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『シャングリラ』 作者:山田 / リアル・現代 アクション
全角27355.5文字
容量54711 bytes
原稿用紙約85.05枚
上級兵士梓河人の異動先は敵地視察基地。永遠の夜の幻覚を煩いながらも、奇妙な生活から理想郷と再確認する。
シャングリラ




拳をできるだけ小さくするように固め、それを心臓に見立ててリズムを刻んだ。これが自分の体の中でせわしなく働いているのかと思うと滑稽で愛らしくて、声を出さずに笑った。
この部屋は小さな窓が一つあるだけで、他に外の世界を見渡せる事はできない。でも今その窓は、暗い中庭しか見せてくれない意地悪な奴になっている。この部屋他人は三人しか居ないし、深夜で熟睡している。二段ベッドが二つ並んでいて、僕は入り口から見て右側の下段で小さな体をベッドに押し付けていた。隣のベッドに榊勇輔が規則正しい寝息を僕に聴かしている。
毛布を跳ね除け磨き上げられた茶色のブーツに足を滑り込ませ、窓の下にある小さな洒落た机を開けると、僕が予め入れておいたUOPと称される拳銃を取った。机上にあるスタンドライトがシルバーのボディーを鈍く反射させる。木製を模したざらざらしたグリップを強く握り締める。誰も居ない筈の中庭を狙って、窓越しに標準を合わせた。僕の目が良いせいか、暗くても中庭の様子が読み取れた。それとも、窓が特別に見せてくれたのか。
暫く、外にある苔の生えた岩を見詰めていたが、それに飽きて榊に銃口を向けた。榊は文句を言わずに大人しくベッドに倒れている。意識があったら、僕に殺してくれと懇願するだろうか。そうだったら凄く素敵な事だと思う。否、彼はそんな事は言い出さないだろうな、と思うとUOPを自分のベッドに投げて部屋を出た。
第四宿舎を出ると、中庭さっき僕が殺そうとしていた苔の生えた岩があった。月光を浴びて驚くほど白くなっている。苔の部分を避けるようにして撫でてやった。とても優しい感触だった。
「眠れないのか、梓河人」
皮肉を込められたその声は池垣少佐だと思って、フルネームを言われた僕は動揺し、その方向をすぐに見ることができなかった。先ほど心臓を作った右手は汗で濡れていて、風に冷たくなるのを感じた。
彼女は僕の上司で、歩兵宿舎には居ない。池垣が僕の目の前まで来た。軍服をまだ着ている。腰にはUOPが差し込まれている。僕みたいな兵士を、殺すためだろう。
「緊張しているのか? 明日の出撃」
池垣は眼鏡の奥で目を細め、口元を歪めた。冗談のつもりだろう。
「いえ、特に。最近、睡眠サイクルが狂っていて」
「へぇ、私と同じ」
無表情に池垣が呟く。両手をポケットに突っ込みながら。
「最近は、事務ばっかり」
「その格好」
僕が口を開いた。同時に彼女が胸元に目を落とす。
「会議ですか?」
「そう。もう、うんざり」
彼女が空を仰いだので僕もそれに従って上を見た。今夜は満月だ。それにまとわりつくかのように、雲は引き伸ばした綿のように群青色の空を漂っている。その後で僕は彼女を見た。彼女はまだ空を見ていた。目を細めていたから睨んでいるようだった。天気を予測しているようにも見える。そして腰元からUOPを引き抜いた。
「この銃」
銃に視線を向ける。プロップアップ式ショートリコイル機構を持ち、複列弾倉に13発の弾7mm弾を装填できる。我が国の拳銃の特徴である遊底の上面を大きく切り取ったデザインは、銃器デザインのひとつの到達点とも呼ばれている。
「もう採用して五年になるな」
使用弾薬が7mmパラベラム弾であること、利き手を問わないセフティから、両手で構えれば一般的な成人女性でも撃てるほどの扱いやすさだ。といっても、彼女にはあまり関係ないが。
「ハンドガンに信頼を置いちゃいけない」
僕は思わず言ってしまった。拳銃は戦場ではほとんど意味を成さない。戦地が草原や砂漠等といった広範囲の場合は突撃銃や軽機関銃が幅を利かすし、市外や森等遮蔽物が多い所では断然、短機関銃や手榴弾が主流である。拳銃は弾丸自体小さいから火力も無いし、装弾数が少ないし、弾薬の再装填に時間が掛るのだ。
「そう?」
彼女は怪訝そうな顔を見せてから、僕に答えを促すように返答した。
「私は拳銃の方が好き。無駄がない」
そう言って僕にそれを向けた。確かに美しい。元々、池垣少佐のような将校が突撃銃を持つなんて事は有り得ない事だけど。
「撃っていい?」
優しい声で彼女が聞く。
「許可を貰う必要が?」
僕は小さく、呟くように言った。その後で、上司に失礼すぎると後悔した。彼女は黙ってUOPを腰に戻した。
「おまえ」
「はい」
「私に似ているな」
意味がわからなかった。その言葉を十分に咀嚼せずに飲み込んでしまったので僕は後で腹を痛めると思う。彼女は満足そうに笑うと、その場から姿をゆっくりと消した。
僕はその姿を見送りながら、彼女が見上げていた何かを掴もうと考えを巡らせた。



新参者の僕は、この基地の人間と碌に会話した事が無い訳で、それ故にここの人間の情報については皆無だった。好きな食べ物とか、どんな音楽を聴くとか……仕事はどうだとか、上司が嫌いだとか。そういった情報は無駄だ、と豪語する人も居る。前の基地で居た。僕もそう思う。やっぱり、本来その情報は無意味なのだ。結局の所、その情報は他人と接触させて絆を作り上げるための道具に過ぎない。それも、絆という物でさえ相互監視システムに過ぎない。


食堂に行って一人で朝食を食べていると向かい側の席に誰かが立った。僅かに首を上げてみると榊だった。
「座ってもいいか?」
「良いですよ」
榊は遠慮無く座り込んだ。僕よりずっと体が大きい。近くにあった硝子性の灰皿を自分の手前に引き寄せ、一瞥するとポケットから煙草を取り出した。吸うかと聞かれたので頷くと彼は荒く一本渡し、それを右手で取ると先にライターで火を受け取った。恋が芽生えた合図のようにライターと煙草の間に煙が出る。僕が吐き出したんだけど。
「ここは落ち着いたか?」
これもジョークなのだろうか。昨日きたばかりなのに。判断に見かねた僕は首を少し横に振って自分のベーコンに手を付けた。
「俺に銃を向けるなんて、どういう了見だ?」
ベーコンを最後まで口に運んでいくのが困難に思えた。心臓が早鐘を打っているのがわかる、手に取るように。だけどその手も震えてる。
「何で?」
謝罪よりも純粋な疑問文が飛び出す。
「最近、睡眠サイクルが狂っていて……」
「あぁ、なるほど」
この手の理由は大概、受理できる。
「俺を殺したいんなら、言ってくれればいいのに。いつでも銃口しゃぶってやるよ」
彼はそう言って薄い玉子焼きを箸で器用に一口サイズに分ける。それと同時に、彼のくわえた煙草の先端が赤くなった。
「今日の封鎖任務だけど、俺達だけのチームだそうだ。つまり、四人だけ」
口を開いた瞬間に煙が出る。
チームは同じ宿舎に泊っているメンバーを指す。池垣少佐が管理しているAチームからFチームまであって、僕達はCチーム。
榊が灰皿に短くなった煙草を押しつぶしてさっき切り分けた卵をつついた。
封鎖任務は、ごくごく簡単なもので、指定された場所に金網フェンスを敷いて看板を置き、その後ろに地雷を何個か設置するだけの簡単な仕事だ。前の基地では何回もやった。敵との遭遇率も極めて低い。
「出発は九時半からだ。ジープに乗ってここから五キロ北西の貧民街まで行く。装備はUOP と、EZI―49の短機関銃だけでいいとの判断だ。ジープは大友が運転する。設置係りはおまえと日野にまかせる。上の機関銃の警戒は俺がやる」
「了解しました」
「そんなに、緊張しなくていいぞ」
緊張させたのはあんたのせいだ。榊はただ僕への牽制と仕事上の説明をしにきただけなのかもしれない。それだったら良い奴だ、と思った。そういう奴は嫌いじゃない。むしろ好きな方かも。
「そんじゃぁ」
そう言ってトレイを持ってどこかへ消えた。
その後僕はロッカー室でベージュとブラウンの迷彩服を着た後に方から腰にかけて黒いバックパックを装着した。同じ迷彩模様のヘルメットを被る。野外基地に出ると、みんなが待っていた。


ジープは砂埃を巻き上げながら朽ち果てた街道を走り続けていた。土砂道は凹凸が激しく、何度も車内が揺れて僕は吐きそうになった。普段なら平気だけど、このジープの座り心地は最悪だった。隣に居た日野恵美が心配そうに見詰めていたが、もしかして初めての任務で緊張していると思われたかもしれない。あまり彼女の顔を見ないように窓の外を見た。墨を塗ったようなどす黒い男達が針金のような荒々しい髪を肩まで伸ばしている。髭のせいで口元が良く見えなかった。
車が貧民街の中心地に来たようだ。そこでは車も往来していたし、栄えた所だった。露店が印象的で、林檎やバナナ等の果物が沢山あった。みんな日に焼きすぎたように黒い。ただ時折見せる白い歯は、まるでその法則に逆らっているようだった。中には銃を持っている人が居て、その人達が僕達のジープを睨んでいる。
「向こうから攻撃してこない限り、俺達は奴等に危害を加える事はできない」
榊が言った。わかりきっている事だった。たぶん馬鹿にしている。少なくとも、あの目は真剣じゃなかった。
ジープは中心地を通り過ぎて人気の無い、レンガで積み上げられた壁の前で止まった。その中に弾痕がいくつかあって、その近くに何かの欠片が散らばっている。たぶんレンガだと思う。ドアを開けてジープの後ろに回りこみ、トランクを開けて巻かれた金網フェンスと立ち入り禁止の看板を持った。次に日野が地雷装置と小さなシャベルを掴んだ。上で機関銃を持った榊が辺りを見回し、運転していた大友秀章がEZIを構えて車から降り、僕達をサポート。
僕はボロボロのマンションの柱に金網をくくりつけ、そのまま伸ばして反対方向に取り付け、看板を立てる。上部接触型の地雷はある程度力を与えない限り簡単には爆発しない。彼女はその手前でシャベルを使って土を掘り、地雷を数箇所に埋め込んだ。
まるで幼稚園児が砂遊びをしているようだ。
「終わったか?」
大友が奥にある岩場をちらちら見ながらこっちにやってきた。
「はい」
「よし、次だ」
そう言って大友がきびきびと日野を連れてジープに戻った。上を見ると、榊は面倒そうな顔で空を見詰めている。その下で細長い煙草が少し髭の生えた口元で燃えている。
僕はジープに戻った。
その後も何箇所か場所を移動して同じ作業を繰り返した。そこには共通点があって、僕達以外には誰もいなかった。当たり前かもしれない。
「あたしも、二週間前ここに着たばかりなんだけど」
隣で地雷を埋めていた日野が僕を見ずに言った。
「良い所だよ」
僕が言った。勿論、彼女の顔は見ない。看板を埋め立てる最中だったから。他にも理由はあると思う。その理由は掘り起こしたくない。
「何が良い?」
日野がキスでもしそうなくらいに顔を近づけてきたので、僕は看板とキスするように顔を背けた。久々に嗅いだ女の匂いだった、香水かもしれない。気配がして、後ろを見ると榊がこちらを見てにやにや煙草をふかしている。
「そうだな、ベッドが良いよ。前のベッドは硬かった。あれじゃ嫌がらせだ」
看板を立てたので、地雷を踏まないように彼女から離れた。銃を撃った時の火薬に似た危険で甘い香を、僅かながらも感じ取ったんだと思う。


任務が終わり、基地に着くとすぐに事務室で報告した。報告の相手は勿論池垣少佐だった。彼女はただ書類に目を通していて、ろくすっぽ大友の話しなんて聞いていないように見せた。どうでもいいような表情さえ見えた。それが終わって、大友と一緒にシャワーを浴びに行った。
熱湯を頭から被るのが僕は好きだ。何となく頭が緩くなって、今まで詰まってきた不満とか不安とかそういうのが洗い流されて排水溝の髪の毛と一緒に、どこまでも自分から遠ざかってくれると信じているからだ。
シャワーを浴びた後更衣室で着替えながら僕は窓の外を見ていた。オレンジ色の太陽が少しずつ西に沈んでいく。秋風がどこからともなく滑ってきて、僕の体を勝手気ままに貫いてどこかへと消散していった。僅かに湿った髪を揺らす、気持ちのいい風だ。まるで生きているみたい。


宿舎の自分のベッドで本を読んでいると、大友が部屋に入ってきた。そのまま足を止める事なくスムーズに足を動かせ、僕の上のベッドへのはしごを上った。
「池垣少佐が呼んでいるよ。事務室までだって」
まだ完全に乾ききっていないらしい、少し髪が濡れている。彼が完全に上りきってからわかり生垣は目を瞑って腕を組んでいた。同時に、榊と日野が立っていた。池垣は僕の存在に気がついたようで、ゆっくりと目を開ける。僕は敬礼して、奥に進んだ。
報告の時は足元の赤い絨毯しか見詰めていなかったせいか、周りの勲章やトロフィーの数の多さに気づかなかった。棚に飾ってあるそいつ等は硝子の奥で息を潜めて、静かに自慢しているように思える。
「今夜からうちのチームから夜間警戒を担当する事になった。通常の勤務時間に加えて手当てを出すから、心配しないように。時間帯は八時三十分から九時頃。基地の外壁周辺を巡回する。何か質問は?」
「大友は参加しないのですか?」
日野が不満そうに口を開く。
「大友も夜間警戒に当たるが、おまえ等とは違う場所だ」
加えて僕も質問しようとしたが、榊の顔を見るなりその質問は終了したという事がわかった。池垣は澄ました顔で僕を見ている。僕の質問を待っているように見えたけど。
「装備は?」
榊が無表情に聞く。まるで喧嘩を売っているようだった。
「武器はEZI−49短機関銃、UOPだけ。双眼鏡、暗視スコープ。後、デジタルカメラ。詳しくはこのプリントを見て」
池垣少佐に渡されたプリントをまじまじと見詰める。中学校の時良く配られたわら半紙、安紙だ。デジタルカメラは不法な侵入者の証拠として撮っておくものだが、他に用途は無い。記念撮影はしないだろうし。
「他には?」
池垣が僕達を見回すが、全員が黙っている。
「わかった。それじゃぁ、うん。もう出てって」
池垣少佐の言葉で、僕達は敬礼をして部屋を出た。



夜は未だその深い底を見せずにいる。ひんやりと冷たい風が、浅黒い森の静寂を破って駆け抜ける。月は荒々しく迫ったコンクリートの外壁と共に、孤独な僕を照らす。三番ゲートを新田宗二という男に空けてもらった。彼は上の高台に居て、サーチライトをゆっくりと基地内部に当てていた。この男の名前は、後で知る事になる。
「池垣班Cチームの梓ですけど。夜間警戒担当で、ゲートを開けてもらえますか」
台の白い壁には無線装置があり、僕はそこにあるマイクに向かって喋った。
「登録番号を言え」
屈折さ満載の機会音が返答。すかさず登録番号を言う。今度は返答が無かった。かわりに、無線装置の下からレシートが出てきた。外出時間を表すものだ。
レシートを取ると、もうすでにゲートは空いていた。僕はレシートをポケットに突っ込んだ。
ゲートを出ると、野外基地があって、随分と使われていないジープや装甲車が眠っていた。薄茶色のテントに明かりは無い。有刺鉄線は錆びついている。
夜間偵察業務の内容は、基地の外の森の中を軽く歩いて警備するものだ。どうやら僕達の ほかにも同僚が参加しているらしい。たぶんBチームの奴等。


僕は日野とペアになって森を歩く事になった。基地の外壁を巡回するのは榊だけだ。封鎖任務以上に、こんなスリルのない仕事は無い。意味も大して無いだろう。たぶん上の人達は、無駄な事が必要と考えているらしい。
白い息を出すと、吹きぬける風で面白いように彼方に消えていった。地面は枯葉で埋もれていて、足元がどんな地形をしているのかまったく把握できない。日野はどんな任務でも遊んでいるように見える。彼女の顔が幼いからだろうか。そんな事を考えているうちに、基地から離れ、巡回ルートを外れてしまった。木々の間から見える闇は、まるで生き物のように微かに蠢いてみえた。
「ルートが外れた。戻ろう」
右手で掴んだコンパスを見ながら後ろを振り返る。彼女は不満そうに短機関銃を構えて小さく頷いた、寒いらしい。
その時、足元が揺らいだ。立ち眩みだろうか。否、クレパスだ。
「ちょっと、何それ」
上から日野の笑顔が飛び出した。どうやら落ちたようだ。木の枝が重なっていて完全な落とし穴になっている。クレパスは榊の身長より少し大きい。枯葉がクッションになって怪我はしていなかった。当たりを見回すと、短機関銃が枯葉まみれで無残に置き去りにされていたので拾ってやる。上から彼女の笑い声と少遠くから梟の鳴き声が重なって聞こえた。妙なショックがある。
「あっ、ちょっと。そのまま、ほら、待って」
僕が苛立って上ろうとするのを制して、腰元から日野がデジタルカメラを取り出した。不敵に微笑むとカメラを僕に向ける。
「おい」
「はい、チー」
「ふざけるな!」
彼女はびくっとして後退したカメラを持った手が異様に震えている。寒さのせいにする。
「軍用カメラだ。私的に使うな」
元々、写真を取られるのは嫌いだ。どちらにしろ、僕には怒る権利があるし、彼女は怒られる義務がある。
「ごめん」
これじゃぎくしゃくしたカップルみたいだ。そう思うと笑えてきたけど、自分おためにも、彼女のためにも、そこは堪える事にした。それに、彼女に興味なんてない。短機関銃を肩に担ぎ、クレパスを昇り上がった。彼女はまだ自分のブーツを見詰めるように下を向いている。カメラをひったくると、僕達は巡回ルートに戻った。


「早かったな」
基地の壁に肩をつけて斜めに立っていた榊が、不思議そうに言った。日野は無視して短機関銃を強く握り壁に沿って離れていく。
「なんだ、うまくやらなかったのか」
「期待してた?」
「いや、別に」
榊は大きく欠伸をして頭をかきながら日野とは反対方向に消えた。


「暇そうだな」
その声がした瞬間に驚いて踏んでいた地面の感触を忘れてしまった。
大友は笑顔を見せて短機関銃を肩に回し、僕と一緒に歩いた。
「どこに行っていたんです?」
僕が聞く。
「御前の監視に決まっているじゃないか」
大友が答える。
一連の流れ。
風で大友の髪が揺れる。
「僕は随分と優遇されているんだな」
「そんな所さ」
冗談だといいな、と滓かに頭の中で誰かが言った。そいつの正体はわからないけど、僕もそう思っていた。



夜間偵察が終わった後、シャワーを浴びてすぐに部屋に戻った。誰もいない。ただ奥の窓が少し開いていて、隙間風が流れ込んでいた。その風で、今取り出したレシートが吹き飛ばされて冷たいフローリングの床に落ちた。その時榊のベッドを見ると、榊のベッドの天井に、赤いドレスを着た金髪の女の写真が貼り付けてあった。金髪は満面の笑顔を振りまいている―――誰に向けているのかも知らずに。榊の好みの女性なのだろうか。ジョークを考えておこう、と僕は自分のベッドに入った。


僕が溶けていく。
目の前の世界が壊れた砂時計のように矛盾して、零れ落ちた砂をただただ見送っている様な恐怖に襲われた。嫌な光景だった。二度と体験したくはない―――。後頭部から何かが抜けていくような感覚だった。
「梓」
誰かが僕を呼んでいる。
「おい、梓」
これは夢だろうか? それとも――
そう考えている内にその声は次第に氷で薄めたように聞こえなくなってしまった。残留した物は手の平に乗る確かな物じゃなくて、後から考えてぞっとするものだろう。たぶん、不安に似た、何か。
窓の外では僕の知らない所で世界が動いている。闇夜がうねりを上げて、天下に生い茂る深緑を黒く染める。掴んだ白いシーツの感触は僕を現実に引き戻していた。だけど、この部屋には誰もいないじゃないか……。
「梓、返事をしろ」
声の主は榊で、部屋の入り口で立っていた。
「なんだ、君か」
安堵の溜息ほど今僕に必要な物は無い。悪魔の囁きかと思った。
「嫌な夢でも見たか」
榊は僅かに口元に笑窪を作っている。新参者担当が、彼なのかもしれない。
「それより、ずっと怖いよ」
僕はシーツを掴んでいた握力を弱めた。
「何が怖いんだ。枕か?」
「独りが怖いんだ。それは寂しいとかそうゆうじゃなくて、独りになるともしかしたらって不安になる。またあの終わらない夜に引き戻されているのかもしれないって不安が……いつも付きまとうんだ、ストーカーみたいに」
榊が開けたドアの隙間から、黄金色の光が漏れて床を濡らしている。
「僕は、誰なんだろう?」
「落ち着け」
榊がポケットから煙草とライターを取り出して僕のベッドに投げた。僕はすぐ手に取り、細長い煙草をケースから震える手で掴み口にくわえて、ライターで火を付けた。
「コーヒーでも飲もう。どうする?」
榊が目を細める。
「ああ、そうする。そうするよ」
自分の声で自分だと確かめているような気分だった。急いで煙を吹き出す。同時に不安も吐き出したかったが、それだけは誇らしげに僕の中でまだ暴れまわっている。


二人で食堂に行くと、そこには誰も居なかった。時計を見ると3時を少し過ぎている。短針を刻む時計の音だけが聞えた。厨房はここから見渡せるように仕切られていたが、そこには黙り込んだ冷蔵庫や台所があるだけだ。僕は入り口の傍にある椅子に座った。榊は自動販売機で缶コーヒーを買っている。
「どれがいい?」
榊が缶が並んだ列に指をかざしている。
「左側から二番目」
飲んだ事の無いコーヒーだった。
「俺って優しい奴だよな」
笑いながら榊が屈み込んで缶を取る。
「少なくとも、御前、魘されていたぜ」
先とは対照的に、抑揚のない声で言った。そして缶コーヒーを僕に投げ渡した。熱さに似た暖かさが手の中で広がった。缶を開けて、口元に運ぶ。凄く苦くて味がよくわからなかったけれど、そういうコーヒーが僕は好きだった。苦さが何かを覚ましてくれるように気がする―――毒を抜く薬のように、夢から抜け出させてくれるショックのように。
「僕、どんな感じだった?」
俯きながら口を開く。
「情けない顔していたよ」
「そうか」
自分でも驚くほど疲れた声だった。
「なぁ、本当にどうしたんだよ。もっと御前はクールじゃなかったのかよ」
「僕をそう思っているなら、悪いけど期待外れだ」
奥のほうで人の笑い声が聞こえた。振り返ると、三人の男が日野を連れて食堂に入っていった所だった。男の中に大友が居る。榊は鼻を鳴らして煙草をくわえ、両手をポケットに滑り込ませた。
大友達はこちらに気づく様子もない。もしかしたら無視している可能性もあるが、たぶん酔っているせいだろう。肩を組み合って、椅子に腰を下ろしながら談笑を続けている。
大友はこの基地で初めて見るような笑顔をしていた。
僕はそれをもう一度確かめるように盗み見ると、空だとわかっている缶の中身を貪るように口に運んだ。



事務室に敷かれた絨毯は薔薇の刺繍が施してあり、天井にある上品な光を吸収して怪しげに咲き乱れていた。ほこり被った賞状達は以前にもまして遺憾という言葉を投げかけている。
目の前で池垣大尉が退屈そうに上を見詰めていた。焦点のつかない朧気な瞳をちらつかせている。
「来週、君達に敵地視察業務を担当してもらう。その際夜間巡回は他に移るが……装備は CK―74突撃銃にハンドグレネードを追加。他にも装備品の容量も増加する。これから二時間後に会議があり、それに参加する。場所は第三会議室で………」


「やっと回ってきたか。これじゃなきゃなぁ」
榊が修学旅行を待ちわびている中学生のように言った。日野は顔を曇らせてずっと顔を床に向けてにらめっこしている。大友は眠たそうに歩いていた。
コンクリートが剥き出しになった廊下はひんやり冷たくて僕は好きだった。何の装飾もない、事務的概念が僕は大好きだった。効率的だし、無駄が無い。無駄な物は邪魔になる、僕の感情の隙間に入り込んで妨害する。
欠伸と頭をかくという動作を続けていた大友が口を出した。
「まぁでも未だに突撃銃がCKシリーズ、納得いかないな。マズルジャンプが大きすぎるな。三点バースト程度しか役割を果せないんじゃぁ、短機関銃の方がよっぽどいい」
馬鹿が、あれがいいんじゃねぇか、と榊。
しかしそれ以上口論するつもりは無いみたいで、大友も日野も年輪を重ねた大樹みたいに黙り込んでいる。二日酔いか何かだろう。それとも食堂を出て行った後で嫌なものでも見たのだろうか。
敵地視察業務は僕達がする仕事の中でも結構重要な位置もあるし、敵地なのだから遭遇率も高いし、それに比例して戦闘率と死亡率がぐんとあがる。主には基地を観察して報告するだけだけど、破壊作戦をする場合もある。そういう場合は、直接少数の兵士が向かって歩哨を暗殺したりする。僕は未だに直接人を殺した事はなかった。殺すのは僕じゃなくて銃であり、それから発射される弾丸であり、僕が直接下したものじゃない。ハンドグレネードだってそうだ。ただ僕は抑えているピンを抜いてスプリングを作動させて投げるだけ。後は勝手にストライカーが雷管を打撃して延期薬、発火薬、そして炸薬に発火して爆発する。その場にあった物が壊れようと人が死のうと僕のせいじゃない。手榴弾を開発した人のせいでもなければ被害者のせいでも、誰のせいでもないんだ。
コンクリートの廊下にも窓はちゃんとあって、防弾硝子で、しっかりと外が見える。不思議なほど真っ青な空は確かにそこに広がっている。五人の兵士が一列に並び、射撃訓練をしていた。人方の的に雨のように銃弾を浴びせている。横で指揮官が何か叫んでいたが、ここからは良く聞こえなかった。だけど、これが絵では無いことは、確実に決まっているんだ。
何か決定されている物は不自由に感じる物がある。だけどこういう確実さは大切で、僕を守る一つの従者にもなる。都合のいい話しだ。


第三会議室はその廊下を渡った所ですぐに着いた。
大学のキャンパスのように、ホワイトボードを取り囲んで、そこに机が並んでいる。ボードに何人か短機関銃を持った兵士が居、その中央に石原准将が居た。
石原准将は顔に十字を刻んだような大きな傷があって、右のこめかみから左の顎下まで伸びている。昔敵兵の投げた手榴弾の破片をまともに顔に食らったらしい。その当時主流であった、パイナップル型の手榴弾は、破片を飛ばして殺傷させるという意図なのである。
椅子に全員が着席した。大型宗教が作れるくらいの人数だった。
皆で敬礼した後、石原准将は咳きを二度してからホワイトボードに張られた作戦図を見せた。
「君達は今年で三回目の巡回で、敵地視察業務を遂行してもらう。詳しい内容はこうだ。 まずAチームが敵基地付近の森で待機し、その後をBチームがバックアップする。さらに後方でAチーム、Bチームを監査するのがCチームだ」
つまり僕達はバックアップになる。
「冗談だろ。俺達はほとんど参加する意味がねぇ」
榊が隣で肩を落とした。
「Dチーム、Eチームは基地の後方から敵基地を観察しろ。Fチームはその護衛だ。その 後二手にわかれて巡回し、Aチームと合流するんだ。勿論、Aチームは敵基地の観察もする。武器装備はCチームを除きCK突撃銃。ハンドグレネードF9を追加。他は夜間巡回と変わりは無い。ここはすでに夜間巡回を担当しているようだからな」
「良かったぁ。後方支援って、要するに暇なんでしょ? 突撃銃も持たされないみたいだし、ラッキー」
日野がさっきまで億劫だった顔を輝かせて僕に囁いた。
きびきびした石原准将の声を聞きながら、僕は他に傍聴している兵士を見渡した。みんな真剣な顔つきでボードと石原准将をテニスのラリーのように見比べていたが、一人だけ眠たそうに手元のプリントを見ている兵士が居た。丸い眼鏡を掛けていて神経質そうな顔立ちだった。胸元のバッチを見たが、僕と同じ階級だった。
「この敵地視察における最大の任務は、破壊工作にある。ターゲットはここだ。Aチームは敵地を観察し、その後Dチーム、Eチームが基地の左右の歩哨を抹殺、奥の……」
ぼんやりと、目の前が歪んでいる。
眠気だろうか、これは。
「Eチームはこの場合、短機関銃による攻撃が有効である。Dチームよりハンドグレネードの装備を増加させる予定ではあるが、この場合、敵兵の位置から考えると発射位置が短いため………」
池垣大尉の顔が浮かぶ。何故だ?
「中央等の機関銃は二回目の視察で発見されたものであり、今回Eチームの視察には梃子摺るかもしれん。そこは警備が厳しいぞ。迂回して早く合流を済ませた方が良い。短機関銃よりも、この場合ではCK突撃銃の方が良いな―――」
僕はいけない事をしているのだろうか。考えているのは、日野恵美を殺す事だ。
「Bチームはこの場合、早急に手当てしろ。無線で本部へ連絡する時はCチームと連合し、 速やかに退却する事。Aチームは3チームと合流しながら貧民外に待機するんだ」

戦場で僕の前に居た奴は、銃弾に当たって、そして、そして、死んだ。蛇のようにのた打ち回っていた。呪文を唱えるみたいに、その過程で誰かを呪う殺意が立ち込めていた。それが撃った奴なのか、後ろに居た僕なのか……撃たれた奴の名前は相沢由美といった。それ以外の事はわからない。僕は都合の悪い事は忘れるんだ。相沢を撃った奴は僕が撃った弾丸が殺したんだし、それでいい筈。



目を開けると、痺れるような夜空が広がっていた。輝く星たちは銀河のうねりに沿って僕を翻弄している。背中と首筋から伝わる草の感触はほどよく、再び眠りを誘う。喧嘩で負けたように僕は今、大の字に倒れている。
「ねぇ、そろそろテントに戻ろうよ」
横の日野が退屈そうに口を開いた。星を眺めようといったのは日野なのに。僕が少しばかり眠ってしまったから、少し拗ねているのかも。
後ろのテントでは榊と大友がホモセクシャルみたいに眠っていて、とても気持ちが悪かった。もう待機地点には移動したからこれ以上歩く必要はないけど、ちょっぴり寂しい。
「もしかして、また寝てる?」
僕は目を瞑ってコーヒーの香を確かめるように空気を吸った。
「風邪ひくよ」
「風邪は僕なんかに取り付いても、いい事なんか無いよ」
腰元のUOPを取り出す。グリップを強く握って、日野に向けた。
「撃っていい?」
日野は呆れた表情で立ち上がる。ふざけ過ぎたか。
「じゃぁ、待ってるから」
背を向けていたので日野の表情が読めない。聞こえないフリを装ってもう一度聞き返したが、彼女は答えず、空のもう一つのテントに入った。
僕は気にしない顔を作って、上に鏡をイメージして微笑んだ。だけど、太鼓を叩いたようなこの心臓の音はなんだろう。血管に獣の血が混ざったような。
UOPに視線を戻すが、どうしても後ろのテントが気になった。待っている、とはどうゆう意味なのか、初めて辞書で調べたくなった。
我慢できずに立ち上がって、UOPを腰元に差し、日野の入ったテントまで歩いた。テントにはチャックがあって、完全に閉まっている。
中の様子は全くわからない。
中の様子は全くわからない。
中の様子は……。
僕はチャックを開いた。そして、その中を、覗いた。


そこで目が覚めて上半身を起こし、悪夢に魘されたように僕は息を切らしていた。辺りを見回すと、テントの中でシーツを掴んでいた。隣で榊が眠っている。
どうやら、夢らしい。
頭の中で整理する。
嫌な夢だ。
二度と、
二度と見たくない。
だけど、
あの中はなんだろう……。
確かに見た筈だった。しっかりと頭の中で残留している筈だ。だけどそれが何なのか、しっかりと定義する事ができない。とても暗かった。それだけ覚えている。しかし、その先は思い出せない。それにしても、嫌な夢なのに矛盾してその作業を繰り返す僕は滑稽だった。前頭葉と後頭部が対立しているようだ。僕達がしている戦争のように、きっとお互い仲が悪いんだ。
テントの中は暗くて、榊の頭の近くにある電灯だけが太陽の役割をしている。
「榊」
返事が無い。
「榊」
返事が無い。本当に、眠ってしまっているのだろうか。
「狸寝入りか? それとも、ぐっすりお休みモードか。羨ましいな、羨ましいよ。僕なんか、ちっとも眠れないよ。なぁ、君も起きろよ。それでさ、二人でさ、向こうのテントに」
それ以上は続かなかった。彼は本当に眠っているらしく、彼にとって、今、僕の存在は空気よりも透明なものだった。
テントのチャックを開けると、冷凍庫のような冷たさが肌に刺さった。刺さった冷気が血液を走り、しだいに僕も凍っていくような気がした。
身の丈を遥かに越える樹木達はしっかりと根を大地に張り巡らしていて、その根の部分に僕は腰を下ろした。
コーヒーが飲みたいと思った。
榊が買ってくれたような、安物の缶コーヒーでいい。空を眺めながら何かを飲むという行為をしてみたかった。
だけどここには自動販売機は無い。豆もコーヒーメイカーも無い。
あるのは、人を殺す道具だけ。
僕達が持っているのは、それだけで、それ以上は必要無い。



朝が来た。太陽の光は壁のような木々の葉が防ぎ、僅かに切り取られた光が洞窟のような森を照らす。
滓か、眠気がしばらく帯びていて、眼球そのものを取り出して洗いたくなった。それを想像するととっても気持ちがいい。後ろについている石榴の破片みたいな神経を全部取って、また虚空の対の穴に入れるのだ。
僕達の任務は前線でも無くただ待機しているだけだ。日野に言わせればラッキー、榊が口を開けば退屈……。
退屈か…。
悪い状態だ。退屈は眠っているのか起きているのかわからないような、そんな憂鬱な気分になる。僕自身の場合はそれ以上酷い。太陽が死んでしまうのだ。月がこの世の神になる。
大友がテントの傍で胡坐をかき、無線で前線と連絡を取っているらしい。
「異常なし…オールクリアだ」
大友が無線機を草むらに投げた。無線機は他の機械と螺旋を描いたコードと繋がっていて、完全には地に着かなかった。
「じゃぁ、ずっとここに居ればいいんですか?」
「そうらしいな。俺達は大樹と睨めっこだ」
「できれば、敵の基地と睨めっこしたかった」
榊ならこう言うだろうと思った。実際の榊はまだテントの中だ。
「実際の敵なんて、見えないぜ」
大友が後頭部に両腕を回し、横になった。
「というと?」
「別に敵が居る。そいつは透明なんだ……それで、いつでも俺達を試してる」
「何を試してる?」
おかしくて、続きが気になった。
「いつまで持つか、だ」
「期待以上に答えると、褒美が貰えたり?」
「そうだな、フェラーリでも貰えないかな」
白い歯を見せながら言った。食堂の時、彼が見せた笑顔とは少し違った。
「僕だったら、もっと違う物が欲しい」
「何が欲しい?」
「中学時代に欲しかった」
「テストの点数?」
「もっと違う未来の自分」
大友が目を瞑った。
「ここでは不満?」
「そうじゃないけど、中学校を卒業して、陸軍学校に入ってから………」
そこで言葉は切れた。大友が口を開く。
「その症状だけど、兆候はあるのか?」
僕が幻覚を見るという事を少なからずとも理解しているようだった。
「わからない。でも、眠っていたり、意識が途切れた瞬間が多いかもしれない。そこに漬け込まれる。僕の人生のテープをそこで切って、別のテープに張り替えられてしまうように」
「どうやって離脱する?」
「離脱?」
「そう……」
大友がゆっくりと目を開ける。
「そんな法則は見つかってない。今、血眼になって捜している」
「確かに、充血しているよ」
彼の口元が少し歪んだ。
「睡眠不足の意味?」
昨日の夢を見て少し嫌な気分になった。胃がピアノ線で縛られるような痛みが胸に広がる。
「これはジョークだ、梓」
「そう、良かった。ところで、そんなに聞いてくるのは、誰のため?」
大友が上半身を起こす。顔は無線機の方を向いていて、僕は表情を読む事ができない。
「自分のためだ」
「自分のため?」
「そう。池垣少佐に頼まれた、俺の仕事の一つだ。俺は医者じゃないが、美咲ちゃんは首を縦にしか振らない。いつもは横ばっか、だけど」
「美咲って誰?」
「池垣少佐の名前。ああ、知らなかったのか」
初めて名前を知った。意外と女の子らしい名前だ。
「医者をは僕を治せない。医者は他人だ」
話を戻す。
「俺も他人だ」
抑揚の無い声が返ってくる。どうやら、彼は無線機をいじっているようだ。
「違う、同じ兵士だ」
「兵士も色々ある。俺は御前にはなれないよ」
腰まで沼に浸かった気分だった。つまり、最悪の気分という訳だ。
「何故俺に任されたのか、皆目見当がつかない」
ぼそっと呟く声が僕の鼓膜を揺らした。それは、僕の方が知りたい。
「まぁ飯でも食って…寝ていろ。夜は警戒に当たる。向こうも同じように、俺達の懐にもぐりこんでいるかもしれないからな」
「何故夜だと?」
僕はいつの間にか座り込んでいた。
「奴等は夜が好きだ」
「吸血鬼の話? それとも別のホラー?」
「勿論、昼にだって来る可能性はあるさ。だけど……来ない気がする」
「気がする―――それは、ただの推論だ」
階段を登るように段々と苛々としてきた。
「そうだ」
「ふざけているのか? それとも、これもジョークか」
「ジョークにしては、ユニークさに欠けるな」
「だったら」と僕が言いかけると彼が振りかえった。
「ああ、好きにしていいよ。これは……あれだよ、アドバイス」
彼の言葉が最後まで聞こえるかどうか、試す事もなかった。霧がかったように僕の意識が次第に削られていった。僕は静かに雑草だらけの地に倒れた。たぶん疲れているんだ……この狭い世界で生きるのには不器用すぎる。



「梓、御前は寝るのが特技なのか? やめた方がいいぞ。迎撃中に寝入りっちまったら困るからな」
榊の馬鹿にしたような声で目が覚めた。テントの中に居て、外からチャックを開けた榊が覗いていた。背景から察するに、もう夜だ。作りこまれた外の世界への入り口から、冷え込んだ新鮮な空気が入り込んでいる。
「もう夕食の時間?」
閉まりそうな瞼を中指で押さえつけて言った。彼は嬉しそうに首を横に振る。
「大友がたたき起こせって。人使い荒いよな、あいつ……」
ぼんやりと、大友の顔を思い出した。
「何があったの?」
「前線のマヌケが、しくじったらしい」
「しくじった?」
後頭部を何者かに掴まれているような気分だった。また眠り込みたくなる衝動を抑え、テントを出て、促す榊の元へ足を運ばせた。
「しくじったって……見つかったの?」
僕は歩きながら質問した。肩には短機関銃を回している。無線機の前で大友が何かやり取りをしているが何を言い合っているのかわからない。
「Eチームの奴が、基地に向かって手榴弾投げ込みやがったんだ」
大友が睨むような目つきで質問に答える。横の榊はため息をつきながら両手を腰に回していた。
「日野は?」
大友が苛々した様子で聞く。今朝とはえらい違いだ。
「化粧してから来るってよ」
「ふざけやがって……」
無線機を草むらに投げ付ける。
「それで」
榊が面倒くさそうに口を開く。
「俺達は出動か?」
「ああ、そうらしい。突撃銃も無いのにな。火力が違う」
「だけど、仲間と合流するんだろう?」
僕が口を挟む。
「確かにそうだが、ここからBチームの拠点からは二キロ近くある。その間に敵に遭遇する確立も高い……。一度後退してから回り込んで後方のチームと合流する」
大友が固く拳を作る。榊は少し微笑んで日野が眠っているテントに向かった。
「すぐ出発になる?」
大友が装備の所まで歩き出したので、僕もついていきながら話した。
「そうだな、装備をまとめてから、すぐだ。短機関銃とUOPは必須だな。弾倉は少なめでいい」
「ハンドグレネードは?」
「確か……八個あったな。各一人ずつに配当するが、残ったものは全部俺がもらう」
黒いバックアップを腰元に装着しながら大友が答える。後ろで、ファンデーションを施している日野恵美を見て笑いそうになったが、榊が短機関銃を木の陰に向けて、標準を整えているのを見て堪えた。
「Eチームって、碌なヤツいないよねぇ。あたし、ここ入ってきてからあいつ等と喋った事ないけど、なんか気持悪いっていうか」
榊が慣れた手つきでバックパックに手榴弾を埋め込む。
「戦争が好きでたまらないんだ、あいつ等は」
大友が呆れた声でサバイバルナイフを胸元の鞘に収める。
「人を殺す事しか考えてないんだよ」
「なんだ、兵士をやるなんて奴は、みんなそういう理由だろ?」
榊が口を挟んだ。日野はファンデーションの蓋を閉じ、テントの中に入っていく。大友は苦い物を飲んだような顔をして、榊から離れてストレッチを始めた。
「まさか御前等、大義名分とか国のためとかふざけた事ぬかすなよ」
笑いながら短機関銃を肩に回す。じゃぁ、なんのためなの。僕が大友のストレッチを真似していると、
「自分のためだ。大義名分なんて、そんなもんは、陸軍学校の机の中に押し込まれちまったよ」
静かな榊の声を聞いて、僕はストレッチをやめた。



目の前の風景が歩くたびに激しく上下する。起伏だらけの大地からは伸びきった草が足にからみつき、体力を奪う。背中にびっしりと汗をかいていて、シャツが濡れてつく感触で吐き気がした。日は次第に昇り、どんどん明るくなってきた。
「こちらCチーム。現在F4に接近」
先頭で静かに大友が無線で、本部と連絡をとっている。
僕達は既に敵地に入り込んでいるので、攻撃されようが、無線を傍受されようが、文句は言えない。だから盗聴されていても問題無い様にあらかじめ重要な事は暗号化した。F4とは、敵の中継基地の背後の部分の事だ。基地前方がF1、側面の左右がF2、3となる。
「もうすぐ合流する。すでに戦場になっている可能性があるから、注意しろ」
大友の掛け声で、僕達は一列になった。榊が先頭で短機関銃を構え、その後ろに大友がつく。そこから少し離れて日野、最後が僕となった。
深緑があたりを廻らし、世界が土、葉、空の色に染まる。前方から涼しげな風が入り込み、日野は胸元のシャツをぱたぱたと開閉し、風を取り込んでいた。
「梓君てさぁ、人殺した事ある?」
大友が僕達に背中を見せながら手で合図し、僕達は離れた距離を少し詰める。日野は大きな医療キットを担いでいた。
「ああ、あるよ」
ふいに、仲間を撃った敵兵士を殺した事を思い出す。
「どんな感じだった?」
無垢な笑顔で僕に迫る。無視して、大友の合図を待った。待ちながら、僕はあの時の感触を思い出す。何もない。素手で殴り殺した訳でもないから、人が死んでいくというのを肌で感じたことがない。
「あたし、人なんて殺した事ないの。蚊とかゴキブリとか、そういうのは殺すけど、未経験なんだよね、人間は。前の基地はずっと本部でお茶くみやってたからさ」
ピンクに塗られた爪が太陽光に反射して、まぶしくて目を背ける。
「ねぇ、教えてよ。殺す前に知っておきたいんだもん。いっつも、物事ってのはいきなりなんだよね。だからさ、これくらいは」
花火の残像のような光の筋が一瞬、目の前を通り過ぎたかと思うと、日野が短く叫んで倒れた。敵だ。僕は前方を振り返った。
前の大友と榊が即座にしゃがみ込んで短機関銃を構える。僕は慌てて日野に駆け寄った。
「ああああ、やだ、死にたくない、ねぇ、死にたくないよ」
地面に顔を擦りつけながら、脇腹を抑えている。その部分から赤黒い血溜りが広がっていく。まるで生き物のように。
「梓、何やってんだ、こっち来い!」
大友の叫び声が、鳴り続ける銃声の合間から聞えた。何をすればいいのかわからない。今まで冷静で、戦場では横で誰が倒れようとトリガーを引くことに躊躇さえしなかったというのに。なんで僕はこんなに動揺しているんだ?
「痛い、痛いよ。なんで、なんでこんな事に、なんで」
日野が泣き出しながら両足を暴れさせて、地団駄を踏んだ。
「手榴弾!」
大友が木の陰に隠れて怒鳴り散らすと、榊が口でピンを引き、手榴弾を右手で放り投げる。
直後にその右手が歪んだかと思うと腕から引きちぎれ、僕のほうに転がってきた。溜まらず僕はその場で吐いた。
蛇口を捻ったかのように手首から鮮血が流れ、歯を食いしばりながら抑える榊を見ながら、僕は頭がだんだんと真っ白になっていった。
次の瞬間、硫黄の匂いが鼻を刺激し、猛烈な熱風とともに爆音が広がった。木と木の間から黒こげに染まった敵と思われる兵士がトランポリンで跳ねたように転がって、落ちて見えなくなった。榊が包帯で手首を巻く。大友は木の枝の分かれ目から短機関銃を構えて撃ち込んでいる。
「――――まだ死にたくない……」
後ろから呟くような日野の声が聞えた。振り返ると瞼を閉じ、暴れるモーションもゆっくりと、鈍くなっていた。顔を擦りつけたために、肌や髪が土で汚れ、迷彩を施したようだ。
僕は日野を起こして背負った医療キットを外した。
「おい、梓、御前、こっち手伝え!」
大友が後ろを向いて怒鳴った瞬間、その前の木の陰から、どす黒い顔をした男が現れたかと思うと、大友の額から血煙が吹いた。
「うわあああ」
叫んで、僕は短機関銃をやたらめったら撃ちまくる。まぐれなのかどす黒い男は後ろに倒れて見えなくなった。一方大友は電池が切れたロボットのように倒れた。
「退却するぞ、梓」
口を開けた大友のバックパックから手榴弾を何個か自分の装備に入れた榊が叫ぶ。僕は頷いて日野を立たせて引きずる。
もう一回、榊が手榴弾を左手で投げ、こっちに右手を抑えながらホフク前進した。焼き付けるような熱風がもう一度押し寄せ、重力を跳ね飛ばすような衝撃で僕は思わず倒れた。肩を担いでいた日野も重なるように倒れる。榊がさっきから呻いている日野を起こし、僕を立たせた。敵はもう全滅したようだ。
「歩けるか、梓」
「ああ」
榊の無くなった右手首を見ながら、僕は静かに答えた。


日野を背負って前を歩く榊の背中がとても大きく見える。手に掴んだ短機関銃は土に汚れ、足は嫌になるほど力が抜けていた。
「どうやって合流する?」
僕はできるだけ大きな声で呼びかける。しかし眠っていた時のように返事はこなかった。この基地に着てから何度も思う――返答がまるで無い。僕が求めている回答が、ここには用意されていない。みんな取りつかれているかのように目は死に、脱力感に溢れている。 まるでゾンビのようだ。
「本部と連絡がつかないんだろう」
呟くように言う。勿論返答は無い。
「これが君の望んだ戦争なのかい。言っていたよね、戦争は自分のためだって……君はこういう事がしたかったのか?」
すると榊は日野をゆっくりと地面に降ろし、振り返った。
「休憩だ」
小さく口を開く。僕は腰を下ろした。榊は医療キットを広げ、包帯とナイフを取り出した。
「今の戦争教育っていうのは、いかに自分に利益があるか、効率的な自己実現が可能になるか……そういう指導を徹底している」
ナイフで日野の撃たれた箇所を穿り出した。軍服を破って、血が這い出す箇所に消毒液をかける。
「昔は、自分が戦争に行くことによって自国や自分自身の名誉が保たれる、向上する、なんて洗脳をしたらしいが……今となってはそんな方法はできない」
「何故?」
「幾度も歳月が流れて、情報が氾濫したからだ。そういう期間を体験することで、一種のバリケードが生まれる。それだけで洗脳効果は半減する。わかるか? 今、戦争は商業でしかないんだよ、考えても見ろ。銃器、兵隊、軍事施設……これだけでどれほどの利益が得られるか。昔とは違う。お偉いさん同士が自分の駒を動かしてきた時代じゃない。現代の戦争はな、個々が選択して、戦うシステムなんだ」
消毒液をかけた後榊は喋りながらナイフを日野の皮膚に突き刺して弾丸を摘出した。脇腹だから、ちゃんとした施設に行って治療する時よりも、便が良い場合がある。
「それじゃぁ、君は、金儲けのために戦争をしているのか」
僕は呻くように言った。雑巾を絞ったような情けない声しか出なかった。
「そうだよ、文句あるか?」
笑って、彼はワイヤーのような縫合セットで皮膚を縫い付ける。
「俺が兵士の志願したような時は、少なからず、国のためとかそういう大儀はあったけどな……陸軍学校を卒業して思ったよ。この国は腐ってる。こんな国のために、死んでまでして大儀やなんたら貫く必要は見つからなかったよ」
縫合は見事に皮膚を閉じていた。彼は上着を脱がして包帯を巻く。
「御前はどんな目的で兵士になったんだよ」
僕は……。
「わからない。気づいたら、こうなってた」
「御前らしいな」
にやりと口角を曲げて、脱がせた上着を着せる。日野は死んだように喋らない。もしかしたら、本当に死んでいるのかもしれない。
「まぁ、こんな馬鹿馬鹿しい葛藤で悩む必要もないわな。御前、結構鈍い神経だし……俺自体、戦争は別にどうでもいいけど、銃は好きなんだ」
日野の治療が終わり、榊は腰元のUOPを引き抜いた。その時、僕は思った。池垣の言うとおりだ。こんな無駄の無い物はない。人を殺傷するためだけに作られた道具なんだ。
「そういう理由で入ってくる変態野郎も居るんだよな、これが。特にEチームなんてのはそういう連中だ。だけど、あいつ等は勝利者なんだよ。結局、自分の願いが叶っているんだから」
「僕は」
誰かに操られたかのように口が動き出す。
「僕は戦争が好きだよ」
榊は無表情で無くなった右手首を擦る。
「ゲーム感覚で人を殺すのが好きなんじゃない。僕は―――」
その瞬間、周囲が殺気立った。榊も気づいている―――敵だ。日野を土の窪みに隠し、UOPを腰元に戻して短機関銃を構える。背を向けるように僕も短機関銃を反対方向に構える。
榊が短機関銃を固定させて、左手で手榴弾のピンを外す。親指でスプリングを抑えながら、未だ見えない殺気の正体を探るように、鋭い眼光を放っている。なんだ、君も戦争が好きなんじゃないか。知らない間に僕は笑顔を作っていた。
完全に敵に見つかっているとは思えない。見つかっているとしたら、もう僕達は全滅している。角度的に僕達の数が把握できないのか、快楽でじりじり殺そうとしているのか。あるいは、まだ見つかっていないかもしれない。
「攻撃してこないな」
榊の呟く声。
静かに風が吹いて、周囲を取り囲む葉が揺れる。
ブーツで地面を摩る音。
雲は固定したまま、青い空に浮ぶ。
これこそ、僕の求めていた戦場なんだ。
「無駄に銃弾ばら撒くなよ。あくまで退却するんだからな」
うるさい。そんな事はわかっている。
奥で一瞬、誰かの小さな声。僕はそこに標準を付ける―――黒い顔が見えた。
トリガーを引く。ここからでも銃弾が当たったのは確認できた。男は鮮血を噴出して前のめりに倒れる。そこで怒鳴り声がして、銃弾が飛んできた。一つの弾丸が頬をかすめる。 ぱっくりわれて、血が流れる。下手な奴だ。
だんだんと飛んでくる銃弾の数が増えてくる。さっきまで約束されていた静寂が破られ、人を殺すための音でその場は埋め尽くされた。
「榊、手榴弾を一つくれ」
無言で渡され、無言で受け取って、ピンを外し、怒鳴り声の聞えた前方に投げる。見事な放物線を描いて、草むらに消えた。
「掻き回すぞ」
いつの間にか喋っていた。手榴弾の投げた方向へ、走る。
「梓、どこに行くんだ!」
銃弾の飛び交う合間から、榊の怒鳴り声が聞える。
熱風と爆風が混ざり合い、全身に降りかかる。土煙が舞ったかと思うと、光の筋がいくつも飛んでくる。地面に這い蹲り、微かに靄の奥に戸惑った黒い顔が見えた。ボロボロの服にはだけた上半身。胸に三発打ち込んでやる。弾丸の筋は男の腹部を抉り、千切られた小腸が飛び出した。
突然、右ふくらはぎに激痛が走る。撃たれたと理解する前に、体が勝手に撃たれたと思われる方向に短機関銃を構えていた。誰も居ない。榊は向こうの敵を殲滅したようだ。日野を抱きかかえようとしている。僕は前を振り返った、誰も居ない。
「梓、こっちに来るんだ」
榊のしわがれた声を聞いて、そっちにゆっくりと歩き出す。右足の激痛は少しずつ消えていく。何故だろうか―――。
「日野を降ろしてくれ」
榊は戸惑った表情で僕を睨む。
「もう治療した。それに御前は右足を撃たれている。とてもじゃないが担げやしない」
「そうだ、君が撃ったんだ」
無理矢理、日野を降ろす。地面に倒れた瞬間に日野は呻いて、瞼を小さく広げ始めた。しゃがみこみ、日野の手を取る。僕みたいに細い腕だった。
「おい、御前―――――」
ゆっくりと目の前の世界が歪曲する。霧が掛かって、そのうち僕に静かな膜がかかった。膜はやさしく包み込み、何もかも、僕は委ねた。

10

目を開ける。傍の窓は開いていて、その奥には薄紫の雲が立ち込め、そこから涼しい風が入り込んでいる。カーテンは波を作るように揺れていた。
「起きたかね」
窓の反対側だった。体制を戻すと、白衣を着た初老の男が、微笑んで両手を腰に当てていた。他に人は居ない。空のベッドだけがあった。
「ここは病院ですか?」
「そうだ。君は丸二日は眠っていた。脈は安定していたけど、意識がないもんでね。右足の怪我もあるし、もう少し大きな所に運ぼうと思ったんだけど、君の上司が駄々こねる」
「池垣少佐?」
僕は上半身を乗り出していた。
「ああ、少佐なのか。随分と偉い人なんだね。ちょっと気の強そうな女性だったけど」
溢れ出す様に榊達の事が脳裏に広がる。
「あの、他に居ないんですか? 僕だけ?」
医者は鼻下の髭を少しいじり近くにある椅子を取ってそこに座った。
「ここの部屋は君だけだ」
ドアがノックされて、医者は振り返り「どうぞ」と言った。
「失礼します。起きましたか?」
池垣だった。軍服を着込んでいる。胸を張って歩きながらこっちにやってきた。
「梓、起きれるか?」
「はい」
僕はシーツを跳ね除け、予想通りスリッパがあったのでそれを履いた。
「まだ様子を見たいから、病院内までにね」
「わかりました。ありがとうございました」
池垣が頭を下げたので僕も下げる事にした。
部屋を出るといきなり手を引き、エレベータの前で止まり、三角形のボタンを押した。ボタンは押されると光って、数秒後に扉が開いた。
「どこに行くんですか?」
池垣は黙り込んでいる。押した階数を見ると、屋上に行く事がわかった。
ドアが開くと、外から冷気が入り込み、思わず腕を擦る。屋上はそれほど広くなくて、誰も居ないし、絶景という訳でも無かった。雑居ビルが森のように生え、その隙間を縫うように車や人が往来している。下の様子を見ながら、僕は聞いた。
「敵地視察は、どうなったのですか」
池垣はフェンスに腕を絡ませる。
「失敗した。明日、処刑式が行われる」
「処刑式、ですか?」
処刑式という言葉は初耳だった。
「そう、Eチームの兵士を。偶然なのか、奴だけが前線で生き残っていた」
「失敗したって……どうなるんです?」
池垣は夜に宿舎の傍でしたように上を見上げた。あの時のように、眼鏡の奥の目を細めて。
「我々が考える事じゃない。だけど、あの基地にはもう戻れない」
僕もフェンスに触ってみた。とても冷たい。
「榊達は……生きているんですか」
池垣は上から僕に一瞬視線を移す。
「大友は死んだ。遺体すら、回収に行けなかったが」
「ええ」
「榊と日野は生きている。日野は撃たれてから大分時間が経っていたが、応急処置を済ませていたせいか、すぐに良くなったよ。榊は……右手を大きく怪我した」
僕は池垣を一瞥すると、フェンスの奥を覗いた。こうして耳を澄ませると、遙下の車の音や、人の笑い声まで聞えてくる。此方の世界とはまるで違うものだ。
「……あの基地に戻れないという事は、他に移るという?」
「そうだ。バラバラに別の基地に移る―――まだこっちにきて一週間も経ってないな、御前は」
ふと、後ろに気配がして、振り返る。榊だった。右手に義手のようなものをつけて、包帯で巻いている。何故か、僕をまるで見ていない。池垣の背中だけを見ていた。
「少佐。こちらに居たんですか」
その声で池垣が振り返る。
「ああ、そうだ。梓、部屋に戻りなさい」
僕は敬礼してから、静かにエレベータに向かう。その過程で榊とすれ違ったが、声もかけられなかった。まるで僕が透明人間になったかのように。
「右手の調子はどうだ?」
後ろで池垣の声がする。振り返って見ると、もう二人で外を見ながら喋っている。僕はエレベータの扉の前に隠れた。ここからなら死角になって見えない。
「ええ、此方の方は大丈夫です。日野も回復していますし」
少し明るい榊の声が聞える。
「それで、あの事なんだが、梓の……」
言いにくそうに池垣が喋っているのが容易に想像できる。
「ええ。その事なんですが、撃たれた日野を応急処置した所に敵が来まして、応戦したんです」
段々と榊の声が暗くなっていく。
「それで?」
「ええ。そこまではいいんですが、敵を全滅させてから、その……梓が、自分に日野を降ろす様に言いまして――――断ったんですが、無理矢理降ろして――――」
「それ……で」

「食べたんです。ひ、日野の、左手の小指を。それも、いとも簡単に、引きちぎって、噛み砕いたんです」

「日野の小指を――――?」
「え、ええ。まるで人格が変わったかのようでした。それから間もなくして、梓が倒れたんです」
「…………」
「少佐、この事は、他者には誰も言っていません。大友もその前に戦死しましたし、日野もほとんど意識がありませんでしたから―――梓自身も、覚えてはいないと思います」
「そのまま、黙っていてくれ、この事は。日野にはどう言ってある?」
「日野には、とにかく敵との戦闘で無くなったと言ってあります。日野もそれで納得しています。それと、少佐。もう一つ申し上げたい事が」
「何だ、まだあるのか」
「梓の右足が撃たれた件ですが、その、誰も撃っていないんです。敵を殲滅した後ですから、自分でもありませんし―――」
「まだ残っていた敵が撃ったのでは?」
「有りえません。自分も確認していました。相手は三人で、自分の方に一人で梓の方に二人です。梓が倒れてからすぐに応援が来たときも、応援部隊は敵を見ていません」
「じゃぁ、誰なんだ―――まさか、日野か?」
「それも有りえません。日野は銃を持っていません」
「……という事は自分で自分を撃ったというのか」
「わかりません。少佐、自分はどうしたら―――?」
「とにかくこの事は口外するな。勿論、梓にもだ」
「……わかりました。では、もう?」
「ああ、行っていい」
僕は慌ててエレベータの中に入る。扉を閉めて下へと降りる。降りながら、手が震えていた。僕が、僕が、僕が――――。葛藤とまどろみが、エレベータ内に充満していた。

11

窓からは夜の底を僅かに照らすように、人間が造った偽物の光が氾濫し、蠢いている。外の世界の人々は、僕とまるで違う形で生きている。交差しないまま、知る事もなく、通り過ぎていく。はじめて向こう側の人間になりたい、そう強く思った。
病院のベッドはひんやり冷たく、月光で純白のシーツは朧気に浮き上がっていた。この部屋には、誰もいない。居るのは僕だけ。
「君か。噂の梓河人って……」
ドアの傍に、丸い眼鏡をかけた男が立っていた。年齢は僕と同じくらいだ。咄嗟に、石原准将の会議で同じ席に居た、あの神経質そうな青年を思い出した、彼だ。
「梓が苗字って、結構珍しいな」
腕を組み、壁に寄りかかる。僕はベッドに横たわったまま、口を開いた。
「君の名前は?」
「新田宗二だ。ほら、外出管理係りの。夜間警備の時だよ」
思い出した。機械音だったから、声で判断することが出来なかったんだろう。僕は寝かしていた上半身を起こして、新田を良く見た。
「それに俺は、敵質視察業務時に敵基地へ手榴弾を投げ込んだ奴でもある」
新田は自慢気に口を動かす。
「―――おかしな話だよな。俺は無傷なんだよ。作戦失敗に導いた本人がのうのうと生きているんだから、君も俺が憎いんだろう?」
僕は少し首を横に振った。戦場に居たとき、完全に僕は狂気していた。
「まぁ、俺は軍法会議にかけられて、明日で処刑される。その前に、噂の梓君を見ようと思ってね」
「噂の?」
目を細めて、新田を見る。微笑んでいた。
「ああ。池垣班では有名な新入りで通っていたんだけどな、知らなかったのか」
僕は開けようとした口を閉ざした。
「窓の外を見てみろ。たぶん、ここからでも見えるはずだ」
僕はベッドを出て窓を見た。新田も此方にやってくる。暗闇に様々な色に光るネオンしか確認できない。
「俺は明日、この病院の近くで公開処刑される。一般市民へ見せ付けるそうだ。作戦失敗で国同士で問題になったらしい。民間も黙っちゃいない。……今回の失敗で与えた負担は大きすぎる……俺が銃殺される事で、少しは納得してもらうという腹なんだろうよ」
「死ぬのは怖い?」
僕の声は夜風に乗ってどこかへ消えてしまいそうなくらい、小さかった。
「死ぬのは怖いさ。正直言えば、戦場では死んでもいいと思ったけど、こんな所で死にたくない……」
いつの間にか、新田の目からは涙が溢れていた。
「こんな所で死ぬなんて、冗談じゃねぇよ。俺は兵士なんだ。せめて、戦場で死なせてくれればいいんだ……」
僕は黙っていた。黙る事で、何かの壁を作っていた。榊や日野の事が頭の容量を越えてしまって、何がなんだからわからない。僕の知らないところでどんどん世界が動いていく。取り残されてしまっている―――――太陽が死滅し、永遠の夜の幻覚よりも、それは恐かった。


朝が来た。
誰もが待っていただろうか。少なくとも、僕や新田はもう明日なんて来なければいいと願っていた筈だ。池垣は、榊は、日野は―――明日を待ち望んで毎日を生きているんだろうか? それとも、そんな事は考えずに過ごしているのだろうか。
どんなに長い夜でも明ける。昔はその言葉を頼りに生きていた筈なのに―――。


細長い、針のような雨が降り始めたとき、僕はまだ病院に居た。窓の外を眺めながら煙草を吸いたいと思っていると、池垣が部屋に現れ、集合だと言った。
短く答え、着いていく。
「池垣さん!」
声に吃驚して振り返る。どこか聞いたことのある声だと思っていたら、病室の時に居たあの医者だった―――まだ名前も知らない。医者は息を切らして此方にやってくる。
「どうかしましたか、先生」
医者は冷静で、その中に憤りさえ感じさせる言い方だった。
「処刑式とは、どういう事でしょうか。先程聞いたのですが」
医者の目は少し充血している。
「病院側には昨日説明させて頂きました。今日、風致地区を拝借して即興の処刑場を造ると―――院長には了解を得ています」
あくまで池垣の口ぶりは冷静そのものだった。
「そういう問題じゃないでしょう。人を殺す―――さらに患者に見せつけようとしている」
「確かに院長は入院患者への影響を懸念されていましたが、これは国の決定ですし、ここは国が立てた病院です」
医者は額に皮膚を集中させたかのように皺が増え、大きく口を開けて怒鳴った。
「ふざけるな! あんたらは、あんたらのやろうとしている事は―――異常だ! 見せしめだかなんだか知らないが、そんな事が許されていると思っているのか!」
「しかし現に我が国では十年前から軍隊所持を表明しておりますし、国の最優先事項はいかなる場合であっても妨げられてはならない、とあります」
「こ、こんな事が、最優先事項なのか。人を殺して、見せ付ける事が、あんたらのやり方か!」
医者は今にも掴みかかりそうに震えている。次第に人気の無かった廊下に、怒鳴り声を聞きけた車椅子に乗った老人や看護婦が顔を覗かせた。
「そう申されましても―――いずれにせよ、決定いたしました。処刑式は間もなく開始しますので。それでは―――」
僕の手を握ってエレベータを引きずっていく。今までに感じたことの無い強い握力だった。
エレベータの中に入る。
「少佐、ちょっといいでしょうか」
口を聞く代わりに、握っていた手を離してくれた。
「榊は、戦争は商業と言っていました。少佐は、どう思いますか?」
池垣は無表情で天井を見る。
「そうか……榊の馬鹿が。確かに、戦争は今となってはこの国に無くてはならない利潤となっている」
そこで僕を一瞥した。
「昔とは違い、完全に意図的に組み込まれた戦争は、ある意味では戦争ではないのかもしれない。側面だけ見ても、今の戦争は大分変化している。だけど、戦争は一人のものさしで計れる物でも無いし、誰かに定義される物でもない。だから、個人が観察し、自分にどう影響していくか―――対応していくんだ。それだけは、別の基地に移っても忘れるな」
僕は、頷くしか無かった。


病院を出るとすぐに風致地区は見つかった。風致地区はフェンスで囲まれており、青々しい若葉達で溢れている。フェンスには扉があって、開いていた。
「ここからは一人で行けるだろう」
静かな声だけが、雨の微弱な匂いと共に焼きついていた。僕はゆっくり敬礼してから、その扉の奥へと歩を進めた。
風致地区は周囲が木で埋め尽くされていたが、中心は芝生で、そこに頑丈そうな柱が一本、天に向かって伸びている。兵士は列を作って並びんでいる。僕もその列に参加した。全員が軍服を着、腰にはUOPが差し込まれている。辺りを見回したが、榊や日野の姿は見つからなかった。
空を仰ぐ。そこには虚無しかない。
やがて号令がかかり、全員が敬礼する。
柱に新田が結び付けられる。
表情は硬くも無く緩くも無く、死んだような目をしている。
やがて結びつけた兵士が退却すると、今度は突撃銃を持った兵士が列の前に現れた。
石原准将が何か大声で喋っている。何といっているのかはわからない。
やがて、前の兵士が突撃銃を構える。
乾いた音が広がり、新田の首が垂れる。
全員がもう一度敬礼する。
そこには虚無しかない。

12

二週間が経ち、僕は別の基地に移ることになった。未だに幻覚症状は治ることは無い。


列を作った兵士達が、畑道を歩いている。突撃銃を上に掲げながら、太陽の光を浴びて前進している。その中に僕も居た。畑道はいくつもの道に分かれていて、様々な道へと向かっている。これから敵地に向かうところだ。今まで通り、僕は戦争そのものが好きだ。もちろん、概念的な意味合いでは無く、闘うことによって、一瞬一瞬自分の人生を改め、それを重ねる事で生きていると実感できる。それだけが今、心の支えとなり、戦場は僕にとって「理想郷」と化した。
ふと、後ろから慌てめいた足音が聞える。正体は息を切らした、知らない同士の姿だった。
「あ、ここ爆撃班ですよね?」
僕はわざと人の嫌うような顔をする。
「ここは前線部隊だ。爆撃班は、向こうだよ」
そういって荒く人気の無い道を指す。新入りだろうか。
「あっ、すいません」
慌てて指差した道へ走っていく。僕は満足し、また列に戻って歩き始める。
それから三秒もしないうちに、爆音が後方で聞えた。
僕は慌てて、列から外れてその方向を見る。嫌な予感がして、急いで案内した道を行く。そこには、さっきの同士が倒れていた。血まみれで、右手が引きちぎれて足元に転がっていた。対人地雷だ。
同士の目は開かれて、澄み切った青空を仰いでいる。

(了)
2007/12/31(Mon)21:00:22 公開 / 山田
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