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『灰色世界』 作者:あひる / 未分類 未分類
全角5386.5文字
容量10773 bytes
原稿用紙約15.55枚
青い空が、いつから灰色に見えるようになったのだろう。
 お前が憎かった。
 お前が羨ましかった。
 お前になりたかった。
 お前の代わりになれることを望んでいた。信じていた。願っていた。
 ずっと、ずっと。

 いつでも願っていた。本当の自分を失ってでも、それを手に入れたいと願い続けた。
「また九十八点? どうしてあなたって人は最後のところで、間違えるの?」
 これでも頑張っているんだ。これが僕の最高なんだ。これ以上望まれても、何も出てきやしない。
 そんなに責められても、成績はよくならない。それを母さんは分かっているはずなのに、なぜか溜め息と怒鳴り声を交互に出す口を止めようとはしない。
「母さん。話し中悪いんだけど、僕塾行かなくちゃ」
「そう、今日もテストがあるんでしょう? 頑張ってよね、朔。期待しているんだから」
 期待されても、何も出てない。ただそのプレッシャーに押し潰され、もっと悪くなる。それなのに、それを知っているうえに、なぜこんなプレッシャーを与えようとするのだろう。
 きっと母さんは勘違いをしている、間違っている。けれど僕が「勘違いをしている」と言えば、完全に否定するのであろう。
「お兄ちゃんと同じ血をひいているんですもの、絶対出来るわ」
 そして言葉の最後には必ずコレ。兄ちゃんとの比較。まるで僕が兄ちゃんと全く同じのように言ってくれる。
 違う、全く違うのに。兄ちゃんと僕は完璧に違う人間だ。成績だって、性格だって、好みだって、全く食い違っている。似てもいない。どっちかというと、正反対だ。
「……分かってるよ」
 だけど僕に拒否権はなかった。言われたことをただ頷いて、聞くことしかできなかった。全て意思とは関係なく、手を引かれるままに僕は行動する。自分の道を自分で開くことさえも、できない。
 だから僕は、この頃生きている意味が分からなくなった。
 意思もなく、人形のように、玩具のように、人の言うことをただ聞く。生き甲斐なんてものない。それだけの人生、楽しくも何もない。別に死んでも、構わない。今から自殺をしようと思えばできる。だけど死ぬことには抵抗があった。死ぬということが、なぜだか愚かに感じるからだ。それはとてもいけないことのように感じた。

「塾、お疲れ様です」
 きっと死ぬのがいけないことだと思うのは、こいつがいるからなんだと思う。
「ソウ……有り難う、いつも」
「いえいえ。話し相手ができて僕も嬉しいです」
 いつも塾の帰りに差し掛かる公園に住んでいる、ソウという男の子。深いわけはしらないが、浮浪児らしい。他の家をなくした浮浪者と一緒に食を分け合い、寝床を共有しているらしい。
 ソウと出会ったのは、僕がテストで悪い点を取り、家に帰りたくないと公園のベンチで時間を潰しているときだった。ソウは丁寧に僕の話を聞いてくれ、それを切欠に塾の帰りにこうやって会うことにしているのだ。
「なんだか僕は、ソウに対して本当の僕を出せているような気がするんだ」
「本当の、朔さんですか?」
 今まで自分に嘘をついてきた日々。自分を隠してきた日々。そこから僕は自分というものを忘れつつあった、失いつつあった。母さんに認められるように、偽りの自分を装った。誰も入ってこないように「本当の自分」にバリケードを張って、自分の侵入も防いでしまった。
 だけどソウと話していると、そのバリケードがセロファンのようにばらばらと剥れ、いつもまにか裸にされていた。そこにあるその姿が、映し出された。
「なんか、もう……言葉では言い表せないけど、本当に有り難う。感謝している、ソウ」
 そう言うとソウは嬉しそうに顔を赤らめて、どういたしましてと言った。こんな自然なやり取りが嬉しくて、照れくさくて、僕も少しだけ頬を紅潮させた。
「それじゃあ、僕はもう帰るね。また来週」
 時計を見ると、短針は十を指していた。塾が終わるのは九時半。もう言い訳が言えない時間になりつつある。僕はひんやりとしているサドルに跨り、思い切りペダルを漕いだ。塾から家まで、約三十分。仕方がない。塾が長引いたうえ、道が混んでいたとでも言うか。
 そんな言い訳を考えながら、あのソウとの幸せな時間を噛み締めてまたペダルを大きく漕いだ。

「何時だと思っているの?! 塾は九時半に終わったって言っているのよ」
「ご、ごめんなさい……え、と……道が、混んでいて……」
 家に着くなりの罵声。時間はもう十時半を過ぎていた。いつも帰ってくる時間に帰ってこなかったので心配した母さんが、塾に電話でもかけたのだろう。もう、塾が長引いたという言い訳は利かなくなった。
「道、混んでなんていなかったよ」
 後ろから聞こえる声。僕の言い訳を否定する奴はどいつだ、と急いで振り向くと、そこには兄ちゃんがいた。
 憎むべき兄ちゃんが。
「まあ、之彦! どこに行ってたの、心配したんだから」
「コンビニ。アイス買いに行ったんだけど、いいのなかったから遠くのとこまで行ってた」
「そうなの。けど、行くときにはちゃんと声をかけなさいよ。本当に心配したんだから」
 母さんは僕のときと打って変わっての態度だった。そんなに兄ちゃんがいいの? 僕じゃその代わりになれないの? いや、兄ちゃんの変わりになるなんて嫌だ。僕自体を、母さんは認めてくれないの? 僕は兄ちゃんより頑張っているのに。
 兄ちゃんを嫌ったのは、いつからか。きっと母さんの態度からだろう。いつもできる兄ちゃんとの比較。最初はそれだけにうんざりしていた。
 けれどそれは、いつしか兄ちゃんへの憎しみへと変わった。
 知ってしまったのだ。兄ちゃんは天才だと。それは家をリフォームすることになって、一時アパートに居座ることになったときだった。兄ちゃんと僕は同室になり――以前は別室だった――僕は兄ちゃんの行動を見ることができるようになった。
 僕の生活は何も変わらなかった。朝起きて、朝食、勉強。そして昼食、勉強。夕食、風呂に入って、勉強。そして十一時になると鉛筆を机に置き、就寝。毎日狂うことなく、やり続けた。勉強尽くしで、いつしか僕は遊ぶことを知らない人間となっていた。だが兄ちゃんは、違った。僕よりも成績が上回るはずの兄ちゃんは、違った。
 朝起きて、朝食、ゲームをやり、午前は終了。午後からは友達と映画にゲームセンター、7時に帰ってくると風呂に入って夕食。そのあとはテレビを見ながら三十分間で宿題を片付けた。そして十時に力尽きたように寝る。
 全く違った。僕と。何が同じだと言うんだ? 同じ血なんだろ? それなのに、なんで違うんだよ! 僕だけこんな苦労をして、馬鹿みたいじゃないか。
 それなのに兄ちゃんはいつもトップだった。何も勉強をしていないのに、トップを保持していた。僕は、僕はいつも3位! トップなんか、1度もなれやしなかった。
 勉強に全てを捧げてきた人生。それを初めて悔やんだ。
「なんで? なんで兄ちゃんは勉強していないのに、トップなの? どうして僕はこんなに頑張っているのに……」
 だから僕は母さんに泣きついた。こんなことをしていても、いつになってもトップになれない。望まれることはできない。それなのにどうして、兄ちゃんは……。
「昔から持っている、才能だよ。お兄ちゃんはね、天才なの。あんたは違うのね、朔……。それなら、実力でのし上がりなさい」
 テンサイ。それで全てを片付けられた。それがショックで、悲しくて。
 僕の限界はここなんだ。これ以上は、できないんだ。のし上がれないよ。何回もそうやって叫び続けたけれど、母さんはただ目を伏せるだけだった。
 僕は認められる結果を求められないと知った。だけどそれを認められることはないから、ただ言われるままにした。
 ちゃんと兄ちゃんは「天才」だからと、理由をつけてそれを知りたがる好奇心を押し込めた。兄ちゃんはズルくない。仕方がない、と。それにこれ以上聞いたら、母さんに見放される。それだけを、そのときは恐れていたから。だから言われるままにしたがって、何年間も勉強をし続けた。結果は表れなくても、その経過を母さんは見てくれるから努力を認めてくれるだろうと思った。
 だけど、それは一言で崩れた。兄ちゃんの、何気ない一言で。
「よく勉強するね。たまには休息も必要なんじゃない?」
 その言葉に体全体が凍りついた。忙しそうに動いていた手が止まった。
 僕に休息を取る暇なんてないんだ。休息なんて取ったら、遅れてしまうんだ。1分でも1秒でも、僕には惜しいんだ。きっと遅れてしまっては、母さんから見る僕が「少し頭の良い僕」から「頭の悪い僕」へと変わってしまうんだ。
 僕は震える声で小さく言った。
「生憎僕は兄ちゃんみたいに天才じゃないからね」
 僕は生まれつき頭の良かったわけじゃない。ここまで実力で追い上げた。兄ちゃんみたいに、生まれつきみたいなズルいやつではない。これは僕の能力であり、努力の賜物なんだ。
 だから一生懸命勉強しないと、これ以上にもいけない。いけなかったら、どうなるかお前に分かるものか。
 一生懸命勉強して、それが結果とならなかったときのショック。兄ちゃんはいいんだろうな。無駄に勉強しなくても、授業を受ければ全て記憶されて、テストのときに困ることなんてない。
 僕ばかり勉強して、馬鹿みたいだ。
 扉が止まる音と同時に、涙が溢れた。悔しかった。悲しかった。
 こんなに頑張っても、成績があがらない。それなのに兄ちゃんは、ぐんぐんとあがっていく。何もしていないのに。
 それに納得いかなくて。受け入れられなくて。悔しくて。どうして僕は兄ちゃんじゃないのだろうと、何かと物にやつあたりした。
「うっ……な、んで……僕ばっかり……」
 兄弟なのに、ずっと一緒にいたのに、兄ちゃんが好きだったのに。どこから道が分かれたのだろう。何が違ったのだろう。どうして同じ人間じゃなかったのだろう。
 もっと兄ちゃんが頑張って勉強しているのであれば、その結果に納得はいく。けれどただ生まれつき? 天才だから? そんな一言だけで、僕の数年間の苦労を馬鹿にするな! そんな言葉で、片付けるな!
 無性に腹が立った。天才の兄ちゃんは母さんに褒められて、努力をしている僕は母さんに認められない? そんなのおかしいよ、普通じゃないよ。それなら僕は努力をしてもしなくても、変わらないじゃないか……。もう僕は、母さんに認められないと決められているじゃないか。
 この頃から僕は兄ちゃんを拒絶し、自分の殻に閉じこもった。兄ちゃんがいなければ母さんは僕が「頭の良い僕」だと思っていただろう。そんな感情も芽生え始めてきた。

「……もう、之彦は人を心配させるのが得意ね」
「ごめんね、変な心配かけちゃって」
 僕がいないかのように、会話は紡がれている。僕は玄関に立ち尽くしたまま、兄ちゃんと母さんを見つめたいた。
 羨ましかったのかもしれない。「今日の晩御飯は何?」と聞いたら「今日はカレーよ」と返ってくるようなその会話が。僕の場合だったら、「今日の晩御飯は何?」と聞けば「そんなことはどうでもいいから、勉強しなさい」といつも返ってくる。
 そんな「勉強」の毎日。いい加減、嫌気がさした。勉強だけでなく、束縛される生活に。
「母さん、あがってもいい……?」
 2人の会話を中断し、少し控えめに言ってみる。もう20分が経過する。いい加減足も痛い。
「ああ、いいわよ。早く寝なさい」
 なんだよ、さっきまでの態度と打って変わって違うじゃないか。きっとそれは兄ちゃんのせい。母さんは兄ちゃんを前にするといつも機嫌がよくなった。いや、話を合わせようと、いい母親に見せようと頑張っているのであろう。兄ちゃんは僕と違って頭もいいうえ、力も強かった。たった1つしか変わらないのに、兄ちゃんには容姿も度胸も、全て揃っていた。女子から言うであろう、理想の男子だ。
 僕が母さんに刃向かっても、何も怖くない。力もないし、迫力もない。そのうえ僕が捨てられるのを極度に怖がっているのを知っていた。きっと母さんは、僕が反抗するなんて思ってもいないだろう。まあ、僕もその気がない。
 けれど兄ちゃんは違う。僕と違って力もあるし、勇気もある。そのうえ勉強を強いる母親が子供から嫌われるのはよくあるパターンだ。兄ちゃんなら、嫌なことがあれば殺人でも起こしかねない。だから母さんは、兄ちゃんの機嫌を損ねることを最大限に避けていた。
 何も言わなくても、兄ちゃんは成績がいいんだ。勉強なんて、しなくてもいい。そして僕のような苦労を知らない。
 僕は仲良く話している2人の間を通り、自分の部屋のノブを回した。部屋に入った途端、教科書の詰まったバッグを床に投げる。
「僕の方が、頑張ってるのに……」
 溜め息と同時に言葉を漏らし、その余韻と共にベッドに身を投げる。きちんとシーツを敷かれたベッドは、洗剤の匂いがすごくする。昨日まであった、独特の僕の匂いは消えてしまった。なぜだか寂しく感じた。というより、このベッドが自分のものではないように感じた。
 朝、学校に行く前は衣服や玩具が転がっていた床は、今はきちんと整頓されている。何一つ、乱れはない。そのうえ昨日買ってきた漫画は部屋から姿を消していた。
2007/12/22(Sat)18:18:41 公開 / あひる
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