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『三心一体』 作者:ケンイチ / リアル・現代 お笑い
全角24442文字
容量48884 bytes
原稿用紙約85.4枚


  序章一


 荒野と森が入り交じる“ハーム大陸”。
 大陸と言ってもこの星で五番目の広さでしかないこの大陸は、文化も他の大陸より幾分か遅れており、最大の大陸“ダガルル大陸”とは年にして十数年の遅れが見られる。とはいうものの、武器や移動手段などでは差ははっきりと見られるが、そのほかの建物や国家体制などはさして変わらない。
 荒野には、昼には獰猛な“千獣(サウザニースト)”が名の通り千匹もの大群を成してはばかっており、夜には狡猾な“戯探獣(ジェックラング)”が通りかかる人間をまるでおもちゃのように幻術をかけ、人々を陥れようと待ちかまえている。
 ハーム大陸を治めるのは“ヴォン・バグリジア王”であり、国名はない。大陸こそが国であり、大陸の中に二つ以上の国があることはないのである。
 ハーム大陸のほぼ中心部にある“ヴァンビレッジ”は全方角を荒野に囲まれており、害獣を防ぐために五メートル以上もの木柵が幾百もの杭によって作られている。
 ヴァンビレッジ北門は王都“カムウェッジ”へと通じる道があるために市場が開かれており、門付近はヴァンビレッジの中で最も活気のある場所と言っても過言ではない。北門は旅人が最も活用する門であり、行商に出かける者、それを護衛する者、見聞を広めるために旅する者など、無数の人々があふれかえっている。
 レイン・ヴォーレンもその一人だった。紫外線から守るためにある色素をまるで無視したような銀髪、トパーズをそのまま埋め込んだかのような濃い、それでいて透き通るような黄色の瞳。口元は髪と同じ色をした銀のマフラーで覆われている。胴部は地は青で、枠を黄色で縁取った簡単な布製の物で腰には六個ほどのポケットの付いた革のベルトが巻かれており、いくつかからジャラジャラと何か金属の音がする。腰から下はこれまた銀のマントをまとっていて、膝から下からわずかに銀のブーツが見え隠れしている。どう見ても“旅人”の雰囲気を醸し出していた。
 レインは銀の籠手の付いた右腕を動かし、ベルトのポケットからガイドブックくらいの大きさの小さな紙切れを取り出した。そこにはハーム大陸の大体の見取り図が描かれていて、レインの指先がたどった先には“ヴァンビレッジ”と書かれていた。
「ここ……でいい……はずだ」
 北門の外に刺さっている案内板に書かれている“VAN VILLAGE”の文字と地図に書かれている文字とを交互に見比べ、ここが目的地だと確認した。
 北門から中へはいると村の外の静けさが一気に吹き飛び、市場の喧騒が聞こえてきた。
「オラ! 五十ビターでどうだい?」
「高い! もう一声!」
「カムウェッジまで護衛を頼むよ」
「んだぁ!? てめぇもっぺんいってみろや!」
「すいませーん。通らせてくださーい」
 レインは想像していたより少しだけ上回った騒々しさに少しだけ驚きつつも村へと足を進めた。
 とりあえずは宿を探そう。仕事を探すのはそれからで良い。
 そう考えながら曲がりくねった市場の道を適当に歩き、宿を探し始めた。適当に歩いているのは、ハーム大陸のおおざっぱな地図は持っているがヴァンビレッジの細部まで書かれた地図を持っていないためである。迷うことが分かっていても進むしかなかった。金があれば市場で、十五ビターあれば上等な、十ビターあれば通常の地図が買えなくもないがいかんせん、その金が一晩泊まれるか泊まれないかギリギリの分しか持っていないのである。迷ったとしてもその後に宿へとたどり着ければそれは結果オーライという奴だ。
 が、案の定道に迷った。
 別にレインが方向音痴というわけでもないが、ヴァンビレッジは小さな村がカムウェッジのおかげで交易が盛んになり、少しずつ建物が増えていったため、意識しないままに迷路とかしてしまったのである。そのためヴァンビレッジに訪れる者はまず市場で地図を区ことが常識となっているのだ。
 しかし、すでに迷ってしまっているレインにはそんな常識はどうでもよかった。ただ、無事に宿屋にたどり着ければそれでよいのだから。
 ヴァンビレッジは“モロ”という特別なドロを使って造られた土製の建物が無数に、まさにアトランダムに配置されている。通常の道の起伏が激しく、急激に上る階段もあれば、飛び降りる形しかとれないような段差。なにより建物の形がほぼ一緒なため、道という道がまるで同じに見えるのである。地図がなければ地元の住民でさえすらすらと目的の場所に迎えないのである。
 地図さえ買えない貧乏な旅人が、自分なら大丈夫だろう、と意気揚々にやってきて迷った挙げ句にそこらの住宅に押しかけ「道を教えて欲しい」と訪ねる人が後を絶たないため、人々が作った職業が“案内人”である。文字通り入り組んだ道を案内するわけだが、れっきとした職業ではない。地元付近をくまなく知り尽くし、地図無しでもすらすらと目的地へ向かうことの出来る者が名乗りを上げ、常に自分の“領土”を見回り、住民に世話を焼かせるような旅人を見つけては目的地を聞き、そこへ案内するわけだ。
 その“案内人”が今レインの目の前にいる。フラフラと歩いていたレインの前にいきなり現れ、レインを見るや否やに「案内してやる。住民に世話を焼かせるな」と言い出したのである。案内人の老人は「付いてこい」と言うかのようなジェスチャーをしながら反対側に向き直り、すたすたと歩き出した。他人の世話になるのはまっぴらなレインだったが、背に腹は代えられず、仕方なしに付いていくことにした。
 十分も歩いただろうか。小さな曲がり角を曲がった先に“←INN 泥と迷人の救謝亭(きゅうしゃてい)”と書かれた木製の看板を見つけた。泥で作られた建物が囲んでいるせいか、木造に見られる独特な凸凹や雰囲気は周りより浮いてみられた。
「ここだ。じゃあな」
 そう短く告げると案内人は消えていった。
 無論、レインが案内しろと願ったわけでもなく、知り合いでもなかったので礼も挨拶もしなかった。
 木造看板を数秒見下ろした後今度は建物へ目線を向ける。木造はやはり浮いて見えた。

 
 受付でとりあえず一泊分の代金を支払ったレインは一番隅っこに位置する部屋に案内された。この案内人が酷く愛想が悪く、荷物を客に持たせたり、どう考えても必要のない物を高値で売りつけようとしたり、レインの気力が残っていたならこの男はヴァンビレッジから村の外へ、ここから吹き飛ばされていただろう。そして、どう見てもこの宿には客が来ているようには見えなかったのでもっと入り口に近い部屋でも良かったのでは? と少し考えたレインだったが、すぐにどうでも良くなり寝ることにした。
 腰の銀のマントを取り、近くにあった椅子へと放り投げ、ついでにベルトも外しマントの上へと放り投げる。次に両腕の銀の籠手を少し手間取りながらも取り外し、胴着に手を掛けたところで、
 上着を脱ぐ必要は……ない……か。
 と思い直し、銀の籠手のみをベルトとマントのところへ放り投げる。が、勢い余って籠手が椅子からガタッと音を立てて落ちた。
「……」
 それを無言で拾おうとしたそのときだった。天地がひっくり返るような強いめまいに襲われた。籠手を拾おうとした右手をあわてて凸凹した床に付き体が倒れないように必死でこらえる。だが、いくらこらえようともめまいが収まる気配はない。
 右手に少し力を込め床を強く押した。その反動で体を立てると、そのまま左隣にあったベッドへと倒れ込んだ。ちょうど顔を枕に埋める形になり、外気で冷えた枕は少し火照った顔を冷やし、心地よかった。
 そしてそのまま、レインは深い眠りへと就いた。


  序章2


 ここ数年で交易が盛んになり、村、と呼ぶにはいささか抵抗が出てきたヴァンビレッジ。
 その西門から十数分、入り組んだ道を突き進むと小さな小屋がある。その小屋はただあるだけで、そこに人が住むだとか、物置になっているだとか、そういったことはない。ただ、その中には数十個の土嚢が積み上げられている。ただそれだけの小屋である。
 だが、知る人にとってはその小屋は“ただそれだけの小屋”ではない。そこにはある秘密があった。

 土嚢が高く積み上げられているその小屋に、二つの影が忍び寄った。片方が入り口で通りを警戒するように首を左右にひねらせ、もう片方が土嚢の傍まで歩み寄った。
「オイ。早くしろよ」
「分かってる。そう急かすな」
 短いやりとりの後、」土嚢の傍にいた男が、
「右四、左二つ目……右五つ目……」
 と、ぶつぶつ呟きながら土嚢を慎重に順番にどかしていく。二十個も動かしただろうか。一部分の土嚢が無くなり地面がむき出しになった。むき出しになったところに、何か取っ手のような物が見えた。
「よし。終わったぞ。早く来い」
 左手で見張っていた男を手招きし、右手で取っ手を上に引き上げた。
「よっ!」
 小さいかけ声と共に男の腕に力が込められる。泥と泥とがくっつき、最初は動くのを拒んでいたが、男の力の前に観念しおとなしく宙へ持ち上げられた。ふたが開き、その中には鉄で作られたはしごが見える。男達は順番にそのはしごに掴まりながら中へと入ってゆく。
 最初にはいったのは見張りをしていた方だった。その男の目に入ってきたのは古代ローマのコロッセオを彷彿させるすり鉢状に作られた観客席と、その中心にある丸い土台のような物である。その土台の上には大きな影と小さな影が見えた。
「スタッ!」
 スタートと言ったつもりなのだろうその言葉は、気合いが入りすぎて短くはしょられる。その声は土台の脇から聞こえてきたようだ。声の主はぼろ切れの緑色をした布にくるまっていた。
 その男の声を合図に大きな影と小さな影が一斉に動いた。大きな影が小さい影に覆い被さるように飛びかかるが、小さい影が長い棒を取り出した、と思った瞬間、大きな影は宙を舞った。
 そのまま舞って舞って舞って最後に、入ってきたばかりの二人の男の前に落ちた。
「やれやれ。まぁたロゼの一人勝ちか。レート低すぎだって」
 先程通りを見張っていた男がぼやいた。
「まぁ、ロゼが来てからこの賭博場が賑やかになってきたんだ。そう邪険には扱えんよ」
「いやぁ、俺はロゼを否定してるんじゃなくて、一人がちすぎるってのも面白くないもんだ、って思ってよ」
「まあな。ライバルの一人でも現れてくれれば大盛り上がりなのにな」
 そう言って男は肩をすくめた。

 ロゼ・カイント・アンガーシュ。それが彼の名前。数ヶ月前、誰から聞いたのか、ふらっとこの賭博場に現れ、ふらっと優勝を持って行ってしまった男である。容姿は人によっては少し暑苦しさを感じるかも知れない熱血漢丸出しのような顔、クッション材となる“ポパの木”から剥ぎ取ったポパの木の皮を布で包み、額に巻いている。その額当てに押さえつけられるかのように赤髪がかった黒髪は前へ倒れることを制限されたので、上へ伸びる。それでもわずかに、長い髪が額当てを乗り越え二、三本眼前へ垂れてきている。
「あーチクショぉ。どいつもこいつも弱いってぇ。もォっとこの俺を追いつめさせるよォな奴ぁいねぇのかぁ?」
 先程の戦いを終え、選手控え室に戻ったロゼは控えていた他の戦士達の前で愚痴をこぼしていた。仮にもこの闘技場で最強なのだが、その態度には許せないものがあったのか、十数人がロゼを、円を描くように取り囲んだ。
「聞き捨てならねぇな。てめぇ、何様だ?」
 取り囲んだ男の中でわずかに雰囲気の違う男がいた。その者がリーダーなのであろう。その男が今の言葉を言い終わるか否やの出来事であった。リーダー格らしき男以外は次の瞬間に反対側の壁へと吹っ飛ばされたのである。リーダー格をのぞき、一人余ることなくモロ造りの壁へと容赦なくたたき込まれた。
 そしてロゼは自分を親指で指しつつ一言、
「俺ぁ“俺様”だ!」
 そう吐き捨てると控え室から去っていった。

 
 ロゼはヴァンビレッジ北門付近の市場をあてもなくフラフラとさまよっていた。ただ、その様子は見るからにイライラしていてロゼを知るものならば声を掛けることはおろか、視線を合わせようとする者まで居ない。
「くっそがぁ! どォいつもこォいつもなんなんだよォ! 弱えぇくせに悪口言われると一人で勝てねぇからって集団で来やがって! 挙げ句の果てに全員瞬殺だぁ!? 雑魚なら雑魚らしく維持の一つでも見せたらどォなんだよォ!」
 独り言もここまで堂々と大声あげればもはや演説と化す。この独り言を聞いていた住民達はロゼと運悪く目が合ってしまうと、ただ『ロゼの意見に否定などしない! だから私に絡むのは止めてくれ!』と言わんばかりに、必死にうなずくだけだった。
 何分彷徨っただろうか。気が付けば太陽が傾き、茜色の光が空を覆い、千獣から戯探獣へと主導権の交代が荒野のあちらこちらでされているだろう。
 ふと、ロゼが目の前の建物に気が付いた。ヴァンビレッジでは珍しい木造の“←INN 泥と迷人の救謝亭”と書かれた看板があり、この看板が宣伝すべき建物には客が来てるようにはいまいち見えない。
「ここぁ確かベナンの奴が働いてたか? あいつぁ俺ン前でも礼儀のカスもしらねぇようだったし、今頃追い出されてるかもなぁ」
 そう言うとロゼは思い出し笑いでもしたかのように口元を抑え、だが声は遠慮無しに笑った。
 ひとしきり笑った後、今後を考え始めた。このまま外で寝泊まりか、一度家に帰るか、である。
 凶暴なロゼとて天涯孤独ではない。荒野で両親を失ったものの、たった一人の双子の妹が居、今でも我が家で家事をしているはずである。ロゼの稼いだ賞金は、ロゼが生活出来る必要最低限の食費等だけ抜き取り、後は妹の生活資金に回している。妹が望んだわけでもなく、両親の遺言でもない。ロゼの意志。ただ一人の肉親を生活させるための、ロゼの持つ一握りの良心を振り絞っての行動だった。
「うしっ。今ォ日はここで寝るとすっかな」
 ロゼはそう決めると木造看板を横切り、この辺りでは本当に珍しい木造建築の建物へ入っていった。
 まず足下に一畳程度の広さの靴脱ぎ場があった。そして左に目を向けると靴箱らしきものがあったので、そこへ靴を入れる。 
 そのまま百八十度振り返ると受付があるのが分かった。ただ、本来受付の人間が持ち場に待機し、客を案内すべきなのだが、カーテンが閉まっているようなのでどうやら居ないらしい。受付を大声で呼び出し、来るまで待っても良いのだが、ロゼは生憎と短気だった。「ベナーン。入っぞォ」という遠慮の欠片もない、挨拶とも呼べない声の後、無遠慮に奥へと入っていった。ベナンが居るからこそ、この名前を呼んでいるわけで、実はベナンがすでに首になってしまっていたら……。などと言うことも十分あり得る。
 だが『自分最強!』と思っているロゼにとって恐いものはない。反発するのなら消すまでだ。ただそれだけのこと。無敗の自分にかなう奴など居ない。それは名声的には最高なものだったがロゼにしては面白くない。無敗=張り合いがない、なのだから。
 人気のまるでない宿を何の迷い無しに歩き回っていると気付けば隅まで来ていた。ルームメイクでもしているのかと思い、これまでの部屋を全部開けて回ったが一つの人影も見ることは出来なかった。
「寂れてんなぁォイ」
 あまりにも寂しすぎる宿を見て思わずぼそっと漏らしてしまった。
「さ、て。最後の部屋だな。ンまぁ、ここまで見事に誰もいなきゃここにいるわけがねぇんだけどな。開けてみることに越したことはねぇか」
 そう言ってロゼは部屋の取っ手に手を伸ばす。取っ手を掴み、少しゆがんだ扉を無理矢理開けるように少し力を込め、引――
「ちょ、ちょっと! なにやってんのよ!」
 ロゼの行動は一つの高い声に遮られた。
「ンあ?」
 取っ手から手を放し声のした方をうざったそうに見る。ロゼにしてみれば弱者に意見されるのは我慢出来ないのである。今ロゼを止めたのは明らかに女の声。女でロゼより強いはずがない、と思っていた。
「勝手に」
 そう言いながら女はすでにロゼの懐にいた。
「入って」
 懐で半回転。ロゼに背を見せる形になる。
「挙げ句に」
 ロゼの右腕、二の腕付近を掴んだ。
「お客様に」
 大きく一歩踏みだし、
「迷惑ですってぇ!?」
 投げた。この間五秒。あまりの早業に無敗のロゼともあろうものが何も出来ないまま投げ飛ばされた。
 否。
 ロゼの脳は完全に、女の行動に対し対処する命令を電気信号にして送っていた。体が脳の命令を拒否した。
「て、てンめぇ!」 
 はいつくばった状態から右拳をつき、立ち上がろうとする――が、右手は肘から力なく砕けるように倒れた。本当にガクッと力が抜けた為、ロゼは床に顎をぶつけることとなった。
 ロゼは頭に不快感を覚えた。勿論、顎をぶつけたからでも投げられたからでもない。これは
「め……まい……だとォ?」
 その言葉を最後にロゼは完全に沈黙した。
 ロゼを投げ飛ばした女性“ティル・グリブ”は怪訝な顔をした。ロゼの顔をよく知っていたからである。無敗のロゼが自分になすすべ無く投げ飛ばされ、さらにそれきり動かなくなったからである。
「ちょ、どうしちゃったのよ」
 ティルは動揺しかできなかった。


  序章3


 翌日。ヴァンビレッジ格門では大騒動が起きていた。人のざわめきと怒号とが混ざり合い、耳をつんざく騒音としかとれなかった。「号外〜! 号外〜!」という声と共に、その声の主が紙切れをそこら中に散らし回っていた。その内容は
【ヴォン・バグリジア王崩御! 反政府の暗殺か!? 王子“ジルビス・バグリジア”病に伏せる!】
 であった。ヴォン・バグリジアは他大陸まで名を轟かせる歴代最強と謳われた名将で、とある小さな村に攻め入った千獣の群れを一人でなぎ倒した、などとあげればキリがないほどだが、兎に角強かった。そのヴォン・バグリジアが暗殺など耳を疑う者が大半であった。
 さらには王子ジルビス・バグリジアまでもが倒れ、現在の政府は壊滅状態と言っていい。今他の大陸に攻め込まれたら何の抵抗のすべもなく投降するほか無いだろう。そのため、政府は一つの御触書を大陸中に出した。

【          来たれ名将! 愛する祖国を救え! 
   諸君は知っていると思うが、我が国は現在王も王子も政治を行う状況にない。そのため我々は諸君の中から知謀優れた名将を募ることにした。王子が復帰するまで持ちこたえるのだ! 耐えきったあかつきには莫大な恩賞を授けよう!
                                  ハーム大陸 参謀K・ラボン】

 要は参謀であるK・ラボンは国を治めるだけの器ではない。責任をとれないから誰か助けてくれ、と言うことなのだが、国民は思ったより事を重く受け止めた。国家崩壊などという事を口にする者まで現れたのである。

 街や村という村で騒動が起きている中、王都“カムウェッジ”ではさらに騒ぎが広まっていた。参謀が行ったことは混乱を広めることにしかならず、挙げ句参謀は逃走。消息は不明である。
 王を失った政府は現在では最高責任者に値する国防近衛隊総軍隊長“ハザン・ジラ”が指揮を執り、会議室でありとあらゆる事態を想定し、対処する為の会議が行われていた。
「いいか? ラボンの失策により国民の不安は高まるばかりだ。その不安を解消する為には、国家崩壊などあり得ない、と言う安心感を与えることが最優先であり、我々が全力を持って崩壊など起こらぬように対処せねばならない」
 一息ついて、
「恐らくラボンの御触書を読んだ志願者が大勢来るだろう。彼らは国家の危機に立ち向かおうとする勇敢な者達だ。無下に扱うことは出来ない。だが我らのように訓練を受けていない彼らに大した成果など期待出来はしない。そこで、彼らには街という街、村という村に直接向かって貰い、その策によって鎮圧するよう呼びかけるのだ!」
 一気にまくし立てた為喉が渇いたハザンは手元にあったコップを掴むと、一口で飲み干した。外見からして身長二m弱ある彼にとって凡庸のコップはとっくり程度である。そして、
「だが、わずか数人程度本当に使える者が出てくるかも知れん。その時は御触書通り参謀として迎え――」
「その必要はない」
 ハザンの言葉は途中で遮られる。いつもならその声に負けない大声なので遮られる、などと言うことはないのだが、その声の主がすでに眼前に現れている為、遮らざわれるだろう。
 少しだけ脱色されたロングヘアは、入念に手入れされているらしく、美しい光沢を放っている。
「良かった……! 空が何かスゴい事になってたから、不安になって探しに来たんだけど……」
 その少女は、秋原の無事を確認すると、ホッと安堵した。
「秋原……その娘、誰だ?」
「俺も知らん……これも、読者によるものか……」
 そんな二人の遣り取りには目もくれず、少女は秋原に抱き付いた。
 大胆な彼女の行為に、藤原はもちろん秋原も驚く。
「秋原君に何かあったら、私……!」
 これはきっと、そう言う事なのだろう。
 秋原は暫く呆然としていたが、平静を取り戻すと、
「済まんな……心配掛けさせて……」
 少女を強く抱き返した。
「なっ!? お前、知らない娘に……っ!?」
「この娘は、俺を想ってこうしているのだ。俺は、それを寛大な心で受け入れただけだ」
「あぁ、そう……」
 秋原の言葉に、藤原は只々呆れるだけだった。
 それっぽい事を言っているが、要は只の節操無しである。
「せ、先輩……!?」
 今度は聞き慣れた声が聞こえ、二人は声の方を向く。
 驚愕の表情で、堀が立っていた。
「その娘は……!? 僕に言って下さった言葉は、全部嘘だったんですか!?」
「あ〜あ、知らないぞ俺は……」
 さっき秋原が堀に言った言葉を思い出し、藤原は溜め息混じりに言った。
 秋原が自分で招いた事態なのだ。
 藤原にとっては、勝手にしやがれと言ったところだ。
 堀は、真剣な表情で、秋原と少女に歩み寄る。
 少女は、秋原を護る様に抱き寄せ、威嚇する様に堀を睨み付けた。
「貴女……名前は?」
「……渋谷京子(しぶやみやこ)」
 たったそれだけの遣り取りなのに、
押し潰されそうなオーラが、二人を中心に放たれる。
「僕は、高校に入学してから、ずっと先輩の背中を見てきました。貴女の様なポッと出が、気易く触ることは許しません」
 今までにないくらいの怒気を孕んだ声を、堀は京子に投げつけた。
「君が言ってるのは、あくまで『後輩』としてでしょう? 私は、ずっと秋原君と『恋人』だったの! 学校こそ違うけど、手を繋いで歩いたり、遊園地で同じ観覧車に乗ったり……」
 そこまで言って、京子は少し躊躇する。
 しかし、頬を紅く染めつつも、
「そ、その……キス……とかも……」
 たどたどしく告白した。
 更に京子は続ける。
「……お母さんが死んで落ち込んでた時も、秋原君は、私の大好きなイチゴサンデーを奢ってくれて、元気付けてくれて……。いつも傍に居てくれて、突然泣きたくなった時も泣かせてくれた。必要以上にその事に触れなかった事も、嬉しかった。だから、今度は私が秋原君の傍に居てあげたいの!秋原君の支えになってあげたいの!」
「け、結構深いな……」
 思っていた以上に設定が濃く、藤原は思わず呟いた。
 恋人同士なら普通の設定かも知れないが、当の秋原には全く覚えがないのだ。
 こうなると、逆に京子が哀れに思えてくる。
「貴女がそこまで言うのでしたら、先輩に直接問いませんか?」
「良いわよ! 白黒ハッキリさせようじゃない!」
 どうやら、秋原に直接選んで貰うらしい。
「先輩、当然僕を選んで下さりますよね? 僕の目を見据えて言って下さった言葉は、嘘じゃありませんよね!?」
「秋原君、私を裏切ったりしないよね? 共有した時間は、偽りなんかじゃないよね?」
 堀と京子が、秋原に殺到する。
「俺は……俺は……」
 秋原は、少しだけ考えた。本当に少しだけだった。
 そして、
「どっちも好きだあああぁぁっ!」
 辺り一面に響く声で、秋原は叫んだ。
 予想外の答えに、堀も京子も藤原も黙ってしまう。
 何度か深呼吸をして、更に秋原は続ける。
「……勘違いしないで欲しい。『選べない』のでも『選ばない』のでもない。『両方選んだ』のだ。……確かに、人生は選択の連続だ。しかし、何もかもが択一で良いのか? 俺はそうは思わん。メイドは萌える。妹も萌える。幼馴染も萌える。巫女もナースもスク水もエプロンも捨て難い。たった一つしか選べんのか? 他は全て捨てねばならんのか? 一番大切な物しか残らん人生など、虚しくないか? ……だから俺は、二人とも選ばせて貰う」
 長々と話し、秋原は何も言わなくなった。
 二人の返答を待っているのだろう。
「……て言うか、早い話、二股じゃないのか?」
 藤原の声は、誰の耳にも届かなかった。
 少しの間の後、
「先輩!」
「秋原君!」
 二人は同時に秋原に抱き付く。
「あはは……皆馬鹿だ……」
 藤原は、泣き笑いになりながら呟いた。


 その直後、何かが激しく打ち付けられる音が、二回、近くで響いた。
 驚いて見に行くと、そこには一人の猫耳と一人の魔法少女が横たわっている。
「あ、明さん!? アリス!?」
 藤原が声を上げるが、二人は反応しない。
 二人ともボロボロで、アリスは頭から血を流している。
「ん……んんっ……」
 明が意識を取り戻し、どうにか上体を起こした。
 身体が痛むらしく、顔を強張らせている。
「前線を退いたツケが……こんな形で回ってくるとは……」
 自嘲気味に呟くと、隣のアリスに目を向けた。
「望月さん……私が至らない所為で……。このままでは……私は何も……」
 そう言って、明は暫くの間考える。
 決意を固めると、ゆっくり立ち上がった。
「あ、明さん……?」
「……止むを得ません。最後の手段を使いますニャ。
敵中へと飛び込み、私もろとも敵を全滅させますニャ」
「え……えぇ!?」
 明の決意に、藤原は驚愕した。
 明は、自分の髪を結わえていたリボンを解くと、アリスの止血に使う。
 纏められていた髪が、広がって靡いた。
「私のコアは、核兵器として使えますニャ。もちろん試した事はありませんが、東アジアを滅ぼせる威力だそうですニャ。彼らからここを守るには……他に手がありませんニャ」
「でも、明さんは……」
 藤原が何か言おうとしたが、明はそれを手で制した。
「光様は、望月さんを守って下さいニャ。念の為、ブローニングM1910とRPG-7を置いて逝きますニャ。どちらも扱い易いので、いざと言う時には躊躇わずに使って下さいニャ。守るべきものがあるのは、私も光様も同じですから」
 そう言うと、明は光の額にそっとキスをする。
 思わず藤原は紅潮し、明は微笑んだ。
「では……行きますニャ」
 そして、明は戦闘機の渦へと飛び込んでいった。
「……待てよ。東アジアが滅びるって事は……」
 何もかもが、光に包まれていく。


「……藤原」
「何だ、秋原」
「気付いた事がある……」
「何だよ?」
「これは……夢オチだ」
「……そうか」
「さぁ、目覚めよう。俺達も……読者も」



夢か現か猫耳か 完



閑話その三 雨が降ろうが雷が降ろうが


 金曜日の放課後。
 天気予報の通り、外は土砂降りだった。
 大粒の雨が鉛玉の様に、全てに降り注いでいく。
 鉛玉が突撃する音の一つ一つが重なり、一つの大きな音になって、辺り一面を支配していた。
 そこら中に水溜まりが出来ていて、池も点在している。
 当然それらにも鉛玉が飛び込み、波紋が出来、消える前に次のそれが生まれた。
「判ってたとは言え、ずいぶんな雨だな……」
 学校のロッカーからその様子を見た藤原が、溜め息混じりに呟く。
 その声も、雨音に飲み込まれてしまいそうだ。
「今日一日降って、明日も止まないかも知れないそうですよ」
 傍に居た堀が、追い打ちの様な一言を放つ。
 藤原は、再び溜め息を吐いた。
 これ程の大雨が明日も続くとなれば、仕方の無い事だった。
「ふっ……お前以上に溜め息を吐きたい者が、どこかに数多と居るであろうに」
 ようやく、秋原がロッカーに来た。
 十五分も待たせたとは思えない第一声だ。
「先輩、遅いですよ。何をしていたんですか?」
「棗と少々、な。真琴嬢騒動の後始末や、現美研関係で忙しいのだ」
 そう言いながら、秋原は靴を履き替える。
「雨か……ふっ、何も解っておらんな、藤原よ。この様な雨の日は、相合い傘がお約束であろう!? 一つの傘に寄り添い合う二つの身体! ほぼ確実に手に入るイベントCG! 服が濡れて透けると言ったお約束も在り! その上好感度も上がるのであれば、積極的に狙う理由には十分であろうが!」
「……で、お前、傘は?」
 いちいちツッコむのも面倒になり、藤原は秋原に尋ねた。
「ふっ、何を訊くと思えば。俺がその様なミスを犯す筈が……。……………………………………………………」


「じゃあ、僕達は先に帰りますね」
「ああ。邪魔だったら、その辺に捨てて良いからな」
「判りました。では、失礼します」
 一礼すると、堀は、生気を失った秋原に肩を貸しながら帰っていった。
「さて、俺も帰るか……」
 そう言って、藤原が傘を差した時、
「お兄ちゃん♪」
 後ろから誰かが抱き付いてきた。
 幼い少女の様な声で、背中にくっつけてきた胸は、平たい。
「……アリスだな?」
 更に、こんな事をするのは彼女以外考えられないので、用意に判断出来た。
 あはは……、と苦笑しながら、アリスは藤原の前に回った。
「傘忘れたから、一緒に帰ろ♪」
 明らかに確信犯である。
 登校時には、確かに持っていたのだから、間違い無い。
 恐らく、秋原に変な話でも吹き込まれたのだろう。
「濡れて帰れ」
 そんなアリスに、藤原は冷めた言葉をぶつけた。
 この歳で相合い傘は、流石に気が引けるからだ。
 もちろん、それ以前の問題でもあるが。
「えぇ!? ……さてはお兄ちゃん、ボクの制服が濡れて透けるのを見たいんだね!?」
「何でそうなるんだよ……」
 想像をおかしな方向に膨らませるアリスに、藤原は溜め息混じりに言った。
「ぼ、ボクは別に良いよ。でも今日は、その……可愛い下着じゃないから……。それでも良いなら、濡れ場は覚悟してたし……。初潮もまだな身体だけど……お兄ちゃんにあげるね……」
 その間にも、アリスの想像は、どんどん膨らんでいる。


「だ―か―ら―! 自分の傘で帰れって言ってるだろ!」
「もう、お兄ちゃんてば、照れ屋さんなんだから。でも、そんなトコもカ・ワ・イ・イ♪ きゃ、言っちゃった♪」
 かれこれ数分、まだ二人は言い争っていた。
 傍を通る者は、興味や羨望の眼差しを向ける。
 アリスはそんな事を気にも留めず、藤原は断る事に必死だったので、気付かなかった。
 すると突然、アリスの顔色が真っ青に変わる。
 どうやら、何かを察知したらしい。
 それ程掛からずに、
「先輩、望月さん、こんちわっス―♪」
 真琴が笑顔でやって来た。
「や、やぁマコちゃん……どしたの?」
 アリスが、やや引きつった笑みを浮かべて尋ねる。
 しかし、すぐに後ろ手にある傘が目に入った。
 それだけで、アリスが理解するには十分だった。
「この日の為に、昨日二人分の仕事をこなして、部活を休ませて貰ったっス! ……ちょっと小さい傘っスから、くっつかないと濡れるっス。ですから、遠慮無く私に密着して欲しいっス♪」
 真琴もまた、明らかに確信犯であった。
 アリスが密着しても、濡れて服の中身が透けても、得をするのは真琴だ。
 それを照明するかの様に、真琴は至福の笑顔を浮かべている。
 アリスの身体は、明らかに震えていた。
 このまま真琴に一晩預けても構わないのだが、流石に不憫だ。
 そう思った藤原は、アリスを助ける事にする。
「真琴には悪いけど、今日は俺がエスコートする事になっているんだ」
「お、お兄ちゃん……」
 そんな藤原に、アリスは胸の奥が熱くなった。
 一方真琴は、信じられない、と言った表情である。
「せ、先輩……!? 例え先輩でも、望月さんの処女は渡せないっス! 幼女の貞操を護るのも、『正義』の重要な役目っス!」
「お前、キャラ変わったな……」
 無茶苦茶な事を言う真琴に、藤原は溜め息混じりに言った。
 どうやら真琴は、アリスを賭けて戦う気満々である。
 ――勘弁してくれよ……。
 こんな場所で――こんな場所でなくてもだが――喧嘩などしたくはない。
 それに、後輩である真琴を相手にするのは気が引ける。
 そう判断した藤原は、
「あ、可愛い子供」
「えっ!? どこっスか!?」
「アリス、この傘持って走れ。適当に追うから」
 逃げるを上策とした。
 傘を渡されたアリスは、それを差す事も無く、無我夢中で学校から逃げ去っていく。
 その後を、藤原は、雨を鞄で防ぎながら追いかけていった。
「……あ!? ハメられたっス〜!」


 藤原が、休んでいるアリスを見付けたのは、八百メートル程先だった。
 結局、傘は差さなかったらしい。
「大丈夫か、アリス?」
「……ここまで……全力だったから……」
 肩で息をしながら、アリスは応える。
「あれも、あいつなりの愛情表現なんだろうな……。図々しいのは承知だけど、俺に免じて、嫌わないでやってくれないか?」
 藤原は、少しばつの悪い表情でアリスに頼んだ。
 大切な人の前では、大抵の人は冷静になれないものだ。
 真琴は、それのやや極端な例なのだろう。
 あのままではいけないにしても、それを理由に嫌って欲しくない。
 否定されたら何よりも傷付く感情を、彼女は背負っているのだから。
 第一、アリスが藤原にする事も、真琴と大して変わらないではないか。
「うん、判ってる。そう言うつもりじゃないんだ。好きな人が目に映ると、他に何も見えなくなるのは知ってるし。それに、ああ言う形でも、存在を認めてくれる事は嬉しいよ」
「そうか……ありがとな」
 藤原は、アリスの頭をそっと撫でた。
 そこでようやく、アリスは藤原がビショ濡れになっている事に気付く。
 ――あ、ボクもだ……。
 無我夢中で走っていたから、傘を差すことを忘れていた。
「……ごめんなさい、お兄ちゃん」
「…………? ああ、別に気にしなくて良いぞ。明日明後日は休みだし、洗濯には十分だろ。……明さんに、ちょっと迷惑だろうけどな。その辺は、自分で何とかするから心配するな」
 沈んだ声で謝るアリスを、藤原は笑ってフォローした。
「それより、折角傘渡したのにお前は……。ま、慌ててたなら仕方無いか。……ほら、これで少しでも拭いとけ」
「ありがと」
 藤原からハンカチを受け取ったアリスは、自分のハンカチも使って体を拭く。
 透けて見える体を、何度か藤原に見せようとしたが、ことごとく無視された。
「……で、もう動けるか?」
「あはは……急にあんなに走った所為かな? 立つのがやっとって感じだよ」
 藤原の問いに、アリスは自嘲気味に答える。
 ――さて、どうしたものか……。
 お互いビショ濡れなのに、アリスの脚が休まるのを待っていたら、風邪をひいてしまう。
 かと言って、一人で先に帰る訳にもいかない。
 藤原は溜め息を吐いて、
「仕様が無い……傘と鞄、しっかり持っとけよ」
 アリスをお姫様抱っこした。
「えっ……お、お兄ちゃん!?」
 余りにも突然の事に、アリスは驚きを隠せない。
「歩けないなら、これくらいしか無いだろ? ほら……傘、俺に掛からない様にしてくれ」
「う、うん……」
 至って普通に接する藤原に、アリスは戸惑いながらも頷いた。
 ――お兄ちゃんの方が大胆だよ……。
 そんな事を思いながら、アリスは藤原に運ばれていく。


「ねえ、お兄ちゃん……」
「何だ?」
 少し歩いた時、アリスは藤原に声を掛けた。
「その……恥ずかしくないの?」
「知ってる奴に見付かったら、もう学校行けないな」
 アリスの問いに、藤原は即答する。
 どうやら、自分でもかなり恥ずかしいらしい。
「真琴が迷惑掛けてるお詫び、とでも思ってくれ。
先輩として、後輩の責任はちゃんと取らないといけないしな」
 先輩の義務、と言ったところであろうか。
 確かに、先輩風を吹かせるだけが先輩の仕事ではない。
 自分の為だけでなく、後輩の為にも動かなければ、敬われる資格など無いのだ。
「……ま、アリスがもう少し大きくなったら、もう無理だろうな」
「えぇ!?」
 藤原の一言に、アリスは驚きの声を上げた。
 アリスは、小さな身体を気にして、毎日牛乳を飲んでいるのだ。
 まさか、それが裏目に出るとは。
 もっとも、裏目に出る程の成果は、今のところ無いのだが。
「もうちょっと頑張ってよお兄ちゃん……」
「生憎、俺は文化系だからな。それ程鍛えてないよ。それに……」
 途中まで言いかけて、藤原は言葉を詰まらせた。
 ――いずれは、何があっても一人で立たなければならない。
 何故か、それが言えなかった。
 だが、それも仕方が無い。
 これ程までに頼られている矢先、とてもそんな事は言えない。
 だが、事実である事は確かだ。
 誰か一人を頼っていては、誰か一人しか見えなくなっては、自分の様に――。
「それに……何?」
「……いや、何でもない。忘れてくれ」
 アリスの様に正直になれない自分を思い知り、藤原は自嘲気味に言った。


 最初は遠慮がちだったアリスも、次第に表情が変わっていく。
 やはり、素直に嬉しいのだろう。
 それに反比例するかの様に、藤原は後悔の念を募らせていた。
 やはり、素直に恥ずかしいのだろう。
 アリスは楽しそうに藤原に話しかけ、藤原は覇気の無い声で答える。
 そんな遣り取りが、暫く続いた。
「お兄ちゃん、もっと楽しそうにしてよ〜」
 とうとう、アリスは不満を口にした。
 こんなシチュエーションなのに、相手がこれでは、流石に冷めてしまう。
「あのな……。お前こそ、こんな土砂降りで、良く明るく振る舞えるな」
 藤原は、溜め息混じりに言う。
 水が靴の中に入ってきて、足が濡れてきた。
 もっとも、既に全身が濡れているので、大して変わらないが。
 ビショ濡れの服が、次第に体温を奪い、体が震える。
 もう家まではそれ程無いが、その道さえも遠く感じた。
 こんな状態では、とても嬉しい気分にはなれない。
「雨でも晴れでも、その人次第だと思うよ。だから、なるべくなら、雨の日でも笑って過ごす方が良いんだよ、きっと。もちろんボクは、お兄ちゃんにこうして貰ってるから、とっても嬉しいよ♪」
「俺はこうしてるから、とっても嫌な気分なんだけどな……」
 藤原は、再び溜め息混じりに言う。
 そうこうしているうちに、藤原宅の前に着いた。
「ふぅ……脚、もう大丈夫か?」
「うん。ありがと、お兄ちゃん♪」
 そう言いながら、アリスは藤原の腕から降りる。
 ようやく、藤原の腕が解放された。
 近所なので、藤原はアリスに傘を貸した。
 アリスは再び礼を言い、何度も振り返りながら帰っていった。
「……ま、あいつの言う事ももっともだな……」


「ただいま」
「光様、お帰りなさ……!?」
「ごめん、タオル持ってきてくれる?」


 夕方の浴室は、シャワーの音で満ちていた。
 外から聞こえる雨音と合わさって、大合唱となる。
 三十九度の湯が放たれ、湯気が天井へと上る。
 それらに包まれ、冷えた身体が解されていった。
「光様、着替え置いておきますね」
「ああ、ありがとう」
 脱衣所から明の声が聞こえ、藤原は返事をする。
「何故、あんなに濡れてしまったのですか?」
「いや……ちょっとな」
「……望月さん、ですね?」
「う……」
 一発で当てられ、藤原は何も言い返せなかった。
 仕方無く、藤原は事の経緯を話す事にする。
「そうですか……皆様、雨の日でもお元気なのですね」
 一通り聞き終えた明は、クスクスと笑った。
「……なあ、明さん……」
 ふと、藤原が真剣な声で呼びかける。
 明は、磨りガラス越しに続きを促した。
「俺……アリスを甘やかしてるだけなのかな……? いつかはあいつも、一人で何もかも出来るようにならないといけないのに……。確かに、幼い頃に比べれば、俺が居なくても頑張っていると思う。……でも、もし、また俺と離れる様な事があれば……あいつは……。だから、俺一人を見ていてはいけない。俺一人を頼っていたらいけない。それが言えない俺は……甘やかしてるのかな……?」
 藤原は、アリスを心底心配していた。
 いつまでも自分にばかりくっついていては、自分が居なくなった時に……。
 もちろん、アリスを信じたいとは思う。
 十年前に初めて出会った時の、暗い面影は消えつつある。
 それでも、一抹の不安が拭えなかった。
「……二人手を取り合って、と言う選択肢は無いのですか?」
「な!?」
 明の意外な一言に、藤原は思わず声を上げる。
 だが、明は至って真面目だった。
 以前アリスが事件を起こした時に、彼女の真っ直ぐな想いを聞いていたからだ。
「まさか。アリスが勝手にくっついてるだけだ。……それに、俺はもう、誰かを愛するなんて……」
「…………?」
 先細りになる藤原の声に、明は首を傾げる。
「……いや、関係無い話だ。忘れてくれ」
 そんな明に、藤原は自嘲気味に言った。
 どうも今日は、やけにしんみりとした気分になってしまう。
 きっと、この雨の所為なのだろう。
 そう決めつけた藤原は、目を覚ますべく、シャワーを頭から被った。
「今のままでは、望月さんは、失う事の衝撃に耐えられない。……光様が仰りたいのは、そう言う事ですね?」
 すぐ傍で聞こえるシャワーの音に混じって、明の声が聞こえた。
「あ、ああ……」
「でしたら、きっと大丈夫だと思いますよ。人は、自覚している以上に多くの人々に想われています。大抵の人は、それに気付かずに、独りで背負い、傷付いてしまうんです。新谷さんを例に挙げれば、光様も解り易いと思いますが」
 明が真琴を例に挙げたのは、この前、とある事件が起きたからだ。
 原因は色々とあるが、真琴が独りで背負っていた、と言うのもその一つである。
 ちなみに、秋原達により、その事件も収束に向かっているらしい。
 更に明は続ける。
「きっと、失って初めて気付くのでしょうね。失ったものの重みも、自分が如何に大勢に想われているかも、満たされていては判りませんから。……私も、その内の一人なんですけどね。望月さんもきっと、光様が知らない様な人達に支えられているのだと思います。ですから、望月さんの御心配も程々になされた方が良いと思います。必要以上の心配は、する側にもされる側にも良くありませんから。彼女はきっと、失う痛みを越えられます。何方でも、幾度となく経験なさる事ですから。私と言う、生きた例も、ここに在ります。……光様も、いつか、必ず」
「何もかもお見通し……か」
 明に全て見透かされている事に気付き、藤原は苦笑しながら言った。
 自分がアリスを心配しているのは、去年の自分と重なるからなのだろう。
 一人だけを見続けて、失って、その痛みを今も引きずっている……。
 そんな自分の様になってしまう事を、恐れているからなのだろう。
 ――他人の前に自分、か……。
「……そう言えば、明さん」
「はい、何でしょうか」
 ふと、藤原が話を変える。
「アリスから伝言で、『明日か明後日に、箒に乗せてあげる』って」
「!?」
 磨りガラス越しに、明の動揺が見て取れた。
「明さん、もしかして……」
「いえ、あの、えと、その……ち、違うんですっ! 決して頼んだ訳でも、まして望んだ訳でも……!」
 藤原が言い出す前に、明は必死に否定した。
 その様子は、肯定と差ほど変わらない。
 明も自覚したらしく、それ以上何も言わなかった。
 暫くの沈黙の後、
「あ、あの……他の方には、くれぐれも内密に……」
 シャワーの音にも負けそうな、小さな声で懇願するが、
「俺は良いけど……アリスが……。秋原達も見に来るって、あいつが言ってた」
「〜〜〜〜〜!!!」
 最早、収める術が無かった。


 堀が言った通り、日付が変わっても雨足は収まらなかった。
 深夜の濡れた住宅街を、自室の窓から見ながら、
「やっぱり止まない、か……」
 藤原は溜め息混じりに呟いた。
 電気を消して、藤原はベッドに潜り込む。
 雨足が室内にも染み入ってきて、更に土足で耳へと上がり込んできた。
 これは、なかなか眠れそうもない。
 更に止めに、雷が落ちる音まで聞こえた。
 近くと言う訳ではないが、決して遠くではない。そんな距離だ。
「……最悪」
 藤原は、誰にでもなく愚痴った。
 暫くして、突然ノックの音が聞こえた。
「光様、起きていますか?」
 当然、明の声だった。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 藤原は返事をすると、ベッドから起き上がり、電気を点ける。
 夜目が利き始めていたので、光が目に染みた。
 どうにか慣れると、藤原はドアを開ける。
 そこには、当然だが明が立っていた。
 もう仕事も終わったらしく、パジャマ姿だ。
「済みません、こんな時間に……」
 そう言って、明は頭を下げる。
 解かれているロングヘアが、動きに合わせてしなやかに揺れた。
「別に良いけど……何か用?」
 明がこんな時間に来るなんて、珍しい事だ。
 藤原には、何かあったとしか思えなかった。
「あの……今晩だけ、同じ部屋で寝ても宜しいでしょうか?」
「……え?」
 藤原は、一瞬呆気にとられる。
 もちろん、明の消え入る様な声が、聞こえなかったからではない。
「……何か……あったのか?」
「あ、あの……その……えと……何と言うべきでしょうか……」
 明は、頬を染めて言葉を濁らせる。
 何か、言い難い事でもあったのだろうか。
 藤原がそう思った時、突如雷鳴が鳴り響いた。
 すぐ近くに落ちたらしく、凄まじい轟音が心臓を叩く。
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!!」
 それとほぼ同時に、それすらも覆い隠してしまいそうな悲鳴が聞こえた。
 二重の轟きに、藤原は気が動転する。
 それらが収まった時には、明は藤原に抱き付いていた。
 腰が抜けたらしく、両膝を付いていて、その身体は震えている。
 最初は訳が解らなかった藤原も、次第に理解し、
「明さんはベッドで良いよ。俺が床で寝るから」
 その顔は、自然と綻んでいた。


「済みません、一端のメイドとあろう者が……」
 明は、ベッドの毛布から顔を半分だけ出して言った。
 恐らく顔は紅潮しているのだろうが、既に豆球しか点いていないので判らない。
「ま、一晩くらいこう言うのも、悪くはないかな」
 藤原は、予備の布団を床に敷いて寝る事にした。
 使い慣れていないので、今一つ馴染めない感覚を覚える。
「それにしても、明さんが雷嫌いとはな……」
 藤原は、しみじみと呟いた。
 一件完璧そうに見える人でも、こんなに脆い部分が有るとは。
 雷が苦手な人は少なくないが、一人で眠れない程の人は、そうそう居ないだろう。
「幼い頃から、ずっとそうなんです。流石に、誰かに抱き付いて眠る事は、もう無いのですが……」
 と言う事は、昔は家族にでも抱き付いて眠っていたのだろう。
 そう考えれば、今は幾分マシとも言える。
「あ、あの……言わないで下さいね、誰にも」
「良いけど……アリスとかが来てる時はどうするんだ?」
 小声で頼む明に、藤原は尋ねた。
 今回は夜だったから良かったが、誰かが遊びに来たりしている時に雷が鳴ったら……。
「用がありましたら、駅近くのカラオケを捜して下さい」
「……ああ、成程ね」
 どうやら、用意は周到らしい。
「……本当は、何も越えられていないのかも知れませんね。自分では自立しているつもりですが、これでは……」
 明は、自嘲気味に言った。
 やはり、コンプレックスを抱いているのだろう。
 雷は、自然現象だ。
 どんなに対策を練っていたとしても、限界が在る。
 人前で醜態を晒した事も、きっと……。
「どれくらいの雷なら我慢出来るんだ?」
「そうですね……一応、慣れる為の努力はしてきゃあああぁぁぁっ!」
「……これは重傷だな」
 かなり遠くの雷鳴にも反応する明に、藤原は溜め息を吐いた。
 多分、『一晩くらい』では済まないだろう。
「おかしい……ですよね。いい大人がこんな様で」
 明は、再び自嘲気味に言った。
 ここまで落ち込んでいる明を、藤原は今まで見た事が無い。
 かなり気にしているのだろう。
「……明さんは、どうしようもなく苦手な事が有る人を、おかしいと思うか?」
「そ、そんな事無いです! 誰しも、苦手の一つや二つはあります! それを笑うのは、相手を人間として認めない事と同じです!」
 藤原の問いに、明は激しく反発した。
「つまり、そう言う事だ。得意と苦手は、誰だって有るものさ。明さんは、雷が苦手でも、家事万能だし、紅茶を煎れるのも上手だし……。克服するに越した事は無いけど、無理する必要までは無いと思う。だから、あんまり気にしなくても良いんじゃないか?」
「…………」
 藤原の言葉に、明は暫く何も言い返さなかった。
 少し経って、
「……そうですね」
 明は、呟く様に言う。
 豆球に照らされた顔は、微笑んでいた。
「じゃ、そろそろ寝ようかな……おやすみ、明さん」
「はい。お休みなさいませ、光様」
 その会話を最後に、雨音と吐息の音のみが、部屋を支配した。


 その夜は、雷が非常に多かった。


「……ん……く……」
 特に理由も無く、藤原は目を覚ました。
 明が悲鳴を上げる度に目が覚めるので、もう七度目だ。
 これだけ眠りを妨げられると、まともな睡眠など不可能だった。
 眠る前よりも、身体が重たい気さえする。
 前の目覚めは、確か、新聞配達であろうバイクのエンジン音が聞こえる時間だったであろうか。
 朦朧とした意識で、藤原は時計を見る。
 そろそろ、朝日が昇る時間だ。
 ――どうせ、雨だろ……。
 そう思った時、ふと気付く。
 ――雨の音がしない……。
 気になって、藤原はカーテンを少し開けた。
 窓が映したのは、雲一つ無い空に、日が昇ろうとしている光景だった。
 暁の光が、藤原自身と部屋を照らす。
「天気予報なんて、下駄でやるのと大差無いよな……」
 藤原が、誰にでもなく呟く。
 それは、決してネガティブな口調ではなかった。
 如何な天気でもその人次第だと、アリスは言った。
 それでもやはり、晴天の光は心をも照らすのだ。
「ん……んんっ……」
 ふと明の声が聞こえ、藤原は声の方を向く。
 ベッドの上の明にも、日光が当たっていた。
 慌てて、藤原はカーテンを閉める。
 暫くは、夢と現の狭間を行ったり来たりしていたが、どうにか夢に安定した。
 見ると、枕に抱き付いて眠っている。
 三つ子の魂百まで……と言うには、まだまだ若いだろうか。
 雷が止んだ所為か、抱き付いている所為かは判らないが、安心しきった、無防備な寝顔だ。
「……そう言えば、起きなくて良いのかな……?」
 明は以前、この時間には既に起きて仕事を始めると言っていた。
 自然に目が覚めるので、目覚ましを使わない、とも。
 だが、彼女が目覚める気配は無い。
 あれだけ何度も目を覚まして、雷に怯えながら眠っていたのだ。
 まともに起きられる訳が無い。
 起こそうか、と藤原は思ったが、止めておくことにした。
 ここまでぐっすりと眠っているのに起こすのも、忍びない気がしたからだ。
 藤原も布団に潜り、二度寝する事にする。
 緩慢な時間も手伝って、二人は昼過ぎまで微睡みに身を委ねた。


雨が降ろうが雷が降ろうが 完
2006/02/02(Thu)01:12:33 公開 / ケンイチ
■この作品の著作権はケンイチさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
第三話でシリアスな展開が多かった気がするので、コメディ分を補ってみました。

妬けたアリスに止め処無し
第三話から数日後の話です。第二話以来となる明とアリスの一対一でした。
この二人が絡むと、アリスはもちろん明も表情が良く変わるので、自分でも知らない明の一面が見られて楽しいです。

夢か現か猫耳か
ここへの投稿を最後まで迷った話です(汗
そもそもは、第三話を書く前に、違う掲示板で一騒動の末に書いたものなのですが、有り得なさ過ぎる展開が個人的に気に入ったので、投稿する事にしました。
そこそこ昔のものなので、若干粗いのは目を瞑っていただければ幸いです。
……やっぱり止めた方が良いかも知れない(笑)

雨が降ろうが雷が降ろうが
消えたみたいなので修正しました。
それと同時に、この場を以て、京雅さんのレスに感謝の意を示させていただきます。遅れて申し訳ありませんでした。
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