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『式神遣いと夢喰い師 其の伍』 作者:聖藤斗 / ファンタジー リアル・現代
全角53042.5文字
容量106085 bytes
原稿用紙約158.5枚
夢を叶える事。それは夢でしかない…。だからこそ、人間は自分の足で進もうとする…。夢と言う名の扉を捜し求めて…。
――夢と分かっていても、人はその夢を手にしようとする。

――それは自分の希望であり、そして届くことの無い絶望でもある。

――しかし、その夢に届こうとするからこそ、人は努力をする。

――夢に届くためなら…、どんなことでもする。

――そう…、どんなことでも…。


  〜プロローグ〜

「頼む!! まだ返済額が揃ってないんだ。あと一ヶ月! 一ヶ月だけ待ってくれ…」
 暗い裏道から懇願の声が響いてくる。必死の叫びだ。
 そこには、両膝を地に付け、目の前の人影にしがみついている男がいた。グレーのスーツを着て、地面には黒いアタッシュケースと一万円札の束がばら撒かれている。
「駄目ですね。たった十万でも、返済できなかったと見なします」
「頼む…、家で娘と妻が待っているんだ…」
 頭を掻き毟りながら人影にもう一度しがみつく。男は人影に向かってもう一度叫ぶ。
「頼む! まだ死にたく…」
 ゴトリ。
 何かが落ちる音がし、次の瞬間、スーツの男から鮮血が吹き上がる。人影は服に血が染みてしまわないように傘を差し、男の持ってきた札束を全て拾い上げ、アタッシュケースに仕舞い込むとそれを手にする。
 首から上が消え去った男性は力なく倒れ、その場に真紅の水溜りを造る。
「夢が叶っても、才能が無ければ長続きはしません。あなたが良い例ですよ…」
 人影はゆっくりと歩いていき、裏路地から太陽の当たる大通りへと出た。そこで初めて人影の正体が少女と分かった。ショートヘアーで闇に溶けるような黒髪。背や顔立ちから見て年齢は十代。しかし、少女の表情は無に近い。
 少女は傘を黒に近い紫一色の傘をたたみ、その時自分の口元に血が付着しているのに気づく。が、少女はそれを舐め取り、人ごみの中で、静かに呟く。
「また次の獲物を探さなきゃ…」
 少女はそう言うと、生気を感じない真紅の瞳で辺りを見回す。
 少女の目が止まる。少女の目先には脳天の禿げた高齢のサラリーマンがおろおろしていた。
 少女は男性に近寄ると、不適な笑みを浮かべてサラリーマンにこう言った。

『あなたの望み、叶えて見ませんか?』


第一話「探偵と式神遣い」

 季節は冬。外には幾つもの彩られたクリスマスツリーが立ち上り、その付近には赤いサンタ服を着て店の宣伝をしているアルバイトの人々がいる。東京には雪は降らなくなっているが、外の風景を見ればクリスマスな雰囲気東京の一角にある探偵事務所があった。
『成川なんでも探偵事務所』
 ビルの二階の窓に目立つ赤でそう貼り付けられ、そして丁寧に電話番号も貼られている。そしてその窓から手を後ろで組んで外を見ている男性が一人いた。
 首にかかるくらいの黒髪で、前髪の辺りが白に染められている。顔立ちは上々で、彼自身本気を出せば大体の女性は告白をOKしてしまうという不思議まである。服装はグレーのスーツで、上着のボタンを全開にしているため黒いネクタイと胸に付けられているガンホルダーが丸見えになっている。
 普通なら銃刀法違反で、ガンホルダーに装着してある拳銃を没収、即逮捕になるが、この探偵にその心配は無かった。
「さて、今日の新聞でも見るか。テロは『あの後』終わったのかなぁ?」
 男性はニコニコとした笑みを浮かべ、手にしていた新聞紙をばさりと開き、事務所のソファに座って読みふける。大きな木造のテーブルには拳銃の弾と、コーヒーが置かれてあり、後は依頼の資料が適当にばら撒かれている。
『探偵成川耕介、今回もテロの鎮圧に成功!!』
 新聞紙の第一面にはそう大きく書かれてあり、男性―成川耕介―が拳銃を発砲している写真が貼られている。記者も銃撃戦を撮ったときは命がけだったのだろう。成川はそう思いながらコーヒーに口を付ける。コーヒーのほのかな苦味が成川の口の中に広がり、同時に成川の表情が爽やかな笑みに変化する。
 その時、机の上に転がっている携帯の着信音が鳴った。成川は携帯を手に取るとボタンを押してもしもし、と声をかける。
「…依頼…お願いできますか?」
「ああ、依頼の電話ですか。今のところ予定は無いので大丈夫です」
「じゃあ、今からそちらに向かわせていただきます…」
 電話の主は小さな声でそれだけ連絡すると、ぷつりと電話を切ってしまった。成川は少し首をかしげ、依頼の主を待つことにした。
 ガチャリ。
 電話から数分もしないうちに事務所の扉が開く。
 そこには、制服姿の少女が一人現れた。髪は腰ぐらいまで伸び、白い髪留めゴムで束ねてある。瞳の色が翡翠のような色で、日本人ではありえない瞳の色だった。しかし、顔立ちからして日本人だと成川は思う。そして、手には多き目のアタッシュケースを持ち、虚ろな顔で成川を見ている。
「あなたが、依頼人ですか?」
「神崎桜花と申します」
 成川がそう尋ねると、制服姿の少女はこくりと頷き、軽い自己紹介をする。
 少女は無言のまま成川のテーブルの前まで行くと、アタッシュケースをそっと置き、鍵を開けた。
 成川は一瞬息を呑んだ。
 そこには、沢諭吉の束がぎっしりと詰めこめられていた。
「これは…?」
「依頼の成功報酬です。依頼を受けて見事に成功すれば、差し上げます。ちなみに三千万入っています」
 少女はそう言うと無表情のまま微笑む。
 成川はその金額を見て、一つ聞かなくてはならないことを思い出し、真剣な眼差しで彼女を見る。
「それで、その依頼とはどんなものですか? 依頼によっては、受けられないものもありますので…」
 成川がそう聞くと、彼女はこくりとまた頷き、胸から写真を一枚取り出す。彼女に良く似た黒い瞳の少女がいる。彼女は写真を成川に渡すと、口を開いた。
「この女性。いえ、私の双子の姉…『神崎嫗―かんざき・おうな―』を…殺してください」
 その言葉を聞き、成川は目を細める。
 暫く、二人は無言のまま見つめあう。
 部屋の隅においてあるケージのかさかさ何かが動く音が鮮明に聞こえる。
「無理だ」
「どうしてですか?」
「俺は人殺しはしない。たとえ、いくら札束を積まれてでもだ。気に入らない仕事はやらないのが俺の主義だからな」
「人殺しにはなりません」
 成川は怪訝な表情を見せる。しかし、少女は続ける。
「私の家は代々、『九つの式神』を授かるのです。私の姉はあと二年すれば、九つの式神を授けられ、私の家の新たな家元になるはずだったのです」
「式…神?」
「はい。信じられないでしょうが、今は黙って聞いていてください。続けますよ…」
「ああ、頼む…」
 最初まで乗り気ではなかった成川の表情が一変し、少女の言葉に耳を傾け、一言一言をしっかり逃さず聞き始める。
「けれど、姉…嫗は…、そんな時に禁忌を犯してしまったのです…」
「禁忌や家柄を破壊するようなことをして家を追い出されるのは聞いたことがある。だが、どんな禁忌を犯したんだ? 何故殺す必要があるんだ?」
「それは…そこまでは言えません。ただ、私だけの力では姉に罰を加える程力がありません。だから、依頼に来たんです」
 成川は黙り込む。少女も黙り込む。
 外の平和なジングルベルの音楽が暗い部屋に響く。しかし、蛍光灯さえ付けていないこの部屋にはその音楽も暗いイメージへと変わる。
 その時、成川が先に動いた。成川は暗くなった部屋を明るくするために扉近くのスイッチを左に起こし、電源を入れる。すると数条後にはこの部屋も白色の明かりで満たされていた。そうした後に成川は自分のソファに再び座り、胸から拳銃を取り出す。少女は拳銃を見て息を呑む。成川は撃鉄をガチリと引き起こし、銃口を少女に向けた。そして目を細め、人差し指に力を入れる。
 その瞬間、桜花は胸から水色の札を取り出すとそれを成川に投げつける。
「式神・流水(りゅうすい)! 我を守れ」
 その言葉に反応し、成川に向けて一直線に飛んでいる薄っぺらい札に淡い光が纏わりつき、そして形を成していく。
 現れたのは、液体で形成された小さな竜だった。可愛らしい外見に、少し潤んだ紅色の瞳。パサパサと動く小さな二対の翼。どれも愛らしい姿をしている。
「人形?」
「人形ではありません! 式神です!」
 成川はそれを見て、一瞬怯む。その時、流水と呼ばれた竜の小さな口がパカリと開き、そこから親指くらいの水の塊が現れる。成川は顔をしかめながらその塊を見ていたが、流水が紅色の目を鋭くした刹那、水の塊は弾丸の如く飛んだ。そして風切音を発しながら成川へと飛んでいく。
「何だ!?」
 成川は拳銃を机に放り投げると瞬間的に身を屈めてその水の弾丸を避ける。
 すると、弾丸は窓ガラスに着弾し、そのまま飛び散った。
「何だ…、ただの水鉄砲か…」
 そう言って安堵の表情を見せた刹那、着弾した窓ガラスにヒビが入り、音を立てて粉々に砕け散った。それを見た成川は口をあけて呆然とその場に座り込んでいた。
「この水は300㎥の水を凝縮した弾です。あなたが何故急に武器を構えたのか分からないので、身を守るために召還しました」
「その人形が…式神ってやつなのか?」
 成川は立ち上がって目の前に浮かんでいる水の塊で出来た人形をまじまじと見る。流水と呼ばれたそれはどこからどう見ても立体だった。成川は口をぽかりと開けて流水を見続ける。
「何故武器を構えたのですか? 答えてください」
「武器でも構えてみればキミが本当のことを言っているか分かると思ったから…」
「どういうことです?」
「いや、君は式神と言う物を召還できると言った。だが、言葉だけでは信じることは到底無理だ。なら、いっその事武器を構えればキミが反射的にその式神とやらを出すかもしれないと思ってね」
 成川はまさか本当に出すとは、と呟きながら腕を組んで首を振る。しかし、桜花はまだ身構えている。
「では…、もし真実ではなく、出すことができない場合は? 撃ち殺すつもりだったんですか?」
 桜花の問いかけに対して成川はそんなことするか、と返事を返し、机に放り投げた拳銃を持ち上げ、一箇所に指を指す。
「安全装置が作動中」
 成川はさらにマガジンを取り出し、中身を見せる。
「弾は入っていない」
 成川はそう言うとマガジンに弾丸を詰めて拳銃にカチリと差し込む。そしてその拳銃の安全装置を再確認した後胸に取り付けられているガンホルダーに留めた。
「とにかく、式神だっけ? それの存在は信じよう。けれど、何故俺なんだ? その金額をもともと用意してあるのを考えると、俺のところに直接来るつもりだったんだろ?」
 成川は桜花に問いかける。桜花はその問いかけに頷きで返事をした。
「ここに来る前に、狭い路地にいた占い師に占ってもらったんです。そうしたら、こう言われました」
 少女は一旦間を開け、もう一度口を開いた。
『ここから北へ二百歩きなさい。すると窓に赤い文字の張られている場所がある。そこに電話をしなさい。相手は必ず大丈夫だと良いますよ』
「それって、単に一番有名な場所だからじゃないかな?」
 成川は興味の何気ない表情をしながら窓を開けて、桜花から外の風景へと目を移した。外では珍しい小さな白い粒が降り始め、その粒が深い緑のクリスマスツリーに少しづつ積もっていき、風情あるツリーへと変化させていく。少し冷えてきたなと呟き、成川は開けた窓をがらりと閉めて鍵を掛けた。
「あと、こんなことも言っていました」
 桜花が急に声を発する。成川はソファに深く座って桜花の言葉に再度耳を傾ける。
『その者は必ずや命を司る者を打ち倒すものとなるはずです…』
「そう言われたので、私は迷わずここにしたのです」
「けれども、式神とかっていう特殊な力を持ったキミでも倒すことが不可能な嫗という女性相手に、俺が入ることで何か変わるのか?」
「はい。式神は生命力を分割して札に込め、具現化するものなのです。通常はそうなのですが、私『契約者』の他に、『付与者』と言う者がいて、その者と式神遣いが契約すると、能力の力が格段に上がるのです」
 成川は複雑な桜花の説明を理解するために頭の歯車をフル回転させる。桜花は理解しきれていない成川を見て、少し表情を歪ませる。
「簡単に言えば、式神をあなたの武器として召還できるのです。そして、その時あなたの生命力とシンクロするので、パワーアップするのです」
「うう〜ん。まだ理解できないところがあるけれど、一応分かった」
 成川は桜花の説明を聞き、大体の部分を理解したところで残りの部分は頭から排除した。
 成川は思い出したように手を叩き、机にある幾つもの引き出しの中から、一枚の薄っぺらい白色の紙を取り出す。表にはプリントされた流麗でバランスの良い黒文字が並び、その一番下部に四角い枠がある。
「とにかく、ここにサインしてくれ。まだ完全に信じきれたわけではないが、とにかく依頼を受けよう。だが、命に関わるようなことはごめんだ。それでも良いな?」
 成川が問いかけると、桜花は静かに一回、頷き、そして指に朱肉でインクを付け、枠に収まるような小さな判を押す。
「おし、これで依頼成立だ。まずは何をすれば良い? 俺のいつものやり方じゃ無理があるだろうからな。何か指示でもしてくれれば動きやすいんだが…」
 成川は腕を組んで唸り始める。桜花はもう一枚札を出す。
 今度のは金色で塗られ中心部分には「白金」と書かれた札で、少女は聞こえにくい声で何かをブツブツと呟くと、その札を宙に放り投げる。
「出でよ!式神・白金(しろがね)」
 桜花の言葉と共にまばゆい光が辺りを包み、それが消え去ったときには成川の目の前に金色の竜が出現していた。流水とは違い、周りに光を反射する光沢のある金を纏っている。流水の姿とは違い、全体的に岩のような姿をしていて、二対の翼のみではとても飛べそうな気配は無い。
「これは、どんな力なんだ?」
「ほとんどの式神には色々な力があります。流水が水を操る神の使い。白金は九つの式神の中で最も硬い金属を鎧として纏っているのです」
「でも、これで嫗って奴は見つけられるのか?」
「いいえ」
 成川の問いかけに桜花は静かに首を振り、こう言った。
「敵から身を守るためです」
「どういう意味だ?」
 成川は戸惑う。しかし、それも次の轟音で全てを理解した。
 轟音と共に成川の事務所の窓が叩き割られ、そこから黒い塊が三つ進入してくる。成川は「それ」の姿に疑問を持った。
 黒い塊で、塊の中心部に濁った瞳をした目があり、それが成川をマジマジと見ている。
「何だ? これは…」
 成川が首をかしげながら黒い塊に触れようとする。
――触れるな!!
 桜花の大きな叫びが成川の耳を貫く。成川は触れようとしていた手を引っ込め、麻痺しかけている耳にその手を当てる。

『タスケテ…』
 
 どこからか、呻くような濁った声が響いてきた。成川は当たりを見回すが、どこにもその声の主はいない。
 成川は黒い塊をもう一度見る。そして口を噤んだ。

『タスケテ…』

 黒い一つ目の塊に口が生えていた。それも、人間と同じような形の口だ。そこからはどろどろとした粘着質のある唾液が力なく垂れて、床を汚していく。
「何だよ…、こいつら…」
 成川は反射的に銃を握り締め、黒い塊に向けて一発発砲する。
 弾丸は見事に黒い塊の目に着弾した。
 黒い塊は赤黒い血を孔の開いた目から噴出し、気味の悪い悲鳴を上げた。

『ナンデ…タスケテ…クレナイノ…』
  
一匹の悲鳴に反応して、3匹とも大きな牙を向いて成川に飛び掛る。成川はその悲鳴に顔を歪めながらも弾丸を発砲する。
「何なんだよこいつら! これも嫗ってやつと関係してるのか!?」
「はい。これは夢を嫗によって刈り取られて死んだ者の姿「亡霊」です。嫗は『夢喰い』と言う能力を身につけていて、この能力によって死んだ人は姉の操り人形になるんです。しかも、この亡霊は日が経つにつれ怨念が強まっていき、だんだんと強力になっていきます。でも、この三人の方達はまだこの状態になって日数が経っていません。私だけでも殺せます」
 桜花はそう言うと白金を「亡霊」に向けて放つ。白金は赤い瞳で亡霊を見据えると、胸の装甲を開き、弐貫の砲塔を伸ばした。
「一…二…三…ファイアー!」
 白金の主砲から銀色の燐をこぼしながら弾丸が亡霊へと飛ぶ。
 亡霊に弾丸が着弾した刹那、巻き起こる轟音と衝撃が巻き起こり、静けさが戻った頃には亡霊の一匹は跡形もなく消え去っていた。
「何だよ…、今のは…」
「亡霊は魂魄とある物質で出来ています。まず魂魄を囲っている物質があり、それが殺された人の魂魄を封じ込め、エネルギーとして亡霊になっているのです」
 桜花は立ちすくむ成川に丁寧に説明する。そして説明しながら札をもう一枚取り出すと再び小さな声で詠唱を始める。桜花の目の前に浮いている札の色は赤。そして札の中心には「紅蓮」と書かれている。
「式神・紅蓮! 敵を焼き払え!」
 真紅の炎を回りに躍らせる龍が現れる。その赤い神々しい姿に誰もが一度は見とれてしまうほど美しい姿であった。艶のあるすらりと伸びた翼に、深く赤い瞳。姿形は流水と似ているが、こちらは「可愛い」ではなく、「美しい」といえる式神だった。
 その美しい式髪・紅蓮が桜花の命令を聞くと、深い赤の瞳をゆがませ、体の周りを回る真紅の炎を放射状に亡霊目掛けて飛ばした。炎が亡霊を包むと共に、その炎の周囲がアイスのように溶け始め、亡霊の外形も跡形もなく消え去る。
「今のは…」
「紅蓮は炎の温度を調節することが可能なんです。ライター程度から太陽の中心部の温度まで自由にです」
「半端ないな…」
 成川は紅蓮の炎で吹き出た汗を拭いつつ、慎重に狙いを定め、こちらに向かってくる「亡霊」と呼ばれる存在目掛けてトリガーを引いた。銃口から回転しながら弾丸は放たれ、反動で成川の手が痺れる。
 亡霊は途中で方向転換をして避けようとするが、そこに成川はすかさず再度トリガーを引く。
「ギィィィィ!!」
 亡霊は甲高い悲鳴を上げるが、弾丸が着弾した瞬間、赤い液体を撒き散らしながら気味の悪い音を放ち、そして消滅した。
「今のは?」
「火薬を通常の五倍詰めてある成川特性の弾だ。まあ、その反動で暫く手に痺れが残るがな」
 成川は右手をブラブラを揺らしながら言った。
 暫くして、桜花は割れた窓から顔を出すと空を見る。まだ振り続けている雪が顔に当たり、柔らかく、そして冷たい感触が感じられる。
 事務所の下では赤い服を着たシロひげを付けた中年男性が前を横切る人々にパンフレットを渡そうと必死になっている。心地よい風が桜花を包み、腰ぐらいまで伸びた黒いつやのある髪が風に揺られて靡いている。
 さっきまでの戦闘がまるで夢だったかのような、そんな気さえした。
 成川は緊張が解け、よたよたと脚を引きずって歩き、桜花の隣に立つ。ガラリと割れていないガラス戸を開けて、桜花と同じく夜空を見上げる。空は満面の星模様だ。どこから雪が降っているかと疑問になるくらい雲が無い。
 成川は、その時三つの半透明の白い物体が夜空へ舞い上がっていく様子が見え、次には笑みを浮かべた三人の姿が見えた。
 成川はその三人のことを知らない。あったことも無い。だが、唐突に理解した。
――あれは、俺が助けたのだと。
「なあ、神崎さん」
「桜花でいいですよ。何です?」
 成川は煙草とライターを取り出すと一本取り出し、火をつける。灰色の煙が真っ青の夜空に上がっていく。成川は肺一杯に煙を吸い込み、大きく煙を吐くと再度言葉を続ける。
「亡霊の中にいた三人の魂は、天に上がれたのかなぁ?」
 成川の問いかけに、そうかもしれませんね。と桜花は答える。
「やっぱり、俺、あんたの依頼、終わるまで受けるわ」
「どうしてです?」
「だってさぁ、夢を喰われて、苦しみながら現世をさまようなんて事をさせてる奴。良く分からないけどゆるせねぇもん」
 成川は夜空を見上げながら桜花に手を向ける。桜花はその手を右手でしっかりと握り締める。
「短い付き合いになると思うが、まあよろしく。神崎さん」
「よろしくお願いします。あと、私の事は桜花、でよろしくお願いします」
 二人はお互いに手を握り、暫くの間夜空を静かに見上げていた。


第二話「兄の覚悟」

――俺の妹は、病気なんです。

――治せない病気ではないんです。

――けれど、お金がありません。

――どうにかして、お金が欲しいんです。

――僕がお金持ちなら、妹の病気も治せるのに…。

――妹を幸せに出来るのに…

story 2[Preparedness of an elder brother ]

 クリスマスも過ぎ、だんだんと暖かい風が吹きつつある東京。人々もだんだんと着ている衣服もだんだんと減り始め、気温も上がりつつある。東京も暑さが目立ち始め、一月でも半そでの男性や女性を見かけることもある。
 成川もクリスマスから一月はじめの元旦に掛けて、無休で仕事を続けていた。しかし、どんな情報ルートを探してみても「神崎嫗」の情報が手に入ることは無かった。
 成川はキーボードをカタカタと叩きながら桜花に問いかける。
「そういえば、神崎さんの家はどこにあるんだ?」
「どうしてです?」
「いや、とにかくキミはまだ未成年みたいだし、親御さんには連絡を入れたほうが良いと思って」
「大丈夫です。親には『嫗を殺すまでは帰るな』と言われてますから」
 桜花はさらりとそんな事を言った。成川はふーん、と頷きながらも頭の中では酷い親もいたもんだ。と考えていた。
 成川はノートパソコンの画面を覗き込みながら先週のことを思い出す。黒い一つ目の塊「亡霊」。その時の事を思い出すと何故か胸が苦しくなった。単純に言えば、気持ち悪かったのだ。
 亡霊は夢を奪われた魂をエネルギーとして動く式神。とあの後桜花に言われた。だが、あの姿形は桜花の出した「式神」では無い。
 成川は頭を掻いて唸り始めた。
「どうすりゃ良いんだ? 神埼嫗に夢を叶えてもらった奴を探すなんて事、空気を掴むくらいの難しさだし…」
「成川さん。この人に会ってみませんか?」
 桜花は新聞のある記事を指差す。成川は何気ない目でその一面を見ると、勢い良く新聞紙に飛びつく。
 新聞紙の一面に大きく写真が載り、そこに「貧民から一変、大富豪へ」とかかれた見出しがカラーで貼られている。
「確かに不自然だ。可能性はあるかもな…」
「いいえ…、確実です…」
 成川は桜花の地震溢れる一言に対して首を傾げる。桜花は静かに新聞のカラー写真の一部を指差した。
 そこには、あざやかな紫一色の傘を差したどこか桜花と似た面影のある女性がひっそりと立っていた。
「これが、嫗ってやつなのか?」
「ええ。見間違えるわけはありません。私の姉ですから…」
 桜花はそう言って拳をぎゅっと握り締める。顔が悔しげに歪んでいる。
「また、犠牲者が出てしまいます…、止めに行きましょう…成川さん」
「ああ。依頼は完遂するのが俺のモットーだ。早速この少年に会って見よう」
 成川はグレーのコートを羽織ると胸と腰のホルスターに小型の銃器を差し込む。それと同じくして桜花も腿の辺りにあるバックパックに幾つかの札を差し込む。
 事務所の扉を成川が開き、そして桜花がそれに続いて歩き始める。
 扉の外から降り注ぐ日差しが、どこか悲しげで、そして暖かかった。


「柳翔太君! 孤児から大富豪へ一変した感想をお願いします」
 手に収まるサイズのデジカメや、数本テープで束にされてあるマイクを手に古びたアパート「夏虫花荘」二階にある柳宅に押しかけていた。ある時はドンドンと取材陣が扉を叩き、ハイエナのようにマイクとカメラをスタンバイしている。
「ごめんなさい。何も話すことはありません」
 翔太は扉の向こうの取材陣に静かに言う。翔太は窓を開けて爽やかな空気を全身に浴びていた。
――気持ち良い風を体に受けられるのも、あと少しか…。
 翔太はそんな事を思いながら何かを悟った目で辺りの風景を見る。下には五月蝿い取材者がいるので、なるべく遠くを見ることにする。右手には一冊の手帳が握られ、「柳青葉」と書かれている。
「母さん。母さんの手帳、役に立ったよ。なんにも残してやれなくてごめんとか言ってたけど、十分残してくれてたよ」
 そんなことを呟きながら手帳を捲った。そこには機械的な字で「三億」と言う数字が打ち込まれてあり、翔太はそれを見て無邪気な笑みを見せる。
「これだけあれば、歌織の治療代も払える…」
 翔太は呟きながら一粒の涙を流す。
 その時、部屋のドアが軋み、そしてはじけた。辺りに木片が散らばる。
「翔太さん! 今の感想を…」
 翔太はマスコミのしつこさに驚き、後ずさりをした。しかし、その時翔太は一つ忘れていたことがあった。
――後ろは…窓…。
 予想通り翔太は手を滑らせて頭から転落していく。それをマスコミは唖然として暫く翔太の消えた窓を見て、いきなり振り返ると我先にとでも言わん限りに走り出す。
 責任を逃れるため、逃げていく大勢の取材班たちの前に、紫一色の傘を手にした少女が立っていた。一人の男性が目の前の少女を払いのけようと声を掛けながら手を伸ばす。
「おい、早くどいてくれ!」
 刹那、その男の右手首が綺麗に吹き飛び、真っ赤な鮮血が溢れ出す。男は暫く自分の手に何が起こっているのか全く理解できなかった。吹き出てくる血液をただ呆然と眺めながら目を白黒させている。
 そして、突然悲鳴を上げてその場にへたりと膝を着き、「俺の手がぁぁぁ!」と叫び始める。少女は無に近い表情でその男性の横を通り過ぎる。少女は紫の傘を持っていた手にいつの間にか少女の背丈ほどもある大鎌を持っていた。刃先からは真っ赤な血液がべったりと付着し、生々しく見える。
「何だ…、この女は!」
 取材班の中にいた数人の女性は口を噤み、震えながらその場に座り込んでしまった。男性達はその女性たちを守るような陣形で少女に立ち向かおうとしている。
「だぁぁぁ!」
 一人が大型のマイクで殴りかかる。マイクは風を切って少女に吸い込まれるように落ちていく。そしてぐしゃりと何かが割れるような気味の悪い音を放つ。
「え?」
 男性の手には確かに手応えがあった。しかし、目の前に少女はいない。良く見てみると、長い棒状のマイクが当たっているのは手首を切り裂かれた男性で、どくどくと脳天から血を流している。男性は目がグルンと上を剥き、ピクピクと痙攣を起こして倒れる。
「あの女はどこに行った?」
 男は気を動転させて辺りを見る。どこを見てもいない。
 その時、男性の視線が下に落ちていった。気が付けば、ゴト、と何かが落ちる音が聞こえ、自分の視線が急に床の辺りになっていた。
 誰かが自分の髪の毛を引っ張り上げた。声が出ない。首から下が動かない。
「無様ですね」
 髪の毛を引っ張っていたのは少女で、その後ろには自分の首の無い体が噴水のような鮮血を吹き上げて立っていた。
「えい」
 少女は男性の「生首」を掴むと、少女とは思えない握力で握りつぶす。目玉がパチンと音を立てて潰れ、しわだらけのピンクの塊がぐちゃぐちゃに潰されて床に落ちていく。少女は手についた血を舐め、悪戯な笑みを向ける。
「ひ…助け…」
 次の瞬間、他の男性達が次々に無残な肉塊へと姿を変え、血しぶきを上げて地に伏していく。それを怯えきった女性が見ている。少女はその残りの女性に近づいていくと、血糊だらけの大鎌をゆっくりと振り上げた。

 翔太は頭から落ち、白目を剥いて仰向けに倒れていた。体の所々が変な方向へ曲がり、口からは血泡を吹き、脳天はぱっくりと割れて血が勢い良く流れていた。
 少女はその翔太の「遺体」に近づく。
「そろそろ起きてくれませんか? 見てるほうは結構気持ち悪くなるんですから」
 少女が翔太の遺体にそういった刹那、無残な姿になった翔太の上体が起き上がる。
「いってぇ…。死ぬところだった…」
 右に傾いている頭を右手で押し、間接にむりやり押し込む。ポキリと生々しい音を立てて翔太の首の間接が元に戻る。
 良く見ると、翔太の負傷した部分が塞がり始め、勢い良く吹き出ていた血液も今は治まり、裂傷部も痕を残さずに完治した。
「これが、嫗さんの言っていた『夢を叶える条件』って奴ですか?」
 完全回復した翔太は目の前の少女―神崎嫗ーに問いかける。嫗は一度こくりと頷き、大鎌を紫の傘に変化させる。
「ええ。しかも、貴方には他の人には与えないチャンスがあります」
 翔太は完治した自分の体を見て驚きながら、嫗の言う「チャンス」が一体何なのかを問いかける。
「私の妹。桜花を殺す事です」
「どうして、殺すんだい?」
 翔太は嫗に問いかける。しかし、返答は無い。嫗は黙って写真を取り出すと、それを翔太の手に握らせる。
 そこには、嫗に似た一人の少女が写っていた。
「これは依頼ではありません。貴方が妹さんの治療費を払った瞬間からこれを私からの命令と思って動いてください」
「とにかく、この女の子を殺せば、俺は元の世界に戻れるんだな?」
 嫗はコクリと頷くと、傘を広げた。紫の傘は完全に日の光をシャットアウトし、その傘下にいる嫗の姿もだんだんと消え始め、最後には傘も消え去った。
『良いですね。必ずですよ…』
 そう言い残し、嫗の気配は完全に消え去った。
 五月蝿いニュースの取材陣は完全に消え去った。その為今までの騒がしさがまるで嘘のように思えてくる。老朽化したアパートは何故か小さく見え、今いる庭の雑草だらけの大地も何故か弱弱しく見えた。
「これも、俺が死ぬことの無い体だから…、死の恐怖が消えたせいなのか?」
 翔太は己の手を見る。死体のように冷たく、青白い手だ。静脈が妙に目立っている。しかも、手の爪は鋭く伸び、犬歯も犬のように鋭くなっている。見たところ身体能力も向上しているようである。今の状態なら、その「桜花」と言う少女をすぐに殺害し、何もかも忘れて平和に過ごせるかもしれない。
――俺の夢は、妹と一緒に平和に暮らせる世界に戻ることだ。一刻も早く桜花を殺して、妹に会ってやる。
 翔太は鋭くなった紅に染まる眼で世界を見る。そして、ターゲットを探すことを始めるのだった。

 暑苦しい都会の公道で、二人はメモ帳を右手に歩き続けていた。成川はいつものスーツではなく、黒のコートとジーパンと言ういでたちで、首と手首にはシルバーアクセサリーまで付けていた。それと同じく、いつも制服姿では流石におかしいので、桜花は長袖のセーターと膝くらいまであるスカートを穿いていた。
「情報は出てきましたか?」
「いや、流石にマスコミがしつこく追いまわしているから街中を歩いていないみたいだ」
 成川は左手に持ったメモ帳に殴り書きされた情報を見ながら言う。桜花もそれを見て腕を組んで黙り込む。
「とにかく、柳の家に行けば、いるかもしれないな」
「そうですね。行って見ましょう」
 成川はメモ帳をペラペラと捲り、どこかの地図が張られたページを開く。その地図の中央部分に赤い丸がされ、「柳翔太」と書かれている。二人はその地図を見て、場所を確認すると歩き出す。
「探す必要なんて無いよ」
 不意に、背後から声が聞こえてきた。二人は足を止めて背後を振り向く。
 そこには、黒いフードのついたジャケットを着た青年がいた。しかし、フードを被っているため、青年の素顔は見ることが出来ない。
「どういうことだ?」
「どういう事って…、僕がその柳翔太だから」
 少年は黒いフードからひょこりと顔を出す。その顔は、新聞で見た写真と同じ顔を青年だった。翔太はにこりと笑って、二人を見ている。特に、桜花のほうに視線を強く送っていた。
 成川は顔を引き締めて翔太を見る。そして、コートの内側に手を突っ込む。
「な…何を…」
 成川が出したのは煙草だった。成川は一本箱から取り出すと百円ライターで先に火をつける。そして煙を胸いっぱいに吸い、それを吐いた。
「とにかく、どこかに移ることにしよう」
 成川はそう言うと桜花と目を合わせる。そして、同時に首を縦に振る。
 成川と桜花は、翔太の両脇に付くと、そのまま翔太を匿う様に歩いていく。その時、翔太は気づいた。自分の姿を写真に収めようとしている者たちがそこら中にいることを。
「キミ、さっきから取られてたぞ」
「うん。感じからして、人数は二・三人くらいかしら」
「本当に?」
 両脇をはさむ二人に問いかけると、二人は同時に頷く。そして、何気ない素振りでレストランの扉を開けると、翔太を壁の側に座らせて写真を取られないようにする。
「ご注文は…」
「コーヒーを三つ」
 注文を聞きに来た女性店員に成川は慣れた言い方でそう言う、女性店員は「かしこましました」と返事をすると、厨房のほうに消えていった。
 成川は辺りを見回す。どうやら、翔太の側にいつも嫗がくっついていると言うわけではないようだ。レストランを満遍なく見回すと、カメラを持った男性が二人、家族が三組いた。成川は二本目の煙草に火をつけながら、桜花に「カメラ構えてる奴が二人」と呟き、桜花はそれに応じて札を一枚取り出す。
「式神・白金…。周辺にあるカメラを眠らせろ…」
 静かにやる必要があるため、光はしないが、札が粒子状に散り、次の瞬間には光沢のある赤目の竜が現れていた。翔太はそれを見て、少しばかり驚く。
「これ…は…?」
「式神と言って、これからキミを守るためのものだ」
 成川は真剣な目で言う。それを聞いて、翔太はふぅん、と静かに頷く。
――なるほどね。これが面倒な能力なのか…。
 翔太は薄ら笑いを浮かべ、二人の姿を見る。
「とにかく、一つ聞きたい事があってキミを探していた」
「何? 言えることなら何でも言うよ」
 翔太は落ち着いた雰囲気で成川を見ている。
 そこに、桜花は違和感を持った。
――おかしい。人は普通、見たことの無いものを見たとき、恐怖感が必ず生まれるはず。
 桜花は翔太を見据える。
 翔太は机の上でがっちりと身構えている白金を見て笑みを浮かべ、そして指で突付いている。桜花は翔太に気づかれないように、太股に装着されている長細いケースの蓋を開け、一枚の薄っぺらく墨で文字の書かれてある札を人差し指と中指で挟んで取り出す。
 突然、翔太の視線がこちらに向いた。
「…丸見えだよ」
 翔太は頬を吊り上げた微笑を浮かべ、右手で桜花の右腕を掴む。引っ張り上げられた桜花の指先に「木牙」と文字の入った札が人差し指と中指で挟んである。
 翔太の尋常ではない握力で、桜花の右腕がみしみしと悲鳴を上げ始め、同時に桜花も呻き声を上げる。
「あなた…、やはり…」
「ここじゃぁ人目に触れちゃうね。人の居ない所に移るとしようか」
「てめぇ、神崎に何を…!?」
 成川が机を乗り上げて翔太の胸倉を掴もうと右手を伸ばす。刹那、翔太は桜花の首筋を左手で握り締め、うごくな、と成川に呟くような声で言う。当然桜花も動くことが出来ない。
「誰かに気づかれて、困るのはそっちだろ?」
「…てめぇはどうなんだ? ここで下手に動けば、お前の行動がメディアに筒抜けになるぞ?」
 成川は脂っこい汗を額から流しながら余裕の表情を作って翔太に言う。
 しかし、翔太はそれを聞いてため息をつきながら首を振り、そして殺意の篭った目を成川に向けた。
「前まではね。でも今は、『嫗』さんに特別な能力を貰っている。例えば、レストラン内の人間を数秒で殺すことが出来るとか…ね」
 翔太の言葉を耳にし、成川は仕方なく戦闘体制を解除する。それを見て、翔太も桜花の首と腕から手を離す。
 翔太は立ち上がると、桜花の上を跳躍で越えてレストランの出入り口に歩き出す。着いてきな、と指で二人に指図し、レストランを後にした。二人も同時に動き出し、翔太の後を追いかける。
 
 気づけば、辺りは無人状態の工場跡に到着していた。工場の剥き出しの鉄筋は錆びて朽ち始めていて、触っただけで折れてしまいそうなほど弱弱しい。工場の扉も開放され、内部にある機器や錆びかけた鋸やらがそこらに散布し、足場を悪くしている。成川は拳銃のマガジンに八ミリの弾を装填してグリップに叩き込む。桜花は両手に五枚ずつ墨で文字の書かれた札を取り出して構えている。
「あんたも馬鹿だよね。もっと近づいてくるやつは警戒しなくちゃ」
 イチニ、イチニ、と準備体操を始める翔太は笑いながら桜花に向かって言う。桜花は扇のように札を持ち、構えている。
「なんでそこまで余裕があるの?」
「ま、殺しあってからのお楽しみ、って事で」
 翔太は体を回転させて柔軟を終えると、地面を強く足で踏みしめた。翔太の足元が円形にへこみ、凹凸を作り出す。
「伊奈、待ってろ。兄ちゃんすぐ戻ってくるからな…」
 翔太は地面を蹴り、一直線に桜花に向かってくる。桜花は扇状に束ねた札を一枚同じく翔太に向けて放つ。
「紅蓮!! 焼き尽くせ!」
 札から紅に染まる炎が巻き起こり、札が炎に包まれる。そして赤くまばゆい光が辺りを包み、光が治まったときには炎の式神「紅蓮」が召還されていた。桜花はその様子を見て、翔太を人差し指で指差すと、親指を立てて拳銃の形を手で作る。
 すると、紅蓮の目の前にの小さな火球が現れ、紅蓮の炎を吸収しながらだんだんと成長していく。  
 そして、紅蓮と同等の大きさまで成長すると、「バンッ」と一言叫んで銃の真似をしている手を顔の前まで持ってくる。
 それが引き金となり、火球は音を切り裂いて翔太に向けて飛んでいく。翔太は瞬間的に足を止めると腕をクロスさせて防ぐ準備をする。しかし、火球はそれでも勢いを止めずに翔太に接触すると翔太を包み込んだ。離れているはずなのにも関わらず、熱は成川と桜花の辺りまで来ている。接触すれば、瞬間的に人間でもアイスになるはずだ。
「終わったな…」
「いいえ、まだです」
 成川が拳銃をホルスターにしまおうとした刹那、桜花がその手を止めさせる。
「待ったく…ひどいもんだね…いきなり火の玉とは…」
 火炎の柱の中から、無傷のまま翔太が現れる。その光景に、成川は息を呑む。
 翔太の体が変化していた。服を焼かれて一糸纏わぬ状態だが、その体は岩のような色合いと質感を出し、常人とは思えない長さの爪が両手に生えている。そして、下半身は黒い竜の鱗のような物体で包まれている。そして背中にはゴツゴツとした骨で作製されているような翼が一対生えている。
「何だよ…これ…」
「嫗…」
 桜花は翔太の状態を見て、唇を強く噛んだ。
 嫗は彼を改造し、そして夢の代償を元に戻すと言う条件にして自分を追わせた。最低な者のやる事だ。桜花は思わず目を逸らす。
「目を逸らすなよ…」
 桜花はハッとして目を開くそこには、瓦礫に埋もれている成川の姿があり、目の前には翔太がにやりと笑って立っていた。急いで札を出すと式神の名前を声に出そうとする。しかし、翔太はそんな暇を与えずに鋭く伸びている爪で桜花の左胸を貫く。
「遅いよ…」
 桜花はケホ、と口から少量の血を吐く。そして、目から光が失せていく。
 成川は瓦礫の中からその光景を見て、そして目を見開く。もはや人間ではなくなった翔太は、桜花の左胸を容赦なく貫いている。舌を鳴らしながら瓦礫を吹き飛ばして立ち上がると拳銃をもう一丁取り出す。リボルバーだ。
「この野郎!!」
 右と左に握られた拳銃の引き金を同時に引いた。弾丸が螺旋を描いて空を切り、それは翔太の黒い岩のような右腕に着弾する。成川の特製火薬入りの弾丸だ。翔太の右腕は勢い良く吹っ飛び、そして桜花は地面に落ちる。
 ――が、現実は違っていた。着弾した弾丸は普通ではない爆発を見せるが、翔太の右腕は吹き飛ぶどころか、傷一つ付いていなかった。
「今の…爆竹?」
 翔太はもう一度笑い顔を見せる。その顔は悪意に満ちていた。爪先にいる桜花を振り払うと、成川の方へ一歩、一歩と歩み寄ってくる。成川は、舌打ちをしてもう一度弾丸を発砲する。しかし、火花が散るだけで翔太の体には傷一つ着かなかった。



 翔太の目の前には、大の字に倒れた探偵と左胸から出血している桜花が横向きに倒れていた。翔太はその二人を静かに見ると、一度合掌をした。
「夢をかなえるには…これしか無かったんだ…」
 そして、バサリと翼を広げると、天高く舞い上がっていった。暫くすると翔太の姿は天空からも地上にからも消え去っていた。
 
 その時、目に光の無い桜花の手が、微かに動いた。



第三話「魂の牢獄」

――人は他人の犠牲を基にして夢を叶えている。

――しかし、他人を蹴落とした者には、必ず何かが待っている。

――この世界で、夢を確実に適えるという事は無い。

――けれども、人は夢と言う「希望」に縋り付く…。

story3 [A spiritual prison]

 風が、まるで翔太を拒絶するかのように吹き荒れている。翔太は岩の翼を羽ばたかせて風に乗ろうと「バサッバサッ」と力を入れるが、風は最後には翔太を完全に拒絶し、そして、翔太はきりもみしながら濁った川へと落下していく。盛大な土埃が辺りに舞う。
 その様子を、川で顔を洗っていたホームレスが見て、腰を抜かす。
「な、なんだこりゃあ…」
 土埃が完全に消えるのを待ち、そして落下物を凝視する。灰色の岩の塊だ。とホームレスの男は思う。が、この落下物を研究所か何かに売りつければ、もしかすれば借金地獄から一変、大金持ちへのし上がることが出来そうだ。男の頭にはいつしかそれしかなくなっていた。
「これは、もしや神のおぼしめしか?」
 男はにんまりと笑いながら岩の塊を見据えている。
 不意に、目の前が真っ赤に染まり、そして生暖かい液体が頭部からじわりと染み出てくる。男は目を擦り、そしてその手に付着した物を目を細めてみる。赤い液体が、そこにはあった。両手に絵の具のような濃さの赤い液体が滴り、そしてそれが血だと理解した瞬間に、今まで感じなかった痛みが頭部から発生する。
 男は頭部から染み出てくる激痛で地面をのた打ち回り始め、そしてそれを背丈ほどもある無機質に鈍い光を反射させている大きな鎌を持っている少女は見ている。
「神…では無いですね。強いて言えば、悪魔からの招待状ですかね?」
 少女はにっこりと無表情のまま笑みを浮かべると、鎌を大きく振り上げて男を鋭い目で凝視する。
 助けて…。
 その言葉は男から出ることは無かった。脳を貫かれ、神経が麻痺し始めているからだ。男は「あ…あ…」と少女に真っ赤に染まった手を少女に伸ばして助けを求めるが、少女は口元を吊り上げ、そして振りかぶった鎌を一気に男の頭部に振り下ろした。まるで豆腐を切るかのように綺麗に男の顔は二つに分割された。
 少女はその血に濡れた鎌を肩に担ぐと、岩に歩み寄る。
「嫗…さんか?」
「ええ。調子はどうですか?」
「とりあえず、あの桜花って女を殺した…。けど、その後からだがどうにも重いんだ…何とかしてくれ…」
「分かっています。ちゃんと、自由にする約束は守りますよ…」
 刹那、翔太の体に衝撃が走った。そして、次に激痛が左胸を貫いた。目が翳み始め、目の前が白くなっていく。
「どういう…事だ?」
「言っておきますが、桜花はまだ死んでいませんよ…」
 翔太は動かない体に必死に信号を送る。が、ピクリとも体が動くことが無い。嫗は続けた。
「初めてを殺そうとするとき、手元が狂いやすいんですよ…。しかも、目撃者を始末もしていないなんて…。あなたは馬鹿としか言いようが無いですね」
 頑丈に改造され、岩の固まりとなった翔太の左胸をいとも容易く嫗の銀色の鎌は貫いていた。刀身は半分以上体に埋まり、体を貫通している。嫗が鎌を一捻りすると、翔太は尋常ではない血液を地面に吐き出し、茶の世界を赤く染める。
「不死身…なのに何故、俺は瀕死なんだ?」
「当然です。魂と肉体を繋ぐ一本の線を、私が今切っているんです。もうすぐ、この体はあなたの物では亡くなります…」
 さようなら。
 嫗はその一言を呟き、そして翔太の体に埋まっている鎌を無理やり抉り出す。翔太はもう痛みさえも感じなかった。既に魂と体を結ぶ線が切れたからだ。
――悪い。伊奈…。もう会えそうに無い…。
 翔太の魂が体から抜け始める。そして、眠っているような表情のまま半透明となった翔太は天高く飛んでいく。
 刹那、霊体である翔太の体を黒く禍々しい形をした巨大な腕が掴み、そしてそれは瞬時に檻へと変化すると、翔太を入れた黒い檻は、物言わぬ岩となった翔太の肉体に入り込んでいった。そして、もはや翔太ではなくなった岩が眼を開く。赤く濁った瞳をしていた。
 化け物は立ち上がると、一つ大きな雄たけびを上げる。それを嫗は微笑みながら見ていた。
「やはり、魂が無いほうが従順な奴隷が出来上がるようね…。亡霊の中でもこれは相当な出来栄えだわ…」
 透き通った川が気が付けば赤く染まり、そしてボコン、ボコンと気泡が生まれる。亡霊は大きすぎる翼をバサリと伸ばし、そして両手の腕も巨大に変化し、爪も鋭く成長する。亡霊はもう一度、大きな雄たけびを上げると、嫗のことばに従い、そして高速スピードで飛び上がった。
 その姿は、まるで悪魔のようだった。



 桜花は目を覚ました。左胸の出血が何故か治まり始め、そして虚ろだった意識がはっきりとしてくる。
「私…心臓を一突きにされたはずじゃぁ…」
「どうやら、手元が狂ったらしい…」
 側に積まれている瓦礫の中から男性の声がし、桜花は這ってそこまで向かうと瓦礫を一つ一つ手で避けていく。力を入れるごとに左胸に大きな鋭い痛みが走り、何度も顔を歪める。しかし、桜花はそれでも瓦礫を除け続ける。
「探偵さん。待っててください。もうすぐで瓦礫が退きます」
 桜花は痛みに堪え、そして瓦礫を必死でどけ続ける。
 しかし、桜花の体と同等の大きさの鉄の板が行く手を阻む。桜花は他の瓦礫をどけるが、一人の力では退かせそうに無い。
「くそ!! 不自然な体勢だし、ここからだと銃を撃っても反動で他の鉄くずやら瓦礫やらが崩れそうだ。神崎さんはどこかに連絡して、助けを呼んできてくれ。それくらいなら出来そうか?」
「…やってみます」
 桜花は地面に散らばった札のうち、「轟」と文字の入れられた札を取り出すと、それに意識を集中させる。大地が少しばかり揺れ、そして桜花の目の前に土の塊が積もっていく。そして、それを見計らい、桜花は叫んだ。
「出でよ!! 轟!!」
 刹那、目の前の土の塊が山吹色の光と共に形を成していき、そして山吹色の式神「轟」が姿を現す。翼は無く、その代わりに爪と牙が発達していて、尾がアース線のように先端が土に埋まっている。そのからエネルギーを供給しているようである。
「轟よ。今その奇跡でわが身を癒せ!!」
 轟は頷き、山吹の光を桜花に放つ。その光に包まれ、輪郭が光ではっきりとしていく。そして、左の胸の傷や、他の箇所も全て綺麗にふさがり、そして跡形も無く傷を消し去る。桜花は一息つくと、立ち上がり、瓦礫の山に札を向ける。
 その時、背後からまるで戦闘機のようにこちらに向かってくる飛行物体があった。桜花は目を細めてその物体を見る。そして、改めてそちらに札を向けた。
「…どうした? 神崎さん」
「すみません。どうやら、翔太さんが…いえ、悪魔が来ました」
 ズシン。悪魔はコンクリートを陥没させて大地に降り立つ。もはや柳翔太の姿は無く、大きくそして生々しく開かれた翼と、そして両の手は大きく、そして鋭く伸び、眼には生気が感じられない。もう、人間ではなくなったのだ。
「こここからが私の反撃です!! 心して食らいなさい!!」
 轟を出現させたまま桜花は左右の手に一枚づつ札を、持つ。そして一方を悪魔に投げつけ、「木牙」と名前を叫ぶ。緑色の札はすぐさま反応すると、深緑の発行と共に植物のツルに覆われた小型の竜が現れ、瞬時に大地に根を張った。
 もう一枚を空高く投げ上げ、そして強風が訪れた刹那、桜花はもう一枚の空色の札向けて「翼!!」と叫び、そして半透明の竜が他の式紙とは比較にならないほどの翼を広げて風を支配する。
「グルルルルルルルルルァ!!」
 悪魔は鋭い爪を構え、桜花に高速で迫っていく。轟がそれに反応し、大地に爪を突き刺すと二つの盛り上りが大地を滑っていき、そして悪魔の元にたどり着くと共にその土が弾け、衝撃波を作り出す。悪魔はその衝撃波でよろよろと後ろに後ずさりしていくが、そこを見逃さずに翼が二対の綺麗な羽で強烈かつ残酷なまでの鋭い風圧のカッターを作り出し、悪魔に向けて飛ばす。カマイタチは見事に悪魔の上半身を切り刻み、悪魔は腹から下が分離し、そのまま地面に堕ち、盛大な土煙を巻き上げた。
「…」
 桜花は無言のまま静かに土埃に向けて手を合わせると、木牙と呟き、瓦礫にツルを巻きつかせ、そしてその瓦礫を取り払った。そこから、体中引っかかれたような傷を付けた成川が現れる。
「大丈夫ですか?」
「いってぇ…。足が折れたっぽい…」
 桜花は成川に向けて手を伸ばす。成川は終わったのか。と問いかけ、桜花は頷く。成川はそれ以上何も言わず、桜花の手を掴むと引っ張り上げてもらう。ズキンズキンと脳にまで伝わってくる痛みに耐えながら、桜花に肩を借りて歩く。
 気が付けば、土煙が収まっていた。桜花は何気なく悪魔の死体を確認しようとし、目をそちらに向ける。
 そして、感情が高ぶり、心臓が高く鳴り響く。
――まさか…。何で…。
 桜花は瓦礫の側に成川を座らせ、扇のように重なった札を両手に出す。
「神崎…、あれは、何だ?」
「あれが…、夢を嫗に喰われた柳翔太です…」
「何だって? くそ!! 俺も…」
 無理をして立ち上がろうと踏ん張る成川の肩に手を置き、静かに微笑むと、休んでてください。と呟いて踵を返して、変わり果てた柳翔太の元へと歩いていく。
「何で…こいつが柳って事が分かるんだ?」
 成川は怪物の元へ歩み寄っていく桜花の背中にその言葉を投げかける。桜花は振り返らずに、三枚の札を宙に投げ上げ、そして己も戦闘体勢に入る。そして、一度答えを放った。
――彼らの悲鳴が…私には聞こえるんです・・・。だからこそ、助けようって思うんです。
「紅蓮!! 翼!! 流水!!」
 桜花の叫びに反応し、それぞれ違う色の輝きを見せて札は変化していく。そして輝きが失せると、そこには紅と空と水の色をした式神がそれぞれ翼をはためかせて辺りを舞っている。桜花は一瞬沈むと、目の前にいる「無傷」の怪物へ走りこんでいく。一歩一歩が強く踏みしめられ、表情には殺意が芽生えている。それに続いて式神達も亡霊「柳翔太」へ翼を勢い良くはためかせて飛んでいく。
「ぉおおおおおお!!」
 耳を劈くような強大な声が柳から放たれる。桜花は耳を押さえてなおも勢いを止めず柳に走りよっていく。柳は鋭い爪をギラリと怪しく輝かせ、そして視線を桜花の左胸に、向け、構えた。
「紅蓮!! 温度最大…1600万℃!!」
 紅蓮は周囲を回転している炎から塊を捻り出し、そして出来た小さく、そして辺りを一瞬にして熱帯地に変える火炎弾を発射する。その瞬間、エネルギーを使い尽くしてなのか、紅蓮が消え去る。火炎は柳に真っ向から直撃すると、外部の強硬な皮膚をまるでアイスでも溶かすかのようにいとも簡単に、そして瞬時に皮膚を液体に変え、そして皮膚の無くなった柳の肉体が姿を現す。
「翼!! 飛んで!!」
 翼は真っ直ぐに天へと高速で飛び去って行った。そして、姿が消える。
「流水!! 水圧剣!!」
 流水は目の前に鮮やかな色をした水の塊を作り出すと、それを糸のような細かい線状に圧縮すると、一直線に柳に飛ばす。圧縮された水が柳に衝突した瞬間、柳の右肩を貫通していく。流水はそのまま高圧水を下に動かし、そして柳の右腕を綺麗に切断する。腕が地面にボトリと落ち、そして噴水の如く真っ黒な液体がどぼどぼと地面を染め、柳は激しくのた打ち回る。
「最後です…。翼、おやりなさい」
 その一言と共に、何かが起こった。
 ビュオォォォウ。
 成川は一瞬にしてこの場が極寒の地になった気さえした。
 それほどまでの冷気が、上空から吹いてきたのだ。強力な風は思い切り柳を包み、そしてその風は地面に衝突した瞬間、地熱によって気体へと変化していく。桜花はそれを流水の水で作った膜に隠れてやり過ごす。だんだんと水の膜は凍り付いていき、終いには完全に凍りつき、それを製造していた流水でさえも凍り付いてしまった。体が水で出来ているので、一瞬だった。
 成川はその零度以下とも言えるその強風を瓦礫にうずくまって何とか直撃を免れた。しかし、瓦礫の隙間から吹き込んでくる風で身が凍えた。
「チェックメイトです…」
 冷気が止まると、札を腿ケースにしまいこみ、そして霜の降りている地面をザクザクと霜を踏み潰して瓦礫に隠れる成川へ歩み寄ってくる。良く見ると、彼女のはいている靴が少しばかり凍りつき、そして両手の指先は血が通っていない異様な紫に変色している。おまけに、呼吸は乱れていて、立っているのがやっとと言う感じだ。
「大丈夫か? 神崎さん」
「はい…、もう終わりました」
 桜花は冷気が立ち上るほうを一瞥し、そして目を瞑って静かに、成川に言った。
「彼がもう道を踏み外すことは…無いはずです…。永遠に」
そこには、全身を霜で覆っている物体が堂々と立っていた。しかし、目に光は無く、動こうとする気配さえも無い。所々が氷で白く輝き、先ほどまでの恐怖の実態が今は、素敵な芸術品へと移り変わっていたようだった。太陽がその芸術品となった「柳翔太」を照らし、そして芸術品はそれに答えるように太陽の光を反射し、そしてより一層輝きは増していく。
「成川さん。止め…お願いできますか?」
「彼は不死身なんだろう? 何故死んだと分かるんだ…」
 桜花の言葉を問いかけで返す。しかし、桜花は返事を返そうともせずに、その場にぺたりと座り込んでしまった。刃物のように真っ直ぐ伸びていた式神の札も、へにゃりと曲がり、風に揺られていく。
 その時、二人の頭に直接声が響いてきた。それは、最初に二人が会ったときに聞いた声と同じだった。
――タスケテ…。タスケテ…。
 すると突然、凍り付いていた怪物の左胸から黒い炎のような塊が現れる。それと共に怪物の眼に生気が浮かび始め、全身にへばり付いている氷がパラパラとかけらになって落ち始めた。死に絶えたはずの物からまたもや雄たけびが上がり、鼓膜が危うくはじけて飛ぶかとさえ思う音が場を包んだ。
「神崎さん。あんた、式神でこの怪我治せないか?」
「出来ますけれど、今の私の精神力では、骨折を直す程度で、全身は無理ですけど…」
「それで十分だ。早く治療を頼む…」
 桜花は一度頷き、黄土色の札を取り出すと、地面に向けて投げる。軽い土埃と共に、弱弱しい光が輝き、そしてブレを起こし、体も半透明になっている大地の式神「轟」が現れた。桜花は目を硬く瞑り、両手を顔の前で合わせると、強く念じ始める。それに反応し、轟が震え、そして成川の負傷している部分が淡い山吹色に光り始め、痛みが引いていく。
「…これで、骨折は…完治です…」
 息も絶え絶えに桜花はそう言うと、地面に倒れこんだ。その拍子に後頭部から重い激突音を響かせ、そして次の瞬間には意識は途絶えていた。
「ヴォォォォォォォォォォ!!」
 全身の氷を一枚一枚容赦なく剥がし、再び怪物は動こうとしている。成川は桜花を壁に寄りかからせると、拳銃の弾薬数を確かめる。片方のリヴォルバーの弾薬は六のシリンダーのうち、五つが埋まっていて、そのうちの二つに「SP」というマークが彫りこまれている。もう一丁のベレッタは十五発中残りは十二。怪物の高速移動からすると、弾を詰める時間も、マガジンを変える時間も無いだろう。つまり、この残りの弾薬を使い切れば、二人はゲームオーバーになる。成川はそう考え、そしてリヴォルバーの撃鉄を起こし、ベレッタを後ろに引いて弾薬をセットする。
「来いよ。化け物。あんたにてこずってる場合じゃねぇんだよ…」
 氷が全て粉になり、光で綺麗に粒が輝く。それが合図となり、亡霊「柳」は成川をターゲットに決定し、そしてコンクリートの硬い大地を砕いて走る。成川はベレッタを左手で構えると引き金を引いた。耳が麻痺してしまいそうな轟音と共に一発の弾丸が吐き出され、亡霊の左胸に着弾する。しかし、すでに完全に再生している皮膚がそれを弾いた。それでも成川は諦めずに一箇所に狙いを付けてベレッタの引き金を引き続ける。残りの数少ない弾薬が次々と射出され、硬い皮膚に着弾しては弾かれる。途中跳弾がな成川の頬をかすめ、横一文字の赤い線が頬に伸びる。それでも怯まずに成川はベレッタの引き金を引き続け、全く同じ箇所に全ての弾を命中させていく。
 十二発。
 ベレッタの引き金を引くが、もう弾は吐き出されない。成川の前にはすでに亡霊がいた。生暖かく、そして獣特有の口臭が鼻を刺激する。すでにそんな位置まで近づかれていた。
 成川は舌打ちをしながら、ベレッタを地面に破棄し、右手に提げていたリヴォルバーを瞬時に前に構えた。
 だが、亡霊の右腕が構えるより先に成川の側頭部を捉えていた。その爆発的な力を直撃したために、成川は宙に浮き、そして数メートル先に吹き飛んでいく。頭部に攻撃を食らったために瞬間的に考えることが出来ない。成川は頭から瓦礫の山に突っ込んでいった。
 土煙が舞い上がり、そして、その中から瓦礫の上で力なく倒れている成川がいる。ピクリとも動かず、両手に持った銃器も力なく手放している。
「どうやら、終わったようね…」
 亡霊の右肩に紫の傘を差している少女が降り立つ。口元は微かに微笑んでおり、そして光の無い眼で倒れている二人を見下している。
――タスケテ。タスケテ。
 亡霊は少女―嫗ーに叫ぶように伝える。嫗はにやりと笑うと、紫の傘を鎌に変化させ、亡霊の首を刎ねる。亡霊の頭部がずるりと落ちる。が、首から血液が出ることは無い。嫗は傷口を覗く。血液が出ないのは、その中が空洞だからだった。真っ暗な亡霊の中には、漆黒の檻があり、その中で半透明になった柳翔太が蹲っていた。翔太は嫗の存在を見ると、檻の中から手を伸ばしてくる。
――タスケテ。会イタインダ。イモウトニ…。
「あなたは夢を叶えたんです。安心しなさい。あの女の子は手術をして、元気になりましたよ」
 翔太はそれを聞いて、安堵の表情を見せる。その時、ズブズブと生々しい音を立てて傷口が修復されていく。翔太は必死で助けを乞うが、嫗は冷たい眼差しでこう言い放った。
「あなたの願いはもう叶えました。しかし、叶えられるのは一人一回のみ。助けて欲しいという願いは受け入れません。一生あなたは私の僕として、生きていくのです」
 翔太は絶望に満ちた表情で嫗を見据える。では、心地よい悪夢を。と嫗は言い、そこで傷口が完全に修復された。頭部が完全に元に戻った亡霊が再び動き出す。
「さあ、神崎桜花を殺しなさい。それですべては終わります」
 気絶している桜花に近寄っていく亡霊。鎌を持った嫗は悪戯な笑みを浮かべてそれを見ている。
 そこに、一発の発砲音が鳴り響く。亡霊と嫗は振り向いた。
 傷だらけで満身創痍の成川がそこには立っていた。リヴォルバーからは硝煙が立ち上り、息を切らしながらも成川は亡霊を睨みつけている。
「待てよ。俺はまだ死んじゃいねぇぜ?」
「愚かですね。あなたの弾丸は彼には効きません…」
 どうかな。と呟くと成川は両手でリヴォルバーを握り締めた。撃鉄を起こし、シリンダーが回転、弾丸を装てんする。そこには、SPと書かれた二つのうちの一つが込められていた。
「では、あなたはそこの彼を殺して、その後に桜花を殺しなさい。分かりませたね?」
 嫗はそういい残し、そして消えていった。それを合図に亡霊は一直線に成川に飛び掛る。
――ジ・エンドだ…。
 成川が引き金を引き、強大な反動で頭上まで両腕が跳ね上がった。そして吐き出された弾丸は、ベレッタで狙い続けていた箇所に被弾し、そして中に詰まっていた火薬が飛散する。その全ての火薬が着弾時の静電気で引火し、派手な爆発が起こる。
 亡霊は怯まずにそのまま成川の下へと突進を続けるが、成川は構えを解き、胸ポケットから煙草を取り出すとライターでひをつけ、煙を一気に吸い込む。
「ヴォォォオォオォォォォッォォ!!」
 亡霊の右の鋭い爪が成川へと伸びる。
 が、爪は成川の額の前で止まった。
「すまないな。殺すしか助ける方法が無いみたいだ…」
 亡霊の左胸から小さな六角形の欠片(ヘキサゴンパネル)がパラパラと落ちていく。そして硬いはずの皮膚が破壊され、左胸から黒い一つ目の塊が姿を現す。しかし、その黒い塊も粉となって風に舞い、消えていく。
 そして、黒い塊は消え去り、最後には柳翔太の姿が現れた。
――ごめんなさい。妹を助けたかっただけなんだ。
「気にするな」
――でも、結局俺は妹の元気な姿を見れずに終わるんだな…。夢ってのは本当に叶わないんだな・・・。
 翔太の霊は触ることができない涙を流し、そして成川に礼をすると、消えていく。成川はソッポを向きながらタバコを捨て、そして言った。

「自信をもてば良い。お前は妹さんを助けた。それは立派に夢を適えたことになるさ」
――ありがとう。一つ、お願いをしても良いか?
 翔太の言葉を聞いた成川は一回頷く。それを見た翔太は笑顔を浮かべると、そのまま風と共に消えていった。
「安心しろ。依頼は必ず完遂するからよ…」
 成川は二本目の煙草を咥えながら、青空に向けて言った。綺麗な青空が美しかった。




「終わったんですね…」
 桜花は花束を抱えて隣で煙草を咥えている成川に言う。成川は頷いいた。服装はいつもの動きやすいスーツで、その中で二挺の拳銃が見え隠れしている。
 二人は清潔な雰囲気の漂う病院を静かに歩いていた。成川は体中に包帯を巻かれ、顔にも手当てがされていた。どちらかと言うと、一番戦闘を行っていた桜花よりも成川のほうが怪我が多い。
「あいつは、結局妹を守るために戦ったんだ。あいつに罪はないさ」
「…やっぱり、嫗が絡んでいましたね」
「ああ。あいつは、神崎じゃなく、俺がぶっ潰す…」
 成川は威圧感をほとばしらせて言う。丁度その時に目当ての部屋に着く。プレートには「柳伊那」と書かれてある。成川は扉をノックし、そして入る。
「元気にしてたか? 伊那ちゃん」
「耕介おじさんと桜花お姉ちゃんだ!! こんにちわ!!」
 二人を出迎えるように伊那という少女が二人に挨拶をする。桜花は持ってきていた花束を伊那に渡し、成川は伊那のベッドに腰掛けた。
「何でおじさんとお姉ちゃん、毎日来るの? お兄ちゃんなんか最近一回も来てくれないんだよ?」
 伊那の無邪気な言葉に心を痛めながらも、成川は伊那の頭をなで、そして言った。
「翔太はな、最近色々あって来れないんだ。もう少ししたらきっと来るはずだよ。だから、それまでは待ってような…」
「うん!!」
 成川はそう言うと、桜花をつれて病室を出て行く。伊那はまたね。と叫んでいた。二人も返事を返し、そして病室を出た。
「伊那ちゃん。これから身寄りも無いのに、一体どうするんですか?」
「ああ、俺が引き取るつもりだ」
 成川は看護士の鋭い睨みを見て、大急ぎで煙草を携帯灰皿に放り込む。そして、廊下を歩いてく。
「あいつと最後にした約束を守る必要があるしな…」
 そう聞いて、桜花は少しばかり笑みを浮かべ、そして成川の後をついていく。
――選択は間違ってなかった。この人だから、私は依頼をしたのかもしれない。
 桜花はそう考えると、満面の笑みを浮かべ、そして、成川の横に並んだ。

――妹を、俺の代わりに守って欲しい。勝手なことだと思うが、妹を嫗に殺させたくない。これが…俺の…最後の…。

                 『頼みだ』



第四話「姉妹の分かれ道」

――何故、私たちは戦うの?

――何故、妹を殺さなくてはならないの?
――何故、姉さんを殺す必要があるの?

――宿命とは悲しいものだ。
  
――どちらかが生き。

――どちらかが逝く。
 
――どちらかのみしか選択権は無い。どちらかが逝く必要があるからさ。

――あなたは誰? 教えて。私はどうすれば良いの?

――良いさ。教えよう。ただし…。

『契約が条件だ…』

story4 [A sister's branch road]

―前奏―

 薄暗くなった世界。星屑が夜空に散りばめられ、不安になる夜の世界をひっそりと照らしている。肌寒い風が音を放ち、そしてその音がいっそう寒さをイメージさせていく。夜中なので、誰も通るものはいない。家々の明かりが窓からこぼれ、所々からカウントダウンも聞こえてくる。そして遂に六十秒を切った。そんな興奮気味のレポーターの声が誰もいない夜の街道に響いてくる。家族全員コタツに入り、そして年越し蕎麦を茹でながらカウントダウンや特別番組に釘付けなのだろう。最も、そこがテレビ番組の狙いなのだろう。
 成川と桜花は事務所で時計を見ていた。もうすぐ新しい年号になり、一年が足される。成川は浅煎りのコーヒーをブラックのままグイと口に含み、美味そうに喉を鳴らす。そして空になったカップを机に置くと再度パソコンの画面に目を向ける。最新のニュースや、まだ公開されていないニュースが匿名で投稿されてくる探偵企業専門の裏サイトだ。もちろんそれを見ることが出来るのは会員のみで、ハッキングをしたとしてもすぐに見つかるようなシステムになっている。成川はそこからいつも情報を仕入れ、そしてそこから依頼をこなし続けている。
「くそ…。何で首刈りの事件だけは投稿されてこないんだ? あんだけ盛大に人間を怪物にしているんだ。一人や二人見てるやつもいるはずだろ!!」
 成川はキーボードを乱暴に叩きながら沸騰する。桜花は雪の降る東京を窓越しに覗きながら熱々の甘い匂いを放つココアを両手に持ってちびちびと飲んでいる。窓は室内の暖気と外の冷気によって水滴が現れ、時間が経つにつれて、曇りが生じてくる。桜花はその水滴を自らの手で拭っては外の風景を楽しんでいた。
 ソファには既に一人分の毛布と枕に見立てたクッションが設置されていた。もともとここは事務所兼成川の自宅でもある。ベッドを買うつもりが全く無い成川はいつも愛用のソファで眠りについていた。そのため、事務所にはシャワールームもあればキッチンも配備され、おまけに小型の冷蔵庫まで設置されていた。全てはこの事務所の家主のおせっかいで全ての部屋に付けられたものだが、自宅と事務所が同じ成川にとってはかなり良い事ずくめであった。
「何でサイトのニュースを見ても無いんだ!?」
「当たり前ですよ」
 ココアをくぴくぴと飲んでいた桜花が口を開く。冷静な表情だが、服装は男性用の寝巻き姿なので、表情と大分ギャップがあった。成川は怪訝な顔をしながら桜花の言葉に対して何故、と問いかける。桜花は静かに、簡単なことですよ。と呟いた。
「己の姿を見た者を、全て消しているんです。それが一番の方法だと思いません?」
「いや、それじゃあその家族はおかしいと思うはずだろ?」
「その通りです。けれども、もしもですよ。殺した者達が元々そこにはいない存在だったら、不思議に思う人もいません…」
 桜花の言葉は成川の思考を完全に掻き回した。ほぼ不眠不休で依頼に取り掛かっているせいで艶の無くなった髪の毛を掻く。
 桜花は続けた。
「私が今まで出した式神は六体。火、水、地、木、風、鉄です。このうち五つはこの地球の元素として存在する物質の力を借り、鉄は特別な式神の一つです。しかし、その他に、特別な式神はあと四ついます。」
「他と言うと、たとえば…。光とかか?」
 桜花は頷く。
「そうです。残りの三つのうち二つは相対する式神で、光と闇です。光は照らすもの。そして、闇は…」
「隠すものって所か?」
「はい。つまりは光をさえぎることによって物を隠すことが出来るのです。そして、それは生物にも該当します。つまりは、闇の式神の能力は物体を消滅させるもの。光の式神は物体を再生するものなのです。ちなみに、両方とも光と闇を操ることも出来ます」
「つまりは、嫗は闇の式神を持っていて、その能力で『存在自体を消滅』させていたのか…」
 桜花は静かに頷いた。成川はそれを聞いて、黙り込んだ。桜花は再度手に持ったココアの入った容器を口元に引き寄せると、甘い液体をくぴりと静かに飲み干した。
「神崎…。嫗が契約している式神は、何体だ?」
「私が知っている中では、光と闇と…あともう一体で合計三体のみです」
「じゃあ、あともう一つの式神は?」
 桜花はそれを聞いて、黙る。手に持っていたココアの容器を成川の机に置くと、ベッドに変化しているソファに座り、そして目を閉じた。
「式神は合計で十体います。そのうち、自然の力を操る…。つまり元々目で見ることの出来る物質の力を能力としている式神が六体で竜の姿をし、光や闇などの感じ取ることしか出来ないものの力を使った式神が人間の姿をしています。そして、その人型を表す四体がいます。それが光と闇の式神。そして、あとの二つです…」
「…どちらとも、この世界を造ったに等しい、まさに神です。扱える人がいるわけがありません…」
 桜花は目を見開くと、成川と目を合わせて、式神の名前を呟いた。
「死神」と「元母」と…。
「大いなる母…、つまりこの世界の元と言っても良い元素を操る式神。それが元母です。もう一体は命を司る式神で、契約者に背丈ほどもある大鎌を持たせます」
 それを聞き、成川の瞳が振るえ、キーボードを打っていた手も止まり、アルミで作られた机の上に吸いかけの煙草が落ち、その辺りが焦げ始める。
「ちょっと待てよ。じゃあ、嫗は誰にも扱えない死神と契約してるのか?」
 桜花は頷く。成川は冷たい汗を額に感じながら、気を落ち着けるために冷め切ったコーヒーを口にする。苦味が酸味に変わっていて、とても飲めた物ではなかった。
「何故、嫗が死神と契約しているのか。少し長くなりますが、私の昔の事も混ぜて、お話しても良いですか?」
 成川は生唾をゴクリと飲み込みながら、桜花の目を見つめ、そしてゆっくりと首を縦に振った。
 桜花は、目を瞑って口をゆっくりと開いた。
 時刻は十二時を示していた。

<1>

 私は、神崎家の妹としてこの世に生を受けた。生まれた時のことは覚えていないが、今はもういない母親の顔が思い出せることが唯一の思い出だった。生まれてから四年くらいしてからは良く覚えている。母親も父親も少し早く生まれていた姉も皆笑顔で、私をかわいがってくれた。その時は父親がいつも私を背負って色々なところに出かけ、そして毎日が笑顔で埋め尽くされていた。
 桜の花。母はその花が好きで、それで私に「桜花」と付けたと言っていた。何故お姉ちゃんに付けなかったのか。それが一番四歳の私にとって気になることだった。けれど、母はいつも悲しそうな顔をして、結局答えてくれなかった。それを見てか、それ以来母に嫗の名前について聞くことは無くなった。
 六歳になり、小学生になった頃からだ。雑草や焚き火の近くで踊っている小さな鳥みたいな物が見えるようになった。けれども、皆に聞いても見えないといわれ、気が付けば気味悪がられ始めていた。それ以来、良く分からないものが見えてもずっと、無視をしていた。そして、六歳になってから姉は祖父の家に連れて行かれた。私は姉がどうなっているのか気になり、夏休みに親に頼み込んで祖父の家に連れて行ってもらった。
「立て!! 立つんじゃ嫗!! 精神が不安定になっている証拠だ!!」
「もうヤダ!! やりたくない〜〜〜」
 そこでは、体中にアザをこさえて泣き喚いている六歳の姉がいた。目の下には寝不足によるクマが現れ始め、白い柔道着を着ているが、その衣服は完全に濡れていて、そのままだったら風邪を引いてしまいそうだった。私は思わず、姉の前に出て通せんぼをした。まあ、幼いからそれ以外考えられなかったんだと思う。
「お姉ちゃんをもういぢめないで!!」
「桜花……」
 その時、祖父が私を見る目が変わっていた。気づいたんだと思う。私の周りを囲んでいる六種類の式神の姿が。まだ小さいけれど、六匹の色違いの竜は確かに私の前で祖父を睨み付けていた。祖父はゆっくりと近づいていくと、私を静かに撫でてくれた。そして、笑顔を向けていた。
「なんと、桜花が式神遣いの血を受け継いでいたのか。嫗はまだ流水のみしか出せんのに桜花は一回で六体を出してしもうた」
「父さん。けれどももう跡継ぎは嫗ですよ。父さんが無理やりに名前をつけて跡継ぎにさせ…」
「黙れ!! 式神の一体も出せない能無しのお前が口出しをするでない!! 跡継ぎはわしが決める事だ!!誰にも文句は言わせん!!」
 祖父は姉を身もせずに、そのまま私を抱き上げると、父親に何か叫び(この言葉だけ良く思い出せない)、そのまま屋敷の奥へと連れて行かれました。姉は泣き叫びながら父に抱きつき、父は鬼とか色々と叫んでいましたが、最後には屋敷の守り主達によって屋敷を出されてしまいました。それから私は父親を見たことはありません。
 祖父の修行は辛くて、姉が泣くのも当たり前だと思いました。毎日朝早くに起こされ、六歳児の私を瀧に打たせ、そして休む暇の無く朝から夜まで修行が続きました。勉学なんてものを習えもせず、友達とも遊べない。その事が修行よりも苦しくって、なきたくなりました。
――なんで、こんな家に生まれたんだろう。どうして、毎日こんな苦しい思いをするのだろう。
 私は修行を始めさせられてから僅か五ヶ月で精神にヒビが出来、それからは生きている意味さえ考えなくなっていきました。修行で受けた傷の痛みも感じなくなり、毎日祖父の言うことに黙って従うようになっていました。
 そして、私の顔からは笑みが消えた。
 
 それっから、五年が経ちました。私は十一歳となり、普通なら五年生になる少女でした。しかし、生きることを諦めていた私にとっては、年なんて何の意味も無かった。
 誕生日パーティ。
 そんな物はありません。
 呼ぶ友達もいないし、第一祖父は私の誕生日自体イツなのか知らなかったからです。私は七歳になった日も辛い訓練を受け、そして眠りにつく間だけ、静かに六歳までの誕生日のことを思い出していました。
――ハ〜ピばーすでいとぅーゆ〜…。
 いつの間にかそんな言葉が口から出て、その小さな声で祖父は私を叱りにきました。
「何を歌っている!! 暗殺の世界でそんな声を出していたら、すぐに見つかるんだぞ!!」
 その日は、私は寝かせてもらえませんでした。祖父の式神が随時見張り、私が寝ようとすると怪我をしない程度の攻撃を与えてくるのです。その日、史上最悪の誕生日を迎えたということは確かでした。それ以来、誕生日の事を考えたことがありません。
 そして、今回の十一歳の誕生日も、当たり前のように何事も無く過ぎていきました。今頃、姉は父にケーキを買ってもらい、プレゼントを貰い、そして楽しい誕生日を迎えているんだろうな。そんなことばかりが頭に浮かびました。
「何をしておる桜花。さっさと稽古を始めるぞ!!」
 桜花の誕生日を知らず、ただ跡継ぎを残すためだけに私を育てている祖父。祖父を見ていると、大人になっていく私の中に憎悪が篭り始めていました。
――この男が…、この男が…。こいつが!!

 気が付いたときには、祖父が目の前に血の池を作って倒れ、そして私は両手に札を持っていました。本来修行中は常に五枚を手に持っていなければならないと教えられたはずなのにも関わらず、意識が戻ったときには札は四枚減っていました。
「流石じゃ…桜花…」
「…」
 私は重症を追っている祖父を見下すような形で見てから、道場の扉を開けて出て行きました。背後から祖父の叫び声がしましたが、助けを呼ぶつもりは毛頭無く、あんな最低な祖父なんてのたれ死ねば良いと心の隅で思っていました。
 それから暫くして、道場のほうから悲鳴と共に箒を手にした女性が慌てて走っていき、そして次の時にはそれが五人となって道場へと走っていきました。祖父は命に別状は無く、轟を使えば簡単に傷も塞がるようなもので、結局祖父は死にませんでした。
「桜花。今日は良かったぞ!! お前はわしの自慢の跡継ぎじゃよ」
「うん!! 私もおじいちゃんみたいに立派になるよ!!」
 祖父の前では必ず作り笑いでした。しかし、内心はもう荒んだ考えしか出来なくて、本心が口に出ていれば、桜花と言う存在は消え、暴走していたかもしれません。私の頭を撫でてから祖父は今日はここまでにしておくかのう。と呟き、私を置いて道場へと戻っていきました。それを見計らってから、祖父に触られた頭を手で軽く払って、心の中でこう呟きました。
――誰がお前のような人間になるか…。
 その時でした。私は修行で敏感になっていた耳で一つの音を聞き取りました。忍び込むような扉の開け方をして、誰かが入り込んできたのです。私は少しの希望を胸に走って、玄関の前にやってきました。そして、久々の満面の笑みを浮かべることが出来たのです。
「お姉ちゃん!!」
 目の前には俯いきながら姉が立っていました。私が声をかけても返事をせず、心配になりながらも何度も何度も声を掛けました。けれども、全くと言って良いほど反応は無く、右肩に抱えている大きな黒い鎌も不思議でなりませんでした。けれども、私は何も考えずに姉の胸に飛び込み、ギュッと抱きしめました。
「会いたかったよぅ…」
 ドンッ。
 私は物凄い力で引き剥がされると、壁に叩きつけられました。姉は私の存在を無視するかのように玄関を上がり、そして廊下を勢い良く駆けて行きました。戸惑いながら私は姉に着いていきました。

―間奏―

 気が付けば雨は止み、凍えそうな冷気は失せていた。暖房はまだ必要だが、暖気と冷気のぶつかりによって起こっていた窓の曇りは無くなり、外の風景がくっきりと映っていた。成川は既に二杯目のコーヒーを飲み始めていたが、その手さえも桜花の口から語られた話によって固まっていた。
 桜花はココアのおかわりを飲むためにポッドに近づく。
「ここまでが、神崎家の話です…」
 容器に再度ココアを注ぎいれ、湯気が立ち上る。程よい頃合になると共にそれを両手で持ち、ゆっくりと時間をかけて飲み始める。休憩と言うことを表しているのだろう。
「神崎の祖父はどうなったんだ?」
「私に命令を出した後、すぐに死にました」
 成川の問に対したことでも無いような表情で答える。
――まあ、幼い頃にこんな事をされたなら、こうなって当然か…。
 成川はその辺りのことを割り切ることにし、続きをお願いする。桜花はこくりと頷くと、まだ半分以上残っているココアを一気に飲み干して机に軽く置き、改めて口を開いた。

<2>

 嫗は障子張りの戸を手にしていた鎌を切り裂き、そして見つけたものをどんどん切り付けていきました。畳には血が染み、その周りはまさに死屍累々とでも言ったほうが良いのでしょうか。とにかくどこに行っても生臭い匂いが立ちこんでいて、吐き気が止まりませんでした。
 また悲鳴が聞こえました。けれども、自分の体は震えていました。動くことも出来ない。嫗に近づけば殺される。そんな考えが頭に浮かび、それを考えると体が物凄く震えてしまったんです。気が付くと、私の周りを六体の式神が囲んでいて、守ってくれているような気さえしました。私は押入れの隅で式神に守られながら、ずっと蹲り続けていたんです。
 すると、押入れの戸が静かに開いたのです。私は思わず悲鳴を上げました。目を堅く瞑って戸を開けた人物を突き飛ばしました。
「桜花。落ち着いて…」
 私はその聞き覚えのある声を聞いて、静かに、そぅっと目を開けました。すると、目の前には優しい雰囲気を纏った自分の父親が立っていました。スーツ姿で動きにくそうでしたが、とにかく五年ぶりの父の顔です。目からは涙が溢れ、しゃくりあげながら私は父に飛び込みました。父は笑顔で私を迎えてくれ、そして頭を撫でてくれました。祖父にやられるよりも本当に暖かい撫で方で、それでさらに涙が溢れました。
「お父さん!! お父さん!!」
「待たせたね。もう安心しなさい…。用事が済むまでここで静かに待っていてくれるかい?」
 私は迷いも無く頷いた。父親がもうすぐこの家から開放してくれる。それが私の目に光をくれた。荒んでいた心が治っていくような気分で、とても心地良い気分だった。私はまた押入れに入ると、父は最期にウインクをして、そして戸を閉めた。真っ暗な世界がまた戻ってきたが、それでも微かに生まれた希望を手に入れた私にとっては、こんな暗闇はどうって事無かった。

 何時間経っただろうか。私は気が付けば眠っていた。目の前に暗黒の世界が広がっていたが、それよりも何時戸が開くのかが一番気になっていた。父はきっと、祖父を殺しにいった。けれど、もしかしたら祖父の強大な力によって死んでしまったかもしれない。今まであまり良いことが無かったので、いやな方向へすぐ考えてしまう。私の悪い癖の一つでもあった。
 スーーー。
 戸が開いた。私は笑顔のままあふれ出てくる光を見ていっそう期待が高まった。そして、開けた人物が私を覗き込む。
「…桜花?」
「お姉・・・・ちゃん?」
 嫗は何も言わず、静かに私の手を掴むと押入れから引っ張り上げる。右肩には相変わらず背丈程もある大きな鎌を抱えていました。
「お父さんは…?」
 もじもじとしながら嫗に問いかけると、嫗はにやりと笑いました。
「父さん? ああ、死んだよ」
 私は凍りつきました。
 この鎌を振り下ろしたら真っ二つになっちゃったよ。と嫗は楽しむかのように私に説明していましたが、私の耳にはその半分も入っていませんでした。
 どうして。
 私は嫗の胸倉を掴んでそう叫びました。その時私の右手には一枚の札が握られていて、返答次第では…。と決意していました。
「だってさぁ。親がいたらさ…。人を殺したとき怒られるじゃん」
 どういう意味なのか、全くと言って良いほど理解できませんでした。胸倉を掴んでいた右手に力が入らなくなって、左に持っていた札は床にひらりと落ちました。嫗は担いでいた鎌を両手で握り締め、そして次の時には紫の傘になっていました。そして、混乱している私の肩を叩きました。
「私は自由だ。もう家柄も関係ないし、これからは強くなるために『人』を殺して楽しむ生活をエンジョイするよ」
 そんな事を言うと、嫗は私の目の前から消えようとしました。その時、もう一つの気配に気づいて、私は思わず嫗を見ました。
 そこには、いました。
 真っ黒な衣服を纏った美しい少女が、嫗の背後を歩いていました。
「嫗…、それは?」
「ああ、これ? 見えるんだ…。流石は神崎家の『跡継ぎ』じゃん。これはね…」

『死神だよ』
 
 桜花は尖った言い方でそう言うと、再び私を背にして歩いていきました。最強の二大式神の一人「死神」を後ろに連れて。死神は私を見てクスリと笑うと、嫗の後を追っていく。私は気が付いたときには落ちている札を手に取り、そして流水を召還していました。流水はいつもの倍の大きさで、もちろんその流水から放たれた高水圧のビームも縦の長さは五十センチ位ありました。
「霊白・霊黒…」
 嫗を守るように二人の白と黒の人間が現れ、巨大な流水の攻撃を黒い人間が黒い塊を放出させ、攻撃を吸収し、白いほうが黄色い極太の線を真っ直ぐ私の右頬を掠るように飛び出してきました。
「無駄だよ。私は最強の三体の式神と契約をしているんだ…」
 私に十分な恐怖を与えた後、桜花はその場から綺麗に消え、そして式神もいなくなっていました。  

―終曲―

「これが、嫗を殺す命令を受けるまでの物語です」
「成る程な…。全く、とんでもない家だな…」
 話が終わり、その時にはお互いの飲み物は切れ、時刻は午前二時を示していた。かなりの時間が経っていたことに成川は始めて気づいた。暫く空になったコーヒーカップを覗き込み、そしてパソコンのウィンドウのスイッチを切る。液晶の画面が真っ暗になり、コンピューターのほうのみの明かりが
付いている状態になる。
 夜空はだんだんと明るくなり、朝が近いことを教えている。二人とも目の下にクマを作り、そして欠伸を何度も繰り返す。
――血の繋がった姉妹で、殺し合い…か…。
「とにかく、今日はもう互いに疲れも溜まってるんだ。とりあえず寝ることにするかな。明日は少し遠出になるしな」
「どこかに行くんですか?」
「ああ、俺専用の情報屋が一人いるんだ。そいつなら、もしかしたら何か掴んでいるかもしれないからな」
「そうですか…」
 声に覇気がなくなり、そして欠伸の連発で目から涙が出始めている桜花は、目を擦りながら一回頷くと、よたよたと歩き、そしてソファに作られた簡易ベッドに横たわり、そしてそのままスヤスヤと眠り込んでしまった。成川は煙草を一本取り出すと、百円ライターで火をつけ、肺一杯に吸い込み、そして吐き出す。
「何でこんな依頼受けちまったんだろうな…」
 吸い掛けの煙草を灰皿に押し付けると煙交じりのため息を吐き、そして革張りの大きなイスにどかりと深く座りこむ。そういやここ最近寝てなかったな。と呟きながら、成川は目を閉じた。暫くすると、寝息が静かに二つ、明かりのついた事務所に静かに響いていた。

―嫗―

「柳翔太も死んでしまいましたね」
――ああ。だが、代わりはいくらでもいるさ。それに、お前は夢を喰えば強くなる。柳翔太の夢を喰った次点で、お前はもう十分な強さになっているよ。
 嫗は目の前にいる黒い衣服の美女の膝に蹲り、そして女性は嫗の頭を優しく撫でている。まるで母と子のような状態だ。嫗は甘えるように女性に抱きつき、そして女性は微笑ながら嫗に腕を回す。
 暗闇の中に二人はいる。明かりは蝋燭のみ。
 しかし、嫗には不安な気持ちは無かった。この女性が付いていれば無敵だと思っているから。
「ねえ、やっぱり、桜花の夢も食べなきゃいけないの?」
「そうすれば、あなたと桜花は一つになれる。永遠に二人一緒に生きられるのよ。そう、夢だけじゃなく、魂も食べるのよ。そうすれば、幸せになれるわ」
「うん。私、頑張るから。見ててね…お母さん」
 嫗は笑顔を向け、そしてそのまま静かに目を閉じた。暫くして、寝息が聞こえ始める。女性は寝息が聞こえ始めると、目を細め、そして口の端を吊り上げて笑い、そして静かに、暗闇に溶けていった。女性のいた場所には黒い札が現れ、そしてその中心には白抜きの文字で「死神」と書かれていた。嫗はその札を胸に抱き、静かに深い眠りに着いた。

―夢―

 その日、俺の前には見たことの無い風景が広がっていた。静かに佇む二体の少女の銅像。そして、その先には祭壇があり、そこには嫗が眠りに着いている。桜花はいない。俺は必死で桜花を呼んだ。だが、返事は無く、帰ってくるのは荒い息遣いだけだった。どこかの洞窟だろうか。俺は慎重に二挺の拳銃を抜き取ると構えながら嫗の眠る祭壇に近づいていく。その時、背後から気配がした。俺はバッと振り返り、そして拳銃を真っ直ぐ構えた。
 そこには、黒い球状の塊が一体、だらしなく涎を垂らし、一つ目でこちらを見ていた。
――亡霊だ。
 俺は瞬時にシリンダーを回転させて特注の弾丸の詰められた場所にし、撃鉄をガチリと押し下げる。無機質なおとが洞窟内に響き、そして亡霊は俺の行動を見て凶暴な目を見せる。魂を開放しやがれ。そんな言葉を吐いて引き金を引こうとした。その時、嫗が起き上がり、そして亡霊を守るように大きな鎌を目の前で構える。そして、嫗は必死の表情でこう言った。
――妹の魂を開放しないで!!
 それを聴いた瞬間、胸が締め付けられた。心拍数がどんどんと上昇し、そして、頭が混乱し始める。
――神崎嫗の妹? 誰だっけ…。
 思い出した瞬間、俺の思考は停止した。

『神崎…桜花だ…』

 目の前には、神崎桜花の亡霊の姿がある。嫗は怯んだ俺を見てあざけ笑い、そして、手にしていた大鎌を俺に真っ直ぐ振り下ろした。


第五話「探偵と千里眼」

――そろそろ頃合かしら…。

――あなたは十分強くなった。

――あなたを殺して、一つになる準備が出来た…。

――一つになれば、私たちは無敵…。

――もう離れ離れになることは…。

――永遠に無い…。

story5[A detective and clairvoyance]

 背が高く、見上げればどこまでもあるのではないかと思うほどのビルが立ち並び、そしてそのビルの間に、みすぼらしい建物が一軒建っていた。古びて今にも崩れそうなひび入りの壁、軋んでいる青い屋根。どこから見ても使い込まれた年代物のまさに骨董品だ。
 その建物の前に、一台の小型の車が止まる。
「ここが、俺専用の情報屋だ」
「結構、わかりにくい場所にあるんですね」
 桜花は無表情でみすぼらしい古びた建物を車内から傍観しながらぼそりと呟く。
「あいつ、結構危ない橋渡ってるからさ、分かりにくいトコのほうが安全だって言って動かないんだ」
 成川は吸いかけのタバコを灰皿にねじ込むと、左に設置されたサイドブレーキを上に引き上げ、ギアをパーキングに移し、そしてキーを左に回して完全にエンジンを切った。その後、左胸と腰に取り付けられたホルスターから二挺の拳銃を取り出すと、まずはリヴォルバーから弾薬のチェックに取り掛かる。シリンダーに全ての玉が込められ、そして銃口を危なげに覗き、そして一回頷くともう一方のベレッタも確認をし、再度頷くと両方をホルスターにしまいこんだ。
 腕時計は十一時を示している。
 そろそろ…。と成川は呟き、車のドアを開けて外に出て、一度背伸びをする。続いて桜花も外に出ると、一度大きな背伸びをした。
「そうそう。一度調査のために神崎家に行きたいんだが、それでも良いかな?」
「ええ…、祖母が許してくれれば…ですが…」
 桜花は顔を歪めながら一度頷き、それを見て成川はそうか、と呟く。とにかくまずは、目の前のことだと割り切り、古ぼけた一軒家へと歩み寄っていく。


 何かが硬い物体が筒から吐き出される音がして、神崎圓はこめかみから血液を流して畳に倒れこんだ。すでに瞳孔は開き切り、もう動くことは無いだろう。
「こんな感じで…良いのかな?」
「ええ。十分です…」
 嫗は目の前の男性に口の端を吊り上げただけの笑みを浮かべると、静かに頷いた。男性は硝煙の立ち昇る拳銃を見て、そして先端に装着している長い筒を捻り、そして外すとそれを地面に置かれている開けっ放しのジュラルミンケースに筒を入れ、マガジンを外した拳銃をその上に詰め、ジュラルミンケースを閉じ、左手に提げた。
「報酬だけで良いのですか? あなたの夢も叶えますよ」
「夢を叶えちまったら、この先目指すものがなくなっちまうだろ? 金があれば何でもするって言ってるんだ。それで良いだろ?」
 男性は爽やかな笑みを追うなに向け、そして土足のままズカズカと神崎家に上がりこむ。中は何処かの高級旅館のように手入れがされ、高価な物品が所々に掛けられている。が、これからこの屋敷に手入れが入ることはもう無いだろう。埃まみれになり、そして土台が腐りきり、最後には屋敷自体完全に崩壊する。そんな映像が男性の脳内で描かれ、思わずもったいないなぁ、と呟きが出てしまう。しかし、仕事なのでそんな思いは捨て、顔が映るくらいまでに磨き上げられた廊下を歩き、嫗の指定した場所へと先を急いでいく。使用人は誰も殺すなと言う制限があるので、首筋に打撃を与えて悶絶させるだけにしておく。
「けれども、何で実家を潰しちまうんだ?」
 男性は歩きながら背後の嫗に声をかける。嫗は、少し俯いて無言になり、そして数秒後に顔を上げると、こう言った。
「神崎と言う名の鎖を、断ち切るためです…」
 その言葉を聞いて、男性は一言、つまらんと良い捨てると、ジュラルミンケースからリヴォルバータイプの拳銃を取り出し、鈍い光を放つ弾丸を六発セットする。そして、撃鉄を起こすと目の前の何かを狙うかのように構え、そして、引き金を引いた。
 深い眠りに就いている者も驚いて起きてしまいそうな轟音が男性と嫗の鼓膜を襲う。が、二人とも顔色一つ変えずにその場に立っている。
「これが、あんたの言うシキガミってヤツか?」
 リヴォルバーの口から硝煙を立ち昇らせながら男性は問いかける。嫗はしずかに一回頷いた。
 目の前には、透明に近い色をした液体で構成された竜のような生物が存在し、腹の辺りに風穴を開けてその場に倒れていた。暫くすると、竜は静かに水色の「流水」と書かれた札に変化、そして灰となって消え去った。
「ってことは、この先で会いたい奴が待ってるんだな?」
「はい…。ここで待っていてください…」
 しかし男性は首を振り、胸ポケットに入れてあったコーラ味のシガレットを一本つかんで口に咥えるとジュラルミンケースから組み立て式のライフルを組み立て、嫗に背を向けた。
「どこに?」
「待ってんのも面倒だし、あんたのもう一つの依頼を完遂してくるわ」
 そう言うと、もと来た道を戻っていく。途中ポリポリ、とシガレットをかむ音がし、二本目を咥える。
「会いたい奴との話が終わる辺りに、桜花って奴の死体を持って現れると思うから…」
 それだけ言うと、男性は廊下の角へと消えていった。嫗は暫く男性の背を見つめていたが、暫くすると式神の守っていた扉に手をかけ、そして、横に引いた。ギギギギ、と精神にくるような音を立てて扉は開き、そして嫗はその扉の先を見据えた。
 禍々しい空気が嫗を包む。
 嫗はゆっくりと歩み始め、気味の悪い粘液が壁にへばり付く廊下を一歩一歩歩いていく。床にはビロードの絨毯が敷かれていて、靴を汚す可能性は無い。が、壁に触れれば汚れるだけでは済まされない事を嫗は知っていた。
 先へと進むと、玉座のような物体に腰を下ろす一人の男性がいた。台座に肘をかけ、手に顔をあずけている。男性は嫗を見て、三日月のような悪質な笑みを浮かべ、そしてこう言った。
「やあ、お帰り。嫗」
 それを聞いた瞬間、嫗の硬い表情が解け、無邪気な笑みへと変化し、一直線に男性へと走り寄ると、思い切り抱きつく。男性はそれを笑顔のまま迎え、そして黒髪を優しく撫でる。
「ただいま!! お父さん!!」
 嫗は外の世界でやったことを楽しそうに話しているが、嫗の背後にいつもいる死神は少し目を細めて男性を見ている。男性はそれに気づき、眼力のある赤い瞳を死神に向ける。
 死神は圧倒され、男性から目を離した。
「嫗、外の世界で一番楽しかったのは?」
「うん!! 沢山の人を殺すことが楽しかった!! 皆脳みそとかぶちまけて死んでるんだよ!! 笑っちゃうよね!!」
 嫗はあはははと笑いながら男性に言った。男性はまた笑い、髪を撫でる。
「良いんだよ。楽しいことはたくさんやると良い…」
 男性は自分に抱きつく嫗を見て、悪質な笑みを浮かべ、そして黙ってもう一度髪の毛を撫でた。


「よう、菊地。元気にしてたか?」
 足の踏み場も無いほど機械を敷き詰められた部屋の扉を叩きながら、成川は叫んだ。暫くすると、ガタン、とイスから立ち上がる音がして中から白衣を身に着けた成川より背の高い男性が姿を現す。男性は驚いたような目で成川を見たあと、その表情を笑顔に変化させ、成川の差し出された手を握った。
「久々に来たなぁ。最近たいした仕事じゃなかったからか?」
「いや、テロ制圧の後はしばらくその金で遊んでたから、仕事すらやってなかった」
「っまあそうだろうな。あんだけ入ればお前なら三週間は暮らせるからな」
「どの位貰ったんですか?」
 突然成川の背後から少女がひょっこり姿を現す。菊地と呼ばれた男性は驚いてその場に尻餅をつく。
「ああ、心配するな。彼女は今回の依頼者だ」
「ビックリした。あの成川に彼女ができたのかと思った…」
 唖然とした表情のまま立ち上がり、ズボンについた埃を軽く叩いて落とす。コンピュータ機器を大切にしているためか、全くと言って良いほど埃は落ちなかった。
「そうそう、例のアレ。終わってるか?」
「ああ、とりあえず見てみるか?」
 急に表情を一変させ、「アレ」と言うキーワードを菊地に言う。菊地は一度頷くと、中に入るよう手招きをする。桜花は依頼料の問いかけに答えてもらえなかったので、無表情のまま菊地の部屋に上がりこむ。
 そこには、桜花にとって驚きともいえる世界が待っていた。何台もの液晶画面が並べられ、そこには凡人では理解できそうも無い文字がズラズラと並んでいる。そして、キーボードは数えただけでも七つあり、コードの多さからしてまだ隠れているキーボードが幾つもあるのだろう。
 菊地はそのコンピューターの中の一つの前に腰を下ろすと、軽快なリズムを刻みながらキーボードを叩いていく。どこかのウェブページのようだ。途中何度も警告のようなものが出てきたが、その度に菊地はそれを軽くいなして次へと進んでいく。
 まさにそれは神業だった。コンピュータの前で悪戦苦闘している成川とは月とスッポンのようなものだ。と桜花は感心しながらパソコンの液晶に魅入っていた。
 すると、遂に作業は終わり、一枚の新聞の記事が現れる。良く見てみるとそれは今日の朝刊だった。日付が一致している。だが、どこを見てもこんな記事は見つからなかった。桜花と成川は首を傾げてそれを見る。
「『連続首切り魔。姿一向に現さず。頼りない警察に周囲の住民から訴えも』…か」
「けれど、そんな記事はどこにもありませんでしたよ?」
 桜花の問いかけに菊地は微笑する。マウスを握り締めると、一部分に点線で謎の記事の左半分を囲み、右クリックで出てきた拡大をカチリと中指で押す。拡大された写真には大勢の日常的な人々が映し出されている。場所からして都心だろう。だが、その人々が丸い輪を開いて下を見ている。モザイクが掛かっているが、百パーセント首切り死体だろう。
 だが、菊地は全く関係の無い左上を指差して二人に問いかけた。
「この女性に、見覚えは無いか?」
 拡大した写真には、雨でもないのに紫色の傘を差す少女が立ち、写真に向かって微笑みかけている。背後には黒い影が浮かんでいるが、姿は見えない。
「神崎…嫗…」
「紫の傘とかって言ってたからもしやって思ったんだけど…。当たりか?」
 成川は頷く。菊地は指をパチンと鳴らして喜びの表情を見せる。
「この記事は何で載らなかったんだ?」
「ああ。この記事を作成した奴も首切りの被害にあったらしい」
 成川は顎に手を当てて考え込む。
 菊地は話を続ける。
「そして、必ず首切り死体の現場にはこの紫の傘を差す女が写っているんだ。まあ原稿を作ってる奴は気づいてないけどな。で、この「首切り死体」についての記事を書いた奴は必ず死んでいるんだ。警察に捜査依頼をしても向こうは首切り事件で手一杯だからそこそこにしか調べられていない」
「で、皆恐ろしがって記事を取りやめにしているわけか…」
 菊地は頷く。成川は胸のポケットから十枚で一束になった万札を三束出すと菊地の手に握らせる。
「ありがとう。とにかく首切り死体は神崎嫗がやってるって事が分かった。それで十分だ」
 成川は笑顔でそう言うと煙草を口に含み、ライターで火を付ける。肺一杯に煙を吸い込み、そして美味そうに吐き出す。
「…なあ成川…」
「何だ?」
「お前、一体何やってるんだ?」
 成川は蒸せて吸っていた煙草を思わず落とした。慌てて桜花が煙草を拾うと灰皿に押し込む。
「何を今更…」
「いや、お前いつも大きな事件に首を突っ込んでるから…」
「俺が死ぬわけ無いだろ? テロのときも生きて帰ってきたんだ」
「ああ、俺が馬鹿だった。じゃあな…」
「おう」
 成川は玄関へと歩き、そして部屋を出ていった。菊地はそれを見て、それからパソコンの電源を落としてから壁に立てかけてあるスケジュール表を見て別のパソコンの前に着く。

 成川は車にもたれかかってタバコを吸っていた。桜花は助手席で成川の背中をジッと見続けている。携帯式の灰皿を忘れたことに気づき、仕方なく道路に煙草を投げ捨て、靴で踏みにじった。
――悪りぃ、菊地…。多分今回が最後の依頼になりそうだ。
 そんなことを心の中で呟く。
 そんな時、突然車のドアが開き、もたれかかっていた成川が道路に吹き飛ぶ。桜花の仕業だった。成川は突然の出来事に驚き、桜花を怒鳴ろうと思って立ち上がった時、その事に気づいた。
 開けられた窓のガラスに、綺麗な丸い穴が開いている。そしてそれを見た瞬間、成川は全てを悟り、運転席に飛び乗ると共にアクセルを思い切り踏み込む。車は運転席側のドアを開けたまま急発進し、駐車していた場所には黒い跡と煙が一筋立っていた。
「大丈夫でしたか? 探偵さん」
「ああ、全く突然で驚いた…」
 そんな呟きを吐きながらステアリングを握り締めるとアクセルを全開にする。が小型車なのでなかなか思ったようにスピードが出ない。
 二回目の発砲音が響き、車体のボディがそれを弾く。が、いつまでも耐え切れるものではないだろう。
「全速力で走ってる車に当てるなんて…一体どんな動体視力してんだよ!!」
 叫びながら成川は急激にハンドルを切る。カーブを急激に曲がろうとしたので、後輪が滑り、道路には黒い跡と煙が残った。だが今の二人にそんなものを見ている余裕は無い。
 一体どうやれば小型車でドリフト走行ができるのか気になるところだが、状況を考え桜花は口を噤んだ。
「嫗の追っ手みたいですね」
「どうするんだ!! 街中だと一番狙われやすいぞ」
 成川が怒鳴った。焦りを感じたための怒鳴り声であって、決して憤怒しているわけではない。
 桜花は左手にある窓を半分開くとポーチから空色の札を取り出すと窓から外へ手を伸ばし、車の天井に札を貼り付けた。
「とにかく防御は任せてください。こうなれば私の実家に向かいましょう。祖母もいるし式神術の師範もいますから、体勢を立て直すのには一番良いです」
 桜花はそう言うと車内で「翼」と叫ぶ。すると天井から軽い着地音が聞こえ、上に式神が現れたことを知らせた。
「神崎さん、どこに向かえば良い?」
「このままあそこに見える山に向かってください!!」
「了解!!」
 成川は運転に集中するために吸っていた煙草を灰皿にぶち込むとアクセルを再度踏み込んだ。小型車の最高スピードを示すメーターが振り切れ、二人に激しい圧力がかかる。タイヤが取れそうだ。
 三発目の弾丸が飛んでくる。翼はそれに目を着けると、車の後方に空気の渦を幾つも作り出す。軌道に沿って弾丸は進む。が、空気の渦の側まで来ると、弾丸は軌道を変更して左の空気の渦へと進み、弾丸は車とは全く関係の無い方向へと真っ直ぐ飛び出していった。

 その光景を男性はスコープの着いた大型のライフルを構えて見ていた。もちろん車の中からだが、隣には誰もいない。ステアリングが固定され、アクセルも何も無いはずなのにも関わらず踏み込まれている。
「驚いた。式神とはこんな事もできるのか…」
 軌道の変わった弾丸を見て、男性は驚きの声を上げる。その中には少しばかりの高揚感も入っている。
「なるほどな。あの竜が風を操り、弾丸の起動を変えているのか…なら、これはどうかな?」
 男性は左手にリヴォルバータイプの拳銃を握り締める。そしてライフルを窓に立てかけて狙いを定めると、引き金を強く引き、それと同時に長いバレルから一発の弾丸が吐き出された。それは勢い良く飛び出すと軌道に乗って真っ直ぐ前方の車へと向かっていく。しかし、目標の車には風の渦があり、狙い通りの弾丸だとしても吹き飛ばされてそれで終了だろう。そこでリヴォルバータイプの拳銃の出番だ。男性は左に握っていた拳銃を右手に持ち帰ると射出した弾丸を狙って引き金を引く。時間はかからなかった。
 風に巻き込まれる前にリヴォルバーから吐き出された弾丸が、前方を走るライフルの弾丸と衝突し、ライフルを弾き飛ばす。威力を失った弾丸はそのまま風の渦に巻かれながら何処かへと飛んでいってしまった。
 勢いをつけた弾丸は風の渦を難なく通り越すとそのまま車へとねじりこまれ、そのままボディを貫通すると勢いを失わずに次は運転席の椅子を貫通し、成川の右わき腹から赤い花が咲き乱れた。

「がっ!!」
 弾丸が成川を貫通してフロントガラスを弾き飛ばす。桜花も成川も突然現れた弾丸に驚き、そして力強くブレーキを踏み込み、車を止め、成川はそのまま運転席に蹲る。
「探偵さん!!」
 桜花は叫ぶ。成川の脇腹からはおびただしい量の血液が流れ出ている。幸い内臓には当たらなかったのか、血液は鮮やかな朱色を保っている。
 成川は車を蹴破って飛び出ると左手で傷跡を抑えながら右手にリヴォルバーを握り締めた。桜花がその状況を見て大地の式神「轟」を出します、と声をかける。
 成川はそれに対して首を振る。
――この技…聞いたことがある…。
 成川はリヴォルバーに弾丸が装てんされていることを確認し、撃鉄を起こす。
「式神を出せる回数は決まってるんだろ? お前のこの前の戦闘で分かった。前回の疲労の仕方からすると、最大で十五から十七が限界だ」
 成川の突然の一言に戸惑いながらも、問いかけに対して一度頷く。
 桜花は返事を返す。
「召還できる回数なんて考えなくても、実家に行くことが出来れば…」
 桜花の言葉を成川は手で止める。
「追っ手は俺たちを誘導しようとしている。噂で聞いた『あいつ』なら、俺達を一発の弾丸で殺すことも出来たはずだ。分かるか? 一体俺達をどこへ誘導しているのか…」
 桜花は暫く考え込み、そして、一つの言葉が浮かんだ。
「…神崎家…ですか?」
 成川は頷く。その間にも脇の痛みが脳天を貫く。
「そうだ」
「でも…、そうすると、実家は…」
「十中八九嫗の支配下に落ちている」
「そんな…、じゃあ一体どうすれば良いんですか!?」
 桜花は戸惑い、そして混乱しながらも成川に向けて叫ぶ。成川は一度目を瞑り、暫く考え込む。
――神崎を生け捕りにし、邪魔な俺は排除する…とでも言うことなのかな…。
 成川は開眼すると共に、開いたドアを叩いて閉じ、痛みに堪えながら立ち上がる。
「神崎…、運転はできるか?」
「式神を使えば…」
「そっちのほうが有効的な活用法だ。神崎、このまま実家に向かえ」
 一台の乗用車がこちらに向けて走ってくる。助手席にはスコープでこちらを覗く男性が一人。だが、運転席には誰も見えない。
「どういうことですか?」
「俺はここで追っ手を向かい討つ。そうすれば神崎は嫗のほうに集中できるし、何より二対一という状況にはならずにすむ筈だ」
 もちろん二対一の中に「成川耕介」という名前は入っていない。
「…でも…」
「場所はさっき教えてもらった。追っ手を倒したらあの車ですぐに追う。大丈夫だ」
「…分かりました」
 桜花は決めあぐねていたが、三発目の銃声を聞いて決意し、一度頷く。成川は微笑むとりヴォルバーを前に構え、桜花に「行け!!」と叫んだ。桜花は白銀を召還すると車を急発進させ、そして成川の視界から消え去った。
――くそ、眩暈がしてきた…。
 引き金を引いた瞬間、突然方向感覚が失われ、起動がだいぶ反れた。冷たい嫌な汗が吹き出始め、成川の体を濡らしていく。
 成川は側にある壁に寄りかかると血で濡れた左手を右手に添えて、しっかりと向かってくる乗用車に狙いをつけた。
 乗用車は成川が引き金を引く前に止まると、助手席の男性がスコープを覗き込む行為を止め、笑みを浮かべたまま車を降りた。
「成る程、一番苦しい箇所に命中したか。今日は就いているな…」
「やはりな…あのテクニックはあんたか…」
 降りてきた男性を見て成川は呟く。
「始めまして、探偵君。…ってもまあ名前は知れ渡ってるのかな?」
「確か…千里眼の木野成海(きの なるみ)だったか?」
 木野成海はご名答、と余裕のある表情で成川に笑みを向ける。どこか冷たく、そして気味の悪い笑みだった。
「とにかく俺は、あんたを殺す必要があってね…死んでもらうぜ…」
「重症で良くそこまで言えるもんだ」
「うるせぇ!!」
 成川はジャケットの内側に手を突っ込むとそこからくたびれた包帯を取り出し、傷のあたりをキツく縛った。痛みが先ほどより少しばかり引いた。成川は空いた左手にもう一丁の拳銃ベレッタを握ると成海へと向けた。
 成海は銃を向けられているにのにも関わらず、その場で手に提げていたジュラルミンケースを開く。こちらから中身は見えないが、多分武器の類だろう。と成川は思い、先手必勝と心の中で旗を掲げ、ベレッタの引き金を勢い良く引いた。だが目眩が成川を襲い、結果として弾丸は成海の右頬を掠めただけに留まってしまった。成海の表情に笑みが浮かぶ。
――たった一発の弾食らっただけでこんな状態になるんだ…?
「今度は外さない。」
「惜しいね。今のを当てていたら、君の勝ちだったのに…」
 成海はジュラルミンケースから銀色に光るナイフと左手用の拳銃を取り出し、構える。
 二人の間に冷たい空気が流れ込む。互いに黙り、そして頭の中でシュミレーションを行っている。
――奴はナイフを持ってる。投げてくる可能性もあれば接近戦で挑んでくる可能性もある。だとすると、かなり厄介だな。リヴォルバーとベレッタ。接近戦では使い物にならなくなる。それに怪我を考えると…、ヤツを近づけたら終わりだな…。
 成海も丁度思考を終えたところであった。戦況ではこちらがかなり不利と成川は見ていた。こちらが出せる手がグーとパー。だが成海はチョキが手の内にある状態だ。
 そして、戦闘の合図を思わせる雷が当たりに轟き、そして豪雨が始まった。
 成川は両の拳銃を交互に発砲させて成海を正確に狙っていく。引き金を引くごとに轟音が迸り、弾丸が次々と射出されていく。成海はそれを左右に移動して回避しつつも成川へと向かっていく。成海も負けじと移動しながら引き金を引き、成川へと弾丸を送り込む。成川はしゃがみ込み弾丸をやり過ごすと弾切れとなったベレッタのマガジンを引き抜き、ズボンの辺りに嵌めこまれていたマガジンをベレッタに直接叩き込むとそのまま引き金を引く。乾いた音と軽い湯気を上げながら薬莢が排出され、周囲に散っていく。突然の豪雨で互いに全身を濡らしているために動きが鈍くなっていく。成海は一瞬濡れたズボンで足が縺れ、前のめりになった。成川はそこを見逃さずに引き金を引いた。
 成海は、向かってくる弾丸を右手に持つナイフで弾き飛ばした。驚くような光景だ。
「成川耕介…。俺がなぜ『千里眼』と呼ばれているか…分かるか?」
「…?」
 成海の瞳が縦に細くなり、猫のような蛇のような目へと変化する。と同時に瞳の色も黒に近い茶から鮮やかなイエローに変色した。
「俺には特異な能力があるんだ。瞳が猫のように変化し、動体視力が上昇する。つまり、周りの光景がスローに動くように感じられるんだ」
「それで、今弾丸を綺麗にナイフで弾いたのか…」
 成海は微笑むと一瞬で成川の真下に現れた。そして気が付いたときには成川の顎に痛みが走り、そのまま地面に昏倒した。
「顎に当てたから、暫くは動けないよ」
「それが…何だってんだ…」
――動け動け動け!!。
 成川は心の中で何度も叫ぶ。だが、どこもその言葉に反応してくれる部位は無く、頭から下が完全に麻痺していることが分かった。
 それでも成川は成海を睨み続ける。戦意を喪失すればそこで己自信が負けを認めることになるからだ。
 成海の目は蛇のように成川を睨み、そして体中に絡みつくような視線を浴びせ、そして一言言った。
「君の命はもう終わりだよ」
 成海は手にしていた拳銃を成川に向ける。成川はぼやけた視界の中その銃口を見つめる。撃鉄を引き、重々しい雰囲気でジャコッとシリンダーが回る。成海は無表情のまま人差し指に力をいれ、そして引き金を引く。

 銃声が、辺りに木霊した。



第六話「―少女の最期―」

――僕達人間にとって、この世界は必要の無いものだとも思えた。
――毎日同じことの繰り返し。
――夢を追いかける毎日。
――その時気づいた。夢など叶うことが無いという事を。
――結局努力をしても、運命は決まっていて、その通りに動いているのだと知った。
――だったら、人間なんていなくなれば良い。
――夢が叶わないのなら、こんな世界消えれば良い。
――その為に僕は娘を必要とした。

story6[- girl's last moment -]

「本当に残念だよ。もう少し楽しめるかと思っていたけれどね…」
 ポツリ、ポツリ。豪雨が収まり、大粒の雨が縮小してゆく。雨は水を吸わないコンクリート道へ一直線に落ち、そして水玉は初めて辺りに飛散する。それはポツリ、ポツリと音を奏で、そして次々と降り注ぐ雨粒によってそれはザァァァ。と鈍い音へと変化する。コンクリート道に飛散した雨粒はやがて小規模の池を作り始める。
 いつしか道路の水溜りに、真紅の液体が混ざり始める。脂が水溜りの表面に生生しく浮かび、そして遂には真っ赤に染まる水溜りが現れる。
 成川は、力なく口を開き、目を半開きにして手足を大の字に伸ばして倒れていた。服の左胸の辺りには血が滲み、そして出血も治まりきっていた。
――俺、もう…駄目なのか…?
 呼吸も出来ない。体も動かせない。目の前も暗闇に閉ざされている。何も感じない。薄れゆく精神の中、成川は思った。もう助かりはしないと。目の前には硝煙を立ち昇らせる拳銃を握った黄色というより、金色に近い瞳を持つ男がいるはずだ。そいつを倒して、行かなければならない。そうしなければ、依頼は失敗に終わり、依頼者も死んでしまう。
――師匠。俺もう駄目です…。
 かつて師匠と慕った男性の面影が一瞬映った。二挺のリヴォルバーを手にし、鬼の如き強さを見せた男。
 その男が、突然現れ、そして消え、次の瞬間には、成川は純白の世界に一人いた。体中を…というよりその白い部屋自体に生暖かい液体が充満し、成川はその液体の中を漂流していた。胸からは赤い液体が流れ、あたりの液体を真紅に染めていく。しかし、成川にはそんな事関係なかった。「死んだ」と自覚し、このまま眠ってしまおうと思い、全身の力を抜いた。もういい、もう疲れた。そんな弱音を声にならない声で呟き、そして少量の気泡と血を口から吐き出しながら、完全に力を抜き、目を瞑った。
『このまま、死ぬつもりなのですか?』
 高く、そして柔らかい声を聞いた。どこかで、聞いたことのあるような声だった。成川は液体に揺られながら声の方向を向く。
――あんたは…?
『私は元母。最後の式神。そして別の名を…神』
 気づくと目の前には一人の紅の瞳をした女性が浮かんでいた。背中からは二対の純白の羽をはためかせ、純白のドレスに身を包んでいる。その姿は「天使」と言うに等しいのかもしれない。成川は力も気力も抜けきった目でその女性を見ると、別に驚きもせずにそのまま再度眼を瞑った。
――もう、放っておいてくれ。死んだなら、それでもいいさ。
『まだ死なせるわけにはいきません。あなたは、私の操り人形なのですから…』
――どういう…ことだ?
『少し、お話でもしませんか? あなたの正体を、私が話しましょう…』
 元母と名乗る女性は微笑むと成川の前髪を白く綺麗な指で静かに撫でた。成川は気力の無い眼で女性を見据えた。元母は目を瞑ると、少し間を置いてから、小さな口を静かに開いた。白い世界に、その声が響き渡る。

「やっと…着いた…」
 桜花は車から飛び出ると目の前の光景を見据えた。青々と茂る幾つもの山々が堂々と構え、そのふもとに大きな屋敷がちょこんと立ち望んでいる。辺りは松や梅の木に囲まれ、そしてそれが屋敷と共に和の雰囲気を奏でている。桜花は深呼吸を一度すると、両手合わせて十枚の色とりどりの札を握り締める。
――嫗!! 待ってなさい…すぐ行くから…。
 桜花は表情をキリっと引き締めると、屋敷目指して走り出す。
――タスケテ…タスケテ…。
 左右から苦しみから逃れたい。そんな声が聞こえてくる。桜花はその声を聞きながらも真っ直ぐに突っ走っていく。黒い球体は浮遊しながらこちらに向かってくるが、スピードならこちらのほうが上だ。追いつけるわけは無い。
「…元を断てば、亡霊も消え去るはずだから…」
 別に楽して夢を叶えようとした者達なんて知ったことではないが、夢にすがる者を玩具のように弄ぶ嫗のやり方が気に入らない。夢喰いは己の力を高めるものだが、禁術だ。禁術を使ったものは死あるのみ。そう教えられてきた。
 ふと、桜花は足を止めた。
――教え…られてきた?
「昔々…あるところに双子の姉妹がいました。一人は生まれて早くに『嫗』と名づけられ、そして祖父の下で過酷な修行を受けていました。もう一人は、そのすぐ後に生まれ、跡取りでも何でも無く愛する母と父に『桜花』と名づけられました」
 屋敷から、黒装束を身につけた少女が現れる手には鎌。背後には命を司る式神「死神」と光と闇を司る「霊百」と「霊黒」がいる。桜花はいつもは見せないような笑みを軽く浮かべ、そして二枚の札を構えた。
「久しぶりね。姉さん」
「ええ。押入れに隠れていた弱者ではなくなったようね」
「姉さん…あなたを…殺す!!」
 二枚の札は赤と青の光を発し、札が竜の形へと変化していき、炎の輪を体に巻きつけた炎の竜と、半透明でゼリー状の質感を持つ水の竜へと変化する。
 霊白と霊黒が宙を走り出し、時を同じくして流水と紅蓮も動き出す。
 流水は周囲に水昌を出現させ、霊白を囲んだ。霊白は暫くその水昌をキョロキョロと見回していたが、暫くすると両手を天に掲げ、光を凝縮させた高密度の光線を勢い良く水昌に発射する。流水は自身の姿を液体へと変えると水昌に浸透して消える。光線はその流水の入っている水昌を見て、両手のをその水昌へと向け、極太の光線を放つ。刹那、霊白の背後に先ほどはなった光線が直撃し、キィィィィ、と言う断末魔を上げると霊白は一瞬にして一枚の薄い人の形を取った札になり、灰となって消え去った。流水が水晶から現れる。水昌はやがて流水の背中に集まり、大きな翼へと姿を変えた。
「流水のどこにこんな能力が…? 流水は水を操る式神。水昌となる翼なんてものも知らない…」
 嫗は無表情のまま呟く。それを見た桜花は静かに呟いた。
――四神相応…青龍…。
「陰陽道その弐…西の朱雀!!」
 紅蓮はその言葉に反応し、一瞬にして火炎に包まれた。膨大な量の火炎が膨張し、そして次の瞬間、その炎の固まりから綺麗な朱色に染まった二対の翼が現れる。次に鋭く光るくちばしのついた頭、そして炎の固まりははじけ飛び、紅の鳥が姿を現した。二対の翼から吹き出るような炎で出来た羽を生やし、尾も燃え盛るように鮮やかで、そして恐ろしくもあった。
 朱雀と呼ばれた火の鳥は炎の羽を霊黒の周囲に撒き散らした。霊黒はその羽を消し去ろうと小規模のブラックホールを作り出し、そして炎の羽を一枚一枚丁寧に包み込み、消滅させようとした。
 だが、ブラックホールが逆に炎に包まれて消滅し、霊黒の辺りが炎に包まれる。霊黒はもう一度両手を伸ばしてブラックホールを生成させようと力む。が、その両腕を朱雀の嘴が挟み込み、霊黒を宙に投げ上げた。
――温度MAX。七千万度…。
 宙に浮いた霊黒を炎のベールで包み込むと、その内部に霊黒と共に入り込んだ炎の羽が起爆し、激しい音と光と共に灼熱の熱波を巻き起こす。その熱波が治まったとき、霊黒の姿は札もろとも消滅していた。
「何よ…こんなの…私知らない…」
「夢喰いと同等の力を持つ…禁断の召喚術、四神相応よ…」
 吹き出る汗と骨が軋んでいるのを堪えながら嫗に呟く。
「夢喰いと並ぶ二大禁術の片割れ「四神相応」。遥か昔にこの国が「邪馬台国」や「ジパング」と呼ばれていた時代。神として崇められていた四神である。北は玄武、東は青龍、西は白虎、南は朱雀が護ると言われ、陰陽師もその力を分け与えられ妖魔と戦っていたと伝えられている。けれども、今はその神が劣化し、力が弱められた式神と言う九体へと変化していった」
 桜花は突然咳き込んだ。呼吸をする暇さえ与えてはくれないような勢いのある咳で、桜花は蹲って
両手で口を押さえる状態にまでなった。嫗はその光景を目にし、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。咳が止まった桜花の両手の手のひらは真っ赤に染まっていた。零れ落ちる紅の液体が地面に落ち、そして染み込む。
「禁断の術を使っても、あんたの体が持たないんじゃないの? それを考えると、いくら神を呼び出したって、私が優勢なのは変わらないわ!!」
 桜花は立ち上がると、緑色、黄土色の札を取り出すとその二枚を己の左右の地面に貼り付けた。そして、血で滲んだ唇を拭ってから嫗を指差す。
「いいえ、夢喰いという禁術のせいで、あなたの精神は壊れている。式神は精神に比例して強さが変化する。たとえあなたの力が高まっていたとしても、真っ黒に染まった心じゃ私は倒せない…」
「何よ!! 何よ何よ何よ!! 私は強いわ!! あの時も、私はあなたに勝っていたわ!! なのに…あの忌々しい男はぁ!!」
 黒と白の二枚の札を取り出すと、両手で一枚ずつ握り締めた。すると札が白色の燐を纏った一振りの刀と、禍々しいオーラを放つ漆黒の脇差へと姿を変えた。嫗は大地を蹴ると、奇声を発しながら桜花に突撃していく。一歩一歩歩を歩めるたびに、嫗の背後の地面が地雷でも踏んだかのように爆発し、えぐれていく。
 桜花は静かに目を瞑り、そして、地面に貼り付けられた二枚に向けて指を鳴らした。二枚の札は起動し、激しい光と共に白い虎と、尾が蛇の巨大な亀が現れた。
――四神相応…その参、玄武。その四、白虎…。
 桜花は体内から込み上げてくる鉄の味のする液体を口の端から漏らしながらも堪えている。すでに、負担のかかりすぎた体は機能を停止しかけ、意識がぎりぎりで支えている状態になっていた。これ以上負担をかければ、体がはじけ飛ぶのではないかと思ってしまうくらいだ。
――この負担からいくと、召還できるのはあと一度か二度…それも、四神は無理ですね…。
 桜花は精神の崩壊した姉の姿を見て、目から熱い何かが込み上げてきた。だがそれを拭い取ると、白虎と玄武を誘導するかのように嫗を指差した。
「最後よ…。姉さん。開放してあげる…」
 白虎は肺一杯に空気を溜め込むと、雄たけびと共にその空気を吐き出した。鼓膜が破れるような音と、鋭く、ぶ厚い風の衝撃波を発生させ、突撃してくる嫗を狙う。嫗は両手の剣をクロスさせてまず光の剣で凄まじい音を防ぐと、極大のブラックホールを目の前に発生させ、かまいたちを吸い込む。桜花も共に吸い込まれそうになるが、玄武に捕まってなんとかやり過ごす。
 玄武は前足を勢い良く上げると、それで力強く大地に踏みつけた。大地はひび割れ、そして地割れが起き、少量のマグマが姿を現す。尾についている蛇は地に首を突っ込むと、何も無いところに目を開花させ、そして急激に成長させるとその大木の蔓で嫗の四肢を掴んだ。そして蔓は驚くほどの力を見せ、縛り上げた嫗の四肢を左右に引き抜いた。ズブリ、と生々しい音を立てたかと思うと、ドロリとした血液が嫗の手足の付け根から迸る。
「ぎゃぁぁあぁぁぁぁああぁぁあ!!」
 耳を劈く様な悲鳴が響き、そして四肢を全て失った嫗がドサリと地面に転がり落ちる。
 嫗は充血しきった目で桜花を、桜花は冷たい見下すような目で嫗を見つめる。
「さよなら…姉さん…」
 桜花は右手を天に掲げた。それが合図となり、玄武がもう一度大地を揺るがし、そして嫗が地割れに飲み込まれる。地面が競りあがりそこら中の大地に暗黒の世界が生まれた。その中へ嫗は落ちていく。
 時間が、ゆっくりと遅くなった気がした。嫗は恐怖に染まった目を桜花に向け、静かにその目を閉じ、暗闇に消えていった。それと同時に、赤々としたマグマが噴出し、嫗の姿は、完全に消え去った事を桜花に知らせた。
――こんな終わり方しか…無かったんだよね…。
 緊張が一気に解け、それと共に桜花のいる空間にも平穏が戻ってくる。玄武、白虎は音も無く消え去り、二枚の札となって力なく燃え去った。
 さわやかな風が桜花の髪を通り抜けていく。その風によってあたりの木々が桜花を励ますかのように静かに揺れる。
 雨が降り始めた。何かを危惧するかのように激しく降り始める。桜花はその空からの恵みに体を打たれながら体に溜まっている疲労感をほんの少し癒す。雨水は激しく桜花の体に当たり、そして地面に弾けて消えていく。いつの間にか玄武の力によって吹き出たマグマは冷えて固まり、嫗の堕ちて行った穴を完全に埋めていた。服が体中に引っ付き、気持ちが悪い気もするが、今の桜花にとっては、それさえも気持ち良いとさえ感じられた。
 桜花は目の前にいる黒衣の女性に目をつけた。彼女も雨に打たれているが、湿り気一つ無い。女性は桜花に笑みを浮かべながら、それでも悲しげな瞳でじっと見ている。
 いつの間にか雨が小降りになり始めていた。桜花はボゥッと呆けながら暫く黒衣の女性―死神―を見ていたが、突然何かに気づいたかのように目を見開き、死神に走り寄る。
 桜花は、あの死神の顔を何度か見た事がある気がした。いや、正確には生まれたときから見ていた気がした。
――良く覚えていないけど、いつも私と姉さんを笑顔で見ていてくれた気がする。
――いつもあの人が作ってくれたご飯を、姉さんと仲良く食べてた。
――そうだ。私は「生まれてすぐに姉さんと別れて」なんていない。
 桜花は一本の線が繋がったような気がした。そして、目の前で笑っている女性に向かって叫んだ。
「お母さん!!」
 桜花の記憶が、生まれたときの記憶が、全て真実のものへと導く。
 その時、一つの疑問が生まれた。
 桜花は歩みを止めた。
――じゃあ、おじいちゃんの言っていたあの記憶は、一体何…?
 突然、体に何かが入り込むような違和感を感じた。桜花は振り向く。そこには、半透明となった嫗の姿があった。
『私とあなたが一つになる時が来た…。桜花、もう私たちは別れることは無いわ…。お父様に教えてもらった通りにやれば、きっと私たちは幸せになるのよ…』
 右腕が支配され、自分の意思では動かなくなる。桜花は苦悩に顔を歪ませながらも必死で抵抗するが、相手は式神と同じ霊体。触ることは出来ない。左腕と右足の神経が断ち切られたように動かなくなる。だがそれでも右足はしっかりと地面に立っている。おそらく、嫗が自分の体を支配しているのだろう。だんだんと薄れてゆく意識の中で、桜花は静かに思った。
――知らせないと。探偵さんに…成川さんに…知らせないと…。
 遂には頭部以外の全ての感じが消え去った。横では満面の笑みを浮かべた嫗が桜花を見ていた。遂に、嫗の頭部がゆっくりと桜花の体に入り込んでくる。
――本当の…敵は…夢喰い…士じゃなく…て…私と…姉さ…んの…。
 桜花の意識は、完全に肉体から引き離され、そして、桜花の顔をした「神崎嫗」が、甲高い声を上げながら笑い声を上げる。
「私は不死身!! 神崎の血を全て引き継いだ完全なる式神遣いとなった!! うふ…うふふ…アハはハハハハハッは!!」
 その横で、死神となった女性「桜花と嫗の母」である「神崎時雨」は、桜花の顔をした嫗から目を逸らし、静かに涙に溺れていた。
 雨が止み、そして、同時に桜花も消え去った。


 雨が降り注ぐ。その中で、「千里眼」の異名を持つ殺し屋「木野成海」は死に絶えた一人の男を見下していた。金色に光る目が次第に茶色へと戻り、そして一度ため息を着くとその男に背を向けた。
「もう少し、楽しめるかとワクワクしていたんだけれどなぁ…」
「…だったら、もっと楽しませてやるよ…」
 成海は突然の声に驚き、瞳を金色に変化させながら背後を再び振り返る。
 そこには、胸を弾丸で貫かれ、呼吸すら途絶えていた男が、深呼吸を繰り返しながら堂々と立っていた。左胸の重傷とも言える傷は完治していた。
――一体…何があった?
 成海は成川をじっと見つめ、そして一つの「謎」に気づいた。
 成川の周囲を回転するように六角形の小粒のパネルが飛び回っている。それは成川の怪我を負っている箇所に向かって飛び、そしてその部分が修復され、出血も止まっていく。
「何だ? この不思議な粒が気になるか?」
「一体、キミは何をしたんだい?」
 成海が問いかける。すると成川は余裕の表情を見せ、雨の中タバコのケースとライターを取り出す。湿ったタバコを口に含むとライターを近づける。すると、ライターの火は簡単に着いた。最近のライターは雨の中でも勢い良く燃えることによって耐久性が高いものがあるが、成川の持っているライターは百円ショップに置いてあるような安いライターだ。そこまでの機能性は無い。
「何で火が着くんだ? って顔してるな?」
 タバコの煙を吐きながら成海を睨んだ。成海はこくりと頷く。
「雨の科学式知ってるか?」
 突然何を言い出すんだ、と成海は首を傾げた。成川は続ける。
「水素と酸素の化合物だ。もう少し深く言うと、水素の酸化物だな。中学で習ったろ? だから、この俺の新しい戦力を使って水素と酸素を分解させ、ライターに集めることによって、勢いのある炎を作ることができる。水素を使えば、こんなことも出来るぜ」
 成川はライターを宙に放り投げる。炎は依然着いたままだ。成川はそのライターを睨むと、指を鳴らした。
 瞬間、ライターの炎が大爆発を起こした。耳を麻痺させるような音と共に、大量の水滴が成川と鳴海に降り注いだ。
「原子を操作…出来るのか?」
「ご名答。まあ、操作できるのは一部だけだけどな」
 成川はにやりと笑うと地面に放置されている拳銃を二挺拾い上げ、腰にセットされている予備のマガジンをベレッタにセット、六つの弾丸をリヴォルバーにセットし、撃鉄を起こす。その間も六角形の小さなパネルは成川を守るかのように動いている。
「さあ、始めようか。主人公ってのは一度負けても二度目は勝つって決まってるんだぜ?」
「…面白い。僕の想像もしていなかった展開だ!!」
 成海は笑った。
 成川は二挺の拳銃を構えた。
――成川耕介。決めたよ。キミは僕の好敵手だ。
 成海もナイフと拳銃を構えた。
 
 雨はいつの間にか、止んでいた。
2005/11/25(Fri)21:24:00 公開 / 聖藤斗
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■作者からのメッセージ
今回はオンリー戦闘。ですが、せっかくのアドバイス「戦闘が一本調子になっている」がどうしても直せないでいます。アドバイスをしてくださっている甘木様、京雅様、上下左右様、本当にすみません。もう少しで完結まで来ているので、これからすこしずつ、勢いに乗っていけたら良いと思います。今回は忙しい中だったので、感想に対してのお礼をかけそうにありません。再度、本当にすみません。次回は、「神崎家の過去」と「成川復活」という、少し話を遡っていくので、読んでくださるとうれしいです。
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