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『アーデルハイトは優しく微笑う 序曲〜曲目一4小節』 作者:諸星 崇 / ファンタジー アクション
全角39064文字
容量78128 bytes
原稿用紙約122.95枚
手にするは、世界最強――代償として少女に笑顔は赦されない。




 ――世界は、その存在の幸福を赦さない。





 得るものの代償を求める世界。
 誰しもがその命を削って生きることで、何かを得続けようとした。
 当然、それは一方的な奪い合いを求めた戦場を意味する。
 形容はいらない。ただ純粋に、奪う。
 そうしなければ、奪うことを拒絶すれば訪れるのは死。無。終わり。
 だから世界は戦うことを選ぶ。
 ある者は鋼鉄の影響を無視する最新鋭の銃。
 ある者はたった一匹から数億に増殖する病蟲。
 ある者は一振りで数メートルを切り裂く光の刃。
 ある者は打つだけで車を持ち上げる強化薬剤。
 そして、ある者は自然の流れを操作する特殊な奇術を生み出した。
 それらを選ぶ者達は、しかし最終的な兵器へと進化させる。
 追及された銃は、大陸間弾道弾へ。
 追及された蟲は、感染拡大疫病へ。
 追及された刃は、斬鉄する奇剣へ。
 追及された薬は、凌駕する劇薬へ。
 そして、
 その中で最も異常、故に最高の破壊を生んだのは術だった。
 世界の理を知り、戦場の空気を読み、いつしかその奇術は総てを支配する特殊な兵器と化した。
 そうすることで誘発される加速は、結局は誰も止められない。
 だから人々は研究に研究を繰り返して創り出した最強≠ノ、後悔する。
 人々によって創られた最強≠ヘ、あまりにも赦されない。
 だから、封印を掛けられた。
 なのにあってはならないことが起きた。
 世界最強の兵器が、人としての意思を持ってしまったことだった。
 やがて、最強≠ヘ人でありたいと願い出す。
 誰よりも無垢で、誰よりも切実で、誰よりも謙虚で、人間ですら答えないほどの純粋なモノを欲した。
 しかしそれは赦されない。
 何故なら最強≠ヘ兵器だから。ただ総てを破壊するためだけに存在する力だったから。
 だから、人々は最強≠否定した。最強≠人間と呼ぶことこそ否定した。
 そうして奪われたモノを、最強≠ヘ葛藤した。
 希望を絶やされ、求めることさえ否定されることに気付いた最強≠ヘ、選んだ。
 世界を、破壊することを。
 創られた目的が破壊なら、それに従って創り出した総てを壊すことを。
 そうして破壊されることを恐れた人々は戦う相手を変えた。
 最高の銃。最高の蟲。最高の剣。最高の薬。
 ありとあらゆる絶大な力を以って最強≠殺そうとした。
 しかし、所詮それは不可能だった。
 何故なら、相手は世界最強だからだ。
 どれだけ突出し、どれだけ特化し、どれだけ向上しても、誰よりも強いからこそ世界最強と呼ばれる&コ器には勝てない。
 奪うことしか知らなかった人々は、奪われることを初めて知った。知らされた。
 そうして世界は終わりを告げ、破壊と破壊と破壊と破壊と破壊を繰り返した究極の最悪が続いた。
 しかし、それも長くは続かない。
 最強≠ヘ、人々という限界が創った代物でしかない。最強≠ノさえ、限りがあった。
 そうして限界へ辿り着いた最強≠フ暴走に終止符を打ったのは、一人の人間だった。
 ありふれた小さな集落で生まれた畑売りの娘。どこにでも居るような平凡な彼女は、一つの力を一人の意志として手にする。
 最強≠キらも超えてしまう力――言うなれば彼女は無敵≠セった。
 『無敵』、という言葉には二面の意味合いが込められている。
 一方は、それはまさに言葉通り平伏させるだけの絶対的な力を持つこと。まず戦うという考えすら起こさせない、戦場に降り立った時点で勝利が確定する、魔神のような無敵。
 一方は、悪人も囚人も道端に転がる石ころのような存在すら愛すること。彼女に愛され彼女を愛する。戦場に降り立った時点で戦いを安息の地へと導く、女神のような無敵。
 双方全く違う意味合いだが、しかし敵が無いという真意を持つ究極の力だった。
 しかし唯一無敵≠ヘ神がかりで在り続けるには限界があった。彼女もやはり人間であり、兵器ではなかった。
 故に、無敵≠ニ最強≠ヘ同等の存在であった。
 ぶつかり合えば、まさしく終焉を迎えるだろうと誰かが口にした。
 何故なら、ぶつかり合えば同等であるがために互いが勝敗に関係なく消滅すると判り切っていた≠ゥらだ。
 それでも、戦いは起きた。
 ただ純粋な破壊を繰り返し、いつしか畏怖と恐怖によって誰も戦わなくなると信じた最強=B
 無差別的な破壊を受けて、いつしか愛する総てが壊れてゆく前に護りたいと願った無敵=B
 結果は、あえて言わない。
 言う必要が無い。
 何故なら――、

 最強≠フ名は神殺しと呼ばれ、

 無敵≠フ名が神だったからだ。










 アーデルハイトは優しく微笑う

 Prelide.  それがキミにとって始まりになりますか?










「―――――――ステラっ!」
 背後から聴こえた声。
 誰よりも待っていた声。少し嗄れていて引き攣ったようなものだったが、彼女にとってこれ以上は望まない存在だった。
 だから、振り返る。
 精一杯の笑顔を浮かべて、勝ったことを伝えようと

 ごぱ、

 その音は、自分の胸元から聴こえた。
 瞬間、総ての音が遠くなった。
 紋章によるエーテル術で、ここら一帯の力場がおかしくなっているのは頷ける。ただし焦土というわけではなかった。彼女とそれ≠ヘエーテルを介してあらゆる力を行使した。ある時は炎で大地を焼き、ある時は流水で怒涛ごと押し流し、ある時は命の反魂によって灰にもならない戦場を緑溢れる場所に変えた。そのせいで、あちこちで天変地異や異常現象が起きている。
 彼女が立っている場所は丁度、『音』のエーテル操作を施した空間だった。その反動からか、鼓膜が破れそうな金きり音が鳴り響いているのだが、
 それも、遠くなる。
 総ての気配が、フィルターを通して聴いているかのように薄らぐ。
 それだけじゃなかった。
 胸元を食い破るような音がきっかけとなって、彼女は操り糸を切られたようにその場に倒れこむ。
 ただの一度も高揚を覚えず、ただの一度も至福を得られない。
 故に絶対と決め付けられた無敵≠フ女性は、口から溢れ出る熱い血潮を噛み締めて後頭部から倒れてゆく。
 とさり、と服に包まれる感触は遠くだが確かに感じた。
 全力にも近い勢いで彼女は視線だけを横にずらす。それ以上のことをしたら、事切れるかのように。
 そこに居るのは、彼女と同年齢ぐらいの男性だった。男性と呼ぶには若干初々しさが残るので、青年がやっと煙草を許された年頃と言うべきだったのだろうか。
 仰向けに倒れて、見上げた先に顔があるということは抱きすくめられているんだと理解した彼女は、鮮血まみれの口元をにやりと意地悪く笑った。
「……えっ、ち」
「な、……こんな時に何言ってるんだ馬鹿っ!!」
 切羽詰った顔で怒鳴るが、少しその頬が赤らんでいるのを見て、彼女はやっぱり力無くだが笑顔で居続ける。
「こんなときじゃないと、言えないじゃない……あんたとはまともな、会話ないし……ていうか、子供、どうだった?」
 いつその息が止まるか判らないのに、最期まで自分以外を案じ続ける彼女に、男は表情を歪ませる。
「お前なぁあ! なんでっ……なんでお前、が!」
 遂には涙を流しだす。彼女は心の底から笑ってやった。
「なんだい……みっと、もない……顔、しないの………それでも、一家の……夫なの?」
「……っ」
「ねぇ……どうだったの? 産んですぐに、出発、した、からさ……気になって気になって……危うく、殺されかけ、たのよ………、あはは……あいつ思ったより、強くてさ……残り三回の、無敵=c…ぜんぶ、使っちゃったんだ……ふっ、ごふ!?」
 どぱっ、と音を立てて紅を吐瀉する彼女に、男はさらに抱き直して耐えられないといった風に答えた。
「大丈夫だ! 大丈夫だったよっ……! だから、もう喋るな!」
「はは、馬鹿は……あんた、じゃないさね……喋ろうが、黙ろうが、もう……遅い、し」
 こほこほと小さく咳き込む。それだけでも、彼女の口腔から次々と血が吹き出て、その場を一色に染めてゆく。
「でも……そっか、よかった……無事に生まれりゃ、あとは次第通りさ……」
 全身に込めていた力を弛緩する。否、無意識の内に脱力してしまった。それだけ彼女の命が急速に掻き消えてゆくことを知った男は、涙で濡れた顔をさらに険しくする。
 それとは対照的に、彼女は笑顔を作る。
 圧倒的に強く、絶対的に優しく、そして致命的なまでに愛しい笑顔。
「恐い、顔……しなさんな………これで、よかったん、だよ……どうせ、あたしは、ながく……ないから」
 ずるずると何かが崩れるような音がする。
 少しずつ、しかし確実に、彼女が死んでゆく。
 徐々に目の焦点が合わなくなる。男があれほど好きだった綺麗な水晶色の瞳が、どんどんと濁ってゆく。
「あ、れ? ……っかしいな、……まっくら、だ」
 その滔々とした口調に、男の表情が固まる。なのに、彼女はまるで空笑いをしていた。
「だめ、か……マジに、終わりみたい……………ねぇ、感触、ちょうだい……もっと強く、抱きしめて」
 彼女の細い手が、宙を彷徨う。
 男は判っていた。もう、彼女には、視覚どころか全ての感覚が無くなっている。
「ねぇ……恐い、からさ。息、つまる……ぐらい……………だいて、よ……こわい、んだ」
 彷徨う手が肩や顔に当たっても、感覚を失っている彼女は虚空を見つめたまま言う。
 男はその手を掴んでから、彼女の言う通りに強く抱きしめた。折れてしまうんじゃないかと思うほど、今まで見てきた彼女には有り得ないほどの弱々しさが伝わってくる。
 うぐ、と小さく呻いた。それによって自分の要望が叶っているんだと知った彼女は、嬉しそうに笑う。
 本当に、嬉しそうに。
「え、へへ……………ありが、と……」
 男は、泣いた顔を近づけて、何も映さない目を閉じさせ、唇を重ねた。強い血の臭いと、仄かな彼女の匂い。
 すると、呼吸の強制的な停止による息苦しさに気付いた彼女は、目を閉じたままむっとした。
「き、す……したな………」
「駄目だったのか?」
 そこでやっと、全てを諦めたように自嘲気味に笑う男に、聴こえていない彼女はそれでも答えた。
 たとえ聴覚なんかなくたって、彼女は男が何を言おうとしているかなど、解っていた。
「かお、きたない……し」
「あほ、綺麗だよ」
「……きのせい、かな……………ほめられた、きが、する」
「ったく、鋭い奴だなお前は」
「……………ねぇ、ジル」
 彼女は、誰よりも美しい笑顔を浮かべて、幸せそうに言った。
「……す、き」

 ぱたり、と。男の手をすり抜けて彼女の腕が落ちた。

 男はただ、無表情のまま彼女の顔を見つめていた。
 静かなものだ。ほんの十数分前には、今居るこの場所で世界を終わらせるほどの力がぶつかったというのに。
 誰にさえ愛された彼女を抱きしめて、男は背後から近づく気配に気付いていても振り向けなかった。
「居たぞ! 急いで『ロンギヌス』を回収しろ! 英雄の戦いを無駄にするな!!」
 荒廃した世界を、戦車やジープが行き交う。
 少し離れた場所に倒れているそれ≠戦車の主砲が狙う中、慎重に、しかし迅速に大きな鉄の匣へと容れられる。
 その姿は、少女だった。
 見事なまでの透き通る銀糸の髪。一枚布は既に剥ぎ取れ、裸体を血塗れにした十二,三歳ぐらいの幼い娘が、光を残滓も漏らさない鉄牢の中に押し込められてゆく。
 そんな一部始終を見届けていた男の傍らに、一人の軍人が歩み寄ってきた。
「……胸中、察する」
 ひどく疲れた言い方に、男は殺意を覚えた。本当は世界が崩壊しないで済んだ喜びのほうが上回っているくせに、いけしゃあしゃあと。もしその言い方がもっとわざとらしかったなら、今すぐ絞め殺してやりたかった。
「やめろ……たかが世界のために、犠牲が出た」
「……その世界の中に生きるのは我々と、君だ」
 男は顔を上げて軍人を睨んだ。アメリカ政府最高峰の権威である元帥のバッチが着けられたコートを羽織る髭面の痩せこけた中年に、身の内の感情を吐露する。
「ステラの居ない世界で、生きろというのか!! こうなると分かっていたなら、世界を敵に回してでも私はステラを護りたかった! 世界が彼女を殺したんだ!! 彼女は、あんなに総てを愛していたのに……!」
 軍人は、表情を陰らせて、しかし答える。
「それは彼女が望まない。世界を愛していたオースティン殿に、世界を裏切ることは出来ない」
「やめろっ!! 気安く彼女を敬称で呼ぶな! 軍人風情が!!」
 その一喝に周りに居合わせた兵達が憤然と銃を構えたが、元帥の怒鳴り声が炸裂し、すぐさま銃口が天を向く。
 誤射に細心の注意を払って、元帥は頭を下げた。
「すまない。それでも私達軍人は、誰かを護るためには手段を選べないんだ」
「……やめてくれ。今すぐ頭を上げて、今すぐあの化け物を殺して、今すぐ俺達の前から消えてくれ。二度と、現れるな」
「……………これは、重々に言ってはならないと判っているが、人間を代表して彼女に言おう」
 男も分かっていた。元帥が何を言おうとするのかを。
 だが、止めることはしなかった。彼女の灰の髪を梳いて、男は彼女を捧げるかのように抱き上げて元帥を真っ直ぐ見た。
 元帥は姿勢を正し、右手を額に添えて敬礼する。
 すると、周りで作業をしていた兵達も全員一斉に敬礼をした。
 その中心で、愛する男に抱かれて眠るように息絶える無敵≠ノ、元帥は穏やかなほどに言った。

「世界は救われた―――――――ありがとう」










 政府最重要ファイル。符号数字12。ファイル名、『大崩壊≠ゥら歴変更までの対象が関与する年号記録』。



 A.D.2237.9.14.  大崩壊%俣。対象はこの日時に『聖痕』との接触によって仮死状態になる。

 A.D.2238.9.14.  対象の状態に変化無しを確認した政府は、実験を推奨。

 A.D.2238.10.27. 議会によって実験を開始。尚、実験内容は伏せて追記する。

 A.D.2239.5.12.  政府は全世界中に、エーテル術という新技術を公表。志願者を集め実験を行う。

 A.D.2241.2.9.   エーテル術士作成実験は成功。これを推進中の帝国設計の警備に就けることにする。

 A.D.2246.10.3.  対象の実験中に事故発生。原因不明のまま対象の危険を考慮し実験の一時凍結。

 A.D.2250.5.5.   様々な国の地層から、特殊な鉱石を発掘。実験による鑑定を開始。

 A.D.2250.7.13.  特殊な鉱石は物体の浮遊を可能にすると表明、これを《コア》と呼称する。

 A.D.2253.6.22.  軍事産業に大きく貢献していた政府軍に、反抗勢力が発生。政府はこれに対抗する。

 A.D.2254.1.17.  《コア》流通事件が起きる。これによって反抗勢力は武力を増大、空賊と呼称される。

 A.D.2254.2.10.  議会によって政府は一時分解を決定。軍事力の瞬間召集を計る。

 A.D.2254.11.2.  集結した政府と空賊の全面戦争による、第三次世界大戦勃発。

 A.D.2256.12.3.  政府の当時の元帥、ジェネス=アールマイ=ゼント氏が暗殺される。

 A.D.2257.3.1.   中枢を失った政府は強硬手段として、エーテルによる今回の対象の蘇生を決行。

 A.D.2257.9.13.  復活した対象だが、当時の技術を以ってしても制御不能。暴走。

 A.D.2257.9.14.  奇しくも二十年前と同月日にて、大崩壊″ト起。

 A.D.2257.9.15.  地球全体が崩壊の影響で地軸移動を起こし、異常気象を起こす。

 A.D.2257.10.19. 第三次世界大戦終結。

 A.D.2258.2.4.   政府の瓦解によって、替わって設立された帝国軍によって治安統括計画始動。

 A.D.2258.5.28.  地軸変化による水没が進行し、地球全体の七割を海が形成する。

 A.D.2258.9.14.  この日を最終日とし、西暦年号を一掃。

 S.D.元年  新暦開始。



 機密保持のため母方の姓を表記し、旧暦2252年9月14日からの記録を解任。本日を以って終了します。

                                              記録者、サリエ=オースティン










 Act.T  目醒めるボクに手を差し出せますか?


 1




 ――S.D.0019  August.16  帝国都市ジェノバ近海――


 ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、という壁越しのエンジン音が機内中に響く。
 本来そういった音は雑音として、『シップ』ではほとんど聴かなくなったものである。ただしそれはあくまで機体を造っている壁の材質の問題であり、要はこの『シップ』の古さを表していた。
 なんせ、従来の輸送用飛空挺としてはB級と言ってもいいぐらいの鉄製だ。シールド強化の不備はおろか、前時代のフォルムであることからしてあからさまに持ち主の金欠を意味している。
 機内もまたそのせいか薄暗かった。天井に吊るされているランタンの淡いオレンジと、小さな丸窓から斜線に奔り漏れる陽光だけの物置部屋に、乗組員の目を惹き付ける代物が置かれていた。
「……気になるのか?」
 傍らで腰を落とし、肩にライフルを立て掛けて相対する薄く髭の生えた中年が訊いてくる。ちらちらと見ていたことをバレていたことに、成年に成り立てのような男は思わず口元を弛ませた。
「まあ、それなりに……」
 中年は常に懐に忍ばせているらしい酒瓶の中身を空け、肺からの深い息をついてから頷いた。
「無理もないがな。まともに『シップ』とも言えねぇ『シップ』に、伝説の兵器を乗せてるなんざ……酒でも無くちゃこんな牢番なんてやってられねぇ」
 ちらとそれを一瞥して言う中年に、男も再び視線を向けた。
 物置部屋と呼称したのは、人の生活感が全く無かったからだ。何故なら、そこに置かれている物以外、後は何も置かれていない。質素を通り越して、造り立ての部屋に初めて置いたのがそれだったといった感じだ。
 まるで財宝か何かのように鎮座されているのは、言うなれば棺桶のようだった。
 ただし普通に頭の中に浮かぶ棺桶とは全く異なる。寸分の角度のズレもない長方形の黒い匣だ。
 色と形しか形容出来ないのも仕方が無い。まさに『黒くて長細い匣』なのだ。材質も判らなければ、どうやって開けるのかすら分からず、牢番役の二人ですら中身は全く知らない。
 革のバウンティスーツを着込む男は、似たような格好の中年に話しかける。
「本当に、あれが伝説の兵器なんですか?」
 当然のことだが『本当に』などという前置きを付け足したこの質問に『YES』が返ってくるとは思っていない。
 案の定、中年は苦笑混じりに首を横に振る。
「さあな……その辺はリーダー達に任せんことには判らん」
 その返答はやはり男を頷かせた。
 扉の前に座り込む二人は再び無言になる。聴こえてくるのは、ゴゥン、ゴゥン、という音だけになった。


「よぉ、ジャック」
 呼ばれた操縦士の一人は、椅子ごと振り返る。軌道上はオートパイロット状態にしてあるので、むしろ暇で暇で仕方が無かったのだ。
「艦長、どうかしたか?」
 三十代前半の少し小太りの男、艦長と呼ばれた男は操縦室に入ると中央のモニタリングをしていた男に笑みを返す。
「いや、仮眠しようと思ってたんだが《コア》の駆動音が煩くて眠れやしない。今どのへんだ?」
「まだまだ六分ぐらいだな。『シップ』の駆動音で眠れない艦長なんて笑われるぜ」
「うるせぇ。オレぁ所詮はパシリで艦長なんざやってるんだ」
「その辺はまだまだ俺らと変わらねぇよな」
 オペレーターの連中がどっと笑う。
 ジャックという男は念のためにレバースイッチを切り換えてマイクを口元に着ける。
「こちらA機。異常は無いか」
 モニタの横にあるスピーカーから、ザザザ、というノイズの後に電子的な声が返ってくる。
『こちらB機。異常無し、いい快晴を拝んでたところだ』
『こちらC機。同じく異常無しだな。艦長歴三時間足らずのオッサンの命令で、A機だけ急ぎ足しなけりゃ問題ないだろ』
「うるせぇ……」
 思わず笑んでしまったジャックの背後で、渋る声が聴こえた。
 男は艦長席に座り、傍らのモニターを弄ろうとする。
 すかさずなのか、たまらずなのか、ジャックは少し低めた声で釘を刺した。
「変なボタン押すなよ?」
「自爆スイッチがあるみたいな言い方すんな」
 応酬と共に、再び談笑めいた気配がオペレーターの中で生まれた。





 ピー、ピー、
 不意に鳴ったサイレンに、青年は怪訝な顔をした。
『……どうかされましたか?』
 鈴のような、しかし機械みたいな平淡な声がする。最新鋭の機体に乗っているために、彼女の声以外はほとんど音がしない。
 青年は一人二人しか乗れないコックピットに座り、二本の操縦桿から右手だけを離してパネルを操作した。
 目の前のモニターは空路補正のルート演算を表示し続けていたが、緑の円内を電磁感知するレーダー型に切り換えた中に、赤いポイントが三つ現れる。
 談話に花咲かせていた女性は、妙な無言の間に不思議がった。
『ジーン? 聴こえていますか? まさか逃げるおつもりですか?』
「いや、悪いがヌードルの伸びたほうが美味いか不味いかの討論はまた今度にしてくれ。ちょっとネズミを見つけた」
『ねずみ……空賊ですか?』
 彼の物言いからして推測したのか、女性はすぐに察する。
「恐らくはな。大きさからして『シップ』のはずだが、向こうに気付かれてはいなさそうだ」
『「シップ」のくせに「バード」のセンサー感知に負けているのですか? 中級もいいところの性能ですね』
 どうも容赦ないような言い分に、青年は鼻で笑って返した。もう慣れた口調だ。
 ただ、その表情は乏しい感じだった。考える仕草でさらに寡黙めいた空気を放つ。
「しかし妙だな……ここら一帯は帝国軍の空域のギリギリ外だ。わざわざそんなところを飛ぶのが気になる」
『単なる命知らずなのでは?』
「そんな馬鹿が三機も連なってなんになる。ただ《コア》以外の予備燃料を浪費するだけだ」
 それもそうですね、と女性は少しつまらなそうに答えた。
 数秒して、レーダー内での赤い三つの点との距離が近づいてくる。
 不意に嫌な予感を覚えた女性は、口火を切った。
『……、ジーン。まさか余計なことを考えてはいませんよね?』
 鋭い、と青年はジーンは目を細めて思った。
「何か言いたいのか?」
『当たり前です。先ほどここら一帯は帝国軍の空域のギリギリ外と仰ったではありませんか。まさかそんな危険を冒してまで戦闘するつもりじゃありませんよね』
 すらすらと述べられる正論に、しかし青年は小さく溜息をついた。
「クノン、俺はお前のそういう部分を良しと思ってはいるが、過度の懸念はいただけないな」
『貴方のその無鉄砲加減もいただけません、真っ直ぐ帰って来てください』
「少しぐらいはいいだろう、お前も堅いな」
『誰のためを思っての発言だと思っているのですか?』
 呆れた風に言う女性に、青年はもう一つ溜息をつく。
「分かった分かった、真っ直ぐ帰ればいいんだろう?」
『分かれば宜しいのです、分かれば――』
 そこで、はたと女性の言葉が切れた。
 何とはなしに生まれた考えに、女性は恐る恐る訊いてみる。
『ジーン……ちなみにその空賊の居る方角はどちらですか?』
 そこでやっと、青年はにやりと笑みを浮かべた。
「俺の『バード』の航行路上だ――」





 談笑をしていた『シップ』内で、センサーに感知がなった際のサイレンが鳴る。
 ビー、ビー、という音に振り返ったジャックはモニターを見て首を傾げた。
「……なんだこりゃ」
「どうした?」
 艦長は声を掛けるが、ジャックはモニターを間近で見たり目を細めたりしてから視線を寄越さずに答える。
「レーダーに何か引っ掛かったんだが……モニターには何も映っていないんだ」
 それを聞いて、艦長も首を傾げる。
「なんだそれ、水中のでかい魚でも感知しちまったんじゃないのか?」
 そう言いながらも、艦長は手元のホースマイクの蓋を開ける。パイプで各室に居る乗組員に声を伝えるものだ。電子通話ではなく、肉声をパイプを通して伝える前時代の手法だ。他の空賊連中に知られたら爆笑されるが、これが意外と馬鹿に出来ない代物だと論ずる連中も居るほどだ。何しろパイプを通しているだけなので、電磁妨害を受けても乗組員との通話を絶たれない。
「オレだ。目視で空に変な影はあるか?」
 ただ、少し声の反響が大きくなるのが難点だったのを忘れていた。
『いーや! 何も見えないぜ!?』
「〜〜っ……!」
 キーン、という耳鳴りに耳そばだてていた体勢を崩される艦長は、何とか立て直して蓋を閉じる。
「っ……計器ミスなんじゃないのか? リーダーの命令でとんでもねぇ兵器を護送してんだ、正体は確認しとけ」
「ああ」
 ジャックはパネルを操作しながらもう一度目を凝らしてモニターをじっと見つめる。
 円状のレーダー画像には、中点にある自機と左右を飛んでいる二つの『シップ』だけだ。確かに、海面との高度はほんの四,五十メートル程度なので、イルカやクジラといった大きな生物のソナー効果を感知してしまったのかも知れない。
 そう思いながらもサイレンを切った矢先、それは異常として現れた。
 再び、サイレンが鳴り出す。
 おかしい、とジャックはおろか艦長も思った。海中生物の誤感知は滅多にならない。それ以上に、時速三十キロを超える速度で飛んでいる『シップ』に、再びレーダーが感知するとは思えない。
 妙なサイレンに操縦室に居合わせる面々の空気が少し張り詰められる。
 ジャックは本当に、わずか数センチの距離でモニターに食い入る。
 曲がりなりにも護送用の『シップ』だ。感知や防御性なら自信があるし、現にレーダーには三体分の機影しか

 瞬間、自機の機影ポイントと重なる赤い点が現れる。

 ジャックは目を剥いて、弾かれるように振り向いた。
「う、上だ!! 機体の真上を同速で飛んでやがるっ!!」
 直後、
 雲一つ無い快晴の空を落ちるように垂直に飛来する黒い影が通過し、右舷を飛んでいた『シップ』が爆発した。
 擦れ違い様の一撃を喰らったのだ。機体の大きさに対して爆発そのものは小規模だったが、腹部付近から黒煙を吐きながら褐色の『シップ』が高度を落としてゆく。
 あまりの自体に、全員の表情が固まった。
 艦長は必死に自分を奮い立たせ、口を開いた。
「『バード』!? 嘘だろおい……っ! たった一撃で《コア》ごと動力部を撃ち抜かれやがった!!」
 前方の強化ガラスから海面を見下ろす。
 垂直落下していた余すことなく漆黒で塗られた一機の戦闘機は、海面に触れる寸前でホバーを吹かせる。
 海に飛沫のラインを描いて奔る『バード』は急浮上。後ろを見せずに旋回する。
「しっ、C機との回線をリアルリンクに切り換えろ! 撃ち落とすんだ!!」
 慌てて艦長の一喝が下る。オペレーションがすぐさま展開されるが、いかんせん『シップ』を一機、ほんの刹那の内に撃墜されているせいで、管制が一瞬遅れてしまっていた。
 くるくると捻転を繰り返して漆黒の『バード』はブーストを利かせる。
「ダメだっ! 早すぎてミサイルポッドの標準がロック出来ない!!」
「相手は『バード』だぞ! 主砲とガトリングだけで応戦するしかねぇ……!」
 二機の『シップ』は距離を離さず、側面の砲門を開けて小銃を構える。
 『バード』が二機と対面したと同時に、ガトリングが火を吹く。ドパパパパパパ! という乾いた炸裂音と共に『バード』を襲うが、『バード』は小刻みに動いてそれをかわす。まさに、数センチずれれば被弾するギリギリで。
「なんっ――!」
 艦長が目を剥いた一秒後には、音速に近いスピードで二機の合間を縫って飛び、一撃の紅蓮が放たれた。
 ドン!!
 爆音が横合いから響き、閃光と粉塵が風に流される。艦長が横に視界を向けると、C機の『シップ』がゆっくりと高度を落とし、水面にぶつかって失速している光景だった。
「……っ! なんなんだあの機動力は! 帝国軍の最新機なのか!?」
「いや、あんな特攻型の『バード』、帝国軍には無いっ……それに、そもそもここは奴等の空域の外だ!」
 ジャックの怒号にも似た声に、艦長は歯軋りする。
「ち、くしょう……! 誰なんだあいつはぁあ!」
 ダン! と椅子の肘掛けを殴る艦長に、ジャックはレーダーを見て叫ぶ。
「後ろから来る! 今度はこの機体を撃つ気だっ!」
 とは叫ぶが、後ろを取られた飛び物はどこにいっても格好の的だ。どうすればいいかと悩んでいる最中、ジャックが振り向く。その手には、大きくて赤いレバーが握られている。
「ロベルト! ブースト使うぞ!」
 勢いで名前で呼ばれた艦長は、しかし形振り構っていられないのか強引に頷いた。
「使え使え使えぇええっ!! いいからあいつの攻撃をかわすんだよ……!!」
 催促なのか自発なのか判らないまま、ジャックの手が落ちる。レバーを引いた瞬間、『シップ』内の重圧が数倍にも跳ね上がった。
 空気を加圧して前進速度を『バード』並に飛躍させる。その影響で尻を叩かれたように『シップ』の船首がガクンと落ちた。それによって高度が落ちた『シップ』の上を弾丸が通過してゆく。
 虚空を射出されてゆく紅蓮の弾丸に沿って、黒い『バード』が飛んでいった。すぐに機体のバランスを立て直した『シップ』の中で、艦長が口の端をゆがめた。
「よっしゃあ! 後ろを取ったぞっ! ジャック!」
「ああ分かってらぁ……! このまま撃ち落して化けの皮ごと海の藻屑にしてやる!!」
 モニターに二次元映像で映る戦闘機に、標準が合わさる。
「主砲、ってぇえ!!」
 艦長の声と同時に、ジャックはボタンを叩くようにして押した。
 機体の側面から飛んだミサイルが、灰の煙を吐いて突き進む。
 当たる、と艦長もオペレーターも確信に笑もうとした直後、突然『バード』が落ちた=B
 正確には機体丸ごとが高度を落とした。傾くことなく、失速に近い動きで機体がガクンとずれ、ミサイルが避けられる。
 艦長は、表情を殺された。
「んの野郎……! 『バード』を浮かしてる《コア》の接続を無理矢理切断しやがった……っ!!」
 動力源を失った『バード』は、海面に接触し、巨大な水飛沫を上げて潜り込む。
「敵影、ロストっ……あの速度だ、海に突っ込んだ衝撃でバラバラのはずだ!」
 ジャックが言うが、艦長は胸騒ぎのようなものを覚えた。
 彼が今回の運び屋みたいな仕事の艦長をやらされているのは、この直感によるものがある。飛空挺の艦長とは何もオペレーションに従って命令をするだけではなく、第六感こそ鋭い人間が適される。
 だが、ジャックとは長年の空賊仲間であることが災いした。元相棒という間柄からの一言で、艦長は安堵して頷いてしまった。
「……だろうな」
 背もたれようとした瞬間、再びサイレンが鳴り響く。
 ぎょっとしたのは、ジャックだった。
 モニターの自機の後ろに、赤い点。
「うっ――後ろに回りやがった!! 嘘だろ!? あの速度で海にぶつかって無傷だってのか!!」
 『シップ』のような大きさの割に低速で進む飛空挺なら大したことではないのだが、『バード』は戦闘用個人機だ。海面との摩擦や衝撃は計り知れない。機体が破壊することもあれば、あまりの衝撃でパイロットが即死する可能性もある。並大抵の『バード』乗りなら、あんな海面すれすれを飛ぶような自殺行為はまずしない。だからこそ『シップ』を使って誰も近寄れない高度で飛んでいたのだ。
 濡れた漆黒の『バード』はまた『シップ』の後ろに付く。しかも、今度は二,三十メートルも無い。
「近すぎるっ! 避けられ――」
 直後、衝撃に押された『シップ』がバランスを崩し、失速しながら海面に突き刺さった。
 前へ圧し掛かる抵抗と、大幅な減速。全体の半分を海に浸からせて『シップ』は停まる。
 的確に《コア》を撃ち抜かれた『シップ』の中で、ノイズの混じるモニターから視線を艦長に移す。
「だめだ、飛ばすことは無理だ……」
「……っ」艦長は苦虫を噛み締めたような顔をして、横一列に並ぶホースマイクの蓋を全て開ける。「艦長より全乗組員に通達、敵が乗り込んでくる前に銃を持って配備につけ! 『バード』なら相手は一人や二人だっ」
 すると、艦長も椅子を離れて銃を持つ。鉛球が弾丸の旧型ボルト式ショットライフルだが、人間を殺すには充分な威力を秘めている。それを担いで、ジャックに振り返った。
「ここを潰されたらお終いだ。お前らはここに居ろ、オレは……」
 銃を握り締めて艦長は操縦室を出る。なけなしの装甲のために狭苦しい廊下を進むと、銃声が反響しながら聴こえてくる。
 どうやら既に『シップ』に乗り込んできた相手に部下が銃撃を起こしているようだ。普通なら怒鳴ってでもやめさせるのが艦長の仕事だが、《コア》を動力源にしている『シップ』なら別に引火する燃料を積んでいないので差異は無い。
 問題は、その銃撃が何重にも聴こえるのに、一向に止まらないということだ。男達の声が飛び交い、銃弾の反射音と金属の断ち切られる音が廊下に反響してゆく。
 舌打ちをして、艦長が銃把を握り締めて扉を開ける。円状に対三つずつの部屋へ続くためのただっ広いホールになっている。ただし銃を所持する数人を相手にするには、盾になるものが全く無い。白兵戦にしては時間が掛かり過ぎる。
 心臓の鼓動を感じながら、艦長は差し込む光に目を細めてホールに出た。
 硝煙の臭いの篭もる、吹き曝しの天井窓によって明るいホール。
 そこに居るのは、一人の青年だった。
 歳はまだ成人どころか帝国圏での結婚すら許されないであろう若々しい顔立ちだ。灰の髪と水晶色の瞳に涼しげな印象を湛える無感情の相貌。
 帝国軍の差し金かと艦長は懸念したが、違った。青年が着ているのは深緑のシャツと茶のズボンの上から漆黒のマントを膝下まで包んでいる姿は、帝国軍にはない格好だ。
 マントの前が割れ、そこからすらりと痩せた体躯と心臓守りの鉄鋼パックをベルトから提げている。両手に指貫手袋を着け、右手に剣が握られていた。
 ただ、マントから出ている刀身こそが艦長の眉根をひそめさせた。
 まず剣という代物自体がおかしかった。なんの特殊な技術も施されていない刃物など、鉄の塊もいいところだ。この御時世では剣より銃、銃よりエーテル術という公式が成り立っている。ただの剣を得物にしている人間なんて、帝国軍の副隊長ぐらいだと思っていた。
 しかしその副隊長は女であり、相手は帝国軍の正装ですらない。
 そもそも、たかが剣を相手に銃を持つ人間が、どうして床に寝転んでいるのかが艦長には理解できなかった。
 十人ほどの仲間はみんなうずくまって呻いている。血反吐を吐いて咳き込んでいる者も居れば、白目を剥いてピクピクと痙攣している者も居た。
 蒼白になった艦長は、青年と目が合う。
 水晶色の、揺らぐことなく見据えてくる瞳。艦長もいいオヤジの男だが、綺麗な顔だと思った。
 黙して語らなそうな口が開き、言葉が紡がれる。
「押し掛け御免。まあ、空賊相手に無礼も何もないとは思うが」
 抑揚の無い声。その一言に怒りと、銃相手に無傷であることの事実からの畏怖がない交ぜになる。
 艦長はライフルを突きつけて吼える。
「ちっくしょおっ! テメェもあれ≠狙って来やがったのか……!」
「……、あれ=H」青年は心底不思議そうに目を細める。「なんだか知らないが、何か面白そうな物を持ってそうだな」
 ふっと不敵な笑みを浮かべて、青年は剣をかざす。
「――の、野郎っ!!」
 逆上した艦長はライフルを構える。狙い済まし、銃爪を引き絞ろうとした寸前、青年は左腕を突き出す。
「エーテル開放。空式、眠・姫・白・布・護・与=\―」
 一秒先に穿たれた銃弾は、青年の突き出した手の平の数センチの所で停止した=B文字通り何かに触れることもなく、何も無い空間でピタリと止まった二十五ミリの錬鍛鉛弾は静止し――ぽとりと床に落ちた。
 僅かな静寂。不意に破ったのは、艦長の震えるような声だった。
「て、め……今、何した?」
「今日びエーテル術士を知らない奴が居るとは思わなかったな」
「ち、ちげぇ! テメェ今なんて言ってた!? そんな術式詠唱聞いたことねぇぞ!」
 エーテルは事象を操作する神秘の術。
 少なくともエーテル術士でない艦長でもそれぐらいの知識はあった。身体にエーテルを発動させるための紋章を刺青のように刻むことで、その力を引き出す技術だ。本来誰にでも出来るのだが、いくら凄くても、せいぜいがライターや電灯の代わりになるぐらいのもので、相当の熟練者や演算の天才でなければ戦闘には無縁な人外の力だ。
 しかも、エーテルにはその起動に詠唱が必要とされる。それはまるで詩のようなものだったはずだが、今の青年はいくつかの単語を口走っただけだ。あんなものでエーテルを使えるのは、奇跡と呼べる。
 青年は、どこまでも澄ました顔だった。
「驚かれるのは慣れたな。といっても、これ以上種明かしするつもりはさらさら無い、省く。ついで面倒だし」
 何となく妙な言い回しと同時に、青年の姿勢が一瞬にして低まる。
 地面に顔が付くほどすれすれを走る姿に怯えながら、艦長は銃を向ける。
 引き金が絞られる刹那の前に、銃身を中腹から斬り落とされた。すっぱりと撥ねられた銃口が飛んでゆき、咄嗟に引き金に掛けていた指の力を抜いた瞬間、腹に回し蹴りがめり込んだ。
 ごふ、と息を吐いて倒れ込んだ艦長の喉元に、切っ先が突きつけられる。
「Don’t move.」
 冷静な一言が降りかかり、一切の動きを封じられる。
 ふと、息一つするのも命取りの状態にある艦長は気付く。
 青年の握っている、喉との距離数ミリのところにあるその剣は、刃渡り五十センチの軍刀とジャックナイフの中間ほどの長さだ。しかもその刀身には鍔元から切っ先まで窪んだ溝のようなものが彫られてあり、その形に、艦長は戦慄を覚えた。
 その形は、見紛うことなき――銃剣。
「まさ、か……ジーン=ヴィンセント……あの、銃剣≠フっ!?」
 青年は一度だけ口の端を上げ、すぐに澄ました顔に戻して口を開いた。
「動けば殺す。動かなくても命令に背けば殺す。後ろの動ける奴らも動いたらこいつを殺す。統制役を失いたくなければ命令を聞け。内容は極簡単、Dive now(今すぐ海に飛び込め).」





 2




 August.17  

 ――リィゼンブルグ東海諸島――


 砂浜に打ち捨てられたように『バード』が停泊される。
 といっても、ホバーしながらの超低空飛行を利用して草木に隠れるように停泊させた。そうでもしないと白けた砂浜にこんな黒塗りの『バード』はキャンパスの上の黒いシミみたいなものだ。
 降りると同時に、彼の足とは違う傍らにズシンと重い衝撃が突き刺さる。
「っく、結構重いな……まあ、容積分の重量が無いだけマシか」
 ジーン=ヴィンセントは傍らに突き立つ漆黒の巨大な匣を見上げた。しかし垂直に立てるとまた大きさに気付かされる。二メートル半、余すことなく黒一色の綺麗な長方形の棺桶だ。むしろ棺桶と表現すべきか迷った。
 色としてはセンスいいな、と『バード』も外套も真っ黒なジーンは何となく思い、波打ち際に落ちている幹の残骸を引きずってくる。『バード』のふもとまで運び、今度は『バード』の中のダッシュボードからノート型の端末デバイスと送受信コードを引っ張って幹の椅子に腰掛けた。
 コードを繋ぎ、ノートを開いて電源を立ち上げる。
 ブゥン、という電子音と共に木陰の下で端末の画面が明るくなる。
 ジーンはまずそこからさらにアンテナを伸ばして電話のアイコンのクリックし、リストから『Cynon』の部分をクリックして回線を繋ぐ。
 向こうとの通話が開始されるまで、数秒となかった。
『……何か弁明が御ありですか?』
 唐突にスピーカーから流れる平淡な声。内容としては彼女らしいが、若干声質が硬い気がした。
「さぁな、手ぶらで帰るほど落ちぶれちゃいない」
『丸一日連絡なしで、よくもまあそんな冗談が言えますね。感心は絶対にしませんが』
 弁明というより、挑発に近かった。当然のように女性のむっとした気配が伝わるが、すぐに溜息に変わってしまった。
『……まあ、御無事であればもういいです』
「悪かった。俺も易々と傷は受けないさ」
『……………ちっ』
「バレると判っていて舌打ちするな。どの道お前に治療されるのだけは死んでも御免だ」
『嫌なら今すぐフラメシュに戻ってきなさい、刺しますよ?』
「普通に恐いこと言うな」
 スピーカーから溜息が小さく聴こえる。一区切りをつけてから、彼女は話を切り換えた。
『で、手ぶらでないと豪語するからには、何かぶん取って来たのですか?』
「ぶん取って、って……」ジーンはウィンドウを開いてキーボードを叩きながら表情を引き攣らせる。「それがな、やたら戦闘に免疫のある連中だと思ったら、どうも厄介な相手から追い剥ぎしたみたいなんだ」
『……?』
 向こうで首を傾げる空気が伝わり、ジーンはウィンドウに添付されている写真ファイルから一枚を表示した。
 そこには、昨日に襲撃した『シップ』の側面に書かれていた、三匹の白けた蛇が絡み合うエンブレム。
 目を細めて、ジーンは口を開いた。
「【アッシュ・トゥ・アッシュ】だ」
『!』
 空気が驚く風に変わった。
 ジーンが口にした名前は、空賊としてはあまり敵対したくない連中のものだった。バウンティレベルA、言うなればそれは空飛ぶ兵器の塊と呼称すべきである。レベルAの中でも特に【アッシュ・トゥ・アッシュ】は上位を占めていた。
 途端に、彼女の声が硬くなる。
『まったく……よりにもよってなんて連中に喧嘩を吹っ掛けたのですか』
「こうなれば俺もお前も同じ手繰り寄せた綱を引くだけだ。付き合え」
『プロポーズどころかエスコートにもなってません』
 若干声色に怒りが混ざった気がしたが、ジーンはあえてスルーした。
「それでな、奴等が運んでいた代物なんだが……一口には伝えられない、画像を転送するからまず見てくれ」
 予め撮影しておいた画像をメールに添付して送信する。送信完了までのゲージが百パーセントになる間に手早くジーンはオペレートフォンを首に引っ掛けてプラグを差し、マイクを口元に近づけて喋りだす。
「見れば分かるが、事務的発言は匣か盾、第一印象は『なんだこりゃ』だ」
『……至極意味不明の第一印象ですね……、来ました。……………ジーン、なんですかこれは』
 意味不明とか言った舌の根も乾かない内にしゃあしゃあと述べる女性。
 だがジーンは眉根を寄せて首を横に振った。
「それが判れば画像なんて送らない。これが一体なんなのかが全く判らない。なんせ装飾はおろか開けるための取っ手すら無い、本当にただの四角い匣なんだ」
『確かに……これではなんの用途に使うのか判りませんね。で、材質は何ですか?』
「待ってくれ、さっきからデータ照合しているところだ」
 データバンクを経由して、この匣の色素体、光の反射率、硬度、反響性、弾力性、保温度数、その他様々な情報を読み込んでそれに近い材質を閲覧する。ただしこれは立派な犯罪なので、情報の逆探知されたら居場所が割れてお終いだ。
 すると、ポン、という軽い電子音と共に照合が終了を告げる。
 随分と長かったと思い、ジーンは画面に出てくる答えを覗いて言葉を失った。
「……」
『……………? ジーン、照合が終わったのでしょう? 何で出来ていたのですか? 鉄ですか? アルミニウム? 原石類? それとも合金鋼製ですか?』
 答えあぐねることに疑問を感じた女性は訊いてくるが、ジーンはしばし茫然とした感じで答えた。
「分類、不可能」
『……、ジーン。今、何と仰いましたか?』
「聴こえなかったのか? 分類不可能……この世界中どこに行ってもこれと同じ材質をした物体とは巡り合うことなし、という回答が出た」
 しばしの沈黙、次に返ってきた声はどこかまた怒っていた。
『……私はこれまで幾度と無くジーンに皮肉を言われ続けてきましたが、遂に喧嘩を売られる日が来るとは……』
「待て、お前何気に本気で怒ってるな……っ?」
 顔が判らない会話で良かった、とジーンは内心で酷いながらも思った。
「それ以外の形容も出来ない。本当にデータバンクのどの物質とも合わないんだ。とにかく『匣』なんだ」
 そう言うと、少し無言の女性は諦めるように吐息を漏らした。
『そんな訳の判らない代物をパチる男と心中するつもりはありません』
「お前最近俺に対する言い口がストレートになってないか?」
『前からストレートに発言すべきと思っていたのです。貴方という人はどうしてそう毎回毎回毎回毎回毎回死にかけたがるんですか? 先々月も【フォックス・フェイス】の面々と普通に遣り合って街一つ半壊したではありませんか。私が居なければ貴方の左腕は今頃使い物にならなくなっていたのをお忘れですか?』
 矢継ぎ早に繰り出される機械めいた口調に、ジーンはヘッドフォンのスピーカー感度を下げた。
「それについては日を改めて飯を奢ってやっただろうが。それだけでその先々月の街一つ潰す戦いで得た儲けの半分を費やしたんだぞ、しかも治療費は別腹で」
『……む、』
「俺を相手に棚に上げやがって……そんなに文句が言いたいならもう一度調べてみるか? 同じアカウント(端末照合)で二度も帝国軍のデータベースに侵入して逃げ切れる自信は無いんだが」
『分かりましたからやめてください……』
「分かればいいんだ。それに、何も損してるとは限らないだろう」
 諦めて黙する女性に、ジーンは傍らの匣をノックするように軽く叩いた。その音は、ゴツ、ゴツというこっちの骨に沁みるような衝撃だけ返ってくるが、目を細めてジーンは言う。
「俺がさっきから匣匣言っているのに気付かないのか?」
『……、あ』
「匣と言うからには、中身が空洞だ≠ニいうことだ。この匣、大きさの割に重さが釣り合ってない」
 端末に表示されるグラフは、密度と比重とがアンバランスであるという答えが出ている。
『中に何か有ると?』
「さぁな。連中が何を運ぶつもりだったのかはさっぱりだったが、連中が意味もない運び屋の真似はしない」
 視線を海原に向ける。
 昼過ぎの白い砂浜はとてもバカンスに向いている絶景だ。少々人気を呼ぶには気になってしまう鬱蒼とした小島だが、潮騒が耳に心地よかった。休憩には申し分ない。
「どの道、『開ける』機能が無い以上これが匣なのかそうでないのかは判らないが、中身を調べる分には損はしないかも知れないぞ。なんせあの【アッシュ・トゥ・アッシュ】の運んでいた物資だ」
『事後問題は山積みですが、その辺はさっきから全スルーする気満々ですね』
「楽しまなきゃな、人生は短い」
『……、』
 一瞬、女性は言葉を選び損じた。
 それでも平淡な声を維持できたのは、偶然か、はたまた自力だったか。
『……死なないようにとは祈りませんよ、巻き込まれる人間の特権です』
「手厳しいな。まあ、妥当な返事だ」
『なんにせよ、余計な足がつかない内に戻ってきてください』
「分かった。とりあえず俺はレゼントーレにでも姿を隠すつもりでいる」
『レゼントーレ、ですか……あそこは帝国圏ですよ? 少し危険では』
「危険だが、それは【アッシュ・トゥ・アッシュ】も同じだ。顔が割れているわけではないしな。相手が相手なら手は出さない」
『では私は三日後に向かわせていただきます。くれぐれも、御無事で』
「ああ」
 通信を切り、一息ついたジーンはもう一度漆黒の匣を見上げる。
 漣の音色と瑠璃色の蒼い空。
 その清い背景を塗り潰すように屹立する匣に、ジーンは小さく吐息を漏らしてから端末の電源を切った。





 Same hour.

 ――帝国都市ジェノバ・セントラルエリア大聖堂内――


 荘厳な聖堂の造りをした建物の中を、彼女は毅然とした足取りで進む。白を基調とした廊下に、濃緑の絨毯が敷かれた優雅な外観は来る者が全員目を奪われるが、彼女にとっては庭のような感覚だった。
 黒髪を腰までしなやかに伸ばし、着込んでいる服は純白の正装衣。スカートのようだが、側面がスリットのようになっていて、瑞々しい太腿が歩くたびに見える。
 銀色の革の胸当てに褐色のベルト。ベルトには左腰から刀が提げられているが、これは軍刀ではない。そもそも、なんの特殊技術もない刃物だけ≠装備にしている人間は彼女のほかには誰も居ない。それほど、刀を握らせれば帝国軍随一を誇るという意味も込められていた。
 十五歳の若い相貌に黒い瞳、黒髪黒眼は極東国家シンの出身者の特有だが、事実彼女はその出身の貴族出だった。
 カヤ=トウドウは廊下を歩きながらも伝達された書類を片手にじっと視線を落としていた。いつも歩き慣れている場所なので、人とぶつからない限りはヘマはしない。
 書類の中身は、つい先日の出来事を記されている。場所はこの地、ジェノバのすぐ沖合い近く。内容は、戦闘結果。
「あ、先輩っ……!」
 後ろからかかった声に、カヤは振り返るなり書類から目を離すなりするどころか、足すら止めない。
 なので、向こうから小走りで追ってくるのを背後に感じながらも、口を開いた。
「先輩はやめろと言っただろう。私は副隊長、お前は官長補佐だ」
「す、すみません……」
 青い髪を適度に切り揃えた長身の青年は、眼鏡の奥の頼り無さそうな顔を余計に引き攣らせた。
「あ、それ、例の襲撃戦のですか?」
 ユアン=ランドットの窺うような声に、カヤは相変わらず視線一つ外さずに頷く。
「ああ、ここの近海、丁度軍の空域のギリギリ外で起きた謎の『シップ』の残骸発見。捜索班によれば堕ちていた『シップ』は全部で三機、恐らく空賊だな」
「空賊? どうして……」
「総ての機体の側面に剥がされたような痕があった。エンブレムを削り落として誰か判らないようにしたようだ」
 長い黒髪の奥からじっと書類を見つめ、カヤは流れるように言葉を紡ぐ。こう見えて顔立ちはとても可愛らしく凛としているので、一切表情を崩さない少女にユアンは惹かれていた。
「さ、さすが……よく判りましたね……!」
「捜査の初歩中の初歩だ、これぐらい気付かなくてどうする馬鹿者」
 ……、と沈黙するユアン。そう、一切表情を崩さないどころか、彼女が自分を経由して笑ったことなど生まれてこのかた一度も無い。そういう意味では近寄り難い空気も放っていた。嫌われているんじゃないかと。
「だが腑に落ちない」
「どうかしたんですか?」
「ああ、『シップ』を三機も撃ち落した相手にしては、目立って盗まれた物も無ければ死人も出ていないんだ」
「空賊狩り、じゃないんですか?」
「にしては、死体が無いというのが気になる。連中を狙って襲撃したようには思えないんだ」
 資料に記されている限りでは、『シップ』の撃墜要因は《コア》ごと動力部を撃ち抜かれているという点。しかもカヤ本人の問題視としては、その撃ち抜きがあまりに見事すぎるということだ。バルカンの類ではなく、ライフルショットタイプ、つまり単発式の砲弾で一撃で撃ち抜いた技術。
(機動性の観点から見ても……恐らく相手は『バード』)
 ただ、三機もの『シップ』を相手に『バード』では火力不足で負けかねない。『シップ』には『シップ』、『バード』には『バード』の戦闘が一番効率が良い。これは《コア》による飛空挺乗りの基本だ。
 つまりは、中級とはいえ『シップ』三機分に相当する性能を持つ『バード』を、乗りこなせるだけの技術を持つ者。しかも一機の『シップ』内に乗り込んで銃撃戦を起こしているのならば、エーテル術士の可能性も膨らむ。
 以上の疑問点からして、浮かんでくる人物像は、カヤの知る人間。
(……まさかな、奴が生きているわけが――)
 不意に、見つめていた書類が潰れた。
 何かと顔を上げるより先に、顔面から何かにぶつかって視界が暗くなる。
 思わず鼻を押さえて一歩二歩とたたらを踏むと、ぶつかった相手はカヤを見下ろした。
「む、なんだトウドウ君じゃないか」
 カヤが視線を上げると、そこには長身に白い正装衣を着る男性が居た。
 黒髪をフロント分けにした知的な相貌の厳格そうな男性。その顔を見て、カヤもユアンも同時に敬礼した。
「し、失礼しましたっ、カッシュウ隊長……!」
 カヤに至っては、鼻を赤くしているのを忘れて敬礼する。それを見て、グレイズ=カッシュウは口の端を上げてしまった。
「いや、こちらこそ気付かずに済まないな。丁度君にも話を通したい内容があったんだ」
「は、なんでしょうか」
 カヤですら敬語で答える。まあ、隊長あっての副隊長なのだから、当然だ。ただし、カヤの場合は少し違う意味合いも込められているというのは、ユアン含め少数しか知らないことだ。
 グレイズは少し肩をすくめた。
「トウドウ君、もう少し口調を崩してくれてもいいのだがな」
「いえ、そういう訳には参りません。して、話とは……」
「ああ、その潰れている書類の件についてだ」
 はたと視線を落とすカヤ。手元の書類はグレイズとぶつかった際に潰れて皺くちゃになってしまっていた。カヤは慌ててそれを伸ばしながら、顔を上げる。
「な、なんでしょうか……! 現在この件の該当人物の調査に当たっているところですが……」
「いや、伝わっているのならそれでいい。悪かったな、ランドット君と話している最中に」
「構いません、任の話をしていただけですので」
 つっけんどんなまでの態度を表すカヤ。傍らでユアンがちょっとへコんだのは勿論気付いていない。
 それを察したグレイズは、少し苦々しく笑ってカヤを見る。
「では、私はこれで失礼する。その件は任せたぞ、トウドウ君」
 一瞬、カヤの表情が輝いた。本当に十五歳の乙女のように頬を赤らめて、それから力任せなぐらいに敬礼した。
「はっ! 尽力を……!!」
 うむ、と頷いてグレイズが去ってゆく。
 廊下の角で姿が消えるまで見届けたカヤは、ユアンへ振り返った。
 その表情は、意気込んでさらに厳格に睨むような顔。
「さあ、行くぞランドット! まずは狙われた空賊の素性を明かす!」
「は、はぁ……(やっぱ隊長なのかなぁ、先輩って)」
「返事が小さい!」
「は、はいっ!!」
 それから書類を握って早足に進みだすカヤに、ユアンは慌てて尾いていった。





 3




 August.18

 ――気筒都市レゼントーレ――


「いらいっしゃい……ま、せ……」
 顧客リストとペンを片手にカウンターに座った女性は、昼下がりの客の持ってきた荷物に営業スマイルを崩した。
 絶句しながら見上げた先には、二メートルを超える漆黒の匣。
 カートに乗せてやってきたのは、一人の美青年。灰の髪と水晶色の瞳のマントを羽織るその青年は、女性のそんな強張った表情など何のそので澄ました顔をしている。
「……、客なんだが」
「え、あ、はい、えーっと……お一人ですか?」
 匣をちらちらと見ながらも、仕事をこなそうとする女性に、ジーンは頷く。
「後々で一人来るかも知れないから、部屋を一つ余分に空けといてくれ。金は払う」
「あ、分かりました。お名前のほう窺っても宜しいでしょうか」
「ジミー=コーネリア、後から来るほうはクノン=コルステイアンだ」
 勿論、前者のジミーとはジーンの偽名である。ジーン=ヴィンセントの名前なんて出したら、その時点で帝国軍に通報されること間違いなしだからだ。
 名前を記入し終え、女性は徐々に平常心を取り戻したのか、自然な笑みを作る。
「後から来られるということは、二,三日の宿泊ですか?」
「ああ、連れが着たらすぐにチェックアウトするつもりでいる」
「分かりました、でしたら103と104の部屋になります。鍵を二つともお渡ししておきますか?」
「どうもありがとう」
 そこでジーンも愛想笑いを浮かべると、十五歳を相手に二十歳前後の女性の頬が赤らんだ。顔はいいので、無表情を崩すとあどけなさが出る。たまに異性を相手にする時に利用することがあるのだ。
 二つの鍵を受け取り、それをポケットに入れてカートを引っ張る。
 ふと立ち止まり、ジーンは女性に振り返った。興味津々といった風に匣を凝視していたところを振り向かれて、女性がうろたえて視線を外すのが、面白かった。
 が、今度はさすがに事務的な会話のための殺した表情。
「この辺で情報を得るにはどうしたらいいと思う? 酒場が定石か?」
「情報、ですか……そうですね……」意図する部分に気付かない女性はしばし考え、やがて顔を上げた。「そうですね。大通りを東に歩いたところに有りますサルーン(酒場)か、商店の類、あとは帝国軍の支社があります」
 ふむ、とジーンはやはり予想通りの返答に頷いた。
「商会の方ですか?」
 女性はそれとなしに訊いてきた。恐らく、この匣が取引の代物だと思ったのだろう。
「鋭いな、その通りだ」
 嘘だが、彼女以上に策士として器量のあるジーンは笑みを浮かべて言った。


 部屋の雰囲気は、悪くなかった。木製のベースにカーペットを敷き、飾りのための棚が置かれている。ベッドは一人用なので小さいが、シーツは新鮮な陽光の香りがする柔らかいものだ。とてもじゃないが『バード』のコックピットの乗り心地に比べればまだマシだった。
 入り口で引っ掛かる匣に苦戦しながらも部屋に入り、ジーンはカートから匣を床に移した。倒れたりしないように、横たわらせてからジーンはベッドに腰掛けた。
 ふう、と小さく息をつき、それからすぐに思考を切り換えた。
 さっきのカウンターの女性が言っていたソース(情報源)は、サルーン、商会関連、そして帝国軍支社。妥当な線ではある。元々それ以上の裏ルートは期待していなかった。
 とは言え、商会に行ったところで得られる情報などたかが知れてるし、御尋ね者もいいところのジーンが帝国軍支社に行けるわけがない。
「やっぱりサルーンしかないんだな。まあ、しょうがないと言えばそれで終わりだが……」
 問題は匣の不明瞭な部分と、空賊を相手にしてしまったという点だ。
 前者はどうにでもなるが、後者は厄介だ。物が物だけに担いで逃げることも適わない。
「せめて、クノンが来るまでに足を掴まれないことを願うだけだな」
 ジーンはそう一人ごちて、ベッドに仰向けに寝転んだ。
 天井の木目をじっと見ながら、ジーンは少しだけ無心を過ごし、指貫手袋を着けたままの右手をかざして手の平を見つめた。
 銃剣なんて骨董品を武器にしているせいで、指は擦り切れて皮が硬くなっている。
 それをじっと見てから、目を細めてジーンは呟いた。
「……今年で、俺も十五、か……」
 ぽつりと呟くのは、そんなこと。真意を知れば、誰もがどうでもいいと思うこと。彼の言葉の重みなど知らない人間に、ジーンは知られても困ること。
 独りなら、平然と呟けるのに。不思議だと思った。
 ジーンは少しだけ目を閉じて、ぐるぐると回る思考を無心にしてから切り換えた。殺し合いにも発展する空を駆けてきたジーンの、事務的な技能が役に立った。
 ベッドのスプリングを反動にして、ジーンは身体を起こす。
 横たわる匣に近づき、顎に指を当てて思考に耽った。
「材質が判らないというのがお手上げだな。これじゃエーテル操作も出来やしない」
 金属錬成は物体の比率演算が小数点以下を下回らないと許容にならない。詠唱に失敗するとエーテル術士の力は術者本人に跳ね返る。下手な効果は与えられない。
 試しにジーンは右手を握り締めて、
「エーテル開放。煉式、彼・者・我・志・届・意・表=\―」
 本来、エーテル開放に必要な詠唱はこんなものではない。
 今の詠唱の正式な内容は、彼の者、我が意志が届くがままにその意味を表せ=Aというものだったのだが、ジーンはそれに必要不可欠なキーコードだけを抜き取り、スペルショートカット(詠唱破棄)を得意としている。
 ショートカットを受けて起動された力によって、右手がボォ、と燈る。
 握り締め、ジーンは目一杯に匣に拳を叩きつけた。
 ズ、ドン!! という鈍くも強烈な音を発し、匣に振動が伝わる。
 だが、
「〜〜っ!」
 びりびりと骨に沁みる激痛を拳に感じ、痛む手をひらひらと振って匣を見た。
 漆黒の匣は無傷だった。それは単にジーンの非力を差してなどいない。煉式のエーテル術によって衝撃を倍化された一撃によって、匣の輪郭に沿って木の床が少しめり込んでいた。
 それを見て、さらにジーンの顔が『あ、』という風に間抜けになった。
「し、しまった……思いっ切りやぶ蛇だ」
 あの女性に怒られそうだな、と思いながらジーンは根負けしてベッドに倒れ込んだ。
 とりあえず手袋とマントを脱ぎ、少し長めに目を閉じると、予想を上回る疲れからか眠ってしまっていた。





 次に目を醒ましたのは、夜だった。宿の食事を運んできた女性に起こされる形で起きたジーンは、食事をしながら匣について考え続けていた。
 錬成し直して錠破りは無理、こじ開けるのも失敗、となれば特殊なエーテル術が鍵なのか。
 そんな風に考え込んでいると、テーブルの端に鎮座していた端末からコールが鳴った。
 開いて電源を立ち上げると、回線の接続コールが鳴っていた。それを繋げる。掛けてくる人間など、一人しか居ないからだ。
『ジーン、今どちらですか?』
「端末で応答してる時点で『バード』に乗ってないってのは判ってるだろ」
 シチューの中の人参を刺して、口に運ぶ。その気配に対して女性は気にも留めずに答える。
『では明後日には向かわせていただきます。何かと情報隠蔽も楽ではないので』
「お前も『バード』乗りになったらどうだ? 少し金は掛かるが、足が着きにくい」
『そうですね、オールブラックカラーの動く的みたいな「バード」乗りの言葉では信憑性は薄いと思われますが』
「辛辣で返すくらいなら一口で『嫌だ』と言え」
『ところで、例の匣については何か判りましたか?』
 お決まりの応酬を交わし、女性はすぐに話を変えた。
 本当は少し興味があるんじゃないのか? と思いつつ、じゃが芋を噛み砕いて嚥下し、答える。
「無理だな。下手に錬成して訳の判らない物質と腕の体細胞結合なんて御免だ」
『こじ開けるのは?』
「お前それでも自称看護婦に自覚あんのか? ……、ぶん殴ってはみたが、硬すぎて傷一つ付かない」
『そうですか……それから、自称ではありません、自他共に認める白衣の天使です』
「黙れ黒衣の悪魔」
 手術された過去の左腕を思い出し、背筋を凍らせるジーン。あの時、腕に変な装備を付けられていないかと一晩中眠れなかったのを、恐らく受話の相手は忘れているだろう。
『談笑はさておき、エーテルによる開錠が出来ないのでしたら、どうしようもありませんね。もしかしたら、そういった用途のための新素材ということは?』
「頼むから談笑≠チて言うな……大体、そんな実験めいた代物を【アッシュ・トゥ・アッシュ】が取り扱うとは思えない。連中が好いて掻き集めてるのは単純な武装だ」
『でしょうね……』
 向こうも思考の袋小路に詰まったのか、考え込んでいる。
 ジーンはふと食事をしながら、ふと気になることを思い出した。
「……ん?」
『? どうしました?』
「あ、いや……、ちょっと待て」
 食事も通信もほっぽって、ジーンは匣の前に立つ。
 手を伸ばし、そっと触れる。ひんやりとしていて、いかにも金属的な触感だが、それに向けて念じるように目を閉じる。
「エーテル、開放」
 言葉を紡ぐ。スイッチのように切り替わるはずの、体内から湧き上がるような感覚が――来ない。
 しん、と静まり返った部屋に、女性の声だけが聴こえる。
『ジーン? どうしました? ……、ジーン?』
 ジーンは一度考えを纏め、すぐにテーブルに戻って椅子に座ると、フォークを指先で遊びながら口を開いた。
「判ったぞ、クノン」
『何をですか?』
「この匣の中身だ……多分、武器か、あるいはそういう類の精密機器」
『何故?』
「あの匣、俺のエーテル術での一撃に傷一つ付かないと思ったら……当然だな、エーテルを無効化してる=v
『……!』
 女性は言葉を失った。
 静寂の中に、窺うように女性は声を掛けた。
『……エーテルを、無効化?』
「正確には、触れる現象を総てリセットしてるんだ。『ジーン=ヴィンセントのエーテル煉式による打撃』という現象を、強引に打ち消された。それで素手で殴ったのと変わらない状態になったんだ」
 エーテル術士は、現象を操る能力者だ。
 言わば、その現象の必需要因を結合、あるいは加速して実際に扱う、想像を実体に具現化する@ヘのことを差す。それは同時に、『エーテルによる加速の付いた殴打』と『本人そのものの殴打』とは別扱いされる。そういう概念で言えば、前時代の死語と化した超能力に似ている。あれは思考によって強い力場に影響され、『本当ならこうなるはずだった未来』に強引に書き換えるのだ。未来の書き換えと言っても極些細なズレでしかないし、無い物ねだりで生まれる異常など何処にもない。エーテル術も本を質せば本来起きるはずの現象を実際よりも倍化しているだけだ。
 だから、本来存在しない現象はエーテル術士には出来ない。死者蘇生や不老不死、他にも砂漠のような乾燥地帯で雷電や雨は起こらない。真空に音は伝わらない。そこにある材料を利用して、初めてエーテルは力として行使できる陣取り合戦≠フ武装であり、結局は銃と弾丸の役割に近いのだ。
「原理はさっぱりだけどな……この匣、エーテルだけは綺麗さっぱり無効化するらしい」
『しかし、どうしてそれで中身が武装だと?』
「考えてもみろ、盗んだ相手は【アッシュ・トゥ・アッシュ】。帝国軍に見つかるかも知れない空路を取り、挙句対エーテル技術なんざしてあったら、誰だって軽々しく開けたくない代物が入ってるって予想がつく」
『しかしそれだけで武器と断定する必要は……』
「クノン。もっと柔らかく思案しろ、人体イジる時は俺も想像だに出来ない判断するくせに」ジーンはふん、と鼻で皿の中のブロッコリーを刺して食べる。「んぐ……、この対エーテル技術は、何も外側に対して≠ニは限らないだろう」
『……、あ……なるほど』
 納得の声がする。
「そういうことだ。エーテルを応用した新型武器、最近この界隈で噂になりだしてるエーテル武装ってやつだ」
 エーテルは人を経由しなければ発動しない。当然だ、術者の思考によって創り上げられた想像を具現化するのに、血肉はおろかなんの思考能力も無い銃だの剣だのにエーテルが使えるわけがない。
 ところが、それは逆を言えば人を経由さえすれば武器を中間点に置いても発動できる可能性があるんじゃないか≠ニいう結論が出たのだ。
 そうして最近になって造られているのが、特殊な紋章を刻んで製造した、『人の意思に反応して、その人間のエーテル効果を引き出す』武器だ。それが、エーテル武装。
 といっても、それはあくまで噂でしかない。また別の噂では、まだまだ実験段階という説も浮上している頼りない兵器である。それどころか、すでに立派な武力として確立しているエーテル術にわざわざ亜種を造るな、などという批判も出ているほどだ。
「少なくとも、エーテル術士に反応してもらっては困る代物を積めてるってことだ」
『さすがですね、元帝国軍の天才傭兵と謳われていただけのことはあります』
「……よせよ。あれは所詮、踊らされていただけのことだ。俺も、お前もな」
『……、そうですね』
 ジーンの推測の鋭さに感嘆していたせいで、思わず地雷を踏んでしまった女性は苦々しくも答える。ジーンは笑った。
「そこで辛辣の一つでも返せば、笑い飛ばせるんだがな」
『いいえ、これは私のミスです』
 そこで素直な反応をするから、気難しい女だとジーンはコーヒーで口腔を潤わした。
「中身が武装なら、開けられる内に開けないと面倒だな」
 端末の向こうで頷く空気が伝わる。逃げの体勢を取る者の定石だ。盗んだ物が高価な宝石や火器武装の類なら、剥き出しで持って移動したほうが相手は攻撃しにくくなる。
「とりあえず大人しくこれの開け方を考えてみる。用が済んだら来てくれ。お前の分の部屋も空けてある」
『おや、さすが紳士ですね。御心遣い感謝します』
「世辞に紛れて軽口を叩くな。じゃあ、頼んだぞ」
『出来得る限り、早めに……あ、そうでした。言い忘れる前に忠告をお一つ』
「なんだ?」
『どうも今回の件、昨日の時点で既に帝国軍の耳に入って、今は調査が掛かっています』
 ジーンの眉根が小さく動いた。
 妙に早い。いくら空域ギリギリとはいえ、連中が動き出す遅さを見越して彼女との合流を二日後にしたのだ。
 あまりに意図的に、まるで空賊の戦闘が起こることが判っていた≠ゥのような手馴れた動きに、ジーンは一瞬考え込んだが、ここで大人しくしていれば見つかることはないと踏み、顔を上げた。
「目立たなければ些事で済むかも知れないな」
『そう仰ると思って、最後に訊かせていただきました』
「ありがとう、何かあったら伝える」
『こちらこそ』
 ブツ、と回線が切れ、ジーンは電源を落として端末を閉じると、小さく吐息を吐いて区切る。
 が、否が応にも視界に入ってしまう匣を一瞥し、ジーンは少し冷めてしまった食事を再開させた。


 はたと目を醒ましたジーンは、顔を上げる。
 勿論一人眠る部屋が明るいわけがなく、暗闇に窓からの月明かりだけの淡い漆黒に沈んでいた。重々しさの無い柔らかい静寂の中で、ジーンは首をコキコキと鳴らした。
 ジーンは職業柄からの癖で、眠るときも常に壁に背を預けて座るような体勢をする。しかも、三十分ほど眠っては起きてを繰り返して決して深い眠りを摂らないようにもしているので、電灯を消してからすでに四回目の目覚めだった。
 普通の人間なら、仮眠の繰り返しで精神面がおかしくなるものだが、ジーンは取り分け大した風もなく、ただ無心のまま意識が覚醒してゆくのを感じていた。
 やがて、暗闇に慣れた眼は月明かりの斜線を浴びる部屋の風景を眺め、ジーンは再び眠りの浅海に意識を薄めようと目を閉じた。
 瞬間、
 ガコン! という鉄仕掛けの骨組みが外れるような音が部屋に響いた。
 半ばまで眠っていた頭が一瞬にして引き戻され、ジーンは傍らのベルトに差してある銃剣の柄に手を移し、体勢を立て直した。
 だが、しぃん、とした部屋に特に異常は見られない。
 目まぐるしいほどに辺りを見回して、足元に気付いた。
 床をころころと転がっている物体。よく目を凝らせば、それはカップだった。眠る前の一杯にコーヒーを飲んだときのカップで、恐らくベッド脇の台から落ちたのだろう。
 ふぅ、と息をついてジーンはベッドから降りるとそれを拾い上げる。
 幸い、カップは無傷だった。この宿の備品なのであまり傷つけたくなかったし、何より肩透かしを喰らって落胆めいたものを覚えて溜息を混じらせる。
「まったく……ビクついてる時点でジーン=ヴィンセントも終わりだな。まあ、一度は終わった人生だけど」
 冗談のように軽口を叩き、カップを台に置く。
 仮眠の繰り返しとはいえ、まともに眠れる貴重な時間を割いていつまでも起きていてはもったいない。
 ジーンは灰の髪を一度くしゃくしゃに掻いて、ベッドに振り返

「……、あ」

 小さく呟き、立ち止まったジーンは静かな闇の中で一つのキーワードを思い出した。
 起きた要因とも言えるカップ。これが床に落ちるとき、どんな風な音がしたか。
 そうだ。確か、鉄仕掛けの骨組みが、
「……外れる、」
 ばっと振り返り、急ぎ足で匣に近寄ったジーンは喰い付くような勢いで匣に両手を伸ばした。
 ひんやりと冷たい感触を撫で回しながら、その口元は少しぎこちない風に笑っていた。
「そうだ、どうして匣だから開ける≠ニいう考えしか思い当たらなかったんだ……何も匣を開ける時に取っ手なんて無くてもいい≠だ。元々、これはパズルみたいに動かして初めて何か作動するのかも知れない……!」
 自分の手で明かされることに、不思議と湧き上がる高揚感を押し殺して、すぐに匣を調べる。
 様々な面を撫で、あるいは叩き、一方向に強く押してみたり、そうして知恵の輪を相手にするかのようにジーンはあらゆる可能性を演算して匣を触った。残る床と面する部分を触るため、極力静かに匣を持ち上げ、垂直に立てる。
「くそ、だめか……」
 弱音を思わず吐いてしまいたくなるも、ジーンは匣の細部という細部を触る。しかしそれでも滑らかで見事なまでの平面が手の平を伝わるだけで、特に変わらない。
「……っは、……くそっ」
 根負けしたジーンは疲れ、ベッドに腰掛ける。ぎし、とベッドが軋む。
 両腕で膝に杖突き、口元を覆うような考える仕草で考えてみる。
「エーテルを通用させないのなら、エーテル術士に関係ない人間が鍵だと思ったんだが……駄目だな、これは」
 今から相棒に通信なんか寄越したら、絶対半殺しにされてから手術されると思う。
 せっかく謎が解ける兆しが見えたと思ったのに、振り出しに戻った。
「パズルねぇ……パズル、パズル、……」
 そういえばかなり昔、前時代のオモチャであるらしいルービックキューブを暇潰しにやったことがあった。
 あれはよく出来た代物だとジーンは思っていた。九個六面のブロックで構成された匣で、一面分を回転させて様々なパターンに回してゆき、同じ色の面に戻すという手法だ。子供のくせに大の大人よりも早く解いて得意気にしていたことを思い出す。
 あれのコツは確か、一つの面だけではなく全体を意識して回すこと。
 それからもう一つはジーン本人だけのコツだが、総てのパターンをあらかじめ想像して、その通りに回してゆく。後者は特にエーテル術士にとって有効な特訓として渡されたので、よく憶えてた。
「パターン……」
 初歩に還れば、そういえばまだしていないパターンがあった。
 ジーンは何気なく立ち上がり、匣にそっと手を触れる。それから少しだけ、触れるか触れないかというギリギリのところで手を浮かして念を込める。
「エーテル開放」
 そのまま、力の込められた右手をすーっと動かし、何かならないかと懸念した。エーテルを拒絶するとはいえ、何もエーテルそのものを何もかも否定するわけではない。何かしらの反応があるかも知れないと思ったが、
「……反応、無しか」
 もう諦めて手を離そうとした直後、

 ――エーテル反応を確認。コードパターン不明、ただし年日時の経過によるロック解除により、免除。

 声が、聴こえた。
 相棒のような平淡な声とは違う。まさに感情がない、人間の声を聴いた気がしなかった。
 思わず身体ごと離れた瞬間、漆黒の匣に閃光が奔った。
 ズバン!! と絹を引き裂く音と共に匣の壁という壁に開きの象形が模られ、眼の絵が光によって創られる。

 ――『エルキドゥ』解禁。コマンド(命令文)の受諾受けず、強制的に開放。『ロンギヌス』、起動。

 無感情の声と同時に、匣から蒸気のような煙が噴出される。
 焼けた鉄を冷やすような音が部屋中に響き、白煙に紛れてガコン! という外れる音が続く。
 匣に奔られた閃光によって目を細めるジーンは後ずさって銃剣を引き抜いた。
「なんだっ……!?」
 銃剣を構えて、閃光の奔流に警戒する。
 途端、光は収束し、再び夜が訪れる。それでも匣は白煙に呑まれて見えない。
 警戒しつつもジーンが一歩近寄ると、ごとん、と何かが軽く床に落ちる音がした。
 ジーンは傍らの窓を開ける。海に面した街特有の潮の香りのする柔風が過ぎり、白煙がそれに薙がれて薄まる。ゆっくりと、部屋の景色は元に戻ってゆく。
 さらに、何かが床に落ちる音。
 思わず顔をしかめてしまうジーンが、白煙の散って見えた光景は、絶句するものだった。
 匣は真ん中から開け放たれ、中は乱雑に、しかしどこか調和を持った機械が埋め尽くされている。銀の光沢をぬらぬらと蠢かせる機械の中から、這い出るようにして現れたのは――、

「……、あ……ぅ」

 少女、だった。
 歳は十二歳前後の幼さ。素肌の瑞々しさ以前に、その体躯から滲む丸さが幼さを表していた。
 銀の髪、見事すぎるサラサラの髪は濡れたように広がり、床の上を這っている。さっきから聴こえる、ごとん、という低い音は、少女が体勢を崩して頭を床にぶつける音だった。
 たどたどしいといえば可愛げがあるが、まるでゾンビのような動きで白い腕を彷徨わせる。
「あう、……あ」
 静寂に彼女の喉からの掠れた声だけがする。
 すると、やっと自分の状況が判ったかのように手を突いて上体を起こす。
 銃剣を構えたまま硬直するジーンに気付いて、少女は顔を上げた。
「――、」
 息を呑む、姿だった。
 月明かりに照らされる、裸体。銀砂の髪から映る瞳は血のような真紅。幼い顔立ちだが、妖精のように無垢で惹き付けられるものがある。月明かりという淡い光に反射した肌も魅力的だった。
 あどけない顔はきょとんと呆けていたが、やがて、ジーンを見て小首を傾げながら口を開いた。
「おにい、さん……誰?」
 鈴のような声。
 彼女以上に呆然としながら、ジーンは構えていた銃剣を下げて、言葉を捻り出した。
「お前こそ、誰……なんだ」
「ボク?」
 不思議そうに首を傾げ、少女はなんの違和もなさそうに答えた。

「あれ? ボク、って……なんだっけ?」

 月夜に照らされた異常者は、眉根を寄せてそう言った。





 4





 August.19


 街を歩くジーン=ヴィンセントは一つの店に入った。
「いらっしゃいませ〜」
 従業員はいい男が入ってきたと嬉しそうに笑顔で迎える。
 とりあえずジーンはすでに買い込んでいた食糧の詰まっている袋を置かせてもらい、店内を見回す。
 やって来たのは服の売り場だった。これでも帝国圏の都市なので、長旅を考慮した丈夫な革の服を専門に取り扱っている。といっても、派手でなければそれほど頓着しないジーンの買い物ではない。
「どのような服をお求めですか?」
「長旅用の女物を二,三着欲しい。歳は十二歳ぐらいの一四〇センチ」
「お客様のではないのですか?」
「生憎、連れの服だ。適当に選んでくれていい」
「はい、判りました。こちらへどうぞ」
 

 扉の鍵を開け、ジーンは部屋に入る。
 途端に、笑顔に迎えられた。ただしこちらは商売意識など端から無く、純粋に無邪気な笑みだった。
「あ、おかえり〜」
 という少女は、ベッドの上に居た。
 素っ裸の上からシーツに包まってこちらに手を振っている。酷く誤解を生む光景だが、決してわざととかそういう方向に進んでしまったとかじゃなく、単に今の彼女には着る物が無いのだ。
「ただいまとか絶対言ってやらねぇ」
「……、そんないっぱい喋るなら一言『ただいま』でいいじゃん」
 拗ねるような口振りをする少女。
 テーブルに買い物を全て置き、ジーンはマントを脱いでから袋の中を漁る。
「とりあえず着るものは適当に買ってきた。この中から好きなのを着ろ、いつまでもそんな格好だと風邪引くぞ」
「あ、ども」
 ベッドの上に散りばめる服をじっと見て、紅の瞳があちこちに巡る。やがて気に入ったのがあったのか、上下の服をチョイスしてごそごそとシーツの中で蠢く。
「見ないでね、一応は恥ずかしいから」
「そんな趣味はない」
 そのツッコミがなんだか可愛げもないと言っているような感覚を覚え、少女はぶーたれた。
 服を着ている少女に、ジーンは紳士的にも視線一つ寄越さずに口火を切る。
「で、思い出せたのか?」
 彼女には、真説何も持ってない。服どころか、自分の名前までも無いらしい。
 どうやら記憶喪失というものを起こしているようだが、しっかりと会話できるあたり、『思い出』に当たる部分を欠落しているようで、知識はあるようだった。
 服を着た名も無き少女は、シーツを剥いでベッドから降りる。
 振り向くと顔をしかめた。
 少女が選んだ服は、蒼いシャツにスパッツという軽装も軽装だった。後でマントを羽織らせるつもりだが、それでも薄着すぎてジーンには想像もつかなかった。
「お前……それ寒かないか?」
「え、そうかな……このぐらいが普通じゃないの?」
 逆に訊かれて返答に困る。目の前の人間は厚着ぐらいの服装だというのに、何が普通なのか。
 などと頭痛に苛まれているジーンを不思議そうに見ていた少女の腹から、くー、と音が鳴った。
 あぅ、と言いながら少女は腹を押さえる。
「おなかへった……」
「だろうな」
 少なくとも、三日は飲まず食わずであんな匣の中に入っていれば空腹を感じて当然だ。
 開いていた漆黒匣は、今は閉じてある。昨夜の騒音に、朝方窺った従業員がそれを見て文字通りひっくり返ったからだ。とにかくアレは早急に『バード』に収納しておこうと思っていた。
 何よりも、気になるのは彼女だ。
 もう、懸念を通り越して理解が出来ない。あんなエーテル無効化の謎素材を使ってまで封じ込めてあったのが、よりにもよって生身の人間というのがジーンには考えられなかった。しかも本人は、何故あんな中に入っていたのかも知らないときては、こめかみに蓄積される頭痛も膨れ上がる一方だ。
 ジーンは袋の中から、簡易的な缶を取り出した。これも職業柄からか、調理という工程の無い食事を好んでいつも缶や乾パンばかりを買い込んだりする。前に相棒の自称看護婦が不摂生だと言っていたが、ジーンは食事にもあまり頓着しなかった。とにかく、最悪吐くほどでなければなんでも腹に入れるタイプだった。他人には言えないことだが、本当にヤバい時は草を食べて凌いだこともある。
 少女はそれを不思議そうに見ながらも、『空腹+すぐに出てきた物=食べ物』という公式が成り立っているのか、どこか物欲しそうな顔をしていた。
 ただ、貰えるかどうかまでは踏み込めずに立ち尽くしている姿に、ジーンはふと考えが浮かんだ。
(……相手の空気が読めるあたり、ぶっ飛んでるのは本当に記憶だけみたいだな)
 すると、無言の部屋の中にまた少女の腹の音が染み渡る。
 頬を赤らめる少女に呆れ、ジーンは缶をテーブルの上に置いた。
「食えよ。なんだか判らないが目の前の餓死をシカトするほど酷くはない」
 少女は目をぱちくりさせる。丸くて大きな真紅の瞳が瞬きを数回し、窺うような声色で尋ねてくる。
「た、食べて……いいの?」
 もう一押しが欲しいのか、人様の物を貰うのが畏れ多いのか、あまり判別がつかないが、ジーンには些事だった。
「食わないなら俺が――」
 貰う、と言いながら手を伸ばした瞬間、少女は獣の如き俊敏な動きで椅子に座った。ジーンに相対するように座る少女は、その真紅の瞳をじっとこちらに向けている。
 曰く、『食べます』ということなのだろう。
 呆れたように溜息を吐いて、ジーンは袋から自分の分の缶を漁った。
 少女は缶をまじまじと見てから、テーブルに置いてある缶切りを手に取ってなんだか首を傾げていた。
 明らかに開け方が判らなくてどうしよう、という動きに、ジーンは溜息をさらに吐いて少女の手から缶切りを掻っ攫い、手馴れた動きで缶を開けた。
 カシュ、という空気の弾ける短い音と共に少女はビクリと驚き、中身の魚の切り身の香ばしい匂いに頬を赤らめながら喜んだ。
「あれ、お前って箸? フォークか?」
 日常会話の質問に思えるが、今のは立派な探りだった。
「あ、お箸使えない……できればフォークで」
 すまなさそうに眉根を寄せる少女に、ジーンはフォークを渡しつつも考えた。
(やっぱり、知識は普通にあるみたいだな)
 記憶の喪失は、何も脳にある全ての記録が消えてしまうこととは限らない。大きく分けるならそれは『思い出』と『知識』で分かれていて、彼女の場合はその前者が欠けているのだ。例えばフォークは使える、けどどうやって憶えたかは判らない、といった具合だ。当然、名前を覚えるという動作は『思い出』記憶に依存することが強いというので、名無しは頷くしかなかった。
 しかし、呼びにくいのが面倒臭い。
「お前、本当に名前判らないのか? 頭文字の一つも?」
 口元を脂とソースで汚しながら、少女は顔を上げる。
「わからない……お兄さん、えーっと……」
「ジーンだ。ジーン=ヴィンセント」
「ジーン君、ね……ボクもなんであんな匣に入ってたのか、全然知らないんだ。なんか、まっくらでよく分からなくて、気が付いたら身体中重くて、顔を上げたらキミがいて」
「なるほど、綺麗さっぱりか」
「ごへんなひゃい」
 謝るのなら口の中に物を入れたままにしないでもらいたいところだが、ジーンは迷った。
 それは、彼女の処遇についてだ。連中がまさかこんなトンデモナイ代物を運んでいたなんて誤算もいいところだし、勿論、こんなのと一緒に居たらお荷物になることに他ならない。
 しかし、引き取る場所があるわけではない。相棒は自分と同じ根無し草家業の放浪虫だ。他に頼れる人間が居ないわけではないが、全員という全員がジーンと逢ったら余計こじれる間柄しか居ない。
 なんにせよ、まずは現状通りにことを進めるしかないと決断を下した。現状とは、相棒との合流を待ちつつ、このトンデモナイ代物の情報を少しでも吸収しておくことだ。
 ただ、やっぱり名前がないのが面倒臭い。
 どうしたものかと思考を切り替えると、不意に少女は言った。
「ジーン君が付けてよ」
「俺が?」
「うん、なんだかよく分からないけど、キミならなんだか信じることができる」
 若干言い草が酷い気もしないでもないが、ジーンは丁度そのことを考えようとしていたので、切りが良かった。いや、むしろさっきから少女が黙っていたのは、ずっと自分の名前のことを考えていたからなのかも知れなかった。
 とはいえ、ジーンにそんなセンスがあるのかは定かではない。名付け親なんかになる歳でもないのだし、そんな良好的な遍歴を持っているわけではないのだから。
 こういうのは、アルファベットの頭である『A』から付ければいいのだろうか、とジーンは深いのか浅いのか判らないまんま考え込んでしまう。
 まあ、妥当な案だろう。というか、それしか思いつかなかった。
 とりあえず、頭の中にあるAで始まる名前を想像して口の端に乗せてみる。
「A、か……Anne……Angela……Aliceは古いし……Anita、Annetteもいいな……あとは、Adelheid」
「――あ」
 小さく、呟くようにして少女が声を出して遮った。
 何かと思って視線を寄越すと、少女は食べる手も止めてじっとジーンを見つめてくる。
「……、なんだ?」
 思わず、訊いてしまった。
 すると、茫然自失といった具合に見ていた少女は、口を開いた。ベッタベタに汚した口から出たのは、
「……今の、いい。あーでるはいと」
 呟やかれた名前は、ジーンが最後に言った単語だ。アーデルハイト、語源は確か前時代の中期まで存在していたドイツ語というやつだったと思いだす。
 ただ、今出した中では一番長い名前だ。
「言いにくいから却下」
「え〜……! 今のがいい! 可愛いよ」
「むしろカッコいいに属するタイプだけどな……でも、面倒だな……そういや、Adelheidには略称があったな……あれはぁ〜……Ad……A、……そう、Adeleだ」
「あでーれ? なんか、あーでるはいと、のほうが響きがいい」
「文句が多いな。略称というか、愛称ってやつだ愛称。アデーレのほうが可愛いと思うけどな」
 それでも、少女はまだ「う゛〜ん……」と唸りながら頷きあぐねている。
「まあ、正式な名称をアーデルハイトにして、俺はアデーレにするっていうのはどうだ? 無理なら別にいいけど」
 なんだかこっちが根負けしているような感じだが、缶の中の魚を口に運ぶジーン。
 すると、
「うん、いいよ」
 視線だけ送ると、少女は嬉しそうに無邪気に笑って頷いている。
「アーデルハイト、ボクはアーデルハイト。愛称でアデーレ。すごく嬉しい、名前をくれてありがとう」
 恥ずかしそうに、しかしそれを噛み締めるように、少女――アーデルハイトは笑顔で言う。
 ジーンはその笑顔に、どこか事務的な愛想笑いで返してしまった。


 昼前には宿を出て、ジーンとアーデルハイトは大通りを歩いていた。
 この街は海に面しているが日照りしやすい気候を持つ。そのせいか道行く人々は皆マントを羽織るか鍔の広い帽子を被って日光避けをしていた。勿論それは二人もそうで、ジーンはいつもの服装に漆黒のマント。アーデルハイトもあの薄着では四肢を日焼けしてしまうので無理矢理マントを羽織らせている。
 マントを羽織ると、直射日光は遮られるが服の内側に熱が篭もる。その差は四,五度。応える人間には応えるらしく、隣りを尾いてくるアーデルハイトは汗を掻いていた。
「あついぃ〜……マント取っていい?」
「日に当たるほうが体調を崩す、もうすぐ屋根の下に入れるから我慢しろ」
「喉かわいちゃった……」
 ジーンに言うでもなく愚痴りながら、手で顔を仰ぐアーデルハイト。確かに汗ばむ気温ではあると思うが、ジーンのほうは『バード』に搭載されている《コア》のエンジンが生む熱で三十度近いコックピットに缶詰め状態になることがよくあるので、今は涼しい顔だ。
 へあぁ〜、という力の抜ける声を出しながらのぼせるアーデルハイトを連れて、ジーンは一角を指差した。
「あそこだ。サルーンに入って冷たいミルクでも飲ましてやる」
「さるーん?」
「なんだそれも知らないのか、酒場だ酒場。あ、言っとくけど店内の人間をじろじろ見るなよ? あそこは大体が柄の悪い連中の溜まり場になるから」
 さかば、と小さく呟き小首を傾げるアーデルハイトをいい加減無視して、ジーンはサルーンに入る。
 店内は少し埃臭いのと、酒と煙草の滲んだむせる薄暗い空間だった。丸いテーブルとそれを囲むように人間がひしめき合っていて、部屋自体は広いが狭苦しく感じた。
(へあぁ〜……)
(だからじろじろ見んなっつってんだろうが)
 小声で釘を刺されてアーデルハイトがシャキッとする。
 ジーンはカウンター席に座って手を軽く挙げると、すかさず髭を適度に蓄えた精悍な顔つきの男性がやって来た。ちなみに、傍らのアーデルハイトはいまだにカウンター席が高くて座れないで苦戦している。当然、無視する。
「いらっしゃいませ、メニューで御座いますか?」
 よく精錬された立ち居振る舞いに、やはりこの店のマスターか何かを判断したジーンは懐からチップとして一握りをカウンターの上に置く。
「情報を買いたい。駄目か?」
 勿論のこと、本来は売買事は公に出来ない。悪事とまではいかないが、帝国圏では迂闊にしてはらないことだ。だがジーンの眼に迷いが無いことを悟った男性は、刹那の間を置いてすぐさま答えた。
「答えられる範囲にも寄りますが……」
 と言って男性は置かれている紙幣を素早くカウンターの裏に隠した。
 交渉成立を確認して、ジーンは少し声音を低くして口を開いた。
「先日、ジェノバの近海で飛空挺が撃ち落されたって情報を耳にしたんだが、本当か?」
 こういった情報売買のコツは、聞き手が話の当事者として聞かないことと、話し手が自分のこととして話してきたら信じないことだ。判って嘘を伝える人間も居る。腹の探り合いは常に意識しなくてはならない。
 無論、それを考慮しないジーンではない。男性の一挙一動に刹那の隙も与えず耳をそばだてる。
 男性は少しも考えず、即答した。
「空賊と謎の『バード』が戦闘をしたという例の話ですな、それを知るということは、傭兵ですかな?」
「まぁな」
 半分は嘘であり、ジーンは元傭兵だ。既に帝国軍によって身元は死去とされている。
 それを知るわけがない男性は、真面目な顔をさらに険しくして、小声になった。交渉に本格的に応じる気になったという反応だ。
「正確には、襲撃だったらしいですね。空賊が輸送していた物資を盗み出したとか」
「物資……まあ、空賊狩りならやりそうだな」
「ご尤も」
「で、その物資というのは?」
 男性はしかめっ面で首を横に振った。
「それが判れば物資などという曖昧な情報は売りませんよ」
「……そうか」
 その物資は隣りでやっと椅子に座って、浮いてしまっている脚をパタパタと動かしているのだが。ついで、銀糸の髪と真紅の瞳の少女が入ってきたという場違いな存在に店内の注目を浴びていることも。
 ジーンはとりあえず金を出してミルクを頼む。マントの中で汗を掻いてのぼせているアーデルハイトにすでに気付いている男性は苦笑いを浮かべてすぐに飲み物を出した。
「あ、これは飲んでもいいタイプのものですか?」
「そうです、飲んでもいいタイプのものです。飲んでいいから大人しくしてろ」
「あい」
 元気に頷いて、それを両手で持ちながら口に付ける。こくこく、と喉を小さな音が鳴る。
 ジーンはもう一度男性に視線を戻す。
「で、物資が本来向かうはずだったのはどこなんだ?」
「確証は御座いませんが、噂ではあの【アッシュ・トゥ・アッシュ】の面々だという話です」
 そこまで聞いて、ジーンはついにこの男性の情報は買って正解だと思った。詮索云々を懸念していたが、どうやら純粋に買われた情報を素直に提供するつもりだと確信がいったのだ。
 だからジーンも少し驚いたといった演技をする。
「あの、レベルAの空賊集団の……?」
「ええ。まあ、その襲われた中には例の三本柱は居なかったということですが」
「……なるほど、どうも」
 唐突にジーンにそう終わりを区切られた男性は、しかめっ面を再びする。
 次の質問辺りで、追加料金を要求するつもりだったのだが、それを旨く読まれていた。
 溜息混じりに苦笑を漏らす男性。
「これは……そうでしたな、傭兵と腹の探り合いをしていたのでした」
「俺の足を掬うにはあと五年は経験不足だったな」
 そこまで言うと一度大きく笑い、男性はすぐに次の客の前に向かっていった。
 二人だけになった後で、コップの中身を既に空にしているアーデルハイトは不思議そうに顔を上げる。
「ジーン君、なんの話してたの?」
「……主にお前関連の話ばっかだったんだけどな……まあいい、気にするな」
 【アッシュ・トゥ・アッシュ】が彼女を運ぼうとしていたのは確かなようだ。
 ただ、その理由までは判らない。そもそも、こんな人間を押し込んで武装した『シップ』に積んで移動することが考え付かない。想像につかないというわけではなく、道徳的な問題を意味している。
「三本柱かぁ……やっぱあの℃O人組に面と向かわなきゃならないのかな」
「三人組? 誰かに会うの?」
「会う、ねぇ……どっちかっていうと『逢う』ってニュアンスよりも『遭う』だな」
 出来れば会いたくない仲だ、とジーンが言うと、アーデルハイトは興味がありそうに頷いている。
 なんだか拍子抜けしたジーンは、溜息をついた。
「せめて一人だけに遭遇出来れば文句は無いんだがな」

「そうですか。なら丁度良かったんじゃないですか?」

 不意に声が背後から掛けられた。
 何事かと振り返った瞬間、紅蓮の色が広がり、サルーンの内側から大爆発が起きた。





 ――続く――
2006/04/06(Thu)16:52:18 公開 / 諸星 崇
■この作品の著作権は諸星 崇さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
諸星です。
新作です。
一応シリーズモノではないので、普通よりも長い量になると予想してます。
もしかしたら色々と修正して構成を変えるかもしれませんが、まあまだ序章なので。
ちなみに、近未来ファンタジーのアクションモノ、という形です。
ただしこれだけは忘れないでください、書いているのは諸星です。『真面目な戦闘シーン=微グロ』という思考ばっかりの諸星です。せめて掲示板出入り禁止にならないぐらいにはオブラートに包みたいと思います(別に前科は有りませんが)。
序曲を読み、興味をお持ちになられた方には多大なる感謝の意を。
それでは、幸せを赦されない世界最強の哀しい結末を。


……これも結局勢いで書いている懲りない諸星でした。
かしこ。
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