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『美紀と優太と回転木馬 【完結】』 作者:バニラダヌキ / リアル・現代 ファンタジー
全角269918文字
容量539836 bytes
原稿用紙約829.75枚
『リアル・現代』で『ファンタジー』ってなんじゃそれ――そんな人並みの疑問は歯牙にもかけぬ狸が贈る、十年一日の狸印、分福茶釜の綱渡り。
 
――――――――――――――――――――――――――――――

  美紀と優太と回転木馬  【目次】

   プロローグ 【なかなか木馬が回らない】 (約44枚)
   Act.1 【木馬は回る】       (約49枚)
   Act.2 【回転木馬はなぜ回る】   (約70枚)
   Act.3 【誰が木馬を回してる】   (約63枚)
   Act.4 【回転木馬が止まらない】  (約63枚)
   Act.5 【若き日の回転木馬】    (約67枚)
   Act.6 【回転木馬が止まる時】   (約66枚)
   Act.7 【それでもいろいろ回ってる】(約72枚)
   Act.8 【木馬から海へ】      (約83枚)
   Act.9 【あなたと私の回転木馬】  (約78枚)
   Act.10【繞《めぐ》りゆく世界】  (約109枚)
   エピローグ 【それでも木馬は回ってる】 (約49枚)

――――――――――――――――――――――――――――――








   プロローグ 【なかなか木馬が回らない】


      1

 雛祭りと同じ木曜日、山福美紀は十四歳になった。
 二日後の土曜の昼下がり、雛人形が並んだままの居間では、クリーム色のでっかいプラスチックの箱が、座卓の上から美紀を睨んでいた。
 ちょっと見、座卓の天板の半分近くを占める平べったい衣装ケースのようだが、衣装ケースにしては不思議な丸みをおび、その正面には、ずいぶんでっかい目玉が三つも並んでいる。
 はじめはかなり怯えてしまった美紀だが、落ち着いて考えれば、その目はたぶん死んでいるはずだった。とんでもなくでっかい段ボール箱を運んできた宅配の人たちが、受け取る父さんの腰をマジで心配したほど中身の詰まった、物言わぬプラスチックの形骸。
 もっとも、その奇妙な外観だけなら、実は美紀も何日か前に見せられていたのである。あの晩、父さんが指さしていたネットオークションの画像と、形だけは確かに同じだ。ただ美紀の予想よりも数倍大きかったため、すぐには同じ物体として受け入れられなかったのである。
「ホームシアターよ!」
 母の淑子が、痩身に似合ったメゾソプラノで歓声を上げた。
「ホームシアターだ!」
 父の泰蔵が、恰幅相応のバスバリトンで歓声を上げた。
「……あのねえ」
 ひとり娘の美紀は、シャムの子猫のような顔に似合わず、冷ややかなアルトで半畳を入れた。
「こんな粗大ゴミに、一万も払ってどーすんのよ」
 ここまででっかくて重たい物は、回収代だってハンパないはずだ。そもそも勝手に誕生日のプレゼントにされただけで、先月あたりからいそいそと準備を進めていたのも美紀ではなく両親、とくに父さんのほうである。美紀には、居間にある大きめの液晶テレビで充分だ。友達の家にあるビデオプロジェクターは、なんだか画面が暗くて寝ぼけていた。やたら大きく映るだけなのである。
 美紀としては、スマホが欲しかった。親の愛、それもうちよりかなりユルい形の愛に恵まれた友達が、指でつるつると見せびらかす、ぴかぴかのかわいいスマホ。それとも、今お行儀よく膝をたたんで座っているこの居間か、隣の客間のどっちかに絨毯を敷いて、おしゃれなソファーやテーブルを入れてもらったり。
「何をおっしゃる兎さん」
 泰蔵が反論した。
「天下のボルコの三管式だぞ」
 娘の反応への遺憾より、喜色が勝っていた。
「お前が生まれた頃は、百万以上してたんだ」
「え」
 さすがに美紀は絶句した。
「……こんなにでっかいのに、なんでそんなに高いの?」
 友達の家のプロジェクターは、新品でもウン万円と聞いている。同じ機能のモノなら、新しくて小さいほうが高いはずではないか。
「これだから平成生まれはねえ」
 淑子が、他人事のようにぼやいた。
「あなたがおなかにできなかったら、父さん、これが買えてたのよ」
 ぼやきの前半は、もう気にならない。昔から母さんの口癖で、耳にタコができている。勤めている女子校でも「これだから平成生まれは」を連発し、昭和レトロ夫人とかロッテンマイヤーとか、少女の敵これ平とか呼ばれているそうだ。当人もそれを自慢にしているくらいだから、たぶん平成が何か次の時代に変わるまで、同じ文句を繰り返すのだろう。
 でも後半の新情報は、ちょっと心外だ。
 おいおい、古き良き昭和とやらの内になんぼでも子作りできたろうに、四十過ぎてわざわざ私をこしらえたのはどこのどいつだ――。
 さすがにそこまで言い返す語彙のない美紀は、母親そっくりのちょっとツンとした鼻筋に、軽く皺を寄せただけで堪えた。今さら家庭に波風を立ててもしかたがない。この母に悪意はない。ただ若者に厳しく夫に甘いだけなのだ。この父母なくして子の美紀もない。
 ことほどさように、世間との折り合いにおいてはなかなか早熟な美紀だが、別方向ではまだまだ子供である。お赤飯こそ半年前に炊いてもらったものの、早生まれだからか背は小さいほうだし、バレンタインのチョコだのなんだの、男子と女子のアレコレにもまったく興味がない。赤ん坊の作り方を知っているのは、単に小学校の保健体育で習ったからだ。
 まあ、その前後から、いらぬ世間知の奔流のような平成少女コミックを通して、泰蔵あたりに開陳したら世をはかなんで一家心中に走りそうな専門用語や高等技術なども目にしているわけだが、美紀にとってはあくまで仮想世界、それもどうでもいい方向の仮想世界であり、両親や学校のみんなとそれらの情報の間に実際どんな関わりがあるのか、そもそも気にしようという気がなかった。
 それでも小学校の卒業式あたりから、自分の両親と友達の親のビジュアルには、違和感が募っている。母親のほうは、往年の美貌とスリムな若作りでそこそこ化けているけれど、でっぷりメタボの父親は明らかに白髪が多すぎるし、顔のホーレー線も目立つ。いっしょうけんめい他を見渡して、ようやく別の老けた親を見つけると、その家の子には、ずいぶん年の離れたお兄さんやお姉さんがいたりする。
「ま、今んとこ、美紀の言うとおりかもしれんな。リサイクルショップの動作未確認、ノークレーム・ノーリターンだし」
 泰蔵は、あくまで喜色を浮かべたまま言った。ふくらし粉を混ぜて焼いた鬼瓦のような、一見いかつい顔をしているが、妻と違って若者にも子供にも、ついでに自分にも甘い父である。
「しかし俺がなんとかする」
 自信たっぷりで言いきる夫に、淑子は無言でうなずいた。
 そのうなずきには、信頼よりも寛容の色が濃い。
 このツンデレ妻め――美紀は心の中で舌打ちしながら、その妻に代わって父親にツッコんだ。
 ワードも使えない化石みたいな国語教師が、やれるもんならやってみろ。辞書やブンガク全集じゃないんでしょ、この中身。

      2

 奥羽山脈と朝日連峰に抱かれた峰館盆地、とくに山福家のある蔵王の麓あたりでは、旧暦に合わせて四月三日に桃の節句を祝う家が多いが、山福家では、家政の万事が土着の泰蔵ではなく東京育ちの淑子に委ねられている。
 飾りっぱなしにすると娘が嫁ぎ遅れるという東京あたりの風潮に関わらず、未だに雛人形が飾られたままなのは、旧暦にこだわる泰蔵の実家との妥協策である。淑子も現役音楽教師の手堅い共稼ぎ夫婦とはいえ、美紀の成長に合わせて思いきって購入した家のローンが馬鹿にならない。田舎好みの内裏一式を、自力で飾り立てる余裕はなかった。
 余裕がないから、たったひと晩で不動の古ボルコに音を上げた泰蔵は、翌日の朝、かつての教え子・亜久津茂に、救助要請の電話を入れた。
 この手の物件だと、パソコンやAV――嫌らしくないほうの音楽映像おたくだった柴田あたりが相応しいのだろうが、あいつは楽器を商っているから土日が稼ぎ時だ。売れない漫画描きの亜久津なら、曜日時間に遠慮はいらない。アニメおたくのあいつも、確か早くからホームシアターにこだわっていたはずだ。
 案の定、電話口で快諾した茂は、三十分もたたないうちに車で乗りつけた。高校卒業後すぐに上京し、いったん山福とは疎遠になった茂だが、妻子を連れてUターンしてから十何年、なんやかやの腐れ縁が続いている。妻も淑子の教え子だった時期があるので、教師夫婦の教え子夫婦、そんな関係でもある。
「うわ。うちの型とおんなじですね。今どきすごいと言うか、困ったと言うか……」
 仕事で徹夜でもしたのか無精髭だらけの茂は、内臓むきだしのボルコを見るなり、四十過ぎても昔と変わらない、どっちつかずの声を上げた。
「……直らんか?」
「いえ、たいがい直せば直るんですが。念のため治具持ってきたし。でも――何年か前に、うちの奴がいかれたときは、一管交換するだけでウン十万」
「わ」
 そんな小遣いはないぞ。だいたいこいつ、子供六人養ってんだろ。漫画ってそんなに儲かるのか。やっぱり親や細君の稼ぎか。
「でも中はピカピカですよ。先生が磨いたんですか」
「いんや。きのうから、見た目だけはちゃんとしてた。外も中も」
「じゃあ最近メンテされてますね」
「だと思うんだが、電源が入らんのだ」
 淑子が運んできたコーヒーもそこそこに、あちこち検分すること数分、茂はにやりと笑って言った。
「もしか――ここのディップが緩んでるだけだったりして」
 ぽち、とつぶやきながら、どこかの何かを、軽くぽちっとする。
 縁側からの日差しにも負けず、三原色の光輪が、茶箪笥と白壁にまたがってわやわやと重なった。
「ほら点いた」
「おう」
 やった。一万プラス送料四千なんぼで百万ゲット――いや百ウン十万かも。
 三つのブラウン管といっしょになって顔を輝かせる泰蔵に、
「喜ぶのは早いですよ、先生」
 茂は保育園の保父のように言った。
「この機械のキモは、三管それぞれの微調整です。設置場所とかスクリーン距離とか、きっちり決まってます? 決まってるなら、俺がなんとかしますよ。今日は仕事明けですから」
 泰蔵は頬の肉が揺れるほど、ぶんぶんとうなずいた。
 ああ、おたくは、いい。現在の生徒でさえなければ。こいつらが好きなものを「なんとかする」と言うときは、枝葉末節重箱の隅、やるなと言っても残らず突っつくのだ。

 茂とふたりがかりなら、腰の心配もない。
 泰蔵はどでかいプロジェクターを、半地下のAVルーム――ひと月前までコンクリ打ちっ放しの物置だった、八畳ほどの空間に運びこんだ。
 半地下というのは、もともとこのスペースが、山際の斜面を宅地化する過程でやむを得ず生じた複雑な段差になかば食いこんだ、おまけのような部分だからである。右の天井近くに明かり取りの小窓があるだけで、そこいら以外の壁を突き崩せば、すぐに土竜《もぐら》の仲間入りができる。押しこめるにも引き籠もるにも、なにかと収まりがいい空間だ。
「……やりますね、先生も」
 洒落たソファーだの洋酒だのが並んでいるわけではない。
 周囲に木目調の壁紙を張り巡らせた中、コンクリ床には、古びた映画館そのものの座席が二列、数席連結したまま並んでいた。奥のスクリーンは八〇インチ程度だが、その両側には、ご丁寧に緞帳っぽい赤茶色の幕までたぐられている。まだシネコンが少ない頃、茂が東京で足繁く通っていた池袋や浅草の名画座を、さらに小規模化したようだ。さすがに映写室の小窓はなく、後ろの壁際に、頑丈そうな横長スチールラックが、微動だにしないようボルトで固定されている。
「いいなあ。どこで買ったんですか、こんな座席」
 リサイクルショップにも古道具屋にも、出回るとは思えない。
「先月、峰館座がつぶれただろう」
「はい」
「あそこの廃物を譲ってもらった。スクリーンは、昔、お前も見ただろう。学校の視聴覚室で三十年近く使ってた奴だ。今は大型液晶テレビで済ませてるからな。ちゃんと書類出して、倉庫の奥から廃品回収したぞ。だから金かけたのは軽トラのレンタル代、特売のブルーレイプレーヤー、壁紙と延長コード、あとはボルトとビス代くらいか。いや、プラス、このボルコだな」
 なるほど、ブルーレイ関係に並んでラックに収まっているビデオデッキは、上からのお下がり。アンプは三十年選手と覚しい分離型オーディオコンポ。スクリーン横の木製スピーカーも、たぶんそのコンポの一部。
 あちこち結線しながら、茂は言った。
「中森明菜が猫伸びしそうなコンポですね」
「お前はいったい、いつの生まれだ」
「今でもネットで見られますよ。あれはかわいい。コンポもでかくて機能美があるし」
「おたくだなあ」
「先生もおたくじゃないですか」
「失敬なことを言うんじゃない。趣味人と言え」
 同じだ同じ。
「とりあえず繋がりました。あとは……」
 茂は言いかけて、持参の工具箱を探っていたが、
「……うわ。俺やっぱりボケてる。すみません先生、テスト用のディスク忘れたんで、プレーヤーに何か入れてください。なるべく画質のいい奴を」
「おうよ」
 泰蔵はラックから、一枚のブルーレイを手にした。
「これにしよう。真っ先に、こいつが見たい」
 その古めかしいジャケット写真を、茂は横目で窺った。
 田舎のカーニバルらしいカラフルな木馬に、赤い丸首シャツにベージュのベストを羽織った男と、ピンクのドレスの金髪女性がもたれ、能天気に口を開けて歌っている。ほらほら総天然色ですよと言いたげな彩度が、昨今の洋画の沈んだ色彩設計になじんだ目には、いかにも眩しい。冬の東京の空と、夏の蔵王の空の違いがある。
「『回転木馬』――いいですねえ、古き良きハリウッド・ミュージカル」
「ほう、知ってるのか」
「あっちで専門学校に通ってた頃、うちの奴と浅草の小屋で見ました」
「俺も女房と、峰館座の特別鑑賞会で見た。なんか楽しいとか綺麗より、やたらしんみりしたりしてな」
「元はモルナールの『リリオム』ですもんね。あんな辛い芝居はないんじゃないかな。俺なんか『欲望という名の電車』よりも辛かった」
 茂は絵を描くだけでなく話も作る稼業だから、漫画やアニメ以外の創作物も多く見聞している。
 ちなみに一九五六年、泰蔵の生まれた翌年に制作されたハリウッド・ミュージカル『回転木馬』は、直接には一九四六年に上演されたブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』の映画化だが、その元ネタは、オーストリア=ハンガリー二重帝国末期の一九〇九年、モルナール・フェレンツによって著された戯曲『リリオム 或るならず者の生と死 ――裏町の伝説・七場――』である。本邦でも、あの森鴎外先生をはじめ多数の翻訳がある。
 遊戯場の回転木馬で働いているリリオムは、若さと向こうっ気とそこそこのイケメンしか取り柄のない半端者だが、純真な少女ユリと愛し合い、結ばれる。しかしそこそこの色男ゆえにそれが仇となり、嫉妬した女性オーナーに解雇され、極貧生活に陥ってしまう。そうなると元来半端者のこと、惚れた女房にさえバシバシ手を上げまくる毎日だ。それでも内心、半端者なりの情はある。やがて妻の妊娠を知ると、リリオムは生まれてくる子供のために一攫千金の犯罪に手を染めるが、半端者ゆえ結局失敗、その場で自殺してしまう。昇天して天界の長い審判を受けたリリオムは、十六年後、贖罪のためにいっぺん下界に戻ることを命じられるが――結局、半端に失敗してしまうのである。半端者は死んでも半端者――。
 もっとも、けして救いがないわけではない。リリオムとユリは、どんな状況下でもやっぱり愛し合っていたのだし、十六年後、リリオムの娘ルイーズが、わけのわからないことを言ってくるルンペンと――それが実の父とは知らず――諍いになり、とうとう小突かれてしまったときも、なぜか痛みは感じなかったりする。
「『回転木馬』のほうは、ずいぶん話を陽気に変えて、ラストも優しくなってましたけど――どっちみち、いい人生も悪い人生もひとりじゃ生きられないし、ひとりじゃない以上はどうしても食い違うし、どう食い違ってどう重なるかがそれぞれの人生……そんな感じですよね」
 昔から優柔不断な話し下手の茂も、こと仮想物件に関しては、おたくらしく述べたがる。
「俺なんか、こんな原作で描けって言われたら、ぜったい断りますよ。このギリギリの『許し』が、今どきどこまで伝わるか。……ハヤリの『癒やし』とかとは真逆なのに、たぶん読者は勝手に癒やされちゃう」
 確かに『リリオム』は、近代戯曲史上の定番にして難物とでも言おうか、一世紀を経た今日《こんにち》でもベテラン俳優から若手俳優まで果敢に挑戦しているが、ファンタジー要素に引きずられ、しばしばハリウッド以上にロリポップ化してしまう。
「……おうよ」
 泰蔵は、過去の教え子の現在に、深い感慨を覚えながらうなずいた。思わず胸中で、イルカの歌が流れたりもする。
 今〜春がきて〜〜君は〜きれいに〜なっ……てないけども〜〜かなりマシな頭になった〜〜〜。
「そもそも『癒やされる』なんて言葉、俺が子供の頃は、マジにぶっ倒れそうなときしか使わなかったもんだ。今は『和む』べきところで『癒やされ』ちまう。ままならん人生もままならん人間も、べつに病気とは限らんのにな」
「ハリウッド・ミュージカルでそれをやろうってんだから、元々ちょっと無理があったんでしょうね」
「ま、無理を通して道理にしたい人生もあるさ」
 変わってないですね先生、と口にするのが何か面映ゆく、茂は黙って天井の照明を落とした。

 デスクライトで手元のボルコをいじりながら、とりあえず三色それぞれの光軸と焦点を合わせる。
「おお、ちゃんと映るじゃないか」
「……まだアマアマです」
 茂はブルーレイをあちこちスチルしたりスローしたり、スクリーンの隅々まで目を凝らしながら、三つのレンズ周りを細々といじりつづけた。
「字幕も出してもらえますか」
「英語でいいか」
「何語でもいいんですが――」
 もの問いたげな茂に、泰蔵は苦い笑顔で言った。
「日本じゃイマイチのDVDしか出てない」
「ありゃ、俺のアニメといっしょだ」
 大作ミュージカル映画と自主制作短編アニメをいっしょにされたらハリウッドが怒るだろうが、ビデオ止まり、LD止まり、DVD止まり――時代の需要は秋の空だ。
「いっぺん上のテレビで見たら、さすがにあちらさんは違うぞ。俺が生まれた頃の映画が、傷ひとつないツヤツヤのピカピカだもんな」
「でも、昔のシネマ峰館あたりのスクリーンで見たかったですね。ちょっとくらい傷があっても」
 昭和の中頃から県下一の大画面を誇っていた『シネマ峰館』は、茂がUターンしてきた頃にはすでに閉館していた。今は根性の入った廃墟と化している。かつての興行街全体が衰退してしまったため、撤去費用との兼ね合いで、駐車場にさえならないのだ。
「ま、峰館座がつぶれたときにゃ、女房と泣いたよ。シネマの次にでかかったからなあ、あそこの幕は」
「大きさじゃとてもかないませんが、映りは負けませんよ。スクリーン近いし、この機械、下手なフィルムより味がありますから。――ほら、あそこの店の壁、影になってる柱時計」
「おお……こりゃ、いい感じだなあ」
 輪郭や細部は柔らかいが、いかにも木製の古時計の存在感である。
「学校の新しい液晶も、何もここまでってくらい細かく映るが……なんつーか、これは……モノが違うってやつか」
「もっと行けるはずなんですが……」
 茂は、まだ首をひねっていた。
「……細密より階調、情報よりも情動です。光の魂はアナログにあり」
 さすがにこいつも絵描きだなあ――泰蔵は、キャンバスに向かって絵筆を操る茂を想像した。背景は花のパリーのアパルトマン、でもビンボそうな薄汚いアトリエ。
 実のところ茂は、趣味の高校時代から、主にパソコンで絵を描いている。セルアニメ時代のハイジやアンやペリーヌに惚れこんでアニオタに墜ちた茂にとって、自分の小遣いでアニメ調の絵面を量産するには、そのほうが安上がりだったのだ。「これからの人間はパソコン必須」と親を欺き、天に許しを乞いながら昼飯の奢り代だけでCGソフトを入手すれば、あとの画材はほぼ無料である。しかし、その頃もプロになってからも長く手描きにこだわっていた水彩画やパステル画さえ、近頃はパソコンで描くようになった。デジタル画材の進化に順応しきったわけではない。数年前、ある大手アニメ会社の仕事をきっかけに、なかば困窮状態だった生活ががらりと多忙になり、時間的に合理化せざるを得なかったのである。
 峰館あたりではアシスタントの手が足りない。茂のアシのメインは専門学校の後輩連中で、おおむね東京近辺をうろついているから、今の茂の原稿は、デジタル信号として峰館=東京間を行ったり来たりしながら完成し、デジタル・データでクライアントに届く。もちろんパソコンもボードもモニターも厳密に調整してあるが、内心、欲求不満がつのる一方なのである。泰蔵が言った『ツヤツヤのピカピカ』も、まさに高精細デジタル・リマスターの威力であるにしろ、茂はやっぱり、白と黒の間にある無限の色とグラデーションが恋しいのだ。
 ――とどのつまり、俺の目玉にも脳味噌にも、四角いドットは存在しないんだよな。絵の具や真空管のほうが、まだ好きなように遊べるんだよな。
 茂は、どこぞの趣味人の大広間向けにメンテしてあったボルコの三管を、峰館地下八畳名画座にマッチさせるべく、やや退嬰寄りの徹夜頭で、好きなだけ弄びつづけた。

      3

 正午を少し回った頃、玄関に鰻の出前が届いた。
 母親を制して昼食の盆を掲げた美紀は、半地下物置、もとい親父好みの即席昭和レトロAVルームに向かって階段を下りた。
 家のお客のおもてなしなど、めったにしない美紀だが、今日は特別なのだ。
 胸がどきどきする。
 こんなことになるなら、夜更かししてアニメ雑誌なんか見てないで、早起きすればよかった。
 変な三つ目の衣装ケースなんて、もうどうでもいい。父さんだって、この際ちょっと見えないとこに置いときたい。あ、でもあの父さんがいるからこそ、あの『あっくん』先生が、今うちの床下で私の誕生日プレゼントのために働いていらっしゃるのだ。これからはあの三つ目の箱も、かわいがってあげよう。父さんも、ちょっとくらいは大事にしてあげよう。
 父さんの好きなお蕎麦をとろうする母さんを言い負かすため、大事にとっておいたお年玉の残りをほとんどツッコんでしまったが、悔いはない。
 あっくん先生は、家族の生活を守るため、本名とか個人情報をいっさいマスコミに明かさないけれど、たまにはアニメ雑誌のコラムとかで自分の話をする。先生は焼き鳥と鰻が好きなのだ。お蕎麦より鰻。ならば鰻重の松をどーんと飛び越してえーい特上、それしかないではないか。せっかく肝吸いまでつけたんだから、ふたりともちゃんと上の客間で食べればいいのに。
「……お邪魔します」
 いつものアルトより、ややメゾソプラノっぽい声が出せた。うん上出来。
「おう、美紀か」
 あれ、と、美紀は首をかしげた。
 奥のスクリーンからなにやらきんきらきんの光と歌声が流れているが、それはまあちょっとこっちに置いといて、薄暗い物置に並んだ逆光の座席には、首から上がひとつしか見えない。声からすれば、あの振り返った影は父さんに違いない。じゃあ、あっくん先生は――棚の三つ目んとこにも、やっぱりいらっしゃらない。
「昼飯か」
 泰蔵は、リモコンで映画を止め、部屋の明かりを点けながら言った。
「お前が客前に出てくるなんて珍しいな。どうした、変な顔して」
「……あっくん先生」
「なんだそりゃ」
「……お母さんに聞いた。お父さんが呼んだのが、あっくん先生」
 今どきの高校教師として、生徒を理解するためにけっこう重要であるにも関わらず、泰蔵はアニメや漫画にまったく興味がない。それでも亜久津の商売が、そっち方向なことだけは知っている。この場に自分ではない『先生』がいるとすれば――汚職代議士や三文小説家も、世間では先生。売れない漫画家しかり。
「なんだ美紀、そいつの話をしてるのか」
 泰蔵は、ボルコの乗ったスチールラックを、顎でしゃくった。
 茂は作業完了まで身が持たず、仮眠をとっていたのである。
 峰館座の座席は肘が固定だから横になれない。コンクリの床よりは横長のラックのほうが、まだベッドっぽい。数年前は連チャンで徹夜をこなした茂だが、しょせん昭和も後半生まれ、手塚先生や石ノ森先生ほどの根性はなかった。
「おい茂。亜久津先生。亜久津茂大先生!」
 あーうー、などという間の抜けた声が、ラックの一番下から聞こえた。
 ごそごそと身じろぎの気配がし、美紀の足元に、ぼさぼさの頭が現れた。
「……あー?」
 半分眠っている声が、次の瞬間、慌ただしくとっちらかった。
「うわ先生寝てません俺起きてましたちゃんと聞いてます授業俺」
 美紀が、ついこないだ、昼下がりの教室で聞いたようなセリフである。
「……あれ? ここって……」
「――お昼ご飯です、先生」
 低めのアルトしか出せなかった自分を、美紀は恥じた。正直な娘であり、良心的な娘なのである。
 美紀の予想、もとい幻想とは別状、あっくん先生は、スーパーのいちばん下の棚にあるお豆腐のような顔をしていた。お豆腐よりは黒っぽく凸凹もあるが、どのみちいっさいの緊張や畏怖を要さない顔である。
 失望するまい、と美紀は心に誓った。
 なんと言ってもフツーの人ではない。フツーでは描けないものを描く人なのだ。天才アーティストなのだ。きっと心が真っ白な画用紙なのだ。こんくらい豆腐っぽいほうが、白っぽくていいではないか。なんの理屈にもなってないような気がするが、アートに理屈はいらないのだ――。
 まあそうした水面下での齟齬は多々あったけれど、
「うわ、『染太』の鰻だ」
 あっくん先生は、ミエミエの少女コミック級に瞳を輝かせ、美紀が多大な犠牲を払って献じた鰻重と肝吸いを、ラックの空きをテーブル代わりにして、犠牲以上の笑顔で食べてくれた。
 泰蔵も、米飯の間にまで隠れていた蒲焼きに目を見張り、
「ほう。張りこんだな母さん」
 私だ私!
 美紀は、あっくん先生に見られないように、父親にだけ身振りで激しく主張した。
 奥ゆかしい娘なのである。

 食後、はじめはおずおずと、しかしそのうち犠牲に匹敵する勢いで美紀が繰り出したアマチュア・インタビューにも、あっくん先生はひとつひとつ、ちゃんと真面目に答えてくれた。聞き取りにくいぽそぽそした声だって、ガラスの心を持った繊細なアーティストなら、かえってクールだ。
 ちなみに茂自身は、自分が豆腐のような顔や声であることも、インタビュー向きの気の利いた自己演出など不可能な人間であることも自覚しているから、そっち系の表仕事は、よほどの義理がない限り引き受けない。一方、個々の読者に出会ったときは、相手が幼稚園児だろうが白寿の老人だろうが、いつも素のまんまで接している。
「……あれは、あんまり美紀ちゃんに見てほしくないんだけどなあ」
 数年前、表舞台に立つ要因となった大手の連続SFアニメに話題が及び、茂は眉をひそめた。
「あれは中二病の話だから。俺もキャラやっただけだし」
「私、中二です」
「……あのね、中二病って、大人になっても頭が中学生くらいのまんまというか……」
「知ってます」
「ならいいんだけど……中二の美紀ちゃんが中二っぽいなら、それはあたりまえだ。いや、いいことだ」
 相手が自分の娘と同じ学年なので、茂も気を遣う。
「まあ、子供っぽい中二も大人っぽい中二もいるだろうし、美紀ちゃんがそのどっちか、俺にはまだわかんないけど――そう、たとえば十年後、美紀ちゃんがちゃんと大人の年になっても、心――気持ち――いや社会意識――」
「わかります」
「――が今のままだったら変でしょ、それって」
「はい」
「そーゆー人たちにウケちゃったんだよねえ、あの話は」
 美紀はそれなりの中二だから、それくらいの事は理解している。あっくん先生は、あの作品のシナリオにもコンテにもタッチしていらっしゃらない。レンタルで全話揃っていたのを、わくわくと借りはじめた美紀も、途中で投げ出してしまった。キャラデザはいいのに、できたアニメはなんか違う絵になってるし、そもそもそのストーリーのどこが面白いのか、ちっとも解らなかったのである。
 あの作品を依頼される前に、先生が全部自分のパソコンで作った短編――美紀がまだ魔法少女くらいしか見ていなかった頃、動画サイトで評判になってDVDになって、大ブレイクのきっかけになった『河のほとりの猫』――あれが真の『あっくんアニメ』であり、美紀にとっては史上最高に美しい映像詩、涙腺大決壊アニメなのだ。
「ありがとう」
 茂は頭ひとつ半小さい美紀に、すなおに頭を下げた。
「情けないみたいだけど、あれの後で俺の名前が入ったアニメは、みんな忘れてほしい」
 美紀もすなおにうなずいた。いえいえちっとも情けなくなんかないです先生。
「でもコミックのほうは、ちゃんと描けたのがある。話が終わらないうちに切られちゃった――描けなくなった奴も多いけどね」
 今どきの、そっち方向の少年少女を侮ってはいけない。コアなファンはいても読者アンケートが下位とか、掲載誌がいきなり廃刊とか、編集が馬鹿ばっかしとか、その程度の業界事情は、美紀もおおむね把握している。真のアーティストは繊細ゆえに孤高なのだ。
「全部じゃないけど、いっぱい持ってます!」
 美紀は意気込んで言った。
「サインもらえますか?」
「うん」
 茂は気軽に引き受けた。
 ここ数年、仕事の切れ目はないといっても、単行本になった数は知れたものである。大半一〜二巻止まり、三巻続いたのは二作ぽっきり、四巻越えは一作こっきり。胸を張って「ぜんぶ俺の仕事」と言えるのは二冊のイラスト集くらい。DVD化された短編アニメだって、盛り上げてくれた音楽は柴田のシンセだ。
「待っててください!」
 ぱぱぱぱぱ、と空いた重箱や椀や小皿を盆にのせ、ぱたぱたと階段を走り去る美紀を見送って、泰蔵がお茶をすすった。
「なんの話をしてるんだか、俺にはさっぱり解らんが、ちゃんと先生なんだな、お前」
「いい娘さんですね」
「まあな」
 ずっと無視されていたにも関わらず、泰蔵は機嫌がよかった。
「俺はただほったらかしで見てるだけだが、ちゃんと淑子に似てくる。母親とは喧嘩ばっかりしてるくせにな」
「うちの茂美も中二ですけど、俺にも女房にも似てきません。母さんにも似てない。親父にばっかり似てくる」
「……そりゃ、ちょっとまずいんじゃないか?」
 茂の父親は、隠居していったん丸くなったと思われたが、去年の秋口、街で絡んできたハングレ連中を病院送りにしたと聞く。もう八十近いのに。
「でもまあ、性格はギリギリ普通ですから。ちゃんと剣道部とか続いてるし」
「ま、せいぜい見ててやることだな。あの年頃だ。鬱陶しくない程度に陰ながらこっそり、な」
「はい」
「優太君は元気なんだろ」
 茂美の相方、二卵性の弟である。他にも男女入り交じった四つ子の小学生がいるはずだが、泰蔵は名前を覚えきれていない。
「あいつは……まあ元気といえば元気なんですが……もうまったく昔の俺ですね」
 茂は、嬉しいやら嬉しくないやら、微妙な顔で笑った。
「ならいいじゃないか。先生になれる」
「……でも、中学んときの俺ですもん。まだ何も描いてない頃の」
 泰蔵も曖昧に笑うしかなかった。
 高校三年の春、文化祭でちょっとした騒動を起こすまでは、山福どころか過去のクラス担任さえ、亜久津茂という姓名とその顔が一致しなかったくらいである。
 スーパーのいちばん下の棚に並ぶ豆腐のひとつが、冷や奴になるか麻婆豆腐になるか、あるいは何かの手違いで高級割烹に運ばれ、吸い物の中で旬の国産松茸と勝負するか――売れる前には誰も予測できない。
「お待たせしました!」
 美紀が、ぱたぱたではなく、どっこいしょどっこいしょと戻ってきた。
 ラックに積まれた色とりどりの小山に、茂は喜んだ。
 確かに全部ではないが、自分でも気に入っている作品ばかりだった。
 中には編集者の意向に折れた不本意な作品もあるが、茂美と同い年の少女なら、それでいい。荒っぽい茂美など見向きもしない、かわいい系の四コマである。『河のほとりの猫』も、二冊のイラスト集もちゃんとある。
「お願いします!」
 美紀がうやうやしく差し出したサインペンを、照れくさそうに受け取る茂に、泰蔵は言った。
「きっちりハクをつけてやってくれ。お前が死んだ後、なんでも鑑定団に出せるかもしれん」
 無論冗談だが、美紀はじっとりと父親を睨んで、それからまっすぐに茂を見つめ、
「このオヤジより長生きしてください」

      4

 泰蔵や美紀から見れば、もう充分に綺麗な映像でも、茂はなかなか納得しない。
 ひと眠りしたし、今の稼ぎでもめったに食えない特上の鰻を食ったし、なにより自作の映像を自分の意図レベルまで再現しなけばならない。解像のために『回転木馬』のブルーレイ、階調のために自作のDVD、とっかえひっかえしたりもする。
 おたくもここまでくるとやっぱりアレだわなあ、と、呼びつけた張本人の泰蔵が呆れ、アーティストの目はやっぱり極限まで厳しいのだなあ、と美紀の感心がMAXに達する頃、
「――こんなもんですかね」
 ようやく茂は、治具を片付けはじめた。
 泰蔵は、うむ、とうなずいた。こいつらおたくが自分の手がけたおたく物件を「こんなもんか」と言うときは、「見ろ見ろ俺様の魂のカタマリを」ということだ。ただし他人の物件だと「それってゴミ」。
 ちょうど三時の紅茶を運んできた淑子も加わり、ようやく通しの試写会である。
 美紀としては、名目だけでも自分の誕生日プレゼントなのだから、当然あっくん先生作を本番にしたかった。なのに、あえて泰蔵や淑子の推す『回転木馬』に反対しなかったのは、あっくん先生がうちの親父にマジで一目置いているらしいと、認識を改めていたからである。
 それでも退屈なものは退屈だった。
 両親や先生は、前に日本語付きで見ているからストーリーもセリフも解るらしいが、美紀には、まったく話が見えない。英語字幕で勉強しようなどという殊勝な心がけもさらさらない。
 なにこれ、天国だかなんだか知らないけど、ちゃっちいセットの中で、むさくるしいおっちゃんたちが、ぱあぱあしゃべくりあってるだけじゃん。
 タイトルの『Carousel』って『回転木馬』なんでしょ? でもぜんぜん映らないし木馬。
 等々、内心不満たらたらながら、両脇で熱心に見入っている先生と父親の手前、我慢して付き合っていると――ようやくプロローグの天国編が終わり、賑やかなタイトルを経て本編、華やかな本式の回転木馬が画面いっぱいに回りはじめた。
 これには美紀も惹きこまれた。
 やっぱり大きいことはいいことだ。木馬の大きさが、ちゃんと木馬の大きさだ。
 小学一年の夏休み、家族で東京に行ったとき、ディズニーランドで乗ったことがある。他のアトラクションがあんまり行列だったので、半日に三回も乗ってしまった。でも三回目でも、ちっとも飽きなかった。四回でも五回でも、はしゃいで乗っていたかもしれない。峰館あたりの遊園地のお子様物件とはスケールが違うのだ。ほんとにトリップしちゃうのである。
 まあ中学二年も終わりに近い今だと、ああ、あの頃は私もウブなネンネだったのねえ、などと大人ぶる気がないではないが、三年の修学旅行でディズニーランドに行ったら、たぶんまた乗ってしまうのだろう。
 でも恥ずかしいから二回くらいにしとこう。今年はディズニーランドがダメでトシマ園とかになる、そんな噂もあって、みんなブーイングしてるけど、そこにも立派な回転木馬があるらしい。だから私は、そっちでもいい――。
 と、ほどよくトリップしている美紀の目の前を、木馬に乗った女の子が、ゆらゆら上下しながら通りすぎた。
 目の前を、である。
「ひゃあ」
 美紀は母親以上のソプラノで感嘆した。
「すごいね、お父さん」
 ああ三つ目のボルコ君、粗大ゴミ扱いしてごめん。すごいぞ君は。3Dメガネかけないで3Dなんだ。
 女の子の乗った木馬が通りすぎたあとも、誰も乗っていない木馬たちが、スクリーンの左横の壁から次々と現れては、ゆるやかな波の弧を描きながら、前のまんなかの席にいる美紀をかすめるようにして、右横の壁に消えていった。
 あの子の木馬が、また回ってきた。
 外人の子ではなく、日本の子っぽく見える。小学校の低学年くらいだろうか。ポールに絡ませている腕も掌も、気の毒なくらい細くて小さい。お母さんの古いアルバムの写真みたいな、今ではあんまり見かけないきっちり三つ編みと、カルピスみたいな水玉の、ふっくら袖のワンピース。
 それはお父さんが生まれた頃の映画だから、出てくる子供だって昔の子だ。賑やかな木馬に乗ってても、なんだかずいぶん寂しそうに見えるのは、きっとワケアリの子供なんだろう。
「……『三丁目の夕日』みたい。来年の映画は3Dになるんでしょ」
 なぜだか誰も反応してくれないので、右隣を見ると、父さんは崩れかけの鬼瓦のような顔で、前を向いたまましゃっちょこばっていた。
「………………」
 大きな口を開けっ放しにして、ホーレー線まで固まっている。
 その向こうの母さんは、体を折り曲げ、父さんの胸に顔を寄せている。
 まったくうちのアンティーク・バカップルはこまったもんだ。ふたりとも学校の先生のくせに、娘の教育ってもんがあるでしょう。だいたい、今日は大事なお客様だっているのに――。
 心配して左隣を窺うと、あっくん先生は、お鍋の中の湯豆腐のようにぷるぷる震えながら、ぽそりとつぶやいた。
「なんじゃこりゃ……」
 お豆腐は茹だっても白っぽい、と美紀は思った。




   Act.1 【木馬は回る】


      1

「ありがとうございます」
 客間の座卓で、なかば放心状態の淑子が煎れてくれたお茶を、茂はありがたくいただいた。
「ああ、おいしい。……志釜園の玉露ですね」
 は、と淑子が我に返り、平生の上品な微笑を浮かべる。
「はい、うちは、いつもあそこですのよ。あの店が、昔の駅前にあった頃から。――亜久津さんのお宅も志釜園で?」
「はい。うちの親父が、あそこの先代と親しかったもので」
「あら、まあ」
 ふたりとも、穏やかに細やかに人生の機微を紡ぐ小津安二郎監督映画――過激な事件など何ひとつ起こらない、あのローアングル日本間畳表視線でこのまま話が進んだらどんなにいいだろうと思っているわけだが、
「で、なにか、アレは」
 泰蔵が言った。どんなに荒唐無稽で非常識な事態も、自宅で進行している限り、家長として対峙しなければならない現実だ。
「やっぱり、その……いわゆる幽霊ってやつか?」
 おずおずと振り返る泰蔵の視線は、いくつかの部屋を隔てた奥廊下、そのさらに先にある半地下物置に向けられている。ボルコの電源を落としても、無音の闇で回り続ける木馬たち。そしてそのひとつに、飽くことなくまたがっている水玉ワンピースの女児。
「すばらしいテーブルですね」
「はい、宅の実家の旅館にあった、檜の一枚板ですのよ」
「おい、茂、淑子」
 ふたりは音のないため息をついて、小津調日常会話を中断した。
 茂が、うつむいて言った。
「まあ、俺の知ってる限り……いや推測する限り、たぶんそーゆーものであろう、いや、なのではないか、と」
 同じだ同じ、と、自分につっこむ余裕もない。
「木馬の幽霊ってのは変な気もしますが、あの子のほうは、たぶんそうなんでしょうね」
 淑子は何も言えなかった。
 ロッテンマイヤーさん型の教師兼主婦として、仏事や神事もきっちり重んじる彼女だけに、非業の死を遂げた人間が化けて出るとか、墓を荒れたままにすると先祖が怒るとか、中絶すると水子が祟るとか、死者の生を徒に貶めるような迷信には与しない。それらは残された生者の未熟に起因する被害妄想だと思っている。それだけに今回の変事には、内心、誰よりもとっちらかっていた。
「まいったなあ」
 泰蔵は、両手でゆるゆると顔をもみほぐしながら言った。
「なんで、あんなもんが出てきた。この家を買ったときから、ただの物置だったぞ。夜中に入ったこともあるが、怪しげな気配なんてちっとも……」
 それまで黙ってお行儀良く座っていた美紀が、座卓の一角から、はい、と手を上げた。
 大人三人が目を向けると、美紀は、遊び盛りの座敷猫のように瞳を輝かせながら、
「あっくん先生のピュアで力強いオーラが、宙をさまよっていた少女のピュアな魂と共鳴し、あのボルコを通して実体化したんでは」
 実はそっち系の話も大好きな美紀なのである。
 一座の注目を浴びてしまった茂は、俺? 俺? と言うように戸惑っていたが、じきに自信なさそうに首をひねって、
「……あるかなあ、オーラ、俺」
 泰蔵は難しげに腕を組んだ。
「あるにしても、そう強くはないな」
 茂もすなおに頭を垂れる。
 美紀もいったん黙るしかないほどの垂れっぷりだった。
 ――もうちょっと自信を持ってください、先生!
 今この家で、あの部屋に怯えていないのは、美紀だけかもしれない。もちろんちょっと恐い気はするが、あの木馬の女の子は、けして伽椰子とか貞子とか、怨霊っぽい雰囲気ではなかった。むしろ、なんかワケアリならなんとかしてあげたい、そんな感じの子だった。
 泰蔵が言った。
「かけた映画が『回転木馬』だからか?」
「でも、世界中の映画館やテレビで、何度もやってたわけですよね。DVDやブルーレイだって、何万枚もプレスしてるわけだし」
「じゃあ、あの機械になんか憑いてたのか? 考えてみりゃ、なんぼジャンクでも一万はおかしいだろう」
「確かに。ガタガタの部品取りでも、ふつう何万は――」
 言いかけて、茂は頭を振った。
「――いや、専門店でもない、ただのリサイクルショップのオークションなら、そんなもんでしょう。それがたまたま先生以外の需要がないタイミングで落ちた――ショップが知っていたとは思えませんね。大クレーム覚悟で出品するショップはないんじゃないかな。無責任な個人ならともかく」
「じゃあ、そこに持ちこんだ奴が、黙って厄介払いしたのかも」
「それは、ありそうですね」
 といって何をどうしていいものやら――客間にしばしの沈黙が続く。
 やがて、泰蔵が口を開いた。
「……恐山のイタコでも呼ぶか」
 おお、と美紀だけは期待した。ついにうちにも霊能者登場か。
 茂が、おずおずと言う。
「枕崎を呼んでもいいですか」
「おう?」
「覚えてますか、先生」
「そりゃ覚えてるさ」
 いつも泰蔵にはなんだかよくわからない妙なものを抱えていた、ぶよんとしてしまりのない生徒である。無難に出来がよくて意思の疎通も楽だった生徒より、扱いに困った生徒のほうが、えてして教師の記憶に残るものだ。
 たとえば泰蔵が中学時代、ブンガクおたく――いやいや文学少年として、話の通じる国語教師と話すため、人のいやがる職員室に昼休みなどしょっちゅう出入りしていたときも、他の教師たちの内輪話を漏れ聞くと、優秀な生徒の名はほとんど聞かれず、劣等生や荒っぽい連中のほうが、よほど話題に上っていた。みんなで心配していたのである。中には明らかにただ迷惑がっている教師もいたが、それはあくまで少数派に見えた。のちに、同級の荒っぽい奴と話していたとき――泰蔵は当時から鬼瓦のような顔をしていたので、そうした連中も気軽に話しかけてきたのだ――「どうせ俺らなんか誰も気にしちゃくれねえんだからよ」などという僻みを聞かされて、うーむ『親の心子知らず』ってのはこーゆーことなんだな、などと、大人ぶって顔をしかめたりもした。
 ともあれ現在、泰蔵の記憶にある昭和某年の峰館商業高校三年四組では、少女漫画おたくの相原、ネット&AVおたくの柴田、なんだかよくわからないがとにかくおたくでちょっと電波系っぽい枕崎、その三人が、おたく三人衆としてセットになっている。それを束ねていたのがエクセル会計おたくの横溝。で、最後のオマケに、アニメおたくの茂。
「……あいつ、やっぱり、こっち方向だったのか?」
 泰蔵は、やや意外に思いながら、茂に訊ねた。
 確かにあの頃は尋常じゃない奴に見えた枕崎も、今は県内有数のメガネ・チェーンで、順調に昇進していると聞く。一昨年だったか、茂を含め同窓会で顔を合わせたときも、相変わらずぶよんとしてしまりがないなりに、恰幅のいい中堅社会人に見えた。
「こっち方向とは、ちょっと違うんですが」
 茂は言葉を濁した。
 いわゆる超自然現象関係において、茂は当然、肯定派である。そもそも現在の妻とのなれそめが、そっち方向なのだ。ただし、それ以降の茂の身に、そっち方向の出来事は皆無である。
 しかし――そのなれそめに陰で大きく関わってくれた枕崎は、今、どうなのか。
 泰蔵は、茂の昔ながらのどっち付かずな様子を、肯定的に受け取った。
「なんでもいい。お前に心当たりがあるなら、すぐ呼んでくれ」
 茂が愛用のガラケーで電話を入れると、枕崎は家にいた。
 店舗経営の実績を見こまれて、本社から引きが多かったにも関わらず、管理職より現場の店がいいと長く支店長稼業を続けていた枕崎だが、何年か前に本社入りしている。その直後、元おたく同士の飲み会で茂が理由を訊ねたら、「俺の現場での使命は終わった」、そんな答えが返った。だから日曜は休みである。
 茂が、かいつまんで事態を告げると、枕崎は、
『……わかった。でも、今の俺には何もできないと思う』
「そうなのか……」
 落胆する茂に、枕崎は言った。
『洋子――女房を連れて行く』
 茂は首をかしげた。枕崎の奥さんには、何度か会ったことがある。ミッション・スクール育ちの、地味そのものの女性だ。
「……奥さん、そっちのほうも、わかる人なのか?」
『いや、そっちもあっちも関係あるんだかないんだが――ここだけの話だぞ』
 枕崎は、なにか恥ずかしがるように、
『俺の出世の種明かし、お前にだけは、したことあるよな』
「ああ。アレの――」
 周囲を気にして、茂は明言を避けた。
【世界が正しく見える眼鏡の作り方】――枕崎だけが持つその原料を使い切ってしまったから、彼は現場を離れたのである。その先の本社での出世を、枕崎自身は余得などと自嘲しているが、茂から見れば、枕崎に世界を正しく見る資質があったからだ。彼が小学校で受けていたという陰湿なイジメを、世界への愛で克服したように。まあ、その愛が多少限定的な『萌え』――『眼鏡っ娘』や『眼鏡フェチ』に帰結していたとしても、裸眼やコンタクトを排他せず相対的に扱える限り、それは正しい愛だろう。
『女房が、それの最初のユーザーなんだよ。よっぽど相性が良かったみたいで、今でも大事に使ってくれてる。上質な鼈甲縁は、ちゃんと手入れすれば一生物だからな。そしてそれが、今、俺の手の届くところに残ってる唯一のアレなんだ』
「うん」
『花の声とか、けっこう見えるらしい』
「声が見える?」
『俺にもよく解らんが、伝わってくるってことなんだろうな』
 そりゃうってつけじゃないか、と茂は思った。
「じゃあ、えーと、その、いわゆる幽霊とかも――」
『相手しだいだろうな』
「ほう」
『花は話したいとも話したくないとも思ってない。ただそこに咲いてる。だから気持ちを受け取れるかどうかはこっちしだいだ。でも人間は違う。話したい奴は話す。話したくない奴は話さない。生きてたって死んでたって人間は人間だ』
「なーる……」
 どこかで論理がズレている気もするが、ニュアンスは解る、いや解るような気がする。
『でも、ヤマブクロ――山福先生には言うなよ。洋子を妙な目で見られたくない。俺が昔から、大霊界に詳しいとでも言っとけ。先生なら、きっと納得する』
「わかった。すぐ来れるか」
『いいけど、俺、知らないぞ、先生の家』
 田畑の畦道をそのまま広げたような細道が入り組むこの辺りでは、カーナビも当てにならない。
「俺の車で――いや、お前の家だと――」
 枕崎宅と自宅と山福宅の位置関係を、茂は頭に描いた。
 ――優太だな。
 あいつなら、うちに近い枕崎の家も知ってるし、この住宅地のちょっと先に友達の家があり、何度か自転車で行き来しているはずだ。
「優太を迎えに行かせる。自転車ならすぐだ。お前の車に乗せて、案内させてくれ。近くなったら携帯で誘導する」
『了解』
 通話を終えて、とりあえず一座にうなずいてみせる茂を、泰蔵もとりあえずやや安堵、そんなうなずきでねぎらった。
 淑子はまだまだ不安そうである。
 美紀だけが、猫じゃらしの先を目で追う子猫のような、わくわく顔をしていた。
 なになに? マクラザキとかユータとか、なんだかちっともよくわかんないけども、やっぱり霊能者っぽい流れ? すごいぞ今年の誕生日関係は――。
 何事も楽しんでしまう娘なのである。

      2

「……茂美も行く?」
 父親からの携帯を受けた優太は、同じ部屋の片壁でバランスボール・スクワットを繰り返している姉に、ぽそぽそと声をかけた。道を知らないわけではないが、なんとなく心配だ。そこにいる他の人たちへの羞恥心もある。
 茂美はスクワットを続けながら言った。
「いいかげんに自立しなよ、あんた。道案内くらい、ひとりでできるでしょ」
 年上ぶって窘める口調だが、十数分ほど先に生まれただけの姉である。母親の羊水内で丸まっていた頃から、主な生活空間を共有し続け、今も同じ二階の子供部屋で暮らしている。
 そろそろ年頃の男女を一室に置いておくのは何かとアレなのではないか、などと心配するむきもあろうが、その階下、本来は客間である十二畳を小学三年の四つ子に明け渡している亜久津家では、やむを得ない処置だった。
 それに、女の子もいるはずなのに女の子らしい物件は何ひとつ見当たらず、その女の子が愛用している剣道用具一式やエキスパンダー類以外、男らしい匂いなどちっともしないこの部屋を見れば、心配無用なのは明らかだろう。お互い近頃かなり目立ってきている男女の生理的差異をひっくるめ、ふたりはあくまでただの双子同士の感覚しかなかった。そもそも世間の姉弟の多くは、いわゆる姉弟愛――たまに近親憎悪も混じったりする連帯感こそあれ、弟に萌えないし姉萌えもしない。
 しかし――。
「そんなに心配なら、優作でも連れてったら?」
「……あいつ、気まぐれだから」
 このやりとりは、別の意味で異常だった。もし父の茂や母の優美や、棟続きで暮らす爺さん婆さんが聞いたら、本気で悩んだだろう。
 二卵性のふたりの誕生時、実は茂美に続いて、優太の一卵性の兄・優作も誕生していた。しかし胎内での混雑に疲れすぎたのか、生まれつき病弱で、三歳の冬、眠るように旅立った――はずなのである。
「まあ、きっちり出てくるのはお盆くらいだもんね。でも、あんたのほうが、まだけっこう会ってるじゃん。やっぱりほら、父さんだけじゃなくて母さんも同じだから」
「茂美も同じだよ」
 優太はそう返したが、茂美としては精子とか卵子とか、そうした言葉を人前であまり口にしたくない。女剣士への道はストイック、そっち方向は無用なのである。
 優太は茂美の同伴をあきらめ、子供部屋を出た。
 階段を下りる前に廊下で立ち止まり、
「……おい、優作」
 いちおう念のため、そう呼んでみる。
 しばらく待ったが気配の気の字もないので、優太は肩を落とし、階段を下りた。
 下りてすぐにある十二畳の客間、もとい特別第二子供部屋は、今は静まりかえっている。全員集まると、無口な優太など頭が痛くなるくらいやかましい弟や妹たちだが、それだけに四人とも狭い家では収まりが悪いらしく、近くの公民館や、その前の広場あたりを休日の根城にしている。
 玄関に出る前に台所を覗くと、母親の優美が、夕飯の下ごしらえをしていた。
「気をつけてね優太。あと、お父さんに言っといて。夕飯までには帰ってきなさいって」
 このちょっと鼻に掛かった、柔らかい、耳に心地よい声の主が、ほんとうに茂美や学校の女子や女教師と同じイキモノなのだろうか――優太は、しばしば戸惑ってしまう。
「……うん」
 思わず蚊が鳴くような返事になってしまったりもする。
「聞こえたの?」
 茂美のように咎める口調ではない。振り返った顔には、いつもの母さんの微笑が浮かんでいた。
 優太はあわててこくこくとうなずき、ぱたぱたと玄関脇の自転車に走った。
 マザコン少年と笑うなかれ、まだ第二反抗期を迎えていない男子ならば――おまけに三十路半ばを過ぎても瑞々しい母に恵まれた息子ならば、まあこんなものである。

 山辺の住宅街を抜け、周囲に広がる果樹園を縫って遠ざかる優太の自転車を、茂美は二階の窓から、こっそり見送っていた。
 そこはそれ誕生日はいっしょでも、先に世に出た姉として、不出来な弟を気遣わねばならない。
「ありゃ?」
 優太の自転車の後ろに、もうひとり誰か乗っている。地味なブルゾンの優太より、ずいぶん気取った革ジャンをはためかせているが、背格好はまったく同じだ。優太にも自転車にも掴まらず、ジーパンに手をつっこんだまま、器用にバランスを保っている。
「……優作じゃん」
 自転車がビニールハウスの連なりに隠れる前、優作はこちらを振り返って、ひらひらと茂美に手を振った。前でペダルをこいでいる優太は、後ろの優作に気づいていないらしい。優太と違って悪戯な優作だから、いきなり「わっ」とか、タイミングを見計らっているのだろう。
「なによ、優太ばっかりひいきして」
 口ではそう言っても、茂美は安心していた。
 ――OK。優太に心配なし。
 茂美は独立心を木賊で磨いたような娘である。それに、お盆とかお彼岸なら、優作は茂美の前にもきっちり現れて、気取った仁義を切ったりするのだ。まるで爺ちゃん婆ちゃんの大好きな古い映画に出てくる、フーテンの寅さんみたいに。
 でもなんで優作、いつもあんなツッパった格好してるんだろ。言葉遣いだって、優太とは正反対だし。あたしよりあいつのほうが似てるはずなんだけどね、弱っちい優太に。

      3

「こんばんは」
 両親と先生が客間に案内してきた初めてのお客様たちに、きちんと挨拶しながら、美紀は思った。
 ――うわ、この人が霊能者? なんだか信楽焼の狸みたいなおじさん。あ、でも、この奥さんのほうは、ちょっとそれっぽいかもしんない。カトリック幼稚園でお世話になったマスールみたいな感じで、えーと、オゴソカ? そう、厳かで、でも優しいの。お祈りしても神様の声は聞こえないかもしれないけれど、いつもちゃんといっしょにいるのよ、なんてね。
 さて、その後に続いて入ってきた、あっくん先生の息子さんは――。
 美紀は、けして失望しなかった。あっくん先生同様、事前の期待には大いに反していたが、予想は見事に的中したのである。つまりお豆腐になる前の、ほわほわした豆乳の塊みたいな男子だった。
 その豆乳みたいな男子は、かなり恥ずかしそうに、でもちょっとなれなれしい笑顔で、美紀に頭を下げた。
「……山福さん、こんばんは」
 明らかに、初対面ではない人に対する表情である。
 美紀は反応に窮してしまった。
「……こんばんは」
 反射的に頭を下げながら、頭の中のデータベースを引っかき回す。
 ――あれ、どっかで会ったかな、この子。
「驚いたか、美紀」
 泰蔵が言った。
「まさか大先生の息子さんが、同じクラスにいるとは思わなかったろう」
 え? え?
 鳩が豆鉄砲をくらって、すかさずその豆を口で受け止めたものの、飲みこみそこねて喉に詰めてしまったような美紀のあわてっぷりを、泰蔵は、ただ驚いているだけと解釈したようだ。
「いや、なんか口止めされてたもんでな」
「あ、あの……」
 あたしこんな子知らないよ――と口にするほど、空気の読めない美紀ではない。
 優太は、相変わらず恥ずかしげに、ただ曖昧な笑顔を作っている。
 父の茂もまた曖昧な笑顔で、影の薄い息子の頭を、軽くぽんぽんと励ました。お互い、二十人の同性に紛れてしまうと、同級生でも記憶しがたい容姿容貌なのである。
 過去に同様の思いを重ねてきた枕崎は、客間の空気をこれ以上悪化させないため、瀬戸物のように無機質な声で言った。
「さっそく、その――アレを見せてもらえますか。俺も明日は朝が早いもんで」
 昔の枕崎なら、黙っておどおどと部外者を装うところだが、さすがに、その後踏んできた場数が違う。不特定多数の顧客を相手にする現場に二十年近くいたのだから、一見同じ没個性に見えても、たいがいの場を治めるための積極的没個性を体得している。
「あ、先生たちは、ここで待っててください。あんまり人が多いと気が乱れるもんで。案内や説明は茂ひとりでいい。あと洋子、お前も来てくれ。そのほうが俺の気が落ち着くから」
 美紀は、あからさまに肩を落とした。
 ――がっくし。
 そんな美紀の顔を、ちらちらと、でも根性を入れて窺いながら、優太はその場の事情を推測しようとしていた。今のところ優太は道案内を頼まれただけである。アナログのカーナビというところだ。含羞に充ち満ちた優太のこと、今回も大人たちが説明してくれない限り、あまりうるさくしゃべらない旧式のカーナビに徹していたかもしれない。
 しかし――実はいつも教室で、遠くからこっそり窺ったりしてしまう子猫のような顔――山福美紀の、コロコロと良く変わる、気まぐれというか正直すぎるというか、そんなかなりキラキラした顔が、今はすぐそばにあるのだ。そっちのほうが気になるぶん、その背後にあるこの場の詳細、つまり美紀ちゃんの家庭の事情も、たいへん気になる。
 枕崎夫妻と茂は、阿吽の呼吸で客間から出て行った。
 残された泰蔵と淑子、そして美紀と優太は、所在なげにお茶をすすりながら、四者四様の沈黙に耽った。
 泰蔵の場合――先が見えない心配もあるにはあるが、まあひとつひとつ問題をつぶしていけば、何事もそれなりに収まるはずだ。ここは、あの枕崎の電波に期待しよう。今はすっかりただのオヤジに見えるが、昔のあのハンパない怪しさは、まだどこかに潜んでいるはずだ。人間の本性というものは、そう簡単に変えられるものではない――泰蔵は何事も清濁併せ呑むタイプの楽観主義者であった。
 一方、淑子は――なんてことになっちゃったんでしょうねえ。あんなもの、この世に居るはずないんだけど。でも私はあくまで、一般常識内での家政をきっちり保つのが仕事。外での仕事も基本は一緒。そうよ、冷静にならなければ。まあ一般常識外のことは、うちの人に任せておけば、なんとかしてくれるはずだわ。この人は、いつも大概の厄介事を、なんとなくそれなりに治めてしまう大器だもの。むしろ今、私が気にするべきは、うちの大事な美紀にちらちら色目を使っている、この寄せ豆腐のような男の子。大それた事をしでかすタイプではないけれど、大それた事にはすぐ潰されてしまうタイプと見た。あの父親とあの優美ちゃんの息子だから、人畜無害は保証付きだろうが、どのみち、あまり娘や生徒に近づけたくないタイプだ。男というものは、それ自身の安全性で計ってはいけないのだ。外的危機への対処こそが男の甲斐性なのだ。平成生まれの若い男は、それが解っていない。解っていないからこそ、安全であるべき平凡な自分自身が、ある日突然とっちらかって外的危機そのものに豹変したりもする。まったくこれだから平成生まれは――淑子は冷静な自分を保っているつもりで、実は力いっぱい現実逃避していた。
 優太はというと――美紀ちゃん、やっぱりかわいいなあ。それにしても、ほんとに何がどうなって、俺はこの場にいるんだろうなあ――まあこの程度である。感性的にも知性的にも、彼にしてはかなり尖っているのだが、端から見ればやはり物言わぬ豆腐未満、包丁がなくても指で簡単に崩せそうだ。
 そして美紀は――見たい見たい見たい見たい見たい見たい霊能者の霊視現場見たい――以上。
 もっとも、優太も事情さえ知っていれば、大いに見たがったはずなのである。もともと臆病な質ではない。実の兄弟とはいえ、茂美と自分以外誰にも見えない優作と、平気で話せる優太である。また、大人しくて目立たない人間が、必ずしも消極的とは限らない。ふだんの優太は目立つ必要性を感じないから大人しくしているだけで、好奇心は人なみにある。
「あの――」
 優太が、ついに発言を決意したとき、
「宿題残ってるから、二階で勉強してる」
 美紀が素っ気なく言って立ち上がった。
 泰蔵も淑子も、少々違和感は覚えたものの異議はない。
「おう」
「そうね」
 しかし優太は、残念以上に、不思議に思った。
 ――あれ? そんなに宿題出てたか?
 上から数えても下から数えても同じくらいの成績、つまり美紀よりずっと下の優太が、昨夜、土曜の晩だけで軽く終えられる程度の量だった。期末テストだって、こないだ終わっている。
 廊下の先にある玄関脇から、美紀が階段を上がる軽やかな足音が響き、やがて消えた。
 少々の間を置いて、
「……すみません、トイレ、どこですか?」
 優太も腰を上げた。
 念のため、これはあくまで生理現象、お茶の利尿作用に由来する発言である。
 よその家で気になる娘を追いかけるほどの度胸があれば、どんな男子だって豆腐以上、まあガンモドキくらいには見えるはずだろう。

      4

 洋子は、不可思議な木馬や少女に怯えもせず、それらが発する朧げな光の前で、穏やかにそれらを見守っていた。
 やがて夫たちを振り返り、
「……ごめんなさい。あの子は、たぶん、もう外が見えていないんだと思います。心が閉じているのですね」
 茂は落胆したが、枕崎は、ただうなずいた。見たり聞いたりすることはできても、通じ合えるかどうかは、お互いの心ひとつである。それでも妻をフォローすべく、その横に進んで光の中に手を伸ばす。
 あの少女は、今はスクリーンの後方に回りこんでおり、この半地下には木馬の波しか揺れていない。
 金の轡《くつわ》に飾られた白馬の鼻先が、すっ、と枕崎の掌に交わった。そのまま白馬の首筋も、華やかな深紅の鞍も、掬うように枕崎の掌をすり抜ける。
 枕崎は手を引いて、こんなもんだ、と茂を振り返った。
 茂も、そんなもんだろう、とうなずいた。事前に枕崎がデジカメで撮った写真を見ている。そのときも少女を気遣って木馬しかいないタイミングを狙った。フラッシュのあるなしに関わらず背後のスクリーンしか写らない木馬に、人が触れるとは思えない。
 やがて、あの少女の乗った木馬が、また端から現れた。
 幼げな三つ編みや水玉ワンピースにも、子供っぽい白い靴下の折り返しにも、足元のちんまりした赤い靴にもまったく似合わない、憂いの濃い目鼻立ちが、ゆっくりと波打ちながら近づいてくる。
 茂は顎をくいくいして、枕崎に接触を促した。物ではなく人――もと人になら、あんがい触れるのではないか。自分でやるのは御免だが、高校時代のこいつは『眼鏡っ娘』だけでなく、『きっちり三つ編み』や『白ソックスの折り返し』にも固執していたはずだ。ここは思いきって――。
「やだ」
 枕崎は、きっぱり言った。
「こんなもん下手に手を出して、懐かれたりしたら面倒じゃないか」
 そうか。確かにこいつの『萌え』の中には、なぜか『プチっ子』が入ってなかったもんなあ――。
 落胆だか安堵だか、微妙な顔をする茂に、洋子が微笑みかけた。
「たぶんこの子も、ただこうして回っていたいから回り続けているんですわ。それでよろしいのではございませんの?」
 暑苦しい旦那とは正反対の、峰館ではまず見られないアシヤレーヌや鎌倉夫人のような物腰で言われてしまうと、下賎な茂は到底太刀打ちできない。
「……そうですね」
 物置、いや大事なAVルームを失った先生は今後どうするか、こんな物件と生涯同居してゆく覚悟ができるのか――そのあたりは、ちょっとこっちに置いておくしかないだろう。

 さて、地下室でそのような光景が展開しているとき、そこに続く階段の上、暗い奥廊下では――抜き足、差し足、忍び足――皆様ご推察のとおり、美紀が息を潜め、スリッパも履かないで、お気に入りのキティちゃんソックスをそろそろと床に滑らせていた。
 そして、さらに皆様ご推察のとおり――抜き足、差し足、忍び足――奥のトイレで小用を済ませた優太が、客間とは反対の廊下の奥に消えてゆく美紀の後ろ姿を認め、こっそりストーカー化したりもしていた。
「よ」
 いきなり耳元に声をかけられて、優太は仰天した。
 思わず悲鳴を上げそうになるのを、かろうじて堪える。
「お前もやるなあ。で、後ろから飛びかかるのか? 前に回って押し倒すのか? なんなら俺も手伝おうか?」
 その声の主も、そうした悪っぽい台詞が冗談であることも、長いつきあいで悟っているから、
「……いたのかよ」
 優太は、驚きや心強さを隠して、そっけなく返した。
 ちなみにこれらの会話は、彼ら以外の誰にも聞こえない、あくまで意識上の声による疎通である。
「久しぶりに寄ってみたら、おもしれーことになってるじゃん。俺も混ぜろよ」
 優作と優太が話すのは、実際久しぶりなのである。年に何度か、気まぐれにふっと現れて、長くて数日、たいがいはその日のうちに、いつのまにか消えてしまう。茂美のいう『フーテンの寅さん』、まさにそんな感じだ。ふだんは世界中を気ままに旅しているのだそうだ。
 優太がまだ幼い頃、冬の布団の中、春の桜の下、また夏の夜の縁側や秋の銀杏並木で、優作が話してくれるナイアガラやピラミッドの話、あるいは優太の知らないナントカ海溝の深海生物や、アメリカのカントカ州にあるどでかい樹木の話などを、わくわくしながら聞いたものである。でも優太が小学校に上がり、図書室あたりで自力で好奇心を満たすようになってからは、めっきり姿を現さなくなった。当人によれば、長年旅を続けているとあちこちにしがらみができて、なにかと忙しいらしい。
「かわいい子じゃん。でもあれは、お前にゃ難しいぞ」
「ほっとけ」
 会話が他人に聞こえなくとも、気配はなんとなく伝わってしまう。
 美紀は、後方に異物の気配を認め、おもむろに振り返った。
「…………」
 豆灯だけの奥廊下では、はっきり見えないけれど――大人じゃないのは確かだ。
 もちろん美紀には、優太の姿しか見えていない。
 美紀は、黙ってついといで、そんな手振りをした。
 優太は拍子抜けしながら、後に従った。
「こりゃだめだ」
 優作が言った。
「存在そのものが問題にされてない」
「……いつものことじゃん」
「俺よりお前のほうが影薄いんじゃないの」
「だから、ほっとけ」
 優作が言うほど、そして優太が思うほど、美紀にとって現在の優太の影が薄いわけではない。そりゃこんな面白そうなモノを見たくない子はいないよね。それにひとりじゃないほうが、やっぱし気合い入るし――その程度には存在を認めている。
 つまり、優太がなんにも知らないことを知らない美紀にとって、今の優太はアブないストーカーではなく、あくまで同好の士なのである。同時に、偉大なるあっくん先生の血を引く者でもある。まあ、さっき会ったばかりなのに顔も思い出せないのは、とりあえずちょっとこっちに置いといて。
 奥廊下のどん詰まりにあるドアを、そーっとそーっと抜けて、半地下への階段を下りる。
 いた。
 でも――なんか、ただ三人で、立ったままこそこそ話してるだけだ。木馬にも変わりなし。
「……終わっちゃったのかな、これからなのかな」
 美紀は囁き声で後ろに訊ねた。
 返事がないので振り返ると、偉大なるあっくん先生の血を引く者は、コップが倒れてテーブルに広がった飲み残しの豆乳のような顔をしていた。
 優太としては、答えるどころではない。それはそうだろう。通常、一般住宅の物置で、ファンタスティックな回転木馬は稼働していない。おまけに壁まですり抜けている。
「へえ、俺の同類か」
 優作が言った。しつこいようだが、あくまで優太に言ったのであって、美紀には聞こえない。
 優太はようやく事の次第を、大雑把にだが推測できた。あの枕崎さんが、高校時代にいわゆるデンパ――ファンタスティックな生徒であったことは、父さんから聞いている。
「こりゃ面白え」
 優作は遠慮なく、木馬のほうに歩みだした。
「どう思う?」
 美紀が振り返り、優太に答えを促した。
 目の前に迫った顔に、優太は思わずつぶやいた。
「……か、かーいい」
「だからあの子じゃなくて、あっくん先生――優太君のお父さんたちのほう」
 は、と優太は我に返り、父親を含む三人の影と、その横を通って木馬に近づいてゆく優作の影に目をやった。
「……たぶん、これからだと思う」
 正確には、父さんたちが何をどうしようとしているかはちっとも判らないけれど、少なくとも優作はこれから木馬や女の子にアプローチしようとしている、である。
 そのとき、優太と美紀の背後から、バリトン寄りのバスで声がかかった。
「こら」
 泰蔵である。淑子も後ろにいるようだ。
「まったく、何が二階で勉強だ」
 こっつんこ。
 まあ、痛くない程度の軽い制裁である。
 淑子は、夫の戒めに「てへ」などと笑ってごまかす娘から、横で挙動に窮している優太にも、ちらりと目をやった。
 この子が美紀をそそのかした――なんて可能性は、九割九分ない顔だわね。
 淑子も、ほぼ平常心を取り戻していた。

 結局、全員並んで後ろの座席に座り、鑑賞会が再開してしまった。
 観賞しているだけなら、映画ではない回転木馬も、充分に美しい幻燈である。
 しかし歌も踊りもなく、物言わぬ小さなお客様がひとりだけ回っている様は、木馬たちが華やかなぶんだけ、徒に寂寥を募らせる。
「……つまり、ほっとくしかない、ということか」
 泰蔵の困り顔に、茂も枕崎も、他の観賞者たちも為す術を知らない。
 もっとも優作だけは、優太以外の誰にも見えないのをいいことに、木馬をつんつんと指で突っついたり、自分も空いている木馬にまたがろうとして滑り落ちたり、あの女の子に今どきはやらないベロベロバーをしてまるっきり無視されたり、あちこち移動しながらマイペースで木馬の検分を続けている。
 そんな優作を、右端の席から眺める優太は、複雑な心境だった。
 すぐ横にいる父さんに、なぜあいつは姿を見せてやらないのだろう。家を訪ねてきたとき、なぜ母さんや爺ちゃん婆ちゃんにも挨拶してやらないのだろう。
 十年ちょっと前、あいつが一度いなくなったとき、茂美や自分はまだ小さすぎたから、泣きも喚きもしなかった。それよりも、このまま一生泣きっぱなしの母さんになってしまうのではないかと、そっちのほうが心配だった。そんな母さんにだけでも、元気な姿を見せてやるべきではないか。
 そう思う一方で、実は、解る気もするのだ。優太が面と向かってその訳を訊ねたら、優作は、たぶんこう答えるのではないか。そんなことしたら、また別れるとき泣かれるじゃないか。
 まあ、気楽なとこにだけ顔を出す、それでいいのかもしれないけれど、それもまた、ずいぶん寂しい話だよなあ――。
 その優作が、こちらに戻ってきた。
 優太は、他の目を引かないよう正面を向いたまま、何食わぬ顔で訊ねた。
「どうだ?」
「だめだな。完璧シカト」
 処置なし、と優作は両手を広げてみせた。
「けっこういるんだよ、大人でも、あーゆーの。あんまり長く世間をシカトしてると、自分でもなんでシカトしてるのか忘れちまって、それっきり風まかせでフーラフラみたいな奴」
「そうなのか……」
「でも、あの子はそうでも、他は違うぜ」
「他?」
「馬とか」
「わかんねえ」
「なんつーか――そうだな」
 優作は、羽織っていたジャンパーを脱いで、
「たとえば俺の革ジャンだって、ほら、ちゃんとタグあるだろ」
 差し出した襟の裏地には、確かにきっちりタグが縫い付けられていた。アルファベットのロゴは、なにか動物の刺繍と重なっていて読みとれないが、オマケのようにくっついているサイズは読める。XXS。
「ちっこいな」
「ほっとけ。お前と同じだ。もともと外人《ジンガイ》の大人用だもん」
「で、それがなんなんだ?」
「ニブい奴だなあ。つまりこの革ジャンは、俺とは別モンなんだよ。ちゃんと横須賀《スカ》の店にぶらさがってた奴を、俺が頂戴したわけだ。パクったわけじゃないぞ。モノじゃなくて形だけだぞ」
 優太にも、優作の言わんとすることが解ってきた。
「とゆーことは、つまり――」
 回転木馬の少女に目をやる優太に、優作がうなずいて言った。
「そ。今のあの子がなーんも考えてなくたって、あのワンピース裏返しゃ、親が買ってやったときのタグが残ってるってこと」
「じゃあ、見てみれば――」
「お前なあ、俺にアグ●ス・●ャンの超音波攻撃でも受けろってのか?」
 優作は呆れたように言って、木馬の流れを指さした。
「それより、あの馬だ。お前らにゃ触れなくても、元はどっかのちゃんとした回転木馬だ。裏っ側なんでこっからじゃ見えないけど、鞍と腹の下の間に、プレートみたいなもんが付いてる。どの木馬にもな」
 なるほど、まだ誰も木馬の裏には回っていないが、木馬たちやそれを支えるポールは垂直方向に上下しながら平面的には円を描いているから、この部屋に現れているのがほんの一部の円弧であるにしろ、端から覗きこめば、反対側の木馬の裏側もなんとか見えるわけである。
「なんか書いてあったか」
「遠くて見えねえ。前の奴も邪魔になるし」
「近くで確かめて――」
 きてくれよ、と続けようとする優太に、
「あのなあ」
 優作は辟易したように言った。
「甘えんじゃねーよ。だいたい、お前も見てただろう。俺は、あれに触れるんだよ。っつーことは、下潜るにも上飛び越すにも、しくじったらごんごんごんごんぶつかっちまうんだよ」
 そうか、と優太は納得した。
 優作はときどきうっかり優太に重なったりするが、この世の物体や生きている人間同士が同じ空間で重なれないように、あっち側のナニ同士も重なれないのだろう。それに優作は、宙に浮いて自由に飛び回ったりもできない。世界中を旅するのだって、姿が見えないのをいいことに成田空港からジャンボに乗ったり、原住民のカヤックに便乗したり、オリエント急行にただ乗りしたりしているのだそうだ。
「じゃあ……」
 行くの、俺?
 目顔で問う優太に、優作は、にんまりと笑って言った。
「そ。自分でペンペンしなさい」
 お前はいったいいつの生まれだ――古いギャグにおいては、似た者同士のふたりなのである。
 ふと気がつくと、隣の父親が、不審そうに優太を見ていた。
「……どうした?」
 優作との会話に夢中になって、思わず声を漏らしてしまったらしい。
 優太はぷるぷると頭を振り、ごまかしついでに行動を決意した。
「あの、ちょっと……ちょっと前で確かめてみたいかな、とか」
 一座の中で最も影の薄い人間が行動を起こすと、なんであれ必要以上に注目を浴びてしまう。ほう、と、その場の皆が目を見張った。透明人間が雨の中でなんとなく見えてきた、そんな感じである。
 それでも異議はなさそうなので、優太は立ち上がり、席の前に歩みだした。
 不思議なくらい恐くない。元々この手の現象に――ひとりだけだけど――慣れているし、相手は木馬である。こっち系が好きらしい美紀ちゃんにも、かなり注目されているようだ。
 さすがにあの女の子とコンバンワするのはちょっとアレなので、あの子が右の壁に吸いこまれたタイミングを見計らい、木馬の間をすりぬける。ぶつからないとは判っていても、やっぱりちょっとアレなので、ひょい、と勢いをつけてスライディングしたりもする。
 振り返った優太は、一瞬、激しい目眩を覚えた。
 外から見る回転木馬と、内側から見る回転木馬は、トリップ感が半端なく違う。子供の頃、近郊の遊園地で木馬に乗ったときも、そこそこトリップした記憶があるが、それより遙かにくらくらする。さほど明るい光でもないのに、優太は目映い光の渦に巻きこまれた気がした。
 ――いやいや、ウスラボケっと突っ立っている場合ではない。
 優太は気を引き締めて、手近の木馬の、優作が言っていたあたりを覗きこんだ。
 ――お、ほんとだ。
 ちょっと古びているけれど元は金ピカだったらしい、数センチほどの、横長のプレートが見えた。
 しかし、木馬は泳ぐように移動しているのである。
 上下しながら次々と過ぎってゆく木馬の腹を、しゃがんだり中腰になったりしながら見定めようとする優太の姿は、客席から見れば、クラゲが水中で縦横にスクワットしている、そんな印象だった。まあ美紀だけは、なんだかよくわからないけどかなり変ななりにあの子も頑張っているらしいと、ダイオウイカ程度には存在感を認めていたので、優太が知ったら多少は報われただろう。
 ――こりゃだめだ、目が回るばっかしだ。あのプレートには、確かになんか、レリーフの文字が見えるんだけどな。
 焦る優太の眼前を、なにか木馬ではない物が、ひょい、とかすめていった。
 白い靴下と赤い靴――焦っている間に、木馬が一巡していたらしい。
 そのか細い踝《くるぶし》を見送っているうちに、優太はようやく気がついた。
 ――うわ、俺って馬鹿。始めっから、ひとつの木馬を追いかければよかったんだ。
 すかさず反対の端に移動し、新たな木馬を待ち構える。
 客席の一同も、ようやく優太が何をしようとしているのか判ってきた。
 斜めにスクワットしながら蟹走り――そんな感じで端から端まで木馬の腹を追いかけながら、優太はようやく当初の目的を果たした。
 はあはあと息を荒げて、木馬やポールを平然とすり抜けてくる優太は――当人としては、くたびれてしまって他の木馬を避ける気力がないだけなのだが――客席から見れば、あんがい様になって見えた。美紀あたりだと、小さい頃にテレビで見たホラー・アクション映画のキアヌ・リーブスを、無意識のうちにほんのちょっとだけ重ねていたりもする。さすが、あっくん先生の血を引く男子――。
「えーと、『篠原遊具製作所1966』、そんな木馬です」
 おお、と感心する大人たちの横で、優作が言った。
「やるじゃん。よく気がついたなあ」
 息を鎮めながら、優太は思った。
 ――ああ、こいつも同じ顔してるだけあって、やっぱり俺と同程度の馬鹿だ。




   Act.2 【回転木馬はなぜ回る】


      1

 美紀は今、久々の放課後廊下勝負に挑もうとしていた。
 大人たちの懐旧や地方自治体の自尊心によって有形文化財に指定されてしまった木造学舎に現在学ぶ者たちが、もうそこで学んでいない者やこれからも学ぶ心配のない者ほど、自分たちの学舎を誇っているとは限らない。その証拠に、放課後の掃除を嬉々として行う異常な生徒など皆無に近い。
 美紀だってバリバリの平成生まれだから、その廊下が小学校のときのようなピカピカのリノリウムで、かつ周囲に先生の目がなかったら、立ったまま乾いた雑巾を踏んづけてちょっとくるくるしながら歩く、その程度で済ませたかもしれない。きっちりしたお手入れは、どうせ誰か専門の人たちが、定期的にこっそりやってくれるのだから。
 しかし現在、目の前に長々と続いているのは、年季の入った自然木の廊下である。
「じゃあ美紀、あと、よろしくね」
 廊下担当だった同級生が、周囲に先生の目がないのをいいことに、美紀に軽く声をかけてクラブ活動へと去って行った。二年三組前の廊下の大半は、まだ乾ききったままである。
 うむ、と美紀は、ジャージ姿の薄い下腹に力を入れた。
 ちなみに美紀は、イジメにもパシリにも縁がない。どちらかといえば、良きにつけ悪しきにつけ肯定的に放し飼いにされるタイプである。ただ、この子はときどき、なぜか木造校舎の廊下との勝負を異様なまでに重んじる、かえって邪魔しないほうがいい、そう思われているだけだった。美紀自身もそれを否定しない。
 五時間目が体育だったので、ウォーミング・アップは無用である。
 近頃はお寺の墓地くらいでしか見かけなくなったブリキのバケツで、力いっぱい雑巾をしぼり、美紀は、ひとりチキンレースに突入した。
 だだだだだだだだ――。
 ひとりチキンレースに挑む場合、併走するライバルがいないので、両隣の組の廊下でまだ掃除を続けている生徒が仮想ライバルとなる。つまり、ぶつかる直前まで極力スピードを落とさず、むしろ加速を続け、しかし絶対にぶつかってはいけない。
 隣の三組前から国境を越えて突撃してきて、自分の鼻先で巧みに停止、「や」などと挨拶してから反転してゆく美紀を、四組の女生徒は「ん」と軽く返事して見送った。それを見ていた他の四組廊下担当たちも、ああ、今日のお隣さんがあの子なら、自分たちはもう適当に掃除してるふりをしてればいいな、と、だらだらモードに移行した。
 二組の廊下も、同様の経緯をたどる。
 美紀が廊下との勝負を終えた頃、時計塔を頂く擬洋風三階建て校舎の二階廊下には、もう美紀ひとりしか残っていなかった。
「ふう」
 美紀は額の汗を拭うと、廊下の中程にある石造りの水場でバケツや雑巾を洗い、誰もいなくなった教室のロッカーにしまって、また廊下に出た。
 美紀の教室と、上下に重なっているふたつの教室にだけ、教室と廊下にまたがって、太い柱のような出っ張りがある。その内側は空洞になっており、時計塔の時計の錘《おもり》――建築当時のままに長いワイヤーとその先の分銅によって重力駆動する時計機構の一部が、一階まで通っているのだそうだ。五日に一度、市内から古い時計店のお爺さんが通ってきて屋根裏に上がり、機構をチェックしたり、錘の付いたワイヤーを巻き上げたりしてゆく。
 美紀は、廊下にぺたりと正座して、その柱もどきに背中をもたせかけた。
 北国の春は、まだほんの入り口だが、さすがに陽は高くなってきた。廊下の窓の晴れた空から、けっこう暖かい光が射す。
 ちなみに美紀の中学は、よくある平日六時間or五時間制でも、年間一律に曜日で決めるのではなく、季節によって割合が変わる。晩秋から初夏までは五時間が多い。冬の昼が短い北国だからだろう。だからこの時期、帰宅組の美紀は放課後の時間が有り余っている。アニメの同好会もあるにはあるのだが、おたくっぽい男子が多いので、入学当初は顔を出していた美紀も、じきに行かなくなってしまった。
 背中の板から、大時計が時を刻む気配が微かに伝わってくる。
 もやもやした気分を吹っ切るには、廊下勝負が一番。
 で、何かじっくり考えたいときは、ここが一番。
 もやもや気分や深い考え事には、めったに縁のない美紀だが、今日はどちらも、けっこうあった。
 もちろんひとつ目は、あの木馬である。
 優太が、彼にしてはかなり頑張って得た『篠原遊具製作所1966』という情報は、今のところ宙ぶらりんのままになっている。
 あの後、居間に置いてある山福家共同パソコンで、茂が中心となり検索の海を泳ぎ回った結果、篠原遊具製作所という会社が、かつて茨城県のつくば市近郊にあったことだけは確認できた。遊園地や行楽施設の大型遊具では、かなりの国内シェアを誇っていたらしい。しかし昭和五十年――一九七五年に事業を閉じている。オイルショックによる倒産ではなく、先を見越した円満解散らしいが、そうなってしまうと、廃業後二十年以上たってようやく民間まで普及したネット上には、元の経営者や関係者が懐古的HPでも立ち上げてくれない限り、それ以上の詳しいデータが存在しない。
 各地の遊園地の回転木馬そのものなら、廃業していても山のように情報がある。回転木馬という遊戯システム自体のビジュアルや機構に関する情報も、けっこうある。しかし現存しない製造会社までは、誰の気も回らないらしく、世界的に有名な外国企業が、遊園地のウリとして紹介されているくらいだ。
「国会図書館あたり――それとも、茨城やつくばの図書館にないかな、その会社の社史とか」
 泰蔵に助言されて茂も頑張ったが、残念ながら、それらしい書籍は見つからなかった。
「あとは、そうですね――県立峰館図書館の検索で出た『回転木馬』関係――創作系じゃないらしいタイトルが何冊かありますね。国会図書館とも、けっこう被ってます。俺が明日、当たってきましょうか、現物に」
「そりゃありがたいが、仕事は大丈夫か?」
「次の締め切りは月中に一本、ラノベのイラストだけですから」
 と言っても文庫一冊ぶんの四半分を残しており、ひと月後にはまた月刊コミック誌の締め切りが待っている。でもそこはそれ自由業の強み、あるいは弱み、つまり土壇場の睡魔と大格闘して――。
 そんなこんなで、木馬の正体は、まだ宙ぶらりんだ。
 そしてもうひとつ、美紀には、もやもやの種がある。
 ようやく亜久津優太君の顔を覚えて、今朝も教室でちゃんと「おはよう」を言ったのに、なぜか優太君は声を返してくれず、頭をちょっと動かしただけだった。あれって、ちょっとヘンじゃない?
 もちろんそれは、優太の必要以上の含羞が為せる業である。早い話、優太は親しい男子や教師以外と朝の挨拶をまともに交わした経験がなかった。おまけに、昨夜あの美紀ちゃんとなんかいろいろかなり接近してしまった――単に成りゆきで家に行っただけだが、とにかく重大な局面を共有してしまった――それだけで、なぜか無性に恥ずかしいのである。ヘタレと笑うなかれ、この辺りの田舎では、現代でもこんな男子が珍しくない。かてて加えて優太には、自分でもけっこうヤッタと思われる行為が結局まだなんの功も奏していない、そんな負い目がある。
 美紀も決して鈍感ではないから、そっちの負い目だけは、昨夜の別れ際の表情から薄々察していた。
 しかしあっちの羞恥心は、まだ管轄外である。
 挨拶しても挨拶してくれないって、なんかあたし嫌われちゃった? でも、そんな覚えはちっともないし――あーなんかもやもやするもやもやする。
 そんなこんなで、いつもなら気が落ち着くはずの廊下勝負や大時計のコチコチが、ちっとも効いてこない美紀なのである。
「おーい、ミー坊」
 誰か女子に呼ばれたが、昔の子供っぽい渾名なので、もうやめてほしい。
「美紀!」
 抗議口調で名乗りながら顔を上げると、今はちょっと離れた五組にいる、昔の同級生が立っていた。
「やっほ、美紀」
「あれ? 今日は剣道部行かないの、茂美ちゃん」
 小学校時代、けっこうつるんでいた茂美が、現在、剣道部で女子の主将を張っていることは、美紀も知っていた。でも今は、クラブの時間なのに制服姿で、肩掛け鞄まで提げている。
「いいのいいの。どうせこのガッコじゃ無敵だから、あたし」
 確かに昔から、いかなる凶暴な男子をも、顎でこき使うタイプの女子だった。
「それより、美紀」
 茂美は、にんまし、と、どこか不気味な笑顔を浮かべて言った。
「きのう、うちの親父や弟がお邪魔してたでしょ、あんたん家《ち》に」
 は?
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする美紀に、
「じゃーん!」
 茂美は胸を張って言った。
「あるときはかわゆい女の子、またあるときは無敵の女剣士、しかしてその実体は――正義と真実の使徒にしてあっくん先生の長女、亜久津茂美様だあ!」
 は? は?
 鳩が豆鉄砲をくらって、すかさずその豆を口で受け止めたものの、実は豆ではなく百円ショップのスプリング鉄砲から放たれた中国製のBB弾だった――そんな顔で固まっている美紀に、
「……ありゃ、ウケない」
 は? は? は?
「おかしいなあ。うちのクラスや部活じゃ、けっこうウケたんだけどなあ」
 今どき片岡千恵蔵の多羅尾伴内を知っている中学生はいない。アニオタであるのみならず古映画オタでもある父親に、幼稚園の頃からそんなビデオを見せまくられていないかぎり。そしてこれまでそのネタがウケてきたのは、理解や喜悦ではなく畏れによってである。
 美紀は、ただ天に問うていた。
 ああ、偉大なるあっくん先生、昨日から今に至るこのなんかいろいろは、あなたが私に与えた大いなる試練なのでしょうか――。
 茂美の姓が亜久津であることは、もちろん美紀も知っていた。しかし『あっくん』が『亜久津』に由来することは、昨日初めて知ったのである。それまではアツシとかアツオとか、名前関係だとばかり思っていたのだ。
「ま、いいや」
 茂美は茂美らしくあっさり気を変えて、美紀の前に正座した。美紀とは違い、大事なトコロさえ隠れていればスカートだって平気であぐらをかいてしまう茂美だが、そこはそれ剣道部、何時間正座しても平気だし、今日は改まって美紀にお願いがある。
「お願い、教えて。あんたん家《ち》に何があった」
「えと……聞いてないの?」
「いやね、なんかふたりともすっげー気むずかしい顔で帰ってきたんだけど、父さんはもともと、すっごく口が堅いんだわ」
「優太君は?」
「そ。あいつなら、たいがいシメればシメ落とす寸前で吐くから、ちょっとシメてみたのよ。それでもなんにも言わないの」
 うわあ、茂美のシメに耐えたんだ――美紀はかなり感心していた。お父さんの口止めを、親子でちゃんと守ってくれたんだ。優太君なんか命がけで。
「と、ゆーわけで、あたしかなり欲求不満なのね。あたしが欲求不満だととってもアレなのは、美紀もわかってくれるよね」
 危険レベルMAXか――美紀は観念した。
 まあ茂美が女子をシメるのは、相手がよほどのナニでないと――たとえば芯から根性の曲がったイジメ娘とかでないと見たことがないから、さほど大きな覚悟をしたわけではない。もともと自分でも、自分サイドの誰かに相談したかったのである。
「――えーとね」
 これこれこーゆーわけなのよ――。
 ふたりが正座で談合している間、放課後の廊下を、ふたり連れの女子と男子ひとり、そして男性教師ひとりが通りすぎていった。
 どこにでもいそうなふたり連れの女子は――「あれ、今日はあのフシギちゃんだけでなく、女剣豪までいっしょに座ってる。なんかとっても興味あるけど、どーしよーあんた」「いやいや、やっぱりここは見て見ないふり、このまま安全に通過したほうがいいんじゃないの? 触らぬ神に祟りなし」――そんな会話を視線で交わし、そのまま通りすぎた。
 次に現れた、どこにでもいそうなガンモドキふうの男子は、「あれ、今日はあのちっこい猫みたいな子だけじゃなく、あの凶暴な虎女もいっしょに座ってる。なんかずいぶんヘビーな顔してるみたいだけど、大丈夫かな。話がこじれて、いきなり虎が猫を食ったりしないかな。でも両方猫科だから、たぶん大丈夫だよな。うん、触らぬ神に祟りなし」――そんな内心を無表情で糊塗しながら、迂回して通りすぎた。
 そして、平成元年生まれの事なかれ主義新米社会科教師は、「……『廊下を走るな』って張り紙はあるけど、正座するなとは、誰も言ってないよな。えーと、あれは確か三組の山福美紀と、五組の亜久津茂美か。うん、放置。タイプ違いだが、両方とも放し飼いで無問題」――そのように、何食わぬ顔で通りすぎた。
「……あんたたち、こんなとこで何やってんの?」
 四番目に通りかかった中年女性英語教師が、さすがに呆れて叱責した。
「廊下の交通妨害禁止! クラブないんなら、どっちかの家でダベんなさい」
 さすがベテラン、家で勉強しなさいなどと無駄なことは言わない。

 茂美が美紀の着替えを待ち、連れだって校舎を出る。
 校庭のポプラ並木は秋に葉を落としたままだが、枝越しに見上げる空は、もう冬の透徹しすぎた青ではなく、淡い春の水色を刷いている。
 校門に向かって歩きながら、茂美が言った。
「そーゆーことなら、心霊探偵の仕事だわね」
 美紀は、かなり驚いた。
 茂美から、そっち方向の話は聞いたことがない。それに、そっち系が大好きな美紀も、『あるかもしれない世界』や『あってほしい世界』と、『ちょっと面白いけどあってほしくない世界』や『すっごく面白いけどありえねー世界』の区別くらいはしている。とはいえ旧友の茂美が、いい加減な嘘をつく連中は竹刀の餌食としてしまうタイプであることも知っている。
「いるの? そんな八雲みたいな人」
 茂美は、意味ありげに頬笑んで、
「見たり聞いたりできるかどうかは、この場合、問題じゃないの」
 茂美だって、ひとりだけなら見えるし聞こえる。といって優作が本当に何を考え、ふだんどんな所をうろついているかなど、優作自身にしか判らない。
「島本和哉って人、知ってる?」
「知ってる。けど……」
 美紀がそっち系に目覚めた頃、ときどきそっち系のテレビ番組に出ていたおじさんだ。でも確かその人は、この世に幽霊なんていないとか、霊能者なんてみんなインチキだとか、そんなことばかり言う人だったはずだ。
 実際、島本和哉は、過去のいっとき心霊系バラエティーで重宝なヒール扱いされていた、基本心霊否定論者のフリーライターである。しかし幼い美紀が思っていたほど、頑迷な論陣を張っていたわけではない。その霊能者は過去にこれこれこんなことをやっている詐欺まがいの商売人だ、とか、この心霊写真は撮影したデジカメを現場で実機検証した結果、複数の非球面レンズの内面反射によって横の壁のポスターが変形して映りこんだだけだ、とか、自らの徹底的な検証に基づいて発言していたのである。しかしそれゆえに、やがてそっち系の表舞台が、真偽の検証ではなく「まあ嘘でもホントでもなんでもいいから、それっぽいのをみんなでワイワイ怖がりましょうよ」に変質してからは、ほとんどお呼びがかからなくなってしまった。今でも細々と、その手の著書を出し続けているのだが、美紀は読んだことがない。
 茂美は言った。
「あの人はリアリストだよ。嘘は嘘、夢は夢。でもどんなに調べても、どっちか解らないことは、ちゃんと『あるかもしれない』って言ってる。つまり、モノホンのリアリストね。そーゆー意味で、ちゃんとした探偵なわけよ」
「でも、お金ないよ、うち」
 美紀も、そこいらは立派にリアリストである。興信所の浮気調査だって何万円もかかると、平成少女コミックに教わっている。
「だいたい、どうやって連絡するの? ブログとかあるの?」
 茂美は、にんまし、と、不気味ではない笑顔を浮かべた。
「実はお父さんの知り合いなのよ。峰館市役所の、ちょっと先に住んでたりして」
「へえ……」
 まあ、あっくん先生が御近所だったくらいだから、そーゆー人が峰館にいても、おかしくはない。
「あたしなんか、父さんより島本さんのほうが、人生関係とかアテになる気がして、しょっちゅう話聞きに言ってる。まあ、マジに実地調査とか背後関係調査とかだと、ギャラとるらしいけどね」
「じゃあ、ダメじゃん」
「美紀直じゃなくて、あたし経由ならOK」
 茂美は、にんまし、と不気味なほうの笑顔を浮かべた。
「島本さん、借金あるから。うちの父さんに」

      2

 茂美が、その島本にアポイントをとった後、『島本さんとこに寄ってから帰る』と母親にメールを入れると、すぐに『たかっちゃだめよ』と返信があった。
 美紀は両親が共働きなので、夜まではいわゆる鍵っ子である。それでもいちおう母親に『友達とちょっと街に行ってから帰る』とメールを送ると、間もなく返信があった。『品行方正、門限厳守!』。
 バイパス沿いにある路線バスの停留所から、北の市街地をめざす。
 美紀たちの町は、奥羽新幹線の停車駅である峰館駅と、南の停車駅である神ノ山温泉駅との、ちょうど真ん中あたりにある。ローカル線が停まる駅も、近隣にあることはあるが、新幹線にシカトされてしまったJR駅は、開通前より格段に不便になると相場が決まっている。いつのまにか連結車両が減ったり、こっそり本数が減ったりする。その不便を、地元のバス会社が補うわけだ。
 十分ほどで現れたバスの中ドアから、整理券を取って乗りこむと、こんな中途半端な時間でも、車内には、お年寄りやママっぽい人たちが数人座っていた。
 いちばん後ろの席がまるまる空いていたので、ゆったり腰を据える。
 まだ斑に雪の残る田圃を縫って三十分ほど走った頃、バイパスの彼方に、レゴのバケツをひっくり返したようなビル街が見えてきた。
「……ありゃ」
 茂美が妙な声でつぶやいた。
「どしたの?」
「……ストーカーが涌いてる」
 茂美の顎に促されて、美紀は目を凝らした。
 前のほうのひとりがけ席に、窮屈に身を縮めている頭の先っちょが見えた。
 ときどきこそこそと頭を上げて、バックミラー越しにちらちらと後ろを窺っているのは――皆様ご推察のとおり、本日朝から現在に至るまで、美紀の言動を陰に日向にずっと捕捉し続けていた、少年ストーカー約一名である。さすがにあの廊下では、遠すぎて何も聞こえなかったが、校庭に出てからは、部分的に盗聴していたりもする。もっとも自前の耳頼みなのでやや感度不足、ふたりの行く先の詳細までは検知していない。
「うわ、なさけない。庭石の下のダンゴムシか、あいつは」
 美紀も、うわあ、と呆れたものの、餓狼や変態親爺ではなくダンゴムシなら、そう嫌ではない。あんまり近寄ってきたら、つっついて丸くしてコロコロできるし。
「でも面白いから、放し飼いにしとこう」
 茂美の邪悪な笑顔に、美紀も異議なしとうなずいた。

 中心市街に近づくにつれて、さすがに車内が立てこんできた。
 田舎なりに都市熱がこもるせいか、もう道筋には雪の欠片もない。ただし卒業式あたりに名残雪を見るのが珍しくない土地柄、道行く車のタイヤは、まだたいがいスタッドレスである。
 終点の峰館駅に至る少し前の繁華街で、茂美が降車ボタンを押した。市役所前の停留所だから、放っておいてもたいがい停まるのだが、そこはきっちりさせないと落ち着かない性格なのである。
 前降りのドアに向かう茂美と美紀を、優太は席に縮こまったままやりすごした。
 ちょっと間を置いて、大勢の降車客にまぎれ舗道に降り、追跡を続行する。
 どうやら茂美たちは、市役所のちょっと先にある交差点をめざしているようだ。
「よ、がんばってんな、学生さん」
「わ」
 しっかり声を上げてしまったが、賑やかな街中なので、誰にも気づかれずに済んだ。
「……いつからいた?」
 昨夜、茂親子や枕崎夫妻が山福家を出る頃、もう優作は消えてしまっていたのである。一度消えるとそれっきり旅に出てしまうことが多い優作なので、優太としてはけっこう意外な、かなり嬉しい再出現だった。
「お前たちが、バスに乗ったとこからだ」
 優作は言った。
「俺も、今日はこっち来る予定だったし、ちょうどいいから屋根によじ登ったわけよ」
「中に座れば良かったのに」
「いや、なんか邪魔になりそうだったからさ、イロケづいた学生さんの」
「……そんなんじゃないよ」
「これのどこが、そんなんじゃないんだよ。そんなんじゃなきゃ、どんなんなんだよ」
 そう言われてしまうと、優太も、そんなもんなんです、と頭を下げるしかない。
 優作も、うむ、とうなずき、
「いや、別に咎めやしねえよ。お前もそーゆー歳になったんだなあ、とまあ、兄として、ゆんべっからしみじみとナニしていたわけでございますよ」
 道行く人々の前に見え隠れする、ふたつの制服姿を追いつつ、優太は優作に訊ねた。
「あの後、どこにいたんだ、お前」
「そりゃ久々の生まれ故郷だもん、気ままにほっつき歩いてたのさ。寝るにしたって、狭い家ん中より、墓場かなんかのほうが落ち着けるしな。墓場はいいぞ。試験もなんにもない奴らが、毎晩楽しく運動会やってる」
 マジか――優太が目を見張ると、
「本気にするんじゃねーよ。妖怪なんて、この世にいやしねーよ。俺ほど吹っ切れねえ連中が、二三人うろついてるだけだ」
「……それもやだなあ」
 そんな馬鹿話を続けるうち、ふたり――正確にはふたりがふたつ――は、繁華街からいくつかの交差点を経て、マンションやアパートの立ち並ぶ一角に踏みこんでいた。
「んじゃ、せいぜいがんばれ、優太」
 優作が、別れるそぶりを見せた。
「え?」
「そんな情けねー顔すんじゃねーよ。さっき言ったろ。俺は、もともとこっち来る予定だったの。あすこの停留所から、またバスに乗るから」
 優作はそう言って、三人ほどの待ち人が佇むその停留所ではなく、道の先の彼方、盃を伏せたような小山を指さした。蔵王連峰の、ほんの露払いの山である。
「あの山に、昔、世話になったおばさんが迷ってんだよ。明治だか大正だか、婆さんの嫁いびりにがまんできなくなって、一升瓶かかえて冬山に入って、雪道で酔いつぶれて死んじゃったんだと。で、それからずーっと、その山道で酒あおってるわけだ。まあ早い話、アル中のホームレスみたいなおばさんなんだけどな」
「へえ……」
「俺、旅に出たばっかりで、右も左もわかんなくてこのへんうろうろしてた頃、そのおばさんに、ずいぶん世話になったんだ。だから、たまに帰ったときくらい、きっちり挨拶してやんねーとな」
 そうか。そっちの世界もこっちの世界も、世の中色々あるんだよなあ。あの木馬の女の子だって、なんかこっちで色々アレなことがあったから、ああして回り続けてるんだろうしな――。
 優作が側にいてくれてかなり心強かった優太だが、甘えてばかりはいられない。優作には優作の世界があるのだ。
 そう諦めたつもりでも、内心の寂しさが、つい優太の顔に出る。
 優作は言った。
「勘違いすんな。せいぜいひと晩、飲み明かすくらいだ。あのワケアリ木馬だって気になるし、またそっちに寄る」
「うん」
 それならオールOK。
 安心したところで、優作の言葉の一部がちょっと気にかかり、
「……お前も飲むの?」
「そりゃ飲むさ」
 優作は嬉しそうに言った。
「飲んでも飲んでも減らねえ一升瓶だぞ。白鶴の大吟醸だぞ。初めて会ったとき飲ましてもらって、こんなうめーもんこの世にあるかと思った」
 うわ、こいつ、三歳から飲んでんだ――。
 まあ、アルコール中毒で死ぬ心配だけはないだろうが。
 ふたりが停留所にさしかかる頃、後ろから、山に向かうバスがやってきた。
「えーと、それからもひとつ、念のため」
 優作は立ち止まり、優太の肩に手を置いて言った。
「あのな、優太。とっくにあいつらに気づかれてるって、お前もとっくに気がついてるよな」
「え?」
 そ、そうなの?
 とっちらかる優太に、
「……ま、とにかく、それなりにがんばれ」
 優作は脱力したように言い残して、他の乗客にまぎれ、バスに乗りこんでいった。
 残された優太は、おずおずと前を窺った。
 ふたつの制服姿は、とくに警戒する様子もなく、次の角を右に折れてゆく。
 いやいや、まだ気づかれていない、それは優作の考えすぎだ――そう自分に言い聞かせつつ、じゃあ自分と優作のどっちが判断力において優れているかと問われれば、同じ程度であると胸を張って答える自信もない。
 とにかく、見失ったらおしまいだ――。
 優太は次の角に急ぎ、ふたりが曲がって行った方向を、おそるおそる覗きこんだ。
 目の前で、茂美が仁王立ちになっていた。
 優太は、反射的に口を開いた。
「や――」
 茂美は、はしっ、と掌で優太の発言を押しとどめ、
「なにも言うんじゃない。このうえ『やあ偶然だね』とか言われた日にゃ、あたしゃあんたを今ここでタコ殴りにしなきゃなんない」
 ああ、砂の器が崩れてゆく――優太は絶望した。
 茂美の鉄拳制裁は今さらどうでもいいが、美紀ちゃんは、もはや永遠に、俺に「おはよう」をしてくれないだろう。こんなことなら、今朝、俺もちゃんと最初で最後の「おはよう」をしとけばよかった――そう絶望しながら、優太は茂美の後ろにいる美紀に、ちらりと目をやった。
 美紀は腹をかかえて体を折り曲げ、ぴくぴくと痙攣していた。
 いけないいけない。今ここで吹き出してしまったら、母さん寄りの「おほほほほ」ではなく、父さん寄りの「ぐわははは」になってしまう――。
 つつしみ深い娘なのである。

 なにはともあれ合流した三人は、すぐ横のマンションのエントランスからエレベーターに乗った。
 マンションのエントランスといっても、古い団地に毛が生えたような貧相な意味での昭和レトロであり、当然エレベーターも狭苦しくて薄汚れている。
 最新のエレベーターに慣れた優太や美紀が、少々不安になるような震動の中、茂美は優太にさりげなく言った。
「ところで、アレ、どうなった?」
 優作の話だな、と優太は気づいた。後をつけていたのがバレていたなら、当然、茂美も優作を見ている。
「うん、なんか用事があるんだって」
 あくまで家庭の内輪話のような調子で答える。
「ほんっと、あいつ気まぐれよね」
 そんな会話を、美紀も姉弟の内輪話として聞き流した。
 最上階で降りてちょっと奥に進むと、他の部屋にはない立派なプレートが見えた。『島本和哉事務所』。ただしドアそのものは他の部屋と同じ、古い団地から毛が抜けたようなペンキ塗り物件である。
 茂美はノックもそこそこに、ドアを引いて上がりこんだ。
「やっほー、先生」
 これほど軽い響きの『先生』も、めったにあるまい。
 フローリングのリビング兼仕事場の隅っこで、パソコンデスクに向かっていた男が、キーボードを叩きながら顔だけこちらに向けた。
「よう、茂坊」
 あ、茂美の小学校の頃の渾名だ、と美紀は思った。よほど親しいつきあいなのだろう、茂美は茂坊呼ばわりされても、ちっとも気にしていないようだ。
「お邪魔虫!」
 茂美はなんの遠慮もなく、手前の小さな応接セットに座りこんだ。
 なんとなく遠慮して、立ったままでいる美紀と優太に、
「さあさあ、君たちも遠慮なく掛けたまえ」
 あくまで茂美の言葉である。
 島本は苦笑して打鍵を止め、小さな友人とその連れたちに、冷蔵庫からコーラでも出そうと立ち上がった。
「おや、優太君も来たのか。これはお珍しい。いや久しぶり」
「ども」
 島本が過去に二度ばかり亜久津宅を訪れたとき、優太も顔を合わせている。ただし優太にとっては、父さんが昔イラストを描いていた本の文章を書いていた人、その程度の認識である。
 島本は、端っこで小さくなっていた美紀に、
「はじめまして、えーと――」
 美紀は反射的に立ち上がり、きっちりお辞儀した。
「山福美紀です。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしく」
 美紀の幼時記憶にあるようなイヤミなおじさんだったら、適当に茂美の顔を立てるだけで帰ろうと思っていたのだが、実物の島本さんは、マジに外国映画の探偵みたいな人だった。なんかスタイリッシュでキレそうな人だ。
「そんなにしゃっちょこばらないで、座って座って」
 もっとも本来の島本は、若かりし東京時代こそバブリーに着飾っていたが、都落ち後は、安アパートの四畳半で年中同じヨレヨレのジャージを着ていたような男である。それが結婚後、妻の感化によって若干マシになり、さらにテレビに呼ばれるようになった頃、ディレクターの要望に応じてスタイリストがいじくりまわした結果、現在のビジュアルに落ち着いたわけである。
「山福さん――珍しい姓だね」
「……変な名字ですよね」
「いや、とてもいい名字だよ。山には福がある、山から福が来る――いかにも峰館らしくていいじゃないか」
「ありがとうございます」
「美紀ちゃん――そう呼んでいいかな」
「はい」
 元気に答える美紀に、島本が、あれ? と言うような顔をした。
 この毛並みのいいシャム猫みたいな感じは――年齢や背丈はまったく違うが、なんだか、あの奥さんにそっくりじゃないか。昔、同じアパートの階下に住んでいた中年夫婦――そう、山福さんの奥さん。
「美紀ちゃん、もしかして、お父さんもお母さんも先生してない?」
 美紀は驚いた。なんで、そんなことまで判ってしまうのだろう。やっぱりシャーロック・ホームズ級の探偵さんなのだろうか。
「君が生まれる前だと思うけど、たぶん俺と同じアパートに住んでた。確か、お父さんは国語の先生だったよね」
 実は美紀もとっくに生まれていたのだが、当時、泰蔵と淑子はそれぞれの学校の演劇部顧問を務めており、その合同公演が高校演劇界のトップレベルに達してしまったため、教育者としての義務と使命を果たす都合で、美紀は一時期、蔵王温泉にある泰蔵の実家に預けられていたのである。
 すでに乳離れして幼児期にあった美紀としては、自分の幼子の躾にさえロッテンマイヤーな母さんや、トコトコ歩くにも駆け回るにもすぐに何かにぶつかってしまう狭いアパートより、なにかと甘いお祖父ちゃんやお祖母ちゃんと広い旅館で暮らすほうが、よほど楽チンだった気がする。まあ、ときには夜中に泣いたりしたのかもしれないけれど、蔵王温泉だって峰館市の内で、車を飛ばせば三十分、父さんも母さんもしょっちゅう会いに来てくれたし。
 ともあれ、そのアパートに島本が住んでいたことなどは知る由もない。
 うわあ、と美紀は目を見張り、それから、またぺこりとお辞儀した。
「どうも、父や母がお世話になりました」
「いやいや、こちらこそこちらこそ」
 島本は恐縮しながら、美紀の横で「あらまあ」みたいな顔をしている茂美に、なにやら目配せした。
 ――同じ女の子でも、ずいぶん違うねえ。
 茂美は、しかめっ面を返した。
 ――ほっといて。
 とにかくそんな雰囲気であるから、美紀も優太も、すぐにこの場の空気になじむ。マンションの外観はボロでも部屋の壁や資料棚はピカピカ――それが島本自身の仕業ではないにしろ――だし、いちおう最上階、窓の彼方には青空と、蔵王連峰の、白と青茶の波模様が望める。
 コーラのグラスが並んだテーブルを囲み、
「さて、詳しい話を伺おうかな」
 島本が切り出したとき、島本の携帯に着信があった。メールではなく電話のコールである。
「ちょっと御免」
 おう、千鶴子か――へえ、そりゃ面白い――うん、大丈夫、こっちに回してくれ――そんな短い応答の後、
「今日は千客万来だなあ。ちょっとしたら、もうひとりお客さんが来るぞ」
「ありゃ。もしかして、あたしたち、お邪魔?」
「それは、あっちの用件しだいだな」
 島本は意味ありげに笑って言った。
「まあ、親子で俺に声がかかるってことは、十中八九、同じ用件だと思うけどね」

      3

 その日、睡眠不足が重なっていた茂は、つい昼まで寝過ごしてしまい、あわてて市街に出て県立峰館図書館に駆けこんだ。そうして昨夜見当をつけた書籍類に当たったものの、結局、篠原遊具製作所に関しては、ネットと同程度の情報しか得られなかった。
 仕方なく帰路をたどる内、茂は図書館に近い横町にある、小さな古書店の存在を思い出した。古書店で木馬関係の資料を当たろうと思ったわけではない。その古書店『伽藍堂』は、島本和哉の妻が経営しているのである。島本自身も、暇なときには手伝っていると聞く。あの島本さんなら、俺よりはるかに、そっち系の調査活動に明るいのではないか――そう考えた茂は『伽藍堂』に寄り、島本の所在を確認したのである。
 茂と島本のつきあいは長い。茂が専門学校を卒業して何年か、文字どおりまったく売れない漫画家として東京をうろついていた頃、マスコミの片隅のちっぽけな編集プロダクションを通して、何度か島本の著書――当時は実話と称する創作怪談が多かったが――にカットやイラストを描かせてもらい糊口を凌いだことがある。茂が峰館にUターンした翌年、ひょんなことから島本も同郷のUターン組であることを知り、以来、何度か顔を合わせて飲んだりもした。
「いやあ、あっくん、面目ない」
 茂が部屋に合流すると、島本は、きまり悪そうに頭を下げた。峰館で再会したときに少なからぬ金を借りて、いまだに返せないでいる。
「いやもう、気にしないでください」
 茂は本心で言った。
 その借金に関しては、茂の父親が経営する安アパートが全焼し、そこに住んでいた島本が焼け出されてしまった等々、種々の事情が重なっているので仕方がない。だいたい借用書すら作っていない借金の話を、他人や子供の前で隠そうとしないだけでも、人間として尊敬――まではできないが、それに近い親しみを覚える。
 茂も島本も、お互い本質的には同じロマンチストであることを感じ取っているのである。茂は根が生真面目ではないから、花も実もある絵空事としてのロマンを創ろうとする。対して現在の島本は、仮想では飽き足らず、現実世界にロマンの実在を求めている。
「今の月刊、まだ続きそうか?」
「はい、なんとか。例によってアンケートは下位なんですけど、編集が面白がってくれてるんで」
「そりゃ用心しろ。編集変わるとそれっきりだろ、そのパターン」
「そうなんですよねえ」
「ちゃんと営業やってる? 田舎に引っこんでるぶん、目立っておかないと」
「……実は、あんまし」
「あっくんのことだから、今現在思うように描くしか、頭にないんだろうなあ」
「まあ、例のアニメのおかげで、まだあっちこっち印税入りますから、当分はなんとか凌げます」
「そうか。あの一発はでかかったもんなあ。俺なんか去年はゼロだぜ増刷。今やってる仕事も単発で次がないし」
「いざとなったら、いっしょにコミケで食いましょう」
「そりゃチョンガーの話だろう」
 そんな内輪話がしばらく続いたが、美紀や優太は、けっこう面白く聞いている。
 とくに美紀は、先生に対して『あっくん』で通せる島本に、かなり信頼感を増している。
 ただし茂美は、そっちの業界にまったく興味がない。
「いいかげん本題に入ろうよ」
 ようやく、謎の木馬の話に入る。
 これこれこーゆーわけなんです――茂メインに美紀がサブ、そんな流れで島本に事の次第を伝え、
「とにかく一度、実物を見てもらえますか」
 話だけではとても信じられないだろうと、茂は言った。
「いいよね、美紀ちゃん」
「はい」
 美紀も、ぜひお願いしたい。
「近々伺うが、先に検証を始めよう」
 島本は、冷静に言った。
「俺だって、そっちのほうで食ってるんだ。取材で全国回ってりゃ、ふたつやみっつは、それらしい物を見たこともある。ただどれも再現性がないっつーか、客観的に現実であると証明する手立てがない。対して今回の件は、ここにいるだけでも三人、総計七人、信頼に値する人間が同時に目撃してる。ならば、それは現実だ。再現性があろうとなかろうとな」
 おお、と一同はうなずいた。
「かてて加えて、篠原遊具製作所の木馬。これは、なかなか――」
 島本は立ち上がり、資料類の棚から、一冊のファイルを抜き出した。
 島本は仕事上のデータを、ディスクやUSBメモリーやクラウドのみならず、プリントアウトでも保存している。エコなペーパーレスには反するが、今どきのアブないネット環境では、そこまでやらないとデータを護りきれない。
「見てくれ。えーと、五年前の取材メモだ」
 テーブルに広げたページには、こんなタイトルがあった。『廃墟の幽霊――回転木馬の少女 2006(H18)0123』。
 島本は、本文を指し示しながら、
「読んでもらえりゃわかるが、実際の目撃談は一九七二年、昭和四十七年の四月だ。五年前、茨城の牛久に住んでる山田さんというお年寄りから、ここに手紙が届いた。あの頃は、まだ俺もけっこう顔が売れてたし、本なんか若い衆より年寄りにウケがいいんだ」
 それは茂にも想像できる。島本の怪談話は、でっちあげ――創作の頃も、その後検証する立場に転じてからも、岡本綺堂あたりに近い話芸がある。
「実物の手紙も次のクリアに入ってるが、達筆なんで俺も読むのに苦労したくらいだから、この梗概だけ読んでくれりゃいい」
 四人揃って、それぞれの速度で本文に目を走らせる。
 茂が読みながらつぶやいた。
「『峰館ハワイアンランド』――そんな遊園地があったんですか?」
「あっくんは知らないだろうな。そりゃ、たぶんあっくんが生まれる前の話だもんな。俺だってやっと物心ついたくらいの時代だし、この手紙読むまで知らなかった」
 島本は、手紙の入ったクリアファイルから、何枚かのコピーを取りだして見せた。
 四つ折りが二枚、もとは大型の二つ折りパンフレットの裏表らしい。
「その山田さんが持ってたパンフを、取材に行ったときコピーさせてもらった。驚くなよ」
 島本は、思わせぶりに、コピーを開いてみせた。
 麗々しく表紙を飾るカラー写真を見て、
「なんじゃこりゃ……」
「なにこれ……」
 茂と茂美が、仲良くハモった。
 美紀も優太も、声は出さなかったものの、表情は「うわ」である。
 島本は、ごもっとも、とうなずいて、
「あったんだよねえ。こんな田舎にも、こんな浮き世離れした行楽施設――今でいうテーマパークがさ」
 存在をまったく知らなかった四人にとって、それは、悪い冗談のような写真だった。
 背景に蔵王が写っているところを見ると、確かに場所は峰館近郊らしい。周囲に広がる段々畑や、まばらに点在する藁葺き屋根の農家は、茂なら微かに記憶している山合の農村風景だし、子供たちにも、まあ確かにド田舎だもの大昔はこんなんだったんだろうなあ、そう納得できる光景だ。
 しかし、その中央、緩やかな山肌にへばりついているのは、周囲何キロもありそうな近代的外壁に囲われた、巨大なアメーバのような行楽施設だった。その分厚い外壁自体も、ホテルやイベントスペースになっているらしく各階に円柱や細かい窓があり、内側には巨大な観覧車や、遠目にもトロピカルに飾り立てられた複数の大型プール、ジェット・コースター、その他無数の遊戯施設が見えた。
「こちらもご覧あれ」
 島本が示したパンフの内側らしい園内イラストマップには、写真で判る大物の他にも、ゴーカートやスリラーハウス等の定番に加え、小規模ながら動物園まで紹介されていた。
 四人が四人とも、こう思った。
 うわあ、こんなド田舎で、なんて無茶なことするんだ――。
 島本は、なかば苦笑しながら、
「そーゆー時代だったんだよねえ。高度経済成長期のピークだもの。日本全国、こないだの世紀末バブルより、もっと浮かれていた時代だ。あのバブルんときも、ずいぶんあっちこっちの田舎に馬鹿でかいテーマパークみたいなのができて、今はほとんど潰れてるだろう。その同類さ」
「それにしても、こんなものすごい施設、なんで俺が知らないんだろう、いくら赤ん坊の頃だって。俺、旧市街の城跡が陸軍の練兵場だった頃の話とかだって、ちゃんと親父から聞いてますよ」
「そこが色々あるんだよ」
 島本は言った。
「まず、この峰館ハワイアンランドは、昭和四十二年、一九六七年の五月に開業して、一九七一年、昭和四十六年の十月には閉園してる。つまり営業期間わずか四年半」
 うわあ、やっぱり無茶だったんだ――。
 茂は呆れて言った。
「そりゃ県内のファミリーが残らず押しかけたって、こんな施設、採算とれるわけないですもんね」
「そのあたりは、隣の福島の常磐ハワイアンセンター、今のスパリゾートハワイアンズ、あれを見込んだらしいな。なにせイケイケゴーゴーの時代、悪くても近県各県、あわよくば全国から観光バスが連なって――そう思ったんだよ」
「なるほど、確かにこんだけ色々あれば――十年くらいは、もちそうな気もしますね。なんで、たった四年なんだろう」
「よく見てごらん」
 島本は、その巨大アメーバ全体を、指でなぞりながら言った。
「屋根もなんにもないだろう」
 四人はふたたび仰天した。
 遊具はもとより、温泉プールも露天なのである。
 うわあ、無茶のギネス入りか――。
 現在、蔵王のこっち側にある小規模遊園地は、たいがい冬期は休園する。遊具が雪に埋もれてしまうからだ。運営会社は冬だけ従業員を山上のスキー場やホテルに回すなど、ギリギリの工夫で存続しているのである。
 絶句している茂に代わり、茂美が呆れ果てたように言った。
「……なんでこんな馬鹿なもん造ったの? 社長は小学生だったの?」
「それもまた、時代のイキオイだったんだろうねえ」
 島本は、実際に吐息して言った。
「この運営会社は、峰館交通、峰館観光、峰館新聞、それから近辺の温泉組合、そんな寄り合い所帯で発足したんだよ。つまり、確固たるビジョンを持ったリーダーが存在しなかった。で、みんなでイケイケのまんまわいわい寄り合いやって、当時、東京の近代建築で名をはせていた建築家に、外周のホテルとか売り物の温泉プールとか、要所要所の設計を一任した。隣の県のイマイチ垢抜けない施設――あくまで当時の話だよ――その施設より、力いっぱい近代的な物件にしたかったんだろうな。そしてその建築家はあくまで東京育ち、つまりモノホンの雪国を知らなかった。もちろん一流の建築家が、まるきり馬鹿なわけはない。当時としてはSFに近いアクリル構造の屋根とか、当初は設計に含まれていたらしい。ただ、それがあまりに非現実的な予算を必要とした。で、寄り合い所帯の運営会社は、それはまあちょっと余裕ができたらあとでゴニョゴニョしましょう――そんなこんなで見切り発車、とまあ、そんなとこらしいんだな」
「……信じらんない」
「そう言うけど、茂坊、前にもここで色々話しただろ。時代という奴は、えてしてイキオイだけで簡単に転がっちゃうんだよ。他の国からガンガン資源を略奪しないとどうやっても維持できない近代国家を希望に燃えて建設したり、ちょっと落ち着いて考えればどうやったって勝てるはずのない戦争を始めてみたり――それが歴史というものなんだ」
 茂美も黙りこんでしまった。
「で、いよいよここから、俺の仕事の範疇になる」
 誰も意見や質問はないらしいので、島本は続きに入った。
「さて一九七一年の秋、雪を待たずに一時休業に入ったこの施設は、冬の間に閉園を決定、雪が溶けた頃には、もう立派な廃墟に仕上がっていた。そりゃそうだよね。前年の冬まではきっちりされてた除雪作業とか、いっさいされなかったわけだから。そしてようやく解体撤去が始まったのが、一九七二年の四月。で、ここに当時篠原遊具製作所の社員だった、牛久在住の山田さんが絡んでくる」
 島本は、イラストマップの真ん中あたりを指さした。
「他の色々に比べて、小さくて見にくいけど、回転木馬があるよね」
「はい」
 今度は美紀が、代表して返事した。
 島本が続ける。
「当時、筑波郡谷田部町にあった篠原遊具製作所は、木馬や小型遊具の単体だとリースもしてたけど、こうした大規模な機構一式の場合、基本、あくまで販売設置とその後のメンテナンス、そんな契約だったんだそうだ。だから、四年で倒産しようが百年続こうが、メンテ以外は本来知ったこっちゃない。ドライなアメリカあたりだったら、はいサヨナラで済む話なんだが、そこはそれ義理と人情の昭和日本企業、ランド側になんとか引き取ってもらえないかと泣きつかれたら、当然対処する。状態が良ければ、修繕して使い回しもできるからね。で、その山田さんが、峰館に出張してきて状態をチェックすることになった」
「はい」
「もっとも篠原遊具のほうでは、初めから無駄足だと思っていたらしい。マジな雪国でひと冬放置されたら、木造の物件がどんな状態になるか、専門の業者なら見なくても見当がつく。だから山田さんも、まあ、義理を果たすだけのつもりで出張してきた。そんな出張に旅費なんてかけられないから、予定は日帰りだ。新幹線もない時代だから、早朝に牛久をたって常磐線で宮城県の仙代、仙峰線に乗り換えて、奥羽山脈を越えて午後には峰館、形だけチェックして夜行で牛久へ戻る、そんな予定だな」
「はい」
「ところが仙峰線の線路が、ちょっとした雪崩で一時不通になっちまって、ようやく峰館に着いたのは、日が暮れた後だった。なにせ高度経済成長真っ盛り、会社に帰れば山のような仕事が待っている。だから山田さんは、夜の内に形だけ木馬の状態を確認し、仙峰線の最終に乗って仙代に一泊し、朝イチの常磐線で茨城の会社へ直行しよう――そう考えたんだな。なにせほら、モーレツ社員の時代だから」
 そこいらになると、現代っ子たちは首をひねってしまう。
「忙しくて過労死する暇もない時代だったのさ」
 茂が冗談めかして注釈を入れると、子供たちもなんとなくうなずいた。
 実際には、まだ東海道と山陽の一部にしか新幹線がないからこそ、地方出張中は列車の中で長くくつろげる、そんなローカル系の鉄ちゃんに優しい時代でもあったわけだが。
 島本が続ける。
「夜の廃墟には、もう管理人ひとりしか残っていなかった。定年退職後の老人、もう足元もおぼつかないような名ばかり管理人だ。山田さんを呼びつけたランド側だって、寄り合い所帯で責任のなすりつけ合いに忙しいから、時間外に社員を回す余裕がない。山田さんはしかたなく、懐中電灯を借りて、ひとりで廃墟中央の木馬に向かった。なにせ広大な夜の廃墟だ――ここからが、ほんとなら一番の語り所なんだが、まあ今日は説明だけなんで、あっさり言っちまおう。つまり山田さんは、そこで、電源も止まってるのに回り続けている回転木馬と、そのひとつにまたがっている女の子を見ちまったわけだ」
 あっさり言われただけでも、茂美を除く山田さんの仲間たちは、けっこう背中が冷えていた。
 茂は言った。
「えと、その、女の子の服装とか――」
「そこまでは見なかったそうだ。つまり、まず遠くから見かけて、まさかと思いながらちょっとだけ近づいて、間違いなくそーゆーシロモノだとわかった時点で、一目散に逃げ出しちまったんだな。そりゃそうだよね。大勢集まってるAVルームならともかく、ひとりっきりの廃墟できっちり細部まで見ました、なんて話なら、かえって眉唾だろ。篠原遊具の社員としても、そんな怪しい物件は即引き取り不可、それでなんの問題もない。そうして廃墟は撤去され、土地は転売され、専売公社――今のJTがらみの煙草農園、つまり段々畑に戻っちまった――とまあ、こんな話なんだな」
 しばしの沈黙の後、茂が口を開いた。
「……関係ありそうですね、今度の木馬と」
「ああ。ただし、この件とそっちの木馬がリンクするにしても、不確定事項が多すぎる。俺も五年前、県立図書館でその頃の峰館新聞のマイクロフィルムに総当たりしてみたが、峰館ハワイアンランド近辺で、子供がらみの死亡事故とか、行方不明とかは一件も起きてない。どこか外からまぎれこんだとしたら、もう調べようがない。だから、このネタは保留中なんだ。ビジュアルとしては実にそそられるんだが、今の俺の仕事には、最低限でもオチが必須だからな」
「俺としちゃ、それだけ破格な施設の存在が、峰館人の記憶からきれいさっぱり消えている、そのあたりも気になるんですが」
「それは考えすぎじゃないかな。峰館在住者のレトロ系ホームページやブログでは、近頃もぼちぼち話題になってるし、一般世間のほうは、峰館交通と峰館観光と峰館新聞と周り中の温泉組合、それが全部、一刻も早く忘れよう、世間にも忘れてもらおうと黒歴史扱いしてたんだぜ。今のネットみたいに、草の根レベルで繋がるメディアがない時代、地元の主要メディアがシカトしてりゃ、たいがいの地元話は十年ひと昔で風化する。実際にそこで遊んだ人たちが、個人的に覚えてたり、写真をもってたりするのが関の山だ。ぶっちゃけ俺だって、幼稚園だったか小学生だったか、そんな遊園地に連れてってもらったような気がするんだ。でも親が死んじまってるから、自分でも、その記憶にある観覧車がハワイアンランドだったか峰館遊園だったか、もう思い出せない」
「そうか……そうですね」
「俺としちゃ、もし今回の木馬や子供がハワイアンランドと同じものだとしたら、なぜ今、山福さんの家に現れたのか、そこが一番気になるね」
「あの――」
 ずっと黙りこんでいた優太が、おずおずと手を上げた。
 一同が注目すると、
「えーと、その、このパンフレットだと、ハワイアンランドって、峰館市大字飯沢にあったんですよね」
「ああ、そのとおり」
「なら、今は南峰館町になってるんじゃないでしょうか。小学校の社会で習いました。ずっと昔、学校のあたりは飯沢村って呼ばれてたって。あと、この表紙の写真、この後ろに見える蔵王って、俺がしょっちゅう見てる蔵王と、ほとんどおんなじ形に見えるんですけど」
 言われてみれば――一同は顔を見合わせた。
 島本は訊ねた。
「その小学校って?」
「南峰館二小です」
 優太が答え、茂美と美紀もうなずく。
「えーと、美紀ちゃんの家は――」
「南峰館町の美空ヶ丘ニュータウンです」
「あっくんとこは――」
「南峰館町の上谷地です」
 ひと口に『町』と言っても、田舎には、都会の町より遙かに広大な『町』があるのだ。また蔵王という名称は、あくまで蔵王連峰の総称だから、眺める場所によって山影の連なりや重なりは大きく変化する。
 島本は、実地検証実地検証とつぶやきながら、奥のパソコンデスクに急いだ。
 他の一同も、島本を追う。
 島本はブラウザを立ち上げて、あちこち突っついていたが、
「おい、あっくん。国土地理院の空中写真って、どうやって見るんだっけ」
「俺、そーゆーのは、ちょっと」
「あの、俺、わかります」
 優太が言った。
「けっこう見て遊んでるんで。一九六七年から一九七一年あたりがあればいいんですよね」
「そのとおり。その写真と、今現在の南峰館を重ねたい。そっちもできれば空中写真がいいな」
 優太は島本に代わり、デスクについた。
 キーをぽちぽち、マウスをするする、そうしてしばらく検索した後、
「――一九六九年と二〇〇七年があります」
「ガッチャ! それで頼む」
 二〇〇七年の写真なら、今とほとんど変わらないはずだ。
 さらに少々いじくった後、優太は言った。
「……どうやって重ねたらいいんだろ」
 同じあたりの空中写真でも、撮影年代が違えば位置にずれがある。
 茂は島本に訊ねた。
「このパソコン、フォトショップ入ってますか?」
「俺、そーゆーのは、ちょっと」
「パソの中、覗かせてもらっていいですか」
「おう」
 島本は妻の目が恐いので、パソコンに妙なファイルは溜めこんでいない。
「優太、ちょっと代わってくれ」
「うん」
 茂はブラウザを開いたまま、Windowsの『すべてのプログラム』をチェックした。パソコン自体が大手メーカー品なので、フォトショップは入っていないにしろ、なんらかの画像加工ソフトがバンドルされているはずだ。
 案の定、国産の、かなり使えるソフトが入っていた。
 それを立ち上げると、
「優太、その二枚、続けて出してくれないか」
「う、うん」
 席を譲られた優太が、ぽちぽちするすると表示したブラウザ画面を、横から茂が阿吽の呼吸でするするぽちぽち、プリントスクリーン経由で画像ソフトに取りこむ。
 横で見ていた茂美が、美紀に耳打ちした。
「なんか、こーゆー関係だと、けっこうヤルよね、うちの弱っちいふたりも」
 ほとんどIT類には手を出さない茂美である。
 ネットくらいなら使っている美紀も、こくりとうなずいた。
 まあ、少しでもパソコンおたくの気がある連中なら、ありふれた芸なのだが。
「よし、後は俺がやる」
 今度は茂が席につき、二枚の画像の四隅と縮尺を調整して、それぞれをレイヤーで重ねる。
「――見てください」
 茂は、重ねた画像の、上の二〇〇七年の不透明度をマウスで変えながら一同に示した。
「やっぱり……」
 島本が呻くように言った。
 藁葺き屋根が点在する山合の段々畑、そしてその中に異様な染みを広げる峰館ハワイアンランドは、現在、似ても似つかない、こざっぱりとした郊外の住宅地に変貌していたのである。
「地形まで、けっこういじってる。まさに『滄桑の変』だな」
 島本は言った。
「美紀ちゃんの家は、どのあたりかな」
 美紀は鳥ではないので、真上から自分の町を見たことがない。それでも周囲の道筋から、おおよその見当はつく。
 茂は気を利かせて、二〇〇七年のレイヤーの不透明度を百パーセントに上げた。
「えーと、たぶん、このあたりだと思います」
 美紀が指さすと、
「ちょっと、そのまま」
 茂は徐々に二〇〇七年の不透明度を下げ、下にある一九六九年の空中写真を浮かび上がらせた。
「うひゃあ」
 美紀は思わず、かなりおまぬけな声を上げてしまった。
 ジャスト、指先はアメーバの真ん中だ。
 島本が言った。
「つまり、その地下室の木馬や子供は、突然現れたんじゃなくて――昨日、見えるようになっただけ、ということか?」

 驚愕の新事実っぽい状況に、おのおのがそれぞれの思いを巡らせて黙りこんでいるうち、東の窓に浮かぶ蔵王は、盆地の西にある朝日連峰の夕映えを受けながら、赤墨色から薄墨色へと染まってきていた。
 島本は無言のまま、照明のスイッチに向かった。
「……だとすれば、やっぱり、その場所になんらかの要因が……しかし新聞にも載ってないとなると……」
 蛍光灯の明滅の下、独り言のようにつぶやいていた島本は、部屋が明るくなったとたん、いきなり自分の頭をごつんと叩いた。
「なんてこった。俺は馬鹿か」
「どうしたんですか?」
「今ごろ気がついた。さっき、自分であっくんに言ったことだよ。つぶれた後で、関係者一同がずっとシカトしてたんなら、つぶれる前――営業期間中の事件や事故だって、峰館新聞だけ当たったんじゃ無意味だったんだよ」
 さすがに茂は首をひねった。大袈裟にいえば、それはもはや報道管制である。
「でも、仮にも県下一の新聞社が、自分の都合で大ニュースを控えたりするでしょうか」
 島本は、いやいや、と首を振り、
「あっくんは、覚えてないかな。俺が高校の頃、峰館交通の路線バスが、すぐそこの交差点で左折事故を起こして、隣の女子高の生徒がひとり、自転車といっしょに轢かれちまった。かわいそうに即死さ」
「……知りませんでした」
 答えながら、茂は、確かに違和感を覚えていた。
 広からぬ旧街道がそのまま繁華街になっているような地方都市のこと、郊外のバイパス等ならいざ知らず、中心街での死亡事故など、当時は何年も語り草になるほどの大事件だったのである。
「そう。峰館新聞でも峰館放送でも、ほとんど取り上げられなかったからな」
 島本は言った。
「これが純然たるバス側の過失だったから、全国紙の地方版じゃトップ扱いの記事になった。ところが峰館新聞は、たった数行で済ませちまったんだ。『どこそこでだれそれさんが交通事故で亡くなりました』、そんな程度さ。峰館放送のニュースも大同小異だった。あの頃は峰館新聞と峰館放送と峰館交通、全部資本がカブってたからな。後からけっこう問題になって、市民団体が大抗議したりしてたんだよ」
「……そうだったんですか」
「まあ、昔も今も、マスコミなんてそんなもんだ」
 茂もマスコミの一角で仕事をしているから、その空気は解る。現在は、市民団体のほうを気にして表現にダメ出しをくらう場合が多いが、どのみちてっぺんにあるのは、社会よりも自社の損得なのだ。
 島本は言った。
「全国紙の地方版――明日から、これを総当たりしよう」
「俺も手伝います」
 そうした取材活動がどれほど大変かも、茂は知っている。自身は夢を創る仕事だが、きっちりした寝床がなければ、しっかりした夢は見られない。
「そうか、あっくんも、あそこのマイクロ使ってるんだ」
「はい」
 茂はそう答えた後、優太に言った。
「お前も使えるよな、あのリーダープリンター」
「うん」
 小学校時代、何度かいっしょに県立図書館に行ったとき、操作法を伝授されている。
「明日、放課後でいいから手伝ってくれないか」
 作業量の膨大さを思えば、猫の手も借りたい。
「うん!」
 優太としても、望むところである。
 島本は言った。
「よし。これでなんとか――なるかどうかわからんが、少なくとも先に進める」
 茂美が、したり顔で美紀を見た。
 なんかみんな、けっこう様になってるじゃん。やっぱり来てよかったでしょ――そんな顔である。
 美紀も、さっきより強めに、こくこくとうなずいた。
 あっくん先生や島本探偵が大人として頼りになるのはもとより、昨日までお豆腐未満に見えた男子も、あんがいちゃんとしたお豆腐、それもスーパーの真ん中よりやや上の棚あたりに昇格して見えた。
 母さんがアレを奮発した晩は、いつもの湯豆腐が、けっこう老舗旅館のお味っぽくなったりするのだ。




   Act.3 【誰が木馬を回してる】


      1

「おはよう!」
 やや高めのアルトで、いつもの声が教室に響く。
「……おはよう」
 ずいぶん景気が悪いなりに、けして暗くはない声が返る。
 正しかるべき中学生として、ちゃんとした朝の挨拶である。その点では、なんの問題もない。
 しかし、それまでわいわいきゃいきゃいと賑わっていた朝の二年三組は、潮が引くように沈静した。
 なぜ山福美紀と、えーと、名前なんだったっけ、とにかくあの男子約一名が、相手を特定して仲良く挨拶を交わしているのだろう。
 優太と比較的親しくしている名もなき男子二三人などは、もはや驚愕の表情だった。
 それまで日光東照宮の壁あたりにへばりついている三猿仲間――見ざる言わざる聞かざる仲間だとばかり思っていた隣の猿が、いきなり壁から飛び降りて、国宝の眠り猫に向かって駆けだした――そんな衝撃を受けたのである。
 美紀の友人たちは、美紀同様に好奇心旺盛な女子ばかりだから、
「なに? なに? なんかあったの、アレと」
 美紀としては、うやむやにごまかしたいので、
「えーと、ちょっと、ワケアリで」
 などと答えてしまい、お年頃の女子たちの妄想に、なおさら火を付けてしまったりする。
 優太の友人たちは、あえて何も言わない。
 うん、これはきっとなにかの間違い、ほんの一過性のハプニングなのだ――。
 下手に真相を質して、三猿仲間が減ってしまうのが恐い。やはりルイはトムを呼ぶのである。
 ともあれ、その後は何事もなくいつもの学校生活が流れ、すでに学年末試験も終わった教室は、雪国の春の訪れにゆるゆると和んでゆく。
 まあ発展途上の人間が四十人も詰まっているのだから、それなりに小競り合いもあれば、やや過剰なラブラブもあったりするのだが、そこはそれ田舎の木造校舎、鬱陶しい湿気もたいがいの加熱も、壁の木目がそれなりに吸収放出しながら、適宜調節してくれる。
 やがて放課後になると、美紀と茂美が合流し、優太は公然の放し飼い状態で後に続き、昨日より早めのバスで、昨日と同じ市街をめざした。ただし行き先は島本のマンションではなく、そのちょっと先にある県立峰館図書館である。

 いっぽう茂と島本は、図書館の開館と同時にマイクロフィルムリーダープリンターを二台借りて、過去の有力紙の地方版に総当たりを始めていた。
 それから午後までずっと、昼食と時折の休憩を除けば、借り出したフィルムのロールをリーダーに装填し、コマ送りしてはモニターを凝視する、その繰り返しである。
 ちなみに、新旧七台のマイクロフィルム機器が並ぶこのブースは、現在、茂と島本のふたりだけになっている。大学生の卒論需要や研究者の論文需要も端境期だし、そもそも昨今は地道に図書館を漁るより、手軽なネットに流れがちだ。大学生が卒論にWikiの無根拠私論や誤謬をまんまコピペしたり、プロの研究者が海外の論文を翻訳ソフトで誤読しまくり、さらにそれをつぎはぎにして学位に挑む時代である。
 茂がぼやいた。
「こーゆーの、早く全部デジタル化してくれませんかねえ」
「まあ、予算的にも時間的にも、ここじゃ不可能だろうな」
 島本の返事も、ぼやき口調だ。
 近頃の新聞なら、初めからデジタル化されている。新しいマイクロフィルムなら、カセット化されて半デジタル的な検索も可能だ。しかし四十年前となると、早い話がアナログ35ミリ映画フィルムの同類である。一巻あたりおおむね六五〇コマ、ぽちぽちとコマ送りしながら確認しなければならない。
 せめて一時間にひとつくらい、たとえ欠片のような記事でも、何かそれっぽい情報が見つかればいいのだが、今のところ、ハワイアンランドがらみの事件らしいものといえば、開業後まもなく起きた地元の若い男女による痴話喧嘩――別れ話がこじれて女が男を果物ナイフで突っついて全治二週間、そんな一件くらいである。
「……ケツが痛い」
 島本が、呻くように言った。
「あっくんは大丈夫か」
「……そろそろ、まずいですね」
 お互い稼業が座り仕事、日頃から尻事情はよくない。島本ほど筋肉のない茂など、出口あたりの括約筋も弱いのか、何年か前に脱肛まで経験している。
「うかつだった。なんか持ってくりゃよかった。千鶴子に持ってこさせるか」
「いや、待ってください。そろそろ、あいつらが着く頃だ」
 茂は茂美にメールを入れた。
『今、どこらへん?』
 すぐに返事が届いた。
『やっほー! もうすぐ市役所前』
『座布団、それかクッション希望。百均のでいい。念のため五枚』
 三台ある旧型リーダーのうち、隣の一台も予約してある。そこは優太が使う予定だから、一枚は余分があったほうがいい。島本と茂は、一枚では足りなさそうだ。
 その依頼を知って、島本が別の追加を頼んだ。
「それと、虫眼鏡ふたつ」
 新聞によって地方版は原紙しか所蔵していないので、女の子たちにもチェックを頼もうと思ったのである。昔の新聞はどう保存しても変色して読みにくくなるから、ルーペがあったほうがいい。
『了解。ボラギノールも買う?』
 茂美が察して訊ねてきた。
『いらね』
 その程度の市販薬で済むなら、世に肛門科の医者は必要ない。

 やがて、子供たちが図書館に到着した。
 活気あふれる女子ふたりに比べ、本来主役のはずの優太がオマケに見えてしまうのは、ビジュアル上、いたしかたないことだろう。どでかい百均の袋まで下げているから、荷物持ちの下僕というところか。
「じゃあ、これ、頼む」
 茂に一巻のリールを渡され、
「うん」
 優太は席に着くと、手慣れた様子でリーダーに装填しはじめた。世のご多分に漏れず、こうしたメカトロニクス物件の操作は、若年者のほうが物怖じしないし忘れにくい。おまけに運動音痴の優太は、図書室や図書館がホームグラウンドである。
「いや、ありがたいありがたい」
 島本は安手のクッションを受け取りながら、茂美たちに言った。
「で、君たちにもお願いがあるんだが」
 入館直後に端末検索しておいた、レシート状の書誌情報を何枚か渡す。
「このぶんの新聞、チェックしてくれないか。半月ごとに綴じてあるから、書庫から出してもらって。読みにくかったら、その虫眼鏡でね。全部じゃなくて、峰館版のページだけでいい。ハワイアンランドの文字があれば、もうなんでもいいから何年何月何日何面、それだけメモしてくれれば、あとで俺がチェックするから」
「はい」
 茂美のほうは、うわ、遊びに来ただけなのになんなのそれ、みたいな顔をしたが、美紀にしっかりうなずかれてしまったら、いやとも言えない。
「ほう」
 島本は、感心して言った。
「美紀ちゃん、こーゆーの、ちゃんと解るんだ」
 最初は実習的にやって見せる必要があるだろうと思いながら、説明していたのである。
「はい。前にちょっと、教わったことがあって」
「これは頼もしい。ゆっくりでいいから確実にね」
「はい」
「茂坊は、運搬役メインでいいよ。重いから」
「へいへいへい」
 そんな重い物を女子供に押しつけてどうする――そんな心配は無用である。茂美はこの場の誰よりも強い。
「おらたち百姓は死ぬしかねえだか」
 などと意味不明な愚痴をつぶやいている茂美を連れて、美紀は、書庫担当のレファレンス・カウンターに向かった。
「どこでこんなん教わったの、あんた」
「えーと、ちょっとね」
 入学してまもなく、アニメ同好会のぶよんとしてしまりのない汗っかきの先輩男子たちから無理矢理伝授された、アニメ番組地方放送史研究技のひとつである――そんな説明は、あまりしたくない。
 みんな美紀に対しては必要以上に淡泊で、けして悪い人たちではなかったのだけれど、ニキビ面で「二次最高!」とか断言されると、やはり不気味なのである。彼らが実は三次元女子に淡泊なわけではなく、陰で苛烈に牽制しあっていただけ、そんな真実は、まだ美紀の管轄外だった。
 とりあえず、それぞれひと月ぶん、半月の綴りを二束ずつ借り出す。
 厚さは月によってまちまちだが、溜めこんだ古新聞を資源ゴミの日に捨てた経験のある方、あるいは新聞配達経験者なら、その総重量は見当がつくだろう。
 それを、ふたりぶん悠々と持ち運びながら、
「『ああくたびれた。なかなか運搬はひどいやな』」
 茂美が妙な声色で言った。
「――だーれだ?」
 茂美も美紀と気が合うだけあって、単なる鉄腕少女ではない。
 美紀は即答した。
「『セロ弾きのゴーシュ』の三毛猫さん」
「さすがミー坊」
「美紀!」
 閲覧スペースの大机に並んで座り、ぱらぱらとチェックを始める。
 峰館版のページだけなら毎日三ページ、ひと月あたり百ページ弱の勘定だ。
 茂美が数分で音を上げた。
「うああああああ」
 場所が場所だから、あくまで小声である。
「あたしもうダメ。竹刀振りたい。夕日に向かって走りたい」
 やはり高畑勲監督や宮沢賢治ほどの知的忍耐力はないようだ。
 美紀はくすくす笑って言った。
「裸足で走ってくれば?」
「あんた、あたしを町中の見世物にしたいか」
 ちなみに茂美の足の裏は、靴の底ほど硬い。育ち盛りの中学生が二年も田舎の剣道部で鍛えれば、山道だって素足で走れるようになる。
「ちょっと先の北高まで走れば、きっと剣道部に入れてくれるよ」
「でも、あそこはレベル高いしなあ、頭のほうの」
 峰館北高は、市内で中の上、ことによったら上の下にもちょっと属する県立女子高である。美紀もそこを狙っている。
「茂美ちゃんなら、大丈夫だよ」
 今の茂美の偏差値でも、四分六で受かるだろう。三年で本腰を入れれば、まず確実だ。
「でも考えちゃうんだよねえ。峰女なら剣道で入れそうだし、授業も楽そうだし。でもあそこ、やたら校則キツいって言うしねえ」
 どんなに小声でも声である限り、図書館ではクレーム対象になる。
 案の定、近くにいたお年寄りから、こらこらっぽい視線が届いた。
「へいへいへい、おらたち村娘は黙って売られるしかねえだか」
 ささやき声の愚痴を残し、茂美は作業に戻った。
 もとより美紀は没頭した。
 夕日に向かって裸足で走りたくない美紀だって、夕日の下でおしゃべりするのは大好きだ。しかし今は、やっぱりあの木馬の子が気になる。
 山福家のAVルームは現在封印ということになっているが、施錠されているわけではない。泰蔵も念のため時々覗きに下りるし、実は美紀も夜中にこっそり見に行ったりする。そして、三日目の今となっては、もうまったく恐くない。あの寂しそうな顔を見るたびに、とにかくなんとかしてあげなければ、そんな気持ちが高まってくるのだ。
 なんとかしてあげるためには、どんな事情があるのか知らねばならない。
 結局、ロッテンマイヤーな淑子の内面にある多大な母性を、美紀も立派に受け継いでいるのである。
 相手の生死さえ問わないのは、やや立派を通りこしているかもしれないけれど。

 そうして年齢性別問わず、五人とも、夜の閉館間際までそれぞれがんばったが、結局、有力な情報は、ひとつも得られなかった。
 駐車場に停めてある茂の車に向かいながら、島本は言った。
「ま、いちんちで埒があくとは思ってないけどな。最低でも三四日はかかるだろう」
「島本さん、いつも、こんな仕事やってるんですか」
「そりゃ年に何回かはな。そーゆー仕事だもん」
 茂は、かなり感心していた。ある程度の現実さえ踏まえれば自由に飛び立てる自分より、はるかにハードな著作活動である。それを島本は、大した稼ぎにならないサブカルの隅で、営々と続けているのだ。
「さて、じゃあ、次はその現物を拝ませてもらうか。美紀ちゃん、あっくん、よろしく」
 今夜は山福夫妻の合意の上で、美紀の門限は一時間特別延長、これから島本も茂の車に同乗し、例の木馬を実地検分することになっている。茂美もオマケ、もとい協力者として同行を許されている。
「おなかすいたよう、美紀」
「お母さん、ごちそう用意して待ってるって」
「やったね、今日はホームランだ!」
 だからお前はいったいいつの生まれだ我が娘――『我が娘』の部分は、他の三種類に入れ替え可能である。
 島本が助手席に座り、美紀たち三人は後ろに収まる。
 茂美は当然のごとく、真ん中に乗りこんだ。弟の内心のアレに薄々気づいているからこそ、今は時期尚早、誤った姉弟愛によって旧友に虫を寄せてはならない。小心な優太もまた、まだそのほうがありがたい。
 右に街の灯が流れ、左に夜の山並みを仰ぐバイパスを、南峰館に向かって走っていると、
「よ、優太」
 予期せぬ六人目の同乗者が、フロントグラスの外のど真ん中、上から逆さまに顔を出した。
「わ」
 例によって優太が声を上げたが、走行中なので誰にも聴かれずに済んだ。
 優作は逆さまのまんま、茂美に挨拶した。
「おっひさー、おねいさまあ」
「なんてとっから出てくんだ、あんたは」
 無論、声ではない会話である。
 優作は、のそのそと車のルーフから這い下りて、ボンネットの真ん中にあぐらをかいた。
 茂美と優太に向き合い、改めて、や、などと敬礼する。
 自分と茂美にしか見えていないとは悟りつつ、なにせどーんと正面で視界を遮っているものだから、優太は思わずはらはらしてしまった。
 優作は、あくまでマイペースで、
「あ、なんか、後ろ向きだと酔いそう」
 ごそごそと前に向き直り、
「ひゃっほう、走れ幌馬車!」
 だからお前はいったいいつの――以下略。
「……ほんっと、気まぐれな奴」
 茂美も思わず声にしてしまい、隣の美紀にハテナ顔をされ、あわててごまかした。
「あ、いや、ちょっと内輪の話」
 なんだかよくわかんないけども、やっぱりひとりっ子より兄弟がいたほうが面白そうだな、と美紀は思った。

      2

 平坦な夜の田圃をしばらく走り、広いバイパスから、やや細い左の市道に抜け、東に上る。
 しだいに勾配を増す畑地と、点在するいくつかの集落を縫って、蔵王方面をめざす。
「なるほど、やっぱり自分の脚で探らなきゃだめだな」
 山福家のある美空ヶ丘ニュータウンが近づくと、助手席の島本が言った。
「峰館近郊にアレを造るんなら、確かにここらへんだ。峰館駅も神ノ山駅も車ならすぐだし、当時は最寄り駅にも、奥羽本線の急行が停まったわけだし」
「寄り合い所帯も、まんざら馬鹿じゃなかったってことですね」
 そのとき茂の胸ポケットで、携帯が連続震動した。運転中なので、出るわけにはいかない。とりあえず伝言メモに任せ、茂は山福家の花壇横に車を停めてから、電話の主を確認した。枕崎である。
「ちょっと先に行っててください」
 皆が下りた後、茂は枕崎に電話を入れた。
「おう、どうした」
『誰か周りにいるか』
 枕崎は、人目をはばかるように、もとい人耳をはばかるように訊ねてきた。
「大丈夫。俺ひとりだ。先生の家の前にいる。今から、また例の木馬を見に行くとこだ」
『ちょうどいい――のかどうか解らんが、とにかく、もうひとつ伝えたいことができた』
 あの【世界が正しく見える眼鏡の作り方】に関することだろう。正確には、その原料の話である。枕崎が今さら内緒話を望むなら、それしかない。
『アレと今回の件と、関係あるのかもしれない』
「でも――どこが、どうして?」
『俺の息子が、トシナに入社したのは知ってるな』
「おう」
 枕崎の長男は、よほど父親より母親の遺伝子が強かったのか、ストレートで東京工科大から一流光学メーカーに進んでいる。確か一昨年、茂も仰天して入社祝いを奮発したほどだ。
 TOSINAという社名自体は、一般世間ではNIKONほど知名度が高くないが、ガラス溶解からレンズ製造まで一貫した設備を持つ、メイド・イン・ジャパンの立役者なのである。国産高級カメラはもとより、ライツやツァイスのOEMまでやっている。
「……なあるほど」
 茂はすぐにピンときた。
『はい、おおむね、ご想像のとおり』
 枕崎は言った。
『あいつの上京が決まったとき、アレがほんの一滴ぶん残ってたんで、ちっこいガラス瓶に入れて、お守り袋に入れて渡したんだよ。実際、あくまでお守りのつもりだったんだが――どうも就職してしばらくして、なんか初仕事で自信がなくて、いきなりどっかで使っちまったらしい』
 やっぱりお前の子だなあ、とは茂も口にしなかった。
「つまり――それがボルコのレンズに?」
『そこいらは、配属先がガラス原料部門なんで、はっきりしない。ただ、その頃、トシナがボルコに、リペア用のレンズを一ロット出荷したのは確かなようだ』
「あんな古物のパーツを、まだ造ってるのか」
『ああ、さすがにヨーロッパは物造りのスパンが違うよ』
 そこに感心している場合ではないのだが。
 枕崎は続けて言った。
『俺の経験からすると、あんな一滴じゃ、せいぜい眼鏡二三本に使えればいいところなんだ。でも、それ以外の条件が幾重にも重なったら――たとえば映画そのものにこめられた膨大な関係者の熱意とか、お前の異常なこだわりとか、そこにいたみんなの情動とか――まあそれでも、ありもしない何かを形にする、そんな力はないはずなんだがな』
「いや、それだけ聞けば充分だ」
 今のところ判明している事実だけを、茂が枕崎に伝えると、
『――なるほど確かに、すでにそこにあったモノくらいなら、見えるようになるかもしれんな。もっとも、なんの解決にもならんが』
「でも、なんかすっきりした。あとは、こっちでなんとかするよ」
『ああ。どのみち俺には、これ以上なんもできん。でも、なんか続きがあったら、いちおう教えてくれ』
「了解。じゃあな」

 茂が玄関で声をかけてから山福家の客間に入ると、お座敷スキヤキの準備が整っていた。
「ご苦労だったな、茂。まあ、まず軽く一杯やれ」
 ビールを勧める泰蔵の顔も、隣の島本の顔も、すでにほんのり赤かった。昔、同じアパートの火事で焼け出された仲間だから、旧交は温め済みなのだろう。
「あ、でも俺、コレですから」
 茂がハンドルを回す仕草をすると、
「大丈夫。こっちの二本はノンアルだ。気分だけで気の毒だがな」
 見れば、優太もビールっぽいものを飲んでいる。
「……うまいか?」
「うん」
 このあたりは祖父や父親ゆずりで、甘い飲み物より苦み系が好みなのである。
 淑子と美紀と茂美がいっしょになって、大ぶりのスキヤキ鍋をじゅうじゅういわせはじめた。
 泰蔵は言った。
「もう俺も覚悟を決めた。あの部屋以外、実害はないんだ。別に陰気でもないし、恐くもない。だから急がなくていい。でもまあ、仕事に差し障りがない程度に、話を進めてくれるとありがたいな」
「あっくんは、そうすれば?」
 島本が、リラックスした様子で言った。
「もともと俺の専門分野だしな。事情がはっきりしたら匿名でネタにする許可も、山福先生にもらったし」
「でも、今さっき、ちょっと情報が入りましたよ、枕崎から」
 注目する皆に、茂は言った。
「やっぱり、急にアレが見えるようになった原因は、あのボルコみたいです。具体的に何か憑いてるわけじゃありませんが、とにかくなんらかの霊的な力がこもっていて、それが、あの木馬や女の子を見えるようにしたんじゃないか――そんな話でした」
 例の『ほんの一滴ぶんのアレ』に関しては、ぼかさざるをえない。
「ほう。残念、やっぱりお前のオーラじゃなかったのか」
 泰蔵は余裕で軽口をたたいた。
「オーラだとしたら、たぶん、そこにいた全員のオーラでしょうね」
 茂は、曖昧に話を合わせた。
 とりあえずそっちの話はちょっとこっちに置いといて――そんな顔で、淑子が口を挟んだ。
「はいはい皆さん、そろそろ、お肉をどうぞ」
 いつもの親子三人ではないから、淑子も勧め甲斐がありそうである。
「すごいよね、父さん」
 茂美が、ちょっと興奮気味に言った。
「こうやって、まず焼いたお肉だけじっくり味わったりして、そのあとでお野菜とか、ぐつぐつになるんだって。うちじゃ、いきなりどーんと大鍋でぐつぐつだもんね」
 茂と優太は、苦笑するしかなかった。なにせ亜久津家では、三世代十人が一緒に食べるのである。そのうち四人は、飢えた子犬の群れのような連中だ。スキヤキも水炊きも峰館名物の芋煮も、ほぼ似たようなごった煮状態、戦場の鍋になる。
 茂美の横から、優作が言った。
「うわ、情けねえ」
 実は優作も、ずっと客間をうろついていたりする。
「お里が知れるってなあ、このことだな」
 茂美としては、いい災難である。ほっといて、と言い返しながら、何事もなげに、お肉じゅうじゅうを続けねばならない。
「俺なんか、浅草の今半とか銀座の但馬屋とか、きっちり食ったぜ」
 死んでんのにどーやって食うんだあんたは、とツッコミながら、顔は別方向にニコヤカを保たねばならない。
 とりあえず無視――は無理にしろ、とにかく不自然ではない態度をとるのに、茂美も優太も懸命である。
 なにかと心配性な優太は、優作にしてみればほとんどシカト状態で不愉快なのではないか、そんなふうに気を遣ったりして、美紀ちゃんとの初会食イベントを、おちおち味わっていられない。
 もっとも優作自身は、生者のシカトには慣れっこだから、そんな姉弟のハラハラ状態を、からかうように楽しんでいるようだ。
 たとえば優太が箸を手にすると、優作も、その箸に手を伸ばす。
 ひょい、と手を交わした直後には、同じ箸を優作も手にしている。
 ――なあるほど、革ジャンなんかも、こうやってGETしたのか。
 優太が感心しながら、牛肉を小鉢の卵に絡めると、
「もーらいっ」
 優作は、ほどよくピンクの残るその霜降りを、ひょい、と横から先に頂戴してしまう。
「んむ。こりゃうめえ。火かげんも絶妙だ」
 などと、もぐもぐしている前の小鉢では、優太の箸先に、その肉がちゃんと残っているのである。
「いい肉食ってんなあ、ここん家《ち》は。俺、こっちに居着こうかな」
 ――なあるほど、母さんや婆ちゃんが毎朝仏壇に供えている御飯も、あながち慣習だけじゃないのかもなあ。
 ご先祖様の食欲を想い、思わず襟を正したりする優太なのだった。
 そうして賑やかな、一部とっちらかった晩餐が続くうち、
「……ねえ、お母さん」
 美紀が、手元の小鉢を見ながら言った。
「これ、あの子にも、お供えしていいかな」
 他の一同は、微妙な表情を浮かべた。
 島本や茂美は、まだ対面していないのでなんとも言えないが、泰蔵や淑子や、茂や優太は、あの木馬と少女にそれぞれ種々の神秘を覚えこそすれ、そうした親和感までは抱いていないのである。
 ――ああ、美紀ちゃん、やっぱり女の子っぽくて優しいなあ。
 改めて胸をきゅんとさせたりしている優太に、優作が言った。
「やめさせろ」
「え?」
「あの木馬の子には、どうせ何も見えちゃいねえし、下手すりゃ藪蛇だ」
「…………」
「とにかく、俺ほど吹っ切れてねえ奴に、赤の他人が優しくするのはペケなんだよ」
「……わかんねえ」
 つい美紀を擁護しようとする優太に、優作は、あんがい厳しい目を向けた。
「俺が信用できねえか」
 うわ、そんなシビアなレベルか――優太は黙りこんだ。
 それらの会話は、当然、茂美にも聞こえている。
「でも……なんて言ったら、いいんだろ」
 茂美にとって、美紀はふつうの友人よりも、妹に近い存在だ。優太みたいに弱っちくないし、優作みたいに憎たらしくないし、下の四人みたいに喧しくない。つまり、それだけ可愛い妹である。
 つかのま逡巡していると、
「それは、まだいいんじゃないかな、美紀ちゃん」
 先に口を開いたのは茂だった。
「あの子は、お肉や卵が嫌いかもしれないし、ネギだって苦手かも」
 島本が言い添える。
「そうだな、美紀ちゃん。そこらへん、俺がしっかり調べてやるから。あの子だって、ケーキのほうがいいかもしれないし」
「……はい」
 美紀も、なんとなく納得してうなずいた。
 優作は、父親と島本に、感心したような目を向けた。
「さすがオヤジら、無駄に長く生きてねえわ」
 それぞれ別の意味で――茂はやや深いレベルの仏教的意識において、島本は仕事がらみの種々の先例に照らして美紀を止めたにせよ、方便が大人である。
 ともあれ、その後は何事もなく――ただし一部、水面下でかなりとっちらかったまんま、和やかなスキヤキ・パーティーが進む。
 食後のお茶でひと息つくと、島本が言った。
「さあて、山福さん、そろそろ見せてもらえますか、えーと、その、アレを」

      3

「取材で全国回ってりゃ、ふたつやみっつは、それらしい物を見たこともある」――昨日の島本の言葉は、けしてハッタリではなく、むしろ控えめな表現だった。
 華厳の滝の岩肌だの、新興宗教信者がありがたがっている本山のオーブだらけ洞窟だの、幽霊病院の廃墟だの、そうした有名な『心霊スポット』では、いっさい超自然現象を見たことがない。すべてが物理的あるいは心理的に、自然現象として説明がつくことばかりだ。ネットに出回る心霊写真や心霊動画と称するものも、99.9パーセントは自然現象、あるいは捏造である。
 それでも、あるとき、あるところでは、超自然物件が実在する。もとい、するらしいのも確かなのだ。
 たとえば島本は、峰館近郊の某団地の一室で、すでに一家心中を遂げたはずの家族が、仲良く一家団欒を楽しんでいる現場に遭遇したことがある。京都の某寺社で、白昼に瓦屋根の上を優雅に散歩――たぶん散歩しているのだろうと思われる、日傘をさした和服の女性を見たこともある。東京にいた頃に何度か通った青山霊園や雑司ヶ谷墓地には、残念ながら何もそれらしいモノがいなかったが、雑司ヶ谷から池袋駅に至る途中の裏路地で、明らかに戦災に遭ったと覚しい襤褸を纏った子供が数人、横を走り抜けたこともある。しかし、同じ戦争で破格の大惨状を呈した広島や長崎では、一度もそれらしいモノを見かけなかった。
 たぶん、それらのモノは、この世界の無限の物理の根源を成す何物かと、個々の脳髄、つまり意識の根源を成す何物かが奇跡的に重なったある瞬間、第三者にも見えるようになるのではないか――そんなふうに、島本は解釈していた。島本は未だに出会っていないが、いわゆる霊能者――幻覚者や欲求知覚者ではない真の霊的能力者がいるとすれば、その人物は、たぶんその『何物か』を、凡人よりも多く備えているのだろう。
 島本は知る由もないが、実は枕崎や茂が知っている『ほんの一滴ぶんのアレ』――かつてはひと抱えもあるぶよぶよした塊だった、通称『なんだかよくわからないもの』――もまた、森羅万象の因果律に人智を無視した玄妙な作用を及ぼすという点において、まさにその『何物か』に属する存在なのかもしれない。
 どのみち島本本人にとって、それら霊的な存在は、大概ほんのいっとき、長くて二三分で霞のように消えてしまう。だからこそ島本は、例の木馬や少女を前に、誰よりも感動していた。いくら見つめても霧消しない、初めての超自然物件である。
「これは……すばらしい」
 現在、峰館地下八畳名画座の最前列――もっとも座席は二列だけだが――は満席で、茂と優太は後ろの席にはみ出している。反対の端には、優作もちゃっかり座っている。
 一昨日のように、茂がボルコで映画『回転木馬』を映写したり、その電源を落としたりした後、島本は立ち上がり、スクリーンに近づいた。
 茂美も面白がって後に続く。
 島本は、慎重に木馬をすり抜けて、内側に入った。
 茂美は木馬の外側で、物怖じせずに、あのワンピースの少女を見つめていた。
 優作も、茂美の横に立った。
 島本が泰蔵に尋ねた。
「このスクリーンのむこうは、土の中なんですね」
「そうなるな」
 泰蔵は、地下室の右横壁の後方、天井近くにある小窓を示した。
「土の上に出てるのは、あのあたりまでだ。あそこにエアコンでも付けて、一年中楽しめるようにしたかったんだが――ちょっとまだ無理っぽいな。いっそ四谷のお岩さんでも出てきてくれたら、夏場に涼しくてよかったのに」
「あなた」
 淑子が、顔色を変えて言った。
「冗談でも、言っていいことと悪いことが」
 ファンシーな木馬や、幼げな子供だからこそ、淑子もまだ我慢できるのである。
 泰蔵は、軽く笑ってごまかした。
 茂美が優作に、声ではない声で言った。
「ずいぶん根気のいい子供だよね」
 壁に消えてゆく少女を見送って、
「あたしだったら、あんなふうに、四十年もぐるぐる木馬にまたがってるなんて、とても我慢してらんない」
「そりゃ茂美はな。三輪車も三分で飽きて、裸足で駆け出すガキだったからなあ」
「ほっとけ。――だいたい、あの顔、子供の顔じゃないよ。なんか、もー人生ぜーんぶ諦めました、そんな顔じゃん。ほんとに子供なの、あれ」
 優作は、そうか、そういう見方もあるか、みたいな顔をした。
「まあ、仮面ライダーみたく豪快に変身する奴も、中にはいねえこたないけど――今んとこ、俺にもわからねえ。ほんとに、なーんも感じないからアレは」
「そっか……」
 それらの会話は優太にも聞こえているわけだが、もとより優太の考えの及ぶところではない。
 優太は幼い頃から、平気で何時間も黙って本を読んでいるような子供だったし、幽霊にも解らない他の幽霊の内心を、優太が汲めるはずもない。
 島本が、泰蔵に言った。
「念のため、外から見せてもらっていいですか」

 島本は、非常用のLEDライトを借りて、玄関先から横庭に回った。
 建売住宅にしては、田舎らしい広めの横庭で、隣家との境も垣根だけでなく、暗い樹木がそこそこ茂っていた。
 島本の後ろから、ぞろぞろと全員が続いてゆく。
「……あの、山福先生だけでいいんですけど。まだ夜は寒いし」
 いやいやいや、こーゆー滅多に見られない趣向は、きっちりこの目で見ておかないと――。
 結局全員、裏の土留めブロックになかば接した、家屋の突き当たりまで進む。
 僅かな根雪がこびりつくように残る地面近くの角を、泰蔵が指さした。
「そこが、あの窓だ」
 縁の下になぜか小窓がある――そんな部分を、島本は屈んで覗きこんだ。
 試しにライトを消すと、なるほど極小のサッシの網ガラスは、中で回っている木馬の光を、心なし宿している気がする。
 島本は、周囲の地形を見回しながら言った。
「ハワイアンランドから段々畑、そして宅地開発――どっちでも土盛りされたり削られたり――家が建つ前は、この家の並びも含めて、半分は土の下だったんじゃないかな」
 茂が、暗い顔で言った。
「土の中で、ずっと回り続けていたんですかね、あの回転木馬も、あの子も」
 各人、それぞれの想いに沈む。
 くすん、と、微かなしゃくりあげが響いた。
 美紀が、涙ぐみはじめていた。
 茂美は美紀の頭を、よしよし、と撫でた。
「恐くなっちゃった?」
 美紀は、ふるふると頭を振った。
「……かわいそうだよ……そんなに、ずうっと……」
 中二にもなってみっともないとは思いつつ、美紀自身にも、こみあげるぐじゅぐじゅは止められない。
「……ひとりぼっちで……真っ暗な土の中で……」
 しまった、と茂は思ったが、もう遅い。
 つい編集者相手の惹句のような表現をしてしまったが、あの、極力煽りを排した『河のほとりの猫』でさえ大感涙してくれたという少女に、この場で聞かせる言葉ではなかった。
 淑子が、そっと美紀の頭を抱き寄せた。
 茂美も、横から美紀の肩を撫でた。
 思わずもらい泣きしそうになっている優太の耳元に、優作がささやいた。
「下を見るな」
「え?」
 見ると優作は、なぜか鬼のような顔をしていた。
「あの窓、見るなと言ってんだ」
 そう言われると、つい反射的に見てしまうのが、優柔不断な人間の常である。
 横手の足元にある、あの床下の窓をちらりと窺って、優太は声も出せずに凍りついた。
 誰かが、その小窓から地面へと、うつぶせに這い上がろうとしている。
 島本のライトから逸れているので、窓のあたりは、ほぼ暗黒である。
 無論、網ガラスも堅く閉じている。
 しかし確かに、おぼろげな光を宿す人影が、じわじわ這い上がろうとしていた。
 子供ではない。
 長い黒髪と両手に続き、白い夏服の肩口が現れた。
 優太は、震えるのさえ忘れて棒立ちになっていた。
 ――貞子? いや伽耶子?
 どちらでもあるはずはないが――もう生きていない大人の女である。
「……見ちまったもんはしょうがねえ」
 優作が言った。
「そりゃ、見るなって言われたら見ちまうわなあ。俺としたことが、なんてアホだ。でもウスラボケっと固まってる場合じゃねえぞ」
 幸い他の一同は、しゃくりあげている美紀を気遣って、すぐ横の足元の異変に気づいていない。
 茂美だけは、優作の警告を耳にして、身をこわばらせている。
「おい、茂美」
 優作が言った。
「なんでもいいから、みんなここから逃がせ。間違っても『窓を見るな』なんて言うなよ。なんでもいい。とにかく明後日《あさって》のほうに目をそらして――解るな?」
 茂美は、明後日のほうを向いたまま、こくりとうなずいた。
 少々の間を置いて、
「あっ! UFO!」
 力いっぱい今の自分の後ろ、つまり家の前の夜空を指さし、
「なんか白っぽいの! マジ、矢追さんみたくジグザグ飛行!」
 やや棒読みだが、迫真の演技だった。
「あっちの山に、今、飛んでった! ほら、美紀、行ってみようよ」
 え? え? と戸惑っている美紀を、茂美は巧みに抱えるようにして、玄関方向に移動しはじめた。
 他の一同も、自然、そちらに向かう。もう裏の検分は済んでいるし、ふつうなら世迷い言の『あっ! UFO!』だって、なにせ超自然物件に馴染んだ連中のこと、もしあるのなら検分するにやぶさかではない。
「よし、OK」
 優作は、一同が玄関方向に曲がったのを見届けると、屈みこんで、すでに背中を現しはじめている女に話しかけた。
「なあ、お姐さん」
 見ず知らずでも、そこは幽霊同士である。仁義はわきまえねばならない。
「何があったか知らねえが、ワケアリならワケアリで、ちょっとオイラと話してみねえか?」
 しかし女はまったく反応せず、緩慢に、なお這いだしつづけている。
「……やっぱし、なーんも聞こえねえ手合いか」
 苦々しげにつぶやいた優作は、ふと、横に立っている学生服の足に気づいた。
「なんだ優太、逃げなかったのかよ」
 優太は、スニーカーの先までがくがくと震わせながら言った。
「……これ、美紀ちゃんが?」
 いや、この場合、美紀ちゃん『に』かもしれない。
「あ? ああ。察しがいいな」
 優作は言った。
「さっきから、ヤバイんじゃねーかヤバイんじゃねーかと思ってたんだが、どうも、マジに懐かれちまったっぽいぞ。そーゆー気配があると、なんでだか自然に寄ってっちまうんだよ、この手のナニは」
「でも、この人、あの子じゃ……」
「もともと、女の子なんかじゃなかったんだよ。本人が女の子のつもりでいただけ――子供の昔に戻りたかっただけ――ま、そんなとこだろ。茂美も、さすがだよな」
 ずるり、と、女が腰まで窓を抜けた。
 汚れた白いワンピースの背中に、乱れた長い髪が張りついて見えた。
「こうなったら実力行使!」
 優作が、がばり、と女に取りついた。
「姐さん、ごめんよ!」
 肩を押さえて、力任せに、窓の中に押し戻そうとする。
 しかし女は、慢心の力をこめる優作をまるっきり無視して、なお、這いだしつづけている。
「こなくそおっ!」
 ずる、と優作が押し返された。
 悪夢のようだ、と優太は思った。
 美紀ちゃんちの裏庭で、本格JホラーとヤングVシネマが、マジに絡み合っている――。
「くそ、埒あかねえ」
 優作が一瞬息を継いだ瞬間、
「え?」
 優作の体の下から、ぬるっ、と白いものが流れた。
 もう、女は立ち上がっていた。
「え?」
 優太の真正面である。
 白いワンピースの胸から裾まで、ぐっしょりと赤黒い染みが見える。
 顔にかかっている黒髪が、べったり濡れて見えるのも、もしかしたら――血まみれなのだろうか。
 だめだ、と優太は思った。
 こんな人を、美紀ちゃんに近づけてはいけない。
 そう決めたとたんに、不思議に震えが止まった。
 優太は女に向かって踏みだした。
「……戻ってください、お願いだから」
 やはり、何も聞こえていないようだ。
 女は、漂うように歩を進める。
「姐さん、やめとけ!」
 優作が、女の足にしがみついた。
 しがみついたまま、優作の腕も手も、いっさい女の足の動きを阻めない。
 優太の脳味噌は、真っ白い海胆《うに》になっていた。
 俺に止められるのだろうか。ただすり抜けてしまうのだろうか――。
 深く考える余裕もなく、優太は、自分よりやや背の高い女の、だらりと下げた両の二の腕を、両手でつかんだ。
 これは――手応えなんだろうか。
 優作とうっかり重なったときとは違い、確かになんらかの弾力を感じる――いや、感じるような気がする。
 生ぬるい粘液でできたマネキン、そんな感触だった。
 しかし粘液に皮膚はない。
 女は、そのままずぶずぶと優太の手を抜け、さらに近づいてきた。
 むわ、と、黴びた干物のような息を感じた。
 べとついた髪の間から、虚ろな目が見えた。
 その目は、優太を見ていない。
 たぶん何も見ていない。
 虚空すら見ていないのかもしれない。
 優太は恐怖よりも、とてつもない寂しさを感じた。
 ――あの子の目だ。
 ただ、今は、ほんの少し生気が――いや、この場合、死気か?
 女の顎が、優太の額に交わる直前、
「うわ!」
 足元の優作が、手応えを失って地に伏した。
 優太の目の前で、白と赤の斑模様が、垂直に流れた。
 さっき優作の下から逃れたときのように、女は自らの有りようを変えたのである。
 優太が振り向いたときには、なにか灰色の蛇のようなうねりが、横庭の闇を縫って遠ざかっていた。
 優太と優作は、猛然とダッシュした。
「なめやがって、あのアマぁ、ウナギか!」
 ふたりが追いついて飛びかかると同時に――その流れる女は、ぬるりと玄関方向にうねった。
 しがみついた相手がなんであれ、いきなりほぼ直角に移動されてしまうと、当然、力いっぱい振り回される。幽霊同士の優作は、なんとか女の胴にしがみついたままこらえたが、手応えのおぼつかない優太は、あっけなく振り切られてしまった。
 きりもみ状態で、冬枯れの垣根に頭から突っこむ。
「あだだだだ」
 あわてて顔をかばっても、小枝にびんびん弾かれてしこたま痛いわけだが、痛がっている場合ではない。優太は転がる先から立ち上がり、ばさばさと垣根を掻き分けて前庭に飛び出した。
 仰天したのは、玄関先で茂美主導の「あっち向いてホイ」を展開していた一同である。横庭方向の騒ぎに振り向くと、いきなり真正面からUFOならぬJホラーが飛んできたのだ。もっとも姿全体ははっきり見えないし、顔もブレている。とにかく宙を突進してくる異形の人影、そんな認識である。
 淑子はとっさに美紀と茂美を両腕に包み、覆い被さるように背を向けた。さすがは骨の髄からロッテンマイヤー女史タイプ、とっさの護りも鉄壁である。
 ひとかたまりになった淑子たちの前に、泰蔵が文字どおり鬼瓦の形相で立ちはだかり、そこを島本がスタイリッシュなビジュアル相応にびしりと前衛、茂もそれに並び重なるようにして、調理前の高野豆腐程度にはガードを固める。
 その時点で、娘たちを除く大人たちの目は、迫り来る女の異相を、きっちりズーム・アップしていた。
 ならば泰蔵はともかく、茂や島本が瞬時にそこまでクールにキメられるものか――そんな疑問は無用である。幼少期にまともな躾を受けた峰館男なら、いかなる事態でも本能的に女子供を守る。もっともこの場が男三人だけだったら、島本と茂がいっしょになってハバのある泰蔵の背中にへばりつき、力いっぱい前に押し出して盾にした可能性は高い。
「こなくそおっ!」
 優作は片手で女の胴を締めつけながら、横を流れる庭木の枝に手を伸ばした。それを物理的に握れるかどうかは、あくまで相対的な意識の問題である。ばさばさと枝を薙ぎはらいながら、いくらか女の進路を逸らした。
 顔面擦り傷だらけの優太も、追いついて飛びかかる。
 その隙に、泰蔵が淑子たちを屋内に入れた。
「先生も中へ!」
 島本と茂は、外に残って身構えた。
 女は、庭先の宙を、とぐろを巻くように飛び回った。
 優太は飛びかかった勢いのまま、女の上から顔の前までのめりこんでいた。優太の場合、実際に、女にめりこんでしまうのである。
 優太の顔と女の顔が、逆さまに交わった。
 血に濡れた髪も虚ろな目も、そこにめりこんでしまえばただの闇、例の生ぬるい粘液のような感触しかない。傷にもしみない。しかし粘液じみているだけに、優太の口にも鼻にも、女の顔そのものが流れこんでくる。優太は反射的に口を閉じた。これで粘液に味まであったら嘔吐悶絶必至だが、幸いにしてなんの味もなかった。微かに肉の匂いを感じたくらいである。
 さすがに女もただならぬ違和感を覚えたらしく、コースを乱して屋根方向に大きく蛇行した。
 ぬぼ、と優太は顔を引き抜いた。
 茂も下から加勢を試みるが、手が届かない。
 女の腰にしがみついたまま優作が叫んだ。
「優太、こいつを吸いこんじまえ! じゃなきゃ飲んじまえ!」
 んなむちゃくちゃな、と言い返す暇はない。
「とにかく今止めるにゃ、それっきゃない!」
 同じベテランのアレが、それっきゃないと言うのなら、きっとそれしかないのだろう。
 優太は、すでに口中にあるぶんのナニ――よくわからないが女の頭の中のどこかを、とりあえずごくりと飲みこんだ。肺のほうに送ると、咽せかえりそうな気がしたのである。
 喉越しの感触はなかった。食道にも胃にも、何かが下りていく感触はなかった。ただ、飲んだという自覚だけがあった。
 おいおい正気の沙汰じゃないだろう――そんな指摘は無意味である。恋は盲目――とは限らないが、いずれ重度の精神錯乱に他ならない。まして中坊の初恋においてをや。あの娘《こ》に向かってミサイルが飛んできたら、散華覚悟で迎撃するしかないのである。
 これなら止められるかも――。
 優太は、思いきって、ぱっくりと口を開いた。
「もが」
 さすがに頭から飲みこむ度胸はなく、肩口から試みる。
 悪夢のようだ、と、下から見上げる茂は思った。田舎の庭先で、長男がJホラーを捕食している――。
 しかし木馬の女にも、本能的な好悪は残っているらしかった。それはそうだろう。人の霊に限らず犬だって猫だって、プッツンした少年に食いつかれるより、甘そうな少女に懐くほうがいい。肩口の一部を優太の口内に残し、ぬめり、と、女は横に逃れた。
 支えを失い、背中から地面に落ちそうになる優太を、茂が駆け寄って抱き留めた。
「ナイスキャッチ親父!」
 優作が女の腰から賞賛した。
 茂も誰かに褒められたような気がした。
 しかし次の瞬間、
「わ!」
 ぐん、と、激しく女がのけぞり、優作は、ぶん、と夜空に弾き飛ばされた。人間大の鋼の板バネに匹敵する衝撃だった。思考とは無縁の女でも、本能を妨げる外的圧力へのストレスは、それほど蓄積されていたのだろう。
「なんじゃこりゃあ!」
 優作はジーパン刑事のように絶叫しながら、夜空に消えていった。
 優太は呆然と見送るしかなかった。あまり呆けすぎて、「お星様になったのよ」、そんな常套ギャグが頭に浮かんだ。まあ殉職する心配だけはないだろうが。
 女は数瞬、弾けたバネの余韻を鎮めるように宙に浮いていたが、ひょい、と長い髪をひと振りしかたと思うと、狙い澄ましたように茂と優太の頭上をかすめ、直後、ふたりの背後に降り立った。
 振り返った玄関先で、女と島本が対峙していた。
 女は後ろ姿だが、島本の顔は見える。
 丸く見開いた島本の目は、明らかに尋常ではなかった。
「これは……すごい」
 島本は、地下室を検分したときよりも遙かに酔ったような目をして、両手を胸の前に上げ、ゆらゆらさせていた。その掌は女のいる前方ではなく、自分の胸に向いている。これでは『ストップ』ではなく『オーライ、オーライ』である。
 島本の頭の中で、喜悦が恐怖を凌駕していた。
 もっと――もっとお前の実在を、俺の魂に深く刻め――。
 しかし女は、やはり何も見ていなかった。
 ぬ、と島本に交わり、そのまま前に進む。
「――しまった!」
 島本が我に返って身を翻したとき、女はすでに背中までドアにめりこんでいた。
 あわてて島本がドアを開くと、女は一瞬、ドアにつられて円弧状に引き延ばされたように変形し、直後にはまた魚のようにうねって宙に浮いた。
 そのまま廊下の奥に流れる。
 島本たちは土足で廊下に駆け上がり、脱兎のごとく、もとい追狼のごとく後を追った。
 しかし女は、瞬く間に奥の居間の硝子障子に達し、そのまま吸いこまれるように消えていった。
 直後、居間の中から複数の叫び声が響いた。
「美紀! 美紀!」
 島本たちが駆けこむと、居間の隅では、ぐったりと目を閉じた美紀を泰蔵が抱え、淑子は血相を変えて美紀の胸に耳を当てていた。
 茂美はおろおろと親子の様子を気遣っている。
 例の女の姿はどこにもない。
「大丈夫ですか!」
 島本の問いに、誰も答えられなかった。
 大丈夫なのか大丈夫でないのか――早急には計れない。
 やがて、無限とも思える数十秒を経て、
「……眠ってるだけみたいです」
 淑子が顔を上げ、ひと晩で数歳老いたように、長い息をついて言った。
 一同も、吐息して覗きこむ。
 確かに美紀は、日向の縁側で丸くなっている猫のように目を細め、健やかに息づいているようだ。
 しかし――島本は警戒したまま居間を見渡した。
 あの女は、やはり影も形もない。
 茂が茂美に訊ねた。
「何か見たか?」
 茂美は、ふるふると頭を振った。
「なんか、なまあったかい風が吹いたみたいな気がしたけど……そしたら美紀が、いきなりコトンって眠っちゃって……」
 少なくとも娘たちは、あの女を間近で見ずに済んだらしい。
 しかし――ならば、どこに消えた?
 優太は、もはや顔面蒼白である。
 茂と島本も、その危惧の半分までは共有している。
 泰蔵と淑子、そして茂美は、なにがどうなっているのか、まだ判らない。
 美紀だけが、ただ安らかに眠っていた。
「――とにかく、念のため病院へ」
 島本が言った。なんであれ突然失神したのなら、医者に診せなければならない。
「お、おう」
 泰蔵が動こうとしたとき、
「お?」
 腕の中の美紀が、うっすらと目を開いた。
 ぽしょぽしょと瞬きしながら、唇を震わせ、つぶやくように言う。
「……ゆ……びわ……」
 安堵以上の疑問に、一同は顔を見合わせた。
 ゆびわ――指輪?
「……えーと、美紀ちゃん」
 島本が、言葉を選びながら訊ねた。
「えーと、俺がわかる? 目が覚めた?」
 美紀の目の前で、手をひらひらさせる。
 しかし美紀は、ぼんやりと視線をさまよわせたまま、
「……ゆびわ」
 また、そうつぶやき、泰蔵の腕を離れて、ゆらりと立ち上がった。
「美紀!」
「美紀!」
 淑子や茂美の声も、耳に届いていないようだ。
 美紀を引き戻そうとする泰蔵を、島本は制した。
 あの女の気配をまったく感じないことが、今は問題なのである。
 もし、女がまだここにいるとしたら――考えたくはないが――。
「……みんな、いっしょに。何があっても、すぐ守れるように」
 ついて行きましょう、そう島本は、皆に促した。

 美紀は、ゆらゆらと居間を歩み出て、家の奥に向かった。
 他の一同は、美紀の周りを囲むようにして、息を潜め、あたりを窺いながら進んだ。
 周囲の一同の存在は、まるで美紀の目に入っていないようだ。
 その虚ろなまなざしに、優太は、あの女の目を想ってちょっと身震いしたが、よくよく見れば、やはり本質的に彼此を異にする、美紀ちゃんらしい澄んだ瞳だった。
 やがて、奥廊下に曲がる角が見えてきた。
 美紀は、ゆらゆらと角に近づき、そのまま左折して地下室方向へ――と思いきや、反対に向きを変えた。
 目の前は、素っ気ない化粧板の引き戸になっている。
 そのまま引き戸にぶつかりそうになるので、泰蔵がすかさず開きながら、小声で島本たちに告げた。
「納戸だ」
 淑子が手を伸ばし、扉の内側の横、電灯のスイッチを押す。
 四畳半ほどの板間には、段ボール箱や収納ケースの類が、ぎっしりと、しかし主人や主婦の性格を反映して整然と積まれていた。
 その中央の細い余地を、美紀は最奥まで進んでいった。
 爪先立ちになって、棚の一番上に手を伸ばす。
 元はカラフルだったと覚しい、金属製の菓子缶を求めているようだ。
 それに指が届いた瞬間、
「――あれ?」
 不意に美紀は、いつものアルトでつぶやいた。
「……なんで?」
 とっちらかったシマリスのような顔で、きょときょととあたりを見回している。ここは誰? 私はどこ? そんなベタなギャグに相応しい顔である。
「……居間にいたよね? みんな」
「美紀!」
 淑子が、泰蔵や島本を押し分けて美紀にしがみつき、文字どおりおいおいと嬉し泣きを始めた。
「えーと、あの……」
 とまどっている美紀に、茂美もすがりついた。
「よかったあ、ミー坊!」
 美紀としては、こう答えるしかない。
「美紀だってば」
 そんな女性陣の睦み合いを後ろで眺めながら、優太もまた、大いなる安堵に胸を撫で下ろしていた。
 茂が優太の肩を、ぽんと叩いた。
 とりあえずなんとかなったかな――そんな顔である。
 優太も、こくりとうなずきかえした。
 とりあえずなんとか――なったんだと、いいんだけどなあ。
 お互い、まだまだ不安は尽きないわけだが、ともあれ今夜の共闘は一段落らしい。




   Act.4 【回転木馬が止まらない】


      1

 居間に戻った美紀は、すっかり、いつもの美紀に戻っていた。
 しかし納戸へ移動した数分の記憶だけは、どうしても途切れたままだ。
「……あたし、どうしちゃったんだろ」
「まあ、いろいろあったからねえ。気疲れ気疲れ」
 茂美は余計な心配をさせまいと、努めて明るく言った。
「それより、あたしもう埃だらけだよ。ひと風呂浴びたいなあ。美紀もいっしょに入ろうよ」
 そう言いながら、大人たちに目配せする。今後のちょっとアレコレは、美紀がいないほうがいいよね――そんな利発な判断である。
 おおナイスフォロー、と大人たちもうなずき、
「そうしなさいそうしなさい」
 すかさず淑子が言って、風呂の準備に向かう。
 やがてお年頃の娘ふたりが、まあいろいろあったなりに風呂場できゃいきゃいはしゃぎはじめると、残り一同は、忍び足でその前を通りすぎ、さっきの奥廊下に向かった。
 まずは、おっかなびっくり地下室を検分する。
「……いませんね」
 島本の言葉に、一同、こくこくと首を振った。
 確かに、回っているのは、もう木馬だけだった。あの少女は、どこにも乗っていない。幸か不幸か、あの女もいない。
「優太君の言うとおり、あの子が、あの女だったんでしょうね」
 この期に及んで優太をはぶんちょ扱いする大人はいない。もはや泰蔵や淑子にとっても当事者仲間である。
「このまま消えてくれればいいんだがなあ」
 泰蔵が切実な口調で言った。無論全員同意見だが、まだ木馬が残っている以上、なんとも言えない。
 続いて納戸に入り、例の菓子缶を回収する。
 泰蔵は、手に取ったその昭和レトロなクッキー缶を、矯めつ眇めつしながら言った。
「なんだったっけ、この中身」
「美紀が、小さい頃に遊んでた小物とか」
 淑子が答えた。
「捨てたくないって言ってたぶんを、これに入れて地下室に置いといたの」
「あそこのもんは、外の物置に移したんじゃなかったのか」
「大きい物は物置に移したけど、小さいのは、みんな納戸よ」
「じゃあ、これもずっと、あの地下室にあったのか……」
 アレに関係あるのかな――目顔で問う泰蔵に、島本と茂は、ふるふると頭を振った。すみませんわかりません――。
 居間に持ち帰り、埃を拭いて缶の蓋を開ける。表面の印刷はだいぶ焼けているが、内部のメッキはメイド・イン・ジャパンらしく艶々と光っていた。
 黄色い布製の小人さんとか、たれつくしたミニたれぱんだとか、それらしいファンシー物件たちの下から、場違いに汚れた小箱が現れた。
「これは……」
 おおむね四センチ四方、厚みは三センチほどか。芯は木製だが、表面のぶよぶよに傷んだ厚い化粧紙から察するに、元は、お子様向けの宝石箱だったらしい。
 泰蔵が、厚紙一枚の蝶番もどきで繋がった蓋を、バラけないように注意しながら開いた。
「……指輪だ」
 確かに指輪ではあるのだが――茂は首をかしげて言った。
「……グリコのオマケでしょうか」
 すっかり光沢を失って暗灰色化した、アンチモニーの玩具指輪である。
 島本も覗きこんで、
「グリコよりは、造りが立派だ。三丁目の夕日の頃の駄菓子屋玩具――そんなところかな」
「そういえば……」
 思い当たったらしい泰蔵に、
「そうよ」
 淑子もうなずいて、島本に言った。
「この家に引っ越してきた日、美紀が裏庭で拾ってきたんです。あんまり汚いんで捨てるように言ったんですけど……こんなところに残っていたんですね」
「美紀ちゃんは覚えてないんでしょうか」
「たぶん。入学前の話ですから」
 奥の風呂場から、まだ幼稚園でもおかしくないような、娘たちの笑い声が響いてきた。
「ちょっと、いいですか?」
 島本が指輪をつまんで、目をこらした。
 本物なら宝石がはまっているであろう部分も、ただ盛り上がったアンチモニーの表面を、赤いペンキのような塗料で染めてあるだけだ。
「――奥さん、どう思われますか? 俺は男兄弟だけだったんで、女の子のおもちゃは、あんまり見たことなくて。でも、宝石の代わりにガラス玉くらいは、はめてあったような気がするんですが」
「そうですね。私が子供の頃は、色つきのプラスチックが。そもそも指輪全体が、もうプラスチックのメッキになっていたような……」
「だとしたら――糸口になるかも」
 島本は、持参してきたショルダーバッグから、一枚のプリントアウトを取りだした。
 茂だけは見覚えのある縮小コピーである。
「それは……」
「そう。昼間、あっくんが見つけた記事だよ」
 図書館のマイクロフィルムにあった、今のところ唯一の、ハワイアンランドがらみの事件である。別れ話がこじれて、地元の若い女が果物ナイフで男を切りつけた――昭和四十二年八月十日、夕刊の片隅の、十行にも満たぬ記事だ。
 泰蔵と淑子も目を通す。
「……全治二週間か」
 泰蔵が言った。
「それにしちゃ、ずいぶん記事が小さいな」
「警察や新聞の『全治』は厳密ですからね。ほんのかすり傷でも全治一週間。二週間なら、大した傷じゃありません」
「それに、怪我したのは男のほうだぞ」
 泰蔵が怪訝な顔をすると、島本は逆に訊ねた。
「山福先生は、何かスポーツとか、されてます?」
 泰蔵は、ますます怪訝そうに、
「近頃はウォーキングくらいだが」
「若い頃の話でも」
「ああ、高校までラグビーやってた。テレビの青春物にカブれてな」
「怪我したことないですか。真夏の峰館で」
 泰蔵は、しばらく考えこんだ後、なるほど、と手を打った。
「あったあった。合宿で転んで、石ころで頭切って、シャツからパンツまで血まみれになった。ぴゅーぴゅー血が吹くはどくどく流れるは、出血多量で死ぬかと思ったよ。でも病院に行ったら、ほんのちょっと縫うくらいの、なんてことない傷でな」
 そうなんです、と島本はうなずき、
「止血すればすぐ治まるような軽傷でも、血の巡りがいい季節だと、切れた場所によって、びっくりするくらい出血します」
 雪国だから夏は涼しいかと思いきや、実は真夏の熱血度においても峰館は無敵である。盆地性の風炎《フェーン》現象が、昔からハンパではない。地球温暖化も都市熱も無縁の昭和八年に、最高気温40.8度を記録し、平成十九年まで実に七十四年間、日本観測史上最高記録を誇っていたほどだ。
「そこに、切りつけた加害者のほうがしがみついたりしたら――まして、その女が白いワンピースでも着ていたら」
 確かにビジュアルとしては、あの女ができあがる。
「で、記事によれば、女は当時二十一歳。ならば幼い頃は、昭和二十年代後半――奥さんも生まれていない時代です。駄菓子屋の指輪は、まだプラスチックじゃない。どこかの町工場のセルロイドかアンチモニーでしょう」
 確かに時代も合う。
「もちろん、その事件の詳細を調べてどうなるか、俺自身まだ解りません。でもハワイアンランドの開業中、殺人事件とか死亡事故とか、園内で人死にが出なかったのは確かだ。当たってみる価値は、充分あると思いますね」

      2

 ふだんの美紀が、寝覚めのいい娘であるかどうか――これがなかなか、微妙なところである。
 たいがい、小猫型の目覚まし時計が鳴ると同時に、ひょい、とベッドで半身を起こす。
 しかし、その時点では、美紀はまだ夢の中なのである。
 日替わりの夢は、ご多分に漏れず、雑多な記憶と仮想が織りなすシュールな過連想の迷宮であり、やがて目覚ましの電子音が夢の中まで響いてくると、当然、迷宮の途上から現実のベッドに帰還を余儀なくされる。その際の電子音の快不快によって、『寝覚め』の善し悪しが決まるわけだ。
 美紀にとって、月の内のほぼ六割は、その音が大変に迷惑である。で、ふつうに迷惑な朝が、残り四割。つまり目を覚ますのがありがたいような不快な夢はほとんど見ないわけだから、主観的には、とても寝覚めがいい娘なのである。しかし客観的には、「ああまだずっとこの夢の中にいたい」という願いを五分後のスヌーズだけでは振り切れず、たいがい十分後の三回目が鳴りだすまで、ベッドで目覚まし時計をなでさすり続けるから、けして寝覚めがいい娘とは言えない。つまり微妙なのである。
 ともあれ、いつもなら七時ちょっと前には、冬眠あけのシマリスのようにちょこちょこと階段を下りてくるはずの美紀が、今朝に限って七時を回っても台所に顔を出さないので、淑子は、ちょっと心配しながら二階に上がっていった。
 淑子も他の一同も、昨夜の美紀の言動が、なにやら霊的な現象――いわゆる憑依だったにしろ、あくまで一過性のものと推測している。正確には、そう願っていると言うべきか。しかし地下室では、相変わらず無人の木馬が回っているだけなのである。夜中にも、二度ばかり美紀の部屋を覗いて無事を確認しているから、たぶん大丈夫だとは思うのだが――もし万が一。
「美紀、起きた?」
 廊下から呼んでも返事がないので、淑子は、おそるおそるドアを空けた。
 美紀は、ベッドで半身を起こしたまま、すうすうと寝息をたてながら、器用に目覚まし時計を可愛がりつづけていた。
「美紀!」
「……うー」
 美紀はようやく、ぽしょぽしょと目を開いた。
「わ!」
 猫型時計のデジタル表示は、いつもより十五分も進んでしまっている。眠りながらスヌーズしまくっていたらしい。こうなると、お気に入りのファンシー時計も、可愛いんだか、親切すぎて迷惑なんだかわからない。
「……いい夢、見過ぎた」
「どんな夢?」
「夏祭りに行ってたの。上の鎮守様みたい。夜、みんな浴衣着て、金魚すくいとか輪投げとか、リンゴ飴とかアンズ飴とか綿飴とか」
 淑子は、よしよし、とうなずいた。木馬とも指輪とも関係なさそうだ。
「……ねえ、猫飼って」
「は?」
「本物の猫。毎朝、ちゃんと肉球でモミモミ起こしてくれるんだって、猫」
 夢の話ではなく、目覚まし関係の話らしい。
 淑子は、これなら大丈夫と胸を撫で下ろしつつ、大事をとって訊ねた。
「今日は休む?」
 気丈な淑子ですら、昨夜の変事は骨身に応えている。自分の骨身は長年鍛え上げてあるから大丈夫だが、娘の骨身は、まだ発展途上だ。
 美紀はぷるぷると頭を振り、ぱし、と両手でほっぺたに気合いを入れた。
 ベッドから飛び降り、通常の三倍速で着替えはじめる。
 ぱぱぱぱぱぱぱぱ。
 具体的にパジャマをどうの肌着をどうのは、美紀の名誉のために描写を控えさせていただくが、一挙一動ごとにあっちこっち飛び散るオノマトペは、輪郭くっきりの丸文字フォントである。
 ぱぱぱのぱぱぱ。
 淑子は安堵して台所に戻った。
 美紀が着替えや洗顔を終え、ジェリーを追いかけるトムの勢いで居間に駆けこむと、
「お、元気そうだな」
 泰蔵が、目覚めの番茶を啜りながら言った。
「あれ? お父さんがいる」
 泰蔵は、市街にある県立高校のクラス担任教諭だから、いつもなら美紀が目覚める時刻には家を出ている。ちなみに淑子は、私立女子一貫校の音楽専門講師なので、ベテラン常勤でも出勤時間に余裕があるのだ。
「今日は休みだ。島本君や茂といっしょに、まあ、なんかいろいろとな」
 娘や妻同様、遅刻欠席欠勤を性分として嫌う泰蔵だが、さすがに昨夜のような事態を迎えてしまうと、家長として早急な対策を迫られる。木馬や子供ならともかく、お岩さんの同類に自宅をうろつかれてはたまらない。場合によっては蔵王温泉の実家に、一家で疎開することまで考えている。車なら三十分の距離なのだ。
「そっか……」
 美紀としては、もう父さんたちに任せるしかなかった。
 美紀自身は、昨夜の女をはっきり見ていないので、あの女の子に対する同情や心配はまだ残っている。でも、現に木馬しか回っていないのだから、どうしようもない。
 とにかく今は、小学校以来の無遅刻無欠席記録が大事である。
 美紀は淑子といっしょになって、ぱたぱたと家族分の朝食を整え、
「お願い、見ないふりしてて」
 そう言って、年頃の少女にははしたなく――人によってはふつうなのかもしれないが、とにかく山福家の娘としては大変はしたなく、ご飯にとぽとぽと味噌汁をかけ、さらにどーんと目玉焼きまで乗っけて、わしわしと掻きこみはじめた。
 慣れない三倍速の食事に、うぷ、などとむせかける美紀を、泰蔵は苦笑しながら眺めた。
 よかった。特に後遺症はないようだ。ああいった現象が、病気と同じなのかどうか定かではないが――。
 淑子も泰蔵と顔を見合わせ、やれやれ、と吐息した。

 そうして美紀は、いつもよりちょっと早足で、いつもの通学路を急いだ。
 距離は三キロ近くあるが、大半は山の麓の緩やかな下り道だから、たまに後ろから来る通勤の車にさえ気をつければ、朝の登校は楽なのである。
 いつもの時刻どおり、無事に木造校舎の下駄箱にたどり着く。
 待ちかまえていた茂美が、元気に声をかけた。
「おはよう!」
 いっしょに待っていた優太も、バンドエイドだらけの顔をほころばせ、内心の大心配を隠して、せいぜい明るく声をかけた。
「おはよ」
 しかし美紀の返事は、昨日の朝ほど元気がなかった。
「……おはよ」
「あれ? 調子悪い?」
 茂美は心配して、美紀の顔を覗きこんだ。なんだか、いつもより青っぽい気もする。
「うん。ちょっと、おなかが重たいだけ」
「大丈夫?」
「うん。ちょっと寝坊して、朝ご飯、ほとんど丸飲みしちゃったから」
 その上、途中で駆け足になったからかも――美紀の自覚としては、あくまでその程度のムカムカである。いつもなら、学校に着く頃にはおなかの中でこなれているはずの目玉焼きが、今朝はちょっと白と黄色の二色のまんまでがんばっている――そんな感じだ。
 ともあれ大事はないらしいので、茂美は、もしかしたら月一のアレかも、などと思いながら、自分の教室前まで美紀を送り、そこで別れた。
「じゃあね。今日は、途中までいっしょに帰ろうよ」
「うん」
 別れ際、茂美はオマケの優太にも、目線で念を押した。
 ――しっかり注意しとくんだよ、でも触っちゃだめだかんね。
 優太は、うん、と目で応え、美紀の斜め後ろあたりにくっついて、オマケ、もとい護衛の任についた。
 優作でもいてくれたら、ずいぶん心強いのだろうが、優作はまだ戻ってこない。お星様にはなっていないにしろ、あのイキオイだと、奥羽山脈を越えて東の仙代あたりまで飛ばされてしまったのかもしれない。
 とにかく美紀ちゃん、まずは元気そうだ――。
 そんな優太の安堵もつかのま、自分たちの教室が近づくと、美紀が不可解な兆候を示した。
 教室の、閉じたまんまのガラス戸に、そのまんま近づいてゆく。まるでガラス戸が存在しないか、ひとりでに開くと思っているか、あるいは――すり抜けられると思っているような足取りだった。
 優太は、あわてて前に回ってガラス戸を開いた。
「あれ?」
 美紀も、自分の奇妙な行動に気がついた。実際その直前まで、ガラス戸があってもなくてもあたしには関係ない、そんな気分で歩いていたのである。
 優太の脳内アラートは、一瞬にして警戒レベル2から4あたりに跳ね上がった。しかし、それを顔に出すほど優太も愚鈍ではない。とりあえず曖昧に笑ってごまかす。
 美紀も、なんとなく笑ってごまかした。
 ――うん。ちょっと、ぼーっとしてただけ。寝坊しちゃったし、消化不良だし。
 そんなふたりの様子を見て、教室内の学友たちは、当然ながら別の意味で驚愕していた。
 きのうっから、なんだかちょっとアヤしかったあのふたりが、今朝は、いきなり女王様と下僕化している。下僕の顔面のアレは、もしかして女王様に、なんらかの折檻を受けたのだろうか――。
 ちなみに、美紀に代わって女王様化したいと思った女子は皆無である。
 対して、優太を押しのけて下僕になりたいと心から願った男子は、もしかしたら半ダースを越えたかもしれない。

      3

 淑子が出勤して三十分もしないうちに、まず茂が山福家に着いた。
「美紀ちゃん、大丈夫そうですか?」
「ああ、いつもの感じだった」
「そりゃよかった」
 泰蔵が、手ずから茶を淹れる。
「早くからすまんな」
「島本さんは、ちょっと遅れてくるそうです。心当たりが、ひとり見つかったとか」
「もう動いてくれてるのか」
「お年寄りは朝が早いですからね」
 もちろん島本の歳の話ではない。
「あの人の情報源はハンパじゃないですよ。警察を定年退職して自分史出してる人とか、けっこういますから」
「そりゃ頼もしいな」
「話によっちゃ、合流は午後になるかも知れませんね」
「じゃあ、こっちはこっちで用件にかかるか」
 お茶もそこそこに、茂の車で、昨夜電話しておいた枕崎の家に向かう。
 枕崎当人は、当然出勤して不在だが、協力は約束してくれた。つまり、過去のアレコレはいざ知らず、今現在も大霊界っぽいのは自分ではなく妻のほうであると、泰蔵に明かしてくれたのである。

 市街に近いバイパス沿いにある枕崎宅は、若き日の彼が無理を重ねて建てた小住宅から、四倍近い広さの瀟洒な洋風邸宅に変貌していた。このあたりの地味な家に並ぶと、百メートル先からでも、そこだけ鎌倉山や芦屋級に際だって見える。
 門前の充分な余地に車を停め、のどかに開けっぴろげになっている格子門から、かなり奥の玄関へと、石畳の小道を辿る。地べただけは余っている地方のこと、庭の広さはどこも大差ないが、大雑把な田舎の庭と瀟洒な庭園風の庭では、やはり趣が違う。
「しかし、まさかあいつが、あの四組で出世頭になるとは思わなかったなあ」
 泰蔵はしみじみと言った。
「やっぱり大霊界パワーか? 奥さんがキリスト様とツーカーだからか?」
 茂は苦笑して、
「それもあるんでしょうが、たぶん、あいつ自身が一番強かったんですよ。小学校の頃にイジメで首吊りかけた話とか、先生、聞いてます?」
「おう。まあ詳しくは聞かなかったがな。あいつ無口で、ぼそぼそとしかしゃべらんかったし」
「そのマイナスを、あいつは全部プラスに変える根性があったんです。俺が今、好きな道でなんとか食えてるんだって、枕崎たちの、なんつーか正直な生き方に刺激されたわけで」
 たぶん正直の上に馬鹿がつくのだろうが。
「ほう。やっぱり教師なんぞより、仲間のほうが良く見てるもんだなあ」
「それに先生も、懐が深かったし」
「俺の場合、ただ放し飼いにしてただけだ。あの頃は、お前らのやってることなんて、わけがわからんかったからな」
「放牧と放棄は、ぜんぜん違います」
 泰蔵は思った。
 今〜春がきて〜〜君は〜きれいに〜なっ……てないけども〜〜〜以下略。

 田園調布級の広々とした応接間で、恐縮してしまうような英国風正調紅茶接待を受けたのち、泰蔵が、持参した例の指輪を開陳すると、
「……宅が電話でもお伝えしたように、わたくし、そんな大それた力はないのですが」
 洋子は謙遜しつつ、愛用の鼈甲縁眼鏡を鼻筋で整え、数分の熟視に入った。
 白いレースのカーテン越しの、柔らかな光に浮かぶ洋子の姿は、地味な出で立ちであるがゆえに、派手の幾層倍も際立って見える。そのいかにもミッション・スクール育ちらしい透明感に、泰蔵は自然と先日よりも頭が下がった。
 やがて洋子が、おもむろに口を開いた。
「……『結婚』」
「結婚?」
 泰蔵と茂が、仲良くハモって繰り返した。
 洋子は厳かにうなずき、
「はい、そんな声が見えます」
 泰蔵と茂は、首をひねった。
 茂が訊ねる。
「エンゲージリング……ということでしょうか」
 こんな駄菓子屋物件が?
「今は、こんなになってしまっておりますけど、元は、とても綺麗なものだったと思いますよ。子供の目にとっては、なおのこと」
「確かに……」
 泰蔵が感心してつぶやいた。
 しかし洋子は、なぜか眉をひそめて、
「ただ、同じ声が、ふたつの赤で、ふたつ重なって見えるんです」
「ほう……」
「ひとつは、もう純粋に暖かい、心から嬉しそうな赤なんですが――」
 洋子は言いにくそうに、
「もうひとつは、とても暗くて、濁った赤です。なにか赤漆の中に黒漆を流したような――憎悪――いえ、ちょっと違いますね。たぶん絶望――憎悪と見分けがつかないほどに狂おしい絶望――そんな色です」
 茂は、ぞくりと背筋を震わせた。
 洋子は、あの女の存在を知らない。あの木馬の少女に関係しているらしいものが見つかったから、ぜひ見てほしい――その程度の来意しか、洋子には伝えていないのである。
 泰蔵が洋子に言った。
「実は、あの木馬に乗っていた子供が夕べから消えちまって、今は、あの木馬しか回っとらんのです。ご迷惑じゃなかったら、また家《うち》の中を、見ていただけんもんでしょうか」
「……そうなのですか」
 洋子は、心苦しそうに、
「残念ですが、わたくし、ただ在るものの声が見えるだけで、見られようとしていない人の姿や心を、見ることはできませんので……」
 そう言われてしまうと、泰蔵も茂も納得するしかない。確かにそんな霊視まで可能なら、今頃この家は、信者志願者や怪しげな業界関係者で溢れかえっているだろう。

 丁重に礼を述べて枕崎宅を辞した後、バイパスを市街に向かう車中、助手席の泰蔵が言った。
「いやあ、やっぱりすごいもんだな、あの奥さん。俺なんか、思わず這いつくばって拝みそうになっちまった」
 長いつきあいなのに怯えまで感じてしまった茂とは違い、いかにも泰蔵らしい率直な言葉である。
「あの伝で、できれば美紀の按配なんかも、見てもらいたかったんだがなあ」
「本当にそこまでできる人は、専門の島本さんも、まだ見つけてないらしいですからね」
「まったくなあ。子供でも大人でもなんでもいいから、俺に直接なんか言ってくれりゃ、たいがいのことは聞いてやるんだけどなあ。もっとも、代わりに恨みを晴らしてくれとか言われたら困っちまうが」
「でも、やっぱり、あの事件がドンピシャっぽいですね」
「おう。きっちり供養する相手くらいは、わかるかもしれん」
 噂をすれば影とやら、アームレストのトレイで、茂の携帯が鳴った。
「島本さんだったら、先生、出てもらえませんか」
「おうよ」
 やはり島本からだった。
 泰蔵は賑やかに挨拶を交わすと、枕崎家での顛末を島本に伝え、携帯を戻した。
「急がなくていいから、直接、お前と話したいそうだ」
「なんだろ」
 茂は、バイパス添いのガソリンスタンドに車を入れ、ついでに給油してもらいながら、島本に電話を入れた。
『おう、あっくん、今、どのあたり?』
「もうすぐ街中です」
『そのまんま市街を抜けて、山寺まで走ってくれないか』
「もう何かわかったんですか」
『いんや、あくまで本番は相手待ちなんだが、いちおう情報源は確保した』
「さすがですね」
『どんな小ネタでも記事が特定できれば、こっちのもんさ。あの時代の話なら、ブンヤさんだってデカさんだって、けっこう生きてる』
 そんな人脈を営業方向で築けば、今も表舞台で左団扇だろうに、島本も基本的には茂と同じ、居職の職人肌なのである。
『で、あっくんに、折り入ってお願いがあるんだが』
「はい?」
『あっくんの個人情報、漏洩してもかまわんか?』
「は?」
『つまり、謎の漫画家あっくん大先生が、実は峰館在住の亜久津茂先生である、みたいな』
 なんの話かはさっぱり解らないが、島本が言うからには、先に進むのに必要な手段なのだろう。
「そりゃ、かまいませんけど」
『良かった。じゃあ、もうひとつ、お願いがある』
「はい」
 また尻対策の座布団だろうか。
『漫画描く道具って、今、持ってないよね』
「えーと、スケッチブックとパステルくらいなら」
 さすがに車にペンやケント紙は積んでいない。ノートパソコンと記録用のデジカメがあるくらいである。
『それでもいいのかな――いや、たとえば、ときどき漫画家さんが本屋でサイン会やったりするだろう』
「色紙とかサインペンですか」
『そうそう。そんな感じ。それを何枚か――念のため五六枚ぶん、途中で調達してきてくれないか』
 まさか情報源はアニメイトやコミック専門店――そんなはずはないよなあ。だいたい山寺とは関係ないもんなあ。それとも俺の隠れファン――でも、あれは俺が生まれる前の話だぞ。
 結局さっぱり解らないが、とりあえず漫画家として協力するにやぶさかではない。
「了解しました」
『じゃあ、よろしく。山寺の駅前で待ってるから、近くなったら、また電話してくれ。昼飯でも食いながら、委細面談ってことで』
「はい、じゃあ、また」
 通話を終えた茂に、泰蔵が訊ねた。
「なんだって?」
「なんだかよくわかりませんが、とにかく山寺に、なんか情報源があるみたいです」
「ほう。なんだかよくわからんが、あるだけありがたいな」

 北の市街にある行きつけの画材屋で、好みの色紙や十二色サインペン、ついでに予備のスケッチブックやパステルを購入すると、茂は市役所前の交差点を北東に右折して、県道十九号、いわゆる峰館山寺線に入った。
 しばらくは建てこんだ街中をあちこち曲がるが、街外れの峰館川に架かる大きな橋を渡った後は、道なりに八キロほどで、西から延びる旧山寺街道に交わる。右も左も雪を残した山ばかりが続くその街道を、さらに四キロ東に走れば、左手の切り立った山肌に、上から下まで転々とへばりついた大小の堂塔伽藍、宝珠山立石寺が見えてくる。松尾芭蕉の『奥の細道』で、『閑さや岩にしみ入る蝉の声』と歌われた、あの山寺である。JR仙峰線の山寺駅は、すぐ先だ。
 小粒ながら寺社作りの山寺駅舎前で、島本の車と合流する。
 ちょうど昼時だった。
 駅近くの土産物屋兼食堂に入ると、シーズン・オフの平日だからか、他の客は二三組しかおらず、ゆったり座れた。もっとも観光バスの団体客などは、初めから街道筋のでかい施設に収まる。
 お勧めの手打ち山菜蕎麦など頼んだのち、
「さて、ここで問題です」
 島本が冗談めかして、ふたりに訊ねた。
「飯食ったあと、千段以上の石段を奥の院まで登って、早めに用件を済ませて帰るのがいいか。それとも、あっくん先生のサイン会を開催して、夕方まで麓で待つほうがいいか、どっちにしましょう」
 泰蔵は、あっさり言った。
「なんだかよくわからんが、せっかくここまで来たんだから、奥の院を拝みたいな」
 何年前だか家族で来たときのことを思えば、大した苦労ではない。淑子も美紀も、けっこう張りきって登っていた。
 茂は、悩ましげに言った。
「なんだかよくわかりませんが、サイン会って、なんなんですか?」
 公衆の面前で主役面するのも気が進まないが、何年前だか家族で来たときのことを思えば、奥の院までの道程はエベレスト登頂に等しい苦行である。もっとも茂以外は、妻子どころか爺さん婆さんまで、けっこう張りきって登っていたが。
「話せば長いことながら」
「話さなければわかりません」
「ま、こういうことだ」
 島本は、自分のここまでの活動報告を兼ねて、説明しはじめた。
「俺の昔からの知り合いに、県警OBの爺さんが何人かいることは、前にあっくんにも話したよな」
「はい」
「朝方、片っ端から電話したら、ひとり、あの事件を知ってる爺さんがみつかった。西崎さん――この名前は他言無用にしといてくれ――この西崎さん、どうやら飯沢の交番巡査時代、ハワイアンランドのあの事件に直接関わったらしいんだが、そこはそれ定年後でも、在職中の守秘義務は心得てる。俺の専門分野――国道十三号の幽霊だの笹谷トンネルの幽霊だの、夏場の納涼ネタみたいな事例はともかく、まともな刑事事件に関しては、なかなか口が堅い」
「ほう」
 泰蔵が言った。
「テレビの探偵物なんぞでは、元警官の老人とか、べらべら得意そうに昔話してるがな」
「あれはフィクションですから。特に関係者が存命中の場合は難しいですね」
「ありがたいような、この際ありがたくないような」
「でも自分の職務上の話じゃなく、直接事件に絡んでいない民間人の情報なら話は別です。たとえば、それを記事にした新聞記者の話とか」
「そうか」
 茂が言った。
「そっちを知ってたんですね」
「そう。激動の昭和の社会派仲間――ある意味、部隊違いの戦友ってわけだ。今もけっこう会ったりしてるらしい。いちおう今朝、電話で紹介してもらった。当人はもう家を出てたんで、俺が話したのは家族だけだがな」
「いけそうじゃないですか」
「うん。で、ここでちょっと興味深い話がある。その元記者さん――澁澤さんっていうんだが、例の事件の後、新聞社という組織に絶望したとかで、自主退職しちまったんだそうだ。まだ三十幾つだったのに、いきなり実家に引き籠もっちまったんだな。まあ引き籠もりって言っても、ハヤリのニートじゃなくて、実家がそこそこ畑を持ってたそうだが」
 泰蔵が訊ねた。
「その退職が、あの事件と関係あるのか?」
「西崎さんの口ぶりだと、どうやら」
「そんな大それた話だったのか――まあ、ただの痴話喧嘩じゃないだろうとは思ってたが」
「かなり根が深そうです。その元県警の西崎さんだって、実のところ守秘義務一辺倒の人じゃありません。歳も歳だし、話し相手も残り少なくなってますからね。俺が話を訊きに行けば、たいがいのことはオフレコ扱いで教えてくれるんですが、この件に関しては、自分じゃいっさい語りたくないそうですから」
 注文した蕎麦が届き、たぐりながら話を続ける。
「それで、その元記者さんのほうが、山寺の奥の院に? 出家でもしたのか?」
「いえ、地方民俗の研究者に転向したそうです。あくまで自称研究者、つまり市井の趣味人ですね。実家で農業やりながら、そっち系の本も何冊か出してます。でも、三十代から事実上の世捨て人、とくに隠居してからここ十年は、毎日毎日山寺のてっぺんに通って、奉納物を研究してるような人ですからね。ぶっちゃけ、ものすごい偏屈老人だと思ってください。西崎さんとか昔の知己を除いて、ほとんど家族とも口をきかないような爺さんらしいです」
「じゃあ、いきなり行っても無視されるだけなんじゃないか」
「西崎さんの紹介と言えば、無視はないでしょう。それに、あくまで民間の趣味人ですから、勝手に奉納物をいじくるわけにはいかないらしくて、今は名目上、ボランティア・ガイドということになってます。だから奥の院まで行けば、とりあえず口はきいてくれます。いきなり事件の話じゃなく、たとえば峰館の昭和史関係でいろいろ調べてるとか、そのあたりからぼちぼちと攻めれば――」
 あとは島本の取材技術、つまり口の巧さしだいである。
「行こう行こう。これ食ったら、すぐ行こう」
 乗り気の泰蔵とは別状、足弱尻弱の茂としては、まだエベレスト登頂以外の選択肢も気になる。
「えーと、それだと、俺の色紙って……」
「うん。俺としちゃ、そっちが先でもいいと思うんだよな」
 島本は、なぜか、にやりと笑って言った。
「その偏屈な澁澤老人に、ひとり孫娘がいるんだが、西崎さんの話だと、その子にだけは、もうベタベタに甘いそうだ。その子と言っても、もう二十幾つ、近くの児童保育施設で保育士やってる娘さんだけどな。で、その娘さん、どうやら美紀ちゃん級の、あっくんファンらしい」
「……マジですか?」
「マジもマジ、大マジなんだよ」
 島本は請け合った。
「お祖父さんの茶飲み友達、つまり西崎さんの古希祝いにまで、あっくんの画集を贈りつけたってんだから、もう親衛隊級じゃないか」
「前言撤回。そっちを先に落とそう」
 泰蔵が言った。
「たぶん芋蔓式で爺さんも落ちるぞ。俺の親父なんか、俺ら子供にゃ男でも女でもゲンコくれまくりだったのに、美紀の頭なんか、一年中エビス顔で撫でまくってる」
 茂も異論はなかった。確かに自分の家の後期高齢不良も、孫たちの前では、ただのメロメロ爺さんである。それに千段の石段より、色紙のほうがまだ楽だ。
「よし。じゃあ、シナリオ2で行こう」
 島本は張りきって言った。
「あっくん先生は、峰館を舞台にした新作漫画の取材中、そんなシチュエーションだな。昭和レトロ狙いの、昔の遊園地が舞台になる漫画とか。俺と山福先生は、その取材の協力者ってことで。あとは俺が臨機応変に言いくるめ――もとい、話を進める」
「そんなに、うまく運びますか?」
「問題ない。朝に俺の電話に出てくれたのも、実は、そのお孫さんなんだよ。お祖父さんの下山は、いつも午後遅くになるから、俺たちは先に彼女の勤務先に寄って、下りてくるまで待っててもらってもいい――そんな話だった。行けば大歓迎さ」
「もしかして、端っから俺の名前出してます?」
「まだ本名までは出してないけどな」
 島本は、しれっとして言った。
「仕方ないだろう。俺の名前だけじゃ、相手が知ってたって、かえって胡散臭がられるだけだもの」
「まあ、いいですけどね」
 苦笑いする茂に、泰蔵が言った。
「嘘も方便ってやつだ。俺や島本君と違って、お前の性分だと苦手そうだがな」
「俺だって、嘘で食ってるんですよ」
 茂は居直って言った。
「それに、あとからちゃんとそんな話を描けば、嘘じゃなくなります」

      4

 さて、少々時間は遡り、南峰館第一中学校、給食前の四時間目――。
 体育の卓球で、球筋に体が追いつかず空振りを連発する美紀に、相手の級友が言った。
「……大丈夫?」
 いつもなら高麗鼠級にすばしっこく、すばしっこすぎて球が来る前に空振りしてしまうような美紀なのである。
「うみゅみゅみゅみゅう」
 独特な悔しがり方も、いつもよりトーンが低い。
「具合悪いんなら、見学してたほうがいいよ」
 本当に心配している顔だった。
 美紀は無念そうに訊ねた。
「あたし、変?」
「うん。いつもの二倍速、じゃないや、スローで動いてる」
「……おかしいなあ」
 美紀としては、三倍速は無理でも、せいぜい等倍で動いているつもりなのである。なのに、ラケットも体操着も運動靴も、今日は妙に重たい。朝の目玉焼きが元の目玉に戻って、おなかの中できょろきょろしているような感じもする。
 でも、見学はいやだ。ちょっとくらい熱があったって、アレのけっこう重い日だって、意地でも等倍の生活を送ってきた美紀である。
「……来なさい!」
 気迫に押されて試合再開した相手のサーブを、かろうじて受けた。
 でも返せたのは、それっきりだった。
 その後の給食も、半分しか、おなかに入らなかった。進取の気象に富んだ峰館給食センターが送ってよこす、いかなる無謀な献立をも、小学校以来完食しつづけてきた美紀なのに、である。
 友達や先生たちの心配顔と、推定その十倍の優太の心配顔に見守られながら、なんとか五時間目を乗りきる。座っているだけなら、どんどん重くなる制服も、それほど気にならない。それに、実際に体が重いわけではないのである。ただ、重いような気がするだけなのだ。
 気のせい気のせい――そう自分を叱咤しながら、いつもの廊下掃除では、こんな想いを抱いてしまった。
 ああ、たれぱんだって、きっと、こーゆー感じで生きてるんだ――。
 そうして放課後、朝の約束どおり、茂美に合流する。
 校庭の並木道、
「ぐぬぬぬぬう」
 負けるもんか負けるもんか――。
 うなりながら根性で歩く美紀を、茂美は横から覗きこんで言った。
「おぶったげようか?」
 合流前に、優太が一日の監視状況を報告しているので、茂美もかなり心配顔だ。
「……いい」
「鞄、持ったげようか」
「……いい」
「よくないんじゃない?」
「……そんなに変?」
「うん」
 茂美は正直に言った。
「ぶっちゃけ、山登りの人みたい。エベレストによじ登るみたく、地べたを歩いてる」
「……ぴんぽーん」
 精神的には、まだ余裕が残っているようだ。
「遭難しそうだったら、いつでも言ってね」
「……さんきゅ」
 そんなふたりを、優太はちょっと離れて、後ろから見守っていた。
「あーあ、すっかり懐いちまってるなあ」
 いつのまに戻ったやら、すぐ横で優作の声がした。
 優太は驚く気力もなく、
「……何か見える?」
「おう。ああ馴染んじまうと、お前らにゃ、もう見えねえかもな」
 優作は、いつになく深刻な顔をしていた。
「俺としたことが、遅れをとった。なにせ竜山越えて、熊野岳と雁戸山の間あたりまで飛ばされちまって、カモシカに蹴られるは狸に嘗められるは、戻るのにひと苦労でなあ」
 どうやら宮城側まで抜けないうちに、蔵王連峰に引っかかったらしい。
「せめて、ゆんべのうちに、なんとかしてりゃ……」
 優太は、おそるおそる訊ねた。
「やっぱり……あの女の人が、美紀ちゃんに?」
「ああ。お前も見といたほうがいいだろう。ちょっと目玉を貸してやる」
 目玉?
 怪訝な顔で優作を見つめる優太に、
「あ、なんか、お前、鬼太郎と目玉親父とか想像してねえ?」
 優作は呆れたように言った。
 優太は、ぷるぷると頭を振った。実は想像していたのである。
「なんぼ俺だって、目玉は取り外し式じゃねーよ。こーゆーことだ」
 優作は優太の背後に回り、ぬい、と顔を突き出した。
 優太の後ろ頭から、優作の顔が交わってくる。
 同じ幽霊でも、優作とあの女は別種の存在なのだろう。優作に重なられても、優太は粘りけも何も感じないし、重たくもない。
 同じ顔の同じ眼球が重なった瞬間、
「わ」
 優太はぎょっと立ちすくんだ。
 美紀の後ろ姿に、異様な斑模様が重なって見えた。
 制服姿の美紀の輪郭に、あの女が美紀と同じ輪郭に変形してぴったり重なっている、そんな有様だった。
 優作は、すぐに顔を後ろに引いた。同時に、優太の視覚も元に戻る。
「ちょっとだけで、すまん。俺にゃ、ちょっとコタえる技なんでな」
 優作は、めまいを押さえるように首を振りながら言った。
「俺みたく吹っ切れてる死人だと、この世のモノにダブるのは、すっげー骨なんだよ。痛いっつーか気持ち悪いっつーか、ゲロ吐きそうっつーか。でも、あの女みたく、自分でも生きてんだか死んでんだかわからねえ奴は、なんでだか簡単にダブっちまう」
「……成仏してないってことか?」
「まあ、そんなもんなんだろうな」
「じゃあ、美紀ちゃんは……」
「すぐにどうのこうのってこたぁ、ねえと思う」
 ひとまず安心する優太に、優作は続けて言った。
「『すぐには』だぞ。いずれ、体より先に頭がまいっちまう」
「頭……」
「ああなっちまうと、マジに重たいわけじゃねえんだよ。なんつーか、ほんとは重くないのに、重たい苦労だけはしっかり感じるっつーか――なんて言ったらいいかな」
 優作は、ちょっと考えこんでから、
「――ありゃ確か、ソマリアだったな。戦場跡の荒れ地で、神父がひとり、ぺしゃんこにされるのを見た。相手は、こーんなちっこいガキどもだ。なんぼ神父さんが優しくお祈りしたって、地雷で木っ端微塵に吹っ飛んだ何十人のガキどもは、そもそもなーんも考えちゃいねえんだよ。悪気だってねえ。ただ、わらわらわらわらたかってくる。それだけで、生きてる人間なんて簡単につぶれちまう。体がつぶれるんじゃねえぞ。心がつぶれるんだ」
 それは困る。大いに困る。美紀ちゃんも困るだろうが、俺だって、もうどうしたらいいかわかんないくらい困る――。
 優太は歩きながら、文字どおりわなわなと震えていた。
 優作は、そんな優太の思い詰めた横顔を見定め、なぜかニヒルに口の端を上げて言った。
「……代わりに背負《しょ》いこむ覚悟はあるか?」
 そんなことができるなら――こくこくとうなずく優太に、
「じゃあ、今度は、ちょっと下を見ろ。お前の腹あたりな」
 優太が言われたとおりうつむくと、
「あらよ」
 優作が、また後ろから顔を重ねた。
「わ」
 優太は、また立ちすくんだ。
 自分の臍の奥あたりに、なにやら異様な灰色の塊が見える。
 優太は解剖医や検死官ではないので、断言はできないが、グロ系のホラー映画で、そんなものを見たことがあるような気がする。なんか人の頭が割れたりすると、なんか中からぐにゅりとはみだして――そんなようなものである。その横にちょっとくっついている赤黒いオマケは、もしかして肩肉だろうか。
「……吐きそう」
 思わずつぶやく優太から、ひょいと離れて優作が言った。
「そんくらいで嘔吐《えず》くんじゃねーよ。俺なんか、お前の脳味噌くぐるほうが、よっぽどゲロっぽいんだからな。だいたい、それっぱかし、見えなきゃ気になんない程度だろう。それ以外のぜんぶ、あの子に入ってんだぞ」
 言われてみれば、そのとおりである。
「でも、元がいっしょの奴だから、もしかして、こっちにくっつけられるかもしんねえ」
 よろしくお願いします――優太の目は、そう言っていた。
「んむ。さすがは俺の弟だ」
 タメだけど、この際、頭を下げてお願いします、お兄さん。
「待ってろ」
 優作は優太を残し、前のふたりに駆け寄った。
 美紀の背後に近づくと、隣の茂美が優作に気づき、目を丸くした。
 ――あれ、あんた、なにするの?
 優作は、とりあえず俺に任せろ、と茂美を制し、
「おいしょっと」
 美紀の両脇に、後ろから自分の両手を入れた。
「ごめんよ姐さん」
 ずるり、と、あの女だけ引き寄せる。
 美紀の輪郭を離れるそばから、女は自分の姿に戻った。
 無敵の茂美も、さすがに戦慄した。実際にその女を間近で見るのは、初めてなのである。
 もっとも女の様子は、かなり昨夜と違っていた。後ろから見守る優太には、優作が美紀の中から、女の形をした白い布を引き出したように見えた。昨夜の貞子や伽耶子じみた邪気を、ほとんど感じない。
「――あれ?」
 美紀がつぶやいた。
 首をくるくるしたり、肩をこきこきしたりしながら、
「……なんか、急に楽になっちゃった」
 茂美の強張った顔面が、ちょっと緩んだ。
 ――そーか、そーゆーことだったのか。
「どうしたの? 変な顔して」
「あ、いや――良かったねえ、美紀!」
 美紀の肩をぽんぽんしながら、戻ってゆく優作に目をやる。
 優作は、けっこう苦労していた。女は、優作とコミで認識している茂美や優太以外、他の誰にも見えないほど沈静している。それでも優作にとっては、生きた大人の女性を引きずるのと同じ力がいるのである。
「痩せてる割にゃ、重いな姐さん」
 ふつうの相手なら怒ったろうが、女はやはり何も聞こえていないらしく、ずるずると優作に引かれるままだった。
 待ち受ける優太は、正直、かなりビビっていた。
 あの女の人は、昨夜よりずいぶん恐くない感じだが、その代わり自分のほうに、怖がる時間がありすぎる。しかし現に美紀ちゃんは、いきなりいつものように元気にケンケンしたりしている。ならば、あとはこっちで引き受けるしかない。
 選ばれし者の恍惚と不安、ともに我にあり――まあ殉教者などというものは、えてして神様なんぞ見てもいないところで、勝手に殉教するしかないのである。
「行くぞ、優太」
 ――山福美紀よ、亜久津優太は君のためなら死ねる!
 鞄を下ろし、彫り損ねた不動様のような顔で覚悟している優太の横を、他の生徒たちが通りすぎてゆく。実はさっきから、下校中の多数の生徒に珍妙なひとり芝居を目撃されているわけだが、そこはそれ、とことん影の薄い優太のやること、さしたる注目は浴びていない。
「どっせーい!」
 優作は優太の後ろから、ずん、と女を背負わせた。
 優太としては、てっきりさっきの美紀ちゃん同様、自分の体そのものに女が重なると思っていたのだが、
「……あれ?」
 見れば自分の両肩から、女の両腕が、だらりとたれている。
「おい、ちゃんと持て。おんぶだよ、おんぶ」
 優作に言われるまま、両手で女の太ももを支える。人の感触はない。背中のワンピースも、布っぽい感触はない。人の形のスライムを背負っているようだ。つまり、昨夜の感覚と大差ないのである。
「まあ、あの子とお前じゃ、人柄が違うからな。馴染むにゃ当分かかるだろ」
「……痩せてる割に重いね、この人」
 などと言っているうちに、両脇に見える青白い腕も、後ろ手で抱えている細い脚も、ぬるぬると形を変えてゆく。結局、昨夜と同じなのだ。
 女の形が、ある程度失われたあたりで、
「あちゃー」
 見ていた優作が、自分の頭を叩いた。
 女の姿は、もう優太の背中から消えていた。
「……やっぱり居心地が良くないか」
 ふたりして前を検めると、校門に向かって元気に遠ざかりつつあった大小の制服姿の、小さい方だけが、いきなり十センチくらい縮んだように見えた。
「美紀!」
 スキップ状態だった美紀が、いきなりストンと下がってしまい、茂美はあわててその肩を支えた。
「大丈夫?」
「うー」
 美紀は、不本意そうにうなって、
「……またエベレスト」
 茂美は優太たちを振り返り、危険度MAXのガンを飛ばした。
 ――どーなってんだこれ! なんだかよくわかんないけど、あんたら、きっちりやんなさいよ!
 優作は、腕組みして言った。
「……なあ、優太。お前、なんつーか、人として、もっと優しい気持ちになれないか」
 もっともらしい口調だが、なにか芝居がかっている。
「あのお姐さんだって、きっと人に言えねえような訳があるんだよ。だからこう、あの子みたく、スコーンとヌケたくらい大らかに受け入れてやる、いわゆるひとつの『思いやり』ってやつをだな」
「…………無理」
 熟慮の末、優太が正直に答えると、
「だろうな」
 優作は、あっさりうなずいた。
「俺だって、シメられるもんなら、力いっぱいシメてやりてえくらいだもんな」
 正直にそう言いつつ、優太の腹のあたりを覗きこみ、
「でも、こっちにも、ちゃんと馴染んでるんだよなあ、部分的には」
「……シメたいほどじゃ、ないかもしんない」
「よし。なら、まだ道はある」
 優作は、優太の肩に手を置いて、
「お前、あの子と一緒になれ」
 優太は硬直した。
 な、なんとゆー大胆なことをおっしゃいますか、お兄さん――。
「……なんか勘違いしてねえか?」
「いや、その」
「ちょっとくっつけってことだよ。手ぇ繋いでみるとか」
 俺が美紀ちゃんと手を繋ぐ――優太にしてみれば、さっきのおんぶとはずいぶん方向性が違うものの、覚悟の度合いにおいては同程度の難行に思われる。
「あんがい楽にしてやれると思うぞ。ことによったら、重さが半分こになる」
 そうか――。
 逡巡している場合ではない。これは試練なのだ。
 かつて運動会のフォークダンスでほんのちょっと繋いだだけの、あの美紀ちゃんのちっこくてかーいらしい手を、合法的に――いやちょっと非合法かもしんないけど、とにかく思う存分握りまくれるとゆー超ラッキーな――いやいや万やむをえない、神が与えた試練なのだ。
「……行ってくる」
「んむ、行ってこい」
 優太は、歩を早めて前のふたりに近づき、主観的には決然と、客観的にはおどおどと声をかけた。
「あの……」
 美紀が、きょとんとした目で振り返った。
 茂美は、懐疑に充ち満ちた顔で優太を見据えた。
 ――いかん。どう言い訳していいものやら、見当もつかない。
 優太は、しばし思い悩んだ末に、
「……ちょっと、ごめん」
 それだけ言って、ひょいと美紀の手をとった。
 美紀や茂美のみならず、辺りに散在する下校中の生徒たちすべての目が、一瞬にして点になった。
「…………」
「…………」
「…………」
 凍りついたような数瞬の沈黙ののち、
「……殺していいよ、美紀」
 茂美が言った。
「なんなら、あたしが殺したげようか」
 しかし美紀は、ちょっと小首をかしげながら、
「……軽くなった」
「え?」
「なんか、軽くなった」
 全身の登山モードが、エベレスト級ではなく、裏山の稲荷神社の段々程度になっていた。
 確かに茂美から見ても、美紀の頭が五センチくらい高くなった気がする。
 美紀の黒目がちの可憐な瞳が、優太の凡庸な瞳に重なった。
 ――なんで?
 優太は、精一杯の瞳を返した。
 ――あの、ちょっと口では説明しにくいアレなんで、実感重視、そんな感じで、末永くお願いできれば。
 人生を豆腐一筋に賭ける決意をした、豆腐屋の息子のような瞳だった。
 美紀は思った。
 ――ああ、たった三日前に知ったばかりのお豆腐なのに、体がそれを求めてしまう。
 意味不明の視線を交わすふたりの間に、ぬい、と茂美が割りこんだ。
「ちょっとごめん」
 優太を美紀から引き離し、代わりに美紀の手を握る。
 とたんに美紀の背丈が、ストンと数センチ縮んだ。
「……エベレスト?」
「……うん」
 茂美は、ふう、とため息をつき、不承不承、優太にバトンを返した。
 なんだかちっともよくわかんないけども、こうとあっては、しかたがない――。
「妙なイロケ出したら、即シメるからね」
 優太は力いっぱいうなずいた。全殺しはないだろうが、半殺しならありうる。

 蔵王を望む田舎町の、のどかな校門前。
 春先らしい絹層雲のヴェールでやや霞んだ青空の下、屈強な女衛士を従えてしずしずと歩む不釣り合いなコンビを、多数のまん丸目玉が、興味津々で見送っていた。
 手を繋ぐ当人たちの思惑に著しい齟齬はあれ、傍目には、童謡の『靴が鳴る』が聞こえてきそうな情景だ。あるいは男女逆転した『矢切の渡し』。どのみち開校以来の椿事に違いない。
 驚愕するギャラリーの中には、二年三組の級友たちも混じっていた。
 きのうっから、なんだかちょっとアヤしかったあのふたりが、今朝はいきなり女王様と下僕化し、あまつさえ放課後にはラブラブ化している――。
 ちなみに美紀を羨ましいと思った女子は、やっぱり皆無だった。
 しかし名もなき幾人かの男子は、もはや嫉妬や羨望を超え、大いなる福音の光を、そこに見ていた。
 ああ、俺らみたいな一寸の虫にも、いつかは幸せな明日が訪れるのかもしんない――。




   Act.5 【若き日の回転木馬】


      1

 さて、再び時間は遡り、山寺を見上げる土産物屋兼食堂。
 昼食後、島本が携帯でアポイントを求めると、澁澤老人の孫娘は、ふたつ返事で承諾してくれた。
 島本は、相手が賑やかすぎて少々疲れた、そんな表情で携帯を閉じた。
 同じテーブルで様子を窺っていた泰蔵と茂に、
「OKです。ただし、できれば二時過ぎに来てほしいそうです」
「そりゃ先様だって、何かと忙しいだろうからな」
「というか、お絵描きイベントの都合ではないかと。小学生が放課後を過ごすための託児所ですから」
「そうか。学校が終わるのは、今だと二時半頃だったな」
 泰蔵は茂に、からかうような笑顔を向けた。
「どうやらサイン会じゃなくて、お絵描きの先生やるらしいぞ、お前」
「俺は、そっちのほうがいいです」
 実際、茂の性分だと、大人のファンより、知らない子供たちのほうが好ましい。
「まだ時間がある。腹ごなしに、せめて五大堂まで登っておこう」
 脚に自信のある泰蔵は、やる気満々で言った。
 五大堂は、崖上に突き出すように設けられた三方吹き抜け構造で、数ある山寺の御堂の中でも一番の絶景スポットなのである。まして晴天だ。
 泰蔵ほど脚に自信のない島本も、あそこまでなら、とうなずいた。
 茂は、あまり浮かない顔で泰蔵に訊ねた。
「あそこまで何段ありますかね」
「段数は知らんが、ゆっくり行っても三十分かからんはずだ。時間つぶしに、ちょうどいい」
 山福先生の脚で片道三十分弱――俺の脚だと、少なく見積もっても往復一時間半。ぎりぎり間に合いそうな時刻が、かえって恨めしい。
「まあ、無理しないで、行けるところまで行けばいいさ」
 島本が、察して言った。
「肝心の先生が、ヨレヨレになっても困るしな」

 登山口の小さな売店で、陽気なおかみさんから、名物の『力こんにゃく』を、ひと串ずつ購う。
 醤油で煮ただけの玉こんにゃくに、さほど栄養があるとは思えないが、たっぷり辛子を塗って食べると、なぜかその気になるから不思議だ。
 ときに急勾配はあるものの、残雪もきっちり横に除けられた石段を、泰蔵は元気いっぱいに登っていった。島本も、なんとか順調に追随する。
 ふたりは茂の運動不足を考慮し、途中の姥堂や仁王門で、追いつけるようインターバルを置いた。茂だけは、正直、処女雪の険峻にアタックしているマリオネットのような有様である。
 それでも五大堂に辿り着くと、茂は、ガクガクの脚も忘れて感嘆した。
「これは絶景……」
 前に家族と来たのは夏だったから、とにかく汗まみれになってしまい、宙を隔てて対面する緑濃い山々も、遙か麓に広がる門前町も、ろくに眺める気力さえなかった。しかし残雪期の晴天下では、何もかもが違う。冬の水墨画と春の水彩画をコラボしたような、絶妙な景観である。眼下の山合を縫って流れる立谷川も、仙峰線を行く四両連結のローカル電車も、絵心のあるマニアが組んだ緻密なジオラマのようだ。
「どうだ、来てよかったろう」
 泰蔵が上機嫌で言った。
 茂も異議なしでうなずいた。過去の辛苦は、どうやら大半、風炎の成せる業だったらしい。
「これでエスカレーターでもあったら、夏場も最高なんですけどね」
 軽口のようだが、実感である。
「よせよ、江ノ島じゃあるまいし」
 島本が呆れて言った。
「だいたいエスカレーターで上下する坊さんとか、ありがたくもなんともない」
「確かにな」
 泰蔵が言った。
「しかし澁澤さんって人は、坊さんでもないのに、七十過ぎて毎日毎日、もっと上まで通ってるわけだ。生半可な根性じゃないぞ」
「前に郵便局を取材したとき聞いたんですが、立石寺を担当する配達人は、みんなスポーツ心臓になるそうです」
 島本は言った。
「三浦雄一郎さんみたいな人ならいいんですけど、まあ、西崎さんの話だと真逆っぽいですね」
「じゃあ、そろそろ下りて、下ごしらえにかかろうか」
 いっそ奥の院まで行っちまおう、そんな言葉を恐れていた茂は、即座に反応した。
「そうしましょうそうしましょう」

 下りもけして楽ではないが、上りとはずいぶん違う。足弱の茂でも、樹木に覆われた千年の古刹の風情を、味わう余裕ができる。石段の傍らの雑木に紛れ、なかば残雪に埋もれて佇む地蔵たちの風化した微笑に、思わず微笑を返したりもする。
「――『ムカサリ絵馬』」
 ふと、茂はつぶやいた。
「『ムカサリ絵馬』の話、それでどうでしょう。あれをモチーフにした漫画を描きたいと言えば、きっと、その澁澤さんも話に乗ってくれます」
「そりゃいいな」
 泰蔵がうなずいた。
「確かに、ここの奉納物を調べてる人なら、絶対乗ってくる」
 ムカサリ絵馬とは、この地方独特の奉納絵馬である。
 峰館地方の方言で『婚礼』を意味するのが『ムカサリ』だ。したがってムカサリ絵馬には、いずれも和やかな婚礼の情景が描かれている。しかし、その花婿花嫁の一方は死者がモデルであり、一方は、この世に存在しない架空の配偶者である。
 つまり、若くして未婚の内に亡くなった我が子が、死後の世界で幸福な生活を営めるよう、遺族が架空の婚礼風景を描いて奉納する絵馬、それがムカサリ絵馬なのだ。民俗学上の『冥婚』――『死後婚』に類する風習で、峰館以外にも津軽の一部などに見られるが、この立石寺には、他を圧して奉納が多い。奥の院、中性院、また金乗院、それらの御堂の内を覗けば、大小無数のムカサリ絵馬が奉られている。
 戦前戦中までの男系中心時代には、花婿のための絵馬が多かったが、その後は花嫁のための絵馬も増え、さらに本来の婚礼《ムカサリ》のみならず、就学以前に先立ってしまった子のために、入学式や学校生活を描いた絵馬なども奉納されるようになった。また絵馬の形ではなく、花嫁人形そのものや、ランドセル等の入学用品を奉納する遺族も増えた。
 いずれにせよ、この国に仏教が渡来する遙か以前から、山は死者の住むところ――死者が生きつづける場所であると信じられていたのだ。それは現代の街に生きる多くの人々にとって、すでに失われた概念のように思われがちだが、少なくともこの地方では、確固たる習俗として生き続けている。現に山寺の奥の院、仄暗い院内にうずたかく積まれた花嫁人形たちを見れば、古色を帯びた骨董品のみならず、昭和後期から平成の作と覚しい西洋人形じみた顔立ちの、真新しい花嫁も少なくない。たとえば近い将来、童貞のまま逝ったオタク息子のために、ウェディングドレスを纏った初音ミクのフィギュアを奉納する親が現れても、ちっとも不思議ではない土地柄なのである。
「なるほどなあ」
 島本が言った。
「あの女も、たぶん結ばれずに死んだわけだし、現状にぴったりだ」
「実は、頭ん中で遊園地と指輪の話を考えてたら、あの絵馬がからんできたんです。昔から、いっぺん使ってみたいモチーフだったんで」
「もう漫画にしてるのか」
 泰蔵が感心して言った。
「まるで噺家の三題噺だな」

      2

 澁澤老人の孫娘が勤める『あすなろ児童クラブ』は、山寺街道沿いにある市立中学の敷地内に、こぢんまりと併設されていた。
 約束どおり二時を少し過ぎた頃、そのトタン屋根のプレハブの玄関をくぐる。
「こんにちは、おじゃまします。さきほど連絡させていただいた島本と申します」
 島本が声を上げると、待ち構えていたように、若い女性職員が駆け足で現れた。
「いらっしゃいませ! 澁澤恵理と申します!」
 二十幾つと聞いていたが、まだ少女と言ってもおかしくない、溌剌とした、ふくよかな娘である。
 続いて初老の男性ひとりと、職員らしいふたりの女性が、慎ましい足取りで現れた。女性のひとりは中年、もうひとりは恵理よりも少し下か。いずれも峰館人らしい素朴な顔立ちなので、人見知りの激しい茂は、かなり安心していた。
 水を向けたらいくらでもしゃべりそうな表情の恵理も、ここは上長らしい初老の男性に正面を譲る。
「責任者の斉藤と申します。こんな田舎まで、皆さんご苦労様です」
 男性が差し出した名刺には、所長の肩書きがあった。
「いやいや、実は我々、みんな地元なんですが」
 島本は恐縮しながら名刺を差し出し、
「フリーライターの島本と申します。そして、こちらが漫画家の『あっくん』先生。そしてこちらが取材協力者の山福泰蔵先生です」
 茂と泰蔵も、名刺を渡す。
「どうも」
「なにとぞ、よろしく」
 所長の斉藤は、それぞれに如才なく会釈したが、フリーライターや漫画家といった馴染みのない肩書きよりは、泰蔵の名刺に着目したようだ。
「ほう、峰館商業で教えていらっしゃいますか」
「はい。現国と古典、漢文を受け持っております」
 斉藤は相好を崩して言った。
「実は私も去年まで、隣の中学で国語を教えておりました」
 ちなみに『あすなろ児童クラブ』は、あくまで市の委託事業所だから、斉藤は現役公務員ではなく、定年後の再就職者である。それでも同じ地道な教育者仲間に違いはない。
「それはそれは」
 泰蔵は改めて深々と頭を下げた。
「実はこの亜久津茂君も、昔の教え子で、まあ出世頭とでも申しますか」
 実は数年前まで長いこと落ちこぼれ続けていた、などという解説は無用である。
 ともあれ、これで三人の来訪者は、全面的にこの場に受け入れられた。
 事務室に案内され、賓客扱いで遇される。
 茂は、恵理とその後輩――恵理の感化でそこそこ『あっくん』ファン化していた短大を出たての児童保育士嬢を相手に、色紙を描きまくるやら素人インタビューに応じるやら、大わらわである。
 島本は島本で、彼のマスコミ露出時代を覚えてくれていた中年女性、推定この施設の最ベテランを相手に、お得意のダンディーな話芸を披露したりする。
 泰蔵は斉藤所長との茶飲み話――この地域の小学一年から五年までの鍵っ子全員を集めても総計二十四人という現代の少子化問題に我々ロートルは今後いかに対処すべきか――そんな論議に余念がない。
 まだ姿のない例の澁澤老人も、孫の恵理のみならず所長以下全員に、一種の地元名物老人として一目置かれているらしく、この託児所が待合室代わりに使用されても、誰も疑問はないようだった。
 やがて放課後の子供たちが集まりはじめると、斉藤所長はデスクワークのため事務室に残り、他の一同は学習室に移った。学習室といっても、学校の教室のように机と椅子が並んでいるのは部屋の半分だけで、もう半分は保育園の遊戯室に近い。
 恵理先生が気合いを入れて紹介する、峰館出身の偉人にして本日の臨時お絵描き教室ゲスト講師『あっくん』大先生に、大小の二十四の瞳、もとい四十八の瞳が集中した。ふつうの環境で育った小学生なら、『あっくん』程度のマイナー漫画家は、たいがい「誰それ?」だろうが、なんといっても全員が恵理の保育を受け、例のDVDや画集を見せられている。
「……えと、その、よろしく」
 茂自身の挨拶は、それだけだった。
 四十八の瞳すべてが、極めて深刻な懊悩の色を浮かべた。
 恵理先生を疑いたくはない。けして疑いたくはない。しかし――この田んぼで風に吹かれているカカシのような人が、本当に『あっくん』先生なのだろうか。
 それでも案ずるより産むが易し、いざお絵描き教室が始まると、茂は瞬く間に、蟻にたかられるアンコ玉と化した。子供たちにしてみれば、自分たちの似顔絵のみならず、頼めばドラえもんからピカチュウまで本物そっくりに描いてくれる大人など、一度も見たことがない。
 やっぱりこの人はカカシではなく、スゴい先生なのだ――。
 一年二年のちびっこあたりは、実際、わらわらとたかってくる。
 茂はアンコのように磨り潰されそうになりながら、高校時代の文化祭でパンダの着ぐるみに入ったときの、盛大なお子様人気を思い出していた。
 ああ、あれから修行を積むこと無慮四半世紀。パンダじゃなくて地のままでも、こんだけ子供にウケる大人になれたんだなよあ、俺ってば――。

 調達してきた色紙もスケッチブックも、あらかた使い果たした頃、ようやく窓外の陽が傾きはじめた。
「そろそろ、お祖父ちゃんが下りてきます」
 恵理が、満面の笑顔で言った。
「皆さんのことは伝えてありますから、いっしょに帰りましょう」
 ――第一関門、完全攻略。
 茂たちが、すっかり油断しているところへ、
「失敬」
 いきなり扉が開いて、リュックを背負った痩身の老人が入ってきた。
 茂たちは虚を突かれ――あるいは事前の不安予測が的中しすぎて、三人とも、山道で羆と鉢合わせしたようにつっぱらかった。
 豊かな白髪の下から覗く眼光が鋭い。鋭いだけでなく、底知れぬ深味もある。
 里山歩き風のラフな出で立ちだが、その眼力とまっすぐに伸びた背筋は、明治の軍人、あるいはストイックな侠客、それとも根っからの怖持てに見えた。往年の三船敏郎と高倉健に、ブレイク前の遠藤憲一を足して、三で割らないまま老境を迎えたような風貌である。
 思わず挙動に窮している茂たちとは別状、
「いらっしゃい、澁澤さん」
 中年の女性保育士は、緊張感の欠片もない声をかけた。お人好しの八百屋の親爺に挨拶するような、親しげな声だった。他の女性も子供たちも、山道に突然現れたクマのプーさん、そんな気安さで会釈している。
「お帰りなさい、お祖父ちゃん」
 恵理が溌剌と声を掛けると、
「はい、ただいま」
 老人の眼光が、一瞬にして雛祭りのぼんぼりのように和らいだ。
「事務所で所長さんに言われたんだが、ほんとにこっちで良かったのか、恵理」
 言いながら、顔面全体が、しまりなく緩んでゆく。
 茂たちは、直前とは逆方向ながら、やっぱりたじたじとなってしまった。
 なあるほど、これは予想に輪をかけた孫力――。

      3

 澁澤老人を乗せた恵理の車に続き、澁澤家の庭先に車を乗り入れた島本は、朝方に西崎から聞いた『世捨て人』という表現が、あくまで仲間内の冗談らしいと悟った。
 あの保育施設で女性陣から聞いた話だと、澁澤家は、このあたりでも今どき珍しくなった専業農家である。十年前に澁澤老人が隠居した後、長男夫婦が経営を継ぎ、峰館名物の洋梨『ラ・フランス』や和梨、椎茸や舞茸の栽培等、雇い人を使いながら手広くやっているらしい。
 しかし農園に囲まれた広壮な瓦屋根の自宅は、築十年の新しさではなく、古民家と呼ぶほど古くもない。つまり、澁澤老人の代に建てられたものである。たとえ先祖が残した土地があったにせよ、数冊の民俗学関係書を著す一方でこれだけの農園を築き、これだけの家を建てたとすれば、むしろ実業家的な資質がなければならない。今どきの多角農業経営は、日々律儀に耕作し続けているだけでは、すぐに破綻する。来年の市場の需要を見越して臨機応変に作付面積を変える、そんな投機的判断が不可欠なのである。
 もっとも街中の生臭い実業家とは違い、澁澤老人の口が極端に重いのも確かだった。島本たちが座敷に招かれ、和やかな晩餐が始まってからも、長男夫婦と老人は、ほとんど直接の会話を持たない。和やかさの九割九分が、恵理の介在で成り立っている。といって老人と息子夫婦の間の情愛が、とくに薄いとも感じられない。単に、そんな交情が澁澤家の常態であるらしかった。

 恵理の孫力のおかげで、賓客扱いの夕食が済むと、三人は老人の書斎に案内された。
 当然のように、恵理が先導する。
 十二畳ほどの広い和室は、島本たちの予想に違わず、文机周辺のわずかなスペースを除き、膨大な書籍と収集品らしい民具に埋もれていた。
「じゃあ、お祖父ちゃん、なんでも教えてあげてね」
 そう言いながら、恵理が自分も腰を据えようとすると、
「お前は下がっててくれないか」
 澁澤老人は、あくまでにこやかに言った。
「ここから先は、この方々の仕事上の取材になる。仕事の話は、男同士でじっくりやらんとな」
 恵理は心配そうに茂たちを見た。
 茂ら三人も異存はない。本来の目的に踏みこめば、恵理に聞かせたい話ではなくなる。だから異存はないのだが――それでもやっぱり、ちょっと恐い。
「じゃあ、皆さん、ごゆっくり」
 恵理は、渋々部屋から下がっていった。
 襖が閉じると同時に、老人の顔貌が豹変した。
 あの学習室に突然現れたときのような、只ならぬ眼力である。
 澁澤老人は、おのおのを見定めるように視線を流したのち、まず茂を見据え、
「――漫画家か」
 それだけ言って、値踏みするように睨め回した。
「はい……」
 気圧されて二の句を継げない茂に代わり、島本が口を開いた。
「えー、恵理さんからお聞き及びと思いますが、このたび、この亜久津君が『ムカサリ絵馬』の伝承を元にした新作を構想中で――」
 澁澤老人は、ぎろりと島本を睨みつけた。
「君には訊いとらん」
 いちおう『お前』や『きさま』ではなく『君』扱いだが、それにしては、懐からドスでもちらつかせそうな凶眼である。泰蔵の顔が鬼瓦ならば、今の澁澤老人は『瓦』抜きの実物に近い。
 島本は、思わず縮み上がった。
 しまった。これはどうも第一印象でしくじったらしい。きっと俺のビジュアルが軽すぎたのだ。ああ、今日はこんなスカした服じゃなく、カタギらしい背広でも着てくりゃよかった――。
 澁澤老人は茂に視線を戻し、地獄の底から響くような声で言った。
「藤子不二雄という人を知っているか」
「は?」
「オバケのQ太郎とか、ドラえもんを描いた人だ」
 声と話題の落差に、茂は戸惑った。
 たぶん老人は、藤子・F・不二雄――藤本弘先生の話をしているのだろう。『オバケのQ太郎』の頃までは、相棒だった藤子不二雄A――安孫子素雄先生との合作だが、『ドラえもん』はF先生の単独作である。
「……はい。生前、何度かお会いしました」
「君は、あの人をどう思う」
 依然として閻魔大王のような声である。
 茂は許しを乞う亡者の気分で、正直に答えた。
「天才です」
 実際、茂の脳内では、手塚先生よりも石ノ森先生よりも、藤子・F・不二雄先生が偉大である。手塚作品に通底するあまりにも人間的な歪みや、石ノ森作品に顕著な度を過ごした繊細さが、藤子・F作品には見られない。大人を描いても子供を描いても、すべてが適切だ。適切をファンタジーにまで高められる創作者を、茂は他に知らない。
 老人は眼力を保ったまま、続けて訊ねた。
「あの人の描いた『山寺グラフィティ』という漫画を、君は知っているか」
 必ずしもメジャーとは言えない一短編のタイトルを挙げられ、茂は一瞬驚いたが、この山寺を題材とした作品なのだから、澁澤老人が知っていても不思議はない。
「はい。藤子先生の数ある短編の中でも、あれは最高傑作だと思います」
 実際、茂は昔から、そう思っている。
 高校卒業を待たずに亡くなった少女が、その死を惜しむ父親によって、『こけし』として山寺の岩穴に奉られる。『こけし』に託された娘の意識は、いっしょに納められた玩具の家具調度に囲まれて、そのままそこで生活を続け、やがて、都会に去ったかつての恋人の前に、成長した姿を現す――簡略に言えば、そんな幻想譚である。無論本編は、長からぬ三十六ページの内に藤子・F先生らしい巧みな紆余曲折が織りこまれ、哀切や陰鬱に陥りがちな題材を、暖かく澄んだ叙情へと、なんの疑義もなく導いてくれる。
 澁澤老人は茂の目の奥を、真偽を計るように黙って見据えていた。
 茂は、訥々と続けた。
「えーと、もし俺が、自分でこんな漫画を描けたら、もうそれっきり死んでもいい――そんな漫画のひとつなんです。俺にとって、あの作品は」
 もっとも茂が小学校低学年の頃、初めて少年漫画誌で『山寺グラフィティ』を目にしたときは、幼すぎて、その真価を理解できなかった。中学時代に短編集で再読し、改めて悶絶級の感銘を受けたのである。
 澁澤老人は、なんら感情を窺わせないまま、おもむろに訊ねた。
「あの娘は、なぜ『こけし』だったんだろうな」
「……なぜ『ムカサリ絵馬』ではなかったか、ということですか?」
「そのとおり」
 老人の凝視が、一段と重みを増した。
 ここは老人に媚びるべきだろうか――茂は迷った。
 おそらく老人は、山寺の奉納物の要である『ムカサリ絵馬』を、あの話の中で無視されたことに、不満を抱いているのではないか。また、死者を『こけし』に託すという概念も民俗学上には存在しない。『こけし』の語源は『子消し』や『子化身』である――つまり堕胎や間引きに由来するなどという不吉な俗説とは別状、『こけし』はあくまで生きる子供が遊ぶための、あるいは大人が子供を慈しむための玩具である。
 しかし茂は、巧まず真摯に答えた。
「藤子先生も、山寺を舞台にするなら、本来あの絵馬であるべきことは、ご存じだったと思います。ただ、あの作品は、あくまで少年誌に掲載された短編です。ですから全国の子供が知ってる『こけし』を使うのが、児童漫画としては正しいのです。ページ数の制約もありますし、ほとんどこの地方だけの習俗を、長々と説明するわけにはいきません。もし俺があの話を描くとしても、たぶん『こけし』を使うと思います」
 澁澤老人は満足げにうなずいて、茂ではなく、横の泰蔵に言った。
「なかなか良くできた生徒さんですな、山福先生」
 孫娘に対するほどではないが、柔らかい笑顔に変わっている。
 泰蔵も、ようやく緊張を解き、
「はい。まあ、まずまずの仕上がりでしょうか」
 担任中はカケラも期待していなかった、などという解説は無用である。ふたりがなんの話をしているのか俺にはほとんど解らない、そんな事実も無問題だ。
 澁澤老人は、続いて島本に訊ねた。
「君ならどう書くね、島本和哉先生」
 先程とはまったく異なる、悪戯小僧のような目つきだった。
「近頃は妙な仕事ばかりしておるようだが、その、いわゆる怪談作家としては」
 島本は苦笑して答えた。
「私ならムカサリ絵馬の詳細も入れて、みっちり二百枚ってとこですね」
 島本も怪異譚や幻想譚なら、漫画・小説・映画を問わず、たいがいの佳作に接している。
「あの豊穣なニュアンスの集積を、あえて文章で伝えるとしたら、五十枚や百枚では無理でしょう」

 やがて、様子見をかねてお茶を運んできた恵理は、和気藹々とした書斎の様子に目を丸くした。
「お前の言うとおりだ、恵理」
 澁澤老人が言った。
「この若い衆は、なかなか素性がいい」
 さすが『あっくん先生』のお人柄、この巌のようなお祖父ちゃんを、たった数分で陥落《おと》している――。
 恵理は、感心しきりでお茶を置くと、
「なんでお祖父ちゃん、お父さんとも、そうやって楽しそうに話せないの?」
「お前の親を悪く言いたくはないが、あいつは、つまらん。仕事の話しかできない」
「あたしの親って、お祖父ちゃんの息子でしょうに」
「教育を誤った。あいつはムカサリ絵馬よりも、ラ・フランスの色艶にしか興味がない」
 恵理は朗らかに笑って、
「じゃあ、お祖父ちゃん、あともよろしくね」
 明らかに「先生たちの相手をよろしく」のみならず、「どんな話だったか、あとで私にも教えてね」を兼ねた言葉を残し、しずしずと下がっていった。
 澁澤老人は、そんな孫娘を目を細めて見送り、茂に向き直った。
「で、君は私に、何が訊きたいのかな? まあ君も承知の上だと思うが、私にできるのは峰館の昔話くらいだ。あとは息子と同じで、峰館の土に向いた果物、椎茸、舞茸、ナメコの栽培――そんなところしか相談に乗れんぞ」
 この人に妙な腹芸を使うべきではない、そう思った茂は、
「実は、『峰館ハワイアンランド』での話を、お伺いしたいんです」
 のっけから本題に入り、島本と泰蔵に目配せした。
 泰蔵がうなずき、島本も心得る。元々、本番では島本が議事進行の予定である。
 澁澤老人は、当初ほど険しくはないものの、眉根に深い皺を寄せ、ただ黙りこくっていた。やはり気が乗らない話らしい。
 島本は、頭の中で段取りを組み立て、
「――まず、これを見ていただけますか?」
 ショルダーバッグから、例の新聞記事のコピーを取り出した。
「この記事を書かれたのはあなただと、西崎さんに伺いました」
「……確かに」
 否定はしないが、それ以上語る気もない――老人の顔は、そう言っているようだ。
「では、次に、こちらをご覧ください」
 島本は、あえて話を迂回した。これまでの経緯を整然と語るのは簡単だが、それだけで第三者の重い口は開けない。
 あの二枚の空中写真を差し出し、
「――こちらが四十年ちょっと前、ハワイランドが開業中だった頃の、周辺一帯の空中写真です。そして、こちらが同じ地域の、現在の空中写真です。国土地理院の資料をもとに、縮尺も範囲も、両方ぴったりいっしょにトリミングしてあります。私や山福先生は、こうした画像を扱う心得がないので、この亜久津君に画像処理してもらいました」
 澁澤老人は、それぞれを文机に並べ、興味深げに見入った。
「ほう……ずいぶん変わったものだ。まさに『滄桑の変』だな」
 二日前の島本と、まったく同じ表現である。もっとも、これは島本の語彙のほうが古いのだろう。
 島本は言った。
「こちらのハワイアンランドの真ん中あたりに、赤い点が打ってありますね」
「ああ、あるな」
「現在の写真にも赤い点があります。両方、私が打った印です」
「ああ」
「二枚重ねて、明かりに透かして見ていただけますか」
「……同じ場所だな」
「はい。片方は、ハワイアンランドの回転木馬があった場所。そしてこちらは現在、山福先生が住まわれているお宅なのです」
 澁澤老人は、ほう、と山福を見た。
 そうなのです、と山福がうなずくと、
「……その木馬なら、確かに私も知っている」
 不承不承、老人は言った。
「しかし、それとこれと、何がどうだと言うのかな?」
 島本は、確かな手応えを感じた。
 心霊スポットの探訪経験などを得意げに述べたがる輩はいざしらず、市井の常識人から気乗りのしない話を引き出すには、一方的に質問しても、多く徒労に終わる。逆に相手からなんらかの質問を引き出し、こちらが答える形で話を進めるのが有効だ。それは怪奇体験に限らず、口にしにくい話すべてに通じる取材方法である。
「ご説明する前に、こちらも、ご覧いただけますか」
 島本は、一通の封書を差し出した。
 篠原遊具製作所の元社員・山田老人から島本に届いた手紙――一九七二年の春、峰館ハワイアンランドの廃墟で、木馬に乗った少女を目撃した夜の体験談である。達筆すぎて島本には読みにくいが、手紙の主と同世代の知識人なら難無く読めるはずだし、かえってリアリティーを感じてくれるだろう。
 澁澤老人は四枚ほどの便箋を、滞りなく、興味深げに読み終えた。
「……ほう。あの木馬は、この人の会社が造っていたのか」
「はい」
「しかし、そんな怪しげな子供なんぞも、私に心当たりはないな」
「子供ではなく、大人ならどうでしょう。たとえば二十一歳ほどの、若い女性だとしたら」
「子供の幽霊話が、なぜ大人の話になる」
「我々の目の前で、子供から大人に変わったからです」
 さすがに澁澤老人は唖然とした。こいつはいったい何を言い出すのだ――。
 OK、ツカミはここまで――島本は続けて言った。
「非常識な話ではありますが、我々三人、間違いなく、この目で見た話です。ご質問はあとでお伺いします。どうか、とりあえず最後までお聞きください」
 あとは粛々と、本編を語るだけである。

      4

 引き続き島本が主になって、適宜、茂や泰蔵にも話を振りながら、この三日間の出来事を説明する。
 澁澤老人は、長い話を黙って聞き終えた後、
「……この話は、西崎の奴にもしたのか?」
 渡されていたあの指輪の箱を閉じ、横の文机に置きながら、そう島本に訊ねた。
「いえ、新聞記事の件を訊ねた時点で、自分では何も語りたくないと、あなたのお名前を」
「あの野郎、当事者のくせに、俺に丸投げしやがった」
 澁澤老人は、やれやれと頭を振り、
「まあ西崎の立場も、気持ちも解らんじゃないが……あの娘がまだ迷ってるんなら、俺じゃ、どうしようもない。西崎に全部教えてやれ。きっと、すぐに山福先生の家に飛んでいく」
 島本たちは、「あの娘」に対する興味もさることながら、むしろ「迷っている」ことに澁澤老人がなんの疑問も抱いていないらしいのを訝った。
「どうした、お三方。妙な顔をして」
「いえ……頭から信じていただけるような話では……」
 島本が言うと、澁澤老人は苦笑して、
「暇を持て余した爺さんや学生連中じゃあるまいし、仕事持ちの大人が三人も雁首並べて、訳の解らん作り話を聞かせるために、こんな隠居をわざわざ訪ねてこんだろう、ふつう」
「それは、そうなんですが」
「だいたい、十年近くも古寺に通ってりゃ、後ろの透けて見えるような連中だって、そう珍しいもんじゃない。むしろ、なんで皆あんなに影が薄いのか、なんで挨拶くらい返してくれんのか、こっちが歯痒いくらいだ」
 そっち方向に関しては、澁澤老人も、どうやら島本の同類らしい。
「あの娘も、木馬になんぞしがみついてないで、あの男の前に遠慮なく化けて出て、恨みごとでも言ってやりゃいいんだ。刺し殺されたって祟り殺されたって仕方のない奴だったんだからな。それを今になっても、まだあそこで迷ってるとはなあ……」
「差し支えがなければ教えていただけますか、その女性や男のことを」
「いいだろう」
 老人は言った。
「もう四十何年も昔の話だ。西崎だって、あいつの周りに差し支えがなくなったからこそ、俺を教えたんだろう。差し支えのありそうな奴――たとえば高見の奴は、まだ大手を振って生きてるようだが、どのみち昔の自分を恥じるようなタマじゃない」
「『たかみ』――それが怪我をした男ですか」
「そう。高見俊彦。『高いところを見る』の高見に、俊敏とか俊英の『俊』で、俊彦だ」
 元新聞記者の澁澤老人だけに、そうした字面にも気を遣ってくれる。
「そして刺した娘は、西崎綾音――綾取りの『綾』に、『音』と書いて『あやね』」
「『西崎』――」
「そう。綾音さんは、あいつの再従妹《はとこ》なんだ」
「あの西崎さんの……」
「そうなんだよ」
 澁澤老人は、遠い目をして、
「――西崎は俺より四つ下だから、昭和十五年の生まれだな。綾音さんは西崎より六つ下だから、二十一年、敗戦翌年の生まれか。そして高見俊彦は十八年生まれ。――あの事件のあった昭和四十二年八月には、俺が三十一、西崎が二十七、高見俊彦は二十四、そして綾音さんは二十一、そんな勘定になる」
 すると刺された男も、今はすでに七十近く――。
 改めて時代や世代の違いを想い、三人それぞれ、微妙にうなずく。
 澁澤老人は茂に訊ねた。
「亜久津君は、事件の頃、幾つだったかね」
「残念ながら、まだ生まれてません」
 茂は昭和四十六年、大阪万博の翌年の生まれである。
「島本君は?」
「生まれてましたが、やっと満一歳ですね」
「山福先生は?」
「小学六年――いや中学一年ですか。ハワイアンランドの開園も知ってたんですが、私は蔵王高湯の旅館の倅だったもんで、夏休みだと、そっちから流れてくる客を泊めるほうの手伝いで忙しくて、自分で行けたのは、確か翌年の春でしたか」
「なるほど。すると時代感覚は、けっこう我々と共有できそうだ」
「しかし記憶の大半は、高度経済成長期に入ってからですから、それ以前の戦後復興期となると――」
「いや、違うことだけ解っておられるなら結構」
 澁澤老人は、茂と島本に、
「たとえば、君たちも『砂の器』なら知ってるだろう。近頃のテレビドラマじゃなくて、松本清張の原作のほうだ。いや、むしろ丹波哲郎が年嵩の刑事――今西刑事をやった古い映画が、いちばん有名かな」
 茂は映画だけなら観ているし、島本や泰蔵は原作も読んでいる。
「あれの若いほうの刑事――確か吉村っていったか。あの男が俺と、ほとんど同世代ということになる。森田健作の話じゃないぞ。あくまで原作の中の吉村刑事だ」
 つまり日中戦争の前――『砂の器』の中だと、村を追われた哀れな親子が日本中をさすらっていた頃に、澁澤が生まれたわけである。
「あの話を持ち出したのは、別に時代考証のためじゃない。どうも俺には高見俊彦って奴が、和賀英良――あの話の犯人にダブって見えてならんのだ。もちろん高見は、人を殺しちゃいない。逆に殺されかけた側だ。告発されるような罪も、表立って犯しちゃいない。和賀英良をもっと即物的にして、即物的なぶんだけ姑息に小回りが利く、そんな男だった。しかしまあ、世間的には学業優秀眉目秀麗、とくに顔形のほうは、下手すりゃ加藤剛より上だったよ。スマートで上背もあって、目が切れ長で顎が細くて、まあ、今でいうイケメンって奴だな」
 あ、俺、そーゆー奴が一番嫌いなんだ――聞いている三人は、揃って思った。
「木馬の前で傷害事件が起こったのは昭和四十二年だが、そこまでの経緯《いきさつ》は、まだこの国に進駐軍がいた頃から始まってる。西崎に聞いた話、俺自身が関わった話、後で俺が調べた話――別々にすると話がワヤワヤになっちまうんで、ここは間違いのない出来事を、おおむね時系列でしゃべる――それでいいかな」
「はい」
 三人とも、そのほうがありがたい。
「――高見俊彦が、いつから綾音さんに近づいていたのか、西崎にも定かじゃないらしいが、とにかく最初に奴の存在を知ったのは、西崎が小学校の高学年に上がった年――昭和二十五年の春だな。その年、高見が同じ飯沢小学校に入学してきた。なんでも、そんな小さい頃から、高見の頭と顔は、学校でも評判になるほど図抜けていたそうだ。当時の飯沢村は田舎もいいとこで、小学校は飯沢小ただ一校。しかしそれだけ学区が広いぶん、全生徒数は峰館市内の小学校よりも多かった。そこで図抜けて見えたからには、頭はいわゆる神童なみ、顔は映画の子役なみだったわけだな」
 そーゆーガキも、あんまし好きじゃないんだ俺――聞く三人の内心はさておき、
「しかし、それだけ学年が下だと、多人数の学校では、直接の興味や関係に繋がらない。ただ、高見よりもさらに三年遅れて入学してきた綾音さん――つまり下級生から見れば、秀才の誉れ高い上級生は、幼いなりに、また違った存在感があったろう。まして少女雑誌の絵物語に出てきそうな御尊顔だ。もっとも西崎は入れ違いで中学に上がっちまったから、小学校での具体的なあれこれは、当然知らない。西崎が初めて、綾音さんと高見が二人きりでいるのを見たのは、翌年の夏、鎮守の森の夏祭りの晩だった。昭和二十九年――高見が五年生、綾音さんが小学二年の夏だな」
 老人は話を切って、お茶に口をつけた。
 泰蔵が訊ねる。
「あのあたりで鎮守の森というと、飯沢稲荷ですか」
「ほう、ご存じか」
「はい。うちの裏山の、すぐ奥に」
 飯沢村は南峰館に変わっても、お稲荷様は改名しない。
「そうか。そりゃ知っていて当然だ。ハワイアンランドも山福先生のお宅も、昔は飯沢村――」
 澁澤老人は、自分の頭をこつこつと叩いて、
「いかんなあ。どうもこの歳になると、さっき見たばかりの写真が、頭の中で現実に重ならない」
 話が逸れたついでに、島本も口を挟んだ。
「夏祭りの晩に、五年生と二年生がランデブーですか。まあ当時の飯沢なら、子供だけでも不用心ってことはないでしょうが、ずいぶんませた奴ですね、その高見って奴は」
 少なからず嫌悪の窺える口調である。
「でも、子供同士の話じゃないですか」
 茂が、たしなめるように言った。
 その高見俊彦を弁護したいわけではないが、茂と妻の優美が知り合ったのも、ちょうどその年頃である。当時住んでいた峰館駅の近くで、いっしょに神社の縁日を楽しんだこともある。さすがに二人きりではなく、近所の子供連中といっしょだったが。
「まあ大人になってこじれるにしても、その頃はまだ子供らしい、ほのぼのとした仲だったんじゃないでしょうか」
 澁澤老人は、島本と茂を面白そうに見比べ、
「ま、そこは少々微妙なんだが――」
 意味深に言いながら、文机の、あの朽ちた宝石箱を見やり、
「この指輪は、たぶん、そのとき高見が綾音さんに贈ったものだ」
 ほう、と三人が注目する。
「――まあ『大人になったらお嫁さんにして』とか『大人になったら嫁さんになってくれ』とか、子供がそんなママゴトみたいな約束を交わすのは、そう珍しいことじゃない。ませてると言えばませてるんだろうが、それだけならば亜久津君が言うように、ただの無邪気な昔話だ。しかし西崎が見たところでは、少々、一筋縄じゃいかんところがあったようなんだな」
 老人は、先を続けた。
「その晩、西崎は学校の仲間と神社に来ていたんだが、自分の再従妹と噂の神童が仲良く連れ立っているのを見かけたら、当然、気になる。幼い再従妹への心配もあれば、それ以上の野次馬根性がある。西崎は仲間と別れて、こっそり、ふたりの跡をつけた」
「はい」
「そのうち玩具の夜店の前で、キラキラの指輪や腕輪に惹かれ、綾音さんがしゃがみこむ。高見も横に並んでしゃがむ。仲の良い兄妹のように交わす会話の内容までは、西崎には判らない。しかし、あの頃のアセチレンランプ――山福先生あたりじゃないと知らんかな。あの、炎がちょろちょろとむきだしで燃えてる、えらい臭いがする屋外照明だな――あれのおぼつかない明かりの下でも、すばらしく嬉しそうな綾音さんの顔が、はっきり見えたそうだ」
 泰蔵だけでなく、茂や島本もうなずいた。ふたりの記憶だと、夜店の照明はすでに裸のクリア電球だが、かつてそうした照明器具があったことは知っている。
「で、それから、ふたり仲良く、あれでもないこれでもないと指輪を物色し、やがて綾音さんがひとつの指輪を選ぶと、高見が自分の浴衣の袖から財布を出した。これが、赤い花柄の、女の子用のちっぽけな蝦蟇口だったそうだ」
「それは……」
「そう。綾音さんの蝦蟇口だったんだよ。つまり高見は、なぜか自分で綾音さんの財布を持っており、そこからテキ屋に金を払って、その指輪を綾音さんの指にはめてやったわけだ。それでも綾音さんは、心底嬉しそうにはしゃいでいたそうだ」
 三人は、その状況の意味を計りかね、顔を見合わせた。
 島本が、老人に問う。
「えーと、それは、いわゆるその――すでに高見は事実上、綾音さんのヒモだったってことですか?」
 老人の答えを待たず、茂が突っこんだ。
「ヒモ?」
 いくらなんでも、小学生のヒモは受け入れがたい。
「だって、そうじゃないか」
 島本は言った。
「女からせしめた金でその女を喜ばせるのは、ヒモの王道だ」
「でも……たとえば、小さな綾音さんが財布をなくしたりしないよう、年長の高見が預かっていたとか。もしかしたら、そうするように大人に言われていたのかもしれない」
 茂としては、ここはあくまで夏祭りの夜店の叙情、童心にこだわりたい。
 どっちかはっきりさせてください――そんな目を、ふたり揃って澁澤老人に向けると、
「このおふたりは、なかなか面白いな」
 老人は、泰蔵に言った。
「正反対に見えて、どっちも正鵠を射ている」
「まあ、私が見るところ、同じ紙の裏と表みたいなもんですね」
 泰蔵は、鷹揚に言った。
「でも、この場合、いかにも澁澤さんの人が悪い。初めにおっしゃったように、ワヤワヤじゃなくストレートに話していただければ」
 澁澤老人は苦笑して、
「そうだった、そうだった――」

      5

 ――それじゃ、まず関係者の出自を、はっきりさせておこう。
 西崎家――綾音さんの家は、徳川時代から、飯沢近辺では有数の庄屋だった。当然、維新後の地租改正で土地所有権が集中し、明治以降も大いに栄えたわけだが、なぜか祖父の代に、いきなり稼業を開業医に変えちまった。文句を言ってくる弟なんぞは、顔を立ててそこそこの分家にしてやり、残った広大な農地は、小作農家に代金後払いで安価に譲渡してやった。いわば太平洋戦争後にGHQがやった農地解放を、何十年も前に自分でやっちまったわけだな。これは、その祖父が田舎には珍しい超インテリで、当時の大正デモクラシーに、ずっぷり傾倒しちまったかららしい。旧態依然の封建的な農村形態を民主化すると同時に、自身は農村の保健衛生に生涯を捧げる――そんな大志を抱いたわけだな。
 もちろん、それは過去代々の蓄財に恵まれていたからこその大志だが、戦後の農地解放で旧弊な大地主連中が軒並み没落したのを思えば、実に先見の明でもあったわけだ。その息子たち――綾音さんの父親や叔父さんたちも揃って出来が良く、西崎病院は、昭和戦前には内科・外科から歯科や眼科まで身内で賄うようになり、地元には貴重な私立総合病院として、戦中戦後も大いに栄えた。唯一、憂いがあるとすれば、二代目病院長の奥方――綾音さんの母親が、第一子の綾音さんを儲けた翌年に子宮を傷めて、それ以上子供の産めない体になっていたことくらいか。
 で、島本君も知ってる西崎――西崎良平は、同じ西崎でも、祖父の代に枝分かれした分家の子だ。いちおうそこそこの寄生地主だったわけだが、本家ほど融通が利かない祖父さんだったらしく、農地解放でモロに弱体化して、孫の良平の代には農業に見切りをつけ、県警のお巡りになっちまった。俺にとっちゃ高校の後輩だし、気心の知れた仲なんで悪口は言いたくないが、島本君もご存じのとおり、昔も今も真面目で人が良いだけが取り柄の、実に公僕向きの男だな。
 そして高見俊彦――こいつは物心ついた頃から、和賀英良ほどじゃないにせよ、今じゃ想像を絶するような苦労を重ねて育ったのは確かだ。家は代々の水飲み百姓――最末端の小作人だな。西崎本家にでもぶら下がっていれば、大正以降はいくらか楽になれたんだろうが、残念ながら旧弊な因業地主に縛られていた口だ。しかも母親は早くに病死し、残った父親も、寝たり起きたりの虚弱体質だった。大戦末期の根こそぎ動員の赤紙さえ、体力不足で免れるほど弱かったらしいから、当時の軍国的風潮だと、そっちの世間体のほうが貧乏以上に辛かったかもしれんな。幸い高見には歳の離れた姉さんがいたんで、弟が物心つくまで母親代わりに世話してくれたらしいが、この姉も、そのうち峰館の花街に働きに出て、昭和二十七年の暮れには肺結核で亡くなってる。高見は、しばらく家に引きこもっちまうほど参っていたらしい。そしてその翌年、綾音さんが同じ小学校に入学してくる――。
 ――もちろん俺自身は、あの傷害事件の後の高見しか、実地には見ちゃいない。しかし良平の話や、前後の経緯を考えると、十中八九、高見は初めから綾音さんに目をつけてたんじゃないかと思う。
 あの頃の小学四年生が、自分の将来にどこまで具体的な野望や執念を抱けるか――昔も今も、まともに育っていれば、田舎の十歳児なんて無邪気なもんだろうが、もし、まともじゃなく育ったとしたら、今の子供の『欲望』や『執着』と、当時の子供の『野望』や『執念』は、まったく違ったものだったと俺は思うね。なにせ生き物としての棲息条件、社会生活のベースが違う。弱者を脅して小遣いを得ようとか、弱者を貶めて欲求不満を晴らそうとかいう以前に、まず現状から這い上がらんことには、イジメる弱者さえ見繕えんわけだからな。いっそ高見が顔だけの男だったら、将来は映画俳優めざして上京しようとか、手軽にドサ回りの大衆演劇一座に飛びこんじまおうとか、いずれにせよ、西沢病院に目を付けるほどの度胸はなかったんだろうが――。
 さて、ここでさっきの、おふたりの疑問にお答えしておこう。縁日の指輪の件だな。
 俺が言った『正反対に見えて、どっちも当たっている』――山福先生の言った『同じ紙の裏と表』――実際、もう高見俊彦は綾音さんだけじゃなく、その親御さんたちにも充分認知されていたんだよ。亜久津君が言ったように、綾音さんの財布を預かっていたのは親御さんに頼まれたからだし、島本君が言ったように、そこからそれなりの小遣いを高見自身が使うことも、綾音さんの親御さんが許していた。――そうだよ、島本君。ヒモどころか、高見はもう西沢本家の庇護下にあったんだ。
 良平はまだ知らなかったそうだが、前年の秋、高見の父親は娘と同じ肺結核で亡くなってる。高見は天涯孤独の身になったわけだ。本来なら峰館あたりの養護施設に預けられるところなんだが、なにせ飯沢村始まって以来の神童だ。幸い当人には肺の気もない。学校だって村役場だって、そんな子供を地元から手放したくない。おまけに西沢病院の院長先生の一粒種――幼い綾音さんが、高見を実の兄のように慕っている。かてて加えて高見当人は、将来、家族を奪った病と戦えるような立派な医者になりたいと言っている。
 まあ、その時点で養子がどうの跡継ぎがどうのまでは誰も考えちゃいないにせよ、とにかく高見は、すでに前年の暮れから、綾音さんの父親が後見になり、病院の裏にあった職員寮から小学校に通っていたわけだ。
 俺が、あの事件の後に、西崎本家の昔の使用人から聞きこんだ話じゃ、あの夏祭りの晩も、良平が気づかなかっただけで、ちゃんとふたりを見守っていたらしい。結果的に、高見はずいぶん株を上げたわけさ――。

 澁澤老人は、そこまで語ると、再び茶碗を取り上げた。
「失敬。この歳になると、長口上は口が乾いてかなわん」
 老境の噺家のように軽く茶を吸って、舌と喉だけ湿らせる。
 泰蔵が、独りごちるように言った。
「スタンダールの『赤と黒』みたいですな。己の知力や容貌を武器に、極貧から栄達をめざす男、ジュリアン・ソレル……」
「シオドア・ドライサーの『アメリカの悲劇』――ミステリーだと、アイラ・レヴィンの『死の接吻』ってとこですか」
 島本の言に、茂もうなずき、
「『砂の器』だって、そんな構図ですよね」
「――そう。あれらの男たちに近い野望と執念を、幼い高見も、充分備えていたんじゃないかと思うよ」
 澁澤老人が、語り続ける。

 そして、その夏祭りの二年後、昭和三十一年――。
 高見が、もはや西崎本家の一員になっているのを、良平も自分の目で確かめることになる。
 昭和三十一年というと、経済白書で謳われた『もはや戦後ではない』のフレーズが有名だな。あれは国民総生産、いわゆるGNPが、ようやく大東亜戦争の前あたり――昭和十年前後に戻ったという意味だから、よくもまあ、その後十年も勝ち目のない戦争を続けてこの国の金や人材を無駄に捨て続けたというべきか、よくもまあ、その後たったの十年で元の懐具合に戻ったというべきか、まあ歴史的には様々な見方ができるわけだが、それはこの際、横に置いておこう。とにかくその頃から、近頃妙にもてはやされている三丁目の夕日の時代――高度経済成長期が始まるわけだ。
 ところでこの年、この国で初めて全国的な小中高の学力調査が行われたことは、山福先生あたりならご存じかな。――ほう、さすがに勉強していらっしゃる。そう。最初はあくまで限定的な、試験的な抽出調査ではあったが、その後『全国学力テスト』として悪名をはせ、近頃も『全国学力・学習状況調査』として色々騒がれている、あれの原型だな。
 この年、高見俊彦は、国立峰館大学付属中学校に合格した。皆さんご存じのように、あそこは今も昔も峰館一の名門中学だ。そこで参加した第一回の全国学力テストでも、高見は全教科満点だったそうだ。ちなみに同じ年、西崎良平は県立峰館南高校に入った。実は俺も、そこの卒業生だ。こっちはとても名門とは言えんが、まあ峰館市内の高校じゃ、上から二番目くらいには思われてるな。その南高の授業で使っていたのと同じ副読本を、峰館大学付属では中学生が使ってたくらいだから、顔のみならず頭でも、端っから勝負にならんわけだ。
 そして同じ昭和三十一年の夏、『もはや戦後ではない』を象徴するような大型商業施設がふたつ、峰館市内に相次いで誕生してる。丸富百貨店と大峰百貨店。いずれも従来県下に類を見なかった、本格的な総合デパートだ――。

 そこまで述べて、澁澤老人は語りを止め、なにやら不可解そうな顔をしている三人に訊ねた。
「どうかしたかね?」
「いえ、その――」
 島本が代表で答えた。
「それまで一軒もなかったんですか、峰館には、その、いわゆるデパートってやつが」
 仮にも明治時代からの県庁所在地、東京の三越や大阪の阪急ほど早くはなくとも、せめて昭和の入り口くらいには、すでにそれなりのデパートがあったと思っていたのである。そもそも島本や茂にとって、丸富デパートは、青少年期に経営不振でつぶれてしまった過去の記憶であり、大峰デパートは今も営業しているものの、感覚的には色褪せた過去の残滓だ。
 澁澤老人は、少々困ったような顔で、
「山福先生も、そうお思いかな」
 山福は、正直に言った。
「はい。申し訳ありません。私も、やっと、その頃の生まれなもんで」
「……時代感覚の共有というものは、やはり難しいですな」
 澁澤老人は、なかば吐息しながら、
「確かに大峰のほうは、もう江戸時代からあそこに荒物屋か何か開いていたそうだし、戦後はモルタルの二階建てにして、いちおう百貨店を標榜していたが、それまでの峰館には、そもそも鉄筋コンクリのビルなんぞほとんど――」
 そう言われても三人としては、校長先生からお説教を受ける子供のような気分で、すなおにうなだれるしかない。
「しかし山福先生なら、あの頃のデパートというものが、どれほど晴れがましい場所であったかは、ご存じでしょうな。大人にとっても子供にとっても」
「はい。それなら充分に」
 山福は、まさに三丁目の夕日の時代、田舎に生まれ育った子供である。
「私のような山育ちだと、せいぜい年に数回――市内に住んでいた従兄弟でも、月に一二回くらいでしたか。正装した大人に連れられてデパートに出かけ、玩具売り場で買えもしない高級な玩具をわくわくと見て回ったり、大食堂で、そこにしかない色とりどりのお子様ランチや、滅多に食えない支那蕎麦を味わって、デザート――いや、そんな言葉はまだ知らなかったですが、とにかく食後、あの恐ろしいほど美味なソフトクリームという代物を惜しみ惜しみ嘗めてコーンまできっちり食い尽くし、それから屋上の遊園地に上がって、観覧車や回転木馬に乗って午後を過ごし――」
「観覧車や回転木馬?」
 島本と茂は、思わずハモった。
「あの大峰の屋上に、そんなものまであったんですか?」
「ああ。もちろんスケールは屋外遊園地の何分の一だがな。それもずいぶん昔に、ちゃちな遊具だけ残して撤去されちまったが、俺が子供の頃には、デパートに行けば、それこそなんでもあった。地下には直営の映画館まであったんだからな」
 白黒テレビさえ田舎ではまだ珍しく、単館映画館が全盛の時代である。
 澁澤老人は深々とうなずいて、
「そう。そうした華やかな世界――今まで雑誌の写真や映画でしか知らなかった都会の風が、戦後十余年を経て、ようやく峰館にも流れてきた――そしてその晴れがましい場に、綾音さん一家や良平だけでなく、あの高見俊彦も、胸を張って加わっていたわけだ」

 良平は峰館市内に下宿して南高に通っていたから、それらのデパートも、開店直後から何度か覗いていた。だから半月ほど後に、西崎本家の一家や自分の家族が揃って見物に訪れたときは、案内役として駅まで迎えに出た。まだ峰館駅が二階建ての木造駅舎だった頃の話だ。
 汽車からホームに降りてくる親類たちの中に、高見が混ざっているのを見て、良平はずいぶん違和感を覚えたそうだよ。すでに高見が西崎本家の客分になっていることは知っていたが、こうした身内の集まりにまで当たり前のようにくっついてくるとは、思ってもみなかったんだな。
 それでも、繁華街に向かうハイヤーの中で実際に会話を交わしてみると、高見俊彦という子供は、実に真面目で純朴な中学生に見えた。高見も良平同様、峰館市内の学校に在籍していたわけだが、毎日飯沢から汽車とバスを使って通学し、放課後どこかに遊びに寄るようなこともなく、文字どおり勉学に勤しんでいるらしい。高校は良平の通う南高よりも上を狙っているとか自分で話すときも、なにか遠慮がちな含羞が見えて、少しも驕ったところがない。そうなると、高見の際だった美少年ぶりもかえって好感に繋がり、良平はすっかり心を許してしまった。まあ美少年といっても、高校生から見る中学一年生だから、あくまですなおで可愛い子供に見えたんだな。
 可愛い子供という点では、そのとき十歳、小学四年になっていた綾音さんも同じだ。今の発育のいい子供たちとは違う。今ならたいがい第二次性徴期を迎えて、それなりに大人への羽化を感じさせる時期だが、その頃の十三歳の男児と十歳の女児なんてのは、今なら二三歳は下に見える。だから、初めての都会的なデパートを大人たちに混じって興奮気味に見物する間も、やがて屋上の遊園地、回転木馬で仲良くひとつの木馬にまたがって笑いながら回っている間も、良平には、親戚の幼い兄妹が無邪気に喜んでいる、そんなふうにしか見えなかった。何年か前の夏祭りで抱いた疑問だって、西崎本家の人々のみならず、自分の親たちまでが高見を本家の身内のように扱っているのなら、もうこだわる謂われはない。
 良平と違って陰険な俺としては、西沢一族もずいぶんお人好しが揃っていたもんだと思わんでもないが、たぶん当時の高見俊彦は、もう充分に当初の目的を遂げていたんだろう。そこはそれ、中学生の子供だ。そのまま頑張って成績や素行を保ち、どこかの医学部を卒業できれば、ことによったら西沢病院の跡継ぎだって夢じゃない。最悪でも医者にはなれる。食うや食わずで、着物とも言えないような襤褸《ぼろ》をまとって生きた幼い頃を思えば、それだけでも身に余る出世だ。だから、その時点の高見は、たぶん満たされた天使だったんだよ。
 これも陰険な俺なりの考えだが――綾音さんの親御さんたちも、明らかに高見を婿養子にする気でいたんだから、それなりに姑息に画策すれば良かったんだ。たとえば高見がどんなに優秀でも、常に自分たちの目の届くところに置いておくとかな。地元の峰館大学――いや、あそこの医学部はまだ出来てなかったか――まあ仙代の奥州大学あたりに入れておけば、しょっちゅう様子見できるし、あそこも明治以来の帝大医学部だから、地方病院の院長としては充分な箔がつく。それを、いくら優秀だからといって、遙か東京に出しちまう手はない。今なら新幹線で二時間半だが、井沢八郎が『あゝ上野駅』を歌った時代だ。一日一本の特急でも五時間半、たいがいの列車は九時間以上かかった。運賃だって感覚的には今の倍以上、いや三倍ってとこか。その頃になると、綾音さんも雛には稀な娘に育っていたから、高見がいくら上昇志向の激しい奴だって、後見人に背いてまで、あえて遠く離れる気はなかったろう。
 さて――あくまで、ここだけの話だぞ。
 まあ俺は、そこそこ食うに困らない家に生まれ育ったわけだが、だからこそ、極端に育ちの賤しい人間を、いくら優秀だからといって頭から信用する気になれない。もちろん苦労人ゆえに人として大成する者もいる。しかし彼らの多くは、人間関係というものを、敵か味方か、上か下か、それだけで判断する人間に育ちがちだ。つまり敵に厳しいのみならず、より上の味方ができれば、それまでの味方を下に置いて、あんがい平気で切り捨てちまう。
 ここまで言えば、その後、東大医学部に一発合格し、上京してひとり暮らしを始めた高見の身に、何が起こったかは見当がつくだろう。もちろん休暇には律儀に帰省するし、こっちの後見人夫婦だって、たまには娘を連れて様子を見に上京したりする。修学旅行で東京に寄った綾音さんが、自由行動で高見に会ったりもする。しかし年の大半は放し飼いだ。医学部だから、最短でもそれが六年続く。東大きっての眉目秀麗な学生が、どんな『上』に巡り会ったって不思議じゃない。
 そうして昭和四十二年――あの峰館ハワイアンランドが華々しく開園し、この国のほとんどの人間が、明るい未来の夢に酔っていた夏――まあ一方では、今の中国なみに大気汚染や水質汚染がひどかったり、日米安保粉砕を叫ぶ苛烈な学生運動が再燃しつつあったり、けっこうキナ臭い時代だったんだが――高見俊彦は、東大闘争を企てる連中とはしっかり距離を置いて、奴らしく着実に、卒業への準備を整えていた。しかしその前に、高見には大きな仕事がひとつ残っていた。
 より『上』をめざすために、飯沢に残した『下』の縁故を、切り捨てておかなければならなかったんだ――。




   Act.6 【回転木馬が止まる時】


      1

 澁澤老人が話す間、茶がすでに冷めているのを察した島本は、如才なく淹れ直して老人の膝元に戻した。さすがに泰蔵や茂より、こうした場数を踏んでいる。
「おう、かたじけない」
 老人は茶碗の湯気で軽く鼻や舌を湿らせ、
「見かけのわりに気が利くな」
「亜久津君や山福先生と違って、私は半分水商売みたいなもんですから」
 冗談めかして自嘲する島本に、澁澤老人は微笑し、
「水商売もプロになると、ただうんうんうなずいてるように見えて、実は姑息に先を読んでるもんだ。その意味じゃブンヤだって水商売だし、フリーライターも似たようなもんだろう」
 一座の中では少々風合いの違う島本に、老人は、あんがい親近感を抱いているらしい。
「ならば高見の立場が、そう簡単じゃないのも想像できるな」
「確かに『新しいコネができました。はい、さようなら』って訳にはいかないでしょうね。綾音さんを切るだけなら『はい、さようなら』で済むかもしれません。子供時代のママゴトはともかく、大人として具体的に結婚の約束をしていないなら、感情的な禍根だけ黙殺すればいい。しかし西崎家の恩義のほうは、美辞麗句を三日三晩並べ立てても済まないでしょう。感情的な問題だけでなく、そもそも医学部は大変な金が掛かる。私立はもとより国立でも、奨学金やバイトなんぞ、せいぜい生活費の足しにしかならないと聞きます。それに高見の場合、子供の頃からまるまる西崎家の扶養になってるわけで、いわば膨大な負債がある。借用書が無いからといってそれを黙殺したりしたら、後々、社会的に多大な禍根が残ります」
「それを全部、一気に片付けるためには?」
「高見って奴が馬鹿じゃないなら、あらゆる点において『上』の味方を見つけたってことでしょう。女っぷり、性格、知性――のみならず経済的にも社会的にも、西沢家を問答無用で黙らせられるような」
 澁澤老人は首肯し、先を続けた。

 ――もっとも綾音さんだって、けして並の娘じゃなかった。地元じゃ飯沢小町と呼ばれていたほどだし、性格も、いい意味でお嬢様らしく温順だった。頭も悪くない。市内の女子高ではトップクラスの県立峰館西高校を出て、医学部にこそ進まなかったものの、仙代の医療系短大で診療放射線技術を修め、国家試験にもパスしていた。今だと放射線技師も四年制大学や大学院出じゃないとツブシが利かないが、当時は短大や専門学校が主力だったんだな。そうして昭和四十二年の夏には、西沢病院のレントゲン助手を務めながら、親御さん共々、高見の帰省を心待ちにしていた。
 帰省の折りに、皆に会わせたい人を連れて行く――高見から、そんな便りが事前にあったそうだが、綾音さんも親御さんも、親しい友人くらいだろうとしか思っちゃいなかった。そこに、いきなり垢抜けた美女が随伴してきたわけだ。慶応の医学部で、高見と同じ外科を専攻しているという、バリバリの女医さん候補だ。さらに高見は後見人夫婦に、この女性と結婚を前提にした交際をしたいから、彼女の両親ともぜひ一度会ってほしい、そう切り出した。もちろん、自分の長年の親代わりである夫婦の顔を十二分に立てた、非の打ち所のない話しっぷりでな。
 もちろん西沢本家としては寝耳に水、晴天の霹靂だ。俺だったら相手に非があろうがなかろうが、鼻の軟骨と前歯の二三本、ことによったらアバラの一本くらいはへし折ってやるところだが、あくまで人の良い一族のこと、当座は困惑するばかりで激怒もできない。ただ使用人の中には、話を聞いてさすがに腹に据えかねた連中もいて、当時、地元の交番に配属されていた分家の総領息子、つまり西崎良平に御注進に及んだ。良平も仰天したが、まさか勤務中に私用に走るわけにもいかない。幸い日勤だったんで、夕方、ようやく本家に駆けつける。するとそこには、もう先様の両親までが挨拶に訪れていた。
 医療法人××会の会長夫妻――実際にバツバツ会ってわけじゃないぞ。ここはあえて匿名にしておく。とにかく当時は県下最大級の医療法人、県内あちこちに傘下の総合病院や診療所を擁する、医師会の顔役だったと思ってくれ。西崎病院の院長夫婦も、当然、以前から面識があった。ただ、そこの息子たちがあまり芳しい出来ではなく、事務長や理事長ぐらいは務まりそうだが院長や会長の器ではない、したがって出来のいい娘とその配偶者を表に立てたい――そんな内部事情までは知らなかったんだな。
 まあ先様だって馬鹿じゃない。いくら愛娘が高見にぞっこんだからといって、軽々しく娘婿に選ぶはずはない。高見の出自、孤児になってからの境遇、現在の男女関係まで充分に調べ尽くしてのことだったろう。今回の訪問が、実質、西崎家の跡取り候補を横取りする行為であることも自覚していたろう。しかし、お家大事の明治や大正ならいざ知らず、自由恋愛真っ盛りの昭和戦後だ。当人同士の自由意思を尊重する限り、親に非はない。その上で、西崎夫婦に三顧の礼を尽くす。無論、それまでの高見が受けた有形無形の援助には、充分に報いることを匂わせてな。西崎夫妻としては、結局、折れるしかなかった。綾音さんの内心の嘆きも重々察していたろうが、親からみれば、まだ若いんだからいくらでも先はある。綾音さん自身、表立って泣き喚くような人じゃない。
 むしろその晩、表立って荒れまくったのは、分家の西崎良平だった。その場で暴れたわけじゃないぞ。島本君も知っている、あの驢馬のような人柄のまんまだからな。良平は夜中近く、いきなり市内の俺のアパートに転がりこんできたんだ。もう、へべれけに酔っ払ってな。地元や職場で愚痴を吐けるような話じゃない。俺は奴と同じ南高柔道部のOBで、昔は時々稽古をつけてやったりしてた。奴にしてみれば、お互い独り身で近からず遠からず、そんな俺しか自棄酒の相手が思い浮かばなかったんだろう。あれはどう見ても、綾音さんに惚れてたよ。惚れていながら、それまでは状況に遠慮して、奴らしく忍んでたんだな。
 俺には最初、なんの話かさっぱり解らなかったが、これでもいちおう全国紙の峰館支局でそこそこやってた身だ。相手がへべれけでも話の筋はつかめる。俺も、その高見って奴の遣り口にはずいぶん腹が立った。しかし外野が公的にどうのこうの言える話じゃない。だから翌朝、酔いつぶれてる良平を部屋に置きっ放しにして、ちょいと書き置きを残して出社するしかなかった。『ちょうどいいから、お前が、その綾音さんにコナでもかけたらどうだ。お巡りが医者になるのは無理でも、病院の警備係くらいならできるだろう』――まあ、そんな気休めを書いてな。それから一日、仕事であちこち飛び回って夜遅く帰ったら、良平は、しおらしい詫びの一筆を残して消えていたよ。律儀なあいつのことだから、その日が公休じゃなかったら、酒も飲まず愚痴も言わずに出勤してたんだろうな。
 いずれにせよ、まさか、その翌日にあんな事件が起ころうとは、誰も思っちゃいなかった――。

 澁澤老人は、いったん黙りこんで、二口三口と茶を啜った。
 ずっと無言でいた茂が、つぶやくように言った。
「でも、綾音さんは、なんでいきなり刃物なんて……そんなことをする人とは思えない」
 ここまでの話だと、逆上や怨念とは無縁の女性に思える。
 島本と泰蔵も、それにうなずいた。
 前夜見てしまった西崎綾音当人――あの異形の女からさえ、異形であること以外、怨念や狂気は窺えなかった。もとより幼い姿からは、ただ諦念や寂寥しか感じなかった。
 澁澤老人は、
「その理由は、痛いほど推測できる。しかし確証はない。そこが高見の、心底、許せんところだ。しかしやはり、その許せんことの確証は一切ない。綾音さんの名誉のために、ほんとは俺も、これ以上話したくないんだが……」
 言い渋る老人に、泰蔵が頭を下げた。
「そこを、どうか、お願いします」
「……ま、今さら、話さんわけにもいかんだろうな」
 澁澤老人は茶碗を置き、
「俺が、あの記事に書いたことは、間違いのない事実だ。綾音さんは、八月九日の昼、高見がハワイアンランドに出かけているのを知り、家から持ち出した果物ナイフで、回転木馬から降りたばかりの高見を切りつけた。しかし、その隣の木馬に誰が乗っていたのかは書いていない」
「圧力でも掛かったんですか?」
 島本が訊ねた。
「たとえば、その有力医療法人サイドから」
「そう思うのが当然だろうが、実は、そうじゃない。あの程度の事件の被害者に、事件に直接関わっていない同伴者がいたって、そっちのプライバシーまで書く必要はない。それは三流週刊誌の仕事だ」
 澁澤老人は、きっぱりと言った。
「無論、綾音さんが、あえてその場で凶行に及んでしまった、感情的な直接の理由ではあるだろう。つい昨日まで将来の伴侶と信じていた男が、別の女と楽しそうに木馬で遊んでいる。自分が子供の頃、デパートの屋上で同じように遊んだ思い出だって、大いに脳裏に浮かんだろう。本来なら、そこにいるのは自分のはずだった――そんな状況で、昨今のドライな娘たちがどう出るかは解らんが、まあ色恋の縺れってやつは、あんがい今も昔も変わらん気がするな。もっとも、どう考えたって男のほうが悪いのに、恋敵のほうをブスリとやっちまう女だって多い。あなたを殺して私も死ぬ――そう逆上して男を殺しちまう女なんてのは、まだ正直だと思うよ。綾音さんの場合は、高見がうろたえて動き回ったんで、腹や心臓じゃなく、たまたま額の横あたりに刃先が行った。頭蓋骨は硬いから、目玉でも突かなきゃ大傷にはならん。しかし血だけは、実に派手に流れる」
 やはり泰蔵の高校時代の怪我と、同じような部位である。
「それを見た綾音さんは、自分のやってしまったことを改めて思い知ったんだろう、泣きながら高見にしがみついたそうだ。ナイフなんぞ、無論とっくに捨ててる。しかし高見は綾音さんを突き飛ばし、婚約者のほうに逃れる。その娘も確かに高見に惚れていたんだろう、抱き合うようにして、その場を逃れる。放心状態の綾音さんは、為す術もなくそれを見送る。回りの客たちも避難し、じきに木馬が止まる。やがて喧噪の鎮まったその場で、綾音さんは、自分を遠巻きにして怯えている衆目に気づく。――綾音さんは、もう、すべてを諦めたんだろう。お騒がせして申し訳ありません――そんなふうに周りに頭を下げると、警備員たちに大人しく従って、事務所の一室に収まった。ランドが警察に通報し、警官が駆けつけるのを待ったわけだな」
 澁澤老人は、文机の宝石箱を手に取り、
「――ま、そこまでが、その記事の出来事だ。たぶん綾音さんは、あの日、この指輪も持って家を出たんだろう。途中でどこに落としたのか――木馬の近くで落として、台座の下にでも紛れたのか――いずれにせよ、よくぞ今まで残ったもんだ」
 茂や泰蔵は、老人同様しみじみとうなずいたが、島本は首をかしげ、
「しかし綾音さんにとって、犯行の直接のきっかけが木馬のふたりあったにしろ、事前に刃物まで持ち出すような女性とは、やはり思えません。それに、澁澤さんがさっきおっしゃった確証云々、『心底許せん』とまでおっしゃる理由が、まだ私には」
「ごもっとも」
 老人は、島本を見る目に、例の親近感を浮かべながら、
「君の性分だと、他にも疑問があるんじゃないか」
「はい。――たとえば、その事件が起こったのが八月九日の昼、しかしこの記事が載った新聞は、翌日十日の夕刊です。当日の夕刊には間に合わないにしろ、翌日の朝刊さえ跨いでますね。それも峰館新聞はもとより、他紙の地方版でも一切黙殺されている。さらに――あくまで私の怪談屋としての見聞に照らした推測ですが――綾音さんは返り血を浴びた姿のままで、お亡くなりになった可能性が高い」
「まったく君は、ブンヤ向きの男だな」
「あいにくイロモノ専門でして」
「おしゃるとおり綾音さんは、地元の警官――良平たちが駆けつける前に、ハワイアンランドの事務所から姿を消した。幼馴染みにも家族にも合わせる顔がない――そんな辛さもあったろうし、何より自分自身、もう消えてしまいたかったんだろう。この場合、ハワイアンランド側に責任はない。傷害の現行犯だから、民間警備員にも緊急逮捕する権利はあるが、それは権利であって義務じゃない。あくまで警察側の仕事だ。傷害事件の容疑者が逃亡――そう言っちまえば大事だが、被害者の高見は結局ほんの軽傷だし、当人もしおらしく綾音さんを気遣うような言葉を並べ立てている。外野から見れば、珍しくもない痴話喧嘩だよ。そこに地元の名士・西崎家や、例の有力医療法人まで絡んでいる。地元の警察だって、事を荒立てたくはないさ。警察発表がなければ、目撃者の誰かが直接新聞社に電話や投書でもしない限り表沙汰にはならない」
「でも、澁澤さんは――」
「そう。報道関係者では俺だけが、その日の内に飯沢に駆けつけた。実は良平が、馘首覚悟で一報入れてきたんだよ。そのまま事がうやむやになるのが、たまらなかったんだろう。そのうち綾音さんらしい女性が山に入っていくのを見たという知らせが入り、警察と消防団の連中がいっしょになって山狩り――いや、そんな性質の騒ぎじゃなかったな。地元の皆の衆は、ふだんの綾音さんを知っている。むしろ良平同様、綾音さんの身を案じて捜索していたわけだ。しかし明け方近く、あの稲荷神社近くの崖下で、息絶えた綾音さんが見つかった。自分で身を投げたのか、足を滑らせたのか――まあ十中八九、自分から飛び降りたんだろうな」
 三人は、消沈してうつむいた。
「……事故にしろ自殺にしろ、死者まで出たのなら、そっちのほうが大事じゃないですか」
 島本が言うと、
「そりゃそうだ。しかし、それを発表するなら、いきおい昼からの経過全てが公になる。――まあ警察にしてみれば、峰館の主要な資本が雁首揃えてるランド側への思惑も確かにあったろう。医師会の有力者への思惑もあったろう。しかし正味の話、そっちからの圧力なんぞは、ちっともなかったんだよ。むしろ綾音さんの両親が泣いて懇願したから、昼の一件も夜の一件も、警察発表には至らなかったんだ。サツ回りの連中――県警に張りついてる記者の中には、小耳に挟んだ奴もいたらしいが、その日は他に強殺とか派手な玉突き事故とか、ふんだんにネタがあったから、あえて深入りはしなかった。現地で深入りしちまった俺だけが、このフヌケた記事を、なんとか夕刊に突っこんだわけだ。5W1H――Who《だれが》・What《なにを》・When《いつ》・Where《どこで》・Why《なぜ》・How《どのように》――そんな最低限の情報さえ揃っていないヘボな記事でも、道端の供養地蔵くらいにはなる。それだって支局長なんぞは乗り気薄だったが、まあ入社以来十年近く、それまでこっちも人並みに働いて、色々と会社には貸しがあったからな」
 現在の澁澤老人から想像するに、当時も相当な猛者だったのだろう。
「ぶっちゃけ新聞なんて代物は、配った翌日にはただの古新聞、古地蔵や墓石と同じだ。どんな立派な墓を立てたところで、盆や彼岸に参ってくれる縁者がなければ、苔むしたゴロタ石と変わらない。しかし墓石さえ残っていれば、その下に人が埋まっているという事実だけは、通りすがりの他人にでもわかる。現に、これを残しておいたおかげで四十何年後の今、君たちが、ここにこうして座っている――」
 澁澤老人は言葉を切り、もう語り終えたと言うように、じっくりと茶を啜りはじめた。
 茂や泰蔵は、含蓄ありげな言葉に惑わされ、なにがなし納得していたが、島本はあくまで冷静だった。
「最初の疑問に、まだお答えいただいておりません。続きをお願いします」
「やれやれ、やっぱり勘弁しちゃくれないか」
 澁澤老人は溜息交じりに、
「――綾音さんの初七日が済み、高見もいったん東京に戻り、四十九日が近づいた秋口あたりから、奇妙な投書が、あちこちに届き始めた。高見のゼミの教授、学部長、果ては東大の総長までな。そっち方向だけじゃない。県警や峰館市内の各新聞社、例の××会や峰館医師会、高見の出た高校のOB会にまで届いたそうだ。内容は、高見の人間性に対する誹謗中傷だ。それに関しちゃ、詳しい内容や経緯は省く。とにかく人づてに西崎病院の院長――綾音さんの父親も何通か現物の封書を見せられて愕然とした。女文字の筆跡が、明らかに自分の妻――綾音さんの母親と同じだったからだ」
「それは……」
「そう。ひとり娘を失い、息子同様に思っていた高見に去られても、知性的な父親のほうは、なんとか持ちこたえていたんだが……奥さんのほうは、一見ふつうに見えて、実は精神を病みはじめていたんだな」
「……無理もない。その誹謗中傷だって、実は真実だったんじゃないですか? 澁澤さんも、社で現物を見ているんでしょう?」
「他人の心が真実か嘘かなんて、誰にも解らんさ。語彙や文脈が正気だったのは確かだ。しかし、そんな手紙を手当たり次第にばらまく行為自体、すでに尋常じゃない」
「それはそうですが……」
「俺だって、尋常じゃなくなって当然だと思うよ。痛々しいが、責めようとは思わん。問題は、奥さんの行為そのものじゃないんだ。それに対する返礼だよ」
「返礼?」
「しばらくして、また奇妙な封書が、あちこちに届いた。これは先の投書ほど数が多くない。西崎の本家と分家、県警、そして俺のいた新聞社の峰館支局――他には噂すら聞かなかったから、まずそれだけだろう。奥さんの投書とは違って、口の堅そうなところだけ選んだわけだな。差出人の裏書きはなく、宛先も和文タイプライターで打ったラベルが貼ってある。開けてみると、中には名刺判のモノクロ写真が、ただ一枚。どこか和室らしい布団の上で、若い娘が恥ずかしそうに頬笑んでいる写真だった。あの頃の男性週刊誌のグラビアみたような、今ならなんてこともない大人しいポーズだが――浴衣もなにも着ていなかった」
「まさか……」
「そう。綾音さんの写真だったんだ」
 茂は手にしていた茶碗を取り落とし、泰蔵などは飲みかけの茶を吹いた。
 なんなんだそりゃ――。
 島本は、発砲前の天知茂のように眉根を歪め、
「……高見だ。高見しかいない」
「しかし、それを証明する手段がない。封筒や写真からは指紋も何も検出できなかったし、和文タイプも、どこにでもある量産品だ。背景の和室の映りこみも、どこにでもあるような壁と調度だけだ。仮に特定できたとしても、奴のことだ。自分のイケメンはサングラスや何かで隠したろうし、宿帳なんぞは偽名、それも綾音さんに書かせただろう。綾音さんの容貌や髪型から見ると、撮影されたのは十八歳か十九歳あたり。つまり綾音さんが過去に唯一、親元を離れて仙代の短大に通っていた時期だな。封筒の消印も仙代。高見が並の下衆野郎だったら、『俺はあの頃、西崎綾音とつきあっていて捨てられた男だ』とかなんとか、写真だけじゃなく、もっともらしい成りすましの手紙の一枚も同封してくれたんだろうが、長い文面になればなるほど、タイプの癖から個体が特定しやすくなる。そこまで考えての、写真だけなんだよ。無言で無限の可能性を含ませられる。奴としちゃ西崎家の口さえ封じれば、それでいいんだからな」
 茂が、なにやら泣きそうな顔で言った。
「……身も心も捧げていたんですね、綾音さんは」
 晩婚の泰蔵や島本とは違い、初恋同士で結ばれ、生涯純愛路線志望の茂である。
「そう――それでも裏切られた。しかし当時の田舎の深窓育ちとしては、親にも誰にも、それを言えなかったわけだ。情よりも見栄が本性の高見あたりは、写真という弱みがあるからこそ、綾音さんも大人しく引き下がると思っていたんだろう。それを撮ったときだって、甘い言葉は百万言も並べ立てたろうが、『婚約』だの『結婚』だの、確かな言葉は使っちゃいないに違いない。――どのみち刃物を持ち出すしかなかったんだよ、綾音さんは。どっちの喉を突くにしても、両方突くにしても」
 泰蔵が、もはや低周波に近い音域でつぶやいた。
「……許せん」
 顔が、形容ではなく肉質の鬼瓦になっていた。
「半殺しにしてやる」
 もし娘の美紀がそんな目に遭ったら、泰蔵は確実に実刑をくらうだろう。
 まあまあ、と言うように、島本が泰蔵の肩を叩いた。島本自身、はらわたが煮えくりかえっているのだが、それ以上に泰蔵の顔が凄かったのである。
「まあ落ち着きなさい」
 澁澤老人も、泰蔵をなだめるように、
「山福さんが子供の頃の話だよ。高見も、いいかげん爺さんになってる。今さら性根を叩き直せる歳じゃない。それに、その後の西崎家だって、存外悲惨にはならなかった。西崎病院そのものは、さすがに翌年閉じちまったが、院長夫婦は揃って遠い信州の村に移り住み、奥さんの気も落ち着いて、そっちで充分に意義のある医療活動に携わった。弟たちも飯沢や峰館市街に各科の個人医院を開いて、今でもちゃんと続いてる。良平だってそこそこの娘を娶り、人情警官、人情刑事、それから人情隠居――ちゃんと奴らしく生き続けてる」
「しかし――」
 泰蔵は、まだ気が治まらず、
「澁澤さん御自身、その件をきっかけに記者の仕事を辞められたとか」
「それは別に高見のせいじゃないんだよ。いや、確かに、それはそうなんだが――つまり、大新聞だの天下の公器だの、ご大層に胸を張ってみても、たったひとりの糞野郎の悪意にさえ勝てない――そう悟っちまったからなんだ。俺も陰険な質だから、その後二年近くかけて、高見の過去や、その後の様子を調べて回った。社会的に引きずり下ろしてやるためのネタを探していたわけだ。しかし、そのうちアホらしくなって投げちまった。高見の立ち回りの旨さに、つきあいきれなくなったんだ」
 島本が訊ねる。
「そこも腑に落ちないんです。養家のほうで、それだけの事件に関わり、かてて加えて綾音さんの母親が送った怪文書――いくらその××会長令嬢に愛されていたところで、そっちの両親が納得するものでしょうか」
「納得しないさ。するはずがない。娘可愛さで一旦は妥協しても、将来的には、高見にとって大きな不安定要素に繋がる」
「そうですよね」
「結論から言えば、高見は無事に東大を卒業し、東大病院でつつがなくインターンを終え、医師国家試験に受かったのを機に、正式に結婚した。結婚相手は、医療法人○○会の会長令嬢だった」
「は?」
 ――マルマル会? バツバツ会じゃなかったか?
 澁澤老人は、心底うんざりした顔で、
「ちなみに○○会は仙代に本拠を置き、当時、東北各県で合計二十幾つの総合病院やクリニックを経営する、北日本有数の医療法人だった」
 茂や泰蔵のみならず、クールな島本の口までが、あんぐりと大穴のように開いた。
 あが――。
「……それは、とどのつまり……」
「そう。高見は、それまで十数年かけてやった以上の荒技を、今度は二年で実現しちまったんだ。まあ、ふられた××会のお嬢様のほうは、さすがに慶応ガールらしく、他の相方を探しに回ったようだがな」
 あががががが――。
「この世の中には、なんぼ後から地蔵や墓石を立てて回ったって、追っつかない糞野郎がいるんだよ。そして法にさえ触れなきゃ、誰もそいつを阻めない。だから俺は、昔からある地蔵や墓石や、物言わぬ農産物を相手にして頭を冷やすことにしたんだ。今はムカサリ絵馬だな。絵馬はいいぞ。嘘をつかないし、姑息に動き回らん」

 気がつけば、もう八時半を回っている。
 とりあえず過去の経緯が明らかになったところで、三人は澁澤老人にことわり、書斎からそれぞれの家庭に連絡を入れた。妻とふたり暮らしの島本は、千鶴子宛に『取材で遅くなる』とメールひとつ送れば済むが、茂や泰蔵は、そうも行かない。
 茂が携帯で家を呼び出すと、待ち構えていたように妻の優美が出た。
「や、俺。――うん、まだ山寺のほう。――うん。まだ、ちょっと遅くなりそうなんだけど。――は? なにそれ?」
 つかのま通話したのち、茂は首をひねって、隣で自宅を呼び出し続けている泰蔵の肩を叩き、自分の携帯を差し出した。
「先生、ちょっと代わってください」
「あん?」
「奥さんも美紀ちゃんも、今、うちに居るみたいです」
「は?」
 泰蔵は戸惑いながら、自宅の呼び出しを切って、茂の携帯を耳に当てた。
『あなた、早く戻ってちょうだい』
 確かに淑子の声だった。
『家じゃなくて、亜久津さんのお宅に』
 いつもクールな妻らしく、けして取り乱してはいないが、かなり困っている声だ。
 泰蔵の顔から血の気が引いた。
「どうした、家でなんかあったのか?」
 またあの女――綾音さんの幽霊が現れて、あちこち飛び回っているのだろうか。しかし、それなら蔵王の実家のほうに避難しそうなものだが――。
『家じゃなくて美紀なのよ。それから優太君も』
「なんじゃそりゃ」
『話せば長いことながら』
「話さなければわからんぞ」

      2

 つまり、美紀と優太がふたりで分担しても、大人ひとりぶんの重さ――根性的な負荷と言うべきか――は、なかなか馬鹿にならなかったのである。
 もっとも美紀のほうは、ふだんから小動物的にとたぱたと足腰を鍛えているから、そう簡単にはめげなかった。体重わずか一〇〇グラムのリスだって、四グラム近いドングリを両方のほっぺたに三個も四個も詰めこんで、樹上の巣穴まで一気に駆け上ったりするのだ。茂美とおしゃべりしていれば、根性歩きもあんがい気にならない。
 いっぽう優太は、きわめて植物的な男子である。リスよりもドングリに近い。お手々繋いで野道を行く間はなんとか持ちこたえていたが、山福家がある美空ヶ丘ニュータウン方向への上り道にさしかかると、優太の足取りが、めっきり衰えてきた。晴れたみ空に靴が鳴らない。繋いでいる美紀の片手も、自然、斜め後ろに伸びがちになる。
 そのうち美紀の頭が、またストンと下がった。
 ありゃ、と女子ふたり、立ち止まって後方確認すると、優太はいつのまにか美紀の手を離れ、かろうじて肩掛け鞄のストラップにつかまっていた。
「あ、ごめんね」
 早い話、美紀は茂美とのおしゃべりに夢中になって、非力な下僕の存在を失念していたのである。
 なんだかとっても悪いことしちゃったなあ――。
 美紀があわててさしのべる手に、ぷるぷるとすがったりする優太の様は、小猫に引かれて市場に売られてゆく哀れな子牛のようだ。
「……小休止」
 茂美が憮然として言った。
 うちの弟はドナドナかい――。
 もはや美紀に言い訳する気力も、優太を叱咤する気力もない。だいたい、手を繋いでんのか繋いでないのか、振り返るまで気づかれない男子ってどうよ。
 三人の後ろからついてきている優作に、茂美が思わず『ちょっと、こいつなんとかしてやって』みたいな目を向けると、優作は『どもならんがな』と両手を広げてみせた。
 道端のよろず屋の前に、格安自販機とベンチがあったので、八十円コーヒーで一服する。
 茂美と優太は、かなり気まずそうだ。
 でも真ん中の美紀は、実はけっこう楽しかったりする。体はやっぱり重たいけれど、両側の凸凹姉弟から伝わってくる、両親や同級の女子とはまた違った感じの、ゆるゆるした温もりが心地いいのだ。錆びだらけの古い自販機から転がり出た、聞いたこともないメーカーの缶コーヒーだって、ちゃんとおいしい。美紀が物心ついた頃から据えっぱなしのベンチも、木目がまんま凸凹になるくらい、きれいに磨きこんである。
 午後の田舎の青空で、トンビがくるりと輪を描いた。
 愛しの美紀ちゃんと手を繋ぎつつ、内心、生涯最大の自己嫌悪にうちひしがれている優太に、
「ま、同情の余地はある」
 優作がベンチの端から言った。
 優太は力なく頭を振った。
 同情なんていらない。なおさら惨めになるだけだ。形にできない誠意ほど虚しいものはない――。
 豆腐あるいはドングリっぽくても、十四歳になった男子なら、男としてそれなりに思うところがある。昔の公家や武士なら元服する、つまり成人式を迎える年齢だ。実際、優太たちの中学では年に一度、子供の日前後に二年生の男子だけ集めて、壮行式という名の元服行事を催している。だからこそ今の自分が情けない。
 優作は、ひょい、と優太のコーヒー缶を取って、もとい複製して、
「たぶん、お前のほうが、その子の倍は重いんじゃねえかな」
「……なんで?」
「俺から見ると、ちょっと面白えことになってんだよ。今のお前には、あの姐さんがまるまる重なって見えるんだ」
「……マジ?」
 それにしては美紀ちゃんも、それなりに重そうだ。
「んでもって、あの子にはなんでだか、あの木馬の子が重なって見える。学校出てちょっと歩いたら、もう、そうなってた」
「なんでだろ」
「わかんねえ。たぶん美紀ちゃんが小学生みたく無邪気で、お前は中学生にしちゃドンヨリ濁ってるとか、ま、そんなとこじゃねえか?」
 なあるほど、と素直に納得してしまう優太の心根が濁っているかどうか、客観的には微妙だが、多少ドンヨリしているのは確かだろう。
「今んとこ、手ぇ離すと元に戻っちまうみたいだけどな。でもまあ、そのうち目方の割合で、別々に馴染むってこともあるかもしんねえ。とりあえず、お前、このままがんばってみろ」
「うん」
 そーゆーことなら、自己嫌悪の半分くらいは救われる。
「あと、お前、なんぼなんでも、もうちょっと体を鍛えろよ。朝晩走りこむとか、茂美のダンベル借りるとか、夏んなったらプールに通うとか、色々あるだろう」
「……うん」
「このまんまじゃ、将来その子をラブホに連れこんでも、お姫様抱っこしてベッドまで運べねえぞ。そーゆー事態は男として絶対避けたいだろう、なあ」
「いや、今んとこ、そこまでは……」
「んでも、どのみち新婚初夜には欠かせないだろう、お姫様抱っこ」
 かなり常識が古いような気がする。まあ優作の一般常識には、五十年前や百年前の仲間から得た常識も多いわけだから、ここはあくまで参考程度にしといたほうがいいだろう。
 美紀のあっち側にいる茂美にも、ふたりの会話が聞こえていた。
 愚弟どものアホっぷりは、ちょっとこっちに置いといて――このままでは確実に、山道で優太がヘバる。
「ねえ美紀、ちょっと家《うち》に寄ってかない? すぐ帰っても、誰もいないんでしょ?」
 亜久津家は、山福家と方向違いの山裾にあるから、ここからだと下りになる。
「あ、それ、いいかも」
 美紀は即座にうなずいた。
 今日は、お母さんも明るいうちに帰ると言っていたけれど、このままじゃ優太君が山道で遭難しそうだし、自分だってけっこうキツいし、何よりあっくん先生や茂美の家――オマケに優太君の家を、いっぺん覗いてみたかった。

 南峰館あたりの家庭は、たいがい複数の自家用車を持っている。大人が社会生活を送る上で、自前の足や路線バスだけでは、思うように用が足せない。
 親子三人の山福家には、泰蔵の普通車――今日は茂の車に同乗しているので使っていないが――と、淑子の軽がある。三世代十人家族の亜久津家には、でかいワゴンと普通車に加え、ごつい四駆まである。ちなみに四駆は主に、八十近い爺さん茂吉《しげきち》が、まだ五十代の婆さん八重子を乗せて、道なき道を突っ走ったりするのに使う。今を去ること四十年前、三十代後半にして十代前半の少女に茂を妊ませてしまった鬼畜野郎は、現代の児ポ法で罰せられない代わり、死ぬまでマイナス四半世紀の走行性を保たねばならない。
 だから美紀が亜久津家に寄り道しても、家まで帰る手段には事欠かないのだが、今のところ問題は、優太が美紀のオマケとしてグリコ状態にある、そのことだ。
「ただいま!」
 いつものように、茂美が玄関で元気すぎる声を上げると、
「お帰り」
 台所のほうから、いつもの柔らかい声が返った。
「お客さんだよー」
 茂美は美紀たちを率いて、台所に顔を出した。
「山福さんちの美紀ちゃん登場!」
「こんにちは、おじゃまします」
「あらまあ……」
 母親の優美は、近頃噂のお客様と、なぜか仲良く手を繋いでいる長男をしげしげと眺め、
「……仲良しさん?」
 それだけ言って、嬉しそうに頬笑んだ。
 おいおい母さん、これ見てそんだけですかい――。
 茂美はやや呆れながら、隣で反応に窮している美紀に、まあうちのヨメはいつもこんなふうなのよ、とうなずいて見せた。
 亜久津家の天然母に、世俗的な問答は無用なのである。母親の好みで、玄関や台所のみならず家のあちこちに飾られた額装色紙――筆文字にピーマンやカボチャの水彩画が添えられた、武者小路実篤の揮毫が全てを物語っている。
 〜 仲良き事は美しき哉 実篤 〜
 しかし茂美には、今後も親友と愚弟がグリコ状態を続ける関係上、説明義務がある。
「えーと、これとこれがこうなっちゃってることに関しましては、話せば長いことながら――」
「話さなければ、わからないわねえ」
 優美は、春のような微笑を浮かべたまま、
「とりあえず、みんな、おやつにしましょ」
 人生も、世の中の全ての出来事も、なるようにしかならないものよ――そんな大らかな微笑だった。
 さすが、あっくん先生の奥さん――。
 美紀は我知らず、優美の全てを受け入れていた。
 自分の母親とはずいぶん違うようでいて、実は根本的に同じ種の動物と感じる。
 猫集会の真ん中で女王様っぽく君臨している血統書付きのシャム猫も、端っこでなんとなくほわほわしている和風の白猫さんも、猫は猫なのだ。

「――そうなの、それは困っちゃったわねえ」
 優美は、子供たちといっしょにケーキをつつきながら、明らかにそれほど困っていない様子で言った。
 台所の隣の洋間は、いちおうダイニングの体裁だが、大家族用のテーブルと椅子だけで、ほぼ満杯になっている。
「……ところで、お母さん」
 茂美は、自家製ケーキの微妙な後味に戸惑いながら訊ねた。
「これって何?」
「スモークサーモンと野苺の生クリームケーキよ。おいしくなかった?」
「いや、まずくはないけど――」
 そうか。どうりで、石狩川の岸辺で焚き火しながらシャケを肴に苺ショート食べてる山猫みたいな気分になるわけだ。けして不味くないのは確かだが、山犬系の祖父の血を受け継いだ茂美としては、ミートパイか何かのほうがありがたい。
「美紀ちゃん、どう?」
 優美が訊ねると、美紀は満面の笑顔で答えた。
「とってもおいしいです!」
 お世辞ではない。本当に口の中で、魚の燻製の風味とベリー系果実の酸味と乳製品系の甘味が、絶妙なハーモニーを奏でているのだ。
「教えてください、このレシピ」
 ぜひ山福家にも導入したい。
「パソコンに入れてあるから、あとでプリントしてあげるわね。他にも色々アレンジしたのよ。おやつ系だと、オイルサーディンとメロンのチョコパイとか、身欠き鰊と黒糖のサーターアンダギーとか」
「ぜんぶ教えてください」
 ああ、やっぱりこの子も猫科だ――茂美は改めて思った。
 ちなみに優太は犬猫入り交じった雑種なので、なんでもありがたくいただく質である。仮にホッケ入りのカスタードシュークリームを出されても、出してくれるのが母親や美紀ちゃんなら、ありがたくいただくだろう。ただしその際は、今日のレモンティーよりブラック・コーヒー、あるいはビールが欲しい。ノンアルでもいい。
「でも、こうやって静かに座っていれば、美紀ちゃんも、なんとか大丈夫なんでしょう?」
 優美が、ころりと話題を元に戻した。
「はい」
 最悪だった昼に比べ、今はずいぶん楽になっている。両手でおやつやお茶をいただいていても、そんなに重たくない。
「じゃあ、とりあえず、たとえば歩き回るときだけ、とうぶん優太と仲良しさんで、とかね」
「そうですね」
 なんの緊張感もなく猫鍋化しつつある母親と美紀に、茂美は思わず声を荒げた。
「だからそこが問題なの! サネアツさんじゃなく一般世間では!」
 向かいでケーキをつついていた優作が、隣の優太に言った。
「んめーな、これ。おふくろ、いい仕事してるわ」
「うん」
「んでも、お前、そうやってヘラヘラ笑ってるバヤイじゃねえだろう。その子に好かれてるわけじゃねえんだからな。空気とおんなしで、まるっきり相手にされてねえんだぞ」
「でも、嫌われるよりは空気のほうが……」
 体さえ鍛えれば、ことによったら生涯、美紀ちゃんの直近を漂っていられるかもしんない――お豆腐は元服してもこんなものである。
「あーもう、ごちゃごちゃとうっちゃーしい!」
 茂美は愚弟たちに、声ではない声で叫んだ。
「優作、あんたいいかげん、お母さんにも挨拶してやんなよ」
 それが人情というものだろう。
「んでもって、美紀や優太に重なってんのがどんだけのシロモノか、きっちり見せてあげればいいじゃん」
 そもそも優作抜きで状況説明するのに、どんだけ詭弁を弄したか。
「そーゆーけど、泣くぞ、おふくろ。そりゃもうわんわん泣くぞ。んでもって気絶するぞ。下手すりゃ心臓止まっちまうんじゃねえか。お前と違って、とっても優しくて繊細なんだからな、うちのおふくろは」
 優太もこくこくと同意する。
「あーもう、このマザコンどもが! この天然の、どこが繊細なのよ!」
 そんな姉弟の相克をよそに、
「そっか……確かに体育の時間とか、ずうっと手を繋いでるわけにはいかないものねえ……」
「そうですねえ……」
 大小の猫型天然同士は、現実に対峙しているんだかいないんだか、和やかに悩んでいる。
 そこに玄関のほうから、どたばたきゃぴきゃぴと、一群の音声が転がってきた。
「ただいまー」
「はらへったー」
「ただいまー」
「おなかすいたー」
 男児女児各二声、計四人混声、必要以上に活気に満ちた少年少女合唱団のようだ。
「あ、お客様!」
「お客様!」
「姉ちゃんのともだち?」
「兄ちゃんのカノジョ?」
「カノジョ!」
「ちがうよ」
「まさかね」
「姉ちゃんのともだち!」
「ともだち!」
 やんちゃそうな赤いほっぺの群れが繰り出す声変わり前の重唱は、乱雑なようでいて微妙にハモっている。
「こんちわー」
「こんちわー」
「こんちわー」
「こんちわー」
 最後は四声がきれいに重なった。
 上着の柄や髪型に差異は見られるが、四人とも、まったく同じ顔である。
 美紀は、とっさに挨拶を返せず、ぽとりとフォークを取り落とした。
 頭がくらりとしたりもする。
「ちょっと美紀!」
「大丈夫?」
 茂美と優美が、あわてて美紀の肩を支えると、
「……いや、あの、ちょっと……」
 美紀は、めまいをこらえながら言った。
「……3Dメガネかけないで、ディズニーの3D見てるみたいな……」
 朝からの疲労とは別口、むしろ自律神経や三半規管に、一時的な失調を来したわけである。

 やがて夕刻、淑子も携帯で娘の現状を知り、自宅に直帰せず亜久津家に立ち寄った。
 しかし解決策など立てようもない。
 ここは調査活動に回っている旦那たちの成果を待つしかないだろう――。
 そんなこんなで、なし崩しに山福母子を交えた、亜久津家の夕食がはじまる。
 ほどなく淑子は、同席者たちに、大いに心配される事態となった。
 とにかく、くらくらするのである。
「淑子先生、大丈夫ですか?」
 優美が気遣うと、
「ええ、ちょっと……軽いめまいが……」
 食事の席には、当然ちっこい弟妹たちも加わっている。
 すでに視覚適応した美紀は、わかるよお母さん、と淑子の肩を励ました。
 親子だけに、自律神経も三半規管も同程度である。まして十人家族、茂抜きでも九人の同時晩餐に加わりながら、四つ子の洗礼を受けているのだ。しかも主菜は寄せ鍋である。
 これが噂に聞いた戦場の鍋――ある意味、幽霊に憑依されるより過酷かもしれない。
 などと冗談に逃れている場合ではないのだが、混雑した船の三等室で嵐に遭ったことのある者なら、その気分は察しがつくだろう。美紀ほど天然でない淑子のこと、自分の愛娘とこの家のお豆腐二世、失礼、あまり御丈夫そうでない御子息が意図せずしてお手々繋いで生きる羽目になっているのだから、なおさら心労は大きい。
 そうして満腹した嵐の元たちが、あんがいお行儀よく「ごちそうさまー」とハモり、とたぱたと子供部屋に引き揚げた頃に――ようやく亜久津家の電話が鳴ったのである。

      3

「次を左だ」
 先を走る島本の車のリアシートから、澁澤老人が言った。
「良平を拾うなら、そっちが早い」
 西崎老人への連絡は、すでに澁澤老人が後ろで済ませている。
 助言に従い、次の信号でバイパスから横道に折れるため、島本は車線を変えた。島本も何度か西崎老人宅を車で訪ねているが、カーナビ任せだと、たまに渋滞に引っかかる。
 信号待ちの間に、後続していた茂たちの車が右に並ぶと、島本は「そのまま先へ」と身振りで伝えた。澁澤老人も「じゃあな」と手礼した。後続はもともと、亜久津宅に直帰する予定になっている。息子や娘への心配もあるし、西崎家がらみの大筋を先に伝えておいたほうが何かと話が早い。そこから先は状況次第だ。
 黒々とした山影の裾野で二手に別れる。
 直進する茂に、助手席の泰蔵が言った。
「いやはや、島本君は飛ばすなあ」
「すみません、いきなりスローになっちゃって」
 茂の運転技術だと、ここまでの追走は至難の業だった。
「いや、安全運転でいい。帰り着く前にコケたんじゃ話にならん。澁澤さんも、よく平気だよ」
「昔は飛ばしてたんじゃないですか、あの人も」
「確かに、パトカーくらい平気で振り切ってた感じだな」
 さしずめ、古い日活無国籍アクション映画に登場する猛烈記者か。
「島本君も、そんな感じだ」
 いや、あの人はバブル末期に首都高あたりで、飛ばせば飛ばすほど隣のギャルにモテてた口で――そんな旧悪を暴露するほど、茂も野暮ではない。
「なんとかしてくれるといいですね、西崎さん」
「ああ。とにかく綾音さんを正気に――幽霊に正気ってのも変か。なんであれ現状を自覚してもらわないことには、どうにもならん。その上で男に祟るなり、成仏するなりな。澁澤さんの話だと、根は純情な娘さんじゃないか。少なくとも貞子や伽耶子みたいな、無差別プッツン女じゃない。牡丹灯籠のお露さんとか、皿屋敷のお菊さんタイプと見た。いっそお岩さん級に根性入れて、その高見って奴を地獄に叩きこんでほしいな。今からでも遅くない。なんなら俺が手伝ってやってもいい」
「いや、それはちょっと……」
 せめて半殺しでお願いします先生。

 結局、島本たちは亜久津家に寄らず、山福家に直行することになった。
 亜久津家の家族も、四つ子と子守役の八重子を残し、山福家に移動する。
 ちなみに優太は、山福家の車のほうに同乗している。淑子や泰蔵にしてみれば、美紀の加重を慮って、そうせざるを得なかった。もっとも助手席の淑子は、前を見ているようでいて、実は五感のほとんどを後ろのふたりに向けている。確かにこの優太君は、当初思っていたより使いでのある男児のようだが、オマケはあくまでオマケであって、昨今の食玩のように肝腎のキャンディーを圧迫してはならない。
 茂は山福たちの車を追いながら、隣の助手席に陣取っている茂吉に言った。
「親父まで来ることないのに」
「馬鹿を言うんじゃねえ」
 茂吉は苦々しい顔で言った。
「孫が大変なことになってるってのに、留守番なんぞしてられっかよ」
 一見、昔より枯れて縮んではいるが、渋面になると、本性は変わっていないのが判る。去年の秋にも、若いハングレを三人ばかり病院に叩きこんだばかりだ。隠居前、焼き鳥屋をやっていた頃の茂吉を知っている古いゴロツキなら、道で会っただけで頭を下げてくる。穏健派の息子としては、なぜ父親に前科がないのか、なぜ警察の感謝状が溜まっていくのか不思議なくらいだ。
「しかし優太も、ああ見えて大したもんだ。惚れた娘のために体張ってんだからな。お前にばっかり似てるんで心配してたんだが、やっぱり茂美と同じ俺の孫だな」
 リアシートから、優美が異を唱えた。
「あら、茂さんだって、ちゃんと体を張ってくれてますよ」
 茂は、ありがたくうなずいた。
 そう。俺は妻や子のために骨身を惜しんだことはない。
 茂美は優美の隣で、微妙に首をひねった。
 まあ、そーゆー見方も、できないことはないんだけどね。体そのものが、ちょっとヤワなだけで。
 さらにその隣に便乗している優作は、んむ、と力強くうなずいた。
 仲良き事は美しき哉――。

 二台の車が美空ヶ丘ニュータウンにさしかかる頃、横道から三台目が追いついてきた。
 数珠繋ぎになって、山福家の前庭に停まる。
 島本の車から降りてきた澁澤老人と西崎老人が、初対面の人々に頭を下げた。
「よろしく」
「いやはや、なんと申し上げていいものやら、なにとぞよろしくお願いします」
 まさに好対照、変身後の大魔神と変身前の埴輪顔が、並んで立っているようだ。
 茂吉は、彼らとしっかり目を合わせた段階で、両者が熟練の高齢者であると見定めた。自身が大魔神タイプの両面兼備だから、ハンパな輩はすぐ見抜ける。
 淑子や美紀は、澁澤老人の面構えに当初やや腰が引けたものの、日常的に泰蔵の顔面に接しているので、すぐに慣れた。コワモテの敵は恐いが、味方のコワモテは頼もしい。もとより亜久津家の母子に警戒の色はない。顔面造作と心根は別物である。仲良き事は美しき哉。
 あたりを見回し、西崎老人がつぶやいた。
「確かにここは、あのハワイアンランドの……」
 県警を退職して久しいが、土地鑑は衰えていないらしい。
 しかし、あの指輪の箱を手にしながら、美紀と優太を見つめる目は、まだ半信半疑のようだ。
「本当に綾音さんが……」
「そうとしか考えられないんです」
 茂が言った。優柔不断な彼としては、珍しく断定的な口調だった。
 自分の子供に限らず、なにかと子供に甘い茂でも、子供たちが天使のように正直であるなどという愚かな幻想は抱いていない。しかし自分も優美も、爺さん婆さんも、言っていい嘘といけない嘘、その違いくらいは子供たちに教えたはずだ。
 それは山福夫婦も同じである。
「とにかく、まず例の木馬を見てやってください」
 泰蔵は、さっそく老人たちを奥の半地下室に導いた。
 他の一同もそれに続き、名画座リサイクル座席の前に立つ。
 色とりどりの朧気な光を宿して、壁から壁へと回り続ける木馬たちに、海千山千の老人たちも、さすがに絶句した。
 しばしの沈黙ののち、茂吉が唸るように言った。
「……人の一念ってやつぁ、すげえもんだな」
 澁澤老人も、深々とうなずく。
「まさに……」
 これまで山寺で何百枚と精察した絵馬や、何百体もの花嫁人形の中には、確かに心を感じるものがあった。薄く人影まで漂っているものもあった。しかし、ここまで明瞭な過去の残像は初見である。
 西崎老人は、ただ無言で固まっていた。
 やがて一同から離れ、ひとり木馬に歩み寄り、そっと手を差し伸べる。
 西崎老人の痩せた皺だらけの掌を、何頭かの木馬が、鮮やかな過去の色で彩りながらすり抜けていった。
 老人の背中が震えはじめた。
 微かに嗚咽が漏れる。
 その嗚咽を堪えながら、西崎老人は一同を振り返った。
 歩を進め、美紀と優太の前に立ち、若者のように潤った瞳で、
「……もう、いいじゃないか、綾音さん」
 見えてはいないが、綾音がふたりに重なっていることを、信じてくれたようだ。
「家に帰ろう。家がなければ、うちに泊まればいい」
 おや? と優太が首をかしげた。
 あれ? と美紀も首をかしげた。
 ふたりの怪訝そうな目が重なる。
 ――軽くなった?
 ――うん。
 ふたりの間、闇から抜け出すように、小さな人影が現れた。
 大人ではない。きっちり三つ編みと、カルピス柄の水玉ワンピース――あの女の子である。初めて現れた三日前と同じ、白い靴下と赤い靴で、おずおずと西崎老人に近づいていく。
 横で窺う優作の目にも、もう大人の綾音は見えなかった。
 うまくいった――のか?
 固唾を飲む一同の注目も知らぬげに、幼い綾音は老人の前で立ち止まり、その顔を見上げた。
「……良平だよ」
 西崎老人は言った。
「分家の良平だ。……わからないかな。ずいぶん昔の話だもんなあ。ほら、あの頃の分家の爺さんと、よく似ているだろう」
 綾音がつぶやいた。
「……良平にいちゃん」
 西崎老人の瞳から涙が溢れた。涙がそのまま頬を伝うほど、もう若くはない。眼窩の下に幾重にも深く刻まれた皺が潤って、薄く光を帯びる。
 しかし綾音の顔には、なんら感情らしいものは浮かんでいなかった。木馬に乗っていたとき同様、子供にはそぐわない寂寥感を漂わせているだけだ。
「……ゆびわ」
 そうつぶやいて差し出した小さな手に、西崎老人は戸惑いながら、例の宝石箱を乗せてやった。
 箱の中をちまちまと検める綾音の顔にも、やはり子供らしい感興は窺えない。
「……まだ俊彦を待っているのかい」
 西崎老人は、寂しげに言った。
「なら……俺の家で待てばいい」
 綾音は答えず、小箱を閉じて、そっとワンピースのポケットにしまいこんだ。
 踵を返し、しずしずと後戻りして、美紀と優太の間に収まる。
 それから両手を、ふたりの手に繋ぎ、
「……ふう」
 綾音は初めて子供らしい吐息を漏らすと、立ったまま眠るように目を閉じた。
 すぐ後にあった座席のひとつに、そのままストンと腰を下ろす。
 どうも、それっきり目を開ける気配はないようだ。
 ありゃりゃりゃりゃ――。
 美紀は片手を繋がれたまんま、
「……寝ちゃったね」
 優太も片手を繋がれたまんま、
「……うん」
 大人たちの横から、優作がのほほんと言った。
「いやあ、よく鎮めたもんだなあ。優太、お前も、だいぶ心が練れてきたぞ。これがいわゆる『思いやり』ってやつの成果だ」
 茂美が呆れて言った。
「アホ言ってんでないよ。なんの解決にもなってないじゃん、これ」
「んでも重なってるよりはマシだろう、なあ優太」
 それはそうだけど――今後いったいどうしたものやら。
 優太が美紀の顔色を窺うと、美紀は綾音を見下ろしながら、困ってるんだか嬉しがってるんだか、
「……かわいいね」
 明らかに今後のことは何ひとつ考えていない。
 そんな子供たちの前で、情けなさそうに肩を落としている西崎老人の背中を、澁澤老人がぽんぽんと慰めた。
 まあ世の中、どんなに想っても、報われない真心だってあるさ――。
 一同、揃って黙りこんでいると、
「山福先生――」
 島本が、ふと泰蔵の袖を引いた。
「――後ろを」
「ん?」
 美紀と優太も、そのとき初めて気がついた。
 いつの間にか木馬が止まっている。
 宿していた朧光も消えている。
 幾つもの木馬が黒々と佇む様は、まるで『本日の営業時間は終わりました』、そんな感じだ。
 泰蔵が呻くように言った。
「これは……良くなったのか? 前より悪くなったのか?」

      4

 まあ、いちおう事態は好転していたのである。
 その証拠に、二時間ほど後の深夜、山福家半地下名画座もどきでは、止まった木馬たちを前に、幼い綾音がひとり、くうくうと寝息をたてていた。つまり寝こんでしまえば、仲良しさんたちが手を離しても平気だったのである。
 美紀は、今夜は隣の席でいっしょに寝ると言い張ったのだが、厳格な両親によって却下された。もっとも、よほど壊れた両親でない限り、この手のお客様――幽霊の隣で娘は寝かせないだろう。
 それでも外見は推定十歳当時、今の子供なら三年生くらいにしか見えない女児である。淑子は風邪をひかないようにきっちり注ェ布団をかけてやったし、優美の助言によって、美紀の部屋にあった一番大きいキティちゃんを、美紀の代理として抱かせてある。のみならず美紀の独断によって『さびしかったら、ミキおねえさんが、うえにいるよ』などというアブない走り書きの紙まで、こっそりキティちゃんのポッケに忍ばせてあったりもする。
 そうして、明日も学校のある美紀や淑子は寝に就き、茂美や優太も優美の運転で帰宅、深夜の山福家の客間では、おっさんと爺さんが三人ずつ、水割りや清酒を酌み交わしながら密談していた。実は優作も残っているのだが、あくまでオブザーバー、見えない野次馬である。
「こりゃもう、その高見って奴を、ここに連れてくるしかねえだろう」
 冷やのコップ酒を傾けながら、茂吉が最年長らしい重厚さで言った。
「その上で、土下座させるなりフクロにするなり、なあ」
「そうですな」
 次に年嵩の澁澤老人が、負けじと渋面で言った。
「首に縄をつけてでも、引っぱってくるしかなさそうだ」
 元焼き鳥屋の親爺と元事件記者、育ちや立場は違っても、妙に息が合っている。
 現役教師の泰蔵も、我が意を得たりと、
「そうしましょう。制裁や懲罰以前に、まず何事も本人に質《ただ》さなければ」
 内心は半殺しにしたいのかもしれない。
 島本も異議はなかった。成仏できず迷った被害者の霊が、加害者本人にどう対応するか、実地に見たい気持ちもある。
 穏健派の西崎老人や茂も、それぞれの思惑で同意した。どのみちこのままでは済ませられない。
「で、澁澤さん、西崎さん」
 茂吉が訊ねた。
「その高見って奴が、今どこでどうしてるか、あんたらなら知ってんだろう」
「面目ありません。実は私、ここ何十年、奴の詳しい消息には、あえて耳を塞いでおった次第で」
 澁澤老人の言に、西崎老人も首肯した。つい宵の口まで、思い出したくもない過去だったのである。
「しかし、死んだという噂は聞きません。なあに、私も良平も昔取った杵柄、明日には居所をはっきりさせます」
「よし。生きてんのなら、後はなんとでもなる。四の五の言わせるもんじゃねえ」
 茂吉は、にんまりと笑って言った。
「命が惜しけりゃ、ここに来るさ」
 茂吉の清酒をちゃっかり相伴しながら、優作は思った。
 ――さすが爺ちゃん、長く生きても無駄に変わってねえわ。




   Act.7 【それでもいろいろ回ってる】


      1

 そんなこんなの一夜が明けて、木曜の朝、南峰館第一中学校。
 二年三組の山福美紀と亜久津優太が、おとついから昨日にかけて何やらエラいことになっているらしい――そんな噂は、教師たちの間にもすっかり伝播していた。生徒の誰かが直接チクったわけではないが、あっちこっちで囁かれる開校以来の超ラブラブ発生説は、どうしたって教師たちの耳に届く。
 まあ、たとえドのつく田舎の木造校舎にしろ、戦後はずっと男女共学でやっているのだから、夜中にこっそり駆け落ちしてしまうような生徒も、たまには存在した。物陰でうっかり子供を作ってしまうような生徒も皆無ではなかった。しかし白昼堂々、仲良く手を繋いだまんま校門を潜ったカップルは前代未聞である。
 当然、今朝は生徒指導担当のバーコード教師とロッテンマイヤー型女性教師が、それとなく校門付近で見張っている。物好きな生徒たちも「あ、なんか俺ら私ら、今朝に限って妙に早く登校しちゃったなあ。おかしいなあ。なんかヒマだから校庭でも散歩してようかなあ」みたいな顔をして、校門付近のそこかしこに三々五々わだかまっている。新聞部の委託を受けたパパラッチ野郎などは、屋上の時計塔にもぐりこみ、校門に向けて超望遠デジカメをスタンバイさせていたりもする。
 三月にしては、やけに寒い朝だ。乳白色の空の下、皆の息が真冬のように白い。もっとも、ほとんどが雪国の原住民だから、今さら萎縮したりはしない。
 やがて朝礼の時間が迫り、遅刻すれすれの常連たちが駆け足で校門を突破しつくした頃、前方の山方向から、いつもならもっと早いはずの小柄な女子がひとり、とととととと転がるように駆けてきた。そしてもうひとり、いつもなら朝練に出るためさらに早いはずの引き締まった女子が、山裾の横道からたたたたたと駆けてきた。
 双方、蒸気機関車のように白い息を吐きながら、校門への直線で合流し、
「おはよー茂美ちゃん!」
「やっほーミー坊!」
「美紀!」
 美紀も茂美も、昨夜の一件で夜更かししたため、さすがに今朝は寝過ごしてしまったのである。
「なんか寒いねー」
「まあこんなもんこんなもん。――あの子、どうだった?」
「うん。起きてたよ」
「上がってきた?」
「ううん。ずっと下に座ったまんま」
「そっか」
「でも、おはようって言ったら、なんか聞こえてたみたい」
「へえ、すごいじゃん」
「でも、ちょっとだけだよ。気のせいかもしんない」
 美紀が声をかけた直後、あの子の抱いている特大キティちゃんが、ちょっと動いて見えただけだ。でも、なんとなく挨拶してくれてる気がした。「それ、綾音ちゃんにあげるね」とか言っても、やっぱり返事はなかったが、なんか「ありがとう」っぽい感じがしたのは確かだ。
 そんな会話を交わしながら、並んで校門を突破する。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
 ぎりぎりセーフである。
 生活指導の教師たちは、安堵とも失望ともつかぬ顔で、
「よ、おはよう」
「はい、おはよう」
 噂の女子に異常なし。噂の男子の姉にも異常なし。しかし噂の弟は、まだ登校していない。容貌による判別が極めて難しい生徒だから、すでに登校したのを見過ごしてしまったのだろうか――。
 ともあれタイムアウト、教師たちが校門を閉じようとすると、
「す、すみません……」
 山裾方向から、息も絶え絶えの声がかかった。
 噂の片割れが、よろよろと駆けて、もとい早足でよろめきながらやってくる。
 本来なら遅刻なのだが、とぎれとぎれの白い息を憐れんだ教師たちは、思わず手を止めて見逃してやった。
 生徒だって人様々、厳しく接して伸ばすべき猛者もいれば、下手に厳しくするとそれっきりぺしゃんこになってしまいそうな弱者もいる。人生、いろいろあってみんないい――とは限らないが、いろいろなのは確かだ。
 様子を窺っていた他の生徒たちも、失望とも安堵ともつかぬ顔を浮かべ、朝礼に備えて散って行った。
 ――なあんだ、もう見捨てられちゃったんだ。
 ――いやいや、下僕に戻っただけかもしんない。
 ――ああ、やっぱり俺らみたいな一寸の虫は、幸せな明日を夢見ても無駄なんだよなあ。
 ちなみにそれら種々の所感は、その後の学校生活を通して微妙に変遷、収束してゆく。
 つまり、女王様と下僕でもなし、といって明らかなラブラブでもなし。でも、ときどきちょこちょこと、ふたりで目を合わせたり笑ったり――なんかアヤしいような、アヤしくないような。
 ここは経過観察の要アリ、そう収束したわけである。
 実は優太自身も「あれ? なんか俺って、今日は、ちょっとアヤしい感じ?」みたいな気がしている。
 たとえば美紀ちゃんに、朝のあの子の様子を教えてもらったとき、そんな地下室の情景を、自分も起きがけの夢うつつの中で、まんま見ていたのを思い出した。あの子もちゃんと美紀ちゃんに「おはよう」とか「ありがとう」とか返事していたはずだ。まあ、それはたぶん単なる偶然か、いわゆる既視感《デジャヴ》ってやつなんだろうけど、その後も美紀ちゃんの顔を見ているだけで、なんとなく美紀ちゃんの気持ちが解るような気がする。まあそれも、あくまで俺の希望的観測なんだろうけど――。
 そして美紀自身「あれ? 優太君って、なんかフツー以上にキモチが通じやすい子?」などと感じていたりするのだが、元々の思い入れに天と地の差があるので、今のところアヤしがるほどではない。

 同じ日の午後、薄曇りの峰館自動車道。
 蔵王連峰を東の宮城県側に越えるため、笹谷峠を目指す大型ワゴンの車中、
「妙な話になっちまったなあ」
 茂吉が気の抜けた声で言った。
「高見って奴、その幽霊病院とやらに引きこもってるってのは、本当なのかい?」
 茂が運転する亜久津家のワゴンには、昨夜の密談メンバーが全員同乗している。二列目に島本と泰蔵、三列目に爺さん連中、そんな按配だ。助手席は一見空いているようだが、実は優作が便乗していたりする。
「現住所に間違いがなければ、そうなります」
 島本が言った。
「いっときネットで心霊スポット扱いされていた病院の廃墟と、まったく同じ住所ですから」
 宮城県北東部、西に石蒔湾を抱いて太平洋に突き出ている雄鹿《おしか》半島――そこに幾つも穿たれた入り江のひとつ、三陸海岸の南端に近い小さな港町の奥の山際で、巨大な異物のように朽ち果てていた元総合病院の動画を、島本ははっきり記憶している。
「今のグーグル・アースでも、それらしい建物のままでした。まあ現在、高見が住んでいるなら完全な廃墟じゃないわけですが、少なくとも数年前は、まったくの廃墟でしたね。仙代あたりの若い連中が夜中に車で乗りつけて、肝試しの様子をネット配信したり。私も一度覗いてみようと思ったんですが、実際に何かが出るわけじゃなかったらしいんで」
 今ではそんな噂も風化し、動画自体ネットから消えている。
「そんなところが、奴の終の棲家か」
 澁澤老人が沈鬱な顔で言った。
「尾羽うち枯らして、半身不随の身で……」
 澁澤老人と西崎老人は、午前中から昔のコネを頼りに高見俊彦の現状を調査していた。その経緯を島本のオフィスに逐一連絡し、島本がパソコンで情報整理、ネットで確認照合等を行う――そんな流れだった。老人たちがスマホでも駆使できれば話は早かったのだろうが、世代的にガラケー止まり、iモードさえ使っていない。
 亜久津宅で待機していた茂親子と泰蔵は、昼過ぎに島本から連絡を受けてワゴンを出し、オフィスの島本と、あちこちに散っていた澁澤や西崎を拾ってきたのである。そのほうが何台かに分乗するより同一行動がとりやすいし、もし高見と接見がかなって、同行あるいは拉致――あくまで非常手段だが――ということになれば、定員十名の大型ワゴンなら充分な余地がある。
「……報いを受けたんだ」
 西崎老人が呻くように言った。
「さんざん人を踏みつけて生きてきた報いだ」
 数年前、東北屈指の医療法人の頂点に足を掛けていた高見俊彦は、一転、それまでの巧みな世渡りが卓袱台《ちゃぶだい》返しを喰らったように、落ちるところまで落ちていたのである。
 まず、後ろ盾の会長が脳梗塞で急死した。それが契機となったのか、傘下の複数の病院における犯罪に近い医療過誤や院内感染が相次いで表沙汰になり、元々会長以外の経営陣に味方の少なかった高見俊彦は、ほとんどスケープゴートとして一切の責を担うことになった。そんな騒動の渦中、偶発的な交通事故で妻子のみならず孫までが亡くなり、ほどなく彼自身も、心身疲労による脳溢血で倒れてしまったのである。一命はとりとめたものの重篤な後遺症が残り、以来、彼は社会との交わりを一切拒否して、唯一残った個人資産である郊外の廃病院に蟄居しているらしい。
「でも、あんまり可哀想な気もしますね」
 運転席から茂が言った。
「仮にも一時は会長になりかけた人でしょう。廃墟に置き去りなんて、その法人の沽券に関わるんじゃないですか」
「なあに、おそらく奴が自分で選んだ道だろう」
 澁澤老人が言った。
「見栄で生きてる人間が社会的な見栄を失ったら、もう自分ひとりに見栄を張り続けるしかない。『俺は世間に捨てられたんじゃない。俺が世間を捨てたんだ』――そう自分に言い張っていれば、死ぬまで孤高でいられる」
「……それもまた報いだ」
 西崎老人が言った。
「自分自身の報いだ」
 泰蔵は無言でうなずいた。なんともやるせない気分である。半殺しにしてやる前に、もとい人の道を糾す前に、因果応報に先を越されてしまったらしい。
「ま、後の仕事が楽でいいさ」
 茂吉が、車内の重い空気を振り払うように、からりと言った。
「車椅子かなんかで、カラコロ転がしてくりゃいいんだろう」
 助手席の優作は、ほっと一息ついた。優太と違って磊落な優作も、予想外の事態の流れには、かなり滅入っていたのである。
 うちの家族はマジにナゴむからいいよなあ。どんなイキモノだって優しくなでちゃう親父、良かれ悪しかれ一本道の爺ちゃん――気持ちの根っこが、昔からちっとも変わっていない。
「あっくん、次のパーキングエリアで運転代わろう」
 島本が茂に言った。
「宮城側は俺が走り慣れてる」
 高速道路だから茂もせいぜい飛ばしているが、島本から見れば歯痒い。そもそも普通の走りだと現地到着が日暮れになってしまう。
「皆さんもトイレを済ませておいてください。雄鹿《おしか》まで一気に突っ走りますから」
 澁澤老人は頼もしそうに、うむ、とうなずいた。
 茂吉も息子の安全運転に欲求不満を募らせていたので、よし、とうなずいた。
 それ以外のメンバーは、やや怯えながら同意した。少々命が惜しい気もするが、まあ本人が未だに五体満足なのだから、たぶん今日も五体満足で帰れるだろう。
 もとより優作に異議はない。生身の体とは、とっくにオサラバしている。
 ひゃっほう! 走れ幌馬車――。

      2

 蔵王の東側は晴れていた。内陸盆地と太平洋側は、奥羽山脈を越えれば気候が違う。気温も何度か上がったようだ。
 最新カーナビの情報と、情報を超越した島本の反射神経によって、一行はまだ日のあるうちに、目的の入り江の町に着いた。
 太平洋に面する東以外の三方を丘陵に抱かれた湾口は、せいぜい二キロほどか。U字型の小ぢんまりとした港町だが、魚港周辺にはそこそこ店舗や中層ビルが立ち並び、全国チェーンのコンビニも出店していた。
 西の丘陵に至る奥行きは、けっこう深い。町場を抜け、ゆるやかな勾配の畑中を縫い、鄙びた集落を経て丘陵際をめざす。
 噂の幽霊病院は、丘陵の斜面から続く樹林に隠れるようにして、鈍色に佇んでいた。現役時代は地元のみならず、湾岸道路や丘陵越えの道を通して周囲の町村の患者を一手に集めていた施設らしいが、滅びてしまえば規模に比例してうそ寒い。
 周囲を守る高い金属柵に沿って走り、厳重に閉ざされた格子門の前にワゴンを停める。
「……廃墟どころか、まるで要塞じゃないか」
 真っ先に降り立った澁澤老人が、呆れ声で言った。
 四階建ての建物のおおよそは確かに古い。積年の塵埃や風雨による浸食で、見る影もなく傷んでいる。しかし本来ガラス窓だったはずの帯状の凹部は、明らかに近年、コンクリートで塗り固められている。かろうじて病院らしさが残っているのは、所々に花壇の痕跡が残るひび割れた前庭と、その奥の正面入り口だけだった。
「……見てください」
 茂が怯えたように言った。
 外周の金属柵の上部に途切れなく鉄条網が張り出しているのみならず、柵そのものにも門扉にも一面に有刺鉄線が絡めてある。密集した蔦のようなそれは、根雪の残る日陰の地面際まで続いていた。
「こりゃ見事なもんだ」
 門扉の内側の、図太い電動空圧シリンダー錠を覗いて、茂吉が感嘆した。
「俺の四駆でぶち当たっても、破れるかどうか」
 門扉から建物の背後にかけて、前庭に明瞭な轍《わだち》が残っているのを見ると、車の出入りは定期的にあるらしい。
 島本は、持参の小型双眼鏡で建物を検めた。
「最上階の軒先中央に防犯カメラが見えますね。右側にもある。ここからじゃ見えませんが、たぶん左や裏手にも」
 泰蔵が訊ねた。
「ダミーなんじゃないか?」
 近頃は田舎のホームセンターでも、天井で稼働する防犯カメラと見分けのつかないダミーカメラを、個人向けに安売りしている。
「ダミーなら逆に目立たせるでしょう。実際にモニター中と見ました」
 現役の総合病院ならともかく、引き籠もり老人がここまでやるか――一同、ほとんど呆れ果てて立ちつくしていると、前庭の奥、正面玄関のガラス扉が開きはじめた。車の音や彼らの声が届く距離ではない。防犯カメラが機能している証だろう。
 人影が現れた。
 車椅子の老人ではなかった。
 機動隊員じみた出で立ちの筋骨たくましい男が、確固たる足取りで近づいてくる。
 両手で抱えているものが散弾銃であると悟り、一同は身構えた。
 歳は三十代前半だろうか、武骨顔の青年は門扉の前に立ち止まり、無機質な声で言った。
「標識に、お気づきになられませんでしたか。この建物の周囲の道は全て私道です。皆さんは私有地に無断で乗り入れているのです。早急に公道までお戻りください」
 慇懃無礼を絵に描いたような警告だった。猟銃は銃床と銃身を棒のように握っているだけだが、ただならぬ威圧感である。
 思わず腰を引く一同から、西崎老人が歩み出た。自身の穏やかな性格に関わらず、かつての職業上、物騒な銃器にも機動隊員にも慣れ親しんでいる。
「高見俊彦君が、こちらにお住まいと伺ったのだが」
 青年は蝋人形のように無反応だった。
 西崎老人は続けて言った。
「失敬。こちらから名乗るべきでしたな。西崎良平と申します。高見君とは古い仲だ」
「高見先生は、どなたともお会いになりません」
「どうか取り次ぐだけでも。西崎綾音の件で話があると伝えていただければ」
 お互い老後に旧交を温めるような相手でないことは、高見も重々承知のはずだ。どのみち拒絶されるなら、せめて高見に昔の非情を顧みさせたい。
 青年の表情が微かに揺らいだ。
 しかしすぐに無表情に戻り、
「――お待ちください」
 素っ気なく言うと、踵を返し建物の中に戻ってゆく。
 澁澤老人が言った。
「あんな奴が他にもいるのか?」
 猟銃の携帯は許可を得れば合法だが、あの鉄面皮だと非合法なヤクザより危なく見える。
「いてもいなくても高見しだいでしょう」
 西崎老人は腹を据えていた。
 横から茂吉が言った。
「門前払い上等じゃねえか。人の出入りがある以上、忍びこむ手もあるさ」
 ほどなく正面玄関の自動ドアが開いた。
 一台の車椅子が、バリアフリーのポーチから下りてくる。遠目には、白い部屋着姿の老人に見える。車椅子は電動らしく、先刻の警備員らしい青年は介助せず、猟銃を抱えたまま後ろに従っていた。
 車椅子が前庭の半ばに達したあたりで、門外から見守る一同は、揃って怪訝な顔になった。巷で見かける車椅子の人々と同様に見えていた相手が、実は、かなり異質な風体であると気づいたのである。
 その白い着衣は上から下まで、折り目正しい礼服だった。着替える時間などなかったはずだ。高見俊彦が噂どおり蟄居状態なら、ふだんから礼装で生活していることになる。それが彼なりの矜持であるにしろ、体の不自由な身として、生半可な根性ではない。
 やがて細部が判別できる距離になった。オフホワイトのロングタキシードとベストに純白のシャツ。靴までが白く光っている。これで白いネクタイを締めたらまるで年老いた花婿だが、襟元だけは、猛禽類のカメオをあしらった渋茶色の組紐で飾っており、そのワンポイントが、型通りの礼装を独自の美意識によるカジュアルのように演出していた。
 車椅子は電動ではなかった。アシスト機構すら備わっていない。あくまで自力で――右手でレバー状の部品を漕ぎ、右脚でペダル状の部品を踏み、連動する複雑な機械構造でぎりぎりと両輪を回転させながら、亀裂だらけの前庭を滞りなく直進してくる。礼服の右腕や右脚は、内側からアスリートのように張っているが、左はどちらも空虚に近い。
 体同様、顔にも顕著な左右の差異があった。右半面は往年の美形の面影を充分に残している。もう六十七歳のはずだが、七十歳の西崎よりも遙かに若く、五十代といっても通るだろう。しかし左半面は、端に近づくにつれて皺びた皮膚が垂れ下がり、八十近い茂吉より年老いて見えた。
「高見……」
 西崎老人が呆然とつぶやいた。
 他の一同も固唾を飲んだ。
 見つめる全員、頻度に差はあれ、これまで何度か片麻痺の知人や縁者に接している。しかし高見俊彦から受ける齟齬感は、まったく別種の存在に思えた。半身の生命力を常人以上に保つために、もう半身の生命力を使い果たし、結果、左右が別人化してしまったようだ。想像力が豊かすぎる茂などは、不謹慎にも、こんなことを思ってしまった。もし等身大の両面鏡をこの老人の前に立てたら、ドリアン・グレイの肖像と実体が、左右同時に並ぶだろう――。
 門格子の間近で、おもむろに車椅子が止まった。
「……これはこれは、分家の良平さん」
 やや呂律の怪しい、内に籠もった棒読みのような声だが、言葉は明瞭に伝わる。しかし感情は読めない。
「俊彦……」
「……変わりませんなあ。好青年が、そのまま好々爺になられたようだ。私はご覧のとおりです。変わり果てたやら……腹の内が外に漏れだしたやら」
 そんな自嘲も、自嘲らしい口調ではない。そもそも口調が変えられないらしい。
 返答に窮する西崎老人に、高見は続けて言った。
「綾音の件とおっしゃると……もしや、あなたは綾音を連れて帰りたいと?」
 意味がつかめず、西崎老人は戸惑った。
 高見は、あくまで真顔で、
「そうしてもらえば、むしろ私はありがたいが……いかんせん、あいつは陽の下に出てこない。ここ何年、ずっと、私と同じ籠の鳥だ」
 一同に困惑が募った。
 高見は、きりきりと車椅子の向きを変え、ぎこちなく正面玄関を振り返り、
「……おやおや、さすがに良平さんは、綾音に好かれているようですな。あいつが、しおらしく頭を下げている。私には『この死に損ない』やら『早く死ね』やら、言いたい放題のくせに。夜中なぞ、のしかかって首を絞めてくる」
 暗い玄関の奥に人影はない。優作にさえ何も見えない。
 高見は西崎老人に向き直り、
「――良平さん、すみません。前言を撤回します」
 眼窩の奥で虚ろに濁っている左目とは対照的な、若々しい睫毛に縁取られた右の瞳に、不敵な光が宿った。
「あなたに綾音を返すわけにはいかない。なんとなれば今の私は、あいつの恨み言を聞き続けるために、こうして生き続けている。私の力が続く限り、一日でも、いや一分一秒でも長く、あいつに呪われ続けてやる。そのために生きている」
 高見の右頬が、にやりと吊り上がった。
「首が飛んでも動いてみせます」
 その言葉が、まさに『四谷怪談』の色悪・民谷伊右衛門の台詞であることを、大人たちのみならず、若い優作も知っていた。ルート66のドライブインあたりでハンバーガーをぱくついていそうな優作だが、実は優太と同じで父親ゆずりの渋好み、ときには歌舞伎座に出向いて、幕間の仕出し弁当を賞味したりもする。
 優作は、荊棘線に覆われた格子門に歩み寄った。
 苦手な異物感をこらえながら鋳鉄の格子に交わり内側にすり抜け、高見の顔の前に、ひらひらと手をかざしてみる。
 ――ああ、この爺さん、マジにイッてるわ。
 実際に死んだ人間が見えるのなら、優作に気づかないはずはない。
 西崎老人も、他の一同も、暗澹と黙りこむしかなかった。
 高見の態度には、身体的病変以外の違和感がまったくない。彼は居るはずのない綾音と、確かに同居しているのだ。被害妄想も幻覚も幻聴も、信じきっている者にとっては真実に他ならない。
「……そろそろ失礼します。私も近頃、陽の光が苦手なもので」
 頭も下げずに高見は言った。
「それから良平さん、くれぐれも妙な気は起こされませんように」
 背後の青年を示し、
「侵入者への対応は、昼間は空包、深夜は実包で行うように言いつけてあります。当然過剰防衛でしょうが、最高の私選弁護士を雇う用意がありますし、そもそもこの吉田君は、私のために入獄することを厭いません」
 吉田と呼ばれた青年は、真顔で首肯した。
「そして私は、ご覧のとおり、もう入れてくれる刑務所がない。医療刑務所さえ、入れてくれるかどうか」
 そう言い残して屋内に戻っていく高見の車椅子を、一同は為す術もなく見送った。

「いやあ、まいっちまったなあ」
 漁港に近い、安食堂のような喫茶店でコーヒーを啜りながら、茂吉がぼやいた。
「アレをむりやり外に引きずり出すほど、俺も鬼じゃねえぞ」
 茂と泰蔵も力なくうなずいた。
 澁澤老人と西崎老人は、ただ無言である。
 ちなみに島本は、今は席を外している。街に聞き込みに出ているのだ。実は優作も、好奇心からそっちに回っている。
「あの妄想も脳溢血の後遺症か……」
 つぶやく泰蔵に、茂は言った。
「あの感じだと、統合失調症のような気もしますね。昔、うちのクラスでも、ひとり入院したじゃないですか」
「ああ、あいつか」
 田舎の商業高校では珍しいほど真面目だった生徒が、いつからか「犬神様の声が聞こえる」と言いだした。初めは家族さえ冗談だと思っていたほど、それ以外の言動は正常だった。むしろ枕崎あたりのほうがよほど異常だったわけだが、枕崎は年がら年中変な奴だったので、今さら誰も治療の要を認めなかったのである。しかしそれまで百パーセント正常だった生徒が、九十九パーセント正常なままで犬神の声を聞きだしたら、やはり病院に行かされる。実際、ひと月の入院と三か月ほどの服薬で、その生徒は犬神様ときれいさっぱり縁を切った。
「体とは別に治療するべきなんでしょうけど、あの生活状態じゃ……」
「誰に迷惑かけてるわけでもないしなあ」
 泰蔵にとっては大迷惑の張本人に他ならないが、今の高見に責任能力があるとは思えない。
 澁澤老人と西崎老人は、むっつりと黙りこくっていた。目の当たりにした高見の変貌が、骨身に応えている。半世紀近い歳月は、彼らだけでなく高見の人生にも、深々と恩讐を刻んでいたのだ。
 入口のガラス戸が開いた。
 島本や優作といっしょに、潮と魚の匂いのする風が、夕暮れの街路から流れこんだ。
「いやあ、まいりました」
 島本は茂吉と同じことを口にしながら席に加わり、奥にいた無愛想な初老の主人にコーヒーを頼むと、
「あの建物は徹底的に孤立してます。電気ガス水道、それから電話、どれもまったく繋がってないらしい」
 ――は?
 半開きの口々を代表して、澁澤老人が訊ねた。
「じゃあ、いったい、どうやって暮らしてるんだ」
「メインは自家発電でしょう。月に何度か、あの吉田って男が、小型のタンク車で大量の燃料を運び入れてるようです。廃業する前の非常用発電設備が、そのまま生きてるんじゃないでしょうか。水は地下水をポンプで汲み上げればいい。海が近い土地でも、あのあたりなら深さに注意すれば真水が出るそうですから。食料は、今どき携帯ひとつあれば配達で揃う。何年だって籠城できる理屈です」
「なんと……」
 西崎老人は絶句した。
「まるでじゃなくて、マジに要塞じゃねえか」
 茂吉が言った。
「なら、どうしたって攻略したくなるわなあ」
 茂は、あわててたしなめた。
「やめてくれよ親父」
 実際に猪突猛進しかねない父親である。しかし肉弾戦は得意でも、猟銃の弾が相手だと穴だらけになるだろう。
 店の主人がコーヒーを運んで来たので、一同は口をつぐんだ。
 無愛想にカップを置いて無愛想に立ち去るのを待ち、
「――確かに私も、中の実態には興味がありますね」
 島本はそう言ってコーヒーに口をつけ、顔をしかめた。コーヒーより味噌汁が似合いそうな店だから仕方がない。まあいいか、と気を取り直し、
「あれだけの敷地の外周を、たったひとりで警備しきれるとは思えません。鉄条網に電気が流れているわけでもない。少なくとも柵は抜けられそうだ」
 忍びこむ気か――一同が注目すると、
「いえ、確かなところを確認しておきたいだけです。穴があっても、すぐに潜りこむわけじゃありません。ただ、ああした人物が、ああして孤立している状況そのもの――あの高見という男の生活を、もっと調べてみたいんです。今後事態がどう動くにしろ、町の聞きこみだってまだほんの序の口、できれば明日も粘ってみたい」
 非現実的事象を追求するあまり現実おたくになってしまった、島本らしい言葉である。
「本物の綾音さんのためにも、何か解決の糸口が見つかるかもしれません」
「俺もひと肌脱ぐぜ」
 茂吉が身を乗り出した。
「探偵さんにゃなれないが、カラス除けのカカシくらいにはなる」
 本気と見て、茂は言った。
「じゃあ、俺が残る」
 進んでカラスを襲いそうな親父より、自分のほうがカカシ向きだ。
「俺は隠居で、お前は家長だぞ」
 茂吉は、逆に息子を諭した。
「だいたい、お前、いつまで仕事を休むつもりだ。いっとき少しばかり儲けたって、今の調子だと何年も保たねえぞ。自慢じゃねえが俺なんか、お前が生まれた頃にゃ、もう死ぬまで女房子を養う蓄えがあった。お前はなんだ。茂美や優太が学校に上がるときだって、ランドセル買ってやったのは優美さんだろう。机やなんかは俺が――」
 茂は、解った解ったと両手で制した。ごめん。全部事実です。はい働きます。
「山福さんも当座の問題は一段落したんだし、あっちで娘さんや学校の心配してたほうがいい。西崎さんだって、死に損ないのあいつより、あの子の近くにいたいんじゃねえか」
 さすがに最年長者、見るところは見ている。
「私も隠居です」
 残る澁澤老人が、にんまりと笑った。
「高見のストーカーに復帰ということで」
 結局、島本と茂吉と澁澤老人が、この街に残ることになった。
 店の主人に相談し、今夜の宿と、これからの脚を探す。幸い近所の商人宿に空きがあった。さすがにレンタカーはこの町にはなく、主人の口利きで、少々離れた観光地の業者が、これから宿まで配車してくれることになった。愛想とコーヒーが不得手な主人も、顔は広いらしい。
 優作は、どっちにしようか土壇場まで悩んでいたが、駐車場で一同が別れる間際、茂のワゴンを選んだ。
 やっぱり優太たちのほうが気になったのである。

      3

 あくまで安全運転遵守の上、途中で西崎老人や泰蔵を自宅まで送り届けたため、茂は夜半近くになって、ようやく我が家に帰り着いた。
「おかえりなさい」
 ワゴンの音を聞きつけて、優美と八重子が玄関に迎えに出た。
「ご苦労様」
「うん」
 いつもの妻の柔らかい声と穏やかな笑顔に接しただけで、茂の精神的な疲労は霧消した。体の疲れも風呂に入れば消えるだろう。茂は幾つになっても柔弱な男である。
 姑の八重子は、嫁に続いて「ご苦労さん」と言いながら、なにやら苦笑いを浮かべていた。茂吉が雄鹿半島に居残ってしまったことは、もう電話で伝わっている。
「置いてくるつもりはなかったんだけど」
「仕方ないよ、昔から鉄砲玉だもん」
 後期高齢者の夫に比べて四半世紀も若い八重子は、どう見ても茂吉の娘にしか見えない。そんな夫婦の間に生まれた茂としては、いつもつくづく感心してしまう。よくあんな皺くちゃの非行老人を見捨てずにいられるもんだよなあ、母ちゃん――。
「頭が冷えたら帰ってくるでしょ。帰巣本能だけは達者だから」
 確かに茂吉が徘徊しっぱなしになったことは一度もない。惚ける前にポックリ逝くタイプだろう。
 八重子はひらひらと手を振りながら、棟続きの隠居所に下がっていった。
 茂は、遅い夕餉の卓につく前に、四つ子の子供部屋を覗いた。四つ並んだ蒲団の境界を無視して、てんでんばらばらに寝息をたてているのを見ると、やっぱりこのまんまじゃまずかろうなあ、と思う。優太や茂美だって高校に上がったら、さすがに同室はまずいだろう。
 親父が言ったように俺もせっせと稼がねば、と気を引き締める一方で、数年前まで親父が経営していた焼き鳥酒場やアパートはいったいなんぼで売れたのか、現在親父の蓄えはどんだけ残っているのか、そのあたりも気になる。いや、いかんいかん。これでは死ぬまで親がかりの男で終わってしまう。いっそ己の頑なな美意識を曲げて、あの大手アニメの新シリーズに参加しようか――茂は幾つになっても優柔不断な男だった。
 茂がダイニングで、優美が温め直してくれた晩飯にありついていると、茂美と優太がパジャマ姿で二階から下りてきた。
「おかえり、父さん」
「おかえりなさい」
 揃っての顔出しは嬉しいが、もう真夜中過ぎである。
「まだ起きてたのか」
「いや、いっぺん蒲団には入ったんだけどね、気になって寝てらんないんだもん」
 茂美が言い、優太もこくりとうなずいた。
 茂は、あまり精神的に重い部分を避けて、おおまかに事情を説明した。相手は脳疾患の後遺症で、話を聞いてもらえる精神状態ではないし、そもそも自由に動けない、そんなニュアンスである。実は、昨日知った高見と綾音の過去についても、怪文書や写真の件など、あまり生臭い部分は極力ぼかして伝えてある。
「あの子に会わせてあげるのは無理?」
「今のところはね。とにかく島本さんたちに、詳しく調べてもらってからだな」
 子供たちは釈然としない様子である。
 優美が優しく諭した。
「気になるのは解るけど、今はどうしようもないでしょう? 気になって眠れないなら、朝まで気にしててあげればいいのよ」
 無理に「眠れ」とか言わないところが、いかにも母さんらしい。
「そうして忘れずにいれば、いつか、やってあげられることが見つかるかもしれないでしょ。明日でもあさってでも、来年でも、大人になってからでも。そのときになったら起き出して、やってあげばいいんだわ」
 茂美と優太は微妙にうなずいた。
 確かにこの人間離れした母さんなら、何事も、そんな大らかなペースで悩んでいられるのかもしれない。
 娘や息子が真似できるかどうか、それはちょっとこっちに置いといて。

 優太と茂美が自分たちの部屋に戻ると、窓辺の壁に背をもたれていた優作が顔を上げた。
「どうだった?」
 茂美は頭を振って、
「あんたに聞いたドギツい話を、お子様向けの絵本にしたみたいな話」
 処置なし、と両手を広げ、
「ま、親心としては解るけどさ」
「どのみち様子見しかねえんだしな」
 優作は軽く言い、それから大あくびをした。
「今日は俺も、なんかいろいろ繊細な心にコタえるものがあったから、ここで寝かしてもらうわ」
「蒲団、余分ないよ。優太の蒲団で寝る?」
「お姉様のお蒲団がいいなあ、ボク」
「いいけど命の保証はしないよ」
「大丈夫。もう死んでるから」
 などと言いつつ、優作は、その場でごろりと横になった。
「また風邪ひいて死んだら、生き返ったりしてな」
 茂美と優太は、ちょっと鼻の奥がツンとなるのを感じながら蒲団に潜りこんだ。
 同じ部屋で三人いっしょに寝るのは、いったい何年ぶりだろう。
 嬉しいような、でもなんだか、ちょっと哀しいような――。

 さて同じ頃、山福家の美紀もまた、お子様向けの絵本っぽい抄訳を泰蔵に聞かされたのち、二階の部屋に追いやられていた。
 ――でも、なんか、もやもやするんだよねえ。
 伊達に山福家の娘を十四年もやっているわけではない。父さんの鬼瓦顔が、今夜はかなり嘘っぽかったことくらい、美紀にも判る。
 ベッドで輾転反側すること数分、美紀はごそごそと起き出して、そっとドアを開けた。
 美紀には気を紛らわせてくれる姉弟がいないし、アヤシげなレポーターもいない。
 抜き足、差し足、忍び足――。
 階下の居間では、泰蔵と淑子が、まだ話を続けていた。
 盗み聞きはいけないことである。良い子は、真夜中にこっそり大人の部屋の硝子障子に耳を寄せたりしてはいけない。しかし世の中、伏せられた真実のほうが大切な事象は多々ある。
 ――ふんふん。
 ――ほうほう。
 ドンピシャ、なんかいろいろ隠されまくっていたようだ。
 ――え?
 それどころか真の情報は、ドンピシャを遙かに凌駕していた。
 ――え、え、え!?
 亜久津家の姉弟のように衝撃を分散緩和できないぶん、美紀は、かつてない懊悩に陥ってしまった。
 子猫あるいは栗鼠的な生活感覚で生きている美紀のこと、何かとっちらかることは多々あるにしても、これほど底の抜けた陰々滅々方向にとっちらかるのは、生まれて初めてだ。
 居間の中では泰蔵の報告が終わり、明日からの日常に話題が移った。
 美紀は自分の部屋に戻る気になれず、鬱々と奥廊下に歩を進め、地下室への階段を下りた。
 止まったままの木馬たちや、座席の背から覗くあの子の頭の先が、闇の中で薄ぼんやりと光っている。
 夏の夜に裏山の沢で舞う蛍火――それとも、お父さんの実家にある古い柱時計の、針と数字に残っている薄緑色の蛍光塗料――そんな、懐かしいような寂しいような、心の奥がきゅんとするような光だった。
 美紀は座席の前に回って、あの子の隣に腰を下ろした。
「……やっほ」
 あの子は眠っていなかった。
 寂しそうに前を向いたまま、胸に抱いた特大キティちゃんを、ゆっくりと撫でさすっている。
 美紀は、囁くように話しかけた。
「……なんか、たいへんなことになってるみたいだよ」
 やっぱり反応してくれない。
 ――私の声が聞こえればいいのになあ。でも、聞こえないほうが幸せなのかなあ――。
 自分でもよくわからないまま、美紀は話しかけつづけた。
「どうしたらいいんだろうね、お姉ちゃんは」
 あくまで独り言のつもりで、
「綾音ちゃんは、どうしたい?」
 そう言いながら、隣のおつむを軽くぽんぽんしていると、どこからか微かなつぶやきが聞こえてきた。
 ……つれてって……
 可愛らしい女の子の声だった。
「え?」
 美紀は思わずアルトよりも低い、濁点付きの『え』で呻いてしまった。
 あわててあの子の顔を覗きこむ。
 口を動かした様子はない。
 でも、確かに聞こえたのである。
 ぱちくりしている美紀の瞳に、おずおずと、綾音の瞳が重なった。
「……俊彦にいちゃんの、お家《うち》……」
 ちんまりした唇は、やっぱり少しも動いていない。
 それでも声ではない声が、儚げな視線に乗って、美紀の耳に届いてくる。
「……つれてって……」
 美紀の胸の奥が、きゅんきゅんと疼いた。
 いや、オノマトペ全部に濁点が付いて、部屋いっぱいに「ぎゅううううん」とか響き渡りそうな、かつてない疼き具合だった。もし美紀の胸のあたりに『いたいけ度』や『護ってあげたい度』を表示する電光掲示板があったら、その声と瞳は特大キティちゃんの得点を遙かに凌駕し、百点満点を振り切っただろう。
 これはもう、今すぐ連れてってやらねば――。
 なかば惑乱しながら、美紀は言った。
「――まかせなさい」
 まるごと美紀お姉ちゃんに任せなさい。

 思索より感情優先の美紀が「ちょっと待っててね」と言い残し、とととととと地下室の階段を駆け上がっていく姿を、山福家から遠く離れた亜久津家の二階で、なぜか優太も綾音といっしょに見送っていた。
 言うまでもなく夢の中である。優太自身、これは夢なんだろうなあと思っている。夢の中ならば、自分がいつのまにか他人になったり、視点がころころ入れ替わったりするのは珍しくない。
 小学生モードの綾音が、実はまだ美紀や優太と心の糸で繋がっているとか、その結果『優太←→綾音←→美紀』の形で少々感覚があっちゃこっちゃしているとか、今のところ情報漏洩が『綾音←→美紀』『優太←美紀』方向に顕著なのは単に受信側の思い入れの差であるとか、綾音当人さえ把握していない識閾下の玄妙なアレコレを、優太に推察できるはずもない。
 ともあれ自分の部屋に戻った美紀が、ぱぱぱぱぱとラフな外着に着替えたり、お気に入りのサンリオのバックパックに何やら色々放りこんだり、自由帳の一枚を破いてサインペンを手にちょっと悩んだ末、『家出じゃないよ。たぶん夕方には帰ってきます。なんかあったらメールするね』などと舌足らずな書き置きを机に残したりするのを、優太は自分の寝床の中で、はらはらと見守っていた。
 ちなみに着替え中の美紀の姿などは見ていない。優太が自己規制したわけではない。現状、美紀自身が見ているものを綾音を経由して優太も間接的に夢で見ている、そんな状況だからである。念のためバックパックに入れたキティちゃんのワンポイント・ショーツなどは、優太もしっかり見てしまったわけだが、そこはそれ不可抗力、なにとぞ勘弁していただきたい。
 美紀は、きわめて大雑把な旅支度を終え、抜き足差し足忍び足、一部とととととで地下室に戻った。
「おまたせ。さ、行こ」
 お手々繋いで階段を上がり、奥廊下に出ようとしたところで、
「ん?」
 美紀の片手が、後ろに引っ張られた。
 振り返って見ると、あの子がドアのところを抜けられず、うんしょうんしょともがいている。
 ドアは開いているのに、なんだか透明なゴムの壁みたいなものがあってそれ以上前に進めない、そんな感じだった。
 綾音は、さらに二三度突破を試みたのち、その伸縮する見えない壁に、ぽふ、と顔を伏せてしまった。
「……ふう」
 ありゃ、そーゆーことなのか――。
 美紀は、ようやく綾音の現状を悟った。
 こないだ窓から這いだしたときのような貞子や伽耶子っぽい根性は、すっかり消えてしまっているのだ。つまり傍迷惑な浮遊霊の曲がった根性を失って、元の引っこみ思案な地縛霊に戻ってしまった、みたいな。
「……またお姉ちゃんに取りついてみる?」
 昨日の夕方程度の根性歩きなら、しばらくは我慢できそうだ。
 綾音はふるふる頭を振った。
 そーゆーいけないことは、いけないことだからやっちゃいけないの――そんな、いいとこのお嬢ちゃんらしい気持ちが、美紀に伝わってきた。
「じゃあ、おんぶ?」
 ふるふるふる。
 どのみち私だけ部屋の中に落っこちるんじゃないでしょうか、お姉ちゃん――。
 そんな経緯を夢の中で共有しながら、優太は思った。
 ――こりゃ相手が育ちの悪い子供だったら、たぶん「あんたはバカか」とか言うとこだろうなあ。
 美紀が、自立前のクララにごねられてしまったハイジのように困ってしまっていると、
「……あ」
 綾音は何か思いついたらしく、ぽん、と手を打った。
 見ている優太は、こう思った。
 なんだかあの子がどんどん無邪気っぽくなってるけど、あれはあの子の本性というより、やっぱり誰かさんの感化なんだろうなあ――。
 綾音はこそこそと水玉ワンピースのポケットを探り、あの汚れた飾り箱を取り出して、はい、と言うように、美紀に差し出した。
 ハテナ顔の美紀が、その懐かしい宝石箱を受け取った次の瞬間――綾音の姿は、もう、どこにも見えなくなっていた。
「え?」
 メゾソプラノでつぶやく美紀の掌で、宝石箱の中から、ことん、と小さな音が響いた。
 ――ありゃ?
 今にも壊れてしまいそうな紙張りの木箱を、そっと開いてみる。
 ――これは、もしかして……。
 灰色に退色した型紙の真ん中で、ぼろぼろだったはずの指輪が、今はきらきら光っている。
 できたてのアンチモニーの輝きと、艶々に赤いペンキ塗りの宝石。
 今なら食玩のアクセサリーにも劣る出来映えだが、たとえば夜店のアセチレンランプ――あのゆらゆら揺れる光の下でなら、純銀や瑪瑙に負けない輝きであり、この世でいちばん大切なものなのだ。
 美紀は、んむ、とうなずいた。
 箱の中で指輪が転がらないように、香り付きのティッシュをふわふわに丸めてクッションにしたり、箱そのものをキルトで包んだりしたのち、バックパックの真ん中あたりに仕舞いこむ。
 さらにパックごとゆらゆら振ってみて、中から苦情が出ないのを確認し、
「んじゃ、出発!」
 気合いは充分、でもやっぱり抜き足差し足忍び足――。
 そろそろと玄関のドアを抜ける。
 北国の夜風はまだ冷たいが、モコモコのダッフルを着こんでいるから平気だ。
 庭の屋根だけのガレージに、車と並んで家族共用のママチャリが見える。
 とりあえずあれを拝借して出発――と、てっきり優太は思ったのだが、美紀はガレージの横を素通りし、そのまんま前の坂道に出ていった。
 ――あれ?
 夢の中の優太は首を傾げた。
 ――なんで美紀ちゃん、徒歩?

 優太は、がばりと蒲団を撥ねのけた。
 安穏と蒲団にくるまっている場合ではない。
 今までずっと、見た目も中身も自分より遙かに上等で、とても釣り合わない高嶺の花だとばかり思っていた美紀ちゃんが、必ずしも偶像級のスグレモノではないことに気がついたのである。
 その一、運動神経抜群のはずの美紀ちゃんは、なぜか自転車に乗れない。
 その二、テストや通知表の数字とは別状、美紀ちゃんには計画性というものがカケラもない。
 優太は焦ってパジャマを着替え、バックパックの準備を始めた。衣類なども入れるに越したことはないが、重要なのは情報と資本である。テストや通知表こそおぼつかない優太でも、そこはそれ年季の入った図書館小僧、つまり若き思索者、夢や希望の土台に厳しい現実があることくらいは心得ている。
 一泊旅行程度の諸々に、常時充電済みのノートパソコンと虎の子の長財布を加え、優太はバックパックを背負った。書き置きなんぞはいらない。家族が起き出して優太の不在に気づけば、嫌でも携帯に連絡が入る。そのときに説得すればいい。ただし、それ以前に、引き返しても無駄なところまで進んでいないと、田舎の中学生が平日に学業を放棄して、雄鹿半島への旅を完遂するのは不可能だろう。
 せいぜい静かに動いたつもりだったが、優太が部屋を出ようとしたとき、
「……どしたの?」
 茂美が目を覚まして声をかけてきた。
「なにやってんの、あんた、そんな格好で」
 そう言われて初めて優太は、自分が現実の中で夢の続きを実行していることに気づいた。それまでは、夢と現実を区別する暇もなかったのである。
「あ、いやその……」
 どう説明したものか、優太自身にも解らない。
「えーと、美紀ちゃんが……」
 茂美のぽしょぽしょしていた目が、あっという間に殺気を帯びた。
「美紀? なんの話?」
 自分の知らないところで、なんかアヤしい共同謀議でも図られていたのだろうか――。
 そのとき、窓辺で寝転んでいた優作が、ぽそりと言った。
「行かせてやれ」
 とっくに起きていたらしい。
「茂美だって、おおむね想像はつくだろう」
 茂美は渋々うなずいた。
 今回の一連の流れの中で、あの直情的な美紀が、そろそろ何かしでかしそうな予感はしていた。
「だったら優太なんかじゃなくて、あたしの方が」
「もう、そーゆー問題じゃないんだよ」
 優作は柄にもなく厳粛な顔で言った。
「茂美や俺に選択肢はないんだ。あの子――綾音さんが、美紀ちゃんと優太を選んだ。美紀ちゃんは綾音さんを選んで、そして優太は美紀ちゃんを選んだ。あとは、みんな外野なのさ」
「でも……」
「優太だって、べつに美紀ちゃんに呼ばれたわけじゃないだろ? たぶん綾音さんに呼ばれてるんだ」
 優太も渋々うなずいた。確かにそんな気がする。けして美紀ちゃんに選ばれたわけではない。
 しかし――。
「俺が美紀ちゃんを選んだのは確かだ」
 うわ、と茂美は目を丸くした。
 このヤワな豆腐小僧に、こんなコシのあるセリフを吐く日が来ようとは――。
 思わず胸中で、イルカの歌が流れたりもする。
 今〜春がきて〜〜君は〜〜〜〜以下略。

      4

 垂れこめる薄い雲に隠れて、星は見えない。
 三日月と半月の間あたりの弓張り月は、真夜中前に沈んでしまったようだ。
 吐く息が霧のように白い。
 山合の夜道は、やっぱりしこたま寒かった。
 停車場や停留所は、歩きだと遠い。
 下り道だから、自転車を使えば楽なのは解る。でも美紀は、未だに自転車に乗れない。小さい頃、両親の目を盗んで大人用に挑戦し、顔面から地面を直撃しそうになったのがトラウマになっている。さすがに倒れるときは体をひねったので、腕をすりむいただけで済んだのだが、目の前に迫った地面の記憶が凶悪すぎて、以来、あんな横に薄っぺらい乗り物が直立するのは超常現象、そう脳味噌に刷りこまれてしまった。世間の常識や慣性の法則と、深層心理は別物なのである。
 なんのなんの、雨や雪じゃないだけ上等上等。
 などと強がりつつ、内心けっこう心細く、暗い山道をとことこ下っていると、
「こんばんは」
 道端のよろず屋の前の暗がりから、いきなり声が掛かった。
「わ」
 美紀が反射的にファイティングポーズをキメると、
「美紀ちゃん、俺」
 このところ聴き慣れた穏やかな声の主が、ベンチから立ち上がった。
「ごめん、おどかして」
 優しそうな見慣れた顔が、自販機の煤けた明かりに浮かんだ。
「……なんで?」
 そう訊ねながら、美紀は、あんがい不思議に思っていない自分を、かえって不思議に思った。
 いてくれて当然――なぜだか、そんな感じがする。
 優太も理にかなう答が見つからないまま、さっき買っておいた缶コーヒーを美紀に差し出した。
「はい」
「……さんきゅ」
 ふたり揃って、プルトップを引く。
 もう三月も中旬なのに、零度まで下がりそうな北国の夜、うらぶれた格安自販機のおぼつかないHOTさえ、手に熱く感じる。まあ実際はそこそこの温もりなのだが、それだって口や喉やおなかの中は、炬燵のように明るくなる。
 優太は言った。
「鈍行もバスも、始発は七時過ぎだよ」
「……でも、朝まで家で待ってると、お母さん起きちゃうし」
「どっちみち、起きてちょっとしたら、俺たちがいないのがバレちゃう。もし一一〇番されたりしたら、停車場も停留所も交番のすぐそばだし」
「そっか……」
「峰館交通ビルに行けば、仙代行きの高速バスが出る。五時五十分始発だから、バレる前に蔵王を越えてる」
「でも……」
 峰交ビルは峰館市街の真ん中だ。歩くには遠すぎる。
「大丈夫」
 優太は、軒先に停めてあった自転車を引き出した。
 愛用歴四年、本当はマウンテンバイクが欲しかったのだが、買ってもらった頃は、わらわらたかってくる小さい弟妹を乗せてやる義務があったので、いわゆるシティサイクル、後ろのキャリアにも人ひとり乗れるタイプだ。それでも六段変速だから、坂道だってへっちゃらである。
 優太は、キャリアに括りつけてきたクッションの具合を検めて、
「市街までなら、そんなに痛くならないと思う」
「……うん」
「あと、まだ寒いから……」
 念のため持ってきた余分のダウンベストを、美紀に差し出す。
 優作あたりなら「ヘイ、ハニー」とか言って、自慢の革ジャンを脱いでハニーの肩にかけてやり、自分は薄着のまま格好つけてハーレーでも吹かすところだろう。しかし優太はあくまで堅実派、つまんないくらいあっさり自転車にまたがり、美紀の同乗を待った。優太の荷物はハンドル前に固定してある。
 美紀は、おっかなびっくり後ろに乗って、ちょっと迷ってから、優太のダウンジャケットのおなかに手を回した。
 あくまで自転車乗りのアクロバットに備えただけ――なんかドキドキするのもアクロバットが恐いだけ――自分ではそう思っているが、そこはそれ、表層と深層はしばしば別物である。
「じゃあ、行くよ」
「うん」
 とりあえず下り道、がんばらなくとも自転車は勝手に進む。
 まだそれほどがんばっていないのに、優太の心臓もなんだかドキドキしているのを、美紀はしっかり感じとっていた。胸があんまり膨らんでいないぶん、前の背中のドキドキも共鳴しやすいのである。
 お父さんやお祖父ちゃん以外、男の人の背中につかまるのは、生まれて初めてだ。いや、ちびっ子時代、担任のイケメン先生に思いきってしがみついた記憶があるが、あれはまあ若気の至り、ノーカウントだろう。
 黙っているとかえって恥ずかしい気がして、美紀は言った。
「すごいね、優太君」
「ん?」
「自転車、乗れるんだ」
「まあね」
 ふつう乗れるだろう、などと返すほど優太も野暮ではない。
「美紀ちゃんだって、きっと乗れるよ」
「うん。こんど教えて」
 うっかり言ってしまって、ますます恥ずかしくなったりする。
 でも、それはそれで、けして嫌な気持ちではない。

 やがて山裾の平らな畑中道に出ると、夜空の薄雲がちょっと流れて、まだらな星空が、地球サイズのプラネタリウムのようにふたりの自転車を包みこんだ。
 星砂の浜辺が空に広がっているみたいだ――そう思いながらペダルを漕ぐうちに、いつのまにか優太の胸の鼓動は治まり、下町の豆腐屋で水槽に沈んでいる午後の木綿豆腐のような、静かな心に戻っていた。
 俺は今、ものすごく大それたことをしているはずだ。それなのに、あたりまえの自転車を、ただあたりまえに漕いでいるだけのような気がする。それは、今があたりまえとしてずっと続いてほしいという大それた願望を、俺の並外れてあたりまえな心が、あたりまえに吸いこんでしまったのだろうか――などと、やや哲学的な想念を抱いたりもするが、まあ長続きはしない。
 それにしても、美紀ちゃんは軽いなあ。弟や妹を乗せているのと、大して変わらないみたいだ。けしてホルスタイン系が好きなわけじゃないけれど、やっぱりもうちょっと重たいほうが、たとえばこのまんまいっしょの自転車で星空に駆け上がったり、今後、来たるべきお姫様抱っこに備えて体を鍛えたりするとき、男として、こう、なんかいろいろ心のパワーの活力源的部分において――。
 早い話、あくまで未熟な中坊の優太は、早くもこの身分不相応なダッコちゃん状態に悪慣れし、美紀ちゃんの胸やお尻はもうちょっと膨らんだほうがいいのではないかとか、けしからぬ本音を漏らしはじめているわけである。
 そうした本音まで美紀に伝わってしまったらエラいことだが、幸い美紀のほっぺたは、もっと深い記憶の共有部分を、優太の背中越しに受信していた。
 ――あれ?
 なんかちょっと思い出しちゃったけど、小学校の入学式のとき、隣の組に、なんかずっとあたしのほうばっかり見てた男の子がいたよね。忘れようとしても思い出せないくらい目立たない子だったけど、あれって、もしかして優太君に似てた?
 そんなことを考えていると、確か四年生の夏あたり、かなり危機一髪だった出来事を思い出したりもする。
 その頃、同じクラスに、やたら美紀の悪口を言ったり、乱暴に小突いたりする男の子がいた。今にして思えば、いわゆる『好きな子を思わずイジメちゃう馬鹿』だったのかもしれない。とにかくその子が、お昼休みのドッジボールで、とんでもない剛速球を美紀の頭に投げつけてきたのだ。モノホンの殺意はなかったらしく、あとでマジに謝ってくれたから許してやったけど、とにかく、昔からすばしっこかった美紀もただ立ちすくんでしまうしかないほど、プロ級の剛速球だった。そしたら、誰か知らないよその子が、いきなりどこかから美紀の前に駆けてきて、そのボールを自分の顔面で弾き返してくれた。で、そのまんまどこかに駆けてっちゃったから、お礼したくてもできなかったんだけど、あれって、もしかして――。
 正味の話、優太は昔から筋金入りの美紀ちゃんストーカーだったのである。そのときだって、できることならヒラリと格好良くボールを受け止め、ついでになんらかの自己紹介を試みたかったのだが、あんまりあわてて手が泳ぎ、顔面で受けるしかなかったのだ。で、かなりひん曲がったであろう自分の鼻や、吹き出す鼻血を美紀ちゃんに見られたくないので、まんま校舎裏まで走って逃げた――それが真相である。
「……あのね、優太君」
「ん?」
「……なんでもない」
 まあいいや、と美紀は黙りこみ、とりあえず優太の背中に、ほっぺたをくっつけつづけた。
 夜空に星砂の浜辺が広がっていると、うら若き乙女の採点基準は、どうしても甘くなる。

 そして亜久津家の子供部屋――。
 茂美は、あれっきり一睡もできず、蒲団を被って悶々としていた。
 ときどき顔を出して窓辺を見ると、優作は眠ってるんだか起きてるんだか、壁を背にして呑気そうにくつろいでいる。
 ――あーもう、こいつ、蒲団蒸しにして須川に放りこんで、最上川まで流したろか。
 などと、茂美の危険度がMAXに達する頃、
「さて、そろそろ下りてくる頃合いか」
 優作がつぶやきながら立ち上がった。
「あんた……」
「俺、ちょっとマラソンしてくるわ。チャリは満員だろうし」
「じゃあ、あたしも」
 半身を起こす茂美に、優作は、ちっちっち、と指を振り、
「なんぼ茂美でも、途中でバテるぞ。俺は、あの世までだって走れるけどな」
 見たこともないほど優しい笑顔になって、
「大丈夫。心配するな。いや、こっちで心配してろ。お前、いつも優太に言ってるじゃねえか。いいかげん自立しろとかさ。俺だって野暮はしねえよ。優太ひとりでどこまでやれるか、ま、先立っちまった兄として、草葉の陰から見守るだけだ」
「優作……」
 優作は窓を開いて、ひらりと外に身を躍らせた。
「んじゃまた」
 足音もなく、それきり気配が消える。
 茂美は、開いたままの窓をしばらく眺めていたが、やがて夜風に身を震わせ、窓を閉めに立った。
 外のまだらな星空の下には、暗い果樹園が広がっているだけで、優太たちの自転車が通りそうな国道は、遠すぎて見えない。優作の姿も、もう見えない。
「……自立ったって、優太ひとりの問題じゃないじゃん」
 茂美は蒲団に戻り、枕元の携帯を開いた。
 こんな時間にアレかなあ、とは思いつつ、ポチポチとお目当ての番号を呼び出す。
 意外にもコール二回半くらいで、もう応答があった。
『どうした茂坊』
 なにか辺りを気にしているような、ぼそぼそした声だった。
 茂美は、ほっとしながら感心していた。
 さすが心霊探偵、頼りになるなあ。真夜中でも、ちゃんと営業してるんだ――。

 無論、島本は、茂美が想像したような怪しい深夜営業を繰り広げていたわけではない。鄙びた商人宿の六畳間、眠っているふたりの同室者に遠慮して、声を潜めただけである。
 こそこそと通話を続けること数分、
「……なんだい? シマちゃん」
 茂吉が目を覚まして訊ねてきた。年寄りは眠りが浅いから、すぐに覚醒する。
「茂坊とか優太とか聞こえたぞ」
 茂美の相談に、おおむね乗り終えていた島本は、
「ちょっと待って茂坊、シゲさんと代わるから」
『シゲさんって?』
 主に茂吉の要望によって、宵の口から茂吉はシゲさん、島本はシマちゃんになっているのだが、茂美には、なんだかよくわからない。
 島本は茂吉に携帯を渡した。
「おう、なんだ茂美、こんな夜中に。寝小便でもしたか?」
『わ。いたの? 祖父ちゃん』
 剣道部の合宿じゃあるまいし、家族でもない大人たちが、同じ部屋で寝ているとは思わなかった。
『ま、いっか。くわしいとこは島本さんに聞いといて。じゃあね、祖父ちゃん。優太たちをよろしく』
 早口でそれだけ言って、通話を切り上げる。
「おい? もしもし?」
 茂吉は憮然として、島本に携帯を返した。
「――切れちまった」
 島本は苦笑するしかなかった。
「お孫さんですか?」
 澁澤老人が訊ねた。彼も年齢相応に、目覚めやすいのである。
「おう。冷てえもんだよなあ。二三年前までは、なんかあるとオジイチャンオジイチャン言って、コロコロ懐いてきてたのによ」
「もう中学生だと、そんなもんでしょう」
「でも澁澤さんとこのお孫さんは、大人になっても懐いてんだろう」
「うちの恵理は、まだ子供みたいなもんですから」
 澁澤老人の怖持て顔が、めろめろと崩れた。
 ちなみに澁澤老人は、シブさんにはなっていない。みんな『シ』で始まる二文字になってしまうと、お互い判りにくい。澁澤老人の名前が顔に似合わず『薫』だったので、茂吉はカオルちゃんと呼ぼうとしたのだが、さすがに当人に否決された。だからシブサワさんのままである。ただし茂吉の主観では、すでにカオルちゃんなのだが。
「で、シマちゃん、茂美がなんなんだ。優太がどうかしたのか」
「話せば長いことながら」
「話さなけりゃあ、わからねえ」
 島本から事情を聞いた茂吉は、即座に言った。
「山福さんちに連絡しろ。うちには俺が伝える」
「ふたりを止めろってことですか」
「そうじゃねえ。子供らはこっちできっちりカバーするから、とりあえず心配しないで泳がせとけってこった。高見にモノホンの綾音さんをブチ当てるチャンスじゃねえか。俺らだけでなんぼウロチョロしたって、せいぜいこっちの気が紛れるくれえなもんだろう」
 異議なし、と、島本も澁澤老人もうなずいた。
 未成年の男女が夜中に出奔したのなら、保護者に連絡しない法はない。しかし子供たちの行動は、感情的にも現実的にも、完遂させてやるだけの意義がある。
「優太君にも一報入れますか」
「いんや。そりゃ後でいいんじゃねえか」
 茂吉は、意味ありげに笑って言った。
「ウラナリのヒョウタン小僧がヒマワリ娘を追っかけて、まさかの道行きだぞ。俺としちゃ、優太の土性っ骨がどんだけのもんか、ここいらで見極めときたいんだよな。惚れた女をきっちり喜ばせてやれるんなら、それで良し。しくじって愛想つかされたって、それも立派な社会勉強ってもんだ」
 おいおい、そーゆーのが社会勉強ですかい――教育委員会やPTAだと杓子定規にツッコむところだろうが、幸か不幸か残留組全員、元は昭和の悪ガキである。
 ――OK、異議なし。




   Act.8 【木馬から海へ】


      1

 優太たちの自転車は、まだ真っ暗なうちに峰館市街に入った。
 路線バスと違って小刻みに停車しないから、途中で何度か休憩――自転車小僧がバテたわけではなく、同乗者のあまりクッション性が豊かではない尾骨周りを気遣った休憩である――を入れても二時間とかからない。
 高速バスの始発まで、まだ一時間以上ある。
 優太は峰館交通ビルにほど近い、駅裏の無料駐輪スペースに自転車を停めた。
 のどかな地方都市でも、お出入り自由な無料スペースだと、どんな自転車も煙のように消えてなくなる恐れがある。正式な公共駐輪場は別にあり、そっちなら有料のラック式で何時間停めても安全なのだが、いつも出入口に誰か詰めているから、今回はパスである。盗まれたら盗まれたで仕方がない。
 優太は、とりあえず雑居ビルの谷間の、奥まった階段あたりに美紀を導いた。
 なんかこれってすっごくアヤしいよな――自分で誘導しておきながら内心ビビっている優太に、美紀は、のほほんと並んで腰を下ろした。
 地方駅前のご多分に漏れず、商業的繁華の中心は郊外のバイパス沿いあたりにシフトしているが、ネット喫茶や酒場がごちゃごちゃと密集しているので、いつ巡回中のお巡りさんに出くわしてもおかしくない。東京や大阪のような大都市とは違い、未成年者が人目を忍んで真夜中にナニするのも、なかなか楽ではない土地柄なのである。ここまで誰にも見咎められずにたどり着けたこと自体が大変なラッキーであることを、中坊なりに世間知のある優太は、しっかり自覚していた。
 もっとも世間知らずの美紀は、
「……おなか空いたね」
 などと、思わず気軽に漏らしてしまったりする。
 言ってしまってから「ありゃ、なんであたし、こんなにポロっとこんなこと言ってんだろ」と自分を訝しんだりもする。根はロッテンマイヤー型の躾を受けて育った娘だから、相手が茂美や気の置けない女子仲間ならともかく、男子の前で本能的な発言は控える質だ。でもまあ、これはけして優太を空気扱いしているわけではなく、むしろ泰蔵といっしょにいるような安らぎを感じていたからだろう。あらかじめ予定されていた家出なら、色とりどりのお弁当を作ってくるところだ。
 いっぽう優太としては、何事も忠実な下僕、いやいや騎士《ナイト》として対処しなければならない。
 ――まだコンビニはヤバいよな。うどん屋も牛丼屋もペケだ。
「ちょっと待ってて」
 優太はあたりを見回してから、数メートル離れた自販機群に走り、ポタージュとお汁粉を仕入れてきた。
「はい」
「……さんきゅ」
「どっちがいい?」
「おしるこ」
 今度は美紀も、自分のサンリオ財布をごそごそする。山でのコーヒーはお言葉に甘えてしまったから、ここはきっちり割り勘だ。
「はい」
「いいよ」
「よくないよ」
「えーと、なんつーか……」
 優太は、かなり照れながら、
「ほら、俺だって、いわゆるその……男だから」
 ――えーと、なんですか? それ。
 美紀は、きょとんとして優太を見ていたが、そのうち、つい、くすくす笑ってしまった。
 優太は、ここは本来ムっとするとこだろうと思いつつ、やっぱりくすくす笑ってしまった。
 そんなふたりを、ちょっと離れた物陰で、優作も、にやにやしながら見守っていた。
 実は優太と美紀がここまで北上する間、警邏中の覆面パトやチャリ巡査が不審なふたり乗り自転車に着目し、何度か職務質問を試みようとしたのだが、そのたんびに謎の人影がこれ見よがしに出現、六甲山のターボ婆さん級に走って逃げてパトを脇道に誘いこんだり、逆にお巡りさんを追いかけてチャリごと田んぼに落としたりしていたのである。
 美紀は、いちおう優太の顔を立て、小銭を引っこめた。
 ちなみに美紀のバックパックの中からは、今のところなんの気配もない。子供だから眠りが深いのだろう。

 五時半を過ぎても、峰館駅界隈はまだ夜だった。この時期の日の出は、ちょうど高速バスの始発が出る頃だ。おまけに真東で蔵王連峰ががんばっているから、なかなか街が朝にならない。
 ようやく空が白みはじめ、朝帰りの酔客だけでなく早起き組もちらほら活動を開始した頃、ふたりは食料調達のためコンビニを目指した。
 扉の横に貼ってある『警察官立ち寄り所』などというプレートが、家出中の身には、ちょっと恐い。
 ――そんなもん、どうせハッタリハッタリ。お巡りなんて、強盗が逃げてからしか来ねえよ。
 夜遊びに慣れた優作は鼻で笑いつつ、それでも万一に備え、外のダストボックス横に控えた。
 美紀は、朝一で商品満杯のお弁当コーナーを前に、大いに悩んだ。おなかはもうペコペコである。お握りなら四個は楽勝、唐揚げ弁当だって大盛りパスタだって朝っぱらからドンとこい、そんな感じだ。しかし、有り金残らず持ち出したのに、現在お財布の中には一葉お姉さんがひとり、野口博士ひとり、あとは大小のコイン君しかいない。こないだ『あっくん』先生に献上した特上鰻重を今さら悔やみはしないが、優太君の話だと、行き帰りの交通費だけで一葉お姉さんが犠牲になるっぽい。
 そんな雰囲気を察した下僕、いや優太は、
「なんでも好きなの選んでて」
 そう言って横のATMに向かい、バックパックを下ろした。
 なんでもって……。
 美紀は、高いぶんだけ美味しそうなイクラお握りや季節限定プレミアム弁当よりも、優太が引っ張り出した財布に目を奪われた。明らかにダイソー物件ではない。大人みたいな革の長財布である。
 優太は一枚のキャッシュカードをATMに入れ、ぽぺぴぱ、と滞りなく暗証番号を入れた。続いて金額を、ぴぽぽぽぽ。
 見ている美紀は、感心しきりである。実は美紀名義の銀行口座もあるにはあるのだが、それはあくまで両親が娘の将来のためにコツコツ積み立てている口座だから、美紀自身は関知していない。自分でやりくりしているのは、サンリオのお財布と貯金箱だけだ。
 正しい女子中学生として、他人のそーゆーものをこっそり覗いてはいけないと重々悟りつつ、うら若き乙女の本能によって、美紀はしっかり彼氏の――いやいやいやいや、まだまだけしてそんなもんじゃないけれど、とにかく現在の相棒のフトコロ具合を、つい横目で窺ってしまった。
 ――え?
 福沢さんちの諭吉先生が……ひの、ふの、みい?
 貯金、全部引き出しちゃったのかなあ――。
 そう心配しながら画面の残高に目をやると、額までははっきり見えないが、数字の個数は見えた。ひーふーみーよー、でもって五桁で終わんなくて……ろ、六桁……ウンじゅーまんえん!?
 美紀は思わず後ろから手を伸ばし、たしっ、と優太の腕を掴んでしまった。
「だめだよ優太君、勝手にお父さんのカード使っちゃ」
 なんぼ非常事態でも、それは泥棒だ。
「ん?」
 優太は、ぽかんとして言った。
「えーと……これ、俺の」
「嘘だ」
「いや、ほら……」
 美紀はジト目のまま、優太が差し出したカードを検めた。
 YUUTA AKUTSU――。
「……マジ?」
「うん」
「……なんで?」
 不遇のアーティストだとばかり思っていた『あっくん』先生は、実は大金持ちで、子供のお小遣いにぽーんと札束を放り出したりしているのだろうか。
「……話せば長いことながら」
「話してくれなきゃわかんない」

      2

 で、まだわかんないにも関わらず、しっかり厳選イクラお握りや炭火焼きシャケのハラミ入りを買わせてしまった美紀が、実は女王様あるいは小悪魔タイプであるか、それとも優太の言葉に嘘はないと信じたのか、そのあたりは微妙なところである。
 ともあれ、走り出した高速バスのゆったりシート、
「俺、ほとんど自分で、お金使わないから」
 美紀と並んでお握りを頬ばりながら、優太は言った。
 始発バスでも、けっこう人が乗っている。十数人はいるだろうか。峰館市街と仙代市街、どっちも二三箇所しか停まらない高速バスだから、観光客は四人ひと組くらいしかいない。ほとんどがビジネス客である。県をまたいだ遠距離通勤、あるいは日帰り出張――昔も今も日本の勤労者は大変なのである。中には車中で朝食を摂る者もあり、ふたりのお握りもぐもぐも、そう目立ってはいなかった。
「俺、めったに買い食いしないし、ハヤリの漫画とかゲームは、ほとんど父さんが資料で買って経費で落とすし、活字系の本は図書館に置いてあるし、ない本だって頼めばたいがい入れてくれるし――だから小遣いとかお年玉とか、昔から、ほとんど貯めてるんだ」
 ――それにしても中坊で六桁はないっしょ。
 もぐもぐしながら、美紀が懐疑的な目を向けると、
「あと……内緒だよ。父さんにも母さんにも、茂美にも学校のみんなにも」
 ――OK。犯罪じゃなきゃ許したげるから、洗いざらいしゃべっちゃいなさい、もぐもぐ。
「去年の壮行式あたりから、あっちこっちに送ってたんだ。その、詩とか短歌とか、エッセイとか」
 ――シ? タンカ? もぐもぐ。
「内緒だよ。ペンネームだし、歳もごまかしてるから」
 ――それと預金残高と、どんな関係が? もぐもぐ。
「詩で五万が一回、あと短歌やエッセイで、一万が二回」
 ……もぐもぐ中断。
「あと、川柳でもらった何千円とかのギフトカードは、安くして、こっそり友達に」
 うわ。お豆腐みたいな顔して、実は『あっくん』先生級のプロ・アーティスト?
「すごいじゃん。なんで内緒なの?」
「恥ずかしいし……あっちに歳がバレちゃうと困るし」
 前半はすっごく歯痒いが、後半は納得できる。
「詩とか短歌とかって、そんなに儲かるの?」
 美紀が興味津々で訊ねると、
「ビギナーズ・ラックだよ」
 優太は、あっさり頭を振った。
「てゆーか、ほとんどペットボトルやスナックなんかのキャンペーンだし。詩のほうは一応、けっこう大きな専門誌だったけど、年一回の賞でも五万だよ。漫画や小説と違って、仕事にするのは無理だ。漫画や小説だって、それだけで生活できる人なんてめったにいない。父さんの昔の知り合いなんか、みんな食べられなくて他の仕事に行っちゃってる。父さんだって、あのアニメで売れる前は、母さんのパートとか、祖父ちゃんたちに頼ってたんだ。その頃のほうが、ずっといい漫画描いてたのにね」
 夢は確かに美しい。でも夢は、なかなかご飯やおかずにならない。
「俺、ほんとは図書館の司書になりたいんだ」
「シショって、あのカウンターにいる人みたいな?」
「うん」
 正確にはその頭目だが、そこまで説明する必要はないだろう。
「でも、難しい試験とか、あるんでしょ?」
 さらりと痛いところを突いてくる。
 しかし優太は、あくまで真顔で、
「……俺、まだあんまし成績良くないけど、それでもちょっとずつ上がってるんだよ、偏差値」
 去年の今頃は中の下あたり、今は中の中、もうひと息で中の上。まだまだ美紀ちゃんには追いつけないが、茂美あたりにはかなり迫っている。
 司書の資格を取るためには、通信教育とか専門学校もあるらしいけれど、資格だけ取れば就職できるわけではない。現実的には、向き向きの大学に行かなければならない。本音を言えばそれ以前に、美紀ちゃんが北高に行くんなら俺もなんとか同レベルの南高に行っとかないと夢の中ですらバランスがとれない――そう考えて優太は、秋口から隠れポエム活動を中断し、自分なりに根性入れて学業に専念しているのである。そうした決断ができたこと自体、ポエム系で自信がついたおかげだから、そっちも趣味として一生やめる気はないのだけれど。
 美紀は我知らず、深々とうなずいていた。
 あっくん先生も優太君も、色々あるんだなあ。山の湖で優雅にスイスイしてる白鳥さんたちだって、水の下では一所懸命バタバタ足で掻いてるっていうしなあ。お豆腐の世界も、きっとそんな感じなんだ。足ないけど、お豆腐――。

 窓の外では、ようやく朝日が山の稜線を越えてきた。
 あいにくの曇り空、あまり爽やかな朝ではない。
 それでも優太と美紀は、ふたりだけで修学旅行の予行演習をしているような高揚感で、あんがい眠くならなかった。
 会話が弾むでもなく、といって気詰まりでもなく肩を寄せているふたりに、前の席から、中年の女の人が声をかけてきた。
「おはよう」
 市街を抜ける前、峰館側の最後の停留所、県庁前から乗ってきた人である。
「こんな早くから大変ね。ふたりだけで、どこ行くの?」
 さりげない調子だが、明らかに、平日の朝から私服で長距離移動している子供たちを心配したのだ。他人の子など知らぬ存ぜぬの土地柄ではない。
 優太は、乗車する前にも窓口の係員に訊ねられたときと、同じ答えを返した。
「雄鹿に住んでるお祖母さんが、昨日、急に入院したんです。父さんと母さんはすぐに行ったんですが、僕たちも来いって、夜中に電話で」
「あら、それは心配ねえ」
 女の人は、隣の旦那さんらしい男の人を突っついて、
「あたしたちと一緒ですって」
 旦那さんも、納得したようにうなずいた。
「うちは仙代までなの。この人のお姉さんが倒れちゃって。まだ若いのにねえ」
 危篤の祖母の枕元に駆けつける健気な兄妹――窓口の係員同様、そう思ってくれたようだ。
「きっと大丈夫よ。あなたたちのお祖母さんなら、そんなにお歳じゃないでしょう?」
 祖母はまだツヤツヤですが祖父は大昔からシワシワです、などと正直に言っても仕方がないので、優太は曖昧にうなずいた。
「でも雄鹿だと、ちょっと遠いわねえ。途中で何かあったら、すぐ交番に相談するのよ」
 奥さんは優しく言って、元どおり前に向き直った。
 美紀は優太に、こそこそ声で、
「なんか嘘が巧いよね、優太君って」
 優太は、ちょっと困ってしまった。
 確かに父親の影響か、想像力や作話力は豊かなほうである。しかし嘘つきとは違う――少なくとも自分では違うつもりだ。
「えーと……小さい頃、父さんが言ってたんだ。世の中には言っていい嘘と悪い嘘がある、とか」
「うん」
 それくらいなら、美紀だって解る。
「あと……他人に正直でいるためには、自分に嘘をつかなきゃいけないこともあるし、自分に正直でいるためには、他人に嘘をつかなきゃいけないこともある、とかね。なんていうのかな、つまり……嘘も方便?」
 まあ、それも解るような気がする。
「でも、あたしはやだなあ。嘘つくのも、つかれるのも」
「じゃあ、美紀ちゃんには絶対つかない」
「……うん」
 ならOK――。
 しかし内心、優太は思う。
 自分が美紀ちゃんに対して正直であるために、自分にだけじゃなく、あえて美紀ちゃんに嘘をつくこともあるだろう。ぶっちゃけ「それが美紀ちゃんの胸やお尻ならペッタンコでも超ホルスタインでもどっちでもいい」と自分に言いきる自信はない。でもやっぱり美紀ちゃんには、いつだって「今がいちばんいい」と断言できる。心の嘘と言葉の嘘は、しばしば相反するのである。真実もまた然り。優太にとって図書館とは、その矛盾を整然と突きつめ、それから美しくブレンドするためにあるのだ。芸術も歴史も方程式も――たぶん、この世界そのものも。
 今のところ諸事万端、そこまで深く考えていない美紀は、人生初の完全徹夜とお握りが効いてきて、じきにうとうとしはじめた。
 そんな美紀の小さな頭をそっと肩で支えながら、ほどなく優太も、今後のアレコレを確認しなければと思いつつ、つい眠りに落ちた。

 県境のトンネルが近づいた頃、胸ポケットがブンブン言いはじめ、優太はあわてて携帯を検めた。
 母さんからである。
 出ないわけにはいかない。周りの迷惑にならないよう声を潜め、
「……おはよう」
『はい、おはよ。――ずいぶん早く、やること見つけて起きだしちゃったのねえ、優太』
 いつもののほほんとした声はありがたいが、状況的に、ちょっとおかしい。たいがいの出来事には動じなくとも、たとえばいきなり雷がドーンとか不測MAXの事態が起こると、かなりとっちらかって、部屋中とたぱた駆け回ったりするタイプの母さんである。
「……茂美に聞いたの?」
『まあね』
 ああ、やっぱり――。
 ちなみに父親の茂は、これから車を出して西崎老人を拾い、そのまま雄鹿に向かおうとしている。夜中に送り届けたばかりの西崎老人を、また夜中の内に叩き起こすのは、さすがに憚られたのだ。
 優美は、あえてそのことを優太に伝えず、
『――母さんが言いたいことは、ひとつだけ。何があっても美紀ちゃんを無事に帰すこと。解ってると思うけど、優太だって男なんだからね』
「……うん」
『あと、あっちでお祖父ちゃんが待ってるから、ちゃんと相談するのよ』
「うん」
『まあ、あのお祖父ちゃんがいれば、あなたも無事に帰ってこれるでしょ』
 男としてちょっと悔しい気もするが、圧倒的に頼りになるのは確かだ。
『じゃあ、しっかりね』
「……うん」
 優太が通話を終えて隣を見ると、美紀は「うへえ」みたいな顔をしながら、自分の携帯を優太に差し出して見せた。
『品行方正、門限厳守!!!!!』
 淑子から、たったそれだけのメールである。ただし全部の文字が、どでかくて真っ赤だ。おまけに『!』が五つもくっついている。
 島本から連絡を受けた泰蔵が、爆発寸前の淑子を夜明けまでかかってなだめすかし、昨日職場に伝えてしまった復帰予定はさすがに反故にできないので、都合がつきしだい雄鹿に向かう算段をしていることなど、無論、美紀は知らない。
 ともあれ今、優太と美紀の高速バスは、屋根にエイトビート気分の優作を乗せたまま長いトンネルに入り、重なり連なる蔵王連峰の、ひとつの分水嶺を越えようとしている。

      3

 島本は、仙代駅の仙峰線ホームで、峰館始発快速列車の到着を待っていた。
 奥羽山脈をまたぎ、東の仙代平野と西の峰館盆地を繋ぐ仙峰線には、ふたつの顔がある。峰館から県境を越えて仙代平野に至る山間部は、いかにも鄙びたローカル線の風合いだが、東北一の大都会である仙代近郊に入ると、むしろ通勤通学路線の性格が強くなる。仙代市側のみを往復する列車の利用客で、ホームは早朝から人の行き来が多かった。
 島本は、ふだん軽く分けている髪をオールバックにし、愛用のスタイリッシュなコートを茂吉の地味なオーバーと交換し、さらに終夜営業ディスカウントショップで仕入れた伊達眼鏡まで掛けている。これなら顔見知りに会っても、まず気づかれない。
 朝六時四十九分着予定の四両編成快速列車は、ほぼ定刻通りにホームに着いた。
 島本は改札寄りのホーム端から、降車客の流れを目で追った。やはり仙代近郊の通勤客や学生たちが主で、未明から県境を越えてきたらしい客は僅かである。
 優太と美紀が降りてこないのを確認すると、島本は、別行動をとっている澁澤老人に連絡を入れた。
「やっぱり乗ってませんでした。ということは十中八九、七時過ぎにそちらに着くと思います。私は西口で待機しますんで、ふたりが着いたら連絡ください」
『了解』
 澁澤老人は、仙代駅から少し離れた広瀬通り、宮城交通高速バスセンターにいる。
『さすがだな、シマちゃんの予想どおりか』
「やめてくださいよ、澁澤さんまで」
『いいじゃないかシマちゃん。なんか昔の「事件記者」とか「七人の刑事」みたいで気分がでる』
 まあ確かにシゲさんシマちゃんなら、そんな感じかもしれない。昔のカオルちゃんだと、病気持ちの少女になってしまう。カオルちゃん遅くなってごめんね、花は遅かった。
『しかし優太君も、なかなかやるなあ。シマちゃんと同じくらい分別がありそうだ』
「ええ。あの子は見かけによらず、しっかりしてますよ」
 実用性、もとい堅実度においては、芸術家肌のあっくんより優太君のほうが上かもしれないと、今回の騒動を通して島本は思っていた。
 実は峰館交通ビルを始発の高速バスが出る数分前に、仙峰線快速の始発も峰館駅を出ていたのである。しかし狭隘な山間部を走る仙峰線は、しばしば運行が乱れる。冬は大雪、夏は雨。春と秋は無事かと思えば、そこでも大風や倒木や大量の落ち葉で、けっこう遅れる。秋には除雪車ならぬ落ち葉掃き車輛まで投入されるほどだ。カモシカと衝突して止まるのも稀ではない。山間部で動けなくなると代替輸送が不可能だから、乗客は、ただ左右の間近な山林を眺めて運行再開を待つしかない。たぶん優太君も、それを考えて仙峰線を却下したのだ。
 ならばこの先はJR仙石線に乗り継いで、雄鹿半島の西の付け根にある石蒔駅、あるいはさらに先、東の付け根にある終着駅の尾名川まで行き、そこから路線バスで半島の先を目指すだろう。仙代から石蒔や尾名川までは、駅に近い青葉通りで乗り継げるバスもあるが、この時間から市街地に出るバスは、渋滞等、仙峰線とは逆の意味で不安定だ。優太君なら、まず選ばない。
 そう推測しつつ、島本は念のため仙石線のホームではなく、駅西口で待つことにした。そこなら、あのふたりが万一バスを選んでも、すぐに対処できるからだ。昔、高校生の島本が、ときどき仲間といっしょに大都会の遊びを求めて仙代に出張っていた頃は、駅前のロータリーから信号を幾つか経ないと広瀬通りまで行けなかったが、今は国内最大級のペデストリアンデッキで直接繋がっている。
 やがて澁澤老人から、連絡が入った。
『来た来た。大当たりだ』
「はい」
『脇目も振らずに、そっちに行くぞ。これから追いかける』
「お願いします」
『優太君はパソコン小脇に抱えて、堂に入ったもんだな。美紀ちゃんは寝ぼけ眼で、優太君の上着の裾にちょこちょこつかまったりしてる。ありゃあ、ここまでぐっすり寝てたな』
 その間、隣の優太君は、これからの行程をネットで調べ上げていたのだろう。
 ややあって、
『OK。青葉通りには下りない。JR確定だ』
「ご苦労様でした。それじゃ澁澤さんは、予定どおり高見の調査に回ってください」
『了解。じゃあ、また』
 近くの駐車場に、ここまで乗ってきたレンタカーを入れてある。今後は澁澤老人がそれを使い、新聞社の仙代支局等、旧知を訪ねて回ることになる。
 島本は、デッキをやってくるふたりの姿を認めると、物陰に隠れ、雄鹿に残っている茂吉の携帯に連絡を入れた。
『よう、シマちゃん』
「ふたりが着きましたよ、シゲさん」
『仙代までなら、馬鹿だって着けるわな』
 茂吉らしいぶっきらぼうな台詞だが、声に内心の安堵が表れていた。
 島本は言った。
「これから電車に乗りますが、問題は、次に降りる駅と、そこまでのルートですね。昔は尾名川から直接路線バスが通っていたようなんですが、今は途中までしか行けません。石蒔からのバス路線は半島の西側ですから、これまた通じていない。近くまで乗り継げる市民バスもあるとは思うんですが、いつ頃たどり着けるやら、私にも見当がつきません」
 運が良ければヒッチハイクの手もあろうが――いっそ車で送ってやりたいところだ。バスが不確かなだけで、道は立派に通っている。
「むしろパソコン持参の優太君のほうが、正確に把握してるかもしれませんね」
『ま、優太のお手並み拝見ってとこだな。途中で日が暮れて、ふたりでどっかに泊まることになったって、それも立派な社会勉強ってもんだ』
 いや、さすがにそれは勉強じゃないでしょう――。
 まあ最悪、東の入り組んだリアス式海岸沿いをひたすら歩くにせよ、西から東へ山を越えるにせよ、どちらも大手路線の停留所からせいぜい数キロ、遅くとも午後にはたどり着けるだろう。
「で、そちらはいかがですか」
『のどかなもんよ。明け方、あの吉田って奴が、柵の中をぐるっと回ってっただけだ。若えくせに早起きする奴なんぞ、ろくなもんじゃねえ』
「茂美ちゃんだって、朝練で暗い内から起きると聞きますよ」
『子供と若え衆は別だ。子供は早寝早起きでコロコロ駆け回りゃいい。若え衆は夜中のナニでくたびれて、朝寝するくらいが丁度いいんだ。それをサボるから日本中、子供が減っちまう』
 島本は苦笑した。確かに私らの若い頃は、草食系の連中も、せっせと番《つが》ってましたけどね――。
『しかし馬鹿に冷えこむなあ。こっち側は、峰館より暖《あった》けえはずだろう』
「確かに雪でもちらつきそうですね。――おっと、そろそろ追いかけなきゃ。また連絡します。そちらも何か動きがあったら」
『おうよ。家にはこっちで連絡しとく』
 最後に茂吉は、孫煩悩の祖父らしい声になって言った。
『ちゃんと厚着してるかな、優太たち』
「大丈夫。ふたりともモコモコです」
『そうか。ならいい。――くれぐれもよろしく頼むぜ、シマちゃん』

 峰館駅の駅舎も、今は奥羽新幹線に合わせて分不相応な近代建築を誇っているが、昔から東京の親戚気分でいる仙代駅は、やはりスケールが違う。
 美紀は優太とはぐれないようダウンジャケットの裾につかまって、駅周辺に林立するどでかいビル群と、朝っぱらから行き交う大量の人間に圧倒されながら、広大なペデストリアンデッキを進んでいった。
「すごいねえ……」
 前にも何度か来たことはあるが、小学校の修学旅行や家族旅行とは違い、なんというか、場の空気が直に肌に触れてくるのだ。
 優太は、美紀を気遣ってゆっくり歩きながら、
「人口は峰館市の四倍だからね。でも面積が倍あるから、人口密度だと二倍か。でも、どっちも農地や山間部が多いから、今歩いてるのは三倍くらいかな」
「……優太君、シショより社会の先生になれば?」
 からかわれたのかと思って優太が横下を見ると、美紀はあんがい真面目な顔をしていた。
 付かず離れず見守っている大小の追跡者の存在など知る由もなく、ふたりは駅のコンコースに入った。
 傍らの駅弁ショップの賑やかな色彩に、美紀は目を奪われた。
 うわあ、こっちも四倍じゃん――。
 仙代駅は、駅弁の種類も日本最大級である。今、美紀が見ている売り場だけで二十数種類、各社合わせれば五十種類を越えるだろう。峰館駅の駅弁は、全部掻き集めても、せいぜい十数種類だ。峰館牛や米沢牛が頑張っているから、肉系だと仙代の牛タン系に対抗できるかもしれないが、海が遠すぎて魚系は皆無に等しい。対して仙代は、真正面にどーんと太平洋が控えている。
 ――うわあ、ウニがてんこもり!
 バスに乗ったとき、魚系のお握りを二個いただいたにも関わらず、美紀の心は大いに疼いた。バックパックの中で目を覚ました誰かさんの驚きや好奇心も、多分に影響したのだろう。昭和三十一年まで退行してしまうと、峰館の駅弁なんて三種類くらいしか知らない。幕の内と牛さんと鶏さん。新鮮なウニなど、いいとこのお嬢様だって、山国ではめったに食べられなかったのである。
 今にも「じゅるり」と聞こえてきそうな美紀の顔を窺いながら、優太の心もまた、誰かさんの幼い願望が微妙に絡んだためか、旧に倍する激しさで疼いていた。たとえば、親にねだってようやく買ってもらったソフトクリームをうっかり振り回してクリームだけ地べたに落っことしてしまい、残ったコーンをちっこい手でぷるぷる震わせながらグズりはじめている小さな子供を、横から見ている独身中年男のような気分だ。美紀が昨夜地下室で体感した『ぎゅううううん』の父性版と言うべきか。久しく忘れていたあのドッジボールの、痛みではない痛みにも似た何物かが、澎湃と胸に涌きあがる。茂や泰蔵なら、胸中でユーミンのレコードが高らかに鳴り響くところである。So,you don´t have to worry,worry, 守〜って〜あ〜げたい〜〜〜。
 しかし何かと思考が内向きな優太は、内向きゆえに、そこからさらに一歩、意外な精神的階梯に踏み出したりもしていた。
 ――思えば、俺が初めて美紀ちゃんを知った小学校の入学式、なぜあれほど心が疼いたのだろう。あんなにも心を惹かれたのはなぜだろう。今にして思えば美紀ちゃんが、家の古いアルバムに貼ってある子供の頃の母さんに、なんとなく似ていたからではないのか。俺は確かに、茂美がいつも馬鹿にするようなマザコンだったのだろう。それからずっと、美紀ちゃんは俺なんかよりずっと頭もよくて体育も得意で、あのドッジボールの一瞬を除けば、俺が守れる立場になれるような存在ではなかった。そのことを俺は、実はやっぱり母さんに重ねていたのではないか。母さんには父さんがいるし、ちっぽけな俺では守ろうにも守れない。むしろ俺が頼るだけの母さんだ。でも美紀ちゃんは違う。昔がどうであれ今は違う。美紀ちゃんが変わったわけではない。俺自身が変わったのだ。もしかして俺は、一生、美紀ちゃんを守ってやれるのかもしんない――。
 そうした事どもを一瞬にして脳裏に展開しながら、優太は、毅然として言った。
「うにめしください」
 おいおい、こんだけ引っ張っといてそんだけかよ――そんな外野からのツッコミも恐くはない。
「おいくつですか?」
「えと、ふたつ」
「二千三百円になります」
「じゃあ、これで」
 平日の朝っぱらから私服の中坊が札ビラきっても、売店のお姉さんは動じなかった。その0円スマイルは遠洋マグロの目玉のように、生きるための非情を湛えている。さすが大都会、峰館ののどかな田圃や畑とは違い、経済蛮族が熾烈に縺れ合う弱肉強食の巷なのだろう。
 俺みたいな細腕小僧にとって、福沢先生が意味ありげにほくそ笑んでいるこの万札は、現代の石弓だったのだ――。
 優太は日本男児として、弥生時代以来二千何百年に渡って培われた温柔な農耕民族的生活感の底に潜む、縄文以前無慮三万年に渡る狩猟採集民族的な牡《オス》の血に、確かに目覚めていたのである。
 そうした優太の過剰な自負心とは別状、現代日本の男女間において、この構図は『なごり雪』を一足飛びにして嘉門達夫の『なごり寿司』に墜ちてしまう可能性も大いに秘めているわけだが、
 ――やったあ、ウニてんこもりGET!
 まあ相手が美紀である限り、さほど複雑な展開にはならないだろう。
 石器時代の牝だって、そんなもんだったに違いない。

      4

 雄鹿半島東岸南方、あの廃病院門前の私道に臨む雑木林――。
 茂吉はひとり、ヤンキー座りで焚き火にあたっていた。
 島本と取り替えっこした舶来のコートは、どうもしっくりこない。端から見ると、まるで着付けを間違えられた老いぼれのマネキンなのではないか。でもまあ見方によっては、古い映画の探偵やギャングっぽいかもしれず、そう悪い気分ではない。
 愛用の自動巻腕時計を見ると、九時四十分を回っていた。
 ――まだ連絡がないってこたあ、石蒔を通り過ぎて尾名川まで行くってことか。しかし、このまんま待機ってのも退屈だよなあ。
 退屈でも待たねばならない。別働の島本に何かあった場合を考慮し、やはりこっちで誰かが詰めていなければ――などと言いつつ、実は、自分があっちに出向いてしまうと、優太がちょっとでもヘボな行動に走ったら、確実にその場でしゃしゃり出てしまう自覚があるからだ。
 ――まあいいか。芋もあるしな。
 旅館で分けてもらった薩摩芋を、幾つか焚き火に入れてある。そろそろ焼き上がる頃だ。
 木の枝で焚き火を掻き立てていると、廃病院の方角から微かにエンジン音が聞こえ、茂吉は顔を上げた。
 ――お、動いたか?
 病院の左裏手から小型のタンク車が現れ、前庭の轍《わだち》を縫って門に近づいてくる。
 門の内側で、あの異様に堅固な空圧シリンダー錠が、腹の震えるような音をたてた。運転席の吉田がリモコンで操作したのか、あるいは建物の中から誰かが操作したのか。
 吉田は解錠した門扉を開けるため、いったん車から降りた。地味なブルゾン姿である。
 閑静な雑木林に、耳障りな鉄のきしみが響き渡った。
 吉田は車を道に出し、また降り立って門扉を閉ざすと、奥の建物に向かって深々と一礼した。
 圧搾音と共に、シリンダー錠が掛かった。どうやら中の高見が操作しているらしい。
 吉田は、すぐには乗車せず、私道の向かい側、路傍の林から立ち昇る煙に向かって言った。
「隠れるつもりもないわけですね」
 監視カメラで、とうに人がいることは悟っている。
 茂吉は、間近な私道の端を、顎でしゃくって見せた。
「知ってるぞ。お前さんとこの土地は、そこまでだろう。そこからこっちは県有林だ。焚き火しようが日向ぼっこしようが、あんたらにゃ関係ねえ」
「県有林での焚き火は禁止されております」
「堅ぇこと言うなよ、灯油屋のあんちゃんみてえなナリしてさ」
 茂吉は、木の枝の先に刺さった焼き芋を、吉田に差し出した。
「食うかい、あんちゃん」
 吉田は、あんがい柔和な顔で頭を振った。
「なんでえ、灯油屋みたいに笑うじゃねえか。かわいいもんだな、鉄砲持ってねえと」
「車にありますよ。高見先生の手元にも」
「こちとら爆弾三勇士が突撃した日に生まれてんだ。鉄砲なんぞ屁でもねえ。だいたい片手じゃ当たるめえ」
「散弾銃ですから、近くなら外すほうが難しい」
「昼間は空包なんだろ」
 苦笑する吉田に、
「ま、心配すんな。爆弾三勇士じゃあるめえし、その門は破れねえさ。荊棘線で血まみれになるのも御免だ。車椅子の若えもんをイジメる気もねえ。ご覧のとおり爺さんひとりで、ただの見張りさ。安心して買い物に行ってきな」
「……くれぐれも、火の元にはご注意を」
「おうよ。――ほれ手榴弾」
 茂吉は、焼き芋を吉田に放った。
「熱いぞ。爆発しねえけど」
 吉田は素直に受け取り、掌で転がしながら、軽く頭を下げた。
 茂吉は、焚き火を突いて自分のぶんを取り出し、
「いい時代だぜ。あんたら若え衆だと、薩摩芋は甘えもんだと思ってるだろう。まあ俺がガキの時分も、そこそこ甘かったんだがな。でも支那で戦争おっ始めたあたりから、なんかスカスカやら水っぽいやら、味も素っ気もねえ芋ばっかりになっちまった。またちょっと甘くなったのは、アメちゃんが引き揚げた頃かな」
「高見先生は、幼い頃、芋の蔓やイナゴが御馳走だったそうです」
「そうか。あいつも苦労したんだっけ」
「増産用の味のない農林一号さえ、ただ作るだけで、自分たちは蔓しか食べられない――そんな家だったと」
「じゃあ、イナゴも不味かったろう。アレも物持ちん家で食わしてもらうと、醤油も油もたっぷり使って、砂糖ふんだんにまぶして炒めるから、佃煮みてえにちゃんと旨えんだよ。俺ん家なんかじゃ、まんま乾煎りだもん。ほんのちょこっとだけ醤油つけて食うのな。トノサマバッタ焼いて囓ってるみてえなもんだ。――でもまあ農林一号まるまる食えたぶん、確かに俺ん家のほうが、高見さん家よりは上流階級だったわけだな」
 吉田は微かに頬笑んだ。
 退屈紛れの長口上、我ながら年寄り臭いと思い、茂吉は話を切り上げた。
「あんまり仲良くしてると、中のあいつが心配するかな」
「高見先生は私を疑いません」
 吉田は真顔になって、
「私は先生のために生きております」
 そう言い残し、車に乗りこんだ。
 長閑な雑木林と物々しい柵に挟まれた道を、タンク車が遠ざかってゆく。
 見送りながら、茂吉は独りごちた。
「……わかんねえ奴だなあ」
 それから廃病院を見やり、おそらく一部始終をモニターで窺っているはずの高見に、ひらひらと手を振ってみせた。

 二両連結のローカル車輛が石蒔を過ぎて数分後、島本の携帯が震動した。茂吉からである。
「はい」
『大丈夫かい?』
「ええ、順調です」
 優太たちとは車輛違いだが、ときおり様子は確認している。
『いや、このまんま話せるかってことさ』
「OKです。出始めはけっこう混んでましたが、今はほとんど貸切状態ですから」
 島本ひとりで、向かい合わせの座席四人ぶんを独占している。他にちらほら見える乗客も似たようなものだ。実は空席のはずの背もたれの後ろから、しっかり優作が身を乗り出して聞き耳を立てていたりするのだが、島本は知る由もない。
『吉田が買い物に出たぜ。灯油屋みてえなタンク車で。ありゃ三トンくれえかな。油の仕入れだとすると、けっこう遠出になるんじゃねえか』
「いいですねえ。こっちの用件が済むまで、帰ってこないとありがたい。あと十何分で尾名川です。その先はまだわかりませんが」
『優太はうまくやってるかい?』
「しっかりしたもんですよ。彼も美紀ちゃんも、実に躾がいい。海を見てはしゃぐのも、駅弁広げるのも、ちゃんと周りが空いてからだし」
 高校時代、仙峰線あたりで傍若無人に騒いでいた自分や仲間を思うと、恥ずかしくなるほどだ。
『んじゃ、引き続きよろしくシマちゃん。芋焼いて待ってるぜ』
「了解です」
 島本の通話が終わると、優作は「了解了解」とつぶやきながら、前の車輛を覗きに立った。
 連結部に扉はない。乗客の移動を考慮したのか、ワンマン運行なので運転士の見通しを優先したのか、いずれにせよ優作の苦手な物体すり抜けをしないで済む。
 美紀と優太は、つつがなくウニのてんこもりを賞味し終え、向かい合わせでペットボトルのお茶を飲んでいた。これで車窓に流れる海が晴れていたら、腹蔵のない美紀など、満員でも大はしゃぎしていただろう。
「きれいだよねえ、太平洋って。日本海より、ずっと広いし」
 地図上では確かに広いが、水平線までの距離はどこの海もいっしょである――などと水を差すほど、優太も野暮ではない。ここは時間をかけてじっくり想を練り、いつ見ても青っぽい太平洋と、天気しだいで昼間っから濃紺どころか鉛色になってしまう日本海を対比的に修辞し、それを美紀ちゃんと自分に仮託して、思いの丈を力いっぱい明喩した叙情詩に仕立て上げて美紀ちゃんに捧げたいところだが、
「……青いよね」
 とりあえず、それしか言えない。
 おいおい、そんだけかよ。せめてもうちょっと、なんかロマンチックに話を進めろよ――。
 優作は草葉の陰で、もとい通路を挟んだ横の座席で大いに歯噛みしつつ、でもまあ優太なんだからこれでいいのかもしんない、そう思ったりもするのだった。
 ちなみに現在の優作は、優太にも見えていない。優作くらい元気な死人だと、見えるかどうかは、あくまで見られる側の気持ちひとつなのである。

 白壁に黒瓦の尾名川駅舎を出て、こぢんまりとした駅前広場から、ローカル路線バスに乗る。
 平日の午前、乗車客は数人だけである。早い話、優太と美紀と島本を除けば、地元の人らしいお年寄りが三人しかいない。優作は誰にも見えないから員数外だ。石蒔駅から西岸を進む路線は、観光スポットが多いので健在らしいが、比較的地味な東岸だと、途中で途切れるこの路線すら、そのうち赤字で廃止されてしまいそうだ。
 島本の変装は功を奏し、後部座席に収まった優太と美紀は、中ドア付近に座った旧知に、まったく気づかなかった。ちょっと前にいる地味な会社員風のおじさんと、いつも自由業そのもののファッションでいる島本が、同一人物だとは思いもよらない。
 十数分走り、海沿いの道に出ると、
「海だ海だ海だ」
 美紀が上下左右にがくがく揺れながら、はしゃいだ声を上げた。
 道は広くて舗装されているが、いかにも手入れが悪い。
 優太も、がくがくブレながら返した。
「……海だね」
 この調子で悪路が続いたら、俺は美紀ちゃんの前で吐いてしまうのではないか――幼い頃の観光バス、田舎道でエチケット袋とお友達になってしまった悪夢が蘇る。
 幸い今回は、窓の外を楽しそうに眺めている美紀ちゃんの顔を横から眺めているのがけっこう楽しく、あんがい胃袋は苦情を訴えてこなかった。
 同じ後部席の端っこに陣取っている優作あたりだと、外洋マグロ船に便乗してカナリア諸島まで航海したこともあるくらいだから、揺れにも太平洋にも飽きはじめている。
 ――ずうっと海ばっかじゃねえか。サメもトビウオもいねえし。
 しかし山国土着の優太や美紀にとって、どこまで行っても片側が海ばっかりの道は、何時間見ていても飽きないのである。山道以上にブレブレのがくがくでも、やっぱり楽しい。
 美紀が、リアス式海岸の小湾沿いに広がる茶色い縞々を指差して訊ねた。
「ねえねえ優太君、あれってなんだろ」
「牡蠣の養殖場だね」
「さすが。やっぱり社会の先生になりなよ」
 教師夫婦の娘として、それがなかなか楽な稼業でないことは知っているが、なんといっても収入が安定している。とくに県立校で長くやってる父さんのほうは、目先のお給料はちょっとアレみたいだけど、そのぶん退職金がどーんと来るので老後も万全らしい。倒産やリストラの心配がないだけ、下手な大企業より安心なのである。
 ――って、そもそもあたし、なんでこんな心配してるわけ?
 まだ色恋沙汰に不慣れなぶん、一足飛びにそっち方向でマセてしまうのも、うら若き乙女の特質だろう。
 いっぽう不安定な自由業の家庭に育った優太は、昔から色恋沙汰に悩みっぱなしだからこそ、その果てにどーんと待ち構えているそっち方向を、かなり明確に予期している。
「カキのてんこもり、食べたいなあ」
「うん」
 そう美紀ちゃんに即答できるのも、現代の石弓があればこそだ。
 まかせなさい――。

      5

 大手路線バスの終点は、切り立った海岸沿いの道に面した、そこそこ大きな集落だった。
 先の道も、ここまでと同じように続いている。
 思わず「ケチケチしないでこのまま先に行けよ」と抗議したくなる島本の耳に、横の通路から、降車口に向かう優太と美紀の声が聞こえた。
「ここから先は、たぶん歩きになる」
「うん」
 バスを降りたのは三人だけだった。
 見失わない程度に距離を置きながら、島本はふたりを追って集落の道を西の山側に進んだ。
 もののみごとに他の人影がない。
 道は凸凹なりに広くて舗装されている。周囲の家並みもけして鄙びてはいない。今は限界集落寸前でも、建物自体は賑やかな昭和の内に、小綺麗なプレハブになっている。しかし道筋の商店は大半シャッターを下ろしたままで、開いている商店の中にも、店番ひとり見えなかった。
 ――ここで西に登るのは方向違いじゃないか?
 島本が訝しんでいると、ほどなく行く手に、立派な小学校が見えてきた。
 先のふたりは校門横で立ち止まり、市民バスの停留所らしい小さな運行案内板を確かめている。
「うわ」
「ごめん。やっぱり歩きだ」
「まあ仕方ないよね」
 そのまま引き返してくるふたりを物陰に隠れてやり過ごした後、島本は小走りに停留所に向かい、案内板を覗いた。案の定、ほとんど罫線だけの運行予定表である。
 ――現在、おおむね午前十一時。運行予定は小学生の登下校に合わせたらしく午前八時台前半に二便、午後三時台に二便、計一日四便ポッキリ。
 まあ無理もない。この町の様子だと現在の生徒数は、校舎ができた当時の推定一割ほどか。市民バスを利用する子供も大した数ではないだろう。たぶん優太君は、事前に市のHPあたりで運行状況を把握していたのだ。それを念のため現地でも再確認――こりゃ亜久津家には類を見ない手堅さじゃないか。
 ともあれ再び海沿いに戻り、でっこまひっこまと曲がりくねった道を数キロ、あの入り江の町まで徒歩南進が確定したようだ。
 島本は踵を返し、再びふたりを追いはじめた。

 先のふたりは、お行儀よく交通法規を守って、海を間近に望める左側ではなく、右の急斜面際をとことこと進んでゆく。
 直線部分はほとんどない。長くて二三百メートル、短いと数十メートルで凸から凹にうねる。
 ふたりに見つからず、かつ見失わないため、島本はかなりの苦行を強いられた。円弧の内側と外側では、こっそり追うにも要領が違う。わざわざ歩調を落として陰に入ったり、かと思えば突っ走って再確認したりしなければならない。おまけに街で車に慣れてしまった島本の脚力は、茂には勝てても優太には劣るのである。
 幸い、その道を徒歩で行く奇特な人間は他におらず、島本の挙動不審を見咎める者はなかった。ごく稀に大小の車が行き来するが、端っこを行く人影など、跳ね飛ばしさえしなければ無問題のようだ。
 こ、これは、いっそヒッチハイクしてもらったほうが、俺もヒッチハイクして――。
 島本が凹の内側から凸の先の手前まで一気に走り、息を切らしながら次の凹を窺うと、先の南から来たらしい乗用車が、ふたりの横に停まっていた。
 おう、やっぱりヒッチハイクの流れか――。
 数十メートル先なので、細かい様子が判らない。
 島本は双眼鏡を取り出し、車とふたりをズームアップした。
 車内の様子は見えない。
 遠慮しているふたりの様子から察するに、車のほうから声を掛けたようだ。
 何かおかしい――島本は訝しんだ。
 ナンバープレートによれば、遙か南関東のレンタカーである。しかも、いかにも馬鹿が好みそうな車種と色だ。いや、車の好みが馬鹿っぽいからといって運転者が実際に馬鹿であるとは限らないが――土地鑑もない遠方からの観光者が、逆方向へのハイカーを拾うだろうか。ふたりの表情を見る限り、子供でも乗る気になれないドライバーに思える。
 島本が介入を決意し、声を上げようとした刹那――いきなり車の後部ドアが開き、間近にいた美紀を車内に引きずりこむのが見えた。そのままこちらに向かって急発進する。
 ――な、なんだ!?
 予想を遙かに越えた事態に、すぐには頭が追いつかない。
 略取誘拐犯――ようやくそんな単語が頭に浮かび、島本は強張って身構えた。
 取り残された優太君は――いや、路傍には残っていない。
 どこだ? 右の土留め際にいたはずだが――。
 すぐに車がジグザグ走行を始め、車の左腹が見えた。
 優太君がドアミラーにしがみついている。
 車は道幅いっぱいを右に左に蛇行しながら、なお加速し続けている。
 ――いかん! 最悪のパターンだ!
 島本はダッシュした。
 なんとしても、優太君が振り落とされる前に停めねばならない。
 この引きずりパターンだと、落ちると同時に四分六で死ぬ。外側に振り切られてどこかにぶち当たるか、内側に落ちて車輪に巻き込まれるか――運が良くても集中治療室だ。

 優太は、突如として現実から別世界に――暖かい蒲団の中から底知れぬ暗い夢の雲海に投げ出されたような気分を味わいつつ、不思議なほど冷静だった。
 これは現実だ。
 どんなに非現実的でも、こんな事件がけして世間に珍しくないことは、日々のニュースで知っている。
 とにかく、このまま離れてはいけない。俺が離れさえしなければ、こいつらが車を停めて美紀ちゃんをどうこうする隙はない――。
 左手で掴んでいるワイパーは今にもちぎれそうだが、右手のミラーはしっかりしている。
 自分の細腕で、いつまで車にしがみついていられるか――そうした現実は思慮の外だった。
 冷静というより、頭が白いウニになってしまっていたのである。

 島本は真正面から車に突進した。
 死ぬ気はない。これでもマスコミ露出時代に、安手のVシネマもどきで、車に跳ねられる探偵を演じたことがある。
 いっとき本業の仕事がなくなりかけ、まだかつかつ残っていた知名度狙いの色物オファーをギャラ目当てにヤケクソで受けただけの仕事だったが、島本よりギャラの安いプロの疑闘指導者兼スタントマンは、ドシロウト相手に嫌がりもせず、みっちり体技を仕込んでくれた。走ってくる車に正面から乗り上げる、数秒フロントに張りつき続ける、それから横に転がり落ちる――ぶっちゃけ、それだけのアクションだった。車だってその演技のために加減するし、落ちるあたりにはぶかぶかのマットが敷き詰めてあった。
 だからスタッフ抜きの今回は、死ぬ気がなくとも死んでしまう可能性だってあるわけだが――まあ大丈夫だろう。若い頃チキンレースやってたときだって、死んだことないもん俺。
 そうした島本の根拠なき自信に気圧されたのか、あるいは単に、突如ボンネットに地味な会社員風のおっさんが飛んできて驚愕したからか、車は蛇行中にも関わらず無自覚な逆ハンを切った。
 島本は煽りをくらって、断崖方向に振り落とされた。
 路面を転がりながらも、かろうじて転落を免れた島本は、一瞬後、愕然と先の車を見やった。
 しまった! あの方向じゃ、優太君が土留めブロックに――。

 だめだ。擂りつぶされる――。
 優太の脳味噌が白いウニから光のウニに変わる寸前、
「あらよ」
 そんな声がして、気がつくと優太は車のルーフにへばりついていた。
 車は左側面を派手にブロックに接触させた後、なんとか体勢を戻して直進に移った。寸前まで優太がつかまっていたドアミラーは跡形もない。
「優作?」
 優太が左右を見回しても優作はいなかった。その代わり頭の中から優作の声がした。正確には優太の口元からである。
「ああ気持ち悪い。人にまるまる重なるってのは、死んで初めてだ。マジもっぺん死にそう」
「優作……」
 ふと優太が気を抜いた瞬間、車が派手に揺れ、危うく指先がルーフの端から離れそうになった。
「わ!」
「うおっと!」
 懸命に堪える優太を、優作がたしなめた。
「気ぃ抜くんじゃねえ! 俺はただのオブザーバーだ。お前を直で動かせるわけじゃねえ」
「でも、さっき……」
「俺が引っ張り上げたんじゃねえぞ。思いっきし這い上がろうとしただけだ。お前の体にだって、そんくらいの力はあるんだよ。火事場の馬鹿力ってやつがな。でも脳味噌が邪魔する。俺はその邪魔を取っ払ってるだけだ」
 ――マジか? 俺が動いたのか?
 細腕の母親が下敷きになった我が子を救うため大木を持ち上げた、そんな海外の実話を読んだ記憶は確かにある。
「中の美紀ちゃんもなんとかしてやりてえが、俺はお前のほうが大事だ」
 優太自身どっちが大事かはちょっとこっちに置いといて、優作はあくまで優作である。
「このまんま停まるのを待つぞ。停まりさえすりゃ別に動ける。がんばれ」
「うん」

 予想外の事態に、車内の三人の男も慌てふためいていた。
 後部座席で、じたばたと暴れる美紀の口を塞ぎ押さえつけている若者ふたり、そして三十代前半と覚しい運転役。
 右から美紀の口を塞いでいる、若い青年が言った。
「あいつ、死んだかな?」
 中坊はズタボロで落ちたと思ったのだ。
 左から美紀を押さえつけている、やや年嵩の青年が言った。
「今のおっさんも……」
 どちらも怯えた声だった。
 しかし運転席の男は、突き放すように、
「済んだことは仕方ない」
「仕方ないって……」
 後ろのふたりが呆けたように言うと、
「どのみち俺たちに、もう先はないんだよ。どこか人目のつかない所に車を停めて、予定の続きをやってから、刑務所でタダ飯食うだけだ」
 三人とも一昨日の夜までは、事実上、赤の他人だった。現在も真実の身上など、お互い何ひとつ知らない。いわゆる闇サイトを通して、ひと月ほど仮名の交流を続け、いい加減な計画を練り合い、過去にどこかで起こったらしい鬼畜たちの所業を楽に真似しようと画策しただけの馬鹿である。
 偽造免許証と偽造保険証でレンタカーを調達する。自分たちとは縁のない遠隔地に出向き、人目のない場所で良さげなJSを見つけ――車は後で海にでも叩きこんでしまえばいい。ようやく見つけたJSといっしょに歩いていた兄っぽい中坊など、ただ置き去りにすれば済むはずだった。
 弱そうな中坊にだって、いや、すべての他人にだって実名があり、仮名の欲望以上に現実的な希求があることを、仮名そのものになってしまった馬鹿は実感できない。脳味噌まで仮脳だからだ。
「でも……死刑とか」
 右の馬鹿その一が心細げに言うと、運転席の男は、
「ならない。車で二人跳ね殺したくらいじゃな。殺意があったわけじゃない」
 すでに人間をやめた声だった。
「その子さえ後で返せば――どんな状態でも生きてさえいりゃ、長くて無期懲役だ」
 馬鹿その一は、まだ怯えていた。
 しかし馬鹿その二は、我慾に負けてうなずいた。馬鹿その二から、人非人《ひとでなし》その二に堕ちたのである。
 美紀は、そんな馬鹿&人非人の会話に耳を貸す余裕もなく、無我夢中でじたばたしながら、ふと、前横のウインドーの上端に掛かっている指に目を止めた。
 見れば反対側にも指がある。
 ――優太君!?
 通常、車の屋根に人は乗っていない。さっきも乗っていなかった。ならば心当たりは優太君しかいない。
 美紀はとりあえず、もがくのをやめた。
 まだ大丈夫だ。きっと大丈夫なんだ。優太君が助けてくれるんだ――。

 火事場の馬鹿力火事場の馬鹿力火事場の馬鹿力――。
 優太は頭の中で念仏のように唱えながら、広げた両手の指先に、鷹の爪の根性を入れていた。
 頭の別の所で優作が言った。
「おい、あんまし気張るな」
 そ、そうおっしゃいますがお兄さん――。
「かえって筋肉が保たねえぞ。いつものお前でいいんだ。不動心不動心。心頭滅却すれば豆腐だって簡単にゃ崩れねえ」
 そ、そーだろーか。確かに自重で崩壊する冷や奴は見たことないけど――。

 遠ざかる車のルーフに優太の姿を見てとり、一瞬安堵した島本は、即座に跳び起きて全力疾走を再開していた。
 無駄だとしても追うしかない。理屈ではなく人間の本能である。
 走りながらポケットの携帯を出して通報を試みる。携帯は割れていた。さっきのスタントで潰れたのだ。
 くそったれ――。
 島本は車を追い続けた。幸い曲がりくねった道のこと、思ったより距離は開かない。しかし追いつくあてもない。
 ――ああサイボーグになりたい奥歯に加速スイッチが欲しいエイトマンでもいい。
 生身の心臓はバクバクを通り越して、今にも破裂しそうだ。
 ――お願いだから抜いてからプッツンしてくれ!
 そう心臓に懇願しつつ、徐々に遠ざかる車を必死に追い続けていると、一台の小型トラックが、先のカーブの陰から現れた。あのレンタカーとすれ違い、明らかに減速しながらこちらに向かってくる。
 ――おお神様!
 トラックではなく、小型のタンク車だった。
 島本はタンク車に向かって手を振り回し、さらにあの馬鹿っぽいレンタカー方向を激しくつんつんと指し示した。
 タンク車はいったん通りすぎ、少し先で巧みに反転すると、間髪を入れず再加速した。
 ――おお、雛には稀なA級テクニック!
 島本は感心して、タンク車の運転席を見定めた。
 廃病院で高見を護っていた青年――あの吉田である。直前のスピンターンが嘘のような無表情だ。
 神か悪魔か――なんでもいいからなんとかしてくれ!
 島本は、わたわたと先を示し続けた。
 ――俺はいいから、あっちを早く!
 吉田がうなずくのが見えた。
 ごう、と爆風が通り抜けていった。

 左の馬鹿その二、もとい人非人その二は、「やっと観念したか」と言うように、美紀を押さえつける腕を緩めた。
 しかしその拍子に、美紀の視線の先にある指に気づき、
「おい! 上に乗ってるぞ!」
 運転席の男も横目で視認し、
「次のカーブで落とす」
 三十過ぎにもなって精神年齢が学童未満の人非人その一は、夜中に液晶モニターで見るCGまみれの似非カーアクション映画やゲーセンのレースバトルを想いながら、自身の脳味噌同様にスッコーンとアクセルを踏みこんだ。すでに他人の生死はもとより自分の生死も忘れている。これでは便所虫以下である。
 ――ああ優太君ごめん、あたしドジった。
 気丈な美紀も、ほとんど絶望してしまった。
 ――あんたが死んだらあたしもセキニンとって死ぬからね。死んでなくともあたしだけ死ぬかもしんない。こんなでっかいカマドウマみたいなキショク悪いイキモノにこれ以上ワヤワヤたかられるくらいなら、舌噛んで死んじゃったほうがまだマシだ――。
 これはカマドウマ、俗称・便所コオロギに対する美紀の偏見だろう。しつこいようだが人非人は便所虫以下である。
 しゃくりあげはじめる美紀の口から、若い馬鹿その一が、おずおずと手を離した。
「……俺、やめた」
 馬鹿なりに人の道に目覚めたらしい。
「もうやだ。帰る。行きたくない刑務所」
 駄々っ子のようにつぶやきながら、運転席に手を伸ばし、人非人その一の肩を揺する。
「停めてよ、もう帰ろうよ」
「邪魔だ。黙らせろ」
 人非人その一が言うと、人非人その二がうなずき、懐から何やら金属製の小物を取り出した。
 美紀越しに手を伸ばし、小物の先端を馬鹿その一の肩口に当てる。
 軽く触れられただけで、馬鹿その一は、ぐえ、と呻き、うずくまって悶絶した。スタンガンである。
 美紀は何がなんだか解らないままメゾソプラノを超える悲鳴をあげ、半狂乱で暴れはじめた。
「そいつも黙らせろ!」
 人非人その一にうながされ、その二が再びスタンガンを構えたとき、
「え?」
 人非人その二は、奇妙な、間の抜けた声を漏らした。
 獲物の背負ったバックパックから、にゅっ、と一本の手が生えていた。
「……え?」
 獲物のJSよりもちっぽけな手だが、人非人その二の手首をぎっちりと掴み、押しても引いても微動だにしない。
 スタンガンの先が、手首ごとぎりぎりと反転し、その二に向かってくる。
 ――おねえちゃんをいじめちゃだめ――
 バックパックがそうしゃべったような気がした瞬間、人非人その二は激痛とも激突ともつかぬ衝撃を鼻面に受け、狭い車内で数メートル吹っ飛んだ。いや、そんな勢いで後頭部をサイドウィンドーにぶち当てて昏倒した。
「なんだあ!?」
 困惑して叫ぶ人非人その一の真横を、さらに困惑級の速度で、遙かに車高のある影が追い抜いてゆく。
「…………」
 無駄に三十何年生きるだけは生きてきた人非人も、それほど速い給油屋を見るのは生まれて初めてだった。

 島本は駆けに駆けた。
 あの馬鹿っぽいレンタカーも吉田のタンク車も、カーブの陰に入ってしまって、ここからでは見えない。
 ああ、俺の心臓なんてもうどうでもいい――。
 島本はひたすら天に祈っていた。
 もし、あのふたりの身に何かあったら――首を吊って詫びるしかない。つまり、そうしてあの世で直接ふたりに詫びるしかない。この世に残していく妻はいかにも不憫だが、俺がいないほうが家計は黒字になるはずだ。もし首を吊らずに今後長く生きてしまった場合、死ぬまで墓石や仏壇に詫びつづけるのは死ぬより惨めだろう。山福先生やあっくんに死ぬまで恨まれ続けるのも、やっぱり死ぬより辛いだろう。山福先生は顔だけで恐いし、あっくんは、もっと恐い。あの人のいい笑顔で「仕方なかったんですよ」とか口にしながら内心では一生ムラムラムラムラ恨まれ続けると思うと、そりゃもう泣きたいほど恐い――。
 一目散にカーブを越えて、島本は一転、この世界の総てに感謝した。
 あのレンタカーが停まっている。
 横の路肩で、美紀ちゃんが優太君にとりすがり、わあわあ泣いている。
 その数メートル先では、あのタンク車が斜めはすかいに道を塞いでいる。
 いかに悪辣な拉致誘拐犯も、大爆発して木っ端微塵になる度胸はなかったらしい。いや、真正面から猟銃で撃たれるのが恐かったのかもしれない。吉田がレンタカーの直前に立ち、運転席に銃口を向けている。
 島本は、かくかくと笑う膝をなだめながら走り寄った。
 土埃だらけの優太が、なぜここに、そんな顔で島本を見た。
 ダウンジャケットのあちこちから、わやわやと羽毛がはみ出ているのは、レンタカーが減速した際、横の路面に転がり落ちたからである。そのとき同調指導によって完璧な受け身を成功させた優作も、今は横でよしよしとうなずいているのだが、無論、島本には見えない。
 島本が万感の思いをこめて優太の肩に手を置くと、優太は、はにかむような笑顔を浮かべた。
 美紀は優太の胸に顔をこすりつけ、赤ん坊のように泣きつづけている。
 島本は、吉田に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
 吉田は顔だけこちらに向けて、
「……あなたでしたか」
 おお、ガソリンスタンドの兄ちゃんみたいに笑うじゃないか、と島本は思った。

 幸い優太に目立った怪我はなかった。露出していた手の甲に、軽い擦り傷を負ったくらいである。裸になったらけっこう青痣がありそうだが、骨折も捻挫もしていない。もとより美紀は無傷である。精神的には、ふたりともかなりの衝撃を受けただろうが。
 吉田がタンク車の向きを変え路肩にずらす間、島本は猟銃を預かって、レンタカーを狙いつづけた。
 戻った吉田に銃を返し、レンタカーの、開いたままの右後部ドアに近づく。
「出なくていいぞ。出せ。財布免許証携帯スマホ、鞄、下着靴下シェーバー歯ブラシ、一切合切、持ち物全部出せ」
 すぐ後ろに猟銃が控えているから、恐い物はない。
 手前にいた若者は観念したのか、肩をさすりながら、すぐにその言に従った。奥の若者は、ぐったりと体を折ったまま動かない。
「そっちの奴は生きてるか?」
 手前の若者が、おずおずと相方の胸に耳をあてて、それからこくこくと島本にうなずいた。
「じゃあ、そっちのポケットの中身も全部出せ。――おっと、そこに落ちてる物騒な代物もな。使おうなんて思うなよ」
 とんでもありませんお願いですからかんべんしてください――若者は唯々諾々と従った。
 運転席の男は身じろぎもせず、むっつり黙りこんでいる。何も出そうとしない。
「えーと、そっちの兄貴分っぽい方、私らはお巡りさんじゃありませんから、黙秘権も拒否権もないですよ」
 それでも動こうとしないので、島本は吉田を振り返り、
「よろしく」
 吉田は無造作に、空に向けて発砲した。
 後ろの若者は大慌てで、相方の着衣を漁りまくった。
 運転席の男は、やはり動かない。
「……誰でもよかった死刑になりたかった、とか言いだすんじゃないだろうな」
 島本は、せいぜいニヒルな顔を作って言った。
「死んだほうがましだと思いながら、自分じゃ絶対死ねない体にしてあげようか。たとえば舌のないダルマさんとか」
 こうしたハッタリには、泰蔵や澁澤老人のような怖持て顔よりも、島本の軽く整った顔のほうが、かえって底知れない凄みがでる。
 それでも運転席の男は動かなかった。
 吉田が言った。
「だめですね。こいつが一番馬鹿のようだ。思考停止してるのかな。どうせまともにはしゃべれない。とりあえず両手両脚、関節全部吹き飛ばしてダルマにしましょう。それから舌を」
 無表情だが、まさか本気ではないだろう。あんがい乗りやすい質らしい。
「その前に」
 島本は笑って車に半身を乗り入れ、手前の若者を押しのけて、運転役の首筋にスタンガンを当てた。
 びくん、と男が跳ね上がり、呻きながら悶えはじめた。
「どこで買ったか知らないが、良心的な店でよかったな」
 アクション映画などで見かける、一発でストンと綺麗に昏倒し、しばらく後に必ず覚醒するような描写は、あくまでフィクションだ。いいかげんなショップの扱う品だと、心臓が止まることもある。ちなみにスタンガンの販売や携帯は日本でも違法ではないが、合法なのは、瞬間的な激痛によって戦意を喪失させるための護身用品だけである。
 島本は、泣きそうになっている若者に言った。
「前の奴のポッケやバッグもよろしく。あと、車のキーもね」
 島本が受け取った物件の内、免許証のひとつに目を走らせ、吉田が言った。
「前の奴のは偽造ですよ」
「よくわかるねえ」
「昔、県警の交機――交通機動隊にいましたから」
「ほう」
 元はモノホンの機動隊員だったのである。
 あの若者に命じ、まだ激痛に呻いている前の男の所持品を再検査させながら、島本は、男たちのスマホを検めた。
「なるほど――この素直なあんちゃんは、ただの馬鹿っぽいな。それらしいメールが、まんま消さずに残ってる」
 あの若者が、こくこくとうなずいた。そうそう俺ホントただの馬鹿なんです――。
 吉田もスマホを覗いて、
「そうですね。悪質な奴なら、仲間のアドレスもそのつど手打ちします」
「溜めこんだ画像も……ほとんど仮想、あるいは昭和なら合法」
 少し離れて様子を見守っている優太や美紀の耳を意識し、島本は曖昧に表現した。少なくとも現役鬼畜の実写はない。のみならず二次も三次も、ツ●ペ●以外の画像がまったくない。
 ――マジ、君、童貞ロリコン成年?
 島本は思わず訊ねたくなったが、さすがにやめておいた。
 気絶したままの青年のスマホも、似たようなものだった。
 しかし年長の男のスマホは、いかにも不自然に行儀がいい。
「ほう。やっぱり年の功だな。まずそうな情報は消してある」
「ちょっと貸していただけますか」
 吉田は受け取ったスマホをつるつると操り、
「大丈夫。一度もフォーマットされてません。見えない中身も一切合切、病院のパソコンに繋げば抜き出せますよ」
「こっちの免許証は?」
 顔だけ同じ別名の免許証を、吉田に検めてもらうと、
「――本物ですね」
「よし、以上、OK」
 島本は、あの青年に言った。
「君、ちょっと外に出て」
 な、何されるんだろう――びくびくと車を降りた青年に、島本は彼の免許証と車のキーだけ返し、
「これからそいつらを縛り上げる。余計な口を叩かんように口も塞いどこう。君はそいつらを乗せて自首しろ。悪いことは言わん。君が初犯で従犯で未遂で自首なら、最悪でも執行猶予だ。刑務所行きにはならない。それでも交番がいやなら、車ごと海に飛びこんじまえ。でないと全員の顔と個人情報と今日の話、ネット中にばらまくぞ。両親、親類縁者、ネットを見ないお年寄りのお祖父ちゃんお祖母ちゃんにも書面で通達するぞ。そんなんスマホに入れてねーよレベルの友人知人まで、残らず書留郵便送りまくるぞ。ハッタリじゃない。俺は、そーゆーのが専門なんだ」
 島本は、わざわざ若者に名刺を渡した。
「俺はまだ用事があるんで、警察には、あとで顔を出すと言っといてくれ」
 ――ホントに行っちゃっていいの? 後ろからズドンとかないの?
 そんな顔で戸惑っている若者を、吉田が一瞥し、島本に言った。
「全員撃ち殺したほうが早いんじゃないですか。なんなら私の一存ということで」
 これもあくまで脅しのテコ入れ――いや、少しは本音が入っているのかもしれない、と島本は思った。
 吉田の前職なら、この人権国家の実情を知っているはずだ。どんなに卑劣な児童誘拐であれ、被害者が無事に戻った場合、加害者はまともな制裁を受けない。有印公文書偽造、偽造公文書行使、レンタカー搾取および破損、各種無謀運転――他にも色々あるわけだが、全部ひっくるめても、島本の推測だと主犯格だけが懲役を少々、そんなところである。
 島本は吉田に答えず、優太と美紀に顔を向け、
「……どうする? 当事者の君たちとしては」
 優しげな、それでいて何かを計るような視線だった。
 優太は首を傾げた。
 今の優太としては、その男たちに対して当事者の実感がない。自分はあくまで美紀ちゃんを中心に行動していたのだ。もし美紀ちゃんに怪我でもあったら、中坊らしい激情を遺憾なく発揮して、躊躇なく三人とも穴だらけにするかもしれないが。
 優太は無言のまま、美紀の背中に回した手に、ちょっと力をこめた。
 すでに泣きやんだ美紀は、くしゃくしゃ顔で優太を見上げた。
 優太君って、なんか、ちっちゃい頃いっぺん京都に連れてってもらったとき食べた、賀茂の料亭のお豆腐みたいだな――。
 そんなことを思いながら、美紀は島本に、ふるふると頭を振った。
 それは美紀の寛容ではなかった。
 当座の惑乱や激情は、とりあえず嗚咽や涙といっしょに賀茂のお豆腐のお吸い物にまぜこんでしまったので、あとはただ一刻も早くこの場の幕を静かに下ろしたい、それしか思い浮かばなかったのである。裏山の鎮守様のポットン式トイレあたりに出没するグロなカマドウマたちだって、多大な嫌悪感があればこそ、自分で踏みつぶしたいとは思わない。できればあっちから消えてほしい。
 ほんとにそれでいいの? みたいな笑顔を浮かべる島本に、美紀はこくりとうなずいた。
 もっとも――もし自分が小学生に間違えられたと知っていたら、実は常々そっち方向で悔しい思いをしている美紀のこと、逆上して「あたしはもーすぐ中三だ!」とか絶叫しながら、ひとり残らず穴だらけにしたかもしれない。




   Act.9 【あなたと私の回転木馬】


      1

 まだ自首が恐いのか、おずおずと発進するレンタカーを見送りながら、吉田は再び空に向けて発砲した。
 美紀と優太は、びくりと身を震わせ、繋いでいる手に力をこめた。
 その轟音が車中まで届いたのだろう、レンタカーはあわててスピードを上げ、集落方向に走り去った。そこになら交番があると、あの青年に伝えてある。
 島本は吉田に訊ねた。
「昼間は空包なんだよね」
「いえ、空包は一発目だけです」
 吉田はあっさり答えた。
「あとの二発は実包ですよ。威嚇が通じない相手なら、撃つしかありません。野獣でも人でも」
 かなり物騒なことを言いつつ、すぐに例の素朴な微笑を浮かべ、
「もっとも発砲したのは、この仕事に就いてから初めてですが」
「だろうねえ」
 あの堅固な要塞、もとい廃病院に、わざわざ忍びこむ奴がいるとは思えない。
 吉田が島本に訊ねた。
「あいつ、出頭すると思いますか?」
「あの様子なら、まあ十中八九。もし逃げたら警察に通報した上で、警告どおり晒し者にするまでだ」
「近頃のネットは、晒す側にも反動がきついですよ。よろしかったら私が代わりに晒しましょうか。私なら何を言われても、生活に支障はありません」
 この青年は、これからもずっと高見を護って、あそこに引き籠もり続けるつもりなのか――島本は、吉田の素性に多大な好奇心を抱きながら、
「ご厚意には重々感謝するよ。でも俺の稼業だと、むしろ悪名が広まったほうが、仕事が増えたりするんだ。それより――」
 今は別口のお願いがある。
「ちょっと言いにくいんだけど――よければ高見さん家まで、俺たちを乗せてってくれないか」
 吉田は、さすがに呆れて口をつぐんだ。
「いや、別に俺が楽したいとかじゃなくて、この子たちと綾音さんのために」
「綾音さん……」
「そう、あの西崎綾音さんだよ」
 怪訝そうな吉田に、島本は続けて言った。
「彼女のためだけじゃない。たぶん高見さん自身のためにも――いや、あの人のためになるかどうかは正直わからんが、ああして生き続ける以上、避けちゃいけない道だと思うんだ」
「それは一体、どういった……」
「話せば長いことながら」
「話していただかなければわかりません」
 このまま路傍で長々と立ち話するわけにもいかない。
「……とりあえず、港の魚市場までお連れしましょう。買い物が残っておりますし、あそこなら座って話せる場所もある」
「ありがたい。お願いするよ」
 発進するタンク車のシートで、島本と優太と美紀は、吉田の運転を妨げないため牡丹餅のようにへばりつき合った。
 あくまで積載量三キロリットルの小型ローリー、ひとりは定員オーバーだが、そこはそれ気は心である。優作は例によってルーフの上に陣取っているから員数外だ。
 島本が吉田に訊ねた。
「自家発電の燃料だけじゃなく、食料調達も君が?」
「いえ、ふだんは業者に配達させます。今日は特別ですね。高見先生が、今夜は新鮮な鮪を召し上がりたいとおっしゃったので。天然の生鮪は、配達任せだと当たり外れがありますから」
「ほう」
 天然生鮪――島本は目を丸くした。
 バブル末期の東京、新人ライターながら仕事には事欠かなかった時代に、イキオイで食ったことがある。その頃は生マグロだろうが黒海産キャビアだろうが、有名芸能人御用達の高級ディスコ入場料だろうが、なんでも取材経費としてクライアントに請求できた。バブルが弾けてからは、当然、遠洋の解凍物や養殖物にしか縁がなくなってしまったが。
「羨ましいなあ。いや、皮肉じゃなくて」
 食える連中はせっせと食えばいいのだ。水は高きから低きに流れる。金持ちが下手に節約していると、貧乏人まで金が回ってこない。
 美紀や優太は、天然生鮪と聞いてもピンとこなかった。お互い山国の中流育ち、そもそも解凍物と養殖物しか知らない。
 ――スーパーのお刺身って、みんな生だよねえ。
 ――島本さんって、今もそんなにビンボなのかなあ。
 そんな無言の会話を、視線で交わしたりもする。
 屋根の優作あたりだと、マグロ船でクロマグロの大トロを食い飽きたりしているから、今さらスーパーのマグロなど見向きもしない。

     2

 やがて、島本にも見覚えのある、あの港町に入った。
 あの定食屋じみた喫茶店にほど近い、鄙びた倉庫のような市場の駐車場に、タンク車は停まった。
 斜向かいの小さな衣料品店で、まずは優太の上着を見繕う。
 優太は、破れてしまった上着と同じような地味そのもののデザインを選ぼうとしたが、島本と美紀に却下され、ちょっと優作っぽいスタジャンふうのダウンジャケット姿で、魚市場デビューを余儀なくされた。
 屋内の様子も鄙びており、市場というより屋根付きの朝市といったところか。それでも場所柄、やはり山国とは異世界の品揃えである。
 吉田が顔見知りらしい初老の店主と商談する間、三人は、斜向かいのおばちゃんの店に注目していた。
「……うわあ、カキがてんこもり」
 思わずつぶやく美紀に、いかにも昭和レトロな頬被りをしたおばちゃんが、紙皿の試食品を爪楊枝で勧めてくれた。
「はい、お嬢ちゃん」
 父親と中学生の息子と小学生の娘、そんな判断を下して最年少を狙ったわけだが、幸い美紀自身の知るところではない。
 軽く酢橘《すだち》を振った大ぶりの牡蠣をつるりと頬ばり、美紀はほとんど悶絶してしまった。
 このナマモノは、家のカキフライや土手鍋に入れるカキと、ほんとに同じイキモノなのだろうか――いや、確かに味覚自体はカキなのだ。でも実は――もしかして、ドーピング・カキ? カキの美味成分かなんか、まとめて十個分くらい注射してあったりして。
「今が一番の旬だからね」
 おばちゃんは、してやったりと破顔し、
「養殖だけど沖合物だから、このまんま、たらふく食べても大丈夫。そもそもここいらの海じゃ、ノロなんかいっぺんも出たことないもんね」
 ウィルスの風評被害を意識してか、近頃は田舎のおばちゃんも解説に抜かりがない。
「お昼ご飯がまだなら、横の食堂で焼いて、おかずにもできるよ」
 ちょうど、お昼どきである。育ち盛りの美紀の胃袋は、朝のうにめしなど、とっくに消化しきっている。牡蠣ひと皿のお値段は、野口博士ひとりでお釣りがくるようだ。しかるに美紀のお財布には、現在野口博士三人とコインしか残っていない。つまり帰りの交通費が足りなくなってしまう。
 まかせなさい――優太は財布を出そうとした。さっきあれだけ泣いていた美紀ちゃんが、もう食欲を取り戻しているなら、これほど悦ばしいことはない。
 しかし、さすがに大人の島本が先手を取った。
「じゃあ、それ三皿いただけますか」
 冬場の旅でストレスと空腹を抱えた子供には、何はともあれ暖かい食事である。
 美紀と優太は、ちょっと安心して、ぺこりと頭を下げた。
 ――よかった。島本さんは、それほどビンボでもないらしい。

 目的の極上生鮪を調達した吉田と、駐車場の脇の食堂に移る。
 人も調度も、例の喫茶店に輪を掛けて昭和レトロな木造空間だが、それぞれのテーブルに置かれた炭火の七輪から立ちのぼる煙は、まさに縄文以前の血が騒ぐ香ばしさだった。
 地元らしい普段着の客たちで賑わう中、あのおばちゃんによく似たおばちゃんに、定食のご飯や味噌汁を頼む。
 美紀と優太は、嬉々として殻付き牡蠣を炙りはじめた。
 吉田は慎ましく小魚の干物を焼きながら、隣の島本に言った。
「お話の続きを伺えますか」
「その前に念のため――えーと、君は見たことがあるかな、その、いわゆる幽霊ってやつを」
 島本としては、こっち側の綾音を意識して訊ねたわけだが、
「いえ、残念ながら。高見先生が見ていらっしゃる綾音さんという方も、私にはまったく見えません」
 吉田は当然、別の意味に受け取った。
「昨日、先生が御自分でおっしゃいましたよね。綾音さんが夜中に首を絞めてくると」
「ああ」
「確かに、毎晩のように魘されているのです。しかし私が駆けつけると、先生は眠りながら、御自分で御自分の首を絞めていらっしゃる」
「ほう、そうなのか……」
「あくまで私見ですが――人の心の奥に住んでいる、その人そのものの業《ごう》――悔悟、トラウマ、罪業念慮――あるいは何か原初的な希求、それともその反転像――そんなものなのではないでしょうか、いわゆるその、幽霊というやつは」
 ふむ、と島本はうなずいた。確かに一度も現物を見たことのない者にしてみれば、そう解釈するしかない代物なのである。しかしそれだと、幽霊慣れした澁澤老人などとは違い、速やかな説得は難しいだろう。
 美紀と優太も箸を止め、ああやっぱり、と、ちょっと困った視線を交わしていた。
 優太の横で、立ったまま焼き牡蠣を相伴している優作も、思わずうなずいたりする。
 ――そうそう。俺って実は、優太の原初的な希求の反転像――んなわきゃねーだろ、おい。でもやっぱし、ふつう、そう思うよなあ。
 吉田は、脂の滲みはじめた干物を裏返し、
「私もあの病院跡で、ここ数年ずっと先生のお世話しておりますから、先生が過去にその綾音さんと何があったのか、おおむねは把握しているつもりです。先生の過去に対する外の世評も、重々心得ております。しかし私には、先生が徒に綾音さんを恐れているとは、どうしても思えないのです。いわゆる被害妄想にしたところで、心理学的には、無意識に被害を欲するからこそ妄想に囚われる。いわゆる憎悪や反発も、実は愛情や希求の裏返しだと思うのです」
「まあ、一般論としてはね」
「高見先生は強い方です。真に忌まわしいものと、狂ってまで共存するような方ではありません。あの方は御自分の信念に背くものを、断固として拒否なさる方です。むしろ先生は、今でも綾音さんを懐《おも》っていらっしゃるのではないでしょうか」
「しかし……それは過去の罪の償いにはならないだろう」
「確かにそうでしょう。しかし罪深い人間のすべてが、罪深い心のまま歳を重ねるとは限りません。前会長が亡くなられたときに先生が流した涙は、けして打算の涙などではなかった。私のような若輩にだって、空涙と真実の涙の区別くらいはつきます。御家族を失ったときの慟哭も、けして空涙などではなかった。御家族を奪った運命を呪い、ひとり悲しみ、さらに時を重ねて御家族を悼みつくし、ようやく素のままの心に戻られたとき――先生の心には、綾音さんへの悔いだけが残っていた」
 島本は箸を置き、吉田を見据えて言った。
「……君は、なぜそこまで高見さんに肩入れするのかな」
 吉田も箸を置き、まっすぐに島本の視線を受け止め、
「先生は、私にとって神ですから」
 真顔で言うので、島本のみならず美紀や優太も、いささか腰が引けた。
「すみません。少々唐突でしたか」
「いや、まあ……」
 島本が言葉を濁すと、吉田は、なにか遠い目になって、
「高見先生は、亡くなった私の妻の恩人――私にとっても生涯の恩人なのです」
「よかったら、詳しく聞かせてくれないかな。いや、食べながらでいいから」
「はい」
 吉田は箸を置いたまま、訥々と語った。
「――妻と私は、ふたりとも、いわゆる孤児《みなしご》でした。物心つく前に両親と死別し、他に頼れる縁者もいなかったものですから、ずっと同じ仙代の養護施設で育ちました。幼稚園、小学校中学校、高校まで同じでした。高校卒業後、妻は地元の企業に勤め、私はなんとか警察官採用試験に合格して警察学校へ――一日も早く将来を固め、家庭を築きたかったのです。人生の伴侶は昔から決めておりましたし、妻も同じ気持ちでいてくれましたから」
「そうか……そりゃ、なかなか大変だったろう」
 福祉国家を標榜するこの国でも、福祉に頼る孤児の立身は、大半が自助努力である。
「それに白バイの人って、確か大型二輪免許とか、仕事しながら自費で取らなきゃいけないんだよね」
「はい。二輪も四輪も、大型から国内A級まで、シャカリキで免許を取りましたよ。そんなハクをつけないと、高卒では将来がままなりませんから」
「いや、たいしたもんだ」
「虚仮の一念ってやつです。自分の給料だけじゃ足りなくて、妻――その頃はまだ妻じゃなかったわけですが、そっちにも頭を下げて、倹しい給料から、ずいぶん無心したりして」
「それだって、たいしたもんだ」
「いえ……まあ、おかげさまで、四五年でなんとか将来的な目処が立ち、妻と所帯を持ちました」
「そりゃ良かった」
「でも、半年後、妻が突然倒れたんです。そろそろ子供を作ろうか、そんな矢先のことでした」
「それは……」
「虚血性心疾患――いわゆる心筋梗塞です」
 島本は眉をひそめた。優太と美紀も、思わず箸を止めている。
「妻の両親も、揃って冠動脈疾患で亡くなっておりましたから、遺伝的な要因が大きかったのでしょう。いったん命は取り留めたのですが、病院の話では、冠動脈の硬化が異常に進んでおり、バイパス手術や経皮的冠動脈形成術《インターベンション》も困難であろう、薬物治療による延命もほとんど望めないであろう、と」
 それでは近々の死を待つばかりである。
 優太がつぶやいた。
「人工心臓とか……心臓移植とか」
 言いながら、そうした施術が現実的になかなか困難であることは、中学生でも想像がつく。
 島本も畑違いながら『生死』を扱うライターとして、基本的な知識はあった。
 確かに平成の医療技術は日進月歩であり、体外型の人工心臓も十数年前に保険適用となっている。しかしほとんどの場合、あくまで期間限定の延命、あるいは心臓移植までの繋ぎが主要目的である。永久使用に耐える人工心臓など、実用化されてからまだ十年もたっていない。そして心臓移植がこの国で保険適用となったのは、わずか五年前なのである。三十代なかばと思われる吉田の年齢を考えれば、奥さんが倒れたのは十年以上前だろう。若き地方公務員が、心臓移植手術にかかる莫大な費用を、全額自己負担できるはずはない。
 いや、待て――そもそも、この国で心臓移植が解禁されたのは――。
「奥さんが倒れたのは、いつ頃?」
「十二年前の夏でした」
 ズバリ一九九九年、平成十一年。いや、法制化されたのは二年前の一九九七年だが、実際に国内の先進的医療機関で競うように手術が始まったのは、その年のはずだ。
「なるほど――そこに堂々、高見先生が初名乗りを上げたわけか」
 吉田がうなずいた。
 ピンとこないらしい優太や美紀に、島本は解説した。
「それまでの日本では、心臓移植手術は違法行為だったんだ」
 は? と言うように、美紀と優太は顔を見合わせた。
「いわゆる島国根性なのか、それとも仏教的な風土のせいかな、昔の日本は臓器移植になかなか厳しかったんだよ。一九六八年に日本で初めて心臓移植をやったお医者さんなんか、患者さんが亡くなった後、殺人罪で告発されてる。まあ、さすがに証拠不十分で不起訴になったんだけどね。それから実に三十年近く、この国で心臓移植はタブー視されていた。どうしてもそれを望む患者さんは、途方もない費用をかけて、わざわざ海外で手術を受けていたのさ。当然、国内の医師に心臓移植手術経験者はほとんどいない。海外で経験した専門医、エリート中のエリート――たぶん高見さんは、そのひとりだったのさ」
 へえ、そうだったのか――見えない優作もふたりといっしょになって、こくこくとうなずいた。
 吉田が話を続ける。
「名目上は奥州大学医学部のプロジェクトでしたが、事実上、高見先生の主導でした。主な執刀も高見先生です。私や妻は同意書へのサインを求められただけで、入院や手術、その他一切の関連費用を高見先生が負担してくださいました」
「正確には高見さんのいた医療法人の出費だろう。国内心臓移植初期に確かな実績を残す――何億かかろうと、後々の宣伝費と思えば安いもんだ。そしてそれは、そっくり高見さん自身の名誉にもなる」
「そのとおりです。高見先生が私の妻を選んでくださったのも、温情や慈悲からではありません。病状やドナーとの適合など、最も成功の望める条件が重なっていたからです。本来かかるはずの莫大な費用を知って困惑する私や妻に、先生御自身、はっきりと、こうおっしゃいました。『もし他の患者のほうがより好条件なら、私は当然そちらを選んだ。だから君たちは、私に感謝する必要はない。自分らの幸運だけ祈っていればいい』と――しかし私たちが祈ったのは、自分たちの幸運などではなかった。高見先生の力、ただそれだけでした」
「そうだろうなあ……」
 たとえ一縷でも望みがあれば、難病の患者は神仏よりも名医の誉れにすがる。
「祈った甲斐もあったわけだしな。俺の記憶だと、確か奥州大学の初仕事は成功したはずだ」
「はい」
 吉田は深くうなずいて、
「――妻は、それから三年、生きてくれました。移植後の一年は入院生活が続きましたが、後の二年は、服薬と定期的な通院さえ怠らなければ、ほとんど普通の家庭生活ができたのです。休暇には旅行もできました。贅沢抜きの慎ましい旅でしたが……鳴子や高湯、東北一帯の温泉、それから金沢や京都……ふたりで、あちこち回りましたよ」
 吉田の潤んだ目は、遠い過去の旅先をさまよっているようだ。
「……最後の一週間は、また入院生活でしたが、心臓のせいじゃありません。車の貰い事故による脳挫傷です。その怪我や手術に、新しい心臓が耐えられなかった。……でも最期には、微笑みながら、安らかに旅立ってくれました」
 語る吉田もまた、その病床の妻を想わせるような、達観した微笑を浮かべている。
「ですから――島本さんたちのお考えや世間の風評は知らず、少なくとも私と妻にとって、高見先生は神なのです」
「なるほど……確かに神だったのかもな」
 つい過去形でつぶやく島本に、吉田は頭を振って言った。
「私が生きている限り、ずっと私の神なのですよ。私個人の人生は、妻との思い出の中に、ぜんぶ収めてしまいましたから」
 聞いている美紀は、もはやウルウルである。本場の旬の牡蠣も、生の純愛物語には勝てない。
 優太の横の優作まで、男泣き状態でえぐえぐと嗚咽にむせんでいたりするのは、茂吉式の古風な直情をモロに受け継いでしまったからだろう。
 島本は視線を落とし、内心で吐息していた。
 吉田の話に心を打たれる一方で、高見の人生についても、深く思うところがあった。
 ――確かに悪魔《サタン》も天使《ルシファー》も、同じ存在の二面性に過ぎない。それどころか、アメリカの古い怪奇幻想系パルプ・マガジンで、こんな短編を読んだ記憶もある。異能の詩人作家クラーク・アシュトン・スミスが著した『Schizoid Creator』――直訳すると『統合失調症の造物主』。つまり世界の創造主たる唯一神が、一人二役で悪魔も兼業しているという物語だ。
 実は優太も、美紀に負けずにウルウルしながら、ちらりと頭のどこかで、図書館の古い海外怪奇小説アンソロジーで読んだ、邦題『分裂症の神』を思い浮かべたりしている。
 賑やかな食堂の中、そこだけ沈んでしまった一卓の空気を振り払うように、
「すみません」
 吉田が屈託のない笑顔で言った。
「食事中、なんだか辛気くさい話になってしまいましたね」
 彼の内面では、もう決着のついた問題なのだろう。
「あ、いや……」
 島本も根は直情派である。こんな話を聞かされて、今後どう吉田に絡んでもらおうか、すぐには算段の立てようがない。
 惑いつつ、ふと卓上の七輪を見ると、いつの間に置かれたのか、新たな殻付き牡蠣がふたつ並んで、じゅうじゅうと焼けはじめている。
 ああ、やっぱり子供たちは無邪気でいいなあ。こんな話を聞いても、ちゃんと食欲を忘れない――。
 ちょっと救われた気分で顔を上げ、
「ありゃ……」
 島本は、彼のキャラには似合わない、かなりおまぬけな声を上げてしまった。
 美紀と優太も、呆然とフリーズしていた。
「…………」
「…………」
 ふたりの間から、小さな人影が身を乗りだしている。
 あの水玉ワンピースの綾音が、自分で箸を取り、器用に牡蠣を焼いているのである。
「あらあら、まだ妹さんがいたのねえ」
 お盆を持って通りかかったおばちゃんが、賑やかな声を上げた。
「ごめんね、おばちゃん気がつかなかった。椅子とお茶、すぐ持ってくるわね。あと、ご飯とお味噌汁も」
 綾音はこくりとうなずいた。
「でも、お嬢ちゃん、そんな夏みたいな格好で寒くないの?」
 ふるふるふる。
「へえ、すごいわねえ。ほんと子供は風の子だ」
 おばちゃんはしきりに感心しながら、奥に下がっていった。
 吉田は、笑顔をかなり引きつらせて、
「えーと……知り合いのお子さんですか?」
 ふつう『知り合いのお子さん』は、女子中学生の背中から――正確には椅子の背に掛けたサンリオのバックパックの中から、いきなり抜けだしたりしないはずだが――まあそれはたぶん自分の見間違い――見間違いにしては、やけにリアルだったが――。
 島本は、もごもごとつぶやくように、
「……綾音さん」
 それで通じるはずがない。
 なお首を傾げる吉田に、
「本物の西崎綾音さん……小学生の頃の」
「はあ?」
 吉田も、きわめておまぬけな声を上げた。ますますもって、なにがなんだか解らない。
 当の綾音は、この場が一部エラいことになっているのを知ってか知らずか、いい具合に火の通った牡蠣をひとつ、黙って吉田の皿に乗せた。
「あ、えーと……くれるの?」
 こくこく。
 どうやら親愛の情を表しているらしい。
 美紀と優太は、もう納得していた。
 ――きっとこの子は、吉田さんの人生に共感し、なおかつ高見さんへの献身に報いようとしているのだ。だから、なかよくはんぶんこ。
 伊達に足かけ四日間、重なったり繋がったりしていたわけではない。無口な子供でも、親なら気持ちが解る。いや、別にふたりでこしらえたわけじゃないんだけども。
 そして横の優作は、ただ感心していた。
 すげーぜ、この子いや姐さん、どう見ても生きてるわ。っつーことは、もう一個のカキ、マジ自分で食うつもりなんだろうなあ――。

 島本から事情を聞いた吉田は、困惑と興味津々がないまぜになった、複雑微妙な顔で言った。
「……なんだか、古い小咄を聞いている気分ですね」
「小咄?」
「江戸時代の小咄です。落語のまくらで聞いたことがある。『頼朝公、ご幼少のみぎりの髑髏《しゃれこうべ》』」
 島本は、つい失笑してしまった。こんな浮き世離れした話をどう受け止められるか心配だったが、この吉田君、やっぱり話が解る青年だ。
 優太や優作も、思わず笑ってしまった。ふたりとも父親の影響で、けっこう古典落語や江戸小咄を知っている。優太はテレビや本やCDで、優作は寄席の客席で、そんな情報源の違いはあるが。
 そっち方向に疎い美紀は、優太に訊ねた。
「シャレコウベ? 頭蓋骨のこと?」
「うん。昔の笑い話だよ。『頼朝公、ご幼少のみぎりの髑髏《しゃれこうべ》』」
「知らない」
「えーとね――江戸時代の見世物小屋で、古い頭蓋骨が見世物に出てるんだ。『これは、あの有名な源頼朝の頭蓋骨です』とか言って」
「へえ」
「でも大人の頭にしては、ずいぶん小さい。どう見ても、子供の頭くらいしかない」
「うん」
「それで見物人が、小屋の人にクレームを入れるんだ。『これは偽物だろう。源頼朝といえば、昔から立派な頭で有名じゃないか。その頭蓋骨が、こんなに小さいはずはない』って」
「ふんふん」
「そしたら小屋の人は、『いえ本物です。これは頼朝が子供の頃の頭蓋骨なんです』――」
 ん? あ、そーゆーことか――美紀も、くすくす笑ってしまった。
 平成生まれの美紀でも、昔ながらの見世物小屋を、実地に知っていたりする。もはや風前の灯に等しい天然記念物級の見世物興行社が、今も年に一度、飯沢稲荷の例大祭で境内に小屋を掛けるのだ。
 呼びこみのおじさんのおどろおどろしい話芸に釣られて、どきどきしながら入場すると、冗談みたいな蛇女コスプレのおばさんが、小さな蛇をうじゃうじゃいじくり回したりする。父さんが若い頃は、同じおばさん、いやお姉さんが、生きた蛇を頭から囓って食べたりしたそうだ。そーゆー昭和レトロは絶対見たくないけど。あと、人間ポンプのお爺さんが金魚鉢をイッキ飲みして一匹ずつ吐き戻したり、かわいい学者犬が、足し算の正解のカードをくわえて見せたり――それから人魚のミイラとか河童の頭とかアヤしげな物件が、壁際の棚に色々並んでいたりするのだ。
 でも、ここで笑っちゃ、綾音ちゃんが気を悪くするかな――。
 美紀が心配して隣を見ると、綾音は、みんなでなんの話をしてるのかなあ、みたいな顔で、お行儀よく食後のお茶をすすっていた。焼牡蠣と定食一式きっちりいただいて、とりあえずご満悦らしい。
 優作が優太に言った。
「すげえよなあ、マジ食ったぜ」
 実のところ、皆が帰ったあとでおばちゃんが片付ける卓上には、子供一食分の牡蠣や定食がしっかり残されていたりするのだが、優作も、綾音自身も知るところではない。
「いや俺も根性入れて、こーゆー生っぽい幽霊になりてえもんだ。幽霊っつーより、もう妖怪だよな」
 綾音が、ちらりと優作を見上げた。どうやら優作の存在を感知しているらしい。
 優作は、あわてて唇に指を当て、綾音を牽制した。
「しっ、黙っとけ。俺、いないことになってるから」
 綾音は、納得したやらしないやら、声ではない声でつぶやいた。
「妖怪……」
 あんがい嬉しそうである。
「……♪ 夜〜は墓場で運動会 ♪」
 おお、話の解る子じゃないか――優作と優太は感心してしまった。
 声そのものは聞こえないが、気配だけは美紀にも伝わる。
 美紀は優太に耳打ちした。
「今、なんか歌ったよね、この子」
「え? そ、そう?」
 優太は力いっぱいしらばっくれた。
 なんかアヤしい――。
 美紀は首をひねりつつ、でも綾音を見ると、なんだかニコニコしているので、
 ――ま、いいか。
 当人がゴキゲンなら無問題。
 もっとも、時代考証にこだわる島本あたりが聞いていたら、今の綾音は子供に見えながら実は大人としての記憶も備えているに違いない、そう推測しただろう。
 いわゆる『妖怪』が、試験も病気もなんにもないお気楽な存在として運動会を開催したりするようになったのは、昭和四十年代中期、水木しげる先生の鬼太郎シリーズがアニメ化されてからである。綾音の子供時代だと、妖怪はあくまで畏怖や恐怖の対象だったはずだ。それ以前の民俗の中では、河童や豆狸といった比較的愛嬌のある妖怪さえ、多く陰性を帯びていたのである。
 吉田は、そうした複雑な状況が眼前で展開していることなど知る由もなく、
「わかりました。高見先生にお取りつぎしましょう」
「ありがたい」
「会ってくださるかどうかは先生しだいですが」
「いや、恩に着るよ。よく信じてくれたねえ」
「信じるも何も……」
 吉田は、改めて綾音に目をやった。
 どう見ても生身の子供である。しかし明らかに、自分の目の前で小さなバックパックから抜けだしてきたのだ。島本たちがラスベガス級のイリュージョニスト集団だとは、とても思えない。ならば自分が高見先生と同じ心の病を患い、ありもしない幻覚を見ているのか。否、店のおばさんだって、ちゃんとこの子を見ている。
 いずれにせよ、先生に会ってもらう意義はある。おぞましい怨霊に生涯うなされつづけるより、頑是ない子供のほうがまだましだ――。

 子供とはいえ、もうひとり増えてしまうと、小型ローリーの座席には収まらない。
 流しのタクシーを拾える町ではなさそうだし、ハイヤーでも呼ぼうかと思いながら、まず島本は優太の携帯を借り、茂吉に連絡を入れた。
『おう、優太か!』
 茂吉の弾んだ声に、島本は思わずぺこぺこ頭を下げ、
「すみません、島本です」
『どーゆーこったい、シマちゃん』
「いや、色々あって、ふたりに合流しまして」
『優太が、なんかドジ踏んだのか?』
「とんでもない、大活躍ですよ」
 これこれこーゆーわけなんです、と、かいつまんで説明すると、
『面白えことになってんなあ。そいつぁ、ぜひこの目で見たかった』
「それどこじゃないですよ。優太君も美紀ちゃんも危機一髪ですもん」
『生きてるうちに何が起こるかなんて、人間、誰にもわからねえさ。子供も大人もな。ぶっちゃけ、いつ隣で爆弾が破裂してもおかしくねえ世の中だろう。そーゆーときこそ男の性根がわかる。優太もシマちゃんも立派なもんだ。吉田のあんちゃんにも、くれぐれもよろしく言っといてくれ。お礼は芋しかねえがな』
「何か買って行きますよ」
『いいねえ。港の市場なら、うめえ煮付けかなんかありそうだ。芋ばっかし食ってると、やたら屁が出てかなわねえ』
 茂吉は上機嫌で、
『あと、ここまでの足は心配するな。迎えをやるから』
「迎え?」
『茂の車が、そろそろそっちに追っつく頃合いなんだ。西崎さんもいっしょにな。そこに寄るように言っとくから、十分――いや、あいつの走りだと、二十分くれえかかるか』

 茂と西崎老人は、ものの数分で市場の食堂に姿を現した。
「おお、早かったな、あっくん」
「いや、まあ……」
 さすがに今日は、茂も法定速度をナニして飛ばしまくったのである。昼食も車中、出発時に買いこんだコンビニ物件で済ませている。
 美紀と優太の間にちょこんと座っている綾音を見て、西崎老人は絶句した。昨夜とは段違いの生気を宿している。
 綾音は、はにかむように頬笑んで、ぺこりと西崎老人におじぎした。
 まるであの頃――デパートの屋上ではしゃいでいた、あの日と同じ姿だ。服装だけでなく、仕草も表情も。
 西崎老人の皺びた顔に、懐旧でも哀愁でもない、素朴な少年の笑顔が浮かんだ。
 島本が吉田に茂たちを紹介し、ふたりも吉田に大いに謝した。
 そのまま皆、揃って食堂を出る。
 綾音は当たり前のような顔で、西崎老人と手をつないでいた。
 西崎老人は島本に言った。
「ありがとう。今後がどうあれ、私はもう、充分に報われた気がするよ」
「いや、お礼は、このふたりに」
 遙か年嵩の老人に深々と頭を下げられ、美紀と優太は、ちょっと困ってしまった。ふたり顔を見合わせ、照れまくるしかない。
 島本は吉田のタンク車に、他は茂の車に同乗する。
 美紀と西崎老人が綾音を挟んでリアシートに収まる間、茂は助手席の、見違えるようにファッショナブル化した優太に、こっそり耳打ちした。
「よかったな。好きな子のために命を張れるなんて、一生に一度あるかないかだぞ」
 豆腐のような父親は、こんなときでも大袈裟に息子を褒め称えたりしない。あくまで豆腐同士の物言いをする。
「……うん」
 優太は、それをしみじみありがたいと思った。これが祖父ちゃんあたりだと、孫の奮闘を末代まで語り継ごうと講談かなにかに仕立て上げ、公民館の敬老会あたりで、一席みっちり語りかねないのだ。
 タンク車に続き、あの丘陵際の廃病院に向けて発進する。
 優作は、なぜか吉田の車のタンクによじ登り、てっぺんにへばりついていた。特に深い意味はない。まだタンクローリーの曲面に一度もへばりついたことがなかったので、試しにやってみたかっただけである。

     3

 焚き火に手をかざしていた茂吉は、ふと頬に触れた冷たい感触に顔を上げた。
 ――マジに雪かよ、おい。
 見上げても、空に雪雲と言えるほどの濁りはない。あくまで薄曇り程度である。
 しかし、さほど風があるわけでもないのに、どこからかちらほらと淡い雪片が流れて来、焚き火の炎にあおられ、煙とともに舞いながら消えてゆくのである。
 蔵王のあっち側なら、この時期でも雪なんぞ珍しくないが――茂吉は、あまり厚手ではない島本のコートの襟を、怪訝な思いで掻き合わせた。
 待ち人たちの車が現れる頃、その幻のような雪は、もう薄れて消えていた。
 島本が、先にタンク車から降り立った。
「どうもお待たせしました」
「よ、シマちゃん、ご苦労さん。さっき山福先生から連絡があったぜ」
 茂吉は後発組との連絡係を兼ねている。
「やっと高速に乗ったとさ。奥さんもいっしょだ。本番にゃ間に合わなかったな」
「まだわかりませんよ」
 開演の目処は立ったにしろ、コントで済むか長丁場になるか見当がつかない。相手役の機嫌しだいでは、日延べの可能性もある。
 島本は、茂吉に新聞紙包みを差し出し、
「どうぞ。市場の手作り弁当です」
「こりゃかっちけねえ」
 甘辛そうな魚の煮付けの匂いと、それに負けない米飯の香りに茂吉は目を細めた。
「おう、まだ暖《あった》けえじゃねえか」
 島本は、茂吉と取り替えていたオーバーを脱いで、
「すみません、だいぶ汚れちゃいましたが」
「なんのなんの、立派にハクが付いたじゃねえか」
 茂吉もコートを脱ぐため、弁当の包みを、とりあえず島本に返そうとした。
「いえ、それも着ててください。暗い内から寒空に放置しっぱなしですみません」
「なあに、へっちゃらさ」
 なにぶん皮下脂肪の薄い老体、本音は重ね着したいところだが、茂吉は意地でコートを返した。
「昔の峰館の冬なんざ、いっつも鼻毛がパリパリ凍ってたもんだ」
 島本は、老人の意地を受けた。
 吉田も降り立って茂吉に会釈すると、茂吉は、あくまで軽く頭を下げ、
「恩に着るぜ。孫が世話になったな」
 きっちり目と目を合わせれば、仰々しい礼などしなくとも、すでに朝の会話で情は通じている。
「あんたも煮付け食うか?」
「いえ、暖かい食堂で、たっぷりいただきましたから」
 後続の車から、残りの一同が降りてくる。
 茂吉は息子には目もくれず、孫の肩をばんばん叩きまくった。
「よくやった! さすがは俺の孫だ!」
 四分六で空振りだろうと思っていただけに、クリーン・ヒットが嬉しい。
 優太は、どぎまぎと赤面してしまった。世の名、褒められて伸びる人間ばかりとは限らない。あんまり褒められると、伸びるより縮みたくなる質もある。
「女子供の無事、それが男の甲斐性ってもんだ」
 茂吉はそう言って、美紀や綾音に目をやり、
「なあ、そうだよな」
 美紀と綾音は、揃ってこくこくとうなずいた。目の前の異様な廃病院や、柵一面の有刺鉄線より、茂吉の陽性老人パワーに圧倒されている。
 茂吉は立ったまま、嬉々として弁当を使いはじめた。
 島本が吉田に言った。
「それじゃ、お願いできるかな」
「はい」
 吉田は懐からスマホを取り出し、高見を呼び出した。
「吉田です。ただいま帰りました」
 高見も当然、門前の一群を、屋内のモニターで窺っているはずである。
『……また妙な連中が増えたものだな』
 高見の声に、さほど動じた様子はなかった。
『私としては、吉田君、君の真意が知りたい』
 吉田を疑っている口調でもない。あくまで、いつもの平坦な声である。
 吉田は、努めて穏やかに言った。
「昨日とは、違うお客様がおります。ご覧になれますか?」
『大人の数は減ったようだが……その三人は子供か?』
 門格子に張られた有刺鉄線が密すぎて、カメラ越しでは不明瞭なのだろう。
 屋上の軒にある監視カメラの位置を察し、吉田と島本は、皆を私道の端から、林の少し奥まで退かせた。そこなら、少なくとも上半身は柵越しに見える。
 島本は子供たちに、最上階を指さしてみせた。
「高見さんは、あそこにあるカメラで、ここを見てるんだ」
 綾音が瞳を輝かせ、こっちこっち、と言うように、ひらひらと手を振った。
 高見の応答が途絶えた。
 しばしの沈黙ののち、
『……吉田君』
「はい」
『良平さんに代わってくれ』
 吉田は西崎老人にスマホを渡した。
 スマホの形態に馴染みがないらしく、西崎老人は覚束ない手つきで受け取った。
「携帯と同じです」
 島本が助言すると、西崎老人も心得て、
「――やあ、俊彦」
『良平さん……』
「すまんが、また来たよ」
『良平さん、あなたは何を考えているのですか』
 冷ややかに高見は言った。
『妙な茶番は、やめていただきたい』
「茶番はないだろう」
 西崎老人は、片手で綾音の頭をなでながら、
「ご覧のとおり綾音さんが、わざわざ飯田から、君を見舞いに来てくれたんだ」
 綾音が、こくこくとうなずいた。
 かなりの間を置いて、高見は呻くように言った。
『あなたの血縁のお子さんなら、それは似た子もいるでしょう。そんな昔の服まで着せて、かわいそうに、風邪をひきますよ』
「そう思うのも無理はないが、話せば長いことながら――」
『おやめなさい!』
 高見の声が、いきなり激昂した。
『今さら何も聞く気はない! 綾音はここにいる! あの血に染まった服のまま、今もこの部屋の隅で、不様な私に薄ら笑いを浮かべているんだ!』
 不自由な口元から発せられる絶叫に近い声は、不明瞭になればなるほど、誰の耳にも切実に響いた。
「おい俊彦! もしもし!」
 西崎老人は、消沈してスマホを吉田に返した。
「……切れちまった」
 島本が吉田に言った。
「逆効果だったかな?」
「いいえ、まだ……」
 吉田は頭を振った。
「時を待ちましょう」
 先生の激情は、そう長くは続かない。確かに日々、残された半身を根気よく鍛えてはいるが、人として歳を重ねる限り、心の内の若さだけは繋ぎ止められないのである。
 数分待って、吉田は再コールした。
「――高見先生、私です」
 高見の息づかいが鎮まっているのを、受話口越しに聴き定め、
「ひとつだけ、お願いがあります」
『……なんだ』
「この水玉のワンピースのお嬢さんを、最大限にズームアップしていただけますか。その後の判断は、先生にお任せします」
 優太は吉田の意を察し、ぱたぱたと手を振り続けている綾音に言った。
「ごめん、ちょっとお行儀良くしてて」
 美紀も優しく手を添えて、
「俊彦兄ちゃんが、よく見えないんだって」
 綾音は、ん、とうなずき、気を付け状態でしゃっちょこばった。
 島本が吉田に耳打ちした。
「どこまで見えるかな、モニターで」
 吉田はスマホの送話口を指で塞ぎ、
「大丈夫。ただの防犯カメラじゃありません。公安御用達のシステムです。昼間なら柵に止まった雀だって追尾できます」
 確かに見えている――。
 吉田は受話口を通して、ありありと感じ取っていた。
 高見が息を呑む気配。
 困惑、懐疑、さらなる困惑と懐疑、そして、その幾たびもの反復。
 やがて――胸奥から湧き上がる過去の何物かが、沈々と心を浸してゆく気配。
 数年間、その老いた神の御座に控え、仕え続けてきたのである。言葉や理解ではなく、多く沈黙への敬意と同調によって。
「――高見先生」
 吉田は呼びかけた。
 返事はない。
 しかし首肯の気配は感じる。
「先生」
 吉田は、あえて訊ねた。
「――そちらの綾音さんは、今、どうしておられますか」
 過去から訪れた過去そのものに、幻の過去は、どう応じるのか――。
 そう、たとえば幾たびもの長い冬、夜半過ぎの炉端に車椅子を寄せ、仄暗い炎にちらちらと揺らぎながらグラスを傾け、少しずつ少しずつ、不自由な唇の片端に染みこませるようにブランデーを召し上がるとき――高見先生は、いったい何を想っていらしたのか。
 主が何を想っているかなど、一介の下僕には知る術もない。しかし、少なくとも先生がそうしている間だけは、あの血塗れの亡霊もまた、仄暗い炎の明かりさえ届かない部屋の隅の闇でただ沈黙し、先生の長い沈黙を、あえて妨げようとしなかったのではなかったか――。
 茂吉が難しい顔で、空になった弁当の経木箱を焚き火に放った。
 島本は、つい独りごちた。
「……ずいぶん長いな」
 吉田も、独りごちるように、
「……自分の罪は、自分で許すしかありません。そして誠実な人ほど、自分の罪を許すのには時間がかかります。相手に許されたからといって、易々と自分を許してしまう人間など、私は信じません」
「なるほど。どうりで君は、なんだか嬉しそうだ」
 これは長期戦になりそうだな――。
 黙りこんでいる大人たちの横で、美紀が言った。
「勝手すぎるよ」
 かなり低めのアルト、見るからにご機嫌斜めである。
「そんなの、ただの自分勝手だよ」
 大人たちの怪訝な視線を集めながら、美紀は、先の言葉を紡げない。
 優太が助太刀した。
「えーと、つまり許すとか許されるとか、そーゆーのは関係ないと思うんです。綾音ちゃんは、ただ高見さんといっしょにいたいだけなんで」
 美紀は、そうそうそうそう、とうなずいた。
 もとより綾音は、遙か先にいる誰かさんのことしか心にない。
「そうだよな……」
 茂が、誰にともなく、
「自分が誰をどう傷つけたかなんて、自分を基準に悔やんでも仕方がない。問題は、相手が真にどうであったか……どうであるのか……」
 そう言いかけて、ふと空を仰ぎ、
「……風花?」
 また雪が舞いはじめている。
「――動いたぜ」
 茂吉が、目敏く門の奥を示した。最高齢だけに、近場はぼやけるが遠目は利く。
 正面玄関の自動ドアが、確かに開きはじめていた。
「先生! 高見先生!」
 門前に駆け寄りながらスマホに問いかけた吉田は、一同を振り返り、
「……切れてます」
 彼方のポーチに、あの車椅子と、白い姿が現れた。
 風花のような細雪が、やがて雪虫の綿毛のように膨らみながら、前庭に飛び交いはじめる。
 その中を、高見は思い詰めた顔で、ぎりぎりと近づいてきた。膝に掛けた毛布の両端から、猟銃の銃床と銃身が覗いている。
 門を隔てて、高見が止まった。
 片手と脇の下で、おもむろに銃を構え、
「……どこへやった」
 昨日は狂的なりに澄んでいた右目までが、雨林の沼のように濁りを帯びている。
「私の綾音をどこにやった!」
 その銃口は直前の吉田ではなく、背後の良平に向いていた。
 いかん、やっぱり逆効果か――。
 吉田は銃口の直前に身を躍らせた。
 島本が叫んだ。
「伏せろ!」
 西崎老人は綾音を、優太は美紀をかばうようにして地に伏せる。
 雪空を突いて銃声が響いた。
 直前、銃口は空に向いていた。
 優作がダッシュして門をすり抜け、高見を猟銃ごと羽交い締めにしたのである。
 しかし箍の外れた高見の力を、優作でも押さえきれない。
「うわ! 爺さん鍛えてるわ」
 半身だけの抵抗なのに、あちこち揺らすのが精一杯だ。
 さらに二発、方向違いに放たれる。
「わぢぢぢぢぢぢ!」
 優作は銃身を掴んだまま悲鳴を上げた。
「熱いんだこれが」
 空薬莢のひとつが、おでこを直撃したりもする。
「うわ死ぬ」
 もう死んでいても痛いものは痛い。相手を押さえつける以上、その他のモノも物理的に無視できないのである。
 幸い、それ以上の発砲はなかった。日本の厳格な猟銃規制、三連発上限のおかげである。
 やがて高見は、力尽きたように沈静した。
 優作は念のため、猟銃を地に払った。
 OK、一丁上がり――。
 優作は優太に、どんなもんだい、と笑ってみせた。
 無論その姿は、優太と綾音にしか見えない。他の一同には、錯乱した高見が銃を扱いかねて暴れながら乱射した、そんなふうに見えている。
 とりあえず落ち着いたようだ――一同は立ち上がった。
 西崎老人が、ゆっくりと門格子に歩を進め、吉田に代わって高見と対峙した。
「……思い出してくれ、俊彦」
 高見はぐったりと車椅子に沈み、虚ろなまなざしを地にさまよわせている。
「本当の綾音さんを思い出してくれ」
 西崎老人は、続けて言った。
「あの日――お前を刺そうとしたときだって、綾音さんはどんな顔をしていた? お前を恨んでいたか? 憎しみで顔を歪めていたか? ――そうじゃないだろう。ただ泣いていただろう」
 高見のまなざしが、一点に定まった。西崎の顔までは上がっていない。ややうつむきかげんのまま、おそらくは遙かな過去を見つめている。
「綾音さんは、いっしょにいたかっただけなんだよ。お前と死ぬまで、いや、死んでからもずっとな」
 固唾を呑んで見守る背後の一同の中、綾音が、隣の美紀を見上げた。
 ――おねえちゃん、あれ、ちょうだい。
 察した美紀は、ん、とうなずき、背中のバックパックを優太に向けた。
 ――ほい。
 ――うん。
 優太が阿吽の呼吸で、美紀のバックパックのファスナーを開く。
 あの宝石箱が、なんかいろいろの奥に、しまいこまれているはずだ。
 優太が、それっぽいキルト包みを手探りでつかみ出すと、何か別の白い布きれも、指に引っかかってきた。
「……?」
 優太が正体を見定める暇もなく、
「!」
 美紀は即刻キルトごと奪回し、その白っぽい布だけポケットにしまいこんだ。どうやら、あのキティちゃんのワンポイント・ショーツだったらしい。
 美紀はジト目で優太を睨みつけた。
 ――見たな。
 ――ごめん。
 まあ、わざとじゃないらしいから、ここは許したげよう――美紀は気を取り直して、キルト包みをほどいた。
 あの朽ちかけた宝石箱を、綾音の小さな手に乗せてやる。
 綾音はちまちまと蓋を開け、嬉しそうに頬笑んだ。
 蓋を開いたまま両手に乗せ、とととととと門に駆け寄って、西崎の横から高見に差し出す。
 ――ほら、見て見て。
 その指輪は、もう昨夜のように鮮やかに輝いてはいなかった。美紀が幼稚園の頃に裏庭で見つけたときと同じ、劣化したアンチモニーと、退色した赤ペンキの形骸である。
 しかし、おずおずと顔を上げる高見の目に映った指輪は、鉄条網越しの潤んだ視界の中で、銀と紅玉の光を湛えていた。
「綾音……」
 指輪から、さらに視線を上げる高見に、綾音は無邪気な笑顔のまま、
「俊彦にいちゃん……」
 それだけ言うと、宝石箱を乗せたままの掌を、目の前の門格子に、ひょい、と押し当てた。
 いけない、荊棘線で怪我を――。
 高見も皆も、揃って手を差し伸べる。
 刹那、その場にいる綾音以外全員の目が、一瞬にして点になった。
 綾音の掌を起点として、緑色の円が広がりはじめた。
 門格子を覆う鉄条網が、淡緑の蔦と葉々に変わってゆく。
 その密生した蔦は、みるみる門格子を覆い尽くすと、病院の敷地外周を取り囲む柵全体にも、微速度撮影したネイチャー映像のように急速に広がっていった。
 呆気にとられて辺りを見渡していた一同は、ふと、宙に舞う雪のひとひらひとひらが、なにか別の色に変わっていることにも気づいた。
 淡い桃色――桜色。
 桜色なのも道理、雪ではなく、舞っているのは桜の花びらである。
 西崎老人が門の奥に目をやり、惚《ほう》けたように言った。
「病院……」
 蔦の絡まる柵と満開の桜の木々に囲まれた、瀟洒な和洋折衷の木造病院が、そこに建っていた。
「西崎病院……」
 敷地面積や建坪は、あの廃病院の四分の一ほどか。門も小ぶりだし、外周の柵も低い。しかし階上に設けられた時計塔の瓦屋根は、春霞の空に、あの廃病院と同じほど高く浮かんでいる。
 その玄妙なイリュージョンになかば酔っぱらってしまった美紀は、瞳に古式ゆかしいキラキラ星を浮かべながら、優太に言った。
「……きれいだねえ。うちの学校に、ちょっと似てるみたい」
「うん……」
 優太も夢見心地でうなずいた。
 西崎老人が陶然と言った。
「同じ人の設計なんだよ。大正時代の擬洋風建築だ」
 蔦に彩られた格子門が、音もなく中央から分かれはじめた。
 綾音が歩を進めるにつれて、門扉も、おのずから易々と左右に開いてゆく。
 こりゃすげえ――。
 優作は、たじたじと高見の車椅子から離れた。
 こりゃもう、俺の出る幕はなさそうだ――。
 高見は、ぎくしゃくと車椅子の向きを変えながら周囲を見渡し、ただ呆気にとられている。
 やがて、高見が病院を見上げながら車椅子を止めると、綾音はその前に回り、高見の膝に宝石箱を置いて、小鳥が囀るようにつぶやいた。
「……お嫁さん」
 はにかみながら、左手を差し出す。
 高見は数瞬ためらっていたが、
「綾音……」
 強張っていた顔の右半面をゆるゆると緩め、膝の指輪をつまみ、そっと綾音の幼い薬指に嵌めてやる。
 すうっ、と、また景色が変わった。
 雪は元の雪に。
 廃病院も、閉ざされた巨大な箱に。
 しかし綾音は幼い姿のまま、高見の目の前で、林檎のように頬を染めている。
 ――現実なのだ――
 高見は果てしない渇望の隘路から、あの中学一年の夏、初めてのデパートで綾音と回転木馬に乗ったときのような翳りない充足へと、すみやかに時をすり抜けていた。

 微動だにせず門外から様子を見守る一同には、門内のふたりの顔が見えない。
 鉄条網に覆われた門扉が今は開き、その狭間から、高見の車椅子の背中だけが見えている。
 長い沈黙を経て、高見が車椅子をこちらに向けた。
「――吉田君」
 もう沼のような目ではなかった。
 吉田はその表情に、澄んだ湖を想った。
 人の心の濁った澱《おり》は、消え去ることはなくとも、底深く沈めることはできる。
「はい、先生」
「帰ったばかりで済まないが、もう一度、使いを頼まれてくれないか」
「はい」
「峰館の十一屋のマドレーヌを」
「はあ?」
「うちの冷蔵庫には、甘いものが何もないだろう」
 西崎老人が、他の一同にささやいた。
「綾音さんの好物だよ」
 彼もまた湖の漣《さざなみ》のように微笑している。
 吉田は西崎に訊ねた。
「あの、ジュウイチヤって……」
「峰館の洋菓子屋さ。老舗のな」
 今となっては昭和レトロのややモッサリとした風味だが、昔の子供にとっては立派なヨーロピアンである。
 車椅子の後ろから綾音が顔を出し、ひらひらと左手を振って見せた。
 ――見て見て、指輪。
 美紀は、ガッツ・ポーズで応えた。
 ――やったね綾音ちゃん!
 優太も、ほこほこと手を振った。
 綾音の横で、優作がVサインを出しまくっている。

     4

 雪の前庭、高見の車椅子を押して――わざわざ押さなくとも、高見の力なら勝手に進むのだが――正面玄関に入る直前、綾音は門を振り返り、美紀と優太にぱたぱた手を振った。
 ふたりも元気に手を振り返す。もとい美紀は、さっきからずっと振りっぱなしである。
 高見と綾音がつつがなく入棟するのを見届け、吉田は改めて一同に頭を下げた。
「ありがとうございました」
 総監謁見式級の最敬礼を受け、元警官の西崎老人は、反射的に二の腕水平の敬礼を返した。
 島本が吉田に言った。
「次のお使い、大変だね。県境を越えて往復しなきゃな」
 吉田は苦笑している。
「まさか、このタンク車で行くわけじゃないだろ」
「はい。とりあえず裏に入れて、ランクルで出ます」
「峰館は走ったことある?」
「いえ、実は一度も」
「道案内しよう。ここまで乗せてくれたお礼だ。俺の部屋、十一屋の近所だから。って、これじゃ俺がまた便乗するってことか」
「いえ、よろしくお願いします」
 吉田のタンク車が門内に去ると、茂吉が皆に言った。
「さて、任務は無事終了、あっちこっちに報告しなきゃならんわけだが――」
 美紀に目配せし、
「親父さんとお袋さんによろしくな、美紀ちゃん」
 美紀は、え? え? みたいな顔で、
「あの……えーと」
 ――自分で報告?
 考えてみれば、いや考えなくとも当然なのだが――ふたりがいっしょの車でこっちに向かっているとすれば、運転しているのは、まず父さんだ。とゆーことは、どのみち携帯に出るのは母さんだ。
 ――恐いよう。
 思わず救いを求めて視線をさまよわせ、優太と目が合う。なにかと甘い優太君なら、もしかして――。
 しかし優太も人の子として、愛の鞭、ふるふるで応じるしかない。
 ごめん。でもやっぱし、ここは親子の情を優先しないと――。
「……きっと心配してるよ」
「がーん!」
 まあ、そんな剽軽な反応を見せた時点で、美紀も覚悟はできているわけである。
 恐る恐る、携帯をぽちぽちする。相手は、初めから母さんだ。
「あ、お母さ――」
 言いかけて美紀は、いきなり顔をしかめ、携帯を持つ手を力いっぱい遠ざけた。鼓膜が破れそうな気がしたのである。
 何度か耳に当て直しては、そのつど携帯を宙に遠ざけ、
「……何言ってんのかわかんない」
 遠ざけたまんま、優太に、そう報告する。
 だろうね、と優太は微妙にうなずいた。ふつうの母の愛、つまり超天然ではない母の愛は、きっとそーゆーものなのだ。
 美紀は腹をくくって、ふう、と深呼吸し、それから晴天の旭日のように元気よく、
「うん! だいじょぶだからお母さん! オールOK! ぜーんぶうまくいったから! うん、今まだ雄鹿! これからみんなで帰るから!」
 その後の美紀の表情から見るに、なんぼか淑子は沈静したらしい。
「――うん。――うん。――いやそりゃちょっと、危機イッパツもあったりしたけど」
 あ、そーゆーのは今じゃなくて後にしといたほうが――見守る一同は、美紀に激しくぱたぱたサインを送ったが、もう遅かった。
 ちょっと離れて聴いている優作の耳まで、何やら金切り声の詰問が届いた。
 また携帯を耳から離したりくっつけたり、対処に窮した美紀は、
「――お母さん! ちょっとお母さん今どこ? ――どこ? ――もうすぐ仙代? じゃあ、仙代で待っててよ! みんなでお祝いしよう! イッキに問題解決パーティー!」
 母親が挟もうとする疑義を、駻馬のごとく蹴散らしながら、
「大都会の高級レストランで夜景見ながらスペシャル・ディナー! うんうんそれがいいよ! そうしようそうしよう! 委細面談、んじゃまた!」
 そうまくしたて、ぱん、と携帯を畳み、がっくりとうなだれる。
「……ふう」
 うわ美紀ちゃん、こーゆー人生に疲れたおばさんみたいな声も出せるんだ――優太は感心してしまった。
 茂吉が苦笑いしながら言った。
「いいんじゃねえか、とりあえずみんなで落ち合うのも。あっちのカオルちゃんにも連絡しとこう」

「……ふう」
 助手席で携帯を閉じた淑子の溜息が、雄鹿の美紀とほぼ同じ音程でハモっていることなどは露知らず、泰蔵はハンドルを握りながら破顔していた。
 妻が娘に対して、ここまで激しくロッテンマイヤー化したのは何年ぶりだろう。
 静かになった妻をちらりと横目で窺うと、悪鬼から子供と安産の守り神に更生した鬼子母神のような、慈愛に満ちた表情をしている。
 我が妻ながら、やっぱり美しいよなあ、昔も今も。
 若かりし日々、今ならストーカー法で訴えられかねないほど、しつこく口説いた甲斐は確かにあったわけである。
「なんだかよくわからんが、無事に済んだらしいな。ま、案ずるより産むが易しだ」
「まあね……」
 淑子は、まったくもう、と首を振り、
「『仙代で晩ご飯食べたいから待ってて』だって。呑気なものよ。親の心子知らず」
「知ってると思うぞ」
 泰蔵は何気なく、
「お前がそう育てた」
 淑子は泰蔵に、ちらりと若やいだ目を流した。
 ――あなたもね。
 妻の内心で、夫がちょっとランクアップしたりしているのを知るや知らずや、泰蔵は言った。
「時間ができちまったな。青葉城で雪見でもするか」
 峰館自動車道を抜けて東北自動車道に入ったあたりから、小雪がちらついている。峰館が雪でもこっちは晴れのパターンが多いのに、不思議な天候だ。
 仙代南ICが近づいた頃、ダッシュボードで泰蔵の携帯が鳴った。メールの着信である。
「見てくれないか」
「はい――茂吉さんからだわ。えーと『どっかつごうのいいとこで連絡してくれフクちゃん』――フクちゃんって何?」
「俺らしい。いつのまにかそうなってた」
 どうやら茂吉は、片仮名略称がマイブームらしい。
「せめて『ヤマちゃん』にしてくれんかなあ」
「『フクちゃん』――かわいくていいじゃない」
「可愛い鬼瓦はないだろう」
 自分の渾名が『鬼瓦』であることは、泰蔵も自覚している。ちなみに茂たちを受け持っていた頃は『ヤマブクロ』だった。泰蔵としては、そっちのほうが柔らかそうで好ましい。
「大丈夫。鬼瓦だって、そのうちゆるキャラになるわ」
 うちのロッテンマイヤー夫人もあんがいユルい――泰蔵は苦笑して、
「返信頼む。『了解』、それだけでいい」
「はい」
 間もなく見えてきた仙代南ICで、高速から下りる。
 当初は高速に乗ったまま、そこから東に分岐する仙代南部道路に曲がり、さらに東部道路を北上して雄鹿方面へまっしぐら、そんな予定だったのだが、市街に向かうなら一般道路のほうがいい。
 名鳥川を渡ったあたりで、コンビニを見つけ車を停める。
 すでに仙代市内だが、住宅が密集しはじめる手前の郊外、建てこんでいるのは道筋だけのようだ。
「ちょっとお花を摘んできますね」
 外では『トイレ』どころか『ご不浄』も口にしない淑子である。
「あなたはコーヒーでいい?」
「おう、頼む」
 泰蔵は車を降りず、茂吉に連絡を入れた。
『よ、フクちゃん』
 ここでシゲさんと呼んでしまうと、自分も一生フクちゃんになってしまいそうな気がして、
「美紀がお世話になりました」
 泰蔵は前置きを省略し、見えない茂吉に深々と頭を下げた。
『あ、いや俺はただ、ウスラボケっと様子見してただけだがな』
 茂吉は、ちょっと照れた声で、
『なんにせよ、まずは一件落着だ。それについちゃあ、美紀ちゃんが大活躍なんだが――おい美紀ちゃん――ありゃ、いねえな。便所かな』
「いや、元気ならいいんです。他の皆さんにも、よろしくお伝えください」
『今どこだい?』
「仙代に入ったばかりです。そちらは?」
『あの港の市場で、みんなで土産買ってるとこだ』
「ところで、これからの件なんですが」
『おう。いやな、さっきカオルちゃんに連絡とったら、今、朝売新聞の仙代支局にいるんだとさ。どっかで落ち合って、報告会っつーか打ち上げやりたいから、フクちゃんも連絡とってくれないか? そこにこっちが合流する、そんな流れでどうだ』
「了解――」
 しました、と言おうとしたところで、泰蔵は異様な、激しい揺れを感じた。
 ぐん、と、シートが上下左右同時に揺れ、弾みで尻が宙に遊ぶ。
『うわ!』
 茂吉の声も、ほぼ同時にとっちらかった。
『地震か――こりゃでけえぞ!』
 走行中の揺れとはまったく違う、なにか巨大な生物に車ごと鷲づかみにされ、ゆさゆさと揺さぶられるような感覚である。
 泰蔵は片手でハンドルにしがみついた。支えなしでは、もうシートに収まっていられない。
『うわ止まらねえ!』
 茂吉の声に、何かが派手に倒れる音や、転がり落ちる音が次々と重なった。
『あだだだだだだだだ!』
「シゲさん! シゲさん!」
 叫び、かつ揺れ続けながら、泰蔵は車の外に目をやった。
 コンビニ前の移動式電飾看板が上下左右に躍り、ケーブルを振り切って倒れた。
 数本の幟旗も、水を入れた重い台座が跳ねるにつれて根元が抜け、次々と倒れてゆく。
 分別ダストボックスは、重さに応じて移動したり転がったり、すでにてんでんばらばらだった。
 店内の棚は、本体自体は床から浮かないようだが、そのぶん床に合わせて激動するため個々の棚板が外れ、商品はざらざらと振り落とされてゆく。
 そうした個々の散乱をひっくるめ、コンビニ全体が、いや周囲の低層ビルや住宅を含めた視界全体が、雪空の下で車ごと攪拌されているのである。
『……ふう、死ぬかと思った』
「シゲさん!」
『おう、フクちゃん。しかし、こりゃ長え。長すぎる。――おい茂! 優――』
 そこで通信が途切れた。
「もしもし! シゲさん!」
 応答はない。
 コンビニから、淑子がまろび出てくるのが見えた。
「淑子!」
 泰蔵は、這うようにして車を出、よろめきながら淑子を抱きとめた。
「なんなの、これ!」
 さすがの淑子もパニックに陥っている。
 泰蔵は、持ち前の不動心を懸命に掻き立てた。
「こりゃ中のほうが――」
 しかし店内では、明らかに天井板が落ちはじめている。
「いや外――」
 しかし外の道でも、すぐに停まればいいものを無理に走り続けた車が、揺れにハンドルをとられて、停車中の車に衝突したりしている。そこに雑居ビルの電飾が落ちる。さらにアスファルトに亀裂が走る。
「――あっちだ!」
 コンビニと隣の倉庫の間、路地の奥に畑らしい広がりが見えた。
 淑子を支え、落下物に警戒しながら路地を抜ける。その足元さえ覚束ない。揺れは一向に治まらない。かつて見聞したこともない規模の大地震が、このまま永遠に続くのではないかと思えるほど『起こり続けて』いるのだ。
 関東大震災――阪神淡路大震災――そして今、これか?
 ようやく安全そうな畑地にたどり着き、わななく淑子をかばってうずくまりながら、泰蔵は、そうした歴史的大地震よりも、むしろ自身が中学の社会見学中に仙代で遭遇した、三陸沖北部地震を思い起こしていた。
 そのときは宮城も峰館も震度四止まり、青森や岩手に比べれば微々たる被害だったが、郊外の青葉城址を目指して仙代市街を走る観光バスの窓外、道筋のウインドーのマネキンが次々とガラスを破って舗道に倒れこんでくる有様を、泰蔵ははっきり記憶している。そして、それ以上に目を見張ったのは、高台の青葉山公園に着いてから見晴るかした、仙代沖の水平線だった。海を見慣れない山国の子供にとって、遙かな水平線の高さが、僅かとはいえ目で判るほど上がってゆく光景は、まさに大自然の驚異だった。
 泰蔵は必死に動悸をこらえた。
 この揺れは震度四の比ではない。五、いや、ことによったら六以上か。しかしどでかい揺れが続く割に、あたりの建物は看板や外壁の一部が崩れ散るくらいで、阪神淡路のように全体が倒壊する気配はない。もしや震源は遠方――また太平洋?
 泰蔵の腕の中で、淑子が咽ぶように言った。
「美紀……」
 揺れ続ける泰蔵の脳裏に、氷とも溶鉱ともつかぬ怖気が走った。
 美紀たちは、あの港町にいる。
 震源が太平洋の沖ならば――今日、海はどれほどせり上がる?




   Act.10 【繞《めぐ》りゆく世界】


      1

「……ふう、死ぬかと思った」
 運悪く、市場の最奥にある地域限定缶詰コーナーの壁際に立っていた茂吉は、大量の缶詰の雪崩に遭っていったん埋もれかけたが、なんとか自力で這いだしてきた。一見全身ズタボロだが、擦り切れたのは着衣や表皮だけなので大過はない。
『シゲさん!』
 まだ手元にあった携帯から、泰蔵の声が響いた。
「おう、フクちゃん。しかし、こりゃ長え。長すぎる」
 茂吉は応答しながら、家族を呼ばわった。
「おい茂! 優太!」
 茂が駆け寄って、もとい、いざり寄ってきた。
「親父!」
「おう!」
 半身を起こした茂吉は、携帯の通信が途切れているのに気づいた。見れば携帯は血塗れである。茂吉の顔や掌から滴った血が中まで染みこんだのか、あるいは回線自体が切れたのか。
「大丈夫か、親父!」
「なんてこたねえ。カスリ傷ばっかりだ」
 屋内は全ての照明が消えているが、天窓からの光でなんとか見渡せる。幸い市場内に、倒れっぱなしの死傷者は出ていないようだ。天井板のない武骨な倉庫のような上物なので、全体が倒壊しないかぎり、さほど重い落下物はない。天窓も網ガラスなので、枠ごと外れない限り降ってこない。散乱した店の什器や雑多な商品ががくがくと躍り回る中、人は皆、うずくまったり、あるいは逃げようとして足元が定まらずまた座りこんだり、てんでに身の安全を図っている。
 茂の後ろには、西崎老人の姿もあった。
「皆さん落ち着いて! 棚から離れて! 姿勢を低く! 火の元は消してください!」
 さすがは元警官、激震の中でも冷静を保っている。
 島本と吉田は、確か煙草を吸いに出ているはずだ。しかし、子供たちも見当たらない。
「優太は?」
「美紀ちゃんを探しに行った」
「美紀ちゃんは?」
「さっきトイレに」
「トイレっつーと、ここの奥か?」
 ならば、広い売り場より安全そうだ。
「いや、食堂のほうがきれいだからって」
 茂吉は血相を変えた。
「やべえぞ、そりゃ! あっちは火の気だらけのプレハブじゃねえか!」
 茂と西崎老人の手を借りて立ち上がろうとした茂吉は、散乱する無数の缶詰や魚介類に足を取られ、三人いっしょに転倒した。
「あだだだだだだ!」
 市場の床一面、足の踏み場もない状態で、什器も魚介も人々ごと攪拌中なのである。
 茂吉は顔に張りついたワカメを振り払いながら、
「こりゃいったい、いつまで揺れてんだ!」
 西崎老人もワカメまみれで、
「いくらなんでも、そろそろ……」
 確か阪神淡路でも、激震は二十秒以内で治まったはずだ。関東大震災だって、三十秒程度だったと聞いている。
 しかし、一向に揺れは治まらなかった。

 激震が始まったとき、島本と吉田は、市場の喫煙所にいた。
 喫煙所といっても、駐車場に面した出入口の横、寒空の下にベンチと縦長の灰皿が置かれているだけの喫煙者排他コーナーである。
 灰皿は一瞬にして倒れ、吸い殻まじりの水をアスファルトにぶちまけた。
「でかいぞ!」
 島本は、反射的にベンチの後ろに回ってうずくまった。吉田もつられて横にうずくまる。粗末なベンチになどしがみついても意味がないわけだが、なんであれ、大地が揺れれば何かにしがみつきたくなるのが人情である。
「こりゃハンパじゃない……」
 島本はベンチごと揺さぶられながら、落ち着け俺、落ち着け俺、と心の中で繰り返した。
 隣の吉田がスマホを取り出した。高見を心配したのだろう。
「……出ない」
「ネットは? 地震速報とか」
「はい」
 島本は固唾を呑んで、吉田のスマホを見守った。
 こう揺れながらでは、指の操作もままならない。ベンチを手がかりにしてさえ、立ち上がりかねるほどの揺れである。吉田の顔に苛立ちが募った。
「駄目か?」
「繋がりそうなんですが――安定しません――繋がった! ――いや、やっぱり駄目です」
 そのとき、すぐ横の入り口から、人影が飛び出してきた。
「優太君!」
 島本と吉田は、驚きながら感服していた。さっき美紀が食堂に入っていくのを、ふたりで見送っている。当然、優太の目的も解る。しかし、この状況で迷わず駆けだすこと自体、尋常な根性ではない。
 飛び出したとたんに、優太はずるりと横滑りして不様にアスファルトに転がったが、激震の中で機敏に立ち上がり、降り止まぬ雪の中を転がるように遠ざっていった。
 島本と吉田は揺れを忘れて立ち上がり、懸命に優太の後を追った。しかし足元が定まらず、十数メートル離れているだけの食堂に、なかなか近づけない。
「優太君! よせ! 治まってからにしろ!」
 聞こえているのかいないのか、優太はそのまま食堂を目指していた。こんな揺れの中だと、体が小さくて軽いほうが、チンパンジー的な四足歩行や三足歩行を駆使して先に進みやすいようだ。
 追う島本たちの足元に、びし、と亀裂が走った。
 吉田が足を取られて前のめりに転倒した。
 見れば駐車場全体に不規則な亀裂が生じ、浮いたアスファルトの隙間から土が覗いている。あくまでアスファルトと土壌の乖離から生じた亀裂であり、人が落ちこむような幅ではないが、眼前で地割れもどきを目撃するのは、島本も吉田も生まれて初めてだった。
 からくも転倒を免れた島本は、走り続けながら、再度、優太に叫んだ。
「止まれ! 優太君!」
 追いついた吉田が、感嘆するように言った。
「ありゃ止まらんでしょう」
「まあな」
 島本だって、あの中に妻の千鶴子がいるとしたら、なんとしても飛びこむ。
 食堂の戸口から、数人の客たちが倒けつ転びつ、わらわらと逃れ出るのが見えた。テーブルの下に潜んで揺れが治まるのを待つには、あまりに揺れが大きく長すぎたのだろう。
 島本は東京時代、防災関係施設で震度体験設備を取材したことがある。震度六を越える激震は、ほんの十数秒が何分にも感じられるのだ。
 幸い食事時はとうに過ぎており、まとめて戸口に殺到しても、修羅場になるほどの人数ではなかった。
 しかし、その中に美紀の姿はない。
 優太は人々の流れを逆に縫って、食堂の中に消えた。
「いけない!」
 吉田が叫んだ。
 耐震構造とは無縁の木造食堂が、地べたごと振り回されて土台付近に軋轢を生じ、明らかに傾きはじめている。
 島本は吉田に言った。
「君は車へ」
「いや私も」
「違う。情報が欲しい。ラジオならきっと繋がる」
 吉田はうなずき、駐車場半ばの車に向かった。
 島本はゴリラ的な三足四足歩行を駆使して先を急いだ。
 ――優太君! 美紀ちゃん!
 中では天井が落ちはじめているだろう。卓上の七輪だって、すべてが抜かりなく消火されているとは限らない。

 優太が食堂に転がりこむと、すでに内部は天井板や破片の雨だった。
 腕をかざして防ごうとする優太に、重複している優作が頭の中から助言した。
「優太! そいつを拾え!」
 足元に昭和レトロな木製の椅子が転がっている。粗末ながら頭を庇う幅はある。
 優太は頭上に椅子をかざし、床に散乱する諸々の間を、よろめきながら先に進んだ。
「ずいぶん慣れてきたじゃねえか」
 優作が言った。
「俺もだいぶ慣れてきたぞ。すっげームカムカするけどな」
 お願いですから俺の口の中で吐かないでくださいお兄さん――。
 床のあちこちで、七輪からぶちまけられた炭火に何かの破片が重なり、燻りはじめている。
 食堂全体がぎしぎしと揺らぎ、そろそろヤバい気もする。
 美紀ちゃんだけは無事に帰さなければ――。
 とにかく優太は、もうそれしか考えていなかった。
 奥のトイレの前で丸くなっている美紀を見つけ、優太は叫んだ。
「美紀ちゃん!」
 震えながら途方にくれていた美紀も、顔を上げて叫んだ。
「優太君!」
 そのとき優太の頭上から、天井板が盛大に振ってきた。ゴワゴワにちぎれた屋根裏の配管などもくっついているので、けっこう凶悪である。
「うげ」
 頭上の椅子で直撃は避けられたが、その椅子が優太の脳天を直撃し、優太は椅子ごと床にくずおれた。
「優太君!」
 美紀は我を忘れ、優太に駆け寄った。
「大丈夫!?」
 気丈に優太を抱き起こす。これでは立場が逆である。
「うぐぐぐぐ」
 朦朧と呻く優太を、優作が頭の中から励ました。
「がんばれ優太! まだ死んでねえ! ちゃんとこの子を助けてから死ね! 死んだら俺がいっしょに迷ってやる!」
 そ、それ励ましになってないですお兄さん――。
 などと双子漫才をやっている場合ではない。
「優太君!」
 切迫したアルトの響きに、優太が目を開けてみれば、直前すれすれに美紀の顔があった。
 ――ああ、汚れてとっちらかった顔も、ちゃんと可愛《かーい》いなあ美紀ちゃん。
 胸やおなかも、しっかりすりすりしているようだ。発展途上の体だって、ちゃんと暖《あった》かくて柔《やー》らかい。顔にかかる荒い息や唾《つばき》さえ、まるで絞りたてのミルクのように香《かぐわ》しいじゃないか――。
 優太は俄然、励まされてしまった。
 瞬時に気力を取り戻し、あちこち痛む体を起こす。人間、ときとして力いっぱい単純なのである。大自然の摂理もまた単純、さしもの激震も、いつしか弱まっている。
 入り口の方から、島本の絶叫が聞こえた。
「ふたりとも早く! 崩れるぞ!」
 揺れの余波はまだ残っているが、走れないほどではない。優太は美紀を包みこむようにして落下物から庇いながら、外の光に向かって駆けた。
 途中まで来ていた島本が、さらにふたりを庇いながら外に押し出す。
 アスファルトの亀裂を避けながら十メートルほど走ったあたりで、背後から轟音が響いた。
 三人は強烈な煽り風を受けて前のめりに転がった。
 食堂は、ただ崩れたのではなかった。調理場のガスでも漏れていたのか、倒壊しながら、その一角が爆発したのである。アクション映画のように派手な木っ端微塵ではないぶん、壁や屋根の破片は、ある程度原型を保った大きさで駐車場に飛散した。
 さすがにその状況だと、三人一緒のままでは転がれない。
 やがて爆風が治まったとき、三人は体の一部を重ねながら、てんでんばらばらの向きで地面に倒れていた。
 食堂の破片は、まだ宙から降ってくる。島本は、なおふたりを庇おうと、できるだけ覆い被さった。優太も、いちばん下で仰向きになっている美紀に、がばりと体を重ねた。
 すぐ間近で、不吉な音が響いた。薄い金属板が、激しくたわむような音である。同時にアスファルトにも、地震とは違う鈍い微震が走る。何か大きめの破片が直近に落ちたらしい。しかし島本も優太も、うつぶせ体勢なので正体は掴めない。
 やがて周囲が治まった頃、優太の下で美紀が呻いた。
「う……」
 眠りから覚めるように、うっすらと目を開く。
「美紀ちゃん……」
 よかった、無事だ――。
 優太が安堵した刹那、美紀は、いきなり顔をしかめて激しくのけぞった。
 ひゅう、と細い息を漏らした直後、力尽きたように気を失う。
「美紀ちゃん!」
 あわててその肩を揺さぶる優太の頭上で、
「え」
 半身を起こした島本が、何か奇妙な、呆けたような声を漏らした。
 見れば島本の顔は斜め横下を向いたまま、やはり呆けたように固まっている。
 島本の視線の先を目で追った優太は、
「え」
 やはり呆然と硬直してしまった。
 美紀の片足がない。
 もとい、斜めに投げだした右足の膝から少し下あたりに、何か大きな板のようなものが直立しており、そこから先が見えないのだ。
 その裂けて煤けたトタン板は、一辺がアスファルトに食いこんでいたため、つかのま立ったまま揺れていたが、やがて自重に耐えかねて、ぼそ、と三人の側に倒れかかった。
 島本が、おずおずと板の端を掴み、横にどける。
 広がる血だまりと、その先にある美紀の右足――ちょっと前まで体と繋がっていたはずの断面図を見つめながら、
「………………」
「………………」
「………………」
 優太の中にいる優作の脳味噌までが、真っ白いウニになった。
「え、えーと……」
 挙動に窮している場合ではない。
 三人とも一見ただしゃっちょこばりながら、しかし白化した脳味噌の内側では、ありとあらゆる記憶の中身を検索しまくっている。
 えーと――人間の手足が、スッパリもげてしまった場合――。
 そう、NHKかなんかのドキュメントかなんかで、見たことがあるはずなのだ。いや、間違いなく確かに見た。血管やら神経やらの接合方法まで、CGかなんかで、はっきりクッキリと――いや、そんな事を思い出しても仕方がない。その前に確か、事故再現映像や応急処置の心得なんかも、教養番組っぽく微に入り細に入り――。
 数瞬後、
「止血!」
「氷水!」
 島本と優太は顔を見合わせ、ほぼ同時に叫んだ。
「氷水!」
「止血!」
 うろたえて復唱したわけではない。島本が止血で優太は氷水、そんな役割分担に、お互いこくこくとうなずき合ったのである。
 優太が脱兎の如く市場に走った直後、吉田がその場に駆け寄ってきた。
「津波警報が――」
 そう叫びかけ、美紀の状態に愕然と目を見張る。
「…………」
「……これはもう、いわゆる緊縛止血しかないよな」
 腰の革ベルトを外しながら、やや自信なげに言う島本を、
「私がやります」
 吉田が制し、すばやく美紀の呼吸や脈動を確認しはじめた。
 そうか――島本の脳裏に一筋の光が射した。吉田君は交通機動隊員だったのだ。当然この手の訓練を受けている。事故現場の凄惨な負傷者にだって、何度も対処しているはずだ。
 無論、吉田は救急隊員や医師ではないから、日常的に応急処置の場数を踏んでいたわけではない。しかし、この状態の出血に、圧迫止血法で対処できないことくらいは自明の理だ。たとえ緊縛による神経壊死や虚血のリスクがあっても、まず本人の失血死を回避しなければならない。とりあえず自分のアーミーベルトが止血帯として使える。島本の革ベルトでは細くて堅すぎる。
「とりあえず移動を」
 崩れた食堂のあちこちから煙が上がっている。また爆発が起こらないとも限らない。余震がくる可能性もある。
 吉田は美紀を抱きかかえ、食堂から離れた駐車場の隅に移った。島本も美紀の右足首を貴重品のように捧げ持ち、その後に従う。そこなら崩れたり爆発したりしそうな物は周囲にない。
 島本のコートを地面に敷いて美紀を寝かせ、足首は吉田のブルゾンに乗せる。
 屋内から駆けてきた茂や茂吉や西崎老人が、驚愕して立ちすくんだ。優太とはすでに中で出会っているが、その説明があまりに性急で、おまけに氷やら水やら箱やら叫びながら高麗鼠のように駆け回るため、埒があかなかったのである。他にも数人の人々が、おっかなびっくり、その場を見守っている。
 吉田は応急止血を始めながら、非常事態に慣れていそうな西崎に、
「市場に救急箱か何かないでしょうか。包帯でもガーゼでも消毒液でも、使えそうなものはなんでも。専用の止血帯、それに何か副木《そえぎ》になるものがあればありがたいのですが」
「了解!」
 西崎老人は即座に市場に走った。
「あと――」
 吉田は、傍らの足首に目をやり、
「こちらも大切に保存しなければ」
「そっちも了解!」
 島本も脱兎の如く市場に向かった。ようやく気が落ち着き、あの番組の映像が頭の中でリプレイされている。もげてしまった手足を後で元どおりくっつけるためには、氷水以外にも種々の望ましい物件が要るのだ。優太君のことだから、たぶん承知で頑張っているとは思うが――。

     2

 田舎の魚市場とはいえ、いや魚市場だからこそ、雑駁に見えて食品衛生法にはやかましい。
 優太や島本が求める物件は、市場の人々の協力もあって、すぐに調達できた。
 ふくらはぎの中程で切断された美紀の右足は、清潔なタオルにくるまれ、ビニール袋で密封され、氷水の満たされた防水箱に収まった。凍ってはいけない。暖まってもいけない。ある種の超高級魚に似た扱いである。美紀自身の応急処置も、さすがに専用の止血帯はなかったものの、吉田と西崎老人によって、できる限り施された。
 あの食堂跡は、もはや巨大な焚き火と化している。再爆発しないのを見ると、そもそもガスが止まっているのだろう。消防車など来ない。町のあちこちで火災が発生し、消防団も手一杯なのだ。
 すでに周囲には、中年の市場長ひとりを残し、他の人々の姿はない。先刻、揺れが治まった直後に津波警報が出ている。電池式のラジオが情報源だ。役場の防災無線は、破損したのか音沙汰がない。固定電話も携帯も機能していない。停電しているのでテレビも論外だ。充電式のパソコンやスマホさえ、現在その近辺ではネットに接続できなくなっていた。
 役場の車が町内を回りながら、大音量で避難を呼びかけ続けている。
「ここいらは六メートルだとよ」
 茂吉が渋面で言った。
「とんでもねえのが来るな」
 最初にその警報が出たことが、むしろ幸運であることを、この時点では誰も知らない。地域によっては三メートルの予報を鵜呑みにし、ほとんど避難を始めていないところもある。遙か太平洋沖の震源から届く津波を正確に予測するのに、沿岸全域はあまりに広大すぎた。
「あんたも早いとこ逃げなよ」
 茂吉が市場長に言うと、
「役場の屋上で凌げます」
「役場ごと流されるかも知れねえぞ」
「まさか、そこまでは」
 場所柄、市場長も何度か津波警報を経験している。警報どおりの津波が届いたことは一度もなく、いわゆる『狼少年』的な印象が拭えない。それに現在の港には、防波堤もあれば防潮堤もある。どちらも最低限の規模にしろ、ある程度は津波の威力を押さえられる。親の世代が経験したチリ津波級の大物が来ても、町半ばの役場なら大丈夫という話だった。
「――終わりました」
 吉田が言うと、茂吉は皆を叱咤するように、
「よし、行こうぜ!」
 美紀はできるだけ患部を上げて横たえねばならない。体自体を支えるだけでなく、副木で固定した右足を斜め上に保つ必要がある。
 吉田のランドクルーザーの後部スペースに美紀と介添え役の優太、助手席に島本、残りは茂の車で例の防水箱を携え、西の丘陵に向かう。早い話、あの廃病院に逆戻りである。吉田はどうしても高見の安否を確かめたいし、あそこまで上がれば津波も届かないだろう。そして何より、そこなら衛星電話が繋がると吉田は言う。
「そんな物まであるのか?」
「はい。非常事態に備え、たいがいの設備は」
「電源は大丈夫かな」
「発電機が破損しても蓄電池が使えます」
「ありがたい。とにかく着きさえすれば、どこかには繋がるわけだ」
 衛星電話は、それ自体破損しない限り、地上がどんな状態でも人工衛星が静止軌道上にあれば繋がる。自衛隊や海上保安庁も使っているし、民間でも、船舶や高山の施設などで広く使われている。
「しかし問題は、ドクターヘリやレスキューが、すぐに手配できるかどうかです」
 吉田の言に、島本は顔をしかめた。あのドキュメント番組によると、切断された四肢の接合手術は六時間以内が望ましい。ぎりぎりのタイムリミットが、確か八時間だ。それまでに、そうした高度な処置が可能な医療機関に委ねなければならない。
 道筋の路面が激震で傷み、崩れたブロック塀なども散乱しているため、スピードは稼げなかった。何事もなければ数分の距離を、迂回を繰り返しながら、とにかく廃病院を目指す。
 ラジオでは、東日本全体の大混乱のニュースが流れっぱなしである。建物の倒壊は阪神淡路大震災より不思議なほど少ないらしいが、場所によっては震度七の激震を記録している。当然、救援関係も医療関係も一気に大車輪だろうし、機能停止している機関も多いに違いない。
 後ろで美紀の容態を見守っている優太も、不安が募るばかりだった。美紀の右足の出血はほぼ止まっているが、定期的に緊縛を緩めてある程度血を流さないと、緊縛した先の部分が壊死してしまう。もし接合手術に間に合いそうもなかったら、失血死を避けて止血を徹底する、つまり生涯の不虞を選ぶしかないのだ。
 優太にとって、気を失ったままの美紀に苦渋の色がないのが、せめてもの救いだった。顔だけ見れば、ちょっと具合が悪くなって保健室で寝ている女子のようだ。これがもし、去年スキー教室で無茶をやって足首を骨折した男子みたいに七転八倒していたら、優太だって、とても冷静ではいられない。
 ――ビビるな俺。最悪でも、美紀ちゃんが命を失うことはないはずだ。そして人間、手足を失ったって生き続けられる。そんな人たちの本もたくさん読んだ。美紀ちゃんの性格なら、片足の人生だって、きっと明るく生きられる。俺だって無問題だ。
 しかし――。
 今もし優太の前に、神様だか悪魔だかがドラえもんに化けて現れ、「君の魂と引き替えに、一日だけタケコプターを貸してやろう」とか持ちかけたら、優太は喜んでタケコプターを選んだだろう。

 港と廃病院の半ば、そろそろ県有林に近い緩やかな上り道を走っていると、集落の田舎家の縁側に人影が見えた。その奥の座敷でも何人か、散乱した家財を片付けているようだ。
 先行していた吉田は思わずスピードを緩め、垣根の横に車を停めた。
 島本が縁側に叫んだ。
「逃げないんですか!」
 縁側に座った老人は、のんびりした声で言った。
「大丈夫さ。どんな津波も、ここまで届いたことはねえ。先祖代々、いっぺんもな」
「でも……」
「ありがとうよ」
 気にしないで行きな――そんな表情で老人は手を振った。かなりの老齢である。そもそも足腰が立たないのかもしれない。中の家人も、島本たちに軽く頭を下げただけで、片付けを続けている。
 後ろから、茂たちの車が追いついてきた。
「行きましょう」
 吉田は車を発進させた。すでに港も見えないところまで来ている。十中八九、老人の判断のほうが正しいのだろう。
 島本もうなずき、先を急ぐ。
 しかし、それから幾らもたたないうちに、ラジオのニュースが切迫した緊急情報に切り替わった。津波警報が更新されたのである。
「十メートル!?」
 島本は悲鳴に近い声を上げた。
 落ち着け俺落ち着け俺落ち着け俺――島本は心の中で三回唱えてから、吉田に訊ねた。
「……病院あたりの海抜は?」
 吉田は強張った顔で、
「確か十二メートルちょっとです」
 三方の丘陵に届くまでは、僅かな勾配しかない町なのである。
 後ろの優太も、危機の大増幅を悟っていた。津波には遡上高というものがある。確か何かの本で読んだ。海岸では数メートルだった津波が、地形によって嵩を増し、海から遠い高台の集落を押し流したことも――二メートルの差など物の数ではない。
「まあ、鉄筋の四階建てだからな」
 島本が、自分に言い聞かせるようにつぶやくと、
「しかし高見先生は……衛星電話も危ない」
「なんで?」
「エレベーターも階段も封鎖されているのです」
「っつーことは……外窓だけじゃなく、内側も一階ポッキリ?」
「はい」
「外階段は?」
「撤去しました」
「……なんで?」
「防犯のためです」
 そ、そんな、落下傘部隊が攻めてくるわけじゃあるまいし――。
 唖然とする島本に、吉田は付け加えた。
「先生の生活にも不必要ですから」
「でも、上に監視カメラとか……」
「現状、屋上に繋がっているのは裏の避難梯子だけなんです。カメラやアンテナのメンテは、私がそれで」
「避難梯子……あの、もしかして地べたまで繋がってないやつ?」
「はい」
 中層建築の外壁に設けられる避難梯子は、悪戯者や侵入者が勝手によじ登らないように、たいがい一階の途中で切れている。そこから飛び降りるのは楽勝だが、上がるのは脚立でもなければ無理だ。
 もはや分単位の勝負かもしれない――島本は後ろの優太に叫んだ。
「揺らしたくないけど飛ばす! 美紀ちゃんをしっかり支えててくれ!」
「はい!」
 みんな五体満足なら、病院など素通りして裏の丘陵に駆け上れば済む。しかし高見の安否や美紀の容態を、このまま看過できるはずもない。
 それぞれの脳裏には、最前会話したあの老人や、一家の姿も浮かんでいる。
 しかし人間、人である限り、万人相手の神にはなれないのだ。誰の神であるか誰の悪魔であるか――あの家族が新しい警報を聞いて、自発的に逃げ出すことを祈るしかなかった。

 もっとも、すでに人間をやめている優作は別である。
 優作は、へばりついていたルーフから、ひらりと身を躍らせた。
 優太たちの今後も大いに気になるが、あの爺ちゃんたちを放置したのでは、あまりに寝覚めが悪い。優作の場合、下手をすると未来永劫、寝覚めが悪いままになってしまう恐れがある。
 優作は、後続していた茂たちの車をやり過ごし、元来た道を逆に駆け下りた。優太だけがそれを見送り、活躍を祈った。
 優作が、あの田舎家に駆けこむと、ラジオで新しい警報が流れているにも関わらず、老人も家人たちも、まだ座敷内で立ち騒いでいた。引っくり返ったどでかい仏壇の下から、位牌やら何やらを回収しようとしているらしい。
 ――ほっとけよ、んなもんキモチだけなんだから。
 優作は舌打ちした。優作自身、気持ちだけみたいなものである。
 ――んでもこの際、そーゆー古いキモチは使えるかもしんない。
 優作は、畳に投げだされていた綿入れ半纏に目を止めた。
 その半纏のキモチだけ、ひょい、と拝借し、自分の革ジャンが隠れるようにすっぽり羽織る。
 それから爺さんたちをすり抜けて仏壇の下にのたくりこみ、すかさず第三者可視モードになって、仏壇の背板から、ぬい、と半身を突き出し、
「よう」
「わ」
 くの字に折れ曲がっていた爺さんの腰が垂直に伸びた。他の家族も仰天している。それはそうだろう。通常、仏壇の裏から子供は生えてこない。
「オイラ、座敷童だ」
 優作は、そこそこ厳かに言った。
「挨拶するのは初めてだけど、実は昔から、ここんちに世話になってた」
 先祖を騙ろうかとも思ったのだが、若死にしたご先祖様がいるとは限らない。
「でも、悪いけど逃げだすぞ。津波が来る。今度の津波はハンパじゃない。下手すりゃここいらも流される。あんたたちもすぐ逃げろ。いや、今まで世話になったお礼に、そんだけ教えとこうと思ってな」
 優作はそれだけ言って、ぬぼ、と全身を現し、縁側から庭に駆けだした。
「じゃあまた」
 ジーパンの座敷童はちょっとアレな気もするが、明治末期以降に生まれた座敷童なら、穿いていても不思議はないのである。
 垣根を抜けたあたりで不可視モードに戻り、中の様子を見守ると、じきに爺さんを背負ったおっさんや、その他の家族がわらわらと逃げてきて自家用車に収まった。つつがなく丘陵方向を目指している。
 よし、一丁上がり――。
 せっかく下りてきたついでに、集落の他の家々もチェックしてみる。
 案の定、警報を『狼少年』的に受け止めて様子見に居残っている連中が、けっこういた。外出している家族に連絡がとれず、その心配で動けないおばさんなどもいる。
 優作は八面六臂で緊急避難勧告、もとい超常的脅迫行為に勤しんだ。

 吉田のランクルと茂の普通車は、相前後して廃病院の門前に停車した。
 美紀と優太を車内に残し、吉田と島本は施錠された門に駆け寄った。高見が無事なら、モニターを見て彼らの到着を知り、解錠してくれるはずだ。
 茂たちも、いったん車を降りる。
 さほど間を置かず、シリンダー錠に圧搾音が響いた。
 吉田は安堵して、他の皆に、病院の西の林に接する急斜面を示し、
「あの鳥居が見えますか」
 丘陵の頂に近い木立から、色褪せた鳥居の端が覗いている。
「あなた方は急いであちらに。カーブ続きですが道なりで着けます。あそこなら津波は届かない」
 島本は頭を振り、
「いや、俺も中へ」
「しかし――」
「ひとりじゃ手が足りないだろう」
 島本は茂吉に向き直り、
「シゲさん、ランクル転がせますよね」
「おう。荒い車ならまかっとけ」
「あっくんも西崎さんも、こっちに乗って先に避難してください。そっちの車だけ残してもらえれば」
 西崎老人が頭を振った。
「私も行く」
 彼もまた、高見と綾音の当事者なのである。
 島本はうなずいた。亜久津一家と美紀の安全が優先、残りは自己責任だ。
 三人で正面玄関に走る。
 その背中を見送りながら、茂吉は茂に言った。
「行こうぜ。シマちゃんたちも間に合うさ。まだ波は来ねえ」
 慌ただしくランクルに乗りこみ、いつも転がしている愛車と大差ないのを確認する。
 茂は助手席で保冷箱を抱え、後ろの優太に声をかけた。
「美紀ちゃんは大丈夫か?」
「うん」
 出血のせいで顔は青いが、寝息は細いなりに整っている。
「先は山道だ。しっかり押さえてるんだぞ」
「うん」
「言うだけ野暮ってもんだ」
 茂吉が発進しながら言った。
「惚れた女にゃ、ほっといても押っ被さるさ。特に若え内はな」

     3

 吉田に続いて廃病院に走りこんだ島本は、外観と似ても似つかぬ屋内の構造に目を見張った。
 いつか取材した東京の旧古河邸――あの古河財閥の残した豪奢な館に似ている。間取りは一見洋風ながら、格天井も廊下も扉も、むしろ和風の設えである。旧古河邸は、そんな和洋折衷の粋をゴシック風の石積み洋館に内封しているが、ここでは要塞風廃病院に封じこみ、バリアフリーにアレンジしたわけである。一階だけに割り切ったからこそ、そんな改装も可能だったのだろう。
 西崎老人も、突然黒光りする板張りの廊下に躍りこんでしまい、かなり面食らっていた。
 吉田は廊下に散乱する飾り壺や絵画を避けながら、奥の扉に走った。
「先生!」
 ノックする余裕もなく扉を開け放ち、吉田は立ちすくんだ。
 十二畳ほどの洋間の一面を占めていた巨大な書架が、完全に倒れている。耐震のため壁や天井に固定されていたはずだが、想定外の震度に耐えられなかったのだ。洋間の絨毯や調度の半分以上が、黒々とした書架に押しつぶされ、やや床から浮いたその端に、綾音がうずくまっている。
 綾音は、書架の下から伸びた大人の片手を愛しげに胸に抱き、両手で撫でさすっていた。
 吉田は駆け寄って書架の下を覗き、悲痛な顔で口ごもった。
「先生……」
 ひしゃげた車椅子と一体化するように、高見が横倒れになっていた。
「吉田君……」
 高見は蠢きながら、くぐもった声でつぶやいた。
「……ここで何をしている……津波が来る……早く山へ……」
 ラジオのニュースが部屋に流れ続けている。本格的な押波はまだ到達していないらしいが、アナウンサーの警告は、より声高に切迫していた。
「先生もいっしょに!」
 吉田は書架に手を掛けた。島本も西崎老人も加勢する。しかし高見の車椅子が複雑に書架に食いこみ、容易には持ち上がらない。高見の体は、あちこちねじ曲がっていた。棚を動かせば動かすだけ、車椅子と共に高見も変形する。絨毯に血溜まりが広がってゆく。
 高見が呻くように言った。
「……良平さん……」
「おう! いっしょに逃げよう、俊彦!」
「……私は……別の世界に行きます」
 高見は、ぎこちなく顔を上げ、
「できれば……綾音と……皆のいる所に昇りたいのですが……私だけは、下に堕ちるかもしれませんね」
 綾音は、きつく口を結んで頭を振った。
「吉田君……」
 高見が血を吐きながら言った。
「……これが最後の命令だ。ただちにこの館を立ち去れ。君なら、どこに行ってもやっていける……」
「先生……」
「……お願いだから、静かに逝かせてくれ。……綾音にモルヒネを打ってもらったのだが……こう動かされると、さすがに応える」
 見れば傍らに、注射器一式が置かれている。
 島本は綾音に訊ねた。
「門を開けてくれたのも君か?」
 綾音はこくりとうなずいた。姿形は子供でも、やはり成人の分別があるのだ。
 島本は吉田に言った。
「とにかく先に、衛星回線で美紀ちゃんの救助を」
 情緒的な場を乱したくはないが、場合が場合である。
 高見が聞きとがめ、吉田に訊ねた。
「……あの娘さんが、どうかしたのか」
「地震による事故で、右足が切断されたのです」
 高見の右目に、外科医らしい光が宿った。
「……切断肢は」
「保存してあります」
「……切断面の挫滅は」
「比較的鋭利ですが、破れた金属板による傷ですから、部分的にはかなり潰れております」
「ならば……峰館大学の邦彦君に……」
 吉田は、はっとして叫んだ。
「――北条先生!」
「そう……彼なら、たいがいの物は……元どおり、繋げてくれる……」
 すでに気息が怪しかった。
「私の……紹介なら……なおのこと…………」
 そこまで言って、高見の声は途絶えた。
 事切れたのである。
 両手から抜け落ちようとする高見の手を、綾音は、ぎゅっと胸に抱いた。
「先生……」
 うなだれる吉田に、島本は心を鬼にして言った、
「気持ちは解るが、愁嘆場をやってる場合じゃない! 早く救助要請を!」
 書架とは反対側の壁際に、機器類を収めた重厚な棚机がある。低い重心と自重が幸いし、倒れてはいない。ラジオやモニターや通信機器も、上下の厚板で落下を免れていた。
 綾音と西崎老人に高見の鎮魂を委ね、島本と吉田は棚机に向かった。
 吉田が衛星電話で、各所に連絡を試みる。しかしなかなか繋がらない。回線自体は生きていても、相手が話し中ならどうしようもないのは一般電話と同じである。
 応答を待つ間、島本は吉田に訊ねた。
「その北条先生って?」
「高見先生がしばしば移植手術に招聘され、助手を頼んだ形成外科医の方です。若手ながら神経周膜や微小血管の縫合では右に出る者がないと、常々おっしゃって」
「じゃあ昔の話か」
「いえ、先生が蟄居されてからも、その方とだけは親交があったのです。昨年も一度、こちらにお見えになりました」
「高見さんがここに入れた?」
「はい」
 ならば並大抵の信頼関係ではない。手術の腕も、高見といい勝負なのだろう。
 そうなると問題は、峰館大に届ける時間だけか――。
 一縷の希望が生じたぶん、むしろ島本の焦りは増した。
 依然として連絡はとれない。公的機関も民間施設も、話し中、あるいは応答なしである。
 西崎老人が棚机に近寄ってきた。
「どうだ?」
「いえ、まだ――」
 ふと島本が後ろを見ると、綾音の姿がなかった。
 書架の縁から、高見の力尽きた片手だけが覗いている。その指の隙間には、あの色褪せたアンチモニーの指輪が見えた。
「――綾音さんは?」
「消えたよ」
 西崎は溜息のように言った。
「にっこり笑って消えちまった」
 それでも西崎老人だけは、ありがとう、と、綾音の声を聞けたのである。
「俊彦といっしょに逝ったんだろう。きっと上に案内してくれる。いいときに逝けたよ、俊彦は」
 そう。残る問題は、生きている側だけだ――。

 優作は、集落中に誰も残っていないのを確かめ、元の道に戻った。
「ま、こんなもんか」
 湿った雪の舞う中、そう独りごちた優作は、ふと道端の家々の間から、遙かな港方向が覗いて見えるのに気づいた。
「――なんじゃこりゃあ!?」
 小湾全体の海が盛り上がり、防波堤にぶち当たって途方もない高さの白いしぶきを連ね、さらに港際の防潮堤をまるっきり無視して、町全体を侵食しはじめている。
 さすがの優作も膝が震えた。
 港に停泊していた漁船群、湾岸に停め残された車たち、港町の店や家――それらすべてのものが、ただ粛々と、為す術もなく流されてゆく。あの市場一帯も、まだ燃えている食堂ごと鉛色の海に呑まれた。
 異様な地鳴りが、優作の立っている道まで響きはじめた。
 ――十メートルくらいで、こうなっちまうのか?
 実際には予報を遙かに超えていたのだが、優作には判らない。
 ――どのみち、もう、俺にどうこうできるバヤイじゃねえ。
 驚愕がMAXを振り切ったのか、あるいは自身すでにこの世の者ではないからか、優作の衝撃は不思議なくらい速やかに、苦い諦観に変わっていった。いつか大和あたりの寺で和尚さんに聞いた説教が、我知らず心に浮かぶ。転々するものすべては空《くう》。不生不滅、不増不減――。
 ――とにかく優太たちのほうに戻ろう。あそこまで海が届くには、まだ間があるはずだ。
 そう決めて踵を返そうとしたとき、また奇妙なものが優作の目に入った。
 集落の少し下の十字路を、カラフルなマイクロバスが横切ってゆく。こちらに曲がらず、あくまで横切ってゆく。つまり海から逃げようとしていない。あの方向だと海岸と並行、いや、むしろちょっとずつ海に近づいていく道なのではないか。
 優作は訝った。運転している奴は、あの海が見えないのだろうか。――見えていない。この近辺で港が見渡せるのは、今、優作が立っているあたりだけだ。
 バスの横腹いっぱいに、ファンシーな兎やら熊やらがペイントしてある。窓には黄色い帽子の子供たちが見える。
 ――幼稚園の送迎車!?
 優作の諦観は、瞬時に灼熱の溶鉱炉に変じた。
「冗談じゃねえぞ!!」
 優作は憤怒の形相で叫ぶと、バスを追って文字どおり飛ぶように駆けだした。
 もはや大人なんぞ多少減っても仕方ないが、子供は別だ。子供だけは減っちゃならんのだ――。
 優作の脳味噌の奥で、幼い日の記憶が疼いていた。自分が死んだことも解らず、誰にも気づいてもらえずに雪の峰館をさまよった、三歳の冬の記憶である。
 ――生も死も無分別だからこそ、ガキはちっこいまんま死んじゃならんのだ!!
 優作は駆けた。
 しかしバスは、すぐに見えなくなった。
 密生する灌木の藪が、この道とあの道を隔てている。
 優作は横の藪に突っこんだ。苦手な物体通り抜けの嵐である。枝やら幹やら、モノがハンパに細かいだけ、壁抜けよりも根性が要る。
 全身が千切れそうな感覚に耐えながら、優作は不動明王の形相で走りつづけた。
 ちなみに、あちこちの寺で大仰に気張っている不動像の憤怒相は、けして衆生に憤ったり怒ったりしているわけではない。あくまで彼我を別たない慈愛の発露なのである。

 頭上の棚のラジオから、アナウンサーのただならぬ声が響いた。
 近隣の太平洋沿岸一帯に、津波が届きはじめたのである。
「来たか」
 島本は暗澹とつぶやいた。
「予想以上の波らしいな」
 間違いなく、ここまで届く。しかし、いつ届くのか――。
 そのとき吉田が叫んだ。
「着信です!」
「着信? どこから?」
 吉田も答えられない。もしや北条先生――いや、あの人は普通の携帯番号しか知らない。
 吉田は、怪訝と期待の入り混じった声で応答した。
「――はい、こちら高見病院です」
『その声は高見先生じゃないな』
 渋い老人の声が聞こえた。
『君は吉田君か? 私は、昨日そちらに伺った澁澤という者だが』
 島本は仰天して横から叫んだ。
「澁澤さん!」
『おお! その声はシマちゃんだな! 無事で良かった!』
「なぜここを?」
『おいおい、俺が朝からずっと何をやってたか、君だって知ってるだろう。そこの実態を調べ上げてたんだぞ』
 言われてみれば、そのとおりである。
「今、どこですか?」
『朝売新聞の支局で雪隠詰めになってる』
 なるほど、新聞社なら衛星回線も繋がる。
『山福さんたちもいるぞ。今し方、こっちにたどり着いた。そっちのみんなは無事か?』
「いえ、実は……」
 山福夫妻には心苦しいが、かくかくしかじかと美紀の非常事態を告げる。
 澁澤老人は冷静に言った。
『その神社に、ヘリコプターは降りられるか?』
 島本に代わって、吉田が答える。
「小型機なら境内に!」
『えーと――』
 澁澤老人は、近くの誰かに大声で機種名を訊ね、
『EC135って奴は?』
「楽勝です!」
 新聞社のみならず、警察や救急関係でも広く使われる汎用小型ヘリである。
『よし、すぐに取材用ヘリを飛ばす。この程度の雪なら飛べる。シマちゃんたちも境内で待て』
「そんなものが使えますか!」
 島本が感嘆すると、澁澤老人は自身たっぷりに、
『ああ。ここの支局長にも、昔の貸しがたっぷりあるからな』
 どんだけ世間に貸しまくってんねん、あんたはミナミの帝王かい――。
 島本は、なぜか関西弁で驚喜していた。

     4

 丘陵の上の神社には、三十人ほどの人々が避難していた。
 皆、境内の端の斜面際にある柵に集い、木の間隠れの集落を見下ろしている。そこからでは海岸線や港町は見渡せないが、集落から続く曲がり道と、あの廃病院前の私道あたりも、かろうじて窺える。
 誰かの携帯ラジオから、ニュースが流れ続けていた。岩手県釜石の冠水、千葉県市原市の石油製油所火災――音声頼みなので、断片的な情報しか届かない。とにかく青森から千葉に至る太平洋沿岸の各地で、恐ろしいことになっているのは確かだった。
「――車が出たぞ!」
 茂吉が茂に言った。茂も激しくうなずく。
 廃病院の門から、普通車がフルスピードで飛び出し、ほとんど速度を落とさずに、なかば県有林にずれこみながらターンする。運転しているのが島本にしろ吉田にしろ、F1級の見事なテクだった。
「吉報がありゃいいが」
「うん」
 茂は背後に停めたランクルを見やった。中に優太が残り、美紀の容態を見守っている。
 やがて石畳を焦がしながら、普通車が鳥居の前に滑りこんだ。
 駆け出てきた島本の顔に、茂たちは安堵した。シャカリキの表情の根が明るい。
「OKだ! あっくん、シゲさん!」
 西崎老人も降りてくる。
 吉田はすぐさま、ランクルに駆け寄った。
「美紀ちゃんは?」
 優太は、泣きそうな顔で言った。
「なんだか痛いみたいで……」
 ちょっと前から、ときおり顔を歪めて激しく呻いている。
「代わろう」
 優太に代わって乗りこんだ吉田は、美紀の容態を検めた。明らかに意識が戻りつつある。当然、痛覚も覚醒してしまう。
 吉田は病院から持ち出した薬箱を開いた。
 前職と高見の介護を通して、鎮痛剤関係の知識はひととおりある。即効性では塩酸モルヒネの皮下注射がベストだろうが、高見が自分で使うのを見ていただけで、自分は無資格である。内服薬は効きが遅いし、そもそも嚥下が難しそうだ。
「これで痛みは和らげられる」
 吉田は直腸吸収のアンペック座剤を選んだ。
「優太君、ちょっと後ろを向いててくれないか」
 首を傾げる優太に、
「これは坐薬なんだ」
 ザヤク? えーと――あ、父さんが時々使ってる痔の薬みたいな。
「私もなるべく見ないように使う」
「いえ、ちゃんとお願いします」
 優太は、しゃっちょこばって回れ右をした。ふだんなら美紀の後ろ姿の育ち具合など、目を皿のようにしてズームアップしてしまう優太だが、今はさすがに邪念の外にいる。
 背後で吉田が言った。
「迎えのヘリコプターが手配できた。腕のいい外科医さんもね。大丈夫、きっと手術で元に戻る」
 優太は、ようやく胸を撫で下ろした。
 吉田は座剤の処置を終えると、手早く止血帯を緩めにかかった。
「少し脚に血を回さないと」
 接合できる可能性が高まった今、患部が壊死したのでは元も子もない。といって流し過ぎも厳禁だ。
 あくまで慎重に事を進めながら、
「優太君、君も看病でくたびれたろう。少し腰を伸ばしてくるといい」
 とりあえず今、優太にできることはない。そのままランクルに張りついていると、かえって吉田さんの気が散るような気がして、優太は柵際の一群に加わった。
 島本が、ぽん、と優太の肩を叩いた。
 優太は疲れた微笑を返して訊ねた。
「あの、綾音ちゃんと高見さんは……」
 車にもどこにも、水玉ワンピースやタキシード姿が見当たらない。
「いっしょに逝ったよ」
 島本は、努めて穏やかに言った。
「揺れが大きすぎて、家具が倒れたんだ。高見さんは逃げきれないで下敷きに――でも安らかな顔だったよ。ひとりきりじゃないからね」
 そうなのか――。
 優太は雪の舞う空を見上げて吐息した。
 いっしょに逝けたなら、ふたりの人生は、少なくともバッド・エンドじゃなかったかも――。
 しかし、それも優太たちにとっての小さな区切りにすぎない。
 集落を見下ろしていた人々から、うわ、と複数の悲鳴が重なった。
 集落に海が届いたのである。
 悲鳴の主たちの中には、あの縁側の老人も混じっていた。
「まさか……なんてこった」
 家屋も畑も、遠慮会釈なく濁流に押し流されてゆく。あくまで県有林の間を曲がりくねる道筋の一部が覗けるだけだが、それでも驚愕や悲痛は大きかった。ここから見えない集落全体、いや東に広がる港町のすべてが、すでに海に呑まれているのだ。
「うわ!」
「ひでえ……」
「ああ――」
 咽ぶような叫びが、断続的に続く。
 硬直している優太の肩を茂が抱いた。さしもの茂吉も声を失っている。
「――おや?」
 あの老人が異質な声を漏らして、眼下を指さした。
「ありゃ、タケさんとこの総領たちじゃねえか?」
 集落と病院の間あたりを、家族連れらしい数人の一団が大わらわで駆けてくる。その下からも、一台の乗用車が上ってくる。いや、さらに遙か下にもう一台――ほとんど津波の間際で、文字どおりデッドヒート状態の車がある。
「急げ!」
「がんばれ!」
 届くはずのない人々の声援を受けながら、下の一台が濁流に呑まれた。ミニカーのようにあっけなく、津波際の雑多な浮遊物に紛れてゆく。
「ああ――」
 何人かの女性が、夫や息子の胸に顔を埋めた。
 男たちが、残った車と人々に向かって叫ぶ。
「まだ間に合う! がんばれ!」
 残りの一台はスピードを上げ、やがて駆け足の一団に追いつき、そのまま追い越した。
 息を詰めて見守る人々の内、誰もそれを責める者はない。すでに車の中はいっぱいなのかもしれないし、余裕があったとしても、やはり誰にも責められる状況ではない。波はまだかなり下だ。あの車だけでなく、後の家族ももしかしたら――そう思われた。
 やがて廃病院に達した車は、そのまま通過する――かと思いきや、向きを変えて、開いたままの門に走りこんだ。
「だめだ!」
 島本と亜久津一家が、ほぼ同時に叫んだ。
 あの老人が怪訝そうに、
「あすこなら、上に昇れば大丈夫だろう?」
「中からは昇れないんです!」
 屋上に避難するにせよ、誰かが裏の避難用梯子に導かない限り――。
 他の人々には、そんな事情が解らない。
 島本は眼下の斜面を見下ろした。
 さっき来たカーブだらけの山道をそのまま戻ったのでは、車でも間に合わない。柵下の斜面を直線距離でショートカットすれば人の脚でも間に合いそうだが、その斜面は、ところどころ足掛かりはあるものの、大半は五十度を越えそうな急勾配である。カモシカならともかく、人間には垂直の崖と大差ない。そもそも密生した灌木の藪に覆われており、生身だと邪魔物が多すぎる。
 ランクルならどうか――島本はさしたる確信もないまま、吉田の車に駆けた。
「すまん車借りる美紀ちゃんを外へ!」
 山道のカーブを斜めにショートカットしながら突っ走ったらどうか、そう考えたのである。
 茂吉親子と西崎老人も追いかけてきたが、
「空きが要ります!」
 島本に強く言われて引き下がり、美紀を抱いた吉田と共に、急発進するランクルを見送った。
 と、背後のあの崖際から、また悲鳴が上がった。
「おい、やめろ!」
「戻れ!」
 そんな声も聞こえる。
 茂吉は、茂に訊ねた。
「……優太は?」
「あれ?」
 茂も首を捻った。
 崖際では、何人かの男衆が柵から身を乗り出すようにして騒いでいる。
「無茶だ!」
「戻れ戻れ!」
 まさか――茂吉と茂が慌てて柵に走ると、眼下の藪を転がるように下ってゆく小柄な姿が目に入った。
「優太!」
「あの馬鹿!」
 茂と茂吉は、柵を乗り越え身を躍らせた。
 周囲の人々は為す術もなく、命知らずの無茶苦茶な三世代を見送っている。
 西崎老人が、驚愕とも呆然ともつかぬ顔で言った。
「なんという人たちだ……」
 吉田は事情を悟り、深々とうなずいた。
 この世界に何が起ころうと――人間は生きるに値する。
 寒気の中で熱く目を潤ませながら、吉田は自分に託された命を守るため、美紀を抱いて残された車に向かった。病院に届けるまでは、極力安静を保たねばならない。
 その美紀が、薄目を開けてつぶやいた。
「……優太君」
 痛みが引いたぶん、意識は朦朧としている。
 すっかりクスリが回った美紀の頭の中では、最後に目にした優太の顔が、白いタキシードの上に乗ったりしていた。ふたり並んでウエディング・ケーキの入刀中だったりもする。
 美紀は虚ろな瞳を、宙にさまよわせた。
 自分をお姫様抱っこしているのが、優太ではなく吉田だと悟り、
「優太君は……」
 この少女に、今、何をどう伝えるべきか――吉田は言葉を選びあぐねた。
 西崎老人は、立ち騒ぐ人々と共に、柵の前に残っていた。
 亜久津一家の姿は、もう藪に隠れて見えない。
 眼下遠く、弱まる気配もない鉛色の濁流が、あの逃げ遅れた一家を追うように廃病院への道を覆ってゆく。
 この世界に何が起ころうと――この世に残り見届けるのが、俺の宿世だというのか。

     5

 優太が特別に勇敢な中坊だったわけではない。
 人間、非常事態にこそ本性が出るなどという俗説もあるが、人間、それほど単純な生き物ではないのである。落ち着いて考えれば別に死んでもかまわない見ず知らずの他人を救うために、愛する妻子をこの世に残して、ついうっかり溺れ死んだり電車に轢かれたりする粗忽な旦那なども、この世には無数に存在する。本音も偽善も同じ紙の裏表、同じただの人間にすぎない。
 その証拠に、繁茂する枝や幹を掻き分けて転がり落ちながら、優太は早くも後悔していた。ずっと心配していた美紀ちゃんの今後に希望が生じ、つい気が大きくなって、思わず大それた行動に走ってしまったのである。自分の非力を完全に忘れていた。
「あだだだだだだだ!」
 クッション代わりになるような葉々は冬場のことゆえ皆無、周りはガサガサした枝ばかり。新調したジャケットはすでにズタボロでダウンが飛び散り、露出している掌や顔はもはやズルムケである。そもそも斜面を駆け下りるつもりだったのが、ただ転がり落ちている。主観的には、ほとんど真っ逆さまである。これでは下の道に着いたとたん、優作の同類になってしまうのではないか。
 現在、優作自身も似たような状況になっていることなど、優太には知る由もない。一卵性双生児に多く見られるというシンクロニシティ、あるいは単に似たもの同士なのだろう。
 いっぽう茂と茂吉は、優太を追って斜面を駆け下りるつもりだったのが、やっぱり途中で転がってしまい、枝やら何やらに絡まって斜めはすかいになるやら上下逆さまになるやら、進行不能に陥っていた。大人サイズが易々と通過できるほど半端な藪ではなかったのである。
「こなくそおっ!」
 上で斜めはすかいに引っ掛かっていた茂吉が、なんとか絡まりを解いて、ずりずりと下降を再開した。ついでに、ちょっと下で逆さまになっていた茂の片足を掴み、ばりばりと体勢を戻してやる。
「あだだだだだだだ! 折れる折れる親父!」
 幸い、脆弱な茂の骨も灌木よりは丈夫らしく、父親に引きずられて下降を再開した。もっとも、もし太い枝や幹の間で百八十度ねじられたら、首や手足がもげたかもしれない。一般に世の祖父は、息子より孫の命を尊重しがちである。
 その孫の優太は、なんとか生きたまま下のアスファルト道に転がり出た。
「ぐえ」
 などと蝦蟇のように呻いている場合ではない。
 丘陵際の林から、廃病院の鉄条網の角に出る。
 荊棘線を見透かすと、さっきの車が病院の正面玄関前に停車していた。乗っていた人々は、たぶん病院の中だ。
 優太は痛む節々を黙殺して門に走った。左足を捻挫してしまった感じだが、なんとか走れる。
 門に着く直前、丘陵側から車が爆走してきて、優太の先に急停車した。
 ボディーもバンパーも廃車のごとく変形したランクルから、島本が叫んだ。
「ここは任せた! 俺は下に!」
「はい!」
 島本は、まだ下にいるはずの一家を求めて再発進した。なぜ優太がここにいるのか質している暇はない。
 優太は正面玄関に駆けた。
 外観と屋内の劇的な差異に驚く暇もない。
 お屋敷のような廊下のあちこちで、数人の若い男女が右往左往している。
 優太は駆け寄りながら叫んだ。
「出てください! ここは駄目です!」
 近くにいた軽そうな青年が、なんだこのガキは、そんな顔で言った。
「でも上が……」
「上がれないんです!」
「でも階段とか」
「階段は通れません! 溺れ死にます! 後ろの山へ!」
 階段を探して慌てふためいていた連中は、優太の切羽詰まった剣幕に気圧されて、我先に玄関に走りはじめた。優太もそれを追う。
 若者たちで寿司詰めになった車に、優太も無理矢理乗りこもうとしたとき、
「アケミがいない……」
 車の中で、軽そうな娘がつぶやいた。
 ――え?
 優太が瞬時ためらっていると、いきなり車が発進し、優太はその場に取り残されてしまった。
 あっという間に遠ざかる車の中から、アケミ! アケミ! と悲鳴のような男女の二重唱が聞こえた。友人を置き去りにしたくない良心的な若者が、一対は混じっていたわけである。
 見ず知らずの子供はどうでもええんかい――などとツッコむ余裕もなく、優太は再び屋内に駆けこんだ。
 幸いアケミさんはすぐに見つかった。ちょっと奥の、扉が開け放たれた部屋で、高見の死体を見つけ腰を抜かしていたのである。
 優太は手を取って無理矢理引きずり起こした。
「早く山へ! 津波が!」
 我に返ったアケミさんは、あんがい素直かつ機敏に反応し、優太に引かれるまま外に走った。
 腹に響くような重い水音と禍々しい地響きが、前庭の左手、海側の林から伝わってくる。
 門に至る直前、ぶち、と優太の片足に衝撃が走り、優太はもんどり打って石畳に転倒した。
 稲妻のような激痛に全身を貫かれ、優太は倒れたまま海老のように反り返った。すでに具合の怪しかった左足首が、地震で歪んだ石畳の隙間に、力いっぱい引っ掛かってしまったのである。
 優太は涙目でのたうちながら、立ち止まってるアケミさんに、行ってください、と手振りで促した。
 アケミさんは、つかのま躊躇していたが、
「……ごめんね!」
 優太の揺らぐ視界の中、後ろ姿が足早に遠ざかる。
 海老になったり丸虫になったりしながら、優太は思った。
 いえ、気にしないでください。あくまで俺の自己責任ですから。――でも死ぬより痛いぞ自己責任!!

 廃病院の東、県有林を縫う曲がり道で、島本はようやくあの一家を拾った。
 老人老婆息子孫、嫁に抱かれた赤ん坊まで入れて三世代計六人、命を張るには充分な代償だ。
 全員ランクルに押しこみ、もと来た道を爆走する。
 カーブの向こうに病院が見えたあたりで、その門から乗用車が転がり出るのが見えた。島本に負けない命知らずの走りで丘陵を目指している。
 よし、あっちもOK――てっきり、そう思ってしまった。
 やがて門前を通過して数瞬、
「あ、あの――」
 タケさんとこの総領が、後ろから島本の肩を叩いた。
「あの娘さんも――」
 バックミラーを覗いた島本は、仰天してブレーキを踏んだ。Uターンなんぞしている暇はない。そのまま猛スピードでバックする。
 追いついてきた若い娘を、タケさん一家が車内に引きずりこんだ。
「他にもいるのか?」
 島本の問いに、娘は息を切らしながらうなずいた。
「男の子が……なんか怪我して動けなくて……」
「君の連れか?」
「知らない子……先に逃げろって……」
 愕然と門方向を見やった島本の目が、さらに愕然と真円になった。
 道の奥に、どう見ても十メートルを越す鉛色の水の壁が、すでに餌食にした万物の残骸を弄びながら、のそりと立ち上がっていた。
 これが――本当に海なのか!?
 海はすでに廃病院の向こう側、東の林に届いている。
 ありえない――いや、地形そして遡上高――ありうるのだ。人智を越えた現実が。
 すでに引き返す時間はない。島本は巌のような顔で発進した。
 ――すまん、優太君。これが終わったら、俺は剃髪して坊主になる。
 車が丘陵の斜面際に迫ったあたりで、今度は前方から、ふたつの人影が逆行してきた。
 速度を緩めたランクルに、茂が縋りついて言った。
「優太は――」
 先にあの若者たちの車をとっ捕まえ、優太が残ったことだけは聞いている。
 島本は大悟した僧侶のように、黙って背後の外を示した。
 あの娘が、わっと泣きだした。
「だって……あの子、もう立てなくて!」
 茂と茂吉は、呆然と廃病院を見やった。
 彼方の鉄条網に迫る林一面が、霞のような白い煙に包まれた。直後、その霞を内から破り、右も左も見境のない濁流が押し寄せる。樹高を凌ぐ大波は易々と鉄条網を越え、廃病院の側面にぶち当たった。すでに二階を越えている。
 ランクルの後部で旦那が叫んだ。
「あなたがたも中へ!」
 しかし茂は、
「優太!!」
 そう絶叫して病院方向に走り出した。
 茂吉は、慌てて島本に叫んだ。
「早く行けシマちゃん! 俺たちも死ぬ気はねえ!」
 ランクルの発進音を背に、茂吉は茂を追った。
 年齢は倍でも、ふだんの鍛え方が違う。すぐに茂に追いついて襟首をつかまえ、
「落ち着け茂!」
「優太!」
「おめえまで死んでどうする!」
「優太! 優太!」
 こりゃ埒があかねえ――。
 茂吉は、ぼす、と茂の腹に当て身を入れた。どの程度の拳で相手が伸びるか、喧嘩慣れした茂吉は熟知している。
 ぐったりした茂を担ぎ上げ、
「馬鹿野郎……おめえは家長だろうが……」
 茂吉は涙を垂れ流しながら、迫り来る津波との競り合いに突入した。

 ああもうなにがなんだかどうなってんだか――。
 いきなり超特大の洗濯機、それも縦型とドラム式の複合機に力いっぱい放りこまれたような有様で、優太はただ無茶苦茶に翻弄されていた。
 ぐるぐる回る体のあっちこっちに、何かがごんごんぶつかっている。シャツや靴下ではなく、かなり凶悪な洗濯物仲間だ。いっそ脳天を直撃してもらったほうが、即、優作の仲間入りができて楽そうな気もする。しかし幸か不幸か、ただ痛くて苦しいだけだ。冬の海や渦巻く瓦礫に、死んでおかしくない勢いで直撃されても、人間、生きている限りは死ねないのである。
 とにかくもう塩水はいらない。吸いこむのはなお御免だ――。
 口を閉じ息を止め、ひたすら丸く縮こまっていると、なんだか頭がほんわりしてきた。
 全身の感覚が薄れてゆく。
 大津波の渦中ではなく、なにか人肌にぬくもった、液体とも空気ともつかぬ無重力空間に、なんの不安もなくただ浮かんでいるだけみたいな気がしてくる。
 小さく丸まった自分の同類と、ときどきぷよぷよ触れあっているような感じもする。こっちの丈夫そうなぷよぷよが茂美で、そっちのヤワいぷよぷよが優作だろうか――。
 早い話、末期の走馬灯である。棺桶に片足を突っこむと見られるという、記憶のパノラマ現象だ。
 覚えているはずのない、母親の胎内の温もり――。
 そして暖かい陽射しの下、ちっぽけなアパートの窓からごとんごとんと聞こえてくる都電荒川線の長閑な響きを聴きながら、優作や茂美とひとかたまりになって眠っていたベビーベッド――。
 やがて峰館の祖父ちゃんの家に移り、果てしなくはいはいしまくった広い日本間――。
 そんな記憶の残像が、脳味噌の奥から時系列で湧きだし、やがて数珠繋ぎになって、ゆったりと上下に揺らぎながら、くるくると優太の内的世界を巡りはじめる。
 この目眩にも似た目映い光の渦は――そう、あれに似てるかもしれない。こないだ美紀ちゃん家の地下室で、内側から回転木馬を眺めたときみたいな――。
 光の数珠の中に、近所のお寺にあった幼稚園が見えた。
 折り紙やお遊戯――初めての運動会――あの頃からビリッケツだった優太も、なぜか上機嫌でとたぱた走っている――。
 不快をまったく伴わない安らかな酩酊感に、優太はただ身を任せていた。
 んでもって――南峰館の新しい家――小学校の入学式――ピカピカ一年生の美紀ちゃん――。
 そこで、走馬灯が弾け飛んだ。
 外的世界から、ごん、と何かが頭をドツいたのである。流木か瓦礫が、いい具合にぶつかったのかもしれない。
 壮絶な苦痛が一瞬に蘇る。
 幸か不幸か、もはや複合式洗濯機を超えて、氷水をぶちこんだミキサーの中だ。
 死にたくない、と優太は初めて思った。
 だって、死んだら死んじゃうじゃないか――。
 もはや理屈になっていないわけだが、人間、理屈で溺死できるほど酸欠に強くないのである。とりわけ恋する中坊、柔肌の熱き血潮に触れもみで、道さえ胡乱な寂しい中坊などは往生際が悪い。
 酸素不足でウニになった脳味噌を抱えて、優太は海水ではない吸気を求め、とにかく外の世界に向かってじたばたともがきはじめた。
 悪戦苦闘すること主観的に数分、実は十数秒ちょい、なんとか水面に顔を出す。
 目の前に病院の外壁があった。窓がすっかり塗りつぶされた上階の壁である。優太は、かつてサッシ窓だったコンクリートの窪みにへばりついていた。
 げえげえと水を吐き、げほげほと咳きこむ。そうする余裕があったのは、水流が後ろから軽く押してくるからだ。
 雑多な浮遊物を浮かべた泥水に涙顔を洗われながら、優太はあたりを見回した。
 左右は病院の壁、上はあと一階で屋上、後ろは――あの丘陵まで続く海。
 ようやく優太は状況を推察できた。
 南に向いていた前庭で、東から襲来した津波に巻きこまれ、そのまま西の丘陵方向に流され、やがて丘陵に達した海は、今、引き波に変わろうとしているのだ。それで優太は病院の西面の三階あたりにへばりつけたのである。
 丘陵の藪を洗っている波のかなり上に、神社の鳥居が見えた。
 よかった、みんな無事だ――。
 しかし安穏としてはいられない。これだけの津波がマジに引きはじめたら、下はまたエラいことになるだろう。
 屋上は――ここから這い上がるのは無理だ。でも確か病院の裏、つまり北面に避難用梯子があるはずだ。
 優太は壁を手がかりにして、ずりずりと左にずれはじめた。
 氷のような海水や痛みまくる体に関しては、脳味噌から除外するしかない。
 不動心不動心不動心――。
 優太は確かに、この数日で進化していたのである。心身の強度レベルが、豆腐から蒟蒻《こんにゃく》程度に上がっている。豆腐味の蒟蒻《こんにゃく》――メタボに厳しい先進国において、ある意味、理想的な人材かもしれない。
 背中を洗う波が、徐々に勢いを増している気がする。今のところ壁に押しつけられるだけだが、北面に回ってしまったら手強そうだ。
 優太は激流に逆らう蒟蒻《こんにゃく》のように伸び縮みを繰り返し、なんとか裏面への角にたどり着いた。
 しかし向きを変えるか変えないかの内に、強い横波が優太を浚った。
「わ!」
 外壁を横に伝っていた何かの配管に、かろうじてしがみつく。
 左の数メートル先に、吉田さんが言っていた金属製の梯子が見えた。人ひとり昇るのがやっとの幅だが、一直線に屋上まで続いている。
 優太は、直径十数センチほどの金属パイプを手がかりにして、じわじわと梯子に近づいた。
 火事場の馬鹿力火事場の馬鹿力――。
 やがて梯子に達し、凍える手と腕を、全力で絡ませる。
 水中の足も、梯子に引っ掛けようとして――優太は左足がまったく動かないのに気づいた。なぜか痛みは感じない。非常用の脳内麻薬か何かが、うまく神経をごまかしているのだろうか。しかし痛くないのはいいが、なんの感覚もないのも困る。邪魔っけな棒杭がぶら下がっているのと同じだ。
 美紀ちゃんが右足で俺が左足、ふたり合わせて一人前――などと現実逃避している場合ではない。
 優太は、かろうじて感覚のある両の細腕と片足に鞭打ち、懸命に梯子を昇りはじめた。
 茂美のダンベルを借りて腕を鍛える明日からの俺、毎日腕立て伏せと懸垂に励む未来の俺――同じ現実逃避でも、そうした想像なら発展的だろう。
 しかし全身が、ひどく気怠い。
 おまけに、やたらと眠くなってきた。
 寒いより辛いより、動きながら眠ってしまいそうなほど眠い。
 これが低体温症というやつか――。
 山岳漫画や映画でお定まりの「眠ると死ぬぞ!」を、優太は実感していた。
 見上げると、屋上の端まであとちょっと、その先には灰色の空が広がっている。
 雪はまだ降り続いているが、顔にくっついて融ける雪は、もう冷たくもなんともない。
 そもそも梯子を掴んでいる掌から、冷たさどころか掴んでいるという感覚自体が伝わってこない。
 睡魔と意識のシーソーゲームが続く。
 これは夢だ。最大級の悪い夢だ。きっと目が覚めたら家の蒲団の中――などと思ってしまった瞬間、ふっ、と睡魔が意識を凌駕した。
 ぬる、と片手が梯子から離れる。
 成り行き任せで、残る片手も離れる。
 優太は思った。
 ああ、もう眠っていいんだ――。
 と、安らかに宙を泳ごうとする優太の手を、上から誰かの手が、がっしりと掴んだ。
 睡魔の闇を、その感触が破った。
 ――優作!?
 我に返って見上げると、両の手首を掴んでいるのは、見慣れた革ジャンの腕ではなかった。
 子供が――ふたり?
 優太の右手を、まだ細っこい小学生くらいの両手が掴んでくれている。左手を掴んでいるのは、優太や優作と同じくらいか、推定中学生あたりの両手である。どちらも肩口まで素肌らしい。
 並んで屋上から身を乗り出しているふたりの顔は、空を背にしているので影にしか見えない。右の子の両肩は、柔らかそうにぽこんと膨らんでいる。左の子は、半袖の白シャツのようだ。
 優太は、そのままするりと屋上に引き上げられた。

      6

 まだ生きてる――。
 屋上に這いつくばり、そう実感したとたん、がちがちと震えがきた。
 優太は寒気を堪えながら、救世主たちの顔を見上げた。
「あ、ありが――」
 とう、と続けようとして、優太は絶句した。
 誰もいない。
 積年の塵埃や風雨でまだらに汚れた屋上には、錆びついた給水タンクや、朽ち果てた空調室外機の群れがあるだけで、人の姿はどこにもない。
 深く考える気力もなく、優太は縮こまってがくがくと全身を揺らし続けた。
 こうして震えているかぎり、俺はまだ生きている――。
 そのとき避難梯子から、
「優太じゃねえか!」
 頓狂な声を上げて、優作が顔を出した。
 ひょい、と屋上に跳び上がり、
「大丈夫か? なんでこんなとこに」
 訊ねたいのはこっちである。でも来てくれただけでありがたい。
「寒い……」
 ズタボロの濡れ鼠でつぶやく優太に、
「待ってろ!」
 優作は言い残し、屋上の一角にある物置らしいスチール小屋に走った。
 施錠されていないくらいだから、粗大ゴミのような物件しか入っていない。それでも何かテント地のようなでかい帆布と、青いビニールシートが見つかった。
 駆け戻り、優太の濡れそぼった衣類を脱がせ、帆布にくるんでごしごしとこする。
「すげえ。地震より揺れてるぞ、お前」
 優作は感心するように言った。
「生きてる人間って奴あ、こんなにガクガクピクピク動けるもんなんだなあ」
 お、俺もそう思いますお兄さん――。
 外からの摩擦と全身の律動で温まってきた体を、さらに乾いた帆布とビニールシートでくるむ。
「よし、OK。ここまでやれば、ホームレスのおっさんだって凍死しねえ」
 見た目、まさにホームレス中学生である。
「んでも、なんかこっちの足がヘンだぞ」
「……うん、変」
 裾をまくって左足首を見ると、前が腫れて後ろが引っこんでぷらぷらしている、そんな感じだった。
 優作は、おっかなびっくり患部を突っつき、
「痛いか?」
「……そんなには」
「折れちゃいねえな。ヒビくらい入ってるかもしんねえけど――後ろっ側がちょっとヤバい。アキレス腱断裂って奴かも」
 前が打撲で後ろがブツン――優太は納得した。当初悶絶級に痛かったのは、確かに向こう臑のほうだ。アキレス腱のブツンは、すごいショックの割にあんがい痛まないと、部活でブッツンしたバスケ部の同級生に聞いたことがある。
 ようやく人心地ついた優太に、優作は言った。
「ま、丸々もげたあの子に比べりゃ、ほんのお裾分け程度だ。で、どうなった、美紀ちゃんのほうは」
「うん。あそこの神社にいる。ヘリが迎えに来てくれるって」
「そりゃよかった」
 木の間隠れに小さく見える鳥居のちょっと横下で、双眼鏡を覗いていた島本が「いたぞ! 生きてる!」と叫んだり、茂や茂吉が驚喜したり、他の連中がひと安心している様子など、ここからでは見えない。
 優太は優作に訊ねた。
「それより、お前こそ、なんでここに?」
 何かと器用な優作も、けして千里眼ではないはずだ。
「おう――いや実は、お前がいるなんて知らなかったんだよ。とっくに逃げたと思ってたからな」
 あの後、なんとか幼稚園の送迎バスに追いついた優作は、強引に横っ腹をすり抜けて運転席に突入し、「でも子供たちを家に送らないと」などと杓子定規にとっちらかっている頑迷な運転手を問答無用でノックアウトして、代わりにバスを運転し、別方向の高台に向かったのである。
 乗っていた十数人のちみっこたちは、始めこそ面食らって大騒ぎしていたものの、優作が「俺はゲゲゲの鬼太郎の仲間だ! さあこれから鬼太郎ハウスに遊びに行くぞ!」とか叫んで妖怪っぽく点滅して見せると、すぐに納得してくれた。
 そもそもバスのボディーからにゅうっと生えてくるお兄さんは、妖怪以外の何者でもない。着ているものだって鬼太郎のちゃんちゃんこに似ているし、お豆腐みたいな顔だから、きっと恐くない妖怪だ。だいたい、あの運転手のおじさんは、もともとすっごくヤな感じのヒトだった。もしかしたら悪い妖怪だったのかもしんない。だから鬼太郎の仲間が退治してくれたんだ――。
 結局バスは鬼太郎ハウスではなく、北側の丘陵の展望台に避難していた人々と合流し、ちみっこたちは大いに落胆したのだが、優作は「おや、カラスたちが俺を呼んでいる! ごめん今日はここまで、んじゃまた!」とかごまかしながら、綿入れ半纏を脱ぎ捨ててドロンを決めたわけである。
「――で、こっちのほうに泳いでたら、あの子っつーかあの姐さんが、屋上で手ぇ振ってるのが見えたんだよ。なんか知らねえ奴といっしょに、こっちこっち、みてえにな。だから上がって来たんだ」
 優作は改めて屋上を見渡し、
「けど、誰もいねえよなあ」
 そうか、と優太は悟った。
「綾音ちゃんと……高見さん」
「高見さん?」
 優作が怪訝な顔をした。高見が逝ってしまったことを、まだ優作は知らない。
「っつーことは……」
 目顔で優太に訊ねる。
 ――もしかして、あの爺さんもオダブツ?
 優太は厳粛にうなずいた。
「……なるほどなあ」
 優作もうなずいて、
「あの姐さんが、水玉ワンピースの子供だから――爺さんは夏服の中坊に、か」
「うん……」
 優太は思った。
 もしかして俺が流されている間も、ふたりはずっと傍にいてくれたのかもしれない。あんな瓦礫だらけの激流を、俺ひとりの力で乗りきれるはずはなかったのだ――。
 優太は灰色の空を見上げ、寂しげにつぶやいた。
「……もう行っちゃったのかな」
 雲はだいぶ薄くなっているが、まだ風花が舞っている。
 優作は優太を励ますように、
「ま、思い残すこともねえだろうさ」
 高見老人の死を、優作は優太ほど痛切に感じていない。自分だってとっくに死んでいる。
 それでも優太が気落ちしたままなので、あえて優作は、
「立てるか、優太」
「ん?」
「ちょっとコタえるかもしんねえけど――お前、まだ生きてんだから、やっぱ見ておかねえとな」
 ワケアリげな優作に支えられ、優太は立ち上がった。
 片足は動かしにくいが、歩けないほどではない。
 優作に導かれるまま、屋上の東、海側の柵に立つ。
 見晴るかす港町の現状に、優太は声を失った。
「…………」
 舞う風花の中、町を呑み尽くした泥濘の海が、ゆったりと元の沖に戻ろうとしている。
 いや、一見ゆったりと見えるだけで、ところどころに覗く樹木群や建物の上階の周りには、激しい飛沫と渦巻きが生じている。今、海は、途方もない押し波で滅ぼした町を、大鋸屑《おがくず》のように一面に浮かぶ町の名残ごと、また途方もない引き波で、沖に流し去ろうとしているのだ。
「…………」
 優太は、もう震えることもできなかった。
 町は――人は――あの市場にいたおばさんやおじさんたちは――いや――朝からバスでたどってきた、あの町やあの村、公民館や学校、そしてあの道筋のすべては――。
「…………」
 口を半開きにして、ただ立ち尽くしている優太に、
「――やっぱ、コタえたみてえだな」
 優作は後ろから、
「んでも、俺が見せたかったのは、そんだけじゃねえ」
 そう言って、ぬい、と自分の頭を突き出し、優太の頭に重ねた。
「自分だけの目にこだわるな、優太」
 優太の網膜や視神経に、優作の認識がダブった。
 見晴るかす町と海のそこかしこから、なにか白くて細い糸のようなものが、ゆらゆらと立ち昇っている。
 これは――煙――いや絹糸?
 目をこらして見れば、その細い糸たちの上端には、微かな光を帯びた小さな膨らみがあった。
 その膨らみから、ほぼ水面に届くほど長い長い絹の尾を引いて、何十何百というそれは、あるところではひとつ寂しげに、またあるところではいくつかが寄り添うように縺れあいながら、風花の舞う空の薄雲へと、たなびくように昇ってゆく。
「あっちも、見てみろ」
 頭の中から優作に促され、優太は町を囲む三方の丘陵の、彼方の空に目をやった。
 すべての空に、立ち昇る霞があった。
 遠すぎて、絹糸のひと筋ひと筋は判別できない。しかし、その天に流れる白い霞が、幾千幾万の、同じものの流れであることは見当がついた。
 尾名川――石蒔――仙代――いや南も北も、この海に繋がる処々のすべて――。
「……こーゆーことなんだよ」
 優作が言った。
「人だけじゃねえ。犬や猫もいるだろう。狐や狸だっているだろう。魚も虫もいるだろう。もしかして木や花――苔や黴だって、見えねえくらいの糸になって、いっしょに昇ってるのかもしんねえ」
 優太は、泣くこともできなかった。
 そうか、こーゆーことなんだ――。
 それだけの思いが、決壊寸前だった涙を、粛々と胸の奥に沈めていった。
「どうなるんだろう……」
 優太は、ようようにつぶやいた。
「……どこに行くんだろう」
「さあな。よくわかんねえ。俺、行ったことねえし」
 優作の声は、相変わらず軽かった。
「大方、空に溶けちまうのさ。んでもって雲とか雨とか雪に混ざって、そのうち、また降ってくるんじゃねえか。元のイキモノには、まず戻らねえだろうな。仲間の噂じゃ、たまにゃまんま戻ってくる猛者もいるって話だけど、俺はまだ、いっぺんも見たことがねえ。見送っちまったら、それっきりだ」
 覆水盆に返らず――この世には、エントロピーの法則というものがあるのだ。
「んでも――ありゃ確か、オーストリアだったかな」
 優作は続けて言った。
「アルプスの山ん中で野宿してたら、横に咲いてたエーデルワイスに、ひと晩中、ぐちぐち愚痴られたことがあるぞ。これが、なんかやたらお上品な女言葉でな。――『あなた様は、そうして自由にあちこちお歩きになって、ようございますわねえ。わたくし、あなた様のように気ままには振る舞えないのですけれど、それでもなぜだか遠い昔、大きな白い帆の船に乗って、あちこち旅をしていたような、そんな気もいたしますのよ』――とかなんとか、ぶつぶつぶつぶつ、夜明けまで喋ってやんの。俺、しこたま疲れてんのに、ちっとも寝かしてもらえねえのな。でもまあ、ただ山でウスラボケっと咲いてるのも、まんざら悪い気分じゃねえって言ってたぜ」
 優作が演じる、渥美清さんの『寅のアリア』にも似た一人芝居を聴くうち、優太の心には、静かな凪が広がってきていた。
「――っつーわけで、がんばれ優太」
 優作は、ぬぼ、と優太から離れ、
「せいぜい生きてるうちに、美紀ちゃんをモノにしろ」
 なんの理屈にもなっていないわけだが、優太は我知らず深々とうなずいていた。
 なんだかちっともわかりませんが、わかりましたお兄さん――。
 優太の潤んだ目には、白い空が水月のように散っていた。それはあたかも宝塚のオスカル様、あるいは白馬の騎士の星の瞳――ただしあくまで瞳だけ、ナリはホームレスである。
 そんな優太の思いを知るや知らずや、
「お! ハクいのめっけ!」
 優作はころりと気を変えて、柵から身を乗りだした。
 指さす右横の眼下、だいぶ低くなった水の上に人影が見えた。ちっぽけな材木にちょこんとまたがっているのは、優太たちと同世代の少女らしい。
「お! お! 迷ってる迷ってる!」
 確かに生身の少女なら、そんな揺れ動く端材には、とても乗っていられないだろう。放心してあたりを見回している様子も、「ここは誰? あたしはどこ?」、そんな感じである。
「おい優太、あの子、なんか美紀ちゃんに似てねえ?」
「……似てない」
 美紀ちゃんは、あんなに胸がたゆたゆしてないし、お尻だって大きくない。似ているのは髪型だけだ。
「いいんだよ。俺は、あーゆー子が好みなんだから」
 優作は、がしがしと柵によじ登り、
「んじゃまた優太!」
 なんの躊躇もなく、みごとなフォームでダイブしていった。
 ざばざばと浮遊物を掻き分けて、あの子の材木に泳ぎ着く。
 遠すぎて声は聞こえないが、面食らっている女の子の肩になれなれしく手を回し、言葉巧みにオトそうとしている姿は、まるで60年代アメリカン・ポップスそのものだった。
 優作と少女を乗せて、小さな残骸は無数の浮遊物にまぎれ、東の海に遠ざかってゆく。
 次にあいつが訪ねてくるときは、あの子もいっしょだったりして――。
 優太は、流れ去るふたつの背中に、軽く手を振ってみた。
 どのみち優作は、あっちに忙しくて、こっちを振り返る気はなさそうだった。
 汚泥に塗れた瓦礫の町に、風花が舞っている。
 優太は思った。
 その風花のひとひらひとひらにも、かつて天に溶けたものたちのなにかしらが宿り、ふたたび地に溶けようとしているのかもしれない――。
 そう思いたかった。

      7

 白い空のところどころに、微かな青が透けはじめている。
 優太は、ひとり屋上の柵に背をもたれ座りこみ、西の丘陵を眺めていた。
 地震や津波の、すべてが終わったわけではないだろう。まだときどき大きな余震を感じるし、ものの本によれば、しばしば津波には第二波とか第三波とかがある。そもそもさっきの大津波そのものが、先の大津波に次の大津波が加勢したりして、こんなに奥まで遡ってきたのかもしれない。あんなものが東日本の太平洋岸一帯に押し寄せたなら、これから何年、いや何十年たったって、本当の終わりはこないはずだ。
 しかし今の優太の関心事は、やっぱり美紀である。峰館の家も気になるが、ニュースではこっちより揺れなかったらしいから、まず大丈夫だろう。少なくとも津波の心配だけはない。
 地べたが落ち着いたら下に戻ろう――そう決めて、ぷらぷらする左足を気遣ったりしていると、丘陵の向こうから、ぱたぱたとヘリコプターらしい音が響いてきた。
 ――よし、OK。
 やがて現れた小型ヘリは、つつがなく鳥居の奥に下降し、しばらく間をおいて、また軽やかに浮いてきた。
 そのまま元来た西の彼方、どこか立派な病院へ――と思いきや、ヘリはこちらに向きを変え、ぱたぱたと近づいてくる。
 優太は思わず、こっちじゃなくてあっちあっち、と手を振り回した。
 ――俺は後回しでいい。それより一刻も早く、美紀ちゃんの足を繋げてもらったほうが。
 しかしヘリは、そのまま目の前の屋上に下降してきた。
 ヘリのローターの風は、厳寒対応ホームレス装備の身にも、大寒波級にすごい。
 ああ、やっぱり俺は、もうちょっとあったまってからがよかった――。
 などとぷるぷる震えながら、下りてしまったものは一刻も早く上げたいので、優太はローターを止めたヘリに、片足を引きずりながら近づいた。
 前ドアから澁澤老人が駆け下り、脇を支えてくれた。
「よくやった!」
「いえ……」
 後部のスライド式ドアを、中から開けてくれたのは吉田だった。
 観光用や救助用のヘリとは違い、あくまで新聞社特注の内装である。前にパイロットと澁澤老人、後ろはフラットなスペースに積まれていた取材機器等を神社の境内に放り出して緩衝用のクッションだけ残し、そこに美紀を横たえ、吉田が付き添っている。他にも和服の老婆がひとり――いわゆる恍惚の人が、縁側で日向ぼっこでもするように、ちょこんと正座している。他のメンバーは神社に居残りだった。
 吉田が手を伸ばし、優太を引き上げてくれた。
 そのとき、
「こら優太!」
 いきなりバス寄りの女声アルトでどなられ、優太は仰天した。
「えと……あの……」
 毛布にくるまれた美紀が、ジト目で優太を睨んでいた。
「置いてくな、優太!」
 呂律は怪しいが、茂美さながらの高飛車な声である。
 ――なんか、すっげー美紀ちゃん元気?
 元気というより、酔っ払っているようにも見える。顔は赤くなくてやっぱり青いから、悪酔い、あるいは宿酔いである。夜の街で呑み仲間にもてあまされ、路上に放置された怒り上戸のようだ。
「ご、ごめん」
 優太が素直に頭を下げると、美紀は、ふう、とひと息ついて、
「……お帰りなさい」
 直前の剣幕から一転、舌足らずな甘い声だった。
 トロンとした目つきも、なんだか色っぽい。
「うん……ただいま」
 ちょっとビビっている優太に、美紀は、ゆらゆらと片手を伸ばしてきた。
 え、えと、握っていいよな、この場合――。
 優太は辺りを気にしながら、美紀の掌を両手で包みこんだ。
 とても暖かい。
 いや、優太のほうが冷えすぎているのだろう。
 それでも美紀は、満足げに目をつむり、ぽそぽそとつぶやいた。
「……赤ちゃん……」
「は?」
「……赤ちゃん……いっぱい……いるんだから……十人も……」
「え?」
「……寄り道しないで……優太……しっかり稼いで………」
 そこで言葉がとぎれた。夢の世界に戻ったらしい。
 ――お、俺の子!?
 優太の懊悩をよそに、パイロットが叫んだ。
「発進します!」
 後ろの便乗者たちはベルトを着けられない。吉田は老婆を、優太は美紀を支えて身構える。
 ヘリは瞬く間に、丘陵を斜めに越えて空に浮いた。
 やがて安定した水平飛行に移る。
 ローター音の響く中、ヘリコプター初体験に感慨を抱く余裕もなく、優太は吉田に口を寄せて訊ねた。
「なんか美紀ちゃん、変なんですけど……」
「大丈夫。脈も血圧も安定してる。鎮痛剤の副作用は人様々だからね」
 早い話、軽くトリップしてしまったわけである。
「それより優太君、君のその足は?」
「はい、ちょっと……」
 吉田は優太の足首を検分し、
「ちょっとどころじゃないだろう。こっちも手術がいるぞ」
 アキレス腱なら手術は容易だが、これ以上悪化させたくない。救急箱の備品でテーピングしながら、吉田は言った。
「優太君、君、機動隊に入らないか」
 ――は?
「自衛隊でもいい。君のような人には最適だ」
 優太の度重なる軽はずみを、よほど過大評価してくれたらしい。
「いやその、ちょっと……」
 なんぼなんでも体がヤワすぎるのでは――口ごもる優太に、吉田は真顔で言った。
「すまん、そんな場合じゃないな。まあ落ち着いたら、ゆっくり考えてみてくれ」
 前の席から澁澤老人が振り返り、大口を開けた。
「やめとけ優太君」
 澁澤の声質だと、爆音の中でも不思議なくらい言葉が判る。
「公務員の給料じゃ、子供十人は無理だ。新聞社のほうがいい」
 ――は? は?
 ますますとっちらかっている優太を見ながら、澁澤も吉田も苦笑していた。
 そもそも、すぐに峰館大学病院に向かわず逆の屋上に寄ったのは、なかばトリップ状態の美紀が、優太を連れてこいと憤《むずか》りまくったからなのである。病院に着くまで暴れ続けたら、患者の身が保たない。

 ヘリは雄鹿半島の南から、西南西の峰館に直行していた。
 必然的に、右に石蒔湾、左に仙代湾を一望しながら飛行する。
 眼下、延々と連なる荒廃した海岸線の所々に、火災の煙が立ち昇っている。
 眠る美紀の横臥を保ちながら、優太は思った。
 今、この周りの空でも、あの白い絹糸たちが雲に向かっているのだろうか――。
 奥の老婆は吉田に支えられ、ただにこにこと空を眺めている。
 操縦桿を握る若いパイロットの手が、しばしば微妙に乱れるのを、澁澤老人は目敏く察して言った。
「そりゃ降りたいだろう。下には、今も助けを求める人たちが何千人といる」
 パイロットは無言である。
「しかし俺ら風情にできるのは、今、手が届く事態に心を尽くすことだけだ。後ろの婆さんは、今日中に透析を受けないと危ない。あの子たちは、先の命を増やさねばならん」
 ヘリは速やかに仙代上空を過ぎった。
「何千何万の命も、命同士は一期一会――それを忘れるな。それを忘れると、君は大災害の空どころか、戦場の空で爆弾をばらまくことになる」
 蔵王連峰が雄渾に迫っている。
「――はい」
 パイロットはうなずき、山の彼方へと高度を上げた。




   エピローグ 【それでも木馬は回ってる】


      1

 峰館地方一帯は、地形によって震度四から五強の揺れにとどまり、崖崩れや建造物崩壊等の被害は少なかった。それでも少数の死者が出、負傷者も少なくない。全域が停電し電話も不通である。
 南峰館に程近いバイパス沿いの峰館大学医学部付属病院は、県立中央病院と並ぶ県内最先端の医療施設だけあって、全ての機能を維持していた。自家発電により、地域が停電しても三日以上は持ちこたえられる。それだけに周辺の負傷者が集中し、救急外来は大わらわだった。
 慌ただしく人が行き来するロビーの一角で、茂美と母親の優美は、不安げにヘリの到着を待っていた。朝売新聞峰館支局の嘱託老記者、つまり澁澤老人の元部下が自らの足で伝令を務め、隣県の状況を亜久津家に伝えてくれたのである。祖母の八重子は手数の掛かる四人の孫を抱えて自宅待機、亜久津家の茂と茂吉は島本や西崎老人と共に雄鹿、山福夫婦は仙代で足止めをくっている。
 午後四時四十分を回った頃、その老記者が入口から足早に近づいてきた。
「屋上のヘリポートに着くそうです。そのまま外科病棟の二階に運ばれますので、我々もそちらへ」
 澁澤老人と老記者の連絡は、ヘリの無線と新聞社支局の衛星回線を介し、老記者の持つ携帯衛星端末で行われている。院内では繋がらないので、老記者は空を見通せる庭に出ていたのだ。
「こちらです」
 院内に詳しい老記者は、複雑な順路を滞りなく先導してくれた。管理職や定年後の閑職が長く、こうした現場には久しく出向けなかったぶん、かえって生き生きと行動している。
 外科病棟二階のナースステーションで老記者が来意を告げると、ベテランらしい中年の女性看護師が、三人を奥のエレベーター前に案内してくれた。
 そのまま十分ほどが過ぎる。
 不安げな三人に、女性看護師は言った。
「大丈夫ですよ。北条先生がヘリポートでお待ちです。その場で応急処置を」
 すでに連絡万端、行き届いているようだ。
 ほどなく扉が開き、美紀を乗せたストレッチャーが、男性看護師ふたりに押されて現れた。その後には医師と大型の医療用カートが二台ほど続いており、優太たちの姿はない。
「美紀!」
 声を上げてストレッチャーに駆け寄る茂美を、男性看護師が押しとどめた。
 ちょっと見るくらいいいじゃん――不満げな茂美の肩を、白衣の医師が軽く叩いた。
「お友達?」
 見上げた茂美は、思わず目を丸くした。
 ――わ、いい男。
 イケメンと呼ぶにはちょっと年上すぎるが、確固たる知性に軟性の美形をコーティングしたような、三十代なかばの青年医師である。
「大丈夫、必ず治るから」
 北条医師は微笑を浮かべて明言した。
 老記者が腑に落ちない顔をした。モンスターペイシェントによる訴訟などが急増する昨今、そうした断言は医師として禁句に他ならない。「最善を尽くす」くらいが妥当なところだ。
 それでも隣のベテラン女性看護師は、うむ、と頼もしげにうなずいていた。
 十年ほど前、この病院で脳外科主任を務める大先生の、いわば七光りで入局してきた若先生は、当初こそ顔がいいだけのお坊ちゃまに見えたが、あっという間に頭角を現し、今では国内有数の形成外科医に成長している。
 北条医師は女性看護師に訊ねた。
「今日の救急担当は?」
「牧田先生です」
「そりゃ好都合だ。次に降りてくる男の子を、そちらにお願いします。アキレス腱の断裂です。いっしょに来るお婆さんは透析課へ。僕はたぶん朝まで、この子に掛かりきりになりますから」
「承知しました」
 そんな会話を交わしてから、北条医師は美紀のストレッチャーと共に、颯爽と廊下を去っていった。
 やがて再びエレベータの扉が開き、後続組が現れた。優太は吉田に脇を支えられ、澁澤老人は老婆の覚束ない歩行を若い女性看護師とともに介助している。
「優太!」
 歩み寄ろうとした優美を、茂美がつかつかと追い抜き、いきなり優太にボディーブローを叩きこんだ。
 どす。
「ぐえ」
 優太は腹を押さえて屈みこんだ。吉田と優美が、あわてて両側から抱きかかえる。
 うわあ怪我人になんてことするんだ――呆気にとられている周囲の大人たちに、優太は、いいんですいいんです、と手を上げてみせた。せいぜい中の上レベルの鉄拳制裁、悶絶するほどではない。親友をしっかり守れなかった愚弟など、本来、半殺しにしてもおかしくない姉なのである。
 その一撃でとりあえず気が済んだ茂美は、あんがい優しい顔で優太を気遣った。
「大丈夫?」
 おいおい自分で腹パンきめといてそれかよ――周囲はやっぱり呆れかえっているが、母親の優美だけは、いつものように穏やかな微笑を浮かべ、子供たちを見守っていた。恍惚の老婆といい勝負の、春の縁側っぽい笑顔だった。
 仲良き事は美しき哉――。
 母として、すべてを解っているんだかいないんだか、そのあたりは少々微妙である。

      2

 あの港町に本格的な救援の手が届くまで丸四日ほど、残留組の男衆は、神社に逃げた町の人々と共に廃病院で生活することになった。自家発電装置は冠水したが、タンクの燃料と地下室の備蓄食料が無事だったので、思ったより辛い生活ではなかった。
 最低限の暖房器具や寝具や衣料品は、澁澤老人がヘリで仙代と雄鹿を往復し、運びこんでくれる。医療機関に委ねるべき怪我人や病人などは、そのつど仙代に移送する。別方向に逃げていた人々も、ヘリからの拡声を聞きつけて廃病院に合流したり、残った家屋に戻ったり、あるいは別の使える建物に集ったりして、生き続けるための道を開いてゆく。無論、自衛隊やレスキューのヘリも東日本全域でフル稼働しているが、被災地があまりに広範すぎて、なかなか隅々まで手が回らない。
 廃病院に運びこまれた負傷者の中には、残念ながら、その場で息を引き取る者もいた。死体そのものを大事に連れてくる者もいた。中には無惨に損壊した死者も少なくない。それでも高見の残した孤立のための遺産は、数多くの人々の悲嘆や絶望を、幾許なりとも、確かに和らげていた。
 何度目かのヘリ往復時、まだ荒れたままの前庭で荷物を受け取りながら、茂吉が澁澤老人に訊ねた。
「このヘリ、こんなに借りっぱなしでいいのかい、カオルちゃん」
 澁澤老人は笑顔で答えた。
「このまま貰ってもいいくらいです。上にたっぷり貸しがありますから」
 ちなみに澁澤は、もはや町の人々にまで『ヘリのカオルちゃん』と呼ばれている。
 荷役を手伝っていた島本は、西崎老人にこっそり訊ねた。
「澁澤さんって、もしかしてあっちこっちで、お偉いさんの弱味かなんか握ってるんじゃないですか?」
 無論、冗談のつもりだったのだが、
「県知事くらいは動かせるらしいよ」
 西崎老人は真顔で言った。
「澁澤農園の『隠し舞茸』は天然物より旨いからね。限定頒布品だから、澁澤さんのご機嫌を損ねたら、二度と食えなくなる」
 島本と茂は、なるほど、とうなずき合った。天然物より旨い舞茸――そりゃシャブなみの依存性があるだろうなあ。
 ちなみに、クリーンルーム栽培の量産舞茸が安価に出回る昨今でも、天然舞茸の価値は松茸に劣らない。でかい子実体なら何十万で取引される。大手栽培業者は「天然物と風味は同じです」などと公言するが、それはあくまで「お値段に比例した風味はあります」と言うことだ。
 そうして水曜日の午後、ようやく車道が繋がって公共の支援が届くようになり、峰館勢は港町に別れを告げた。吉田はボランティアとして残留を決めている。
 吉田と堅い握手を交わす一同の内、茂吉の手には特に力が入っていた。
「じゃあ、がんばるんだぞ、ヨッちゃん」
「はい、シゲさんもお元気で」
 茂吉は、何かとヤワな息子より、吉田の剛直さに愛着を覚えていた。

 確かに茂は、この大事の渦中でも、描き残しのイラストや連載の締め切りから合法的に逃れ得た安堵や、妻子の元に戻れる喜びを隠しきれない柔弱な男である。
 しかし柔弱だからこそ、柳のごとく風折れしにくい、とも言える。
 そんな性質は、息子の優太にもしっかり受け継がれおり、その日の夜、茂たちの帰還を他の家族と共に出迎えた優太は、ギブスで固められた片足を松葉杖で補い、やや斜めはすかいながら、いちおう直立していた。
「お帰りなさい」
 結局、優太のアキレス腱は、骨そのものの皹《ひび》との兼ね合いで、手術よりも保存的治療が妥当と診断されたのである。金曜の夜は病院に泊まり、土曜日にあちこち精密検査、足以外は大過なしと判明して日曜の朝には退院し、月曜には松葉杖で登校した。
 鉄道の途絶により、峰館界隈でも多数の学校が週明けから休校しているが、電車通学の生徒がほとんどいない南峰館第一中学校は、律儀に――生徒にとっては誠に遺憾ながら――いつもどおり授業を続けている。
 久方ぶりの自宅晩酌、もとい亜久津家名物『戦場の鍋』を味わいながら、茂は優太に訊ねた。
「で、美紀ちゃんの具合はどうだ?」
 あの晩の内に緊急手術が行われ、無事に終わったことは雄鹿で聞いている。しかし到底それだけで済むような怪我ではない。
 茂吉も身を乗り出した。
 美紀の今後を心配する気持ちは関係者一同変わりないが、茂吉の場合、むしろ男孫筆頭・優太の初の異性問題として、格別に身が入っている。二十何年前、息子の茂を東京に送り出したときも、茂の将来そのものより、当時東京近郊に移り住んでいた可憐な幼馴染み、つまり嫁候補の優美を、ヤワな息子が無事に陥落《おと》せるかどうか、そっちのほうが心配だったくらいである。
「うん……」
 優太は父親譲りの、どっちつかずな声で言った。
「とりあえず第一段階は成功、経過を見て再手術――当分は入院だって」
「元どおりにはなるんだな?」
「うん。それは北条先生が約束してくれた」
 茂は安堵した。あの高見が見こんだ医師なら、ゴッドハンドの仲間に違いない。
「でも再々手術とか、ことによったら何度も手術を繰り返すかもしれない――そう言ってた。そうして完全に繋がってから、リハビリに移って――順調に行っても年内は休学、そんな感じなんだ」
 優太の気分が晴れないのは、そうした諸々の心配のみならず、あれ以来、一度も美紀の姿を見ていないからでもある。北条医師や美紀の両親とは何度か話したが、肝腎の美紀ちゃんは、両親さえ最低限しか面会できない状態なのだ。
「そうか……」
 戦場の鍋が、いつしか一般家庭の鍋のように鎮まっていた。いつもなら喧しくてたまらない四人の弟妹たちも、しんみりと鍋をつついている。
 優美が、あんがいからりとした声で言った。
「一年遅れるくらいなら、なんてことないわよ。私も小学校で丸一年休学したけど、別にへっちゃらだったし。復学してひと月くらい、ちょっと気になっただけだわ」
 隣の茂美も、こくりとうなずいた。
 この母親ほどマイペースで生きられる人間はふつういない――とは思いつつ、ここはあえて能天気方向にシフトしたかった。
「どのみち当分は蒲団の上か」
 茂吉が言った。
「優太、ここが正念場だぞ。今なら、どう迫っても、相手は蒲団から逃げられね――」
 言い終わらないうちに、茂吉の頭部を、左右から衝撃が襲った。
 すこん。
 ごん。
 左は茂美が投擲したカセットコンロの空きボンベ、右は八重子の丼鉢である。
 茂吉は無言で頭を抱え、テーブルに突っ伏して身悶えた。
 ――お、俺はただ、この座を少しでも明るくしたかっただけなのに。
 茂美と八重子は、何事もなかったかのように食事を続けている。
 ――能天気にも程ってもんがあるだろう、爺さん。
 他の家族の思いは、多種多様だった。
 ――おお、母ちゃんナイスショット。
 ――いつものことだから大丈夫よね、お義父さん。
 ――ああ、茂美がボンベで本当に良かった。もし丼鉢が茂美だったら、祖父ちゃんの頭は確実に砕け散っている。
 そして幼い四つ子たちは、こくこくと顔を見合わせ、
 ――うちのラスボスはお祖母ちゃんなんだよな、やっぱり。

 茂たちと別れてから、島本は自宅マンションに直帰せず、数百メートル離れた路地に曲がり、妻の経営する古書店『伽藍堂』に立ち寄った。
 ちょっと見、古い土蔵のような店構えである。それもそのはず、この城下町では廃業した商家の土蔵を別業種の店舗として貸し出すケースが増えており、この場所も『伽藍堂』になる前は、二十年近く放置された呉服商の土蔵だった。元の頑丈な扉を今は観音開きのまま固定し、内側の格子戸を空調の効くガラス戸に変えてある。そのガラス戸も、元の格子戸に似せた物を選んだから、看板を外せばそのまま時代劇のロケに使えそうだ。
 久しぶりに古書独特の匂いを思う存分吸いこみながら、島本は奥の帳場に声をかけた。
「ただいま」
 しかし帳場には誰も座っておらず、すぐ横の棚の奥から、妻の千鶴子が抱きついてきた。
「お帰りなさい――ご苦労様でした」
 大袈裟に感情を表すタイプの妻ではないが、かつてない深い接吻を島本は受けた。島本も抱擁と接吻を返す。亜久津家とは対照的な、欧米風の夫婦再会図である。
 幸い、邪魔になる客はひとりもいない。近頃は売り上げの八割を、HPやAMAZONのネット通販が占めている。
 お互い古書収集癖を縁に結ばれて、こんな土蔵を重宝している割に、往年は自称シティーボーイと高級クラブの遣り手ホステス、幾つになっても気が若い。気兼ねする子供もいないから、おそらく六十や七十になっても洋画の老夫婦のように、抱擁を挨拶代わりにして生きるのだろう。
 帳場の前に置かれた得意客用のテーブルで、千鶴子の淹れてくれたコーヒーを一緒に啜りながら、島本は改めて店内を見渡した。
 数日間見続けてきた太平洋岸の惨状とは別状、蔵の中は旧に違わず端正そのものである。
「てっきり、しっちゃかめっちゃかになってると思った」
「抜かりはないわ」
 千鶴子は、にっこり笑って言った。
「マンションのあなたの資料も、まんまのままよ。一冊だって落ちたりしてない。建物ごと崩れないかぎり大丈夫」
 つまり美貌であるのみならず、棚に並んだボトルやグラスを震度七対応にできるくらい几帳面な女性でないと、膨大な稀覯本を収集するだけの飲み代を、客の懐から巻き上げられなかったわけである。
「それより警察から、何度も電話があったわよ」
「俺に?」
「ええ」
「なんだろう。雄鹿でずいぶん働いたから、感謝状でもくれるのかな。いや、それは管轄が違うな」
 そもそも警察だって、まだ大車輪の渦中のはずだ。
 千鶴子は帳場に立ち、一枚のメモ用紙を持ってきた。
「帰ったら、ここに連絡してくれって」
「宮城県警察本部、地域部地域課――あ、あれか!」
 震災の猛威の前に、もうひとつ大活劇があったのを、島本はころりと忘れていたのである。
 ――ということは、連中、ちゃんと自首したらしいな。日本の警察も大したもんだ。震災で国中が大混乱のさなかに、ちゃんと個別犯罪、それも未遂事件に対応してる。
 島本はかなり感心しながら、メモの番号に連絡した。自分の携帯は壊れたままなので、帳場の固定電話を使う。
 ――まあ、あいつらの場合、細々した既遂もてんこもりだからな。あの集落の駐在所に自首したなら、崖沿いだから津波には遭っていないはずだ。道が復旧してから、県警に送致されたのだろう。
 宮城県警本部は、予想どおりてんてこ舞いらしく、一向に繋がらなかった。何度か掛け直し、ようやく地域課とやらに取り次がれてからも、なお延々と待たされる。
 やがて電話口に出た中年声の担当者は、妙に遠慮がちに用件を切り出した。やはり、あの誘拐未遂の件である。しかし話の内容は、島本の楽観とは真逆に近かった。
「……死んだ? あの若い奴が?」
『はい。あの駐在所では調書が取れませんので、出頭後、とりあえず尾名川の警察署に移送されたのです。その移送中、あの津波に巻きこまれました。移送車は高台に避難しようとしたのですが、途中、逃げ遅れた市民も救助せねばならず――結局、警察官二名と出頭者三名、五人全員が流されました。警察官一名と年長の出頭者二名は、命を取り止めて現在入院中なのですが、あの青年と警官一名は、当日中に死亡が確認されました』
 どうやらあの若い衆は、警官と一緒に最後まで救助活動を続けていたらしい。
 よって取り調べは後日、残る出頭者たちの回復を待って――そんな話で、当座の用件は終わった。
 島本は暗澹とテーブルに戻った。
「……よりによって、いちばん腐ってなさそうな奴だけ、先に逝っちまうんだもんなあ」
「なんの話?」
「話せば長いことながら」
「話さなければわからないわ」
 島本が地震前の一件の経緯《いきさつ》を話すと、
「……世の中、そんなものなのよ」
 千鶴子は、やれやれと言うような顔で、
「たぶん、その主犯っぽい奴が、いちばん長生きするんだわ」
「俺も、そんな気がする」
「たぶん私も、そいつみたいにしぶとく長生きするから、あなたには、もっと嫌な奴になってほしいなあ」
 千鶴子は、コーヒーのお替わりを淹れながら言った。
「何かあったら、真っ先に逃げて帰ってくればいいのよ。他人様より自分をかわいがらないと、どうしても早死にしちゃうでしょ」
「そうとも限らないぞ。優太君なんて、生きて帰れたのが不思議なくらいだ」
「子供はみんな、人生これからだもの」
「理屈になってないぞ」
「理屈じゃないから子供なのよ」
 やっぱり理屈になっていないが、まあ、なんとなく解る気はする。
「大人の人生なんて、せいぜい『ここまで』だもの。ここまでを後生大事にして、せいぜい長生きすればいいんだわ」
「俺には、ちょっと難しいかな」
 島本が渋い顔をすると、
「……勝手にしなさい、坊や」
 千鶴子は婀娜っぽく頬笑んで、また唇を寄せてきた。
 あくまで洋画調のふたりなのである。
 
      3

 四月初旬の土曜日、美紀の容態が一段落し、一般の見舞客も短時間なら面会OKになったので、美紀の負傷に縁の深い連中は、さっそく申し合わせて病院に駆けつけた。あれ以来、一度も一堂に会したことがなく、そろそろ雁首揃えてあれこれ話を交えたい気もあった。
 おのおのがそれぞれの生活に戻ってから、周囲の話題は気が滅入ることばかりである。津波からの復興はまだ糸口すら見えないし、福島の原発事故も収束するどころか悪化する一方、ちょっと前に日本戦後史上画期的な与野党交代を果たした現政権に至っては、ただただ不慣れによる国政混乱を拡大させるばかりだ。そんな中、重傷を負った美紀が、僅かずつでも確実に回復に向かっていることは、関係者たちにとって大いなる福音だった。
「やあやあ、あっくん」
「いやはや、どうもどうも」
「おう、お久しぶり、カオルちゃんリョウちゃんシマちゃん」
「お変わりないですかシゲさん」
「おう、必要以上に変わりねえぞ」
 そんな賑やかな一同をロビーで迎えた山福夫婦も、公私ともに心痛と疲労が重なる中、つかのまの華やぎを感じているようだ。
 茂美と松葉杖の優太は、ニコニコ顔の優美と並んで、ただ大人しくしている。おっさんや爺さんたちのパワーに圧倒されたせいもあるが、内心、期待と不安が半々なのである。長期入院確定となれば、いくら楽天的な美紀だって、ドンヨリ落ちこんでいないとも限らない。

 いっぽう病室で、手術後初の一般参賀、もといお見舞いに臨もうとしている美紀当人は、ドンヨリとは別方向で、なかなか複雑な心境だった。
 みんなに会えるのは嬉しいんだけど、なんか、調子がイマイチなんだよなあ――。
 だいたい、あの食堂から優太君に抱えられて逃げだしたっきり、きれいさっぱり記憶が途切れ、目覚めればそこは病院のベッドだったのである。それも、なんかやたらスゴそうな機器類に囲まれて、体のあっちこっちにコードやなんかが繋がっており、ほぼ拘束状態だった。
 その後、拘束が少しずつ甘くなり、ちょっとは気分が落ち着いたものの、いっぺんもげてまたくっつけたという右足は、なんかハイテク素材の型に包まれて、ずっと宙ぶらりんになっている。ちゃんとくっついたんだかくっついてないんだか、どうも感覚が曖昧だ。治療中にチラ見した感じでは、縫い目から先のところだけ、消費期限を過ぎたお刺身みたいな色をしていた。
 そして何より、それら肉体的なアレコレのみならず、父さんや母さんやお医者さんや看護婦さんたちを含む世間全体が、なんだかずっとフワフワしている。これがフワフワしなくなると、そのうち足元でとんでもねー激痛が爆発しそうになるので、ナースコールでなんか色々してもらい、またフワフワすることになる。
 まあ病院としては、うら若き少女をジャンキーにしないようにギリギリで鎮痛剤を投与しつづけているわけだし、この状況を『イマイチ』で済ませられる美紀という少女は、やはり恐ろしく強靱、あるいは能天気な娘なわけである。
 ともあれ、美紀自身としては、今日のお披露目にイマイチ自信が持てない。
「あの……」
 美紀は、病室にいる看護婦さんに呼びかけた。
「はーい」
 右下脚部の血圧計をモニターしていた女性看護師は、
「また痛くなってきた?」
「いえ、えと、あの……」
 ちょっと事前練習を試みたいのです、と相談してみる。
 看護師は美紀の密命を受け、そろそろ現れるはずの見舞客一同を牽制するため、廊下に出た。
 やがて、茂美ひとりだけを伴い、病室に戻ってくる。
「ミー坊……」
 柄にもなくウルウルしている茂美に、美紀は言った。
「ふんがー」
「は?」
「だから、ふんがー」
「は? は?」
 茂美は、ただ当惑してしまった。
 発言が異常なだけではない。美紀の目つきも尋常ではない。なにやらウツロな三白眼なのである。
 ――こ、これは……足だけじゃなくて……脳味噌まで?
 うにい、と眉をひそめている茂美に、美紀は肩を落として言った。
「……ウケない」
 宙ぶらりんの右足を茂美に示しながら、美紀はぼやいた。
「やっぱり、中のツギハギが見えないとダメだよね、フランケン」
 おいおい『怪物くん』ネタですかい――ようやく美紀の真意を悟った茂美は、思わず病床に駆け寄り、美紀の頭を、両腕でしっかりと胸に抱いてしまった。
 ――ああ、よかった! これはもう間違いなく、いつもの美紀だ!
「ちょ、ちょっと茂美ちゃん」
「うりうりうり」
「ぎぶ、ぎぶ」
 あの女性看護師が、慈愛に満ちた微笑を浮かべ、ふたりの交情を見守っていた。
 いつか全快する日まで、この子たちの笑顔が、どうか長持ちしてくれますように――。
 こみあげる大爆笑を白衣の天使らしい微笑にとどめるため、彼女が現在いかに苦労しているかなどは、この際、誰にも内緒である。

 茂美が美紀に与えた助言によって、初の部外者面会は、やはり皇居の新年一般参賀、あるいは映画『ローマの休日』におけるアン王女の謁見、そんな雰囲気で無難に終わった。
 もともと見舞客一同は、病院側に「ちょっとだけよ」と釘を刺されていたので、思ったよりハイらしい美紀に安心すると、花や果物やお菓子を置いて、泰蔵とともに病院の喫茶室に引き上げた。
 淑子と優美と茂美は、美紀に頼まれたあれこれの買い物をするため、市街に出かけている。お年頃の少女の入院生活には、病院のお仕着せ以外にも様々な物が要るのである。いわゆる生活必需品なら淑子も心得ているが、それにサンリオの絵柄指定が付いたりすると、昔からキティちゃんに親しい優美の管轄になる。流行りのラノベやコミック類は、茂美でないと判らない。
 ちなみに優太も、その日に自分の左足の受診を予約してあり、外科外来に回ったので、喫茶室には同席していなかった。
「いやあ、元気そうでよかったよかった」
 茂吉は上機嫌で言った。
「あれなら大丈夫だ。医者も太鼓判押してんだろう」
 過去の経験から、亜久津家の嫁候補はちょっと苦労した娘のほうがいい、などと思っている節もある。
「まあ、先は長いですが」
 泰蔵の表情は、微妙に晴れなかった。
「そうだよなあ、何かと物入りだろうし」
「いえ、それは保険で大丈夫なんですが」
 一般に天災関係の被害は免責とする保険会社が多いが、さすがに今回は政府の意向もあって、災害保険も生命保険も適用方向に動いている。ただし傷害保険だけは姑息にしらばっくれようとしているのだが、そもそも山福家では、家計の全権を握る淑子が、いかなる事態でも経済的破綻を回避できるよう、巧みに各種の保険を構成している。
「じゃあ、なんでそんなに浮かない顔してんだ」
 茂吉が問うと、泰蔵は、なぜか茂に目を向けて、
「なあ、茂」
「はい」
「また枕崎を呼んでくれんか」
「はい?」
「まあ、枕崎当人より、あの奥さんに来てほしいんだがな」

      4

 つつがなくギブス交換とレントゲン撮影を終えた優太は、外科棟のロビーや喫茶室ではなく、最上階の廊下のソファーで文庫本を開いていた。帰りに乗せてくれるはずだった父さんが、何かの用事で山福家に向かってしまったので、母さんたちの帰りを待ち、そっちに便乗するつもりだった。別にひとりでバスに乗ってもいいのだが――この階のちょっと奥に入ると、美紀ちゃんのいる病室がある。
 ひとりで再お見舞いを決行するほど、優太はずうずうしくない。元々今日の面会は、美紀ちゃんを疲れさせないために、ほんの短時間だけの予定だった。大人が大量に集まってしまったので、美紀ちゃんと直接言葉を交わす余裕はなかったが、思ったより元気な顔を見られただけで充分だ。けれど――ここで母さんや茂美の帰りを待っていれば、そっちにくっついて、また美紀ちゃんの顔を拝む機会があるかもしれない。
 自販機で買ったブラックコーヒーを啜りながら、図書館で借りた泉鏡花の『眉かくしの霊』を読み続ける。同じ文庫の前半に収められていた『高野聖』よりは、文章が解りやすい気がする。俺自身の気分が落ち着いたからだろうか。それとも、あっちが鏡花先生の若書きで、こっちが晩年の作だからだろうか。っつーか時代的に、文体が、文語体っぽい流れの口語体から、よりこなれた口語体に変わったっつーことも――などと、ブンガクおたくの入り口らしいヒネたことを考えていると、
「おや、優太君じゃないか」
 そう声をかけてきたのは、北条医師だった。
「またずいぶん大人な本を読んでいるねえ。美紀ちゃんのお見舞いは済んだのかい」
「はい、だいぶ前に」
「そうか、君も診察だったんだな」
 優太の真新しいギブスを見て、北条医師はうなずいた。
「牧田先生のお見立ては?」
「順調みたいです」
「私ならすぐに切り開いて、中から縫いつけちゃうんだけどね。牧田先生は、外科のくせに切りたがらないからなあ。でも自然回復に任せられる傷なら、そのほうがいい。時間はたっぷりあるんだし」
「はい」
 優太も、そんな気がする。ほっといたら絶対くっつかないとこだけ、しっかり縫い合わせてほしい。
「これから美紀ちゃんの診察なんだ。君も行くかい?」
「え? でも……」
「主治医が一緒ならオールOKさ」
 北条医師は、あっさり言った。
「それに君のことだから、美紀ちゃんを疲れさせるような真似はしないだろう。どちらかと言えば、代わりに色々やってあげて自分のほうが疲れちゃうタイプ――ミツグ君と見たね、私は」
 返答に窮する優太を見て、北条医師は二枚目顔を少年のようにほころばせた。事故当時のふたりの経緯を、おおむね知っているのである。
 北条医師にくっついて優太が病室に入っていくと、ベッドの美紀も横の女性看護師も、ありゃ、というような顔をした。美紀のほうは、同じ「ありゃ」でもなんとなく歓迎的な感じだったので、優太はちょっと安心した。
「ども……」
 それっきり後の続かない優太に、
「……うん」
 美紀も、続ける言葉が浮かばない。さっき大勢に紛れていたときのほうが、お互い安心して同室できた気がする。このところ色々ありすぎて、なんだかお互い、かえって微妙な感じなのだ。
「いいよねえ」
 北条医師が、女性看護師に言った。
「私もこんな青春時代を過ごしたかった」
 女性看護師はおかしそうに頬笑んだ。
 北条医師が、ベッドの横にある各種端末のモニターをチェックしはじめ、看護師も後ろから覗きこむ。
「波形もいい。このまま馴染んでくれそうだ」
「はい」
 優太もモニターを窺ってみるが、なんだかよく解らない。ベッドの美紀にも解らない。とにかく問題ないなら無問題だ。
「さて――」
 北条医師が、ふたりに向かって言った。
「このまま順調に行けば、来月あたり追加の手術をする。それで、優太君たちが大事に運んできてくれた美紀ちゃん本人と美紀ちゃんのパーツは、物理的には、ほぼ繋がると見ていい。しかし、それですぐ元どおりに動かせるようになるほど、人間の体ってやつは単純にできていない――解るね?」
 ふたりとも、こくこくとうなずく。
「手術後の養生や、リハビリが大切なだけじゃない。早い話、このままただ繋げた状態だと、右足が左足より1.5センチほど短くなる。これは創傷面――両方の切断面だね、その骨や組織がちょっと傷んでいた関係で、やむをえない処置だった」
「1.5センチ……」
 かなり愕然とする優太とは別状、
「えーと――シークレットシューズとか」
 美紀は、きわめてシンプルに提案した。こっそり片方だけ水増しすれば、同じ長さになる勘定だ。
 北条医師は苦笑して、
「現代医学を甘く見ちゃいけないよ。特に私なんか、患者さんがもういいと言っても、完璧に元に戻さないと気が済まない質だから」
 無論、望ましいことは手を抜かないで残らず実行する、そんな意味である。
「で、時期を見て、こんどは足を伸ばす手術をする。繋がったところをまた切るわけじゃない。条件に適した別の部分を新たに切って、延長用の骨を入れるわけだ」
 うわ、そんなことまでやるのか――ふたりいっしょに顔をしかめると、
「心配ご無用。これはスッパリ切り離すわけじゃない。最低限の切開で済むことだ」
 北条医師はあっさり表現したが、隣の看護師は、その『最低限』で最良の結果を出せるのが、このイケメン先生の値打ちなのだと、尊敬を新たにしているわけである。
「手術としては、むしろ楽な部類だな。ただし、元どおり動かせるようになるには、やっぱり相応の時間がかかる。他の周りの組織も、いったん引き延ばす形になるしね」
 美紀は、あからさまにうんざりな顔をした。正直、何か月も余分に病院で暮らすより、早めにシークレットシューズを買って外を駆け回るほうがいいと思っている。その点では、これからの美紀の長い人生を考えて、うんうんと得心している優太のほうが、やはり図書館小僧らしく大人寄りなのである。
「と、言うわけで、私も気長にがんばるから、君たちも気長に構えてほしい。焦らず騒がず、でも必要以上に落ち着かず、ヤルときはヤルんだ、みたいにね」
 ずいぶんアバウトな助言だが、美丈夫そのものの北条医師に言われると、優太も美紀も、理屈抜きでなんとなく納得してしまう。
 そのときノックの音がして、
「あの、北条先生」
 別の女性看護師が、扉から顔を覗かせた。
「こちらに奥様がいらっしゃいませんでした?」
「沙弥香? いや、見てないな」
「さきほど医局に、先生のお弁当を持っていらしたんですけど、いつのまにか姿が見えなくなってしまって」
 北条医師は、そりゃまずい、と独りごち、
「あとはよろしく」
 中の看護師にそう告げると、
「じゃあまた」
 美紀と優太に軽く手を振り、ぱたぱたと小走りで廊下に出ていった。
 残された看護師も、
「優太君、ちょっと美紀ちゃん見ててね。すぐ戻るから」
 そう言って、まだ入り口に残っていた看護師仲間といっしょに、やっぱりぱたぱた出ていってしまった。
 またあっちこっちで無差別お見舞いしてるのかしら――まあウケてるからいいんだけどね――などと意味不明の会話を交わしながら、廊下を遠ざかっていくのが聞こえる。
 優太は、呆気にとられて言った。
「……どんな奥さんなんだろ」
 美紀は、つい、こうつぶやいた。
「ふんがー」
 よくわかんないけど、ウチにもお見舞い希望――そんなニュアンスだった。

「これは……大変なことになってますなあ、山福先生」
 大概の事態には動じない澁澤老人も、山福家の横に回って裏を覗いたとたん、呻くように言った。
 正面から見たところ、なんの被害もなさそうだった山福家は、あの裏の崖に食いこんだ地下室部分だけが、もののみごとに陥没していた。
 他の一同も目を見張っている。
 先ほど家の前で合流した枕崎は、いつも無表情なので驚いているのかいないのか余所目には判らないが、一瞬、すざ、などと一歩退いたところを見ると、たぶん驚いているのだろう。
 当主の泰蔵は、とっくに見慣れているので驚かない。
「ま、こーゆーことだ」
 泰蔵は枕崎に言った。
 枕崎は、あくまで無表情で、
「このあたりで建物の被害は、ほとんど出なかったと聞きましたが」
「おう。なんの因果か、うちだけこうなっちまった」
 泰蔵は「大霊界の思し召しかな」と続けようとしたが、やめておいた。後ろで敬虔に十字を切っている洋子に遠慮したのである。
 枕崎は訊ねた。
「で、俺たちは何をすれば? 片付けの手伝いとか?」
「いんや、ちょっと見てもらいたいモノがあってな、中のほうで」
 泰蔵は、一同を引き連れて家に入った。
 家の内部は、正面図同様、なんら震災前と変わりなく見えた。壁が落ちてもいなければ、柱が傾いでもいない。
 澁澤老人が感心して言った。
「ほう、実にしっかりした造作だ」
「はい。上物の骨組みは、まったく問題ないのです。余震でもビクともしませんでした」
 やがて家の最奥に至り、泰蔵は、例の地下室への扉を開いた。
「わ」
 枕崎が、ややおまぬけな声をあげた。
 裏で見た外観から、ある程度覚悟はしていたが――一般家庭の廊下の扉を開いたら、そこは落盤した隧道だった――そんな状況には、さすがにとっちらかる。階段の半ばまで土砂が堆積し、あちこちからちょろちょろと地下水が流れている様は、その前の扉や階段がごく普通の造りだけに、シュールそのものの光景だった。
「……お見事」
 茂吉が感嘆するように言った。
「どのみち、こりゃ建て替えだわなあ」
「いえ、元々オマケみたいな部分ですし、コンクリ流しこんで固めてしまえば問題ないと、知り合いの建築屋も言ってるんですが」
 淡々と言う泰蔵に、島本が、ふむふむとうなずいた。
「なるほど、『黒部の太陽』のセメントミルク工法ですね」
 あの破砕帯の大崩壊大出水に比べれば、雀の涙程度の落盤である。斜め上のところどころから外の光が漏れこんでいるので、絶望感も薄い。
「しかし問題は、アレなんだよ」
 泰蔵は、でっこまひっこましている土砂の隙間を指さして見せた。
 一同、目をこらして覗きこむ。
 外光が届くはずのない隙間の奥を、なにか朧気な光が過ぎっていった。昼光色ではなく、色とりどりの電飾の光である。
「――なるほど」
 島本が、どこか嬉しそうに言った。
「あの木馬ですね。それも、また回ってる」
 他の一同も、うむ、とうなずく。
「木馬だけなら、まだいいんだが――」
 泰蔵は、別の隙間を示した。
 一同、奥を見定めることしばし、
「……水玉ワンピース」
「……白い靴下」
「……赤い靴」
 てんでに、見えたものを口にする。
「……白いシャツ?」
「……黒ズボン?」
「……ズック靴?」
 そうなんです、と泰蔵がうなずいた。
「……ムカサリ絵馬でも、山寺に奉納しましょうか」
 西崎老人が、澁澤老人に言った。
「で、あっちに引っ越してもらうとか……」
「難しそうだな」
 澁澤老人は言った。
「この場所そのものが、もうムカサリ絵馬なんだよ」
 一同の後ろで端然と佇んでいる洋子に、泰蔵は訊ねた。
「どうしたもんでしょうなあ、奥さん」
 洋子は、昼下がりのマスールのような笑顔で言った。
「いいんじゃないんでしょうか、このままで」
 詳しい経緯など何も聞いていない洋子だが、それだけは解った。
「とても楽しそうに遊んでますよ」
 そう、あの夜と違って、心が閉じていないのだ。あの少女も、初めて見る少年も。
「しかしコンクリとか入れたら……」
「気にしないと思います」
 洋子は少しも動ぜず、
「土の中でもセメントの中でも、木馬は木馬ですもの」

 そして同じ頃、峰館大学付属病院の最上階――。
 ふたりきりで病室に残された美紀と優太は、しばし微妙な沈黙に陥っていた。
 やっぱり言葉が、すんなり出てこない。ローカル線を旅していた間のほうが、よほど話しやすかった気がする。
 しかし美紀や優太の居心地が悪いからといって、客観的には、そう悪い状態でもないだろう。ある日突然ふたり黙ったりするほうが、なにかとその後、客観的にもっと恥ずかしい方向へ、ひと皮むけたりもしがちである。
 病室の窓の白いカーテン越しに、陽の光がうらうらとふたりを包んでいる。
「……いい天気だね」
 優作あたりが聞いたら、ツッコミ確実の凡庸な台詞だが、
「うん……」
 美紀は、けっこう満足そうにうなずいた。
 優太は、とにかく何か次の話題を探そうと、窓のカーテンを引いてみた。
 北国の弥生、やや軟調な青空に、蔵王連峰が聳えている。
 ちょっと前まで純白だった奥の峰々も、今は下の方からじわじわと、春の芽吹きが進軍しつつある。
 眼下の扇状地を、ゆったりと蛇行する峰館川は、分水嶺の雪解け水を集め、流れが豊かになってきたようだ。
「……いい景色だね」
「うん……」
 ベッドから動けない美紀にも、窓越しの山々だけでなく、優太が見下ろしている盆地の春が、ちゃんと見える気がした。
「……綾音ちゃん、元気にしてるかなあ」
 美紀のつぶやきに、優太は、ちょっと困ってしまった。
 精神状態が患部の代謝に直結しかねない現状、美紀は、まだ世間の報道の嵐に晒されていない。
「……きっと元気だよ」
 これも嘘なんだろうか、と迷いつつ、優太は言った。いや、どこに居ようと、きっと元気だ――。
「高見さんといっしょに、なかよくマドレーヌ食べてるよね」
「……うん」
 ふだんの美紀なら、なんかアヤしい、と気づきかねない優太の演技にも、クスリでちょっとフワフワしている美紀は、やっぱり満足そうにうなずいた。
 いっしょにマドレーヌは食べていないが、いっしょに木馬で回っているのだから、まだそれを知らない優太の懊悩とは別状、まあ、まるっきりの嘘ではないだろう。
「――さて、ここで優太君に質問です」
「ん?」
「猫、好き?」
 これなら嘘はいらないので、優太は即答した。
「うん」
「飼いたい?」
「うん」
「いちんち家で丸くなってるおとなしい猫と、元気すぎてすぐ窓から飛び出しちゃう猫と、どっちがいい?」
「元気な猫」
「でも、そのまんま逃げてっちゃうかも」
「追っかければいいし」
「つかまんなかったら?」
「そのうち帰ってくると思うよ」
 優太は気負いなく言った。
「毎日ちゃんと、おいしい餌あげてれば」
 紗の掛かった朧豆腐のような優太の顔を、ちらりと横目で窺いながら、美紀は思った。
 ――やっぱり、すばしっこい猫のほうがいいよね、うん。








                                      ★ 終 ★



●この物語は、すべてフィクションです。まさか本気にする方もいらっしゃらないでしょうが。また、劇中に登場する『峰館ハワイアンランド』も、かつて実在した『山形ハワイドリームランド』に、時代的な部分でずいぶん似通ってはおりますが、施設の規模は当社比2倍以上にフカシておりますし、設立過程や運営会社に至っては、もうまったく完全な創作です。現存する交通会社や観光会社や新聞社とは、なんの関連性もありません。また、登場するデパート等も架空の存在です。でもまあほんのちょっとくらいはアレなんじゃないかなあ、などと思われる山形出身の方がいらっしゃいましたら、きっとあなたの気のせいです。世の中には『お約束』というものがあるのです。
●文中で、伊勢正三氏・作詞『なごり雪』の一節を引用させていただきました。
●文中で、星野哲郎氏・作詞『花はおそかった』の一節を引用させていただきました。
●文中で、松任谷由実氏・作詞『守ってあげたい』の一節を引用させていただきました。
●文中で、水木しげる氏・作詞『ゲゲゲの鬼太郎』の一節を引用させていただきました。
●文中で、山上路夫氏・作詞『ある日突然』の一節を引用させていただきました。
 
 
2016/05/29(Sun)05:05:52 公開 / バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
2015年4月26日、【プロローグ なかなか木馬が回らない】投稿。
……全人類の皆様、いえ全人類のうちコンマコンマコンマコンマコンマコンマコンマ1パーセントくらいの皆様、お久しぶりです。半白髪の狸です。
他の方のお作への感想では、ちまちまとお邪魔しておりましたが、自作の投稿は、一昨年の秋以来でしょうか。
それまでもあれからもなんかいろいろありましたが、それはまあちょっとこっちに置いといて、十年一日、いえ日々衰えつつある狸のでんぐりがえり、一年かかるか二年かかるか自分でも見当がつきませんが、まあ今回は正味数日間の物語になるはずなので、完結だけはできると思います。
なお今回の物語は、いちおう以前に発表した『パンダの夢は猫の夢』や『なんだかよくわからないものの聖夜』の後日譚という形になっておりますが、前二作間のアレコレ同様、厳密な時系列には沿っておりませんし、ストーリーも単独でお楽しみいただける仕様になっておりますので初めてお目に掛かる方でも大丈夫、と、暗に「……茂美ちゃんって、もう高校生くらいじゃないの?」などと首をかしげるかもしれない異常に記憶力の良すぎる方を牽制し、同時に前作を知らない方に通読を催促する姑息な狸。
ちなみに今回投稿分、こんだけ枚数があってもストーリー上のプロローグにすぎない内容ですが、ストーリー展開はこれからでも、物語におけるクライマックスの『背景』だけは、アンフェアにならないよう、目敏い方――ここ数年以内に誕生した目敏い方になら、解るように仕組んであります。
でも、お気づきになった方も、感想内で「うわなに、これがアレに重なるの。こんなユルいエンタメでそれ無謀じゃないの」などと具体的にネタバレなさるのは、どうかお控えください。
……無謀上等、どうで狸のでんぐりがえり。

4月29日、プロローグ修正。

4月30日、プロローグ微修正(こっそり)

5月8日、【Act.1 木馬は回る】投稿。
で、2回目を投稿したんですが……面白いですか、これ。クドクド長ったらしい講釈が混じるのは、いつもの狸話ゆえ、ちょっとこっちに置いといて。

5月10日、微修正。

5月17日、【Act.2 回転木馬はなぜ回る】投稿。
あんがい早めに3回目を投稿できました。それもけっこう長丁場。ああ眠い。もう昼近いんだなあ。外はいい天気だなあ。さあ、カーテン閉めて寝よう寝よう。……すみません、独り言です。
などと言いつつ、ひと眠りしたら「あ、忘れてた」で、ちょっと補填したり……。

5月20日、微修正。

5月31日、【Act.3 誰が木馬を回してる】投稿。
さて、4回目を投稿しました。ふう、やっと激動したぞ。今後はちょっとユルんだりしながらも、コロコロ転がっていく予定です。で、お池にはまってドジョウが出てきてコンニチハ……違う。
なお、その前の【Act.2】も、天野様のご感想を鑑みて、ちょっとクドすぎたかもしれない部分を刈り込んでみました。

6月1日、ちょこちょこ修正。

6月6日、ご感想を参考にまた修正。

6月24日、【Act.3 誰が木馬を回してる】の追加分と、【Act.4 回転木馬が止まらない】投稿。
5回目の投稿です。実は、今後の長丁場に備えて、全体的に構成を少々いじくったため、前回の【Act.3】の後半が、かなり増量したりしております。つまり【Act.3】の途中から――『「なめやがって、あのアマぁ、ウナギか!」 ふたりが追いついて飛びかかると同時に――その流れる女は、ぬるりと玄関方向にうねった。』から後ろが、今回の投稿ぶんになります。わかりにくくてすみませんすみません。

6月27日、ちょこちょこ修正。

7月2日、またちょっと修正。

7月6日、こっそり修正。

7月27日、【Act.5 若き日の回転木馬】投稿。
6回目の投稿なんですが……うわあ、おっさん連中がうろうろするばかりで、美紀と優太の続きが皆無。おまけに、なんか爺さんの講釈の途中で〈続く〉になってるし。しかし、元々こーゆー流れだったんで、仕方ありません。次回も当然、爺さんの講釈がちょっと続きますが、その後は美紀と優太もしっかり絡んできますので、なにとぞお見捨てなく。

7月30日、一部修正。

8月1日、しつこく修正。

8月3日、こっそり修正。

8月31日、【Act.6 回転木馬が止まる時】投稿。
7回目の投稿です。……ふう、なんとか月イチで回を重ねたぞ。
いまのところ、あと2回で完結の予定です。つまり次回あたりから、クライマックスに向かって大いに盛り上がるはず――でもまあ予定は予定であって決定では――いや、意地でも盛り上げねばなあ、うん。

9月1日、誤字修正と少々補填。

9月3日、うわ、まだ誤字があった。こっそり修正。

10月7日、【Act.7 それでもいろいろ回ってる】投稿。
8回目の投稿は――ああ、ついに月イチ更新が叶わなかった。次回はもっと難しい気がする。今年中に終わるのだろうか。終わるまで狸は生きていられるのだろうか。そもそも今回は盛り上がっているのだろうか。当狸比としては盛り上げたつもりなのだが……まあいいや。誠意だけなら負けないぞ、と。

10月10日、一部修正および少々補填。
次回の都合で、残留組の宿や車を先に手配させました。補填前にお読みになった神夜様には、慎んでお詫び申し上げます。でもまあ大勢に影響はないので無問題……それでいいのか狸。

10月17日、自販機とベンチに愛を補填。

10月23日、爺さんに愛を補填。それ以外にも、まあ例によって、こちょこちょと。

11月12日、【Act.8 木馬から海へ】投稿。
9回目の投稿……すみません。とうぶん終わんなくなりました。おまけに前回投稿ぶんもシメが1シーン増えたりしておりますので、今回は80枚近い増量になってます。それでもまだまだ終わりそうにないのです。誰か助けてください。本当はもっとガンガン話を進めたいのですが……すみませんウソ言ってます。気が済むまでクドクド化けるのが狸の本性みたいです。

11月14日、早々にご感想をいただいた天野様と神夜様に平身低頭しつつ、【Act.8】に手を入れました。展開はほとんど変わっておりませんが、狸なりに唐突感の緩和、語りすぎの自重、舌足らずの補填に努めたつもりです。バイクの件は、えいやっ、と消滅させてしまったり。

11月20日、さらになんやかやとウジウジいじくり回し、【Act.8】に一応のケリをつけました。実はラストで1シーン増えたりもしています。次回【Act.9】の冒頭に置く予定だったシーンなのですが、三日三晩寝ないで熟慮した結果(すみませんウソです。ひと晩くらいしか悩んでません)ここまであって初めて【Act.8】は、全体の中の一章としてまとまるのではないかなあ、と結論しました。実は、もうちょっと前で【Act.8】を切ってしまい、力いっぱいクリフハンガー式に【Act.9】に引っ張ってもいいのではないか、などとも思ったのですが、すでに天野様や神夜様にご感想をいただいた部分を今さら隠すわけにもいかず、といって自分でも煮え切らないまま【Act.8】を次回まで放置する気にもなれず……そんなこんなで改稿大増量に至った次第です。天野様や神夜様、並びにこれ以前に【Act.8】を読んでくださった皆様には、お暇なとき、あるいは次回【Act.9】の更新時に、【Act.8】の5から先あたりをまた読んでいただけますよう、伏してお願い申し上げます。なーんて殊勝に言ってますが、ほんとは、また【Act.8】まるまる読んでいただけると、もれなく峰館狸稲荷神社のオミクジで大吉が出るのではないかなあ、などと思っている狸が約一匹。

11月22日、『ルイルイ氏』退場。

11月23日、主語の乱れを補正(ほんのちょっと)。

12月29日、【Act.9 あなたと私の回転木馬】投稿。ふう、なんとか年内に更新できた。でも、力いっぱいクリフハンガーで、「あとは来年のお楽しみ」なのよなあ。三丁目の電柱の下で、あざとく明日も洟垂れ小僧たちに水飴やペラペラの煎餅を売りつけようと画策する、街頭紙芝居のオヤジになってしまった気がする。「さて絶対の危機に見舞われてしまった紅顔の優太少年そして純真な少女美紀に、今後いかなる運命が待ち受けているのでしょう! あとは明日のお楽しみ〜〜!」

12月30日、例によって微修正。

12月31日、しつっこく手入れ。大晦日だし、少しでも磨いとかんとな。

2016年2月22日、【Act.10 繞《めぐ》りゆく世界】と【エピローグ それでも木馬は回ってる】投稿。
ずいぶん間があいてしまいましたが、分量も2回分あるので勘弁してください。最終回2時間スペシャル、どうしてもまとめて投入したかったのです。おかげさまで、狸は真っ白に燃え尽きました。真っ白な狸は全世界にも稀ですので、今のうちにツンツンつっついておくと大吉と思われます。
しかし、いやあ、久しぶりに長かった長かった。

2月23日、うわあ、なんか変な消し忘れが残ってた。天野様どうもどうもと頭を下げつつ修正。

2月26日、ちょこっと修正。

3月1日、なにげなく修正。

3月7日、しつこく修正。

3月10日、微妙に修正。ああ、明日で、あれから5年になるんだなあ。

3月14日、とりあえず最初から最後まで、嘗めるようにチェックを終えた――つもりなんですが、まだまだあるのかもなあ、分福茶釜の化け残し。

3月20日、ちまちま修正。いいかげんにしとけよ俺。

3月27日、うう、まだ誤字やら消し残しやらが……。

4月1日、いいかげんにしろこのヌケ狸、と己を糾弾しつつ、微修正。

4月9日、ちまちまとブラッシュアップ。何度も何度もすみません。今回の更新をもって、この場での最終稿とさせていただきます。……たぶん。

4月14日、主にラストシーンに補筆。ここにおいて、ようやくこの物語に、自分自身、納得できた気がします。夢幻花彩様には、今夜の夢の中あたりで、感謝の腹鼓を打ちまくりたいと思います。そしてすべての読者様の夢の中でも――。

5月29日、しつこく修正。いや、その後ちまちまちまちまとバグをとったり語り足したり息継ぎを変えたりした部分が、十箇所を越えてしまったもので。今度こそ最終稿――ほんとか?
この作品に対する感想 - 昇順
お久し振りです。
と言ってもおわかりにならないかと思いますが、以前お世話になっていた者です。いやあ、いつもながらの流れる様な文章に感心しながら、随分緩いお話しだなあと。しかし、私も迂闊でした、後日譚とは知らずに読んでしまいました。私はまた、少女祭の時の話やラベンダー館の話みたいのを期待してたもので。
ですが、よき文章は触れることに意義があります。今後、どの様にエンタメ昇華されるか楽しみにお待ちしてます。
2015/04/29(Wed)14:23:441RAN
久しぶりの新作、さっそく読ませていただきました。大変面白かったです。
…と、平静を装ってみましたが、いや実は非常に嬉しいです。久々に新作が読めるということもそうですが、ついにあの「峰館シリーズ」(と勝手に命名)の続編じゃないですか。某雑想の予告を読んだ時から楽しみにしていました。何せ「パンダ」も「聖夜」も大好きで、特に「聖夜」はもう繰り返し読んでましたから。
いきなりハイテンション気味の出だしで、三管式プロジェクターとか往年のミュージカルとか、いつものマニアックなレトロ路線全開なのも、実に楽しいです。あんまり知らない世界でも、それでもバニラダヌキさんの文章で読んでると面白そうに思えてくるんですよね。今回は特に、3Dで浮かび上がる木馬のくだりがとてもよかったです。
これは次回以降も期待せざるを得ないです。きっと(作者様の予定を超えて)長いものになると思うので、今後しばらく楽しませていただけそうです。たとえ仕事を放りだしてでも、ぜひ完結させて下さい。
2015/04/29(Wed)15:06:321天野橋立
びっくりするくらいのお久しぶりです。何気にバニラダヌキさんの作品を初めて読むあさだです。
一昨年以来の新作……ってことは私と同じくらいの時期で一度筆が止まってたんですね。なんという偶然(笑)
なんとも独特な雰囲気でとてもたのしく読むことができました。これは前作も読まねばと思いつつ山よりも重たい私の腰が持ち上がるのははたしていつのことやら。
それでは続きを期待して待ってます。
2015/04/29(Wed)23:16:331浅田明守
>RAN様
お久しぶり……って、誰だったかなあ。確かどこかで会ったような気がするんだがなあ。まあいいや。あちらから挨拶してくれたんだから、きっとどこかで会ってる人なんだよな。ここはきっちり、明るく大声で――「お久しぶりで〜っす!!」 ……しかし俺も我ながらあざとい狸だよなあ。
えーと、独り言の部分は気にしないでくださいね。
少女物、館物――ちょっと見、今回の系統は違って見えますが、実は狸の化ける話は、どれもこれも全部おんなしです。本狸が言うんですから間違いありません。でも「おんなしじゃやだ」という御意見もあろうかと思われ、必死に別物のふりをしているだけです。ですから、なにとぞ最後までおつきあいください。なお、「おんなしじゃなきゃやだ」と思っておられる場合は……やっぱり最後までおつきあいください。裏も表も同じ紙です。
>天野橋立様
もうお気づきでしょうが、「……茂美ちゃんって、もう高校生くらいじゃないの?」などと首をかしげられる方は、前作の感想をいただいた時期から考えれば、もう天野様くらいではないかと思われます。しかし、それだけに、この話は天野様のご愛顧によって誕生したのかもしれません。だから最後まで男らしくセキニンとってよね、見捨てちゃイヤよ、ウフ、と。
>浅田明守様
おひさしぶりです……って、なんか久々の同窓会会場になってるみたいですね、この感想欄は。
えーと、上のメッセージに記したように、前作を読んでいただかなくとも今回の話はOKですが、これまた上のメッセージから察せられるように、狸の辞書に『節操』という文字はありません。妙なものが夢に出てきたりする前に、読むのが吉かもしれません。今回の話が終わってからでも小吉です。
いずれにせよ、狸の辞書の関係で、今回これっきりだと大凶なのは確実です。散歩中、凶悪な狸に鼻を嘗められたりします。途中で期待できなくなっても、読み続けるのが大吉。
……おみくじって、精神的なカツアゲですよね。
2015/04/30(Thu)00:38:030点バニラダヌキ
ほんとだ。同窓会みたい。

ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますでしょうか。

バニラダヌキさんのお名前に反応して読ませていただきましたが、懐かしい登場人物が出てきてほっこり。茂くん元気そうでよかったです。でもそっか、もう中学生のパパなんですね。

主軸の女の子(になるのかはわかりませんけど)が、みきちゃんみたいなタイプなのって、バニラダヌキさんの作品としてはとても珍しいように思いました。レトロなものに疎く、わりとクールな現代っ子風なのが新鮮です。でも鰻を御馳走しちゃう辺りが中学生の女の子とは思えず心憎い。このくらいの歳の子なら、相手の好物より、自分の好物御馳走したくなっちゃうでしょうに。心の声ではクールな割りに、ちゃんとパパにも御馳走しちゃうところが可愛いですよね。いいこいいこしてあげたくなっちゃう。
パンダの頃、優美ちゃんのキャラクターを今一つ掴めず、一貫した少女としてリアリティをどうしても感じられなかったのですが(ごめんなさい)、美紀ちゃんはすんなりイメージが沸いて、さっくり好感を抱けました。……同年代じゃなくなったから? いや、でも優美ちゃんは、昨日もう一回読んできたけどやっぱり仲良くなれなかったし……。
まだ導入部、茂くんの話は9割方理解しておりませんが、これから面白くなっていきそうで楽しみです。

久しぶりに感想を書かせていただいたので、あんまり感想らしいことも言えずごめんなさい。というかそれは以前からですね。すみません。
続きをひっそりこっそり物陰に隠れてお待ちしておりますね。

そうそう。
「泰蔵は豊齢線が揺れるほど、」のところ、諸説あるようですが、今のところ、豊齢線は法令線、もしくはほうれい線と表記するのが正しいようです。法令紋からきているそうなので。
それと、法令線は刻まれたり、深くなるものであっても、揺れるものではありません。法令線とはあくまでも口と頬の境の線です。
ただ、正しいもなにも法令線って言葉自体、正しい日本語の仲間には入れてもらえてないみたいですけど。ここで敢えて使う必要のない言葉なんじゃないかな、とは思います。
重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですけど、気になってしまいました。ご確認頂ければ。
2015/04/30(Thu)02:18:160点夢幻花 彩
うわあ、彩様、ご無沙汰しましたお久しぶりです。
そりゃ狸が投稿するのが久しぶりですから、皆様もお久しぶりなのは当然なんですが、いや本当に嬉しいものですお久しぶりは。
美紀ちゃんを気に入っていただけたようで、それも嬉しい。美紀ちゃんは、まあちょっと今様にトンガってますけど実は両親の躾がけっこう染みついておりまして、人前であぐらをかくのを(たとえジャージやパンツルックでも)無意識のうちに慎んでしまうような今どき珍しい娘さんです。でも今後、お行儀良く正座しながらけっこうトンデモに走ったりするフシギちゃんであることが判明したりもするので、どうか最後まで見捨てないでやってください。

茂が若かりし日の優美ちゃんに関しましては――はい、実は、語り部である狸自身も、実在感の薄い、違和感のある、なんかよくわからん子だなあと思っていたりします。かつてあの物語にノってくださった読者の皆様のうち、萌えキャラ好き(ビジュアル方向だけは狸もしっかり語りましたから)の男衆すら、何人かはそう感じていらっしゃるのではないでしょうか。でも、いいんです。優美ちゃんは、茂だけの原女性=アニマですから。『雪女』のお雪や『夕鶴』のおつうみたいなもんですね。でもお雪やおつうのような、巳之吉や与ひょうにとってのみならず語り部や聞き手にとってもアニマでもあるかのような象徴的存在ではない、あくまで茂専用アニマです。あんがい端から見れば、なんだかなこの子、そんな感じなのかもしれません。

で、豊齢線に関しましては――す、すみません。なーんも深く考えないで打ってました。……そうだよ。アレは狸が単にテレビのなんかエステ関係みたいなコーナーで聞き囓っただけで、そんなレベルだから、狸といっしょに聞きかじっただけの美紀ちゃんにとっては『ホーレー線』で、それを第三者視点で打つためにネット検索したら正式な漢字表記は決まってないらしいので加齢を思わせる『豊齢線』を使っただけなんですが――今、自分のメタボな老狸顔を台所の鏡で見てきたら、あはははは、確かにそれ自体揺れるもんじゃないわこれ。
……こっそり直しとこう。……ポチ、ポチ、ポチ、と。……よし直った。
で――え? 豊齢線? 彩様、それなんの話ですかあ?
……恥を知れ狸。
2015/04/30(Thu)22:54:300点バニラダヌキ
 初めまして、作品を読ませていただきました。と初見の人間のように言いましたが、実はバニラダヌキ様の作品は以前からこっそり読ませていただいていました。だからこう言った方が良いかもしれません――初めて感想を書かせていただきます、ピンク色伯爵です。
 読みながら、何とも言えぬ濃厚な空気が頭の中へ流れ込んでくるのを感じました。作中に出てくる小道具が僕にとって見慣れないものばかりというのもありますが、それよりも登場人物に独特の灰汁があり、彼らの言動が主にこの不思議な空気感を醸し出しているのかなとキーボードを叩く指を一際遅くしながら理由を探しています。美紀ちゃんは鰻をごちそうするのね。茂はすごく喜んでいましたが、僕は鰻で喜ぶという感覚がなくて、それより蕎麦が良かったなと(ただの好みの問題)。我ながら贅沢な話です。
 鰻や空気感に圧倒される一方で、地下にAVルームを作ってそこでプロジェクターを使って上映会をするという行為には懐かしさを覚えました。僕の父も地下に部屋を作り、そこで何やらごそごそするのが好きでした。作中のようなAVルームではなく、巨大な温室設備で、そこで蘭を大量に育てていました。ナウシカの世界ですね。地下というのはおじさんの夢とロマンと心の贅肉がたくさん詰まった秘密の帝国なのです。かく言う僕もある種の憧憬のようなものを持っています。
 まだプロローグ部分であるとのこと、今後の展開を楽しみにしつつ、次回更新をお待ちしています。


 ところで、美紀ちゃんは『かわいろっぽい』くらいにはなるのでしょうか。ええ、僕としては『かわいやらしい』くらいが上品で素晴らしいと思うのですが、未来形である『かわいんらん』もストライクゾーンです。
 本文に中二病という言葉が出てきましたが、ちょうど法律家の使う『悪意』と一般の方の使う悪意とに違いがあるように、ラノベを書いている人間の『中二病』って違うのだと思います。
 ラノベ作家の榊一郎曰く『中二病とはかわいい女の子といちゃいちゃすることだ』そうです。僕もまさにその通りだと思っていまして、ラノベを書く人間とは皆『中二病』でできている大きな子供なのだろうと考えています(すごく失礼)。
2015/05/02(Sat)03:40:020点ピンク色伯爵
うわ、また自発的にアブレて徹夜しちゃったよ、死ぬんじゃねーか俺。でも残りのG・Wは連チャン夜勤コミだから無問題。うん、食える。
……すみません。独り言です。アルツ初期の爺いは独り言が増えます。忘れてやってください伯爵様。

美味しそうな色をしていらっしゃいますね伯爵様。しかし下僕タイプの狸も、美味しそうな色では負けないぞ。
自分では久々の創作物なので、薄いんじゃないか薄いんじゃないかと心配していたのですが、伯爵様の高貴な舌には、ちゃんと濃かったようでなによりです。
ならば、その高貴な舌で鰻を蕎麦以上に味わっていただくには――うん、柴又の『宮川』かな。間違っても築地の『宮川』には行かないでくださいね。あそこはもう量産量販チェーン企業になっちゃってますから。柴又のちっこい『宮川』は、親爺さんがひとりで焼いてる、鰻嫌いの人もなぜかリピートしてしまうという徹底的に脂を落とした上品な薄味で、独特ゆえにヘビーな鰻好きには人気薄だが――だから鰻の掲示板じゃないだろうここは。だいたい、ここ十年以上行ってないくせに金なくて。
そして、地下には歴史あり怨霊あり。現代に疲れた多くの男たちは無意識の内にその隠微な誘いに惹かれ地下深くこもる。しかしそれがやがては風水くんちの地脈ちゃんをいろいろとナニしてしまい、怨霊と化した平将門青年や崇徳院御大や菅原さんちの道真先生が徒党を組んで現代の政界や財界に――すみません。そーゆー話にもなりません。
ズバリ、美紀ちゃんは、『かわ「い」』系統を逸脱した存在です。『かわ「お」』系です。『かわおかしい』『かわおもしろい』『かわおいおい』、そんな感じでしょうか。いちゃいちゃなどは超越してしまっているのです。すげえぜ、たかちゃん系。……たかちゃんって誰や。
しかし『中二病』って、なんかいろいろ適当に解釈されまくってますが、そんな単語も『おたく』などという単語もまだ存在せず、かろうじて『サブカル』だけがあった昭和四十年代、「えーい俺はこーゆー世俗的な大人になるための偽善や懊悩を振り切って今の十四歳の精神年齢を一生維持するんだ」と決意し図書館や映画館にこもる一方で、当時はまだ世間的に無名だった高畑先生&宮崎先生のパンコパやハイジに惑溺、そのまんま半世紀以上生きてしまったかに見える狸でも、実はさすがに高校生あたりになると「いや十四歳の精神年齢を固持していたんでは生涯リアル女子といちゃいちゃできずに終わってしまう」と陰でこっそり『偽善』の階梯に歩を進め、その甲斐あってようやくハタチ過ぎに実在女子といちゃいちゃできました。しかしその相手が実年齢では2コ下なのに身長145、着衣状態ではJCそれも低学年にしか見えなかったってどうよ。これやっぱり『中二病』でしょうか。胸を張って「中二病です!」と言っていいんでしょうか。やっぱりただの『ろり野郎』になってしまったのでしょうか。それとも時代が変わったんでしょうか。
 でも今は熟女だってしっかりOKだったりしますし……ただのオヤジになってしまったのでしょうか。……まあいいや。マザコンの『中二病』も、あるらしいしな
2015/05/02(Sat)12:22:360点バニラダヌキ
 続きが更新されているのを見つけて飛びつくように読ませていただきました。
 今回更新分を読んで、美紀ちゃんに路傍の石のように扱われたいと思ってしまうのは僕だけなのでしょうか。優太君にシンクロしていたと言いますか、小学校の頃の淡い思い出がよみがえってくると言いますか……、『すれ違っている感』がとてもコミカルに描かれていて、終始顔からニヤニヤが取れませんでした。そうなんですよね、男の子は女の子を意識するけど、相手は毛ほども思っていないという残酷な世界の真理。僕の初恋の相手は林間学校の時、他校イケメン君に盗られてしまいました。思えば僕が寝取られ大好きという人外の境地に足を踏み入れたのもこの時が最初だったのかもしれません。それにしても、幽霊にまで「影が薄い」と言われる優太君憐れなり(笑)。
 回転木馬についてもお話が進んできて、続きが気になる展開です。安易に話の先を予想するなど無粋なことはせず、バニラダヌキ様の心地よい文章に身を任せ、この若干ミステリーになってきた空気を骨の髄まで楽しみたいと思っています!

 『中二病』や『時代』の話は、オスカー・ワイルドが言うようにモラルかインモラルかという話と同じくらい本来は必要ないものだったとも心の奥底でこっそりと考えています。しかし、敢えて言うなら、僕はそれら全てを研究によって創造することが可能だと信じています! どのような物語もミクロな視点で考えればひらがなとカタカナと漢字の組み合わせ。できないはずはないです! ――また、新しいものが良いというのもナンセンスな話で、最近は自分がかつて信じていたものにわずかな嫌悪感を覚え始めております。何が言いたいかと言うと、つまり僕は駄目なアマチュア軽小説物書きだということです(笑)。
 ラノベばかり読んでいる僕にもとても面白かったです。バニラダヌキ様の軽快で濃厚な筆遣いに感動しつつ、学んでいきながら、次回更新をお待ちしています。ピンク色伯爵でした。
2015/05/09(Sat)13:15:121ピンク色伯爵
なんと、思い人をイケメンごときに盗られるとは――伯爵様、日本男児として恥を知りなさい恥を。狸なんか、顔で負けたことなど一度もない。学歴や男気で負けただけだ。……すみません。恥を知らないのは狸かもしれません。
ふと思い起こせば、狸が化ける話には、けっこう寝取られ要素が含まれることもあり、それは過去の虎や馬に蹴倒された結果なのだろうなあ。でも、この峰館シリーズだけは寝取らせないぜ、ラブだぜラブ。などと言いつつ、ここまで影が薄いと逆転への道は遠いぜ優太。
なにはともあれ、中二病だろうが大人だろうが清純だろうがインモラルだろうが古色蒼然だろうが軽佻浮薄だろうがラノベだろうがヘヴィノベ(なんだそれは)だろうが、己が言霊をもって相手を組み伏せることができれば立派な文学。騙し通せれば立派な真実。あとで「……しまったオレオレ詐欺だった」と後悔させるようなハンパな詐欺師ではなく、あとで大ウソがバレても「いいえ、あの人は確かに結婚詐欺師だったかもしれないけれど、あたしへの愛だけは真実だったのよ」とシヤワセな余韻を残す、そんな詐欺師めざして頑張りたいものです。
2015/05/10(Sun)02:19:370点バニラダヌキ
 うおー面白い!! とついつい読みふけってしまいました。お久しぶりです、と言っても長い間失踪していたので覚えてらっしゃらないかもしれませんが、みずうみゆうです。
 なんて味のある地の文なのでしょう。地の文を噛めば噛むほど味が濃くなっていく、そんな感覚に陥りました。登場人物も一人一人必ず頭に残るような、そんな魅力に溢れており、謎の多い展開も相まって、今の僕の気持ちを一言で言うならば「はっ、早く続きを!」という感じです(笑
 優太くんの動向が気になります。こういう子大好きなんです。報われて欲しいなあ。でもいつまでもそういうのが下手な子でいてほしいなあ。彼と優作くんとの絡みが面白くてもっと見ていたいけど、背景を鑑みるとどこか切なくて、その絶妙なバランスがまた物語への吸引力になってる気がします。
 ともかく、すごく面白かったです! 次回更新を楽しみに待っております!
2015/05/10(Sun)03:35:201湖悠
思えば前回のラストは、正直なところ何が起こっているのかいまいち把握できておらず、しかしとにかくシリーズの新しいのが読めて嬉しいぜだけで大喜びしていたわけですが…。
うーむ、これは面白い。美紀ちゃんと優太の青春ぶりもとてもいい。こりゃ感情移入しながら読んでしまいますね。なんだかんだ言って、優太君結構頑張ってるじゃないですか。もっとも、優作が姿を現したのには、さすがに驚きました。家族の思い出の中に生きている、どころか一緒に遊んでるし。
前回も思いましたが、幻燈回転木馬の描写がやっぱり素晴らしいと思います。特に、今回の内側に入ったあたりの文章は、見事なものだと思いました。こういうものを読むと思うのですが、いかに素晴らしい幻想的なイメージが浮かんだとしても、それを文章にて実体化するだけの力が伴わなければ、小説は成立しないのですよね。ここは僕自身が課題としているところでもありまして、やはりツールとしての文章力・技術力というのは必須ですね。
しかしこれは、ここからいくらでも面白くできそうな展開。心から期待して、お待ちしております。

2015/05/10(Sun)12:54:361天野橋立
>湖悠様
ああ、よかった。ちゃんと面白がっていただけたんだ。
いえ、ほんとに久しぶりの創作再開で、かなり心配だったものですから。
現在、続きの回の四半分くらいまで進んでいるのですが、いまだに「……他の方が読んでも面白いかなあ、これ」状態でして。自分では、当然、面白いからこそ打ち続けているわけですが。
優太君は、大丈夫です。対女子工作の上手下手なんぞにかかわらず、報われます。狸の脳内創作予定ファイルに、主役や準主役が報われないで終わる長編はありません。主役や準主役をイジメるのは、短編や中編だけにしております。
さあて、次回分でも、さっそくたっぷり報われるように――嘘です。報われるのは、やっぱり刻苦の末の大フィナーレ、そんな昭和レトロな王道ですね。
>天野橋立様
プロローグ、なんか中途半端に終わらせてすみません。よっくと考えてみれば、ストーリー進行における『始まり始まり』の部分は、ほんのラスト部分だけですもんね。でもまあ、そこに耐えていただけた読者だけが最後にたどり着ける狸の国、そんな分福茶釜の綱渡り、まあ最後の最後で落っこちたら笑ってごまかしますので許してください。
優作、いやほんとによく出てきたもんですねえ。話を打ち進めながら、こいつほんとに出てくるのか出てこないのか、などと作者自身も首をひねっていた奴なんですが、正直、これから具体的にどう話に加わって行くのか、作者自身にも判然としません。でもまあ、ついに勝手に出てきたからには、当人もなんかいろいろやってくれるつもりなんだろうなあ、と、もはや作者自身、楽しみにするしかありません。ぶっちゃけ、画策された長編を型通りにしないためのアドリブ担当、そんな感じですね。作者自身が涙を呑んでステージから蹴り落とすような流れにならないことを、祈るばかりです。
木馬の内側に関しましては、なんか過大に評価して頂いてしまって――てへっ。……そんだけかい。まあ、とにかくキャラを動かすのではなくキャラに動いてもらいキャラに見てもらいそれを作者が追いかけ必要に応じて解説し結果読者も行動を共にする、そんなのが長編の楽しみと信じる狸なので、これからも、せいぜい描写には手を抜くまいと思います。などといいつつ、あの『野薔薇姫』第一稿のラストあたりでは、作者自身が「あーもうお前ら何もしないでいい。そのまんまそこで一生ほのぼのやっててくれよお願いだから」な精神状態になってしまい、ついつい他人事のような描写になってしったところを、天野様はじめ皆様のご指摘のおかげで、心を入れ替え補填できました。今回も、そこいらはズコズコとツッコんでいただければ幸甚です。
2015/05/12(Tue)04:01:510点バニラダヌキ
出遅れちゃった。
続きを読ませて頂きました。

カルーセルの描写、わたしも好きです。軽妙な文章の中にあるから余計際立つのかも。個人的には、茉莉花館みたいな純文らしい運びのバニラダヌキさんのが好きなんですが、メリハリが利いてる感じ。

美樹ちゃんはやんちゃで素直でナチュラルでとっても魅力的です。でも優作くんが美樹ちゃんには見えなくて本当によかったですよね。優太くん危ないところだった。モテないタイプだとは思わないけど中学生で、美樹ちゃんみたいな子だったら、優作くんの方にどうしたって目がいくもの。
目立たないタイプの男の子は、一度認識されてしまえばこっちのものです。頑張れ!



優美ちゃん。
あの、何て言えば良いんでしょう。バニラダヌキさんの作品のヒロインてキャラクター性とか所謂設定というか、そういうものが浮世離れしていてもすごく現実感というか、存在として説得力があるんですよね。たかちゃんたちとか。だからファンタジーでファンタジーを見せられるのではなく、ファンタジーでしか描けない現実や、生身じゃないからこその現実の人間に逢えるような感じがすることがあるんです。勝手なわたしの感想なのですけど。
そこからいくと、優美ちゃんはバニラダヌキさんのヒロインらしからぬというか、行動と人間性に説得力を感じなかったんですよね。ストレートに申し上げますとカワイイいい子な姿ばっかりこれでもかこれでもかと、ところどころギャップをとりいれながら見せつける姿に、「いやーこの子絶対狙ってやってるよね」っていう、醜い反感を覚えました。美樹ちゃんのソックスは素直にとっても可愛いけど、そうなると優美ちゃんはケータイストラップのキティちゃんすらあざとく感じてしまいました(笑)

お気を悪くしないでほしいんですけど女先生たちと同類に見えるというか、ハンター優美ちゃんが計算しつくした罠を使って茂くんパンダをハントするように見えるというか……。いや、それはそれで好きだからこそすることだし、茂くんが現在に至るまで幸せそうだから勿論いいんですけど。たぶんほんとにわたしが感じた優美ちゃん像がとんでもない間違いで、可愛い良い子なんだろうし。他の方はこんなこと言ってなかっただろうから、優美ちゃんを歪めてるわたしが歪んでいるだけなんだと思います……すみません。
ただ、もし彼女が優子ちゃんのような女の子ではなく、普通の、茂くんのためだけのアニマなら。
それでも良いけれど(聖夜で、枕崎くんの奥さんとか、描写は少ないのに綺麗だけど目立たない女性で、でも枕崎くんにとっては誰よりも素晴らしい女性に見えることとかひしひしと伝わりますし)、それならそれで第三者視点から見た優美ちゃんの別の見方(可愛くないとかじゃなく、茂くんが好きすぎて健気にアピールしてるのがわかるような視点とかでも)が、あれば優美ちゃんの存在に説得力がかなり増すんじゃないかなあと。
それこそ茂くんが現実の男友達で、直接茂くんに聞いた話とかなら敢えて水差そうとは思いませんけど、小説なので。
……ほんとにほんとにすみません。しかも別作品のヒロインのことはここでいうことじゃない気がしてきました。ただ、当時は優美ちゃんに感じた違和感をこういう風に言語化出来なかったような気がしたので。
今更なに言ってるのかな、頭も性格も悪いんだな、ってまるごと全部聞き流して頂けると嬉しいです。


半分以上優美ちゃんのことで生意気を申してしまいました。ごめんなさい。バニラダヌキさんの作品じゃなかったらスルーできるんですけど。
回転木馬。次から物語が動き出しそうなので、楽しみにしております。長々変な感想で失礼致しました。
2015/05/15(Fri)03:32:551夢幻花 彩
いえいえ、彩様は、ちっとも出遅れていらっしゃいません。なんとなれば、ガンガン話の続きを出し進めるべき作者が、次の回でもなかなか話を激動させることができず、キャラたちと遊んでばっかりです。どうか彩様も、のんびり足踏みするくらいのペースで、でも最後までついてきてくれると嬉しいな、と。

あっちの優美ちゃんに関しましては――実は前回のご感想へのお返しに記したことがすべてなんですが、今回の『それこそ茂くんが現実の男友達で、直接茂くんに聞いた話とかなら敢えて水差そうとは思いませんけど』あたりで、ちょっと感動していたりもします。それはたぶん、むしろ彩様が茂を現実の男友達とほぼ同等に感じてくれてヤキモキしてくれている証拠なのではないか、と、作者として自画自賛的に、えっへん。
いずれにせよ、あの物語の中での優美は、クライマックスに至る以前は、徹頭徹尾、茂の視点でしか描かれません。まあ、おたくたちのビジュアル評価や、茂の母ちゃんとか内田先輩とか、年長者の甘い視点もあるにはありますが、それもまた茂の耳目を通した事象でしかありません。優美の内面は、あのクライマックスで初めて吐露した内心、それだけです。無責任なようですが、たとえば優美の同年輩の同性キャラを出したりして客観化するとか、あるいは要所要所で優美自身に内面を語らせたりして主観化する意思が、狸には最初からなかったと思ってやってください。すみません。
まあ、男なんてもんは少年から老人まで通してしょーもないイキモノでして、ブリっ子に弱いんです。それが狡猾なブリっ子であれ、天然のブリっ子であれ。

で、こっちの話の美紀ちゃんは――美紀ちゃんどころか登場する人々の多くが、外から内から自己主張しまくって、作者の狸すら、いらんことまで無制限に語ったりします。『聖夜』の最終話の形式を引き継ぐ世界観ですね。それにしちゃあ年代とか年齢とかいいかげんなのは、狸のことゆえ御愛敬。
いいんだもう。峰館の人々も狸も彩様も他の読者の方々も、元気で生きていればオールOK。ストーリーなんか、進まなくともいいんだ。
……いくないような気もするので、そろそろ激動させないとなあ、とは思っているのですが……ここは歌ってごまかそう。
♪ ぼ〜っくらっはみんな〜〜い〜っきてっいっる〜〜〜〜 いっき〜ているからうたうんだ〜〜〜〜 ♪
はい、ご一緒に。
♪ ぼ〜っくらっはみんな〜〜い〜っきてっいっる〜〜〜〜 ♪
2015/05/15(Fri)22:30:530点バニラダヌキ
 続きを読ませていただきました。みずうみゆうです。
 ほんと面白いなぁ〜。と読み進めていたらあっという間に読み終えてしまいました。うむむむむ。
 前回も言いましたが、キャラが生き生きしていて、誰かが何かをしゃべったり行動するだけで面白いんですよね。これ、僕にとってはとてもうらやましく、そしていざ自分で書くとなると難しいものです。勉強させていただきます。
 はてさて、我らが(?)男子代表優太くんの活躍で話が動きましたね。なんでだろう、彼が活躍すると心から嬉しい、というかストーキングしてる時でさえ「な、なんでそんなことを……でも気持ちは分かる! 頑張れ、頑張れ男の子!」と心からエールを送っている僕は一体……。美紀にそこまで嫌がられてないのを見て僕まで安心してしまいましたとも。優作もこんな気持ちで彼を眺めているのかな……。
 木馬に関する謎という本筋も気になることながら、優太くんの活躍をひとえに願いつつ、次回も楽しみにしております!
2015/05/19(Tue)05:17:250点湖悠
『うむむむむ』んとこが、実は『あっという間に読み進めちゃったけど、ストーリー自体はほんのちょっとしか進んでないんだよなあ、うむむむむ』だったりしないことを、小心な狸としては祈るばかりです。
でもまあ、湖悠様に面白がっていただけたのなら、ひと安心! 安心ついでに増長して、今後ももうストーリーなんか気にしないで、みんなに勝手にしゃべったり行動してもらったりして――ウソです。次回あたり、きっと大激動します。いや、するはず……するかなあ……するかもしれません。
で、ストーリーそのものはちょっとこっちに置いといて、日常的会話や日常的行動をどうやって面白くするか――これはアレですね。って、どれだ。落語。それも名人芸の落語。狸の場合、ユーモラスな脱力系として、先代の金原亭馬生師匠を範としております。シリアスに語るなら、やっぱり円生師匠あたりでしょうか。古いねどうも。
そして優太君、彼に関しましては、最後まで期待してやってください。やってることはストーカー同様でも、あくまで自分ではなく美紀ちゃんを思ってのストーキングですもんね。美紀ちゃん僕は君のためなら死ねる、そんな度胸も覚悟もまだありませんが、自分よりは美紀ちゃんのほうが人としてひゃくまん倍も貴重である、その程度の自覚は、すでにある優太です。こーゆー奴が、うっかり他人のために死んじゃったりするわけですね。どうか、いつかは届くそのクライマックス、優太の壮絶な死にっぷりを楽しみに……ウソです。死にません。
2015/05/20(Wed)03:01:030点バニラダヌキ
いよいよオールスターキャストになってきましたね。あの島本まで出てくるとは思いませんでした。
この分だと、あの天ぷらでアパートを全焼させた奥さんとかも登場するのでしょうか。
さて、今回のお話ですが、これももう僕の好みにぴったりというか、「廃なんたら」大好きな僕としては大喜びで読んでしまいました。つい最近も、「廃競馬場」を徹底調査してるサイトにはまりまして、住宅地の地形などにその姿がはっきりと残ってたりするのを見てこりゃ現地行ってみようかとか(奈良のがわかりやすい)色々思ったりしてました。巨大施設の痕跡が「実はここに」みたいなの、わくわくしますね。
件の物件のモデルについても、確かあちらの日記で知って調べたことがあって、実際航空写真の比較などが載ってるサイトも見た記憶がありますが、なのにこの展開には「おおっ、そうだったのか」と素直に感動してしまいました。いや、好きな小説読んでる時は、あんまり先読みしたりしないで、そのまんま流されるような読み方したほうが楽しいですね。
喜んでばかりでもあれなので、敢えて言うと今回はその謎についてが語り始められるまでが(優太と茂がおのおの島本のところにやってきて、というところまで)若干いつもに比べてまどろっこしい感じもしました。ただ、僕はシリーズ物として読んでいて、各人物の背景もある程度分かっているのでそう思った可能性もあります。この作品は独立したものとして、初めて読まれる方にも楽しんで欲しいと僕も願っているので、そうなると必要な情報はやはり入れておかなければならないでしょうしね。
ともかく、誰があれを回しているのか、次回を心から楽しみにしています。
2015/05/20(Wed)20:08:261天野橋立
天野様、こんばんは。
やっぱりひとりは本職の調査関係っぽい奴」がいないと話が進まない、そんなこんなで、島本再登場です。もともと愛着のあるキャラでもあったし、ちゃんとフローラさんをGETできたことも語っておきたかったし。でも、しんきちさん&まゆみさん夫婦は、さすがに出番がないかもしれません。
廃墟――いいですよねえ。日頃からアルツ老人のごとく巷を徘徊するのが好きな狸も、良さげな廃屋なんぞを見かけると、つい忍びこみたくなって何回も周りを巡ったりします。余談になりますが、この話を打ち始める前に画策していた別の企画には、もっと壮絶な町ぐるみの廃墟が絡んでいたりするのですが、軍艦島ではないので大丈夫。……何が大丈夫なんでしょうねえ。
で、あのあたりの『まどろっこしい』感じは、狸も重々悟っていたりして、子供たちが島本の部屋に着いたらもう茂もいた、そんな趣向でトントンと話を進めようかとも思ったんですが、そうすると、過去の茂&島本&山福家のしがらみが1シーンの中で多重錯綜して、なんかもっとぐちゃぐちゃになってしまいそうなのでした。まあ、そうした過去のしがらみなどは、「俺の読者なら当然知ってるはず、いちいち書かなくても自分で想像してくれるはず」と、狸の敬愛する高橋克彦先生の大長編連作みたいに、ガンガンとばしてストーリーを転がせればいいのでしょうが、さすがに一介の狸には、畏れ多くて真似ができず……。
ともあれ、主要登場人物は今回あたりで出きったので、次回からガンガンとストーリーを進め……られるかなあ。
ついつい本筋の外で遊びたがっちゃうんですよねえ、話の中のみんなも、狸自身も。
2015/05/20(Wed)22:10:530点バニラダヌキ
あぁそうですよねえ、わたしだって化けて出るならファンデーションを塗りたくった現在の姿じゃなくて、まだ年齢が一桁だった、目の下にクマさんが出現する以前の姿か、花も恥じらうティーンエイジャーの姿希望。しかも記憶を都合よく改竄してるだろうから、実物の三割増しくらい見栄えよくして……そっちに共感してちゃだめですね。
優作くんがちゃんと外見的にも年齢を重ねられるのは、優太くんがいるからかな、とか考えてたので、つい。

前回ぶんも拝読しておりましたが、感想を書くのが遅く間に合いませんでしたので、一緒に。最初に拝読した時も、わたしはちっとも気になりませんでしたが、改稿されて更に読みやすく流れているように感じました。
 物語としても相変わらず面白くて、木馬が突然現れた訳ではなく、回り続けていたものがただ見えるようになっただけだというのもドキドキしたし、寂しげに回り続ける少女が本物の少女ではないということも、納得したりちょっと安心したりして。ほんとに無垢な子供が、お母さんのところに行けるでもなくずっと一人ぼっちで木馬から離れられなくなって、誰の声も届かないとしたら可哀想ですものね。


挨拶も返せない上に、追いかけてるの見つかって絶望する優太くんも、カルーセル少女にお供えしたくなったり泣いちゃったり、でもそんな自分を恥ずかしがったりする美樹ちゃんもとっても可愛かったです。
バニラダヌキさんの作品に出てくる子供達って、みんなほんとに心配になるくらい素直ないい子ですよねえ……。
木馬のお姉さんも見た目が恐ろしげなだけで、ほんとはそんなに恐ろしく無いんじゃないかな、という気もしたり。



そうそう、前回の感想で申し上げた優美ちゃんのことについて。長々と大変失礼なことを申し上げたのに、丁寧なお返事ありがとうございました。
「茂くんが語る」優美ちゃんとして読み直させて頂いて、ようやく、おっしゃることがどうにか理解出来たような気がしております。
そもそも茂くんフィルター越しなんだから、優美ちゃんは生身じゃなかったんですね。仲良くなれないのは仕方ないのかも。
こっちの生身の子供たちはとっても可愛いので(わたしより年下なのに全員やたら昭和っぽいけど)、木馬は止まるのか消えるのかまた見えなくなるのか成仏するのか解りませんが、とにかく続きを楽しみにお待ちしております。

最後にひとつだけ、「 座布団、それともクッション希望」に引っ掛かりました。何かわたしが存じ上げないだけの言い回しだったら恥ずかしいんですけど、普通は「それか」「または」「もしくは」「或いは」の方がいいんじゃないかしらと思ったので。

続きは楽しみですが、ご無理はなさらないようにしてくださいね。お天気が優れませんが、どうかご体調など崩されませんように。
2015/06/06(Sat)00:08:411夢幻花 彩
こんな面白いことになってんのに、読まないともったいないよ、みんな。
……と、思わず感想だか何だかわけの分からないことを口走ってしまいました。
何だかんだ言って、ずっとほのぼのした雰囲気で進んできたこのお話、「瓦屋根の上を散歩する和服の女性」という恐ろしげな文章が出てきたあたりから(これは身近な風景でリアルに思い浮かべてしまうと本当に怖い)雲行きが怪しくなってきたのを感じたのですが、そしてすき焼きを供えるという辺りでさらにヤバげな気配を感じましたが……こう来ましたか。ここで終わりますか。
しかし、優作がいて良かったですね。今回は優太君もなかなか格好良くて拍手を送りたいですが、しかし優作がいなかったら、この展開だとさすがに危険すぎる感じですね。美紀ちゃんいい子だけど、「あかんあかん、そういうのは危ないんや!」と思わず腕を引っ張ってその場から引き離したくなります。
ここからは大活劇パートとなるのか、それとも案外人情系に行くのか、目が離せませんね。

今回も、喜んでるばかりじゃあれなので。図書館での調べもののパート、なかなかマニアックに書き込まれていて個人的には面白いんですが、やはり物語の動き出しまでの時間がかかってしまうので、読者がついてこれるかどうか少し不安を感じました。長編の楽しみは、こういう部分にこそあるのだとは思うのですけれどもね。
あともう一点、これも扱いが難しいところだとは思うのですが、「一滴分のアレ」関連については、本作を単独で読まれる方にはやはり分かりにくいんじゃないかなあと思いました。多少野暮な感が出てしまうにしても、もう少し親切に説明があったほうが、読まれやすいのじゃないかと思います。
それでは、また次回を楽しみにしています。
2015/06/06(Sat)12:03:461天野橋立
>夢幻花彩様
なにをおっしゃる兎さん、いや彩様。人間、そのときどきの『今』が旬なのです。特に女性はスッピンがいちばんなのです。狸なんか、少女Aの頃の中森明菜さんと、現在の中森明菜さんのどっちと露天風呂で混浴したいかと問われれば、迷わず「今の明菜さん!」と答えます。でも、その際は、狸自身がぶよんとしてしまりのないメタボ状態からスリムなナイス・ミドルに変身して……信楽焼の狸って、哀しいものですね。
しかし、優作の成長にしろ、木馬のお姉さんの正体にしろ、もーまったく書いてる狸としてはギクリギクリとしてしまうような先を読んだお言葉、思わず続きを打つ指が止まったり――するほど繊細な狸でもないので、ああ、やっぱり解る人には解っちゃうんだなあ、でもいいや解ってもらえるんだから、そんなユルさで先を進めたいと思います。
あっちの優美ちゃんに関しましては――もし現在の狸があの話を着想したとしたら、確かにあの頃と全然違った生身の優美ちゃんを描こうとしたのかもなあ、などと、今にして思っていたりもします。あの頃は、まだアニメもアキバも今のような画一的な萌えキャラばっかりではなかったので、あえて萌え絵的な少女を文章で造形してみたかった、そんな欲求もあったんですよね。初々しかったんですねえ、狸も、アキバも。
などと言いつつ、その後はさらに退行して、もはや昭和ずっぷしの狸、昔読んだ児童文学の中で親しんだような、ウブな少年少女と戯れる日々――でも最終的には「時代の移り変わりがなんぼのもんじゃい! 『今』はいつだって『今』なんじゃい!」そんな感じで、最後まで走りたいなあ、と。
で、「それとも」の件につきましては――はい、ホーレー線と同様、もーまったく同程度に、なんも考えずに打ちとばしてました。こっそり直しとこう。……ポチ、ポチ、ポチ、と。……よし直った。
……しかし、狸もちっとも成長せんよなあ。
歳なのさ。

>天野橋立様
そうです! 読まないともったいないです! ……自分で言ってどうする狸。
ともあれ、ようやく激動しました。これからは二転三転、大活劇の人情話が続きます。
……自分で言っといて、それがどーゆーシロモノなのであるか見当もつかないのは、小動物ゆえ御愛敬。
いいんだもう。とにかく狸らしい分福茶釜の綱渡りを、渡りきるまで続けられれば。
図書館パート、ごもっともです。実は、初めはもっともっとみっちりと根掘り葉掘り書き込んでいたのを、半分以下に刈り込んだのですが、ううむ、読み返してみたら、確かにまだクドい。今回の話は、衒学趣味ぞっこんエンタメの『パラサイト・イブ』でも『ブレイン・バレー』でもなく(いや、個人的にはあーゆーのが大好きなんですが)、あくまで基調はジュブナイル。と、ゆーわけで、再びズバズバと刈り込んでみました。「一滴分のアレ」に関しても、後のほうで、ちょっとだけ書き込んでみたり。
正直、今のところ読者様どころか自分が話についていくのに精一杯状態ですので、これからもドシドシつっこんでいただけると幸甚です。
2015/06/06(Sat)23:16:450点バニラダヌキ
読みました〜。正直にいうと実は初め、最初と最後だけ読むという、小学生が読書感想文を書くときのようなズルをしてしまいました。そしたら、最初のほんわかファミリー話しから、なぜか幽霊が突如現れていて、焦ってちゃんと全部読みました。あ〜、なるほど、こうなってああなったんですね。
曰く付きの物を、掴まされてしまったと。それで、最初に出てきた女の子は、物静かな感じだったのに、後半姿を変えて攻撃的になり、どうなってしまうんだろうと思っています。優太くんが、美紀ちゃんのために、大人しい自分の殻を破って幽霊に立ち向かっていくという感じなのかな。

また、話しの中に、懐かしい単語や地元の名所などが、いくつか出てきて嬉しくなりました。
その昔、西村京太郎サスペンス等で、地元の駅名や新幹線が取り上げられていると、飛びついていたものです(笑)

文章は、ハイテンションな部分もありますが、読みやすいです。まだまだ続くようですので、またお邪魔したいと思います!
2015/07/01(Wed)13:15:410点えりん
ああ、面白い。毎更新ごとにこれだけ面白いというのもすごいとしか言いようがないのですが、今回は特にすごい。
途中であれを捕食嚥下した時は、後でこれがストーリーに大きく絡んでくるのではないかとまでは思ったのですが……あのホラー物件を使って、まさかこういう青春展開に持ってくるとは! 文句のつけようのない、素晴らしい展開だと脱帽しました。昭和っぽいおもちゃの指輪がどう展開に絡むのかも楽しみです。
地味ながら、「何年前だか家族できた時のことを思えば」の反復とか、こういう細かい部分も大好きで、いいなあと思います。その後に続くお約束のフレーズ含め、ある種漫才的なのかもしれませんね。「人生を豆腐一筋に賭ける決意をした、豆腐屋の息子のような瞳だった」に至っては、感動的なのか何なのか、もう面白絶妙すぎて何も言えませんが、とにかく次回も大変に期待しております。
2015/07/01(Wed)17:51:012天野橋立
>えりん様
わーい、読んでもらっちゃったい、と素直に喜びつつ、えりん様のお好みとはずいぶん畑違いの世界におつきあいいただいているのではないか、そんな危惧もあったりする今日この頃、えりん様におかれましては如何お過ごしのことでございましょうか――とまあ、こうしたおちゃらけた姿とはまた別の、シリアスで幻想的な、鏡花先生や綺堂先生志向の文章世界も、狸にはしっかりあったりするわけなのですが、残念ながら、この場にはほとんど残っておりません。すみませんすみません。でも本当なんです信じてください。
いずれにせよ、狸印の長編だと、全体的なストーリー進行なんぞは、部分的に読んでもまず把握できない芸風になっております。その証拠に、これからの続きも、確かにここまでの話の続きではあるものの、いつのまにかとんでもねー状況に雪崩れこんだりするかもしれません。どうか最後まで呆れずにおつきあいいただけることを、遠い空から祈るばかりです。
で、ぶっちゃけ狸も、コテコテの山形産だったりします。とはいえ高校を出てからは関東各地を転々とし、現在は主に東京湾岸を徘徊しておりますが、本籍も菩提寺も未だに山形市内です。したがってそのうち骨になったら、永遠に山形在住化する予定でもあります。それにしちゃあ『峰館』って本当の山形とは違うなあ、と思われるかもしれませんが、そこはそれ、長年の郷愁やら望郷やらが積み重なるうち、老朽化した脳味噌の中で、村山盆地も庄内平野も置賜地方も最上川も馬見ヶ崎川も須川も、果ては大雪の朝日村までが融合してしまい、そんなぐっちゃんぐっちゃんになった世界を『峰館』と名付けておりますので、どうか生暖かい目で見守ってやってください。

>天野様
毎回のご愛読、心より感謝しつつ、五体投地五体投地。
さて今回、これまで比較的ユルかった世界が、いきなり波瀾万丈七転八倒的になったりして、展開についてきていただけるかやや不安でもあったわけですが、無事にお気に召していただけたようで、なによりです。このまま心地よく化かされ続けていただき、分福茶釜の綱渡りを最後まで見守っていただけますよう、気合いを入れて、でんぐりがえり続けたい狸です。
でも豆腐って、おいしいですよね。……何の話だ。
いや、『青春とはなんだ!』とか叫びながらボールを追って日々根性入れまくる青春もあれば、トロトロの豆乳をじっくり仕込んで、立派な豆腐に仕上げるのもまた青春であろう、と。
今回の物語は、そんな豆乳・優太に、どうニガリを投入して重しをかけて立派な木綿豆腐に仕立て上げて、美紀ちゃんが毎日食っても飽きないような豆腐になってもらうか――そんな青春物語でもあります。まあ無事にそうできるかどうかは、まだ狸にもわかりませんが、少なくとも、そうするつもりではおります。
ともあれ、今後のニガリや重しのかけ具合を、引き続きお楽しみいただき、最終的にはどーんと純粋に感動しまくってもらう予定……あくまで予定としては……まあ、豆乳のままでもいいんですけどね、毎日飲んでも飽きないくらいの豆乳であれば。
うん、豆乳だって、充分おいしいですよね。
2015/07/01(Wed)23:48:100点バニラダヌキ
たとえすっぴんが一番と言われても、少しでも綺麗だと思われたい女心。


また遅くなってしまいました。
主に終電を逃した日、残業が片付いてから読ませていただいております。美樹ちゃんたちの存在に元気をもらっています。ありがとうございます(*^^*)

前回のおわりかた、連載漫画みたいだなあ、と思ったのですが、わたしはこちらの方が好みでした。章としてしっかり区切られているかんじ。

これは作品の感想とは少し違ってしまうのですが、 前回の天野さんのご感想に 『「瓦屋根の上を散歩する和服の女性」という恐ろしげな文章 』とありましたのを拝見して、なんだかちょっぴり意外に思いました。
わたしは瓦屋根が日差しを受けてきらめく麗らかな午後、紗合わせか、絽の羽織を纏ったご婦人が、着物が透けるのか本人が透けるのか、陽炎みたいにゆらゆら揺れながら屋根をお散歩してる様子を想像していたので、「気持ち良さそうでいいなあ」とのんきに読んでしまってて。楽しそうですよね。もう紫外線を恐れる必要もないわけですし(そういう問題じゃない)
バニラダヌキさんの物語は、わたし、亡くなった方への愛を感じるところが好きなのかもしれません。

物語的には確かにいろいろ動いてきて、ちょっと困ったことにもなり、優太くんなんかもうすごく頑張ってるんですけど、相変わらずみんなとっても可愛いいい子たちばっかりですので、「バニラダヌキさんがこんないい子たちをあまりにひどい目に合わせたりなさらないはず」と信じつつ、それほど危機感なく読ませて頂いております。
でもだって、身体が重くだるくしんどくても、周りの目と言うよりは、自分のために、いつも通りに振る舞おうとする(お行儀悪をしても、お手伝いを欠かさず朝御飯を抜かないのもポイント高い)美樹ちゃんとか、豪快なようでいて、さりげなく機転を利かせるあたりが細やかな茂美ちゃんとか、すこんと突き抜けて気持ちのいい優作くんとか、ほんとにみんな可愛くていい子なんですもの。美樹ちゃんに甘えちゃう木馬のお姉さん込みで、みんな幸せになって欲しいです。
なかなかシリアスなシーンを挟みながらも、太陽に吠えたり傍目にはパントマイムをさせてみたり、あくまで重くなりすぎないように描かれているのも流石だなぁと思いました。
あと、おてて繋いで下校する二人にくすぐったくなったり。公認の彼氏でも学校付近で手を繋ぐのは恥ずかしいお年頃なのに! 
あの、制服の裾掴むとかじゃ、同じ効果は発揮されませんでしょうか。てを繋ぐのはちょっと恥ずかしいから……って、いつもは元気一杯の美樹ちゃんが優太くんよりちょっとだけ後ろから、学ランの裾をつまみながらちまちまついていくの。可愛いかなと思うんですけど、いかがでしょう。

二つだけ、ちょっぴりだけ気になったこと。
峰館の夏の暑さは東北人のわたしには想像がつくのですけど、他地方の、山形の風土に馴染みのないかたの中には、「東北の夏は涼しい」と思っている人も多いですよね。
ハワイアンランドが雪に埋もれる説明がしっかりあった以上、もう一言くらい、イメージとは違って、夏は暑く冬は寒い場所なんだよ、というような解説があった方が分かりやすいように思いました。

もう一点、このみの問題かもしれないんですけど、前回ぶんをもう一度読ませていただいて、
『「ずっと回り続けていたんですかね、あの回転木馬も、あの子も」
くすん、と微かなしゃくりあげが響いた。』
のところ、なにか少しだけ早すぎるというか、茂くんの台詞の後に余韻というか、一拍間を置いた方がより良いような気がしてきました。美樹ちゃんが堪えきれなくなるまでには、たぶん台詞のあと、一秒は間があったように思うので。
ほんの小さなことばかりですが、ご確認頂けると嬉しいです。

美樹ちゃんがこのまま素直に大人しくしているとも思えないので、あまりお転婆しないようにねと思いながらこっそり見守りつつ、引き続き続きも楽しみにお待ち致しております。

2015/07/05(Sun)06:19:581夢幻花 彩
……わかります。ほんとうは、わかっているんです。たとえ苦しいとわかっていても、ひとつ下のウエストサイズのジーンズを購ってしまうような、狸心の持ち主として。
この腹の肉を狸汁にして、残業あけの夜食にさしあげたい……アブラミばかりで美味しくないかもしれませんが。
章構成は、今後も、こんな感じで行こうと思います。毎週毎週更新できるならともかく、このペースだと、やっぱり毎回、それなりにオチがつくところまで。
しかし、あの和服の女性についてのご感想、読者様によって180度印象が違うのが、実に興味深いです。見る方によって恐くもあれば羨ましくもある。たぶん散歩してる本人は、特に何も考えていないと思われます。狸としては、生きている人間も死んだ人間もこれから生まれる人間も、良かれ悪しかれ同じ人間であり、あくまでこの現世に含まれるもの、そんな感覚です。過去も現在も未来も同じ森羅万象の内、みたいな。悪人もいれば善人もいて、不幸もあれば幸福もあり、結局すべては収支トントン、そんな感じで。
それにしちゃあ、この話では今のところ善人しか出てきておりませんが、そこはそれ狸印の長編ファンタジー、意地でもみんな幸せにしてやります。悪人も不幸な出来事も、分福茶釜でトロトロ煮込めばアラ不思議、いつのまにやら粉飾決済。
ところで、今回の『お手々繋いで』だけは、どうか許してやってください。ぶっちゃけ中学時代の狸は、お手々を繋ぎたくてたまらなかったのです。それはもう夜ごとひとりでのたうちまわるほど、繋ぎたくて繋ぎたくてたまらなかったのです。でも実際にお手々を繋げたのは、ハタチ過ぎてからでした。だからせめて妄想の中でくらいは、中学生の内に手を繋がせてやってください。繋げなきゃ泣くぞ。……などと言いつつ、実は今後(次の次くらい?)、ちょっと彩様のイメージに近いシーンの予定もあったりして。学ランじゃなく私服、どっちがついてく側かも微妙ですけど。
そして最後の、ふたつの御指摘。――ぴんぽーん! などと朗らかに笑顔でごまかしつつ、例によって、さっそくこそこそと修正する姑息な狸が約1匹。
2015/07/06(Mon)03:59:290点バニラダヌキ
おはようございます。
狸汁……いやいや男性はある程度恰幅がよくても素敵じゃないですか。近頃男性のお客様にも丼ものや揚げ物を召し上がらず、煙草もお酒もなさらない方が増えてらして、職業的建前に反しちょっぴり寂しい彩です。
でもお気持ちだけ嬉しく頂きますね。お返しは身欠きにしんでよろしいでしょうか。

ごめんなさい、今回のおてて繋ぐシーンを変えてほしいとかじゃないんです。
今後しばらく、おてて繋ぎ続けるとかだと、優太くんはしあわせかもしれないけど美樹ちゃん居たたまれないだろうなあ、打開策を考えるだろうなあ、と思った結果、「てを繋ぐより恥ずかしくない!」(実際、裾を掴む方が心理的抵抗が減るんです)と考えて、傍目に可愛いことにならないか妄想してのことだったのです。
でも確かにわたしの感想を見るとそうとれますよね。大変失礼を致しました。もう今回のは、くすぐったくて可愛くてきゅんきゅんしたんです。おてて繋がせちゃってください。それだけどうしても、さきにお伝えしておきたくて。
でも男の子って、案外手を繋ぎたいものなんですねえ……。水荒れし、女にしてはごつごつした作りの手をしていたことを気に病み好きな男の子の手ほどふりほどきがちだった遠い日々を思うと胸が痛んだりして。もう忘れてくれてるかな。

……優太くん頑張れ。
2015/07/06(Mon)09:00:260点夢幻花 彩
続きを読ませていただきました。
なるほど確かに、今回はおっさん&老人ばかりの大変地味な回ではありましたが、しかしやっぱり面白い。
とうとう本格的に地方都市としての峰館の「歴史」が絡んできた感じで、こういう背景がきっちりと書き込まれていると、リアリティに分厚さが出てきて良いですね。ムカサリ絵馬というのも大変興味深いです。
これは余談に近くなりますが、僕はどうも地方デパートってのが好きで、旅行先で時間が取れたら必ず立ち寄ることにしているんですが、そういう個人的な好みもあって屋上遊園地のエピソードがとても気に入りました。こちらは峰館じゃなくて秋田ですが、木内というデパートの屋上遊園地について紹介しているサイトを見たことがあって、そこに掲載されていた白黒写真が頭に浮かびました。あれは美しいものです。
今回も良いところで終わってるわけですが、果たしてここからどんな悲話が展開するのか、次回更新をお待ちしております。
2015/08/02(Sun)18:20:041天野橋立
あづい……。
脳味噌が汗に溶けて、八割方、耳の穴から流れ出してしまった気がする……。
……いや、いかんいかん。ありがたいご感想に、きっちりお礼を言わねば。
天野様、毎度どうもです。ぺこり。
…………。
ふhんjぎおkゅhjぐといk…………。
……はっ!
いかんいかん。ぺこりと頭を下げたまま、キーボードにつっぷして朦朧状態に……。
――失礼いたしました。暑いのは狸穴ばかりではないですね。そちらも十二分に茹だり上がっていると思われる今日この頃、天野様におかれましては、脳味噌が耳から流れ出さないよう、くれぐれもご自愛ください。

さて今回は、また中途半端な〈続く〉になってしまい、すみませんすみません。このまま行くと、おっさんトリオ&爺いのしゃべくりだけで百枚を越えそうで、美紀や優太の再登場は、次回に持ち越してバランスを取ることにしました。ここでこのくらい語っておかないと、今回の物語の最終的な情動にたどり着けない気がしたからでもあるのですが、ここを楽しんでいただけたなら、なによりです。続きも最後まで楽しんでいただけるよう、昼に流れ出した脳味噌を夜にじゅるじゅると嘗め啜り、狸らしくでんぐりがえり続けたいと思います。
デパートの屋上遊園地や、当時のデパートそのものの『ハレの場』っぷりは、実は狸も幼少期にずっぷし浸っていたわけで、当時の古写真や古映画にそんなシーンが出てくると、思わずウルウルしてしまいます。しかし一見失われてしまったかに見えるそれらの空間も、そこに渦巻いていた情動の質そのものは、ムカサリ絵馬同様に、時代を超えて人々の生活意識上に有り続けるに違いなく――あ、いかんいかん。化け終わってもいないのに、つい自己解説に走ってしまう。やっぱり脳味噌がユルんでるなあ。
ともあれ、どうか次回以降も、よろしくおつきあいください。
2015/08/03(Mon)22:14:490点バニラダヌキ
お盆休みで時間ができたので、ゆっくりと読ませて頂きました。
今回の段も、良かったですよ!山寺を舞台にされているところ、私には大サービスでした。そうそう、お歳をめした方々の方が元気よく上っているんですよね。それと、このおじさん達は入口前の売店で、売っている力こんにゃくは、食べたんでしょうか(笑)
○澤老人、さんは強烈に印象に残りますね(すみません、苗字読めませんでした)。勝手な妄想で、悪役商会にいそうな感じで、白髪の長髪をゆるく結わえ、棒術でもしてそうなご老人を思い描いたのですが、どうでしょう。

そして、物語はバニラダヌキさんの軽快なテンポに乗せられて、さくさく読んでいるうちにしっかりと内容も進んでいくんですよね。そこ、すごいと思います。それに、さらっといろんな言葉が盛り込まれているという。言葉の引き出しが多彩で、読書などたくさんされているんだろうなと感じます。
次回はまた、優太くんたちの登場ですか。高見さんも、一癖も二癖もある感じがしますね。
更新、楽しみにしています。
2015/08/13(Thu)23:37:290点えりん
あづい……。
脳味噌が汗に溶けて、八割方、耳の穴から流れ出して…………って、先々週も言ったぞ、それ。
うわあ、あれっきり一度もユルんでないんですね、今年の夏の凄暑。
えりん様におかれましては、耳から流れ出した脳味噌を、忘れずに回収再注入されますよう、くれぐれもご自愛ください。

で――ああっ、ほんとだ! おっさんたちに力こんにゃく食わせるの忘れた! あれを食わないで山寺の石段を昇るとは、なんたる非常識! ……うん、次回までには、きっちり食わせねば。カラシたっぷりぬってハフハフと。
悪役商会、いいですねえ。リーダーの八名信夫さん、実は澁澤老人と、ほぼ同年齢だし。ちなみに『澁澤』は、単に『渋沢』の旧字です。余談になりますが、狸の人間名の姓にも、旧字ではないのですが異体が含まれており、公的な書類に百円ショップの認印が使えなくて、ちょっと悲しいです。
読書は大好きです。書物のない人生は考えられません。えりん様も大好きですよね。ただし狸の場合、近頃アルツが入ってきて、昭和以前の書物しか脳味噌が受け付けなくなって困っております。なにせ明治時代の生まれなもんで。……すみません、嘘です。でも実は、この物語に登場する山福泰蔵先生と、ほぼ同世代の古狸だったりします。
推定お若いえりん様におかれましても、平成以降の書物などには脇目もふらず、いっそ綺堂や鏡花のみに専念していただいて、早いとこ立派な老婦人に……などと言いつつ、未だに月に一度はアキバを徘徊し『まんだらけ』とか『とらのあな』覗いてる半白髪の親爺ってどうよ。
なにはともあれ、あらゆる世代の連中がそれなりにとたぱたしつづけるこの話、どうか最後まで、よろしくおつきあいのほどを。
2015/08/16(Sun)20:54:300点バニラダヌキ
熱い茶が、五臓六腑に染みわたるこの頃。ささ!狸殿も一服召されよ。。粗茶ですが(笑)それ、どこぞの瓦版によると、あの人気連載中の不思議木馬草子が後二回ほどで終わってしまうとか。寂しゅうございますなあ。とうとう、優太殿の恋は、実らず終い。。なんと哀れな(いやいや、期待しておりますです)

とおふざけは、これぐらいで。
更新分、またまた楽しく読了しました!だいぶ核の部分に迫ってきましたね〜。今回は、綾音が半成仏したような感じで、ほっとしました。布団かけて、キティ抱いてる子供の幽霊、想像してみても全く怖くないですね。かわいい寝顔で、いい夢見てときどき笑ったりしてるんだろうな。爺さん組は、集結して息巻いていて何かやってくれる予感がする!
それと、この投稿板の昔のやつも見てきたのですが、以前は、もっと人も多く、レスも活発だったんですね。
今は、ちょっと落ち着いてしまってる感じがしました。評価も、星マークでしたし。で幼稚園モノ?だったかな、の話読んできましたよ。あと、これ点数の入れ方が分からないのですが、気持ち的には、3点ぐらい入れてます!
では、なんだかいつも格好いい感想が書けずすみません。次回も楽しみにしています。
2015/09/03(Thu)00:02:300点えりん
あの、すみません、できれば冷たい麦茶にしてください――。
などと贅沢を言いつつ……故郷は、もう涼しいのだろうなあ。東京湾岸は、まだ湿気ムンムンだったりします。
ところで、過去、「あと2回」「あと1回」とか言いながら4回も5回も続けてしまった前科数犯の詐欺師は私、この狸です。すべては愛の成就のためでした。とにかく美紀ちゃんをお姫様抱っこするまで、がんばるんだ優太!

さて、いったん沈静したかに見えた幼女モードの綾音が実は今後巨大悪霊化して帝都を破壊しまくるとか、敵地に乗りこんだ中高年集団がマシンガンの掃射をあびて壮絶に散華するとか、そうしたネタバレは、詐欺師らしくちょっとこっちに置いといて――。
幼稚園モノというと、アレですね。狸のこれまでの腹鼓の中でも、最高にノリまくってしまって自分の腹を叩き破ってしまい、未だに真のオチをつけられずにいる、あのトリオ物件ですね。ありがとうございますありがとうございます。読んでいただいてありがとうございます。あの星マークのページからでは確かに点数を入れられないわけで、点数入れられるページも実は残っていたりするのですが、もう気にしないでください。狸としては、読んで楽しんでいただければ、他の見返りはいりません。心の3点、きゅうんきゅうんと歓喜しながら狸穴中を駆け回っております。

賑わう都会の街中でも、季節外れの閑静な里山でも、人と狸の出会いは一期一会。
腹の皮を張り直してポコポコ叩く今回の腹鼓、どうか最後まで、よろしくお楽しみください。
2015/09/03(Thu)22:40:580点バニラダヌキ
今回も、大変に面白かったです。……これで終えてしまうと感想になりませんね。
若い二人&その他のパートもいいんですが、やっぱり大人たちが渋くてとても良いですね。今回は特に、「……良平にいちゃん」のくだりが感動的で、心を打たれるものがありました。時を超えたこの再会の、なんと悲しくて美しいことか。その後、回転木馬営業停止後の静かな感じも好きです。
次回からは、いよいよクライマックスが推定何回か続くようですが、まさか高見が出てきそうな展開になるとは思いませんでした。いや恐らく、これも一筋縄では行かないとは思うのですが。きっと社会派的な、本格的なストーリーが続くように思いますので、期待しています。
小ネタですが、今回は「××」と「○○」の使い方に感心しました。「実際にバツバツ会ってわけじゃないぞ」ってのが、言わずもがななことをわざわざなんで、と思ったのですが、こう来るわけなんですね。二度の裏切りというサプライズが軽妙に語られていて、こういうのは大変勉強になります。僕なら仕方なく架空の名前を付けてしまったと思います。

取って置きの2点はあんまり連打せず、ここぞというところで付けるようにしているのですが、どうやら本来はもっと点数が付いている状況のようなので、いわば代行として今回は評価を「とても良い」=2ptとさせていただきました。いや実際、とても良いわけなので、ちっともおかしくはないのですけれども。
2015/09/04(Fri)19:25:192天野橋立
引き続きのご愛読、毎度どうもです。おっさんや爺さんに化けるのが好きな中高年狸です。ああ、化けやすい。美しく化けるのはともかく、悲しく化けるのは、まんまでいいから楽だ……。
次回、高見が当然どどどーんと登場するわけですが、当然一筋縄では行きません。もしかしたら一般的な社会派をかなり逸脱するかもしれませんが、平均台だけは踏み外さないよう、しっかりでんぐりがえりたいと思います。
××と○○のお遊び、気に入っていただけたようで一安心。今後の高見がらみの展開がかなりアレになる予定なので、こっちの峰館おっさん爺さんサイドは、重い話でも極力ユーモアを保って語らせたかったのでした。
で――あ、そうか。えりん様のおっしゃった『点数の入れ方』って、この話のほうだったのか。勘違いしてました。天野様、代行大感謝です。ぺこぺこぺこ。

えーと、天野様のお気遣いに厚顔にも便乗し、えりん様への解説もちょこっと。
コメント欄の右下に、『評価 ▼』という、ちっこい枠がありますよね。コメントを書き込んだあと、そこの▼をポチっとしますと、その下にずらずらと何行かの短評が現れます。その中の『とても良い』をポチっとしたあと、下の『投稿』をポチっとしていただくと、2ポイント入ります。『良い』で1ポイント入ります。それ以外は選ばないでくださ……いかんいかん。このように自分からポイントを強要すると、狸がアクセス禁止をくらいます。その下の『普通/レス』でポイント0、さらに下に行くにしたがってマイナスが増えます。そんな感じで、「あれ、今回はイマイチだったなあ」と思われたら、バシバシ減点していただくのも、愛の鞭かもしれません。

……しかし、天野様のご感想へのお返しが、半分えりん様宛てって、どうよ。
2015/09/05(Sat)06:12:490点バニラダヌキ
こんばんはたぬきさま。おげんきですか。かみよるはげんきいっぱいです。
さあどうもお久しぶりです、神夜です。知らん間に狸さんが連載しとるっ!!言うんのでめっちゃ読んだ。めっちゃ読んだ結果、めっちゃ面白かった。次回くらいで最終回なんじゃないかと思っている訳ですが、ここまで、と、この更新分の盛り上がりは非常に面白かったから、文句無しに「2p」をつけよう。旅立つこの様はクライマックスに向けて文句無しである。本来はいろいろ書くべきなんだけど知らん、半年ぶりくらいの感想だからこまけえこたあいいんだよ、面白いもんは面白いの一言で十分じゃろがい。
願わくばまた神夜が溶けていなくならない内に、最後まで読ませて欲しいのである。
2015/10/08(Thu)19:42:202神夜
遅い! 気がつくのが遅い! 狸なんか、もー思わず佐々木小次郎に化けてしまって、武蔵はまだか武蔵はまだかと物干し竿を振り回しながら半狂乱で待ってたんだぞ巌流島!
と、ゆーよーな、冗談めかした恫喝は、ちょっとこっちに置いといて――。
ああ、よかった。やっぱり面白かったんだ。盛り上がってたんだ。もう神夜様に細かいアレコレは期待しません。二言三言で充分です。座布団もしっかり二枚もらったしな、うん。
で、次回は当然最終回の予定なんですが、なんか最終回2時間スペシャルくらいになってしまいそうな予感もそこはかとなく漂ってくる今日この頃、もしかしたら前後編とか、神夜様が溶けていなくなったあとの完結になる恐れもないではないわけですが、まあ狸が持病の高血圧と先頃新たに判明した高血糖が悪化して行き倒れになる前には読ませてあげられればいいなあ、と切に願ってしまう今日この頃、神夜様におかれましてはなるべくゆっくり溶けてくださいね、まる、と。
2015/10/10(Sat)00:39:280点バニラダヌキ
今度こそ熱い茶でも大丈夫、それも糖の吸収が穏やかになる(らしい)黒豆茶でございますぞ、狸のダンナ。

!ついに高見さん登場ですね。白づくめの装束とは迫力満点です。頭の中にダダダーンと効果音が鳴り響いたのは私だけでしょうか?こういう、妖しい館から黒幕登場のような流れは、けっこう大好物ですので食い入るように読ませて頂きました。
それと問題の優太くんと美紀ちゃん、こそばゆいような感じながらも、少しずつあれ?もしかして俺、私。。。みたいな展開になってきてる。これは、やはりですか??そこは、最終回の楽しみにとっておきますね。


2015/10/12(Mon)10:13:370点えりん
わーい、黒豆茶、黒豆茶! ぐびぐびぐび。……んむ、ちょっと苦いとこが、いかにも効きそう。これ、胃袋たっぷんたっぷんになるまで毎日飲んだら、少しは甘くなくなりますかね、狸の血。
で、高見さん、出ました。それもタダゴトならぬイキオイで、この話の中の誰よりも細かいビジュアルで。ちょっとやり過ぎかなあと思ったりもしてたんですが、お気に召していただけたようで何よりです。
ところで優太君と美紀ちゃんなんですが、えりん様のおっしゃる『これは、やはりですか??』とは果たしてどんな想像をされているのか、神ならぬ身の狸として知る由もないわけですが、これはもう優太自身と美紀ちゃん自身にお任せするしかない状態に突入してしまっているので、狸自身、ちょっとドキドキしてます。どうなるんでしょうねえ。
とりあえず作者として、ここまでキャラを煮込んでしまえば、あとは作者が投入する『状況』に各人どんな反応をするのか、こっちでは変にいじらず、真摯に見守るのみです。
2015/10/14(Wed)00:45:310点バニラダヌキ
引き続き厳寒の、この掲示板界隈ですが、いくらかは寒さが緩み始めた……というか、元旦の深夜に近所の小さな神社に初詣でに行ったら、たき火の周りに数人の人が集まっていた、そんな気分を味わっております。
さて、遅ればせながら、続きを読ませていただきました。というか実は二度読んでいまして、一部補填の前後両方読ませていただくことになりました。
前回期待しておりました、高見の登場による社会派展開ですが……まさかこういう形で姿を現すとは驚きました。バニラダヌキさんの作品には珍しく、同情の余地なくひたすら悪い奴と言う感じの人物だと思っていましたが、見事に善悪の帳尻を合わせて来られたなと感じました。しかし行った悪の深さに見合ったものとは言え、この姿はすさまじいですね。
星空の下の駆け落ち(じゃないけど)シーンは大変美しいですね。コンビニではなく、よろずやの自販機の前で落ち合う辺りが非常に良いと思いました。個人的な趣味(わびしい自販機好き)から言わせていただくと、自販機の様子がもう少し描かれていると嬉しかったですが、これは賛同意見があまりなさそうです。
次回で、最終回なのでしょうか。すでに五百枚近い大作なのにも関わらず、もう終わってしまうのかと短く感じてしまうのが不思議です。この作品世界に、結局わずか数日しか滞在できないというのが名残惜しいのかもしれませんね。ともかく、次回を期待しています。
2015/10/17(Sat)01:57:551天野橋立
ああ、たき火の炎が暖かい。かじかんだ掌に、じんじんと血がかよってきます。昨日今日の冷えこみだって、へっちゃらだい。
二度も読んでいただいて恐縮です。おまけに、またちょっと、次回を待たずに、これから補填しようとしている狸だったりします。自分でさっき読み返して、確かに自販機さんへの愛が欠けていたのを痛感しました。前回に続いて登場した、とても大事な自販機さんなのに……。今回に描写を追加すると流れが変わりすぎる気がしたので最小限にとどめ、主に前回のシーンで補填させていただきます。ついでにベンチさんにも、ちょっとばかり愛を。
高見に関しましては、まあ旧弊な狸の悪い癖、古典的勧善懲悪因果応報に偏ってしまった気もしないではないのですが、まあ、真の許されざる悪というものは、自他を相対的に捉えられない、よほど無自覚なアホにしか全うできないような気もします。
さて次回、お星様キラキラの情緒的な旅立ちから否応なく世間の荒波に晒されてゆく、寄る辺なきふたりの運命やいかに! お子様モードの綾音は変身怪人高見に対して、みごと壮絶な復讐を果たせるのか!
……四分六で嘘が多いかもしれません。ともあれ次回も無事に難航しておりますので、どうか気長にお待ちください。
2015/10/17(Sat)23:28:080点バニラダヌキ
やっと追いつきました。

僕があらためて申し上げることは何もないかも知れません。安定のクオリティで、いつものように楽しんでおります。「猫」「豆腐」のモチーフが姿を変えて何度も現れるのが楽しいです。また「放し飼い」という表現がその意味合いを変えて繰り返し出てくるのも楽しい。また、一度は恐ろしげな姿になった綾音さんが純朴な少女の姿に戻ってしまうところに、バニラダヌキ様の女の子たちへの愛をあらためて感じたり。

ちょいと気になったのが、澁澤老人が「米軍」「占領」という表現を使ったところ。ご老人が使う表現としては少し違和感を覚えました。「進駐軍がいたころ」とか「講和前(?)」とか、もうちょっと違う言いかたの方が似つかわしい気がして。どうでしょうか。この辺は僕の世代の感覚ではもうよく分からないのですが。
2015/10/23(Fri)00:57:341中村ケイタロウ
うわあ、もう追いつかれてしまった。老い疲れた狸としては、もうちょっと先行しときたかったのに……。
……なんだか神夜様に対する反応と我ながら違いすぎる気もしますが、まあそこはそれ分福茶釜の綱渡り。相手次第でコロコロ化け変わっちゃうのですね。

「猫」も「豆腐」も大好きで、「放し飼い」されるのも大好きで、おまけに重度ロリコンの狸ゆえ、自分で楽しみながら打っていると、どーしてもこんな作風の、こんな展開になります。そこんとこを鬱陶しがらずに楽しんでいただけたなら、きっと中村様も、猫と豆腐が大好きな、放し飼いされたいロリコン野郎なのでしょう。「最後は違う!」とおっしゃるなら、その根拠を早急に自らの著作物によって表現なさるのが吉ですね。

で――おう、またまた愛の不足を指摘されてしまった。戦前生まれの爺さんを、狸は愛しきれていなかった。なんとゆーことだ。お気に入りの脇役だったのに……。
とゆーわけで、すかさずまんまコピペに走ってしまう恥知らずな狸が一匹。
いえね、今ちょっと、いやいやけっこう色々慎重に考えたんですが、ここはやっぱり「進駐軍」だろうなあ、と。
2015/10/23(Fri)22:20:450点バニラダヌキ
なるほど、優太くんのモデルは蛭子さんだったのか……。あの人を若返らせたらこんな感じに……。
とアホな感想はさておき。続きを読ませていただきました。
仙代駅に着いて駅弁売り場が出てきた辺りから、何だかいよいよ紀行物みたいになってきた、しかも路線バスなんかに乗ってるしなどと思い始めたのですが、とうとうコミュニティバスの停留所が出てくるに至って爆笑してしまいました。残念ながら、奥州街道篇の二回(とあと青森〜新潟編)は未見ですが、この辺りを通ったのでしょうかね。
そこからの事態急変、アクションシーンも含め、今回も大変読み応えのある面白い内容だったわけですが……。
ちょっとここで久々にブレーキっぽい感想を申し上げますと、さすがに少々色んな要素が入りすぎで、本題のテーマというか緊張感というかがちょっと薄まってしまったようにも思えました。
特にDQNにさらわれるという展開は、この部分のみピンチとしてあまりに現実的に過ぎるような気がして、お話全体のトーンから外れてしまっている印象も受けました。大長編というものは、場合によっては脱線した展開が延々続いたりすることさえあって、そこが面白いところだということも承知しているのですが……。
いや、こうして書いていて考えてみたら、美紀ちゃんにはこういう種類のピンチに遭って欲しくないなあと、単にそういう気持ちなのかも知れません。拉致されかかるにしても、お話全体との因果がある、もうちょっと人情がかった背景のあるような事情なら納得できたかも知れないなという気がしてきました。なにせ「人情ふれあい旅」ですし。

好き勝手に言って申し訳ありませんが、しかし自分でも思ってた以上に感情移入して読んでるんだなと改めて思いました。結局ぐだぐだの感想になりましたが、バス旅もアクションも削らずに、かつお話全体のトーンが維持されるという難しいリクエストを残して、次回を楽しみに待ちたいと思います。
2015/11/12(Thu)21:43:570点天野橋立
うわあ、まだこの場での客観的推敲を重ねている内に(投稿してから推敲するんじゃねーよ、とゆーよーな真っ当なアレコレはちょっとこっちに置いといて、おいおいちょっとこっちに置いとくんじゃねーよ、とゆーよーなアレコレもちょっとこっちに置いといて)、もうご感想をいただいてしまった! しかも、いつもふかふかの座布団をいただける天野様から、今回は座布団なし! ショ、ショ〜〜〜ック!!

……すみません。ウソです。今回は十中八九、正統派の天野様には「……なんか違うんじゃないか」と思われてしまうことを、十二分に予期しておりました。たとえばあの極端な人非人連中なども、せいぜいアホな虞犯青年グループかなんかにして軽い挿話的に流す、いやバッサリ切ってしまう、そんな路線に変更しようかと、昨日の夜あたりマジに考えこんだりもしておりました。
しかるに何故この展開を、まんまぶっこんでしまったのか――ぶっちゃけ、これから先の展開が、これまで狸が長編において固執してきた『情動的に望ましい物語構成』を、卓袱台返しにしてしまう可能性が高いからです。どうせ卓袱台返しになるのなら、むしろここで先に味噌汁をぶちまけてしまえ、みたいな。最終的に、それが客観的なグズグズエンドに繋がったとしても、悔いはありません。それはあくまで狸の化力不足であって、すでにこの世界に生きている優太君や美紀ちゃんの運命も、他のキャラたちの運命も、果ては今回の人非人たちの運命も、宿命的に『なんだかよくわからないものシリーズ』の世界に溶けこんでいってくれるはず……くれるんじゃないかなあ……いやたぶんちょっとは溶けこんで……すみません、なんだか自信がなくなってきました。
ともあれ自信を失いつつも、今作だけは中断せずにグズグズエンド覚悟で打ちたいだけ打ち続ける心算ですので、なんとか最終回では天野様が気前よく座布団をぶちまけてくださるよう、祈るばかりです。

……自信がないとか言ってるわりには、なんだか力いっぱい居直ってるような気もする。まあいいか。どうせ狸のやることだからな。
2015/11/12(Thu)23:07:300点バニラダヌキ
うーむ、なるほど。実は、僕が感想で書いた程度のことは、バニラダヌキさんなら気付かないはずもないので、戸惑っておりました。安定を捨てて、その先に果たして何が出てくるのか。ならば行けるところまで行きましょう。見事大化けとなるかどうか、僕も一緒に飛ぶくらいのつもりで、今後の展開を追いかけて行きたいと思います。
2015/11/12(Thu)23:55:400点天野橋立
おうおう、今回はまぁ何と言うかあれや、神夜お得意の「やりたいことをやるんや文句あんのかコラ」レベルの更新分じゃないか。やりたい放題の感がヒシヒシと伝わってくる。そこで神夜と狸さんの違えを言えば、「いろいろ考えた末に、更に絞るように考えた結果」なんだろうけど。神夜なんて書いている自分でも先がどうなるか判らんからね。
勢いに負けて危うくまた「2p」突っ込んでしまいそうな雰囲気だったけど、天野さんとは違うところでちまちまとブレーキが掛かったのも確かであって、例えばバイクを譲り受けるシーンの強引さであったり、幽霊少女パーンチにもうひと盛り上がりあってもバチは当たらんであろうだったり。まぁ幽霊少女パーンチはそもそもこの物語の目指すべき所が違うからあれだけど。ただなんやかんやで吉田の活躍が発揮されるあたり、こういう展開は素直に「うおっしゃいけコラ進めボケカスー!!」と思う訳ですけれども、それまでの黙々と会話で進んでいた雰囲気から一転、いきなりのバトルアクションに少々面食らったりなんやりで、残念ながら勢いに押されるままで「2p」は叩き込めなかったと、そういうことなのである。
しかしやっぱり、自分が「やりたい放題するんや」と決めた所は勢いと熱があって非常に面白いのは間違いなく、このまま最後まで突っ走って、しっかり着地して両手を広げられたら間違いなく「2p」は捧げるであろう。なので次回更新はよはよ。
2015/11/13(Fri)11:38:471神夜
わーい座布団だ〜フカフカだ〜。トチ狂って味噌汁ぶちまけたって、イキオイがあれば騙されてくれるヒトもちゃんといるんだ〜い――なんて喜んでるバヤイでもないだろう俺、と、珍しく反省している狸が一匹。
いや、実際やりたい放題のイキオイでやっちまったんだから褒めてもらうととっても嬉しいので神夜様に座布団はお返ししませんが、昨夜今夜と天野様のご感想やら神夜様のご感想やらを何度も読み返しながらつらつらつらっと狸なりに丸くなって考えたり寝転んで考えたりついうっかり眠ったりしておりましたところ、確かに語り足りなくてちまちまとブレーキが掛かってしまいそうな部分がてんこもりであるなあ、と。
たとえばイキオイだけでなんでも愉快に読み飛ばしてくださりそうな(おい)神夜様までが『いきなりのバトルアクションに少々面食らった』とおっしゃると言うことは、天野様などは実は内心「……なんじゃこりゃ。ついに狸が狂った」とか思われていたのかもしれず、また『バイクを譲り受けるシーン』は明らかにイキオイつきすぎて不自然であり、さらに『幽霊少女パーンチ』なんて書いた覚えないぞ俺、と首を傾げながら読み返してみれば、やっぱり語り足りなくて「うわ幼女つええ」みたいに読まれても仕方ない状態なわけで……。

いやあ、この板は、ほんとうにありがたい。鞭にも飴にも愛がある。語り足りない部分や語りすぎた部分が、なんかビシビシ見つかってしまったので、続きを打つ手をちょっと止め、これから夜も寝ないで修正して、昼間寝ようと思います。ちなみに明日もアブレなのでやりたいことをやるんや文句あんのかコラ。
2015/11/14(Sat)03:13:090点バニラダヌキ
言いたい放題の僕の感想に、まともに対応してくださったということで、これは読まねばなりません。
ということで、ACT8改訂版を読ませていただきましたが……個別具体的にはどこがどう修正されているのか良くわからないにも関わらず(バイクがなくなったのは別として)、全体に非常にタイト感が増していて、話の流れに一本筋が通ったような印象を受けました。最後の制裁部分が加わり、美紀ちゃんの納得があって終わった(もし小学生に間違われてたと知ったら、という締め方も良かったです)というカタルシスが得られたこともあって、前バージョンの理不尽感のようなものも感じられなくなりました。同じ豆腐でも、賀茂の料亭(近づいたこともありませんが)の豆腐に格上げになった辺りもいいですね。
一点だけ、「ルイルイ氏」は不要かなと思いました。分からない人には何のことか分からないだろうし、分かる人はこれがなくともバス旅ネタだと気付くように思えます。
全体に見事な改訂だと思いました。安心して、次回更新をお待ちしようと思います。
2015/11/21(Sat)11:43:381天野橋立
やったあ、逆転座布団GET!
やっぱりカタルシスですね、狸の芸風において重要なのは。今後、でんぐりがえりしすぎて化け損なっても、カタルシス級にでんぐりがえれば無問題……違う。
ともあれ、これで心置きなく次のでんぐりがえりに邁進できそうです。さっそく助走を始めているところです。
で、『ルイルイ氏』の件なんですが、まあこれもまた好みとイキオイだけで深い考えもなくとばしてしまったギャグだったりして、ふと思い当たり、先ほどネットで色々検索してみたところ――あの番組、どうも峰館(ぶっちゃけ山形)では何ヶ月も遅れて、土曜の午後という視聴率の稼げない時間帯に短縮版を流しているだけみたいです。そりゃそーだ。アレはテレビ東京制作ですもんね。おまけに現時点(この物語が展開しているであろう年月日)では、まだ御当地ロケすら行われていない。つまり、この物語の登場人物たちにすら『何のことか分からない』可能性が高いわけで……はい、カット確定しました。重ね重ね、御指摘感謝です。
余談になりますが、アレの奥州街道編では、牡鹿半島付近は通っておりません。でも、なんといっても松島が終点だったり起点だったりするので、どうしてもあの近辺の海辺を通ります。震度を考えると、内陸部の路線でも、福島から岩手にかけては、けっこう大変だったと思われ……。
この物語も、今後あだやおろそかには語るまいと、あらためて気を引き締めたりしております。いや、ここまでも、心して語ってはいたのですが。
2015/11/22(Sun)08:42:060点バニラダヌキ
こんにちは。遅ればせながら拝読いたしました。
あれ? しかし、僕が最初に読んだのは、そして2回目に読んだのは、どの回の更新だったのかしらん…。ちょっとそのへんがあいまいですが、明らかに、最初に読んだ時よりも2回目に読んだ時の方が腑に落ちる感があり、ペンが落ち着き、語り手を信頼して読めるようになっていたと思います。加わった1シーンもよかったです。
ああ、しかし、ペンが僕より先に行くくらいの勢いを、僕も取り戻したい…。
2015/11/22(Sun)09:38:101中村ケイタロウ
うわあ、中村様にも、あのイキオイまかせバージョンと、ちょっと反省後バージョンを、両方読んでいただけたんですね。思わず夜中に叩きだす、嬉し恥ずかし乱調腹鼓。
ともあれ今回も、中村様の腑に落としていただけて、良かった良かった。

狸は実は極度の粘着質(とっくにバレてるかもしれませんが)なので、最初に投稿してしまったバージョンも、そっくりそのまま別に保存しております。で、今回の大幅改稿バージョンと、モニターに並べて比較しましたところ……うわあ、確かに『語り手を信頼して読めるようになっていた』とおっしゃるのも道理、前の一席はもはや狸の芸というより、『たかちゃんシリーズ』の多くでナレーターをやっている『女せんせい』に憑依されてしまっていたようです。中村様はご存じないかもしれませんが、アレはもう『信頼』や『理性』とはひゃくおくまん光年隔たった、言いたい放題やりたい放題の性悪な牝狸でして……ここ何年も出番がなかったからか、欲求不満が昂じ、善良な狸に取り憑いたのかもしれません。
いやあ、キータッチが自分より先に行っちゃうようなイキオイがついたときには、用心して鏡を見たほうがいいです。ミューズや優作や綾音ではなく、なんか邪悪なモノが重なっている可能性があります。
2015/11/23(Mon)04:03:350点バニラダヌキ
ご無沙汰しております。
ずっと感想を書かせて頂こうと思っておりましたのに、タイミングを逃して数回分空いてしまいました。

美樹ちゃんと優太くんの仲が順調に深まっていたり、道々の微笑ましい二人乗りの旅や、誘拐未遂事件、いろいろなことがあったようですが、やっぱり本筋の綾乃ちゃんのことが気にかかります。
高見氏に制裁を加えるのが綾乃ちゃんでも澁澤ご老人(お名前が薫さんなのは、やっぱり山寺グラフィティのヒロインからでしょうか?)はじめ当時の関係者、あるいは茂くんたちでもなく、高見氏自身だった、というところにホッとしたり、バニラダヌキさんの作品だなあ、と思ったりしました。人を怨むのも憎むのも疲れちゃいますもんね。あんな風に頑なでいるのも疲れるだろうから、綾乃ちゃんと逢うことで、亡くなる前に彼の心も少しでも解れたらいいんですけれど。
ところで、ところどころ改稿されてるようなので何度か頭から読み直させて頂いたのですけれど、冒頭の映画ってリリオムだったんですね。というか森鴎外?と思って調べてみたら、破落戸の昇天って出てきたんですけど、これリリオムだったんですね。教養が足りないので全く気づけませんでした。というか演劇のリリオムすら観たことがなく、バレエを多分1、2回、何幕か観たことある程度なんですけど……。作品の直接的な感想とはぜんぜん違うんですが、どこかで何か恥をさらす前に知れて良かったです。ありがとうございました(ものすごく頭の悪い感想でごめんなさい)
えぇと、相変わらずあんまりちゃんとした感想が書けなくて申し訳ございません。でも、数回分合わせて、とても良い3連打くらいの気持ちで書き込ませて頂きました(実際やったら咎められそうなので気持ちだけで)。
次は遅れずに感想を書かせて頂くようにしますね。楽しみにゆっくりお待ち致しております。
2015/12/06(Sun)17:08:382夢幻花 彩
あら、予測変換で綾音ちゃんの名前間違えてる……。すみません。
2015/12/06(Sun)17:12:390点夢幻花 彩
わーい、お久しぶりです彩様。おまけにフカフカのあったかい座布団二段重ね、冬の狸穴では大層ありがたく、思わずぽわんぽわんとトランポリン状態ではしゃぐ狸が一匹。

実は狸も、偉そうにホラ吹いてるわりに、『リリオム』は原作の邦訳と、その『破落戸の昇天』、それから新旧二本の映画化作品にしか、完全には接していなかったりします。舞台がどーのこーの吹きまくってるくせに、実はyoutubeあたりの各種舞台映像と、演劇評をいくつか確認しただけだったりして……すみません、恥を知らないのは狸自身です。でもやっぱり、あれはとっても辛い、ギリギリの『許し』の物語であるなあ、と。

ところで彩様、仙代駅に着いたあたりで、美紀ちゃんが優太の上着の裾にちょこちょこつかまったりしてるの、気づいていただけました? かなり前の回に、優太が美紀ちゃんの鞄の紐につかまってるシーンもあったりしました。やっぱりお手々を繋ぎっぱなしで歩くのは、ちょっと恥ずかしいですもんね。
あと、澁沢さんがカオルちゃんなのは、ご想像のとおりです。狸は昔からカオルちゃんが好きなんです。山寺の洞窟にいる幼馴染みもカオルちゃん、遅くなってごめんねのカオルちゃん、伊豆の踊子もカオルちゃん。それから、ちょっとタイプ違いですが、この話の前の『なんだかよくわからないものの聖夜』にも、カオルちゃんが出てたりします。

さて次回、いよいよ綾音ちゃんと高見が壮絶な死闘を繰り広げるわけですが――すみませんウソです。綾音さんはそんな女性じゃありません。そんな女性じゃなさすぎて狸が困っているくらいですが、どうか最後の最後まで、綾音&高見も美紀&優太も、生暖かい目で見守ってやってくださいね。

余談になりますが、狸は実の親の名前を予測変換で間違え、親戚中で顰蹙をかったことがあります。えっへん。
2015/12/06(Sun)22:50:400点バニラダヌキ
やっと全部読めました。改訂版になる前に数行だけ読んだのですが、数日後に来てみたら、あらら。。。
でも、今回は西部警察並みのカーアクションで迫力あるシーンが拝めて、大満足でした。盛り上がってますね〜。いつものふわんとした優太と美紀ちゃんシーンに急に試練がきて、火事場のクソ力でがんばれ優太君!君は試されている!などと思いながら鼻息も荒く読み進めたところです。いや、でも実際恋に障害は付き物、吊り橋上で出会った男女は恋に落ちやすいという、そんな感じですか。今だ、優太くん。この吊り橋の揺れを最大限に利用して優太ポイントを上げに上げて、美紀ちゃんのハートを。。。なんか止まらなくなってきたので自制。
とにかく物騒な武器などもちらついてきて、終盤にさしかかっている感をひしひしと感じます。最後は、これ以上のことが起こってしまうのか、はたまた何か大どんでん返しでもあるのか期待して、更新をお待ちしています。
2015/12/09(Wed)13:55:321えりん
えりん様、引き続きのご感想、大感謝です。なんかころころ化け変わりがちな狸ゆえ、君子でもないのに数日で豹変したりするので、どうか目を離さないでやってください。などと言いつつ、大幅改稿の後だからこそスンナリ盛り上がっていただけたような気もするので、たまに覗くくらいでちょうどいいのかも……いやいや、やっぱり目を離さないのが大吉に違いない。ナマモノだもんな、狸も優太も美紀ちゃんも。
吊り橋上で出会った男女は恋に落ちやすい――確かにそうなんですよねえ。今や半白髪の狸にも、その昔、身に覚えがあったりします。でも、吊り橋を渡りきったあとは、最長でも三年くらいしか続きませんでした。なぜかフラれてしまうのです。といって一生吊り橋の上で暮らすわけにもいかんしなあ、ぶつぶつぶつ。
ともあれ、一過性の吊り橋くらいではなかなか維持の難しそうなアベノミクスっぽい優太ポイント、なんとか恒久的なレベルまで大増量するべく、優太本人が頑張ってくれることを今後も祈るばかりです。
いや正直、ここまで予想外に長引くと、マジにキャラまかせなんですね、今回の狸の芸は。自分じゃ『状況』を投入し続けてやるだけだったりして。もはや『たかちゃんシリーズ』気分。
2015/12/09(Wed)21:56:570点バニラダヌキ
大変大変大変、本当にもう大変遅ればせながら拝読しました。水芭蕉猫ですにゃあ。
あぁ、ごめんなさい。ちまちまちまと読んでいたのですが、めっちゃ時間かかってしまいました済みませんorz とりあえず高見せんせーと吉田さんの間に何があったのん? とか半耽美思想猫の腐れ妄想は冗談としてさておき、大変面白いです。ページが後半に行くにつれて加速度的に面白くなる。最近、集中力というものが全くなくなってしまいまして、小説を読んでいる途中であっちへふらふらこっちへふらふらしてしまうのですが、回転木馬が止まらないあたりからもうぎゅぎゅーんと読み進めてしまいました。美紀ちゃん可愛いなぁ。優太君可愛いなぁ。そして電波スキーの猫として高見先生可愛いなぁと思ってしまうワケですね。罪悪感……なのかは知りませんが、後ろを顧みず目的のために非道に生きようとしてきたはずなのに、最後の最後の落ちぶれた先に受信してしまうのがどこにも居ない綾音さんの電波だったというのがなんとも切ないと思ってしまうのですよね。もちろんそれくらい酷い事ばっかりしてきた報いなんだと思うのですが、なんかもう、縋る先がそれしか無いんだろうなぁと思うと切なくて溜まらないです。優太くんも美紀ちゃんも健全な若者なのでこの道どうあっても正しくあればどうにでもなると思うけど、高見さんはなぁ……と思ったところで、おおこれが最初のリリオムに繋がってくるのか!? と今更気づいてわくわくしてくる次第です。映画も原作も知らないんですけどね。スミマセン。ところで、優作君みたいな幽霊って何かどこかに居そうな気がしてたまらない。そんな日でした。次回もひっそりと楽しみにしております。にゃふふ。
2015/12/16(Wed)21:56:502水芭蕉猫
おお、猫様にも、ついに追いつかれてしまった。老い疲れた狸としては、もうちょっと先行――しつっこいので以下略。ともあれ、この続きも現在カタツムリのようにイキオイよく進行してしまっているので、どうか気長によろしくです。
しかし、どうもこーゆー素直な中学生ばっかし追いかけていると、猫様のお作に登場するカップル(?)の強烈な電波に負けてしまいそうな不安を、思わず抱いたりもしてしまう今日この頃なわけですが……いや負けないぞ負けないぞ。電波どころか、マジな幽霊だっていっしょに歩いてるんだしな。高見先生なんか、モロ電波系だし。でも吉田さんは次回あたり、あんがいストレート系そのものであるのがバレてしまうかもしれません。どうか見捨てないでやってくださいね。……などと言いつつ、こーゆーキャラ同士が長年同居している以上、深層心理あたりでは、お耽美的なアレコレがそこはかとなく、実はしっかり匂ってたりするのかもしんない。
で、ぶっちゃけ、あと2回の更新で大団円を迎えるっぽいこの話、実は優作以外のキャラとは作者としてほぼ談合を終えているのですが、優作君が果たしてどーなるものやら、まだ狸にもわかりません。ほんと気まぐれな奴なんだ、あいつは。こまったもんだよ、ぶつぶつぶつ。
2015/12/17(Thu)21:43:040点バニラダヌキ
今回の更新分、国道沿いの静かな某マクドナルドで一人で読んでいましたが、最後の部分を読んで本気で背筋が凍ってしまいました。
舞台があの土地だということを、あの出来事とはあんまり関連させずにずっと読んできて、「十二年前、平成十一年の夏」という部分に一瞬おやと思ったものの(ここまでの作中では一度も、具体的な年代は示されていなかったと思います)、それでもなおあのことには思い至らないくらい呑気に読んでいました。この作品世界で、あのようなことが起こるというのは全く念頭になかったのです。それだけに突然現実とつながった感じがショックでした。あの日の気分がダイレクトに脳内で再生された、と言っても良いかもしれません。

ええと、最後の部分までの感想ですが、見事な展開だと思いました。前回、あれだけのアクションをぶち込まれた意味がようやく理解できました。あれくらいの大事件が無ければ、吉田さんとのここまでの信頼関係は築けなかっただろうと思います。少なくとも修正前のバージョンについては色々苦しい部分があったように思えますが、それでもなおこの展開にこだわられたわけが納得できました。
そして、やはりバニラダヌキさんの作品らしく因果応報を昇華してきれいに終わるんだ、と思いつつ安心して読み進めていたら、最後の部分に来たわけです。ちゃぶ台返しを予告されたおられたのは、こういうことかと思いました。どうなるのかは分かりませんが、あの日にそこにいるのだとしたら、最悪の事態も予想しなければならないのでしょう。
あの数か月後の仙台市内の海岸、かつては町だった場所に立ち尽くした記憶を持つ人間として、心して最終回を読ませていただきたいと思います。
2015/12/30(Wed)18:46:542天野橋立
 拝読しました水芭蕉猫ですにゃん。
 最初の方の牡蠣うまそうだなぁ。猫も食べたい。じゅるり。でも牡蠣は本土のは食べたことが一度も無いのですよ。牡蠣と言えば道東方面、厚岸の牡蠣ばかりなのですよね。一度は本土育ちのモノを食べてみたいものです。それからほのぼのは良いですねぇ。バックパックから出てきた綾音ちゃんが吉田さんと牡蠣はんぶんこのシーンに思わず変な笑みがこぼれてしまいました。そしてそこからの二人の邂逅。綾音ちゃんよかったね。高見先生よかったね。本当によかったね。美紀ちゃんも優太君も本当にがんばったねなんてうんうんうんと頷きながら読んでいました。あぁ、この幻想風景こそ狸さんの化かしなのですよね……。思わずうっとりしてしまいました。
 ここから本題。さてはて、実は私最初の方からこのお話は何年代のいつの出来事だろう。狸さんのことだからぜったい緻密に年代を計算しているに違いないからどっかであの事件の話も入るんだろうなぁと思いながら読んでいたのですが、まさかドンピシャで来るとは思いませんでした。ちゃぶ台返しというのはまさしくコレか……。これから出てくる峰館在住者の方がいらっしゃるらしいので、猫としてはそちらの方を楽しみにしております。本来ならうっとりで座布団二枚……と行きたいのですが、次回がめがっさ楽しみでそっちに期待をでっかく込めてとりあえず一枚。
2015/12/30(Wed)21:09:121水芭蕉猫
>天野様
いやあ、一旦きれいに(自分で言うか)にまとめておいて、ついに卓袱台をひっくり返してしまいました。とはいえ実は、本作冒頭第一行『雛祭りと同じ木曜日、山福美紀は十四歳になった。』で、すでに確定されていた事態だったりもします。そうした配置のカレンダーは、この年代、あの年にしかなかったりするのですね。たとえばミステリーマニアの読者様とかなら、そこいらも、とっくに気づかれているかもしれません。もともとこの物語は、短編として着想した段階から、そんな流れだったのでした。あの事態に関する狸なりの脳内整理、そんな感じで。
それから、たぶん天野様のご感想の内容と直接関わりはないのかもしれませんが、あそこで吉田自身の台詞として「十二年前、平成十一年の夏」を言わせたのは、吉田の言葉として感情的に不自然であると気づき、他の微修正とともに、先ほど修正させていただきました。あれは吉田の言葉ではなく、狸の言葉になってしまっていました。それで、あわてて「平成十一年」を、島本の分析に移動させたわけです。そこに気づかせていただいた点でも、天野様のご感想には、頭を上げて寝られないくらいです。前回の色々苦しい初稿も、たぶん、この物語や出てくる人々たちではなく、狸自身の感情が表面化してしまったからと思われます。
さて、それも含めてなんとか展開を馴染ませファンタジーっぽく昇華しといて、いきなり力いっぱいとんでもねー『現実』の卓袱台返しが本格化してきたわけですが、狸もアレで何日間か郷里の母親の様子が把握できなかったり、縁者の縁者が流されてしまったりもしておりますので、心して、ぶちまけてしまった食器や料理をきっちり『現代・リアル・ファンタジー』の世界に復してあげようという所存ではいるのですが――できるかなあ。
ああ、なんか大きな荷物を、来年に持ち越してしまった……。
まあ仕方ないんですけどね。自分で背負った荷物だし、荷物の中には愛しい人々や幽霊たちが、元気に生きてたり元気に死んでたりするし。
えーと、念のため。狸の大長編において、物語の個々の要素が、たとえ一片たりとも『最悪の事態』のまんまで終わるとゆーことだけは、ありえませんのでご安心ください。おめでたい正月から、そんなの語っていられるもんじゃありません。……短編だと皆殺しにしたりもしますが。

>猫様
狸も実は長い狸生の中でたった1回しか食ったことありませんが、三陸のとれたての牡蠣はうまいです。ドーピングしてないとすれば、きっと海の中で「おいしくなあれおいしくなあれ自分!」とか、必死で鍛錬していたに相違ありません。でもたぶん、厚岸の牡蠣はもっとキビしい鍛錬を経ていると思われ……じゅるりじゅるり。
で……ああ、良かった。なんか、狸が精魂こめてカタツムリのようにイキオイよく夜ごと孤独にちまちまと発信し続けたなんかいろいろの電波、どうやら、しっかり猫様の耳やら脳味噌やら猫式アンテナやらで、受信していただけたようで。――うっとりしてほしいの。理屈じゃないの。ふにふにすべすべなでまくりたいの。つんつん突っついたりひっくり返したりしたいの。……電波って、触ると、ちゃんと感触ありますもんね。たまに引っかかれて流血したりもしますが。
ところで猫様も、ここでドンピシャ来るとは予想されていなかったのですね。そうか……高出力アナログ電波の中に、微弱なデジタル信号、ちょっとだけこっそり流してただけだもんなあ。しかし、ついに表面化してしまったのである。非情のリアル電波が、今、あなたを襲う。
あっちのほうで、思わせぶりな予告をしてしまったのが、今となっては悔やまれます。そのせいで、歳末の座布団が1枚、減ってしまったのかもしれない……。しかし負けません。次回こそ3枚も4枚も……無理かもしれません。
でもがんばるんだ狸は。がんばってこれから『行く年来る年』見るんだ。きゃりーぱみゅぱみゅの出ない紅白なんか、録画の早送りだけで充分だい。
……すみません、なんの話でしたっけ。
とりあえず来年もよろしくです。
2015/12/31(Thu)23:39:020点バニラダヌキ
今回は、ファンタジー要素が強いですね!地震など大がかりな出来事も目白押しになってきて、なんだか特別豪華だなあと感じました。高見さんと、綾音の涙涙のシーンもよかったのですが、なぜか印象に強く残っているのは、綾音が牡蠣を焼くところなんですよね。な〜んともいいですね〜。それと、「お花を摘みに。。。」ってそんなお上品な!と思ったとか。。そんなところばかり上げていると、ちゃんと読んだのか怪しまれそうですが、読み終わって浮かんだのが、この二か所だったんですから仕方ない。なんせ読んだ先から忘れていく鳥頭だから。
最後の最後にまた、いいところで続く、になって気になります。では、今年もよろしくお願いします。
2016/01/02(Sat)10:12:310点えりん
明けましておめでとうございます! 新春ご感想第一弾記念として、えりん様には、狸の腹鼓による、おめでたい一本ジメを披露させていただきたいと思います。
……よーぉっ、ぽぽぽん、ぽぽぽん、ぽぽんぽんっ!

さて、歳末特別番組として今回は色々てんこもりにさせていただきましたが、なんと牡蠣焼き綾音ちゃんが最高点とのお言葉、舞い上がってしまい、思わずまた一本ジメを――よーぉっ、ぽぽぽん、ぽぽぽん、ぽぽんぽんっ! ……しつこい?
いやあ、でも、あそこの綾音ちゃんは、かわいいですよね。狸も、そう思います。うんうんうん、ええ子やええ子や。なあ綾音ちゃん、高見なんぞほっといて、おっちゃんと、どっか楽しいとこに行こ。もっと旨いもん、なんぼでも買うてあげるさかい……なぜにアヤしい関西弁。
でも『お花摘み』は、自らロッテンマイヤーを標榜する淑子だと、あんがい当然だったりします。乙女や淑女は、排泄などとゆー動物的なアレコレを、表立って口にしてはいけません。原節子さんや吉永小百合さんは、生まれてから死ぬまでそーゆーことは一切やらない、そーゆーキマリになっているのです。仮にトイレに入ったとしても、あら不思議、そこは乙女の秘密の花園……正月で浮かれるのもいいかげんにしとこうね俺。

さて次回、新春特別番組、しかも最終回として、さらにてんこもりの豪華な展開に――できるのか? そもそも、新春のうちに仕上がるのか?
神仏のみぞ知る今年の運勢、どうかえりん様も今年一年、御多幸であられますように。狸の愛の鞭は御愛敬!
2016/01/02(Sat)21:23:150点バニラダヌキ
完結、おめでとうございます。
これだけの作品の、それも相当なボリュームの最終章ですから、少しずつゆっくり読ませていただくつもりだったんですが……この展開、読み始めたら少しずつなんてことはとてもできず。一気に読み切ってしまいました。すごいものを読ませていただいた、という感じです。

美紀ちゃんについては正直、これはあんまりだと思ってしまったのも事実です。こういう展開にするのはお辛かったのではないかとも思います。しかし恐らく、あの災害を扱う以上、こういうことが起こってしまうのが運命だったのでしょう。そもそも、これくらいのことが起きなければ、あの災害をリアリティを伴って作品内に呼び出すことは出来ないでしょうから。手術がうまく行って何よりでした。美紀ちゃんにはお疲れ様でした、とお伝え下さい。ああ、優太君にも。

綾音ちゃんたちについては、あれ? これでにっこり成仏して終わり? ずいぶんあっさりしてるな、と思って読んでたら、そんな訳はなく。ちゃんとスペクタクルシーンにおけるアンコールの見せ場もあり、最後の落ち着き方も見事に決まり、綺麗に冒頭部につながっての完結だと感じました。
そういえば実は、あまりに壮絶な展開に気を取られすぎて、北条先生というのが誰か気付かないままほとんど終盤まで読んでしまいました。この人も、あのもう一つの極限状況の中から見事に再生されたんだなあと感慨深いものがあります。

一点、坐薬のシーンで「内服薬は効きが遅いし、そもそも嚥下が難しそうだ。ここはしかないだろう。」という打ち誤りがありましたので、ご報告しておきます。

さて、何事によらず切ってくっついて、となるとむしろ強靱になるということもあるようですが、そのおかげでと言いますか、この最終章は非常に骨太の堂々たる仕上がりになったという印象です。今までのバニラダヌキさんの作品に比べても力強さをはっきりと感じる、何か一つ突き抜けたような、そんな出来上がりだと思います。
大変勉強になりました。素晴らしい作品を読ませていただき、どうもありがとうございました。気が早いですが、次回作にも期待しています。これだけ作品世界が広がったのだし、峰館シリーズ、これで終わりじゃないですよね? きっと。
2016/02/23(Tue)18:54:492天野橋立
あ、イッキ! イッキ! イッキ!
……すみません。ちょっとインフルとタミフルで、軽くトリップしている狸です。

まあ、あの災害以降のこの国に、そろそろ狸なりの節目をつけねばなあ、そんな気持ちで打ち始めた話でもあるので、実は美紀にも優太にも、「これはあんまり」どころか、もっともっと苦労をかけてしまう路線も当初考えていたのですが――できませんでした、はい。自分にも脳内キャラにも甘いイキモノなのですねえ、狸は。
いっぽう綾音&高見コンビは、ほぼ当初の路線(ずいぶん長くはなりましたが)のまま無事に木馬にまたがってくれて、自分の脳内キャラながら「ありがとうありがとう」、そんな感じです。
あと、北条先生、実は前の話の初稿では、名字が違っていたりもします。昔は島先生だったんですよね。今回は島本シマちゃんと紛らわしすぎる気がして、改姓してもらいました。でもまあ、たぶん前の話を読んでくださった他の方々も、終盤で沙弥香の名が出てくるまで、あの大鬱者と同一人物であることは気がつかないと思います。まして前の話を読んでくださっていない方々には、まったくもって「……どんな奥さんなんだろ」「ふんがー」なわけですが、そこはそれ、シリーズとしてのサービスだったりも。

ともあれ今回の大風呂敷、天野様には無事に納得していただけたようで、ひと安心。最後までのご愛読、伏して御礼申し上げます。
しかし……続くのでしょうか、このシリーズ。肝腎の『なんだかよくわからないもの』も、使い切っちゃいましたから。でもまあ、なんぼでも再抽出や再固形化できるモノなんですけどね。もともと、この世界のどこにでもあるものですから。
2016/02/23(Tue)23:01:060点バニラダヌキ
 おはようございます。お加減はいかがでしょうか。
 しばらく前に読み終えていたのですが、言葉がみつからず、感想は書けずにおりました。で、結局うまい言葉は見つかりませんでしたので、中身の無い感想でご勘弁いただくことにしました。
 ACT.9からの一気読みだったのですが、通勤電車内でのスマホという最悪の読書環境にもかかわらず、巻を措く能わざるという勢いで(何が「巻」だか)、かなりのスピードで読まされてしまいました。ほんとうに、やめられないのです。そんな本に出会えることは昨今ほんとうに稀です。
 間もなく3月を迎え、あれから間もなく5年になりますが、あの出来事を丸呑みして本当に咀嚼した上での物語が綴られるようになるのは、今年ぐらいからなのではないかとも思います。東北ご出身の狸様が、あの出来事にこのような形でオトシマエ(?)をつけられたのだなあと、しみじみと、ずっしりと重い感慨を覚えました。
 また、「現実」の暴力的な力が「物語」を圧倒し、しかしまたその上で「物語」がその全体を包み込むという稀有なプロセスを目にしたという気もしております。
 ただひとつ、非常に残念なのは、これだけの質と器の大きさを持った物語が、その発表媒体においても、作品の形式においても、現状では多数の人々の目に触れにくい状況にあるということです。なんとかこれを、もっと多くの読者に読まれる形にできないものだろうかと、いささか歯がゆくも思うのです。
 文章が走り過ぎていないかと思う個所もあるのはあったのですが、これからもちょこちょこと推敲はお続けになることでしょうし、重箱を突きたくなった個所は、特にはありません。
 狸様のように、物語の力で世界の「現実(何も、震災とは限らず)」に正面から取り組む意志と勇気が僕に足りていないことを痛感しつつ、2枚じゃ全然足りないのですがシステム上の都合で、座布団2枚を奉呈。
2016/02/27(Sat)07:38:092中村ケイタロウ
あ、やめられな〜い、とまらない〜、か〜っぱえびせ〜ん ♪
……すみません。インフルは快癒に向かっているのですが、まだタミフルとウィルスがそこはかとなく脳内および気道近辺でカラミあっている感じの狸です。

さて、ACT.9から先の展開は、打っている狸としても、なんとか『巻を措く能わざるという勢い』を保ったままで腹鼓を打ち続け、なおかつ皮の下のハラワタからちょっと吹き出してきたりする狸の獣臭もそれなりに加味して、さらにまた優太や美紀やその他すべてのキャラたちにもそれぞれの人格を過たずまっとうさせてやりたい、そんなこんなで、かなり1シーンごとにあーでもないこーでもないと苦吟したりしながら、しかしまたそんな『苦吟』なんぞという気配はすなわち『巻を措く能わざるという勢い』の大敵に他ならないわけで、実際にお聞かせする腹鼓からは極力排除するように努めましたので、そのあたりの疾走感を味わっていただけたなら何よりです。
しかし狸としても、ここまで『生々しい現実』をカタパルトにして『広義のファンタジー』を臆面もなくぶち上げる日が来ようとは、一昨年あたりまでは思ってもおりませんでした。まあ、ようやく時期が来た、ということなのでしょう。ちなみに作者として、これをどれだけ多くの人に読んでもらえるか、そうした部分は、もはやほとんど考えておりません。野道や山道でたまたま出会った村の方々を無事に化かせたらオールOKです。

で、ああ確かにテンポにこだわりすぎてなんか文章がトンでる感じもするなあ、と、特にACT.10の終盤からエピローグにかけて、我ながらそこはかとなく思ったりもする今日この頃なのですが、ちょいとタミフルが勝つかウィルスが勝つか微妙な状態でもあるので、中村様におかれましては、どうか気長にタミフルの勝利を祈ってやってください。
2016/02/28(Sun)02:17:380点バニラダヌキ
拝読しました。水芭蕉猫ですにゃあ。
先のお二方の感想の後だと、自分の底の浅さが垣間見えてしまいそうで何か申し訳ないんですけれどね。
一言で書いちゃうと凄く面白かったです。少しずつ読むのは多分不可能だなって思ったので時間のある時にいっぺんに読んだのが昨日だったわけです。
で、読んだ結果はおあ、おあああおあと一人でおたおた夜中にうろたえておりました。だって、だって何かもう美紀ちゃんとのアレとか優太君のソレとか高見さんの最後とか、もう本当に色々たくさんありまして、何を言っていいのか書いていいのかさっぱり解りませんもの。でも、高見さんも綾音ちゃんもきっと最後の最後で浮かばれたような気がします。だってラストであんなに楽しそうに遊んでいるのですもの。まさしく永遠の回転木馬なんでしょうね。
ともあれ、美紀ちゃんですよ美紀ちゃん。ぽろりしちゃ行けない場所がぽろりとなってるじゃないですか。でも最後にはきちんとぽろりがくっついたようで、良かったです。これからまた大変そうですが、それでも優太君がいてくれればどうにかなるのかな。と思えばほっとします。
あの災害、私も凄く印象に残ってましてですね、それをこういう具合に書ききってしまうのは凄いと思います。優作くん尽力しましたね。実は一番の立役者なんじゃないかなと思うくらいです。それから、峰館シリーズ全編通して読んどいて良かったなと(笑)
どうしようかな。まだ何か書きたい気もするけれど、きちんと文章としてはまとめられそうにないのでとりあえずこの辺で。
まだまだインフルは治ってないでしょうか? お大事にしてください。こんなに素晴らしいお話をありがとうございました。
2016/02/28(Sun)23:02:292水芭蕉猫
それから前回分の座布団追加☆
2016/02/28(Sun)23:03:031水芭蕉猫
にゃおぽん! タミフル、ビバ! どうやら狸の体内では、無事にタミフルがインフルをシバキ倒してくれたみたいです。しかし久々に6日間も寝たきりに近い生活を送ってしまったせいか、どうも足腰が思うように立ちません。しかし思うように立てなくとも、なんとか日銭をせしめないと餓死してしまう境遇ですので、狸はこれからしばらく『一見立って働いている狸』に化け続けようと思います。実は一日中物陰で丸くなっていたりするのは、くれぐれも内密とゆーことで。
閑話休題。
いやもう『凄く面白かった』のひと言だけで、狸のすべての狸生は報われました。さらに前回分の座布団までいただいてしまい、ああもうこれであと一週間さらに寝たきりになっても悔いはない、そんな安らかな気分で永久の眠りに……就けるほど甘くないんだよなあ世の中。
ともあれ、作者としていちばん行く末を案じていた優作が、このワヤワヤになりかけた物語世界を結局はいいグアイにまとめてくれた、そんな感じがしないでもない今日この頃です。今さらながら、ハズミで出しちまっといて、ああ良かった良かった。
ちなみに北条先生や謎の奥さんなんかは、ハズミで出しちまったように見えますが、実は優作とは違い、最初っからシメを担ってもらうつもりでした。猫様にもお気に召していただけたなら何よりです。
2016/03/01(Tue)03:11:350点バニラダヌキ
小説の完結、インフルの完治(軽く韻ふんでみた)おめでとうございます&お疲れ様でした!
めでためでたの大団円。。。とは言い切れませんが、穏やかな最後でしたね。やっぱり綾音ちゃんが、すごく独特の雰囲気を放っていて、毎回印象的で好きなキャラでした。高見さんも、回が進むごとに段々と憎めない人の良さみたいなものが滲み出てきて、すごく人間らしくなったというか、うまく言えないのですが、好感が持てました。
そして、この物語の地震が暗にあの震災を物語っていたとは、他の方の感想を見るまで、全くといっていいほど気づかなかったという最低な人間です。ああ言われてみれば仙代、本当だ、という感じで。
美紀ちゃんの災難のところは、最悪の事態を予想してしまい、続きを読むのがなんだか恐ろしかったです。
助かって良かった。ホッ。
『高野聖』かあ、そういう有名なのはとっつかず、『雛がたり』などが好きな私も、世間からはヒネクレ者だと思われてるだろうな。今度読んでみようかな。なんか、、感想があちこち飛んですみません。最後の、猫に自分を例えた優太くんへの問いかけも、可愛らしいじゃないですか!ああ、この子達にもう会えないのか〜、寂しいのう。
何かのときの番外編でも期待しています。今まで楽しませて頂いてありがとうございました!
おっと、白狸初めて見た〜あっ透けてる。。。
2016/03/02(Wed)20:00:420点えりん
おざぶを忘れてたよ。
2016/03/02(Wed)20:01:422えりん
……透けてます。いただいた座布団にちょこんと座ってお茶などすすりながら、ふと自分の膝元を見下ろしてみれば、全身白毛と化した狸皮ごしに、おざぶの美しい花柄がそこはかとなく透けて見えております。おざぶの周りに、白い毛が次々と抜け落ちている気もします。すべてをおめでたい大団円に導かなかった報いでしょうか。でもきっと、人も狸も大地も海も所詮は虚実皮膜、すべては透かし模様の世界なのです。半透明上等、透けてる肉球だって、とってもキュート。
……なんの話でしたっけ。
なにはともあれ、綾音&高見さん、そして優太や美紀を最後まで可愛がっていだき、感謝の念に堪えません。えりん様には、慎んで狸の抜け毛を一房、別便にて送付させていただきます。しかし現時点ですでに半透明であるため、故郷に届く頃には全透明化しているかもしれず、それどころか封筒や切手までがハッパやドングリに戻ってしまい……ある日郵便受けにハッパやドングリが入っていたら、どうか狸の形見と思ってやってください。
さあて、形見分けも終わったことだし、久しぶりに玉三郎様の『天守物語』のビデオでも見て、黒狸に化けなおしましょう。ちなみに狸は中学時代から『眉かくしの霊』が大好きなオヤジガキでした。
2016/03/03(Thu)22:07:580点バニラダヌキ
完結お疲れ様です。
なんだかんだと読めずにいたらいつの間にか溜まりに溜まって、丸一日使って最初から読み直していました。
なんというか、とても面白かったです(コナミ感)
いや、冗談抜きに浅田の貧相な語彙ではとてもこの面白さは表現できません。特に美紀ちゃんの可愛らしさには何度となく悶絶させられました。
最近ではAIが小説を書くとかなんとか。
10年選手としては負けるわけにもいかず、そろそろこっちにもちゃんとした作品を出さねばなと思う今日この頃でした。
2016/03/26(Sat)02:22:462浅田明守
完読大感謝、平身低頭、五体投地状態の狸です。
溜めも溜めたり大長編、「俺の貴重な一日を返せ!」と罵倒されても仕方のない分量になってしまいましたが、無事に面白がっていただけたようで、なによりです。
実は半白髪の親爺狸なので、なんかナウっぽい『コナミ感』とはなんぞやと、たった今グーグル検索をかけてみたところ――なんのなんの、ただ『面白かったよ、おっちゃん!』と、良い子に一声かけていただくだけで、街頭紙芝居の親爺に化けた狸などは、ムフフと多幸感に浸ってしまうのです。うんうん美紀ちゃん可愛いですよね。実はあの子がモデルだったり。あれは今を去ることウン十年前、中学で狸の隣のクラスにいたキュートな天然系の――以下省略。
で、いやあ、あのAIによる創作活動に関しましては、狸も新聞の見出しを見て仰天したのですが、なんのことはない、創作物としての本質的な部分、いや全作業の八割までは、あらかじめ人力でやってるわけじゃないですか。
まあ、そのうち自分で勝手に色々妄想して、ムフフとか笑いながらテキスト化する小賢しいAIなども、出現するのかもしれませんが――妄想だけなら負けないぞ、人も狸も。
2016/03/27(Sun)03:20:020点バニラダヌキ
またまたご無沙汰しております。
まずは完結おめでとうございます。お疲れ様でした。

実は、だいぶ前に読ませて頂いていたのですが、どうしても感想を書くことができませんでした。というか、正直に申し上げると、弱虫のわたしはまだあの震災に気持ちの面で向き合えておらず、あまりのことに読む最中で途中で何度も引き返して(決して作品のせいではなく、わたしが弱虫なせいで)なかなか先を読むことが出来ませんでした。
もしかしたら、少し関係してくるかも、と思わなかった訳じゃないんです。 木曜定休だった当時、「雛祭りと同じ木曜日」のところで、わたしひな祭りは出勤したような気がするなあ、とか、美樹ちゃんの「三丁目の夕日」発言で「ここは2015年じゃないのかなあ」とか、確かにぼんやり考えてたんですよね。でも、まさかこんなに真っ正面から震災と向き合われるとは思っていなくて、動揺してしまいました。遅くなってしまってごめんなさい。
 
 まずは綾音ちゃんの気持ちが通じて良かったです。あの幻想的なシーンもとても素敵なのですが、高見さんの最期のシーンがとても好きでした。高見さんのことも北条先生のことも好きにはなれないけど、善悪どちらの顔も持つ、不完全さにバニラダヌキさんの愛を感じました。冒頭のリリオムとも繋がりますね。あぁ、これは本当にゆるす物語なんだな、と。

  優太くんの勇姿も凄かったし、その優太くんを助けてくれた二人の姿にも胸を打たれたし、もう一人一人あげていけばキリがないくらいなのですけど、なかでも、わたしは優作くんの行動にとても救われた気がしました。あの状況で引き返さなかった島本さんの判断は英断だったと思うけど、でも、優作くんがいてくれて本当によかったです。あの震災でご身内や友人を亡くされた方、苦い思いを残している方、あの土地にお知り合いがいなくとも、報道を見て心を痛めている方、すべての方に読んで欲しいと思いました。現実ではどうにもならないことをこうやって昇華されるというのはなかなか勇気もいるし難しいことだと思うのですけれど、素晴らしかったと思います。一度目に読んだのは電車の中だったのですけれど、涙が溢れて困るくらいでした。
最後の回転木馬のシーンも良かったです。ずっと回り続けるんですね。はじめ、木馬が消えることで終結するのかと思っていたのですが、こんな形で本当に良かったです。
 そうそう、美紀ちゃんが優太くんにつかまってるシーン、前回うっかり感想書き忘れちゃったけど、最高でした。自転車の二人のりも万歳! 青春万歳! 
最初から最後まで、本当にこの作品を読めてしあわせでした。

一つだけ気になったのですけれど、ラスト、美紀ちゃんが綾音ちゃんのことを口にしてない、回想してるシーンが無いのはどうしてなのでしょうか。たぶん美樹ちゃんには、この震災の状況も被害もわかってないですよね。誰も伝えてないだろうし、本人がそれどころじゃないし。だから、二人の安否(って言って良いのかな……。綾音ちゃんははじめから亡くなってるし)を気にかけてないのはわかるんです。
 でも美紀ちゃんのイメージのなかでは、綾音ちゃんは高見さんとマドレーヌを食べながら和やかに暮らしてる訳ですよね。あれだけ綾音ちゃんのことを気にかけて、家を飛び出しまでした彼女のこと、普通なら人を気にする余裕がない状況でも「高見さんと仲良く過ごしてるのかな」とか、「綾音ちゃん、気持ちが通じて本当によかったな」とか、病院でとりとめもなくぼんやり考えてそうだなあ、と思ったんですよね。でなければ茂美ちゃんをあんな風に迎えたりできないだろうし。優太くんにもその話をしないし、心の声でもそれらしい描写が無くて、ちょっと不思議でした。
 でも、これだけ登場人物に愛を注ぐバニラダヌキさんがそのくらいのことを考えない筈はないし、敢えて描かれなかったんだろうなぁ、と思って。そう考えていくとよくわからなくて、どうしてかな、と気になりました。

でも、本当に素敵な作品でした。美紀ちゃんたちに出逢えて本当に良かったです。素敵な人たちに出逢わせてくださってありがとうございました。

 時間を置いたことでだいぶ落ち着いて感想を書いたつもりなのですけれど、読み返すととりとめがなくて読みにくいですね。ごめんなさい。これでもずいぶん整理したんです。
あと、すみません……。美紀ちゃんの漢字、わたし最初から前回まで、ずーーっと変換ミスをしていたことに、たった今気がつきました。友人のミキちゃんたちにちょっと、美樹ちゃんと三紀ちゃんと美姫ちゃんに未来ちゃんおまけに三木さんがいるもので、ミキって打つと一杯出てきて……。だめな言い訳。失礼致しました。


またいつか、峰館シリーズで皆に逢えたら嬉しいです。タカちゃんたちにも。
2016/04/13(Wed)23:43:362夢幻花 彩
あ、「タカちゃんたちにも」って、この書き方だと峰館シリーズで逢いたいって言ってるみたいですね……。タカちゃんシリーズもまた読みたいな、っていう意味です。失礼致しました。
三回ぶんの感想なので、もう二点入れても大丈夫かしら。折角だし、最終回だし。
2016/04/13(Wed)23:54:342夢幻花 彩
おおおおお……狸、やっぱりアルツ!!
いえ、敢えて描かなかったわけではないのです。完結を目前に打ち急ぐあまり、なんとなく狸の内部で自己完結してしまっておりました。なんぼ美紀ちゃんがフワフワ状態だといって、綾音ちゃんや高見さんのことを想う一文が、いっさいないのは大欠陥です! 明らかに腹鼓が打ち足りない! あわわわわわ!! 

……す、すみません彩様、なんか取り乱してしまいました。
いえ、綾様の今回の繊細かつ懇切なご感想、平身低頭しながら読み進めていたのですが、『一つだけ気になったのですけれど』の続きを読み進めるうち、冗談抜きで穴があったら入りたい、いや穴がなくとも自分で掘って頭から突入したい気分になりました。そうですそうです! 『綾音ちゃんは高見さんとマドレーヌを食べながら和やかに暮らしてる』、そんな夢想の形で入れておけばよかったんだ!! 入れねば! すぐに入れねば! いっそこのままコピペさせてもらって……。
……恥はないのか狸。

本来なら、今回いただいた座布団は、いったんお返しするべきなのですが、なんか夜中は妙にお尻が冷えるので、ずうずうしくもありがたくフカフカしながらキーボードを叩きまくり、腹鼓を打ち加えようとしている狸です。
なお、タカちゃんトリオも、遠からずどどどどどと駆け出しそうな気配があったりするので、その節は、またよろしく遊んでやってください。
2016/04/14(Thu)02:26:000点バニラダヌキ
お久しぶりです。感想がめちゃくちゃ遅れて、なおかつ簡素で非常に申し訳ありません。でも神夜が小難しい言葉並べ立てても、狸さんの物語に置いては、ただのハナクソだからいいよね、簡素で。
読んだ感想を一言で言うなら、これは素晴らしい。登竜門において読んだ物語の中で、最高峰だった。円満解決と思いきや、地震へ繋がるあの流れ、そして危機的状況からのすべての登場人物の奇跡(働き)を持ってのハッピーエンド。文句のつけようもない。採点システムが2だからあれだけど、10つけても少ないくらいだ。素晴らしい。作品代として居酒屋奢らせてください。優作の座敷わらしのくだりはお気に入りです。
リアルタイムで読めず、感想も遅れてすみません。素晴らしい作品をありがとうございました。
2016/05/20(Fri)19:23:332神夜
うわ最高峰? ――えっへん!!
……簡素な反応すぎないか狸。
とにかく、すべてのキャラに思う存分がんばってもらえたので、作者自身としても、愛すべき物語になりました。それもこれも、神夜様はじめ、すべての読者様のご感想あってこその長丁場、なんじゃやら寄席の高座でうるさ型のお客様たちを相手に大ネタの連続物を無事に語り終えた講釈師のような、充実した安堵を味わっております。
で、実は近頃、血圧と血糖値対策で酒も肴も控える狸の身、居酒屋でコンニャクばっかし食ってるのもなんなので、代わりに優作と、例の豊満な娘さんを参上させたいと思います。娘さんのほうは、狸自身もどこの誰だかまだ聞いていないので、飲みながらでも、身の上話を聞いてやってください。ただし、くれぐれも、お尻を撫でたりしないように。優作は、タコ殴りにする相手の生死を問いません。死んでも殴られ続けます。
2016/05/21(Sat)23:01:560点バニラダヌキ
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