさに惹かれているが、人の優しさは裏に何か隠しているのではないかと思ってしまう。未散も親の離婚と無責任な母親によって全く心に傷を負っていないわけではないのだ。
昼休み。屋上に座り、未散と将悟は梅雨の明けた青空を眺める。風が未散のセミロングの黒髪を揺らす。
二人は暫く黙っていたが、やがて未散がぽつりぽつりと話し出した。
「小さい頃……、まだ親が離婚する前、一度だけお祖母ちゃんの家に行った事があるんだ。そこでね、初めてヒマワリを見たの」
「ヒマワリ?」
「うん。大きいやつ。たくさん咲いてた」
「へーえ」
「それでね、お祖母ちゃんがヒマワリの名前の由来を教えてくれたの」
「あ、知ってる知ってる。いっつも太陽の方を向いてるからだろ?」
「うん。そう。でもね、割と最近知ったんだけど、ヒマワリが太陽の方を向くのは、花がつぼみの時期までなんだ。一度開花したら向きは変わらないの」
「そうなんだ」
未散はそれからぼんやりと空を見上げた。
「別に、ただそれだけの話なんだけど。……私なんでこんな話してんだろ」
将悟は柔らかく微笑んだ。
「例えるなら、未散と鈴ちゃんだな」
「え?」
「未散が太陽で、鈴ちゃんがつぼみのヒマワリ」
「なにそれ」
未散は笑った。
「私そんなに輝いてないし」
「鈴ちゃんから見たらすごく眩しく見えてるって」
「何言ってんの」
未散は笑うが、将悟は真面目な顔をした。
「でも太陽も時々は休まねえと、花を咲かせる前に光を使い果たしちまうな」
未散は戸惑った顔をした。
「なあ」
顔を覗き込んできた将悟に未散はほんのり頬を赤らめる。
「何?」
「夏休みになったらどっか遊びに行かね?」
「え……」
未散はためらった。
「でも鈴が……」
「日帰りならいいんじゃねえか?」
付き合って一年を過ぎるが、二人はデートというものをしたことがない。将悟は事情を理解しているのでそのことについて別に不満はないのだが、未散を息抜きにと思ったのだ。未散も鈴の傍にいるのが日常になっているので、将悟と遊ぶことなど考えたこともなかった。しかし将悟は本当は自分と遊びたいのをずっと我慢しているのかもしれないと思う。
(もし断ったら離れていく?)
未散は急に不安になった。今将悟を失くしたらと考えるとひどく怖い。
「そうだね。日帰りならね」
未散は笑顔を見せてOKした。
「よっしゃ!」
将悟は喜んだ。
「どこ行く?どっか行きたいとこある?映画?遊園地?ゲーセン?」
無邪気に嬉しそうな将悟を見ていると自然と笑みがこぼれた。
「そんな急に言われても決めらんないよ」
「じゃ、メールでいろいろ相談しよ」
「うん」
二人は空の弁当箱を持ち、仲良く教室へ戻った。
 高校が夏休みになると、姉のメールの回数が増えてきた。十分間隔くらいで着信音が鳴る。相手はどうせ『将悟』だろう。鈴は無表情に天井を眺めている。
孤独だ。何故自分はこんなことになってしまったのだろう。何も悪いことなどしていないのに何故こんな病気にならなければならないのだろう。自分だって友達や恋人を作ってみたい。だけど他人は怖い。矛盾する頭が憎らしい。それに比べて姉は万能だ。家事も勉強もできて恋人もいて自分にも優しい。
『死体みたい』
母親の言葉をふと思い出す。あの日鈴は目を閉じていただけで眠ってはいなかったのだ。姉と母の会話は嫌でも耳に入ってきた。
 鈴は咲子をほとんど母親と認識できていないので『母親』から言われたのだということは全く苦ではなかったが、言葉自体は重たかった。
(本当に死体だよね。私は何も出来ないんだもん。ただ息してるだけ。死ぬまでずっと、ただ息をしてるだけ)
くすくすと小さな声を出して自嘲する。その自分自身の笑い声が引き金となり、神経が急に高まった。様々などろどろとした感情が頭の中で踊り出す。
『狂人のショーの始まりだ』
幻聴が囁きかけた。鈴は大きな奇声を発した。そして手元にあった本を持ち、その角で自分の頭を打ち殴る。布団をはみ出して部屋中を転げ回り、キャーキャーと叫びながら腕や足をいろいろな物にわざとぶつける。頭の中の狂人達がそうさせる。自分の事を憎み蔑み嘲笑う狂人達が自分の体を使って虐げる。
 すぐに未散が駆け寄り鈴をしっかり抱きしめた。
「鈴! 落ち着いて!」
「こわいー!」
鈴は幼子のように未散の腕の中でもがきながら泣き出した。
「こわいよー! こわいよー!」
完全に錯乱してしまっている。その頭の隅に咲子の顔が浮かんだ。その名前は分からなかったが、鈴はそれが母だと認識した。
「ママー! ママー! どうして帰ってきてくれないの!? 鈴いい子にしてるよ!? なんにも悪いことしないよ!? もうジュースもこぼさないからあ!」
「鈴!」
泣き喚く妹を抱きしめながら未散も涙がこぼれた。
離婚してから初めて姉妹二人だけで過ごした夜。その時も鈴はこうやって泣いていた。未散も不安でたまらなかった。夜は永遠に続くような気がして、一睡もできなかった。
あの夜から鈴の世界はずっと夜のままなのだろうか。ずっと母親の帰りを待ち続けているというのだろうか。
(あいつはもう母親なんかじゃないんだよ。どれだけいい子にして待ってたってもう優しいママは帰って来てくれないんだよ)
未散は咲子が憎らしく、鈴があまりにも可哀相で、涙がとめどなく流れた。
暫くして鈴の喚き声がすすり泣きに変わると、未散は涙を拭い、睡眠薬を飲ませた。
「大丈夫だからね。少し眠ったらお日様昇るからね。明るくなるからね」
鈴の涙もティッシュで拭ってやり、鼻水も拭いてやる。そして優しく頭を撫でる。
「……お日様のぼったらママ帰ってくる?」
「うん。必ず帰って来るよ。大丈夫だよ」
鈴は未散の言葉を聞くと本当の幼児の様に満面の笑みになった。
「鈴いい子にして寝るね」
「うん。おやすみ」
親指をしゃぶりながらうつ伏せになった鈴はすぐに眠りについた。未散はそっと部屋の電気を消し、暫く鈴の寝顔を眺めていた。
 それから数日が過ぎた。鈴はあの発作以来落ち着いている。
 昼間、焼き飯を食べながら、未散は鈴に話しかけた。
「ねえ鈴、お姉ちゃん明日ちょっと出掛けるんだけど、いいかな?」
「どこ行くの?」
「うん。ちょっと。夕飯の時間までには帰るから」
鈴は勘が働いた。
(『将悟』とデートだ)
「その間、鈴一人で大丈夫かな」
鈴は内心暗くなったが微笑んでみせた。自分に姉の幸せを邪魔する権利などない。
「大丈夫。調子が悪くなったらすぐ薬飲んで寝るから」
「本当に大丈夫?」
未散は自分だけ遊びに行くことが後ろめたい。だが将悟も失いたくない。
「大丈夫だよ。学校があってる時だっていつも大丈夫だったでしょ?」
「そう……。そうだね。お昼ご飯作って行くから」
「うん」
鈴は微笑みの仮面のまま頷いた。
 翌日鈴が目を覚ますと、姉は既にいなかった。枕元に弁当箱が置いてある。
(……学校。今日は学校の日。そう思ったら平気だもん)
しかしトイレに行く際、ハンガーに姉の制服が掛かっているのを見ると、気分は落ち込んだ。
 未散は約束の時間より少し早く映画館に到着し、将悟を待った。初めて見せる私服姿。安物仕立てで笑われはしないだろうか。将悟はどんな格好で来るのだろう。不安と期待が入り混じる。
 街に出ること自体久し振りなので、建物も行き交う人々もまるで別世界のようだ。輝く夢のような明るい世界。家族連れ、カップル、女の子達のじゃれあい。
(私、場違いじゃないかな)
自分はこんなキラキラとした風景にとても溶け込めそうにない。
「未散っ」
声に横を見ると、将悟が駆け寄ってきた。
「ごめん。待たせた?」
「ううん」
未散は無意識に慌てて首を振る。将悟は緑色のTシャツに黒のジーンズというラフな格好だった。
(なんか将悟らしい)
制服姿の時とそんなに違和感を感じず、未散は少しほっとした。
「未散かわええ!」
「えっ」
将悟の自分を見る目に思わず赤くなる。未散はベージュ系のワンピースにショートパンツ、サンダル。メイク等はしていないしアクセサリーも何も付けていない。髪型もいつものままだ。
「そんなことないよ。全部安物だし、地味だし」
「いや可愛いって!やべ、なんか俺ドキドキしてきた」
将悟はあからさまに赤くなり頭を掻いた。
 欲目でなくとも、色白で顔もスタイルも良い未散はノーメイクでも充分ほかの少女と引けを取らない。健康的に伸びた長い脚も魅力的だ。未散は顔が母親に似ていることを常に嫌だと思っていたが、将悟に『可愛い』と言われると素直に嬉しく感じた。
 映画が始まるまでまだ少し時間があるので、未散と将悟は館内でジュースを飲む。
「映画なんて何年振りだろ」
未散はだんだん楽しくなってきた。
「小学生以来かな。小六の時、鈴と二人で見に行ったんだ。アニメ。子犬の感動物でね、私も鈴も最後は大泣きだった」
リラックスしてきた未散の表情に、将悟は相槌を打ちながら微笑む。
「でも一番感動したのは内容じゃなくて、画面と音量の大きさだったな。映画ってこんなに大きいんだーっ! て」
未散は笑う。
「楽しい思い出だな」
「うん。鈴が発病するまでは二人でいろんな所に行ってたの。プリクラ撮ったり買物したり」
「そっか。昔から仲良かったんだな」
「そうよ。だって鈴は」
未散はそこで口をつぐんだ。『私が母親に頼んで産ませた』なんて重たいことを今言ってはいけない。せっかくの雰囲気を壊してしまう。
「鈴は…、可愛いもん」
焦る未散の心を救うように、その後すぐに開演の時間となった。
 映画はコメディ一貫の邦画だった。他の客や将悟と一緒に未散も笑いっぱなしだった。
 映画が終わるとハンバーガーを食べに行った。店内で食べるのは初めてだ。少し緊張する。二階の窓際の席に座り、街の人通りを見下ろしてみる。やはり明るく輝いて見える。
未散は将悟に尋ねてみた。
「ねえ、私、浮いてない?」
「ふ?」
将悟はハンバーガーに噛り付きながら未散を見た。
「何から浮いてんだ?」
「えーと、あの、街の中のほかの人達から」
「全然」
「浮いて、ない?」
「うん。何気にしてんだよ」
将悟は笑った。
「久し振りだから気構えてんだろ」
「そうかな」
「家も学校も街ん中も変わりねえよ。未散は未散だろ。それに別に浮いてたっていいじゃん。『この人は浮いてます』って警察に通報されるわけでもねえし」
その言葉に未散は笑顔になった。
「そうだね」
未散にとって将悟は不動の大木のようだ。傍にいるだけで心地よく、安心できる。その明るさは若葉のようで、優しさは幹に流れる水のようだ。
 店を出ると電車に乗りマリンパークへ行った。初めて生で見るイルカのショーやペンギンにはしゃぐ。はぐれないように手を繋ぎ、歩きながらソフトクリームを食べる。
(デートってこんなに楽しいんだ)
未散は改めてそう思った。
 最後はカラオケへ。未散は行った事がないので予定に入れるのを躊躇していたのだが、何事も経験だと将悟に説得されたのだ。
将悟はカラオケが大好きだ。そして実際歌も上手かった。流行の歌を流暢に唄いこなす姿を未散は惚れ惚れと眺めた。新たな魅力の発見だ。
「はい次はお前の番。曲何入れる?」
「えっ。ま、まだ決めてない」
「なんだよー」
将悟は唇を尖らせる。
「私歌えないし」
「そんなことねえって。何か知ってる歌あるだろ」
将悟は未散の隣に座り、分厚いページをめくり出した。肩と肩が触れ合い、未散はどきっとする。
「これ知ってる?」
将悟は有名な女性歌手のヒット曲を指差した。
「う、うん」
「じゃあこれな」
「えっ」
うろたえる暇もなくマイクを持たされ曲が始まった。未散は唄うことは唄ったが、引け腰でとてもぎこちなかった。曲が終わり顔を真っ赤にしている未散を将悟は思わず抱きしめたいほど愛しく思った。
「ちゃんと音程取れてるじゃん。もちっと堂々と大きな声で! じゃあ次これな」
「えー! 次は将悟の番でしょ!?」
「未散が慣れるまで未散の番」
「いやだー!」
将悟は容赦なく次々と曲を入れた。未散は仕方なく唄う。しかし五曲ほど唄っているうちにぎこちなさはほとんどなくなり、綺麗な声には感情さえこもるようになった。未散自身も気持ちよくなってきた。
「やるじゃん」
「もう疲れた! 次は将悟!」
未散は照れながらマイクを置きごくごくとジュースを飲む。
「がんばりましたー」
将悟はふざけて未散の頭を撫でる。顔と顔が近い。頬を赤らめた未散に将悟は堪らなくなり唇を奪った。ほんの一秒足らずのキスだったが互いにファーストキスだ。二人とも真っ赤になり、鼓動が高鳴る。
「じゃ、じゃあ次俺歌います!」
「う、うん!」
未散は体中が熱くなった。
 カラオケでは何故か時間の経つのが速いものだ。二時間程のつもりだったが、未散が何気なく携帯の時計を見ると軽く三時間を越えていた。いつもならもう夕食の時間だ。
「どうしよ!」
「どうした?」
「早く帰らなきゃ!」
 鈴は珍しく昼寝もせずにずっと起きていた。枕元の時計を眺めている。
(お姉ちゃん遅い……)
『夕飯の時間までには帰るから』
しかしもうその時間は過ぎてしまった。
 アナログ時計の秒針の音が耳から頭に響き渡る。
 『将悟』とのデートがそんなに楽しいのだろうか。鈴は嫉妬に駆られたが、ぐっとその気持ちを胸に押し込んだ。
(そんなの当たり前だよね)
こんな寄生虫の世話をするより、男と遊んだ方が楽しいに決まっている。
 しかし寂しさはつのった。そしてその寂しさはやがて不安に変わった。
(もしかして帰って来ない?)
言い知れぬ焦燥感に動悸が早くなる。
(もうここに帰って来ないの?)
その時幻聴が囁いた。
『帰って来ないさ。もう二度と』
鈴はその言葉に錯乱した。
『また捨てられたんだな』
幻聴は低く笑う。
 未散はバスから降りるとアパートへ走り出した。将悟も後を追う。未散の帰りを遅らせてしまったことを自分から鈴へ謝りたいと思ったのだ。
 息を切らせてアパートへ辿り着き、階段を上り、ドアの鍵を開ける。
「鈴ごめん! 遅くなっちゃった!」
未散はそう言いながら部屋の中に入ったが、返事はない。眠っているのか。
「鈴」
寝室のふすまを開けてみる。しかし布団に鈴の姿はなかった。
「鈴、どこ?」
トイレも開けてみたがいない。
「風呂は?」
「鈴は一人の時にお風呂入らないんだもん。音もしないし」
だが未散はもしかしているのかも知れないと思い、浴室の扉を開けた。
 目を見開いた。呆然と立ち尽くす。
 鈴はパジャマのまま浴槽の水に浸かっていた。そしてその水の色は真っ赤だった。傍らに包丁が転がっている。鈴は浴槽の縁に頭をもたれ、真っ白な顔で目を閉じていた。
「鈴…」
未散は唇を震わせた。駆け寄り、体を揺さ振る。
「鈴!」
とても冷たい。
「鈴! 鈴! 鈴!」
ベージュのワンピースがしぶきで赤く染まってゆく。
「鈴ー!」
未散は飛び込むように冷たい水の中に入り、泣きながら冷え切った鈴の体を抱きしめた。
 将悟が救急車を呼び、鈴はすぐに、通っている精神科の病院へ搬送された。
 未散と将悟は病院の薄暗い廊下のソファに座る。処置中のランプが光っている。
 自分のせいだ。鈴を放たらかしにして自分だけ楽しい思いを味わったせいだ。自分はまるで咲子ではないか。母と同じことをしているではないか。
 未散は俯き、両手で顔を覆った。医者からは何度も鈴は入院させた方が良いと言われてきた。未散はそれを拒み続けた。可愛い鈴。自分がこの世に誕生させてしまった命。どんな苦労があってもいいから、この手で看病したかった。
「ごめん。俺のせいだ……」
将悟の言葉に未散は涙声で応えた。
「将悟のせいじゃない。私がしっかりしてなかったから……」
それから未散は将悟の胸にすがった。
「どうしよう! 鈴が死んじゃったらどうしよう! 私どうしよう!」
涙でシャツが濡れる。将悟はただ未散の背中を抱きしめてやることしか出来ない自分が情けなかった。
 ふと目を覚ますと見知らぬ天井が見えた。
(あの世にも天井があるんだ……)
それからゆっくりと周囲に視線を移す。
(あれ?)
鈴は自分が点滴を打たれていることに気が付いた。更に、傍に見知らぬ男が座っている。
「鈴ちゃん!」
その男は自分を見て驚いたように声を上げた。鈴はぼんやりとした顔で男に尋ねた。
「……ここは天国ですか?地獄ですか?あの世のどの辺りですか?」
すると男はにっこりと笑って答えた。
「死んでないよ。ここはあの世じゃないよ」
「え……」
ずきっと手首が痛んだ。腕を上げてみると包帯が巻かれている。
「はあー。良かった。目、覚まして」
男は安堵したように息をつく。
「手首と足とお腹、ちょっと縫ったけど大丈夫だって」
「……死んでないの?」
鈴はうつろに尋ねた。
「うん。死んでないよ」
「生きてるの?」
「そうだよ」
「じゃあここはこの世なんだ…」
「鈴ちゃんがいつも通ってる病院だよ」
鈴の目からは涙がつたい出した。
 鈴は狂人達に『捨てられた』と教えられ、自ら死を選んだのだ。寄生虫は寄生虫らしく、奇声主がいなくなったら死ぬべきだと思ったのだ。
(死ねなかったなんて。お姉ちゃんはもういないのに。私これからどうしたらいいの?)
「未散は今お医者さんと話してるから。戻ってきて鈴ちゃんが起きてんの見たらすっげー喜ぶよ」
(え? 『ミチル』?)
鈴は男の顔を見上げた。
「『ミチル』って、お姉ちゃんのこと?」
「そうだよ。さっきまでずーっと泣いてたんだぜ。鈴ちゃんが死んだらどうしようって」
「……嘘だ。お姉ちゃんはもう帰ってこないもん。『将悟』って男の人の所に行っちゃったもん」
「え」
「お姉ちゃんは私なんかより『将悟』って人の方が好きだから、『将悟』って人といた方が楽しいから、もう戻ってこないの。私はママにもお姉ちゃんにも捨てられたの」
「あのう、それは違うよ」
「どうしてあなたに分かるの?」
男は少し頬を赤らめ、頭を掻いた。
「俺がその、将悟だから」
「え……」
将悟は立ち上がり、鈴に向かって深く頭を下げた。
「ごめん! お姉ちゃんの帰りを遅らせたのは俺のせいなんだ! カラオケで歌ってたらうっかり時間を忘れちゃって! ほんとにごめん! 気付いて急いで帰ったんだけど……。あの、ほんとに、とにかくごめん! ほんっとごめん!」
硬く拳を握り自分に向かって必死に謝る姿に、鈴の将悟に対するこれまでの嫉妬心はふっとどこかへ消えていった。
 部屋のドアが開き、未散が入って来た。鈴が目を開けているのを見て走り寄る。
「鈴!」
未散はベッドの隙間に座り、仰向けの鈴に抱きついた。
「良かったー! 鈴が起きた!」
温もりを取り戻した鈴の頬に自分の頬をくっつける。
「もう死んじゃうんじゃないかって心配したんだからー! お姉ちゃんほんとに心配したんだからー! ごめんね! 怖かったでしょ? 痛かったでしょ?」
未散の顔は涙でくしゃくしゃだ。
「……お姉ちゃん」
「ん? なに?」
「私、生きてて良かったの?」
「そんなの当たり前じゃない」
「私が生きてたってお姉ちゃんには何もいいことないよ?」
「何言ってんのよー」
未散は鼻をずるずる云わせながら服の袖で涙を拭いた。
「鈴が死んだら鈴の笑顔が見れなくなる! そんなの嫌! お姉ちゃんは鈴の笑顔が大好きなの! 鈴のことがすごく大好きなの!」
「でもお姉ちゃんは私のせいでこの人と遊びにも行けない」
鈴は将悟に目を遣った。
「いやいや俺のことは気にしなくていいって!」
将悟は慌てて顔の前で手を振った。
「今日だって、近頃未散が元気なさそうだったから気分転換になればいいなって思って誘ったんだ。ほんとは別に遊びにとか行けなくても俺未散のこと好きだし、不満とかそういうの全然ないし!」
「ほんとに?」
そう尋ねたのは未散だった。
「私」
未散は涙顔のまま将悟を見上げた。
「私、将悟は私と学校でしか会えないのが嫌なんじゃないかと思ってたんだよ? だからもし今日のデートを断ったら、私、将悟に別れようって言われると思って、怖かったんだよ?」
「何お前そんなこと考えてたの!?」
「だって。普通だったらデートしない彼女なんておかしいでしょ?」
「ばかだなもー」
将悟はしゃがんで未散の両手をしっかりと握りしめた。
「俺は中学の時からお前の家庭のことも鈴ちゃんの病気のことも知ってっから最初からそんなこと関係ないんだよっ。断ったからって別れるわけねえだろ? お前が鈴ちゃんのこと大好きなように、俺もお前のことがすごく大好きなんだよ!」
そう言ってから将悟は顔を真っ赤にした。
「あー! 言っちゃった! 言っちゃった! 大声で言っちゃった!」
恥ずかしさのあまり将悟は病室内をぐるぐると回る。その時小さな笑い声が聞こえた。振り返ると、鈴が笑っていた。
「お姉ちゃんの彼氏面白いね」
「そうだね」
鈴の笑顔に、未散は涙を拭きながら一緒に笑った。
「鈴も将悟も同じくらい大好き。同じくらい大切」
 やがて将悟は落ち着きを取り戻し、椅子に腰掛けた。
「でさ、未散は何を悩んでたんだ?」
「え……」
「学校でもぼんやりしてたし、何か考えてたんだろ?だから元気なかったんだろ?」
将悟はいつもしっかり自分を見ていてくれている。未散は心地よく胸を締め付けられた。
「……鈴の主治医の先生がね、鈴は入院して治療を受けた方がいいって言ってるの。私は、鈴と一緒にいたいから、ずっと断ってきたんだ。でも最近、それは私のわがままなのかなって思って。入院した方が鈴にとってはいいのかもしれないと思って。私がいない時にもしものことがあったら大変だし……。でも私は鈴を手放したくなくて。迷ってるんだ……」
「そうか……。そりゃ悩むところだな」
「ん……」
しばらく部屋は静まり返った。
 しかしやがて鈴がぽつりと言った。
「私入院する」
「鈴」
未散は鈴の目をみつめる。鈴は微笑んでいた。
「私もお姉ちゃんが大好き。だから『もしものこと』でお姉ちゃんが泣かないように、私入院する」
「鈴、無理しなくていいんだよ?」
鈴は首を横に振った。
「私もお姉ちゃんの笑顔が好き。これからは将悟さんといっぱいデートして、いっぱい笑って」
未散はまた涙で目を潤ませ、鈴を強く抱きしめた。
 
 海の見える高台の公園で、未散と将悟は缶ジュースを飲んでいる。鈴が入院してから十日が経った。
「鈴ちゃん病院でどう?」
「うん。割りと調子いいみたい」
「そうか。よかったな」
「うん……」
未散は眩しい夏空を見上げた。
「私はやっぱり太陽じゃなかった」
将悟は、微笑みながらそう口にする未散の横顔をみつめた。
「太陽は鈴の方。私がヒマワリ」
未散は将悟に笑顔を向けた。
「鈴が私を咲かせてくれたんだ。鈴がいなかったら、きっと私はしぼんだままだった。今まで、鈴を守ってきたつもりだったけど、本当は鈴が光をくれてたんだ。だから頑張って来れた。強くなれた」
「そうか……」
「でね、開花したヒマワリはずっと同じ方向を向いてるって前に話したでしょ?」
「うん」
未散は少し頬を染めて将悟の目を見た。
「私、将悟の方を向いて咲いててもいい?」
将悟は驚き、それから顔を真っ赤にした。
「ももももちろん! 俺でよかったらいつまでも!」
「赤くなりすぎー」
「おおお前が超キザなこと言うからだろ!」
未散の明るい笑い声に、将悟は幸せな未来を感じた。

それから更に十年が過ぎた。未散は高卒採用の公務員試験に合格し、市役所で働いている。
日曜日。日傘をさして散歩しながら、未散は携帯を取り出し電話をかけた。
「もしもし鈴ー?明日何か予定ある?」
『明日は伸太郎クンとお出掛けだよー』
「なんだデートかあ。髪の毛切ってもらおうと思ったのにな」
『残念でしたー』
鈴は数年前美容師の免許を取り、街の美容室で働いている。心の病はほぼ完治し、まるで別人のように明るくなった。友達や、恋人さえいる。
『赤ちゃんは順調?なかなか会いに行けなくてごめんね』
「いいのいいの。順調だよ。もうすぐ性別が分かりそうなんだ」
『男の子だったらやっぱ将か悟を入れるの?』
「まだ決めてないよお。あ、仕事中ごめんね。じゃあまたね」
『うん。またね』
未散は携帯をしまい、そっと下腹部に手を当てた。
 将悟は大学を出て大手の電器メーカーで働いている。結婚式は挙げなかったが、将悟の大学卒業を待って二人は籍を入れた。
 就職前まで住んでいたアパートの部屋は母親名義で空室のままだ。咲子は相変わらず男を転々としている。きっと彼女もどこか病んでいるのだろう。未散も鈴もなんとなくそう悟るようになったが、今更世話を焼く気にはどうしてもなれない。
未散は将悟とマンションに住み、鈴は職場に近いアパートで一人暮らしをしている。
 思春期の葛藤の傷跡はまだ心に僅か残っているが、精一杯の闘いは姉妹に勇気を与えてくれた。
 いつもの散歩コースから何気なく別の道へ曲がると、未散は足を止めた。民家の庭先に大きな黄色の花が数本真っ直ぐに伸びている。ヒマワリだ。際立つ鮮やかなエネルギー。
 命はいつの時も光を求めている。未散は目を細めて太陽を見上げ、自分の子宮の中に息づいている小さなつぼみを、マタニティワンピースの上から優しく撫でた。
















2008/08/21(Thu)04:14:29 公開 / あき
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