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『悪魔狩りの独白(終結)』 作者:成夜 / 未分類 未分類
全角33637文字
容量67274 bytes
原稿用紙約103.1枚
<簡易あらすじ>

フェンリルと言う名を掲げる悪魔狩りは相棒の魔剣ロキとともに旅していた道中、医者の女性・マギーと一緒にとある町まで同行することになる。
ところが途中寄った街では死者の群れが悪魔化して、ヴァンパイアになったりゾンビになったりと大騒ぎ。行きがかり上、と言うより悪魔狩りを名乗る以上、つい余計に首を突っ込んでしまって……。

<後書きならぬ、先書き>
初めまして方、初めまして。
ここから先は本編をごらんください。
ちなみに最近、あとがきならぬ、「先書き」にこってたりします。
小説を買って読む際に最初に読むのは「大まかなストーリー」というかその小説の「評判」と「簡単な内容」を知ってから読んだり買うかどうか考えますよね。
俺もそうだったりします。さらにこういった掲示板形式だとそういった「前置き」とかが全部作者のメッセージでしかまとまらないので、ぶっちゃけここでメッセージ書いてやろうという無茶苦茶な行動を起こしたりしてます。
管理人さんに怒られたら無論やめます。んで上の簡略ストーリー読んで、好みでない方はプラウザの戻るなり、右上の×押すなり、感想に罵詈雑言でもぶっつけちゃってくだせえ。それでは……またどこかで(メッセージで?)
最後になりましたが、修正を手助けしてくださった ほにゃさん、 ヒカルしゃん、この場を借りて御礼を申し上げさせていただきます。

<プロローグ>
奴らは時として現れる。
人々の畏怖、闇の象徴。それは闇夜に現れ、闇夜とともに去る。
理由はわからない。人々はただ恐怖するのみ。
如何なる神の威光も権力も通じぬ彼らに、なす術などありはしなかった。
戦う試みは幾度となく繰り返された。だが奴らは底を知らない。
戦えば血が流れ、その数の民が消えていく。そしてその血をすすり、新たな奴らが生まれてゆく。

奴らは時として現れる。
神の威光を信じても決して拭えぬ恐怖の中、それは現れた。

「悪魔」を狩る者。
彼らが何者なのか、誰も知らない。ただ人々の間に語られていくのみ……
やがて人々の記憶からは消え去り、伝説のみが残る……

『手こずらせやがって』
異形のそれは歓喜を押し殺して呟いた。その微笑は歪んでおり、生命としての常軌は欠片も感じさせてはいなかった。
目……と言うべき器官が幾つもそれを凝視していた。獲物を見つめれば見つめていくほどほど、異形の生命たちの鼓動は高鳴り始める。
『我らを闇の眷属と知って、この場に現ることを褒めてやろう』
別の声が、高鳴りを抑えていた者たちをさらに煽る。
銀髪を靡かせた『女』は月を眺めながら背を向けていた。美しく伸びた銀髪は手入れもされることもなく乱雑に伸びているようだが、風に揺れれば流水のごとくきらびやかに漂い、月光を浴びてはさらに輝きを増していく。
「……月が、綺麗だ」
『女』は呟く。確かに月は美しかった。
彼女の瞳と同じ円を象った満月は、まるで空の落とした雫の一滴のように儚く、それでいて淡く輝いていた。
彼女が振り返ると同時に異形の者たちが凍りついた。相貌はあの月と同じく丸く湖水を思わす深い瞳。今は鋭利に細められて眼光自体が刃のごとく突き刺さる。
さらに息を呑むのはその美貌、まるで神が作り出したガラス細工のごとく静謐で繊細な鼻梁、顔立ち、そして瞳。そのどれもが目の前の彼らに対し怯えも恐怖も抱いてはいない。
闇夜に紛れた風が吹き、対峙している大地に一撫で吹きかけると同時に砂が舞い上がる。夜風……と思われたそれは漆黒の刃を放つ、異様な剣であった。刀身は黒という黒を超越し漆黒まで昇華され、唯一剣の重心軸である箇所には血の様な紅の一筋が走っている。その紅がまるで血のように零れ、黒い刀身を染めていく。
一瞬、何が起こったか気づかなかった異形の存在が、やがて一つの悲鳴でやっと気づく。
『うごぁっ!』
飛んでいた。『女』の手前の者が、体の一部を空中に放り投げだされさらにもう一陣の風が舞うと全身を頭から等分にわけられていた。黒い刀身に零れたのはその者の血だった。
人間であった名残を残す鮮血が、漆黒を紅に染め上げていく。
『ぎっ!』
さらに攻め立てようとした者たちの動きが止まると、ゆっくりと崩れ落ちた。地面を這う足の力が出ない。
「…………!」
『女』は見下ろしている。感情の無い瞳で見下ろしている。
腕を伸ばして立ち上がろうとして気づく。彼らは足を切断させられていた。一瞬意識が凍りつく。視界が暗転し潰れた。『女』がその剣で頭を叩き割ったのだ。擬音にするには異質だが、水と砂を混ぜた袋を叩き潰したような鈍い音が響く。
最初の一陣、いや一撃ですでに異形の者たちは次々に切り裂かれていた。闇夜のおかげで隠れていた『大型剣』がその漆黒の刀身を閃かせる。『女』の身長を遥かに超す大型剣だ。
音も無くただ風と砂利の踏み飛ばされる音のみが凄惨を物語る。闇夜の静けさは一瞬にして崩れ去り、荒ぶる者たちの舞台となる。
ここも然り。
やがて……

夜風が吹いていた。
静けさの漂う夜気の風に吹かれながら、銀髪は舞う。
歩み行く先に道は無かった。だか静寂に対なす規則的な音は確かに進んでいた。
闇夜に踏み入れる者。
彼の名は……

1部 悪夢

「ケバい光だ」
呟く青年は物憂げだった。
感情そのものが欠落したような口調に、苦々しさなどは感じそうにもないが青年は確かに毛嫌っていた。そのケバい光を浴びて彼の銀髪が細長く風に揺れている。
蒼水の瞳が見据える街並みは暗く沈んでいる。
外灯は所々消えていき、すでに空は闇夜に沈んでいた。
「嫌な夜になりそうだな」
開かれた唇から漏れた言葉には感情の欠片も感じられない。
辺りに地面は無かった。背後に雑草がまばらに生えた大地が広がるのだが、彼の足元から先には何も存在しない。覗くのはなだらかとは言い難い急斜面に続き、微かだが水の流れる音が響く。闇夜で見えにくいが青年の脳裏には川のせせらぎが鮮明に連想される。そしてその川に架かる橋の向こうに町並みが広がっている。
青年は瞳を開く。猛禽を思わせる鋭い双眸が覗いていた。少女のような肌理細やかな顔立ちとは裏腹に常時無表情とくれば少々不気味な気もするが、彼に関してはさほど気にすることでもなかった。逆にガラス細工めいた異様な神秘感が漂い、見る者は誰もが息を飲む美しさ、「花」が見て取れた。
青年は軽く歩みを始めると急斜面に足を伸ばし、そのまま滑り降り始めた。

闇の世界は彼らの世界だ。人が蹂躙するにはあまりにも脆弱すぎた。
街角の一角で出くわした少女もその一人だ。さしたる令嬢でも高貴な血を引く身分でもない単なる町娘の一人なのだが、運命の女神に微笑まれるわけでもなかった。
目の前の異形の存在がその鋭い顎牙を向け、滴り落ちる唾液と思しきものが路肩の排水溝に通らずに地面を侵すと泡のように溶ける。
その眼球、といっても一対の瞳のある箇所にはなぜか眼球が六つ。それぞれ左右に三つずつ分かれて存在する瞳孔が一瞬見開かれた瞬間、何かが掠めた。
少女の瞳も見開いた。突如舞い降りた存在が異形の存在の真上を通過すると、ちょうど彼女の前に現れて同時に異形の存在が鮮血らしき黒い液体を壁や地面に撒き散らして倒れた。正確には頭から股間まで分断されて、立つ事はおろか生命としての存在を否定されたからだ。
少女が何か尋ねようとして青年はその表情をさらした。少女ですら魅せられてしまうその顔立ちが覗く。だが青年が再び振り返ると「それ」は集まってくる。
壁に張り付いて、路地から堂々と現れて、空を舞う者、影から生まれ出でる者。
彼らは総じてこう呼ばれている。
「悪魔」と。
青年は手にしていた大型剣をひるがえすと跳躍して壁を蹴り上げて登りだすと、壁に張り付いていた蜘蛛の様な「悪魔」を一瞬で切り抜く。「悪魔」は影に溶け込むようにして消滅した。
少女が呆気に取られている間、実に数匹が血祭りならぬ「影祭り」にさらされていた。悪魔に「死体」や「遺骸」という存在が存在しないからだ。理由は不明だが人の負の感情を糧に生きる邪悪そのものの存在、一種の魔導生物という説が一応有力だ。死後の肉体は暗黒に染まり空気中に散ってしまう。
青年は煉瓦造りの壁を蹴り跳躍して、さらに空中の「悪魔」にも襲い掛かる。羽の無い人間と侮ったのか鳥と人を合体させたような悪魔が鷹のそれと思しき鉤爪で青年の真上を捕ろうとして動きが止まった。真上、背中の真上をとられたのは悪魔のほうだった。
青年は「空中を蹴って」さらに跳躍すると、鳥の悪魔の背中から腹までをきれいに分断して闇に還らせた。
地を這う者をあざ笑うかのような青年の行動だが、地べたの悪魔は青年に感心が無いようだ。逆に放心状態の娘に殺到しようとして、青年が動く。
剣だけが降り注いで地面を突き刺す。少女が驚愕し、ようやく接近していた悪魔に気づく。だがもう一つ異様な光景が目に付いた。剣が地面に刺さっていない。金属が打ち鳴らされるような音は聞こえたのだが今、眼前の剣は浮いていた。
切っ先が宙を浮いて刀身が赤黒く染まっていく。刹那、刀身に鋸の様な「牙」が生えた。
刀身自体は普通の直刀で湾曲した箇所は無いのだが、一直線の刃筋すべてに鋸状の牙が生まれると、刃は一人でに動き出し悪魔に襲い掛かった。
悪魔の中に武器の形状を象った者の話は聞いたことは無いが、呪われた剣にこういう種類の刃が存在するのは少女にも心当たりがあった。「踊る剣ダンシングソード」と言われ、持ち主の意思無しでひとりでに戦う魔法の剣の呼称だ。
呪われた刃が地上の悪魔を相手にしているころ、銀髪の青年は鳥の悪魔たちに素手で戦っていた。実際は腕に仕込んだ隠し爪で殴り合いの応酬を繰り広げているのだ。
悪魔の体を抑えて余った腕で反撃し、きりもみしながら空中を自由落下すると、空中をさらに蹴って体勢を立て直す。浮遊はできないらしい。
刃のほうは悪魔を次々に切り裂いていた。胴を薙がれた者や頭を砕かれた者、だがそれらのすべてが頭に異様な突起物が生えたり感覚器官が多い存在ばかりである。元からグロテスクだったものがさらに奇怪なオブジェに変えられる様に少女は嗚咽しそうになる。
最後に唸り出したのは異様な破裂音だった。闇夜の静寂を根底から破壊する乾いた破裂音に少女の耳はつんざくった。耳の鼓膜がキーンと唸る中、その正体を知った。青年が落下してきて音も無く地面に着地して、手の中で光る鈍色の鉄器に白い煙が上がっていた。少女の知識にはそのような武器は存在しないが、今しがたそれを使ったということは青年がそれを悪魔に向けていた構えで悟った。
銀色の銃身は月の光を浴びて燦然と輝き、さらにもう一丁が青年の手の中に現れると最初の一撃とは比べ物にならないほどの破裂音が断続的に響き渡った。
しかも銃を撃ちながら歩き回って、滑空していた者、逃げ出そうとする者、誰であろうと問答無用に打ち抜いていく。

少女は耳を塞いで蹲った。
悪夢なら早く覚めてほしい。誰でもいい、私を助けて。
少女の願いが届いたのか……闇夜に静寂が戻った瞬間、何もかもなくなっていた。
悪魔も、青年も。
少女の悪夢はここで終わったのだ。

手の中で拳銃を弄びながら青年は街路に出ていた。拳銃、もとい銃器という概念の無いこの街には彼の手の中にあるのは「不思議な金属の塊」でしかない。それを手の中で広げただけで銃身は見事に消えた。なんてことはない、ただ脇腹のホルスターに滑り込ませただけだ。
青年は相変わらず無表情であった。だがその実、眠たかったのだ。昨日から夜通しで森の中を彷徨い歩いて、さらに先ほどの戦闘行為にはさすがの彼も疲労を感じていた。
周りは煉瓦造りの一軒家が立ち並び、住居兼店などの看板なども見られる。通路は比較的広いのだが今は冬と思えるほどの寒空である。青年はその場所を探し当てた。
風当たりの少ない建築物同士の間に設けられた路地裏。ゴミの回収箱が設置されていたが問題はない。奥のほうへ進むとひんやりした空気が漂っている。まぁゴミ溜めの場所よりはましだろうと壁に寄りかかり瞳を閉じる。
本当に疲れていた。瞳を閉じるとあっさり眠りについてしまった。だから気づかなかったのだろう。近づく小さな靴音に。


2部 ドクター

目覚めると暖かい空気とともに柔らかい匂いが漂っていた。日向に当たった布団の香りだと気づくと青年はいぶかしんだ。
「あ、起きた?」
目先の女性は笑顔で彼を見据えた。
「どういう神経してるのか疑われるわよ? あんなところで眠るなんて」
青年は無反応。この反応と表情は彼の生まれつきであって、したくてしているのではなかった。彼なりに驚いているのだがその表情を作るのはまだ下手なのだ。
「……」
「あら失礼、自己紹介から始めるべきだったかしらね」
女は微笑んだ。淡い茶色の髪をなびかせ、日光を浴びて燃えるような赤色に染まっている。白い素肌に少し自分に似ていると青年は感じたが、さほど大した感情でもなかった。ただ気が付いた程度だった。顔立ちは女性独特の柔らかさの典型のような細くて丸め、それでいて瞳が丸く大きいので愛嬌が感じられた。
こういうのを巷では「可愛い」と言うのだが、あいにく青年の知識に女性の区分けの内容は記録されていはいなかった。
「私はマギー。マーガレット・アルフォンス。医者よ」
口を開くと凛とした少し低めの声が響いた。だが笛の音のような芯のある物言いで、鈴の音のような甘ったるしい声ではない。
青年は上体を起こした上体のまま瞳を細めて思案した。彼の思考はなぜここに連れて来られたかの一点に尽きた。
まず考えたのが「彼」目的の誘拐。自負する気はないが自分の容姿は嫌というほど知っている。街角で女と間違えられたのは数回ではない。そしてそっち目的で誘拐する輩はこの世界には大勢いる。秘密裏に「子買い」などと言う人身売買組織がのさばっているほどだ。彼が奴隷になれば高額が付けられるのは考えたくもない。
さらに他の点を考える。たとえば昨日の戦闘の目撃者だとすれば、とか。公にするつもりはないがかといって隠すことの程でもない。青年はこの事にたいして大きく考えてはいない。ただ「何者か」が現れて暴れた、痕跡はなし、その程度の事だった。結果だけであっさり簡潔している。問われても無視を通せばいいと思っている程だ。
「あなたは?」
再ほどから返事がないことに首をかしげ、青年はとりあえず布団から降りる。すると慌ててマギーが近寄って、
「怪我してるでしょ? すぐ動いちゃ」
「もう、治った」
返事と呼ぶにはあまりに素っ気無い第一声だった。動いたときから気づいていた二の腕の包帯と胸元に張られたガーゼをその白い指で剥がす。マギーの魅力的な青い瞳がさらに丸くなった。
「う……そ」
掠めたような深い傷跡が二の腕辺りを二箇所切り刻み、胸や脇腹にも大きな傷跡が残っていたのだ。深くはなかったが傷が広かったので化膿する恐れがあったのだが、それが今はない。傷跡も残ると思われていたのにそれすらない。単なる応急処置ではない、医者の経験上のすべてを費やした彼女だからわかる彼女だからこそ、その驚愕は確かなものだった。
【そうそう、そいつに医者は不要だぜ】
マギーの背筋に寒いものが走り、後ろを振り向く。人は不意を付かれた時、なぜか後ろに振り向く性質があるのだろうかと、青年は不思議に思った。
「だ……誰?」
青年は呆れつつも近くに置かれてある自分の荷物から、大きな長い包みを蹴飛ばした。中から現れたのは昨夜、数多の闇の血を吸い上げた闇色の刃、大型剣であった。
「朝っぱらから顔出すな」
【今昼間だぜ、寝ぼすけ】
開いた口が塞がらない。誰が言っていたか青年は思い出した。マギーがちょうど今そんな感じというか実行しているからだ。
【中々喋らない馬鹿な主に代わって自己紹介しましょう。俺はティーゼル・ブレイク。闇の剣だとか破邪の剣とか言われてるこの肉体の魂、精霊――】
「邪精」
青年は表情一つ動かさず訂正した。すると剣の発言が止まり、つかの間の沈黙が室内に充満していた。やがて恨みがましく剣の精霊、邪精は苦々しく反論する。
【喋るなら喋れよ】
「お前の嘘を訂正しただけだ」
二人のやり取りを眺めていたマギーは少し驚いていたがやがて首をかしげて頷くと。
「そっか、彼は人見知りするタイプなのね」
【お嬢さん、大正解】
青年は一瞬で場に馴染んだ女医者に少々呆れてしまった。

青年の名前は「フェンリル」。
生まれは不明、年齢も一九かそこらと曖昧。銀髪碧眼の珍しい髪色と眼色だから地域だから特定できそうだとも思うが、生憎彼は「忌み子」とも自ら名乗った。
彼の生まれた村は質素な、それでいて自然と調和して文明という文明があまり発達していない漁村で生まれた。その村では掟や仕来たりが強く、なおかつ自然を神としていた為、他者やはみ出し者にはひどく冷たかった。
そして、彼はそれに該当した。「銀髪」だからだ。
彼は未熟児、もっと言うなら特異体質で色素が抜けて生まれた白子であった。ただそれだけで父は悲しみ、母はつらい思いをしてた様な気がした。
実は二人のことをよく覚えていない。それどころか「知らない」と言っても過言ではなかった。
彼は記憶を失っていた。
父のこと、母のこと、今生きてるかさえもまったくわからない。それどころかなぜ自分がこの剣を手にしたかでさえ覚えていないのだ。精霊が存在するのをしたのはつい最近だが、それでもこの剣の詳細は彼自身も未だ詳しくはない。
【俺だって自分のことぁ、わかんねえよ!】
剣にはティーゼル・ブレイクと言う名をフェンリルは与えていたが、まさか邪精の名前になるとは思ってもいなかった。ただし今はそんな長い名前ではなく「ロキ」と言うあだ名で呼ぶことにしていた。
【生まれたての赤ん坊のころの記憶を知らないのと一緒さ】
そう言うと納得できるような、それでいて釈然としない両極端な感情が複雑な思いとなってのしかかる。フェンリルの数少ない疑問の一つだ。
「それが、悪魔退治とどんな関係が?」
マギーがやっと説明の中に問いを掛けてきた。そしてフェンリルは少し納得する。考えのうちの一つが「当たって」いたのだ。彼女はおそらく彼の戦闘を見届け、路地裏で睡眠を取ったのを見つけ介抱したのだ。
マギーは問い出してはいけないと気づいたのか口を押さえようとする。こぼれた言葉は手で汲めないと思うのだが、フェンリルは言わなかった。
それにフェンリルもロキとの会話の最中、彼女にも自然と口を開くようになっていた。
「大した事じゃない、ただ悪魔の血が必要になっただけだ」
フェンリルは語り始めた。
邪剣【ロキ】は魔力を食らうように作られており、さらに魔力が枯渇すると宿主、この場合フェンリルの魔力を喰らい出す。魔力とは生命力の一種であり無くなっていけば疲労や精神状態に異常をきたす。現にフェンリルは魔力を大量に喰われたことがあり生死を彷徨ったことがあると言う。
フェンリルはこの間まで、数多の「人間」をかつては切り裂いてきたと言った。
そのときマギーは一瞬表情を凍らせたが、
【悪人限定】
ロキがすかさずカバーを敷いた。マギーはそれでも表情を曇らせていた。医者の仕事は「人を救うこと」であってフェンリルの行動とは完全に相反していた。
「それで最近知ったんだ。巷に効く『悪魔』の噂を」
【俺たちも悪魔に変わりないと思うけどな】
フェンリルは瞳を瞑り、傍らの大型剣は鈍い輝きを反射していた。
【あいつらの魔力は格別だった。なにより人とは違う。恐怖や嫉妬、妬みといった負の感情が詰まってやがる。そう言うのが格別に美味いんだよ】
まるで自慢げに歌う刃にマギーは戦慄を感じてしまった。つまり彼らは「人の闇」を狩って、喰らって生きていると言うことだ。魔力とかそういうことに関しての知識はないが、【悪魔】が【悪魔】と呼ばれる由縁をその脳裏であっさり結び付けられたのだ。つまり、【悪魔】とは……
【少し喋りすぎたかな】
不意にロキが口をこぼすとフェンリルが始めて表情を変えた。微笑をこぼしたのだ。鼻で少し笑う程度だったが、なぜか新鮮な雰囲気が部屋全体に染み渡っていた。少なくともマギーにはそう感じられた。
「そうだな、長居してしまったな」
フェンリルは自分の上着と外套を纏うと、剣と昨夜戦闘で使用した暗器の数々を着こなしていく。まるでその場にはいなかったような、そんな事を言い残すような真っ白な銀髪。まるで幻のような青年の背後に彼女は声をかけた。
「あっ、ちょっと待ってよ」
フェンリルは瞳を下げながら振り返った。その瞳に感情がないのはわかりきっているが、彼女にはまるで雪のような儚さを感じ取った。
「治療代にちょっと付き合ってくれない?」
闇の剣と幻ばの人間の声が、合唱となった。
『はぁ?』

3部 転生

朽ち果てた教会にひっそりとたたずむ存在を人々はあまり気にも止めない。それもそうだろう、いちいち気にするには当たり前すぎるその存在を恐怖していては教会にも行けるわけもない。
ただ、その夜は違った。
司祭長は護衛の神殿騎士を二名つれてその墓地を訪れていた。当たり前のことだが辺りはしんとしていて人気もあまり少ないのだが、夜になるとそれは更に恐怖と言う色を増して闇を彩る。
付き添いの神殿騎士には珍しく、彼らは白布を鎧に装飾し中には楔帷子チェインメイルを着込んだ本格派の戦士たちであった。片手には神を模した装飾の施された銀の槍が、闇夜に突き刺さらんばかりに空に向かっている。
司祭長の方は武装はしていない。むしろ濃緑の法衣を纏っていつつ威厳のようなものを宿していた。年齢は四十代に差し掛かるころだろうか。少し生えた口髭を整えた精悍な表情に一滴の汗がこぼれた。
「確かなのか」
「はっ」
司祭長がつぶやくと護衛の騎士は頭を垂れた。
司祭長の背筋が凍っていた。瞳は空ろに闇夜を見据え拳は打ち震えている。
「儀式の準備は?」
「滞りなく、伝承の通りに、すべて集まりました」
すると司祭長の青い表情に赤みが差した。
「そうか……」
喜悦が浮かんだその表情を見据え、護衛の兵士たちもまた薄く唇を弧に曲げる。だが彼らのその姿を見据える黒衣の導師を彼らは気づかなかった。
導師は彼ら以上に深く、それで残忍な笑みをこぼしていた。

枯れ木も山の賑わい、とは誰が言っていただろうか。彼は蒼穹を仰ぎながら一人黙考する。寒さの増してきた街道を歩く二つの影。フェンリルは無表情なまま小さく息のを吐く。口から白い吐息が漏れる。
彼女の護衛。それが建前上の依頼だった。フェンリルの腕を見込んでマギーは彼を傭兵代わりに雇ったのだ。
もっともフェンリルにはお荷物を背負い込んだ程度のものなのだが、地形の詳しさと彼女の強引な性格に不承不承了解したのだ。
「寒いわね」
厚手のコートを纏ったドクター・マギーはそんな彼を真横から眺めてつぶやいた。フェンリルの身長は高い方でもなく、マギーが横顔を覗ける程度なのだ。
マギーの視線に気づいても彼は振り向くことさえしない。ただその蒼翠の瞳は虚空を見上げるばかり。その彼が一瞬瞳を動かした。マギーもつられて空を見上げると一羽の鳥の影があった。ただし、
「大きいわね」
鴉にしては大きく鷹ににしてはこの場には珍しい鳥の姿であった。
「大きすぎるよ」
フェンリルは抑揚もなくつぶやくと背中の包みを解き、「ロキ」の漆黒の刀身を剥き出しにさらすとすかさず両手で振り上げて構えに移行する。
鴉の羽ばたきが一旦急旋回して、やがて陰影が現れだし姿がはっきりしてくる。
「えっ?」
その鳥には四肢があった。鉤爪を備えた両腕両足、加えて肘から先が枝分かれしていて翼と腕に分かれていた。頭は肥大化していて嘴が鶴嘴の先端を思わすような鋭角を備えている。これが動物だと言うならすでに体形からして生態系を逸脱している。
大烏系レイブンシリーズ……」
フェンリルはそうつぶやくと跳躍して、「空間を踏んで」さらに跳躍を続けた。よく見るとフェンリルの靴の真下で琥珀色の魔方陣が展開されて、それが足場となってフェンリルは跳んでいるのだ。
人型ともおぼつかない鳥類に酷似した存在は足の鉤爪を伸ばし、フェンリルを踏みつけようとしてその姿を見失った。
鴉の首筋に生暖かいそれがこぼれた。
「雑魚」
平坦な抑揚もない声音が響くと同時に鴉の頭が胴体から離れ、空を抱く翼は黒い影に引き裂かれた。フェンリルは身をひねって背後を取ると、ロキを片手と遠心力で振り回し、あっさり胴体ごと分断してしまったのだ。
鴉の巨大化した死体より後にフェンリルは地面を踏みしめる。マギーの表情を覗き見るとひどく青ざめていた。医者であるなら動物の内臓など見慣れてるのではないかと思うが、フェンリルは言わなかった。
「な、何……これ」
「人間が『悪魔』と呼んでる存在」
答えるフェンリルは静謐だった。まるで何事もなかったようにすましている。
「想像つくとおり元々は普通の鳥か何かだったんだろう。だが『何か』に当てられて豹変した、というところか」
フェンリルは死体を一瞥して暫くその場に留まっていたが、やがて死体が闇に染まり枯れ果ててしまうとマギーの元に戻った。そして口元に手を当てて告げた。
「妙な気配がある」
「えっ」
「この道の先」
フェンリルが顎で指し示す道の先に特に変わった景色はない。それなりに整備された街道に転がってるのは、まばらに生える雑草や小さな小石ばかり。
「微かだが、血の匂いが漂ってくる」
マギーは眉をひそめて鼻を動かすが、鉄さびたあの独特の匂いなどはかけらも感じなかった。フェンリルはその道なりに沿って進むと小さくつぶやいた。
「奴らは闇夜を好む。こんな真昼間になぜ……」

フェンリルの予言は当たった。そしてマギーの表情は凍りついた。
町の風景が見え始めたころからマギーの表情が青ざめて行くのがありありと分かった。フェンリルの冷徹な瞳はそれを確認していた。
「なにこれ」
戦慄の声を上げるマギーに返されたのはフェンリルのそっけない答えだった。
「死体」
町に広がるのはいくつもの死者であった。
損壊はそれほど酷くないが明らかに生者としての色を失っていた。血の通っていない腕、瞳孔を開き見えもしない瞳で空を仰ぎ、口には蝿が飛び交っている。
「酷い……」
医者として死体を見慣れたマギーでもさすがに唇を噛んだ。さらに戦場でなれたフェンリルも白い瞳のまま辺りを睥睨し、
「無差別だな、これは」
女、子供、老人を次々に確認していき観察していった。妙な共通点を見つけたからだ。
「……マギー」
初めてフェンリルが彼女の名前を呼び、マギーは一瞬表情をこわばらせた。
「一刻も早くここから立ち去れ」
「……えっ!」
フェンリルの一言は相変わらず静謐で、それが返って有無を言わせない言い知れぬ迫力があった。
「た、立ち去るって今更」
「立ち去れないなら俺が元の町までついて行ってやる。とにかく、帰れ」
「ちょっとなんで!?」
吸血鬼ヴァンパイア
騒ぐ二人に、さらに冷徹な声がもうひとつ響いた。
【お嬢さん、こいつはヤバイ世界に飛び込みかけだぜ、引き返すのは今の内だ】
マギーはフェンリルをすり抜けて死体のひとつを診察すると、一瞬で青ざめた。さらに別の死体を覗き、もう一体、さらに一体。
フェンリルはそんな彼女を一瞥しながら、一言。
「牙も」
言われなくてもわかっていた。彼女は比較的開いた口の死体を調べて奇妙に発達した犬歯を確認した。間違いない。
すべての死体には何者かに噛まれたような噛み跡が残され、しかもそれは獣の顎ではなく明らかに人間の顎と思わしきそれがくっきり残っていた。その傷跡で一際目立つのは、異常に発達した犬歯の箇所の二つの穴である。
「ヴァンパイアは別に悪魔でもなんでもない、一種の【奇病】だ」
フェンリルの言葉にマギーは一瞬あっけに取られたが、フェンリルは首を横に振って。
「病気には違いないが、こいつはウィルス性の発病だ」
「う、ウィルス?」
「ただし、魔法のな」
フェンリルは首を傾けると死体たちを一瞥し。
「勝手にヴァンパイア・ウィルスって俺は呼んでいるが、要するに人体の細胞に変異を及ぼす一種の癌細胞だ」
医者であるマギーにもウィルスのことや癌細胞が何なのかということぐらいは常人よりは詳しくわかっていた。だがこのフェンリルはそっちの方面の知識を持っているということに少々驚かされてもいた。
「体内に吸収されると最初に脳細胞を犯し、癌化させる。ここで面白いのはこの変異によって『意識が以前と変わらぬ者』と『意識を失って死ぬ者』の二者に分かれることだ。吸血貴族ノーブル・ヴァンパイアなんて自分たちを尊称してるヴァンパイを知っているか? あいつらは「選ばれた」何ていっているが実際はただ『運がよかった』だけだ」
マギーは今の説明を聞いて蒼白になる。
「じゃあ」
「そう、ここに転がってるのは『なり損ない』のヴァンパイア。ただし、『病気』は続いたままだ」
フェンリルはそういうと死体に一閃し、首を跳ね飛ばす。
マギーに小さな悲鳴がこぼれたが、フェンリルは聞かなかったように次の死体に一閃。同時に苦々しい表情がこぼれていたのを、彼女は見過ごしていた。
「俗にこいつらは下級吸血鬼レッサー・ヴァンパイアと呼ばれ、脳に唯一残った命令、本能のみに従って動き出す」
【それは『食う』こと。先人は偉いな、心臓に杭を打てば生命活動たる血流は絶たれ、脳もやがて自壊する。頭を壊せば脳が壊れて言うまでもない】
剣と人が言葉を交しながら次々に死体の首を刎ねていく。虐殺とも思わしいのだが、フェンリルの行動には理路整然とした理由が明確にされている。
死体のヴァンパイア化を防ぐには確かに手っ取り早いのはこの方法だ。
マギーは青ざめながらもその光景を注視し続けていた。どうしてだかはわからないが、フェンリルはただ黙々と剣を振るい、次々に死体の首を刎ねていった。それこそ女子供容赦なく……手馴れた行為のように。
「……誰が、こんなことを」
マギーはその凄惨さに打ち震えながらも、声を絞り出すようにつぶやくと、
「さっき言っただろう、魔法のウィルスだって。医者のあんたの知らないウィルスを生み出す存在なんて、そういないだろう」
フェンリルのどこか苦々しい響きのこもった声に彼女は気おされた。感情の起伏が余りにも欠落している彼が、取り乱しているように思えたのだから。
【秘密主義の国家の戦略兵器。偶発的な自然発生。考えられるのは限られてくるぜ?】
対して喜悦のような声を上げる刃。元々剣とは「切る」ために生まれてきたもの。ロキにとって死体であろうと何であれ「切る」行為には何らかの、おそらく本能的な「快楽」の一種なのかもしれない。
「俺が知る限りでは、ヴァンパイアの事例はいくつも確認してる。国家間の兵器とは考えがたい。加えて自然発生するなら『大本』たる存在があるはずだ。」
死体をさらに損壊させていき、その数が三桁に達したと思うような数を切った後、フェンリルは手を止めて、
「もしくはエルダー・ヴァンパイアの仕業かもな」
「え、大いなるエルダー……」
フェンリルは切り刻んでいった死体を眺め、近くに立てかけてあった農作業用の鍬を担ぐと、近くの土を掘って感触を確かめだす。
「死体に触れ慣れてないのか?」
「えっ」
「墓……」
彼女に墓を作れといっているらしい。それはわかったが。
「俺が今できることはこれくらいしかない」
フェンリルが今度は拗ねた子供のような、弱々しい口調で呟くとマギーはもう尋ねるのはやめた。彼の心苦しさがひしひしと伝わっていたのだ。
だが……
(……案外効くものだな)
フェンリルはマギーが何も言わずに切り捨てた死体たちを並べて、フェンリルが掘り返していく穴に並べていくのを確認しながら、
((この悪党め))
ロキが意地悪くそう言った。
実際フェンリルは死体を切り刻むことにあまり躊躇どころか、嫌な感情といった概念のものは存在していなかった。信じられないことに。フェンリルはそんな自分がおかしいことは知ってはいたが、逆に備わってしまった性格はどうしようもないこともまた知っていた。直そうと努力はしても早々に報われるものではない。
ゆえに「世渡り術」として多少の表情の作り方をとある親友から学んでいたりした。
『顔立ちが良いんだから、絶対効くって!』
いや親友というより悪友というのが正しいかもしれない。大切なことを教えてもらったかもしれないが、ろくでもないこともたくさん教わった。
その一つが「仮面」だった。フェンリルの感情の無さと言うか常識観念の無さに呆れた悪友が教えて「顔の作り方」であった。もともと整った顔立ちというのは逆に言うと「特徴があっさりしている」の裏返しでもあって、少し眉や目が動くだけで大分と表情がつくのだ。それなのにフェンリルの神業的な無表情には、もはや賞賛を称えても良いかもしれない。いろんな意味で。
先ほどのフェンリルは怯えたマギーを思い、ただ声色を変えて言葉を、いや「台詞」を放ち、そして先ほどの甘えたような台詞を言ってみただけだった。
((お前、詐欺師になれるぜ))
(騙してまで欲しいものはない。あったら手っ取り早く奪う)
それでも極悪人だな、などとフェンリルは一人思う。埋葬作業は夕方、空が茜色に染まる頃に唐突に打ち切った。
まだ処理できていない死体を考慮しての行動であった。

4部 悪魔狩り

比較的綺麗な一軒家を拝借して、フェンリルとマギーはそこに閉じこもった。フェンリルは台所に立って持参していた料理の材料をゆっくり眺めながら、やがて包丁を片手にそれを下ろし始めた。
【肉は食わないのか】
「馬鹿、さすがにあいつが食えないだろう」
フェンリルは埋葬作業を黙々と続けてくれたマギーに罪悪感を感じての、という物ではなく、ただ単に食べてもらわないと行動するときに妙な支障をきたして動けなることを考慮していただけだった。嫌な合理的思考だと自分自身でも思う。
漁師の家系は確からしく、どこかで釣っておいた魚を鍋に入れて煮込む。味付けを仕込まれたのもつい最近だった。ろくでもない方ではなく紅一点だった友人の一人が、これこそ神を殺す級にド下手糞な料理の腕前だったので(例 小麦粉と砂糖を間違える=腹を壊すし、食べられない! 黒焦げの肉・野菜を作成する=初歩過ぎるミス)仕方なく自分の料理は自分で用意する、と勝手に決めていろいろ自主考案してきたのだ。
もっとも美味い料理というよりは「簡素で手早く」食える料理がフェンリルの主義なので、うまみや食い方は二の次といった具合の体裁悪いものなのだが、さすがに設備が整ってるとフェンリルも簡素すぎるのも勿体無いと珍しく料理に手を出したりしていた。
【ほぉ、良い嫁さんになれる……】
一閃。金属同士が響きあって、ロキの刀身に包丁が突き刺さっていた。
「ごめんなぁ〜。手が滑っちゃった」
かなり白々しい、それでいて珍しいフェンリルの輝かしい微笑みにロキの刀身はかなり打ち震えていたりした。フェンリルがこんな風に感情を開かせるのはやはり「人見知り」のせいだろう、とロキの心中にちょっとした疑念がわだかまっていた。
「何かあったの〜?」
奥の部屋、おそらく風呂場のほうでマギーの声が聞こえてきた。彼女は今、バスタイムである。その間にフェンリルが食事を作っているのだ。
「なんでもない」
フェンリルは奥まで聞こえるように声を調節して叫ぶと、魚を煮ている鍋の中に剥いたジャガイモと切った人参を放り込んだ。
死した町中の唯一の光源が、明るく照らされているのを彼らは知らない。

「お、おいしぃ!」
マギーが下した言葉に、フェンリルはあっけに取られた。
何故なら口の中に蒸したジャガイモを頬張って、さらにオニオンスープをすすって目を丸めて天井を見上げて……。
「何で何で? そこらの料理店よりよっぽど美味しいわよ!」
褒められて悪い気はしなかったが、さすがに騒がれるとフェンリルはいつもの無表情のままだった。
「自然と作ってたらできた」
「でもでも、コツとかあるんでしょ?」
「コツ?」
フェンリルは作ってるときに何を考えていたのかを思い返した。
切る時、ジャガイモを敵に見立てて何処を切り裂くか。今更考え直して自分は何を思っていたのか甚だ疑問。
煮る時、眠くなっていたのでうろ覚え。料理中に眠るのか、と自問自答。
盛り付け、無意識に動いてた。本当に何も覚えてない。
フェンリルの沈黙は相変わらずで今に始まったことではないのだが、今のフェンリルの黙考は今までとどこか違っていたような気がした。
フェンリルがスープにスプーンをすくおうとした瞬間、それが響いた。
乾いた木をたたく音。玄関から響くそれはノックの音に他ならなかった。
マギーが声を漏らして驚愕するが、
「行かなくていい。どうせ勝手に入ってくる」
フェンリルはそう言うとスプーンを置いて、皿を持ってスープを飲み干すとすかさず廊下側の扉に立つ。
「俺の知り合いに【デュラハン】という苗字を持つ奴がいる。奴は自ら【忌み名】としてその名前を名乗っているそうだ」
マギーは言葉を失った。彼女も昔、子供のころに聞かされた事があった。首無し騎士の話を。
「奴は礼儀正しく」
フェンリルが言う前に玄関の扉を開く音が響いて、同時にフェンリルが飛び出すと廊下に転がり込んで行った。そして乾いた破裂音が響くと何か大きなものが転がり落ちる音が廊下に響き渡った
「ノックなんかしてやってくる」
フェンリルの声が安全の合図だと知って廊下を覗き込むと、漆黒の甲冑が転がっていて、その鉄の鎧には妙な穴が幾つも開いていた。フェンリルが手の中で奇妙な鉄の塊、銃を手にしていることからそれがデュラハンを討ち取った武器だと悟る。
フェンリルの逆の片手には頭部と思われる鉄仮面が吊るされており、玄関先に向かうとその仮面を放り投げてしまった。
マギーは怪訝な表情になると、フェンリルはいつもの無表情でこう告げた。
「食事中に見るものじゃない」
マギーはそう言われてから想像しかけたものを途中で打ち消した。

フェンリルはそのあと食事を取らず(見るものじゃないのを見たからかどうかは定かではない)、即座に荷を開くと物々しい装備を次々と外套と服の下に備えていく。針のような短剣を太股や腰に、謎の機械・拳銃は腰の後ろや脹脛、それに脇の下のホルスターに。その状況を眺めなるマギーに、
「飯は食べておけ、出かけるぞ」
今は深夜。マギーは一瞬頬を張らせていたジャガイモを噴出しそうになる。
「化け物が辺りに徘徊してる家に、一人に居たければ別にいいがな」
【いいわけねえだろ】
ロキに言われるまでもなかった。
「ど、何処行くのよ」
「狩り」
言うことはそれだけだった。
早食いは体に悪いことは医者である彼女は重々承知の上だったのだが、フェンリルの仕度の速さに呆気にとられ、つい急いでしまったのだ。野菜も煮込みが効いてて柔らかかったので簡単に丸呑み出来てしまったのも理由だ。
夜中の街中は当たり前だが闇に沈む。だがこの町には微かな光すらない。今自分たちが使っていた家を除けはあたりは完全な暗闇だ。町に佇んでいた巨大な建物も今は影だけとなって全体の輪郭さえも把握がつかない。
その片隅に……それはいた。
彼女にとっては二度目、いや三度目の光景であるそれがヴァンパイアと化して徘徊している住人たちを食い尽くしていた。彼らにはまだ人間に見えるのだろうか。
「なるほど、食人鬼グールも混じってたいか」
「グール?」
「不死者アンデッドの中でも下級の存在だ。レッサーヴァンパイアと同じ、食うことしか頭にない」
【こいつらの魔力は枯渇してるから、あんまり美味くないんだけどな〜】
軽口を叩く背中のロキの切っ先をフェンリルは足を上げて後ろに曲げて蹴飛ばした。
「やるぞ」
「えっ……」
この数を? と言う前にフェンリルは既に跳躍していた。ロキを横に一閃するだけで軟体のヴァンパイアとグールが斬り飛ばされたか。しかも柔らかいのか一撃で胴体を分断されたりして、グールに喰われていた以上に凄惨な姿に変えられていく。
マギーの傍には誰も近づこうとしなかった。もとい近づけなかった。フェンリルの捌き方が彼女を中心とした弧の形に動いて、切り払っているからだ。彼女の後ろは家屋、隣は別の民家。忍び寄って接近するのは可能だが本能でしか動かない彼らにそのような知識などありはしなかった。そう、彼らだけだったら。
マギーの背筋が凍り、冷たい腕が口元を押さえつけた。マギーの短い悲鳴にフェンリルが反応すると、
「エルダーヴァンパイア」
「ようこそ、悪魔狩りの青年よ」
赤毛、黒の燕尾服を羽織ったいかにも紳士然とした二十台半ばの青年が浮遊して、片手でマギーを抑えていた。顔色はそこらで蠢く奴らとは違い健康そうだ。だが細く笑みをこぼした瞬間、口元に覗いた犬歯の発達をみれば、フェンリルは簡単に確信を持つ。
「見事な腕前、そして最高級の剣技。私たちも惚れ惚れいたしますよ」
フェンリルの脳裏に幾つかの推測が浮かぶ。行動が見据えられていたこと、敵の人数の構成把握、現在の戦況状況。構えた状態のまま摺り足で一歩踏み出した瞬間、エルダーヴァンプは開いた片方の腕で指を鳴らすと、地面が盛り上がり槍状に突出してフェンリルを吹き飛ばした。
(ま、魔法!)
「そうです、普通の人間にはお目にかかれない高度な技術、神の御技」
「そうか、魔と呼ばれる法を【神の御技】などとほざくか」
エルダーヴァンパイアの意識が一瞬飛んだ。先程放った「クラッシュ・クエイク」に吹き飛ばされた姿がなく、背後に感じる胸元を貫いている漆黒の刃。フェンリルの姿は見なくてもわかる。
「だからお前ら【人間】は嫌いなんだよ」
左腕でマギーを奪うとそのままロキを引き、胴のほとんどを切り裂くとエルダーヴァンパイアはそのまま宙を落下し、自ら生み出した大地の刃にその身を切り裂かれた。
フェンリルはマギーを抱えたまま音もなく着地すると、群がろうとしていたグールたちに言葉をつむぐ。
「覚悟はできているか? 『輪廻の輪よりはずれし者どもよ。汝らが進むべき道は絶たれ、今一度ヘラのもとで許しを乞え』」
フェンリルの鷹の目が開くと、彼の回りに白い魔方陣が描かれ始め、その輝きに触れた不死者アンデッドたちが一斉に消滅していく。
光景は騒然としたもので、光に飲み込まれては次々と塵に還っていき跡形もない。
「あ、あなたも」
【俺を媒介にフェンリルは人間じゃ扱いにくい魔法を幾つか習得できるんだ。知らなかったのか?】
ロキがフェンリルの手ではなく自ら浮遊して彼女の元で囁くと、フェンリルに蹴飛ばされた。倒れたロキの柄をつかむと背中に戻し、
【待てゴルワァ! 一々俺様を蹴飛ばすとは何事じゃ!】
「ルシフェルの口調がうつってるな」
素っ気無く言うフェンリルはマギーを立たせるとこう言った。
「今みたいに、一応『囮』になってもらうぞ」
「お、囮!」
「そうだ。人肉、いや生命を妬むような輩が悪魔には多い。グール程度ならおとりも必要はないが、あのヴァンプは『私たち』と言っていた。まぁ、最悪で不死王リッチとかが出てくるぐらいだろうが」
相も変わらずあの無表情で告げられると、なんだか頼みごとではなくて決定事項を告げられているような気分だった。さらに状況を考える以上それしか道はない。
「そういうわけだ、頼む」
今更頼まれても、という言葉をマギーは飲み込むのだった。死にたくない以上、彼女に選択権はない。
一瞬、フェンリルの眉が動きマギーが何か気配を感じた。
「おい」
マギーに呼びかけたのではない、彼女の後ろだ。路地裏に身を隠しているのだがおどおどした挙動とちらちらこちらを見つめる視線はマギーでもあっさり感じ取れた。
「何故普通の人間がここにいる?」

取り乱していた男は神官戦士だと名乗った。もっともフェンリルの戦闘を目撃して大分動揺していたようだが、マギーが話し手となってなんとか会話となった。
彼らは聖印なる物を持って魔性を退けているらしく、胸元には彼らが崇拝する神を象った聖印がぶら下げられていた。モチーフは鷹のような翼と瞳の神に、十字に重なった剣を背景に槍を真ん中に貫いた形のものを背景に敷いた謎の神だった。
「……聖印なのかは知らないが、特殊な結界程度は感じるな」
フェンリルはそれを一目見て見破り、
「ということはお前以外の生存者も?」
男はフェンリルに尋ねられると脂汗を浮かべて勢いよく首を縦に振る。
「きょ、教会に生き残りはかくまってますです、はい」
「そ、そんなに怯えなくても」
【怯えないほうがおかしいって】
さらに聞こえた謎の声に、肝っ玉の小さい神官戦士は激しく動揺したが、フェンリルは大型剣・ロキを踵で蹴飛ばしてから。
「案内してくれ」
男はまた激しく首を振った。
教会までの道中、何度も死者のなれ果てを見かけたがフェンリルは手を出さず男についていくことにした。街中ではなく草原地帯の一角にその建造物は存在した。巨大な十字架を立てた大きな屋敷のような教会。だが両開きの扉は硬く閉ざされていた。神官戦士が怯えたような声で教会の門に呼びかけると。
「どうしたんだ?」
「せ、せせせ生存者がいたんだが……」
怯えまくった戦士の口調にマギーはあきれ果てていた。確かにフェンリルの動きや戦闘能力は並外れているが種明かしを知っている彼女にはもはや恐怖の色は微塵も感じていない。むしろ医者として患者である彼の心境に興味を持っているほどだ。
「安心しろ、人殺しは引退した」
フェンリルはフェンリルで怯えた男に言わなくていいことを告げて、
【フォローになってねぇよ】
魔剣ロキがさらに崩す。
「二人とも喋らないで!」
マギーが思わず喚いた。
「……すまん、マーガレットに伝えてくれ、愛していたと」
「死を覚悟したようなこと言うな」
涙混じりに伝える神官戦士にフェンリルは告げると、
「大半が貴方のせいよ!」
マギーはそろそろ怒突き倒そうかと思案し始めた。
「ど、どうしたんだ? グレゴリー! 誰と一緒にいる」
とたん教会の中から騒然とした声が響き、グレゴリーという根性のない神官戦士の安否を気遣う声が聞こえてきた。
「悪魔狩りと医者だ」
フェンリルは厳かに、そして冷淡に告げると扉に手を伸ばし……押した。
そして一瞬で木製の扉が吹き飛ばされ、中にいた鎧の騎士たちが何名か転げまわっていた。マギーは唖然として神官戦士は愕然となってフェンリルの足元にしがみついた。
「た、頼む! 俺はいいから息子と妻だけはぁぁぁぁぁ!」
「…………」
【おっちゃん、誤解しすぎだし】
フェンリルは神官戦士を蹴飛ばすと悠然とした足取りで教会の中に入っていくと、身構えた騎士たち、隅に集まる数少ない民衆を一瞥する。
銀の髪と恐ろしいほどの美貌の青年は、今の状況では悪魔の化身と思われてもおかしくないほどであった。何しろマギーでも少しは羨んでしまう容姿でもある。
そんな人物が感情のない瞳で彼らを見据えている。その恐怖はどれほどであろうか。
「……見つけた」
そう言うとフェンリルは片手を翳し、
『我、望むは門の崩壊。輪廻にはずれし異形の者どもよ、今一度闇に帰れ。脆弱なる者どもよ』
床に手をつけるとまるで最初から描かれていたかのように床に広がる複雑な魔方陣が展開された。それは謎の文字から始まり、人や獣を描いた象形文字のようなものまで描かれており、最終的には空中に文字や謎の光の絵が浮き上がって消滅した。
「な、何」
「召喚魔法の解呪。エルダー・デーモンたちは通常はこの世界じゃない『別世界』に潜んでいる。リッチや上位ヴァンパイアとか。通常の人間がそいつらを呼び出してしまうような環境には広い敷地や空間、さらに権力が必要だ」
「はぁ?」
「魔法をするために必要な材料は、人目にはばかれるような代物じゃないだろう?」
フェンリルはさらに指先で印をきって、
「……失敗魔法で悪魔を召喚したクチか」
『我が名を刻め、大地よ。我が名を恐れよ、恐れぬならば神をも砕き牙の名の下に、汝らの世界を滅ぼさんと覚えよ。戒めに刻め……銀の牙・フェンリルを』
瞬間ガラスの砕けるような異音が天井から鳴り響くと、同様に魔方陣も砕け散って跡形もなくなっていた。同時に教会の空気が浄化されたような、夜気のすがすがしい風の香りが室内に吹き流れていく。
「……これで奴らが増えることはなくなったが。どういうことは説明してもらいたいんだが? エドワード司祭長」
「!」
不意に聴衆の中から濃緑の法衣をまとった中年の男性が青ざめた表情のままこちらを見据えてきて、
「召喚魔法系には契約者の名前が必要なんだ。お前の名前を知るなど造作もない」
【探索系を使えば一発で内容や素性もわかるぜ。もっとも『動機』までは見当付かないが】
ロキが楽しそうに告げる。そういえば魔を食らう存在だと言っていたのだから召喚の魔方陣を壊した際に一部喰らった可能性がある。
「素直に吐けば良し。さもなくば『悪魔』として貴様を狩る」
フェンリルの表情は相変わらず静謐だ。加えて妥協といったほかの要素が何一つ見当たらない。やるといったら本当にやる気なのだ。
「……わ、私は……確かに召喚には失敗した! だがこれは神の御言葉に従ったのみ」
「神? だと」
「そうだ。この教会の主、『神々の獣』たるお方の言葉に従えばこそ」
フェンリルは細めていた瞳をゆっくり広げ、口が弧の字に曲がる。そして……笑った。
高笑ったのだ。あのフェンリルが。
大声で口を上げて、天井を見上げて哄笑を響かせた。
マギーは戦慄した。この数日間彼に付き合ってきただけなのだが、彼の底知れぬ「怒り」を感じ取ったのだ。フェンリルは感情がないのではない。ただ心の奥底で眠っているだけに過ぎなかったのだ。そしてその感情がひとたび目覚めると封印されていた余波で感情のまま力を振り回しかねない。
マギーはやっと恐怖したのだ。この得体の知れない力を振り回す「幻人」に。
「……お前が信仰した神は、そいつだ」
フェンリルは笑みを崩し、嘲るような表情のまま指差した。司祭長の背後、民衆の一段の中から小汚い茶色の法衣を纏った牧師が……いや導師が悠然と現れる。
「神と悪魔の違いを教えてやろうか? どちらも超人的な存在でなおかつ普通の人間では会うことも稀な存在。加えて……その姿は千差万別」
歌うようなフェンリルの紡ぎにマギーは聞きほれそうになった。彼の美声はまさしく歌うためだけに生まれてきてもおかしくないほど明瞭でありながらも、生まれる言葉は毒付くものばかり。それがまた異様な感覚を生むのだ。
「例えて言うなら、お前らの目なら俺も神に見えることだろう」
嘲るような笑みは消え、好戦的な表情がフェンリルに生まれた。
「だが、貴様はただの人間、たかが剣の力で魔をえたただの凡人」
小汚い導師は総髪の髪をかきあげ、持参していた赤樫の杖を横に構える。
「貴様もただの死人だろう?」
刹那、二人の間に結界のようなものが生じ、教会の椅子や机、騎士や人々が一斉に吹き飛ばされた。二人はそれぞれ赤と青の半球状の光の膜に覆われて対峙している。
「ただの魔法剣士ではないのですね」
「これくらいやってもらわなくちゃ、面白みがないよな」
間違いなくフェンリルは楽しんでいた。扉の向こうに吹き飛ばされながらもマギーには確信があった。
「あっ、うわぁぁ!」
根性のない神官戦士が何事か叫ぶと、背後に集まっていたレッサーヴァンパイアやグールたちが一斉に彼女たちに群がり始めていたのだ。それだけではない。墓場から次々と土を掘り返してゾンビたちがあらわれてくる。
腐った臓腑と血の匂いが彼女の感覚を麻痺させていく。
(ふ、フェンリル……)
飛び掛ってきた死体の内臓を見つめ、マギーが目をつぶった瞬間。それが彼女に覆いかぶさった。目を開くマギーの前には巨大な土が立ちふさがっていた。
巨大な土くれが人型を成して、死者たちをなぎ倒していく。
「こ、これって……」

『我が意に従え、大地』
フェンリルの言葉とともに大地が盛り上がり、凝縮していき巨大な人型の魔物が生まれる。フェンリルが生み出した土くれの人形ゴーレムと呼ばれる創生魔法クリエイションに属する魔法である。
「ほぉ」
『我が意に従え、影』
驚嘆していた男の影が、不意に盛り上がり彼に接触すると物質化して、小汚い導師を吹き飛ばした。その影もまた人型を成してのっぺりした黒い塊の魔物が生まれた。
言語魔術化ワード・ミスティック……これもお前は知らないはずだな、おそらく」
影の従者シャドウ・サーヴァンドなる魔法、加えて先ほどの土の従者ゴーレム・サーヴァンドともフェンリルの独自に編み出した『言葉』のみで発動する特異魔術であった。本来詠唱には特定の音階や手順、そういった様々な要素が偏りなく仔細極まりない箇所を有し、さらには言葉自体も特殊な魔力を宿さなければならないのだが、フェンリルの魔法はそれを逸脱していた。もっとも魔術師としての教養を知らないのがほとんどなので誰も気づきはしないのだが。いや、気づいたのは相対していたこの法衣の男のみである。
フェンリルはさらに民衆たちの影からもそれを呼び出して、襲い掛かるアンデッドたちに応戦させていく。
「影だけじゃ心もとないな」
フェンリルは外套の下から細かな白い棒状のものをいくつもばら撒き、さらに粉上の何かをまぶすと。
『目覚めろ悪夢。その身に我が名を刻めし者よ。今汝の名に刻まれし忌み名を謳われし存在が命ずる。今ひと時を目覚め、その牙の洗礼を与えよ。輪廻にはずれし亡者よ!』
教会に戻ってきたマギーが見たものは、フェンリルが「骨」に魔法をかけた瞬間であった。だがマギーはその骨が何の骨なのか検討が付かなかった。骨だとわかったのは一重に医者としての勘なのだが、人骨のそれとは大いに異なる巨大な骨であった。
「試作品だが、十分だな」
【オーライ】
骨の巨人が立ち上がり声を発するとフェンリルの冷笑がこぼれる。
「ど、竜牙兵ドラゴン・トゥース・ウォリアー
男の表情が凍りつく。ドラゴンの骨から生まれた魔物、もとい仮初の精霊か何かを埋め込んでいるから不死者系統の魔物ではなく立派な「従者」として召喚された竜の牙の戦士。もともとドラゴン自体がまた魔力の塊でもあり、竜そのものを従者にするのに等しい。
骨の構造を変えたのかドラゴンの姿ではなく四肢をたずさえた人型に形成。余った骨の部位が剣代わりとなって両腕に装備されている。竜の頭蓋の奥には爛々と輝く赤い瞳が邪念を渦巻いている。
ソードを一閃すればたちまちゾンビたちを引き裂き、口を開けば魔力を帯びた炎熱が吹き荒れた。
「ま、魔物を使役できるのか……」
「闇の力で闇を払う。……目には目を、歯に歯をというやつだ」
フェンリルは厳かに告げると大型剣を真上に掲げ、切っ先が地面を向くように斜めに構えを取り、
「さぁ、ショウタイムだ」
獲物を捕らえた銀の魔狼が吼える。
フェンリルが突進し、法衣の導師は防御系魔法を展開する。赤い色彩を放つ半球状の光が魔導師を中央に包み上げられる。フェンリルの切っ先は無論、その半球状の膜に阻害されるのだが、フェンリルは難なくそれを突き破った。
驚愕に歪む男に容赦なく胸元にロキの刀身を叩き込むと、
【おっ、いいねぇ】
ドラゴン・トゥース・ウォリアーの頭蓋が笑みをこぼす。仮初に埋め込まれた精霊はロキのものである。ゾンビたちを薙ぎ倒しながらロキ=ウォリアーはフェンリルに振り返ると、フェンリルは丁度男の上半身を切り飛ばして、壁際に叩きつけるところだった。
人々の間から短い悲鳴がこぼれ、
『呪縛は終わりだ……もう眠れ』
刹那、グールやゾンビといった腐乱死体たちの動きが停止し、比較的死体としては真新しいレッサーヴァンパイアたちが残るのみとなった。彼らは死体に付いた病気であって、魔力で生成されたゾンビたちはその創生者である人物、この男に魔力で干渉した時点でゾンビとしての特性は失われたのだ。画してただの死体に戻った彼らは再び大地に抱かれ、魔力の負荷によって土塊に帰っていく。
『悪魔に死体の概念がない』の言葉どおり、悪魔と化した者は二度と戻らない。それを彷彿とさせる異様な光景だった。
「もう終わりか?」
下半身はフェンリルの足元でひざを落とし、上半身は壁にぶつかって動かなくなっていたが。
「人の恐怖を煽るのはもうやめろ。どうせもうすぐお前は死ぬ」
『……死ぬ? 死者である我々がか?』
上半身の体が浮遊し、男の瞳の色が白く輝く。
フェンリルはというと打って変わって表情を変えていた。思案するように首を傾け、口元に手を当てていた。フェンリルが疑問に思う行動の一つ、口に手をかざす行動を真似てみたのだ。
「そうだな、言い換えよう。……魂ごと滅してやろう。死んでもなお愚痴愚痴未練ったらしい魂にはお似合いだろう?」
【お前、やっぱ悪魔だよ】
フェンリルと並んだロキ=ドラゴン・トゥース・ウォリアー。
二人は各々の刃を振りかざすと、ほとんど瀕死と思わしき導師の男は、真っ赤な口蓋を見せ、何かを叫ぼうとする。呪文詠唱だということをあっさり見抜くフェンリルとロキは左右から回り込んで、同時に刃を叩き込む。
フェンリルが逆袈裟に左腕と頭をもぎ取って、ロキが右腕と下腹部を両断し、柔らかい肉が辺りに散らばった。
「人の肉体というのは、脆いものだな」
まるで自分が人でもないような言い方を、フェンリルはいつもの無表情でつむぐ。そして足元に転がった男の生首を眺める。咽喉を奪われた以上、魔法を唱えるべき『言葉』も使えない。
「あばよ」
頭蓋は本来は硬いはずだ。だがフェンリルはさらに硬く、重量のある大型剣を叩き降ろして頭蓋を陥没させ、完膚なきまでに破砕してしまった。

ゴーレムがレッサーヴァンパイアを下し、マギーがようやく教会に戻れたときには、すでに事態は収拾されていた。
フェンリルは竜牙を解除して、その残骸となった骨を回収しており、人々の間にもすでに喧騒は収まっていた。
ただし、フェンリルが見据えている男……エドワード司祭長のみが戦慄していた。視線は幻のような青年、フェンリルにずっと注がれている。
「……何だったんだ?」
フェンリルは納得いかないというように呟く。
「どう……したの?」
マギーが戻ってきて、恐る恐るたずねると、フェンリルは顎をしゃくって導師……死体も残らぬ状態に変わり果てているのだが、を指し示すと。
「違和感を感じる。今まで狩ってきた悪魔とは」
【魔力は変わりなかったぞ?】
ロキの刀身が鈍く輝く。数多の闇の眷属を大いに屠った後の彼は、まるで喜悦を零しているようにも見える。
「神の召喚とか言っていたな」
不意にフェンリルはエドワードに振り向くと、
「わ、私は……あ、あの男に従っていたんじゃない! この聖堂で確かに御言葉を耳にしたのだ。私だけではない、上位司祭の全員が耳にしている! 本当だ!」
フェンリルには単なる喚き声にしか聞こえていなかった。
だが、フェンリルは知っている。この男が決して「間違っていた」わけではないことを。ただ結果が間違っていたにすぎないし、そしてそれを糾弾する気はなかった。それは彼の役目ではなく、彼の後ろにたたずむこの町の民である。
フェンリルはこれ以上無様な人間を拝む気などなく、その場を去ろうとして……。
「……フェ、ンリル?」
マギーがフェンリルの顔を覗くと、フェンリルの瞳は見開き、同時に全身は総毛立っている。


人は……争うものだというのは心得ている。
時には人のみならず、自然、星そのものを巻き込む愚かな生き物だ。
だが、我はそれを否定すべき存在ではない。
我も同じだ。そしてそれしか我は知らない。
人は今も、戦い続けるのか。血は流れ続けるのか。人は……覇者である理由を忘れてしまったのか?

よかろう、我は主命をまっとうしよう。
我がどこで生まれたかなどわからない。我に存在理由があるかなどわからない。
我に意味があるのかなどなお更だ。それでも我はまっとうしよう。


5部 神々の獣

フェンリルの意識下に焼き付けられるのは魔方陣の図柄であった。
エドワードが歳月をかけて書き記した魔方陣を一瞬で掌握してしまったフェンリルだが、その異変にいち早く気づくのも彼だった。
複雑に織り込まれた魔導、そして構造。張り巡らされていくその奥に、途方もない力を感じる。
「……」
【うわっちゃ〜……どうします? 神砕く牙フェンリルさん?】
「こういうときだけあだ名でちゃかすな」
フェンリルは呆れてもう一度エドワードに向き直ると、
「魔方陣の位置は? 教えないと今度はこの町一個、消え去るぞ?」
エドワードは魚のように口をぱくぱく開いて洗いざらい喋った。
教会の屋上に設置された鐘台、階段を駆け上がった先に広がる広場に魔方陣は敷かれている。
フェンリルは舌打ちしてから講堂の奥へ走り、室内の入って右手に設置された石造りの階段を駆け上っていく。そして何故かマギーもフェンリルに付き添って走り出す。
「足手まといだ。来るな」
「ここまで来て知らない顔するのは嫌」
彼女の赤い頬が紅潮している。運動に慣れてないのは明らかだ。
「死んで悪魔になったら、私を狩っていいから」
「お前は悪魔になれん」
「あら、どうして?」
フェンリルは断定して答えたのだが、何故か返答に詰まってしまい、結局こう言った。
「勘」

三段飛ばしで走り抜けるフェンリルに対し、マギーも一段飛ばしでついてきていた。屋上までは螺旋階段に登り変え、木製の扉をフェンリルは蹴飛ばして開けた。
外はまだ暗く、扉が壊れたと同時にひんやりした夜風が頬をよぎる。
そして……それがいた。
マギーがやっと上ってきて、フェンリルの背中越しにそれを見つけ、硬直する。
円形に敷かれた巨大な魔方陣は青白く輝き、天井……もとい四つの支柱の上に設置された巨大な鐘が吊るされていた。支柱の向こうに広がる街並みがあまりにも静か過ぎるのは、この街が死んでしまったからだろう。
魔方陣に仰臥していたそれは、意思を秘めた瞳を開き、金色の体毛を炎のようになびかせ、その四肢を魔方陣に突き立てていた。
「な、何だ……」
マギーが前にいれば、フェンリルの驚愕していた表情を拝めただろう。
その姿は言い得て美しく、同時に輝かしくもあった。背中から生えたそれは「翼」であろう。ただし鳥のような羽毛でも蝙蝠のような皮膜の翼ではない。まるで蝋細工のように美しく、それでいて現実味を欠いた半透明な翼であった。昆虫類が持つ翅ともまたちがい、強いて例えるなら「炎の揺らめき」が具体的に描かれたような淡い色のそれである。
四肢は太い。翼と比例するとどう見ても翼では持ち上がりそうにないほど大きい。象のような太足に猫のような鉤爪が付属しており伝説の幻獣、ドラゴンを連想させる体躯であった。
だがその顔つきは竜のそれとは異なっていた。丸く大きな瞳とどこか愛らしい八重歯、エルフのようなぴんとした耳、加えて赤い小さな鶏冠がどこか子供向けの怪獣のようなものをかもし出している。
「……こ、これも悪魔?」
【いや、こいつは……】
ロキの口調が震えていた。マギーには初めて見る感情だった。
『我が目覚めたということは……』
そして、その獣は丸い瞳を二人に向けて翼を広げる。計四枚の翼が揺らめき、金色の体毛が光を帯びて虹色に染まっていく。
『即ちそういうことなのだろう』
歌うような声が朗々と響く。
「どういう意味だ?」
すかさずフェンリルが返答する。
四肢を広げ、重さに地面がひび割れ魔方陣が崩れる。翼も悠然と広がり始めやがて全身を片翼で覆えるほどの大きさまで成長する。
咆哮をあげれば先ほどの浪々とした声から一変し、仰々しく地面を揺るがす巨大な音が響き、頭上の鐘が振動で鈍い音を立ててそれの咆哮に劣らぬ騒々しい音を響き渡らせる。
『我は我。使命は……否定だ。かつての神々のように』
「かつての神々?」
フェンリルが呟いた瞬間、獣の瞳が見開いてフェンリルが吹き飛ばされた。辛うじて身をひねってバック転に転じて着地したが、表情には鋭い瞳が生まれていた。
『お前は我を拒みし者だろう』
「だろうな、ロキ!!」
【無茶言うな!? 『神々』を相手にするのかよ!?】
そのときマギーはとんでもない言葉を聞かされた。神……?
『我を神と呼ぶのか……それもよかろう』
「種族区別には便利な言葉さ……」
獣は四肢を伸ばし立ち上がった状態から動かず、ファンリルは立ち上がると同時に剣を背中にしまい、脇下のホルスターから拳銃を抜くと即座に引き金を引いた。弾丸は獣の前足に着弾したが、その金毛には傷跡が見当たらない。
それでも発砲は続く、前足、額、翼……急所とは言い難いが、当たれば傷一つぐらいは残ってもいいようなものだが、獣は悠然とその場に佇んでいた。マギーにも劣勢なのは重々承知だったが、階段の向こう側に隠れないのは彼女の勇気なのか、それともフェンリルを見届けるためなのか、あるいは両方か……または別の何かなのか。
フェンリルは射撃を終えると着込んだジャケットの裏に拳銃をしまうと、腕を伸ばして指を鳴らす。
炸裂ブレイクッ!」
突如、獣の全身を覆う紅蓮の炎が舞い上がった。金色が烈火に染め上げられ、突然の衝撃が鐘台の支柱を吹き飛ばし、大鐘が獣の真上へと落下する。
階段のそばにいたマギーも当然その爆風を受けるのだが、フェンリルが爆発の中を突っ込んで、階段の中へ彼女を抱きとめながら飛び込んだ。
階段を転げまわることなく、フェンリルは踊り場まで着地すると、階上から瓦礫の山が押し寄せてきて、フェンリルはマギーを抱えたままさらに階段を下った。
マギーは突然の事態に動揺していたが、深呼吸をしてから尋ねる。
「や、やったの?」
「自信はないな」
【だぁ〜かぁ〜らぁ〜……『神々の獣』なんか相手にするなっってぇ〜の!】
フェンリルが珍しく汗をこぼす中、ロキは何度もそう叫んだ。
「何? その神々の獣って!」
「その名の通りだ。何かの弾みで、本当の神を呼んじまったんだよ」
苦々しく吐き捨てるフェンリルもマギーは初めて見た。
「奴らは【神】なんて俺たち【人間】は呼んでるが、実際は一個の【存在】だ。倒す方法もあるし、弱点も探せば見つかる……ただ」
「……ただ、何?」
【その弱点も何も知らない以上、結局やつは【神】を退けられるほどの化け物ってことなのさ】
「通称【神殺しラグナ】……俺たちはそう呼んでるな」
そしてフェンリルは崩れた屋上を見上げると、唇を噛み締め舌打ちする。
「生きてるな、あれは……」
「……あなたたち、何なの? あの獣を神と呼んで、神なら人を……私たちを守ってくれる存在じゃないの?」
フェンリルはマギーの言葉を聞くと……嘲笑った。
あのエドワード司祭の時と同じ哄笑とは違ったが、確かにその笑みと同じものだった。
マギーは医者だ。患者の心を悟るのも心得ているし、それに何よりフェンリルが心を見せるのは敏感に反応できた。だからこそ、知ってしまった。彼の心の闇を……。
「知ってるか? 【神ってのは人間のこと】なんだ。動物が持たない【心】。【英知】。【創造】。【発見】。それらをする生物は俺が知り限りでは【人間】だけだ。人間こそが【神】なんだよ」
不意に、マギーの瞳に雫が溢れた。
【人はやがて鉄の翼を得る。鉄の足を持つ。世界をすべる。鉄は人しか使わない。神々は飛べる、早く進める、世界の支配者だ。今はまだ世界は広すぎるだろうが、科学が進化すれば人はやがて……神の領域に着実に近づいていく。【人間が想像する神々】にな】
ロキの言葉は機械を暗示していた。マギーも最近、鉄で動く巨大な乗り物が開発されたことも知っていた。
マギーの瞳からこぼれた雫を、フェンリルは人差し指でそっとささえ、フェンリルとマギーの顔が鼻先まで近づく。
「かつて、この世界を支配していたのも、英知を持った者たちなんだろう。だが、彼らの足跡はすべて消されている。すべて奴らにやれられたのかもしれない。そして奴らが何者か、誰にもわからない。唯一つ、俺が言えることは……」
マギーの鼓動が高鳴る。全身の力が緩み、一瞬がとても長く感じられた。
「奴らは別の世界から来た。ならば奴らは俺の獲物……【悪魔】という事だ」
【この世界の人間もつまらないし、神を商売に拝む人間もどうも阿呆っぽいが……】
「人のために涙を流せる人間こそ、神になって欲しいものだな」
そこでマギーの意識は途切れた。

【うらまれるぜ、フェンリル? いや……】
意識を失ったマギーを抱え、踊り場から離れて近くの小部屋に勝手に寝かせると。
「彼女は恨むような人間じゃないな。あいつと同じ、お人よしだ」
【ほうほう、人を見る目に自信がつきましたか?】
「勘だ」
【絶対当てずっぽう】
ロキが手厳しく反論するのだが、フェンリルは微笑を零していた。
ロキを片手に、さらに手甲をおろし、もう片手には拳銃を握り締め……
「さぁ、神狩りに行くぞ……」
【神々を砕く獣……か。あいつを食らえば当分、ってあか一生分お前の魔力食らわずにいけるかもよ?】
フェンリルはその言葉に耳を傾けると、
「そいつはいい……絶対狩るぞ」
埋められた屋上への階段へ戻ると、フェンリルは切っ先を向けて空間を切り裂く。無論空振りなのだが、金色の閃光が剣の軌道を追い、放たれた余波で瓦礫の岩を次々に打ち砕き、階段を破壊して天井までの穴が開くと、今度は跳躍し「空間を踏んで」また跳躍し、再び屋上まで登りあがった。

すでに朝日が昇り始めていた。【神々の獣】は最初の位置から動いていないと断言するように、四肢を広げた状態でフェンリルを迎えた。
『待っていたぞ』
「歓迎とはな」
獣は目を細めて、フェンリルを見据え、こう呟いた。
『一つ問おう、お前は我を知る者か?』
フェンリルは眉を一瞬だけひそめ沈黙した。
『我が生まれ、我が意味、我が答えを知る者か? だとしたら何故、我を拒絶する?』
「……俺は、人間が嫌いだ。生まれたときから碌なものじゃなかった。父と母からは忌み嫌われ、育った空間は血と死体の広がる海の世界、逃げ出せばすぐ水の中だ。案外そっちの方がよかったかもしれない」
【でも……】
「俺は、俺の知らない【人間】に出会った。俺は奴を人間と思わないし、奴も俺を人間という種類には区別しても、人間とは見てはくれない。俺を【友人】と呼んでくれた。そんな甘い奴だった。奴は死んだ。当然だ、弱い人間は生き残る資格がない。だけど……」
(あのとき、本当は、泣いてたんでしょ?)
「俺は……人が嫌いだ。世界が嫌いだ。すべてが嫌いだ。俺は永遠の咎人と呼ばれたかった。俺は【おまえら】になりたかったんだ。それを知ったとき……俺は知ったんだ。俺は【人間】なんだと」
獣は独白する青年を見据え、青年は瞳を朝日に滲ませていた。
愚かなる者が手にした邪剣も静かに青年の言葉に聞きほれていた。獣も剣も、彼の声によってつむがれる告白から、痛切な思いをしっかりと受け止めていた。
「神と人……永遠の循環。その答えは目の前にあったんだ。奴が教えてくれた」
(私は……)
「俺は……」
わたしはお前と同じ、一個の存在に過ぎない。『拒絶を担う獣』よ。我が忌み名を刻め、我が名は【フェンリル】。お前と同じ、神々を砕きし獣の名を冠せし者』
呪文詠唱開始。同時にフェンリルの意識化に置かれたもう一つの魔力が開放される。
フェンリルの容姿に刻まれた独特の力が解放され、やがてもう一つの彼の姿をあらわにする。
朝日が昇った瞬間、大地に暗黒が押し寄せ、太陽が黒い影に覆われる。



『北欧神話、主神オーディンを食らいし獣。それがフェンリルだ』
『……』
夕食時、野外で弁当を持参して食べていたとき、友人は語った。
『いたずら好きで策士のロキを親にもつ、凶暴な獣だ。姿は「狼」とされている。ちなみに俺の思考内では銀色の体毛をしてる』
『……何故だ?』
『そっちの方が、かっこよさそうだろう? おまけに、お前に似てる。……狼はさ、「一匹狼」なんて言葉があるけど、本当は集団で行動する獣なんだ。……は一人で生きてきたみたいだけどさ、本当は一人じゃないんだ。一人だったら、今頃死んでるんじゃないか?』


<最終部 咎人の剣 『神々を斬獲せし者』>

闇が生まれた。始まりを告げる炎の光は閉ざされ、安寧なる闇の世界が再び舞い戻る。
だが……その場所は違った。闇に溶け込まず己自身が輝きであることを誇示するように、二つの輝きとそれを見つめる一つの輝きが存在した。
『満月は好きじゃないな』
ぽつりと呟く『女』を獣は見つめていた。
銀髪碧眼、人間の女からは「フェンリル」と呼ばれた人物が、今は発光する銀糸の髪をなびかせていた。
体は一回り縮み、胸の膨らみが生まれていた。明らかに女性を誇示するものである。
もはや神々を食い殺すフェンリルよりは、数多の獣を従える月の女神アルテミスと呼ぶのがふさわしいだろう。
『女』ことフェンリルは切っ先を獣に向けて地面と水平に構え、獣も四肢を突き立てて立ち上がる。
獣は黒瞳でフェンリルを捕らえながら尋ねた。
『……星々を動かしたというのか? たかだか魔力で』
【こいつの魔力のほとんどは、俺が制御してるのさ。今まで下してきた人間、魔族、生命……】
『そいつらのほとんどを集約しているからな、案外魔力以外の力でもあるかもな』
フェンリルは言うと突進、獣は瞳を見開いてフェンリルに衝撃波を叩き込む。一種の念動力サイコキネシスに属するものなのだが、フェンリルの突進をさえぎるほどでもなく、獣の前足の付け根を深々と貫いた。
獣が感じたのは違和感であった。抉られた箇所からは痛みではなく妙な感触であって、触感と痛感が一瞬で消えてしまっていた。すぐさま振り解くとまるで腕を捥ぎ取られたような感覚があった。
そして悟った。『食われた』ことに。
【Now Let's Show Time!】
ロキが狂喜し、フェンリルが舞う。銀糸の髪はまるで翼のように広がり、月を背に掲げて刃を振り落とす。
獣は飛翔をはじめ、フェンリルの刃を避けるが……剣から放たれていた白い閃光が結局獣の翼を少し裂いた。
『我を砕くというか。神を砕く我を』
獣はひとたび揺らめき、空中に逃れると口元から灼熱の吐息を吐き出す。螺旋を描く炎が教会の屋上を一瞬で燃え上がらせた。
『愚かな』
爆炎が教会を飲み込み始め、羽ばたく獣は瞳を細める。
『我は行く。悪魔が世界を染め上げていくというならば、世界の終末が我を呼んだということだ』
「とどのつまりは、貴様は【悪魔】が増えたから呼ばれた、自動爆弾みたいなものか」
巻き上がる炎を巨大な風がかきけし、白銀の巨人が浮かび上がる。胸元の中央部分にフェンリルが浮遊し、巨人の輪郭が次第に露になって、騎士の姿が浮かび上がる。
「まぁ、後でお前については調べがつくだろう……」
フェンリルは巨人の光を全身に吸収し、剣に溢れた輝きが一筋の刀身を生み出す。
【セイント・インストール】
魔剣ロキが唸りを上げて白銀の刃を形成する。
【アァ〜ンド、聖霊を付与。覚悟しな、俺のメインデッシュ】
屋上から跳躍し、光の刀剣を振りかざし空を駆け抜けるフェンリル。獣は再び翼を広げ、翼の光がやがて閃光に変貌する。閃光が爆発すると直線状のフェンリルには直撃だった。

【あぁ〜あ】
フェンリルは瞳を見開き、その光の構成を悟った。よける、はじき返す、さまざまな行動をとろうと思案した結果、無駄だと悟る。
【やぁ〜っぱし無駄だったかぁ〜】
となると、フェンリルらしい選択は一つだった。このまま突貫。
【……無理だろうな】
光に包まれるフェンリル。やがて閃光が晴れる瞬間、押し負けたフェンリルの銀の肢体が、空を抱く力を奪われた者が大地に押し戻されていく。
【だな……】
ロキが無駄に呟く。フェンリルはまだ女性の姿のまま、眠ったように大地へと誘われている。それも急速に。
【おぉ〜い、つってももう聞こえてないか……】
信じられないくらいにロキは穏やかだった。持ち主が死んだというのにだ。
息はしてない。それどころか血の通ったような表情でもない。元からそういう顔立ちだからというのもあるが……もっというなら、純粋に彼は「人間」だったからであろう。
【……あぁ〜あ。こいつの付き合いもここまでか】
『そうでもないぞ』
獣がロキに呟いた。



(……死後の世界、か)
『なぁ〜にふざけたことほざいてんだ?』
フェンリルは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
(はぁ?)
『ふむ、精神体のお前も中々美人だな』
彼は苦笑しながら片手で顔を隠すと、フェンリルは自分の姿を確認した。
姿は全裸で少し透けている。おまけに女姿で。
(んで、お前は何をしに来た?)
『ん? あぁ、お前男だもんな』
(俺に欲情したら殺してやるからな)
『そういう奴だったな』
男は……翼を広げて苦笑をこぼすと。
『早くあの化け物倒して、とっとと帰って来いってこと。お前の家、見つかったかもよ?』
そして男は手のひらを掲げると、フェンリルは意識を集中させてその手のひらに自分の手を重ねた。
(なぁ、ひとつ聞く。あいつの倒し方とかありそうか?)
『……そうだな。結局【神】なんだろう? お前なら勝てるよ』
意味深な笑みを零す【戦友】に、フェンリルは滅多に見せない表情を見せた。眉をひそめたのだ。



『そうでもないぞ』
獣は呟いた。落下するフェンリルにそって急降下しながら叫ぶ。
『貴様らはやりすぎた。加えて我の望みは全ての破壊』
【かぁ〜! しつこいと嫌われるぞ!】
『消え去れ』
再び口元から吐息が零れる。フェンリルが死んでしまった以上、ロキ自身が単独で魔力を発動することはできない。あの閃光も爆炎もすべてフェンリル自身があり、彼が生み出した異質の魔導によって作られた防壁・反物質能力・抵抗力を徹底的に向上した結果であって、今さらされているロキとフェンリルは正真正銘の意味で生身だ。
灼熱にさらされるフェンリル。ロキの柄を力強く握る。
【えっ?】
「お前らは俺を見くびり過ぎなんじゃないか?」
フェンリルの銀閃が空間をよぎる。いや、獣の体を超え、町、大地、今見下ろす全ての空間に一筋の切れ目が走る。
そして時が思い出したかのように、動き始めた。切り裂かれた建造物が一直線に割れ、大地には地割れが……獣には閃光が傷口に走った。
「……天国の回廊ヘヴン・ルーイン
獣の翼がはがれ、足がもげ落ち、
『ふは、ふははははは……はははははっ!』
【神】は笑った。神と呼ぶにふさわしい力ある者が、哄笑をあげていた。
『我にも運命があったか、青年よ。礼を言おう。いや、真の強者つわものよ』
落下していたフェンリルは、建造物の一角に刃を突き刺して落下を阻止する。
獣は住宅街の一角に落下して、剥がれた四肢や翼が光に散る。
「俺がつわもの、か。それはお前らの視点から見たに過ぎない。俺は……」
『例えそうであろうとも、我は汝に救われた。我を超えし者を強者と呼ばずして何と呼ぶ?』
フェンリルは……瞳を細めた。
「俺は誉められる様な人間ではない。神を救えて、人を救えぬ咎人だ」
獣の首を叩き折った刃が、まるで笑みを零しているように見えた。



エピローグ。

マギーは馬車の御者席で目覚めた。隣に座っているのは見たこともない黒髪の少年だった。
「えっ?」
「お嬢さん、これから言うことをよく聞いて下さい」
男、いや少年の風貌をした彼は不適に微笑んでこう言った。
「フェンリルからマギーへ。数日間道案内ありがとう。新たな目的ができたので俺は別の地へ行く。無論、君は連れて行けない。あの凄惨な光景を夢で思いたいのなら忘れるように。忘れられないならすまないことをした。だが、連れてはいけない」
「ちょっと、アナタ?」
「すいませんね、俺、伝言というか手紙のようなメモ書き渡されただけでして」
というと、胸ポケットのメモをマギーは御者の男から奪い取ると、すばやく目を凝らし読み始めた。どうも異国の文字らしく読めそうになかったのだが、御者の男は歌うようにつむぎ始めた。
「俺は人を斬る事しか知らない、馬鹿な人間だ。今更救われようとは思っていない。慰めを受けようなどとも思っていない。だからお前とは一緒に進めない。俺は咎人の道を行くしかないんだ。だそうです」
男はカラカラ笑って言い切ると、マギーは奇妙なことに気づく。
「まさか、あなた……」
「おっと、その先は聞いちゃいけない。俺は何も言わない、何も知らない、何も喋らない。俺は街の生き残りを救出しただけの、馬車の持ち主だ」
そして後ろを指差すと確かに人が大勢乗っていた。大きな馬車だが、ほかにも数台の馬車が続いている。誰が手綱をひいているかはわからない。
「ただ、俺は考えが違う。フェンリルは咎人になんてさせやしないさ」
男は強気な笑みを見せると。
「さぁ、目的地の町が見えたよ、降りた降りた!」
手綱をとめて、馬が止まるとマギーを無理やり下ろし、客室の人間をたたき起こしていく。
「あっ、ちょっと待って!」
そして振り返ろうとした瞬間、男は消えていた。ほかの馬車の御者にも誰も乗っていない。
「えっ……」
背後の白い街並みだけが残され、マギーの不思議な物語は幕は閉じたのだった。



「よかったのかい? 彼女」
黒髪の天使は少し詰まらなさそうに訊ねると、銀髪の青年は呆れたように答える。
「俺にどうしてほしかったんだ?」
「いや、だからその、さぁ〜」
「馬鹿を言うな。で俺の家が見つかっただと?」
銀髪の青年の瞳が黒髪の少年を直視したため、黒髪の少年は冗談を言うのが終わったのを悟る。
「というより、お前と同郷出身の誰かが、【白い家】に訪れたらしい。しかも、お前と瓜二つの【少女】だったそうだ」
「あの【家】にか?」
無表情な彼の表情が一瞬で崩れた。黒髪の男は肯定する。
「理由は不明、おそらくは何か特殊な力で訪れたのかもな……」
そして黒髪の少年は翼を広げると、
「行くぜ、さっさと彼女に訊いてみよう」

小高い丘の一角で、銀色の鳥が舞った。

TO BE NEXT?
2004/03/17(Wed)02:58:18 公開 / 成夜
■この作品の著作権は成夜さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
初めましての方、初めまして。久しぶりの人、こにゃにゃちわ(ぉぃ

やぁぁぁっと、終わったぁぁぁぁぁ!!
って、正確には訂正も終わってないんで、皆さんの採点が終わって修正して初めて終わるんだな(−−;
あぁ〜疲れた〜。なお、執筆の際につかったBGMはとあるサイトの「ザ・マン・ウィズ・ザ・マシンガン」とか色々。
MP3とMIDI教えてくれた ゅぅさん、ありがとお〜

フェンリル簡易データー&マギーをば。


名前 フェンリル<銀の牙> 紫苑・アルフ・アヴァスター
職業技能 剣士(大型剣)LV25 銃士(二丁拳銃)LV13 魔導師(攻撃系)LV9   総合レベル 15
特徴 銀髪碧眼。容姿端麗、女性特有の顔立ちをした男性。 女装LV50(笑
武器 魔剣【ロキ】  魔拳銃【ユルム】&【ガルド】  手甲【チュール】 聖霊【ヴァルキュリア】
性格 無表情&無愛想青年。自らを「咎人」と背負っている。なぜ強いかは秘密。
好きな物 一人で飲むワイン。(親友に嫌がれるという。
嫌いな物 満月(親友といる場合は除く。

名前 マーガレット・アルフォンス
職業技能 医師(内科・外科・精神科)それぞれLV26 LV35 LV20
特徴 淡い茶色の髪、碧眼。大人びた女性。美人LV47(ぉぃ
武器 注射器(本編未使用。 メス 鋏
性格 世間を歩き回る医者だが、フェンリルを無理やり護衛にする辺りがけっこう強引と思われる。
好きな物 ラズベリーパイ
嫌いな物 ナッツ

さらにメモまで出てきたんでまとめてたんだけど、

序章 初っ端から戦闘の乱舞乱舞。一番最後の最後に関わりがあったりする場面。

1部 悪夢 さらに戦闘開始。何気にここのヒロインが名も無い普通の娘という。しかも本編とだいぶ無関係。

2部 ドクター 一応、今回のヒロイン登場。強引な医者の娘さん。でも中生代の女医師ってどんなのだろう(ぇ

3部 転生 さりげなく、前振りが入ってる。そろそろ色んな悪魔というかゲテモノ登場。

4部 悪魔狩り ゲテモノいっぱい登場。イラストついたら……うん、昼飯が食えなくなるな。晩飯を食おう(ぉぃ!

5部 神々の獣 さりげなく読むと、現代を思いっきり批判しているという作品(ぇ 無神教の方々は「神などいない」などと考えてるかもしれないけど、「神」という言葉、使ったことない人なんていないでしょうな。(遠い目

最終部 咎人の剣 『神々を斬獲せし者』 さて問題です。この題名は実はとあるゲームの中での最強の攻撃力を誇る武器の名前であったりします。けっこうピッタシなんでパクっちゃいました。ロゴを少し変えてもパクりはパクりなんで堂々とそのまま使ってます(ぉぃ! そのゲーム名を当ててみよう! 景品はでないけど、回答者の名前は記憶しときます(ぇ


こないだもらった指摘を思案錯誤。

☆いろんな表現を駆使していてかなりの自信作なんでしょう・・・しかし、表現が難しい(想像するのが)部分が多いと感じました
ヤブサメ様。

返事= 左様でございましたか(^^; やっぱり実際目で見たり触ったりできないものを表現するのは厳しいよ(;;
まだ訂正まで至っておりませんが肝に銘じさせていただきます。ありがとうでごじゃりましゅm(__)m
更なる返信= ごめんなさい、まだしてないや(爆破


☆いきなり10点満点?某サイトのように根拠のない点数の付け方はどうかと… 天薙 様
☆せめて他にも色々と資料を集めてくれや。 クスジティ(この作者のHP上の知り合い)様

返事=知り合いT氏、彼はメールでばしばしと指摘を下さるナイス・ガイでございまふ。メールできたんで、どんどんプリーズ!
返事=知り合いC氏。頼むから私情でレスするのはやめてちょ(メール作ったから、そこでな?

ぶっちゃけ私は「うまかった」「かっこよかった」の感想よりも「指摘」や「誤字」や「表現技法のミス」などを突っ込まれるほうが好きです。確かに挫折もあるっすけど、逆に「燃える」らしい性格なんで、そっちを求めてこっちやってきましたんで。
エレル氏も順調みたいだし、俺も頑張らないと……(;;)

って、感想変えるのも面倒くさい(爆死

とりあえず、ここはひと段落。次はちゃんと一部ずつ分けて出していくかな?
この作品に対する感想 - 昇順
[簡易感想]短すぎです。短すぎっ!
2013/08/28(Wed)20:27:170点Ildus
合計0点
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