オリジナル小説 投稿掲示板『登竜門』へようこそ! ... 創作小説投稿/小説掲示板

 誤動作・不具合に気付いた際には管理板『バグ報告スレッド』へご一報お願い致します。

 システム拡張変更予定(感想書き込みできませんが、作品探したり読むのは早いかと)。
 全作品から原稿枚数順表示や、 評価(ポイント)合計順コメント数順ができます。
 利用者の方々に支えられて開設から10年、これまでで5400件以上の作品。作品の為にもシステムメンテ等して参ります。

 縦書きビューワがNoto Serif JP対応になりました(Androidスマホ対応)。是非「[縦] 」から読んでください。by 運営者:紅堂幹人(@MikitoKudow) Facebook

-20031231 -20040229 -20040430 -20040530 -20040731
-20040930 -20041130 -20050115 -20050315 -20050430
-20050615 -20050731 -20050915 -20051115 -20060120
-20060331 -20060430 -20060630 -20061231 -20070615
-20071031 -20080130 -20080730 -20081130 -20091031
-20100301 -20100831 -20110331 -20120331 -girls_compilation
-completed_01 -completed_02 -completed_03 -completed_04 -incomp_01
-incomp_02 -現行ログ
メニュー
お知らせ・概要など
必読【利用規約】
クッキー環境設定
RSS 1.0 feed
Atom 1.0 feed
リレー小説板β
雑談掲示板
討論・管理掲示板
サポートツール

『貸屋』 作者:Clan / リアル・現代 ミステリ
全角8722.5文字
容量17445 bytes
原稿用紙約25.8枚
 この世には、貸屋と言うものが存在する。ただ聞いただけでは、物資を貸して稼いでいるのかと思うだろう。間違ってもらっては困る、それは大いに違うのである。 貸屋と言うのは、一定期間のみ依頼者が望んだものを貸すのである。貸すと言っても物資ではなく、ほかでは絶対に手に入らないものを貸すのである。例えば、夢の実現や社会的名誉の獲得などである。そういったものを貸す、夢のようなものなのである。 しかし、そう世の中は甘くは無い。 この貸屋は、全国どこを探してもほとんど見つからないのである。なぜなら、貸屋はこの日本に一つだけしか存在せず、常に日本中を渡り歩いているからだ。 そんな、貸屋を見つけたられた貴方はとても幸運だ。
 

 借りたものはきちんと返さなければいけない。
 随分と前に、小学校の教師に言われた言葉であった。
「借りたものは返せ、か……くだらねぇなぁ……」
金の短髪で、大工用の作業服姿の男、円 夢路(まどか ゆめじ)は煙草をふかしながら過去を振り返った。彼、円 夢路は今ちょうど二十歳で、大工をしている。子供のころは熱心に、“大工さんになりたい”などと言っていたが、実際大工になってみると、疲れるばかりで低収入。おまけに長年大工を務めている頭領が何かと五月蝿いのである。これらの悪条件が重なれば、人間一度はこんな仕事もううんざりだと思ってしまうのである。そのせいで彼は仕事にやる気が出なくなり、大工なんてどうでもいいとさえ思ってきてしまっている。
 煙草を吸い始めて一分程度たったころ、背中のほうから怒号が飛んできた。
「夢路! 煙草吸ってる暇があったら仕事しなさいよ!」
 振り返って見ると、そこには自分と同じく作業服を着用した、いかにも男勝りな感じの女性が立っていた。髪は茶色でセミロングヘアである。
 彼女の名前は佐野 美咲(さの みさき)。夢路の幼馴染である。昔から、夢路には何かと文句ばっかりつけて、時にはなぜか母親のように叱るのである。
「ったく、幼馴染だからっていい気になっていちいち口出ししやがって」
「幼馴染だから口出しするのよ。分かったら煙草捨てて早く仕事しなさい」
 夢路は舌打ちをして火付き煙草を地面に放り投げた。火を消す気など毛頭無いといった様子で。

 既に暗闇に染められた小道を、夢路は一人歩いていた。かなり不機嫌な様子である
「あ〜! もう嫌だ! 俺に重労働ばっかさせやがって! 頭領のジジイはああしろこうしろ五月蝿いし、美咲は美咲で幼馴染っつう立場を悪用しやがって! もううんざり何だよ!!!」
 夢路は思いっきり電柱を殴りつけた。不思議と痛みは無かった。それほどに、怒っているのだ。
 一息ついて夢路は電柱に張り紙があることに気付いた。張り紙なんて、どこの電柱にもあるような物なのに、不思議と夢路は引き込まれていった。夢路は自然と、張り紙の文字を読み上げた。
「貸屋。一定期間、何でも貸します。貴方が御望みとあらば……」
 最初は新手の金融かと思ったが、何でもという文字を見て、それは違うと分かった。
 だんだんと夢路は先ほどの怒りが込み上げてきた。
「何でもか! 富も名誉もか? 馬鹿馬鹿しいんだよ!」
 夢路が電柱を思い切り蹴飛ばした瞬間。
「富も名誉もお貸ししますよ……御望みとあらば」
 夢路はびっくりして声の聞こえた方を向いた。夢路の一メートル横に、闇に溶けるような黒服の、背の高い女性が立っていた。おそらく、この女性が声の主だろう。
 夢路は一瞬だけ、目を奪われ、声を失った。その女性はつややかな黒髪に整った顔立ちの、いわゆる“絶世の美女”だったからである。
 少し落ち着いてから、夢路は聞き返した。
「富も名誉も……地位も?」
「御所望とあらば」
 女性は良く透き通る声で答えた。
「いくらだ? いくら払えばくれるんだ?」
 女性は首を横に振った。
「与えるのではなく、貸すだけです」
「分かった! だから、いくらなんだ? いくらだせば俺に地位を貸してくれるんだ?」
 女性はまたもや首を横に振った。
「代金など、必要ありません。あくまで無料で御貸し致します」
「本当か?」
 夢路は疑うような口調になった。
「実は嘘でしたなんて言わねェよな!!」
 女性は晴れやかな顔のまま、口を開いた。
「ええ。嘘などは御座いませんよ」
 数秒、夢路は女性を睨みつけた。女性のほうはまったく顔を動かさない。
「分かった。俺に地位を貸してくれ。頼む」
 女性は束の間、夢路に見入った。まるで品定めでもするかのように。
「返却日にはこちらから伺いますので、ご心配なく。返却日は丁度一年後の今日です。御忘れなく」
 それだけ言うと、女性はきびすを返して夜道を、夢路の家とは反対方向に歩き出した。それを見ると、慌てて夢路は質問した。
「いつ貸してくれるんだ?」
 女性は歩みを止めた。そして、後ろを向いたまま答えた。
「明日の朝、分かります」
 夢路にはその言葉の意味が分からなかった。
「もう一つだけ、教えてくれ」
 女性は依然として後ろを向いたままだった。
「あんた、何て言うんだ?」
「黒鳥 小夜(くろとり さよ)、特に覚えなくて結構です」
 女性の声は、なぜか刺々しかった。夢路は、自分が何か悪い事を質問したのかと思った。女性はまだ立ち尽くしている。
 不意に、背筋がぞくぞくとした。恐くなって後ろを振り返ったが、何も無かった。ほっとして前を向くと、先ほどまであった女性の姿が煙のように消えていた。夢路が疑問に思ったが、どこかの裏道にでも入っていったんだろう、と楽観的に考えた。
 ふと、空を見上げると、きらめく星にまぎれて、真っ黒な鴉が飛んでいた。
(何でこんな時間に鴉が飛んでるんだろう?)
 鴉は闇にまぎれて、遠方に姿を消していった。


 窓から差し込める日差しを感じ、夢路はベッドから起き上がった。歯を磨き、朝食を買うためにすぐコンビ二に行こうとした。
 不意に、昨日のことが頭に甦った。
 目を疑うような美女、そして、貸屋の存在。
「貸屋か……ありえねぇよな。昨日は酒飲み過ぎたせいで変な幻覚見ただけだ」
 冷静になって考えてみると、貸屋なんて無く、ただ酒によって幻覚を見ただけ、と言う結論に至った。
 何気なく、マンションの郵便受けを見ると、自室の201号室と書かれた郵便受けの中に、封筒が入っていた。特に不思議がる事でもなかったが、貸屋の一件もあったので慎重に封を開けた。中には何の変哲も無い便箋と、一枚の写真が入っていた。写真をよく見ると、高校時代の親友、矢代 祐樹(やしろ ゆうき)と肩を組んでいる自分の姿があった。夢路はしばし、その写真に見入った。高校時代の輝かしい思い出が甦ってくるようだった。祐樹との思い出は、その中でも特に素晴らしいものであった。女子にふられて落ち込んでる祐樹を慰めてあげた事もあり、時には互いの考えが合わず喧嘩した事もあった。そんな青春時代の思い出が、一気に夢路の心に押し寄せてきた。
「懐かしいな……」
 夢路は便箋の方にも目を通そうと思い、綺麗に折りたたまれた便箋を開いた。久々に見た祐樹の筆跡に、思わず笑みがこぼれた。昔から携帯電話が大嫌いだった祐樹は、手紙を送る事もしばしばあり、そのたびに半分喜び、半分呆れたことを思い出した。そんな他愛もないことを思いながら、便箋を読み始めた。
『夢路へ
 久しぶり、あの卒業の日からもう二年も経ってしまいました。
 今でも、夢路との思い出にひたるときがあります。あの時撮った写真が家にあったので、同封しておきます。
 話は変わるけど、僕は今、父の会社を継いで矢代産業の社長をしています』
 ここまで呼んで夢路は驚きで目が飛び出そうだった。祐樹の父が会社の社長である事は知っていたが、まだ若干二十歳の彼が会社を継いでいるとは夢にも思わなかった。夢路は落ち着いて次の行を読み始めた。
『僕がこの事を夢路に伝えたかったのには、ちゃんと訳があります。
 このたび、僕の父の秘書が突然辞めてしまい、困っているのです。そこで、夢路に僕の秘書をやって欲しいと思いました。もしこの件を受けてくれるのなら、今日の午後四時に、いつもの喫茶店に来てください。くれぐれも、遅れないで下さい。

                                                                       矢代 祐樹より』
 またもや、夢路に気が狂いそうな驚きが湧き上がってきた。それは同時に、驚きと同等の歓喜でもあった。
(まさか、これがあの女が貸した地位?)
 夢路は歓喜の雄叫びを上げた。マンションの住民が迷惑になるほどの大声で。
「朝からハイテンションだな〜、夢路は」
 光の射し込む、マンションの入り口付近に美咲が立っていた。
「いつの間に現れたんだよ……」
 夢路は逢いたくも無い幼馴染の来訪に、少しだけ気落ちした。
「さっきよ」
「あっそう、それで何のようだ?」
 夢路は尚も、刺々しい態度を見せた。
「……今日は仕事休みだから買い物に付き合ってもらおうと思ったのよ」
 美咲は僅かに頬を赤らめながら俯き気味に言った。
「……俺大工辞めるから」
「何で!? あれほどなりたがってたじゃん! 何でそう簡単に捨てちゃうの!?」
 夢路は少し、後ろめたくなった。自分の後を必死で付いて来てくれた美咲を置いて、一人だけ辞めるのは流石に、気が引けた。
「本気で辞める気なの?」
 美咲が少し口調を押さえて聞いた。夢路は声を出さずに、無言で頷いた。
「どうやって生活するの!? アルバイトでもする気なの!? 辞めるなんて言わないでよ! 大工続けようよ!!」
 夢路は尚も無言で、美咲に祐樹からの手紙を突き出した。美咲は手紙を開き、読み始めた。読み終えると、俯いて夢路に手紙を返した。その姿に夢路は、どうもやりきれなくなった。いつも気丈に振舞っていた美咲が、今目の前で沈黙している。その姿を見るだけで、なぜか心が痛んだ。
「……ごめん」
 気付いたときには、その言葉が口から出ていた。美咲は暫くの間俯いたまま黙っていたが、ゆっくりと顔を上げた。その顔には、予想もしなかったものが表れていた。笑顔。しかし、目は涙ぐんでいた。
「謝る必要なんてないよ! 頭領には私のほうから言っておくから心配しないで。じゃあ……秘書頑張ってね!!」
 そう言うと、美咲は逃げるように走り去った。

 約束の午後四時、夢路は喫茶店の前にいた。見上げると、“喫茶店 ミスト”という文字が目に入った。
(祐樹とよく来たっけな……)
 また高校時代の思い出が心に大挙して流れ込んできた。
 ここの喫茶店の雰囲気が大好きで毎日のように来ていた事を思い出した。夢路は祐樹を待たずに、喫茶店の中に入った。二年前と全く変わらぬ内装に、満足した。そして店内の落ち着いた雰囲気にも、満足が出来た。自分の心はあのときから変わっていない。純粋なままの自分なのだ、そう思えただけでも仕事で疲れきっていた心が癒えた。
 そんな店内の雰囲気を十分に楽しみ、アイスコーヒーの三杯目が飲み終わったころ、流石に祐樹がいつまで経っても来ないのにイライラし始めた。時計の針は、もう六時を回っていた。一体何をしてるんだ、この喫茶店に間違いないはずなのに。そんな文句が浮かんでは消えた。今、祐樹と連絡を取る手段は無い。しかたなく、夢路は後一時間だけ待つことを決め、四杯目のアイスコーヒーを注文した。
 一時間後、祐樹は姿を現さなかった。とうとう夢路もキレて、喫茶店を出て、自宅のマンションに帰った。
「ふざけんな!!」
 夢路は帰るなり、近くにあった木の椅子をを蹴り飛ばした。椅子は弧を描いて、窓にぶつかった。
「何のために大工辞めてまで行ったと思ってんだ!!」
 夢路は窓際に、無残にもひっくり返った椅子をテレビに向かって投げつけた。その衝撃でテレビに電源が入り、何の変哲も無いニュースを音声とともに映し出した。
「たった今、新たな情報が入り……」
「うるせぇ!!」
 夢路はテレビを蹴りつけようとしたが、足が止まった。
「今日午後三時半にひき逃げ事件を起こしたであろう、容疑者の加藤 慎二(かとう しんじ)がたった今、逮捕されました。同時に、被害者の大手食品産業会社、矢代産業の社長である、矢代 祐樹が今日午後六時に亡くなりました。このことによって系列の会社は……」
 夢路はその場に座り込んだ。
「嘘だ……祐樹が……死んだ?」
 夢路はどうしてもこのニュースが伝える“真実”を素直に受け止められなかった。今のニュースは間違いです、失礼しました。と言って欲しかった。しかし、非情にもアナウンサーはそれを伝えると、ほかの事件事故のニュースを読み上げた。
 
 悲劇の報道から一日たって、美咲が尋ねてきた。夢路は何も言わずに、市販の麦茶をコップに注ぎ、美咲の座るテーブルの前に置いた。
「……ありがとう」
 明るく言おうとしたのだが、祐樹の報道の件もあってか、悲しみのこもった暗い声しか出なかった。
「祐樹君……残念だったね……」
 夢路は何も言わずに、涙をこぼした。美咲もまた、無言でポーチからハンカチを取り出し、渡した。
「お葬式……明日やるんだって……」
 夢路はハンカチで涙を拭いたまま、ただただ美咲の言葉に耳を傾けた。
「私も行くから……私にとっても祐樹君は……祐樹君は……」
 友達だったから。どうしても、その言葉より先に涙が溢れ出てきてしまう。夢路は自分も涙で顔が濡れているくせに、美咲にハンカチを返した。美咲は直に自分の涙を拭いた。しかし、拭いても拭いても底なしに、涙は流れ出た。二人分の涙を吸ったハンカチは、もうびしょ濡れだった。
「じゃ、じゃあ……私もう……行くね」
 ハンカチで顔を押さえながらそれだけ言うと、美咲は部屋を飛び出した。そしてドアを閉めると、涙が枯れるまで、泣いた。


 街灯に照らされた喫茶店の前に夢路は佇んでいた。店内は真っ暗である。そのひとけの無い店をただただ眺めていた。そしてまた、祐樹のことを思い出した。思えば思うほど、祐樹が遠く、手の届かないところにいるという、変えようのない事実が自分の胸の内に突き刺さった。なるべく祐樹のことを考えないようにはしたが、自分でも知らずに祐樹のことを思い出している事がある。それに気付いたときは、より一層、寂しい気持ちになってしまう。心にぽっかりと開いた穴は塞がる様子がなく、日に日に大きくなっていくばかりであった。
 夢路は行き場のない悲しみを紛らわそうとして、煙草に火をつけて吸い始めた。もくもくと立ち上る煙が目の前の喫茶店を、“喫茶店 ミスト”の名に相応しい、霧がかかった幻想的な風景を作り出している。そんな景色に心奪われながら、また祐樹のことを思い出した。
「久しぶり!夢路君じゃないか!」
 声のした方を向くと、そこには小太りの、この喫茶店の店長が立っていた。
「お久しぶりです……店長」
 親しげに微笑む店長を見て、ほんの少しだけ嬉しくなった。しかし、この一瞬でも、夢路は祐樹を失った悲しみを忘れる事は出来なかった。それを察したのか、店長は優しくこう言った。
「おいで、アイスコーヒーを煎れてあげよう」
 店長は夢路のことを手招きして店に入れた。店内は外にある街灯の明りで所々照らされていた。ふいに、パチン、という音がして店内がオレンジ色の明かりに包まれた。店長はカウンターに座るよう、促した。夢路は軽く頷いて、背凭れの無い、丸い椅子に座った。
「すぐに出来るからね……」
 店長は優しそうな丸顔を、一瞬、ほんの一瞬だけくもらせた。夢路はそれを見逃さなかった。
(ああ、店長も知ってるんだな。祐樹の事……)
 自分と同じ悲しみを共有してくれる人間が、今目の前に居るという事だけで心が救われたような気がした。同時に、自分も悲しいはずなのに精一杯の笑顔で励ましてくれる店長に敬意が生まれた。
「お待たせ。店長特製のアイスコーヒーだよ」
 店長は出来上がったアイスコーヒーを夢路の前に置いた。夢路はグラスを手に取り、特製のアイスコーヒーを飲み始めた。直後、いつも飲んでいた店長特製の、どこか懐かしい独特の苦味が口の中に広がった。しかし、今日のアイスコーヒーは少しだけ甘かった。まるで、傷ついた夢路の心を癒すように。これも店長の、僅かながらの配慮なのだろう。そう考えた瞬間、心がいっぱいになり、また涙が出そうになった。昨日の一件で、もう一生分の涙を流したと思っていたのに、まだ出るものか、と不思議に思った。夢路は目を擦り、流れそうになった涙を押しとどめた。そんな夢路の姿を見て、店長はどこか哀愁の漂う顔をした。
「祐樹君……残念だったね」
 店長は美咲と同じ言葉で切り出した。いずれはその話題になるだろう。と思って構えてたものの、その言葉を聞くとどうしても、悲しみを押さえきることが出来なかった。もう一度祐樹に会いたい。会って一緒に自分達の青春物語を心ゆくまで、時間を忘れて語り合いたい。そう思えば思うほどに、もう祐樹は自分の手の届かない場所に行ってしまった、という残酷な事実が夢路の体の奥底を、とんでもなく太い、錆付いた釘が貫いてしまうように感じた。
「祐樹は……俺に会うために、この喫茶店で待ち合わせをして……そして、来る途中に……事故に遭いました」
 店長は痛ましそうな表情を見せた。
「……夢路君が一番悲しかったでしょう。でも、自分を攻めてはいけませんよ。祐樹君が亡くなったのは夢路君のせいではないのですから」
「でも……」
 店長は首を振って、夢路を制した。
「誰が何と言おうと、夢路君には何の罪もありません。それに、悲しみを自分ひとりで背負い込まないで下さい。夢路君の目の前にいる私だって、悲しいのですよ。祐樹君の御家族であっても、会社の方であっても、悲しいのは同じなのです。だから、祐樹君が亡くなった今こそ、祐樹君の分も夢路君には胸を張って生きて欲しいのです」
 店長はそう言って、ポケットからハンカチを取り出し、目が涙で溢れている夢路に渡した。夢路は急いで涙を拭き取ろうとしたが、何滴かが飲みかけのコーヒーに零れ落ちた。涙を拭き終わって、アイスコーヒーを飲んだら、少しだけ、しょっぱかった。直後、店長は顔を手で押さえて後ろを向いた。
(店長だって、悲しいんだ……店長だって、泣きたいんだ……)
 店長は夢路に背中を向けながら、肩を震わせている。夢路はその場に居辛くなり、ハンカチをテーブルに置いて、席を立った。
「……ありがとう。随分楽になったよ」
 それだけ言い残し、夢路は喫茶店を出た。薄オレンジ色の店内から、張りのある、男の泣き声が聞こえた。不意に、目から大粒の涙が零れ落ちた。いつの間にか自分も、その場に座り込んで、店長と同じく声を上げて泣いていた。その二人に同調するかのように、急に雨が降り出した。粒の小さい雨は、ザアアと音を立て、二人の泣き声を包み込むように、消し去った。
 雨が降り出してから数分後、前方に人がいることに気付き、涙を腕で拭って顔を上げた。雨足が強いせいか、顔はよく見えないがそこには、黒い傘をさして、同じく真っ黒な服を着た女性が立っていた。
夢路は目を見開いて、女性の顔を凝視した。美しく、整った顔がそこにはあった。その女性が、一昨日の夜に出会った貸屋の女性、黒鳥 小夜であることに気付くのに、そう時間はかからなかった。
瞬間、祐樹の事故の事が頭をよぎった。そして、行き場のない怒りが押さえきれなくなり、小夜の胸倉を掴んだ。小夜の首は、まるで人形のようにカクンと揺れた。その動作に、一瞬だけ寒気のようなものを感じたが、すぐに気を取り直し、小夜を睨みつけ、こう叫んだ。
「なんで祐樹が死んだんだよ!! こんな事俺は望んでいない!! 地位なんて要らないから祐樹を返してくれ!!」
 夢路は全ての思いをぶちまけたが、小夜はまったく動じず、クスクスと笑った。夢路はその笑いの奥に、なぜか底知れぬ冷たさを感じた。その笑いの後に、小夜はゆっくりと首を横に振った。
「それは無理よ。彼は貴方の地位のために死んでしまったのですから。だから彼はもう戻りません。貴方が地位を放棄しても、彼の居ない普通の日常に戻るだけ……私に出会った記憶を失って」
 その言葉を聞いて、夢路は脱力して胸倉から手を離し、その場に座り込んだ。
「じゃあ……祐樹は俺の地位のために……死んだのか?」
「そう。彼は貴方の願いに殺されたの」
 言いようのない悲しみと罪悪感が体の内からこみ上げてきた。同時に、自分のせいではないという罪から逃れようとする感情が夢路に反論させた。
「他に俺の地位を上げる方法があったんじゃないのか?」
 またもや小夜は首を横に振った。
「いいえ。貴方の地位を一年で著しく上昇させるにはこの方法しかありませんでした」
 夢路は少し考えて、口を開いた。
「やっぱり祐樹はあんたが殺したんだ! 誰かに命令して事故を装って殺させたんだ!!」
 夢路の叫びは閑静な夜の街に響き渡った。
 小夜は再び、クスクスと笑った。
「私が殺したと思っているんですか? 誰かに命令して? そんな事はしませんよ。私の事をまだ貴方達人間と同じものだと考えているんですか? だとしたら貴方が色々反論するのも解るような気がします。でも、ただ一つだけ覚えてください。私を貴方と同じだと思わないで下さい。でないと痛い目に遭いますよ」
 小夜は語尾を強めて、そう言い放った。夢路は再び、寒気を感じた。初めのころは雨に打たれているから寒気を感じるんだと思っていたが、途中からそれが小夜から感じるものだと気付いた。すると次第に、小夜の事が恐ろしくなって、顔をそむけた。
「では……今度は一年後、正確には今日より二日前の一年後にお会いしましょう」
 それだけ言い残すと、小夜は前のように踵を返して、立ち去っていった。
 夢路はほっとして空を見ると、いつの間にか雨は止んでおり、二、三個の星と、辺りを煌々と照らす月が見えた。その月の一点に、何かが羽ばたくように飛んでいる事には気付かなかった。
2006/08/25(Fri)16:55:40 公開 / Clan
■この作品の著作権はClanさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 今回初投稿のClanです。ミステリー小説が大好きで、一度小説を書いてみたい思い、投稿しました。
 三度目の更新です。霧って何か幻想的ですよね。心洗われる美しい景色だと思っています。
 今回は悲しみの描写が多いです。親友を失った悲しみをみなさんが共感できるといいな、と思っています。
 まだ全然途中ですが、感想、御意見を御聞かせください。
この作品に対する感想 - 昇順
感想記事の投稿は現在ありません。
名前 E-Mail 文章感想 簡易感想
簡易感想をラジオボタンで選択した場合、コメント欄の本文は無視され、選んだ定型文(0pt)が投稿されます。

この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
スタッフ用:
投稿者用: 編集 削除