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『古の遊戯【完結】』 作者:アドミット / ファンタジー 未分類
全角74829文字
容量149658 bytes
原稿用紙約230.05枚
SAVE0:古からようこそ


 日本から遠く離れ、地球の正反対に位置する南米大陸には、とある偉大な帝国が築き上げられていた。それは今亡き古の帝国。人はそこを、インカ帝国と呼んだ。
 正式名、タワンティンスウユ。十三世紀の頃、ペルーとボリビアに挟まれたチチカカ湖周辺で成立し、十六世紀までの三世紀も間続いたマヤ文明とも並び立つ文明の一つ。
 スペインに滅ぼされた事は、今や悔やまれる出来事ではあろうが、十三世紀以前にもインカ文明は存在したと言われるぐらいだ。
 ここは多くの考古学者達が聖地と敬う。そして彼もまた、その聖地の謎を求めてやって来た考古学者の一人だった。
 白い口髭を生やし、白髪混じりの短髪を掻き揚げる一人の男。名を、古代 正史(ふるよし せいし)と言う。
 五十を過ぎたと思われる年齢からは、到底予測も出来ない引き締まった肉体と厚顔。そんな顔に似合わず、遺跡に手を付ける彼の表情は子供のようにも見える。
 正史がそんな顔を怪訝に歪め、手を止めたのはレンガの瓦礫をどけたときだっただろうか。瓦礫の下から顔を出す、拉げた鉄製の小箱を見つけて作業を止める。
 一辺が十センチもない、正方形をした厚みがある菓子箱に似た小箱。
「何だ、これは? もしかして、インカ帝国の秘宝か何かか?」
 ささやかな夢を見つつ、正史は箱の上蓋をスライドさせて開いてみた。拉げている割にはすんなりと蓋は開き、上蓋だけが石畳に落ちて甲高い悲鳴を響かせる。
 中に入っていたのは、鹿か何かの毛皮がビッシリと。小首をかしげる正史。
「おい、ゲームなんざやってないで手伝え、オタク馬鹿!」
 携帯ゲーム機で遊びサボっていた研究員に、学者仲間の罵声が飛ぶ。背後に学者仲間が立ったことに気付き、顔を上げて声を掛ける。
「ちょっと、こいつはなんだと思う?」
「何、と聞かれても……大方、子供のオモチャ箱、ってところじゃないですか? 子供なんかが、こういうの良く持ってるじゃないですか」
 細身の長身をした、チャラ付いた格好の学者仲間が冗談めかして答える。
 しかし、その冗談が意外に近いと言う事に気付いたのは、毛皮に挟まれた一枚の石版を見つけたのが原因だっただろう。
 綺麗に切りそろえられた箱に収まりきる円形の石版で、真ん中には一センチか二センチほどの穴が開いている。いうなれば、石で出来たMDのディスクと言ったところか。
「まさか、オーパーツと言うやつか……?」
 考古学者になってから、初めてお目にかかれた噂の代物に、正史は驚きを隠せない声音で呟く。
 数ミリの狂いも無い精巧な正円形と言い、MD並みの薄さを持ちながら建物の崩壊から生き残った物体である事を考えても、その石版がオーパーツである可能性は高い。
 因みに、オーパーツとは古代の遺跡で見つかる発展した文明の証拠の事だ。水晶ドクロや飛行機の形をしたオブジェ、その他にも諸々の進化を遂げた文明の可能性を示唆させるものが見つかっている。
 中にはオカルトチックな考えや、SF染みた考えを持つ学者も居るが、そんなものは全て現代文明と並び立つ技術を持った古代人への嫉妬も同じである。
 いや、確かなことも分っていないのに、そう否定を並べ立てても仕方が無い。だが、古代人がそれだけの技術を持っていたことは確かだと言える。
「これって、あいつのもってるゲーム機で再生できそうですね」
 正史が思考を巡らせていると、唐突に学者仲間の一人がそう言った。瓦礫に座り込み、携帯ゲーム機で遊んでいる小太りの冴えない研究員を見つめて。
 確かに、大きさとしてはその携帯ゲーム機のソフトウェアと変わらぬ大きさではあるが。
「こんな石の板じゃ、ゲーム機の方が壊れてしまうだろ? 下手をすれば、こっちも砕け兼ねない」
「物は試しって奴でしょ。ゲームが壊れたら弁償すればいいし、もしこっちが砕けたんなら……大したものじゃないって証拠だって」
 学者仲間は苦笑を浮かべながら、研究員の持つゲーム機に視線を向ける。正史も、釣られてそちらを向く。
 研究員が二人の学者の視線に気づき、やや疎ましげな表情を見せてから立ち上がる。怒られるとでも思ったのだろう、
「はいはい、仕事をすればいいんでしょ。やりますよ!」
 弛んだ脂肪を揺らし、二人に歩み寄ってくる如何にもな研究員。
 学者の二人は唇を吊り上げ、ふて腐れる研究員に手を差し出す。無論、ゲーム機を貸せ、と言う意図を込めてだ。
 しかし、その結果がとんでもない事件を引き起こそうとは、その場にいた誰もが予想だにしていた無かっただろう。
 晴天を貫く光の柱を、世界中の人々が指差し騒いだのはそれから間もなくしてのことだった。


SAVE1:不思議な居候達


 何故、それは過ぎてゆくのだろう。無情にも、ただ進むだけの固定観念に苛立ちを覚える。
 時間――昔の人間が作り出した、天体の循環運動による自然界の移り変わりに定めた数式的な固定観念――と言うものに、一人の少年は理不尽なものを感じる。
 そして、人は何故そんなちんけなものに従って生きていこうとするのか。すべてにおいて、理解ができない。
 春先の肌寒さの残る、散らかった部屋の個人用卓上電子端末:通称パソコンと向かい合い、薄暗闇でモニターの液晶の放つ輝きが闇にも勝る暗い表情を色取り取りに染める。
 流れる音声、ゆっくりと動くグラフィック。剣と魔法を駆使して戦うオンラインゲームに没頭する少年の名は、古代 遊(ふるよし ゆう)と言う。年は十四歳、中学校に通う『はず』の少年である。
 こんな生活を続けて、いったい幾月が流れただろうか。カラフルな画面を眺め、少年は思案する。
 お菓子と清涼飲料水、脱ぎ散らかされた衣服が散乱している。足の踏み場もない、と表現するにはもってこいの自室に入り浸り、風呂と食事を作る時以外は外に出ない。
 典型的な引き篭もりと呼べる少年。
 何の面白みも無いリアルな現実よりも、プロバイダで繋がったオンラインゲームの世界の方が余程楽しい。時間と言う固定観念の無い世界で、楽しみたいほどに。
 しかし、そんな楽しみは無情にも一通の電話で打ち切られることになる。
 鬱陶しい電子音がパソコンの傍で鳴り響き、着信を知らせるランプが点滅する。
 出ずに聞き流したいところだが、電話回線から取ったパソコンの回線である以上、放って置くとゲームの進行に支障が出てしまう。疎ましく思いながらも、遊は電話を取る。縦長の携帯性を重視した子機だ。
『遊か? すまんが、ちょっと頼まれごとをしてくれ』
 確認の意図を込めて言ったのだろうが、この家に遊以外の誰が存在するか。息子の誕生日でさえ、仕事で家にいない父親を電話越しに睨みつける。
 聞くのも憂鬱になる声に、ひたすら額に皺を寄せて耐える遊。
「なに?」
 遊が短く答えを返すと、父親の正史はポツポツと事柄を伝え始める。だが、遊は途中で放置していたゲームに視線を向けて正史の言葉を蔑ろにする。
『もしかしたら届いているかも知れないが、まだなら伝えておこうと思い出してな。今日ぐらいに……がそっちに行く事になっているんだが』
 ゲームに集中してしまった為、一部分を聞き逃してしまう。
 まあ、聞き逃したところで遊には関係の無い事だ。どうせ、仕事で見つけた何かを家宛に送ったのだろう。そう、高をくくる。
『おっと、国際電話で掛けているからな、そんなに時間がない。じゃあ、頼んだぞ』
 それだけを言い残し、息子の事を気遣う言葉も掛けずに電話を切る父親。
 出なければ良かったと、遊は心の中で悪態を付いて充電用の受話器に叩き付ける。そして、呼び鈴が鳴ったのはそれから直ぐのことだった。
 ゲームの中の、ゲーム仲間達に断りを入れ、遊は暗い部屋から出てゆく。判子なりサインなりを済ませば直ぐ戻れるのだから、父親への鬱憤を配達の人間に向けるわけには行かない。
 自室を出ると、そこはソファーと四人掛けの机が置かれたダイニングキッチン。ダイニングに隣接する、大机が置かれただけのリビング。殆ど使ったことの無いキッチンは、未だに引っ越して来た頃の美しさを保っている。
 埃ぐらいしか見られないリビングに午後の日差しが差し込み、広々とした空間に真新しい新居の香りが広がる。
 母親を数年前になくした古代一家は、正史と遊だけで元住んでいた古アパートから引越し、3LDKの最新マンションに引っ越して来た。
 夜間の警備もしっかりしている、八階建ての真っ白な壁のマンション。
 二人しかいないのに、どうしてこんな大きなマンションに引っ越したのか理解できない。
 考古学者というのは、そんなに儲かる仕事なのだろうか。
 疑問に思いつつも、無駄に広い部屋に疎ましさを覚えさえすれ、感謝の気持ちなど一片もない。
 部屋の前に佇み、呆然としていた遊の耳朶を二度目の呼び鈴の音色が撫でる。
「はい、今出ます」
 早く戻らなくては、と少しばかり焦り、遊はリビングを出た直ぐの玄関へ向かう。
 普通に歩いて人が一人通るのが精一杯の廊下を突き当たると、そこには曇ガラスがはめられた無機質な扉がある。
 玄関に着いたところで、三度目の呼び鈴が鳴った。
「出る、と言っているでしょ。そんなに何度も鳴らさなくたって……」
 配達にしてはしつこい呼び出しに、疎みと怪訝を混ぜた声で答える。が、どうも様子がおかしい。
 玄関の曇ガラスの向こうには、何故か四、五人の人影が見られるのだ。荷物の量が多いのか、幾つかの配達が一度にやって来たのか、今まで見たことの無い数に頭を捻る。
 しかし、四度目の呼び鈴が遊を急かす。急かすというよりも、呼び鈴を鳴らすのを楽しんでいるかのようだ。
「何をやってるんですか! 会社の方に訴えますよ!」
「キャッ!」
 苛立ちを積もらせた遊が勢い良く扉を開くと、少女と思われるアルトボイスの悲鳴が響く。
 配達では無いと言うことに気付き、遊はしまったと言わんばかりに顔をしかめる。いや、しつこく呼び鈴を鳴らした向こうにも非がある。
 自分を正当化しながら、ゆっくりと視線を足元の方へ向ける。
 予想通り、そこに尻餅を付いているのは十代前半ぐらいの少女だった。金髪とも、茶髪とも取れる小麦色のボブカットの下で、エメラルドを思わせる瞳を涙で潤ませる少女。
 外国人かと一瞬思ったが、顔つきは幼くも東洋人に近い。けれど、良く見れば外国人のようにも思える。
「ハーフ?」
 ポツリと漏れた言葉に、尻餅をついた少女は顔を上げて首をかしげた。
 そして、少女の何気ない仕草と、ワンピースタイプの白い布の隙間から垣間見れる小さな谷間に、遊は咄嗟に顔を背ける。
 早くどうにかしなくては、顔が赤くなっていることに気付かれてしまう。内心焦りながら、遊は侘びを込めて少女に手を差し伸べる。
「どうしたんですか? 人と話す時は、顔を見て話しましょうよ」
 同年代ぐらいのくせして、遊に説教しているのか。
 だが、それ以外は怒っている様子もなく、遊は悟られない程度に安堵の息をつく。少女を立たせた後、周りを見渡して気付いた。
 訪問者は少女以外にも、四人の男女が玄関先に佇んでいる。
「唐突のご訪問、大変申し訳ございません」
 しつこく呼び鈴を鳴らしていた割には、礼儀正しく頭を下げる長髪の男。砂色のコートに身を包み、黒いマフラーを巻いた美形の男性だ。
 少しばかり睨み付けているようにも感じる鋭い黒眸に、遊は半歩後ずさって目を凝らす。なんと言うのか、絵に描いたような美男。
 最も、春先の格好としては微妙に不釣合いだが。
「えっと……、父が言っていた、今日届くものと言うのは……?」
「はい、僕達のことです。ご迷惑かも知れませんが、今日からお世話になります」
 遊の問いに間髪入れず答えるのは、先ほどの男性と相変わらぬ黒いロングヘアーを後ろで纏め、真っ赤なベレー帽を被った青年である。
 こちらも、負けじと美形ではあるが、どこか男とは違う雰囲気を感じる。
「おいおい、いくら急に押しかけたと言っても、お客さんに立ち話をさせるとは礼儀がなってないな」
 怒りとも苦笑とも取れる、意地の悪い笑みを浮かべる白衣姿の男が、眼鏡を陽光に照り返しながら言う。
「父の、知り合いなんですか?」
 ベレー帽の青年が言った通りなら、この学者と思しき男も父の知り合いか何かなのだろう。とりあえず、確認を取ってみない事には始まらない。
 遊はそう思い、嘘は見抜かんとばかりに男達へ問い掛ける。だが、返って来たのは予想外の返事。
「さて、どうだかな」
 しかも、父親以外に初めて殺意を覚えた瞬間だった。それでもって、最後に四人目が遊の怒りを解決してくれる。
 直径十センチぐらいか、黒く長い棒が白衣の男の頭を殴り飛ばし、女性の罵声がマンション中に轟く。
「これから世話になるって言うのに、その言い草は何だ! 謝れ、こらっ!」
 ビキニ水着とも取れる、際どく豊満な胸と大きくも引き締まった臀部を隠す黒い布、露出度は通常の水着よりも高い。
 まあ、こう言った女性はこの世代になら沢山いるので、それ程気にする事もないだろう。
 現代社会のおいて、この程度の事に慌てていては生きていけない。
 冷静に状況を分析する遊も、理不尽な訪問者達に馴染んできてしまっているのかも知れない。いや、あまり馴染みたいとは思わないのだが。
「えぇ〜と、上がってください……」
 怒りを抑えながら、遊は居候と名乗る訪問者達を家に招き入れる。
 翌々見てみれば、ビキニの女性も含め、全員がどこやらに凶器らしきものを携えていた。
 ロングの美男は背中に大きな剣を。ワンピースの少女は布に包んだ身の丈ほどの杖状の物。学者らしき男は腰に短刀を差している。
 ベレー帽の青年は、武器かどうかは分らない細長いアタッシュケースと腰にサーベル。ビキニの女性は、言わずもがな黒い棒を二本。
 考古学者の父には不似合いな知り合い達である。
「あの、あなた達のお仕事は何なんですか? 父の知り合いだから、考古学者……?」
「さて、どうだかな。俺達を見て学者だと思うようじゃ、お前の頭の方がどうかジッ……!」
 白衣の男の頭にくる返答は、再びビキニの女性によって遮られる。黒い棒で殴られ頭が凹んでいる辺り、頭がどうかしているのは白衣の男の方だ。
「お前は何度殴られれば気が済む!」
 叱ってはみるものの、既に白衣の男は気絶している。
 それはさて置き、さっきから訪問者達のことをちゃんとした名前で呼んでいない気がする。気がするだけではなく、やっぱり呼んでいないのは確かである。
「それよりも、名前を教えてもらえないでしょうか。あなた、とかじゃ呼びにくいですから」
 遊の一言によって、居候の五人は自己紹介をしていないのを思い出したようだ。
 顔を見合わせていたと思えば、こちらを振り向いて手の平を打つ。
 思わぬ間抜けぶりに、遊は呆れて溜息をつくことしか出来ない。
「これは失礼しました。そがしは、ディンエメス=グランバーズと申し上げます。ディンと呼んでください」
「そ、そがし……」
 ディンと名乗るロングの男の時代違いの一人称に、名前を覚えるよりも畑違いの答えを返す遊。
「いや、冗談です」
 言葉を詰まらせる遊に、ディンは真顔でサラリと言い放つ。自称などどうでもいいのだが、無駄に時代遅れの呼称では無い事に灰色の安堵を覚えるのだった。
「私は、リリナール=フォルシオムだよ! リーナでよろしくねぇ〜!」
「は、はあぁ……」
 名乗りを上げると共に手を握り締めてくる溜め口の小娘に、遊は生返事しか返せない。活発で元気な十四、五歳の少女は、何故か背中の杖状の物を玄関の入り口につっかえながらはしゃぎたてている。
 元気なのはいいが、いつまで手を握っているのだろう。鬱陶しくなり、リーナの手を強引に引き離す。
「あはは、居候なんて初めてだから、はしゃぎすぎちゃった。てへっ」
「てへっ、じゃ無いだろ……どうでもいいけどよ。俺はレイウォール=ドリューだ」
 リーナに代わり、ぶっきらぼうな言い草で自己紹介を済ませる白衣の男。
「あぁ〜! 挨拶ぐらい、ちゃんとしなくちゃいけないんですよ! レイさん」
「誰がレイさんだ!」
 仲が良いのか悪いのか、遊の関係の無いところで喧嘩を始めてしまうリーナとレイウォール。
 逃げて走り去ってしまうリーナと、リーナを追いかけて奇声を上げながらマンションを駆け回るレイウォールを見送り、遊は人知れず小さな溜息をつく。
 続いて、気を取り直して自己紹介をするのはベレー帽を被った青年。
「僕は、ペルナ=ティーハートといいます。これから、よろしくお願いします」
 青年と言うにはやや高い目の声音で挨拶を済ませると、特別なアピールの無い転校生のような態度で後ろに引き下がる。
「アタイは、マナ=グランテスタだ。とりあえず、よろしくとでも言っておこうか」
 礼儀など知った事か、と言わんばかりに豪快な笑顔で自己紹介をするビキニの女性。元気なのはリーナだけで十分なのだが、この女性も一癖、二癖ありそうな予感がする。
 そんなわけで、古代家には今日から五人の不思議な居候達がやって来た。


SAVEU:居候と秘密


 その日は、古代家からいつもと違う慌しさが響いていた。ろくに聞こえもしない掃除機の轟音、布団を叩くリズムがベランダで一楽章を奏でる。
 久しぶりに部屋へ吹き込む風が気持ちよく、思わずうっとりと夕焼けの空を眺める遊。
「えっと、これは何処へ持って行けばいいの?」
 無我に更ける遊に、ガラクタの詰まったダンボールを抱えたリーナが声を掛ける。
 とりあえず、五人の居候が寝泊りできる程度に部屋を片付けることになり、物置となって使っていない部屋と、父の部屋を開けているわけだ。
 足の踏み場も無かった物置も、五人が掃除をすると結構早く綺麗になる。昼過ぎから始めて、日が沈む前には大方の荷物が粗大ゴミとして外に放り出された。
「それは外に出して置いてください。あっ、そのオブジェは片付けちゃだめですよ、ディンさん」
 遊は寝具の用意をしつつ五人に指示を出す。
 部屋の準備なら遊がすべきだったのだが、父親の正史が連絡をよこすのが遅かった所為で、こうして皆で部屋を片付ける事になった。それは良いとして、果たして彼らはいつまでここに居候することになるのだろう。
 あっちへ行ったり、こっちへ来たりする五人の居候を眺めながら、遊はベランダの手すりにもたれかかってそんな事を考える。
 父の仕事仲間でないことからすれば、研究先の現地で知り合った人達だと考えるべきか。それならば、この居候はホームステイと言う事になる。
 彼らからは、父の知り合いとしか聞いていないため、それ以上の推論を出す事が出来ない。出てくるとするなら、彼らの世話を押し付けた父への憤りぐらいだろう。
「あのクソ親父は、一体何を考えてるゴフッ! ケホッ……カハッ!」
 独り言を呟いている途中で、遊は傍から漂う異臭と白煙に咳き込む。
 鼻腔を突くタール臭と、一息で喉を焼くような痺れをもたらす白煙を、何食わぬ顔で吐き出す白衣の男。
「レイさん、あなたは何をやってるんですか!?」
 掃除をサボり、煙草の一服を嗜むレイウォールことレイに怒鳴りたてる。
「何って、煙草を吸ってるだけだが。それが、どうかしたか?」
 視線だけをこちらに送り、人の気も知らずに煙草を吹かす態度に言い知れぬ殺意を覚えた。が、それは置いておくとしよう。
 睨み付けても動じぬレイを、どうするかが問題である。
「こんなところで吸われたら、布団に臭いが付きます。せめて、別のベランダで吸って来てください」
「そうですよ。煙草臭い布団なんて、私は寝たくありません!」
 遊の正論であろう説得とリーナの同意する声に、レイは少し気まずそうにして手元の煙草に視線を向ける。
 説得に応じてくれたのか、胸ポケットから取り出した携帯灰皿で煙草をもみ消すと、確かに別の部屋へと向かって歩き出す。しかし、そこは遊の自室である。
「そっちは駄目です! この部屋だけは、止めてください!」
 自室に向かうレイを、必死の形相で引き止める遊。
「おいおい、あっちも駄目、こっちも駄目、って言われてもな。ホント、愛煙家は肩身が狭いぜ」
 何処かで聞いた事のある台詞を呟き、レイが肩を竦めて見せる。
 そう、それは父親が良く見せた言動だ。小さなアパートで遊と母がヘビィースモーカーの父を叱った時に、良く見せた懐かしい言動。
 まだ小さな遊と、遊の健康を思う母の叱咤に、正史は仕方なさそうに寒空の下で一服していた事がある。
「……」
 何処かへ引きずり込まれるような感覚。
「……くん!」
 星空を眺めて笑い合う家族。
「……う君?」
 いつか過ぎてしまった思い出の中。
「……ゆう君!?」
 思い出の中に浸っている遊の耳に聞こえてくる声が、何度も右から左へと通り抜けてゆく。
「えっ?」
 自分が呼ばれていることに気付き、ハッと我に返る。目の前には、なにやら心配そうにエメラルドアイを潤ませるリーナと、怪訝そうに佇むレイが居た。
「さっきから、お前は何をしてるんだ? ボーッとしてると思えば説教したり、それが終わるとまたボーッとし始めて、本当に変わった奴だよな」
「遊君、どうしたんですか? 具合でも、悪いんでしょうか……?」
 二人が詰め寄ってきた為、遊は何も答えることが出来ずに後ずさる。その拍子に、手の触れた洗濯ピンが外れて一枚のシーツが風に舞う。
『あっ!』
 遊とリーナの声が重なる。
 下に落ちた後に取って来てもよかったのだろうが、そんな事を考えていないリーナが手すりから身を乗り出す。
 いくら手すりがあるからと言えど、胸の高さもあるところから上半身を乗り出せばどうなるかぐらいは予測が付くはずだ。
 ベランダの外側、コンクリートの地面が見える方へと傾く重心がリーナの体を吸い寄せる。スローモーションで、リーナの小さな体が万有引力の法則に従って落下する。
 八階建ての建物の最上階から落ちて、助かる人間が居る別けない。咄嗟に伸びる手がギリギリの所でリーナの体を掴み損なり、虚しく空を掴む。
 掴むタイミングが間に合わなかったのではない。一瞬だけ見えた物に、思考を停止させてしまったからだ。
「馬鹿がっ! 人って物はな、一度壊れたらお終いなんだよ。もっと気をつけろ!」
 遊の代わりに白衣に包まれた腕がリーナの足を引きとめ、今まで誰からも聞いた事の無い叱咤が吐き出される。厳しくも、何処か悲しみに暮れた声音だった。
「ご、ごめんなさい……」
 死に掛けた当の本人は、謝ることしか出来ずに薄っすらと涙を目頭に溜める。
 しかし、遊の口からは別の言葉が漏れだした。
「ハネ……?」
 それを聞いたリーナとレイも、唖然と遊の顔を見つめる。
 リーナの足を掴んだレイは、遊が何を言っているのか分らないような表情だ。リーナは、遊の言葉の意味を理解しているのか、ワンピースの裾を押さえたまま涙を流して目を見開いている。
 その涙が、ベランダから落ちかけたための恐怖によるものか、遊に知るよしは無い。
「おい、何をボーッとしてるんだ。上げるのを手伝え」
 レイの言葉など、それを見た遊の耳には届いていない。
 空中で制止した瞬間に、白い下着と共に見えたリーナの背中に付いた物。本当に数センチぐらいの、地面から頭を出すタケノコ程の大きさの白い、アクセサリーとも取れる毛玉だった。
 毛玉と言うのは正確ではない。あれは、小さい翼だろう。
「リーナ、君は人間なのか……?」
 有り得ないと頭で思っても、どうしても聞かずに居られない。この世に、翼を持った人間など居るわけが無いと分っていても、それが漫画やアニメの世界でしかない非現実だとしても、だ。
 もしかしたら、ただの見間違えで、そうでなくてもただのアクセサリーなのかもしれない。
 宙吊りになったままのリーナを見つめ、返答を待つ。そして、待ちながら気付く。
「人間……です。私は、人間です!」
 か細かった声が次第に大きくなり、はっきりと遊の耳に届いた。
 いつの間にか、事に気付いた居候の皆が集まってきていて、リーナを引き上げる手伝いをする。
 リーナの足に伸びる幾つもの手を見つめ、遊は問い掛けたことを後悔する。
「ごめん、な……」
 聞くべきではなかった問いに対し、短い謝罪の言葉と一緒に遊も手を伸ばす。
 返事は返ってこない。それでも、リーナの瞳から留めなく溢れる涙を見れば、彼女が遊を許してくれたことが分るのだ。
 それだけではなく、彼女自身も人として認められた喜びを感じているのだと分る。リーナの背中にあったものが、翼であろうとなかろうと、彼女は彼女ではないか。
 ただ、それに気付いただけだ。


 リビングの大机を遊と居候達が囲む中、気まずい沈黙を空気も読まずに打ち破るのはその男。
「まさか、有翼民族だったとはな。っということは、そいつは楽杖か」
 リーナを引き上げた後、レイが関心したように彼女に話しかける。
 未だに泣き続けるリーナは、小さく首を縦に振って答える。
 レイの言う楽杖というのが何なのかは分らないが、彼の指の先を追っていけば何のことだかは理解できた。
 リーナがここへ来た時に背負っていた、布に包んである身の丈程の何か。先端に幾つもの突起物が迫り出していて、最先端が鋭く尖っているような――いうなれば鳥の頭部を象った形をしている。
 杖状のモノであることは気付いていたのはいいとして、楽杖というのだから楽器としての扱いになるのだろうか。
 音楽の教科書でも見たことの無い形状の楽器に、遊は少なからず興味を惹かれる。
 レイがマナの制止を振り切り、勝手に予想通りの楽杖を遊の目の前にさらしたのは大した問題ではない。
「さて、時化た話はこれぐらいにしよう。掃除で汚れただろうから、風呂に入って来い」
 遊が問いかけようとするよりも早く、マナが提案する。
 遊はそれ以上何も言う事が出来ず、口を噤んで話を打ち切った。
「それでは、誰から入ります? 全員が入れるほど広くは無かったですから」
 口を挟んだペルナがどういった意図でそれを言っているのか。自慢か、それとも当たり前の事情を説明しているのか、さほど変化しない表情からは読み取れない。
 多分、悪意は無いのだろうと思う。
 それはさて置き、居候である身からか、率先して名乗り出ようとする者が居ない。
 遊は、自分がこの家での決定権を持つことにささやかな優越感を感じる。それは、己が矮小だということを認める自己嫌悪と共に。
「は〜い! 掃除で汚れている人から入ればどうですか。私は、雑巾掛けぐらいしかやってないので、そんなに汚れてませんよ」
 挙手の後、指摘を待つまでも無くリーナが提案する。
 今更ながら思うが、リーナと言う少女は、元気が良いだけで決して馬鹿だとか天然だとかと言うわけではないようだ――いや、失言。
 それにしても、先ほどまでの落ち込んだ様子は全く見られない辺り、異常なまでに心の切り替えが早いのは彼女の天真爛漫な性格故か。
 あの背中に生えた翼の事も気になるが、それは彼女が風呂に入っている間にレイにでも聞けばいいだろう。
「それでは、どうやら僕が一番汚れているみたいなので、お先に失礼させていただきます」
 軽く頭を下げ、ペルナが椅子を離れて風呂場へ向かう。
 フッと思う、ペルナという青年はこの居候の中でも一番得体が知れない存在だろう。何処が、と問われても答えに困るのだが、何処と無く周囲を切り離したような。孤高癖があるとも言って良い雰囲気を纏っている。
 リーナやマナは元気さが取り得だ。
 ディンは寡黙ながら、上手く皆を纏めている。
 レイは意地の悪い性格をしているものの、それは絶対的な悪意を持ったものではない。
 だがペルナだけは、協調性だとか、交友的と言った話は抜きにして、己の真意を誰にも洩らさない自分の世界に閉じこもった存在。そう、ある種の引き篭もりと断言できる人間だ。
 ただ、必ずしも遊の想像が当たっているとは限らない。
「どうしたんですか? そんなに、ペルナさんのことが気になります?」
 立ち去るベスト姿の背中を見送り、物思いに更ける遊にリーナが尋ねてくる。
「えっ。あ、あぁ……ちょっと、ね」
 リーナの顔は笑っているにも関わらず、風船のように丸く膨らんでいることに怪訝を隠しながら答えた。
 遊の怪訝顔に気付いたリーナは直ぐに頬をしぼませ、ソッポを向いて小さな呟きを洩らし始める。
「どうせ、私は……ですよ。生まれつきなんだから、仕方ないじゃないですか……」
 所々聞き取れないところはあったものの、何処か拗ねた感じの物言いにはその場の誰もが気にしていない。いや、レイだけが嫌味っぽく含み笑いを洩らしている。
 それはさて置くと言わんばかりに、遊の思案に答えてくれたのはディンだった。
「ペルナさんが何者か、である事は遊さんだけが分らないのだろう。この世界において、あの『荒ぶる雷神"アグニストール"』を知らないのは当たり前だが」
「……『荒ぶる雷神』?」
 聞きなれない単語に、遊はオウム返しに尋ねる。
 ディンはペルナに声が届いていない事を確認すると、単刀直入に説明を始める。
「私達の世界には、幾つかの軍事勢力がある。私が所属する『聖なる福音"ホーリーエヴァージェン"』を含め、私の知らない裏の勢力まで幾百……『荒ぶる雷神』はその内の一つです」
 彼らの言う世界と言うのは、彼らが住んでいた外国の事を指すのだろう。
 確かにアメリカにさえ、シークレットフォースやらと言った存在するか否かを疑える軍隊だって聞きうけられる。そんな物が幾百とある国とは、どれ程の荒廃を見せた国か予測もつかない。
「因みに、俺は無所属だ」
「お前は少し黙ってろ」
 尋ねてもいないのに、レイが茶々とも取れる横槍を入れる。マナに叱られるレイを横目に、ディンは涼しい顔で先を続けた。
「個人所有の軍事勢力の中で最も有名で、個々の実力が一個勢力の十数人分に及ぶと言われている。そこに所属するのが、ペルナさんっと言うわけなんですが……」
 理解仕切れていない表情の遊を見て、ディンはしばし言葉を区切る。
 ディンの説明が小難しいと言うわけではなく、あのペルナと言う青年の実力を実際に見てみなければ信じられないのだ。
 それでもディンは遊の表情を悟ったかのように、いずれ見られるでしょう、とあやふやな苦笑を浮かべて話を戻す。
「ティーハート家――ペルナさんの家系は、代々その『荒ぶる雷神』の部隊長を務める軍の名門な訳です。まあ、今は訳あって部隊を……ッ!?」
 言葉を最後まで紡ぐ前に、リビングまで響いてくる悲鳴にその場の誰もが身構える。
 布を裂いたかのような悲鳴が残響した後、何事かと遊達は悲鳴の聞こえた風呂場へと向かった。そして、遊だけがそこにあった光景に眼を丸くして硬直する。
 遊は、目の前に広がる光景に唖然として、何故ここへ駆けて来たのかさえも忘れて立ち尽くす。
 決して小さくはない、されど大きすぎる事もしない豊艶な二つの山が、意味ありげに揺れる。タオルと言う頼り無い布切れに体を納めようとする度に、艶めかしい白い肌が見え隠れするのだ。
 それが見間違え出ないのなら、そこにいる人物は別人という事になる。が、その『女性』は聞き覚えのある声で、
「ク……モ……」
 遊が混乱した頭で思案している間に、そう『女性』が言葉を搾り出す。
 どんなに混乱していても、人の意識とは不思議なことに、『女性』が震えながら指を向けた方向に視線を送ってしまう。
 そして、そこにあったのは小さい黒い点。もう少し拡大してみれば、小指の爪ほどの大きさをした蜘蛛だった。
『……はい?』
 謎の『女性』以外を覗く、その場に居た全員が間の抜けた声を上げる。大山鳴動して鼠一匹――蜘蛛一匹、とはこのことか。
 手の平サイズの蜘蛛がいきなり肩に落ちてきた、と言うならまだしも、壁で這い回っている程度であんな悲鳴を上げられては、こちとら迷惑である。
「ところで、あなたは……ペルナさん、ですよね?」
「は、はい……それが、どうかしましたか?」
 視線を壁の蜘蛛に向けながら、遊が欲望と言う本能に逆らいながら問う。消え入りそうな声で返答が返ってくるのが聞こえ、遊は溜息をついた。
「す、すみません。僕、どうしても蟲と言うのは苦手で……」
 弁解を述べるペルナ。まあ、人間になら苦手の一つや二つはある。それを責める道理は無いのだが、少し大袈裟な、と言う台詞は喉下で飲み込んでおこう。
 その後、遊が蜘蛛を外に放り出して事を終える。しかしまた、人騒がせな一日であった。
 因みに、リビングに戻ってからの話だが、ペルナが女性であることを知らなかったのは遊一人だけで。知らなかった遊と、デパガメを企んでマナに殴り倒されたレイを覗けば、外で待機していたのはディンだけだった。
 それから、埃と汗を落とし終えた遊達は、買い置きのカップラーメンを食べて一日を終えたのである。
 その時にあった一騒動は、また後日御話しよう。


SAVEV:居候と異世界


 それは闇の中。月が見下ろす漆黒なのに、自分は月を見下ろしている。
 それはこの世界。自分が住んでいるはずの世界なのに、自分はその世界には居ない。
 どれだけ手を伸ばしても、どんなに足を振り回しても、届くことも進むことも無い永久の固定空間。自分が見ている世界は、どうしてしまったのだろう。
 ――えっ。ここはどこか、って?
 誰かが自分の疑問を聞き届けてくれる。
 ――私は私。あなたはあなた。ただ、それだけ。
 フッと浮かんだ疑問にも、直ぐ傍にいる誰かが答えてくれる。
 でも、それは答えじゃない。哲学でも聞いているような、曖昧で誤魔化しているような答え。
 ――ごめんなさい。でも、いずれ分ること。あなたがここにいると言う事は、私の望みが叶ったってこと。
 何を言っているのだろう。自分が考えても居ないことを、誰かは答えてしまう。
 その答えの意味を探し出そうと、これまでに培ってきた知識のすべてを搾り出す。でも、見つからない。
 頭が、メモリー容量を超えたハードディスクみたいに羽音のような音を立てる。チリチリと、頭どころか顔全体が、身体中が熱くなる。
 思考が繋がらず、断片的な記憶がスライドの如く流れる。こんなのを走馬灯と言うのか。自分の知る限り、それらは全部本当にあった思い出。
 ――無理に考えないほうがいい。ここは私の中だから、あなたが自由に記憶を探れる場所じゃないの。だから……。
 目の前がフラッシュバックする。明るい光が考える事を制止させ、痛いぐらいに響いてくる耳鳴りが意識を朦朧とさせる。
 白濁としてゆく意識の中に、誰かの言葉が残る。
 それは叱責。怒っているわけではない。何かを忠告している。とても冷たい口調で。
 あぁ、分ったよ。ここは、
 ――戻りなさい。
 誰かの言うとおり、ここは自分の来るべきところではなかったのだ。
 それだけ考えて、意識が完全に途絶える。


 小鳥の囀り、カーテンから差し込む陽光、鼻腔を突く懐かしい香り、それらが一斉にまどろむ遊の脳へ叩き込まれる。
 鈍かった視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、五感がフル活動し始めると、自分が散らかった自室のベッドに寝ていることを思い出す。
 昨日は、いったい何をしただろうか。なにか、とても大変だった気がする。
「あっ!」
 昨日の昼頃から夜に起こったことが、頭の中でフラッシュバックしてきたのだ。
 突然の訪問。ベランダから落ちかけた少女。その背中にあった小さな翼。風呂場に立つ女性。カップラーメンで大騒動。
 そう、昨日は理不尽な居候達が家にやって来たのだった。
 遊はバッと布団を跳ね上げ、なにやら懐かしい香りの漂うリビングへと急ぐ。そして、台所で朝日に照らされるその背中に言葉を失う。
 遊は、台所に立つ薄いベージュ色のエプロンに、三角巾姿の女性に見惚れる。
 優しく耳朶を撫でるお湯の沸く音や、油を弾きながら身を焦がす卵とベーコンが、何故か懐かしい。
 まな板を包丁で叩き、何かを思い出したように冷蔵庫から抱えきれない食材を取り出す女性の姿。
 女性は野菜やらを床に転がしてしまい、照れ笑いを浮かべながら佇む遊に振り返る。
 短めの黒い髪を三角巾に隠し、「おはよう。もう直ぐできるからね」などと笑い掛ける女性が、何故かそこにはいる。
「お、お母さん……?」
 遊は、その女性に対してそう呟き掛けることしか出来なかった。
「はぁ?」
 しかし、女性が上げた怪訝そうな声に我へと返る。
 フッと眩い光が遠いていき、いつもの見慣れた台所の風景が視界に飛び込んでくる。先ほどの女性――母親の代わりに佇むのは、母親が愛用していたエプロンを着たマナだった。
「誰がお母さんなのか知らんが、おはよう。もう直ぐできるから、皆を起して来てくれ」
「お、おはよう……」
 床に転がしてしまった野菜などを拾いつつ、遊に指示を出すマナに挨拶を返す。その時、自分がどれだけマヌケな表情をしていたかは分らない。
 それでも、マナから見れば失笑を洩らすほどの表情だったのだろう。
「おいおい、なんだその顔は。ほら、そんな顔を見せたら皆が心臓発作を起すから、顔を先に洗って来い」
 それだけを告げると、マナは再びまな板を包丁で叩き始める。切り刻まれた野菜が皿に盛られ、味噌汁とベーコンエッグも机に並べられてゆく。
 遊は呆然と洗面所に向かう。
 そして、昨日から何度目かになる硬直現象を起すのだ。ワンピースタイプの白い服が、洗濯籠に無残にも放り込まれている。
 次に視線がいくのは、流れ出るシャワーの音が止んで、風呂場の曇ガラスを開けようとするシルエットの映る扉だった。
 扉を開けて出てきた少女。言わずとも、見れば分る幼い容姿と小さな山に、視線を送りながら溜息をつくリーナが、堂々と産まれたままの姿で姿を現す。
「あ、遊君。おはようございます。えっと、こんなところで何をやってるんで、すか……?」
 遊に気付いたリーナが挨拶を交わすが、フッと自分の姿に視線を落として言葉をか細くしてゆく。
 硬直したままの遊は何も答えることが出来ずに立ち呆け、顔を紅潮させて慌てふためくリーナを見つめることしか出来ない。
「あ、忘れてた。リーナがシャワーを、って。もう遅かったか、テヘッ」
『テヘッ、じゃありません!』
 伝えるべき事を忘れていたマナが顔を出した瞬間、遊とリーナが声を重ねて怒鳴りつける。
 マナはそれをなんとも思っていないのか、苦笑を浮かべながらバスタオルをリーナに放り渡す。
「怒る前に、年頃のケダモノから身を守る方法を学んだ方がいいよ。もうご飯が出来るから、早くおいで。皆、もう起きて来ちゃったから」
 否定も肯定も出来ないようなことを言い残して、首を引っ込ませるマナに、リーナはジトッとした視線を送っている。
 遊もそれで硬直が解けたらしく、溜息をついて顔を洗おうとする。すると、後ろから顔にタオルを被せられる。
「いつまでここにいるんですか。男の子がいたら、着替えられないじゃないですか」
 タオルをどかすと、そこには、まだ赤みの残る顔を膨らませて不機嫌な表情のリーナがいる。
 遊は居た堪れず、短い謝罪を呟いて洗面所を後にした。
 リビングに戻って、先ほどの光景を頭の中で再生する。今更ながら、唐突のハプニングに顔が赤く染まっていくのが分る。
 なんだろうか、この成人用のゲームにでもありそうな在り来たりの展開は。そんな事を考えて、適当にその場の恥ずかしさを誤魔化すのだった。
「それで、どうだったんだ? 新たなるはんりフゲッ……」
 食卓に並ぶ色取り取りの食事の前に座り、不敵に笑いながら何かを言いかけたレイが、マナに黒い棒で殴り倒される。
 何が言いたかったのかは分らないが、あまり耳にしない方がいい台詞なのだろう。
 マナに殴られてレイが突っ伏すと言う光景に慣れてしまった遊は、それほど気にすることも無く椅子に座る。
 レイの両側に座ったディンとペルナは、ちゃっかりと彼の目の前にあった朝食を救っている。
 まあ、せっかくマナが作ってくれた料理だ。無駄にするわけには行かないのだろう。
「冷蔵庫に残ってた奴を処理したんだが、こんなものでよかったら食ってくれ」
 未だにエプロン姿でいるマナが、少し恥ずかしそうに言う。
 遊は机に付くと、何も言わずに味噌汁を啜る。
 熱い感触が喉を通り過ぎ、辛くも薄くも無い丁度良い塩梅のしょっぱさ、と言うよりも旨みが舌の上で踊る。
 市販の化学調味料ではなく、真っ当なカツオから取った出汁に、市販の味噌だけでは出せない風味がおぼろげな舌を覚醒させる。
「美味しい……」
 だた、その一言しか出てこない。
 もっと気の聞いた、グルメレポーターのような台詞でも出てくるかと思ったが、本心からその一言しか出てこないのだ。
 満面の笑みに変わって行くマナの表情を見れば、それ以上の賛辞は無かったと確信できる。
「それでは、いただきましょう」
「うん、美味しいです。でも、これは何という料理なんでしょう?」
 ディンとペルナが朝食に箸を付け、味噌汁を啜ったペルナが疑問を洩らす。
 まあ、外国人には味噌汁と言う食べ物はそれ程馴染みにあるものではないだろう。日本では英語圏辺りのコンソメスープに位置する、オーソドックスな食べ物ではあるが。
「ミソシルって言うものらしい。沸かしたお湯に、出汁とミソを入れて作るんだが。初めてだったから、美味しく出来て嬉しいね」
 簡単な解説と照れ笑いを浮かべるマナ。
 果たして、こんな光景を見るのは何年ぶりになるだろうか。母が死んでから、家族で食事をするなど全くと言っていいほど無かった。
 それに、男所帯の古代家では手作りの味噌汁など久しぶりである。
 温かい家庭と料理が、こんなにも喜びに満ちたものだと気付いた、多分、初めて居候の彼らに感謝したくなった瞬間。
「それにしても、意外ですよね。マナさんが、こんなに料理が上手かったなんて」
 ジワリと熱くなった目頭を押さえ、思案する遊の耳に、無碍にも不穏な言葉が飛び込んでくる。
 多分、悪意は無かったのだろう。
 ペルナが、何気なく口にした言葉で空気が凍りつく。無論、マナだって自分がこれだけのことが出来るのを口にしたわけではない。
 だから、ちょっとした言葉で怒ったりすることはないだろう。
 けど、拗ねた。
「そりゃあ、向こうでも皆に内緒でご飯とか作ってたし、家事も色々とこなしてたけど。意外って、いうな……」
 誰に言うでもなく、指を咥えて壁に向かって愚痴る背中が痛々しい。
 あたふたとマナの背中を見つめる誰もが、慰めの言葉を掛けられずに居る。
 それに、ことの原因を作ったペルナを責めてみても、
「僕の何処に、不備があったと?」
 皆の冷めた視線に気付いた原因の張本人はこの言い草だ。誰もが呆れずに居られない。
「もう少し、場の事を見たほうがいいですよ」
「誰か、この軍人娘に空気の読み方を教えてやってくれ」
「そうです。言って良い事と言っちゃいけないことがあるんです」
 ディンとレイ、そしていつの間にか食卓に着いたリーナが口々にいう。ペルナは、小首をかしげて三人の言葉の意味を考える。
 真顔で、真面目に。
 そこで、リーナが後ろで拗ねるマナを観察していることに気付く。何を見ているのかと、遊も首を伸ばしてマナを見る。
「マナさん、指を怪我したんですか? そんなに舐めてたりすると、良くなりませんよ」
 料理中に包丁ででも切ったのだろう。マナの指に、二センチほどの切り傷が見受けられた。
「えっ、いや、これぐらい大丈夫だって。舐めてりゃ、その内……」
「駄目です! 小さな傷でも、下手をすれば大変なことになっちゃうんですから」
 元気が良いだけのリーナが、思わぬところで強気にマナを諭す。年下とは思えぬ気迫に、マナは言葉を飲んで目を丸くする。
 リーナが手を差し出して、手を見せろと顎で示す。マナは渋々、切り傷の出来た指をリーナの前に差し出す。見た目は、怪我をした姉の治療をする妹、と言う微笑ましいシチュエーションである。
 しかし、次の瞬間、遊は信じられないものを見る事となった。
 差し出された指の両側に手をかざし、瞼を閉じて何かを呟く。
 最初は、子供が怪我をした時に言う良くある台詞でも言っているのだろう、と思っていたが。少し耳を澄ませてみると、何故か周囲の雑音が消えてリーナの呟きが聞こえる。
「輝きに満ちる 命の灯火を預かりしもの 傷つきし者を蝕む魔を 異空に誘わん 『治癒"ヒーリア"』」
 呟きが終えた後、それは突然に具現する。
 朝日が差し込む明るいリビングに、朝日よりも眩い光が現れ、電球のように丸く輝きながらリーナの手の平に集まってゆく。
 それは次第に人の姿を取り、薄い羽を持った女性に変わる。そう、童話なんかに出てくる妖精の姿に酷似したもの。
 まるで夢を見ているような、それでいてトリックやホログラフでは誤魔化せない明確な存在が、マナの傷ついた指を撫で、小さな舌で血を舐め取る。
 その後は、妖精達がマナの傷口に吸い込まれるように消えて行き、切り開かれた皮膚が見る見るうちに塞がる。
「……」
 遊は、何も言葉を発することが出来ずに、その一部始終を見つめていた。
「どうした、遊坊? あっ、この世界じゃ魔法は存在しないんだったな」
 呆然とする遊に、レイが珍しくも無い様子で言う。バカにされているようにも思える呼び名さえ、今の遊は気にしていられない。
 ただ、目の前で起きた出来事を夢か現実かで分類しかねているのだ。
 レイの言うとおり、その力は遊の住む世界に存在し得ない力。
 ファンタジーなどの創作物のみでしか見ることにない、魔法という名の力だった。
 そんな事は誰でも知っている。だから、彼らは何者なのか。その疑問だけに尽きる。
「親父さんからある程度の話は聞いてると思ったんだが、俺達のことは何も聞いてないみたいだな」
 レイの呆れ混じりの口調に、妙な憤りを覚える。
 レイ達に対してではなく、重要なことを伝えなかった父に対してだ。
 近いうちに帰って来る予定の父のために、抹殺計画のひとつでも考えておこうかと思った。
 しかし、思いなおしてみれば、電話越しで魔法がどうのこうのと話されても信じられるわけが無い。
 当たり前のことを考え、理性で怒りを抑え付けてからレイ達の方に向き直る。多分、その表情はこれまでに無く真剣なものだっただろう。
「話してください。あなた達が、いったい何者で、何故ここへ来たのかを……」
 遊の表情を受け取った彼らは、茶化す事無く首肯を見せる。


 信じられなかった。と言うよりも、信じたくなかった。
 この世界以外にも、彼らのような存在が発現する世界があることを、遊は念頭から全否定する。
 しかし、その真実を垣間見た後である以上は信じざる得ないのだ。いや、もしかしたら本心の何処かでは、彼らのこの世界とは異なる存在感に気付いていたのかもしれない。
 彼らの住む世界について、遊が聞いた限りのことを述べよう。
 ――その世界の名は、リフェアラース。
 広さは、推定される未開の地を含めて考えても地球と相変わらぬ程。
 文明についてはこれまで彼らが見せてきた言動や、先ほどの光景を見て分るように、魔術(もしくは魔法)と現代科学が織り交じる世界。
 現代科学の技術力は、遊の現存する世界に酷似している。魔法と言う力があることから、多分、この世界以上の科学力を誇ると思われる。
 思想は魔術派と科学派に分かれるが、科学派も魔術に少なからず依存しているため、異なる思想による小競り合い程度で目立った諍いは無いらしく。要は、ほぼ平和と言えるだろう。
 そして人種。これだけは地球とは多少異なり、皮膚の色や文化の違い。その部族の順応環境によって大まかに分類されるものの、地域の差異などから分別されるものではない。
 大きく分別するならば、ここにいる彼らの含める『人間』、という部族。そして、創造の世界で多く見られる『魔物』、と呼ばれる部族の二つに分かれる。
 『魔物』について確たる名称を言うならば、『魔種"ディービリア"』。まあ、その名称が『人間』の考えたものであることは否めないが。
 まず『人間』側の部族分類について。
 これを細かく別けてしまうと、多分三日三晩をかけても語りつくせないので、ある程度の分類である事を承諾していただきたい。
 通常に存在する、一見遊のようなこの世界の人間と異なることの無い容姿の部族を、『人族"ユスコース"』と言う。
 次に、リーナのように隠す隠さないに関わらず特殊な容姿を持ち合わせる部族が、『半人族"ハーユス"』と呼ばれる。
 『半人族』に関してはもっと細かく分類できるのだが、彼らには簡潔な説明しかされなかったので詳しいことは省く。
 因みに、リーナは『半人族』の『有翼民族"フォルシオムユズー"』に分類される。その『有翼民族』に関しては、リーナが説明を拒んだため詳しいことは分らない。
 続いて、『魔種』はどうかと言うと。説明し得る限りの範囲で言うならば、三種類ほどに分類できる。
 一つは<塊魔(かいま)>。生物学上、通常の生物と異なることの無い獣類、魚類、虫類、植物類を指すもの。
 二つ目は<霊魔(れいま)>。生物学上では生物と見なされぬが、己の意思もしくは創作者の意思を介して顕現するもの。通常の創作物に出てくる、<幽霊"ゴースト">や<動鎧"リビングメイル">を示すものに近い。
 最後の一つは<幻魔(げんま)>。生物学上では語れぬ異質な顕現能力と肉体的存在を持ち、世界とは隔離されつつも隣接する異空間を移動する人外のもの。
 <幻魔>についての詳細な報告は殆ど無く、異世界で召喚術師兼学者をやっているレイでも詳しいことは知らなかった。
 <妖魔>に関しては、殆どが遊の好奇心から聞いたことなので不必要な説明ではあるが。
 そして、一番最後になってしまったが、何故彼らがこっちの世界に来たのかを説明しておかなければならない。
 いや、説明したところで推測の域を脱せ無い。
 確たる部分を言えば、遊の父・正史がインカ帝国の遺跡で見つけた円盤型のディスクを起動したところ。ゲーム機を壊して光の柱が立ち上り、光の柱が無くなったところで彼らがいた。と、いうことだけだ。
 全くもって、何の解決にもならない説明である。
 彼らさえ、異世界で変な光に包まれたことしか覚えておらず。気付けばこっちの世界に居たのだ、と肩を竦めるのだった。
 ただ、光の柱が消えた後にはゲーム機も石のディスクも見つからなかったことを考えると、彼らを元の異世界に帰すにはそのディスクがなんらかの意味を持つと推測される。
 それから、彼らが何故、古代家へ居候に来たのかは単純明快。彼らを呼び込んでしまった責任と、一種の好奇心から正史が引き取ったとのこと。
 「捨て猫や何かではないのだから、そう軽々しく拾ってくるな」と遊が悪態を突いたところ、ディンとペルナは苦笑を浮かべて口を噤み、残りの三人にして見れば捨て猫扱いされたことに不服を感じていた。
 そんな微笑ましい光景はさて置き、ここまで説明されてしまえば、既に信じる信じないの話ではなくなってしまう。


 一通りの説明を聞き終えた遊は、気難しそうな皺を額に寄せながら唸る。
「百歩、いや、このような状況なので十歩ほど譲って、あなた達が本当に異世界から来た存在だとしよう。それで、何の為に?」
 俯かせていた顔を上げたかと思えば、片目だけを開いて異世界の住人達に問い掛ける。
「何の為、とは?」
 問いの意図が分らなかったらしく、ディンがオウム返しに聞いてくる。
「だから、何であなた達が来たのか、と聞いているんです。まあ、聞いたところで分らないという答えが妥当でしょうけど。ただ……」
「なるほど。何故、私達だったのか、と言う意味ですか」
 遊が言い切るよりも早く、ディンが問いの意図に気付く。
 そう、ディンの言うとおりだ。
 他の皆は、まだ分らないらしく小首をかしげている。
 意図を説明しようと言葉を選んでいる内に、徐々に皆もそれを理解し始めたらしい。
「そんな事を言われてもなぁ〜。俺達にだって、分からないんだから仕方ないじゃねぇーか」
 自分達の世界の説明をしている間も、机に並んだ料理を貪っていたレイが、膨れたお腹を摩りながら投槍に言う。
 言われずとも、予測していた答え。それは、そこに居る皆が同じ。
 最後に理解を示したリーナも、やはり分らないと首を横に振る。
 遊の問いの意図はこうだ――。
 何故、彼らがこちらの世界に来ることになったのか。
 別に彼らは、御互いに認識があったわけではない。
 年や出身地どころか、ペルナのような有名人(有名なのは『荒ぶる雷神』と言う軍隊であって、ペルナ自身ではない)を除いても、誰もが顔すら知らない赤の他人だ。
 それに、全く共通点が見つからない。
 だが、彼ら五人がこの世界に来ることを選ばれた。それは、とても不思議なことだ。
 もし遺跡で見つけたディスクが、異世界と現実世界を繋ぐ鍵のようなものだと仮定しよう。漫画なんかである、一種の扉を開く為の鍵。
 正史がその鍵で異世界と現実世界の扉を開けてしまった訳だが、繋がった扉を潜ったのはここにいる五人だけ。
 偶然にも、彼らが扉の近くにいて、その扉を開けるなり飛び込んでしまった。それなら、偶然という言葉だけで片付けられる。
 しかし、彼らが現実世界に来た時の経緯を聞く限り、その偶然はとても低い確率となる。
 共通する移動の現象としては、立ち止まっていたとしても、歩いていたとしても、唐突に光に飲み込まれて気付けば遺跡に佇んでいた。ということ。
 もっと噛み砕いて言おう。
 異世界と現実世界の扉が開いた時、なんらかの理由が無ければこっちの世界には来れないはずなのだ。なんらかの理由が無ければ、異世界の住人の全員が現実世界に来ることになる。
 その理由こそ、彼らの異世界に帰す要因と成り得る。そう、遊は踏む。
「ああでもないし、こうでもない……。本当に、あなた達は全くの赤の他人で、今ここに書かれている情報以外の繋がりは無いんですか!?」
 B5のルーズリーフ用の用紙に箇条書きにされた五人のプロフィールを見比べ、何の答えも見出せない怒りを吐き出す。
 突き出された用紙を前に、五人は冷静に首を横に振る。
「あっ、もしかして!」
 そこで、リーナが何かに気づいたように声を上げた。いきなり過ぎて、遊は用紙越しにキョトンと間の抜けた表情を作る。
 その隙にリーナが用紙を掻っ攫い、五人のプロフィールを交互に見比べる。ブツブツと呟くのを聞く限り、頭の中に浮かべた情景で五人を象った駒を動かしているような感じだ。
 何かを考え始めてから数分、なんらかの結論を算出したリーナが顔を輝かせる。
「おいおい、何が分ったって言うんだよ。俺がルーンエルサムに行こうとしてたのは確かだが、その途中でこっちに来ちまったんだぜ」
「そうですよ。確かにレイさんは、ルーンエルサムに行く行路を取っていました。そして、私はグランタウンに向かっていたわけです。お聞きしますが、ディンさん、マナさん」
 なにやら、レイとリーナの言葉が珍しく噛み合っている。
 何のことかはよく分らないが、異世界の地名について話をしているらしい。
 輝いていた顔が急に険しくなり、ディンとマナに視線を向けるリーナ。何を聞いてくるのかと身構える二人だが、それは大して難しいものではなかった。
「二人は、こっちの世界に来る前に、どんな予定を立てていましたか? マナさんは、ヨルガ坑道から北のグランタウンへ。ディンさんも、数日後に海路を使ってグランタウンへ行くつもりだった……?」
 いったい何の根拠があってそんなことを言っているのか。リーナが、真面目な顔をして二人に問う。
 二人は何を驚いたのか、数秒ほど逡巡してから驚愕の表情で頷き返す。
 そこまで来て、遊も含めて全員がその答えに辿り付く。
 レイは、意外なことに婚約者が居たらしく、しかしその婚約者の死を受けて傷心の旅に出ていた。
 詳しくは聞いていないが、何らかの理由で故郷を追われたマナは、生きられる限りを尽くして世界を放浪していた。
 地図にしてみれば、ほぼ正反対の位置の出身である二人が向かっていた方角。それに、ディンが現実世界に来る前に、出身地のルーンエルサムで立てていた予定。
 それから、プロフィールには書いていなかったものの、既にグランタウンと言う街にたどり着いていたリーナ。
 その街の数十キロ離れた森林地帯で訓練をしていて、帰り道の駐留地点にするつもりだったペルナ。
 これらの点を地図上で結んでいくと、一つの答えが導き出される。
「皆さんは、この意味が分りますか?」
「レイ、どう思う……」
「俺に聞くな。見て聞いた通りだろうが」
「推測で物を言うのはあまり好みませんが、これにはなんらかの意味があります」
「でも、それが当たっているとするなら……僕達は」
 リーナ、マナ、レイ、ディン、ペルナが口々に言葉を紡ぐ。
 誰もが、その推測に驚愕しているような。
「こっちの世界に来なかった場合、数日後には……グランタウンで鉢合わせする?」
 最後の言葉を、遊が占める。
 そう、五人は何らかの意思に従ってグランタウンを目指していた。
 ルーンエルサムにたどり着いたレイがその後、何処に向かうかと言われれば、ルーンエルサムでは神聖な組織として崇められる『聖なる福音』の上級権力者たるディンが、その権限を使って出航させる船に乗り合わせるだろう。
「でも、それが分ったところで、根本的な部分の解決にはならないだろ? 俺達がグランタウンで鉢合わせしたから、その後何が起こるか、なんて分りっこねぇ」
 憶測による因果関係に不満を感じたレイが、不機嫌な口調で言う。
 確かにそうなのだが、遊の頭の片隅にはこびりついて離れない疑問が残る。それがどんな疑問なのかも、喉まで出掛かっているのに出てこない。
 頭を抱えて答えを排出しようとするも、思考の中を巡る雑念が邪魔をする。その上、唐突に鳴り響いた呼び鈴の音が思考を吹き払ってしまう。
 こんな時に、いったい何処のどいつだ。
 必死に物事を考えている時に、それを邪魔されるのが一番苛立ちを覚える性分なのだ。
 この場には居候も含めて六人居るのに、訪問者が来た時に顔を出せるのが遊だけというのが気に入らない。まあ、いずれそれも周知の事実になるのだろう。
 考えるのを止めて、遊が立ち上がる。
 長いこと話をしていたように思えて、実際は一時間も経っていない。時計を見てみれば、まだ午前八時を回ったところだ。
 その時になって、今日初めて時間と言う理不尽な概念に意識を向けたのだった。
「こんな朝から、誰でしょうね? もしかして、大家さんかな?」
 そう言って、リーナが遊より早く玄関に向かってしまう。
 既に大家さんに顔合わせしているのか……、なんてことはどうでもいい。遊が知る限り、この時間に訪れる人物は奴しかいない。
 大家さんが、家賃の催促以外に人の部屋を訪れることは無いと知っているから、消去法で考えれば時間以上のものがそれを物語る。
 しつこい奴だ。何度も断っているのに、懲りずに毎朝というよりも平日はほぼ毎日、やってくるのだから迷惑以外の何でもない。
 遊の怒りのボルテージが最大点に達する。もしメーターが振りきれたのなら、相手が誰であろうと顔面に拳を打ち込むだろう。
 それは既に、打つではなく、穿つ。
 外見は年相応の体躯ではあるが、遊にならそれが出来た。
 今の遊に出来ることは、拳を大きく開いて腕を振り上げぬこと。そして、訪問者にいつもの脅し文句で消え去ってもらうこと、だ。
 廊下に出ようとしたリーナを引き止め、玄関の扉の前に立つ。
 普段よりも勢い良く開けた扉の向こうには、予想通りの顔が予想通りの表情で佇んでいた。
「……が、がっこ……」
 一瞬だけ、鬼のような形相の遊を見て言葉を飲み込んだものの、目の前に立つ少女はやや俯き加減にか細い声で言う。鳴く、と言ったほうが正しいか。
 短目に切りそろえたオカッパ調の髪を、黄色のカチューシャで纏めた少女。名は、天斬 美香音(あまぎり みかね)。
 遊が通うはずの中学校で、クラスメイトをしていた少女だ。
 同じマンションの一つ下の階に住んでいる好か、不登校になった遊を誘いに来たり、学校での配布物を届けに来たりする。
 しかし、そんな美香音のお節介でさえ、今の遊にはただのありがた迷惑でしかない。
「何度言ったら分る! 俺は行かない! いつも、いつも、しつこいんだよ! いい迷惑だッ!」
「ご、ごめんなさい! 今日は、もう行くね。これ、昨日の……」
 遊が怒鳴りつけると、美香音は至極脅えた様子で学校の配布物の入った封筒を差し出す。
 それを遊は、受け取ると同時に背後に投げ捨てる。
「フベッ!」
 パシッと言う小気味のいい音と共に響いてくる、誰かの悲鳴。振り返ってみれば、リビングから廊下に顔だけを出していたリーナの顔面に張り付いていた封筒がずり落ちる。
 咄嗟に、遊は玄関の扉を閉めた。
 自分でも何を慌てていたのか検討が付かない。ただ、変な誤解を招いたのではないかと不安になる。
 美香音という少女が、人の変な噂を流すような人格者では無い事は以前の学校生活でも分っているのだが。それでも、何か拙いものを見られた気がしてならない。
「そっか……何もかも、手遅れなんだね。ごめんなさい、もう纏わり付いたりしないよ。これで全部……、分ったから」
 扉越しから、美香音のボソボソと喋る声が聞こえてくる。
 何故か、それが遊には呪詛を唱えられているような、拭いきれぬ違和感を覚える。
 その直ぐに、美香音の走り去る足音だけが沈黙の中を、異様なほど大きく聞こえて耳朶に響くのである。
 完全に足音が去ったことを確認すると、遊は安堵の息をついた。
 これまで感じていた怒りが、何故か冷め切っている。冷めた頭にかかった靄を払いながら、部屋に戻ろうと歩き出す。
 すると、そんな頭を何かが強打する。
「この、鈍感が! お前はドラマの主人公かよ!」
 配布物の入った封筒で頭を殴られるのと同時に、乱雑な口調の罵倒を受ける。
 マナではない。一部始終を見ていた、リーナの怒鳴り声だ。怒りの理由は分らないが、封筒を顔面にぶつけられたことを怒っているわけではないのは分る。
 殴られて、罵倒を受けた遊も、自分が何故殴られたのか、罵倒されたのか、全く分らないという風な表情をしていたのだろう。
「何するんだ、って顔だな。ホントッッッッに、ファッ○ンニブチンの馬鹿野郎だぜ、お前は! この包○の早○! お前みたいなファッ○ン野郎は死んじまえ! はっきり言って*□▽$@♯!」
 そんな放送コードに引っ掛かる台詞を、早口で捲くし立てる。最後の方なんて、支離滅裂で聞き取れない。
 部屋中に響き渡るリーナの台詞に、誰もが唖然と口を開いて硬直していた。
 遊もしばらくの間何も言い返すことが出来ずに、怒り浸透の形相で睨み付けてくるリーナを、呆然と見つめていた。
 ハッと我に返ったところで、それが自分に向けられた言葉なのだと気付く。だが、気付いたからと言って何かが出来るわけでもない。
 殴り倒せば黙らせることは出来るのだろうが、手を出せないことを遊は分っている。
 女性に手を挙げるとか、と言った問題の話ではない。
 ここで手を出せば、自分の負けを認めたことを意味するのだ。そして、その負けは遊とっての最大の屈辱に値する。
「うるさいッ! リーナ、お前に俺の何が分る!」
 言い返せるのは、たったそれだけ。
 だから、遊はリーナを押し退けて自室に向かう。
 入ってくるな、と言う意思を込めて強く閉じた扉に、封筒がぶつけられる音が聞こえる。
 何に疲れたのか、疲れ切った遊はベッドに倒れこむ。
「呼び捨てとはいいご身分だね! これでも、あたしゃは十九歳なんだよ、ゴルァッ!」
 扉を蹴り飛ばす音と一緒に聞こえてくる、プロフィールを箇条書きにした時に知ったリーナの意外なカミングアウトでさえ、耳には届かない。言い換えれば、聞く必要も無いこと。
 だからただ、襲い来る睡魔に身を任せ、その身を真っ暗な深淵に沈めて行くだけだった。


SAVEW:家族の絆を


 本当なら、黙って入ってはいけないのだろう。
 しかし、今朝の喧嘩をそのままにしておくのも気が引けたので、マナは仕方なくその扉を開ける。
 リーナも突発的に怒鳴ってしまっただけで、喧嘩と言うほどの物ではないのだろうが、遊の奴は自室に篭ったきり出て来ない。
 心配はしていない、と言えば嘘になる。
 これぐらいの言い合いで自殺に走るほど馬鹿なガキではないと思うが、遊ぐらいの年のガキはどうしても多感に物事を考えてしまう傾向があるのだ。
 だから、出来る限り早く人間関係の溝は埋めておいた方が良い。
 三十路前半のマナは、年の功、と言うのは少しばかり若いものの、遊よりは長く人生経験を積んできた。そんなわけで、遊がどんなことを考えているのかは、大方理解できるつもりだった。
 廊下から漏れ聞いた話を総合するに、不登校になった遊を心配して毎日、ご近所でクラスメイトの少女が迎えに来るらしい。
 その少女がいったいどういった意図で遊を心配するのかは分らないが、クラスメイトだから、などという希薄な感情で迎えに来ているわけではないだろう。
 リーナのあの反応を見る限り、リーナと同様、もしくはそれ以上の感情で行動していると見える。
 言い忘れていたが、リフェアラースにも学校と呼ばれる施設は幾つも存在する。
 特定の職業――マナ達は総称してジョブと呼ぶ――について学ぶ施設で、魔法から始まり、軍事、一般的な技術、科学理論などの種類がある。
 全てのジョブを挙げれば限が無いが、学校と言う施設で学ぶことはそれらのホンの一部。後は、世間に出てから己の実力と才覚だけで身に着けていくものの方が多いだろう。
 レイやマナのように、少し特殊なジョブに関しては、学力云々よりも経験と才能が物を言った。
 召喚術は、『魔種』との契約を結ぶ為の簡単な理論を覚えるだけで、何を召喚してどう扱うかなどは人それぞれ。
 マナが学んだのは鍛冶の技術。
 『武職"ウェープスミリア"』と言うジョブで、多種多様な武器の修理、製作、改造等が主な仕事。
 今思い出してみても、マナの成績など最下位に近く。製作の手順にしても、改造の技術にしても、その場しのぎでやっていたものが多かった。
 それでも、この年になるころには故郷でも有名な鍛冶師として名を馳せ、世界に出ても恥ずかしくないと恩師に言われたこともある。
 昔の事を思い出していたマナが、フッと苦笑を浮かべて肩を竦める。
 何故今頃になって、そんな事を思い出してしまったのか。
 もうこの世界では、自分が鎚を握って鋼を打つことは無いはずなのに。故郷を離れてからも、握った鎚の感触と響き渡る鋼の音が耳から離れない。
「あたしは、もう武器を作る資格は無いんだよ。得られるはずの無いものを、自分の手に見初めてしまった以上ね……」
 それは、誰に言うでもない独白。
 ここで懺悔をすれば、神はその罪を許してくれるだろうか。既に、私は罪を滅ぼすだけの罰を受けたはずだ。
 唯一無二の伴侶を裏切らなければならなくなり、故郷から追われて一人で生きて、それでもこの手を汚した罪が償えぬというならば、この世に神と言う名の偶像は存在しない。
 おっと、そんな事をディンの前で言えば、あの温和な男も怒り出す。実際に試したわけではないものの、ディンが神族の巫女に仕える仕事柄だということは知っている。
 巫女に仕えることが特別な仕事ではなくて、どんなジョブとして仕えているかが意味を成す。
 ディンの場合、剣を持っていたことから推測するに、『神官騎士"プリーストナイト"』のジョブだろう。
 『魔種』を祓う力を持った聖なる騎士と言えば、大抵の想像がつくと思う。
 要するに、神官と騎士の間の子というのが分りやすい説明であり、神官の知力と騎士の果敢を併せ持った文武両道のジョブだ。
 あの『聖なる福音』の最高権力者なのだから、本当ならばマナのような一鍛冶師が気安く話しかけていい人間ではない。
「まあ、この世界とあっちの世界は全然違うわけだし、何を遠慮することもあるまい」
 人間が職種によって価値が違うなどと言うのは、所詮上流階級の戯言。
 人は生まれながらにして平等であり、どんな頭角を現す人間でさえ人という存在から抜け出すことは出来ない。
 神は、それを人間に教えたはず。それなのに、人間は人の領域を超えようとする。愚かしい。
 無神論者と言う訳でもないが、さほど神様と言う偶像を信じているわけも無く、マナは適当に思考を打ち切って部屋に踏み込む。
「なんだ、寝てたのか。返事をしないから、拗ねているのかと思ったぞ」
 ベッドの上に無雑作に寝こける遊を見て、呆れたように呟くマナ。
 ある程度は予想していたわけだから、この結果がどう転ぶかなどという不安を思えることは無い。ただ、起すべきか否か、悩む。
 リーナと仲直りさせるのはもう少し後でも良い。リーナ自身が、反省しつつも遊と顔を合わせるのが恥ずかしいと言うため、マナが一肌脱いで使者を務めたのだから。
 それ以前に、マナには一つの目的があった。
「お前が起きないと、今晩のおかずがカップラーメンになってしまうのだが。昨日みたいなことになりたくなかったら、起きて買い物に付き合ってくれ」
 起すつもりがあるのかないのか、ベッドと部屋の入り口との距離を考えれば、全く耳に届くはずの無い小声で注文を出す。
 そして、昨夜あった一騒動を思い出して苦笑を浮かべる。
 あれはあれで、近年稀に見る大騒動だった。
 皆は、同種の食べ物の異なる味の物を幾つか混ぜて食べたことがあるだろうか。
 多分殆どの誰もが、かき氷のシロップを数種類混ぜてみたり、といった食材への愚弄とも思えるような挑戦をした事があると思う。
 昨夜の大騒動も、そんな愚行が起した大事件だった。


 それは、全員が風呂に入り終えてからのこと。
 最後になった遊がリビングに来たところで、ペルーとか言った国からの長旅と部屋作りのための片付けで小腹を空かせてマナ達は、買い置きしてあった何種類かのカップラーメンを見つけた。
 まあ、お湯を注いで三分で出来上がる手軽な食べ物を、夜食として食べないわけは無い。
 各々が、箱に詰まったカップ麺を思うがままに手に取って、お湯を注いで出来上がりを待つ。
「う〜ん、この待ってる間が食欲をそそるんだよなぁ〜。研究生の頃を思い出すぜ」
 白い湯気を立ち上らせるカップ麺を眺め、レイがしみじみと呟く。
 召喚術の学校に通っていた頃の事を思い出して、思い出にでも更けていたのかもしれない。
 居候達の中で唯一自炊のできるマナに言わせて見れば、インスタントの食品など栄養に偏りがあるジャンクフードの何物でもなかったが。
 それでも、空腹と言う人間の本能に逆らうことが出来なかったわけ。一番薄味で、オーソドックスなショウユ味の物を選んだ。
 レイは、コッテリ感の強そうなトンコツ味。ペルナは、何を思ってか乙な味噌味と時化込む。
 ディンは、見慣れないものを見つめる眼差しで塩味。初めてにしてはなかなかのチョイスだ、とレイが褒めていた。
 遊はそれが好きなのか、スペシャル海鮮味と言う意味不明なネーミングのカップ麺を選ぶ。
 っで、リーナはと言えば、手羽先チキン味とロゴの入った奴にしていた。自分が『有翼民族』であることを意識していないのか、広義で考えれば共食いの他ならない。
 それを言ってしまうと、リーナが食欲をなくしてしまいそうだったのであえて口にはしなかったが。
 味の好みなどはどうでもいいとして、三分経って食べごろになり、レイが食べ始めるのと同時に皆が皆で一斉に箸を付ける。
 もしこの時、もう少し周囲に気を配ってさえいれば、あの惨劇は回避できたのではないだろうか。
 最初の滑り出しは順調だった。一口目の麺を啜り、どうのこうのと味についての文句や賛辞を飛ばす。
「なるほど、これは美味しいですね。ピリッとくる唐辛子の辛味が、単調な味に深みを出しています」
「確かに不味くはないが……少し辛すぎはしないか?」
 ペルナの味噌味のカップ麺を突っつき、マナが神妙な顔つきで批判を口にする。
「俺としては、もう少し濃くてもよかったな。お湯の量を減らすべきだった」
 規定の量でも十分にしつこい味を出しているトンコツ味を一気に口へ掻き込み、レイが胸焼けのしそうな文句を呟く。
「私のは、濃過ぎもせず薄過ぎもせず、丁度いい感じですよ。レイさん、食べてみます?」
 共食いであることも気にせず、ウマウマと箸を進めていたリーナが、レイに自分のカップ麺を差し出して言う。
 レイは、自分の分を食べ終えたにも関わらず、まだ食い足りないと言わんばかりにリーナのカップ麺を受け取った。
 そして、レイによる惨劇はこの時に起こったのだ。
「……」
 しばしの沈黙の後、レイが信じられない行動にでる。
 ここでレイが何を考えていたのかさえ分っていれば、即急に愚行を阻止できたはず。
 トリガラベースの手羽先チキン味を、豚骨ガラのトンコツ味の中にぶち込み、レイの続いて食べ終わっていた遊のカップ麺に手を伸ばす。
 その場に居た皆は、最初の行動で既に思考を停止させていて、次々に繰り返されてゆくレイの怪しげな調合を止めることは無かった。
 ペルナやマナ、ディンの持っていたカップ麺さえ強引に奪い取って、それを一つに混ぜてしまう。
「な、何をしてるんですか、レイさん……!?」
 全てのカップ麺が一つに纏まったところで、フリーズした空間から抜け出したペルナが叫ぶ。
 レイはそんな悲鳴など気にした様子もなく、何色とも言えぬ暗黒色のスープを口へ運んでいく。
「……ふむ、なかなかいけるぞ、これ。飲んでみるか?」
 一口喉に流し込んだレイが、リーナに得体の知れない液体を差し出す。
 逡巡を見せたものの、リーナは目の前に差し出された液体に手を伸ばして受け取ってしまう。
「や、止めておけ。お腹を壊しても知らないぞ……!」
 マナが制止に入るが、リーナは目を堅く瞑って液体を喉に流し込んだ。
 再び空間が固まり、固唾を呑む音が響く。
 それは、死神の訪れを知らせる大鐘のように。
 それは、天へ召される魂への鎮魂歌として。
『……』
 全員が、リーナを心配する。
 しばらくの間、俯いて手に持つカップを眺めていたリーナ。意外に美味しかったのでは、と心の中で思う。
 が、次に瞬間、倒れた。
「きゅぅ〜〜〜〜」
 喉から搾り出すような声を上げながら、テーブルに顔を突っ伏して動かなくなる。
「リ、リーナ! 大丈夫か、生きてるか!?」
「ほうほう、気絶するぐらい美味かったか。こいつは、新しい商品として認定する必要があるな」
 リーナの安否を確認するマナを横目に、何を納得しているのかレイが理解し難い畑違いの感想をほざく。
 その上、それだけに留まらず、今度はペルナに殺人スープを差し出すのだ。
「それじゃ、次はペルナ。お前が飲んでみろ」
「お断りします」
 無論、即答で拒否する。
 尚も服毒自殺を勧めるレイ。頑なに拒否し続けるペルナ。
 埒が明かないと思ったレイが、そこで不敵な笑みを浮かべる。
「あっ、頭の上にクモが!」
 唐突にレイが、ペルナの頭上を指差す。因みに、ペルナはレイの隣に座っている。
 大抵の人間なら、こんな嘘に騙されることは無い。騙されたとしても、少し上を向くだけで嘘だと気付くだろう。
 だが、蟲嫌いのペルナは常人以上の反応を示す。大きく首を仰け反らせ、口を半開きにする。少しばかり過敏に反応し過ぎだ。
 そこへ、レイが何の躊躇いも無くペルナの顎を掴み、愛らしく小さな鼻を摘んで喉に殺人スープを流し込み、口を塞ぐ。
「……!?」
 一瞬、ペルナも何をされたのか理解できなかった様子だ。
 目をカッと見開き、まるで生きたままハラワタを引き抜かれているような表情で殺人スープを飲み込む。
 リーナと同様、しばらくの間は天井を仰いで、両手を胸の前で小刻みに震えさせる。
 そして、カクッと糸の切れた操り人形のように椅子の背もたれに体を預け、両腕を力なく両脇に下げる。リーナと異なる点を言えば、
「おやっさん、ぼかぁ〜もう駄目だよ。マローリンがそこまで来てる。リーチ一発メンタンピンサンショクホンイイーぺーコーチャンタドラドラバンバンの役満……」
 口を金魚の如くパクパクと動かし、意味不明な言葉を呟いていることか。
 言っておくが、麻雀の役でチャンタとホンイツはタンヤオやピンフと同時に成り立たない役である。だから、どう数えたところで役満にはなりえない。
「死んだ魚のような目、ってのはこんな目を言うのだろうなぁ〜」
 などと、反省の色も無くレイが言う。
 壊れたペルナを心配して、ディンがレイの前に身を乗り出す。
「ペルナさん大丈夫で……ムグッ!?」
 そこへ、すかさずレイの殺人スープが飛び込んでくるのだから堪ったものではないだろう。
 そんなわけで、三人目の犠牲者が出た。
「うひひひひひ。後二人、後二人! これで俺の復讐は完了するのさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
 ディンが机に突っ伏すと、レイが諸手を挙げて奇声を上げる。
 まさかとは思ったが、最初の一口目でレイも殺人スープによって頭が狂っていたのだ。
 そう、彼もまた、哀れなる殺人スープの犠牲じゃなのである。だから、レイを責めないでやって欲しい。
 とりあえず、その後はマナが当身を食らわせて騒動を抑えたのは言うまでもない。
 因みに、殺人スープを飲んだ四人は目覚めてからもカップ麺を食べる以前までの記憶を失っていた。
 マナと遊は、二度とこの惨劇が起こらぬよう、カップ麺をレイの前では食べないと誓ったのである。こうして、この惨劇は二人の心に闇として葬られた。


 昨日の一通りの事を思い出し終えたマナは、呆れるでも、面白がるとも言えぬ微妙なため息を鼻でつく。
 大変であったことは確かだが、昨日から続く騒動で何かが変わった気もする。
 大きな変化ではなくとも、小さな変化が居候の五人と遊の間で起こったのは確かだ。
「母親か……。お前が望むなら、それでも構わないけど。せめて、御姉さんが良かったかな?」
 寝ている遊に向かって、今朝のことを思い出しながら苦笑交じりに声を掛ける。
 遊の母親が数年前に亡くなったことは、古代家に居候を勧められた時に正史から聞いていた。
 もし、本心から遊が望むのであれば、本当でなくとも良い。母親の代わりになってやれれば良いと、マナは思う。
 それは哀れみや同情ではなく、母親に成り損ねたマナの願望、もしくは母性本能とでも言うのだろうか。そんな、遊を放っては置けないという気持ち。
 その気持ちが強くなったのは、リーナが持ってきたそれを見た時だった。
「遊君、まだ怒ってますか……?」
 使者として部屋を出たマナの帰りが遅いのを心配してきたのだろう、リーナがおずおずと入り口の影から顔を出す。
 マナは少し体を退かせて、口元を緩めながら肩を竦めて見せる。
「あっ、寝ちゃってたんですね。あはっ、遊君の寝顔、かあぁいいよぉ〜ッ!」
 トテトテと部屋の中に上がり込んできて、意外に年相応の愛らしい顔で眠る遊の頬を突っつく。安眠を妨害された鬱陶しさで、身動ぎするのが更に愛らしさを誘う。
 そこで、マナはリーナが脇に抱える一冊のノートらしきものに気付く。
「なんだ、これ? 向こうの部屋で見つけたのか? 正史さんの日記みたいだが、勝手に読んでないだろうな?」
「あっ、そ、それは、その……」
 脇から抜き取って、訪ねた時の表情を見る限り、既に読んでしまったことを確信する。
 人の日記を勝手に読むとは、馬鹿とは言えないものの常識が欠落している。
 呆れるとも怒るともつかぬ表情のマナを前に、リーナは日記と遊を交互に見つめる。しばしそれを繰り返してから、遊を向き直って頭を下げる。
「遊君、寝ていても構いません。謝らせてください。どうして、遊君があの娘に辛く当たったのか、分りました。だから、ごめんなさい!」
 そう断りを入れて、リーナが謝罪を述べる。
 リーナの言葉の意味は、今手に持っている日記を見れば分ることなのだろう。
 数秒か、それとも数分か、ベッドの枕元に置かれた目覚まし時計の刻む秒針の音が長い沈黙を支配する。
 すると、遊がベッドから不機嫌そうな顔をして起き上がる。
 リーナは少し呆気に取られた表情を作る。
「お、起きてたんですか……?」
「あぁ、リーナさんが俺の頬を突っついた時に、な。何をしに来たかと思えば、それだけを言いに? もう怒ってませんから、出て行ってもらえますか。勝手に入らないで、と言ったのに……」
 遊が不機嫌なのは、リーナとの喧嘩を引き摺っているわけでもなければ、安眠を妨害されたからでもない。
 勝手に、部屋に入られたからだ。
 その時になって、マナとリーナは部屋に入ったことの罪悪感に苛まれる。
「すまん、もう出てくよ。それと、もし何の用事も無ければ、夕飯の買い物に付き合って欲しい」
 それだけを伝え、先にマナが部屋を出る。
 後に続いてリーナが出ようとして、そのことに気付いたのだろう。
「私にさん付けは似合いませんから、これからもリーナって読んでくださいね。それでは、失礼しましたぁ〜」
 後手に扉を閉め、リーナが安堵の息を洩らす。
 喧嘩の事を怒っていなかったことに、安心できたようだ。
 あれぐらいの、一時的な感情の爆発は遊ぐらいの年頃の子供には良くあること。頭が冷めれば、自分が何をやったのかも分るはずだ。
「さて、後は遊がどう出るかだな。買い物にいけなかったら昨日の、っと……」
 昨夜の騒動についてはリーナ達に悟られてはいけないと口を噤む。
 リーナが、マナの独り言を聞いていないことを確認してから部屋に戻る。
 部屋に戻ったマナは、ハタッと手に持っている正史の日記に事を思い出した。
 畳んだ布団の上に日記を置き、床に胡坐をかいて座る。
 マナ達、女性陣が使っているのは開けた正史の部屋なのだから、この日記をどこで見つけたかなどと愚問は思い浮かばない。
 いくら古代家で一番大きな部屋とは言え、三人も入るときつい。むさ苦しいとまでは言わないが、布団を敷くだけで足の踏み場がなくなってしまう。
 昨日の夜など、用を足しに行く時にベッドに寝ているリーナが往復に足を踏んでいった。
 いや、部屋の談義については大した問題ではなく、マナが抱える懸念は一つ。
 目の前の日記を、読むか読まざるか。
 勝手に読んだリーナを叱った手前、自分がその常識を破るわけにもいくまい。
 常識と興味本位の間で揺れる感情に、病人のような唸り声を上げて腕組みをするマナ。
 そんなマナの姿を、本棚にあった本を読み更けていた顔を上げて、ペルナが怪訝そうに見つめて言う。
「遊さんに反撃でも食らいましたか? 頭部を損傷したのなら、早く医者に見てもらった方が良いですよ」
 いったい彼女は、どんな交渉を想像していたのか。
 遊が、隠し持っていた鈍器を手にして逆上したとでも思っているような表情だ。まあ、空気の読めないペルナの言葉は無視しよう。
 悩み続けるマナに助け舟を出したのは、案の定、リーナである。
「正史さんって、仕事に熱中してるようで、意外と遊君のことを見てるんですね。遊君のことを知らない私でも、いろいろとわかりました」
 ベッドに腰掛けるリーナが、明るい表情を曇らせて言う。
 あの明るさだけが取り得のリーナが、梅雨空のような表情を浮かべることをマナは想像していなかった。
 本当なら、ここで言葉を終わらせるべきだったのかもしれない。
 薄情にも人の心へ土足で踏み込んだことを後悔し、それを何かと重ね合わせるリーナ。
「遊君の事を何も知らないで、あんなことを言った自分が恥ずかしいです。部屋も、心も、赤の他人が踏み込んで良い世界じゃなかったんです」
 っと、更に続ける。
 そこで、顔を俯かせて、言葉を喉から搾り出すように言葉を紡ぐ。
「私だって、同じ様な経験をしてきたのに……私も、自分の居場所を探そうと足掻いていたのに……」
 唐突に漏れ出す嗚咽。
 涙声混じりの言葉が痛々しい。
 それ以上、リーナの声を聞きたくないと思っても、耳を塞いで目を閉じても、嗚咽と心に突き刺さる言葉が頭に直接響いてくる。
 リーナは『有翼民族』だ。その『有翼民族』が、向こうの世界でどんな待遇を受けていたかも知っている。
 そんな彼女から、せめてこっちの世界ではそのことを忘れさせてやろうと思っていた。
「なのに、なのに、気付いて上げられなかった! ウクッ、で、でも、遊君は私を許してくれた……」
 もう止めてくれと、マナは心の中で叫び続ける。
 マナ自身、彼女のような『有翼民族』に出会ったことは無く、どんな心持で生きていたかなどと聞いた事も無い。
 ただ、リーナの嗚咽を聞く度に、彼女の傷の深さが癒せぬほど深いものなのだと気付かされる。
「許してくれたんです!」
 それは、リーナの心からの叫びが轟く。
 それが自己嫌悪から来るものなのか、過去の辛さを思い出したことから来るものなのか、マナには想像つきかねた。それでも、それは間違いなく両者が原因であろう。
 リーナの言葉が終わった後の、無言の空気が重々しく、地の底へ引きずりこまれるような感覚さえ覚える。このまま引きずり込まれて、地の底に埋まってしまっても良いと思えてしまう。
 こんな時に限って、どうして気の利いたことが言えない。リーナの明るさを取り戻せるような、ユニークな冗談の一つも言えないのか。
 いい年して、泣きたくなってくる。
 本当に、リーナと一緒に大声で泣いて、謝ってしまった方がよっぽど楽なのに。でも、リーナはそれを許さない。
 自分が世界中から迫害を受け、見て知らぬ顔をされたことを、ではない。マナが、向こうの世界の皆の代わりに謝ることを、だ。
 重たい沈黙の中で、マナの返事が無い事に痺れを切らしたのか、リーナが口を開く。
「私は、いえ、私達は、遊君のために何が出来るんですか?」
 予想もしていなかった問いに、マナは一つの答えを見つける。
 何が出来る、と問われて、直ぐに思いつけるわけはない。その上、予想していなかった問いだ。
 でも、マナは考える暇もなく答えを見つけられた。
 それが正しい答えなのか、間違った答えなのか、リーナや自分達を納得させられる答えなのか、マナには分らない。
「味方で居てやろう。何があっても、どんな時でも、味方で居てやろう。この世界を去るまで、去ったとしても、私達は、遊の味方だ。友達でもいいさ。もし良かったら、家族としての絆を……作っていこう」
「……はい」
 もう、自分達は赤の他人じゃない。
 れっきとした、遊の味方だった。何故か思うのだが、自分達がこの世界に来て遊と出会ったのは偶然ではない。
 根拠はないのにそう思えるから、マナとリーナは、笑い合う。沈んだ空気を吹き払うように、満面の笑みで。
 味方で居ること。皆さえ良ければ、家族としていることが、自分達が遊にしてやれること。
 薄い壁の向こう側から、レイとディンが壁にもたれかかって苦笑を浮かべる鼻声が聞こえる。話の一部始終を聞いていたらしい。
「そうだろ。お前ら」
 それを知った上で、マナは壁の方を向き直り、皆の返答を待つ。
 返ってくるのは、肯定の意の篭った仕方なさそうなレイの鼻息と、「はい」と言うディンの短い返答。
 あえてこの時の、ペルナの返答は割愛しよう。ペルナが、空気の読めないどうしようもない軍人娘だということを、深く思い知らされたからだ。


SAVEX:もう一つの世界で


 遊が、皆を連れて近くの商店街へ行ったのは、マナが部屋を訪れて小一時間後のことだ。
 別にマナだけ連れて行けばよかったのだろうが、勝手を知っておいた方が良いと、マナに誘われた四人は一緒についていくことにした。
 和気藹々と商店街への道を小走りに進むリーナは、春先の格好には少し不似合いな二股になった毛糸の帽子を被っている。
 正史の部屋で見つけた物で、使っていない様子だったので拝借してきたらしい。
「小鳥さん、御元気ですかぁ〜?」
 ボンボンと言うのだろうか、正確な名前を覚えていない毛玉が二つ揺れ、楽しそうなハシャギ声が聞こえる。
 微風が吹く度に、真っ白な無地のワンピースの裾がリーナの心持を表すようにはためく。
「おいおい、余所見してると転ぶぞ。全く……」
 マナがそう言う間に、リーナは悲鳴を上げて転ぶ。怪我をしない丈夫な体は、元気っ子の特権か。
 その姿を、苦笑を浮かべて駆け寄るマナは、相変わらず肌寒そうな水着に近い布で豊かな胸を隠し、太股を曝け出す際どいショートパンツを履いている。
 遊はマナの前を歩き、あれこれと詮索を入れるリーナに溜息を返す。服装は、Tシャツに紺色のジーンズと言うラフな年相応の格好だ。
 マナの後ろにつくのはディン。伸びの良さそうな黒いスラックスに砂色のコートと言う、やや暑苦しそうな格好で平然と歩を進める。
 古代家へ来る前に巻いていたマフラーについては、流石に季節はずれだと遊に指摘を受けて置いてきた。
 それでなくとも、ディンの顔立ちは周囲の目を惹くのだから。
 商店街へ行く途中でも、着いてからでも、街を歩く主婦の視線が痛いほどに伝わってきた。
 最後尾を気だるそうに歩くレイは、身だしなみなど知ったことか、と言わんばかりのヨレヨレの白衣に、ディン同様の黒いスラックスを履いている。
 いや、最後尾はレイではなくてペルナだった。
 迷彩色のアンダーシャツに赤いベスト、黒いホットパンツにベストと同色のベレー帽を身に着ける。
 ディンと負けず劣らぬ美形ではあるが、ペルナが人目を惹くのはその微妙な姿だろう。
 アンダーシャツはまだ良いにしても、場違いな雰囲気さえ醸し出すベストとベレー帽、それらの組み合わせに不釣合いなホットパンツだ。
 ディンを見つめた後、絶対と言っていいほど主婦の視線がペルナに向けられる。主婦を問わず、彼女を見た殆どの通行人が怪訝な表情で一瞥して行く。
 もし服装以外に目が行くとすれば、青年に見られたとしても、若さに似合わぬ厳つさだけを放出するコンバットブーツではなかろうか。
 遊は普通にスニーカー。リーナが使い古されたこげ茶色のブーツ。マナが男の目を惹き付ける美貌に不似合いな作業靴。ディンの上手くコーディネートされた綺麗な革靴に対して、似合っていないわけではないものの、レイは垢だらけの薄汚れた革靴である。
 それらに比べてペルナはどうか。
 若さを完全に否定してしまいそうなコンバットブーツ。皆以上に、不恰好であることが分る。
「へぇ、結構賑わってるじゃないか。大型の売店よりも、こういったところの方が食材の質がいいんだ。安いし、おまけももらえるし」
「マナさん、詳しいですね。私は、買い物なんか一度も行ったことありませんから、何があるのか楽しみです」
 商店街に着いた一行は、着かず離れずの距離を置きながら思い思いに、建ち並ぶ店先を覗いては様々な感想を述べる。
 『Welcome』と書かれたアーケードを潜ると、そこには数百メートル先まで並ぶ店が広がっている。
 向こうの世界ではこんな街並みは見たことは無いものの、グランタウンの露店街を思わせる雰囲気が何処と無く漂ってくる。
「これ、なんていう魚ですか? うはっ、面白い動きぃ〜!」
「どうだい嬢ちゃん、一匹買ってくかい?」
「買い物はマナに任せて、リーナは遠くから眺めてろ。いちいち勧められるものを買ってたら、食費が足りなくなる」
 見慣れないものに関心を示すリーナに、売り物を勧める中年の女店主。遊が、引き離すのに苦労している。
 マナは着々と買い物を終えて、夕飯の材料をエコバックに詰めて行く。その美貌ゆえに繰り出される、いい年をした店主の御世辞やセクハラを軽くあしらう。
 ディンは若い主婦に囲まれ、逃げ出そうにも逃げられない。ディンが周知の存在になれば、マダムキラーの烙印を押されるのは目に見えていた。
 レイはレイで、つまらなさそうに店先の壁に寄りかかりながら白煙を吹かす。性格に似合わず、ちゃんと吸殻を携帯灰皿に入れる辺りが几帳面とも言える。
「おい、買い物一つにどれだけ待たせるつもりだ?」
 二本目の煙草に火をつけたところで、待ちくたびれたレイが文句を言う。
 ただ、商店街へ着いてから十分そこらしか経っていない。
 こんな男に婚約者が居たことに、ある意味で驚く。果たして、買い物の間も我慢できない男の婚約者というのはどんな女性なのか。
「あの、そろそろ退いて貰えませんか……?」
 皆が先へ進もうとしているのに、ディンは未だに主婦の包囲網から抜け出せずにいる。
 要領が悪いというのか、優しいというのか、一喝でもしてやればあっさりと退いてくれるのではないか。
 助け舟を出そうと主婦の包囲網に歩み寄ろうとしたところで、フッと横目に映ったそれを見つけて立ち止まる。
 まだ真新しい外装のファッションショップ。
 近いうちに御祭りでもあるのか、砕けたロゴの文字と手書きと思しき絵の張り紙が張ってある。そのショーウィンドウに飾られた、数着の洋服に目が行ってしまう。
 男物ではなくて、れっきとした女性の洋服だ。
 ロングスカートと言うには少し短い膝丈までの白いスカートに、花柄でノースリーブのシャツにコーディネートされた無地のカーディガン。白に統一された組み合わせが、春の涼しさを表現している。
 マナの履いているようなショートパンツの紺色のものと、黒のTシャツに半袖の水色をしたパーカーの組み合わせなど、他にも色々とある。
 好みで言えば前者だが、運動性で考えると後者も捨てがたい。いや、あれも、これも、どれもが乙女の本能を擽る。
「乙女、か……。何を言っているんでしょうか、僕は? 服なんて、着れて実用性があればどれも同じじゃないですか。それなのに……」
 一理無いとは言い切れない論理を呟くペルナ。
 しかし、それが年相応の着こなしを知らぬことへの妬みだと気付き、途中で言葉を切る。
 もし軍人の娘として産まれなければ、自分もこんな格好をして街を歩いていただろうか。そんな考えが、脳裏を過ぎる。
 二十歳前半の女性相応の格好をして、街を歩きながら花や小鳥を愛でる自分。今まで想像したことも無い、想像も出来ない光景。
 可笑しな想像をした自分に、自嘲の笑みを浮かべるペルナ。
 しかし、取り返せるものならば、これまでの生き方を取り戻したいと思うのは確かだ。
 軍人の娘としてではなく、普通の女性として生きる人生の中の自分。
 訓練で生傷を負わず、戦場で命の危険に曝されず、仲間の死に心を痛めない。綺麗な服を着て走り回る、間違ったているのか正しいのかも分らない人生を望む。
 叶わぬ願いだとは思う。
 ここまで来ておいて、今更そんなことを考える自分が恥ずかしい。
 父親を含めて、多くの死を見てきた自分が、それを望むことさえおこがましいではないか。
 父親の死を最初に知ってしまった自分にとって、仲間は居たとしても生きることは苦痛の何物でもなかった。
 軍人の父ではなくて、普通の村娘の父親だったならば、父は死なずしてこの世に居たであろう。
 そして、共に笑い合い、幸せな人生を謳歌していたかも知れない。
 ならば、軍人だった父が悪いのか。そんなことは無い。
 ならば、その父の下に産まれた自分が悪いのか。そんなことも無い。
 だからこそ、自問する。
 何故、望む。父の死が無き幸せの回帰を。
 何故、望む。痛みを知らぬ人生の回帰を。
 そう、彼女は望んでいた。望むゆえに、手が届かないことに落胆する。落胆ゆえに、望むことを諦める。諦めるがゆえに、己を否定してしまう。
 それでも、己はここにいる。世界の全てを否定したとしても、自分を否定することは出来ない。なぜなら、自分を否定している自分がそこにいるからだ。
 正史の部屋で見つけた本に、『我思うゆえに我あり』と書かれた哲学の本があった。
 もっとも、今のペルナを表すのに適した言葉であろう。
 だからなんだ、と問いたい気持ちは分る。
 ペルナが存在していることは否定で気に事実であり、彼女が一様の人生を辿ってきたのは覆せぬものである。
 そこまで考えて、考えるのをやめる――否、止めざる得なかった。
「ペルナさん、皆先に行ってしまいましたよ。私達も、早く追いかけましょう」
 主婦の包囲網を突破してきたディンが、唐突に声を掛けてきたからだ。
 ハッと思考を打ち切ったペルナは、少し小さく見える皆の背中を見つけて走り出す。
 ディンも後ろをついてくるが、ペルナの考えていた事を言及してこない。
 遊達に追いついたところで、遅れてきたペルナにリーナが尋ねてくる。
 ディンに尋ねなかったのは、表情の違いからだろう。
「ペルナさん、何か悩んでるんですか? 顔色が良くないですよ……」
 自分でも、笑顔とは言えない表情であることが分るのだ。他人の感情の変化に鋭いリーナが、気付かぬわけがない。
 けれど、答えるにも答えられない悩みもある。
 自分の生き方が正しかったのか、間違っていたのか、これからどうすればいいのか、全く分らない。
 だが、何も聞いていないリーナは、あっさりとペルナの悩みを解決する答えを出してくれた。
「何かに悩んでいるなら、パーッと遊んじゃえばどうですか? 意味も無く大人ぶるより、いつもと違う自分でハシャギ周ると、結構すっきりしますよ」
 意外な答えに、ペルナは間の抜けた表情でリーナを見つめ返す。
 この少女は、いったい何処まで凄いのだろう。とんちでも哲学でもない、現実的な答えを直ぐに導き出した。
 なぜ、一つでも二つでも年上の自分が思いつかず、彼女が思いつくのか。
 おかしくて、笑ってしまう。
 今度は、リーナがキョトンと間抜けな表情を作る番だ。
 何故笑うのか、と言いたげなリーナに、答えてやる。
「パーッとですか。それはいいかも知れませんね。今からでも、遅くないんですよね。僕が、普通に生きて行こうとしても」
「……そうですよ。今からでも、変われます。この世界に、自分以外に自分のことを知っている人は居ません。だから、変われます」
 ペルナの答えをどう取ったのか、多分、そのままの意味でリーナは理解したのだろう。
 リーナの言うとおり、この世界に自分の過去を知る人間は誰一人としていない。自分以外は。
 スタートが少し皆と遅くても、直ぐに追いつける。
 変わっていこう。そう、ペルナは誰にでもなく誓う。
「僕に、不備があったわけではないんですよね」


 買い物が終わった頃、春先のまだ早い夕焼けが落ち始めている。
 実際に買い物が終わったのは出かけてから二時間ぐらいなのだが、帰っても時間が余るので少しだけ商店街で遊んでいた。
 買い物と言うよりも、殆どウィンドーショッピングに近い時間の潰し方。でも、楽しかったことに変わりはない。
「そろそろ帰らないと、夕飯が遅くなっちまう。それに、これ以上は私もこの大荷物を抱えているのがきつい」
 本音か、それともマナなりのユーモアか、仕事人らしい引き締まった肢体を掲げて見せて言う。
 六人分にもなる食材の大荷物を抱えながら歩き続けていても、汗一つ掻いていないのだから良く言ったものだ。
「半分持ちます、って言ったのに、断ったのはマナさんじゃないですか」
 いつもなら言うはずもない脾肉を、今日ばかりは言える。いや、これからも言える。
 マナは、ペルナの脾肉を受けて拗ねたようにチェッと舌打ちをする。
「でも、そろそろ帰りましょうよ。私、お腹が空いて来ました」
「良く考えれば、遊君の所為でお昼を食べていませんでしたね。僕も、お腹が空きました」
 横目で遊を見つめ、ささやかな嫌味を言ってやる。
「俺の所為ですか? 構わず食べていてくれればいいのに、それは酷いですよ」
 遊まで、ふて腐れたようにソッポを向いてしまった。
 少し悪い気もしたが、そんな会話が面白くて楽しい。
 変わっていくと誓った今日から、することの全てが楽しく思えて仕方が無い。
 どうして今まで、こんな楽しい事を知らずに過ごしてきたのだろうか。本当に、勿体無く思う。
「ところでマナさん、今日の夕飯は何ですか? 私、ステーキが食べたいです」
 よほど今朝の朝食が気に入ったのか、リーナが目を輝かせて聞く。
 そう言うも、ここにいる皆がマナの作る手料理を気に入っているはずだ。
「さて、何にしようかね。私の知ってる料理なんて、それ程多いものじゃないからな。せめて、不味く作らないように頑張るよ」
 そう言って、マナはリーナの期待をはぐらかす。
 またそれが、リーナの期待を冗長させるのだから手に負えない。
 どうすればリーナを落胆させられるか、と考える自分がここにいる。
 帰り際、ペルナがフッと立ち止まる。
 ペルナだけではなくて、先頭を歩くリーナやマナが立ち止まったのだから後ろの皆が立ち止まるのは足り前だろう。
 尋ねかけようとしたが、それよりも早くリーナが理由を口にしたため言葉を飲み込む。
「あれって、今朝の娘じゃないですか? やっぱり、そうですよ」
 商店街のアーケードを潜ろうとする少女を指差すリーナ。
 その少女については、玄関を覗いていたリーナと、元から知り合いの遊しか知らないため、ペルナは指の向く先に見える『少女』と呼べる人物に目を向ける。
 荷物をエコバックに入れて商店街の外へ出て行く辺り、買い物を終えて家に帰ろうとしているところだろう。
「遊君!」
 唐突に、リーナが遊の手を掴んで走り出す。
「お、おいっ! いったいどうするつもりだよ?」
 リーナに引っ張られる遊が、悲鳴染みた声を上げる。
 聞かずとも、遊に少女への謝罪を述べされる腹だと読める。仲直りしたとて、今朝の事を忘れていたわけではあるまい。
 暴言を吐いた相手への謝罪と言うのは、簡単なようで簡単ではない。
 あの明るいリーナでさえ、謝るのに時間がかかるような事象なのだから、遊が簡単に謝れるわけも無かろう。
 それを心配したのか、お節介にもマナまで二人の後を追ってしまう。
「……行ってしまいましたね。どうします?」
 残されたペルナとディン、レイは呆れるともつかぬ表情でリーナ達を見送る。
「帰ろうぜ。道は分ってるんだ、あいつらを待つ必要もない」
 レイは薄情にもそんな答えを返し、先に歩いて行ってしまう。
 どうするべきか、ディンにも問いかけようと顔を向ける。しかし、何故かディンはあらぬ方向を見つめている。
 ペルナも同様の方向を見てみるが、その先には薄暗い路地裏へ続く細い道しかない。
「どうかしましたか? レイさん、先に行っちゃいましたよ」
 ペルナの声を聞いて、ディンが我に返るように振り向く。
「えっ? あ、えぇ、済みませんが……少し見て行きたいところがあるので、先に帰っていてもらえますか? 夕飯までには帰りますので」
 何処かやや狼狽した声音に、ペルナは怪訝そうに小首をかしげる。
 始終冷静に見えるディンがこんなに狼狽するのが、不思議だった。その理由を知ろうにも、ディンが路地裏で何を見ていたのか分らない。
「はぁ……、分りました。皆心配しますから、早い内に帰ってきて下さいね」
 気にはなったものの、プライベートな行動に対して食い下がるわけにも行かず、ペルナは渋々と了承する。
 レイを追いかけて、アーケードを潜る。
 ただ、その時、背中に感じた異様な殺気に振り返る。
 そこにディンの姿は無く、釈然としない湿っぽい風だけが結わえた黒髪を揺らす。
「……」
 周囲の喧騒さえ消え去る沈黙の中で、考えること数分、一つの答えに至る。
 それは、若くして幾多もの死線を乗り越えてきた者だけが持つ、ある種の戦闘経験に基づく勘だ。
 しかし、もしその勘が当たっているとするなら、この平和な世界にもたらされた恐ろしい事実である。
 ペルナは、心内に抱いた勘がほぼ正確なものであると共に、当たっていて欲しくないという矛盾を信じて足を踏み出す。
 一歩、一歩、まるで断頭台に登る死刑囚のような足取りで歩を進める。
 そして、見た。あの冷静で沈着に見えたディンが、殺戮と狂気の中に佇む姿を。


SAVEY:襲来


 湿気を含んだ空気が、異臭を纏って鼻腔をつく。
 血の香り、焼けた肉の香り、阿鼻叫喚の世界が目の前に広がる。
 焦げ目を残して焼ききられた四肢がアスファルトに散らばり、死屍累々と積まれた屍が地獄絵図を思わせる。
 また、この手を血に染めてしまったのか。
 一度闇に囚われた者は、輝きの下に出ることを許されない。
 彼はその囚われし者。
 彼は、運命を嘆き血塗れの手を見つめる。
 ここに至るまでは、たった一瞬でよかった。刹那の瞬間さえ与えられれば、彼は大地に屍の山を築くことなど造作も無く出来る。
 手を一振り、力を込めて振りぬけばそこは亡骸の山。
「神は、こんな私を赦してくれるだろうか。屍に身を沈めることしか出来ぬ者の罪を、赦せるというのか」
 祈る。
 本来は、慈悲など与えてくれぬ人の心が作り出した偶像へ、願わぬ祈りを捧げる。
 神族の巫女に仕える者が、神を信じぬとはどういった心情だろうか。滑稽でならない。
 呆れて苦笑を浮かべようとするが、直ぐにその考えは打ち切られる。
 ジャリッという小石を踏みしめる音と、細い谷間から覗く陽光を遮る影に気付き、彼は身を強張らせて振り向いた。
 佇み、阿鼻叫喚の世界に言葉を失う女性を前に、彼はただただ呆然と己の行為に打ちのめされるだけ。
「ペルナさん、あなたは本当に空気の読めない人ですね。先に帰れ、と言ったはずなのですが?」
「ディ、ディンさん……これは、いったい……。どういうことか、説明していただけますか……?」
 ディンの洩らした揶揄など無視して、ペルナが問いただす。
 彼女にも、信じられなかっただろう。
 その通りだ、と彼女の顔に書いてある。
「見ての通りです。これを全て、私がやりました。無駄に首を突っ込まなければ、あなたも長生きできたかもしれないのに……」
 驚愕の色濃い表情のまま、淡々と白状するディンの言葉に耳を傾けるペルナ。
 しばらくの沈黙が支配した後、ディンの手の平に野球ボール大の火球が生まれ出る。それを見て、ペルナはすべてを悟る。まだ、殺戮と狂気は終わっていないのだと。
 風が建物の谷間に吹き込み、獣の唸りが響く。
 鋭く、鈍く、執拗なまでに纏わり着く殺意が二人の周囲を取り囲んで残留する。
「どうしても、やるというのですね……? こうなった以上、皆さんに被害が及ばないように、手加減無しで行かせていただきます」
 ペルナが瞼を細め、ベストに隠していた拳銃をホルスターから抜き放つ。と同時に、弾ける閃光が手から拳銃へ向けて迸った。
「あなたの空気が読めない性格は熟知しています。どうぞ、気の済むまでご自由に……。ただし、最後まであなたが立っていられたらの話ですけどね」
 回避できぬ惨劇であることを確認し、ディンも火球を大きく育ててゆく。
 次第に火球は剣の形に象られ、大剣と呼べるまでの大きさに成り代わる。
 ペルナが雷に特化した属性の持ち主なら、ディンは炎に特化した属性の持ち主だ。
 有利、不利の無い、殆ど対等な力関係。どちらが先に倒れるかは、本人達の実力と戦闘経験だけが物を言うだろう。
 ただ、彼らは知っている。
 負けた後に残る、敗者の未来を。
 だから負けるわけには行かない。どんな手段を選ぼうとも、勝たなくてはいけないのだ。
「さあ、何処からでもかかってきなさい! この私、ディンエメス=グランバーズが御相手いたそう!」
「僕も望むところです。神にして神ならぬ禍神(まがつかみ)『荒ぶる雷神"アグニストール"』が隊長、ペルナ=ティーハートの名に賭けて!」
 二人の宣戦布告が飛び交う。
 間合いを計ることなどせず、銃撃と斬撃が交差した。
 雷を纏いし銃弾がディンの横顔を掠め、飛び散る血飛沫と共に雷光が瞬く。
 炎より具現せし刃がペルナの脇を切り取り、突き刺さった横腹から流れ出る鮮血を蒸発させる。
 くぐもった苦悶の声と、悲痛な悲鳴の不協和音が路地裏に奏でられた。
 生と死を賭けた16ビート。
 留まらぬ闘志が彼らを揺り動かし、次なる打ち合いが繰り広げられるのだ。
 血飛沫よりも紅く染まった炎が闇を彩り、飛び交う電光が壁に弾かれてイルミネーションとなる。
「なかなかやるじゃないですか。こんなに楽しめたのは、セルチアノ奪還作戦以来です!」
「ペルナさんも、あの大戦に参加しておられたのですか。懐かしい御話ですね」
 それが命を賭した戦いであるにも関わらず、二人の顔から笑みが消えない。
 再び真紅と黄金の輝きが交差する。
 乱舞するかのように、射的を楽しむかのように、二人の攻防が激しさを増してゆく。
 ただ、ペルナの方が疲労が色濃い。
 闘気を炎に顕現しているディンよりも、魔力で作り出す雷の銃弾の方が精神を疲労させるのだ。
 体格差や性別の考えても、先に力を使い果たすのはペルナだろう。
「どうしました、まだ私は戦えますよ?」
「僕の力を侮らないで下さい。若くして、『荒ぶる雷神』を継ぐ信念は、こんなところで果てるほど弱くはありませんよ!」
 ディンの揶揄を受け流し、間合いを取って構えた拳銃を下ろしながら『魔道言語"ミスティックラングル"』を紡ぐペルナ。
 何かとんでもないことをやらかすと、直感的にディンは身を屈める。
 手の平に生まれ出た閃光が収縮し、腕を突き出すと同時に巨大な雷の球体へと膨張する。
「戯れの輝き 擬似なる者の力 万物の繋ぎ手に命ずる 万物の崩壊を 『雷動"バオ"』」
 針金を組み合わせたような、ずさんな形状をした直径一メートルはあろうかという雷の砲弾が放たれる。
 無論、直線的な動きしか出来ない飛び道具は、身を屈めたディンの頭上を通り抜けて背後で弾ける。
 不快ささえ覚える虫の羽音に似た効果音が、絶命の咆哮に混じって耳朶を撫でた。
「恐ろしいことをしますね……。当たっていたらどうなっていたか……」
 考えるだけでも身震いのしてくる一撃に、ディンは呆れんばかりに表情を歪める。
「僕に不備はありません!」
 ペルナは、悪意の無い真顔で言い切ってみせる。
 そんなペルナに対して、ディンも負け時と唇を吊り上げる。
 クールな整った顔立ちには似合わない笑みではあったが、大技を繰り出すことを告げるには十分な笑みだった。
「程々にしておいてくださいよ。下手をすると、街一帯を焼け野原にしかねませんから」
 もちろん、それはペルナの脾肉である。
 闘気を顕現させた炎は、魔法と違って実物とは異なるエントロピーを持つ。
 魔法が、万物に宿る精霊達との精神力と万物を操る力を交換して作り出すものであるなら、闘気の炎は圧縮された熱量を放出させるものなのだ。
 単純な概念で言えば、炎自体を投げつけるのではなく、焼けた鉄を投げつけるようなもの。だから、触れたものの一部分を焼くことはあれど、飛散して周囲に飛び火することは無い。
「それなりに、自重するつもりですよ! 『爆炎流』」
 ディンが、炎の刃を振るいながら声を張り上げる。
 姿ある炎ではなく、放散されるはずの熱を凝縮させた高温の衝撃が陽炎の軌道を描いて放たれる。
 水は百度までしか温められないが、水蒸気は百度以上まで温めることが出来る。また、同様に空気も百度以上の熱を持たせることが出来る。
 そんな高温の空気を、浴びたことがあるだろうか。
 生物が高温の空気を浴びると、そうなるのだろうと実感が沸く。
 しかも、広がる熱ではなくて一塊の熱だ。それがどれだけの熱量を持つかなど、身に感じたものでしか分らない。
 それは既に熱い、と形容すべきものではなかった。
 熱いとも、痛みともつかぬ冷気が体毛を焼き、皮膚を爛れさせて行く。
「ぐ、がぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 悲鳴を上げることも出来ず、喉から搾り出すように息を吐き出す。
 呼吸をする度に喉を焼かれ、胃を焼かれ、臓腑を引きずり出されているようにカッと目を見開く。
 大地に伏せる体。原型を留めぬ人型の泥人形が、所々に黄土色の体毛を残してアスファルトに広がる。
 多分、効果音としてはグチャッやベチャッ、と言ったものが似合うだろう。
「ふうっ。これで、片付きましたね」
 戦いで掻いた汗を腕で拭い、命を奪ったことさえいとわぬ表情で呟く。
 唐突に起こるディンに向けられた拍手。
「見事な戦いっぷりでしたよ。僕も、『神官騎士』の実力を見たのは初めてです」
「ペルナさんこそ、負けず劣らずの戦いぶりでした。まさか、こんなところで聖なる神と禍神の使者が手を組むとは思いませんでしたが」
 アスファルトに転がる原型さえ分らぬ『魔種』の黄土色の屍を見下ろし、何がおかしいのかディンは苦笑を浮かべる。
 何処か悲しみに暮れた表情ではあったが、それが正しい選択であったことを確信するかのように表情を引き締める。
「さて、ここに<牙人"ファグリード">がいると言う事は、他にも『魔種』がいないとは限りませんね」
 夕焼けの差し込む通りに踵を返し、どういうわけかこの世界に出現した『魔種』を探して歩き出す。
 ペルナも後ろに続き、商店街の大通りに出る。
 そこで、黒い影が二人の前に現れた。影と表現するのは正しいようで正しくなくて、それでも影と言うしか無い物体。
 まるでスクリーンに映った猿の影を立体化させて、小さな角を二つ頭につけたような五歳児ほどの生物だ。
 いや、生物とは異なる。己の意思で動いているのだが、生物としての気配を全く感じさせない。
「これは……」
 その影が持つ物を見て、二人はそれが何であるかを理解する。


 目の前を歩く美香音は買い物帰りらしく、買い物袋を両手で抱えてヨロヨロと歩いていた。
 商店街で見かけたときは大分離れていたものの、今にも転びそうな足取りの少女に追いつくのは大して造作もないことである。
 リーナが引っ張っていた遊は、自ら美香音を追いかける。
「待ってください、天斬さん」
「はい? あっ……」
 ほとんど咄嗟に声をかけたため、振り返って驚いた表情の美香音を見て遊は言葉を詰まらせる。
 それは、決して会ってはならない二人が出会ってしまったような、そんな瞬間だった。
 春の夕焼けに染まる少女の顔が、日暮れの黄昏よりも暗く曇る。
「古代、君……」
「えっと、その……、今朝はすみませんでした。ちょっと気が立っていたので、あんなことをいうつもりはなくて……」
 初め、それは今朝の気まずさゆえの表情だと思っていた。
 だが、美香音が頭を下げた遊ではなく、後ろに佇む自分達を見ていることに気づく。
「天斬さんっていうんですね。初めましてというのもおかしいかもしれませんが、私はリリナール=フォルシオムといいます。リーナと呼んでください」
「まあ、そういうわけで、許してやってほしいんだが。許せないなら、鳩尾の一発でも殴ってやってもいいぞ」
 保護者としてついてきたリーナとマナが、口々に自己紹介をいう。まあ、マナの場合は自己紹介とは言えないのだが。
「リーナさん、というんですね。私は、天斬 美香音といいます。マナさんは初めまして、でよかったですよね?」
「ああ、初めまして。マナ=グランテスタだ」
 遊を許すか否かなどそっち除けで、なぜか女性同士の馴れ合いになってしまう。
 もしかしたら、さほど怒っていたわけではないのかもしれない。
 謝って心が軽くなったのか、遊は緊張した顔を和らげて安堵の息を付く。
 リーナも内心で安堵していると、自分達と話していた美香音が振り向き遊に話しかける。
「古代君、今から少しよろしいですか? お話したいことがあるんですが」
 談笑から一変した面持ちで、美香音の話したいことというのがどれほど重要なことなのか悟る。
「遊君、行ってきてください。私達は先に帰っているので、夕飯までには戻ってくるんですよ」
 何も言わず遊だけに選択を任せると、断りかねないのでリーナが背中を押してやる。
 先にマンションへ帰ろうと歩き出しながらも、踵を返して、それと、と付け加える。
「荷物は、男の人が持つべきです」
「あ、あぁ……」
 頼りなさそうな返事ではあるが、その意味ぐらいはちゃんと理解しているであろう。
 もしわかっていないというなら、遊の鈍感さは筋金入りということになる。とは言え、美香音も勝手に呼び出しておいて荷物を持たせるような少女ではないはずだ。
 ここは、あえて美香音の気持ちに委ねることにしよう。
「それじゃあ、今夜は楽しみにしててくださ……」
 別れ際の台詞を言い切ることもなく、リーナは口を噤んでしまう。
 遊は怪訝そうな表情をしているが、マナもその理由に気づいて遊に気づかれない程度に身構える。
 踵を返して遊を見ている自分達の後ろ、美香音が立っているはずのところから言い知れぬ不快感を覚えた。
 不快感というのは正しくないだろう。もっと濃密で、攻撃的な視線が背中に向けられているのだ。
「リーナさん、マナさん、あなた達は他の居候さん達を探しに行ったほうがいいですよ。でないと……」
 背中に突き刺さる美香音の声。
 でないと、何なんだ。あなたは何を言いたい。なぜ、どうして、私達の他にも居候がいることを知っている。それ以前に、私達が居候だとなぜ知っている。
 次から次へと、頭の中に疑問が浮かんでくる。
 リーナとマナは、その命令口調にも似た響きに気圧され、必死に作り笑いを浮かべながら美香音を振り返る。
「そうですね、ちょっとみんな遅すぎますね。心配ですから、様子を見てきましょうか、マナさん」
「そ、そうだな……、女の二人歩きってのも危ないし、レイぐらいがそろそろ来るころだろ」
 馬鹿馬鹿しい。
 異世界の方にいた頃は、もっと恐ろしい化け物どもと戦ってきたはずなのに、なぜこんな少女一人の言葉に気圧されなければならない。
 こんな少女、魔法の一発でもかましてやれば軽々といなせる。
「やめておけ。何でか分からんが、無意味な気がしてならない……」
 手に力を込めようとしていると、隣にいるマナが小声で制止をかける。
「それでは、お先に失礼させていただきます。古代君、申し訳ありませんがお付き合いください」
「えっ? あ、はい……あまり時間もないので」
「大丈夫です、マンションの方に戻ってからなので。ただ、ちょっと長くなるかもしれませんが」
 美香音は遊に荷物の一部を持ってもらい、何事もなかったかのように立ち去ってしまう。
 二人の姿が黄昏の彼方に消えたところで、自分達を縛っていた硬い空気が解ける。
 長いこと走っていたような脱力感が体を襲い、心臓が異様なほど早く鼓動するのが分かる。少しでも気を抜けば、地面に膝を着いてしまうかもしれない。
 だが、そんな暇を与えずにそいつらはリーナとマナの目の前に現れた。
 もしかしたら、話をしている間に取り囲まれていたのではないだろうか。住宅街であるにもかかわらず、人とは呼べない異形が屋根から地面へと飛び降りてくる。
 屋根からだけでなく、今まで囀っていた小鳥の歌声が消え、不気味な音色を含んだ鳴き声が頭上で響き渡る。
 獣のうなり声も、亡者達の誘ううめき声までも、聞こえてくる始末。
「何で、『魔種』がこの世界にいる?」
「分かりません。ですが、私達の前にいる奴らだけではないことは分かります。多分、他の皆さんも……」
「ちっ! まさかあの小娘がこいつらの親玉か? それなら、遊を一人で行かせるべきじゃなかった。畜生ッ!」
 背中合わせに身構えながら、マナが悪態をつく。
 だからと言って、何らかの解決になるわけでもない。武器はマンションに置いてきてしまったため、数十匹もいる『魔種』と体一つで戦わなくてはならないのだ。
「誰かが追いつけることを願って、時間稼ぎだけでもしましょうか?」
「あぁ、お願いするよ。こいつらだけじゃないなら、みんなが来る可能性も低いんだろうけど、な」
 リーナの提案答えながら、マナが自虐的な笑みを浮かべる。
 確かに、可能性としてはまったく無いに等しい賭けだ。負ける可能性が九割なら、勝てる可能性は一割程度の賭け。
 あまり勝負事というのは好きではなく、生まれてこのかた賭け事なんてしたことが無い。
 それはどうやら、マナも同じのようだ。
「我等を見守りし者よ 輝き勝る力にて 光の盾となりて我等を守らん 光点の祝福を 『明盾"ライ・ティールド"』」
 頭で馬鹿らしいことを思案しながらも、口が覚えてしまった『魔道言語』を素早く唱え終わる。と同時に、先手を打とうと人に酷似した異形が二人に向かって駆け出す。
 それよりも早く、地面に浮かび上がった四つの光球が、リーナを中心に立体の三角形を作って半透明の光の壁を張る。
「ほぉ、間一髪だったな。これは、いったいどれぐらいもつんだ?」
「どうでしょうか? 殴る蹴る程度の攻撃なら、二十分ぐらいは絶えられるんですけど……」
 『明盾』という魔法は光を魔力で物質化した結界を張る魔法ではあるが、物質である以上、物理的もしくは魔法での攻撃を食らう度に削れて行く。
 そのため、強い力を加えられれば加えられるだけ早く削れてしまうわけだ。
 周囲を見る限り、素手や爪などの体の一部でで攻撃をしてくる『魔種』の方が多いであろう。ただ、数が予想以上に多すぎた。
「この様子だと、十分もつかもたないか、といったところですね。因みに、壊れるまで次のが張れません」
「なるほど、壊れたら次のを張る前に畳み掛けられるってことか。シビアな賭けだねぇ〜、まったく……」
 そうやってマナは軽口を叩くが、これは既に賭けというに相応しい公平さではない。
 九割九分九厘、自分達が負ける絶体絶命の状況である。
 だが、そんな状況であるにも関わらず、根拠の無い勝算が二人にはあった。
 ヒビが入り、パラパラと欠片を地面に零して行く光の壁。もう十分も耐え切れないことが分かり、二人は迎撃に向けて身構える。
 素手でどれだけ戦えるかはわからないが、助けが来るまで持ち堪えなければ待っている未来は一つ――すなわち、死。
「私が隙間を作る、その間にお前は次の壁を張れ」
「分かりました。無茶は、しないでくださいね……」
「さて、どうだかな……。ちぇっ、あの馬鹿の口癖が染っちまった」
 下手な物マネをしながら、苦笑を浮かべるマナ。
 どうしてだろう。マナが、そうやって余裕でもあるように話すのを見ていると、徐々に胸の中に不安が込み上げてくる。
「約束しましたよね。私達は何があっても、遊君の味方でいるって……」
 リーナは、マナに聞こえないように小声で呟く。
 自分に言い聞かせたわけではない。聞こえていたのなら、答えて欲しかった。マナに、「もちろんだ」と答えて欲しかったから。
 光の壁が硝子細工の如く砕け散った瞬間、無言のまま異形どもへ向かって肉薄する。
 その背中が、どこか遠く儚い。
 手を離せば直ぐに何処かへ行ってしまいそうなほど、遠くて小さくてか弱くて。
「ハァァァァァァッ!」
 気合の篭った裂帛さえも、異形どもの呻き声に消え入ってしまう。
 鋭いストレートが人型の異形の鼻頭を圧し折り、大振りの回し蹴りが襲い来る犬型の異形の頭部を蹴り飛ばす。
 腕に噛付かれても、痛みを感じていないかのように肘ごとブロック塀にぶつけて振り解く。
 リーナも、出来る限りマナの援護をしようと『魔道言語』を唱える。
「時空にたゆたう灯火 見えざる刃を成して 切り裂く道とならん 『光刃"ライニングメッサー"』」
 リーナの得意なのは治癒や浄化で、それはさほど得意ではない攻撃型の魔法だ。
 空間に生まれ出た数個光球から直線に伸びる光線が、自分やマナを取り囲もうとした『魔種』を切り裂く。
 攻撃と言っても、ダメージの程はそれほど大きいわけではない。せいぜい、カッターナイフで切りつけたぐらいの傷の深さだ。
「そろそろ壁を張れ!」
 敵から奪い取ったと思われる、血糊だらけで切れ味の落ちた槍で『魔種』を牽制しながらマナが叫ぶ。
 リーナはマナの声を聞き取り『明盾』の『魔道言語』を唱え始める。
 だが、マナがまだ戦線を離れない。
 あまり広範囲に張れない光の壁は、五メートルは離れたマナを囲むことは出来ないだろう。
 早く戻ってこないか、とやきもきしていると、やっとマナが戻ってくる。
「ライ・ティール――」
 それは一瞬のことだった。
 魔法を唱え終わろうかと言う瞬間に、マナがリーナの胸倉をつかんで『魔種』の包囲陣の外へと投げ飛ばしたのだ。
「――ト!?」
 言いかけた言葉を止めることが出来ず、リーナは地面を転がりながら魔術を紡ぎ終える。
「お前はそこに居ろ! 後は、私に任せておきな」
 光の壁を隔て、包囲陣の向こうからマナの声がする。
 異形に埋もれて見えなかったマナが、ブロック塀の上に飛び乗ってリーナがいる方向とは反対に駆け出す。
「まっ、待ってください、マナさん! 放って行かないでください! 何でこんなことをするんですか!?」
 その制止の言葉は、愚問であった。
 マナは、囮になってリーナを逃がそうとしているのだ。
 リーナが逃げ切れずとも、誰かが助けに来るまでの時間稼ぎとして、自分一人で数十匹はいる『魔種』を相手にしようとしているのだ。
 普通に見れば格好のいいことなのだろうが、そんな自己満足の自己犠牲など格好の良いものではない。
「約束、したじゃないですか……。何があっても、遊君の、味方でいよう……って。こんなの、ただの裏切りですッ!」
 それだけを呟くのが、叫ぶのが、精一杯だった。
 これまで感じてきた不安の理由を知り、瞳から熱い雫が零れ始める。どんなに強く瞼を閉じても、留めることの出来ない水滴が目頭から溢れ出す。
 声にならない嗚咽。
 あの皆と誓い合った言葉はなんだったのか。こんなところで、言い出しっぺが裏切るなんて卑怯すぎる。
 拳を、何度も何度も、光の壁に叩きつける。
 裏切り者に対しての怒りと、裏切られたことへの悲しみを込めて。違う、それは怒りでも悲しみでもない。
 一度張ると、力で破るか一定の時間を待たなければ解けない『明盾』を壊して、早くマナを助けに行きたいという焦りだった。
 ――壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れて、壊れてよぉッ! ――
 何度も、血が滲もうとも、叩きつけるのをやめない。
 一旦手を引き、大きく息を吸い込んでから拳を握り締める。壊れないなら、渾身の一撃を何度でもお見舞いしてやる。
「壊れろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
 形などまったくなっていない、ただ力任せに繰り出した打撃。
 拳が壁に叩きつけられる。と思った瞬間、地面から伸びた黒い触手が壁に突き刺さる。
 数十匹の『魔種』が殴る蹴るを繰り返して壊れた光の壁が、先端が尖った数本の触手だけで破壊される。
 光の破片が飛び散ると共に、マナが姿を消した方向から砂埃が轟音を掻き立てて押し寄せてくる。
「ふえっ!? うっ、ケホッ、コホッ、ウホッ……!」
 砂埃を被って咳き込むリーナ。
 ただ、咳き込んでいられるのもほんの束の間だった。
「泣くのはまだ早いぜ。あの命知らずの馬鹿は、ちゃんと叱っておいてから安心しろ。それから、涙と砂でせっかくの童顔が台無しだぜ」
 土煙に隠れた向こうから、揺らめくシルエットと一緒に聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 その声は、普段聞くと不愉快にさせられる嫌味と皮肉を込めた口調。
 だが、こんな時だけは頼りになる男の声。
「レ、レイさん……。遅すぎますよぉ〜」
 そう、レイウォール=ドリューことレイ――ではなかった。
「残念でしたぁ〜。俺は、ファッ○ンマスターのファッ○ン使い魔さ。小さな<影猿"シャッキー">だから、プチシャキちゃんって呼んでくれ。あ、俺は元々小さいから<影猿>だけでいいのか」
「……」
 しばしの沈黙。
 土煙が消えた向こうから現れた、猿に似た黒い物体の自己紹介に言葉を失う。
「おう、何のリアクションも無しか。冷たいねぇ〜」
 小馬鹿にするように、肩をすくめて見せる<影猿>と言う使い魔。
 もはや、何から突っ込んで良いのかさえ分からない。
 ただ、助けられたことに変わりは無いと言うことだろう。
「とりあえず、ありがとうございます」
「とりあえずなのか? 助けてもらっといて、とりあえずなのか? まあ、俺はこいつを届けてに来ただけなんだがな」
 そう言って、大きく開いた口からリーナ愛用の『楽杖』を取り出す。
 どこに大人の身の丈はある『楽杖』を入れていたのか、と言う疑問は浮かぶものの、生物ではないことを考えるとおかしくも無い話である。
 とは言え、口の中から取り出したものを受け取るのは少し抵抗があった。
「……出来れば、普通に持ってきて欲しかったんですけど」
「なんだ、文句があるなら使わなくていいんだぜ。そう、あなたはいつもそう! あの子が何かしでかすと、いつも私の所為にグフッ……」
 意味不明な台詞を吐き出し始めた<影猿>の頭を、二本の黒い棒が殴り倒す。
「どうでもいい話はこれぐらいにしておけ。すまん、心配かけたな。リーナ」
 ボロボロの、既に裸とも変わらない穴だらけと血塗れになった、満身創痍と言える姿のマナが申し訳なさそうに謝る。
 その姿が格好悪くて、それでも嬉しくて、リーナは泣き出しそうな顔でマナに抱きつく。
「マナさん! マナさん! マナさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
「お、おいおい、泣くなって……。まだ、全部やっつけたわけじゃないんだ。泣くのは、その後だ」
「泣いてなんていません。でも、もうあんな無茶はやめてください。私、本当に心配したんですから!」
 潤んできた目を腕で拭い、マナの胸から顔を上げるリーナ。
 その頭を撫でながら、マナはもう一度「すまない」と謝った。
 そして、二人は向かい来る異形どもに向き直る。もうこれで、怖いものなしだ。
「さあ、いくぜッ!」
「おうよ! どっからでも掛かって来な、ファッ○ン虫けらども! ジャンクにしてやるぜ!」
 マナの掛け声に合わせ、リーナが再び怒り心頭モードに入る。
 もう少し正確に言うのであれば、この状態こそがリーナの素なのである。
 人でもなくて『魔種』でもない『有翼民族』が恐れられる理由は、この好戦的な性格にもあるのだ。ゆえに、『楽杖』は楽器ではなく武器と言える。
「こらこら、女の子がそんなこと言っちゃいけません。めぇー、なの」
 マナが子供を叱るような口調で言う。
 だが、素を出したリーナには聞いておらず、『楽杖』を正面に構えて『魔道言語』を呟き始めていた。
「隠れしその姿 隠せしその光 闇をもたらす煌王よ 光玉の王座に就きし暗雲 破壊と殲滅の暗明を今ここに 汝が隻眼にて呼び起こさん」
 風が舞う。
 大地に散った砂埃がリーナを中心に螺旋を描き、空間を歪めるほどの力が『楽杖』の周囲に収縮してゆく。
 それが、魔を浄化するために集められた力ではないことは、魔法のことを良く知らないマナでも呟かれる『魔道言語』で理解できる。
 背中の翼が、一つしかない翼が服を突き破って大きく広げられる。己の持てる力を抑えることの無い、絶対的な本気の証拠。
「リミッター解除ですか!? ちょっと待っ……!」
 制止をかけようとしたが、時既に遅し。
「『光魔裂槍"エンテピュラブレーム"』」
 収縮していた力が、歪んだ空間から放出された。
 光線と表現することの出来ない巨大過ぎる光の柱が、目の前にいた全て『魔種』を一瞬にして塵へと化す。
 それでも尚、留まることも消滅することも知らないそれは、民家へ向かって直進する。
 これぐらいは予測できていたのだが、強すぎる力ゆえに制御が難しい。多分、リーナでは放出される力を消すことは出来ないだろう。
 せいぜい、人の肉眼で視認できる程度の遅さまで速度を落とすぐらいだ。
「ちっ! 自分が押し倒されないように堪えるのが精一杯じゃないか。そんな力を、こんなところで使うな、馬鹿! 砂塵と化せ『サンディンメイデュ』」
 闘気を込めた黒い棒――『蘭麝乱弁(らんじゃらんべん)』を、リーナを怒鳴りつけながら地面に突き刺す。
 アスファルトが蠢き、光の進路に向かって隆起してゆく。
 ヒビ割れた道路から噴出した砂が、頭髪の代わりに無数の蛇を生やした女性の顔を象る。それは、目の合った者を石に変えると言い伝えられた北欧の怪物メデューサ。闘気を砂に伝えさせ、砂にメデューサを作り出す。
 光の進路を遮り、大口を開いて光を飲み込んでゆく砂のメデューサ。
「うあっ、光まで砂に変えちゃいましたよぉ〜! マナさんすっごぉ〜い!」
 砂のメデューサの口に飛び込んだ光の柱は、女性の顔を突き破って後ろに飛び出そうとしたが、一握の砂と成って地面に散る。
 関心したような声を上げるリーナ。
「何が、すっごぉ〜い、だ! もう少しで、お前の立つ直進方向を荒野の道に変えるところだったんだぞ!?」
「ご、ごめんなさい……」
 二度目の叱咤に素直に謝るリーナを見て、呆れたようにため息をつくマナ。
「まぁ、いい。それより、あんな力があるのに、どうして最初から使わなかったんだ?」
 確かに、もっともな質問だ。
 だが、リーナは俯いて押し黙ってしまう。
 マナはリーナの気持ちを察してくれたのか、それ以上追求せずに踵を返す。
「残りを片付けて、早く遊を追うぞ」
「あ、はいっ!」
 顔を上げながら力強く答えて、無駄に湧き出してくる『魔種』に向き直るリーナ。
 そして、二人の怒号が住宅街に響く。
「『光刃』」
「『豪砂鞭(ごうさべん)』」
 ただ、二人を見つめる影が、くぐもった低い声で呟いたのは誰の知る由もなかった。
「これが、『隻翼の天使』と『地王弁天』の実力か……」


 人を訪ねてくるときは、ちゃんとアポを取ってからにしろ。
 そう、レイは心の中で悪態をつく。
 まあ、アポを取るにしても、この数で押しかけられたのでは対処のしようがない。
「一人一人話しを聞いてやりたいのは山々だが、一度に話を聞ける数は一人か二人だ。こういう時は、どうするべきか分かるか?」
 ねちっこい殺意を向ける訪問者達に、レイがおどけたように声をかける。
 無論、人語を解さない『魔種』がレイの言葉に返事を返すわけが無いのだが。
「答えは簡単、全員にお帰り願うだけだ」
 ほとんど意味を成さぬ独り言を呟き、白衣の下に隠れた短剣を引き抜く。
 刃渡り二十センチほどのもので、数十匹はいる『魔種』を相手にするには到底力不足を感じてしまう。が、それは戦うために使う短剣ではないのだ。
 レイはおもむろに短剣を、袖捲くりした腕に宛がって浅い目に傷をつける。
 自分の腕を傷つけているレイは、まるで痛みを感じていないかのように平然とした表情で鮮血を指先に垂れ流してゆく。
 指から地面に滴り落ちる赤い水滴。
 レイの行動が何を意味するのか。それは、彼が普通の召喚術師ではないことを意味する。
「おいおい、そんなに不思議そうな目で俺を見るな。恥ずかしいだろ」
 血に餓えた『魔種』の獰猛な視線を軽く受け流し、一滴、二滴と鮮血を滴らせる。
 召喚術のノウハウとしては、自分の血を召喚の糧とすることは無い。なんらかの生贄を捧げるというのは、召喚術よりも呪術に良く見られる術式だ。
 周囲の空間が闇に包まれ、アスファルトで出来ているはずの地面に波紋が波打つ。
 それは、レイの一種の才能とも言ってよい力。
 通常の召喚術は、あらかじめ召喚用の魔方陣を書いておく必要があるのだが、それを必要とせずに召喚することが出来るのがレイなのである。
 だが、その代わりに支払う代償が紅き血。
 滴ってゆく血が波紋を生み、波紋が徐々に魔方陣を描く。
「我が意思を受け継ぎし者よ 我が血の代償にて顕現せん 影に隠れしその肉体 我が血の盟約に従いて傀儡となさん 影なる盗賊<影猿>」
 『魔道言語』を紡ぎ終わった瞬間、自分の影が魔方陣に集まり、三体の猿に似た使い魔が姿を現す。
 異世界の住人には、ほとんど例外なく個人の得意とする属性がある。
 ディンが炎、ペルナが雷、リーナが光、マナが砂。というように、レイは影の属性を得意とする。
 召喚術も、その個人が持つ属性を重視した使い魔を呼び出すことが多い。
「さて、俺が襲われてるってことは、他の奴らも危ないって事だ。猿AとBはマンションまで武器を取りに行って、皆に渡して来い。残りのCは、俺を守れ」
 そしてまた、召喚術師は使い魔を召喚した際にその属性の契約に縛られる。
 そのため、召喚術を使っている術師は契約によって縛られるため一歩も動くことが出来なくなるのだ。
『わかりましたよ。糞マスター』
 影という自分の分身であるためか、自分と同じ口調でピッタリと声を合わせて返事を返す<影猿>ども。
「ところで、どれが猿Aで」
「だれが猿Bで」
「どいつが猿Cなんだ?」
 何度呼び出しても、融通の利かない糞使い魔がからかうように尋ねる。
「どれが誰でも良い! どいつでも勝手に決めて、早く戻って来い!」
 問答をしているのも時間の無駄、と言わんばかりにレイが怒鳴り散らす。
 すると使い魔は慌てて飛び出して行き、一匹を残して民家の屋根を飛び渡って姿を消す。
「さあ、後はお前に任せた。あいつらが帰ってくるまで、俺に指一本たりとも触れさせるな!」
「イエッサー糞マスター!」
 相変わらず、返事だけは気前の良い奴らだ。
 内心で呆れつつ、レイは自分の影に縛られながら傍観を決め込む。
 本当の意味で心血を注いだ使い魔どもだ。多少融通が利かずとも、その実力に抜かりは無い。
 おろかにも、そんな最強と自負する使い魔に襲い掛かる半獣半人の『魔種』。直立二足歩行で移動する狼、と表現するのが正しい『魔種』の名は<牙人"ファグリード">という。
 草原や森林地帯に良く見られるオーソドックスな獣人タイプの『魔種』で、獰猛な気性の上に武器を使うことが出来る知能を持つときたから厄介だ。
 が、タフネスは普通の村人よりも少し高いぐらいで、熟練した剣士ならば十匹程度なら簡単に相手が出来る。
「面倒なのは嫌いでね。やるなら、まとめてかかって来いよ!」
 襲い来る<牙人>を前に、<影猿>が威勢を張り上げる。
 猿如きが狼に立てつこうなど愚かなのだろうが、それが普通の猿ならばの話であって、レイの生み出した使い魔たる<影猿>が雑魚に遅れを取るわけが無い。
 鋭く振り下ろされた斬撃を軽く避けると、臀部から生えた矛のような尻尾で脳髄を貫く。
 頭部を貫通した尻尾を、ネットリとした脳漿が伝い、地面にポタポタと落ちてアスファルトを汚す。
 白と赤が交じり合った悪趣味なゼリー状の液体が異臭を放つ。
「はっ、粋がった割にはたいしたこったねぇーな」
 地面に倒れる屍を嘲笑うと、続いて襲い掛かって来た鬼気迫る顔面の<牙人>を肩から脇腹までバッサリと両断してしまう。
 その断末魔を合図に、他の『魔種』が一斉に襲い掛かってくる。
 そこにいる『魔種』を全て説明するのは少々面倒なので、今のところは割愛していただきたい。
「かったりぃー! お前ら、まとめて逝け!」
 一匹ずつ相手にしているのが面倒になったらしく、<影猿>は一言だけ咆えて地面に両手をつく。
 スプラッタとでも言おうか。
 周囲の足元から延びる影が<影猿>の手元に集い、尖端となった黒い螺旋を描く矛先が襲い来る異形どもの体を串刺しにする。
 体の数箇所を貫かれても尚、人間よりも生命力の強い『魔種』は絶命することが出来ず、赤黒い体液を傷口や口内から吐き出し続けるのだ。それはまるで、地獄絵図。
 亡者の呻きと喀血する声が耳障りに響く。
「片付いたか? さすがに三匹だと、一発で全滅ってわけにはいかんか」
「文句が多すぎますぜ、マスター。自分でこいつらを片付けてから武器を届ければいいのに、わざわざ仲間の方を優先するマスターに敬愛を抱きますよ」
「お前に言われても嬉しくはないな。せめて、忠誠心といってくれた方が召喚術師としては嬉しいんだが」
 こんなときに、何を使い魔と世間話をしているのだろうか。
 レイは、次々に倒れ付す『魔種』を眺めながら思案する。
 使い魔との会話の中で触れた一言に、いささか不本意な感情を抱かないわけではない。この世界に来て、自分の考え方が変わったようにも思う。
 いや、この世界に来る前から変わっていた。
 婚約者の死という現実を目の当たりにして、今まで抱いたことのない死への恐怖を覚えるのだ。自分のではなく、自分の知っている他者の死。
 婚約者の死はレイに大きな感情の変革をもたらしている。その死が己の責であることを拭えず、それでもって後悔と諦観の矛盾した感情に苛まれるトラウマ。
 自虐的に考えるレイの頭に、聴いたことのあるような声が響いてくる。
 ――なぜ悩む? お前は目的を果たすために他人を傷付けることを厭わぬのだろ?
「あぁ、俺は自分のためなら他人なんて切り捨てられるさ。だけど……」
 召還術の学校で教師をしていた頃、レイはただ自己満足と自己論理の塊だった。
 しかし、そこで出会った一人の生徒に恋をした。禁じられた恋のはずなのに、何の罪悪感も無く卒業後の婚約を決めた。
 ――だけど、なんだ? あいつに実験内容を見せたことを後悔しているのか。あれは、あいつが勝手に申し出てきただけのことだ。お前が悩むことではない。
「わかってるさ。俺は、別に手伝いなんて要らなかったんだ! 少しずつ、自分の体を削りながらでも完成させるつもりだった。実験のことを教えたのも、ちょっとした師弟愛のはずなんだよ!」
 頭の中に響く声に、レイは自棄になって怒鳴り散らす。
 それで鬱憤が晴れるわけも無く、ただ虚しい時だけが過ぎてゆく。
 あれはただの事故なのだ。授業で出た論文を手伝った見返りとして、婚約者が自らレイの実験に協力を申し出た時に起こった事故なのだ。
 ――本当に事故なのか?
 声が短く問いかける。
 これまで否定しておいて、なぜ今更、事故ではないと問う。
 ただ単純に、人の命を殺めた自身が罪から逃れるための口実だとでも言うのか。あぁ、もしかしたら、声の主の言うとおりなのかもしれない。
 確かにレイは、実験を申し出た婚約者を止めようとはしなかった。だが、実験の危険さを説明しても止めなかったのは婚約者自身。
 もっと強く制止をしてさえいれば、死なずにすんだかもしれないのに。
 ――そうさ、お前が怒鳴ってでも止めていたら、あいつは死ななかっただろうよ。
「お前は、いったいどっちの味方なんだ?」
 ――味方? そんなもの、敵も味方もあるわけが無いだろ。なんせ、俺は後悔と諦観を抱くお前自身なんだからな。
 そうか。そうだったのか。
 頭の中で響いているこの声は、誰の物でもなくレイ自身の感情。レイは今、自問をして同じ論理を回り続けているだけなのだ。
「なるほど、俺と俺が話してても何の解決になるわけがないわな。ネタがわかれば、何にも怖くないぜ……失せろ。今すぐ、俺の頭の中から失せろ!」
 大声を張り上げて、頭の中からもう一人の自分を振り払う。
 気がつくと、レイは血生臭い戦場の真ん中に佇んでいた。数えるのも鬱屈になりそうな『魔種』の集団が血沼に沈む、地獄さながらの戦場に。
「マスター、さっきから何をブツブツ言ってやがったんだ? もう、仕事を終えて皆戻ってきてるぜ」
 敵を殲滅し終えた使い魔が話しかけてくる。
 どれぐらいの間自問をしていたのかは知らないが、他の使い魔も戻ってきていることから、五分か長くても十分くらいしか経っていないだろう。
「……さて、どうだかな。終わったなら直ぐに消え……」
「いや、まだ終わってないんだな、これが。娘っ子と姉さんにまだ武器を渡してないのよ」
 言いかけた言葉を途中で遮り、使い魔の一匹が二つの武器を見せる。
 武器から見て、多分、リーナとマナのことだろう。
 言いつけを守らずに戻ってくるとは、なんと言う使えない使い魔たちだろうか。
 いや、状況から察するに、使い魔一匹では抑えられていなかったところへ危機を察して駆けつけてきたのだろう。
「なら、早く届けて来い。こっちは二匹もいれば充分だ」
 自分でもわかる、どこと無く疲れ切った声で言う。
「わかってますよ。こっちはマスターが独り言をつぶやいている間に苦労したのに、酷い言い草なことで」
「さっさと行け!」
 使い魔相手に何をムキになっているのか、レイはぞんざいな態度で行動を急かす。
 疲れと鬱憤と後悔と諦観と自責、さまざまな感情が頭の中を反芻する。考えるのは、もう終わりにしよう。
 その前に、一つだけ確認しておかなくてはならない。
「もしリーナとマナがまだ戦っていたら、そこに残ってしばらく様子を見ていてくれ。いや、俺が『影視"シャードヴィジュ"』するんだから見れないか」
 少しだけボケてみたつもりだが、まったくノリの言いボケが出てこない。
 こいつは、相当疲れているようだ。
 使い魔が去った後、他の二匹を消して血沼の中にへたり込む。それから数分後、使い魔の視線から周囲を見る『影視』を使ってリーナとマナの戦いぶりを観戦する。
 ちょうど、光の刃と砂の鞭が『魔種』の集団を薙ぎ払うワンシーンだった。
 薄々二人が何者であるかは気づいていたが、風の噂で聞いたとおりの実力の持ち主だ。
「これが、『隻翼の天使』と『地王弁天』の実力か……」
 自分の声が使い魔を通して向こうに漏れることさえ忘れ、予想以上に素晴らしい二人の実力に感心する。
「もう充分だ。戻って来い。みんなの場所はわかったからな、後は合流するだけだ」
 果たして、この世界で何が起こっているのか。
 唐突に『魔種』が表れた理由、異世界と現実世界で何の因果が働いているのか、それを調べなくてはならない。
 だが、それはレイが調べる必要も無かった。
 答えが目の前に、思考の中に巡って来たのだから。


SAVEZ:壊れ行く現実


 ここに書き綴るのは、私のことではなく私の息子、遊のことについてだ。
 先月、中学生になった息子は、今月に入ってから様子がおかしい。体調が優れないというわけではなく、何らかの懸念を抱えている鬱屈な表情を見せる。
 最初は、五月病か何かだと思っていたのだが、どうやらそういうわけでも無いらしい。

 休日や夕方ごろには、ケロリとした顔で私の作った美味しくも無い夕食を食べる。
 大抵、朝か学校から帰ってきた直ぐが多い。それに、学校から帰ってくると絶対と言っていいほど服を汚して帰ってくるのだ。
 これぐらいの年の子供が、服を汚して帰ってきた程度ではそれほど驚くわけも無いが、どこか遊んで汚してきたと言うわけではないような気がする。
 私が思いつく限りでは、その理由は一つだけだ。よもやとは思ったが、ある日の学校からの電話で全てを悟った。
 まさか、遊が虐めにあっているとは思っていなかったのだ。

 どういった経緯から始まったかは語られず、遊の受けている曖昧な待遇と教師達の心配を耳にしただけの報告。
 私は、電話越しで眩暈を覚えていた。
 絶対に無いとは言いきれないことではあったものの、なぜ、と言う疑問が頭の中を埋め尽くす。
 遊は、それほど気が弱いと言うわけではないし、社交性にかけていると言うわけでもない、普通に他人と接することが出来る少年だと思う。
 母親がいないことが原因かと考えたが、教師の話からするとそうでもないらしい。
 私はどうするべきか悩んだ。

 遊を何処かへ転校させると言う手立ても、私が学校へ乗り込んで行くと言う手立てもある。
 だが、遊が私に虐めのことを話さないのは、遊がそれらを望まないからだと思う。いや、私のただの考えすぎか。
 母親の死の悲しみを背負いながらも、私に心配させないように明るく振舞う遊の事だ、今回の件についても私への配慮なのかもしれない。
 しかし、息子が傷ついてゆく姿を見るのは忍びない。

 日に日に増えてゆく服の下の痣と、虚ろになってゆく瞳。いつかは、遊の心が壊れてしまうのではないかとさえ思ってしまう。
 知り合いのカウンセラーに相談をしたところ、知り合いは遊との話し合いの場を設けるべきだと推奨してくれた。
 息子の心に踏み込むのは気が進まないが、一度ぐらいは正面から向き合って話し合ってみなければならないのか。
 私は不安ながらも、遊に学校のことについて尋ねてみた。
 そして、返ってきた意外な一言目に私は耳を疑う。これまで妬み事など口にしたことの無い遊が、『こんな世界、滅べば良い』と呟いたのだから。
 それだけを言い終えると、遊は自分の部屋に篭ってしまう。

 だがしかし、私の疑問は尽きない。
 どうして、虐めてくる相手への怨み言ではなく、世界への不服を口にしたのか。遊の心が、それほどまでに荒んでいるのだと悟った瞬間でもある。
 私にはどうすることも出来ないのか。仕事で長い間家を留守にする私は、ずっと遊のそばにいてやることは出来ない。
 だから、一つだけ私は遊に与えるものがあった。それは、自分を守るための力だ。
 若い頃にやっていた空手を、遊に教えることにした。遊も、空手の練習を気晴らしと思って行う。汗をかいて、元気を取り戻してくれると良いのだが。
 やはり上手くいくわけも無く、学校から帰ってくる時には体に痣を作っている。

 遊の優しさゆえか、遊は練習で培った力で暴力を跳ね除けることが出来ず、相も変わらず堪え続ける。
 そして私は、遊に一つの提案を出した。
 好きなときに学校を休んでも良い。遊が行きたくなった時、自分で好きに選べば良い、と。
 その後のことは、簡単にかいつまんで説明しよう。

 最初の一週間は、休むことなく学校へ通い続けていた。それから少しずつ、二、三日に一度休み始め、一ヶ月もする頃には毎日を休むことになった。
 仕事で長い間家を留守にする私は、遊が学校を休んで家で何をしているのかは検討もつかない。
 いつしか、一日中部屋に篭って、飯時に少し食べ物をつまんでいくのが習性になっている。
 半年が経つ頃、心も休まったかと思った束の間、反抗期もあってか遊の私への態度が少しばかり乱暴になる。
 もっと息子の傍にいてやりたいとは思うが、仕事も相まって家を空けることの方が多かった。

 そんな息子も、三日程度の休みが取れた日に何処かへ出かけると意気揚々とした表情で外を歩き回る。私が仕事の話をすると、昔のように笑ってもくれる。
 家でのことをあまり話してくれないのは悲しいが、私の仕事に少しばかりの関心を抱いてくれるのは嬉しいことだ。
 もしかしたら、遊には心を許せる誰かが傍にいてやら無くてはならないのかもしれない。
 ――正史の日記――最後のページ


 肩を並べるよりも少し後ろを歩き、何にも話さずに後をついてゆくこと十数分。遊と美香音は、見覚えのある建物の前までやってきていた。
 自分達の住んでいるマンションの前なのだから、それは当たり前のことだろう。
 ただ、遊の頭には微かな疑問がこびりついていた。
 ここへ戻ってくるのなら、別にリーナ達と一緒に帰ってきてから二人だけで落ち合えばよかったはずだ。それなのに、美香音はリーナ達と別れてから遊をここへ連れて来た。
「天斬さん、どうしてこんなところへ?」
「おかしいですか? 私たちはこのマンションに住んでいるんですから、ここへ戻ってくることに不自然な点は無いと思いますけど」
 遊が問いかけたはずなのに、間髪入れず美香音が問い返してくる。
 確かに言うとおり、わざわざどこやらの喫茶店に入ってお茶をしながら話すというのも面倒だが、知りたい答えと食い違っていることに微細な不快感を覚える。
 いや、遊の問い方が間違っている。
「そうじゃなくて、どうしてここへ戻ってくるのにリーナ達と別れたのか、聞きたかったんです」
 最初から、そう聞けばよかった。
 いつも、相手側がこちらの意図を確実に汲み取ってくれるとは限らない。物事は明確に、欠けることなく伝えなければならない。
 そんなコミュニケーションについてのウンチクなどは置いといて、遊は美香音の返答を待つ。
「……それについては、これからお話しようと思っています」
 数秒の間を空けて、答えが返ってくる。
 どういった用件なのかは知らないが、それほど誰かに聞かれたくない話らしい。その証拠に美香音は、古代一家の部屋でも天斬一家の部屋でもなく、マンションの屋上へ向かって歩いてゆく。
 買出しの荷物だけを部屋に置いてくると、再び無言で屋上までの階段を上る。
 重圧感のある鉄製の扉が鈍い金属音を立てながら開き、吹き荒ぶ春先の風が二人の髪をなびかせる。
「こんなところまでわざわざご足労いただきありがとうございます。これより、あなたが知らなくてはならない真実の全てをお話しましょう」
 乱雑に乱れる髪の毛を軽く払うと、踵を返していつもより他人行儀に口を開く。
 遊には、美香音の言う言葉の全てが理解できない。
 真実の全て、とはなんだろうか。
 いったい、彼女は今から何を話そうというのだ。
 自分でもわかるぐらいに、遊は怪訝な表情を作って美香音を見据える。
「唐突な話だと思いますが、多分、今のあなたなら信じられることだと思います。この、目の前の光景の意味を……」
 そう言って、視線を屋上の遥か彼方へと向けた。
 そして、遊は気づく。
 少しばかり薄暗いとは思っていたが、その薄暗さがただ日が暮れ始めたからではないことを理解する。
 空を覆う灰色以上に暗い暗雲が、渦を巻くようにいくつもの大穴を空けている。
 異様な光景に、遊は月並みな問いを口にする今年か出来ない。
「こ、これは……?」
「見ての通り、この世界が異常なほど歪んでいるのはわかりますよね。今この世界は、終焉に向けて未来へ進んでいます。そして――」
 そこで一旦言葉を区切り、視線を遊に戻す。
「それを救えるのはあなた達」
 あなた達というのは、自分や異世界の居候達のことを指しているのだろうか。
 自分達が、この世界を救う。
 そんな馬鹿な話があるのか。
 どこやらの在り来たりなロールプレイング物じゃないのだから、自分が世界を救う勇者のような存在などと、近所の少女に言われて信じられるわけが無い。
「これからする話は、皆に聞こえていることを前提にお話します。この世界を救えるのは、あなた達だけしかいないのですから」
 暗いというわけではない、トーンの落ちた低い声音で言う。
「まず最初に、私のことについて自己紹介だけしておきましょう。そうしないと、話がややこしくなりますので」
 目の前に立つ少女は、少女とは思えぬ大人びた声音で言葉を紡ぎ始めた。
「私はこの世界と別の世界を作り出した者。あなた達、人が、神や創造主と崇める存在。皮肉なものですよね。偶像だと思っていた存在が、どこにでもいる一人の中学生で、こんな都会とも田舎とも言えない辺鄙な街に住んでいるなんて。
 ごめんなさい、どうしても余計な事を言ってしまう癖があるみたい。続けるけど、あなた達に求めるものは二つだけ。そのうち、一つを選んでもらう形になります。この世界を救うか、この世界を滅ぼすか。そのどちらかを……」
 言葉の区切りを見つけたにも関わらず、そこへ何かを問いかけるようなことが出来なかった。
 ただ、呆然と目の前に立つ少女を見つめ、話の真偽をどうするかについて考える。
 どこにでもいるような、近所に住む少女が世界の創造主だと。それを、はいそうですか、と信じる馬鹿がどこに居るという。
 ここは、病院へ行くことを推奨すべきか。脳外科、それとも精神科医ぐらいに行った方がよろしいかと。
「信じ難いのは重々承知です。でも、あなたはこの目の前の現状をどう説明しますか? この話を聞いている他の皆は、信じられると思います。今、この世界には私とあなた達以外の人間が居ないことに、気づいているはずです」
 そう言われて、フッと遊は思い出す。
 偶然や偶々にしては、珍しく帰路の間に人の姿を見なかった。これぐらいの時間ならば、一人や二人の学生や主婦に会ってもおかしくは無いのに。
「この世界は今や、人無き世界へと移り変わろうとしています。私が作り上げた、もう一つの世界に乗っ取られようとしているから」
「もう一つの世界って、皆が来た異世界のことですよね。いったい、どういうことなんですか?」
 遊の言葉に、重々しく首肯して美香音が話を続ける。
「この世界も、もう一つの世界も、全て私のような存在が作り出した同一でありながら異なる創造物なのです。言わば、ゲームと同じような物。でも、私達、創造主でさえも完璧なものを作ることは出来ない。バグは、少なからず何処かで発生してしまうものなんです。
 そのバグの所為で、決められた行動理念から外れた異世界の住民達が別に世界を乗っ取ろうとしています。本来、二つの世界が繋がる前にバグを修正すべきはずだったのですが、そこでとある問題が起こったのです。
 それは、世界を不要なものだと思う、古代 遊なるあなたの自由意思が創造主たる私の意志に介入してしまったこと」
「それって……俺が、あなたの邪魔をしてしまった、ということですか?」
「いえ、世界同士の穴を埋めることが阻害されたことは確かですが、あなたの自由意思を尊重してしまったのは私のミスだった。だからこそ、強制的に私がバグを修正するのではなく、あなたに選択の権利を与えることにした。
 でも、その前にあなたの考えを改めさせるつもりで、異世界の方で重要な役割を果たす五人をあなたと出会わせたの。最初は、私だけであなたの荒んだ心を癒そうとしてみたけど、力足らずだったことは認めます」
 創造主と名乗る少女の言うとおりなら、遊が異世界から来た五人に出会ったのは偶然ではなかったことになる。
 以前感じた必然性は、当たっていたわけだ。
「で、俺にどうしろというんですか? 皆と一緒に戦えばいいんですか? それとも……」
 言葉も途中で、美香音が遊の前にそれを突き出す。
 それは、MD程の大きさをした円盤だった。異世界から彼らを呼び出した、あの鍵となるべき円盤。
「これをあなたに託します。ここでこれを壊して、世界の破滅を待つのも、壊さずに皆の下へ持っていくのも、あなたの自由です。さあ、選んでください。一つ忠告しますが、そのまま持っているのならば、敵はそれを壊すためにあなた達を狙ってきますので注意してください」
 美香音の忠告を聞きながら思案する。
 この円盤を壊してしまえば、創造主と名乗る少女の思い描く元の世界は永遠に失われる。皆の下へ持っていけば、何らかのイベントが発生して元の世界へ回帰できる。
 要約してしまえばそんなところなのだろう。
 答えを見出すなど、相対性理論やフェルマーの最終定理を予備知識なしで解くよりも簡単なことだ。
 だからこそ、遊は迷っていた。
 自分の双肩に世界の未来が委ねられることがどれほど重く、苦痛であるかを分かち合えるものはいないだろうか。
 誰も居ないのだから、仕方が無い。そんな他人事のような言葉で今の心境を片付けられたのならば、片付けた奴を殴り倒したい。
 それでも、遊はしばしの逡巡の後、二択しかない選択の答えに行き着く。遊が選ぼうとした未来、一度しか選べない運命の分岐は――。
「さようなら、皆。皆に出会えて、本当によかった。だから、次も会えたら良いと思う……」
 叶わぬはずの願いを、最後の消え行く彼らへの追悼として呟く。
「天斬さん、多分、皆に会っていなくても俺の答えは変わっていなかったと思います。でも、彼らに出会えたから後悔せずにこっちを選べたんだと思う。それだけは、お礼を言いますよ」
 そう言いながら前へ進み出て、遊はおもむろに円盤をフェンスのない屋上の淵から投げ落とす。
 枯葉のように舞い落ちてゆく円盤が、戻れない時の流れに従って姿を小さくする。気がつけば、気がつくまでも無く、円盤は八階下のアスファルトへと吸い込まれていた。
 彼らと出会う前に考えたことがある。時間という不条理な概念。昔の人が数字的な基準を設けなかったとしても、何らかの行動が進んで行って戻ることが出来なくなるのはこの世で唯一絶対の理なのかも知れない。
「そう、あなたはそっちを選ぶのね。どうして私は、あなたのような己の意思さえも貫けぬ男も思いを尊重してしまったのかしら。それだけ、創造主である私にも理解できないわ」
 傍らまで歩いてきた美香音が、クスリッと自嘲とも苦笑とも取れぬ不適な笑みを浮かべる。
 怒っているわけではないことに、一安心する遊。
 誰がなんと言おうと、遊はこの選択が間違えていなかったと胸を張って言える。遊に選択権が委ねられた時から、答えは決まっていたのだから。
「さぁ、あなたも悔い無きように先へ進みなさい。残された時間は少ないわ」
「その前に……」
 遊は美香音に向き直ると、予備動作なく拳を振り上げる。
 踏み込んでから繰り出すものに比べれば威力はそれほど無かったにしても、年相応とは思えぬ筋力から発揮される膂力は大きなものだった。
 顔面骨折ぐらいは追いかねない拳の一撃が、目の前に立つ奴の鼻先を見事に穿つ。
 戸惑ったものだろう。無表情な顔に、焦りに似た驚きが浮かぶのがわかる。美香音は驚きのあまり、悲鳴を伴って屋上のタイルの上に尻餅をついてしまう。
「ふぅ……。やっぱり、痛いな……」
 殴った拳をプラプラと振りつつ、自業自得とも取れる呟きを漏らす遊。
 美香音は、何が起こったのかさえ理解できない様子で遊を見上げる。まあ、後ろを振り向くだけで理解するのに数秒といらなかったが。
「気づきませんでした。まさか、私が『魔種』の接近を許していたなんて。その上、あなたには驚きましたよ。彼らにさえ倒すのが難しい<幻魔>を、初っ端から殴り倒すなんて……父親譲りの格闘センスは見込み違いじゃなかったわけですね」
 創造主なだけあって、この世界に居る人間のプロフィールを熟知しているようだ。
 昔、空手の大会か何かで優勝を果たした父、正史から習った空手のことを知っているらしい。
 不思議な話だと、遊自身も思う。
 これだけの力がありながら、この力を振るうことを恐れていたのはどうしてか。でも、今ならば恐れはしない。
 今ならば、この力を自分のために、本当に得たかった未来のために振るうことが出来る。
 遊は、拳を握り直して深呼吸する。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。早く、皆の下へ行かなくてはならない。
 さっき遊に殴り倒された<幻魔>とやらは何処かへ姿を消していた。瞬間移動に似たことが出来るらしいが、行き先は誰に聞かなくともわかっている。
 美香音を立ち上がらせると、別れの言葉も無くして階下への階段に向けて走り出した。
 最後の戦いが、ここに火蓋を切って落とされる。


SAVE[:最後の戦い、そして……


 住宅街に木霊する斬撃と銃撃。中東アジアの市街地戦を思わせる光景が、日本の平和な商店街で繰り広げられていた。
 絶え間なく残響する銃撃音は、拳銃なんて霞んでしまいそうな大型のライフルを構えたペルナが繰り出すものだ。
 <影猿>が持ってきたアタッシュケースの中で眠っていた、ペルナの愛銃が容赦なく<牙人>を蜂の巣にしてゆく。
 数十体はいたはずの<牙人>を瞬間的にほぼ零へと帰し、満足げに鼻息を荒げるペルナ。
「こっちは終わりましたよ。そっちはどうですか?」
 敵を殲滅し終えたことを確認して、少し後方で戦闘を繰り広げるディンに声をかける。
 ペルナと同様、<影猿>が持ってきた愛剣を振り回し、十数分の戦いを続けても汗一つかかずに敵をなぎ倒してゆく。
 ヌラリッと鮮血を纏わりつかせる大剣は、炎の刃に比べて数段と切れ味が鋭い。
 いや、それも当たり前のはずだ。
 それほど刀剣には詳しくないペルナでも、ディンの使う大剣が通常の鋼で作られたものではないことぐらい予想がつく。
 鋼色の中に混じる、淡くも力強い赤がその証拠だ。噂に聞いただけだが、多分、それは異世界にも無二とないと伝えられた伝説の剣。
 ただの伝説かと思っていたが、まさか神族の巫女に仕えるディンがそれを持っていたとは驚きだ。
「こちらもそろそろ終わります!」
「分かりました。後方支援が必要なら言ってくださいね。まあ、必要ないとは思いますが」
 少し腕の立つ剣士ならばそれほど苦労せずに倒せる<牙人>相手に、あの『煉獄龍剣"インフェルノグラス"』を持ったディンに援護が必要とは思えない。
 どういった剣なのか説明は詳しい割愛するが、龍族の鍛冶師が打ち上げたと謳われる伝説の剣と言えば良いだろう。
 と感心している間に、ディンは残りの<牙人>を血沼に静めて剣を鞘に収める。
「さあ、ぐずぐずしている暇はありません。早く皆さんと合流して、どうにかしなくては」
「分かってます。僕の魔力も大分回復してきましたから、面倒な時は一発で蹴散らせますよ」
 ペルナの軽口にディンは苦笑を返す。
 二人は他の仲間達がいると思われる方向へ走り出す。案の定、屍の横たわる地面に座り込んで休憩を取っているレイの姿を見つける。
 が、声をかけようとする寸前だろうか。唐突に、頭の中に聞き覚えのある声が響いてくる。
 ディンやレイも同じなのか、虚を突かれたような顔をした後に頭を抱えて顔を見合わせる。
「これは……? ペルナさんも、ですか?」
「はい。多分、これは今朝の少女の……」
「お前ら、来てたのか。しかし、この声は何なんだ?」
 三人寄れば文殊の知恵とは言いつつも、唐突に頭の中に声が響いてくる理由について思い当たるのは無理ではなかろうか。
「とりあえず、残りの二人と合流しよう。こんな声、無視するか聞きながら走ればどうとでもなる」
 レイの提案に、ペルナとディンは居候するマンションへ続く道を再び走り出す。
 その二人も、ほとんど廃墟となった住宅街に満身創痍といった風な容貌でへたり込んでいた。
 肉体が消し飛んでいる亡骸や、原型を留めていない子供が遊び終わった後の人形のような死体を前に、どんな戦いがあったのか疑いたくなる。
「おう、遅いぞお前ら……。レディーを待たせるとはなってないな」
「そうですよぉ〜。あ、レイさん、武器ありがとうございます」
 これぐらいの軽口が叩けるのなら、まだ充分に戦えるだろう。
 全員の安否を確認して、今度は頭の中に響いてくる声の方に意識を向ける。
『私はこの世界と別の世界を作り出した者。あなた達、人が、神や創造主と崇める存在。皮肉なものですよね。偶像だと思っていた存在が、どこにでもいる一人の中学生で、こんな都会とも田舎とも言えない辺鄙な街に住んでいるなんて。
 ごめんなさい、どうしても余計な事を言ってしまう癖があるみたい。続けるけど、あなた達に求めるものは二つだけ。そのうち、一つを選んでもらう形になります。この世界を救うか、この世界を滅ぼすか。そのどちらかを……』
 納得できるわけではないが、今のところ信じられるのはこの声だけのようだ。
 遊と話しているのであろう少女の声に耳を傾けながら、五人は思い思いに現状への感想を体言する。
 誰かは呆れたようにため息をつき、誰かは馬鹿げていると言わんばかりに肩をすくめ、誰かは武器を肩に担いで苦笑を浮かべる。また、誰かは真実なのかと怪訝そうな表情を作り、誰かは理解できていないように小首をかしげる。
『この世界は今や、人無き世界へと移り変わろうとしています。私が作り上げた、もう一つの世界に乗っ取られようとしているから』
 こんな現状ではなければ、妄想癖に取り付かれた頭のおかしい少女とでも片付けていただろう。
 いや、こうやって五人がそろって頭の中で声を聞いているのだから、只者ではないことは理解できなくも無い。
「さてさて、俺達はどうするべきだと思う?」
 レイが、誰ともなしに問いかける。
「私は、この世界を救う道をとりましょう。この世界にやってきたのが偶然ではないのなら、救うことが神の思し召し……いえ、あの少女が決めたことなんでしょうね」
 と、ディンが剣の柄の握りながら答える。
「私も、一緒に戦います! ここで逃げたら、またあの時と同じに……」
「リーナが行くなら、私もいくよ。まあ、誰も行かなくても行くつもりだったけどね」
 決意をした熱い瞳で答えるリーナの肩に、マナが手を置いて賛同する。
「この世界は、僕が変わるべきための世界なんですから、見捨てて逃げるわけには行きませんよ」
 すかさず、ペルナも賛成の意を示す。
 最後に、レイがため息を吐いて首を横に振る。
「本当にお人好しばかりを集めたもんだな。こうなることを予想していたとしか思えないぜ。満場一致ってことは、否応無く俺も着いていかなくちゃならんわけだ」
 元から一緒に来るつもりだったくせに、と内心で毒づく他の四人。
 本当に、反対意見が無いことを見越した上での人選だ。とんだ神様だ、と呆れるしかない。
 話し合いの末、満場一致でこの先の行動が決定する。
 向かうは、遊が待つ所だ。
「ここならそれほど離れていないけど、あいつら大丈夫なのか?」
 頭の中に声が聞こえている限り、遊と創造主の少女の安否は確認できる。
 だが、自分達がたどり着くまで『魔種』に教われないという保障は無いのだ。
「創造主さまがご一緒なんだぜ、襲われるほど馬鹿でもあるまい」
 その創造主が自分達のように戦う術を持っているのか。まず、その辺を気にした方がいいと思う。
 こんなところで悩んでいる方が、無駄に二人を危険に曝すであろう。そんなわけで、少女の声を聞きながら五人はマンションへ向かう。
 それほど走ることも無く、マンションは目の前に見えてくる。と共に、少女のものではない声が頭を駆け抜ける。
 ――早く!
「遊君の声?」
 逸早く声の主を言い当てるリーナ。
 創造主の声以外はこっちには聞こえないはずなのに、なぜか遊の声が聞こえてくる。
 ただの聞き間違えかと思ったが、リーナにも聞こえていたということは空耳ではないのだろう。
 何を急げというのだ。
 そう思った時、マンションの屋上に佇む遊の姿を見つける。
 遠目には少し分かり辛いものの、遊が屋上から何かを落としたのが分かった。
「あれを受け取れって事ですよね? 多分、この世界を救うために必要な石版ですよ!」
 遊の意図を察したリーナが、舞い落ちてくる円盤に向かってダッシュをかける。
『そう、あなたはそっちを選ぶのね。どうして私は、あなたのような己の意思さえも貫けぬ男も思いを尊重してしまったのかしら。それだけ、創造主である私にも理解できないわ』
 違う。遊は滅びの道を選択するような少年ではない。
 遊からでも、五人がこっちに向かってきているのは知っているはずなのだから、何かを願うような表情で自分達を見つめないだろう。
 その願いを無駄にしないために、リーナが地面へ吸い込まれようとする円盤に向かってダイブする。
「届けぇっ!」
 気合と共に、リーナの手が円盤を掴む。
「……間に、合った」
 深い息を吐き出して、リーナが屋上にいる遊を見上げる。
 やっぱり、円盤を拾って正解だった。リーナを見下ろしながら、握った拳の親指を立てて微笑む遊の姿が見受けられる。
 直ぐに姿を消したが、これをもっている限りは敵が狙ってくるのはこちらの五人ということだ。
「さあ、気を張りなおしていくぞ!」
『オォーッ!』
 マナの掛け声に合わせて気合の声を上げる。
 何が起ころうとも、今の彼らを止めることが出来るものはいない。保証も確信も無い、それなのにそんな気持ちだけがヒシヒシと伝わってくる。
 そう、世界は彼らに委ねられているのだから。
「いきなりだが、お客さんのご登場だぜ。どこのどいつか知らんが、けったいな格好をしてやがる」
 皆の気合に水を差すように、目の前に現れた敵にレイが気づく。
 暗雲しか見えない空間を裂いて、ヌッと姿を現す異形と呼べぬ異形。レイの言うとおり、確かにけったいな姿形をしている。
 ボーリングの玉にゴムのベルトを大の字にくっつけただけのような、子供の工作よりも稚拙な姿をした『魔種』。
『……』
 意外な容姿の敵に、一同は言葉を失って立ち尽くす。
「これが、<幻魔>なのか?」
「私も始めて見ましたけど、もう少し禍々しいものを想像していました」
「まあ、『魔種』にだっていろいろな格好があるさ。人間だって、一様じゃつまらんだろ」
「確かに<幻魔>であることに違いはありません。でも、私が知っているものとは感じられるものが違います」
「リーナさんは、<幻魔>を見たことがあるんですか? 優秀な戦闘経験者が集まる『荒ぶる雷神』にさえ、<幻魔>を見たという人はいなかったのに」
 強敵の登場に、皆はそれほど緊張感の無い事を口にする。
 異世界の方でも<幻魔>を見たという人物は少なく、本当に実在するかも疑われていた。ましてや、こんな単調なスタイルのモノが<幻魔>だと言われても納得が行かない。
「私が知る限り、多分、この<幻魔>はさほど高位の<幻魔>ではありません。もっと上のモノなら、私達がここまで冷静に居られるわけがありませんからね」
 リーナだけは、それが<幻魔>であることに納得しているようだ。
 それよりも、リーナはもっと高位に立つ<幻魔>に会ったことがある様子だ。レイはレイで、皆を横目に他の何かに納得したような仕草をする。
「こいつが本物か偽物かなんてどうでもいいさ。私達の前に現れた以上、倒さなけりゃいけない敵ってことだろ」
 極論を言ってしまえば、マナの言うとおりである。
 そして、先手を打ったのは常に戦術なんて考えて居なさそうなレイだった。
「『影刺"シェイドピアッシング"』」
 いつの間に『魔術言語』を唱えていたのか、手を振りかざすと共に地面に伸びた影が鋭い刃となって突き出る。
 が、<幻魔>は瞬時に空間へ消えて影の刃をかわす。
 あの不意打ちで当たらなかったのは意外だが、悔しそうに舌打ちするレイは放って置こう。
 それにしても、<幻魔>が空間を移動するというのは話しに来た通りだ。
「ペルナさん、後ろです!」
 リーナの声が聞こえたかと思うと、振り向くのが早いか遅いか、どす黒い球体が眼前へ迫ってきていた。
「うりゃっ!」
 かわし切れないかと諦めかけていたところを、伸びてきた砂の鞭が球体とぶつかり合って消え去る。
「助かりました、マナさん。それにしても、どこから来るのか検討がつきませんね」
「出来る限り、皆で援護できる体勢に広がるんだ! 五対一なんだから、私達の方が有利だ」
 ゲリラ戦を熟知しているらしく、マナは他の皆よりも冷静で正確に行動を取る。
 どこから攻撃が飛んできてもすぐさま守れるように砂の鞭を作り、皆との距離を一定に保って警戒し続ける。
 ペルナは背後からの攻撃に備えて壁を背にしている。ディンとリーナは背中合わせに警戒しつつ、レイだけが一人で皆から距離を置く。
「レイさん、そんなところに立っていたら攻撃してくださいと言っているようなものです。頭の後ろに目がついている……」
 言いかけて、ペルナは気づく。
 レイがなぜ一人で危険な体勢を取っているのか。それは、敵をおびき出すための囮になっているからだ。
 警戒し続ける相手を前に、ノコノコと姿を現すほど敵も馬鹿ではない。
 ならば、一箇所だけ守りを弱くしておけば敵はそこを隙だと思って攻めてくるかもしれない。
「俺に当てるんじゃないぞ。ノーコンなんかしたら、その場で交代させてやるからな」
「分かってますよ。あなたに信用されたところで、僕としてはそれほど嬉しくはないんですが」
 レイの揶揄をあしらい、苦笑ともつかぬ笑みを浮かべるペルナ。
 いつもは保身が第一のような物言いの癖に、何かがあると自分よりも仲間のことを優先しようとする恥ずかしがり屋な男なのだ、レイという男は。
「何を笑ってるんだ? 気色悪いからやめろ……」
 何処か気恥ずかしそうな表情をするレイ。
 本当に素直じゃないとつくづく思う。
 と、そんなことを考えている間に、レイの背後にボーリング頭の<幻魔>が姿を現す。
「現れ方が単純過ぎますよ! あなたの方が、攻撃してくださいと言っているみたいです!」
 ライフルを構え、コンマ数秒で狙いを定めて引き金を引く。
 現れるところが予想できていれば、それだけの行動を取るのぐらい達人級の腕前を持つペルナには朝飯前なのだ。
 だが、相手方もそうは問屋が卸さない。
 敵が現れたのは、ペルナの予想に反してレイの背後ではなかった。いや、誰の背後ですらなければ、実物ですらない。
「それは偽者だ! 気をつけろ本物は上……!」
 銃弾が虚空を切った直ぐ、誰が叫んだのだろう。
 中途半端な叫び声だけが轟いた瞬間、まるで凍りついたかのように周囲の動きが止まる。指の一本さえ動かすことが出来ず、ただただ視線だけを漂わせてその光景を目の当たりにしてた。
 リーナの頭上に漂う暗黒色の球体を見つめて。
 数センチしか離れていない球体は、時間が動き出すとの同時に確実にリーナを捕らえるであろう。だから、皆は思っていた。
 この時が、ずっと止まったままで居てほしい、と。
 しかし、それは叶わぬ願いであった。無情にも、走馬灯を終えた時は何事も無かったかのように動き出す。
 誰もが、一瞬の諦観を脳裏に描く。そう、本当の一瞬。
「ライ・ティールト!」
 リーナのものではない、ソプラノボイスが高らかに響く。
 球体とリーナの間に展開された光の立体三角形を、そこに居た誰もが奇跡を見たかのように見つめる。
「異世界から呼んだ存在とは言え、創造主の私がこの世界の人間の命を救う事は禁止されているんだけどね。あなたに死なれたら、この世界が終わってしまうから」
 いつの間にここまで下りてきていたのか、創造主こと天斬 美香音がそこに居た。
「天斬さん、早すぎますよ……。ほんと、創造主って便利な存在ですね」
 律儀に階段を駆け下りてきたのだろう、息を切らせて肩で呼吸をする遊が皮肉を口にする。
 美香音はそんなこと気にせず、唖然とするリーナ達に振り向いて微笑みかける。
「後はあなた達に任せます。空間の空洞は塞ぎましたから、今のあいつはどこにも逃げることができません」
 言い終えると同時に、美香音の体が徐々に色を失ってゆく。
 皮膚の色素を差すものではなく、言葉の通りに体が透明になっていくのだ。
 それが創造主としての禁忌を犯した結果だと言うことは分かっている。
 けれど、誰も別れを惜しんだりはしない。付き合いが短かったから、などという非情な理由ではない。
 強く、何よりも強く、五人――遊も含めて六人が、うなずく。
 あっさりと、何の形見も残さずに美香音が消えた後、各々がそれをつぶやき始めた。
 最後となる、終章の言葉を。
 遊は握った拳を<幻魔>に向け、親指と人差し指をまっすぐに立てる。
「くたばれ。お前は、この世界に要らないんだよ」
 指鉄砲を、軽く跳ね上げる。
「『轟ッ!!!!!!』」
 既に言葉として発音されていない歌声が、五つの力の奔流となって<幻魔>を打つ。
 倒したのか、倒していないのか、結果は分からない。ただ、眩い光だけが遊の視界を埋め尽くした。


 気づいた時、遊は見覚えのある空間を漂っていた。
 そこは、夢の中で見た暗闇の世界。月を見下ろす漆黒の世界。
 ――ここは?
 知っていても、遊はそんな呟きを漏らす。
 ――分からないけど、多分、私達の知っている世界。
 ――異世界とお前の世界を繋ぐ異空間ってところかな。
 リーナとマナの声だけが、耳朶を優しく撫でる。
 皆、ここへ来ているようだ。
 ――良く分からんが、俺達の役目は終わったみたいだな。
 ――もう少し一緒に居たかったけど、もうお別れのようです。
 ――私達は、これで向こうの世界に戻りますが、忘れないでください。
 レイ、ペルナ、ディンの声。
 遊は、声に出さずとも思っていた。
 別れたくはない。もっと、ずっと、傍に居て欲しい。
 まだ皆が居なくては、自分は弱いままなんだ。
 ――そんなこと言わないでください。
 心の声を聞き取られてしまったのか、リーナが少し寂しそうに言う。
 きっと、自分が思っている以上に自分は強いのだ。自分の殻に閉じ篭り続けることの無いほど、自分は強い。
 ――どこに居ようと、私達はお前の味方だ。仲間だ。家族なんだ。だから……。
 ――忘れません。何があっても、あなたのことは忘れません。
 マナの言葉を継いで、ペルナが確信に道が声音で続ける。だから、遊も絶対的な確信を持って答える。
 僕も、忘れません。
 そして、別れの時は来た。
 ――さようなら!
 みんなの声が、五人の声が何よりも雄弁にそれを物語る。
 その瞬間、再び光が意識の中をフィードバックする。最初の時のような、辛いものではなく。とても、とても優しい光だった。


SAVE∞:新たなる遊戯


 夏が過ぎ、秋が訪れ、冬が暮れ、再び春の日差しが降り注ぐ季節。桜が咲き誇り、街を薄い桃色で染める。
 田舎とも都会とも言えぬどこかの街に佇む、白い壁をした真新しいマンションの階段を駆け上がり、一人の少年が帰宅を果たす。
 いや、もう一人、少女が遅れながら後ろをついてくる。短目に切りそろえたオカッパ調の髪を、黄色のカチューシャで纏めた少女。
 少年が階段を上るのが早い所為か、少女は息を切らせながら精一杯付いてゆく。
「遊君、早いよぉ〜」
 少女の声は聞こえない。
 何故か、新学期が始まって直ぐの今日に限って早く帰りたかった。
 それだけの理由で、涙目になって訴えるクラスメイトの声を苦笑一つで受け流しながら階段を上る。
 はっきりとは覚えていない、だた薄っすらと記憶しているたったの実際に一日すら経っていないあの日から、遊は学校に行くことにした。
 夢だったのか、名前すら覚えていないのに、覚えている彼らにたくさんの勇気をもらった。何も恐れぬ、本当の強さ、勇気を。
「ただいま〜!」
 帰宅の挨拶が、誰も居ない部屋に木霊する。
 少し寂しいが、悲観することは無い。姿はなくとも、そこには五人の住人が出迎えてくれているのだから。
2007/06/21(Thu)21:21:52 公開 / アドミット
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■作者からのメッセージ
はい、忙しいながら、スランプ気味に終わらせてみました。語るべきところが語られずに終わっている上に、端折った感じで終わってしまいました。
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