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『MEGAMIX』 作者:いみや せんげん / 未分類
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第0回 フィーネ
 こないだ、じいちゃんが死んだ。
 
 じいちゃんは、戦中生まれの人やった。そやから、俺はたくさんその時の話を聞いた。
 じいちゃんは、海軍でジャワやスマトラへ行っとったらしい。向こうでもすごくもててたんや、とじいちゃんは大らかに笑っていた。そのうち色の黒い俺の子が突然訪ねてくるかもなぁ、とも。俺はその話を聞いたとき、まだまだ幼かったから、どういうことかはわからんかった。けど母さんは怒ってた。
 じいちゃんは、若い頃はすごくハイカラやったらしい。とは言っても昔の写真を見たら一目瞭然。いかにも色男で、でもその目の奥にはしっかりとした芯があった。俺の記憶でも、じいちゃんはかっこよくて、ダンディーで、まだまだ老人と呼ぶのにも、じいちゃんと呼ぶのにももったいないと俺は思ってた。その辺の若いちゃらちゃら男よりもよっぽど。ただ顔に刻まれた深い数十本の皺が、人の死を見てきた年数、時間を物語っていた。
 そんなじいちゃんは、音楽をすごく愛していた。日本のものももちろんやけど、外国の音楽も。戦後、日本にどっと流れてきたジャズ。古いレコードをタンスの奥から持ち出してきては、それについて一つ一つ語り、聞かせてくれた。初めて聞いた曲は、俺は今でも覚えとる。フィッツジェラルドの歌ったサマータイム。ノイズだらけの音でも、曲の壮大さや雰囲気は失われてなかった。時にはクラシック、時には民謡。様々な国の様々な音楽を俺に聞かせ、活き活きと話していた。じいちゃんは俺の自慢やった。いや、今でもそうや。
 俺が小学生のとき、なけなしのお小遣いをずっとずっとこつこつためて、ちょっとだけ親に前借して、じいちゃんの誕生日に安物のラジカセと、有名なNY歌手のCDを一枚プレゼントした。じいちゃんは朗らかに笑って俺を抱きかかえ、粋な趣味してるやないか、と大声で嬉しそうにゆった。その後、大切そうに座敷の机の上にラジカセを置いて、彼女の歌をずっと聴いていた。膝の上で一緒に聞いていた俺がふっとじいちゃんのほうを振り返ると、ちょっとだけ、じいちゃんの鼻は赤らんでいた。
 中学になっても、学校の帰りにじいちゃんちに行っては音楽を聴き、戦時中の話も聞いて、勉強を教えてもらったり、新世代の音楽について語ったり、CDを持って行ったりした。じいちゃんはあるとき、ステンレス製のCDラックを買った。それは畳の一角に置かれたけど、はっきりいって部屋とマッチしとらんかった。でも、そのラックの中段には安物のラジカセが置かれ、音楽が途切れる事はなかった。
 俺はじいちゃんが大好きや。
 だから棺桶の中で、花に囲まれたゴム人形みたいな肌をした人は、あのじいちゃんとは遠くかけ離れとって、同じ人だとは信じたくなかった。思うように体が動かなくなったって、いつだって笑顔と威厳を携えたあの人とは、この表情も血の気もない人とは、全く違った。違ったけど、それはじいちゃんやった。
 薄いまぶたの奥に少しだけ見えるビー玉みたいな目は、今にも開きそうで、ちょっと開いたかさかさの唇から今にも声が聞こえてきそうで、もうこれから永遠に動かないのかと思うと、見れないのかと思うと、声も聞けないのかと思うと、どうしようもないくらいに、周りの事も何もわからなくなった。突然、「死人に口なし」と言う言葉が浮かんできた。あほか、ここで死んどる人は、いまにもしゃべりそうやないか。でもわかっとる、死んだ人が、もうしゃべれへんことくらい。
 学校の帰りにあの家に行ったってじいちゃんはいない。俺に新しいことを、音楽を、語ってくれる人はいない。
 燃やさんといてくれ、と言った。じいちゃんの形が無くなるのは嫌やった。なんでもいい、動かなくてもしゃべらなくても、そこにいてくれればいいと思った。
 でも、それはあっけなく、骨だけになって帰ってきた。担当の人が、骨を拾ってくださいと言った。頭蓋骨をごすごす箸で刺して、なんとかって言う骨を捜した。脆すぎる。やめてくれ、と心の中で叫んだ。じいちゃんを壊さんといて。その中には、戦争のときの思い出も、俺に話すはずだった音楽の知識も、好きだった音楽のメロディも入っとったんや。それを壊すなや。
 俺はその言葉を喉の少し手前で潰した。
 ひとつひとつ、骨の説明をする。そんなんどうでもええんや。
 乱暴に箱の中に骨を詰めた。やめろや、じいちゃんは、狭い部屋は捕虜時代でもうこりごりやわ、って言っとったんや。
 俺はあたりちらすこともなく、息を止めていた。まるで、自分まで窒息するかのように。墓の石が重たい音を立てて閉まった。じいちゃんは、これからあんな狭くてじめじめしたところで暮らしていかなければならんのか。でも、さっさと天に昇るかもしれない。だけどじいちゃんのことだ、俺や母さんのことを心配して、ずっと残ってるに違いない。戦友や昔の恋人が迎えに来たって、俺はまだここにおるんやといって聞かないに違いない。
 風はえらくつめたかった。家族一同お礼を言った後、杉か檜かの花粉に当てられてお坊さんがくしゃみをした。こらえたつもりだろうけど、それは明らかにくしゃみだった。俺は無意識にお坊さんの背中を殴った。何でもかんでも叫びながら、殴った。顔中涙か汗か鼻水かわからないほどぐちゃぐちゃにしながら。
 別居して、しばらく会ってなかった父さんが、止めなさいといって俺を抑えた。俺はうるさいと叫んでもう一発殴った。そしたら父さんは本気で俺の頬を張って、それで俺は殴るのを止めた。けど、口からは、自分でもわからない困惑した気持ちが言葉にならずに、溢れていた。母さんはお坊さんに頭をさげ、しきりに謝っていた。
 帰ってからも、黒い服を着たままで、ずっと布団にくるまっていた。食事なんて、水なんて、お風呂なんて、いらない。全部俺の持ってるものあげるから、じいちゃんは返してください、神様。お願いです。俺の心臓だって肝臓だってすい臓だって足だって手だっていらない。
 手足を切られた自分を想像して、また泣いた。
  
 中学三年生の終わりの、春休みの事だった。
 
 

第1回 訪れの旋律


「シュンペ、いいかげんご飯くらい食べや」
 階下で春平の母が叫んでいる。しかし春平は聞こえないふりをした。いや、ほぼ聞こえていなかったと言ってもいいだろう。布団にくるまって、しかも今その頭には言葉を入れるスペースなど、なかったのだから。
「シュンペ!」
 母が更に声を荒げた。
「このままやとあんたまで死んでしまうで!」
 それを聞いて、布団の中で、春平はまた泣いた。泣いて、泣き疲れて、もう声は出なかったが、更に泣いた。
 母の立ち直りは意外に早かった。と言っても、春平のじいちゃんは、母の父の弟、つまり春平の祖父の弟だったのだ。だから、本当の祖父は数年前にとっくに他界していた。春平は、祖父にはあまり会った事がなかった。だが話に聞くと、“じいちゃん”とは何もかもが正反対だったらしい。顔も端麗とは言い辛く、頭も固く、一本気で、いかにも日本男児と言った古風な男だったと、祖母から聞いた覚えがある。
 “じいちゃん”は結婚はしなかった。でも、時々、バスで二十分ほどの隣町の墓場に行って、めったに吸わない煙草を線香の変わりに供えることがあった。春平も数回それについていったが、誰の墓か聞いても、いたずらっぽく笑って「ヒミツや」と言うだけだった。春平は絶対恋人に違いないと睨んでいた。あれだけかっこいい男を夢中にさせた女の人は、どんな人だろう、と時々彼は考える。
「シュンペ!いいかげんにしなさい!」
 乱暴にドアを開けて、彼の部屋に母が入ってきた。ドアの金具が、がり、と悲鳴をあげる。少し前から開閉が重くなって、そろそろ修理の時期かな、と思っていたところである。
 それでも春平は動かなかった。
「シュンペ、悲しいのはお母さんも同じなんやよ。でも、そう悔やんでばっかじゃ生きていけんの」
 生きていけなくてもいい、と春平は思った。心の中だけで呟いたつもりだったか、どうやら声になっていたらしい。母が血相を変えるのが、見えなくとも春平にはわかった。
「馬鹿なこと言い!いっぺん水の中に頭を突っ込んでみればええわ。そうすれば嫌でも生きようと思うやろ」
 それはいいアイディアだと彼は思ったが、今なら本気で死んでしまいそうだから、やらないでおこうと思った。
「俺、これからどうしたらええの」
 母に尋ねたって答えは出ないことはわかっていたが、不安や悲しみを出さずに入られなかった。母が困惑しているのはありありとわかった。
 その時、インターホンがなった。誰が作ったのかわからない音楽のワンフレーズが繰り返しなるという作りのものだが、それはひどく間抜けに聞こえた。
「こんな時期に、どこのお客様や。……シュンペ、いい加減に起きなさいよ。晩御飯はあんたの分も作っとくからね」
 そう言って、母は部屋を出て行った。ドアはやはりさっき更に壊れたらしく、聞いたことのない歪んだ音を立てた。
 春平は、しばらくぼうっと動かずにいてから、布団の中でごそごそと握っていた封筒を取り出した。じいちゃんの遺言状には、趣きある字で難しい事がたくさん書かれていた。主に保険や貯金のことだったが、別の封筒に、春平に宛てた手紙があったのだ。
 じいちゃんの死因は、くも膜下出血による脳卒中だった。前触れもなく、いきなりばったりと逝ってしまったが、じいちゃんは何かうすうす感じていたようだ。
 だから、それを踏まえて、しっかりとした文体で書いてあった。しかし、死に関する事や今後がどうだとかいうことについては、その春平に宛てた手紙には書いていなかった。いつも話すような話ばかりであった。ジョー・サンプルのピアノは聴いてみたか、とか、ルイ・アームストロングのまだ聞いたことのない曲のCDがどこどこで売っていた、とか。後は、最近自分は風邪を引きやすくなったから、お前も気をつけろよ、とか。
 そして、そのような話が二枚続いた後に、最後の一枚は五線譜に書かれている。
 そこには日本語で書かれていなかった。音符と記号だけで構成された、そう、楽譜だった。春平は、暗い布団の中でそれをじっと見て、やっとのことでのそのそと這い出た。久しぶりの布団の外は、電気の光が目に痛かった。
 目が慣れてから、乱雑につまれた本やら衣服の下から、長方形の箱を探した。安っぽい色のプラスチックのカバー。それはすぐに見つかった。ピアニカだ。
 右下のほうに、母の字で『わかつき しゅんぺい』と書いてある。小学校を卒業してから、一度も触っていなかったが、彼はピアニカにチューブをさして先を咥えた。ためしにドの音を押してみる。良かった、まだ使える。
 まずは、楽譜を読むのに少し苦労した。昔、ピアノを習わされていたが、小学校五年生の終わり、市立の六年制の中学校の受験を理由にやめた。いや、やめさせられた。母親はなぜかじいちゃんのことも、音楽もあんまり好きではなかったようだ。それからの三年間、まったく鍵盤には触れなかった。春平は、友達同士の間でも音楽好きとして認められていたものの、誰も楽器を弾けるなどとは思ってもいなかった。
 一音、弾けた。その次の一音。そしてまたその次。一小節弾けたところで、もう一度同じところを弾く。今度は細かなリズムを合わせる。8分音符、付点4分音符、八分音符。そして次の小節。次へ、次へと音は流れる。気持ちは先走るのに、目と脳と指が追いつかないのがひどくもどかしかった。全部で四段で構成された曲は、メロディだけだったが、これまで聞いたことのない、ジャズでもクラシックでもない、ただじいちゃんの抱えきれないほどの優しさが音になったような旋律だった。日本風の佇まいが感じられるものの、落ち着いたポップスのような気もする。周りを柔らかな緑色の布で覆われているような。
 春平は、もう一度その曲を弾いた。ただし、楽譜を読んでではなく、指に記憶させて。
 しばらく耳でしか感じたことのなかった音楽の躍動が、久しぶりに手で、体で感じられる。春平は、そのことが嬉しかった。自分の指先から、ピアニカから、重圧なオーケストラの音楽だって聞こえてくる気がした。
 その時、もう一度部屋のドアが開いた。やはり金具の危うい音がする。春平はびくっとして顔をあげた。
「その曲、なんていうやつ?」
 着古したジーパンに、だぼついたパーカー。上品とはいえないが、頼りがいのありそうな顔つき。それは見慣れた親友の悠太だった。
「何、ピアニカとか久しぶりやん。お前ピアノ、ずっと前にやめたんやなかった?」
 まるで自分の家のように、悠太はどっかりと座って机の上のポテトチップスをつまんで食べた。それがあまりにも自然で、一連の動きに見えて、春平は思わず笑んでしまった。
「それ、賞味期限切れとる…」
 やはり声は掠れてしかでなかったが、なんとか相手には伝わったらしい。
「大丈夫やって。死にはせんて」
 春平は『死ぬ』という言葉に反応して、またぴたりと動きが止まった。春平のじいちゃんが死んだと言う事は、悠太にも知れ渡っていた。悠太ははっとして、おずおずと言った。
「あ、その。悲しいよな。お前、おじいちゃんっこやもんな。でもさ、あれ。何か思う事とかあったら、全部俺に言えよ。一応、俺のほうが一個上なんやから」
 そう言って彼はまたポテトチップスを頬張った。春平は頷いた。
「でもさ、いっつもうるさいくらいのお前がこんな静かになるなんて、よっぽどショックなんやな。どうせ、ずっと引きこもっとったんちゃうん」
「……じいちゃんが死んで、ショックを受けやん奴がどこにおるんや。ほんとは今やて人と話なんかしたくない」
 春平は、鼻水と嗚咽のせいで上手く喋れなかった。悠太は食べるのをやめた。
「まあ、そうやよな…。えーっと、忘れろとかは言わんからさ、落ち込むだけ落ち込んだら、またCD屋行こうや。俺がなんか一枚買ったるわ」
 春平はゆっくり顔をあげた。悠太はにかっと笑った。
「まじで?」
「マジマジ。あ、そのかわり、千八百円くらいのな。あんまり高価なアルバムとか、選ぶんやないで。」
 春平は着ていたTシャツの袖で顔を拭った。CDがうんぬんよりも、その気遣いが嬉しくなった。
「ほんまに?」
「うん。それで元気になるならな。バイトの給料、こないだ入ったばっかりなんや」
 悠太はコンバースの灰色の財布を取り出した。春平は小さく礼を言った。
「ええてええて。その代わり、さっき弾いてた曲、何か教えて。楽譜はこれ? なんなんや、お前の自作?」
 悠太は楽譜を取り、じっと見る。それからワンフレーズだけを口ずさんだ。春平は、その楽譜慣れした脳みそを、羨ましくも恨めしくも思った。
「…合唱部のエース君はちゃうな。見ただけでわかんのか」
「まあな。でもさ、これおもしろいな。八分の六拍子やん。お前こんなのいつ作曲できるようになったんや」
「違う、俺が作ったんちゃう。じいちゃんが俺にあてた手紙の中に入っとって」
 悠太は目をまん丸にした。慌ててポテトチップスのカスの付いた指をジーパンで拭いて、更に楽譜も綺麗に払い、春平に渡した。
「ご、ごめん。俺、そうとは気づかんくて乱暴に扱って…。そうだよな、お前がこんなにキレイに音符書けるはずないもんな」
 いつも憎たらしい彼の軽口は、春平にはなぜかすごく嬉しく感じた。
「あほか、馬鹿にしとんのか。俺だって音符くらいちゃんと書けるわ」
 春平はちょっと笑ってしまった。本当はもうきちんと書けないかも知れないと思った事実と、彼は彼なりの方法で自分を元気付けようとしていることに。
「うそや。ト音記号のぐるぐる、四つくらい丸書くくせに」
「おい、それ幼稚園くらいのときの話やろ」
「ほんなら、ヘ音記号の点々は何段目と何段目に打つんや。付点2分音符は2.5拍とちゃうんやで」
 悠太がちょっと顔を上に向けて、見下して笑った。
「…知っとるわ。お前、馬鹿にしとんのか」
「じゃあ、アレグロってどういう意味や。レントは?グランディオーソ、スピリト―ソ、カンタービレ……」
 春平は、少しつりあがった悠太の左の口角が、憎たらしかった。
「わかった、お前の知識自慢はわかった。俺はどうせアホや」
「まあ、ここまで知らんくてもええわな。まあ結論は、俺がすごいってことで」
 悠太は笑ってそう言った。途端、春平が不意にぼろぼろ泣き出した。
「お、おい、どうしたんや。俺がなんか言うたなら、謝る」
「そうや。お前が調子に乗るからあかんのやど。じいちゃんのこと思い出したやないか」
 春平はしゃくりあげながら泣いた。悠太は、そういうことか、という顔をした。それから、小さく謝った。
「ごめん。な、俺に出来る事あったら、なんでもするわ。やからさ、もうすぐ高校デビューの男が泣くなよ」
「わかっとる」
 春平はちゃぶ台机の下からティッシュを一枚取り出して、鼻をかんだ。
「せ、せやけどさ、俺これ、この曲好きやわ。主旋律だけやなんて勿体無いな。そやな。簡単な伴奏つけるだけでも大分ちゃうわ」
 ごまかしか、この話題を話したかったのか、悠太は言った。
「伴奏?」
 春平は楽譜を見た。彼は、別に伴奏がなくてもいいと思った。それよりも、じいちゃんの残した音楽に手を加えることは、とても大それたことだと思った。
「お前伴奏とか作れんの?」
 悠太は首を横に振った。
「違う。俺じゃなくってお前。やってみろよ」
 春平は一瞬、言われた事が理解できなかった。数秒後、彼はやっと理解して、思いっきり否定した。
「あほゆうなよ。俺、ピアノもギターも弾けやんねんで。歌だって歌えやんし。あるのはピアニカとリコーダーだけやし」
「充分やん。この名曲を加工できるのは、手紙の宛先のお前しかおらんのやから」
 春平はうつむいた。ええやんか、主旋律だけでおごそかに残しといたって。
「じゃあお前がやればええやん」
 春平は口を尖らせて呟いた。
「だーかーら、俺は才能ない」
「やってみなきゃわかんねぇ」
「やってみたから言っとるんや。その言葉、そのままお前に返す」
 言い切るように悠太が言う。
 作曲したことあるんだ、と言う驚きと、二の句が告げない思いで春平は唸った。
「俺、そもそも編曲もやり方知らないし。聴くのは好きだけど、演奏するとか作るとか、あんまり…」
「食わず嫌いはやめろよ。一旦やればハマるって、お前ならな」
「でも、ハマるハマらないの問題じゃなくって……」
 悠太が思いっきり首を振って春平の言葉を遮る。
「違う、お前は音楽を理解してない」
 その言葉で、じいちゃんとの思い出をすっぱりと否定されたようで、春平は本気でむかついた。
「なんや。お前は理解してるって言うんか」
「そうとは言えやんけど、少なくともお前よりは理解しとるわ」
「驕んのもいい加減にしろよ。お前は確かに歌は上手いかもしれやんけど、俺よか先輩かも知れやんけど、そーゆう所は気に入らへん」
 春平は卓袱台の向こうから悠太を指差した。悠太が先端恐怖症なのを知っていたが、それほどむかついていた。彼は続けた。
「理解するって何だよ。いい曲はいいと思って、楽しむだけじゃあかん言うんか」
「そんなこと言っとらへん。それもひとつの音楽の楽しみや。けど俺、お前には能力はどうかわからんけど、環境はある。せやろ」
 悠太は春平の指を除けた。春平は眉根を寄せた。
「環境?」
 悠太は深く頷いた。
「ちっさいころから、じーさんにいろんな音楽聴かせてもらっとったんやだろ。じゃあ俺よかよっぽど音楽のキャリアは古いはずやで。環境も才能のうちって言うやろ」
「でも聴くのと作るのは」
「あー、わかったわかった」
 悠太は春平の言葉を遮った。春平はもう一度言い直そうとしたが、今度は悠太が自分の耳をふさいだ。もう聴きたくない、の意だ。
「お前、音楽が怖いんや。そやろ?」
 春平はまたもやむっとした。
「怖くない。俺の環境そのものなんやから」
 春平は言った後でふと気が付いた。目の前の悠太がにやりと笑う。
「な、お前には才能がある。自分に今から暗示かけとけ。で、それで、天才作曲家の春平君は、音楽が好きかなあ」
 悠太が立ち上がって、春平を見下ろして言った。
「なんやねん、天才って」
「ええから、音楽好き?」
「うん、まあ……」
 悠太の笑顔は有無を言わせないものがあった。
「よし、じゃあ今から着替えろ。CD屋行こや。大奮発して三千二百円までなら何でも買ってやる。感謝しをよ」 
 そう言って悠太は持ってきたカバンを引っ手繰るようにして取り、ドアを開けた。やっぱり金具は今にも壊れそうな音がした。
 取り残された春平一人は、もう一度だけ楽譜を見た。悠太のおかげで何とかいつものペースを取り戻したものの、やはり心には常にじいちゃんの死が纏わり付く。春平はどうしたらいいかわからなかったが、とりあえず出て行ける格好に着替え、ぐちゃぐちゃの顔を水洗いして、自転車にまたがった。
 久しぶりの外の空気は、渋い青色でどんよりしていた。
 ああもう、ほんまカンベンして欲しいわ。こんなときくらい、明るい顔できやんのか、御天道様。


2005/06/01(Wed)21:50:05 公開 / いみや せんげん
■この作品の著作権はいみや せんげんさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
こんばんは、ウィムジーアワーを書いているいみやです。
まだウィムジーのほうが完結していないのですが、ちょっと息抜きぽく書いてみました。
(連載途中で他の連載を始めて良いか、のことなんですけど、過去ログで調べたら良いみたいなので、すみませんが投稿させてください。もしだめなら削除します)
もちろんどちらも同時進行で必ず完結させます。時間は掛かるかもしれませんが…。
上の話は、遺産相続とかそういう話ではなくて、音楽系にしていこうと思っています。
関西弁で書いたのは、ある程度気持ちがストレートにだせるかな、というのとちょっと珍しいかな、と思ったからです。一般に理解できる程度の方言にとどめるよう努力します。
ウィムジーアワーよりは読みやすいかな、と思うんですけど、どうでしょうか。
ここまで読んでくださったかた、感謝します。
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