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『恋愛短篇』 作者:律 / 未分類
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 ゴミ箱には割り箸やらカップラーメンやらコンビニ弁当の空が溜まっていて、洗濯機には洗濯物が溜まっていて、流し台に溜まったコップやら食器やらに蛇口から一滴水が零れて、顔を出した蛙がまた水面に引っ込んでいくような、ぽちゃん、という音がして、驚いて顔をあげた。
 箪笥の上に置かれた時計は夕方の4時と少しを刻み、遠くでは電車の音がする。
 僕はベランダへ続く窓枠が吸った夕日の、その真ん中で、妻の有香がくれた1000ピースのジグソーパズルを作っていた。二日前の誕生日にくれたやつ。
 その日、有香はこの部屋を出て行った。

                    *

 例えば恋愛というのは減点法だと思う。
 好きになった段階で90点。付き合ったら100点が双方に与えられる。
 そうしてそこから探りあいというか、点引きゲームは始まる。
 初めてのデートでラーメン屋に連れて行かれたとか、食べ方が汚かったとか、キスが下手だったとか。
 おそらくどちらかの持ち点がゼロになった段階で、人はさよならを告げるのだろう。
 勿論、例外だってある。
 全く点数の減らない人。付き合ってみて、さらにその点数を増やしていく人。
 そうゆう人たちがお互いをパートナーと認め、そして結婚する。
 僕と有香もそうだった。
 そしてゲームは第2ステージへ進んでいく。
 ここでもやはり減点法で、僕等は相手を見極めていく。
 料理が下手だったり、日曜日は寝ているだけだったり、部屋の掃除をしなかったり。
 この第2ステージで点数がゼロになってしまったのは僕のほうだった。

「これ、誕生日プレゼント」
 外では雨が降っていて、夕方の天気予報では入梅が発表された。
 僕はそれに目をやりながら、背中でした有香の声に、背中で「置いといて」と答え、あぐらをかいた足元で作っているフィギュアに筆で塗料を塗った。
 いつからだったろう。僕等の会話とが、こんなに淡白なものになってしまったのは。
 そう思ったのは結果論で、このときの僕はそのことで有香に寂しい思いをさせていたなんて気づきもしなかった。

「付き合っていたときは、もっと楽しかったのにね」
「あなたはもっと優しかったわ」
「僕だって色々と忙しいんだよ。君にばかりかまっていられない」
何度もこうやって衝突したのに。
 
 ふぅ、という有香の溜め息が聞こえ、「おめでとう」という言葉のあとに、アパートの玄関が開く渇いた音がした。
「外に行くなら……」大き目の傘のほうが良さそうだよ、と言おうとして振り返ったとき、扉はバタンと重たい音を立てて閉まった。
 もうそこには有香はいなかった。
 その代わり、背中にあった卓袱台には「さよなら」と書かれたメモと綺麗に包装された僕へのプレゼントが残されていた。
 さっきの有香の言葉を思い出した。「おめでとう」
 彼女はその言葉を本当に僕に言ったのだろうか。
 ふと、そんなことを漠然と思った。

                     *

「出て行かれたの? 奥さんに?」
 翌日の仕事帰りに会社の先輩と酒を呑んだ。
「拓のところは子どもはいるんだっけ?」
「いや、いません」
 先輩は空いてしまった僕のおちょこに日本酒を注いで、「お冷2合!」と言ってそれを追加した。
「じゃぁ、よかったね。子どもがいたら親権とかさ、養育費とか面倒だから」
「まぁ、そのへんはそうかもしれません。でもね……」
「ん?」
 僕は割り箸で肉じゃがの小鉢に添えられたさやえんどうを摘んで口に運んだ。
「意外と落ち込んでないんですよ、僕。あぁ、ラクになったなぁ。肩の荷が下りたなぁ。そんな感じなんです。すごく穏やかなんですよ、今」

 そんなの嘘だった。

 ほろ酔いの帰り道で、僕は線路沿いを歩きながら有香を思い出していた。
 彼女と買い物した帰りによく一緒に歩いた道だ。
 踏み切りの規則正しく騒がしいリズムと一緒に、思い出がフラッシュバックされていく。
 自分が作るカレーには隠し味があるということ。
 夕焼けはなぜ赤いかを誇らしげに話す姿。
 白いノースリーブのワンピースから伸びた白く細い腕。
 肉じゃがのさやえんどうを買い忘れてスーパーまで戻ったこと。
 それらの思い出を、駅に走りこんでいく電車がかき消して、思い出は粒になって消えた。

                     *

 この日の夜、僕は有香がくれたパズルを開け、床に並べた。
 どこかの写真屋で思い出の写真をパズルにしてくれるっていう、そうゆうパズルだった。
 箱は真っ白で元になる絵柄がわからない。
 もともと僕はフィギュアの色塗りは得意だけれど、そこまで器用ではない(パズルに器用さが求められるかはわからないけれど)。
 だからパズルを完成させるには思いのほか時間がかかった。
 僕は文字通り寝ずにそれを作り上げることに没頭した。
 朝になれば会社に行って、夜になれば帰ってくる。そうしてパズルを作る。
 これを作り上げることで、知らなかった有香の一面とか、その絵柄に隠された彼女の見えざる言葉とか、そうゆう答えめいたものがあるなんて思わない。
 ただ作ろうと思った。
 それだけのこと。
 そして三日後にパズルの絵柄は揃った。

                     *

 あの頃の僕等のデートコースと言えば、有香の家から15分ほどあるいたところにある国立公園だった。毎週土曜日、学校が終わってからそこへ行く。
 なにもない公園だ。
 足元では公園内の池へ導くように小川が流れていて、そこでは水草やザリガニが見られる。目をこらせばタニシやメダカだっている。
 それぞれの季節にはそれぞれの季節の花が咲く。
 春は桜。夏は向日葵。秋はキンモクセイ。冬は茶色くなったススキ。
 僕等はベンチに腰を下ろし、それらを眺めながら、有香が作ってくれた弁当を食べた。
 おにぎりは、一日、有香の鞄に入っていたせいでひどくいびつな形をしていて、三角とも丸とも言えないそれを見ながら笑った。
 有香は顔を赤くしながら「朝はもっと三角形だった」と必死に弁解した。
 ベンチには僕等と同じようなカップルが、現在進行形の愛をそれぞれの表現で落書きしていて、「書く?」と言うと、有香は恥ずかしそうに「書かなくていいよ」と首を振った。
 この日の落書きのカップルの内の一体どれだけが今も幸せに過ごしているのだろう。
 おそらく、それは極少数だと思う。僕の勝手な推測だけれど、そんな気がする。
 人の気持ちは、あの公園に流れている小川みたいなものなのだ。
 常に流れ、流れ、別の場所へと辿り着いていく。
 流れないと思いは腐ってゆく。
 そして腐らないようにと辿り着いた先が、自分の望んでいたものか、そうでないものか。この二通りしかないのだ。
「そうだ!」
「なに?」急に声をあげた有香に驚きながら、僕は彼女の方を向いた。
「誕生日おめでとう」
「あ。うん。ありがとう」
 その日は僕の18歳の誕生日だった。
「これね」と有香は鞄をごそごそと探りながら、「プレゼント」と言って、包装紙で包まれた小さな箱を僕にくれた。
 公園に住む野良猫が、弁当の匂いを嗅ぎつけて僕の足元にやってきた。
 それを撫でてやってから、プレゼントを受け取り、「開けてみてもいいかな?」と訊く。
「うん。どうぞ、どうぞ」
 箱にはマグカップとセットでピーチティーのティーパックが入れられていた。
「ありがとう」と僕は言った。「うれしいよ、とても」
「うん。ねぇ、写真撮ろう。誕生日だから、記念に」
 公園の売店で買ったインスタントカメラは思いのほか値段が高くて、僕等は「ぼったくりだよ」と苦笑いをしながら、緑の芝生の上で顔を寄せ合い、そしてシャッターを押した。
 カメラは安い薄い音を出して、僕等を焼き付ける。
「ねぇ。これからもこうやって、誕生日を祝えたらいいよね」
 あのとき、有香はそんなことを言った。
 今さら思い出したんだ。

                     *

 パズルの絵柄はアップになった二人のピントがずれた写真だった。
 下のほうにはオレンジ色の数字で、2000.6.12と表示されている。
 そう、あの日の日付だ。
 絵柄が揃ったそれを眺めながら、僕は有香が出て行った冷たい玄関を眺め、そして窓を見る。
 空には夕焼けと東京のビル群が広がっている。
 絵柄は揃ったけれど、もうパズルが完成することはない。
 僕は最も大切な1ピースを失くしてしまった。

                                   (了)
2005/06/02(Thu)03:33:50 公開 /
■この作品の著作権は律さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめまして、律といいます。
以前もこちらを利用させていただいていたのですが、久しぶりに短篇が書けたので投稿しました。
ある夫婦の日常に訪れた少しせつない話。暇な時間に暇つぶしに読んでいただけると嬉しいです。

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