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『手紙』 作者:藤崎 / 未分類 未分類
全角9903.5文字
容量19807 bytes
原稿用紙約31.9枚

 そう、例えば小さな予感だ。
 何かが……、僕の住む日常とは違う何かが起こるとき、必ず、小さな予感を感じる。
 しかしその予感さえも、日常となんら代わりのないものだったりもする。いつもならば感じない陽の光とか、風の音とか、都会の喧騒が遠のく雰囲気とか、そんなもの。本当はいつもそこにあるのに、意識をしないせいかなんとも思わないようなモノたちに、ふと、気づくのだ。
 それが、僕の予感。
 けれど、正直あの朝のことはよく覚えていない。
 まだ薄暗いだけの部屋の中。カーテンの隙間からさえも、朝の光は漏れていなかった。いつもなら、どこからともなく聞こえるはずの雀の鳴き声も聞こえなかった。
 代わりに、窓の外に何かの気配があった。だけどそれさえも、低血圧の僕の寝起きの頭には、把握しきれていなかったらしい。要するに、今になっても、あぁなんかそんな感じがしたな、程度にしか思い出せないというわけだ。
 ぼんやりと寝ぼけた頭で、服を着替え、カーテンを開けた。
(……)
 気配の正体は、雨だった。


 階段を下り、一回へ降りる。リビングには、休日はいつも我先にと出かけて行くはずの家族全員が集合していた。栗色の髪を無造作に一つに束ね、ソファーに座る上の姉。同じく亜麻色の、少しウエーブがかったかみをゆるりと背中に流した下の姉。
 雨の日は憂鬱だ。こんな日に、朝っぱらから人と……この二人と顔をあわせるのは気が滅入る。ばれないように、ひとつため息をつく。
 そして、僕が周りから優しい人間だと思われるようになった原因である、凶暴な姉二人の命に従い、外へ出る。朝刊を取って来い、というわけだ。
 彼女達は、それぞれ僕より二年、三年先に生まれた。たったそれだけで彼女達と僕の関係が決まってしまうなんて、いささか不公平だとは思う。
 気の合う姉妹を持つと必然的に、末っ子である僕はパシリに使わされる。幼い頃からそうだった。何かとあれば僕を僕(しもべ)のように扱い、自分たちの尻拭いをさせ続けてきた姉達。
 反抗期にはそれなりの反抗はしてみたものの、到底僕の敵う相手ではないということを悟り、今となっては逆らう気さえ起こらない。
 大体、逆らったところでいい事など一つもないのだ。結局、押し付けられた用事は僕がやることになり、下手をすれば受けなくてよかったはずの暴言もついてくる。
 はるか昔の中学三年にして、人には逆らうべからず、という格言を得たわけだ。
 
 傘を差すのは面倒なので、そのまま外に出、三メートル先のポストに歩み寄った。
 幸い、雨はそれほど激しく降っているわけではなかった。それでも、霧のような空気に混じり、ゆったりと僕の髪や服をぬらす。
 これだから雨は面倒なのだ。……まぁ、それだけが原因じゃないと思うけれど。
 既に水滴のこぼれるポストから、ビニールに入った新聞を抜き出す。
 そして、何気なく、本当に何気なく、ただの気まぐれといってもいいほどの心境で、ポストを開けた。
 中を、のぞく。
「……」
 さぁ――っと、ほんの少しだけ雨脚が強くなったような気がした。
 そこに、ただ何事もないように、まるでそこにあるのが当然のように、一枚の封筒が横たわっていた。
 僕を見つめる、真っ白な、郵便番号も宛名もない、切手も貼られていない封筒。
 何かを、感じたわけではない。ただそれは、僕宛のものだと分かった。そして、わけもなく、差出人も分かっていた。
 反射的に顔を上げ、辺りを見回す。
「……」
 雨の音だけが僕を包む。
 そうだ。
 いるわけがない。
 例え、手紙の差出人が直接僕の家のポストに入れたのだとしても。それは昨夜のことかもしれないし、まだ誰も起きていない明け方のことかもしれない。
 そっと、その薄い花びらのような封筒を取り出し、差出人の名前を見た。……いや、本来名前が書かれているはずの箇所を見た。
 やはり。
 そこにあったのは、一輪の小さな桜の花とその花びらをかたどった、淡い桃色のシールだった。



 新聞を、ソファーの上で悠々と足を組む上の姉に預け、朝食は、と問う母にいらないと答え、その素っ気無い返事に下の姉からいちゃもんをつけられ、それを無視して二回へ駆け上がった。
 なぁに、あの子。上の姉が言うのが背中に聞こえた。
 ばたん、と部屋のドアを閉め、電気をつけずに机に寄る。
 ドクンドクンと高鳴っていてもおかしくないはずの僕の心臓は、何故か平静を保っていた。頭では、十分すぎるほどパニくっているというのに。
 それでも、たくさんの疑問は言葉となる前に思考内で消えた。ただ広がるのは、切ない懐かしさと、それに伴う小さな痛み。
 椅子には座らず、机に寄りかかるようにして封を切る。
 そして中身を取り出す前に、もう一度、差出人の“名”を確認した。
 変わらずに在る、淡いシール。
 そう。
 これは、僕らの暗号だった。
 僕らだけにしか分からない、二人だけの、暗号だった。

 手紙は、こう始まっていた。

『康章へ。』

 やすあきへ。
 僕は、その書き出しを、思い出される書き主の声に合わせて、口の中で小さく呟いた。
 少しだけ強くなったように感じられる雨が、僕を現実から引き離していた。
 そして、彼女の、丁寧な文字に目を走らせる。


『康章へ。

 久しぶり。元気だった? 突然の手紙、驚いたでしょう。新しい生活はどう? 大学にはもう慣れた? 大好きな考古学はどう? ……なんか質問ばかりだね。
 私はまぁ、なんとかやってる。古典は面白いよ。文章がとても綺麗だから。読んでいて嬉しくなるの。
 手紙なんて書くの久しぶりだよ。ホントに何年ぶりだろう。今は何でもメールで済んじゃうしね。明日の講義の休講も、サークルの連絡も、大切な想いを伝えることも。
 ……別に、伝えたいことがあるわけじゃないよ。どうしても伝えたい想いがあるわけでもない。ただね、書きたいから書くの。 
 もちろん、読んでくれなくたってかまわないからね。私が勝手に書くだけだし。第一、これを投函するかさえ書いている今現在決めていないだから。
 だから、この文章が康章の目に入るかどうかも分からないのよ。もしかするとこの手紙、私の机の引き出しの中に眠ったままになるのかもしれないわ。
 そして、出してくれるのは今か今かと待っているの。
 ……今、私に限ってそんなことあるものかと思ったでしょう? でもね、あながち確立がゼロとは言い切れないのよ?
 実際、書かれたまま投函されなかった期限の切れた懸賞のはがきとか、暑中見舞いとか、そんなものが引き出しの中には眠っているんだから。
 ただもし、康章の目に入ることがあったら、この手紙が康章の手に触れることがあったら、きっとそれだけで私は嬉しいのよ。
 だから、読んでくれなくてもかまわないわ。
 ……って言っても、こうして出すかもしれないと書いている時点で、読んでもらうことを期待してるのかもね。そして、あなたが、私からの手紙を読まないわけがないと知っていて書くのだから、やっぱり読んでほしいのかもね。
 だけどそれは私の心の中の話よ。実際の私は、本当に読んでもらうことを望んでるわけじゃないの。
 それでも、嘘つきの私が言うことだから、どこまでが嘘で、どこまでが本当か、信じようがないわね。
 
 ねぇ? 
 さっき、伝えたいことがあるわけじゃない、どうしても伝えたい想いがあるわけでもないって言ったわ。
 悪いんだけど、取り消してもらえる?
 ずっと、ひとこと言いたかった。
 あの日から、ずっと。
 ……康章。
 ごめん。ごめんなさい。
 あんなことして、許してもらうことを望んでるわけじゃない。だけど、言わずにはいられないから。
 ごめんなさい。
 嘘つきな私だけど、自己満足だと思われるかもしれないけど、康章は読んでくれないかもしれないけど、信じてくれないかもしれないけど、それでも。
 これだけは、私の本当の気持ち。
 康章。
 嘘をついて、ごめん。』

 何かに急かされるように走らせた目は、そこで急ブレーキを掛けたように止まった。
 嘘だろ、と。何に対する“嘘”なのかも分からないまま一人呟いた言葉は、部屋の湿った空気に飲み込まれ消えた。
 嘘だろ。
 ぼんやりと霧でもかかるように薄れていく頭の中。僕はベッドに倒れるように横になる。
 どこかで、彼女の声がする。

『私も』

 誰よりも大切にしたかった、けれど大切に出来なかった、彼女の声が。
 
『私も、同じよ』

 
 
 あの日は、見事な晴天だった。そう、高校の入学式だ。
 知らない連中があふれかえる教室で、自分一人が浮いているようだった。このクラスにいる誰とも、僕は違っていた。決定的な違い。埋めることの出来ない、変えることの出来ない違い。
 それでも、何も変わらないといった顔をして、座っていた。これからの高校生活への不安だけを抱えて。
 彼女とは、何の偶然かは知らないが、同じクラス、同じ苗字だった。入学式の初日から、日直を言い渡され、日誌を書く彼女を見つめていた。
 まだ、昼間だったはずだ。その日は、短いホームルームだけで終わったのだから。
 中庭に面していた僕らの教室。その庭には、薄紅色の花をつけた桜の木が、まるで春の象徴のように立っていて。ふわりふわりと舞う花びらが、とても幻想的だったのを覚えている。
 彼女の長い睫が落とす影を、僕は見つめていた。
 ふと彼女は顔を上げる。そして、少しだけ困ったように――何に困っていたのかは知らないが――笑って、終わったよ、と言った。
 彼女の手元の日誌には、とても丁寧な字で、今日の一日が綴られていた。僕なら、入学式は退屈で何度意識が遠のいたか知れないとか、ホームルームはずっと夢の中だったとか、きっとそんなことしか書けなくて、ほんの数行で終わってしまうはずの一日の反省を、硝子は見事に埋めていた。
 まじめな子なんだなあ と思った。
 少しだけ色素の薄い彼女の髪が、春の日に透ける。まぶしいような気持ちで、彼女を見ていた。
 その瞬間、風が吹いて、カーテンが持ち上がった。その風には、若々しい春が香っていた。花びらが、彼女の髪につく。
「俺さ、」
 その時、僕は何を思ったのか覚えていない。ただ、気づいたら口を開いていた。
 耐えられそうになかったのかもしれない。
 あのころの僕にとって、何よりも重大で、それ故に世界が変わってしまった事実を隠し続けていくことに。
「俺さ、あんたらより、一つ年上なんだ」
 言った瞬間の、彼女の表情。
 同情でもない、憐れみでもない、悲しみでもない、ただの驚きだった。
 けれどそれは徐々に、苦笑に変わっていった。
 読み取れる感情は、疑い。
「本当だよ」
 僕は内心あわてて、けれど口では冷静に言った。信じてもらえなくてもよかったはずなのに、僕の事実を否定されるのが我慢ならなかったのかもしれない。
「去年、高校に行った。けど、病気になって辞めざるを得なくなった。だから、俺はあんたらより一つ年上」 
 戸惑う彼女の目は、それでも完全に信じられていないことを表していた。
 当たり前、か。
 僕だって、突然そんなことを言われても、きっと信じられなかったに違いない。もしも自分がその立場でなければ。
「なんてね。冗談だよ」
 こんな時は、冗談にしてしまうに限るのだ。その術を、僕は既に凶暴な姉二人のおかげで知っていた。
「私も」
 鞄をひっ捕まえて席を立った僕に、彼女は言った。
「私も、同じよ」
 彼女の言葉を、言葉の意味を認識するまでに少しの間時間がかかった。振り向いてから、ほんの数秒。
 そして。
「私も、同じ。私も、ここのみんなとは年が違うの。だけど、あなたとは同じ年よ」 
 その言葉を解した瞬間、僕の表情に広がったのは何だっただろうか。
 喜びか、嬉しさか、疑惑か、悲しみか。
 表に出ていた感情は知らない。けれど、中の感情は覚えている。

 喜びだ。

「しょうこ。硝子と書くの」

 彼女は、そう自己紹介して僕に笑いかけた。
 春の光が眩しかった。古典的な表現だが、彼女の笑顔はそれ以上に眩しかった。
 僕はそれから、高校三年間を硝子と共に過ごすことになる。
 クラスは一度も離れなかったし、話も合った。
 何より、秘密を共有しているという点で、誰よりも信頼できた。
 もしも、その秘密が本物だったなら、きっと今でも僕らの関係は続いていただろう。そして僕が、もう少し大人で思いやりのある人間だったならば。
 そう。
 それが、彼女が僕についた、最初の嘘でなかったならば。
 きっと僕らは、今でも一緒にいたはずだ。


 
 それからも、硝子からの手紙は届き続けた。
 ただし言っておくが、僕は何一つ変わらず大学生活を送っていたし、生活の全てを彼女の手紙を待ち望むことにかけていたわけではない。
 いつも切手は貼られていなかったし、差出人の名前も、宛名もなかった。代わりに、一輪の小さな桜の花とその花びらをかたどった、淡い桃色のシールが貼られていた。
 届く曜日も、時間も、日にちもばらばら。一週間毎日届くこともあれば、月一の時だってあった。予測不可能。人間らしい行動だ。
 僕は、一日中彼女が来るのを見張っていることだって出来ただろう。けれど、そうはしなかった。それは、僕が、不規則に届く手紙をどこかで面白がっていたからであり、届いた手紙を、最初の一通以外開けていないからだった。
 そう、あの手紙以外、封を切っていない。唯一封を切ったその手紙さえも、最後まで目を通したわけではないのだ。
 それでも、僕は面白がっていた。硝子からの、手紙が届くことを。
 一年間続いたそれは、僕の机に、専用の引き出しを作らせた。
 手紙は、二年経つと、優に百通を超えた。


 内容は知らない。先に言った通り、封を切ってはいなかったからだ。
 が、硝子からの手紙が届く度、僕の中には鮮やかに思い出がよみがえる。まるで、手紙の中身が流れ込んでくるかのように。
 それは、出会いに始まり、僕が硝子を“硝子”と呼ぶようになった経緯に繋がり、時の流れに沿うように、彼女との高校生活を蘇らせていった。
 疑似体験でもするように、僕は過去をさかのぼる。
 タイムスリップでもするように、僕は硝子との過去を生きる。

 彼女は活発だった。人を笑わせるのがうまかったし、誰とでも仲がよかった。クラスメートからは、底抜けに明るくて、強くて頼りになる存在だったと思う。
 けれど僕は、彼女の影の部分も知っていた。
 大好きな祖母の死、両親の離婚。事実を知る僕だけの前で見せるさびしげな表情が切なかった。
 傍にいたいと、思った。

 秘密を共有する“仲間”から、“恋人”という関係に変わったのは、高2の春だ。
 やはり、僕らは出席番号が続いていて、相変わらず仲がよかった。告白したのは僕だった。
 二階の教室は夕日の色に飾られていた。僕も硝子も、オレンジ色だった。
 手紙を書いた。口で言うのは照れくさくって、手紙を書いた。立った一言。「好きだ」と。そして、渡した。僕の目の前で、封を切った硝子。
 けれど出てきたのは、あの時の花びら。あの、入学式の日に彼女の頭に載った花びら。桜の花びら。
 封筒に詰まっていた桜の花びらが、はらはらと散った。
 しまったと思った。
 姉だ。
 僕の部屋に入り、きっとこれを見つけたのだ。
 そして、中身を読み、摩り替えた。
 とんでもない話だが、彼女たちの前では僕のプライバシーなんてないも等しかったし、文句を言ったところで、敵うはずもないのだ。自分の甘さに、嫌気が差した瞬間だった。
 けれど硝子は、ひどく嬉しそうに笑った。
 見ると、彼女の手には僕の書いた手紙が握られていた。
 姉たちは、摩り替えたりはしなかったのだ。女として、喜ぶ方法を知っていた。
 僕の人生のなかで、唯一彼女たちに感謝した瞬間だった。

 彼女は僕に、様々な嘘をついた。
 隠れて誕生パーティーの準備をするためにつくような、僕を喜ばせるものもあったし、何を心配してか知らないが、中学の同窓会に行くことを隠すために、友達と買い物をするといって僕とのデートをキャンセルするような、僕を怒らせるものまであった。
 けれど僕を傷つけるような嘘は、一度だってつかなかった。彼女は嘘つきだった。その度に喧嘩もした。けれど最後には、やはり彼女の嘘のおかげで仲直りするのだ。
 一度なんか、硝子が一つ上のガラの悪い連中に呼び出されたと聞き、慌てて体育館裏へ向かったこともある。彼女は綺麗で聡明だった。どんな連中に好かれようとも、不思議はなかった。 
 焦った僕を待ち受けたのは、状況も分からず上級生にいきなり拳を食らわせたことに対する、それ相応の痛みだった。

 硝子は、僕のために泣いた。自分のためには一度も泣かなかったくせに。
 僕が語った、僕の過去。この高校に入る前の、一年間。
 原因不明の病気にかかり、退学せざるを得なくなり、長くは生きられないだろうと告げられた。そう、そんなドラマのようなことが、本当に自分に起こったのだ。けれど僕は、今も生きている。
 悲しみよりも先にやるせなさが僕を襲い、落ち込む暇もなく塞ぎ込んでしまった。
 話しながら僕は、きっと何よりも自分にとってつらい話であるはずなのに、なぜか清々しいとさえ言える気分で話している自分に驚いた。
 硝子は、そんな僕の隣で泣いていた。


 硝子からの手紙が届き始めて三年目の冬が過ぎた。
 封を切られていない手紙は、机に収まりきることはなく、とうとうダンボールにまで移されてしまった。
 僕は次の春、大学を卒業。教授の伝を頼りに、考古学の道へ進む。 
 四年間。硝子からの手紙は、途切れることなく届き続けた。そして僕は、――最初の一通を除けば――一通たりとも読まなかった。
 ただ、硝子のいた過去を想う。一通一通と共に、振り返る過去。
 たった三年間の思い出でしかないはずなのに、大学の四年間、思い出に困ったことはなかった。どうしてそんなことまで覚えているのだと思うようなことまで、硝子の手紙はまるで、その外形だけで、届くという事実だけで、僕の記憶を呼び起こすように。
 僕の三年間は、そんなにも重かっただろうか。そんなにも、人生の中で重要だっただろうか。……きっと、考えるまでもない。

 硝子。
 硝子。
 ……硝子。

 彼女が僕についた、最大にして、最初の嘘。
 私も、同じよ。
 おなじ、同じ。
 実際は、違った。
 僕と彼女は、同じ年ではなかった。
 僕は、彼女より一つ、年上だった。
 彼女は、僕より一つ、年下だった。
 現実はそうだった。ただ、それだけのことだ。
 今となっては、ただそれだけのこと、と言えること。
 雨の日は嫌いだ。憂鬱だ。だって、硝子と別れた日を思い出す。
 卒業式を終えた、ようやく緑が輝き始めた春の日のこと。あの日も、雨が降っていた。しとしとと、静かに。まるで僕らの終わりを、予感させるように。
 なんてことはない。
 僕の中学時代の部活の後輩と、彼女が友達だった。親友だった。小学生のときから仲の良い、けれど中学に入って別れてしまった友達だった。
 街中を歩いていた時、偶然会った。たったそれだけ。本当に、たったそれだけ。
 それだけのことで、全ては崩れた。
 ……いや、それだけじゃない。
 僕が馬鹿で、卑しくて、程度の低い、大人ぶったただのガキだったこと。
 そもそもの原因は、そこにあるのかもしれない。
 今でも、忘れられない、彼女の顔。あの瞬間の表情。
 あの日の雨は冷たくて。背を向けて走り去る僕と、硝子の間に立ちふさがる壁としては、これ以上ないほど十分な役割を果たしていたに違いない。


 今までだって、手紙が届き始めた日から硝子と別れた日は迎えていた。けれど、今年ほど意識してはいなかった。
 そう。今年は、卒業の年だから。だからきっと、その日の手紙を境に、硝子からの手紙が届かなくなることを感じていたのだ。知っていたのだ。
 だから。
 だから。
 だから僕は、最後の封を切った。
 硝子からの手紙。案の定、僕らが別れた日に届いた、最後の手紙。
 その日は、やはり雨が降っていて。硝子と僕が、手紙で始まりだしたあの日のように。デジャヴに、襲われるほどに。
 いつものように階段を下り、一回へ降りる。リビングには、休日はいつも我先にと出かけて行くはずの家族全員が集合していた。同じ会社の人間と今年結婚する上の姉。やっと夢が叶うの と、イギリスに行く下の姉。
 時間は、確実に経過していた。けれど、雨の日は憂鬱だ。こんな日に、朝っぱらから人と……この二人と顔をあわせるのは気が滅入る。ばれないように、ひとつため息をつく。
 そして、僕が周りから優しい人間だと思われるようになった原因である、凶暴な姉二人の命に従い、外へ出る。朝刊を取って来い、というわけだ。
 新聞を渡し、部屋まで駆け上がると、僕は何かに急かされるように封を切った。あの日とは違い、焦っていた。気も心も。
 そして、中から手紙を取り出そうとした瞬間。何かが、零れ落ちた。

 硝子は硝子でしかなかった。いつだって僕の傍にいてくれたのは硝子で。優しく、強く、時には弱く。僕の支えだった。
 僕は、欲しかっただけなんだ。硝子と付き合う理由が。僕らは同じ傷を背負った者同士だから、と。なにか、言い訳をしたかっただけなんだ。本当は、硝子が大事だという真実だけで十分だったのに。
 桜の花びらは、僕らの暗号だった。僕らだけにしか分からない、二人だけの、暗号だった。
 高校一年の春。始まりを告げたあの日。僕は確かに、硝子に惹かれていた。嘘をつく前の、硝子に。僕と同じ年だと言う前の硝子に。入学式よりも前に、裏庭の桜の木の下で初めて君と言葉を交わした瞬間に。あの、一瞬に。

 封筒からこぼれた花びらは僕の足元を染め、香るはずのない桜の香りで、一瞬だけ僕の部屋を満たした。

『康章へ。』

 やすあきへ。
 僕は、その書き出しを、思い出される書き主の声に合わせて、口の中で小さく呟いた。最初の日よりも、もっとはっきりと思い出せる。だって僕は四年間、彼女と過去を生きてきたのだ。
 足元に散る花びらが、僕を現実から引き離していた。
 そして、彼女の、丁寧な文字に目を走らせる。

『康章へ。

 私は、あなたが好き。四年間どんなに書いても、そこに詰め込むことなんて出来なかった。今は、どうしても伝えたい想いがある。
 だけど康章。私の命は、もう長くない。最後なの。本当に最後なの。
 聞いてよ康章。私は、あなたに伝えたいことがある。伝えたい想いがある。
 ねえ。始まりを、覚えてる? 私たちが出会った場所。初めて言葉を交わした場所。
 お願い康章。私の、最後の望みをかなえて』

 冷水を浴びせられたと感じる前に、僕は駆け出していた。
 硝子は、きっと待っているだろう。きっと、四年間も、待たせた。
 彼女がいなくなる。
 彼女がいなくなる。
 硝子がいなくなる。
 雨が降る。しとしとと僕を湿らせる。まるで僕の行く手を遮るように。硝子との出会いを邪魔するように。硝子に死を、……もたらすように。

 たどり着いた高校は、あの日と何も変わらずそこにあり。
 桜の木の下には、満開の春を見上げる、一人の女の姿がある。あの頃よりも髪が伸びた。大人っぽくなった。
 ゆっくりと振り返る彼女を、自分の腕の中に隠し込む。
 
 なにしてるんだよ。こんなところで。
 なにって……。
 一体どれだけ待ってたんだよ。俺が来るかも分からないのに。
 だって……。
 だってじゃないだろ。体、大丈夫じゃないんだろ。
 ……やすあき……。

 腕の中で僕を見上げた彼女の顔色はよくて。病人とは思えないくらい。……そう、病人とは思えないくらい。

「…………」
「……だって……」

 言い訳のように口を尖らせる彼女。
 綺麗な目で、僕を見上げる彼女。

 雨も、いいかもしれないな。
 だって硝子と、出会えた日なんだから。
 ふと、そんなことを思う。

「だって康章……」
「もういいよ」
 僕は笑う。硝子も笑う。
 桜の木の下。四年もかかってしまった。
 小さく口付ける。けれどその後は、もっともっと長いキスを。四年分の想いを込めて。

 そう。
 僕の彼女は嘘つきだ。
2005/08/13(Sat)11:57:24 公開 / 藤崎
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■作者からのメッセージ
……えっと……いっそのこと、初めましてと挨拶させていただきます。初めまして、藤崎です。
夏休みに何か一つだけ書き上げよう。そう思って書いたものです。書きながら、なんかもうちょっとひねれないかなぁ、、、と考えていました。
暇でしたら、感想、ご指摘、批評、なんでも結構です、一言お願いします。
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