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『雪月華』 作者:渚 / 未分類 未分類
全角9871文字
容量19742 bytes
原稿用紙約30.5枚
「ママ……?」
 雑音の間を縫って、俺の耳に響いた声。消え入りそうな、小さな声だったのに。
「ママ? ママ?」
 人が邪魔で姿が見えない。どこだ、どこだ。必死で人を掻き分ける。スーツを着た禿げた親父。買い物袋を持ったばばぁ。制服を着た茶髪の女。空からぼたぼた降ってくる大粒の雪。すべてが気に障る。お前ら邪魔なんだよ。この寒い中何やってんだよ。早く帰れ、馬鹿。心の中で口汚い言葉を吐く。その間にも、声は絶えることなく聞こえてくる。そして、だんだんと早くなってくる呼吸も。はっ、はっ、はっ、はっ。それに呼応するように俺の心臓も痛いぐらい脈打っていた。
 どこだ、どこだ、俺の娘は、妻はどこだ……。
 誰かに思いっきり足を踏まれて舌打ちをしながら足元に目をやると、野次馬どもの足の間から二本の腕が見えた。心臓が大きくひとつ脈打つ。何かを求めるように伸ばされた小さな手と、力なく投げ出されたもうひとつの手。
 違う――その願いは一瞬で打ち消された。投げ出された方の手首には、見覚えのあるブレスレットがはまっていた。俺が一昨日妻にプレゼントした、五回目の結婚記念日の贈り物だった。
目の前のやつらを突き飛ばして開けた視界にはじめに映ったのは、こちらに背を向けて倒れている女性の姿だった。そしてその女性は、ほんの十五分ほど前に娘の手を引いて車から降りていった、俺の妻だった。
 そして、妻を呆然と見つめている、娘の後姿。雪が積もったアスファルトに膝をついてぺたりと座り込んでいる。彼女の周りの雪だけ真っ赤だ。それが妻の体から流れた血の色だと気づいたとき、俺は気を失いそうになった。
「ママ……?」
 娘の小さな手が、妻に向かって伸ばされる。俺は震える足で駆け寄ってその手をつかんだ。そのまま自分の胸の中に彼女を抱きこむ。何も見えないように、何も気づかないように。娘の体は熱くて、驚くほど呼吸が速かった。ママ、ママ。俺の胸の中でか細くつぶやき続ける娘をさらに強く抱きしめる。
「華」
 耳元で小さく名前を呼ぶ。娘の体がびくりと動き、呟きがやむ。はっ、はっ、はっ、はっ。呼吸の音だけが続く。その荒い息に混じって震えた声が聞こえる。
「パパ……」
 うわっ、なにあれ。血まみれじゃん。あの子娘かな?まだ小さいのに、かわいそう。あの人、死んでるんじゃないのか。救急車は?
 好奇の目。ささやき声。
 見るな。俺たちを、そんなで見るな。誰か、誰か。助けてくれ。誰か。
 何一つ言葉にはならなかった。小さく震えている娘の体をただ抱きしめていた。いや、俺が娘にしがみついていたのかもしれない。









 冬はきらいだ。むだに寒くてむき出しの顔や耳が割れるかと思うぐらい冷たくなるし、朝だってなかなか起きられない。雪が降れば電車やバスは止まるし、つるつる滑ってうっとおしいったらない。大学受験に落ちたのも、肘を痛めて大好きだったテニスができなくなったのも、妻が死んだのも、冬だった。
 憂鬱な気分で時計を見上げる。四時。そろそろ華が帰ってくる時間だ。
 華。俺の娘。妻の忘れ形見。名前は二人でつけた。春に生まれた、桜みたいに明るくてかわいい子。そんな意味をこめて。
「雪はきらい」
 いつだったか、雪の降る夜に、曇った窓ガラスの外を見つめながら華がぽつんと言った。雪はきらい。冷たいし、ママがいなくなったから。
 華は四年前、母親を失った。つまり、俺は四年前に妻を失った。あの日は、記録的な大雪の日だった。真っ赤に染まっていた雪の色が、今でも忘れられない。
 ガチャリとドアが開く音が聞こえた。それに続いて、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。俺はコタツから出てリビングのドアを開けてやった。華は俺を見るとにっこりと笑った。鼻頭がほんのりと赤い。
「ただいまー」
 お帰り、と答えながら華の額に自分の額を当てる。ひんやりと冷たい。一瞬妻の遺体の絶望的な冷たさを思い出して、背筋に悪寒が走った。あの冷たさ。きっと、実際に触ったことがない者にはわからないだろう。あの乾いた、冷たい感触を。
「今日ね、すごく寒い。ちょっとだけ雪が降ってたよ」
 ランドセルを下ろしながら華がいう。華の声も、そう、と答えた俺の声も沈んでいた。俺も雪は大きらいだ。
「今も降ってるの?」
 再びコタツに足を入れながら華にたずねる。
「ううん、お昼休みには降ってたけど、もうやんでてね、積もってないし、もうわかんないよ」
 そういうと、華は肩までコタツにもぐりこんだ。向かいに座っていた俺の足に華の足がぶつかる。靴下越しにでも冷たく冷えているのがわかる。そういえば去年華は霜焼けがひどくて、かゆいかゆいと散々くずっていたっけ。ホントに、冬なんてろくなことがない。金さえあれば、ハワイにでも移住したいものだ。
「華、手洗ってきな。早くしないと出られなくなるぞ」
「えーやだ。寒い」
 くぐもった声だけが返ってくる。仰向けに寝転んでいるので向かい側にいる俺には華の姿が見えないが、きっとまた、頭までコタツにもぐりこんでいるのだろう。俺はため息をついて立ち上がる。暖房の効いた室内だというのに、冷気がさっと背中に走る。
 ビーフシチューが食べたいな。
 ふっと、懐かしい味がよみがえる。妻がよく作ってくれたビーフシチュー。やわらかく煮た肉と、ほくほくのジャガイモ。三人で囲む、暖かい食卓。
 あわてて頭を振って考えを振り払う。いまさら惜しんだって仕方がない。もう二度と、あんなふうに飯を食うことはないのだ。もう、二度と。
 案の定コタツにすっぽりもぐりこんでいた華を引きずり出しながら、改めて失ったものの大きさを実感して、気温とは関係なく身震いした。
 俺を気分を変えようと華に明るく話しかけた。
「華、夏になったら、今年は海行こうか」
「海? ほんと?」
 床に突っ伏していた華がうれしそうに飛び起きる。瞳がきらきらと輝いている。
「ああ。プールよりずっと楽しいぞぉ。 波があるし、魚もいるし」
「行きたいっ!!」
 華がはしゃいで飛び上がる。その姿が愛らしくて、自然に頬が緩む。
「夏になったらな」
「絶対だよ。約束だよ」
 そういって華はにっこりと笑った。








 俺は、家事がほとんどできなかった。妻がいたころは、ほぼすべて妻にまかせっきりだった。仕事を終えて家に帰ってくれば、暖かい食事ときれいに掃除された部屋、ふかふかの布団が待っていた。それを作るまでの過程が、こんなに大変だなんて思っても見なかった。
 妻がいなくなって初めに困ったのは、洗濯だった。食事は妻の母親、義母が作りに来てくれていたし、来ない日だってカップ麺でも何でもで食いっぱぐれることはなかった。しかし、十日もした頃だろうか。華の服がなくなった。当時まだ華は四歳だった。外で汚してきたり食べ物をこぼしたりで、一日に使う枚数も多かったのだ。俺は途方にくれた。脱衣所にたまっている服の山に気づいていないわけではなかったが、いざ何とかしろといわれても、俺は何もできなかった。洗濯機の使い方はおろか、洗剤がどこにあるのかさえ知らなかったのだ。結局、義母に頼んで家に来てもらったときの義母のあの目は忘れない。
 しかし、やはり何よりも重く俺にのしかかったのは、華の面倒を見ることだった。四歳の子供を家に一人で置いておくことは不可能だった。食事、洗濯、掃除、それこそ何一つ一人ではできないのだ。一人で家にいるときに食器からコップをとりだそうとして、落としたコップの破片で華が怪我をした翌日、俺は仕事をやめた。その日、帰宅した俺が見たものは、足の裏や手のひらを切り、そこから血を流しながらも懸命にガラスの破片を拾い集めている華の姿だった。たった四歳の子供が、ぼろぼろ涙をこぼしながら真っ暗なキッチン(華は当時、電気のスイッチにも手が届かなかった。いつもは踏み台を使っていたようだが、その時は俺が片付けてしまっていて見つけられなかったのだ)破片を拾っていた。俺に迷惑をかけてはいけないと、母親を亡くしたばかりの子供が父親に気を使っていたのだ。
 義父母は華の面倒を見てくれるといった。華ちゃんの面倒は私たちが見るから、あなたは安心して仕事をしてください、と。
 俺は断った。その代わりに俺が頼んだことは、情けないことに、金銭的な援助だった。仕事をやめてしまった今、まったく収入がありません。華の面倒は俺が責任を持って見ます。だから……。
 あの頃に俺に、華を手放すことなど不可能だった。妻も、その上娘までいなくなったら、俺は何のために家に帰るのだろう。何のために働くのだろう。夜遅くに帰ってきて、待ちくたびれてコタツで眠っている華を抱きしめる。それが何よりも、俺の救いになっていた。娘のことを、深く愛していた。
 あれから四年。俺は洗剤の置き場所と洗濯機のまわし方を覚え、何とか三食飯を作れるようになった。華は小学生になり、電気のスイッチに手が届くようになった。俺たちは相変わらず二人で暮らしている。義母が食事を作ることはなくなった。俺はいまだに働いていない。俺は今でも、華を愛してる。今でも、深く。








「みぃくん!!」
華が充に飛びつく。充もにっこり笑って華を抱き上げる。華は幸せそうに充に頬を寄せる。充は俺にも微笑みかけた。
「お邪魔します、敦司さん」
 充はいつでも来るたびにこうして律儀に挨拶をする。俺は軽く手を上げてそれに答えた。
 充は華にとっては伯父にあたる。彼は妻の、年の離れた弟だ。妻より十一個下なので、今は十七歳のはずだ。俺と妻がお互いに二十歳で、いわゆる「できちゃった婚」をしたとき、充はまだほんの子供だった。
 充は妻には似ていない。ひょろりと背の高い体型は妻と同じだが、顔立ちはちっとも似ていなかった。あたしよりみぃくんのほうがずっと偏差値高いでしょ。初めて充に会ったとき、妻はそういって笑った。妻には悪いが、その通りだと内心思った。今はすらっとした男前だが、その頃はまだ子供で、すこし髪がくりくりしていて、天使みたいな子供だった。
 華は俺よりも妻よりも、充によく似ている。今の華は、あの頃の充にそっくりだ。楽しげにじゃれあっている二人は、年の離れた兄妹にしか見えない。華は妻のまねをして、充のことを「みぃくん」と呼ぶ。
「充、机の上ちょっと片して。華も、箸並べて」
 準備の整った机の上に鍋を運んでいく。その中身を覗き込んだ華が、ぱっと目を輝かせる。
「しゃぶしゃぶだぁ!!」
「おぅ。今日寒いしな」
「華、お鍋好きだもんね」
 充が楽しそうに笑う。充は二週間に一度ほど、こうして家で飯を食っていく。そのまま泊まっていくこともあるし、逆に華をつれて帰って、華が向こうの家に泊まることもある。
「うん!! あのねぇ、みぃくんが来る日は、パパいつもお鍋にするんだよ。普段はしないのに」
「こら、華」
 俺がたしなめると、華はひょいと肩をすくめた。充が少し気まずそうに笑う。しゃぶしゃぶが我が家ではぜいたく品であることに気づいたのだろう。華の言うとおり、充が来る日以外はしない。義父母が孫と、そのついでに俺の様子を知るために充を送り込んできていることぐらい、わかっていた。充自身はそんなこととは関係なく、俺たちのことを心配してきてくれていることも。俺たちの結婚に否定的だった親戚の中で、充だけは俺たちの味方だった(もっとも、まだ十歳にもならない子供だったが)。
「敦司さん、ホント、気使わないでください。俺、何でもいいですから」
「いや、別に気使ってないよ。たまたま鍋の日に、いつも充が来るだけで」
 肉をつつきながら、言い訳にもならないような言い訳を吐く。充は華の取り皿に豆腐をよそってやりながら、困ったように笑った。華が充に礼を言う。その仲睦まじい姿に、俺は内心穏やかではなかった。








「敦司さん」
 キッチンに充が顔を覗かせる。俺が手に持っているタバコを見て何か言いたそうな顔をした。
普段きついことなど言わない充だが、一度だけ、タバコについては俺に言ったことがあった。華がいるのに、タバコやめてください。どうしても吸うなら、せめて華から離れたところで吸ってください、と。華なら、充と居間で遊んでいたはずだ。キッチンでは「離れたところ」にはならないのだろうか。そんなことを言っていたら、この小さなマンションの中にそんな場所はない。この寒いのに、ベランダに出るのもいやだ。
充の視線を避けるようにタバコを灰皿に押し付ける。
「何?」
 俺が問うと、充はどうやら言いたいことを飲み込んだ様子で、まじめな顔で俺に言った。
「ちょっと、話したいことがあって。大事なことなんです」
「……華は?」
「コタツで寝ちゃいました。 気になるなら、部屋に運びましょうか?」
「いや、いい」
 俺は充を押しのけるようにしてキッチンから出た。俺は基本的にはこの義弟を気に入っているが、たまに、こんな風に華の保護者みたいに振舞うのだけは気に入らない。さっきの食事の時だってそうだ。内心の苛立ちを抑えながら食卓に座る。コタツでは、華が大の字になって眠っていた。
 俺に続いて向かいの席についた充は、一度大きく息をついてから話し始めた。
「華のことなんですけど」
 俺は充を見なかった。机に上に組んだ手をただじっと見つめていた。充がじっと俺を見ているのがわかる。俺が顔を上げるのを待っていたようだが、やがてあきらめたようで、そのまま話し始めた。
「家に、引き取りたいんです」
 俺は顔を上げ、充を見た。充はまっすぐに俺を見ている。とてもタバコが吸いたくなったが、充の手前、そういうわけにも行かない。
「……それは、お義母さんたちの考え? それとも、充の考え?」
「両方ですけど、どっちかって言うと、俺の考えです」
「お義母さんたちは引き取りたいと思ってないの?」
「いえ、親父とお袋は、姉貴が死んだ時からそう言ってます」
 充はそういってちょっと笑った。
「俺は、反対だったんです。華は敦司さんといるべきだって、そう思ってました」
「…………」
 思ってました、か。
 充が俺を見る目が最近変わってきたことに、俺は薄々気づいていた。こんな話をされる日が近いうちに来ると、感じていた。
「親にもそういってきました。そんなことするべきじゃないって」
「……でも最近は、そう思わないんだ」
「……はい」
 充は少し小さな声で、でもはっきりと言った。
「何で?」
「俺が、子供だったからだと思います。 何が華のためになるのかなんて、わからなかった」
 俺は内心舌打ちした。何が「華のため」だ。そういうことを考えるのは、俺の仕事だ。
「……敦司さん、知ってますか? 華の体操服袋、破れてたの」
「え?」
 いきなり思っても見なかったことを言われる。体操服袋……?小学校に入ったときに買ってやった、赤いあの巾着のことだろうか。
 俺の表情を見て充が話を続ける。
「学校の帰りに何かに引っ掛けて破れちゃったみたいです。華、自分で直そうとしてました」
「何で言わないんだ、あいつ……」
「わかりませんか?」
 充が半分あきれたような、半分悲しむような目で俺を見た。胸の奥で、何かどす黒いものが渦巻いている。
「敦司さんが言わせないからですよ。敦司さんが、華を拒んでるから」
 華の父親は、俺だ。お前じゃない。
「他にも色々あります。敦さん、ちゃんと華のこと見てますか? 気づこうとして」
 その先は言わせなかった。立ち上がった拍子にいすが倒れる。気づくと、俺の拳は充の顔に飛んでいた。充が床に倒れこむ。その音に、華が飛び起きる。仁王立ちのまま、俺は華を振り返った。華はおびえたように俺を見つめ、そして倒れている充に目をやった。そして……充に駆け寄った。
「みぃくん!! 大丈夫!?」
 充の傍らに膝をついたまま、華は俺をきっと見上げた。今まで見たことがないような表情だった。
「パパ、ひどいよ!! どうしてみぃくんを殴るの!?」
 パパひどいよ。
 ぱぱひどいよ。
 パパヒドイヨ
 胸の中が真っ黒に塗りつぶされる。気付くと、俺は華に怒鳴っていた。
「お前は関係ないだろ!! いいから部屋に行ってろ!!」
 華はびくりと肩を震わした。俺を見つめたままの瞳から、ぼろぼろ涙が零れ落ちる。それを見て、俺ははっとした。何をやってるんだろう。こんな風に華を怒鳴りつけたことなんか、一度もなかったのに。俺が華に一歩近づこうとすると、充が起き上がって華を背中にかばった。俺が同じように、華のことを殴ると思ったのかもしれない。右頬が赤くなって、唇の端が切れている。充も、今まで俺が見たことないような顔で俺を見ていた。今まで一度も思ったことがないのに、そのとき初めて、俺は充が妻に似ていると思った。妻が俺を見つめているような気がして、俺は立ちすくんだ。
 やがて充は立ち上がり、華を抱き上げて居間を出て行った。俺は動けなかった。あのまま華をつれて帰ってしまうのかと不安になったが、どうやら華の部屋に連れて行ったようだ。二言三言会話をしているのが聞こえ、やがて扉が閉まるのが聞こえた。それから少しして、充が居間に戻ってきた。俺はさっきと同じ場所で、相変わらず立ち尽くしていた。
 充はじっと俺を見つめていたが、やがて口を開いた。
「敦司さんは……華のこと、愛してますか?」
 愛してる。今も昔も、世界で一番愛してる。
 それは事実なのに、俺は何も言えなかった。
「華が前に言ってました。……パパは、あたしのことが邪魔なんだって」
 俺は何も言えなかった。反論できなかった。それは、まったくの間違いではなかったから。
 愛してるのに。世界で一番愛してるのに。どうして煩わしく感じるのだろう。
 華が小学校に上がった頃からだった。華の面倒を見ることが、たまらなく面倒なときがあった。華の存在が、邪魔で仕方なく感じることがあった。そんな華のために働く気が起きなくて、仕事もしなかった。小学生になった華は格段に手がかからなくなって働くことは十分可能だったのに。
 充が華の保護者のような顔をするのが気に入らなくなったのも、最近の話だ。充が大きくなって面倒見がよくなったこともあるのだろうが、一番は俺の変化だった。華はきっと、俺の心情の変化を感じ取っていたのだろう。充が言うとおり、俺に頼ることが減った。そんな華が、充には信頼を寄せて甘える。充に父親の座を取られるような気がして、怖かった。焦っていた。なぜなら、華のことを愛してるから。華の父親でいたいから。花にも、俺のことを愛してほしいから。なのに。
 充は何もいえないで突っ立っている俺をじっと見つめていた。やがて、彼は俺が蹴倒したいすを律儀にも立て直し、そのまま黙って出て行こうとした。俺は思わず充を引きとめた。
「華を」
 俺の声に充が振り向く。自分の声とは思えないほど、弱弱しい声だった。
「華を、連れてかないでくれ。頼む、俺から華を、とらないでくれ」
 充の顔がゆがむ。それは怒りというよりも、泣きそうな顔に近かった。なぜそんな顔をするのか。戸惑う俺に充は言った。
「俺は、華の気持ちを尊重します。……明日、迎えに来ます」
 それだけ言うと充は背を向けて、出て行った。この寒空の下、コートも着ずに。充がおいていった黒いコートが、暖房の温風で小さく揺れている。
 華の気持ち。明日迎えに来る。
 華は、俺といることを望んでいない。しかも、そのことをおそらく充には伝えている。
 俺はその場にへたり込んだ。華にとっては、俺はとっくに父親ではなかったのだと思い知らされた。








 翌日、充が来た。俺を見ると、黙って頭を下げた。
「お邪魔します」
 相変わらず律儀にそういって、居間でぼんやりと窓の外を見ている華に近づく。下の車には、義父が待ってくれている。
 今日は、大雪だ。たぶん、妻が死んだあの日以来の、大粒の牡丹雪。変わらない町並みを、真っ白に染めている。
 華には、充の家に移住させることは言っていなかった。ただ、少し用事があるから今日は充の家に泊まってくれ、もうすぐ迎えが来るから、と
言っただけだ。昨日のことをまだ引きずっているのだろう、華は黙って頷いた。荷物は後で送って、華はそのまま向こうの家で暮らす。
「華、行こうか」
 充が声をかけると、華は彼を振り返り、こくりと頷いた。
 華がいなくなる。その実感があまりにもなくて、俺は少し戸惑っていた。別に二度と会えなくなるわけじゃない。電車でほんの二駅離れた妻の実家に行くだけ。
 俺は今日から、華の父親ではなくなる。俺はただの、「血の繋がった誰か」になる。華の父親でいる資格は、もう俺にはない。
充が華の手をとる。充は俺に少し頭を下げ、華の手を引いて歩き出した。華が俺を振り返る。俺は微笑んだ。最後ぐらい、いい思い出として残ってほしい。「父親」の姿が、少しでも華の中に優しく残るように。
「パパ」
 華が小さく俺に呼びかける。大きな瞳が濡れた様に光っている。その瞳は、まっすぐに俺を見ていた。
「……夏になったら、海行こうね。約束だよ」
 ポツリと、つぶやくような声。俺はまっすぐに華を見つめ返した。華の頬に、涙が一筋零れ落ちる。
 胸が詰まる。息ができないほどに。
 華は気づいている。これが大きな変化であることに。ちょっとしたお出かけなんかじゃない、長い別離だということに。
 俺は思わず華に駆け寄り、抱きしめた。その小さな体は、腕の中にすっぽりとおさまった。華もしがみついてくる。いつの間にか、充の手を離していた。妻の死を目の前にして、ただ華と抱きしめていたこと。いや、ただ華にすがりついていた自分。あの時と同じように、二人は抱き合っている。あの時は違うのは、ずいぶん背丈が伸びた娘の体と、その中の心。そして、おれ自身の心境。
いつまでもそうしていたい衝動を押さえつけて、華から離れる。必死で笑って見せた。
「ああ、約束な。ほら、行っておいで。 おじいちゃんも待ってるぞ」
 華は俺にちょっと笑って見せ、再び充の手を握った。
 二人を玄関まで見送る。扉を開けると、冷気がさぁっと頬をなでる。外は真っ白だった。あの日と同じように。
「敦司さん」
 充が俺に話しかける。華はエレベーターのボタンを押しに少し離れた場所にいた。俺はまっすぐに充を見、頭を下げた。
「……華を、よろしくお願いします」
 俺の、「父親」としての頼み。頭の上から声が降ってくる。
「……華の父親は、敦司さん一人です。今は無理でも……また華の父親になってください」
 俺は顔を上げた。充の表情は穏やかだった。それなのになぜか、昨日の充の泣き顔を思い出す。
 充は、何も好きでこんなことをしているわけではないのだ。いや、気のやさしい充のことだ、むしろ苦渋の決断だっただろう。彼は真剣に考えてくれているのだ。華のことを……そして、俺のことを。
「充……」
 充は少し微笑み、少し頭を下げて、華の下へ歩いていった。華の手を引いて、エレベーターに乗り込む。華が俺に手を振る。俺は半分上の空で、手を振り返す。華は扉が閉まるまで、手を振ってくれていた。
 







 部屋に戻り、冷え切った足をコタツに突っ込む。一人ではいるコタツは、妙に広く感じられた。
 窓の外では、相変わらず雪がしつこいぐらいぼたぼた降っている。
 もう一度、華の父親になってください。
 充の言葉がよみがえる。そして俺に手を振り続けてくれていた、華の姿が。
 やっぱり、冬にはろくなことがない。特に大雪の日は、最悪だ。
 もう一度、華の父親になりたい。
 コタツの上で、拳をぐっと握り締める。それでも涙は止まらなくて、とめどなくあふれ出てくる。それでも俺は必死で歯を食いしばって嗚咽をこらえた。
 今年の夏は海へいこう。仕事を見つけて、夏まで死ぬほど働こう。国内なんていわない、ハワイでもグアムでも、華が行きたいところに連れて行ってやろう。二人で手をつないで歩こう。こんなうっとうしい寒い場所じゃなくて、溶けそうなぐらい熱い太陽の下を。
 真っ白な外の景色が腹立たしくて、俺は力任せにカーテンを閉じた。降り積もったばかりの雪の上に、小さな足跡をつけて歩く華の後姿が浮かんできて、また目頭が熱くなった。
2008/07/29(Tue)19:35:39 公開 /
■この作品の著作権は渚さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 はじめまして。
 正確には初めてではないのですが、かなりお久しぶりなので知っている方のお名前がほとんどありません笑
 もしご存知の方は、お久しぶりです。

 季節はずれにも、冬のお話です。特に深い意味があるのではなくて、冬から書いていたものがやっと完成したんです^^;
 久しぶりに書いてみて思ったことですが、ワープロ打つのって肩がこりますね…。

 最後まで目を通していただき、ありがとうございました。ご意見、ご感想等お待ちしております。


 早速修正です(汗)修正箇所が多々ありました…。
この作品に対する感想 - 昇順
初めまして。
久し振りに涙が止まらない物語を拝見致しました。
父と娘の寄り添う話かと思ったら、父の再出発の話だったんですね。
タイトルが自分の書いている小説に出て来る言葉で、お気に入りのものなので、親近感から読みはじめましたが、読んで正解でした。
たまに過去ログで読んでない物を時間のあるとき読みますが、こんな【であい】があるからやめられない。
良き作品でした。
2009/01/30(Fri)09:45:582ミノタウロス
合計2
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この作品の投稿者 及び 運営スタッフ用編集口
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