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『たかちゃんリターンズ 最終回』 作者:バニラダヌキ / お笑い お笑い
全角42385文字
容量84770 bytes
原稿用紙約124.4枚


     【1】


 はーい、いちおくにせんまんのよいこのみなさん、きょうもちゃんとお顔を洗いましたか?
 あらあら、みなさんなんだかふしぎそうなお顔をしていらっしゃいますね。
 あのケバいおねーちゃんはいったい誰だ、そんなお声もきこえるみたいですね。
 それじゃあ、ねんのため、せんせいのお顔をおぼえていらっしゃるよいこのかた、元気に手を上げてみてね。
 はーい。
 ひの、ふの、みー。
 …………。
 …………。
 ……うふふふふ。はい。せんせい、いっきにすべてのいきるいよくを失いました。
 きれいさっぱり、うしないました。
 でも、しんぱいなさらないでくださいね。
 いきるいよくのないひとでも、それはもう今夜鴨居に首を吊って死のうと決意した末期鬱病患者のような無気力な教師でも、に○きょ○そに加入している限り、きょうだんでなにかじかんをつぶしていれば、おきゅうりょうはちゃんとでるのです。
 おきゅうりょうはちゃんとでるので、もうせんせい、きょうはもうなんのきょういくてきいしきなど持たずに、いいかげんにおはなしさせていただきます。
 はい、それでは、いちおくにせんまんぶんのさんのよいこのみなさん、おひさしぶりの、よいこのお話ルーム『ママはおでかけ2・たかちゃんの逆襲』、はじまりでーす。

     ★     ★

 あのとき、まだ幼稚園のちっちゃい組だったたかちゃんは、もう、ぴかぴかのいちねんせいです。
 みんくくじらさんにつぶされてしまったおうちも、ひとがよいだけのパパにかわって、ママがほけんのみずましせいきゅうをたくみにおこなってくれたので、まえよりもりっぱなおうちがたちました。
「いってきまーす」
 よいこのたかちゃんは、きょうもげんきに、がっこうにかよいます。

     ★     ★

「はい、それでは、かたぎりたかこさん」
 やさしさのなかにまけぐみのあいしゅうをややたたえた先生が、たかちゃんをさして言いました。
「1月1日は、何の日ですか?」
 この先生は、あくまでもお話の中の先生なので、わたくしではありませんよ、ねんのため。わたくしは、おととし成人式を終えたばかりです。だれですか、見えねー、などとつぶやく、悪いよいこのひとは。はいあなた、お話がおわったら、ひとりでしょくいんしつにいらしてくださいね。いいですか、あなたひとりでですよ。それはもう、にどとおうちに帰れなくなるくらい、かわいがってあげますからね。
 さて、お話の中の先生は、とうぜん、おしょうがつ、がんたん、そんな答えを期待していたのですが、これはあきらかに、じんせんみすでした。
 なんといっても、ほっかいどうのひぐまさんから、にほんかいのうみぼうずさんまで、ママのお留守にちゃあんとお相手してしまうたかちゃんですものね。
 たかちゃんは、むねをはって、げんきにこたえます。
「いい日!」
「は?」
「いちといちで、いい日。いーいひー♪ たびーだちー♪」
 さすがにお台所限定シンガー・ソング・ライターのたかちゃんです。パパがこうこうじだいに、わかさゆえの夜ごとのこどくなひとりあそびのおせわになっていた、でんせつのももえちゃんなども、しっかりカバーできるのです。
 でも、先生は、とってもこまったようなお顔をしています。
 お正月の話題を導入として、日本の四季の行事などの社会科に誘導しようとしていたのに、いきなり前世紀の親爺ギャグに突入してしまったのです。
 でも、先生も、だてにこんきをいっしてまで、サミしくきょういくにいのちをささげているのではありません。
 ここでむりやり本来の授業にはいるのは、たかちゃんの繰り出した意外な答えにこくこくと感心している、ほかのよいこたちの心理を、萎えさせることになりかねません。
 先生は、やさしくにっこりほほえんで、ここは巧妙に逆転の機会を窺おうと、たかちゃんにたずねます。
「じゃあ、たかちゃん、2月2日は?」
 どうじゃ雛《ひよ》っ子、ぐうの音も出まい――そんなほんねは、おくびにも出さない、りっぱな先生です。
「ふふの日」
 この小娘、まんま読んで済むほど世の中甘くないぞ――そんなほんねも、やさしいびしょうのおくにいんぺいできる、りっぱな先生です。
「はい、それはどんな日ですか?」
「ふふ、なんて笑う日」
 これはちょっと、のほほんでいいかもしんない――日々の乾いた教師生活にやや疲れを感じ始めたりしている先生は、じょじょにたかちゃんのひっさつのてんねんこうげきに、のまれつつあります。
「……3月3日」
「みみの日です」
「はい、これは本当ですね。お雛祭りの日ですが、耳の日、でもあります。では、4月4日は?」
「よよの日です」
「……どんな日でしょう」
「よよよよよ、なんて、昔の女の人みたいに、泣いちゃう日です」
 ぎく。
 先生の腰が、ちょっと引けたりします。
 この子は――できる。
「――5月5日は?」
「こどもの日」
「あら、どうしてごごの日じゃないの? たかちゃん」
「こどもの日のほうが、おねだりできるからです」
 先生は、ちょっとがっかりしてしまいました。
 ――この小娘は、やはりただの雛っ子に過ぎなかったのだろうか。
「でも、女の子のお節句は、ほんとはさっきの3月3日、お雛祭りですよね。ほんとは5月5日は、端午の節句、といって、男の子のお祭りなんですね」
「ぶー」
 たかちゃんは、むじゃきにほっぺたをふくらませます。
「大丈夫。今は子供の日ですから、男の子でも女の子でも、お祝いしていいのよ」
 先生がそういうと、
「そんなの不公平じゃん。じゃあ、なんで3月3日は、女の子だけなんだよ」
 たかちゃんのとなりの男の子が、訊かれてもいないのに、こにくらしい口をたたきました。
 ほんとうなら、こういう男の子は、甘やかしてはいけません。
「はい。あなたはまだまだ男としての自覚が足りないようですね。いいですか。男というものには、出産、という生物学的に最も重要な、しかし大変苦痛を伴う能力が備わっておりません。種の蒔きっぱなしで、蒔いた時にキショクのいい思いをするだけでは、生物として不公平です。だから、お外に出て必死こいて家庭のために働いて過労死したり、お祭りが女の子より少なかったりするんですね」
「ぶー」
「はい、それも女の子ほどかわいくないので、やっぱり先生に無視されたりしちゃうんですね」
 こんなふうに、はっきりとげんじつのきびしさをたたきこむのが、ほんとうのきょういくです。
 でも、お話の先生は、わたくしほど理想に燃えていないのですね、あいまいなびしょうで男の子をその場の流れから排除し、たかちゃんにたずねます。
「それでは、6月6日は?」
 すでに当初の目的を、忘れてしまっています。
 これが、ひっさつたかちゃんこうげきのいりょくなのです。
「むむの日」
「もしかして、むむむ、なんて考えこんじゃう日ですか」
「ぴんぽーん」
「7月7日」
「たなばたさらさら」
「ちょっと違いますね。正しくは、笹の葉さらさらですね。でも、たしかに七夕の日です。では、8月8日は?」
「ややの日」
「……それは、どういう?」
「ややっ、なんてびっくりする日です」
「9月9日」
「くくはちじゅうく」
「ちょっと違いますね。81ですが、まだ1年生で九九という発想ができるところが、すばらしいですね。それでは10月10日は?」
 じゅうじゅう……やきにく……ちょっとむりがあるかなあ、などと、たかちゃんもちょっとネタに詰まったりします。
「えーと、えーと……ととの日!」
「……それはもしかして、蒲鉾《かまぼこ》は魚《とと》かいな、の、おととのことですか?」
「いいえ、『あーいー、ととさまの名は、あわのじゅーろべー』」
「なんで平成の都会の1年生が『傾城阿波の鳴門』などというものを知っているのか、そこはたぶん作者の嗜好ででしょうから、ツッコまないでおきますね。さて、それではいよいよ難しくなってきます。11月11日は?」
「とってもいい日」
「……はい、うまく逃げましたね。それでは、最後の質問です。――12月12日は?」
「いにいに……ひふひふ……いっちにーいっちーにー……元気に行進する日!」
 とうとういちねんぶんが終わってしまいました。
 このままでは、先生のはいぼくです。これでは、教育者としての精神的優位がはたんしてしまいます。
 先生の目が、きらりと光ります。
 ――ここは……危険な裏技『発想の転換』で、逆転を。
「はい、良くできました。それじゃあ、たかちゃん」
 先生は、ゆっくりと、両手の人差し指を、立ててみせました。
「1たす1は、いくつでしょう」
 おそるべき禁じ手――しゃかいの時間に、さんすう。
 しかし、たかちゃんのちっちゃなむねのなかにみゃくみゃくと流れるボケの血は、かつてらいおんさんやてぃらのさうるすさんのツッコミをものともしなかったように、むいしきのなかでそのちからをはつどうします。
 たかちゃんは、ゆっくりと、そのもみじみたいなちっちゃい両手の、人差し指を立て返しました。
「――――いちいち。」
 おう、と、ほかのみんなが息をのみました。そう、それは自由へと続く真理。
 こうして、きょうもたかちゃんは、朝からせんせいにしょうりしたのです。




     【2】


 はーい、いちおくにせんまんのこんまぜろぜろぜろぜろいちぱーせんとのよいこのみなさん、こんにちわー。
 うふふふふ、せんせいは、けさはとってもきぶんがいいのですが、でもちょっとさくやのひあそびのよいんでおとなのぶぶんがけだるかったりするので、やっぱりいいかげんにおはなしさせていただきますね。
 なお、いちぶひらがなばかりでおはなしがききにくい、そんなおこえもきこえるようですが、これはおはなしづくりのおじさんが効果を狙っているようにみせかけて、実は別の所のお話で難儀な漢字変換に疲弊しきっている、そんな大人の理由があるので、あんまりつっこまないでくださいね。
 あと、なんだかタイトルがこの前と違っている、そんな気がするかもしれませんが、これはおはなしづくりのおじさんがいいかげんにお話を始めたあとで、今回はどうもママはおでかけしないらしい、そんなじじつにきづいてしまったためではけしてなく、あくまでもよりてきせつなタイトルにかいぜんした、そんなふうにやさしくだまされたふりをしてあげるのが、ただしいどくしゃのしせいです。
 はーい、それではよいこのおはなしルーム、『たかちゃんリターンズ』、つづきのはじまりでーす。

     ★     ★

 さて、午前中のじゅぎょうは、たかちゃんの二しょう一ぱい一ひきわけ、そんな戦績におわりました。
 あとは、たのしいきゅうしょくのお時間です。
 ちっこいきゅうしょく係たちが、はんぱなしくじりをやらかすとなにかとあとがめんどうなので、ちゃんと六年生のおにいちゃんとおねえさんが、おてつだいというなの監視にきてくれています。
 おにいちゃんは体だけ大きく育っても中身はやっぱりがき、そんなお顔をしていますが、おねえさんはちょっとおんなのにおいなどもただよいはじめた、それでもしぶやでえんこうでびゅーしようなどとはぜったい思わないたいぷの、やさしいりっぱなおねえさんです。
 たかちゃんは、きゅうしょくがかりなどという面倒事はたくみにのがれるたいぷですので、きちんとお盆をかかえて、『私食べる人』の列に、おぎょうぎよくならびます。
 きょうのランチ・メニューの主菜は、牛肉のフランス風ポトフっぽくみせかけた、ぶたにくのごったにみたいです。
 たかちゃんは、きゅうしょく係にせんにゅうさせた配下のおとこのこに、こっそり目配せします。
 にんじん、いらない。
 ぶたにくのあぶらみ、きんし。
 きゃべつのしん、はいじょせよ。
 おとこのこは、たかちゃんのなんだかよくわからないそんざいかんに、つねひごろから「ただものではない」とけいふくしているので、ちら、と隣のおにいちゃんがおねえさんのかわゆいお顔を横目でながめているのをかくにんし、たくみににんじんとあぶらみときゃべつのしんを選別します。
「こら」
 かぽん。
 たかちゃんのおつむを、おたまがちょくげきします。
「あいた」
 見上げると、おねえさんがにこにこ笑っています。
「よいこはそーゆーことしない」
「ぶー」
 たかちゃんはたちまち、釣り上げられたフグみたいにほっぺをふくらませます。
 そう、このほっぺのふくらみぐあいが絶妙なので、『一年四組の片桐貴子』は、五年生や六年生の給食委員のおねえさんたちの間で、安定した人気があります。
 ちなみに、ちょくげきしたおたまも、あらかじめおねえさんが隠し持っていた、ぴかぴかのおたまです。委員さんたちが、『たかちゃん専用おたま』と呼んで、日々共用しているものです。
「人参にはいってるカロチンは、とってもからだにいいのよ」
「むー」
「それに豚肉も、とってもヘルシーなの。ポークソテーはざるそば1杯よりも、カロリーが少ないのよ。それに脂身だって、血液中のコレステロールを下げる脂肪酸というのが、たくさんはいってるの。沖縄のおじいちゃんやおばあちゃんが元気なのは、そのせいだって言われてるのよ」
 栄養士狙いのおねえさんなのかもしれませんね。
「キャベツだって、ビタミンCてんこもりだし、食物繊維はお通じにいいのよ」
 なんだかよくわからないけど、その言葉には『愛』がある――たかちゃんはとってもかしこいよいこなので、『おこごと』に含まれているのがほっさてきなてきいか、ちょうきてきなこういか、ちゃあんとみぬくほんのうがあります。
 ――こくこく。
「はーい、いい子いい子」
 かぽん、かぽん。
「むー」
 なんでまたちょくげきがくるのかわかりませんが、さっきよりずいぶんだめーじが少ないようです。
 ――こーゆー愛も、あるのかもしんない。
 たかちゃんはそうなっとくして、人参や脂身に含まれる愛を、あえて苦痛をこらえて受け入れるけっしんをしました。
 こうして女の子は、大人の女への階段を、いっぽいっぽ、のぼってゆくのですね。

     ★     ★

 つくえをくっつけたぐるうぷには、たかちゃんのなかよしのみうらゆうこちゃんや、ながおかくにこちゃんもいっしょです。配下のおとこのこもいるのですが、おはなしづくりのおじさんはろりのおたくやろうなので、男子は員数外です。
 みうらゆうこちゃんは、いいとこのおじょうちゃんです。いちぶじょうじょうがいしゃのとりしまりやくをしているじもとのめいしでやさしくておかねもちのおとうさん、とくがわじだいからみゃくみゃくとつづく良家そだちのおかあさん、とうだいほうがくぶいっぱつごうかくのかしこいおにいさんなどの家族を持ち、ふりふりがけしていやみでない程度にあしらわれた、いっけんユニクロやニッセンっぽい、でもみるひとがみればちゃあんとねだんの桁がふたつも違うと判る、そんなお洋服で、いつもにこにこお上品にほほえんでいます。ほんとうのいいとこのおじょうちゃんは、きちんとしつけもされているので、にんじんもあぶらみもきゃべつのしんも、ちゃあんとおとなしくめしあがっています。しもじものくらしをおもいやるには、そんな寛容の心が必要なのですね。
 ながおかくにこちゃんは、ここ青梅市のような世界の果てでも近頃めっきり減ってきた、下駄屋さんのちょうじょです。おうちではふたりのこやかましいおとうとのあたまをはりとばしたり、がっこうではおとこのこをむさべつにけったりして、ユニクロや西友やニッセン専門の、とってもかっぱつなおこさんです。だから、にんじんもあぶらみもきゃべつのしんもへいきですが、ぷろせす・ちいずはきらいなので、となりの員数外のおとこのこの食器に、ぼちゃんとほうりこんでしまいます。おとこのこはけりがこわいので、なんでもたべます。
 ちなみにたかちゃんは、むかしこみけがまだ大田区産業会館でほそぼそとかいさいされていたころから、そこにいりびたりだった三流私大のツブシのきかないおとうさんが、こみけ初のみごとな森雪こすぷれをみせていたおかあさんにひとめぼれしてしまい、やっとの思いで二流出版社のえいぎょうしょくを得てけっこんにこぎつけた、したがっておうちもまいにちおうふく四時間かかる青梅にしか建てられなかった、そんなかていのひとりっこです。だからお洋服は、セシールどまりです。なお、おかあさんは、こみけにしゅつげんする前は、ほっかいどうやあふりかやサイトBや日本海でなんらかの慈善活動をしていたらしいのですが、そのしんのかこはいまだにふめいです。
「むー」
 さっきから食器をみつめてうなっているたかちゃんに、
「……たべてあげようか」
 やさしいゆうこちゃんが声をかけます。
「くれ」
 くにこちゃんもきょうりょくを申し出ます。
 たかちゃんはふるふると首を振り、にんじんやあぶらみをスプーンに乗せ、
「ばくっ」
 いっきにお口にほうりこみました。
 それから牛乳をいっきにらっぱのみして、口中の異物を胃の腑まで流しこみます。
 白い液体をそのさくらんぼのようなくちびるからしたたらせ、んべ、と顔をしかめるたかちゃんを、みんなは心配そうに見つめています。
「……あのひとがわたしのしたにあたえたはじめてのあいは、ほろにがく、なまぐさく、しかしむーる貝のようになめらかだった」
 おう、と、ゆうこちゃんもくにこちゃんも員数外のおとこのこも、目を見張ります。
 ――やはりこの娘は、ただものではない。
 しんのおとなのおんなにはまだなっていないにせよ、かくじつにそのかいだんをのぼりはじめたたかちゃんを、学校放送が流してくれる美しいオーケストラの響きがしゅくふくします。
 ポール・モーリア・オーケストラの、『恋は水色』でした。
 めらんこりっくなメロディーから、やがてさわやかに愛をうたいあげるその曲を、お台所限定シンガー・ソング・ライターとしてのたかちゃんの耳は、しっかり受け止めました。
 ――このしらべは、あのおねえさんにささげるしらべ。
 でも、おうちではヤマト以来のアニソンばっかり流れているような、歪んだ家庭環境で育っているため、たかちゃんにはその曲のおなまえがわかりません。
「ゆーこちゃん」
「うん?」
「ちゃーらーららーらーらー、らーらららーららららーらー♪ なんのおうた?」
 こーゆーきれいっぽいやさしいっぽいのは、おじょうさまのかんかつにちがいない、そんなはんだんです。ちなみに『はーーーーあるばるーきたぜはーっこだっーてー♪』などだと、くにこちゃんのかんかつなのです。
「うーんとね、ぽーる・もーりあさんのね、うーんと、こいはみずいろ」
 さすがですね。いつもおうちで、おかあさんがそういうおじょーひんであとくされのないおんがくばかりかけているので、ゆうこちゃんはりちゃーど・くれいだーまんなどまで、きっちりわかるのです。
「……ぽーり、もーるあ。……こいはみみずいろ」
 ちょっとちがうかもしれません。
 たかちゃんはきゅうしょくのおじかんなのもわすれて、さっそく机の下からお絵かき帳やくれよんをひっぱりだし、いまのこころをまっしろながようしにあらわそうとします。
「……みみずいろ、ない。ねずみいろ?」
 となりのゆうこちゃんは、ちょっとしんぱいそうにそれをのぞきこんで、てきぎ、さじぇすちょんをいれてくれたりします。
「うーんとね、ちがうとおもう。うーんと、こいも、ちがうこい……かなあ。わかんない。ごめんね」
「でも、くれよん、こっちので……。でね、たぶん、ねずみがみずで……」
 さまざまなしこうさくごののち、ようやくかんせいしたお絵かきを持って、たかちゃんは、ととととと、と駆け出します。
 はい、よいこのみなさん、ほんとうは、おきゅうしょくのじかんにかってに駆け出すのは、とってもおぎょうぎのわるいことなので、ぜったいまねをしてはいけませんよ。とくにこうがくねんになってからも、そーゆー『なんかちがう感じ』でこうどうしてしまうと、いんしつないじめのたいしょうになったりもしがちです。ちなみにたかちゃんは、もうしゃかいにでるまでずっとこんなふうなのですが、いちどもいじめにあわなかったのは、『いじめるにはあまりにもおもしろすぎる』、あくまでもそんなたかちゃんの個性によるものです。そしてせんせいがきょうだんでくさいぶたのあぶらみをあたかもごちそうのようにかめんのえがおでのみくだしながら、あえてたかちゃんのこうどうをとがめなかったのは、下手にこの娘に逆らうとクラスの児童全員の心が担任から離反しかねない、そんな大人の保身意識が働いたからです。それに加えて、入学してまもなくこの娘のファニー・フェイスと独特の浮遊感に魅惑された男性教師《きちく》が、放課後体育用具室で課外個人授業を試みようとしたところ、突然奥多摩方向から山を越えて海坊主が出現し、その男性教師は懲戒免職くらう間もなく日本海の藻屑と消えてしまった、あるいは北朝鮮に投げ込まれて男色幹部用の喜び組に叩き込まれてしまった、そんな噂も気になったからです。
 さて、たかちゃんは、げんきにそのじしんさくを、前の給食台まで運びます。
 そこでは、あのやさしい六年生のおねえさんが、おかたづけのときまためんどうをみるため、そこでお給食を食べていました。その隣でちらちらおねえさんの胸元を覗いているいろけづいたおにいちゃんなどは、員数外です。
「はあい!」
「……なあに?」
「ぷれぜんと」
 ちょっとこまったなあ、でもおもしろいからいいか、そんなかんじでお絵かきをながめたおねえさんが、うに、と顔をしかめました。
 ネズミ色のお魚が、泳いでいるようです。
 ぴかぴかのいちねんせいをきづつけてはいけない――やさしいおねえさんは、ないしんのとうわくをかくし、にっこりびしょうします。
「ありがとう……でも……なあに?」
「こい」
 ――鯉?
「ちゃーらーららーらーらー、らーらららーららららーらー♪」
 『恋は水色』――なんとなく判ったような気がします。けど、すべてが、なにかちがう。
 おねえさんは吹き出したくなるのを必死にこらえます。しかしその横にいる水色のネズミはちょっと無理があるのではないか、そしてそのネズミのしっぽに、しっぽを結び付けられて逆さ吊りになっているもう一匹の水色のネズミは、いったいどんな幼児心理を表しているのだろう。
「…………かわいいねずみさんね」
「うん。みずねずみ。みみずじゃないよ」
「……こっちは?」
「みずねずみ。さかさになっても、みずねずみ」
 …………。
 …………。
 しばしのちんもくののち、おねえさんは、ついに吹いてしまいました。
「ぶわははははは」
 お口の中に残っていた、ぶたにくのあかみなども空中にとびちります。 
 おねえさんは、おもわず『たかちゃん専用おたま』を、連続使用してしまいます。
 かぽん、かぽん、かぽん。
 これはけっこう痛かったのですが、おねえさんの笑顔には、とめどない愛と涙があふれているようです。
「わはははははははは」
 よろこんでる、よろこんでる。
 ――こうして、たかちゃんは給食係のおねえさんにも、しょうりしたのです。




     【3】


 はーい、いちおくにせんまんのとんねるをぬけるとゆきぐにだっ…………あれ?
 はーい、いちおくにせんまんのメメクラゲがいるとは……思わなか……った?
 …………少々お待ちくださいね。
 えーと、『いちおくにせんまんのお兄様いけないわいけないわあたしたち実の』あぶねー。……『いちおくにせんまんの志乃をつれて深川に行った』『いちおくにせんまんの女王様いちおくにせんまんの哀れな奴隷のいちおくにせんまんの醜いお尻におしおきを』『ちくしょういちおくにせんまんの目医者ばかりではないか』…………
 …………。
 …………。
 ……はい!
 えー、いちおくにせんまんぶんのじゅうさんのふきつなにんずうのよいこのみなさん、こんにちわー!
 せんせい、きょうはとってもしょーげきてきなこくはくをいたしまーす。
 ここまでのけいいでばれてしまったとは思いますが、実は先生、皆さんの先生ではありませーん。一見真面目で人望の厚い優秀な若い女教師のように見えますが――どなたですか、初回に続いて「見えねー」などとつぶやく悪いよいこのひとは。はい、そこのあなた、終わったら職員室、じゃねーや、代○木○ニ○ー○ョ○学院の裏の路地にいらしてくださいね。それはもう楽しい、明治神宮北池のお魚さんたちのお仲間にしてさしあげますからね。コンクリ詰めから抜け出せればですけど。
 はい、皆さんの先生と言うのは仮の姿、実は○々○ア○メ○シ○ン学院芸能学部声優タレント科のとってもかわゆい前途有望な女子学生でーす。それがどうして一見皆さんの先生という仮面の人生を歩んでいるかご説明いたしますと、はい、バイトでーす。
 ご存じのおりこうなよいこの方もいらっしゃるかもしれませんが、この手の専門学校は、この世でもっともリスクが大きくツブシもきかない授業内容であるにもかかわらず、それはもうオヤジのスネをシャブり尽くしても足んねーほど、とってもお金がかかります。もっとも就職率はけして低くはなく、エロゲーの単発しかギャラ入んねーのに、金持ちの親に寄生したまま「アタシ声優でーす」「ボク声優でーす」などとおっしゃる優秀な方々を多数輩出しております。でも在学中は、親がクサレ消費者金融の役員でも、私の長万部《おしゃまんべ》の実家のようなビンボな八百屋でも、やっぱり同じだけお金がかかります。そーゆーわけで、私にバイトを選んでいる余裕はありません。長万部なら一万五千で借りられそうな築三十年の木造モルタルアパート四畳半一間でも、東中野では四万五千とられます。まったくあんなゴキブリだらけの貧民窟みてーな部屋で、大家もいい根性してるよなあ。
 はい、そーゆーわけで、無能なシナリオライターがネタに困って錯乱状態にあっても、今この教壇の下に隠れてウツロな視線をオドオドさまよわせていても、せんせい、きちんとこの『非常識な女教師の語り形式連続ラジオドラマ』のナレーションをこなさなければなりません。ヒヤアセもんのアドリブでも、とにかくギャラもらって帰らないと、明日のお米も買えません。溜まった家賃も払えません。声優志願路上生活女に墜ちてしまいます。
 ここまでのせんせいの説明で、おや、じゃあここにいる俺らはいったいなんなんだ、そんなご自分のアイデンティティーに疑問と不安を抱かれたよいこの方も多々いらっしゃるかもしれませんが、はい、まったく心配ありません。なぜなら、この『非常識な女教師の語り形式連続ラジオドラマ』自体が、この教壇の下でウツロな目で己の非力さに震えているシナリオライターさんという役柄を今勝手に演じている、ただのフリーターおやじの夜間の妄想に過ぎないからです。15分枠の実質1話10分30秒程度の放送を4回、放送が終わったら、オープニングとエンディングのフルコーラス、それにオリジナルのイメージ・ソングなども収録したドラマCD1枚にまとめてコミケやネットやアキバで売りさばく、などというはかなくむなしい妄想も抱いています。したがって、あなたがたは、実体のないただの妄想内生徒、そんな存在です。
 おや、なんだか多くのよいこのみなさんが、津波の前の引き潮のごとく、教室の後ろの壁際まで、引いていらっしゃいますね。
 でも、そういったみなさんの反応も、せんせい、ぜんぜん怖くありません。
 なぜならば、このお話は『めた』だからです。
 これはクリエイターにとって、とっても重宝な言葉ですので、みなさん、しっかり覚えておいてくださいね。
 はいそれでは、みんなで、おっきな声で、くりかえしてください。
 これは、『めた』です。
 はい、もっと元気な声で――
 これは、『めた』です。
 はーい、きちんと言えましたね。
 これでもう、みなさんにも、せんせいと同じように、なんにも怖いものはありません。
 もしご自分の作品の中に、うっかり主観の乱れや主格の錯誤などが生じても、「これは『めた』です」と自信を持って言い切れば、単なる遺漏を実験的失敗であるかのように糊塗できます。指摘したのが目下の方や同格の方ならば、コノヤロつまんねーことに気づきやがって、などとはまちがっても口には出さずに、「うーん、新しすぎたかな」、そう自信たっぷりに言い放ってください。もし目上の方ならば、この爺いとっととあの世に逝っちまえ、などとはぜったいに口に出さずに、「すみません。新しすぎたでしょうか」と、上目遣いに媚びを売ります。これで、すべてはみなさんの遺漏から、『めた』の方法論に置き換えられます。
 はい、それでは、もういちど、おっきな声でくりかえしましょう。
 これは、『めた』です。
 ――――。
 はーい、いいお声でした。

 それでは、せんせいみずからがたったいまかぞえた、いちおくにせんまんぶんのじゅうさんのふきつなにんずうのみなさん、こんにちわー! よいこのおはなしルーム、『たかちゃんリターンズ』、つづきのはじまりでーす。

     ★     ★

 さて、その日のかえり道、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんのなかよしさんにんぐみは、おそろいの赤いランドセルをしょって、明るいお日さまのかがやくのどかな世界のはて、青梅市の住吉神社あたりの住宅街を、おうちに向かっています。
「どどんぱっ」
 たかちゃんがほがらかに、ゆうこちゃんに話しかけます。
 ゆうこちゃんは、なんだかこまったようなお顔をしています。
「どど……んぱ?」
 おずおずとくりかえすゆうこちゃんに、たかちゃんは、自信をもって、こくこくとうなずいています。
 ゆうこちゃんは、なにがなんだかわかりません。
 ゆうこちゃんはとってもそだちのよいお子さんなので、たかちゃんのてんしんらんまんなこくこくをうらぎるようなこういは、申し訳なくて、とてもできません。
 おもわず隣でのら犬をけり負かしたりしているくにこちゃんに、救いをもとめる視線をなげかけます。
 すると、くにこちゃんは、まかしとけ、そんな感じでたかちゃんに話しかけます。
「どどんぱっ」
 たかちゃんはにっこりわらって、
「どんどぱ?」
 くにこちゃんは、それはちがうよう、というように、首をふります。
「どどぱん」
 それをきいたたかちゃんは、ああ、そうだったんだ、そんなお顔でこくこくします。
「どんぱどんぱ」
 それからふたりは、がしっ、とガッツ・ポーズの腕をからませ、ふたりそろって青空にむかって叫びます。
「どどんぱっ!!」
 ゆうこちゃんは、やっぱりなにがなんだかわかりません。でも、このふたりをみていると、なんべんおなじ道をかよってもあきないので、やっぱりなかよしさんにんぐみです。
 ちなみにこの特殊な言語は、たかちゃんがパパやママといっしょにテレビの懐メロ番組を見ていたとき、渡辺マリさんというきんきらきんのお婆さんが元気に歌って踊っていた、『東京ドドンパ娘』という昭和36年のヒット曲が妙にツボにはまってしまい、それをもとに勝手に作った言語です。そしてたまたま同じ番組を、下駄屋のお父さんの好みにつきあって、4歳の弟を寝技で締め落としながら聴いていたくにこちゃんにしか、今のところ通じません。そのような、ごく少数の民族に特化された言語です。
 青空にむかって叫んだせいでしょうか、くにこちゃんのおなかの虫が、ぐるるるるる、と鳴きました。
 なかよしさんにんぐみで歩いていても、くにこちゃんはのら犬をついせきしてはがいじめにしたり、のら猫のさきまわりをしてしっぽをつかんでふりまわしたりしなければならないので、走行距離はゆうこちゃんのすいてい5ばい、たかちゃんのすいてい2ばい回っています。
「はらへった」
 くにこちゃんは、ゆうこちゃんに、しゅぱ、と、ちっちゃいてのひらをさしだします。
「なんかくれ」
 ゆうこちゃんはにっこし笑って、ごそごそとランドセルをおろし、中をさぐります。
 おかねもちでしっかりしつけはされていても、そのはんめんやっぱりおかねもちでぶっしつてきなめんではかほごでべたべた、そんなゆうこちゃんのランドセルには、きちんとおいしいお菓子なんかが、いつもはいっているのです。
 でもきょうにかぎっては、じあいにみちたぼさつさまのようなゆうこちゃんのお顔が、ふ、とかげりをおびました。
「……ごめんなさい。ママ、おやつ、わすれちゃったみたい」
 くにこちゃんは、らくたんするかとおもいきや、
「ま、そーゆー日も、あるわな」
 あんがいあっさりとひき下がりました。
「ごめんね」
 こころからごめんねらしいゆうこちゃんをみて、くにこちゃんの良心が、ちょっとだけうずいたりします。
 もうごぜん中に、ゆうこちゃんのすきをみて、こっそりぜんぶたべてしまったのを、おもいだしたからです。
「きにするな」
 すでにおとなのつきあいを身につけている、とてもおりこうなくにこちゃんです。
 そんなふたりのかいわをきいていたたかちゃんは、
「ねえねえ、公園にいこうよ」
 きゅうにそんなことを言いだしました。
「おやつ、くれるよ」
 ゆうこちゃんとくにこちゃんは、とってもふしぎそうな顔をしています。公園でおやつを配っているなんて、きいたことがありませんものね。
「うまが、くれるの」
「公園に、うま?」
 くにこちゃんがたずねます。
 たかちゃんは自信たっぷりにこくこくして、
「うん。かばみたいだけど、うま」
 なにがなんだかわかりませんが、くにこちゃんは、お父さんといっしょになんどもけいばじょうにいったりはしていても、まだいっぺんもお馬さんにのったことがないので、ずーっと前から、いっぺんのってみたくてしょうがなかったのです。そのうえおやつまでくれるお馬さんなら、それはかんぺきなお馬さんです。
「いこういこう」
 たかちゃんの手をひっぱります。
「のろうのろう。おやつ、もらおう」
 ゆうこちゃんだけは、おかねもちなのでおとうさんのしょゆうするお馬にも、おとうさんやおにいさんといっしょにのったことがありますし、おうちに帰れば、ふらんすのいっこなんぜんえんもするとんでもねーおかしが待っているので、のりきではなさそうです。
「えー? がっこうのかえりに、よりみちしたら、いけないんだよ?」
 それは自分の家庭内のほうが外の社会より常に幸福感の大きい幸せな幼児にとっての納得であり、くにこちゃんのような常に外の社会より満足度の低い家庭に育った幼児には通用しない理想論である、そんな現実までは、いいとこのおじょうちゃんであるがゆえに、まだきづいていません。
 それでも、たかちゃんとくにこちゃんが、公園のほうにずんずん歩いていってしまうので、あくまでもおしとやかに、しかたなくそのあとをついていきます。
 せけんのりょうしきよりも、なかよしさんにんぐみであるという『群れの意識』にしたがったのですが、それが大いなる貞操の危機にまで直結してしまおうとは、いっけんぼさつさまのようでも神ならぬ身のゆうこちゃんですので、知る由もありませんでした。
 ちなみにたかちゃんは、なんにもかんがえてません。
 それはもう、ただギャラのためにひっしにあどりぶでお話をひきのばしているせんせいや、あいかわらずこの教壇の下でオドオドとふるえているライターさんや、それらを妄想している、生活に疲れきって若白髪のめっきりふえてきたフリーターおやじとおんなじように、きれいさっぱり、なーんにもかんがえていなかったのです。

     ★     ★

 ――おや?
 きょうだんのしたから、なにかぷるぷると――。
 …………。
 …………『新・必殺たかちゃん 青梅の血祭編』。
 ……今日のあんたのギャラ、半分あたしのだかんね。いい? いい? よーし。
 これは失礼いたしました。
 少しは世間に対する良識が残っていたようです。

 こほん。

 ――公園では、いつもみたいに、うばぐるまのさるだかなんだかわからないような赤ちゃんをおたがいにおせじでほめあうおかあさんたちが、かいしゃでかろうしすんぜんのおっとたちなど知らぬげに、のんびりおはなししていました。よめいいくばくもないおじいさんやいつまでいきているかわからないおばあさんなども、げーとぼーるで熱くなっていました。
 そして、そのひは、ほんらいこのようなじゅんしんでハートウォーミングなおはなしにはでてこないはずの、ぶよんとしてしまりのない、みるからにアブナいおじさんやおにいさんも、こっそりせんぷくしていたのです。

 ――え?

 ……はーい、よいこのみなさん、とってもざんねんなんですが、いま、でぃれくたーさんから、まきがはいってしまいました。
 てもとにとどいたばかりのおはなしは、またらいしゅう、たのしみにおまちくださいね。

 ……おい、下の。
 今日のギャラ、全部あたしのだかんね。
 何? それだけはかんべんしてくれ? 知らねーよ、姪の入学祝いなんて。図書券の1枚も送っとけよ。
 何? しょーがねーなー。わかったわかった。面白かったらかんべんしてやるよ。

 はーい! よいこのみなさん、ほんじつはおまけとして、さくしゃみずからが、いっぱつげいをひろうしてくださるそうです。
 だいめいは、『101匹たかちゃん大行進』だそうです。
 それでは――はい、いまきょうだんのしたからのこのこはいだしてきた、このせんぷくちゅうのぶよんとしてしまりのないアブナいおじさんみたいなひとが、じつはこのおはなしのライターさんであり、それをえんじているもうそうきょうのフリーターおやじでもあります。
 はい、それでは、ほんじつトリのいっぱつげい、『101匹たかちゃん大行進』――。











     ★     ★











「どどんぱっ!!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」「どどんぱっ!」

     ★     ★

 …………氏ね。
 氏んでよいこのみなさんにおわびをしろ。


(筆者注・実は最近のお若いプロの作家さんの作品や、お若いお笑い芸人さんには縁のない生活を送っているため、もし既出の趣向やギャグがありましたら、くわしくご指摘いただけると幸いです。無い知恵しぼって書き直しますので)



     【3】


 はーい、いちおくにせんまんぶんのじゅうよんのよいこのみなさん、こんにちわー。
 うふ、せんせい、きょうはもういつにもましてきぶんがいいので、さくやはもうおとなのぶぶんのけだるさものこらないほどにあんなこともこんなこともされちゃったりしちゃったりしちゃったので、きょうはもういつにもまして、いいかげんにおはなしさせていただきますね。

     ★     ★

 さて、その日のかえり道、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんのなかよしさんにんぐみは、おそろいの赤いランドセルをしょって、明るいお日さまのかがやくのどかな世界のはて、青梅市の住吉神社あたりの住宅街を、おうちに向かっています。
「どどんぱっ」
 たかちゃんがほがらかに――

     ★     ★

 おや、みなさん、どうかなされましたか?
 え? そこはもうこの前聞いた?
 おかしいですねえ、ほら、こんかいのすうじをよくみてくださいね。きょうはまだ、さんかいめ、ですよ。
 代○木○ニ○ー○ョ○学院? ――それはなんのおはなしでしょう。
 あらあら、みなさん、そんなに小さいうちからぼけてしまっては、すぐにあるつはいまあになってしまいますよ。
 まあプロの作品でも、連載中は読者の反応しだいでコロコロ路線がかわるのは日常茶飯事ですし、単行本になったらあちこち張りまくって使い切れなかった思わせぶりな引っ張りや伏線がこっそり修正されていたり、下手すると重要なシークェンスのみならずエンディングまで書き直してあることもけして珍しくない世界なので、これしきのことでツッコミを入れるのは野暮というものです。
 あのあと、ギャラ全部まきあげるかわりに、ふだんはビンボでとても入れないろっぽんぎのこじゃれたくらぶでお酒をおごらせたとか、飲みつけないおいしいお酒をいっしょにのんでいるうちにそのあまりにもひよわでおどおどしたひくつなたいどがじつはがらすざいくのようにせんさいなこころのあらわれなのかなあなどとかえってぼせいほんのうがうずいてしまい、のむほどに酔うほどにそのあだるとなくらぶにしみついたおとことおんなのせつないなんつーか「ああ、このひとはわたしがいないとだめになってしまう」みたいなかんじ? などとおもいこんでしまったとか、そんなあまいきぶんにまかせてたくしーでおくらせたらそのたくしーはいつしかしぶやのどうげんざかあたりのほてるにむかっていたのであったとか、そーゆーことは『4』のはずが『3』であることとはまったくむかんけいですので、ぜんぜんきにしないでくださいね。なんどもいうように、やさしくだまされたふりをしてあげるのが、ただしいどくしゃのしせいです。
 どうしてもきになるというかたは、お好きなだけ、すくろおるしてくださいね。
 そんなそのばしのぎでなっとくするもんか、そんなひねこびたよいこのかたは、はい、あのたいせつなことばを、もういちどくりかえしましょう。
 はい、元気な声で――――「これは、『めた』です」。

     ★     ★

 たかちゃんとくにこちゃんが、公園のほうにずんずん歩いていってしまうので、ゆうこちゃんもしかたなくそのあとをついていきます。せけんのりょうしきよりも、なかよしさんにんぐみであるという『群れの意識』にしたがったのですね。
 ――公園では、いつもみたいに、うばぐるまのこなきじじいだかなんだかわからないような赤ちゃんをおたがいにおせじでほめあうおかあさんたちが、かいしゃでくもまくかしゅっけつすんぜんのおっとたちなど知らぬげに、のんびりおはなししていました。むかしはそこそこのかいしゃでえばりちらしていたのに今では孫にもかまってもらえないおじいさんや、すでによめをいびりつくして勝手にまるくなったおばあさんなども、げーとぼーるで熱くなっていました。
 さて、そんないつものへいわな公園で、、なにやらみにくいぶよんとしたひとかげが、べんちにすわっています。ちゅうねんといってもいいとしごろのようですが、しまりのないくちもとに、いみもないなんじゃくなほほえみをうかべているので、あたまのなかはガキなのかもしれません。くびからさげた、象のようにおはなのながいでじたるかめらを、いとしげになでさすっています。そしてぶらんこやすべりだいやじゃんぐるじむで遊ぶこどもたち、とくに女の子をめいんに、いみもないなんじゃくなしせんでながめています。
 たかちゃんはそのうしろすがたをみつけると、ととととと、と駆けだして、そのぶよんとしたせなかに、がしがしとよじのぼりはじめました。
「やっほー、うま」
 おじさんだかおにいさんだかしょうたいふめいの男は、いっしゅんぎくりとこわばりましたが、すぐにじんせいのすべてをあきらめたような、そんなお顔でふりかえる――というより、あたまの上からさかさにのぞきこんでいるたかちゃんに、いみもないなんじゃくなほほえみをかえします。
 うれしいような、こまったような、そんなゆうじゅうふだんなお顔です。
 この子があらわれてしまうと、もはやほんじつのじゃねんにみちたさつえいぞっこうはふかのうです。でも、ねてはゆめ、さめてはうつつまぼろしの、ちっちゃい女の子のすかーとのおくのナニモノかが、たとえくまさんパンツごしとはいえ、くびすじにふれてくれているとおもえば、もはやそのきゅーとなこあくまのめいじるがままに、みをまかせるしかないのです。
「はしれ、うま」
 そうげんきにぜんぽうをゆびさされてしまうと、げんきにはしるしかないのです。
「なけ、うま」
 若白髪の混じり始めた非力な己の、これまでの惨めな人生なども振り切って、嘶《いなな》くしかないのです。
「ひひいいいん」
 そうやって公園をひと回りする頃には、この一片の社会的価値もない、寂しく貧しい男の心にも、なにやら熱い物がこみ上げていたりします。――ああ、俺って、可憐なろりを乗せて果てしない草原を駆ける駿馬。
「どうどう」
 たかちゃんはほこらしげに、べんちで待っていたくにこちゃんとゆうこちゃんのまえに、うまを止めます。
「ほーら、おうま」
 くにこちゃんが、うさんくさそうに、そのぶよんとしてしまりのない、あせまみれのいきものをながめなす。
「……かば」
「ちがうよう。かばみたいだけど、うまだもん」
 そのうまだかかばだかわからないいきものは、かたちゃんのような独特の不思議感も捨てがたいが、くにこちゃんのようなショタっぽいショートパンツろりもいいよなあ、などと、こっそりデジカメのスイッチを入れたりします。
 ゆうこちゃんはもはやこのバーチャルな状況に対応しきれず、でも「これはアブナイっぽいおじさんだ」と言い切るにはやっぱり育ちが良すぎて、もじもじとはずかしそうに、そのおじさんをながめています。
 おお、西洋人形のような正当派美少女まで――俺はまるでこの公園に、盆と正月が一度に到来したような気がしていた。いや、3人の天使たちが、それぞれ異なった愛の香りを漂わせながら、天から舞い降りたのだ。俺はすかさず26回ローンで買ったデジカメのズームを広角側に戻し、まずは近距離スナップから、そして警戒が薄れた頃に遊具に誘い、あわよくばスカートの奥の可憐なパン――――。は? い、いけません。これはヤバすぎです。これでは『めた』どころか、ただの露悪的私小説になってしまいます。さくじょされたり、さくしゃがとうきょくにめをつけられて、ごきんじょでなにかりょうきはんざいがおこったりしたとき、べっけんたいほされたりしてしまいます。
 でも、けしておはなしづくりのおじさんをかばうわけではないのですが、そして『ぶよんとしてしまりのない男』が往々にして危険極まりないのも確かなのですが、かならずしもぜんぶがぜんぶ、へんしつしゃとはかぎりません。それではコミケやレヴォやサンコミ会場のおとこたちがほとんどへんしつしゃのあつまりになってしまいます。あきばのとらのあな及びしんじゅくやいけぶくろのるいじの店にでいりしているおとこたちも、みんないかがわしくてへんしつてきなだきすべきはんざいしゃになってしまいます。なかにはそうでないひともすこしはまじっているかのうせいがあるので、いちがいにいしをなげたりやきころしたり、みけんにてっぽうだまをぶちこんだりしてはいけません。
 ちょうどいいきかいですので、みなさんのようなかわいいお子さんがこれからもきよくただしく生きていくために、『ぶよんとしてしまりのない男』が、はたしていっしょに遊んでいいか、それともいしをなげたりやきころしたりみけんにてっぽうだまぶちこんだほうがいいか、そんな見わけかたを、ここでお勉強しておきましょうね。はい、そこでよそみをしている、まったくへんしつしゃのどくがにかかるしんぱいのないあんぜんなお顔のよいこの方も、さんこうまでに、しっかり聞いておいてくださいね。

     ★     ★

 じつは、いま、たかちゃんたちがいる公園には、いっけんおなじような『ぶよんとしてしまりのない』おじさんがふたり、おにいさんがひとり、あわせてさんびきの『ぶよんとしてしまりのない』いきものがいます。
 いっぴきめは、そうですね。いまたかちゃんがまたがってしまっている、うまだかかばだかわからないいきものです。いっけんアブナいようですが、このいきものは、さほどアブナくありません。はい、この目をよーくごらんになってください。はい、日暮れの後の残照のごとく弱々しくはありますが、それでもかろうじて、まだ光がのこっています。つまり、まだじぶんにはみらいがある、と、ありもしないみらいにみれんを残しております。ですから、己の腐った内的世界を、実社会と混同するほどの度胸はありません。また、このくちびるのはしっこを、よくごらんになってください。おだやかなまるみをおびて、上がっておりますね。これは、こころのそこからなんじゃくである、そんな曲線です。こーゆーのは、『ぶよんとしてしまりがない』ものの、つねに社会に後ろ指をさされることを過剰なほどに恐れておりますから、犯罪には走りません。むしろ、犯罪を犯す前に自分から鴨居で首を吊ったり、富士の樹海に旅立ったりしてしまうので、放置しておいても無害です。
 にひきめは、まだたかちゃんたちはきづいておりませんが、公園の横の路肩に車を停めて虚ろな視線を彷徨わせている、宮崎さんちの勤君です。この既知外は、これまでなんにんものたかちゃんたちみたいなむじゃきなおんなのこをどくがにかけ、あまつさえそのなきがらまできづつけてしまったかもしれない、かんぜんなきちくです。いっけん『ぶよんとしてしまりのないただのおにいさん』に見えますが、はい、この目をよーくごらんください。灰色に濁っておりますし、そもそも焦点が定まっておりません。いっけんじゃんぐるじむのおんなのこのすかーとの中を追っているようにもみえますが、ほんとうは、もうそのかわいらしいじゅんしんむくなぱんつなど、見えておりません。ただひたすら、にごった目のおくにわだかまった、己の腐った内的世界だけをみつめているのです。そして、このくちびるのはしっこを、よーくごらんになってください。ほぼいっちょくせんに、端までのびておりますね。ふつうのにんげんは、いくら平常心を保っても、心がある限り、唇を完全に水平に保つのは難しいものです。そうですね、いっけんおなじ『ぶよんとしてしまりのない』おにいさんでも、こーゆーのは『イってしまっている』ので、みなさんが泣こうが叫ぼうが、その声は『己の腐った内的世界』には届きません。いえ、もちろん物理的に聞こえてはいるのですが、己の腐った内的世界の音に、変換されてしまうのですね。
 さんびきめは、公園横のさらに角を隔てた路肩に車を停めて、姑息に細い目を光らせている、奈良から出張ってきた小林薫という、同じお名前の素晴らしい役者さんとは縁もゆかりもない、ただのムシケラです。いや、それでは虫さんたちがかわいそうですね。社会から排泄されたただのうんこです。すでになんにんものおんなのこをどくがにかけ、やがてはいのちまでうばってしまおうとしています。もうポイントはおわかりになったと思いますが、まずよーくこの目を見てみましょう。はい、この底意地の悪い見るからに品性下劣な視線は、もう誰が見ても嫌悪感を催しますね。しかし、濁ってはおりません。『イって』もおりません。そもそも、イこうもなにも、初めから『イく』ほどの複雑な内的世界など、持ち合わせていないのですね、うんこですから。はい、くちびるのはしっこも、よーく見てみましょう。はい、ふてぶてしいけわしいかくどで上方にくいこみ、ほっぺたのうえにひきつりができそうなほど、社会をなめきっております。この世にひりだしてもらった恩を、感じるだけの神経がないのですね、うんこですから。よくこれまで、トイレに流されないで存在してこられたものだとつくづく感心してしまいますね。それはこの日本というお国が、とっても住みよい国で、うんこの権利も人としてきちんと守ってくれる、ありがたいお国だからですね。近頃はようやく、うんこも人間だが、やっぱり「うんこっぽい」というしるしをつけておく、そんなきまりができそうですが。

     ★     ★

 さて、たかちゃんはとってもおりこうなおこさんなので、『ぶよんとしてしまりのない』いきものでも、アブないかアブなくないか、ほんのうてきにみわけるちからがあります。まあ、それだけではなく、前にママにはないしょでひとりでこの公園に遊びにきたとき、いきなりその背中によじのぼって、なんだか河馬っぽいけどお馬がほしかったので「うま!」と言ったら素直にうまだった、そして「おやつ!」と言ったら駅前のマックでアップル・パイまで買ってくれた、あまつさえ夕方になったら家まで送ってくれて、心配して近所を探し回っていたママとはちあわせしたときに、「わたくしこーゆーものです」と、『なんとかかんとかステーションなんとかかんとか』といんさつしてあるめいしまでおいていったうまであり、お休みの日にママやパパとおでかけしたとき、そのうまがとちゅうの駅ビルのなんかのお店の奥でいっしょうけんめいなんかしていた、そしてそのうまはきまったようびにいつもその公園で放し飼いになっている、そんなけいいもあったのですね。
 でも、くにこちゃんは、やっぱりこれはうまではなくかばなのではないか、そんなうたがいのまなざしで、じっと『ぶよんとしてしまりのない』いきものをかんさつしています。
「うま?」
 ねんのためたしかめると、そのいきものはなにか期待にみちたまなざしで、こくこくとうなずいています。
 これはもう、のってたしかめるしかないわな――まんぞくげにおりてきたたかちゃんにかわって、くにこちゃんもがしがしとせなかによじのぼり、ゲートインします。
「そら、はしれ」
 なかなかいい出足のようです。
「ひゃっほう」
 各コーナーもいい感じで回っています。
 でもやっぱり、ダービーだけでなく、障害なんかもこなしてみたいわなあ、そう思ったくにこちゃんは、公園の植えこみにむかって手綱――正確にはうまの髪の毛をむしむしとひっぱります。
「ほーら、とべ」
 うまはかろやかにちょうやくし――ませんでした。しようとした浮遊感はあったのですが、ばりばりばり、などとイタそうな音をたてて、植えこみをかけぬけます。「あだだだだ」などと人間のことばもはなせる、かしこいおうまのようです。
 なんどか公園を周回し、こまかいクセなどもかくにんしたくにこちゃんは、べんちにもどって、まんぞくげにうまからおりてきます。
「はーい、どうどうどう。――うん。なかなかいいうまだ。ひらばばならいけそうだ」
「うん。いいうまだよ」
 たかちゃんが、じしんをもって胸をはります。
 あせまみれで、あちこちきずだらけになったうまは、くびすじのよいんにこうこつとしながら、こくこくとアブないえがおでうなずいています。
 それをみていたゆうこちゃんも、はにかみながら、ちょっとのってみたいかなあ、そんなお顔でおうまさんをながめています。
 もちろん、やっぱしこれはおうまさんじゃないみたいだけど、すくなくともタノシイっぽいおじさんらしい、そう思っていたのです。
 おうまさんは、ふりふりのスカートだとがしがしはアレだろう、そう思ってくれたらしく、ちゃあんとしゃがみこんで、ゆうこちゃんをむかえてくれます。
 おうまさんのぶよんとしてしまりのないお顔が、なんだかきたいにみちてかがやいています。おめめもうるうるしているようです。
「……どうどう」
 おしとやかにちょこんとまたがったゆうこちゃんが、はずかしそうにちっちゃいおこえをかけると、おうまさんは、こんどはなんとなくかいてんもくばっぽく、やさしくはしったりします。
「きゃはははははは」
 ゆうこちゃんも、おもわずはしたなくわらってしまいます。
 ほんとうは、ゆうこちゃんのおうちはおかねもちなので、お庭もたかちゃんのおうちのお庭のすいていいっせんばいのひろさですし、くにこちゃんのおうちのお庭のすいていいちおくばい――くにこちゃんのおうちのお庭は、うえきばち5こでいっぱいなのです――とにかくとんでもねー広さなので、おとうさんやおにいさんにいつもかたぐるましてもらっておさんぽなどしているのですが、おかねもちゆえにおとうさんはとうにょうぎみですし、おにいさんはとうだいほうがくぶにいっぱつごうかくするくらいなので、あんましたいりょくはありません。
 ですから、あまりのみごとなはしりっぷりに、「このぶよんとしてしまりのないおじさんはほんとうはぶよんとしてしまりのないおじさんではなく、おうまのくにの王子さまが、まほうつかいののろいで、ぶよんとしてしまりのないおじさんにされてしまったのかなあ」などと、かわゆい空想をめぐらせたりしています。
 たのしいかいてんもくばがおわると、さすがにうまもつかれたみたいで、ぐったりとべんちにすわりこみました。もともとちょんがーでふせっせいなせいかつばかりしているし、こんびにべんとうやらほかべんやら、かたよったものばかりたべているので、にょうに糖こそでていないものの、けつえきちゅうの脂肪はてんこもりのうまなのです。でも、きょうばかりは、いまにもはれつしそうなだいどうみゃくの鼓動をむねにかんじながら、ああ、しぬまでこうしていたい、などとはかないゆめにひたりきっています。じっさいざんぎょうつづきで、そのつかれをごまかすためについつい深夜にほかべんのおおもりをかっくらいながら大酒かっくらったりするため、いついぶくろに穴があいてもだえ死んでも、ふしぎではないからだなのです。
 くにこちゃんは、まだまだ死ぬまで走らせるのがダービー馬のほんもうだろうと、さかんにけったりはりとばしたりしているのですが、うまは「ちょ、ちょいまち」などといきもたえだえにつぶやくばかりで、たちあがるけはいはありません。
「おやつ、くれ」
 死んでゆくのなら、そのまえに、もくてきのものをもらわなければなりません。
「……ちょ……ちょいまち……」
「うーん、これはもう、ばにくにするしか」
 無情に言い放つくにこちゃんの袖を、やさしいゆうこちゃんが、くいくいとひっぱります。
「それは、かわいそうだよう。ぞうげのふねにぎんのかいで、つきよのうみに、うかべるんだよ?」
 なんだか、うたをわすれたかなりやの方法論を、適用しようとしています。キスしてあげるとおうまの王子さまにもどるのかなあ、などとかわゆい推測もしているのですが、いかにぼさつさまのようなじあいにみちたゆうこちゃんでも、さすがにこのあせまみれのぶよんとしたいきものにキスしてあげるほど、人生を捨ててはいません。
「だいじょうぶ。ちょっとやすませると、またはしるもん」
 たかちゃんは、いつもとちがってきょうはさんにんがかりなのを、けいさんにいれていませんね。
「よーし、あとでまた、しょうがいにちょうせんしよう。そのあとで、おやつな」
 おそろしい言葉をのこして、くにこちゃんは、じゃんぐるじむにむかってかけ出します。
 たかちゃんとゆうこちゃんもそれにつづきましたが、たかちゃんはいっぺんととととととかけもどってきて、
「かめら、かしてね」
 にじゅうろくまんえんもするでじたるかめらを、おうまのぶよんとしてしまりのないおなかからもちあげ、りっぱなすとらっぷも、くびからはずしてしまいます。
「えへへへへー、かめらまん、かめらまん」
 じょうきげんで、いろんなすいっちをぽちぽちおしてみたり、きれいなえきしょうがめんをうにゅうにゅとちっちゃい指さきでこねたりしながら、またふたりをおいかけます。
 いきもたえだえのうまは、もうどうなってもいいや、そんなふうにちからなくうなずきながら、まっしろになってもえつきようとしています。
 そろそろどこかのけっかんがはれつするか、いぶくろに穴があくのかもしれませんね。
 こうして、たかちゃんとくにこちゃんとゆうこちゃんは、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』いきものにも、しょうりしたのです。

     ★     ★

 はーい、よいこのみなさん、きょうのおはなしは、ここまででーす。
 え? これでおしまいか、ですって?
 まさか、だてにとちゅうでヤバゲな講釈を並べたわけではありませんよ。
 まだしんのしょうじょのてきが、ふたりもせんぷくしているではありませんか。
 ここまでは、あくまでも前ぺんです。

 さあ、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』架空の人物っぽくないおじさんは、ほんとうに、まっしろになってもえつきてしまったのでしょうか!?
 こしたんたんとたかちゃんたちにねらいをさだめる架空の人物っぽくない既知外や排泄物に、たかちゃんたちは、はたしてせいぎのてっけんをくだせるのか!?
 もういちじかんも打てばおわってしまいそうなおはなしを、あまりの眠さにここでくぎってしまう、こんじょーなしの作者にみらいはあるのか!?
 それでは、よいこのみなさん、次週『青梅街道地獄のカーチェイス!! 天使たちの怒り・完結編』にごきたいください!
 ……たいとるが、ちょっとかわったかもしれません。


(注・この作品はフィクションであり、登場する土地・人物は架空のものです。実在の土地・実在の人物・実在の作者・実在の既知外・実在の排泄物とは、いっさい関連がありません。あるような気がするのは、お願いですからあなたの考えすぎということにしてください。)



     【5】


 はーい、いちおくにせんまんぶんのもうかぞえるのもめんどうなので以下省略のよいこのみなさん、こんにちわー。
 いきなりですが、かね、ください。
 はい、ぽっけのなかのこぜに、おさいふのなかのおさつ、きゃっしゅかーどとくれじっとかーどとあんしょうばんごうのメモ、それらのものをのこらずいっさいがっさい、つくえの上にならべてくださいね。
 …………。
 …………おくさんやどろぼうさんや、せんせいが出せといったら、すなおに出すものを出さないと、いたいめをみますよ。このすたんがんやさいるいスプレーがごしんようのものだと思われるのなら、それは大きなまちがいです。
 はい、そんなにごしんぱいなさらなくとも、だいじょうぶですよ。せんせいも、おにではありません。ただ今夜も屋根のあるところでねるために、おやちんのよんまんごせんえんが、ちょっといりようになってしまっただけです。せんげつもとどこおってしまったので、いちにちのゆうよもありません。それからできればにひゃくきゅうじゅうえんなど出していただけると、えきまえのまつやでぶためしがたべられるので、みっかぶりのごはんなどもいただけます。
 ――はい、きちんとしゃくようしょなども、よういしておりますよ。はんこがぎぞうなので、なんのほうてきこんきょもありませんが。

 はーい、朝からずいぶんすさんだとげとげしいきょうしつになってしまいましたが、じんせいとは、これほどまでにしびあなものなのです。みなさんがまいにちをきちんとよいこでくらしていても、いつなんどき、こうしたふそくのじたいがおきるか、だれにもよそくはできません。
 ですから、これからおはなしするたかちゃんたちのかつやくなども、こうえんでうっかり『ぶよんとしてしまりのない』いきもののえじきになりそうになったとき、とってもさんこうになるおはなしなのですよ。
 そうしたとってもためになるおはなしをしてさしあげるのですから、よんまんごせん2ひゃくきゅうじゅうえんていどのはしたがねを、いつまでも気にしていてはいけません。あしたになったら、もうきちんとわすれ去っていてくださいね。

 はーい! それではいちおくにせんまんぶんのもうかぞえるのもめんどうなので以下省略のよいこのみなさん、こんにちわー! よいこのおはなしルーム、『たかちゃんリターンズ 明日に向かって走れ!』、つづきのはじまりでーす。
 ――またタイトルがちがう、ですって? 
 うふ、せんせい、つらい過去の思い出などは、もう雪の津軽海峡に捨ててきました。

     ★     ★

 たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんが、ほわほわと、ちょっぴりなさけようしゃなく、あるいはおしとやかに、しばらくじゃんぐるじむやぶらんこで遊んでからベンチにもどると、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』うまは、まだかろうじて息をしていました。
 もうおなかがぺこぺこのくにこちゃんは、さっそくそのあぶらぎった馬体のわりにはぜい弱なあしくびに、けりをいれます。
「おい、おやつ」
 うまはさいごのちからをふりしぼって、よろよろとたちあがります。
 たかちゃんはとってもよいこなので、
「かめら、かえすね。ありがとー」
 かりたものをおかえしするときには、ちゃあんとおっきなお声で、お礼をいいます。
 かりたものが汗でべとべとになっていたり、つばがとんでしまっていたり、そこにつちぼこりがついてあちこちじゃりじゃりしていることなどは、きちんとかえしたのですから些末事です。えきしょうがめんだって、ずいぶんまだらになったりドット欠けが増殖したりはしているものの、ちゃあんとなにがうつっているかはわかります。
 おうまさんはちからなくうなずいて、まるでこのよのすべてを悟りきったような意味もないほほえみをうかべ、すなおに駅前の商店街に引かれていきました。
 このまえたかちゃんがたかったマックから、まつややふじやまで、なんでもよりどりみどりです。
「すし!」
 くにこちゃんが、いきなりしぶいこのみをしゅちょうしました。こうゆうときは、さきに大声でしゅちょうした者のかちなのです。
 たかちゃんは、やっぱしふじやでいちごみるふぃーゆかなあ、とおもっていたのですが、それはいつでもたかれるので、ここははじめてのおきゃくさまのくにこちゃんに、花をもたせます。
「うん、おすしで、いいよ」
 ゆうこちゃんはきちんとしつけをされているので、たとえれいとうのおさかななどというげせんなものはたべたくないとおもっても、ちゃあんと『群れの意識』にしたがいます。
「うん、あたしも、おすし」
 ちょうどめのまえに、かいてんするおすしやさんがあったので、なにやらほっとしたお顔のおうまがそっちに行こうとすると、
「まわるのはだめだ。うそんこのネタばっかりだ」
 くにこちゃんが、するどくちぇっくをいれます。ほんとうはいつもひゃくえんかいてんずししか食べさせてもらえないし、それだって家のごはんにくらべれば、ほっぺがおちるほどだいすきなのですが、いっぺんほんもののおすしを食べてみたいと、つねづねゆめみていたのです。ちなみにそのせりふも、こなまいきなぐるめ・あにめのうけうりです。
 がんめんそうはくと化したおうまをひきずって、くにこちゃんは、りっぱなお屋根のあるおすしやさんにはいります。
「へーい、らっしゃい。おや、店長さん、お珍しい」
 ぎくり、とおうまさんのお顔がひきつります。
 ――め、面が割れている。
 これはけして、たかちゃんたちに好きなものをあたえてなつかせておいて、それからアパートに連れ帰ってあーもしようこーもしようなどと、ふらちなやぼうをいだいていたからではありません。まあほんうとのところ、こころの奥底はずいぶんくさっているのですが、まえにもいったように、とうていそれをじっこうにうつすどきょうはない、じんちくむがいのおうまなのです。
 でも、そんなうまでも、うまというのは仮のすがたなので、ひとなみに『見栄』はあります。
 店舗防火管理責任者の講習を、消防署で並んで受けた高級寿司屋のご主人に、「でもあなたもそのお歳でおひとり身なんだから、2千万や3千万の蓄えはあるでしょう」などと気軽に言われてしまい、ついつい「当然です」みたいなお顔でうなずいてしまった、そんな弱味があるのです。じつはおきゅうりょうの8わりは、めいふまどうのろりのみちとさつえいきざいについやしてしまう、よってふつうこうざのざんだかはおきゅうりょうびまえには常にまいなすである、そしてそのまいなすをゆるしてくれる定期よきんもしょっちゅう崩しまくりである、そんな現実を今さら告白し、「かっぱ巻きと小鰭《こはだ》と納豆巻きだけにして下さい」などと注文してしまったら、卑小な己の現実を世間に曝してしまいます。
「ほんまぐろおーとろさびぬき!」
 くにこちゃんが、ちからいっぱいちゅうもんします。
 高級寿司割烹において、そのはつげんがなにをいみしているのか、くにこちゃんにはわかっていません。
「えーと、えんがわのさびぬき! ひらめさんのだよ」
 たかちゃんが、これもパパのうけうりでちゅうもんすると、おみせのおじさんがくすくすわらって、
「大丈夫! からす鰈《がれい》なんか、うちじゃあ出しゃしないよ。お嬢ちゃん、わかってるねえ」
「えへへへへー」
 おーとろほどのいりょくではないにしろ、やっぱり真のいみはわかっていません。
 ゆうこちゃんは、じゃあこのまえのにちようびにパパやママやおにいちゃんとぎんざで食べた、あれがおいしかったかなあ、などと、とってもすなおにちゅうもんします。
「……えーと、おーとろさんのあぶり、さびぬきで、おねがいします」
 その時点で、おうまはすでに今後ひと月の食生活を、すべてあきらめていました。
 すべてがそこしれぬ『時価』で請求されるのなら、そしてどうせ今月の人生は終わっているのなら、もはやすべてを忘れてしまうしか、てだてはありません。
「フグ刺とアンキモを」
 こうなったら、じゅうまんでもにじゅうまんでも、せいかつのはたんにちがいはないのです。
「お酒はそこの『朱金泥能代・醸蒸多知《しゅこんでいのしろ・かむたち》』、グラスでお願いします」
「おう、さすがは店長さん、これに目をつけられるとは」
 ほんとうならおうまさんの2かげつぶんの酒代にひってきする、しょうがい口にはできまいと思っていたお酒です。 
 こうして、たかちゃんたちは、いっぴきめの『ぶよんとしてしまりのない』いきものの、ふつうよきんざんだかにもしょうりしたのです。

     ★     ★

「いやー、くったくった」
 そのくにこちゃんのかわゆいおなかぽんぽんにおさまったのはいったいなんにんの福沢諭吉か、などと、おうまさんはちょっと悩ましげですが、自分でもお酒だけで福沢諭吉をふたりほど飲み干してしまったのですから、もんくをいえたすじあいではありません。
「えんがわさんもうにさんもみーんな、そんでもってたまごやき、おいしかったね。おうちのたまごと、ちがうたまごみたい」
 まあ玉《ぎょく》だけで夏目漱石だもんなあ、などと、おうまさんはやっぱり悩ましげですが、せいぜい樋口一葉ひとりと漱石を2.3人しかおなかにおさめなかったたかちゃんは、ひときわ愛しかったりします。
「ごちそうさまでございました」
 おしとやかにおれいを言ってくれるゆうこちゃんは、もはや一般市民の経済感覚の範疇外です。でも、かわいらしさも一般市民の概念を超越しているので、おうまさんに遺恨はありません。
 そうして、ぶじにおやつ――というより、おうまさんのひとつきのエサ代をくいつぶしたたかちゃんたちは、ゆうがたのえきまえで、おわかれをします。
「じゃあ、あしたねー」
「おう、またな」
「ごきげんよう」
 おうまさんはちょっぴりなごりおしそうに、くにこちゃんやゆうこちゃんを見送ります。
「んじゃ、うま、こんども、おやつな」
 おうまさんの腰が引けています。
「こんどは、ケンタがいいな」
 おうまさんの腰が、ちょっと戻ります。
「……それでは、おうまさん、ごきげんよろしゅう」
 この天使そのものの笑顔と、ふりふりのおじぎ姿のためなら、また定期預金崩してもいいかな、などと、おうまさんはちょっぴり浮気心を起こします。
 でも、やっぱり、ちっちゃいお手々をひらひら振って、もういっぽうのちっちゃいお手々を自分の手に繋いでくれている、おなじみのたかちゃんが本妻さんです。
 たかちゃんは、またがしがしとおうまの背中によじのぼります。
「おうちだよ、うま」
 こっくりうなずいて、すなおにたかちゃんのおうちにむかおうとしたおうまでしたが――ふと、ちょっとおかしなこうけいが、その目にとまってしまいました。
 ちょっと先のこうさてんで、ゆうこちゃんが、なんだかずいぶんセコい車に、乗りこもうとしています。どう見ても、お嬢様が乗り込んでしかるべき、高級外車ではありません。ビンボなレンタみたいです。
 そしてまた、ちょっとはなれた路肩では、くにこちゃんが、路上駐車していたそれなりの車のドアを、けりまくっています。そして、ドアがあいたとたん、その中に乗りこんでしまいました。
 おうまさんは『ぶよんとしてしまりがない』ものの、頭はいちおう雇われ店長がなんとかつとまるていどには人並みです。その2台の車が、どうも公園でずっと気になっていたあやしい車に似ている、そしてそれらの運転席には、『ぶよんとしてしまりのない』見るからにアブない奴らが乗っていた、そんな記憶も蘇りました。自分自身が『ぶよんとしてしまりがなくてアブない』ことは、このさいもんだいではありません。
 そしてまた、おうまにまたがったたかちゃんのつぶらな瞳も、それらのこうけいを、しっかりきゃっちしていました。
「……知ってる人かな」
 おうまがしんぱいそうに、たかちゃんにはなしかけます。
 たかちゃんは、ふるふるとくびをふります。
 ゆうこちゃんがいつものっているのは、おとうさんのべんつか、おにいさんのふぉーどです。あんなビンボくさいくるまに乗った知り合いが、いるはずはありません。それにくにこちゃんのおうちには、そもそもじかようしゃなどありません。
 ――知らないひとのおくるまには、ぜったいのっちゃいけないの。おおかみさんのおくるまだから、やまのなかで、たべられちゃうの。
 たかちゃんはとってもかしこいよいこなので、これはとってもアブないかもしんない、そんなはんだんがきちんとできるのです。
「走れ!! うま!」
 手綱のかわりに、むしっ、とおうまの髪の毛をむしります。
 おうまさんは、ひひいん、とは啼かずに、いっきに全力で出走しました。公園でのつかれは、おすしやでいっぽんじゅうまんえんもする特別大吟醸酒をグラス2はいほきゅうしたおかげで、もうふきとんでいました。
 まあ、それはあくまでもそんなきぶんであった、というだけのことで、やっぱりいぶくろには、きちんと穴があきかけていたんですけどね。

     ★     ★

 さて、そのとき世界のはて青梅の駅前ろおたりいで、なにが起こっていたのでしょう。
 それは、こんなできごとでした。
 じつは、公園であそんでいるあいだに、宮崎さんちの勤君(仮名)と小林薫容疑者(仮名)は、しっかりとゆうこちゃんにねらいをさだめてしまっていたのです。そして、自分たちと同じような『ぶよんとしたしまりのない』みにくいいきものでも、どうやら警戒されずに拉致可能らしい、そんなかくしんをいだいてしまっていたのです。
 そうしたじじょうをかんがえたばあい、その『ぶよんとしてしまりのない』いきものが、たとえおうまのような無害なたいぷだったとしても、やっぱりはやめにやきころしたり、みけんにてっぽうだまをぶちこんだりしておいたほうが、ぶなんなのかもしれませんね。
 そうして宮崎さんちの勤君(仮名)と小林薫容疑者(仮名)は、いかにも既知外やうんこらしいねんちゃくしつのしゅうねんで、ゆうこちゃんがひとりになる機会を、ずっとつけねらっていたのです。
 みんなと別れたゆうこちゃんは、たまたま小林薫容疑者(仮名)の、うんこらしくビンボなレンタのそばを、先に通りかかってしまいました。
「おーい、ゆうこちゃん」
 なんてこうかつでいやらしくてひれつきわまりないしょうねのくさったさいていのろくでもないむしけらいかのだきすべききたないふはいしきったうまれてすみませんというじかくすらないはじしらずでちくしょういかでさのばびっちでふぁっくゆーできすまいあすでえんがちょでおまえのかあちゃんでーべそなうんこなのでしょう。なまいきににほんごをはなすだけでなく、あらかじめ車の中から、双眼鏡でゆうこちゃんのらんどせるのお名前まで、こっそりちぇっくしていたのです。
「みうらさんのおうちの、ゆうこちゃんだよね」
 そだちがよすぎてひとをうたがうことをしらないゆうこちゃんは、こくこくとうなずいてしまいます。
「おじさん、ゆうこちゃんのぱぱの、おともだちなんだ。おうちまで、おくっていってあげるよ」
 ふだんのゆうこちゃんだったら、そんな底意地の悪い見るからに品性下劣な視線の、社会をなめきったふてぶてしい口もとの排泄物などにだまされたりはしなかったのでしょうけれど、きょうにかぎっては、たまたま『ぶよんとしてしまりのない』いきものにちょうじかんせっしていたため、ついついその『ぶよんとしたしまりのなさ』に、だまされてしまったのです。
 でも、天網恢々疎にして漏らさず、別のほうこうへ帰ろうとしていたくにこちゃんが、たまたまそのビンボなレンタにのりこむゆうこちゃんを、もくげきしていました。
 くにこちゃんは6さいにしてすでにじんせいのあらなみをいくつもけいけんしているので、うんこもにんげんだがやはりうんこっぽいからとてもくさい、そんなけはいをみぬくちからがあります。
 でも、もうその車がはっしんしてしまったので、すかさず横に停まっていた別の車のドアに、思いきりけりをいれました。
「あけろ、あけろ」
 そして開いたじょしゅせきにのりこんで、
「あのくるま、おっかけろ」
 運転席にいた、やっぱり『ぶよんとしてしまりのない』いきものは、聞こえているのかいないのか、うつろにふやけたまなざしで、ゆらゆらとうなずきながら、車をはっしんさせます。――こーゆーショタっぽいショートパンツろりもいいよなあ。
 ああ、なんということでしょう。くにこちゃんがけなげにもずうずうしく救いをもとめたその車こそが、宮崎さんちの勤君(仮名)の、ろくに働きもしないで親に買わせたのに自分の世界のものだと誤認識している、とってもアブないお車だったのです。
 そして、さらに天網恢々疎にして漏らさず、それらすべてを天性の豊かなイマジネーションというおはなしのひとのご都合主義で察知してしまったたかちゃんは、かかんにも騎馬でついせきをかいししました。
 こうして、それからみっかみばんにわたり青梅市街を恐怖と悲鳴と怒号と炎と血しぶきの巷と化した、壮絶な大追跡が始まったのです!! ――ウソですけど。

     ★     ★

 くにこちゃんを乗せた宮崎さんちの勤君(仮名)の車は、最初のうちこそビンボな車を追跡していたものの、次の交差点で、なぜか埼玉方向に曲がってしまいました。
「おい、なにやってんだ、とーへんぼく」
 くにこちゃんがやんわりとこうぎすると、
「――僕の部屋で、いっしょにビデオを観ようね」
 運転席から、無気力な声が返ります。
「だからあっち!!」
「ミンキー・モモ、全部ある。ヤマト、全部ある」
「……なにいってんだ?」
「『うち、ラムだっちゃ』」
 そう言ってくにこちゃんをふりむいた『ぶよんとしてしまりのない』顔は、くちびるがまっすぐのまま、目だけで笑っています。
「おまえ、ばかか?」
「キャンディ・キャンディも、全部ある」
「ちっ」
 ばかの車に乗ってしまったと悟ったくにこちゃんは、舌打ちして、
「いいよもう。おろせ」
「僕の部屋はいや? じゃあ、お山に行こう」
「だから、とめろよ」
「お山には……お友達も、いるよ?」
 やっぱり、目だけで笑っています。
 これはもう、にんげんとして、だめだ。――ほんのうてきにきけんをさっちしたくにこちゃんは、
「とうっ!」
 いっしゅんのできごとでした。
 助手席から両脚を跳ばして、ぶよんとした首を、しっかりと固めます。
 そして、おもいきり、ひねりをくわえます。
「でやああっ!!」
 ――これがひっさつくにこちゃんこうげき、じごくのくびがためです。かつてふたりのおとうとをびょういんにおくり、じつのちちおやさえもこきゅうこんなんにおとしいれた、今では長岡家の禁じ手として封印されている、危険な実戦技です。
 ぼきり。
「ぐえ」
 宮崎さんちの勤君(仮名)が、がまがえるのようにうめきます。
 そうです。ふだん暗あいお部屋で6000本のビデオに囲まれ、ポテチなどばかり食べているため、カルシウムが決定的に不足しているのです。くにこちゃんかいしんのいちげきに、そんな『ぶよんとしてしまりのない』首の骨は、いっしゅんにして、はずれてしまったのでした。
「ぐえ、ぐえ」
 ぶざまにうめき続ける宮崎さんちの勤君(仮名)に、なおもとどめをさし続けるくにこちゃんを乗せたまま、車はガードレールを突き破り、二転三転四転五転、田んぼへの坂をころがりおちます。
 あやうし、くにこちゃん!
 しかし、くにこちゃんは、そんなことでこの世を去るほど、こんじょーのない幼女ではありません。
 転がり続ける車から、
「ていっ!」
 猿《ましら》のごとく、小さな影が跳び去ります。
 どばしゃ! ぼむ!!
 車は前半分を田んぼの泥水に突っ込み、どうじにえんじんから火を吹きました。
 そして、どかああああん!! ――とは、なりません。
 そんな派手派手な、安易なびじゅある狙いのアクション演出では、あくにんがあっさり楽になってしまうではありませんか。
 はい、えんじんはいったん火をふいたものの、あくまでもじわじわじわと、車のなかをなめるように、炎が燃え広がっていきます。そして、車ぜんたいは、あくまでもじわじわじわじわと、田んぼに沈んで行きます。その中に残された宮崎さんちの勤君(仮名)は、頭をななめ下にするかたちで、ひんまがったシートに腰をこていされております。
 うふ、うふふ、うふふふふふふふふ。
 こうしておけば、田んぼの泥水でじわじわじわと溺れながら、なおかつ水に浸かっていないお体は、じわじわじわじわと、少しずつ焼けていくではありませんか。
「ぐえ、ぐええ、し、しぬ。ごぼごぼ。熱い。しにたくない。苦しい。冷たい。あぢぢぢぢ。ころしてくれえ。やだやだ。熱い。ごぼごぼ。しぬ。苦しい。しにたくない。あぢごぼぐえ、ころしてごぼごぼ」
 まあこのていどのしげきがあれば、既知外でもいのちの尊さと己の業《ごう》の深さに気づくかのうせいがあるので、てきせつな、そしてごうりてきなショック療法でもあるのですね。
 でも、ぶじに坂をはいあがり、じわじわと焼けながら沈んでいく車を蕭然と見下ろすくにこちゃんのお顔には、おはなしのひとやせんせいのキショクのよさとはうらはらに、ああ、またむえきなせっしょうをしてしまった、そんなせきりょうかんがただよっています。
「……らいせ《来世》で、しゅぎょう《修行》さっしゃい」
 どこでおぼえたのやら、そんなまっこうくさいつぶやきをもらしながら、くにこちゃんは静かに合掌します。
 南無阿弥陀仏――いっぱんのまっこうくさいおとしよりならそう唱えるところですが、くにこちゃんのおうちはだいだい曹洞宗、でも今は座禅ばっかりでおさまりそうななまやさしいしちゅえーしょんでもないみたいなので、ちょっとちがいます。
「おんあぼきゃーべーろしゃのーまかぼだらーまにはんどまじんばらはらばりたやうーん」
 おじいちゃんゆずりの、かんぺきなこうみょうしんごんです。
 これできっと、宮崎さんちの勤君(仮名)も、来世で汲み取り便所の横のカマドウマていどには、りっぱにうまれかわれることでしょう。すぐにふみつぶされてしまうかもしれませんが。

     ★     ★

 はい、ここでちょっと、お話がまきもどりますね。
「はいよー! しるばー!」
 だからあたしほんとにいくつやねん、と、たかちゃんはおはなしのひとにツッコミをいれながら、奥多摩街道を青梅街道方面に向かって驀進しています。
 おうまはおうまで、ああ、俺って、可憐なろりを救うために凛々しいろりを乗せて荒野を駆ける白馬、などと、あいかわらず現実逃避にどっぷり浸かっています。
 それでもそれなりになんねんもじっしゃかいをいきてきたので、とちゅうの交番できんきゅうじたいへの対応をようせいする、そんなきくばりもわすれません。
 しかしかなしいかな、おうまはふつうのひとなら自動車を持っていてとうぜんの歳でありながら、ほとんどのしゅうにゅうをろり関係についやしてしまうので、ビンボそうでレンタっぽいグレーの軽、そのくらいまでは表現できても、トヨタのなんであるとかニッサンのあれであるとか、そんな表現はできません。近くで見ていないのでナンバーもわからないし、けっきょく出足が遅れてくにこちゃんの車は見失ってしまい、ひたすらゆうこちゃんを拉致したそのビンボなグレーを追いかけています。
 ちなみにつうほうをうけたこうばんのおまわりさんは、そのばにパトカーがなかったので、あわてふためいて本署に指示をあおいでいるだけです。昔日は世界一の警備型警察として日本を世界一安全な国に保っていた警察組織も、現在となっては検挙型警察としての捜査技術を維持するのがやっとの現状です。惨殺死体がどこかで発見されて、そのはんにんのきちくがなんらかのドジをふめば検挙できますが、惨殺死体そのものの発生を食い止める『警備機能』は、もはや鈍ってしまっているのですね。
 そんなこんなで、頼もしかるべきパトカーは、今のところ『6歳程度の女児を肩車した小太りの中年男性がその脚で追っているみすぼらしい灰色の軽乗用車』を探して、ようやく奥多摩街道に合流した段階です。非常線などは、事件性が未確認のため、まだ張られておりません。
 さいわい市街地にはあちこちあのじゃまくさい信号がありますから、なんとか見失わずに、おうまも走り続けています。でも、市街地を抜けられてしまうと、これはなかなかやっかいなことになってしまいます。
 ちなみに車を運転しているうんこは、まだ追われていることをしらないので、このままこうがいのひとめにつかないところにくるまをとめ、もうとうていみなさんのまえでは口にできないような、いやらしくてひれつきわまりないしょうねのくさったさいていのろくでもないむしけらいかのだきすべききたないふはいしきったうまれてすみませんというじかくすらないはじしらずでちくしょういかでさのばびっちでふぁっくゆーできすまいあすでえんがちょでおまえのかあちゃんでーべそなうんこらしい、悪臭ぷんぷんの妄想に耽っています。でも、ゆうこちゃんはほんとうにそだちがよくてひとをうたがうことをしらない、はやいはなしがいちぶすっこぬけたおじょーさまなので、まだじぶんの貞操に危機が迫っているという事実には、微塵も気づいておりません。
 ――いかん、これでは、追いつく前に俺の心臓が破れる。
 おうまはねんにいちどのせいじんびょうよぼうけんしんをきちんとうけているので、己がかろうしすんぜんなのはじかくしています。
 ぜんぽうななめまえのスーパーの駐輪場で、ママチャリから子供をおろしたばかりの、若奥さんに駆け寄ります。
「わたくし、こーゆーものです」
 くわしく説明しているよゆうはありません。いきなりめいしをつきつけて、
「くわしくはこうばんでよろしく」
 それから、なんで俺わざわざたかちゃんのっけて走ってたんだろうなあ、といまさら気がついて、ひょい、とたかちゃんを肩からおろします。
「ここで待っててね」
「やだもん!」
 たかちゃんは、がしがしとママチャリのお子様シートに座りこみます。
 もはやたかちゃんをせっとくしているよゆうはありません。
 灰色のビンボは、行く手の坂道の下に隠れようとしています。
「ぬおおおおおおっ!」
 ――そうですね。自転車にのれるよいこのかたはごぞんじかもしれませんが、下りの長い坂道では、ママチャリでも自動車に追いつけるかのうせいがあるのです。まあ、おいついたあとのじんせいは、ほしょうのかぎりではありませんので、よいこのみなさんは、けしてまねをしてはいけませんよ。わるいこのみなさんは、どんどんまねをして、じんるいのしょくりょうぶそくのかいしょうに、ちからいっぱいきょうりょくしてくださいね。
「ひゃっほう! はしれ、ほろばしゃ!!」
 たかちゃんはもうすっかりハイになって、どんどん世代をさかのぼっているようです。パパがおおむかし、しろくろてれびをみていたころの、いでんしきおくがよみがえっているのかもしれませんね。
「ろーれんろーれんろーれん♪ ろーはーーーいど♪」
 びしっ、びしっ。
 さすがにきゃとるどらいぶのうしさんと、おうまさんのくべつはつかないようです。
 ぴーぽーぴーぽーぴーぽー。パトカーの音が、やっと後ろから聞こえてきました。
 おうまさんはもはやじぶんの脚ではないので、止まるに止まれません。
 へたにぶれーきをかけたらママチャリごとすくらっぷ化するのは目にみえているので、やけくそになって、それはもうはてしなくかそくします。
「くぬおおおおおおっ!」
 びゅん、とママチャリがビンボ軽を追い抜きます。
「やっほー」
「あれ、たかちゃん?」
 じょしゅせきのゆうこちゃんは、きょとんとしています。 
 そして、さかみちというものは、おうおうにして、くだりのあとはのぼりになったりしがちです。
 おいぬきざまに、ゆうこちゃんにひらひら手を振ったたかちゃんは、そのまんまおうまやママチャリごと、坂道の底からちょっぴり上り坂を発射台にして、ひゅるるるる、と空に向かって飛んで行きます。
「どどんぱっ!!」
 そうです。『ドドンパ』は、富士急ハイランドの名物コースターでもあるのです。ビンボでゆうえんちにいけないよいこのみなさんのために、ニュアンスをたいかんしていただくため、ここでキャッチ・コピーなど、丸写ししてみましょうね。
 はい、『発射後、わずか1.8秒で時速172キロメートルの圧倒的な加速、思わず腰が浮くゼロGフォール、巨大なバンク、垂直上昇、垂直落下のタワー、キミはドドンパに耐えられるか!?』こんな感じです。

     ★     ★

 そのご、たかちゃんはぶじにおうまの『ぶよんとしてしまりのない』おなかのうえにちゃくちして、ことなきをえました。
 おうまさんはあばらぼねをいっぽん折って2ほんにひびがはいりましたが、いのちにべつじょうはないらしく、俺の一生でもうこれ以上のろり関係の見せ場はあるまい、そんないきごみで、ビンボ軽の前に立ちはだかりました。
 そして、ビンボ軽を運転していた小林薫(仮名)もまた、じぶんによくにた体型の『ぶよんとしてしまりのない』人影と、はいごからせっきんしてくるパトカーの群れに気がつき、観念してビンボ軽を停めました。
 おいついたおまわりさんのなかには、そのうんこのはずべきむすうの前科をおぼえているひともあり、そっこくてじょうをかけられます。 
 きしょくまんめんのたかちゃん、なんだかよくわからないけどとってもうれしいみたいなゆうこちゃん、そしてとちゅうでパトカーにひろわれたくにこちゃん――なかよしさんにんぐみは、がっしりといだきあい、えいえんのゆうじょうをちかいあいます。
「どどんぱ!」
「どぱどんど」
「ど、どど、ぱ?」
 それをみまもるおうまさんも、あばらぼねの痛みに耐えながら、まるでほんもののりっぱなおうまのように笑っています。
 けいさつのむのうなおまわりさんたちも、ひさびさにはんざい阻止がせいこうしたよろこびで、みんなにこにこわらっています。
 ただ、てじょうをかけられた小林薫(仮名)だけは、あいかわらずほっぺたのうえにひきつりができそうなほどしゅうあくな笑いをうかべ、社会をなめきっています。――どうせちょうえきなんねんかくらって、らくな仕事しながらただめしくらってりゃ、そのうちでてこれるんだ。おれはこどもをなんにんも○したが、まだ○しはしてないんだからな。○してみるのは、その後でもいいんだ。
 もちろん、そんないやらしくてひれつきわまりないしょうねのくさったさいていのろくでもないむしけらいかのだきすべききたないふはいしきったうまれてすみませんというじかくすらないはじしらずで以下省略なうんこらしい思考を、おうまさんやおまわりさんたちは気づいているのですが、どうすることもできません。また、そうしたいやらしくてひれつきわまりないしょうねのくさったさいていのろくでもないむしけらいかのだきすべききたないふはいしきったうまれてすみませんというじかくすらないはじしらずで以下省略なうんこがこの世に存在することを、たかちゃんたちに、知ってほしくもないのです。
 でも、たかちゃんはとってもおりこうなおこさんなので、だいすきなゆうこちゃんみたいなじゅんしんでいちぶぬけたおこさんのために、このたいぷの『ぶよんとしてしまりのない』いきものにはいんどうをわたすべきだ、そんなちょっかんがはたらきます。ちかくにいたおまわりさんにとととととと駆けより、すきをみてお腰のニュー・ナンブ38口径をぬきとり、くさりがつながったままで、お顔の前に、すちゃ、とかまえます。
「しけい」
 小林薫(仮名)のみけんに銃口をむけて、びしっと、『だーてぃー・はりー』のぽーずです。
 さすがのうんこも、なまいきににんげんなみにひやあせなどながします。
 でも、たかちゃんがひきがねをひくまえに、おまわりさんが、あわててたかちゃんのあたまのうえから、拳銃をひったくります。
「ぶー」
 たかちゃんは、おもいっきしほっぺをふくらませます。
 おまわりさんは、あんぜんそうちもはずしていないニュー・ナンブ38口径を、さびしげにホルスターにもどします。
「……みけんに、てっぽうだま」
 みにくいほほえみを浮かべ続けている小林薫(仮名)を、たかちゃんがいくら指さしても、おまわりさんたちは、だあれもてっぽうをかまえてはくれません。
 おうまさんも、内心ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、でも、なんにもできません。
 さっきのおまわりさんが、たかちゃんのおつむに、やさしく手をおきます。
「――それは、できないんだよ、おじょうちゃん。みんしゅこっかでは、うんこもにんげんなんだ。うんこっぽいだけじゃなく、ほんとうのうんこでも、さいばんでしけいがきまらないかぎり、トイレに流してはいけないんだよ」
 くにこちゃんも、たかちゃんの肩に、やさしく手を置きます。
「ざんねんだな。こっちもおれだったら、シメてやったのに」
 ゆうこちゃんは、はんべそになって、たかちゃんにすりすりします。
「たかちゃん、ありがと。でも、しかたないもん」
 なんだか別のおはなしみたいに、しゅんとしてしまっているたかちゃんたちでした。
 しかし、そのとき――坂のうえから、ほがらかな声がかかりました。
「おひさしぶりです、たかちゃん」
 もうこのお話以外のなにものでもない、脳天気にあかるいお声の主――バニラダヌキさんです。
 たかちゃんがようちえんのころのおはなしのときにも、なんのみゃくらくもなくとうじょうした、小さい狸のような、子犬のような猫のような、洗熊ともレッサーパンダともにている、茶色の毛皮でおなかが白く、目のまわりだけ黒い、なんだかよくわからないどうぶつです。やっぱりあのときみたいに、まるまるとしたおおきなしっぽを、ぽふぽふと振ったりしています。そしてやっぱり、ちっちゃなかわいいバニラシェイクのお屋台を引っぱっています。
「あ、バニラダヌキさん!」
「はい! バニラダヌキですから」
 やっぱり会話もきちんとせいりつしません。
 からころとお屋台を引いて坂を下りてきたバニラダヌキさんは、ぺこりとたかちゃんにおじぎをします。
「そのせつは、たかちゃんにはたいへんおせわになりました。おかげさまで、わるいおやかたをこらしめて、いまではバニラの村の仲間も、みんなしあわせに行商しています」 
 くにこちゃんは、よこから手をだして、バニラダヌキさんのあたまを、ぐりぐりとこねまわします。
「なんだ、これ」
 さっそくそのまるまるとしたおおきなしっぽを、ぽふぽふと試しげりしながら、
「うん、なかなかけりがいのあるやつだ」
「はい! バニラダヌキですから」
 ゆうこちゃんは、なんだかおめめをうるうるさせて、バニラダヌキさんのまあるいおなかを、そおっとつっつきます。
「……やわらかわいいの」
「はい! バニラダヌキですから」
 ほんとうにちっとも変わっていないようです。
「おはなしは、坂のうえからおうかがいしました」
 くりくりとしたおめめ――よく言えば純真に澄んだ、わるく言えばまったくなーんにもかんがえていないようなひとみで、たかちゃんをみあげます。
「たかちゃん、よっく、きいてくださいね。これは、ひとがひとであるために、とってもたいせつなことなのです。――『憎まず』『殺さず』『許しましょう』。――ぼくのだいせんぱい、げっこうかめんダヌキさんのお言葉です」
 たかちゃんのこころに、このひとにならあげてもいい、そんなむかしのきもちがよみがえります。でも、まだむかしのおはなしをしらないよいこのためにおことわりしますが、あげてもいいのはおもにじぶんのおやつのことであって、それいじょうでもいかでもありませんよ、ねんのため。
「……うん」
「でも、ぜひ、あのときのお礼をさせてください」
 そういったとたん、ぱ、とバニラダヌキさんの姿が、たかちゃんの前から、お屋台ごと消えてしまいました。
 おう!? という声が、おまわりさんたちのあいだからあがりました。
 そうです。しんしゅつきぼつ、へんげんじざいのバニラダヌキさんは、いつのまにか、お屋台ごと小林薫(仮名)の後ろに、しゅんかんいどうしていたのです。
 小林薫(仮名)は自分の後ろが見えないので、なにが起こったのかと、きょろきょろとぶざまな間抜け面をあたりに曝しています。
「バニラの村の新はつばいシェイクは、どんなあくにんのこころをも、ぜんにんに変えてしまうのです」
 そういってバニラダヌキさんは、お屋台のシェイクのきかいから、さきっぽのプスンのところだけをとりはずすと、小林薫(仮名)ののうてんに、ちからいっぱい突きたてました。
 ずこっ。
 びくん、と小林薫(仮名)がけいれんします。
「これこのように、あくにんのあたまに、バニラ村謹製シェイクをちゅうにゅうしますと」
 プスンのところにつながったチューブを通って、ピンクいろのおいしそうなシェイクが、小林薫(仮名)のあたまのなかに、じゅるじゅるとながれこんでいきます。すとろべりーでしょうか、それともぴーちでしょうか。
 小林薫(仮名)はりょうてりょうあしをつっぱらかして、びくびくと、ぐろてすくにけいれんしています。
「あっというまに、このよのしんらばんしょうを愛してやまない、ほとけさまのような――」
 小林薫(仮名)は、これがほとけさまだったらほとけさまとは死んでも会いたくないもんだなあ、そんなありさまで、こっくろーちのちょくげきをうけたごきぶりのように、ばたばたとのたうちまわっています。
 さんぷんたっても、じゅっぷんたっても、いっそとどめをさしてくれ、そんなかんじで、ふくれあがった赤黒い舌をのたくらせ、あわをふいてもだえ苦しんでいます。
「――すみません。しっぱいしました。もうとりかえしはつきません」
 バニラダヌキさんは、なんの隘路もないくりくりと澄んだひとみで、そういいきりました。
「でも、それでも『憎まず』『殺さず』『許しましょう』、それがたいせつなのです」
 たかちゃんやくにこちゃんやゆうこちゃんは、バニラダヌキさんにまけない純真なまなざしで、こくこくとうなずきます。
「それでは、たかちゃん、そしてみなさんも、おげんきで」
 ぼーぜんとたちすくむおまわりさんたちをしりめに、お屋台を引きながら、バニラダヌキさんはただいっぴき夕陽の中に去っていきます。
「またきてねー」
「またこいよー」
「またきてくださいねー」
 なかよしさんにんぐみのかわいいお声が、世界のはて青梅の夕焼け空の下、赤く染まった奥多摩の山々に、いつまでもこだましていました。
 ♪ 赤はひいいいい夕ふ陽よほおおお 燃ほほへええ落ちてへえええ 海ひほほををを流れてへえええ どこほへえええへ行ふうくうううううう ♪ ――いよっ、渡り鳥! 旭アニい! にくいよ! ――まあ、そんなノリだと思ってくださいね。
  
 こうして、たかちゃんたちはすべての『ぶよんとしてしまりのない』いきものたちにも、なしくずしでしょうりしたのです。

     ★     ★

 はーい、よいこのみなさん、こんかいのたかちゃんたちのかつやくは、これでおしまいでーす。
 おうまさんのあばらぼねがぜんちしたら、またつづきがあるかもしれませんが、とりあえず、これでおしまいでーす。
 それから、ぜんかいにひきつづき、なにか、ごしつもんや、くじょうがあっても、せんせいはいっさいおこたえできませんので、ごりょうしょうくださいね。
 ぜんかい、せんせいのまごころのこもったきょうはくにもかかわらず、こうちょうせんせいや、おうちのひとや、きょーいくいいんかいにおチクりになったよいこのかたもいらっしゃったようですが、そのごの、そのよいこたちのひさんなないしんしょや、ほのぐらいしんろなどは、みなさん、かぜのうわさで聞いていらっしゃいますね。

 うふふふふふ、民○崩れの女教師をなめてかかると、とっても明るいみらいがまっていますよ。





                                        〈終わり〉


(筆者注・全国のたまたまきちくと同じお名前であっただけの宮崎勤様、小林薫様に、謹んでお詫び申しあげます。どうしても納得できないとお怒りのかたは、現在拘置所に生息中の諸悪の根源のほうに、お怒りを向けていただければさいわいです。くれぐれも、筆者や名付け親や社会や宿命に、お怒りを向けられないようお願いいたします。なお、ご自分の気を鎮めるには、なんといっても般若心経がお勧めです。今回記載した『おんあぼきゃあ』だと、ちょっと高揚しすぎて自分も昇天するような気がします。)
2006/03/08(Wed)20:17:46 公開 / バニラダヌキ
■この作品の著作権はバニラダヌキさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
「はーい、たかちゃん、涙と感動の最終回、無事に収録がおわりました。それでは、たかちゃん、そしてくにこちゃんとゆうこちゃんも、みんなでありがたい読者の皆様に、ごあいさつしてくださーい」
「♪ ど・どんっ・ぱっ、ど・どんっ・ぱっ、ど・ど・んっ・ぱっ・わー、わったしのむねにー ♪」
「♪ けっすっにいー、けっせっなあいー、ひをつっけえたあー ♪」
「……♪ ひ、ひをつっけったあ ♪……」
「あらあら、いったいなんにんの読者様が、そんなふるくせーお歌を、しっていらっしゃいますかねえ。まあ、これで最後なので、どーでもいーよーなものですけど」


「……などといいながら、まだはずかしいまちがいがあったようですねえ」
「くすくすくす」
「こいつは、にんげんとして、だめだ」
「……?」


「だからそこのクソ作者、いってー何回リテイクやらすつもりだ。何様のつもりだ、もう夜中じゃねえか、ああ?」
「ちゅーちゅー。(バナナジュースをもらったので特に不満はないらしい)」
「むしゃむしゃ。このアブラっこいのが、なんとも。(ケンタの差し入れがあったので、特に不満はないらしい)」
「すやすや。(出番が少ないので寝てしまったらしい)」

「あら、なんでしょう。お話が終わってひと月もたつのに、またきょうだんの下から、ぶよんとしてしまりのない人影がごそごそと……。あら、まだ恥ずかしいまちがいがみつかったみたいですね。はい、それではたかちゃんくにこちゃんゆうこちゃん、みんなでこのむのうなライターさんを、あざわらってさしあげましょうね」
「くすくすくすくす」
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