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『中学生の頃の記憶』 作者:上下 左右 / 未分類 未分類
全角14493.5文字
容量28987 bytes
原稿用紙約42.3枚
 もう、八月の中旬だというのに何日も何日も雨が続いていた。
 そんなきびしい季節の中、今日は珍しく晴れ、天気予報でも降ることはないといっていたので傘を持つこともなく外に出かけた。それがこの結果だ。傘を持ってきていない私はこうして雨宿りをすることになってしまったのだ。
 まるで上からも下からも降ってきているかのような豪雨。もしも傘を持ってきていたとし ても、あまり意味がなかったかもしれない。前を歩いていく人たちのズボンはずぶ濡れになってしまっている。そういう私は上から下までずぶ濡れなんだけどね。傘を持って道を歩いていく人たちは、チラリと私を見るだけですぐに通り過ぎて行く。
 人通りがだんだんと少なくなっていく。時間を見てみるとすでに8時を回っていた。1時間はここにいた計算になる。ああ、今日こそはオリンピックをゆっくり見れると思ったのに。今頃は女子柔道が始まってしまっている。今年は金メダルを取ることができるという選手がいる。私はその人のことをよく知らないが、みんながそれだけ言うのならきっと取ってくれるはずだ。その瞬間を見たかったのに。
 降り出したときに濡れてでも帰っていればよかった。今さらその気にはなれない。
 雨宿りを始めて少しの間は携帯で暇つぶしができたのにだが、電池の残りが少なくなってきたのでそれもできなくなってしまった。仕事の電話がいつ入るかわからないので常に連絡がつくようにしておかなければならない。
「そんなにボ〜ッとしていると、後ろから襲われちゃうよ」
そんな風に、ボ〜ッと暗い空を眺めている時だった。隣から突然声が聞こえた。
「!!」
 私は声のするほうを見た。そこには23,4の男がかばんの中から出したタオルで頭を拭いていた。まさかこれだけ近くにいるとは思わず、男性をこれほど近くで見たことのない私はすぐに顔を戻す。
 おそらく、私の顔は真っ赤だ。それを見られたくなかったというのもある。
「すごい雨だな。7時ぐらいから急に降り出して、ずっとこの調子だもんな」
 いきなりため口で話かけてくるなんて礼儀を知らない人だ。私は無視をしながら下を見る。まだ、激しく降る雨は地面をはねている。道一面には水がたまり、それが街灯を反射している。
 私が立っている場所は有名なフランス料理店の前だ。そこは四人は入れるだろうという屋根があり、そこで雨宿りをしているのだ。だが、そこは入り口ではないので邪魔にはならないはずだ。
この店は何組ものカップルが何日も前から予約をし、喜びながら中に入っていく。よく見るとそれは彼女のほうであって、男のほうは少し苦笑い気味だ。大体のカップルがそうだった。おそらく、彼氏のほうがいいところを見せようと全額を払うからだろう。
「お前、篠原なんだろ?」
 今度は私の苗字を呼ばれた。服にもバッグにも名前を表記している覚えはない。
「なんで私の名前、知ってるんですか?」
 振り返ることなく私は男に聞いてみる。
 その時だった。ポケットに入れていた携帯が鳴り出した。着メロは私が好きな昔の歌手のものだ。あまり売れることが無く、そのまま自然消滅してしまった。これをダウンロードしたサイトは、どうしてこんなものを作ったのか不思議でたまらない。私以外にとった人はいるのだろうか。でも、私はそんな人の歌が今までで一番良い曲だと思っている。今流行っているラップやパンク系といったものがどうしても好きになれない。
「すいません。自分から質問しておいて」
「いやいや、かまわないよ」
 どうしてこの男性がここまでなれなれしいのかはわからない。不思議な人だ。さっきチラッと見ただけでは、一度も会ったことが無いはずの顔なんだけど。
 私は携帯の画面を見た。この番号は仕事友達の良子だ。こんな時間に何のようなのだろう。
「もしもし、私だけど?」
 電話の向こう側から明るく、はしゃいでいる良子の声が聞こえた。こんなときの彼女はなにかいいことがあったか、その予定があるときのものだ。
 話を聞いてみると明日、会社の仲間と合コンをやるらしい。しかし、一人がドタキャンしたので相手を捜している。そこで私に誘いの電話を入れたとのことだ。今まで一度も合コンの誘いをOKしたことはない。なのに、あきらめることなく電話してくる彼女の根性がすごいと思う。
 もちろん、この電話の返事はNO。今は彼氏を作りたいと思わないし、ああいう人間が多いところは好きじゃない。嫌いとはいえないから生活を行う分には気にしないが、自分からそういう環境に入ろうとは思わない。
 一度断ったのに、良子は何度も私の説得を試みている。そのたびに私はこう言い返した。
「いやっ」
ついに我慢の限界がきた私は、最後に一言だけ言うと電話を切る。それから一時期電話がかかってくることはなかった。おそらく今日はかけてこないだろう。いい人なのには変わりないが、しつこいところがたまに傷である。
「それで、どうしてあなたは私の名前を?」
 そう聞いたのだが、相手からの返事が帰ってこない。その代わりに、電話をしている声が後ろから聞こえてきた。さっきから後ろでも声がしていたと思ったら独り言じゃなく電話をしていたのね。
「いや、そんなことはない。資料は全て君の課の部長である狩野君に渡してあるからそれを元にして資料を作成してくれ。明日の会議には遅れないように。それじゃぁ」
 どこかのお偉いさんがしていそうな会話だ。部長を君付けで呼んでいるということは会社ではそれなりの地位にいるという証拠。こんな礼儀知らずな人間が社長をしているんだからまともな会社じゃないとは思うけど。
「悪い悪い。俺もいろいろと忙しくてな」
 携帯をしまうと、彼はこっちを向いた。
 私は自分が濡れるの覚悟で少し下がり、相手の顔を直視する。相手も同じこと考えていていたようで、さっきよりも少し距離が開いた。
「もう一度ききます。どうしてあなたは私の名前を知っているんですか?」
 この質問をするのは三度目だ。さっきから邪魔がはいてしまう。
 男は少し困ったような顔をして答えた。
「ひでぇな。ほんとに忘れちまったのか。俺だよ俺、田島だよ」
 田島。仕事仲間にも同じ苗字の人がいるがこんな人じゃない。もっとまともでいい人だ。
「私、あなたとは会ったことないはずなんだけど」
「ひでぇな。中学の頃付き合っていただろ?」
 そういえば、私の記憶の隅っこにその名前があった。でも、そのことを思い出そうとするとなにかが邪魔をしようとする。
 中学生の頃は体が弱く、入退院を繰り返した。だから、その頃の記憶は病院で過ごしていた頃のものがほとんどだ。学校ではあまり友達ができず、隣にいた老人や私の世話をしてくれた看護婦さんだけがいい話し相手だった。そういえばそのとき、一人の男の子が同室に入院してきたようなきがする。あまり覚えてはいないけど・・・。
 その子に私は告白され、入院中の間だけ付き合っていたことがあった。しかし、退院と同時に連絡をとることもなくなり、そのまま自然に記憶の中から消えていった。あの時は連絡する方法も無かったのだ。今こそ携帯電話が普及しているが、あの頃はそうでもなかった。
 お互いに住所も電話番号も聞いてなかったのでどうしようもなかった。名前と年齢ぐらいしか知らない。たしか、名前は田島 博人・・・。
「ヒロ・・・君?」
「やっと思い出してくれたか、裕子。ひどいぜ、忘れちまってるなんて」
 わかるはずがない。あの時はたしか15歳。今は25歳ぐらいというところだろう。あの頃の年齢は一番顔が変化するじきだ。だがよく見ると、その顔はあまり変わっていないように思える。
 明らかに違うのは髪形だ。前はたしか、少し長いぐらいだったような。今は肩まで伸ばしている。髪の長さが違うだけで、こんなに変わるものなのかな。
「ひさしぶりだね。今まで何してたの?」
「お前、先に退院しちまうもんな。ひでぇよ。最後に挨拶ぐらいしてくれてもよくなかったか?」
「仕方ないじゃない」
 あれ?あれだけ仲のよかったヒロにどうして別れも言わずに行ってしまったのだろう。いくら時間がなかったとはいえ、それぐらいは出来たはずなのに。まっ、いいか。あの時は何かといろいろあったに違いない。
彼のことを少しずつ思い出してきた私は、昔の話でその場を盛り上げた。
 昔、彼は私に会うために病室を抜け出したことがあった。そのとき、私はみんなのいる大部屋から一人だけの個人部屋に移されていた。病状が悪化したので精密検査を行うためだそうだ。
 彼が抜け出したという時間はすでに寝ていたが、聞いた話によると看護士の人が総勢で探し出し、こっぴどく怒られたそうだ。見つかったのは私の病室の前。すでに私たちの関係は病院内に広がっており、私に会いに来たのではないのかという説が確率的には高かった。だが、それを彼は断固否定していた。
「あの時、どうしてあれだけ否定したの?」
 ヒロの姿が見えなかったので、一人で散歩に行こうとしていた時。病室の前で怒られている彼の姿があった。
「恥ずかしい話なんだがな、実はお前に会いに行くって抜け出したのってあれで初めてじゃなかったりするんだ」
 話によれば、病室を抜け出したのは合計13回。そのうちの12回は廊下で見つかっていた。だが、その日は看護士の人たちが少なく、かなりいいところまで行ったらしい。しかし、最後の最後に油断してしまって捕まえられたらしい。
「それでな、次おまえに会うために部屋を抜け出したら寝る時ベッドに縛り付けるっていわれたからよ。気合入れたんだぜ」
 私が知らない間にいろいろなことやってたのね、この人。
「それにしても、あなた変わったわねぇ。特に髪とか」
「そりゃそうだろ。もう10年もあってなかったんだからな」
 こんな話をしていると、時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。すでに時間は9時を回り、雨もすっかりやんでいる。まるで、さっきまでの雨が嘘のようだ。町の明かりで星は見えないものの、満月がそれを補うぐらいきれいに輝いている。このような空は大変珍しい。
 明日は仕事が休みなので早く寝なければならないということはない。だから、私はゆっくり話がしたかった。近くにあるファミレスに入りたいとも思ったが、この雰囲気を保ちたいという気持ちのほうが強かったのでなにも言わずにそのまま続ける。
「でも、裕子はぜんぜん変わらないよな。髪型といい顔といい」
 私は皆から童顔とはよく言われるけど、ほんとうに成長していないのかな。髪型に関しては、のばすと朝早く起きてセットするのが面倒くさいのだ。そんなことを毎日するのなら、髪はあまりのばさないほうはいいと考えている。だからずっとショートヘアーのままなわけ。
「ほっときなさいよ!」
 私はそう怒りながらも、たぶん顔は笑っている。ひさしぶりに会ったヒロとの会話はとても楽しい。病院にいた頃も彼の話は面白く、いろいろなことで落ち込んでいた私はよく励まされたものだ。病気の恐怖を忘れさせてくれるほどに楽しかった。
「そうだ、せっかくあったんだから電話番号をここに書いてくれよ」
 彼はそういうと、ポケットからメモ帳を出してその一ページをちぎる。
 私は、どうして携帯に直接入れないのかを聞こうかと思ったが時間やらいろいろな都合があるからだろうと思った。
「悪い、そろそろ仕事に戻らないとな」
「ちょっと待ってよ」
 電話番号を書き終わり、ヒロにその紙を渡す。すると、彼は時計を見ながらさっさと暗く、細い道へと消えていってしまった。自分の電話番号も言わずにどこかへ行ってしまうなんて、あいつはほんとに常識というものがないのだろうか。まぁ、昔からそういう人ではあったが。
 私は水溜りがたくさんある道を自分の家に向かって歩いていた。ヒロと話している時は本当に楽しかった。しかし、なにかが引っかかる。まずは通行人の目だ。まるでヒロが見えていないといった風に私だけを見ていた。なにか、哀れみを含んでいたような気もする。
 そして、一番の理由はどうして私が彼のことを忘れていたかだ。あれだけ楽しく、幸せな日々を忘れるわけがない。そして、あれだけ印象深い彼のことを。それなのに、私の記憶には彼の名前しかなかった。
 なにかもやもやしたものが私の中をいっぱいにしている。まるで真っ白な霧の中を歩いているような不安感だ。
 そんな気持ちを振り払いたくて、家に着くと何よりも先にシャワーを浴びる。
 蛇口をひねると勢いよくお湯が出て、見る見るうちにその湯気が浴室を包み込む。
流れ出るお湯が今日一日の疲れを全て洗い流してくれた。やっぱり、あれは気のせいなんだ。通行人が私を哀れみの目で見ていたのは仕事に疲れていて大変だなと思ってくれていたから。ヒロのことを忘れていたのもただの物忘れ。
 体の汚れ、疲れ、不安を洗い流した私は家の冷蔵庫に入っているもので夕食を作ろうと考えた。ちょうどいい感じに牛肉が残っていたので塩と胡椒で炒める。もちろん、ご飯はレンジでチンの冷凍ものだ。OLの一人ぐらいで自炊している人なんてそうはいない。
このとき、シャワーで洗い流したはずの不安がよみがえってきた。浴室で思ったことを全て否定してしまう。他人が私のことをそれだけの理由で哀れみの目を向けるわけがない。ただのど忘れで彼のことを忘れるわけがない。
 今考えてみると、私は彼と出会ってからの3ヶ月、退院する時の記憶が曖昧にしかない。彼と付き合っていたことは確かだ。だが、具体的にはいったい何をしていたのだろう。一日中部屋の中で話していたのか、それとも外に出て日向ぼっこをしながら話をしていたのか。あの頃の私の体では外で遊ぶということができなかったので話すか散歩ぐらいしかすることはなかった。
 それすらも覚えていないなんて、私の記憶はいったいどうしてしまったのだろうか。いくら思い出そうとしてもなにかが邪魔をして表に出ることはない。まさか、忘れているんじゃなくて封じ込めているだけ?いったい、どうしてそんなことをしなきゃいけないのか。
 考えるのはやめよう。なんか、今日はいろいろなことがあった。夕方は大雨でオリンピックは見れなかったし、服はびしょ濡れになった。夜は昔の恋人に会ったが、不思議な疑問で頭がいっぱいになってしまった。もう、寝ちゃおう。

 
「ヒロ君。どうして私と付き合おうと思ったの?」
 私は隣に座っているヒロに聞いてみた。今、私と彼は付き合っている。一週間前に入院してきたヒロは、その夜に告白してきたのだ。私は、その行動に少し軽蔑を感じるところもあった。よく知らない人間に対して突然愛の告白をするなんて信じられなかったのだ。しかも中学生で。
 でも、私も彼のことは嫌いではなかった。第一印象はとても明るくいい人で、何よりも話していてとても楽しい人だった。最初、私の隣のベッドに来た時は少し怖かったが、そんな不安もすぐになくなった。
 彼がどうして入院してきたのかは教えてくれなかった。私はちゃんと教えたのに、自分の番になるとはぐらかしたのだ。結局、彼の病状は聞かされてはいない。
「どんなところって聞かれてもなぁ」
 彼は答えにくそうな顔でこういった。
「その、かわいい目・・・かな」
 言ってすぐ、こちら側に後頭部を向けた。あまりにも恥ずかしくて顔が真っ赤になっているのを見せたくはないんだろう。その顔が見たいがために今のような質問をしたのにちょっと残念だ。
「お前こそ、どうして俺の告白にOKっていったんだよ」
 顔の色が戻った彼が、まるで小さな子供がいたずらをして喜んでいるかのような顔で私に問いかけた。まさか、こんな質問が返って来るなんて思いもしなかった私は、しばしばの沈黙に襲われた。
 そして、少し時間が経ってから私は答えた。
「その揺るぎのない目・・・かな」
 今度は私の顔が真っ赤になる番だ。すぐに布団で顔を隠す。もちろん彼はそれを無理に剥ぎ取ろうということはしなかった。常識はないがデリカシーがないわけではない。
 二人ともこんなにクサイ台詞を言っているが、おそらく考えていることと違う。少なくとも私は違った。ただ、彼が私の目が好きといってくれたので私もそう答えたのだ。実際、どこが好きといわれても困るのが恋というものだ。先にそのような質問をしたのは私ではあるのだが。
 部屋にはほかに六人の患者さんがいる。私と彼以外は全員60歳を超えているおじいちゃん達ばかりだからすでに眠っているはずだ。いや、そう信じたい。もしも起きていて、今のことを聞かれていたらこの病院全体に今の恥ずかしい会話が広まってしまう。それだけは勘弁して欲しい。
 さっきの会話からずっと静寂を保っている。あんな会話をしたので二人とも話しにくいのだ。私はまだ頭に布団をかぶったままだ。ヒロがなにか話し始めてくれないと出て行きにくいよぉ。
「俺な、今のうちにお前に言わなくちゃいけないことがあるんだ・・・」
 彼がなんの前触れもなしに話し始めたので、私は急いで顔を出して返事をする。
「実は俺、もうすぐ・・・」

 
 私が目を覚ました時、朝の11時をとっくに過ぎていた。耳元で携帯がなっているからだ。こんな時間にいったい誰なのだろうか。たしか、今日は誰とも会う約束はしていなかったはず。遅刻電話は来るはずがない。
 しぶしぶ電話の画面を見た。画面には今まで書けたことがない電話番号が表示されている。私、誰かに電話番号教えたかな?
「もしもし〜」
 起きたばかりなので気のない返事を帰してしまった。もしも仕事関係の電話なら画面にその人の名前がでる。おそらく友達かなにかだろう。だからこれだけ気が抜けていてもOKなのだ。
「恐れ入りますがどちら様でしょうか?」
「突然の電話恐れ入ります。私、田島というものですが」
 その人は田島と名乗った。その名前はヒロの苗字。たしかこの声はお母さんだ。歳をとってしわがれてしまっているが、特徴のある低い声。それは10年前によくお見舞いに来ていたあの人だ。でも、本人ではなくどうして実家から電話がかかってくるのだろうか。私が連絡した覚えもないし、もちろん携帯電話なので電話帳には載っていない。
「すみませんが、そちら様はどちら様でしょうか?」
 はっ?自分からかけてきたくせにそんなことを聞くなんて、ヒロのお母さんはどうかしてしまったんだろうか。
「私ですよ、裕子。篠原 裕子ですよ」
「えっ・・・?まさか、中央病院に入院していた裕子ちゃん!?」
「そうです、私ですよ。ひさしぶりですね!」
 ひさしぶりに声を聞いた感動を大声をだしてしまった。確か隣の人は両側とも今日は仕事のはずだ。よかったぁ。もしもいたら文句を言われるところだった。
 ヒロのお母さんがさっき掃除している時、見覚えのない電話番号が書いた紙があったらしい。気味が悪いので捨てようとしたが、誰かが電話してくれといったそうだ。もちろん回りには誰もいなかった。これもなにかの縁であろうとその番号に電話をした。今の常識からでは考えられない話だ。もしも、その電話番号が私じゃなくてヤクザの事務所につながっていたらどうするつもりだったのだろうか。
 今日といい昨日といい、つくづく不思議なことが起こる。懐かしい人に会い、同じくらいひさしぶりの人の声を聞くことができた。私はお母さんとの会話に華を咲かせた。退院した後の話から就職するまでの話。就職したとの話。このときもまた、時間を忘れることができた。
「それで昨日、ヒロにあったんですよ〜」
 私は機能あったとてもうれしかった出来事を話した。普通なら、ここで一番盛り上がるはずだった。「あら、偶然ねぇ」とか「昔の赤い糸が結びついたままなのかしら」とかいう言葉が返ってきてもおかしくはない流れだった。
 しかし、相手から返ってきた言葉は予想を反するものだった。
「えっ、ほんとに博人に会ったの?」 
 明らかに空気が変わった。空気の温度が2、3度下がったかのような気分だ。お母さんの声は少し振るえているが、無理にそれを隠そうとしている。
「ちょうどよかったわ。あなたに言いたいことがあったの」
 彼女の話では、近いうちにヒロの実家に来てほしいとのことだ。なにか渡したいものがあるらしい。明日と明後日は休みだが、すこし時間をおいて一週間後に伺うと返事をした。
「それじゃぁ待ってるから」
 それだけ言うとさっさと電話を切ってしまった。さっきまでの楽しい思いを打ち消すかのような嫌なきり方だった。
さっきもヒロのことで私はいろいろと頭を使い、今もヒロの話をしたら相手の様子が変わった。一体何なのだろうか。ヒロのことになると回りの様子がおかしくなってしまう。
 彼の実家に行けばなにかわかるのかしら・・・。
  

「ヒロ君。どうして私と付き合おうと思ったの?」
 私は隣に座っているヒロに聞いてみた。今、私と彼は付き合っている。一週間前に入院してきたヒロは、その夜に告白してきたのだ。私は、その行動に少し軽蔑を感じるところもあった。よく知らない人間に対して突然愛の告白をするなんて信じられなかったのだ。しかも中学生で。
 でも、私も彼のことは嫌いではなかった。第一印象はとても明るくいい人で、何よりも話していてとても楽しい人だった。最初、私の隣のベッドに来た時は少し怖かったが、そんな不安もすぐになくなった。
 彼がどうして入院してきたのかは教えてくれなかった。私はちゃんと教えたのに、自分の番になるとはぐらかしたのだ。結局、彼の病状は聞かされてはいない。
「どんなところって聞かれてもなぁ」
 彼は答えにくそうな顔でこういった。
「その、かわいい目・・・かな」
 言ってすぐ、こちら側に後頭部を向けた。あまりにも恥ずかしくて顔が真っ赤になっているのを見せたくはないんだろう。その顔が見たいがために今のような質問をしたのにちょっと残念だ。
「お前こそ、どうして俺の告白にOKっていったんだよ」
 顔の色が戻った彼が、まるで小さな子供がいたずらをして喜んでいるかのような顔で私に問いかけた。まさか、こんな質問が返って来るなんて思いもしなかった私は、しばしばの沈黙に襲われた。
 そして、少し時間が経ってから私は答えた。
「その揺るぎのない目・・・かな」
 今度は私の顔が真っ赤になる番だ。すぐに布団で顔を隠す。もちろん彼はそれを無理に剥ぎ取ろうということはしなかった。常識はないがデリカシーがないわけではない。
 二人ともこんなにクサイ台詞を言っているが、おそらく考えていることと違う。少なくとも私は違った。ただ、彼が私の目が好きといってくれたので私もそう答えたのだ。実際、どこが好きといわれても困るのが恋というものだ。先にそのような質問をしたのは私ではあるのだが。
 部屋にはほかに六人の患者さんがいる。私と彼以外は全員60歳を超えているおじいちゃん達ばかりだからすでに眠っているはずだ。いや、そう信じたい。もしも起きていて、今のことを聞かれていたらこの病院全体に今の恥ずかしい会話が広まってしまう。それだけは勘弁して欲しい。
 さっきの会話からずっと静寂を保っている。あんな会話をしたので二人とも話しにくいのだ。私はまだ頭に布団をかぶったままだ。ヒロがなにか話し始めてくれないと出て行きにくいよぉ。
「俺な、今のうちにお前に言わなくちゃいけないことがあるんだ・・・」
 彼がなんの前触れもなしに話し始めたので、私は急いで顔を出して返事をする。
「実は俺、もうすぐ・・・」


 私が目を覚ました時は、関門トンネルを通っている時だった。トンネルに入った時にする独特の音で起きてしまったのだろう。なにか懐かしい夢を見ていた気がするのだが、内容を思い出すことは出来ない。まぁ、夢なんてそのようなものだろう。
 ヒロや私が入院していたのが九州にある病院。私の親の知り合いがその病院の関係者で、特別に入れてもらったのだ。その人は私のかかっていた病気の研究をしており、そこなら治すことが出来るといわれていたからわざわざ遠くにいったのだ。
 駅では彼のお母さんが待ってくれているとのことだから、迷うことはないはずだ。あと、2、3個先の駅のはずだ。あっちの家に2,3日は泊めてくれるという話なので、宿泊費のために卸してきたお金は会社へのお土産にしようかな。
 それにしても、渡したいものとはいったい何なのだろうか。しかも、ヒロからではなく彼のお母さんからだ。もちろん、病院にいた時も親しくさせてもらった。とても親しみやすく、いい人だった。どうやったらこんな人からヒロのような常識はずれな人が生まれたんだろうと思いたくなるほどだ。
 私は、なんだか嫌な予感がしてならなかった。失礼かもしれないが、私は見ないほうがいいものを渡されるような気がしてならないのだ。知ってはならないことを知ってしまうような気がしてならなかった。家を出る時、やはり行くのをやめようとしたが一度いったことは仕方がない。覚悟をきめて無理に来たのだ。
 

 駅に着くと、ヒロのお母さんが真っ黒な着物をきて立っていた。どこかお葬式をおも和えるような服装だ。お母さんはあの時とは変わり果て、まるでなにか嫌なことがあったかのようだ。家に案内してもらっている間、私はなんの説明もされなかった。いくら聞いても「くればわかります」とだけ言って答えてはくれなかったのだ。 
 私は彼の家について、信じがたいものを見た。
 昨日あったばかりのヒロの遺影があったのだ。
 どうして・・・。私は昨日彼にあったばかりなのよ。もしも昨日死んだとしても、遺影には昨日のような彼が使われるはずだ。しかし、それは10年前に見た中学生時代の彼だった。
「だから、昨日あなたが博人を会ったと聞いた時私は、私は・・・」
 彼女はそこまで話すと泣き出してしまった。
 私は理不尽ではあったが、彼の遺影があるところまで行く。
 最初はもちろん信じることができなかった。
 私の頭の中でなにかがフラッシュバックする。


「俺、実はもう少ししたら死ぬかもしれないんだ」
「何をいってるの?あなたはそんなに悪い病気なの?」


 なんなのこの映像は・・・。私の中学生時代。私が封印してしまっている記憶・・・。私が思い出したくない過去。


「そうか、お前は先に退院しちまうのか。よかったよ、俺の死ぬ前で」
「なに弱気なこといってんのよ。あんたはまだまだ死なないわよ。というか、死なせてくれないわよ、地獄の閻魔様がね」
 まだ若い私が冗談交じりの笑みを浮かべながら彼にそういっている。 

 
「先生。患者の呼吸が!」
「わかっている。カウンターショックを準備しろ!」
扉の向こうで、誰かの病状が悪くなったらしい。看護士も先生も一生懸命だ。この部屋の向こうはたしかヒロの病室だ。
「ダメです。まったく反応ありません!」
「だめか」
 最後にそういう声が聞こえたような気がした。


「さぁ、早く来なさい」
 私はお母さんの手に引かれて病院の廊下を歩いていた。あれからヒロには一度も会うことができなかった。みんなは別の病院に移ったといっていたが、もう私だって子供じゃない。彼が死んだというのぐらいわかる。そう、彼は帰らぬ人になってしまった。あの日、ヒロが言ったことは本当になってしまったのだ。
 もちろん信じたくはなかった。でも、信じるしかなかった。こんなことになるなら私はあなたのことを知らなければよかった。
 その日から、私は一生懸命彼のことを忘れようとした。


 そう、私は全てを思い出した。ヒロは死んだ。それを私が忘れようとしたために彼のことを記憶の奥底に封印してしまった。そして、あることないことを勝手に作り出し、もしも思い出しそうになった時はそれを引き出すようにしていたのだ。
 遺影の前で、いつの間にか私は泣いていた。これが今流しているものなのか、それともあのときに流した涙なのか。それは自分でもわからない。だが、悲しいから泣いていた。これだけは間違いない。
 私が見たのはただの幻想だった。私が作り出した妄想でしかなかった。だから彼は私の想像どおりの容姿をしていたんだ。本物のヒロはこの姿で止まったままなんだね
「そうだ。あなたにはこれを渡さないといけないわね」
 泣いている私をみて、ヒロのお母さんが私に手紙のようなものを渡してきた。表には10年後の裕子へと書かれていた。
「俺の10回忌に渡してくれっていわれたの。あの子、死ぬ前に私の名前じゃなくてあなたの名前を呼んだのよ」
 私に気を使ってくれたのか、お母さんは手紙を渡したらすぐに隣の部屋に行ってしまった。
 涙で視界が揺らぐ。そんな中、手紙を開けて私は目を走らせた。


裕子へ
 お前がこの手紙を読んでいる頃は、俺が死んで10年が経っているだろう。社会人になっているお前の顔が目に浮かぶ。どうせ髪型も変えていないし、いつまでも同じ顔でいるような気がする。童顔だしな、お前は。
 そうそう、お前にはまだ言っていなかったな、俺の病名。まだ教えてやらないよ。そっちの方が面白そうだからな。
 俺がどうして10年後にお前を呼んだのかというと、ある夜夢を見たんだ。それは死んだあとに行く死後の世界ってやつだったのかもしれない。そこで俺はある人物に出会った。いや、人物というのは間違っているな。あれは人以外のものだったからな。おそらく死神と呼ばれるものだろう。そして、そいつが俺に言うんだ。二つの選択肢があると。ひとつは残りの1週間を苦しみながら生きるか、それとも今すぐに命を明け渡し、ちょうど10年後に一番大切な人に合わせてやると。
 考えたさ。お前と別れるのはつらいがあと何日かの命。それならもう一度だけ会いたいと思った。大人のお前を見てみたいという衝動にかられたんだ。そして返事をしたんだ。俺の命を持っていけ。その代わり、かならず10年後に合わせてくれと。死神はわかったとだけ言って消えた。
 その夢をはっきりと覚えていた俺は、起きてすぐにこの手紙を書いた。
 俺は、死んでも決してお前のことは忘れない。かならずお前のところに会いに行く。いや、これを読んでいる頃にはもうあっているのかもしれない。どうだった、俺の成長した姿。あいつに頼んだらちゃんと成長した姿で合わせてくれるって言ってたからな。
 それじゃぁな、俺はもうこの世に未練なんかない。そろそろ成仏するとするよ。


 彼の手紙はここで終わっている。まるでマス目でもあったのかと思えるほどに並びはいいのに、文字自体はお世辞にもきれいとはいえない。読めないと思った字もいくつかあった。そういえば、ヒロが書いた字を見るのはこれがはじめてだった。
 本当にあいつは馬鹿だ。読んでいる間、涙止めどなく流れ続けた。目が痛い。あいつに未練が無くたって、全てを思い出した私は未練しか残らないじゃないの。残されるほうの身にもなってみなさいよ、っていいながら殴りたい気持ちだ。もちろん、それがかなわないことぐらい私にもわかっている。
 ここに書いてあることが本当なら、昨日見た彼は幽霊ということになる。ちゃんと彼の自我のある幽霊。こんなことならもっと彼と話をしておけばよかった。それよりもあの時、彼を帰さなければよかったと後悔した。
 ヒロ。
 私はもう一度会いたいと思った。しかし、手紙のとおりなら死神との契約は果たされてしまっている。もう、彼と会う機会はない。
 そのとき、後ろに誰かがいるような気配がして後ろを振り返る。しかし、この部屋には私以外の人は誰もいない。ヒロのお母さんもあっちで泣いている。
 まさか、この気配はヒロなの?あの夜、雨の中であったときに感じたものと同じだ。
「ヒロ!!」
 叫んで出てきてくれるのならばいくらでも叫んであげるわ。でも、そんなことで出てきてくれないのはわかっていた。
 動くことは出来なかった。動けばどこかに消えてしまうのではないのかと思い、その場に立ち尽くしたままだ。気配も私の前から動くことはない。
 瞬間、私は彼の姿が見えたような気がした。ヒロは私の持っている手紙を指差し、笑顔のまま消えていった。
 いつもの私なら間違いなく飛びついていたかもしれない。だが、今はそんな気分にはなれなかった。何故だろう。今はそんなことよりも、彼の指差していた手紙を見なければいけないような気がしてならなかった。
 丁寧に折りたたまれていた手紙は私が握ってしまいグシャッグシャになってしまっている。そこにこう書かれていた。

 
 わかるんだな?今、目の前にいるんだぜ。お前にはちょっとした霊感があるってこいつが言ってる。あっ、こいつってのは俺が手紙に書いてた死神な。普通ならこのまま成仏させるらしいが、お前に霊感があるからこんな形にしてくれたんだ。生きてるときのイメージとはまったく違ってなかなかいいやつだ。ちょっと変なやつだけどな。
 なんでおまえの前で会社の重役のようなフリをわかってくれよ。男ってものは女の前でいいところを見せたがる生き物だ。電話の相手はもちろんこいつだ。
 おっと、こんなことはどうでもいい。先に言っておくことがあった。悪い、お前を残して先に死んじまって。でも、俺だって死にたくはなかったんだ。お前と一緒に退院したかったんだ。これだけはわかって欲しい。嫌がらせでこんな形になっちまったんじゃないんだ。
 これから先、お前がつらい人生を送らないために記憶を消してもらう。そっちの方が新しい恋を見つけやすいだろう。お前はかわいいから、すぐに相手も見つかるさ。なんせ、俺がほれた女なんだからな。
 そろそろ行かなきゃならないらしい。今までもいろいろ無理を言ってきたからな。一秒でも遅れるわけにはいけないんだ。まだ地獄には行きたくはない。
それじゃぁな。記憶を消してくれと頼んでおいて変なことをいうが何十年か後、なにかの拍子に思い出してくれるとうれしいな。
 最後に付け加えだ。最初にあった日、あの電話はただの独り言だ。別に誰と電話していたわけではなかったんだぞ。


 3ページと少ししかなかった手紙が倍以上に膨れ上がっていた。気づかぬうちに紙まで増えている。
 いやだ、私ヒロのこと忘れたくない。必死でそう思った。
 せっかく思い出すことが出来た記憶をまた失いたくはない。そう叫びたかったが声をだすことが出来ない。
 なんとヒロの顔が目の前にあり、私の唇をふさいでいた。相手が死んでいるなんてことを忘れさせるような、そんな感じだった。そして、それと同時に私の意識は闇の中へと沈んでいった。
「すまなかったな。俺のわがままのせいでつらい思いをさせえ」
 最後の最後に、彼のそんな言葉を聞いたような気がした。

 
 あの事件から早くも2年が過ぎ去ろうとしていた。事件といっても私の中だけのものだったのだが。
 何故あの時、私の記憶が消えなかったのかはわからない。もしかしたら、彼の言っていた死神が私の心を見通して気を使ってくれたのかもしれない。ヒロには記憶を消した、とか何とか言って。そのようなことをしてくれるなんて、死神って書物とかで見るよりは全然いい人(?)なのかもしれない。私とヒロを合わせてもくれたしね。
 あれからは仕事にはなんの支障も無く暮らしている。普通に会社へ行き、普通に仕事をする。そのような他の人と変わりない生活を送っている。あれだけ不思議な体験をしたというのに。
 彼が心配してくれていたとおり、もう少恋愛というものは出来そうにない。もう少し時間が必要のようだ。

2005/04/13(Wed)21:39:26 公開 / 上下 左右
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■作者からのメッセージ
どうも、お久しぶりです。
え〜と、これだけ長いのを書くのは初の試みです。
少し長いかもしれませんがどうか感想を聞かせてもらえると感謝感激です。
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