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『Ani Under Ground Search.@-D(消えたトコまで 』 作者:蘇芳 / 未分類 未分類
全角19555.5文字
容量39111 bytes
原稿用紙約67.3枚
    
           Prologue

 ブラインドの隙間から差し込む、朝の眩し過ぎる陽光を目に受ける。
布団を頭まで被ろうとすると、自分が何も掛けていない事がわかった。
目を開けると無機質な、少々ヤニで黄ばんだ天井が目に入る。
ファンがくるくると回り、部屋に溜まった湿気を含んだ生温い空気をかき回す。
ソファーから身を起こし、彼方此方の痛む身体をさする。
自分の格好を見ると私服のままなので、昨日帰ってくるなりソファーに寝た事が思い出された。
黒いよれよれのジャケット。同じくよれよれのズボン。少々ワイシャツが汗臭いので、
ジャケットを脱ぎ捨てる。そのままシャワールームに行き、裸になる。
 50年代を感じさせる、古びた蛇口を捻ると、同じく古びたシャワーヘッドから水が出る。
真夏の生温い水を身に浴び、ぞくぞくとした悪寒を感じながらも、汗を洗い流す。
蛇口を捻り、水を止める。ふと自分の体を見る。
薄い胸板。貧相な腹筋。犬のような斜腹筋。そのまま黒い繁みへと突入するが、グロイので自主規制することにする。
兎角、風邪でも引いたらことなので、さっさとタオルで身体を拭き、そのままタオルを腰に巻きつける。
別に誰かいる訳でもないので、人目など気にしようが無い。
床に転がったズボンを拾い上げ、右ポケットからタバコを取り出す。
だが火が無かった。
まさかとは思いつつもジャケットを拾い上げ、内ポケットを漁る。
あった。ライターではないが、紙マッチが見つかる。意気揚揚としながら一本抜き取り、かぶせと擦り紙の部分で先端をはさみ、勢いよく引き抜く。
ぼしゅっという音と、つんとした鼻にくる匂いを感じながら、煙草に火を点ける。じりじりという音と共に、煙草の先端から紫煙が上がるり、生温い空気と一緒にファンで掻き回された。
マッチの火を振り消し、ゴミ箱に投げ捨てる。
火事になったら・・・と一瞬思案するが、その時はその時と自己完結して煙草を吸う。
ラークの癖のある風味を楽しみつつ、冷蔵庫の中を漁る。
大した物はないが、朝食だけなら大丈夫そうだったので、安堵しながらパンと牛乳を取り出す。パンをトースターに突っ込み、タイマーをセットする。
煙草の煙を吐きながら、パンが焼けていく様を眺める。
パンがちょうど狐色になったくらいの所で、煙が熱くなり始めたので、生ゴミの三角コーナーに吸いがらを投げ捨てる。じゅっという音が聞こえた。消火完了。
トースターからパンを取り出し、その場でむしゃむしゃと食べる。
パンを食い尽くしたところで、牛乳を紙パックから直接ぐびぐびと飲む。
一息つき、ふと股間に肌寒さを感じ、下を見る。
「あ」
巻いてあった筈のタオルが無くなっていた。タオルは冷蔵庫の前に落ちていた。
でもグロイから自主規制。

The nothing star starry sky.

2034年。人類という種は、これと言った進化も見られずに、ただ年月を重ねた。
しかし日本という島国では、失業率が15%にまでのぼり、中小企業が多数倒産。
大企業も断腸の思いで、月に一度の解雇処分を繰り返しているところだった。
無論、景気はがた落ち。首都も東京から名古屋に移った。
子供達の世界では、大手ゲーム会社倒産に対する公的資金導入の声が高まり、
大人の世界の難しい事情など知らずに、今と変わらない生活を送っていた。
そして、その元首都の東京に、アニは探偵事務所を構え、細々と生活していた。

パンツとズボン。洗い立てのワイシャツ。ヨレヨレのジャケットを着たアニは、事務机に足を放り出し、煙草を吸っていた。
目の焦点が合っていないのは愛嬌として、マリファナを吸っている訳ではない。
別に暇をこいている訳でも、瞑想している訳でもない。その証拠に、足の間に黒電話が置かれ、かかってくればワンコール以内に取れる準備が出来ている。
「………」
しかしこの不景気のご時世。費用の高い私立探偵に、何かを依頼するような酔狂者などいりゃあしない。時折どこかの金持ちマダムが、夫のありもしない浮気調査を依頼するが、
最近は、そんな上客にも全然巡り合わせていない。
煙草を灰皿に押し付け、煙草をもう一本咥える。火を点けようと、紙マッチを取り出す。
「・・・・・・」
よくよく見ると、マッチのかぶせの裏側に走り書き、だが女の字で数字の羅列が書かれていた。
む、と思い、記憶の糸を辿っていく。昨日は、確か飲みに行っていた。

「生中みっつお願いしまーす!!」
都内某デパートの屋上に、夜になると開かれるビアガーデンがある。
大して美味い料理も無いし、看板娘になるような娘もいないが、真夏の夜ともなれば大盛況だ。空きテーブルは一つも無く、どれもにオヤジや、どうみても中学生の餓鬼なんかが座って、ビールを煽っている。
俺は偶々知り合った中学生と同席して、生ビール中ジョッキを煽っていた。
「お〜、いい飲みっぷりしてんじゃんかよ」
「うるせー、餓鬼は酒飲むんじゃねーよ」
同席していたのは、中学生の男女4人組だった。3人はなかなか酔っ払っていて、下戸である事が窺がえた。しかし、ナミと名乗る人物はザルらしく、一人でジョッキを幾つも開けていた。
他の三人は、もうすでに呂律が回らず、意味不明な事をうめいたり叫んだりしていた。
「だらしねーなあ、おいコラ。餓鬼。やめとけ」
俺も下戸ではないが、ザルでもないので人並みに酔いが回っていた。
「アニ、そいつ無理だって。そうなったら直らないから」
手をパタパタと振りながらビールを煽り、ナミがそう言った。
そいつとは、金髪をライオンのように逆立てた、シンという餓鬼だった。
どうなっているかと言えば、まあ、簡単に言うと痴漢小僧だ。
隣に座った女の胸を掴んだり、キスしたりと、もう本能全開だった。
やられてる方も、ちょっとー、とか、やだー、とか、もっとー、と意味不明な発言を連発している。いったい日本の少年少女の性は、どこまで乱れるのだろう?
どこまでも乱れるんだろうな、うん。
「ったく餓鬼が・・・」
「アニさあ、さっきからガキガキって、良くないよー」
ナミが枝豆を食べながら言う。その様は正にオヤジその物だ。
「うるせえ」
煙草に火をつけ、吸いながら言う。
「お、タバコあんじゃん。くれよ」
「もっと女らしい言葉使えや」
そう言いながら、箱ごとナミに渡す。
「ラークかよ・・・・・・・・・うわっ!まずっ・・・」
「俺は好きなんだよ。文句あるなら吸うなや」
「黙っとけ」
にっと笑って、箱を投げ返す。右手で受け取り、右ポケットに突っ込む。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言で向かい合い、タバコを吸う。
シンは相変わらずだが、流石に慣れたと言うか、慣れた。
ナミが唐突にふっと笑う。
「なんだよ」
不機嫌に切り返す。
「アニってさー、不思議だよね。私達見ても色々言わないし、なんか子供みたい」
「悪かったな」
「誉めてんだよ」
また、にっと笑う。
東京の空は汚ねぇ。星なんか全く見えねえ。
「じゃぁ、私ら帰るわ。勘定払っとくで気にしないで飲んで」
「待てや」
ナミの背中を呼び止める。
「餓鬼に酒代払わせれるか」
そう言って財布から2万取り出し、ナミに渡す。
「釣は・・・まあ小遣いだと思え」
一瞬きょとんとするナミ。次の瞬間には大笑いに変わっていた。
「なんだよ」
「・・・いやー、別に別に。あ、ちょっと待ってて」
ナミは持っていたバッグの中から、紙マッチとペンを取り出して、かぶせに何かを走り書きした。そして紙マッチを握り、突然に抱きつく。
胸ポケットに、何かを入れられた感触。
抱きついたまま耳元で、ナミが囁く。
「暇なら電話して、一晩くらいなら相手するよ」
「・・・・・・」
ぱっと離れて、ナミは出口へと走っていった。
タバコを一本咥え、ライターで火を点ける。
ライターをそのまま机に置き、しばし呆然とタバコを吸う。
「・・・帰るか」
いったい若者達の性はどこまで乱れているのだろう。そんな事を考えながら、家路に向かった。あやふやだが、コンビニで清酒を買ってその場で飲んだ気がする。
そして酔ったまま家に帰って、ソファーで寝たわけか。
…アホか、俺。

          A starting by suddenly.

「・・・どうすっかな」
相手をしてもらうか、それとも電話するだけにするか。両方で迷った。
ちょうど事務所から徒歩十分足らずのところに風俗があるので、発情した時はそこに行っている。料金は高いが、怒涛の奉仕で毎度の如くにイってしまう。
しかし。しかしだ。相手は中学生。しかもタダだ。
とてもじゃないが、俺は出来た人間とは、天地が逆転しても言えない。
いざとなれば犯罪にも走る。
しかし俺は逃げ切ってみせる。ばれなきゃいいんだ。ばれなきゃ。
紙マッチの番号を見ながら、黒電話のダイヤルを回す。
受話器を耳に当てる。ワンコール、ツーコール。スリー・・・繋がった。
「もしもし?」
きのう聞いた声だ。よく通るソプラノ。
「あー、・・・アニだけど憶えてる?」
「・・・あー、昨日一緒に飲んだねー。で、なんか用?それとも相手して欲しい?」
「んー、それもあるけど、そっちは夜我慢できなくなったら電話するわ」
受話器の向こうから甲高い笑い声が聞こえる。
「・・・あー、ウけるし。大体電話してくる奴って、相手して欲しいって聞くと電話切るんだよねー。やっぱアニって不思議だなー」
「うるせー、昨日のシンとかどうなったんだ?」
「んー、いま一緒にいるけど・・・」
「どうした?」
「いや、二日酔いでダウン。・・・あー吐いた」
「・・・お気の毒に。って伝えてくれや。向こうはこっち覚えてる?」
「名前だけは憶えてるみたいだね、げっ。また吐いた」
受話器の向こうから、小さくびちゃびちゃという音が聞こえた。マジらしい。
「で、結局なんの用?」
「んー、用は無いな。うん。とりあえず番号だけ教えとくわ」
「はいよ。携帯? 家?」
「家。おれケータイ持たねーからよー」
そう言って、十桁の番号をゆっくりと言う。
「・・・わかった。じゃ、十一時くらいなら行けるとおもうで、気イ向いたら電話して」
「ん。じゃーな」
「わかった。バイバイ」
ブツッという音と共に、ナミが電話を切る。
おいおい俺どうするよ。未成年と援助(しないけど)交際する約束しちまったよ。
奇妙な罪悪感と、よく解からない感情を抱えたまま、受話器を戻した。
さて、これからどうするか。
十一時まで寝る。
もしかしたら仕事がくるかもしれないので、起きてる。
パチンコ。もしくは風俗。
さーて、どうすんべか。
起きていても暇だが、たかが暇潰しで金を使うのは勿体無い。
パチンコと風俗。寝るのも却下。だが仕事はくるとは限らない。
しかし。ここは希望的観測をもって、十一時まで仕事の電話を待つとしよう。うん。
タバコを咥え、紙マッチで火をつけ・・・れない。十本入りの紙マッチは終わるのが早い。
ついでに言うと、タバコも残り少ない。
「・・・・・・」
予定決定。コンビニに行って、タバコとライターを買う。
机から足を下ろし、引き出しを開けて財布を出す。ずっしりと重いのが悲しい。
電話を念の為に、留守番に設定しておき、事務所を後にした。

真夏の陽射しに、ジャケットは熱い。白ならまだいいものを、よりによって黒だ。
しかし、汚れが目立たない。ヴィジュアル的にも良いとなれば、背に腹はかえられない。
このクソ暑い中で、黒いジャケットを着て歩くのも、相当な重症のバカだけど・・・。
ネガティヴになると、ろくな事が無いので止めておこう。
コンビにまでは歩いて5分足らずで、駅も近い。
自分でもなかなかいい物件だと思った。
でも、あそこは元々工場があって、消費者金融でお金を借りたはいいが返せなくなった社長が、首を吊った場所でもある。価格は激安だった。
いまや別に珍しくはないが、やっぱり世評は悪い。
不動産会社も金ばかりかかる土地なんざ、あっても困るので早く売りたい。
つまり。つまりだ。俺は社会に貢献した事になるのだ。わっはっはっはっは。
なんて下らない事考えていると、コンビニに着いた。
自動ドアが静かな唸りとともに開く。
クーラーの効いた店内は、人影もまばらで寂しい限りだが、人が大勢いて暑苦しいよりはましだ。
まずはタバコを買おうと、ラークに手を伸ばすが、隣には五箱にライターまでついてくるのがあった。ライターも普通に買えば百円だが、
これなら千三百五十円だけでよい。
隣の五箱パックを持って、レジに行く。
「いらっしゃいませー」
営業スマイルを向けながら、高校生だと思われるバイトがタバコを受け取る。
「・・・お会計千三百五十円になります」
財布から二千円と五十円だして、レジに置く。なんで五十円かって?それはおつりが700円になるからさ。
「レシートいりません」
七百円のみ受け取って、タバコの入ったビニール袋を持って、コンビニを出る。
あー、暑い。
畜生。なんで暑いんだ。夏だからなんて言うなよ畜生・・・。
「・・・・・・」
決めた。半袖のシャツを買って帰ろう。黒の。
俺は、その足で【しまむら】まで歩いた。

家を出たのが10時くらいだと思う。結局帰ってきたのは1時だった。それでもまだ十時間もある。苦痛だ。
無いと思うけど、留守電を聞いてみる。
『五件の電話がありました。午前十時二十三分五六秒です。
 あの、梶と申しますが、また後でお電話させて頂きます』
おいおい、どうするよ。電話きちゃってるよ。しかも依頼っぽいよ。
残り四件も聞いてみるが、同名で似たり寄ったりの内容だった。
「やっべー・・・」
一応リダイヤルしてみる。
ワンコー・・・繋がった。早い早い。
「はい、梶ですが・・・」
女。声色からして、まだ若い。二十代くらいだと思う。
「あー、お電話いただきました。Ani Under Ground Searchのアニですが・・・」
「アニ、ですか?」
ほーらな。皆この名前聞くと聞き返すんだよ。偽名ですか? とか。名字は? とか。
「色々事情がありまして、とりあえずアニって呼んで下さい」
「・・・はい」
不服のようだが、別に良し。事情は後々説明しよう。
「で、依頼ですか?」
「あ、はい。あの・・・人を捜してもらいたいのですが・・・」
「・・・わかりました。今お時間よろしいでしょうか」
「ええ、大丈夫ですが・・・」
「じゃあ、駅前にある喫茶店わかりますか? そこで待っていますので。
 詳しい話を聞きたいと思いますが、大丈夫でしょうか?」
「はい・・・わかりました」
ブツッ。という音を立てて、電話は切れた。
机の引き出しからルーズリーフとペンを取り出し今解かっている事を書く。
依頼人の名前は、梶。内容は捜し人。と、走り書きで記し、鞄に入れる。
鞄を持ち、洗面台へ行く。髪は乱れていない。無精髭は・・・まあ良いか。
帰ってきて早々、事務所を後にして駅へと歩いた。

喫茶店の中は、寂しいのなんの。客なんかカップル以外いりゃしねえ。
不満を抱えたまま、レジに行く。
「すいませーん」
「なんでしょうか?」
またもや営業スマイル。もういいや。気にしない。
「梶って名字の人います?」
「梶様ですね。少々お待ちください」
この喫茶店。けっこう格式高いのだ。だから最初に帳簿に名前書かんといけない。
「えーと、いらっしゃいます。ご案内しましょうか?」
営業スマイル。もう無視だ。無視無視無視無視無視無視無視・・・疲れた。
「お願いします」
一応敬語。なぜなら一般常識くらいなら解かるからさ。
ウェイトレスの後を歩きながら、周囲を観察する。なーんか健全なお付き合いしてます。って感じで、とても嫌だ。
学生だろ? 性欲とかあっても恥ずかしくないよ。と心の中で呟く。
「あちらになります」
事務的、営業スマイル。もうイヤ。
「どーも」
ウェイトレスに指された席へと歩く。

A loser dogs

指定された席へとつく。
「梶さん、ですか?」
すっごい美人だな。髪の毛なんかサラサラし過ぎなくらいだし。
顔のパーツ配置も文句のつけようが無い。スタイルも良い。
「あ、はい・・・」
「あー、そのままで・・・」
立ち上がりかけたところを制する。かしこまられると、かしこまっちゃうから。
向かいの席に腰掛ける。
「はじめまして。アニと申します」
簡潔な挨拶を済ませ、軽く会釈する。
「梶望未と申します」
そう言って、梶さんは深々と頭を下げた。
「えーと、まず誰を捜すのでしょうか?」
まどろっこしいので、いきなり本題から入る。
「弟・・・です」
「・・・はい、それじゃあ弟さんの事を教えて下さい」
梶さんは小さく頷いた。
「弟の名前は梶悠希。今年で24歳になります。背丈は170センチくらいで、痩せ型です。趣味と特技はビリヤードで、自宅に道具を揃えるくらいでした」
「勤務先は?」
「真田不動産です。でも、いなくなる前に解雇にあって・・・」
「こんなご時世ですしね。友人関係は?」
「よく解かりませんが・・・、同僚の斎藤という方が一番親しかったと思います」
言ったことを、ルーズリーフにまとめていく。
「えー、次は貴方ですね。失礼ですが名前と年齢、勤務先。それに連絡先を」
そう言って、ペンとルーズリーフを渡す。
さらさらとルーズリーフに年齢と勤務先。電話番号が書かれていく。
「ありがとうございます」
手渡された紙を見る。
梶望未。27歳。勤務先は無し、それに十桁の電話番号。
「・・・はい、それでは家族構成と、失踪に至った経緯を解かる限りで教えて下さい」
「はい、両親は私が12歳の時に交通事故で・・・。今は叔父夫妻の家に住んでいます
叔父の名前は梶宏夫、今年で65歳になります。叔母は梶真奈美、確か62歳だったと思います」
「思います。と言うと?」
「・・・叔母は植物状態でして、叔父も余りその事を言わないので」
「・・・わかりました。続けてください」
「叔父夫妻の子供が二人。梶武夫、今年で46歳になりますが、未婚です。
 もう一人、井上正美は44歳。今は叔父の家にいます」
「正美さんは何故、叔父の家に?」
「詳しくは知りませんが、叔父の話だと離婚騒動で家出してきたそうです・・・」
「・・・はい、正美さんに子供は?」
「女の子が一人。井上奈美、今年で15歳になります」
奈美と聞いて、ナミと連想する自分が、マジで嫌だ。
「奈美さんは今どちらに?」
「最初は叔父の家に・・・、でも一昨日叔父と言い争いになって家出しています」
「・・・はい、家族構成はこの辺でいいです」
なーんか複雑。話しを整理すると、梶望未と梶悠希は兄弟。両親は他界。
現在は叔父夫妻の家に居候中。んでその叔父夫妻の妻が植物状態。
その間には子供が二人で、一人は未婚。もう一人、井上正美は離婚騒動中。
んで、井上夫婦の間にも子供が一人。名前は奈美。
親しい友人の名前は斎藤さん。同じ会社で同僚だった。
悠希さん失踪の原因は、おそらく解雇処分のショックかな?
「それでは、失踪に至った経緯を。解かる範囲で構いませんので教えて下さい」
望未さんは、小さく。本当に小さく頷くと、ゆっくりと語りだした。
「真面目で、優しくて・・・肉親から見た偏見かも知れませんが、本当に良い子でした。
それが突然。勤めていた会社から解雇処分にあって。それから弟は逃げるように宗教へ、
聞いた事ありませんか? 九頭竜会って・・・」
「・・・聞いた事はあります」
九頭竜会・・・聞いた事はあった。新手の新興宗教で、リストラにあったサラリーマンを中心に、信者数4500を数える、それなりに大きな宗教だった。
傾向は過激派で、たびたび騒ぎを起こしては報道で大きく取り上げられていた。
あと、これは公に晒されていないが、麻薬の売買や第三国からの密入国の手伝い。
ヤクザやマフィアとの癒着も噂される、きな臭い宗教だった。
「最初は、週一回の集会に行くだけだったんですが・・・そのうちに集会以外の日も
本部の方に行くようになって。
とうとう家にいる時の方が珍しくなってきて、それでも帰ってきてはいたんです。
叔父も弟の事を考えてか・・・特に何も言わないでいたんですが、ついに家のお金を持って何処かへ消えてしまったんです」
後半の方は、声が涙ぐんでいた。たった一人の肉親だ。よほど心配なのだろう。
しかし情に流されていては、この仕事は務まらない。あくまで事務的に。
「家のお金は幾らほど持っていかれたんですか?」
「叔父の話しだと、1500万円ほど・・・」
「・・・かなりの高額ですね。現金ですか? それとも通帳ごと?」
「現金です」
「何故そんな高額の現金が?」
「叔父は、叔母の入院費と言っていましたが、多分自分の手元に置いておきたかったのだと思います。身内の悪口は言いたくないのですが、叔父は金銭面では貪欲ですので」
なるほどね。今に比べて景気が良かった時に、株かなんかで大儲けしたんだな。
「叔父さんは、何か仕事を?」
「会社を経営しています。聞いた事ありませんか? 梶建設って・・・」
「梶建設!?」
思わず出た大声。ビビる依頼人。白い目でみる周りの客。息を落ち着かせて座る。
梶建設。国内最大の建築会社。新庁舎も確かそこで建てたんだった。
親切。丁寧。安心。この三つを守りながらも、不景気の荒波を乗り越える大企業。
そりゃ金持ちな訳だな。俺の予想は全然違かった。
「す、すみません」
依頼人に謝る。
「・・・気にしないで下さい。皆同じような反応をしますので・・・」
黙り込む依頼人。ばつ悪そうな俺。空気を立て直さなアカンわ・・・。
「・・・何故警察に届け出ないのですか?」
一番の疑問だ。早期解決を望むのなら、警察に届け出た方が早い。
俺みたいな高くつくばかりの私立探偵に依頼する理由がわからない。いや、予想は出来てる。
「叔父が・・・スキャンダルを恐れて」
そう。この不景気で、甥が叔父の現金を持って新興宗教に入ったともなれば、世間の信用はかなり落ちる。
薄々感づいてはいたが、社会の汚い部分を見せ付けられたみたいで、やるせない。
だから、ちょっと意地悪する事にした。俺って性格悪いな。
「俺が守秘義務を守り通すとも限りませんよ? 相手は九頭竜会だ。これは人捜しじゃ無い。九頭竜会から弟を連れ戻す事に近い。やばくなれば、俺は逃げます」
依頼人は若干怯んだ。しかし、意志を称えた目で俺を正面から見る。
「構いません。私は、弟が帰ってくれば良いんです」
逆に俺が怯んだ。強い女性だ。嫌いじゃない。
俺は、ふっと笑う。自嘲的に。
「解かりました。お受けしましょう。まずは手取りで20万。解決の後に、捜査費用とは別途で、謝礼として50万。これでよろしいですか?」
唖然とする依頼人。不適に、だが自嘲的に笑う俺。
依頼人が眼を潤ませて口を開く。
「はい・・・。ありがとうございます・・・」
で、今考えると、偉く安請け合いしたな、俺って本気でバカ?
店を後にする。外は未だに蒸し暑く、アスファルトからの照り返しで更に暑い。いや、むしろ熱い。
腕時計を見ると、まだ3時だった。
やっぱり現金貰う以上は、しっかり職務を遂行しないとね。
俺はその足で、捜査に向かった。


 Fumble for who? 


店から出て十歩くらい歩いたところで、アニは立ち止まって煙草を吸っていた。
「さて、と」
どこに行くかな? まさかこのまま[山吹]で高い酒と引き換えに、ロジックのような難解なパズルに挑戦する訳にも行かないし。
「ココは一つ・・・」
タバコを人差し指と中指ではさみ、誰に言うでもなく呟く。つまり独り言。
ダイレクトに行ってみるかな。
行き先は九頭流会本部。旧都庁所在地。

都電を乗り継ぎ、新宿駅で下車。
西口から徒歩で約十分。今では『元都庁所在地』と書かれた石碑? を残すのみ。
現在そこには、閑静なビル街にありそうなビルがそびえ立ち、九頭竜会の本部となっている。
さーてと、どうすんべかな?
とりあえず寂しかった財布が、更に寂しくなったのは確かだ。
入り口らしきところには、いかにも屈強そうな黒服の男。しかも二人。
自慢じゃないが、俺は弱い。
そこらへんのサラリーマンには闇討ちで勝てても、中学生には絶対勝てない。
裏口から入ろうにも、テロだなんだと騒がれた時に、法律の改正で正面玄関とスタッフ専用の出入り口以外は無い。スタッフ用の出入り口も、似たような感じだろう。
まず思い浮かぶ事は強行突破だが、絶対に無理。むしろ死ぬ。
次はクラシックに郵便などの配達業。アホか俺。
となれば、この手しかあるまい。
正面玄関へと歩いていく。黒服Aと黒服Bが、俺にギロリと一瞥をくれる。
怯むな。いくんだ、俺。
「あの〜・・・」
「取材ならお断りですよ」
げ、速攻で潰された。考えろ。脳細胞を使うんだ。
「入信希望なのですが・・・」
黒服A・Bの冷たい視線が、一瞬で寛容なものになる。
「そうですか。どうぞ」
あれよあれよと、オフィスに通された。
良いのか? こんなんで良いのか!?
まあ、いい。とりあえず入れたんだから。
辺りをきょろきょろと見回す。
枯れたオヤジばかりが目に止まるが、恐らく全員が信者なのだろう。
ざっと見回した限りでは、軽く100人以上はいる。
「若いの。解雇かい? それとも自主退職?」
突然話し掛けられて、びびる。
背後にいたのは、見下ろすほど小さいオヤジだった。
「あー、解雇。です」
ぱっとオヤジの顔が明るくなる。
「ここは良い所だぞ。女房や娘に臭い臭いと言われる事も無ければ、若造の上司にこき使われる事もない。なに、そんな滅入った顔をするな! ここは経緯は違えど、全員同じような扱いを受けた者ばかりだ。仲良くやろうな」
オヤジは一気に捲し立てながら喋った。
そして背中をばしばし叩いて、他のオヤジ達の所へと去っていった。
「なるほど・・・ね」
つまり。つまりだ。
ここは解雇処分や、島流しにあった者にとってはパラダイスなのだ。
自由奔放に何をするでもなく、自分のやりたい事を好きなだけやれる。
だがそれは、入信時に払った莫大な費用の見返りであって、無条件に支給されるものではないようだ。
複雑な思いを抱えながら、受付まで歩いた。
「すみません、入信希望はどうしたら良いのでしょうか?」
「入信希望の方ですね? ではこちらの書類に記入していただいて・・・」
受付の人は、若くてキレーなオネエサン。
意外と意外。だが当然といえば当然だ。
何故かって? そりゃ枯れたオバサンよりも、若い女の方が目の保養になるからさ。
そんな事はどうでもいいとして、書類の方に目を通す。
前の勤務先、解雇されたのか、その理由、貯蓄、家族構成、月々の給料・・・
こんな事を調べて、どうする気なんだろう。
とりあえず適当にさらさらと書いていき、拇印と署名を押す。
「できました」
「・・・はい。では、ご案内いたしますので」
ご案内? どこへ?

俺の不安など蚊ほども気にせず、受付のオネエサンは俺をエレベーターへと導いた。
 1階から最上階にある部屋まで、一気に行くらしい。
もうかれこれ一分は乗っているが、最上階につく気配は無い。
「あとどれくらい?」
「あと一、二分もあれば到着しますよ」
輝かんばかりの笑顔で答える。でも営業スマイルなのが、手に取るように解る。
再び訪れる沈黙。知らない人が相手とはいえ、結構キツイ。
苦し紛れ、ではなく、探る意味で一言。
「誰のところに向かってるの?」
「教祖様のお膝元にございます」
お膝元、ねえ。神様かっつの。
憶測だけどこのオネエサンは、元々どっかの社長の秘書かなんかだったんだと思う。
それが解雇にあって、行く宛の無い所に教祖様とやらが付け込んで、教団に引き入れた。と思う。
何故かって? 客人に対する対応の上手さと、その営業スマイルだ。
「ところでさ・・・」
カマ掛けてみる事にした。
「ここって、いくらくらい『喜捨』するの?」
一瞬だけ、ぴくっとする。
「1千万くらい?」
「・・・・・・」
元秘書といえど、その対応の手際の良さはマニュアルあってのものだ。
解雇に遭って切羽詰った状況の人間が、こんな事聞くとは思わないのだろう。
聞くとしても、多少弱気を帯びた口調になるであろう。
そういった場合のマニュアルはあっても、自信たっぷりにこんな事聞くとは思いもしない筈である。
「そう言えばさ、ココ最近の間に梶って人が入らなかった?
アイツ俺の知り合いでさ、アイツが入ったって聞いたから俺も来たんだよね。
リストラされて行く宛なかったし」
「・・・・・・」
ビンゴ、ってところか。
チーンと、最上階についた事を知らせる音が室内に木霊する。
「到着しましたので、私はこれで・・・」
「ありがとね」
エレベーターを抜け、笑顔で手を振る。
あらかた痛いトコ突いてたらしい。
深入りしないうちに、さっさと逃げた方が良いな。
エレベーターとは逆の方向に向き直り、樫製のどっしりとした扉を見る。
扉の上には偉く達筆な字で『九頭竜会教祖九頭竜朱徳行上人』と書かれた杉板が飾られていた。
悪趣味かつ、悪趣味である。おそらく扉の奥は、悪趣味の道を極めた悪趣味な装飾が施された、
悪趣味な部屋が広がっているに違いない。
目だけで天井の隅などを窺う。
監視カメラは部屋の四隅に一個ずつ。スピリンクラ―と似たような形をしているが、カメラのレンズに電灯の明かりが反射している。
あまりキョロキョロしないほうが良いかもしれない。
視線を前に移し、樫の扉の前へ歩く。
扉の前に立ち、扉を3回叩く。
静寂。一拍遅れて、返事が返ってくる。
「お入りなさい」
腹にどっしりと重く響く、重圧で塗り固められた声だった。
多分、本当に塗り固めただけの声だろう。
真鋳製の厳ついノブに手をかけ、ゆっくりと開ける。
「ようこそ、九頭竜会へ」
鼻を衝く線香の匂い。
神主のようないでたちをした人物が、祭壇のような物の前に腰掛けていた。
「そんなに構えないでくれ。こんな格好だが堅苦しいのは嫌いでね」
「・・・はい」
年輪のように刻まれた深い皺。見る者を威圧する、その風体。
推測だが、これは本当に威圧が目的だろう。
気の弱い相手なら、少しリキいれれば恐がるだろうし。
「掛けたまえ」
「・・・はい」
言われた通りに、男の前の座布団に腰掛ける。
恥かしい話だが、恐い。
ヤンキーに絡まれた時とは違う感覚。強いて言うなら熊と相対したときの感覚。
した事無いから、よく解らないけど。
たぶん森の中で熊と相対したことある猟師と、微妙に話が合うだろう。
「さてと、××××さん。私達は、貴方を歓迎します」
「・・・・・・」
「しかし、疑問に思うところがありましてな・・・」
「・・・・・・」
「貴方のような若い方が、何故に解雇されたのか。それをお聞かせ願いませぬか」
優しい素振りを見せて、相手に付け込む。
結婚詐欺とかと同じ考え方だな。
「・・・私の、思うところ。職務怠慢にあると思います」
嘘八百という言葉があるが、嘘も方便という言葉もある。
解りやすく言うなら、触らぬ神に祟り無し。もう用事は無いんだから、嘘で塗り固めてもいいだろう。
「貴方を怠惰させるだけの会社だったのでしょう。安心して、我が神に御身をお任せなさい。
私は入信を許可いたします」
上人とか言うおっさんは、懐から何かを取り出した。それは勾玉のネックレスだった。
そして立ち上がり、俺の首に勾玉のネックレスをかける。
緑色で透明度が高いところを見ると、サファイアか何かだろう。
この不景気で贅沢なこった。
「それが教徒である証、それが貴方を守る事でしょう」
上人が、一息つく。
「下がりなさい」
「・・・はい」
俺は部屋を後にした。
勾玉が俺を守るだって? ありえねーよ、そんなモン。

「ねえ、このパンフレットって、勝手に持ってっていいの?」
「はい。ご自由にどうぞ」
営業的なスマイルで答えられる。
パンフレットを一枚取り、ビルを後にした。
自動ドアから出たところで、不意に背後から声をかけられる。
「いかがでしたか? 教祖様は素晴らしいお方でしょう?」
黒服Aの方だった。
素晴らしいお方でしょう。と言われても、端から入信する気なんか無いし、別にあのオッサンに神性を見出した訳でもないし。
なんて答えるか迷っていると、俺の横を誰かが通り過ぎた。
「あ、梶さん。どうぞお入りになられて下さい。本日は教祖様もいらっしゃいます」
梶?
「梶さん!?」
「・・・・・・」
返答は無かった。
ただ、ただ無言でビルの中に入っていくだけ。
本当に、本当に彼が梶さんだったのか。梶さんの顔さえ知らない俺には、なんとも言えないところだった。

「お疲れ様でした」
黒服が俺に話し掛けるが、無視する。
は、ふざけやがって。マジにいるじゃねえかよ。
苦虫を噛み潰して飲んだような顔をしながら、道路を歩く。
歩くたびに首から下がったネックレスが揺れて、正直ウザい。
ネックレスを掴み、力任せに引きちぎる。紐が少し首に食い込む。
それをまた力任せにドブに投げ込む。
胸糞悪い。生憎と無宗教な俺にとっては、こんな物必要ない。


No feelings


アニはせソファーに項垂れるように、横になっていた。
眉間に皺を寄せ、ただ無機質な天井の一点を凝視していた。
今の状態は、不機嫌。話し掛ければ全開でガンとばされること必死。
なんだか慌ただしい一日だった。
今思えば、望未さんから写真や手掛りになる物が送られてきてからでも、遅くは無かったはずだ。
相手は宗教。別にヤクザの方々に捕まっている訳でもないので、命に危険性は無い。
「クソッ・・・」
毒づきながら起き上がり、冷蔵庫からビールの小瓶を取り出す。
栓抜きで手際よく栓を開け、直接口の中に流し込む。
強い炭酸と、キツイ苦味。一気飲みで急速に、程好くまわってくる酔い。
瓶を燃えないゴミの袋に投げ込み、テレビで陽気に喋る芸人に一瞥をくれてやる。
「けっ・・・」
時間は、まだ五時半。まだ5時間半も残っている。
「寝る、か」
ジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツも脱ぐ。ズボンも脱いでソファーにかける。
つまりはパンツ一丁だ。
そのまま布団に潜り込み、目覚ましを10時にセットする。
既に外は暗さが増してきており、カーテンを閉める必要もなかった。
頭まで布団に潜り込み、目を瞑った。
俺は、とても寝つきが良い。その気になれば目を瞑ってから10秒で眠る自身がある。
根拠の無い自信だが、確証はある。
と、いうわけで。
俺の意識は急速な勢いで漆黒に沈み、次第に薄くなっていった。

夢を、見た。
そう。あれは、まだ幼かった時。
蝉が鳴く真夏の季節。
もっとも、その日は蝉など鳴いておらず、曇天からは絶えずに雨が降り注いだ。
俺は、体に纏わりついた線香の匂いを消したくて、雨の降る中で一人佇んでいた。
どうって事はない。ただの交通事故だ。
トラックと正面衝突。
両親が乗った車は、爆発炎上。死因は焼死と爆死が混ざったやつ。つまりは即死だ。
それを知ったのだって、つい五、六年前だ。
両親の葬儀。あの時俺は、確かこう言ったんだ。
「あの箱の中に、お父さんとお母さんがいるの?」
親戚だとか言うオバサンは、涙を流しながら俺の肩に手を置き、こう言った。
「あのね、××××君。今日からは、伯母さんたちが、お父さんとお母さんになるのよ」
そのとき。俺は悟った。
ああ、死んだんだな。
ああ、意外と呆気ないな。
でも、最後に顔くらい見とくべきなんだろうな。
「ねえ、お父さんと、お母さんにお別れしたいから、顔を見させてよ」
義母は一瞬だけ、とても悲しい顔をした。
“ちょっと待っててね”そう言って、他の大人達の所に歩いていった。
その後で、義母は神主のところまで行って、何かを言った。
神主は俺の方を見て、悲しいような、哀れむような。いま思えば、かなりむかつく顔をした。
義母がこちらに歩いてきて俺の手を掴み、棺のところまで導いた。
“お父さんとお母さんに、最後のお別れをしようね”
そう言って、棺の窓を開けた。
覗き込んだそこには、なんだか得体の知れない黒い塊があった。
指か何かだろうな。そう思った。
あのあと、俺は、なんて言ったんだろうか。

ピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・。
目覚ましが鳴る音で、目が覚めた。
体中に脂汗をかき、なぜだか無性に悲しくなった。
なんで今日の俺は、こんなに弱いんだ?
今更、親の事なんて思い出しても変わらないのに。
「畜生…」

蛇口をひねると、シャワーから生温い水が出る。
壁に手をつき、あの時の雨のように頭から水を浴びる。
水は俺の体をつたい、螺旋描いて排水溝へと流れていく。
「・・・・・・」
誰かに傍にいて欲しい。
蛇口をひねり、水を止める。
髪の毛から水が垂れ、ぴちょん。ぴちょん。と音を立てる。
その音は、無性に大きく。無駄に響いた。
浴室から出て、脱衣場で体を拭く。
下着を穿き替え、上下のスウェットを着る。
髪の毛を後ろで縛り、脱衣場を出た。

冷蔵庫をあさり、缶ビールを一本取り出す。
プルトップを開け、炭酸の効いたアルコールを一気に飲み干す。
喉が焼けるような快感。せり上がってくる酔い。
缶をゴミ箱に投げ入れ、黒電話に手を置く。
ただ傍らに人がいてくれれば、誰でもよかった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「もしもし?」
「アニだけど・・・来てくれよ」
「・・・どうしたの?」
「なんでも、ない。いいから来てくれ・・・」
「・・・わかった。じゃあ住所教えて。すぐ行くから」
住所をゆっくりと言う。大して長い物でもないし、探偵事務所といえば少ないから、すぐに解るだろう。
「・・・。じゃあ、すぐ行くから」
「悪いな、無理言って」
「気にすんなよ。にあわねえ」
そう言って、電話は切れた。

ジリリリリリリリリリリリリリリリリ!!。
これが家のベルである。ぶっちゃけた話、やかましい。
だが、それさえもが待ち遠しかった。
玄関まで走り、一気にドアを開け放つ。
「うわっ! いきなり開けんな!!」
悪態をつく、たかだか15の小娘。
だが、どうしようもなく不安で。どうしようもなく誰かが傍にいて欲しい時。
今がその時だった。
「・・・・・・」
ナミを無言で抱き寄せる。淡い栗色の髪が鼻腔を擽る。
「うわっ!! なんだ!? そんなに我慢できないのか!?」
捌けた性格で、いくら冷めていようとも。当時の自分は幼かった。
両親を喪った悲しみは、自分の心に深い爪痕を残していった。
「わりぃ・・・暫らく、こうさせてくれ・・・」
「・・・悲しいの?」
途端にナミの口調が、優しいものになる。
俺の頭に手を回し、きゅっと抱きしめる。
「泣いても、いいんだよ・・・?」
滲む視界。頬をつたう涙。止まぬ慟哭。こぼれる嗚咽。
ああ、そうか。ナミも、声を殺して泣いているのか。
俺は、そうやって暫らくの間泣いた。両親が死んだときも、義母の家で飼っていた犬が死んだときも。
俺は泣かなかった。自分を殺して、自分の望む格好良い人間を気取って。
アルコールのせいか、それとも夢のせいか。もしかしたら、九頭竜会の本部に行ったせいなのか。
俺は泣いた。


drink and tears.    


ブラインドの隙間から差し込む月光。目を開ければ、そこに広がるのはヤニで黄ばんだ天井。
ベッドから静かに起き上がり、ナミが隣で寝息をたてていることを確認する。
いま思うに。あの優しい声のナミが、本当のナミなのではないのだろうか?
そう思えた。
ベッドから立ち上がり、床に脱ぎ散らかしてある下着とスウェットを穿く。
静かに冷蔵庫の扉を開け、ガス入りの水を取り出す。
事務所とは仕切られている、私室のオープンキッチンまで歩き、そこで栓を開ける。
程好い炭酸の効いた冷水を飲みながら、窓から外を眺めた。
雑多なビル郡を遠くに臨み、近い場所では幾つかの家屋に明かりが点っていた。
今日も変わらず時間が流れ、俺は梶悠希を捜す事になるのか。
そう考えると、朝から気分が重くなった。
「アニ・・・?」
後から声を掛けられる。
「わりぃ。起こしちまったか?」
ナミはシーツを体に巻いただけの格好だった。無駄に扇情的だった。
「私にもちょうだいよ」
口調は優しいままだった。
グラスに冷水を注ぎ、ナミに渡す。
「ありがとう」
ナミはそう言って、冷水を一口飲んだ。
「そういえばよ、お前の本名聞いてなかったな」
まさか俺みたいに、普段から偽名で通っている訳ではあるまい。
「ん、本名ね。井上奈美って言うんだけど・・・」
まさか、まさかとは思うが。こんなに世間は狭いものなのか?
「母親の名前って…井上正美じゃ…」
これにはナミも、信じられないという顔をする。
おそらく世間は箱庭程度の広さなのだろう。広い広いと思っているのは、その中に住む者の独断であって、客観的視点から見れば、相当な狭さなのだろう。
「ははは…はははははっ!!」
大笑いする俺。ビビるナミ。
笑えて笑えてしょうがねえ。世間様はなんつー狭さだ。
「ど、どうしたの?」
「はははっ! …わりぃ、世間は狭いって言うしよお…」
まだ笑いがおさまらない。堪えても“くくくっ”と笑いが漏れる。
「……」
呆れているのか、どうなのか。ナミは無言だが、おそらく前者だと思われる。
昨日は自分の胸を借りて泣いた男が、今度は意味の解らないことを言って、大笑いしているのだ。呆れるしかあるまい。
「あー、笑った笑った…。ところでよ、いつもの突っ張ってるナミと、いまのお前。どっちが、本当なんだよ?」
「…どちらかというと、今。かな?」
照れたように頬を掻きながら、ナミが答える。
「じゃあさ、なんで突っ張ってんのか聞かしてくれねえか?」
今度は面倒臭そうに頭を掻くナミ。
「長くはないけど、面白くないよ?」
「別に良いわ。つまんねーのは慣れてるしな」
ナミは、ふっと笑うと決して長くはない。だが自分にとっては重要な事を話し始めた。

「最初は、親への反発。かな?」
悪戯を見つかった子供のような、無邪気であどけない笑顔。
「……」
おそらくは一般的に言う不良の、何故そうなったのかの問で二番目を占めるものだろう。
「髪染めて、ピアスあけて…。シンとかと一緒にいてね…。なんか居心地よくなっちゃってさ」
笑顔から、まるで世を憂いでるような。悲しいような。全部が混ざった複雑な顔をした。
「それは止めようと思ったりしたこともあったけど、その度その度…。別にこのままでも良いんじゃないか。って思えてきてね」
ナミが寂しそうな笑顔を天井に向けて、ぽつぽつと話す。
「別にしたくてしてたわけじゃないと」
人を小馬鹿にするような口調で、挑発的に言う。
これはもう癖だ。改善しようとは思わない。
「うん、そんなトコ」
「意志薄弱だな」
俺は、人を甘やかす事ができない。いつでもリアルな現実を叩きつける事しか出来ない。
そしてナミも、それを望んでいない筈だ。
「そうやって言ってくれると嬉しいね…」
周りは甘やかような事しか言わない。
それはアニもよく解っていた。だからこその言葉だ。
「……」
黙して次の言葉を待つ。気の利いたことは言えなくても、ただ話を聞くだけならできる。
ナミは俺の傍まで来て、俺の胸に体を預ける。そして、俺はそれを受け止める。
「私達の中にも、止めたい。抜けたい。って思うやつは、幾らでもいるよ…。でも皆、いつかは止めれる。高校入ったら皆バラバラになるよ。
そんなことばっか言って、現実を見ようとしないんだ。見させてくれないんだ」
「……」
「止めたとしても、今更あの家に戻る気はしないしね。もう何処にも身の置き場所が無いって言うのかな…」
気持ちは解る。
親戚の家で暮らした時間は、アニも似たような境遇だったからだ。
身の置き場所が無い。自分はここに居ちゃいけない。
そう思えて、仕方ねー時があった。
「……」
「ねえ…」
「なんだ?」
「アニは、そこの所。どう思う?」
少し迷った。俺の考える現実を、このままナミにぶつければ、と。
だが、俺は他人を甘やかす事ができない。それは自分にもだ。
「好きなだけ苦しめ」
これは、ナミにとって、残酷な答えだったのだろうか。
「今のうちから苦しめば、その分だけ強くなる」
もし、この一言が、ナミの心を深く抉るとしたら。
「家なんざ、いくらでも借りれるしな」
「……」
「わりいな…」
意味も無く謝った。なぜか、そうしなければならないように思えた。

[山吹]の扉を開け、薄暗い店内に入る。
「アニじゃないですか。…どうかしましたか?」
白髪をオールバックにした、上品なマスターが陽気な声をあげる。
久しぶりの馴染みの客なのだろうか。その顔は嬉しそうだった。
「……」
無言でカウンターに座り、注文を入れる。
「ベルモット・カシス」
マスターは、肩をすくめながらも注文されたカクテルを作る。
ドライ・ベルモット、クレーム・ド・カシス、ソーダ水。三つをグラスに入れ、カラカラとステアする音が響く。
「どうぞ」
目の前に、真紅のカクテルが置かれる。
「……」
無言でグラスを引っつかみ、一気に飲む。
「カクテルは上品に飲むもの。そんな風に飲まないで頂きたい」
「客に文句言うなや…」
懐から、九頭竜会のパンフレットを取り出し、カウンターに置く。
「調べてくれねえか?」
「…1986年のシャトー・ラトゥールがありますが、いかがでしょうか?」
シャトー・ラトゥール。五大シャトーと言う言葉があるのは、ご存知だろうか。
シャトー・ラフィット・ロートシルト。
シャトー・ラトゥール。
シャトー・ムートン・ロートシルト。
シャトー・マルゴー。
シャトー・オー・ブリオン。
この五つであるが、シャトー・ラトゥールは男性的な味わいと称される事が多い。
「…いくらだ?」
「ボトルキープのみになりますので、68万円になります」
マスターの声は心底嬉しそうだ。そりゃそうだろうな。
「…カードで……」
必要経費に、68万円プラス。

マスターは、俺みたいに身辺調査とかの暗い仕事を持つ人間にとっては、
少々、名の知れた人物だった。
今年で75歳になる。
バブル経済期という、懐かしい時代に脱サラ。
BAR[山吹]を経営して、店の売上と情報料。両方でぼろ儲けする爺さんだ。
27歳から75歳までの48年間。大木の根のように張り巡らした情報網は、半端じゃない。
「それで、如何致しますか? シャトー・ラトゥール。御飲みになりますか?」
せっかく高い酒買ったんだ。自分の金じゃないけど。兎に角、飲まねば損だ。
「そうすんよ」
俺の前にグラスが二個置かれる。
両方のグラスに、ワインが注がれていく。ん? 二個?
マスターは片方のグラスを取ると、おもむろに自らの口へと運ぶ。
「……さすがは五大シャトー。男性的な味わいと形容されるのも理解できる」
感嘆の声をあげるマスター。1ml906円くらいで、一杯約120ml。
簡単に見積もっても、一杯約108720円。
「……」
無言で静かにグラスを取り、ゆっくりと飲む。
赤ワインの程よい辛味と、ワイン特有の上品な香り。
しかし、しっかりと味に根がある。かといって、しつこくも無い口当たり。
まさに西洋の酒では1、2を争うものだろう。
「あ、勿体無い…」
マスターが、至極残念と言う声をあげる。
俺は、ボトルから直接ワインを飲んだ。

あの後、ナミは俺の前から消えた。
おおかた、優しい言葉でも期待していたのだろう。
「強くなんか、なれないよ」
そう言い残して、俺の前から姿を消した。
俺は。俺は、冷たい人間なのだろうか。
冷めているのでは無く、冷たい。
後悔はしていない。ただ、胸の奥底に蟠りだけが残った。
涙は出ない。
感情の起伏も無く、ただ[山吹]で飲んだワインの酔いがあるだけ。
今の俺から見る世界は、モノクロかセピアだ。

事務所につくと、ポストに封筒が投函されていた。
封筒の差出人は、梶望未。
一瞬でモノクロとセピアの世界が、あらゆる色彩のカラーに戻る。
言い換えるならば、現実へと引きずり戻される。
ドアを開け、事務所の中に入る。
ラークの匂いと、昨晩ナミがつけていた香水。スイドリームスの、甘い香り。
全てをふっきり、私室へと入る。
ナミの匂いが染み付いたベッド、ナミが口をつけたコップ。
ナミが体に巻いていたシーツ。ナミの番号が書かれた、空の紙マッチ。
「……」
一晩だけで、数え切れるだけで、こんなにも残っている。
俺の記憶と心にも、まるで残滓のようにこびりついている。
コップを持ち、壁に思い切り、叩きつける。
派手な音を立てて、グラスは砕け散った。
床に転がったシーツに、テーブルの上に置かれた紙マッチ。
全部まとめて、ゴミ箱に捨てる。
だが、空気に染み付いた匂いは消えずに、アニを責めつづけた。
「……」
こんなところで、仕事ができるわけが無い。
俺は事務所を後にした。



to be continued!
2004/06/07(Mon)00:38:55 公開 / 蘇芳
■この作品の著作権は蘇芳さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
タイトル修正忘れるという悪魔の所業。
タイトルだけ変えるのもアレなので、中身もついでに更新しました。
ここまでが前回までの分です。前回はここまで書いて放置プレイでした。(汗
今回は最後までやります!!!


湯田さん>皮肉った物言いは、私の性格から来てます。(ぇ そしてアニは私の思う「カッコイイ」を凝縮して汚染したキャラです。ツボにはまってくれると、マジに嬉しいですw

卍丸>誉め過ぎっス!! そこまで誉められると、皮肉りようが無いっス!! むしろ酷っス!!! でも誉められると嬉しいです!!
ありがとうございますっ!!!

二回も感想を賜り、恐縮であります。
前回までの後、良い意味で期待を裏切るよう死力を尽くします。
ありがとうございます!!!

お酒はハタチになってから!!! などとセコイ事は申しません。てか私の口からは言えませんね(汗
そろそろ消える前までの所に近付いていきましたので、先のほうもお楽しみに(^^

紅い蝶さん> まずは貴方にお伝えしたいと思います。
貴方は私の目指すところであります。
そして読者に優しいとありましたが、自分で想像し難いようなの書いても、あんまり面白くないから…というのが本音です。
何はともあれ、感想ありがとうございます!!

勝手ながら目指して頂きます。
だんだん胡散臭い内容になっていきますが、アニは九頭竜会とは戦いません。無理ですUu
感想ありがとうございまっす!!!

zeroも面白いですよ!!! かなり!!
がんばって、がんばって。
ボロ雑巾くらいになっても頑張ります!!!

私の口から言うとネタばれ必死なので、あえて多くは言いません。
なるべく裏切る方向ですので、そこの所は死紅世露!!!!

ねこふみさん> この場を借りて注釈を加える事、平にご容赦下さい。
犯罪が犯罪として見られないというよりは、警察と言う組織自体の権力が落ちているのです。
しかも目立ったものは無くても、細かいところでの事件が多く、そちらに人手を割いているために、細かいところにも人手が行き届かない場合があるのです。
つまり対処しきれないから放置しています。
さてさて。面白いと言ってもらえて、物書きとしては喜々として躍りだしそうです。(マテ
なるべく早く更新しますので、最後まで見捨てないで下さい!!!

ありがとうございました!!!
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