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『ヨミガエリ 【完結】』 作者:名も無き詩人 / 未分類 未分類
全角81217文字
容量162434 bytes
原稿用紙約245.3枚
第零夜 記銘

 深い森の中、空には不気味なほど、まん丸の満月が薄暗く輝いていたが、足下はよく見えない。そんな薄暗い森に一人の女性が凄い勢いで走っている。
 まるで、何かから逃げているような。彼女は後ろを時々振り向く。暗い闇が大きな口を開けて、今にも彼女を飲み込みそうであった。
「はあ…はあ…はあ……はあ…」
 呼吸速度が上がり、頭はもうろうとする。
(どうして、こんな事に。私はただ月を探しに来ただけなのに。一体この村に何が……)
 私は先ほど見てきた信じられない光景を思い出していた。
(この村はおかしい……でも、もしこの事が関係しているのならば、私は殺されるかもしれない。逃げなくては、早く逃げないと…私は……)
 呼吸は更に荒くなり、木々の間を凄い勢いで抜けた。木々のざわめきが彼女を笑う。
 まるで、今から死ぬ人間をおもしろおかしく見ているみたいに。だから私は更に加速した。
(このことを早く伝えないと……)
 後ろの方から、がさごそと草木が揺れる。私の心臓が跳ね上がった。
(守……鳴海君……助けて…)
 私の思いもむなしく。私は闇に飲み込まれ、森のざわめきは、私の意識を奪った。

 神社の境内に二人の少女が一生懸命掃除をしていた。
「何だか、今日は嫌に蒸し暑くない?」
 二人のうちの一人、ちょっと背が小さくて、クリクリした目の少女が胴着をゆるめる。
 周りに人が、いや正確には一人だけなのだが、そんなことは気にせず、胸をはだけさせた。
「ちょっと、みっともない。いくら暑いからって。メイは女の恥じらいってものが……」
「ああ! うるさいな! ミコトちゃんは暑くないの」
「心頭滅却。火もまた涼し、ってね。ようは気の持ちようよ」
 もう一人の少女は涼しい顔をして、境内を掃除する。
「えぇぇぇ! ミコトちゃんっておかしいよ!」
「ほらほら、手が止まっている! ぱっぱと終わらせないと、夕方まで終わらないわよ」
 ミコトの睨みにメイは渋々手を動かし始める。
「空、曇ってきたわ。メイ。外の掃き掃除はもう良いから。後は中をお願い」
「はあ〜い!」
 その返事と共に、いきなり大きな雷の音が『ドーン』と鳴り、腹の底から響いた。
「きゃーーー!!」
 メイはミコトに抱きついた。
「あら? メイってカミナリ苦手だったっけ?」
「うみゅ〜。わたし、カミナリと紫苑様だけは苦手なの」
「あら、そんなこと言ってると、どこかで紫苑様が見ていらっしゃるかもよ」
「ええ!」
「嘘よ。まあ、あの方が考えていることは、あたしにもよくわからないけど」
「ミコトちゃんは紫苑様嫌いなの?」
 メイがじっと見つめる中、ミコトはやさしい微笑みを浮かべる。
「うんん、そんなことはない。逆にメイだって紫苑様の事、苦手って言っているけど、嫌いなの?」
 ミコトの言葉に、メイはぶんぶん首を振る。
「そうでしょ。私達に取って紫苑様はそう言う存在なのよ」
 ミコトはそう言ってメイの頭をやさしく撫でた。メイは心地よさそうな顔になる。
 ふと、メイは鳥居の前に誰かがいる事に気が付いた。
「ねえ? ミコトちゃん、あそこに誰かいるよ」
 メイが指す方向に、黒い影が揺れていた。そして、雨が降り出すと同時に、前のめりに倒れる。二人は思わず顔を見合わせた。

 目を覚ますとまず目に入ったのは、木造でできた大きな天井だった。
 首を動かして周りを見回す。小さなタンス、鏡台、それに屏風が見える。どうやら、どこかの座敷に寝かされているようだ。
 ズキズキする頭を押さえ、立ち上がろうとしたが。何故か身体に力が入らない。全身がだるく。まるで、身体がなまりの様になってしまったのではないかと、錯覚するほど。身体が動かなかった。
「……お目覚めのようで」
 どこから現れたのか、枕元に巫女服を着た女の子が正座している。もしかしたら、初めからそこにいたのかもしれない。
「どうやら、まだ熱が下がっていないようですね。もう少し安静にしていてください。紫苑様」
「……紫苑?」
「どうかなさいましたか? 紫苑様」
「あたしは紫苑?」
「そうですよ。あなた様はこの村、墓月村の紫苑様です」
「あたしは…紫苑……あなたは?」
「どうやら、頭を打たれて、記憶の混乱が起こっているみたいですね。じきによくなるでしょうから、安心してください。私は紫苑様に仕えているミコトと申します」
 ミコトと名乗る少女は冷たい瞳で、私をのぞき込んだ。そんな時、奥の廊下をドタドタと走る音がし、ふすまが勢いよく開いた。
 入ってきたのは大きな目をした可愛らしい少女。たぶん、猫みたいな、と言った表現がぴったりの子が入ってきた。
「うにゃ〜。紫苑様お目覚めですか? メイ特製のおかゆです〜。隠し味にゆずを入れてみました。ちょっと香りが強いけども、美味しいですよ。熱いうちに食べちゃってくださいな」
 メイと名乗る少女は私の目をのぞき込む。
 人懐っこい目が妙に可愛かった。
 湯気から美味しそうな臭いがした。
「う…うん。美味しくいただくよ」
 私はぎこちなくレンゲを持ち、おかゆをすすった。強いゆずの香りが口いっぱいに広がり、くせが強かったが、とっても美味しかった。
「美味しいよ。えっと……」
「メイッス!」
「こら! メイ。紫苑様はまだ具合がよろしくないのよ」
「ほいほい、ミコトちゃんは厳しいな」
「それでは、紫苑様。何かありましたら申しつけください。それでは……」
 二人はそう言うと、部屋を出て行った。シーンと静まりかえった部屋は寂しく。私はメイ特製のおかゆを一気に食べて、再び眠る事にした。
 疲れているのかすぐに、私は浅い眠りに入り、寝息を立て始めた。そして、どこからか人の話し声が聞こえてきた。それは、先ほどの二人のものではなく。とても奇妙な声だった。けれども、何を言っているのか分からず。そのまま深い眠りに入っていった。

 朝の強い日差しが、ふすまから漏れる。私は目を擦りながら立ち上がった。昨日の事が嘘の様に身体が軽かった。
「おはようございます。紫苑様」
「おはよう。ミコトさん」
「朝のお召し物をおもちしますね。メイ!」
 ミコトの呼び声と共に、メイがどこからともなく現れた。
「はいはい! おはようッス。紫苑様。こちらが紫苑様のお召し物です」
 そう言うと、メイは私の手を取り、部屋の鏡の前へと立たせた。どうやら、メイが着替えさせてくれるみたいだ。私が何も言わないでいるうちに、あっという間に巫女服に着替えさせられた。
 上は白い胴着、下は目の覚めるような赤い袴をはかされた。そして、最後にお面みたいなものを出された。
「これは?」
「これはですね。【月隠しの面】といいまして。紫苑様のお顔を私たち以外に見せないようにするものです」
「つけなくてはいけないものなの?」
「ええ、すみません」
 何故かミコトは縮して謝る。
「分かった。つけるよ」
 面は口元は隠さないタイプで顔の上半分を隠すタイプとなっていた。
「これでいいかな」
「はい。お似合いッス」
 メイは嬉しそうな笑みを漏らす。
 こうして私は、紫苑となり。この墓月村で過ごすことになった。この時、何の疑問もなく。いや、疑問は感じていたのかもしれない。けど【紫苑】と言う呼び名があまりにも自分にぴったりで、私は自分でその疑問を捨てたのだった。私はこの時点で【紫苑】となった。


















第一夜 着床

7月10日 松永沙羅 【月ヶ丘総合病院・ロビー】 午前 7時06分
 私の病院には変な医者がいる。目つきは悪く。患者との会話の時もぎこちなくて。見ている私達をいつもハラハラさせる。そんな医者がいた。
 しかも、彼は病院内で平気でタバコを吸う。今も病院の喫煙コーナーでタバコを吸っていた。
「鳴海先生! ダメじゃないですか! こんなところでタバコを吸っちゃ!」
 私の剣幕に先生は驚くが、すぐにむっとした表情になり言い返す。
「別に良いだろ! 俺がどこでタバコを吸おうと…」
「よくありません! 医者がそんなことでは、患者によくありません」
「医者だって人間だ。吸いたいときに吸うのは当たり前だ!」
「ダメです!!」
 先生は私の鬼の様な形相にたじろぐが、すぐににらみ返してきた。
「……分かったよ。ここで吸うのはやめる」
 先生がそう言って立ち去ろうとすると、私はすぐに先生を呼び止める。
「ダメです!! 今持っている全てのタバコは没収です。医者がタバコなんて言語道断です」
「おいおい。勘弁してくれよ。タバコは俺の恵みの命だぜ。それをお前は奪うというのか」
「ええ、そうですよ。タバコなんか身体に毒です。患者にも先生にもよくありません」
「……お前はどうしても俺の命を奪うというのか」
「そんな人聞きの悪い。わたしは先生の事を想って言ってるんですよ」
「そんなのは横暴だ! 断固、俺は拒否する。 タバコは人類の宝だ!」
「ゴホン」
「何言ってるんですか。医者ともあろう人が、そんなんでどうするんですか」
「ゴホンゴホン」
「医者なんか関係ない。俺はタバコを吸いたいだけなんだ。俺は吸う。吸うぞ!!」
 そう言うと先生はタバコを一本取りだし、口にくわえた。そして、白衣のポケットからライターを取り出し火をつけようとした。
 私はすぐさま先生がくわえているタバコを奪う。
「なにすんだよ!」
「タバコは吸わせません!」
 そんな私達の背後に、ただならぬ気配がした。
「あなた達、私を無視するとは良い度胸ね」
 後ろを振り返るとそこには、眉を吊りあえげた主任が立っていた。私の顔色が一気にひく。
「えっと、主任。これはですね」
 私は必死で弁解しようとしたが、主任の睨みに背筋が凍った。それに、隣にいる鳴海先生も、ピシッと直立体制になる。たぶん、先生も内心は私と同じなんだろう。
 そう思うと笑いがこみ上げてきた。私はそれを必死にこらえ。その後、主任にお説教される。しかし、すぐにお説教は終わった。いや、終わったと言うよりも、中断したと言うのが正しいか。いきなり病院内が騒がしくなったからだ。
「急患みたいね。二人とも、もういいです。行きなさい」
 それだけを言うと、主任は慌ただしく駆けだした。
 私達は顔を見合わせて、走り出した。
 こうして、忙しい一日が始まるのであった。

7月10日 松永沙羅 【月ヶ丘総合病院・庭】 午後 12時24分
 病院という場所では様々なことが起こる。それは、嬉しい時もあるが、大概は悲しい気持ちになる。そう、例えば、今朝亡くなった山田さん。彼なんかは昨日元気で、お見舞いに来ていた彼女と楽しく会話していたのに。あっという間に命がつきてしまった。
 よく人は命の散り際が美しいなんて、死を綺麗なものと勘違いしている人がいるが。私にとっての死は、とても醜いものだと感じている。病院にいる患者、全てじゃないけども、彼らは少なからず死というものを曖昧にとらえている。たぶん、自分はまだ死なないと思っている人が大半だろう。そう言う人に限ってあっさりと死ぬ。口に出して言うことはないが、死を曖昧にとらえている人は、自分がバカだと知らずに死んでいく。死者を冒涜するわけではないのだが、私はそう思う。
 子ども達の笑い声が耳をくすぶった。子どもの無邪気な顔を見ると、あの子を思い出す。あの子は私に死を教え。そして、消えた。自分と同じ存在が消えたこと私の心は動揺した。もう何十年も前の話しなのに、その事が数分前に起こった出来事に思えた。たぶん、あの子の死を信じていないのだろう。
 だから、私も死を曖昧にとらえている人と変わらない。そう、何も変わらないのだ。日が西に傾き掛けた頃、庭の片隅のベンチでわたしはそう感じていた。

7月10日 鳴海大喜 【月ヶ丘総合病院・屋上】 午後 12時24分
 今朝、俺の担当していた患者が亡くなった。名前は確か山田だったと思う。まだ、二十代で彼女が出来てこれから、って時の患者だった。死ぬ間際、山田はうわごとの様に呟いていた。
「先生。俺、死にたくないよ。死にたくないよ。明海・アケミ・あけみ……」
 たぶん彼女の名前だろうか。その名前をくり返し叫びながら、山田は死んでいった。
 そう、愛する人の名前を叫びながら。朝が開ける前の薄暗い部屋に。青白い顔をした山田が寝ていた。
 救えない命があると言うことは分かっていたのに、どうしようもない苛立ちが俺の中をくすぶる。救えないと言う現実が俺を責める。あの時の無力な自分が、俺をじっと見ていた。そして、いつもこういうんだ。
『どうして、あの時、優花を救ってくれなかったの。ねえ、どうしてなの?』
 その眼差しは俺を責め、罵る。医者になれたのに、結局、自分の力はこんなものだったんだ。俺は誰も救えない。その現実が俺のやるせない気持ちを膨らませる。だから、今朝はサラと言い争いになってしまった。普段、ケンカ口調になってしまうが今朝は違っていた。自分の苛立ちをサラにぶつけてしまったのだ。その罪悪感が今になって感じ始めた。人の死を受け入れたはずが、結局俺は何も分かっていなかったんだと、あらためて痛感した。
 頭上の日が西に傾き掛けた頃、小さな影を踏みながら俺は屋上に一人、たたずんでいた。

7月10日 琢馬守 【月ヶ丘総合病院・院長室】 午後 3時40分
 一本の電話が静かな部屋に鳴り響く。タバコをふかしていた男が、慌てて受話器を取った。その顔は妙に恐い。
 男は何度か頷くと受話器を置き、椅子に深く座る。天井を眺め、目を閉じる。そして、一つの決心をした。タバコを灰皿に押しつけ、男は再び受話器を取り、内線を使用した。
「ああ、至急、鳴海大喜を私の所に呼んでくれ」
 男はそれだけを言うと受話器を降ろした。
(こういう事態になるとはね。参ったな)
 男は髪の毛をいじる。その仕草はどこか苛立ちを含んでいる。
 白衣の内ポケットからもう一本のタバコを取り出し、火を付ける。
(やはり、あの村には何かあるのか……それにしても、異常すぎる)
 男は立ち上がり、近くにあるコーヒーポットからコーヒーを注いだ。白いカップに黒々しい液体がたまる。
(あいつには悪いが……。いや、あいつなら喜んでいくかもな)
 一口でコーヒーを飲み干すと、ドアのノック音がした。男は火を付けたばかりのタバコを灰皿に押しつけてドアを開けた。

7月10日 鳴海大喜 【月ヶ丘総合病院・院長室】 午後 3時50分
「失礼します」
 院長室に入ると何故か背筋を伸ばしてしまう。まあ、子どもの頃に悪いことして、校長室に呼び出されるのと同じ気分かも知れない。
 部屋の中は何故か薄暗く。電気はついていなかった。
「院長、お呼びですか?」
 目の前の院長席に座っている眼鏡の男に言う。
「おい! 他人行儀はやめろ。俺とお前の仲じゃないか」
「でも、院長は院長です。そう言うのはしっかりしないと」
「やれやれ、頑固なヤツだ。そう言うところは昔と変わらないな」
「そんなことはいいですから。用件は何ですか?」
「その事なんだが、お前一ヶ月ある村に行ってくれないか?」
「それは異動ということですか」
「いや、違う。実は村に送り込んだ医者から連絡が途絶えてな。様子を見てきて欲しいんだ」
「何で俺なんですか。俺にする理由は……まさか!」
「ああ、お前も察しの通り、原因不明の病気が流行っている村だ……」
「行きます! 俺に行かせてください」
「そうか……行ってくれるか。それについていくつか要点があるのだが……」
 そう言うと、院長は椅子に座り話し始めた。

7月10日 松永沙羅 【月ヶ丘総合病院・院長室前廊下】 午後 3時57分
 今日も忙しい毎日が過ぎていく。患者さんが元気になっていく姿は、いつ見ても嬉しい気持ちになった。
 今日退院した田中さんなんか本当に嬉しそうだった。それに、昨日容態が悪化した沢木さんも持ち直して、ものが食べられるほど回復していた。骨折で昨日まで歩けなかった宇津木くんも、リハビリをはじめてがんばっている。患者さんのがんばりや笑顔が。看護婦には何よりも元気の源になる。私達の何よりの喜びだ。
 私がそんなことを思いながら、廊下を歩いていると、院長室の方から何やらくぐもった話し声が聞こえてきた。私は興味を感じ、そっとドアに耳を当てた。ドアの奥からは男二人の声がした。
「つまり、その村の医者をしながら。その病気の調査をしろと」
「そうだ。それに、行方不明になった医師のことも調査してくれ」
「わかりました。では、明日から、その村に行きます」
「ああ、頼むよ。それと、お前ともう一人くらい助手をつけたいのだが……」
「いりませんよ。俺だけで十分です。話しからすると危険な場所なんでしょ」
「それもあるが、彼女の事が……」
「しっ、ちょっと待ってください」
 部屋の中がいきなり静まり、耳を当てていたドアがいきなり開いた。
 私はバランスを崩し、部屋の床に顔を打ち付けた。
「おい。お前、なにしてる」
 ぎらぎらとしたきつい眼差しを向ける、先生が私を睨んだ。
「あっはっはっはっ」
 私はとりあえず笑ってごまかす。
「笑ってごまかすな!」
「まあまあ、いいじゃない」
 院長が私に手を伸ばし立たせてくれた。
「院長は甘過ぎなんです」
「いや、鳴海がきつすぎなのさ」
 そう言われた先生は顔をぷいっとした。
「あの……」
 私が何か言おうとすると。突然院長が口を開いた。
「そうだ! 君にも行ってもらおう。うん、それがいい」
「あの……何の事ですか?」
「うんうん、説明は鳴海先生に聞いてくれ。とにかくそう言うことだから……そうそう、これは院長命令だからな」
 そう言われて、私達は院長室から追い出された。

7月10日 鳴海大喜 【月ヶ丘総合病院・喫茶サツキ】 午後 4時10分
 よりにもよってこいつと行くハメになるとは。俺は目の前のパフェと格闘しているサラを睨み付ける。
 サラは俺が睨んでいることにも気にせず。もくもくと食べ続ける。こうしてみるとこいつも女の子なんだとあらためて感じる。そう言えば、こいつと初めて会った日の事を思い出すな。
 まだ、俺が新米で何をやってもダメな時があった。そんな時は必ず屋上で空を眺めながら、タバコを吸っていた。そんな俺に、いきなり活を入れたのがサラだった。いや、あの時はホント、驚いた。いつものように屋上で吸っていたら、いきなり頬を叩かれたんだから驚かないはずもない。
 どうやらサラはタバコが嫌いで、目の前で吸われるのが嫌だったらしい。それからというもの。彼女は俺の周りにうろつくようになった。気が強くてうるさいヤツだと思ったが、子どもには無邪気に心を開いて、可愛いところはあった。
 だから、あまり危険な事には巻き込ませたくなかったし。サラには無関係なのだ。
「それ食ったら。さっきの話しはなかったことにしろ」
 俺はぶすっとした顔で言う。その態度にサラは手を止めた。
「嫌ですよ。私も行きますから」
「お前な……」
 俺は頭を押さえる。
「危険な場所なんだぞ。分かっているのか」
 サラは大きなバナナを口に含み、口をもぐもぐさせる。
「分かっていますよ。でも、院長命令ですし。それに私がいないと、鳴海先生、だらしないから……」
「うぐ……でもな」
「でももへったくれもありません! 私は行きますからね」
 そう言ってサラは残ったパフェを平らげ、仕事へと戻った。
 残された俺は深々とため息をつく。
(一緒に来てくれるのはありがたいんだが、サラを危険な場所に連れて行くのはどうもな。それにもし何かあったら、俺一人の方が動きやすいし……)
「あのコーヒーのお代わりはどうですか」
 店員の子が気を利かせて、コーヒーのお代わりを進める。
「あ、うん。ありがとう。貰うよ」
 空のカップのなみなみとコーヒーがつがれる。
「また、沙羅さんとケンカでもしたんですか」
「姫野さんか。いや、そう言うわけじゃないんだけど……」
「私から見たら、お二人はお似合いですよ」
「よしてくれよ! 誰があんなヤツ」
「……鳴海先生って噂の通り頑固ですね。もうちょっと心を開くと、誰からも好かれるのに」
「別に俺は人に好かれたいとは思ってないさ」
「そうでしょうか。私には鳴海先生が、他人と距離を取っている様に思えるんですけど。それに沙羅さんだけには、気を許しているみたいだし」
「どうしてそう思う?」
「何となくですよ」
「……なんとなくか」
 俺は鼻で笑う。
「あっ、そろそろ仕事に戻らないと。コーヒーのお代わりはもう良いですか?」
「ああ、ありがとう。もういいよ」
 俺はそう言うと、お金を机に置いて。席を立った。

7月10日 松永沙羅 【月ヶ丘総合病院・玄関】 午後 5時30分
 何で私はあんなに、意地を張ったのだろう? 先ほどの先生との言い争いを思い出していた。別に私がいなくても、先生は何とか出来るだろう。
 実際、最初は頼りない医者だったが、最近では落ち込む事もあるけど、医者としては成長していると私は思う。でも、何故か先生から目が離せないのだ。友人とかに言ったら、それは恋じゃないかって言われて、ああそうかもなって思ったこともあったが。最近ではちょっと違う気もしてきた。
 先生は私にどこか似ているのだ。それは雰囲気とかじゃなくて、同じ傷を持つものとして。そう考えると何故か胸が熱くなり、頬が紅くなる。
 玄関を出ると私の目の前に先生が現れた。
「さっきの話しだがな。お前も連れて行くことにしたから」
「ホントですか!?」
「ああ、ただし、いくつか条件がある」
「条件?」
「そうだ。その条件を呑めれば連れてってやる」
「その条件って?」
「一つは俺の言うことはちゃんと聞け。それから、危険な事はするな。最後に俺に嘘をつくな。分かったか」
「……分かった。その条件のむ……」
「なら明日の朝6時に月ヶ丘駅前で待ち合わせだ。一ヶ月の滞在だから荷物、まとめておけよ」
 それだけ言うと先生は病院へと戻った。
 先生が何故考えを変えたのか分からないが、とりあえず嬉しかった。その嬉しさを押さえきれず、思わず駆けだしていた。
 空はまだ明るく、小さく輝く一番星が見えた。明日はきっと良い天気だろう。

7月11日 松永沙羅 【墓月村入口・林道】 午後 2時27分
『ミ〜ン、ミンミンミンミン、ミ〜ン』
 蝉のけたたましい泣き声が、林道いっぱいになり響いた。涼しい風が私の髪を揺らした。私達が向かっている墓月村と言うところは、山の麓にある村で、電車も高速道路も通っていなく、一週間に数本のバスと、徒歩でしかいけない村であった。
 そのせいで外界とは切り離され、変わった風習や習慣があるという。それがどういうものなのかは外の人には分からないと言う。
 何でそんな辺鄙な所に行くのかと言うと。その村では奇妙な病気が流行っていたからだ。
 うちの病院はそう言った病気を調査する事がある。私の知っている先生も、何人か調査に行っているのを聞いたことがあった。
 先頭を歩く先生の顔は、滝のような汗を流していた。しかし、この人は本当にヘビースモーカーかと思うくらい、何故か先生は体力があった。
 私は世の中の神様を呪いたい気持ちを押し殺して、ひたすら先生の後を追う。先生は首にかけていたタオルで、何度も汗を拭き、黙々と林道を登っていく。私はそれを必死で追いかけた。
 いつの間にか蝉の鳴き声が消え、『ゴォーゴォー』という、水が流れ落ちる音が聞こえてきた。
「…鳴海先生。水の音がしますね」
「ああ」
 先生は一瞬私の方に振り向くが、すぐに前を向きのぼり始める。どうやら、一刻も早く墓月村にたどり着きたいようで。先生は無言のまま、ひたすらと登り続けた。
 水の音はだんだん耳に、はっきりと聞こえてくる。ひんやりとした風が頬を撫でた。林道を抜けると目の前に巨大な水柱が、うなり声をあげ、私達を見下ろしていた。
 高さ数十メートルというところから落ちる水は、大きな滝となり、水面には激しい水しぶきを上げている。その圧倒的な光景にわたしはしばし心を奪われた。
 ふと、私は滝の頂上の人影に気づく。ここからではよく見えないが、白いワンピースを着た女の子が滝を上から見下ろしていた。
「先生。あんなところに女の子が……あっ」
 私がそう言った瞬間、女の子はいきなり滝の頂上から飛び降りたのだ。女の子はあっという間に滝に飲まれ姿が見えなくなる。
「……先生」
 先生は持っていた荷物を私に預けると、駆け出し水の中へと飛び込んだ。先生は女の子が消えた地点まで来ると、大きく息を吸い滝壺に潜った。女の子を抱えて上がってくるまで大体一分くらいかかっただろう。私にはその時間が凄く長いような気がした。
「沙羅! ありったけのタオルを用意してくれ」
 先生の指示通り、ありったけのタオルを取り出し、少女の体を拭く。
「まずい、息をしてない」
 そう言うと、先生は地面にタオルを敷かせ、その上に少女を寝かせる。先生は少女の顎を上げ、気道を確保し人工呼吸をした。その甲斐あって少女の口から水が吹き出た。
「後は体を拭いて、温めれば大丈夫だろう」
 私は再び持っていたタオルで少女の体を拭き始めた。そんな時、奇妙な事に気が付いた。それは、少女の首に大型犬が付けるような、大きな首輪が付けられていたからだ。しかも、ご丁寧に首輪には鍵付きの様で、はずすことは出来ない。
 私は仕方なく首周りを拭くのを諦め、少女の体を拭くため服を脱がすことにした。そこで、一瞬手を止める。
「……先生、ちょっと向こう行ってて貰えませんか」
 私の言葉に先生は納得したのか。自分の荷物からタオルを取り出し、着替え始めた。
 止めていた手を再び動かし、少女の真っ白なワンピースを脱がす。少女の黒くて長い髪とは対称的な白い肌、まだ未発達な胸、そして、ほっそりとした腰。若い子の肌だ。私はじっくりと拝見してしまった。
 私もまだ若い方だが、最近お腹周りの肉が付くようになって、彼女の身体が少し羨ましかった。そんなことを考えながら黙々と彼女を拭き続ける。そして、下半身を拭こうとしたところでまたもや手を止めてしまった。なんと彼女はショーツを履いていなかったのだ。
 手際よく彼女の下半身を拭き、自分のカバンから予備のショーツと服を取り出し、彼女に着させた。着替え終わる頃には彼女の顔も赤みを帯びてきて、体温も戻ってきた。
「どうやら、大丈夫そうだな」
 先生は少女の顔をのぞき込み。状態を確認した。
「それじゃあ、行くぞ!」
 先生は少女を背に乗せ、再び山道を登り始めた。私は荷物をまとめ、すぐに先生の後を追う。

7月11日 松永沙羅 【墓月村・診療所】 午後 3時04分
 30分くらい歩き続けた頃、やっと私達の前に診療所の姿が見えてきた。
 診療上は思ったよりも古くなく。誰かが毎日手入れをしているように見える。その証拠に、診療所のそばにある花壇には、大きなひまわりやアサガオが植えられていた。
 私達はとりあえず、診療所の中に入る。中も外同様、綺麗に掃除されておりピカピカにされていた。そして、奥の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。急いで声がした部屋に向かう。部屋の中はたくさんの書類が散乱しており、それは見事な散らかりようで、まるで地震でも起きたような光景だった。
「あう〜〜」
 書類の中からメガネをかけた女性が姿を現す。
「あっ、ごめんなさい。こんなはしたないところを」
 少女はずり落ちたメガネを押さえ、顔を紅くした。
「えっと、月ヶ丘総合病院からいらした。鳴海先生と看護婦の松永さんですよね」
「ええ」
 私はとりあえず、頷く。
「そうですか……私はこの診療所の看護婦。如月敦美といいます」
 彼女はぺこりとお辞儀した。メガネの奥にある瞳がくりくりして、妙に可愛らしい人だと思った。
「あっ、そうでした。大爺様が、鳴海先生がいらしたら、呼ぶようにとのことで」
「そうですか。それじゃあ、その大爺様に会いに行く前に、ベッドを一つ用意してくれないか?」
「あら、どうかしましたか?」
「ああ、ここに来る前に女の子が滝でおぼれてね」
「あらあら、それは大変…すぐにベッドを用意しますね」
 そう言うと、彼女は寝室へと案内してくれる。寝室には大きなベッドが三つあり、その一つには、小さな女の子が絵本を読んでいた。
「あれ……敦美お姉ちゃんどうしたの?」
「柚江ちゃん。隣のベッドいい?」
「うん。いいけど」
「鳴海先生…そのベッドに」
 先生は少女をそっとベッドに寝かせ、顔にかかった髪をそっとなで下ろす。
「……この子は?」
「滝でおぼれたそうよ。外傷は特になさそうだから、そのうち目覚めるわ。柚江ちゃんはこの子が目を覚ましたら淋しくないようにそばにいて」
「うん。分かった」
「……先生。それでは……」
「うん。分かった。サラ、この子の事を頼む」
 そう言うと先生は如月さんと一緒に診療所を後にした。残された私はとりあえず、荷物を一旦置き、あらためて自分の自己紹介をした。
「私、鳴海先生の助手兼看護婦の松永沙羅っていいま。よろしくね」
「うん、よろしくね。サラお姉ちゃん。えっと、あたしは……」
「柚江ちゃんでしょ。さっき如月さんがそう呼んでたから」
「うん、あたし、河口柚江。こっちの子は、ちぃ〜ちゃん」
 柚江はカエル人形を見せる。どこか間抜けずらのカエルが、私をじっと見つめていた。
「ところでお姉ちゃん。この子は?」
「ここへ来る途中。いきなり滝の上から落ちてきてね。たまたま、私達が通りかけなかったら危ないところだったのよ」
「ふ〜ん。あたしは病院生活だから、村の子はあまり知らないけど、あまり見かけない子ね」
 柚江は寝ている少女の顔をのぞき込む。少女はいまだ目覚めない。
「ところで、あの先生って、お姉ちゃんのコレ?」
 柚江は右手の小指を立てて、にやにや笑う。あどけない少女の面影は消え、恋に興味を覚えた純粋な少女の目をし始めた。たぶん、この子はこういった恋話に目がないのだろう。もしかしたら、実際の年齢は、見た目とは違うのかも知れないと思った。
「鳴海先生は…そんなんじゃ……」
「どうやら図星のようね。う〜ん、良いわね。看護婦と医者の恋、萌える!!」
 ほっとくとこの子はどんどん妄想し始めて、暴走しそうだ。こういう子は嫌いじゃないけど、私はとりあえず話題を変えた。
「柚江ちゃんには好きな人いないの?」
 そう聞くと彼女はカーッと顔を紅くした。どうやら、彼女自身も恋に恋する少女といったところだろう。とりあえず、話題替えに成功。わたしは心の中でガッツポーズを決める。
「あたしの恋人はちぃ〜ちゃんなの!!」
「ちぃ〜ちゃん? ああ、そのぬいぐるみのことね」
「うん。ちぃ〜ちゃんはね。柚江の一番大切なお友だちなんだ!」
 彼女はギュッとぬいぐるみを抱きしめる。心なしか人形が照れている様に見えた。目を擦ってみたが、カエル人形は相変わらずアホずらを向けている。
「あっ、そうだ。柚江ちゃん。ポッキー食べる?」
「ポッキー?」
「そう。棒状のクッキーにチョコレートが付いたヤツ」
 荷物からポッキーを取り出すと、柚江ちゃんは目をランランと輝かせた。
「はい。柚江ちゃん」
 袋から取り出したポッキーを渡す。柚江ちゃんはそれをサッと掴み、じっくりと観察した。まるで、見たこともないお菓子に、動揺を来したように、彼女は真剣に見つめていた。そして、ポッキーを口に運ぶ。
『ポッキ』クッキが折れる音がした。
 そして、彼女の顔がみるみる笑顔に変わり、目尻には涙さえたまっていた。どうやら、本当にポッキーを食べたことがないみたいだ。
「う〜。こんな美味しいお菓子が都会にはあるのか。都会って良いな」
「確かに都会には、都会のいいところがあるけど。田舎は田舎でいいところあるじゃん」
「う〜ん。そうかな?」
「そうだよ。普段気づかないことが、結構大切だったりするんだよ」
「そうかもね。あたしもこの村は嫌いじゃないよ」
 おしゃべりで盛り上がっていると、先ほどまで寝ていた。少女が起き上がった。
 少女は辺りをキョロキョロと見回し、自分の胸に手を当てる。
「……私、生きてるんだ」
 虚ろな瞳で私と柚江ちゃんを見た。
「…あなたが私を助けたの?」
 少女は私の顔をのぞき込み尋ねる。
「うんん、わたしじゃないよ。鳴海先生が助けてくれたのよ」
「……そう……余計なことをしてくれたわね」
 少女は立ち上がり、部屋を出ようとする。その手を私は掴んだ。
「あなたね。鳴海先生が助けてくれたんだから、お礼ぐらいしなさい。もし、私達が通らなかったら死んでたのよ」
 私の怒りに彼女は何も感じていないのか、虚ろな瞳でわたしを見た。その瞳に一瞬光が宿る。
「……あなた達の勝手な理屈で、私を助けないでよ。あなたのエゴを私に押しつけないで!!」
 そう言うと少女は駆けだして、後に残された私と柚江はただ呆然とするしかなかった。

7月11日 鳴海大喜 【墓月村・細道】 午後 3時10分
 ぎらぎらした太陽が俺の背を焼き、ジョリジョリした道が、歩くたびに俺の靴底をならす。人が本当に通っているとも思えないほど、あちこちに草木が生えており、足下を注意深く見ていないと、迷子になりそうなほどの道だった。そんな道を迷わずに進む、案内人の如月さんは汗一つかかず先頭を切っていた。蝉の鳴く声がうるさく。頭の中で蝉のフルコーラスが演奏されていた。
 そんなけたたましい音にも負けず、俺は少し頭の中を整理することにした。
 俺たちは新幹線や電車、バスを使いここまで来たのだが、バスに乗る前に奇妙な話しをバスの運転手から聞いた。
 何でも一ヶ月前に若い女性を乗せたと言うのだが、その女性が未だその村から帰ってきていないと言うのだ。村までの交通手段はバスのみで、三時間もゆられてやっと入口に着く場所にある。だから、バス以外で村から出るのはほぼ不可能と言われていた。
 その女性は必要に村の事を聞いていたそうだ。また、その村に向かったものはその女性以外にも何人かいたらしい。その事が少々気になったが、今はとりあえず情報が欲しかった。
 この村で流行していると思われる病気が、あの病気ならば俺はその病気を解明しなくてはいけない。それは彼女を救えなかった無力な俺への罰だった。俺がそんな事を考えているうちに、道幅が広くなりちらほらと家が見え。そして、目の前に巨大な門が見えた。
「先生、こちらが大爺さまのお屋敷です」
 如月さんが門の横の小さな扉を開け招き入れる。中は外同様、大きなお屋敷が見える。如月さんに。「少しここで待っていてください」と言われたので、玄関で待つことにした。
 俺はただ、待っているのも退屈だったので。タバコを吹かすため、縁側にある庭を見て回った。
 庭は毎日手入れされているのか、綺麗にされている。それに、この場所は日陰なのかひんやりとしていて、暑さを忘れられた。ちょうど、椅子があったので。俺は座ることにした。
 椅子は少しぼろいのか、俺が座ると大きくきしむが、何とか座ることが出来た。そして、椅子に座ったら何だか疲れが出てきて、眠気が襲ってきた。俺はその眠気にあっさりと負け、心地よい風に揺られて眠りに落ちた。
 眠りに落ちてどれくらい経っただろうか。たぶん、10分は経っていないだろう。グーッと背伸びをすると、目の前に誰かが立っていることに気づき。その姿が一瞬俺のよく知っている女の子に見えた。
 寝ぼけているのかと思い、目を擦り再び見ると。そこにはきょとんとした少女がジーと俺を見ていた。当然、俺が知っている女の子であるはずもなく。全然知らない、いやどこかで見たことあるような顔だった。少女は俺の態度に飽きたのか。今度は俺の周りをぐるぐる回り始め、何故かその顔は楽しそうだった。
「おい! そんなにぐるぐる回っていると、目を回すぞ」
 俺の忠告を聞かず、彼女はとても楽しそうに回っていたが、遂に目を回したのか、いきなり地面に倒れた。
 首を振り、やれやれと言った感じで肩をすくめた。少女の身体は妙に熱っぽく、おでこに手を当てると少し熱い。
 俺は少女をひょいっと担ぎ上げ玄関の方へと向かう。少女のほっそりとした腕が、この少女が病気を患っている事を象徴していた。玄関に着くと如月さんが慌てて駆けよってきた。
「鳴海先生。急にいなくなるから心配しましたよ」
「ああ、すまん。ちょっと、庭の方を散歩していてね」
「それはいいんですけど。その子、どうしたんですか」
「ちょっとね。それよりも、急いで冷たいタオルと食塩水を用意してくれ」
「あっ、はい。ちょっと、待っていてください」
 そう言うと如月さんは屋敷の奥へと消え。数分後、お盆に冷たい水が入った桶とタオル、食塩水の入ったコップが渡された。この少女はたぶん、軽い熱中症だろう。身体をタオルで冷やして、食塩水を飲ませれば大丈夫。俺は少女の頭にタオルを乗せ、少女の頬を撫でた。
「これで大丈夫だろう」
 如月さんは俺の事をジーッと見つめる。
「何か?」
「……先生って凄いですね。あたし尊敬しちゃいます」
「これぐらいは当然さ、これから俺がしなくちゃいけないことの方がもっと大変さ」
「そんな、謙遜しちゃって」
「まあ、その事はもういいですから。大爺様とはもうお会いできるのか?」
「あっ、忘れてました。奥の大部屋へどうぞ。私はこの子を客間に寝かせてから参りますから」
「そう。分かった」
 俺はそう言うと屋敷の奥へと足を踏み入れた。屋敷の中はずいぶん趣のある作りになっていて、ずいぶん古い屋敷であることが分かる。床は毎日掃除が行き届いているのか、ホコリ一つ無い。見ていて気持ちが良いほどだ。
「失礼します」
 俺は目の前のふすまを開けて、中に入った。部屋は外の庭が見えるような造りになっており。部屋の中央にどっしりと構えている、がっしりとしたいかにも恐そうな爺が眉をつり上げて俺を睨み付けていた。
 俺は背筋をピンと伸ばし、ごくりと唾を飲み込み、爺の前に立った。爺は俺のつま先から頭のてっぺんまで眺めると、座布団の上にあぐらをかいて座った。俺は何がなんだか分からず。ただ、佇むだけだった。
「おい、いつまで立っているつもりじゃ!」
「あっ、はい!」
 俺は言われるまま座布団に座る。座布団のひんやりとした感触が、尻から伝わる。俺が座ったのを確認して爺は口を開いた。
「わしゃ、回りくどいことは好かんからの。担当直入にいうが。この村に医者はいらよ」
「どうしてですか?」
「医者なんておりゃ達の事をちっとも考えておりゃせん。しかも、村のもんも医者は好かんというちょる」
「………でも、ですね」
「あんさんの言いたい事も分かる。この村で起きている奇妙な病気の事でしゃろう。まあ、心配せんでもいいよ。医者よりも、もっと頼りになる人がいるからの」
「…………」
「この村の巫女。紫苑様ならきっとワシらを助けてくださる。あの方は死人さえ生き返らす事が出来るのじゃから」
「あんたらが出来んことを。あの方には出来るんじゃ。じゃから、この村には医者はいらんよ」
 爺の話が終わると、爺は俺をじっと睨み付けた。
「……お話しは良くわかりました。でも、ボクはもう少しこの村に止まろうと思います」
「しかしの、村のもんはお主の所にこんよ」
「それでもいいです」
「………好きにせい」
爺が出て行こうとする前に、俺は一つの疑問を投げかけた。
「あっ、一ついいですか?」
「なんじゃ」
「ボクが来る前、医者がいたと思うんですが?」
 俺がそう聞いた瞬間、爺の顔が一瞬、ほんの一瞬だけ変わったことを俺は見逃さなかった。
「そんなことわしゃ知らん。おおかた村が嫌で逃げ出したんやろうて」
 爺はそれだけを言うと部屋を出て行った。俺は爺を見送り、玄関へと向かった。玄関には如月さんの姿もなく。あの少女の姿もなかった。たぶん、どこかの客室に寝かされているのだろう。少し様子を見てから帰ろうと思ったが、この屋敷には人の気配がない。勝手に中を見て回るわけもいかないので少女を捜すことを断念した。まあ、先ほどの様子からしても深刻なほどじゃないだろう。如月さんも付いているだろうし。大丈夫だろう。俺はそう考えて診療所へと足を向けた。

7月11日 鳴海大喜 【墓月村・月見橋】 午後 4時30分
 帰り道、今日までのことをまとめてみた。どうやら、この村はその紫苑という名の巫女が動かしているみたいだ。しかし、あの爺が言っていた死人を生き返らすとは一体どういう事だろうか。
 一度その巫女にも会ってみるのが良いかも知れない。
 この村にいればいつか会えるだろう。あと、気になったのはこの村の前の医者のことだ。あの爺の顔からして何かあると思う。もう少し、情報が必要だな。とりあえず、少し様子を見ることにした。
 橋のから水のせせらぎの音がして、ぶわっと吹く風が水の冷気を押し上げた。
 橋の中央に着くとポケットからタバコの箱を取り出す。そこから一本のタバコを取り出すと口にくわえた。右のポケットからライターを取り出し、火をつけようとしたがなかなか火がつかない。
 仕方なく、もう一度ポケットを探り何か火をつけるものが無いかを探した。そんな時、俺の目の前に、火の点いたライターが差し出される。俺はその火にくわえていたタバコを近づけて火をつけた。
 喉の奥底にタバコの煙が広がる。脳内にタバコの煙が充満し、妙にスッキリし始めて、とても気分が良くなった。吸い込んだタバコの煙を一気に吐き出すと、まるで怪獣の火炎みたいに煙が吹き出した。俺は何度かタバコをぷかぷか吸うと隣にいた人にお礼を言う。
「どうも、すみません」
 俺がそう言って横を向いたがそこには誰の姿もない。俺は辺りをキョロキョロ見たが誰の姿もなかった。
「おい! どこ見ている!」
 その声は下の方から聞こえる。どうやら、子どもの声らしく。視線を下に向けて、声の主を確認した。そこには短パンに半シャツ男の子(?)が立っていた。そいつは俺をじっと睨み付けている。
「おい、坊主。ライターなんか持っていると危ないぞ」
 そう言うと男の子は俺の足を思いっきり蹴り上げた。少しビリッとしたが、子どもの力だからそんなに痛くはなかった。子供がどうしてライターを持っているのか少し気になった。
 男の子は俺の手にあったライターを奪うと、ダーッと駆けだし林の中へ消える。俺は頭を掻き、再びタバコを吸い始め、タバコを満喫した。

7月11日 松永沙羅 【墓月村・診療所】 午後 4時50分
 あれから柚江ちゃんと話し込んでしまい。時間があっという間に経ってしまった。どうやら、柚江ちゃんには他に話し相手がいなく。一人でずっと診療所で寝ていたのだという。
 友だちはこのカエルの人形のちぃ〜ちゃんだけだという。でも彼女はその事を辛いとは思っていないらしい。何だか彼女がけなげで、ついつい抱きしめてあげたくなる。私がこの診療上にいる間くらいは、この子の世話をしたいと本気で思った。
「……何だか眠くなってきたから寝るね」
 彼女はそう言うと、ベッドに横になり人形を抱えたまま、すやすやと寝息を立て始める。
 彼女の頬にかかっている髪の毛をそっとはらい、寝室を後にした。丁度、私が部屋を出た頃、診療所の扉が開き、鳴海先生が入ってくる。先生は口にタバコをくわえ、ぷかぷかと煙を吐き出す。私は無言で先生に近づき、タバコを奪った。
「タバコはいけません!」
 突然タバコをとられて驚いたのか、鳴海先生は咳き込む。私は一瞬罪悪感を感じたがすぐにキツイ顔になった。
「で、鳴海先生。何か収穫はありましたか?」
「う〜ん。色々収穫はあった。一つはこの村には、確かに医者がいたと言うこと。それとこの村の実権は事実上、村長ではなく、村の巫女が仕切っているということ。しかも、その巫女が死者をも生き返らすと言う」
「それは聞き捨てなりませんね。死人を生き返らせるのなら、医者はいらなくなりますものね。鳴海先生も廃業に追い込まれるかも」
「まあ、俺の廃業うんぬんはともかく。その巫女とは一度あっといた方がいいと思う」
「ええ、それがいいかも知れませんね」
「ところで、あの滝壺で見つけた少女はどうなった」
「……それが」
 事情を説明すると、それに先生は頷く。
「どうやら、この村には変わった子どもが多いみたいだな」
「ええ、でもこの柚江ちゃんはいい子ですよ」
「さてと、そろそろ如月さんも戻るだろう。早速だがカルテの整理でもしよう」
「そうですね。私は洗濯でもしますか。タオルいっぱい使いましたからね」
 そう言うわけで私達は、おのおの自分の仕事を始めた。

7月11日 鳴海大喜 【墓月村・診療所】 午後 8時30分
 どうやらこの病院で治療をしていたものは、詳細に病気の調査をしていたみたいだ。かなりの数のカルテがあった。しかし、肝心の診療日誌が見あたらない。カルテの内容はすべて子どものもので症状はすべて一貫している。突然発作を起こし、それが幾度も繰り返し起こり、最後にショック死すると言うものだ。原因はどれも不明。ただ、すべての子に共通しているのは眼の色が独特なのだという。血縁者の中で、外国人がいないのに、眼の色が白や赤だったりと普通の子どもとは、明らかに違う身体的特徴があった。
「白い眼、赤い眼、突然の発作、ショック死……わからん」
 全くお手上げだ。カルテだけを見ると、すべての子どもに異常は見つからない。なのに年々この村では子どもの死者が多数出ている。それも原因不明の病気で。
「そう言えば、入院患者の河口柚江のカルテはどこにあるんだ?」
 俺は山の様なカルテから探したが河口柚江のカルテは見つからない。
「鳴海先生。ごはんできましたよ」
 サラの合図とともに俺の腹が鳴る。
「今日のご飯はなんだ?」
「今日は初日ですからね。豪勢に行きますよ」
 俺の目の前には湯気の立ち並んだご飯と、脂ののった鮭、ミソの香りが食感をそそるみそ汁。キュウリの漬け物に、ひじきの煮付け、大根下ろし……。大根下ろし?
「ぎょええ、何で大根下ろしが!」
「あれ、鳴海先生って大根下ろし苦手でしたっけ?」
「ああ、お前には言ってなかったが大根下ろしは、俺の先祖が食べて食中毒を起こし。先祖代々食べてはいけない決まり事になっているんだ」
「何を言ってるんですか。子どもみたいに。大根下ろしで食中毒が起こったなんて聞いたことありませんよ。さあさあ、美味しいんですからね。食べた食べた」
そう言ってサラは大根下ろしにしょうゆを垂らし、なんと俺のほかほかご飯の上にのっけやがった。俺のほかほかご飯が、大根下ろしに支配される。俺は泣いた。
「大の大人が何泣いてるんですか。たかが大根下ろしくらい、食べなさい!」
サラの一括により、俺は渋々、大根下ろしご飯を一口食べた。俺の口にめちゃくちゃ苦い薬を飲んだときの、あの何とも言えない苦さが口いっぱいに広がる。生のゴーヤ食べた感触と、銀紙を奥歯で思いっきりかみ締めた感覚が、脳髄に記憶され、一生のトラウマと化すだろうと俺はその時思った。
「はいはい、ちゃっちゃと食べないと、かたすわよ」
 俺の隣で、恐怖の大根下ろしを、むしゃむしゃ食べている強者サラを後目に、涙を流しながら食べた。さらば、ほかほかのご飯、さらば俺の青春。ご飯を食べ終わった頃に、俺は生を感じた一瞬に思え、生きた心地がした。
「まったく。大げさなんだから」
「大げさなもんか。お前、よくあんなまずいものが食えるな」
「だってわたし大根下ろし好きだもの」
「はあ、もうご飯はいいから、かたづけてくれ」
「全く、先生は子どもなんだから」
 そう言ってサラはご飯を片付け始める。
「そう言えば、如月さん、結局帰ってきませんでしたね」
「そうだな。まあ、彼女はこの村出身だろうし、大丈夫だろ。別に今日は仕事はないんだし」
「それはそうなんですが、あの人くらいしかこの村に詳しい人はいないんですよ。それに、私達の前に来た医者のことも聞けるはずだし……」
「確かに。まあ、どうせこの村には一ヶ月は滞在するつもりだから。ゆっくりと村の中を回るとするよ。それに村の人の往診もしなきゃいけないしね」
「そうですね。明日から頑張りましょう」
「ああ、今日はもう寝ることにして、俺たちはどこで寝れば良いんだ」
「さあ?」
「ふむ。仕方ない。俺はこの診察室のベッドを借りるとして、サラは病室のベッドを借りるといい。確か柚江ちゃんの隣のベッドが開いてたはずだ」
「分かりました。じゃあ、先生。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
 サラは眠る支度をするため、部屋から出ていった。
「さてと、もう少しカルテの整理をしてから寝ますか」
 思いっきり背伸びをすると、待合室のドアがノックされた。
「如月さんが帰ってきたかな?」
 そう思ってドアを開けてみると、外には一人の少年が立っていた。その顔には見覚えがある。
「お前は確か、橋で会った少年」
「大変だよ。鳴海先生、あっちで人が倒れているよ」
「なんだって!」
俺は急いで荷物から、救急医療セットを取り出し背負う。
「先生。あっちだよ。あっち」
 少年は森の方を指して言う。夜の森は不気味でどこか冷たさを感じる。少年が先導している通り歩く。森がざわめき、葉がざわざわと揺れる。薄気味悪い影を背に、俺はひたすら少年のあとを追った。

7月12日 松永沙羅 【墓月村・診療所病室】 午前 0時17分
 夜中に突然目が覚めると言うのは、大概尿意に起こされる時と相場は決まっている。
 また、そう言う日に限って一人で行くのが怖くなるのもまた道理である。小学生じゃないんだから、何も怖いことはないのに、今日に限って何故か闇が怖かった。一切の光が無い真っ暗闇の病室。普段、患者さんがどのようにして、病室で寝ているのかがよく分かる。手を前に突きだしても、何も見えないから、手がどの位置にあるのか分からない。頭では想像出来るが、眼ではそれを認識出来ない。
 そんな闇の中、隣のベッドで話し声が聞こえた。はじめ、それは寝言かと思ったが。どうやらそうじゃないらしい。誰かと誰かがひそひそ話をしている。
「柚江ちゃん。起きてるの」
 そう聞くが、帰ってきた声は男性のものだった。
「すまない。沙羅起こしちゃったかな」
「鳴海先生! 今何時だと思っているんですか! ま、まさか……」
「いえ、ちょっと柚江さんとお話しがしたかっただけですよ。もう用件はすみましたから」
「ホントですか?」
「ええ、他に何かありますか?」
「いえ、それならいいんですが……」
 私は少し府に落ちなかったが、先生は笑いながら部屋を出ていったので。とりあえず、胸の奥にしまっておいた。
「そう言えば、私トイレに行きたかったんだ」
 思い出したかのように尿意が再びわき起こる。わたしはいそいそとトイレをすました。

7月12日 松永沙羅 【墓月村・民家】 午後 12時38分
 午前中の往診は結局無駄に終わった。この村には病人はいないんじゃないと言うくらい。誰も医者に寄りつこうとはしない。そればかりか医者を見る目がどこか冷たいような気がする。先生は頬の汗をぬぐいただひたすら歩く。
「先生無駄ですよ。この村はやっぱり私達を避けてます。いくらやってもダメなんですよ」
「そうですね。今日の所は引き返しましょう」
「え?」
「今日はたまたま、みんな健康だったんでしょう」
 そう言うと、先生は回れ右をして、診療所に戻る。
 診療所に戻ると如月さんが冷たい麦茶を出してくれた。
「あ〜。生き返る〜」
「さてと、私は少し休憩しますね」
 そう言うと先生は、さっさと診療室に入っていった。
「そう言えば、如月さん。昨日は結局診療所に帰ってきませんでしたね」
「ええ、すみません。昨日は大爺様に泊まる様に言われて」
「そう、それなら良かった。なんか如月さんだったら道の途中で迷子になってるかもって思って心配していたのよ」
「はあ、そうなんですか。それはどうもすみません」
「さてと、そろそろお昼の準備しないと」
「あ、私も手伝います」
「ありがとう。如月さん。今日はオムライスにしましょう。あれだったら柚江ちゃんも好きそうだし」
「それだったら、柚江ちゃん大はしゃぎね」
 二人はにっこりと笑う。奥の台所へと向かい昼食の準備を始める。
「それにしても、この村ってどうしてこんなに医者嫌いなのかな」
「それは仕方がないんですよ。何でも昔、ここで医者をしていた人が、紫苑様に逆らって村のもん全部を敵に回したって聞いてます」
「……紫苑様って?」
「あ、そうですね。松永さんはまだご存じじゃ無いかも知れませんが、事実上この村を仕切っているのは村長ではなく。村はずれの神社に住んでいる、紫苑様という方に、すべてを決めて貰っています」
「なるほどね。紫苑様って、とても偉い人なのね。で、紫苑様って男の人?」
「いえ、女性の方です」
「と言うことは巫女様なんですか」
「ええ、ただ。最近、余り外には出歩かないと聞きますし、心配ですね」
 如月はじっと遠くを見て何やら深く考えている。
「さてと、ちゃっちゃと始めますか」
「はい」
「わたしが包丁を使って野菜を切るから、如月さんは玉葱の皮をむいて洗って置いて、それから……。一つ聞きたいんだけどあなた包丁使える?」
私の質問に如月さんは、不適な笑みを浮かべる。
「ふっふっふっ、私を誰だと思っていますか。『包丁キラーの敦美』と呼ばれていますからね」
 なんか自慢げに語る如月に私は玉葱を千切りして貰うことにした。これだけ自信があれば大丈夫だろう。私はそう思っていたが考えが甘かった。初日の彼女を見れば考えられた事態だ。
『パキッ』と奇妙な金属音がすると思った次の瞬間、壁に何かが突き刺さる。
「如月さん?」
「あう〜。こんな筈じゃないのに〜」
 彼女は涙目で私を見る。私も違った意味で泣きたい。彼女は三本目の包丁を大破し、未だに記録を更新していた。どういう包丁の使い方をしたら包丁が真っ二つに割れ。壁に突き刺さるのだろう。私に到底思いつかない。きっと彼女は特別なのだろう。
「如月さん。玉葱の方はもう良いから。ご飯洗ってくれるかな」
 私の申し出に、彼女はしょぼくれるがすぐに立ち直り、ご飯を洗う準備を始める。
「えっと、お米って洗剤で洗うんでしたっけ」
 彼女のボケとしか言いようのない言葉に、私の芸人(?)の血が目覚めた。無言で彼女の額にデコピンを喰らわす。彼女は涙目になる。
「いっ、いたいです〜」
「我慢しなさい。いい、敦美。今日から私はあなたの師匠よ。まずはお米のとぎ方よ」
「はい〜」
「返事は『はい』でしょ。そんなことでは、立派なお嫁さんになれないわよ。いいお嫁さんはね、料理が上手じゃないとダメなのよ。分かるね。分かってるの」
「はい」
「よろしい。じゃあ、まずはね……」
 そんなこんなで、昼食は如月さんの料理特訓で終わった。三時間もねばったが。結局、彼女の料理の腕は上がらなかった。いや、もしかしたら、前よりも悪くなったかも知れない。結局、この日以外、彼女は二度と台所に立つことはなかった。















第二夜 受胎

7月10日 鈴原省吾 【墓月村・入り口】 午後 1時28分
「はあ〜」
 今日何度目かのため息を吐く。
 一体、俺は何のために、こんなへんぴな村へ、来なきゃならないんだ。編集長も、編集長だ。記者の一人が行方不明になったからって、何も俺を行かさなくても。俺は俺で仕事があるっちゅうの。ああむかつく。
「しっかし、ホントへんぴな村だな」
 俺は改めて村の入り口に立つとそうもらした。家がぽつぽつと並び。ここからでは人の姿も見えない。
「まずは情報収入といきますか」
 村で一番でかい屋敷を探した。村には何軒かの、小さな家が見える。そして、村のちょうど中心に大きな屋敷が見えた。
「へえ〜。なかなか古風な家だな」
 目の前には大きな門、その両側には何かの文様が刻まれている。門の前に、その家のお手伝いさんが水まきをしていた。
「……あのちょっとすみません」
 話しかけるとお手伝いさんはビクッとしてから、俺の顔をじっと見上げた。
「何ですか?」
「えっと、鈴原省吾といいますが。この村で岡崎理津子という人を知りませんか?」
「岡崎さん? 知らんの。あんたよそもんだろ。あんまここら辺うろうろすると、ツキに喰われるで」
「はあ? ツキですか。ツキってあの月ですか」
「うんだとも、夜になると森を徘徊してるっちゅう話しだけどんも、特によそ者を食べるっちゅう話しじゃ」
「へえ、そうですか。どうもご親切に。ああ、それとこの近くに宿屋はありませんか」
「宿屋? 宿屋はないけんども。村はずれの神社なら泊めてくださると思うで」
「そうですか。分かりました」
「それと、神社の巫女様、紫苑様にはくれぐれも失礼の無いようにせんとな」
 なんだかんだで親切にしてくれたお手伝いさんに、お礼を言って俺は大屋敷をあとにした。

7月10日 鈴原省吾 【墓月村・神社】 午後 5時36分
 神社までの道のりで分かったことがある。どうやら、この村の人口は極端に少ないらしい。いや、もしかしたら俺が避けられているせいかもしれないが、先ほどの屋敷から神社まで人っ子一人見あたらないのである。
 民家はぽつぽつとあるのだが、人の姿は見あたらない。どうにもその辺が腑に落ちない。それに、岡崎はこんなへんぴな村の何を取材していたのだろう。
 そう言えばあの女は入社時からおかしな行動をしていた気がする。
 入社時の岡崎理津子はどこに出もいるガリ勉タイプの女性だと思っていた。その証拠は分厚い眼鏡にある。あんな分厚い眼鏡をしているのだから、相当勉強家だったのか。そう思えるほど彼女は真面目に見えた。入社当時はだ。しかし、それは間違いだと気付かされる。
 彼女は何か目的があって、うちの編集部に来たと編集長がもらしていた。うちの編集部は主に科学雑誌を手がけている。その中でも月と身体のバイオリズムに対する密接な関係や、月の満ち欠けと交通事故の関係など、月に関係する雑誌を軸にしている。部数もそこそこ売れており、専門の知識が無くても読める読み物として、一般の方から専門家にまで幅広く読まれている。それがうちの自慢であったが、最近では少々変わったテーマ性で雑誌を掲載していた。
 それが、ファントム・ムーンといわれるもので。このファントム・ムーンこと、幻の月は、世界各地に散らばる、幻と呼ばれる月を題材にしたものであった。
 例をあげると、日本の最南端で見られる双子月、死者だけが見られるという裏月、月が涙を流すと言われる涙月など、数えたらきりがないが、それらすべては、噂でほとんどがデマだったりする。ほとんどがハズレで、この企画は計画倒れと誰もが思っていた。
 当たり前だ、月が2つに分かれたり、涙を流したり、あまつさえ死人だけが、見れる月などデマの何ものでもない。しかし、その明らかにデマと思われる取材に、自ら出願したのが岡崎理津子だった。この時はバカなヤツだと思った。まあ、せいぜい頑張りな、ぐらいしか思ってなかった。
 けれども彼女はそのデマと思われた取材を、見事、成し遂げたのである。
 一つは双子月、日本の最南端の、とある島に。毎年決まった月に、月が2つに分かれるという現象が起こっていた。また、月が涙を流すというのは蜃気楼の一種、または陽炎の影響により光が屈折して、月が涙を流したように見えることを、彼女は取材により発見し、うちの雑誌はバカ売れした。
 そして、最後のファントム・ムーンの取材の時に事件は起こった。岡崎が消息を絶ったのだ。いつも月初めには必ず取材の報告をしていたのに。今月に入ってぷつりと切れてしまったのだ。
 不審に思った編集長は、急遽俺を岡崎捜査隊に任命し、俺はこの村に来た。要するに、岡崎は大事な戦力だから、とっとと探してこいとのことだ。俺はいなくてもよくて、あいつがいないとダメなんだと。全く編集長も涙が出ることを言うもんだ。死地に戦士を送り込むのにもうちょっと気の利いた、言葉を投げかけられないものだろうか。
 岡崎のデスクに積まれていた資料によると、この村には裏月と呼ばれる月が見られるという。墓月村は下界との接点が、切り離された村で、電気、水道、電話等が一切無い。辺境と呼ばれる村である。人口はわずか150人弱。小さな村で、交通手段は一週間に三本のバスのみ。特にこれと言った観光地があるわけでもないが、いくつかの伝説と古い神社が一つあるだけ。
 ただ、裏月に関する資料はこれ以外ほとんど実例が無く。またその存在自体、伝説や伝承と言われ、資料はほとんど存在しなかった。
「ふう〜。やっと着いたか」
 長い階段をようやく上り終えて安堵した。体力にはそれなりに自信はあったが、それでもこの階段はきつかった。後ろを振り返ると、階段の一番下が霞んで見えない。それほど長い階段を登ってきたんだと改めて感じた。
「あれ、誰か来たよ。ミコトちゃん」
 声がする方を振り向くと、そこには箒を持った巫女さんが立っている。その顔は妙に幼かった。
 ミコトと呼ばれたもう一人の巫女さんは、俺をじっと睨む。どうやら、警戒されているらしい。俺は怪しい者ではないと説明するため、ハンバーガーショップで獲得した、スマイル0円を発動させた。最もこの技は余り使いすぎると、精神値が極端に下がるので乱用は出来ない。
「なんか気持ち悪い人ですね」
(ガーーーン)。
 ハンマーで殴られたような痛みを感じた。ハンバーガーショップでの半年は何だったんだ
あの店長との壮絶な修行の日々は――――――。
「面白い人だね」
 猫みたいな瞳の少女が俺の頬を持っていたホウキの柄で突っつく。
「何をしているのかな。きみは」
「にやははははは」
「笑ってごまかすな」
「うにゃ〜。変態さんが起き上がった」
 猫目少女はパッと俺から離れれると、もう一人の少女の背に隠れた。もう一人の少女は俺のことをいかにも変質者を見るような目つきでこちらを伺っていた。
「墓月神社に何か用ですか?」
「えっと、この村に宿屋が無くて。今日だけこの神社に泊めて貰えないかな」
「あなたはここがどういった所か、知っているのですか?」
 鋭い目が俺をじっと見つける。たぶん、警戒されているのだろう。
「ただの神社だろ。俺、大きな屋敷のお手伝いさんが、この神社なら泊めてくれると聞いて」
「大爺様の崎本さんかな」
「あ、崎本さんの肉じゃがおいしんだよな」
 猫目少女の口元からよだれが垂れる。よっぽど崎本さんの肉じゃがが美味しいのだろうか。
「メイは黙っていなさい。私はこの人と話しをしているの」
 メイと呼ばれた猫目少女は、しょんと黙る。どうやら、ミコトと呼ばれる少女には逆らえないみたいだ。
「何、にやにや笑ってるんですか!」
 ミコトはにやにや笑っている俺の事が、気にくわなかったみたいだ。俺を睨み付ける目つきが更にきつくなる。俺はミコトを怒らせてしまったらしい。そんなやりとりの中、神社の方から女性の声がする。
「二人ともどうしたの?」
 声の主は二人に近づいてくる。
「紫苑様」
 ミコトが深々と頭を下げる。どうやら、この人がこの神社の巫女さんらしい。俺はその顔を見て驚く。彼女の顔半分ほどを埋め尽くす白い仮面。不気味というよりも神秘的に感じる仮面から、やさしい瞳が除かせる。
 息をするのも忘れるほど、その仮面が周りの風景と混じり合って、何とも言えない空間が広がっていた。何だかわからないけど背筋がゾクゾクする。この感覚は一体なんだろう。そうだ、感動的な音楽を聴いたときに似ている。全身の毛が逆立つような、奇妙な感覚が襲った。
「なに、紫苑様をじろじろ見ている」
 そんな俺を一括するようにミコトがいう。
 その後の展開はあっという間だった。紫苑が快く俺を泊めてくれることを承諾してくれた。その承諾にミコトは渋々頷いていたが、まだ不服そうで、メイはニコニコと笑っていた。
 そんな訳で俺はこの神社に泊まることになった。
 墓月神社とは、この村ができる前からここにあったといわれているが。そんなに古くさい感じはなく。きちんと手入れがされていた。たぶん、毎日掃除を欠かしてはいないのだろう。
 廊下のきしみが何とも古めかしさを感じる。廊下を抜けた先の奥の部屋に俺は通された。その部屋はツボやら掛け軸やらといった物が並べられ。倉庫となっている部屋だった。何でもあまりお客様は来ないので、お客様用の部屋はないのだという。
 首を振り、助かりますと一言いった。紫苑は会釈をすると部屋を出て行った。
 一息つこうとしたとき、いきなり襖が開き二人の巫女が入ってきた。
「非常に不本意ですが、紫苑様には逆らえません。でも、忘れないでくださいね。あなたは招かれざる客だということに――――」
「はいはい、変態さん。メイは変態さんの味方ですからね」
 メイの場違いな言動にミコトの肩の力が抜ける。
「変態さんはひどいな。俺には鈴原省吾っていう立派な名前があるんだけどな」
「へえ〜。変態にも変態らしい名前があるんですね」
 ミコトの言葉にはまだとげがある。
「まあまあ、ミコトちゃんも押さえて押さえて、変態さん。あと一時間したら夕食だから呼びに来るね」
 それだけをいうと二人とも部屋を出て行った。俺はとりあえず部屋に寝転がり、これからの行動を考えたが、途中で考えるのがイヤになってきた。どうして、あの女のために俺は身心を削らなければならない。別に見つからなければ見つからなくて良い。俺には何の関係もない。ああ、関係ないんだ。ここに来るまでずいぶんと歩いたので、瞼のシャッターが閉じる。そして、俺は眠りに落ちていた。

 みんなが帰る頃、ボクだけは一人淋しく帰っている。別に一人が寂しいというわけではなく。友だちがいないというわけでもない。ただ、他人と関わることを拒否していた。一人でいると周りの雑音を気にしなくても良いし、とても心が落ち着いた。ボクは一人でいることが好きだった。
 ボクの家じゃない僕の家に帰り着くと。ボクの家族じゃない僕の家族が暖かく迎えてくれる。ボクの部屋じゃない僕の部屋に。ボクのベッドじゃない僕のベッド。ボクの机じゃない僕の机。ボクの人生じゃない僕の人生。全てが偽りに見えて真だった。ボクの手、目、耳、足、心臓さえ、ボクのものではなくて、僕のものだった。
 ボクと僕はどう違うのだろうか。カタカナと漢字の違い。うんん、それだけじゃない。ボクと僕とではどこかが違っているんだ。ボクはボクで、僕は僕。他人がボクになれないのと同じように、ボクは僕にはなれない。ボクと僕は違うものなんだ。
 だけども、ボクは僕になれないけど、僕はボクになれる。僕はボクの事をどう思うだろうか。ボクの事を嫌いにならないだろうか。ボクの事を理解してくれるだろうか。愛してくれるだろうか。うんん、愛してくれなくても良いからボクを知って欲しい。
 ボクの一番近くてボクに一番遠い僕にボクを知って欲しい。気づいて欲しい。一緒に遊んで欲しい。ボクの望みはただそれだけ。それだけなんだ。早く、ボクを見つけておくれよ。

7月10日 鈴原省吾 【墓月神社・物置】 午後 9時15分 
 ふと、目覚めるとそこはすでに暗い闇に覆われていて、自分の位置さえもわからない。
 木々のざわめきだけが聞こえてくるが、どちらが上でどちらが下かもわからない。自分が今立っているのか、それとも座っているのか。もしかしたら、まだ夢の続きを見ているのかさえ分からない。月も出ていない夜に、俺はただただ暗闇に目が慣れるのを待った。
 五分ぐらいした頃だろうか。やっと目が慣れ、襖の輪郭がはっきりと見えてくる。その襖の向こう側をボーっと赤い火の玉が通り過ぎる。背筋がぞくっとした。
「まっ、まさかな。神社に火の玉なんてベタな展開があってたまるか」
 強気な発言をするが声は震えている。そして、襖はいきなり開かれた。
「わあああぁぁぁ!!!」
 いきなり襖が開いたので、俺はそんな叫び声を上げた、今考えれば恥ずかしいことをした。
 襖から現れたのはあの嫌な女、ミコトとその後ろにはメイが、おっかなびっくりとこちらを覗く。
「夕食が出来たわよ!」
 まだ怒っているのかミコトはそれだけいうと、さっさと行ってしまった。
「珍しいな〜。ミコトちゃんはいつもツンツンなのに、あんなにカリカリするなんて。変態さんはすごいな〜」
「あのね。俺は鈴原省吾。スズハラショウゴ、わかる」
「変態さんは変態さんだよ〜」
 どうやらこの子は、俺の名前を変態で定着する気だ。あの目は楽しんでいる目だ。俺は最終手段をとる。にっこりと微笑み。彼女のほっぺを思いっきりつかむ。
「俺の名前は鈴原省吾。リアリー」
 いきなりほっぺを摘まれたメイは抵抗するわけでもなく。ニコニコ笑い出す。
「ほえほえ、えうあうあん、おもおろおお〜」
 俺の頬を捕まれているというのにメイははしゃぎまくる。俺は頭を抱え、変態という烙印を覚悟した。
「二人とも何してるのよ」
 俺たちが遅いから心配したのか。ミコトがいつの間にか戻ってきた。
「いや、何でもない。何でもない」
「そう、ならさっさと食事にするわよ」
「ほいほい。メイもお腹ペコペコだよ」
 メイのお腹がキュウ〜っと鳴くと、俺とミコトは笑いだし、メイもつられて笑い出した。

7月10日 鈴原省吾 【墓月神社・居間】 午後 9時30分
 通された部屋には、すでに紫苑が座っており、静かに俺たちを待っていた。
 そっと座敷に座敷に座る。目の前には大根の煮付けと、山菜の漬け物、鮭の切り身といった非常に質素な食卓であった。
「それでは、いただきましょうか」
 紫苑の合図とともに、ミコトとメイがご飯をよそい渡してくれた。
「ところで鈴原さんはこのような村にどういったご用件で? 差し支えなければお聞かせください」
 鮭の切り身に手を出した頃、紫苑が遠慮がちに言った。
「実は僕の同僚がこの村で消息を絶ちましてね。その捜査に来まして――」
「と、いうと。ひょっとして、あなたはお医者様?」
「いえ、違いますが。どうして、僕が医者だと」
「ただ何となくそう思っただけです」
「そうですか。ああ、それと神社に岡崎理津子と名乗る人物が、来ませんでしたか」
「……いえ、そのような人は来ておりませんが…その人があなたのお探しの人ですか?」
「ええ、彼女何でも、この村に伝わる裏月という月を探していて、行方不明なんですよ」
 裏月という言葉にミコト、メイ、紫苑は反応する。そして、紫苑は俺の目をじっと見てゆっくりと口を開いた。
「あまり、この村で裏月の話しをしない方がいいですよ」
「どうしてですか」
 俺がそう聞き返すと、紫苑は押し黙る。そして、沈黙を破ったのが先ほどまで静かだったミコトだった。
「裏月っていうのは。死んだ人、これから死ぬ人だけが見られる月で。その月を見たものはもうすぐ死ぬの……要するに死の宣告を受ける事になるの。裏月の別の呼び方をすれば死月…死ぬ月……」
 ミコトの表情が読めない。冷たい瞳が更に冷たく感じる。全身の毛が逆立ち、胸騒ぎとも呼べる嫌な気配がした。その嫌な気配をはらったのが、紫苑の一言だった。
「もっとも、それらは全て伝説上の話しで、そんな月は存在しません。ただ、私達が本来見ている月とは別の月が存在すると、昔の人は考えたのでしょう。生きている人間が見ている月を表月、死者が見ている月を裏月と、呼び始めたのがはじまりだといわれております」
「でも、伝説っていうのは何か切っ掛けがあって、生まれるものでしょ。だったら、表月も裏月も生まれた理由があるはずじゃ」
「確かにそうかも知れませんが、村人達は極端に裏月を恐れています」
「いったい何で」
「昔こんな伝承がありました」

 ある男が妙な事を口走るようになったのが切っ掛けでした。月が妙な光を放つと。その男の目は赤く。まるで鬼の目とも呼べる代物で、村人達はその男を棍棒で殴り倒し殺してしまいました。次の日も赤い目の男が現れ、村人に殴り殺されました。そして、次の日も、また次の日も赤い目の男は現れ、その都度殴り殺されました。そして、一体何人の男を殺したのかさえ分からなくなった頃、村では奇妙な病気が流行り出しました。その病気とは子どもたちの突然死です。村はあっという間に人口が減り。これはあの男の呪いだと騒ぎ出すものも現れたといいます。そんな時、一人の老僧が村に現れこう助言しました。
『血縁の近いもの同士が交わり、生まれてきた子の更に血縁が近しもの同士を交わらせる。そうして、6番目に生まれてきた子をこの村の巫女として迎えよ。さすれば病気も治まり、呪いも静まるじゃろう』
 老僧はそれだけをいうと村を出て行きました。村人は老僧のいわれた通り実行しました。そして、6番目に生まれて来た子を『紫苑』と名付け、代々巫女として末ってきたといわれている。 
「でも、そのお話しはおかしくないか?」
「……どこがですか?」
「殺しても殺しても、その赤い目の男は死ななかったってことは、その男は不死身ってこと。そんなの非現実的だ」
「だから、これは伝説や伝承の類なんです。でも、煙のないところに火はたたないといいますし。何かしらの要因はあるのでしょう」
「そうかもしれませんが、それと裏月とはどのような関係が? 村人はどうしてそんなに裏月を恐れるのですか?」
「今お話しした中で語られた、赤い目の男が見ていた月が裏月なのです。だから、裏月のことは村ではタブーなのです」
「お話しは良くわかりました。肝に銘じておきます」
「それがよろしいかと」
 紫苑は止めていた手を再び動かし、食事を再開する。そして、今までじっとこちらを伺っていたメイが、しゃべり出した。
「お話し終わりだよね。うんじゃあ、変態さん。メイとお話ししよ〜!」
「メイ、食事中にはしたないわよ。紫苑様も何か言ってやってください」
「まあ、良いではないですか、ミコト。久しぶりの客人です。あなた達もそうカリカリしないでもう少し鈴原さんとお話ししても良いのよ」
「――紫苑様」
「はいはい、ミコトちゃんの変わりに、メイがいっぱい、変態さんとお話しする〜」
 やっぱり俺は変態な訳か。俺は肩をがっくりと落とす。そんな俺の心情を知らないメイは相変わらずニコニコ顔で俺を見ていた。
「じゃあね。メイね。いっぱい、いっぱいお話しするね」
「ああ、それは良いのだが、俺のことは省吾と呼んでくれ。お願いだから」
 俺は地面に手をつき懇願した。分かったのか、分かっていないのか。メイは笑みを浮かべる。
 こうして墓月村での最初の夜は更けていった。結局、岡崎の情報は何一つ手に入らなかったが、変わりに面白い情報が聞けた。裏月か…おもしろい。その正体、俺が見つけ出してやるぜ。
 メイが喋っている隣で俺は密かにそう決意していた。

7月11日 鈴原省吾 【墓月村・診療所】 午前 10時27分
 俺はしばらくこの村に滞在することを決め込み。村の探索を開始した。メイの話しでは村の中央に大爺様の屋敷、その周りに点々と民家がならび、村はずれには小さな診療所があると言う。俺はまずその診療所へと向かうことにした。
 神社から診療所まではそんなに遠くなく。細い道を一本真っ直ぐに歩いていけば着ける所にあった。診療所の外装はツタに絡まれて、もう何年も人が訪れていない様に見える。
 玄関を軽くノックするが、返事がない。中に人がいないかを確認する。中からは誰の気配もしない。思いきって玄関の扉を引いたら、扉はいともたやすく開いた。診療所の中は思っていたよりも綺麗で、清潔な空間となっていった。けれどもやはり人の気配はしない。
「すみません。誰もいないんですか!」
 少し強めに声を張り上げるが、誰の返事もしない。俺は仕方なく玄関を閉め、診療所に入り込む。掃除の行き届いたロビーを抜け、診察室の扉をそっと開けた。けれども、そこには誰の姿もない。どうやら、本当に無人らしい。全くなんて診療所だ。
 ふと、診察室の机の上に診療日誌に目を奪われた。もう一度辺りを見回し、誰もいないことを確認してからその日誌を取った。
 日誌には俺では理解できない単語がずらりと並べてあった。その中に興味深い名前を見つけた。

5月27日 
 今日は珍しくお客が来た。何でも取材のためこの村に訪れたと言う記者だ。名前は岡崎と言ったか。彼女は執拗にこの村の病気に関して聞いてきたが、私にも分かっていないことを、答えられるはずもなく。彼女は引き返していった。あまり、この村に滞在はしてもらいたくない。この村はよそ者を毛嫌いしている節がある。彼女が村人を刺激しないことを祈る。


5月28日
 今日もうちの病院に運び込まれてきた二人の患者が死んだ。まだ、あどけいない少女で名前は確か河口柚江と言ったか。カエル人形を大事に握りしめながら死んでいった。全く持ってやるせない気持ちになる。もう一人の患者は、運び込まれてきたときにはすでに遅く、亡くなっていた。死因はショック死ではなく、水場でおぼれての水死。全身が水に水でぐっしょりと濡れていたことを思い出す。それに首に付けられていた大型犬の首輪も気になった。もしかしたら、虐待でもされていたのだろうか? しかし、私にはどうすることも出来ない。

5月29日
 昨日死んだ子が運び込まれてきた。最初は双子かと思ったが全く同じ服装をしていた。そして、今回も全身をぐっしょりと濡らしていた。やはり死因は水場での水死と判断される。瞳孔も開いているし、呼吸も脈もない。明らかに死亡している。では、昨日見た少女は誰なのだろうか。

5月30日
 また、あの少女が運び込まれてきた。死因はやはり水死。私は今度こそ念入りに死亡を確認したが、やはり少女は死んでいた。だんだん気味が悪くなってきた。

5月31日
 今度で四度目。その少女はまたも水死で診療所に運び込まれてきた。私はいつも通り死亡を確認する。やっぱり、少女は死んでいた。そこで、私は少女の遺体を連れて帰る村人の後を追った。村はずれの小さな洞窟に、少女は運び込まれていた。私は夜を待つ、夜空には満月が浮かんでいて、月の光で洞窟がハッキリと浮かび上がっていた。私は洞窟に入り込んだ。
そこで私は信じられないものを見た。私は医者としてもう生きていけないかも知れない。

 次のページに目を向けると、そこには何も書かれていない。どうやらこの日誌はここまでらしい。俺は首を傾げた。
 奇妙な文章が綴られている日誌に夢中になっていたせいで、後ろから誰かが忍びよっていたことに気づかなかった。俺の頭に強い衝撃が走り、俺はそのまま気絶した。

7月12日 鈴原省吾 【墓月村・???】 午前 7時30分 
 目が覚めたら、いきなり後頭部に強い痛みを感じた。
 周りを見渡すとそこはジメジメとした洞窟の中だった。目の前に鉄格子がはまっていて、どうやらどこかの洞窟に閉じこめられたみたいだ。さいわい、荷物だけは俺の周りに落ちていて、その中に河口柚江と書かれたカルテが落ちていた。カルテの文面を見ても内容は良くわからない。俺はとりあえず荷物の中にカルテをしまった。
 そう言えば、ここは洞窟なのにいやに明るく。周りがボォーッと輝いている。そうして目が慣れた頃、奥の方にも誰かが倒れているのを発見した。俺はゆっくりと近づき、様子を見る。
 倒れていたのは男だった。年齢は20代の後半。顔立ちは悪くない。服装は青白いYシャツに黒っぽいズボン。都会ではよく見られる姿だ。どうやら、俺と同じ都会の人なのだろう。呼吸はしているから生きてはいると思うが、俺と同じで誰かに頭を殴られて連れて来られたのだろうか。あれこれと考えていると、男が頭を押さえていきなり起き上がった。
「あれ……ここは?」
 頭のこぶを押さえ、周りとキョロキョロして俺の目と合う。
「えっと、あなたは?」
 妙に冷静なその男は、自分の置かれた状況を瞬時に理解した。
「名前を尋ねるならまずは自分からだろ?」
「えっと、俺は鳴海大喜」
「鈴原省吾だ」
「ところで、あなたはどうやってここに?」
「昨日、いや時間の感覚がないからよく分からないが、墓月村の診療所で、何者かに頭を殴られて、気づいたらこの村にいたというわけだ。君はどうやってここに」
「実は良く分からないのですよ。真夜中に森でけが人がいると少年に教えられて来たら。いつの間にかこの場所にいたと言うわけで」
「つまり、俺たちは捕まったと」
「そう考えるのが妥当でしょう」
「考えたくないがな」
「ところで見たところ、あなたは新聞記者か何かで?」
俺はハッとして鳴海の顔を見た。鳴海はじっと俺を見ている。
「ええ、確かに雑誌の記者だが。良くわかったな」
「知り合いに雑誌記者がいましてね。その人の雰囲気と似ていたもので」
「なるほど。で、あなたはどんな職業で」
「――医者です。この村の病気を調査に来た」
「病気?」
「ええ、この村では子どもたちが次々に死ぬという病気が流行っていて、その病気を調査するために来たんですが、やっぱりと言うべきか。この村の人は医者が好きではないらしいです」
「ああ、確か紫苑様も医者のことを気にしていたが……」
「紫苑……君は彼女にあったのか」
「ちょっとだけな。それと俺のことは省吾と呼んでくれ」
「分かった。それで省吾は紫苑と何を話した」
「えっと、裏月の伝説と、村ではその名前がタブーであることくらいかな」
「……裏月?」
「この村で見られると言う幻の月で。まあ、もともとは岡崎が取材していたものなんですがね」
「岡崎――岡崎理津子のことか!」
「ええ」
「岡崎がこの村にいると言うことは、病気の調査だけでは終わりそうもないな」
「それはどういう……」
「そうだな。少しだけ昔話をしよう。俺と琢馬、岡崎さん、そして優花の話しを……」
 そう言うと、鳴海はゆっくりと口を開く。まるで、おとぎ話か昔話でも語るように。ゆっくりと子どもにでも聞かせるように、鳴海は話し始めた。





























第三夜 鼓動

7月12日 松永沙羅 【墓月村・診療所】 午後 1時30分
 今日も午前の診療を終え、私は少し遅めの昼食を取っている。鳴海先生は調べものがあると言って、ほとんどカルテの整理をしていた。相変わらず、診療所には誰も来ないし、今日は如月さんも来ていない。相も変わらず暇をしている私は病室に顔を出してみた。
 病室のベッドにちょこんと横になっている少女は、私が入ってくると同時に振り向いた。その顔にはどこか悪戯な笑みに見える。
「お姉ちゃん、暇だったらあたしとお話ししようよ」
「うん。いいわよ」
 柚江は私の言葉に笑みを浮かべる。私は病室の奥にある椅子を柚江のベッドの隣に置き、腰掛けた。カーテンがフワッと浮き、優しい風が病室に吹いた。
「お姉ちゃんは死ぬのって恐くない」
 いきなりの言葉に私は驚く。その驚きを見て柚江はゆっくりと続ける。
「あたしは…あたしは死ぬことは恐くはない。けど……あたしがそこにいた証がなくなるのはいや…あたしを覚えている人が一人でもいるなら、私は死なない…お姉ちゃんはどう思う」
「私は怖いよ。自分が死ぬのももちろん怖いけど、周りの人が死ぬのはもっと怖い。さっきまで笑っていたおじいさんが、数分後息を引き取る。昨日まで元気に走り回っていた子どもが、次の日には、顔に真っ白い布を被せられ横たわっている。死ぬ人ばかり見ていると、自分がいかに無力で醜いかを思い知らせられるもの。あの時だってそうだった……」
「あの時?」
「そう、あれは蝉が鳴き始めた季節。入道雲が空を覆っていた日。私と弟の最後の夏……」

 私達の両親はとても忙しい人で、いつも仕事仕事と言って、ほとんど家にいない事が多かった。だから、私は自分の事は自分でしてきた。勉強も運動も一生懸命打ち込んだ。勉強はクラスでもトップクラスで、先生の間違いでさえも指摘するほど。運動はバレーもバスケも、球技全般は何でもこなし、助っ人を頼まれるほどであった。そんな、私だからクラスの誰もが私を誉め称えた。でも、それは私の空虚を満たしてはくれなかった。
 私には一人の弟がいた。病弱で学校には行けず。わがままで、いつもあれやって、これやってと、わがままを言う。学校に行ってないから、お見舞いに来る友達もいない。両親は仕事優先だから病弱な弟のことは私に任せっぱなし。いい加減うんざりする。けれども、わがままで好き嫌いの激しい、大嫌いな弟でも、やっぱり私の弟なんだ。
 弟の部屋にはたくさんの人形と本がある。それらすべては仕事バカの両親が送りつけてきたもの、あの二人は物を送るだけしか愛情を表せない人達であった。私達が欲しいのはそんな愛情じゃないのにと言いたい。私はいいが、弟には愛情が必要だった。
 誰かが愛情を与えれば弟は元気になるはず。その役目は私ではなく両親がするべきなのだ。
 夕焼けに照らされ、部屋のカーテンから差し込む夕日をじっと見つめる弟の姿に、私は息苦しさを感じた。夕日が沈み部屋は真っ暗になる。それでも弟はじっと窓の外を見ている。星の瞬きと雲のかかった月の光りが、弟のやせこけた頬を浮かび上がらせる。
 真夜中、弟の部屋の前を通ると、誰かが声を押し殺して泣いているのが聞こえて、そっと弟の部屋をのぞいてみた。肩を震わせながら、泣いていた。私はゆっくりと扉を閉め、何事も無かったように部屋へと帰り眠りについた。
 私が高校生になっても、弟の身体が良くなる事はなかった。そして、ある夏の日。弟は血を吐いた。大量の血が布団に飛び散り、酸っぱい鉄の臭いが部屋中に漂った。変な話しだが、そんな弟の姿を見ても私は動じなかった。いや、すでに覚悟は出来ていたのかも知れない。
 弟はあと少しで死ぬと。
 弟に付着した血をふき取り、新しい布団とパジャマに着替えさせ、薬を飲ませると。弟は死んだように眠りについた。私はこのまま弟が眼を覚まさないことを祈った。生きているのが辛いのなら、いっそ死んでしまえば楽なのにと思った。
 一週間後、弟の体調が少しだけ良くなった。弟は外に散歩に行きたいと言い出した。いくら体調が良くなったと言っても、外を出歩けるほどではなかった。けれども、私は弟の願い通り、弟を外へと連れだした。
 外は夏の日差しに照らされて、アスファルトの上が陽炎の様にゆらゆらと揺れている。車いすに乗せられて弟は外の景色を見ている。もう一生見ることの出来ない景色を。
 暑い中、近所の子どもたちがはしゃいでいる。可愛らしい犬を連れている女の人が、軽く会釈をして通り過ぎる。若い健康的な男性が汗をぬぐいながらも、一生懸命走っている。公園のベンチでおしゃべりを楽しむ老人達、たくさんの買い物袋を下げた主婦、学校帰りの子どもたち。弟はそれらをじっと見つめている。私は公園のベンチの前に止まり、一息吐く。
 弟はぽつりとつぶやく。
「お姉ちゃんに取ってボクはいる方がいいのかな。ボクはここにいてもいいのかな」
 弟はじっと私の答えを待つ。私はつばを飲み込み言葉を投げかけた。
「あなたは私の弟であって、ただそれだけでしかない」
 私のか細い言葉を聞いてにっこりと微笑む弟はさらに言葉を続ける。
「お姉ちゃんは強いな、ボクにはそんな風に割り切れないよ。でも、お姉ちゃんらしい。これならボクがいなくなっても大丈夫そうだ」
「何バカな事を言っているの、あなたは私の弟でしょ」
「そうだね」と弟は笑う。その笑みがどうにも寂しく見えた。
 いつの間にか日が傾き、東の空に一番星がきらめいた。さよなら、と挨拶をして帰宅する子ども達がいる。2つの影を踏みしめながら私達は帰宅した。
 それから何日かは、弟の身体は安定していた。少ないがご飯も食べられるようになっていた。だから安心していたのかも知れない。二度目の吐血はそれから四日目の朝に起こった。
 死ぬ人には二種類の人がいると思う。一つは生きるのを諦めた人、もう一つは必死に生き続けた人。弟はどっちの人なんだろう。たぶん、前者の方だろう。弟は壁にぶち当たったときすぐに諦める癖がある。逆上がりがクラスで一人出来なかったときも、練習もせず結局出来ないままだった。分からない問題があるとすぐに人に聞いてきた。自分で考え行動しようとはしなかった。だから弟は生きるのを諦める人だろう。
 私は弟に早く死んで欲しかった。
 何で両親が私に弟を押しつけたのか今なら分かる。私にすべての重みを押しつけたのだ。辛い立場から逃げたかったんだ。弟なんか初めからいなかったことにしたかったんだ。弟の存在を消したかったんだ。
 酷い両親だ。血も涙もない、最低な両親。
 でも、一番最低なのは私だ。
 早く弟がいなくなって欲しい。死ぬなら早く死んで欲しいと願っている。最低だ、私。
 両親も両親なら、姉も姉だ。弟に取って可哀想なのは、こんな姉を持ってしまったことなんだろう。私は強くそう思った。そして、このことを胸の中にしまい、頑丈な鍵を閉めて、心の奥に閉じこめた。
 血を吐いた二日後、弟は海に生きたいと言い出した。この町から海までの距離は電車で五つほど先にある。しかし、今の弟の身体では海までは耐えられなかった。それでも、弟は海に生きたいと言った。私はその願いを断れなかった。早く弟には死んで欲しかったから。
私はタクシーを呼び、海まで行くことにした。弟の顔色はあまり良くなかったが、何とか弟は海まで耐えた。
 海への階段を弟を背負いながら一歩一歩下りる。堤防を真っ直ぐ進み。目の前に現れた海に、弟は目を見開いた。
 海の波音が心地よい。潮風が気持ちいい。そして、弟は口を開いた。
「お姉ちゃん、ボクもう疲れちゃったよ」
「そう」
「だから、ボクは眠ることにしたよ」
「そう」
「それでね。最後に一つだけお姉ちゃんに聞きたいことがあるんだ」
「なに?」
「お姉ちゃんは……ボクに生きていて欲しい、それとも……」
 弟の言葉に私は口を開く。
「……もちろん、生きていて欲しいわ」
 その言葉を聞いて弟は眼を一度伏せ、再び私の目を見た。
「お姉ちゃん……もう嘘つかなくてもいいんだよ」
 弟の言葉に私の頭はハンマーで殴られたような衝撃を受けた。弟は何もかも見抜いていたのだ。弟に早く死んで欲しいと言うこと、あなたはいらない弟だと言うことに。
 すべてを知っていて。直、弟は私の口からその言葉を聞きたいのだろう。弟に取って残酷な言葉を。私は言えなかった。私が黙ったままでいると、弟は小さく笑い。一言、「帰ろう」と言った。私は早く弟に死んで欲しかった。
 海へ行った日の七日後、弟は三度目の血を吐いて死んだ。
 私は弟に生きていて欲しかった。

 私が話し終え、大きく深呼吸した。誰かにこの話をするのは初めてだった。
「結局、わたしは最後まで弟を騙していたんだ」
「ふ〜〜〜ん。でも、お姉ちゃんに取っては騙した事でも、弟くんは騙された何て思っていないと思うよ」
「どうして?」
「弟くんは最後までお姉ちゃんに甘えていたんだ。でも、最後までお姉ちゃんは嘘を突き通した。だから、弟くんは最後、お姉ちゃんの嘘を本当に変えたんだよ。自分が死と戦う事でね。その証拠に今は弟くんに生きていて欲しいと思ってるでしょ」
「…………」
「弟くんはきっと沙羅お姉ちゃんの事が大好きだったんだよ」
 柚江の一言で私の頬から一筋に涙が流れる。長年ため込んでいた涙は堤防を崩しあっという間に流れ落ち、私は涙を流し続けていた。それから、数分が経って私の頭を優しくなでる柚江はにっこりと微笑みを浮かべる。
「ごめんね。何だか辛いこと思い出させちゃって……」
「うんん。柚江ちゃんのおかげで、長年ため込んできたものがすっきり出来たよ」
「あたしも沙羅お姉ちゃんと話しが出来て良かったよ」
「じゃあ、おあいこだね」
「うん、おあいこ」
 柚江と私はひとしきり笑ったあと、柚江は少し眠ると言ってベッドに潜り込んだ。
 私は午後の診察の準備をする。それにしても、あの子は不思議な子だ。最後にはどちらが年上か分からなくなってしまうほど。でも、悪い子じゃない。何だか自分に妹か姉が出来たように見えた。

7月12日 鳴海大喜 【墓月村・洞窟】 午後 1時30分
 僕が出会った女の子のお話しをしよう。誰にでも経験のある辛くて切ない恋の話し。
 ある春の日、僕は丘の上の公園で出会った、麦わら帽子を被ったワンピースの少女。風に靡く、その髪はまるで生きているかのように動いていて、不思議な感じがした。
 その少女は帽子のつばをちょんと傾けて、その場から去った。すぐに追いかけたけど少女の姿を見つける事は出来なかった。だけど、その少女とは次の日に同じ場所で出会えた。夕日が沈みかける公園で少女は立っていた。
 その少女こそが風見優花。僕の大切な人。春風の様に現れて、春風の様に去っていた。笑顔の似合う、ちょっと変な子。
 例えば、そう優花は何かと言えば、僕の身体にすり寄って胸を押しつけるし、いきなり僕の手を取って自分の胸に押しつけると言った事を何度もするんだ。それも、悪戯顔で。もう、やることなすことめちゃくちゃで、何でこんな子好きになっちゃたんだろうと考えたこともある。
 でも、好きなものはしょうがないし、その事を友達にからかわれても、別に気にしなかった。
 あの頃の僕には、本当の友達など、居なかったのだから。
 父が入院し、もう余命がないと知らされた頃、僕はほくそ笑んでいた。正直、子どもの頃、父の事は嫌いだった。飲んだくれで働きもせず、母を泣かせてばかりいる。そんな父が嫌いだった。
 そんな父がたまに、僕を連れて電車に乗せてくれた事があった。その思い出だけが父との最後の思い出だったと思う。
 父が入院して一ヶ月後、父は他界した。そう言うわけで、小学生に上がる前に父が死に。ちょうどその頃から、僕の周りで友達が避ける様になった。
 父親が居ない片親がそんなに珍しいか。自分の事を哀れんで見る、周りの連中に飽き飽きしていた僕は、周りに壁を張り、小学校低学年まで、友達が一人もいなかった。
 別に寂しくはない。その頃、すでに本を読むことに熱中していた僕は、その世界に浸っていた。小学校高学年になると、周りの連中も少しは物事を考えることが出来るようになってきた。
 その中でも僕と同じ変人の二人がいる。一人は僕と同じく良く本を読む女の子。いつもすました顔で、本を黙々読み続けている。図書館で何度か見た顔だ。もう一人は学年一の天才。成績優秀、運動神経抜群、ルックスよしの三拍子がそろった天才児。しかし、そんな三拍子を天は彼に与え、あの性格を彼に与えたのは問題ありだろう。要するに彼は他の人とは違った思考を持っていたのだ。神様、あんたはおもしろ好きか。
 そんな二人の変人もとい。僕の初めての友達。岡崎理津子と琢磨守の二人だった。
 その二人に加えて、春に転校してきた風見優花を含めて、僕らはよく遊んでいた。
 いや、僕を中心にして集まったと言うべきか。岡崎は、僕とは本読み友達。琢磨は何かと僕に構うし。優花は僕にぴったりと付いて離れないし。四人はいつも一緒にいた。
 あれは優花が転校してきて間もない頃、岡崎と琢磨の幼なじみの見舞いに行くことになった。病院という僕が余り好きじゃない場所に、その子は一人で寝かされていた。ほっそりとした頬、光の薄れた瞳が妙に印象的だったと思う。
 ある日、二人の幼なじみの危篤が知らされ、僕らは急いで病院に向かった。その時の二人の顔は、今にも泣き出しそうで、岡崎はこらえきれずに涙を流していた。守も苛立ちを隠せないでいた。手術中と表示された赤いランプが妙に冷たく感じた。あの時の父親がいなくなる瞬間によく似ていた。そんな時、僕の隣の優花が小さくつぶやいた。
「大丈夫だよ。あの子は死なない。絶対――」
 どうしてそんなに自信があるのか分からなかったが、優花の言葉が、本当になるような気がして、妙に安心感があった。
 その後、優花の言ったとおり。三日目の朝、二人の幼なじみの容態は持ち直し、回復へと向かっていた。それも、ご飯が食べられるくらいに。そんな幼なじみを岡崎と守は暖かく迎えた。何だか羨ましかった。僕はあの二人と出会って間もないけど、時を重ねた友達がこんなにも掛け替えのないものだということに。今更ながらに感じていた。その表情を読みとってか。優花は僕の手を取りにっこりと微笑んでいた。彼女なりの優しさに、僕は甘えていた。彼女がどれだけ傷ついていることも知らずに。
 優花が転校して来て、初めての休日。転校初日に僕が約束した、『私をどこか遠くへ連れてって』と言う言葉を守るため、僕が昔遊びに連れてって貰った子どもの国と言うテーマパークへと遊びに行った。途中何故か守と岡崎に出会い一緒に行動することになった。
 まず、最初に植物園に四人で向かい、そのあとは別々に行動した。僕は優花を連れて大きな池のある場所へと向かった。
 その途中の道で優花は立ち止まり、いきなり走り出す。手を思いっきり広げ、まるで飛行機か、鳥にでもなったように走り抜ける。びゅっと吹く風が、白い帽子からはみ出た彼女の髪を、なびかせる。一瞬呼吸が止まり、目の前の今まで見たこともない景色に、僕はドキドキしていた。
「私はね。いつか風になるの。そしてね。どこまでも、どこまでも遠くへ吹き抜けるの。小さな国の農家の叔父さんのおひげをなびかせ、大きな国の婦人の帽子に悪戯をして、大喜君の頬をそっとなでるの」
 優花は不思議な言葉を紡ぎ出す。それは訳が分からなく。意味もない。ただの幼稚な言葉で、おとぎ話の中だけのお話し。僕が読んでいる本の中だけの世界を優花は語っているのだ。
「昔ね。一人の病弱な女の子がいました――」
 いきなり優花がおとぎ話を語り始めた。僕はそれをじっと聞いていた。

 女の子は不治の病に冒され、徐々に弱り今にも命の炎は、消えようとしていました。そんな女の子の前に一人の旅人が現れ、こう言いました。
『あなたは死にたくないですか』と。
 少女は『はい』と一言いうと。
 旅人は少女に魔法をかけました。するとどうでしょ、女の子の病気はすっかりと良くなり、元気に走り回る事が出来る様になりました。
 旅人は立ち去る前に一言つぶやきました。
『あなたは死ねない身体になりましたよ』と。
 はじめ少女はその言葉の意味が、分かりませんでした。だけどその事を知ったのは数十年が過ぎた頃でした。周りの人はどんどん歳をとるのに、自分は全く歳を取らないのです。女の子はあの旅人を捜しました。そして、見つけた頃にはとうに月日が流れ、自分を知っている人間は誰もいなくなりました。
 女の子は言いました。
『死にたい』と。
 旅人は言いました。
『私では魔法を解くことは出来ないと。魔法を解くには誰かに恋をし、愛されることが必要だ』と。
 旅人はそれだけを言うとまたどこかへと旅立ちました。少女は今もどこかで自分を好きになってくれる人を捜しているということです

 優花は空に視線を向けたあと、僕の目を見た。その瞳はどこか赤い。瞳の色が一瞬赤く見えた。
 夕日の様に真っ赤な赤い瞳。それは一瞬の事で、すぐにいつもの瞳に戻っていた。
「大喜君はどうして、女の子が死にたくないと思ったか分かる?」
「……たぶん、みんなと同じ事がしたかったんじゃないかな。飛んだり跳ねたり走ったりすることを、したかったんじゃない。そして、友達が欲しかった……僕はそう思う」
「……うん、あたしもそう思う。でも、女の子にハッピーエンドは来るのかな。大喜君」
「分からないよ。けど、その女の子に一人でも友達が出来れば、きっとハッピーエンドになるさ。だって、その子は一人じゃないんだから」
「……そうだね……そうだよね…」
 優花は繰り返し繰り返し自分に言い聞かせるように、帽子のつばをちょんと押さえる。そして、覚悟を決めたように僕の瞳をじっと見つめてから言った。
「――私、風見優花は鳴海大喜君の事が好きです…大好きです」
 その言葉とともに優花はいきなり倒れ、さっきまではれていた空が曇りだし、ポツポツと雨が降り出してきた。優花の呼吸が荒い、体温が異常に高い。僕の脳裏に危険信号が発令する。
 僕が呆然としていると、目の前に男の人が現れた、その男は優花を軽々と持ち上げると、僕を見下して言う。もう、優花に会わないでくれと。確かそんなことを言われた気がする。いや、そのあとの言葉があやふやで。でも、確かに男はこう続けた気がする。
『――優花がもうすぐ死ぬ』って。
 耳を疑いたくなる様な冷たい言葉が僕を貫いたんだ。
 そのあとのことはあまり人に話したくないが、優花はあの子どもの国でのデートの二日後、意識不明の重体で病院に運ばれた。その後、何とか一命は取り留めたものの、原因不明の病で治療法も発見できず、優花は日に日に弱っていった。病院のベッドに横たわる彼女を見るといたたまれず。自分が子どもであり、何も出来ない無力さに打ちひしがれていた。
 そして、優花が死んだあの日、僕は車に跳ねられた。正直、僕は死んだと思った。全身に強い衝撃と、左目がえぐれる様な痛みを感じた。僕の左目は完全につぶれていた。身体のあちこちが擦りむいていた。けれども、奇跡的に一命を取り留めた。
 目覚めると母さんと守、岡崎の三人に囲まれていた。母は僕にしがみつくと、わんわん泣いた。岡崎の目が赤い。守がためらいながらも言葉を発した。その言葉は酷く重く。僕の心を押しつぶした。
『風見優花が亡くなった』と。
 不意に僕の目から涙があふれる。包帯でぐるぐる巻きにされていない右目から、あふれる涙は、いつまでもいつまでも流れ続けた。
 涙が枯れ果てても、僕は泣き続けた。そして、僕の左目の包帯が取られたとき、初めて聞かされた。僕の左目は事故の時、ほとんどつぶれて使い物にならなくなっていたという。そんな僕に自分の左目を移植して欲しいと、志願した人がいたという。その志願した人が優花だというんだ。優花は僕に左目を与えて死んでいったという。
 枯れたはずの右目から、不意に涙があふれ出す。しかし、優花から貰った左目だけは涙を流さなかった。まるで、優花が泣くなっと言っているみたいに。
 優花の瞳で見た景色はどこか不思議でどこか安心できた。
 その後、僕は医者になる決心をして、今に至っている。

 ひとしきり話し終えた俺は、ポケットに入っていたタバコを取り出し、火を付けようとしたところでパタッと手が止まる。
「ライターがない……さてはサラめ。どこかへ隠したな……悪いけど、省吾君。火を貸してくれないか」
「すんません。俺、タバコ吸わないんで……」
「そうか。タバコは諦めるか」
 タバコをポケットにしまい話しの続きを始める。
「まあ、優花の原因不明の病気を治すのが、俺の目的なんだが、病気を調べているうちに少し気になることを岡崎が言っていてな。何でもある月が、その病気と関係しているのではないかと言うんだよ。医者である俺には信じられないがね」
「でも、岡崎はこの村に裏月があると、確信して来たのなら、ひょっとすると何かを掴んで、どこかに閉じこめられているのかも」
「その可能性はあるな。それに紫苑という人物がどうも怪しい……」
「確かに……顔を仮面で覆っているのも気になりますしね。あの二人の巫女も、妙に俺に突っかかるし、あれは俺に何かを悟らせないためだったのかも」
「よし! 目的は決まった。紫苑に会いに行こう!」
「でも、この洞窟をどう抜けるんですか? そもそも、ここがどこなのか分からないのに」
 鈴原が当たり前の疑問を口にするが、俺にはこの洞窟を抜ける手だてがあった。俺は思い出したかのようにマッチ箱を取り出す。
「普段はあまり使わないがライターの代わりにはなるだろ」
 そう言ってマッチ棒を擦り火をつけると、タバコを取り出す火をつけた。タバコの先がジュッと焦げ、煙が立ちこめる。
「……こんな時にもタバコですか?」
「まあ、見ていろ」
 そう言って俺はタバコの煙を胸一杯に吸い込み。大量の煙をはき出した。煙はみるみるうちに広がり、どこかに流れるかのように、勝手に動き出した。
「やっぱり、微かだが風があるな。この風を辿ればきっと出口に着くはずだ」
 緊急医療セットを担ぎ始めると煙の流れる方に向かって歩き出した。鈴原も俺の後を追う。
「ところで、何で俺たちは、こんなところに運び込まれたんでしょうね」
「さあな。目的は分からない。けれど、少なくとも悪意はなさそうだ」
「……悪意ね…そうだといいんだけど……」
「何か気になることでも……」
「……いや特にないけど……俺らをこの洞窟に閉じこめておく意味が、あるのかと思って」
「…………」
 俺は目の前の闇にうごめくものを見た。全身の毛が逆立つような感じがした。目の前の闇がこちらに気づき、迫ってくるような感覚がした。
「お兄ちゃん達はだれ?」
 闇から妙に可愛らしい声がした。場違いの声に安心した。何故だろうか。少女は顔が見える距離まで近づくと、勝手に自己紹介を始めた。
「あたし、蓮花。お兄ちゃん達は?」
 妙になれなれしい少女に不信を抱くが、先ほどの安心感からか。少女の問に答える。
「俺は鳴海大喜。そして……」
「鈴原省吾だ」
 鈴原の方は少女の事を警戒しつつも名前を答える。
「大ちゃんに、省ちゃんか」
 いきなりちゃん付けされて面を喰らう。俺は蓮花にここがどこか聞くと。彼女は静かに首を横に振った。
「蓮花にもよく分からない。紫苑様がここにいなさいと言われて、ここにいるだけだから」
「また、紫苑か……やっぱり何かをたくらんでいるのか。俺たちを閉じこめて、何かメリットでもあるのか」
「省吾君、そんなに焦っても仕方がない……蓮花ちゃんはこの洞窟の抜け方を知らない」
「蓮花、洞窟の抜け方は知らないけど、向こうの方に小さな湖があるよ。それにいっぱいのお花も……」
「湖もお花も脱出出来なきゃ意味ないだろ。俺たちは出口を探しているんだ」
 苛立つ鈴原に蓮花は怯える。俺は蓮花が怖がらないように、そっと彼女の頭をなでた。蓮花は俺の顔をきょとんと見てにっこりと微笑んだ。その微笑みが昔のあの子によく似ていた。
「僕らにその湖の場所まで、案内してくれないかい?」
「うん、いいよ」
 蓮花は俺の手を引いてずんずんと、洞窟の奥へと進む。鈴原もしょうがなく、後ろをついてきた。そして、俺たちは洞窟の闇の中をさまよい続けた。闇は静かに俺たちを笑っていた。
 頭の中でふと、サラの顔が浮かんだ。この洞窟にどれくらい、いたのかは分からない。あっちではサラがきっと心配しているだろう。帰ったら怒られるかも知れない。いや、もしかしたらあきれられるかも……それとも殴られるかな。
 まあ、どっちにしても謝らないとな。ひょっとするとこの村は俺が思っていた以上に大変な所かも知れない。サラにいつ危険が迫るとも知れない。
 歩調が少し早くなるが、蓮花もそれにあわせてくれた。後ろでは、ひいひい言いながらも、鈴原が追いかけてくる。俺はサラの無事を祈りながら、ひたすら前へ前へと歩き続けた。

7月12日 松永沙羅 【墓月村・鳥居前】 午後 2時15分
 夏の始まりだというのに、ジリジリと照り尽くす日照りに、私は暑さを感じていた。先頭を歩く鳴海先生は汗一つかかず、黙々とこの長ったらしい階段を上っていく。下を見ると、いかにこの階段が長いかを、思い知らされる。下の方がずいぶん小さく見える。鳴海先生の隣をトコトコとついていく柚江に、私はため息を吐いた。あんな小さな子まで私よりも体力がある。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
 柚江が私の顔をのぞき込む。その顔は心底私を心配している顔だ。私はにっこりと微笑み「大丈夫」と言って足に力を振り絞る。一歩一歩、着実に昇り始めた。傍らでは私の歩調にあわせて、柚江が歩いてくれた。鳴海先生は薄情にも、すでに鳥居の前で、じっと私の事を見ている。
 私は最後の力を振り絞って鳥居に着くなり、地面に倒れ伏した。
「……大丈夫か」
 先生が珍しく、優しい言葉をかけたので、私は驚いた。遂に先生も私を気遣いするようになったかと思うと、何だか嬉しかった。そんな感動も、次の先生の一言で、全てが吹き飛んだ。
「……柚江……身体に異常は無いか」
 私は地面にバタッと倒れる。それを不思議そうに先生は見ていた。何か最近の先生は妙に柚江ちゃんに甘いと言うか……やさしいと言うか……妙に気遣っているのだ。もちろん、彼女は患者なのだから、医者として気遣うのは当たり前なのだが、何故か私はいちいち反応してしまうのだ。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
 そんな私の思いなど、知るはずもなく。柚江は私の事を心配そうに見ていた。
「大丈夫、大丈夫」
 私は平気な振りをして立ち上がった。妙に心は重かった。私何でこんなに嫌な気持ちになるんだろう。私の思いを知ってか。先生は何も言わずに、境内の奥へと歩き始めた。私達もその後へと続いた。
 私達が今いるところは墓月村の外れにある神社で、墓月神社と呼ばれている。村人の話では事実上、村を仕切っている『紫苑』と呼ばれている人が住んでいると言う。その紫苑という人が何でも、鳴海先生にお会いしたいと連絡があったので、私達はここに来ている。
柚江ちゃんは強引に私達についてきただけで、鳴海先生は簡単にそれを許した。如月さんも今日は診療所に来ていないので、柚江ちゃんだけを病院に残す訳にもいかず。私も渋々了解した。
 墓月神社は良く手入れをされているのか。外装はとても綺麗で、古くて趣があった。きっと誰かが毎日欠かさず掃除をしているのだろう。そんなことを考えていると、境内の奥から悲鳴ともつかぬ声が聞こえてきた。
「ふみ〜。ミコトちゃん、ゆるして〜」
 猫の甲高い声が静かな境内に響き渡る。
「許しません! メイ! 今度という今度は〜」
 良く透き通った声。ちょっと姉御っぽい声が誰かを叱っている。
「もうしません。メイのおやつも、ミコトちゃんにあげるから。ゆるして〜」
「そうやって、いつも言うけれども、これで何度目よ。いい加減にしなさいよ」
「でもでも、ミコトちゃん。あれはメイのせいじゃないよ。風さんがびゅ〜って吹いてメイも知らないうちに、洗濯物が飛んでいっちゃったんだよ」
「言い訳はしない……メイのせいで私の下着まで、とんでちゃったじゃないのよ」
「だからそれはメイのせいじゃないって」
 私達が来ているとも知らずに、目の前で口論する二人に、遠慮がちに私が話しかけようとする。
「あの……すみませんが……」
 私の言葉で二人はやっと私達の存在に気が付いた。メイと呼ばれた少女はきょとんとした表情を。もう一人の勝ち気な少女は、顔を真っ赤にしている。そして、沈黙を破ったのは以外にも鳴海先生だった。
「紫苑様はおいでか。私達は紫苑様に、呼ばれてきたのだが……」
 先生はいつもにも増して真剣な顔で言う。その顔に妙な違和感を感じたが、私は視線を二人の少女に向けた。先ほどまで追われていた少女はパッチリとした目に、両側を縛ったツインテールの髪、白い胴着から伸びる細い腕、顔は少し小さめで猫みたいに、頭を撫で撫でしたら、ゴロゴロと鳴きそうな顔をしていた。
 もう一人はさっきまで、顔を真っ赤にしていたが、今はもとの顔に戻っていた。その瞳はどこか冷たさを感じ、先ほどまでに感じた親近感はどこかに失せてしまった。どうやら、他人にはあまり自分を出さないタイプなのだろうか。きりっとした顔立ちが妙に違和感を感じさせる。まるで人形か何かの様なそんな印象を感じた。
 どちらの子も白い胴着と紅い袴を着ているので、この神社の巫女さんだろうか。二人の名前からして、この子達が紫苑ではなさそうだ。私は少し安堵した。
「はい、紫苑様からお聞きしております。こちらへどうぞ」
 冷たい視線をかもしながら、ミコトは私達を奥へと通してくれた。
「このお部屋でお待ちください」
 通された部屋は至って普通の客間で、大きなちゃぶ台があるだけ、他には何もない。閑散とした客間だった。
「先生。私達、どうして呼ばれたんでしょうか?」
 私の質問に先生は答えず、柚江の方を向いて言った。
「柚江……何か感じたか?」
 そう聞かれた柚江は静かに首を振る。私にはその意味がよく掴めなかった。
「そうか……まあ、紫苑と言う奴に会えば、何か分かるだろう」
 先生の真剣な顔に言い寄れぬ不安を感じた。何か分からないけど、先生がどこか遠くへ行ってしまうような、そんな感じがした。だから、私は聞かずにはいられなかった。
「先生…それ、どういう意味ですか……」
 私が聞いた瞬間、奥の襖が開き、奥から白い仮面で顔の半分ほどを覆った、女の人が出てきた。白い胴着からはほっそりとした腕、首元はほっそりとしていて、何だか病人の様にも見える。
 仮面を付けているのにどこか柔らかい感じの人で、どこかなぞめいた雰囲気があった。仮面の瞳がじっと私達を見回す。
「ようこそおいでくださいました。紫苑と申します」
 紫苑は深々と頭を下げると奥の座敷に座った。その視線は常に鳴海先生に向けられていた。
「ところで今日はどういったご用で」
「ふむ……あなた達も知っての通り、この村では医者を極度に嫌っております。そうそうに荷物をまとめて帰ってもらいたいのです」
「……つまり、紫苑様は私達に帰れと」
「そうです、一刻も早く村を出ないと、村人達が何をするかわからないので。これは最終通達になるかと」
「……分かりました。所で一ついいですか?」
「なんです」
「あなた、本当に紫苑様なんですか」
「それはどういう意味……」
「紫苑という名前だけで、顔も仮面で隠していらっしゃる。それに……」
 先生は睨み付けるような視線で紫苑を見た。外の蝉が妙にうるさく鳴き出す。遠くの方からゴロゴロと雷の音がした。しーんと静まりかえった客間に、緊張が走る。そんな、緊張を壊す、間の抜けた声が部屋中に響き渡った。
「紫苑様をいじめちゃだめですよ〜」
 猫目少女のメイが紫苑をかばうように鳴海先生の前に立ちはだかった。メイの毛が逆立ち、先生を威嚇する。その姿が妙に可愛らしく感じた。不謹慎だろうか。
「紫苑様。後は私達にお任せを……」
 いつの間に現れたのか、ミコトも先生の前に立ちはだかった。そんな、二人の言葉に紫苑は頷き一礼すると、部屋を出て行った。辺りの緊張が一気に解ける。鳴海先生の警戒が解けたからかも知れない。
「……今は君たちと争う気はない。ただ、あまり『紫苑様』には無理をさせないことだな。分かっていると思うが……」
 その言葉を聞いた二人の顔が、サッと青くなる。さっきまでの威勢が消えていた。その目には弱々しい力を感じる。何かを訴えかけている様な。そんな事を私は感じた。
「……今日のところはお引き取りを……」
 ミコトの言葉通り、私達は神社を後にした。その帰り道、先生と柚江が妙な事を話し始めた。
「どうやら、紫苑という奴は我々を警戒しているな。少々面倒な事になってきた。一体奴は何を考えているのかね、柚江」
「さあね。エサが多いこの村で、何かをやっている事は確かでしょ」
「確かにな。ただ、気になるのは今夜が、裏月だと言うことなんだが……奴はあれをする気なのだろうか」
「無理だろ、私達ではあれは出来ない」
「……確かにな。だが、診療所のカルテを調べたんだが、ここ何年かで、幼い子どもだけが死んでいる。それも一人や二人だけじゃない。これだけを考えると、奴のやることは一つしかない。しかし……」
「……月魔では裏月を見ることは出来ても、操る事は出来ない、でしょ」
「裏月を操れるのは月の眼だけ……だから儀式は行えない。だが、仮に奴が月の眼を手に入れていたとしたら……いや、もしあれに気がついたとしたら……」
 夏の空気が一瞬ピーンと張り詰めるのを感じた。二人の顔が一瞬強ばる。
「……やばい、て言うこと」
「まあ、その辺はあの先生に任せよう。そのために、あの洞窟に放り出したのだから」
「信頼しているのね……どうして?」
「昔のアイツを知っているだけさ。それに、約束もあるし……」
「約束ね……ま、そう言うことにしておきますか」
 二人の会話はそれで一旦終わる。私には話しの内容がちんぷんかんぷんで、良くわからなかった。裏月、月魔、月の眼、良くわからない。先生は私に何かを隠しているのだろうか。
 この村に来る前に約束させられた『絶対嘘をつくな』を先生自信が破っている。先生にその事を追求しても、たぶんはぐらかされるだろう。こうなったら行動あるのみ。先生が初めに約束を破ったのだから。私も破ってやる。私はそう決意して先生達の後を追った。

7月13日 松永沙羅 【墓月村・墓月神社】 午前 0時43分
 夜の村は明かり一つ無く、ここまで来るのに偉く時間がかかった。月の明かりを頼りにあの長い階段を登り続けた。夏だというのに妙に体温が冷たい。背筋が冷たく感じる。神社にももちろん明かり一つ無いが、私は息を殺して慎重に入る。
 この神社の巫女、紫苑と言う人に何か聞けば、先生が何をしているのかが、分かると思った。そして、あの意味が分からない単語、裏月、月魔、月の眼について何か教えてもらえるかも知れない。私はそう思った。
 紫苑がどこで寝ているのか分からないので、私は慎重に一つ一つの部屋をのぞき見た。一つ目の部屋はどうやら物置で、誰の姿もない。二つ目は私達が通された客間で、やはり誰の姿もない。そうやって、三つ、四つと見ていくうちに、八つ目の部屋に小さな明かりが、漏れていることに気がついた。
 そっと中をのぞくと、誰かが布団に寝かされている。この位置からでは相手の顔が見えない。私は心臓の鼓動を押さえながら、素早く部屋に入る。そして、寝ている人物の顔をのぞいた瞬間、その顔に驚いた。
 目の前で寝かされている人物は、如月敦美だったのだ。だが、そんなことよりも、彼女が息をしていないのに驚いた。私はそっと彼女の脈をはかるが、脈は打っていない。心臓の鼓動を確認するために、胸に耳をあてたが鼓動は聞こえてこなかった。
 彼女、如月敦美は死んでいた。まるで深い闇に包まれたかのように。
「――早く先生を呼ばないと」
 私はここに来た目的も忘れ、ひたすらもと来た道を走り抜けた。息は切れ、足が痛くなっても走り続けた。そうして、診療所が見えてくる頃、ふと診療所の明かりとは違う事に気が付いた。
 真っ赤な明かりがみえた。その明かりは天をつくような姿をしていて、とても恐ろしく感じた。
 近づくに連れて何が起こったのか瞬時に理解した。診療所が燃えているのだ。ガラス窓から突き出る炎の槍が、周りのモノを焼き尽くし、玄関にはいくつものガラス破片が散らばっている。屋根は崩れかけ、炎の絨毯が広がる。とても、人が生きていると言う感じがしなかった。
「先生! 鳴海先生!」
 私は必死に呼びかけたが、炎の勢いが強すぎて中に人がいるのかさえ分からない。それでも、私は必死で呼びかけた。
「先生! 柚江ちゃん、いるなら返事をして――――」
 私の呼びかけに反応するのは、火柱のぱちぱちする音だけで、誰の声もしなかった。火柱は徐々に高くなり、炎は診療所全体を包み、何もかも焼き尽くした。
 火が消えたのは、朝日が山から顔を出した頃、何もかも焼き尽くした後の診療所には何も残っていなかった。そう、何も……。












第四夜 誕生

7月12日 鳴海大喜 【墓月村・洞窟】 午後 4時20分
 あの蓮花と名乗る少女の後をついていくこと、二時間。時間の感覚が狂いそうなほど、洞窟はぐねぐねとしていて、自分が一体どこを歩いているのかさえ、分からなくなるほどだった。
 そんな迷路のような洞窟を、迷うことなく蓮花は歩き続けた。まるで、お気に入りの散歩を楽しむかのように、軽快なステップで俺たちを先導する。
「蓮花、後どれくらいでその場所に着くんだ」
「あと、もうちょっとだよ」
 蓮花は10分前にも同じセリフを言っている。そのセリフを聞いて、俺の後ろの鈴原がげんなりした顔になる。どうやら、彼はあまり蓮花を信用していないみたいだ。もちろん、俺も警戒はしているが、今はこの洞窟を良く知っている、この子だけが頼りなんだ。
 そう考えているうちに洞窟の幅が広がり、目の前に巨大な空間が広がった。その空間には天井にぽっかりと穴が開いており、そこから日の光が漏れ、地底湖をきらきら光らせている。けれども、天井までの距離が高すぎて、ここからでは地上には出られそうもない。
「ここが、その湖か?」
「うん、ここがそうだよ」
 どうやら、ここは洞窟の終着点で、入ってきた方の入り口しか見あたらない。つまり、行き止まりの所に湖があるのだ。湖はきらきらと光っていて、透き通っている。
「結局、行き止まりかよ」
 鈴原は肩を落とすとその場にへたり込んだ。
「しかたがない。ここらで一休みしよう」
 おのおの身体を休めるため、壁に寄りかかる。蓮花は俺の隣にちょこんと座った。
「お兄ちゃんは何でこの村に来たの?」
「それは昔大切だった人の病気と、同じ病気を抱えている人を救うためだよ」
「ふ〜ん。でも、お兄ちゃんに、そんな力あるのかな」
「……ある。僕はそのために医者になったんだから」
 その答えに蓮花は納得しなかったのか。首を傾げる。
「つまり、お兄ちゃんはその大切な人の代わりに、別の誰かを治そうとしているの。大切な人を助けられなかった痛みを消すために、別の誰かを治すことで、痛みから逃げているの?」
「……そうかもしれない。けれども、僕はもう目の前で誰かが死ぬのは嫌なんだ。無力な自分が嫌いなんだよ」
 俺は蓮花の瞳をじっと見つめて言った。
「じゃあ、お兄ちゃんは目の前で死にそうな人がいたら助けられるの。それがたとえどんな人でも……」
「誰の命も等しい。僕は目の前で苦しんでいる人がいたら必ず助けるさ」
 先ほどまでじっと聞いていた鈴原が口を開く。
「鳴海さん、てさ。何でも自分で背負い込むタイプでしょ。そんなの辛いよ。人生、楽しく生きなきゃ。死んだら何もかもおしまいだからね」
「死んだら何もかもおしまいか……じゃあ、死んだ人間は一体どこへ行くのだろうか」
「お兄ちゃん。どこにも行かないよ。死んだ人間はどこにも行けないんだよ。誰かの心の中にずっと居続けるの。誰かが覚えていれば、その人はずっと生き続けるの。だから、死んだ人はどこにも行けず。どこにも行かないんだ。そうでしょ。お兄ちゃん」
 蓮花がじっと俺の顔をのぞく。その瞳がどこか昔のあの子に似ている気がした。赤い瞳のあの子に似ている、真っ赤な瞳が俺をじっと見ていた。
「ところで、蓮花にとって、紫苑とはどういう存在なんだ」
「う〜ん。紫苑様は蓮花を育ててくれた人。蓮花、気付いたら紫苑様の所にいたの……それ以来ずっと、面倒みてもらっているの」
「じゃあ、紫苑って蓮花にとってはお母さんみたいなもの?」
 蓮花は静かに首を横に振る。その瞳はどこか寂しそうで、何かを我慢している。
「紫苑様は蓮花のお母さんじゃない。だって紫苑様は蓮花をこの洞窟に閉じこめたから。ずっと、ずっと。たまに紫苑様が遊び友達を連れてきてくれるけど。すぐにどこかに行っちゃうの。みんな蓮花と同じ赤い眼なのに……蓮花いつも一人だった」
 蓮花は膝に顔を埋める。その仕草があの子と重なる。何だろうこの気持ち、あの子と同じ年齢だから、似ている様に見えるのかも知れない。
「そうなんだ。でも、今の蓮花ちゃんは一人じゃないだろ。僕たちがいるじゃないか」
 優しく彼女の頭をなでる。
「うん。蓮花にはお兄ちゃんがいるもんね。あと、省ちゃんも……」
「とってつけたように言うな」
「うんん。省ちゃんにも、ありがと、だよ」
 鈴原の顔が心なしが赤い。どうやら、蓮花にお礼を言われて、照れているみたいだ。
「さて、と。蓮花ちゃん。何か紫苑様にあう方法を知らないか?」
「蓮花、洞窟を抜ける方法は知らないけど、紫苑様に会う方法は知ってるよ」
 その言葉に俺と鈴原は顔を見合わせる。
「どんな方法だい?」
「うんとね。紫苑様だったら今夜零時にこの湖に来るよ。何でも儀式があるからって言ってたけど……」
「儀式?」
 鈴原が蓮花に聞き返す。
「そう、儀式。何の儀式か分からないけど。決まって満月になると、この湖に来るの……それも村の子どもと……」
 その言葉に鈴原は何かを思いだしたのか。鞄の中から一冊の日誌を取り出し、俺に渡した。
「これは、診療所の日誌じゃないか。これをどこで……」
「俺が診療所に行ったとき見ていた日誌だ。その日誌を見ていたら頭を殴られて、気が付いたら、倒れていた近くに落ちていた」
俺は鈴原から日誌を受け取ると、その内容を読む。そして、ある名前を目にしたとき電撃が走った。何か恐ろしい事が起こっている事を俺は確信した。
「これ以外に何か持っていないか?」
「あるよ。こんなカルテがそばに落ちていた」
 鈴原から渡されたカルテを見て、俺は更に驚く。カルテに書かれていた名前が、河口柚江だったからだ。そのカルテの文面にじっと目を通す。決して綺麗とは言えない文字だが、走り書きの文字を、俺はじっくりと読み解いた。そこで驚くべき事実を知った。
 河口柚江という人物はすでに亡くなっていると言うこと。死因はショック死。俺の前に来ていた医者の判断では、まず間違いなく死亡していたと書かれている。血縁関係の欄に両親は従兄弟同士で結婚している事になっていた。このことは、他のカルテにも同じ様な事が、書かれていた。閉鎖された村では、血縁の近いものとの結婚も少なくはないという。ただ、気になるのは血縁に近いもの同士の子どもが、ショック死しているということだ。
 河口柚江のカルテの一番最後の欄に、走り書きされた四文字の言葉を見て、俺は愕然した。
『近親相姦』
通常禁忌として、禁じられている近親者との性関係の事を指す。昔、といても何世紀も前の事だが、ヨーロッパの王族が実の兄妹同士で結婚し。その結果、血筋が途絶えて滅んだと言われている。要するに近親相姦がタブーとされたのには、生まれてくる子供に劣性遺伝の可能性が出てくるからで、人類の遺伝子に有害な影響を与えるからなのだ。
 俺は産婦人科じゃないから、詳しくは分からないが、近親相姦で生まれてくるほとんどの子どもに何かしらの欠落があり、そのため幼いうちに死亡するか、または極端に知能指数が少ないと言われている。
 では、この村の子ども達はどうだろうか。カルテを見る限り、ショック死を起こしているのは間違いない。つまり原因は近親相姦からなる劣化遺伝の可能性が高い。
 俺はカルテを日誌に挟み、天井からぽっかりと空いている空を見た。
 空はうっすらと赤く染まり、もうすぐ夕暮れであることを指していた。
 鈴原は地面に寝そべり、いびきをかいて寝ている。俺の隣では蓮花がいつの間にか寝息を立てている。俺はゆっくりと目を閉じて、静かに呼吸をする。すべての原因を知っている紫苑と対決するために身体を休めた。

「大喜君、起きてよ!」
 僕を呼ぶ声がする。その声はどこか心地よくて、安心できた。忘れられもしないあの声。ふと、目を覚ますと、目の前には真っ白い帽子と、その帽子に似合った真っ白いワンピースを着た女の子が立っていた。
「起きた?」
 帽子の奥から聞こえる声に僕は頷く。
「ホントかな」
 少女はなおも疑うが、僕は目をぱっちりと開けて証明した。
 少女はくすくすと笑うと、僕の手を取り駆け出す。どこへ行くのかと訪ねると、少女は立ち止まり、帽子のつばをちょんと摘んだ。
 ああ、この仕草が懐かしい。彼女の癖、何か嫌なことや嘘をつくときは必ず帽子を触る癖がある。僕は慌てて少女の手を握り返し、少女を引っ張った。
「今日もあの景色を見に行くんだろ」
 僕の言葉に少女はこくりと頷く。帽子のせいで表情は読めないが、その子が泣いている様に見え、何だか悲しかった。僕は彼女の手を取りゆっくりと前に歩き出した。

 真っ白い病院のベッド。焼けるように痛い左目、ベッドに寝ている女の子。まるで何もかもが嘘にみえて、でも、それは嘘じゃなくて、何だかよく分からないけど、自分の弱さが悲しかった。何一つ救えない、無力な自分が嫌いだった。結局僕は彼女に何かをしてやれたのだろうか。
 優花が望んだハッピーエンドは、こんなにも残酷な結末なのだろうか。違う、違うよ。優花が望んだハッピーエンドは、きっと僕が望んだハッピーエンドと同じはず。
 病気が治って毎日楽しく暮らしてさ。小学校、中学校、高校と、一緒の学校で、もちろん守も岡崎さんも一緒で。そう、ずっと一緒にいられる。それが、僕と優花の望みのはず。
 けれども、現実は残酷でそんな僕らの望みなど、叶えてくれる神様もいない。だから、僕はこう考えた、人の命を救う神がいないのなら、自分がなってやると。優花の様に病気に苦しんでいる人を助ける力が欲しいと願った。
『君は力が欲しいの? 人を死から救えるほどの力が?』
 どこからともなく不思議な声が僕の耳に聞こえた。僕は言う。どんな病気の人でも救える力を。
『うん、いいだろ。けど、君の左目がじゃまだから、右目、月の眼本来の力は発揮できないよ。それとも、その左目を抜き取るかい?』
 僕は慌てて首を振る。この左目は彼女の形見だ。捨てることなど出来ない。
「この眼は彼女の形見だから……捨てられない。けれども、僕には力が必要なんだ」
『仕方がない。なら片方の眼だけ君に上げるよ。もう片方の眼は彼女にあげるとしよう』
 妙な声はそれっきり聞こえなくなった。

 僕が医者になっての初めての患者。その患者は一人の少女だった。名前はよく覚えていない。確か、小学校の授業の名前に似ていた気がする。いや、単なるうる覚えなので確かではないけど、僕が初めて任された患者なので、妙に張り切っていた。
 だから、たぶん過信していたのだろう。僕は本気で誰かを救えると思っていた。
 その子は絵を描くことが大好きで、病室ではいつも絵を描いていた。病室から見える景色すべて書いてしまうと、今度は人を書き始めた。隣のベッドのおじいさんや、いつもにこやかな看護婦さん達、お向かいのお兄さんなど、とにかくいっぱい描いていた。
 一度、僕の絵も描いてくれたけど、恥ずかしいからと言って見せてはもらえなかった。
 蝉が鳴き始めた頃、少女は息を引き取った。その顔はまるで何かを達成したような笑みで、幸せそうに見えた。彼女の枕元のスケッチブックを開くと、そこには僕と少女が並んで笑っている姿が描かれていた。
 うるさい蝉が鳴く頃、入道雲の出来損ないが空に浮かぶ季節に、僕の初めての患者は亡くなった。

 何度目の患者が亡くなった頃だろうか。いつの間にか自分の事を『僕』ではなく、『俺』と言い始めた頃だったと思う。
 医者って何なんだろうと思い始めた。初めは人を死から救う者だと思っていた。でも、医者は神じゃない。医者は死ぬ人を救うことが出来るかも知れない。けれど、絶対に救えない命がある。どんなに名医と呼ばれた医者でも、助けられない命がある。医者は神じゃない。医者は人間だ。人間だから救えない命がある。
 だけど、
 だけど僕はそれでも助けたい命がある。救いたい命がある。俺に出来る精一杯の事をやりたい。自分の限界とか、諦めるとかは、考えない。
 俺は目の前の患者さんを救うことだけを考えればいい。
 そして、これからも多くの患者を亡くすだろうが、それでも立ち止まらずに前に進んでいきたい。それが、亡くなっていった人へのせめてもの償いだと思うから。
 医者は神じゃない。けれども、医者は神に近づく事は出来る。だから、俺は神に向かって歩いていく。多くの患者を救える様に。多くの命を亡くさないために。

7月13日 鳴海大喜 【墓月村・洞窟】 午前 0時34分
 いつの間に眠っていたのか。洞窟の天井から見える空は暗く。洞窟内もすでに真っ暗闇で、周りがよく見えなくなっていた。
 隣で寝息が聞こえるので、蓮花はまだ寝ているみたいだ。鈴原の方はここからではよく見えない。雲の端から顔を出した月の光に、洞窟は一瞬にして明るくなる。どうやら、月の光が洞窟内の壁に反射し洞窟全体を照らしているのだろう。
 鈴原が寝ていた方を見ると彼の姿はなく。荷物だけぽつんと地面に置かれていた。何だか良くわからないけど嫌な感じがした。
 俺は立ち上がり、蓮花を揺すり起こす。そこで思わず息を止めてしまった。それは、湖に周りに白い花がたくさん咲いていたからだ。さっきまで花なんか無かったのに。
 俺はゆっくりと花に近づき、花をじっと観察する。
 その花の背丈はタンポポくらいの高さで、五枚の真っ白な花びらの帽子を被っている。
「その花、ユウカ草っていうんだよ」
 蓮花が花をちょんと撫でて言う。
「ユウカ草?」
「うん。月夜の晩にしか咲かない。珍しい花なんだって、何でもこの花には……」
「そのお話しは私がしましょう」
 蓮花の言葉をさえぎるように、別の声が洞窟内にこだました。
 振り返るとそこには仮面を付けた女性が立っている。その姿は白い胴着に紅い袴、妙に妖艶な雰囲気を醸し出していた。
「うふふふ、初めましてかな。私、紫苑と申します」
 仮面の隙間から覗かせる妖艶な笑みが妙に気味悪く。危険信号が鳴り響いている。
 でも、逃げることは出来ない。この村の病気の秘密を握っているはずだから。いや、ひょっとすると、全ての原因を作ったのはこの人なのかもしれない。
「そんなに怖がらないで、うふふふ」
 紫苑はゆっくりとこちらに近づいてくる。そして、ユウカ草の前に立つと、ゆっくり振り向いた。
「ユウカ草には悲しい伝説があるの……あるところにユウカと言う女の子がいました。ユウカは体が弱く。お医者様にも長くは生きられないと言われておりました。そんな娘をあわれに思ったのか神様が、ユウカの身体を健康な身体に変えました。しかし、この身体は恋をすると消えてしまうと神様は言いました。そうです、ユウカは健康な身体を手に入れた変わりに、恋をする事を禁じられたのです。けれども、うら若き乙女が恋をしないというのは無理な事で、ユウカもやっぱり恋をしてしまいました。その相手とは近所に住む医者を目指す青年で、二人はすぐに恋に落ちました。そして、ユウカの身体はみるみる弱り、最後には死んでしまったのです。そんなユウカの最後を悲しむ両親に、神様はもう一度ユウカの身体を、月の夜だけにしか咲かない白い花に変えました。後にこの白い花をユウカ草と呼ばれる様になりました」
 紫苑はまるで自分の娘を撫でるように、そっとユウカ草を撫でた。その瞳はどこか悲しそうで、引き込まれそうになる。
 俺はハッとして目を背けた。それを見てか紫苑は言葉を続ける。
「では、そろそろ儀式を始めましょう。メイ、ミコト、儀式の準備を……」
 そう言うといつの間に現れたのか、紫苑の両隣に、巫女姿の二人の少女が現れる。少女達の顔にも白い仮面が付けられている。何か意味があるのか、それとも儀式に関係があるのだろうか。
「さて、と。あなたがここまで来れたのも何かの縁でしょう。そうでしょ、鳴海先生」
「何故、俺の名前を――」
 俺の言葉に、目を見開いた紫苑はゆっくりと仮面をはずした。月の青白い光に照らされて、紫苑の顔が青白く光る。その顔に見覚えがあった。
「お、お前は如月敦美……お前が紫苑だったのか」
「うふふふふ、それはちょっと違うわね。私達に姿形なんてないんですもの。この身体は単なる入れ物にすぎないのよ。まあ、私に相応しい入れ物は、岡崎理津子をエサにしてやって来たのですから、あなたには感謝していますよ」
「お前の目的は何だ。どうして、村人や俺たちを巻き込んだ」
 俺の言葉に興味なさそうに如月、いや紫苑がいった。
「やれやれ、あなた全く気がついていないのね。すべての原因があなたにあるなんて……まあ、幼い頃の出来事だから、忘れちゃっているのも、仕方がないと言えば仕方がないが……」
「……何が言いたいんだ」
 紫苑は不適な笑みを浮かべると、一呼吸置いて言った。
「それだと優花ちゃんがかわいそう……」
「何であんたがその名前を知っているんだ」
 俺は内心動揺していた。優花の名前をこんな村で聞くとは思わなかったからである。俺の内心を知ってか紫苑の顔は一層にやける。
「知っているも何も優花ちゃんなら目の前にいるでしょ」
 紫苑の視線が蓮花を指す。蓮花は困惑した顔になる。その顔が一瞬優花に見えた。背筋がびっしょりと濡れ、嫌な感覚が背筋を伝う。いきなり目の前の少女を、優花と言われて、俺は明らかに動揺していた。
「さて、おしゃべりはそこまでにしましょう。あなたには最後の生け贄になって貰うわ。もう一人の生け贄は、逃げてしまったからね。あなたは二人分の生け贄よ」
 俺の身体が金縛りにあったように動かなくなり、そのまま意識を失った。
 次に眼を覚ました時にはぐるぐるに縛られて貼り付けにさせられていた。ちょうど、湖を背にした状態で天井から、月の光が降り注いでいた。
 俺の他に左隣につるされている巫女がいた。その顔を見て驚いた。岡崎理津子が俺と同じようにつるされているのだ。岡崎は気絶している様でピクリ、とも動かない。
 何とか首だけを動かして、辺りの様子を探ると目の前の大きな皿に、二人の少女が寝かされていた。その顔にも見覚えがある。一人はあの滝でおぼれていた少女、もう一人は屋敷で見かけた少女だ。よく見ればその二人の少女の顔はどことなく似ている。もしかしたら双子かも知れない。ふと、もう一つの皿の上が空っぽになっている事に気が付いた。
「一体何がどうなってるんだ」
 俺は縄をはずそうと、必死にもがくが、縄はきつく結ばれていて、ほどく事は出来なかった。
「無理にはずさない方がいいよ。大喜君」
 後ろの方で声がした。その呼び名はどことなく懐かしく感じた。
「やっぱり、君は優花なんだね」
「うん」
「どうして、君はこんな所に?」
「あたしも良くわかんない。ただ、気がついたらこんな姿になっていたの。蓮花って名前はこの身体の元の持ち主の名前みたい」
「それはどういう意味?」
「う〜ん。何て説明すればいいかな。えっとね。私は確かに一度死んだの、それは大喜君が良く知ってるでしょ」
 その言葉に俺の表情は一瞬強ばる。
「うん、優花は確かに死んだ」
「ゴメン、何だか嫌なこと思い出させちゃって」
「うんん、いいんだ。話を続けて……」
 沈黙があたりを包み。月の光が途絶えた洞窟に、優花の息仕えさえ、吸い込まれる。
 沈黙のあと、優花はゆっくり俺の目の前に現れ、口を開いた。
「それで、私は確かに死んだんだけど。その時声が聞こえたの、私はその声に導かれるまま、何もない空間を漂っていたら、いつの間にかこの姿になっていたというわけ」
 優花の説明は空想めいていて、まるで魂だけが誰かの身体に入ったような。そんな、感覚だと話してくれた。医者として、魂があるかないかは分からない。でも、目の前にいる蓮花と言う少女が、紛れもなく優花であることは、まず間違いないだろう。なぜなら、優花と同じような癖を持ち、優花の過去を知っている。いや、そんなのは関係ない。目の前にいるのは、優花だと確信していた。奇跡と言う言葉が脳裏をよぎった。けれども、奇跡にしては偶然すぎる。この村に来たのは、優花と同じ病気を持つ、子どもたちがいると聞いたからだ。
 守はそう言っていた。まてよ、すべては守が仕組んだ事なら、説明は付くのでは……。
 いや、そんなはずはない。守はそんなことで、俺をはめるはずもない。あいつの性格は良く知っている。だてに長年ダチをやっていない。
 あいつの立場上あまり仲良くはできないが、それでも仲が悪い分けではない。あいつの人を驚かす性格はあるが、ここまで俺をはめる事はまず無いだろう。
 それよりも、岡崎さんがここにいることの方が、重要なのではないだろうか。
 一体何を考えている。今はいない守の読みを、必死で探るが答えは出てこない。
 結局、守は俺なら何か出来ると判断したのだろう。ひょっとしたら、俺が研修時代から背負い込んでいる悩みを、分かっていて、ここに送り込んだのかも知れない。
 だったら、俺はこの状況を何とかするしかない。
 蓮花、いや優花と岡崎を救い出して見せる。俺は新たにそう決心する。
「……優花、聞いてくれ」
 優花はやっぱりと言った表情になる。どうやら、俺が言いたい事を理解しているみたいだ。
 優花には辛い選択になると思う。俺を選ぶか、紫苑を選ぶか。
 希望としては俺を選んで欲しい。これが偶然なのか、はたまた、誰かの陰謀か、なんて事はどうでもいい。目の前に優花がいてくれるだけでいい。
 勝手な言いぐさだが、俺はそう願った。
「分かってる。ここから逃がして欲しいんでしょ。私だって大喜君を生け贄なんかにさせたくないもの」
 優花は持っていたナイフで縄をほどいてくれた。そのナイフを受け取り、岡崎の縄もほどく。
 岡崎は意識を失っているが命には別状無い。
 ここからが問題だ。どうやって脱出するか。岡崎を肩に背負い。脱出経路を確認する。この洞窟の出入り口は俺たちが出てきた所しかない。それにあの双子の事もある。
「優花、あそこ以外でこの洞窟の出入り口はないのかい?」
「あるにはあるけど、りっちゃんを背負ったままでは無理よ」
「でも、脱出方法はあるんだな」
「うん。あの湖の底に洞窟があるの、そこを抜ければ外に出られるはず」
「分かった。俺がその洞窟を抜けて助けを求めてくる。優花は岡崎と一緒にいてくれ」
 優花がこくりと頷くのを確認してから、俺は一呼吸すると真っ暗闇の洞窟の湖に潜り込んだ。ちょうど、月の光が湖を照らしてくれたおかけで、難なく洞窟を発見できた。息もまだ余裕がある。大きく手を動かし、慎重にでも素早く暗い洞窟を泳いだ。水の冷たさで感覚が妙にさえてくる。頭の芯がジーンとしてくる。息が苦しくなってきた。そして、洞窟の奥にたどり着くがそこは行き止まりになっていた。
 息が続かない。
 俺がそう思った瞬間、ふと気付いたことがある。こんな洞窟の奥まで月の光が届く筈がない。俺は周りを良く確認する。そして、頭上にぽっかりと開いている洞窟を見つけた。息は限界に来ていた。
 俺は最後の力を振り絞って必死に泳ぐ。そして、月の光に照らされた空がやっと見えてきた。俺は新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。

7月13日 松永沙羅 【墓月村・診療所焼け跡】 午前 1時30分
 何もかも焼けてしまった。一時間も経たないうちに、診療所は燃え尽きた。
 ぼろい診療所だったけど、こうも一瞬で燃えてしまうと何かやるせない気持ちになる。それがたとえ、二、三日の滞在だったとしても。鳴海先生や柚江ちゃんがどこにいるのかも分からない。
 少なくとも焼け跡にいないことを祈る。じゃないと私はこれからどうすればいいか分からない。焼け跡を目の前にしながら私はただただ、呆然としていた。
 そんな時、診療所の裏にあった井戸で音がした。私は慌てて井戸に近寄る。もしかしたら、鳴海先生がいるかも知れない。私は息も絶え絶え、井戸に近寄る。そして、出てきたのはびしょぬれの鳴海先生だった。私は一気に力が抜けて、その後涙が止めどなくあふれ、その気持ちを抑えきれず。鳴海先生に抱きついたまま泣き出した。
 鳴海先生が生きていた。それだけで、嬉しかった。それと同時に、私にはある感情が生まれていた。それを言葉にすると恥ずかしいが、きっといつか言えるはず。
「――サラ、無事だったか」
先生の第一声などお構いなしに、私は泣き続けていた。困り果てた先生は何も言わず、そっと私を抱きしめてくれた。何だか穏やかな気持ちになれた。
「やれやれ、鬼の眼にも涙だな」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「冗談だよ」
 そう言うと、鳴海先生は懐からタバコを取り出す。
「ちぇ、水に濡れてふやけてやがる」
「こんな時にもタバコですか。診療所が燃えちゃったんですよ。柚江ちゃんもいなくなっちゃうし。先生、柚江ちゃんと仲が良かったんだから、どこに行ったか知りませんか」
「いや、知らない。俺ずっと洞窟に閉じこめられていたから」
 その言葉に疑問を持つ。だって、先生は調べものがあるといって診療所にいたから。
 その事を話すと、先生は難しい顔をした。
「そんなことより、早く身体を拭かないと」
「ああ、でも、荷物洞窟に置いて来ちゃったし……あれ、俺のとサラの荷物じゃないか」
 鳴海先生が指さす方に何故か。私の荷物が置かれている。外に出した覚えもないのにだ。
 私は疑問に思いながらも、荷物からタオルを取り出し、先生に渡す。
 先生はてきぱきとタオルで身体を拭き、自分の荷物から服を取り出し着替え始めた。
 それから数分後、いつもの先生の格好。白衣に中は無地のTシャツ、ジーパンと言うラフな格好になる。その後、先生の言葉から信じられない言葉が発せられる。
 それは何とも信じがたい話しだった。
 あの如月敦美が紫苑だったこと、紫苑が死者を生き返らせると言うこと、そしていま儀式の最中であることに。私が見た如月敦美は一体何だったんだろうか。それに、私といた鳴海先生は誰だったのだろうか。私がその事を話すと、先生はいきなり駆け出した。
「サラ、その墓月神社まで俺を案内してくれ。きっと何か手がかりがあるはずだ」
 先生は最小限の荷物を小さいバックに詰め込み、準備を整えた。
「先生、私は……」
 私が何かを言いかける前に先生は一言つぶやいた。
「何、ぼーっとしている。行くぞ」
 その言葉だけで私は嬉しかった。
 私は看護婦で、先生は医者。私はどこまでも先生の後をついていきます。言葉にするのは恥ずかしいけど、私は本気でそう思った。

7月13日 鳴海大喜 【墓月村・墓月神社】 午前 1時47分
 俺は墓月神社に向かう道を走りながら、これまでの事を必死に整理した。
 紫苑という人物についてだ。人を生き返らせる。いや、生き返らすとはちょっと違うかも知れないが、黄泉の国から帰ってくるのだから、ヨミガエリとでも言うのか。
 それとも、転生とも言うべきなのか。よく分からないが、少なくともあの紫苑というものは、人の魂を移し替える事が出来るみたいだ。
 優花の魂が蓮花という身体に入れられているように、如月敦美の身体の中にも別の魂、紫苑という魂が入っているのかも知れない。それに、サラが言っていたのが本当だとすると、転生先の身体は死者で無くてはいけないのかも知れない。
 紫苑は言っていた。生け贄が必要だと、俺と岡崎、あの双子。そして、空の皿。つまり、生け贄は五人と言うこと。いま、あそこにいないのは鈴原、俺、サラ、と言うことになる。
 まだ間に合うはず。
 紫苑が誰の身体に入るのかは分からないが、いまなら阻止できるはずだ。
 神社に着くと、シーンと静まりかえった境内が、不気味に感じる。サラが言っていた部屋を見てみるがやっぱりと言うべきか。如月敦美の死体は無かった。
 つまり、紫苑が着ていると言うことだ。
「何か紫苑に弱点はないのか」
 時間がない。優花と別れて30分経つ。時間が長引け長引く程、優花達が危険になる。
「お兄ちゃん」
 どこか聞き覚えのある声に俺は振り向く。そこにはにこやかな笑みを浮かべる、河口柚江が立っていた。病室で着ていたパジャマ姿ではなく、黒っぽい服に白いレース状の飾り付けがされている、何ともゴシックな服装をしていた。
 俺は警戒心を強める。そんな俺をみて柚江はにこやかに微笑む。
「安心して、少なくとも、あたし達は紫苑の仲間じゃないわ」
 その言葉に少しだけ警戒を解く。
「お前は、一体何者だ。いや、お前達と言った方がいいか」
「なるほどね。お兄ちゃんって結構鋭いね」
「サラの言葉と。あのカルテから推理できた。君はすでに死んでいる。それも、一ヶ月以上前に……」
「そう、河口柚江はすでに死んでいる。では、ここにいる、あたしは誰なのか?」
 柚江が俺の瞳をじっと見つめる。どうやら、俺に答えて欲しいらしい。
「君は河口柚江ではなく。紫苑と同じように、別の魂と言うべきモノを移し替えられた。そうだろ」
 俺の答えに柚江は、ニヤッと笑う。その笑みはどことなく怖い。
「残念。正解は河口柚江です」
「ということは、君は蓮花と同じ、蘇ってきたものなのか」
「残念ながらそれも違うよ。あたしは蘇ったというよりも、変異したと言うのが正しいかな。蓮花ちゃんはお兄ちゃんの言うとおりのだけど」
「君たちは一体何者なんだ」
 神社の外の林が風で揺れ、きしむ音が聞こえる。喉がからからに渇く。
「私達は月魔と呼ばれる存在。もっとも、紫苑と蓮花も少し違うけどね」
「どう違うんだ」
「魂を移し替えるだけでは、ただの転生にしかならない。完全な月魔になるには、転生した後が問題なの。転生後の身体と魂が混じり合わないとなれない」
「つまり、紫苑は完全な月魔ではないと言うことか」
「正解。紫苑は完全な身体を手に入れられなかった。だから、あなた達をこの村に呼んだ」
「どうして……」
「村人達の身体では転生はうまくいかなかったの。その証拠が……」
「子どもたちのおかしな死か」
俺の言葉に柚江は頷く。どうやら、俺はまんまと紫苑にはめられたらしい。
「月魔にあう身体は穢れてなければならない。あなたが考えているとおり。その身体には近親同士で生まれた子どもが最適だった」
「だが、そんなことをすれば、障害のある子どもたちが生まれるのは明らかだ」
「それがあなた達人間が生み出した、現代医学の限界ね」
「どういう事だ」
「つまり、障害のある子供が生まれ、種の保存が成り立たないから、禁忌とした。昔のある帝国の様に近親婚姻を繰り返したことで、滅亡したという実例を繰り返さないために。そう、人類の滅亡を阻止するために、禁忌とされたのだ」
「それは当たり前のことだろ。人類を滅亡に追いやるものなど、禁忌にされてもおかしくはない」
「そうだね。でも、禁忌になった本当の理由は別にある」
 俺はごくりとつばを飲み込む。この先の現実を知れば引き返せない気がした。
「……ある時、近親関係で生まれた子どもの中で、まれに天才の子どもが生まれた。その子どもは世界に取って、いや、人類の発展に大きく貢献した。だが、それと同時に居てはいけない存在となった。人類を脅かす禁忌で生まれた子供が、天才であってはいけないのだ」
「……じゃあ、もしそんな身体に紫苑が転生したら……」
「恐ろしいことになるわね。紫苑は転生の儀式をするために、あの伝説を作り出した。村人達はそれをおそれ、近親の儀を繰り返している。そのせいで、穢れた血の子どもがたくさん生まれた」
「つまり、村の子どもたちは、全員穢れた血の持ち主と……」
「そう言うことになるわね」
 今までの話しを聞いていて、少しだけ腑に落ちない点がある。何故、紫苑は俺たちを呼んだかと言う点だ。
「それは簡単な事よ。完璧に思えた儀式にも穴があったのよ」
 俺はツバをもう一度飲み込み、次の言葉を待った。
「儀式には月の眼が必要だった」
 聞き慣れない単語に、妙に心がざわめいた。聞いたこと無いはずの単語を、俺はどこかで聞いた覚えがある。
 優花が死んだあの日、病室で朧気な記憶を必死でたぐり寄せる。そして、唐突に思い出したことがあった。
「俺の右目が月の眼なんだ」
 その答えに満足したのか柚江は笑みを浮かべる。
「正解。あなたの月の眼こそが紫苑が必要だったモノ」
「でも、紫苑は俺を生け贄にするつもりだった」
「そう、あなたは必要なくなったということ」
 その言葉で俺の表情はサーッと変わる。嫌な予感がした。それは見事に的中した。
「もう一人この村に月の眼を持つ者が居る」
 その言葉を聞いて俺はすぐさま部屋を出ていこうとする。その俺の目の前に柚江が立ちはだかった。
「行く前に良く聞きなさい。紫苑が完全な身体を手に入れる前に、あなたは紫苑を討ち滅ぼさなくてはならない。その右目を使って……」
 部屋を出るとその先にはいつの間にか、鈴原が立っていた。
「こんな所に居たんですか。いきなり居なくなったから心配したんですよ」
「お前は無事洞窟を抜けられたのか」
「ええ、あなた達とはぐれたあと、洞窟をさまよっていたら神社裏の洞窟に出ましてね」
 いつの間にか俺は駆け出していた。もう二度と会えないと思っていた最愛の人を救うために。二度とあの笑顔を消さないために。俺は再び洞窟に潜り込んだ。すべての事に決着を付けるため、すべてを取り戻すために……。

7月13日 松永沙羅 【墓月村・月見橋】 午前 1時40分
 先生はすごい速さで、それこそカール・ルイスも真っ青な走りで駆け抜けてしまった。
 神社の場所は教えたので、全速力をその場所へ向かったのだろう。
 何か大切なモノを、必死で守ろうとする先生の視線に、ドキドキしていた。こんな事態だから、不謹慎だと自分でも思う。けれども、この想いはあふれていくばかりで、止める事は出来なかった。
 橋の下の河川に、空を漂うまん丸の月が映し出されている。水面をゆらゆら揺れる月に妙な高揚感を感じた。妙に心が落ち着いた。
 橋の向こうの人影が、ゆっくりとこちらに向かってくる。
 初めは鳴海先生かと思った。けれども、影の身長は先生よりも低い。子どもくらいの大きさしかない。その影が月の光に照らされ、顔を見せた。
 その顔を見た瞬間、信じられないモノを見た。
 目の前に立っているのは、まぎれもなく死んだ筈の弟だったのだ。
「やあ、姉さん」
 月の光に照らされて、輪郭がハッキリとしてくる。目の前にいる弟は、死ぬ前と何の違いもなく。その笑みは昔と変わらない。
「驚いた。姉さん。ボク、紫苑様のお陰で蘇ることが出来たんだよ」
「紫苑様のお陰?」
「うん。だから、姉さんも紫苑様には逆らわないで」
 弟の青白い顔が妙に怖い。
「でも……」
 後ずさる私に、弟はため息をつく。
「姉さん。ボクは姉さんの事、まだ許しちゃいないんだよ」
 その言葉を聞いて私の心臓は跳ね上がる。
 弟の顔は歪み、恨めしそうな顔で私を見る。
「どうして姉さんは、ボクの言うことが聞けないの、姉さんはボクが嫌いなんだ」
「違う! 嫌いなんかじゃない」
「だったらどうして、あの時ボクに嘘をついたの。ボクに生きていて欲しい何て言ったの。姉さんはボクに死んで欲しいと願った。だからボクは居なくなろうとしたのに……」
 弟の悲痛な叫びが月夜の空に響いた。
 私は悲しかった。私の想いは弟には届いていなかった。私はやっぱり酷い姉だ。
 私は蘇ったこの子に何が出来るだろうか。私を恨んでいる弟に……。
 じっと黙っていると、弟は口を開いた。
「姉さん。やっぱりボクは必要ないの、いらない子なのかな」
「違うよ。必要のない人間なんて一人も居ない。あなたが例えすべての人に嫌われても、私だけはあなたの味方だから」
 河の流れる音と草木が揺れる音が、一瞬にしてかき消える。
「……姉さんの言葉なんか信じられないよ。だって姉さんは嘘つきだから」
 嘘つきと言う言葉に私の心は痛む。私の過去が責める。私はどうしたら許してもらえるだろうか。どうしたら、弟に信じてもらえるかを考えた。
 ふと、鳴海先生だったら、どうするだろかを考えた。先生はたくさんの命を救ってきた。けれども、救えない命にぶち当たり、必死にその壁を越えようとしてきた。ときには苛立ち、ときには泣き崩れ、ときには静かに願う。あの人はあの人なりに壁を越えようとしてきた。
 でも、私はどうだろうか。弟の死に怯え、弟の事を封印しようとしていた。二度と思い出さないようにしてきた。でも、忘れられなかった。
 看護婦と言う職業に就いて、たくさんの死を見て忘れようとしたのに、逆に死を見るたびに弟の事ばかり思い出してしまう。
 私は何のために看護婦になったのだろう。職業は他にもあったはずなのに、何故看護婦という職業に就いたのだろう。
 そう言えば、昔鳴海先生がこんな事を言っていた気がする。
『医者って一体何なんだろうな』
 鳴海先生の何とも言えない悲しい表情が、今でも目に焼き付いている。
 その言葉は私にも言える。
『看護婦って一体何なんだろうか』
 患者の身体を拭き、患者さんの尿を取り、患者さんの身の回りの世話をする。患者さんと一緒に歩いていく人の事だろう。
 患者がゴールするのを見届ける人、死を見届けるのが看護婦の使命なのかも知れない。
 だったら、私が弟にしてやれる事は一つ。弟の死を受け止め、弟をゴールへと導く事だ。
 私は顔を上げ、橋の手すりに登る。橋と河までの高さはおよそ5メートル。落ちたら怪我か運が悪ければ死ぬかもしれない。
 弟は私の行動に驚くが、じっと私を見ていた。私は息を思いっきり吸い込み。目を見開いて言った。私の想いすべてぶちまけた。
「そう、あなたが言っている事は本当よ。私はあなたの事が嫌いだった。病弱だったあなたのせいで、どれだけ私が辛い目にあったか。あなたには判らないでしょ。あなたのわがままに私が我慢していることに、気がつかなかったでしょ。だから、私は願っていた、あなたが早く死ぬように……」
 私の頬をつたう涙が月の光で輝いている。あたりがシーンと静まりかえる。私は嗚咽をこらえながら、次の言葉を言った。たぶん、弟を傷つける言葉を。
「酷い姉でしょ。弟の死を願っていたんだから……あなたを忘れようとしたのだから……」
私の目から止めどなく涙があふれる。私はゆっくりと目を閉じる。足を一歩前に出せば、真っ逆様に河に落ちる。たぶん、死ぬんじゃないだろうか。寒いわけじゃないのに身体がふるえる。でも、心の奥底は熱い。涙は枯れて詣でてこない。最後の言葉を言った。
「ごめんなさい。たぶん、許してもらえないけど、ごめんなさい……」
 そう言って私は身を前に倒す。身体が重力に引かれ、浮いているのが判る。すべての景色がスローモーションに見えた。空に浮かぶ月が私の輪郭をぼやけさせる。私はそのまま意識を失った。
 それからどれくらい経っただろうか。目を開けて最初に見たモノは、空に浮かぶ月だった。
 初めは天国にも月があるのだと思った。けれども、よく周りを見たら、そこが橋の上であることに気がついた。どうやら、私は橋の下に落ちたわけではないらしい。
 ふと、顔を上げると弟がこっちを見ていた。その顔はさっきまでの悲しい顔ではなく。昔良く見せてくれた優しい笑み。私が大好きな笑みだ。弟はそっと私の頬をなでる。冷たい手が私の熱い頬を冷ます。
「お姉ちゃん、ボクは思い違いしていたよ。お姉ちゃんは嘘つきじゃない。嘘つきはボクだったんだ。身体が弱いこと、自分が自由に動けない事に苛立って、いつもお姉ちゃんに甘えていた。自分では何一つ出来ない現実に、ボクは甘えていたんだ。だから、お姉ちゃんを困らす事で気を引いていた。お姉ちゃんがボクを覚えているように、ボクの存在を忘れさせないために、だけどそれは本当のボクじゃない。本当はお姉ちゃんともっと遊びたかった。お姉ちゃんともっと色んな所に行きたかった。でも、ボクの身体はそれを許さなかった。いや、本当はボク自身が負けていたのかも知れない。自分を偽るボクが何をしても、周りはボクの事を振り向きもしない。だから、お姉ちゃんが謝る必要はない。悪いのはボクで、お姉ちゃんじゃない」
 弟の本当の想いに私はやっと気がついた。私は嬉しかった。弟の優しさを知ることが出来て。私はやっと弟と一緒に、本当のゴールにたどり着いた様な気がした。
「お姉ちゃん。聞いて……」
 弟がか細い声で言うと同時に身体が光り始める。
「もう時間がない。紫苑様はお姉ちゃんを連れてくれば、ボクを本当の意味で蘇らしてくれると言っていた。けれども、ボクはもうお姉ちゃんを連れて行くことは出来ない」
 弟の顔色が悪くなる。苦しそうな表情で言った。
「どうして?」
 そんな弟の表情に私は聞き返す。
「誤解がとけたからかな。ボクは前よりもお姉ちゃんの事好きになっちゃったから」
 弟はウインク一つする。私の目に再び涙があふれる。
「だから、紫苑様を止めて。あの人もきっとボクと同じなんだと思う。この橋の下に洞窟があって、そこから紫苑様の所までいけるから……」
 弟は最後の笑みを私に向ける。
「ありがとう、お姉ちゃん」
 その言葉とともに弟は光りに包まれ、消えてしまう。後に残ったのは小さな白い花が一つ、静かに光っていた。
 私はその花をゆっくり抱きしめた。月の光があたりを照らし、何事も無かったかのように、周りの時が動き出す。私は目をこすり、白い花をそっと胸ポケットにしまった。
 橋の下を見ると、ひと一人が入れるくらいの洞窟がぽっかりと口を開いている。月の光でさえも届かない洞窟の闇に、後ずさる。私は勇気を振り絞って洞窟に足を踏み入れた。
 洞窟の闇は私を包み。何もかも消そうとした。私の身体も心も。けれども私は消えなかった。私の身体と心は今優しさに包まれていた。








第五夜 産声

7月13日 鳴海大喜 【墓月神社裏・洞窟】 午前 1時57分
 先頭を走る鈴原を必死で追いかけながら、優花達の無事を願った。
 時間はそんなに経っていないと思うが、紫苑の動きがどう出るか判らない以上、安心は出来ない。もしかしたら、儀式と言うヤツがもう始まっているかも知れない。俺はただ優花の事を思って走り続けた。大切な人を二度と無くさないために、俺は走り続けた。
 洞窟は思っていた通り複雑で、鈴原は何の迷いもなく先導してくれる。どうして、こんなにも洞窟に詳しいのか不思議に思ったが、今はその事を考えても仕方がない。罠だとしても俺はもう一度紫苑にあわなくてはならないのだから。
 洞窟の幅が広くなり、天井が高くなって行くに連れて、暗かった洞窟内が少しずつだが明るくなり始める。月の光とは別の明かりが、ちらちらと見えた。もうすぐ洞窟の出口、俺は深呼吸を一つして、洞窟の出口を抜けた。

7月13日 松永沙羅 【月見橋下・洞窟】 午前 1時57分
 私を守る光りを纏い。暗い洞窟を進み続ける。何もない真っ暗な中、道に迷うことなく、奥へと進んでいた。何でこんなにも心が落ち着いているのか不思議に思った。
 小学校だった頃、幼い私は闇に怯えていた。何も見えない暗闇に、私一人だけの世界に、何もない世界にただ怯えていた。そんな時は決まって誰かと一緒に寝た。怖いからと言って両親と寝たこともある。それに、弟と一緒に寝たこともあった気がする。
 でも、今は私一人だけ、暗い洞窟に一人。でも、何でこんなに心が落ち着いているのだろう。多分それは、この白い花のせいかもしれない。いや、違う。白い花のせいだけではない気がする。目に見えないところで、私は一人でないと気がついたからだと思う。
 洞窟の幅が広がり、天井が高くなっていく、多分もうすぐ出口なのだろう。前の方にちらちらと明かりが見える。月の光とは別の明かり、私の足は更に加速し、洞窟の出口を抜けた。

7月13日 紫苑   【月隠しの洞窟・儀式の間】 午前 1時57分
 私の儀式は完成する。これでは私は本当の意味で身体を手にする。この死人の身体ではなく。生きた人間の身体に……そうすれば、きっとあの子も気に入ってくれるはず。私達を阻む二人は始末した。生け贄のために用意したあいつには用はない。代用はいくらでもきく。
 私の身体となるモノは近づいてきている。一時は生き返らしたあの者が、裏切ったと思った。しかし、そうではないらしい。現にあのものは近づいてきている。私達を阻むモノは無くなった。
 ああ、愛しの娘にふれあいたい。この手でぎゅっと抱きしめたい。
 私のあつい包容を受け止めて欲しい。待ち遠しい、ああ、待ち遠しい。狂おしいほど愛しく感じ、長年ためていた人としてのぬくもりを欲していた。
 天井にぽっかりと空いた穴からのぞく月の光りが、輪郭のぼけたユウカ草を照らす。風もないのにユウカ草が揺れた。
 洞窟の出口から息を切らせた女性が立っている。それと同時に、もう一方の出口から男が二人顔を出す。三人は私を見ると、示し合わせたようにゆっくりと近づいてきた。
 ゆっくりと三人に近づく。
「良く戻ってきましたね」
 最大限の笑みを浮かべる。その視線を鈴原は睨み付けた。
「そんな、怖い顔をしないでくださいよ。もう、あなた達を生け贄にしようとは思いませんから……」
「それはどういう意味だ」
 鈴原が一歩前に出る。
「そのままの意味ですよ。あなた達二人は用済みです」
「二人? 二人とはどういう事だ」
「それはこういう事です」
 合図を送ると、メイとミコトが物陰から現れ、沙羅を捕まえた。
「沙羅さん。あなたには私の身体になって貰います」
「……どうして、どうして、あなたは身体が必要なの!」
 沙羅は叫ぶように言った。その言葉を聞き入れたのか。紫苑は話し始める。
「沙羅さん。あなたには子どもはいますか?」
 沙羅は首を横に振る。
「そうでしょう。あなたはまだ若い。この先にはまだ未来がある。そう、私にはない未来が……」
「でも、どうしてあなたは、そうまでして身体を」
「あなたには分からない事でしょう。娘を抱けない辛さを、この醜い身体に嫌悪感を抱く自分に……私は欲しかったの綺麗な身体を……醜くない身体を、人間の女性の身体になりたかった」
「だからといって、生け贄までして、身体を得たいと言うのか」
 私の言葉を遮るように、鈴原が言った。この男のまなざしには、どこか怒りが込められている。
 その怒りが自分に向けられている事は明らかだった。
「おめえが、松永の身体を手に入れたとしても。それはお前の身体じゃない。転生の術だか何だか知らねえが、あんたがやろうとしていることは、娘を抱きしめたいんじゃない。自分の醜い姿から逃れたいための、単なるいいわけにすぎない」
 鈴原の鋭い視線から、この男がただ者ではないことが分かる。
「お前は、鈴原省吾か。先ほどまでは気がつかなかったが魂の色が違う。それに、その鋭い視線と殺気、何者だ」
 鈴原は観念したのか手を両手に挙げる。そして、皮膚をぐいっと摘むと、引きはがし始めた。マスクをはがした姿は記憶に無い人物だった。
 だが、他の二人、鳴海大喜と松永沙羅は、驚きの表情をしていた。どうやら、二人の知り合いらしい。その男はどこからか、眼鏡を取りだしスッとかけた。
「やれやれ、視線と殺気でばれるとは、失敗だったな」
「守!」「院長!」
 二人が同時に声を上げる。どうやら、こいつがこの村に医者を送り込んだ張本人らしい。
守と呼ばれて男は、私の方に振り向く。
「さて、と。この姿では初めましてかな。月ヶ丘総合病院の院長をしている琢磨守といいます」
 そいつは丁寧にお辞儀をしたが、その何とも言えない物腰が、気に入らなかった。
「守、いつから鈴原に化けていたんだ」
「ふむ……いつからと言われてもな。お前が蓮花とあっていた後かな」
「でも、院長が何でこんな所に……」
「君たちが出かけた後、少々状況が変わってな」
「状況が変わった?」
「岡崎理津子が墓月村を訪れてから、行方不明になっていると言うことを聞きつけてね」
「なるほど」
「それに、周りの状況から察すると。非常に危険な状態にあることもわかり。まあ、鈴原に事情を話し、変装して潜り込んだと言うわけだ」
「全く、びっくり人間じゃあるまいし、まさかそんな格好で現れるとは思ってなかったよ」
「ははははは、二人とも驚いたかね。後でじっくりと感想を聞かせて貰うよ」
 にこやかな笑みを浮かべていた琢磨が、すぐに鋭い視線を私に向けてきた。
「こっちの用件は生け贄の解放だ。それと、あんたのやろうとしている事は、秩序を乱す結果となる。止めさせて貰うよ」
 琢磨はじっと私の瞳をのぞき込む。先ほどの鋭さは無くなり、あるのはすべてを見透かすようなまなざし、この瞳を私は以前どこかで見たことがある。
 そうだ、このまなざしは……。
「気付いたようだがもう遅い。あんたの身体は縛らせて貰った」
 琢磨はじっと私の目を見続ける。瞬き一つしないヤツの目に、私は吸い込まれてしまいそうになった。
「ぐふぁ……」
 いきなり琢磨の身体が持ち上がり、首を思いっきり絞められる。そこには二人の巫女が立っていた。
「紫苑様、無事ですか!」
 二人の巫女は同時にそう言った。
「どうやら、形勢逆転のようね」
 ミコトが琢磨の首を思いっきり持ち上げたまま、次の指示を待っている。
「もうよい、そやつを放してやれ」
 私の言葉とともに、琢磨の身体はフワッと宙を浮き、五メートルほど飛ばされた。
 琢磨は「ぐえ」というガマ蛙の様な声を出し、沈黙した。
「まさか、この村に三人も月の眼が居るとは思わなかった」
 天井の月が徐々に光りを増し、洞窟内に光りが反射し始める。
「そろそろ、儀式を始めないとな。メイ、ミコトその二人を生け贄の間へ」
 メイとミコトはこくりと頷く。のびている琢磨をミコトが担ぎ、メイは鳴海の腹を瞬時に殴り気絶させ、二人を生け贄の間へと運んだ。
 残された松永はぽつりと立っている。
「あなたは私の大事な身体ですからね。身を清めて貰います」
 松永の手を引き、生け贄の間とは逆にある。大きな湖へと連れて行った。
「さあ、服を脱ぎなさい」
 松永は抵抗することもなく、私の言うことを聞く。
「おやおや、震えているのですか」
「……どうして、あなたはあんな酷いことが出来るの?」
 震える声で松永は懸命に言った。たぶん、私の力を恐れているのだろう。無理もない。
 後ちょっとで自分は消えてしまう、その恐怖は計り知れない。
 自分という存在が消えるのを人間は極端に嫌う。存在が消えると言うことは、死にも等しいのだから。だから彼女が怖がるのも無理はない。
「私にはどうしても身体が必要なの……あなたのような健康な身体が……」
「でも、あなたには今の身体があるじゃない」
 少し考えてこう言った。
「良いでしょう。あなたなら私の本当の姿をお見せしましょう」
 着ていた巫女装束を脱ぎ捨てる。下着などは付けていないので、裸体があらわになる。
 その裸体を見て、松永は悲鳴をあげた。無理もない、私の身体のあちこちは腐り落ち、所々肉がそげ落ち、白い骨が飛び出ている。胸の乳房はそげ落ち、それが胸だとは思えないほどの酷さ、女であった姿の欠片もない。まるでゾンビか、はたまた出来損ないの人形みたいな姿。
 この姿を知っているのは、メイとミコトだけ、他に知っているモノは誰もいない。
「分かったでしょ。私の身体は徐々に朽ち果てている。だから、もう余り時間がないのよ」
「でも、だからといって他人の身体を奪うなんて、それで本当に幸せになれるの……娘さんを本当の意味で抱けるの……娘さんはその事を望んでいるの……私はそうは思わない。例えどんな身体をしていたって、娘さんはあなたを母親だと思う。だって、今のあなたは娘さんの事を、心のそこから愛しているのだから。私の両親は酷い両親だったけど、私は弟と心が通じ合えたから、想いがあれば心は通じ合うんだって、私は思う。だから……」
「だからなに、私にどうしろと言うの! 私はこんな醜い姿で娘には会えない。娘には会えないのよ」
 私はいつの間にか泣いていた。泣くという行為を今まで忘れていたように、私は泣いていた。
 そして、私は松永を気絶させた。これ以上私の心をかき回さない様に。私は私の身体のために松永をそっと抱きしめた。

 娘が亡くなったのはいつの頃だろう。私が仕事ばかりかまけていたからなのか。娘がただ単に病弱だからか。気付いたら娘は亡くなっていた。
 娘と言葉を交わした記憶がない。娘の顔が良く思い出せない。娘の笑顔を見たことがない。娘の寝顔が思い出せない。私に取って娘は居たかどうかも分からない存在となっていた。
 どうでもいい存在。自分とは関係ない存在でしかなかった。
 よく親戚の人に貰った人形が気にくわなくて、ゴミ箱に捨てる感じ。まさに私に取っての娘とは、そんな存在だったのだろう。
 いらなければ捨てればいい。人形と同じ、ただそれが動いてしゃべるかの違いにすぎない。
 何で私はそんな娘を生んだのか、分からなかった。そう、娘が死ぬまでは。
 死という概念は非常にシンプルでかつ、変えることの出来ない運命と呼ぶモノだと私は信じていた。人間、誰だって死ぬし、それはいつかであって、それは誰かであって、そんなモノは自分とは関係の無いモノだと思っていた。テレビのニュースで報道される殺人事件、テロ攻撃で死ぬ人間、戦争での犠牲者。何もかもが私とは関係の無いところで動いていて、私には何の影響も与えないと思っていた。
 確かに死ぬ人間にはお気の毒としか言えない。戦争に行く人だって、『ああ、死にに行くんだね』とかくらいしか思っていない。テロをする人にだって、『そんなに死人を増やしてどうするの』ぐらいにしか思っていない。
 死は日常にあふれているにもかかわらず。私には何の関係もない、歯車の一つにしかすぎないと思っていた。
 死とはそう言うモノだと思っていた。
 でも、娘が死んで、死という歯車は私の歯車とかみ合い動き出した。死という現実に私は恐怖した。死を恐れ、死から逃れたいと思っていた。
 ある時、一人の男が現れた。それは娘が亡くなってからすぐの事だった。
『娘さんに会いたくはありませんか。会って話しをしたくありませんか?』
 男の言葉はどこか信じがたく。不思議な感じがした。しかし、私はその男の問に頷いていた。
 今度こそ、娘を愛そうと思った。今まで出来なかった事を娘と一緒にやりたいと思った。
 娘のためなら何だって出来ると私は思っていた。
 男は私の答えに頷くとこういった。
『今からあなたに呪いを掛けます。その呪いを解くにはある村に行って、今から言うことをしてください。そうすれば、きっと娘さんに会えますよ』
 男は私の耳元で囁いた。それは、近親相姦で生まれた子供をたくさん作ると言うこと。それも血が近ければ近いほど良いと言う。私は何故そのような事をするのか疑問に思ったが、口に出すことはせず。すぐにその村を訪れた。そして、すぐさまその村の伝説を聞くことになった。私はその伝説を利用して、村で近親相姦の娘を差し出すように命じた。村人は素直にそれに従い、あっという間に村中の人は近親行為により、穢れた血縁者が増えた。ちょうどその頃、外の世界の医者がこの村を訪れる様になった。また、あの男が再び現れたのもちょうどその頃だったと思う。男は私に一冊の古文書と一人の少女を預かってくれと言った。少女の名前は蓮花、名前以外は素性を明かしてはくれなかった。そして、古文書の方にはとんでもないモノが書かれていた。転生の術、環魂の術など、オカルト的なモノがびっしりと書かれていた。
 私はそれらを使い、自分のこの呪われた身体を何とかすることを考え、自分の魂を他人の身体に移し替える術を編み出した。それは、環魂の術の応用で、何体かの生け贄と、この土地で咲いているユウカ草を用いれば、魂のない物にも魂が宿ることができるのだ。
 しかし、他人の身体に別の魂を押し込む事には失敗している。本来の身体と魂ならば、環魂の術は成功する。それは、魂と身体が拒絶反応しないせいもある。しかし、私がしたいのは別々の身体と魂を移し替えること、これが成功しなければ私の身体は朽ち果ててしまう。
 古文書の解読をしているうちに、裏月の存在を知った。
 裏月とは死者が見る月の事を指し、その裏月を操る事が出来るのが、月の眼であると書かれていた。
 月の眼を操ることが出来れば、死者でさえも自由に蘇らすことが出来ると古文書に記されていた。私は月の眼を必死で探した。そして、遂にその存在を知ることになった。それは、村に訪れた記者から始まり、その餌につられてやってきた医者達によって明かされた。
 すべてはあの男の計略とも言うべき事を、私は知ってしまったのだ。
 だけど、私はその計略に乗ることにした、娘に会いさえ出来ればそれで良かったはずが、私はそれでは満足出来ないでいた。私はただ、呪われた身体から逃れたかっただけなのだ。

 洞窟は耳が痛いほど静まりかえり、天井の月も強く輝いている。儀式をするのは初めてではないが、緊張はしていた。今までの儀式とは明らかに違うからだ。実験として行っていた儀式はほとんどが成功している。同じ身体に同じ魂を入れるのだから、失敗をするはずもなく。また、大がかりな生け贄も必要なかったので、すんなりと儀式は成功していた。しかし、今度の儀式はいつもとは違う。多くの生け贄を使い、月の眼も使うのだから。私に失敗は許されなかった。
 失敗は自分の魂の消滅なのだから。
 私は大きな長刀を持ち、縛られている鈴原、いや琢馬守の前に立った。儀式に必要なのは生け贄の血、この長刀に生け贄の血を吸わせる事。月の眼の血ならさぞ、儀式の成功率も上がるだろう。
 長刀を振り下ろした瞬間、私は誰かに体当たりされる。いつの間に目を覚ましたのか。鳴海大喜が、縄で縛られながらも私に体当たりしたのだ。
 私はすぐさま鳴海に斬りかかろうとする。それを寸前で鳴海はかわす。全くもってしぶといヤツだ。私は息を荒げながら再び長刀を振り下ろした。鳴海は紙一重でかわすが、足がもつれて地面に倒れた。私はすかさず長刀で鳴海を突き刺した。手に嫌な肉の感触がした。
 目の前には鳴海大喜かばうように、松永沙羅が立ちふさがり、その脇には真っ赤な血が広がっていた。これで私の計画もおじゃんだ。全く物事とはどうしてうまくいかないのだろう。
 私は長刀を引き抜くと、松永沙羅の脇から血があふれ出した。
 鳴海大喜は絶叫とも呼べる叫び声をあげると、すぐに松永に近づき傷を見ている。それがどうしようも無く深い事に気付き、もう手の施しようも無いことを嘆いていた。
 ふん、バカな女だ。私の身体となるべきだったのに、死んでしまっては意味が無いだろうか。
 せっかくの計画が台無しだ。私は鼻で笑う。その仕草に鳴海は頭にきたのか。叫び声をあげて突進してきた。私はそれを難なくかわしてみせる。鳴海は頭から地面にぶつかる。
 何故この男は私に立ち向かってくるのだろうか。その瞳には明らかに怒りの色をしていた。
「あんたは、どうしてこんな酷いことをするんだ」
「ふん。そんなの分かり切ったことだろ、私は健康な身体が欲しかったのさ。そして、その身体で娘を抱きしめたかった」
「それはあんたの逃げだ。あんたは娘を抱きしめたいから、身体を手に入れたいんじゃない。ただ単に自分の醜い身体を、他人に見せたくなかっただけなんだ。自分は綺麗なままでいたい、それだけが望みだったんだ」
「違う」
「だったら何故、その醜い身体で娘を抱いてやらない。醜い身体だろうと、綺麗な身体だろうと、あんたはその娘にとっての母親なんだろう。何故胸を張らない」
「私は綺麗な身体で、娘を抱きたかっただけなんだ」
 頭が割れるほど痛い。私の中で何かがはじけそうだった。
「あんたはどうして、娘を見てやれない、どうして娘を信じてやれないんだ」
 その言葉とともに私の脳裏に記憶が蘇った。その鮮明なフィルムは私が閉じこめていた記憶だった。
『お前はどうして、娘を見てやれない。この娘はお前の人形じゃないんだぞ』
 誰の言葉かも分からない。いつ言われたのかも思い出せない。けれども、私がしてきた現実がすべて、この言葉にあった。私はやっぱり悪い母親だったんだ。
 薄れる意識の中、私は黒い闇に包まれた。一生抜け出すことも出来ない、深い闇に。

7月13日 鳴海大喜 【月隠しの洞窟・生け贄の間】 午前 2時47分
 サラの血は止まる事が無く。応急処置では、どうすることも出来ない傷口だった。
 守も懸命に処置をしたが、傷口が広すぎ血は止まらない。俺たち二人の脳裏に絶望の二文字がよぎる。この場所でオペが出来れば、いやこの出血量では無理だ。ならどうすればいい、どうすればサラを救える。
 俺はまた亡くそうとしているのか。大切な人を。
 大切な人を亡くそうとしているのか。
「おい、サラ! お前、約束破って死ぬ気か。おい、死ぬ気なのかよ」
 サラは依然として意識は無く。傷口にあてたガーゼはあっという間に赤く染まる。
 俺たちが諦めかけようとしたとき、目の前に一人の少女が現れた。
「まだ、諦めちゃダメだよ。大喜君」
 優花は俺に微笑みかける。その笑みには何だか分からないけど、すごい力があるように見えた。
 そして、優花はとんでもないことを口に出した。
「大喜君。この人を助けたいなら。私の命を使って」
「そんなこと出来ないよ。だって優花の命は優花のものだから」
 俺の答えに優花は首を振る。
「私は一度死んでいる身、だから……」
「……でも」
 俺にはすぐに答えが出せなかった。それはそうだ、どちらも秤にかけてはいけない選択なのだから。
「大喜君、昔私がこんな質問したの覚えている」
「……」
「今にも死にそうな人が二人います。一人はあなたに取ってとても大切な人です。もう一人は、あなたとは全く関係のない他人です。どちらか片方しか救えないとしたら、大喜君ならどうする、て。」
 その質問は今の状況とよく似ている。不条理な選択、選ぶことの出来ない、決められない選択だ。昔の俺はどう答えたんだろう。思い出せない。
 そんな俺を見て優花は笑いながら答える。
「大喜君はこう答えたんだよ。『僕だったらどっちも救う。二人の命は僕が救う』って。その後、その大切な人が私だったら、どうするって聞いたら、笑ってたっけ」
 昔の俺は胸を張って、そんなことを言ってたのか。俺は自分に自信がなくなっていたのかも知れない。助けられない命を見て、救えない命に苛立ち、いつの間にか自分自身を嫌っていたのかも知れない。
 だけど、今を逃げちゃいけない。逃げたらそこまでだ。そう、胸を張って言えばいい。
「二人とも、俺に力を貸してくれないか」
 守と優花はこくりと頷く。
「じゃあ、まず環魂の術を行うのに必要な、ユウカ草を六本積んできて」
「それは、俺が行こう」
 そう言うと守は立ち上がり、ダッシュで洞窟を抜けていった。
「それまでに、私達がやらないといけないことは、この人を月の光が届く場所まで運ぶこと」
 俺はそっとサラを抱きかかえ、月の光が射す位置まで運んだ。
 その後、優花はサラが着ていた衣服を、すべて脱がす。もちろん、下着もだ。
 不謹慎だがサラは幼児体型で、その胸を見て、優花はにやりと笑った。
 その笑みが、どうも勝ち誇った顔に見えたのは、気のせいだろうか。
 その後、守が帰ってきて、優花の指示通り、サラを中心にユウカ草で周りを囲む。
「準備はこれでよし、後はあたしが裏月をうまくコントロールするから、大喜君は裏月の様子を知らせて」
「よく分からないけど、月を見ていればいいのか?」
「そう、月の色が銀色に輝いたら知らせて」
「分かった」
 俺は頷くと月をじっと見つめていた。天井から見える月は青白く。とても銀色に輝くとは思えなかった。
 優花が力を込めると、サラの身体が輝き始め、六本のユウカ草も輝き始める。それと同時に、月の色にも変化が現れた。青白い月が徐々にだが白く輝きだし、ついには銀色に輝きだしたのだ。俺が合図を送り込むと、優花は更に力を込める。すると、優花が光りに包まれ。光りの渦が優花とサラを包み込んだ。何とも不思議な光景だ。
 銀色に輝く月の光を受け、二人の光りは更に輝きだし、それが徐々に収まると、優花がサラの上に覆い被さっていた。
 傷口は綺麗サッパリ消えている。傷跡もない。まさに奇跡としか言いようがない。
 サラの無事を確認してからすぐさま、優花を抱き起こす。しかし、その身体の異常な冷たさに、背筋が凍った。優花は息をしていなかったのだ。
「優花……嘘だろ! 嘘だと言ってくれ!」
 俺の叫び声が洞窟にこだます。冷たくなった彼女の身体が妙に軽かった。
 そんな時、いきなり洞窟内が揺れだし、壁に亀裂が入る。天井から見えた月も消え、夜明け前の朝日が顔を出していた。
「おいおい、しゃれになんないぞ」
 守はただならぬ事態に、慌てる。しかし、そんな事態になっても俺は悲しみにふけっていた。
 冷たくて動かない優花の亡骸を抱きながら。
 そんな俺を一括するかのように、守が俺の頬を思いっきりひっぱたいた。
「お前はこのままここで死ぬ気か」
 熱い頬を押さえながら、うつろな瞳で守を見る。
「優花ちゃんに教わったことを思い出せ! お前が今しなきゃいけないことは何だ?」
 その言葉が俺の胸に突き刺さった。優花が生きろと俺に言っている様な気がした。
 俺は目をこすり前を見る。
「脱出しよう!」
 俺の言葉とともに守は頷く。俺は優花の亡骸を残し、サラを抱きかかえた。生け贄の間に居た岡崎理津子は守が背負い、その両手にはこの村の双子が抱きかかえられている。
 どこにそんな力があるのか、分からないが、守は軽々と三人を持ち上げて、洞窟の出口を目指した。ふと、生け贄の間を見ると、二人の巫女が俺たちの方を見てお辞儀した。
 どうやら、彼女たちはここに残るようだ。
 生け贄の間の入り口が崩れ落ち、彼女たちの姿が消える。
 俺は一度頭を下げると、洞窟の出口へと向かった。

7月13日 河口柚江 【月隠しの洞窟・生け贄の間】 午前 4時08分
 あたしの目の前には、すべてを凍り付かせた人形が眠っている。すべての事に恐怖し、すべてのモノから逃げた女性の、醜い顔がそこにあった。
 ああ、この人は最後まで気付かなかったんだ。愛されている事にも気付かずに、また自分が愛を与えていることにも気付かない、全く愚かな女性だ。
 恐怖に歪む女性の周りには二輪の白い花がそっと、女性に寄り添うように咲いていた。
まるで女性に寄り添う双子のように。
 あたしはそっと囁いた。
「あなた達、本当の親子みたいだね」
 誰に言う訳も無く。あたしはそうつぶやいた。
 その声が届いたのか。風もないのに二つの白い花が、揺れた様な気がする。

 白い花を見届けた後、地面に倒れている女の子を見つけた。その子の身体からは明らかに魂が抜けていた。
「ふむ、どうやら彼女の身体は無事の様だ」
 あたしの腕に抱きかかえられていた、カエル人形がしゃべり出す。
「ちぃ〜ちゃんのお目当てはあの子なんでしょ」
「正確には入れ物の方ですね。魂には興味ありません」
「まあ、あたしには関係ないことだからいいけど」
「確かに関係ないことですけど、もう少しあっしに、しゃべらせてくれませんかね」
「ちぃ〜ちゃんの話し長いから嫌だ」
「まあ、そう言わずに」
 ちぃ〜ちゃんと呼ばれたカエル人形は突然姿を変える。
「うわあ〜、鳴海先生だ」
「ちゃいます。あっしですよ」
「分かっているわよ。ちぃ〜ちゃんでしょ」
「そうでやんす。この姿で色々と行動していたから、今回はやりやすかったです。それにあいつらのおかけで、仕事がはかどりましたしね」
「そうだね。今回は大豊作と言ったところかな。何せ村人全員は大変だったよ」
「お嬢のお陰で色々助かりました。しかし、まさかあの看護婦が紫苑だと、気付いたときには驚きましたよ」
「それはいいけど、あの二人はどうするの」
「あの二人とは?」
「村人の生き残りよ。今ならサクッといけるけど」
「今回は見送りッスね。良いワインほど熟成したときの楽しみがありますし」
「あたしには分からないことだけどね」
 あたしの言葉にちぃ〜ちゃんは鼻で笑う。
「まあ、お嬢に分からせるには、まだ早すぎましたか」
 鳴海先生の姿をしたカエルは、今度は金色の髪の青年へと姿を変え、優花の身体を抱きかかえた。
「それってどういう意味よ」
 あたしはむっとするが、次のちぃ〜ちゃんの一言で忘れた。
「さて、と。仕事はひとまずお休みということで、少々日常を満喫しますか」
 その言葉とともにあたしは全力で飛び上がった。
「やった〜! あたし一度でいいから学校に行ってみたかったのよね」
 その言葉に、ちぃ〜ちゃんは笑い。あたしとちぃ〜ちゃんは暗い洞窟の闇の中に消えた。
 薄暗い洞窟が再び静けさを残し、あるのは哀れな女性と二輪の白い花だけが、暗い闇の中を漂っていた。






























最終夜 蘇り

 その後がどうなったかを話す。洞窟を抜けた俺たちはすぐさま、守が隠していた車に乗って村を下りた。岡崎も双子も傷はなく、意識もハッキリとしていた。ただ、岡崎は村に訪れた時の記憶が一切抜け落ちていて、しばし混乱していたが。守の応対により今はだいぶ落ち着いている。途中、鈴原とも合流し、車は快調に走っていた。
 双子の方はまだすやすやと眠っている。ここで目を覚まして暴れられても困るが、村に置いておくにも心配だったので、守が連れてきてしまった。
 サラの方は傷口は完璧にふさがっていて、記憶もすべてあり、起きあがったときには大分震えていたが。俺の存在に安心したのか再び眠りについている。
 車を運転している守が、口を開く。
「今回の事は余り口外するな」
 守は怖い顔で言った。
「隔離された村で起こった近親関係。そんなのが広がればメディアは大騒ぎだ」
「確かにそれはあるね。記者に取って書かないのはもったいないな」
 今まで黙っていた鈴原が口を開く。
「あんた達メディアは、あまり周りの事を気にしないで記事にするから、結局は被害に遭うはずのない者に被害が及ぶ。この子達のようにな」
 守はちらりと後ろの座席の双子を見た。
「きっと、彼女たちはメディアの餌食だろう。もちろん、俺は口外するつもりもない」
「なるほどね。あくまで子どもたちの事を考えるか」
「ああ、俺は守るモノは必ず守り通すからな」
 守はちらっと岡崎の方を見た。
 鈴原はその言葉を聞いて、にやりと笑う。それに続けて鳴海も口を開いた。
「俺は今回の事で知った。助けられない命と、助けられる命があることを。そして、もう二度と迷わないと言うことを、優花から教わった。だから、俺はこの子達も守っていきたい」
 鳴海の凛とした言葉に、鈴原はやっぱりにやりと笑う。その顔はどこか悪戯ぽく見えた。
「じゃあ、君たちは助けられない命に出会ったら、どうするんだい?」
 その言葉を聞いて二人はこういった。
『助けられない命に出会ったら、最後までその人を見送る。それが医者として、いや自分自身が出来る最後の仕事だから』
 その言葉を聞いて、鈴原はにこりとも笑わない。
「それが君たちの答えか……。うん、まあ、合格かな」
 鈴原はそれだけを言うと、うんうんと頷いて最後にこういった。
「彼の記憶は一部消して置くから心配するな。彼女の事はまあ、君たちに任せれば大丈夫だろう。それと、鳴海君、君が正直ここまで来るとは思っていなかったよ。君の眼は出来損ないだからね。まあ、結果としては良かったのかも知れないけど。そうそう、帰る前に松永沙羅の魂をよく見てみな、今の君なら見える筈だよ」
 それだけを言うと、突然糸が切れたように鈴原は倒れた。
 二人は一旦、車を止め、沙羅の身体をよく見た。そして、胸の下あたりに、白くて丸い固まりがハッキリと見えた。その影に小さな固まりがあることも。一人の人間には一つの魂しかない。とすると、この小さな魂は……。二人の顔はほころび、守はアクセルをいっぱいに踏む、車は真っ直ぐ町の明かりへと向かっていた。
 東の空から現れた朝日が、きらきら輝く。太陽の光に隠れ、月は青い絵の具に塗り潰されて、消えつつあった。町の方から汽笛の音がする。町はもうすっかり目覚め始めていた。

 あの事件から数ヶ月。数日後、事件があった村は村人全員が神隠しにあい、誰一人残っていないという奇妙な報道がされていた。俺たちしか真相を知らないが、その事を話せば双子の事も話さなくてはいけなく。守との約束もあり、俺はこのことを一生封印することにしていた。彼女たち双子は琢磨家で大切に育てられている。
 最近では学校にも行けるようになり、学校ライフを楽しんでいると言うことだ。あの双子ならばきっと大丈夫だろう。一人で生きていくのは辛いけど、二人ならば悲しみを分かち合えると思うから。それに俺たちもいるしな。今度、守の家に遊びに言ってみようと思う。その時、二人の笑顔が見られると思う。
 岡崎理津子は今回の事をすべて理解し、また守の願いを快く承諾してくれた。岡崎さんも今回の事は反省していたみたいだ。あぶないところに一人でいき、皆に迷惑を掛けたと、お詫びしていた。とくに守がえらい剣幕で怒ったことが応えたのだろうか。数日間は悄気ていたと守から聞いている。
 しかし、悄気るのも早ければ、立ち直るのも早いとはよく言ったもんだ。
 持ち前の根性で岡崎さんは立ち直った。その後は、数々のスクープをものにし、敏腕記者とも呼ばれているらしい。
 それと、鈴原省吾のことだが、岡崎さんが言うには、彼は村で起こったことすべてを忘れていたという。そればかりか、その日は一日中ぶらぶらしていたという、偽の記憶を持っていた。
 どうやら、鈴原に乗り移っていた何者かの仕業だろう。
 その何者かは、あの時の声の主に違いない。しかし、それを確かめるすべはなく。また、あれ以来、声の主は現れていない。
 俺と守は相変わらず忙しい毎日を送っている。緊急の患者を診たり、外来の患者さんを見たりと、目が回るほど忙しい毎日だった。でも、そんな毎日が不思議と嫌じゃなかった。
 まだまだ、助けられない命はたくさんある。
 死んでいく命はたくさんある。
 けれども、俺は逃げようとはしなかった。
 俺は医者である前に、死んでいく人を最期まで見送る人なんだと気付いたから。
 これからも俺は医者であり続けると思う。

 非現実的なモノというのは案外近くに存在する。何もないところから物質が現れるとか。いきなり空からUFOが現れてるとか。友達が実は宇宙人でそれもとびきりの美少女とか。目の前でいきなり竹トンボを頭に付けて空を飛び出す、青いダルマとか。とげ付バットを振り回す天使が居たりとか。
 数えたらきりがない、いや小説や漫画の中の世界だと思っていたことが現実に起こる、何て事は普通起きない。そんな普通起きない事が今俺の目の前で繰り広げられている。
 非現実というか。いや、現実に起こっているから非現実ではないのだろう。うん、そうなるな。では、俺の目の前で繰り広げられているのは何だろうか。深く考える。そして、もう一度、今朝の事を思い出していた。
 今朝は珍しく、サラが起こしに来てくれて、いきなり朝食を作ると言い出した所から始まる。
 別に朝食を作るのは良い。サラの料理は悪くない、素朴だが暖かくてお袋の味と言う感じがしたからだ。
 しかし、今日の朝食は何故か俺の嫌いなモノの大合唱だった。大根の漬け物。大根のみそ汁。そして、極めつけはほかほかご飯に、大根下ろしをたっぷりとのせた。大根下ろし丼とも呼べる代物。サラの引きつった顔が怖い。
 俺は考えた。俺、何か悪いことでもしたか。深く考えた。そして、あることを思い出した。
「もしかして朝、お前が俺の布団に寝ていたことか?」
 サラの顔がいきなり真っ赤になる。そして、精一杯の虚勢を張って、ぷるぷるした頬を膨らませる。どうやら、相当怒っているようだ
「あれは、優花が俺の布団で寝たい、って言ったから」
 その一言がカチンと来たのだろうか。サラの顔が真っ赤に燃え上がる。そして、鼓膜が破れるくらいの声で、叫んだ。それは、この世の終わりかと思うくらいの、それはもう末代まで響き渡る声だった。
「優花はまだ小学生でしょ。何であんたはそんな小さな子を、同じ……同じ布団で寝るのよ。変態、スケベ、ロリコン、あんたなんて怪獣に踏んづけられて死んじゃえ」
 出せるだけの罵声を浴びせて、サラは息を切らせる。俺は唯一大根が入っていない。コーヒーをすすると、一気にはき出した。
「ぶふぁっ、何だこれは」
 引っかかったとばかりに、サラは笑う。
「どうよ。沙羅特製の大根下ろし入りコーヒーよ」
 何とも言えない言葉に俺は絶句する。俺は一つため息をつく。
「何度も言うけど、優花は俺と同い年。いや、俺たちよりもっと年上かもしれない」
「でも、精神的には子どもでしょ。そんな、子どもと寝る何て、しかもあまつさえ、私の身体で。う……ぐすん」
 いきなりサラが泣き出す。俺は頭を掻き困り始めると、今度はいきなり泣きやんだ。
 そして、俺の方を振り向くとにっこりと微笑む。
「大喜君。昨日は私も軽率だったわ。自分の身体じゃないってこと、すっかり忘れてしまって、大喜君に甘えちゃって……」
 ちょっと頬を赤らめるサラ、いや今は優花なんだが。その瞳が潤んでいる。
 あの事件の後、サラの身体に二つの魂があることが分かり、一方がサラの魂、もう一方が優花の魂であることが分かった。
 医学的に二重人格とも言えないのだが、まあ、人格が二つあるようなモノで、コロコロ魂が入れ替わり、身体を片方が使えると言う状態になっていた。
 どうして、こんな状態になったのかは分からないが、優花の推理では、俺の二つの眼に何らかの影響が出たのだという。優花、昔の優花から貰った眼と、あの声の主から貰った月の眼と、が何かの影響で、環魂の術を不完全な状態にしたのだという。
 理由はよく分からないが、優花がいると言うことは、俺に取って大きな存在になった。
 ある一人をのぞいては、言うまでもないサラの事である。
『ちょっとね。優花! 勝手に入れ替わらないでよ』
 俺には聞こえないが、優花にはサラがそう口論している事が分かった。
 そして、意地悪な心の声でこういった。
『サラさんも、もっと素直になればいいのに、うふふふふ。じゃあ、私は引っ込みますね』
『ちょっと待ってよ。それってどういう意味よ!』
 心の声は終わり、優花はそっと目を閉じて魂が入れ替わる。
「いつまで抱きついてるんですか」
 いつものサラの口調で、俺はぱっと離れる。何となく気まずい雰囲気が流れるが、時間をみて慌てた。やばいそろそろ遅刻だ。
 それに気付いてかサラは何にも言わない。
「じゃあ、俺、行くわ」
 そう言うと、俺は玄関を出ようとした。すると、スッと俺の裾をサラが掴んだ。
 始め俺はサラではなく優花かと思った。けれども、次の言葉でそれが違うことに気がついた。
「鳴海先生……私、諦めませんから」
 顔を赤らめて言う。サラにちょっとドキッとしたが、首を振り慌てて玄関を出た。
 何度目かの暑い夏、蝉が鳴き始めた頃、俺と彼女たちの新しい生活が始まった。

【完】
2005/04/06(Wed)09:36:01 公開 / 名も無き詩人
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