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『終わらない歌』 作者:忍足 推 / リアル・現代 恋愛小説
全角18282.5文字
容量36565 bytes
原稿用紙約56.75枚
平成元年。高校の同級生だった中原みゆきは俺――佐藤雅也の家族になった。卒業後、音楽で食べていくことを目指して別の道に進んだ二人の、もう果たせない約束を思い出と共に語る。
 年末ということもあり、駅前通はかなり混雑していた。信号が赤に変わっても、交差点からはなかなか歩行者が絶えない。気の短い車が、どこかでクラクションを鳴らした。
「この辺も、ずいぶん人が多くなったんだね」
 後部座席でみゆきが驚きの声をもらした。
「前はもっとのどかだったのに。学生しか歩いてなくてさ」
「ちょっと前から再開発されたんだよ。駅が新しくなってデパートも入った。たしか、俺らが高三のころからだと思うんだけど……」
「あー、確かに工事始まってたかも?」
 口調からするとあまりよく覚えていないらしい。
 ようやく道路を走れるようになった。俺はハンドルを握り直してアクセルを踏む。そしてバックミラーをちょっとだけ傾けて、みゆきの顔が見えるようにした。――幸せそうだ。腕には生まれたばかりの男の子を抱えている。気持ちよさそうに寝ているのを起こさないよう、徐行運転を心掛けた。
 みゆきは今日、産まれた男の子と共に退院した。これから孫の顔を見せに、実家に帰るところだ。 
「もう、卒業してから二年も経つんだねー」
 ラジオでは平成元年の総まとめと称して、今年のヒット曲をずっと流している。
「まだ二年だろ」
「ううん。あんまり楽しくて、短く感じたんだと思う」
「――でもまさか、結婚するなんてな」
「駆け落ちしてね」
「波瀾万丈だな」
 ミラーのなかでふふっ、と恥ずかしそうに笑うみゆきが見えた。つられて俺も少し笑う。
「ねえ、雅也」
 突然呼ばれて、――俺はすぐに反応できなかった。
「…………」
「……え!? なんで? 黙るの?」
「え、あ、いや、呼び捨てだなって思って」
 高校の同級生だった頃からずっとくん付けで呼ばれていたのに。
 俺のあまりの驚きぶりが意外だったようで、みゆきもしばらく黙っていたが、いいじゃないもう家族なんだからと小さく言った。

 いいじゃないもう家族なんだから。

 母校の前を通り過ぎると、みゆきの実家はすぐそこだ。
 近づくに連れてみゆきはあちこちで声をあげた。あー、あのバス停懐かしい。文房具屋さん、まだあるかな。クリーニング屋さんは潰れちゃったの? などなど。長く地元を離れていたあとは、いろいろと思うこともあるのだろう。まだ二年。もう二年。時間の流れの感じ方はみんな同じではない。
「――もうすぐ着くよ」
 俺は前を見たまま声をかけた。
「あ、本当?」
「うん。降りる準備しといて。あ、そうだそろそろ……兄貴起こしてあげてくれる?」

 何でもないように話すのがどんどんむずかしくなるのがわかっていた。早口になり、そんなつもりはないのに言葉に刺が増えそうで。
 兄貴にみゆきが声をかけた。病院を出てから、みゆきの隣でずっと眠っていた男。
「裕真、起きてよ。もうすぐ着くから。ねえ。だらしないよ、もうお父さんになったんでしょ」
 非難しつつも笑っているのは、この男が退院までずっと自分をいたわり続けていたからだろう。

 もう家族なんだから。 

「車出してくれてありがとうね、雅也」
 家に入る前に、みゆきは俺にぺこりと頭を下げた。礼儀正しいのは昔からで、しかもまったく嫌味なところがない。
「全然。ちょうど俺も実家にいたところだったし、ついでだよ」
「ううん、本当に助かった」
 俺と兄貴の実家は二駅先にある。そこには明日、兄貴と二人で行くつもりだと言っていた。
「雅也は、もう帰っちゃうの?」
「ああ。俺もうすぐヨーロッパ行くし、このあと寮に戻って荷物整理しないと」
「すごいねえ、音大生」
「そんなことないよ」
 そう、そんなことにはもう価値はないかもしれない。そんなことには、もはや。
「あとでさ、留学したあとの連絡先も教えてくれる? 結婚式の招待状送るから」
「……わかった、電話して」
「オッケー。じゃあ、また」
「おう」
 お幸せに、とはどうしても言えなかった。
 幸か不幸か、結婚式にも出なかった俺はその後ずっとみゆきに会っていない。途中からは、会うこともできなくなった。
 兄貴とみゆきが結婚するなんて思わなかった。確かに、俺とみゆきと兄貴はもう同じ「佐藤」になったのだ。
 高校時代の同級生からいきなり二親等の家族になったという事実は、俺にはあまりに大きく、重く、痛すぎて、どうすればいいのかわからなかった。喜べばいいのか、悲しめばいいのか、ただ、結婚する二人の幸せを祈れない気持ちを誰にも隠しておかなければならないことはわかっていた。若い頃の、一時の、青春のようなものだと、笑い吹き飛ばして無くしてしまわなければ、一刻も早く。

 思い出話の始まりは、このさらに四年前にさかのぼる。
 一九八五年七月二十一日。日付まで覚えている、間違いなくこの日が俺と兄貴の運命の日だった。

 その日の朝は、とくに何でもない。
 俺はいつも通りの時間に目を覚ました。毎朝五時に、隣の部屋から薄い壁を突き抜けて聞こえてくるドラムとベースの音。兄貴が帰ってきたことを、当時のうちの家族はこれで認識し、俺のいい目覚まし代わりにもなっていた。バンドをやっている兄貴がよく使うスタジオには、深夜パックというものがあるらしい。時間が遅いと料金が安いから、兄貴は毎晩家を空ける。
 リズミカルな音に耳を傾けながら俺は制服に着替えて勉強をはじめた。これも習慣だった。持っているヘッドホンがよくないのでウォークマンの音質が許せないのだと、兄貴はいつか言っていた。
「――おはよう」
 六時。台所ではお母さんがみんなの分の朝食を用意している。すでに親父が席について食べていた。
「ああ、おはよう雅也。ご飯できてるから。お茶は自分で入れてくれる」
「うん。あー……兄貴起こしてこようか? 」
 お母さんは黙って首を振った。そして言い訳のように「どうせ疲れてるでしょうから」と呟く。テレビでは天気予報がついていた。朝食の席では、あまり会話がない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 親父のあとに続いて俺も家を出る。七時十五分。朝食はひとり分だけテーブルに置いたままになっていた。
 お母さんはけして兄貴を責めない。教師が来てもひたすら、あの子を信じている、と繰り返して高校に学費を払い続ける。それは、嘘ではないのだろう。俺が気になるのはいつかお母さんが言っていたこと。

 あの子とコミュニケーションが取れるのは音楽だけなのよ。

 テレビには出ていない、誰も知らないような曲ばかりで兄貴は毎日自分の部屋を満たしている。
 だから、朝の自分の部屋以外でそれを聞くことがあるなんて思ってなかったのだ。

 
 ――その日の昼までは。

 昼休み、そのとき学校は確かに少し動揺していた。大げさに騒いでいたのは教師ばかりだったけど、顔に出さなくてもみんな驚いていた。あるものは落ち着かなさに耳を塞ぎ、あるものは何となく楽しげだった。「どうしたんだ?」「放送室には誰がいる?」そんな声が職員室の外まできこえる。 
 いつもなら当たり障りのないクラシックが流れている時間に、ドラムとベースとエレキギターと叫ぶような歌声が校舎を揺らす。ゆらゆら、ぐるぐる、まさにロックアンドロール。
 しかし俺は冷静だった。すぐに放送室へ向かった。次期放送委員長として、これは止めなければという義務感があったのだ。サラリーマンみたいだなと、あとで思った。
「おい、誰だ、流してるのは!」
 怒鳴りながらドアを開けて上履きを脱ぎ捨て、放送機器のスイッチを止めに行く。
 そこにいたのは見知らぬ女だった。
「……なにやってんだおまえ! この時間はクラシックしか流しちゃいけないって知ってるだろ?」
「えっ?」
 前髪のあいだからのぞく大きな瞳はとまどっていた。
「ちょ、ちょっと待って、でもこれ放送室にしか」
「はぁ? 学校中に流れてるんだよっ」
「え? ええっ何それ!? だってこれ、」
「だからブルーハーツだろっ!」
 目が大きくて顎が細い派手な顔に、長い茶髪、短いスカート。生活指導部に睨まれていないのか心配になる。
 これが当時十六歳の中原みゆきだったのだが――
 結局話が通じたのは、揃って購買に行っていた他の放送当番が帰ってきたあとだった。

 当番の奴らはみな顔見知りの男どもだ。
「あのさ、どういうことなのこれ」
「あー、ごめん、みゆきのせいじゃないんだ……」
 D組の笹井が全部説明してくれた。男どもはみな申し訳なさそうに俺と、みゆきと呼ばれた女を見ている。
 当番が退屈しないように、放送室には色々なものがある。トランプ、オセロ、コップとティーポット、扇風機まで。機材とは別に放送委員が個人的に使う、古いオーディオもあった。すべて代々の放送委員が持ち込んだものだ。
「そのオーディオ使うの久しぶりだったからスピーカーつなぎ直したんだけど、なんかまちがって機材の方に……」
「誰が繋いだんだよ?」
「あぁ、ごめん、俺」手を挙げたのはC組の赤坂だった。
「赤坂……おまえ」
「ごめん佐藤」
「俺らが悪かった、みゆきをひとり残して」
 男どもが次々とかばうさまはなんだか異様だった。俺は溜息をつく。
「わかった、もういいよ。おまえらあとで一緒に顧問に謝りに行くぞ」
「ご、ごめんなさい……私こそ、私がブルーハーツ聞きたいとか言ったから」
「……で、悪いけどあんた誰?」
 そのとき俺はようやく声をかけることが出来たのだった。言葉尻が少しとげとげしい。まだイライラを引きずる俺を、他の奴らは少し不安そうに見ている。
 中原みゆきの礼儀正しさはそのときからだ。すっと立ち上がって俺と目を合わせたまま頭を下げ、
「一年C組の、中原みゆきです。手塚さんの代わりに先週から放送委員になりました」
「…………」
「どうぞよろしくお願いします」
 派手な外見とは違う落ち着いた言葉。
「みゆき、いいんだぜそんなかしこまらなくて」笹井が言った。
「コイツも一年だから」
「えっ……あ、ほんとだ」
 中原は俺のクラス章を見て驚いている。周りは当然爆笑だ。空気が和やかになったところで俺も自己紹介をする。
「俺は、佐藤雅也。一年A組。言われちゃったけど」
「ごめん、先輩かと思った」 
「一応次期放送委員長だから、何かあったら聞いて。よろしくな中原」
「みゆきでいいよ」
 そこで昼休み終了のチャイムが鳴り、俺たちはそれぞれの教室に戻った。
 
 次の日俺は少し寝坊した。兄貴の部屋が静かだったせいだ。時計を見るともう六時半だった。
「おはよう雅也、今日は遅かったわね」
 台所でいつものようにかけられるお母さんの声が少し明るかった。
 席に着こうとして、俺は言葉を失う。
「……兄貴?」
 まともに姿を見たのは何日ぶりだろうか。親父の隣で、痩せて色の白い俺の兄が黙って味噌汁をのんでいた。俺を一瞥して呟くように口を動かす。おはよう、と言ったように見えた。
「……どうしたんだよ」
 兄貴がまた唇を動かす。信じがたいことにがっこう、と言っている。
「――昨日の昼にさ」今度はもうすこしはっきりと聞こえた。
「え?」
「昨日の昼、ブルーハーツ流れてたよな」
「待て。来てたのかよ、学校」
「近くには居た」
 基本的に無口・無表情・無感動な男が、心なしか楽しそうだった。
「なかなか面白い奴が、いるんだな。学校にも」
 ごちそうさま、と言って兄貴が立ち上がった。もう制服を着ていた。そしてすぐに鞄を持って出かけてしまう。
「……何なんだよ」
 まだ六時五十分だ。そんなに早く出てどうする、極端な奴め。
 急いで朝飯を食って、なんとか遅刻せずに学校に着いた。今日は放送当番。そういえば手塚も同じ曜日だった、ということは後釜の中原みゆきも来るということだ。
「あ、佐藤君、おはよう」
 昼休みに俺が鍵をもってくると、みゆきはすでに放送室の前で待っていた。
「早いな」
「そう?」
 みゆきは何だか楽しそうだ。そのうちに二年の畑中先輩と真野先輩もやってきて、今日の当番が揃う。俺たちは四人で机を囲み、弁当を食べ始めた。
「みゆきちゃん、もう仕事には慣れた?」
 畑中先輩が聞くと、はいっ、と元気に頷く。
「助かったよ、手塚が委員降りたいっていったときはどうしようかと思った」
「そんな。私もちょっと興味あったので、やらせてもらえて嬉しかったです」
「そうだったの?」
「みゆきちゃんはほんとうに礼儀正しいね」真野先輩も感心していた。委員長と副委員長であるこの二人とも、すでに顔見知りであるらしい。
「佐藤くんってさ」と、突然みゆきが俺の名前を出した。
「ブルーハーツ知ってたよね? 好き?」
「え、まあ」
 昨日のは兄貴の部屋からよく聞こえてくる曲だった。
「あのときは気づかなかったけど、あとで感動したんだ。知ってる人がいたって」
 みゆきは目を輝かせている。
「いや、でも俺、あれ以外の曲知らないんだけど」
「あ、そうなんだー。じゃあ今度あのテープコピーしてあげるよ。いい曲いっぱい入ってるから」
「いや、そこまでしなくても、悪いし」
「いいよ遠慮しないで。聞いてほしいの」
「……」
 実は、知っているだけでとくに興味があるわけではなかった。何度も何度も聞かされて頭に残っていただけだ。それでも俺は結局、テープをもらう約束をしてしまった。
 次の日にはもう嬉々として渡されたテープを、俺はしかたなく部屋で聞いていた。叫ぶようなボーカルも、エレキギターの美しさも、俺にはよくわからない。
「めずらしいな」
「兄貴!?」
 いつの間にか兄貴が後ろに立っていた。
「おまえ勝手に人の部屋に」
「ドア開いてた。俺の部屋のオーディオが勝手に鳴りだしたのかと思ったよ」
 兄貴は気持ちよさそうに身体を揺らしている。ラジカセから聞こえる声にあわせて口ずさむ。未来は僕の手の中、未来は僕らの手の中、と。
「このテープ、どこで手に入れたんだ」
「放送委員の、……友達から」
「へえ。そうか、じゃあ、あのときに流したのも」
「そいつだけど、でもアレは間違いで」
「会ってみてえなぁ」兄貴は俺の言葉を最後まで聞かずに呟いた。「会ってみてえな、そいつ」
 こどものように、キラキラと楽しそうに笑っている。こんな表情をみたのは何年ぶりだろうか。
「――ごめん」俺はテープを止めた。
「出てってくれる。ピアノの練習するから」
「ん? ああ、悪かった」
 出ていくときにもまだ、兄貴は口ずさんでいた。未来は僕らの手の中。そういえば、まともな会話をしたのも久々だ。
 アップライトピアノに指を置きながら思った。中原みゆきは、きっと兄貴と話が合うのだろう。

 兄貴は最近朝帰りしなくなった。深夜パックがある日も夜中のうちに帰ってきて寝て、学校に行っている。人見知りが激しい男なので探したりはしないだろうが、学校に話が合う奴が存在しているという事実が大きいようだ。“運命の日”から一週間あまりは平穏に過ぎ、高校最初の夏休みがやってきた。
「みんな俺の周りに来て、人数確認するよー」
 委員長の畑中先輩が声を張り上げた。
「二年はみんないるよ。私がさっき確認した」
「そうか、サンキュー真野。じゃあ一年……佐藤」
「はい」「赤坂」「はい」「桜井」「いまーす」「岡川」「はーい」「あと、中原……は」
「みゆきちゃんバスの時刻表見に行ってます」桜井が代わりに答えた。
 放送委員会の恒例行事である幹部合宿は、八月上旬の暑い盛りに行われた。幹部と総称される委員長、副委員長、書記、技術責任者とそれぞれの次期候補で清里に二泊。新幹部の親睦と引継を目的とする小旅行だ。
 昇降口で顧問に挨拶をした直後に中原が戻ってきて、もうすぐバスが来ると伝えた。みな急ぎ足で校門前のバス停へ向かう。駅からはJRで数時間、青春18きっぷの旅である。
「みゆきちゃん来てくれてほんとに助かったー」桜井が言った。
「あのままだったら一年女子私ひとりだったもん」
「私の時はそうだったのよ」みゆきをはさんで二つ隣で、真野先輩は苦笑する。
「そっかー。でも私もラッキーだったと思ってるよ。幹部でもないのにみんなと旅行できて」
 みゆきの言葉に、両隣の二人が安心したように微笑むのを、俺は少し離れた席から見ていた。参加者の男女比は六対三。機会を扱う地味な仕事が多いので、どうしても男子が活躍してしまうところがあるのだ。
「いい子だろ、みゆき」赤坂が小声で言った。
「まぁな。第一印象はよくなかったけど」みゆきはあいかわらず派手だ。長い茶髪に短いスカート、第二ボタンまで空けたワイシャツからは銀の十字架がのぞいている。
「だからさ、存在自体がロックなんだよ」
「……なんだそれ」
「授業はまじめに聞いて、テストでもクラスで一番取ってて、誰にでも人気あって、なのに七月の初めくらいから突然あんな格好しだして。青木、注意するどころか心配してるし」
「あの青木が」俺は驚いた。青木はC組の担任で、生活指導主任でもある。月に一度の服装検査を生き甲斐にしているに違いないと噂されるほどの教師なのに。
「桜井はどうだよ」突然話に入ってきたのは畑中先輩だった。そのとたん、いままで黙っていた岡川の表情が変わったような気がした、のは俺だけだろうか。
「みゆきちゃん可愛いけど、あんなスーパーウーマンだと敷居が高いだろ、逆に」
「べ、別に付き合いたいなんて」
 あわてて余計なことまで言ってしまう赤坂をよそに、俺はもう一度女子が陣取る奥の席を見た。桜井は原田知世に少し似ていて、ぬきんでてはいないがB組ではなかなかのルックス、体育を合同でやっているうちのクラスの男も何人かは興味を持っているようだった。当番の曜日が違うのであまり話したことはないが、付き合うなら確かにああいう女の子が無難なのかも知れない。
「まあ、なんにしても真野にはかなわないけどなぁ」畑中先輩は結局そこに落としてしまう。「なんだよ畑中、また彼女自慢かよ」二年生の先輩からはブーイングだ。
 聞こえたのだろうか、真野先輩がふとこちらを見やる。頭を叩かれてひじで突かれながら、ますます、畑中先輩は幸せそうに笑っていた。
「いいよな、幸せなんだろうね」
 岡川がつぶやいた。返答に困ったので窓の外を流れる景色を見ている振りをした。
 昼は車内で駅弁を食べ、宿舎に到着したのは午後も遅くになってからだった。小さな合宿所で、食事は自炊。駅からの道に店はなく、夕食のためには宿舎から自転車で二十分ほどの商店街まで買い出しに行かなければならなかった。
「真野先輩、私行きます。料理苦手なので」笑いながらみゆきが手を挙げた。
「あら、ありがとう。じゃあもうひとりくらい……」
「ねえ佐藤くん、一緒に行かない?」
「えっ」瓢箪から駒とはまさにこのことだ。なんだよー、と、赤坂が羨ましそうな顔をする。しかし、とくに断る理由もない。
「いいけど」俺はよくわからずに答えた。
 観光地らしく整備された広い車道を、俺とみゆきは並んで走った。車が来る気配はないので二列走行も余裕だ。 
「そういえば佐藤くん、あのテープ聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。朝勉強してるときとか」
「え、朝やるんだ。すごーい、偉いね。目が覚めるでしょ?」
「そう、だからなんだけど。寝るときはクラシック」
「うーん……フォーレとかチャイコフスキー?」
「それも聞くけど一番好きなのはショパンかな。ピアノやってるから」
 へーえ、とみゆきが感心しているので、「ぜんぜんすごくないよ」とつけ加える。
「みゆきは、バンドやってるの?」
「うん。今月の初めにようやくメンバーが揃ったんだ。文化祭に向けて練習してる」
「え、フィナーレ? あの枠ってギター部が押さえてるんじゃ」
 九月に行われる文化祭のあと、生徒限定で行われる後夜祭、通称フィナーレ。そこでは毎年、実行委員のオーディションを通過した団体が様々なパフォーマンスを行い、放送委員も裏方の仕事をする。ジャグリングやダンス、漫才など様々だが一団体は必ずギター部になると聞いていた。音楽系が二つ、というのは構成上厳しいだろう。
「そうらしいね。私もそう言われた。――ベースの人二年生だから、その人に」
「……それでも?」
「それでも」
 そう言うみゆきの目には強い意志があった。
「説得するの大変だったけど、みんなやる気になってくれた。技術はたしかだし」
 私以外はね、と言ってみゆきは苦笑したが、結局はそんなみゆきに皆説得されたのだろう。スーパーウーマンというのもあながち言いすぎではないと思った。
「やっぱり、ブルーハーツのカバーなの?」
「そうだよ……って、そうそう、佐藤くん」
 急に声のテンションが変わった。「な、なに」
「あのテープ聞いたんでしょ、どの曲が一番好き?」
「え、……えーと」
「私は『人にやさしく』かなぁ……あ、コーツ時代のテープなんだけどねアレ。ライブで渋谷屋根裏まで行ったときに知り合いになった人がいて、その人がコピーさせてくれたの。でもヒロトさん、コーツの時の曲全然やってくれなくてさ、やっぱり色々あるのかなぁ音楽性とか、それでね……」
 要するに俺を誘ったのはブルーハーツの話がしたかったかららしい。コーツとかヒロトとか言われてもわからない俺は、適当に相槌を打ちながら宿舎に帰るまでずっと聞いていた。
 こんなのをうらやましがる赤坂の気が知れない。

「料理すごく美味しかったね」
「確かに。俺も驚いたわ」
 渡された食器を拭きながら、俺もうなずいた。夕食後の食器洗いは男子の仕事だった。二人一組の輪番で、今日は俺と岡川。
「桜井さんって意外に家庭的なのかな」
「まさか」岡川の気持ちはわかるがこれには同意できない。「真野先輩だろ、アレは絶対。そうですよねー?」
 俺は後ろでテレビを見ている先輩たちに向かって声をかけた。おうよ、と畑中先輩が嬉しそうに応じる。テレビは食堂に一台しかない。
「真野は料理上手かー」しみじみと言ったのは技術責任者の川上先輩だ。
「結婚したらいい奥さんになるんでしょうね、畑中先輩」
「……うるせえよ、赤坂」
「あっ、照れてるー」
「黙れ」
「いや、これは照れてますよね。ねえ川上先輩」
 技責候補の笹井を発端にその場は大爆笑になる。赤坂と川上先輩は、同じ役職のつながりではいちばん仲がよい。副委員長候補の岡川と真野先輩なんかは逆に、今回がはじめてまともに関わる機会なのではないだろうか。
 岡川が最後の一枚を洗い終わって、俺たちの仕事も終わりだ。九人分の皿がこんな量だなんて思わなかった。
「お疲れさん。トランプやろうぜー」
 さっそく声がかかった。手を拭いてから俺と岡川もテレビの前に向かう。ずっと飛行機事故を報道しているニュースを消して、絨毯の上でみんなで車座になった。さっきの話が気になっているのか、畑中先輩はまだ硬い表情で「結婚ねぇ」なんて呟いている。
「何がいい? 大貧民? 神経衰弱?」仕切るのは書記の持田先輩。
「終わらないと面倒だからババ抜きで」
「えー、またですか。それじゃいつも通りじゃないですか」
 赤坂が不平を言う。スピーディーに終わるババ抜きは、放送当番の待ち時間に最適なゲームだ。今もまた、女子たちが風呂から出てくるまでそんなに時間も無いだろうと思われた。
「じじ抜きにしたらどうですか」俺は提案する。
「ジョーカーともう一枚抜いて置いて、最後に持っていると負けるカードがなんだかわからなくするんです」
「へえ」畑中先輩が乗ってくれた。「面白そうじゃん」
 そしていつものように恥ずかしい罰ゲームを設定する。とくに参加者が男子だけのときは、ほんとうに恥ずかしいことをみんな次々思い付くからふしぎだ。それを自分で行う可能性はとりあえず考えない。
 そして結局、
「あれ、佐藤、めずらしいな」「ほんとだ、いつもいちばんなのに」
「…………」
「佐藤が負けるなんて」
 俺も、この状況で自分が負けたなんて信じられない。罰ゲーム実行までの二十分間、嬉々として準備する他の奴らをよそに、俺は放心状態だった。

「お風呂開いたよー」
 声と共にがらりとドアが開き、みゆきが出てきた途端に背中を押された。その勢いで廊下をほとんど滑りそうになりながら俺はみゆきに駆け寄り、岡川が作った花束を差し出す。
「中原みゆきさん、愛しています、結婚してください!」
 返ってきたのは沈黙だった。「………はあ?」みゆきはあきれ顔で俺を見る。直後、風呂場のドアからもうひとり、バタバタと駆け出していった。何もいわず、俺たちの方を見もしないで二階へ上がってしまう。
「文ちゃん」みゆきはそれを見て表情を変えた。あやちゃん、とは桜井のことだと気づいたのと、みゆきにはり倒されたのはほぼ同時だった。
 急なことで受け身も取れず倒れた俺に、みゆきは叫んだ。
「バカじゃないの? さいってー! 適当な気持ちでそんなこと言うなんて」最後の方は隠れて見ていた奴らにも向いていただろう。そんな奴大嫌い、と言い残して、みゆきは部屋に戻っていった。最後に出てきた真野先輩も、フォローはしてくれない。
「はー、びっくりした」「大丈夫か佐藤」隠れていた奴らが出てきて俺に駆け寄る。
「さすがだなぁ、やっぱり存在自体がロックだよ」なおも中原みゆきへの憧れを強める赤坂に、さすがの俺も何言ってんだ、と怒鳴ってしまった。よくわからないがイライラした。
「佐藤、俺ももしかして真野に……」
「知りませんよ!」
 そんな奴大嫌い。そりゃみんな大嫌いだろうよ。ふざけてプロポーズする奴なんて。
 風呂に入ったあとはとりあえず電気を消して、俺たちも部屋に移動した。大部屋にそれぞれの布団を敷いてしばらく話していたが、あまり盛り上がらず、時間は早いのに眠ってしまう奴もいた。
「なぁ、佐藤」畑中先輩が話しかけてきたのは何時頃のことだかよくわからない。気がつくと、起きているのは二人だけになっていた。
「さっきは悪かったな」「いえ、気にしてません」気遣いは嘘のうちに入らない、と俺は信じている。
「ちょっといいか」
「はい?」
「さっき、結婚の話しただろ」
 口調は真剣だった。「あれから俺、ずっと気になってて。ほんとうに、いつまでも一緒にいられるのかどうか」
「……好きじゃないんですか、真野先輩のこと」
「好きだよ」
「そうでしょうね」
「おい、なんだよそれ。……そりゃ、今は悠子のこと、誰よりも好きだと思ってる。けど、だからって一生一緒にいることなんてできんのかな。俺たちまだ高校生だぜ。俺の親だって働いてから見合いで結婚したんだ」
「それは、気持ち次第ですよ」絶対と言える答えなんて俺も持っていない。しかし二人が幸せそうなのはよく知っていた。人前では一緒にいても平然としているが、きっとふたりきりのときは悠子って呼んでいるのだろう、そう思うと微笑ましい。
「働きはじめるっていうとあと五、六年でしょう。そんなに時間が経ってもお互いに好きでいられるなら、一生だって大丈夫なんじゃないですか。きっと結婚も出来ます」
「そうかなぁ」畑中先輩は腑に落ちないようだ。
「今までさ、結婚なんて考えたことなくて。ずっと先のことじゃねえか。俺の考えてる『先』なんて、高校までだったよ。何で今まで不安にならなかったんだろうな。今はこんなに好きでも、結婚する歳になったら、もうあいつのこと、こんな風に思うこともなくなってるかも知れないなんて」
 話の終わりはどこだっただろう。どちらかが先に寝て終わったのだろうが、この続きをすることは二度となかった。畑中先輩のなかで、答えは出たのだろうか。
 正直に言えば、俺は高校時代の恋愛なんて最後まで続くはずはないと思っていた。見合い結婚が成立するんだから、結婚にしたって、恋愛の延長とは別のものだろう。家族になるのは大変だ。相手の親とも仲良くならなくてはならないし、そもそも結婚の第一目的は子供を作ることなのだ。少なくともそう考えている人が多いだろう。
 しかし俺が何を言っても机上の空論でしかない。俺にはまだ、畑中先輩の気持ちはわからない。二人でいると何故か幸せになったり、彼女の自慢をしたくなったり、彼女が誉められると自分のことのように喜んだり、その関係や、今、全身で感じている愛情を無くしてしまうことを恐れる気持ちは。
 
 次の朝、真野先輩は笑顔で畑中先輩の隣に座った。
「おはよう」
「あ、ああ、おはよ」畑中先輩は拍子抜けした声で応じ、安心したように微笑んだ。心配は杞憂に終わったようだ。その後に続いてみゆきと桜井も席に着く。
「みゆき、おはよう」赤坂が言った。みゆきもおはよう、と言い返したあとに、ちらりと俺を見る。
 挨拶をするわけでもなく、かといって睨んでいるようにも見えなかった。表情からは何も読みとれない。なんだか気持ち悪くなって俺は目を逸らした。 
 昼頃からは、文化祭の話をした。
「今年の文化祭は九月二十日、二十一日だ」
「結構日がないですね」岡川が言った。
「そう、だからもう夏から準備を始めるのよ。シールドとか足りないものがないか点検して注文を出して、実行委員の電力担当とも話をする。赤坂くん、今年の担当、誰だか知ってる?」
 真野先輩の言葉に赤坂は口ごもる。技責の仕事だぞ、と、普段はおちゃらけている川上先輩がたしなめた。
「いちばん大変なのはおまえだからな、佐藤」
「はい」
「生徒会やら実行委員会やらいろんなところに出向くことになる。しっかりやれよ、委員長」
 こうしてみるとあらためて、この先輩たちが先代に幹部として選ばれた人間なのだと実感する。放送委員の幹部は他と違い、実質指名制だ。裏方の重要な仕事を通して、生徒会本部や教師とも対等に話が出来るだけの力を持つ委員会でもある。
「いちばん大変なのはやっぱりフィナーレですか」
 みゆきが聞いた。「そうだね」と、記録を取りながら持田先輩が答える。
「みゆきちゃん、出場枠狙ってるんでしょ?」
「……ダメだよ桜井さん、余計なこと喋ったら。入っちゃう」
「あ、すいません」
「それも」持田先輩の声は厳しい。桜井の手にはテープレコーダー。滅多に使わないものの、生徒総会などでは重要なので、この機会に練習をしているのだ。
「去年のプリント配るから各自読んでおいて。わからないことがあったら今日中に聞くこと」
 畑中先輩がこう言って、話は終わった。    
「――ねえ、佐藤くん」
 午後、食堂でプリントを読んでいるときに、桜井が話しかけてきた。男の先輩たちは花火を買いに行き、みゆきと真野先輩は部屋にいるようで、周りには誰もいない。
「佐藤くんってさ、ピアノ習ってるんだってね」
 突然のことに驚く俺に、「みゆきちゃんに聞いたんだけど」とつけ加える。
「まあ、そうだけど」
 口調をやわらげるのは難しかった。桜井の表情は不自然に固まっていて、俺まで緊張してしまう。思い出すのは昨日の一件、ばたばたと風呂場から二階に上がっていく姿で、繊細なんだろうけどよくわからない女子、というイメージがついてしまっていた。
「実は、私もなんだ」桜井は続けた。少し親近感が湧く。「もしかして、話が合うかなって思って」
「桜井は今、どの辺?」
「えーとね、ショパンの半分くらいまでいったかな。パデレフスキー版なんだけど」
「あ、俺もそれやった」
「もう終わったの? すごいなあ、早いんだね」
 話が通じることに感動する。桜井の表情も軟らかくなっていた。
「でも今、ヘンレ版やりなおしてるんだ。ベートーベンも」
「ヘンレ版かぁ……」
 はじめてまともに話したとは思えないほど、話は弾んだ。笑う桜井は確かに可愛いと思った。岡川の気持ちも、わからんでもない。
 暫くピアノの話をしたあとに、桜井は「そういえば」と話題を変え、
「もしかして佐藤くん、みゆきちゃんのこと、好きなの?」
 唐突にそう聞いてきた。「……はあ?」
「なんで? そう見える? 俺?」
「え、そう見えるっていうか……なんか二人、仲いいし、赤坂くんが」
「赤坂ぁ?」
 あいつ、また余計なことを吹き込みやがったかと、俺は驚き呆れてしまった。だが桜井はわりと真剣に聞いているようなのでなおさら困る。
「…………」
 桜井は俺を見ている。
「……別に」しかたなく俺は答えた。「ブルーハーツの話に付き合わされてるだけだよ」
「そうなの?」
 そうだよ、と答えようとした矢先、俺は桜井の視線が自分の遙か後ろに飛んでいることに気づいてしまったのだ。振り返ると、少し離れたところにみゆきが立っている。
「……おい」
 俺が険しい顔をしてみせると、みゆきは凍り付いた。そしてすぐにすまなそうに表情を崩す。
「盗み聞きかよ」
「いや、ごめん、そういうつもりじゃ」俺にはへらへら笑っているようにしか見えなかった。「佐藤くん違うの、みゆきちゃんは私が」桜井がかばうのも、余計にむかつくだけだった。本人が聞いている前で、みゆきが好きか、なんてどうして聞くんだ。話に付き合わされてるだけなんてどうして言わせるんだ。
 今思うと理不尽な考えにとりつかれたまま、俺は夜の花火大会を経て次の朝を迎え、帰りの電車に乗った。みゆきの言動が、時折、俺をへんにイライラさせる。どうしてなのかはよくわからなかったが。

 普段から電車通学をしている者はそのままJRに乗って帰っていき、学校の最寄り駅で降りたのは俺とみゆきだけだった。真野先輩と畑中先輩が降り、桜井が降り、赤坂が乗り換えていって一年がふたりきりになっても、俺たちは暫く何も喋らなかった。空いてくると、少し離れて席に座った。取りかかればすぐに終わる、ただただ解くのが面倒なだけのぐしゃぐしゃしたわだかまりが、昨日から、俺たちの間にはずっと残されていた。
 駅前の自転車置き場に、俺の自転車がとめてあった。とても安い三日分の駐輪代を払うと、俺はさすがに耐えられなくなって、先を歩くみゆきの後ろ姿を追いかけた。
「みゆき!」もうすぐ日が暮れようとしていた。「うしろ、乗ってかない?」
「……佐藤くん」
 振り返ったみゆきの声は重かったが、顔には安堵の色が浮かんでいた。同じ気持ちでいてくれたのだとわかって嬉しくなった。
 みゆきの家は学校の近くにあるという。
「ごめんね」自転車が走り出すと、みゆきはすぐに言った。
「何が」
「色々とさ、嫌な思いさせちゃったかなって」
「……ひっぱたいたりとか?」
「そ、そんな具体的に言わなくても」
 焦るみゆきに、俺は気にしてないよ、と声をかけた。嫌な思いをさせたのはお互い様だ。
「文ちゃんがね、すごく気にしてたから。私と佐藤くんが付き合ってるんじゃないかって」
「……なんで桜井が」
「言わせるの? 野暮な男だねえ」みゆきははぐらかしたが、そのときの俺にはほんとうに意味がわかっていなかったのだ。
「だからね、聞いてみたらって言っちゃったの。そしたらひとりじゃ心細いから近くにいてって言われて」
「立ち聞き?」
「だーかーらー……」
 俺はなぜか愉快な気持ちになっていた。みゆきの家への道案内を聞きながら、二人分の重さのペダルを軽々とこいでいく。
「――佐藤くん、ほんとうはブルーハーツが好きって訳じゃないんだね」
 そういえばばれてしまっていた。答えにくくて黙っていると、「別にいいよ」と、みゆきは言った。
「これから好きになってくれればいいんだ、私は」
「……それもわからない、けど」
「うん、それでもいい。それと、よかったら今度、佐藤くんの好きな曲も教えてくれないかな」
「…………」
「文ちゃんと話してたの聞いてたら、なんか面白そうだなって思って。ショパンとか私あんまり知らないし。もしかして非常識かもしれない」
 みゆきは笑ったが、俺は笑わなかった。
「いいよ、これから……好きになってくれれば」
 さっきのみゆきの真似をして言うと、
「それもわからない、けど、好きになれたらいいと思うよ」
 向こうも真似をして答えてくれた。

 みゆきは俺の貸したテープを気に入ってくれた。俺は俺で、兄貴が朝に音楽を聴かなくなってからは落ち着かず、好き嫌いとは関係なくみゆきのテープを朝からかけていた。
「聞いてみたいな、佐藤くんがピアノ弾くの」
 そのうち、みゆきはそういうことも言うようになった。
 みゆきをいつか家に呼ぼうと考える。俺の部屋のアップライトの脇、譜めくりの位置に椅子を置こう。みゆきはそこが好きだろうと、何故か思った。なんの曲を弾いたら、喜んでくれるだろう。みゆきのことを知りたい、もっともっと。
「――すいません」
 夏休みが終わってすぐの頃、放送室に兄貴が訪ねてきたことがある。「佐藤雅也いますか」と言われ、俺は廊下に出た。
「どうしたんだよ」聞かなくてもわかるような気は、していたけれど。
「あん時の」兄貴は躊躇いながら答えた。「ブルーハーツ流した奴に、会ってみたくて」
「ああ、……今日は、いないよ」
「来てないか」
「うん」
 俺が頷くのを見ると、そうか、ごめんな、と言って、いそいそと恥ずかしそうに帰っていった。
 正直、俺は驚いていた。人見知りの激しい兄貴が、ここまで積極的になるなんて。しかし、同時に安心もしていた。
「ごめん、俺の兄貴。委員会の用事じゃなかったわ」放送室に戻って説明する。
「あ、そうだったんだ、よかった」
 奥で、みゆきが微笑んだ。
 俺は黙ってみゆきの向かいに座る。今日の放送当番は、まだ俺とみゆきしか来ていなかった。
「佐藤くん、お兄さんいるんだね」「ああ、まあね」「何歳上?」「今三年」「ふーん」
「もしかして佐藤くん、ブルーハーツはお兄さんの影響?」
「………」
 しかたなく頷いた。ものすごく小さく硬い動きで。それ以上何も喋らないでいると、みゆきはへえ、と相槌を打ち、すぐに別の話をはじめた。とくに気にはとめていないようだった。なのに俺は何故か、机の下で手に嫌な汗をかいている。
家に帰ると、俺はすぐに兄の部屋を訪ねた。
「兄貴、あのさ」兄貴はギターを修理する手をとめた。少し驚いたような、間の抜けた顔をしている。
「――もう仕事中に放送室来たりとかしないでくれる」
「……ああ」そしてその顔のまま、間延びした答えを返した。
「邪魔して悪かったな、今日。忙しかったか」
「そういう訳じゃないけど」
 煮え切らない答えになった。それでも、兄貴は問い返さない。ごめんな、分かった、もう行かないよ。そう言ってまたギターに視線を戻してしまう。昔からそうだ。よく言えば素直な、悪く言えば騙されやすい、真っ直ぐなだけの男。
 静かにドアを閉めた。まるで逃げているような気分だった。必要以上に硬い表情をしてしまっていることに、自分でも気づいていた。兄貴は、その理由までは読もうとしないけれど、俺が馬鹿みたいにイライラしているのは見えているのだ。兄貴にさえ。兄貴にさえ。
「佐藤くん佐藤くん」
 ライブに行って新しい曲を知ったあとなんかは嬉しそうに俺のところに来る。「……またブルーハーツ?」
「うん、パンクロックっていう曲なんだけど……」
「へえ、どんなの?」
「えっとねー」みゆきは歌い出す。笑顔で、楽しそうに、……そう、俺しかいないときにだけ。他の奴にはブルーハーツの話なんてできないから。みんながいる前で話したら会話が閉じるから。
 だからふたりで。
「ぼくー、ぱんくろっくが、すきだー」
 俺は黙って聞いている。
「ちゅうとはんぱな、きもちじゃ、なくてぇー」
 原曲では一オクターブ低く歌われていることも、それがどこのライブハウスで録音された音源なのかも、知っている。兄貴とみゆきは、そのとき同じライブハウスにいたことも、本当は知っている。気づかないだけで、運命の出会いを、ふたりはほんとうならしているのかもしれない。
「ほんとに、ぱんくろっくがー、すきなんだー」 
「………」
「ぼくー、ぱんくろっくが、すきーだー」
 でも気づかせてやる義務なんて俺にはない。
「ふふふ」みゆきは全部歌いきってから恥ずかしそうに笑う。「いいうたでしょ。知らなかったと思うけど」
「うん」
 俺はきっとこのころからわかっていたのだ。ふたりが出逢えば、みゆきは俺なんか見向きもしなくなるに違いない。

 文化祭はあっという間にやってきた。
「佐藤、迷子のお知らせだって」内線電話を切った笹井が言った。俺はすぐにメモを受け取り、機材のスイッチを入れる。「迷子のお知らせをします。赤いシャツを着た五歳くらいの男の子が、北校舎二階の職員室で待っています。保護者の方は至急お迎えにおいでください。繰り返します……」
 数千人の客が入る行事ではこんなことも頻繁に起こるので、放送委員は当日も二時間ごとに当番が入っている。ブレーカー落ちの対応や、フィナーレの準備もしながらでほんとうに忙しい。
「オーディション受かったんだってね」真野先輩がみゆきに話しかけた。
「はい、ブルーハーツのカバーやるので、ぜひ聞きに来てください」
「逆リハもうすぐだよね、本番いつ?」
「最後から二番目だよ」二日続いた文化祭ももうすぐ終わろうとしていた。
 「みゆき、俺、上の放送席で聞いてるから」俺もみゆきに声をかけた。「がんばれよ」
「ありがとう、佐藤くん」みゆきはにっこりと笑う。
 四時、体育館では逆リハが始まった。出演者にはトランシーバーを渡して二階の放送席と打ち合わせをし、マイク音量などの微調整をすることになっていた。
「次、『人にやさしく』です」みゆきのバンドの番になる。俺と岡川、赤坂は三人で舞台を見下ろしていた。
 しかし、演奏は始まらない。
 後ろで見ている実行委員がとまどっているのが見えた。みゆきも慌てている。「みゆき、どうした?」
「ギター……ギターが……どうしよう佐藤くん、私」
 トランシーバーの向こうからは泣きそうな声がした。
 
 雅也でいいよ、とふたりきりになったら言おう。ショパンのエチュードの中ではどれが好き? 今度うちに来ない? ――おまえには好きな奴いるのか? ふたりだけで話したいことが心の中に用意され続ける。笹井よりも、赤坂よりも、俺はみゆきと仲が良いのだと思いたかった。なんだそれ、と自分で自分に突っ込みを入れる。最近はそんなことばかり考えて過ごしていた。
 どうしようもない振りをすればよかったのか。そうすれば、何年も経ってから、行き場のない痛みを抱えることもなかったのかもしれない。
 でも、泣きそうなみゆきの声を聞いたら、そんな意地の悪いこととても思いつけなかったよ。
「兄貴!」
 みゆきの手を引いて、俺は屋上で時間を潰している兄貴のもとに向かった。時間も金もないときに、みゆきのギターを直せるとすれば、兄貴だけだったのだ。
 兄貴は驚いて、でも嬉しそうに調整をしてくれた。みゆきは何度も深く頭を下げ、これからフィナーレでブルーハーツのカバーをするのだと説明した。兄貴は喜んでフィナーレを見に来て、
 そしてふたりは、出逢ってしまった。運命的に。
 
 文化祭が終わっても、みゆきは放送委員会の打ち上げには来なかった。バンドの人たちとご飯を食べに行く、と言っていたので俺も委員会にはそのように伝えたが、本当は兄貴と話したかったのだろうと思った。
「文化祭成功に乾杯!」場所はいつものお好み焼き屋、音頭を取るのは畑中先輩だ。たぶん次の、卒業式のあとからは俺になる。
「みゆきちゃんかっこよかったですねぇ」
 俺の向かいの川上が、鉄板に油を敷きながら言った。「本当にねぇ。私も感動したわ」横では神崎先輩も頷いている。くじで決まった席順で、同じ鉄板を囲むのは川上と俺、三年の神崎先輩、そして桜井。
「来ればよかったのにね」桜井がもんじゃ焼きの具を投入した。意外にも手慣れていて、炒める手つきもスピーディだ。
「……佐藤くん?」
「ん、ああごめん」みゆきの話に入るのは気が進まなくて黙っていた。「そうだな。でもまぁ、次は来るだろ」
「川上君、生地そろそろ」桜井が声をかける。鉄板には丁寧に炒めてドーナツ型に形作った具が準備されている。彼女はすでに鉄板奉行と化していた。
 そのとき隣のテーブルでお好み焼きに火がつき、ものすごい煙が上がった。うわあ、と声をあげ、周囲の目が注がれる。畑中先輩の席だ。
「おい、大丈夫かよ!」
「畑中ぁー!」
 川上と神崎先輩が店員を呼びに立った。実際火はそんなに大きくないし、鉄板焼きの店ではたまに見るので心配する方も面白半分だ。俺は別に動じない。
「このあと、二次会行く?」桜井も具と生地を炒めるという役割を全うしている。
「幹部だけの奴か。どうしよっかな……岡川、おまえ行く?」
「行く。先輩と約束したし」すぐに、ひとつ向こうのテーブルから返事があった。「赤坂もー?」「俺も多分」
「……もしかして桜井は行かないの?」
「うん」答える口調は気まずそうだった。「家厳しいからさ、行けないんだ」
「気にすること無いよ」
「ありがとう……あ、ねえ、佐藤くん」
「何?」
 聞き返すと、桜井は鉄板に目を注いだまま言った。
「話したいことが、あるの」
「………」
「よかったら駅まで送ってくれない」
2008/05/12(Mon)00:57:51 公開 / 忍足 推
■この作品の著作権は忍足 推さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こんにちは、忍足推です。
気になっているのは一九八〇年代の時代考証と、一行空けに頼りすぎている場面転換です。あと、自分ではだらだらしていてテンポが悪い気がしているのですが、ここを改善するといい、というところがあれば教えて頂けると嬉しいです。
アドバイスをよろしくお願いします。上手くなりたいのです。

5月11日:ようやく更新しました。すみません。
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