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『満月の世界で』 作者:藤崎 / 未分類 未分類
全角8516.5文字
容量17033 bytes
原稿用紙約29.6枚
 カエという少女は昔、天使に逢ったことがあるという。
 それは、彼女がまだ夜の闇をこわがる、幼い少女のときのこと。
 その天使は、小さなからだに大きな羽をもった姿で。突然、カエの前に現れたのだ。
 そして、物語を聞かせてくれた。
 優しい瞳と、柔らかな口調で、とっておきの物語を。
 カエは今でも、はっきりと思い出すことができる。
 それは。
 優しいけれど、どこか淋しい、さくらの木の、物語。


 カエはふっと目を覚ました。
 誰かに、呼ばれた気がしたのだ。
 ベッドの上に起き上がり、暗闇を見回す。
「…おかあさん…?」
 小さな呟きは、夜の闇へとのみこまれてしまう。
「………」
 もちろん、返ってくる声はない。
 あるのはただ、どこまでも深く広がっている、よる。
 カエは不安に襲われて、もう一度ベッドに横になる。ところがどうも、眠れない。
 どうやら完全に、目が冴えてしまったらしい。
 大きく高鳴りする自分の鼓動を聞きながら、カエは不安と戦っていた。
 カエにとって、“よる”というのは、何よりも大きな“かげ”だった。
 世界に、自分だけしか存在していない気にさせる。
 誰も、自分の存在を認めてくれる人がいない気になる。
 寒い部屋で一人、ベッドに座り、少女は膝を抱えていた。
 誰か起きてはこないかという、祈りにも似た期待をしながら。
 カエは、部屋の中にいた。

 闇に目が慣れてしまうと、カエは違和感を感じた。
 なんだろう。
 気のせいだろうか? なんだか闇が、いつもと違う。
 なんだろう? なにかがちがう。

 カーテンを開ける。
「………」
 飛び込んできた光景に、カエは息を飲んだ。窓を開ける。
 ひんやりとした空気が、カーテンを揺らす……。
 カエは、闇の中のその光景に、みとれている。
 最初カエには、その光景の正体がなんなのか、全くわからなかった。
 暗闇があるはずの、庭の風景。
 ところが。
 庭は、白くそめられていた。しろく、白く、そめられていた。
 不可思議なその光景を、カエは呆然と見つめる。

(ゆき……?)
 思い当たった途端、カエは部屋を飛び出した。
 早足で南側の縁側に行きガラス戸を開ける。
 好奇心旺盛の少女は、こらえきれずにハダシのまま外へ出た。
「………」
 カエの足に、ひんやりとした感覚はあった。けれども、冷たい感触はない。
 雪ならば当然あるはずの、飛び上がるような冷たい感触がない。
 カエはもう一度辺りを見回した。
 雲に隠れていた月が、かおを出した。
 庭は、いっそうきらめきを増す。
 カエは、月を見上げた。
「月光……」
 ポツリとつぶやいた言葉は、夜の闇に飲み込まれる。

 美しく輝く光景の正体は、月。
 雪よりも貴重で、繊細すぎる月の光。

 カエは息をするのも忘れて、驚きと感傷に浸りながらただ立ちすくむ。
 注がれる銀色の光の中で、月に顔を向け目を閉じる。
 瞬間カエは、泣きたいような衝動にかられた。月光の中に立ち、泣きたいような衝動にかられた。
 なんとも、形容しがたい気持ちになった。
 自然の強さ……というより、神秘的な光景を目にしたときの、あの、なんともいえない心地。
 何故なのかは、カエにもわからない。
 ただ、胸の奥を、突き動かすものがあった。心の奥を、揺らすのものがあった。
 その感情は、抑えられる理由もなくカエの目から零れ落ちた。
 カエは、ないていた。

 暗闇の中、何かがカエを見つめていた。
 なみだを流すカエを。じ……っと。
 月に向かって、吸い寄せられるような横顔を。
 カエはおもむろに目を開いてゆっくりと、振り返ろうとする。

 かぜが、吹いた。
 月夜の庭を、かぜが渡った。

 カエの目に映った何かは、幼い男の子の姿をしていた。
 小さな、男の子。
 透けそうに白い肌と、銀色の髪。整った目鼻立ちの綺麗な顔は、人をひきつける魅力が十分にあった。
 姿は子供。
 けれど、顔つきは大人のようだった。
 いや。大人にもいないような、静かな表情をしていた。

 こわがりのカエに、その少年と呼ぶには幼すぎる男の子は喋りかける。
「こんばんは」
 壊れそうな、えがお。
 美しすぎるガラスのように、触れてしまえば消えそうなえがお。
 光の中で、彼は言う。
「僕はリア。初めましてだね、カエ」
 空気を震わすその声は、表情と同じく静かなものだった。
 口調はやわらか。流れるような声がカエの耳に届く。
 リアと名乗る男の子とカエは、しばしの間、見つめあう。
 カエの心は、凪のように静かだった。
 リアは急に、中に浮いた。
 浮いたかと思うと、カエの瞳を覗き込む。
「きれいな瞳」
 視線を瞳から頬へと移し。そして。
 ふれた。
「きれいな、なみだのあとだね」
 カエの頬には、なみだのあとなど残っていない。
「カエはどうしてないていたの?」
 浮いたまま、リアは訊ねた。
 カエはじ……っとリアを見つめる。
 リアは、中に浮くのをやめた。
 どうして?
 どうして?
 どうして?
 疑問が、カエの頭を満たす。
 どうして、どうして、……どうしてどうして?
「わからない」
 カエはつぶやく。
「あなたにはわかるの?」
「リアだよ」
「……。リアには、わかるの?」
 リアは答えずに、黙ってカエの目を見ていた。
 そしておもむろに口を開く。
「ボクが知っていたら、カエは聞きたい?」
 そう、訊き返した。
 そして今度は、カエがリアの目を黙って見つめた。
 同じように、口を開く。
「知りたくない」
 リアはわらう。
 カエの答えを聞いて、リアはわらうのだ。やんわりと、あのくずれそうな笑みで。
「ボクにもわからないよ。カエのなみだは……生き物のなみだは、その生き物だけの気持ち。その理由を知るものがあるとすれば、その生き物だけだよ」

「どうして、わたしに逢いに来たの?」

 リアの正体を知っているわけでもないのだが、知っているかのように、カエは訊ねた。
「………」
 カエは、翼の生えたリアに問いをぶつける。
 丸く輝く、満月。
「きれいな、月夜でしょ」
 その表情は、やさしい。
「満月の冬の……、それもすごく寒い夜。こんなふうに月が、銀の光を降らせるんだよ」
「どうして逢いに来たの」
「こんな特別な夜に、ボクがカエのことを少しだけ知りたかったから」
「それだけ?」
「それだけ。……ほかに、何か理由が必要?」
「………」
「ボクは、理由なんて、本当はどうでもいいものなんだと思う。そんなもの、あとからつ けた、言い訳に過ぎないと思うからね」
 何かを憂うように、わらう。

「ねぇカエ。空を飛びたいと思ったことはない?」
「え……?」
 振り返ったリアの言葉に、カエは疑問を投げかける。
「空を飛びたいって、思わない?」
「……おもう……」
 リアは、微笑む。柔らかい瞳で。
「じゃぁ、決まり」
 おどけた声が言い終わると同時に。

「え……?」

 リアの背の翼は大きく羽ばたく。
「簡単でしょ?飛ぶことなんて」
「うん」
 頷いたカエを見て、リアは舞い上がる。
 大きな翼を、力いっぱい広げて。
 カエの、手をとって。


「すごい、見てリア、家があんなに小さい」
 月の光に染まった町を駆け抜ける、ふたつの影。
「きれいね。…海の底の町ってこんな風かしら?」
 ポツリと呟いたカエの言葉に、リアは小さく首をかしげる。
「ほら、あるって言われているでしょう?大昔、海に沈んだ伝説の町が」
 何らかの理由で、海に沈んでしまった町。
「わたし時々、その歴史を繰り返している気がするの」
「ん……?」
「昔、海に沈んだといわれている島がまだ地上にあった頃。地上に生きる人間は、海に沈んだといわれている島を探していたの」
 丁度今、海の中に憧れを抱く自分達と同じように。
「そして海の中の町を発見するんだけど、喜ぶのもつかの間。その都市の発達しすぎた機械文明を手にした地上の人間達は、海の底の町と同じ時間のレールの上に立ってしまう」
 下界には、幻想的な街が広がる。
 昼間とは、全く違う色。
「わかる? 地上の人間が海の底に沈んでしまった理由は、眠った町を発見したことなの」
 現代には存在する必要のない機械文明を手にしたがために、生きゆく人々の町は、永遠の町へと変わる。
「その町は海の底へ。人間がいなくなった地球は、人間がいなかった頃の地上に戻る。そしてまた、同じ時間のレールの上を歩いてしまうの」
 淡々と喋り続けたカエは、口を閉じる。
 リアは、驚いたようにカエを見ていた。
 
「すごいや……」

 目を細めて、微笑むリアを、カエはぽかんと見つめる。
「すごいや。それがカエの物語?」
「え……? …そう、そうかもしれないね」
 カエの物語。
 言われて少しだけ、納得する。
「それじゃ今度は、ボクの番だ」
「え?」
「ボクの物語を」
 笑うリアに、首をかしげる。
「ボクの…って言っても、ボクが一番好きな物語を、だけどね。カエはボクに自身の物語を話してくれた。だから、今度はボクが話してあげる。一番好きな、とっておきを」
「本当?」
 本当だよ。
 そういってリアは、話し始めた。

 昔ね、“掃除屋”と呼ばれる男がいたんだ。彼は人々の中に紛れ込み、誰も気づかないうちに、人々の心の中の負の感情を掃除していくんだ。
 掃除って言っても、気づかないうちに芽生えてしまったそれに、フッと触れて持って行ってしまうんだ。
 だからその町の人々は、あまり大きないざこざもなく、平和に暮らせていたんだよ。
 “掃除屋”が持って行った負の感情はどこに行くのかというとね。彼が持ち歩いているその瞬間にね、それらは負の感情から、喜びや、楽しみを含めた正の感情に変わっていくんだ。
 負の感情が生まれてしまうのは、『楽しみたい』とか『笑いたい』っていう感情がうまくコントロールできなくなっちゃうからなんだ。だから、負の感情の中にも、正の感情があって、それらは、いつでも外へ飛び出したがっている。
 “掃除屋”はね、その負の感情にちょっとしたきっかけを与えてあげるだけなんだ。
 そうすると、それらは正の感情になるんだ。
 そして、その正の感情は、“掃除屋”によって、あるところに届けられる。
 さくらの、木の下へとね。

 何百年間も、ずっとそこにいて、周りに誰一人いなくなっても、ずっと世界を見てきた、さくらの木。
 大人三人が両手をいっぱいに伸ばして幹の周りを囲っても、まだ足りないくらいの大きな木。
 “掃除屋”は、毎日の仕事の成果を、そのさくらの木にプレゼントするんだ。
 さくらの木は、長く生きすぎて、もう自分の力だけでは水を吸うことが出来ないんだよ。だから、“掃除屋”の集めた正の感情を、生きるための“いのち”にしているんだ。


「今日も、たくさんの“いのち”を持ってきました」
 小高い丘の上で。 
“掃除屋”はやさしく言いました。
「あぁ、ありがとう。これでまた、少しは生き永らえることができる」
 少し、疲れたような声で、さくらの木は答えます。
 “掃除屋”は、“いのち”がはいった背中のかごを置き、その中から、水をすくうように、そっと“いのち”を、さくらの木の根元にかけてやります。
 桃色のハナビラが、“掃除屋”の上に降ります。
「そんなに降らせたら、もったいないですよ」
 “掃除屋”は言いました。
「何も出来ない、わたしからのせめてものお礼です」
 さくらの木は言いました。
 “掃除屋”は黙々とさくらの木に“いのち”を与え続けます。
 そこから見える景色には、“いのち”をくれた人々の生活があります。
「あなたはなぜ、こんなにも生きているのですか?」
 ふと、“掃除屋”はさくらの木に尋ねました。
 さくらの花が、さわさわと音を立てて、揺れます。
「わたしはね、世界のきれいなものがみたいんだよ」
「きれいなもの?」
 “掃除屋”は首を傾げました。
「そう、きれいなもの。うつりゆく景色のながれや、真っ青な空に広がるくも。きれいだとは思わないかね?」
 “掃除屋”は、考えるように目を伏せました。
 さくらの木は、語りかけます。
「春になるとやってくる小鳥たちのさえずり。夏に降るにわか雨の前の、土のにおい。秋に彩られる、なかまたちの紅葉。冬にやってくる、まっしろな、こなゆきたち」
 “掃除屋”の頭に、その光景たちが、ゆっくりと、浮かんでは消えてゆきます。
「今こうしていられるのも、人々の“いのち”のおかげなんだよ」
 “掃除屋”は、さくらの木を見上げました。
「いのちがきれいだから。だからわたしは、もっとそれらをみていたいと思うのだよ。しんでしまったら、みられなくなってしまうかもしれないからね」
 “掃除屋”は、かすかに頷きました。
 翌日。“掃除屋”は、その日の仕事につく前に、さくらの木のところへ行きました。
 昨日言っていた、きれいなものの話に、言いたいことがあったのです。
 小高い丘の上に上った、そのときでした。
 “掃除屋”は、さくらの木の異変に気づいたのです。
「どうしたのですか……?」
 “掃除屋”は、呆然とつぶやきました。
「もう、寿命なのですよ」
 さくらの木は、ささやくように言いました。
 あんなにも見事に咲き誇っていたはずの、薄桃色の花たちは、緑色のしばの上に、横たわっているのでした。
「どうして……」
 哀しそうに“掃除屋”は、カクンと膝を折りました。
「仕方ないのですよ。いのちあるものは、いつかは必ず消えてしまいます」
「だからといって……。どうすることもできないのですか?」
「自然の、摂理なのですよ」
 静かに、落ち着いた声がしました。
「散ってしまう花たちは……、一体どこへ行ってしまうのですか。消えてしまうのですか。あなたはどこへ逝ってしまうのですか」
 “掃除屋”が泣きそうな声で、言いました。
「花たちは、確かに消えてしまいます。けれど私はここにいます。ずっとずっと、ここにいますよ」
 さくらの木は、やさしく、さとすように言いました。

 “掃除屋”は、仕事に出かけました。
 今日も、人々の“いのち”を集めます。
 些細なことでケンカを始めた人の“いのち”を、ひどく落ち込んでしまっている人の“いのち”を、悲しみにくれてしまっている人の“いのち”を。
 必死になって、集めます。
 さくらの木の花たちを、少しでも長生きさせることができるように……。

 “掃除屋”が、一日を終えて、小高い丘に帰ったときのことでした。
「………」
 “掃除屋”は、自分の目を疑うように、はっと息を飲んだのです。
「どうして……」
 それしか、言えませんでした。
 さくらの花たちはみな散ってしまい、残ったのは茶色のごつごつとした、枝だけでした。
 見るからに元気のなくなってしまったさくらの木に、“掃除屋”はふれました。
「もうすぐ……、あなたも死んでしまうのですか?」
 さわさわと、かぜにゆれる枝は、青空にくっきりとうかんで見えます。
「もう、喋ることもできなくなってしまったのですか」
 涙声で、“掃除屋”は言いました。
「…………」
 なにも言わない、言うことのできない、さくらの木。
「私は……、どうすればよいのです……?」
 ぽろぽろと、なみだをこぼしました。
「私は……。あなたがいるから、ここにいるのです。私は、あなたのためにここにいるのです」

 “掃除屋”には、約束がありました。
 “掃除屋”は、二度目の人生を生きていたのです。
 “掃除屋”は、一度目の人生で、悪いことをくり返しました。
 そして、黄泉の国へ行くときに、神様にお願いしたのです。
『一度だけでいい。もう一度だけ、チャンスをください。』と。
 すると神様は言ったのです。
『一度だけ、チャンスをあげましょう。けれど、条件があります。一つ目。二度目の人生では、悪いことは何一つしないこと。二つ目。誰かのために生きること。そして、三つ目……』
 “掃除屋”は、二つ返事でうなずきました。

「私は、あなたがいるからここにいられるのです」
 喋ることのないさくらの木に、“掃除屋”の涙がこぼれます。
「私は、幸せだったのです。こうして、あなたの“いのち”をふくらませることができて」
 言いながら、背負ったかごから“いのち”をすくっては幹にかけてやります。
 何日も何日も、続けてきたことでいた。
「私は、いきたいのです。あなたと一緒に、いたいのです。あなたは昨日、きれいなものがみたいと言った。私は素直に、うなずくことができなかった」
 両手をついた、“掃除屋”はいいます。
 なみだを、ぽろぽろとこぼしながら。
「私は、たくさんの人を哀しませてしまった。きれいなものをみる資格なんて、なかったのです。けれどあなたと一緒なら、それもみえる気がするのです。みてもいい気がするのです」
 そう、言ったときでした。
 かぜが渡りました。
 空が、やさしいくひかりました。
 そして、喋ることのできなかったはずのさくらの木の声を、“掃除屋”は、確かに聞いたのでした。
「わたしも、いきたい……」
 ささやくような、声でした。
「それでは、一緒に、いきましょう」
 “掃除屋”は言って、幹の根元に、伏せました。
 空がもう一度明るくひかり……。

 次に、小高い丘が人々の目に入るほどになったときには。
 “掃除屋”の姿は、ありませんでした。
 消えてしまったかのように、ありませんでした。
 そこにはただ、年老いたさくらの木が、薄桃色の花を咲かせているだけでした。


 “掃除屋”は、どこにいったんだと思う?
 死んでしまったわけではないんだよ。
 それじゃぁどこにいったのか。
 こたえは。
 さくらの木になったんだ。
 それが、神様との約束だったんだ。
 “掃除屋”が頼んだときに、神様はこういったんだ。
『みっつめ。その誰かのために、しあわせになること。この三つを、必ず守ると、誓いなさい』
 “掃除屋”にとって、さくらの木と一緒にいることだけが、それだけが唯一、しあわせになるってことだったんだ。
 そして“掃除屋”は、さくらの木と一緒に、世界を見続けるんだ。
 “掃除屋”が、決してみることのできないと思っていた、きれいなものたちをね。
 それがなくなる、そのひまで。

 話し終えたリアは、カエの顔を覗き込んでいた。
「カエ……?」
 カエはそっと、涙を流していた。
「カエ? どうしたの?」
「だって…。“掃除屋”さんは、本当にしあわせだったのかなって……」
「………」
 なんともいえない顔をして、リアは飛び続ける。
「そうだな……。ボクからみればしあわせでないことが、どうして他の人にとってのしあわせでないといえる? その人がしあわせであるかどうかなんて、その人だけしかわからないんじゃないのかい?」
 少しの沈黙の後、カエは頷いた。
「そうかもしれない」
「大切なのは、その人のその時の“これだ”と思う気持ちだよ。いつだって一番強いのは、本当の自分の気持ちなんだよ」
 青白く光る町並み。
 その姿は、どんどんなくなっていく。
「後悔したくないのなら、自分に正直になるのがいい。ウソをついて、それで理解してほしいと思うのは、あんまりにも都合がよすぎるよ」
「………」
「こんなにきれいな、なみだのあとが残るんだ。カエなら大丈夫、やれるよ」

 小高い、丘が見えてきた。
 満月の下。
 月光を浴びる、何か大きなものが見えてきた。

「あれ……」

 カエは、はっと息を飲んだ。
「そう、あれだよ。“いのち”の……世界をずっと見てきた、さくらの木」
 カエの目の前に広がる光景には、不思議なものがあった。
 寒い寒い冬の、真夜中だというのに、そこには
 満開の さくらの木が在った。
「どうして……?」
 さくらの木下に降り立ったふたりは、堂々と咲き誇るさくらの花たちを見上げる。
「ボクが頼んだんだ。カエに逢うから、素敵なプレゼントをください、って」
 銀色の月光に照らされて、薄紅色の花たちは、きらきらときらめいている。
 カエの目にうっすらと、涙が浮かんだ。
 自然の摂理。
 自分達の、決してふれることのできない、地球の歴史。
 それを感じて、リアに逢う前にも、カエは泣いていたのだと、そのとき初めてわかった。
「リア、今日は来てくれて、ありがとう」
「うん……」
「物語を、ありがとう」
 さぁ――……っと、風が吹く。
「それじゃぁ今日はもう、おひらきにしよう」
「え……?」
 カエが口を開こうとするよりも早く。
 かぜが渡った。
 満月の夜を、かぜが渡った。
 さくらの花が舞い上がり、
 そして。
 リアは、見えなかった。


 自分の部屋で目覚めたカエは、見回した。
 リアの姿が見当たらない。
 あるのはただ、いつもと変わらない部屋の景色。陽は昇って、世界は明るくなっている。
(夢だったのかな……?)
 首をかしげる。
 カエは、気づいていないのだった。
 左の肩の上に、さくらの花びらがのっていることを。
2006/04/05(Wed)12:21:48 公開 / 藤崎
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