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『クーデター』 作者:喜多村拓 / 未分類 未分類
全角11511文字
容量23022 bytes
原稿用紙約30.65枚
 わたくしは古本屋を営んで二十年になります。その間、本と混じって様々なものを仕入れしました。日記や手紙、家計簿などは引っ越しと云って売ってゆく古本の間からよくみつかります。処分してもいいのですが、中には貴重なものではないかという研究ノートなどもあり、いまだに捨てずに保管しているものもあります。
 ここに一冊のノートがあります。何の変哲もない大学ノートで表紙はかなり痛んでおりますが、中にはびっしりとペン書きで日記が綴られているのです。一九七〇年の日付ですから、昭和四十五年ということになります。日記の持ち主は仮にNさんと呼ぶことにしましょうか。実家が恐らくこの青森で、遺族が持ち込んだものと思われます。最初は内容が内容だけに公表すべきかどうか迷いましたが歴史に隠された秘話としても貴重なものと思え、敢えて活字にすることにしました。故人の名誉を傷つけることも懸念しましたが、伏せ字にするところはし、氏名についてはすべてイニシャルとしました。できるだけ原文のままで公表したつもりです。


一九七〇年 東京

八月七日
 郷里では今日倭武多の最終日でナヌカビという。観光客の帰った間の抜けた昼のねぶた祭で、紙が破れた穴だらけの山車が汗でどろどろになった跳人と、がらんとした街を運行するのだ。その滑稽なナヌカビが一番好きだった。と、思うとたまらなく帰りたい。もう四年帰っていない。
M先生が鎌倉にお出でだというので暑中見舞がてら訪ねることにした。夫人がご一緒と聞いたのでY夫人の好きなメロンを手土産とした。国電は混んでいた。ビーチバッグを手にしたカップルが目につく。わたくしも本当なら彼らと同じ世代の人間として、軟派な生き方もできた。
 M先生は出版社の用意していた稲村が崎の別荘にくつろいでおられた。岬から少し山へ昇ったところへ瀟洒なしもた屋風の家があった。蝉がやたら暑苦しい。先生は庭先の籐の椅子に体を休まれ、読書に勤しんでおられた。「おお、Nくんか」と、先生は歓待し、夫人はガーデンテーブルに冷たいビールを運んだ。「東京は暑いだろう」と、隆々たる筋肉を見せたバーミューダにランニングシャツの先生は来客でも気さくないでたちであった。
「陽に焼けましたね」と云うと、先生「クルーザーのデッキでうかつにも午睡してしまったらこの様だ」と、笑う。「ところで」と先生は夫人のいない間に耳打ちされた。「例の段取りはついているだろうな」「手抜かりなく」そのことを思うと身震いする。先生がバカンスを楽しむのは山科の由良の介の心境であったろうか。
 小一時間歓談して暇したが、テーブルの上に伏せられた陽明学の研究書が気になった。鎌倉も暑い。江ノ電の窓から潮の匂いが流れる。

八月十三日
 お盆で東京の街中はゴーストタウンになる。会社は休みだが、今年も帰らない。六畳間に扇風機もない。あるのは書棚と蔵書の山。M先生の著作が並ぶ。殺風景な部屋の中央に大の字になって裸で寝ていた。カーテンが風もなく死んでいた。窓から隣りのマンションの部屋が見える。人妻らしい人影が見えつ隠れつ。階上の部屋からわたくしの部屋は丸見えになる。いつも褌一丁で寝ているわたくしをじっと凝視している若い奥さんだった。FMからラフマニノフの協奏曲第三番。ピアノが悲愴のうちに高鳴ってゆく。わたくしは褌からはみ出したペニスを揉み始める。奥さんへのサービスだ。向こうも態と見えるように着換えし始める。ブラジャーをはずすと形の崩れていない乳房が露出する。奥さんの手は下を這う。わたくしたちはこうしてたまに交信しているのだ。わたくしの儀式はピアノのカデンツァのように自由に妄想の中を走る。と、電話が鳴った。
 M先生直々の電話で夢幻から急激に醒めた人のように直立不動で声も出なかった。
 わたくしは渋谷の道玄坂の指定の喫茶店で先生を待っていた。先生はサングラスをかけて一人で現れた。「出よう」と、わたくしを裏通りへと誘う。すでに夕闇が落ちて怪しい人影が街角に立つ。とあるビルの上にエレベーターで昇る。てっきり会の秘密集会かと緊張していたが、先生の態度がいつになく愉快そうだ。オフィスの一室にタナトス・コーポレーションとドアに書いてある。ギリシア神話で昔は男は二人で一体であったが、神があまり仲がいいので男を別性の女と分けたという故事を思い出した。中は薄暗いクラブのような雰囲気で低くジャズが流れている。「ここは」と、不安そうに問うと、「何事も勉強だよ」と、先生は笑う。
 個室のようにボツクスに分けられてそれぞれ別のソファに案内させられた。「ご指名は」と、ボーイに訊かれたがさっぱり何のことか判らない。首を振ると、ソファには同年代の二十歳過ぎくらいのやさ男が座ってくる。ビールが注がれた。すぐに目が慣れてくると回りでまさぐる衣ずれの音も意味が判ってくる。ホストの男はわたくしにべったりと添い、手を回してくる。一瞬にしてわたくしは男娼窟にいる自分を理解した。逃げようと思いもしたが、次に何が起こるのか興味もあったからするがままにさせていた。ホストはいきなりズボンのチャックを下げるとわたくしの萎えたモノを取り出した。おしぼりで丁寧に拭くと少しは起きてくる。ホストは世間話をしながら何気なくわたくしのモノを掴んだまましごきはじめる。ホストの熱い眼差しが異様であった。そのうちたまらなくなったホストはわたくしのモノをくわえはじめた。ゆっくりと喉の奥まで入れるディープスロート。速く上下する軟体動物の口腔のようで密着して吸引する。指はペニスの根元をぎゅっと締めている。そうすればより強い快感を持続させることができるのをホストは知っている。へたな女よりずっとうまい。同性だからどこを責めると感じるか壺を心得ているのだ。わたくしはゆきそうになったが、締め付けた指は射精を許さない。わたくしの呼吸を感知してホストはすばやくわたくしのモノにオイルを塗った。何の液体か、刺激のある爽快感。女の媚薬のような効果があるものなのか。ホストはすかさず自分のズボンとブリーフをずり降ろすと、自分のアヌスにも何やら別のクリームを塗っていたかと思うと、わたくしの膝の上に座ってきた。わたくしの爆発寸前のモノはホストの中にするりと入った。何の抵抗もなく、慣れた位置関係であった。ホストは上体を揺さぶる。括約筋を締め付けてくる。まだまだ許してはくれない。なんという感覚だろう。いまだかつてこんな性欲を感じたことはない。男には童貞であったわたくしはいままで自分はセックスに関してはノーマルだと信じていた。まさか。この名前も知らない若い男に性欲を感じるなんて。ホストの腰の動きが激しくなってきた。呻き声も漏れる。A感覚だけでエクスタシーを感じるものなのか。きっと性感帯が突出しているに違いない。しかも緩くなった女のVよりなんという新鮮なフイット。わたくしはまた遠くラフマニノフの三番を聴いたと思った。幻聴か。昇りつめたスケールはついに最も高いキーを叩いた。わたくしのモノはひくひくと泣いていた。彼のAも痙攣したように共にわななく。心臓から送り出す動脈がふたりとも共鳴したように果てた。 
 M先生はいつのまにか帰られた。わたくしだけ恍惚の抜け殻になってソファに沈んでいたなんて。

八月十五日
 終戦記念日。会のメンバー数名と靖国神社へ参拝する。マスコミがうるさいので制服は着ないで、各々私服で参列する。毎年の厳粛な行事で、当然先生もお出でだ。わたくしたちはこの世に遅れてきた。国のために死ぬという美以上のなにがあるか。いつかはと胸に秘める命あり。それにしてもなんて暑い日なのだ。毎年、あの日を想起させるような晴天で眩しい陽と高い空が切り立つ。

八月二十六日
 今日から三日間、富士山麓は御殿場の山中の保養所を貸し切って、Tの会の夏期合宿が始まる。会員五十余名は制服着用し、馬場の前庭に集合する。M先生と幹部のMOが壇上に立ち、わたくしたち隊員が隊列を整えて行進するのを謁見する。他に来賓で高級官僚の○○○と代議士の○○が参列している。馬も用意された。いずれも乗馬は慣れたもので一糸乱れぬ間隔で馬場を回った。山中とはいえ真夏の太陽は容赦がない。全身汗みずくである。
 昼は野外炊飯。休憩の間もなく戦闘服に着替えて実戦さながらの野外演習に入る。銃はモデルというものの、重量は本物と同じで肩に食い込む。十数キロの装備で炎天下を駆け、匍匐前進で土まみれになり、元自衛官の教官もいることから、きつい訓練となる。新しく会にはいったというSという大学中退がわたくしに馴れ馴れしい。色白で華奢な体躯が女のようであった。最近の若い男はユニセックスといって、男だか女だか判らない。ジーンズにTシャツで長髪で、余計混乱してくる。Sは髪型さえ短髪だが腰骨もなく美少年に見えた。わたくしはそんな女々しい男は嫌いだった。

八月二十七日
 早朝は点呼と体操から始まる。保養所の清掃。朝食は麦飯と香の物、汁の一汁一菜。粗食に甘んじることも軍人は清楚倹約を基とすべしという教えからだ。余った飯で握り飯を作り笹でくるんだ。笹には滅菌作用があるのか猛暑でも腐らない。それを各々携帯し、水筒に清水も汲んだ。背嚢には態と砂袋を背負い、重装備にしてそれから百キロ行軍が始まる。山を越え、藪を掻き、道なき道を突き進む。中には倒れる隊員もいる。足首に巻くゲートルは足先に血が下りないよう軽くするためだった。軍靴も堅牢にできているのは足に負担をかけないためだった。それでも足の裏には血豆ができてそれが破れていた感覚もなくなっていた。昼から夜へ、そして夜明けへ。保養所に到着したのは白々と空が蒼くなった頃であった。

八月二十八日
 仮眠に等しい短い間を眠る間もなく起こされる。苦しい体験を共にするだけで不思議な連帯感がわたくしたちには生まれてきていた。今日の教程の塹壕掘りにしても重労働には違いなかった。Sは妙にわたくしに世話をやきたがる。わたくしは迷惑そうにしていたが、悪い気はしなかった。昼食にマッシュポテトと豆のスープを食べていると、Sが隣りにやってくる。甘いマスクがひときわ目を惹いた。「君は女の子にもてるだろう」とわたくしが訊くと、Sは羞恥んで、「こう見えても自分は硬派であります。婦女子には興味はありません」婦女子ときた。意外に堅いやつだと思った。夜、訓練が終わり散会するとき、Sはじっとわたくしを正視して、「先輩のところに遊びに行ってもよろしいですか」ときた。

九月七日
 大阪の万博に人手を取られて、会社は少ない社員で本丸を守っていた。輸出の商談も増加して海外からの引き合い電信、来客が絶えない。
 この夜、何度目かのTの会の会合があった。幹部隊員だけが隊員の経営する料亭の離れに招集された。互いは同志と呼び合っていた。十二名の幹部がK計画推進のための確認作業のために集まっていた。Kとは憲法改正と建軍の頭文字である。決行日も決定した。十一月二十五日。一同緊迫した雰囲気のもと、それぞれの役割に基づく実行段階を発表しあう。すべてがXデーに照準を合わせた準備である。問題は仕掛けができていても自衛隊が果たして動くかどうかという点に絞られた。二・二六事件のときのように軍の幹部を云い含めても反対分子や造反がないかどうか。動くと仮定して作業は進められなければならない。失敗は許されない。NHK、民放各局を占拠する班、総理及び各大臣を拘束もしくは射殺する班、すべてが自衛隊が主導権をもって実行される。われわれはその導火線になる。すべて同志は血判状に拇印を押した信じられる者ばかりであった。身が引き締まる思いがする。あと八十日余りで日本が変わるというのか。

九月十四日
 わたくしのK計画での役割は放送局の占拠の扇動である。そのために市谷からの最短ルートと局の建物の各階の見取り図を入手すること。
 会社に何度かSより電話が来ていたが、忙しさを理由に避けていた。先延ばししていた約束が今夜履行することとなった。
 S同志は代官山の指定の蕎麦屋で待っていた。Sは久しぶりで逢ったせいか妙に饒舌であった。話題は会のことから先生の思想に及んだ。映画でも見に行こうということになって、渋谷まで出た。ブルースリーの流行の映画だった。Sは映画を見ながら手を握ってくる。どきりとした。その手がいちもつに伸びてくる。Sの手はまるで生き物のようにするりと股間に侵入すると、絡みつくようにわたくしのものを包んだ。Sの別の手はわたくしの手をSのモノに誘導した。初めてSのペニスを掴んだ。いや、他人のモノに触れるのは初めてであった。男同士何をやっているんだ。
それでも非常な安心感があるのは同性であるからか。Sのモノはしなやかでわたくしのモノより長かった。が体の大きいわたくしの方が逆にモノが寂しい。わたくしのはすでに勃起して全身の神経と血液が海綿体に注がれているように硬くなっていたが、Sのは外人のように硬くならず弾力性が残っていて大きくなっていた。陰毛は髪のやわらかさよりやわらかい。映画の画面いっぱいにボディビルで鍛え上げたM先生のような上半身裸のブルースリーの筋肉が躍動している。押し殺したような喘ぎ声が映画館の闇に洩れる。Sの手淫は最高だった。ホストのようにどこをどう強く締めればいいとか、自らのモノで知っているから我慢するのがやっとだった。少しでも触れば爆発しそうな亀頭を撫で回すテクニックも、指の触れるような触れないような微妙な動きがたまらない。わたくしのクライマックスを感じたのか、Sはハンカチで押さえてザーメンをそれに受けた。Sも少し遅れて行った。ぴくぴくと痙攣するのが指先に伝わってきた。
 映画のあと近くの居酒屋で少し呑んだが、なにか体裁が悪く言葉も出ない。

九月二十九日
 あれ以来、Sはわたくしのアパートをたびたび訪れるようになっていた。一橋大を勿体なくも中退し、中小企業の経理をやっているという。Sも北陸の地方出身で家は裕福ではなかった。Tの会のメンバーの多くは地方の貧しい家の次男三男で、幼少の頃から貧困の中で育ち、社会に対してなんらかの不満を持ち続けている者が多かった。
 M先生の影には大物黒幕の代議士と実業家がついていると噂では知っていたが、われわれ隊員にも知らされず、名前も判然としない。防衛庁、自衛隊の幹部の名前も耳にするが、それなくしてはこのクーデターは成功しないだろう。情報は漏れないように綿密に、東京から北部方面、九州と一斉蜂起に結びつく工作も進んでいた。M先生の信奉者が自衛隊の幹部にも多数いた。そのひとりから今日電話連絡が入る。連絡はすべて公衆電話から。密会でも逢うことは危険すぎた。

十月五日
 会社の企画室の女子社員から退社後に誘いがあった。二十歳をいくらか過ぎている、会社の中でもひときわ目立つ美人だった。何度か飯を喰いに行ったことはあるが、個人的にこちらから誘ったことは一度だってない。「あなたが来なくても、何時間でも待っている」という脅迫めいた内線電話だった。六本木の一度その人と行ったことのあるスペイン料理の店へ退社後に向かう。
 彼女は果たして神妙な顔つきで待っていた。シャングリアとタバスをオーダーした。社内で女から誘われるのは初めてだが悪い気はしない。開口一番に「女の人に興味がないみたい」と云われる。「どこかクールで醒めているって評判よ」とも云った。そう云えば女性を意識したことも少ない。恋愛経験もないわけではないが、どこか嘘っぽかった。「好きな人いないの」と云うから、「昔はそれらしいのがいたな」と濁すと、彼女はいっそう苛々してサデステックに言葉を突き刺す。「わたし、今日は酔います」「無理するな、自暴自棄はいけない。何かあったのなら相談に乗る」と、「あなたがそうだから」と泣く。泣き上戸か。すっかり酔った彼女を持てあましてとりあえずアパートに連れてきた。それが彼女の策略だった。その夜、酔いから醒めた彼女と枕を共にした。女の下着に思わず憎悪した。社内では制服に隠されていたOLの素裸は均整のとれた肉に覆われていた。女の乳房とヒップラインにも吐き気を感じた。わたくしはセオリー通りにペッティングまでしたが、肝心の男根が立たない。どうしたのか。酔いか。疲れか。そのうち眠りの谷に沈んでゆく。

十月十三日
 小平の陸自調査学校のYから連絡あり。自衛隊の治安出動訓練の日程が来月二十五日とあり。その旨をMO、K、O同志に暗号の電話で連絡した。端が聞くと株の取引に思うだろう。安い高い買い売りがキーワードになっていた。
 廊下で企画室の彼女とすれ違う。俯いて無視された。立たぬ男は男が立たぬ。不能という噂が広まっているかもしれない。
 アパートに帰るとSが来ていた。部屋の鍵の在処を知っている。同志と云ってもSに決起日は明かせない。一部の幹部より知らないことだ。Sは部屋の写真を見ていろいろ尋ねてくる。自衛隊の体験入隊の写真。M先生と作家のH先生と帝劇での記念写真。コスチュームを着た先生と楽屋での撮影。
 最近、Sと共にいると安堵感があるのは何故だろうか。自分を映しているような鏡、あるいは男には持てなかった人形。同性を愛するということはナルシスシズムだというが、わたくしの中には絶対にないと確信していた異常性欲があったという事実が衝撃であった。何かの本で読んだ。男の中には女が、女の中には男が潜んでいて、見えない異性をわれわれは愛したのだと。
 Sを抱いた。キスも自然だ。わたくしと違い体毛のない皮膚はすべらかでその下に別の生物の筋肉を隠している。Sは飢えた犬のようにわたくしのモノを口にした。オーラルも上手になった。舌の使い方が微妙だ。Sは俗に云う女役、わたくしは男役だった。Sの中の女を愛していた。男装の麗人が美しいのと同じでSのナイーブな神経が武道合計九段の雄々しい履歴でカムフラージュされて、男の美を形成している。互いが肉体をめでた。存在自体がいとおしく狂おしい。わたくしのモノに軟膏を塗り、Sのアヌスに挿入した。すでに猛り狂うモノは抑えることができない。Sの内蔵を破壊するような手荒さで後ろから責めた。Sは肛門期の幼児がするようないやいやをした。すっかり退行しているように指までしゃぶる。泣き声だった。それでもわたくしは許さない。手でSの体をさすり、別の手では四つん這いになったSの股間をまさぐり、Sのモノをしごきはじめる。後ろと前と責められて吠えたてた。Sは締まりがよかった。求めるように腰を揺さぶってくる。またピアノが高鳴る。ラフマニノフが頭のてっぺんまでフォルテで叩かれる。Sは叫び声を挙げた。白い吐息がいつまでも流れ続け、わたくしもSの中で果てた。

十一月三日
 M先生は最近様子がおかしい。焦っているのか苛々した口調が伝わってくる。決行まであと三週間余り、そろそろ秒読みが開始される。わたくしたちは都内で密かにゲリラ戦の訓練をした。訓練といっても人目に怪しまれては失敗だ。気付かれぬように、当日、自衛隊が決起したときは全国のTの会のメンバーはゲリラ戦を展開する計画を実行するための確認だ。政府の情報網を攪乱するために電話線の切断、主要道路の閉鎖。車両のパンク、一時的に送電の遮断。都民をパニックに陥れないように、政府の動きだけを封鎖する。自衛隊は首相官邸と警視庁、放送局、閣僚の邸宅を襲撃する。われわれはその決起を側面から援護するような行動を展開するのだ。ただ、気がかりなのはじっと考え込む最近の先生の苦渋の表情だった。何かあったに違いない。

十一月十三日
 めっきりと寒くなった。青森では初雪で一尺くらいの積雪があったとニュースにあった。農家の実家から林檎が送られてきた。印度林檎の甘さがたまらなく懐かしい。老いたおふくろの顔が浮かぶ。手紙も入っていた。字なんか書けるのかと思った。「おまへの音信ふつうはいい便りと。たまに連絡よこせ」と、稚拙な字で書いてよこすのがかなしい。
 M先生の豊饒の海四部作の最終作が完成した。十一月二十五日の上梓だった。先生から以前ゲラを見せてもらったことがあったが、前の三作に比べて薄い。急いで完結させたように。先生は何を焦っているのか。四年前からこの計画はあったが、三年の間機が熟すのを待った。
むしゃくしゃするときはたまに道場へ行く。会社を退けてから警察の剣道場へ稽古相手に顔を出す。前は教えに行っていたが、いまはその時間もない。竹刀を手に素振りをする。身が引き締まる。掛け声とともに踏み出す。汗も心地よい。警官の弟子が、わたくしがシャワーを浴びようとすると、近くのサウナへと誘われた。ストレス解消にサウナがいい。警察学校を終えてまだ二年の新米警官だが、同郷のよしみで親しげだ。何かSと似たタイプだった。まだ段位はとっていない。大学時代に剣道で決勝戦まで進んだことを知って彼はその試合のことをしつこく聞いてくる。裸でサウナに入っていると、わたくしの色黒い毛むくじゃらの体躯を彼はまじまじと見ていた。色白の彼は対照的で、小柄で細かった。妙に体に触れてくる。タオルからはみ出した彼のモノはすでに勃起していた。意外に大きなものを持っている。それを誇示するかのように見せびらかす。わたくしの黒い短刀は錆刀。こんなサウナにもホモが多いときく。堂々と視姦し、肌の触れ合いができるからだ。浴槽に浸かっていると彼はわたくしのモノを握ってくる。わたくしも彼のモノを握り返した。じっと目を閉じてさせるに任せた。気持ちがよかった。やがて風呂は白濁した。

十一月十九日
 決行まで一週間とない。わたくしは何故か自分が今回の争乱で死ぬような気がしていた。そう思うとたまらなく部屋の中の私物も窓の外の光景もいとおしく思えてくる。身辺整理をしなくてはならない。珍しくおふくろへ手紙をしたためた。出したことのない手紙。何事だろうと思うだろう。里はもう冬支度だろうな。年寄りが薪を割れるのか。若い者が喰えない村だ。遺書も書いた。別に財産があるわけではない。一通は実家へ。一通はSへ。今日の休日、ぽかぽかと小春日和のような心境で後のことを書いた。このノートは消却すること。蔵書はみんなSにやる。二十四歳で親より先に死ぬことの詫び。部屋も大掃除した。いらないものはいまのうちに捨てる。さっぱりした。これでいつ死んでもいい。
 
十一月二十日
 最近の新聞の記事を読んでも腹のたつことばかりだ。何が高度成長だ。列島改造だ。万博、新幹線と急激に日本は欧米化している。機械化している。古い日本がその精神と共にブルドーザーで破壊される。
 M先生は大物政治家□□と密談しているという話しだった。前の首相とか官房長官クラスだとか、財界のボスから軍資金を提供されたとか明確なところは判らない。ただ、何か緊急の事態が発生したようだ。各自の分担は計画通りに実行を待つだけとなっていた。わたくしの役割はマスコミ操作も含めた人心の安定にあった。テレビ局と新聞社にもシンパの知人がいた。当日の市谷の陸上自衛隊東部方面総監部には先生の側近MO以下三人が突撃することになった。わたくしも先生と行動を共にしたかったが、全国のメンバーとの連絡という重要な任務を仰せつかった。指折り数えて血が滾る。

十一月二十二日
 Tの会のカーキ色の制服と日の丸のはちまき、密かに押し入れに隠していた日本刀の手入れをしていた。真剣は剣道をしていた頃から保持していた。そこにSが尋ねてくる。一升瓶を持ってきた。酒の肴には里から送ってきた身欠き鰊に生味噌。夜長、二人で語り合い酒を酌んだ。興奮して眠れない毎日が続いていた。Sは弱そうな風貌をしていたが、心はしっかりしていた。却ってわたくしの方が土壇場には弱そうだった。自分の死ぬ予感がすることから、怖くなって涙が止まらなかった。急に震えがきて、酒はいくら呷っても体を温めない。とても寒かった。そんな異常なわたくしを強いSは裸で抱いてくる。ひとつの毛布にふたりくるまって。この不安な夜を無理に燃えようとしていた。この夜のわたくしは女だった。Sは慰めるように背中をさすり愛撫すると、わたくしの体を舐めまわした。わたくしのAに彼のモノをやさしく収めると手ではわたくしのモノをいじりはじめた。いつもと逆だった。わたくしはその経験がない。後ろの感触も前と連動して、自分が女であり男である両性具有の錯覚に悶えることとなった。犯されるとはこんな感じ方なのか。後ろだけでも行ってしまいそうだ。Sの部分を自分の中で感じていられる恍惚感。いくなら一緒だ。激しい蠕動のうちにわれわれは見たこともない世界に入っていった。

十一月二十四日
 われわれは別動隊として、全国各地に待機している会のメンバーとともに、自衛隊が動いたときはそれを扇動する。時と場合によってはゲリラ戦術もとる。何がどう動くか。全く駒の進め方が予想つかない勝負だった。
 わたくしの人生でM先生と出会い、師と仰ぎ、死ぬ目的が持てたことは至福であった。葉隠れのそれだった。世の中を変えるにはまず自分が変わらなくてはならない。Sとの出会いもまたわたくしの潜在意識を目覚めさせた。
 会社には明日からの長期休暇を届けていた。事由欄には法事のための帰郷と書いた。わたくしがいなくなっても仕事に支障がないよう同僚への引継も忘れなかった。この世に未練を残してはいけない。

十一月二十五日
 鏡の前に座っていた。髪を切って懐紙に包んだ。爪もまた切って添えた。制服を着ると、わたしは黒いコートをまとい、自分が何者であるかを隠すように外へ出た。ゴルフバックに日本刀を忍ばせた。国電と地下鉄を乗り換えて、NHKのある渋谷へ。仲間のマンションの一室がわれわれ逓信隊の根城となる。十階の部屋のベランダからはNHKの建物とオリンピック競技場が手に取るように見えた。無線と電話機が二台。テレビとラジオは点けっぱなし。札幌と仙台、広島、福岡と連絡してみる。全員、待機している。十時。予定なら先生を入れて五人は車で市谷に向かったところだ。気が気でない。苛々して仲間は煙草を喫っては揉み消し、部屋を熊のように歩いた。「少し落ち着いたらどうだ」わたくしは窘めるように座らせた。彼はまだ学生だ。予定の十一時を過ぎた。何も起こらない。どこからも連絡がない。階下にいた別の学生隊員がしびれを切らして上にあがってきた。「持ち場を離れるな」わたくしに叱咤される。時計ばかり気になる。正午を過ぎた。何の連絡もない。成功し、自衛隊が動いたら、MOから連絡がはいるはずだ。最低でも二十万の軍隊が動く。この腐りきった日本を立て直すために。下の道路をパトカーと救急車がけたたましいサイレンをあげて走り去る。東京の街は平穏だった。何事もないように、秋の一日を欲望のなすがままに蠢いている。と、テレビの画面が変わった。「あっ、先生だ」と、学生が叫んだ。テレビの番組は急遽中継に変わっていた。自衛隊のバルコニーに制服を着て、日の丸のはちまきわした先生が垂れ幕に檄を書いて下げていた。千人できかない自衛隊員の前で決起を呼びかけていた。だが、声は幽かにに聞こえるだけで、自衛隊員の怒号とヤジで掻き消されていた。テロップが流れる。ー作家のMが総監室に立てこもり、憲法改正を訴えるため、陸将を人質に演説を要求した。「三十分待つ」先生は悲壮に叫んだ。だが、どうしたことだろう、この日本と同じく自衛隊も変わっていたのだ。すでに精神は腐りきり軟弱な政府に毒され、腑抜けになっていたのだ。先生が悲痛な表情で建物の中に入ってゆかれた直後、警察の捜査員が突入した。隊員の多くもそれに続いた。まもなく、画面にM先生とMOが切腹して介錯したと情報が入った。画面に目が釘付けになった。学生は先生と名を叫んで泣き崩れていた。信じられないことだ。クーデターが失敗した。あってはならない。そんなことがあるか。違う。電話が鳴りっぱなし。外ではパトカーが数台走ってゆく。興奮したアナウンサーの声。窓の下には昼休みを公園で過ごしたサラリーマンたちが大きな欠伸をして会社に戻るところだ。何事もなく。何事もなく。

2003/10/23(Thu)16:32:23 公開 / 喜多村拓
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三島由紀夫事件の小説化
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