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『八奇屋』 作者:四つ目 / リアル・現代 ファンタジー
全角14292文字
容量28584 bytes
原稿用紙約40.4枚
どんな願いでも叶えてさしあげましょう!という台詞で人を誘い込む一軒の店。只今依頼募集中。ついでに従業員も募集中。
【0.願望でも欲望でも希望でも叶えます、可能な限り】

 いつかの時代、どこかの裏路地。そこにひっそりと佇む、一見他の店とあまり違わない一軒の店があった。その店は木造の一階建てで、ログハウスのように木目を生かしたデザイン。くすんだ赤色の屋根から少し目を下げると、真っ白なペンキが塗られた扉に小さな看板がかけられている。看板には“八奇屋”の三文字。看板の下には、手書きらしい文字のチラシが乱暴に貼り付けられていた。

 “八奇屋 ‐やきや‐

 貴方のお望みを可能な限りで何でも叶えてさしあげましょう!
 私達に可能な事でしたら、どんな事でも確実に叶える事ができます。
 お金は一銭もいただきません。
 しかし、依頼料としてお金以外のものを頂く場合がございますので、あらかじめご了承ください。
 小さな願いから、大きな望みまで! どんな事でも受け付けていますので、是非一度私達に相談してみてください。
 皆様のご来店を、お待ちしております。

 休日:年中無休
 営業時間:午前八時〜午前十時 午後二時〜午後十一時
 ※営業時間外でも、お電話でしたら受け付けています。
 ××××‐××‐××××”

 そんな店の前で立ち止まる人間が一人。秋風に吹かれてなびく髪の毛を手で何度も直しながら、扉をまじまじと見つめていた。少女という程若くはなく、女性というには子供っぽい。白いコートを羽織り布でできた薄いピンクの鞄をかけ、就職情報雑誌を握りしめている。よく見ると彼女が見ているのは看板でもなく、宣伝のチラシでもない。目線はもう少し下げられて――……宣伝のチラシの下の、「店員募集」と書かれた貼り紙を見ていた。彼女の足元では、どこから飛んできたのかわからない枯れ葉が風に吹かれてかさかさと音を立てている。彼女は、見向きもしなかった。

 さて。そんな彼女の事なんて気づいているわけでもなく、店内では早速依頼がされていた。そこは入口から入ってすぐの部屋であり、店の前に立っている少女とは扉一枚でしか仕切られていなかった。部屋はがらんとしていて、真ん中にテーブル、その左右にひとつづつソファーが置かれていて、あとは小さな本棚があったり絵がかけられたりしているだけである。奥に店のカウンターらしきものが見えたが、古くなっていて相当の年月使っていないことが一目でわかった。その部屋のソファーの片側には一人の女性が座っている。金髪を長く伸ばしているがどことなく日本人というイメージがあり、不思議とやわらかな雰囲気を出している。その女性とは反対側のソファーには三十代半ばほどであろう男性が座っていた。スーツを着てはいるがその表情は暗かった。そして、女性側の壁にもたれかかってその二人のやりとりを聞いてなにか記録している一人の少年。少年の右目は黄色で左目は藍色なのが印象的である。白いキャスケットを被り、ノートにさらさらとなにかを書き込んでいく。
「成程……それで、多額のお金が欲しいと」
 女性がやわらかな微笑みを浮かべて答える。だがそれには感情がこめられているわけでもなく、受付嬢とか女優とかそういう人達が何かに対応する時にする笑い方だった。
「そうなんです。おいくらくらい用意できるんでしょうか……?」
 おどおどと男性は女性に聞く。その問いに女性はさらりと、
「おいくらでも構いませんわ。何千万でも何億でも」
 とぴくりとも表情を動かさずにそう言った。男性はその答えに驚き、手を口にあてて悩んでいる。女性が少年に振り向いて目で何かを合図すると、彼はボールペンを走らせた。

 その最中にも、扉の向こうではさっきと同じ人が立ったままであった。
「募集人数かなり少ないからもう来てるかもなー……でも、もう希望のところは殆ど行って落ちてるし……」
 頭を抱えて立ち尽くしていると、彼女に後ろから声をかける人物がいた。
「八奇屋に何か用事ですか?」
「……っ!」
 予想もしていなかった突然の呼びかけに彼女はびくっと肩を震わせて、おそるおそる振り向いた。そこには自分よりも少し若いであろう少年の姿。にこにこと人の良さそうな笑みをうかべている彼は、買い物から帰ってきたためにいろいろなものがいっぱいに入ったスーパーの袋を手に持っている。
「えっと、あの、その……あっ、あなたはここのお店の方?」
 何度もどもりながらも、何を言えばいいものか考えてやっと出てきた言葉はごくごく普通のものだった。
「はい、そうですよ。僕、白っていってここの従業員をやってるんです。もしかして、ご依頼ですか?」
 目の前の人物が焦っている事なんて全く気にしないで、またさっきの笑顔を見せる。一般的な対処である。焦っている人の前では、落ち着かせるような雰囲気を出さなければいけないから。……しかし、彼はそういう目的ではしていなかった。ただ単に、焦っている人なんて毎日見ているからと気にしないでいるのである。
「い、いえ、違うんです! このチラシの事……なんですけど」
 彼女はそう言って扉の“店員募集”の貼り紙をそっと指さす。少年はその貼り紙を見て、今度は少女の顔を見て「ああ!」と明るい声をあげた。
「そういうご用件でしたら、とりあえず中に入って説明しますよ!」
 先ほどと変わらぬ、明るい少年の返事にほっと溜息をついた彼女は首を縦に振った。
「じゃあ……お願いします」
 彼女が言うと、「喜んで」と少年は扉に手をかけ、開こうとする。するとその直後、彼は押しても引いてもしていないのに勝手に扉が開いてしまった。それもそのはず、向こう側から先に扉を開いた人がいるからであった。その人はさっき依頼をしていた男性で、手には分厚い封筒をひとつ持って嬉しそうな顔で扉を開いていた。目の前の少年に気づくと、軽く会釈をしてそのまま走り去ってしまった。それはどこかふっきれているような、そんな感じだった。
 少女はその姿をぼうっと見ていた。その間に店からは依頼を受けていた女性が出てきて、少年と話していた。二人は親しいような親しくないようなそんなよく分からない喋り方で、少年のほうは敬語、女性のほうはため口と、外見年齢的にはそうなるのが普通なのかもしれないがなんだかとても親しいような気さえ感じられるくらいだった。
「ただいまです、妖さん」
 にこりとした、さっき少女に向けたのと同じ笑顔を女性にも見せる。
「おかえり。随分かかったじゃない? ……あら、そこの方は?」
 ぼうっとあの男性が行った道を見ていた少女はハッと気づいて振り返り、なぜだかぴしっと気を付けの体制を取る。
「えっと……あの、私店員募集の貼り紙を見て来たんですけど!」
 なるべくいい印象を持ってもらうためにもはきはきとした口調を心がけたつもりなのだが……冷静になってみれば「気合いを入れすぎ」にも見えたかもしれないと彼女は思う。
「あぁ、あれね。どうぞお入りなさいな、詳しい説明は中で致しますわ」
「はい! お願いします!」
 言われるがままに、少女と妖と呼ばれた女性は中へと足を踏み入れる。その後に続いて、少年も。
「どうぞ、お掛けになって」
 妖は片方のソファーをすすめて、自分もそれとは反対側のソファーに座る。少女も会釈をして座ろうとした時、ふいに妖の後ろでひたすら何かを書いている少年と目が合った。一瞬びっくりしたが、彼もこの店の従業員なのであろうと一応会釈しておく。向こうからも返された。
「私は妖と申しますわ、よろしくお願いします。まず、あなたのお名前を」
「逢沢彩音、です。あの……履歴書ならあるんですけどよかったら……」
「逢沢さんね。あ、履歴書は必要ないわよ。それで、始めに聞きたい事があるの」
 彩音が持ってきていた鞄に手をかけようとしたところで、妖はそれを制止した。彩音は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、顔をあげて明るく返事をする。
「はい!何でしょうか?」
「この店には正式な従業員と仮の従業員……まあ、アルバイトよりも少し上みたいなものね。そういう人に分けてるんだけど、あなたはどちらがいいのかしら?」
「……具体的には何が違うんですか?」
「まず、お給料は違うわ。でも、仮の従業員でも決して安くはないと思うから安心して。具体的に金額の違いを現わすとこれくらいだけど……」
 そう言って妖がすっと取り出した紙、それを彩音に渡した。そこには明らかな金額の差が記されてあり、ぽかんと口を開きそうになったくらいであった。
「あと……正式な従業員さんになるためには条件が必要になるの。お金とか学力とかじゃないわよ?」
「それじゃ、一体……」
 彩音が言いかけた時、妖はそう来ると分かっていたのか一切動じずに答える。
「ひとつは、店長が選んで正式な従業員になれると思った人じゃなきゃいけないわ。正式な従業員さんには、依頼もこなしてもらわないといけないしね。あとひとつは……」
「過去を消す」
 妖の声とは違ったどこか冷たくて少し低い声がして、彩音は肩が少しだけだが動いてしまった。その言葉を言ったのは妖の後ろに立っている少年だった。声の低さとか、声質とかそんなものは見た目からさほど変わりはないのだが、普通の少年にはないような……どこか寒いような雰囲気であった。ゆっくりと妖が振り返ると、彼は言葉を続けた。
「過去を消さなければならない。依頼には危険がつきまとう可能性が高いからね」
 少年の口はにいっと半円を描き笑っているが、目だけを見ると笑っていない。それに、左目をウインクするでもなく閉じていたのが少しだけ気にかかった。彩音は自然に唾を飲んで、黙り込んでしまった。少しの間沈黙が続いて、窓が微かに揺れてかたかたと音を立てているのが分かった。彩音がおそるおそる少年と目を合わせると、彼は瞬きひとつせずに彼女を見つめ返した。妖は誰にも聞こえないように溜息をつくと、彩音のほうに向きなおした。
「そういう事よ。過去を消すっていっても……消すお手伝いはこちらでさせてもらうわ」
 言葉にはっとして、少年から目をそらし妖を向く。どうやら、妖は少年の様子に全くもって驚いていないようだった。これが普通なんだろう、と自分の中で無理やり解釈した彩音は力無い返事をしておく。
「そうですね、頼んでもらえれば依頼とは別にやりますしね。お茶、どうぞ」
 いきなり上からさっき聞いたことがあるような声がする。それは彩音が一番初めに出会った少年で、いつのまにかお茶を淹れてきていた。お盆に乗った二つの湯呑を、二人の前に並べていく。礼を言い、頭を下げた彩音に続くように彼はぺこりと礼をしてまたどこか……部屋の奥にある扉から部屋を去っていく。彩音はそれを見ていたのだが、ぼうっと見ている間もなく妖が話を戻した。
「それで、どうかしら?」
「え、じゃ、じゃあ……とりあえずは仮のほうでお願いします」
 過去を消す、なんていきなり言われても意味がこれっぽっちも分からない。とりあえず就職先を決めておきたい彩音は、あわあわしながら答えた。
「かしこまりました。それじゃ、必要事項の記入を」
 妖は立ち上がり、振り返って背後にいる少年から紙を受け取る。それとボールペンを彩音の前に差し出した。彩音はボールペンを手にとって項目に書き込んでいく。必要事項といっても、名前とか連絡先とかごく普通のことだった。それでも履歴書とはまた少し違うような……いや、短かっただけである。その間、妖はお茶を飲んで彼女が書き終わるのを待っていた。書く音が止み、彼女はボールペンと紙を妖の前に差し出した。妖はそれを受け取ると、早速目を通し始める。彩音にとっては緊張のひとときであった。多分、いや絶対と言っていいほどこの紙に書いた事で審査されるはずだからだ。預かっておく等と言われるのならまだ普通のパターンだが、ここで帰れと言われれば諦めて引き下がるしかいけない。彩音は、自分が汗をかいているような気がした。妖が目を通し終わり、振り向かずに紙を後ろにいる少年に渡して長く息を吐く。
「……完璧よ、合格。仕事の日程は後からお知らせするわ」
 予想だにしていなかった答えに、彩音は目を丸くした。ぽかんとした表情としか言い表せない、眼は見開かれて口はだらしなく半開きになっている。膝の上に置いている手の力が緩んだ。
「え……もう、いいんですか?」
 元気がないような、それでも暗くはない声で彩音は問う。表情は相変わらずのままである。
「ええ。でも今日からってわけじゃないから、安心してね」
 なだめるように妖がふふふっと笑った。安心させるところが微妙に違うような気がしたが、そんな細かいことは今彩音の耳に入っても軽く流されてしまう。「なんとなく」聞いてはいるような状態だった。あんまりその状態が続いたので、妖が「どうかしたかしら?」と言ったところでようやく気合いが入ったようだ。緩んでいた手の力が籠められて、ぎゅっと握られる。
「ありがとうございます! ところで……貴女がここの店長さんですか?」
 ぱあっと明るい顔に戻り、威勢良く問いかける。これからお世話になる店であるから、店長には挨拶をしておくのが当たり前である。彩音の目の前にいる妖が店長ならば改めて挨拶しておいた方がいいし、他にいるのであったら尚更しなければならないから。
「……いいえ、違うわ。店長は別にいるの」
 妖は少しためらって間を空けてから、首をすくめて苦笑いしながら答えた。
「それだったら、ご挨拶しておきたいんですけど……」
 彩音には今の苦笑いの意味がよく分からなかったが、深い意味ではなさそうだったのでそのままにしておいた。話を続ける。
「分かりました、すぐ来てもらうわ。ちょっと出かけてるの」
 そう言うと妖は赤色の携帯電話を取り出して、番号を押し始める。きっと仕事で外に出ているのであろうと、彩音はどきどきしながら待っていた。音がもれて、携帯電話の音が耳を澄ませばよく聞こえた。数回着信音がなった後、がちゃっと音がしてそのすぐ後に声がする。
『はい、もしもーし』
 この店の店長だと思われる、電話の向こうにいる人物は間延びした明るい声で言った。ぱっと聞いただけだと、男性の声のようであった。
「もしもし、店長? 妖よ」
『妖ちゃんかー、元気? あ、元気じゃない?』
 冗談を言ってからかうようにへらへら笑った。そこには店長らしさとか、威厳とかというものはかけらも感じ取れない。それと正反対みたく、妖は冷静に対応をする。
「今どこにいるのかしら? ちょっと店に戻ってもらいたいの」
『えー、今ハワイで南国満喫してるんだけど……ダメ?』
 なんだか子供っぽい人。話は微かにしか聞き取れなかったが、彩音はそう思った。そう思っても、当たり前だが黙っている。実際、店長と呼ばれたそいつは甘えるようにして囁いたのである。
「何が『ダメ?』なのよ。今すぐに、今すぐにね。分かった?」
 妖は呆れて溜息をつく。「大の大人が……」と愚痴をこぼす。店長には聞こえていたが完全に無視していた。電話の向こうでは微かに波の音と、喋り声やその場所のBGM等が流れている。
『でも今美女に囲まれてハワイアンして……』
「急ぐ!」
 妖は間髪入れずに叫んだ。彼女だけを見ると、まるで子供を叱っている親のようであった。彼女の手がぐっと握られ、殴られたら痛そうな拳になっているがそんな事は向こう側には分かりはしない。妖の後ろでちゃっかりその一部始終を聞いている少年は、俯いて肩を震わせている。……笑いを堪えていた。もう一度言うが、こちらの状況は音以外向こうにわかりはしないので、いくら笑いそうになっても声さえ出さなければ大丈夫だ。
『嫌だ! 用件あるならここで言いなよ』
 負けじと向こうもむきになって叫んだ。ぎり、とどちらがしたのか分からない歯ぎしりの音が聞こえる。
「……店員募集ので来たのよ、人。それで店長にも」
 必死に怒りを抑えながらも、妖は握り拳だけでなく肩もふるわせていた。もしこの場に電話の向こうの店長がいたのであれば、とっくに彼女は殴っていたであろう。
『よし、合格! 即合格だから! それじゃあ!』
「ちょっと、人の話を最後までしっかり……」
 早口でいきなり言った店長のテンポに追いつけず、妖が言葉を発したときにはもう電話は切られてしまっていた。空しい機械音と、その場に気まずい雰囲気が流れる。といっても、気まずいと感じているのは彩音だけだった。少年は、相変わらず笑いを堪えている。彩音は顔を動かさず目だけできょろきょろと周りを見た。誰か助けて! と誰にも伝わらないと分かっているのに心の中で言う。ふいに妖は首を振って髪をばさばささせて軽く整えた後、先程までのことはなかったかのように笑顔を作った。
「ごめんなさいね。ちょっと店長、来られないみたいなの」
 笑顔が逆に怖かった。つられて、彩音も笑顔を作ってしまう。それでもなんとなく目は合わせられなかった。
「そうね……今のでこの店で働く事が決まったんだけど、よかったかしら?」
「も、もちろんです!」
 不意打ちにもはっとして元気に返す。妖の見透かされているような視線に彩音はぎくりとしたが、ぎこちなく笑ってみせた。
「よかったわ。誰も来なくて困ってたの。とりあえず、ほかの従業員も紹介しておこうかしら」
 妖は確認をとるように頷いて、振り向く。その時、別に彩音が何かをしでかしたわけでもないが、少しだけ頭から血がひいていく感じがした。少年は相変わらず笑いを堪えたままだったのである。
「……燈一?」
 あくまで自分のイメージを保つためだろう、妖は彩音に見えないように顔をしかめた。睨みつけられているのを感じた、燈一と呼ばれた少年は涙目ながらも顔をあげた。
「笑ってなんかないよ、寒かっただけだって」
 片手をひらひら振って否定するが、寒いはずもなかった。暖房器具はつけていないものの、部屋は閉め切っているし、今日は風はあるが特に寒いわけでもない。もちろん、燈一は普通の格好をしている。
「ちっとも寒くはないけれど?」
 口をへの字に曲げ、妖は更に睨みつける。彼女なりの抗議だ。随分荒々しくない抗議でも、燈一はとぼける。
「そんな事よりも、紹介の方が先でしょ」
 ふざけた笑顔で話題を逸らした。呆れて妖はわざとらしく大きくため息をついた後、再度燈一を睨んでから彩音へと向き直る。
「……この人は燈一。私と同じで、従業員の一人よ」
 やれやれ、という顔で妖は燈一を指した。状況からして、妖の負けになってしまったのかもしれない。
「彩音さんだっけ? どうも、よろしくー」
「え、あ……こちらこそ」
 燈一は軽く彩音にウインクする。先ほど片目を閉じていたのとは違う、正真正銘のウインクだった。彩音は対応に迷ったが、よく使われる言葉で返しておく。彼は軽いような態度だし、彩音よりは年下っぽいだがこの店では先輩、という形になるのだから。
「あとはさっきお茶を運んできてくれたのが白で、彼も私達と同じ。それと店長とあともう一人、紺っていう女の子がいるわ」
 指折り数えながら、妖は順々に紹介を進めていった。現在この店に勤めているのは五人という事だった。「あなたが入れば六人になるわね」と妖は微笑する。彩音も作り笑顔ではない笑顔になった。なんだかんだでこの人はいい人なのかもしれない、という考えが頭の中に浮かぶ。
「妖、時間」
 割り込むように燈一が腕時計を見ながら言う。妖も自分の時計を見て少しだけ驚いたあと、小首を傾げて申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさいね、もう少ししたら私と白は店をあけるんだけど……よかったら此処にもう少しいてもいいわよ。聞きたい事があったら燈一に聞いてくれれば」
「あ、いえ……私もそろそろお暇します」
「分かったわ。連絡は書いてくれた番号にするから」
 なんだか用もないのに居座るのは失礼だと感じた彩音は、急いで鞄を持ち直した。妖が立ち上がるのに続いて、彩音もゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあ、ありがとうございました!」
 彩音は深く頭を下げ、ぱあっと微笑む。少しだけひやっとする場面もあったが、やっと職場が決まったのである。
「いいえ、こちらこそ」
 彩音の笑顔につられずとも、妖は微笑んでいた。彼女達は一緒に扉の前まで行くと、彩音はもう一度お辞儀をしてから歩き去っていく。スキップでもしたいところだったが、多分妖が見送ってくれているため見られると恥ずかしいので、人気がなくなったらでしようと彼女は思う。妖はそれを途中まで見送ってから、もう一度店の中に入って扉を閉じる。よく見ると、扉に貼ってあった紙の一方……「店員募集」と書かれた方の紙が剥がれおちて、店の前の道路に落ちている。偶然通りかかった猫が、その紙を踏みながら何事もなかったように歩いていった。



【1.誰にだって分からない事なんて山ほどあるのです】

「そろそろ、手伝ってほしいんだけど」
 そう言ったのは金髪の女性の方だった。彼女の名前は妖。優しく微笑み、持ち前の髪を長く伸ばしているが、外国人には見えそうにない。どことなく落ち着きがあって、大人の女性というキーワードがぴったりはまりそうだった。
「何を、ですか?」
 答えたのはもう一人の少女だった。……少女と言うには大人っぽかったが、女性と言うには何か足りないような気がする。茶色みがかった髪をセミロングにして、前髪を一部ピンでとめている。彼女は彩音という名前だった。
 その部屋には、妖と彩音の二人だけがいる。少し古びた部屋で、がらんとしている。真ん中にテーブルと、その左右にソファーがひとつづつ置かれていた。そのソファーの片側に妖が、反対側に彩音が座っている。
「今は私達が依頼を受け持って、それをこなしてるんだけど……それを彩音ちゃんにも手伝ってほしいの。給料はそのぶん上げるわ」
 お願い、と妖は手を合わせて前かがみになる。それは心から頼んでいる人の様子だった。
「もちろん、過去を消せーなんて事は言わないわ。人手不足は深刻なの」
 顔をあげずに言う。妖のほうは真剣だった。彩音はいきなり頭を下げられたものだからおろおろと手をぱたぱた振る。何度もどもりながらも、やっと言葉を口に出した。
「そ、そんな大げさに頼まなくても……! 私は大丈夫ですから!」
 根がいい人の彩音には、そう答えるしかなかったのかもしれない。その言葉にぱっと顔をあげた妖は、少女みたく笑った。
「ありがとう。本当に助かったわ」
 その言葉には感情が特にこもっていた。感謝されていると、彩音は自分がなにか大きな事をしたわけではない(と、思っている)のになんだか自分まで嬉しくなった。
 彩音が八奇屋に勤め始めてから三週間が経った。それなりに店にも馴染んできた……ような、気がする。少なくとも、この店がどんなものかという事とここの雰囲気くらいはなんとなくわかってきた。が、まだまだ彼女には知らない事が多すぎるという事を彼女は知らなかった。知らなかったほうが逆にいいかもしれない。彩音は始めは何個か疑問に思っている事もあったが「ああ、こういうものなのか」という調子で段々と慣れてきてしまっていた。彼女の仕事は受付みたいなものだけなので、詳しい事を知らずともやっていけたからだ。だが今回、知らなくてはいけない事が増えたという事も彼女は知らなかった。

 そんな事も知らずに、早速白が受け持っていた依頼を手伝うことになっていた。白とはこの店で彩音と一番親しい少年だ。だが、どうしても相手が敬語のため自分まで気を使って敬語になってしまいそうになる事が今でもたまにある。敬語は使わないでと、白から何度言われた事か……ふと、そんな事を思い出しながらも白から依頼の説明を聞いた。依頼人は水岡優依、学生。友人の瑛華が最近おかしな様子なために調べてほしい事、そしてできる事なら元のようにしてほしい事。その後、今日彩音が手伝う事を知らされる。
「今回は、調べるだけ?」
 彩音が今日やる事は調査の手伝いだけだった。白の指示を聞いて、それに従って調査を進めるというもの。写真を渡されて、依頼人の友人の崎戸瑛華という人物の顔を見てみる。どこからどう見ても普通の少女だ。
「はい。まあ、尾行ってやつですけどね」
 幼い少年のような笑みをうかべて、白は小さく頷いた。一応、おおまかな事だが彩音に言っておく。調査といっても尾行する事だ。一度なにかおかしい所はないか、どこか怪しげな場所に行っていないか……等々、客観的に見て「おかしい場所」を探してみる。
「……探偵みたい」
 ぽつりと、それでも聞こえる声で彩音は呟いた。ふふっと口に手を当てて微笑む。
「そんなしっかりしたものじゃないよ」
 眉を八の字に下げて困ったような顔をしながら、だけど無邪気な子供みたく明るく笑った。軽いものだった。つられて彩音もくすくす笑っていると、扉が開く音が聞こえた。二人ともほぼ同時に振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。黒髪を後ろで二つ縛りにしている、目はぱっちりとして子供っぽい少女だった。にっと微笑むと、手をひらりと挙げた。
「ただいまー、っと。何、お二人で秘密のお話?」
 少女はからかうように甲高い笑い声をあげる。彼女は二人の知る人物で、彼女も二人を知る人物だった。紺という名の少女で、彩音が初めて店に来た時にいなかった人物だ。にやりと笑って、お熱いねえ、と肘で彩音をつつく。
「秘密といえば秘密なんですけどね。今度の依頼の話です」
 彩音が真っ先に否定しようとしたら、先に白が口を出していた。どうやら、からかわれているのに気づいていないらしい。実際、白はこういう事には疎くて、皆が呆れる程であった。……こういう人を鈍感と言う。彩音は変な誤解をされなくて済んだものの、それでもほっとしたような、不満なような気分でいっぱいだった。
「ああ、そうですか」
 思い通りにからかえなかった紺は口をとがらせて拗ねてみる。どうにも此処には年齢に合わない性格の人がいるなあ……と、彩音は実感する。妖はまだ大人の女性というイメージを保っているが、白は若い少年のようなのに紺よりも礼儀正しかったりする。本人から聞いたところによると、紺よりも白のほうが年下だそうだ。しかも結構歳が離れているらしい。その話を妖から聞いた時、真っ先に驚いたら同意されたくらいだ。きっと彩音が来る前から「あんなの」なのだろう……と、しばし考える。目の前では、紺の機嫌が悪くなったのを不思議そうに見ている白と相変わらずふれくされてぐちぐち言っている紺との皮肉の言いあいが行われていた。
「そんなに変わらないのね……」
 目の前の二人は、彩音の諦めたような独り言には気づいていない。きっと、妖が二人に向かって怒りでもしなければ気づかないのかもしれない。彩音は、まるで子供が喧嘩しているような様子を見て、思わず微笑んでしまった。はっと気付くと、白と紺が彩音をじいっと見ている。
「そんなに面白い?」
「どうかしましたか?」
 白は相変わらずの笑顔で、紺は半ば睨みつけながら同時に言った。……やってしまった。彩音はそう思って、心の中だけで大笑いした。

 時刻は変わって五時頃。もう秋で、この時刻になるともう暗くなり始めている頃だ。その時、彩音と白はある学校の校門の前の細い通りに隠れていた。彩音は白いコートを羽織っていて、クリーム色の帽子をかぶっている。白は、ベージュの上着に白いシャツを着て、黒いズボンを履いている。二人とも、三十分前ごろから一言も喋っていない。集中力を切らさないためだ。といっても、彩音は白の「喋らないように」という指示をしっかり守っているだけなのだが。白は依頼人の友人だという、瑛華という少女を見落とさないように慎重に一人一人見ていく。彩音も一応見てはいたのだが、一人一人見るのは厳しく、慣れていないと出来ない動作だった。横目でちらりと白を見ると、真剣な表情で探している事が雰囲気から伝わってきた。此処に来てから四十五分が経とうとしていた時、白は校門から出てきた一人の少女にぴたりと焦点を合わせた。
「出てきた」
 白の目に映ったのは、確かに写真と同じ顔をした人物だった。俯いていて表情は暗かったが、本人である事は確認できるほどだ。彼女の周りには、友達らしき人は誰もついて来ている様子はない。こちらの方が好都合だった。
「あの人が……瑛華さん?」
 彼女から目を離さないまま、彩音は白に聞いた。瑛華の歩く速度が遅かったために、すぐ歩きださなくてもいいのである。
「崎戸瑛華、十七歳。高校二年生。家庭環境や生い立ちはいたって普通。家が住宅街とは少し離れた場所にあるため、友達と一緒に帰る事はごくわずか。成績は中の上あたり。依頼人の水岡優依とは同じ学級。友達にも恵まれているし、虐めにあっているという事もない。……特に悩み事はないはずなんだけど」
 白はいつのまにか取り出したコピー用紙を持って淡々と情報を口に出す。彩音の質問に答えているというよりは、自分で確認しているというほうが正しいであろうか。それには、尾行しようとしている彼女のデータ……名前から性別、年齢、経歴までいろいろな事。それが、コピー用紙が灰色に見えるくらいに事細やかに書かれていた。
「どこで、そんなのを……」
 呆れなのか、信じられないのかがっくりと肩を落とす。普通、こんな情報を簡単にとることができるだろうか。少なくとも、彩音の常識ではせいぜい分かっても名前とか、年齢とか、顔写真とかそのくらいまでと思っていた。ますます分からない、この店は。と、首をすくめてみる。この店で働くようになってから、何度か心の中で言ったセリフだ。もちろん、こんな事店の誰かに言えやしなかったが。
「どこでもいいでしょう? 今は、追いかけるのに専念しましょう」
 彩音には微笑みかけるが、少しだけぶっきらぼうに白は言って歩き出す。彩音は複雑になりながらも頷いて、白の後に続いた。こそこそ隠れるわけでもなく、かといって目立ちすぎるわけでもなく。ごく普通の通行人のように振舞うよう心がける。白は経験したことがあるのかもしれないが、彩音は尾行というものは初めてである。緊張しないとは言い難い。尾行するなんてドラマや映画でしか見た事が無かったものだから、少しだけ楽しくも思えた。……が、白がただの通行人のように振舞いながらも、どこかぴりぴりとした空気を出しているため黙らずにはいられなかった。
 歩きはじめて五分くらい経っただろうか。いつのまにか、人気のない路地に入りこんでいた。さすがに、こんな所まで普通についていくと怪しまれるため、途中からは隠れながら行くことになった。瑛華はゆっくりと進んでいく。それに合わせて、彩音と白も追っていく。やっと瑛華が立ち止まり、見上げたところ――そこはあるビルだった。もう使用されていない、もとは何かの事務所があったらしく、看板の一部が残っているところだ。彼女はなんのためらいもなく、その建物へと足を踏み入れた。
「此処って……」
「分かりません。とりあえず、ついていきましょう」
 小声で白に尋ねようとするが、白にそれを遮られる。今は、白の言われるがままについていくしかなかった。建物には鍵がついていない。誰でも容易に入れるその場所に、二人は足を踏み入れる。上からは階段をのぼる音が響いてくる。白が先に立って、音をたてないようにそっと階段を上って行くことにした。幸いにもホコリがつもっていたため、足跡が微かにわかった。どうやら、建物の内部のどこかには向かわず、ずっと階段をのぼりつつけているようだ。
 すごく長く続いたように思えた階段は、扉の前で終わっていた。瑛華が閉め忘れて、扉がおおっぴらに開けられている。しっかりと外を確かめてから、二人は屋上を歩きはじめる。少し進んだところで、白がいきなり止まって物陰に隠れた。彩音もそれに続く。白の目線の先には、瑛華が安全のために設置されている鉄格子を握って立っていた。
「まさか、飛び降りでもしようとしているんじゃないかしら」
 嫌な予感がして、彩音は白にこそこそと尋ねる。まるで陰口を叩いているみたいだった。
「そんなはずはないと思いますけど……」
 白も小声で、答えにもならない答えを言った。白にも、瑛華が何をしでかすのかは全く分からない。
 よく見ていると、瑛華はそこに立ったまま何かをぼそぼそ呟いていた。二人のいる位置からは遠くて聞こえない。が、口の動きから少しだけ読み取る事ができた。
『私に――――……』
 口の動きだけでは理解するのに限界があった。それに、ななめ後ろから見ているために口が見えにくい。それでも真剣に見つめていると、どうやら同じ言葉を繰り返しているらしいという事が分かってきた。
「何かやるつもりなんですかね、それとも……」
 眉をひそめ、考えるために白が俯く。風がびゅうっと音を立てながら吹いた。服がばたばたと音を立てそうになるのを手で押さえる。風がやんだと思ったら、もう一度同じような風が吹く。それを合図にしたかのように、瑛華が身軽に飛んで鉄格子に飛び乗った。そして、そのままバランスをとらずに――
「――あっ!!」
 落ちた。
 ワンテンポ遅れて彩音が声を上げる。はっと気づいて白が素早く立ち上がり、瑛華のいた場所を見た。……大体の予想はついたようだ。瑛華のいた場所まで走り、ちらりと下を見る。眉をひそめて、ばっと振り返った。それは、普段の彼とはなにか違う、危険を察知した目だった。
「僕は下へ向かうから、彩音さんはそこにいてください!」
 早口でそう叫ぶと、白は踵を返して下に続く階段へと向かった。階段を飛んで降りはじめる。途中、つんのめりそうになりながらも必死に降りていく。
「は、はい!」
 返事をしたと同時に、彩音は急いで瑛華の立っていた場所の鉄格子につかまり、身を乗り出して下を覗く。勢いのつけすぎで、古びていた鉄格子がぐらりと揺れた。その揺れにも動じることなく、下を見ておろおろしていた彩音はある事に気がついた。高くてあまり見えないのが原因かもしれないが……瑛華の姿が、なかった。彼女はここから飛び降りたはずで、彩音の記憶にもまだ鮮明に残っている。飛び降りたのなら、間違いなく地面に倒れているはずだ。下には落ちる時に障害になるものは何もなく、どこかに引っかかってしまうという事は有り得ない。自然と荒くなる呼吸を、唾を飲んで押さえながらも待つ。たった十秒経っただけでももう十分ほど経ったのではないかと思うほど、彩音は焦っていた。しばらくすると、建物から人が走って出てきた。――白だった。白は真っ先に瑛華が落ちているはずの場所に目を向けた。が、そこで白もおかしな事に気づくことになった。彩音の見間違いではなく、本当に瑛華はそこにいなかった。血痕や落ちた跡すらも残っていない。薄汚い道路が他のところと同じようにあるだけ。白は顔を引きつらせて、ただ固まっている事しかできなかった。
「まんまと捲かれた、と取ってもいいのか……?」
 声は白そのものだったが、言葉はまるで別人が言ったようなものだった。
2008/10/08(Wed)21:28:06 公開 / 四つ目
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■作者からのメッセージ
初めまして、四つ目と申します。不安もあり、緊張もありというなんともどきどき感ありつつの投稿です。
舞台はいつかどこかという曖昧なところですが、現代には近付けているつもりです。変わったお店なんてのはありがちかもしれませんが、ちょこちょこ捻っていけたらいいなあ、と。
なにか間違ってるところとか、感想とか、なんとなく感じた事でも書き込んでいただければ嬉しいです。
(10/5)指摘してくださった箇所を修正+続きを追加

(10/8)一話、途中まで追加。
本編が始まったわけです。が、これは一話〜三話程度で完結するものがいくつもある感じにしたいと思ってますのでご了承を。
大分書き進めていけたら、番外編なんかも少しだけ書けていけたらいいな、とか。
それよりも、その前に今書いている話を書き終えたいんですがね。
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