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『男が立っていた』 作者:石田壮介 / リアル・現代 未分類
全角4508.5文字
容量9017 bytes
原稿用紙約11.8枚
 地元の企業で事務員をやっていた男は、ある日突然の熱気に襲われて、ちょっとした事故により下半身を露出してしまう。それ以来、歪んだ欲求に目覚めてしまった男は、各地で露出を繰り返し、警察のお世話になってしまうのであった。
 白み始めた今日の空模様は曇り空でどんよりと重たく、道路脇の土塀も、濃い緑の四角い植え込みも、辻々の電柱も、昭和のフィルムみたく青白さを含んで、しんと静かであった。道は辛うじて車がすれ違える幅で、住宅地を真っ直ぐに伸びていて、その始まりにあたる突き当りは、断ち切るように一本の道が両側に伸びて、右から左から駅へ向かって集まってくる、そんな道であった。
 男は、突き当りからその道に入って少し進んだ真ん中に直立していた。男の髪は薄く、肌はみかんの皮みたく、頬はたるんで、丸々とくたびれていたが、太い眉とくっきりとした双眸は、笑うとも泣くともなく一心に突き当りを見つめて微動だにしない。まるで道に置かれた達磨のように、ぽつんとしていた。唯、男はワイシャツ一枚という出立ちで下半身を丸出しに立っていた。

       ×       ×       ×

 男はこの街ではそれなりに名の知れた会社で営業事務に就いていた。営業と付くと、活気づいた明るい印象を受けるかも知れないが、この会社における営業事務は主に顧客へ渡す見積書等の作成で、営業から製造へ、製造から営業へ、右に左に書類を流す仕事である。つまり、顧客へ会う事もなければ、営業や製造に談判するような事もない。異議があれば、営業も製造も互いの部署へ行くので、特に注意を払わない。しかし、そんな役回りも会社には必要であるから、男が彼の他にもう一人、女性が三人、同じ部署で働いていた。女性は女性同士で固まって、デスクでは日長日中取留めのない話に盛り上がっていた。愛想も良いので、営業にも製造にも気に入られている。残る男性は、会社に偽って無茶な取引をした結果、取引先に損害を与えた為、営業から転属してきた者で、その失態から営業にも製造にもよく思われていない。立つ瀬がないから、大人しく仕事をこなしつつ、女性三人に媚びを売るような体である。
 男は部署の内では二番目に古株であったが、長とも同僚とも必要以上に関わらず、当り前の業務を機械みたくこなし、時間が空けば、パソコンでニュース記事を読み漁っていた。傍に見て陰気臭く映る男であったが、女性達は性格が悪くなかったので、旅行へ行けば、土産も配ったし、興が乗れば、思い出したように話を振る事もあった。男も邪険にせず、相手をするのであるが、輪に加わるまでにはならない。女性達もその男に何を思うわけでもなかったから、特に注意を払わなかった。
 同僚にも気にされない男であるから、終業後のお誘いも会社としての行事に限られる。従って定時を過ぎれば、近所で総菜を買い、ワンルームへ真っ直ぐ帰宅し、夕食を食べ、衣服を洗濯機へ放り込み、風呂に浸かって、床に就く。そうして朝を迎え、身支度を同じようにして会社へ出かけていく。これが男の日々であった。男の部屋は調理器具、食器棚、冷蔵庫に電子レンジくらいなもので、白い壁紙が目立っている。ギャンブルも酒もやらない。他に趣味もない。住み始めた頃にやっていた自炊も最近はやめてしまって、調理器具や皿は奇麗に埃を被っている。
 しかし、一度眠りについた男は常であれば、翌朝まで目覚めないところを時としてまだ日の昇らない時間に、体の内から異常な熱を感じて目覚める事がある。そんな時の男は寄生虫にでも操られるが如く、速やかに身支度を整え、暁光差さぬ宵闇へふらふらと身を投げ出し、気の赴くままに適当な場所を見つけて、その場でスラックスと下着を脇の電柱へ引っ掛けると、道の真ん中で肩幅程度に足を開き直立するのである。立っている男の意識は明晰で寝呆けてもいない。やっている事の自覚はしっかりとあるから、秘密の趣味かと言われれば否定はできない。しかし、その夜明けは唐突にやって来るし、やろうと決めてやった事もないから、男は、どうしてこんな事をするのか解らなかった。ただ少なくともそれは自身によって必要なものであると、男は初めて行った日を思い出しては、信じて疑わないのである。
 それは春の訪れが待ち遠しい寒々しい夜の事、男はいつものように床へ就いたものの、体の内が熱っぽくて眠れなかった。さては風邪でもひいたかと体温を測ってみたが平熱で、そうなると心情的なものからなっているのだと当たりをつけて、とにかく気を落ち着かせようと試みるが、思い当たる節もなければ、これまで布団に入って眠れない経験がなかったものだから、途方に暮れた。体の熱はますます酷くなって息苦しささえ感じ始めた。男は余りに耐えかねて、とうとう布団を撥ね上げた。電灯をつけた拍子に立ち眩みがして固まった。妙な狭苦しさが肩にあって、心なしか息が弾んでいる。自棄になって荒っぽく腕立て伏せや筋を伸ばしてみたが、日頃運動をしない怠惰な肉体が汗だくになるだけで、頭に痺れるような感覚が走るまで続けても、全くまどろみを感じない。こんなものでは駄目だと、一旦寝るのを諦めて、寝間着のまま外へ飛び出した。
 明け方の湿っぽい風は、服の中へ水が滲みたような心地にさせたが、コートを羽織らずに出たのに、やはり男の体は一向に冷めず、何時間でもいられるような気がした。すると男は好奇心が悪戯して、本当に寒くないのかを確かめたくなった。家を出た時、時刻は確かに明け方であったが、周囲を見渡しても夜と見分けがつかない。街灯が道路を頼りなく照らしているだけである。今しかないと、男は決意して立ち止まるや、ズボンを思い切って足首まで下ろした。肌を出しても寒くないのが、男は愉快であった。ところが角から不意に象牙色のコートを着込んだ女が早足で出てきた。お互いに声は出さなかったが、あっと驚いて思わず顔を見合わせた。女は見開いた目を逸らさないままに、小走りで立ち尽くす男の脇を通り過ぎていった。後には一つに束ねた茶色髪の、粧し込んだ睫毛の間から覗く潤んだ瞳が、鮮やかに男の心に残った。その瞳が何を意味するのか、男には解らなかった。唯、いつしか男の膝はがくがくと震えていて、体からはすっかり熱が失われていたのである。
 男はズボンを穿くと、家へ帰って少しだけ寝た後、いつものように会社へ出た。その後、何日待っても警官がやって来る事はなかった。男の人生の内では前代未聞の珍事であったし、もうこの先起こりもしないだろうと、胸の内に抱えた秘密は、繰り返される日常の中に流されていった。
 しかし、一月程したところでまたそれが起こってしまった。さて、どうしたものかと、男は思案に暮れたものの、結局道端に立つ事に頼る他なかった。出会ったのは学生で、前の女よりも遠くから気付いていた。学生は男の顔をしっかりと捉えたままに歩調を早める事なく、しかし男から距離を取るように大きめに膨らんで、通り過ぎていった。学生の瞳が男の心に残った。体は冷えている。
 その次が訪れた時には、もう男は考えるのをやめて外に飛び出すようになっていた。どうせ他に手段がないのなら、さっさと解消して布団に戻った方が後々に眠気で苦しまないと考えたのである。
 男に遭遇した者達は様々な反応を見せ、その瞳を男の心に残していった。男は瞳について、あれこれと考えるのが楽しくなっていった。特に局部を凝視した後に、顔をまじまじと見つめる者がいる。それは局部とその持ち主の容貌をデータとして紐付けているのか、それとも局部に何らかの感想があって、目で訴えかけているのか、見た物が現実のものであるのかを、持ち主に確認しているのか。何にしてもその瞳は真剣に見開いて男に迫ってくる。男は、どうだい? 立派なものだろうと言ってみたくなる気分にもなった。しかし、それよりも男の心に強く残っている事がある。男がいつものように立っていると、それは横から鉢合わせになる形で現れた。白のレースショールを優しく羽織った、髪色の明るい派手目なギャルであった。男はその整った顔立ちにある瞳を見つめ、さて、悲鳴をあげるか、息を呑むかと待ち構えていた。ギャルは大廻りできない程に近付いていたので立ち止まった。下から上へ読む気のない書類を見ているかのような表情をして、何ですかとばかりに男の顔を見つめ返した。男も黙って見つめていた。すると、はっとした表情をギャルが見せたかと思うと、ショルダーポーチから携帯電話を取り出して、カメラ機能で男を撮影し始めたのである。男は顔を顰めた。ギャルのカメラには、下半身を露わに険しい顔をしている男の全身が収められている。しかし、男は憤りを感じているにも関わらず、携帯電話を取り上げようとはしなかった。
 彼女がカメラを向けた事については悪くなかった。しかし向けられたレンズのその奥へ自身が吸い込まれて確かな画となる。それが悪かった。男は耐え難い誹謗を受けた心持ちになったのである。彼女は悪くない。カメラが悪い。しかしカメラを動かしているのは彼女である。憤りを治める手立てのない男は唯々苦しくなって、顰め面で立つ事しか出来なかったのである。
 ギャルは、男にカメラを向けたまま、ゆっくりと横を通り過ぎていった。体は冷えていた。しかし、彼女の瞳は残らなかった。

       ×       ×       ×

 青白さが薄らいで、姿の見えない鳥の囀りが時折問い掛けてくる。駅へ続く道にも関わらず、今日はまだ誰にも出会わなかった。ひんやりとした涼風が太腿と局部の微かな隙間を抜けて気持ち良い。しかし長い事そうしていたせいか、不意に腹が痛くなって便意に襲われた。公園かコンビニエンスストアでトイレを拝借するかとも考えたが、そうこうしている内に明るくなってしまって中止になるのが目に見えていた。そうなると、やはりここでしてしまおうかという気分になった。既に局部を曝しているのだから、今更そこに糞尿が加わったところで何だというのか、男はぶりぶりと糞尿をぶちまけた。生温かい異臭が立ち昇り、吐き気がした。しかしそのまま立っていた。すると、スーツを着た中年男性が現れた。男を見つけるなり、慌てて土塀に張り付いた。口を袖で覆い、そのままヤモリみたく土塀伝いに走り去っていった。間を置かず、小太りな女が現れて、あぁっ! と、この世の終わりのような声をあげ、口を押えて逃げ出した。少し走った先で思い出してしまったのか、小さくえずいているのが聞こえた。その後も続々と通行人はやって来た。そして男を見つけては、いずれも飛び上がり、口を押え、逃げ出した。
 男は彼らの瞳の内に自分を感じて立っていた。息が弾んで、異常な興奮に満たされていた。
 通行人が途切れて男は我に返った。自動車の喧騒が遠くに聞こえた。男は帰ろうと思い、電柱の方を向いたところで、あっと声をあげた。思い切って糞尿を出したは良いものの、飛び散って汚れた両足を下着とズボンに通さなければならないのに困った。
 そこへ二人組の警官が自転車を押して近付いてきた。男を見るなり、大層不快な顔をして、一人は鼻をつまみながら、そっぽを向いた。
「あなた何してんの?」
 警官が訊いた。男は久しぶりに親切な扱いを受けた気がした。
2022/10/29(Sat)11:08:21 公開 / 石田壮介
■この作品の著作権は石田壮介さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 お久しぶりです。石田壮介です。
 2つの作品をこの後、投稿させていただく予定です。
 この作品は後の2作品を書く為に、リハビリとして書いたものです。
 久しぶりに小説書くから、何かテーマちょうだいと、内の者に聞いたところ、織田裕二と即答されてリハビリと言うには余りにハードだった為、通勤途中の自分の姿から、広げて書きました。※
 (※下半身は露出しておりません。広げてと言うのはコートを広げたわけではありません)

 尚、現在我が家はパソコンを所有しておりませんので、今回は加筆修正につきまして、御遠慮させていただきます。
 感想につきましては必ず目を通させていただき、今後の参考させていただきたいと思いますので、いただけますと嬉しいです。

 令和 四年 十月二十九日  石田壮介
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