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『奥州童女伝奇 前編』 作者:バニラダヌキ / お笑い ファンタジー
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  【プロローグ】


 ナンタラ伝奇などという御大層なタイトルに釣られてクリックしてしまった読者の方には本当に申し訳ないのだが、ごく一部の方々が「ああ、性懲りもなくまた辛気臭くて長ったらしい謎の一族やら、終わるあてもない昭和レトロ物でも始まるのか」などとうんざりされるであろう物語は、残念ながら始まらないのである。
 なんとなれば、俺はあくまでも某販売会社の青梅近辺某支店の雇われ店長だし、珍しくGWに一週間の休みが取れて帰省したここ峰館の田舎の旅館の一室、隣の蒲団で三つ巴状に丸く固まって子猫かハムスターのように寝息をたてているのは、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんだからである。嘘のようだがその証拠に、「……どどんぱ」などという寝言が聞こえるし、それに「……どぱんど」などと答える寝言も聞こえるし、あまつさえ近頃その怪しげな言語体系をマスターしてしまったらしいお嬢様の口から、お上品な「……どどぱどん」などという寝言まで聞こえてくるのだ。
 そうした状況をここに告白した場合、当然「ついにお前も人間を辞めたか」と即断される方々も多いと思われるので、腐ったトマトや炎天下に一週間放置した生クリームパイなどが飛んで来る前に、念のため言っておく。俺はまだけして人間を辞めてはいない。それどころか「貴様はろりではない」と、昔から常連扱いだった某ろり系掲示板、それもパソ通時代から連綿と続く、パスワードをもらうだけでこの世界では大御所扱いの老舗板から、追放処分さえ喰らった身である。
 まあ、あの青梅拉致未遂事件以来、その掲示板がどこからかマスコミに漏れてしまい、だいぶ迷惑をかけてしまったのは認める。英雄扱いに増長し、さんざでかい面をしてしまったのも認める。しかし何十年も昔の高校時代から、デンマーク語の辞書まで駆使して本場ろり本の個人輸入を試みて、バイト代の大半を為替に換えて海外に送金したあげく、半分は税関と郵便局に呼び出され「なんでこんな物が届くんでしょうねえ。ボク、わかんない」などと言いつつ権利放棄書にサインして焼却炉に送り、でも半数はいい加減なその時の役人に感謝しつつ入手していた自分としては、今になって「ろりではない」と、当のろり親爺達にまで排他されてしまっては、いささか忸怩たるものがある。さらに「貴様はろりではなくただの子供好きだ」などと断言されてしまうと、中年になるまで大切に培ってきた『幼女こそ神』という己のアイデンティティーすら、疑わしいものになってしまう。いや、そんな事は断じてない。俺はろりぺどだ。
 しかし――たかちゃん御一行様を引き連れて旅をしていると、「やはり俺にはろりとしての基本原理が欠落しているのだろうか」と、疑念を生じてしまう瞬間が多いのも確かである。確かに大半の時間は非常に愛しく食ってしまいたいほどなのだが、ときおりふと「えーい、やかましい! このクソジャリども!」などと叫んで、『誰か拾ってください』と大書きした段ボール箱に並べて、道端に捨ててしまいたくもなったりするのだ。さらにすっぽんぽんで温泉の男湯に乱入してきて、かつて夢にまで見た愛らしい○○○ちゃんを惜しげもなく披露してくれる三人にアタックを喰らいながら、「でもやっぱり隣の女湯で『こらこら戻ってらっしゃい』と叫んでいる、お目付役として派遣された三浦家のお手伝いさんのほうもいっしょに乱入してきてくれないかなあ」、そんなふうに願っている自分に気づく時、やはり自分にはろりとしての資格が欠けているのだろうか、そう煩悶せざるを得ない。しかしそれでも、そのお手伝いさんは三十近いバツイチではあるものの、身長は150に満たず推定145、胸も少年のごとく清々しい、つまり薄いのだから、やっぱり俺は純ろりではないにしろ、限りなくろりに近いという自負を捨てまいと思う。その自負まで捨ててしまったら、この歳まで嫁ももらわずろり道に励んできた半生が、無に帰してしまうではないか。
 ――そんなやくたいもない思いに耽りながら三つ巴の寝姿に目をやると、慣れないお子様浴衣のためか三人ともおなかぽんぽん丸出しで、グンパンから高そうなショーツから丸出しなので、慌てて蒲団を掛けてやる。おなかぽんぽんが冷えて夜尿でも漏らされた日には、また段ボール箱に放り込みたくなってしまいかねない。
 ああ、次の間のお手伝いさんも、こんな寝乱れた姿を、清楚かつ色っぽく蒲団に横たえているのだろうか。
 ――いや、いかんいかん、浮気してはいかん。俺はろりであり、ぺどなのだ。知らない内が花なのよ、などという俗世間から超越した、宗教的精神的高次小児愛者なのだ。夜尿など待ちわびるくらいの真性ろりなのだ。でもそんなもん洗ってやるの面倒だよなあ。かわいいけど。

 しかし、自分の実家がどこに行ったか判らないというのも、つくづく情けない話である。おまけにそこに続くはずの道まで、丈高い藪と化している。
 点在する廃屋の間の藪を分けながら振り返って見ると、恵子さん――三浦家のお手伝いさんは、そろそろ限界が近そうだ。顎が完全に上がっている。
「すみません、もうすぐ着く……のでは、ないかなあ、と」
 正直な男が社会的に評価されるとも限らない。恵子さんは明らかに「この男は信頼するに値しない」、そんな汗まみれの笑顔を浮かべている。さすがにいいとこのお手伝いさんである。
「わーい、やまおく、やまおく」
 たかちゃんはとにかく初めて観る物は全て肯定的に好奇心の対象としてしまうので、とてもかわいい。デニムのオーバーオール姿が、アラレちゃんのようにろり心をくすぐる。
「くまはいないのか?」
 くにこちゃんは狸をシメるのに飽きてしまったらしく、もっと手応えのある対戦相手を求めているようだ。街にいる時と同じユニクロのショートパンツで、藪で膝が引っ掻かれようが脛に木の根が当たろうが、おかまいなしに山野を徘徊している。離れるなと何度諭してもじきに姿を消し、ふと気付くと野兎の耳を掴んで豪快に振り回したりしている。街にいるより山で野生化したほうが、健やかに育てるタイプかもしれない。羆すら敵ではないだろう。天然記念物のカモシカなどが、うっかりこの娘の前に出現しないよう祈るばかりだ。
「すやすや」
 ゆうこちゃんは、ひたすら背中に重い。旅の始めに青梅駅に現れた時は、まるで大正時代の有産階級が上高地ホテル近辺で山歩きをするような高級ニッカボッカ姿だったので、いいとこのお嬢ちゃんも結構アウトドアをやるのかと思ったのだが、山に入ってからはほとんど俺の背中や肩に乗って移動している。たかちゃんやくにこちゃんと違い、けして自分から「ねえ、おんぶ」とか「おい、のせろ、かばうま」とかは言わないのだが、上目遣いに「わたくし疲れておりますの。こまってしまっておりますのよ?」と言うような儚げな視線を投げかけられてしまうと、あえて突き放せる人間は存在しないだろう。いるとしたらそれは人非人――までいかないにしろ、少なくともろりではない。それにしても、リュックを腹に回すと、これほど腰が苦しいとは知らなかった。
「過疎の村と聞いてはいましたが、まるで廃村みたいですねえ」
 おほほほほ、という恵子さんの鋭い笑いが、加熱した俺の体を、内側から冷やしてくれる。恐くてありがたい笑顔だ。
「わーい、どいなか、どいなか」
「らいおんはいないのか?」
「くーくー」
 でもやっぱり俺には、成熟して社会的仮面を駆使する女性より、ろりかもしんない。

 しかし、実家が消えてなくなったはずは無いのである。
 昨年の冬、インフルエンザで仲良くぽっくり逝ってしまった両親は、晩年は市街地に下りて暮らしていたが、この山の村に残した実家を、避暑や山菜採りの時、結構使っていたと聞く。秋の紅葉狩りでも使ったそうだから、少なくとも半年前までは、人が暮らせたはずなのだ。田舎の旧家らしくしっかりとした屋台骨で、平屋でもずいぶん入り組んだ広い屋敷だったから、一冬越して多少屋根が傷んでいても、雨露をしのげる部屋は残っているはずだ。
「うわー、でっけーおばけやしき」
 また姿を消していたくにこちゃんの声が、藪の先から聞こえた。
 期待して藪を分けると、懐かしくも崩壊寸前の廃屋が、すでに崩れた門の奥に佇んでいた。今年の冬は、ずいぶん雪が多かったらしい。くにこちゃんは早速、崩れた門を強靱な脚力で蹴り散らしている。
「とりゃ、とりゃ」
 瞬く間に、通行可能な地面が現れる。
「てごたえのある、おばけはいるか?」
「わーい、おばけやしき、おばけやしき」
 後から藪を抜けてきたたかちゃんは、とととととと駆けだして、くにこちゃんの無印良品Tシャツをひっぱった。
「どぱぱん?」
「いや、どどぱんど」
 ふたりして嬉しそうにうなずき合っているが、果たしてどんな精神的交情があったのか、無学な俺には判らない。
 たかちゃんはまたとととととと駆け戻ってきて、今度は俺のシャツの袖をひっぱった。
「ねえねえ、くにこちゃんよりつよいおばけ、いる?」
「うーん、いないんじゃないかな」
「よかったあ。じゃあ、もったいないおばけ、いる?」
 俺は自信を持って首を横に振った。
 生活能力のない親爺のおかげで、ご先祖様から受け継いだと言う種々の換金可能な財産は、すべて固定資産税と化して税務署の露と消えた。俺が家を見限って上京する前から、野菜くずも貴重な食料だったし、魚なども骨までしゃぶって、残った骨は庭の畑の肥料にしていた。
「お化けは見たことないなあ。でも、天井裏に、青大将がいるかもしれないよ」
「……あおだいしょー」
「おっきい蛇」
 子供らしく怯えるかと思いきや、たかちゃんは「わーい、あおだいしょう♪ あおだーいしょー♪」と嬉しそうに歌っている。
「よし、じゃあ、そのおおへびを、まっぷたつにひきちぎろう!」
 くにこちゃんが闘志満々で叫んだ。少なく見積もっても20キロはあると思われる廃材を軽々と蹴り転がしている。確かにこの子なら、地球の裏側は大アマゾンに棲息するという、巨大アナコンダすら敵ではないだろう。まだ小学一年生なので、体格差からいったんは飲み込まれてしまうかもしれないが、きっと内側から腹を食い破り、雄々しく生還するに違いない。
 恵子さんはまだか、そう思って藪を振り返ると、赤いリュックがひとつ、ぷるぷると震えていた。成人女性としては大変小柄なので、後ろ向きにうずくまってしまうと、一見リュックそのものに見えてしまう。しかし良く見ればリュックの下で、スニーカーの踵に乗ったお尻がやはりぷるぷると震えており、それはいかにもバツイチらしく柔らかくておいしそうだ。
「……帰る」
 そう呟く声もぷるぷると震えている。
「でも、これからだと、夜道になりますよ」
「蛇、駄目」
「えーと、でも、危なくないです。毒はありませんから」
「そーゆー問題じゃありません。足のない長いのは、みんな嫌いです。蛇も嫌いです。鰻も嫌いです。穴子も許せません。結婚前は俺も嫌いだなんて言っといて、隠れて食べたりする人も嫌いです。忘年会でマムシの血まで飲んじゃったなんて酔っぱらって笑う人となんて、とてもいっしょには暮らせません」
 なるほど、これは骨の髄から嫌っているのだろう。ちなみに俺は鰻も穴子も大好きだ。蛇だって焼けば食える。マムシの血は生臭くて願い下げだが。
「大丈夫です。あれはお子様向けリップ・サービスです。家の中に蛇はいません。そっちの藪のほうが、山楝蛇《やまかがし》――毒っぽいのがいるかも」
 小声で耳打ちすると、赤いリュックがぴょんと跳ねて、俺の背中からゆうこちゃんを奪い取り、さらにたかちゃんの手を引いて、脱兎のごとく門のほうに駆けだした。
「わーい、きょうそう、きょうそう」
 手を掴まれてなかばひらひら宙に舞っている状態を、競争と言っていいのかどうか、無学な俺には判らない。
 しかしとっさの場合に責任感を優先できる小柄な女性は、やっぱり俺の好みだ。狭くてビンボな店の、少数精鋭型パートさんに向いている。鰻と穴子を断つ価値が、充分あるかもしんない。蛇はもともと、食いたくて食ったわけではないし。
 優柔不断な俺の嗜好は、ろりと成人女性の間を、微妙に揺れ動きつつあった。

 いざ玄関の前に立つと、崩壊した門から想像したよりは、ずっと原型を保っていた。まるで誰かが雪融けの後に軽く手入れをしてくれたようだが、無論そんなはずはない。もともと雪国向けに造られているから、軒先などは特に丈夫なのだろう。
「わーい、ゆーれーやしき」
「ゆーれーは、つよいか?」
 かつて住人だった自分で言うのもなんだが、確かにいかにも出そうな家だ。昨今流行りの見境のない馬鹿っ母怨霊などではなく、古色豊かなすすり泣きタイプ、たとえば皿屋敷のお菊さんとか。遙か昔に成仏した祖父さん祖母さんなどは、良く人魂だの先祖にまつわる因縁話だの、夏の夜話に語ってくれたが、残念ながら俺は一度も見たことがない。
「大丈夫ですか?」
 また帰ると言い出すのでは、そう心配して恵子さんを見下ろすと、
「あ、平気です。私、背後霊が高級霊ですから」
 やっぱり共に生活を送るには、少々難儀かもしんない。パートさんなら別に構わないが。
 でもゆうこちゃんはけっこう怖がるかも、そう心配してさらに下を見ると、
「おばあちゃんのおうちみたい」
 母方は江戸以来の旧家だと聞いたから、古屋敷慣れしているのだろう。
 誰からも文句は出ないようなので、俺は玄関の錆びかけた鍵を開け、がたぴしと戸を引いて――仰天した。
 俺の実家は、いつから時代劇の牢屋になってしまったのだろう。三和土の向こうに、なぜか図太い角材の格子ができている。
「……面白いお家ですね」
 恵子さんが皮肉とも感嘆ともつかぬ呟きを漏らした。
 俺が訳も解らないなりに何か答えようとした時、
「――どちら様?」
 いきなり奥から不気味な女の声が響いた。
 恐いと言うよりとにかく驚いて、俺たちは瞬時にひとかたまり仲良しさん状態と化した。
 さすがの脳天気たかちゃんも「わーい、びっくりした」とレスポンス良く喜びはしない。豪傑くにこちゃんも不意打ちは苦手らしいし、お嬢様ゆうこちゃんなどはおもらし寸前らしいし、まだちょっと性格の掴めない恵子さんは見えない背後霊ごと固まっている。高級霊でも不測の事態には虚《うろ》が来るらしい。
 ここは、なんとしても最年長の男である俺が、俺自身ちびってしまいそうだとは言え、仕切らねばならないだろう。
 恐る恐る牢格子の奥の暗い廊下に目を凝らすと――なにやら数人の人影が、なにやら卓を囲んで、なにやらごにょごにょと蠢いている。
 おのれ妖物、などと身構えた俺の耳に、今度は男の声が聞こえた。
「あー、すみません。訪問販売の方は、お断りしておるのですが」
 人の良さそうな中年声である。
 ようやく暗がりに目が慣れて、その人影たちの正体が掴めた。
 いかにも昭和レトロ風の卓袱台を囲んで、ほとんど磯野家状態の一団が、玄関口の広間で、仲良く飯を食っているのだ。
「新聞なら、うちはもう峰館新聞とってますよ」
 波平さんの立場と思われる和服の老人が、やはりのどかな声で続けた。
 しかし、中年や老人と言ったのは、あくまでも声からの推測にすぎない。
 なんとなれば、その推定一家は、大人から幼児まで、全員が白いゴムのマスクで顔全体を覆っていた。つまり一家全員が、横溝正史原作市川崑監督石坂浩二金田一耕助の映画『犬神家の一族』に登場する、犬神佐清《すけきよ》状態だったのである。
 呆然と立ち竦む俺たちを慕うように、年齢不詳の白黒ブチ猫が格子際まで寄って来て、にゃあ、と人なつっこく鳴いてみせた。
 その立場上タマと思われる推定子猫もまた、しっかり白いゴムマスクを被っていた。さすがに両耳は穴を開けて出してある。
「わーい、へんなねこ、へんなねこ」
 早くも気を取り直して佐清猫に駆け寄ろうとするたかちゃんを、俺は「ほんとにもう君はいったいどーゆー感性をしているのだ」と心中で嘆きながら、しっかりと片腕で確保した。




  Act.1【伝奇冷蔵庫】


 しかしやっぱり腕の中でじたばたもがいているちっこい女の子のぬくもりというものは、やはり俺のろり心の琴線を、心地よくちろりろりんとかき鳴らしてくれる。
「へんなねこ、かわいいよう」
 そうした奇特な感性はやはりたかちゃん特有のものらしく、買い物帰りに野良猫などを見かけるとついつい貴重な食料の一部を寄付してしまう猫好きな俺でも、佐清状の猫はやっぱり不気味だ。誰だってそうだろう。その証拠にどんな愛猫家も自分の猫に白いゴム・マスクはかぶせない。恵子さんやゆうこちゃんも、猫の接近にきちんと腰が引けている。もっともくにこちゃんだけは、どうやったら牢格子を突破して勝負を挑めるか、虎視眈々と機会を狙っているようだ。
 とにかくこの場を治めるのは、この家の正統な相続者である俺しかいない。たとえどんな辺鄙な山奥のなかば廃屋でも、今現在固定資産税を払い続けているのは俺なのだ。それが天涯孤独なチョンガーのノスタルジーに過ぎないにしろ、妖物であれ猫であれ、勝手に住み着かれてはかなわない。
「あなたがた誰に断って、他人様の家で飯食っとるのですか」
 思ったより強気な言葉が出た。俺は相手が恐ければ恐いほど、反撥して無謀に対処し結局墓穴を掘ってしまう、難儀な性格なのだ。
「えーと、あなたは――」
 推定マスオさんが、白いゴムに開いた口から味噌汁の椀を離し、改まって訊いてきた。
「この家の所有者です。訳あって普段住んではおりませんが」
 あらーららら、と、推定サザエさんやフネさんが、明るい声を上げた。さっきの「どちら様」が不気味に聞こえたのは、単に口に飯が入っており、くぐもってしまっただけらしい。
「これはこれは、当代の主様で」
 推定波平さんがそそくさと立ってきて、牢格子の向こうにちゃんと座り、丁重に頭を下げた。
「それは重々、失礼いたしました」
「とにかくここは僕の家です。中に入れて下さい」
「あなた、先代様から、鍵を預かってはいらっしゃいませんか?」
 確かに良く見れば、格子の一角に古臭く馬鹿でかい錠前がぶら下がっている。
 しかし俺は死んだ親父から、俺のいない間に家を牢獄にしたなどという話は、一度も聞いたことがない。
 俺がふるふると首を振ると、
「それは困りましたなあ。地下牢の牢格子をそっくり釘で打ち付けてしまったもので。失礼ながら、裏口が開いておりますので、お回りいただけますか」
 俺は仕方なく皆を引き連れて、裏口、と言うより横の奥の勝手口に回った。勝手口と言ってもでかい田舎家のことだから、林もあれば藪もある。ついでに屋根のついた外式汲み取り便所や、林の向こうには廃寺や墓場まで揃っている。
「わーい、たんけん、たんけん」
 今回たかちゃんはワン・パターンのようだが、言い得て妙ではある。かつてその寺の住職さえ、裏山に山菜摘みに行ったっきり、二度と戻って来られなかったような山奥だ。神も仏ももう見放しているのだろう。
「ねえねえ、きたろう、いる?」
「鬼太郎は見たことないけど、夜中にからんころん歩く音は、してたかな」
 無論、これもリップ・サービスである。それは単に、生前の住職か小坊主の足音に過ぎない――だろうと思う。
「よし、よなかがしょうぶだな」
 くにこちゃんは、おどおどとすがりつくゆうこちゃんをがっしりと受けて、闘志満々だ。
 恵子さんは蛇さえいなければ、不意打ち以外は平気なようで、
「でも裏口が開いてるのに、玄関を牢にして、意味があるのかしら」
 そんな冷静かつ合理的な意見を述べた。
 言われてみればもっともである。やがて藪の向こうに見えてきた勝手口の木戸も開けっ放しで、どう見てもお出入り自由だ。
 勝手口の土間にある剥き出しの風呂桶の横で、出迎えに来たらしい佐清猫がにゃあと鳴き、さっそくたかちゃんに捕獲された。
「やっほー、へんなねこ」
 先にくにこちゃんに捕獲されなかったのは、幸運と言うべきだろう。

 猫といっしょに出迎えに出ていた推定サザエさんに案内され――自分も昔住んでいた家なのに、案内というのもおかしいが――俺たちは広間に通された。なぜその一家がそんな所で飯を食っていたのか、廊下を巡る間に理解できた。無駄にいくつもあった空き部屋のことごとくに、少なからぬ人の気配がある。
 たまたま障子を開いて出てきたのに出くわし、思わず「あ、どうも」などと挨拶を交わしてしまった推定中年女性もまた、やはりしっかり白いゴム・マスクを被っていた。どうも俺の実家はいつのまにか、謎の一族の集合住宅と化しているらしい。
 さっき表から覗いた玄関口の広間では、食事も終わったらしく、一家がのんびりお茶を飲んでいた。
「どうぞ、おくつろぎ下さい」
 丁重に座を進める推定波平さん老人に、思わずまた「あ、どうも」などと頭を下げてしまったが、考えて見ればここは俺の家なのだ。一家が囲んでいる丸卓袱台も、その横に広げられた客用の角卓袱台も、良く見れば昔から家で使っていた物だ。
 俺は間合い良く出された茶を啜りながら、おずおずと切り出した。
「あの、で、あなた方は、なんと言いますか、その、どちら様で?」
 多勢に無勢と言うか、いまいち不法占拠者に対するべき気迫が盛り上がらない。
 老人は遠い目をして宙を仰いだ。
「話せば長い事ながら――」
「――話さなければ解らない」
 これでは古い漫才である。
「遠い遠い昔から、私たちの先祖は、この家の地下牢で暮らしておったのです」
 俺は思いきり茶を吹いてしまった。
「そ、そんな物、この家には」
 老人は総てを悟ったような顔で、俺を穏やかに嗜めるように、こくりとうなずいた。
「あったのですよ。いえ、今も弟一家が住んでおります。納戸の床下から隠し階段で繋がっておりまして、広くて立派な、なかなか住み心地の良い座敷牢です」
「し、しかし、僕も父も、そんな話は……」
「先々代様とは、私もお話した事があったのです。一族が増えてしまったので、もうちょっと座敷牢を広げてもらえないかと。その時は考えるとおっしゃっていただけましたが、どうもそれきり、なんの音沙汰もなく」
「……晩年、惚けておりましたから。しかしなぜまた、うちの先祖は、そんな非道な」
「これが、私の祖父あたりもかなり惚けておりまして、どうもはっきりせんのですわ。どうも鎌倉時代あたりに、なにかそちらに仕えておった祖先が、なにか不義密通とやらで、そちらの奥方ごと閉じこめられてしまったらしいのですが、そちらで伝わっておらないとすると、もう、わかりませんなあ」
 そーゆーことを、忘れるか、普通。
 なんという事だ。親爺や俺は間違いなく馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、なんのことはない、俺の家は先祖代々馬鹿だったのだ。もっとも、何百年と大人しく下で増えていた一族も相当にアレだと思うが、そこは昔の主従関係など考えると、ただ律儀なだけなのかもしんない。
「それにしても、よくぞここまで増えられましたね」
 俺は何やら古風な伝奇物などにありがちの、近親婚が続いて容貌がちょっとアレになり、それで一族皆さんゴム・マスクを被っていらしゃるのか、などという猟奇的設定を思い浮かべた。
「そこはそれ、外の使用人の方などが時々同情して下さったり、イロケを出されたり――まあ、健やかに増え続けております」
 俺は心底脱力した。そんな馬鹿な先祖に仕えるくらいで、その使用人もきっとみんな寸足らずだったのだ。
「そんな訳で、上の方々がどうやら皆様引っ越されたようなので、申し訳ないと思いながら、勝手に上がらせていただきました。しかしあくまで日陰の身、ご主家への誠意を伝えるため、牢格子はそのまま玄関に移してあります。今更世間に曝せる顔でもなく、これこのように」
「しかし、そんな白マスクなど、どうやって手に入れられたのでしょう」
「一族の男衆が、時折町に下りて土方仕事を」
 しっかり曝しとるやないけ、というツッコミはやめておいた。もうツッコむ気力も失われていたのである。
「しかしこうして当代のご主人が戻られた以上、私ども一族、また座敷牢に下りましょう」
「いえ、もう、好きにしてください。もともと二・三日で帰るつもりですから」
 これ以上関わりたくない――無責任なようだが、それが本音だった。
 しかし老人は、あくまでも律儀な性格らしかった。さも有難そうに俺の手を取って、
「お許しいただけますか。このご恩、きっと末の世まで、一族代々、忘れません」
 いやもうできれば、あっというまに忘れて下さい――そう願いながら、俺はその辛気くさい老人の涙や鼻水に辟易していた。
 これからの俺にできるのは、せいぜい馬鹿な先祖の尻ぬぐいのため、生涯固定資産税を払い続ける事ぐらいだろう。

     ★        ★

 はーい、いちおくにせんまんのよい子の中から選びに選び抜かれたよいこのみなさん、こんにちわー。ゴールデン・ウィークは、いかがおすごしでしたか? お話の人とおんなしように部屋で惨めに泣き暮らしていたビンボな方も、遊園地や映画館でそれなりにお茶を濁された方も、楽しく海外旅行などに行かれたうらやましーぜとっととくたばっちまえコノヤロな方も、なにはともあれとりあえず無事に生きていらっしゃることを、この何かとアブナい昨今、お天道様に感謝いたしましょうね。
 はい、せんせいは、実家の長万部に里帰りして、しっかり親爺のスネをしゃぶり倒してきました。はい、そんなわけでとりあえず懐がちょっとだけ暖まりましたので、これから、この前お借りしたよんまんごせんにひゃくきゅうじゅうえんをみなさんにお返しします。はいそれでは、この前お渡しした借用書を、お出しになってくださいね。
 あらあら、みなさん、もう捨ててしまわれたんですか? こまりましたねえ。借用書がないとゆーのは、それはもうわたくしがみなさんからお借りしたものなど、きれいさっぱり微塵も存在しないとゆーことになります。あらあら、はんこがぎぞうだなんて、そんなの冗談にきまっているではありませんか。わたくしほんとうにまじめで若くて身も心も美しいせんせいなのですよ。
 まじめで若くて身も心も美しい証拠には、実家に帰るとお見合い写真が多数ストックされておりまして、お医者様から地元のIT産業の若社長さんからぶよんとしてしまりのない人から、よりどりみどりでした。
 お医者様は私立総合病院の息子さんで、二十代後半の若さながらすでに年収一千二百万、でもほてるでこっそりバイアグラを飲んでいる姿をかいま見てしまい、そんな若いうちからフニャ○ンな野郎に、せんせい、ご用はありません。「ああ、やっぱり結婚するまでは、わたくし、きれいな体でいたいですわ」などとブリの限りを尽くして、ルーム・サービスのお夜食を食うだけ食ってオサラバしました。
 若社長様は三十代前半にしてすでに資産三十億、とっても元気でいいかげんにしろこの自意識過剰の恥知らずの金の亡者野郎なナイスなお方だったのですが、人前で「金で買えない物なんてあるわけないじゃないですか」などとおっしゃるただの馬鹿でしたので、やっぱり美味しいディナーを食うだけ食ってオサラバしました。よいこのみなさん、せんせい、きれいさっぱり断言いたします。このよのなかにお金で買えない大切な物は、ただひとつですが、きっちり存在するのですよ。
 あら、そこの男のお子さんなのか女のお子さんなのかよくわからない、つけまつげでぱたぱたと風を起こしていらっしゃる宝塚のオスカル様のようなよいこのかた、ぱたぱたとつけまつげで風を起こしながら「それは――愛」などと夢見がちにつぶやいておられますね。
 ふふっ、あなた、お若い。『愛』などというものは所詮主観的な妄想の一種ですので、十億もあればどんなブサイクにも買えます。一兆あれば半死半生の爺さん婆さんにだって買えます。でも、この世でたったひとつ、百兆円積んでも一京円積んでも、いいえ、一恒河沙円積んでも、けしてお金では買えないたいせつなもの――それは、『本音』です。
 はい、そーゆーことですので、こんどの週末は、せんせい、さんにんめのぶよんとしたしまりのない方と湾岸道路をドライブいたします。ベイブリッジから夜の横浜でお食事、それからその方の持ち物であるという山中湖の典雅な別荘などへ、お誘いを受けてしまうかもしれません。はい、お誘いがあるまでブリの限りを尽くします。実はすでにその方の函館のご実家には潜入を遂げておりまして、それはもう先祖伝来の蓄財がなんぼ使っても減りゃーしねー状態であるのを、確認いたしております。さらにその方がこっそり何十体もの等身大フィギアやシリコン・ドールを裏の土蔵に隠匿し、日夜江戸川乱歩作『人でなしの恋』超大作ハレム・バージョンであるのも突きとめてあります。さらにその方は、せんせいがただのせんせいではなく、某カルト・エロゲーでギャラもひとりぶんしか出ないのに4人の美少女キャラを猫耳メイド巫女綾波タイプまできっちり演じ分け濡れ場までこなした、代○木ア○メー○ョン学院在学中の別名『虹色の声』であることを、興信所を通してすでにご存じなのも判明いたしております。
 うふ、うふふ、うふふふふふふふ。
 ほんとうのお金持ちとは、生まれた時からすでに『失いたくとももうどうやっても失えない大量のお金』を持っている方を言うのです。生き人形など何十体『愛』していようと、それは所詮『愛』です。もの言わぬ冷たいシリコン・ドールなど、せんせいの血肉の通った小柄かつほどよくくびれたお腰からヒップへのろりライン、親爺のスネをシャブり倒して万感の思いを抱きつつ受けた○○○○永久脱毛、そして鍛えぬかれた括約筋の敵ではありません。
 おーっほっほっほ! 『本音』は『愛』に勝つのです! おーっほっほっほ!

 はあ、はあ、はあ。――失礼いたしました。
 ちょっとせんせい、今回出番がないと思っていたのに急遽出演を依頼されたもので、気合いがはいりすぎておりますね。こんな大事なこの世の真実をみなさんに教えてさしあげるほど、ギャラもらってねーのを忘れておりました。
 ところで、せんせいがこうして今回またよいこのみなさんとお会いできてギャラもいただけるのは、けしてせんせいがお話の人のある過去の過ちをネタにカツアゲしたとか、そういったことではありませんよ、ねんのため。
 はい、それはひたすらお話のひとの無能、そんな事情です。
 たとえば、お話のひと、つまりここまで白いゴム・マスクの爺いと辛気くさい会話を続けているぶよんとしてしまりのないいきものの後ろの卓袱台には、とうぜん、たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんが座っています。
 推定カツオくんや推定ワカメちゃんは、白いゴム・マスクを推定はずして、推定地元の小学校に出かけてしまったらしく、そこには佐清状の推定タラちゃんと佐清猫が残っています。
 佐清状の推定サザエさんは、やはり佐清状に白いゴム・マスクを着けたお魚をくわえた佐清状のドラ猫を追い掛けて裸足で駆けていってしまい、推定マスオさんは山へ芝刈りに、推定フネさんは川へ洗濯に、恵子さんはなぜかお勝手で洗い物のお手伝い、そんな状態です。
 ぶよんとしてしまりのないいきものがまだお話中なので、たかちゃんたちはちょっとたいくつしながらお番茶をすすり、お茶うけのよもぎもちをたべています。
「ぱくぱく」
「むしゃむしゃ」
「……ちま、ちま」
「よもぎもち、おいしーね」
「んむ、このくさのかおりとはごたえが、なんとも」
「……おやまのかおり」
 けっこうふうりゅうななかよしさんにんぐみです。すいていタラちゃんははにかんでいるのか、だまっておもちをほおばりながら、ちらちらとさんにんのお姉ちゃんをぬすみ見ては、目が合うとあわてて恥ずかしそうに下をむいたりしています。
 たかちゃんと目が合ったときは、「どぱ?」などといみふめいのごあいさつといっしょに、おつむをなでなでしてもらえるので、もんだいありません。
 ゆうこちゃんと目が合っても、こんなお人形さんみたいなお姉ちゃんお山では見たことない、そんな感じの、それはそれは愛らしいにっこしを返してもらえるので、やっぱりもんだいありません。
 でも、くにこちゃんと目を合わせてしまうのは、やまみちでやせいのくまとみつめあってしまうのとおんなしで、とってもきけんなこういです。
 くにこちゃんはにんまりと、こいつはおもしろそうだ、そんなあんまりやさしくないびしょうをうかべます。
 むにゅ、と、推定タラちゃんのゴム・マスクのほっぺたをひっぱったりします。
「おお、のびるのびる」
 むにゅう。
 きけんなくうきがちゃぶだいにただよいます。
 佐清状の推定タマは、ぴく、などと耳をふるわせ、圏外にとうぼうしてしまいます。
 たかちゃんはなんにもかんがえないでよもぎもちをぱくついています。
 むにゅううう。
 さすがにゆうこちゃんは、不穏な空気を察知して、あわてて止めようとしましたが――。
 ぱっちん!
 すいていタラちゃんは、ひんひん泣きながら、お部屋のすみっこに駆けていって、背中を丸めてしまいます。
 警戒心に充ち満ちたまなざしで、ちらちらと振り返ったりしています。
「わはははは、泣いた、泣いた」
 くにこちゃんは豪快にしょうりせんげんします。
「あわわ」
 ゆうこちゃんは、お嬢様にはめずらしくぴょんと飛び上がって、とととととお部屋のすみっこに駆けよりました。
「ごめんね、ごめんね」
 それからくにこちゃんをふりかえって、きっ、とにらみつけたりします。
「だめだよう、いじめちゃ」
「わはははは、おこった、おこった」
 すいていタラちゃんは、そんなきれいなお姉ちゃんにいいこいいこしてもらえたので、ほんとはもう痛くないのに、男の性《さが》なのですね、もっといいこいいこしてもらおうと、ぐずぐず泣き続けたりします。
 でも、あとからなでなでに参加したたかちゃんが、
「どぱどん、どぱどん」
 などとなぐさめながらにこにこすると、なんだかよくわからないけれどなんだかおもしろいので、うっかり泣きやんだりしてしまいます。

 ――とまあ、このようなほのぼのとした光景が、ぶよんとしてしまりのないいきものと爺いの背後で展開していたのですが、さてみなさん、ここで問題です。
 うっかり他の作品の流れで、このお話を一人称で始めてしまった無能な作者は、どうやって自分の背後での出来事を描写するのでしょう。これから想定されている真夜中お外のおトイレ騒動など、自分が最後にしか出てこないシークェンスを、いったいどう描写するつもりなのでしょう。
 ぴんぽーん。
 そーゆーわけで、せんせい、これからもしょっちゅうメタ出現しますので、よいこのみなさん、楽しみに待っていてくださいね。あらあら、どなたですか、おめーなんかいらねーよ、などとおっしゃる、わるいよいこのかたは。はい、そこのあなた、ほうかご、ひとりで宿直室にいらしてくださいね。いいですか、あなたひとりでですよ。おいしいくさもちを、おなかいっぱいたべさせてあげますからね。せんせいがほっかいどうの原野から、こころをこめて摘んできた、おいしいエゾトリカブトのおもちですよ。

     ★        ★

 しかし家賃も払わず住み続けるのはどうしても心苦しいと老人が言い張るので、形ばかりの賃貸条件など詰めているうちに、背後ではたかちゃんたちがなんかいろいろ遊んでいたようだが、そちらはなし崩しでなんとかなっているようだ。
「それでは月々一万五千円、それに裏山の山菜と畑の野菜を計一キロ、冬は野菜山菜の代わりに干し柿、そんなところで」
「承知つかまつりました」
 無事手打ちが終わって蓬餅を食いながら茶を啜っていると、勝手――台所のほうから、とんでもない叫び声が響いた。
「ぎええええええ!」
 体長一メートルまで肥大化した雌の牛蛙のような声だが、そこはかとなく恵子さんっぽい気もする。
 天井裏に青大将はいないと言ったが、外からのたくりこまないとも限らない。
 あわてて台所に走ると、薄暗い田舎家の湿っぽい床を、恵子さんが這っていた。後ろ向きに腰を抜かしたまま這っているので、そのお尻はやっぱりバツイチらしく搗きたての餅のように旨そうだ。
「あわ、あわ、あわ……」
「泡?」
 ふるふると首を振り、ぷるぷると指さす台所の奥の薄暗がりで、開けっ放しの大型冷蔵庫がぼんやり光っている。
 はて、あんな馬鹿でかい冷蔵庫、家にあったか――近視気味ゆえ、目を凝らして見ると、
「ひええええ!」
 俺も思わず腰を抜かしかけた。
 棚を外した冷蔵庫いっぱいに、出羽三山は大日坊に鎮座まします真如海上人の即身仏のごとき、人間の干物が詰まっていたのである。いや、二・三人寒そうに絡み合っているようなので、平泉は中尊寺に伝わる藤原三代のミイラに近いのか。
 呆然と立ち竦む――ひとりは腰を抜かしているが――俺たちを尻目に、
「おやおや、開けてしまわれましたか。なあに、ご心配はいりません。ご先祖様方ですわ」
 後ろから付いてきた老人は、のほほんと紹介してくれた。
 ゆうこちゃんは恵子さんと合体して固まり、くにこちゃんは殺気をみなぎらせて身構えている。
 しかしたかちゃんは、大変すなおに他人の言葉を受け入れる娘であり、なおかつ前述したように、初めて観る物は全て肯定的に好奇心の対象としてしまう性質《たち》である。
 とととととと冷蔵庫に駆け寄って覗きこみ、こんにちわー、などとご挨拶している。
 その時、ミイラの塊が身じろぎし、あちこちで三つほど顔が覗いた。なにかもぐもぐと呟く声は、すなおに今日はとハモっているらしい。
 たかちゃんは心《しん》から嬉しそうにピース・サインを立てた。
「やっほー!」
 ミイラの塊から、指二本三人分が突き出た。
「……やっほ」
「……やっほ」
「……やっほ」




  Act.2【夜厠異妖編】


 などと引っ張るだけ引っ張っておいて、次に大した事が起こらないのが、近頃の俺の悪い癖である。そーゆー手法は二・三回までは通用しても、そのうち飽きられるのが目に見えている。しかしそれでもやってしまうのは、やはり『物語』の原体験が紙芝居であり、漫画の単行本という奴は高くて月に一冊くらいしか買ってもらえず、頼りにしていた貸本屋と言う業態が小学校低学年時代に滅びてしまい、結局週刊誌や月刊誌の回し読みパターンばかりで育った世代だからなのだろう。まあ小説本は親父の本棚などに幾らか揃っていたのだが、それらを貪り読み始めたのは、あくまでも物心が付いてしまってからだ。ちなみに近頃またレンタル・ブックとやらが増えているようだが、もう好きな漫画くらいはいつでも買えるし、買えないような高価な物は、マニアック過ぎてレンタル屋では置いてくれない。
 そう言えば、そうした週刊月刊の漫画雑誌にも、昔は連載小説など活字中心の話が結構載っており、それも引っ張りパターンは似たような物だった。もっとも、読み切りやコラム的ショートの場合は、無論ツカミのほうがポイントであり、これにもあからさまなパターンがあった。端的に言えば、かの有名な『一行目「あっ! あれはなんだ!」方式』である。その「あれ」は、数行後におもむろに登場する珍奇な未確認生物であったりもするが、ポチやらタマやらミミズやらオケラやら、どーでもいいような素材である場合も多い。それでもそこまですでに数行読んでしまっており、せいぜいページの半分くらいしかないショートなら、なんとなく最後まで読んでしまうものなのである。
 閑話休題。
 で、ミイラが三人前冷蔵庫に詰まっていた訳だが、たかちゃんとご挨拶を済ませたっきり動き出すでも襲い掛かかるでもなく、子孫代表の老人が「どうも燻《いぶ》しが甘くて、冷蔵しないと黴ちゃうんですよねえ」などとぶつくさ言いながら扉を閉めてしまい、「ばいばい」と名残を惜しむたかちゃんに「……ばいばい」「……ばいばい」「……またね」などと手を振りながら、おとなしく保冷状態に戻ってしまうのであった。このあたりのミイラは、風土的な問題から自然乾燥ではなく、スモーク・サーモンやベーコン同様、燻製なのである。
 なんだそれだけかよ、そんなツッコミは恐くない。その証拠に、もうここまで読み進めた方が大勢いる。ここまで辛抱強く読み続けた素直で騙されやすい読者なら、続きも騙されてくれるだろう。
 恵子さんは不意打ちから復活して、「だいじょうぶよ、邪悪な波動は感じません」などとゆうこちゃんを励ましているが、高級背後霊と言う奴は、冷蔵庫を開ける前になんらかの警告を出してくれないのだろうか。邪悪であろうがなかろうが、腰を抜かすのを防ぐくらいの御利益は、あっても良さそうなものである。
 それからあれやこれやを経て、ようやく空いていた続き座敷を見つけ、そこに落ち着いた俺たちは、旅装を解いてだらだらと山歩きの疲れを癒した。
 まあそれでなくとも元気の余っているたかちゃんたちがいっしょにいる以上、ずっとだらだらできるはずもない。まだ腰の定まらない恵子さんを部屋に残し、まっぷたつに引きちぎるべき大蛇を求めて天井裏を這い回るくにこちゃんにつき合ったり、鬼太郎級の古墓場を「からんころん、出てこーい」と行軍するたかちゃん探検隊につき合ったり、汗で体が不潔な状態に長時間耐えられないゆうこちゃんのために風呂を沸かしたり、その風呂場は勝手口の横の土間の石敷の上で囲いも何もない解放された空間だから、三人娘ときゃあきゃあやっている恵子さんをなんとか覗けないかと俺がまた天井裏に上ったり、まあしこたま充実した一日をすごしたのである。
 そんなこんなでかなり中年の心身に鞭打ってしまった俺は、今夜は恵子さんといっしょに寝ると言う三人娘の希望をありがたく受け入れ、襖を隔てた座敷にひとり手足を伸ばした。正しいろりがそんな軟弱な事ではいけないのだが、三人の健康な幼児と一日つき合うのは、どんなぺどにもなかなか骨の折れる苦行なのである。
 さて、その深夜――。

     ★        ★

 はい、タッチ。……ギャラはちゃんと語数で配分だかんな。
 はーい、みなさん、こんばんわー。呼ばれ○飛び出○じゃじゃじゃじゃーん、いえ、それでは大先輩・大平透さんになってしまいますね。せんせいはとっても可憐で小柄な、ぶよんとしてしまりのないいきもの好みの乙女ですので、しゅーわー♪ しゅーびでゅわー♪ あ・○・び・む・○・め・は、すってっきっなこー♪ そんなかんじですね。なお、JASRACさんから物言いが付きましたら、せんせいバックレますので、あとはよろしくお願いいたしますね。
 さて、みなさんは、田舎のほんとうに古いおうちで、暮らしたことがおありでしょうか。サッシ、などという無粋なものがビンボな日本に誕生する以前の、旧態依然とした、古屋敷ですね。はい、そこのよい子のかた、夏休みにおばーちゃんのおうちで? はいはい、昆虫採集に、山遊び川遊び。でも、そのお家には、もうきちんとお水洗のおトイレが、ちゃあんとおうちの中にあったのではありませんか? そうですね。今の日本では山奥の山小屋でさえ、焼却式おトイレなどという衛生的なものが、風情もなくはびこっております。しかしほんとうの牧歌というものは、野を歩けば漂う肥溜めの匂い、大量の蠅と大量の蛆、そんなものが共存して初めて、風情というものを形成しているのですよ。
 はい、おはなしがむずかしくなって、しんきくさくなって、ただでさえ少ない読者の皆様が、さらに引いてしまうといけません。ころっと、たかちゃんたちのお部屋に、お話をもどしましょうね。

「うー」
 まよなかの暗あいおへやのおふとんのなかで、たかちゃんは、なんだかあやしげにうごめいています。
「むー」
 もじもじとりょうあしをこすりあわせたりします。
「あっはん」
 せつなそうにかわゆくうめいたりもします。
 ……どなたですか? そこでなにやら期待にめをかがやかせたりしている、ぶよんとしてしまりのないよい子の方は。お話の人は確かにうすぎたないろりやろうかもしれませんが、なんぼなんでも全年齢対象の場でそんな描写を始めるほど、脳味噌が腐りきってはおりませんよ。まあ今年の夏も猛暑の予報が出ておりますから、いずれ腐りきる前に、焼き殺したり眉間に鉄砲玉をぶちこんだりしたほうが、無難かもしれませんけどね。
 はい、これはもうだれが見てもあきらかですね。たかちゃんは、ひっしにおしっこをがまんしているじょうたいです。
 ねるまえにこっそり台所にしのびこんで、大型冷蔵庫のみいらさんたちと「おやすみー」「……おや」「……やす」「……すみー」などというかいわをかわしたのち、となりの普通冷蔵庫からだいすきなぴーちのふぁんたのぺっとぼとるをひっぱりだして、よくぼうのおもむくがまま、しこたま盗み飲みしてしまったのが、よなかに効いてきてしまったのですね。
 でも、みいらさんたちとなかよしになるほど、ごうたんでいちぶすっこぬけたたかちゃんが、なんで夜中のお便所ごときに怯えているのか――それには、やむにやまれぬじじょうがあったのです。

 それは、お昼に裏のお寺のお墓をたんけんしたときのことでした。
 天井裏でついに大蛇をはっけんできず、墓場ならなにかシメられるのではないか、そんなふうに虎視眈々のくにこちゃんや、からすのはばたきにもびくりとおもらししてしまいそうなゆうこちゃんや、ちょっとこの歳でこの連チャン行軍はきついわなあ、そんなかばうまさんをひきつれて、たかちゃんはとってもハイに行軍していました。
「まーもるっもっ♪ せーめるっもっ♪ くーろがねーのー♪」
 もはやおじいさんの代まで、いでんしきおくがよみがえっているようです。
「からーん♪ ころーん♪ からんっ、ころんっ、ころんっ♪」
 おなじきたろうでも、これもまたパパの代のいでんしきおくですね。
 そんな上機嫌のたかちゃんでしたが――
 ――ぬぼ。
 いきなり墓場がななめにたおれて、ずさ、などと横頭が地面にくっつきます。
「あいた」
 かたあしが、まるまる地面にもぐりこんでしまったのですね。
「あうあう」
 したからみあげると、てんでにならんでいる古いお墓の石や卒塔婆は、けっこうムーディーに、ホラーごころをくすぐります。
 なんだかじめんのしたから、あしをひっぱられているような気もします。
「おまた、さける」
 ほかのさんにんが、あわててたかちゃんをひっぱり上げます。
「あちゃー、踏み抜いちゃったね」
 かばうまさんが頭を掻きながら、地面の穴を見下ろします。
「だから、土饅頭には気をつけてって、行っただろ?」
「……どまんじゅう」
 なかよしさんにんぐみも、しげしげと地面の穴をのぞきこみます。なんだか穴のあくまえは、こんもり盛り上がっていたみたいです。
「これ、どまんじゅう?」
 たしかにお墓にはいるまえ、かばうまさんから聞いてはいたのですが、まだきちんとした霊園しか見たことのないたかちゃんは、てっきり土でできたおまんじゅうがお墓におそなえしてあるのかな、などと思ってしまっていたのですね。
「ごめんごめん。ちゃんと教えてあげればよかったね」
 かばうまさんが、なにをいまさらの講釈を述べます。
「貧乏でお墓の作れない人が、お棺のまんま埋まってるんだよ」
「まんま?」
「うん。たぶん、そのまんま骸骨になってる」
「……がいこつさん?」
「そう、骸骨さん」
 こりはたいへん。がいこつさんのおうちのお屋根を、ふみぬいてしまったのですね。
 かばうまさんはウケを狙って、にまあ、などとじゃあくなほほえみをうかべます。
「夜中に、怒って出てくるかも」
「よーし、やっぱり、よなかがしょうぶだな」
 くにこちゃんだけは嬉しそうですが、ゆうこちゃんはもうかばうまさんのせなかにひっついてぶるぶるですし、たかちゃんもちょっとだけ、よなかのがいこつさんちょっとやだなあ、などとびくびくです。
 れいぞうこのみいらさんたちは、しわしわでもビーフ・ジャーキーみたいなおにくがあるので、「おう、これはいろぐろのおじいさんのパパのそのまたおじいちゃん」、そんなふうにきちんとごあいさつできたのですが、がいこつはちょっと夜の理科室っぽくて、とってもがっこうのかいだんです。
「ははは、大丈夫。きちんとお参りすれば、怒ったりしないよ」
 ――なまんだぶ、どまんじゅうさん。なまんだぶ、がいこつさん。
 ――いいか、よなかにまってるぞ。せいせいどうどう、しょうぶだ。
 ――ぷるぷるぷるぷる。
 とまあ三者三様に、しっかりおまいりしてきたのですが――。

 やっぱりこれはもうげんかいかもしんない、たかちゃんはそう覚悟して、おふとんからごそごそと這い出します。
 それでも、おひるになんべんかおトイレしたときの、お外のトイレやその窓から見える古ぼけたお寺とお墓、そんなのを思い出してしまうと、おひるはよくても、よなかはちょっとアレです。
「……しゅわっち!」
 いみもなくうるとらまんにへんしんしたりしてみます。でも、もちろんそれは気合いだけのへんしんなので、とびあがってもまたどすんと畳にちゃくちするだけです。
 人脈や獣脈やなんだかよくわからない脈に恵まれているたかちゃんですから、おもいきってうみぼうずさんやバニラダヌキさんに救いを求めてもいいのでしょうが、ぴかぴかのいちねんせいにもなって、よなかのおトイレごときで他者にいぞんしていては、幼女としてのこけんにかかわる、そんな気がしてしまうのですね。ですから、「ああ、いけないわ。まきつかないで、いやいや」などといみふめいの寝言をつぶやいている、恵子さんを起こすのもはばかられます。
 こんなときは、なかよしさんの使いどき。なかよしさんはなかよしさんだから、いくらつかってもOK――たかちゃんはそんなはんだんを下します。なかよし三にんぐみお揃いの、らすかるのぱじゃまを着たりしているので、これはもういっしんどうたいです。
「……おーい」
 たかちゃんは、ごうかいにだいのじになって寝ているくにこちゃんの、ほっぺたをつっついてみます。
「つんつん」
「ぐーぐー」
 起きる気配もありません。
 こんどは、おなかをつっついてみます。
「うりうり」
「すーすー」
 びどうだに、しません。
 にくしょくきょうりゅうのようにきょうじんなくにこちゃんですので、これくらいでは感じないのかもしれません。
「とう!」
 ずど、と、鳩尾に正拳をキメたりしてみますが、やっぱりくにこちゃんは、ぽりぽりとおなかぽんぽんを掻いたりするだけです。ある種のきょうりゅうさんのように、いたみをかんじるまで、しばらく時間がかかるのかもしれません。
 しかたがないので、たかちゃんはくにこちゃんをくるりとひっくりかえし、ようちえん以来半生におよぶながいつきあいの間に把握した、かずすくないじゃくてんを責めることにします。
 ――おそろしいことにならねばいいが。
 ちょっとしゅんじゅんするたかちゃんでしたが、しだいにたかまってくる下はんしん決壊のよかんに、ついにけつだんをくだします。
「……かんちょー!」
 ずむ。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
 突然の弱点攻撃に錯乱したくにこちゃんは、たかちゃんをはねとばし、なぜだかとなりで寝ていたゆうこちゃんを抱え上げ、サイドバスターをキメたりしてしまいます。
「せいっ!」
 ゆうこちゃんはなかば眠ったまま、せいめいのきけんをさっちしたのでしょう、くるりと体勢を変え、はんげきに転じます。
「……うおうりゃあ」
 いいとこのおじょうちゃんからはそうぞうもできない、なさけようしゃない腕ひしぎ逆十字固めです。
 くにこちゃんがうめきます。
「ぐええええ」
 なぜおしとやかなゆうこちゃんに、このような試合展開がかのうなのか――きっと、いいとこというのは、えてして過去に『名家』に成り上がるまでの間に、歴史の暗部で長い過酷な闘争を繰り返したりしてきているので、きっとそのいでんしきおくが、むいしきのうちによみがえっているのかもしれませんね。
「……おりゃ、おりゃ」
「ぎ、ぎぶ、ぎぶ」
 ああ、ほんのうのままにくりひろげられる、なんというかこくなせいぞんきょうそう――たかちゃんはじぶんがしょあくのこんげんであることを棚に上げて、あわててふたりを引き離します。
「ねえねえ、おしっこいこう」
 我に返ってむにゃむにゃ言っているくにこちゃんの腕を、今後の面子なども考えて、すかさず勝者として高く上げてあげる、そんなきくばりも忘れない、かしこいたかちゃんでした。
 やっぱりわれにかえってむにゃむにゃ言っているゆうこちゃんにとっても、古い血の記憶などは封じてしまったほうが、これからの長い人生、きっと幸せにちがいありませんものね。

「なんだか、うでがおかしいぞ」
 暗い廊下を勝手口に向かいながら、くにこちゃんはぐりぐりと肩をまわしています。
「ねているあいだに、がいこつ、でたか」
 たかちゃんはふるふるとくびを振り、ばっくれます。
 せなかにしがみついているゆうこちゃんも、いつものびくびくおじょうさまにもどっています。
 暗い廊下のむこう、勝手口の横の台所から、なにやら明かりが漏れていて、ごそごそ、がちゃ、などという音も聞こえてきます。
 あーん、とせなかで泣きそうなゆうこちゃんを、たかちゃんは自信をもってなでなでしてあげます。お台所は、みいらさんたちのなわばりなので、あんましこわくありません。
 あんのじょう、台所ではさんにんのミイラさんたちが、じぶんたちの冷蔵庫からぬけだして、となりの冷蔵庫をあけてぬすみぐいをしていました。
「ぎく」
「ぎく」
「ぎく」
「こんばんわー」
「……こん」
「……ばん」
「……わー」
 さて、もんだいは、お外のトイレに続いている暗あい小道と、窓の外お墓つきトイレのなかです。
 たかちゃんとゆうこちゃんをせなかにしょったくにこちゃんは、暗あい裏庭の石畳をたどりながら、こきこきと指をほぐします。
「でてこい、がいこつ」
 ふるふるふる。
「――でたな!」
 びく。
「わはははは、うそだ」
「あ」
「どした?」
「……なんでもない」
 いまにもちびってしまいそうなのを、ひっしにこらえつづけるたかちゃんでした。
 せなかのふたりが、べつべつのいみでぷるぷるふるえているので、
「よーし、けいきづけだ」
 くにこちゃんが、げんきにおうたをうたいはじめます。
「ぼーくらはみんなー、死ーんでいるー♪ 死んーでいるから腐るんだー♪」
 あんましけいきづけにならないような気もします。
「ぼーくらはみんなー、死ーんでいるー♪ 死んーでいるから臭いんだー♪」
「……なんの、おうた?」
 ゆうこちゃんが、おずおずとたずねます。たかちゃんは、それどころではありません。
「おう、おやじにおそわった、しかばねのうただ」
 くにこちゃんのお父さんは、いったいどんな下駄屋さんなのでしょう。
「てーのひらをー、たいよーにー、すかしてみーれーばー♪ かーたまーっちゃっーてるー、くろいちーしーおー♪」
 まあ、めろでぃーだけは、ちょっとアッパーかもしれません。
「みみずだーって♪ おけらだーってー♪ あめんぼだーってー♪ みんなみんなー、しんでいくんだ、ともびきなーんーだー♪」
 あるいみ、たしかに、もうなんにもこわくなくなるお歌ですね。
 みいらさんだってがいこつさんだって、もとはみーんな、たかちゃんたちやみなさんとおんなし、にんげんです。おはなしのひとのようにぶよんとしてしまりのないひとでも、イチローさんのようにしまったおしりのひとでも、おおむね似たようなみいらやがいこつになります。この世にごくしょうすうそんざいするといわれるかわいい良い子のひとでも、みなさんのようにひねこびてかわいくないよいこのひとでも、やっぱりおんなじような、小さめのみいらさんやがいこつさんになります。しょうじゃひつめつえしゃじょうり、とんしょうぼだい、なむあみだぶつなむあみだぶつ。ちーん。

 さて、その頃――。
 お墓のはしっこ、お屋敷の裏庭に続く藪のなかで、すうにんのしかばねさんが、うんこ座りでなにやらだべっていました。
「かたかたかた」
「かた」
「かたかた」
 ところどころひからびたお肉が残っていたりもしますが、埋められてからもう何年もたっているので、ほとんどお骨です。ですから、お口も髑髏状態です。みんなおんなしようなお声で、かたかた言っています。
「かたか?」
「かたかたか、かたた」
 はい、かたかた語ばかりでお困りのよい子のために、せんせい、虹色の声を駆使して、ほんやくしてさしあげましょう。らすかるからごくうからうらしまひなまでなんでもこいの野沢雅子大先輩、さらにはのびたのおかあさんからのびたほんにんからマージョからおユキまで世代性別性格問わずの小原乃梨子大先輩、そんな真のじつりょくはの方々が、せんせいの神様です。何をやってもかわゆい声だけの年齢不詳アイドル声優オバハンなど、わたくしのてきではありません。近頃カツオまでこなしてしまう脱アイドル組の富永みーなさんなどが、まず最初の目標です。でも、ギャラはきっちり人数分いただきますので、みなさん、またお財布を用意しておいてくださいね。
「あーあー、かったりーなー。まったくよー」
 うんこ座りしているしかばねさんたちは、コンビニからかっぱらってきたビールをらっぱのみしたり、自販機ぶっ壊して持ち出した煙草を吹かしたり、いろいろチンケな非行に走ったりしています。
「おめーがあんなとこちんたら埋まってるからよー」
「あんなガキ祟ったって、面白くもなんともねーよ」
「しょーがねーだろーよ。親が手ーぬきやがったんだからよ」
「ま、きまりだかんな。ちょっくら祟って、里でも流すべ」
「ケツがよう、こう、どーんと、そーゆーの、祟りてーよな」
「パイオツもなあ、こう、どーんと」
「あー、いい女、祟りてー」
 悪ぶっているわりには、根はそれほど腐っていない、田舎の素朴な思春期の、しかばねさんたちのようです。
「お、きたきた。いっちょ、軽くやってやんべ」
 ぐだぐだと無気力に立ち上がる非行しかばねさんたちの行く手に、なにか白くてかわいいのが、ひらひらと立ちふさがり――もとい、ひらひらと宙に飛び出します。
「いけないわっ!」
 もと学級委員さんをつとめていた、可憐なべんじょおばけさんです。
 でももともと肘から先だけのべんじょおばけさんですので、お口もなく、もっぱら手話でお話ししているのですが、せんせい、しょーらいのツブシを考えて、きっちり手話アナの課外授業も受けておりますので、しんぱいはいりませんよ。
「いつまでそんなだらしのない死に方をしているの! もっと真面目に死ななくちゃ!」
 けなげなこころのさけびです。
 でも、ちゅーとはんぱにぐれてしまっているしかばねさんたちに、そんな乙女のまごころは通じません。
 またやなのが来やがった――そんなかんじです。
「……うぜーよ」
 べんじょおばけさんは、ぽい、と、藪に放り込まれてしまいます。
「あう」
 藪にひっかかって、なお「いけないわいけないわ」と訴え続けるべんじょおばけさんを残し、しかばねさんたちは、きみょうな歌声のほうにむかっていきます。
 たったひとり、なにかワケありげにべんじょおばけさんを振り返り、しばし歩を止めるちょっと正しい青春っぽいしかばねさんもいたのですが、やっぱり、けっきょくなかまの後を追います。代々のヘッドが伝えてきたきまり――『かんおけをふみぬかれたら祟るのが仁義』なので、どまんじゅう仲間としては、仕方がなかったのですね。

 ざわざわとちかづくあやしのむれ――。
「きたな、がいこつ!」
 くにこちゃんの、おたけび――いえ、めたけび――もとい、幼女たけびが響きます。
 たかちゃんは、もうそれどころではありません。もはやがいこつよりおはかより、にょうどうのとばぐちまで満タンになっている、元ぴーちのふぁんたのほうがもんだいです。
「……たっち!」
 ぺん、とその場をくにこちゃんにあずけ、ととととととおトイレに走ります。ゆうこちゃんもあわててその後を追います。
「おうよ」
 くにこちゃんは、しかばねのむれに、びしっとみがまえます。
「まちかねたあ!」
 もんどうむようで、宙に舞います。
 裏庭の木々の枝を猿《ましら》のごとく飛び交いながら、
「とりゃ、とりゃ、とりゃ」
 たちまちのうちに、しかばねさんたちを蹴りバラします。
 ばし、がしゃん。
 どげ、からころ。
 もはやどっちがばけものかわかりません。
 しかし、やっぱり、たぜいにぶぜい――なにしろもとがはっこつかしたしかばねなので、なんどバラしても、しつこくまた組み上がって、襲ってきてしまうのですね。
「はあ、はあ、はあ」
 さすがに息の切れたくにこちゃんに、じりじりとしかばねさんたちが迫ります。
 あやうし、くにこちゃん。
 でも、くにこちゃんには、きょうじんな脚力よりも、さらに秘めたちからがあるのです。
「りん! ひょう! とう! しゃ! かい! じん! れつ! ざい! ぜん!」
 目にも止まらぬ九字の印。
「なぅまくさまんだばざらだんかん、ふどうみょうおう!」
 そうです。くにこちゃんはこんごのじんせいのたたかいにそなえ、家代々の曹洞宗を離れて、きっちり真言宗に宗旨替えしていたのです。
 おそるべし、不動真言! 
 たちまちお山に響き渡る雷鳴。
 走る稲妻。
 そして――ずん! 
 神々しい光を背に出現する、ごじらではなくサンダやガイラすけーるの、てきどに巨大な不動明王様。
 くにこちゃんが、たのもしげに不動様を見上げ、ごあいさつします。
「おっす」
 不動明王様は、またお前かよ、そんないまいちのお顔で挨拶を返します。
「よ」
「あいつら、シメてやってくれ」
 不動明王様は、まあこの前のゴキブリ駆除よりはちょっとましだわなあ、そんな感じで、足元のしかばねさんたちを、つまさきでくしゃくしゃとかきまわします。
「ま、おまいらも、いつまでもハンパやってねーで、そろそろ成仏しろや」
 ちょっと悪擦れした不動明王様のようです。
 あっというまに平らに均されてしまったしかばねさんたちから、なにやら半透明のしまりのないちゅーぼーやら、とっちゃんぼーややらが、ダラダラと立ち上がります。
「ま、そやね」
「若い内だけよ」
「そろそろオトナになんねーとな」
「しかしまー、なさけねーよなあ」
「こんなガキに負けてどーすんのよ」
 まだ減らず口を叩く、おうじょうぎわのわるいとっちゃんぼうやに、
「てい!」
 くにこちゃんが必殺くびがためをキメます。
「ぐええええ」
 やっぱりすなおに成仏したほうが、なにかと気楽なしかばねさんたちでした。

 そうして今回もぶじに戦いを終えたくにこちゃんが、ハンパたちを引き連れてお山の彼方に去って行く不動明王さんと、「じゃあ、またな」「かんべんしろよ」「なんでだよ」「もっとシメがいのある奴じゃねーと」「おう、こんど、みつくろっとく」そんなまごころのこもったごあいさつをかわしているとき、庭の隅のおべんじょの中では、たかちゃんがとくになんにも考えないで、ただシアワセにつぶやいていました。
「あー、いきかえる。……ぷるぷる」
 じつはおなじこしつのなかで、ゆうこちゃんもおどおどとじゅんばんを待っていたのですが、ちっちゃい女の子どうしなので、べつにもんだいはありませんよね。
 たかちゃんに続いてゆうこちゃんも、おねしょよぼうのため、しゃがみこみます。
 とんとん、というノックのおとに、
「びくっ」
 思わずもくひょうをはずしてしまいそうになったりしますが、
「おーい、かたづけたぞー」
 たのもしいくにこちゃんの勝利宣言が聞こえました。
 ようじをすませたたかちゃんとゆうこちゃんが、おそるおそるお外をのぞくと、ほこらしげにぶいさいんを立てているくにこちゃんのうしろに、なにかお骨らしいものがたくさんちらばっています。ぺしゃんこになった頭がいこつさんみたいなのも、はずれたじぶんのお顎を、うらめしげにながめているようです。
「……あれ、がいこつさん?」
「おう。もうふんでもけってもへいきだぞ」
 しょうがい、くにこちゃんだけはてきにまわすまい――そうこころにちかう、たかちゃんとゆうこちゃんでした。
「いやー、なかなか。じゃあ、おれもしょんべんしとくか」
 入れ替わりでぎしぎしともくせいの後架をまたいだくにこちゃんは、窓の外の墓場やお寺をながめて、あすはもっと強いおばけを探しに行こう、そうけっしんしながら、しゃがみこみました。
 さてそのとき、おトイレの外では、とくになんにも起こっていませんでした。たかちゃんが、はんかけの頭がいこつさんをなんだか気のどくに思って、かちゃかちゃと組み直してあげているうちに初期のもくてきを忘れてしまい、「おーばーけー」などと頭がいこつさんのお口をかたかた言わせながら、ゆうこちゃんを追い回したりしていただけです。
 でも、ひとしれぬ後架の下では――あのべんじょおばけさんが、どきどきしながら、くにこちゃんのなんだかとってもアブナい、もうひとりのお話のひとに描写をお任せしたら即刻削除確実の、かわゆいおしりなどを見上げていたのです。
 いえいえ、けっしてあくいがあったわけではありませんよ、ねんのため。むしろ、なんどいってもひこうをやめてくれなかったしかばねさんたちを立派にたちなおらせてくれた、かんしゃのきもちでいっぱいだったのです。でも、根がべんじょおばけさんですので、かんしゃのきもちをつたえるしゅだんは、きわめて限られてしまうのですね。
 かんしゃのこころをこめて、やさあしく。
 ぺた。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
 ああ、なんというひげきでしょう。
 異なる民俗や宗教・習慣の間では、良かれと思ってしたことが、好結果につながるとは限りません。太平洋戦争中、飢えた米軍捕虜さんに牛蒡《ごぼう》を食べさせてあげて、終戦後、むりやり木の根を食べさせたと、戦犯扱いされてしまった日本兵さんなどもおります。また現在でも、空腹の回教徒さんに黙って豚さんのお肉を食べさせてあげたら、悪魔の使いと誹られても、場合によっては殺されても死なれても仕方ありません。
 そうです。べんじょおばけさんのまごころは、くにこちゃんのかずすくないじゃくてんを、ちょくげきしてしまったのです。
 ああ、そして起こってしまった、悲しい破局――せんせい、ひととして、とても口にしたくはありません。ひとでなくとも、口にしたくありません。でも、せんせい、ひとであるまえに、いいえ、ひとでなくともそれ以前に、台本を読まないとギャラがもらえません。ですから、もう、この花の乙女の胸の痛みを振り切って、あえて続きを読ませていただきます。
 はい。『――どっぷん。』
 そんなただならぬくにこちゃんのお声や、さらにきみょうなえきたいの音を聞きつけて、たかちゃんたちがかけこんできます。
「……いないよう」
 ゆうこちゃんが半泣きでつぶやきます。
「……がいこつの、ふくしゅう?」
 たかちゃんもぼうぜんとつぶやきます。
「……ここだ」
 そんなふきつなお声が、地の底から響いてきます。
 まさか、そんなベタなお子様ギャグが、いくら作者の創作意欲が枯渇しているとはいえ――おそるおそる後架の下を覗きこむと、
「たすけろ」
 お腰から下をなんかに沈めたくにこちゃんが、むひょうじょうに裸電球の光を見上げています。
 あわてて手をさしのべるたかちゃんとくにこちゃん、そしてふたりのゆうじょうにかんしゃしながら、手を伸ばすくにこちゃん。
 しかし――ああ、ああ、なんという悲しい運命のいたずら。
 くにこちゃんの両手は、すでになんかに浸かってしまっていたのです。
 本能的に手を引っこめてしまう、たかちゃんとゆうこちゃん。
 むなしく空をきる、くにこちゃんのお手々。
 そして、また、『どっぷん。』
 さらに、せんせい、もうほんとにこの場をのがれて、あのぶよんとしてしまりのない、でも懐の温かなお方の胸に飛びこみ、すべてを忘れてしまいたいほどなのですが、ここは心を鬼にして、明日食べる日銭のために、真実をお伝えしなければなりません。
 はい。『――ごぼごぼ。』

 ちんもくがあたりをしはいします。
 あまりのことに、たかちゃんもゆうこちゃんも、ただ凍りついたように腰をぬかしています。
 そして、後架の縁に現れる、黄金の指。
 ゆっくりと這い上がってくる、黄金の人。
 やがてその人影は、ぼそりと口を開きます。
「……おまいら、みすてたな」
 ゆうこちゃんは、あわあわとあわてて手をさしのべようとしましたが、やっぱりその黄金色に濡れそぼったくにこちゃんの肩に、手を置くけっしんはつきません。
 たかちゃんはとってもしょうじきなお子さんなので、すなおにいっぽさがって、「……えんがちょ」などとつぶやいています。
 しかしくにこちゃんは、怒るけはいもなく、蕭然とつぶやきます。
「……ゆるす」
 すでにこの世界の総てを悟り、ルサンチマンの呪縛から解き放たれ、幼児であって幼児ではない、女であって女ではない、生存することの不快や苦悩を来世の解決に委ねる旧来の『人』という存在を越えた、もはやニーチェの言う『超人』――どのような人生であっても無限に繰り返し繰り返し生き抜く、そんなきょうちにたっしていたのでしょうか。
「おれはもう、このよにただひとり。てんてんするもの、すべては、くう。てんじょうてんげ、ゆいがどくそん」
 ああ、くみとりべんじょでおぼれかけるということは、それほどまでに根源的な、弁証法的止揚に直結するたいけんなのでしょうか。
 ごめんねごめんねと泣きそうなゆうこちゃん、すなおに鼻をつまんでえんがちょえんがちょとつぶやくたかちゃん――くにこちゃんは、そんなふたりを半眼でみつめ、黄金仏状態で、なお蕭然とほほえみます。
「すべて、ゆるす。でも――」
 なんだかおめめの奥に、ちらちらと瞋恚の炎が点ったようです。
「いっしょう、きにしろ」
 やっぱり、ルサンチマンのほうが強かったみたいですね。

     ★        ★

 なんだか裏庭のほうから大騒ぎが聞こえ、俺は目を覚ましてしまった。枕元のトラベル・ウォッチを見ると、草木も眠る丑三つ時だ。
 お嬢様たちがいないわいないわと、あわてて飛び込んできた恵子さんといっしょに、俺は裏口から外に出た。
 妙にごつごつと歩きにくい裏庭を進んで行くと、恵子さんが何かにつまずいたらしく地べたにコンバンワして、それから「うひゃあ」と一尺ばかり飛び上がった。
 しゃれこうべを抱えている。
 目の前に抱えたまんま、いつまでも「ひえ、ひえ」などとかわゆい悲鳴を上げ続けているので、俺はそのしゃれこうべを引ったくろうとしたのだが、恵子さんはなぜだか離してくれない。しゃれこうべに指を食い込ませたまんま、「ひん、ひん」などと涙をこぼしている。パニックに見舞われた人間というものは、つくづく面白い。
 なるべく優しく、その案外細くて綺麗でネイル・アートなどという審美的にも怪しげな悪弊に毒されていない指を一本一本外してやり、しゃれこうべを藪に投げ捨ててやると、恵子さんはにっこり頬笑んでから、そのまま仰向けに失神した。俺はやっぱり背後霊などという代物はいてもいなくても大して変わらんなあと思いながら、恵子さんをしょって、声のする離れ便所に向かった。しゃれこうべなど怖がっていては、自分の脳味噌を後生大事に守ってくれている自分のしゃれこうべに対して申し訳ない。
「……何やってんだ」
 離れ便所の中で展開していた光景には、肥溜めだらけの田舎で育った俺も、さすがに絶句した。
 しかし、こちらを向いたくにこちゃんの黄金色の顔から覗く、なにかせつなくすがりつくような視線には、正直、胸がきゅううううんと締めつけられた。キャリア・ウーマンなど強い女がある瞬間見せる、総ての威嚇を脱ぎ捨てたような儚げな瞳は、千金の値がある。それは意地っ張りのろりでも同じだ。
 俺はくにこちゃんを裏口の風呂に連れて行き、残り湯でざぶざぶ洗ってやった。かねがね一度はやってみたいやってみたいと思っていた、着衣のろりを一枚一枚剥く、そんな普通なら逮捕されてしまうような行為を、おおっぴらにやるまたとない機会だ。綺麗なおべべを剥ぐのは違法だろうが、なんかまみれのパジャマや下着を脱がせてやるのは、人として当然の行為である。いつもは攻撃的なくにこちゃんも、借りてきた猫のように大人しい。息を吹き返した恵子さんも当然咎めず、頼んだとおりにせっせと湯船に水を足し、内蔵の鉄竃に薪を足してくれる。やはり自分の腹を痛めた子供でもないかぎり、全身なんかまみれを洗ってやるより、水や薪のほうがまだましなのだろう。
 自慢ではないが、俺はなんかまみれの人間という物に、幸か不幸か耐性がある。赤ん坊のおむつは替える機会がなかったが、その代わり婆さんのおむつは仕事に忙しい父や母に代わって時々替えてやったし、首を剃刀で切って蒲団ごと血まみれになった叔母なども、世話してやった事がある。いい歳こいて未だに独りでいるのも、正直言って自分がその時の親父、つまり家長という役柄を勤める自信がない、それだけの弱さのためである。当時子供だった俺は、その時の婆さんや叔母に抱いた感情を、いい大人になってからも自分の『負の部分』として、未だに捨てきれない。だから、ろりが好きだ。ろりならたとえそれが何にまみれていても、無条件で許せる気がするのだ。
 話が辛気くさくなってしまった。
 とにかく俺は明け方までかかって、何度もくにこちゃんを洗っては風呂に沈め、女の子として復活させてやるのに努めた。明け方近く、何度目かのシャンプーの後、「……くさいか?」と心配するくにこちゃんの若草のようなショートカットに鼻をつっこんで、「よし、完璧」と元気良く言ってやると、くにこちゃんは、たんぽぽのように笑った。

     ★        ★

 ――はい、薄汚いろり野郎の感傷に、騙されてはいけません。くにこちゃんを洗ってあげながら、この世に警察というものがなければ、あーもしようこーもしよう、などと、不埒な思いを抱いていたに違いありません。
 さて、ようやくぴかぴかのいちねんせいらしく、身も心もせいけつに戻ったくにこちゃんがお部屋に戻ると、寝ないで待っていたゆうこちゃんは、さっそくよよよよよと、くにこちゃんにすがりつきます。
「ごめんね、ごめんね」
「……くさいか?」
「ううん、ちっとも」
 たかちゃんは、もう大の字になって、のんきに白河夜船じょうたいです。
「くーくー」
 くにこちゃんはその瞳にむらむらと瞋恚の炎を蘇らせて、ちからいっぱいキチンウイング・アームロックをしかけます。
「ぬおおおお」
「ぎぶ、ぎぶ」
 たかちゃんがすなおにこうさんしたので、ちょっとひとにやさしいきもちになっていたくにこちゃんは、あっさり許してあげることにしました。
「……くさいか?」
 たかちゃんは、くんくんとくにこちゃんのからだをあちこちかぎまわり、とっても正直におこたえします。
「……びみょう」
 ときに、正直が美徳とは限らないのですね。
 くにこちゃんはたちまちたかちゃんにさかさに巻きついて、たかちゃんのさいだいのじゃくてん、おあしのうらこうげきをしかけます。
「こうしてやる!」
「ひゃははははは。きゃはははははは。し、しぬ、しぬ」
 やっぱり、とってもなかよしさんにんぐみです。

 さて、さらに、その同じ頃――。
 墓場のむこうの廃寺の、奥まった後架のなかで、あのべんじょおばけさんは、いつまでもくすんくすんと泣き続けていました。
 じぶんはほんとうにお礼を言いたかったのに、その心があだになってしまった――でも、べんじょおばけさんは、べんじょおばけさんであるかぎり、そんな自己表現しかできないからだなのです。
 じぶんのほんとうのおうちであるこのお寺には、もう住職さんも小坊主さんも住んでいません。またあのおうちに行って、誰かのおしりを優しくなでてあげたいのですが、きっと、べんじょおばけさんのまごころは、もう通じない世の中なのです。
「……しんでしまいたい」
 無理ですね。
 また、しかばねさんたちなどと違い、あくまでもようかいのなかまなので、じょうぶつというがいねんもありません。
 くすんくすんと泣き続ける――どなたですか、「腕だけでどうやって泣くんだよ」、そんなかわいくねーツッコミを入れる、ひねこびたよいこのひとは。はい、そこのあなた、こんどのにちようび、せんせいといっしょに、おべんと持って、東尋坊に遊びに行きましょうね。二十メートルの絶壁をまっさかさまに落下しながら眺める日本海は、それはそれは美しいものだそうですよ。
 はい、くすんくすんと泣き続けるべんじょおばけさんの指先に、ふ、と触れる物がありました。
 なんだろう――指先に優しく触れた物、それは、一輪の百合の花でした。
 みあげると、じょうぶつしたとばかり思っていたしかばねさんのひとりが、後架の上からべんじょおばけさんを見下ろしています。
 はい、あのとき藪を見返っていた、ちょっと正しい青春っぽいしかばねさんです。思うところあって、くにこちゃんとのたたかいには加わっていなかったのですね。
 ふしぎそうに見上げるべんじょおばけさんと、おだやかにみおろすしかばねさん、じっとみつめあうお便所の窓からは、やがて陽の光が差しはじめます。
「……こんど、俺のお棺に、遊びにこないか」

 そんな、お山の廃寺の、ある朝でした。





                                    〈続く〉




(筆者注・しつこいようですが、もし既出の趣向やギャグがありましたら、詳しくご指摘いただけると幸いです。無い知恵しぼって書き直しますので)

2005/08/25(Thu)00:49:38 公開 / バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
なんだか遅筆に悩んでおられる方々も多いみたいですが、気にすることもないのでは。模索を繰り返すのが当たり前であって、数語をひねり出すのに一日悩むのも、ホラ吹き志望の本道ではないかと。なんて言っといて、こっちの話は二日で一章打ち飛ばしたりしてしまう無責任。でも、別種のお話だと、400字詰め換算30枚進めるのに、10日かかったりします。
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