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『Reset』 作者:藍川サイ / SF 未分類
全角15457文字
容量30914 bytes
原稿用紙約49.6枚
死をリセットし、何度でも生を授かることができるセカイ。 そのセカイの、とある学校で流行る殺戮事件に巻き込まれた私は──。一章完結の短編小説。ややグロテスクなシーンを一部に含みますので、そういったものが苦手な方はご注意ください。
 西暦二〇六五年。
 という年月の数え方には、少し抵抗がある。
 キリストの誕生した年から、よくもまぁ二十世紀以上にも渡って数え続けたものだと感心はするけれど、この世界は半世紀も前にそのカミサマとやらに喧嘩を売っている。
 あるいは、冒瀆。
 全ての生物は、一度きりの誕生と一度きりの死亡から成り立つ、小さな存在のはずだった。生まれる自由は与えられず、死に方は必ずしも選べない。
 けれど、神のみが生死を司っていた過去は、人間により覆されていた。
 一度の死に伴う、一度の誕生。二度の死に対する、二度の輪廻。三度の死に値する、三度の背徳。
 死を再転(リセット)し、生を再転(リセット)する禁断の技術──人体複製技術は、長い時を経てごく一般的なものとなっていた。
 事故で死んだひとが、事件で殺されたひとが、直前の記憶を辿って甦ることが許された世界。それが、今のセカイだ。
 私は、そんなセカイに神がいるなんて思えない。だから、西暦なんて数え方は不適切なんじゃないか、と。
 もしこのセカイに神がいるというのなら、それはたぶんマイナス方面の連中だけだと、つくづく考える。
 人が何度でも生き返る術を持つということは、何度でも死ぬことができるということだからだ。
 まぁ、そう何度も何度も死ぬようなシチュエーションはなかなか珍しいので、複数回の死亡については省略。少しだけ話を戻そう。
 人が何度でも生き返る術を持つ、ということ。つまり〈死の許容〉は、お金で手に入る。それは一度につき二百万から三百万円と、ひとつの魂を再構成するにはあまりに安く、同時に〈死〉というものの軽視に繋がる。
「生き返る」という行為があまりに簡単がために、「殺す」という行為があまりに簡単に行えてしまうのだ。
 死んでも生き返れる。殺しても、甦る。
 そしてそれにより頻発する、死亡事故と殺人事件。
 特に、私が通う栄稜大学付属第一高等学校で最近になって多発している殺人のことを、生徒たちは《再起動(リセット)》と呼んでいた。
 それは、世間にとっては新聞の片隅にすら載せる必要もない、些細な事件。
 ムカつく人間は殺せばいいという、単純な概念から起こる殺人。
 殺してもどうせ甦るという、罪悪感を微塵も生まない社会の仕組み。
 だから誰かが死んでも、他の誰かが何を思うこともない。
 だから目の前で兄が死んでも、私が何を思うこともない。
 当然だった。
 階段から転落し、割れた額から血が沸くように流れ、耳から朱が漏れ、見開いた目が虹彩が瞳孔が焦点が合わないのに血が流れ私を見上げて光を失って血が流れ差し伸べられた手がボテッと情けない音で力を失い血が流れコンクリの地に落ち痙攣していた脚が腕が肺が心臓が動きを止め血が、止まる。
 ひとつの死を目の前にして、私は声のひとつもあげなかった。
 どうせ明日になれば、兄の死は再転(リセット)されるのだから。

   †

「へぇー、これが再生印かー」
「まじまじと見ないでくれ。なんか情けないから」
 兄のうなじに記された刻印を、物珍しげに眺め回す。舐めるように、という表現を思いついたら実際に舐めたくなったので、何も考えずに舐めてみる。
「しょっぱい」
「舐めるな! 兄妹で気持ち悪ぃから! つーか、甘かったり辛かったりしても困る!」
「いや、フルーティーな味わいの明(あきら)兄(にぃ)とか、商品価値どうよ?」
「光速で却下。それはたぶん、人間じゃねぇ」
 くだらない言葉のキャッチボールが、いつもの感覚と全く違わない。
 一昨日死んで、昨日の夜に蘇生の手続きが完了した明兄は、まさしく同一人物だった。
 唯一違うのは、約一日分の存在時間と、うなじの再生印だけ。
 簡単に言えば、ゲームと同じだ。死んだら、セーブしたポイントから最スタート。その回数が記録されるように。
 生前に記録しておいた身体データと脳の記憶データを再生し、細胞から再構成した身体と重ね合わせる。保険とかの問題がいろいろ面倒なので、うなじに死んだ回数を刻まれて。
 たったそれだけのことだ。
 たったそれだけで、死んだはずの明兄は帰ってきた。
 生前のセーブポイントを基準に甦らせるから、本人は事故当初の記憶を持っていないが、それでも自らの死を受け入れた明兄は、私が思っていたよりもずっと冷静だった。
「あー、俺、死んだのか。情けねぇ」
 家族の見守る前で目を覚ました明兄の第一声である。心配なんて微塵もしなかったとはいえ、「心配かけたな」くらいの台詞は社交辞令だと思うんだけど。
 それでも三百万の出費は、一般家庭にとってとんでもない痛手なんだから、そちらに対する謝罪くらいは必要じゃないだろうか。もうそんな空気はどこにもないので、今更すぎる気もするけれど。
「さて、と。明兄がしょっぱいことも確認できたし、そろそろ学校行く準備しないとねー」
「おう、行け行け。そして噂の《再起動屋(リセッタ)》に殺されろ」
「それはないね。明兄と違って、私は日ごろの行いがいいから、殺されるような恨みは買っちゃいないのさー」
「嘘だな。今の発言が癪に障ったことで芽生えた俺の殺意を、証拠品として提示する」
「できるもんなら、さぁどうぞ」
 私の言葉を切り返したつもりだったろうが、さらなる反撃に言葉を詰まらせる明兄。言葉で私に勝とうなんて、兄だろうが親だろうが百年早いね。その頃には私も死んでるだろうから、誰でも不戦勝できるよ。
 困ったような参ったような、いつも通りの明兄の視線を後頭部に受けながら、部屋を出る。後ろ手に扉を閉めてすぐ脇の階段を降りると、居間から芳しい朝の香りが漂ってきた。
 食卓の上には、ふっくらと炊かれた白米。その右隣にハムと卵を焼いただけの簡易なおかずが並び、左奥には大根の味噌汁が慎ましやかに鎮座している、いつもの光景。
 毎日がコレで飽きない理由は、不明だけど。
「あれ、父さんは?」
 時刻は七時数分前。いつもならば一足早く食事を済ませた父が、食休みを兼ねて新聞を斜め読みしているはずなのに、今日に限ってそれがなかった。
 すでに片付けられた──いや、最初っから用意されなかった朝食は、ことの発端の時点から存在していなかった。
「あ、まだ帰ってきてないんだ……そんなに〈再転〉の事後処理って面倒なの?」
 いただきます。と、手に取った箸を白飯に突き立てながら呟く。
 一応は聞いてみたものの、素朴な疑問に対する母の解答なんか聞いちゃいない。今日も絶妙なご飯の炊き具合だとか、卵はやっぱりヨード卵だよねだとか、今日の大根は短冊切りだーだとか、そんなことしか考えてない。我ながら低脳。
 テレビの天気予報をテキトーに聞き流しつつ食事を終え、ごちそうさま発言。私が椅子から起立すると同時に、私服に着替えた明兄が階段を降りてくる足音が耳に入ってくる。これもいつも通り。
 入れ替わりに階段を駆け上がり、自室へ飛び込んで鞄を引っ掴む。毎朝、明兄を叩き起こしたときに髪を整えるのが習慣となってしまったために、気付けば私の部屋の鏡は汚れ放題で使い物にならない。気にせず覗き込んだ先にくすんだ自分を見つけ、笑顔の練習。うん、今日もいい感じに不自然だ。完璧。
 一分と部屋に留まらず、再び階段を駆け下りる。居間ではマイペースな明兄が、彼しか食べない納豆を箸でぐちゃぐちゃと掻き混ぜていた。あれのどこが美味しいんだか、世界中、史上も含めた偉人を掻き集めて論議させてみたい。日本中の、ではなく、世界中の、というのがミソね。
「それじゃ、いってきまーす」
 軽い跳躍から、両足で着地するように革靴を履く。二年以上も履き続けているせいか、踵が少しきつくなってきた気がする。靴擦れが出来る前に買い換えないと、と心の裡で呟きながら、玄関の扉を開け放つ。
 正面からは、清々しい朝の風。背中には、いってらっしゃいの家族の声。

   †

 栄稜大学付属第一高等学校──通称、栄一校の門構えは、はっきり言ってショボい。
 内側から外へとかけて製作を進めていたところ、最後の最後で予算が引き下げられてしまったのではないか、というのが生徒たちの噂である。
 まぁ、どうせ事実なんだろう。
 いつぞやか、同級生の死体が吊るされていた校門の下をくぐる。校章に残る縄の痕と床に染み込んだ血糊の痕が、ショボい校門を色づけている。
 ちなみにそのときの被害者の名は、昭島鶫(つぐみ)。私の小学生時代からの友人であり、今のクラスメイトでもある彼女は、たった今でも私の右横を歩いていた。
「もう、三ヶ月も経つんだねー」
 あたしが死んでから。
 と、背後の校門を横目に振り返りながら、鶫が能天気に呟いた。
 彼女の場合、自分が死んだ地点から半日手前までの記憶が存在しないため、殺されたという実感が存在しないんだろう。
 明兄もそうだったし、その死の瞬間を眼前で目撃した私でも、そんな実感は微塵もない。
 このセカイでの死は、〈再転〉での修正ができない病死か老衰でしかありえない。あるいは、遺書を残しての自殺。まぁその場合でも、〈再転〉を熱望する遺族に遺書を隠滅されてしまえば、強制的に甦らせてしまうことも可能なんだけど。
 実際、そうして〈再転〉された例は、私の左やや後ろを無言で歩いている。
 多良木由香里。姓名占いが世界一面倒くさそうな名を持つ彼女は、約二年前からおよそ一ヵ月ごとに一回は死んでいる、自殺常習者だ。
 常日頃から鬱症状全開の由香里は、月末の生理と重なって九〇%以上の確立で死ぬ。その毎回が突発的なものなので遺書なんて残っていた例などなく、富豪の親により毎度毎度〈再転〉される。ちなみに最初の頃に二回だけ説得に応じてくれたのが一〇%で、あとは説得失敗か、誰も見ていないところでこっそりと死んでいた。
 その回数、驚くなかれ二十一回。
 このペースで死に続ければ、五年後にはギネスに登録された「七十九回〈再転〉した人間」の記録をめでたく更新できる計算だ。それまで破産しなければの話だけれど。
 いっそのこと〈再転〉しないで死なせてあげればいいのに──と安易に思えてしまうのも、このセカイの便利からきた弊害かもしれない。
 それでもたぶん、命の価値は昔と変わっていない。
 変わっているのは、死ぬことの価値。
「あ、見て見てー。誰か死んでるよー」
 ……ほらね?

   †

「今度は誰だー? っていうか、また〈再起動屋〉ー?」
 鶫の能天気声が、野次馬の奥へと消えていく。人混みからはみ出した長身の後頭部と由香里の鬱表情を交互に見比べるが、ふたりは互いにお構いなし。
 結局、由香里が無言で自分の下駄箱のほうへと夢遊病者のような足取りで歩いていったので、残された私も野次馬の一員に混ざることにする。
 顔見知りがひとりも見当たらないので、無言で強引に人混みへ突入。誰かの足を踏んだ感触があったけど、何も言われなかったので詫びの一言も言わない。
 臭いだとか汚いだとか、死人に対して散々なことを平気で言い放つ人工高密度帯を突破すると、探偵気取りで死体を観察する鶫がいた。真剣な表情だけど、長い付き合いになる私には判る。
 笑ってるね。
「むむ、両手の指が一本ずつ丁寧に落とされてますねー」
 見りゃ判るから。
「掌に刃物を突き刺して、貫通した刃の切っ先を下駄箱の隙間に挟んで固定。磔(はりつけ)にした痕ですなー」
 見りゃ判るから。
「あ、ほらほら。脇にも刺し傷見ぃつけたー。致命傷にならないように、臓器に刺さらないような絶妙な位置。職人技ですぞー」
 見りゃ判るから。
「あちゃー。右眼がないよー?」
 見りゃ判るから。
「左耳がないのって仕様? んなわけないかー」
 見りゃ判るから。
「ふむむ。これはきっと間違いなく〈再起動屋〉の仕業だねー」
 見りゃ判るから。
 今まであんたが口にしてきた全部が、〈再起動屋〉の犯行手口と完全に一致してる時点で、言われずとも判るから。
「そうだ、きっと犯人は、この中にいる!」
「はいはい。根拠不明で説得力皆無な無責任発言は聞かなかったことにしてあげるから、もう行くよ」
「あうー。ワトソンくん冷たいー」
「残念。私はジョン・ディクスン・カー派」
「なー、判んないー」
 再び人混みを抜けた私の肩に鶫の両掌の感触を覚えながら、見知らぬ誰かの惨殺現場を後にする。
 ちなみに私も、ジョン・ディクスン・カーがどんな探偵なんだかは知らない。明兄が好きだから私も上辺で好きなだけで、ぶっちゃけると水面下ではかっぱらぽっぴである。
 履き潰した革靴を校内履きへと替えて顔を上げると、覚束ない足取りで由香里が階段を上っていくところだった。

   †

 憂鬱な半日が終わる。
 すなわち、朝七時に起き、夜中二十四時すぎに眠る私にとって、学校の授業が全て終了する地点がちょうど半日になる。
 憂鬱からくる脱力感と開放からくる脱力感が重なって、ホームルームの全てを聞き流す。真面目に聞いているひとが何人いるのかも疑問な喧騒の中、ようやく担任が口を閉じ、日直が号令。その瞬間だけの静寂に続いて、いっそうの喧騒がぶり返す。
 すぐに帰宅したかったけれど、窓際の私には扉が遠い。今席を立っても人混みに詰まって立ち往生するのが目に見えているので、しばらくは机でくたばっていることにする。
「やふー、ジョンなんとかくん。今日は暇かなー?」
 今日という日、誰からも名を呼ばれていない気がするけど、気付かなかったことにして顔を上げる私。
 見上げた視線の先にいたのは、いうまでもなく迷探偵。
「至極、暇」
 無感情に答える。
「うん、それじゃちょいと付き合ってよー」
「嫌に一票」
「な、なんでよー、ジョンくんー」
 予期せぬ返答だったのか、鶫の顔に困惑の表情。てか、そのあだ名はやめれ。
「暇だって言ったじゃんー。たった今―」
「暇だけど、私は早く帰りたい」
「むあー、やっぱりジョンくん冷たいー」
 人混みが徐々に薄れていく中を、由香里が幽霊のようにすり抜けていくのが見えた。本当に透過してるんじゃないだろうか?
 それに続こうと席を立った私をどうにか勧誘しようと、なぜか必至な迷探偵がひとり。
「ねー、十分でいいからー」
「せめて一分」
「じゃー間を取って五分」
「仕様がない。二分ね」
「なんか妥協する地点が間違ってる気がしないでもないんだけど、気のせいかなー?」
「激しく気のせい。で、どこにどう付き合えばいいわけ?」
「うん、ちょっとついてきてー」
 私の眼前を追い越した鶫が、机の合間をすり抜けて駆けていく。そのさまは、今どき小学生みたいな高校生だった。
 その背中を、憂鬱まみれの私が歩いて追っていく。考えていることは、帰りたい、早く帰りたい、とにかく帰りたい。以上の三つだけ。

   †

 校内履きのまま屋上へ出る。吹き上げてくる風に煽られて、噤みの髪が逆立って暴れていた。
 球技をしても平気なようにボールの落下防止用ネットを天蓋に携える、なかなか広い屋上には、誰の人影もない。ただ私と鶫が、ふたりでぽつりと立っているだけ。
「なうー、風強いねー」
 髪を押さえようともせず、フェンスに顔を近づけて俯瞰風景を見渡す鶫。無邪気と取るか天然と取るかは、ひとそれぞれだろう。
 帰宅して明兄と戯れることしか頭にない私は、一向に用件を言い出そうとしない鶫の横顔を見ながら、感情のない声をかける。
「で、用件は何よ、〈再起動屋〉さん?」
 空間が凍結した。
 予期せぬ事体に、時間そのものが思考停止してしまったかのように。
 たぶん、その時点でとうに二分は過ぎていた。けれど私は身を翻して帰る素振りも見せなければ、改めて声をかけることもしなかった。
 やがて鶫が口を開くまで。
「いつ判ったのかな、ジョンくん?」
 いつもの口調に色彩が存在しない。
 ただ発言している、というだけの声色。
「冗談で言ってみたら、実は図星でしたという笑えない例」
 私の返答に、やっぱり鶫も笑わない。私だって笑えていない。
 冗談でも言っていいことと悪いことがあるとは、よく言ったもんだね。
 栄一高校の名物となった〈再起動屋〉が目の前にいて、その正体を偶然とはいえ暴いてしまった現状。私の死亡フラグが確定じゃないか。
「うーん……もうちょっと臨機応変にとぼけてればよかったのかな。あまりに唐突すぎて、できなかったよー」
 私へとまっすぐ向き直りながら、鶫が微笑みかけてくる。目だけが笑っていないのは、もはや改めて説明するまでもないだろう。
 そう、とぼけてくれればよかった。私は初めから、鶫を微塵も疑ってはいなかった。
 彼女は一度、〈再起動屋〉に殺されているのだから。
 しかしその矛盾と疑問も、不意に思いついてしまった可能性が全てを裏付ける。不気味に弧を描いた鶫の口が笑い、禍々しく細められた双眸が私を──否、私の後ろを見据えた瞬間に。
「そのつもりで呼び出したわけじゃなかった」
 振り返る隙は与えられなかった。
 数ヶ月ぶりに聞いた声がすぐ耳元で囁かれ、両掌を突き抜ける激痛に視界が朱に染まる。反射的に手を前へ逃がそうとするが、それの伴ってもう二本の腕がついてきた。
 私の両掌には刃。そこから伸びた柄を掴む二つの腕が、私の背後から伸びているという状況。私の思考がその意味を理解するよりも早く、内側へ畳むように両腕を強制交差させられる。
 激痛により力が入らないのをいいことに、掌から生えた巨大なアーミーナイフの先端が、肋骨の隙間を塗って私の脇腹へと突き刺さる。
 私は、悲鳴を上げることすら忘れていた。いや、そもそも悲鳴って何?
 声ってどうやって出すんだっけ?
「大丈夫。まだ致命傷じゃない」
 右手を左脇に、左手を右脇に縫い付けられた私の肩にそっと手を置き、まるで泣き叫ぶ赤子をあやすような声色で囁いてくる由香里。
 骨が錆びてしまったかのような感覚で、ギシギシという軋みが聞こえそうな動作で首を回すと、やっと振り向いた右眼が鋭利な切っ先を間近に認める。
 それは、慈悲のない残酷な一瞬。
 せめて何も知らぬ間に貫いて欲しかったと、なぜか冷静な思考が毒づいた瞬間には、すでに私の右眼は千枚通しに貫かれていた。
 自分の身に起こっていることを、脳内では冷静に実況しているけれど、だからといって理解していることには繋がらない。何が起こっているのか未だに判らないまま、眼孔内を掻き回される。
 意識が吹っ飛びそうな激痛が、右眼から全身へと響き渡る。弄られているのは右眼だけなのに、その痛みが神経を駆け巡って全身を軋ませる。
「ここでショック死しなければ、あとは大丈夫。最後まで死なないから。死んでも、あなたなら私が〈再転〉料金くらい払ってあげるから」
 背後の由香里による、冷酷な宣告。
 何が楽しいのか、その声には今までに聞いたことのないような喜びの色を含んでいる。
 左眼の前にゆっくりと掲げられた、血みどろの眼球。それを見た瞬間、たこ焼きをひっくり返す要領で右眼を刳り貫かれたのだと気付き、目から脊椎へ、背骨から全身へと怖気がひた走る。
「苦しいのは今だけだよー。〈再転〉したら、もう覚えてないからー」
 残された左眼だけで由香里が振り返れないので、正面の鶫を見据えるしかできない。その気になれば抵抗くらいはできるだろうけれど、激痛と恐怖に押さえつけられて、その気が起こせない。
 掲げられる鶫の右手。その指に掴まれているのは、家庭科の実習時間にしか見たことのないような、角張った巨大な裁ち鋏。
 それで何を?
 いや、想像はついていた。ただ、信じたくなかった。
「左眼の残しておくのは、最期まで恐怖を見ていられるように」
 由香里の声に合わせて、鶫の右手用に緩く屈折した鋏が、私の左耳にあてがわれる。それは違う。それはそんな使い方をする道具じゃない。やめてそれは──
「右耳を残しておくのは、最期まで自分の悲鳴を聴いていられるように」
 ズズ……という生々しい音を、激痛とともに左耳で聞いた。
 耳朶の下から、冷たい刃が肉を断っていく。やがて軟骨へと到達したふたつの刃は、それでも止まらずゴリゴリと耳を挟み進んでいく。
 耳元、という表現は、もはや正しくない。音を立てているのは、私の耳そのものなのだから。
 最後の音は、しゃきり。
 左の肩へと血を滴らせて落下した自分の耳が、まるで作り物のようにしか見えなかった。
「あとは、じっくり〈再転〉するだけ」
 鶫の声を、切り落とされた左耳が拾わない。鼓膜が破れたわけでもないのに、集音の役目を果たす耳朶がないだけで、何層もの膜に包まれたかのように音が掠れている。
 なんで、どうして私は動かない?
 声も出ないし、思考が暴走しかけている。
 私は確かに、以前から決めていた何かがあったはずなのに、肝心なときに思い出せない……!
「まずは右手の小指から。続いて左の小指を落として、右手の薬指に──あとは、判るよねー?」
 判る。そうして指を全部落としたあとは、胴体を滅多刺し。最後まで作業を終えた頃には、出血多量で死んでいる。
 そうなる前に、何かをしなければしなければシナケレバ。
 何を?
「何も考えなくていい。何もする必要はない」
 由香里の声が聞こえる。けど聞こえない。私の思考は、何を何を何を何を何を──
「明日になれば、全部忘れてるから。ねー?」
 ワスレテル?
 それはつまり、覚えていないということ?
「それじゃ、一方的過ぎるでしょ」
 やっと私の喉をついて出た言葉は、予想以上に冷静に紡がれた。
 そこでようやく口内に水分がまったくないことに気付いたけれど、構わず続ける。
「あなたたちは、いえ、世界は根本的に考え方を間違えている」
 右眼と左耳の激痛で舌が痺れているけど、今は無視。
「〈再転〉は、人間を甦らせるシステムじゃない」
 裁ち鋏をサバイバルナイフに持ち替えた鶫が、私の右手に突き刺そうとしていたソレをわずかに躊躇う。
 けれど私は止まらない。
「例えば今」
 鶫の両眼と、私の左眼の視線だけが交差する。
「私がこの後殺されるとして、〈再転〉される私には昨晩に保存したデータが使われるから、そのときまでの過去しか記憶に存在しなければ、それ以降に存在したという事実すら存在しない」
 存在という単語の連発に、鶫の頭上に疑問符が並ぶ。私には無関係。
「ここで問題。今ここで殺されかけている私は、〈再転〉後には存在しないことになっちゃうわけだけど、じゃぁ私は誰?」
 刃が私の右小指を抉る直前、鶫の手が完全に停止する。
 それは、私の言葉の意味を理解した証拠。
「そう、ここに確かに存在する私は、〈再転〉によって生まれてくる私とはイコールで繋がらない箇所が存在する。〈再転〉なんて、所詮はクローン技術の発展でしかないのよ」
「う、うるさい……」
「私はここで死ぬ。殺される。だけど生き返ることなんてない。ただ、昨日までの私と同じ姿かたちと記憶を持った別人が、私の代わりに未来を生きるだけ」
「関係ない!」
「だったら殺せばいいだけ。私は潔く次の私に未来を託して、ここで素直に死に絶えるわ」
 背後の由香里は、どんな顔でどんなことを思っているのだろうか。表情が窺えれば、もっといろんな話し方ができるんだけどね。
 鶫の双眸が、動揺に震える。自分の思考と概念を改竄され、迷っているのだ。
 この先、私を殺してもいいのだろうかと。
「さぁ、どうぞ殺して。もう私の話は終わったから」
 その言葉が引鉄になったようだった。
 私はもう、死ぬつもりでいる。今更生きることに執着するつもりはないし、あとは次に生まれてくる私に任せよう。
 指の切断を省略して、鶫によって振り上げられたナイフが私の胸に突き刺さる。
 しかし心臓を直接穿つことはなかったのか、意識がすぐに遠ざかるということはなかった。自分の胸から溢れてくる血が温かいと感じるほど暢気に、自分の死を楽観視することだけに専念する。
 そういう見方でもしないと、きっとこの恐怖に敗北してしまうから。
「あ、そうだ」
 喋ると同時に、口から血が溢れる。
 もちろん、構わず続行。
「最期に一個、やること忘れてた」
 自分の口の端が皮肉に歪むのを、無意識のうちに理解した。
 それはもはや、立場の逆転。覆されぬ死を目前に、翻った反逆の狼煙。
「こんだけ痛いんだから、ちょっとくらい仕返しね」
 両脇に縫い付けられていた手を、激痛を無視して振り上げる私。
 伴って引き抜かれたナイフを、刃を掴んで前方へ!
「い、ぎっ!?」
 咄嗟に身を仰け反らせたのは、幸運な偶然だっただろう。
 私の掌から生えた刃が、鶫の頬を駆け抜け、わずかに瞼を裂いて駆け上がっていく。初めから殺すつもりではなかったけれど、予定ほどダメージがなかったようで残念。
 まぁ、でも仕方ない。
 もう腕は上がらないし、瞼も重くなってきた。
 うん、仕方ないね。
 私は死ぬ。今ここで。
 明日以降は、〈再転〉された新しい私に任せた。
 ゆっくりと瞼を閉じると、不意に明兄の顔が浮かぶ。
 ああ、これがいわゆる走馬灯ってやつかな。と言っても、あらゆるものに興味を持てなかった私には、明兄しか思い出になど存在しないのだけれど。
 そうさ、私の世界の中心は明兄さ。
 だから家の中と外では、私の性格は変わる。厳密には、近くに明兄がいるかいないかの些細だけど大きな差。
 これで、最期の最期。
 その思考は、いたって簡単だった。

 これで、私も明兄と一緒で、〈再転〉回数が一だ。並んだね。

   †

 眠い。
 と思いつつも起きなければいけないのは、拷問に近い苦痛だと思う。
 窓からの陽射しに手を翳すが、脳の血圧が不足していて腕が重い。布団に包まったまま五分もすれば正常に覚醒するから、それまではいつも通りに呆けていることにする。
 それまではひたすら、部屋を見渡して何も考えないのが日課だ。何もしていないということを日課と呼んでいいかどうかは、気にしたら負けだと思う。
 欠伸で潤った瞳を、ゆっくり瞬く。歪んだ世界は白一色に、ただた染まっているだけ。
 白、に?
 私の部屋の天井って、薄青くなかったっけ?
「起きたか馬鹿妹」
 聴き慣れた声が静寂の中に響く。私の部屋、声が響くような構造してたっけ?
 未だ重たい首をゆっくりと巡らす。白い天井に張り付いた蛍光灯からゆっくりと視線が降り、予想以上に遠いところで壁に行き着く。何も飾られていない壁をさらに降りると、疲れた明兄の顔に焦点が合った。
「よ。自分の状況が理解できてるか?」
 睨むような目つきと、殺気だった声だった。
 理解不能。
「もしかして、私って死んだ?」
「おう。っていうか殺された」
 殺された?
 理解不能。
「お前が学校の屋上で見つかったとき、右眼と左耳がなかった。掌には穴、脇腹に刺し傷がふたつと、心臓付近の静脈に致命傷」
 明兄により淡々と述べられる私の死亡状況。
 なるほど理解。
「〈再起動屋〉」
「正解」
 ああ、改めて納得。
 私は〈再起動屋〉に殺された。
 そうか。そういうことか。
 もう、寝起きで頭が回ってないから、ろくに思考ができないけれど……とりあえず、すべきことはひとつ。
 明日から、また学校に行かないと。

   †

 私の記憶は、殺された前日の夜までしか存在していない。それ以降の私は殺されたんだから、まぁ仕方ないといったらそれまでだね。
 私の〈再転〉が行われたのは、殺害された翌日の夕方。さらに一晩が経過したので、私にとっては二日ぶりの登校となる。
 本当は一昨日も登校しているんだけど、その私はもうこの世にいない。
「やふー、ジョンくんおはよー」
 誰だジョンって。
 振り返った視線の先から踊るように駆け寄ってくる昭島鶫を、勢いに任せて衝突してこないように手で制す。
「って、どしたのその傷?」
「ん、コレ?」
 私の指先を追うように、鶫が自分の顔を指差した。その疑問の表情は、しかし右半分だけ。
 口の端から額にかけて、鶫の能天気な顔はガーゼに覆われていた。
「うん、いろいろあってさー。まぁ、あんまり気にしなくても、深い傷じゃないからすぐ治るよー」
「あ、そ。じゃ気にしない」
「むいー、そこは上辺だけでも気にするとこだと思うー」
 鶫の不満顔も半分。なんか小気味いいね、これ。
「そういうあなたこそ、私が殺されたことを心配する気とかないの?」
「それは〈再転〉で元通りじゃんー」
 まぁ、確かにその通りだ。
 今やこのセカイじゃ、怪我より死亡のほうが軽視されている。なんかとんでもないセカイだね、今更だけど。
 いつまでも惚気(のろけ)た問答を繰り返していると学校に遅れるので、鶫と並んで歩き出す。それに予定の時刻までに待ち合わせ場所につかないと、多良木由香里は問答無用で私たちを置いて学校へ行っちゃうし。
「由香里は今日、来ないと思うよー」
 私の右隣で、鶫がごく普通の声色とともに頭を掻いていた。
 左半分が覆われた表情は、私の位置からじゃまったく窺えない。
「あの子、昨日また自殺したみたいだからー」
 何事もない口調だった。友人が死んだという事実が冗句なのか本気なのか、判別の余地もないほどに。
「自殺、ねぇ……」
 あの子、もうそんな時期だっけ? 時間が経つのって早いね。
 それとも、私が死んでいた二日分の記憶が抜けているから、その分だけ短く感じているのだろうか。
 まぁ、どうせすぐにいつも通りになる。
 今だってほら、いつも通りだ。
 だからいつもとは違って由香里との待ち合わせ場所で泊まることなく通過しても、町の朝に漂う香りはいつも通りに変わらない。

   †

 そして学校が始まれど、由香里は登校してこなかった。
 携帯に電話してみたけど、圏外もしくは電源オフとの定型文しか流れなかったので、ほぼ自殺したで確定だろう。
 私が殺されてる間に、いろいろあったみたいだねぇ……なんてのほほんと考えている時点で、やっぱりこのセカイはいろいろズレている。
 けれど冷静でいることは、私のひとつのステイタスなんだろう。
 やがていろいろ面倒になるだろうけど、それでも冷静でいられるように。

   †

「んで、私に用って何かなー?」
 放課後の屋上を、風が静かに駆け抜ける。
 その風に乗って、鶫の疑問文が飛んでくる。私はそれに答えようとせずに、フェンスから町並みへ視線を馳せた。
「それにしても珍しいよねー? ジョンくんから用事なんてー」
「まぁね。相変わらずそのジョンくんってあだ名の意味が判らないけど、まぁいいや」
 私はゆっくり鶫を振り返り、ゆっくりと双眸を見据え、ゆっくりと口を開く。
 どんな言葉で告げようか、ひたすらに吟味をし続けながら。
 まぁ、出た言葉は単純だったけど。
「私を殺したのはあんたね、〈再起動屋〉」

   †

 どれだけの時間が経ったのだろうか。
 私と鶫は、双眸と片目を互いに見据えながら、静寂の夕焼けの中に佇んでいた。
 どちらも口を開かない。
 それ以前に私は、口を開くつもりすらない。
 もう、言うことは言ったから。
「な、んで……?」
 震える唇がゆっくりと開き、鶫の震える声が紡がれる。
 やたらと長い時間を費やして整理した思考から出た言葉は、それだけ?
「なんで、覚えているの?」
 彷徨うような声が、虚空を流れて私の鼓膜を奏でる。
 あまりに弱々しすぎて、痒くもならないけどね。
「そんなはずはない。記憶を転写する暇なんてなかった」
 うん、別に記憶の転写なんてしていない。
 当たり前のように、私は自分が殺された記憶なんて存在しないし、ましてや〈再起動屋〉の正体も見ていない。
 ならばなぜ、私は鶫が〈再起動屋〉だと知っているのか?
 答えは単純だ。
「予め、決めといただけ」
 ゆっくりと鶫へ一歩を踏み出す。
「高槻の場合は額に傷を」
 二歩。
「金沢の場合は左頬に傷を」
 三歩。
「浦賀の場合は右手に傷を」
 四歩。
「二場の場合は左脚に傷を」
 五歩。
「柚木の場合は左胸に傷を」
 六歩。
「笹原の場合は右肩に傷を」
 七歩。
「桂木の場合は左腕に傷を」
 八歩。
「遠矢の場合は右太腿に傷を」
 九歩。
「馬場の場合は左膝に傷を」
 十歩。
「三田の場合は左耳に傷を」
 十一歩。
「戝前の場合は右肘に傷を」
 十二歩。
「荻原の場合は背中に傷を」
 十三歩。
 そして、鶫の前へ。
「鶫の場合は、左眼に傷を」
 伸ばした右手が、鶫の隠された左眼の傷をなぞる。
 まるで焼き鏝(ごて)を近づけられたかのように、鶫は大袈裟に仰け反って私の指先から逃れる。その表情は、恐怖と畏怖と、何か。
 ん……何かって、何?
 まぁ、たぶん動揺してるだけだろうね。
「もし私が〈再起動屋〉に殺されるようなことがあれば、何が何でもその証拠を残すと、予め決めていた。そして実際に殺された私が目覚めたら、その傷が鶫にあるときたもんだ」
 口だけで笑う。
 でも心は……もう、麻痺しかけていて判らない。冷静になりすぎたね。
「私も驚いたよ。まさか鶫が犯人だったなんてね」
 さらに歩を進め、後退る鶫を屋上の隅へと追い詰めていく。
「だけど私は容赦ないからね。あなたのしたことは歴とした犯罪だから、ちゃんと警察に突き出させてもらうよ」
 鶫の背がフェンスに阻まれ、その身体が力なく沈んでいく。
 これでいいんだ。
 これで、〈再起動屋〉がこの栄一高校から消える。ただ、それだけ。
「でも、」
「まだ終わりじゃない」
 私の言葉を、地の底から響くような鶫の声が継いだ。
 俯いていた鶫の顔が、跳ねように上がる。
 その表情が地獄の悪鬼のような形相をしているのに気付いた瞬間、私は身体をくの字に折り曲げながら後ろへ飛んでいた。
 制服の腹部が切り裂かれる。千切れた布きれを引っ掛けて振り抜かれたナイフは、鶫の右手が懇親の力で握っていた。
「今回は、由香里が〈再転〉の代金を払ってくれたから生き返れた」
 鶫の右眼と視線が交わった。うわー、なんか凄い憎悪が渦巻いてる。
「でも、次はない」
 勢いよく立ち上がった鶫が巨大なナイフを小脇に抱えて突進してくるのを、腕を掴みつ後退して受け流す。
 暴走した暴力なんて、例え相手が日本刀を持っていようが敵じゃない。
 問題は、冷静な暴力だ。
「残念」
 私が動いたのは、背後に声を聞いた瞬間。
 両脚に懇親の力を込めて側方跳躍した私は、掴んだままの鶫の腕を思い切り脇へと引き流す!
「あ──っ!?」
「か──っ!?」
 同時に、わずかな悲鳴が漏れた。
「残念はおふたりさん」
 私の声は冷静を装っていたけれど、内心では勝率の微妙すぎる賭けのせいで爆発寸前だった。
 鶫の伸ばした両手のナイフの刃は、私の背後から不意打ちを狙ってきた由香里の胸へと突き刺さり、由香里のナイフは鶫の首を捌いていた。
 それは、互いに致命傷だ。
「なんで……なんでっ!?」
 由香里の悲鳴。
 そんな声、まさか一生のうちに聞けるとは思わなかったね。
 だから私は、勝ち誇った口調で吐き捨ててやる。
「由香里の場合は心に傷を」
 彼女が自殺したと聞いたときの違和感は、これだ。
 私が予め決めておいたサイン──私の死と由香里の自殺が重なったら、それは彼女が〈再起動屋〉だという記号。
「私のほうが、何枚も上手だったね」
 膝をついて崩れ落ちたふたりを見下ろしながら、私は小さく呟いた。
「だけど……」
 だけど、まだ終わらない。
 ふたりの〈再起動屋〉は、目の前で死んだ。
 だけど……だけど、〈再起動屋〉はすぐに〈再転〉されて甦るだろう。
 このセカイは、そういうセカイなのだ。
 何度でも死に、何度でも甦る。
 私に〈再起動屋〉としての正体を暴かれたことも、こうして殺されたことも記憶から消滅したふたりは、何度でも同じことを繰り返すだろう。
 それを食い止める術と言えば、正体を知る私がふたりを警察に突き出すことだけ。
 だけ、だけど。

   †

 誰もいない静かな道路を、無言で歩く。
 その右脇には鶫が能天気に笑い、反対側では憂鬱な由香里がついてくる日常。
 私は、ふたりを警察に突き出すことなどできなかった。
「むいあー、ジョンくん話聞いてるー?」
「あ、ごめん。素で聞いてなかった」
「うみー、冷たすぎるよー」
 鶫が鬱陶しく私の周りに付き纏ってくる。
 だけど、これが日常なのだ。
 私は、友人の存在を軽視していた。だけど、それは明らかな間違い。
 私にはふたりがいないと、おそらくこの先は今まで通りに生きてはいけない。
 そう考えれば考えるほど、私の思考は事件の解決を拒絶した。
 だから、リセットしただけなんだ。
「鶫」
「むぃ?」
 視線を前方の学校へ向けたまま、半ば無意識下で鶫を呼んでいた。
「左眼、早く治るといいね」
 自分らしからぬ発言だと思った。
 鶫もそう思ったから、すぐに反応ができなかったんだろう。
「うん、まー頑張るよー」
 能天気な声が、なぜか心に染み渡る。
 私がリセットしたのは、ひとの命じゃない。
 私と鶫と由香里の、単純な友人関係だ。
 ただし、私はふたりが〈再起動屋〉であることを知っていて、ふたりは自分たちが〈再起動屋〉であることを私に知られていないと思っている。
 不思議な関係だと、つくづく思う。
 だけど、そんな水面下のことはどうでもいい。
 例え上辺だけでも、ふたりと一緒に歩んで行ければ、それで。


   Reset the end
2006/12/03(Sun)15:57:40 公開 / 藍川サイ
■この作品の著作権は藍川サイさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 はじめまして。藍川とか申しやがるモノでござんす。
 この〈Reset〉は、私がしばらく小説を書いていなかったリハビリとして、友人に原案を貰って書き上げた短編小説です。
 完結を急いで説明等が不足した自覚が残ってますが、リハビリとはいえせっかくなので感想をいただきたく公開しました。

 リハビリ……っていうか、まずブランクが開かないようにすることが一番なんでしょうね、と実感(爆
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