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『勇者、はじめました』 作者:oracle / ファンタジー リアル・現代
全角12171.5文字
容量24343 bytes
原稿用紙約40.65枚
日本各地で突如、魔法が使えるようになった。
温泉業者が源泉の代わりに異界への門を掘り当てたとも。
高度経済成長のあおりで破壊された自然がブチ切れたとも。
色々言われてはいるが、本当の原因は良く分かっていない。
理由は分からないままだが、元来マニアックで勉強熱心な国民性に加え、魔法などは人型巨大ロボットと並んで慣れ親しんだお国柄。
降って沸いた僥倖に嬉々として研究を重ね、複雑な呪文体系を作り上げるのにさほど時間はかからなかった。
風の精霊であるシルフ。
彼女達を召還する魔方陣を考案した自動車メーカーは、車体をこっそり持ちあげてもらうことによって飛躍的に燃費を向上させた。
多くの人が普段使ってるポータブルオーディオプレイヤーも、日本の技術力と魔法あってこそだ。
海にから突き出した岩場に腰かけ、その美しい歌声によって船乗りたちを魅了するセイレーン。
それがコンパクトにしっかりとシール(封印)されている。
もっとも、作るときに苦労したのは彼女達を小さくシールすることよりも、モノマネを教えることだったそうだが。
とにかく、諸外国から見るとまるで魔法のような技術に見えただろう。
ただ、世の中の常として良いことばかりは続かないようにできている。
街中にモンスターが溢れ出した。
最初はそもそもモンスターなどはいなかった。
複雑な儀式と高度な精神集中によって召還を行い、あらかじめ用意しておいた封印によって、やっと現世にその姿を繋ぎ止めることができる。
そんな存在だった。
ただ、魔法が一般的になるにつれ、彼らも徐々にテリトリーを広げていった。
  お風呂場や流しの下など、暗くてじめーっとした所などは、油断するとスライムが巣を作っていた。
  彼らは1匹見かけると30匹はいると言われ、主婦達に大いに嫌われた。
田舎のばあちゃんなどはモノともせず、素足で踏み潰したりもしているが、大多数の人間にとっては触るのもエンガチョな存在であった。
狼と人間を足して2で割ったような様相のウェアウルフというモンスターがおり、
彼らは一匹をリーダーとして群れで行動する性質がある。
その協調性ゆえ、ちゃんと調教すればお手やおかわり、取ってこいなどこなす割りと馴染みやすいモンスターだ。
だが野良ウェアウルフは群れで通行人に吠え立てる、ゴミを漁るということで保健所から害モンスターの指定を受けている。
ちなみに、なぜだか水を入れたペットボトルを嫌うという習性があるため、最近では各家庭の玄関先やゴミ捨て場の周囲にはよくそれらが置いてある。
そんなありふれた今日。
一人の勇者が16歳の誕生日を迎えた。



アジが泳いでいる。
サンマも泳いでいる。
マグロやヒラメも泳いでいる。
何やら黒い影がワラワラと。
──なんてこった
ウニだ。
朦朧とした頭の中で高水亮介(たかみりょうすけ)は、これは夢だと確信した。
同時にガックリした。
いくら慶弔元年から続く江戸前の老舗魚屋である『高水魚や』の息子だからといって、夢の中まで魚づくしはあんまりだと落胆した。
父親の一徹は、寝る時にすら外さないねじり鉢巻と、本人の無責任さを体言するかのようなチョビ髭をトレードマークとし、彼はそれこそが自分のアイデンティティーだと胸を張っている。
が、息子から見れば昭和のテレビコントの亡霊にしか見えなかった。
そんな父親に、いけすで産湯を浴びさせられて以来、亮介の人生は魚まみれだった。
自分の名前よりも先に魚の名前を覚えさせられた。
小学校に上がる前には、寿司屋の湯のみに書かれた程度の魚なら逆立ちしてでも書けるようになっていた。
友達がファミコンの腕前を磨き上げていた頃には、包丁の特訓に明け暮れていた。
一徹は小学校に上がったばかりの亮介に、代々我が家に伝わる(と、本人は主張する)馬鹿デカい包丁を握らせ、毎日毎日魚をさばかせた。
その甲斐あって今では活造りはもとより、魚本人にすら気付かれない程素早く三枚におろすことだって出来ようになった。
その腕前は、おろした魚を水槽に戻してやると、それぞれが三方向、勝手に泳ぎ出す程である。
見た目は若干グロテスクなため、亮介はめったにやらなかったが。
──だからといって、イヤ、だからこそ、夢の中まで魚はねぇだろ
亮介はコブシを固く握り、陸地を目指して泳ぎだした。
暗く生臭―い魚介類の世界を抜け、日の光と風薫る哺乳類の世界へ。
希望と水着のおねーさん溢れる世界へ。
懸命に水を掻いていると、ガクンと足が重くなった。
何かが亮介の足を掴んだ。
懸命に身体を動かそうとも全く前に進まない。
進まないどころか、逆に引きずり込まれていく。
さらに、足を掴むだけでは飽き足らないのか、そこからふくらはぎ、膝、腰と亮介の身体を上ってくる。
耳元に吐息を感じた時、顔をひきつらせながら振り返った。
ねじり鉢巻とチョビ髭が見えた。



「起きろ!」
一徹の胴間声と同時に、亮介は右ストレートを放っていた。
拳は鼻と唇の間、陣中と呼ばれる急所へ見事に吸い込まれた。
声にならないうめき声をたてて床を転げまわる一徹を無視し、亮介はリビングに降りていった。
時計を見ると、普段起きる時間よりも30分は早い。
妹はまだ寝ているだろう。
一瞬、自分の部屋に戻って寝なおそうかとも思ったが、そこで1名悶絶している人間がいることを思い出し、亮介は肩をすくめながら諦めて朝食を取ることにした。
「あら、りょーちゃん。おはよう♪」
割烹着を着た母親の芳江が、いつものようにニコニコしながら朝食の用意をしていた。
いつも笑っているため、どこまでが目でどこからが笑い皺なのか、息子から見ても良く分からなかった。
目尻の泣きホクロが色っぽいと熱烈なファンもおり、彼女目当ての常連客も少なくはない。
高水家に嫁入りすると決まった瞬間、町内では多く若者が泣き崩れた。
一徹の写真を貼った五寸釘の重さに耐え切れず、多くの御神木が倒れていったと神社の神主は嘆いた。
「ほら、ボーっと突っ立ってないで。ちゃんと座って」
「あ、あぁ…げっ!」
振り返ると、芳江が両手にケーキを抱えているのを見て亮介はのけぞった。
ウェディングケーキ程の代物だ。
ご丁寧にも天辺には、肩を組んで虚空を指差す亮介と一徹の人形が乗せてあった。
太陽の像とダッコちゃん人形のようにも見えた。
芳江は美術の成績があまり良くなかった。
よく見ると、食卓の上にはから揚げやステーキ、寿司にオムライスと、朝食とは思えない数々の料理が並んでいる。
「おぉ亮介よ。お前も今日で16歳じゃ」
気が付くと涙目の一徹が真後ろにいた。
「16歳になったお前に伝えねばならんことがあるのだ」
亮介は無視することにして、豪華な朝食にとりかかった。
「ほら、亮ちゃんの好きな甘い玉子焼きもいっぱいあるからね」
「おぉ、食う食う」
亮介は甘い玉子焼きに目がなかった。
完全に流れに取り残された事に気づき、一徹は慌てた。
「お前は勇者の血を受け継ぐ者。さぁ、魔王を倒しに行くんじゃ!」
ビシッ!
オーバーアクションで亮介を指差した一徹は、そのままの格好で30秒頑張った。
亮介からのリアクションはなかった。
玉子焼きに夢中だったからだ。
「あー、もう腹いっぱい」
「残った玉子焼きは、お弁当に入れておくからね」
「サンキュー」
のどかな母子の会話。
「こらー!ちゃんとワシの話を聞けぃ!」
冷凍マグロよりは幾分マシな程度の冷たい目で一徹を見つつ、
「魔王なんざどこにいるんだよ…。だいたいね、魚屋さんはお魚を売るのが商売。魔王は倒さないの」
幼稚園児に右と左を教える様に亮介は言った。
そして鞄を手にすると、玄関に向かった。
亮介の通う大田区立平和島高等学校は歩いて1時間程の場所にある。
そろそろ学校に行く時間だ。
靴を履くと、傘立てに立てかけておいたロングソードを探した。
街のそこかしこにモンスターがうろつくようになって以来、外出時には武器を持っていくのが当たり前になった。
──ハンカチにお財布は持った?予備の矢と回復ポーションも忘れちゃダメよ
ありふれた朝の一コマだ。
小学生などは入学時に、ランドセルとお揃いのショートソードを駅前の西友で買うのが普通だ。
高校生ともなると、学校指定の武器を持ってくる真面目な生徒は稀で、各人好みの武器を装備してやってくる。
「おい親父、俺の剣どこにやった!」
春休みにバイトして買ったナイキの新型モデル。
刀身と柄の間にエアクッションを内蔵することにより、斬撃が持ち手に与える衝撃を30%軽減するのがウリだ。
亮介はご自慢の装備品が消えていることに気づき、一徹に詰め寄った。
「勇者には相応しい武器があるのだよ」
一徹は小難しい顔を作りながら、何やら子供の身長程もあるものを差し出した。
「そりゃ店の包丁じゃねぇか!」
刃渡り140センチはあろうかという巨大な包丁。
亮介はこれで、マグロの解体から大根のカツラ剥きまで器用にこなす。
こっそりとりんごをウサギさんにして、悦に入ったりもする。
亮介は意外に可愛いモノ好きだ。
「んな生臭ぇもんぶら下げて、学校なんか行けるかよ」
「ほーう。そしたら丸腰で出かけるか?」
一徹はニヤニヤしている。
丸腰で外を出歩けば、
──あら、今晩はすき焼きにしようかしら。
モンスターの若奥様に見初められ、彼女らの食卓を飾るのが目に見えている。
「ほれほれ、早くせんと遅刻するぞ。」
リビングから漏れるテレビの声が8時を告げた。



いつもの通学路。
華奢なワンドを小脇に抱えたOLが、ファストステップ(速度増加)を詠唱しながら早足で駅に向かう。
いつもの朝。
交差点ではプレートアーマーに身を包んだ緑のおばちゃんに見守られて、小学生達が横断歩道を渡ってゆく。
いつもの日常。
亮介はヤケクソぎみに包丁を肩にかついで、学校に向かっていた。
「おっはよっ!」
亮介の背中に力強く手形の痕をつけながら、明るい声が後ろから響いた。
振り返ると、身の丈以上ある杖を持った勝気そうな美少女が朝日をバックにふんぞり返って立っていた。
太陽の光が背中まで届くゆるくウェーブのかかった髪を通過し、端整な横顔を照らした。
幼馴染でクラスメイトの姫柳里緒(ひめやなぎりお)だ。
「なんだ、里緒か」
「なんだはないでしょ。可愛い可愛い里緒ちゃんに挨拶してもらったんだから、もっと嬉しそうに尻尾でも振りなさいよ」
セーラー服を勢いよく押し上げている胸のふくらみを、さらに強調するように腕を組んで里緒は言い放った。
祖母が英国人ということもあり、陶器を思わせる白い肌と整った顔立ちは、どことなく日本人離れした印象を与える。
その上、幼い頃は祖母のいるウェールズで育ったこともあり、本場仕込みの流暢な発音と豊富なスラングで、強大な魔法を操る。
──もっとも、今はその魔力の大部分は使えねぇんだよな。
「なにじろじろ見てるのよ。金とるわよ」
亮介は肩をすくめて再び歩き出した。
里緒がその横に並び、無言で歩き出す。
きっかり100メートルの間、二人は無言だった。
先に耐えられなくなったのは亮介の方だった。
「おまえこそ、なにじろじろ見てんだよ」
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
「ダメ」
亮介の言葉を無視して里緒は至極嬉しそうに聞いた。
「なんで包丁なんかぶら下げてるの?」
里緒は時折、このような嬉しそうな顔をする。
亮介と里緒がまだ小学生だった時。
サンタクロースは本当にいるのだと、半泣きになりながら主張する亮介に向かって、里緒は物理的、経済的、法律的、歴史的、その他諸々の理由を上げながら確実に、丁寧に、一つずつ亮介を論破していった。
その時と同じ顔だ。
「武器はだな、自分の手に馴染んだのが一番いいんだよ。だから、これこそがプロのツールなんだよ」
亮介の虚勢を見透かしたように、さらに満面の笑みで追い討ちをかける。
「ふーん。で、そのプロのツールが勇者の剣ってわけだ」
耐え切れなくなったように、里緒は笑い出した。
左手は自分のおなかを抑え。
右手は亮介を真っ直ぐ指差す。
ご丁寧にも目には涙を浮かべている。
由緒正しい爆笑の姿だ。
「…なんでおまえが知ってんだよ」
「亮介のお父さんが嬉しそうに言ってたわよ。俺の倅がこんど勇者になるんだって。近所の人はみーんな知ってるわ」
がっくりうなだれる亮介の顔を下から覗き込むようにしながら、急に真剣な表情で里緒が言った。
「でもマジな話、やばいんじゃないの?亮介、魔王を退治に行っちゃうのよね?」
亮介は顔を上げ、里緒の目線を正面から受け止めた。
日本人にしては色素の薄い瞳が潤んでいる。
美しい弧を描く眉の間に皺を寄せ、苦しそうな表情を浮かべながら里緒は聞いた。
「勇者の剣がそれでしょ?魔王って魚介類?その魔王はどこにいるの?南シナ海?あんた泳げる?」
弾けるような笑い声を残して、亮介は憤然と先に進んだ。
角を曲がると災厄が待ち構えていた。
ウェアウルフの初撃を受け止めることが出来たのは単なる偶然だった。
腹立ちまぎれに振り回した包丁がウェアウルフの獰猛な爪を止めたのだ。
爪を止めた勢いを利用して後ろに飛びのき、鞘代わりに巻いていたサラシを外すと亮介はすばやく包丁を構えた。
ウェアウルフが3匹。
首輪はついていない。
野良のようだ。
先頭の一際身体の大きい1匹は身体中に古傷があり、耳も片方欠けている。
かなり修羅場を潜り抜けてきたらしい。
そいつが合図すると、手下と思わしき2匹が左右から同時に亮介に襲い掛かった。
「エネルギーボルト(撃力射出)!」
里緒の手にした杖の先端から発せられた光弾が、左の1匹を打ち倒す。
亮介は残り一方を抜き胴で薙ぎつつ、そのままの速度で最後の1匹へ向かった
相手の虚を突き、一気にカタをつける。
大上段からの唐竹割り。
並のウェアウルフならばそこで勝負はついていただろう。
だが、今まで積み重ねてきた修羅場が彼の身を後ろではなく前に飛ばした。
後ろに飛んでいたら、最大限の勢いに乗った一撃によって彼は真っ二つになっていた。
しかし、前に飛ぶことによって不十分となった亮介の斬撃ならば、彼は両の爪でしっかりと受け止めることができた。
受け止めることさえできれば、彼には強力な後ろ足や、あらゆるものを噛み砕く恐るべき顎がある。
勝利を確信した。
暖かい血の感触を思い浮かべながら目の前の獲物に牙を立てようとした瞬間、何かが目の前を通り過ぎるのを見た。
それが自分を両断した包丁であったことに気付く事無く、彼の意識は消えた。
「ふぃ〜、やれやれ」
「一旦止められた状態から振り切るなんて。さすが、冷凍マグロを解体できるのはダテじゃないわね」
横に来た理緒が感心したとも呆れたともつかない声で言った。
「にしても妙だな」
亮介は首をかしげた。
「ヤツらは目さえあわせなけりゃ、縄張り深くに入り込まない限りは襲ってきたりはしないハズなんだけど」
「さぁね。おなかが空いてたか、あんたの靴下の柄が気に食わなかったんじゃないの?」
投げやりに言いながら理緒は思った。
──勇者だからモンスター達は襲い掛かってくる?まさかね。
頭を振って自分の馬鹿げた考えを払い落とし、靴下の柄を確認している亮介の首根っこをひっ捕まえて学校へ向かった。
急がないと遅刻する時間だった。



1時間目が終了するチャイムの音。
2人はようやく学校に辿り着いた。
「なんなんだろうな。今日はみんなおなかが空いてる日なのか」
やれやれといった感じで、裸足の亮介は言った。
少し歩くと、ウェアウルフ以外にも普段はそう積極的ではないモンスターまでもが攻撃してきた。
電線にとまっていたハーピーが頭上から一斉に襲ってきた時は危なかった。
狭い小道の壁一面にびっしりとスライムが張り付いている姿は、思い出しても鳥肌が立つ。
もっとも、それらは亮介の包丁でかつら剥きにされるか、理緒の魔法で吹っ飛ばされた。
理緒は思う存分魔法をぶちかますことができるため、御機嫌だった。
「何だお前ら。来たのか」
教室に入ると担任の沢崎が声をかけた。
「申し訳ありません。遅刻しました」
己の魔法により砕け散るモンスターの余韻に浸っていた理緒は、瞬時に悲しそうな顔を作りながら頭を下げる。
眉目秀麗。
成績優秀。
亮介の前とは違って、学校では大人しくしているために理緒は先生達に愛されていた。
「こら高水。姫柳に迷惑かけるんじゃないぞ」
理緒の高校生とは思えない成長っぷりの胸をチラチラ見つつ、沢崎は渋い顔を作って亮介に言った。
「だいたい高水。おまえ今日は魔王退治に行くんだろ?」
「なんでそれを…」
沢崎はさして興味もなさそうにしながら
「おまえのお父様から連絡があったからな。出席は公欠になってるぞ。授業受けるのか?」
面倒臭そうに言った。
慌てて生徒手帳を見てみると、確かに書いてあった。
『伝説のアイテム探しの場合半日。魔王退治の場合は1日を公欠とする。なお、世界を救うイベントに発展した場合はさらに2日を公欠扱いとする。』
──学校休めるなら、魔王退治も悪くないな。家帰って寝なおそう。
亮介は脳裏に浮かぶベットの感触に頬を緩ませた。
「先生!わたしも魔王退治に行きます!」
隣の理緒が言った。
「姫柳、お前は行かなくてもいいだろ。危ないぞ。怪我しちゃうかもしれんぞ」
「でも、高水君だけだと心配ですし。魔王退治のお手伝いをして皆の役に立ちたいんです」
両手を胸の前に組み、目を潤ませながら真剣な表情で沢崎を見上げた。
「とか言って。授業をサボりてぇだけ…ぐわ!」
セリフは、沢崎の死角でつま先に振り下ろされた理緒の杖により、途中で悲鳴に変わった。
「そーかー。姫柳は偉いなぁ」
沢崎はすっかり感動している。
「そしたら、ちゃんと生活指導の先生にパーティー作成届け出しておくんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
理緒はペコリと頭を下げた。
前髪に隠れた表情を伺い見ることが出来たなら、理緒が微笑んでいるのが分かっただろう。
普通ならばこちらから積極的に攻撃を仕掛ける事はタブーとされている。
モンスター愛護協会の目も煩いし、なによりもそれがお約束だからだ。
しかし、向こうから攻撃を仕掛けてきた場合はその限りではない。
正当防衛の名のもと、好きなだけ己の魔法を行使できるのだ。
骨が軋み、血と肉が爆ぜる殺戮の予感。
我知らず、頬は緩み陰惨な微笑が浮かび上がる。
顔を上げると共に陰鬱な笑顔を隠し、使命感に燃える真剣な表情に切り替えた。
「さぁ高水君。そうと決まったら購買部に予備のポーションを買いに行きましょう」
「さすが姫柳だな。高水、彼女に迷惑かけたら内申点下げるからな」
すっかり家でくつろぐつもりだった亮介は焦りながら言った。
「魔王退治つっても、どこに行きゃあいいんだよ」
何回教えてもお手が覚えられない飼い犬を見るような目で沢崎は言った。
「高水。魔王退治ならまずはお城に行って王様と会うに決まっとるだろうが。」
──城なんかどこにあるんだよ。メガネのミキにでも行けってのか?
不服そうにそっぽを向く亮介の頭に、教師の標準的な装備品であるハードカバーの出席簿(四隅に補強あり)で攻撃を加えながら言った。
「お前ちゃんと授業聞いとるのか?区役所に行くんだよ。区長に会いに行け」



──鉄の味がする。
亮介は口の中に溜まったものを吐き出した。
テレビや映画に出てくるような鮮やかな赤ではない。
黒味がかった、幾分ドロっとした血だ。
内臓もやられているのかもしれない。
「理緒。まだ生きてるか?」
頭上を飛び回るガーゴイルを切っ先でけん制しつつ、声をかけた。
「美少女がこんな暗くて汚いところで死ぬ訳ないでしょ。常識で考えなさいよ」
まだ減らず口を叩く程度の元気はあるらしい。
とは言え、ふくらはぎの傷は思ったよりも深そうで、杖にすがりついて立っているがやっとという風情だ。
服も至るところに切り裂かれた後や焼け焦げがあり、そこから覗く白い肌が艶かしくも痛々しい。
魔王の城の地下は広大なダンジョンになっており、2人はその一番奥の部屋まで追い詰められていた。
そう。
魔王の城はしっかり存在した。
教師の言葉に呆れつつも区役所に行った2人は、窓口で勇者受付が4Fにあると聞いて顔を見合わせた。
所定の申告書『勇者登録申告書(1種登録用)』に記入して、窓口の前で待つようと言われた。
ちなみに1種登録は個人用で、2種登録は法人・個人事業主用の登録らしい。
──個人事業主の勇者?
疑問には思ったが、亮介はそれを口にすることはなかった。
何回教えてもおかわりが覚えられない飼い犬を見るような目で見られるのはイヤだったからだ。
亮介はビニール紐で机と結ばれたボールペンに苛々しながら書き上げた。
理緒は壁にさしてあった『これから勇者になる方へ』というパンフレットを読んでは笑っている。
マスコットのユウ君とシャーリーンちゃんの掛け合いが面白いらしい。
亮介は書類を提出すると、理緒の隣に腰掛けて自分の名前が呼ばれるのを待った。
理緒の笑い声が思う存分魔法を行使できる興奮に変わり、さらに待たされることへの不満にと変わる頃、ようやく2人は名前を呼ばれた。
部屋の中には黒ブチメガネにバーコード頭の貧相な中年男がいた。
──区長と言うより区長の補佐か助役って感じだな。
「区長が留守なので私が。代理の田中と言います」
机を見ると『区長助役補佐 田中幸一』と書かれたネームプレートがあった。
「え〜っと、勇者の高水亮介さんにウィザードの姫柳理緒さんね」
田中は手にした書類を読みながら、2人に目をやった。
亮介は興味なさそうにちらりと。
理緒には上から下まで舐めるように。
不快そうに眉を寄せた理緒の唇が、呪文詠唱の形に動き出すのに気付いた亮介は慌てて言った。
「そうそう。勇者。なんかもらえるんだろ?」
あからさまにこんなヤツもいたなという目で亮介を見ると、田中は脇のキャビネットを開けて何かを取り出した。
「あー、ゴホン。おぉ、勇者たかみずよ」
「…たかみです」
田中は聞こえないフリをした。
「お前が魔王を倒してくれるとは心強い。外に出ると強力な魔物たちがいるだろう。これで装備を整えるが良い」
そう棒読みすると、2人に金一封と書かれた封筒を渡した。
2千円が入っていた。
「まだなにか?」
不満そうな2人の視線を受け、机に戻って書類に目を落とし始めた田中は言った。
亮介は理緒の唇がまた動き始めたのに気付いたが、今度は何も言わなかった。
その後2人は区役所前のマクドナルドでお昼ご飯を食べ、一路魔王の城を目指して京急に乗り込んだ。
電車に揺られている間中、理緒は交通費が準備金の中に含まれている事に文句を言っていた。
魔王の城の最寄駅を降りた瞬間、モンスター達が襲い掛かってきた。
迫り来るモンスター達を理緒がウェルダンに焼き上げ、亮介が銀杏切りにしていった。
城の敷地に足を踏み入れるとモンスターの攻撃は熾烈を極め、ついにここまで追い込まれてしまったのだ。
そして、亮介は改めて周囲を見回した。
仮にモンスター達にも宗教と言うものがあるならば、さしずめそれは聖堂のような施設なのだろう。
いたるところに焚かれた松明が、周囲をぼんやりと浮かび上がらせている。
揺らめく炎が作り出す光と影が、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
高い天井を支える無数の太い柱が林立しており、死角を生み出している。
壁には何に使うか想像も付かない道具が立てかけられている。
亮介はその道具がべったり血塗られていることに気付いてから、使用目的を深く考える事は放棄していた。
もっとも、血塗られているのはその道具に限ったものではなかった。
壁や柱も同様である。
床などは黒い染みと訳のわからない生き物の死体で埋め尽くされ、床本来の色は全く判らなくなっていた。
床に意識を向けた瞬間。
身の毛もよだつような奇声を上げながら、頭上のガーゴイルが亮介に踊りかかった。
亮介の限界まで引き付けた一閃により、ガーゴイルは片方の翼を切り飛ばされた。
そしてそのまま、入り口に殺到していたモンスターの群れに突っ込んだ。
最前列にいたオーガは突っ込んできたガーゴイルを掴み、血の匂いに興奮したのか、チキンを食べるかのようにその手足を力任せにもぎ取ると口に運んだ。
残りの身体は興味を失ったのか壁に投げつけた。
ボロボロになった死体に、他のモンスターが群がる。
──聖堂じゃなくて食堂かもな。
先ほどのガーゴイルにやられた肩の傷を見ながら亮介は考えを改めた。
肉が大きく抉り取られている。
訳もなく、小学生の時に我慢できずクリスマスケーキにつけた指の跡を思い出した。
指についた生クリームの格別な美味しさも。
「アイスウォール(氷結障壁)!」
理緒の声に反応して空気中の水分が凝固し、床を割って天井まで届く氷の壁を生んだ。
入り口に殺到するモンスター達と亮介達を隔てるその壁によって、少しは時間が稼げそうだった。
時間稼ぎ以上の意味があるかについては、深く考える事は止めておいた。
「サンキュー理緒。大丈夫か?」
「亮介こそ、何その格好。カートゥーンに出てくるチーズの真似?」
至るところ穴だらけの自分の姿を見て、亮介は苦笑した。
「ははは。違いない」
そして最後の1本になった回復ポーションを理緒に放り投げる。
「とりあえずそれでも飲んでおけ。傷が消えなくなると、水着が着れなくなるぜ」
理緒はポーションに半分ほど口をつけると亮介に投げ返した。
「こんな不味いのよく飲めるわねぇ。もういらないわ」
気遣いに感謝しつつ、残りを飲み干した。
いつもより回復量が多い気がした。
グオオオオオ
オーガが咆哮と共に手にした巨大な斧を叩きつけているのだろう。
氷の壁はミシミシと悲鳴を上げている。
もうさほど時間は残されていないようだ。
亮介は理緒の方に向き直った。
顔にかかる返り血の赤が、端整な顔に壮絶な色気を孕んでいた。
かぎ状に敗れたセーラー服から覗く、たわわに実った2つの白い果実。
「理緒。」
亮介は声を出してから、自分の声がかすれている事に気付いて狼狽した。
「頼みが…」
「イヤよ!」
理緒は言葉を遮り、間髪入れずに言った。
目には涙が浮かんでいる。
オーガの攻撃に耐え切れず剥離した氷の壁の破片が、上からパラパラと落ちてくる。
「もう時間がない。こんな時だけど、こんな時だからこそ。頼むよ!」
「絶対にイヤ!絶対にイヤ!絶対にイヤ!」
「理緒!」
両手で二の腕を掴み、理緒を真正面から見つめた。
亮介の手の中でか細い身体が震えているのが分かった。
「理緒」
もう一度。
今度は優しく名を呼んだ。
「…最初で最後だからね。」
目に涙を浮かべ、理緒は言った。
亮介は手の中の暖かさからフッと力が抜けるのを感じた。
刹那。
外圧に耐えかねて弾き飛んだ氷が2人の上に降り注いだ。
──綺麗だ。
そう思う亮介の視界は、轟音と共にホワイトアウトした。



「いや〜。死ぬかと思った。」
青空を見上げ、亮介はお気楽に笑った。
「うわ〜ん。もうお嫁に行けない」
その横で理緒が体育座りをし、自分の膝の間に顔を埋めるようにして泣いていた。
「理緒のお陰じゃねぇか。ホント助かったよ」
肩にポンと手を乗せる亮介へ、振り向きざまに理緒の平手が炸裂した。
仁王立ちになって亮介を睨みつけた。
「こんなことなら、やっぱりあの時死んどけばよかったわ!」
腕組みしていつものようにふんぞり返る。
左の頬にくっきり手形を残しながら、亮介は気楽に笑いながら言った。
「それにしてもお前。あれから全然成長してねぇのなぁ。」
倍ほどの勢いで、今度は左の頬に手形が浮かび上がる。
本来強大な魔力を持つ里緒。
しかし、その力の殆どを封印している。
「あの子ねぇ。胸が無い事を悩んでるみたいなのよね〜」
困ったものだと里緒の母からそのセリフを聞いたのは、亮介が中学一年の時だった。
言葉と裏腹に、あまり困ってる風には見えなかった。
──そりゃあおばさんが目の前にいればなぁ。
亮介はエプロンの上からでも分かる程に豊満な膨らみを盗み見つつ、そう思った。
「だからあの子ったら、自分の胸にエンチャントをかけるんですって」
コロコロと里緒の母は笑った。
エンチャントは自身の肉体や精神を瞬間的に増幅させる魔法だ。
通常は数十秒から数分程度。
熟練するにしたがって時間は延びてはゆく。
だが、里緒はそれを24時間かけ続けている。
尋常な魔力と精神力ではない。
その上、エンチャントをかけると同時に魔力をその胸に溜め込んでいった。
そうやって長い時間をかけて練った魔力を、先ほど解放した。
亮介は辺りを見回した。
解放の威力は凄まじかった。
地下ダンジョンは地面ごと吹き飛び、頭上に青空が大きく広がっている。
そして。
里緒の胸は悲しい程まっ平らになっていた。
──こうして見ると、随分可愛らしいな。
里緒は視線を避けるように両手で胸を隠すと
「見んなヘンタイ!どうせあんたは大きいのにしか興味ないクセに!スケベ!」
うぇーん。
また泣き出した。
亮介は変な汗を感じ、慌てて言った。
「待て待て。何か誤解してねぇか?俺はどっちかと言うと」
「…どっちかと言うと?」
「い、いや。お、俺が好きなのは…」
里緒が顔を上げ、すがるような目で亮介を見た。
轟音。
タイミングを見計らったように地面がゆれた。
里緒の魔法により城は瓦礫の山と化していた。
その瓦礫が突如沸騰し、その中からすっかり忘れられている魔王が姿を現した。
満身創痍。
里緒の魔力もソールドアウト。
流石の2人も覚悟を決めた。
自然と手を繋ぎ、そしてしっかりと抱き合う。
自分の人生を終わらせる存在を拝んでやろう。
せめて、目だけはその一瞬まで開けていようと思った。
それが人間として、自分としての最期の矜持だから。
猛然と立ち上る煙が薄れ、姿を現した魔王。
魔王は。
マグロに似ていた。
亮介の目にそれは、商品と映った。



かくして、魔王の野望は費えた。
そして、その晩の高水家の食卓は普段よりも1品多かった。
2007/06/19(Tue)01:33:36 公開 / oracle
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■作者からのメッセージ
小説を書きたいと思うことと、実際に書いてみることには大きな隔たりがありますね。
実際に手を動かしてみると、色々と勉強になりました。
こちらならば、さらに他人の目から見た批評も聞けると思い投稿しました。
批判・批評、なんでも結構ですのでリアクションを頂けると幸いです。
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