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『蒼い髪 22話』 作者:土塔 美和 / 未分類 未分類
全角60347文字
容量120694 bytes
原稿用紙約186.5枚
 ネルガルの王子として生れたルカは、ネルガルの戦略のためにボイ星の王女と結婚する。そしてボイ人としてネルガルと戦い、破れる。その戦後処理の中、ボイ王朝の再興を誓う。
 ボイ星の降伏は、星間通信網により瞬く間に銀河全域に流された。一時はネルガル軍を撃退したと言うことで、彼らと手を組んでネルガル星に反旗を翻そうと様子を伺っていた星々も、鳴りを潜めた。もしそれらの星々が手を結んで一気にネルガル星へ攻めかかれば、もしかして結果は違ったものになっていたかもしれない。だが歴史はそれを許さなかった。
 無論この通信はネルガル星全土のあらゆるディスプレーをも飾り、巷はネルガルの勝利を称える民衆で溢れかえった。
 そしてこの通信は、クリンベルク家にも。
「やったぜ! 勝ったぞ! 万歳!」
「じゃ、ねぇーだろう」と、元ルカの館に仕えていた守衛の一人が、そのはしゃいでいる、やはり元ルカの館の守衛だった男の頭を思いっきり張り倒す。
「何すんだよ、痛てぇーじねぇーか」
「それより殿下だ、殿下の身だ」
 しかし肝心の殿下に関するニュースは、一般の家庭のディスプレーには流れてこなかった。
「絶対無事だ、無事に決まっている。そうでなければデルネール伯爵が何のためにわざわざあのような辺境の星まで足を運ばれたのか、意味がなくなる」


 そしてそのデルネール伯爵は、惑星ボイが存在するM6星系の外円部で外務部の事務官たちと、この戦争の行方をじっと見守っていた。
 ボイ星からの正式な降伏の通達があった。
 艦長は艦の進軍をデルネールに告げる。
 クラークスは静かに頷いた。
 ボイの宇宙港はこの場所での戦闘の凄まじさを物語っていた。辛うじてその機能をはたせるのはボイ星に一番近い月、カルダヌス上にある港だけだった。クラークスの乗った艦はその港に着岸した。既にその港にはM6星系方面宇宙艦隊司令官長ラッシュ・クロラ・モービスの旗艦をはじめ、数百の戦艦、巡航艦、駆逐艦、宇宙母艦等が着岸しており、その中にルカが養生しているパソフの旗艦もあった。
 クラークスはクロラ総司令官に会う前に、ボイ星の様子を見ようと宇宙港に取り付けられてあるモニターで地上の様子を伺う。しかし上空から見下ろしたコロニー5の状況は酷いものだった。まともに原形を留めている建物は数えるばかり、空爆の凄まじさを物語っている。
「酷いな、これではこのコロニーの住民はあらまし死に絶えてしまったでしょう」と、ひとりの事務官が漏らす。
 だがそれは口だけのこと、ネルガル人にとってボイ人が生きていようと死んでいようとどうでもよかった。必要なのはこの星の資源でありボイ人ではない。生き残っているボイ人が居れば、後は牛馬のごとく酷使するだけ、資源を採掘するために。
 クラークスは地上映像を拡大して唖然としてしまった。そこにはルカ王子がときおりジェラルド様に送ってくださったボイの美しい町並みの映像は、何処にもなかった。
 何も、ここまで破壊しなくとも。



 ルカはこの降伏宣言を、パソフの旗艦の医務室のベッドの上で聞いていた。ハルガンも一緒である。放送後、こうなることはわかっていたが、二人の間には暫しの沈黙が流れた。
 先に沈黙を破ったのはハルガン。
「ルカ、変なことは考えるなよ」
「変なこと?」
「子供に責任を取らせて済ませるほど、ネルガルは甘くないからな。お前は生きろ、生きてボイ星民を守る義務があるだろう」
 お前の代わりに死ぬのは俺でいい。
「最も、この戦争を始めたのはボイ人なのだから、自業自得と言えば言えなくもないが、シナカはどうする、彼女はお前と同じ、この戦争には反対だった。彼女を守れるのはお前しかいないのだからな、そこのところ、重々考えてから行動しろよ。男が女を、しかも自分の妻を守れなくてどうする」
 これが最も基本的なことだ。国を守るより星を守るより。生物の本能と言ってもいい。
 ハルガンは立ち上がると、ルカを抱きしめた。
 ハルガンの分厚い胸。この胸がなかったら今頃私はあの装置の下敷きになっていた。
 ハルガンはルカを抱きしめたまま耳元で囁く。
「クラークスが来ている、少し奴と話を付けてくる。お前はここでゆっくり養生しろ、次の戦いのために」
 ハルガンはルカの背中を軽く叩くと、抱擁していた腕を解く。
「オリガー、後は頼む」
 オリガーは軽く頷いた。
 ハルガンが入り口から出ようとした時、ルカは不安に駆られた。
「ハルガン、あなたこそ、変な考えを起こさないでください」
「俺がか」と、ハルガンはわざとらしく肩をすくめて見せてから、
「俺の考えは元々変わっているんだよ、だからこそ参謀本部に招かれたんだ。見てろ、一世一代の俺の戦略を」


 ガルダヌスにあるホテルに、ボイ星のおもだった指導者が集められていた。ボイの戦後処理を話し合うというよりも、ネルガルの一方的な宣言である。それに調印させるために集められたようなものだ。
 クラークスが警備の者に用件を告げると、警備員はそのホテルへと案内した。
 迎えたのはM6星系方面宇宙艦隊指令長官ラーシュ・クロラ・モービス中将だった。
「これはデルネール伯爵、わざわざのお越しで」と、椅子を勧めるクロラ。
 挨拶もほどほどにデルネールは自分の来た目的を話す。
「我が主ジェラルド様の命により、ルカご夫妻を迎えに参りました」
「ご夫妻と申されますと?」
 ルカ王子の身柄は確保した。だがルカ王子の妻はボイ人である。
「ジェラルド様におかれましては、弟であるルカ王子をいたくご心配になられ、その妻とお子がおありでしたらお子も、一緒に連れて来るようにとのことでございます」
 ジェラルドの頭が可笑しい事は上流階級のものたちは知っていた。だが彼は王位第一継承者である、邪慳には出来ない。
 デルネールもそこら辺を承知しているのか、次からは言葉を柔らかくして、
「お子と言われましても、ルカ王子はまだ十歳であらせられますから、おるはずも御座いません。よってルカ王子と奥方様をお連れしたいとぞんじます」
 これでルカ王子とシナカ王女の身は保障された。後はどれだけの者を助けられるかだ。
「ルカ王子でしたら」とクロラは言いかけ暫し考えた後、これはパソフに振るのが無難だと思ったのか、パソフを呼び出した。
「彼の旗艦で養生されております」
 パソフは一歩前に出ると敬礼し、
「乗艦なされていた艦が小惑星に不時着し、お体を強く打ったご様子ですが、今のところ、命に別状はありません。意識もはっきりされておられます」
 命に別状がないどころではない。意識があることすら医師たちから言わせれば奇跡のようなのだが、そこら辺のところはパソフには理解できない。あれだけ意識がはっきりしているのに、内臓のスキャナーもパソフの知る範囲では大きな外傷はなさそうだった。ときおり戻すのが気になるが。
「そうですか。では王女は?」
 クロラは一瞬返答に困った。だがパソフは透かさず、
「王女の身も、こちらで保護しております」
「ボイ人の方は彼に一任してある」と、クロラ。
 なら、彼らの環境についても一任して欲しいとパソフは内心思ったが、
「何しろ彼の部下にボイ語を話せる二等兵がおるものでね」
 それがカロルのことを指していることは、デルネールも知っていた。知らないのはクロラだけ。
「それは重宝ですね」
「よろしければ、王女の元へ案内いたしましょうか」
「そうしてくれますか。お二人の無事を確認したら連絡することになっておりますので」
 通路にでるとパソフは下士官にカロルを呼ぶように告げる。そして先に歩き出した。
「これから紹介する人たちは、戦犯として全員処刑されることになっております」
 その数千人をくだらない、その家族まで含めればかなりの数になる。これがネルガルのやり方。見せしめにも処刑する人数は多いに越したことはない。既に戦場で死んでいる者を含めると、これでボイの指導的な階級のものは壊滅状態になる。
「そうですか」
 その中にシナカ王女も居るということになる。
「こちらです」
 途中でカロルが合流した。無論、カロルは新しく出来た親衛隊を引き連れて。
「クラークス、遅かったじゃねぇーか」
 開口一番、敬礼もなくいきなり。
 クラークスとは余り親しくなかったが、ルカを通して何度か会っている内に、次第に言葉を交わすようになっていた。気難しい奴なのかと思えば、意外に。
 パソフは呆れたような顔をすると、
「カロル二等兵、敬礼が先だろう」と忠告。
 カロルは取って付けたような敬礼をした。
「紹介はいらないようですね」
「王宮で何度か、お会いしておりますから」と言いつつ、クラークスはカロルの背後にいる三人の兵士に視線を移した。
「こいつらは、俺の仲間だ、心配いらない」
 カロルのその言葉にも、パソフはやれやれと言う顔をした。
「こちらです」とエレベーターを使い、別館へと案内する。
 このホテルの別館が戦争犯罪人の幽閉所になっているようだ。警備も一段と厳重になっている。
「ボイ人の建物は全て、鍵がかからないので幽閉するのに苦労しました」
 鍵をかけずに寝るなど、ネルガル星では考えられないことだ。それだけこの星は平和だった。
 鍵は後から取り付けられたようだ。どれも最新型の電子ロックになっている。中のようすはどの部屋にも部屋全体が映るカメラが取り付けられており、定期的にそのカメラの前に立つように指示されているようだが、収容されている人数に比べ部屋が狭すぎるのだろう、モニターには十人前後のボイ人が、床に座った状態で映っていた。
「きつそうですね、カメラの前に集まるように指示しているのですか」
「いいえ、一部屋に二十人前後入っておりますから」
「二十人」
 部屋のひろさがどのぐらいなのかわからないが、普通に一般人が旅先で止まるホテルを連想すれば、かなり狭いような気がする。
「そのためベッドや調度品を全て取り外しました」
「それは、酷い」
 それで床に座っているのか。
「パソフ中尉を通して掛け合ってもらったのだが、毛布を入れてもらえるのが精一杯だった」
 ルカの手紙を通して、カロルはボイ人が繊細な感情と技術を持っていることを知っていた。こんな野蛮な仕打ちをするネルガル人は彼らに笑われる。
「あまりガンガン言って、あらぬ腹を探られても後々動き辛くなるかとも思って」
 カロルにしてはかなり慎重な行動だ。カロルたちの目的は、この戦争犯罪人の数を減らすこと。できるだけ処刑されなくて済むように。なぜなら全員、ルカの臣民なのだから。あいつの悲しむ顔をこれ以上見たくない。
 クラークスはその考えに軽く頷く。我々がボイ人の味方をしていると悟られないほうがよいと。
 そしてカロルはクラークスを国王夫妻が幽閉されている部屋へと案内した。そこは一段と警備が厳重になっている。
 パソフが警備兵に話を付け扉を開けてもらう。
 中には国王の家族をはじめ宰相の家族、それに主だった者が収容されていた。この部屋が第一級戦犯のようだ。
「こちらがボイ国王ご夫妻と、王女のシナカ様です」と、パソフは紹介する。
 クラークスはネルガル式に礼を取ると、
「クラークス・デルネール・ピテレスと申します。お噂はルカ殿下のお手紙で」
「あの人が手紙を?」
「はい、ときおり頂いておりました。読んで差し上げると、ジェラルド様がとてもお喜びになりますもので。こちらから手紙を差し上げなかったのは、検閲が入っているようで、何かの口実に使われてはと配慮してのことです。ルカ殿下もそのことは解っておられたようで、ボイの日常の当たり障りのない事を書かれておられました」
「そうだったのですか。星間通信のあるこの時代に、手紙とは古風ですね」
「チップなどより手紙の方が思い出に残ります。増してボイの美しい便箋はそれだけでも心を和ませてくれました」
 お互いの警戒心を解こうと、クラークスは他愛もない話を続けた。そこへ強靭な二人の兵士に引きずられるようにして連れて来られた男が、牢の中に投げ込まれる。
 血の臭い。一瞬、誰もが唖然としていたが、その男の正体を真っ先に見極めたのはカロルだった。
「ハルガン!」
 駆け寄るカロル。
「貴様、ハルガンに何をした!」
 睨み付けるカロルに、
「二等兵の分際で、俺たちに文句があるのか」
 彼らの肩章はカロルより上であることを示している。
「これは、どういうことですか?」と、問いただすクラークスに、
「失礼ですが、誰の許可を得て、ここへ?」
 少なくともクラークスが貴族、しかもかなり身分が高いと言う事を見て取ったのだろう、強靭な二人の男の態度はカロルの時とはまったく違っていた。
「許可をしたのは、私だ」と、パソフ。
 相手が階級で出るのなら、こちらもという態度を取った。階級ならパソフの方がかなり上。
「これは、パソフ司令官」
 二人の男は敬礼をすると、
「我々はカーティス中佐の命令により、この男をここへ運んだまでのことです。何ら咎められる筋はありません」
「しかし、この傷は?」
「この男は、この戦争の首謀者です。事情聴取しただけのことであります」
「逃げないように、しっかり鍵をかけてくるようにとのことでしたが」
「わかった、後の責任は私が取る」と言って、パソフは二人の男を帰した。
「警備兵、消毒液と水を」と、カロルはハルガンを仰向けにすると服のボタンをはずしズボンのベルトを緩める。
「こっ、こりゃー、酷でぇー」と、エドリスがカロルの肩越しに覗き込む。
「エドリス、お前等、外で見張っててくれないか、誰か来たら知らせてくれ」
「わっ、わかった」
 カロルはエドリスたちを体裁よく外へ追い出す。
「これを」と、ホルヘが錠剤を差し出す。
 怪訝な顔をしているカロルに、
「止血剤と鎮静剤です。殿下が各々に持たせてくれたのです。ネルガル人用とボイ人用があるのですが、幸い私は殿下のお傍におりましたので、両方を持っております」
「殿下が」と言うと、クラークスはホルヘの手からその錠剤を受け取り、ハルガンに飲ませた。
「あの方らしいですね。最悪の場合でも、命だけは助けようとなさる」
 クラークスのその感想に対しハルガンは、とぎれとぎれの息で、
「怪我した者の苦しみを長引かせるだけだ」と、憎まれ口を利く。
「そんな口が利けるようじゃ、まだ気力があるとみえる」と、カロルはハンカチを濡らしてハルガンの傷口を拭き始めた。
「痛っー、もう少し丁寧にやってくれないか」
 すると、何時の間に来たのか、
「私がやりましょう」と、シナカがカロルから桶を取り上げ、自分のドレスの裏地を引きちぎると、それを濡らし傷の手当に入った。
 地下で多くの傷ついた兵士たちの手当てをしていたシナカの手は慣れたものだった。だがハルガンはそのシナカの手を軽く押しのけると、
「やっても無駄です。また明日、同じ目に合う」
 カロルにああ言いながらも、シナカの手当ては断る。
 カーティスの名前を聞いた時に、クラークスもその意味がわかっていた。事情聴取などとは表向き、本来は私怨。
 まぁ、自業自得ですか。ハルガンに言わせれば俺に責任はないとのことだ、誘ったのはあくまでも夫人の方。
「カーティスの野郎、自分の女を寝取られた腹いせに」
 カロルも知っていたようだ。まぁ、あの当時、軍籍にあってこの騒動を知らない者はいないだろう。一時は決闘まで持ち上がった。
 薬が効いてきたのかハルガンは上半身を肘で支えながら起こす。
 それをカロルが支持した。
「クラークス、よく来てくれた」
 クラークスはハルガンの傍に跪くと、
「お前に言われた通りには言った。ルカ殿下とシナカ妃殿下を迎えに来たと」
 ハルガンは頷き、
「そうか、それでいい」
 ハルガンは少し肩の荷を降ろしたような溜め息をつく。
「ボイ星ごときで、ジェラルドを敵に回したいとは奴等も思わないだろうからな。ジェラルドの噂は聞いていても、実際本人に会ったことのある奴は少ないから、奴がどれだけアホかなど知る由もないからな」
「ハルガン」と、クラークスはハルガンの言葉を咎める。
 だがハルガンはそれにお構いなしに、
「しかしジェラルドがこんなところで役に立つとは思いもよらなかったぜ。最も、馬鹿と鋏は使いようだと昔から言うからな」
 ハルガンのこの酷評にクラークスはいよいよ我慢が出来ず、
「ジェラルド様は、頭は悪くないのです。ただ精神が少しお弱いだけで」と、ジェラルドの弁護をする。
「まあ、その話はどうでもいい」と、ハルガンはクラークスのジェラルド弁護をあっさり退け、クラークスの方におもむろに視線を向けると、
「クラークス、ルカとシナカを頼む。決してハル公(ハルメンス公爵)だけには渡すな」
 ハルガンは痛みを堪えるかのように天井に視線を移し、
「後は、この部屋の中の奴等を、どれだけ助けられるかだ」
 薬がかなり効いてきたのかハルガンは大きな欠伸をすると、
「カロル、エドリスを呼んできてくれ」
「エドリスを?」と、訝しがるカロルに、
「ああ、奴はこれからの仕事には打って付けだ。早くしてくれ、眠い」
 カロルは大声でエドリスを呼ぶ。
 エドリスが入り口から顔を覗かせた。
「お前だけ、ちょっと来い」と、カロルは手招きする。
「なんスか」
「エドリス、頼みがある」
 ハルガンにそう言われて、エドリスは緊張した。
「何でしょうか」
 言葉まで改まる。
「今から俺の言うことを噂として兵士たちの間に流してくれ。いいか」
 エドリスは頷く。
「ハルガンの野郎は、ボイ人を焚き付けて、ネルガルの玉座を手に入れるつもりだったんだ。まだ幼くて何も知らないルカ王子をいいことに、彼を擁立し背後で操り、よくよくは自分がその玉座に納まる気だったようだ。とな」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。そんなこと言ったら、あんたの命が」
「いいんだ。結局誰かを処刑しなければならない。ボイ人の方からもかなりの人数が戦犯として引きずりだされるだろうが、ネルガル人の方は俺ひとりで。まさかあんな幼い子供を処刑台に乗せるわけにはいかないだろう」
 エドリスはルカを思い出した。少女のような美しい子だ。
「そりゃ、そうですが」
「できるか、さり気なく流すんだぞ」
 エドリスは頷く。
 それからハルガンはキネラオたちの方を向いて、
「お前等は、今の話は聞かなかったことにしろ。たまたまネルガル人に反感を抱いていたところ、俺に声を掛けられたとな。俺に利用された振りをしろ。戦略は全て俺が立てた、ルカもお前等も関係ない。わかったか」
 ホルヘは頷いたが、
「しかし、私達がいくら殿下はかかわりない言ったところで、他のボイ人たちの口は塞げません」
「いいんだ、それで。情報は錯誤するところに価値がある。その方がより真実味を帯びる」と、ハルガンはニタリとした。
「悪いが、薬が効いてきたようだ、少し寝かせてもらう」
 ハルガンはそう言うと、体を横たえ軽い寝息をたて始めた。
「言うだけ言って、寝ちまいやがった」
 カロルは自分の上着を丸めてハルガンの頭の下に差し入れた。
「死ぬ気なのか」
 クラークスは上着を抜くと、そっとハルガンに掛けてやる。
「ハルガンは三年前、ネルガルを発つ時から自分の命は捨てておりました。自分の命に代えてもルカ王子をもう一度ネルガルへ戻すと。ネルガルを変えることが出来るのはルカ王子以外にはいないとまで言い切りまして。その時ボイ人が敵に回るようなら皆殺しにしてでも、と」
 これにはキネラオたちは驚いたが、ホルヘはうすうす気付いていたようだ。
 ハルガンにとって重要なのはボイではない、ルカ殿下だけなのだと。否、ハルガンだけではない、レスターにしろケリンにしろ、ルカ王子に従ってボイ星まで来た者たちは。
「幸いボイの方々は理性的な方々だと見え、公達を無事にネルガルに帰してくださいましたから、お陰で後のことがやりやすくなりました。公達が帰ってきたのだからルカ王子も戻られたはずだとジェラルド様が騒がれましたので、私がこうやってここへ来ることが出来ました。ルカ王子を迎えに来てくれ。とは、この人のネルガルを発つ時の遺言のようなものですから。友の最後の言葉は友人である以上、どうしても叶えてやりたい」
「それでジェラルド様をお一人にしてまで。あなた様がジェラルド様のお傍を離れるなど、思いもよりませんでした」
「私もですよ、パソフさん」と、クラークス自身が驚いたように言う。
「しかし不思議です。どんな相手にも膝を屈したことのないこの男が、あんな幼い子供に命まで差し出すとは、私には想像も出来ないことでした。私の知るルカ王子は、ジェラルド様といつも仲良く花籠を編んでおられるお姿だけでしたから。これらの戦略をルカ王子がたてたとなると、ルカ王子に対する私の考えを改めなければなりません」


 いよいよ裁判が開始された。そのための審問。
 リンネルは審問を受ける前にルカ王子の様子を見たいと申し出、どうにか許可を得て、今パソフの旗艦に乗艦した。
「大佐、こちらです」と、パソフ自らの案内で、リンネルはルカの養生している部屋へと案内された。
 ルカは思ったより元気だった。
「よろしいのですか、起きて」
「あなたが見えるので、どうしてもベッドの背もたれを立てるようにと仰せになりまして」と、オリガーが困ったように答える。
「殿下、主治医の言うことを聞いて、少しおとなしく寝ておられませんと、治る傷も治らなくなりますよ」
 ルカはそんな忠告より今のボイの状況を知りたかった。
「リンネル」
 ルカの差し出した手を、リンネルはしっかりと握り締めた。
「ハイドスの背後に回り込んだ我が艦隊は全て投降し、あれ以後の戦闘はありません。第二陣も第三陣も、あまり戦わないうちに投降したようです。やはり戦争を知らないボイ人にとっては、仲間の艦が撃沈されていくのを見るのは耐えがたかったようです」
「では、あまり死傷者も?」
 戦争である以上、死傷者が出ないと言うことはあり得ない。やはりそれなりの犠牲者は出したが、それでも徹底抗戦、死守などという考えを持たなかった分、犠牲者はかなり少なかったようだ。
「ただ、コロニー5は、ボイの中心でもありましたからほぼ壊滅状態です」
「では、国王夫妻やシナカは?」
「地下に逃げてご無事で御座います」
「そうですか」と、ルカはここでやっと胸を撫で下ろした。
 せっかく助かった命だ、処刑台などに上がらせたくない。
「リンネル。この戦い、私が命欲しさに起こした。そう宮内部と軍部には伝えて下さい。ボイ人は一切関係ないと」
「それは、無理でしょう」と、リンネルはルカの考えを読み取りはっきり答えた。
 ルカは暫し黙り込んだ。
 暫しの沈黙が流れる。
「リンネル」
 か細い声でリンネルを呼ぶ。
「先々ボイ王朝を復活させられるだけの人材は残したい」
 リンネルもそれには頷き、
「やれるだけの事はやってみます」
「頼みます」
 リンネルはルカに軽く敬礼をし、踵を返した。
 後を追うオリガー。
「何も、あからさまに否定しなくとも」
「殿下は、既に国王を助けられないことはこの戦争が始まる前からご存知だ。だからこそ、自分が最前線に出向き、自分の死をもってこの戦争を終わらせようとなされた。国王より先にあの世に行かれ、そこで国王を待つおつもりだったのだ」
 オリガーは黙り込んだ。
「オリガー軍医、後を頼みます」

 オリガーが部屋に戻ると、ルカはじっと俯いていた。
「殿下、ペッドをもとに戻します」
 ベッドを平らにしてやり、毛布を掛けなおす。
「シナカは、シナカは」
「奥方様だけでもどうにかと、皆が動いております」
「私も」と、起き出そうとするルカに対し、
「殿下、ここはリンネル大佐やハルガン曹長に。彼らは長らく軍籍にあり、このような敗戦処理も経験ありますから」


 最初はキングス曹長の立案だと主張していたリンネル。
「カスパロフ大佐、どうやら上層部はぐるになっているようですな、殿下を守ろうとして」と、クロラはリンネルの話を途中で遮る。
「それは、どういう意味でしょう?」
「既に我々は、驚きではあるが、第一次戦、第二次戦とも全て、ルカ王子の立案であることを兵士たちから聞き及んでおります」
 リンネルは透かさず、
「兵士たちは立案の場に参加したことはありません。誰が立案したかなど知る余地もない。そんな者たちの言葉を、あなたは真に受けるのですか」
「確かに、ボイの兵士たちはそうかもしれないが、ネルガルの親衛隊たちは、そもそも数も少ない、常備王子のもとに居たと思いますが」
 リンネルは黙る。
 それをクロラは肯定と取り、
「カスパロフ大佐、そろそろ本当のことを話していただけないでしょうか、我々も大人です。十歳にも満たないような子供を、処刑したりはしません。それどころか、その才能を高く評価するしだいです。ルカ王子とすれば、我が身を守るために、我々と戦わざるを得なかった。背に腹は代えられませんからな」
 ボイ人たちに強制的に戦場に駆り出されたと、クロラは見ている。
 リンネルはクロラのその言い方にむっと来た。殿下は決して自分の命が欲しくて戦ったのではない。だがクロラがそうとってくれるなら殿下の身は安全だ。しかしそれではボイ人の方に責任が転嫁される。これは殿下が一番嫌うことだ。
 リンネルは暫しの沈考の後、やっと重い口を開いた。
「確かにこの作戦を立案したのは殿下です」
「殿下、お一人で?」
 リンネルは頷く。
「誰の助言も必要とはなさいませんでした。もともと読書の好きなお方で、その中には兵書も含まれておりましたので」
「この作戦は、書物からだと言いたいのか」
「はい」と、リンネルははっきり答えた。
 リンネルの返事に周りの参謀たちは慄然とする。
 少女と見間違うほど美しい子のどこに、これだけの戦略が秘められているのかと。
「どうやら、これが真実のようですな。このことは軍部に報告します」
 宮内部でなかったことをリンネルは内心喜んだ。
 宮内部はルカ王子を除籍したがっている。否、既に死んでいるのだから。だが軍部は、今銀河を舞台に戦略の立てられる幕僚を欲している。ここにこそルカ王子の生きる道がある。王宮ではあの方は生きられない。
 そしてここからがリンネルの駆け引き。
「ルカ王子を幕僚の一人として迎えることは、ネルガル軍にとっては大いなる利益となるでしょう。しかし、一つだけ問題が御座います」
「問題とは?」
 クロラは訝しげに訊く。
「ルカ王子は頭脳明晰な方であられます。ただその頭脳も、精神的に安定して初めて発揮できるものでして、まだ幼いせいだと存じますが」と、リンネルは前置きした。
「どういう意味だね?」
「私は殿下が三歳の頃より身近に仕えておりましたもので、殿下のお心のありようは、口になさらなくともよく存じております。殿下は、決して命が欲しくて戦ったのでは御座いません。愛するものを守るために、戦ったのです」
 幕僚たちの間でざわめきが起こる。
「ルカ王子は、ボイの王女を愛していたとでも言うのですか」
 幕僚の一人が驚いたように問う。
 この銀河で一番優れているネルガル人が下等な異星人を愛の対象にするなど考えられない。
「異性愛ではなかったかもしれません、まだ十歳ですから。ですが、皆さんもご存知の通り、殿下は半分平民の血を引いております。そのためネルガルの王宮ではご兄弟からは疎遠にされ寂しい思いをしておられました。ですがここボイでは、誰もが殿下に優しかった。特にシナカ王女は、まだ幼い殿下に時には母のように、また時には姉のように接してくださいましたので、いつしかそこに愛情が芽生えてもおかしくはありません。殿下にしてみればこの戦い、母をもしくは姉たるシナカ王女を守るための戦いだったのです」
 クロラたちは唖然としてしまった。
「殿下はシナカ王女のためなら何でもするでしょう。それに現在幽閉されているボイの指導者たちですが、彼らも殿下にとっては大切な友人です。彼らはよきネルガルの理解者でもあります」
「では、何故我々に矛を向けるようなことを」
 それはネルガルが仕組んだからとは、口が裂けても言えない。そんなことを言えば、この駆け引きは負ける。
 リンネルは熟考した。どう表現すれば、どうしてボイ人たちが戦争という道を選ばざるを得なかったのかと言うことを理解してもらえるのだろうかと。
「それは、ボイ人が神聖視している湖にネルガル人が手を出したからです。ボイ人にとって、と言うよりも、このボイ星を見れば一目瞭然ですが、いかに水が貴重か、それに所有権を付けようとしたネルガル人に対しボイの星民が怒ったのです。指導者たちは出来るだけ話し合いで解決しようと苦心していたようですが、ボイ人にとって水は命ですから、水を支配されるということは命を断たれるも同然。指導者たちは星民たちを押さえることがではなかったようです」
 それで戦争になってしまったと言うことらしい。
「もし彼らを裁けば、殿下が」
 正常な精神状態ではいられなくなる可能性がある。
 常日頃無口なリンネルにとっては、これほど饒舌になったこともない。その必死さが伝わったのか、傍聴席で聞いていたハルメンスが助っ人に入った。
「ジェラルドのように」と、現太子を呼び捨てにするところからも、彼の地位がわかる。
「いくら頭脳明晰でも、ああなられてしまわれては使い道がありませんからね」
 表向きは、新婚まもない妃の死が、ジェラルドの精神を病ませたということになっている。
「これはハルメンス公爵、何時の間に」
「少しおもしろい審議があると聞きまして、特別に許可を得まして」
 クロラはやりづらいと思いながらも、ハルメンス公爵を追い出すわけにもいかず、そのまま審議を続けた。
「少し私も意見を言わせてもらってもよろしいですかね」
 拒むわけにもいかず、
「どうぞ」と、クロラは促す。
「私もボイ人にはかなり儲けさせてもらっておりますから。別に彼らの便宜を図るつもりはないのですが、カルパロス大佐の言うことにも一理ありまして、私のところにもボイ人が数人たびたびやって来ましては、水利権の問題をどうにかして欲しいと頼まれたことがあります」
 どうやら戦争の原因はそこのところのようだ。
「まあ、ボイ人にとって水は我々が考えている以上のもののようです」
「わかりました、公爵のご意見も参考にして、今後の審議を続けたいと思います」
「そうしてくれるとありがたい。特にあの牢屋の中に居る数人は、私との取り引きもありますから」
 お互い利益を損なわないようにとのことのようだ。
 クラークスもやはり傍聴席で、この成り行きをじっと見守っていた。

 そしてハルガン。
 ハルガンは手足の自由を奪われた末、旧式の道具でさんざん殴られていた。どんなに科学が進んでも拷問はやはり古代の道具がいいと見える。しかも自分では手を汚さず、屈強な兵士にやらせそれを眺めているのが。
「嫉妬に狂った男ほど、見苦しいものはないな」
 体の自由はなくともまだ舌の自由はあると見え、ハルガンは血の混じった唾を吐きながら言い捨てた。
「きっ、貴様。貴様のせいで俺は。俺がどんな思いをしたか」
 カーティスは腰のサーベルを鞘ごと抜くと、それで殴りつけた。常日頃、下僕を殴っているのかその動きは慣れている。
 サーベルの乱打が収まるとハルガンは澄ました顔で、
「知らないな」と言う
 それが一層カーティスの怒りを駆り立てた。
「殺す気か、処刑できなくなるぞ」と、ハルガンは微かに笑う。
「殺すものか、その一歩手前で止めておいてやる。お前が銃殺される姿は、是非とも記念にカメラに納めておきたいからな」
「いい趣味だ」と、ハルガンは小馬鹿にしたように笑う。
「こっ、この野郎」
 狂ったように乱打するカーティス。既にハルガンは意識をなくしていた。
「カーティス中佐、もうよさないか」
 止めたのはクロラ中将だった。
「それ以上やったら、死んでしまう」
「総司令官、こいつはネルガルを、ギルバ王朝を」
 私怨を公の口実で覆う。
「キングス曹長ひとりで、何が出来ると言うのだ」
「しかしこいつには、ボイの宇宙艦隊が」
「中を開ければ、たいしたことはなかった」
「そうは仰いますが」
「キングス伯爵ほどの人物、一目見ればその艦隊がどの程度のものかは解かったはずだ」
 彼もやはり、ルカ王子を庇ってのこと。
「いい加減にしておくがよい」
 クロラは兵士にハルガンを医務室へ連れて行くように命じた。

 クロラの私室の前、クラークスが待っていた。
「お手数をかけます」
「いや、こんな所で私怨を晴らされても困るからな。キングス伯爵の身は、一時パソフ中尉に預けることにした」
 クラークスは深々と頭を下げた。
「しかし、ルカ王子とはどのようなお方なのだ。たかだか十歳の子供にしか見えないが、あなたやハルメンス公爵までもが動かれるとは」
「ハルメンス公爵とルカ王子がどのようなご関係かは存じかねますが、私の方は、ルカ王子は主ジェラルド様の弟様であり唯一のお友達でもあられますから。ジェラルド様も王宮では友達がおられない方でしたので、お互い友達がいないということで気がお会いになられたのでしょう。主の是非ともの願いですから」
 ハルメンス公爵とルカ王子の関係を知っていても、ここではあえて口にはしなかった。


 そしてボイ人は。
「この戦争は全て私の一存で」と言ったのは、宰相のニキニタだった。
「国王には何の罪もない」
 だがそんなことを認めるほどネルガルは甘くはない。全銀河の星々の手前、ネルガルに楯突いた者達の結末をきちんと付けなければならない。さもないと以後の統治が難しくなる。
 そしてボイ国王は。
「常識的に考えてみたまえ。宰相ひとりで出来ることではなかろう。私の認可がなければ」


 そして数日後、いろいろな事柄を踏まえ戦争犯罪人が確定した。
 国王に宰相、それに数名の指導者。その中にキネラオたち若者が含まれていなかったのは幸いだった。それにはリンネルたちの働きが大いにあったようだ。ルカ王子の頭脳を生かしたいのなら、ボイ人をあまり苦しめないことだ。特に殿下のご友人は大切にされたほうがよい。それに原住民を支配するには原住民を使うのが一番は早い方法だということも、過去の惑星の支配からネルガルが学んだことである。よってボイ星も一部の特権ボイ人によって支配させる。ネルガル人はその特権ボイ人を支配すればよい。この考え方が一部の支配階級を丸々残すことになった。もっともネルガル皇帝に忠誠を誓わせた上で。だが表向きはどうあれ、これでどうにかボイ王国の土台は残った。何時しか彼らがまた、ボイ王国を復興させてくれるだろう。だがそれにはネルガルを倒さなければならない。ネルガルが存在する限りネルガルの植民地と化したボイ星に自由はない。
 これでルカ王子も少しは本気になるだろう。とハルメンスは背後に静かに控えているクロードに囁く。
 だがこれと同じことは、医務室で傷にうなされながらハルガンも思っていた。
 これで革命の炎がともった。と。


 二人の思惑も知らずルカは、医務室で戦後処理の知らせが来るのをじっと待っていた。だが戦後処理はルカに何も知らせる事無く進んだ。地上のコンピューターとアクセスしたくとも、地上のコンピューターは空爆により破壊されてしまったのか何の反応もない。否、その前に機能を停止していたはずだ。情報が漏洩するのを恐れ、ルカはケリンに指示をしておいた、自己消去プログラムを稼動させるようにと。空爆前にルカ愛用のコンピューターはただの箱と化していただろう。今となってはそれが仇になった。ルカはコンピューターが使えないと手足をもぎられたも同然。外部の情報が一切入ってこない。たまに様子を見に来るカロルですら、何も話そうとはしない。訊いたところで、
「俺は何もしらない、ノータッチだから。ただ、シナカ王女だけは助けられそうだ。クラークスが頑張っているから。それにキネラオたちも、こっちは大佐が頑張っているよ」
「そうですか」
 そう答えるルカが一番聞きたがっているのは国王のこと。だが、それは。
「また、来る。静かに養生していろよ」
 踵を返そうとするカロルに、
「会えないでしょうか、国王に」
「それは、無理だと思う」
 出陣する前に、別れは済ませたはずだった、生きて帰るつもりはなかったから。だが私はこうやって生きて戻ってきてしまった。会いたい、もう一度。会って、私は今後どうすればよいのか、聞きたい。今は、何も考えることが出来なかった。
「ルカ、こうなることはお前のことだ、最初から知っていたんだろ」
 ルカはそっと毛布をかぶってしまった。
 カロルは静かに踵を返す。
「オリガー、後を頼む」


 リンネルは休憩室で椅子にもたれ、ぐったりとしていた。顔には疲労がにじみ出ている。
 やるだけの事はやった。私の力ではこれが限界だ。殿下の悲しむ顔が目に浮かぶ。それでもやはり報告には行くべきだろう。
 そう思って立ち上がった瞬間、天井が回ったような気がした。気付けば誰かに体を支えられていた。その支えてくれている腕にすがるようにしてリンネルはバランスを取る。
「随分、お疲れのようですな、大佐」
 支えてくれたのはパソフ中尉。
「これはパソフ中尉、殿下はお元気でしょうか」
「怪我の方は快復に向かわれておられるそうです」
「しかし、このようなことを報告すれば」と、迷うリンネルに、
「知らないうちに処刑が実施されるよりもは、あなたの口から報告された方がましなのではないでしょうか。丁度、艦へ戻るところです、一緒にいかがですか」
 パソフに案内されリンネルは、ルカの居るパソフの艦が接岸されているゲートへ向かった。
「こちらです」
 守衛が立っている扉の前でパソフは足を止める。
 守衛の二人から敬礼を受け、リンネルは返礼をかえす。
 リンネルは審問を受ける前に一度ここを訪れている。扉を開けてもらうと直ぐに、ルカが横になっているベッドまでひとりで向かった。
「殿下」と、リンネルは静かに声をかける。
 ルカは静かに目を開けた。
「リンネルか」
 起き上がろうとするルカをリンネルはクッションで支えてやる。
「裁決が出ました」
 そう言ってリンネルは一枚の紙を渡す。
 そこには国王をはじめ、十五人の人物の名が戦争犯罪人として連ねられていたが、シナカやキネラオたちの名前はなかった。
「申し訳ありません、私の力の至らなさで」
 ルカはリンネルのその言葉に大きく首を横に振る。
「ご苦労でしたリンネル。私が交渉したところで、ここまでには出来なかったと思います」
 本来なら指導者の大半が処刑されるのに十五人で済んだということは、リンネルの努力のたまものだ。
 ルカは深々とリンネルに頭を下げた。どうやらカロルが去った後、気持ちの整理はつけたようだ。
「デルネール伯爵やハルメンス公爵のお力添えのお陰です」
「ジェラルドお兄様が」
 ルカの顔に微かな喜び。
「はい。ジェラルド様が殿下と奥方様の帰りを心から待たれておられるそうです」
「お兄様は私のことを忘れずにいてくださったのですね」
「ずっと気づかわれておられたご様子です」
 そこら辺の真偽はリンネルにはわからない。だがデルネール伯爵はそう言われていた。
「リンネル、本当にご苦労でした。私も少し休みますので、あなたも休まれたほうがいい」
「お気遣い、心に痛み入ります」と、リンネルは答え、ルカのクッションを取り体を横たえてやった。
 リンネルが去り、ルカは一人になった。

「殿下もどうにか落ち着かれたご様子ですね」と、パソフ。
 リンネルとパソフとオリガーで一服していたところに通信が入る。
『司令官』
「どうした」
『気密室の扉が、作動しているのです。特別な入艦の許可でもあったのでしょうか』
 この艦に殿下が乗艦していることは司令部も承知だ。総司令官クロラ中将が挨拶にみえられたか。だがそれなら事前に連絡があるはずだ。
「いや、そんなことはない」
『では誤作動でしょうか、調べてみます』
 通信はそれで切れた。
 パソフは口に運びかけていたカップをテーブルに戻す。
 どうしたことだ。と三人は顔を見合わせたが直ぐに、三人の心に同時に浮かんだものがある。まさか。と思いつつルカの部屋へ急ぐ。
 遠目には毛布をかぶって寝ているように見えるのだが、近付いて声をかけても反応がない。
「失礼」と言い、毛布をまくるとその中には枕とクッションが並べられていただけ。
「しっ、しまった」
 扉の守衛たちに訊くと、この扉を出入りしたのは私達だけで他には誰もいないと言う。
 それではどうやってこの部屋から殿下は出たのだと疑問を持ちながらも、今はそれより殿下を捕まえる方が先。
「制御室、ハッチを閉じろ」
『それが、さきほどからやっておりますが、何の反応もないのです。どうやら手動に切り替えたようで』
 事故や砲撃によってコンピューターが使用できなくなった時の用心に、各ハッチは手動で動かせるようにもなっている。そしてそこには、地上カーが格納されている。
 リンネルたちは件のハッチへと急いだ。
「あの体で、無茶だ」と、オリガー。
『地上カー、発進しました』
「遅かったか、地上カーの準備をしてくれ、後を追う。それと、クロラ総司令官へ、殿下がそちらに向かったと」
『畏まりました』
「うかつだった」と、リンネル。
 ルカの物静かな受け応えにまんまんと騙されてしまった。
「まさか、あの体で動き出すとは」
 そう言ったのはオリガーだった。
「片足はギブスで完全ら固定されているのに、どうやって?」
「まあ、その疑問は殿下から直接お聞きになられたほうが」と、パソフ。
 まずは殿下を捕まえる方が先。
 三人は取るものも取らず、地上カーに飛び乗った。


 一方、連絡を受けたクロラ総司令官は、
「医務室を抜け出した? どういうことだ? 警備兵は何をしていた?」
「おそらくボイの国王に会うためでしょう」と言ったのはクロラの従卒。
 士官学校からその有能さを買われ、今回の戦況の勉強のためクロラに付けられた青年だった。身分が貴族ならばかなりの位置まで上れるだろうとクロラも認識した、礼儀ただしく隙のない青年だ、だが如何せん平民の出である、残念なことだ。
「三年とは言え、一時は父と呼んだ人なのです。処刑される前に一目、お会いしたいのでしょう。ルカ王子とは、そういうお方です。あのお方は人から受けた恩は、その数十倍の愛で返してくださるのです」
 クロラは不思議なものでも見るかのように従卒の方へ振り向いた。
「まるで知り合いのような口ぶりだな」
「知り合いです。最も殿下の方はもう覚えておられないでしょうけど。お会いしたのは殿下が五歳の時、まだお小さかったですから」
 クロラだけではなく、その周りにいた将校たちも黙り込んでしまった。
 平民と王族、どこをどう間違えれば行き会うことがあるのだ? 我々ですらこんなことでもなければ直接王族と目通りすることは出来ないと言うのに。
「私に、殿下の案内役を命じてください」
「誰が、会わせると言った」
「無理です。あのお方は一度言い出すと、どんなことがあっても実行します。ここで下手に騒動を起こすよりもは、殿下の望みをかなえて差し上げた方がよろしいかと存じます」
「相手は、子供だ」
「ですが、この戦略を組み立てたのは殿下だと聞き及んでおります。第一回戦、完敗だったとも」
 クロラは苦虫を噛み潰したような顔になる。別の幕僚が、
「相手はボイ人だ、形式上、父と呼んでいたものに、傷ついた体を押してまで会いたがるものだろうか?」
「それは、貴族の考え方です」
「ルカ王子も、貴族だ」
「半分」と、従卒は答えた。
「残り半分は私と同じ平民の血が流れております。ご存知ではありませんでしたか?」
 そんな噂を聞いたことがあった。
「あのお方にとって、貴族も平民もボイ人も、皆、同じ人間なのです。私はあのお方にもう一度会いたいがために軍人になりました。そしてあのお方の役に立ちたいがために。あのお方からは軍人だけにはなるなと言われたのですが」と、従卒は苦笑する。
 会えばがっかりされるかもしれない。でもそれでもいい、俺はあのお方の力になりたい、これが俺の夢だった。あの時、あのお方と別れた時からの。
「やっと私の望みはかなったのです、今度はあのお方の望みをかなえてやりたい。司令官が駄目だと言われても、私はあのお方をボイの国王の部屋まで案内いたします。後日、命令違反として軍法会議にかけてくださっても結構です」
 そう言うと従卒は踵を返し駆け出した。
「おい、待て」と、幕僚の一人が呼び止める。
「ほっておけ」と、クロラ。
「それより殿下を迎えよう、あれではどの道、動きは取れなかろうから」


 ルカはひたすら地上カーを走らせた。
 あのターミナル・ビルのどこかに、国王たちは幽閉されているはずだ。会いたい、もう一度。だが、会ってどうする? 助けられるのか? ネルガルのやり方は私が一番よく知っている。我が子ですら道具として使う父。ましてネルガル人でないものなど、死んだところで何とも思わないだろう。だからこそ国王たちに逃げるように取り計らったものを。
 舌打ちするルカ。
 だがボイの国王の気持ちもわからなくはない。国民を見捨てて自分だけ。これこそが情の通った人間の行動なのだろう。
 私の読みが甘かった。力ずくでも国王を連れ出させるべきだったのでは。
(そんなことをしても無駄だ)
 なっ、なに!
 ルカは我に返り、辺りを見回した。
 ここは地上カーの中、居るのは自分ひとり。では、今の声は?
(無理に生きながらえさせても、彼が彼でなくなるだけだ)
 貴様、誰だ?
 ルカがそう問いかけた時、地上カーはターミナル・ビルのロビーの前に着いていた。
 地上カーが着くや否や、数十人の兵士たちによって包囲されてしまった。こうなることはあらかじめ想定済み、後は強行突破あるのみ。ルカにしては余りにも計画性のないやり方だった。
 ルカはプラスターを構え地上カーから降り立った。だが、左足の自由が利かないうえに呼吸も苦しい。余程肺を強く打ったとみえ、激しい運動をすると呼吸が苦しくなる。それでも気を張り目の前の兵士を睨み付けてプラスターを構える。
「退け」
 ドスをきかせたつもりだった。だが十歳の少年の声、自ずとその迫力は、しれたものだ。それでも全身から出る殺気のせいか、兵士たちの人垣は半歩ほど下がった。
「退かなければ、本当に撃つぞ」
 目の前に傷ついて立っている少年が王子であることは、周りを取り囲んでいる兵士たちは知っていた。ただ王族には会うどころか見るのも初めてと言う者ばかり、どう対処してよいか迷っていた。普通の子供のように取り押さえて、後で不敬罪など言われては目も当てられない。そんなこんなでルカが杖にしがみ付き一歩出れば、彼らは一歩下がった。小康状態が続く。それを崩したのは一人の従卒、それも今まで彼が見せたこともないような乱暴さで。これにはクロラも驚いた。
「退け!」
 一喝のもと、兵士たちを背後から力任せに蹴散らす。
 これに兵士たちも抵抗しようとしたが、その従卒の背後に総司令官の姿を見、場を開けた。
 従卒はプラスターを構えるルカの前に飛び出すと、跪くこともなく話だした。
「殿下、俺だ、覚えているか?」
 ルカはじっとその従卒の顔を見詰める、記憶の深淵を探るかのように。
 従卒はルカが思い出すのを待ちきれないように、否、おそらく思い出してもらえないだろうと悟ったのか、ルカにくるりと背を向けるとその場にしゃがみ込んだ。
「負ぶってってやるよ、国王のところまで。その足じゃ、歩くのは無理だろう」
「あなたは?」
 従卒はルカの問いを無視して、
「早く」と、急かす。
 そこへもう一人の型破りがプラスターを構え現われた。
「貴様、何者だ?」
 ルカにやたらなれなれしい態度をとる従卒に対しプラスターを突き付ける。
「カロル、よせ、ショウだ」
「ショウ?」
 カロルは記憶を探る。
 ショウは驚いたようにルカの方に振り向いた、覚えていてくれたのかと。
 その頬に衝撃。
 ルカが手を挙げたのだ。
 痛いと感じる前に、ルカの叱責。これはショウの想定内だった。
「どうして軍人になったのですか、あれほど軍人だけにはなるなと言っておいたのに。約束を守らない人は嫌いです」
 ショウは叩かれた頬をさすりながら、
「約束? 俺はそんな約束した覚えはねぇーぜ。そりゃ確かに、お前は俺に軍人になるなと言った。だが、俺は軍人にならないとは一言も言っていない」
 暫しの沈黙。
 その後、カロルが大声で笑い出した、腹を抱えるようにして。
「確かに俺も、聞いてねぇーや」
 ルカは唖然としてしまった。
「では、リサさんはどうするのですか、身寄りがない姉弟と聞いていましたが」
「姉貴は結婚した。あそこの貧乏医者とな。だから俺は、はれて自由の身だ。俺が軍人になるって言った時、姉貴は止めなかった。姉貴も知っていたんだろう、お前に会うには軍人になるのが一番の近道だということを。最初は近衛を志願したんだけど、出自がな、俺みたいのは問題外だそうだ。後は実力あるのみだからな、それで士官学校に入るために猛勉強したぜ、夜も眠らず。ドルトンに笑われたよ、それだけ勉強すりゃ、医者にだってなれるってな。ちなみにドルトンは医者になった」
「では、あなたも医者になればよかったではありませんか、軍人より皆に喜ばれます」
「俺の目的はお前に会うことだ。医者では会えなかろう。軍人になったからこそ、現にこうして会うことができた」
 ショウはもう一度背を向けると、
「負ぶってってやるよ、ボイの国王のもとへ、否、お前の義父の所へ」
 そこへもう一台の地上カーが到着した。止まるより早く、リンネルとパソフが飛び降りる、それに続いてオリガーも。
「殿下、こちらでしたか」と、叫びながら駆け寄って来る三人。
 それに対しカロルが、
「リンネル、お前等何やっていたんだ」と、怒鳴る。
 大佐を怒鳴りつける二等兵。この光景が兵士たちの間にどのように映ったか。
 パソフはやれやれという顔をして、
「カロル二等兵、立場を考えたまえ」と、忠告する。
 だがカロルは黙らなかった。ルカのことに関しては見境がない。
「お前等、大の大人が三人も着いていて、ガキ一人の見張りも出来ないのか!」と、怒鳴る。
 だがそのカロルの大声をオリガーは無視した。
 呼吸が苦しそうなルカ。
「殿下、殿下はご自身のお体がどのような状態なのかご存知ないのですか。本来でしたら動くこともままならないはずです」
 オリガーは奇跡だと思っている。まんざら殿下が神の子だと言うのも嘘ではないのかもしれない、この科学万能の時代にと自笑しながら。あの内臓の状態で動けるということ自体、否、生きているということ自体、信じられない。何か人外の力が働いているとしか思えない。リンネル大佐からは何の治療もせずそっとしておくようにと言われていたが、大佐は何か知っているのだろうか。もっとも科学は全てを証明しているわけではない。
 オイガーはルカの体を気づかう。
「艦に戻りましょう」
「会いたいのです、皆に」
「でしたら、艦の方に来ていただくように、クロラ総司令官に」と、オリガーは兵士たちの間に立つクロラに視線を向けながら、ルカを諭す。
 クロラはじっとルカを見詰めていた。この少年の何処に、我々を苦戦させるだけの戦略が? 第一回戦は完敗だった。第二回戦もこの子が指揮を取った魔の空域近郊の戦いで、戦力の半分以上を失った。
 クロラの思考とは別に、オリガーが話しかけてきた。
「クロラ総司令官、殿下には安静が必要なのです」
 苦しそうに息をするルカを見てクロラは、
「今から艦に戻るのもお辛いでしょう、ホテルに部屋を用意させます。そちらの方で養生なさるとよいかと存じます」
 そう言うと一人の仕官に命ずる。
「国王たちに合わせて欲しい」
「殿下、彼らは戦争犯罪者なのですよ」
「それを言うなら私もそうだ。この作戦、立案したのはこの私です。国王でもなければ宰相でもない、この私です」
 ルカは国王や宰相の無罪を訴えた。
「殿下、私は子供の戦争ごっこに付き合うほど、暇ではないのです」
 クロラはあくまでもこれで通す気だ。子供に何が出来るかと。これが唯一この王子を助ける方法。
 ルカはむっとしてクロラを睨み付けた。
 クロラはその視線の鋭さにはっとする。なるほど、この目なら、まんざら立案したというのも嘘ではないのかも知れない。
「わかりました、一度だけ会うことを許しましょう、後日、部屋のほうへ連れてまいります」
 まるで犬でも引き出して来るような言い方だ。
 ルカはその言い方にも腹が立ったが、そこはじっと堪え、
「では部屋でお待ちしております」とだけ答えた。
 ここで下手にもめて、せっかく会わせてくれると言い出したのを取り消されても損。
 これで会えると思った瞬間、気が緩んだのか急にめまいがした。その場に立っていられずしゃがもうとするルカの体をオリガーが支える。
「大丈夫ですか、殿下?」
 ルカはオリガーの腕の中で軽く頷く。
 そこへ先程の仕官が、部屋が用意できたことを伝えに来た。
 オリガーは負傷兵用のタンカーを用意させると、それにルカを寝かせ部屋まで連れて行く。リンネルもクロラに軽く一礼するとその後を追った。一人残ったパソフは、配下であるカロル二等兵の非礼を詫び、今後の指示を仰いだ。

 クロラは幕僚たちをホテルの会議室に集めた。今後の対策とルカ王子の件で、無論そこには従卒であるショウの姿もある。クロラは貴族とは言えその身分はかなり低い。この戦争が昇格の好機と捉えた。それにはルカ王子に対する配慮。これを一歩間違えれば、昇格どころか今の階級すら失いかねない。そのためにルカ王子の人となりを知りたかった。否、王族と言うものを。クロラの身分では王族と対面するなどということは過去に一度もなかった。遠方から遥か彼方の壇上の皇帝を仰ぐのが関の山。そのせいか、クロラはルカ王子との対面を王子が怪我をしていることをいいことに避けてきた。会ったのは一度、M6星系方面宇宙艦隊司令長官として挨拶に伺っただけ。だがこれからは、そうも言っていられない。
「なるほど、君がルカ王子と親しいということは充分わかった」と、幕僚の一人。
「随分言葉遣いもひどいと言うことも」
 ショウは苦笑する。
「いまさら殿下の前できどっても始まりませんから。殿下は私の全てを知っております。子供の頃、食べるためなら何でもやりました。万引き、引ったくり、泥棒、恐喝。そんな時、殿下に出会ったのです。生活を改めるように言われました。その時は何の苦労もせずに生きているこんな幼子に、説教される筋合はないと思いました。ですが後で知って驚きました。どうして殿下のような身分の方がこんな町へ来たのかと。毒を盛られたそうです。しかも治療のために入院した王族お抱えの病院ですら、治療するどころか点滴にまぜて」
 これには幕僚たちは唖然とした。
「王位継承権争いですか、噂には聞いておりましたが」
「それで、たまたま私の姉が殿下のお舘で下働きをしておりましたから、この町に名医がいるということでお連れしたようです。名医と言っても町医者ですが、御殿医を信じられなくなっていた夫人には、感謝されたそうです」
「王位継承権争いと言っても、あのお方の順位は」
 母親の出自が低いため最下位だった。
「それなのに、何故? 毒を盛られるなど」
「器がちがうのです」と、ショウ。
「器が?」
 ショウは頷く。
 裏社会で育つと、自然と人を見る目は肥えてくる。
「とにかく器が大きい、五歳とは思えなかった。一度お話をすればわかります。最も大人は色眼鏡で見てしまいますから、子供のように純粋には捉えることができませんが」
 自分も大人になってそれがわかるようになった。まずは相手の階級から入ってしまう。これではいけないと思いつつも。時には階級で相手の器が見えないこともあった。
「町の子供たちは俺たちを除いて誰一人、あのお方が王子であると言うことは知らなかったのです。それなのに気付けば誰もが殿下の言葉に従った。大人ですら、不思議でしたよ」
 飢えで荒んでいた町に笑い声が広がった。そう言うことの出来る人だ、ルカ王子は。
「あのカロルと言う二等兵は何者なのだ。彼とも親しいようだが」
「彼は」と言って、ショウは少し黙った。
「どうした」と、言って幕僚の一人に促される。
 ショウは言ってよいものかどうかと少し悩み、えい、どうせばれる事だと開き直る。
「彼は、殿下の喧嘩友達です」
「喧嘩友達?」
「はい、名前をカロル・クリンベルク・アプロニアと言います」
「クリンベルク! もしかして」
「そう、そのもしかしてです。クリンベルク家の放蕩息子と言ったほうが、皆さんにはわかりやすいかと思います」
 一瞬、部屋が静まった。
「クリンベルク将軍のご子息が、二等兵で?」
 幕僚たちは開いた口が塞がらない。
「のようです。私も先程、初めてお会いしましたもので、でも間違いありません。彼もルカ殿下とは違った意味で独特の個性を持っておられますから、一度会えば見間違えることは御座いません」
 確かに、個性は強そうだと誰しもが納得する。
「クリンベルク将軍が動いているのか」
 幕僚たちは考え込む。将軍の意向を伺った方がよいのかと。
「聞いてみましょうか」と、ショウはあっさりと答える。
「聞くって、誰に?」
「カロルさんにです。将軍の指示で来たのかどうか」
「そんな」
「大丈夫ですよ、あの方は裏のない方ですから。おそらく、将軍は関係なく、ご自身の判断だけで動いているのだと思います。カロルさんは殿下を崇拝しておりましたから。そのわりには殿下の頭に大きなたんこぶを作って、カロルさんのお姉さまにさんざん怒られたようですよ」
 クリンベル将軍の一人娘の気性の激しいのは有名だ。
「最もあの時は殿下も負けずにカロルさんに噛み付いたそうですけど」
 その話を聞いた幕僚たちは顔を見合わせてしまった。
「あれ、これってお館では有名な話だったのですけど」
「それで喧嘩友達か」と、クロラ。
 そこに人間性を見て、クロラは笑った。
「喧嘩するほど仲がいいと言いますから」
「しかしよく、カロル様はお手打ちに遭わずに済んだものだ」
「それは殿下のお母様が、怪我は男の勲章などと仰せになりましたから。表沙汰にはなさらなかったようで。ですが喧嘩するたびにクリンベルク家からは相当な品がお詫び料として届いたそうです。よく姉が話しておりました。その度に夫人はそれらの品々を換金して奉公人に配ったそうです。下手な物を置いておくとクリンベルク家に迷惑がかかると仰せられて。おかげで、それで私の学費は賄われたようで」と、ショウは苦笑した。
 クロラは腕を組み考える。
「よくルカ王子が生きていることがわかったな。我々ですら、宮内部から報告を受けた時、我が耳を疑ったものだが」
「あの葬儀が偽物だということは、直ぐに私達の町では噂になりました。私達の町には夫人の里から農業を教えるために来てくれている人達がいるのです。その人たちがあの棺の中の子供は偽物だと言いました。彼らの話によると、何でも殿下は神の子だそうで、死ねば必ず魂が村の湖に帰るそうです。さすがに葬儀には驚いて夫人も取り乱していたようですが、葬儀が終わって三日経っても魂が戻られた気配がないと言うのです。魂が戻られれば一目でわかるそうです、水面が白く輝くから。現に殿下の前世の方が亡くなられた時もそうだったそうです。夫人もそれは見たからよく知っているそうで、そして再び水面が輝いた時、赤子を授かるそうです」
「それがルカ王子だと」
「夫人の里の者たちは皆、そう言います。私はそこまでは信じておりませんが、でも里の人たちが言ったとおり、殿下は生きておられた。最も殿下が殺されるはずがないのです。あのお方は誰にも分け隔てのないお方ですから、ボイの人たちもきっと好きになってくれたと思います。人を身分や階級や生まれで蔑視するようなことのないお方ですから」
 スラム育ちの自分に希望を持たせてくれた。否、少なくとも殿下に触れたスラムの人たち全員に。
「相手は、十歳の子供だ」
「そうです。ですが、子供と軽視しない方がよろしいです。帝王学は充分身についておりましたから、五歳の時から」
 クロラはじっとショウを見詰める。
「殿下は、私をどう思われているだろう」
 私を見詰めていたあの目。かなり鋭い目をしていた、子供とは思えないほど。
 ショウは黙り込む。
 クロラ司令官にすれば任務だ。しかし相手は殿下の義父。一度父と呼んだからには、あのお方のことだ、情が入ったに決まっている。その義父を手に掛ける者を許せるだろうか。
「私にはわかりません」と、ショウは正直に答えた。
 クロラの幕僚の中には実力でのし上がって来た平民階級の者もいる。彼らはショウの話を聞き、ルカ王子に興味を示し始めた。
「身分にこだわらないお方なのか」
「お母様が平民ですから。あのご夫人に教育された殿下は、平民を蔑視するようなことはありません。現にあのご夫人は殿下が私達のところで養生している間、先生の手を煩わせてしまったと仰せになり、先生にかわってあの病院の患者さんの看病をしてくださったのです」
 そこへ先程の仕官がやって来た。
「殿下におかれましては、部屋で落ち着かれたご様子です」
「そうか。顔を出した方がよいかな」
 仕官は軽く首を振ると、
「後にされた方が。少し無理をなされたご様子で、先程少し戻されたそうです。今はお休みになられております。目を覚まされましたらご連絡いたします」
「そうか、暫くの間、殿下の身の世話を」
「畏まりました」
「私が」と、名乗り出たショウに対しクロラは、
「もう少し話が聞きたい」

 そして数時間後、ルカが目覚めたという知らせを受け、クロラはルカのところへ挨拶に伺った、無論ショウを連れて。
 ショウはルカを見るや否や、
「殿下、起きて大丈夫なのですか」と、驚いたような声を出す。
 戻したとは聞いていた。なのに、ルカはベッドの上に起き上っていた。
 だがそんなショウの声には、ルカは何の反応もせずじっと一点を見詰めている。
「怒っているのか?」
「当然だろう。私があれほど言ったのに」と、やっとルカは答えた。
 ショウは、ほっとして苦笑した。以前と何ら変わらないルカの反応に。
「しつこいようだが、俺は一度も軍人にならないとは言っていない」
「ああ、怒っているのは自分に対してです。何故あの時、あなたから言質を取っておかなかったのかと。私の一生の不覚です」
「大げさだな」と言うショウに対し、
「そうではありませんか、私はみすみす前途有望な少年を死に追いやったようなものです」
「それじゃまるで、軍人=死人のような言い方じゃないか」
「違いますか。軍人の仕事は殺すか殺されるかです。殺されたくなければ殺すしかありません」
「そう言われればそうかもしれねぇーが、俺は別に軍人になりたくて士官学校に入った訳じゃない、お前にもう一度会いたくて。スラム出身の俺が雲上人のお前に会うにはこれしか方法がないんだ。軍人になって出世して、クリンベルマク将軍の配下にでも入れれば、お前に会えるんじゃないかと思って」
「それまで生きていればです。今回だって、私はあなたを殺そうとしたのてすよ」
「そりゃ、そうだろ。敵だ、殺されて当然だ。素晴らしかったよ、ワームホールの待伏せ戦、あそこで味方のほとんどが壊滅した」
「途中からは私の作戦ではなくなった。ある人物が勝手に」
「艦隊のど真ん中まで突っ込み、自爆したらしいな」
 ルカは辛そうな顔をして黙り込む。そして、
「馬鹿だ、そんなことをしても勝てるはずないのに。何故、命を無駄にするのだろう」
「俺、そいつの気持ち、わかるような気がする」
 ルカは唖然としてショウを見た。
 ショウはルカの視線を避けるかのように笑うと、
「だが、俺はこうやって生き残った。神のご加護かな」と、話題を替える。
 ルカとは違った意味で、ショウもまた神など信じていなかった。だが今回ばかりは、神がいるのではないかと思いたくなる。あのワームホールからの脱出劇、ルカの生存、それに思ってもみなかった再会。ルカの生死でもわかるのではないかと志願したボイ星へ行き、たまたま成績がよかったので総司令官付の従卒になった、そして今こうやって。ここまで思いをめぐらせてやっと、ショウは今の自分の任務を思い出した。しっ、しまったと思いルカから視線をはずし隣に立っているクロラを見た。
「しっ、司令官」
「個人的な話は済んだかな」
 ルカを見た瞬間、感情がほとばしり今の自分の身分を忘れていた。カロルが無謀にも二等兵としてこの戦いに従軍した意味がわかる。こいつは人をそうさせてしまうのだ。自爆した奴もきっと。
 ショウは我に返り任務を遂行する。
「ルカ、じゃなくて、殿下、こちらは」と、改まった口調でクロラを紹介する。
「殿下がこのような者とお知り合いだったとは」
「クロラ総司令官、私はそのような言い方は嫌いです。あなたも人間、彼も人間、ボイ人も、そして私も人間です。何ら変わりはありません。街で行き会ってお互いに好意を持てば知り合いになれます」
 ルカのその言葉にクロラは黙る。
 自分もさんざん上流貴族から蔑視されてきた。それが嫌で一生懸命背伸びをしてきたものだ。だが、背伸びをすればするほど差別は酷くなっていった。結局彼らは、身分の低い者が自分たちより優れることを好まない。しかし雲上人にはこう言う人物も居るのか。初めて会った。器が違う、か。
 ルモクークーと言いかけて、クロラは言葉を改めた。ネルガル軍では罪人として扱っているボイの国王ルモクークー、だがこの王子にとっては義父、増してボイ人も人間だと言う彼にとっては尊敬する人物、その人物を戦争犯罪人とは言え呼び捨てにするのは失礼に当たる。
「国王には、明日の今頃、お会いできるように取り計らいます。三日後には」
 処刑されることが決まった。とは言えなかった。だが察しがいいとみえ、ルカはわかった。
「日付を一日ずらしてはいただけませんか」
「それは無理です。もう決まったことですので」
「決まった。あなた方はその日が何の日だが知っていて、わざとその日を選んだのですね」
「少し待ってくれ」と、ショウ。
「その日が何の日か、俺たちは知らない。俺たち軍部は、外務部や宮内部が決めたことをただ実行するだけなんだ」
 そう言うショウをルカは疑わしげに見る。
「ほんとだ、嘘じゃない。ちなみに何の日なんだ」
 ルカはショウの問いには答えず、じっと鋭い視線をクロラに向けた。
「本当に何も知らないのですか」
 クロラは頷くしかなかった。
 クロラの背後から、ほんとうだ。と言ったのはカロルだった。
 カロルは話を聞いていた。何時の間に来たのか知らないが、クロラの背後から出てきてルカの脇へ寄ると、
「軍部は何も知らない。戦後処理は全て外務部と宮内部でやっている、軍部は彼らの指示で動いているだけだ」
 自分が指揮を取った時もそうだった。戦後処理になると安全なところに避難していた者たちがのこのこやって来て、威張り出す。特に権益の分配ともなると、ハイエナやハゲタカもそれまでかという有様。
「では彼らがわざと、シナカの誕生日に」
「そう言うことだ」
 ルカはぱっと毛布を払いのけるとベッドから立ち上がろうとする。
 それを押さえるカロル。
「放せ、カロル」
 カロルはしっかりとルカの体を押さえながら、
「その体で、どうするつもりだ」
「掛け合う、掛け合って」
「無駄だ、もう決まったことだ」
「処刑を止めさせる」
「ルカ、落ち着け」
 押さえつけるカロルの腕を振り払おうとして下腹に力を入れた途端、ルカは血を吐いた。
「ルカ!」
 苦しそうに咳き込み口を押さえるその白い手を、真っ赤な血が滴る。
「おい、ルカ」
 カロルは苦しむルカを横向きに寝かせながら、
「ショウ! オリガーを呼べ、早く!」
 オリガーは駆けつけるや否や、止血剤と安定剤をルカに投与した。ルカが落ち着くのを見計らい、カロルに向き直り問いただす。
「何が、あったのですか」
「処刑の日を告げた」
 オリガーは苦い顔をすると、ルカの手当てに入った。
 その後姿にカロルは話しかける。
「何時までも黙っていられないだろー」
「それは、そうですけど」
「それよりこいつ、ただの骨折や打ち身だけじゃないな、この血の色からして、肺もやられているんじゃないのか」
 カロルも戦場を駆け回っている身、いろいろな傷や血の色を見てきている。
「内臓をかなり強く打っていると以前にも言いました。ですから安静にと言っているのですが」
「言って聞く奴じゃないしな。拘束帯でも着用したらどうだ」
「それも考えましたが、大佐が反対しまして」
「だろうな」と、カロルは笑って納得する。
 そんなカロルを睨み付けるようにしてオリガーは言う。
「カロルさん、あなたにも言っているのですよ、あまり殿下を朱激するようなことは避けてくださいと」
 カロルは、わかった。と言う感じに頭をうなだれる。
「シナカの誕生日って、どういう意味だ?」と、ショウ。
「シナカとは、ルカの妻のことだ」
「妻って、つまりあのシナカ王女が?」
「そうだよ、知らなかったのか」
 言われずとも当然のことだ、ルカはボイの王女と結婚したのだから。だが今までショウはそれを失念していた。
「そっ、そうだよな。て言うことは、自分の奥さんの誕生日にボイの国王夫妻、つまり奥さんの両親を処刑するということか」
 改めてそう確認してからショウは、
「そっ、そりゃひでぇー。ルカが怒るのも当然だ」
「おい、今頃気付いたのかよ」
 カロルは呆れた顔をする。
 そこへルカが苦しそうな声で、
「カロル、処刑の日をずらすように、言ってくれないか」
「ルカ、それは出来ないんだ」
「カロル、頼む」と、弱々しく伸ばすルカの手をカロルは両手で握り締め、
「落ち着いて、俺の話を聞いてくれ。それが条件でシナカ王女やキネラオたちの命をクラークスたちは救ったんだよ」
 驚くルカに、
「処刑のリストは見たか」
 ルカはよわよわしく頷く。
「お前ならわかるだろ。こんなこと前例がないんだ、ネルガルに楯突いた指導者の子孫が助かるということは。本来なら一族全員処刑だ。見せしめのためにな。千人は下らないのが普通だ。それが今回は十五人、しかもその指導者の子孫は含まれていない。リンネルやクラークスのお陰だ。その代わり、処刑はシナカの誕生日、宮内部にしてみれば彼女が生き続ける限り、お前等の愚かさを忘れるなというところなんだろうな」
 ルカは下唇を噛みしめる。カロルの握っているルカの手が握りこぶしを作りぶるぶると震えた。
「許さない」
「ルカ」
「私は絶対、こんな矮小な人間を。シナカが何をしたと言うのですか。この世に生を受けた喜びを、彼女から永遠に取り去ろうとする者たちを、私は許さない」
「ルカ、止めろ。今はそんなことを言っている場合ではない。シナカさんたちを助ける方が先だ」
 今初めて、ルカはカロルに教わったような気がした。
 そうだ、カロルの言うことが正しい。
「今お前がしっかりしないと、助かる奴らも助からなくなるぞ。せこい奴等はほっておけ。それよりこれからどうするかだ」
 ルカは天井を見た。頭にのぼった血が下がっていくのを感じた。
「カロル、有難う」
「やっと冷静になったな。きれるなよ、きれたら奴等の思う壺だ」
 カロルはしっかりルカの手を握り締めた。

 翌日、約束どおりボイの国王夫妻と宰相夫妻、それにキネラオ兄弟にウンコクがやって来た。だがそこに、シナカの姿はない。連れて来たのはカロルだった。クロラ総司令官に命令されて。
「シナカは?」と問うルカに、
「すまない、質に取っている、お前たちが悪いことを企てないように」
 カロルはそのものずばりで答えた。言葉を飾ったところで、ルカに通用しないのはわかりきっていたから。
「私がそれほどまでに信用できないのですか」
「そうじゃなかろう、お前、以前俺に言っただろ。人は自分の器でしか相手を測ることができないと。つまり、奴等の考えはこうさ。首脳陣が雁首を揃えれば、またよからぬ悪巧みを考えるに違いない。よって王女を人質に取っておけばお前等も諦めるだろうと」
 ルカはむっとした顔をカロルに向け黙りこむ。
「まあ、これが俗に言う下種の勘ぐりと言うやつだ。小さい奴はとことん小さい。人質を取ろうと取るまいと、抵抗する奴はやるさ。大儀をそんなところにはおかないからな」と、カロルは笑う。
「本当は、見張っているように言われたんだけど、俺、外にいるから。時間は一時間だ、一時間したらまた来る」
 そう言うとカロルは踵を返した。
 その背中にルカは礼を述べる。
「礼には及ばないぜ、何もしてやれなかったんだから」
 カロルは振り返らずに答えた。お前の役に立ちたいとはるばるここまで来たのに、俺は何もできなかった。全てクラークスとリンネル大佐の尽力だ。カロルは自分の無力さを悟った。人望と力と権限が欲しい、こいつを守ってやれるだけの。

 カロルが去ると、王妃はルカに駆け寄り抱きしめた。
「無事でよかったわ、心配しました」
「お心を痛めさせて、申し訳ありません」
 王妃は軽く首を振る。
「ホルヘさんは?」
 同艦していたのだ、怪我をしていないはずがない。
「私なら、この通り元気ですよ。オリガーさんたちの計らいで、傷も治療していただきましたので。それにどうやらネルガル人よりボイ人の方が反射神経はよいようです」
 ルカは苦笑する。自分がこれ程の怪我をしているのに、ホルヘはこれといって目立った外傷がない。
「そのようですね」と、ルカは納得せざるを得ない。
 それからルカは義父(国王)に向き直ると、
「どうして、逃げてくださらなかったのですか」
「私が、国民をおいて逃げると思ったか」
 ルカは納得した。
「やはりクリスではなく、ガスビンにでも指示しておけばよかったですね、彼なら力ずくで。彼の腕力ならボイ人と互角です」
「一対一ならばな」と、国王は笑う。
 それから改めて、
「去らなければならない者は美しく去る、これがボイの風習だ。そうでないと後の者たちがやりづらくなるからな。師は弟子に全ての技を仕込むと、そこから去るものなのだ」
 ネルガルにはそんな風習はない。酷い話になると、それをネタに教師面をして永久に弟子からせびるものもいる。
 ホルヘは懐から美しい布に包まった一つの銀細工を取り出す。
「カロルさんのおかげで、どうにかこれだけは取り上げられずに済みました」
「それは?」と、問うルカに。
「これは私の師の作です。いつか、これに追いつきたいと思っております。私の師は私に全てを教えると、眠るように息を引き取りました」
 確かに美しいものだ。だがホルヘの銀細工もこれに匹敵するとルカは思う。
「ルカ、君がネルガルとの戦争に必死で反対していた理由の一つを私は知っていた。だから戦争をすると決まった時点で、その覚悟もしていた」
「お父様」
 ルカはネルガルのやり方をよく知っていた。負ければ家族ともども全員処刑されることも。だからこそネルガルとの戦争は避けたかった。必死で反対したのもボイの指導者たちを守るため。彼らが全員処刑されてはボイの思想がなくなる。そして貨幣主義の拝金的なネルガルの思想が蔓延する。このよきボイを残すには、どうしても思想的な中枢は必要だ。
「大佐たちの計らいで、どうにか子供たちは助けてもらえることになった。それだけで私は十分だ」
「私もです」と、王妃。
「私たちもだ」と言ったのは宰相夫妻。
「シナカのことを頼みます」と、ルカの手をしっかりと握り包む王妃。
「二十年後なら、勝てたかもしれない」と言ったのはウンコク。
「殿下が仰せのとおり、我々は我慢がたりなかった。否、十年我慢すれば」
 ボイの軍隊も完成していた。
 ルカは軽く首を横に振る。
「いいえ、やはり結果は同じだったでしょう」
 ルカも最初は、十年もあればネルガルに対抗できる軍隊が作れると思っていた。しかし彼らと共に戦ってわかった。ボイ人とネルガル人では敵に対する考えが根本的に違う。敵を自分と同じ感情を持つ人間として見るボイ人と、自分たちとは違う下等な生き物と見なせるネルガル人とでは、敵を殺したときの感覚が違う。敵を一人殺すたびに心の痛みを感じるボイ人と、敵を害虫でも駆除するかのように殺せるネルガル人とでは、はなから勝負にはならない。ネルガル兵士の何人が、今殺そうとしている敵にも、自分たちと同じ家族があり同じような生活を営んでいると思うだろうか。
 利益至上主義がいつしか人命より物の価値の方を重視するようになっていった。富こそが全て、富を持たないものは人ではない。
 この違いこそが、私がボイに引き付けられた最たる所以。
「勝てないと?」
 ルカは頷く。
「ボイ人とネルガル人は違います。ネルガル人こそ、悪魔ですから」
 イシュタル人が悪魔なのではない。ネルガル人は自分たちがこの銀河からそう呼ばれるのを恐れ、自分たちと姿形の似ているイシュタル人にその汚名を被せたのだ。
 黙り込むルカに、
「朱竜をご存知かな?」と、国王は話題を変えた。
「はい。ホルヘさんから聞きました」
「そうか。誰だか、ご存知かな?」
「いいえ」
 既に決まっているとは聞いていたが。
 国王はいつも議会の時に首に掛ける自分がコロニー5の代表者である証のペンラントを取り出した。その中央にいつも輝いていた宝石はない。
「見ての通り、もう私はコロニーの代表者ではない。全ての権限は朱竜が持っている」
 その宝石は既に一箇所に集められている、朱竜と呼ばれる者のペンラントに。
 そう言うと国王はルカの手にそのペンラントを握らせた。
「本来なら、ボイの全ての宝石が集められたペンラントをあなたの手に渡すつもりだったのだが、あいにくそれは今ここにはない。あなたを追って持たせははずのペンラントが、どうやらあなたより先にネルガルに着いてしまったようだ」
「それは、どういう意味でしょうか」
 国王はにっこりすると、
「ボイ人とボイ星を頼みます、朱竜様」
 国王はしっかりとルカの手を両手で握り締めた。
 えっ! と驚くルカに、皆が頷く。
 ホルヘが一歩前へ出て、
「あの時告げようかと思ったのですが、国王の口から直接お聞きになられた方が、実感がわくかと存じまして」
「朱竜? この私が?」
「そうだ、全員一致で決まった」
「どうして? 私はボイ人ではない」
「シナカの婿だ。私は君をボイ人と認めていたが」
 ネルガル人の姿はしていても、心はボイ人よりボイ人らしい。
「あなたを朱竜にすることに、反対するものは誰もいなかった」と言ったのはウンコクだった。
 一番ルカを疑っていたウンコク。婿に来たときからネルガルの回し者だと。
「あなたは反対なさらなかったのですか」
 ウンコクはそれには答えなかった。
 ルカは国王を見詰めると、
「私に、どうしろと?」
「答えを急ぐことはない、時間は充分あるはずだ、十年でも二十年でも、三十年経ってもまだ君は四十だ、事を起こすには充分な歳だ」
 ボイ人は気の長い人種だ。
「十年やそこらで答えが見つかるとは思っておりません。あなたが満足いく答えが出るまで待ちます。今度こそ、ボイ星人は我慢するでしょう、あなたの判断は間違っていなかったのですから」
「自業自得だ、君の忠告を聞いておけばよかったのだ」
「私の忠告を聞いたところで、徐々に苦しい生活を強いられるようになるのは目に見えておりました」
 ネルガル人はボイ星の資源が欲しいのだから。
 ノックの音がした。
「時間だ」と言うカロルの声。
 それと同時にカロルが入ってきた。
「ボイを頼む」と言う国王の言葉。
「体を労わりなさい」と言う王妃。
 そして宰相夫妻の別れの言葉。
 待ってくれ! ルカは心の中で叫んだ。だが声にはならなかった。彼らの覚悟が余りにもわかりすぎていたから。
 ルカは、彼らが出て行った扉をじっと見詰めていた。不思議と涙は出てこない。自分に課せられた重圧のせいだろうか。

 廊下に出るや否や、
「すまない、こんな時間しか取れなくて」と、カロルは謝る。
「いや、充分だった。これで思い残すことはない、君のお陰だ」
 国王はおもむろにカロルを見ると、
「あの子はよい友達を持っている」
「ほんとうに」と、王妃が微笑む。
「カロル君、これからもあの子のことを頼む」
 そう言うと国王は案内されなくとももと来た通路を戻り始めた。
 カロルの目には彼らが、これから処刑される身には見えなかった。ネルガル人なら、こんなに落ち着いていられるだろうか。

 あれからルカは固まってしまったかのように一点を見詰めて動かない。
「少し横になられては」と言うオリガーの言葉にも反応しない。
「殿下、国王も言われていたではありませんか、答えを急がなくともよいと」
 オリガーはルカの体のことを思い、隣室で様子を伺っていた。
「オリガー、私はどうすればよいのだ?」
「今は、養生することです。体が健康になれば頭も冴えてきます」


 そして三日後、国王夫妻を始め十五人の戦争犯罪者は、ボイ人たちが見守る中、ホテルの前の広場に整列させられた。
 ルカはその様子を病室の窓から見ていた。オリガーの制止もきかず窓辺にたたずむ。
 そんなルカを力尽くでベッドにもどそうとオリガーが動いた時、肩を大きな手で押さえられた。振り向くとそこにリンネル。
「大佐」
 リンネルは首を大きく左右に振る。
 ルカは窓ガラスに額を押し付けるようにして広場を直視している。
 銃が構えられた時。
 ルカは窓の手前にある手摺を乗り越えるようにして叫んだ。
「やめろー!」
 防音からスの中、その声が広場まで届くはずもない。次の瞬間、十五人の犯罪者は次々と地面に倒れた、音もなく。
「うぁぁぁぁぁ」
 ルカの絶叫。
 その瞬間、突風のような衝撃をリンネルたちが体に感じると同時に、窓ガラスを始め部屋の中のものが全て粉々に砕けた。
「なっ、何!」
 驚くオリガーに対しリンネルは、すばやく窓際で突っ伏しているルカに駆け寄る。そしてその体を強く抱きしめた。



 その絶叫を聞いた者が、ここにも居た。
 ここはイシュタルの王宮、ここでは連日連夜、何かと口実を付けてはネルガル人によるネルガル人のためのパーティーが催されていた。無論費用はイシュタル王室持ちで。
 ニーナも王妃の侍女として飲み物を運んだり雑用をこなしたりしていた。そこにルカの悲鳴。ニーナはお盆ごとグラスを取り落とした。
「どうしました、ニーナ」
 ぼっと立ちすくむニーナに王妃が声をかける。
「もっ、申し訳ありません」
 ニーナは慌てて足元の割れたグラスの破片を拾い集める。だが気はそぞろ。
「どうしたのです?」
 王妃もしゃがみ込み、一緒に破片を拾いながらもう一度問う。
「紫竜様の悲鳴が、今、聞こえたような気がしたのですが」 確信は持てない。
 王妃は驚く。悲鳴ということは身に危険が迫っていることを意味する。イシュタル人なら誰でも知っている、紫竜様の身が危険だということは、白竜様が動き出す。そして白竜様を敵に回してこの世に存在することが出来ないことも。
「ここはいいですから、早く行って差し上げなさい、あの子のもとへ」
 ニーナは王妃に一礼すると駆け出した。普段は人前でテレポートを使うことのないニーナだが、この時ばかりは駆け出すと直ぐに消えた。周囲の者たちがざわめく。

 ニーナはアツチの横たわる部屋へとテレポートした。アツチは寝てはいなかった。上半身をベッドの上に起こすと、じっと一点を見詰めている。アツチの生れて初めての行動だ。今まで自分の意思で動いたことはない。
「アツチ様」
 声をかけても気付かない。もっとも声で呼びかけるというよりテレパシーで呼びかけているのだが。
 数回呼んで、やっと振り向く。
(ニーナか)
「行かれるのですか?」
 何処へだ? という反応をするアツチ。だが暫くして、
(呼ばれていないからな)
 それから暫く待っていても呼ぶ気配はない。
「紫竜様の身に、何があったのでしょうか」
(知るか!)とささくれた強いテレパシー。
 アツチは仰向けにベッドの中に倒れ込む。
 ニーナは慌てて駆け寄るとその体を支え、ゆっくりとベッドに横たえた。
 アツチは天井の一点を見詰めたまま、
(あんな奴、死のうと生きようと、俺の知ったことではない)
「アツチ様」
 ニーナの呼びかけを無視するかのようにアツチは目を閉じると、そのまま動かなくなった。
 ニーナはアツチの様子を見届けると、王妃の元へ戻る。
「どうでした、あの子の様子は」
「また、お休みになられてしまいました」
 王妃が怪訝な顔をする。
「紫竜様のお怪我は、たいした事はなかったご様子です」
 いくら喧嘩をしているとはいえ、紫竜様にもしもの事があればじっとしているはずがない。
「そうですか、それはよかった。早くお見えになられるとよろしいですね」と、言う王妃の言葉を聞き、ニーナは肩で息をするような大きな溜め息をついた。
「どうなさいました?」
「いえ、何でもありません。我が主ながら、ほとほとまいっております」
 何千年続くのだろう、この喧嘩は。口をきかないとなるととことんきかない。きくどころか会おうともしない。これでは和解の機会もない。まったく強情なのだからと、地団駄を踏みたくなる。
 ニーナの押し黙った姿を見、王妃は言う。
「あなたでもそのように困ることがあるのですね。何事も即断なさる方だとばかり思っておりましたが」
 ニーナは苦笑した。
「竜も人間ですから、喜怒哀楽は私達と同じなのでしょうね」
「ただ力がある分、私達より始末が悪いのです」
 私達ならより強い者に一発ガツンと言われればそれで済むのだが、竜より強い者がいないところが始末におえない。
 ニーナのその言葉に、まぁっ。と言い微かに笑う。



「殿下」
 リンネルは自分の体の全てを使ってルカを抱きしめていた、ルカをこの場所から完全に隔離しようとするかのように。何も見るな、何も聞くな、すべては幻。
 リンネルの腕の中、ルカは呟く。
「許さない、私は絶対許さない。このようなことを正当化する組織そのものを」
 ルカは処刑を命じた人を憎んではいなかった。それよりもはこのようなことをしなければ動かない社会の仕組み自体を憎んだ。
 ネルガルの社会は、どこかおかしい。
「殿下」
 リンネルはより強く、ルカを抱きしめた。
 ルカはリンネルの腕の中で、許さない。と繰り返し呟く。

 処刑が済み、パソフたちがやって来て驚く。
「こっ、これは一体、何が?」 あったのだ?
 驚くパソフ。爆弾テロか?
「守衛、守衛! お前たち、そこで何を見張っていた!」
 パソフは扉の外で待機していた守衛を怒鳴りつけた。
 守衛たちも部屋の光景を見て唖然としている。
「待て、パソフ中尉、彼らに責任はない」
 リンネルは慌ててパソフを止める。
「原因は」と言いかけて、説明に戸惑う。
 カロルは室内を見回した後に、
「ルカは?」と、彼の安否を問う。
「殿下でしたら、お休みになられております」と、オリガー。
 ルカはリンネルの腕の中、呟きながら眠りに落ちていた。
 衝撃波はかなり体力を消耗するようだ。
 カロルはルカの身に、新しい傷がないのを確認しほっとする。それから改まってリンネルとオリガーに視線を移し、
「では、この室内は?」と、問う。
「衝撃波とでも言うのでしょうか?」と、オリガー。
 声でグラスを割ると言うのは聞いたことがあるが、声だけでここまで破壊できるものなのだろうか。
「衝撃波?」
「殿下が叫んだとたん、室内が」
 これ以上の説明は、オリガーにもリンネルにも不可能だった。
「とりあえず、部屋を片付けさせましょう。否、別の部屋をご用意いたしましょう」
 パソフは指示を出す。
 カロルはリンネルの腕にしがみ付くようにして寝ているルカを見て、
「やはりお前は、人間ではないのかも知れない」と呟く。
 王族と平民の血を引き、神と契ったという巫女を母に持つ。

 ルカの部屋の惨状は、すぐさまクロラ司令官にも伝えられた。クロラは直々に出向きリンネルに問う。だがこの惨状を説明できるものは誰もいなかった。仕方なく監視用に取り付けてある盗聴カメラの映像を再生してみたのだが、そこに移っている映像は、のろのろとベッドから起き出して窓際による殿下の姿。そして殿下が叫んだとき、映像が乱れ以後は何も映し出さない。
「壊れたな」と言いつつ、クロラはイスッチを切らせた。
「どう思う?」と、幕僚たちに問う。
「何か、爆発物が仕掛けられていたのではありませんか」
「人間には危害のない爆発物か」と、クロラは皮肉っぽく言う。
 あれだけ室内が破壊されているのに、ルカをはじめリンネルもオリガーもかすり傷一つおっていない。
 全員、クロラのその言葉に黙り込む。
「まぁ、爆発物として、ではそれは何処に仕掛けられたと考える?」
「部屋の破壊の状況からして、殿下の立っておられる場所」
「では、ルカ王子は跡形もなく吹き飛ばされていたということになるが」
 幕僚たちはまた黙り込しかなかった。

 次の日、ルカは目を覚ました。だがベッドから起きようとしない。そして食事も取ろうとしなかった。ただ天井を見据えているだけ。
「殿下」と、オリガーが心配して声をかける。
「何か、口になさらないと」
 その声すら聞こえていないようだ。
 オリガーは仕方なく点滴を投与する。
 あの日に以来、ずっとこの調子だ。ただ一点を見詰めているだけで、何の反応もしない。このままでは、衰弱してしまう。どうすれば。
 助けても、抜け殻にしてしまったのでは意味がない。ハルガンが一番心配していたことだ。
「大佐」と、オリガーは問いかける。
「シナカ様をここへ呼んではもらえないだろうか、私達の声は聞こえなくともシナカ様の声でしたら」
 しかしシナカ王女も両親を処刑され今頃は。リンネルはルカのことが心配なあまりシナカのことを失念していた。
「シナカ様は、どうされておられるのだろう」
 慌てて部屋を後にしようとしたリンネルの前に、妖艶なと言っても少しやつれた女が立ち塞がる。
「ヨウカ殿」
 オリガーには見えない。
 ヨウカはじっとリンネルを睨み付ける。
(何をやっちょるんじゃ、おぬしらは!)
 ヨウカの開口一番は怒りの声だった。それこそ、頭の芯で何かが破裂したような声。
(怪我をして以来、わらわのエネルギーで治癒してやっておれば、何で能力など使わせたのじゃ。あんな傷だらけの体で、無理じゃろーが)
 何で使わせたと言われても、リンネルには答えようがなかった。だいたいあの衝撃波がどこからどのような形であらわれたのかすら、わからない。
「もう、無理なのか」
(無理なはずなかろう、わらわが憑いておるのじゃ。じゃが如何せん、エネルギーが足らん)
「なら、私の命を使え」
(あほか、おぬしは。おぬしが死んだら、誰がこやつを守るのじゃ。ハルガンからエネルギーをもらおうと思ったのじゃが、ハルガンは自分の治癒で余裕がないし、カロルがよいと思ったのじゃが、もう子供じゃないきにのー。じゃがあの馬鹿、こやつとやシナカのことで頭が一杯で、わらわの誘いに乗って来ないのじゃ)
 これではエネルギーを吸い上げることはできない。
(クラークスと言う男もハルメンスも、なかなか身持ちが固くて駄目じゃ)
 うまそうな気を持っている奴は、ことごとく駄目じゃ。
(まったく、身持ちの固い奴等ばかりで、往生するわ)
 デルネール伯爵が身持ちが固いのはわかるが、ハルメンス公爵を身持ちが固いとヨウカが評価したのには、さすがにリンネルも意外さを隠しきれなかった。だがしかしこの会話で、今までヨウカが自分の前に一度も姿を見せなかったのには納得した。彼女はルカの体内からルカを支えていたのだ。
(ボイ人からでももらってくるか)
 そう言うとヨウカは消えた。
「大佐」
 オリガーが心配そうに声を掛ける。
「今、どなたと」 話されていたのか? と。独り言にしてはおかしい。
 リンネルは苦笑すると、
「君に話したところで理解してはもらえない、今までがそうだったからな。誰に話したところで頭がおかしいとしか思われない。別に君を責めている訳ではないから、誤解しないでくれ」
 ハルガンたちからさんざん笑われ、リンネルはヨウカのことについては、もう話すことに疲れていた。
「とにかく、奥方様をここへお呼びいたしましょう。それが一番よいのかもしれない」

 リンネルはクロラと交渉することにした。命を助けることはできたが、シナカは罪人の娘というレッテルを貼られている。今後の彼女の身柄は、治安部の方で拘束するはずだ。軍部の方で自由にできるかどうか。
「クロラ司令官、お話が」
「まぁ、掛けたまえ」と言うクロラの言葉を無視して、
「シナカ王女を、殿下の元へ」
「王女か」と、クロラは苦笑する。
「ネルガルに逆らったボイ王朝はその報いを受け滅びたのだ。彼女は罪人でこそあれ、王女を付けて呼ぶのはおかしかろう」
「しかし、彼女は殿下の妃であらせられますし」
「それは、ボイ王朝が存在してのこと」
 クロラのこの言葉に幕僚たちも頷く。
「本来ならば処刑される身だった。それをあなた方が言い張るもので、今回は異例中の異例だ」
 本来なら指導者の家族は全員処刑される、見せしめのために。処刑の人数は千人は下らないのが常識だった。処刑されなくとも思想的に危険な人物は、まるで害虫でも駆除するかのように一掃していた。そのため監獄の中で毒殺されるものはかなりの人数にのぼった。それが今回はたったの十五人、異例と言えば異例すぎる。
「犯罪人だろうと戦犯の娘だろうと、殿下にとってシナカ様は心から愛された方なのです。私には我が主が愛しむお方を邪慳にはできません」
 うむ。とクロラは頷く。リンネル大佐らしい。
「異星人を、そこまで愛せるものなのでしょうか」と言ったのは幕僚の一人。
 ネルガル人こそがこの銀河で唯一神に選ばれた最高の人種だと疑うことがない。常日頃上流貴族から蔑視され反感を抱いている彼らでも、他の人種を蔑視することは平気でできる。彼らが自分たちと同じような反感を抱いているということに気がつかないのだ。
「お願いです、このままでは殿下のお命が。処刑の日より二日、何も口にされておられないのです」
「彼女が行ったところで同じだろう」
「失礼ですが司令官、奥様は?」
 クロラはまだ独身だった。だがそれを言うなら、
「大佐、あなたも独身だと聞いておりますが」
 一瞬の沈黙。
 その沈黙を破ったのは一人の幕僚だった。
「司令官、ここは一つ治安部とかけあって、シナカの身をこちらに預かってはどうでしょう」
 王族に貸しを作るのも一利、後々の出世のために。いくら王位継承権が最下位とはいえ、王族であることに間違いはない。
 クロラもその幕僚の意図を察したのか、頷くと、やってみるだけやってみようと、承諾した。
 そしてその日の夕方、クロラに引き連れられ、シナカが侍女のルイとともにルカの元へやって来た。すっかりやつれてしまってはいたが、背筋をしっかり伸ばし凛とした振る舞は以前と変わらない。治安部では罪人扱いだったがリンネルたちは違った。
「奥方様」
 以前のように敬意を込めて呼ぶ。
「大佐」
 やつれた顔に安堵の色が浮かぶ。
「もっと、早くお呼びすればよかった」
 さぞやお辛い環境だったことだろう。
「殿下は?」
「こちらです」と、リンネルはルカの寝室へと案内する。
 そこには食事も取らず、すっかりやつれてしまったルカが横たわっていた。
「あなた」
 ルカは駆け寄ってくるシナカを視線で追う。
 その者がシナカであると認識した途端、ルカはベッドに起き上がった。
「あなた」と、シナカがルカを抱きかかえる。そして今まで堪えていた涙が頬を伝わる。
 だがそれより先に、ルカはシナカの腕の中で大声で泣き出した。国王夫妻が処刑される姿を見ても、ルカは涙一つ流さなかった。リンネルはそれを不思議に思っていた。だがそれ以来、ルカの顔からは表情というものが消えたのも事実だ。
 まるで赤子が力いっぱい泣くように、ルカはシナカにしがみつき泣き続けた。今まで堪えてきた感情を一気に吐き出すかのように。
 リンネルとオリガーはその姿を呆然と見詰めた。そしてシナカは、自分の悲しみを忘れて、ただただルカを抱きしめる。
 どのぐらい経っただろうか、やっと泣き声が落ち着いたかと思うと、今度は、ご免、ご免、と謝りながらまた泣き出した。
「お父様もお母様も、私は救うことができなかった」
 そしてやっと落ち着いた時、
「本当は、私があなたの悲しみを受け入れるべきなのに」
 シナカは大きく首を横に振る。ルカの泣き声によって、自分の悲しみも洗い流されてしまったような気がする。
「ありがとう、あなた」
 そう言うとシナカは強くルカを抱きしめた。
「意気地のない夫を許して欲しい」
「もう、何も言わないで」 自分を責めるような言葉は。

 カロルはこの様子をじっと扉の外で見詰めていた。
「これで奴も、やっと生き返った。ハルガンに知らせてくるか」
 そしてオリガーも大きく安堵の溜め息をついた。やはりどんな先端医学よりも愛の力か。さて、次は曹長の様子でも見てくるか。カーティス中佐にボコボコにやられたとカロルから聞き、様子を見に行った時、俺より奴(ルカ)のことを頼むと言われた。あれ以来ハルガン曹長のことは、パソフ中尉配下の軍医に任せっきりにしておいたが。
 オリガーはそーとハルガンの横たわっている病室へ入った。
 ハルガンは目を閉じ寝ているようだ、顔色も以前よりよくなり傷は確実に癒えているのがわかる。
 耳元で微かに声をかけてみた。目を開けないようならそのまま去ろうとしたのだが、
「オリガーか」
 ハルガンは起きていたようだ。
「殿下は、持ちこたえました」
「そうらしいな」
「ご存知でしたか」
 一番心配しているハルガンに真っ先に知らせようとしたのだが、どうやら先客がいたようだ。
「さっき、カロルが来た」
「そうでしたか」
 オリガーはまた大きな安堵の溜め息をついた。
「ご苦労だったな」
「いいえ、私は何も。つくづく無力さを悟りました」
「そう言うな、お前の献身的な介護がなければ助からなかっただろう。例え助かってもグレナ王女のようになってしまっては。彼女の二の舞だけにはしたくなかった」
 グレナ王女をオリガーは知らない。オリガーの身分では王族に会うようなことは一生涯なかったはずなのだが。オリガーにとって彼らはスクリーンの中の人物だった。実物を見ることはない。
「しかし」と、オリガーはハルガンの前で両腕を組むと、難しげな顔をし、
「あのお方の治療にあたってつくづく思ったのですが、あのお方にとって私(医者)は不必要なのではないかと」
 そう言ってオリガーはリンネルの奇怪な所作を話す。
「否、必要だ。あの時、毒を盛られた時も、奥方様は信頼できる医者をお探しだった」
 スラムの町医者のところにいったん避難した。
「おそらく殿下の身辺には俺たちの理解できない何かがあるのだろう。だがそれだけで完治させることはできないのだ、我々の医学も必要なのさ。それに以前大佐が言っていたが、どうやら俺たちは殿下の餌らしい。殿下が衰弱するとある者が俺たちからエネルギーを抜き取り殿下に与えるそうだ。今回は俺のエネルギーを全てやってもいいと思っていたが、どうやらこうやって生きているところを見ると、俺からエネルギーは抜かなかったようだ」
「そう言えば大佐が、私の命を使えと言っていた。いったい殿下は何者なのでしょう」
 あの怪我で生きていること自体、奇跡だ。
「人間ではないのかもしれない」と、ハルガン。
 だが人間であろうとなかろうと、ハルガンにはどうでもよかった。今、ネルガルを変えることが出来るのは奴しかいないのだから。それが例え悪魔だろうと、今のネルガルより悪くはなるまい。


 ルカは意識が遠のくのを感じていた。それに必死で抗いながら、どこまでが現実でどこまでが悪夢なのだろうと思う。母のように優しいシナカの腕の中でもう一度目覚めれば、キネラオたちに囲まれて楽しく過ごしたあの空間に戻れるのではないか。きっとそうだ、これは悪夢なのだ。もう一度寝て目覚めれば、皆の居るところへ。寝よう、とにかく寝よう、この悪夢から目覚めるために。
 ルカは泣き疲れたとみえ、シナカの腕の中で寝息をたてはじめた。だがその手はしっかりとシナカの上着を握り締めている。
「困りましたわ、これではベッドにもどしようがありません」
「上着を、そーと抜かれては。その代わり私の上着を」と、ルイが自分の上着をシナカに掛けてやろうとした時、
「よろしければ私のを」と、リンネルが自分の上着を差し出す。
「ホテルの室温はネルガル人用にセットされておりますから、ボイ人のあなた方々には少し肌寒いのではありませんか」
 シナカがそーとルカをベッドに横たわせると、リンネルは自分の上着をシナカに掛けてやる。
「すみません、大佐」
「いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。本来でしたら」と、リンネルはシナカの心情を汲み取る。
「こんなにやつれてしまって、私よりショックだったようですね」と、シナカはまだ涙の残るルカの頬を撫でる。
「奥方様」とリンネルは心配そうに声をかける。
「私は覚悟ができておりました、この戦争が始まった時から。父や母に言われていたのです。私達は負ければ処刑されることになるだろうと、その時、この子の力になってやりなさいと。父や母は知っていたのです、この人が戦争に反対する本当の理由を。それはボイ人のためでもボイ星のためでもない、父や母や私のためだと言うことを。例えどんなに反対していても、その国民の取った行為はその国の代表者が責任を取らなければならない。そしてこの人は、ネルガル人を誰よりもよく知っている、そのやり方も。だから、あれほどまでに猛反対していたのですね」
 あまり人と言い争うのを好まないこの人が、この件に関しては相手の胸倉を押さえ込むほどの勢いだった。
 確かにとリンネルは思った。ルカは王宮の華やかさもスラムの悲惨さも知っている。
「大佐、有難う御座います、キネラオたちを救ってくださいまして」
「いいえ、私よりもデルネール伯爵やハルメンス公爵の尽力です」
 シナカは自分の上着を握り締めて離さないルカの手を両手でそーと覆うと、眠っているルカに話しかける。
「あなたは、よいお友達をお持ちです」
 誰もがこの人のために必死で動いていた。友達を見ればその人の人となりがわかると言うが、最初はどうしてハルガン曹長やハルメンス公爵のような方が、こんな真面目な人の友人なのだろうと思っていたが、今回のことでつくづくあの二人の偉大さを知ったような気がした。それに物腰こそ柔らかいが微動だにしないデルネール伯爵。それにリンネル大佐、この四人がいればと思いつつ、一人カロルさんを忘れたことに気付く。どん底の時に、救いの手を差し延べてくれる友がこんなに大勢いる。
「ご不自由なことは御座いませんか」と、リンネル。
 そう聞いてから、監禁されているのだから、
「不自由なことばかりでしょうが、許される範囲でいろいろと計らいたいと存じますので、何か御座いましたらいつでも言いつけてください」
 シナカはにっこりすると、
「カロルさんが、いろいろと配慮してくださるもので」
「カロル坊ちゃまが」
「ええ。毎日のように顔を出しては」
「申し訳ありません、私はすっかり」
「ええ、存じております。私たちを助けるために奔走していたことは、全てカロルさんから聞いておりましたから。その分、俺が私達の面倒はみるから。とカロルさんがおっしゃっておりました。大佐のことは許して欲しいと。実直だから一つのことしかできないのだとも」
「坊ちゃまが」と、リンネルは感心するやら感謝するやら。
 しばらくお会いしないうちに、大きくなられた。


 次の日ルカは、久々にすっきりと目覚めた。昨日、あれから今までの疲れが一気に噴出し爆睡してしまったようだ。おかげで今朝は頭が冴えている。こんな感覚は何日ぶりだろう、否、何十日ぶりだろう。そう言えばシナカは? シナカの腕が私を包み込んだような気がしたが、あれは、夢だったのだろうか。現実であって欲しいと思い、ルカは体を起こすとシナカの姿を探した。だがその前に体内からの鈍い苦痛。今まで痛みなど感じなかったのに。ルカは痛みに耐えながら部屋の中に視線を走らせた。傍に居て欲しいと思いながら。
 求める姿はソファの上に毛布にくるまって横たわっていた。
 今すぐにも駆け寄りたいのだが、体が思うように動かない。
「シ、シナカ」
 小さな声で呼んでみる。寝ているのでは悪いと思い。だがシナカはその声に即座に反応した。
「あなた」と言うと、かかっている毛布をはらう。
「いやだ、私、何時の間にか寝てしまったのね」
 ではこの毛布は誰が? 掛けてくれたのだろうと辺りを見回すと、向かいのソファでルイも同じように毛布をかけ寝ている。どうやらリンネル大佐かオリガーさんが掛けてくれたようだ。
 シナカはルイを起こさないように毛布を静かにたたむと、ルカの元へ近付く。
「お早う、元気そうね」
 昨日よりずっと顔色がいい。と言ってもネルガル人はボイ人に比べると遥かに色が白い。これでは死人のようだと、よく周りの者達からからかわれた。それも今では懐かしい思い出。
「体が痛いのです、あちらこちら」
 シナカは心配そうにルカの前にしゃがみ込むと、
「母が以前、申しておりました。私が怪我をして泣いていると、痛いのは生きている証拠だって」
 シナカはそーとルカをもとどおりに寝かし付けると、
「オリガーさんを呼んできましょうか、鎮痛剤でももらえば」
 少しは楽になるかも。
 ルカは軽く首を横に振ると、
「あなたがここに居てくれた方がいい」
「まぁ、甘えん坊ね。これからはずっと一緒よ」
「一緒?」
「私もネルガル星へ行くことになっているの」
「あなたも?」
 引き離されてしまうものとばかり思っていた。それがどうしてと思う反面、
「キネラオさんたちは?」
「彼らはこの星に残されるみたいです」
 それを聞いた途端、今まで眠っていたルカの頭脳は計算を開始した。それも物凄いスピードで。
 ボイ王朝は必ず復興させる、どんなことをしても。それに二度とこのような思いをしないために、ネルガルと同等の軍事力を持たせた上で。そのためには。だがそれをネルガルに悟られてはならない。
「そうですか、それは困りました。私の身の回りの世話をしてくれる方がいなくなってしまう」
「宮殿にもどられれば」と言うシナカに、
「戻るつもりはありませんでしたから、館一式は全て換金し奉公してくれた方々に全て分け与えてしまいました。戻ったところで、館の方は宮内部が用意してくれますが、奉公人までは」
 そんなこんなを話し合っているところに、オリガーがやって来た。
「随分元気になられましたね」
 今までとは顔色が違う。生気が蘇ったようだ。やはり下手な薬より愛か。
 ルイがふらふらと立ち出す。
「妃様、起こしてくださればよろしかったのに」
 ルイも疲れていたのだろう。きっとルカの顔を見て少し安心したようだ。ソファの上とはいえ、よく熟睡していた。ルイがこんなによく寝るのは何日ぶりだろう。戦争が始まってからと言うもの、何時も私の傍に控え、私より後に寝ては先に起きていたルイだ。今回ばかりはよく寝かせておいてやろうと思った。
「あら、あなたは、この人と私の二人だけの時間を邪魔するつもり。起きていても寝ているふりをするのが常識よ」
「そっ、そんなつもりはありません」
 ルイはただ、熟睡してしまったことを詫びたかっただけなのだ。
 シナカはルイの困り顔を見て、くすくすと笑う。
「お人が悪いですね、奥方様も」とオリガーは言いつつ、一通りルカの体調をチェックすると、満足げに頷き、
「朝食を用意させましょう。何か食べたいものはありますか」
 朝食と聞いて、初めて空腹感が湧いてきた。お腹の虫が鳴く。
「まぁ」と、シナカはくすくすと笑う。
「何か消化のよいものを用意させましょう」
 そう言ってオリガーが部屋を去ろうとした時、ルカが呼び止めた。
「シナカはネルガル星へ行くそうですね」
「あなたとご一緒に、よかったですね」と、オリガーは振り返りながら。
「後の者たちは?」
「この星に残るそうです。処刑されなかっただけでも、幸いでした」
「皆さんのおかげです、有難う御座いました」
 やっとルカは礼を述べるだけの余裕ができた。
「私は何も。大佐やデルネール伯、ハルメンス公爵、ハルガン曹長の尽力です」
「後でお礼を言いに伺わなければまずいですね」
 しかし、リンネルはいいとして、後の者は一癖も二癖もある者ばかり、ただのお礼で済みそうもない、そうとう覚悟しなければ。だが、その前に、
「軍部に、シナカの身の回りの世話をする者たちが数名欲しいと、私が言っていたと伝えてもらえませんか」
 治安部ではなく、ルカは軍部を指名した。軍部の方がくみしやすいとルカはにらんだ。
「身の回りの世話でしたら、ルイ一人で充分です」と言うシナカに、ルカは軽く首を振るような振らないような仕種をした。
 ルカがこのような行為をする時、別に考えがあることが多いことをシナカは三年間の付き合いのなかから察していた。それで黙り込む、後はこの人に任せた方が。
「なんでしたら私が直接、話したいと。この部屋に来てもらえると有難いのですが」
 ルカはあくまでも下手に出る。呼びつけるようなことはしない。
「その前に、お体を」と、ルカの体のことを心配するオリガーの言葉を絶ち、
「早急に、はっきりさせたいのです」
 以前のルカらしくなってきたと、オリガーは思った。せっかちで、言い出したらきかない。これはこれで、言うことを聞かないで世話がやけるが、しょんぼりしていられるよりましか。
「では、朝食だけはきちんとってください。その間に軍部と話をつけて参りますので。奥方様、後をお願いいたします」
 ルカがシナカの言うことはよく聞くことを知っていて。

 朝食後、ルカはまた眠りに着いた。体が本調子でないせいか、かなり眠い。だが今後のことを考え、ルカは睡魔と争うことをやめた。
 次に目覚めると、そこにはハルガンが居た。
「お早う」と言うハルガンの言葉を無視し、
「シナカは?」と尋ねる。
「おい、俺のことは眼中にないのか」
 ルカはシナカの姿を部屋の中に求める。やっとその姿を捉えて安心したのか、ハルガンに視線を戻すと、初めて傷だらけのハルガンに気付いた。
「どうしたのですか、その傷。終戦直後より増えているような」
 カロルがハルガンの背後で笑う。
「火遊びが祟ったんだ」
「火遊び?」
「ああ、お前も気をつけろよ、もてるから」
「男にな」と言うハルガンの言葉に対し、
「どう言う意味だ?」と、カロル。
「私はそういう趣味はありません」と、マジにとるルカ。
「カロル、お前、ぞっこんだろうが。下手をすれば命まで差し出すほど」
「それを言うならハルガンだって、人のことはいえないだろうが」
 カロルが来ては何処でもお祭り騒ぎだ。そのカロルですら、ここ数日は火が消えたようだった。
 そこへオリガーがやって来て、ここは病室ですと忠告する。
「殿下、クロラ総司令官が、午後、こちらへお見えになるそうです」
「そうですか」
「何か、あったのか?」と、ハルガンは心配げに。
「キネラオさんたちも、ネルガルへ連れて行きたいと思いまして」
「キネラオたちを?」
「シナカに話し相手がいませんと、寂しいと思いまして」
「それは違うな」と、ハルガンは片手で顎を撫でる。
「私の身の回りの世話をしてもらうためです」
「それも違うな」
 ルカは一瞬むっとしたが、所詮ハルガンを誤魔化すことはできないと悟る。だがカロルの手前、沈黙を通した。
「まあいい」と、ハルガンは言うと、
「俺は、お前の軍才を取引材料に使ったんだ、済まないと思っている。だがこれしか方法がなかった」
「私こそ、あなたには感謝しております、多くのボイ人の命を救ってくれて。その結果、私の身が軍に籍を置くことになっても致し方ありません。そもそもネルガルの皇帝は軍の総帥でもありますから、いずれは私も軍籍を持つことになります」
「だが、才能のない王子なら、軍の後方で戦争を見物しているだけで済む」
「覚悟はしています。それでボイの民が守れるのなら、それはそれで」
 既にルカは少尉だが、これはあくまでも形式的なもの。いざとなればリンネルがルカに代わって采配を取る。しかしこれからは、どうなるかわからない。ましてルカは王位継承権は最下位、その才能いかんでは使い捨てにされる可能性もある。
「そうか、覚悟ができているなら、それでいい」
「なるほど、それでシナカがネルガルへ行くことになったのですか」
 ルカは全てを悟った。
「ではやはりどうしても、キネラオさんたちを連れて行かなければなりませんね、シナカを守ってもらうためにも」
 ネルガル人では信用できない。
 ハルガンはルカのその心理を読んだのか、苦笑する。

 昼食後、少し休ませてもらってから、ルカはクロラと会うことにした。
「随分、お顔の色がよくなられましたね」
 クロラはオーソドックスな挨拶から入った。
「いろいろとご迷惑をおかけしました」
「いいえ、お近づきになれて光栄です」
「迷惑ついでに、一つお願いがあるのですが」
「何でしょう、私に出来ることなら」
「今収容されているボイ人の中から数名、ネルガルへ連れて行きたいのですが、許可してはいただけませんか」
 ルカはあくまでも下手に出た。決して王子だからと高飛車に命令しない。
「収容所のボイ人を数名ですか」
「無理でしょうか」
 クロラは暫し考える。
 現在収容所に収容されているボイ人は、本来なら戦争犯罪者として処刑されるべき者達だった。ボイ王朝の中枢を担う者達だ、自由にすること自体危険だというのに、彼らをネルガル星へ、誰を? 何人? 何のために?
「失礼ですが、どのようなご用件で?」
「私とシナカの身の回りの世話をさせるためです」
「身の回りのことでしたら、ネルガル星で下僕なり下女なりをお雇いになられればよろしいのではありませんか」
 何も下等な異星人を連れて行く必要はない。
「私は、ボイの生活習慣にすっかり馴染んでしまいましたので」
「しかし、彼らに下僕の真似はできますまい。彼らはボイ星を代表する役人です」
「司令官、あなたはボイの政治形態をご存じない。確かに彼らは運が悪いことに今回はボイを代表する役人でしたが、数年後には別の人たちが彼らの位置についていたのです。そして彼らは、任期満了すれば本来の仕事に戻ったはずなのです、こんな事さえなければ」
「運が悪い? 本来の仕事?」
「そうです。大工だったり細工師だったり設計士だったり庭師だったりです。順番でたまたま今回役人に選ばれただけです。私の義父も本来は庭師で順番でコロニー5の代表者になっただけです。たまたまこれまた、順番でコロニー5の代表者が今回ボイの代表だっただけです。次回はコロニー6の代表者がボイの代表になることになっておりました」
 クロラは不思議な顔をした。そしてクロラの背後に控えている二人の幕僚も。
「それは、どういう意味でしょう?」と問うクロラに。
「言った通りの意味です。順番をどのように決めているか私にはよくわかりませんが、話し合いだそうです。話し合いが決裂した時は多数決、もしくは選挙が行われる時もあるそうです。それで既に次回と次々回までは決まっているようです」
 幕僚の二人は顔を見合わせていた、理解できないと。
「これがボイの政治体制で、誰もが大臣でもあれば誰もが平民でもあるのです」
 ボイには身分の差がないとリンネル大佐やキングス曹長が言っていたが、このことなのかと思いつつも、ボイ王朝とはどうなっているのだ。と疑問を持たざるを得ない。
「現に私の妻もボイの代表者である娘の前に、刺繍の師匠でもあります。妻の刺繍は銀河一です。あなた方に見せて自慢したいぐらいです」
 クロラは熟考したうえで、
「ちなみにどなたを連れていきたいのでしょうか」
 ルカはキネラオをはじめ男女合わせて二十名ほどの名前を挙げた。
「私は、信頼できる味方が欲しいのです」
 ネルガルで孤立することはわかりきっていた。
「わかりました、治安部に掛け合ってみましょう」
「お願いします」
 ルカはベッドの上から深々と頭をさげた。


 ルカの部屋を退出し、クロラは幕僚の二人に訊く。
「どう思う?」
「一筋縄ではいかないお方のようですね」
 ルカの行動には何か裏があると見た。
「しかしボイ王朝とは、どんな王朝だったのでしょうか」
 ネルガルとは違う政治形態。ネルガルは自分たちと違うものの存在を嫌う。否、恐れる。それが自分たちより優れていることを認めるのが怖いのだ。それが故に相手を徹底的に蔑視する。そうすることによってしかネルガル人は心の安定を保てない。確かにボイ王朝は軍事力ではネルガルより劣っていた、しかし国民の幸せにおいてはネルガルより勝っていたのではないか、少なくともネルガルほどの軍事力を必要としなかったのだから。今となってはそれを知る由もない。ネルガルによって徹底的に破壊されてしまったボイの組織は、決して昔のままの姿で復元することはない。そこには戦争と植民地化による教訓が生かされるはずだ。復元されてもそれは、今までとは違うボイ王朝になる。
「ルカ王子の話を聞いていると、天国のような星だったのですね、ボイは」
 平民からここまでのし上がってきた幕僚にとっては、その偏見は痛いほど身に沁みる。今でも事あるごとに平民上がりがと影で言われているのは知っている。クロラ司令官のように平民の能力を評価してくれる司令官は数少ない。そういう意味では、私は司令官に恵まれた口だ。ただしクロラ司令官自身、身分の高い貴族ではない。つまり出世には限界がある。
「遠くの芝は青く見えるものだからな」と、クロラは言う。
 中に入ってみなければ、その実体はわからない。


 執務室に戻ってきたクロラに、
「司令官、先程からキングス伯爵がお待ちかねです」
「キングス伯が? 何の用だ」
「それが、用件のほうは何もおっしゃらないもので」
「わかった」と、クロラはそのままハルガンの待つ客間へと向かった。
 階級から言えば自分より遥かに下だが、身分から言えば遥かに上、やりづらい事この上ない相手だ。まして元、参謀本部に在籍していたという。
「これはキングス伯爵、何か私に御用ですか」
「いや、別に用はない。だだベッドの上でじっとしているのにも飽きたからな」
 と言われても、クロラは暇人に付き合っていられるほど暇ではない。
「今度カーティス中佐に見つかっても、私は保証できませんよ」
 ハルガンは苦笑した。
「まあ、その時はその時さ。それより、殿下はどうした?」
「もう、お会いになられているのでしょ」
 ハルガンが午前中にルカの元を尋ねていることは既に入手している。
「ここでの動きは全て、お前に筒抜けのようだな」
「特に、要注意人物の行動はです」
 ハルガンはまた苦笑した。
「しかし、殿下があんなに元気になられるとは思いもよりませんでした。あなた方の忠告のおかげです」
「では忠告ついでに後一つ忠告しておこうかと思って来たのだが」
「それは?」と言うクロラに、
「殿下はボイ人を何人かネルガルに連れて行きたがっている」
「それは、今殿下の口から直接伺いました」
「そうか」と、ハルガンは視線を天井に向けると、
「殿下は、ネルガルの王宮では友達がいなかったのだ。我々貴族の間にも階級があるように、王族の間にもあるのさ。殿下は半分平民の血を引いておられるから、王族たちからは相手にされなかった。それでもって頭がいいときているから、僻みからますます相手にされなかった。ネルガルの王宮では孤独だったのだ。ボイへ来てからだ、友人を得たのは。友達を連れて行きたいのだろう」
 その気持ち、クロラも幕僚もわからなくもなかった。
「そうだったのですか」と、幕僚の一人が頷く。
「ああ、そうだったのだ」と、ハルガン。
 これでルカが彼らをネルガルに連れて行きたがることに、深い疑問も抱かなかろう。まだルカは十歳だからな、子供らしい発想だと受け止めるはずだ。
「お前もこれでいいコネが出来たな。大事にしたほうがいいな、出世の鍵になるから」と、ハルガンはニタリと笑った。
 ハルガンが退室した後、
「キングス伯爵は、嫌なことを言う」
「キングス伯爵は、何を考えておられるのかわからないお方だ」と、二人の幕僚はそれぞれの感想を述べる。
「それを言うならハルメンス公爵もだ」
 彼らにとってこれ程の爵位を持っている人物が、向こうから近付いてくるなどということは絶対にあるはずがなかった。さすがに王子の中でも身分が低いとは言われていても王族なのだと思い知らされた。
「しかし、確かにキングス伯爵の言われたとおりだ。我々のように上層部にコネのない者にとって、王族と顔見知りになるということは大いなる利益だな。増して今回はデルネール伯爵までお見えになられている」
 ただ真面目に働くだけではいくら能力があっても出世できないのがネルガルの社会。上層部にコネがあり、すくい上げてもらうしか出世の道はない。


 シナカは朝、収容されている部屋からルカの養生している部屋に連れてこられ、夜にはまた収容所にもどるという生活を送ることになった。それでも昼間、ルカの傍に居られるのは嬉しい。
 今日は午前中、ハルメンス公爵が見えた。一足先にネルガルへ戻るとの挨拶だった。そして午後、デルネール伯爵が。ルカは床に伏しているのも失礼だと思い、ベッドからシナカの手を借りて起き上がろうとした。
「そのままで」と言い、クラークスは自ら近くにある椅子を引き寄せ、ベッドの横に座る。
 ルカはシナカにクッションを当ててもらい、そこに寄りかかった。
「ではお言葉に甘え、このような恰好で失礼いたします」
「いいえ」と、クラークスは微笑むと、
「随分、顔色もよくなられましたね」
「おかげさまで。この度はいろいろとご尽力いただき、有難う御座いました」
 ルカはベッドの上から深々と頭を下げた。
「礼でしたらジェラルド様の方に。ジェラルド様がどうしてもお二人を迎えに行けと。正確には三人ですが」と、クラークスは微笑む。
「三人?」と、ルカが首を傾げると、
「婿に行かれて三年になりますから、お子ができていてもおかしくないと」
 シナカとルイは顔を見合わせた。
 ルカは驚いたような顔をして、
「私はまだ十歳ですよ」
「そう申し上げたのですが、なかなかご理解いただくのが大変でした」
 年齢も年齢だが、もっと生物学的に不可能なことがある。それは、ボイ人とネルガル人では遺伝子の数が違うのだ。
「芝居ですよね、それ」
「何が、ですか」と、クラークスは惚ける。
「いえ、何でもありません」とルカは、クラークスの顔から嘘を見出そうとまじまじと見詰める。
 だがクラークスはいつもと変わらぬ穏やかな顔。
「私の顔に、何か?」
「いいえ」と、ルカは諦めて視線を逸らす。
「私の目に狂いはないと思っていたのですが」
 ジェラルドお兄様は正常だ、異常な不利をしているだけ。
「人は、見たいと思うものしか見えませんから」
 同じ場面に遭遇しながら、感じ方が違うのはそのため。
 クラークスは話題をはぐらかすように微笑むと、話題をもとに戻し、
「宮内部も巻き込んでの大騒ぎでした。そもそもがあなたの従者としてボイへ向かわれた公達が戻られたことが発端でした。ルカも帰ってきたはずだと仰せになり、毎日のように宮内部に押しかけたのです。酷いときには一日に二度も三度も、思い出してはルカはまだ戻どらぬのかと。なにしろあの方には時間だけはありますから。それでとうとう宮内部もたまりかねて、私に迎えに行くようにとの許可をおろしたのです」
 ルカは微かに笑った。その光景が目に見えるようで。そして心の中で感謝した、兄ジェラルドに。
「では兄上は?」
「クリンベルク家に預かってもらっております。シモン様がお世話をしてくださっているようです」
「そうですか、では、うまくいくといいですね」
「何が? ですか?」
「シモン様と兄上です」
 クラークスは暫し首を傾げた。そして以前ルカが言ったことを思い出す。あれは確か、ボイ星へ発つ前。
「それは、無理でしょう」
「どうしてですか?」
「ジェラルド様はどなたとも結婚なさる気はないようですから」
 兄や妹(これはジェラルドに盛られた毒を間違って妹が食べたため)を毒殺され、結婚したばかりの妻まで、これはジェラルドの心を大きく傷つけた。
「シモンさんなら大丈夫ですよ、カロルさんに守らせればいいのです。あれでカロルさんは姉思いですから」
「カロルさんに」
「ええ。カロルさん一人では無理かもしれない。でも彼は、自分に足りないものを補ってくれる者達を味方にする力を持っていますから。これは自分が全て出来る人より遥かに強い力になります」
 これがカロルの最大の長所だとルカは確信している。
「きっと、カロルさんなら守れます」
「しかし、クリンベルク将軍が何と言われるか。あのお方は、王族との血縁を避けておられますから」
 周りからの僻みや妬みを避けるため、これ以上の力の拡大を望んではいない。
「父親として娘の幸せを願わないものはおりません。後は兄上に頑張っていただければ。あなたを私の元へ送ってくださったように」
 クラークスは黙り込む。何時かは誰かと結婚してもらわなければならない。否、宮内部がジェラルド様のお気持ちなど押し計らうことなく強引に相手を選ぶだろう。だがその度に新妻が殺されていては。
「兄上の妃になれるのは、おそらくシモン様以外にはいないと思います。他のどのような方がなられてもおそらく一番最初のお妃様と同じ運命をたどるのではないかと。シモンさんにはカロルさんが付いておりますから」
 クラークスは沈考した。
「わかりました、考えてみましょう。しかし、それほどまでにカロルさんを買っておられたとは、彼に対する普段のお言葉からは想像もいたしませんでした」
「私もですわ」と、言うシナカに。
「あの人は、褒めるとのぼせあがりますから」
「まぁ」と、シナカは笑う。
 仲睦まじい二人の姿を見て、クラークスも顔を和ませた。暫しの熟考の後、
「やはりジェラルド様のお妃は、鬼姫様しかおりませんか」
「鬼姫だなんて、シモン様はとてもお優しい方です」と、ルカはむきになる。
「あれは、カロルさんが悪いのです。変な噂を流すから、まるでシモン様が無慈悲な」
 クラークスはルカの気持ちを知りつつ心の中で微笑みながらもカロルの味方をした。
「いくら弟とはいえ、部下の前で叩いては、俗語では張り倒したそうですけど、そのようなところを見せられては部下たちも、カロルさんが言っている方が正しいと思うのではありませんか」
「張り倒す!」
 ルカは驚いたような声をはっした。
「なんでもカロルさんが数メートルも飛ばされたとか」
 シナカとルイは驚きのあまり顔を見合わせた。
「そんな、それはカロルさんが大げさな演技をして見せただけです」
「まあ、少し噂に背びれがついたのでしょうけど」
 当たらずも遠からずというところだろうと、クラークスは思っている。
 シナカやルイは興味津々。常日頃ルカの口からは、シモンという方はとても優しいお方だと聞き及んでいる。だがハルガン曹長や他の者たちに言わせれば少し違う、否、かなり違うようだ。
「今回の件、カロルさんはカロルさんなりに悩んだそうです、クリンベルク将軍に迷惑はかけたくないと。助けに行きたくとも行けずにぐじぐじしているところを部下の面前でシモン様に思いっきり叩かれたそうで。父の名前を出さずに自分の名前だけで行けばいいでしょ。と言われたそうです」
「それで、二等兵として」
「そのようです」
 ルカは呆れたような顔をする。けしかけたのがシモンだったとは、さすがのルカも気付かなかった。
「そうだったのですか」と、しみじみ言ってから、
「もし婚姻が成立するようでしたら、宮内部としてはクリンベルク将軍の力を牽制できる者を欲しがりますね」
 ルカは毛布の上から軽く自分の膝小僧を叩くと、
「その役、私が引き受けましょう。人殺しの方法などいくらでも思いつきます。平和に事を解決するより遥かに簡単です」
「ル、ルカ様!」
 クラークスは驚く。
「兄上には借りが出来ましたから」
「ルカ様、ジェラルド様は決してそのようなお考えのもとで私を使わしたのではありません。ただただあなた様の身を案じて」
「存じております。兄上がそのような人ではないことを。ですが、私の養育者を誰だとお思いですか。あの悪名高きハルガン・キングス・グラント伯爵ですよ」
 クラークスは思わず吹き出してしまった。笑いながら、
「すっかりハルガンに洗脳されてしまわれたようですね」
 借りだの貸しだのと言う言葉は、ハルガンがよく使う言葉だ。
 クラークスは時計に視線を送り立ち出す。
「長居をしてしまったようです。これ以上はお体に触るでしょうから、今日のところはこの辺で失礼いたします。シナカ様、後をよろしくお願いいたします」と言いつつも、クラークスはまだ笑いが止まらないようだ。
 楽しそうに去ろうとするクラークスに、
「ハルメンス公爵が、今日、発たれるそうですが、あなたは?」
「私はお二人を無事にネルガル、否、ジェラルド様のところまで送り届けるのが任務ですから」
「それでは一緒に」
「はい」
 ルカはほっとしたような溜め息をつく。
 これでシナカの身は安全だ、少なくともネルガルへ着くまでは。
「ハルガンには?」
「何度かお会いしております」
「そうですか、私のところにも顔を出してください。兄上の話など聞きたく存じます」
「体調がお悪いご様子でしたので、控えておりました。これからの船旅は長いでしょうから、今後はたびたびお伺いするようにいたします」
 ルカは嬉しそうに頷く。
 クラークスはハルガンやハルメンスとは違い、彼と話をしていると心から安らげる。兄上は本当によい側近をお持ちだ。それに比べて私は、だがハルガンがクラークスに劣ると言うわけでは決してない。ただ癖が強すぎるのだ。
「感じのよいかたですね」と、ルイ。
「ジェラルド様のお人柄がしのばれますね」


 ボイ星上では、敗戦から三ヶ月が経とうとしていたがその傷跡はなかなか消えない。あちらこちらに空爆により瓦解した建物が乱立していた。しかし元来ボイ人は穏やかで器用な民族だったこともあり、治安は速やかに快復し、街は少しずつだが再建に向かいはじめた。そして宇宙港に軟禁されていた指導者たちも徐々に解放された。
 キネラオたちも久々に我が邸があったであろうところに戻った。たがそこにあるのは瓦礫のみ、後片付けをするにも何処から手をつけてよいやら、最初は呆然としていた。コロニー5、ボイ星の中枢だけあって被害も一番大きかった。ほとんどの建物は爆破され跡形もない。しかし、そんな瓦礫の中、
「よく、ご無事で」と、仲間たちが駆け寄ってくる。
「瓦礫の中から、使えそうなものはあちらに」
 幾つか運び出してくれていたようだ。その中にはキネラオの大工道具、ホルヘの銀細工の道具、それにシナカの刺繍道具などもある。

 ボイの指導者が解放されるのにともない、ルカの親衛隊も本来の仕事へと戻った。そしてその頃にはルカも床上げをした。ただし複雑骨折した左足は完治には至らず、車椅子の生活を余儀なくしている。親衛隊たちは初めてボイ星に到着した時の服装、ネルガル近衛兵の服、ただし肩章は王族特有の猛禽類のマークではなく、ルカの軍旗、白竜のマーク。その軍服に身を包み、ルカの前に整列する。だがその数はボヘ来た時の半分以下にまで減っていた。ルカの親衛隊は最前線で戦っていた。そのため戦死する者が多かったのだ。
 リンネルは彼らが戦闘前に預けて行った認識プレートをルカに手渡す。ルカはそれを一人一人読み上げ手渡していった。読み上げても受け取りに来ないものは戦死したことになる。
 レスターのプレートに指をかけた時、ルカは読み上げるべきかどうか迷った。呼んでも返事がないことはわかりきっていたから。だが意を決して、
「レスター・ビゴット・リメル」
 やはり奇跡は起こらなかった、返事はない。
 ルカはそのまま次のプレートに指をかける。
「ロン・アーブ」
 彼も返事がない。一瞬の沈黙、その後、
「奴なら。入院中です」
「生きているのですか」
「命に別状はないのですが、かなり壊れちゃいまして、ネルガルに戻ったら義体を」
「義体?」
「下半身を、吹っ飛ばしちゃいまして」
 かなり悲壮なことを、あっけらかんと言う。戦争(殺し合い)なのだから生きていただけでも儲けもの。ルカの親衛隊の大半は、既にこういう現状を潜り抜けてきた者ばかりだ。
「そうだったのですか」
「俺、届けますよ」
「いいえ、私が直接渡します。ケリン、お金に糸目はつけません、彼に一番よいものを用意してやってください」
「俺の仲間が増えたったことか」と、ケリンは暗くなりそうなルカの心を、冗談を言って引き揚げる。
 生きている者も五体満足な者は少ない。手足を失ったり、それなりに怪我を負っていた。この戦い、それだけ彼らが必死だったということだ、ルカを守るために。
 全て手渡した。後ルカの手元に残ったのは戦死した者たちのプレート、遺体があるものはまだよい、中にはレスターのように何も残らない者もいた。
 ルカはもう一度、戦死した者たちのプレートを一枚一枚めくる。
「殿下」
 リンネルが声をかけた。
「まずは、生き残った者たちの帰還を祝いましょう」
「そうですよ、俺たちがくよくよしていたら、死んだものは浮かばれません」
 何のために死んだのか。俺たちを生かすために、奴等は死んでくれたのだ。生き残った以上は、よりよく生きるために努力しなければならない。これからが本当の戦いだ。ネルガルに戻り俺たちの主、ルカがどのような処遇におかれるのか。
 殺しすぎちったよなー、ネルガル人を、いくら正当防衛とは言え。
「そうですね、生き残った者達を大事にしなければなりません、死んでくれた人たちの分まで」


 ルカはネルガルに引き揚げるにあたり、男女合わせて二十人のボイ人をネルガル星へ連れて行く許可を取った。無論建て前はシナカの従者として。
 そのリストが外務大臣のウンコクを通してキネラオたちに伝えられる。そのリストの中にはルカに敵対してクーデターを起こした者達も含まれていた。
「キネラオ、お前たちがルカ殿下に付き添うのはわかるが、どうして俺たちも」と言うトウタク。
 キネラオもそれは不思議に思い、ネルガルの司令部がランダムに選び出したのではないかと当初は考えたのだが、それにしてはボイの中枢を担う若手が網羅されている。やはり殿下ご自身が? しかしそれにしてはトウタクたちが含まれているのが不可解。
「朱竜様のご命令とあらば、いたしかたなかろう」と、一人の若者が言う。
「殿下を朱竜に選出したのは不服か」
「別に不服はない」と、不服そうに言う若者に、
「文句があるなら、選出時に言えばよかったんだ、決まってから言われてもな」
 ルカ派と反ルカ派で対決が始まった。
 割って入って止めようとするウンコク。それでもなかなか睨み合いは収まらない。
「ネルガルで仇を取るつもりか、クーデター未遂の」
「笑止」と言ったのは、今まで皆の背後で考え事をしているかのように聞いていたホルヘ。
「殿下は、そのような狭量の持ち主ではない」
「では、何故?」
「それは、殿下に聞いてみるしかないだろう」
 だがその肝心なルカに、彼らは今だ会わせてはもらえない。
 ルカがこの戦い、ボイ人のために本気だったのはホルヘが一番よく知っていた。戦闘中、同じ艦に乗りずっと一緒だったのだから。あのお方が、敗戦ぐらいで諦めるはずがない。これには何かお考えがお有りなのだろう。


 出立を目前にして、やっとルカの望みがかなった、最後にせめてボイで世話になった人たちだけにでも別れが言いたい。場所はあくまでも宇宙港カルダヌスのホテル内、既にネルガル側と見なされているルカをボイ星に降下させるのは危険だという治安部の考え。このホテル内なら護衛がしやすい。
「私はボイ人を裏切ったことはないのですが」と言うルカに、
「あなた様をボイ人だと思うボイ人はいませんよ、あなた様がこの星に婿入りされた時から」と治安部は冷笑する。
 そうだろうか、彼らが私に向けてくれた愛情は、偽りではなかった。
「ルカ王子、こちらへ」と、その男は車椅子を用意し、ルカの体を移動させようとした。
 だがルカは、リンネルを呼んだ。
「リンネル、申し訳ありませんが、彼と変わってもらえますか」
「しかし」と言う治安部に、
「大佐の腕はご存知かと思います。私の護衛は、大佐一人で充分です」
 ボイ人を足蹴に言う者を傍においておく気にはなれなかった。

 ネルガルの服に身を包み、数人のネルガルの護衛を従えてルカがキネラオたちの前に現れた時、彼らは黙り込んでしまった。ルカに会ったら真っ先にかけようとしていた言葉を、彼らは飲み込む。効果覿面、治安部がルカ王子とボイ人たちの間を切り離そうとして仕組んだことだ。
 ルカは隊長格の人物を仰ぎ見、
「これでは彼らと親しい話ができません。申し訳ありませんが、暫く彼らと私だけにしてはもらえませんか」
「しかし」と、ルカの身を案じる護衛。否、ルカの身というよりもは自分の任務とでも言うべきだろう。ここでルカの身にもしものことがあれば、自分の身がただでは済まない。
「シナカを質に取っているのでしょう。でしたら彼らは私に何もしません」
 この中にシナカの姿はなかった。
 隊長は上層部と連絡を取ると、
「一時間なら、とのことです。我々は外で待機しておりますので、何かありましたらお呼びください」
 そう言うと、仲間を連れて外へと出た。
 彼らが完全に廊下へ出たのを見届けて、ルカは話を切り出した。
「皆さん、無事でしたか」
 そこには国王夫妻や宰相夫妻に対する哀悼の意も含まれていた。
「ご無事でなによりです、心配しておりました」とは、ルカ派の人々。
 時間が限られているため、ルカは挨拶もほどほどに本題に入った。涙に明け暮れている暇はない。
「ネルガルに帰還するにあたり、随行していただきたい方々の名前をリストアップしておいたのですが、連絡は届いておりますか」
「ああ、聞いた、二、三日前にな。何故、俺たちを」
「トウタク、失礼だぞ」と、トウタクの余りにも礼を欠いた言動に、ルカ派の一人が忠告する。
 だがルカは気にも留めなかったように、それに答える。
「ネルガルをその目で見たいとは思いませんか、あなた方が拳を振り上げた相手の本当の姿を」
「そして、如何に自分たちが愚かなことをしたか悟れと」
「いいえ」と、ルカは首を大きく横に振る。
「敵を知り、己を知ればということわざがあります。自分の目でしっかり見れば、自ずと敵の弱点も見えてくるはずです」
 ネルガル軍の弱点。
「それに、機会も」
 宇宙海賊の動き。特にアヅマとシャー。シャーはどうやら元ネルガル軍人、俗に言う兵隊崩れやギルバ帝国に反感を持つ者たちの集合体のようだ。しかしアヅマの方は現段階では正体が不明。どちらの勢力も次第に無視できなくなりつつある。彼らと手を組むという方法もあるが、今の段階ではボイは彼らに相手にはされないだろう。組むなら組むなりに、それ相当の軍事力を持っていなければならない。
「私はまだ、諦めてはいません。もう一度この星に、ボイ王朝を復興させるつもりです、シナカを女王にして。そう誓ったのです」
「殿下」と、ボイ人たちは驚いたようにルカを見る。
「ギルバ帝国の寿命も、もうそうは長くはないのではないかと、私は思っております」
「どうしてですか?」
「それは、ネルガルをその目で見ればわかります」
 ネルガル内部の疲弊。だがルカの根拠はそれだけではなかった。アヅマ、おそらく正体はネルガルに対抗するイシュタル人なのだろう。今まで我々ネルガル人が魔の星として恐れて来た星がいよいよ動き出したのだ、ただで済むはずがない。
「ウンコクさん、本来でしたらあなたにも同行していただきたかった。ですが、この星をまとめる者も必要です。あなたほどボイを慈しむ人も私は知りません。ですからあなたに、シナカや私がいなくなったこの星を託したいのです。必ず戻って来ます。二十年、否、そんなにかからないかもしれません。それまで、お願いします」と、ルカは深々と頭を下げた。
「私のようなもので、よろしいのですか」と、ウンコク。
「私は、ずっとあなたに逆らってきた」
「それは、ボイを思う一心からでしょう。外務大臣であるあなたは、ネルガルが私を差し向けた本当の意味を知っていた」
「でも、あなたは違いました。あの時あなたに協力して、反乱を抑えていればと悔やんでおります」
「いいえ、遅かれ早かれ結果はこうなっておりました。ネルガルは、一度目をつけたものは、奪わなければ気が済まないのです、そのための軍事力ですから。そしてその軍事力を維持するためにも、より多くのものを他の惑星から奪わなければならない。悪循環です」
 尽きることのない欲求。ネルガル人は永久に幸せになることはないだろう、例え銀河の富を全て自分のものにしたところで。他人に与えた暴力は、何時の日か自分に返ってくる。否、自分がやったようなことは、必ず相手もやると考えるのが人の性。だから、相手より強い武器を持たなければ安心して眠れない。平和とは相手より大きな金棒を持つこと。
 沈黙の中、ルカはウンコク以外の人たちに視線を移した。
「リストに入らなかった皆さん、ウンコクさんに手を貸してやってください。これからの道のりは今まで以上に大変です。忍の一文字につきます。ですが、必ず私達は戻ってきます。ボイ王朝の種を持って。ですからそれまで、ウンコクさんを助けてやってください」
 ルカは複数形をもって答えた。そこにはキネラオたちが含まれていることを意味している。ルカは周りの者たちにも深々と頭を下げる。
「殿下、お手を挙げてください」
「命令すればいいんだ、あなたは我々が選んだ朱竜様なのですから。そうして欲しいのなら、そうしろと」
「俺たち、待っています、二十年でも三十年でも、否、俺たちの代で駄目なら俺たちの子供や孫の代になっても、あなた達の帰りを」
 うん。と、ルカは頷きキネラオたちを見る。そしてウンコクたちに視線を移すと、
「必ず、ボイ王朝を復興させる。竜に二言はない」
「そうですね、竜は嘘を付かないと聞き及んでおります」
 丁度話が終わった頃、
「時間です」と、治安部。
 ルカ王子に随行する者以外はボイ星へ戻るように指示した。
 すると透かさずホルヘが、
「私達も一旦星へ戻りたい」と言い出す。
「道具を取ってきたいのです」
「道具?」
「私達は職人なのです、殿下に仕えるには、各々の道具が必要です」
「そんなものはネルガルで」
「ネルガル人とは手の長さも違えば指の長さも違います。ネルガルの道具では使いづらいのです」
 ルカは治安部のリーダー格の胸の階級を読み取り、
「中佐、彼らに一旦ボイへ戻る許可を出してやってください。身の回りの品をそろえてからもう一度ここへ来るように」
「しかし」と、考え込む中佐に、
「彼らは逃げたりはしません、時間を指定してシャトルを用意してくだされば、それにきちんと乗り込みます」


 シナカはルイと二人、部屋に閉じ込められていた。そこへカロルが扉越しに話をかける。
「姫様、何かご不自由な点は、と言ったところで、こんな部屋に閉じ込められていては不自由な事この上ないな。今、ウンコク等が来て、ルカと最後の別れをしている」
「そうなのですか」
「姫様も会いたいだろうに」
 それに対する返事はなかった。
「二十人ぐらい一緒ネルガルに連れて行くという話は聞いているか? 姫様お一人じゃ、寂しいだろうからって、奴は言っていたが、奴のことだ、それだけじゃないな。今、そっちへ行くから」という言葉を最後に、何やら廊下でもめている雰囲気。
 暫くすると扉のロックが解除された。
 ゆっくりと扉が開き、カロルとその仲間が立っている。
「じゃ」と、カロルは守衛に手を挙げる。
「余り長居はしないでください、見つかると困りますから」
「ああ、わかっている、わかっている」
 どこがわかっているのかという気安さで、カロルたちは中へと入って来た。
「いいのですか、守衛さん、随分困ったような顔をしていましたよ」
「奴はもともとああいう顔なんだよ、困り顔というのは、こういう顔のことをいうんだ」と、カロルはわざとらしく自分の顔を指でひっぱたりのばしたりして作って見せる。
 それを見て、ルイが笑いを堪えきれずにふきだす。その楽しそうな笑い声。
「元気そうで、なによりだ。宇宙船に乗ったら、できるだけルカと一緒に居られるように取り計らうよ」
「一介の二等兵が」と、ルイはカロルをからかう。
 以前よりルカからカロルについてはいろいろな話を聞いていた。そのせいか、古い友人のような気がしてならない。自然に態度もそうなる。
「言ってくれるじゃん」
 ルイの余りの馴れ馴れしさにシナカは困った顔をする。だが当のカロルは何も気にしていない様子。
「船なんだけどよ、ルカがこの星に婿入りした時の船なんだ。もともとが皇帝のお召し船でよ、絢爛豪華と言えば聞こえもいいんだが、まあ、金に飽かして華美にしたと言うのが本音かな。繊細なボイ人から見れば笑いものだろうけど、銀河の富を見ることが出来るから、一見の価値はあると思うぜ」
 自慢しているのか、コケにしているのかわからないような表現だ。
 それからは自然と幼少の頃のルカの話で花が咲いた。
 そこに守衛、
「カロル様、そろそろ出て来てもらわないと、交替の時間なのです」
「何だ、もう鼻薬は切れたか」
「そんな言い方、しないでくださいよ」




 時間は少し戻り、ここはネルガル王宮、そこにはルカと同じ炎のような朱色の髪を持ち、翡翠のような瞳をした男。ただルカと違うのはその体躯。鋼のような肉体を柔らかなシャツで包み、銀河の粋を尽した調度品に囲まれた私室で、お茶の香りを楽しんでいる。
「生きておったのか」
「そのようで御座います」
「運の強い奴だ」
「どういたしましょう」
「迎えに行ってやれ、ジェラルドが動いたそうではないか」
「動いたとおっしゃられましても、ルカ王子の側近の者たちが戻られましたので」
 皇帝は最後まで言わせなかった。
「手ぬるいのだ、何故、途中で襲撃しなかった」
「しかし、それでは彼ら門閥が」
「ボイ人のせいにすればよかろう。そうすればもっと早く、ボイを落とせた。奴等の門閥が、我が子の復讐として立ち上がったからな」
 我が子がお前等貴族のために血を流しているのだ。ならば、お前等貴族も血を流して当然。
 宮内部のその男は黙り込んだ。
「船は、俺の船を使え。どうせ他にろくな船はないのだろう」
 欲に駆られて手を広げすぎたネルガルは、その空域を守るので精一杯になりつつある。戦艦以外の余計な宇宙船を作っている余裕がない。
「畏まりました、ただちに手配いたします」



 そして三日後、ルカは皇帝(父)からつかわされた宇宙船に乗り込み帰路につく。

2011/03/09(Wed)23:44:36 公開 / 土塔 美和
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 お久しぶりです。風邪をひいてダウンしてました。やっとここへ来て、夜更かしができるようになりました。それで続きを書いてみました。コメント、お待ちしております。
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