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『虚を満たしてくれる人』 作者:蘇芳 / 未分類 未分類
全角2672文字
容量5344 bytes
原稿用紙約10.1枚
誰か、虚を埋めてください。
僕の心に開いた虚を、その手で塞いでください。
僕の虚を満たして下さい。


虚を満たしてくれる人


母親は売女、父親は悪魔。
度重なる暴力と放任。
僕が両親に絶望するのは、簡単なことだった。
もうすぐ家を飛び出して半年になる。
最初は餓死寸前だった。金も無い、芸も無い。
あるのは虚。
絶望に侵食され、孤独によって穿った穴。
痛くて、苦しくて。
自分で掻き毟れば虚は広がり、何もしなければ虚は深くなった。
愛情を、賛美を。
温もりを僕に下さい。
僕はここに居ます。
暗闇の中で一人、ずっと叫びつづけた。
その相手が、一人目が現れるのに、さほど時間はかからなかった。

僕は性根果てて、ホームレスのようにビルの壁に凭れていた。
時折、行き交う人々が僕の方を見た。
熱のない視線。まるで塵でも見るような、そんな視線。
空腹、疲労、絶望、孤独。
色々な感情が渦巻き、澱み、沈殿していた。
「どうしたの?」
声をかけられた。
人の声を聞いたのは、随分と久しぶりだったのを憶えている。
視線を泳がし、こえの主へと辿り着く。
若い女性だった。
黒いロングヘアーに、甘い香水の香り。
どこかの会社の既製服を着ていて、たぶん会社の帰りか何かだったと思う。
「家は?」
彼女が、僕の虚に触れた。
途端に、虚は広がるのを止めた。
そして傷口は塞がり始めた。
「…無い……」
独身だろうか、多分そうだろう。
女性は未婚と既婚では、まとう雰囲気が明らかに違う。
「お腹空いてない?」
誘うような、招くような、陥れるような。
そんな笑みを浮かべて、女性が聞いてきた。
力無く頷き、そして女性の顔を見る。
虚が、満たされていくのを感じた。

「ごめんね、大したもの無くて」
女性は笑いながら、悪びれる様子も無く言った。
女性に連れられて、僕は女性のマンションへ行った。
2LDKの、一人暮らしには少し、大きい間取り。
女性は一人で住んでいた。
そして家の中に入ると、僕を浴室へと誘った。
言われるがままに浴槽に浸かり、半月以上洗っていない体を洗った。
ワックスのついたまま半月放置していた髪を洗い、湯船に浸かって疲れきった体を癒した。
虚は、無くなっていた。

バスローブを羽織り、居間へ向かうと、小さなテーブルの上には料理が並べられていた。
言われるがままに椅子へ座り、促されるままに料理を食べた。
何日ぶりかの、ちゃんとした食事だった。
食事を終えれば、途端に睡魔に襲われた。
疲れていた、路上で雨に打たれ、眠れない夜もあった。
知らない誰かに、意味も無く殴られた事もあった。
安堵、安らぎ、温もり。
虚は満たされ、虚は塞がっていた。

言われるがままに寝室へ行き、為されるがままになった。
ベッドのスプリングが壊れているのか、それとも、そう聞こえただけなのか。
ギシギシと軋む音が部屋を満たし、彼女の喘ぎが僕を欲情させた。
彼女の全てを貪った。
人は僕の事をなんて呼ぶだろうか。罪、悪、燕。
呼び方は様々だけど、僕は後悔しない。
これは僕の求めていた物、そう思い込み、その夜は快楽に身を任せた。
人は僕の事をなんて呼ぶだろうか。

起きた。
久々に風呂に入り、久々にまともな食事をして、初めて女性と関係を持ち、久しぶりに柔らかな布団で眠った。
ベッドの横に彼女の姿は無かった。
その代価物として、書置きと現金が申し訳程度に置いてあった。
『今日は遅くなりそうです。冷蔵庫の中に朝ご飯と、お昼が入っています。 リョウコ』
リョウコさんっていうのか。
僕はここにいて良いのか。
稼ぐのって簡単だな。
眠気に覆われた頭で、ぼんやりと、そんなことを考えた。

ベッドから起き上がり、まずシャワーを浴びた。
体にリョウコさんの匂いが染み付いてた。
気持ち悪いとは思わなかった。むしろ心地のいいものとして受け取った。
洗い流してしまうのも勿体無いと思ったけど、汗をかいて気持ち悪かったから、後ろ髪を引く思いで洗い流した。
脱衣場に戻ってみると、洗濯機の上に昨日着ていた服が畳んで置いてあった。
朝食と昼食を作って、そして洗濯までしてくれて。自分の準備もあるだろうに、僕の為にここまでしてくれる。
嬉しかった、本当に、心から。

「ただいまぁ」
リョウコさんの声だった。
「お帰りなさい、リョウコさん」
「あ、名前憶えてくれたんだ! 少し嬉しいかも」
無邪気だった。
人懐っこくて、まるで可愛い小型犬みたいだった。
そして一つのことに気付いた。
「リョウコさん」
玄関で靴を脱ぎ、僕の横を通り過ぎた彼女を呼び止める。
「ん?」
二歩歩き、彼女の体を優しく抱く。
女性特有の、柔らかな、暖かい抱き心地だった。
そして僕より背の低い彼女の耳元で、
「僕の名前は、エイジです…」
そう呟き、彼女の唇を奪った。
拒否する様子も無く、逆に自分から求めるように。
長い長いキスの終わりには、また長い長いキスがあった。

人は僕の事をこう呼ぶ。
卑劣と。

彼女との生活が、一ヶ月を迎えた日。
唐突に僕は放り出された。
虚は、更に広がった。


髪を切った。
前髪を片方だけ残して、襟足に長いエクステンションをつけて。
地毛を黒に戻した。
ピアスを開けた。
両耳に、12個の穴を。
服を買った。
俗に言うヴィジュアル系の、やたらと目立つ服を。
そして左右で色の違うカラーコンタクトを入れた。
そして虚を満たしてくれる人を待った。
それは案外、早く訪れた。

「…本気ですか?」
リョウコさんは男遊びが慣れていないだけだった。
彼女も僕と同じように虚を抱えて、そして満たしてくれる人を待ちつづけていた。
そこに浮浪者みたいな、若い男がいた。
虚を満たすだけであれば、誰でも良かったんだ。
だから僕も、それに倣う事にした。
適当に女に声をかけて、そして名刺を渡す。
書かれているのはシンジという偽名と、ケータイの番号。
口コミで広がるうちに、虚を抱えた女は僕を求めてきた。
「本気…です」
「前払いになります」
僕がそう言えば、財布から素早く五万円を取り出す。
そして僕は受け取り、女の部屋へと行く。
そして逢瀬を重ね、甘い言葉を囁き、虚を埋める。
それを繰り返す。
宿にも食事にも困らない。
ただ自らの虚を深めるだけで、途方もない額が舞い込んでくる。
楽な生き方だ。

いずれは捨てられ、野垂れ死ぬ。
もしくは虚に食われ、自ら命を絶つ。

誰か、虚を埋めてください。
僕の心に開いた虚を、その手で塞いでください。
僕の虚を満たして下さい。
僕はここに居ます。
僕は暗闇で叫びつづけます。

誰か、僕を求めてください。

end
2004/08/30(Mon)19:13:52 公開 / 蘇芳
■この作品の著作権は蘇芳さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
なんとなく書いていたつもりが、いつのまにかマジになっていた一品。これも人生の一つかなー、とか思ってみたり。
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