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『マリッジ・ブルー』 作者:夜行地球 / 未分類 未分類
全角1621.5文字
容量3243 bytes
原稿用紙約5.85枚
 人の存在とは、なんて儚いものなのだろうか。
 手順さえ間違えなければ、その名前は戸籍から簡単に消される。
 存在の重みなんてどこにも無い。
 『存在の耐えられない軽さ』か、そんな題名の作品もあったな。
 まあ、いくら存在が軽いものであっても、『存在を消す』という行為の罪悪感は拭い去れない。
 後悔に意味など無いのかもしれない。
 けれど、『佐藤信二』はもう存在しない。
 昨日、僕が消してしまった。
 その事実が重くのしかかる。 
 決して、『佐藤信二』が嫌いだったわけではない。 
 長い付き合いだし、気に入ってもいた。
 『佐藤信二』抜きで僕の人生を語ることなんて出来やしない。
 それでも、消さないわけにはいかなかった。
 彼女と結婚するには、それしか方法が無かった。

 中村玲子。
 僕の最愛の女性。
 大学の劇団サークルで、僕は彼女と出会った。
 当時の彼女は看板舞台女優。
 同じサークルの僕らにとって彼女は高嶺の花だった。
 誰もが彼女の彼氏に立候補し、次々と落選していった。
 見事当選したのは、冴えない小道具係の『佐藤信二』。
 サークル仲間は誰も、このカップルが長続きするとは思わなかった。
 しかし、二人の交際は社会人になってからも五年間続き、結婚も近いとまで言われていた。

 そんなある日、玲子が僕の住んでいるアパートに現れた。
 突然の訪問に驚いていると、彼女は、
「なんだか急にあなたの顔が見たくなっちゃって」
 と言って悪戯っぽく笑い、僕を抱きしめた。
 その後の展開については、あえて言わなくても良いだろう。
 健全な男女が自然な流れで肌を重ねあった。
 ただそれだけの事だ。
 それからの僕らは毎日のようにデートを繰り返した。
 周囲の目なんて気にしなかった。
 言いたい奴等には言わせておけばいいと思っていた。

 突然の訪問から三十八度目のデートの時、玲子は僕に聞いた。
「私と結婚したい?」
 僕は驚きが悟られないように気をつけつつ、
「当たり前だろ」
 と答えた。それを聞いた玲子は、
「そう、それなら聞いてほしい話があるんだけど」
 と言って妖しく笑った。
 彼女の話は非常にシンプルなものだった。
 私と結婚したいなら『佐藤信二』を戸籍から消してくれ。
 要約すると、そんなところだ。
 最初から気づいていた。
 彼女が僕に近づいてくれたのは、僕がその手のお願いを聞いてくれそうだからだって事は。

 物事には準備期間というものが必要だ。
 『佐藤信二』を消すことを決心してから実行するまでに三ヶ月を要した。
 手順は嫌というほどシミュレートしていた。
 だから、現場に行っても動揺することなどは無かった。
 作業はあっという間に終わった。
 『佐藤信二』は、もういない。
 現場には多くの人がいたが、誰も僕の行為を気に留めていなかった。
 そこは、そういう場所だった。
 それからアパートに戻り、布団にもぐって一人で泣いた。

 そして、現在。
 僕の目の前で、多くの友人や親族がテーブルに座っている。
 昨日、僕が『佐藤信二』を消したことを知っているはずなのに、みんな笑顔で僕のことを見ている。
 その優しさが嬉しかった。
 隣の玲子もウェディングドレス姿で幸せそうに笑っている。
 その笑顔を見ているうちに、それまで感じていた罪悪感が消え去っていくように感じた。
「玲子ちゃん、おめでとう」
 遠くのテーブルから声が聞こえる。
 僕の知らない人の声。
 ここに来ているのは玲子の知り合いの方が多い。
 大企業の社長の一人娘ともなると、嫌でも知り合いが増えるらしい。
 結婚披露宴、か。
 昨日、市役所に行った時点では戸籍上から『佐藤信二』が消えただけだったが、これで『佐藤信二』は社会的にも消えることになる。
 バイバイ、『佐藤信二』。
 こうして、僕こと、旧姓『佐藤信二』は中村家の婿養子『中村信二』として新たなスタートを切ることになった。

 <終わり>
2004/08/27(Fri)19:09:04 公開 / 夜行地球
■この作品の著作権は夜行地球さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
タイトルでネタばれしそうですね。
本当は、もっとすっきりまとめたかったのですが、途中で失敗しました。
コメントお待ちしています。
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